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全国戦没者追悼式における横路衆議院議長追悼の辞
(平成23年8月15日)


横路衆議院議長は、日本武道館で行われた全国戦没者追悼式で、次のとおり、追悼の辞を述べ献花しました。


全国戦没者追悼式における議長追悼の辞

天皇皇后両陛下のご臨席をいただき、全国戦没者追悼式が挙行されるにあたり、謹んで追悼の言葉を申し述べます。

二十世紀の中葉、昭和の時代、遠く太平洋の島々と海原で、アジアやシベリアの山野で、そして沖縄をはじめ国内の各地で、戦場に倒れ、戦火に追われ、三百万余りの同胞が亡くなられた悲しみの大きさには、いまなお胸のつぶれる思いがいたします。国の内外すべての戦禍に倒れた方々のみたまに衷心より哀悼の誠を捧げますとともに、最愛の肉親を失い、苦難の戦後を生き抜いてこられたご遺族のみなさまに、深くお見舞い申し上げます。

真夏の太陽が照りつけ、セミがしきりと鳴いて、あの戦争が終わった日から六十六年たった本年三月十一日、わが国は再び大きな惨禍に見舞われました。地震と津波に襲われた東日本の海岸の街が一瞬にしてがれきの山と化した光景は、あの大戦がもたらした空襲と焼け野原をほうふつとさせ、さらには原爆投下のヒロシマナガサキをも思い起こさせるものでした。家を失い、家族を津波にさらわれた人々の悲しみは、かつての戦争の悲しみと変わるところはありません。

戦争にしろ、天災にしろ、いま生きている私たちのなすべきことは、「記憶を持ち続ける」ということです。

歴史にしっかり真正面から向かい合い、そこから教訓を得て、反省すべきは反省し、その教訓を未来のために生かしていかなくてはなりません。

記憶しなければならないことのひとつは、先の大戦で、遠く異郷の地でいのちを落とされた二百四十万人の同胞の遺骨の半数近くが故郷に戻っていないことです。この一年の間、「硫黄島からの遺骨帰還のための特命チーム」が政府に設置され、遺骨収集への取り組みが強化されました。しかしなお例えば、風雪ふきすさぶ北方の島、アッツ島で亡くなった約二千六百人のみなさんの遺骨の大半はなお凍れる土のなかに眠っているのです。政府の一層の努力が必要です。

戦争は人間が始めるものでありますから、人間の責任で止めることができるということを心にしっかりきざみたいものと思います。

地震や津波は、それが起こること自体は人間の力で防ぐことはできません。明治、昭和の三陸地方の大津波を記録した作家の吉村昭さんは、「海の壁」の恐ろしさをつづっています。津波がきたらともかく逃げろという「津波てんでんこ」という言葉もあります。東日本大震災の復興の槌音のなかで、私たちは、失われたいのちを悼みつつ、再び来るかもしれない天災と戦うために、「記憶」を持ち続けなければなりません。

福島原発の事故では、人間の英知の限界を思い知らされました。大気に放出された放射能は長い年月にわたって、日本の土と水を汚し、そこに生きるいのちをむしばむ可能性をぬぐうことができません。ヒロシマナガサキの原爆投下、第五福竜丸の被曝を体験した私たちが、なぜ原発の「安全神話」に寄りかかってしまったのか、痛恨のきわみです。

八月九日の長崎平和祈念式典の「長崎平和宣言」で田上市長は、ノーモア・ヒバクシャを訴えてきた被爆国の私たちが、どうして再び放射線の恐怖に脅えることになってしまったのか、「自然への畏れを忘れていなかったか、人間の制御力を過信していなかったか、未来への責任から目をそらしていなかったか…」と私たちに問いを発しました。この問いに私たちは応えなければなりません。

戦後、わが国は、国際社会の激動のなかで辛うじて平和を守ってまいりました。世界の恒久平和のために、「核のない世界」をつくるために、引き続き渾身の力を傾けてまいります。日本国憲法の平和の理念を改めて深く心に刻み、戦没者のみたまの安からんことを祈って、追悼の言葉といたします。



平成二十三年八月十五日


衆議院議長  横路孝弘


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