衆議院

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第6号 平成23年8月3日(水曜日)

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平成二十三年八月三日(水曜日)

    午後一時開議

 出席委員

   委員長 北村 誠吾君

   理事 小林 興起君 理事 佐々木隆博君

   理事 瑞慶覧長敏君 理事 玉城デニー君

   理事 仲野 博子君 理事 秋葉 賢也君

   理事 伊東 良孝君 理事 遠山 清彦君

      浅野 貴博君    石関 貴史君

      石原洋三郎君    大泉ひろこ君

      川村秀三郎君    木内 孝胤君

      杉本かずみ君    高井 崇志君

      中島 政希君    野田 国義君

      福嶋健一郎君    福田 昭夫君

      山岡 達丸君    若井 康彦君

      井上 信治君    岸田 文雄君

      宮腰 光寛君    赤嶺 政賢君

      照屋 寛徳君    下地 幹郎君

    …………………………………

   参考人

   (根室市長)       長谷川俊輔君

   参考人

   (羅臼町長)       脇 紀美夫君

   参考人

   (社団法人千島歯舞諸島居住者連盟理事長)     小泉 敏夫君

   参考人

   (千島歯舞諸島居住者連盟根室管内青年部連絡協議会会長)          舘下 雅志君

   参考人

   (沖縄県知事)      仲井眞弘多君

   参考人

   (社団法人沖縄県経営者協会会長)         知念 榮治君

   参考人

   (琉球大学国際沖縄研究所所長)          我部 政明君

   参考人

   (沖縄大学非常勤講師)  山内 優子君

   衆議院調査局第一特別調査室長           金子 穰治君

    ―――――――――――――

委員の異動

八月三日

 辞任         補欠選任

  石関 貴史君     中島 政希君

  杉本かずみ君     川村秀三郎君

  福嶋健一郎君     野田 国義君

同日

 辞任         補欠選任

  川村秀三郎君     高井 崇志君

  中島 政希君     石関 貴史君

  野田 国義君     福嶋健一郎君

同日

 辞任         補欠選任

  高井 崇志君     杉本かずみ君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 北方問題に関する件

 沖縄問題に関する件


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     ――――◇―――――

北村委員長 これより会議を開きます。

 北方問題に関する件について調査を進めます。

 本日は、本件調査のため、参考人として、根室市長長谷川俊輔君、羅臼町長脇紀美夫君、社団法人千島歯舞諸島居住者連盟理事長小泉敏夫君、千島歯舞諸島居住者連盟根室管内青年部連絡協議会会長舘下雅志君、以上四名の方々に御出席をいただいております。

 この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。

 本日は、御多用中のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人各位におかれましては、北方問題につきまして、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。どうぞよろしくお願い申し上げます。

 次に、議事の順序について申し上げます。

 まず、長谷川参考人、脇参考人、小泉参考人、舘下参考人の順に、お一人十分以内で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑に対してお答えいただきたいと存じます。

 なお、念のため申し上げますが、御発言の際はその都度委員長の許可を得て御発言くださいますようお願いいたします。また、参考人から委員に対して質疑をすることはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。

 それでは、まず長谷川参考人にお願いいたします。

長谷川参考人 ただいま御紹介をいただきました根室市長の長谷川でございます。

 衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員会の皆様の御高配によりまして、意見陳述の機会をいただきましたことと、去る六月二十六日に北隣協地区の現地視察をいただきましたことに対しまして、心からお礼を申し上げます。

 時間の関係もございますので、早速、北方領土問題について、私から、北方領土返還運動の原点の地であります根室市民の思いを、そしてまた返還運動関係者の思いを述べさせていただきます。

 初めに、領土返還交渉についてでございますが、北方領土問題は、戦後六十七年目に入りますが、六十七年たった今も、全く解決の糸口すら見えていない状況でございます。

 前半の昭和二十年、三十年、四十年、五十年代は、東西問題もございましたので、ソ連の方も大変かたくなな態度でございました。私たちも問題にしているのは、一九九三年、平成五年でありますが、東京宣言において北方四島の帰属の問題として位置づけられまして、また平和条約を早期に締結するよう交渉を継続することが確認されたところでありますが、それから十八年たってもいまだ何ら進展が見られていないということに対しまして、非常に憤りといいますか、不満な感情を抱いております。

 なぜならば、ロシア側もはっきり、北方領土問題は未解決である、そしてまた両国間で話し合うんだと。今までも首脳レベルでの会談が繰り返し行われておりまして、例えば双方受け入れ可能な解決策を見出す、新たな独創的で型にはまらないアプローチのもとで作業を行う、あるいは静かな環境下で協議を進めていくなど、その都度新しい表現で決意表明がされるわけでありますが、具体的な成果がこの十八年全く見えていないということに対して、元島民を初めとする返還要求運動関係者は、大きな失望と落胆、そしてまた怒りを覚えているところであります。

 一方、最近のロシア側の動きを見ますと、クリル諸島社会経済発展計画のもとで北方四島を積極的に開発していること。二つ目として、原油・ガス共同開発を初めとする北方領土共同開発を日本に提案したとの報道がなされていること、これは平成二十三年、ことしの六月であります。三つ目として、第二次世界大戦終了の日の制定や、これは平成二十二年七月でありますが、サハリン州憲章が改正され、北方四島がサハリン州の領域として明記されたこと、これは昨年の九月に明記されております。四つ目は、昨年十一月のメドベージェフ大統領の国後島訪問以降、相次いでロシア閣僚が北方四島を訪問していること。五つ目は、ことしの六月でありますが、イワノフ副首相から日ロ平和条約は不要であるとの発言があったことなど、その行動はますます激しさを増しておりまして、隣接地域の住民は、怒りはもちろん、憤りすら感じているところであります。

 しかし、私は、ロシア側が今さまざまなアクションを起こしているのは、双方が受け入れ可能な日本からの提案を促しているのではないか、日本が動かないのでロシアがそういうふうな行動をとっているのではないかとも感じているところであります。

 これまでの交渉において、日本側から積極的に解決に向けた具体策を提案したことはあるのかと疑問を抱いているところであります。北方領土問題は、日本がロシアに領土返還を要求しているものであり、日本側が島を返せと要求しているところであります。当然、日本側が積極的にアプローチをかけなければならない立場でありますが、どうも逆のような感じがしてならないというふうに考えているところであります。

 次に、隣接地域の現状についてでございますが、隣接地域の住民は北方四島の早期返還を熱望しておりますが、戦後六十六年を経過しようとしている今もなお具体的な進展はなく、この間、自由な社会経済活動に対する多くの制約を受け続けております。

 北方領土と広大な海を失った隣接地域の住民は、北洋漁場を開拓し必死に生き抜いてきたところでありますが、昭和五十二年の二百海里漁業専管水域の実施など相次ぐ国際漁業規制による締めつけによりまして、減船を余儀なくされ、漁獲量は大きく減少し、地域経済は今もなお疲弊の一途をたどっております。

 こうした状況の中、隣接地域の振興のために強力な措置を講ずべきと、超党派による議員立法として、北方領土問題等の解決の促進のための特別措置に関する法律、いわゆる北特法が昭和五十七年に成立しまして、隣接地域に対する特別な措置が講じられることとされたところであり、さらに昨年四月には、北方領土問題をめぐる状況の変化等を踏まえつつ、二十七年ぶりに、これまた議員立法により抜本的かつ総合的に改正がされたところでありますが、実際には、ことしの予算を見ましても、啓発予算が一・七三倍に増額された以外は、各種支援はいまだ不十分な状況であります。

 さらに、先ほども触れましたが、ロシアでは、クリル諸島社会経済発展計画のもと、北方四島に対し、二〇一五年までに三百十億ルーブル、日本円にしますと八百九十億円もの巨額の予算を投じて積極的な開発が行われておりまして、北方四島のロシア化が急速に進められております。

 一方、その対岸に位置する日本の隣接地域は、道路を初めとしたインフラ整備が全国で最もおくれている地域の一つであることから、元島民を初めとした地域住民を元気づけ、返還要求運動を力強く後押しし、国の領土返還に取り組む姿勢を国内外に示すためにも、北方領土返還要求運動原点の地である隣接地域に対し、国の直接的な支援強化を強く望んでいるところであります。

 その一つといたしましては高速道路網の整備であり、現在では北海道内でもほとんど整備され、隣接地域だけが取り残されているのが現状であります。これまでのおくれを取り戻すためにも、集中的かつ加速的な整備を来年度より強く求めているものであります。

 二つ目といたしましては、北方基金の運用益の大幅な減少により、地域の振興、啓発及び援護事業の実施がなされていない状況を補てんするために、国土交通省所管の北方領土隣接地域振興等事業推進費補助金について、現在一億円でございますが、これを、北方基金の目減り分を補てんするために六億円に増額していただきますとともに、補助率を二分の一から基金事業と同じ八〇%に引き上げていただくよう要望いたしているところであります。

 次に、平成四年度から始まった北方四島交流事業についてでございますが、このいわゆるビザなし交流は、ことしで二十年目を迎えたところであり、昨年度までに四百十回、一万七千二百九十八名の方々が相互に訪問して交流を深め、日ロ間の友好と相互理解の増進には一定の役割を果たしてまいりました。

 しかし、当初の、本来の目的であります北方領土問題の解決のための環境づくりについては何ら進展はなく、強い憤りを感じております。

 私は、この膠着状況を脱するために、四島在住ロシア人への日常的生活物資の供給、これは経済交流の推進、四島周辺海域における水産資源の適正管理及び資源増大、四島在住ロシア人への医療支援のさらなる充実、四島の自然環境の保全及び地震対策、研究や教育、墓参を含む自由訪問等、多様な交流の実現など、日ロ両国の主権を損なわない形で人、物、金の相互交流を確立し、四島を実質的に同じ経済圏に取り込むような深化した四島交流の実現について、ぜひとも国に認めていただきたいと考えているところであります。

 幸いにも、日ロ外相会談でも既に取り上げられているとお聞きしておりますので、ぜひ実現をしていただきたいと強くお願い申し上げます。

 次に、返還要求運動の現状についてでございますが、当時、断腸の思いで島を追われた一万七千二百九十一名の元島民も、現在では、約六割の方々がふるさと返還への熱い思いを胸に他界されており、残された方々の平均年齢も既に七十八歳に達しております。

 返還要求運動にはこれまで元島民を中心に多くの市民が積極的な参加をいただいておりましたが、北方領土問題が、戦後六十七年、人生でいえば六十ならいわゆる還暦でありますが、六十年過ぎても全く動きを見せていないこと、さらには、元島民の方々が減少を続けている現状にあって、返還運動に対する意識は年々薄れてきており、原点の町でさえ、運動に参加してもどうせ無駄であるといった考え方がここ数年の間に市内の企業や市民の間で出始めていると考えておりまして、これは大変危険な現象であると受けとめております。

 かつて根室市では返還運動大会というのを年間三回ぐらいやっておりまして、三千人ぐらい集まるのは簡単でありました。しかし、三万人の人口で三千人といえば一割で、どんどん参加者がふえてきた状況でありますが、戦後六十年たってもまだ一向に見えないんです。ここ数年前から、返還運動大会あるいはいろいろなイベントに出てもしようがないということを会社の社長が発言するようになりました。したがって、なかなか動員もままならないという状況がここのところ、二、三年前から私どもの市議会の議論の中で何回も出ておりますので、これはやはり本当に疲弊しているんだということの裏返しであると思っております。

 それらを払拭するために、五年前のいわゆる戦後六十年の節目に、一番端っこの根室で返還運動をやっていてもなかなか広がらないのでという思いで、北隣協として、根室管内の住民が逆に日本の中心である東京に出向いて中央アピール行動を実施したところであります。最初は百人程度で銀座から二キロぐらい街頭行進をしましたが、今、五年目を迎えまして、五百人規模までふえております。

 しかしながら、これも、果たして東京のど真ん中で一市四町がやる事業なのかという疑問を持っておりまして、当然これは国レベル、あるいは北対協とかいろいろな全国組織がやるべき問題ではないかということで三年前から提言をしておりますが、なかなかそれも実現できていなくて、ことしもまた一市四町主催による全国中央アピール行動を十二月一日に行う予定であります。幸いに、内閣府は啓発予算を一・七倍に今年度予算で増額してくれたところであります。

 私といたしましては、返還要求運動を風化させないためにも次代を担う後継者の育成が何よりも重要であると考えておりますことから、教育の場において北方領土問題に関する学習を進める施策を充実させ、返還要求運動を次の世代に引き継いでいくことが必要であり、もう一つに、原点の地の人々が返還運動を力強く継続するために国の特別な配慮が必要であり、そのためにも、北隣協地域に対する国の支援を目に見える形にしていただくことがぜひとも必要であると訴える次第であります。

 根室市は北方四島と一体であり、領土問題の解決なくして戦後はなく、経済的にも社会的にも北方領土が返還されて初めて正常になる、まさに北方領土との対峙を避けられない宿命を背負っております。

 我々隣接地域は、今後も北方領土返還要求運動原点の地の責務として、どのような逆境になろうとも返還要求運動に邁進してまいる所存でありますので、委員皆様におかれましては、今後とも絶大なる御支援を賜りますようお願いを申し上げますとともに、政府におかれましては、これまで以上に強力な外交交渉、そしてまた北方領土隣接地域の振興を加速的に推進していただきますよう強く要望いたしまして、参考人としての私の意見陳述とさせていただきます。

 ありがとうございました。(拍手)

北村委員長 ありがとうございました。

 次に、脇参考人にお願いいたします。

脇参考人 ただいま御紹介いただきました、北方領土隣接地域一市四町の中の一つ羅臼町の脇でございます。

 本日、このような場で北方問題について意見を申し述べる機会をいただきましたことにつきまして、大変光栄であり、北村委員長を初め委員各位に心から御礼を申し上げます。大変ありがとうございます。

 意見を述べる前に、個人的なことで恐縮でありますが、私は、北方領土の一つである国後島の生まれであり、終戦後三年間、旧ソ連占領下での生活を余儀なくされ、昭和二十三年、一九四八年、最後の引き揚げ船で旧樺太を経由し函館に上陸し、親類を頼って現在地に住まいし、朝に夕に二十六キロ対岸の国後島を指呼の間に臨みながら、自由に往来のできない悔しさの中で六十三年が経過し、現在に至っております。

 領土問題に関する経緯等につきましてはただいま長谷川市長からお話がありましたので、私は、北方領土問題未解決による諸問題の中で、漁業問題を中心に発言をさせていただきます。

 国後島と知床半島の間にある根室海峡は、スケソウダラを初め豊富な漁業資源に恵まれておりましたが、最近、その資源が急激に減少し、さらなる資源の枯渇が憂慮される状況となっております。その経緯についてお話をさせていただく中で、委員皆様の御理解をいただきたいと思います。

 北方領土が旧ソ連に占領されてから、日ソ間における中間ラインが設定された昭和五十二年、一九七七年まで、スケソウなどの刺し網漁業は、日ソ間の暗黙の了解のもと、国後島三海里沖まで操業が可能でありましたが、中間ライン設定後の操業はさま変わりし、漁船の大型化が図られ漁獲量が増加しましたが、その一方で、資源の枯渇が懸念されることとなりました。特に、昭和六十三年、一九八八年からソ連の大型トロール船の中間ラインから国後島寄りでの操業が行われ、現在も続いております。

 その影響もあってか、平成二年、一九九〇年をピークにスケソウの漁獲量は激減の一途をたどり、羅臼漁協は、平成七年、一九九五年、スケソウ専業船百八十隻のうち五十隻の減船を断行し、残存漁業者で減船漁業者の共補償十五億六千万円という莫大な負担を十三年間にわたって支払い、平成二十年に完済したところであります。また、この間、中間ライン海域での操業によって、ロシア国境警備の厳しい状況のもと、拿捕、銃撃、罰金などが、資源の減少と漁民所得の低下と相まって、不安定な操業、漁家の経済不安を増大させている現状にありました。

 この打開のため、地元漁民が求めていた安全操業が、平成九年、一九九七年に実現いたしました。いわゆる領土問題が解決するまでの暫定措置として、北方海域におけるロシアの主張する十二海里の中で、ロシア監視船による拿捕や銃撃などによって生ずる損害と犠牲や不安におびえることなく、安心して操業ができるようになりました。

 しかしながら、安全操業区域内において日本漁船の漁具、漁網がロシアのトロール船によってかき回され、紛失、破網の被害が毎年発生しております。その被害額も現在まで四千四百万円になっており、安全操業交渉や洋上会談等において問題提起と補償を求めておりますが、解決に至っておりません。

 日本漁船は、漁業資源の安定的な持続を図るために、先ほど申し上げました五十隻の減船のほか、操業期間の短縮、操業区域の縮小、漁網の網目の調整などを行い、資源管理型漁業を実践しております。その一方でのロシア・トロール船操業は資源枯渇の大きな要因との観点から、操業阻止を強く求めるところであり、つい先日、七月二十八日、町を挙げて関係の議員皆様や機関に対して要請活動を行ったところであります。

 本委員会の皆様におかれましても、ぜひこの状況を御理解いただきまして、お力添えくださいますようお願い申し上げる次第でございます。

 あわせて、この海峡における日ロ両国の共通認識に立って、漁業資源の調査や資源の安定的な持続のための研究などは、国策としての取り組みを御提案申し上げます。

 次に、ビザなし交流について若干お話をさせていただきます。

 私は、平成四年、一九九二年、第一回目のビザなし交流先遣隊の一員として、本格化するビザなし交流に向けて、現地の宿泊施設、港湾、交通、集会場などの視察をする事前調査が主な目的の任務で参加いたしました。

 そして二回目から、「領土問題の解決を含む日ソ間の平和条約締結問題が解決されるまでの間、相互理解の増進を図り、もってそのような問題の解決に寄与することを目的とし」云々という閣議了解によって、多様な交流が実施されてまいりました。

 私は、当時、公的な閣議了解はさておき、現島民との交流を深め、領土返還に資するための雰囲気づくりであるという説明を受けたと記憶しております。

 ビザなし交流から今日までの二十年間、もろもろの事情によって実施が危ぶまれたり事業の拡大が行われたりする中で、訪問側や受け入れ側双方に、ビザなしの目的意識に変化が生じているように思われます。例えば、領土問題に対する対話集会は当初積極的に行われておりましたが、現在は実施されていないことなどであります。

 また、ビザなし訪問の実施団体、訪問団員の枠組みにしても、二十年目の節目に見直してみる必要があるように思われます。特に、元島民一世が高齢化する中で、後継者の問題とあわせて、全国各地で返還運動にかかわっていただいている多くの方々に参加していただくよう工夫すべきと提案をいたします。

 北方領土が旧ソ連に占領され、ロシアに実効支配され続けて六十六年の歳月を刻んだ中にあって、元島民は、両国首脳の会談や要人の訪問などにその都度期待と望みを抱きながら、結果として落胆の繰り返しでありました。年齢を重ねるごとに望郷の思いを強く抱きながら、生まれ故郷の土を踏むこともなく他界した元島民の何と多いことでしょうか。

 また、今日まで、時の総理大臣、外務大臣を初め政府要人、高官、そして多くの国会議員の皆様が、北方領土視察として主に根室市の納沙布岬に立たれ、貝殻島あるいは水晶島、そして国後島の一部を見て、こんなに近いのかと驚き、元島民との対話や懇談会も、時間の制約や諸事情でお互いの理解も深まらず、次の機会には人事異動などで別の方との対話、その繰り返しでありました。

 その都度発せられるコメントと、その後の活動に望みを寄せている元島民の心情をお察しいただき、その思いの一端でも共有していただければと思う次第でございます。

 今日まで、ともすれば領土返還運動を元島民や運動関係者、さらには隣接地域にゆだね過ぎてきたのではないでしょうか。国の主権、領土にかかわる重要な国家プロジェクトであります。国としてこれまで以上に積極的に取り組んでいただくことを切望するものであります。

 私は、一自治体の首長として、また元島民の一人として、多くの皆さんの応援をいただきながら、より一層この問題に取り組んでまいります。

 取りとめもなく大変失礼なことや苦言を申し上げたかもしれませんが、お許しをいただきたいと思います。

 御清聴いただきましたことに感謝申し上げ、本委員会の御盛況と委員皆様の御活躍と御躍進を御祈念申し上げまして、私の発言を終わらせていただきます。

 ありがとうございました。(拍手)

北村委員長 ありがとうございました。

 次に、小泉参考人にお願いいたします。

小泉参考人 ただいま御紹介いただきました色丹島出身の小泉でございます。

 本日、北村委員長を初め委員の皆様方の御高配により、北方領土元居住者を代表して意見陳述の機会をお与えいただきまして、厚く御礼を申し上げます。

 また、日ごろより私ども元島民に御厚情、御支援を賜っておりますことに心から感謝を申し上げます。特に、平成十八年の北方地域旧漁業権者等に対する特別措置に関する法律の改正でありますとか、あるいは平成二十一年の北方領土問題等の解決の促進のための特別措置に関する法律の改正におきまして、議員立法として本委員会の皆様方の特段の御尽力をいただきましたことに、この場をかりて厚く御礼を申し上げます。

 まず最初に、当千島連盟の発足の経緯につきまして簡単に説明をさせていただきます。その後、意見、要望などを述べさせていただきますので、よろしくお願い申し上げます。

 今をさかのぼる六十六年前の昭和二十年八月、第二次大戦が終結したにもかかわらず、当時のソ連軍は八月末から九月上旬にかけて、択捉島を皮切りに、国後島、色丹島、そして歯舞群島に侵攻し、これらの島々を武力によって不法占拠いたしました。

 本土からの正確な情報がないまま、元島民は混乱に混乱を重ね、その多くは直面する危険も顧みず、老人や婦女子を連れながら悲壮な決意を持って、夜陰に乗ずるなどして、命からがら近隣や親族などと助け合いながら自力で脱出を図ったところであります。その他の元島民は、ソ連の軍政下で、食糧難あるいは過酷な強制労働により心身ともに苦難に満ちた生活を強いられ、その後、樺太を経由しまして、昭和二十三年十月を最後にすべて日本本土に強制送還されたのであります。

 北方四島から自力で脱出した者も、また強制送還された者も、長年にわたって島で築き上げてきた生活の基盤や財産のすべてを島に残し、裸同然に引き揚げざるを得なかったところであり、その後の生活は、戦後の混乱が続く中で、縁故などを頼りにその定住の地を求めながら、住む家や職探しに奔走するなど辛酸をなめ、苦難の道を歩まざるを得なかったのであります。

 こうした状況にありながら、元島民たちは月日の経過とともに不屈の精神をよみがえらせ、厳しい生活環境の中、元島民同士が出身地別の島の会などを組織いたしまして、互いに励まし合いながら、再びふるさとの地に戻ることを誓うようになったのであります。

 昭和二十五年ごろから、サンフランシスコ平和条約締結への機運の盛り上がりを背景に、根室市や札幌市を中心に、北方領土返還要求運動を主たる目的とする任意団体が次々と結成されたのであります。その後こうした元居住者団体の大同団結が図られ、昭和三十三年に全国唯一の元島民団体として内閣総理大臣の許可を受け、社団法人千島歯舞諸島居住者連盟が設立されたところであります。

 以来、当千島連盟は、父祖伝来の地であり、ふるさとへの帰島を熱望する会員の総意を結集して、北方領土の早期一括返還を掲げ、領土返還運動の先頭に立って活動を続けて現在に至っております。

 当連盟の主な事業でありますけれども、北方領土返還要求運動の推進、元島民の援護対策の推進、後継者育成対策の推進、さらに、日ロ政府間の合意による北方四島への交流等事業のうち、元島民とその家族がふるさとを訪問する、いわゆる自由訪問事業の実施主体となっているところであります。

 北方領土返還運動の中核となります署名運動は、終戦から二十年を経た昭和四十年八月に、国民世論の喚起とふるさとの祖国復帰の悲願を目的として、当連盟の会員数名が札幌において署名収集を実施したのが最初であります。当時、国民の関心は沖縄返還問題に向けられ、北方領土問題への関心は薄かったところでありますが、この草の根運動は、全国各地の自治体や青年団体、婦人団体など多くの関係団体、個人の協力、共感を得ながら全国規模の運動に展開を見、今日に至っているところであります。

 その署名数は、平成二十三年三月末現在で八千三百万人に達し、この北方領土の早期返還を要求する国民の意思が一日も早く達成されるよう、国会法第七十九条の規定に基づき、毎年、百万人を超える署名を携えて衆参両院に請願していることは御承知のとおりであります。

 また、平成十五年度から二十年まで、政府の強い要請を受けて、医療消耗品などを供与する北方四島住民支援事業を当連盟が実施いたしました。この事業につきましては、元島民間にも心情的な側面を含め賛否両論があったところでありますけれども、結果的には、元島民と現ロシア人住民との信頼関係が醸成され、相互理解の構築にも貢献したものと考えております。

 次に、私たち元島民の切なる思いを込め、意見、要望を述べさせていただきます。

 初めに、北方領土の早期一括返還についてであります。

 私たち元島民は、戦後六十六年の長きにわたって、ふるさとである北方四島の一日も早い祖国復帰を願い、国の外交交渉を支援する立場から北方領土返還要求運動に邁進してまいりました。この間、日ロ間の外交交渉のたびに私たちは大きな期待を抱き、そして失望を味わうということを繰り返してきました。

 平成二十年七月には北海道洞爺湖サミットがあり、メドベージェフ大統領の登場と相まって、北方領土問題にも何らかの進展があるのではないかと大いに期待もいたしたところでありますが、その後の経緯を見ますと、メドベージェフ大統領の国後島訪問や、第二次世界大戦終了の日の制定など、むしろロシア側の強硬姿勢ばかりが目につき、私たちにとっては憤りにたえない状況が続いております。

 今日においてもなお北方領土問題の解決への道筋が見えない中、私たちの疲労感、焦燥感は言葉に尽くせないものがありますが、再び自由にふるさとに帰ることなく他界した父母や仲間の思いを胸に、私たちの使命として、決してあきらめずに領土返還に精いっぱいの努力を重ねねばならないと思っているところであります。

 どうか本委員会の皆様方には、元島民の置かれている現状とふるさとへの思いに対する心情を御理解いただきまして、北方領土の早期一括返還のため、さらなる国民世論の啓発と国際世論の喚起にお力を賜るとともに、より一層強力な外交交渉が展開されるようお力添えを強くお願い申し上げます。

 次に、元島民の財産権の不行使に対する補償措置についてであります。

 我が国固有の領土である北方四島がソ連によって不法占拠されて以来六十六年に及ぶ現在、なお北方領土問題は日ロ両国間の最大の政治課題でありながら、依然未解決のままとなっております。この間、耐えがたい苦渋の日々を余儀なくされた元居住者一万七千余名は、既に一万人が他界し、生存している者の平均年齢は七十七歳を超えております。私たち元島民は、父祖が築き上げてきた残置財産はもとより、この六十六年間、これらの財産を行使し得ないまま現在に至っており、その損失ははかり知れないものがあります。

 当連盟としても、この財産権の不行使に対する補償の問題を最重点課題として、長年にわたり政府、国会などに要望してきたところであります。

 当委員会におかれましては、私たちには残された時間が少ないという現状、さらには、北特法に示されている元居住者の特殊な事情、特別な地位をごしんしゃくされ、私たちの要望に沿った直接的補償措置を早期に実現されるよう特段の御支援を賜りたく、強くお願い申し上げます。

 次に、後継者の育成強化についてであります。

 先ほども申し上げましたが、私たち元島民は平均年齢が七十七歳を超え、気力、体力ともに限界に近づいており、長引く返還運動の主体はいや応なく後継者に託さざるを得ない状況となっております。

 政府においては、後継者対策として支援措置を講じていただいているところでありますけれども、返還運動における後継者の役割はますます高まってくる状況にありますので、今後とも、積極的な後継者活動が可能となるような措置について特段のお力添えを賜るようお願い申し上げます。

 終わりに当たり、重ねて申し上げますが、私たち元島民は高齢化が進み、残り時間も少ないという中、国の外交交渉を後押しする立場を堅持し、一日も早く北方領土の返還が実現するよう全力で努力することをお誓い申し上げ、私の陳述を終わらせていただきます。

 最後に、北村委員長初め委員の皆様方のますますの御健勝を祈念いたしまして、今後とも、引き続き御支援、御協力をお願い申し上げます。

 本日は、ありがとうございました。(拍手)

北村委員長 ありがとうございました。

 次に、舘下参考人にお願いいたします。

舘下参考人 ただいま御紹介をいただきました舘下でございます。

 本日は、北村委員長様を初め委員各位様の御配慮をいただきまして、元島民二世として意見陳述の機会をお与えいただきまして、まことに名誉なことであり、厚くお礼を申し上げます。

 また、本年度、千島連盟に新規事業予算がつきましたことに対し、当委員会の御支援のたまものと、感謝を申し上げます。

 私の所属している団体、千島歯舞諸島居住者連盟根室管内青年部連絡協議会は、社団法人千島歯舞諸島居住者連盟の根室管内に属する各支部の青年部の集合体として、青年の力を結集し、本部及び支部と連携をとりながら、千島歯舞諸島居住者連盟の目的たる北方地域に関する領土復帰などの解決を促進することを目的に、平成十五年十一月二十二日に設立いたし、活動しているところであります。

 このようなことから、元島民二世として、返還運動を通して日ごろ考えておりますことを意見陳述させていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

 北方領土問題は戦後六十六年を過ぎても解決のめどが立たない中、昨年十一月、ロシア大統領メドベージェフが国後島に訪問し、クリル発展計画を視察し、北方四島のロシア人に島の生活に希望を持たせ、さらにロシアの実効支配が進められたと感じております。

 私たち協議会は、先輩や先人たちが以前から進めてきた返還要求署名運動にも協力をしております。平成二十三年七月現在、署名の数は八千三百二十二万七千八百六十一名となっております。多くの国民の方々に署名をいただいております。しかしながら、北方領土問題につきましての国民の世論の広がりはまだまだと私も感じております。

 返還運動について、国外的な運動と国内的な運動があると思いますが、私たちは、北方領土返還要求のために、署名活動以外に次のような活動を行っております。

 国外的な運動といたしましては、元島民後継者で行くビザなし訪問でございます。ビザなし交流は平成四年に始まり、ことしで二十年間続いております。

 ビザなし交流の中で、対話集会が行われています。これまで行われてきた対話集会はお互いの立場を主張するだけで、相手を理解しようとする形ではありませんでした。私たち後継者はこの非建設的な対話集会に疑問を抱き、平成十八年より、元島民後継者で行くビザなし交流を提案し、実現したところでございます。

 私たちの対話集会のテーマは、新しい島のあり方、共住でございます。国後島のロシア人と我々が暮らすとどんな弊害があるのか。そして生活様式、文化の違いなどがあります。真の友好関係には、相手が何を考えているのか、将来どうしたいと思っているのか、お互いに理解することが必要不可欠です。お互いにとって明るい未来を築くために、KJ法を取り入れ、共住について五年間続けてきました。国後島ロシア人の住民も年々参加がふえ、多くの意見収集ができました。

 最終年度の対話集会は意見交換会となり、十分な話し合いができませんでしたが、本年度、KJ法のまとめをしております。領土問題の解決の参考資料になれば幸いだと考えております。本日皆様に配付できないのが残念ですが、完成後提出したいと考えておりますので、ぜひ拝読をお願いいたします。

 さらに、国内的な運動といたしまして、七月二十四日に第八回北方領土青少年洋上セミナーを開催。八月二十四日から二十六日、北方領土返還要求元島民後継者キャラバン隊ということで、道北コースを行ってきます。また、未設置の各支部に青年部の設立の協力をお願いしております。さらに、十月と二月には全国セミナーの実施など、千島連盟主催事業を主管として実施しているわけでございます。

 さらに、私たち単独の中標津支部青年部として、七月八日には北方領土寄席inなかしべつを実施、また八月十四日には、中標津町の夏祭りにおきまして北方領土返還要求住民大会を行い、北方領土ビンゴ大会などを実施しております。さらに十月には、北方領土ネット検定ということで、初級、中級、上級を行います。

 なお、ホームページの「望郷」などの更新も行い、地域や全国に啓発活動を行っているところでございます。

 私たちは、元島民後継者として、こうした返還運動の実施にて多くの方々に激励や御支援をいただき、大変心強く感じるとともに、今後の返還運動にも国内における理解の拡大と国際世論の喚起の促進が大切であることを認識し、一日でも早く四島が返還することを望んでおります。

 前段が長くなりましたが、このたびは本委員会において、元島民後継者を代表いたしまして要望点を何点か申し上げさせていただきます。

 最初に、返還交渉の促進についてでございます。

 国の強固たる北方領土返還に向けて、ロシアへの積極的な交渉を行ってほしいと思います。議員でつくる超党派の北方領土返還・四島交流促進議員連盟と日ロ友好議員連盟があると聞いております。外交交渉は人と人の信頼関係が重視されると考えておりますので、北方領土問題解決にぜひ国会議員の先生が、国際世論の高揚を高めるために、ビザなし交流への参加やロシア議員との交流をさらに強く深め、北方領土問題の国際的理解への努力をお願いしたいと思うところでございます。

 私たち後継者で行くビザなし交流の日程についてですが、五年間、土曜、日曜を入れた日程で国後島のビザなし交流に参加してまいりました。しかし、本年度は平日の五日間の日程でビザなし交流を組まれたために参加することができませんでした。これはロシアの都合ということなんですけれども、私たち後継者が唯一の国外的な運動ができるのが北方四島への訪問です。ビザなし交流が続く限り、元島民の思いをロシアに伝えるために島を訪れ、返還運動に寄与したいと思っておりますので、ぜひこの点も日程調整などを行うことを願っております。

 次に、北対協融資制度における継承の拡大について要望いたします。

 元居住者の事業とその生活の安定を図ることを目的とした融資制度は、昭和三十六年に北方地域旧漁業権者等に対する特別措置に関する法律によって措置され、その後、先生方の特別な御配慮により平成八年と平成十八年に、後継者対策とも言える生前継承や死後継承ができる制度にしていただいたところでございます。しかし、これらの継承は子供一人に限るなど、制度としてまだ十分とは言いがたい面があります。元島民の子供に差別化が生じますので、ぜひ複数継承を希望するところであります。

 元島民、一万七千二百九十一名から現在七千七百五十名に減少していく中、千島連盟の会員数もこのままだと同様に減り続け、組織存続にもかかわってきます。元島民後継者の加入促進強化をしなければなりません。複数継承により、千島連盟の三世加入が増加すると期待しております。後継者三世がふえることは返還運動のリーダー育成につながると考えておりますので、当委員会におきましても再度御検討し、特段の御配慮をお願いいたします。

 最後に、後継者返還運動の活動費についてでございます。

 ことしは新規予算がつき、それぞれ各支部において事業を組むことができました。事業を持つことによって、各支部が一丸となって事業に取り組むことは、連帯感が生まれ、支部の活性化につながっております。

 私たち後継者は、先祖代々の島を返せと願い、今日まで会社や家族に理解してもらいながら日々活動しております。しかし、近年、安定しない経済環境の中、返還運動を続けていくのには、ボランティアでは難しくなっているのが現状でございます。仲間の会社が倒産、店を廃業するなどを目にしてきました。

 事業を実施するに当たり、事業費はあるんですけれども、後継者の費用弁償の支出ができません。組織の代表として、事業を行うに当たり、会員に会社を休んで参加をお願いすることが多々あります。そんな中、参加をいただく会員には本当に頭が下がる思いです。上手に言えませんけれども、例えば後継者返還運動推進委員制度を設けるなど、後継者の活動費の御検討をお願いいたします。

 以上、私の意見陳述を終わりますが、これからも引き続き後継者として返還運動に努力することを誓い、北村委員長様を初め委員各位の御健勝と御活躍を祈念申し上げます。

 本日は、ありがとうございました。(拍手)

北村委員長 ありがとうございました。

 以上で参考人の方々からの意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

北村委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。浅野貴博君。

浅野委員 新党大地の浅野貴博でございます。

 本日は、長谷川根室市長、脇羅臼町長、小泉理事長、舘下さんと、尊敬してやまない、根室管内で北方領土問題に最前線で取り組まれている皆様をお招きした当委員会におきまして質問する機会を賜りましたことを心から感謝申し上げ、質問に入らせていただきたいと思います。

 まず長谷川市長にお伺いをいたします。

 先ほど市長からのお話がございました、ビザなし特区というものをつくり、北方四島と北海道、日本側とで経済交流を行う、根室なしには四島の生活が成り立たない、いわゆる経済の実効支配を目指す。私も大いに同感するものでございます。

 この北方四島における経済交流は、我が党の代表鈴木宗男がかねてより、だれよりも声を大きく主張してまいりましたが、本年二月、前原前大臣がラブロフ外相との会談の中でそれをやろうじゃないかという提案を相手側にいたし、そして、今外務大臣を務めておられます松本大臣もそれを踏襲され、外務省内で協議がなされていることが明らかになっております。

 そこで、市長にお伺いしたいんですが、この経済交流の枠組みをつくる上で欠かせないのが、何よりも、根室市初め北方領土隣接地域、きょうは脇羅臼町長もお見えです、別海町、標津町、中標津町、この一市四町の意向を聞き、常に外務省とこの地域とで相談をしアイデアを練り上げていく、そういう体制をつくることが必要だと思います。

 そこで、二月の外相会談以降、長谷川市長に対しまして外務省側から何らかの相談はありましたでしょうか。また、今後、外務省に対し、この経済交流の検討を進めていく上で地元根室に対してどのような相談をしてほしい、どのような御要望をお持ちなのか、お聞かせいただければと思います。

長谷川参考人 ただいまの浅野委員さんの、ビザなし交流に対して外務省側から相談といいますか協議があったかという話であります。

 先ほど私の冒頭の発言でも触れましたが、日ロ外相会談でこの共同経済活動を検討するということになっていまして、浅野議員も御承知と思いますが、この四月に外務省内で、今までロシア支援室だったのが日露経済室というふうに改編されました。この四月からですね。これを見ても、外務省はやる気を出したんだなというふうに我々は好意的に判断をいたしております。

 それで、外務省とは我々が行くたびに何回も、経済交流というのは、我々根室だけでなくて実際に四島に住んでいる方々も非常に要望といいますか希望していることでございます。毎年、その年のビザなし交流を決めるときに四島から代表者が来て日本側と協議するわけですが、そのときに地区長も必ず来ますが、来るたびに、ぜひ根室と経済交流をしたい、我々はそれを望んでいるということで、ロシアの皆さんから直接、その思いを日本の外務省にも伝えてほしいと。

 そういう話をしていますが、端的に言いますと、まだ具体的な相談、連携はございません。ただ根室市側としても、近々に経済界と協議して、こういう形ならどうかという提案をしたいという話も外務省側にしていまして、それがまだ成案を見ていないわけであります。

 いずれにしましても、機会あるごとに外務省からはいろいろな情報等の伝達がございますので、今後、実際にやる場合は現地の意見をぜひ聞いていただきたい、今まで以上に積極的な意見聴取等をしていただきたい。それを望んでいるところであります。

浅野委員 ありがとうございました。

 この四島の経済交流は、停滞する一方の北方四島返還交渉を打開する唯一と言っていい切り札であると私は考えております。何よりも、この問題に最前線で向き合われておられます地域の皆様、元島民の皆様の声が反映されるような枠組みをつくるよう、今後とも外務省に私も働きかけてまいりたいと思います。

 続きまして、小泉理事長にお聞きしたいことがございます。

 小泉理事長の先ほどのお話の中で、これまた長年にわたる北方領土返還実現に向けた取り組みを聞かせていただきました。そのとうとい御足跡に、私も心から敬意を表するものであります。

 ただ、その中で一点、四島の早期一括返還を目指すというお言葉がございました。歯舞、色丹、国後、択捉、我が国固有の領土であるこの四島が一度に我が国に返ってくる、これはだれもが望むことであり、それが実現するのであればそれにこしたことはないと私も考えております。ただ、外交には相手があります。ロシアがこの交渉に乗ってこない限り、解決に向けた話し合いは進みません。最終的に四島を必ず取り返す、ただその過程で段階的な返還があり得るかもしれない、そのような現実的な四島返還論を推進し、交渉でもそのような対応で臨んでいくことが、結果的には四島返還を実現する上で一番の近道であると私は考えます。

 また、現に外務省は、今私の手元にございます「われらの北方領土」という冊子の二十ページにも書かれておりますが、四島の我が国への帰属が確認されれば、実際の返還の時期、態様、条件、そういったものは柔軟に対応するとの文言がございます。日本政府としても、四島一括返還という方針は今はとっていないものと理解されます。

 この点につき、小泉理事長のお考えをお聞かせいただければと思います。

小泉参考人 お答えいたします。

 委員のお話、四島一括返還ということでございますが、私どもの返還運動については初めから、四島一括返還の旗は今もおろしておりません。なぜか。私ども元島民は、御案内のとおり、択捉、国後、色丹、歯舞、四つの島から強制送還され、あるいは脱出した島民であり、その後継者であります。この四島に差をつけることもできませんし、また、私どもは四島一括返還が旗印でございますけれども、今先生お話ありましたように、段階的な返還についても別に反対しているわけではございません。

 したがって、外務省の、国の方針に従って私どもは返還運動をやっているというふうにとらえておりますので、その点、四島一括返還という旗印でありますけれども、返還の対応については、順次、例えば歯舞、色丹を先に返してもらって国後を返してもらう、択捉を返してもらう、そういう方向もあるのではないかということでございますので、御理解をいただきたいと思います。

浅野委員 ありがとうございました。

 大変重いお言葉を、今、私も国会議員の一人として承ったと考えております。

 最後に、これは、きょう参考人で来られた方ではなく、北村委員長にお伺いしたいことがございます。

 今私の手元に、六月二十七日付の北海道新聞の記事の写しがございます。先週のこの委員会でも視察の報告がなされましたが、六月二十六日そして七日、当委員会の委員長を初め理事の方が根室市の視察に行かれました。この北海道新聞の見出し、「議員の無知に元島民「心外」」と、大変厳しい論調の記事が書かれております。この記事を読みまして、また私も根室地域、各地域、地元を回る中で、大変驚いたことに厳しい意見を寄せられております。

 視察に行かれた理事の方が、元島民、地元の方に対して、メドベージェフ大統領が国後に行ったとき、あなたたちは直ちに抗議をしたのか、ロシア大使館に行ったのか、我々議員に対しても働きかける、そういう対応をしないとだめじゃないか、そういった趣旨の発言をされた。しかし、本来行動すべきは、元島民、地域の方ではなく我々国会議員だと心得ます。

 それでは、この委員会に今出席されている方、そして全国会議員を含め、二月七日の北方領土の日の全国返還要求大会、そして先ほど長谷川市長からもお話がありました、十二月一日、東京における中央アピール行進にどれだけの国会議員が出席しているか。その数は少ないというのが現状であります。我々が地元の地域の方に行動をしろと言うんじゃなく、我々国会議員が国民の代表として四島返還実現に向け行動していかなきゃいけない、これは私が申すまでもないことだと思います。

 いずれにいたしましても、六月末の視察に対し大変厳しい憤りの声が上がっていること、それに対する北村委員長のお考え、そして今後、当委員会として、我々委員そして国会議員がこの問題の解決に向けどう取り組んでいくべきか、委員長のお考えを最後にお聞きして、私の質疑を終えたいと思います。

北村委員長 予想もしなかった状況でありますので大変戸惑っておりますけれども、せっかく発言の機会をお与えいただきましたので、物を言わなきゃ国会議員の役はせぬと思いますから、一言お答えをさせていただきます。

 確かにそのような報道が一部新聞にあったことを私も事務局の方より知らせていただきまして、拝見いたしました。

 その新聞の中の報道ぶりというのは、発言をなさった委員、また聞いた記者の方それぞれのやりとりの、そのときの言葉、あるいは趣旨、あるいは気持ちというものはなかなかに、あの視察の途中、多分、形としてはぶら下がりのような形で記者の方が我々同行の委員にお尋ねになったことに対するお話ではなかっただろうかなと思っております。

 いずれにいたしましても、浅野委員のせっかくの的確な御提言でありますので、我々国会議員、また主管する特別委員会の委員といたしましても、自重自戒、そして先ほど来参考人の皆様方のお話の中にもありますとおり、我々がいかに政府に対して強力な外交交渉を、ロシアを相手に、着実に、熟慮の上断行していくかということが必要であるという気持ちを強くいたしております。

 どうぞ、そういう中でも互いに研さんを深め、そして国際社会において名誉ある地位を我々日本人が占めることができるよう勉強を重ねながら、歴史の批判にたえる活動を国会議員として、またこの特別委員会の委員として最後まで務め上げたいと思いますので、委員の皆様方の格段の御協力と御理解、また浅野委員のさらなる御鞭撻を心よりお願い申し上げまして、せっかくの御指名でございましたのでお話をさせていただきました。

 ありがとうございます。

浅野委員 ありがとうございました。

 当委員会は、北方領土交渉に臨む上での世論の形成を図るという大きな使命を負っているものと思います。私も、所属する委員として、今後とも自覚を持ち取り組んでまいりたいと思います。よろしくお願いいたします。

 ありがとうございました。

北村委員長 次に、伊東良孝君。

伊東委員 自民党の伊東でございます。

 きょう参考人として根室及び中標津から、長谷川市長、そしてまた脇町長、小泉理事長、舘下会長、本当にありがとうございました。

 恐らく、きょうの根室は二十度前後でありましょう。大変に暑い東京までお出かけいただきましたことを感謝申し上げますと同時に、ただいま浅野議員からもありましたが、六月二十六日、当委員会の視察でお伺いさせていただきましたとき、また御丁重なる対応をいただきました点、感謝申し上げます。

 しかし、あの視察のときの皆様との懇談の場で、きょうの参考人の質疑をやって皆さんの意見を聞こうじゃないか、国会においでいただいて、多くの皆さんに実情を聞いていただこうじゃないかという話になったところでありまして、私は、あの二十六日の北方領土視察は大変に有意義であった、このように思う次第でもございます。

 さて、先ほど、長谷川市長を初め皆様から貴重な御経験、これまでの取り組み、さらには政府への要望等をいただいたところであります。ビザなし交流が開始されてからちょうど二十年ということであります。しかし、この二十周年の記念すべき第一回目のビザなし訪問のときに合わせて、イワノフ副首相ほか閣僚がちょうどそのとき同じく国後に入る、こういうことでありまして、近年、そういった意図的な事例が見受けられるわけであります。

 先ほど市長からいろいろなお話をいただいた中で、昨今のロシアと日本の関係、出来事を私も振り返ってみました。私は、実は去年の九月二日にロシアが戦勝記念日を設けて、そして戦後六十五年も六年もたってから戦勝記念日を殊さら吹聴してそれを中国に持っていく、中国にもそれを同意させるなどというのは、いささか、本当におかしい話だな、こう思っておりました。やはり後ろめたいところがあって、どうしても正当化しておきたい、そんな意図が見え隠れするわけであります。

 八月十八日に攻め込んできて、九月三日に歯舞諸島に上陸するわけでありますから、八月十五日に無条件降伏している日本に対するロシアの態度、当時のソ連としては、正当化はどんなことをしてもできるものではないわけであります。ですから不法占拠という言葉を使われるのでありまして、これに対して反論し、結局正当化させるために、九月二日をもって戦勝記念日というものをつくったんだ、このように思うところでもございます。

 北方四島で、軍事力の増強というか装備の近代化を図るという国防大臣のお話があったり、あるいはまた、日本円に換算しますと九百七十億円、二〇〇七年から二〇一六年まで、クリル諸島社会経済発展計画で多額の投資をするという話をいたしたり、まさに実効支配を進めているわけでございました。

 長谷川市長にお伺いいたしますけれども、この一年、二年、一連のロシアの厳しい状況を苦々しく見ておられると思いますけれども、これらの動きを打破して対抗するために、地元としてどうしたらいいか、できれば簡潔にお答えをいただきたいと思います。

 また、浅野議員からもありましたが、私は、北方領土隣接地域の国による振興策は特にやはり近年必要だ、このように思っているところでもありまして、四島との特区による経済交流を望んでおられる市長といたしましては、具体的にどんな事業がお望みなのかなという思いをいたしておりました。根室には今、市立病院が建築中でありますし、これは北方四島の島民をにらんだものというお話も聞いたことがあるところでもありまして、この四島及び今のロシア情勢と根室市との今後のかかわりや、あるいは具体的な事業などがありましたらお聞かせをいただきたいと思うところであります。

長谷川参考人 ただいま伊東委員から二点についてお話がございましたが、まず一点目は、ここ一、二年のロシアの状況に対抗するために、原点としてはどうかという話であります。

 実は、そう言われますと、我々は外交権もないし、ただひたすら外交を後押しする、いわゆる国民世論の啓発強化ということしかないのではないかと思っております。ただ、私も昨年、北海道、北方領土の使節団としてロシアに行ってまいりまして、昨年は極東地方へ行きました。一昨年はモスクワに行きまして、地元の考えとかあるいは日本の考えというものを、ロシアの大学の先生とか外務省の先生とかいろいろな青少年などと対話をしてまいりましたが、その中で言われるのは、この北方領土問題が解決しないのは全部日本側に責任があるという言い方をされました。これはモスクワでもそうですし、極東地方でもそうでした。

 なぜかというと、ロシアは体制が変わってソ連からロシアになったけれども、大統領権限でいつでも決断できると、北方領土を。しかしながら、日本側が総理が一年交代でかわる、具体的にこの四十年ぐらいの間の人数も言っておりましたが、恐らく、今の日本はロシアからいろいろな提案をしても決められる総理がいないだろうと。だから全部、ロシア側の責任ではないということを言っているわけです。

 それで、実は、私も逆に、ロシアはかつて共産国でありましたが、今民主主義国家になっていまして、一部にロシアにも国民世論があるということが非常に気になっていまして、この領土問題がそれに阻害されるようなことがあるのではないかという質問をしましたら、これも全く必要ないと。国の指導者が決めたことは極東地方の人でも受け入れる、そういうことは心配することはないと言われたわけでありまして、やはりもっともっと日本側がイニシアチブを握れば前進するという考えであります。原点としては、先ほど言ったような、より頑張るとしか言いようがないと思います。

 それから、四島と特区の関係は、ビザなし交流は二十年たっても、友好親善という面では一定の評価されるところがあるんですが、本来の北方領土問題を解決するためにはなっていないというのが我々の考えであります。そのためには、先ほど経済特区のことをお話ししましたが、医療問題はかなり進んでいますから、環境問題とか全部の面で四島と北海道根室地方の交流を進めることによって、実効支配というのは変ですが、経済的な面で入っていった方がかえって解決が早道になる、そんな主権だか何だかのところでびびるより、逆に入っていっちゃった方がいいのではないかというのが原点、根室の考えであります。

 以上でございます。

伊東委員 それでは、羅臼の脇町長にお伺いいたします。

 先ほど、ロシアのトロール船の問題等々がございました。本当に、水産の町、観光の町羅臼としてみれば、激減する資源枯渇問題は重大なことだ、このように思うところであります。領土問題、先ほどお話しのとおり、羅臼の町から二十六キロのもう本当に目の前に国後島が横たわっているわけでありまして、私どももつぶさに航空機から視察をさせていただいたところであります。

 脇町長は根室管内の町村会会長として、北方領土隣接地域振興策も真剣に要望されてきているところでありますが、この振興策、私も先ほど言いましたように、ことし、来年にかけてやはり具体的にしていかなければならない、これが政治の責任だというふうな思いがあります。具体的にどのような振興策、あるいは水産に対する、トロール漁船禁止に至る思いなどがおありになればぜひお伺いしたいと思います。

脇参考人 ただいま御質問いただきましたことにつきましてお答えいたしたいと思います。

 まず漁業問題であります。特にロシアのトロール船の問題でありますけれども、先ほども申し上げましたけれども、ロシアのトロール船と日本漁船が競合する安全操業区域で、根室海峡が名実ともに安心、安全な海峡であってほしいというふうに願っております。あわせて、漁業活動を通じて友好関係が醸成されることによって、領土交渉にプラスに作用すれば大変うれしいことだなというふうに思っています。

 もう一方で、管内の具体的な取り組みということであります。先ほど、長谷川市長から四島交流のことに関していろいろお話があったとおりであります。一市四町それぞれ協議した中での取り組みで、それはそのとおりでありますけれども、特に、ハード面についてのインフラ整備は当然おくれております。とりわけ根室管内は、北海道の中でも特に医療環境が非常に立ちおくれているということであります。いろいろな産業の振興であるとかにつきましては、そこの住民が安心して暮らせるベースをつくるということ、それはやはり医療につながるんだろうというふうに思っています。したがって、根室市を初め四町それぞれ、病院なり診療所を設けておりますけれども、なかなか地域医療が安定していない、ここが一つ大きくあるというふうに思っています。

 加えて、特に漁業資源の中で、この根室海峡の中でお互いに資源の共同調査、あるいはそれによって資源管理というところにつなげていく、日本側だけでなくてロシア側に対してもと、そういう取り組みができれば非常にありがたいなと思っていますし、そういうことで期待をしております。

 具体的な取り組み等につきましては、先ほど長谷川市長からお話があった四島交流のいろいろな人的あるいは物的な交流のことでございますので、御理解をいただきたいと思います。

伊東委員 時間も余りありませんので、最後に舘下会長にお伺いします。

 先ほど、青年部活動に熱心に取り組んでおられる、まさに後継者対策ということで大変に御苦労されている小泉理事長には心強い若い人たちの活動だ、このように思うところであります。

 この若い皆さんの活動を支えていかなければならない、こう思うところでありますけれども、後継者に対する生活支援という意味で先ほど御要望がありました。この間の根室の訪問のときも、年に百日以上も返還運動に費やして、もちろんその間何の収入もない、あるいは仕事をほうり投げて返還運動に携わっている若い人たちをどういう形かで支援してほしい、そういうお話が出たところでもありまして、それらについて、これは政治として、返還運動の中でしっかりこれをサポートしていかなければという思いになっているところであります。

 この点につきましてもう一度、先ほど委員のような形でというお話もありましたけれども、後継者対策のリーダーとして、舘下会長の決意のほどをひとつお伺いしたいと思います。

舘下参考人 お答えします。

 まちづくりに、例えば民生委員とかいう制度があります。年間を通して何ぼか補助する制度だと思います。そういう制度がいろいろな組織にありますけれども、現実、北方領土にはありませんので、ぜひ、私たちの北方領土の返還運動の後継者に対してもそういう制度を設けながら、自由に、そして仕事の心配をしなくてもできるような制度を一つ設けてくれることによって、私たちはもう少し自由に活動できると思っていますので、その点をよろしくお願いいたします。

 以上です。

伊東委員 どうもありがとうございました。終わります。

北村委員長 次に、遠山清彦君。

遠山委員 公明党の遠山清彦でございます。

 四名の参考人の皆さん、きょうははるばるお越しをいただき、また貴重な御意見を賜りましたこと、まず冒頭、心から御礼を申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。

 また、視察のときには、昨年、ことしと大変お世話になりました。あわせて感謝申し上げます。

 余り時間もございませんので、早速何点かお伺いをしたいと思います。

 まず、脇参考人と小泉参考人に簡潔にお伺いをしたいんです。

 ビザなし交流二十年間の成果と、そして、恐らく小泉理事長も脇町長も冒頭からかかわってこられたと思いますけれども、二十年前にいろいろな期待を込めてスタートして、二十年たってまだ領土は戻ってこないという中で、どういう成果があったのか。そして、二十年前に期待していたけれども得られなかった成果というよりも、課題は何なのか。まず両参考人から端的にお話をいただければと思います。

脇参考人 お答えいたします。

 ただいまの御質問でありますが、先ほど私、発言の中で申し上げましたけれども、二十年前の時点では、ビザなし交流の目的そのものは北方領土返還の雰囲気づくりということであった、いろいろ法律的な言い回しはありますけれども、端的に言うと、そういう中で始まったというふうに私は理解しております。

 その結果、友好関係は非常に深まったと思っています。それぞれの、元島民と現島民、あるいは地域と現島民との間のそういう関係は非常に深まった。個人的な友好関係、友情は深まった。しかし、かといって、それが即返還運動につながっているような状況になっているかというと決してなっていない。

 というのは、まず、先ほど申し上げましたように、当時は領土返還に対してお互いにディスカッションする場面があった。対話集会という名のもとに、いろいろお互いの島民の気持ちも引き出し、現島民の思いも語れた。しかし今、向こうの方から、一方的なのかどうか、その辺は定かではありませんけれども、対話集会が開催されなくなってしまったということは、領土返還から離れた形の交流が今は進められているのではないかなというような気がしております。

 以上であります。

小泉参考人 お答えいたします。

 ビザなし交流についてでございますけれども、私も、ビザなし交流が始まったときから今日まで数回、全島に、歯舞群島は別としまして、ビザなし交流に参加をさせていただきました。

 ロシア人との対話あるいは交流、また懇親、そういったことの中で相互理解あるいは信頼関係の構築に貢献してきたことは事実であるというふうに思いますし、私自身もそのように思います。

 一方、マンネリ化しているという言われ方、批判、あるいはロシア側、サハリン州政府の動き、領土問題を話し合う対話集会を拒否しているとか、あるいはマスコミの制限、訪問者数の制限、必ずしも現四島住民のロシア人の意向ではないという動きも事実であり、これは憂慮すべき問題ではないかなというふうに思います。

 たしか最初のころは、私も行ったときにいろいろ交流もありましたし、また、向こうから日本に来たときに私の家にお招きしまして、今もやっておりますけれども、その中で本当に心から親しい話し合いもできたし、また交流もできた。私は、このままいけば領土返還にもつながっていくというふうに実は非常に期待をしておりました。

 ただ、今申し上げましたような州政府の動き、あるいはモスクワ、本土の動き等も考えてみると、マンネリ化というよりも、やはりどこかに締めつけがあるんじゃないか、それから現島民の真の意向がロシア側にも、また日本側にも伝わっていないのではないかというふうな思いがいたします。

 と申しますのは、私もビザなしに当初から参加しておりますけれども、現在、島にいるロシア人と個人的に交流をしておりますし、これはもう日本人と同じようにやりとりをして、非常にいい関係があります。ただ、この人たちが全体をまとめてビザなし交流を発展させるとか、あるいは将来のためにという動きがないというのを私自身は非常に懸念しております。そういったことが一つございます。

 北方領土の問題の解決に寄与するためには、私はこのビザなし交流は非常に重要であるというふうに考えておりますし、実施主体であります北対協でありますとか北海道四島交流推進委員会において、より一層の工夫と努力を積み重ねていただきたいということが私の申し上げたいことでございます。確かに二十年たっておりますけれども、今後のあり方を大いに議論していくことが必要である。

 以上、お答え申し上げます。

遠山委員 両参考人のお話、大変参考になりました。

 この二十年間の中で、北海道側の元島民とロシアの現島民との友好、交流関係は深まった、御自宅まで来るほど深まっているケースがあるけれども、ただ、それが領土問題の、返還そのものになかなかつながっていないところにいろいろ複雑な思いを抱いているということがよくわかりました。

 その上で、先ほども伊東委員の方からありましたが、二十年間のビザなし交流で一つの信頼関係、友好関係の基盤はできているわけですね。恐らく、長谷川市長がおっしゃっているビザなし特区、経済特区の構想というのは、当然そういう二十年間の基盤の上に、次の段階の手法として位置づけられていると思うんです。

 私個人としては長谷川市長のビザなし特区構想を大変支持しておりまして、やはり我々から見れば、当然、北方領土まですべて日本領土ということになりますから、日本の国内の中で特区を設けるということは何ら法的に問題がないわけです。例えば、私も事務所を置いております沖縄県におきましては既に四つの特区がございます。自由貿易特区、特別自由貿易特区、それから情報産業特区、金融特区、四つあるわけでございます。

 ですから、ある意味前例があるわけでございまして、沖縄の特区制度、これ以外に全国展開している特区もあります。構造改革特区が一番有名で、小泉内閣から始まりました。また、今の民主党政権になってから総合特区法案というものが今国会で成立をいたしているわけでございまして、実は、特区というと、昔は何かすごく希少価値のある珍しいものという位置づけでしたが、今、だんだん特区というのは普及してきているわけですね。

 そこで、長谷川市長にぜひお伺いをしたいのは、先ほど伊東委員とのやりとりで、どういう事業を、医療だとかあるいは商売とか考えているんですかというやりとりがありましたが、私はもう一歩踏み込んで、沖縄の特区制度を制度設計してきた人は、例えば政府でいうと内閣府、あるいは構造改革特区だと内閣官房にその事務局がございます。そういったところに御相談をされて、仮に北海道の根室圏域と北方領土圏域を全部またいだ特区をつくるときにはどういう制度設計ができるのかという御相談をされたり、あるいは、場合によっては、市長御自身が側近の方とそういった制度設計を試しにおつくりになって提示したことがあるのか、あるいはこれからされようとしているのか、その点をお聞かせいただければと思います。

長谷川参考人 御答弁申し上げます。

 特区の関係は、先ほど一部お答えいたしましたが、外務省からも、どういうものを求めるのか、具体的に地元として案を出してほしいと言われています。それに対して、実は私どもも、学者とか北方領土に詳しい先生方と今協議中でございまして、あくまで主権を棚上げした方法でという原点のもとにやっている最中でございまして、近々成案ができて、それを一市四町に諮って、外務省にお話ししたいと思っております。

 とにかく、皆さん、ビザなしで行かれた方はわかると思いますが、ほとんど四島には店屋がないんですけれども、店の中を見ますと、ロシア産よりも中国産とか韓国産のものが多いわけであります。それで、実際に、北方四島に住んでいる人たちは、日本の品物はいいので、ぜひ日本の品物をどんどん入れてほしいと本音を言ってくるわけであります。

 もともと北方四島は日本の領土でありますので、そういうロシア人の意向に沿った形であれば、ロシアの国もそんなに抵抗を示さないのではないかというふうに思っておりまして、今、内閣府とかにいろいろな相談をしたらいかがかというお話もありましたので、今後とも、そのことについてまた関係者とも相談し、何とか前に進めていきたいと思っております。

遠山委員 今、市長のところでまさに特区の制度設計をしていて、一市四町に諮った上で外務省に提示される意向であるという明言をいただきましたので、私も楽しみにしていたいと思います。

 余談ですけれども、実は今、公明党の中でも、恐らく民主党さんの中でも自民党さんの中でもそうだと思いますが、東北の被災地域のための復興特区の法案の骨子を私もつくっている一人でございまして、そういう意味では、特区をつくる際のいろいろな留意点も技術的にはあるわけでございますから、そういった我々国会議員の英知も集めて、ぜひ、長谷川市長並びにきょうお集まりの皆様にとって本当に新しい一歩前進になるビザなし経済特区のようなものを実現できるよう頑張ってまいりたいということを表明いたしまして、私の質疑を終わりたいと思います。

 ありがとうございました。

北村委員長 次に、赤嶺政賢君。

赤嶺委員 参考人の四人の皆さん、本当に御苦労さまでございます。

 日本共産党の赤嶺政賢です。

 私も、六月二十六日の視察で根室市にお邪魔させていただきました。改めて納沙布岬に立ち、向こうは何度もお邪魔しているところではありますけれども、その岬に沖縄の最南端の波照間島から採火された祈りの火を領土返還の日まで燃やし続けるという皆さん方のかたい決意と、そして、この運動を国民的な運動にしていかなければいけない、こういう責任を強く感じたところであります。

 そこで、小泉参考人に最初に伺いますけれども、日ごろより元島民の島に対する感情、それから日ロ返還交渉の行き詰まった外交交渉への憤り、やるせない怒りをお聞きしてまいりました。一番大事な、皆さんの団体として取り組まれている元島民の財産権の問題についても触れておられますけれども、この問題についてもう少し詳しく私たちに説明をしていただきたいと思います。よろしくお願いします。

小泉参考人 お答えいたします。

 六十六年もたちまして、私どもの島に残してきた、親や先祖が築いてきました財産がどのようになっているのか。先生おっしゃった不行使の問題と残してきた財産の問題と、私ども二つ考えてございますけれども、財産の問題については、北方領土が返ってくれば現状では返ってくる。ただ、この六十六年間の不行使に伴う損失は、私が先ほど申し上げましたように、はかり知れないものがございます。

 そこで、私どもは、過去に確かにいろいろな形で若干の手当てはいただいております。二回ほどありますけれども、これについては、まだ私自身が子供のころでございまして、極めて少ない、あるいは生活費にすぐ使ってしまったのではないかな、そういう思いがいたします。現在としては、やはり不行使に対する補償というものを最優先的に、私どもの組織としましても、この問題を最優先に考えてございます。

 ただ、それでは金額は幾らだと言われますと、これはそう簡単に申し上げるわけにもまいりませんので、このことは特に国の方において、先生方のところにおいて御検討いただければ大変ありがたいなというふうに思います。

 そこで、連盟といたしましても補償されるべきという見解、それから政府においても解決した後補償するという、いろいろな問題があります。統一見解はなかなかないのでございますけれども、やはり国が一たん買い上げてどうこうするということも一つございます。

 財産は解決後と先ほど申し上げました。不行使に対することは、先ほどもちょっと申し上げましたけれども、やはり実現していただきたい大きな問題でございます。金額は申し上げられませんけれども、例えば第三者機関を設けていただいて、その中で検討していただくというのも一つの方法ではないかなということでございます。

 いずれにしましても、元島民の生きる期間というのは短うございます。あともう幾らもないので、さらにさらに急いでやっていただきたいというのが私の願いでございます。よろしくお願い申し上げます。

赤嶺委員 どうもありがとうございました。

 私たちとしても、正面から受けとめて取り組んでいかなければいけない課題だと思っております。

 そこで、後継者の舘下さんの方からも、先ほど、後継者を広げる上で、北対協の融資制度の改善によって後継者の運動の拡大にも貢献するという、何かそんなお話がありましたけれども、この点についてまたもう少し説明していただきたいと思います。

舘下参考人 お答えいたします。

 後継者は、今現在、二世が一万六千四百五十八名、三世が一万一千四百二十四名、そして四世が百二十八名います。そうすると、二万八千十名ということで、後継者の数はこういう数字なんですけれども、実質、返還運動に携わっている人間というのはそれほど多くないです。

 私たちの一市四町、この返還運動の盛んな根室管内ですけれども、私たちの協議会を組織するのが二百七十名ぐらいですから、返還運動をこれから続けていくに対しまして、やはり二世そして三世の拡大をしていかないといけないということで、三世をもっとふやすにはどうしたらいいかということなんです。私たちの子供たちが三世ということなんですけれども、私の子供で、今二十四歳です。そうすると、私の年代でいくと、融資制度はもちろん使えるんですけれども、もう使えないのが現実なんです。

 そうすると、これから三世たちが使うのには、どうやって広げるかということになると、今、現状では一人ということになっております。それだと、子供が二人いるときに、一人に譲ることはできるんですけれども、もし兄弟がいたときに不平が出てきたり、一人は手伝えるけれども一人は、お兄ちゃんはできるけれども何で弟はできないとか、そういうことをなくして、複数制にしてくれることによって三世が責任持って活動できると思っていますので、その辺を御理解していただきたいと思います。

 以上でございます。

赤嶺委員 小泉さん、そして舘下さんたちの運動が領土の返還運動を支えている、原点になっている。私たちも、皆さんの御活躍を見て励まされ、激励され、そして責任も感じるという立場にあります。返還運動の発祥の地で、歴史の証人や、そしてそれを語り継いでいく人たちの運動を絶やさないというためにも、これらの問題について解決を迫っていかなければならないということを私も感じました。

 長谷川市長にお伺いをいたしますが、せんだっての日ロ外相会談、そしてその後の外務省などのビザなしの経済交流、そこへ根室市のあれだけの領土が、体の一部をもぎ取られて地域の振興はあり得ないという、その発想も大変よく理解できるところであります。

 外務省がかなり厳しいというお話も聞いてまいりましたが、今のお話だと、話し合いが展開されているという。今後、解決するとすれば、どういう問題が残されていくのか。そして、先ほど四島での環境の問題もあるやに市長から御発言がありましたけれども、これはどういうことなのか。

 それで、時間がありませんので、続きまして羅臼の漁業の問題についても脇町長さんに、資源の管理、あるいは資源が荒らされて漁業が大変な状態になっている、これらの問題について、追加することがあれば、根室市長の後に引き続き御発言をお願いしたいと思います。よろしくお願いします。

長谷川参考人 御答弁いたします。

 経済交流でございますが、まさしく根室市の場合、戦前、北方四島が経済区域でございましたので、ちょうど根室の経済の六割がいまだに返ってきていない。すなわち、昭和二十年から四割の力で何とか生き延びているというのが根室市の実態でございまして、ぜひ経済交流を認めてほしいということでございます。

 外務省は、経済交流をすれば、商行為とかいろいろなものが出てきますので、主権問題が必ず絡んでくる、法律問題になる、そうすれば北方領土交渉がないがしろになってしまうというような考えでございます。

 それもわからないではないわけですが、そこら辺の主権の問題さえ棚上げすれば私は必ず解決できると思っていまして、実際にビザなし交流でやっているわけですから、それを拡大してほしいということでございますので、我々とすれば、そんなに問題点はないというふうに、日ロ間で合意さえすれば大丈夫ではないかという考えでございます。

 それから、環境問題というのは、今ロシア側の方から、医療関係が北方四島もかなりおくれていますので、根室あるいは日本に求めてきています。そういう交流も進んでおりますが、環境問題でも、北方四島は汚水処理とかがまだまだ非常におくれておりまして、かなり問題視されているわけであります。実際にロシア側からもそちらの方の日本のノウハウもいろいろと欲しいという要望がございますので、そういう意味での環境問題でございます。

 あるいは、あそこは地震多発地帯なので、防災面でも非常にロシア側の希望があるところでありまして、すべての面で交流を深めた方が北方領土返還の近道になるというのが我々の考えでございます。

 以上でございます。

北村委員長 脇参考人、簡潔にお願いいたします。

脇参考人 お答えいたします。

 魚には中間ラインがありません。しかし、漁業を営む我々は、ロシアであったり日本であったりということで生産活動を行っているわけであります。したがって、この根室海峡を共通の資源としてお互いに管理しながら有効活用していければなというふうに期待もしておりますし、そういう意味で頑張ってまいりたいと思います。

赤嶺委員 どうもありがとうございました。

 私も、羅臼にお邪魔したときに、そこの漁場の大きさ、漁業の大きさに大変感動したものでありますが、そこで漁業資源が枯渇していく問題は我が国にとっても大変大事な課題だと思いますので、この点も、それから経済交流の問題もしっかり取り組んでいきたいと思います。

 きょうはありがとうございました。

北村委員長 次に、照屋寛徳君。

照屋委員 社会民主党の照屋寛徳です。

 きょうは、御四名の参考人の皆さん、大変貴重な参考人意見を拝聴いたすことができて、ありがとうございました。

 最初に、脇参考人にお伺いをいたします。

 脇町長は国後島の留夜別村の出身だと伺っております。それだけに、脇町長は、北方四島返還について格別の思いと決意がおありだと私は思っております。また、町長御自身もビザなし交流に参加された経験に照らし、現在、北方四島に対するロシアの実効支配が進んでおります、また国後島あるいは色丹島で投資が進んで港湾、空港、学校、保育所、消防署などの建設が進んでいる、こういう報道もありますが、こういう状況に照らして、脇町長は、ビザなし交流の将来のあり方、あるいは北方四島返還のこれからの運動のあり方についてどのようにお考えでしょうか。

脇参考人 御質問をいただきました。

 実効支配が進んでいる中にあって、それぞれインフラ整備が進んでいるという状況であります。私自身、非常に残念だというふうに思っております。自分の土地が開発されて、全くその当時と別な形になっているということを考えたときに、じくじたる思いをしております。しかも、私自身、毎日毎日、自分の自宅から二十六キロ先の国後島を目の当たりにして、ビザなしでなければ簡単には行けないんだ、そういう思いの中で生活しております。そして、六十三年が経過いたしました。

 そういう中で今この職を担っているわけでありますけれども、北方領土問題は、一ローカルの問題ではありません。国の主権の問題、領土にかかわる問題であります。

 したがって、私は、先ほども発言いたしましたけれども、言葉足らずだったかもしれませんけれども、もっともっと国全体として、国民全体として取り組んでほしい。これは地域の問題でない、あるいは元島民の問題でもない、日本国の領土、主権にかかわる問題だというふうな思いを強くしておりますので、そういう面では、ビザなし交流のあり方も含めて、今、ビザなし交流は四島に目を向けていろいろやっておりますけれども、返還にかかわるとするならば、当然、サハリンであるとかモスクワであるとか、そういう方にもう少し国として目を向けながら交渉を進めていく必要があるだろうというふうに私自身としては思っております。

 以上であります。

照屋委員 次に、長谷川市長にお伺いをいたします。

 私は、長谷川市長の「「ビザなし特区」の創設を」と題する平成二十三年三月二十二日付の毎日新聞記事を読みました。市長は、ビザなし交流が始まって二十年目を迎える今日、人的交流だけではもはや限界がある、このように訴えて、日本とロシアが互いの主権を害さない形で、同じ経済圏に組み込むビザなし特区または経済特区の創設を提唱しておられます。市長のこれら特区構想の根底にある主眼はどのようなものでしょうか。また、関連して、私が示した新聞で、市長が二十八項目の再構築提言書を政府に実現を求めた、こういう記事がありましたが、その再構築提言書に対する政府の回答はどのようなものだったでしょうか。

長谷川参考人 お答えいたします。

 ビザなし交流の関係でございますが、経済特区ということでは今ちょっと中止になっておりますが、根本、主眼は、先ほど言いましたとおり、ビザなし交流が形骸化されていると。友好親善だけが前面に出て二十年やりましたが、しかし、北方領土問題の解決にはまだ一歩も前進していない、そういうことでありまして、それを深化させるためには、人的交流だけでなくて、経済交流もそうだし、先ほど言いました環境問題、医療問題、そういうものもどんどんこのビザなし交流事業に入れて、実質もっともっと深めるというのが主眼でございます。もちろん側面的なものとしては、北方領土問題が未解決なために非常に疲弊している根室管内の経済振興という面も当然あるところでございます。

 それから、再構築提言書の二十八項目は、七年前ですか、なかなか北方領土問題が解決しないために一市四町は非常に疲弊している、このままでは返還運動すら続けられない、市民の間、町民の間では、もう返還運動なんてやっていられない、毎日の生活がぎりぎりだというような悲痛な声が上がりまして、やはりこういう問題は国に解決してもらわなければならないということで、二十八項目から成る再構築提言書を出していただいて、それが昨年四月の北特法の改正につながったと思っております。

 国も、先ほど言いました、内閣府が啓発予算を一・七三倍、財政が大変苦しい国でもやる気になればできる、そういうものも実証していただきました。大体は進んではいますが、まだまだ不十分なことがありますけれども、国は国なりに、再構築提言書を真摯に受けとめていただきまして、対応していただいていることも事実でございます。

照屋委員 次に、小泉参考人にお伺いをいたします。

 先ほど申し上げたように、北方四島に対するロシアの実効支配が進んでいるような中で、ロシアのビザを取得しての観光ツアーあるいはビジネス渡航がふえておる、こういう報道もありますが、それに対する日本政府の対応について小泉参考人はどのように思われておるんでしょうか。また、今後のビザなし交流のあり方についても小泉理事長のお考えをお聞かせください。

小泉参考人 お答えいたします。

 ビザなし交流でございますけれども、先ほどもちょっと申し上げましたけれども、今住んでいるロシア人と日本のビザなしに参加した人方の交流というのは、いろいろやり方があるだろう。先ほども、検討する価値がある、あるいはやり方を検討してもらいたいということも申し上げたのでございますけれども、このことについては、私どもとしては、この二十年の節目に、何とか領土返還に結びつくようなビザなし交流であってほしいということです。では、具体的におまえはどうするんだと言われると、私としてもいろいろなことはありますけれども、ぜひそういう形でやっていただきたい。

 それから、最初に御質問がありましたビザ取得で行く日本人については、もっと厳格にやってほしい。私どもは、ビザなしなり、あるいは自由訪問という形で、限られた日数、時間あるいは人数の中でやらせていただいているんですが、ビザをとって向こうに行くということは、領土の主権問題にもかかわりますし、またそういうことが日常行われているということは、私どもとしては非常に怒りを感じます。

 したがって、国においても、もっともっと広報活動なり、あるいはビザのあり方について周知をしていただきたい。逆に、領土返還運動あるいは領土返還問題について力を入れていただくという両面があろうかというふうに考えるわけでございます。

 以上であります。

照屋委員 最後に、舘下参考人にお伺いをいたします。

 舘下参考人は元島民の後継者である、こういうお立場でありますが、私も、北方領土問題と全く同一ではございませんが、戦後、アメリカの軍事支配下で、本土から施政権が分離をされた沖縄で二十七年間経験してまいりました。

 舘下参考人、今後、この領土返還運動をどう全国に展開していくか、全国の若者にアピールしていくか、もちろん我々国会議員の責任もありますが、全国の若者に運動を広げていく、そういうふうなアイデア、意見がございましたら、ひとつ開陳をしてください。

北村委員長 舘下参考人、予定の時刻が来ておりますので、簡潔にお願いいたします。

舘下参考人 ありがとうございます。

 全国に広げるということで、三年前から、北方領土ネット検定ということで、インターネットを使った北方領土の検定をやっております。昨年までは初級、中級と二つをやっていたんですけれども、ことしは上級ということで、だんだん難しくなるんですけれども、初級はもちろん忘れていないでことしもやる予定でございます。

 アクセスは毎年七百から六百はあるんですけれども、実際検定に入ってくれる方というのはやはり九十とか八十なんです。ですから、インターネットを使いながら、北方領土ネット検定を広めながら、ほとんど全国の方から応募が来ております。遠くは九州から沖縄、そして去年は海外からも、カナダから参加してくれた方もおりまして、ぜひ時代でありますインターネットを使った北方領土検定というのは続けていきたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いします。

 以上でございます。

照屋委員 ありがとうございました。

北村委員長 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。

 この際、参考人の皆様方に一言御礼を申し上げます。

 皆様方には、御多用中のところ本委員会に御出席をいただき、真摯にお答えをいただき、本当に私ども委員会にとりまして有益な会議を開くことができました。心から感謝を申し上げます。お気をつけてお帰りくださいませ。ありがとうございました。(拍手)

 この際、暫時休憩いたします。

    午後三時五分休憩

     ――――◇―――――

    午後三時十分開議

北村委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。

 沖縄問題に関する件について調査を進めます。

 本日は、本件調査のため、参考人として、沖縄県知事仲井眞弘多君、社団法人沖縄県経営者協会会長知念榮治君、琉球大学国際沖縄研究所所長我部政明君、沖縄大学非常勤講師山内優子君、以上四名の方々に御出席をいただいております。

 この際、参考人の皆様方に一言ごあいさつを申し上げます。

 本日は、御多用中のところ本委員会に御出席いただき、なお重ねて、意見陳述に際します資料まで添えて準備をしていただきましたことに心から感謝を申し上げます。参考人各位におかれましては、沖縄問題につきまして、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。どうぞよろしくお願い申し上げます。

 次に、議事の順序について申し上げます。

 まず、仲井眞参考人、知念参考人、我部参考人、山内参考人の順に、お一人十分以内で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑に対してお答えいただきたいと存じます。

 なお、念のため申し上げますが、御発言の際はその都度委員長の許可を得て御発言くださいますようお願いいたします。また、参考人から委員に対して質疑をすることはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。

 それでは、まず仲井眞参考人にお願いいたします。

仲井眞参考人 御紹介をいただきました沖縄県知事の仲井眞でございます。

 本日はこういう機会をいただきまして、心から感謝いたします。

 それでは、沖縄の振興についての意見を申し述べさせていただきます。

 おかげさまで、沖縄県も日本に復帰をしまして、来年の五月十五日で丸四十年になります。沖縄の道路、空港、港湾、学校、そしていろいろな産業が見違えるほど立派になりました。みんな、先生方及び沖縄振興によるものだと感謝申し上げる次第でございます。

 しかしながら、今現在、まだ幾つか大きな項目、課題が残っております。

 その第一が、一人当たり県民所得。大分大きくなってきたんですが、それでも最下位を続けております。この点は、私が持ってまいりました資料の三ページの右側の表に載っているとおりでございます。

 そして次に、完全失業率が、これは人口がまだ年間一万人ぐらい伸びていることもありましてか、完全失業率が日本全体の平均より一、二%悪い。これがまだ改善されておりません。我々の大きな改善目標になっているところでございます。これも三ページの右の表に書いてございます。

 そしてもう一つは、まことに一生懸命、沖縄担当の政府機関もやっていただいてはいるんですけれども、お配りしました資料の四ページの左側にありますように、沖縄関係の予算というのが、この十年、第四次振興計画なんですが、四千六百億円から二千三百億円と、ちょうど今半分になっておりまして、非常に沖縄県内で不満が高まっております。ここら辺の予算の増額確保というのは至上命題にもなっているわけでございます。

 なお、念のため、米軍基地など基地に依存している経済と復帰前は言われていたんですが、これは二ページの左下の表にありますように、現在では県民総所得の五%強というところでございます。大きいか小さいかは、五は五の状況でございます。そういう中で、一部米軍基地の存在が、沖縄本島のど真ん中に普天間飛行場、嘉手納飛行場その他がございまして、経済発展にはむしろ阻害要因になっているというのが現在の認識でございますので、念のため申し添えておきたいと思います。

 それで、おかげさまでこの四十年、いいところまで持ってきていただきまして、四十七都道府県の中で、沖縄県もようやく四十六番目の県の背中が見え始めたかなという感じのところまでは来ていると考えております。そういうことで私どもは、これからの十年に向かって、ぜひ沖縄振興関係をまた継続していただきたいということを、各政党、議会そして政府にお願いしているところでございます。

 そういう中で、この沖縄振興法を四回延長していただいた枠組みと、今回は、ぜひ、この時代の潮流を考え、大きく変えていただけないかというのが私どものお願いでございます。五つの項目を列記してございますが、これは五ページに書いてございます。

 まず第一に、新たな沖縄振興のための制度。特別措置というのは、税制とかいろいろなものをこの四十年の間に書いてもらいました。特にこの十年は、特別自由貿易地域であるとか金融特区とかをつくっていただいたんですが、使い勝手が悪い、半分以上使われていないという部分があります。こういう制約を乗り越える、そしてアジアと競争できる条件に整備していただけないかというのが第一点です。

 それから第二点は、民主党さんがマニフェストでおっしゃっておられるような一括交付金という形で、県に自主性を持たせていただきたい。昔は沖縄開発庁というのがありました。今は内閣府の沖縄担当部局というところでいろいろ我々の振興をやっていただいておるわけですが、この一括交付金、先ほど申し上げましたように、沖縄振興関係は今二千三百億円ぐらいです。ですから、一括計上ということで予算が計上されておりますから、これはちょうどいいサイズなので、全部一括交付金の形にして、まず県に任せて、市町村と一緒になって使わせていただくわけにはいかないか、こういうことでございます。その方が、現地の事情をよくのみ込んでいると我々は無論思っておりますので、そういう方向でやっていただきたいというのが二点目です。

 第三点目は、沖縄県の計画、我々がつくる計画へ国が支援するという形を沖縄振興法の中にきちっと書き込んでやっていただきたい。我々は、既に二十年先のビジョン、そして県の基本計画をつい最近、県の審議会を経て作成いたしておりますので、これに対する支援をお願いしたい。

 それから四番目が、駐留軍用地の跡地を利活用することを促進する法律をつくっていただきたい。今、実は議員立法でつくっていただいていますが、地権者に対する支援の深掘り、そして返還する土地の事前立入調査などなど、ぜひ内容を充実していただきたい。これは、実際利用するのに最低二十年ぐらいかかるんですね。ですから、その間の地権者への支援などなどをしっかりと踏まえた内容にしていただけないか。

 最後に、地域主権、そして地方分権とか道州制、そういう流れの中で、さらに国の出先機関の整理整頓、見直しという話が出ておりますが、沖縄でも六十有余の国の機関がございます。その中で、沖縄総合事務局という、幾つかの国の出先が一緒になった局がございます。非常によくやっていただいたんですが、県、市町村とダブりの仕事がやはり多くなってきて、一山二山越えてきたのではないか。そして、これは内閣が閣議決定を昨年の暮れ、そして六月にやっておられます。その線でしっかり前へ進めていただいたらどうかというようなことでございます。こういう枠組みを変えて、これまで四十年と違って、時代に合うようにやっていただきたい。

 そして、内容を要約したものがこの七ページの、カラーのついたもので書いてございます。

 簡単に申し上げますと、この七ページの左側の黄色いところにありますように、まず産業振興では、おかげさまで観光・リゾート産業がしっかりしてまいりました。もっと展開していきたい。

 そして第二に、情報通信関連産業もしっかりしたものができてまいりました。これも、もっともっと高度化していきたい。

 さらに三番目が、国際物流というのは、那覇空港に全日空さんがつくった物流ハブというのがございます。これが二十四時間運転で実はかなりいい展開をしておりますから、これをもっともっとしっかりしたものにしたい。

 名護市につくられた金融特区、これが使い勝手の悪い仕組みになっていますので、使い勝手のいいものにしていただきたいなどなど、沖縄の産業もいろいろな意味でいい形で展開しています。

 農業についても、沖縄テーストの産物を中心にしっかりしたものになり始めておりますから、いま一つ御支援を賜りたい。

 科学技術につきましては、大学院大学というのが恩納村にできて、もうじき開校いたしますが、内容は、世界のノーベル賞学者の人が理事になっていただいて、これはかなり立派なものが今でき始めておりますので、ぜひ先生方も御視察をいただければと思っております。この関連のRアンドDの成果を利用した企業が集まり始めております。この関係も大きな産業になることを我々は期待しております。

 この黄色いところをずっと下に見ていただきますと、エネルギー関係。これは、沖縄は原子力発電所がありません。新エネルギー関係にもっともっと力を入れていきたい。

 そして、国際貢献。

 さらには、特に離島が、東西千キロ、南北四百キロという広大な空間に散在しています。沖縄本島も小さい島ですから、これが沖縄県の県域を規定し、日本全体の領土を決めているようなものですから、離島振興をしっかりやっていきたい。これは、教育、文化、それから医療、介護、ごみ処理に至るまですべてをまとめた一括交付金の形で、使い勝手のいいものをぜひつくっていただければというふうに考えております。この人たちがちゃんと暮らして、人口も減らないどころか、ふえるようにしたいというような内容を我々は構想しております。

 そして、あとは交通体系です。沖縄本島も車しかないので、今、十四・五キロのモノレールができましたけれども、車社会からやはり鉄軌道を入れられないかということで、我々、政策転換を図りたいと考えております。そして、離島間は文字どおりコマーシャルの飛行機、コマーシャルの船しかありません。ちゃんとした交通体系ができておりませんので、ここにもきちっと取りかかりたい。交通コストは非常に大きいものがありまして、地域振興に非常にマイナスになっている。

 もう一つだけ申し上げますと、子育て、それから福祉関係の環境が非常に整っておりますので、しっかりやっていきたい。

 あとは、沖縄独特の文化、個性をしっかりと強化してまいりたいなどなどを展開しながら、次の二十一世紀ビジョンというのを私たちはつくっています。それで、中国を中心とするアジア・マーケットを視野に入れて、このダイナミズムを沖縄に入れ、日本全体にも貢献できる、自立、交流、貢献、これはいろいろな意味で国際貢献を我々はやっていきたい、この旗印を持って邁進したいと思いますので、どうか御理解と御指導を賜りたいと思います。

 ありがとうございました。(拍手)

    〔委員長退席、秋葉委員長代理着席〕

秋葉委員長代理 ありがとうございました。

 次に、知念参考人にお願いいたします。

知念参考人 ただいま御紹介をいただきました沖縄県経営者協会会長の知念でございます。

 本日は、当委員会において陳述の機会を与えられましたことに対して心から御礼を申し上げます。ありがとうございます。

 私は経済界の出身でございますので、経済問題に絞って御説明をしたいと思います。数字の問題については、先ほど知事の方からいろいろな数字が出ておりますので、私の方は、戦後の沖縄の経済の流れと、その中でどのように変化してきたか、今後どういう問題があるのか、こういうことについて概要を説明させていただきたいと思っております。

 まず、一九七二年の本土復帰までの二十七年間、米軍の施政下にありましたが、その間で一番問題だったのは、やはり米軍の軍事優先政策で、道路とか港湾、空港等々の民生用のインフラがほとんど整備をされていなかったということが一つ。それからもう一つは、ドル経済圏に入って、ほとんど世界じゅうの物資が無関税で沖縄に入ってくる。そのことは生活にとってはいいんですけれども、そのために沖縄の製造業がほとんど成り立たなくて、結果として、復帰の時点での経済状況というのは消費経済一辺倒、こういう状況でありました。

 こういう中で、一九七二年に本土復帰をいたしまして、まず沖縄のこのインフラのおくれ、それから経済の格差をどう早く縮めて本土並みにするかということで、第一次振興開発計画、これは十年単位で振興開発計画が国の責任でつくられて実行されてまいりました。

 これまで都合四回の計画がつくられて実施されてきたわけでありますが、第一次の振興開発計画から第三次の計画までの間、三十年間、二〇〇一年に終わっていますが、この間の計画は、二十七年間の米軍施政下においておくれたもろもろのインフラをいかに早く本土並みに整備するかということが一つの課題でありました。そのために高率補助でインフラ整備を、本土の県並み以上に毎年金をつぎ込んで、本土並みにやろうということで推進をしてまいりました。

 もう一つは、自由市場でありましたので物価が非常に安い。それを、本土復帰していきなり本土と同じような価格にすると沖縄の経済が成り立たない。特に、一つ例を申し上げますと、米は四、五分の一ぐらいの値段で買えたわけですが、これがいきなり本土と同じようになるととても生活はできない、こういうことがもろもろの物資にありまして、それを時間をかけて本土並みにするといういわゆる経過措置でございます。

 この二つが、この一次、二次、三次の計画の柱でありました。幸い、三次にわたる振興開発計画で、先ほど申し上げましたような、まずインフラ整備が急速に進みまして、三十年間で、まだ幾つか問題はありますが、ほぼ本土並みに整備をされてきつつある。それから、物資も毎年徐々に本土並みに近づけて、特別措置を廃止していって、三十年後にはビールと泡盛とそれから離島に必要な燃料、この三項目だけが残っておりまして、あとは全部、特別措置は廃止になりました。

 そういう三十年間の経過を踏まえまして、九年前に第四次の振興開発計画が策定されました。この四次の計画の柱は、これまでの三十年間を踏まえて、いつまでも本土との格差是正ということでは追いつかない、むしろ、沖縄の自立をどうするかということを柱にすべきだということで、初めて沖縄経済の自立というのが四回目の計画の柱に据えられました。

 ただし、言葉でそうはいっても、実際に自立経済を確立するのはそう簡単なことではありませんで、やはり制度的な手当てが必要だということで、先ほど知事からも話がありましたが、金融特区とか情報特区、あるいは自由貿易地域という日本全国にない制度を三つつくりまして、これを柱に経済の自立を図っていこう、こういうのが四回目の計画の柱でありました。

 それが来年の三月に終わるわけでありますが、その結果を振り返ってみますと、先ほど知事もお話がありましたが、金融特区等については、言葉は特区でありますけれども、中身がなかなか使い勝手がなくて、ほとんど活用されなかった。それから自由貿易地域についても、二、三進出をしておりますけれども、沖縄の自立に必要な効果が上がっていない。ただ、IT、情報通信産業については、政府の特区指定もありましたし、それから県の方も、東京と沖縄の通信回線を買い取って安く貸し付けるなり、あるいは雇用の助成金を出す等々いろいろな施策をしてきた結果、十年間で二百社余り沖縄に進出をしまして、二万人余の雇用を生み出すという大変大きな効果が出ております。

 そういうことで、来年の三月でこの四次は終わるわけでありますが、結果を見てみますと、やはり現状でも、県民所得は全国最下位、それから失業率も常に倍近い失業率で続いている、こういう状態でございます。したがいまして、自立経済という目標はまだまだほど遠い、こういう状況があります。そこで、ぜひ、来年終わる四次計画の後に再度、あと十年間の計画を立案し、実施してほしいということであります。

 ただ、次の計画に当たっては、やはり従来と違って、世の中の変化が非常に激しい時代になっておりますので、この時代変化を踏まえて、沖縄の特性を生かせるような計画にする必要があるのではないか、こういうふうに考えております。

 一つは、国内の問題でありますが、先ほどからお話がありますように、長い閉塞状況の中の日本経済の状況を踏まえて、地方分権であるとか道州制の導入であるとか、こういうお話が今盛んに出ておりますけれども、今回の計画の中で、沖縄をその実験台としてスタートさせてみたらどうかということをぜひお願いしたい。先ほど知事から一括交付金というお話がありましたが、当然、そういう制度を設けるとなれば、今の国の補助制度ではなくて一括交付金制度にせざるを得ないのではないか、このように考えております。

 そこで、この計画の中で、産業面でいいますと、まず一つは今沖縄のリーディング産業になっています観光でありますが、約五、六百万人という、これは復帰の時点で四十四万人ですから、十五倍ぐらいにふえているわけでありますけれども、定着をしてきております。しかし、これはほとんどが日本国民でありまして、外国人はわずか四%ぐらいしか来ておりません。

 そこで、やはり沖縄の地理的条件、つまり東アジアの中心にあるという地理的条件と今のグローバル化の流れを踏まえて、周辺の外国からの観光客を大量に受け入れる。そのために今いろいろな施策をし、あるいは外国にも売り込みに行っておりますが、これは相当伸びていくんじゃないかと思っておりますし、観光はこれからもどんどん伸びていくだろうと見ております。

 それから二番目に、IT産業。これも、最初はコールセンターから始まりましたけれども、今はソフトウエア開発とかコンテンツ制作とか高度化してきておりますし、それから外国からも進出の動きがあります。そういうことで、これもまだまだふえるだろうと思いますが、ただ、この技術者をどう養成するかという問題が大きな課題になっておりまして、この辺が一つの大きな問題であります。

 それから、金融特区。先ほど全く効果が出ていないと申し上げましたけれども、実は、ある会社から、ぜひ沖縄に進出をしたい、ただし今の条件ではなかなか難しいので、外国並みの、競争できるような制度にしてほしいと。これは参考の資料として(1)に添付されていると思いますが、そういうことをぜひやっていただければ金融関係の企業も進出しやすい、こういうようなお話もありますので、その辺の制度的な手当てをぜひお願いしたいと思っております。

 それから、自由貿易地域の問題。これは、金融もITも自由貿易もみんなそうですけれども、特定の地域だけに限定されておりますので、やはり沖縄全県を自由貿易地域に指定して、先ほど知事から話がありましたように、全日空さんが今、那覇を起点として、アジアと日本の物流、交流のハブにしています。これは将来、アジアだけではなくて、全世界のハブにしたいということで全日空さんが頑張っておられます。これを活用して、日本の付加価値の高い製造業がこの周辺に集積する可能性がある。ただし、これも税制とかその他の制度的な面を、やはり外国と競争できる制度にしないと難しい面があるというような話で、そういう制度ができればわざわざ外国に行かなくてもいい、こういう経営者もおりまして、ぜひ、そういうことも御配慮をいただきたいと思っております。

 以上、幾つか申し上げましたが、それ以外にも、沖縄の亜熱帯地域の特産物がたくさんありまして、その機能性を研究して、バイオの技術を使って新しい産業の進出を今検討しておりますが、ぜひ、その辺のこともこれから力を入れないといかぬ。

 こういったことをやる上においては、今あります沖縄の開発金融公庫、これは法律上は来年合併するということになっておりますけれども、ぜひ今と同じように、沖縄に本社を置いた今の制度を残してほしい、そういうことによって産業振興の支援ができるようにお願いをしたい、このように考えております。

 それ以外にも、ここにたくさんありますが、時間の都合もありますので終わりますけれども、いずれにいたしましても、沖縄の、東アジアの時代の中心にあるという地理的条件、亜熱帯という風光明媚な自然条件、それから沖縄独特の伝統文化がたくさんあります。こういったものをやはり産業の振興にどう生かすかということが課題でありまして、ぜひこの辺を踏まえて今度の振興計画ができ上がるように、県もそういう方向で今計画づくりをしておりますけれども、国の方でも、ぜひそういう方向で御支援を賜れば幸いだと思っております。

 以上、説明にかえます。大変ありがとうございました。(拍手)

秋葉委員長代理 ありがとうございました。

 次に、我部参考人にお願いいたします。

我部参考人 こんにちは。琉球大学国際沖縄研究所の我部政明といいます。

 きょうは、この委員会で意見を述べる機会をいただきまして、感謝申し上げます。

 大学で仕事をしている関係上、ちょっと話が長くなるのが職業病でありますが、なるべく短く、時間のとおり守っていきたいと思っています。うまくいけば、大学の職業病から少し回復して転職が可能かなというふうな気もしないでもありませんが、定年が近いので。それはないかと思いますが。

 きょうここで意見を述べるのは、私の専門としています国際政治学の視点から、日本の安全保障そして対米関係、さらに沖縄にある米軍基地とのかかわりを軸にして、今後、将来にわたってとるべき日本の安全保障の基本について述べたいと思います。

 二十一世紀に入りまして、二〇〇一年でありますが、アメリカで同時多発テロが起こりました。その後、世界はアメリカを軸とした一極構造へと進んでいくんだというふうに言われました。それからちょうど十年が経過しましたが、実際にアメリカの軍事力は他国を圧倒するだけの力を持っているというのは変わりありませんが、実際世界じゅうで、ある種の紛争、武力を行使するということがよく起こっております。と同時に、経済のグローバル化も進んでいて、通信や技術や文化までも国境を越えて浸透していく国際社会へと変わってきています。

 私たちが住んでいますこの東アジアにおいても、いわば軍事力に頼っていく安全保障への傾斜ということが一方で進行しながら、同時に、貿易や資源や投資をめぐって国境を越えてしまう一体化への圧力もまた顕著になっているところであります。こうした軍事化とグローバル化が両方同時に進行する地域がこの東アジアであります。東アジアにおいてこの二つの流れの中心にいるのが、日本であり中国でありインドであり、またアメリカでもあります。

 こうした流れは、東アジアにおける米軍の存在にも大きく影響を与えております。地理的にアメリカはアジアには位置していませんが、アジアの戦略環境を支え、不可欠な存在として、グローバルパワーとしてアメリカはこれまであり続けてきております。

 冷戦のころ、大国として行動するアメリカは、地域の防衛のために配備されることを当然視しながらも、必要なときに必要な兵力を必要な場所へ送り込む展開能力を強化することを図ってきました。冷戦は、ある意味で、東西という地理的に分けられた二つの地域がぶつかり合う、時には目で見ても確認できる、わかりやすい対立でした。

 しかし、冷戦が終わって、東西の陣営の境界線付近に配備してきた米軍の再編が議論されたのは当然のことでした。九・一一以前に発足をしていたブッシュ政権では、いわば機動力と戦闘力にすぐれた能力ベースの軍隊へ米軍を変えていくというふうに構想しました。これまで、冷戦のような、仮想敵の動きを監視して、侵略する相手を撃滅するということを基本としてきました。冷戦が終わった後のポスト冷戦の時代において、ブッシュ政権は、対応型からむしろこうした能力型へと転換をしてきました。その基本線は現在のオバマ政権でも引き継がれ、アフガンやイラク後も含めて、兵士を危険にさらすことなくアメリカの戦闘能力を高めるような努力を現在も続けております。

 こうした中で、沖縄は、ちょうど来年で沖縄が日本の施政権下に戻ってから四十年を迎えます。ちょうど六〇年後半のアメリカは、沖縄の不安定化が直ちにアメリカ軍の撤退要求へとつながりかねないとの危機感を深めて、そのまま沖縄問題を放置すればアメリカの国益を失いかねないと判断し、最もよい日本との取引で合意されることを条件で、沖縄返還に合意をしたのです。言うまでもなく、沖縄からの要求や、それに呼応する日本国内の動き、さらには当時の佐藤政権の復帰への取り組みの姿勢もあったことも加えて、沖縄返還が実現したのです。

 一九七〇年前後の沖縄返還と、ちょうど米軍再編が行われている二〇〇〇年前後の沖縄における米軍再編には共通性があるように思われます。

 これはどういうことかといいますと、例えばアメリカ政府の中では、沖縄の人々の意向に逆らっては基地を維持することはできないという考え方であります。そして、わかってきたことは、沖縄の意向に影響を及ぼすことができるのは日本政府であると。つまり、アメリカは、日本政府との協働作業を通して沖縄での基地の安定使用を維持することができるのだというふうに考えたわけであります。その結果、沖縄返還後では、沖縄の施政を日本政府にゆだね、行政的、財政的、政治的手段を通して、基地のフェンスと同様に、日本政府に米軍基地を守らせるということを実現したのであります。

 現在進行している米軍再編は、いわば冷戦後のアメリカの軍事的役割と機能を変えていくという中で行われています。そうした一環の中で、沖縄にある米軍の再配置を行うというものであります。

 ちょうどその検討が行われているさなか、九五年の九月に起きた少女レイプ事件を境にして、沖縄では米軍基地の整理を求める声が高まってきました。沖縄のこうした意向にこたえることは、アメリカにとって、あるいは日本にとって、基地の安定使用を行っていくために必要なことでした。短期的には基地に向かっていく不満を和らげ、長期的には日本政府の意向に従順な沖縄の人々に、沖縄県になってもらうというふうなことを目指してきたわけであります。

 なぜ、こうした四十年の時間が経過してもなおアメリカ軍は沖縄の意向に左右されるのでしょうか。確かに、沖縄の人々の要求が、ある意味では身を切るような状況からの声だということは言えると思います。それ以上に、耳を傾けざるを得ない事情が日米側にあるのです。

 一九五二年に発効しました対日平和条約あるいは旧安保条約、そのときに沖縄はアメリカの施政権下に置かれました。アメリカは、行政、立法、司法のパワーをもって自由に沖縄を使えることになりました。アメリカは、その結果、核兵器を配備し、貯蔵し、いかなる戦闘行動もとり、さまざまな訓練を行い、日常的にはその家族や兵士たちにとって楽園のように暮らせる島々と沖縄をしたのです。

 世界人権宣言で述べられるような、平等な人間としての沖縄の人々がこの島に住んでいるとは、アメリカは想定しませんでした。多くのアメリカ人は、人間は基地の中に住み、基地に包まれた沖縄という、基地の島沖縄というイメージをつくり出しました。つまり、そこにはまるで沖縄の人は存在しないかのように振る舞ってきたのです。

 多くの日本人も、こうした同様なイメージを抱きました。現行の安保条約は一九六〇年に発効していますが、この安保条約は、旧安保条約に比べれば、幾分かの対等性あるいは相互性という言葉をうたっております。それは、沖縄に米軍基地が存在することによってこうしたことが可能になったのであります。つまり、日本の安全は米軍の存在によって担保され、旧安保条約の前から、あるいは一九四五年から米軍は沖縄に集中して配備されてきました。

 日本からすれば、アメリカ軍を配備することに伴うさまざまな負担を沖縄の人々に担わせることによって、日本は主権、独立、平和、豊かさ、安全を手にしたのです。アメリカは、自由に使える基地を握り続け、日本の要望に可能な限りこたえて、国際社会で日本を保護し、ある意味で日本を甘えさせ続けてきました。つまり、戦後、友人のいない日本にとって唯一の友達にアメリカがなったのです。

 安全保障の観点でいえば、日本は沖縄に依存してきました。そして、現在もそうです。アメリカは、外国領土に六十年以上にもわたって自由に使える基地を提供してくれている日本に感謝しています。アメリカは、冷戦を戦い、そして覇権国家として海外に多くの基地を置き、日本にも当然置き、それらの基地の中でハブ的な役割を沖縄の基地に与えてきたのです。沖縄での基地の負担が減少しないのは、日米それぞれが異なる利益を沖縄から得ているからであります。

 しかし、同じ日本人として沖縄の負担を理解し、沖縄の人々へ何らかの償いをしなければならないと考える人は数多くいます。つまり、この犠牲を底辺に置く沖縄問題は、多くの日本人の琴線に触れることでもあるわけです。しかしながら、沖縄に基地を置くアメリカにとっては、沖縄で基地を自由に使用できることというのは、日本人が考える以上に大きな利益を得ているわけであります。

 国際政治学の伝統的な考え方の一つに、現実主義というのがあります。現実主義というものは、国際社会を無政府状態として、国際社会を構成するのが国家だというふうに考えます。こうした国際社会の中では、だれも助けてくれない、自分だけが自分を助ける社会である、そして、国家はみずからの生き残りを最大の目的として、国家の利益を最大化することをいつも考えているというふうに想定をしています。この考え方、現実主義に立てば、アメリカは友達であっても、日本を助けることはないというふうになります。まれに助けることがあったとしても、アメリカの利益になると判断したときだけであります。

 戦後、アメリカに感謝し続ける日本人は、侵略によって日本の生き残りが危うくなるときに、いつでもアメリカは日本を助けてくれるのだと思っているのでしょう。もしそうだとすれば、現実主義者の立場からすると、日本人は空想に浸っているというふうに嘲笑するのかもしれません。

 それにもかかわらず、日本はアメリカのために基地を提供し続けてきました。今後も提供し続けようとしています。それは、単にお人よしだからではありません。大学のような高等機関で現実主義を学んだ優秀な日本人の多くは、アメリカ軍を人質と呼ぶことがたまにあります。これは、アメリカ軍が日本に引きとめられている以上、日本にいる以上、日本に侵略が行われたときにアメリカ軍基地もその侵略者の攻撃対象となる、したがってアメリカは日本防衛のために軍事行動を起こさざるを得ないという論理があるわけです。

 確かに、米ソ間での緊張が高まり、一発触発の事態を想定すれば、例えば朝鮮半島におけるトリップワイヤー論、これは、三十八度線付近にアメリカ軍を配置して、北朝鮮がもし三十八度線を越えて韓国に侵略する場合には、まず先にアメリカ軍兵士がその攻撃対象となるということです。このことをトリップワイヤーというふうに呼んでいるわけですが、そのことによってアメリカは韓国防衛から自分だけ逃げ出すことができない、それと同じように日本にいるアメリカ軍をとらえることができるというわけであります。

 さて、二十一世紀の今日、アメリカに対して戦争をしかける国はあるのでしょうか。また、日本に侵攻しようとする国があるのでしょうか。グローバル化した社会の中で、経済成長を遂げれば遂げるほど、戦争は引き合わない行為となってきます。むしろ、貿易や通信や投資で豊かさを追求する方がより現実的で、コストが低く大きな利益を生むということがわかってきます。今や日本と中国とアメリカは、貿易・投資の世界では密接に結びついています。戦争で得られるよりもずっと容易に欲しいことが実現しやすいというふうになっております。相互に破壊し合うような核戦争は言うまでもなく、戦争へと拡大しかねない武力衝突ですら回避しようとします。もっとも、パワーややる気を誇示するためのパフォーマンスはよくあります。

 こうした東アジアにおける戦略環境が変化している中、沖縄に依存する日本の安全保障政策は見直すときが来ていると思います。つまり、沖縄に米軍基地を集中させる結果として生まれた日本の負担、もうちょっと言えば、沖縄の人々の負担に見合わない軍事力を沖縄に張りつけているのです。冒頭に述べたように、沖縄から米軍基地を削減することは、地域に張りつく戦略の必要性から脱却しようとしているアメリカの戦略の流れにも適合しているのです。時折、既得権益として日本や沖縄にある米軍基地をとらえる専門家もいます。戦略環境の変化やコストと利益を考慮せずにいられるのは、みずからの安全保障に無頓着でお人よしの日本人の幻想に助けられているだけであります。

 三・一一が、日本の復興だけでなく、新しい日本の起点となるという議論が多く出てきております。東日本震災からの復興は新しい日本の課題だとする考え方がありますが、六十年以上にわたって放置されてきた沖縄に甘え続ける安全保障政策を転換するときでもあります。いわば、脱沖縄依存の安全保障政策を検討していただきたいというふうに思っております。

 以上であります。(拍手)

    〔秋葉委員長代理退席、伊東委員長代理着席〕

伊東委員長代理 ありがとうございました。

 次に、山内参考人にお願いいたします。

山内参考人 ただいま御紹介にあずかりました山内です。

 きょうは、このような場で皆様に意見を述べることができますことを大変感謝申し上げます。

 私は、沖縄の子供たち、とりわけ貧困の真っただ中にあって、声を上げたくても上げられない子供たちの状況を皆様にお伝えし、ともに考えていただければと思います。

 限られた時間ですので、資料を準備してきました。資料一は、「誰がこの子らを救うのか?」というタイトルで、戦後六十五年間の沖縄の貧困社会が子供に与えた影響を書いたものです。資料二は、マスコミに見る現在の沖縄の子供たちの状況。資料三は、私が最も訴えたいこと、新しく策定する沖縄振興計画の中にぜひ子供たちのための振興計画をつくってほしいという、その中身であります。

 それでは、本題に入ります。

 リーマン・ショック以来、子供の貧困という言葉がマスコミで取り上げられるようになり、この言葉を初めて聞いたとき、私は大変ショックを受けました。なぜなら、貧困は大人の問題であり、個人の責任だと思っていたからです。

 社会は家族に侵入するということをフランスの社会学者が言っておりますが、社会の制度や考え方、物などは家庭にいや応なく入り込み、さまざまな影響を与え、家族の形にも機能にも変化を促すと述べております。

 さて、戦後六十六年間の沖縄社会を振り返ってみたとき、果たして沖縄社会はどのような社会であったのか、そしてそれは家庭に、子供たちにどのような影響を与えてきたのかを子供の視点から考えてみたいと思います。

 沖縄は、さきの大戦で唯一地上戦となり、多くの県民が戦闘に巻き込まれ命を落とし、そしてすべて焼き払われました。生き残った県民は仮収容所に集められ、アメリカに統治されることになりました。この焦土と化したゼロからの出発と異民族統治という二つの要因が、まさに沖縄の子供の貧困の出発点ではなかったかと思います。

 特に、異民族支配の二十七年間は、子供たちにとっては空白の二十七年と言われ、教育、福祉面に大きなおくれを生じました。例えば、教育においては、戦後数年たっても、沖縄を統治していたアメリカにも琉球政府にも校舎の復興計画はなく、学校とは名ばかりで、馬小屋にも劣ると言われるほどでした。この状況を、昭和二十七年に発足した教職員会が本土政府と全国民に訴えて、ようやく校舎建築がなされました。

 また、沖縄の児童福祉法は、本土におくれること六年、昭和二十八年に制定され、翌年、児童相談所が設置されました。しかし、設立当初から、窃盗や強盗、すり、忍び込み等が圧倒的に多く、忍び込みとは米軍基地への忍び込みで、成功すると盗んだ物資は戦果と称され、特に子供は、体が小さく見つかりにくいために重宝されたようです。

 また、捨て子や家出児童、浮浪児等も後を絶たず、しかし、そのような子供たちを預かる養護施設は、復帰まで二カ所しかありませんでした。また、保育所も、昭和三十八年まで公立保育所は一カ所もなく、幾ら琉球政府に訴えても予算がないということで建ててもらえず、これも本土政府に訴えて、やっと翌年から公立保育所が設置されました。そのころ本土では、公立保育所五千カ所、私立保育所五千カ所、計一万カ所の保育所が設立されていたということです。この公立保育所設置のおくれが、沖縄の認可外保育所の誕生に拍車をかけたものと思われます。

 それから、異民族支配の二十七年間の沖縄社会は、広大な土地を米軍にとられ、相次ぐ米軍の事件、事故等に翻弄されてきました。昭和三十年九月に、六歳の少女が米兵に暴行され、部隊のちり捨て場に遺棄された事件、昭和三十四年六月の、宮森小学校に米軍のジェット機が墜落し、児童十一名を含む十七名が死亡した事故、昭和四十年、読谷の民家に米軍の小型トレーラーが空から落下し、小学五年の少女が圧殺された事故等、枚挙にいとまがないほどです。そのため、大人たちは核抜き本土並みを訴え、祖国復帰運動に邁進してまいりました。

 そして、昭和四十七年五月十五日、県民悲願の本土復帰がなされました。復帰により飛躍的な経済成長を遂げ、本土並みの豊かな安定した生活ができるのではないかと多くの県民が期待した夢は、無残にも打ち砕かれました。依然として米軍基地の七五%は沖縄に集中し、米兵による犯罪は後を絶たず、県民はまた基地問題に翻弄されるようになりました。

 本土復帰後、二十七年の格差是正のため、沖縄振興開発計画が策定され、多くの資金が投入されてきました。しかし、失業率は全国の二倍近くあり、県民所得も最下位で、しかもその状態が何年も続いてきております。まさに貧困社会でありますが、その貧困社会は何に影響を及ぼすのでしょうか。

 それは家庭であり、貧困が家庭を直撃し、家庭を崩壊させてきました。沖縄は、御存じのように、昭和六十年以降、離婚率が全国一となっております。離婚の原因を平成十年に県が調査しておりますが、大半が、元夫が生活費を入れない、借金があるなど、経済的理由で離婚をしております。

 そのような中で、夜働かざるを得ない親もおり、しかし、夜乳幼児を預かる夜間保育所は三カ所しかなく、学童を預かる夜間学童保育所は一カ所もありません。そのため、夜子供たちだけ置いて働かなければならない状況が生まれ、それが児童虐待のネグレクトにつながり、そして夜親がいない寂しさから子供たちは深夜徘回し非行へとつながっていくというのが、沖縄の典型的な少年非行のパターンであります。

 今や沖縄の少年非行は深刻な状況にあり、二〇一〇年の県警の調査によれば、深夜徘回は三万四千件で全国平均の二・九倍、飲酒は七倍、怠学は六・二倍で、いずれも全国ワーストであります。また、少年らによる集団暴行死亡事件も一九九二年から後を絶たず、犯罪少年の共犯者率、再犯者率も全国に比べて高い数字を示しております。

 このように見てくると、沖縄の子供たちの問題は、明らかに貧困が背景にあり、その貧困を長年放置してきた結果ではないかと思われます。また、沖縄の貧困は構造的につくられた問題であり、さきの大戦で唯一地上戦を経験し、ゼロからの出発で、しかもその後二十七年間も米国に統治されていたということ、そして、広大な土地を米軍に奪われ、県民は狭隘な土地で第三次産業に従事するしかなく、失業率は全国一であり、それが離婚率につながり子供の貧困につながっていったということになります。

 それと、あと一つ重要なことは、本県では、子供が虐待や集団暴行死亡事件で命を落としマスコミで大々的に報じられても、それは決して社会問題にはならないということです。なぜなら、沖縄にはそれ以上の大きな社会問題、つまり基地問題があるからです。

 戦後、沖縄県民は、基地の弊害と軍事的緊張状態に苦しみ、基地撤去を何十年も訴え続け、基地問題に振り回されてきている間に、沖縄の一番の宝である子供の問題を後回しにしてきたということではないかと思います。

 戦後六十六年間の沖縄社会の貧困は明らかに基地あるがゆえの構造的につくられた問題であり、貧困から派生するさまざまな親の問題が子供たちへとつながり、さらに貧困の世代間連鎖が確実に進んでいると言っても過言ではありません。

 今、私たちは、この負の連鎖を断ち切り、出生率全国一の沖縄の子供たちの未来を切り開いていく責務があるのではないかと思います。そのためには、今回の振興計画の中にぜひ沖縄子ども振興計画を入れ、すべての子供たちの明るい未来をつくってほしいと切に希望いたします。そして、振興予算の中のせめて一割、いや、一割じゃなくてもいいです、一%でもいいですので、その一%をぜひ沖縄の子供たちの福祉の基盤整備に使わせていただければと思っております。よろしくお願いします。

 どうもありがとうございました。(拍手)

伊東委員長代理 ありがとうございました。

 以上で参考人の方々からの意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

伊東委員長代理 これより参考人に対する質疑に入ります。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。瑞慶覧長敏君。

瑞慶覧委員 民主党の瑞慶覧長敏です。

 本日は、四人の参考人の皆様に貴重な御提言をいただきました。ありがとうございます。

 私の方からは、四人の皆様にそれぞれ一問ずつ質問をいたします。一気に四人の方に質問いたしますので、その後、皆さんの方でそれぞれお答えをいただきたいと思います。

 まずは、仲井眞知事への質問でございます。

 一九七二年五月に沖縄が本土に復帰して以来、四十年たっています。その間、現行の新振計まで、国は、沖縄関係予算とプラス防衛関係まで合わせると、大体十五兆一千億円の予算を沖縄に投じております。これが多いか少ないかは別の議論でございます。決してこれが突出しているわけではないです。一人当たり県民所得にこの予算を換算すると、沖縄県は全国でも大体八位ぐらいだという計算も出ていますので。ただ、御案内のとおり、県民所得は全国の都道府県の中でもまだ最下位。先ほど知事もおっしゃっていたように、背中は見えているということだったんですけれども。それから、失業率も七・五%前後です。県民の生活向上には必ずしも結びついていないんじゃないかなと思っております。

 では、なぜこうなのか、知事の御所見をお伺いしたい。そして、この新しい振興策を県民生活向上にどのように結びつけていくのか、一括交付金等も絡めて、知事のお考えをお聞かせいただきたい。

 続いて、知念榮治会長にお伺いいたします。

 先月沖縄で、国際物流拠点をどのようにつくっていくかという勉強会を開きました。その中で、先ほど榮治会長も製造業が非常に厳しいとおっしゃっていましたが、製造業の方が、しかしそうはいっても、沖縄の地政的優位性、若い人材が確保できる、東アジアに近い、そういったものを生産活動に資すれば十分勝負ができるということを訴えておりました。ただ、そのためには国が、せめて三年間ぐらいでもいいから、税制面優遇措置、規制緩和、輸送コストの低減など、そういう支援をしてくれればということでした。

 今御紹介した製造業者の方の国への注文等についてどのようにお考えなのか、御所見をお聞かせください。

 それから、我部政明先生には、沖縄の安全保障に関してですけれども、違った視点で、では、米軍基地が存在したおかげで沖縄の県民の生活にどのような影響を今まで与え続けたのか、米軍基地というのは今後どうあるべきかというのをお聞かせください。

 最後に、山内優子先生には、子供の貧困のことを訴えておられました。先生の資料の中、私は手に入れたのですけれども、行政も政治家も基地問題に振り回され、子供たちが悲鳴を上げ続けていたのに抜本的な手だてを講じてこなかったという一文もございます。ただ、それを考えると、そういう厳しい中ででも沖縄の子供たちというのは頑張ってきたんだなと。甲子園にしても春夏連覇をやっておりますし、それから文化面といった面も含めて、今後、先生のおっしゃっているような、一%という遠慮がちなことだったんですけれども、沖縄の子供たちの未来といいますか可能性、先生の夢が実現できれば日本にどのぐらい貢献できるのか、そこら辺を語っていただきたいと思います。

 以上、よろしくお願いいたします。

仲井眞参考人 瑞慶覧議員からの御質問にお答えさせていただきます。

 御質問に直ちに明快に答弁ができるより大きな問題を含んでおりますので、簡単にしか申し上げられませんけれども、確かに生活の向上というのは、いろいろな見方がありますが、私は、この四十年間、政府はよくやってくれたと実は思っております。

 そういう中で、社会資本の整備、いろいろな制度を整えるなどなどやっていただきましたけれども、まだまだ島々の生活や教育とか介護とか文化、芸能、さらには農業を含む産業、それからごみ処理に至るまで、特に島々については、縦割りの行政の仕組みをそのまま入れただけではなかなか解決しにくい。島によってプライオリティーも違う。したがって、やはり一括交付金的な使い勝手のいいお金を流していただくのが一番いいと私は思っております。

 これから先は、やはり子育て、教育、文化、そして今申し上げた島々の包括的な生活の向上、人口増政策、あとは、無論、それぞれの島における農業や観光を中心とした産業の振興、みずから働いて生活水準を上げるというのが当然のことでございます。

 しかし、その中で、これまでの国からの資金の流れではひもがつき過ぎていて融通がきかない、その地域地域に応じたプライオリティー、期間のつけ方などなど、可能な限り自由度の高いものをお願いしたい。そして、政策の策定と実行を、東京で二年ぐらいでかわるお役人ではなくて、恐縮ですが、現地にいる市町村を含む我々にお任せいただければどうかというのが基本でございます。一括交付金の仕組みは民主党さんの提案ですが、私どもは全面的に導入をお願いしたいと考えております。

知念参考人 瑞慶覧議員にお答え申し上げます。

 先ほど、沖縄にも製造業が成り立つ可能性はたくさんあるのではないか、そういう御質問がございました。

 先ほど私もちょっと申し上げましたけれども、いわゆる日本の輸出産業の中で、輸出で日本は収入を上げているわけですが、外国にどんどんどんどん進出しようとしている企業がたくさんあるわけです。その中で、ある大手の製造業の経営者の方とお話をしますと、沖縄が、外国と同じように競争できるような、税制その他の制度面が同等な環境になれば、わざわざ我々は外国まで行く必要はない、むしろ日本の方が、日本人である以上は沖縄でやってもいい、こういう方がたくさんいらっしゃるわけです。ですから、そういう制度面のところをぜひ御検討いただきたいというのが一つ。

 それからもう一つ、製造業の中では、県内の亜熱帯植物とか生物を活用した飲料あるいは産物を製造する、こういう研究が今盛んになっております。ただ、これは、研究に時間がかかるとか、あるいは費用がかかるとか、そういうことでなかなかまだ商品化になっておりませんが、研究はかなり進んでおります。

 ですから、そういうところに思い切って資金を投ずると、必ず世界に通用するような商品が幾つか出てくるだろうと思っております。この辺は、私ども、先ほど申し上げたように、県の交付金制度ができて、県が優先的にそういうところに金を回せば沖縄独特の新しい製造業が生まれてくると思っていますので、ぜひその点を御理解願いたいと思います。

 以上でございます。

    〔伊東委員長代理退席、委員長着席〕

我部参考人 御質問にお答えします。

 基地の負担についてどう思うかということですが、基地の負担というのは多分、騒音、環境汚染、さらに言うと犯罪、直接的にすぐ出てくるのがそれなんですけれども、それ以外に、これらが長期化してくるといろいろな、人の健康、それから社会的なひずみ、先ほども出ましたように、子供の健全な成長。

 もうちょっと言いますと、社会的なひずみは、経済的なこととつながっていきます。例えば、沖縄県にはすべての市町村に基地があって、基地があるのでお金が国から出ているということではありません。基地のない市町村もあって、基地のない市町村でもちゃんと子供は育てていかなきゃいけないので、何か貧困状態になっているというわけではありません。

 ですから、基地があるから、ないからといって市民生活について差異を設けているわけではなくて、そういう意味では、むしろ基地のない市町村の方が逆に努力しているのかもしれないということです。逆に言えば、基地のある市町村は自分たちで、金が出てくるので、健全な財政運営できないという、能力を長い間ある意味で培う機会を失ってきたということでもあるということです。

 それから、経済的には、先ほど知念さんの方からお話をされたような、社会的な産業構造のインパクトというのが長期にわたってあるということであります。

 それから、基地は今後どうあるべきかでありますが、少なくとも、今問題になっています普天間基地を含んで、全海兵隊の基地を撤去した方がいいのじゃないかというふうに思います。これは可能だし、日本政府はそうは言っておりませんが、何とか普天間だけはというふうに考えているようですけれども、普天間を残すぐらいでしたら全部残るということになるので、逆に全部撤去してもらうということがよろしいのではないか。これはどこかというと県外か国外かという話になると思いますが、そのように考えております。

山内参考人 お答えします。

 確かに沖縄の子供たちは、非常に才能に恵まれた子供たちがたくさんいます。そして、きちっとしたいい環境の中でいい指導者がつけば、沖縄の子供たちはすべて伸びていくと私は思います。

 しかし一方で、先ほど話した非行の子供とか虐待の子供たちがやはりいるわけなんですけれども、そういう子供たちがたとえいたとしても、そういう子供たちをしっかりフォローする施設がきちんとあれば、沖縄の子供たちはみんな伸びていくと思います。ですから、例えば三千億のせめて一%、それでも三十億です、これが十年間、恵まれない子供たちのために、基盤整備にきちっと使うことができれば、沖縄の子供たちは全部伸びていくと私は思います。

 出生率は、三十五年間、沖縄は全国一位ですね。それだけ多くの宝を沖縄県は持っていると思います。ですから、一番多い出生率、全国一の沖縄の子供たちのために、ぜひその一%でもいいから使わせてもらいたいと思います。

瑞慶覧委員 残り二分です。最後、仲井眞知事に、沖縄の可能性、一括交付金等も含めて獲得して、東アジアに近い、亜熱帯がある、それから国境離島も抱えている、その離島を生かした政策等を沖縄がこうやってやっていくんだという決意を一分でよろしくお願いいたします。

仲井眞参考人 私ども、沖縄の二十一世紀ビジョンというのを、県民十万人以上の人が参加して昨年つくりました。また、それを踏まえて、一週間ほど前に、実現するための基本計画というのもつくりました。あと実行計画をつくるわけですが、八百ぐらいあります。

 そういう中で、まさにおっしゃった我々の個性というのは、島々で成り立っている、大きな空間の資源を持っている、文化的な歴史、特性を持っている、そして我々自身が、あの島を大事にし、あの地域を大事にし、国際交流というのを、万国津梁と我々は呼んでいるわけですが、五、六百年前からやっている。これを生かして、日本と東南アジアとの交流の仲立ち、ちょっと偉そうなことを申し上げますが、そういう気概を持って、そして我々は、自立、交流、貢献の旗印のもとにしっかり頑張ってまいりたいと考えております。

瑞慶覧委員 質問を終わります。ありがとうございました。

北村委員長 次に、岸田文雄君。

岸田委員 自民党の岸田文雄でございます。

 まず、本日は、四人の参考人の皆様方、大変お暑い中、そしてお忙しい中御出席をいただきましたこと、心から感謝を申し上げます。

 まず最初に、新しい振興計画ということで、仲井眞参考人にちょっとお話を聞かせていただきたいと存じます。

 先ほど来お話を聞かせていただきました。来年で本土復帰四十年を迎えることになった、その間、まず三次の沖縄振興開発計画、そして現行の沖縄開発計画、四つの計画を通じて、社会資本整備等においては成果が上がったと評価できるけれども、一方で、一人当たりの県民所得あるいは完全失業率は全国で最悪、そういった数字を見るときに、まだまだ課題は多い、道のりは長い、こんなお話がございました。さらには、アジアとか日本の経済、新しい環境の変化を考え、沖縄の独自の特性、環境、こういったことを考えると、次の新しい振興計画は思い切った新しい発想が必要だということで、先ほど来知事の方から、新しい計画に向けての要望、期待、こういったことについて具体的にお話がございました。

 私も、聞いておりまして、今の時代の変化、また沖縄の置かれている状況を考えますときに、新しい振興計画、新しい振興法、こうした新しい法律や計画がつくられるこのチャンスをとらえて、ぜひ思い切った新しい発想や制度をつくっていこうということ、この思い、意欲については大変重要だと思いますし、また大いに理解をするところであります。

 そういったことを感じながら、少し知事のお話をお聞かせいただきたいのは、その中で、まず一括交付金の話がございました。沖縄の今の状況を考えたときに、全国一律の補助制度ではなくして、他の地域とは違う、さらには地元の独自性そして考え方、こういったものがしっかり生かされる新しい制度をつくらなければいけない、こういった思いで一括交付金も訴えておられるというふうに思います。この点について、まず、こうした考え方、一括交付金という制度、こういったものについては大いに前向きに理解をしなければいけない、私たち自民党においてもそのように強く感じます。

 ただ、先ほどのお話を聞いておりまして、まず一括交付金という枠をつくる、これは重要なことであります。そして、枠の大きさをどのぐらいの大きさにするのか、これがまた大切なことです。いろいろお話を今までも聞いてまいりましたが、知事としては、過去十年間の沖縄予算の平均というようなものをめどとされまして、三千億という数字を要望の中に掲げておられるということであります。

 こうした枠の大きさももちろん大切ですが、私は、もう少し具体的な制度設計というものもつくっておかないと、枠だけもらいましたというのであるならば、将来どんな事態が起こるとも限らない。新しい事態が起こった、あるいは大きな財政出動が必要になってくる、こういった場合もあるかもしれない。そういったときに、単に枠だけつくっておいたということであったならば柔軟な対応ができなくなってしまうのではないか、将来のさまざまな事態に備えるためにも、もう少し緻密な制度設計をしておかなければいけないのではないか、そのように思うんです。

 まずもって、知事には、この一括交付金、もし成立したら具体的にどんなお金の使い方をしたいのか、どんなイメージを持っておられるか、それにつきましてちょっとお話を聞かせていただけますか。

仲井眞参考人 今、岸田議員おっしゃったように、この一括交付金というのは、確かに民主党さんのマニフェストにありまして、自由にという、自由度の点で、私ども、ぴたっと合うなというのからスタートはいたしております。

 ですから、これは、できれば民主党さんの制度設計、政府における制度設計も見ながら、我々もローカルガバメントとして、どういうふうな形であれば使い勝手がいいか、使いやすくなるか今研究中でして、実は歩きながら考えているという感じがございます。

 ただし、先ほども申し上げましたように、私どもの実行計画みたいな、この十年を見ますと約八百ぐらい大小いろいろなものが実はあるわけでして、既存の枠内でやれるものと一括交付金を使わせていただくようなものと、我々、今仕分けをしている最中でございます。

 そういう中で、特に島々に対する政策というのは、日本国でもわかりやすい政策というのははっきりありません。医療は医療、介護は介護、農業は農業、ごみ処理はごみ処理で、小さい島も大きな島もみんな同じようなことをやっておるわけですね。ですが、島ではその濃淡のつけ方がみんなそれぞれあります。ですから、こういうものは、それぞれの間でお金が融通できるようなものとか、我々、イメージはそういう感じがあるんです。

 先ほどからありますような認可外保育園というのが沖縄に実はたくさんありまして、四百幾つかあって、二万人ぐらいの子供たちがそこにいるわけです。これは非常に使い勝手がいい、便利がいいからあるんです。認可された保育園も無論最近たくさんできていますが、これ以外はなかなか政策対象にならない。しかし、現実に使い勝手がよくて多くの人が使える、子供たちがいる。その中の改良、改善をやっていくためには、認可保育園に近いイメージで強化、支援する方法がやはり必要だと思うんです。

 ですから、むしろそういう全国一律の仕組みに合わないものというのが、我々四十年の経験からいうと、なぜか沖縄に結構あるんですよ。これがたまっておりまして、一回、在庫一掃とは言いませんが、これに合うような仕組みをみずから考えさせていただき、これに対しての支援のお金が一括交付金のイメージであります。ただ、制度につきましては、私たちは一緒になって、歩きながら考えるしかないかなと実は思っております。

 あとは、政策対象になっていないのが、離島間の運賃とか、物を運ぶ、人を運ぶ、これはみんな民営の航空会社と民営の船舶ですから、割にいいのがないんですね。ですから、これを我々でつくっていかないといけないとか、こういうものが百ぐらい実はあるわけですが、こういうものに適用するには、がちっとひものついていない資金がやはり要るな、こういうことでございまして、制度設計は、我々も歩きながらでございます。よろしくお願いいたします。

岸田委員 ぜひ、こういった知事の思い、また地元の沖縄の自主的な事業への取り組みを尊重できる制度をつくっていかなければいけないとは思うんです。

 ただ、そうはいっても、これは国のお金が入る。財源との兼ね合いでいうと、建設国債が使われるとしたならば、公共、非公共の区別ぐらいはつけておかなければいけないのではないかとか、あくまでもこれは国の財政出動ですから、少なくとも事後的には何に使ったかは確認する、そんな制度はつくっておかなきゃいけないんじゃないか、こんなことも思います。

 さらには、その中に公共事業、道路とか港湾とか空港とか、こういった部分まで入るということになれば、例えば空港なんかは全国ネットワーク、他の地域との調整とか、そういったことも考えていかなければいけない部分が出てくる。あくまでも沖縄の自主性を尊重する仕掛けはつくっていかなきゃいけないと思いながらも、尊重しながらも、他地域との調整とか、こういった仕掛けもあわせて持っておかないと困る部分もあるのではないか。

 さらには、今、全国においても一括交付金の議論が行われています。沖縄は別制度でという要望があるわけですが、全国の一括交付金の議論の中でも、県に交付金が支給された場合、市町村との関係がどうなるのか、市町村の方からいろいろ将来に対する不安の声が起こっている、こういったことがあります。

 ですから、こうした新しい制度をつくるにしても、他地域とかあるいは市町村との調整、こういった制度も一応考えておかなければならないのではないか。こういった考え方については、知事、いかがでしょうか。

仲井眞参考人 おっしゃるとおりでして、我々も、沖縄には四十一の市町村があります。それと私ども県、そういう形で仕事をいたしておりますから、現在、一括計上のお金で来ている二千三百億円は、一千億が国直轄事業、あとの千三百億を、市町村が約三百五、六十、そして県が約九百で分け合っております。ですが、これは、先ほど申し上げましたように、この十年ずっと下がりっ放しで、半分になっております。

 そういうことで、我々は、市町村は無論我々と同等ですからいろいろな意見を持っておりますが、一括交付金にし、総額を確保するということで利害は確実に調整できると思っておりますし、ちょうど今、市町村と、これをどう運用し、どう活用していくかの協議会を発足させ、お互いに不満のない形をつくり上げようと考えているところでございます。

岸田委員 いずれにしましても、ぜひ、国、県、市町村、あるいは他の地域とも調整ができるようなしっかりとした制度をつくって、結果として沖縄の自主性が尊重される事業に結びついていく、いい制度をつくっていきたいというふうに思いますし、それを政府にしっかりと我々も求めなければいけませんし、皆さんも沖縄においてしっかりと調整をしてもらわなければいけません。また、我々自民党も、今言った思いで独自の私たちの案というものをしっかりつくって沖縄の皆さんにも見ていただき御意見を聞かせていただく、こういったことで前向きに取り組んでいきたいと思いますので、ぜひ御指導をお願いしたいと存じます。

 そうこうしているうちに時間がもう来ましたので、あと一つだけ、経済ということで知念参考人にお伺いしたいと存じます。

 沖縄の経済、先ほど来いろいろな話が出ておりました。四十年を振り返ったときにいろいろな評価がされるわけですが、経済指標ということを見てみますと、沖縄の経済、先ほども知事の説明の中にありましたが、基地への依存度、復帰時点で一五・五%だったのが五・三%まで今低下している、こういった数字があります。

 一方、その基地依存度の低下を補ったのは、最初は国の財政出動だったわけです。復帰時点で国の財政出動は二三・五%、これが平成十一年に四一・六%まで増加した、これがピークでありました。しかし、そこをピークにして徐々に国の財政出動の割合は低下して、今三五%程度というところまで下がっている。この低下した分を補ったのが、観光を初めとする地元の民間の経済活動だったということです。

 だから、基地依存から国の財政出動それから民間の経済活動と、大きな流れとしては皆さんの期待する方向に向かっている、こういったことを感じるわけですが、ただ、まだまだ道のりは長い、まだまだ不十分だということなんだと思います。こういった流れを見ながら、次の振興計画に期待するというお話が知念参考人の方からありました。

 その辺について、一つ加えていただきたいのは、先ほどの期待の中で、資料の中にありながらちょっと触れる時間がなかった沖縄科学技術大学院大学に対する期待について、民間の経営者そして経済界としてどういう期待を持っておられるのか、これについて触れていただくのと、それとあわせて、最後に、三月十一日、東日本大震災が発生してから後、私たち日本人は、日本の経済あるいはエネルギー政策を初め、さまざまな大きな政策について今転換を迫られています。そして、我々日本人の考え方とか生き方自体もいま一度見詰め直さなければいけない、こういったことが言われています。

 戦後最大の国難と言われる東日本大震災を機に、大きな転機を私たち日本の国は迎えていると思うんですが、その中で、沖縄経済の現状ですけれども、沖縄の経済は、例えば輸出型の製造業の割合が低いとか、観光業が大変割合が大きいとか、他の地域にない特徴があります。この沖縄経済の真っただ中で頑張っておられる知念参考人の感覚として、三月十一日以降、沖縄の経済、何か変化を感じておられるか、また今後について何か思うことがおありになるか、その点について加えて御説明をいただければと思います。よろしくお願いします。

北村委員長 知念参考人、なるべく簡潔にお願いいたします。

知念参考人 それでは、岸田先生にお答えいたします。

 問題は二つありまして、中国、アジア、ここに一番近い沖縄県は東アジアの中心にあるわけですが、日本が経済的に今苦しんでいるんですけれども、逆にアジアは非常に成長している。これをどう取り込むかということで、今、いろいろなプロモーションをやって、観光客を誘客したり物を売ったり、あるいは、ANAさんが今、那覇空港をアジアの拠点にしている、そこに全国から物資を集めて中国に売り込むとか、そういったことで、中国、アジアと日本とのかけ橋になって、あるいは、そのことが沖縄の発展と同時に日本の国にもプラスになる、そういう方向で今いろいろ行動しているということでございます。

 それから、三・一一以降の問題ですけれども、実は、当然のことながら、沖縄は観光立県でありますので、三月、四月、五月と、東アジアからの観光が急激に減りました。その後、七月、八月、今度は大阪以南の、近辺からの個人客がかなりふえてまいりました。そういうことで、まだ全体としては減っておりますが、経済全体としては、直接的な影響としては、観光が減るという形で出ております。

 ただ、我々沖縄県は、そういうことでずっと観光が主体でありましたので、特にアメリカの九・一一の事件の直後、あのときも大幅に沖縄は落ち込んだのですが、そのときに、沖縄が大変だということで、全国の方々が沖縄に旅行をしてもらって非常に助かったという例があります。

 そういうことで、今回は、我々ができることをやろうということで、寄附とか支援とかは全国と同じようにやっていますが、真っ先に、経済界が中心になって、わずか二泊三日でしたけれども、百三十三名の人間が東北三県の観光地に行って応援をして帰ってきました。これを今、第二陣もやっておりますし、もう一陣もやる。

 こういうことで、我々は観光立県であるがゆえに、被災地はもちろんですけれども、被災地じゃない観光地も全部観光がストップしている、こういうような状況をお聞きしまして、我々としても、そういうことを何回も経験しておりますので、支援をしてきているし、これからもずっとやるということでございます。

 落ち込んだ観光客は、これからまた中国とか外国からも呼び寄せて、その対策は別途また考えていきたいと考えております。

 以上でございます。

岸田委員 ありがとうございました。終わります。

北村委員長 次に、遠山清彦君。

遠山委員 公明党の遠山清彦でございます。

 四名の参考人、沖縄から御苦労さまでございます。また、貴重な御意見をありがとうございました。

 短い時間でございますので、早速質問させていただきたいと思います。

 仲井眞知事がきょう御説明になった一括交付金を初めとする新しい沖縄の振興のあり方につきましては、まず、私が今公明党の沖縄議長という立場で、私は沖縄に事務所もありますので、議論をしてまいりまして、先週、七月三十日に、山口代表に沖縄に来ていただきまして知事にお会いをしていただいて、公明党の新たな振興に対する考え方という政策文書を手交させていただいたわけでございます。大変お世話になりました。

 また、与党民主党におきましても、七月八日に民主党の沖縄協議会というところが政府に対して申し入れをしておりまして、その中で、一括交付金化を求めるということや、将来的に出先機関であります内閣府沖縄総合事務局の権限と事務を沖縄県に移譲すべきということも明確におっしゃっている。きょう、私の前に質問されました岸田委員、元沖縄担当大臣でございますが、岸田先生の先ほどの質疑も、沖縄の新しい提案を前向きに受けとめるということで、私も実は、聞きながら安心をしていたわけでございます。

 ただ、沖縄振興のための一括交付金化は、私も、先週金曜日、内閣委員会で一時間、閣僚とかなり深掘りして議論しました。また、六月一日には当委員会で枝野担当大臣ともやりました。

 基本的に民主党も公明党も支持をしている、知事と同じ考えに立っているわけでございますが、懸念事項が幾つかある。その一点は、実は先ほど岸田委員の中で指摘があったんですが、知事がお配りになった資料の九ページをちょっと見させていただきながらお話をしたいと思うんです。まさにこの九ページのど真ん中に書いてあるのが、今年度、平成二十三年度の沖縄担当部局の予算、補助金、交付金。これは国直轄事業で一千億円、そして県と市町村分合わせて千三百億円。ですから、合計で二千三百億円。仲井眞知事は、ぜひ一括交付金にしたときは三千億円にしていただきたいということをおっしゃっているわけです。そうしますと、まさにこのグラフにあるとおり、上の紫のところですね、新たに七百億円積み増しを要求しているわけでございます。

 このグラフを見た後に、知事がお配りになった資料の一番最後の十五ページに参りますと、この左下のグラフの一番右側がまさに平成二十三年になるわけでございますが、この二千三百億円のうち、実は一番上の青い部分が市町村分なんですね。これが今年度で幾らかというと、三百三十七億円となっております。

 実は左側を見ていただくと、例えば一番左の平成十四年を見ますと、総額で三千百七十九億円もありました。さらに言えば、内訳の中で市町村分が七百四十一億円あったわけです。つまり、沖縄の四十一市町村の首長の立場に立てば、平成十四年には市町村分で七百四十一億円ありましたよね、それが、今年度は三百三十七億円ですから、半減以下になっている。そういう中で、知事が三千億円に再び戻して一括交付金といったときに、この伸びる七百億円が全部県に行ってしまうならば、つまり三百三十七億円でとどまってしまうならば余り市町村にメリットがないねと。こういう立場から、実は私も何人も会っています。南風原町長ともこの件を話しました。与那原町長とも話しました。基本的に彼らも一括交付金でいいと言っている。いいんだけれども、その内訳で、七百四十一億円から半分以下にされた市町村分が変わらないならばメリットがないよねと。

 ですから、ちょっときょうここで知事に、私も沖縄県議会議員になりたかったんですよ。知事となかなか直接やりとりできないものですから、きょう初めてこうやってやりとりできるので、ぜひ、知事、我々は応援しますから、この七百億円の積み増し分をとったときに、そこから三百三十七億円に減額された市町村に、相当程度市町村分も積み増しをするという方針をはっきりしていただければ市町村長たちの懸念というのは大分払拭されると思うんですが、いかがでしょうか。

仲井眞参考人 当然のことでございます。

遠山委員 大変簡潔に、ありがとうございます。

 それからもう一つ、これは沖縄でというよりも永田町、もっと言うと霞が関でよく、知事の提案に対して、陰でか表か知りませんけれども、批判している論点があるんです。それは、知事の資料でいうと十四ページ、後ろから二枚目、出先機関の見直しのところなんですね。

 これはどういう論点かといいますと、沖縄が一括交付金で三千億円とりたいと言っている中には、先ほどの十五ページの下にあるとおり、下のグラフでいうと黄色いところですね、国直轄分が一千億円ある。では、今の時点でこの一千億円の国直轄分をだれが執行しているかというと、沖縄県ではなくて、内閣府の総合事務局に霞が関から出向しているキャリアの役人と、沖縄で現地採用されている総合事務局の職員が中心になって、各省庁に予算を移しがえして、道路や港湾や空港や農業関係、全部事業をやっているわけですね。

 では、沖縄が三千億円一括でもらったといったときに、内閣府総合事務局をいずれは廃止しなさいといったときに、本当にこの国直轄分の一千億円の事業を県ができるのですか、県にそれだけの人材が、マンパワーがあるのですか、ノウハウがあるのですかと。こういう観点から、実は霞が関あたりから私の耳にも、沖縄県が言っていることは一見いいけれども、具体論になってくると厳しいんじゃないか、こういう意見があるわけです。

 その点について、実は、しかし民主党、与党は、おもしろいんですね、そんなことはお構いなしに、去年の十二月二十八日にもう閣議決定している。この閣議決定によりますと、平成二十四年、来年の通常国会で法案を出して、平成二十六年度中には出先機関の統廃合をしていくということを、民主党は中身は詰めずに先に閣議決定をしちゃっているんです、その方針だけ。

 ところが、沖縄県知事の立場に立つと困ることが一つあるんです。民主党のプランだと、平成二十六年まで待たないと総合事務局という出先機関の整理はされていかないんですね。だけれども、沖縄振興は来年から新しく切りかえなきゃいけないので、時差が二年あるんですよ。ここは、私、先週の金曜日に内閣委員会で議論させていただいたら、福山官房副長官も、この二年の時差についてどうするか決まっているのかと聞いたら、決まっていないと言ったんですね。

 知事はどうお考えですか。この内閣府総合事務局、来年から廃止してもらいたいですか。廃止してもらったときに、県としてきちんと国直轄はできるのか、それとも段階的でいいのか。段階的でいいんだったら、工程表をだれかがつくって見せないといけないですね。それは県がやるのか内閣府がやるのか。この辺のことについて、現時点でのお考えで結構です、教えていただければと思います。

仲井眞参考人 まず、今の総合事務局、出先機関の原則廃止について、おっしゃるように、昨年の暮れには閣議決定をされております。ですから、これはこれで進んでいくものだと思っておりますが、生身の人間が、人間がというかお役人が千人近くいるわけでして、まず基本的に、これが瞬間なくなるというのは恐らく無理だろうと思います。ただし、本省から来られた方は戻る本籍地がある。しかし、これができたとき、四十年前は全部県庁から行ったんですね、大部分。ただ、この人たちはもう卒業した。その後採用されていますから、こういう人たちは、無論県も含めて、きちっと仕事があるように処遇をする。それは恐らく瞬間は無理で、少し経過的な対応が必要だというふうに考えておりますが、これはすぐれてまずお国の方で考えていただければ、こう思っております。

 そして、その前の、技術的に可能かというのは、道路、空港、港湾に至って、今どき国と県に差があるかと言われたら、何とお答えしていいか、全くありません。ただ、技術の内容によっては、スーパーゼネコンの方がよく知っているとか経験があるというのは無論あります。だけれども、それは組み合わせればいいだけの話でして、そういう議論が出ると、同じ工学部を出てきた人々に何の差があるか。私は全くないと思っておりますので、そういう御心配は要らないのではないかと思っております。

 以上です。ありがとうございました。

遠山委員 知事、大変明快なお言葉、ありがとうございました。

 最後に我部参考人にお聞きしたいんですが、沖縄に七四%集中している米軍基地については恐らく、程度の差はありますけれども、日本の政党のほとんどは整理縮小路線、中には即時撤退という主張もあると思いますけれども、ただ、なかなか整理縮小されない。

 こういった中で、これは私のオリジナルの発想ではありませんが、私も以前学者をやっておりまして、転職して今の立場におりますが、イギリスで平和学というものを勉強して博士号まで取ったわけですけれども、私の学者仲間の中でこう言う人がいたんですね、日本は米軍基地に依存せざるを得ない状況をみずから変えていないと。

 その意味は、遠くの国とは仲がいいけれども、近くの隣国とほとんど仲よくない。ロシア、北方領土問題抱えて平和条約がない。中国、かなり友好的になりましたけれども、しかし、まだいろいろ問題がある。尖閣もあります。韓国、最近もいろいろありましたけれども、竹島問題初めいろいろあります。北朝鮮、国交がない。台湾、これは国として認めていない。

 実は、日本の直近の国々全部と、安全保障論でいったら、一〇〇%友好的であり平和的である関係の国は一つもないんですね。遠くのヨーロッパとか中南米とは物すごく仲がいいんですよ。だけれども、直近の周りの国と仲よくない、だから米軍の存在というものに依存しがちな安全保障論になってしまう。

 ということは、裏返して言えば、沖縄の米軍基地を減らそうと思ったら、息の長い話かもしれませんが、近隣諸国との平和関係、友好関係というものの段階を上げていけば、米軍に依存する理由、必要性も徐々に減っていって、それが縮小につながるんじゃないかという議論がありますが、こういった主張に対してどうお答えになるか、簡潔にお願いします。

我部参考人 今の御指摘はそのとおりだと思いますが、ただ、それは日本だけの議論ですね。日本はそのように言っているけれども、米軍はそのようには余り考えていないんだと思います。むしろ米軍は、この地域における安定のために米軍を置いているという考え方をしていますから、逆に言えば、その地域の安定が先に来なければアメリカ軍は考えを変えないだろうと思います。

 それから、もう一点ですが、日本の安全保障の点から見て、周囲の環境を変えていくということはおっしゃるとおりで、まさにそのとおりなんですが、ただ、いつの時点からそれができるかというと、かなり早い段階からできているにもかかわらず手をつけていないというのが現状だと思いますね。

 まず、そのためには、例えば抑止力みたいな、冷戦時のような発想でまだ米軍を見ているというようなところは、まだまだ発想も変わっていないし、もちろんその方向にもないなという感じはしますが、少なくともこの地域の韓国とも安全保障上の関係も、改善はされているとはいえ、信頼関係を十分築いているかというと、余りないんだと思います。

 そういう意味では、日本と韓国の関係は、さらに言えばいろいろな関係を持っていて、つまり、いろいろな関係が密接にかかわっているということをよく考えなければ安全保障も成り立たなくて、安全保障だけですべてを論じられるというような、安全保障だけ独立しているという見方は多分間違っているのではないかと思います。そこをうまく組み合わせていくのが外交というものだと思います。

 以上です。

遠山委員 終わります。ありがとうございました。

北村委員長 次に、赤嶺政賢君。

赤嶺委員 日本共産党の赤嶺政賢です。

 きょうは、仲井眞知事、知念会長、我部先生、山内先生、本当に御苦労さまでございます。貴重な御意見を聞かせていただきました。

 私は、まず最初に我部参考人にお伺いをいたします。

 この間、辺野古の新基地建設について、アメリカの上院のレビン軍事委員長らが、非現実的で実現不可能と述べられました。また、国防長官もゲーツ氏からパネッタ氏に交代いたしました。沖縄の米軍基地問題にかかわって米国内でも変化が生まれていると思いますが、こうした動きをどのように見ていらっしゃいますか。

 そして、沖縄では、普天間基地返還合意から十五年が経過し、新基地建設反対の声は党派を超えて非常に強固になっていると思います。こうした県民世論の現状や背景についてどのようにお考えでしょうか。

我部参考人 今話が出ましたアメリカの上院での、辺野古への移設の非現実性ということですけれども、これは、沖縄では歓迎される声と余り歓迎されない声が一緒にあるかと思います。つまり、その報告の中では嘉手納に統合したらどうかということになっていまして、一方では新しい基地はないかわりに、嘉手納がある意味で重点化するということのようです。

 なぜそういうことが起きたのかというのは、日本だけ、沖縄だけを見ていると、沖縄での反対が、あるいは、こちらにいらっしゃいますが、沖縄の知事が反対しているからだというふうになっているわけですけれども、これは一つの要因だと思います。

 もう一点の大きな要因は、なぜ嘉手納にという話になっているかといいますと、御存じのとおり、二〇〇九年あたりから中国の軍事力の増強ということがあって、昨年、二〇一〇年の秋に出ました、中国の軍事力という公表されているアメリカの文書がありますが、その中に、日本でも何度も繰り返し出ていますが、第一列島線というところがあります。

 第一列島線というところは中国にとって大変重要な海域である。つまり、アメリカにとってみれば、ハワイまで含むような海域で外国の軍隊が演習をしているというのはけしからぬのと同じように、中国にとってもそれは困るんだという言い方をしているわけですが、それを実際に防衛できるような対艦ミサイルあるいは地上発射ミサイルが、つまり、これまでテポドンが日本のほとんどをカバーしていたように、中国のミサイルが、沖縄も既に入っているということです。そこにアメリカの重要な、高価な航空機を配備しておくのはまずいというところがあって、嘉手納から空軍を後ろの方に下げることはできないかということが出てきたところと相まって、海兵隊を逆に空軍と入れかえることができないかという話のようであります。これはアメリカにとっての理由であって、そうしてみれば辺野古は要らないんじゃないかという話になっているように思います。

 いずれにしても、これはアメリカにとっての視点でありまして、それは沖縄にとっては、先ほども言いましたように両方とも負担が大きいということになっているかと思います。ですから、ある意味では、辺野古案がかなり先行きの見通しが立たないということで、沖縄の反対をしている立場からすればよろしいということになりますが、嘉手納から見ればそうはならないということですね。

 この点について日本政府はどう考えるかということであります。従来、日本側にしてみれば、何が日本の抑止力なのかということを問われているわけで、これまで抑止力は一体だというふうにおっしゃっているわけですけれども、一体がかなり部分的なものになろうとしているときに、日本の判断が問われてくるということであります。

 ただ、アメリカの財政事情も御存じのとおりですので、どうなっていくのか、アメリカはどこに金を使うのかということになってくると、現状がしばらく延びていくのかなというふうにも考えられますが、それらについてまたどう思うか、日本の人やあるいは沖縄の人がどう思っているかということが大変重要なことではないかと思います。

 以上です。

赤嶺委員 どうもありがとうございました。

 次に、仲井眞知事にお伺いいたします。

 この間、北澤防衛大臣が沖縄を訪問し、来年秋から普天間飛行場にオスプレーを配備する方針を伝えられました。開発過程で墜落事故を繰り返してきた米軍機の配備について、知事は反対の立場を表明し、宜野湾市と共同して二十九項目の質問書を政府に提出しておられます。

 その中で、オスプレーが排出する高温の排気ガスによる火災の危険性については、米軍の文書も入手して具体的にただしておられます。訓練を行うことになる北部訓練場の自然環境への影響も懸念されますが、この点についても、環境調査の実施を含めて説明を求めておられます。

 これまで政府は、現在の普天間基地所属ヘリを前提に、北部訓練場のヘリパッド建設を進めてきました。オスプレー配備に伴う自然環境への影響について、日本政府がきちんと調査し、根拠も示して説明を行わない限り、北部訓練場の工事を進めることには県民も納得しないと思いますが、知事の御意見はいかがでしょうか。

仲井眞参考人 今の御質問は現在のヘリの話と理解してお答えいたしますが、オスプレーではなくて現在のヘリについてはそれなりの自然環境調査もやり、それを東村の村長、村も、それはそれとして了としている部分もあります。

 そういうことで、私の方では、これはそれなりの環境調査と環境への影響についてはきちっと対応しているというふうに理解をいたしております。

赤嶺委員 この間出された二十九項目の質問の中に、北部訓練場へのオスプレー配備の際はという危険性を訴えておられるんですが、この点については大変危惧しておられるということでよろしいでしょうか。

仲井眞参考人 オスプレーにつきましては、データがまだ十分我々の手元にありません。

 私も、基本的にはデータ主義を貫こうと思っております。スタティックなデータは公表されたものが結構あるんですが、ダイナミックな、運用をしているデータがはっきりしない。特に、ああいう小さいプロペラで垂直におりるときのバーストがすごいという写真もありますし、一体どんなものなのか。これはデータを今要求しておりますが、まだいただいておりません。

赤嶺委員 もう一点お伺いしたいんです。

 北澤防衛大臣は、南西諸島にアジア太平洋地域の災害のための活動拠点を整備する考えを示して、下地島空港の利用も取りざたされております。

 沖縄県は下地島空港の災害拠点としての活用を提案しておられますが、知事は、自衛隊配備などの防衛論につながるならば、下地島利用を安易に認めることはできないと述べておられます。

 沖縄県の考え方として、軍事によらない下地島空港の災害拠点としての活用を提案している、このように理解してよろしいでしょうか。

仲井眞参考人 そのとおりでございます。

赤嶺委員 ありがとうございました。

 知念参考人には振興について、一つは、よく沖縄の振興策はざる経済になっている、そして沖縄に財政投資したのが本土に逆流してきている、公共工事もそのように言われており、私は、大型商業店が結局本店にしか利益が行かない、吸い上げられているというこの問題は、今後の沖縄の地域経済を考える上でも改善すべき大事な点じゃないかと思いますが、この点についてお聞かせいただきたい。

 時間がありませんので、山内参考人にも御一緒に伺います。

 私は、「沖縄子ども白書」、今途中ですが、拝読させていただいております。きょうは本当に、山内さんがこれまで取り組んでこられた子供の貧困、るる学ばせていただきました。その中で、今度の国のものを見ても沖縄県のものを見ても、待機児童の話は出てきますけれども、学童保育やその他について非常に弱いと思うんです。

 この点について知念参考人、山内参考人、それぞれお答えをお願いしたいと思います。

知念参考人 お答えいたします。

 まあ、よく、復帰後四十年間にわたって何十億も沖縄に資金を投じたけれども、これは全部、ざる経済でまた本土に戻っているじゃないか、沖縄に歩どまりがないじゃないか、こういう議論がよくありますけれども、私は、その結果として沖縄の社会資本が相当整備された、財産として残っているわけですね。ただ、技術的に沖縄でできないものは本土の業者がやらざるを得ないとか、そういうことはあると思いますし、今後もあると思いますけれども、しかし、できればそういうものもどんどん沖縄の業者が、技術的に移転をしてもらって、みずからやれるように今後はしないといかぬと思っております。

山内参考人 全く赤嶺議員がおっしゃるとおりだと思います。

 沖縄の子供たちの問題はそのほかにもたくさんあるわけです。例えば母子生活支援施設、母子寮も実は児童福祉施設なんですね。昭和六十年以降、離婚率が全国一ということは、全国の二倍以上の母子の人たちがいるわけです。ですけれども、沖縄県内には三カ所しか母子寮がない。だから、せめて各市に母子寮を建設してほしいですね。

 それから、観光産業に県は力を入れています。でも夜間保育所、夜間学童が非常に少ないですね。そして、あと健全育成面が非常におくれています。児童館というのは沖縄は復帰後しかつくっていないわけですね。それで、全国には大型児童館というのが実は二十四館あるわけです。ですけれども、沖縄県には、出生率が全国一でたくさんの子供がいるにもかかわらず大型児童館がないとか、そういういろいろな問題が山積しているんですけれども、それらのすべての実施主体は市町村になるわけです。でも市町村もお金がないから、それができないんですね。だから、せめて国がそういう基盤整備をしっかりやってもらいたいと思っています。

 以上です。

赤嶺委員 終わります。どうもありがとうございました。

北村委員長 次に、照屋寛徳君。

照屋委員 社会民主党の照屋寛徳です。

 きょうは、御四名の参考人の皆さん、貴重なお話を承りました。ありがとうございます。

 さて、仲井眞知事に最初にお尋ねをいたします。

 私は、沖縄県が提起をしている新たな沖縄振興計画の法制定、制度制定を全面的に支持いたします。私たち社民党も、先日、新たな沖縄振計について政府に提言をいたしました。

 そこでお伺いをいたしますが、知事は、新たな沖縄振興に向けた重点事項として、総額三千億円の沖縄振興一括交付金制度の創設を求めております。この一括交付金制度と従来の高率補助との関係は、沖縄県としてはどのように整理をされておるのでしょうか。

仲井眞参考人 高率補助相当分も全部入れたものというふうに考えております。

照屋委員 知事にお伺いをいたしますが、沖縄振興開発金融公庫、私もかつて若いころ、三十五年間の借金を公庫からやったことがありますが、その金融公庫の必要性を知事はどのようにお考えでしょうか。

 また、この間の政府との協議や交渉過程において、沖縄開発金融公庫の存続について、何らかの形で確約は得られているのでしょうか。

仲井眞参考人 沖縄開発金融公庫につきましては、非常によく頑張ってくれたと私は思っております。そして、前垂れ精神で沖縄の振興一筋によくやってこられた。

 ただし、政府系金融機関の統合という流れの中で、いましばらくすれば統合されるという運命になっていると聞いてはいるんですが、ただ、本社が沖縄にあるというのは意思決定が非常に早い、そして沖縄に合うような新しいメニューをすぐつくれるという非常にいいところがありますから、我々は、ぜひこれは存続を、沖縄に本社があるという形の存続を政府それから各政党にお願いしております。

 まだ確たる返事はいただいておりませんが、あるマスコミの報道では、たしか枝野さんでしたか、存続もいいのではないかという御趣旨の発言をされたような報道は聞いております。ただ我々は、きちっとまだ聞いておりません。

 以上でございます。

照屋委員 私どもも応援をしますので、ぜひ大きい声で存続せよとおっしゃってください。

 それから、私は、沖縄の自立を目指す振計と駐留軍用地跡地の利用促進、これは非常に有機的で密接な関係があるだろうと思っております。この駐留軍用地跡地利用促進法の新規制定についての知事の決意をお聞かせください。

仲井眞参考人 駐留軍用地跡地利用促進法につきましては、議員立法でこの趣旨のものを何年か前につくっていただいておりますが、これも来年三月三十一日で期限が参ります。ですから、もう少し中を整理整頓して、特に地権者に対する対応、給付金にしてももう少ししっかりと、それから対象期間も長くしていただかないと、これは実は再利用するのに二十年ぐらいかかります。ですから、ぜひこれをやっていただきたい。

 そしてまた、地位協定で、返還前になかなか入って調べられない。したがって、後の利用に物すごく影響が出て時間がかかる。こういう点からも私ども幾つか条件をつけてありますが、今のところ、まだ反応は余り芳しくありません。

 しかし、沖縄の米軍を含む基地というのは、私は応分の基地負担は当然必要だと思っておりますが、そういうことを安定的に確保するためにも、返ってきた場合はきちっと跡利用、それで経済的な振興に役立つようなことを担保といいますか、確実にしてあげないと安定性に欠けてくると考えておりますから、一生懸命やってまいりたいと思いますが、ぜひ、議員の皆様のお力添えをよろしくお願いいたします。

照屋委員 我部参考人にお伺いをいたします。

 今、知事の答弁の中にも出てまいりましたが、日米地位協定の改正問題、私は一九九五年、当初参議院に当選以来、この日米地位協定を全面改正せよと国会内外で訴えてまいりました。それは余りにも不平等、不公平である、だから、我が国の主権と国民の人権と環境の視点で全面的に改正すべきである、特に在日米軍の七四%が集中する沖縄にあっては、地位協定の全面改正なしにはウチナーンチュの尊厳は回復できない、私はこう思っております。

 ところが今の民主党政権も、残念ながら、三党連立政権合意で地位協定改正をアメリカに提起する、そういう合意をしながら、あれから二年たって、全くやる意思がない。非常に残念であります。

 我部教授は、この日米地位協定の全面改正についてどのようなお考えをお持ちでしょうか。

我部参考人 大変難しい問題で、これは基本的には外務省が所管だと思いますが、外務省の人たちは、余りその問題を複雑化したくないというふうに考えているように思われます。つまり、ガラス細工のようなものが日米地位協定だと彼らは表現していますけれども、しかしながら、地位協定の中ですべてが米軍の優位というんですか、取り扱いが優位になるような仕組みになっておりまして、それに穴をあけるのが大変難しい状態なんだと思います。

 ただ少なくとも、全部は難しいにしても、例えば今おっしゃるような環境の問題は、日米地位協定ができ上がった六〇年、あるいは、条文を読めばわかりますが、この地位協定は一九五五年の改正に伴って、行政協定と全く同じ内容になっております。ですから行政協定を引き継いだ形になっていて、五〇年代のころの日米間の考え方が原点にあって、それがそのまま残っているというわけです。ですから、そのときの問題は、例えば刑事裁判権についても、御存じのとおりアメリカ軍の方が優遇されることになっていますし、ましてや環境権のない時代の五〇年代ですので、新たな権利という物の視点から、やはり少しでも地位協定を変えていくということは必要ではないのかなと思っております。

 それから、地位協定はなぜこんなに難しくなっているか、日本復帰ぐらい難しいかというのは、やはり、米軍基地がある特定の箇所に集中していることが国政の課題になりにくい、つまり国民が共有していないというところにどうも原因があるのではないかと思います。今おっしゃるように大部分が沖縄に集中し、あるいは神奈川県や青森県の一部にあるというところで、その他の都道府県からすると、地位協定をなぜ取り上げるのかという点でいうと余り一生懸命にならないところがあるのですが、そういう意味では、日本国全体の問題が安全保障であり基地の問題だというふうに、国会の方でも、そういう認識のもとで日米地位協定について考えていただければなと思います。

 最後にちょっと、遠山委員の方から出まして、十分のところを十五分もしゃべったので、短くしゃべるのが不得意だなと思っております。反省をして、また大学の方では短くしゃべれるように訓練をしておきます。

 以上です。

照屋委員 我部教授に、非常に短く結論だけでもいいんですが、普天間基地の嘉手納統合案については我部教授はどう思っておりますか。

我部参考人 嘉手納統合についてはいろいろな問題があると思うんです。

 一点目は、いろいろな話がありますが、空軍の航空機とヘリコプターの飛行回数が合計すると結局ふえるんじゃないか、普天間の部分が嘉手納の今あるものに上乗せされるから、結局、騒音がふえるという話が一般論であります。これに対して、統合した方がいいと言う人は、空軍の飛行機の数が減るから、総合して合計したらヘリが入ってきても飛行回数は減るんだ、多分そういう議論だと思います。

 ただ、アメリカの方がもしかしたら空軍全部ということになってきたときには、今の論理で飛行回数が減るので、飛行回数が余り減らないんじゃないかという話は、空軍がもし全部撤退した場合には余り有効な論拠になりにくいなとは思います。

 それは飛行回数だけの話ですが、御存じのとおり、なぜ普天間でヘリが危ないと言われているかというのは、ヘリというのは航空機と違って進行方向が大変自由になっている。進行方向と同時に、上下の運動も大変自由になっているという点で、普天間飛行場の危険性というのは、まさに住宅地域で、滑走路の延長線上だけではなくて、そのわきから、あるいはどこからでも四方八方からヘリが進入してくるというところが問題になっているわけです。それにプラス、進入と同時に、訓練が飛行場の上空でやられていて、通常の固定翼の航空機と違っていて、それが飛行場の周辺に騒音をまき散らすだけではなくて、墜落の危険性もあるというのが普天間飛行場の現状であります。

 ですから、普天間飛行場のようなものが嘉手納に移るということは、航空機の騒音だけで悩んでいたのが、次は墜落をしてくる。町の自分の家の上に、頭上にヘリが落ちてくるかもしれないというようなものが、また嘉手納で起こることになりますので、決して望ましくないし、これは避けるべきものだというふうに考えております。

 以上です。

照屋委員 山内参考人にお伺いします。

 子供の貧困というのは全国的に深刻な問題ですが、山内さんは、子供の貧困について全国と沖縄で何が一番違うか、そして貧困の階層化ということについてどうお考えでしょうか。

北村委員長 約束の時刻が来ておりますので、簡潔にお願いします。

山内参考人 お答えします。

 昨年の四月に、全国子ども貧困ネットワークというのが東京で開かれました。私たちはそれに招かれて行ったんですけれども、私たちが何をしゃべったかというと、今、本土で子供の貧困が言われてきているんですけれども、子供の貧困の行方ということをしゃべったわけです。

 戦後二十七年間アメリカに統治されていた、その間が非常に沖縄の子供たちの貧困を助長してきたということで、その貧困を放置した結果が今の沖縄の子供たちのさまざまな問題を起こしているので、ぜひ、沖縄みたいにならないで、しっかりやってもらいたいということを言ってきました。

 そういうことで、ぜひ、沖縄の子供たちは違うんだということをわかっていただけたらと思います。

照屋委員 終わります。

北村委員長 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。

 この際、参考人各位に一言御礼を申し上げます。

 皆様方には、御多用中のところ本委員会に御出席を賜り、貴重な御意見を真摯にお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして、心から厚く御礼を申し上げます。ありがとうございました。(拍手)

 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後五時二十五分散会


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