衆議院

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第2号 平成28年11月17日(木曜日)

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平成二十八年十一月十七日(木曜日)

    午前九時開議

 出席委員

   会長 森  英介君

   幹事 伊藤 達也君 幹事 上川 陽子君

   幹事 中谷  元君 幹事 根本  匠君

   幹事 平沢 勝栄君 幹事 古屋 圭司君

   幹事 武正 公一君 幹事 辻元 清美君

   幹事 北側 一雄君

      青山 周平君    赤枝 恒雄君

      安藤  裕君    池田 佳隆君

      衛藤征士郎君    大岡 敏孝君

      大塚 高司君    大見  正君

      鬼木  誠君    後藤田正純君

      佐々木 紀君    佐藤ゆかり君

      園田 博之君    田畑 裕明君

      高木 宏壽君    辻  清人君

      土屋 正忠君    中山 展宏君

      野田  毅君    福山  守君

      船田  元君    星野 剛士君

      宮崎 政久君    村井 英樹君

      保岡 興治君    山下 貴司君

      山田 賢司君    枝野 幸男君

      奥野総一郎君    岸本 周平君

      北神 圭朗君    中川 正春君

      古本伸一郎君    細野 豪志君

      山尾志桜里君    太田 昭宏君

      斉藤 鉄夫君    遠山 清彦君

      赤嶺 政賢君    大平 喜信君

      足立 康史君    小沢 鋭仁君

      照屋 寛徳君

    …………………………………

   衆議院憲法審査会事務局長 齋藤 育子君

    ―――――――――――――

委員の異動

十一月十七日

 辞任         補欠選任

  高木 宏壽君     大岡 敏孝君

  村井 英樹君     大見  正君

  山際大志郎君     中山 展宏君

同日

 辞任         補欠選任

  大岡 敏孝君     高木 宏壽君

  大見  正君     村井 英樹君

  中山 展宏君     青山 周平君

同日

 辞任         補欠選任

  青山 周平君     山際大志郎君

    ―――――――――――――

十月十四日

 立憲主義の原則を堅持し、憲法九条を守り、生かすことに関する請願(赤嶺政賢君紹介)(第四三号)

 同(池内さおり君紹介)(第四四号)

 同(梅村さえこ君紹介)(第四五号)

 同(大平喜信君紹介)(第四六号)

 同(笠井亮君紹介)(第四七号)

 同(穀田恵二君紹介)(第四八号)

 同(斉藤和子君紹介)(第四九号)

 同(志位和夫君紹介)(第五〇号)

 同(清水忠史君紹介)(第五一号)

 同(塩川鉄也君紹介)(第五二号)

 同(島津幸広君紹介)(第五三号)

 同(田村貴昭君紹介)(第五四号)

 同(高橋千鶴子君紹介)(第五五号)

 同(畑野君枝君紹介)(第五六号)

 同(畠山和也君紹介)(第五七号)

 同(藤野保史君紹介)(第五八号)

 同(堀内照文君紹介)(第五九号)

 同(真島省三君紹介)(第六〇号)

 同(宮本岳志君紹介)(第六一号)

 同(宮本徹君紹介)(第六二号)

 同(本村伸子君紹介)(第六三号)

 同(宮本徹君紹介)(第一一〇号)

 同(真島省三君紹介)(第一一七号)

 同(真島省三君紹介)(第一八四号)

同月二十日

 立憲主義の原則を堅持し、憲法九条を守り、生かすことに関する請願(近藤昭一君紹介)(第二七七号)

 同(赤嶺政賢君紹介)(第三〇〇号)

 同(池内さおり君紹介)(第三〇一号)

 同(梅村さえこ君紹介)(第三〇二号)

 同(大平喜信君紹介)(第三〇三号)

 同(笠井亮君紹介)(第三〇四号)

 同(穀田恵二君紹介)(第三〇五号)

 同(斉藤和子君紹介)(第三〇六号)

 同(志位和夫君紹介)(第三〇七号)

 同(清水忠史君紹介)(第三〇八号)

 同(塩川鉄也君紹介)(第三〇九号)

 同(島津幸広君紹介)(第三一〇号)

 同(田村貴昭君紹介)(第三一一号)

 同(高橋千鶴子君紹介)(第三一二号)

 同(畑野君枝君紹介)(第三一三号)

 同(畠山和也君紹介)(第三一四号)

 同(藤野保史君紹介)(第三一五号)

 同(堀内照文君紹介)(第三一六号)

 同(真島省三君紹介)(第三一七号)

 同(宮本岳志君紹介)(第三一八号)

 同(宮本徹君紹介)(第三一九号)

 同(本村伸子君紹介)(第三二〇号)

 同(赤嶺政賢君紹介)(第三六八号)

 同(池内さおり君紹介)(第三六九号)

 同(梅村さえこ君紹介)(第三七〇号)

 同(大平喜信君紹介)(第三七一号)

 同(笠井亮君紹介)(第三七二号)

 同(穀田恵二君紹介)(第三七三号)

 同(斉藤和子君紹介)(第三七四号)

 同(志位和夫君紹介)(第三七五号)

 同(清水忠史君紹介)(第三七六号)

 同(塩川鉄也君紹介)(第三七七号)

 同(島津幸広君紹介)(第三七八号)

 同(田村貴昭君紹介)(第三七九号)

 同(高橋千鶴子君紹介)(第三八〇号)

 同(畑野君枝君紹介)(第三八一号)

 同(畠山和也君紹介)(第三八二号)

 同(藤野保史君紹介)(第三八三号)

 同(堀内照文君紹介)(第三八四号)

 同(真島省三君紹介)(第三八五号)

 同(宮本岳志君紹介)(第三八六号)

 同(宮本徹君紹介)(第三八七号)

 同(本村伸子君紹介)(第三八八号)

 憲法を守り、生かすよう求めることに関する請願(赤嶺政賢君紹介)(第三四七号)

 同(池内さおり君紹介)(第三四八号)

 同(梅村さえこ君紹介)(第三四九号)

 同(大平喜信君紹介)(第三五〇号)

 同(笠井亮君紹介)(第三五一号)

 同(穀田恵二君紹介)(第三五二号)

 同(斉藤和子君紹介)(第三五三号)

 同(志位和夫君紹介)(第三五四号)

 同(清水忠史君紹介)(第三五五号)

 同(塩川鉄也君紹介)(第三五六号)

 同(島津幸広君紹介)(第三五七号)

 同(田村貴昭君紹介)(第三五八号)

 同(高橋千鶴子君紹介)(第三五九号)

 同(畑野君枝君紹介)(第三六〇号)

 同(畠山和也君紹介)(第三六一号)

 同(藤野保史君紹介)(第三六二号)

 同(堀内照文君紹介)(第三六三号)

 同(真島省三君紹介)(第三六四号)

 同(宮本岳志君紹介)(第三六五号)

 同(宮本徹君紹介)(第三六六号)

 同(本村伸子君紹介)(第三六七号)

十一月十四日

 憲法第九十九条を守ることに関する請願(塩川鉄也君紹介)(第三九一号)

は本憲法審査会に付託された。

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する件(憲法制定経緯と憲法公布七十年を振り返って)


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     ――――◇―――――

森会長 これより会議を開きます。

 この際、本憲法審査会における議論を再開するに当たり、幹事会の協議に基づきまして、憲法審査会の特色と、今後の運営に関する私の所感について、一言申し上げさせていただきます。

 平成十二年に衆参両院に置かれた憲法調査会を前身とする憲法審査会は、他の常任、特別委員会と異なる数々の伝統と特色を有しております。例えば、会長代理が置かれ、野党第一党の幹事がこれに充てられる例となっておりますし、その運営については、与党や野党第一党だけでなく、少数会派も含めて幹事会等で協議、決定するとともに、少数会派や委員にも平等に時間を配分して議論を尽くすという姿勢がとられてきました。

 これは、憲法調査会、日本国憲法に関する調査特別委員会を通じて、一貫して会長、委員長を務められた中山太郎先生を中心として、歴代の幹事やオブザーバーの方々が築き上げてこられ、本憲法審査会にも継承されてきたものです。

 このような憲法審査会の伝統と特色は、憲法は国家の基本法であって、全て国民のものであるという憲法論議に対する基本理念に基づくものであります。

 また、憲法調査会以来、国家の最高法規である憲法に関する論議においては、政局にとらわれることなく、憲法論議は国民代表である国会議員が主体性を持って行うべきとの共通認識に基づき、熟議による合意形成がなされてきました。ここに、議論に真摯に取り組まれてきた各党に改めて敬意を表します。

 今後ともこの共通認識に基づき、国民に対してオープンな場である憲法審査会において、国民の代表者たる国会議員により、憲法改正の必要性の有無とその内容について熟議を重ねるとともに、国民の憲法論議に関する理解も深めていただくことが重要であります。

 私は、会長として、これまでの憲法審査会の運営方法を継承して、少数会派の意見も十分に尊重し、幹事会における協議、決定に基づいて、円満かつ公正公平な運営を行っていく所存でございます。

 御協力のほどよろしくお願い申し上げます。

     ――――◇―――――

森会長 日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する件、特に憲法制定経緯と憲法公布七十年を振り返ってについて調査を進めます。

 これより自由討議に入ります。

 この自由討議につきましては、幹事会の協議に基づき、まず、各会派を代表する委員が順次発言を行い、その後、各委員が自由に発言を行うことといたします。

 それでは、まず、各会派を代表する委員の発言に入ります。

 発言時間は十分以内といたします。

 発言は自席から着席のままで結構です。

 発言の申し出がありますので、順次これを許します。中谷元君。

中谷(元)委員 自由民主党の中谷元です。

 本日は、憲法制定の経緯と憲法公布七十年を振り返って、これまで憲法の果たしてきた役割と、今後審査会で議論するべきテーマなどにつきまして、自由民主党を代表して意見表明をいたします。

 日本国憲法は、ことし十一月三日に公布七十周年を迎え、来年五月三日には施行七十周年を迎えます。この七十年の間に、戦後の我が国の進むべき方向性を示した日本国憲法のもと、我が国は、戦後の荒廃を乗り越え、今日の自由で民主的な社会を築き、また経済の繁栄を実現してまいりました。また、国際社会における法の支配の実現に向けた取り組みを進めるなど、国際社会においても重要な地位と役割を担うようになりました。

 戦後の我が国を築いてきた日本国憲法は既に国民の生活に定着したものとなっており、特に国民主権、平和主義、基本的人権の尊重という日本国憲法の基本原理が我が国の国際社会における民主主義国家、平和主義国家としての礎を築く上で果たしてきた役割は極めて大きく、将来も継承していかなければなりません。

 しかし、憲法制定後七十年が経過し、国民の生活意識や行動の変化、テロなどの新しい脅威の発生、ITや生命医療などの科学技術の進歩、東日本大震災を初めとする大規模災害や地球レベルでの環境問題、国際貢献への期待の高まりなど、我が国の社会や安全保障環境の変化など、憲法を取り巻く環境は大きく変化しており、憲法と社会の実際にずれが生じてきている部分があります。

 そこで、日本国憲法の基本原理を堅持しつつ、改正の必要性のある項目に関し、国民の代表者である国会議員が熟議を重ね、国民の憲法改正への合意形成を目指していくべきとの観点から発言をいたします。

 次に、日本国憲法の制定経緯について述べます。

 日本国憲法の制定の原点はポツダム宣言にあります。連合国からは、「日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スべシ言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルべシ」という要求が出され、これを日本国政府は受諾、調印いたしました。

 その後、幣原内閣の松本烝治担当大臣のもと、憲法問題調査委員会が憲法改正案を作成し、一九四六年二月八日にGHQに提示いたしましたが、二月十三日、GHQ民政局が作成した草案が日本側に手交され、それをもとに日本国憲法の草案を起草するように指示をしたことなど、日本国憲法の制定過程においてGHQが関与をしたことは否定できない事実であります。

 しかし、GHQ草案が提示された後の交渉の過程におきまして、一院制の提案を二院制に変更、違憲審査制のあり方の変更、地方自治をどうするかなど、日本国政府による検討と修正も相当程度盛り込まれております。

 国会での審議の段階では、婦人参政権を含む完全な普通選挙により、改正案を審議するための国会を構成する衆議院議員が国民によって直接選挙され、衆議院における審議過程で、国民主権の表現の明確化、九条の文言の修正、国民たる要件を法律で定める規定と納税の義務の規定を新設、生存権の規定、勤労の義務規定、国家賠償の規定、刑事補償の規定の追加、選挙資格と被選挙資格の規定の修正、国務大臣の過半数を国会議員とする規定の追加、皇室財産の国庫帰属に関する規定、最高法規の規定の修正などがありました。

 また、貴族院の審議過程で、前文の字句の修正、公務員の選挙で成年者による普通選挙を保障すること、法律案の議決に際して両院協議会の規定、国務大臣は文民でなければならない規定の追加などがされました。

 さらに、施行後の段階でも、極東委員会からの指示で、施行一、二年以内に改正の要否を検討する機会が与えられながら、日本国政府は改正の要なしという態度をとったほか、制定以来、日本国憲法の基本原理は国民の間に定着をしているといった社会的事実も認められます。

 このような指摘も踏まえ、平成十七年の衆議院憲法調査会報告書においても、日本国憲法の制定に対する一連のGHQの関与の事実ばかりを強調すべきではないという意見が多く述べられているところであり、このような意見を考慮に入れることも重要であります。

 次に、自由民主党の憲法議論の歴史について述べます。

 自民党は、昭和三十年の結党以来、六十年余りの憲法議論を積み重ねてまいりました。当時の政綱などによると、結党当時から、日本国憲法の基本原理を堅持することを明確にした上で、自主的な憲法改正に向け努力を重ね、真摯に議論を重ねてまいりました。

 そのような自民党の憲法議論の成果として、昭和四十七年の憲法改正大綱草案や昭和五十七年の日本国憲法総括中間報告、さらには、憲法の全体像を条文の形であらわした平成十七年の新憲法草案や平成二十四年の日本国憲法改正草案を初めとして、数々の公式文書を世に問うてまいりました。

 制定後七十年の間に憲法と社会の実際にどのようなずれが生じてきているか、そのために憲法の改正が必要であるか、改正するとして、改正内容をどのようにすべきかといったさまざまな点で、各党各会派でさまざまな意見があるところであります。

 そこで、憲法調査会以来の議論の蓄積を踏まえ、議論を深めていくべきでありますが、それは決して改正ありきの改正項目の絞り込みではなくて、改正の必要性が指摘されている項目について、改正の要否という観点から議論を深めていくべきものであります。

 その際、近代立憲主義の見地を踏まえて議論を進めることは当然の前提であります。そもそも、近代立憲主義とは、権力の分立により、また、基本的人権を保障するという近代憲法の基本となる考え方であり、自民党も全面的にこれを肯定するものであります。

 近代立憲主義を踏まえながら、今後議論を進めていくに当たり、テーマといたしましては、例えば、昨年五月七日の憲法審査会の自由討議によってほとんどの会派が議論の必要性について言及していたのは、環境権、知的財産権、犯罪被害者の権利などの新しい人権、財政規律を含めた統治機構の改革、緊急事態条項でした。その他、合区解消、また、統治機構の中でも特に地方自治、私学の助成、また、自衛隊の認知などについてもよく言及をされております。また、参議院には総選挙がないことから、国会議員の総選挙を国会議員選挙と改めることなど、表現を整理することも必要でしょう。

 いずれにせよ、どのようなテーマについて議論をしていくかにつきましては、現段階におきましては白紙でありまして、本日の自由討議、あるいは次回、十一月二十四日の自由討議を踏まえて、各会派がそろう幹事会等で協議していくべきであります。

 自民党としては、日本国憲法が我が国の民主主義国家、平和主義国家としての礎を築く上で七十年間果たしてきた役割をしっかり踏まえ、憲法審査会の場を通じ、各党各会派との間で憲法改正の必要性とその内容についての熟議を重ね、我が党を初めとする国会議員がその理解を深めるとともに、国民に憲法改正の議論を深めていただき、国民の憲法改正への合意形成を目指していく所存であります。

 以上です。どうもありがとうございました。

森会長 次に、武正公一君。

武正委員 民進党衆議院議員、武正公一でございます。

 民進党を代表して、憲法の制定経緯と公布七十年を振り返って、意見表明をさせていただきます。

 いわゆる八月革命説から大日本帝国憲法の改正という手続をとった日本国憲法でありますが、大日本帝国憲法は、立憲君主制のもと、国会開設を目指した自由民権運動、アジア初の憲法制定、そして、大正デモクラシーや普通選挙法などの民主主義の実現という成果を上げる一方、天皇大権を利用した軍部などの台頭を抑えることができず、報道の自由などもないがしろにされ、明治憲法体制の全面的崩壊現象が昭和二十年に起きたと考えております。

 日本国憲法制定の前提はポツダム宣言の受諾にあります。特に十項、十二項から、政府の自主的な憲法改正の取り組みが始まりました。GHQマッカーサー司令官からの示唆などが契機であるとされます。

 国体が護持されるかどうかが最大の焦点となりました。内大臣府、政党その他の団体、憲法問題調査委員会などの議論が行われる一方、マッカーサー・ノート、草案が示され、日本案の検討が始まりました。民間の憲法草案がマッカーサー草案に与えた影響、日本政府とGHQとの交渉過程で日本側の意見が入れられ、二院制に変わったことなど、また、男女普通選挙を経て制憲議会が組織され、その制憲議会でも芦田修正などの修正が行われました。

 当時の国民の大部分が新憲法を歓迎。さらに、極東委員会の指示により、現行憲法施行後に改正の要否を検討する機会を与えられていながら、当時の日本政府は改正の必要なしと判断したことなども、日本の主体性も発揮されたとする理由です。

 一九六四年、憲法調査会憲法制定の経緯に関する小委員会報告書では、全部が全部押しつけられた、強制されたと言い切ることができるかといえば、当時の広範な国際環境ないし日本国内における世論なども十分分析、評価する必要もあり、さらに、制定の段階において、いわゆる日本国民の意思も部分的に織り込まれた上で制定された憲法であるということを否定することはできない。

 二〇〇五年、憲法調査会報告書でも、GHQの関与を押しつけと捉えて問題視する意見もあったが、その点ばかりを強調するべきでないとする意見が多く述べられた。この多数とは、発言した議員のうち三分の二を超えた議員発言を指すものであります。

 第二次大戦の惨禍から、戦後、国際連合が発足し、占領から独立をかち取り、今日に至る七十一年を振り返ると、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重の日本国憲法の三大原則が今日の日本を形づくるために果たした役割は極めて大きいものと評価をいたします。

 平和主義については、朝鮮戦争を契機に警察予備隊が創設をされ、サンフランシスコ講和条約では単独講和を決め、西側諸国の一員として、日米同盟、国連中心主義、アジア重視の外交、安全保障を進め、結果、軽武装、アメリカの核の傘のもと、経済復興を重視することができたと考えます。

 また、国民主権としての知る権利の具体化、例えば情報公開法、公文書管理法の制定など、基本的人権の尊重では、労働者の権利の具体化、差別の撤廃などが進んだことは、日本国憲法の積極的評価であります。

 特に、国民生活の向上に憲法二十五条によるところが大きいと考え、これも日本案で、日本側の主張で加えられたものであります。

 一方、九一年、湾岸戦争で国際貢献を問われ、国連PKO協力法案、有事法制、テロ特措法、イラク特措法、自衛隊法改正、防衛省設置と連なるところは、国際環境の変化に伴い、これら安全保障関連法案に対しては、野党として賛成を、あるいは与党と協議し反対を、あるいは反対をとしてきたのは、政権交代で外交、安全保障が大きく揺らぐべきではないとの考えに立ったからのことであります。

 しかし、一昨年からの一連の動きは立憲主義にもとり、民進党は、憲法解釈変更の閣議決定、安保法案の白紙撤回を求めています。

 当審査会も、昨年の六月四日に、自民党参考人ですら安保法案を憲法違反と指摘したことで、一年半、与党の理由で審査会がとまってしまったことを重く受けとめる必要があります。

 近代立憲主義とは、権力を制限し、個人の自由、権利を守るものであるとの認識について、憲法改正の限界として、日本国憲法の三原則は守るべきであるということなどが共通の土俵として認識が衆参両院の憲法審査会で共有されることが三分の二以上の発議の大前提となるのではないかと考えます。そのためにも、二〇一二年自民党憲法草案に危惧を覚えざるを得ません。

 平和主義については、集団的自衛権を認めた国防軍の創設で揺らぐこと、基本的人権の尊重は、その制限とする公共の福祉から公益及び公の秩序への変更により損なわれることを、国民主権は、国民に十もの義務を課すことなど、個人よりも国家が前面に出ていることなどで危うくなるなど、近代立憲主義の共通の土俵に立てるかという懸念であります。

 この臨時国会でも、安倍総理からは、議論のベースにと言われ、昨日の参議院憲法審査会では、自民党筆頭幹事は、二〇一二年憲法草案をバージョンアップすると言ったのは、これまでの報道にあった、我が党野田幹事長が二〇一二年憲法草案の撤回を求めたことに対し、撤回はできないが棚上げをと言ってきたこととどう整合するのか、伺いたいと思います。

 現行憲法の足らざる点を補い、改めるべき点を改める。国民の側から新しい時代に即した憲法のあり方の幅広い議論が起こり、国会での与野党の丁寧な論議、合意形成が行われるべきと考えます。

 民進党は綱領で、「「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」を堅持し、自由と民主主義に立脚した立憲主義を断固として守る。象徴天皇制のもと、新しい人権、統治機構改革など時代の変化に対応した未来志向の憲法を国民とともに構想する。」としました。

 なお、民主党二〇〇五年憲法提言、維新の党選挙公約などは議論の土台であることを、民進党憲法調査会で確認をいたしております。

 憲法審査会の目的は、日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制について広範かつ総合的に調査を行い、憲法改正原案、日本国憲法に係る改正の発議または国民投票に関する法律案などを審査するとされています。安倍総理からの草案提出要求は、行政府の長からの越権と考えます。

 国会議員のアンケートでも、国会発議、時期こだわらず五八%、読売新聞、国民の皆さんのアンケートでも、安倍政権下での改憲に反対が五五%、共同通信とされています。

 緊急事態条項、環境権、財政規律は、昨年の通常国会時に自民党筆頭幹事から提案された三項目であります。

 民進党は、党綱領で掲げた新しい人権、統治機構改革について述べれば、例えば新しい人権では国民の知る権利を取り上げ、特定秘密保護法の強行採決が行われ、また、この臨時国会、TPP強行採決にあっては、ノリ弁当と言われる資料しか出されませんでした。背景に、憲法七十三条の外交処理権、条約締結権は内閣の専権事項であるならば、改める必要があります。統治機構改革については、地方自治の四条しかない条文については、道州制を含む国と地方の関係、また、衆参両院の役割分担の議論が必要であります。

 昨年、これも自民党筆頭幹事から提案があった参政権の保障をめぐる諸問題は、引き続き議論を行うべきと考えます。

 また、この夏、天皇陛下のお言葉が出されたことを受けて、政府は審議会を立ち上げましたが、憲法二条に皇室典範についての記載があることで、憲法で定められていることもあり、議論として取り上げるべきではないでしょうか。

 加えて、前回の解散・総選挙が、今のうち解散とされ、解散から公示まで十日間しかなく、投票整理券が八日たっても届かない自治体まで生まれたことは、解散権の濫用と言え、解散・総選挙の発言が与党幹事長などから出されている今だからこそ、七条解散の是非についても議論が必要ではないでしょうか。

 しかし、これらは本当に憲法改正しか手がないのか、法律改正しかできないのかの見きわめも必要であります。硬性憲法と言われる日本国憲法の条文がドイツ基本法などと比べて少ないことは、多くを法律に委ねているからであると考えます。

 イギリスのEU離脱、米国の大統領選挙に見られる移民排斥、あるいはモンロー主義回帰などの動き、第二次大戦後七十一年を経て、戦争の惨禍の記憶が薄れ、平和を希求するための国際協調の仕組みの重要性の認識が失われてきたことが背景にあるのではないでしょうか。そのためにも、歴史認識の共有と自由、民主主義という価値観の共有のための国際的な枠組みづくりへの日本のさらなる努力が求められます。

 民進党は、民進党憲法調査会を舞台に、新しい憲法を構想する作業に向け、国民との対話を重視し、まずは役員会での議論を精力的に進め、民進党内の議論を運んでいきます。

 二〇〇〇年、憲法調査会設置以来のよき伝統が、二〇〇七年、二〇一三年、いずれも安倍総理の発言で国会論議が混乱しました。しかし、民主党野田内閣当時の平成二十三年秋の臨時国会から議論を再開し、この間、三つの宿題を解決しての憲法改正国民投票法案成立、さらに十八歳選挙権法案成立が行われました。その成果は評価するべきものであり、その前提に当たっては、与野党の丁寧な合意形成と議論を深めるための共通の土俵づくりが、立憲主義が揺らいだ今こそ改めて必要であることを重ねて申し述べ、意見表明といたします。

 ありがとうございました。

森会長 次に、北側一雄君。

北側委員 十一月三日に日本国憲法公布七十年を迎えました。七十年前の日本国憲法制定に至る経過等について改めて確認をし、また、この七十年の日本国憲法の果たしてきた役割とその評価、さらに今後の憲法論議の進め方について所見を述べたいと思います。

 ポツダム宣言の受諾、終戦、占領統治などの激動の過程で憲法改正論議が精力的に進められ、昭和二十一年十一月三日、日本国憲法は公布されます。

 当時は、言うまでもなく、敗戦国日本をめぐる極めて厳しい国際環境にありました。占領統治に当たる連合国総司令部、GHQを初め、占領統治の最高機関であった極東委員会、その出先機関である対日理事会など、戦勝国による外的圧力下にありました。戦勝国の間でも、米ソの対立など、各国によって対日本統治の利害も大きく異なっております。また、国内的にも、敗戦直後の社会的、経済的混乱の中にあります。

 こうした状況下で、当時の日本の政治家たちは、新憲法の制定へ、そしてその後の日本の主権回復と経済の自立をなし遂げてまいりました。先人たちの極めて大変な労苦と困難の中で戦後日本の礎が築かれたもので、私たちはこのことを忘れてはならないと思います。

 吉田茂の「回想十年」という本がございます。昭和三十二年に発刊されました。きょう持ってまいりましたが、このような本でございます。終戦直前から主権回復までの政治の激動が吉田茂の言葉として見事に描かれております。書かれている個別の内容の評価は別といたしまして、当時の状況を知る上で大いに参考になると思います。

 昭和二十年十二月から日本政府の新憲法制定への動きが本格的に始まりますが、昭和二十一年二月十三日、GHQから日本政府側に、いわゆるマッカーサー草案が交付され、これをもとに憲法改正草案要綱、さらに憲法改正草案が作成されました。このことを捉えまして、一部に、占領下でつくられた押しつけ憲法であり、自主憲法の制定が必要との意見があります。

 私たちは、GHQの関与のもとで新憲法が制定されたことは事実であるとしても、こうした考え方には賛同できません。

 なぜなら、第一に、憲法改正草案は、六月二十日衆議院に提出されますが、枢密院、衆議院、貴族院という三段階の審議を経て、数多くの修正がなされ、それぞれ圧倒的多数で新憲法改正案が可決、成立しています。

 特に、衆議院は、憲法改正草案要綱が発表された後の四月十日、我が国で初めての女性参政権も含めた普通選挙による衆議院選挙が実施され、これにより選ばれた議員により議会が構成されました。ちなみに、衆議院では、賛成四百二十一票、反対八票で、共産党の皆さんが反対しております。共産党の反対の主な理由は、天皇制が存置されていること、そして憲法九条に反対であったことであります。

 第二に、新憲法制定時の総理である吉田茂は、押しつけ憲法という批判に対し、さきの「回想十年」では次のように述べております。

 「「押しつけられた」という点に、必ずしも全幅的に同意しがたい」とし、その理由として、GHQは「交渉経過中、徹頭徹尾「強圧的」もしくは「強制的」というのではなかった。わがほうの専門家、担当官の意見に充分耳を傾け、わがほうの言い分、主張に聴従した場合も少なくなかった。」「時の経過とともに、彼我の応酬は次第に円熟して、協議的、相談的となってきた」「議員のうちには、第一流の憲法学者をはじめ、法律、政治、官界のいわゆる学識経験者を網羅しており、しかもこれらの人々は占領下とはいいながら、その言論には何らの拘束を受くることなく、縦横無尽に論議を尽くしたのである。すなわち憲法問題に関する限り、一応当時のわが国の国民の良識と総意が、あの憲法議会に表現された」と述べております。

 第三に、極東委員会は、昭和二十一年十月十七日、新憲法が真に日本国民が自由に表明した意思によってなされたものであることを確認するため、日本国民に対して再検討の機会を与えるべきである旨を決定し、これを受け、総司令部も、憲法施行後一、二年以内の憲法改正の検討を提案いたしましたが、日本政府は改正の必要なしとの態度をとりました。

 第四に、日本国憲法公布から施行までの間に、新憲法に基づき、我が国の数多くの基本法制が制定されます。今話題になっております皇室典範もそうです。国会法、旧参議院議員選挙法、内閣法、裁判所法、地方自治法、旧教育基本法、学校教育法、財政法、労働基準法などです。全て戦後民主主義の基礎となった法律です。多くのこうした法律が、日本国憲法の施行である昭和二十二年五月三日に同時に施行をされております。押しつけ憲法で果たしてこのような詳細な基本法制が整備されるものでしょうか。

 そして、最後に、何よりも日本国憲法はこの七十年、国民に広く浸透し、支持されてまいりました。押しつけ憲法という主張自体、今や意味がないと言わざるを得ません。

 日本国憲法は、我が国の民主主義を進展させ、戦後日本の平和と安定、経済発展に大きく寄与してまいりました。国際社会からの信頼も広げてきました。特に、国民主権、基本的人権の尊重、恒久平和主義の三原理は、過去幾多の試練に耐え、確立されてきた人類普遍の理念であり、これからも堅持されなければなりません。私たちは、この日本国憲法をすぐれた憲法として評価しております。

 しかしながら、憲法制定から七十年を経過いたしました。時代も大きく変化し、制定当時想定できなかった課題も明らかになっています。また、現行の規定のままで不都合があるならば、憲法の基本原理はあくまで維持をしながら条項をつけ加えていくという方法、いわゆる加憲方式で憲法改正論議を進めていくことがふさわしいと考えております。

 また、憲法改正案は最終的に国民投票に付されますが、まず、憲法改正原案は、内容において関連する事項ごとに区分して個別に発議することとなっております。そして、国民投票は、憲法改正案ごとに一人一票で賛成または反対の文字を丸で囲む投票方式となっております。したがって、日本国憲法の全体もしくは数多くの項目の改正案を一括して国民投票に付すことはそもそも想定されず、現実的にも加憲という方法で憲法改正論議を進めるしかないと考えられます。

 今後の憲法論議は両院の憲法審査会で着実に議論を進めることになりますが、その際、次のことが重要と考えております。

 第一に、国民にオープンに論議を進めるということ。何よりも国民の理解を得つつ論議を進めることが不可欠だからです。

 第二に、これまでどおり少数意見に配慮し、発言の機会を保障すること。

 第三に、時の政局から一歩離れて、冷静に憲法論議を積み重ねること。

 以上のことを憲法審査会で確認することをお願いし、私の本日の意見表明といたします。

 ありがとうございました。

森会長 次に、赤嶺政賢君。

赤嶺委員 日本共産党を代表して発言します。

 私たちは、憲法審査会は動かす必要はないという立場です。

 憲法審査会は、憲法改正原案、改正の発議を審査するための場です。ここでの議論は、改憲項目をすり合わせ、発議に向かうことにつながります。国民の多数は改憲を求めておりません。したがって、審査会を動かすべきではありません。日本共産党は、憲法の前文を含む全条項を守り、平和、民主主義の原則を現実の政治に生かすことこそ政治に求められている責任だと考えます。

 そういう点から考えまして、看過できないのは、安倍首相の改憲発言です。安倍首相は、参議院選挙の翌日に、憲法改正に向けて、我が党の案をベースにしながら三分の二を構築していく、それがまさに政治の技術だと発言をしました。

 首相が改憲のベースと言った自民党改憲草案の中身は、前文の平和的生存権を削除して、国民に国防義務を課し、九条を変えて国防軍を明記した集団的自衛権の全面行使に踏み切るものです。また、九十七条を全文削除していることは、基本的人権条項を否定するものと言わなければなりません。こういう考えのもとで安倍政権が改憲の動きを進めていることが重大です。

 日本国憲法の公布七十年に当たり重要なことは、日本国憲法の制定が、ポツダム宣言の受諾に始まり、侵略戦争の反省の上に立って、軍国主義を全面的に排除し、国民主権と民主主義を掲げる平和国家として国際社会に復帰しようとしたものだということです。日本国憲法は、アジアと国際社会に対し、二度と戦争をしないということを約束したものであります。それを押しつけというのは、日本が起こした侵略戦争による痛苦の歴史に背を向けるものです。

 次に、私は、安倍政権の憲法無視の政治について二点述べておきたいと思います。

 一つは、昨年、安倍政権が強行採決した戦争法、安保法制です。我が国が攻撃を受けてもいないのに日本が武力を行使できるなどという法律が、戦争放棄、戦力不保持、交戦権否認を明記した憲法九条に違反することは明白です。

 にもかかわらず、存立危機事態などと称して、日本を攻撃していない国に対して日本から武力行使を行うということになれば、その国との間に武力抗争状態をつくり出すことになります。憲法九条一項で禁止された国際紛争を解決する手段としての武力行使にほかなりません。集団的自衛権を認めて他国防衛の海外派兵を可能とすることが憲法九条二項に反することも明らかです。

 そもそも、歴代政府は、自衛隊は日本の防衛のための必要最小限の実力組織であるから合憲だと言い、海外派兵はできない、集団的自衛権の行使はできないとしてきました。それは国会における論戦で積み重ねられた政府見解であり、一内閣で覆せるものではありません。

 憲法の平和主義を踏みにじった違憲立法に反対する運動が大きく発展したのは当然です。国会前や各地域で多くの人が戦争法反対、立憲主義守れの声を上げました。この声にこそ耳を傾けるべきです。

 ところが、政府は、十五日、駆けつけ警護と宿営地の共同防護を新たに付与した南スーダンPKO実施計画の変更を閣議決定しました。これは、内戦状態にある南スーダンに自衛隊を派遣して海外での武力行使に道を開こうとするもので、憲法違反は明白です。断じて許されません。

 二つ目は、沖縄と米軍基地の問題です。

 沖縄は、来年五月で復帰四十五年になります。

 アメリカの直接統治下の一九七一年、琉球政府の屋良主席が日本政府に向けた建議書を策定いたしました。その建議書には、県民が最終的に到達した復帰のあり方は、平和憲法のもとで日本国民としての諸権利を完全に回復することである、即時無条件かつ全面返還でありますと記されています。

 復帰の原点は、日本国憲法のもとでの基地のない平和な沖縄でありました。

 しかし、実際には、復帰後も憲法の上に安保が置かれ、米軍優先で苦しめられているのが実情です。米兵による婦女暴行事件や強盗、殺人、レイプ、米軍機の墜落事故、実弾射撃訓練による原野火災、土壌や水質汚染など、七十年たっても占領当時と変わらない、基地あるがゆえの苦しみが続いております。

 沖縄において負担軽減の名で行われる基地の返還はいつも移設条件つきで、新たな基地強化につながってきました。

 その典型が辺野古新基地建設です。辺野古新基地は、二百年耐用で、二本の滑走路や強襲揚陸艦が接岸できる護岸、弾薬搭載エリアを備えるなど、一大軍事拠点の新設です。

 もともと、沖縄の基地は、占領下で県民が収容所に入れられている間に住民の土地に勝手につくったものです。さらに、サ条約締結後、銃剣とブルドーザーで土地を強奪し、国際法に違反し構築したものです。危険な普天間基地は直ちに閉鎖し、無条件撤去されるべきです。新たな基地をつくらなければ返還しないというのは道理が通りません。

 高江のオスプレイ着陸帯の建設も全く同じです。使用していない訓練場の過半を返還するかわりに、既に十五個もあるところに新たな着陸帯を建設することがどうして負担軽減になるというのでしょうか。高江の住民の暮らしを破壊し、貴重な自然を破壊することは到底認められません。

 新基地建設反対は県民の強固な思いです。それはこの間の選挙で繰り返し示されてきました。しかし、政府は、民意を尊重するどころか、権力総動員で基地建設を強権的に推し進めており、民主主義や地方自治は踏みにじられ、沖縄に憲法はないのかというのが現実です。

 沖縄の現状を放置することは、九条じゅうりんの違憲状態を日本全体に広げることになります。沖縄に配備されたオスプレイは低空飛行や夜間訓練を繰り返し、さらに全国に訓練を展開し、横田基地にも配備されようとしています。岩国基地に配備されるF35は、伊江島で訓練し、佐世保を母港とする強襲揚陸艦に搭載されて海外に展開するものです。沖縄の米軍基地強化は、全国各地の基地強化と一体となって、アメリカの世界戦略に基づく一大拠点を構築することになります。九条をじゅうりんするこの実態は、米国から求められるままに日本の再軍備を行い、日米安保のもと、違憲の海外派兵に道を開いてきた米国追随政治の到達点です。

 私たちは、国民とともに、九条じゅうりん、改悪を許さない闘いを進めていきたいということを表明し、発言を終わります。

森会長 次に、足立康史君。

足立委員 日本維新の会の足立康史です。

 党を代表して、意見を申し述べます。

 まず冒頭、衆院の憲法審査会が一年半ぶりに開催されたことを評価するとともに、再開に尽力くださった関係者に敬意と感謝を申し上げます。

 一方、十日に予定されていた審査会がTPPに係る政局を理由に中止されたことはまことに遺憾であります。特に、その延期を申し入れたとされる民進党筆頭幹事には猛省を促したい。

 野党第一党の筆頭幹事は審査会の会長代理でもあり、本来、憲法審査会の開催に向けて労をとるべき立場にあります。仮に、会長代理がみずからの政党の立場に拘泥しその役割を十全に果たすことができないのであれば、私たち日本維新の会が筆頭間協議に加わることも検討しなければならなくなります。

 そもそも、憲法審査会には、その前身である憲法調査会の時代からの伝統があります。その最たるものは政局に左右されないということであります。仮に、憲法改正に消極的な政党がそうした伝統を破壊し政局を持ち込もうとするのであれば、そうした政党に憲法審査会で意見を述べる資格はないと指摘をしておきたいと存じます。

 本年は、日本国憲法が公布されて七十年。憲法が国民主権、平和主義、基本的人権の尊重という基本的価値を定着させた点を正当に評価しつつ、未来に向けた課題解決型の憲法論議を深めていく必要があります。

 思い起こせば、平成十二年に両院に設置された憲法調査会は、憲法改正に向けて大きな役割を果たしました。平成十七年には、中山太郎会長のもと、最終報告書が取りまとめられ、前後して、自民党が新憲法草案を、当時の民主党が憲法提言を、公明党が論点整理を公表しました。

 自民党はその後、平成二十四年に憲法改正草案を公表し、その取り扱いについて民進党を初め野党から厳しい追及を受けていますが、それでは、民進党の憲法提言はどのような扱いになるのでしょうか。本日の自由討議の場で言及をいただければ幸いです。

 その後、憲法改正国民投票法の成立を経て、昨年四月、保岡興治前会長のもと、いよいよ本格的な審議に入ろうかというときに、いわゆる安保法制の合憲性をめぐる対立が憲法審査会に持ち込まれ、一年半にわたり休眠状態に陥ったことはまことに遺憾なことであります。

 日本維新の会は、特定のイデオロギーを表現するためではなく、日本が抱える具体的な課題を解決するために憲法改正を行うべきと考えます。脱イデオロギーの憲法改正であります。憲法改正が必要となる社会的事実、いわゆる憲法事実が明らかな項目について、憲法改正の発議に向けた審査を直ちに開始すべきであります。

 憲法改正は最終的には国民投票で決することとなりますが、国民投票で過半数を得ることは容易ではありません。このことを、私たちは大阪都構想の住民投票を通じて痛感をいたしました。大都市の都市圏域が政令指定都市のみならず大阪府域をも飲み込んでいるという、立法事実があれほど明瞭な事案であっても、かつて賛成を表明していたはずの政党が政局を理由に反対に回るという事態が起こりました。

 憲法事実が明らかな項目のうち、国論を二分する安全保障や危機管理等の問題よりも、ほとんどの国民にとって身近で切実な問題を優先し、憲法改正に向けた選択肢を国民に示すべきであります。

 こうした考え方のもと、私たちは本年三月、教育無償化、統治機構改革、憲法裁判所の三項目から成る憲法改正原案を取りまとめました。

 第一の、幼児教育から高等教育までの教育無償化については、与野党ともに積極的に取り組もうとしていますが、予算の制約から実現できていないのが現状であります。

 教育無償化を憲法に規定することにより、予算措置と立法化を国に義務づけていくことが必要であります。また、憲法に規定すれば、どの政権のもとでも教育無償化の方針を堅持することができます。

 第二の統治機構改革についても、東京一極集中を打破し、地域の自立を確保し、多様で豊かな多極分散型の国家を築いていくものであり、多くの会派に賛成いただけるものと存じます。

 基礎自治体と広域行政たる道州の権限と財源を抜本的に強化する中で、国と地方の関係を憲法に規定します。これにより、待機児童対策や震災復興など一律の対応が特に難しい問題について、現場における柔軟な対応が可能となります。

 第三の憲法裁判所。安保法制等の憲法適合性といった違憲立法審査を公権的に行うことのできる憲法裁判所の必要性については、安保法制を戦争法と呼び、立憲主義の破壊であると主張する野党各党であればなおさら御理解いただけるものと存じます。

 憲法の最終解釈者は本来司法でありますが、最高裁が統治行為論をとる限り、内閣が決定した憲法解釈と国会の多数派が成立せしめた法律に対抗するすべはありません。これが安保国会を通じて明らかとなった日本の統治機構の課題なのであります。

 いわゆる安保法制の制定過程を通じて、憲法九条に関する内閣法制局の解釈が、時の政権の影響を受け、野党の追及をかわすために糊塗されてきたにすぎないことが白日のもとにさらされました。その一方で、元法制局長官、元最高裁判事、学者等の意見をもって違憲とのレッテル張りに奔走する野党の姿も見るにたえませんでした。

 違憲立法審査権を有しない憲法学者の一部意見を殊さらに振りかざし、現行憲法下で正当に決定された憲法解釈と法律を違憲であると断じることこそ、立憲主義を破壊する所業であると断じざるを得ません。

 日本維新の会は、憲法解釈は政治から距離を置くべきとの考え方のもと、そうした統治機構の不備に正面から向き合い、違憲立法審査を公権的に行う機関として、憲法裁判所の創設を提案しているのであります。

 憲法調査会以来、国家の最高規範である憲法論議は、国民の代表である国会議員が主体性を持って行うべきとの考え方に基づき、合意形成が進められてきました。憲法論議を深化させ、前に進めていくことは、国会議員の責務なのであります。

 これまでの憲法審査会は、論点整理とレビューを繰り返してきましたが、さきの参院選を経て、憲法改正に前向きな政党が両院の三分の二を占めるに至りました。戦後初めて、リアリティーを持って憲法改正を議論できる環境となったのであります。

 参院選では、私たち日本維新の会がマニフェストの柱の一つに憲法改正を掲げ、大きな御支持をいただきました。反対に民進党は、「まず、三分の二をとらせないこと。」とのキャッチコピーを大書きしたポスターを張り出し、そして敗北しました。米国の大統領選においてトランプ氏が勝利し、平和裏に政権移行が進められていることを例に挙げるまでもなく、選挙結果を真摯に受けとめることは民主主義の基本であります。

 なお、きのうの参院憲法審査会では、政党の意見なのか、個人の意見なのか、不明なものが散見をされました。この衆議院の憲法審査会では、混乱を招かぬよう、少なくとも、当該意見が党の見解なのか、個人の見解なのか、明示をいただければ幸いでございます。

 最後に、新憲法の制定を綱領に明記している自民党におかれても、また、憲法を構想すると綱領に明記した民進党におかれても、ぜひとも、具体的な憲法改正項目を速やかに提案をいただき、憲法審査会のテーブルにのせるべきである。憲法を国民の手に取り戻そう、日本を前に進めていこうと委員各位に呼びかけ、また、国民の皆様に呼びかけ、冒頭発言を終わりといたします。

 ありがとうございます。

森会長 次に、照屋寛徳君。

照屋委員 社会民主党の照屋寛徳です。

 本日のテーマである憲法制定経緯と憲法公布七十年を振り返ってについて意見を申し上げます。

 去る十一月三日は、日本国憲法が公布されて満七十年の節目の日でございました。私は、憲法公布七十年を振り返り、改めて、憲法が掲げる普遍的理念及び国民主権、基本的人権尊重、平和主義の三大原則、第九条の規定など、日本国憲法が国民から強く支持され、我が国が平和国家として歩んできた担保になったものと確信しております。

 あの悲惨な大戦を志願兵として経験した作家の故城山三郎氏は、戦争は全てを失わせる、戦争で得たものは憲法だけだと断言しました。まことに言い得て妙であります。

 日本国憲法は、前文において「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」とうたい、日本国民は、国家の名誉にかけ、全力を挙げてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ったのであります。

 さて、憲法公布七十年の歴史において、忘れてはいけないのは憲法と沖縄の関係です。

 沖縄では、悲惨な大戦で、当時の住民四人に一人を含む二十万人余のとうとい命が奪われました。終戦後も、アメリカの直接軍事支配下に置かれ、憲法が全く適用されない無憲法下に置かれました。このようなアメリカの軍事支配下で、沖縄県民は日本国憲法に希望を求めて復帰運動を闘ったのであります。国民主権、平和主義、立憲主義をうたった日本国憲法を制定する帝国議会に沖縄代表を送ることすら許されなかったことを忘れてはいけません。

 一九七二年五月十五日に復帰が実現し、沖縄にも待望の憲法が適用されました。しかし、同時に日米安保条約も適用され、復帰から今日までの沖縄は、憲法法体系よりも安保法体系が優先する反憲法下の日常を強いられております。沖縄では、憲法の理念よりも米軍の運用、軍事合理性が常に優先されるのです。不平等、不公平な日米地位協定の全面的、抜本的改正なしに、日本は主権国家、独立国家たり得ません。

 沖縄は、復帰前も復帰後の今日でも憲法番外地であり、沖縄県民には憲法前文に定める平和的生存権及び第十三条の幸福追求権、第十四条の法のもとの平等も保障されず、百四十三万余の県民は憲法上の諸権利を有する国民とすら扱われておりません。まるで道具か物としての扱いです。憲法第十一条が、侵すことのできない永久の権利として国民に与えた基本的人権も十全に保障されておりません。

 私は、憲法第九十九条がうたう憲法尊重擁護義務を負う者の一人として、憲法公布七十年を振り返って考える場合、沖縄の戦後史と日米安保体制下の沖縄の現実を抜きにして論及できないことを強く主張いたします。ひとりよがりで言うものではありません。それらを真剣に考えることこそが憲法第九十九条で憲法尊重擁護義務を負う者の責務です。

 国会は衆参ともにいわゆる改憲勢力が三分の二以上を占めております。

 安倍内閣のもとで、憲法学者から裏口入学と強く批判された第九十六条改憲策と、お試し改憲と呼ばれる非常事態条項の追加改憲構想、一九七二年十月の集団的自衛権を明確に否定した政府見解を恣意的に解釈変更した集団的自衛権行使容認の解釈改憲、憲法違反のいわゆる戦争法制定などが矢継ぎ早に強行されました。

 時の政府権力が正式な憲法改正手続を経ることなく解釈変更で実質的な憲法内容を変更することは、憲法第九十六条違反です。国民が時の政府権力を縛るのが憲法です。憲法を遵守する義務は時の政府権力の側にあります。これが近代憲法における立憲主義の理念であります。

 私は、憲法公布七十年の歴史上初めて、安倍内閣によって憲法が破壊されるのではとの危機感を強く抱いております。改憲という名の憲法破壊は平和の破壊であり、人間としての尊厳を有する個人の破壊であります。

 私は、いかなる意味においても憲法改悪には反対し、護憲の立場にあることを表明いたします。同時に、憲法公布七十年を振り返って、憲法を求める沖縄、捨てる日本にならないことを切に願っております。

 近時、二〇一二年自民党日本国憲法草案が話題になっております。憲法学者の樋口陽一、小林節両名誉教授は、この草案が明治憲法のような古色蒼然としたものどころか、憲法なき江戸時代への回帰だと著書「「憲法改正」の真実」の中で批判しております。自民党日本国憲法改正草案は近代法からの逸脱であり、前近代への回帰だとも指摘しております。私もそのように思います。

 最後に、いわゆる押しつけ憲法論は、憲法制定過程を冷静かつ緻密に検証すれば、改憲の理由、根拠には全くなり得ないことを申し上げ、社民党を代表して私の意見表明を終わります。

森会長 これにて各会派を代表する委員の発言は終了いたしました。

    ―――――――――――――

森会長 次に、委員各位による自由討議に入ります。

 発言を希望される委員は、お手元にある名札をお立ていただき、会長の指名を受けた後、御発言ください。発言が終わりましたら、名札は戻していただくようにお願いいたします。

 発言は自席から着席のままで結構です。また、発言の際には、所属会派及び氏名をお述べいただくようお願いいたします。

 なお、幹事会の協議によりまして、一回当たりの発言時間は五分以内といたしたく存じます。委員各位の御協力をお願い申し上げます。

 なお、発言時間の経過については、終了時間一分前及び終了時にブザーを鳴らしてお知らせします。

 それでは、発言を希望される委員は、名札をお立てください。

根本(匠)委員 今から七十年前の昭和二十一年、日本国憲法が公布されました。

 この憲法は、まず、昭和二十七年のサンフランシスコ講和条約発効よりも前、すなわち我が国に主権が存しない時期に制定されたものであること、内容も、マッカーサー三原則とGHQ草案が示され、それを翻訳したものがほぼもとになっていることは事実であります。これらの史実をもとに、押しつけ憲法だから改正すべきだとする意見があります。

 他方、現憲法は、GHQ草案をもとにしつつも、我が国で起草し、議会の審議、承認を経て制定されたこと、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重の三原則は国民に深く根つき定着していることもまた事実です。

 重要なのは、押しつけ憲法だから改正すべきであるとか、一言一句改正すべきではないという安易な二元論ではありません。憲法が制定された七十年前と現在では我が国が置かれた状況は異なることを踏まえ、今日における憲法のあり方をしっかり考えることではないでしょうか。

 ここで、先人の言葉を紹介させていただきます。

 サンフランシスコ講和条約の発効により我が国が主権を回復したのが昭和二十七年。その後、昭和三十一年、当時の鳩山一郎総理は、「わが国が真の自主独立を達成するためには、占領中に制定されました各種の法令や制度を、わが国情に即したものに改める必要がある」とおっしゃいました。

 また、昭和三十二年には、当時の岸信介総理が、「この憲法制定の由来及び制定された事情等から見まして、われわれがわれわれの憲法を一つ検討して自主的な憲法を作ろうという考えがある」「民主主義や、あるいは平和主義、あるいは基本的人権を擁護するところの人権尊重の主義等の大きなこの柱は動かすべきものではない」「いかにしてわれわれが民主主義を徹底し、また平和主義によって日本の安全保障を確保するか、あるいは基本的人権を擁護して行くかという問題について、われわれみずからが、民族みずからが考えて、民族みずからがこれを憲法として作り上げる」とおっしゃいました。

 私は、このような先人の言葉を重く受けとめ、三原則のような大きな柱は維持しつつも、今日の国情に即した憲法を目指す議論をしていきたいと思います。

 現憲法に今日的な視点を取り入れるに当たり、私から次のような切り口を提示したいと思います。

 まず、立法技術の観点。

 例えば第二十一条は、集会、結社、言論の自由及び通信の秘密をまとめて規定しております。一方で、国際人権規約のように、これらを独立して個別に規定を設ける考え方もあろうかと思います。

 次に、条文上明らかではないため、解釈で補っている事項があります。

 例えば、憲法八十九条と私学助成金の関係。今は解釈で広く認められ、実施されている事項について、憲法に明記する改正も考えられます。これは、実態を変えるのではなく、実態に憲法を合わせるという切り口。一方で、現在議論されている参議院の合区解消のように、現状を変えるために憲法改正を行うという切り口もある。

 別の論点として、現憲法の前文を現代の私たちの言葉を使って整理することも考えられると思います。

 前文は、アメリカ合衆国憲法等の原典をもとに、ハッシー中佐が原案を作成され、それを翻訳し、ほぼ修正なく国会の議決を経たものです。憲法のエッセンスであり国民に定着している国民主権、平和主義、基本的人権の尊重の三原則は維持しつつ、より国民になじみ深く、より我が国らしさを追求すべく、今の私たちの言葉を使って整理し直すことも一考に値すると思います。

 さらに、憲法全体に目を向ければ、日本の憲法は他国と比べて分量が少なく、次の二つの特徴が見出せます。一つは、非常事態条項や政党条項など、統治に必要な規範を憲法として定めておらず、権力統制力が弱いという特徴。もう一つは、政治改革や司法制度改革を憲法改正せずに実現できるなど、憲法解釈や法律が大きな役割を果たしており、憲法の規律密度が低いという特徴です。

 両者は密接に関連しており、規律密度を高めると権力統制力が強まることになります。規定をどの程度つまびらかにし、どの程度権力への統制力をもたらすべきかという点も議論すべきだと思います。

 最後に、我が国が憲法を制定してからの七十年間で、他国は幾度となく憲法を改正し、問題が生じたとき、憲法改正という手段も交えて対応してきた事実も指摘したいと思います。今後我が国が直面する課題に、これまでのように憲法解釈や法律の改廃で対応することに限界はないかという視点も取り入れてはいかがでしょうか。

 私たちは、戦後七十年の憲法史において、新たな一歩を踏み出すのかどうかという岐路に立っています。その重みを十分に理解しつつも、本当に必要ならば、どれだけの時間をかけても一歩目を踏み出すのだという熱意を持って議論を進めていくべきことを申し上げ、私の発言を終わります。

山尾委員 民進党の山尾志桜里です。

 現行憲法と憲法改正を議論するに当たって踏まえるべきは、ルールを守る者だけがルールを変える資格を持つということだと思います。憲法改正を語るに当たっては、私自身の自戒を含めて、ここにいる議員一人一人が、自分自身が憲法を尊重し、擁護し、憲法の価値をしっかり国民生活に還元してきたかどうか、振り返るべきだと思います。

 そもそも憲法は何のためにあるのかと考えたとき、個人が個々人の尊厳ある人生を形づくるとき、個人たる国民は国家と無関係ではいられません。個人の尊厳を守るために国家権力の行使を制限する必要もありますし、個人の尊厳を守るために国家権力の行使を要請する場合もあるでしょう。その個人の尊厳に奉仕する国家の責務を個人たる国民の側から提示しているのが憲法の本質だと思います。

 そこで、私からの総論的な問題提起は、憲法改正の必要性の有無を論ずるに当たり、その表裏一体として、現行憲法の権利実践が本当に十全になされているのか。変わり行く時代の変化に合わせた改憲論を否定はしませんが、その前に、変わり行く時代の中で起きている問題を解決するために、現行憲法の権利実践としてなすべきことをなしてきたのか。ともすれば、憲法審査会の議論が、憲法を変えるため、あるいは変えないがための論点主義に陥りがちではなかったか。もっと国民個人一人一人のリアルな人生をこの場で議員が想起をしながら、憲法の果たすべき役割を具体的に論ずることはできないのかということであります。

 例えば、憲法二十七条と保育園落ちたということを考えてみたいと思います。

 さきに述べたとおり、個人の尊厳を守るために国家権力の行使を要請する規範もあります。憲法二十七条は、「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。」と定め、働くことを通じた個人の尊厳確保のために、国家による勤労権保障を定めております。

 しかし、現実はどうでしょうか。待機児童の数は平成二十八年四月時点で二万三千五百五十三人、隠された待機児童の数は同時点で六万七千三百五十四人とも言われる中、児童福祉法に定めた保育サービスの供給義務が果たされていないことによって勤労の権利を奪われている母親あるいは父親がこの日本に大勢います。

 我が国では、憲法二十七条という勤労権保障を通じて個人の尊厳に奉仕するという国家の責務を果たせていないのではないか。憲法上のその責務を果たせていないことによって、一人一人の母親の人生、父親の人生、子供の人生にどれだけの負荷をかけているか、私たち議員はもっと自覚をしてもいいのではないかと思います。

 そして、先ほど制限規範という話もしましたが、憲法九条と安保法制に触れざるを得ません。

 私は、憲法というのは思いのほか柔軟性があって、時代の変化に対応する余地を持つ輪ゴムのような性質があると思います。しかし、国家がなす政策決定には常に過ちがあり得るし、誤ったときの不利益は国民が負います。したがって、国家権力は、全国民の代表たる国会で積み上げてきた法的に安定した解釈の見解にみずから縛られる謙虚さを持たなければならないと思います。

 昨年成立した安保法制の違憲性について、昭和四十七年見解及びこの見解を維持してきた数々の政府答弁の本旨を透き通った目で直視すれば、その輪ゴムは伸ばせる限界を超えて切れてしまった、違憲だと言わざるを得ないと私は思います。憲法九条という制限規範を守って個人の尊厳に奉仕するという国家の責務を、安倍政権は放棄したのではないかと思います。

 現行憲法を通じて国民が求める国家の責務を果たし切れず、果たしていないことに心を痛めず、ましてや、確信犯的にその責務に反して違憲立法を進める政権政党に改憲議論の資格があるのか、率直に言って疑問があります。ましてや、押しつけ憲法論から卒業し切れていないのだとすれば、前向きにかみ合う憲法改正の議論ができるか不明であります。とはいえ、憲法審査会の議論を通じて国民と対話をすることは非常に大切だと思います。

 そして、もちろん、現行憲法を守れているのかという視点とともに、現行憲法のままでは遂行できない政策があるのであれば改正を検討する必要もあると思います。その一つが、いわゆる憲法裁判所の問題であります。

 安保法制の議論に当たって、現内閣法制局長官は、歴代法制局長官が積み上げてきた法的安定性をみずから踏みにじり、政権と一体となって違憲の法制に合憲のお墨つきを与えて成立させる役回りを全うしました。成立後は、この五百四十九ページの問答集を法制局みずからが作成し、今後の国会においても違憲の法制を合憲と主張し続けるアシスト役をみずから引き受けております。

 もはや内閣法制局に法律合憲性の事前審査を期待することができないとするならば、憲法裁判所という名称をつけるかどうかは別として、内閣法制局にかわり法律合憲性を事前に判断あるいは参考意見を付与する役割を、内閣から独立した機関、裁判所に果たしてもらう新たな枠組みをつくることを検討するべきではないでしょうか。また、この新制度の設置が憲法改正なくして不可能かどうかも含めて検討すべきであります。

 憲法を一文字も変えない安心感追求型の護憲論、憲法を一文字でも変えたい欲望先行型の改憲論も、そろそろ卒業するときであります。国民一人一人が尊厳ある人生を形づくるために、リアリティーのある憲法議論に微力ながら尽力をしていきたいと思っております。

 ありがとうございました。

船田委員 会長、ありがとうございます。自由民主党の船田でございます。

 まず、議論の再開につきまして一言申し上げたいと思います。

 昨年六月四日のこの審査会参考人質疑の中で政局に絡めた議論が展開され、私の不首尾もありましたけれども、結果として審査会の審議が一年半にわたり停滞をしたということは極めて残念なことでありました。

 自戒も含め、今後は政局に絡めないよう、あるいは政局から離れた静かな環境のもとで憲法に関する議論が行われるよう、自民党だけでなく、全ての会派が心得て取り組んでいかなければいけないと認識をいたしております。

 次に、憲法論議の原則について申し上げたいと思います。

 憲法は、国民全体の利害、あるいは人生哲学、また日々のライフスタイル、さらに国のあり方にまで及ぶ広範で奥の深いものであります。したがって、憲法審査は、一般の法案審査とは違い、与野党の枠を超え、少数会派にも平等な時間を配分し、徹底的に話し合うということが望ましいと思っております。

 この原則は、元憲法調査会長中山太郎先生が提唱され、憲法調査特別委員会、そして当憲法審査会まで踏襲されてきた貴重な原則であります。我々は、このことにいま一度立ち返り、うまず休まず真摯に審議を続けていきたい、このように思っております。

 三つ目に、制定過程について私見を述べます。

 現行憲法は、GHQから発せられたマッカーサー草案がベースにあることは事実だろうと思います。その後、帝国議会で四カ月間議論し、芦田修正、文民条項など、複数の修正がなされましたけれども、全体としては、GHQの統制のもとに置かれていたために、必ずしも国民の意思を十分に反映したものとは言いにくく、また、国民投票も行われなかった事実があります。

 したがって、現行憲法は、外から押しつけられたと言われても言い過ぎではないとは思っております。しかし、このような出自だからといって、現行憲法が無効であるとか、破棄すべきものであるという主張には賛成ができません。

 現行憲法が発布され、この十一月三日で七十年を迎えたわけですが、これだけ長い間使ってきたこともあり、また、我が国の隅々にまで定着していること、このことにベースを置いて我々は議論を進めていく必要があると思っています。

 四番目に、改憲の必要性について申し上げます。

 我が国の憲法は、他国に比べ、規律密度が大変粗い、そして、抽象的表現が多かったり、法令によって規定する部分が多くなっております。そのため、いざ憲法を動かしたり、生かしたりするとなると、条文の解釈を施したり、法令によって補完するということが必要であったと思います。言いかえれば、日本国憲法は抽象的表現が多いために改正しなくて済んできた、あるいは、ぎりぎり改正を先送りすることができたんだというふうに思います。

 しかし、現在におきましては、その解釈の幅も限界に近づいております。本来は憲法改正により措置すべきことも法令で対応しているという部分も、若干ではありますがございます。憲法に対する国民の信頼が薄れつつあるということを考えますと、やはりここで勇気を持って改正を発議することは我々の責務であると思っています。

 最後に、改正の具体的なテーマについて若干申し述べます。

 一つは、昨年五月まで各党が自由討議の中で、環境権を初めとする新しい人権、二つ目には財政規律、三つ目には緊急事態、この三つがおおむね各党とも改正テーマとして共通して議論してきたものでありまして、このあたりから議論を始めるということは極めてふさわしいのではないかと思っております。

 また、現状と憲法とのずれがはっきりしております、七十九条、八十条の裁判官の報酬が減額できないという条項、あるいは八十九条の公の支配に属さない教育事業などへの公金の支出ができないというこの条項、これらもやはりきちんと改正をしておく必要がある、このように思っております。

 そのような課題をしっかりと掲げて、我々は、先ほど申し上げたようなルールに従って真摯に議論していきたい、私自身もその一人として頑張りたいと思っております。

 以上でございます。

大平委員 日本共産党の大平喜信です。

 一年半ぶりの憲法審査会です。私は、一年半前の六月四日、まさにこの場で、三人の憲法学者の方々に集団的自衛権行使容認の閣議決定と安保法制について質問いたしました。私の質問に対し、皆さん、閣議決定は立憲主義に反する、安保法制は憲法違反であると述べられました。今でもきのうのことのように覚えております。

 具体的に述べますと、閣議決定は従来の政府の憲法解釈の基本的な論理におさまっていないであるとか、安保法制が認めた戦闘地域における兵たん活動について、武力行使そのものであり、安保法制は戦争参加法案であるなどといった御発言が参考人からありました。そもそも日米安保は憲法を超えるものではないのだから、日米安保に基づいていても憲法に反することはできないとも述べられています。

 つまり、参考人の皆さんは、それぞれ現憲法に対する立場は違ったと思いますが、集団的自衛権行使容認と安保法制をめぐる安倍内閣の一連の行いは憲法違反、立憲主義違反というのが共通の見解でした。

 これを機に、国民の間で、安保法制は違憲であり、立憲主義に反するという認識が広がり、立場を超えて安保法制反対の声が大きく広がりました。反対する人々が異口同音に叫んだのが、憲法守れ、立憲主義守れであり、これが国民の声です。

 しかし、安倍政権は、この憲法違反の安保法制を数の力で強行させました。

 参考人質疑の後に行われた六月十一日の同審査会で、自民党の高村委員は、参考人の方が意見を言うのは自由だが、国民の安全と平和な暮らしを守るのは憲法学者ではなく我々政治家だという発言をされ、傲慢きわまりないという批判を浴びました。さらに、高村委員は、閣議決定によって内閣で意思を統一して、国会に法案を提出して十分に審議し、そして法律ができれば、それに従って政策を実行していく、これはプロセスとして正当だとも述べられました。

 驚くべき発言です。立憲主義を全く理解していないものです。集団的自衛権行使容認の閣議決定のように、内閣で決め、国会の数の力で押し通せば、憲法違反であろうが何であろうが構わないということをみずから認めたものにほかなりません。

 憲法をないがしろにする安倍政権によってつくられたのが安保法制、いわゆる戦争法です。

 この安保法制に基づき、安倍政権は、一昨日、南スーダンPKOへの自衛隊派遣部隊に駆けつけ警護などの任務を付与することを閣議決定しました。稲田防衛大臣は、現地は安定しているなどとおっしゃられておりますが、南スーダンは内戦状態が続いており、政府軍とPKO部隊による戦闘も起きています。派遣される自衛隊員が現地の人を殺害し、あるいは殺害される危険性が極めて重大になっています。

 日本国憲法の公布から七十年、二度と戦争はしない、争い事は武力によって解決しないという九条の原則を踏みにじる自民党政権の策動と、九条を守れとの日本国民の闘いが幾度も繰り返されてきました。アメリカによる再軍備、自衛隊創設と日米安保の押しつけ、海外への自衛隊出動などのたびに国民の反対の声が上がり、海外で武力行使をさせない、海外の戦闘には参加しないとさせてきたのがこの七十年です。

 しかし、安倍政権が今まさに海外に自衛隊を派兵し、戦闘に加担させようとしていることは極めて重大です。憲法を踏みにじり続けていながら、次は憲法そのものを変えたいなどというのは言語道断であり、国民はこれを許しません。

 歴史の逆戻りを決して許さず、憲法九条に基づく対話による平和外交を追求することこそ今政治がなすべきことであり、憲法改悪など全く必要ないことを申し上げて、私の発言といたします。

太田(昭)委員 憲法審査会が再開されて大変うれしく思うと同時に、私も久しぶりに審査会に入れていただいて、重厚な論議をということをきょうは一点だけお願いしたいというふうに思います。

 重厚な論議をと申しますのは、先ほど北側委員が三つ申し上げました。

 一に、国民にオープンに論議を進めるということ。何よりも国民の理解を得つつ論議を進めることが不可欠であるという、国民の理解というものを促す論議をここで展開するということが大事だということ。

 第二に、これまでどおり少数意見に配慮し、発言の機会を保障すること。これは既にきょうこの場で行われていることだと思います。

 第三、時の政局から一歩離れて、冷静に憲法論議を積み重ねること。これはほとんどの人がそうだ、こう思っていると思いますが、ここは常にわきまえながら、深い重厚な論議をお願いしたいというふうに私は思います。

 冷静に憲法論議を重ねるという冷静というのは、重厚な論議というと同時に、私は、憲法調査会が始まった二〇〇〇年から最後まで、中山太郎先生と一緒に、委員としては私一人だけ五年間在籍をさせていただきましたが、当時、何といいましても、憲法を論ずるということは国を論ずることだ、国の形を論ずることだという共通のテーマがあったんだと思います。

 そして、ちょうど二〇〇〇年という区切りのときに当たって私は発言をしたことがありますが、国の形と同時に、日本人の形、日本人の哲学というものを、それから百年前の一九〇〇年のあたりには、そういう論議が実は行われた。常に時代の制約のもとで文言が書かれ、そして論議が行われるということは、これは必然のことであろうというふうに思いますし、この憲法が昭和二十一年あるいは二十年という時を背負いながら必死に論議をされたということを踏まえても、日本人論ということでいうならば、一九〇〇年、ちょうど百年前、区切りのときに、例えば、一八九四年に内村鑑三が「代表的日本人」というのを書いた、一八九九年に新渡戸稲造が「武士道」というものを書いた、そして、岡倉天心は一九〇四年に「茶の本」というのを書いた。

 ばらばらのように思われるけれども、そこには共通して、明治に至って文明がヨーロッパから流入した中で、果たして日本人というのは何であったかというものが当時の知識人の中に共通してあって、それが内村鑑三の「代表的日本人」であり、そして新渡戸稲造の「武士道」もそうであり、これが日本人の形だということを英語で世界に問いかけたということがあったと思いますし、岡倉天心の「茶の本」ということもそういうものが背景にあったし、夏目漱石の小説の「こゝろ」を初めとするものの中には、そうした日本人というものと日本人の孤独というものが当然あったし、そういうものの中で、二十一世紀の日本の国の形というものは一体どういうものであるかということをテーマにして論議をされたというのが憲法調査会五年間であった、非常に実りある論議をさせていただいたというふうに思っています。

 そういう意味で、私は、時の政局から一歩離れて冷静に、こう言いましたが、二十一世紀の日本の国の形、激動する世界情勢の中での日本というものはどのように生きていったらいいのか、そこの中での日本人の哲学というものはどうあるべきかということを踏まえた重厚な論議、国の形を論ずるということを常に忘れない論議というものを底流に置きながらの論議を、ぜひともこれからお願いしたいということを申し上げておきます。

 以上です。

辻元委員 民進党の辻元清美です。

 私は、本日のテーマであります憲法公布七十年を振り返って、日本国憲法の意義と、そして憲法制定過程と憲法論議のあり方について意見を申し述べたいと思います。

 まず、日本国憲法が果たしてきた役割について、最近、世界じゅう、そして日本で、女性の政治リーダーの活動が注目されております。

 私たち女性は、戦前、基本的人権が実質的に制限されてきた。政治的な参加権も、そして婚姻の自由も十分認められているとは言えませんでした。

 しかし、戦後、憲法二十四条のもとで個人の尊厳、両性の本質的平等がうたわれ、このおかげで、女性も自由に発言し、活動ができるようになりました。この審議会は三人しか女性はいませんのでまだ不十分ではありますが、戦前とは大違いです。四人ですか。済みません、見えなかった。

 憲法九条については、非常に特徴的な条項と言われておりますが、去年の安保法制の議論のときに、安倍総理は、日米安保条約改定の折も戦争に巻き込まれる論があったが、戦後、巻き込まれていないじゃないかという御発言をされましたが、日米安保条約はあったけれども戦争に巻き込まれなかったのは、憲法九条で集団的自衛権の行使を制限してきたからだと私は考えています。

 戦後、朝鮮戦争やベトナム戦争に、もし集団的自衛権の行使を認めていたならば、参戦していた可能性も否定できないからなんです。実際、七十一年間、戦争によって一人も殺されず、そして殺さなかったということは、憲法九条の歯どめがあったと思うんです。

 言論の自由も戦前は制限されておりました。安倍総理はよく美しい国という発言をされますけれども、言論の自由が制限されたり、女性の権利が制限されたり、また、三百万人以上もの人たちが亡くなった戦争に踏み込んでいった戦前は決して美しい国とは言えないと思います。

 戦後、男女平等が実現し、そして、一回も、一発の銃も撃たなかった、言論の自由も保障してきた戦後こそ、私は、安倍総理のおっしゃるところの美しい国ではないかと思います。

 次に、制定過程についてです。

 そろそろ、これはきょうも出ておりますが、押しつけ憲法論議という、敗戦コンプレックスから思考停止している不毛な憲法論議からの脱却が必要だと思います。ニュートラルな憲法論議に各党が足並みをそろえるということが非常に重要だと思っております。

 二〇〇〇年から憲法調査会が立ち上がって十七年、世界各地の憲法改正の調査にも行きました。

 憲法改正には三つの原則があったと思います。

 一つ目は、主権在民。ここを改正してほしいと国民の多数が声を上げているかどうか、そういう点が具体的にあるかどうか、それを受けとめて、この憲法審査会で、なら、どの条項をどう変えましょうかという議論であるということ。

 二つ目は、法律で対応できることは法律で対応していく。

 そして三つ目は、最後に、国論を二分するような論点は憲法改正にはなじまないのではないか。これは、各国の憲法改正を調査した皆さん、共通に認識を持たれたのではないかと思います。これは政治を不安定にすることを避けるからだと思います。

 ですから、丸ごと憲法を書きかえる案を出すとか、世界を見渡しても、世界の政党を見ても、非常にまれ、またはないということではないでしょうか。

 自分たちのイデオロギーや考えでまとめた改憲案を、自分たちの考えを国民に押しつけるということはあってはならないと思います。これは押しつけ憲法ならぬ押しつけ憲法改正だと私は思います。

 私たちの責任というのは、反対のための反対というフレーズをよく聞きますが、きょう中谷さんもおっしゃいました、改正のための改正であってはならぬ、安倍総理は、改憲案を国民に提示するのは私たち国会議員の責任でありますということをおっしゃいましたが、まず、国民がどの点を憲法改正してほしいと、多数の国民が声を上げているのかどうか、その点にしっかり耳を傾けるところからスタートすることこそ、押しつけ憲法改正ではなく国民のための憲法改正になるのではないかということを申し上げたいと思います。

 以上です。

後藤田委員 久しぶりに始まったというか、昨年も委員として発言をさせていただきましたけれども、今回、いろいろ、各論、総論から御意見があります。

 ただ、今回、スタートに当たって、制定当時のこと、また、今まで七十年間、いわゆる日本国においても国民にとっても日本国憲法というのはいかなるものであったか、こういう総括をまずすべきだと思います。そして、それをぜひ森会長のもとでスタートさせて、各党といいますか、その方々のみならず、国民の皆様にもわかりやすくこれを共有していくという作業が要ると思います。

 今もいろいろ与野党で押しつけ論とかお試し論とかそれぞれあるんですが、私はぜひ提案したいのは、皆さん、各代表者からの意見をお伺いしてもそう思ったんですが、やはり今までの憲法はまさに普遍的な理念という点においては皆さん評価している、これはいいものだったと。こういうものをぜひこの委員会で、まず委員の皆様で共有して、国民の皆様にそれを指し示すと、やはり国民の皆様もこれからの議論について安心をしていただけるのではなかろうかなというふうに思います。

 加えて、その後の議論といたしましても、私は前回も申し上げたんです、普通の国ではなくて理想の国を目指そうと。憲法というのはそもそも理想を目指すものであるということを申し上げました。

 いわゆる国民主権だとか基本的人権、これは当時、我々がおくれていたわけでありますが、その理想に基づいて、現実がようやく追いついてきた。だけれども、平和主義というのは、実は、世界の中で理想であって、世界がまだついてこられていない、理想的な、普遍的な価値だと私は思います。こういうものも大事にしなくてはいけないということを考えたときに、今後の議論では、普通の国であるのは当然ですが、理想の国を目指す憲法をどう議論していくか、このことも皆さんと共有していくべきだと思います。

 それに加えて、各論になりますと、まさに先ほど来意見が出ておりますとおり、現実に憲法を合わせるのか、憲法に現実を合わせるのかという中で、明らかに国内外の情勢の変化の中で現実になかなか合ってこなかった点につきましては、その矛盾を皆様方とできる限り共有して、それを変えていく、これを国民の皆様にもお示しすれば、国民の皆様も御理解をいただけるのではなかろうか、このように思います。

 まとめますと、まず、今までの七十年の日本国憲法というのは、日本にとって、なじんでいるし、すばらしいものである、こういうことをぜひ共有したい。これを国民の皆様に、まず当審査会として発表する。そして、その後に、我々と理想的な憲法をつくるんだ、そして現実に合わせるものは合わせていくんだ、こういうことを、当たり前のことでありますけれども、抽象的ではありますが、これを共有し、国民の皆様にまず発信して、そこから各論の議論を前に進めていっていただきたい、こういう思いであります。

 以上です。

小沢(鋭)委員 会長、ありがとうございます。

 日本維新の会の小沢鋭仁でございます。

 きょうは制定過程をテーマに、こういう話でやっているわけでありますが、まず、この制定過程に関しては、先ほど来お話を伺っておりますと、いわゆる押しつけ憲法論、これを言っているところはどこもないな、こう思うんですね。実際に、この憲法審査会でもそういった報告を取りまとめておりますし、そういった意味では、そこはもう、制定過程に関してはそういう合意があるということで進めていただきたいな、こういうふうにまず思います。

 それから、制定過程というよりも、制定から今日に至るまでの憲法論議ということをちょっと振り返ってみますと、先ほど私どもの足立委員からも申し上げましたが、我々は脱イデオロギーの憲法改正論ということを主張しているんですが、この戦後の憲法論議は、ある意味では、保守は改憲、革新は護憲、どちらかというとそういったイデオロギー的立場でずっと議論がされてきたのかな、こういうふうに思っています。

 それから、私、議員になる前にいろいろ勉強したりお話を聞く機会があったんですが、政権をとってきた自民党の中でも、例えば、中曽根元総理は戦後政治の転換ということで改憲を主張され、宮沢元総理は戦後政治の継承といって護憲、こういう主張をされました。そういった意味では、ある意味で思想的、価値観的というか、そういった憲法改正論が同時に行われてきたのかな、こうも思うわけであります。

 そこから脱して、さっき辻元委員も言いましたが、中立的、こういう言葉がありました。我々は脱イデオロギー、こう言っておりますが、いわゆるバリューフリーというか、価値観から離れて、時代の変化に合わせて、今、社会の仕組み、国の仕組みを変えていく、そのためには基本法たる憲法も変えなければいけない部分があるでしょうということを我々は申し上げていて、我々が考えるところは、先ほど申し上げましたように、三つのところ、教育の無償化、統治機構の改革、それから憲法裁判所の設置ということでありますけれども、そういった立法事実というか憲法事実というか、そういったことに基づいた提案をして、ぜひともこの審査会の議論を前に進めたい、こう思うわけであります。

 私もかれこれ、ここに十年近くおりますけれども、十八歳投票を含む国民投票法、これは大きな成果だったと思います。これは、若干我田引水、手前みそで宣伝させていただくと、日本維新の会が、まず国民投票法、三つの宿題の改正を提案して、各党が乗っていただいてでき上がりました。これは一つの成果だったと思いますが、勉強をずっと続けて十数年なんですね。

 ですから、先ほども申し上げましたように、前に進めたい。時代は待ってくれていない。時代の変化は大きい。イギリスのEU離脱やトランプさんの誕生を含めて世界は大きく変わっている。その時代に、憲法を七十年変えないということが自慢であってはおかしいんじゃないかと。いわゆる時代の変化に合わせた憲法改正を行うことが、まさに我々国会議員の責務であると私どもは思っています。

 あと、具体的に申し上げると、我が党は独自の憲法の調査を行いました。これ、憲法を改正するのに賛成か反対かというと、どうしても、さっきから申し上げているイデオロギーだとか九条とかにひっかかっちゃうんですね。個々に具体的に我々が提案した三つの提案なんかは、まだ生データですけれども、いわゆる賛成が反対を超えています。そういった個々の問題に入っていく議論を何とぞ行っていただきたいと委員各位、会長にお願い申し上げて、私の発言とさせていただきます。

 ありがとうございました。

宮崎(政)委員 会長、ありがとうございます。

 自由民主党の宮崎政久です。

 先ほど来敷衍がありますとおり、十一月三日に日本国憲法は公布から七十年を迎えたわけであります。そして、この憲法は、昭和二十一年の六月二十日から始まる第九十回帝国議会で審議され、可決されたわけでありますが、この帝国議会を構成する衆議院議員というのは、その昭和二十一年の四月の十日の第二十二回の総選挙で、普通選挙により選出された議員によって構成されておりました。

 その定数は四百六十八名とされていましたけれども、実際いたのは四百六十六人しかいなかった。なぜいなかったかというと、沖縄県選挙区からの二名の定員の代表がいなかったからであります。そのとき、沖縄、奄美、小笠原につきましては、残念ながら住民の代表を国会に送ることができないままでありました。

 これは、昭和二十一年の一月の二十九日、GHQ指令が出まして、北緯三十度以南の南西諸島の全域において日本の施政権が停止をされたからであります。これで、沖縄に限らず、奄美群島やトカラ列島も含む鹿児島県の大島郡も沖縄同様に米軍施政下に置かれましたし、また、詳細は避けますが、小笠原においても同じようなことが起きたわけであります。

 どれぐらいの国民がこの憲法の制定に参加できなかったのかということを調べてみますと、憲法を制定した昭和二十一年のときの資料というのは、ちょっと戦争が終わった直後でなかなかないわけでありますが、直近の昭和二十五年の人口を調べてみますと、日本の国は全体で八千三百二十万人、沖縄は六十九万九千人、奄美の人口は二十二万三千人、小笠原の方はちょっと確定できないというふうになっておりましたけれども、およそ千名程度というふうに言われておりまして、人口比率で我が国の一%を超える、計算上約一・一%以上という多くの国民が今の日本国憲法の制定に関与できない状態であったという現実があります。

 日本国憲法は国民主権を、基本的人権の尊重、平和主義とともに、三大原理として規定をしている憲法であります。この国民主権というのは、権力的な契機と正当性の契機があるというふうに言われておりますけれども、全国民が参加をするという正当性、また、具体的に制憲権を行使できるという権力的な契機、いずれにおいても、全国民が参加できないままであったという事実は、これはしっかり肝に銘ずべきところだと思っています。

 きょう議論があるとおり、きょうは憲法制定の経緯についての議論がさまざまされております。先ほど小沢委員からも指摘があったとおり、押しつけだから無効だという意見はないわけであり、私も、この制定の経緯をもってして、関与していないから今の憲法が無効だというようなことを言うつもりは毛頭ないわけであります。ただ、全国民が、改めて、私たちの国柄はどうあるべきか、憲法という国の根本法がどうあるべきかというようなことを議論して、制定に向けて国民議論をする機会はしっかりと保障されるべきであると思っています。

 沖縄の声を国政に反映してくれと私たちは大きな声で唱えております。であればこそ、こういったことも含めてしっかり反映をさせてもらうような議論が、一文字たりともいじっちゃいけないんだというような形で封殺をされるようなことがあってはならないというふうに考えている次第であります。

 憲法改正の国民投票の議論、そして、さきの国会で成立をした公職選挙法の改正をする中で、十八歳の投票権、選挙権を認めていくその各改正法の附則の中では、民法の成年年齢についても、これを、同じく規定をしっかり整えるということが累次にわたってされておりました。つまり、少子高齢化の進む中で、この国の大人として、この国の国つくりを担う人を何歳から上にするのかということを真摯に議論を重ねることを続けてきたわけであります。

 国家の根本法であっても、やはり、この国の根本法としてどういったものがあるべきなのか、私たちが主権者として目指すべき国家像であったり、主権者として抱くべき国家の根本法というのは何であるかということは忌憚のない意見交換ができるようにするべきであって、決まりを決めたら、金科玉条のように、これを一文字たりとも譲ってはいけないんだというような議論に堕することがないようにするべきだと考えているところであります。

 以上です。

武正委員 まず、先ほど足立委員から指摘を受けたことが事実と異なるものですから、それについて申し述べたいと思います。

 この憲法審査会、先ほども述べましたように、一年五カ月前、六月四日の参考人質疑を契機としてとまったということでありますが、これはあくまで与党側の事情でとまったと認識をしております。それを再開するに当たって、与党から再三言われております、あるいは各党から言われておりますが、静かな環境というのが述べられておりましたので、先週、十一月十日は、本会議が委員長職権で立てられ、TPPの本会議採決が予定をされ、極めて波が高かったときでございました。

 また、もしそのまま憲法審査会が開かれれば、当日は山本農水大臣の不信任決議案を野党として提出予定でありましたので、憲法審査会のきょうの意見表明、一週間前であれば、当然、TPP特委の強行採決の不当性、山本農水大臣の資質、先ほども触れましたノリ弁当と言われる資料しか政府から出されなかった、こういった点をこの審査会の意見表明で指摘せざるを得ず、一年五カ月ぶりの再開にはふさわしくないとして、与党筆頭幹事に何か知恵を出していただけないかと求めまして、与党筆頭幹事から一週間延期の申し入れがあり、了解したものであります。

 なお、政局と切り離してというお話が再三出ますが、二〇〇五年までの憲法調査会から、今度、憲法改正国民投票法、この策定に当たる以降、二〇〇七年、安倍総理の、行政府の長として憲法改正、これにリーダーシップをとるんだという発言、そして、二〇一三年、同じく安倍総理から九十六条改正の発言、これによって、この国会、当審査会など大揺れに揺れたように、全く政局と切り離して憲法審査会の運営はできないんだということは、前回、衆議院選挙後の国会、それぞれの国会での憲法審査会幹事会でも確認をされております。

 なお、昨年六月四日、参考人質疑は、安保法案、憲法とのかかわりを聞いてはいけないとするのは、やはり当時のタイミングからいって無理があったというふうに思います。

 そういった意味では、先ほどの足立委員の発言については、事実と異なるので、指摘をし、発言の訂正を求めたいというふうに思います。

 なお、先ほど来のお話の中で、民進党は、憲法裁判所につきましては、民進党政策集で、「政治、行政に恣意的な憲法解釈をさせないために、憲法裁判所の設置検討など違憲審査機能の拡充を図ります。」としております。

 また、七十一年たっているという御指摘がございますが、フランス人権宣言、フランス憲法典の一つとして、また、アメリカ憲法、いずれも二百年以上歴史を刻んでおります。

 また、アメリカ憲法では、公民権運動などの運動が起きる前に条文が既に付されておりますが、百年たってようやくそれが実現をしたということからいいますと、やはり、同僚委員からも発言があったように、現行憲法はまだまだ生かし切れていない部分が多々あるのではないのか、こういった点も当審査会でしっかりと議論を深掘りする必要があろうかというふうに思います。

 また、押しつけ憲法論もほとんどこの場ではないじゃないかというお話が出ましたが、一番それを言っておられるのは現総理ではないでしょうか。GHQが七日間でつくられたということを再三言っておられるといったこともありますと、やはりここでしっかりとこの憲法審査会の総意として確認をし、それをそれぞれの各党が持ち帰って、各党でもやはりそのことを確認することをお願いしたいというふうに思います。

 さて、先ほど申し述べましたが、自民党憲法草案、昨日の参議院の筆頭幹事からは、バージョンアップをするということを言っておられました、二〇一二年自民党憲法草案をバージョンアップすると。バージョンアップするということは、普通はさらに高みにというか、さらにそれを深掘りするというような意味にもとられがちでありますので、改めてその真意を伺いたいというふうに思います。

 以上です。

山下委員 自由民主党の山下貴司でございます。

 日本国憲法公布七十年のこの年、この月に発言の機会を与えていただきまして、大変光栄に思っております。また、私自身、憲法担当の司法試験委員をやっておりました。そういう経験も踏まえてこの場で発言させていただくこと、大変光栄なことだと思っております。

 私は、この憲法制定経緯、本日議論するわけでございますが、無用な、かつ不毛なレッテル張りにくみするつもりはございません。ただし、その制定経過、事実に関して目を背けることは、やはり国民の憲法論議に対して不誠実ではなかろうかというふうに考えております。

 その憲法の制定経緯、これは本日お配りされております資料の二十三ページ、憲法制定の経過に関する小委員会の報告書の下線部にまとめられているところであろうかと思います。

 すなわち、「原案が英文で日本政府に交付されたという否定しえない事実、さらにたとえ日本の意思で受諾されたとはいえ、手足を縛られたに等しいポツダム宣言受諾に引き続く占領下においてこの憲法が制定されたということは、明らかなのである」。一方、「全部が全部押しつけられ、強制されたといい切ることができるかといえば、当時の広範な国際環境ないし日本国内における世論なども十分分析、評価する必要もあり、さらに制定の段階において、いわゆる日本国民の意思も部分的に織り込まれたうえで、制定された憲法であるということも否定することはできないであろう。」

 我々は、こういった事実も踏まえてやはり議論していく必要があるのであろう。こういった制定経緯を正しく国民と共有することは、七十年の歳月を経た憲法の改正の要否、解釈の要否、変更の要否を考えるに当たっても重要でありますし、無用なレッテル張りを避けるという意味でも重要であるというふうに私は考えております。

 そういった意味で、憲法制定経緯において、レッテル張りは避けるべきだという観点から、一つ、九十七条の削除について制定経緯を御紹介いたしたいと思います。

 この点について、最高法規の章から我が党草案が三章にまとめたことについて批判される向きがございますが、この点の経緯につきましては、この審査会でも平成二十五年五月に配付された資料八十五号の四ページにも記載されております。

 これは、もともとマッカーサー草案の第三章の初めに二つの条文があって、その一部に、「此ノ憲法ニ依リ日本国ノ人民ニ保障セラルル基本的人権ハ人類ノ自由タラントスル積年ノ闘争ノ結果ナリ時ト経験ノ坩堝ノ中ニ於テ」云々というところがございました。

 これについて、「積年ノ闘争ノ結果」だとか「時ト経験ノ坩堝」だとか、とてもこれでは日本の法文の体をなさないということで、あれこれ思案のあげく、この条文を一条にまとめて、十条、現在の十一条にしたというところが、これが、当時法制局次長でありまして、後に内閣法制局長官になった佐藤達夫さん、この方が日本国憲法を非常に形づくった方でございますが、その方が書いておられます。資料にも明記されております。

 そして、十条として総司令部に持ち込んだのだけれども、先方も我々の案に同意してくれたのだけれども、その喜びもつかの間、相手方がしばらく中座していたのが戻ってきて、実はあれはホイットニー民政局長みずからのお筆先になる得意の文章であり、どうも削ることはぐあいが悪い、せめて尻尾の方の第十章あたりに復活することに同意してもらえないかと言い出したと。そうまで言うならとこれに同意し、第十章の初めに今の九十七条に当たる条文を入れることにしたのであったというふうに言っております。

 そして、この佐藤達夫元長官は、後で一番気になったのは、この条文を最高法規の章に入れたことであると。どうせマッカーサー草案の十条を復活するのなら、素直にマッカーサー草案のとおり三章の初めの位置に置いた方がよかったのではないかということであるというふうに、これは資料にも明記されております。ただ、説明ぶりとしては、当時から、基本的人権の確立こそはこの憲法の核心をなすものであるということで一貫してきたということであります。

 こういった経緯も踏まえて、どのように憲法を考えていくのかということを我々は自由に考えるべきではないか、自由に議論をすべきではないかと思っております。

 また、解釈変更について指摘がございました。

 しかし、この解釈変更につきましては、例えば、国立国会図書館に調べていただいたところによると、平成二十四年の総選挙当時に東京大学と朝日新聞が調べたところによると、憲法を改正するか解釈変更して集団的自衛権を行使するようにすべきだとした方が、現在の民進党の議員のうち三十七名、約四割おられたということでございます。

 私たちは、この方々が立憲主義にもとる解釈をしたと言うつもりはございません。やはり我々は、解釈について、どう限界があるのかということをしっかり考えていくべきであろうと思います。

 その上で、戦後七十年の時を経たこの憲法、例えば、国会が機能しない緊急事態においてどうするのか、新しい人権についてどうするのか、地方自治については十分か、一票の格差に関する最高裁判例が事実上変遷している中でどう考えるべきか、そういったことを、我々日本人の英知を信じ、最終的には国民投票でございますから、この英知を信じ、そしてその経験をもとに考えていくというのが、そしてそれを提示するのがこの審査会の役割であろうと思っております。

 以上であります。

安藤委員 自民党の安藤裕でございます。

 本日は、発言の機会をいただき、ありがとうございます。

 本日、衆議院の憲法審査会が再開をされ、議論が深まることによって国民の間で憲法改正に対する理解が深まっていくことを大変に期待しております。

 さて、私は、現行の憲法において早急に改正をしなくてはならないのは、まず憲法第二条であるというふうに考えております。以下にその理由を述べます。

 現行の憲法第二条では、「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。」と規定をされています。

 さきの天皇陛下のお言葉をきっかけに、皇室典範や天皇陛下の譲位についての議論が始められています。有識者会議も設置をされ、その議論の内容についてもさまざまな報道がなされております。

 しかし、私は、皇室のあり方や譲位のことについて国民的議論の対象になること自体に少し違和感を感じております。皇位継承のあり方について、また天皇陛下の譲位について、私たちが口を挟むべき内容なのか、我々はそれに口出しをするほど日本の皇室のあり方について日ごろから熟考し、長い皇室の歴史について熟知をしているのか、そのことについて甚だ疑問を感じるのです。

 そして、一番問題であると考えるのは、憲法第二条の、国会で議決をした皇室典範という規定です。

 国会で議決をするとなると、私たち国会議員も当然皇室典範について発言をしなくてはならなくなります。国会議員が発言をするとなると、当然にこれはそれぞれの議員の信条や価値観に基づいて発言が出てくる、これは極めて自然なことです。

 しかし、私たち政治家が発言を始めると、当然にこれは政治問題となってまいります。さまざまな集会で政治家が発言すればするほど大きな政治課題となり、国論を二分するような議論に発展をしていくおそれがあります。これが結果的に皇室の政治利用につながっていくのではないでしょうか。

 長い日本の歴史を顧みても、世界最古の王朝である皇室がなぜこれほど長い間続いてきたのか。それは、国の権威と権力が分離をしており、皇室は日本最高の権威を保ち、国を統治する国家権力は武家等が行使をしてきました。だからこそ、どのような権力者も天皇に取ってかわろうとは考えなかったし、易姓革命のようなことはこの日本では起きることがなく、神話の時代から連綿として続く皇室が今でも継続をしています。

 権威を権力と分離させておくことが、結果的には国の統一を保ち、今の象徴天皇制につながっているのではないかと思います。これからも天皇陛下の権威と国家の権力は分離をさせておくべきであり、これが今後も皇室が継続をしていく大切な要素であると考えます。

 ところが、今の第二条では、「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。」と規定されている。つまり、日本の最高の権威が国権の最高機関たる国会の下に置かれています。先人たちが長い間培ってきた知恵である権威と権力の分離が現行憲法ではなされていません。

 本来、天皇の地位は日本書紀における天壌無窮の神勅に由来するものであり、憲法が起草されるはるか昔から存在するものです。これを後から憲法に文章として規定し、そこに国の権力の源泉となった国民主権を入れ込んだために、権威と権力の分離ができなくなっています。

 私は、皇室典範については、旧憲法のように、国会の議決を経ずに皇室の方々でお決めをいただき、国民はそれに従うというふうに決めた方が、日本の古来の知恵であった権威と権力の分離が図られると思いますし、皇位継承や天皇陛下の譲位について、政治問題と化し、政局になってしまうことを避けることができると思います。だからこそ、今早急に改正すべきは憲法第二条であると主張したいと思います。

 皇室は憲法以前から存在をしており、我々が手を出せないところにあるからこそ権威なのです。これを忘れてはならないと思います。

 以上です。

細野委員 発言の機会をいただきまして、ありがとうございます。

 この憲法審査会でこうした議員間の討議を行うことができる形になっているということは本当にすばらしいことだと思います。これは、長年にわたって憲法審査会が積み重ねてこられた議論の形式として、通常の委員会では政府に対して議員が質問するという形に限定をされているものが、各党間でこういう議論ができる、そのことによって憲法についての議論が深まるということでありますので、心から歓迎を申し上げたいと思います。

 そこで、山下委員の御発言について、私は一言発言をしたいと思って機会をいただきました。

 私が自民党の憲法改正草案を見ておりまして一番違和感を持ったのが九十七条です。その趣旨について、今、山下委員が御発言をされました。

 私も九十七条が入った経緯については一定の情報は目の前で集めておりまして、佐藤達夫氏ですね、後に法制局長官になられたこの方が、制定経緯を最後まで語られた方としては一番語り部の方ですね、いろいろ資料を残されていて、それは拝見をしています。佐藤氏が指摘しているように、ホイットニー民政局長の意向で入ったので、これは外し得なかったというやりとりがあったことも、これも恐らく事実でしょう。

 しかし一方で、佐藤氏は最後にこうも発言をしているわけですね。これは「法令随筆」という中で、最後のこの部分でこの部分に対する記述を締めているんですが、もはやこの条文は、これは九十七条ですね、それこそ時と経験のるつぼの中で、第十章、これは最高法規の部分です、ここに立派に溶け込んでいると言ってよさそうであるというふうに総括をされているわけですね。つまり、佐藤達夫氏は、九十七条が入った経緯については確かにホイットニー局長からのいろいろなことがあったけれども、もはやここに入っていいんだというふうに言っておられるわけです。

 今、ちょっと遠くからですからはっきり見えませんが、山下委員は目の前に佐藤幸治教授の憲法についての本を置いておられますね。私の大学の師匠でもあります。佐藤教授は芦部教授とともにある種の憲法の通説の方でありますが、この九十七条については、まさに最高法規のところにこの人権規定が入っているから、実質的な根拠として、これがあるがゆえに、これが根拠となって最高法規なんだという、これが憲法通説になっているわけですね。

 なぜこの憲法通説たるこの最高法規をあえてひっくり返すのか。押しつけ憲法論にはくみしないと山下委員はおっしゃいましたけれども、経緯について言及されるのは結構だと思います。しかし、現代的な意味なり、この七十年間培ってきたその結果についてどういう解釈をするのかということをおっしゃらないと、まさに時の経緯だけの押しつけ憲法論に終始をして議論しているというふうに言われても仕方がないのではないかというのが私の率直な思いであります。

 自分の態度を明確にしないとここは必ずしもフェアではないと思いますので申し上げますが、私は、最高法規のところに人権規定が入っている意味は、現代的意味、歴史的意味というのは極めて重いというふうに思いますので、自民党案でこれを排除するということに関しては反対の姿勢であるということを申し上げておきたいと思います。

 最後にもう一つ申し上げますと、先日、予算委員会で安倍総理に対してこの条文について質問いたしましたところ、それは憲法審査会でやってくれという答弁がありました。その後、若干答弁をされましたが、十分な御答弁をいただけなかった。それを受けてこういうやりとりがなされたことは、ここはここで歓迎したいというふうに思います。

 ただ、一点、やはり自民党の皆さんに改めて確認をさせていただきたいのが、憲法審査会に自民党の改憲草案を提起しない、提案をすることはしないというのが決定事項のようでありますが、一方で、ベースであることは否定をされない。公明党の皆さんは、たたき台とはしないということを井上幹事長も発言をされているようでありますが、そこが判然としません。

 ですから、どういう姿勢でおられるのか。これはつまり、撤回はしないけれども提案しないというのはどういう意味なのかということについては、できればどなたか責任ある立場の方に御説明いただきたいというふうに思います。

 我々も、二〇〇五年の憲法提言以降、もう少ししっかりと我々としての考え方をまとめるべきだというふうに思っておりますので、そういうさまざまな提起については積極的にやっていきたいということは最後に申し上げて、発言を終わります。

 以上です。

山下委員 再びの御指名ありがとうございます。

 先ほど名前が出ましたので、細野委員に申し上げます。

 私は、今回の憲法審査会の議論、これは憲法制定経緯ということでございます。そうした中で、経緯についてきちんと国民に提示した上で検討すべきではないかということでございます。そうした中でこの制定経緯を御紹介したということでございます。

 そして、この佐藤達夫長官、先ほど細野委員もおっしゃるように、日本国憲法をつくる大きな大きな日本側の立て役者でございます。その佐藤達夫長官自身が、どうせ復活するなら素直に三章の初めの位置に置いておいた方がよかったということを言っている。そうした考えはあり得るのだということ。そうした考えについて、レッテルを張るのではなく、虚心坦懐に議論し合う、それがこの憲法審査会の場であるということを私は申し上げたいわけでございます。

 また、憲法解釈の変更につきましては、これはやはり同じ佐藤達夫長官が、内閣内閣において憲法解釈を変更すること、これは当然でありますということを国会の答弁として法制局長官として述べておるところでございます。先ほど現法制局長官の話が出ましたけれども、佐藤達夫長官の国会答弁においては、内閣内閣において正当と解する解釈を出すというのは理論上当然でありますということがあったことを御紹介しておきます。

 以上でございます。

細野委員 済みません。せっかくの議論ですので、余り時間を使わないように、もう一言だけ発言します。

 そうすると、山下委員、この九十七条の最高法規のところに人権規定が入っているという、人権に関する記述が入っているというこの歴史的な意味、現代的意味、すなわち、こういう条文が最高法規に入っていること自体は否定をされるんですか。もしくは、それ自体は、経緯は経緯としてあるけれども、肯定的に捉えられるのか。そこの部分について御意見を伺いたいと思います。

山下委員 手短に申し上げます。

 それをまさに議論するのがこの憲法審査会であり、この憲法審査会で議論をするというのが大変大きな意義であろうと思います。(発言する者あり)これはもう各論でやるべきだと思いますので、また改めてと思います。

森会長 ちょっとこの議論はこの辺で打ち切らせていただいて、また別途、しかるべき場面でお願いいたします。

枝野委員 先ほど憲法第二条の話が出ましたので、それに対して申し上げたいと思います。

 先ほどの御発言の中身については私は全く意見を異にしますけれども、まさに日本国憲法について、その重要な要素である象徴天皇制をどうこれから維持、継続していくのか、それは大変重要なテーマであり、なおかつ、皇室典範、あるいは、皇室典範と名前をつけようがつけなかろうが、皇位継承についてのルールというのは、我が憲法審査会に与えられた権限である日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制、まさに皇室典範こそ密接に関連する基本法制そのものであります。

 今、一部の有識者の皆さんが政府でヒアリングとかを受けていろいろやっているようでありますが、先ほどの自民党の方の意見とは立場を異にしますが、少数の恣意的に選ばれた有識者の皆さんだけが議論をしていて国民代表たる国会が議論しないというのは到底考えられない。

 何よりもこの憲法審査会で最優先課題として議論しなきゃいけないのは、この皇位継承の問題についてまさに国民を代表する我々、そして、憲法に密接に関連する基本法制について調査検討する場であるこの憲法審査会において、この譲位問題について、皇位継承について、早急に議論の場を持っていただきたいと森会長に強くお願い申し上げます。

森会長 承りました。幹事会において協議をいたします。

 それでは、残り時間が十五分となりまして、今四人の方の札が立っておりますので、一応この四人で打ち切りといたしたいと思いますけれども、赤嶺政賢君、足立康史君、山田賢司君、佐藤ゆかりさんの順で行きたいと思います。

赤嶺委員 先ほど、公明党の北側委員の方から、憲法制定時の私たち日本共産党の態度についての言及がございました。大変重厚な議論をしていきたいという公明党のお考えもあるようですが、やはり他党の見解を説明する場合は、どうしてもほかの党が言うと意が足りなくなるな、きちんと私たちの方から説明しないといけないなと思って発言をしたところであります。

 それで、憲法制定過程における日本共産党ということが話題に上ったわけですが、政府案も、それから国会に提出したときの政府案についても、国民主権という表現は全く曖昧にされておりました。

 私たち日本共産党は、あの侵略戦争に反対し、徹底して民主主義のために闘い、そのために幾多の私たちの先輩方が獄中に投獄されるということをやむなくされましたが、戦後、解放されたのが十月十日でありました。

 十一月に、あの間違った侵略戦争から新しい日本に出発するための憲法の草案を政党として一番最初に世の中に問うたのは日本共産党であります。そして、その日本共産党の案の中には徹底した国民主権という文言が入っておりました。それは、私たちが戦争の当時から民主主義と平和を求めてきた、そういう闘いに裏づけられた主張でありました。

 だから、憲法制定過程で日本共産党を取り上げるなら、やはり戦前の日本は間違っていたということを屈せずに闘い抜いてきた日本共産党の立場にも、ぜひ、綱領やいろいろな違いはあるとはいえ、歴史の現実として目を通していただきたいなということを一言申し上げておきたいと思います。

 その上でなんですが、憲法の採択に当たり、反対の態度を表明した理由の一つは、天皇条項が主権在民と矛盾したものであり、戦後の日本では、天皇制の廃止と徹底した民主主義の政治体制への前進が痛切に求められていたからであります。当時の歴史的事情、世論がありました。

 二つ目は、日本共産党は、憲法九条のもとでも急迫不正の侵害から国を守る権利を持つことを明確にするよう提起しました。もちろん、それは常備軍を持って守るなどということではありません。自衛権が九条の中にはあるということであります。しかし、当時の吉田首相は、九条のもとで自衛権はないという立場をとられました。国会答弁にも残っております。私たちは、これは国民主権と独立を危うくするものという、憲法制定過程のあの時代の中で、こういう立場をとったのであります。

 その後、私たちは、今綱領の中にも明記しておりますが、憲法の前文を含む、そして条項も、天皇制を含む全条項を守ることが日本の社会進歩にとって大変重要であり、それを守っていくことこそ憲法の議論の中で大切にされていくべきだと考えております。

 以上です。

足立委員 日本維新の会の足立康史でございます。二度目の発言をお許しいただきまして、ありがとうございます。

 先ほど、山下委員と細野委員との間で九十七条をめぐる意見交換がありました。私、大変すばらしいというか、まさに私たちが国会はこうあるべきだと思うそのものの姿であります。

 従来、なかなか自由討議の場がなくて、野党は政府を追及するというだけの国会のあり方というのは、本当に、国権の最高機関たる国会が果たすべき役割のごく一部でありまして、しっかりと、野党も含めて、与野党を超えてこうした意見交換をできる場に参画をさせていただいていることを、改めて感謝、そして光栄に思っております。

 その上で、山下委員がおっしゃった九十七条、これは恐らく、自民党として憲法審査会のテーブルにのせるぞということではまだないわけであります。今首を振っていらっしゃいますが。そういういわゆる個人の見識の表明、これを続けていても、それはもう、私は山下委員を尊敬しておりますが、むしろ、冒頭私が意見陳述の場で申し上げましたように、各党が党の意見をまとめてここに座っていただくことが大変重要である、こう思っています。

 先ほど、細野委員も、九十七条について、山下委員の意見に応ずる形で意見を申し述べられましたが、それも個人の意見だと思います。まあ、違うかもしれませんが。党の見解ですか。今、党の見解だということで。

 いずれにせよ、では、九十七条の議論を自民党がテーブルにのせるのかということは、やはりはっきりしていただきたいし、今回はないということであります。

 さらに申し上げれば、今、山尾委員が席を外されましたが、山尾委員が先ほど、我々が提案をしている憲法裁判所に言及をされました。だから、ぜひ私はこの場で山尾委員に、これは党の意見ですかということを問いたいと思いましたが、席を外されました。何があるかわかりませんが。

 私は、実は別の委員会を、まさにこの憲法審査会の関連の仕事で、かぶさって、欠席をやむなくされたことをもって、民進党から四度目の懲罰動議を出されています。だから、ちょっと確認しなければわかりませんが、山尾委員が席を外されている理由によっては……

森会長 足立君、議題外の議論はやめてください。

足立委員 わかりました、それはやめます。

 あと、辻元委員が二〇〇五年の憲法提言についても言及をされました。あるいは細野委員も言及をされました。していないですか。では、細野委員ですね。そんなにむきにならないでいいじゃないですか。

 辻元委員は、民放のテレビ番組で、この二〇〇五年の憲法提言については、当時はやりだったからそういうものをつくったけれども今は関係ないんだ、こういう趣旨のことを公共の電波で発信されています。

 ところが、細野委員は、いや、これは、それにも言及された上で、さらに次の何物かをまとめていくんだということを先ほどおっしゃいました。もしそれが党の見解であれば、いつまでにそれをまとめられるのか、ぜひスケジュールぐらいははっきりとしていただきたい。

 それから、武正筆頭が先ほど、私に対して、私の冒頭発言について訂正せよという御発言がありましたが、訂正いたしません。

 少なくとも、私は報道で、武正筆頭がTPPを背景として中止あるいは延期、これを申し入れられたと報じられていることのみ承知をしています。国民の皆様も恐らくそれしか見ていません。

 少なくとも、それがどっちでもいいんです、それが武正筆頭から申し入れたことなのか、中谷筆頭が申し入れられたことなのか、それは報道と武正筆頭の発言はそごをしていますから、また記者会見で明らかにしていただいたらいいと思いますが、いずれにせよ、波が高いことをもってして憲法審査会のスケジュールが変わるようでは、これは政局に影響されている、こう言わざるを得ません。

 こういうことはもう二度とないようにしていただきたいと思いますし、また、山尾委員におかれては、もうきょうはいらっしゃいませんが、ほかにも記者会見等で御説明せないかぬことも残っていると思いますので、ぜひそういう場で御発言をいただきたいと思います。

 よろしくお願いします。

武正委員 まず、山尾委員は今議運の方に行っておりますので、ちょっとその点は触れておきたいと思います。

 それと、憲法裁判所については、先ほど党の政策集で、「政治、行政に恣意的な憲法解釈をさせないために、憲法裁判所の設置検討など違憲審査機能の拡充を図ります。」ということを私からも冒頭申し述べました。これが民進党の見解です。

 それから、二〇〇五年憲法提言、これは民主党の憲法提言ですが、これも先ほど冒頭私が申し述べたように、民主党の二〇〇五年憲法提言あるいは維新の党の選挙公約などを民進党としての憲法の論議の土台にするということを民進党憲法調査会で確認をしているということを申し述べました。

 以上です。

山田(賢)委員 私は自由民主党の山田賢司でございます。発言の機会をいただきまして、ありがとうございます。

 まず、この審査会の運営につきましては、先ほど来、各委員からお話がありますように、少数会派にも公平な発言の機会を与え、また政局から離れた冷静な議論ができること、大変すばらしい委員会の運営だと思っております。

 その中で、各委員の方々の自由な発言の機会ということですから、これはもちろん自由に御発言をいただいたらいいんですが、できれば、やはり個別の法案の審査の合憲、違憲といったものは各委員会でやっていただいて、憲法改正案、これから出るか出ないかは別として、憲法改正案あるいは憲法改正の手続についての議論がこの審査会において行われることを望みます。

 そして、先ほど来、本審査会のテーマであります、議論に出ております押しつけ憲法論ということ、これも各皆さん方がおっしゃっているとおりでございます。

 ただ、その押しつけという言葉をどう捉えるか。これは自由な意思が発言できるような状況下で制定できたかどうかという意味では、かなり自由な意思はなかったということなんですが、私が言いたいのは、押しつけかどうかではなくて、押しつけられたから、仮に押しつけられたとしても、だから変えないといけないということではなくて、それらを踏まえて、制定経緯の瑕疵はあるものの、今実際にこの憲法を変える必要があるのかどうか、どういった問題があるか、こういったことについて議論をすべきだと思っております。

 そういう意味で、私がこの審査会が大変すばらしいなと思っておりますのは、立場の違いこそあれ、各会派の方々の御意見も、大変勉強になる御意見を聞かせていただいております。辻元委員がおっしゃられた国民の声に耳を傾ける、このとおりだと思います。我々議員だけが変えようということではなくて、国民の皆さんの声を踏まえてこの議論をやっていくべきだと思っております。

 もちろん、憲法を変えるなというお声、これも国民の声でありますし、他方、憲法を変えてほしいという国民の方々の声があること、これも事実でございます。こういったことを踏まえて、各議員がそれぞれの国民の皆さんの声を持ち寄って、どうあるべきかということを議論していかないといけないと思っております。

 また、小沢委員や山尾委員からもございましたけれども、改憲派ということで一くくりにして、ややもすると一字一句でもいいから変えればいい、あるいは、護憲派といって、一言一句変えてはいけない、こういうことではなくて、今の現状を踏まえて、何を変えないといけないか、憲法を変えなくてもこれで対処できるじゃないか、こういった議論をしっかりとやっていく必要があるかと思っております。

 その中で、私は、ほかの委員からおっしゃられた、国民の議論を、国論を二分するような論点はやるべきではないという御指摘も他方であるんですが、国論を二分してでも議論しないといけないことは議論しないといけないのではないか。その上で発議するべきではないという判断に至れば、これは発議をしない、あるいは、それでも発議しようということは、最後は国民の皆さんの御判断に委ねること、これが何より大事ではないかと思っております。

 国会議員が幾ら発議をしようと思っても、最後、決めるのは国民の皆さんでございます。国会議員が改正した方がいいと思っても、国民の皆さんが改正するべきではないと思えば、これは国民投票において否決されるものです。他方、国民の皆さん、過半数以上の国民の皆さんが改正したいと思っていても、国会がこれを発議しない、国民の皆さんに選択の機会を与えない、これはかえって国民主権に反するのではないか、このように思っております。

 その観点からあえて申し上げますと、憲法九条、この憲法九条を変えようと言うと、何か戦争をするための法律にしようという誤解を招くんですけれども、我々も、憲法九条一項の概念、これを変えようというものではございません。平和を守る、国際紛争解決の手段として武力行使をしない、これは当然のことでございます。

 ただ、他方で、自衛隊の存在、これは九八%の国民が認めているところでございます。これを憲法に明記しなくていいのか、それとも、うやむやなままにして、これは合憲だという方から違憲だという憲法学者を含め、そういったお声もございます、こういったことをしっかりと憲法に明記することこそ立憲主義に資するものではないかと思っております。

 もう一つ、緊急事態条項、災害時における、とりわけ選挙の問題。

 国会議員の選挙というのは憲法で決められております。大災害が起こっているときでも、これは選挙をやらないといけないのか、これは延ばしてはいけないのか、そのときに応じて、緊急時だからといってうやむやにしたままやっていいのかということであれば、平時においてこういった議論をしておいて、いざ緊急事態が起こったときにはそれを行う。

 緊急事態というと、国民の権利を制限するんだというところが強調されますが、そうではなくて、むしろ、国会議員、こういった権力側に立つ者を縛ること、これも立憲主義に資するのではないかと思っております。

 こういったことについて幅広く皆様方の御意見をいただいて、議論を深めていければと思っております。

 以上です。

佐藤(ゆ)委員 会長、ありがとうございます。

 自由民主党の佐藤ゆかりでございます。

 憲法の審査会でこれから議論を深めていくことになると思いますが、入り口において、これからどのような議論をどの範囲で進めるかにおいて、ある程度この入り口の議論を指摘させていただきたいというふうに思います。

 一言で申しまして、私、現在の日本国憲法は、国民の権利を十分に守り切れていない、そして、国民の豊かさを広げる土台としての憲法になっていないという認識をいたしております。

 戦後七十一年たちまして、憲法も七十年、公布後たったわけでありまして、皆様方御案内のとおり、この七十年間で、国のあり方、社会のあり方、そして、当然、アジアの諸外国との外交関係、全て変わってきているわけでございます。

 日本国憲法はどうかと申しますと、憲法が定めます規定の密度、いわゆる憲法規定の密度におきましては、日本国憲法は極めてその密度が浅い、抽象論を並べている憲法であるという、これは日本だけではありませんけれども、他国にも事例はありますが、憲法密度が非常に浅いというのが特徴であるというふうに思われます。したがって、抽象的な表現が多く、多々の事例において、憲法解釈に依存する形でこれまで運用がなされてきたという実態がございます。

 しかしながら、世界の変化のスピードが速い、そしてさまざまな問題も今アジアでも勃発をしている、あるいは、個人的な権利の尊重においても、例えばプライバシー権ですとか、さまざま今早急に対策を講じなければいけない社会問題も出てきているやに感じているわけでございます。

 こうした中で、むしろ抽象的な表現というよりは、今後憲法改正を考えるに当たって、やはり、できるだけ迅速に対応ができる、時代の変化のスピードに追いついていく、決定を下すことができるような、根拠としての憲法のあり方というものを一つ考えていかなければいけないのかなというふうに思うわけでございます。

 したがいまして、今後憲法改正を考えるときに、例えば、改正憲法ができました、しかしながら、その修正された条項、あるいは加憲をされた部分、こうしたところについては既存の判例がないわけですから、そうしたときに、新たな判例の蓄積、憲法解釈の蓄積が積み上がっていくまでは、これが合憲なのか違憲なのか、その後の議論においてなかなか釈然としない状態が一定期間生じるものというふうに危惧をされるわけでございます。

 ですから、そうしたことも考えますと、今後の憲法改正というのは、私は、むしろ憲法の定める規律密度というものをもう少し深めていただいて、そして、若干個別具体的なものまで制定を可能性を視野に議論を進めるというやり方が望ましいのではないかなというふうに考えるわけでございます。

 そこで、時代環境の変化として、どれだけ憲法制定当時と今の時代が違っているか、どれだけ憲法が形骸化しているかということを申し上げたいというふうに思います。

 一つの事例ですけれども、これは社会保障の問題でございます。社会保障制度改革はもう言われて久しいわけでありますけれども、憲法が制定された当時、日本が少子高齢化の時代に突入するなどということは誰一人想定をしていなかったわけでございます。ですから、年金制度が国民皆年金になったときも、当時は高度成長期で、人口の裾野が広いので、賦課方式でも支え切れる年金制度であろうということで賦課方式に変わっていった経緯があります。ところが、今、その結果、逆の人口ピラミッドの現象になって支え切れない問題を私たちは認識している。

 したがいまして、財政規律ということにおいても、将来世代の、我々の子供たち、孫たちの健全な財政に浴する権利というものを憲法でそろそろ規定をする必要があるのではないか、そうしたことも私は基本的に個人的意見として考えるわけでございます。

 当然、それから経済の成長経済も、例えばアメリカはフォード自動車が自動車産業を興しました。当時は大型の設備投資で、大量生産という形で高度成長期を迎えたわけであります。それで雇用の拡大なり所得が拡大していった。今、我が国日本は少子高齢化で労働力が不足している。むしろ、全要素生産性、技術革新によって成長経済を達する、そのことによって国民の豊かさを得る、そういう経済の路線に全くさま変わりをしてきている。その中で、知的財産権というものをいかに保護していくか、こうした知的財産に対する位置づけというものをもう少し格上げしてもよろしいのではなかろうかというふうにも思われるわけでございます。

 また同時に、プライバシー権、ネットでの誹謗中傷はすさまじいものがございます。これはかつて、憲法制定時には、新聞で書かれたとしても、国会図書館か何かに行って検索をしない限りは過去の記事は出てこなかった。今は、不特定多数の方々がネットでパソコンをクリックすれば、全て過去の記事まで出てきてしまう。結局、その人が誹謗中傷を一度書かれれば、生涯ネットでそれを背負わなければいけない、そんな被害まで生じ得る事態になっているわけであります。

 プライバシー権、そして人格権をいかにきちっと保護していくか、こうした新しい権利あるいは修正すべき権利の環境、こうしたものをしっかりとこの憲法審査会でも、これまでの抽象論ではなく、やや個別具体的に改正議論において議論をすべきアジェンダが生まれてきているのではないかというふうに思うわけであります。

 安保法制も大事でございます。当然、取り巻く環境は変わってきておりますけれども、しかしながら、この議論だけに憲法改正の可否がとどまることなく、このほかにもたくさん、国民の権利と豊かさを高めるために憲法の改正が必要であるという視点に立脚をして議論を進めていただきたいと思います。

 以上です。

森会長 それでは、予定された時刻も過ぎましたので、これにて自由討議は終了いたします。

 次回は、来る二十四日木曜日午前八時五十分幹事会、午前九時審査会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午前十一時四十分散会


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