衆議院

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第6号 平成29年5月25日(木曜日)

会議録本文へ
平成二十九年五月二十五日(木曜日)

    午前九時一分開議

 出席委員

   会長 森  英介君

   幹事 上川 陽子君 幹事 中谷  元君

   幹事 根本  匠君 幹事 平沢 勝栄君

   幹事 船田  元君 幹事 古屋 圭司君

   幹事 武正 公一君 幹事 辻元 清美君

   幹事 北側 一雄君

      青山 周平君    赤枝 恒雄君

      安藤  裕君    伊藤 達也君

      池田 佳隆君    衛藤征士郎君

      大塚 高司君    鬼木  誠君

      神山 佐市君    工藤 彰三君

      小林 史明君    佐々木 紀君

      佐藤ゆかり君    白須賀貴樹君

      園田 博之君    田畑 裕明君

      高木 宏壽君    辻  清人君

      土屋 正忠君    野田  毅君

      福山  守君    星野 剛士君

      宮崎 政久君    村井 英樹君

      保岡 興治君    山際大志郎君

      山下 貴司君    山田 賢司君

      枝野 幸男君    奥野総一郎君

      岸本 周平君    北神 圭朗君

      中川 正春君    古本伸一郎君

      細野 豪志君    山尾志桜里君

      太田 昭宏君    斉藤 鉄夫君

      遠山 清彦君    赤嶺 政賢君

      大平 喜信君    足立 康史君

      小沢 鋭仁君    照屋 寛徳君

    …………………………………

   衆議院憲法審査会事務局長 阿部 哲也君

    ―――――――――――――

委員の異動

五月二十五日

 辞任         補欠選任

  後藤田正純君     小林 史明君

  佐々木 紀君     白須賀貴樹君

  村井 英樹君     青山 周平君

  山際大志郎君     工藤 彰三君

同日

 辞任         補欠選任

  青山 周平君     村井 英樹君

  工藤 彰三君     山際大志郎君

  小林 史明君     神山 佐市君

  白須賀貴樹君     佐々木 紀君

同日

 辞任         補欠選任

  神山 佐市君     後藤田正純君

    ―――――――――――――

五月二十三日

 立憲主義の原則を堅持し、憲法九条を守り、生かすことに関する請願(高橋千鶴子君紹介)(第一一五四号)

 同(畑野君枝君紹介)(第一二一五号)

 日本国憲法を守り生かすことを求めることに関する請願(郡和子君紹介)(第一一九七号)

 日本国憲法を守り生かすことに関する請願(郡和子君紹介)(第一一九八号)

は本憲法審査会に付託された。

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 参考人出頭要求に関する件

 日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する件(新しい人権等)


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     ――――◇―――――

森会長 これより会議を開きます。

 日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する件、特に新しい人権等について調査を進めます。

 この際、参考人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。

 本件調査のため、参考人の出席を求め、意見を聴取することとし、その日時、人選等につきましては、会長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

森会長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

森会長 これより自由討議に入ります。

 この自由討議につきましては、幹事会の協議に基づき、まず、各会派を代表する委員が順次発言を行い、その後、各委員が自由に発言を行うことといたします。

 それでは、まず、各会派を代表する委員の発言に入ります。

 発言時間は十分以内とします。

 発言は自席から着席のままで結構です。

 発言の申し出がありますので、順次これを許します。船田元君。

船田委員 船田元でございます。

 自由民主党を代表しまして、本日の議題となっております新しい人権並びに教育の無償化などについて発言をいたしたいと思います。

 現行憲法が明治憲法と大きく異なった点は、基本的人権の尊重が新たに規定されたことであります。明治憲法でも一定の人権や自由はありましたけれども、これはあくまで、天皇がなんじ臣民に与えたものであり、かつ、法律の許す範囲という限定つきであったことは申すまでもありません。

 一方、現行憲法では、基本的人権は、人類普遍の原理で、何人も侵すことができないものと明確に規定しております。これは、戦前戦中にさまざまな形、さまざまな場所で行われた人権抑圧に対する国民の痛烈な反省と、GHQが目指す民主的な新生日本実現という思惑が結実した結果であるとも言えるでしょう。

 しかし、現行憲法においても、全く無制限に人権、自由が認められているわけではなく、「公共の福祉に反しない限り、」とのただし書きが人権条項の各所に見られるのは御承知のとおりです。

 しかし、そもそも、公共の福祉の意味するところは曖昧であり、長い間、憲法学者の間でも論争が絶えませんでした。最近では、人権制限の根拠は、従来から定説とされてきた個人間の権利の衝突の調整に限られないとするのが、もはや学説の趨勢ではないでしょうか。だとすれば、個人の権利には全ては還元できず、より多くの市民の利益を守るために人権制限を認めるという考えを憲法上明確に表現することが、個人と公の関係性の明確化や裁判判例の揺らぎを防止することにつながるのではないかと考えます。

 さて、現行憲法の人権関連条項は、第三章十条から四十条にわたり、さらに、第十章九十七条において、分量的にも手厚く規定されております。内容も、請願権、苦役からの自由、思想、良心の自由、信教の自由、表現の自由、職業選択の自由、学問の自由、財産権、裁判を受ける権利など、多岐にわたっております。

 これらの権利は、権力が介入してはならないものであり、権力からいかに離しておくべきかが重要になります。

 ただし、地鎮祭などの宗教行事において、国や自治体が社会的儀礼や習俗的行事の範囲内で関与することは、特定の宗教を助長することとはならず、信教の自由を侵すことにはなりません。憲法上、何らかの対応が求められると思います。

 一方、憲法十三条の幸福追求権や二十五条の生存権は、権力が適切に関与して初めて保障される権利だとも言えるでしょう。

 まず、幸福追求権という包括的基本権は、これを根拠条文として、時代の変化に応じて生ずる個人の新たなニーズに対応したプライバシーの権利や人格権など、新しい人権が判例上認められてきました。また、生存権の規定は、社会権の分野における包括的基本権という位置づけもなされるところであります。

 しかしながら、社会の劇的な変化の中で、新たに保障されるべき人権の分野がさらに広がりを見せていることも事実であります。

 環境と開発のバランスに配慮した環境権、ネット時代におけるプライバシー権や知る権利、犯罪被害者の権利、知的財産権などを、十三条や二十五条に基づく判例の解釈に委ねるだけではなく、個別の具体的人権として憲法上に明記し、公権力によってその実現を保障することは、憲法の中核をなす人権保障の趣旨にふさわしく、検討に値すると存じます。

 なお、憲法二十四条の家族生活における両性の平等に関して、昨今は同性婚をどう取り扱うかが問題となっております。

 我が国では、東京渋谷区、世田谷区が他に先駆けて同性パートナーシップ制度を導入しました。しかし、これを法的に保障するとなると、憲法改正の必要も考えられます。広く国民の考えを聞かなければならないと思います。

 さて、憲法二十六条の教育を受ける権利では、「その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利」があると規定しています。

 我が党においても、国は、教育が国の未来を開く上で欠くことのできないものであるということに鑑み、教育環境の整備に努めなければならないとする考え方を従来から有し、実現に向けて努力をしているところであります。

 しかしながら、昨今の所得格差の拡大など経済的制約により、残念ながらこの権利が十分には保障されないケースがふえてきております。「能力に応じて、」や「ひとしく」と並行して、経済的理由を問わずというような文言を憲法の規定に盛り込むことは、十分に検討に値すると思います。

 また、二十六条二項は、義務教育は無償とすると規定しており、それを実現する手段としての授業料の無償に加え、同項の精神をより広く実現するものとして、教科書無償化が従来から行われてまいりました。

 しかし、その他の教材費や給食費、修学旅行費などは自己負担であること、さらには学習塾への支払いなどを加味すると、各家庭の教育費は、義務教育段階でも大きな負担であると言えましょう。義務教育の無償という憲法の規定を名実ともに実現するには、さらなる財源措置が求められることは言うまでもありません。

 さらに、教育の無償化を進める際、どの教育段階を優先すべきか、その財源はどこに求めるべきかについては、自民党内でも今活発な議論が続いております。

 教育段階におきましては、有力な少子化対策の一つとしての幼児教育を優先すべきという主張と、給付型奨学金の創設とその拡大により高等教育の無償化を優先すべきという主張、主に二つの流れがあります。

 また、財源におきましては、教育の無償化を目的とした新たな国債の発行、公的年金などの社会保険料に上乗せをして保険料を集め子育て世帯への給付に充てる、あるいはその折衷案などがあります。

 今後は、これらの意見を集約して、自民党として一定の方向性を示すことが求められております。

 なお、教育の無償化実現のためには憲法改正は必要なく、法律で済むことである、こういう指摘もございますが、むしろ、無償化を明記することによって、その後の政府に実現を促す大きな力になると期待されます。

 最後に、憲法八十九条の「公金その他の公の財産は、」中略がありまして、「公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。」これを厳密に適用すると、国や地方が行っている私立学校に対する公費助成は、憲法違反ということになりかねません。

 これを回避するため、従来から、私立学校法や私学振興助成法が制定され、これに従って定期的な報告を所轄庁に行い、その監督を受ければ、公の支配に属するものと解釈されてきました。しかし、今後も違憲との誤解を招かないためにも、さらには、建学の精神に裏打ちされた特色ある私学教育が萎縮しないためにも、この文言を現実に即した表現に改正する必要があるのではないかと考えております。

 以上でございます。

森会長 次に、山尾志桜里君。

山尾委員 民進党の山尾志桜里です。

 まず冒頭、今月三日に読売新聞に掲載された安倍総理の発言について、改めて問題提起をしたいと思います。

 総理は、インタビューの中で、「私の世代が何をなし得るかと考えれば、自衛隊を合憲化することが使命ではないかと思う。」と発言しています。

 自衛隊を合憲化するということは、すなわち、現在、安倍総理は自衛隊違憲論に立ったということであります。自衛隊違憲論に立たない限り、合憲化する必要はありません。合憲の自衛隊を合憲化するということは、論理的に成り立ち得ません。

 一方、合憲論に立った上で憲法上の位置づけを議論するのであれば、例えば、憲法上の疑義を払拭するためなどという表現で発言を一貫させるはずであって、まさか、憲法と自衛隊という国家の基本的重大事項について、憲法上の疑義を払拭するためという意味で合憲化という言葉を使ったなどという、憲法の基本的理解を欠いた、粗雑で思慮の浅い発言を一国の総理がするはずもありません。

 このように、行政権のトップである総理であり、自衛隊の最高指揮官であり、政権与党の総裁である人物が自衛隊違憲論に立ったとすれば、極めて深刻な問題が提起されます。

 まず、自民党総裁が自衛隊違憲論に立ったということならば、自民党も自衛隊違憲論に立場を転換したということでしょうか。

 ちなみに、私たち民進党は、我が国の自衛隊は合憲であり、当然のことながら、合憲化するためだけの憲法改正は不要だという立場です。

 また、安倍総理は、自身が違憲だと認識している組織について予算の承認を求め、それを執行していることになりますが、これは明らかな憲法尊重擁護義務違反と言わざるを得ません。

 あわせて、安保法制の議論の時点においては、安倍総理は自衛隊合憲論に立っておりました。何が総理見解を変えたのでしょうか。

 自衛権の範囲という改憲論議の本丸については解釈変更という裏口を使う一方で、その後、自衛隊を合憲から違憲の存在に変えてまで憲法改正という目的を達成しようとするならば、そういった試みをこの憲法審査会は許すべきではないと考えます。

 ここから、新しい人権における総論的な検討に入ります。

 憲法における人権保障の要諦は、時代の多数派でも侵し得ない、少数者の普遍的な権利保障です。裏を返せば、変化する時代の要請に即応する権利の実現については、時の民主的な多数決による法律事項で対応すべき場合が多いと考えられます。憲法事項は立憲主義を、法律事項は民主主義を、それぞれ、その正当性の根拠の主軸としているとも言えるでしょう。

 このような観点に立って、憲法事項としての新しい人権を検討するとき、憲法制定当時には意識されていなかったものの、時の経過に応じて人々の意識に刻まれるようになり、普遍性をまとって姿を立ち上らせた人権が存在するならば、検討すべきであります。

 一方で、注意も必要です。あくまで、憲法に保障されるべきは普遍的な少数者の権利であります。一度保障されたならば、時代の多数決をもってしても削除できないことが基本になります。

 したがって、明文に書けば社会の空気が変わり、政策推進の後押しになるというような理由をもって憲法事項とすることは、厳に慎むべきであります。

 このような理由、すなわち、まさにその時代の空気や要請を多数決という手段を通じてその時代のコンセンサスへと昇華させる役割を担うべきは、憲法ではなくて、法律であります。例えば、私たち民進党が提案している教育無償化のように、まさに現代的な要請を政策として実現していくためには、法律事項として、その範囲や財源論を深めていくことが適切なスタートラインであると考えます。

 一方、憲法における人権カタログは、現行のままであれ、改正により仮に今後ふえた場合であれ、時代の変化に応じて拡散すべきものではなく、時代を超えて普遍的な価値を持つという日本国民の確信に裏づけられた結晶であるべきです。

 以上を踏まえて、各論に触れたいと思います。

 初めに、プライバシー権です。

 その古典的定義は、一人で放っておいてもらう権利でした。しかし、高度情報化社会に移行するにつれ、この定義ではもはやその内実を正確に把握し切れなくなり、一歩進んで、私生活をみだりに公表されない権利と位置づけられるようになりました。さらに、SNSやインターネットが高度に発達した現代において、消極的、受動的な防御だけでは個人の私生活の平穏が保てなくなり、現代では、より積極的、能動的に、自己に関する情報をコントロールする権利という位置づけが広く受容されるようになってきました。

 こうした理解が深まりつつある現代において、先日、いわゆる共謀罪が衆議院で強行採決されました。包括的な共謀の処罰は、包括的なプライバシー情報の収集なしには実現できません。フーコーのパノプティコン概念が示唆するように、プライバシー権とそれがもたらす個人の自由は、現実に監視にさらされる以前に、監視されているかもしれないという感覚をもたらされるだけでみずから萎縮していくというもろさを内包しています。

 このように、プライバシー権の核心を侵しかねない共謀罪について強行採決がなされるような我が国の現状をあわせ考えるとき、まさにこの権利を国家の多数決をもってしても侵し得ない普遍的な人権として憲法上明文化することは、検討の余地があると考えます。

 そのほか、環境権や知る権利といった権利についても、時代を超えた普遍性を見出すことが可能です。

 あわせて、環境権の論点としては、対象とする環境の範囲をどう考えるか、自由権的側面と社会権的側面をいかに整理するのか。自民党改憲草案のように、国家のみならず、国民にも同等の環境保全義務が課されるように規定された場合、むしろ国家の免責事由として働く可能性すらあり、このような規定がなされる危険を排除できるのか、精緻に検討しなければなりません。

 また、知る権利についても、その自由権的、参政権的、社会権的側面をいかに整理するのか、深い議論が必要でしょう。その際、南スーダンにおける陸上自衛隊の活動日報や、森友、加計問題の疑惑解明のために必要不可欠の公文書など、国民の疑問や不安を解消するために当然保存、公開されるべき文書が公開されていない現状に鑑みて、とりわけ、国民から国家に対する情報開示請求権の保障を実効化するためにいかに憲法上規定し得るのかという観点からも真剣に検討すべきです。

 ここまで、新しい人権を人権規定においていかに捉えるべきかという観点から述べてきました。ここからは、統治規定においていかにその保障を実効的なものにすべきかという観点でお話しします。

 人権は、憲法上に明文化されれば自動的に保障され、救済されるわけではありません。例えば、二十七条には勤労の権利が明文で保障されておりますが、我が子を安心して預けられる保育園が見つからず、働きたくても働けないお母さんが少なくない現状を見ても明らかです。

 このように、憲法上明文で規定されている人権であっても、必ずしもその保障や救済が十分となっていない原因の一つに、我が国の採用する事後的、付随的違憲審査制があります。

 我が国の裁判所は、既に発生した事件の解決に必要最小限度でしか違憲立法審査権を行使しないこととされています。したがって、政治部門が提案、成立させる法律制度についての事前の憲法適合性審査は、裁判所ではなく、内閣法制局が担うというたてつけになっています。このシステムは、政治権力は憲法を尊重し擁護する存在であるという信頼を前提にした、政治権力に対する司法権の敬譲の精神のあらわれです。

 しかし、安倍政権のもと、この前提としての信頼が揺らぎ、システムが機能不全に陥っています。政治権力のトップに立つ総理が、自衛隊は合憲化すべき存在であるも集団的自衛権の行使は合憲であるというように、歴代政府が丁寧に積み重ねた憲法解釈を破壊し、支離滅裂な憲法論に立った上、本来そういった恣意的な憲法解釈を事前に戒めるはずの法制局長官まで、最低限の法的誠実性を放棄させられています。

 したがって、この政治部門と司法権のバランスのゆがみを是正する新たな工夫が必要となっています。

 具体的には、法律の憲法適合性に関し司法権が事前審査などができるよう、いわゆる憲法裁判所やこれに準ずる特別裁判所の創設、当該組織の裁判官の任命権の帰属先などを検討すべきです。

 また、このいわゆる憲法裁判所などの設置によって主に行政府と司法権の権力均衡のゆがみを是正することとあわせて、これまで提起してきたように、総理の解散権の制限によって行政府と立法府の権力均衡のゆがみを是正することを検討することにより、三権分立の均衡を制度的に再定位するという視点も提示したいと思います。

 この視点の参考例として、二〇〇八年のフランス憲法改正が挙げられます。この改憲は、権力の均衡回復を掲げ、大統領と首相の権限分配の見直し、国会における立法機能と行政監視機能の強化、司法権における違憲審査制の拡充強化と司法権に対する大統領の影響力の相対化などを実行するものでした。そして、この権力均衡回復という統治機構改革は、個々人による多元的意思表明の保障など、人権の根幹にかかわる価値を保障するために行われたということを付言したいと思います。

 最後に、憲法による人権保障は、普遍的でリベラルな個人の価値を国家から保守していくという役割を担っています。したがって、新しい人権という命題を語る際には、何を書き込むのか否かという議論だけに終始するのではなく、書き込まれた人権をいかに実効的に守っていくかという視点も加えるべきです。こういった視点で、新しい人権という、ある種、古典的な命題を現代的な権利実践の追求という観点から再定位することを提案して、意見表明といたします。

 ありがとうございました。

森会長 次に、斉藤鉄夫君。

斉藤(鉄)委員 公明党の斉藤鉄夫です。

 日本国憲法は、個人の尊厳に価値の根源を置き、全ての人が生まれながらに有する基本的人権を保障すると規定しています。この基本的人権の尊重は現行憲法の主柱であり、その骨格は今後も変わるものではないと考えますが、時代の進展とともに、いわゆる新しい人権と呼ばれる考え方が問われるようになりました。現行憲法にこの新しい考え方、新しい人権を書き加えることについての見解を申し述べます。

 現行憲法の人権規定は、十三条の個人の尊厳、幸福追求権や、二十五条の生存権など、懐の深いものであって、いわゆる新しい人権については、十三条や二十五条などの条文の解釈によって導き出されるものであると一般に考えられてきました。また、新しい人権を憲法上の権利として承認できるかどうかは、特定の行為が個人の人格的生存に不可欠であるばかりでなく、その行為を社会が認め、他の基本的人権を侵害するおそれがないかなど慎重に判断すべきであり、権利のインフレを招くべきでない、また、それらは立法においてなすべきだという意見です。

 他方、憲法制定当時には想定されていなかった権利がその後認められるようになったこと、その憲法への明記が国民の人権の保障に有益であること、憲法への明記が立法や裁判の基準となること、また、いかに憲法が抽象度の高い規範であるとしても全ての新しい人権が十三条の幸福追求権等によって保障されるわけではないこと等を理由として、新しい人権を加えるべきという意見も多くございます。

 時代の変化は極めて激しいものがあり、迫られる課題も多いわけですけれども、二十一世紀の日本をいかに築くかという未来志向の憲法議論に立った場合、むしろ、憲法に明記することによって事前の人権保障を可能とし、時代の変化に対応した積極的な立法措置を可能にすることが望ましいのではないかと考えております。

 個別の論点について、四つほど申し述べたいと思います。

 まず、環境権です。

 環境権とは、国民が良好な環境を享受する権利であり、国家及び国民には環境保全に努める責務があるといった趣旨の権利、責務であります。一九七〇年代、それまでの独裁的色彩の濃い体制から民主制へ移行した際、新しくつくられたギリシャやスペイン、ポルトガル等の憲法に規定されております。また、憲法改正によって環境条項が規定された例として、一九九四年のドイツ基本法における二十a条の追加や、二〇〇四年のフランス憲法前文における環境憲章への言及があります。この環境憲章とは、前文への言及と同時に制定し、憲法と同一の効力を持つものであります。

 我が党の議論では、環境権は、憲法十三条の幸福追求権の解釈や環境基本法などの立法措置によって十分実現し得るという意見があります。その一方で、かつての人間中心主義ではない、地球環境、自然生態系の中の一部としての人という全く新しい視点や、地球温暖化という生存の根本にかかわる問題が提起される中で、一つの大きな基本的人権として憲法に明記すべきという強い意見があります。

 衆議院の憲法審査会の平成二十六年の海外調査では、この環境権条項を憲法に持つヨーロッパのギリシャ、スペイン、ポルトガルの三カ国を訪問し、専門家、議員、行政官らからお話を伺いました。その代表的な意見の一つが、リスボン大学法学部ゴメス助教授の次の言葉かと思います。引用です。

 私の個人的な意見として申し上げる。先ほど、ポルトガル憲法では権利と義務が両方規定されているという話をしたが、個人的には権利を規定したのは間違いであると思う。権利を主張すれば個人主義に走る場合もあるし、権利ばかりになってしまってもいけない。憲法に環境問題について何か書くとすれば、義務だけでよいのではないか。

 私の個人的なアドバイスとしては、憲法に環境問題に関する文言を入れるのであれば、欧州基本権憲章のような簡潔な文言で、国家の義務、市民の義務、さまざまな機関の義務、そして環境を保護して将来にこれをつなげる、将来の我々の子孫につなげるという内容を盛り込むのがよいのではないか。余り細かく書くとまた問題が起こるので、シンボリックなものとして簡潔に入れるのがよいと考える。

 以上、引用終わりです。

 この議員団調査報告書は、党内では驚きを持って読まれました。しかし、これで我が党の中の環境権の議論が下火になったということではありません。例えば、諸外国憲法の規定に多く見られるような、国の環境保全の責務を明記することや、地球環境問題について前文で規定する可能性なども含め、党内の議論はまだ続いているというのが現状です。

 二つ目に、科学技術の進歩と生命倫理、学問の自由の問題です。

 再生医療、生殖医療においては、人として成長する可能性のある受精卵が研究に使われてきました。この受精卵は、いわゆるクローン禁止法では「生命の萌芽」と表現されています。iPS細胞の登場によってその数は少なくなっているとはいえ、将来にどのような研究分野が登場するかわからない状況の中で、研究の世界の自主的ガイドラインに任せておくだけでよいのかという生命倫理の問題があります。

 また、遺伝子操作技術、AI技術の発展と結合を考えれば、学問の自由という基本的人権について生命倫理的な観点からの制約も議論すべきではないかという問題提起もあります。

 なお、衆議院憲法調査会においては、ドイツ基本法には人間の尊厳規定があり、フランス憲法には明文の規定はないものの人間の尊厳の理念が見出されている中で、我が国においても、個人の尊厳の上位概念として人間の尊厳や生命の尊厳の理念を憲法に明記すべきではないかといった議論も行われてきました。

 我が党では、こうした議論の蓄積も踏まえ、生命倫理の問題について、加憲の一項目として議論をしているところです。

 三つ目に、情報化が進展したネット社会における表現の自由や知る権利とプライバシー権、忘れられる権利の問題の存在です。

 インターネット検索サイトで表示される逮捕歴を削除することの是非が争われた裁判で、一月三十一日、最高裁は削除を認めない決定をしました。削除ができるのは、事実を公表されないことによるプライバシー保護の利益が、検索事業者の表現の自由を明らかに優越する場合に限るとしたものです。

 今回の判決では、忘れられる権利そのものへの言及はありませんでしたが、いわば忘れられる権利よりも知る権利に重きを置いた判断と言えるでしょう。忘れられる権利を平穏に生きる権利と表現する人もいます。欧州では、削除権、忘れられる権利がEUの個人情報保護強化規則に明記されているそうです。

 一方で、最高裁は三月十五日、令状なしのGPS捜査を違法とするプライバシー重視の判断をしました。

 これからさらにネット情報化社会が進んでいく中で、プライバシー権、忘れられる権利も憲法で規定されるべきではないかという議論も、今後あり得るのではないかと考えています。

 四つ目に、高等教育無償化についてです。

 高等教育の無償化は決して否定されるべきものとは考えませんが、それには莫大な財源が必要です。財源の裏づけがなければ、目標を示すような規定しか置けません。

 大学や大学院に進学したいのに、経済的な事情で断念するようなことがあってはなりませんが、大学や大学院に行かない進路を選ぶ若者も多く存在する中で、一律的な無償化が必要なのか、それとも奨学金制度の拡充が望ましいのか、一般的に、高等教育の無償化が適切かどうかは慎重な議論が必要と考えます。

 以上、いわゆる新しい人権について、環境権、生命の尊厳と学問の自由、プライバシー権、そして高等教育無償化について述べました。

 冒頭にも触れましたが、いわゆる新しい人権について、憲法に明記することによって事前の人権保障を可能とし、時代の変化に対応した積極的な立法措置を可能にすることが望ましいのではないかと再度申し上げ、意見陳述といたします。

森会長 次に、大平喜信君。

大平委員 日本共産党の大平喜信です。

 冒頭、統合幕僚長の発言は極めて重大です。憲法擁護尊重義務に反し、文民統制の原則を侵すもので、統幕長の罷免を要求いたします。

 前回の審査会で、安倍首相が期限を区切って改正の中身に言及したことは国会の発議権への介入であるとして、その重大性が議論になりました。

 私たちは、これが三権分立に反するものであること、改憲項目の絞り込みではないとの言明に反し、まさに憲法改正案の発議に向けたものになろうとしていることを指摘しました。

 民進党を代表して中川委員からは、審査会として抗議と発言撤回の決議を上げるべきだとの意見が出されました。これに対し、自民党の筆頭理事である中谷委員は、安倍首相の発言に縛られるものではないと述べたのであります。

 ところが、安倍首相はラジオ番組で、自民党の憲法改正原案を年内にまとめると述べ、憲法改正推進本部の体制強化と改憲項目を指示しました。これに対して、保岡委員も原案の年内取りまとめに意欲を示していると報じられ、船田委員も憲法改正について具体的な議論をすべき時期と応じるなど、まさに挙党体制で原案づくりへと突き進んでいるのであります。

 一体、前回の幹事会と審査会での議論は何だったのかと言わなければなりません。

 そうしたもとで、この憲法審査会で自民党の皆さんは一体何を議論しようというのでしょうか。安倍首相の指示に基づいて、改憲項目のすり合わせと発議の場にしようとしていることは明らかではありませんか。

 安倍首相の発言以降の世論調査でも、国民の多数は憲法を変えることを望んでいないことははっきりしています。私たちが繰り返し指摘してきたように、改憲案の発議に向かう審査会は開くべきではありません。

 安倍首相が指示した改憲項目も重大です。何よりも、九条改憲発言についてです。

 そもそも憲法九条は、戦争放棄、戦力の不保持、交戦権の否認を定めており、集団的自衛権を行使し、海外での戦争に参加することなど、到底認められるはずがありません。歴代政府自身が、自衛隊は自衛のための必要最小限度の実力組織であるから憲法に反しないとし、集団的自衛権は認められないとしてきたのです。

 しかし、安倍政権は、そうした歴代政府の解釈を一内閣の閣議決定で変更し、集団的自衛権の行使を容認したのです。

 これに対し、多くの憲法学者や歴代の内閣法制局長官、最高裁判所長官を初め国民各界各層から憲法違反という批判が上がったのは当然であります。

 安倍首相は、九条一項、二項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込むと言いますが、それは安保法制のもとで集団的自衛権の行使を可能にした自衛隊を書き込むことにほかならず、断じて認められません。

 九条に自衛隊を書き込む危険性は、それだけにとどまりません。

 政府は、安保法制の審議の中で、行使できるのは限定的な集団的自衛権だと説明しましたが、今回、これを全面的に行使できるようにしようとしているのではありませんか。

 また、現行憲法のもとで、安倍政権は武器輸出三原則を撤廃し、軍事費を過去最高規模に更新し続け、軍学共同を進めているのであります。

 こうしたもとで、自衛隊を憲法に明記することになれば、日本社会の軍事化を一層推し進めることになるのは明らかではありませんか。これは、憲法の平和主義そのものを破壊し、二度と戦争をしないことを国の基本としてきた戦後日本社会のあり方を根底から変えることにほかなりません。だからこそ、国民は九条を変えることを望んでおらず、首相が国民的議論に値すると述べた自衛隊明記にも反対が多数なのであります。

 安倍首相は、同時に、教育の無償化と緊急事態条項も改憲項目として指示しました。

 そもそも、安倍首相は、まず九十六条を変え、憲法改正発議要件を緩和させることで憲法改正のハードルを下げ、その次に九条に手をつけようとしました。このやり方がこそくだという国民の批判に遭うと、次は、災害を理由に緊急事態条項が必要だと言い出しました。しかし、災害を憲法改正のだしにするなという批判が起こったため、安倍首相は、これまで一言も触れてこなかった教育の無償化を持ち出したのであります。

 結局、安倍首相の目的は、改憲ありき、何とか九条を変えようというものであることは明らかです。こうした安倍首相の姿勢に対し、憲法の私物化だという声が上がったのは当然です。

 さらに、安倍首相が提示した緊急事態条項は、三月二十三日、参考人質疑で、全ての参考人がその濫用の危険性を指摘しました。任期延長についても、必要ないという意見が大半でした。それがこの審査会の議論の到達点だったのではないですか。

 前回の審査会で、自民党の委員が、緊急時に国が人権を制約できることを憲法に書き込むべきと発言しましたが、本審査会での議論を全く無視したものと言わざるを得ません。

 次に、本日のテーマである基本的人権に関して、今何よりも問題にしなければならないのは、人権侵害の違憲立法である共謀罪法案についてです。

 内心を処罰することのできる共謀罪法案は、具体的に危険な行為がなければ処罰できないとする刑法の大原則を根底から覆し、表現の自由を初め憲法が保障する国民の権利を幾重にも侵害するものです。先ほどから議論のある知る権利やプライバシー権を侵害するのが、まさにこの共謀罪法案だと言わなければなりません。

 しかし、安倍政権は、法曹界、研究者、言論人、そして国民からの憲法違反だ、監視社会になるとの多くの批判を無視し、この違憲立法を数の力で強行しようとしています。

 国連プライバシー権に関する特別報告者は、表現の自由への過度の制限になるとの強い懸念を示し、日本政府は、立ちどまって内省を深め、世界基準の民主主義国家としての道に歩みを進めるべきと述べています。安倍政権はこの指摘を重く受けとめるべきです。

 明治憲法下の日本では、軍機保護法、国防保安法、そして治安維持法などによって、政府に都合の悪い事実は秘密にされ、国民生活の隅々にまで監視が強められ、不当な逮捕と拷問による自白の強要が繰り返されました。こうして侵略戦争へと突き進んでいったのです。

 この戦前の痛苦の反省から、日本国憲法では、法律によっても侵すことのできない権利として表現の自由や思想及び良心の自由を明記するとともに、三十一条の法定手続の保障から拷問の禁止など四十条まで、十カ条にも及ぶ刑事手続を規定したのであります。

 秘密保護法、盗聴法、戦争法、そして共謀罪法案を強行する安倍政権が目指すのは、国民の目と耳と口を塞いで物言えぬようにし、日本を戦争する国に変質させることです。まさに九条改憲発言と一体のものであり、決して許されません。

 最後に、自民党改憲草案についてです。

 自民党改憲草案は、基本的人権を「侵すことのできない永久の権利」とした九十七条を全文削除しています。これは、基本的人権の尊重という憲法の目的を真っ向から否定するものであり、ここに自民党の本音があらわれていると言わなければなりません。

 日本国憲法は、三十カ条にもなる豊かで先駆的な人権条項を明記しています。この内容は、生存権の保障を求めた朝日訴訟や公害被害に対する救済運動を初め、戦後七十年間、国民の幾多の闘いによって深められてきました。

 今求められているのは、医療、介護、子育てや教育など、暮らしのあらゆる場面で憲法を実現させる政治を行うことであり、憲法を変えることではないということを改めて申し上げて、発言を終わります。

森会長 次に、足立康史君。

足立委員 日本維新の会の足立康史でございます。

 私からは、昨年三月に我が党が公表した憲法改正原案のうち教育無償化の部分についてそのポイントを御紹介し、幾つかの論点について意見を申し述べます。

 私たちが憲法改正原案の柱の一つに教育を取り上げたのは、教育の機会均等を徹底するという観点とともに、大胆な少子化対策として、就学前教育から高等教育に至るまでの教育の無償化を国づくりの柱に位置づけるためであります。

 第一の教育の機会均等については、現行の日本国憲法第二十六条一項に「能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」と既に一定の規定はされていますが、現実に目を向ければ、経済格差が連鎖し固定化するといった子供の貧困が深刻化する一方です。個人が自立して切磋琢磨できる環境を確保するためには、教育を受ける権利に係る規定をさらに強化すべきであります。

 こうした認識から、私たちは、第一項の後半に、「経済的理由によつて教育を受ける機会を奪われない。」と明記する改正案を策定しました。各人の適性とは無関係な家庭的、経済的な事情による選別は許さないということを明確にするためであります。

 第二の教育の無償化についても、義務教育については既に現行憲法二十六条二項に、「これを無償とする。」と明記されていますが、私たちが焦点を当てたいのは、この無償化の範囲です。

 私たちは、現行規定を抜本的に拡充し、「法律に定める学校における教育は、すべて公の性質を有するものであり、幼児期の教育から高等教育に至るまで、法律の定めるところにより、無償とする。」旨、同条第三項に規定する改正案を公表しています。

 現行の教育法体系における法律に定める学校とは、学校教育法第一条に規定するいわゆる一条校を意味しますが、我が党は、幼児期の教育から高等教育に至るまで、体系的、組織的に行われる教育は全て法律に定める学校とし、無償措置の対象とすべきと考え、既に関連する法律案を国会に提出しています。

 例えば、保育所における保育は養護と教育が一体となって行われるものであり、保育所における教育も、幼稚園における教育と同様に無償化の対象とします。専門学校を初めとする専修学校等についても、職業または実際生活に必要な能力を育成する等、他の学校に類する体系的、組織的な教育を行っているものについては、社会人の学び直しも含めて広く無償措置の対象にすべきと考えています。

 無償措置の対象となる学校の範囲とともに重要なのが、無償の意味です。

 私たちの改正案では、「法律の定めるところにより、無償とする。」と規定していますが、これは、例えば私立学校に係る支援限度額等の導入も無償措置に係る立法政策として許容することを示しています。

 教育の無償化が、既存の学校法人に青天井で税金をばらまくことであってはなりません。公立と私立、異なる課程間を含めて競争を促し、経常費等の効率化を進めるためにも、無償措置の対象となる私立校の授業料には上限を設ける制度が望ましいと私たちは考えています。

 実際、当時の橋下徹大阪府知事が導入した私立高校を含む高校無償化では、制度を利用できる私立高校の授業料の上限を年間五十八万円に定めましたし、我が党が既に国会に提出している教育無償化法案においても、授業料の上限設定を許容しています。

 以上、教育無償化に関する我が党の憲法改正原案の概略を紹介しましたが、残る時間で、三つの主要論点に関する我が党の考え方を申し述べます。

 まず、教育無償化は立法と予算措置で実現できるので、憲法に定める必要はないとの意見があります。先週の憲法審査会において辻元清美委員が強調されていた、法律で対応できることは法律で対応するという原則、いわゆる辻元原則がこの典型例であります。

 しかし、憲法で定めれば、国と地方に立法と予算措置を義務づけることとなるため、時の政権の政策変更等の影響を受けずに済みます。憲法に定める方が、単なる立法と予算措置に比べて政策の優先順位が上がり、恒久的な無償化の実現が容易となることも考えられます。

 実際、義務教育は現行憲法で無償と規定され、教育基本法、学校教育法に基づき、現に小中学校の無償化が実現しています。一方、保育を含む幼児教育は憲法上の無償規定がないため、財源不足等を背景に、待機児童問題が一向に解決されません。

 そもそも、辻元原則に従えば、現行憲法第二十六条第二項の義務教育の無償についても、法律で対応できるのだから現行の憲法規定は不要になります。民進党が今後とも、法律で対応できることは法律で対応する、教育無償化は憲法改正にはなじまないと強弁されるのであれば、現行憲法の規定をも否定する反立憲主義であるとのそしりを免れないと指摘せざるを得ません。

 次に、教育無償化を憲法に規定する前に財源について議論すべきとの意見があります。

 しかし、小中学校の無償化がなぜ実現しているのかに思いをはせれば、問題は財源ではなく政策の優先順位であることは明らかです。最初に財源を議論するから前に進まない。最初に憲法で無償措置を義務づければ、日本は法治国家なのですから、行政はしっかりと遵守をします。財源を理由に教育無償化の憲法改正を否定するのは、やらないことの言いわけにすぎません。あれだけ日本死ねと騒いだ民進党の山尾志桜里委員が幼児教育を無償化するための憲法改正にも反対するさまは、滑稽でしかありません。

 なお、教育無償化を憲法に規定することの是非と離れて、財源について一言触れれば、幼児教育の無償化のための財源は地方の責任で確保する、高等教育の無償化については国の責任で財源を確保する、これが基本であると私たちは考えています。

 そして、教育の無償化の財源、特に幼児教育無償化のための財源は行財政改革で生み出すべきであるし、生み出すことができると主張しています。実際、大阪市を初めとする複数の自治体がそのようにして幼児教育の無償化を既に実現しつつあります。

 高等教育の無償化のための財源についても行財政改革で生み出すのが基本でありますが、足らざる部分があれば、それは現役世代ではなく、事業承継税制を完備した上で、資産形成に成功した高齢者から徴収させていただきたい。相続財産の一部を我が子以外の子供に、日本の未来にとの考え方であります。

 いわゆるこども保険には反対であります。負担が現役の勤労者と事業者に集中しますし、税を保険と偽って徴収するのは逃げであり、詐欺であると断じざるを得ません。

 最後に、高校までの無償化には賛成だが、大学の無償化には反対だとの意見があります。十日に開催された財務省の財政制度等審議会の分科会で展開された、高等教育は生涯賃金の上昇という個人の私的利益につながるから公費負担拡大による無償化には反対といった意見が典型です。

 しかし、本当に高等教育は個人利益なのでしょうか。少子化が進む中、出生率を回復させるためにも、子育て世帯の教育費の負担を大幅に引き下げる必要があります。生産性のスピルオーバー効果を踏まえれば、高等教育が社会全体に利益をもたらすことは言うまでもありません。

 私たち日本維新の会は、子供の教育費は大学まで国が面倒を見るという明確なメッセージを発信していくことが、少子化対策の肝であり、社会の発展にもつながると考えています。

 もちろん、大学については、人件費等の経常経費にめり張りをつけ、大学間、教員間、学生間の競争を促し、実践的な職業訓練を一層重視するなど、しかるべき改革が不可欠であります。私たちは、教育無償化のための憲法改正を契機に、大学改革を断行する決意であります。

 以上、我が党の憲法改正案のポイントを紹介するとともに、教育無償化に係る三つの論点について意見を申し述べました。

 ありがとうございました。

森会長 次に、照屋寛徳君。

照屋委員 社会民主党の照屋寛徳です。

 本日のテーマである新しい人権の論点は、広範かつ多岐に及んでおり、とても短い時間で論ずるのは不可能です。

 新しい人権の概念について、憲法学者の芦部信喜氏はその著書で、社会の変革に伴い、自律的な個人が人格的に生存するために不可欠と考えられる基本的な権利、自由として保護に値すると考えられる法的利益は、新しい人権として、憲法上保障される人権の一つだと解するのが妥当である、その根拠となる規定が、憲法十三条の生命、自由及び幸福追求の権利であると述べております。

 社民党も、個人尊重の原理に基づく憲法第十三条の幸福追求権は、憲法に列挙されていない、いわゆる新しい人権の根拠となる一般的かつ包括的な権利であるとの立場であります。

 ところで、自民党日本国憲法改正草案は、第十九条の二でプライバシー権、同第二十一条の二で知る権利、同第二十五条の二で環境権、同第二十五条の四で犯罪被害者の権利など、四つの新しい人権を定めております。自民党日本国憲法改正草案QアンドAは、それらの改憲理由を、時代の変化に対応するためとか、国民の権利保障を一層充実していくためなどと説明しております。

 一方で、自民党日本国憲法改正草案では、憲法第九十七条の基本的人権の本質を規定した条文を全面削除しております。自民党が主張する新しい人権は改憲目的の方便であり、憲法の三大原理の一つである基本的人権の尊重にも反すると批判せざるを得ません。

 衆議院憲法調査会において、いわゆる新しい人権を憲法に明記する要否について議論があったことは承知をしております。

 結論を先に言うと、社民党は、環境権、知る権利、アクセス権、プライバシー権、犯罪被害者の権利、家族、家庭や共同体の尊重などのいわゆる新しい人権を、明文改憲の上、憲法に明記する必要は全くないと考えます。

 日本国憲法第十三条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と定めております。いわゆる新しい人権のほとんどは、憲法第十三条、第二十五条などによって解釈上認められるし、憲法第十三条は、将来生起し得る新しい人権にも対応できる根拠となる一般的かつ包括的な権利であると重ねて申し上げます。

 新しい人権との関連で急浮上した高等教育の無償化の改憲テーマに言及したいと思います。

 安倍総理は、去る五月三日、憲法第九条への自衛隊の存在と、高等教育の無償化を明記した、二〇二〇年、改正憲法施行を明言しました。

 憲法第二十六条第一項は、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」と定めております。教育無償化の範囲を広げることを憲法は禁じておりません。我が国が批准している国際人権規約第十三条の二でも、高等教育無償化の漸進的導入は認められております。

 だからこそ、二〇一〇年には、民主党政権下で高校授業料無償化、就学支援金支給制度が実現したのです。それに対し、理念なき選挙目当てのばらまきだとか、投資に見合う効果がないなどと批判し、所得制限を設けたのは、二〇一四年、政権奪還後の安倍政権ではなかったでしょうか。

 多くの憲法学者も、教育無償化という政策目的の実現と憲法改正には合理的な関連はないと論述しております。多くの国民が強く求めているのは、早期の高等教育無償化の政策実現であり、安倍総理の言う高等教育無償化を口実とした改憲ではありません。高等教育無償化は、改憲によらなくても、法律の制定と予算措置、すなわち時の政権担当者の政策実現意欲で可能となります。憲法改正の是非を問う国民投票には、一回につき約八百五十億円を要すると言われております。憲法学者の木村草太氏は、不要な改憲で国民投票をするくらいなら、そのお金を教育無償化の財源に回した方がいいと明快です。

 さて、我が国では、一九六〇年代の高度経済成長の時代に、大気汚染、水質汚濁、騒音、振動などの公害が大量に発生し、環境が著しく悪化しました。それに伴い、環境を保全し、良好な環境の中で国民が生活できるようにするために、新しい人権として環境権が提唱されたと言われています。環境権を初めて提唱した大阪弁護士会有志らによると、環境権とは、よき環境を享受し、かつこれを支配し得る権利であると定義づけられております。

 ところで、さきに紹介した自民党日本国憲法改正草案第二十五条の二は、「国は、国民と協力して、国民が良好な環境を享受することができるようにその保全に努めなければならない。」と定めております。これでは、新しい人権に名をかりて、国民に新たな環境保全義務を課すことになりかねません。

 結論として、環境権も、改憲による明記でなくても、憲法第十三条の幸福追求権や人格権、憲法第二十五条の生存権に基づき解決できること、沖縄では国の天然記念物ヤンバルクイナや絶滅危惧種ジュゴンなど九百九十一種の野生生物が安全保障体制維持のために絶滅に追いやられようとしている環境権問題があることを申し上げ、意見表明を終わります。

森会長 これにて各会派を代表する委員の発言は終了いたしました。

    ―――――――――――――

森会長 次に、委員各位による自由討議に入ります。

 発言を希望される委員は、お手元にある名札をお立ていただき、会長の指名を受けた後、御発言ください。発言が終わりましたら、名札は戻していただくようにお願いいたします。

 発言は自席から着席のままで結構です。また、発言の際には、所属会派及び氏名をお述べいただくようお願いいたします。

 なお、幹事会の協議によりまして、一回当たりの発言時間は五分以内といたしたく存じます。委員各位の御協力をお願い申し上げます。

 発言時間の経過については、終了時間一分前及び終了時にブザーを鳴らしてお知らせします。

 それでは、発言を希望される委員は、名札をお立てください。

中谷(元)委員 自由民主党の中谷でございます。

 先ほど共産党の大平委員から、自衛隊の統幕長の発言は憲法に逸脱するものであり、罷免すべきであるという発言がございました。

 自衛官は、公務員としての憲法尊重擁護義務はありますが、憲法には改正規定もあり、国民の一人としても、憲法の内容やあるべき姿についても意見を述べることは何ら問題はありません。憲法の改正についても、自衛官も国民であり、国民として、個人としても言論の自由があり、求められたら、軍事専門家としての意見を述べることも、憲法についても意見を述べることも、当然のこととして許されるべきであると考えます。

 まして、統幕長の発言は、憲法という非常に高度な政治問題なので、統幕長という立場から申し上げるのは適当ではないと断った上で、一自衛官として申し上げるならと個人意見とした上で、自衛隊の根拠規定が憲法に明記されるのであれば非常にありがたいと思うと、憲法に明記されていない自衛隊の根拠が国民投票の手続によって改善されるというのはありがたいことであると率直に思いを述べたことであります。

 自衛隊は、創設以来六十有余年、国を守る組織として懸命に努力をしてまいりましたが、いまだに一部の憲法学者また一部の政党からも現実に憲法違反と言われて否定をされ続けているわけでございます。やはりそういう現実を踏まえて、明記されるとしたらありがたいと率直で正直な思い、感想を言ったことでありまして、これは現場で仕事をしている人にとりましても適切な発言であり、何ら問題はないと考えます。

 また、山尾委員から、自衛隊を今さら合憲化する必要があるのかという御意見がありました。

 このことにつきましては、今述べましたように、自衛隊は憲法違反であると主張されている人がいるというのは事実でありまして、自衛隊は憲法に根拠規定が明記をされておりません。現実に、国会においても、自衛隊は憲法違反であるとか、平和安全法制も戦争法案だとか憲法違反であるとかいう御意見もありました。

 それぞれ、信条に基づいた発言でありますので、国会では自由に発言をするということは当然のことでありますが、この曖昧さを引きずったまま、現状のまま自衛隊が存在するということになりますと、自衛隊の活動する根拠についても非常に曖昧なまま続いていくわけでありまして、やはり、この際、憲法九条における自衛隊の地位、役割、権限、こういうことを明記し、そして、もちろんシビリアンコントロールとして国会の統制なども明記をすることによって憲法改正をするということは必要なことでございます。

 今後、この審査会におきましても冷静で真摯な議論をしたいと思いますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 なお、最後に、安倍総裁として憲法についてラジオで発言したということがありましたが、これは自民党総裁として憲法のあり方、まとめ方を発言したものでありまして、政党の中で政策をつくり、また国民に訴えるということは、総裁としては当然やるべきことでございます。

 ただし、国会においては、総理大臣として一貫して、この議論は憲法審査会においてやるべきであるというふうに述べておりまして、せんだっても森審査会長、私が発言をいたしましたとおり、これは総理に縛られるものではなくて、各党各会派の真摯な議論によって憲法問題を議論していくべきでありますので、その点は全く私も一貫して変わらない姿勢で対処してまいりたいと思います。

武正委員 民進党の武正公一です。

 先週、憲法審査会は、森会長所感、そして先立つ幹事会で中谷自民党筆頭幹事の発言、これで五月三日の首相インタビューあるいはビデオメッセージにおける憲法審査会における混乱を解消してスタートいたしました。

 ただ、この一週間を見ると、今、中谷委員も言及した総理の民放ラジオ番組での発言、また一昨日の統幕長の発言、こうしたことでは、やはり大きな波紋が広がっていることは否めません。

 会長所感では、外部の影響を受けない旨の趣旨でありましたし、中谷筆頭幹事からは、あくまで党内向けの発言である、二〇二〇年に縛られるものではないと。審査会は審査会でというようなことが、しっかりと確認をしていく必要を改めて申し上げたいと思います。これ以上波紋が広がれば、先週、中川委員から求めたことも含めて、審査会としての何らかの意思表明が必要かというふうに思います。

 一昨日の統幕長発言は、制服組として憲法改正に言及した初めてのものというふうに思われます。シビリアンコントロール、憲法擁護義務からいっても問題がありますが、やはり五月三日発言が大きな波紋を広げていることの一つの証左であるということを改めて申し上げたいと思います。

 その上で、民進党は、昨年、民進党政策集で、新しい人権についてはこのように述べております。

 ○基本的人権は、人間が人間として生まれてきたことにより、誰もが当然に享有する権利です。

 ○基本的人権は、他人の基本的人権との衝突を回避するために調整されることはあっても、「公益」や「公の秩序」といった他の価値の後回しにされるものではありません。

 ○この基本原理を踏まえて、環境権、知る権利など新しい人権を憲法にどのように位置付けるのか、議論を深めます。

 環境権については、国等の責務、政策目標ということで、これまでも、政府そして国会、国として、地球温暖化対策の必要など、取り組んでまいりました。こうした面からの憲法とのかかわりが肝要ではないかというふうに考えるところです。

 また、国民の知る権利については、民進党は、かねてより公文書管理法、情報公開法の提出を行ってまいりました。これは特定秘密保護法施行を受けてのものでございます。

 そして、この国会では、森友学園、加計学園など、特に、政府にあって一年未満の文書の保存義務が各省庁に委ねられているといったことから破棄がたやすく行われている点の是正、公文書管理法の見直し、また、政と官のあり方も、民主党政権時、平成二十一年にはとりあえず決めたものが、平成二十四年、第二次安倍内閣ではそれが固定化をされておりまして、今回は、大臣に報告が上がっていないということが、イコール政官接触はなかったという説明に使われておりますことは、政と官のあり方の見直しが必要でございます。

 なお、国境なき記者団の発表では、平成二十二年時世界第十一位の世界各国の報道の自由度ランキングが、平成二十八年、二十九年と七十二位に後退をしていることも改めて指摘をしておきたいと思います。

 教育を受ける権利については、二〇一二年二月、予算委員会で、私から当時玄葉外務大臣に質問をし、その中で、国際人権規約A規約、高等教育無償化条項の留保の撤回が示され、同年九月十一日に留保が撤回されました。これによって、高校授業料無償化、そしてまた大学奨学金などをもっての撤回となりましたが、財源論について、これは引き続き、特に政府・与党の主導が必要かと思いますが、これを行いながらも、しかし、あえて憲法に教育の無償化を記載すべきかという観点から、民進党はこの問題にも取り組んでまいりたいと思います。

 忘れられる権利、プライバシー権など言及がありましたが、強行採決された共謀罪の中でも、やはりLINE社のメール提供についても、既に報じられておりますこうした点、内心の自由、内面の自由にもかかわるところ、そして何よりも、今、個人情報保護と、一方、ビッグデータ活用、マイナンバー、マイナンバーカードの利用など、そうした点がそごがないように、この点も改めてプライバシー権とのかかわりで取り組む必要がある、このように考えます。

古屋(圭)委員 先ほどの中谷幹事からの発言を補足させていただきたいと思います。

 山尾委員の方から、安倍総裁、自民党は自衛隊違憲論に考え方が変わったのかという指摘がありましたけれども、実は、今のお話は、風が吹けばおけ屋がもうかるより、全くもって論理の飛躍以上の何物でもないというふうに思います。我々自民党は一貫して、自衛隊は合憲であります。

 そこで、なぜ、五月三日、自由民主党総裁がああいうメッセージを発したか、その中身を、ポイントを申し上げたいと思います。

 自衛隊は、災害救助を含め、命がけで、二十四時間三百六十五日、領土、領海、領空、日本人の命を守り抜く、その責務を果たしています。国民の信頼は九割を超えている。しかし、多くの憲法学者や政党の中には、自衛隊を違憲とする議論が今なお存在します。自衛隊は違憲かもしれないけれども何かがあれば命を守ってくれというのは、余りにも無責任ではないでしょうか。自衛隊の存在を憲法上にしっかりと位置づけ、自衛隊が違憲かもしれないなどの議論が生まれる余地をなくすべきであると考えます。こういった議論を、憲法審査会の中で、そして国民の議論の中で、強く、国民的な議論が深まっていくことを切に望みます。そして、それを願っています。

 こういうふうに申し上げたまででありまして、先ほどの民進党の委員の指摘は全く当たらないものというふうに考えます。

 中谷委員の発言に補足をさせていただきました。

 以上です。

細野委員 民進党の細野豪志でございます。

 教育の無償化について今議論が闘わされておりますので、一言申し上げたいと思います。

 まず、民進党は、昨年、教育無償化についての法案を提出しておりまして、一歩一歩前進をしていくという立場で、まず法律から始めるという立場でございます。憲法にそれを書くかどうかについては党内でまさに議論中でございますので、きょうは私の個人的な意見ということで少し述べさせていただきたいと思います。

 まず、憲法二十六条の制定の経緯というのを共通認識として持つ必要があるというふうに思います。

 憲法二十六条については、義務教育について無償化が定められておりますけれども、当初、政府から示された原案というのは初等教育の無償化でありました、GHQの考え方ということもあるわけではありますが。ただ、初等教育というのは小学校だけですから、それでは十分でないという当時の帝国議会の議論があって、最終的には義務教育の無償化となったわけであります。

 これは、当時からすると、日本の財政も非常に厳しく、さらには、当然、家庭は非常に貧しいという状況でしたから、相当先進的な条文と言えるのではないかというふうに思っております。

 それから七十年以上が経過をいたしまして、教育をめぐる環境は一変をいたしました。

 例えば、幼稚園、保育園なんですけれども、制定当時は、世の中にはほとんど幼稚園というのは存在をしておりませんし、保育園も全くありません。割合を調べてみますと、幼稚園に就園している子供の割合は七・三%、十四人に一人。保育園はほぼゼロでしょう。今どうなっているかと申し上げますと、幼稚園、保育園を足し合わせますと、ほぼ全ての子供が幼児教育を受けているという現状にあります。

 これだけ状況が大きく変化をし、そして、幼稚園、保育園の子供たちの親というのは小学校、中学校と比較をすると所得が低いケースが多いわけですから、そこについて無償化をするというのは十分合理的な理由があるし、これだけ時代も変わってきているわけですから、二十一世紀の教育を、国民的な議論をしてここをやるのであれば、憲法に書くというのは十分検討に値するというふうに思います。

 同じく高校も、憲法ができた当初というのは半分を下回っておりましたが、今は九七%程度となっておりますので、同様に検討に値すると考えます。

 一方で、高等教育なんですが、問題は非常にたくさんあります。

 具体的に私が一番問題だと感じていますのは、生活保護家庭の子供については、世帯にとどまる限り、大学進学、専門学校についても認められておりません。先進国としては非常に恥ずかしいことだというふうに思います。そういったことについて状況を変えるということについては、私は、国民的な合意ができるのであれば、憲法改正も検討すべきだと思います。

 ただし、全て無償化するかということについては、それこそ工業高校などを出て立派に働いて税金を納めている若者もたくさんおりますので、そういったことを考えると、そこは私は、全て無償化するということではなくて、経済的な状況による差をなくすということに重点を置くべきではないかというふうに考えております。

 なお、教育の無償化について明確にすべきは、公の性格を有する教育について無償化ということを二十六条の中に書くべきだというふうに思います。そして、それをすることによって、八十九条の公の支配に属しない慈善、教育もしくは博愛の事業に対し公金を支出することはできないとなっている、この条文の今私が読み上げた部分については削除するのが、憲法上の疑義をなくすという意味で私は必要だというふうに考えているということをつけ加えたいと思います。

 最後に、中谷委員がお帰りになりましたので、簡潔に、先週の議論について改めて。

 中谷委員の方からは、憲法改正が必要な理由として、私権制限について幾つか例示がありました。結論から申し上げると、全て現行憲法上可能でありますし、現行法上も可能です。

 まず第一点ですが、自衛隊が緊急に道路をつくる場合に、瓦れきをどかせるとか車をどかせるというのは、災対法の七十六条の六で既にできるようになっています。

 次に、家の中に入り込んで家を解体するということについては、災害救助法の四条及び九条で可能になっています。

 そして、地方自治体ができない場合、国ができるようにするべきだということについては、既に自衛隊の自主派遣がありますから、既にできるようになっています。

 言わずもがなですが、中谷大臣は有事法制のときの当初の提案者ですから、武力攻撃事態国民保護法制についてはもちろん全て可能になっていますから、全て現行法上可能です。

 なお、それでもできないことがあるのであれば、憲法上は公共の福祉による制約ができていますから、現行法をさらに変えれば全て対応できるということをぜひ御理解をいただいて、もし反論があれば、ぜひお聞かせをいただきたいというふうに思います。

 以上です。

根本(匠)委員 自由民主党の根本匠です。

 憲法九条をめぐっての安倍総裁の真意については既に中谷、古屋幹事から明快に話がありましたので、私は、きょうのテーマである新しい人権について意見を申し上げたいと思います。

 憲法制定時には想定していなかった諸問題に対応するため、プライバシー権や環境権などの新しい人権が主張されるようになりました。これらが憲法上保障されるべき権利であるという考えは、当審査会でも共有できるのではないかと思います。

 憲法に新しい人権の規定を置くことについて意見を申し上げますと、明記すべきという意見の論拠は、あらゆる新しい人権の根拠を十三条に求めることは適当でないこと、憲法に書き込むことで国民の人権保障がより明確になること、国会の立法や裁判所の判断の基準となることなどが挙げられます。

 しかし、どの権利を憲法に書くのか、どの程度規定を具体的にするのかといった点について意見を一致させることは容易ではないでしょう。新しい人権を憲法に書き込んだとして、将来新たな権利が主張されたとき、その都度憲法を改正するのかという点も検討が必要です。

 また、プライバシー権に対しては個人情報保護法、環境権に対しては環境基本法など、新しい人権の議論を踏まえてさまざまな法律が整備されたことも指摘したいと思います。これらの法律が憲法と一体となって体系をなし、新しい人権の保障に資するように、憲法改正によらず立法で対応できる可能性があることは考慮すべきだと思います。

 法律や解釈で補っている事項を憲法に明記すべきというのは一つの考え方です。しかし、現行憲法にどのような問題があり、是正する手段として憲法改正が適当かという点も検討した上で、議論する内容を絞り込むことが重要だと考えます。

 次に、教育について申し上げます。

 安倍総裁は高等教育について、真に開かれたものでなければならないと発言されました。私も、意欲や能力があるにもかかわらず、経済的な事情によって大学進学を諦めざるを得ない国民がいてはならないと思います。

 そこで、国のあるべき姿を示す規範である憲法に、教育は全ての国民に開かれたものであるべきという理念を書き込むべきではないでしょうか。その理念を実現するための制度は法律で整備していく。具体的には、教育費の負担軽減や無償化の範囲、所得制限の有無などを法律で規定することになるでしょう。その費用は、今の世代で恒久財源を確保し、教育を受ける子供世代には負担を先送りしないことが重要だと考えます。

 最後に、教育に関連して私学助成について申し上げます。

 私学助成は、憲法八十九条に定める公金支出の禁止との関係で議論となります。

 GHQ草案には既に八十九条と同旨の条文があり、それはアメリカの州憲法がもとになっているのではないかと言われています。実際、アメリカの州憲法の多くに八十九条のような規定が置かれています。そのうち宗教教育への援助禁止条項は、十九世紀後半に先鋭化した宗派間の対立が背景にあったようですし、また、私立学校への支出を一切禁止する趣旨ではなかったのではないかと考えます。

 憲法制定時に金森憲法担当大臣も、八十九条は国費が乱費せらるる危険がないようにということに非常に重点を置いており、国が十分その博愛、教育、慈善等の事業に対して発言権と監視権とを持っている場合においては国費で出してもよいという認識を示しています。

 一方で、私学助成は八十九条の文言に反するのではないかとの批判も見られます。

 先ほど申し上げた八十九条の背景や教育基本法、私立学校法などの法律が整備され、私学に公の支配が及んでいること、私学助成は合憲との裁判例があること、私学が教育制度の中で果たしている役割は大きく、国民の間でも私学の重要性は理解されていることを踏まえると、私学助成は合憲であることが文理上も明らかになるように八十九条を改正すべきだと考えます。

 以上で私の発言を終わります。

辻元委員 私は、先ほど中谷委員がおっしゃった自衛隊の制服組トップの発言に対する見解についてまず反論したいと思います。

 これは自衛隊の根拠規定が憲法に明記されるのであれば非常にありがたいと思う、非常にありがたいと思うということは、憲法改正を歓迎する、憲法改正には賛成するととられる発言です。

 言論の自由はあります。そして、一自衛官としてと前置きをされていますが、自衛隊法ではどうなっているか。自衛隊法では、この施行令で具体例が幾つか出ております。一自衛官も従わなければなりません。そこでは、政治の方向性に影響を与える意図で特定の政策を主張したり反対すること、これはだめだと。そして、服務の宣誓では、全ての隊員が、憲法遵守や政治的活動に関与しないことを誓っております。

 これは仮に、反対のこと、自衛隊のトップが、いやあ、自衛隊、三項に明記されるのは、そんな必要は全くないし、困りますという発言をしたらどうしますか。同じなんですよ。やはり一自衛官であっても、政治的、極めて、特に国民の判断が分かれるようなことに対して影響を与えるという発言をするということ、その影響に鑑みて自衛隊法ではきちんと規定をしているわけです。ですから、この自衛隊法の違反ではないかという指摘が出ているということを重く受けとめていただきたいと思います。

 二点目は、多くの憲法学者が、自衛隊の存在は憲法違反だというような意見もあるのでという発言がありましたが、前回も申し上げましたが、安保法制のときは、九割近くの憲法学者だけではなく、元内閣法制局長官、そして、元最高裁判所の長官までもが、安保法制は憲法違反だという発言をいたしました。

 そんな中で、政府の対応は、一私人の発言であるから考慮はしないという、何回も一私人の発言だと聞きました。ですから、自分たちに都合がいいときは考慮する、そして、都合が悪いときには一私人だと切り捨てる。これは御都合主義じゃないですか。

 教育の無償化もそうなんです。高校の授業料無償化の法案を私たちが出した折に、ばらまきの大合唱で反対をし、そして、自民党、公明党を含めて安倍政権になったら所得制限を入れました。そして一方、憲法改正についての教育無償化は進めなければならないと言う。では、ばらまきとの関係でどうなんだというところが問われているんです。憲法改正の方便にいろいろ出しているんじゃないかというように思われかねない。私は、そういうような憲法議論は非常に不幸だと思っております。

 そして、維新の会の足立さんがおっしゃいました。法律でできることは法律で、辻元原則という、非常に私は普遍的な原則だと思いますが、名前をつけていただいて、光栄のきわみであります。

 そんな中で、維新の会は、私たちがまた、高等教育を含めての無償化の法案を前回出しましたが、出したら、もろ手を挙げて賛成をしていただけることを期待するということを申し上げておきたいと思います。

 さて、そういう中で、知る権利について、きょうもお話がたくさんありました。

 情報公開法があります。これが果たしてきちんと遵守されているのか、そういうことを検討するのもこの憲法審査会だと思います。

 自衛隊の話が出ました。PKOの日報破棄問題というのがありました。これは、ジャーナリストが情報公開法に従って情報を求めたときに、破棄されて、ない、そういうような決定を下しました。私も、これはずっと国会で追及をいたしました。最後は、やはりありましただったんですよ。これは、私たちが国会で追及しなかったら、あるものがないのままで情報公開法が運用されているということなんです。

 そしてさらには、先ほどから自衛隊の話がありますが、憲法違反と言われた安保法制の米艦防護もそうです。やっているともやっていないとも言えませんという話なんです。これは非常に危険な話なんです。

 ですから、知る権利、情報公開がどこまでなされているのか。今の政権または政治にとって非常に危機的ではないのか。

 そして、加計学園の問題。きょうは、朝日新聞トップにも、前文科事務次官が総理の御意向という文書があったという発言をしているわけです。しかし、官房長官みずからが、調査をする前に、怪文書のようなものと言って切って捨てているわけですよ。これは、国民の知る権利を言う以前に、政府が物事を隠蔽していくという体質そのものではないか。そういうことに対して、この憲法審査会としてきちんと現状を調査し、警鐘を鳴らしていくことを提起したいと思います。

 以上です。

太田(昭)委員 中山太郎先生と、新しい人権ということで、私たちは、環境権を中心にして話をしたり、あるいはIT時代の中でのプライバシー権というものについて話をしましたが、中山先生と私、もう一つ、生命倫理ということについて、将来の日本を考えると、どういうふうに憲法で書き込んでいくということ、あるいは論議をするということが大事だということを随分話し合いました。

 それからかなり時代が進展して、この生命倫理問題とそして科学技術と人間の尊厳という問題が、IT、BTというのが急激に変化をして、その中で、十年後、二十年後の日本ということからいくと、今、ボタンで言えば、一番最初の第一ボタンをしっかりはめるということを危機感を持って論議していかなくてはいけないと強く思っています。

 先ほど斉藤さんから、科学技術の進歩と生命倫理、学問の自由の問題ということで、再生医療、生殖医療において、人として成長する可能性のある受精卵が研究に使われてきた、この受精卵がいわゆるクローン禁止法で「生命の萌芽」と表現され、iPS細胞の登場によってその数は少なくなっているとはいいながら、将来にどのような研究が登場するかという中で、研究の世界の自主的ガイドラインに任せておくだけでいいのかという生命倫理の問題が提起をされました。

 また、遺伝子操作技術、AI技術の発展と結合を考えれば、学問の自由という基本的人権について、生命倫理的な観点からの制約も議論すべきではないかという問題提起が斉藤さんの方からありましたが、全く私は同感であります。

 生殖医療並びに遺伝子操作及び臓器移植に関する技術は乱用というものをしないように、そしてこれを国民の新しい権利として構成できるかという問題もあわせて考えて、そして、そうした国民の新しい権利としてではなくて、国として生殖医療並びに遺伝子操作及び臓器移植に関する技術の利用において、常に生命及び身体の安全が確保され、個人の尊厳が保持され、並びに社会秩序が維持されるように努めるというようなその規定というものを、しっかり将来も見据えて論議をして憲法論争というものをしなくてはいけない、このように私は考えます。

 昨年末、「第四次産業革命 ダボス会議が予測する未来」ということをクラウス・シュワブさんが執筆をしておりまして、IoT、AI、ロボット、シェアリングエコノミー、インダストリー四・〇、第四次産業革命、こういうことで世界が激変しているということを指摘しておりまして、具体的事象として、ウエアラブルインターネット、ユビキタスコンピューター、IoT、住宅、都市のあり方、そして自動運転、ビットコインとブロックチェーン、3Dプリンターと製造業、健康、消費財の問題、デザイナーベビーなどについてのティッピングポイントとしまして、二〇二五年までの予測、劇的に変わるということを予測しております。

 結論的に申し上げますと、このシュワブさんは、人間を中心に据えた、人間が優先される未来をつくる意思、そして、イノベーションと技術の中心に人間性と公益追求を据えて持続可能な発展を実現させることが大事であるという指摘をされています。

 また、哲学の世界でも、大きな時代、社会の変革期という認識があって、ポストモダン以降、哲学はどこに向かうのかということが論じられて、そして、IT革命は人類に何をもたらすか、バイオテクノロジーは人間をどこに導くのか、クローン人間、再生医療、資本主義と格差、自由、グローバル化、こうしたこと。

 あるいは、宗教の世界においても、近代は脱宗教化の過程であったが、宗教というものは存続していけるのかどうかという、そうした捨て去ることを人間は、果たしてあり得るのかというような論議や、あるいは人類と地球環境や、あるいは環境保護論の歴史的な問題としてのそうした論議がされて、私は、かなり哲学の抱える問題の所在は深いという認識をしております。

 早いか遅いかはわかりませんが、カーツワイルが言うように、シンギュラリティーという、人工頭脳、AIが人類の総和を超えるという時代が二〇四五年だ、こう言っていますが、その前に、特化型AIの時代が二〇三〇年まで、そして、このシンギュラリティーとなるようなところまでにどういうふうな進展ぐあいでいくかということが、深刻な問題として、また重要な問題として論じられているんだと私は思います。

 特化型AIの時代は、どちらかというと、秘書を横に置いて、囲碁なんかをやるについても、これからはダブルスの時代と言われて、ペア碁とかペアチェスというように、横に置いて一つ一つ相談しながら碁を打ったりチェスをやるということが既に始まっているわけでありますが、それが、自分で考えるAIというものが二〇三〇年ぐらいから生まれ始めたときに、果たして、人間とそうしたAIという、人間とはそもそも何であるかというような論議と、そして科学技術の振興をというものとの兼ね合いの中で、どういう社会を想定し、そして何を原則として確保しておかなくてはいけないのかという問題が指摘されると思います。

 なかなか、どういう時代になるかを十分予測するだけの知識は今ありませんけれども、問題意識を共有して、これから日本の十年後、二十年後、そしてせいぜい三十年後というか、そのあたりのことを考えて、憲法審査会で重厚な論議をしていただきたいということを私は強く望んで、発言とさせていただきます。

山尾委員 一点だけ、総理の合憲化発言について、私の方からコメントをさせていただきたいと思います。

 自衛隊の憲法適合性について、国民の中に疑義を提起するようなものも含めて異なる意見があるという前提は共有しています。したがって、疑義をできるだけ払拭するだとか、あるいは明文化という手段を使うだとか、そういった必要性の有無について論点として議論の余地があるということは理解します。

 しかし、この論点と合憲化する必要性の有無という論点は、全く別のものだと考えます。

 なぜなら、前者、疑義の払拭や明記の必要性という論点は、自衛隊合憲論と当然十分に両立します。でも、一方、後者の合憲化する必要性の有無という論点は、自衛隊合憲論に立った立場とは両立しがたいのではないか、こういう問題提起なんですね。

 そこで、私は、先ほど、合憲論に立つのであれば、合憲化するという必要性はないのではないですか、こういった説明はやはりおかしいのではないですか、こういう問題提起をさせていただきました。それに対して、中谷委員や古屋委員などは、疑義を払拭する必要がある、あるいは明記をする必要があるというような形で、少しすれ違うような御答弁というか御意見を開陳されていたのかなというふうに聞こえました。したがって、整理をしていただく必要があるのではないかと思うんですね。

 合憲化の必要と疑義を払拭したり明記をする必要性の有無というのは、全く異なる論点です。合憲論に立つのであれば、合憲化という説明は正確ではなかった、明文化、あるいは疑義を払拭するという必要性がある、こういうふうに言うべきであった、そしてまた、今後、合憲化という言葉は使わないかどうかとか、ここはこれ以上私が言うべきことではないですけれども、本当に大事なことなので、そういった形で少し整理をしていただいた方がよろしいのではないかと私は思います。

 以上です。

上川委員 自由民主党の上川陽子です。

 私からは、犯罪被害者等の権利につきまして発言をさせていただきます。

 犯罪被害者、その御家族の方々は、犯罪によって傷つけられた上、精神的な二次被害、再被害にも悩まされてきました。

 犯罪被害者等への支援は不十分で、刑事手続にも参加できない時代が長く続きましたが、それでも少しずつ犯罪被害者の置かれた過酷な状況に国民の理解が広がり、昭和五十五年には犯罪被害者等給付金制度が創設され、また刑事手続における被害者等の意見陳述制度の導入や犯罪被害者等給付金制度の拡充など、累次の制度が導入、拡充されてまいりました。平成十六年には、超党派の議員立法によりまして犯罪被害者等基本法が制定をされ、これを受けて、犯罪被害者等基本計画の閣議決定や被害者参加制度等の導入が実現したところであります。

 日本国憲法は、刑事被告人の権利について手厚い規定が設けられていますが、犯罪被害者についての明文規定は設けられていません。

 私が犯罪被害者等基本法の制定に携わった当時、犯罪に巻き込まれた犯罪被害者等は、その権利が尊重されてきたとは言いがたく、個人の尊厳が重んぜられ、その尊厳にふさわしい配慮がなされてきたとは到底言えない状態でした。被害者等の多くが、周囲からの配慮のない言動やいわれのない偏見に対し、自分たちの権利を主張し支援を求めるための声を上げることすらできなかったのであります。

 憲法十三条に規定される幸福追求権には新しい人権が含まれていると言われていますが、そもそも、犯罪被害者等にはどのような権利があり、どのような支援を受けるべきものかについて明確な定めがなく、そのため、権利保護がなされる十分な基盤もなかったと言わざるを得ません。

 幸いにして、我が国における犯罪被害者等の権利利益の保護のための法制度は、犯罪被害者等基本法の制定を契機に、さらに、一時の惨状からは比べるべくもないほどに充実してきておりまして、これは、憲法施行から七十年を経た現在、日本国憲法に規定されている数々の諸権利と同様の価値を有するに至ったと言えるのではないかと考えます。

 しかし、今なお課題が残っております。

 事件後の報道等により犯罪被害者等の名誉や生活の平穏が害されたりするなどの被害は、被害者の方々を苦しめ続けています。

 二十年前、あの痛ましい神戸連続児童殺傷事件を起こし、後に社会に復帰した加害男性が、数年前に事件に関する手記を発表し、犯罪被害者等の権利保護と表現の自由との関係について大きな問題提起がなされました。一昨日、参議院議員会館で、犯罪被害者の声を国会に届ける院内集会が開かれまして、私も出席をいたしました。被害児童のお父様が、事件から二十年たった今も加害男性に対して本当の思いを話してほしいと願い続けてきたものの、手記の発表により完全に裏切られたと声を上げ続けています。更生教育が失敗した責任をとる者がいないこと、また、加害者が自分で起こした犯罪の被害者遺族に対してさらに精神的被害を加えることは精神的な傷害罪に当たるとの意見も述べられました。こうした例を見ても、より一層の犯罪被害者等の権利の尊重が求められるところです。

 我が国の法体系には、基本法と名づけられた法律と、それに連なる法制度は数多く存在します。しかし、基本法に掲げられた国民的要請が憲法上の人権に並び立つほどに高まっているものは数少なく、私は、犯罪被害者等の権利利益の保護はまさにその数少ない国民的要請の一つと考えます。

 犯罪被害者等の権利は、個人の尊厳として、国、自治体、さらには各個人の間でも尊重されるべき権利であるとともに、国、自治体において、被害者の皆さんが被害前の平穏な生活を取り戻すためにあらゆる支援をすべき生存権、社会権の側面を持つ、まさに新しい人権であり、憲法上、犯罪被害者等の権利を明記すべきと考えます。

 各党会派における議論をさらに進めて、深めていくことを最後に申し上げまして、私の発言といたします。

赤嶺委員 日本共産党の赤嶺政賢です。

 冒頭、先ほどの河野統幕長の発言問題について、私たちの立場を大平議員から明らかにいたしましたけれども、私も発言をしたいと思います。

 今度の河野統合幕僚長の改憲発言は極めて重大であります。安倍首相の九条改憲発言を受けて、事もあろうに自衛隊のトップが、自衛隊の根拠規定が憲法に明記されるのであれば非常にありがたいなどと発言したことは、憲法遵守義務に反し、文民統制の原則を侵すものであります。

 しかも、河野発言は、首相の改憲発言が憲法九十九条や三権分立に反すると問題になっているときに、あからさまに首相発言に賛意を示したものであり、個人としての発言などと言っても不問にできるものではありません。河野統合幕僚長の罷免を要求するものであります。

 自衛隊違憲の主張に対して、憲法に自衛隊の根拠規定を創設することを歓迎するというものは、これは軍事組織の政治介入につながる重大な発言であるということを指摘しておきたいと思います。

 十八日の憲法審査会では、首相発言に縛られないとの認識が中谷議員から示されました。ところが、当日のうちに、首相の指示のもとに、自民党は、年内に改憲案を取りまとめることを目標に、自民党憲法改正推進本部の体制強化、議論加速を打ち出しました。

 憲法審査会の議論がいまだ改正項目を絞り込む段階でないことは、自民党自身が表明しているところです。首相自身も、これまで具体的な案については憲法審査会において議論すべきと発言しておきながら、この間、審査会の議論は無視して、首相主導で改憲案をまとめようとしています。

 また、二十一日には、安倍首相がニッポン放送にて、改憲案を年内にまとめると発言をいたしました。国民に議論してもらう機運をつくらなければいけないと思ったとも語っています。憲法尊重擁護義務を負う首相がメディアを利用して改憲論議を喚起させようとするなど、言語道断であります。このことが先ほどの河野統合幕僚長の発言を招いたものだと考えております。

 憲法をめぐる最大の問題は、現実の政治が憲法の平和、民主主義の諸原則と著しく乖離していることであります。憲法の前文を含む全条項を守り、平和、民主主義の原則を現実の政治に生かすことこそ政治に求められている責任です。その観点から、憲法で保障されるべき基本的人権がじゅうりんされている沖縄の現状を指摘させていただきたいと思います。

 基地が集中する沖縄では、米兵による殺人やレイプ、強盗、米軍機の墜落、爆音、実弾射撃訓練による流弾、原野火災、土壌や水質汚染など、たび重なる基地あるがゆえの事件、事故が県民の命と暮らしを脅かしています。

 二〇〇四年の沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落、昨年のオスプレイ墜落など、基地の外、住民の生活の場で事故が起きても、地位協定に阻まれて、地元の市長や知事さえ現場に入れません。沖縄県警や海保も現場に入って捜査することもできず、現状、事故原因が不明なまま、米軍の運用優先で飛行を再開されて、住民の不安は解消されないのであります。

 こうした憲法で保障された人権より安保が優先される現状を正すことこそ政治は求められていることを申し上げまして、発言を終わります。

平沢委員 河野統幕長の発言に対しまして、辻元委員、今の赤嶺委員などからいろいろありましたので、反論させていただきたいと思います。

 自衛隊につきましては、憲法に違反するという意見が、一昨年の朝日新聞の調査では、学者の約七割近くいるわけでございます。政党の中にも、共産党のように、これは違憲であるということを言っているところもあるわけでございます。

 そういった中で、自衛隊員は、災害救助を含めまして、まさに総理が言われるように、命がけで二十四時間三百六十五日、領土、領海、領空、日本人の命を守り抜くために働いているわけでございまして、そういった姿に国民の九割以上が信頼をしているわけでございます。しかしながら、にもかかわらず、一部そういった違憲だという声が起こっているということは、これは自衛隊員の士気にも大きく影響しかねないわけでございます。

 そういった中で、統幕長は、あくまでもこれは質疑の中で、質問があったから答えたわけでございまして、その中で何と言っているかというと、統幕長という立場から申し上げるのは適当ではないと思う、しかし、一自衛官として申し上げるならば、自衛隊というものの根拠規定が憲法に明記されるということになれば、それは非常にありがたいことだと思うということを言っているわけでございまして、考えてみれば当たり前のことでございまして、当たり前のことを認めない人がいるから、その当たり前のことをきちんと書いてくれ、こう言っているわけでございます。

 問題は中身でございまして、何かおかしなことを、あるいは全く新しいことを憲法に書けと言うなら、それは確かに統幕長の発言としては問題だと思いますけれども、全く当たり前の、当然の、一足す一を二というようなことを書いてくれと言っている、それを二でないと言う人がいるから書いてくれと言っているだけですから、私自身は全く問題がないということで考えております。

 平和安全法制についても、違憲という学者が多かったということの御意見が今出ましたけれども、憲法学者のほとんどが自衛隊は憲法違反だということを言っているのであれば、これは違憲ということが出るのは当然だろうと思います。

 小林節先生が国会に来られて、学者というのは大学の中で神学論争をやっているのが仕事だ、現実と向き合ってはいないということをはっきりと言われました。現実と向き合っているのは政治家で、学者は必ずしも現実と向き合っていないわけですから、そういった中で、それは憲法違反だとかなんとか言うのは、これは幾らでも言えることだと思いますけれども、現実と向き合っている私たち政治家はそんなことを言うことは全くできないわけでございます。

 いずれにしましても、私たちは、自衛隊の存在を憲法上しっかりと位置づけ、自衛隊は違憲かもしれないとかなんとかという意見が起こらないように、そして、自衛隊の皆さんが誇りと自信を持って仕事ができるような環境を整備することが私たち政治家の任務ではないかと思います。

 以上です。

森会長 予定の時間もございますので、この自由討議における御発言は、現在名札を立てている方までとさせていただきます。

足立委員 日本維新の会の足立康史でございます。

 まず、教育無償化について、細野豪志委員から発言をいただきました。我が党として三本柱の一つとして提案しているテーマについて考え方を公表いただき、またこの場で御発言いただいたことには、これから議論を進めていく上で感謝を申し上げたいと思います。

 その際に、民進党について、この教育無償化の議論を憲法に書くかは議論中である、こういうコメントがありましたが、党の立場としてどうなのかということを、きょう時間がもしなければ次回でも結構ですので、武正筆頭の方から、教育無償化について一体どういうスタンスなのか、憲法に書くかどうかについて議論をしているのかどうか、議論をしているのであれば、いつ、どういう形でまとめていこうとされているのか、ぜひ可能な範囲で御紹介をいただければと思います。

 それから、辻元委員の方から、辻元原則については、いや、これは辻元原則じゃなくて普遍的な原則だとおっしゃいましたが、私が、辻元原則が反立憲主義だと申し上げた、私は理由を申し上げました。現行憲法でも二十六条に義務教育の無償が書いてある、にもかかわらず、法律でできることは法律でやるんだと言うのは、これは反立憲主義じゃないかと私は申し上げたわけでありまして、もし普遍的だということで反論をされるのであれば、ちゃんと理由を付して反論をいただかないと議論が深まらないということで、苦言を申し上げたいと思います。

 それから、教育無償化の法案を民進党としてまとめられて提出された際にはもろ手を挙げて賛成しろという話でございますが、我が党、既にもう昨年の臨時国会にも提出をし、この通常国会にも既に参議院に教育無償化の法案は出しておりますので、まずそれについて御検討をいただくのが本来筋であるし、もし民進党が法案を出してこられれば、当然これは協議をすることになると思いますが、維新の出している法案は無視しておいて、自分たちが出せばもろ手を挙げて賛成しろというのは到底理解しがたい。まあ、辻元委員も頭に血が上ると論理的でなくなりますので仕方ないかな、こう思います。

 それから、八十九条の公金の支出の問題について細野委員等から発言をいただきました。

 先ほど時間がないので割愛いたしましたが、八十九条の問題については、私たちが策定した改正案においても、第二十六条第三項の前段に、法律に定める学校における教育は全て公の性質を有するものであると規定し、憲法八十九条との関係で疑義が生じないようにしていることを付言しておきたいと思います。

 それから最後に、山尾委員が自衛隊の合憲性についていろいろとおっしゃっていますが、私は、平沢委員がおっしゃったとおりであると思います。

 あくまでも、憲法審査会の議論は憲法改正に向けた発議のための議論でありまして、最終的には三分の二で議決をしなければ発議できません。にもかかわらず、狭量な論理を持ち出して議論を縛るのは、三分の二の合意をする気がないとしか思えませんので、発議に向けた有意義な提案をお願いしたいと思います。

 以上です。

中谷(元)委員 統幕長の発言に関して、何点か説明させていただきます。

 確かに、自衛隊法によりまして、政治的目的のために政治的行為をしてはならない旨の規定はあるということは承知しておりますが、今般の統幕長の発言は、あくまでも記者からの質問に対して、一自衛官としての見解と断った上で個人の見解を述べております。

 これは、やはり自衛官としての心情、特に多くの学者や政党が自衛隊は憲法違反だと言っている現実に対して、どのような形でも自衛隊の位置づけを憲法上明記していただければありがたいという趣旨でありまして、これは自衛隊で仕事をしてきた自衛官の共通の思いでもあり、感じでもありまして、これは個人として発言をしたということで、許されるものでありまして、全く問題がないというふうに考えております。

 次に、緊急事態につきまして、確かに現行の法律においても、地方に対して、是正の指示や代執行等が規定をされております。しかし、それに従わないときどうするかという条項がございません。

 例えば沖縄における辺野古の移転におきまして、国と地方の状況、指示をしました、代執行しました、それに対して裁判をしました、もう一年以上もこういった対立の構図の中で混乱している要素がございますが、やはり、緊急事態の救援におきましては、こういった事態がないように、あらかじめ、そういった事態でない、緊急を要する場合の規定が必要ではないかということが一点。

 それからもう一つは、地方自治の本旨というものがありまして、やはり、地方自治の本旨を損なわない限り法的拘束のある指示を規定するというような内容ではないかという観点もございますので、こういった点で、緊急事態の国の権限の集中につきましては、議論の要素があるのではないかと思います。

 もう一点、現実には地方自治体が指示を出すと言われますけれども、例えば、津波で役場が全部水没をして、町長自身も死亡してしまった場合とか、県庁全体が壊滅をして指示が出せないような状況もございます。そういうときに、一刻の猶予もないということで、出せるような規定も必要でありますし、地方自治体に権限があったとしても本当に出していいのかどうか迷っている自治体もあります。それから、地方によって出たところと出ないところがございますが、そういう場合に、派遣を命ぜられた自衛官等が目の前で対処をしなければならないときに迷ってしまうという場合も現実にございますので、こういった規定におきましても憲法上の規定が必要ではないかと思っておりますので、今後、御検討いただきたいというふうに思います。

宮崎(政)委員 私は、新しい人権とストレートにつながらないかもしれませんが、国民の権利という一環で、財産権についての意見を申し上げたいと思います。

 現在、我が国で所有者不明土地が全国に広がって、所有者の探索に莫大な費用と時間を要して自治体関係者を悩ませているとともに、民間の土地取引にも影響を及ぼして地方創生や地方の活性化を阻害することがあること、また、団塊の世代が六十五歳を超えまして、この後、大量相続時代に突入することが明らかである、こういう時代状況を踏まえて、国土の狭い我が国の将来の国つくりに資する憲法の条項として、憲法の財産権の定めに関して、公共財である土地の所有者には土地を適切に管理、使用する責務があることを明示する規定を置くべきであると考えております。

 現行の憲法は、第二十九条第一項において、「財産権は、これを侵してはならない。」として、第二項においては、「財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。」として、財産権は絶対ではなくて、公共の福祉による制約に服することが明示されております。しかし、既にきょうも指摘がありましたが、公共の福祉の内容は一義的に明確であるとは言えずに、所有権の制約という点では大きなハードルがあることは事実であります。

 東日本大震災がありました。その復興の過程においても所有者不明土地というのは大きな課題となったわけであります。ただ、私ども自由民主党が与党に復帰してからは、安倍内閣において、復興大臣が司令塔となって、関係省庁の縦割りを打破して、創造突破型の精神で臨んで、被災地特化型の用地取得加速化パッケージを取りまとめるなど、用地取得の抜本改革を断行して、復興に向けて大きく前進をしたわけでありますが、やはり、このような手をとったというところからも、憲法の財産権保障の強さが復興の大きなハードルになった側面があることは事実であります。

 現在、我が国には多くの所有者不明土地が存在しておりまして、これを社会的に活用する際に大きな制約が生じております。そして、我が国は、団塊の世代が六十五歳を超えて、この後、大量相続の時代を迎えることになります。

 土地の所有権の登記は権利者による申請主義によるものでありますので、相続等が発生しても、それが放置されたまま時間が過ぎていくということは全国に多数存在しています。現に、最後の登記から九十年以上経過しているものが、地方の山林に散見されることはもとより、都市部にも存在をしています。現在、幾つかの研究会で所有者不明土地等の調査がされておりますが、登記名義人が満州国という登記もあるという報告もお聞きしたところであります。

 土地の所有者がこのように相続登記を放置することは、後の世代で土地の活用を必要とする場合に、所有者の探索に膨大な時間、手間、費用を要して、また、複数回の相続を経た場合には所有者が多数となりますが、この多数所有者が相続人として判明した場合には、これを活用するために交渉しようとしても、遠隔地に居住している方や所在が不明な方がいたり、そもそも長時間経過をして世代を超えていることからも、関心や理解がないということも多くて、また、現在さまざまな法制度があるにはあるわけでありますが、これを活用するとしても、時間も費用も膨大になることはしばしばであります。

 土地は所有権を認められておりますが、国土の一部として、公共財としての本質を持っております。まして、我が国は狭い国土、平地が少ないという特徴があります。土地の所有権者は、いわば公共財である所有物を適切に管理、使用することに一定の強い責務があると言うべきであります。

 所有者の不明の土地は維持管理の放棄によって事実上無主になるという側面があり、現在の民法でも、二百三十九条の第二項で、無主の土地は国庫に帰属するとされていることを踏まえると、放置することがある意味で消極的な濫用とも言える事態になって、後世に多大な迷惑をかけることを防ぐための財産権に関する定めをすることは有益であり、可能であると考えます。

 そこで、私は、新しい権利の一つの形態として、憲法の財産権の定めに関して、公共財である土地の所有者には土地を適切に管理、使用する責務があることを明示する規定を定める必要があるということを申し上げたいと思います。

 以上です。

山田(賢)委員 私は自由民主党の山田賢司でございます。

 まず冒頭、本日のテーマは新しい人権でございます。新しい人権の話をするのに、皆さん方、九条の話を議論するのはけしからぬとおっしゃっている方ほど、前回もそうです、前回は地方自治なのに、地方自治のときに九条はいかぬとか、あるいは新しい人権の話をするときに九条の話はいかぬといいながら、言われたらこちらも反論せざるを得ないので、やってはいけないというのがかえってどんどん九条の話が深まっていくことになりますので、もし九条の話をしたいのであれば、ぜひ、会長、御提案ですけれども、次回は九条の話をテーマにして、各党反対でも結構でございます、私は何が何でも賛成してくれとは言わないんですけれども、なぜ九条改正が反対なのかということをぜひ正式なテーマとして取り上げていただいて、それで各党の御意見を持ち寄って議論していただくことを御提案申し上げたいと思います。

 さらに、河野統幕長の話も、何度も自民党議員から言われておりますように、これは記者から問われて答えただけでございます。何にも言っていないのに九条の三項を入れてくれと河野統幕長がおっしゃったのなら、これはまたやや問題があるのかもしれませんけれども、聞かれて答えちゃいけないということになると、では、記者にそれを聞くなということになってしまう。それは取材の自由、ひいては国民の知る権利を侵害することになるのではないでしょうか。

 私ら一般国民の立場として考えると、政治家が好き勝手なことを言っているけれども、現場の人たちはどう思っているんだというのは素直に聞いてみたいと思いますので、記者がそれをどう思いますかと聞いたこと、これ自体は悪いことでもないし、河野統幕長もお立場を考えて、統幕長としては言っちゃいけないんだけれども、一自衛官としたらこうだなと答えたことは何ら問題ではないし、むしろそれは国民の知りたいことではないかと思っております。

 前置きはこれぐらいにしまして、新しい人権につきまして、私は、従来から、新しい人権、特に必要がなければ規定を入れる必要はないんじゃないか、このように考えておるんですが、中でも、今回のテーマでありますところでいえば、犯罪被害者の人権、これについてはやはり考慮する必要があるんだと思っております。

 上川先生からも詳しく御発言がございましたけれども、犯罪者の人権というのは人権規定に手厚く規定されておるんですが、被害者の人権については何ら触れられていない。これも、わざわざ憲法に明文で規定しなくても、十三条から当然じゃないかという解釈もあるんでしょう。書かなくてもいいのであれば私はあえて書く必要はないと思いますが、最大の犯罪被害者というのは拉致被害者でございます。生命、身体の自由、そして幸福追求に対する権利が今現在も奪われている。これはもう第十三条違反のど真ん中でございます。これに対して何らの手段を講じなくていいのか。これも、憲法改正しなくてもこの人たちが救えるというのであれば何も改正する必要はないでしょう。

 憲法施行七十年といいますけれども、拉致被害者は生命、身体の自由を奪われてから四十年でございます。何の罪もない十三歳の中学生の女の子が、帰宅途中に身体を拘束され、海外に連れていかれ、今も監禁されている。これを救えなくて何の人権なのかといつも思っております。

 平和安全法制が成立して、それでもなお救出に行ってはいけないというのが政府の解釈でございます。在外邦人の保護、救出については領域国の同意が前提となっておりますが、人の国の国民を勝手に連れ去っていく人間が、帰せといってそのために自衛隊を派遣することに同意するわけがありません。それに同意するぐらいであれば、もうとっくに帰しているでしょう。

 この在外邦人の保護、救出というのは、みずからの意思で仕事や旅行などで行った際に騒乱に巻き込まれた場合、そのときは当該国の同意が必要だということは、これはある意味当然でしょう。しかし、拉致というのは、何の罪もなく平穏に我が国の国内で暮らしていた方が、ある日突然身体を拘束されて連れ去られたものであります。誘拐犯であれば、犯人がアジトに被害者をかくまっているのであれば、犯人の同意が要るなどという発想はそもそも出てこないでしょう。

 では、国家犯罪により他国に連れ去られて監禁されている人をなぜ救ってはいけないのか。これを自衛権と整理するのか否かは別として、現行の解釈を変えれば救いに行っていいということであれば、わざわざ憲法を改正する必要はないでしょう。しかし、政府が憲法解釈を変更することでまた反対の意見が出るということであれば、これは、政府任せにすることではなく、我々立法府の意思として、拉致被害者に限定しては当該国の同意なく救出しに行っていいということを、解釈でも結構です、解釈変更がだめだということであれば、これに限定して明文の規定で救出できるということ、これこそが真の人権侵害の救済ではないかと考えます。

 以上申し上げまして、私の意見とさせていただきます。

細野委員 二回目ですので、簡潔に発言させていただきます。

 まず第一点目、中谷幹事の方から御説明があった点、地方自治との関係で御発言がありました。

 私は、地方自治との関係においても、緊急事態、十分対応し得るという理解でございますけれども、具体的に御指摘いただいたので、ぜひお願いしたいことがあります。

 それは、緊急事態の具体的な事例において、現行法でできないことは何なのかというのを少し書面で整理していただきたい。現行法でできないけれども、憲法上、法改正をすればできることもあるはずですから。それでもできないものは何かということも、憲法上できないことも何なのか。法律上できないこと、憲法上できないことを少し整理して、できれば書面で、議論を深めるという意味で、出していただければ具体的な議論がし得るかなというふうに思います。

 二点目、船田幹事の方から、自民党を代表して、同性婚について発言がありました。前向きな意味で驚きました。

 憲法二十四条は、婚姻についてこう定めています。婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本とすると書かれている。この両性というのは、家が決めるのではなくて個人の意思だということですから、私は二十四条をもって同性婚が禁じられているというふうには解釈をしておりませんし、それが通説だと思います。

 ただし、憲法制定当時、LGBTのことについてしっかり踏まえた議論がされたとは到底思えませんので、ここは、そういう議論をする中で、両性という書き方をしない方がいいという議論は十分あり得る、前向きな議論はあり得るというふうに思います。

 ただし、ぜひこれは皆さんに御理解をいただきたいんですが、現状というのはそういう憲法改正の議論よりもずっと前の段階にある。LGBTについて差別解消法は通っていません。自民党の皆さんの中では理解促進法という議論がされているようですが、それも結論が出ていません。まずそれが第一段階。第二段階で、パートナーシップ、渋谷区で導入をされているようなものについてどう考えるかということが出てくる、そして第三段階で同性婚をどうするかという議論であって、はるか手前の状況にあるということはぜひ御理解をいただいて、ぜひ各党間でしっかり議論を進めていただきたい。我々は前向きに議論したいと思いますので、そのことを申し上げたいと思います。

 その前向きな法的な対応をする中で、憲法についても二十四条を改正しようという話になるのであれば、それは大いに議論する、そういう必要があるのではないかということを申し上げたいと思います。

 最後に、簡潔に一点だけ。

 河野統幕長の発言についていろいろ御発言がありました。私、地元に自衛隊を四つ、駐屯地を抱えておりまして、日ごろから自衛隊の皆さんのいろいろな話を、特にこの九条についてさまざまな議論が出てきましたので、具体的にお話を伺ってまいりました。

 私も自衛隊の皆さんの気持ちはわかっています。そして、前向きに議論したいというふうに思っています。ただし、統幕長があの発言をされるかどうかというのは、私はやや議論が必要だと思いますよ、質問に答える形だとはいっても。やはり、そういう政治的な影響のあることについては、特に、私は、制服組が厳に発言を慎んでこられたから自衛隊は信頼を得てきた部分があるというふうに思います。

 ですから、それは全然おかしくないんだという御趣旨がありました。与党としてそういうことを言われる立場にあることはもちろんわかりますけれども、自衛隊の問題について本当に冷静に議論したいのであれば、制服組の皆さんの思いというのはしっかり我々が踏まえればいい話であって、彼らが発言をしなくてもいろいろな議論が前に進むような状況をつくることの方が政治の責任ということになるのではないかということを最後に付言して、発言を終わりたいと思います。

 以上です。

高木(宏)委員 自由民主党の高木宏壽です。

 私は第二代の保利耕輔会長のときから当審査会の委員を務めさせていただいておりますけれども、憲法が施行されてから七十年であります。七十年前と比較して、情報化社会の進展、少子高齢化、人口減少、そして安全保障環境、日本を取り巻く社会情勢は大きく変わりました。憲法保障という考え方がございます。憲法の規範性を維持するという観点からも、そろそろこの改正の発議案を国民に提示するための具体的な議論を始めていく時期に来ているのではないかと思います。

 そのことを申し上げた上で、きょうのテーマは新しい人権等でございますので、プライバシー権について意見を述べさせていただきます。

 憲法十三条に、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と規定されております。

 秘密を知られない権利というのは、全ての人が共有する人格権であると思います。

 先般、最高裁で、インターネット検索サイト、グーグルに表示された犯罪歴削除の仮処分申し立てで、最高裁第三小法廷が、検索サイト側の表現の自由と表示される側のプライバシー保護を比べ、公表されない利益が優越することが明らかな場合に限って削除できるとし、削除には厳格な要件を求める初の統一判断を示しました。

 その第一審の地裁判決で、国内で初めて、過去の犯罪を社会から忘れられる権利があると、初めて忘れられる権利に言及をしました。この忘れられる権利というのはEUの司法裁判所では認められております。

 現在、七十年前には予想できなかった高度情報化社会であります。このEUの司法裁判所での忘れられる権利というのは、個人のプライバシーにかかわる情報、例えば逮捕歴や誹謗中傷など、他人に知られたくない情報がいつまでも閲覧されやすい状態でネット上に残り、こうした情報を消したいという要求の高まりを背景に認められたと承知をしております。

 私は更生保護活動を応援しておりますけれども、この忘れられる権利というのは、情報の本人が更生してやり直すためにも意義があると考えます。

 本人の意思にかかわらずインターネット上に半永久的に残る記録について、時の経過とともに忘れられる権利というものも含め、現在のネット社会、高度情報化社会に適したプライバシー権のあり方についても議論を深める必要があると思います。

 以上です。

鬼木委員 自由民主党の鬼木誠でございます。

 私は、きょうの議論の中でもいろいろな多くの方と意見が異なる部分もございますが、あくまで私個人の意見として自由に議論をさせていただきたい、問題提起をさせていただきます。

 誤解を恐れずに申し上げますと、私は、憲法に権利の条項をふやすことには慎重であるべきだと考えております。

 私は福岡で地方議員をさせていただいておりましたが、その当時から、権利の濫用や訴訟の乱発で行政が停滞してきたという場面を多く見てまいりました。行政が停滞するということは、一方で誰かの権利をストップさせているということでもあると思います。

 百回違憲を争う訴訟があって、そしてその訴訟に百回勝ったとしても、背景の違う百一回目の訴訟において違憲判決となると、百回の判決は吹っ飛んでしまうわけでございます。合理的に合憲だと百回示されたことが、背景の違う一回の訴訟によって違憲無効となってしまうということを見てきました。

 立法や行政の現場は、こんな法律、こんな条例、こんな条文をつくると違憲になるんじゃないか、訴訟になるんじゃないかと萎縮しているところがあります。憲法への行政や立法の配慮、また、司法が立法、行政へ行うチェック、これはまさに三権分立の本質であり、大事なことであります。しかし、度が過ぎるのではないかということが多々あるわけでございます。私は、このバランスの悪さを正したいと考えます。

 社会全体を見たときに、権利と権利、ある人が持つ権利と、また他者が持つ権利、この権利と権利の不均衡、また、ある人が持つ権利と、その人が持つ義務、権利と義務の不均衡、こういったものを是正したいと考えております。

 欧米諸国は自由そして権利を戦ってかち取ってきた、そういう背景がございます。そうした欧米諸国と比べまして、日本人には、権利には義務が伴うという意識、そして自由には責任が伴うという意識が比較的欠けているのではないかと思います。私は、国民が、権利には義務が伴う、そして自由には責任が伴う、そういった意識を持つ憲法にしたいものだと考えております。

 また、私は、個別の政策のようなものを憲法に盛り込むこと、これにも慎重であるべきだと考えております。政策には、内容また細部についてさまざまな議論、そして賛否がありますし、また、何より財源が必要となります。それらを飛ばして結論だけを義務づけるようなことは避け、個別に法律で実現すべきだと考えております。

 以上です。

奥野(総)委員 民進党の奥野でございます。

 私は、知る権利についてお話をしたいと思います。

 知る権利というのは、言うまでもなく、民主主義の基盤でありますけれども、今、世界各国から、日本の知る権利について懸念が示されています。

 先ほど武正委員の方からもございましたけれども、報道の自由度ランキング、これは二〇一〇年には十一位だったものが、ことしはG7で最下位の七十二位まで下がってきています。理由としては、特定秘密保護法の存在や、報道によれば、メディア内に自己規制がふえている、あるいは政権側がメディア敵視を隠そうとしなくなっている、これは昨年の電波停止、停波問題なんかもそうなんですが、そういったことが原因とされています。

 また、同様の指摘については、国連の人権理事会、これは現在、暫定の調査報告が出ているようでありますが、そこでも指摘をされているということであります。

 これを裏づけるように、昨年私も指摘をしましたけれども、自民党の憲法草案の中に、二十一条、表現の自由を制限する規定が書かれています。内心の自由とか表現の自由、こういった基本的人権については制限を加えないというのが世界の常識なんですが、昨年も指摘をしましたけれども、二項を設けて、公及び公の秩序を害することを目的とした言論について制限を加える、こういうことも書かれているわけであります。

 この場は、新しい権利を議論して、それを保障していく方向で議論しなきゃいけないわけでありますが、一方で、こういう知る権利にブレーキをかけるような条文を前提に、これを前提に議論するんですねと昨年申し上げたんですが、取り下げていないので、これを前提に議論されているということは問題だということを一つ指摘させていただきます。

 それからもう一つ、知る権利には、これは情報を受け取る側の受領権でありますけれども、集める、情報収集権というのがあります。これは佐藤幸治先生の分類でありますけれども、自分で積極的に情報開示を求めていく、公権力に対して情報の開示を請求する情報開示請求権、これが知る権利のもう一つの側面としてあります。

 これについては、既に行政機関の情報公開法等が制定されている、こういう指摘もありますが、先ほど来、我が党、辻元委員初め申し上げているように、そもそも文書の存在を認めない、隠蔽する、ないという話になれば情報公開のしようもありませんから、できない、こういうことがあったり、仮に出てきたとしても、黒塗り、非開示ということで出てきたり、あるいは、特定秘密に当たるということで開示が阻まれている、こういった問題があるということが指摘されています。

 さらに、開示の範囲なんですけれども、地方自治体は努力義務ということで法律で求められています。それから、独法も法律ができていますけれども、穴があって、広義の特殊法人、これは例えばNHKとか地方共同法人という広義の特殊法人については情報公開法制がないんですね。ですから、こういった穴もあります。その点も指摘をしておきたいと思います。

 こうした現在の情報公開法制、現行法の問題点を踏まえれば、やはり憲法に、公権力に対して情報の開示請求を認める情報開示請求権、いわゆる知る権利を憲法の中に規定して、網羅的に、行政機関あるいは特殊法人を含めて、一層の情報開示を促すように憲法に規定すべきじゃないか。それから、個人情報の保護の観点からは、プライバシー権をセットで憲法に規定して、憲法の中で開示、非開示の調整を図るべきではないかというふうに思います。

 とにかく、知る権利というのは、これをもってやはり民主主義、きちんと情報が開示されなければ我々は選挙の投票もできないわけですし、判断もできないわけですから、私は最も大事な権利だと思います。

 ということで、この審査会の場でも優先してこうした知る権利等について議論を深めるべきだというふうに思います。

 それから、最後にもう一点。

 教育の無償化については、私はそのこと自体は賛成でありますが、やはり財政の問題があります。先ほど、保険でありますとか国債でありますとかと言っていますけれども、この憲法審の中でも財政均衡を入れるべきだという議論があるように、やはり財政に配慮しなきゃいけない。まず財源をどうするのか、その議論を憲法よりも先にやるべきだと私は思います。

 以上です。

土屋(正)委員 自民党の土屋でございます。

 きょうは、短い時間ですが、二つの点をお話しできればと思います。

 きょうは新しい人権がテーマでありますが、現在の憲法下でも人権は相当保障されている、私はこのように考えております。

 その中で、現在の憲法下の最大の矛盾は、さきに我が党の安倍総裁が問題提起をしましたように、自衛隊と第九条との関係ではなかろうかと思います。

 私は、昭和二十年代から三十年代にかけて十代の精神形成期を過ごした人間でありますが、また、六〇年安保も十八歳で経験をいたしました。こういう中で、国家の安全、国民の安全はどうなるかということを若いときから強く考えてきたわけであります。

 我々の世代の記憶に新しいのは、吉田茂首相が、自衛隊は戦力なき軍隊である、こうおっしゃったことがすごく強く印象に残っていて、今でもその問題を解決しないまま抱えております。

 こういったことの経過の中から、自衛隊の存在は時代とともにさまざまな解釈によって解決してきたわけでありますが、しかし、時代の変遷とともに、これらの問題について、これらの問題というのは自衛隊の存在について、きちっと憲法上位置づけるときが来た、このように考えております。私は最大の矛盾ではなかろうかと存じます。世界で五位、六位の実力部隊でありますから、この存在をきちっと受けとめるべき、このように考えております。

 二点目は、地方自治の問題であります。

 地方自治の項目でどこまで改憲が必要か否かということがあるわけでございますが、その前提として、私たち日本国民はどこに住んでいるのかということを考えなければならないと思います。抽象的な日本という空間に住んでいるのではなく、都道府県のもとにある市町村に住んで生活をしているわけであります。千七百四十一の市区町村に住んでいるわけであります。

 そして、現在の公的な支出の総額は国と地方のダブりを除いて百六十三兆円程度という財務省の計算があります。この公的支出のうちの、六対四の割合で地方自治体が実際に執行をしているわけであります。

 例えば、自衛隊のように直接国が執行しているものであったとしても、それは地域社会に存在をしているわけでありますから、物の考え方によれば、もっと大きな影響を地域社会が与えているし、受けているのではなかろうかと思います。こういったことを考えると、日本人の生活そのものが地方自治体、地方公共団体にあると言っても過言ではないと思います。

 そこで、これからの憲法の改憲論議をするときに、ぜひお願いしたいのは、さまざまな多様性を持った地方自治の重層的な議論でありますので、現場におられます知事や市町村長、また、それぞれの各級の県会議員や市議会議員、こういった方々の議論を十分に厚くして、それが果たして憲法事項なのか、あるいは地方自治法やその他のさまざまな具体的な実定法で委ねるべきなのかということを、十分この委員会の中でも、時には超党派の特別部会でもつくって、慎重に分厚く議論をしていくべきだと思います。それが、一方では限界集落の話とか東京の一極集中とか、現在直面をしているさまざまな地方自治の課題に対応するもの、このように考えている次第でございます。

 以上、本日のテーマからやや外れましたが、現在、憲法上の最大の課題と考えていることを申し述べさせていただきました。

 以上であります。

森会長 これにて自由討議は終了いたしました。

 次回は、来る六月一日木曜日午前八時五十分幹事会、午前九時審査会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午前十一時三十二分散会


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