衆議院

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第13号 平成13年5月23日(水曜日)

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平成十三年五月二十三日(水曜日)

    午前十時一分開議

 出席委員

   委員長 横路 孝弘君

   理事 逢沢 一郎君 理事 小野 晋也君

   理事 古賀 正浩君 理事 西川 公也君

   理事 島   聡君 理事 中沢 健次君

   理事 河合 正智君 理事 塩田  晋君

      岩崎 忠夫君    亀井 久興君

      川崎 二郎君    小泉 龍司君

      阪上 善秀君    実川 幸夫君

      竹本 直一君    谷川 和穗君

      近岡理一郎君    三ッ林隆志君

      山本 幸三君    渡辺 具能君

      渡辺 博道君    井上 和雄君

      石毛えい子君    大畠 章宏君

      奥田  建君    細川 律夫君

      山花 郁夫君    山元  勉君

      太田 昭宏君    松本 善明君

      北川れん子君

    …………………………………

   国務大臣

   (経済財政政策担当大臣) 竹中 平蔵君

   内閣府副大臣       松下 忠洋君

   内閣府大臣政務官     阪上 善秀君

   内閣府大臣政務官     渡辺 博道君

   参考人

   (日本大学名誉教授)   長江 啓泰君

   参考人

   (全国交通事故遺族の会会

   長)           井手  渉君

   参考人

   (社団法人日本てんかん協

   会常務理事)       福井 典子君

   内閣委員会専門員     新倉 紀一君

    ―――――――――――――

委員の異動

五月二十三日

 辞任         補欠選任

  小西  哲君     小泉 龍司君

  宮澤 喜一君     山本 幸三君

  大畠 章宏君     奥田  建君

同日

 辞任         補欠選任

  小泉 龍司君     小西  哲君

  山本 幸三君     竹本 直一君

  奥田  建君     大畠 章宏君

同日

 辞任         補欠選任

  竹本 直一君     宮澤 喜一君

    ―――――――――――――

五月二十三日

 中小自営業の家族従業者等に対する施策を含めた男女共同参画基本計画の策定に関する請願(塩川鉄也君紹介)(第二〇二九号)

は本委員会に付託された。

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 道路交通法の一部を改正する法律案(内閣提出第五〇号)

 内閣の重要政策に関する件

 国民生活の安定及び向上に関する件




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     ――――◇―――――

横路委員長 これより会議を開きます。

 内閣の重要政策に関する件及び国民生活の安定及び向上に関する件について調査を進めます。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。小野晋也君。

小野委員 皆さんおはようございます。

 このたびは、竹中大臣におかれましては、教育の世界から今内閣の最重要政策課題とも言えるこの経済財政の分野の担当大臣に御就任になられまして、御活躍をまずお祈り申し上げたいと思う次第でございます。

 私は、竹中大臣、余りじっくり話したこともこれまではございませんけれども、テレビ等でもよく拝見していまして、ニックネームになるんだかどうかわかりませんが、経済学の世界のイチロー、こう名前を差し上げたいと思うんですね。とはいいながら、筆頭理事に逢沢一郎先生がおられたり、永田町には剛腕の一郎というのもいるんですが、そういうのではなくて、もう御存じのとおりの野球界のイチローですね。にこやかにしながら、しかし、いろいろなタブーと言われるようなものを次々乗り越えていきながら自然のうちにヒーローになっている。こういうところが何となく竹中大臣とよく似ているところがあるような気持ちがいたします。いいと言っていただくものですから、ついでにちょっと乗ってしまっているところもあるんですが、有徳の人というのは、にこにこ笑っていながら、しかも世の中がうまくいく、これは中国の皇帝の一番立派な人のことをそういうふうに言うんだそうですね。

 竹中大臣におかれましては、教育界から霞が関の方にやってこられますと、恐らくいろいろな点で違和感を感じられるところもあろうと思いますけれども、新時代の新しい道を切り開くというのは、既成概念にとらわれていてはとてもできないわけでありますので、大臣の、融通無碍と言うと失礼かもしれませんが、いろいろなものに対して強い興味、関心、好奇心をお持ちになられて、いろいろな分野で新しい境地を切り開いていかれる、そんな姿勢でこの霞が関での仕事においても御成就なされますことを心からお祈りいたします。

 ところで、質問でございますけれども、御就任早々、経済財政諮問会議という非常に大事なところを担当されて、早速六月の半ば以降ぐらいになるんでしょうか、来年度予算編成に当たっての基本方針を打ち出していかねばならないというようなところにおられるわけでございますけれども、この基本方針策定の中で、経済成長率ということについては何らかの目標値を設定するようなお取り組みをなされるのかどうか、もしその目標値を設けられるということになりますならばどのくらいの目標値を設定されようというようなお考えなのか、お尋ねをしたいと思います。

竹中国務大臣 御指摘のとおり、経済財政諮問会議で六月に骨太の方針というのを出すことになっております。その中では二つのことが議論されると思います。一つは、まさしく小泉内閣が行おうとしている構造改革の中身がどのようであるかというその構造改革についてのメッセージを送ること、二番目は、政策は最後のところは予算でありますので、その予算の枠組みをいかに持っていくかという、この二本立てになると思うんですが、先生お尋ねの前半の部分で、経済成長の目標を立てるか。

 実は、何%成長を目指して、それでその実現に向けるというような形には今のところならないのではないかというふうに私は思います。ただ、一方で、経済財政のシナリオをつくらなきゃいけないということは事実でありますので、それにつきましては、むしろ、今マクロモデルをつくってそういう試算もしておりますので、その中で、これはことしの後半、中盤にかけて一つの数字的なものは出てこざるを得ないのではないかというふうに思います。

 いずれにしても、今回は非常に大きなシナリオを描くということですので、かつての経済計画のような形での成長目標というものは余り考えておりません。

小野委員 大臣からは、シナリオを描いて小泉内閣としてのメッセージをこれから出していくことを考えながら目標を設定していきたいということでございますけれども、そうなりました場合に、どのようなシナリオというんでしょうか、むしろこれはビジョンと言った方がよろしいかもしれませんが、日本国民に対して、また世界に対して、日本はこういうふうな経済をこれから実現していくんだというようなことを訴えていくものになろうかと思いますが、それはどういうことを基準にしながら設定していくのかという問題が生まれてくると思うんですね。

 私どもも政治活動をやっているわけでございますから、日常、いろいろな経営者にもお会いいたしますし、一般国民と言われるような皆さん方とも話し合いをする場面が非常に多くあるわけですけれども、このしばらくの間に日本国民の意識というのは明らかに変わってきているなというのが率直な気持ちでございます。

 例えばフリーターの問題等も、重要な課題であるということで政府の課題になりつつあるんですけれども、これも、もう二百万に及ばんとするような若者が定職につかないで、自由にアルバイト的に仕事をやっている。よく聞いてみれば、仕事の場所がないわけじゃないけれども、自分の人生をこんなことで固めてしまいたくないからしばらく自由にしていたいんだというような意識のフリーターが非常にふえているような感じがいたしますね。

 我々の年代でいいますならば、非常にいい給料をもらっている人たちが極めて簡単に、もっと人生というのは大事なものがあるはずだというようなことを言って、安い給料でもいいから自由な時間が持てる、人間の触れ合いが持てるという職場を求めて動き始めているような現象もあります。

 また、企業の立地ないし発電所の立地のような問題でも、昔は地域振興にこういうものは不可欠であるということで、地域は基本的には誘致を賛成していたわけでありますが、最近の動向を見ると、そういう工場等がやってきて騒々しくなる、また公害のおそれがあるというようなことは嫌だ、そんなことよりも、むしろ静かな生活というんですか、いい環境での生活を望むんだというような、こういうもろもろの現象を見てまいりますと、日本人は経済成長というものが何より大事だという感覚から変わってき始めているんじゃないかというような思いがしてならないわけでございます。

 こんなことも織り込みながらこれからの経済のあり方という議論をやられるのかどうか、この点について御所見いかがでございましょう。

竹中国務大臣 かつて、例えば一九六〇年代に、とにかく十年間で所得を二倍にして、GDP、当時のGNPを二倍にして、それでそれを一つの私たちの国の目標にしようというような時代でないということは、これはもう明らかなんだと思います。

 ただ、正直言いまして、これは私が元来経済学者であるということと関連しているのかもしれませんが、若干複雑な思いも私は持っています。

 どういうことかといいますと、もう成長の時代じゃないというふうに言いながら、一方では景気を何とかしてくれというふうに国民は必ず言う。景気を何とかしろということは、要するに、ある程度やはり所得を成長させろと。所得を成長させろということは、とりもなおさずこれは経済成長を意味しているのであって、成長がすべてではないけれども、やはりある程度緩やかに私たちの生活が豊かになっていく社会というのを国民は求めているのではないかというふうに私は思います。

 かつて、くたばれGNPという言葉がありましたけれども、私は、GDP、成長というのは、人間でいえば体温とか、一つの指標だというふうに思うんですね。体温は重要です。体温が下がり過ぎると、これは大変なことになります。しかし、体温が幾ら健全でも、血圧とか血糖値とかそういうものが別途重要であって、多分その意味では、先生御指摘になっているように、やはり非常に多様な判断をしなければいけなくなっているということは間違いないんだと思います。しかし、同時にやはり、繰り返し言いますが、ある程度の速度で私たち全体の豊かさが上昇していくというか、そういうこともまだ国民はかなり強く求めているのではないかというふうに感じています。

小野委員 大臣がいろいろな要素を勘案しながらやっていかねばならないという非常に重要な視点を御指摘いただいたわけでございますけれども、そうなりました場合に、いろいろな指標がばらばらに存在するものであっては国民の理解というのはなかなか得られないことになってくると思うんですね。

 ですから、それぞれの指標というものを統一するところの何らかの、思想的な基盤になるのか、具体的な国の未来のビジョンというようなものの中に統合するのか、何らかの統合手段というものを持ち込まない限りきちんとした整合性のある説明というのはとれなくなってしまうのではなかろうか、こういう気持ちを持つわけでございますけれども、先生の非常に幅広い御見識の中から御判断いただいて、そういう問題というのはどういうふうにおとらえになられますでしょうか。

竹中国務大臣 大変大きなテーマだと思います。

 かつて三木内閣のもとでGNPに対してNNWという指標が議論されたのを、当時私は若かったですけれども、大変よく興味を持って勉強したのを記憶しています。ネット・ナショナル・ウエルフェアという議論ですね。

 これは、所得、つまりGNPは重要だけれども、それに加えて、一方で公害で失われた費用がある、それは引いてあげましょう。一方で、例えば主婦が労働している。主婦が労働しているというのは市場の中での取引ではありませんから、これはGNPに入ってこないんだけれども、間違いなく生活を豊かにしてくれている。それはつけ加えてあげましょう、市場外の労働もつけ加えてあげましょう。そういう指標が一時つくられて、これはその後十年ぐらいたってまた見直された経緯もあります。

 しかし、考えてみると、ある人は所得、GNPを十重視して他の環境というのを一重視する、ある人は所得を一重視して環境を十重視する、これがまさに多様化でありますから、結局のところ、そういった統一指標をつくるというのも、考えてみれば、いろいろな指標を考慮しているようで、価値観の多様化を必ずしも認めているわけではないという側面があるんだと思います。恐らく、当面重要なことは、GNPを補うような幾つかの指標を割と丁寧に国民に示していくことによって、トータルで、まさにさっき言いました体温と血圧と血糖値とトータルで判断してくださいという判断の材料を国民に示していくことなのではないかと思います。

 一つの最近の動きとして私自身も大変興味を持っていますのは、GDPに対するEDPという指標なんですけれども、これはエコ・ドメスティック・プロダクト、ちょっともう一度確認しますけれども、だと思います。つまり、まさにこれは環境によって失われた部分を引いて、しかし環境問題があるからこそ新しい産業が出てきているわけで、そういうものを足したり引いたりすることによって、環境という観点から見ると、実はGDPは余りふえていないようだけれどもEDPは上がっていますよとかそういう見方も実はできるわけで、そういう試みはぜひ幾つかしていきたいというふうに思っております。

小野委員 大臣言われますとおり、今非常に価値観が多様化もいたしておりますし、しかも、多様化だけではなくて年々それが動いているという状況でございますから、ある多様性を保障しながら、その中で皆さんの理解をいただくということが基本になるんだろうと思います。

 その中で、ちょっと一点、私ども、最近の政治家の発言、また経済学者等の発言を聞いていて気になりますのは、例の失われた十年という表現ですね。一九九〇年代、バブル経済が崩壊をして、それ以降、日本は何もとるべきものがなかった、だから失われた十年だ、こういうふうなことを非常に安易に使われて、その十年間を無価値であったと言ってしまっているわけでありますが、こういう非常に一面的で、しかも断定的な、しかもその断定の中に将来への展望が全く含まれていない、こういう表現を使って自分で納得してしまっている、自己満足してしまっている、こういう姿が非常に私は日本の現状として憂うべき姿のような気持ちがしてならないわけでございます。

 大臣は、こういう失われた十年という表現についてどういう御所見をお持ちになっておられるんでしょうか。そして、何がどう失われたという意味で皆さん方は具体的にこの言葉を使われようとしておられるんでありましょうか。そしてさらに、このような自己責任というものが明確にならない、しかも展望が全く開けない、ただ過去を悔やむだけというようなこういう表現が使われるということが、日本社会をさらに混迷の中に追い込んでしまうんじゃないかというようないろいろな印象を持っているわけでございますけれども、大臣のお考え、いかがでございましょうか。

竹中国務大臣 失われた十年という言葉自体は、一九七〇年代に中南米の諸国で危機に陥ってロストディケードという言葉が使われた、それをそのまま実は持ってきているものだというふうに思います。

 実は、まさに先生御指摘のとおり、私たちはやはり反省すべき点はたくさんあると思いますね。何を反省すべきかということを議論しないで、何か知らないけれどももう僕たちはだめだというふうに言って、その意味でロストディケードということが使われている、実はそういう論調をたくさん見受けますけれども、これはやはり生産的ではないというふうに思います。

 一体私たちは何を反省すべきかという点、実はこの点に関しては私自身も研究書を出版していますけれども、ようやくこの二、三年になって、この十年間の経済と経済政策を回顧するというようなきちっとした試みがなされ始めたというふうに認識しています。

 確かに、失われた、文字どおり解釈すれば、九〇年代の平均成長率は、これは実は統計の基準が変わっておりますので、どの時点でとるかということにもよるんですが、今の新しい統計によると、九〇年代の平均成長率は一・三%である。本来二%ぐらい成長できるはずの経済が一・三%だから、〇・七%ずつくらい毎年失われて、それが十年積み重なったら、やはりかなりの部分、私たちのまさに得べかりし利益がそこにあったという点は数字の上では否定できないわけですけれども、見方を変えれば、千二百兆円の資産を失ったという言い方をよくなされますけれども、これは、GDPの二・四倍の資産をなくした国で経済が毎年一・三%成長してきたわけですね。ということは、バブルのピークよりも今の方が私たちは一五、六%高い所得を得ているということで、これは見方を変えれば、日本経済というのはとんでもなく強い潜在力を持っているということをこの十年間証明したという言い方も私たちはできるわけです。

 まさに私たちがやるべきことは、残念だけれども不良債権の処理とか幾つかの構造改革を先送りしてしまった、この点は本当に反省すべき問題である。しかし同時に、私たちの経済が強い潜在力を持っているということも証明されている。問題は、私たちがいかに前向きにというか、フォワードルッキングに私たちの体制を今、将来に向けて立て直せるか、そのことが議論されなければいけないと思います。

小野委員 大臣の御所見、私も賛成でございまして、この十年間も日本社会は、決して国民が寝ていたわけじゃない、それぞれの場所で、それぞれの問題を抱え、それを解決しようと思って懸命に戦い続けてきたはずであります。その努力が成果としてなかなかあらわれにくいとするならば、それはどこかに宿っているはずだ。

 人間の営みというものは、本当に本人が挑戦をし努力したものはエネルギーとしてどこかにあらわれるはずでありまして、表面にないならば見えないところのマグマになっているはずでありますから、今回の大臣のあいさつの中にもございましたように、これからは潜在成長力というものを考えながらそれを引き出す政策をやっていかなければいけないという御指摘がありましたけれども、私は、この十年の間に、皆さんが何もなかったと言っている間、潜んだものが随分たくさんあると思うんですね。それをうまく引き出す政策ということをこれから大臣初め皆さんのお立場の中でお考えいただきますように、これは御要望をさせていただきたいと思います。

 それからもう一つ、言葉遣いの問題で、ちょっと概念の話ばかりきょうは申し上げて失礼なんでございますけれども、よく政治家の議論の中でも、日本経済がうまく浮上しないのは将来への不安があるからだというような議論がなされるわけですね。

 それは確かに消費の立場からすれば、これから収入がふえてこない、だから心配だ。いや、それは心配でございましょう。企業だって、設備投資したらあとは償却しなきゃいけないけれども、それができるかどうかといえば心配、不安でございましょう。しかし、これも非常に後ろ向きの言葉遣いなんですね。不安だ、不安だと言えば何だって実は不安になるわけです。世の中安全な、一〇〇%何をやったって大丈夫なんということはあり得ないわけでありますから、不安だ、不安だと叫べばどんな部分だって不安が出てくるわけでありまして、こういう言葉遣いで経済現象を語ってしまおうとしてしまったところに、やはり底の浅さが日本の場合あったなというふうな気持ちがしてなりません。

 ちょっといろいろとお声がありますけれども、野党さんからの御議論を聞いておりましても、二十ぐらいの大学生が奨学金をもらったら老後の心配のために貯金を一生懸命やっているんだ、こういう議論をされるんですが、ほんまかいなというのが実際の私どもの気持ちでございまして、これは、不安だから使わないということではなくて、私は、何に使えば自分がより充足した人生を生きていけるかどうかがよくわからないから、その戸惑いの中で今は使わないで置いておこうという意味なんだろうと思うんですね。

 企業においても、設備投資をすると、そのお金は借りようと思ったら借りられる企業はいっぱいありますよ。自己資本が十分ある企業だってあるわけでありますから、それを使おうと思えば使えるにもかかわらず今使わないのは、何に投資すればもうかるかわからないから使わないだけでありまして、単なる不安じゃないと思うんですね。一般の国民も、自分が幸せになるために使えるお金がこうだとはっきりわかればどんどん使うわけで、海外旅行なんかどんどん金を使って皆さん行っているわけですから。

 こんな現象を見た場合に、私は、やはりこの言葉遣いを改めて、この戸惑いを解決するためのビジョンを描くことを通して国民の消費を引き起こす、設備投資を生み出してくる、こういう議論になってこなければいけないと思っているのでございますが、大臣、御所見いかがでございましょうか。

竹中国務大臣 二つのことを不安という言葉からいつも考えています。

 一つは、私はまさに高度成長期に小学校の時代を過ごしたわけですけれども、和歌山という地方都市で父は小さな商売をしていて、三人の子供を東京の大学にやってくれて、本当に父親は頑張ってくれたなというふうに感謝しているのですが、あの私たちの小学校のときに父親や母親は不安ではなかっただろうか。物すごく不安だったと思うんですね。本当に、今、十年後どうなるかというのが不安だと言いますけれども、まさにあした食べていけるかということを多くの日本人は多分不安に思っていたんだと思うんです。

 御指摘のとおり、まさに私たちの世の中というのは常に不安がつきまとっているわけで、今急に不安になったわけではない。その意味では、これは何を意味するかというと、やはり私たちが生きてきたこの戦後のある一定の時期というのは、非常に特殊な時期だったということなのだと思います。大体、普通の会社に入って、それでそのまま給料が定年まで上がり続けていって、そのまま定年を迎えられるなんという人生が普通の世の中にあるというふうに前提するのが、私はやはり、残念だけれども違うのだと思うのですね。それはかなり特殊な時期だったのです。まさに奇跡の時代をたまたま私たちは数十年過ごしたわけで、そのときのメンタリティーが私たちを縛り過ぎていて、それで実は何もかも不安というせいにしてしまっているというのは、まさに一つの社会現象としては存在しているのだと思います。

 しかし同時に、やはり不安で解消できる部分もあるなというふうにも、これは政策の立場から思います。特に、不安、不安といいますけれども、一体何に対する不安なのか。将来の財政赤字に対する不安なのか、老後の年金に対する不安なのか。これはやはり制度の問題というふうにありますけれども、私は、今の日本人の最大の不安は、自分の力に対する不安だと思います。世の中がどんなに変わっていこうとも、やはり常に自分の力を信じて、まさに総理がおっしゃる自助自律ですけれども、それを信じて自分の父親、母親は地方都市で子供を育ててきたのだと思うのですね。

 ところが、今、やはり自分は余り努力していない。これは、努力している人はたくさんいますよ。でも普通の、特にイメージとしては大手企業の管理職みたいなものをイメージしていただければいいのですけれども、自分はそんなに世界に通用する力があるわけじゃない、自分の会社もそんなに大した力を持っているとも思われない、ところが、今たまたま、今までの経済が非常によかったために本来の実力以上の待遇を与えられてしまっている。それこそが私は、自分の能力に対する不安というのが最大の不安なのだというふうに思うのです。

 これに対しては、やはり今までとは違った、結局自律的な力を国民一人一人がつけていく、企業一つ一つがつけていくというような形に持っていくことが、私は小泉総理が目指す自助自律の社会、それを目指した構造改革であるのかなというふうに思っています。

小野委員 大臣から非常に的確な御指摘をちょうだいしたと思います。最後はやはり人間の力こそが世の中を動かすし、みずからの生活基盤等を築き上げてくるものだと思います。

 特に、教育者でこれまでやってこられました立場でごらんになっておられますと、恐らく、今も規制緩和の議論もいろいろなされておりますけれども、この規制緩和の議論というのが、私は、どちらかといえば法律上の問題として取り上げられることが多いけれども、心の壁の方がよほど日本の社会の中でたくさんあると思うのですね。慣例だ、慣行だといって、何も法的な裏づけがあるわけじゃないけれども、それにいつの間にやら縛られてしまっている。霞が関の官庁の皆さん方にもそういう傾向を非常に強く我々は感じておりますから、恐らく大臣もこの数週間、それを痛感される場面があるだろうと思いますけれども、人をはぐくむという観点から、ぜひそういう壁を乗り越えるような打ち出しをお願い申し上げたいと思う次第です。

 そこで、そろそろ最後の質問になりますけれども、私は、自由競争というものに対する非常に大きな懐疑を抱いております。大臣のあいさつの中でも、競争政策の導入の問題、さらに規制改革の問題という形でその問題が提起されてきているわけでありますけれども、自由な競争は、これは非常にとうといものだと私は思います。しかしながら、無節操な自由な競争が必ずしも人を幸せにしないということも事実でありますし、また、グローバリゼーションの世の中で、IT社会という中で、世界がたった一つの市場になって、その中で自由に、何の社会的制約も加わらないで競争が行われるという状況は、極めて不自然であります。

 よく申し上げるのでありますが、アフリカのサバンナに行ったら一番強い者だけが勝ち残るとなれば、ライオンだけの世界が生まれなきゃいけないけれども、現実はそうじゃなくて、多種多様な生物が一緒にそこで生活しながら調和の世界をつくっているということを考えれば、競争政策と同時に調和政策というものがあり得るはずだ。その調和政策を担保しない限り、大臣が今言われた多様な価値観という観点がありましたけれども、多様な経済社会というのは決して生まれるはずがない、こういう問題意識を持っているわけでございます。

 非常に抽象的な問題提起で恐縮でございますけれども、この自由競争政策の問題について、大臣の御見解はいかがでございましょうか。

竹中国務大臣 経済社会の問題というのは、非常に私は常におもしろいというふうに思うのですけれども、必ずコインの両面のように、一見相反する問題というのが同時に出てくるのだというふうに思います。

 アメリカの歴史の中で、二十世紀の最初の二十年間というのは、まさに変革の時代というふうに言われるわけですね。それは何が起こったかといいますと、十九世紀型の非常にクルードな資本主義、その結果、所得の格差がもう惨めなほどに拡大して、都市が荒廃して、労働者が虐げられて、その中で実はセオドア・ルーズベルトとかウッドロー・ウィルソンとか、これは党は違うのですけれども、理想主義を掲げた大統領が出てきて、結局やはり一種の、市場のメカニズムとしかし社会の安定というものの調和を図っていったわけですね。

 この一九〇〇年から一九二〇年代の間に、今の資本主義のシステムのほとんどが築かれているというふうに私は思います。例えば、幾ら自由だといっても、労働者には団結権を認めないと、やはり立場は違うのだ。労働組合の制度ができるのはこの時期ですね。幾ら自由だといっても、銀行が自由にお金を出しては困るわけで、それは、中央銀行というのは一つで制限しなければいけない。だから、連銀、連邦準備制度というのができたのは、やはりこの時期であるわけですね。私は、自由な市場とそれをむしろコントロールする制度というのは、やはりコインの両面のようなもので、常に同時に進行していくのだと思います。

 ただ、一つ客観的な条件があるとすれば、一九九〇年代に入って、実は世界のマーケットの規模が一気に二倍に拡大した。これは、まさにグローバリゼーションで社会主義国が市場経済の中に入ってきた。同時に、IT革命によって完全情報が行き渡るようになった。その意味で、やはり市場の圧力を活用しなければいけないという状況が今短期的には私は出てきているのだと思います。

 これがしかし、この市場の圧力を活用しないと経済というものは世界の中でやはり生き残れない。その一方で、しかし市場の競争の時代だからこそ、一方で調和のシステム、市場の失敗をコントロールする政府の役割を新しく築いていかなければいけない。まさに私たちは今、その両方否定するのではなくて、両方肯定した議論をしていかなければいけないのだというふうに思います。

小野委員 二十一世紀になりまして、これから新しい時代の新大陸を切り開かれるところに今大臣はおられるわけでございますが、日本の国のグランドデザインを築く、最も中枢の企画を担う大臣だろうと思います。二十一世紀にふさわしい日本社会、経済社会を築くために御尽力を心からお願いして、質問を終わります。ありがとうございました。

横路委員長 大畠章宏君。

大畠委員 民主党の大畠章宏でございます。

 大臣にお伺いをしたいと思いますが、今の政局というものを考えますと、何となく、幕末に突然織田信長が率いる武者軍団があらわれて、国民の異常とも思える支持を集めているようにも感じます。こういう軍団の中の懐刀としての竹中平蔵軍師の活躍にも期待をしたいと思うところでありますが、先日の竹中大臣の所信のごあいさつを伺わせていただきました。

 構造改革なくして景気の回復なし、さらには、目下の最重要課題は聖域なき構造改革の断行により経済の再生を図ることでありますと。さらには、いろいろと竹中さんらしいお話が盛り込まれておりまして、痛みを恐れず経済財政の構造改革を断行する、不良債権の最終処理、競争政策、規制改革を推進する、e―Japan計画の推進、財政構造改革、六月をめどに経済財政諮問会議で方針を作成します、こういう内容のお話だと思っておりますが、まことにそつのないごあいさつであったなと思います。

 私も、当選以来十一年、ひたすら日本の改革をずっと求めてまいったところでありますが、先ほど小野さんから、国民の皆さんの考え方がまずいのだ、もうちょっと明るくすればいいじゃないかと言うけれども、それは余りにも政治家としては、私はちょっと異議ありという言葉が聞こえてくるのじゃないか。それは、これまでどれぐらいこの経済混乱に、利益誘導政治とかあるいは利権政治とか、もうもろもろのものがありましたよ。そういうものが日本の経済を混乱させて、肝心の年金とか医療とかをやってくれと言ったにもかかわらず、ある特定の団体に配慮して国民の立場の政策改革をやらなかった、ここに大きな日本国民の不安の原因があるわけですよ。それをさておいて、あなた方、もうちょっと暗い考えではなくて明るくしなさいというのは、ちょっと私は聞いていてどうかなと思ったわけですが、いずれにしても、これ以上自民党政権を続けては日本の国がつぶれると思った。これは私だけではなくて、梶山静六先生も言っていたわけですよ。私は本当だと思った。

 それで、民主党を誕生させていろいろやってきたわけでありますが、小泉政権の誕生というのは政権交代と同じですという話を総理もされたそうでありますけれども、世間から見ると非常にわかりにくい。私は本当かなという感じも持つのですが、国民が小泉政権の発言の中で一番期待したところは、自民党を変えますというところなのですね。

 私はここで大臣に、小泉内閣に加わった一員として、この自民党を変えますということはどういうふうに受けとめているのか、大臣のお考えを伺いますと同時に、そこら辺を明確な形で意識を持って入っていただかなければならないと思いますので、そこの点を第一番目にまずお伺いしたいと思います。

竹中国務大臣 ちょうど大臣に就任させていただいてから三週間半ぐらいだと思うのですけれども、本当に四週間前は、私はこんなことをするとは考えてもいませんでした。

 大学教授の仕事というのはなかなか心地よい仕事でありまして、好き勝手なことを言っていればいいし、はっきり言いまして講演料等々を含めて副収入も結構あって、なかなかいい生活だったと自分でも思っているわけですね。願わくはその生活を続けたいという個人的な願望がすごくありました。

 私は自民党員ではありませんから、党の方向について余り口幅ったいことを言う立場にはないというふうに思うのですが、私が大学教授の生活を捨てて、どうせもうこの先いろいろ批判されるのだろうと。きのうも国会ででたらめだとか言われて、学者としてでたらめだなんと言われたのは生まれて初めてでありますから、大臣というのはしんどいなというふうに思ったのでありますけれども、それでもやはり今回の仕事をお引き受けしようと思ったのは、まさに私は、小泉さんという方は、このもとでやはり今までなかなかできなかったことができるのではないだろうかというふうに直感したからだということに尽きます。

 その変えてくれるものの中には、今までの自民党をどのように定義するかということにもよりますけれども、これは自民党だけではないと私は思いますけれども、日本が非常に右肩上がりの成長をし続ける中で、やはり一部の既得権益グループというのができて、その既得権益グループの利益配分のシステムを担うものとしての一部の国会議員と官僚のシステムというのが世の中にあったということは、私はこれはもう間違いないのだと思います。

 それを、やはり私はリーダーというのは大変重要だと思うのですね。そのリーダーがかわったことによって、完璧にどこまで短い年限で変えられるかどうかはともかくとして、少なくとも歴史の中に一つのくさびを打ち込む、そういう総理大臣であるというふうに私は強く感じました。

 であるからこそ、あえて、菅直人さんは火中のクリを拾ったというふうに表現してくださいましたけれども、そのことをお引き受けしたわけで、その意味では、私はそれができると思うから内閣にいるわけで、それができないと思ったら、先ほどの非常にコンファタブルな学者の生活に一刻も早く戻っていきたいというふうに思っている次第であります。

大畠委員 いずれにしても、私どもも実質的に改革が進めばそれでいいと思っていますから、ぜひそのような考えを持って頑張っていただきたいと思うのです。

 そこで、幾つか御質問しようと思っていますが、きのう、けさのテレビ等々を見ていまして、いわゆる道路特定財源の話が自民党内部でも議論されておりますが、小泉政権として、これはやるのだ、改革するのだという話をかなり強くしていますね。その一番の懐刀である竹中大臣としては、この道路特定財源問題についてはどのような形に変えようと思っているのか、お伺いしたいと思います。

竹中国務大臣 どのような形に変えるかということの議論を、まさにきのうも実は経済財政諮問会議のメンバーとしました。どのような形にするかということについての結論は、はっきり言いましてまだ出ていません。

 ただ、重要なところは、改革の方向というのは、私は、その意味では割と広く合意されているのではないかというふうに思うのですね。それは、財源を硬直化させないことであるということだと思います。それを一般財源にするのか、その特定の範囲を広げるのかというのは、これはある種、最終的には私はこれは総理の決断だというふうに思っていますけれども、それを柔軟にすることによって予算の配分を大幅に変える一つの切り込みの入り口にするということだけはもう明らかになっているというふうに思うのです。

 これは、繰り返しますけれども、総理は予算委員会で、はっきり言うと参議院選までにやるのだというふうに総理みずから明言されましたし、私が予算委員会で答弁するに当たっても、実は答弁席に立って、自民党との関係を意識しながら、割とモダレートな答弁をしようかと思って席に立ったら、総理がここから、言え、言えというふうに強く言われて、これは総理の決意は大変なものであるなというふうに私自身も感じたわけでありますので、今申し上げたような方向でもう明らかに議論は進んでいくというふうに思います。

大畠委員 織田信長に仕える軍師としては、織田信長以上に情熱を燃やしてやらないと、逆に織田信長の足を引っ張ることになりますから、言え、言えなんて言われたから言うのではなくて、どんどん走ってくださいよ。

 私ども民主党は、この道路特定財源問題については、やはり明確に一般財源化すべきだと思うのですね。まだまだ足らないと言う人もいるかもしれないけれども、随分日本の道路もよくなってきましたよ。今一番いろいろ問題が出てきているのは、先ほどの国民生活の不安ですよ。そういうものを解消するためにどう金を使っていくか、これが私は重要なポイントだと思うのですよ。したがって、ぜひ大臣には、この一般財源化に向けて歩んでいただきたいと思います。

 もう一つ、地方交付税の減額方針というものを政府内部で検討し始めたというのですが、これも非常にさまざまな論議を呼んでいますが、この問題についてはどういうふうに考えておられますか。

竹中国務大臣 先ほども申し上げましたように、経済財政諮問会議では二つのことをやりたいというふうに思っているわけです。

 一つは、改革のシナリオというか、ビジョンを示すということと、しかし最後は、結局政策というのはすべて予算に集約されますから、予算のところははっきりとその枠組みを示したいということです。

 その予算に関して言うならば、御承知のように、やはり三つの項目が圧倒的に大きなウエートを占めるわけですね。社会保障、社会資本、それと地方の財政をサポートするという部分です。この三つにそれぞれ何らかの形で踏み込まない限りは、私は、構造改革というのは絵そらごとだというふうに思います。

 国と地方の話を議論するときには、これはもう何十年もの間、財政の専門家が議論してきたシステムとして、地方交付税というのは結果的には、各地方の市町村が、都道府県が、自分のところで頑張って経営していこうというそのインセンティブを完全にそぐものになっている。努力しなければ努力しないでそのままきちっと補てんしてくれますよ、つまり、一生懸命やる人に対してディスインセンティブを与えるシステムになっているということ、これはもう私は間違いない問題だと思います。その意味では、社会資本に関しては特定財源の問題から切り込んだというように、この地方交付税そのものについても、制度そのものの見直しを大幅に進めなければいけないということは間違いないと思います。

 ただ、これは言葉の問題ですけれども、誤解のないようにしなければいけないのは、交付税を減らすという議論は、実は非常に一方的なわけですね。支出そのものも縛られているわけですから、支出と収入というのは一体で議論しなければいけないわけですので、重要なのは、そのディスインセンティブを与えている仕組みそのものを見直すことである、そのようにぜひ御理解いただきたいと思います。

大畠委員 地方の方の話を聞きますと、介護保険問題でもそうですが、厄介なことは地方に押しつけて金だけは国が持っているという意識を非常に地方自治体は持っているのですね。地方の方も非常に予算がきつくて、国の御意向に逆らわないように逆らわないようにというのは、結局それが官僚制度というものをしっかりと維持させる環境づくりにも使われているわけですよ。

 私は、政府内部でも議論をされていますが、いわゆる地方税と国税の関係は一対一にすべきだというような話が出始めていると聞いているんですが、私ども民主党の方でも、今のような中央に偏った税体系、そしてあとは補助金と交付税で地方を従わせようというその税体系そのものが、もう日本の、このアメリカに次ぐ経済国の体制にはふさわしくないと思うんですが、ここら辺についてはどう考えておられますか。

竹中国務大臣 政策の問題というのは、どうもジャーナリズムの議論というのは、何%減らすのかとか、最後の、おしりの数字のところにいわゆる矮小化されて議論をされて、議論が余計ややこしくなってしまうということを何回も経験していると思うんですが、私は、重要なのはやはり論理だと思います。概念、コンセプトだと思います。

 その観点でいうならば、恐らくそこは先生と意見を共有できるのではないかと思いますけれども、やはり受益と負担を明確化する、そのことに尽きるんだと思うんですね。受益と負担を明確化する、受益者がちゃんと負担しなさい。だから、そうするインセンティブを与えることによって節約するところは節約する、本当に必要なものだけつくるという効率的な配分につながっていく。

 地方の場合難しいのは、しかしナショナルミニマムを維持するというところがどのぐらい残るかということなのだと思います。先ほど、市場メカニズムに関する御質問がありましたけれども、それと全く同じで、すべての受益と負担を今、あしたから一対一に対応させてしまうということになると、恐らく東京は非常に潤うだろうけれども、そのほかのところは結構大変なことになるという、現実の政治、政策はその現実の中で、リアリズムの中で考えられるわけですから、そこの見切りをどのようにつけるかということに関して、かなり踏み込んだ議論を経済財政諮問会議ではしていきたいというふうに思います。

大畠委員 受益と負担という話がありましたが、実は、竹中大臣に質問するのにいろいろ本を探しまして、この「「強い日本」の創り方」という、教授のころのといいますか、大臣になる前の本を読ませていただきましたが、その中にもいろいろ書かれておりました。

 次に、IT問題、この本の中にも入っているんですが、IT担当大臣でありますから、私も民主党の、ネクストという名前がついていますが、ネクスト情報通信担当大臣というのをやっていますので、IT問題について御質問をさせていただきたいと思います。

 この本の中にも、日本の政府に求められる四つの改革という項目がございまして、バランスシート調整をというのと、それからIT革命関連資本の充実、公共事業ビッグバン、ここにいわゆる負担と受益の明確化というのが入っているんですが、それと、高等教育改革で人材大国を目指せという、四つの指針というものが示されているんですが、その中で、IT問題について、例えばこの二十八ページに次のような文言がございます。

  残念ながら世界各国と比べたとき、日本の高速インターネットのインフラ普及率は大きく遅れをとっている。これは考えてみると、非常に驚くべきことだ。日本のように技術水準が高く、資本も貯蓄も多い国が、アメリカのみならずアジアの発展途上国よりも超高速インフラの整備が遅れている。なぜこのようなことになってしまったのか。

  これについては世界の各国を見ると、非常にはっきりした一つの傾向が読みとれる。それは高速インターネットに関して、早い時期から競争政策を進めた国ほど整備が進んでいるということだ。民間の自由競争に任せて自由に光ファイバーを引かせた結果、国のインフラ整備が早まったのである。

  逆に電気通信事業を独占にして競争が進まなかった国では、インフラの整備が進んでいない。その典型が、日本というわけである。結局のところ、インフラ整備を早く進めるには、競争政策を促進することで資本がどんどん投入される環境をつくることが大切なのである。

 こういうふうに教授時代は述べておられるんですが、この電気通信事業の競争政策に関して大臣としてはどのようなお考えをお持ちなのか。特に、私は、この公正競争政策というもの、まさにこの本の指摘のとおり、これを整備することがIT革命推進の原点と考えておりますが、この点についての御認識をお伺いしたいと思います。

竹中国務大臣 IT戦略会議というのが去年ありました。実は、ちょうど一年何カ月か前に、日本経済新聞にまさにその本のことと同じようなことを書いて、だからこそIT戦略を総合的に議論する場を総理直属のものとしてつくってほしいということを書きました。実は、その日のうちに当時の小渕総理から電話がかかってきて、それはおもしろいと。ところが、その直後に小渕さんは倒れられる。森総理がそれを引き継いでくれてIT戦略会議ができて、そこで、一種の、競争政策をもとにしてインフラ整備を行う、五年で日本を世界の最先端の高速インフラの国にするという、これは非常に野心的な計画ですけれども立てられました。

 その意味では、私は、日本の政策そのものが当時私が申し上げたような議論の方向に向かってようやく動き始めたというふうに思っておりますし、競争政策を軸にするというところも、徐々にではありますけれども、そのようになりつつあるんだと思います。

 問題は、実はまさにこの先でありまして、今月の末にIT戦略本部、私がIT担当大臣になってから初めての戦略本部が開かれますけれども、当面の目標を決めて、当面の重点項目を今決めた段階である。これは当面できることでありますから、しかし、その残された問題として私はまだ二つあるというふうに思っておりまして、一つは、やはり競争政策を促進して五年後の目標を本当に実現できる体制を整えること、これが第一のポイントです。

 それと、第二は、IT戦略会議の議論ではどちらかというとインフラ整備の点に重点が置かれているわけですけれども、結局のところは、それを使う人間や企業の能力の問題、まさに情報リテラシーの問題であります。その情報リテラシーの政策については、残念だけれども、まだ世界でもどんなことをしたらいいかというのはそんなに人類わかっていなくて、日本についても、おくれているわけですから、他国にはないやはり画期的なことをしていかなければいけない。

 その意味では、お尋ねの基本認識は全く変わっておりませんし、それを具体化する方向でIT戦略本部での議論をぜひ詰めていきたいというふうに思っています。

大畠委員 そこで、実は今総務委員会の方でもこの問題についての関連法案が審議されようとしておるんです。いろいろとその法律案を読ませていただいておるんですが、公正競争というものを担保するために、この法律案の中では八条委員会としての位置づけの紛争処理委員会で対応するということになっておるんですが、私は、日本版のFCCというもの、情報通信に関する公正競争監視委員会的なものを設置して、日本国内だろうがアメリカだろうがヨーロッパだろうが、全部に対して、日本国内の情報通信に関する環境はフェアですということを内外に明らかにするような機関、これは独立機関をきちっとつくるべきだとは思っておるんです。

 どうもそこら辺が、とにかく紛争処理委員会でいいじゃないかと。紛争処理というのは、紛争が起こって、裁判所みたいなものかもしれません、だれかが提訴したら始めましょうという話なんですが、ちょっと腰が引けているんじゃないか。要するに、情報通信なんか、光が七回り半もするわけですから、あっという間に世界じゅう回っているわけですよ。そういうときに、訴えがあったときには調べましょうというような番所をつくっている場合じゃないんじゃないか。

 竹中平蔵さんとしては市中をちゃんと見回って、火盗改長谷川平蔵じゃありませんが、ふらちなことがあればきちっと事前に、犯罪に及ぶ前にぴしっと押さえるとか、そういう積極的な役割をするためには、私は、この公正競争監視委員会、三条委員会みたいなものをつくるべきだと思うんですが、その点についてはどう考えておられるんでしょうか。

竹中国務大臣 昨年、IT戦略会議のメンバーとして、私は、実はFCCをつくるべきだというふうな意見を述べています。その点に関しては、私は、仏の平蔵ではなくて、ぜひ鬼の平蔵になってきちっとした競争政策の確立を目指したいというふうに思っています。

 それで、申し上げたいことは、幾つかの日本の制度的な制約の中でFCC的な機能を担うものをどのような形で任せたらいいかということの詰めがまだできていないということなんだと思うんですね。

 ただ、客観的な事実としてやはり私たちが無視できないのは、次のような点だと思います。大体、世界じゅうどこを見てみても、政策主体というのは、これは三つに分けているわけですね。一つは、まさにこの分野を育成するためのところだと思います。日本だと旧郵政省がそれに当たるわけだと思うのですけれども。二つ目は、まさに競争促進を保障するためのところで、これはまさにFCCなわけですね。三番目は、価格形成が公正かどうかをチェックする公正取引委員会のようなところだと。調べてみるとほとんどのところで、実は、OECDのうち、四カ国を除いてすべてのOECDの国でこの三つというのは分立しています。やはり、そこのチェック・アンド・バランスがあって初めて競争政策というのはバイタルなものになるんだというふうに思う。

 ところが、四カ国においてはそうなっていません。その中のうちの一つが日本なわけですが、日本の場合に、ことしの一月に中央省庁の再編が行われましたので、実は、今の三つの機能が結果的には全部一つの省に集まっているという、確かに少し異常な形になっているのだと思います。これは、チェック・アンド・バランスというのは、実態もさることながら、ある程度は形式の問題だというふうに私は思っていますので、IT戦略本部では、この問題は、積み残された問題として、ゼロベースで専門家の意見を聞いて議論をしていきたいと思います。

大畠委員 明確な考えをお伺いしました。

 続きまして、実は、IT社会になったらどんな社会になるんだというのがよく国民にはわからないのですね。何となく、キーボードをたたかなきゃいかぬとか、パソコンのスイッチを入れたらうまく動かなくなっちゃったとか、そういうのがあって、どんな社会になるんだろうかというのがよくわからない。

 実は、民主党の内部で、NCinNETという、ネクストキャビネットinNETというか、国民から、どんなことを希望していますかということをインターネットで、メールで募集したのですね。そうしたら、福岡の大学生の星野恒さんからは、インターネットにより大学入試の申込手続ができるようにしてほしいという意見、あるいは京都の深田麗美さんという二十の女性の方ですが、お母さん、美智子さんと一緒においでになりまして、テレビや映画にテロップなど字幕を義務化してほしいというような提言があったのですね。IT社会の中では、こんなことは可能な範疇に入ってきているのですね。

 さらには、シンガポールの方を見ると、図書館と郵便局をうまく活用していまして、図書館では、IT教育とか、本の貸し出しも、全国の図書館を結んでいて自宅から検索をして本を借りることができるとか、それから郵便局では、運転免許証の書きかえ、それから公営住宅の申し込み、駐車券の販売、バスの割引券の販売、年金、納税、テレビ、ラジオの受信許認可の取り扱い、交通違反切符の公的罰金請求とか受け取り、こんなところまでできるのかということなんです。

 私は、ITを進める上で、日本で積み上げ方式を今政府がやっていますが、まず国民から、どういうことをやってほしいですかということをIT大臣として公募して、それを実現するために阻害している要因を法律改正してやらせる。韓国がそうなんですよ。韓国が、どれだけやるかというので、やりたいことを集めて、その阻害要因を集めて、百六十本近い法律案を改正してやっちゃったんですね。

 日本のこの下から積み上げ方式もいいのですが、国民が求めるものをまず聞いて、それをやるために阻害している要因は何かというのをつぶしながら法律改正に持っていくことが、IT社会を国民が理解しながら進めるためのポイントだと私は思うのですが、どういう考えをお持ちでしょうか。

竹中国務大臣 実は、韓国の百六十本の法律というのはちょっと私の方では確認できなかったのですけれども、詳細があれば、またぜひそれをお教えいただきたいと思いますけれども、基本的にはIT社会というのは、御承知のように、これはまさに分権化の社会ですから、一人一人がどのようにこれを楽しんでいただくかということに尽きるんだと思うのですね。個人を、今までの距離の制約、時間の制約、お金の制約、あらゆる制約から解き放ってくれる可能性を持っている、それがデジタル情報のやりとりの場としてのインターネットの本来の意味だと私は思います。

 インターネットというのは、デジタル情報をやりとりするスペースであって、それ以上のものでも以下のものでも絶対にないと思います。結果的には、その中で私たちが付加価値を、一人一人が付加価値を、楽しみをどのように見出していけるかということですから、御指摘のように、まさにグラスルーツで発展していかなければ意味のないものだと思います。そういうことを政府はやっていないかというと、やっていないわけではなくて、意見箱のようなもので実はかなり多くの意見が寄せられておりますので、御指摘のとおり、ぜひそれは活用していきたいというふうに思います。

 これは今後とも考えていかなければいけない問題、あえて私は皆さんにお考えいただきたいということで二つの問題を、漠然と考えていることをぜひ提起させていただきたいと思うのであります。

 一つは、何が阻害要因になっているのかということを考えて積み上げていくと、実は結構細かいことばかりなんですね。ちょっとこの川の下にケーブルを通せないとか、何かやろうと思ったらきめ細かい指導にひっかかったとか、これを細かく挙げていく方がいいのか、それを一つずつつぶしていく方がいいのか、ないしは、これもIT戦略会議では議論としても既に出ている言葉ですけれども、一つの特区のようなもので、この地域に関しては一種の治外法権にしますよというような形に持っていく方がいいのか、その規制のクリアの仕方については幾つかの方法があるんだと私は思います。

 いずれにしても、とにかく細かい規制が積み重なって今日のようなものができている限り、何らかの新しい工夫が必要なのであって、その点については、ぜひ立法の側の立場でもお考えをいただきたいというふうに思います。私自身は、特区的なものも一つ考慮に値する有力な方法であるというふうな意識を持っています。

 もう一つの点は、とにかくこれを促進したいという政策の議論になると、よく言うあめとむちの必ずあめの議論になるのですね。これは、私自身も議論していてはたと気がついて、IT講習会をやりましょう、IT講習会というのは大変成功しているというふうに私は認識していますけれども、何かメリットを上げる。つまり、減税をするとか、あめを与えるからそれで頑張ってほしいと。

 しかし、考えてみたら、政策には必ずむちの政策というのがあるわけですね。むちの政策の典型的な例は、私はそんなことを考えていないですよ、考えていないから新聞に書かないでほしいですけれども、一つのわかりやすい例として申し上げると、例えば、来年から税金の申告はネット以外では受け付けないというふうにどこかで決めたら、国民の皆さんは必死でやるわけですね。恐らく現実には、あめとむちの組み合わせですけれども、むちの政策というのは意外と重要なんですね。

 実は、この一年半で大学生のインターネット人口は三倍になったというふうに言われています。それはなぜかというと、理由は簡単なんですね。就職試験の説明会、インターネットじゃないと受け付けができないのですよ。そうすると、きのうまでマージャンをやっていた学生が、一生懸命、急にインターネットをやり始める。

 むちというのは、一見、国民から見ると負担というふうな意味も割合あるのですが、これをあめと組み合わせることによって初めて世の中が画期的に動くという面がありますので、この点についても、そういう問題意識を持っておりますので、ぜひ御検討を立法府でもいただければというふうに思っております。

大畠委員 時間でありますので終わりますが、今こちらの方で、政治家の立候補届もインターネットでしかだめだというふうにしたらどうかなんという話もありましたが、いずれにしても、率直な御答弁をいただきましてありがとうございました。これからもぜひ、その政治姿勢といいますかを貫いて日本改革に取り組んでいただきますようお願いしたいと思います。ありがとうございました。

横路委員長 河合正智君。

河合委員 竹中大臣は、学問は何のためにあるのか、大学はだれのためにあるのかということを、絶えず学生とともに歩む姿を通していらっしゃる姿を私たちは非常に注目して見ておりました。その大臣が経済財政政策担当大臣に御就任いただきまして、私はむしろ感謝を申し上げております。きょうは、一日竹中ゼミ生になったつもりで質問をさせていただきたいと存じます。よろしくお願い申し上げます。

 構造改革なくして景気回復なし、このように就任のごあいさつでおっしゃっております。橋本内閣は、財政構造改革に失敗したと私は思います。その後を受けました小渕内閣は、二兎を追う者は一兎をも得ずとして、景気対策を優先させてまいりました。森内閣は、小渕内閣の路線を継承してきたわけでございますけれども、森内閣から小泉内閣にかわった段階で経済財政政策というのはどこがどのように変わったとお考えでしょうか。これは非常に混乱がございますので、大臣から、整理していただく意味でお願いしたいと思います。

竹中国務大臣 小渕内閣で経済戦略会議というのが組織されまして、私もそのメンバーとして議論をさせていただきました。当時、一九九八年の後半というのは、本当にあした何が起こっても不思議はないというような一種はらはらした状況の中に置かれていたわけですけれども、そのときに議論されていたことと今小泉内閣がとろうとしている政策というのは、私は実は一貫して続いているというふうに思っています。

 ただ、とられる政策はかなり変わってきていることは確かで、それは、政策に対する考え方が根本的に変わったというよりは、私は、経済の現状に対する認識が変わってきたという方が説明が確かなのではないかというふうに思います。

 経済戦略会議で一体我々は何を議論したかというと、経済の再生には幾つかの段階があるというふうに考えたわけです。まず、危機が起こっている状況、クライシス。クライシスとは何かというのは、何か政治学者の間では定義があるんだそうでありまして、経済学者の間では定義はないんですけれども、あした何が起こるかわからないような状況、危機的な状況だというふうに一般に想定されるとすれば、まさに金融危機だったわけですね。

 このような状況が一たん起こってしまったならば、私は政府がとるべき方法は常に一つだと思います。それはなりふり構わずお金をつぎ込むことです。これは、金融機関、決済機能を担っている銀行に対しては資本を注入します、経済の総需要が盛り上がるように大型の経済対策を行います。これは、歴史を見ても、東西どこの国を見ても、危機が起こってしまったら、政府としてはなりふり構わずお金を、流動性をマーケットの中に注ぎ込むしかないんだと思います。九八年から九九年にとられた政策というのはまさにそういう政策であった。小渕総理はそれを決断されたということで、実はその後、やはり高い支持率を得るようになってきたわけです。

 問題は、危機を克服した後に、一体どのような政策が必要だろうか。実は、これも経済戦略会議の中で議論されたことが今そのまま続いてきていると私は思います。改革をしなければいけない。改革は二つある。一つは、リアクティブな、つまり受け身の、守りの改革である。守りの改革の意味は、できてしまった不良債権は償却するしかないじゃないか。できてしまった不良債権がどこかへ消えていってしまうのか。それは償却するしか絶対消えないわけですから、これはまさにバランスシート調整をしなければいけない。しかし、これはまさに守りの改革です。

 それに加えて、実はもう一つの改革、これはプロアクティブな改革、攻めの改革ということなのではないかと思います。この攻めの改革というのは、先ほどから議論された、IT革命という新しいフロンティアが私たちの目の前にある、この新しい時代に私たちの身丈を合わせていかなければいけない、制度を合わせていかなければいけない、電気通信事業に関してはやはり思い切った競争政策が必要だ、もろもろの問題であります。

 その考え方そのものは私は一貫して引き継がれてきたのだというふうに思うんですが、恐らく、若干の批判があるとすれば、危機が起こってしまってとにかく政府がお金を出さざるを得なくなった、それを引っ込めるタイミングがやはり大変難しかったということなのではないかと思うんです。引っ込めたら、景気が悪くなる、どうしてくれるんだと国民からもジャーナリズムからも非常に強い批判がある。先ほど、経済成長を求めるか云々ありましたけれども、そのときには国民はやはり求めたんですね、成長を何とかしろ、景気を何とかしろというふうに言ってきて。

 当時、堺屋太一経済企画庁長官とお話ししたことがありましたが、堺屋さんは次のように表現されました。抜いた刀をどうおさめていいかなかなかわからない、おさめ方が非常に難しい。一たん政府が大型の支出を出してしまったらそれをもとに戻すというのは実は大変勇気が要ることで、やはりそのタイミングをいろいろうかがいかねていた。それが、実はさまざまな問題、これは、変化というのはそんなに連続的に起こるのではなくて、特に政治的な変化は非連続な形で起こるんだというふうに思いますが、今までたまっていた矛盾が小泉総理を押し上げる非常に強い社会の世論となって、今とにかく新しい段階に移行してくれ、だからバランスシート調整をまずやって、不良債権処理をやって、同時に新しい二十一世紀型の自助自律の経済をつくってくれという世論が盛り上がって、今日のような一つの新しいステージにまさに今移行している状況なのではないかなというふうに思います。

 この受け身の改革、攻めの構造改革という言葉は実は森政権でも頻繁に使われていた言葉で、その意味では、繰り返しになりますけれども、考え方が変わったというよりは、現状をどのようにとらえるか、それへの移行が実はやや非連続な形で起こったというのが今の内閣ではないかと思っています。

河合委員 大変ありがとうございます。

 あいさつの中で大臣は、緊急経済対策は新たにサプライサイド重視の経済政策を推進するためというふうに定義をし直されております。これは、抜いた刀をおさめて新しい体制に入ろうとする再定義なのかもしれません。しかし、緊急経済対策は森政権下の政策でございまして、この政策転換の意味、これは今お述べになったことのほかに追加される点がございましたら補足していただきたいと存じます。

竹中国務大臣 御指摘のように、緊急経済対策は前の政権でつくられたものなわけですね。これを小泉政権がどのように引き継ぐかということに関しては、当然議論があってしかるべきなんだと思います。

 ところが、まさに、やはり機は熟したということをこの政策は示しているんだと思うんです。前の政権でつくられているわけですけれども、今までのように、さらに政府はお金を出し続けるというような政策をもって緊急経済対策とはしていないわけですね。あの中で見ると、例えば公共事業を何割ふやすとかそういう政策というのは実は全くないわけで、政策の第一番目に不良債権の処理というのが来ているわけです。しかも二年から三年という期限を切ってやるということですので、実は、先ほど言いました第二段階に森政権の終わりから政策の実体はもう移行し始めていたということなのだと思います。

 サプライサイド政策という言葉を私は使いましたけれども、とにかく限りなくお金を注ぎ込むというのは、これは需要政策なわけですね、需要をふやす、需要を喚起するための政策でありますけれども、バランスシート調整にしても、競争政策を促進して競争力を高めるということにしても、これは経済の供給側の政策だ。これは一種の政権のメッセージとして、こういうふうに政策がシフトしたんだということを申し上げたいためにそのような言葉を使わせていただいていますけれども、今の御質問に対して言うならば、実は、森政権の末期から、まさに今までの政策を転換する一つのプログラムがたまたま用意されていたということだと私は思います。

河合委員 また、大臣は、九〇年代の経済低迷の原因は政策危機であったと東京財団の政策研究で実証されておりますが、具体的に何がどのように政策危機であったのか、簡単にお述べいただきたいと存じます。

 さらに、引き続いて、財政構造改革、これは、橋本政権下での財政構造改革と現在の位置づけというのは当然違うんだと思うんですけれども、その財政構造改革の具体的なスケジュールとその手法についても第二点目にお述べいただきたいと存じます。

竹中国務大臣 政策危機という言葉は、使わせていただいていますけれども、私はその中身は、特にその本の中で書いた期間に関して言うならば、二つの問題がそこにあったというふうに思っています。

 一つの問題、私たちが反省すべき点は、一九九二年から九四年ぐらいにかけて、まさにバブルが崩壊した直後の時期に、資産デフレの影響を圧倒的に過小評価してしまったということだと思います。

 九二年、九三年、九四年、この間日本経済の成長率というのは〇・四%、〇・五%だったというふうに思います。済みません、これは古い基準の統計に基づく数字ですけれども、新しい統計はちょっと記憶していないんですが、つまり、〇%台の成長だったんですね。ところが、その三年間、政府経済見通しは三%ぐらいの目標を掲げ続けているんです。これは、バブルが崩壊して土地の値段が下がって株の値段が下がるということの影響を、残念だけれども、当時の私たちはいかに過小評価していたかということを示している。しかし、あえて肩を持つならば、これは政府だけではなくて、民間のシンクタンクもほとんど余り変わらない予測をしているわけで、日本社会全体が資産デフレというものに対する知的な蓄積を持っていなかった、日本社会全体が不勉強であった。だから、これはもう、政府も民間も学者もジャーナリストも、全員が反省すべき問題だと思います。

 もう一つの問題点は、やはり住専の問題が一九九五年の末に一つの決着を見るわけでありますけれども、その時点で、実は不良債権問題というのはもう峠を越したというふうに多くの人たちが考えていた。これも、新聞の記事検索か何かやっていますと、びっくりするほど、不良債権とか公的資金とかという概念はほとんど出てこないんですね。住専という概念しか出てこないんです。つまり、個別の問題を議論しているんだけれども、その背後にある経済メカニズムについて我々の社会全体がほとんど議論していないということを意味している。その点を、政策危機という形で、これは私たち社会全体が反省すべき問題だという形で指摘させていただいたつもりです。

 さて、二番目の財政構造改革なんでありますけれども、橋本内閣のもとで財政構造改革を行った。今また財政構造改革を目指そうとしている。目的が大幅に変わっているわけではないと私は思います。目的はやはり今の財政を持続可能なものに復元させる、サステーナブルなものにするということだと思います。

 借金をしていると金利を支払わなければいけません。しかし、金利を支払うためにさらに借金をしなければいけない、そんな企業にだれがお金を貸すでしょうか。こういう状況をサステーナブルではないというふうに言うわけですが、多くの予測で明らかになっているように、日本の財政はまさにこういう状況に、つまり、GDPに対する国債残高の比率が無限大まで拡大していく懸念が出てきているわけで、これをサステーナブルなものに戻さなきゃいけないという一種の目的意識を私は共有しているんだと思います。

 それで、橋本内閣のもとでの政策が結果的に幾つかの問題点をもたらした背景には、要因が複数あるんだと思いますが、最大の問題、今の違いは、やはり不良債権問題に対する、バランスシート問題に対する社会的な情報量が違うということに尽きているんだと思います。当時、これは繰り返し言いますが、日本はバランスシート調整はもう終わったと思っていたんですね。そのもとで計画を組んだことによってそごが出てきた。私たちは、バランスシート調整はまだ大変困難な局面をあと二、三年経なきゃいけないというふうに考えていますので、その点、実は責任を持った政策を今度こそできるのではないかなというふうに考えているわけです。

 それで、今申し上げたことが結果的にどのようなスケジュールで財政を改革するのかということにつながっていきますけれども、小泉総理が所信表明で述べられたシナリオの中にもうそのエッセンスは示されているわけです。二段階で考えるんだということであります。

 二段階で考えるということの意味は、最終的には、財政をサステーナブルなものに持っていくためには、いわゆるプライマリーバランスを回復させる、これ以外もう絶対方法はありません。このプライマリーバランスを回復させる以外に方法はないわけでありますけれども、それをやる段階に行くにはまだやはりしばらく時間があるんだと思います。これは、先ほど言ったように、バランスシート問題をある程度決着をつけて、経済の脆弱性をまずなくしてしまわなければいけない。

 しかし、では、それまでの期間、財政改革は何もしないかというと、そうではないんだというのが小泉総理のメッセージだと思います。当面の国債発行目標を抑えて、この意味は、国債発行目標を抑えることによって野方図に財政赤字が拡大することを防ぐというのが第一点。もう一つは、頭をある程度抑えておくことによってその中での効率的な配分を行うというインセンティブを与えるということだと思います。

 その意味では、バランスシート調整の動向をにらみながら、当面そういった暫定的な赤字抑制目標を置いていく、その上で、最終的にはプライマリーバランスの回復を目指した本格的な改革に向かっていくということだと思います。

河合委員 時間の関係で二つの質問をまとめてお伺いさせていただきたいと存じます。

 一つは、「政策課題二〇〇一」の中でおっしゃっていることでございますけれども、構造改革の基本は競争政策、これはサプライサイド重視の経済政策という先ほどのお話でございますけれども、その場合に、セーフティーネットというのが非常に大事になってくると思いますが、これは言葉で表現する以上の重要性を持っていると思います。先ほど大臣がお述べになった、大畠委員に対する三つのお話の中の、特に社会保障に関する具体的なセーフティーネットも含めてどのようにお考えかというのが第一点でございます。

 それから、最後の質問でございますけれども、また大臣の別の著書の中で、現代の日本の状況というのを一九二〇年代と共通点があるというふうにかなり列挙しておいででございます。しかし、考えてみましたら、これは大変な問題提起をしていただいたと私は思うんですけれども、一九一九年の世界恐慌、それから日本の昭和恐慌も同じでございますけれども、結局あれを解決したのは第二次世界大戦であったという説もございます。しかし、私たちは二度とあの惨禍を起こしてはいけないという誓いに立っております。その上でこれをどのように解決していくかというのが最大の課題であろうと思いますけれども、しかし、皮肉なことに、この状況を解決したのはむしろ需要重視のケインジアンたちの政策だったのではないかと思います。サプライサイド重視の経済学というのは、私の少ない知識では、インフレーションの経済学として登場したのではないかと思いますが、現在の日本の深刻な、ある意味ではデフレスパイラルに陥る寸前まで行ってしまった状況にもあった日本の経済をサプライサイド経済学で立て直していくということは、経済学的にどういうふうに考えたらいいのか、この問題を最後にお聞きして、終わりたいと存じます。

竹中国務大臣 時間が限られている中ですごく大きな問題を二つ提起されたんですけれども、手短に。大きな問題ばかりだと思います。

 最初の、セーフティーネットの話は、結局、自分に対する自信こそが最大のセーフティーネットであるというふうな話を先ほどさせていただきましたけれども、その意味では、個人、働く人に対する教育投資を拡充させる、それを促進させる仕組みを新たにつくるということが私はセーフティーネットの基本だと思います。

 それと同時に、いわゆる年金に対する信頼感を取り戻させる。人口変動のリスクというのが日本社会はもう圧倒的に大きいわけですよね。今のような賦課方式で、支える人が支えられる人に対して圧倒的に小さくなってしまうというリスクは、これはもう人口要因ですから避けようがありません。しかし、これを理論的に避ける方法は明らかに一つあります。それは、賦課方式をやめて積立方式にすることです。そうすると、これは理論的にリスクはゼロになりますから、方法はもうそれしかないんだと私は思います。それを組み込んで、しかし、これをやると特定の世代に二重払いが生じることになりますから、それをいかに緩和するかという現実的な政策を打ち出していく、そこの設計がやはり基本だと考えます。

 一九二〇年代とのアナロジーは、これはまさにあの改革が不十分であったからこそ私は戦争にのめり込んでいったんだと思います。結局、サプライサイドでいい面が出てきたにもかかわらず、あれを戦争という最大のケインジアン政策で解決しようとしたのが、私は一九二〇年代から一九三〇年代の教訓であって、そうならないようにするためにも今の改革を徹底させなければいけない。

 インフレとサプライサイドの関係は、実はなかなか悩ましい問題でありますけれども、デフレの問題に対しては、実は私はやはり金融政策が大きな役割を担うのかなと。実物政策に対するサプライサイドの政策、一方で、その分デフレ圧力をある程度緩和するための今日的な金融政策というのは、金融政策をさらに強化するということがある程度は示唆されておりますけれども、やはり重要な課題になってくるのかなというふうに思っています。

河合委員 二十分の質疑で大変な期待を深めました。どうぞ御健闘よろしくお願い申し上げます。

横路委員長 塩田晋君。

塩田委員 自由党の塩田晋でございます。

 竹中大臣におかれましては、国民また学生に非常に評判がいいと聞いております。それは、才気煥発、そしてまた非常に説得力のあるわかりやすい説明をされるというところにあるかと思います。これは政治の場におきましても非常に重要なことであると思っております。いかに国民にわかりやすく、納得をしてもらう説明をするか、弁舌さわやかに、そしてみんながなるほどと思うような説明をされるということは非常に重要なことでありますし、これが求められている、このように考えまして、大臣に非常に期待するところでございます。

 そこで、現在の日本の経済の状況というものを一言で国民なり海外の諸国、関心を持っている人たちにどういうふうに説明するか、そしてこれをどうしようとしているかということについて、簡単におっしゃられるとすればどのようなことになるでしょうか。

竹中国務大臣 日本の経済は大きくて複雑ですので、一言で言うのはなかなか難しいのでありますけれども、特に海外に対してのメッセージというお尋ねでしたら、私は、日本の経済が有している非常に大きな潜在力をいよいよ前面に押し出して活動的に活性化させる、その重要な入り口に立った、そのような言い方が適切ではないかというふうに思います。

塩田委員 政府は最近まで、景気は回復の兆しが見えてきたということを毎月、ここ数カ月続けてまいりまして、最近に至りましてデフレを容認するような表現も出てまいっております。

 今おっしゃいましたように、経済、財政というものは非常に難しい、非常に複雑であり、なかなかわかりにくい、そういう面があるわけであります。しかし、国民の関心というのは、経済がどうなるか、もっと端的に言うと、景気を早く回復してもらいたい、それは生活にも産業にも直接結びつくことでありますから、ぜひとも景気の回復を早期に手を打ってもらいたい、こういうことが国民の大部分の要求、要望であろうかと思うのですが、この点についていかがお考えですか。

竹中国務大臣 予算委員会でも申し上げたのですが、景気という言葉が時々違った意味で使われているのではないかなというふうに私は思うのですね。景気というのは、当面の総需要、当面の需要を上げてくれ、まさに当面売り上げがふえるようにしてほしいというような議論で議論される場合もありますけれども、景気回復というふうに言う場合は、むしろ持続的な経済の発展、持続的に経済が発展していく状況にしてくれ、そういう意味合い、両方あるのだと思います。これは両方とも確かに国民は求めているのだと思うのです。

 同時に、私は、経済にとって非常に重要な原則があるというふうに思っているのは、ただ飯はないということなんだと思うのです。フリーランチは食えないということなんだと思います。私たち自身、国民が生み出す付加価値、それに見合った生活しかできないんだという点も、やはり経済を考える場合の重要なメッセージなんだと思うのですね。

 私は、よく次のような説明の仕方をさせていただきます。景気云々の議論を明確にさせるために次のような言い方をするのです。日本の経済は、いわば巨大な連立方程式のようなものだと思います、消費者がいて生産者がいて、その連立方程式を解いてみてくださいと。これは皆さんずっと前に連立方程式を解いたことがあると思いますけれども、時々答えが二つ出てくるのですよね。二つ三つ、複数の解が出てくるわけです。

 一つの解は、日本の経済は二・五%成長していけるという解です。もう一つの解は、日本の経済は〇・五%成長だという解です。短期的な意味での景気というのは、この〇・五%の成長軌道でふえたり減ったりして、その中では確かに回復しているとも言えるけれども、余り大したことないねと。今日本の経済は、例えば不良債権の問題、財政赤字の問題、さまざまな不確定要因の中で、不幸だけれども、〇・五%のソリューション、解のところに張りついてしまっているのだと思います。

 構造改革の意味は、これを本来の二・五%のところにちゃんと戻してやろう、仕組みを変えれば、もう一度私たちはこのソリューションのもとで、この二・五%の成長軌道の上で景気がたまに短期的によくなったり悪かったりする、そういう軌道に戻したいということなんだと思うのですね。恐らく、長期と短期のそういう議論をジャーナリズムにも一般の皆さんにも割とはっきりと持っていただけるかどうかというのが、構造改革と景気の議論をする際の非常に重要なポイントではないかというふうに私は思っています。

塩田委員 現在の日本経済は、経済成長あるいは景気に関係するものとしては、ほとんどのものがマイナスといいますか、暗い状況ですね。消費は伸びない。それから、設備投資もよくなってきておったのが、今や停滞している。生産も停滞してきた。そして、輸出も輸入も停滞してきている。赤字は六百六十六兆円も中央、地方を通じてふえてしまっておる。明るい面というのは、株価が以前よりはちょっとましになったということで、その他の景気は、雇用、労働の面を見ましても、あらゆる経済の要素はよくないわけですね。

 この中でどうやってこれを回復して上昇軌道に持っていけるか。潜在的能力というものは二%はあるんだということも言っておられます。私もそう信じますけれども、それだけの力は日本経済は構造的にはあるということですけれども、現時点における状況、また、過去数カ月あるいはここ一、二年の状況を見ましても、これからどうなるのかという不安がかなり一般にあると思うのですが、この点についてはどうお考えでございますか。

竹中国務大臣 不安という言葉を強調し過ぎてはいけないという御指摘がけさほどもあったかというふうに思うのですが、現実にどのような形で経済を運営していって、まさに安定的な持続的な成長軌道に持っていけるのか、まさにこれこそが構造改革の中身は何かという点になるのだと思います。

 この問題については、私はやはり三つの段階のことをしなければいけないのだと思います。

 一つは、とにかく今私たちを縛っている不良債権問題を一刻も早く片づけることなんだと思います。

 考えてみると、経済というのは一体どういうものかというと、常に経済を発展させるものというのは、リスクに対して挑戦していく一つの姿なんだと思います。リスクをとって投資を行って、その投資が高い収益を上げることによって私たちの所得もふえていく。だから、リスクをとって革新的な行動をとるというのが、これが実は経済発展の原動力である。これは別に私が言ったのではなくて、まさにシュンペーターという人が言ったわけでありますけれども。

 不良債権がこれだけいろいろなところにあると、リスクがとれないわけですね。リスクがとれないのだから新たな挑戦的な投資ができない。挑戦的な投資ができないのだから私たちの所得がふえないのは当たり前でありまして、残念だけれども、これが今の日本経済の実力だと私は思います。そのためにはまずリスクをとれるような状況に戻さなければいけない。これが不良債権処理の意味です。

 これが第一段階であるとすれば、先ほど申し上げた、新たな機会に対して向かっていけるような体制を整える。ITの話でも出ました。なぜIT投資がなかなか出てこないのか、ベンチャー企業が出てこないのか。調べてみると、細かな規制がいっぱいあって私たちの力を縛っている。縛られたままでは、今の経済が私たちの今の実力なわけです。しかし、それを解き放ってやれば、私たちはもう少し力を発揮できるであろう。だから、競争政策、規制緩和を中心にITを促進するということは大変重要になってくるし、そのようなチャンスは、バイオも含めてまだまだ私たちの目の前にはたくさんあるということだと思います。

 それに加えて、財政の改革。将来の日本に対して国民一人一人が自信と誇りを持てるような、今私たちは借金をしているけれども、一体だれから借金をしているんだ。考えてみたら、これは子供たちから借金をしているねというのが財政赤字の意味だと私は思いますので、その自信と誇りを回復できるような財政構造改革を行う。

 これを、一つ一つをとると地味なんだけれども、着実に大胆に進めていくことによって初めて日本経済の展望が開けてくるんだと思います。

塩田委員 私たちは、日本経済を運営、また再生するためには、何としても一定のルールのもとに自由競争原理を確立することだ、そのためには、今言われました規制撤廃、改革、これがぜひとも必要であると思います。それから、今までの官主導の経済運営でなくして、民間主導による継続的な自主的経済活動、これが活性化することだ。このことを基本に置いて政策なり経済に対する見方を持って主張しておるところでございますが、橋本第二次内閣のときのいわゆる九兆円吸い上げたという問題ですね。これは、いろいろな要素が加わって複合的にたまたまそうなったという意見もありますけれども、消費税の引き上げ、あるいは医療費、あるいは減税をやめた、こういったことであるわけですが、これについてどういうふうに評価しておられるかということ。

 そして、その後の小渕また森内閣におきましての、一説ではじゃぶじゃぶと金を出していった、それがほとんど効果をもたらさなかった、こういう評価もあるわけですが、大臣はどのようにお考えでございますか。

竹中国務大臣 まず、橋本内閣における実質増税といいますか、民間部門からの実質吸い上げの話でありますけれども、私は、エコノミストとしての純粋な見解を申し上げますけれども、世間で一般に言われているあの政策が間違いであったという認識は誤っていると思います。

 それはどういうことかといいますと、まず先ほど申し上げたように、不良債権問題が基本的には解消していたということを社会全体が信じていたわけで、その中での選択ということになると、私はそんなに間違った選択ではなかったんだと思うのです。その銀行のバランスシートのうそを見抜けなかったということをもし糾弾されるのであるならば、それは橋本さんだけではなくて、日本人全員が糾弾されるべき問題なんだというふうに思います。

 それともう一つは、バランスシートが実は非常に傷んでいるにもかかわらず、当時四%とかの成長をしているんですよね。これは要するに、みんなが気づかなかったから。あれは何が起こっていたかというと、あの九五年、九六年の経済というのは明らかにミニバブルなんです。私たちが、不良債権、サプライサイドが傷んでいるということを気づかずに、浮かれてあれだけ消費、投資をしていたわけですから、あれはミニバブルだったんだと私は思います。ミニバブルである以上、ほっておいてもいつかどこかで破裂しているのです。ひょっとしたら、あの九兆円の吸い上げがなければ、あのミニバブルはもっと長く続いて、その後の破裂はもっと大きくなっていたという可能性もあるわけで、ひょっとしたら、あの政策はミニバブルを結果的に早くつぶしてくれたという効果もなかったわけではないわけですね。

 私たちの情報セットが間違っていたということに対する反省はありますけれども、あの政策が日本経済を悪くしたという一面的な言い方は、経済学者の論理としては明らかに間違っていると思います。

 二つ目の、経済に対して非常に大きな支出を行ったにもかかわらず経済はよくなっていない、これは失敗なのではなかったかという指摘でありますけれども、これも、ある時期では、経済が危機的な状況にあるときには、政府はなりふり構わずお金を投入するしかないわけでありますから、その政策が間違いであったとは私は考えません。その抜いた刀をおさめるタイミングが、結果的に見るともう少し早くてもよかったのではないかという意味での批判は、私はあり得ると思います。

 ただ、あえて申し上げたいのは、私たちは、先ほど申し上げたように、バブルのピークに比べて、正確ではありませんが、一六%ぐらい高い所得を得ています。GDPは高くなっています。一六%ぐらいですから、GDP一六%というと八十兆から九十兆、バブルのときよりもGDPが高いわけですね。御承知のように、この間、政府は追加経済対策を百何十兆円やっているわけですよね。つまり、実力もないのに生活水準を無理やり押し上げた、その押し上げた手段が財政であったということに尽きているわけで、結果的には、繰り返しになりますけれども、まず私たちの実力そのものを高めるようなサプライサイドに焦点を置いた政策を今改めてとるしかない。

 それで、つなぎの政策として、危機を回避するためには政府はある程度お金を出さざるを得なかった。もし反省があるとすれば、それをさやにおさめるタイミングがなかなか難しくて少しおくれた可能性はある、そういう点ではないかと思います。

塩田委員 時間が参りましたので、まだまだお尋ねしたいことはたくさんありますけれども、これで終わりたいと思いますが、大臣が所信表明でも言われましたように、まず当面不良債権を整理することに全力を集中するということは、それは私は結構なことだと思いますし、また、競争政策、規制改革を推進する、これは具体的に何をどうするかということについてお聞きしたいわけですが、これは次の機会にしたいと思います。ぜひとも具体的な内容について明らかにしていただきたいと思いますし、また、NTTの改革だとかあるいはIT革命の推進にとってどういうことが必要かということについても具体的にお聞きしたいと思います。

 また、ちょっと離れますけれども、高速自動車道の有料道路ですね。この通行料、これをゼロにするとかあるいは半減するとか、こういったことも可能ではないかと思うのですけれども、これについてもまた次回に議論を譲りたいと思います。

 ありがとうございました。

横路委員長 松本善明君。

松本(善)委員 日本共産党の松本善明です。

 竹中大臣には初めて質問するわけでございますが、いろいろ御答弁を伺っていると聞きたいことがたくさんあるのですが、きょうは一部ということになりましょう。これから長いつき合いになるか、大臣言われるように早く学界に帰られるかわかりませんけれども、さわやかに論戦をしたいと思います。

 まず最初は、大臣が昨日の参議院予算委員会で、不良債権の処理で出る失業者が数万から数十万、五年後には五百万の雇用を創出して日本は人手不足に悩む国になる、こういうふうに趣旨は言われましたね。筆坂さんも指摘しましたが、二〇〇一年の五月十一日付の経済財政諮問会議のサービス部門における雇用拡大を戦略とする経済の活性化に関する専門調査会緊急報告によりますと、「これから五年後にサービス部門を中心に五百万人の雇用を創出し、その結果、女性や高齢者を含め就業者は増加し、失業率は四%以下の水準に引き下げられるものと想定している。」これは明記しているわけですね、もう御存じでしょうけれども。失業率は今の四・七%よりは〇・七%以上下がることになるけれども、これは、人手不足に悩む国になるというのとはやはり違うことは間違いないんだろう。

 それで、大臣の筆坂さんに対する答弁を速記録で何遍読んでも、これは同じということには絶対ならない。何か答弁は、これはちょっと違うんだということでコメントしておられるようなんですが、さっぱりよくわからないというのが率直な感想なんです。

 「みんなの経済学」、これは立場はともかくとしてよくわかるのですが、わかるように、ちょっと簡明に、この緊急報告との関係を答弁してくれませんか。

竹中国務大臣 私が十八で東京に出てきたときに、その直後に選挙がありまして、その選挙のポスターで先生のお顔を拝見してからこういう形で議論できることを、まず大変光栄に思っております。

 予算委員会では時間の関係で非常に言葉足らずであった点もあると思いますので、数字についての解釈をぜひ申し上げたいと思うのですが、経済の数字というのは、幾つかの前提を置いて、必ずその範囲で議論されているものですので、これはどういう前提でどういう立場で議論しているものかということはぜひ御理解いただかなければいけないのだと思います。

 まず、人手不足云々については、まず大きな前提は、中長期の経済シナリオについては経済財政諮問会議でマクロモデルを使って今試算しているところでありますので、その数字そのものについてはもう少し時間を待っていただきたい。はっきりとした、トータルにコンシステントな数字については時間を待っていただきたいというのが第一のポイントです。

 第二のポイントとしては、私は五年以内にと申し上げたつもりはないのですけれども、日本の経済、日本の労働人口全体が減ってくる中で、日本が本当にグローバリゼーションを行って、グローバル化して、世界のマーケットを相手にして商売していたならば売り上げはそんなに減るわけではない。しかし、労働人口が減ってくるのであるから、これは理屈の上では、日本はどこかの時点でやはり労働不足に悩まされる国に向かっていくに違いない。これは、中期的な方向として私はそう見ている。問題は、しかし、当面、幾つかの要因で失業がふえる可能性はあるから、その中間時点での過渡期の政策が重要である。そういうコンテクストで、大きな、漠然とした方向の話を一つ議論させていただきました。

 今、直接先生が尋ねておられますのは、雇用拡大専門調査会の数字だと思うのですが、これは実は専門委員が専門委員の立場で報告書を書いたものであります。それは見ていただければわかると思うのですけれども、そこで出てきたのは、五百三十万人の雇用を創出できる可能性がありますよという、その可能性を議論して、それに基づいて、それが本当に実現したならば、これはマクロモデルを使ってコンシステントな推計を行っているわけではありませんけれども、他の条件を一定にして考えるならば、失業率もこのぐらいまで下がる可能性がありますよと。それは専門委員が専門委員の立場で、繰り返し言いますが、そんなコンシステントな推計をしているわけではないけれども、他の条件を一定にして、これが実現されるとこういう可能性がありますよという数字を一つのめどとして実は出しているわけです。そういう一つの数字の制約をぜひ御議論いただきたいと思うのと、もう一つは、それが一体、失業率が高いか低いかという問題なのだと思うのですね、四%云々というのは。

 これも実は解釈が非常に難しい問題だと思いますが、成熟した市場経済になってくれば、いわゆる構造的な失業率というのはどんどん高くなっていきます。四%の失業率が高いか低いかということの解釈は、基本的には構造的な失業者がどのぐらいいるかということに、むしろ、そういう判断に依存するのではないかと私は思うのですね。

 私は、もしも五年後ぐらいに本当に四%とかの失業率に抑えられるのであるならば、これは極めて一般には人手不足感の強い経済になっているというふうに認識します。これは、経済の中には必ず構造的なミスマッチというのはある程度出てくるわけで、それを考えると、先進国の状況から考えて、これぐらい高い所得の経済で四%に失業率がもしできれば、もう一度言いますけれども、これは人手不足感の強い経済であるというふうに私は認識します。

松本(善)委員 計算でいけば、四%以下といったら二百七十万ぐらい。私は、少ないものではないように思いますね。しかし、それはそれとして、少なくも、人手不足に悩む国という表現はやはり誇大広告じゃないかというふうに私は思います。

 しかし、それはともかくとして、倒産はどうなるのでしょう。失業については初めて数字を、数万から数十万と言われている。倒産はどのぐらい出ますか。

竹中国務大臣 そういう具体的な数字は、まだ試算していません。倒産と同時に、むしろもう一つ、私たちが大変興味を持っているのは、どのくらいの企業が出てくるかという問題だと思います。一体、ネットでどのぐらい企業がふえてくるかということに注目して、年末ぐらいまでに、モデルでどのくらい正確に出るかはともかくとして、何らかのめどをつけたいと思っています。

松本(善)委員 これはやはり早くしないといけない。というのは、学者として議論されている部分にはいつでもいいですよ。だけれども、これは対策とかかわるわけですよ、幾らの失業者が出るか、幾らの倒産が出るか。だから、数字が出ていないから、坂口厚生労働大臣の対策についての答弁はとても国民が納得できるようなものじゃないのですよ。そこが大臣と学者の違いだと思うのですよ。

 失業といったら一時の痛みだというのは、日本経済としてはそういう言い方ができるかもしれないけれども、失業する人にとっては死活の問題ですよ。倒産は企業者にとっては本当に死活の問題ですよ。そういう問題について早く数字を出さないとこれは無責任だということだ、私どもはそういうふうに思っているのですよ。

 数字を近く出すということなので聞きますが、御存じのように、衆議院の予算委員会でも指摘しましたが、ニッセイ基礎研究所では百三十万、第一生命経済研究所で百十一万、ドイツ証券で三十万から百一万、神戸大学の大学院教授で第一勧銀の総合研究所の専務理事をやっていた山家さんも百三十万だということで、これだけとにかく研究者が数字を出している。でたらめとはおっしゃらぬでしょう。それぞれ前提が違うとか、それからやり方が違うとかいうことはおっしゃるかもしれぬが、これだけ出ていれば、やはり政府として根拠を持って、これは違うのだ、これが本当なのだという数字を早くきちっと出さないと信用しないですよ。それは不安でいっぱいですよ、失業するかもしれぬ、倒産するかもしれぬということで。

 その数字を、根拠を挙げて、こういう反論も含めて、私は委員会にきちっと文書で報告してほしいと思うのですよ。それをいつまでにやるか、これが一つの質問です。

 それからもう一つ、あなたの「みんなの経済学」、これを拝見しましたが、「財政再建は二〇〇三年から五年かかる。消費税は最低でも一四%」ということで、「二〇〇三年から段階的に消費税を上げ、最低でも一四%にしなければならないだろうと考えています。」このことを言っておられる。これは大分先のことまで見通して言っていらっしゃるのですが、いろいろな要件はあるかもしれませんが、これは大臣になっても変わらないのかどうか、そういう考えでいらっしゃるのかどうか。

 この二つの点、時間がありませんので、二つあわせてお聞きしたいと思います。

竹中国務大臣 まず、ちょっと数字のことで一つ申し上げておきますけれども、幾つか出ている数字というのは、失業の数字というふうに理解するのではなくて、職をかえる人の数字だと。つまり……(松本(善)委員「一緒」と呼ぶ)いや、それは違います。失業というのは、離職して新たに職が見つからなくて失業者になるわけですから、離職と、いかに別の職が見つかるかというのは、実はもう一つの大きな要件ですね。

 これは予算委員会でも申し上げましたけれども、離職者がふえても、それを上回るような雇用をつくることこそが構造改革だというふうに申し上げたつもりですけれども、今幾つか議論されているのは、その意味では失業者ではなくて、それによって職をかえる人の数字だということを前提に置いてちょっと議論をさせていただきます。

 学者と大臣は違うのだ、全くそのとおりだと私も思っておりまして、学者だったらこんなに怒られることもなかったのになというふうに思うわけでありますけれども。ただ、ぜひ御理解いただきたいのは、私が学者から大臣になったのは三週間半前でありまして、それをマクロモデルで、コンシステントなものまで含めて数カ月でやろうというふうに言っているわけですから、これは物すごく早い、ちょっと常識外に早い突貫工事であるということは、ぜひ御理解いただきたいと思うのです。それまでに政府全体として数字が準備されていなかったということに関しては、これは別途議論していただく必要があるにしても、私たちの、小泉内閣のキャパシティーとしては、突貫工事で非常に早くやろうとしているということはひとつ御理解いただきたいと思います。

 幾つか数字ができているということでありますけれども、幾つか出ている数字は、いわゆるマクロモデル的なものを使ってコンシステントに数字を出したものは皆無です。そんなものはありません。幾つかの前提を置いて簡単に数字を出しているものばかりでありまして、それに関しては、予算委員会できのう私申し上げましたけれども、そういう簡単に前提を置いて出すのだったら私の方だってすぐ出せるけれども、それによると、私の数字はあれよりもかなり低い、数万人から数十万人の範囲だと思われるということをきのう申し上げたとおりでありますので、同じレベルでの、キャパシティーでの一応の私たちの考えは示させていただいているつもりです。

 次の、もう一つの、将来の消費税の話がありましたけれども、その本では、簡単に書いているつもりですけれども、そこに書いている数字は、実は経済戦略会議のときに議論された数字をそのまま紹介しています。経済戦略会議では、あのとき、正確に言うならば、もしも今と同じほどの公共事業を維持して、今と同じだけの福祉水準を維持して、つまり、政府の支出を変えてくれるなと国民が言うならば、自動的に計算するとそんな高い税率になってしまいますよ。それは書き方の問題がある。解説書ですから、そこまで書いていませんけれども、経済戦略会議の解説した本にはそういうふうにちゃんと書かれているはずであります。一方で、もしも国民が消費税を五%に据え置けということであるならば、これは公共事業を八〇%減らさなきゃいけませんよという数字が出てきます。つまり、申し上げたいのは、それだけ日本の財政は大変ですよということの一つの例示として申し上げています。

 その後その考えは変わらないかというふうな御質問だと思いますが、つまり、そのときと条件が大幅に変わったから新たな試算が必要だというふうに思っているわけであります。条件がどう変わったか。その後の経済成長率が違います。不良債権についての見方も違ってきました。だから、それをもう一度洗い直してみようというのが基本的な考えでありますし、その場合にはそこで議論されていないさまざまな要因も考慮しなければいけないと思います。

 例えば、政府の部門で切り売れる部門というのは幾つかあるはずです。それを売って公債を一気に返してしまうことができるならば、国債の初期値が違ってしまいますから、その後の負担については大幅に違ってくるでしょう。そういうことも含めた議論を経済財政諮問会議で、これは、六月の骨太の方針はまさに方針でありますけれども、その後も引き続いてそういう議論をぜひ積み重ねていって、できるだけ私たちが考えている数字を示しながら皆さんと対話していきたいというふうに考えています。

松本(善)委員 消費税の方で言えば、一応書いていらっしゃいますよ。書いていらっしゃいますけれども、しなければならぬと書いている。これは物すごく宣伝していますよね。それなら、変わったというならやめた方がいい、私はそう思います、人を惑わすから。

 しかし、私は余り変わらないと思います、公共事業に本格的に切り込むという姿勢は小泉内閣はありませんからね。私は、やはりこの方向になるだろう、なる可能性があるというふうに思います。

 それと、数字を出すと言われるんだけれども、一生懸命やっていると言うんだけれども、一生懸命やっているでは済まないんですよ。やはり、失業したり倒産をする人たちにとっては、それを背景に抱えている私たちにとっては、小泉内閣の政策を支持していいかどうかということなんです。数が出て、どういうふうにするんだ、セーフティーネットはどうなるんだ、それがわからなければ、これは大量の失業と大量の倒産、そして大増税ということになる可能性は極めて大きいんですよ。そのことを指摘して、質問を終わります。

横路委員長 北川れん子さん。

北川委員 社民党・市民連合の北川れん子といいます。よろしくお願いします。

 大臣は教授であったとき、お忙しかったのか、休講が多かったというふうにお伺いしていますが、私がその貴重な一講座を聞く機会があったなら、ああ、なるほどという感じで聞いて、教室を出て自分が戻るべき階層に帰ったときに、あの話は一体何だったのかな、そういうふうにも感じ得る部分が先生のお話の中には多々見受けられるというふうに思うんですが、大臣が大臣就任時に抱負として述べられた競争力を高める唯一の方法は競争すること、今もこうした持論、お考えは変わらないのかということと、その根拠をお伺いしたいと思います。

竹中国務大臣 まず、私はそんなに休講していないと思うんですけれども、休講をもししたとしても、私たちのキャンパスでは必ず補講しなければいけないことになっていますので。

 その問題はともかくとして、競争力を高める、言い方は問題があったかもしれません、唯一の方法と言えるかどうかは知りませんけれども、私は、競争力を高める最大の方法は競争することであるというふうに今でも思っています。その根拠はまさしく経験則です。

北川委員 それは、先生が競争に勝った方であるからという御自身の絶大なる自信を背景にしてのお言葉であろうと思います。先ほどのどなたかの委員のお話の中に、追い込んでいく、そしたらインターネットを学ぶ国民がふえる、納税をする部分にインターネットを使わないといけない、何々でなければいけないという前提を与えればやみくもにみんなは頑張るんじゃないか。そういう思想をお持ちの方なんだろうというふうに思うんです。

 先ほどの松本委員のお話の中にもありましたが、先生は失業を経験されたことがないからだろうとも思いますが、セーフティーネット。先ほどのお言葉の中に、最大のセーフティーネットは自信だ、自分に対する自信。自分に対する自信を持てない教育ということのありようが、今いろいろな段階で噴出しているということが世にはあるんです。先生は雲の上でいらっしゃるので、なかなかその部分にはお触れになる機会なくお育ちになったということであろうと思いますが、最大のセーフティーネットを具体的にどういったものを想定されているんでしょうか。

竹中国務大臣 私は何かそういうバイアスのかかった議論にほとんどなれていませんので、すごくバイアスのかかった議論をされてちょっと戸惑っておりますけれども、私は成功者だと別に思っていませんし、私の家内も家計のやりくりに大変困っております。

 それはさておき、直接の質問は、セーフティーネットとして何を考えているかということだと思います。

 基本的には私は、御指摘のとおり、やはり自信を持てなくなっているのはその個人の一人一人の責任だけではないというふうに思っています。それは、教育のあり方というものを、だから、やはり根本的に見直さなきゃいけない、それは全くそのとおりだと思いますし、同時に、今のような普通のサラリーマンの会社に縛られた生活の中で容易に自分の実力をつけることが難しいということも、そのとおりだと思います。だから、その仕組みそのものを変えることが重要であって、これがまさしく構造改革の意味なんだと思います。

 では、具体的に何をトリガーにするかということが重要になってくるんだと思います。あれもだめ、これもだめというふうな形で決めつけていくと、結局、それは、本当にもっと豊かになりたい、もっと自己実現をして暮らしたいというふうに思うならば、どこかでやはり出口を見つけてトリガーを引かなければいけないわけで、そのための政策が何かという御質問であれば、ある程度答えようがあると思います。

 私が考えるのは、それは、例えばですけれども、普通の人が普通に新たな自分の能力訓練を受けるようにすることを容易にするような何らかの政策であろうかというふうに思います。これは、各国非常にそういう政策、いわゆる積極的労働市場政策に大変頭を悩ませて、これをやれば必ずうまくいくということは今のところそんなに定説はないと思いますけれども、これは知恵の出しようでありますから、幾つかの知恵を出していきたいと思っています。

北川委員 それは、私たち女性にとっても、今の日本のシステム、二十二歳、二十四歳、大学院とか大学卒業といったところで決まるというのではなくて、いずれの段階においても、学ぶ、そして学んだことを今度生かせる職場のありようというものを目指してくださっているというお答えだというふうにお受け取りすれば、まさしく、女性たちが今地位の向上の低いまま置かれている状況の中では、とてもありがたい提言だというふうには思います。

 それで、私が先ほど言ったのは、大臣は競争に勝った方だというふうに言って、成功した方だというふうには言わなかったんですけれども。

 それで、いわゆる思いっ切り頑張った人、企業が報われる税制というのをある新聞に載せていらっしゃいましたよね。思いっ切り頑張った人が、企業が報われる税制として、所得税や法人税を軽減して、累進構造も水平にする必要があるという。そうなると、私は、競争に勝てないということも含めてあるのかもわかりませんが、貧富の格差の増大ということをここで奨励されているのかというふうに読んだんですが、貧富の格差を拡大することをどういうふうに考えていらっしゃるか、お伺いしたいと思います。

竹中国務大臣 所得の格差をどのようにとらえるかというのは、幾つかのレベルがあるのだと思います。

 これは私の経験ですけれども、昨年、あるインターネットの国際会議を開きました。私が議長をしました。隣には孫正義さんがいました。こちらにはヤフーのヤンさんがいました。その向こうにはアマゾン・ドット・コムのベゾスさんがいました。私は、これは格差だと思いました。だって、みんな兆の資産を持っていますよ。私、十万分の一ぐらいの資産しか持っていませんから、これはすごい格差がありますね。

 では、これは悪い格差かというと、私は格差だとは思いませんでした。彼らはやはり私以上に頑張ったのです。私はお金をもうけることよりも別のことをやりたいと思って人生を選んだのです。だから、所得の格差が悪いというふうに私は一概には思いません。

 ただし、もしもこの所得の格差が固定されていたならば、私は非常に悪い社会だと思います。私ないし私の娘は頑張れば孫さんのようになれるのだ、私はそれはすばらしい社会だと思います。今までのように、一見所得格差が小さい社会でも、意外と日本の社会は所得格差が固定されていた。東京大学に行く人の親の所得が一番高いのだ、私はこれは余りよくない社会だとも言える。だから、所得は格差で見るのではなくて、格差が固定されているかどうかで見るべきだというふうに考えます。

 もう一つ申し上げたいことは、どういう社会がいいかどうかというのは、私は時代認識だと思います。今まで、一九七〇年代、八〇年代ぐらいまで、日本は世界に冠たる豊かな国であり、所得が平等の国であるということを私たちは誇ってきました。しかし、私は時代認識が少し変わったと思います。

 それは、いわゆるフロンティアが大幅に広がっている時代、ITのフロンティアが広がり、グローバリゼーションのフロンティアが広がり、ちょうど西部開拓の時代と同じです。このときには、やはり孫さんみたいな人に頑張ってもらうのは私は必要だと思います。そうすることによって、孫さんみたいな人とか、まさにイノベーターが十人、二十人出てきたらみんなの生活が豊かになるのです。これがフロンティアの時代の資本主義のダイナミズムだと思います。

 フロンティアが消滅してきた段階では、私は、格差を是正するというようなことにもっと政策のウエートを置くような、そういうチョイスは当然のことながら出てくると思います。

北川委員 多分、先生は、貧富といっても、生きるか死ぬかという瀬戸際の貧ということを経験したことがおありにならないから、孫さんと御自分、大臣も会社を経営していらっしゃるというふうにも聞いておりますので、片や事業家としての面もお持ちだろうというふうには思いますが、貧富といってもやはり次元が違うのかなというのを、今比べられた相手を見ても思いましたし、今IT産業が安定的に持続して、就職していい産業かどうかということを含めて、やはり慎重にならざるを得ない、もうすぐに何かが終わってしまうということも経験しているわけです。

 それで、最後ですが、去年の七月の日経ビジネスに、「格差のある社会は暗い社会ではない」という持論を展開されていらっしゃいますが、今でもそうでいらっしゃいますか。

竹中国務大臣 前半でお話のあった貧富の、本当に貧しい、生きるか死ぬかというような人に対する政策というのは当然に必要なわけですね。

 私は、小泉総理の中で名答弁があったと思いますけれども、みずからを助ける人が多いほど、本当にみずからを助けられない人に対して初めて本当の手を差し伸べることができるのだと。私はやはりそれこそが本当の政治だと思いますから、そういう生きるか死ぬかという人に対しては当然かなり分厚い政策があるべきで、私が目指したいというのはまさにそういう社会であるというふうに思います。

 貧富の格差云々でありますけれども、これはもう先ほどの時代認識だということに尽きているのですけれども、私は、例えば貧しく楽しく生きるチョイスというのはあるのだと思います。貧しいといったって、日本はフリーターをしたって恋人と海外旅行ができるぐらいの生活はできるわけですから、実は、貧しくというよりは気楽にというか、しかし楽しく生きる、そんなに豊かじゃないけれども楽しく生きるというチョイスは私たちにはあるわけですね。

 でも、私は本当に豊かになりたいのだと思っている人に対してはそういったチョイスがあるべきで、結果的に私はまさにこれが自由なんだと思います。どのように生きるかという自由を保障する。楽に生きるという自由もあれば、豊かに生きるという自由もある。楽に生きたいと思う人たちが頑張っている人と同じだけの所得をよこせというのは、これはむちゃくちゃな話であるというふうに思いますから、私は、まさにそこは個性で、個性的に自由に生きるようなシステムを保障するというのが私たちの目指すべき社会であるというふうに考えています。

北川委員 今の格差のある社会は、では明るいというふうにおっしゃっているのか、今の答えがちょっとよくわからなかったのですが。大臣の豊かというのは、実は何を指標に豊かというふうにされているのでしょうか。

竹中国務大臣 基本的には、私は経済財政担当大臣でありますから、私が語れる豊かさというのはほとんどのものがやはり経済的な豊かさだと思います。その先の、どういう生き方をするかというような豊かさの問題に対して、私は政府は口を出すべきではないと思いますし、いろいろな生き方をしたい人を保障してあげる、幾つかの多元的なチョイスを準備してあげる、そういう社会をつくるということが政府にとっては唯一できることなのではないのでしょうか。この人は豊かだ、おまえ豊かじゃない、こんなラベルを張るようなことはもちろん、まあそういうことを言っておられないと思いますけれども、そういうことに対して、私は政府はもうほとんど介入できないと思いますし、多様な価値観を認めるということはまさしくそういうことなのではないかなというふうに思います。

北川委員 でも、楽しく生きている者はなぜか同じような状況を享受してはいけないというふうな、どこかで先生の言われる豊かさ、それを今、貨幣の価値に重きを置いて、自分は大臣が立場だからというふうにおっしゃいましたけれども、価値観とともに職場を選ぶということができ得る社会を提言されているのか、それとも、貨幣価値、給料が高い、より多くの給料を得るというところにいそしむ人たちがより豊かになるということを目指す社会をつくろうとしていらっしゃるのか。私は、そこがいかがなお考えを持っていらっしゃるのかということをお伺いしたいと思います。

竹中国務大臣 ちょっと質問の意味がよくわからなかったのでありますけれども、私は、頑張って豊かになりたいと思う人が豊かになるというのはやはりいいことだと思うし、そうすることによって結果的に今のフロンティアの時代は社会全体の生活水準が上がるというふうに考えているわけです。しかし、一方で、私はそんな受験勉強に参加したくない、そんな残業なんかしたくないというチョイスがあれば、それはそれで当然いいわけで、そういう人も世の中にはたくさんいらっしゃる。要は、そのバランスの問題だということになります。

 今、日本に総体的に欠けているものは何か。例えば、多くの人が、ルイ・ヴィトンはスクールバッグかと言われるぐらいに普通の人がルイ・ヴィトンを持っている社会の中で、今総体的に欠けているのは、もっと頑張ってこのフロンティアの社会を引っ張っていこうとしている人たちに対して、余りにその働く者に対するペナルティーを科すような幾つかの制度があるということが、総体的には今の日本の社会の閉塞感を高めている大きな要因になっているのではないかというふうに私は認識しています。

北川委員 時間が来ましたが、私の質問がわかりにくいというふうに言われました。できればいろいろな階層の方と出会って話をしていただきたいということを最後に申し上げて、質問を終わりたいと思います。ありがとうございました。

横路委員長 午後一時から委員会を再開することとし、この際、休憩いたします。

    午後零時九分休憩

     ――――◇―――――

    午後一時三分開議

横路委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。

 内閣提出、道路交通法の一部を改正する法律案を議題といたします。

 本案審査のため、参考人として、日本大学名誉教授長江啓泰さん、全国交通事故遺族の会会長井手渉さん、社団法人日本てんかん協会常務理事福井典子さん、以上三名の方々に御意見を承ることにいたしております。

 この際、参考人の皆さんに一言ごあいさつを申し上げます。

 本日は、大変お忙しいところ、本委員会でただいま審議中の道路交通法の一部を改正する法律案について御意見をお伺いすることにいたしましたところ、御出席をいただきましたこと、心から感謝を申し上げたいと思います。参考人の皆さんにおきましては、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をいただければ、このように存じております。

 次に、議事の順序について申し上げます。

 長江参考人、井手参考人、福井参考人の順に、お一人十五分程度御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑に対してお答えをいただきたいと存じます。

 なお、参考人の方々に申し上げますが、御発言の際にはその都度委員長の許可を得て御発言くださいますようお願い申し上げます。また、参考人は委員に対して質疑することはできないことになっておりますので、御了承いただきたいと思います。

 それでは、長江参考人にお願いいたします。

長江参考人 日本大学の長江でございます。

 私、結論から申し上げますと、現在提出中の法律案が成立することを望んでおります。以下、その理由あるいは考え方について意見を述べさせていただきます。

 車社会と言われて久しい時間がたちますし、国民皆免許時代を迎えたというふうに言っていいと思います。そういうことは、運転そのものが国民生活と非常に密着をしている、車というものが生活の中で欠かせないものになってきたというふうになっていると思います。

 それでは、運転ということをどう考えるのか。これは余りそのことが書かれておりませんが、運転というものを一つのシステムというふうに考えると、多分運転の中身がよくわかるのではないだろうか。システムという言葉は非常に多く使われますけれども、具体的にシステムを中学生の方にわかりやすく説明しようとするとなかなか難しいということなんですが、システムということを考えるときに、まず、例えば運転でいいますと、運転をするためには何があれば運転ということが成立するかということをひとつ考えていただきますと、まず、運転をする人というのが一つの要素としてあるだろう。それから、運転をする車というものがシステムの要素として一つあるだろう。

 人と車があれば運転ができるという話ではありませんで、路上に出ますと、歩行者だとかあるいは自転車だとかほかの車だとか、また道路にしましても、雨が降っているときと乾いているときと雪が降っているときとでそれぞれ変わります。そういう意味で言いますと、それらを取り巻く道路・環境というものが一つのまた要素になるだろうと思います。

 このシステムというものを考えますと、安全運転を確保するためにはシステムが全体としてよくならなければいけないわけです。それにはどうするかといいますと、それを構成している要素、具体的に、私は機械工学なものですから、機械工学でシステムという言葉の定義は、同一目的に向かって機能し合う要素の集合体、これで大体技術屋はああそういうものかとわかるわけですが、すべてがある一つの目的に向かってお互いに機能し合うもの。そういう中で、じゃ、人、車、道路・環境のどれをよくすれば一番よくなるんだろうかといいますと、システムの原則論としますと、一番弱いところで全体の性能なり限界というものが決まってしまう。

 これは非常に卑近な例で、そんなばかなことを言うなと言われるかもわかりませんが、例えば物を引き上げるときに、一本のひもで物を引き上げようとしますと、そのひもを、何種類かの材質の異なるひもを結びつけてしたとします。そうしますと、それが紙のひものところで切れても、あるいはビニールのひものところで切れても、一番弱いところでぷつっと切れますと、もう物を持ち上げるという機能はなくなります。それからもう一つはひもの結び方です。構成している要素を結ぶものですが、これがぐあいが悪いとまたシステムとしては機能しない、こういうふうなことに実はなるわけです。

 そういうことで、最も低い要素が全体の限界を決めるということになります。したがって、よりよいシステムというものをつくり上げるためには、それを構成する要素のバランスのとれた性能というものを確保しなければいけない。例えば、車だけをよくしてもだめだ。道路・環境だけをよくしてもだめだ。運転をする人というものも高めなければいけない。その間のバランスというものが非常に大事になるだろうと思います。

 一方、運転の主体というのを考えますと、御案内のとおり、ITS、高度道路交通システムというものが二〇一〇年から実際に実用化しようというふうに動いておりますけれども、そういうものが、あるいは高速道路の自動運転というようなものが実現したとしても、最終的に、そこから離脱をするあるいは自分のうちへ帰るというような運転の主体というのはやはり人であります。したがって、安全運転を進めるためには質の高いドライバーが不可欠であります。このような意味合いから、より多くのよきドライバーをはぐくむための動機づけとなる奨励策というものが当然必要だろうと思います。現在提出されております法律案の中の運転免許証の更新を受ける者の負担を軽減するための規定の整備というのは、多分これに当たるだろうと私は解釈をしております。

 また、システムの中で、人を除くその他の構成要素であります車とか道路・環境というのは、科学技術と非常に密接な関係があります。特に、最近、その技術進歩というのは車の操作を非常に簡単にし、しかも、運転をしている方々がどういうことをやっているかといいますと、通常は自動車教習所で認知、判断、操作ということですが、最近は、認知、それから予測、決断、操作というものがドライバーのいわゆる作業の内容である、こういうふうに言われております。そういうもののミスを補完する一種の、飛行機なんかでよく使われますフェールセーフというのがありますが、たとえドライバーがミスをしても、ほかの者がそれを手助けして危険な状態に陥らないようにしよう、そういう技術開発というのがだんだん実用化に向かっております。

 ところが、先ほど国民皆免許と申し上げましたが、運転の大衆化に伴いまして、実際に路上で運転している中で、いわば模範生と言われるような方たちを同時にはぐくんでいかなきゃいけないだろう。そういうことを図るために、第二種免許に関する規定の整備ということが多分これに当たるんだろうと思います。

 しかし、陸上交通における事故の要因というのは、いろいろな研究がありますが、その九〇%以上が人的要因によるものであるというふうに言われております。人である運転者の特性とか、あるいは人間というのは行動変化がどんなメカニズムで起きるのか、まだこれは、車だとかあるいは道路・環境に比べますと科学的に十分な解明がなされておりません。特に、運転にかかわる正確な適性検査も確立されていない状態にあります。

 しかし、生活を維持するためには、あるいは生きるあかしとしての運転ということ、車の好きな方はそういうふうにおっしゃいますし、生活上やむにやまれず、車がないと生活ができないという方もいらっしゃると思いますが、そういう観点からは、現状で可能な資格、教育のあり方を見直すということから、多分、この一つの例として、高齢の運転者の保護に関する規定の整備ということが提案されたんだろうと思いますし、同時に、欠格事由、運転免許証が取得できないという方の問題もそこに入っているのかと思います。

 現実には大変事故が多くなっております。一般の方は、死者数が一万人を切って九千人に近づくというようなことを言っておられますけれども、人というのはやはり弱い面を持っていることも否めません。事故発生時あるいは検問などがありますと、まず免許証を出して、そして警察官の方がそれを書き取る、そんなことは早くしてくれればいいのにと思うのですが、そういうようなこともあります。あるいは、そういうことが近づきますと、何でスピード違反でこんなに長い時間をとらせるのかというようなことがあって、それが、逆に言うと、交通警察というものに対する反感を買っているかもしれません。

 そんなことを考えますと、心に決めて、そういうことをしてはいけないんだということを知ってもらう、あるいは思い起こしてもらうという意味から、免許証の電磁的方法による記録に関する規定の整備あるいは罰則に関する規定の整備、それからその他というところに書いてあります内容がそれに当たるんだと思います。

 さらに、車社会というのは、車優先社会では必ずしもありません。これは釈迦に説法かもわかりませんが、道路交通法の法の精神を説きますと、歩行者にも自動車にもそれぞれ優先権を与えているわけですが、同じ道路を共有する歩行者やほかの車に対する思いやりも非常に重要であります。同時に、限られた道路を有効活用するための情報活用のあり方も、現在問題になっていますITの進歩に合わせて見直すことが必要になるだろうと思います。これらのことを具体化するための法律が、その他の交通安全及び円滑を図るための規定整備であるというふうに考えております。

 これらの見直しを進めて、よりよい交通社会の構築に向けて明確な道しるべができることを願っております。同時に、成立の暁には、積極的に広報啓発活動を展開していただいて、効果を発揮する方策を実行されますことを希望しております。

 罰則の強化ということも必要ですが、同時に、二度と事故、違反を起こさないという問題意識、あるいは自分の心の規範というようなこと、こういうようなものをどのようにそれぞれ一人一人の方たちが心の中に植えつけていただくかというような意味の働きかけ、これは一つには教育もあるかもわかりませんが、いい社会をつくる意味ではそういうようなことにもぜひ力を入れていただきたい、こんなふうに希望をしております。

 以上でございます。

横路委員長 ありがとうございました。

 次に、井手参考人にお願いいたします。

井手参考人 本日は、内閣委員会に参考人としてお招きいただき、発言の機会を与えていただいたことに心からお礼申し上げます。私は、千葉県に在住し、耳鼻咽喉科医として働いている井手と申します。

 平成二年の十一月に当時高校三年生の娘が交通死したことを契機に、平成三年四月に全国交通事故遺族の会という自助組織を設立しまして、昨年二月に東京日本橋に事務所を開設し、被害者の救済と交通事故の撲滅を目的に活動してまいりました。

 このたびの道路交通法改正案を拝見いたしますと、一つは規制緩和、二つは障害者の人権、三つ目は罰則の強化ということが基本になっているように思われます。

 道路交通法の目的の第一条に、「この法律は、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図り、及び道路の交通に起因する障害の防止に資することを目的とする。」と明記されております。したがって、道路交通法は、国民の生命を交通事故から守ることが堅持されていなければならない法律だと思っております。最近は、規制緩和の流れの中でいろいろな規制が緩和されようとしております。規制緩和というものは、市場原理によって規制を取り払い、国民の生活が豊かになることが目的であります。しかし、規制緩和によって人命が死傷され、安全が脅かされるとすれば、道路交通法の目的に反することになります。

 まず、免許更新期間延長の問題です。

 免許更新は、ドライバーの安全に対する自覚と運転適性の定期的なチェックを兼ねた講習をするための唯一の機会だと思っております。その期間を延長したり、免除したりするのでは、ドライバーに対する交通安全の大切な講習の機会を逸し、交通事故の危険が増す確率は高くなるのではないかということを憂慮しております。

 もう一つは、免許更新時の講習の方法です。

 現在は、視力の検査と約三十分程度のビデオを見せるだけで更新手続は終わっていますから、交通事故を防止する講習目的としては不十分と思われます。更新を受けるドライバーに煩わしく負担だという印象を与えるような講習のやり方には問題があります。ドライバーが、道路交通法の目的である安全を学ぶために非常に効果があった、忙しくても更新の講習を受けてよかったと思うようなカリキュラムの作成をお願いしたいと思っております。

 次に、欠格条項廃止の問題であります。

 自動車は、利便性がある反面、極めて危険な乗り物です。このたび、障害者に運転免許が取得できるようになるのは、自動車の危険性がなくなったからではなくて、障害者の人権に配慮する立場から認められたのだと思われます。しかし、人命の犠牲を伴わないことが確立されていなければなりません。つまり、運転する人に責任が伴うものであることが絶対の条件です。このことは、欠格条項の廃止を主張しておられる人も含めて、すべてのドライバーが既に了解していることだと思います。

 したがって、もしも事故を起こした場合、当然法律上の刑事責任を負う義務があることを認識して免許の取得を申し出るべきだと思います。それには、少なくとも申告義務を課し、虚偽申告をすると処罰されることを附帯決議として明記してほしいと思います。このことは諸外国では実施されていることですから、我が国でも最低限必要な条件だと思っております。

 もしも人命を死傷させた場合、意識障害が理由で無罪となるような情状酌量は許されないというのが被害者の偽らざる気持ちであります。障害者の人権の問題と人の命の問題とは全く性質が違うのです。悪質なドライバーには死亡事故を起こした場合に免許を与えてほしくないというのは被害者の偽らざる気持ちであります。したがって、少なくとも、免許取り消し後の欠格期間は下限を定めて、つまり、例えば最低五年ということを定めて、さらに延長していただきたいと思います。

 また、医学的な適性判定指針の基準作成に当たっては、当事者の意見とともに、被害者の意見も聞くことは当然のことと思います。しかし、今回の改正案の第三、今後における課題の中の障害者への配慮として、医学界及び障害者団体の意見を聞くことになっていて、被害者の意見を聞くことが抜け落ちておることは問題であります。また、障害者が不利益な取り扱いを受けないよう十分に検討を行うと明記されています。不利益な取り扱いを受けないということは、その目的と意図が不明確ですが、道路交通法の目的に逸脱するおそれがあるとすれば、削除されるべきであると思っております。

 とにかく、障害者を特別扱いすることなく、道路の交通に起因する障害の防止に重大に配慮することを、欠格条項の廃止に当たって、附帯決議として明記していただくことをお願いいたします。

 現実に、私たちの会員の数名が、加害者が長い間症状がなくて、突然意識障害が起こり、肉親が死亡させられた遺族がいます。障害者の人権と同時に、死傷させられた被害者にも人権があるのです。去る四月十一日の伊吹国務大臣は、共生の原則と言っておられましたが、運転免許は与えられるものではなく、資格のある人がもらうものでなくてはなりません。

 こうした悲劇をなくし、この二つをうまく満たすためには、突然意識障害が起こった場合、事故につながらないセーフティーネットが確立され、それが整備されて、その上で免許が交付されるのが順序ではないでしょうか。自動車を運転中に意識障害が発症するのは、障害者だけではありません。糖尿病とか高血圧、循環器疾患などにも起こり得ることであります。新幹線を初め電車や飛行機にも二重、三重のセーフティーネットが講じられています。利便性が高い反面、極めて危険で不安定な自動車に専門的運転技術が要求されておらず、セーフティーネットが講じられていないのは驚くべきことです。

 まずは、突然意識障害が起こる可能性がある人で免許を交付されたドライバーには、ブレーキがついた助手席に同乗者を乗せることを義務づけること、中長期的には、突然意識障害が発症した場合、自動的に停止する構造の自動車の製造を義務づけると同時に、経済的優遇措置を講じることも必要でしょう。これも附帯決議としてお願いしたいと思います。

 次に、罰則の強化についてですが、人の命を守るのに、名目上罰則が強化されても、それが効果のあるものでなければ意味がありません。現実には、免許停止の行政処分を受けても、無免許運転をしている人はたくさん見られます。これでは免許停止の行政処分の意味がありません。これを効果あるものにするためには、もっと検討してみることが必要に思われます。

 例えば、免許証の電磁的方法による記録に関する規定の整備については、プライバシーの侵害が問題になっていますが、むしろ、これを自動車の構造に採用してメーカーに義務づけ、無免許運転の防止やスピード違反の防止、シートベルト着用に活用することは、現在の技術水準から可能ではないかと思われます。

 また、罰則の内容が、明治四十年代の刑法をもとに、そのバランスの上に検討されていますので、現在の車社会とはかけ離れた軽過ぎる刑罰や短過ぎる免許停止期間になっていることは極めて遺憾であります。肉親をある日突然交通事故で奪われた遺族としては、加害者に免許証を二度と与えてほしくないというのは偽らざる気持ちであります。

 次に、交通情報の整備に関する規定の件ですが、事故の正確な情報の開示と科学的な捜査が求められます。

 最近では、事故の捜査が以前に比べるとかなりずさんになりました。そのずさんな捜査結果が検察庁や裁判所へベルトコンベヤーのように乗せられ、送られて、一括処理方式で処分されているのですから、事故の撲滅は望むべくもありません。ある現場の警察官が、幾ら汗を流して一生懸命事故の捜査をしても、検察庁が不起訴処分にしてしまうのではやる気がなくなるという嘆きの言葉を聞いたことがあります。

 昭和六十三年以来、検察庁が寛刑化方針を打ち出してから起訴率は減少し、今や一二%まで下がっております。検察庁の弁明は、やむにやまれぬ事情とはほど遠い幼稚な言いわけにすぎません。めり張りをつけるとか言っておりますが、ざる法的な思考にすぎないと思っております。ありふれた事故には寛容であってよいという言葉は、現在の行政、司法、一般社会の事故に寛容な風潮を物語っております。

 この参考資料の十八ページ、平成十二年度の交通事故発生状況を見ますと、重傷者が八万百四人になっています。これではどの程度の重傷者かが不明で、もっと明確な分類と分析が必要に思われます。配付資料にございますが、重度の後遺障害者は、元運輸省が出された資料では激増しております。これを死亡した人と加えた犠牲者数や交通事故の増加を考えますと、新しい交通戦争が始まったと言っても過言ではないと思います。

 このような現状であるにもかかわらず、交通犯罪を司法や行政は、明治四十年代に制定された業務上過失犯として無理な処理をしています。やむにやまれぬ最悪の事情が現実に存在しているわけですから、この法律は今の時代には適応していません。交通事故を少なくするための核心的立法措置をとることが立法府に課せられた責務ではないでしょうか。明治四十年代の法律を適用して刑法上の法律体系としてバランスをとろうとするから、交通事故防止の刑事上の抑止力が働かなくなっているのです。

 悪質と思われる交通犯罪の法定刑を強化することは当然として、現在の車社会での典型的で多くのありふれた事故の加害者の責任をいかに問うかが、交通事故を少なくする刑罰の核心であると思います。悪質な交通犯罪は、ありふれた交通事故の延長線上に位置しているからです。めり張りをつけるなどと、核心を不問にして悪質な事故に対する処罰だけを強化しましても、問題の解決にはなりません。悪質な交通犯罪につながる芽を早期に摘むことが、交通事故を少なくするには非常に大切なことだと思います。

 最近、法務省は、悪質な交通犯罪に重い刑罰を科す一方で、軽微な交通犯罪を刑事罰の対象から外すことをセットとして検討されているようですが、これでは究極の問題は解決しないと思われます。検察庁は、交通犯罪をいかになくすかを国民から負託されている大もとの機関であり、悪を悪としてただすことがその使命であります。核心の自動車の使用を全く不問にして、ただひたすらこの前提の上でなし得る努力を払っているにすぎません。

 現在の車社会は、社会全体が交通事故に寛容な風潮をつくり出しています。したがって、ますます交通事故は増加するのではないかということを心から憂慮しております。この世から抹殺された犠牲者への生き残った者の責務として、遺族の叫びを重大に受けとめてほしいと願って、私の意見を終わります。どうもありがとうございました。

横路委員長 ありがとうございました。

 次に、福井参考人にお願いいたします。

福井参考人 本日は、参考人としてお呼びいただきましてまことにありがとうございます。御紹介いただきました社団法人日本てんかん協会の常務理事、福井典子と申します。道路交通法改正案の障害者関連欠格条項について意見を述べさせていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします。

 てんかん協会は、一九七六年に二つの組織が一緒になりまして設立をいたしました。以来、全国に支部がつくられております。支部といいましても、親たちがボランティアでやったりしているわけですけれども、その中で私たちはてんかんの社会ケアを行う我が国唯一の団体として、さまざまな活動に取り組んでいるところです。

 さて、今回の道路交通法改正に伴う欠格事項の見直しにつきましては、長年の私たちの悲願といいますか、大変切実な要求にようやく光が当てられたという思いでおります。国際障害者年を経て、政府が中央障害者施策推進協議会を設置し、一九九八年に障害者に係る欠格事項の見直しを発表したことが今日の成果を生んでいることと思いますときに、この間の関係者の皆さんの大きな御尽力に、まず心から感謝をしたいと思います。

 私どもは、毎年国会への要請や請願運動を行っておりまして、この運転免許問題は、いわば重要な運動の柱でございます。全国の仲間がようやく光が見えてきたという感慨の中に今いますことを思いますときに、きょう私は、ここに立たせていただいていることも本当に感慨を持って受けとめております。

 道路交通法の施行が一九六〇年ですから、実に四十年もの長きにわたって、私どもてんかんを持つ者はすべて一律に自動車運転免許を許さない、そういう法律がいわばまかり通ってきたということになります。そういうことを思いますときに、今回の改正の意義と期待の大きさにははかり知れないものがあるということを、まず最初に申し上げておきたいというふうに思うわけでございます。

 さて、ここで若干、私どもてんかんの患者の置かれている現状について少しく述べさせていただきたいと思いますが、今我が国では百万人の人々がてんかんに悩んでおります。私も実はその一人です。てんかんは大変古い時代からの病気ですが、今や医学のすばらしい進歩によって、てんかんは治る時代になってきております。ところが、周囲にその病名を隠すなど、いまだに無理解からくる偏見の中に置かれているという現実があります。勢い、就職も結婚もままならず、在宅者が全国的に多いという実態がございます。

 私も昨年から協会本部に座っておりますけれども、協会本部には、昨日もそうだったのですけれども、全国から連日多くの切実な相談の電話がかかってまいります。中でも、きょう問題にしていただきます自動車運転免許にかかわる訴えというのは非常に切実です。先日もお母さんが、うちの息子はもう運転免許が取れる時期になったのだけれども、取れないということになると周りの人がどう思うだろうか、もう本当に息子と一緒に心中してしまいたいような気持ちだと、電話の向こうで泣きながら訴えるのです。

 私などは東京におりますから、全国的な状況を、そういうことを思いますときに、本当に胸のつぶれる思いがいたしました。特に地方などでは、運転できないと生活できない、それから就職や社会参加の機会を閉ざされる、そういうことにつながるわけで、その暮らしの大変さ、困難さはとても短い時間では言い切れない、つまり察するに余りあるところがあるということを申し上げておきたいと思います。

 障害の状況が法律に明記されることについて、ここで若干申し上げたいと思うのですが、昨年の十月に警察庁から、このことで私どもそれから関係団体は意見聴取を受けました。そのことを皮切りに、御存じのとおり十二月には道路交通法改正試案が発表され、全国的にいわば国民の意見を求められたわけです。しかし、私どもは、それを見まして実は大変びっくりしたわけでございます。

 その中身というと、免許拒否の事由として、「てんかん、精神分裂病等にかかっている者」というふうに明記されているではありませんか。つまり、今まで規制されていた免許を受けることはできるんだけれども、こういう病気、障害に限っては拒否することもできるというふうにはっきりと書かれているわけです。てんかんについては原則拒否であって、事実上絶対的欠格事項を残したものと私たちは受けとめまして、このままでは絶対に認められないというような思いがしたわけでございます。

 そうして私たちは、早速、きょう委員の皆様のお手元にお配りいたしました一月十四日付の見解をもって警察庁とお話し合い、交渉をさせていただきました。その結果が二月になって新たな警察庁案として示されたわけです。きょうも課長おいでですけれども、てんかんという表現は消えましたけれども、かわって、発作により意識障害または運動障害をもたらす病気にかかっている者ということになりまして、拒否事項の障害列記は残されたということになりました。

 それに対して私どもは、全国から集まってきている理事会でも大いに話し合いをいたしまして、お手元に配られております提出の資料、三月十一日付の見解がそれに対する意見でございます。きょうは時間がありませんので十分述べられませんが、ぜひそこをごらんいただきたいと思います。

 重点的に申しますと、最大の問題は、拒否事項の障害列挙なのです。これは、先ほど申し上げましたように、中央障害者施策推進協議会本部が障害者に係る欠格条項の見直しの指針として挙げております「障害者を表す規定から障害者を特定しない規定への改正」にいわば明らかに違反するばかりか、広く国際的非難も免れない、ちょっと言葉はどうかと思いますけれども、時代錯誤だと言わなければならない。私どもは、障害列挙をする必要はないのではないかというふうにも考えております。最後に申し上げるようなことで、ぜひ改正の法律案の修正をお願いしたいと思っております。

 細かいことについて述べる時間もないのですが、政令で基準を設けることについても、実は、警察庁との交渉の中で、幾つかこういうことで道を開くのだよということをおっしゃっていただきましたので、一緒に述べさせていただきたいと思います。

 今回提出されております法律案にかかわりまして、警察庁は、病名や処分の基準は政令で決める、ガイドラインについては、私どもが車の両輪のようにお世話になっております日本てんかん学会などと協議して大いに基準に反映させると言ってくだすっています。それは大変結構なんですけれども、また、てんかんについては、拒否対象としない範囲を、例えば睡眠中にだけ発作が起きる者とか一定期間発作がない者ということになっていますが、この発作がない期間については、海外の基準なども参考にすると、私どもは二年以上発作がない者というふうにするのが妥当だと実は考えておりますので、意見として述べさせていただきたいと思います。

 また、治癒した者、治った者は免許拒否の対象とはしないということにしていただくようでございますが、私どもの聞きます学界の定説というのは、このことでは実は定説は決めておりません。今後、判定基準の決定や手続、障害を持った者の手続ですから、そういう手続等については、申すまでもなく、患者の人権を守る立場からしっかりと私どもも意見を述べさせていただく必要があるというふうに考えております。

 明確な基準を設けることの意義について、次に述べさせていただきたいと思います。

 自動車免許の問題では、協会としましては、これまでも交通安全の立場にしっかり立って会員の皆さんへのいわば啓蒙を図ってきたところですし、いろいろと提案もしてまいりました。今回のように明確な基準をつくることによって交通の安全が保たれ、てんかんを持つ人の交通の事故率は実は少なくなるということは、諸外国の例でももう証明済みのところです。判定基準をつくることは交通安全を高めることになると私どもは皆さんに訴えておりますし、そのようにしてまいりたいと思っております。

 繰り返しになりますが、ここは誤解のないように重ねて申し上げたいのですが、私どもは、てんかんであっても一律に運転免許を与えてくださいと言っているのではありません。医学の進歩によって、事実、服薬などで患者の七割から八割は発作がなくなっている人が多数いる、つまり治る病気になっているという現状を踏まえていただいて、てんかんのある人たちの一人一人の状態、つまり病態をはっきりとさせた上で、運転に支障がないと判断される人には資格を与えるべきだと言っているのです。このことは、後から御質問もあったら申し上げようと思いますが、国際的な趨勢でもあるというふうに申し上げたいと思います。

 事故に対する責任は当然のことであり、社会参加のバリアをつくるのではなく、市民として、国民として、参加と責任が可能な条件をつくることが必要だというふうに思っております。

 最後に、これからのことでちょっと申し上げておきたいのですが、私どもは、日本障害者協議会、JDを初め全家連ですとか障害五団体が、去る三月十三日、当時の森内閣総理大臣あてに、道路交通法改正案の障害者関連欠格条項の修正に関する要望というのを実は提出をしてございます。

 それはどういう中身かといいますと、改正の最大の問題点、さっき申しました障害列記の箇所を、自動車等の安全な運転に支障を及ぼすおそれがある症状として政令で定めるものと修正してほしいというものです。どうか当委員会の議員の皆様にも、この点で十分御理解をいただきたいと思っております。

 また、これは委員会で決めていただくことですけれども、当然のことながら、見直し規定ですとか附帯決議等も必要であると考えておりますので、どうぞよろしくお願いをいたします。

 御承知のとおり、障害者の欠格条項の見直しはまだ多くを残しております。今回のことを通して、これからは、私ども障害者自身が参画した法案づくりの仕組みをぜひつくっていかなければならないと痛感させられております。自立と社会参加の道を閉ざされ、希望のない暮らしを余儀なくされている全国百万人の仲間とその家族のことを思うと、私たちは、一層他団体と協力を深め、運動を広げていかなければならないと思っております。この運転免許問題をその新たな第一歩として、引き続き障害者の完全参加と平等を目指してまいります。どうかこれからもよろしくお願いいたします。時間制限の中で十分意を尽くせませんが、何とぞよろしくお願いをいたします。

 以上でございます。大変ありがとうございました。

横路委員長 ありがとうございました。

 以上で各参考人からの意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

横路委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。岩崎忠夫君。

岩崎委員 自由民主党の岩崎忠夫でございます。

 参考人におかれましては、大変お忙しい中を御出席いただきまして、それぞれのお立場から極めて示唆に富みました大変貴重な意見を賜りまして、ありがとうございました。

 では、早速質問に入らせていただきます。

 まず、運転免許証の更新制度について、長江参考人、井手参考人にお伺いをしたいと思います。

 運転免許証の更新制度は、我が国運転免許適齢人口の約七割、七千四百万人を超える運転免許保有者を対象とするものでございます。交通安全の確保にとりましても、また国民の利便にとりましても、ないがしろにできない大変重要な問題でございます。そのあり方につきましては、改めて規制緩和と言うまでもなく、交通安全の確保が損なわれない範囲内で、国民負担が過度にならないよう負担軽減が図られることが肝要であります。

 そこで、更新制度の核心であります運転免許証の有効期間についてでありますけれども、諸外国の例を見てもまちまちでございまして、近年制度改正が行われたイギリスにおいては十年、ドイツにおいては五年ということで、必ずしも一定していないようでございます。事故防止に果たします交通安全の重要性でありますとか、あるいは定期的な適性チェックの必要性などといったようなことも勘案いたしますれば、改正案にございます有効期間の原則五年というのは妥当なような気もいたしますが、長江参考人は、運転免許制度に関する懇談会の委員もなさっておられるというように伺っております。運転免許証の有効期間についてはどのように考えていったらよいのか、その基本的な考え方についてお教えいただければ幸いと存じます。

 また、井手参考人は、免許更新は運転者教育の唯一の機会であり、安易に免許証の有効期間を延長すべきではないとのお考えのようにお伺いいたしましたが、原則五年という免許証の有効期間、これは長過ぎるとお考えでございましょうか、お伺いをしたいと思います。

長江参考人 私、全く私見を申し上げますが、私が免許を取りましたときには更新が二年でした。その後三年になりまして、今、優良運転者のゴールドカードができたときに五年になりました。ずっと前から私は、もう少し長くてもいいんじゃないかということと、今お話しのその間にいろいろな情報を伝えるということとはちょっと違うんだろうと思います。

 もちろん、免許証を保有しておられる方が運転あるいは法規に関するいろいろな情報をとるのが免許更新時の講習だけということではないような気がいたします。例えば安全運転管理者だとかいろいろな制度がありまして、しかも最近は講習が、試験場へ行かなければ、あるいは更新をするところへ行かなければだめだということでもない。むしろ講習の質を上げるという努力をされていますので、そういう意味でいうと、じゃ五年がどうなのかというと、多分これは、ゴールド免許が実施されてからの実績ということがあって提案をされているんだろうと私は解釈をしております。通常では問題ありませんし、何か問題があった人はその都度個別にそれなりの講習を受けるというようなことの方がより効果的ではないかというふうに考えております。

井手参考人 私は、運転免許の期間の問題ではなくて、問題は、適正に行われているかどうかが問題ですから、今の運転講習制度のあり方というものも含めてもう少し検討した方がいいのではないかと思います。

 あと、五年ということですが、これはできれば短い方がいいと私は思っております。

岩崎委員 どうもありがとうございました。

 それでは、今話にも出ましたが、優良運転者の優遇制度の考え方につきまして、長江参考人、井手参考人にお伺いしたいと思います。

 大変個人的なことを申し上げて恐縮でございますが、実は私は昭和三十六年に運転免許証を取得いたしまして、以来四十年間、無事故無違反であります。ところが、前回、誕生日の日にふと気がつきまして、ひょっとしたらことしが免許の書きかえの年かなと思って確かめましたところ、案の定、有効期限の当日に当たっておりまして、いわゆるうっかり失効となってしまいました。その点、今回免許証の更新期間が、誕生日の一カ月前から一カ月後にまで二カ月ということで延長される改正が行われますことは、大変よい改正だろうと思っているわけであります。

 うっかり失効になりまして一番残念なことは、うっかり失効後の免許取得は更新ではなく新規取得の扱いになってしまいまして、当時三十数年間、無事故無違反の輝かしい優良運転者の経歴が一挙に消滅してしまったことであります。この点も今回の改正で一部手当てがなされるようでございますが、それはともかくとしまして、今回の改正で免許証の有効期間が、原則三年なりあるいは五年が、原則五年ということになったわけであります。こういうようなことによりまして優良運転者のメリットが著しく減じられたことになるわけであります。

 そもそも、優良運転者の優遇措置が安全運転を促すために有用であるといたしますならば、優良運転者にはっきりメリットがわかるような措置、例えば免許証の有効期間を、原則五年でありますが、それを七年にするとか、めり張りがきいた規定にした方がよいのではなかろうかというようにも考えるのでありますが、交通安全上、優良運転者の優遇措置とはどこまで許されるのか、あるいはどのように考えたらよいのか。長江先生は今、よきドライバーをつくる奨励策の一つとしてこの優良運転者の優遇制度をとらえておられるというように話されたわけでありますが、御所見を伺いたいと思います。

 また、井手参考人にお尋ねしたいと思いますが、全国交通事故遺族の会では、警察庁長官に対します意見書の中で、免許証の更新は、運転者の安全に対する自覚の節目と運転適性の定期的チェックであって、無事故であるとか無違反であるとかで延長されたり免除されるべきではないとされておるのでありますが、優良運転者の優遇措置を考える上でも大変重要な視点だと思いますので、井手参考人に再度、優良運転者の優遇措置についての御意見を賜りたいと思います。

長江参考人 私は、実はゴールド免許で昨年書きかえをいたしました。七年になっていればよかったなと思っておりますけれども、実はゴールド免許ができたときに、メリット制であるという議論がありました。通常は三年だけれども、優良運転者だから五年にするというふうな話がありましたが、たったそれだけのことだったのです。今議員お話しのように、私は何らかのメリットがあったらいいと思いましたが、実はゴールド免許が始まって、六本木でまず、ゴールド免許を持っている人は有料駐車場の料金を割り引くという、民間は既にそういうことをやっております。

 やはりこの辺のところも、多くの人が、すべての運転者が優良運転者になっていれば事故は起きないはずですから、そういうふうな意味で、優良運転者の数をふやしていくということをぜひひとつお考えいただいて、お手当ていただければありがたいと思います。

井手参考人 優良運転者については先生の説に賛成であります。

岩崎委員 どうもありがとうございました。

 次に、大型二種免許等を受けようとする者に対する応急救護措置に関する講習について、長江参考人にお伺いをしたいと思います。

 交通事故による死傷者につきましては、救急車が到着するまでの間に、事故当事者等により、迅速かつ適切に応急救護の措置が講じられることが必要であることは言うまでもありません。救命手当ての対象となります心肺停止者の蘇生率は、心肺停止後、分刻みで低下しまして、心肺停止五分後の蘇生率は二五%にまで落ち込むと言われております。一方、救急車が現場に到着するのに要する平均時間は六・一分であります。その間をつなぐ応急救護の措置がどうしても必要なゆえんであります。

 今回の改正で、大型二種免許等を受けようとする者は、公安委員会が行う応急救護措置に関する講習等を受けなければならないとされていますが、交通事故の実態を考えますれば、むしろ遅きに失した感さえ受けるのであります。アメリカのよきサマリア人の法、グッド・サマリアン・ローのような法制を持たない我が国におきましても、応急手当てを施した者は、原則としてそれに伴う責任を問われることはないともされているわけであります。

 市町村の消防機関が平成五年から行っております応急手当ての講習は、年々受講者がふえまして、平成十一年には八十三万九千人を数えております。この消防機関の行います普通救命講習でも、心肺蘇生法など実習を主体といたしまして三時間をかけて行われます。上級救命講習では八時間の講習が行われております。現在、第一種免許を受けようとする者が受講する応急救護措置に関する講習も、実技も含め三時間であります。

 そこで、今回の改正によります応急救護措置に関する講習でどの程度に充実した講習が行われたらよいのか、長江参考人、お考えがございましたら、よろしく御教示願いたいと思います。

長江参考人 今、議員がおっしゃられたとおりだと思いますが、実はもう一つ、第二種免許の教習所での教習をするという問題のときに、一種免と二種免と何が違うのかという話がありました。

 そういう中で最も大事なことは、いわば、自家用車であれば自分の知っている人、家族だとか友人だとかを送るわけですが、実は、二種免というのは不特定多数の方を乗せてその命を預かるということになります。そうしますと、他人の命をきちんと守るという心構えをどういうふうにつくるか、それから万が一何かがあったときにどういうふうに応急処置をするのか、そういうことをいわゆる教習課程の中で二種免を受けようとする人たちにきちんと心に決めてもらうということの一つに、やはり自分で手を下し、汗を流すということが大事じゃないのか。

 ですから、救急救命というのを単にテクニックというふうにおとりになると、多分その効果は出てこないだろう。だれのためにやるのか、なぜやるのかということが受講者の人たちにわかっていただければ、当然、周りの人の命だとかそういうことも気遣いして運転をしてくれるだろう。そういう意味で、実は、文字で書いてしまいますとこれをやれということになりますが、問題は、やる心というものをどういうふうにとらえるかということが非常に大事だと思います。

岩崎委員 どうもありがとうございました。

 二種免許を受ける者は特に心して、心を込めて応急手当の講習を受けるべきだと、しかとわかった次第であります。

 次に、障害者に係る免許の欠格事由の見直しにつきまして、福井参考人、井手参考人にお伺いをしたいと思います。

 平成十一年八月の障害者施策推進本部決定では、資格・免許制度の障害者に係る欠格事項については、障害者が社会活動に参加することを不当に阻む要因とならないよう、その見直しに当たっては、現在の医学、科学技術の水準等を踏まえ、再検討するものとされておりますが、今回の道交法改正では、障害者に係る免許の欠格事由を廃止し、障害者でも試験に合格すれば免許を与えることとされておるわけであります。ただし、一定の病気にかかっている者については、政令で定める基準に従い、免許を与えず、あるいは免許を取り消すことができることとされております。

 この問題は交通安全の確保と人権に係る問題でもございまして、一方で障害者が社会活動に参加することを不当に阻むことがあってはなりませんが、同時に、交通安全の確保を図るという観点も欠かせません。ただいまの参考人意見陳述では、井手参考人は、障害者の人権への配慮も人命の犠牲を伴わないことが前提となるという趣旨の御意見のように伺いましたが、今回の改正案の考え方について、改めて福井参考人及び井手参考人のお考えをちょうだいいたしたいと思います。

井手参考人 障害者の社会参加という意味での障害者の人権を配慮するということに対しては賛成でありますけれども、実は、例えば一年か二年ぐらい症状がなければ与えてもいいんだということは、医学的に非常に不安であります。例えば、私の遺族の会の会員で、二十年間何も症状はなくて突然意識障害を起こして、それで死亡させられたという方があります。ですから、一年か二年で、それで免許を与えてもいいんだというのは、非常に短絡的なことではないかと思います。

 ただ、長期的に障害者の人権を守るというか、社会参加を促進する意味で、セーフティーネットといいますか、いわゆる自動車の構造に、例えば意識障害が起こった場合には車が自動的にとまるような、そういうふうな技術革新といいますか、そういうものを取り入れてもらいたいと思うのです。実は、今回はてんかんのことが問題になっておりますけれども、意識障害を起こすのはてんかんだけではないのです。先ほども申し上げましたように、糖尿病でも高血圧でも循環器障害でもあるわけでありますから、当然そういうセーフティーネットを早く構築していただきたいというふうに思っております。

福井参考人 ただいまの御質問でございますが、私、過日のこの内閣委員会も実は傍聴させていただいておりました。

 おっしゃるように、いわゆる障害者の人権を守ることと交通の安全上人命を守ること、これは対置して考えるというか、ごく当然のことでございますよね。ですから、私も今意見の中で、その辺は力を込めて言ったつもりでございます。欠格条項ということは、つまり、障害を持っている人には実はこういう権利は与えないんだよということを国がみずから宣言しているわけでして、いわゆる国際障害者年の完全参加と平等ということからいっても、実は今の二十一世紀の時代、これはできるだけ早くやめようではないかということで、私ども当事者にとっては実は遅きに失したと思っているぐらいのことでございます。

 ですから、つまり、どうすれば重い障害を持った人も参加できるだろうか。それには、医学の進歩や、いろいろな機器の開発や、いろいろな公的な援助や、そういうものが重なって、今私たちは、欠格条項の見直しが大きく打ち出されている中で、私たちの権利も保障していただきたいと言っているわけでございますので、その辺の一番根源的なことを考えていただきたいというふうに思います。

 それから、私ども、てんかんにかかわりますことにつきましては、今も申し上げましたように、いろいろと政令等で細かく決めていただくことはもちろんでございます。そこでこそ、私たちの人権が守られ、安全が守られることが両立していくのだと、覚悟といいますか、しっかりと受けとめているところでございますので、どうぞよろしくお願いいたします。

 お答えになりましたでしょうか。

岩崎委員 どうもありがとうございました。

 最後に、悪質、危険運転者対策の強化につきまして、井手参考人、長江参考人にお伺いをしたいと思います。

 交通事故がふえ続けました四十年代からずっと、無免許、酔っ払い、スピード違反などに対しまして、交通三悪あるいは交通凶悪犯としてその追放が叫ばれてまいりましたが、近年、救護義務違反、酒酔い運転、暴走族の共同危険行為など、悪質で危険な違反に対します罰則が軽過ぎるとしまして、悪質、危険な違反について厳罰を求める機運が急速に高まってきておるわけであります。

 今回、これらの悪質、危険な違反者に対します罰則が引き上げられることになりましたが、そもそも、懲役刑はともかくとしまして、我が国の罰金刑の量刑は、犯罪抑止効果を上げるには余りにも低過ぎるとも考えられるのでありますが、交通違反に関する罰則の事故防止への抑止効果、あるいは罰則の見直しをどのように考えていくべきなのか、井手参考人、長江参考人、一言ずつお答えを賜りたいと思います。

長江参考人 先ほど私の意見の中で申し上げましたが、やはり人間とは弱いものですから、何らかの罰則があるよと頭の中にあればいいんだと思いますが、ある方が、これは特定の地域のところですが、駐車場を借りるよりも駐車違反で捕まる方が年間では安くなるというようなことをドライバーが言っている。これはもってのほかだろうと思います。

 ただし、基本的には私は、刑事罰と行政罰それから民事の責任、これはそれぞれがバランスがとれていなければいけないんだろうと思いますが、本当に迷惑になるものはなくそうとすればたくさん払わなければいけないというふうに周知すれば、それが減ってくるのが世の中じゃないかなと考えております。

井手参考人 現在の法律が非常に昔の、明治時代の法律を適用しているというところにも問題があるように思うのですね。ですから、これは立法府の責任ですから、新しい法律をつくっていただきたいと思います。いつまでも業務上過失致死でいいのか、今の時代、今の車社会に合っているのかということを問い直して、立法府の責任において刑罰の問題はきちっとしていただきたい。現在、刑事罰とか行政罰とか民事罰が非常に希薄になっておりますので、これをもう少しはっきりとさせていただきたいと思っております。

岩崎委員 以上で質問を終わります。参考人におかれましては、それぞれ貴重な御意見を賜りまして、本当にありがとうございました。

横路委員長 井上和雄君。

井上(和)委員 民主党の井上和雄でございます。参考人の皆様方、本日はよろしくお願いいたします。

 まず、井手参考人にお伺いいたします。

 井手参考人、日ごろ私どもの超党派の議連である交通事故を考える議員の会に御協力いただきまして、まことにありがとうございます。遺族の会の皆様の、交通事故をなくさなきゃいけない、二度と自分たちが経験したような悲惨なことがない社会にしたい、そういう御熱意と行動力に対して、深く敬意を表したいと思います。

 それで、本日お伺いしたいことは、井手参考人御自身もみずから御経験されたことだと思うんですけれども、遺族の会の皆様、突然の交通事故により愛する家族を失われた、そして、さらにその後、例えばその事故が警察においてきちんと捜査されないとか、そしてまたその捜査に疑問を持たれる方もいらっしゃるかもしれないし、また不起訴になるということも多々あります。また、たとえ起訴になった場合にも、何度か例が出ておりますけれども、その罰が不当に低い、そういった事態も現実に起こっております。まさに、交通事故の被害を受けて、その後さらに二重三重の苦しみを遺族の方が受けている現状があると私は思うんですね。

 そういった意味で、ぜひ参考人に、御自身の経験、また遺族の会の皆さんの経験という観点から、被害者への対策というものが現在どういうふうになっていて、どういうところを改めなきゃいけないか、そんなことを率直に言っていただければと思うんですが。よろしくお願いします。

井手参考人 よく言われることですが、交通事故に遭ったと思いなさいということで、交通事故というのは遭っても仕方がないんだと思われているようなんですけれども、それは非常に困った考え方でありまして、先生が今議連の方でいろいろ御活躍していらっしゃいますけれども、やはり、交通事故に対して、人ごとではないというか、認識を深めていただくようにすることが非常に大事でありまして、まず、国会の中に交通事故に関する委員会がなくなったということは非常に問題があると思うんですね。ですから、まずこれを入れていただきたいというふうに思っております。

 被害者対策については、いろいろとございますけれども、まずお願いしたいことは、基本的に、交通事故に対して人ごとではないんだという認識を抱いていただくというのが一番大事だというふうに思っております。

井上(和)委員 国会における取り組みということ、確かに私自身も十分じゃないということをこの委員会でも申し上げまして、理事会でもいろいろ検討していただいているところでございますので、何らかの活発な議論が行われるということになると思いますので、御期待ください。

 それで、今、交通事故に遭ったと思いなさいとおっしゃったお言葉が、まさに参考人のお気持ちをあらわしているんじゃないかなというふうに思いました。そういった意味で、いつ自分が遭うかわからないということをやはり国民、ドライバー自身がしっかり自覚して日ごろ運転しなければいけない、そういう認識を持たせるような努力をあらゆる場面でやっていかなきゃいけないと思うんですね。私自身も日ごろ車を運転していますし、運転をするたびに冷やっと思うようなこともあります。だから、本当に毎日毎日が、運転するたびに、事故を起こさないということを心にとめながら運転はしているんです。

 それで、御存じのように、私ども民主党では、一昨年の十一月に、東名高速で酒酔い運転のトラックに追突されて幼い二人のお嬢さんが亡くなったというような事故とか、それ以外にも本当に悲惨な事故がありました。しかしながら、その裁判の判決というものが、東名の場合も懲役四年というように異常に軽い。そしてまた、裁判官みずからが、立法府がこういった法律を見直す必要があるんじゃないかということも示唆されている。そういうことで、今回、民主党と無所属クラブで法律を提出いたしました。

 この法案というのは、危険な運転により人を死傷させる行為の処罰に関する法律案というものですけれども、簡単に御説明いたしますが、要するに、酒酔い運転、麻薬等の運転、共同危険行為等、また無免許、酒気帯び、過労運転等の規定に該当する違反行為をして交通事故を起こして人を死傷させた場合には十年以下の懲役というふうに、これまでの業務上過失致死の懲役五年を十年に引き上げるということが趣旨の法律です。

 私どもがこういった法律を提出する背景というのは、遺族の会の皆さん、また東名高速でお子さんを亡くされた井上御夫妻のお働きとか世論の要請を受けてこういう法律を提出したわけですけれども、いろいろな思いがあると思うんですね。まだ十年じゃとても軽いんじゃないかとか、その辺を率直にお伺いしたいと思うのです。よろしくお願いします。

井手参考人 民主党のこの法案には大賛成でございます。本当は通していただきたかったんですが、どうもいろいろな事情があって通せなかった。この間、法務省と警察庁の間でお話があったんですが、どうも軽微業過と悪質業過を切り離して、軽微業過を刑事罰から除外するということをセットでやろうとしていらっしゃる。これでは交通事故はなくならないと思うんですね。民主党の案には賛成なんです。悪質な運転手に対して厳罰を処すというのは大賛成です。ですけれども、切り離して、それで軽微な業務上過失は罪を問わないというのでは、国民の命を守るという意味からは不適切じゃないかなというふうに私は思っております。

井上(和)委員 法案はまだ当委員会で採決されておりませんので、御了承いただきたいと思います。とにかく、この法律を成立させるように、与党の方にも御協力をお願いしている次第です。

 それで、軽微な交通違反が大きな交通事故につながるんだという参考人のお言葉、私もそれは本当に同感です。スピード違反なんかでも、日本の場合、きちっとした取り締まりがされていないから、どんどんスピード違反が常習化というのですか、ごく当たり前のように行われているのが実態です。そういう意味で、あらゆる場面で交通違反をなくするような取り締まりの強化ということも私訴えていきたいと思うんですね。

 それで、次は福井参考人にお伺いいたします。

 今回の欠格事項に関しての自動車運転免許の問題に関して、日本てんかん学会としてもいろいろな医学的な面から研究調査されていると思うんですけれども、てんかん協会として医学的な面に関してどういうことを認識しているか、ちょっと教えていただけますでしょうか。

福井参考人 てんかん学会についての御質問でございますが、てんかん学会は、私たちてんかん協会のいろいろな活動を医療の面から支えてくださっていまして、これまでも、車の両輪のように、先ほども申し上げたように活動を続けているところでございます。

 今回の欠格条項の見直しに際しましても、国際的にてんかん協会がございまして、その中でも大変いろいろな調査や研究が進んでいるんですが、とりわけてんかん学会の皆様方の医療的な調査や研究の積み重ね、それが今回非常に私たちを励ましてくれましたし、もうそちらも御存じと思いますが、私たちよりもいち早く、ことしの一月十日と三月二日に、こういう膨大な資料もつけたものを警察庁の方に提出をしていただいて、医療的な見地から、てんかんの人たちのこういうところをチェックしていけば大丈夫なんだ、国際的にもこういうところがいわばクリアされているというようなことも提出をしていただいていて、きょうはむしろてんかん学会の先生もお呼びいただきたいなと思ったぐらいでございます。

 そういうことでよろしゅうございましょうか。

井上(和)委員 今回の法改正に伴っててんかん協会としてはどういう決意で臨んでいくのか。特に会員に対する啓蒙はかなり重要になってくると思うのですけれども、それに関して何か今計画されていることがあったらお伺いしたいんですけれども。

福井参考人 大変ありがとうございます。

 先ほどもちょっと述べさせてもらったところなんですけれども、私たち、全国で百万人と言われておりますが、どうしても治ってしまうとやめてしまうというようなこともありまして、今全国で七千人ちょっとの会員なんですけれども、全国に支部がありますものですから、機関誌を毎月出しておりまして、「波」というのですけれども、そこにこの欠格条項問題はずっと取り上げておりますし、それから、このところ、やはりマスコミでも取り上げてもらっております。

 そして、権利を得るということは、同時に社会的責任を負うということで、患者組織としてはこれからが正念場だと実は思っております。道が開かれたことに対する喜びは、みんなが規則を守っていこうということで社会的にアピールしていくと思っておりますので、間もなく全国から会員が集う支部代表者会議ですとか総会ですとかございますし、十一月には長崎で大会も開かれますので、いろいろな場面でこの問題を、私たちの権利の問題と義務の問題とあわせて大いに取り組んでまいりたいと思っております。

井上(和)委員 次に、最後になりますが、長江参考人とまた井手参考人にちょっとお伺いしたいんです。

 先ほど長江参考人が、運転というのは一つのシステムであって、人と車と道路・環境ということがシステムとして、一番低いレベルに連動してシステムが機能するということをおっしゃったんですけれども、今、年間九千人の方が交通事故で亡くなっている。そしてまた、さっき井手参考人からも参考資料を提出していただいて、負傷する方も非常に多いという事実があります。そういった意味で、交通事故をなくしていくというのをシステム論的に考えて、具体的にどういうふうにやったら交通事故を有効に減らすことができるのかということに関してお伺いしたいんです。

 そういう問題にあわせて、井手参考人からも、もし御意見がございましたらお伺いしたいと思います。よろしくお願いします。

長江参考人 先ほど私はそんなことを申し上げましたが、交通安全教育とか交通安全活動というのが主に人に向けて進められています。

 人々は、交通安全教育とか交通安全活動というと説教かというふうに受け取っているんですが、現実に事故の内容をごらんいただきますと、死傷者数が昨年はたしか百十五万人を超えているんですね。ということは、八十人から九十人の人が集まると、その中に一人は交通事故でけがをしたとかいう人が含まれる。しかし一方では、先ほどのお話のように、交通事故は、いわゆる交通事故で万が一という、ですから、死者数は減っているんですが、事故件数とか死傷者数がふえている。しかも、それを見てみますと、端的な言い方をしますと、追突が多いとかあるいはその原因としてわき見をしていたとか、漫然運転というのが非常に多いわけですね。

 運転の主体は人間だと言いました。運転をするドライバーというのは、先ほどもあった権利と義務というのがありますので、その辺をもう一度思い起こしていただくような活動をドライバーに向けてしなきゃいけないと思います。

 人としては非常に難しいと思いますが、今国民皆免許と言われて、運転をされる方は御存じだと思いますが、自分が運転をしていると、歩行者がゆっくりと横断歩道を渡って、時にはちょっとあけてくれれば後続の車に迷惑をかけないように走れるのに、それをしてくれない。しかし、今度は自分が歩行者の立場に立つと歩行者優先であるというふうな、いわゆる別な側面を出して行動するということもありますので、世の中をどうしたらよくするかという観点からもう一度、ドライバーはどうあるべきか、歩行者はどうあるべきかというようなことを、国民的な議論の形にするかどうかわかりませんけれども、いい社会をつくって享受できるような世の中にするためにどうしたらいいんだろうか。私は教育以外にはないと思っております。

井手参考人 私は、自動車の使用ということを不問にして、それを前提にしていろいろなことが言われるものですから、加害者の過失とか被害者の過失とか道路の状況とか、そういうことだけが問題になるものですから、どうしても交通事故は減らないと思うんですね。

 私の近くの警察官がお話ししていたんですが、やはり総量規制というか、車の量を減らさない限り交通事故は減らないと。そうであれば、やはり車に頼らないでも生活できるような交通システムというか、二十一世紀に合ったような交通システムに変えていくような努力をしていかないと、いつまでたっても今の状況は変わらないのではないかなという心配をしております。

井上(和)委員 本日はどうもありがとうございました。

 以上で終わります。

横路委員長 河合正智君。

河合委員 公明党の河合正智でございます。

 本日、長江参考人におかれましては、自動車工学と安全交通に関する第一人者として御出席いただきましたし、それから、井手参考人、福井参考人におかれましては、お述べになっているお姿の中から、本当に身につまされる思いでお聞きいたしておりました。特に、ともすれば立場が全く正反対のお二人の参考人が同じ席でこのような私たちの質疑に応じてくださいましたことに、心から感謝申し上げさせていただきます。

 最初に、福井参考人にお伺いさせていただきたいと思います。

 最終的に運転ができないとされた場合に、しかし、先ほどお述べになっておりましたように、就職もできない結婚もできない、しかし生きていかなきゃいけない、そういう立場に立たれた方たちのためにどういうことをなし得るのか、また、どういうことをさせていただいたらいいのか、御意見がございましたら最初にお伺いさせていただきたいと思います。

福井参考人 一人一人の患者に立って御質問いただいて大変ありがたい、恐縮でございます。実は、そういう人たちが全国にたくさんおりまして、私どものところにも相談が引きも切らないわけでございます。

 私たちは、所得保障といいますか、障害者が自立していく道を例えば日本障害者協議会などで御一緒に検討もさせていただいておりますが、てんかん患者に関して申しますと、私どもの支部があります全国のいろいろなところで、例えば福岡ですとか東京ですとか富山ですとか、てんかんを持った人たちを中心にした作業所を今実は立ち上げております。ぜひいろいろと御援助や御配慮も賜りたいと思います。別にてんかんだけというのではないのですけれども、その人たちのことを理解できる作業所を立ち上げておりまして、福岡などではもう三カ所も立ち上がっております。

 そういう試みと同時に、また、どうしても就職もできないでという場合には、もちろん、いろいろな方面からその人の条件が精査されなければなりませんが、生活保護をもらうとか、それから障害年金でございますね、そのあたりも、精神保健福祉手帳などもいただいておりますので、そういう関係で障害年金の取得ですとか、それから、申し上げるまでもなく、障害者基本法の中に私どもはきちっと位置づけられていないのでございます。

 そういう点で、しっかりと一人一人の生活が保障されていくということを考えますときに、いろいろと御要望したいことがございまして、また、私ども、六月になりましたらいろいろな要望も国会に提出をする運びになっておりますので、どうぞ多角的ないろいろな面から御援助を賜りたいとこの際お願いをしておきます。よろしくお願いいたします。

河合委員 ぜひとも、その都度その都度率直に御要望をちょうだいできたらと存じます。

 井手参考人がおっしゃっておりましたことで、中長期的なこととして位置づけられておりますけれども、突然意識障害が発症した場合に自動的に停止する構造の自動車の製造を義務づけることも必要なのではないかと。とりあえずは、突然意識障害が起こる可能性がある人で免許を交付されたドライバーには、ブレーキがついた助手席に同乗者を乗せることを義務づけることが大事ではないかとおっしゃっておりましたことに対しまして、長江参考人、御専門の立場からどのようにお考えでしょうか。御意見を賜れたらと思います。

長江参考人 既に御案内だと思いますが、ITS、高度道路交通システムというシステムを採用するに当たって、日本でも、ASVと言っておりますアドバンスト・セーフティー・ビークル、これはいろいろな新技術の開発をやっておりまして、既にもうそれが実用化されてあると思います。今お話しのように、自動運転することを想定しているのですが、もし障害物があった場合にはそれを避けて通っていくというのととまってしまうという装置は、もう既に実験段階では済んでおります。

 それから、市販されているものでいいますと、何かがあったときにボタンを押せばSOSをして、そして救急車が、こちらが通報しなくても、いわゆるGPSを使って位置を確認してもらってできるというのも、もう市販はされています。

 それから、一度市販されましたけれども、実は居眠りをしている人に対してはどう起こすか、起こしても起きないときには車をとめてしまおうという装置も実はできてはいます。

 ただ問題は、今市販されているものは何か体にいろいろなものをつけておけば簡単にわかるわけですけれども、それがなくて、ハンドルを握っているだけというものですから、ハンドル操作の変化と、それからいわゆる小型カメラがついていまして、これで寝ているかどうかというようなことですが、それに対して、今お話しのように、何か例えば心筋梗塞だとかそういうようなことのときにはどうなるかというようなことをそれにつけ加えていくなり、あるいはもう少し、何か特殊な手袋をはめてもらうとかいうふうなことがあれば、それはそれでできる。車を自動的にとめるという技術はもう開発されています。問題は、それをどうやって読み取るかという技術の方が、センサーの方が問題かなと思います。

 以上です。

河合委員 ありがとうございます。

 それを義務づけることについてはいかがでございましょうか。

長江参考人 多分技術屋は、私も技術屋の端くれですが、いいものはつけたいと思いますが、現実にはその費用負担をだれがするかという問題が別な形で残ってまいりますので、技術屋サイドからだけでは、いいものだからつけたらいいじゃないですか、もうできますよと申し上げられますが、これがすべての、あるいはその対象となる車に本当につくかどうかの話はまたちょっと別な観点から見なければいけないと思います。

河合委員 その問題の一番究極に位置づけられるものかもしれませんけれども、井手参考人がおっしゃっておりました提案でございますが、免許証の電磁的方法による記録、これを自動車の構造に採用してメーカーに義務づける、そして無免許運転の防止やスピード違反の防止やシートベルト着用に活用するという提案でございます。これは、井手参考人みずからがおっしゃっておりますけれども、プライバシーとの関係で非常に難しいことなのかもしれませんが、この提案に対しては長江参考人はどのようにお考えでございましょうか。

長江参考人 技術的には可能だと思います。今もうヨーロッパでは既に暗証番号を入れないとエンジンがかからないというような車も売り出されていますから、そういう面ではいいのですが、問題は、私は法律の専門家ではありませんが、今回ICカード化する免許証の中に、何を入れてどういうときに引き出せるかという、プライバシーの問題があると思いますが、この辺のところの議論がないと、技術的にはできますけれども、多分これはいろいろ問題がまた出てくるのじゃないかというふうに懸念はしております。

 技術的にはそれはできますが、しかし同時に、身近な問題とすれば、友人と二人で行って、疲れたから交代してくれないか、あるいは奥さんに交代してもらおうというときに、その登録をどういうふうにするのかという問題があるのだろうと思います。技術的には可能だと思います。

河合委員 井手参考人にお伺いさせていただきたいと思いますけれども、免許を取り消された方が再び取得するということに対しまして、どのようなお考え、また、どのような制限を設けたらいいとお考えでしょうか。

井手参考人 私は、被害者感情といいますか、被害者の立場からいいますと、もう二度と免許を与えてほしくないというのが事実であります。ですけれども、やはりできるだけ長く免許を与えないようにしてほしいというのが気持ちです。

河合委員 車社会における必要悪といいますか、まさに私たち人間が高度に技術化された文明の中で直面している問題でございますけれども、そしてまた一方で、少子高齢化に入っておりまして、高齢社会における交通事故の防止というのは、これはもう本当に身につまされる切実な社会的な課題となっております。

 まず、高齢者が事故に遭わない、それからもう一方で高齢者が事故を起こさない、この二つの点が大事だと思いますけれども、この二つの点につきまして参考人の御意見をちょうだいできたらと思います。どのような方法が有効であるのかも含めましてお願い申し上げます。

長江参考人 実は、総務庁がありましたときに、もう十年ぐらい前だと思いますが、この辺のところの検討会も開いておりますが、その当時、今もそうですけれども、高齢者の中で歩行中に事故に遭われる方の数を調べましたら、運転免許を持っている人に比べて持っていない人が圧倒的に高いのですね。運転免許証を持っている方というのは、多分十分の一ぐらいなのですというようなことがわかりました。

 これからのいわゆる高齢化社会の中には、免許を保有している方もいらっしゃるわけですから、そういうふうな意味でいうと、その辺の交通社会に対するいろいろな危険なこと、どういうふうに安全を確保するかという知識というのは、持っている方がだんだんお年寄りの中でふえてくるだろう。それは一つの明るい面だと思います。

 ところが、もう一方では、最近問題になっていますのは、運転中のいわゆる加害者になるような事故がお年寄りでふえているというのがあります。これについても、年齢で人を区分けするということは実はできないのです。若い人は割とホモジーニアスといいますか、均一化していますけれども、高齢者に対しては年齢でできない。五十代でももう何かもうろうとしている人がいれば、八十代でかくしゃくとしている人がいる。しかし、いずれにしても、意識、頭の中にある自分というのは多分二十年前、三十年前の若い自分ではないかと思います。現実の自分というのは、病気をしたり何かしたときにはっと気がつくだけです。

 そういうふうな意味でいうと、自分の運転あるいは生活というものに対してどう変化しているのかということの一種の健康診断チェックを何らかの形で制度の中に入れたらいいのではないかというふうに学会で提案をしておりましたけれども、今回の中でそれが盛り込まれて、特に何歳以上ではなくて、その前の人でも参加してもいいですよというような前向きの形になって、そして自分で自覚をし、自分の身をどう処するかという。

 これは、御家族の方ももう免許証を返したらどうだと言うのに、御本人は、いや、これがないと社会人として認められないという話があります。これも、スリーピングライセンス、今そこでは何か運転経歴何とかというふうになっていますが、そういうことで、写真が入り、本人ですということの証明ができれば非常にいいなと思います。

 いずれにしても、私は、運転をするなとか外出をするなとかいうような形の社会は、高齢化社会であっても活力ある長寿社会には決してなり得ないというふうに考えておりますので、活力ある長寿社会をどうつくっていくかということがこれから日本にとって大変大事なところではないかと思います。

河合委員 先ほどの福井参考人の御意見の中にもございましたけれども、私は、こういう体験を持ったことがございます。それは、ちょうど日本のプラザ合意の前後でございますけれども、一方的にアメリカ社会に車を輸出いたしまして、それによってデトロイト市が崩壊してしまうというような事態にまで行ってしまったときに、メディアが、日本車をハンマーでたたいている映像が非常に流されたことがございますけれども、これは通常の繊維とかの貿易摩擦と違う、激しいものを感じました。

 そのことを、たまたまアメリカにいましたときに、あるアメリカ人の方が、アメリカ社会において車というのは人間の意思の延長であって、ちょうど午前中の質疑にもございましたけれども、西部へ西部へとフロンティアで開拓していったあのことにもつながるのですけれども、車というのは人間の意思が延長している道具だ、だからそれをアメリカ人にとっては意思を抑圧された、奪われたというふうにとらえているんだ、こういうお話を伺いまして、さらにまた先ほどの井手参考人の御意見を伺いまして、この文明の直面しているその根深さ、本当にきょう頭を抱えてしまっている状態でございます。

 しかし、今こういう問題と、さらにもう一つ違うなと思いますのは、例えば酒酔い運転ですとか悪質な暴走による加害ですとか、こういう問題は意思の延長といっても説明がつかない事態でございますが、この点につきましてはどのようにお考えでしょうか。まず井手参考人にお伺いして、その上で長江参考人にお伺いしたいと存じます。

井手参考人 最近、飲酒運転とか無免許運転というのが非常に問題になっておりますけれども、早く言えば、ちょっとお酒を飲んで運転しようとか、あるいはちょっと免許証がないけれども乗ってみようというようなことから始まって、悪質な運転につながっているケースが多いわけですから、先ほどの繰り返しになりますけれども、やはり、悪質だから処罰するというのではなくて、早期に芽を摘むといいますか、例えば、医学の場合に早期発見、早期治療と言いますけれども、早期に芽を摘むということを心がけるということが非常に大事だと思っております。

長江参考人 まず、予防するということが一番大事なんですが、同時にやはり、予防するためには、もしそういうことをしたときに自分がどういう罰を受けるのかということも非常に大事だと思います。

 ただ、私は、法体系のことはよくわかりません。計算ばかりやって生きてきた男ですからわかりませんが、先ほど申し上げましたように、刑事罰あるいは刑事責任、それから行政責任あるいは民事、その三つのいわば罰もあるはずですので、国民の方々が納得できるような、多分、三本柱であるということは、それぞれ役割分担が決まっていると思いますので、そういう中でバランスのとれた法案を整備していただくことを願っております。

河合委員 本日は、貴重と言うには余りにも軽過ぎる言葉でございますけれども、御意見を賜りました。今すぐ結論が出る問題、出ない問題、大きな問題を抱えておりますけれども、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。大変にありがとうございました。

横路委員長 塩田晋君。

塩田委員 自由党の塩田晋でございます。

 本日は、各参考人におかれまして、我々の法案審議について非常に参考になる貴重な御意見をいただきましてありがとうございました。

 まず、福井参考人におかれましては、人権擁護のお立場から非常に情熱的に、車社会の中における問題につきまして大変な御苦労をされておることに対しまして、敬意を表したいと存じます。

 これに関連いたしまして、井手参考人からも一部お話がございましたけれども、車自体を改善していくとか、あるいは、突然意識障害が発生したような場合にも自動的に停止する構造の自動車の製造を義務づけるとか、こういう御意見もございましたが、車を人間の体なりあるいは人間に合わせていくというような考え方というものがあるのかどうか、あるいは研究をされておりますか。その点についてお伺いいたします。

福井参考人 私どもてんかん協会は、患者当事者組織、関係者の方の組織でございまして、実は、きょうここに伺って本当によかったと思いますのは、初めてお伺いするお話もございました。私どもは、今の科学の進歩といいますか、あらゆる部面でのいろいろな技術的な進歩の中で、障害者が本当に完全参加と平等ができますように、つまり、各方面のいろいろな成果を十分に私どものハンディキャップに合わせて私たちの人権が保障されるということには、本当に大いに歓迎をしていきたいというふうに思っております。

 しかし、そういうものがいろいろと提供されましても、一つは、経済的なことがそこにかかわってきますと、そうはいっても、先ほど来申し上げておりますように、自分の暮らしもままならない人たちがそういういろいろな高度な技術のものを本当に購入できるか、自分たちのものにできるかという点がちょっと頭をよぎります。ですから、公的な保障のもとにそういうものが提供されるなら、私たちは大いに歓迎をするところでございまして、また、きょうお伺いしたことも含めて、そういう研究も進めてまいりたいと思っているところでございます。

塩田委員 ありがとうございます。そのような方向でもまた御努力をいただきたいと期待いたします。

 それから次に、井手参考人にお伺いいたします。

 交通事故に突然遭って命をなくし、またけがをされる、後遺症も残るといった本当に悲惨な状況というものが大変多いわけでございますが、これは、自然的な災害の中での交通事故に遭われた場合もありますし、人的な関係で交通事故に遭われるということももちろんあるわけでございます。こういった悲惨な状況に対しての援護活動をどのようにやってこられたか、そこでの問題点、また、今後、こういう点を国として公的な立場から考えるべきではないかという御意見がございましたら、お伺いいたします。

井手参考人 まず、交通事故というものは、普通遭わないと思って生活しているわけですね。例えば、駅なんかで交通事故防止の運動をしましても、まずビラをとってくれる人がありません。ということは、自分は事故に遭わないと思って生活しているわけです。ですから、突然事故に遭いますとどうしていいかわからない。非常にパニック状態に陥ってしまうわけですね。

 そういった状態でまず最初に必要とされるのは、心のケアが非常に必要なんです。つまり、精神的ないわゆるPTSDとかASDと言われるような状態に陥った人たちをいかに救うかということが必要なんですが、そういう施設がまだ日本には少ない。ヨーロッパとかアメリカなんかにはかなりできているのですが、少ないので、そういうふうな組織を早くつくっていただきたい。それは、大きなものでなくて小さいものでもいいので、つくっていただきたいと思うのです。これは国でやるということも大事ですけれども、地方自治体とかそういう小さなところで各地域につくっていただきたいと思います。

 それから、その次に、今度は裁判の問題になるのですが、今は事故の数が非常に多いものですから、裁判制度も画一的といいますか、大体決まったような裁判しかされないので、それを人間味のあるような裁判に直してほしいと思っております。

 その大きな問題というのは、やはり法律が古過ぎると思うのですね。明治四十年代にできたような法律を今も使っている。そうすると、今の時代に合わないわけですね。明治四十年代、何台かしかなかったような時代の過失犯として扱っていたような法律を今の時代に使うこと自体が合わないので、そういう法律の改正が必要なんですが、それは行政とか司法ではできませんので、立法の方で新しい法律案をつくっていただきたいと思っております。

 それからあと、被害者でなければわからない、被害に遭わないとわからないことが多いので、自助組織といいますか、セルフサポートというか、そういうものを国のお助けというか御協力で日本の各地につくっていただきたいと思っております。東京だけとか大阪だけとかいうようなものではなくて、交通事故は日本の各地で起こっておりますから、そういう自助組織を日本全国に、小さなものでいいのでつくっていただきたいというふうに願っております。

塩田委員 井手参考人が所属しております全国交通事故遺族の会というのは、遺族の方々で生活に困窮しておられる方に対する生活援助の事業も中にあるのでしょうか。それから今、損害賠償の裁判請求、この中でそういった裁判に対する援護活動もやっていらしたのでしょうか。お伺いいたします。

井手参考人 先ほど申しましたように、まず、心のケアといいますか、メンタルケアと言っておりますが、そういうものをやっております。

 それから、裁判の場合には初めての方が多いわけですから、どういうふうにしていいかわからないということで、裁判のノウハウを教えたりとかして、とにかく被害者が求めていることで私たちが知り得た、知っていることを教えるということをしております。

 それから、生活の援助ということは、まだ日が浅いものですからそこまでは至っておりませんけれども、やはり何らかの方法でそこまで高める必要があるかなというふうに思っております。

塩田委員 ありがとうございました。頑張っていただきたいと思います。

 次に、長江参考人にお伺いいたします。

 参考人が意見を述べられました中で、陸上交通における事故の要因はその九〇%を超えるものが人的要因である、このようにお述べになりました。確かにそういう要因が大きいと私は感じるわけでございます。そこで教育の必要性も述べられたわけでございまして、それももちろん大事なことだと思います。

 私も、自分の経験からいいまして、車を運転する人、しょっちゅうかわるわけですが、人によりまして本当にいらいらして運転をしている。そういう人はやはり特に事故を起こすわけですね。本当にゆったりとして心穏やかな人は、割合運転もスムーズに、すっととまったり発進したりします。心の問題あるいは人間の問題だということを感ずるわけです。

 それから、先ほど反交通警察感情、反感ということを言われましたが、これも、ドライバーによりましては、走っている途中、ここに信号があるのはおかしい、このつけ方はおかしい、この黄色い線を引いているのは間違いだとか、あらゆることを、私は専門ではないんだけれども、そういうことばかりずっと言う人がいますね。非常に反交通警察感情というのがあるのかなと思っております。それは一人や二人じゃないのですね。そういうことを言うのが趣味かなと思うぐらいに言う人、こういうものがあります。

 やはり人間の問題であるとは思うのですが、先生は工学系統だそうでございますが、車自体、今のお話を聞きますと、ヨーロッパでも、非常に進んでいる面においては、我々は初めて聞くような話の御披露が今ございました。やはり、車の構造自体を直していくというか改善していくという方法、まだその余地はかなりあるのではないか、このように素人ながら思うのですけれども、いかがでございましょうか。

長江参考人 先ほど申し上げたのはかなり具体的な話なんですが、実は、先ほど申し上げたASV、先進安全自動車という中に、車が走っていて歩行者と衝突したときに、二次衝突を避けるというような車も実は開発が進められています。ボンネットの上からエアバッグが出まして、そこへこう行く。

 御承知のように、今、乗用車がみんなバンパーが低くなっています。高いと、逆に、ぶつかったときに人を押し倒してひいてしまう。それをそうしないようにするためにこうやっていますが、一方では、カンガルーバンパーをつけたような車も実はあります。

 車に関しては、人に優しい、それからぶつかって乗っている人の傷害を減らそうというようなこと、これはもうかなりそういうデータが公表されていますけれども、それ以外に、実は、本当に人の特性に合った車なんだろうかという機械と人間とのつながりをもっとよくしないといけない。えてして近代化というのは、コンピューターもそうだと思いますけれども、人がいわゆる科学技術の産物に合わせるということになっていますが、やはり、それを使って非常に使いやすいというような面からいきますと、ヒューマンインターフェース、こう言っていますが、人間の面から見たときに果たしてその機械がいいのだろうかという研究が先ほど申し上げましたITSの中にあるのですが、これが今一番のネックにはなっております。

 従来は新しいものはいいものだという考え方でした。私は技術屋なものですから、そんなことを言っては悪いのですが、それが技術屋の考え方でしたけれども、できたものが本当に人にとっていいのだろうか、二十一世紀の技術者はそう考えなきゃいけない。私は教育の現場でそういうふうに、これから技術者になる人たちにそう言っていました。

 逆に、人のためになる科学技術の結果をつくらなきゃいけないのじゃないか、それにはどう考えたらいいのかということで、交通文化というのがなかなか出てきませんが、交通文明という言葉はよく出てまいります。これが交通文化になったときに初めてその辺が解決されて出てくる言葉なのかな、早く交通文化あるいは自動車文化という言葉が世の中に膾炙される、そういう世の中になってほしいと思っております。

塩田委員 ありがとうございました。

 非常に最先端のお話を伺った後で、全く現実的な、またささいな話かもわかりませんけれども、お聞きいただきたいのです。

 一つは、タクシーの運転手が若い高校生男女に殺されたり、あるいは北海道でも連続してそういった事件があったということでございますが、東京では割合、運転席の後ろに防壁をつくっておったり、また最近、助手席にもつくるようになった。ところが、地方へ行きますと、ほとんどこれがない状況ですね。

 外国を見ますと、それぞれまちまちですけれども、徹底して防壁をつくっているところもある、いろいろな装置もつくって防犯に努めている、こういうことがございますが、これはやはり義務づけないとできないものでしょうか。これについてのお考えをひとつお聞きしたい。

 もう一つは、いわゆる暴走族ですね。これは、先生が言われますように、教育して、人間、心を変えれば、人を困らせたり迷惑をかける、そういう行為はしないし、また、けたたましい音を出して深夜に多くの人の睡眠を妨害するというようなことも、心の問題ですから、人間が変わればそういったこともなくなるだろう、こう思うのですけれども、なかなかそう簡単に、説教したり教育しただけでは直らない現象だと思います。

 そういう場合に、あれは、車検なりあるいは新車購入のときにはなかったのに、途中で改造してそういうものに変えていっているという動きがありますね。そういうことに協力するようなメーカー、業者も問題だと思うのですけれども、やはりこれも法律でもって規制するといったことがあればかなり効果が出るのでしょうか。それについて御見解をお伺いいたします。

長江参考人 昭和三十年代の前半にタクシー強盗が非常にはやりましたときに、一斉にいわゆる防護さくはつくりました。その後、落ちついてからそれがなくなって、東京ではありますけれども。おっしゃるように、外国ではたくさんそれがあります。これは多分、そのときの治安状況その他で決まってくるものだと思います。

 例えば、ロンドンの古いオースチンのタクシーは、実はガラス窓があくようになっていまして、これも、客席のあれが直接運転席に伝わらないという点では非常にいいと思いますけれども、私は、別な意味でいうと、個人的に好き嫌いがあると思いますが、全くそういうものがなくてもいい社会があってほしいし、すべてのタクシーが全く運転席と隔離されたような状態だとか、あるいはフランスのように助手席に犬を乗せていて、何かあったらそれをやる、この対策も必要があるからできたんだと思いますが、ぜひ、できればない方がいいかな、こういうふうに思います。

 それから二番目の件ですが、車検にかかわらない乗り物というのが、軽自動車だとか、あるいはオートバイでいいますと、二百五十cc以下のオートバイ、五十ccの原付、こういうようなものがございます。これも、技術的には、ああいう大きな音を出さないように、マフラーといいますが、消音器を外せないようにしようじゃないかというふうなことがあったのですが、考えてみますと、その中に入っているしんになるところは腐食その他によって取りかえなければいけなくなるのですね。それを全く分解不可能にすると全部を取りかえなければいけない。そういう費用負担はどうするのかという話が実はございました。

 そういうことで、これも、先ほど来申し上げましたように、費用負担をだれがするのかということと、トータルで見たときに果たしてそれが非常に有益な方法であるかどうかという結論が出ないままに今日来ております。技術的な話とは別に、むしろ使用者側の負担だとか利便性ということが非常に大きなあれになっていると思います。

 おっしゃるように、シャコタンといいまして、背丈を短くして走るような車、絶対車検に通らないのですが、車検のときにはちゃんと通っていて、後でそれがもとへ変わる、こういうようなことをどうとめたらいいのかというようなことで、技術的な話とは別な側面での意味合いが非常に強いのかなと。技術的には、何かあればそれはできると思いますが、大変費用がかかるとか、一種のむだなことをやるというふうに見られるような手だてをとらなきゃいけないということもあると思います。

塩田委員 ありがとうございました。

 終わります。

横路委員長 松本善明君。

松本(善)委員 三人の参考人、御苦労さまでございます。大変貴重な御意見を聞かせていただきましてありがとうございました。

 最初に、井手参考人から伺いたいのでありますが、井手参考人の御提案は、ほかのお二人の参考人の御意見も含めましてよく研究、検討させていただきたいと思いますが、お聞きしたいのは、やはり肉親などを交通事故で死傷させられた場合に、その精神的な打撃というのは非常に深刻なものだと思います。それを直接体験していらっしゃるわけですが、精神的にも経済的にも非常に大きな負担がかかって、PTSD、心的外傷後ストレス障害で苦しむ遺族も非常に多いと思います。

 遺族の方の生活実態についてどういうふうに把握をされているか、お聞かせいただきたいと思います。

井手参考人 PTSDというのは、専門家によりますと、その人の素質とか要因とか、その人自体の持っているものも影響するので、交通事故に遭った人はみんなPTSDになったり、ASDといいますか、急性のものになるわけではないわけですね。ですけれども、現在、例えば裁判している中で一番PTSDの問題で多いのは、交通事故なわけなんですね。それは、何の予測もなく突然起こってくる災害なものですから、やはりPTSDというのは非常に多いんだと思うんです。

 ですけれども、アメリカとかヨーロッパでは非常に研究がされておりますけれども、まだ日本にはそういう研究機関が非常に少ないということがございますので、やはりその研究機関をつくることと、あと、PTSDにかかった方々の治療をする施設を早くつくっていただきたいというふうに思っております。

 私自身のことを言いますと、私も実はPTSDにかかりまして、睡眠障害といいますか、お酒を飲まないと眠れなくなりまして、浴びるほど飲みました。結局、肝障害を起こしまして、今ではお酒を飲めなくなってしまいましたけれども、やはりこれは悲惨な問題であります。

 また、経済的な問題でも、やはり非常に困っている方が多いわけですから、そういう面で国家的にひとつ御配慮をお願いしたいと思っております。

松本(善)委員 お答えにも関係をするわけでありますが、そういう遺族の方の精神的、経済的な非常な負担、それに対する公的な側、国や地方自治体の側からの精神的なサポートとか財政的な支援というものがやはり必要なんだと、今の御要望もありましたけれども、それ全体をどういうふうにお考えになって、どういうことをしてほしいというふうに思っていらっしゃるか、お聞かせいただきたいと思います。

井手参考人 全国では、やはりPTSDとかASDにかかっている人は非常に多いと思うんですけれども、それに対応できるのは大都市しかないわけなので、やはりもっと日本全国にそういうふうな大切な施設をつくっていただいたり、あるいはそういう研究者を養成していただきたいと思っております。まだ、現在のところは非常に不足しているのではないかなと思っております。

松本(善)委員 財政的な支援についてはどうですか。不満は特にありませんか。

井手参考人 今のところは公的なものはありませんので、私たちの会の場合には、会費を集めて、いわゆる被害者の被害者による被害者のための機関になっているわけなんですけれども、交通事故というのはもう全国、国民全体の問題ですから、国がやはり少し支援の手を差し伸べていただきたいなと思っております。

松本(善)委員 私ども、犯罪になるようなものもありますから、犯罪の被害者の人権という問題について日本は非常におくれているので、やはりもっともっとやっていこうというふうに思います。きょうの御意見も参考にしてやっていきたいというふうに思います。

 福井参考人に伺いたいと思います。

 障害者の欠格条項の見直しは長年の課題だったので、本当に、先ほどの御意見でもありましたけれども、非常に歓迎、喜んでいらっしゃる、よくわかります。

 主要国では、障害に基づく差別を禁止するなどの法律が既に制定されていると聞いておりますが、自動車運転免許の欠格条項など、主要国の仕組みはどういうふうになっているか、外国と比べて日本がどういうところにあるのか、御存じだったら伺わせていただきたいと思います。

福井参考人 そのことにつきましては、私どもてんかん協会も参加しております日本障害者協議会、JDの政策委員長でいらっしゃる佐藤久夫先生とか、先ほどちょっと御質問がありましてお話ししました日本てんかん学会の中の特別委員会ですとか、諸外国の事情を調査、発表していらっしゃいますので、それでは、ちょっとその一端を私どもの知っている範囲で申し上げたいと思います。

 きょうお配りしております私どもの見解にもちょっと触れておりますが、てんかんを持つ者を運転の欠格としている国は、実は十三カ国でございます。台湾とかシンガポールとか、そういうのみでございます。

 それから、主要国ということですが、まずアメリカなんですけれども、これは佐藤先生が調査をなさったものなんですけれども、一九九八年のアメリカのてんかん協会のまとめによりますと、発作消失期間について、五十二州全部の調査でございますが、特に期間を設けていないというのは八州、それから六カ月発作がなければ免許を出す州が二十州ということになっておりまして、かなり具体的な数字が出ております。それと、イギリスでは、起床中のてんかん発作が過去十二カ月以内にあった人は免許が取れないという規定がありまして、これは他のEU諸国でも同じ基準になっているということでございます。たくさんのいろいろな記録が出ておりますので、ぜひ、御要望でしたら提出もさせていただきたいと思います。

 日本はどういう位置にあるのかということなんですけれども、警察庁が昨年の十二月にいわば試案を提出しましたときに、てんかん学会の先生がそれを英文にいたしまして、全世界の各諸国のてんかん学会に送ったわけですね。そうしましたら、暮れからお正月、日本では最も忙しいというか、そういうことが休憩してしまう時期であるにもかかわらず、実は諸外国からたくさんの意見が寄せられているんです。私たちてんかん協会も、まあこんな海外の反響でということで、私たち自身の問題なのに、もっと頑張らなければいけないということで、この海外からの意見というのに非常に励まされております。これもぜひ、御要望でしたら提出をさせていただきたいと思うのですが。

 日本についてどうかということで、カナダのモントリオールのベンジャミン・ジフキンという精神科のお医者様がこんなふうにおっしゃっていますので、ちょっと早口ですけれども、紹介させていただきます。

 この条文は先進国におけるてんかんと自動車運転に関するものとしてもっとも厳しい規制であり、先進国における趨勢に反するものです。

  公衆施策は可能なかぎり根拠にもとづいてなされるべきであります。他の国の研究や経験は、このような厳しい規制は予防可能な事故から社会を守るのに決して有効ではなく、個人や社会に有害でありうることが知られています。試案はその意図するものを得られないだけでなく、意図せざるリスクをさらに付加することになるでしょう。それはまた高度の文明国日本に対して、恥辱と悪評をもたらすことになるでしょう。

  日本の研究者や医師はてんかんの基礎研究や臨床研究の業績において世界的な名声を得ているのです。この条文は即座に削除されるべきでありましょう。

というような、私たちにとっては非常にどきっとするような意見を寄せてくだすっていますので、このことからも、こういうことに対する日本の位置はどういうものかということは御推察いただけるかと思います。

 そして、ごく最近の例では、またこれはてんかん学会の先生たちが提案をしたものなんですけれども、非常に具体的な提案をしておりますし、昨年の十一月十三日にインドでアジア・オセアニアてんかん学会というのが開催されております。そこでも非常に具体的な提案や分析がされておりますので、十分申し上げなくて恐縮でございますが、以上のようなことでお許しいただいてよろしいでしょうか。よろしくお願いします。

松本(善)委員 福井参考人にもう一点伺いますが、今回の道交法改正案では、障害者の欠格条項の見直しは一定改善されている面もあり、歓迎もされていると思いますが、「発作により意識障害又は運動障害をもたらす病気」という表現で、事実上てんかんなどの病名や疾患を特定するものとなっている点は問題だと私どもも思っております。これは、中央障害者施策推進協議会の答申にある、障害者の持つ可能性を最大限に生かすよう配慮するべきであるという基本方針からも問題があると思いますが、これらの点についてどういうふうにしたらいいと思うか、御意見を伺わせていただきたいと思います。

福井参考人 大変核心に触れた御質問をいただきましてありがとうございます。

 前段の意見の陳述のときにも申し上げたかと思いますけれども、ちょっと言葉が足りませんでしたでしょうか、今回のことはやはり大きく私たちに光を与えるもので、私どもは本当に前進だというふうに思っているのです。ところが、てんかんの文字は除かれたけれども、ほかの障害、疾病もかかわってくるものの、そういう記述が入れられたことは、やはり非常に遺憾だと思っております。

 どういうふうにすればということなんですけれども、先ほど申し上げましたように、五つの団体で出しておりますいわば要望なんですけれども、つまり、障害列記の箇所を、自動車等の安全な運転に支障を及ぼすおそれがある症状として政令で定めるものというふうに変えていただいて、もちろん政令の中には、それからまたそれに伴う判定基準ですとかガイドラインとか、そういうところには細かく記載していただいて結構だと思うのです。

 ただ、大きな世界的な流れの中で、日本がそういうはっきりと症状、障害とわかるものを入れるということはいかがなものかといいますか、私たちのこの趣旨には反しているということで、その点が一番問題だというふうに申し上げているわけなんですね。国際的な障害者のいろいろな趨勢の中でぜひその辺を御理解賜って、先日の内閣委員会もお聞きしておりましたけれども、両者が歩み寄った上での工夫とか創意とかということで、そのことも気持ちとしてはすごくわかるのですけれども、私はやはり、なぜ国際障害者年が完全参加、平等をうたったのか、なぜ日本が四十年も続いてきたこの運転免許の欠格条項を今大きく見直そうとしているのか。

 きょうは交通事故被害者の会の方も御一緒でございますが、私どもてんかん協会、それからかかわります障害者団体は、この機会に私たちの思いを訴えて御理解を賜りたいというふうに思っておりまして、できることならばそういうことも今回の法案の中にしっかりと位置づけていただきたいと、重ねてお願いをするわけでございます。どうぞよろしくお願いいたします。

松本(善)委員 この法案についての御要望に沿うような修正案を、民主党、社民党と一緒に日本共産党も出そうというふうに考えております。自由党も、どうされるか、参加されるかもしれませんが、与党にも話をして、やはりできるだけ全会一致で修正のできるように、与党の皆さんにも御理解を賜りたいというふうに思っております。

 最後に長江参考人に伺いたいと思うのですが、参考人は交通安全教育指導をされているというふうに伺いましたが、二点お伺いします。

 近年、交通事故が再び増加をして新たな交通戦争とも言われるようになっておりますが、この増加傾向をどう見ておられるかということが一つ。もう一つは、高齢者の事故が増加していることは御存じのとおりでありますが、高齢者の運転と事故についてどういうふうに見ていらっしゃるか、伺いたいというふうに思います。

長江参考人 交通事故をどういうふうに見るかということが一つの問題だと思います。

 過去、昭和四十五年のときに死者数が一万六千幾らと非常にピークになりました。あの辺のところを見ていただきますとおわかりいただけるのですが、死傷者数あるいは事故件数とそれから死者数の経年変化を見ますと、事故件数が先行しているのですね。どんどんふえてくると、後におくれて死者数がふえてきているのです。そして、昭和四十六年からずっと対策を打っていきましたが、その前にずっと減っているのですね。一体これは何だろうかということが研究者の中で議論になりました。

 ところが、今回は、死者数は減っているけれども事故件数、死傷者数はふえている。これをどういうふうに解釈するか。多分御案内だと思いますけれども、今年度の交通白書にもその一部が書いてあります。ですから、要は死者数が減ればいいのだということだけではだめなので、その要因になる事故そのものをまず減らしていくということ。あるいは、特に効果的な話であれば、どういう事故が多いか、そういうことを重点的に啓蒙し、そして取り締まりもあると思いますが、そういう形で一人一人のドライバーの方に心していただかないとこれはまずいのかなというふうに第一点は考えております。

 それから、第二点の件につきましては、よく言われますのが、交通社会における高齢化というのは、実は、海外が先行しているといっていますけれども、これだけの量のいわゆる自家用車を運転する人口でいいますと、日本が最先端なんですね。したがって、高齢化社会という言葉は私は非常に嫌いで、活力ある長寿社会というふうに先ほど申し上げましたが、それに持っていくためには、運転というのも外せないことだろう。

 しかし、では現実に今ふえている事故というのは一体何によってふえているのかという、まずはそれの調査とか研究というものがなければ、対策が実は立たないのだろうと思うのです。従来の対策は、危ないからやめておきなさいということでしたが、それではいかないとすれば、どういう事故がどんなことで発生しているかということを、まず原因を突きとめて、そしてそれに対してどうすればいいかという対策を立てるのが本来じゃないかと思います。これは多分、海外のいろいろな文献をあさっても、日本に当てはまるいい具体的な対策というのは、私自身は今まで調べていましたけれども、ないように思います。

 以上でございます。

松本(善)委員 三人の参考人、どうもありがとうございました。

 終わります。

横路委員長 北川れん子さん。

北川委員 社民党・市民連合の北川れん子といいます。

 本日は、三人の参考人の皆様、貴重なお時間をいただきまして本当にありがとうございます。一応私で最後になりますので、よろしくお願いいたします。

 まず、井手参考人にお伺いしたいのですが、本当に具体的な提案を御提言いただき、何度も、古い法律体系のもとで今の時代に合わないのではないかというお話がありましたが、皆様の遺族の会の方では、具体的にこういう法案という形で法案をつくる試みをされているのかどうか、その辺をちょっとお伺いしたいのですが。

井手参考人 法案をつくるのは国会議員の方ですので、私たちは法案をつくる考えはないのですね。ないというか、つくってもらいたいと思っているだけなんです。

 ただ、ちょっと御質問から外れるかもしれませんけれども、欠格事項の問題で、てんかんを外すというのはわかるんですけれども、安全をどうして確保するのかというのがきょうの議論の中ではひとつ見えてこないのです。どういうふうにして安全が確保されるのか、てんかんを廃止してくれというのはわかるんだけれども、では、どういうふうにしたらてんかんの人が事故を起こしたときに責任をとっていただけるのかということがいま一つはっきりしない。だから、責任問題というか、それを明確にしていただきたいというふうに思っているのですね。質問とちょっと外れましたけれども。

北川委員 問題点の指摘として、対立関係におありになるということで言われたのではないと思います。

 私が、法案を試みられているのでしょうかとお伺いしたのは、今いろいろな段階で、ここがもちろん立法で考えるところではあるんですけれども、いろいろな方々のいろいろな提案ということを受けて具体的に考えていくということが時代性に合うというふうに思ったものですから。被害者の方々が分断されているというか、被害に遭われた状況が皆さん違うものですから、過去四十年間黙ってこられた方が多くて、ここ十年ぐらい井手さんたちのような動きの渦が、逆に言えば、私たち本当は事故に遭うかもしれないと毎日不安を感じている者に対しての警鐘をしてくださっていると思っています。ですから、そういう問題も含めて、まず、立法機関ではありますが、皆さんとともに考える、今何が必要な法律かということも具体的に踏み込んで、手を携えるところがあればというふうに思います。

 それで、今、欠格条項を外す、そこに文言としてのてんかんという症状例を外すということに関して、何か不安な面がまだ払拭されないというふうにおっしゃっているのですが、では、福井さんの方にお伺いいたします。先ほどからこの間の皆様方の取り組みなどもお伺いしているのですが、機会平等ということだろうと思うのですね。

 私自身は免許を持っていない者なんですよ。今免許を持っていないというと、どこか悪いところあるのと言われるぐらい、それと、どちらかといえば社会的には不利なわけですね。仕事につくにも、資格の条項にそこがないと、私四十七なんですが、あなた、そんなおばさん要らないよという感じになりやすいということもあるんですが、ハンドルを握るということに関しての抵抗感を自分の中で払拭できなかったということがあるのです。

 先ほどからお伺いしていると、井手さんたちのように現実に被害に遭われた方、亡くなられた方を身近にしている場合に、普通の方の方が事故を起こす確率が高いんだろうと思うのですが、その辺で福井さんたちは、安全に対しても、セーフティーネットが二重にも三重にも必要、その場合には経済的保障が必要だという御提案だろうと思うのですが、もし具体的な面で今お持ちの試案がありましたら御提示していただけますでしょうか。

福井参考人 いろいろと細部にわたった御質問で、ありがとうございます。

 先ほど経済的なことと申し上げましたのは、新たな自動車のいろいろな整備があるのでそういうことはいかがなものかという御質問がありましたので、そういういろいろなことも購入したいけれども、それがまた患者の負担になるのは大変なので、ぜひ公的な援助をということで申し上げたまででございます。

 実は、きょうは非常に限られておりますのでるる申し上げられなかったのですけれども、私どもは、警察庁に伺いましたときも、それからてんかん学会のいろいろな先生方のいろいろな対案についても、御一緒に運動を進めております。それで、今いろいろとお話がありました、ではどうやっててんかんという文字を外してもらったり、いろいろと免許をもらえるようにする上での私たちの具体的なことについては、いろいろなところで述べております。

 実は、てんかんという病気は脳の慢性疾患ですが、非常に複雑なんですね。トータルで申し上げましたが、医学の進歩でもう七割、八割の人は治る時代に入っている。先ほどもお話がありましたけれども、繰り返し発作が起こるということが一つの特徴なんですけれども、寝ているときだけの発作ですとか、それから前兆があるというのも随分ありますね。ですから、前兆がある場合には運転をしなければいいわけでして、いろいろな事例があるのですけれども、てんかんという病名で不適格を規定するのではなくて、てんかんの状態像によって適格の可否を判断すべきだというふうに申し上げております。

 ですから、いろいろな政令、省令の中で、例えば、病的な状態にあるために運転の適性に疑念がある場合はみずから申告して専門医ないし官庁の指定する医師の適正な判定を受けるようにするとか、それから、自動車の安全な運転に支障を及ぼすような身体、精神の障害の運転適性判定に関する指針というようなものを運用細則で定めてくださいと、てんかん学会もこういうふうに言ってくださっていますし、細かいいろいろな対策も立ててくだすっていますので、私たちも、そういう先生方の医学的な積み重ね、これは非常に国際的にも誇るべきものだと実は思っておりまして、こういう先生方の医学的な積み重ねの中で、しっかりと一つ一つの事例について、患者の権利も保障しながら政令やガイドラインで詰めていきたいというふうに思っております。

 資料等御必要でしたら、また提出させていただきたいと思います。よろしくお願いします。

北川委員 ありがとうございます。

 事故は遭ってみないとそのつらさやしんどさはわからないとよく言われますし、先ほどの井手参考人のお話にもありましたように、そういうガイドラインをどう持つかというあたりも、具体的に双方が話し合う場面が事前にあるということは大きな一場面だろうと思いますので、ぜひ私たちも交えて活用させていただきたいと思っております。

 それで、長江参考人にお伺いしたいのですが、長江参考人は技術者でもいらっしゃるということで、交通事故の現場への検証に立ち会われたことがおありなのかどうか。

 それと、きょうは人によっての要因を主に話される方が多かったわけですが、人ではなくて、車のどこかの不備とかモデルの不備とか、道路、信号、左折右折の問題等々、今科学的な論証も少しずつ日本でも検証されていますが、その辺の取り組みについてちょっとお伺いしたいのです。

長江参考人 私は、直接交通事故が発生したその直後に行ったことはありません。ありませんが、裁判で鑑定を頼まれたりしたときに現場へ行ったこともありますし、資料でいろいろと検討したことはあります。

 それから、もう一つの御質問ですけれども、実は、人的要因以外に何があるかという話は、多く新聞をごらんいただいているとわかっていると思いますけれども、例えば今、クルーズコントロールといいまして、高速道路を百キロで走るとき、ぽっとボタンを押しますと、運転している方は全く何も操作しなくても百キロでずっと走る、こういうものがあります。それがあるものですから、それの仕組みによっては、例えばスピードを出していくためにアクセルを踏んで、ぱっと戻しても、先ほどのクルーズコントロールのワイヤというかひもがひっかかっちゃって戻らなくなって暴走したとか、そういうようなことは大体クレームという形で、旧運輸省のときにはそれが出ていますので、そういうようなものもあります。

 それから、道路の状況が悪いとか、あるいは変形交差点で事故が多い。この辺も、実は各自治体の方で協議会というのがございまして、交通に関する、警察だけでなくて、道路だとかいろいろな部門の人たちが集まって、そしてそこで、事故多発地点をどうやって解消するかというようなこと、最近は民間の方も入っています。それからもう一つは、ここの道路はこういうふうにした方がいいということをどこへ言っていけばいいのか、これもきちんと明確にしている市町村も実はございます。

 そんなことで、皆さんに関心を持ってもらうことが結果的に事故を減らしていくことになるという考え方が、だんだんに具体的に動き出しているのかなというふうに私は理解しております。

北川委員 最近の車の技術というものの革新性というのを先ほどからもお伺いしていたのですが、逆に昔の車の方が、いじることが好きで、修理もしたり保全もしたり音の異常を敏感に感じ取ったりという、運転する側の車に対する愛着が持てたというのを言う方もあります。今のITに進み過ぎると、もうお手上げ、何かがあればとりあえずだれかに頼まないと直せないということで、ただ乗る人、乗せてくれる自動車という愛着関係のなさを指摘される方もあるのです。

 ちょっとそれとは視点が違うのですが、先ほどからのIC免許の問題で、長江参考人は、IC免許を有効に使えばいいのではないかというお立場だろうと思うのですが、今の技術で、IC免許の活用の仕方と、どういう情報を盛り込むことが可能、どこまで技術が革新しているかという点をお伺いしたいのです。

長江参考人 数年前に、実は運転免許証のICカード化というプロジェクトがありまして、私はそこの中の一員でありました。そのときに実は提案したのは、今の免許証と同じ厚さの中でチップが入れられるということになりましたので、現在ではETCといいまして、高速道路の有料道路を通過するのにプリペイドカードをやっておけばいいというのがありましたが、もう今実験段階で進めていますけれども、そういうような運転に関するものは免許証一枚ですべてできるような形にしたらどうかなというふうなこともそこの中では議論されました。

 ですから、技術的にはいろいろなものが入れられる。あるいは、最近は、いわゆる記憶回路というのは物すごく小さくなりましたから、下手をしますと、運転免許証の中にそういうものを入れておけば一日の運転状態というのが記録できるということも不可能ではないと思います。

 ですから、この辺はどんどん進んでいますからいいのですが、これまた先ほど申し上げていますように、技術者は、そういうことができるよ、できるよと言っているのですが、いざ使おうとなると、プライバシーの話があるからだめだとか、読み取る機械はみんなが持てるようなものでは困るとか、いろいろな問題がありますので、技術的に可能であってもそれが実用的に問題がないかという御検討をひとつしていただければ、技術的には現在は可能な範囲がかなり広がっていると思います。

北川委員 一応、今回の道交法の改正の中では一部ICカードの面が入れられておりまして、余りこれが表に出ていない形なんですけれども、先生たちの諮問機関の中で、プライバシーとの関係、実用に際しての問題点は、集約で、どういうところが最終的にポイントとしては話されたのでしょうか。

長江参考人 実は、先ほど言いましたように、技術的にはこういうことも可能だ、ああいうことも可能だというふうに申し上げましたが、メンバーの中に法律学者の方がいらっしゃいまして、最終的には、プライバシーの問題、あるいは情報管理をどういうふうにするのか、機密漏えいというようなことがあってはならないということで、これはもう数年前なんですが、当時、それで一応できるということはわかったのですが、実行に移すという話はなくなって、立ち消えになりました。

北川委員 それがまた一部浮上して、顔面認識の分が入ってきまして、あと余白の免許証になるという提案が今回あるのです。

 それで、その点が、結局は免許証を持っている本人が何が集積されてあるかというのを、読み取る機械を家に置かないとわからないわけで、では、そういう免許証に集積された情報をだれが読み取るのかというのが最もポイントだろうと思うのですね。

 それで、まず顔面認識からということだろうと思うのですが、顔面認識でも幾ばくかの問題点はあるのではないかという点を私などは思うのですが、先生はそれはいかがかということと、今はこれがさらに進んで、先ほども言いましたように、免許証というのはもう当たり前にだれでもが持っている。逆に言えば、ゼロ免許者に対しての社会身分的なものとして付与するとか、例えば自転車の免許ということも出てきていますよね。そういう世の中の多少の流れに対して、先生はどういうお考えを持っていらっしゃるのですか。

長江参考人 免許証の中に入れるものというのは、多分それは規定されているのだと思いますが、私が伺っている範囲では、現在ある免許証に記載されているものを入れる。では、なぜわざわざそれを入れるのかというと、実はそれは偽造を防止するということが一つあるんだというふうに聞いております。

 それからもう一つは、例えばスピード違反をして切符が切られるときに、一々免許証番号から全部書き写すというと非常に時間がかかる。それを読み取る機械があれば瞬時にして読み取れる。では、その読み取る機械というのは、年齢だとか住所だとか本籍だとかというのがわかってしまいますので、どうするのかというと、これは特別な細工をして、今でいいますと警察だけにしかそれを読み取ることができないもの、そういう機械を使うんだ、こういうふうな話を伺っております。

 ですから、個人が勝手に、これは前のときにそうだったのですが、例えば先ほど申し上げたプリペイドカードも、それにかえさせようとすると、預金がなくなれば出したり入れたりしなければならない、そういうようなことを免許証の中で書きかえるなんということは法律上できないんだという話があって、それは同じチップを別に入れたとしてもだめだということで、これは実現しないだろう、現行法上でだめだろうという結論が出たようです。

 ただ、今おっしゃったように、それでは何かというと、もしそのチップの中に入っているものを偽造されたならばわからないということだと思いますね。

 これも本当にいいか悪いかわかりませんが、最近セキュリティーが非常に発達してきまして、顔写真で照合するというのもあれば指紋で照合してやるというのもあります。この辺のセキュリティーの確保というのはいろいろなものがあるのだろうと思いますが、これも逆に言うと、指紋なんかとられると嫌だというようなことになれば、それは実現しないと思います。何かいわばコンピューターのハッカーのようなもので、大丈夫だというふうに対策を立てても入り込んでくるという追っかけっこをやっていますので、今回それをやったからといって万全だとは言えませんが、従来よりは免許証を持っている人にとっては利便性は非常に高まるのだろうというふうに私は考えております。

北川委員 ありがとうございます。

 では、井手参考人のお話の中で、先ほど車の総量規制をする、そして車に頼らなくても生きていける社会を目指すというのも必要ではないかというお話があったのですが、井手参考人の陳述書の中にもあります、更新時の講習会がありますよね。この講習会が今は生きていない。生きていないけれども、義務づけられているから、とりあえず、今回五年に一回になりましたが、今まで三年に一回あったと。生きた講習会にしようというような具体的な試みといいますか、ここにも多少のことは書いていただいているのですが、具体的に生きた講習会というものをどういうふうにイメージされているか、お伺いしたいのですが。

井手参考人 講習会につきましては、先ほども申し上げましたけれども、現在は視力の検査とあとはビデオを見るだけ。これでは講習する人は非常に精神的に負担なんですね。そうじゃなくて、本当に講習を受けてよかったと言われるようなカリキュラムをつくってもらいたいと思います。そのためには、例えば適性検査とかそういうものが実際行われておりますから、本当に実りある検査をしていただきたいと思っています。

 それから、ちょっと御質問じゃないのですけれども、ICカードを普及させるためには、やはり技術的なものだけではだめなので、経済的な優遇措置というかそういうものもICカードの中に使用する場合には組み入れないとなかなか普及しない。やはり、全国に普及させるためにはそういう優遇措置を必ずとっていただきたいというふうに思っております。

北川委員 では、時間が来ましたので、きょうは本当にどうもありがとうございました。

横路委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。

 参考人の皆さんには、貴重な御意見を長時間いただきまして、まことにありがとうございました。ただいま皆さんからいただきました御意見を踏まえて審議を進めてまいりたいと思っております。委員会を代表して心から御礼申し上げます。ありがとうございました。

 次回は、来る二十五日金曜日午前八時五十分理事会、午前九時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後三時五十一分散会




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