衆議院

メインへスキップ



第5号 平成19年12月7日(金曜日)

会議録本文へ
平成十九年十二月七日(金曜日)

    午前九時三十二分開議

 出席委員

   委員長 平沢 勝栄君

   理事 河野 太郎君 理事 高木  毅君

   理事 三ッ矢憲生君 理事 山口 泰明君

   理事 山中 あき子君 理事 近藤 昭一君

   理事 武正 公一君 理事 丸谷 佳織君

      愛知 和男君    伊藤信太郎君

      猪口 邦子君    宇野  治君

      小野 次郎君    塩崎 恭久君

      篠田 陽介君    鈴木 馨祐君

      中山 泰秀君    三原 朝彦君

      御法川信英君    山内 康一君

      北神 圭朗君    篠原  孝君

      鉢呂 吉雄君    松原  仁君

      上田  勇君    笠井  亮君

      照屋 寛徳君

    …………………………………

   外務大臣         高村 正彦君

   内閣府副大臣       山本 明彦君

   外務副大臣        小野寺五典君

   外務副大臣        木村  仁君

   防衛副大臣        江渡 聡徳君

   外務大臣政務官      宇野  治君

   外務大臣政務官      中山 泰秀君

   国土交通大臣政務官    金子善次郎君

   防衛大臣政務官      寺田  稔君

   政府参考人

   (内閣府大臣官房遺棄化学兵器処理担当室長)    西  正典君

   政府参考人

   (外務省大臣官房長)   塩尻孝二郎君

   政府参考人

   (外務省大臣官房外務報道官)           坂場 三男君

   政府参考人

   (外務省大臣官房審議官) 梅本 和義君

   政府参考人

   (外務省大臣官房参事官) 伊原 純一君

   政府参考人

   (外務省大臣官房参事官) 小原 雅博君

   政府参考人

   (外務省大臣官房広報文化交流部長)        山本 忠通君

   政府参考人

   (外務省総合外交政策局軍縮不拡散・科学部長)   中根  猛君

   政府参考人

   (外務省北米局長)    西宮 伸一君

   政府参考人

   (外務省国際協力局長)  別所 浩郎君

   政府参考人

   (外務省国際法局長)   小松 一郎君

   政府参考人

   (厚生労働省大臣官房審議官)           荒井 和夫君

   政府参考人

   (防衛省地方協力局長)  地引 良幸君

   政府参考人

   (国際協力銀行理事)   新井  泉君

   参考人

   (独立行政法人国際協力機構理事)         金子 節志君

   外務委員会専門員     清野 裕三君

    ―――――――――――――

委員の異動

十二月七日

 辞任         補欠選任

  野田 佳彦君     北神 圭朗君

同日

 辞任         補欠選任

  北神 圭朗君     野田 佳彦君

    ―――――――――――――

十二月四日

 沖縄県名護市辺野古地区への新基地建設の白紙撤回及び普天間基地の即時撤去に関する請願(川内博史君紹介)(第六八二号)

同月七日

 沖縄県名護市辺野古地区への新基地建設の白紙撤回及び普天間基地の即時撤去を求めることに関する請願(赤嶺政賢君紹介)(第八九四号)

は本委員会に付託された。

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 政府参考人出頭要求に関する件

 参考人出頭要求に関する件

 国際情勢に関する件


このページのトップに戻る

     ――――◇―――――

平沢委員長 これより会議を開きます。

 国際情勢に関する件について調査を進めます。

 この際、お諮りいたします。

 本件調査のため、本日、参考人として独立行政法人国際協力機構理事金子節志君の出席を求め、意見を聴取することとし、また、政府参考人として外務省大臣官房長塩尻孝二郎君、大臣官房外務報道官坂場三男君、大臣官房審議官梅本和義君、大臣官房参事官伊原純一君、大臣官房参事官小原雅博君、大臣官房広報文化交流部長山本忠通君、総合外交政策局軍縮不拡散・科学部長中根猛君、北米局長西宮伸一君、国際協力局長別所浩郎君、国際法局長小松一郎君、内閣府大臣官房遺棄化学兵器処理担当室長西正典君、厚生労働省大臣官房審議官荒井和夫君、防衛省地方協力局長地引良幸君、国際協力銀行理事新井泉君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

平沢委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

平沢委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。近藤昭一君。

近藤(昭)委員 おはようございます。民主党の近藤昭一でございます。

 国際情勢ということで質問させていただきたいと思います。

 日本そしてアジアの平和と発展に、私は、アジア諸国との関係というのが非常に重要だと思います。残念な戦争がありまして、多くの被害を諸国に与えた。しかし、その中で、未来志向できっちりといこうということで、さまざまな外交活動またあるいは民間の活動が行われていると思います。

 そういう中で、私は、最近の日本と韓国の間の問題で質問させていただきたいと思います。

 私は、もちろん未来志向でいく、しかし、そのためには、やはり解決しなくてはいけない過去の問題がたくさん、未来志向ということでたくさんあるんだと思います。

 そういう中で、二〇〇四年の十二月でありました、小泉当時総理と盧武鉉韓国大統領との会談で、日本に強制連行されて命を失った多くの方の遺骨がある、それを調査して、やはり遺族のもと、家族のもと、祖国へ戻そう、それを日韓で共同をしよう、そしてそのための共同の仕組みを調査していこう、こういう仕組みができた、これは非常に重要なことだと思います。戦後大変な長い時間がたつ中で、遅きに失した感はあるわけでありますが、一歩一歩そういうことを進めていく、非常に重要なことだと思うわけであります。

 そういう中で、合同の調査が行われてきた。私は、違う委員会でもこの件に関しまして質問させていただいたことがあるわけで、なかなか進まないことに対して要請もさせていただいたわけでありますが、さきに、十一月の二十日、日韓の首脳会談、そこで日韓の外相会談もあったわけでありますが、福田新総理と盧武鉉大統領との間で、祐天寺にある、東京都の目黒区でありますが、この遺骨、百体ほどと聞いておりますが、それを来年の一月末をめどに返還をしよう、こういうふうに話し合いが持たれたというふうに聞いております。

 そこで、先ほど申し上げました未来志向でいくためにも、しっかりと過去のことを清算していかなくてはならない、お互いの国の国民の一人一人の気持ちを大切にしていかなくてはならない、そう思うわけであります。

 そういう中で、この返還に当たって、供養を兼ねた追悼式があるというふうに聞いておりますが、どのような追悼式が行われるのか。例えば、韓国の家族を呼ぶのか、また韓国側から、やはり遺族が、お父さんあるいはおじいさんになるのかもしれませんが、亡くなったときの状況を知りたい、どんな場所でどういう形で亡くなったのか、そういうことを知りたい、こういう要請がある、そのことを遺族に伝えられるのか、またその際の費用等についてはどのように負担をされるのか、お聞きをしたいと思います。

高村国務大臣 十一月二十日の日韓首脳会談で、委員がお話しになったようなことが話し合われたわけでありますが、東京の祐天寺には、朝鮮半島出身の旧軍人軍属の方々の御遺骨約千百体余りが保管されておりまして、二〇〇四年の首脳会談において、盧武鉉大統領から、これらの御遺骨を韓国国内の御遺族に返還するための作業を加速化したい旨の発言がありました。

 その後、日韓両政府が鋭意調整を行ってきたところ、来年一月までをめどに御遺骨約百体が御遺族に返還されることになりました。

 このような経緯を受けて、十一月二十日の日韓首脳会談では、福田総理から、これらの御遺骨が返還される運びとなったが、今後もこのような協力を進めていきたい旨伝え、これに対して盧武鉉大統領より謝意の表明がありました。

 日本政府としては、御遺骨を返還する際には、御遺族を日本に招待することを検討しており、現在、その方向で韓国政府と調整を進めているところでございます。

 そして、いろいろ経費等についても御質問がありましたが、過去に御遺骨を返還した際には、御遺族に対して弔意を表するとの趣旨で弔慰金をお渡ししているということでございます。

荒井政府参考人 御遺族の方が返還に際して、どういう状況で亡くなったか知りたいというお尋ねでございましたが、朝鮮半島出身者の旧軍人軍属の御遺族の方に御遺骨返還の手続をするに当たりましては、戦没者の氏名、生年月日、本籍地や死亡年月日はもちろんのこと、死亡場所や死亡の際の状況なども示した資料を外務省を通じて韓国政府の方にお渡ししてございます。

 したがって、御遺族の皆さん方に対しては、韓国政府を通してこれらの資料が提供されているというふうに承知しております。

近藤(昭)委員 これは、そうすると、外務省を通じて韓国政府、そして韓国政府から御遺族に今お話があったような内容をお伝えいただく、そして、その際に、前例に倣ってというか弔慰金が支払われるということで、また、その遺族が渡航される費用あるいは今回の追悼式の費用等々は日本側が負担をするという理解でよろしいでしょうか。

伊原政府参考人 韓国政府と細部にわたってまだ調整はしておりますけれども、基本的には、今委員の御指摘のような理解で結構かと思います。

近藤(昭)委員 その際、追悼式が行われる、弔慰金もお渡しをするということでありますが、先ほど申し上げましたように、これからの日韓関係、以前厳しい時代もありましたが、最近非常によくなっている、よくなってきた、そういう過程にあると思います。

 そういう意味で、やはり、こうしたことを一つ一つ解決するということが、取り組んでいくことが大切だと思うんですが、この追悼式の席上で、私、席は、まずもちろん関係の遺族等々が御出席なされるわけですが、やはり日韓が、お互いの国民が理解を深めていくという意味では、一般の方も参加できるような形、開かれた形でやるべきだと思うんですが、いかがでありましょうか。

 それと、その席上で、日本政府として、どのようなおわび、追悼の言葉をされる予定なのか、お聞かせいただければと思います。

荒井政府参考人 お答え申し上げます。

 関心を持つ一般市民の参加もしたらいかがか、そういう御指摘だと思います。

 今回の慰霊祭につきましては、韓国にお住まいの御遺族の方々が参加される方向で調整が行われていると聞いております。したがいまして、そういう中では、厳粛な式典が望ましいのではないかと考えております。したがって、どのような式典が御遺族のお気持ちに配慮したものとなるか十分に検討し、そのためには、韓国側とも十分に協議をしながら具体的な手続を進めていきたいというふうに思っております。

近藤(昭)委員 もちろん厳粛な式典になる。ただ、この問題というのは、日韓の理解を深めよう、また、本当に亡くなった方の気持ちを思うと一刻も早く返還をしようということで尽力をされてきた関係者の方がおられるわけであります。そういう方々にとっても大変に重要な式典になる。

 そういう意味では、今御答弁の中でいただいた韓国側の意向も確認という中で、例えば、ぜひそういう方も、限られた、確かに自由に参加できるというのも、必ずしも何でもかんでもそれが開かれた、実質的に私は開かれているべきだということで思うんですね。ですから、だれでも参加できるということが、決して、すべてオープンでいいという意味ではなくて、やはり参加したい、参加していただいた方が日韓の相互理解のためにはいいという方、韓国側からも、こういう方を呼んで一緒に追悼してもらいたい、こういう方がいれば、日本としても、政府としても、前向きにというか参加していただくような形でお考えいただけるということでありましょうか。

荒井政府参考人 お答え申し上げます。

 先生の御意見、いろいろいただきました。どのような式典が遺族のお気持ちに沿うかということを中心に考えて、韓国側と十分に協議していきたいというふうに思います。

近藤(昭)委員 ぜひ、討議ということではなくて、私は、討議というと、韓国側からあるけれども、それはまた問題というか、そこはなかなか警備上の問題とか何とかということでできないとか、そういうことにならないようにお願いをしたいと思います。

 さて、もう一つ今御質問させていただきました。その席上で、一体どのような政府としての談話といいましょうか、そういうものが発表されるのか、お教えいただければお願いしたいと思います。

高村国務大臣 政府といたしましては、当時多数の方々が不幸な状況に陥ったことは否定できないと考えておりまして、戦争という異常な状況下とはいえ、多くの方々に耐えがたい苦しみと悲しみを与えたことは極めて遺憾であったと考えております。

 なお、政府としては、過去の歴史に関し、これまでもさまざまな形で繰り返し反省とおわびの気持ちを表明してきております。御遺族の方々への具体的な対応につき検討するに当たっては、今申し上げたような気持ちを踏まえていきたいと思っております。

 最終的にまだ決まっておりませんが、そういう気持ちを踏まえて対応していきたいと思っております。

近藤(昭)委員 高村大臣におかれましては、先般もシンガポールで会談をなさった。私は本当に、先ほど申し上げたアジアとの関係をどうしていくか、それが日本の平和と、平和だけではなくて発展というものにつながっていくと思います。

 本当に戦争は異常な状況、今高村大臣も触れられたように、異常な状況だと思います。本当に普通の人が普通でない行動をしてしまうようなことがある。ただ、私は、一つ踏まえていただきたいのは、やはりこの戦争を起こしたのが日本側だったということは、ぜひそこにおとめ置きをいただきたいわけであります。

 ところで、次の質問に移りたいと思いますが、今回の遺骨の返還ですけれども、軍人軍属の方の遺骨だというふうに聞いております。民間から徴用された人たちの遺骨の返還がなかなか進んでいない、こういうふうに心配をしておるわけであります。軍人であろうと、軍属であろうと、民間で徴用された人たちであろうと、それは遺族にとっては本当につらい気持ちであるわけであります。

 御承知のとおり、一九三九年に当時の政府が閣議決定をされた労務動員実施計画、「朝鮮人ノ労力移入ヲ図リ適切ナル方策ノ下ニ特ニ其ノ労力ヲ必要トスル事業ニ従事セシムルモノトス」、そういうことによって決定をして、朝鮮半島から強制連行して働かせた。それが民間徴用者であるわけでありますが、この人たちの遺骨の返還のためにも、厚生労働省に人道調査室というのがあるわけであります。日韓で共同で調査をしているわけであります。ここでも遺骨のことが調査をされている。

 ただ、お聞きしますところによりますと、百体ほどの身元がわかった。各自治体あるいは企業に調査をかけた。そして、約千七百二十体の遺骨が見つかった。そのうち百体の身元が確認された。ところが、身元はわかったけれども、その家族、遺族が見つかっていない、こういうふうに聞いておりますが、それは事実でありましょうか。

高村国務大臣 政府は、平成三年及び四年に韓国に対し、いわゆる朝鮮徴用者等の名簿を提出しましたが、この中には、朝鮮半島出身者を雇用していた六百強の当時の企業名が掲載されているわけであります。外務省は、これらの企業のうち、現存する企業及び合併等により名称を変更して存続が確認された企業、計百二十五社に対し、平成十六年九月より実態調査を依頼しているところであります。

 御協力いただいた企業との関係もあり、調査結果の詳細につきお答えすることは差し控えますが、現時点で、六社一団体より計百四十七体の遺骨の所在に関する情報が寄せられております。

 政府としては、今後とも、当時朝鮮半島出身の民間徴用者等を雇用していた企業が新たに判明した場合、実態調査を依頼する方針でございます。また、平成十七年六月より、民間企業に対する調査として、地方公共団体及び宗教団体に対し、朝鮮半島出身の旧民間徴用者等の遺骨の所在に関連する情報提供をお願いしているところでございます。とりあえずはそういうことです。

伊原政府参考人 若干の補足をさせていただきます。

 今、大臣が申し上げましたとおり、そのような形で、国内の関係者の幅広い協力を得て実地調査をした結果として、委員御指摘のとおり、千七百二十体の御遺骨の所在に関する情報を得て、その千七百二十体の御遺骨に関する情報をもとに、これまで八回の日韓の共同調査、それから十六回の実地調査等を行った結果として、約百体について、名前等、さらなる情報が明らかになって、こういった御遺骨について、韓国側に伝達をして、日韓で協力してその返還に向けた作業を行ってきておりますけれども、委員の御指摘のとおり、残念ながら、現在までのところ、これらの御遺骨につきましては、まだ御遺族の特定に至っていないというところでございます。

 いずれにしましても、外務省としましては、人道的観点から、可能な限り迅速にこれらの御遺骨が返還できるよう、関係省庁と連携して、引き続き最大限努力してまいりたいというふうに考えております。

近藤(昭)委員 今御答弁をいただいて、遺骨の身元はわかったけれどもその御遺族が見つかっていないということなんです。ただ、私が大変に心配をしておりますのは、せっかくこうして調査をする、それが、さっき申し上げた、やはり遺族にとってみれば、あの戦争が何だったのか、やはり未来志向でいくためには、一つ一つ、人は、命は戻ってはまいりません、しかしながら、やはり、自分の家族がどのような状況で亡くなったかを知り、その遺骨をやはり戻してほしい、遺骨はあるわけでありますから、多分、間違いなく、韓国の遺族からすると、その中に自分の遺族の骨があると思うと、とにかく返してもらいたいと思うのが人情で、人の心だと思います。

 そういう意味で、私は、ぜひ大臣にお願いをしたいわけでありますが、今回も、先ほど、今大臣もお話しいただきましたように、全国の企業に調査を依頼した。ただ、非常にアンケート的なものでして、それぞれを出す、すると向こうから来るということで、また、それぞれの企業の内部の情報もあるということでありましたが、かつて、これは一九四六年でありますけれども、外務省は華人労務者就労事情調査報告書、こういうのをつくっておられるわけであります。これは全部で二十五冊、延べ二万ページ、厚さにすると五メートル以上あるという、ここに私も一部だけ持っておりますけれども、大変に分厚い、充実した調査がされている。つまり、これはアンケートしただけではなくて、当時関係者がそれぞれの現場へ行って調査をしてきた、まさしく調査なんです。アンケートを出してそれに答えただけ、それをまた、それぞれの企業のことがあるから出せないということではなくて、かなり綿密に調査をした結果があるわけであります。

 こうしたことをぜひ私はこの朝鮮半島の関係の皆さんにもやっていただきたいわけでありますが、大臣、いかがお考えになられますでしょうか。もう百体は、身元はわかっているのに遺族がわからない。遺族がわかれば、少なくともこの百体の方は遺族のもとに戻ることができるわけでありますから。

 それともう一つ。確かに難しいところもあるのかもしれませんが、先ほども申し上げましたように、幾つかの民間団体が、遺族を見つけ出して個別に返そう、こういうこともやっていらっしゃるわけでありますから、政府としてはもっとできるはずだ、こういう認識でおります。よろしくお願いします。

高村国務大臣 委員の御指摘も踏まえて検討していきたいと思いますが、華人労務者就労事情調査報告書は終戦直後の昭和二十一年に取りまとめたものであり、これから六十年以上たって行っている朝鮮半島出身者の場合、非常に困難を伴うことは御理解をいただきたい。なぜ今までやらなかったのかということはもちろんありますけれども、今からやることについては、相当困難もあると思いますが、委員の御指摘も踏まえて、どういうふうにするのか検討していきたいと思います。

近藤(昭)委員 ぜひ高村大臣、本当に我が国にとっても、政府としても、日本の関係の被害者もおられるわけでありますが、そうしたことは日本であろうと韓国であろうとどこであろうと、家族の気持ちというものは大事であります。それを政府がきちっとバックアップしていくということは、我が国であれ、あるいは私どもの国が関係するほかの国であれ、非常に重要であると思うんですね。そういう意味で、ぜひ我が国が、しっかりと相互の理解をするために、我が国もこうしてやるんだということで見せていただきたいと思います。

 こんな報道をちょっと見ましたので、確認をさせていただきたいと思います。

 先ほどのシンガポールの日韓首脳会談であります。盧武鉉大統領は、日本の植民地時代の朝鮮半島外への強制連行に関して、記録、資料の共有化を要請したと。記録、資料を共有化して合同で解決していこうということだと思います。福田首相は承ったと述べたと共同通信が報じているということであります。それについて、報道の内容が事実かどうか。そして、その意味は、まさしく今申し上げた、記録、資料を共有化し問題に役立てていく、こういう共通の認識をお互いに持った、こういう理解でいいかということを確認させていただきたいと思います。

伊原政府参考人 今委員のお話にありました、十一月二十日の日韓首脳会談において、福田総理より盧武鉉大統領に対しては、先ほど来の祐天寺に保管されている旧軍人軍属の遺骨について御遺族に返還されるという話をいたしまして、今後もこのような協力を進めていきたいといったことを盧武鉉大統領に伝えましたのに対して、盧武鉉大統領から、謝意を表明するとともに、日本側の記録について共有できるものは共有してほしいといった要請はございました。これに対して、福田総理からは、お話を承りましたという発言をしております。

 今回の盧武鉉大統領の御要請につきましては、必ずしも特定の問題に関するものではございませんで、首脳間のやりとりの話の流れからいたしまして、大統領の御発言の趣旨は、今回返還される遺骨に関する記録、資料、それから民間徴用者等に関する記録、資料、こういったものの提供を一般的に要請したものであったというふうに理解をしております。

 したがって、政府といたしましては、今後とも、韓国政府からの具体的な資料の提供要請がある場合には、外務省として、関係省庁とよく御相談をして、どのような対応が可能か、鋭意検討していきたいというふうに考えております。

近藤(昭)委員 質問の時間も限られてまいりましたので、今の問題と少し関連をさせてぜひ高村大臣に御答弁をいただければと思うんですが、ぜひ今の、共通な記録、資料、一般的だといっても、その一般の中にこのことも入るわけですから。そして今、非常に重要な問題であると思うんです。日本から強制的に拉致をされた家族の方のこと、私もやはり日本の国会議員として本当に心痛む、そのことを解決しなくちゃいけないと思う。そして同時に、それが平和につながっていくということであれば、やはり私どももやるべきことはやる、そういうことだと思うんですね。そういうことで、調査をしっかりしていただきたい、資料を共有していただきたい。

 そういう中で、私は少し大臣に御提案というか申し上げたいわけでありますけれども、さまざまな資料、それぞれの企業、自治体に調査をする、ぜひやっていただきたいとともに、我が国の方に身元を確認するための資料がたくさんあるのではないかと思うわけであります。ちょっと早口になりますが申し上げますと、厚生年金名簿、供託書副本、戸籍の届け出書、戸籍受付帳、埋火葬許可の記録、GHQ地方軍政部の各種名簿、オランダなど海外からの引き揚げ名簿、鉱山などの変災報告書、所管庁が保管している名簿記録のほかに、民間の研究者なども所有をしている名簿がある、まあ民間に協力を依頼するということでありますが。大学、図書館、博物館などにある各種名簿、記録、そして企業が所有している各種名簿、記録、寄留名簿、当時の選挙人基本台帳、配給台帳、当時日本で労働を強要された、そういう人たちに関する資料がたくさんあるわけであります。

 私は、そういったものをぜひ政府として積極的に調査していただいて、今、一刻も早く家族のもとに遺骨を返還していただきたい。身元をはっきりさせる、身元がはっきりした方の家族をはっきりさせる、そういう作業をしていただきたいと思うわけであります。大臣、いかがでありましょうか。

高村国務大臣 いろいろ資料をお挙げになりましたが、日本側に保管されている厚生年金名簿や供託書等の情報の提供が既に要請されておりますから、こういうものについては日本政府として可能な限り協力していく考えであります。さらに韓国政府から具体的資料の提供につき要請がある場合には、外務省として、関係省庁と相談し、いかなる対応が可能か検討していきたいと思っております。

近藤(昭)委員 今、大臣は非常に重要な答弁をいただいたと思います。韓国政府から、韓国政府というか、向こうの真相究明委員会、向こうの調査委員会があるわけでありますから、そこが政府を代表して、政府の機関としてやっている。そこからあれば、きちっと検討して、先ほど、盧武鉉大統領との会談で、記録、資料を共有化し、お互いに協力し合って取り組んでいく、そういうことと理解してよろしいでしょうか。

高村国務大臣 そのように理解していただいて結構でございます。

近藤(昭)委員 ありがとうございました。

平沢委員長 次に、松原仁君。

松原委員 きょうは外務大臣含め関係の皆さんに御質問をさせていただきます。

 いわゆる政府見解によれば、赤剤や緑剤を充てんした化学兵器を他国に遺棄した場合、これは廃棄義務を負う、条約がありますので。これらの化学兵器が国内で発見された場合どうかということについて、まずお伺いしたい。

中根政府参考人 お答え申し上げます。

 国内で発見された場合との御質問でございますけれども、その発見されたときの態様等々にもよりますけれども、我が国の場合には一件そういう事例がございまして、そのときには、化学兵器禁止条約機関の人間にも立ち会っていただいて廃棄をしたということがございました。

松原委員 だから、これらの化学兵器が国内で発見された場合は廃棄義務があるのかどうかということで、明快に答えていただければ結構です。

中根政府参考人 当然、化学兵器ということで我が国としては解釈しておりますので、国内で発見された場合にも廃棄義務が条約上あるというふうに……(松原委員「ちょっと、はっきりしゃべってください」と呼ぶ)廃棄義務があるというふうに理解しております。

松原委員 つまり、これは国内においても廃棄義務があるということですね。わかりました。

 それでは、いわゆる日中覚書で中国における遺棄化学兵器等は一つ進んできたわけでありますが、この段階において、当時は政府は武装解除の際に兵器を引き渡した目録はないという認識であったかどうか、これは事実関係だけ確認をしたいと思います。

小原政府参考人 お答え申し上げます。

 平成十一年に日本国政府及び中華人民共和国政府による中国における日本の遺棄化学兵器の廃棄に関する覚書を交わした段階におきましては、いわゆる兵器引き渡し目録といった、通常の武器等の引き渡しに関する記録は存在しているものと認識しておりました。(松原委員「いる」と呼ぶ)はい。通常の武器等の引き渡しに関する記録は存在しているものと認識しておりました。平成十年四月二十八日の答弁におきましても、通常の武器等については、武装解除のときの引き渡しの記録もある程度あるというようなことを答弁しております。

松原委員 まさに武装解除というのは徹頭徹尾行われたわけでありまして、先般のNHKの、これは番組名は「その時歴史が動いた」ですか、完全に武装解除をされたとテロップで流れておりまして、生き残った証言者が、八月九日の段階で突然、そこの原住民というか住んでいる方々に囲まれ、どんどんと略奪をされたと。男性なぞは、そのときの証言者、「歴史が動いた」の中の証言で、パンツまではぎ取られる人間がいたと。武装解除も含め、徹頭徹尾こういった混乱した状況が、恐らく番組でも報道されているようにあったんだろうというふうに思います。

 そうした中で、いわゆる一九四五年に終戦があった大戦のときに、ソビエト軍は化学部隊があったのか、もしくは化学兵器を持っている部隊があったのか、お伺いしたいと思います。

小原政府参考人 お答え申し上げます。

 当時、ソ連軍及び中国軍においても化学兵器が配備されていたとする旧日本軍関係資料が存在していると承知しております。また、日本軍が中国軍より化学兵器を使用した攻撃を受けたとする旧日本軍関係資料も存在しているということは承知しております。

松原委員 要するに、当時においては、ソ連軍、国民党軍双方、化学兵器、毒ガス兵器を部隊の中にきちっと持っていたということは、外務省としてはそういう認識なのかということをお伺いしたい。

小原政府参考人 支那派遣軍の毒ガス戦教育の参考書であると言われております「化学戦教育之参考」という中におさめられております「極秘敵軍毒瓦斯使用調査 支那派遣軍化学戦教育隊」という資料がございまして、この資料の中で、一九三七年十二月から三九年九月までの間、中国軍が日本の支那派遣軍に対して毒ガス兵器を使用したというような記述があるということを承知しております。

松原委員 それを承知しているということは、外務省もその認識を持っている、つまり、当時の中国軍が毒ガス兵器を持ち、しかもそれを使ったということを、外務省はそのように認識している、こういうことでよろしいですか。

小原政府参考人 繰り返しになりますが、そうした資料が存在しているということにつきまして我々としては認識をしておるということでございます。

松原委員 昭和十二年の十月二十日の当時の新聞、今の朝日新聞になりますが、その新聞の中に「毒ガス弾下を衝く 人馬・マスクで進撃」、こういうふうな記事が載っております。要するに、中国側の毒ガス攻撃に対して、当時の日本人は動物に対しても愛情これ深く、人間だけが防毒マスクをするんじゃ申しわけない、馬にも防毒マスクをして進軍した、こういう記事があるわけでありますが、この記事は承知をしておりますか。

小原政府参考人 先生御指摘のような報道があったことは承知しております。

松原委員 大臣、ここで大臣がどういう御認識をしたかということもちょっと聞いておかなきゃいかぬわけであります。

 当時の戦争において、ソビエト、中国ともにこういった化学兵器を使っていた、しかも軍の機密の資料にも中国側が使ってきたというデータがあり、また当時の朝日新聞においても、毒ガス弾下、人馬マスクで進軍と極めてリアリティーのある記事が載っているわけでありまして、当時のあの地域における戦いにおいて、化学兵器は、当然日本も使ったであろうけれども、中国もソビエトも使っていたということはもう事実だと思うんですが、このことについて、大臣としての所見、感想をお伺いしたい。

高村国務大臣 私自身、そのことについて十分な知見があるわけではありませんが、今政府委員が答弁したような事実がありますから、委員が指摘したような可能性はあり得た、こういうふうに思っております。

松原委員 まあそれは、その場にいたわけではありませんから。そのときその場にいた人は今生きていたら九十歳ぐらいですから、なかなかこの委員会室の中でもそういう人はいないわけでありますが。

 要するに、当時においては化学兵器を、日本も含めて、そこでお互いに角を突き合わせてきた中国軍、中国軍は、この朝日新聞の報道でも明らかに、一般の新聞の紙面にも載っているわけであって、もちろん、当時の日本の軍の機密文書にも具体的な事例が書いてある。恐らく、探せば当然ソビエトも同じものは事例としてあると思うんですよ。ソビエトの方がもっとあるかもしれない。つまり、日本もソビエトも中国も当時においては化学兵器を使っていた、その戦場において使っていたということを我々はきちっと認識をする必要があると思うんです。

 だから、確かに当時も、第一次世界大戦のときの化学兵器というのは遺棄化学兵器の対象になりませんから、ドイツなんかは当時大分やったわけでありますが、これに関しては、変な話ですが、それぞれ、その化学兵器が残っている、埋まっているところの自国が処理しましょう、こういう話ですが、その後はいろいろな経緯があって、化学兵器の使用はよろしくない、しかし、化学兵器で攻撃されたときの反撃には使っていいという議論があったり、また、製造、保持まではだめだという議論ではなかったというのが当時の時代背景であるというふうに私は思っているわけであります。

 したがって、しばしば内閣府の、きょうは呼んでいないと思うんですが、来ていますか、いわゆる遺棄化学兵器室が言うように、それを隠さなければいけないから埋めたという議論は、私は、こういった流れからすると、隠す必要があるという議論は、もうみんなこうやって使っているんですから、そこの論理だけで日本が遺棄化学兵器を、一般通常弾と異なって遺棄したという理由にはならないというふうに思っているわけであります。

 次に、既に大臣を含めて資料が行っていると思うんですが、これはソビエトとの戦いに関しての資料であります。いわゆるソビエト軍の極東の軍のトップでありましたワシレフスキーから山田大将に対する命令書というのが、ここにコピーがあるわけでありますが、この命令書、原語はロシア語で書かれております。それは、関東軍総司令官山田大将殿ということで書いてありますが、この文章の一部を、私が前に一度、きのうレクの段階でここを読んでくれと言った部分に関してお読みいただきたいと思います。

小原政府参考人 委員より提供のございました御指摘の資料でございますが、資料のホの部分にございます、「四五年八月二十二日の朝までに極東ソ連軍総司令部に提出すること。一、関東軍のあらゆる師団、部隊のリスト。二、後方の部隊、施設、保管庫とそこにある弾薬リスト」でございます。

松原委員 それに対して関東軍が、ちょっとこの文書に関しては、シベリア文書でありますので、これまたいろいろと確認の要もあるかもしれませんが、少なくとも兵器引継目録というのが関東軍から出されておりまして、その中でいろいろと書かれているわけであります。この中で、私は、恐らくおびただしい弾薬がソビエト軍に対して引き渡されている、この中には化学弾も含まれているんだろう、こういう認識を持っているわけであります。

 そこで、お伺いしたいわけであります。シベリア史料館が所蔵する、旧日本軍関東軍がソ連軍に兵器の引き渡しを行った際に作成された総括目録の写しがある。その砲、大砲ですね、山砲とかありますが、この中で化学兵器を装てんできるものはどれか、お伺いしたい。

小原政府参考人 外務省といたしましては、確たることは申し上げられませんが、専門家によりますれば、記載のある砲身のうち、九二式十糎加農砲、四年式十五糎榴弾砲、三八式野砲、九〇式野砲、四一式山砲、九四式山砲、九一式十糎榴弾砲、九四式軽迫撃砲、これら八つの砲身につきましては化学兵器を装てんできる可能性があると承知しております。

松原委員 まさにそれが化学兵器を装てんできる可能性があるものであります。

 そうすると、それに装てんできる弾薬がこれだけ渡されている中で、平たく考えれば、さっき申し上げたように、当時、化学兵器を使うということは中国軍もやっていた、ソビエト軍もやっていた、恐らく日本軍もやっていたでしょう。そういう双方が三すくみでやっている中において、隠す必然性がそこまで高くないのであれば、しかもNHKの「その時歴史が動いた」でも書いてあるように、本当にそういう状況で徹底した武装解除が行われた。

 後でさらに時間があれば付随して言いますが、関東軍総司令部からソビエト軍に対して出された資料の中で、極めて日本人というのは緻密でありますから、何が書かれていたかというと、それに関して、例えば、必ず将校は武装譲渡に際して各部隊ごとに品目、員数を記載する引き渡し目録を添えて武装解除しなさいと。シベリア図書館の他の資料は中国に対してもかなり緻密なものがあるわけでありまして、こういうふうなものが当然あるわけでありまして、私は、恐らくそこには化学兵器、化学弾も含まれていただろう、こういうふうに認識をしているわけであります。

 私は、結果としてこういったものが、向こう側、いわゆる武装解除された相手に引き渡されていたというふうに考えるべきだと思いますが、これについて大臣の御所見をお伺いしたい。

高村国務大臣 御指摘の資料における弾薬の記述からは、それらが化学弾あるいは通常弾のいずれであるかは明らかでないわけであります。今、化学弾を装てんできる可能性がある砲身であっても、それらは通常弾も装てんができるわけであります。

 したがって、化学弾を装てんできる可能性がある砲身であることのみをもって、この資料に化学兵器が含まれていたか否かを判断することは困難なんだろうと思います。

松原委員 私は、全体的な状況を考えれば、この間も、そこに化学弾がなかったという証明は全くできないと。大臣は、それを証明しなきゃいけないと言うけれども、私は、含まれていなかったということは全く証明されないということは申し上げたところであります。

 そうした中で、私は、文書を徹底的にやはり調べるという作業が、真贋を、事実かどうかということを明らかにするために必要だということを申し上げたいわけであります。

 いわゆる斉藤六郎さんが頑張ったシベリア史料館というのは、彼が先人の名誉のために、さまざまな意味において日本軍はそんないいかげんなことをしなかった、そういったことをきっちりするために、いろいろなものをソビエトに行って集めてきた。きょう、たまたま一つの資料をプラスして、そこに置いてあるわけであります。既に大臣もお読みになったと思うんですが、ここに、瀬島さんから出されたと言われる文書があります。

 文書は、「件名」が、軍事機密、極秘、秘密と三つの段階があるわけでありますが、一番上の「機密」というところに丸がしてあるわけであります、「原子爆弾保管ノ件」と。恐らく、これは文書からいくと東京に保管されていたんだと思うんですね。「長崎ヨリ東京ニ持帰リタル不発原子爆弾ヲ速カニ「ソ」聯大使館内ニ搬入保管シオカレ度、返」、こう書かれているわけでありますが、この存在を大臣は御存じでしたでしょうか。

高村国務大臣 今資料を見て知りました。

松原委員 これは、この資料の真贋も含めて議論をしていかなければいけないと私は思っております。

 瀬島さん、故人でありますが、当時ソビエトとの終戦交渉というものをまだやっている最中であったのではないかと思います。これは、文書が真実であるとするならば、「長崎ヨリ東京ニ持帰リタル不発原子爆弾」、こう書いてあるから、長崎には不発原子爆弾が事前に一発落とされていた、こういうことを意味するわけであります。

 これに関して、実は、この文書は知っている人はみんな知っている話でありまして、これはどういうことなんだという議論があったときに、このときの、瀬島さんの下にいた人間ですか、その方が、朝枝さんという方ですね、朝枝元大本営参謀が、インタビューで、それは違う、ラジオゾンデである、こう答えたというのがある文書にあるんですね。

 ラジオゾンデというのは、いわゆる気象の観測をするためのものであって、当時、聞くところによると、これも技術の進捗によって違いますが、二百グラムぐらいのものであると。二百グラムや三百グラムのラジオゾンデと不発原子爆弾を間違えるだろうか、当時、間違えないんじゃないかと。恐らく、ぎくっとした朝枝さんが、それはラジオゾンデですよ、こう言ってごまかしたんだと思うんです、その事実は知っていて。しかし、こっちの文書を見ると、「不発原子爆弾」と明快に書いてあるわけですよ。

 ソ連大使館に搬入、保管をせよ。仮にこれが事実であるとするなら、こういうふうな指示がなぜ出されたかと考えれば、それは、いわゆるソビエトに対して、ある種、恩義を売る。やはり原子爆弾の技術というのは極めて重要でありますから、恩義を売ることによって日ソのいわゆる終戦交渉を有利にしようという、瀬島さんの一つの判断があったと思うんですよ、これが事実だとすれば。

 そういうようなことを含むと、私は、別段このことでああだこうだということではないんです、こういう文書も、シベリアの斉藤六郎さんがおびただしい文書をソビエトから持ってきた、そのシベリア文書の中に、こういう日本の歴史をもう一回再考するような貴重な資料が、これだけではなくて、あるだろうということなんですね。

 私が申し上げたいのは、したがって、こういう歴史の事実を我々はきちっと認識していく必要がある。だから、やはり日本の公文書館に、こういうシベリア図書館のようなものの資料を、それはいろいろな個別のケースがあると思うんですよ、どなたの土地の上に建物があって、そこに資料があるんだとか、その所有権がどうだとか、いろいろな議論があると思うんですが、私は、こういうふうな貴重な歴史的な資料がある、今言ったように、例えばそこの資料を全部調べれば化学弾とわかるものが書いてあるケースもあるかもしれない、そういうふうな資料をやはり精力的に、特に今いろいろな戦後の問題について議論がなされているときに、それは精査をするべきではないかと思うんです。

 きょうは国立公文書館の所管の山本副大臣もお越しでありますから、やはり国立公文書館はそういうのをそろえる必要があるだろうということについて御意見をお伺いしたい。

山本副大臣 松原委員の御質問にお答えしたいと思いますけれども、現行の国立公文書館の枠組みにおきましては、歴史上重要な公文書等も、国の機関からだけ移管される、このように法文にも明記してございますので、今委員御指摘のものについては移管は困難だろう、このように考えております。

松原委員 山本先生、政治家なんだから、移管は困難だと思いますなんて言われちゃ困るんですよ。それは、国の機関から集めるんだから、国の機関にそれを入手するように、公文書を所管する人は、例えば韓半島の国もそうですよ、中国もそうですよ、自分が歴史的な外交について有利になる、歴史カードとして使えるものについてはいろいろな資料を集めて、これはうまくいかないとなれば、そういった事実の資料に基づかないさまざまなデマゴーグも使ったりアメリカの世論を使ったりするでしょう。我々は歴史的な資料を、こういうものがあるんだから、それに関してきちっと集めるということは、私は公文書館の国益上の使命だと思うんですよ。

 公文書館の職員の方が答弁するならそうかもしれないけれども、政治家の山本さんが、国益を代表する議員の一人である人間がそういうことを言われるんじゃ、ちょっと寂しいんですよね、私は。非常に今の答弁、寂しかった。もういいですよ、そういう認識なんだろうから。こういう認識でやっていたら、日本は外交上アドバンテージはなかなかとれませんよ。

 そうしたら、外交が一番、公文書館の使命でありますから、外務大臣としては、こういったさまざまな資料をきちっと取りそろえて日本が歴史上の過去の問題に対しても理論武装するということは、これは当然国益に合致すると思うんですが、それに対しての前向きの取り組みの決意についてお伺いしたい。大臣。

高村国務大臣 所管省から副大臣が来ておられますので、それと矛盾するような答弁をすることはできませんが、公文書館かどうかはともかくとして、できるだけの資料を日本国として収集するということはそのとおりだと思います。

松原委員 具体的にこういった瀬島さんの、これが本当のものかどうかの議論もこれからする必要があると思うんですよ、真贋も含めて。しかし、こういうものがあれば、本来これは本当にそうだったのか、当時における外交の極めて重要な側面を示しているわけですよ。「長崎ヨリ東京ニ持帰リタル不発原子爆弾ヲ速カニ「ソ」聯大使館内ニ搬入保管シオカレ度」、真贋も含めて、こういったいろいろな歴史上のデータがシベリア図書館にある。

 もしにせものだったら、だれがどういう目的でつくったのか。例えば、南京大虐殺は事実上ほとんどなかった。彼らが言うような虐殺はなかったし、極めて整然と行われたのは間違いない。しかし、それはさまざまな、国民党から顧問としてお金をもらっている西洋の新聞記者とか関係者によって、いろいろな意味でつくられたものがある。

 であるならば、同じように、この文書が事実じゃないとしたら何の目的でつくられたのか、こういったことを全部明らかにするというのは、真実であればこの文書は何を意味するのか、真実でないならばこの文書は何を意味するのか、そういったことも含めて、こういうものがあるような、例えば、では、シベリア図書館について、外務省として、どういうふうに具体的に行動しますか。大臣。

高村国務大臣 外務省としては、シベリア史料館資料の調査を引き続き継続していくことが重要であると考えておりまして、早急な調査再開に向けて同史料館側にしかるべく働きかけたいと考えております。その上で、御指摘の考えも踏まえつつ、引き続き専門家の知見も得ながら、旧日本軍による兵器引き渡し状況の把握に努めていく考えでございます。

松原委員 大臣、そこでそういう文章を読んでほしくないんですよ。外務省の大臣としての決意を私は語ってほしいんですよ。

 いつまでにやるんだ、どういうふうにするんだ、予算もきちっとやるんだ、それはもう大臣の政治判断だと私は思うんですよ。今、遅々として進んでいないです、はっきり言って。遅々として進んでいない。いつになったらシベリア文書と言われるものの全貌を分析できるのかなんというのは全然はっきりしていない。

 しかし、本来は、これは、例えば中国における遺棄化学兵器も含めて、我が国の国益に関することだから、大至急やらなきゃいけない。それが、可及的速やかになんて言われたって、いつやるのか全然わからないから、私は大変に残念です。本来であれば、これをこの時間までにやりましょうと。時間を決めない話というのは私は無意味なものが多いと思うんですよ。やはりその辺は、本来、大臣に決意を語ってほしいというふうに思うわけであります。

 最後の時間で、実はきのう、南京陥落七十年ということで九段会館でも大きな国民の集いがありました。そこに、当時の南京戦に参加した九名の、今八十九歳から九十二歳という御高齢の、しかし昔の方で、かくしゃくとしている方があらわれて、いろいろなお話をなさいました。そのことも、皆さん恐らくその場に来られていなかったでしょうから、御報告をしたいわけであります。

 私は、前にもこの外務委員会で、欧米の宣教師が、南京大虐殺があったと言われるその直後の、あの新年に、中国の子供たちが爆竹を日本兵からもらって喜んでいる姿があった、こういうことを申し上げました。それは大虐殺があった直後にはあり得ない風景だったと。それは、宣教師が自分の家族にあてた手紙の中に、今、南京の新年では、南京の子供たちが日本軍兵士から爆竹をもらって遊んでいるとか書いてあるんですよ。

 それは、大虐殺は恐らくなかったなというまさに直観はあった。きのうは、その現場に生きていた、そのときの兵隊の皆さんの話を聞いて、いろいろな話があるんです、後づけで理論武装した話は私は興味がなかった。私はフランクな話を聞いた。

 彼らは言っていた。南京に進軍をして、人はみんな一回去った。しかし、再び安全区に大量に集まってきた。集まってきて何があったか。日本とは違いますが、中国のいわゆるラーメン屋さんが開店した。散髪屋さんが行われた。中国人は生命力がある、みんな戻ってきてにぎやかにやっていると。こんなことは大虐殺があった都市ではあり得ないですよ。

 そして、日本のある兵士は、時計の真ん中が割れた、これを中国人の時計屋に持っていったらきれいに直した、すばらしかったと。

 当時の日本の軍紀の厳しさは、こういう話もその場で出た。フランクな話です。つまり、南京の外にいる日本の部隊の大隊長が安全区に入ろうとした。おれは大隊長だ、入れろと。そうしたら、歩哨に立っていた日本の二等兵か一等兵が、だめですと。おれは大隊長だから入れろ、軍紀ですからだめですと。極めて軍紀は厳正だったと。このことも、私は非常にフランクな話として、ぼそぼそっと、記憶に残っているフランクな話を九人の方がした、ここに真実があると思った。

 南京の人口が減らなかったというのは事実です。二十万が二十万でした。虐殺が行われているような、人口は全然減っていない。このことは、統計学上、中国の国民党政府も認めている。このことは前にも外務委員会で言いました。つまり、虐殺は事実上なかった。

 それを、数字のデータとかでは私も押さえていました。しかし、きのう九人の、そのとき南京にいた日本の兵隊の方々の生の声で、私は実感をしました。

 私が申し上げたいのは、そういうことも含めて、きちっとした歴史上の資料をつくることによって、我々は外交において、少なくとも先人の誇りを傷つけるようなことをやってはいけない。慰安婦もそうであります。それはきょうは時間がないから言いません。しかし、そのためには、少なくとも、具体的な資料を集める作業に関しては、ぜひとも、公文書館も山本副大臣も、そんな他人行儀なことを言わないで、高村さんの大事な答弁が、所管の人が来ているからと、言えなくなっちゃうじゃないですか。もっと前向きの答弁をして、日本の国益を守る活動をしてほしい。

 以上をもって私の質問を終わります。ありがとうございました。

平沢委員長 次に、篠原孝君。

篠原委員 民主党の篠原でございます。松原節を十分堪能させていただいた後、私がオーソドックスな質問をさせていただきます。

 まず、冒頭ですけれども、いいことを、いいことというか、二つ申し上げたいと思います。

 さきの日米首脳会談で福田総理が牛肉の関係について、BSEの関係について、後でちょっと資料で触れますけれども、科学的な根拠に基づいてやっているので、そう簡単に条件を緩和することはできないというふうにきっぱりとおっしゃって帰られたと。二、三年前の、ぐだぐだした、すぐオープンして、またどじがあって、それでまたストップしてというのと比べたら、非常に毅然とした態度であったんじゃないかと思います。この点については非常に、食の安全ということを大事にしてきた証拠じゃないかと思って、高く評価しております。

 それから、前回の質問で、ねじれ国会についての資料をちゃんと調べてほしいということを申し上げましたら、ちゃんとすぐ調べていただきまして、私のところに御説明いただいたことも、二つ目のいいことでございまして、感謝申し上げておきたいと思います。

 きょうは、テロ特措法の関係ですけれども、参議院でも、高村大臣、質問をたくさん受けまして、答弁をずっとされ続けてお疲れであろうと思いますけれども、これは現下の一番大事な問題ですので、この点について三十分間使わせていただきたいと思います。

 まず最初に、官房長にお答えいただきたいわけですけれども、外務省には、ほかの省庁と違いまして、外務報道官という立派な方、今お隣にもおられますけれども、局長を経験されて、お人柄もよく、うるさい記者たちの変な質問にも気分を損ねないでちゃんと答えられる立派な人格者、そういう方がなっておられます。なぜ外務省にだけ外務報道官というのがあるんでしょうか、それをお聞かせいただきたいんです。

塩尻政府参考人 お答え申し上げます。

 我が国外交に対する国内外の理解と支持を得る、そのために積極的な情報発信をする、あるいは幅広い啓発活動を行うということは極めて大事でございます。こうした極めて重要な任務を遂行するために、外務報道官組織あるいは外務報道官というものを置いているということでございます。

篠原委員 よくわかります。外務省というのは非常に大事な役所でございます。

 それで、なぜあるかというのを、官房長のところをちょっと敷衍させていただきますと、私が外から見ていて気がつくんですけれども、ニュースソースが非常に限られるんです。外務省、外国に携わる人しか知らないんです。ほかの経済関係のこと、例えば米価決定なんというのでどんちゃかどんちゃかやっていましたけれども、あれは、自民党の議員でも当時の社会党の議員でも農林水産省の役人でも農業団体でも、あちこち情報源があって、幾らでも記事は書けるんです。しかし、外交関係のことになると、すべての情報を外務省が握っているんです。ですから、外務報道官なり外務省が、これを国民にきちんと伝えようという意思を持ってきちんとしなかったら、何も伝わっていかないんです。だからあるんだろうと私は思います。

 そういったときに、私の資料をちょっと見ていただきたいんですが、大臣のところにも行っておりますでしょうか、七、八ページの資料をつくりました。一ページを見ていただきたいんです。最近の新聞、八月ぐらいからの給油活動継続に賛成している論説、ここに新聞、大体読んでおりましたけれども、今度まとめて、また読み直してみました。皆さん幾つかごらんになったかと思います。

 八月以来これだけ、給油継続活動をすべきだという、これは社説じゃないですよ、社説じゃなくて、署名入りのがこれだけあるんです。いろいろな人が書いています。外務省OBの方もおられます、次官をやり、駐米大使をやられた栗山さんもおられます。岡本さんは今テレビや何かに出ておられます。アメリカ人も三人ほど。それから学者、総動員とまでいきませんけれども、きょうおられませんけれども、猪口邦子さんが上智大学教授であられたら、国会議員などになられていなかったら、二ページ目になるか一ページ目になるかは疑問でございますけれども、論説を張っておられたかもしれません。しかし、これだけ多く給油活動を継続すべきという論陣が張られておるんです。

 次のページを見ていただきたい。いや、それはよくないんじゃないかというもの。これは、見ていただくとわかると思うんですが、学者先生というのは、酒井さんとか伊勢崎さんとかおられますけれども、おわかりになりますか。中東の専門家です。安全保障の専門家じゃないんです。中村哲さんはNGO、梅林さんというのはNPO。はっきり言って違う方々が反対の立場なんですね。

 両論の記事というのは、ここに、東京新聞と毎日新聞が両方やっていまして、九月九日には、政治家、防衛省の寺田稔政務官と、なぜ民主党の代表が原口さんなのかは知りませんけれども、原口さん、これは省きましたけれども。これは見ていただくとわかります。

 それから、一ページ目に戻っていただくと、おもしろいんですね、一番下を見てください。産経新聞四、読売新聞四と、四回、賛成の記事ですね。読売新聞と産経新聞はかなり偏った論調だというのはこれで出てくるのがおわかりいただけますでしょう。朝日新聞はどうかというと、反対の論が二回、賛成の論が一回。一ページと二ページを見ていただくとわかるんですが、毎日新聞と東京新聞は両論併記的ですね。それから、日経新聞は、なぜかしら関心なしで、一つもこういう論説を掲載しておりません。

 これを見ると、私は、世論誘導が明らかに行われているんじゃないかと思います。もちろん、報道官たちが直接手を下しているわけじゃないですけれども、こんなことを言ってはなんですが、外務省の意向を尊重するような学者先生方あるいはOB、外国の研究者を総動員して給油継続活動に賛成しているという、知らず知らずのうちに日本国民をマインドコントロールしているんじゃないかと思うんですが、この点について、外務大臣、どういうふうにお考えでしょうか。

高村国務大臣 もし委員がおっしゃるようなことがあるとすれば、外務職員がしっかり働いているということかと思いますが、私は、今の日本のマスコミが役所の世論誘導で動くようなマスコミでは、幸か不幸かは別にして、ない、こういうふうに思っています。

篠原委員 マスコミ自体は高村大臣のおっしゃるとおりだと私は思いますけれども、ここに挙げられています、出てこられるいろいろな先生方、この人たちは明らかに、気脈を通じたなんと言っては、これは外務省というよりも防衛省になりますけれども、そういった方々が多過ぎるんじゃないかと私は思います。

 これは、皆さんお気づきになっておられるかどうかわかりませんけれども、私はちょっと注意して見ていたんです。こういうふうになってくると、多分こういうふうにというか、賛成だ賛成だ、賛成すべきだ、国際貢献しなければいけないんだ、それをストップするとよくないんだという論調になっていくと。徐々に徐々にそうなってきているんです。

 そして、世論調査すると明らかに、ちょっと前後はありますけれども、給油活動をすべきだというもの、大体半々ですけれども、どの程度影響を受けているかもしれませんけれども、給油活動を継続すべきだという人がふえていったりするのは、こういった新聞などにも影響されているんじゃないかと思います。ですから、外務省はこういうことにもちゃんと注目していていただきたいということ。

 次、三ページをちょっと見ていただきたい。これは地図ですけれども、どこでどういう活動が行われているかというのは、これは、我々の、民主党の外交部門会議にいろいろ出された資料の中の一つです。「海上阻止活動のおおよその活動地域」というのがこれです。

 それから、次のページ、私はカラーでいただいたんですが、四ページ、カラーじゃなくなって、カラーのものをとったので見にくいかもしれません。これは何かというと、例の七百九十四回ですか、約八百回に及ぶ給油活動がどこで行われたかというのを精査していただいた、その結果です。

 私は、情報公開は一挙に進んだんじゃないかと。どこでやったかというのを、これは秘密に属したりしてできないんだと、ピースデポのところの皆さんからペルシャ湾でやっているじゃないかというのを指摘されたことがありますね。それが、ペルシャ湾二回になって、オマーン湾六百二十五回、北アラビア海百三十四回、こういうふうになっているんです。

 それで、僕は、ふとというか、前から疑問に思っていたんです。インド洋、インド洋という。私は、仕事柄、水産庁に三回おりまして、インド洋というとマグロがとれるところを思い出してしまう。南極海や何かのところですね。あそこはインド洋、インド洋マグロ、高いマグロの一つなんです。インド洋で給油、給油というと、そっちの方に引っ張られて、何でそんなところで給油しているのかなと、余り関係ないときは思っていましたけれども、これをよく見ると、黒い字で、おわかりいただけると思いますけれども、アラビア海なんですね。法律はどうなっているかというと、「インド洋(ペルシャ湾を含む。)」というふうに書いてあるんです。

 私は、これは、正確に物事を伝えていかなくちゃならないということからすると、アラビア海での給油活動と言う方が国民にはすとんと落ちるんじゃないかと思います。明らかにこのあたりだけ、もちろんインド洋中部というのを三回とかムンバイ沖二回というのはありますけれども、こういうのを見て、はあと思って、これは、最初からわかっているんだったら、アラビア海というようなものにすべきじゃないかなという気がするんですよね。

 例えば、もう先に申し上げますと、我々からすると、ヨーロッパやあっちの方、カリブ海があります。カリブ海は、ちゃんと地理を勉強した人はわかるかもしれませんけれども、アメリカ人はカリブ海と言う、我々は、あれは大西洋だと。しかし、我々はアジアの同胞として、東アジアではそんなに近くないかもしれませんけれども、アフガニスタンやパキスタンでは、インド洋と言わずに、アラビア海における給油と言っているんじゃないでしょうか。

 こういうことも含めて、大臣にお答えいただくのは、局長さんでも結構でございますけれども、私は、正確に伝えていくという、外務省しか情報は持っていない、それを国民によく伝えていく、誤解を避けるためにも、アラビア海での給油活動というふうに言った方がいいような気がするんですけれども、いかがでしょうか。

梅本政府参考人 お答え申し上げます。

 旧テロ対策特措法に基づく基本計画におきましては、海上自衛隊が活動を行う区域の範囲をインド洋と明記しておりますが、これは、九・一一テロの脅威を除去するために活動する各国軍隊等に対する協力支援活動を行う区域の範囲を定めたものでございます。その範囲の中で海上自衛隊が補給活動を実際に行った区域が、今委員が御指摘のとおりでございまして、オマーン湾等インド洋の北部が中心であるということは確かでございます。

 ただ、このような海上自衛隊の補給活動の具体的な実施区域については、まさに今委員が御紹介いただきましたように、各種広報資料において海域を図表等で示すなど、広く御説明をしてきたところでございます。

 したがいまして、そういう意味では、インド洋ということで、これは確立した定義があるわけではございませんけれども、例えば、国際水路機構の資料によれば、インド洋というのは、アジア、オーストラリア、アフリカ及び南極の各大陸に囲まれた海域を指すということで、ペルシャ湾、紅海、アデン湾、ベンガル湾等が含まれるということでございまして、そういう、国際的にある程度何を指すかということがはっきりしている概念としてインド洋というのを使ったということでございます。

 ただ、現実には、そのインド洋の中でも、結果的には委員御指摘になりましたようなところで主として給油が行われている、こういうことでございます。

篠原委員 今までインド洋、インド洋と使ってきましたし、法律もインド洋と言っているわけです。私も調べましたが、オマーン湾もインド洋に含まれる。ちょっと辞書を引きまして調べたら、大体含まれるんですけれども、東シナ海やフィリピン海というのがあるわけですね。日本海もある。そういうところで行われていたら、そこの独特の名前があるわけですから、きちっと使っていってしかるべきじゃないかと私は思います。そういう姿勢を保っていただきたいと思います。客観的に国民に伝えるという姿勢を持っていただきたいということです。

 次に、十二月四日の参議院の外交防衛委員会のところで、パキスタンに対する給油活動をストップした、それで四〇%の活動、何をもって四〇%というかわからないんですが、大きな影響を受けているというようなのがありましたけれども、これは一体どういうことなんでしょうか。

 中継で質疑を見ておりましたし、議事録も読みましたけれども、よくわからないんですが、影響があったんだあったんだという証拠にこれが出てまいりまして、外務大臣も防衛大臣も同じように使っておられますけれども、どういうことなんでしょうか。この四〇%活動が減って困っているということをお答えいただきたいんです。

梅本政府参考人 お答え申し上げます。

 我が国の補給艦がインド洋から帰ってきた。その結果、パキスタンの活動がどうなるのかということはいろいろ報道もされておりますし、国会等でも質問が行われているということでございまして、私どもも、できるだけ可能な限り実態を把握しておきたいということで、パキスタン政府に対して、我が国によります補給支援活動中断後のパキスタン艦船の活動状況を確認したということでございます。

 これに対して先方より、これまでのところ、パキスタンの艦船は、可能な場合には通常の任務海域から移動して他国の補給艦から代替的な補給を得ることもありますし、ただ、基本的にはパキスタン国内の港に帰って燃料補給を行うという形で、代替的手段に頼らざるを得ないという説明がございました。さらに、その結果として、海上自衛隊の補給艦による補給が行われていた時代と同レベルの作戦効率を維持することは困難であり、約四〇%の活動効率低下が生じているという説明があったわけでございます。

 では、この四〇%というのは何なのかということでございますが、パキスタン政府が私どもに、これは公表してもいいよということで説明をしてくれたわけでございますが、その算出根拠の詳細については、これはまさに軍事運用の詳細にわたるということでございまして、私ども承知しておりませんけれども、平たく言いますと、パキスタン艦船が一定期間内に任務海域を離脱せざるを得ないと。ですから、それまでは任務海域でまさに海上阻止行動等をやっていたその日数と、今度は任務海域を離脱して港に帰って、また戻っていくという日数、恐らくそういうようなものを比較考量した上で、こういう数字をパキスタン側が出しているんだろうというふうに理解をしているところでございます。

篠原委員 今、影響があるんだというのを外務省さんが調べておられるというのはわかりました。

 では、私が集めました資料の七ページを見ていただきたいんですが、ほかのところにもあるんですけれども、この真ん中辺、これはいろいろな、アメリカの主要各紙の福田総理の訪米の後の報道ぶりを見て、関係部分、テロ特措法関係だけを抜き出して、ちょっと英語力のなさがばれてしまうので訳はつけたくなかったんですけれども、私のつたない訳をつけております。

 その二段目のところですね。二段目の一番下、「ペンタゴンはアフガニスタンの共同活動に影響を与えないと述べた。」と。影響はないんだと。ペンタゴンは影響はないんだと言っている、こういう報道があるんです。

 これが現実じゃないかと私は思いますけれども、この点については、ちゃんと調べたりして、逆の方のを調べたりはしておられるんでしょうか。大臣でも局長でもいいですから、お答えいただきたいと思います。

梅本政府参考人 お答え申し上げます。

 御指摘の報道における国防省側の発言内容の詳細についてはちょっと私ども承知をしておりませんけれども、我が国が、海上自衛隊の補給艦が離脱をしたというところで、いずれかの国がこれを肩がわりするか、あるいは十分な肩がわりができない場合には活動の効率が低下するということが、先ほど申し上げましたように、例えばパキスタンについても現実に起きておるということでございます。

 またさらに、パキスタンだけではなく、例えばイギリスの政府も、日本の給油艦が不在となることは、有志連合、コアリションの海上給油能力に大きな影響を及ぼす、日本がこの重要な貢献をできるだけ早く再開することを期待するということを言っております。また、CTF150、これはまさに、この海域で海上阻止活動を行っているコアリションの司令部でございますが、ただでさえ少ない補給艦のうちの一隻が欠ける中で、また広大な海域で活動するパキスタンも含む各国艦船への補給に対応することには運用上困難が生じているということを言っておるわけでございます。

 ただ、日本が補給をやめたからといって海上阻止活動をやめるわけにいかないわけでございますので、各国は、いろいろ工夫をしながら海上阻止活動を、効率は低下しておりますが、できるだけその低下も少ないようにということでいろいろ活動しているということでございまして、そういう意味で、これは推測でございますが、恐らく国防省も、コアリションとしての活動については大きな影響を受けないで何とかやっていくということを言っているんではないかなというふうに考えております。

 ただ、いずれにしても、アメリカの政府からは、日本ができるだけ早く帰ってきてほしいということは累次の機会に表明されているところでございます。

篠原委員 そういうのは当たり前だ、帰ってきてほしいというのは当然ですけれども、本家本元のペンタゴン、国防省が、そんなに影響はないんだと言っているわけですね。それから、外務省さんがつくられて皆さんに配られた資料の中にも、ウイーサ紙というパシュトゥー語の現地語で書かれたところにも、国防総省の高官の言として、そんなに影響はないんだというのがあるんです。

 次に、事実関係だけですけれども、私の資料の五ページのところにちょっと気になるのがあるんですが、ここも訳をつけました。首脳がテレビに出ます。ブッシュ大統領と福田総理、共同で記者会見しました。これは五ページと六ページ両方あわせて見ていただくとわかるんですが、二人は、メディアに十五分間話しただけで、こういうのでは異例のことだそうですけれども、質問を一切受け付けずにさっさとやめてしまった。これは、日本側からの説明によると、ホワイトハウス側からの要望だったというふうに書いてあるんですが、これは事実でしょうか。

西宮政府参考人 お答え申し上げます。

 共同記者会見を含めまして、首脳会談のアレンジにつきましては、基本的にホスト側、今回の場合でいえば米国側が決めるというならわしでございまして、今回は、米側が、共同記者会見で質疑応答を行わないということとしたものでございます。

篠原委員 わかりました。ちょっと気になったもので、日本側が何かおじけづいてこういうことをお願いしたりしたのかなというような気がしたもので、済みません。

 これを見てみますと、大変だ大変だと言って一カ月過ぎました。同じ質問をあちこちで外務大臣は受けておられますけれども、一カ月過ぎましたけれども、もちろんそれは再開してほしい、七%の油を補給した、それがなくなったら大変です、無料ガソリンスタンドとか言われています、それは欲しいんでしょうが、私はそれほど影響ないというふうに見ていいんじゃないかと思うんですが、その点についてはいかがでしょうか。

高村国務大臣 ただ一つのイスラム国パキスタン、それほど海軍力が強いわけでもない、その国が一生懸命海上阻止活動をやっている、その効率が四割下がるというのはやはり大きなことなんじゃないでしょうか。そしてそれも、ほかの、みずからが阻止活動もやり、そのみずからの国のために補給艦を持ってきている国が代替してパキスタンにも補給するということをしなければならなくなっている、ほかのところに負担もかかっている、こういうこともあるわけであります。

 そういうこともさることながら、その運用上のこともさることながら、やはりテロとの闘い、もちろん千四百億円というお金、その他もろもろの知恵をつぎ込んでアフガニスタンの復興人道支援をやっていますけれども、やはり軍事的貢献も、世界各国、主要国四十カ国が陸に上がって、場合によっては人命を失いながらやっている中で、テロとの闘い、日本が引いてしまう、国内事情で引きました、こういうことは、やはり国際社会の中で信用にもかかわる。これはボディーブローとしてだんだんだんだんきいてくる、国際社会の中の発言力が弱くなっていく、そういうことは十分考慮しなければいけない、こういうふうに考えております。

篠原委員 高村外務大臣は信用の失墜ということを盛んに十二月四日の答弁で言っておられました。私はそれは、ないことはないと思いますけれども、一体それだけの大きなことかというのがある。

 つまり、この前のこの質問で、私は、給油活動をやったっていいんですよと申し上げました。六年間やってきました。国民がそう言って、法案が通ってやっているんだったらいいんです。しかし、いろいろなことがあって十一月一日が来てしまった。そして新しい法案を通そうとしている。しかし、この先どうなるかわかりませんけれども、結果を予断してはいけないかもしれませんけれども、参議院は野党が多数になるので、だめになる。それを、初めてというか、三分の二の議決をしてやることかと。私は、粛々とやっていくべきことであって、日本国の事情、日本では反対する人たちがいる、そういった人たちが投票をして、参議院は野党が勝った、それで国際社会もオーケーを出してくれるのではないかと私は思っています。

 そして、この次が、これが大事なことですけれども、外務省はこういうときにどういう立場をとるべきかというのを私は申し上げたいと思います。

 一九〇五年に日比谷焼き討ち事件というのがありました。それは、小村寿太郎外務大臣がポーツマス条約から帰ってきた、それに対して怒ったわけですね、国民は。軟弱だといって怒って、そしてあちこちで暴動が起きた。ところが、そのとき、朝日新聞が逆にあおっているわけです。その当時の朝日新聞は、講和会議の主客転倒、桂太郎内閣に国民や軍隊は売られた、小村許しがたしということで、今の朝日新聞とは逆です、非常に国粋的で。外相小村寿太郎は必死で日本の国益を守ろうとした。桂太郎総理と山本権兵衛海軍大臣は、新橋駅に小村寿太郎外務大臣を迎えて、三人一緒に暴漢に倒れてもいいというのでガードして歩いたと言われております。

 つまり、何を申し上げたいかというと、外務省というのは、弱腰だ、何をやっているんだと言われているときが一番仕事をしているときであって、私は、防衛省、防衛庁でいいですよ、防衛省と同じように、外へ出ていくとか何かタカ派的な発言をしたりするときは、国を誤らす方向に行っているときの方が多いんじゃないかと思います。

 典型的な例が、松岡洋右全権代表が一九三三年、国際連盟を脱退する、これが満州事変からずっとつながっていく軍部の台頭を許したわけです。私は今、よくわかりません、しかし、こんなに国民がこうして、外務省も一緒になって防衛省も一緒になって海外に軍隊を出そう出そうというのは、私は、余り健全とは言えないんじゃないかと思います。こういう姿勢をちゃんと保っていただきたい。

 外務省の立場というのは、外務省が一番仕事をしているのは、軟弱だと言われているときこそ一番仕事をしているときじゃないかと私は思うんですが、この点について外務大臣にお答えいただいて、私の質問を終わらせていただきます。

高村国務大臣 小村寿太郎外相と松岡洋右外相の評価については委員と私と相違がない、こういうふうに思っております。

 ただ、海上自衛隊を外に出すのは、別にタカ派でも何でもない。タカ派でも何でもないんです。タカとかハトとか関係ないんです。あれは、武力行使していないんですよ。国連決議があれば海外で武力行使をしてもいいんだというような、そういう論理を我々はとっておりません。

 タカとかハトとか私は余り興味がありませんけれども、委員がタカ派的とかハト派的とかおっしゃるから申し上げるんだけれども、別に、海上阻止活動、それに対して給油をすることは、タカとかハトとか関係ない、こういうことを申し上げております。

篠原委員 私も、この前も申し上げましたけれども、国連の決議があればほいほい出ていっていいなんというのは反対です。それは一つの条件にはなり得ますでしょうけれども、主体的に日本国が判断すべきだろうと私は思います。その点では同じです。同じですので、これだけは申し上げておきます。

平沢委員長 次に、笠井亮君。

笠井委員 日本共産党の笠井亮です。

 守屋前防衛事務次官の接待問題に端を発した問題は、日米両国にまたがる、底深く、そして広範囲にわたる一大軍事利権疑惑に発展しつつあります。その中で、弾道ミサイル防衛、BMDにかかわる問題についてきょうは取り上げたいと思います。

 このミサイル防衛は、振り返ってみますと、一九九八年の日米安全保障協議委員会、いわゆる2プラス2で、当時の高村外務大臣、額賀防衛庁長官とオルブライト国務長官、コーエン国防長官の間で技術研究の推進が合意されて始まったものであります。

 逮捕された守屋容疑者は、一九九五年に防衛庁内に設置された弾道ミサイル防衛研究室の室長を務めて以来、このミサイル防衛にも深くかかわってきたことで知られております。昨年九月には、日本へのミサイル防衛システムの導入に多大なリーダーシップを発揮したということで、これは防衛省のホームページですけれども、デイビッド・イスラエル賞まで受賞しているということになっている。

 そこで、江渡防衛副大臣にお越しいただいておりますが、防衛省では、ミサイル防衛の一環として、この弾道ミサイルを探知、追尾する警戒管制レーダー、FPS―5、この配備を二〇〇六年度から開始しているというふうに思うんですけれども、部品を含む契約の総額、契約先の企業、契約方式について簡潔にお答えください。

江渡副大臣 お答えさせていただきたいと思います。

 委員御質問の固定式警戒管制レーダー装置、J/FPS―5の本体に係る契約額等は以下のとおりでございます。

 契約件名は、今お話ししたJ/FPS―5でありますけれども、契約日平成十九年一月三十日、契約額百九億二千三百十五万円でありまして、契約方式ですけれども、公募を行いましたけれども、一社のみであったために随契をさせていただきました。契約相手方は三菱電機株式会社でございます。

 また、この固定式警戒管制レーダーの初度部品のことにつきましてですけれども、これは二回に分けて契約をされております。

 契約件名は、固定式警戒管制レーダー装置、J/FPS―5用の初度部品でありまして、契約日、最初の方は十九年の三月一日、契約額は十二億九千百五十万円であります。契約方式でありますけれども、一般競争入札に付しましたけれども、この三菱電機一社のみが応札したため、予定価格に達しませんでした。そこで、予算決算及び会計令第九十九条の二の規定に従いまして、随意契約しております。

 もう一件でありますけれども、同じく固定式警戒管制レーダー装置、J/FPS―5用の初度部品でありますけれども、こちらは十九年の三月二日でございます。契約額四億七千三百九十七万円であります。契約方式ですけれども、先ほどお話ししたとおり、一般競争入札をしましたけれども、三菱電機の一社のみであり、そして、予定価格に達しなかったために、先ほど申したように、予算決算及び会計令第九十九条の二の規定に従いまして、随意契約しています。

笠井委員 この警戒管制レーダーの契約でも、三つ言われましたけれども、部品を含めて百二十七億円で、すべてが随意契約というやり方で三菱電機一社だけで独占受注をしている実態があるわけであります。

 防衛省の資料によれば、警戒管制レーダーは、九九年度から〇四年度までに開発試作と技術試験、〇四年度と〇五年度に実用試験を実施して、〇五年度に開発を完了しております。この開発を完了した警戒管制レーダーの、翌二〇〇六年度から装備化する上で決定的な役割を果たしたのが、当時の防衛庁長官と装備審査会議議長の間で交わされた実用試験結果の報告、評価に関する諮問と答申であります。

 防衛省提出の当時の資料を見ますと、警戒管制レーダーの実用試験結果の報告、評価をめぐっては、〇六年五月二十九日付で防衛庁長官から装備審査会議議長あてに諮問がなされて、同年六月十九日付で同会議議長から長官あてに答申が出ております。

 そこで、伺いますが、この当時の装備審査会議の議長と防衛庁長官はそれぞれだれでしたか。名前だけここでお答えください。

江渡副大臣 お答えさせていただきたいと思います。

 委員御指摘のとおり、将来警戒管制レーダーの実用試験の結果の……(笠井委員「名前だけ言ってください」と呼ぶ)名前でございますか。平成十八年五月二十九日のこの諮問された段階において、防衛庁長官は額賀福志郎防衛庁長官であります。装備審査会議の議長は守屋武昌事務次官であります。

 そして、この評価について……(笠井委員「いや、それで結構です、名前だけで」と呼ぶ)結構ですか。

笠井委員 はい。(発言する者あり)余計なことを答えるからです。

 実用試験結果の評価をめぐって、管制レーダーが部隊の使用に供し得るものと認めるという形で装備化にゴーサインを出したのが、まさに守屋容疑者であり、当時の額賀防衛庁長官でありました。

 しかも、額賀大臣は、十月三十日の参議院の財政金融委員会と十一月十九日の参議院決算委員会で、警戒管制レーダーを独占受注している三菱電機の三菱グループから接待を受けたこと、三菱の接待施設と呼ばれる開東閣に行ったことがあるというふうに答弁をいたしております。これは、私、看過できない重大答弁だと思います。

 そこで、お配りした資料をごらんいただきたいと思います。

 その一ページ目ですけれども、この問題の経緯、答弁、発言をまとめてみました。弾道ミサイル防衛のシステム配備について、〇三年度から〇七年度までの五年間の推移を整理したものであります。

 額賀大臣は、参議院の委員会で、三菱グループからの接待に関連して、安全保障議員協議会という団体の名前を挙げました。この団体は、額賀大臣みずからが副会長を務める団体で、外務省所管の日米平和・文化交流協会とともに、日米安全保障戦略会議を主催しております。八年間で一兆円規模ものミサイル防衛について、この戦略会議では、額賀大臣はミサイル防衛の推進を繰り返し訴えて、それに対して、三菱グループ側からレーダーの早期整備化を求める発言が行われております。大臣、今ちょうど資料を見ていただいておるんですが、この警戒管制レーダーをめぐっては、額賀氏は、三菱側が早期整備化を求めていたことを認識していたと。

 しかも、〇六年五月と六月に、額賀、守屋両氏の間で交わされた諮問、答申と前後して、額賀大臣は、計四回もの政治資金パーティーを開いております。額賀大臣は、このすべてのパーティーで山田洋行からパーティー券を購入してもらったと答弁しておりますけれども、さらに親密で接待まで受けている三菱電機、先ほど申し上げました、開東閣に行ったことがあるということまで言っている。そういう三菱電機からはパーティー券を買ってもらっていなかったのかという疑問が当然生じてまいります。そして、買ってもらっているとすれば重大であります。

 つまり、この問題で三菱側が早期整備化を求めていることを十分承知しながら、そして、その三菱の接待を受けていたことを額賀大臣自身も認めている。そして、こういう経過の中で、こういう形で諮問、答申が行われてきたということであります。

 きょうは、当事者がいませんのでこの程度にしておきますけれども、高村大臣、私が伺いたかったのは、大臣自身も十年前に2プラス2でかかわって始まったミサイル防衛をめぐって、それこそ大臣がお知りにはならないうちに軍事利権の対象とされて、疑惑があったとしたら、これはたまらぬなと、私が大臣だったらそういう思いがするんですけれども、そういうお気持ちじゃないかと思うんですが、率直に言って御胸中はどうでしょうか。

高村国務大臣 軍事利権の対象にはなっていないとは思っておりますが、もしあったとしたらとんでもないことであります。

 お国のために必要なことでありますから、このミサイル防衛は進めていかなければいけないと思っていますし、それにとって有害なようなことをやることはとんでもない。有害でないとしても、利権にかかわることはとんでもないことだと思っています。

 そういうことはないと思っているということを前提にですよ。

笠井委員 あったとしたら問題だ、おっしゃるとおりで、私は、国にとって必要という点では大いに意見が違いますが、まさにこの点では政府としての徹底調査、究明が必要だと思います。

 この問題、外務省は無縁じゃありませんで、所管の社団法人日米平和・文化交流協会と先ほど言いました。これについて外務省に伺いたいんですが、二〇〇五年四月に、この協会の前身であった日米文化振興会に立入調査が行われて、七月に当時の町村外務大臣の命令が発出されて、八項目にわたる「改善を要する事項」が提起されております。

 私、ここに現物がありますけれども、その六項の中で、「貴法人の事業のうち、」ということがあって、「国防情報の配信事業は、定款第三条に定める貴法人の目的及び第四条に定める事業に照らし、定款外の事業と考えられるので、行わないこと。」というふうにされて、協会がこの命令に従っている。

 外務省に伺いたいんですが、ここで言う日米平和・文化交流協会が実施していた国防情報の配信事業というのはどういうもので、定款三条、四条に照らしてなぜそれが問題とされたのか。端的に、どういうもので、なぜ問題だったか言ってください。

山本政府参考人 お答えいたします。

 国防情報というのは、例えば装備情報とか企業関係の情報とか、いろいろなそういうものを取りまとめて、彼らがメンバーの企業、研究機関などに配信していたもののことです。

 我々は、立入検査をしました際に、この法人の定款の「目的」は、日米両国の文化の交流を行い日米両国民の親善を図るということにあって、「事業」も、この目的を達成するために必要な事業とあるものですから、国防情報の配信に特化した事業というのは定款外の事業ではないかと判断をして、大臣命令を発出したものです。

 これに対して法人側からは、命令に従い、国防情報の配信事業は実施することなく改善するという回答を得ております。

笠井委員 今あったとおり、命令を受けて回答して、ディフェンスニュースというものの配信をやめて、協会の名称も一連のこの命令の中で日米平和・文化交流協会に改称されて、新しい定款が定められました。そして、目的、事業も書かれましたけれども、そこにかかわる三条、四条、問題になったところはそのまま引き継がれているわけであります。

 この間、二〇〇三年以来、日米安全保障戦略会議が毎年開かれまして、防衛装備展というのが同時開催をされております。精巧なミサイル模型などが展示をされている。この行事を、安全保障議員協議会とともに、二〇〇六年には前身の日米文化振興会が主催者に名前を連ねて、そして、お手元の資料の二ページにありますが、二〇〇七年には日米平和・文化交流協会も主催者に名を連ねております。

 そこで、外務省に伺いたいんですが、防衛情報の配信事業でさえ、文化交流とか日米の親善という目的や事業からすると外れているのでやめるように命令したのに、防衛装備展を主催するということをよしとするのか。これはどう説明するんでしょうか。

山本政府参考人 これは、情報を配信するということではなくて、定款にもございますけれども、定款の中に法人の事業の内容として、「日本と米国との文化の交流に関する講演会、懇談会、研究会、セミナー等の開催および参加。」それからさらに、「米国における諸団体等との連絡・提携による人物交流を目的とした招聘並びに派遣。」ということがございまして、まさしく、これは内容的には確かに安全保障についてのものでございますけれども、今の目的に照らして適当なものだと判断しております。

笠井委員 驚きましたね。防衛装備展という武器、ミサイルなど装備をやるのが、目的に照らして適当なものだというふうに外務省は言うんですか。防衛情報の配信自体はこれはまずいというわけですよね。ところが、防衛装備展を主催するのはいいというんですか。

山本政府参考人 大変失礼いたしました。私、防衛装備展というのを日米安全保障戦略会議とちょっと勘違いしました。申しわけございませんでした。

 防衛装備展そのものは、おっしゃる意味では定款外の活動だというふうに考えております。

笠井委員 配信については、防衛情報の配信は定款外だからやめろというふうに命令を出したのが町村大臣のときでありました。高村大臣、ちなみに、国防情報の配信というのをやめたと言っているんですが、後、この協会は名前を変えまして、米国情報ということにしまして、中身は同じ軍事情報をやっているんですよ。

 そういう問題もあるんですが、問題は、この防衛装備展というのは、今ありましたけれども、適当でない、まさに外務省も言われましたが、日米防衛関係者のミサイル防衛などの議論と一体にして、そのときに日米の軍需産業が兵器を売り込むというか、その見本をこうやって実際に模型を展示するんです。これが文化交流に資するとか親善に資すると反するというのは当然のことだと私は思うんですけれども、そういう展示を外務省所管の社団法人が主催をしている、こんなことが許されるのか。外務省として、看過できないとすれば、何らかの対処をするのか。

 例えば、前に防衛省関係で問題になった入札談合のときには、検討会の結果として、防衛施設技術協会というのに自主解散を要請するという結論も出したりしていますけれども、やはりこれは看過できないと思うんですが、大臣、これは何かしないと大変まずいんじゃないかと思うんですが、どういうふうにお考えでしょうか。

高村国務大臣 委員が御指摘のように、同協会のホームページを見ますと、防衛装備展に関する言及が行われて、当協会が主催団体の一つとして実施しているかのごとき印象を与えかねない部分があることは間違いないと思います。

 今後、この協会に対する立入検査等の機会も含め、この協会と防衛装備展の関係等についてきっちり調べて事実関係を把握するとともに、もし委員がおっしゃっているように本当に主催者の一つであるとすれば、これは定款の目的外でありますから、しかるべき措置をとっていきたいと思います。

笠井委員 時間が切れました。終わりますが、お手元の資料にありますように、これはちゃんと出ているわけです。主催ということで日米平和・文化交流協会も入っていて、そしてその同時開催で防衛装備展というふうに明確になっていますので、主催する中での行事ですから、これは明確にきちっと対処していただきたい。今、問題があったらこれはきちんとやると言われましたから、これはもうきちっと大臣として対処いただきたいと思います。

 終わります。

平沢委員長 次に、照屋寛徳君。

照屋委員 社民党の照屋寛徳です。

 外務大臣に尋ねます。

 二〇〇八年三月三十一日で現行の新特別協定が期限切れを迎えます。新特別協定には、光熱水費や訓練移転費など、負担のあり方に問題があることを承知しております。一方で、駐留軍労働者の雇用の安定確保や労務費負担のあり方は極めて重要な問題であります。

 現段階での、新特別協定改定に関する日米協議の進捗状況、交渉過程における具体的な問題点、交渉が決着する時期の見通しについて、大臣、お答えください。

高村国務大臣 在日米軍駐留経費負担に関する特別協定につきましては、現在、日米間で精力的に交渉を進めているところでございます。

 日米間のやりとりの詳細につきましては、話し合いのまさに最中でありますので、今後の交渉に影響を与える可能性があることから差し控えたいと思いますが、政府としては、在日米軍駐留経費負担のあり方については、一方で国民の理解が得られるように所要の見直しを図るということと、もう一つは日米安保体制の円滑かつ効果的な運用を確保する、この二つの要請にこたえるべく努力をしているところでございます。

 交渉でありますから、いつ決着するかというのは言いがたいことでありますが、そう遠くないうちに決着したいと思って努力を重ねているところでございます。

照屋委員 昨日、官房長官が記者会見で、特別協定に関連して、日米同盟を重視して日本側の負担を大幅に変更しない方向だ、こう述べたと地元紙が報道しております。今一番心配されているのは駐留軍労働者の労務費の問題ですが、大臣に一点確認しますが、この労務費の日本側負担を大幅に減らす方向で交渉しているのかどうか、お聞きをいたします。

高村国務大臣 駐留軍労務費は、日本政府とアメリカ政府の直接交渉の、直接的に交渉する範囲とちょっと外れていることだと思います。お金を出す人間と、労使間で決まる話、日本政府とアメリカ側が相対して幾らにするかと決める話ではなくて、労働者と使用者側との交渉で一義的に決まる話なんだろうと思っております。

照屋委員 防衛省に尋ねますが、駐留軍労働者の法的雇用主はだれでしょうか。

寺田大臣政務官 お答えをいたします。

 駐留軍労働者は日本国政府が雇用をいたしております。その労務を米軍に提供しており、雇用主としての事務は当防衛省が所管をいたしております。

照屋委員 駐留軍労働者に対しても、我が国の労働関係法は適用されるんでしょうか。

寺田大臣政務官 お答えをいたします。

 地位協定の十二条五におきまして、別段の合意をする場合を除くほか、賃金等労働関係に関する権利は、日本国の法令で定めるところによらなければならないとされておりまして、駐留軍労働者には我が国内の労働関係法令が適用されるものと認識をいたしておりますが、別段の定めということも書いてあります。具体的には、日米間で締結をされます労務提供契約によって規定をされております。

照屋委員 駐留軍労働者に対しては、国家公務員は適用外にありますが、その給与や勤務条件は国家公務員に準拠する、これは法律上明定されておるんです。ところが、国家公務員に準拠しなければならないと定められている勤務条件、諸手当、諸制度、国家公務員に比べて駐留軍労働者に適用されていないのは、どういったものがありますか。

寺田大臣政務官 お答えをいたします。

 国家公務員の勤務条件にあって駐留軍労働者に導入していないものといたしましては、休日が、国家公務員においては国民の祝日と年末年始が休日となっているのに対しまして、駐留軍労働者に対しましては、日本の祝日が認められておらず、米国の祝日と年末年始となっております。

 また、国家公務員におきましては、いわゆる管理職手当といたしまして俸給の特別調整額が設けられておりますが、駐留軍等労働者にあっては管理職に対する手当が設けられていないなど、差があるところでございます。

照屋委員 大臣も法律家なのでよく御承知だと思いますが、私は、勤務条件、労働条件、これを一方的に不利益変更することは許されないし、それこそ不当労働行為だ、こう思うんですね。

 それで、今、駐留軍労働者の格差給、語学手当を廃止したり、退職手当を引き下げようとする勤務条件の一方的な不利益変更がなされようとしておりますが、これに対しては、防衛省はどのような基本的な立場をとっておりますか。

寺田大臣政務官 お答えをいたします。

 今委員御指摘の、例えば格差給、語学手当、これは現在存在をしております。これらの勤務条件が設定をされた当時、すなわち昭和二十二年と社会情勢が大きく変化をし、労働環境の特殊性が薄れ、雇用も安定をしてきたということで見直しを行うことといたしましたが、生活給として長年定着をしております。在籍者に著しい負担とならないよう、現給保障などの激変緩和を行うことを考えております。

 委員御指摘のとおり、格差給の廃止は不利益変更ではありますが、合理性のある内容となっているというふうに考えており、現在、真摯に交渉を行っているところでございます。

照屋委員 先ほど、駐留軍労働者にも基本的に我が国の労働関係法令が適用される、これは間違いないんですよ。それでも、たび重なる交渉でも、いまだに日本国の、ちょっと聞きなさいよ、労働関係法令が遵守をされていないのがあるんじゃないでしょうか。

寺田大臣政務官 委員御指摘のとおり、我が国の労働関係法令と照らして、まだ実現を見ていない項目があるところでございまして、そうした諸点については、我々、その改善を行うべく、実際の使用者でありますところの米軍と鋭意日米合同委員会等の場におきまして折衝を行い、引き続きその改善を目指してまいりたいと思います。

照屋委員 労働基準法を私が調べたら、三十六条、三十九条、八十九条、百一条、百十五条、労働安全衛生法十九条、これは当然守るべきだが、使用者たる米軍は、日米合意をしながら守っていない。これは政府はしっかりしないといけませんよ。

 それから、さっき申し上げたように、この格差給それから語学手当、退職手当、決して公務員より、準拠といいながら、特別高いわけじゃないんです。だから、全駐労、駐留軍労働者の諸手当の一方的廃止や引き下げに反対をして、組合が二波にわたるストライキをやりました。現在、解決へ向けて真摯な団体交渉が行われておると聞いておりますが、一体いつまでに解決する見通しなのか。

 そして、重要なことは、格差給、語学手当の固定給、固定額での保障、これが全駐労から対案として政府に提案をされているはずであります。これは私は真剣に考えてほしい。一方では、議論されている防衛利権が今大きな社会問題になっている。これで駐留軍労働者の労働条件を一方的に廃止、改悪、引き下げをやると、私は、それはもう、防衛省は妨害省と書いた方がいい。国民生活、駐留軍労働者の生活を破壊する妨害省になりますよ。お答えを。

寺田大臣政務官 お答えをいたします。

 今現在、委員御指摘のとおり、全駐留軍労働組合と誠意を持って真摯に交渉を行っているさなかでございます。組合から出されました対案についても、現在検討しております。そして、その経過措置等の持ち方につきまして、現在折衝を行っているさなかでございます。引き続き、誠心誠意、妥結を目指し交渉してまいる所存でございます。

照屋委員 終わります。

平沢委員長 次に、河野太郎君。

河野(太)委員 自民党の河野太郎でございます。

 ベトナムのカントー橋崩落の事故についてお伺いをしたいと思います。

 まず、国土交通省にお伺いをいたしますが、このような事故が日本で起きた場合、原因究明にどれぐらいの調査人数、コストあるいは期間をかける、あるいはどういう手法をとるものなのか、まず教えていただきたいと思います。

金子大臣政務官 お答えいたします。

 このたびのベトナムのカントー橋の事故につきまして、日本であった場合はどうだというような御質問かと思いますが、条件設定等々を考えますと、同じような事故でどうだというのはなかなか申し上げにくいところがあるわけでございます。

 ただ、こういうものは過去の例で申し上げるのが一番適切じゃないかというふうに思っておりますが、今から大分前になりますが、事故がありましたのは、本州四国連絡橋の来島大橋馬島高架部で崩落事故がございまして、この際、委員会を施工者が設置いたしまして、委員のメンバーは、学識経験者が四名、それからその他の方を含めまして六名の委員で事故対策の技術委員会というものを設置したことがございます。大体二カ月ほどかけまして調査結果を発表したということがございます。

河野(太)委員 こうした橋の事故について、そういう調査ができる専門家というのは日本に大体何人ぐらいいらっしゃるんでしょうか。

金子大臣政務官 専門家ということになりますと、本当に数多くの専門家が我が国にはおられると思います。基本的には、土木学会とかさまざまあるわけでございます。あるいは官庁にもおられます、土木学会に所属しなくとも。土木学会だけでも、橋梁の専門家というわけではございませんけれども、大体三万人以上所属する伝統ある学会もございます。

 ただ、事故の調査というようなことになりますと、だれでもタッチするということでいいのかどうかということになりますと、種々問題点もあろうかと思います。そういうことで、事故があった場合には、できるだけ中立公正の、これまで経験があるような方々というようなことになりますと、数は限られてくるんじゃないかなというふうに認識をいたしております。

河野(太)委員 限られてくる数はどれぐらいでしょうか。

金子大臣政務官 大変恐縮でございますが、はっきりした数は申し上げることができません。

河野(太)委員 それでは、ベトナムでこういう事故調査のできる専門家というのは、どういうレベル、どういう人数でしょうか。

金子大臣政務官 ベトナムの状況でございますが、今回の事故が発生いたしまして、内々の形でいろいろなやりとりがベトナムと我が国の間であってきたわけでございますが、どうも、いろいろそういう話の中での情報といたしましては、ベトナムにおいては専門家というものは非常に少ないんじゃないか、あるいは、一般的に言っておりますのは、ちょっといないんじゃないかなというようなところまでの話になっております。

河野(太)委員 こういう事故でございますから、何が起きたかというのは、やはり現場を見なければいけないんだろうと思います。ただ、今回、五十四人の方がお亡くなりになった。まず、現場の保全よりも救命救急が先でございます。そういうことを考えますと、現場の保全と原因究明、もちろん救命救急が終わった後の現場の保全と原因追及の関係というのはどういうふうになるでしょうか。

金子大臣政務官 事故の本来の原因を究明するという場合には、そのままの状態でやるのが一番それは最高の条件のもとで究明を行うことになろうかと思いますが、こういう事故の場合は、当然のことながら人命救助ということが優先されるわけでございまして、このたびの事故においてもそれが優先されたというふうに聞いているところでございます。いろいろな事故原因の究明にも影響は与えるであろうということは一般論としては言えると思いますが、このたびの事故について具体的にどうだったかということについては、はっきり申し上げて、明確にお答えすることはできない、こういうことでございます。

河野(太)委員 ベトナム側で事故の原因調査の委員会が立ち上がって、今その委員会がいろいろとやっていると思いますが、現状はどのようなところまで来ているか、これは外務省にお伺いをしたいと思います。

木村(仁)副大臣 お答えいたします。

 おおむね事故の直接の原因となるようなものについての調査が終わり、議論が進んでいるようでございますが、幾つか、例えば崩落過程についての意見が一致しないとか、そういう面があり、支保工といいますか、支柱の実験をしてみなければいけないのではないかとか、そういう幾つかの課題があって、まだ最終的な結論が出ておらず、もしそういう試験をするとなればもう少し時間が必要である、こういうふうな状況でございます。

河野(太)委員 国際協力局長、今どうなっているのか、きちっとお答えをいただきたいと思います。

別所政府参考人 副大臣が申し上げたことを若干補足させていただきます。

 ベトナム政府は、十月六日に国家事故調査委員会を立ち上げております。これまで合計五回、この調査委員会を開催してきているということで、委員会はクアン建設大臣が委員長ということでございまして、関係省庁、例えば交通運輸省などの行政官庁、それから、関連分野での技術的な専門家などが参加しているということでございます。

 委員会自身は、まず事故の原因を明確にするということ、それから、各関係者の責任を明確にする、それから、工事過程、各段階全体を点検して、プロジェクトの続行のための具体的な解決方法を提案するということと定められているようでございます。これらの点について議論されております。

 現時点でございますけれども、先ほど副大臣が申しましたとおり、事故原因の詳細、それから事故の予見可能性などについては、まだ結論が出ていないという状況だと承知しております。具体的には、事故の主原因が仮設支柱の基礎工の沈下にあるということは、先ほど副大臣が申しましたように、ほぼ統一の見方となっておりますけれども、この崩壊のメカニズムについては意見の相違がまだ埋まっていないということで、実証実験を踏まえたことをやる必要があるということでございます。

 日本側からは、最も日本の中でも知見を有する方のお一人ということで、八戸工業大学名誉教授の塩井様にこの調査委員会に参画していただいております。

 塩井名誉教授から現状について御報告いただいておりますけれども、それを今ここで読み上げさせていただければと思いますが、よろしゅうございますでしょうか。

 まず、総論でございますが、委員長は、委員会の統一見解が形成されるまでは、中間報告といえども発表できないという立場だそうでございますが、理由は、発表後に委員会の中から異論が出てくると説得力を損ない、科学的根拠に基づかないと責任追及もできないためだということだそうでございます。そういうことで、委員長から、建設大臣でございますけれども、委員に委員会での議論の内容については口外しないようにと厳しく要請されているそうでございます。

 それを踏まえまして、塩井教授からは、可能な限りでとにかく話を聞かせていただきたいということで報告をいただいているわけでございます。

 委員会の構成につきましては、先ほど申し上げたことと重複いたしますので省略させていただきますけれども、塩井教授は、具体的な委員会の活動の中で、我が国の受注企業それからベトナム側実施機関等の事業関係者より事故原因に係るヒアリングが行われたところに立ち会っておられます。

 また、十一月二日の会議では、事故原因についての見解の統一、あるいは事故責任を確認するための検討、事故現場の解体と新たな施工計画及び安全対策の検討を念頭に議論が行われたということでございまして、十一月八日には第五回会議が開かれて、事故原因に関する委員の意見をさらに議論を闘わせ、事故原因に応じた契約当事者の責任の確認などについて議論が行われたということでございますが、最終結論には至っていないということだそうでございます。

 これまでの事故原因に関します議論でございますが、まず、事故原因の論点は、現時点において、事故の原因の詳細及び事故の予見可能性について委員の中で見解が必ずしも一致できていない。

 ただ、具体的には、事故の主原因が仮設支柱の基礎工の沈下にあるということについては統一の見方となっているが、その後の崩壊のメカニズムについては、意見の相違があって、今後議論と調整を要する。基礎工の沈下は、何らかの原因により基礎工の支持力が低下したことで発生したと考えられるが、そのプロセスの分析には、メコンデルタ、この現地でございますが、メコンデルタの特殊な地質構造、透水係数が低いということでございますが、こういったことを考慮する必要がある。こういった特殊性のために、定量的な分析を行うことはなかなか特質的に困難な部分があるということでございますので、載荷実験を、実際に実験を行いまして、実証データに基づく分析を行うということが不可欠だという結論になっているそうでございます。

 なお、若干メディアなどに出ておりました我が国コンサルタントが作成した注意喚起の内部文書という話については、コントラクターがその内容に従って補強したことが確認されたので、委員会では、言及はあったけれども、議論の対象にはなっていないということだそうでございます。

 最後に、委員会の今後の見通しでございますが、先ほど申しました載荷実験を行うためには、基礎工と同様のくいを調達し準備するという必要がある、一定程度の時間が必要と見られるということでございまして、事故原因の最終結論を得るにはなおさらに時間が必要と見られるというふうに塩井教授からは報告をいただいております。

 以上でございます。

河野(太)委員 先ほど国土交通省から、ベトナム側にほとんど専門家はいないだろうというお答えがございました。

 今の塩井さんの話を局長から伺ったところによりますと、中間発表は、中間報告をすると委員会の中から異論が出てくる、それはどういう人が異論を出されるんでしょうか。

別所政府参考人 私、委員長である建設大臣のお気持ちがしっかりわかっているわけではございません。

 ただ、先生が御質問の、委員はどういう構成かということにつきましては、先ほど申しましたように、一つは、委員長は建設大臣でございますが、関係各省の幹部が名を連ねております。また、その下に技術専門家集団と申しますか、学者、大学の教授とかあるいは研究所などで博士号も取ったような方々がおられるわけでございます。このような方々が技術的見地に基づいて議論をしておられるということでございますので、最終的結論が出る前に、中間的なことでうかつなことを言うといろいろ異論が出てくるのではないか、そういう御趣旨かと私は推察しております。

河野(太)委員 この事故の後、いろいろなことが言われております。

 一つは、五十数人をいわばこの事故で殺してしまったわけですから、ベトナム政府の中で当然に責任問題が浮上し、それがベトナム政府内の対立に政争の道具として使われるであろうということは広く言われております。

 もう一つは、日本のNGOあるいは報道関係者がベトナムの政府高官から聞いたと言われている、中身は、確認はできませんが、だれからということは確認はできませんが、日本のODAは大事だから、責任は下請に責任があることにしなければならないと言ったということが喧伝されております。

 残念ながら確認はとれませんが、そういう二つの話が出ているということは、当然に外務省も把握をされているんだろうというふうに思います。

 そういう状況の中で、先ほど国土交通省から話がありましたように、原因追及をやれるほどの専門家がいないという中で、各省のお役人が名前を連ね、技術者がさらにその下について原因究明をやっているということでございますが、本当にこの体制で真実の原因究明ができるとは常識的になかなか考えにくい。

 九月の二十六日に事故が発生をし、当初、ベトナム政府は、十一月の十四日までに報告書を出すんだ、そう言っておりました。先ほどの国土交通省の御説明でも、日本で事故の原因究明をやったときに、二カ月たって報告書が出た。日本は、土木学会を初め相当優秀な専門家がそろっている。その中から六人が委員になって原因究明をやって二カ月かかったという状況の中で、ベトナム側に原因究明をやらせたときに、九月二十六日の事故、しかも、十月六日まで原因究明委員会は組織されなかった。いわば十月六日に組織された委員会が、十一月の十六日、わずか一カ月ちょっとで原因究明ができるはずがないということをだれもが思うわけであります。

 しかも、今回のこのODA案件は、フィージビリティースタディーをJICAが行い、JBICが融資をし、日本の工営、長大というコンサルタントが設計並びに監理を行い、施工は新日鉄エンジニアリング、鹿島そして大成のジョイントベンチャー、上から下までこれはすべて日本でございます。

 当然に、この事故に対する補償はどうするのか、あるいはこの事故によっておくれたペナルティーはどうなるのか、あるいは当初の、このメコンデルタにこういう形で橋をかけようとしたFSに瑕疵があったのか、あるいは設計にミスがあったのか、あるいは最後の施工の工程でミスがあったのか、どういうふうに責任を切り分けるのか、これは非常に難しい問題になってまいります。

 そのときに、事故の原因究明が極めてあいまいな状況で、なおかつそれに対して疑いの目が向けられるような中で責任の切り分けというのも、これはなかなか難しいわけでございます。

 本来ならば、ベトナムの中で起きた事故でございますから、ベトナム側が事故の原因究明をやる、これは当然のことであります。それは、主権の問題もあれば、ベトナムのメンツの問題もあるでしょう。しかし、ベトナム側のメンツを立てながらきちっと日本側から専門家が入る、あるいは、日本がいわば事故を起こした加害者ですから、日本の専門家が信頼できぬということであるならば、当然に日本側の費用負担によって第三国から、アメリカでもヨーロッパでもそれはいいんでしょう、進んだ技術を持っている国の専門家がベトナム側のサポートに入る形で原因究明をするのが至極当然だと私は思いますが、そうしたことはほとんど行われず、日本側から一人専門家が会議のたびにベトナムと日本を往復する、そういう状況でございます。

 これで正しい原因究明がなかなかできにくい。現に、十一月の十四日、十六日でしたか、デッドラインには間に合いませんし、新たな実験をやらなきゃいかぬというなら、これは数週間というよりは数カ月のおくれになるわけでございます。

 最初から、この原因を究明する場合には、表に出る出ないは別として、日本なりあるいはその他の技術を持った国の専門家がしっかり関与をして原因究明を行うべきだったのではないでしょうか。外務省、いかがですか。

木村(仁)副大臣 十月七日に私が現地に参りまして、遺憾の意を表明しつつ、そういった点について意見を交換したわけでございますが、自分たちの手で、原因の究明は少なくとも自分たちの意思と権限において行いたいというのは、ベトナム政府の極めて強い意思でございました。

 事件は、ベトナムの中で起こり、かつ、ベトナムの国民が五十四人亡くなり、そして、その原因が日本の企業であるということはほぼ常識的にわかることでありますから、私どもは、基本的にベトナム政府の権限を認めるのが当然であろう、こういうふうに判断をした次第でございます。

 もちろん、調査そのものは、ベトナムの政府中心に委員会がつくられ、それにベトナムの要請によって一人、こういうことで、私どもはもっとたくさん出せる用意はもちろんあるわけでありますけれども、一人にしてほしいという要望でございました。したがって、一応一人を出しました。

 そして、総理の極めて強いこれも要請によって、一月内に原因を究明せよというのがマンデートであったと承っております。

 調査の経過を見ますと、その委員の中にも、日本の派遣しました塩井名誉教授はもちろん専門家でありますが、それと考えても引けをとらない技術者もおられるそうであります。それから、日本のコントラクターの三社及び調査を行ったコンサルタントが全力を挙げてこれを支援しておりまして、したがって、相手の立場を尊重しながら力をかしていくという体制で進もうということにいたしました。

 一カ月という話でありましたので、率直に申し上げて一月では無理であろうという御意見は申し、しかし、その意気込みであればお手伝いはいたしますという形で一応おさめました。

 一月たちましたので、我が国では、カントー橋事故再発防止検討委員会を設置いたしまして、一月になる前に、第一回の会合を行ってレビューをすることにいたしましたが、ある程度予想されたことでありましたが、一カ月以内には結論は出てまいりませんでした。先ほど局長から御説明がありましたような調査の状況でありますけれども、調査の質自身が全く問題外だということは私はないと考えております。

 そして、ベトナム政府内のいろいろな政治的関係等はもちろんあると思いますが、これはいたし方がないことでありまして、結論を見ながら、再発防止委員会というのは実はそれを再検討、検証するために準備した委員会でありますから、そのときに、今資料等を出すことを禁じられているコントラクター、コンサルタントからもすべての資料を提供していただいてレビューをし、必要な調査を加えていくということになります。

 もちろん、初期の手が日本人で入っておりませんから不便はあるかと思いますけれども、それは克服しなければいけない、こういうふうに考えている次第でございます。

河野(太)委員 要するに、外務省はだまくらかされているだけじゃないですか。最初から一カ月でできないというのもわかっている。国土交通省を初め、いろいろな専門家に聞けば、そうした能力のある人間がどうもいなさそうだというのはわかっている。ベトナムからいますと言われて、はい、そうですかと言って帰ってくる。日本側から出すのは、では一人往復させてくださいといって、それも受けている。

 一体全体、日本の外交というのは何なんですか。これは四百億円の事業で、日本から二百億円近い融資をしている事業であります。確かに、事故を起こし、五十数人命を落とす原因をつくったのは日本でありますから、そこのところはしっかりわきまえなければいけないわけでありますけれども、少なくとも、原因の究明がこのままではなあなあになる、あるいは政治的にいろいろと左右される、そういう状況がわかっていながら、ベトナム側の言うことをうのみにして、さらにこの四百億円の事業を継続しようというんだったら、それは別に外務省なんという役所がなくたってできるじゃありませんか。一体、外務省というのは何を考えて日ごろ仕事をしているんですか。

 なおかつ、私が非常に不信感を持ちますのは、外務省が外務省の費用で専門家を派遣しております。ベトナムに専門家を派遣したところ、帰ってきて、その専門家たちの報告書は外務省は出さないということを最初言っていたわけであります。

 私は、外務省がこの件で専門家を送っておきながら報告書が出ないのはおかしいのではないかということを小野寺副大臣に申し上げ、小野寺副大臣から御指示があったのか、報告書が出ることになったようでございますが、その辺の経緯について小野寺副大臣にお伺いをしたいと思います。

小野寺副大臣 この問題に関しましては、発生当時から、私ども大変深い関心を持っておりました。もちろん、河野先生を初め委員の先生方も大変深い関心を持っていらっしゃるということも、再三御指摘をいただいて私ども感じております。

 そういった中、御指摘があった中、まず外務省で何ができるか、そういうことを木村副大臣を先頭に検討していただきまして、調査チームを外務省自身で派遣をするということになったと思います。

 ただ、その報告がどういう時点で出されるかということが、内部でなかなか煮詰まっていなかった中で、恐らく委員の御不信を買ったのではないかと思います。指摘をいただいて、私ども、すぐに相談いたしまして、速やかに報告をさせていただくようにさせていただいたという次第でございます。

河野(太)委員 その報告書の文書の機密指定をどうしろという指示を副大臣から出されましたか。

小野寺副大臣 私の方からはしておりません。

河野(太)委員 小野寺さんからは私も、報告書を出すようにしたから、でき次第、届けますということを伺いました。

 そういう話がございましたので待っておりましたところ、なかなか来ないものですから、外務省に、外務省の専門家が行ったときの報告書はまだできないのか、そういう話をしましたところ、外務省から報告書要約、抜粋という二枚物の資料が出てまいりました。

 それは一体どういうことだということを聞きましたら、その報告書は外へ出せないので、抜粋をお届けしますということでございました。小野寺副大臣、この件について何か御存じですか。

小野寺副大臣 申しわけありません。

 もうその時点で、この対策については木村副大臣の担当ということになっておりますので、木村副大臣の方から御答弁をさせていただいた方がいいかと思います。

木村(仁)副大臣 大変申しわけございませんが、私自身は、河野委員と事務局との対応関係を承知しておりませんでした。

 なぜはっきりした報告書をすぐにつくらなかったのかといいますと、それもベトナムに予見を与えるような力を海外から加えないということを考えて、麗々しい報告書をつくるということはしなかったようでありまして、もちろん、それだけの人数で出張をしているわけでありますから、出張報告書という形で報告が書かれていたわけでございます。

 やりとりの中で、局長から、すぐ報告書そのものを送るように指示したと思いますけれども、最初からそうしておけばよかったのだと私は思っておりまして、その点はおわびを申し上げたいと思います。

河野(太)委員 副大臣、外務省の機密文書は何段階に分けられておりますか。

木村(仁)副大臣 ちょっと、私は何段階に分けられているか承知しておりませんので、局長の方からお答えさせます。

別所政府参考人 お答え申し上げます。

 外務省の機密文書、極秘、秘、取扱注意と平文がございます。

 御指摘のこの文書でございますけれども、出張報告という内容になっておりますけれども、先ほどから木村副大臣から御説明いたしましたとおり、原因究明はベトナム政府がみずからの責任と権限でやるという先方の立場の表明を受けまして、我が国といたしましては、日本人の橋梁専門家を派遣しつつ、我が国独自の調査は控えるということとした経緯がございます。そういう観点から、我が国政府がベトナム側の事故の原因究明作業に予断を与える可能性のあるような、そういった立場の表明は控えるべきであるということで、この出張報告も公表しておりませんでした。

 ただ、この事故調査団の出張報告と申しますのは、事故の発生前及び当日の状況などについて、現場で関係者から事実関係を中心としてヒアリングをした、そういうものでございます。それから、これまでの間に、ベトナム側の国家事故調査委員会におきまして五回開催された議論の結果、原因究明がある程度進んでいるという状況で、今の時点におきましては、出張報告がベトナム側の原因究明作業に特段の支障を来すことはないのではないか、そういう可能性が低いという判断もございまして、先生の御要望でございましたので、お出しすることにいたしました。

 それで、今このものについて非公表ということを申し上げたということでございますけれども、これはやはり出張報告という内容でありまして、基本的には部内の報告でございました。また、ベトナム側の事故の原因究明作業に予断を与える可能性を可能な限り排除するということから、積極的に公表するものではないという趣旨でございまして、ただ、先生からの御希望ということを踏まえまして、副大臣の御指示も受けまして、届けさせていただいたということでございます。

河野(太)委員 外務省の極秘、秘あるいは取扱注意というのは、最終的にだれの決裁ですか。

別所政府参考人 最終的にというものはございませんけれども、基本的には、担当者がその指定の案をつくり、管理責任者がそれを決裁するということでございます。

河野(太)委員 管理責任者というのはどなたですか。

別所政府参考人 通常は課長レベルで行っております。

河野(太)委員 極秘、秘、取扱注意という文書の区分の規定がなされているわけでございますが、この出張報告は非公表資料という、それとは全く関係のないことが押されております。これが本当に重要な文書であって、外へ出てベトナム政府の調査に予断を与えるようなものであるならば、極秘なり秘なり取扱注意なりという指定がなされるはずだと思いますが、副大臣、なぜこの文書はそういう指定を受けていないんですか。

木村(仁)副大臣 恐らくその内容は、先ほど局長が申し上げましたように、その当時の状況をごく率直に書いただけのことで、いろいろな意見とか、観察したものについての意見の集約をしたものではない。こういうことで、担当課長においてそのような、しかし非公開だという便宜上の取り扱いをしていたのであろうと思います。

 したがって、私も、なぜそれをすぐ委員に持っていかなかったのか、持っていけばよかったのにな、ちょっとそういう感じを持っているわけでございます。

河野(太)委員 担当の課長と参事官でしたが、来られて、これは出せませんといって抜粋を持ってこられました。その二人の前で私は局長に電話をして報告書を欲しいと言ったら、局長は、すぐ届けさせますと。

 つまり、外務省の中では、こういうものの管理はきちっと行われていないんですね。だれかが恣意的に非公表資料という外務省の文書管理の規定にないようなものをくっつけて、担当課長なりなんなりの判断で、これは外には出せないものですといって隠すということが、大臣、外務省で日常的に行われているんですか。

高村国務大臣 日常的に行われているかどうかは、私はつぶさに承知をしておりません。

河野(太)委員 非常に大きな問題だと思います。少なくとも外交文書ですから、外に出せないものがあるというのは、これは当たり前のことであります。しかし、それは何らかの判断基準によって、定められたルールにのっとって区分されるべきものであって、外務省の中のだれだかわからない人が恣意的に、区分されたルールに基づかずに、これは非公表とか非公開ということを決めて、勝手にいわばそれを外に出さないようなことにするというのが今の外務省の中では横行しているように思えます。都合の悪いものは隠せということが職員のレベルで行われているということは、外務省改革の前と後で何も外務省の体質は変わっていないのではないでしょうか。

 少なくとも、外務省の情報をどう取り扱うかということは、きちっとしたルールにのっとって、担当する課長が自分でこれは極秘だの秘だのということを決めて、それで決裁が成立してしまうという今の外務省の仕組みは明らかにおかしいし、それが何らかの問題をもたらすことに極めてなりやすい、そういう状況は、外務省、変わっていないのではないでしょうか。一度これは外務省の中で、情報をどういうふうに公開するのかというルールをきちっと考えて定められたらいかがですか。

木村(仁)副大臣 ごもっともな御指摘でございますので、検討させていただきます。

河野(太)委員 本来そういうことを外務省改革でやってきたんだと私は思っておりましたが、こういう出来事を見て、若干驚いております。そういう体質だからこそ、臭い物には下の方のレベルでもふたができるから、ベトナムからそういうことを言われては困ると言われたときに、外務省としてそれをうのみにするような、要するに、何にも国のことは考えていないじゃないか、自分の仕事がやりにくくなるようなことは一切突っ張らずに向こうの言うなりになって、へえへえと言って聞いているだけじゃないか、それが今の外務省なのではないんでしょうか。

 私は、この一連の取り扱いについて外務省が、ベトナム政府が、ベトナム政府がと言いますが、先ほどの国交省の話を聞いても、国交省以外の専門家に聞いても、とてもベトナム側だけで原因究明ができるはずがない、これは関係している方はみんなそうおっしゃるわけであります。一カ月という短い期間でそんなものができるはずがない、やはり出てきませんし、これから先数カ月かかるであろうということが言われているわけであります。そういうことがわかっていながら、ベトナム政府に、はい、どうぞと言って帰ってくるというのは、それは日本の外交が崩壊しているとしか言いようがありません。

 現時点において、数カ月先まで恐らく報告書は出ないんだろうということがわかった今、外務省として根本的に立ち位置を変えなければならぬと思いますし、これはJBICが二百億円も融資する案件ですから、一体全体どういう原因究明が行われているのか、あるいは進んでいないのかということを少なくとも国会並びに国民に明らかにする必要があると思いますが、いかがですか。

木村(仁)副大臣 私は率直に申し上げて、一月というのでは無理であろうと思っておりましたが、一月たって、もう二月近くになる今、委員がおっしゃられるように、もう一度スタンスを考えるということは大切かと思います。

 そこで、中間報告的なものを求めたいと思って、今そのような検討をいたしているところでございます。そして、出てきましたならば、名目は再発防止検討委員会となっておりますが、実はこれはベトナムが作成します報告書を検討するための委員会でありますから、そこで十分議論をしていただいて、必要な措置は講じていきたいと考えております。

 私は、その時点になりますと、各コントラクター及びコンサルタントが既に作成している書類あるいはつかんでいる事実、そういうものを我々に示すことができると思います。今はまだ、コンサルタント、コントラクターは民事上の責任だけでなくて刑事上の責任も問われる立場にあるサイドでありますから、非常に慎重で、ベトナム政府が公表まかりならぬということを実に忠実に守っている状態でございます。この部分をまず広げて情報をとることが可能であると思っております。

河野(太)委員 ベトナム側の中間報告、それを日本で調査の上、これでは不十分だというときには日本側の専門家をきちっと入れることを考えなければならぬと思いますが、いかがですか。

木村(仁)副大臣 検討委員会による検討の結果を待って、必要であればそのような措置をいたします。

河野(太)委員 一つ私が理解できないのが、今回の事件は明らかにODA絡みの事件でございます。外務省の中ではODAの担当は小野寺副大臣ということが決まっているにもかかわらず、これは国の、地域の担当である木村副大臣がこの事件を担当されておりますが、これはどういう事情でそうなっているんでしょうか。

木村(仁)副大臣 ちょうど事件が起きましたときに、小野寺副大臣は、衆議院の方の臨時国会の審議の最盛期でございましたので、出張はできない状態でありました。私が地域の担当であり、小野寺副大臣がODAの担当でございます。そこあたりは柔軟に対応して、御相談の上仕事を分担しておりますので、まず私が現地に赴くことにいたしました。

 その流れで現在私が担当をいたしておりますが、もちろんODAに関することでありますから、まずは地域の問題、地域で五十四人の犠牲者が出たというそのことを我々は重く見て、私が一生懸命やっておりますけれども、これを今度はODAという制度に乗っけて、ODAをどうするかというような話になったら、当然、担当であられる小野寺副大臣の出番であると思っております。

 イランの人質の場合には、私が邦人保護の立場の仕事をいたしております。地域は小野寺副大臣の担当であります。ちょうどベトナムの事件が起こって、やっている最中にイランの事件が起こりましたので、その方は、相談の上、小野寺副大臣に最初から担当していただいている。そういうことでありますが、もちろん情報交換等のときには、領事の担当である私も参加をさせていただいております。

河野(太)委員 小野寺さん、今の説明でよろしいんですか。

小野寺副大臣 基本的には、二人で相談をさせていただいて役割を分担させていただきましたが、当初この問題が発生したときは、私ども、これは基本的に日本のODA、そしてまた受注したところも日本のJVということで、日本の問題だと感じまして、それで担当部局に要請をいたしました。

 現地ベトナムではどういう反応をしているのかということを要請いたしまして、そして、ベトナムの大使館の方から返ってきたところが、外務省の南東アジア一課というところに実はその返答は返ってきまして、南東アジアの方の担当は木村副大臣の方の地域担当になるということで、報告が木村副大臣の方に行った。そういう、ちょっと投げたボールが違う方に戻ってきたということがありまして、この問題は木村先生とよく相談しなければいけないなということで、二人で相談をしまして、こういう分担をさせていただいたという経緯があります。

河野(太)委員 この事故が起きた直後から、自民党の山内康一代議士が非常に熱心にこの問題をフォローされておりました。山内さんも小野寺さんにいろいろ連絡をされたと思いますし、この事故の担当JVである大成も小野寺さんのところへ事故の直後伺っているはずでございます。

 我々は、当然ODAの担当副大臣がこれに当たられると認識をしておりました。もちろん、起きた地域は木村副大臣の担当でございますから、木村副大臣がベトナムへ飛んで弔意をあらわすというのは、これは当たり前のことだと思いますが、どうも外務省の中で、今度のイランの事件につきましても、邦人保護をやっていらっしゃる副大臣でない方が飛んでいく。もちろんそれは地域担当ということなんだろうと思いますが、そこが、どういうことで担当が決まっているかというのが、本当に政治のリーダーシップで決まっているのではないのではないかという疑いを我々は持っております。

 少なくとも、外務省の中で、政務官三人を加えた六人が政治家で入っていらっしゃるわけですから、少し政治家の役割分担については、外務省の中の政治家の中できちっと意見交換をした上で、納得ずくで担当が決まるような体制をつくるメカニズムをつくらないと、何となく、こいつはうるさいからあっちにしようとか、そういう雰囲気がなきにしもあらず、なきにしもあらずというよりは、私はもうちょっと強いんだろうと思っております。そのあたり、六人でしっかりチームワークをとってこの問題に対処していただきたいと思います。

小野寺副大臣 今の中では、当初、私ども、こういう問題で取りかかろうと思いましたら、報告が木村副大臣の方に上がったということで、ちょっと違和感がありました。ただ、多分、その後ずっとこれをフォローしていったんですが、役所的な内部の縦割りの中でこういうことになったんだなと理解しまして、その後、木村副大臣とよく御相談をさせていただきました。

 それで、今回の事案というのは、恐らくベトナムの政府に最終的にいろいろ交渉しなければいけないということで、ODA案件ではありますが、恐らくベトナム政府への働きかけが必要だ、そうなりますと、地域分担の中で、従前から木村副大臣がベトナム政府と強い関係を持っていらっしゃいますので、これは木村先生の方がむしろベトナムの方として対応しやすいんではないかというふうに考えました。

 また、今回のイランの事案につきましては、むしろイランの政府あるいは大使と何度もお会いさせていただいている私の方が、イラン政府に対しての今回は働きかけということで適当ではないかということで、役割分担と地域割りとどちらを優先するかというのは、その事案事案で相談してやっていくということが大切かと思っております。

 御指摘のお話、そのとおりだと思いますので、これからも高村大臣を筆頭に、私ども政治の場で外務省に出させていただいている六名、お互いに相談しながら、その辺はしっかりそごがないようにしていきたいというふうに思っております。

河野(太)委員 ありがとうございます。

 先ほど副大臣からも、広くODAにかかわる案件であるという話がございました。

 きょうJICAにもお越しをいただいていると思いますが、いらっしゃいますか。このカントー橋は、JICAが調査をして場所その他、工法などを決めていると思いますが、要するに、なぜ今報告書が出てこないのか。最終的には、メコンデルタの特性がよくわからぬから実験をせにゃいかぬということでございますが、JICAがFSをやったときに、このメコンデルタの特性というのをどれぐらい把握してこの計画をつくられているんでしょうか。

金子参考人 お答えします。

 この調査を始めたときに、社会性、経済性の観点から三つのルートを候補を選定いたしました。その上で詳細な地質調査を行いました。その結果、今回選定いたしましたルートはいずれも表層に軟弱な地盤がありましたが、深度約二十メートルから三十メートルぐらいは比較的かたい層があらわれるため、支える構造物の重さにより適切な長さのくいを使うことにより必要な強度は得られると判断してこの調査を行いました。

河野(太)委員 確かに本工事の橋梁はそうなんだと思いますが、今回、事故の原因になったのは支保工であります。支保工も一々下の岩盤までくいを打ち込むとはなかなか考えにくいわけでありますし、だからこそ、不等沈下の問題その他が今疑われているわけだと思います。

 このJICAのFSのときに、その支保工を初めとする仮設工についても検討した上でこのルートになったんでしょうか。

金子参考人 調査では、橋梁の施工のために必要な仮設支柱、支保工のような構造物の設計は行わなかったわけであります。設計は行いませんでした。

河野(太)委員 ということは、本橋梁は数十メーター下の地層で支えられる。しかし、支保工を初めとする仮設工は、メコンデルタの上の方の軟弱なところが支え切るかどうかわからない状況でこのルートが提案されたということですか。

金子参考人 お答えします。

 先ほど申し上げましたように、ボーリング調査を設計調査のときに詳細に行いました。二十九カ所のボーリング調査を行って、それで八十五メートルから百メートルぐらいの深度を調査して、これでは支え切れるということで設計をいたしたと……(河野(太)委員「支保工も」と呼ぶ)支保工の設計は行っておりませんでした。

河野(太)委員 支保工も支えられると判断をしたのか、設計をしていないから支保工はそのとき対象になっていないのか、どちらですか。

金子参考人 支保工の設計は対象になっていなかったというふうに理解しています。

河野(太)委員 要するに、まとめますと、JICAがこのルートを提唱したときには、支保工についての考察は行わず、しかし、本橋梁については支えられる、そういうことだった。ですから、今ベトナム側で原因究明を塩井さんが行っているときに、支保工が恐らく下のかたい層にまで打ち込まれるとは考えにくいわけですから、その途中まで打ち込んだ支保工が不等沈下を起こすなりなんなりして事故につながった、そういう認識でよろしいですか。

別所政府参考人 私も技術専門知識を持っておりませんけれども、先ほど私の方から報告させていただきましたとおりに、支保工が沈下することによって問題が生じたというのは、そういう認識で一致しているというふうに伺っております。

河野(太)委員 そうしますと、JICAのFSに問題があったと考えられますか。それとも、JICAは、それはもう施工上の問題だから、そこまでFSはカバーしないので、我々に責任はないよ、そういうことなんでしょうか。

金子参考人 詳しい内容につきましては今調査中でございますので、今、責任があるかないかというようなことは、ここではお答えできないと思います。

河野(太)委員 JBICもいらしていますでしょうか。

 今、日本が融資を考えているプロジェクトで橋の案件はどれぐらいあるのか、また、その橋の案件の中で見直しを、少なくとも安全性の見直しをしなければいけないものがどれぐらいあるのか、もしわかれば教えていただきたいと思います。

新井政府参考人 お答えいたします。

 今回のプロジェクトのような大きなものということでお答えしたいと思うのでございますが、二十数件ぐらい全世界で展開をしております。

河野(太)委員 その二十数件の中で、この事故が起きたことにより、何らかの見直しあるいは点検が必要だというものはありますでしょうか。

新井政府参考人 今回の事故を踏まえまして、私どもの事務所を通ずるなどして、直ちに、全世界のODA案件で、円借款でございますが、橋をつくるとか、そういったものについては安全に心を配るように注意喚起をしておりますが、さらに二十数件というのがとりあえず大きなものとしてあると思うんですけれども、そこについてはより詳しい調査を行って、また、私どもの事務所がございますので、そういったところから、相手国政府の協力も得てさらに安全対策をとるようにということでやっておりますが、いわば今調査をしている途上でございます。

河野(太)委員 先ほど木村副大臣から、明確に外務省はスタンスを変えるという御答弁がありました。ベトナム側から中間報告を求め、それを精査し、必要ならば日本側の専門家も送るということなんだろうと思いますが、これは、外務省がスタンスを変えるだけではなくて、お金を出しているJBICも当然ここでスタンスを変えていただかなければいかぬと思います。

 今までは、その融資の出し手であるにもかかわらず、ベトナム側が非常にクローズドな、情報も出さない原因究明、しかも、能力的にも時間的にも到底それではできないという原因究明委員会でありながら、それに対して、外務省同様、JBICは何もクレームをつけてこなかったわけでございます。ここで外務省がスタンスを変えるならば、当然JBICも平仄を合わせて、それをしなければ融資はしないよというようなスタンスにならざるを得ないと思いますが、いかがですか。

新井政府参考人 まずは原因の究明、それからまた、その究明の過程で責任関係等も入ってくるかと思うんですが、そういったものの結果といいますか結論といいますか、そういったものを待ちたいと思いますが、先ほども外務省から御説明のありましたように、それを待つことなく日本の中でも、カントー橋崩落事故再発防止検討会議というところで、つぶさに日本側としても調査といいますか検討をしていくということでございますので、私自身もその検討会議には委員として参加させていただいておりますが、そういったものの議論も踏まえて、また政府の方と御相談をしながら考えていくということだろうと考えております。

河野(太)委員 済みません、JICAにもう一度お伺いをいたしますが、メコンデルタで今回と似たような形の橋が無償で計画をされているはずでございます。今回は、メコンデルタの特性がよくわからずに事故の原因究明の調査までやる、そのために数カ月委員会がおくれるという状況でございます。これを受けて、無償資金で計画をしている橋については、何らかの計画の変更その他を行う予定でしょうか。

金子参考人 お答えします。

 カンボジアの第二メコン橋架橋について、JICAで平成十六年より三、四年かけて調査をしてまいりました。この調査が終了することを受けて、無償資金協力により実施を想定することとして、現在調査をしているところでございます。

河野(太)委員 調査をしているのはよくわかりましたが、同じようなところで事故があって、どうするのかというところについて何の答弁もできないというのはちょっと情けないなというふうに思います。

 今回のこの事故、あるいはその後の対応を見ていますと、少なくとも外務省には、なあなあで済ますのではなくて、もう少しきちっと主張すべきところは主張してもらわなきゃいかぬ。

 もちろん、これはベトナムで日本側が起こした事故でございますから、余り日本が居丈高に何か物を言える状況にないというのはまさしくそのとおりでございます。しかし、到底原因究明ができないような体制であるにもかかわらず向こう側に全面的にゆだねるのではなくて、向こう側のメンツを立てながら、しかしきちっと原因究明ができるような仕掛けをしていくというのは、そこが日本の外交ではないかというふうに思います。

 そうしたことを、どうも今までは、相手側が言っていますからというと、国内、全部それで臭い物にふたができる、そう外務省は思ってやってきたような節がございます。

 今度の外務省の文書管理にしてもしかりでございます。文書管理のルールがあるにもかかわらず、そんなものを無視して、一担当課が勝手に、これは出せません、出せますというようなことを決めてきた、そういう今までのうみが、やはりこういう何かあったときにさらに悪くなるということなんだろうと思います。

 木村副大臣からも明確な御答弁をいただきましたので、外務省にはスタンスを変えていただいて、しっかりベトナム側と調整をしていただいて、原因究明ができる体制をとっていただきたいと思いますし、これを契機に、外務省の情報管理、あるいは入られました六人の政治家の体制づくりということをしっかりやっていただければ、災い転じて福と言うと亡くなられた方々に怒られてしまいますが、少なくとも、この事件を一つの材料として、外務省が外務省改革で変われなかったところをしっかり変わるように努力をしていただきたいと思います。

 ありがとうございます。

平沢委員長 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後零時四十一分散会


このページのトップに戻る
衆議院
〒100-0014 東京都千代田区永田町1-7-1
電話(代表)03-3581-5111
案内図

Copyright © Shugiin All Rights Reserved.