衆議院

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第6号 平成27年4月16日(木曜日)

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平成二十七年四月十六日(木曜日)

    午前九時開議

 出席委員

   委員長 北村 誠吾君

   理事 小野寺五典君 理事 門山 宏哲君

   理事 金子万寿夫君 理事 新藤 義孝君

   理事 武田 良太君 理事 大串 博志君

   理事 下地 幹郎君 理事 佐藤 茂樹君

      今津  寛君    江渡 聡徳君

      小田原 潔君    大西 宏幸君

      大野敬太郎君    木原 誠二君

      木原  稔君    笹川 博義君

      田畑 裕明君    中谷 真一君

      野中  厚君    浜田 靖一君

      原田 憲治君    武藤 貴也君

      小川 淳也君    玉木雄一郎君

      津村 啓介君    柿沢 未途君

      吉村 洋文君    伊佐 進一君

      赤嶺 政賢君    照屋 寛徳君

    …………………………………

   防衛大臣         中谷  元君

   厚生労働大臣政務官    橋本  岳君

   国土交通大臣政務官    青木 一彦君

   防衛大臣政務官      原田 憲治君

   政府参考人

   (外務省大臣官房参事官) 鈴木 秀生君

   政府参考人

   (国土交通省航空局長)  田村明比古君

   政府参考人

   (国土交通省航空局交通管制部長)         石崎 仁志君

   政府参考人

   (防衛省大臣官房審議官) 辰己 昌良君

   政府参考人

   (防衛省防衛政策局長)  黒江 哲郎君

   政府参考人

   (防衛省経理装備局長)  三村  亨君

   政府参考人

   (防衛省地方協力局長)  中島 明彦君

   安全保障委員会専門員   齋藤久爾之君

    ―――――――――――――

委員の異動

四月十六日

 辞任         補欠選任

  中谷 真一君     田畑 裕明君

同日

 辞任         補欠選任

  田畑 裕明君     中谷 真一君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 政府参考人出頭要求に関する件

 国の安全保障に関する件(沖縄基地問題等)


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     ――――◇―――――

北村委員長 これより会議を開きます。

 国の安全保障に関する件、特に沖縄基地問題等について調査を進めます。

 この際、お諮りいたします。

 本件調査のため、本日、政府参考人として外務省大臣官房参事官鈴木秀生君、国土交通省航空局長田村明比古君、国土交通省航空局交通管制部長石崎仁志君、防衛省大臣官房審議官辰己昌良君、防衛省防衛政策局長黒江哲郎君、防衛省経理装備局長三村亨君、防衛省地方協力局長中島明彦君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

北村委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

北村委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。小田原潔君。

小田原委員 自由民主党の小田原潔であります。

 本日は、安全保障委員会で初の質問をさせていただく機会をいただき、まことにありがとうございます。

 私ごとながら、大きな御縁を感じざるを得ません。私が政治家を志したのは八歳のときでありました。私の父親は、中谷大臣と同様、陸上自衛官でありました。幼いころから、いざというとき父親が危険な任務につく可能性があるということを、覚悟を持って育ちました。子供心に、本当に命をかける意義のある任務についてほしい、それなら家族も納得できるという思いがございました。

 八歳になる一週間前、昭和四十七年の五月の十五日でありました、沖縄が日本に返ってまいりました。大変感動いたしました。一発の銃弾も発射せず、一滴の血液も流さず、一度戦争で失った領土が返ってきた。政治と外交の力はすごいとつくづく思いました。

 志を得てから、三年前に初当選をさせていただき、スタートラインに立たせていただくまで四十年がかかりましたが、これも天命でありましょう。

 では、質問をさせていただきます。

 その沖縄が、核抜き本土並みの日米安全保障条約の適用を前提に返還をされました。以来、国・県民の皆様の御理解のもと、我が国の安全保障の枠組みが成り立っているということを、委員の一人として常に肝に銘じなければならないと思っております。

 一方で、我が国の安全保障環境が厳しさを増していることは私たちの共通の認識でありましょう。対処すべき正面を見ても、北方、朝鮮半島、南西諸島、シーレーン、海中、空中に加え、宇宙、サイバー空間と、増加の一途であります。

 そこで、お伺いをいたします。

 経済的にも軍事的にも台頭する中華人民共和国が世界秩序にどういう影響を与えていくのか、またどのように折り合いをつけていくのかというのは、我が国のみならず世界各国の共通の課題になりつつあります。一方的に防空識別圏を我が国の領土上空に設定すると宣言したり、戦闘機が異常接近したりした事案は記憶に新しいところであります。

 中華人民共和国の中華人民解放軍の近代化計画にあるとされる、いわゆる第一列島線には沖縄県が入っています。この第一列島線と言われるもの、なかんずく沖縄県の、我が国とアジア太平洋地域の安全保障における意義、そして、この地域で日米安全保障条約が果たす役割と効果について、大臣の御見識をお聞かせください。

中谷国務大臣 小田原委員から安全保障委員会において最初の御質問をいただきましたので、お答えをさせていただきます。

 この第一列島線につきましては、中国の軍事戦略上の概念といたしまして、南西諸島などが含まれている旨、米国が指摘しているところと承知しておりますが、中国政府からこの具体的な内容を発表したことがなくて、確たることを申し上げるのは困難であります。

 その上で、沖縄県を含む南西諸島は、全長が約千二百キロに及ぶ、多数の島々で構成され、海洋国家たる我が国とアジア、中東諸国を結ぶシーレーンに近接をしており、海上輸送上の要路となっております。沖縄は、その南西諸島のほぼ中央に位置し、ユーラシア大陸と太平洋のアクセス上大変重要な戦略的位置にあります。また、東アジアの各地域に対して距離的に近い位置にあると同時に、我が国の周辺諸国との間に一定の距離を置いているという地理上の利点を有しております。

 他方、これらの周辺国から見ると、沖縄は、大陸から太平洋へアクセスするにせよ、太平洋から大陸へのアクセスを拒否するにせよ、戦略的に重要な目標となります。

 こういう特性を有する沖縄には自衛隊や在日米軍が駐留しておりますが、こうした戦略的要衝にある沖縄を守るという国防上の重要な役割を担っております。これによって抑止力が高まり、我が国の安全のみならず、アジア太平洋地域の平和と安定に大きく寄与していると認識をいたしております。

小田原委員 ありがとうございます。

 我が国の安全保障が地域の皆さんの御理解のもとに成り立っているという事情は、沖縄県に限ったことではないと思います。

 私の地元にも横田基地がございます。選挙区では、昭島・横田友好クラブという団体が組成されて久しいです。米軍基地の関係者の皆さんとは良好な関係を築いています。もともと多摩陸軍飛行場があった場所でもありまして、今でも根強く軍民共用化の要望などをいただくところであります。しかしながら、首都圏において管制権が我が国の手から離れている空域があって、民間機が多摩地域を離発着できないという認識をされている方も少なくありません。

 そこで、お伺いします。

 横田基地そして沖縄県周辺に、米軍が管制を行っていることにより排他的な空域になっているところはあるのでしょうか。

石崎政府参考人 まず、空域の点でございますが、着陸降下をいたします航空機と離陸上昇いたします航空機で混雑をする飛行場周辺におきましては、航空交通の安全を図るために、当該空域を飛行いたします航空機に対して飛行の指示等を実施する進入管制空域というものが全国三十一カ所に設けられております。横田基地周辺それから沖縄本島の周辺に設けられております進入管制空域はそのうちの一つでございまして、他の進入管制空域と同様に、航空機の飛行が禁止されているものではありません。また、飛行する航空機に対して必要に応じて指示が行われているというものでございます。

 なお、沖縄本島周辺の航空管制業務につきましては、平成二十二年三月から国土交通省において実施をいたしております。また、横田の進入管制空域は、日米地位協定に基づきます日米合同委員会の合意によりまして、米軍による管制の業務が認められているものでございます。

小田原委員 ありがとうございます。

 それでは、横田基地が仮に存在しなければ、民間機が今より合理的な航路をとれるということはあるのでしょうか。

石崎政府参考人 お尋ねの飛行経路でございますけれども、飛行経路の設定に当たりましては、航空交通の安全の確保を前提といたしまして、陸域への騒音の影響などの環境面の課題でありますとか、出発や到着の経路の分離によります円滑な交通流の確保といった要素を総合的に勘案する必要がございます。

 そのため、横田基地は一つの考慮要素ではございますけれども、それが存在しなくなったというだけで、必ずしも合理的な経路が設定できるわけではないということでございます。

小田原委員 ありがとうございます。

 御理解を賜る沖縄県の県民の皆様が安全に暮らす中で我が国とアジア太平洋地域の安全が守られねばならないと思います。

 さて、これから安全保障法制の議論が国会で本格的に始まることと期待をしております。

 そこで、法制化に当たっては、切れ目のない安全保障法制を目指すためにも、行動の現場において、自衛官が、これはできるのでやってもいいという項目を挙げる限定列挙に、任務遂行の行為が入るのか入らないのか迷うようなことがないように、また、世界各国共通で権利行使できるという前提であればこれだけはやってはいけないというネガティブリストにするべきだという専門家、これは、今まで政府が助言を求めてきた方々を含め、御意見を多く聞きます。敵対し得る相手が何でもありの攻撃をしかけてくることを前提に行動する隊員が、任務遂行に必要な判断をしたことについて、後々罪に問われる、例えば、極端な話、殺人罪に問われるなどということのないようにつくり上げるべきだというふうに思いますが、大臣の基本的な御認識をお聞かせください。

中谷国務大臣 防衛法制におきましては、現在のようなポジティブリストではなくてネガティブリストにすべきだという御意見があるということは承知をいたしております。

 現在の自衛隊法における自衛隊の行動権限の規定のあり方につきましては、安全保障環境の変化に応じて適時改正が行われておりまして、自衛隊発足後約六十年になるわけでありますが、国会における議論の積み重ね等を経てきたものであると認識をいたしております。

 その上で、現場を預かる防衛大臣としての立場から申し上げれば、法律上、自衛隊に求められる任務と、そのために必要な権限が与えられるということは当然であります。また、自衛隊が現実に起こり得るあらゆる事態に迅速にかつ的確に対応するためには、部隊行動基準の策定を含め、何ができるのかだけではなくて、何ができないかをあらかじめ明確に議論していくことが重要であると認識をしておりまして、現在法律作成の作業を進めておりますけれども、現場において隊員が判断に迷うことなく、国民から負託された役割をしっかり果たすことができるよう必要な措置を講じることは政治の責務であると考えて作業を進めてまいりたいと思っております。

小田原委員 ありがとうございます。

 国民の生命と財産を守る安全保障の仕事に失敗は許されません。

 さらに、私ごとながら、また本人の許可を得ずにお話をいたしますと、先ほど申した私の父は、終戦のころに十歳、満州から命からがら引き揚げてまいりました。その途中二人の妹を亡くし、一人は満州の大地に眠ったまま、今はどこにいるかはわかりません。もう一人は、あともう少しで船が日本に到着するというときに一歳半の命を失い、水葬に付されました。当時、祖父はシベリアに抑留をされておりました。そのとき、父が、一緒に逃げて帰る、頭を丸刈りにした女性に言われたことは、昭ちゃん、あんたが大人になったら絶対に戦争に巻き込まれてはいけない、しかし、もし万が一巻き込まれたら絶対に負けてはいけないと言われたと聞いています。

 この思いを、世代がかわっても強く心に焼きつけて、平和な我が国が安全に発展していくことを祈り、またその仕事に全力を傾けることをお誓い申し上げまして、私、小田原潔からの質問を終わります。

 ありがとうございました。

北村委員長 次に、伊佐進一君。

伊佐委員 おはようございます。公明党の伊佐進一です。

 本日も質問の機会をいただきまして、ありがとうございます。早速質問に入らせていただきます。

 過日、アメリカのカーター国防長官が来日をされまして、日本で安倍総理と、また菅官房長官と会談をされ、そして、外務大臣また中谷防衛大臣、両大臣と会談をされた。中谷大臣との会談、私が伺っているのは、当初四十五分という予定だったのが、いろいろな内容の議論、たくさんのイシューがあって、八十分ぐらいの議論をされた、非常に有意義な、内容の濃い議論だったというふうに伺っております。

 カーター国防長官がいらっしゃって、総理初め、両大臣初めいろいろ議論した中で、共通して話題に上がっていたのはガイドライン、日米ガイドラインです。本日は、この日米ガイドラインについて質問させていただきたいと思います。

 昨年の十二月に2プラス2の共同発表がありまして、そこでスケジュールが新たに示された。つまり、本年の前半にこのガイドラインの見直しを行っていくということが示されたわけです。

 一方で、今まさしく議論しております、与党間で議論が進められております安保法制、この安保法制のスケジュール感でいきますと、よく報道されておりますのは、まとまれば連休明けに国会に提出されるんじゃないか。また、今報道では、国会が延長される。そうすると、めど感、めどとしては七月とか八月というような状況じゃないかと思います。

 こういう中で、日米のガイドラインと、今議論をしている安保法制との関係がどうなのか、これは多々国会でも質問になっていると思います。大臣あるいは総理の答弁の中にも、ガイドラインと安保法制というのは整合性をしっかりと確保することが重要だとか、あるいは、両者を整合させて進めていくというような答弁をしていただいておりますが、当然そうあるべきなんだと思います。

 でも、ガイドラインというのは相手がある話です。その上でまた、安保法制とガイドラインは時間差ももしかしたら出てくるかもしれないというような状況の中で、もし万一、この国会でこれから議論されるであろう安保法制とガイドラインの中身が食い違った場合、矛盾がある場合、どういう扱いになりますでしょうか。

中谷国務大臣 先日行われましたカーター長官との議論、お互いの認識を述べ合って、大変意義があるものでございました。

 その中で、昨年十二月の2プラス2の共同発表において、ガイドラインの見直しと安保法制の整備との整合性、これを確保することの重要性を再確認した上で、安保法制の整備の進展を踏まえながら、本年前半における見直し完了に向けてさらに議論を深めるということにいたしたものでございます。

 ガイドラインというのは、日米防衛協力に関する一般的な大枠及び政策的な方向性を示す文書でございます。現在、このガイドラインの見直しと安保法制の整備の整合性を確保しながらガイドラインの見直し作業を進めているところでございまして、このガイドラインや、そのもとで行われる取り組みというのは、日米おのおのの具体的な政策や措置に適切な形で反映することが期待されるものでありますが、自国の憲法及び法令に従うのは当然でございまして、しっかりと整合性が保たれるように進めてまいりたいと思っております。

伊佐委員 ありがとうございます。

 今、大事なキーワードを言っていただいたと思うんです。つまり、今回の中間報告にも書かれておりますが、おのおのの憲法及び国内法令に従って行われる。つまり、国内法令を超えたガイドラインというのは当然ないわけです。法令の根拠がなければ、そもそもガイドラインで何を書こうが自衛隊は動けないわけですから。

 また、もう一方で、これは中間報告にも書かれています、前回のガイドラインにも書かれていますが、このガイドラインというのは、そもそも、いずれの政府にも、立法上、予算上または行政上の措置をとることを義務づけず、また、法的権利または義務を生じさせないということだと認識しています。

 つまり、ガイドラインと安保法制、どっちが上なんだという話ではないと思うんですが、少なくとも、これから国会で議論される安保法制というのが最終的な自衛隊の活動の範囲を決めるんだということだ、つまり、安保法制に合致しないような形でガイドラインをつくったとしても、それは、言ってみれば、無効だということじゃないかと思います。そういうふうに、今回の大臣の答弁のように言っていただければ誤解も少ないんじゃないかと思っております。

 では、このガイドラインの射程が、果たしてその協力の範囲がどこまで及ぶかという議論ですが、これまでガイドラインの範囲というのは、改定をされるたびに拡大してきた。当然、それは日米協力が、そもそものボリュームがどんどん拡大しているからにほかならないわけですが。

 一番最初の一九七八年のガイドラインというのは、あくまで日本有事というものを想定していた。領域外の米軍に対して支援をできるかどうか、ここは結局壁を越えなかったというふうに認識しています。

 九七年のガイドラインになって、つまり現行のガイドラインですが、最大の特徴というのは周辺事態、ここまで拡大した。三本柱となっていますが、一つは平素、もう一つは日本に対する武力攻撃事態、三つ目が周辺事態。このガイドラインの後、周辺事態法というのが制定されていくわけです。

 では、今回、ガイドラインの射程というのはどこまで広がるのか。現在、積極的平和主義というものを掲げて外交、安全保障政策に取り組んでいるわけですけれども、どこまで広がるんでしょうか。

原田大臣政務官 お答えをさせていただきます。

 日米防衛協力のための指針、いわゆるガイドラインにつきましては、委員お示しのように、前回、一九九七年の見直しから既にもう十七年以上が経過をしておりまして、その間に、我が国周辺の安全保障環境が一層厳しさを増してきております。そのほか、グローバルな安全保障環境においても、海賊や国際テロ等に加え、サイバーや宇宙空間といった新たな領域での課題への対応が求められておるところでもございます。さらに、海賊対処活動、PKO、国際緊急援助活動のように、自衛隊の活動もグローバルな規模に拡大をしてきております。

 今般のガイドラインの見直しにおいては、これらの安全保障環境の変化や、自衛隊の活動また任務の拡大、さらには昨年七月の安全保障法制の整備に関する閣議決定の内容を適切に反映させることにより、日米同盟の抑止力、対処力を一層強化し、また日米両国が国際社会の平和と安全により広く寄与できるようにしたいと考えております。

 見直し後のガイドラインのもとでは、平時から緊急事態まで、日本の安全が損なわれることを防ぐための切れ目のない対応における日米協力を進めることに加えて、地域やグローバルの平和と安定のための協力や、宇宙、サイバーといった新たな戦略的領域における協力など、幅広い分野での日米協力を推進し、自衛隊と米軍の一層の連携強化を図っていく考えでございます。

伊佐委員 ありがとうございます。

 今までのガイドライン、現行のガイドラインと比べて、かなりいろいろな、縦にも横にも広がっていく。具体的に示していただいたサイバー、宇宙空間という戦略的な領域というものももちろんありますし、おっしゃっていただいた、平時から切れ目ないという観点からいきますと、恐らく、周辺事態になる前の、例えばグレーゾーンとかそういうものも入ってくるんじゃないか。あるいは、日本の安全だけではなくて、地域及びグローバルな平和と安全というものも入ってくる。

 こうして、かなり多角的な協力が日米ガイドラインでは書かれることになるわけですが、では、このガイドライン、これだけ射程が広がっていく中で、中核的な要素というのは一体どこにあるんだろうという議論があります。

 そもそも、日米同盟、安保条約に書かれているものというのは、日本に対する武力攻撃あるいは在日米軍への攻撃に対して共通の危機として対処しよう、ここが日米安保条約の世界の中核であることは疑う余地がないわけです。当然、だから、それを反映して現行のガイドラインがどう書かれているかといいますと、第四章のところで、「日本に対する武力攻撃に際しての対処行動等」というところでは、「日本に対する武力攻撃に際しての共同対処行動等は、引き続き日米防衛協力の中核的要素である。」というふうに明示をされているわけです。

 ところが、これまで日本に対する攻撃にどう対処するかというのが中核的要素ではありましたが、今回の中間報告を見ておりますと、この文言がなくなっている。つまり、メニューがどんどんここまで広がってはいるんですが、その中で中核的な要素というのは一体どこなんだという議論があります。

 そこで、お伺いしたいのは、今回のガイドラインで、中核的要素というのは、あくまでやはり日本への武力攻撃というのが中核的要素なんだという同じ認識でよいのかどうか、また、それを明記するのかどうかについて伺います。

黒江政府参考人 ガイドラインの中での日本に対する武力攻撃に対する対処行動、位置づけという御質問でございます。

 現在行っておりますガイドラインの見直しの作業、これを指示しました二〇一三年の2プラス2の共同発表、これは十月でございますけれども、この中で、ガイドラインの見直しの目的といたしまして、「日米防衛協力の中核的要素として、日本に対する武力攻撃に対処するための同盟の能力を確保すること。」ということが明記をされておるということでございますので、我々が現在進めております見直し作業におきましても、当然、この目的に沿って作業をしておるということでございます。

 なお、最終的な報告の内容につきましては、現在精査をしておるところでございますので、今のところまだお示しできないというのはぜひ御理解をいただきたいと思います。

伊佐委員 ありがとうございます。

 具体的にどう書くかというのはまさしくこれからだということですが、少なくとも、日本に対する武力攻撃への共同対処というものが中核的要素なんだという、この意味合いは変わらないという答弁だったと思っております。

 詳細には、ではガイドラインがどういう形になるんだというのは今なかなか明らかにできないわけですが、一点だけちょっと確認したいところがあります。

 それは、現行のガイドラインにおきます調整メカニズム、日米が共同でオペレーションが始まったときに関係機関間の調整をどうやって行っていくか、具体的に書かれていますのは、周辺事態あるいは武力攻撃事態の際に日米間の調整メカニズムというのが立ち上がって、その調整メカニズムのもとでいろいろな、さまざまな意思決定、意思疎通というのが行われるということです。

 先般、四年前、東日本大震災の際に、アメリカと協力したあのトモダチ作戦というのがありました。私が伺っていますのは、このトモダチ作戦のときに、自衛隊とアメリカが協力をしようとしたときに、この調整メカニズムというのがガイドライン上に書かれていなかったので、つまり、周辺事態と、あるいは武力攻撃事態のときしか立ち上がらない、そのときしか明記されていないので、なかなか調整するのが大変だった、苦労したということを伺っております。

 そういった意味でも、今回のガイドラインでは、こうやってこれだけ射程が広がっていくわけですから、当然、調整メカニズムの機能というものもより幅広に対応できるような形にすべきじゃないかと思いますが、いかがでしょうか。

黒江政府参考人 調整メカニズムに関しまして、現行のガイドラインにおいての位置づけといったものは武力攻撃事態あるいは周辺事態に際してということに限定をされておる、あるいは、トモダチ作戦の中でさまざまな過程があったということは、先生御指摘のとおりでございます。

 その上で、昨年十月、我々が出しました、ガイドラインの見直しに関する中間報告の中では、まず、「日本の平和と安全に影響を及ぼす状況、地域の及びグローバルな安定を脅かす状況、又は同盟の対応を必要とする可能性があるその他の状況に対処するため、」「切れ目のない、実効的な政府全体にわたる同盟内の調整を確保する。」また、このため、「同盟内の調整の枠組みを改善し、適時の情報共有並びに政策面及び運用面の調整を可能とする。」、そういう記述をしておるところでございます。

 現在も、我々、中間報告で示されましたこの基本的な方向性を踏まえまして、現行の調整メカニズムの枠組みといったものをどう改善していくのがいいのか、そこについて精力的に議論をしておる、そういう状況でございます。

伊佐委員 ありがとうございました。

 改善というものが確かに書かれている、その中身というのは、恐らくこうした拡大していくというところもあるだろう。

 時間になりましたので、最後、質問じゃなくて提案だけさせていただきたいと思いますが、今回、国防長官との間で大臣が話された中で、一つ大きな合意事項がありました。

 何かといいますと、宇宙とサイバーでの協力、特に宇宙に対して、宇宙の分野でしっかりと協力をしていく、どういう協力ができるかというのはまず話し合う、検討するようなワーキンググループをつくりましょうということになりました。サイバーはもともと日米でやっていますが、宇宙ではやっとこれができた。これからいよいよ、どういう協力をしていくかということが始まっていくわけですが、残念ながら、今日本の防衛省の中の宇宙の担当というのは、私が伺ったところ、わずか四人だと聞いています。このままじゃなかなかアメリカとの協力も進まないんじゃないかと思いますので、しっかりとした体制整備を最後お願い申し上げまして、私の質問を終わります。

 ありがとうございました。

北村委員長 次に、赤嶺政賢君。

赤嶺委員 日本共産党の赤嶺政賢です。

 きょうは、米軍普天間基地問題について質問をいたします。

 四月五日、菅官房長官が沖縄県の翁長知事と会談をいたしました。

 まず、防衛大臣に、普天間基地問題の原点とは何かという基本認識の問題について伺いますが、菅官房長官は、会談の場で、最重要というのは普天間飛行場の危険除去と発言をいたしました。それに対して翁長知事は、今日まで沖縄県民がみずから基地は提供したことはない、普天間飛行場も、それ以外の取り沙汰される飛行場、基地も、沖縄県民が収容所に入れられて、あるいは銃剣とブルドーザーで基地に変わった、私たちの思いとは全く別に全て強制収用された、このように発言して、基地の形成過程そのものに問題の大もとがあるという認識を示しました。

 防衛大臣はどういう認識ですか。

中谷国務大臣 沖縄の問題等につきましては、沖縄返還も含めまして長い長い経緯があるものと認識をいたしております。

 この普天間問題というのは、普天間の返還をめぐりまして沖縄県と地元が協議をいたしておりますが、私の認識といたしましては、この普天間の危険性の除去は、十九年前の平成八年四月十二日、橋本総理とモンデール大使との会談で普天間飛行場の全面返還に合意をしたということが発表され、当時の沖縄県知事や名護市長の御理解も得て、移設先を辺野古沖として、その後さまざまな検討を経て、政府としてキャンプ・シュワブへの移設が唯一の解決策であるという結論に至っております。

 この間、沖縄県と政府とも話し合いをいたしまして、過去の歴史等も伺っているわけでございますが、この平成八年の普天間全面返還の日米合意の後、十二月に、SACO、これを合意いたしまして、平成十一年の十月には、沖縄県議会でも、「SACOの合意に基づき、普天間飛行場の県内移設を早期に実現するよう強く要請する。」という旨の決議がありました。この後の十一月には、当時の稲嶺知事が移設候補地を辺野古沿岸域に決定をした旨の表明があり、地元の名護市の岸本市長さんも受け入れを表明して、閣議決定を行いました。

 このような経緯を振り返るときに、普天間から辺野古への移設については、十六年前に、当時の沖縄県知事と名護市長の受け入れをいただいて、国と沖縄県と名護市、これが協議をして協力をした歴史があるというふうに認識をいたしております。

赤嶺委員 それでは、その十六年間の経過について振り返って、問題点を整理してみたいと思います。

 官房長官との会談で、翁長知事はこう述べています。みずから奪っておいて、県民に大変な苦しみを今日まで与えて、今や世界一危険だから大変だという話になって、その危険性の除去のために沖縄が負担しろ、おまえたちは代替案は持っているのか、日本の安全保障はどう考えているんだ、沖縄県のことも考えているのかと、こういう話がされること自体が日本の国の政治の堕落ではないか、こういう厳しい指摘を行っています。

 沖縄の米軍基地は、苛烈な沖縄戦と、それに引き続く米軍占領のもとで、住民の土地を強制的に奪って構築したものであります。占領下における略奪や私有財産の没収を禁止したハーグ陸戦法規に違反するものです。国際法に違反して、県民の土地を奪ってつくられた基地の返還を進める、それが普天間基地問題の原点だと思いますが、そういう認識はないですか。

中谷国務大臣 この問題は、我が国の安全保障の問題もありますし、沖縄の基地の負担軽減という問題もありますが、原点はやはり、沖縄が本土に復帰をする際の日米間のやりとりにもありましたが、昭和四十七年、一九七二年の佐藤総理とニクソン・アメリカ大統領の共同発表、これによって沖縄返還が五月十五日に決定をし、佐藤総理から、在沖の米軍施設・区域、特に人口密集地域や沖縄の産業開発と密接な関係にある地域にある施設・区域が復帰後できる限り整理縮小されることが必要と述べられ、また、ニクソン大統領が、日米安保条約の目的に沿った、日米双方が受諾し得る施設・区域の調整を行うに当たってこれらの要素は十分に考慮に入れられるものである旨答えをいたしております。

 四十年の八月、佐藤総理が沖縄を訪問した際に、沖縄の祖国復帰が実現しない限り我が国にとって戦後は終わっていないということを述べて、この復帰に臨まれまして、そのときに佐藤総理が、安全保障上の要請を踏まえつつ現実的な解決策を生み出していく努力をする必要がある、また、沖縄にある米軍基地が現状において我が国の安全に果たしている役割と極東の安全保障に果たしている役割、これを認識して、国際情勢の推移を見守りつつ、国民の納得のいく解決を図る必要があると考えを持たれていたと承知をいたしております。

 佐藤総理には、沖縄返還に向けて懸命に取り組む中で、当時の情勢において、沖縄にある米軍が重要な役割を果たしている、こういう日米共通の認識がありまして、こういった結果、返還が実現をいたしておりますが、こういったことで、政府と沖縄県とはその後話し合いが続いているというふうに思っております。

赤嶺委員 きょうはちょっと時間が限られているので、いろいろな問題で議論をしていくゆとりはないんですが、ただ、佐藤・ニクソン会談、それから沖縄が返還されない限り日本の戦後は終わらない、これは私自身も歴史の生き証人として体験をしてきたところであります。そのときに、佐藤・ニクソン会談でも、沖縄には米軍が勝手に基地をつくった結果たくさんの基地があるんだ、返還後はそのたくさんの基地を解決していかなきゃいけないんだというようなものが佐藤・ニクソン会談の本筋であったと思います。基地を残すことが大事なんだと言わんばかりの大臣の答弁ではないと思います。

 普天間の問題ですが、先ほどの答弁にもありましたように、日米両政府が普天間基地の全面返還に合意したのが九六年四月の橋本・モンデール会談でありました。防衛大臣は、県民の強い要望を踏まえ、県内への代替施設建設を前提に全面返還で合意した、九九年には当時の知事、市長も受け入れを表明したと答弁されました。官房長官も同じような発言を行っています。私は、こういう発言が今出てくることに非常に驚いております。

 防衛省に伺いますが、橋本・モンデール会談の三カ月前、つまり九六年一月に、沖縄県が基地返還アクションプログラムをまとめています。それはどういう内容ですか。普天間基地はどのように位置づけられていたのか、説明していただけますか。

中島政府参考人 お答え申し上げます。

 今委員御指摘の、平成八年一月、沖縄県が公表されました基地返還アクションプログラムにつきましては、沖縄県に当時所在しておりました全ての米軍基地、これは計四十施設でございますけれども、この返還を、第一期から第三期の三段階に区分いたしまして、平成二十七年までに計画的かつ段階的に全部返還することを求めた、当時の大田県政の考え方をまとめられたものと承知しております。

 普天間の飛行場の取り扱いでございますけれども、具体的には、当時の、二十一世紀に向けた沖縄のグランドデザイン実現に向けて策定されました国際都市形成構想との関連、それから返還要望の状況などを総合的に勘案いたしまして、三期のうち第一期の十施設の中に含まれていたものというふうに考えております。

赤嶺委員 基地のない沖縄を目指してつくられたのが基地返還アクションプログラムでありました。

 防衛大臣、今の説明にもありましたように、三つの段階に分けて沖縄県内にある全ての米軍基地の返還を進めるというものが返還アクションプログラム、その第一期に、二〇〇一年までに返還を求める基地の一つに挙げていたのが普天間基地であります。

 県民の強い要望を踏まえ、県内への代替施設建設を前提に全面返還で合意したと言いますが、当時沖縄県が求めていたのは、県内移設を前提とした返還ではなく、基地の全面返還を進める中で、まず普天間基地の返還に着手することだったということではありませんか。

中谷国務大臣 先ほどアクションプログラムについて答弁いたしましたが、同時に、SACOの協議を政府として行っておりまして、このSACOの最終報告において、沖縄県のアクションプログラムによって示された第一期分について、十施設、これのうち四施設について、二期分は十四施設のうち七施設について、一部返還または全部返還ということでありまして、最終報告以降、楚辺の通信所、読谷補助飛行場、ギンバル訓練場などの全面返還が実現をいたしました。

 そして、この最終報告において、普天間の代替施設を沖縄本島の東海岸に建設することを前提に全面返還することに合意をいたしておりまして、この報告書については、三つの具体案、これを検討した結果、海上施設案が、ほかの二案に比べて、米軍の運用能力を維持するとともに沖縄県民の安全及び生活の質にも配慮するという観点から、最善の選択であると判断をいたしました。

 嘉手納飛行場、また、地上、キャンプ・シュワブのヘリポート案もございましたが、自治体の皆様方は強く反対する姿勢を示していたということでありまして、一歩一歩、その後地元の御理解を得る努力を進める中で、平成十一年、一九九九年十月には沖縄の県議会から早期に県内移設を実現するよう要請がございまして、同年の十一月には当時の稲嶺知事が移設候補地を辺野古沿岸に決定したという旨の表明があり、岸本名護市長からも受け入れを表明いただいて、この十二月に移設の方針についての閣議決定が行われたということでございます。

赤嶺委員 九九年の一年間の出来事を繰り返し答弁しておられますけれども、橋本・モンデール会談の当日は、私たちは、あの少女暴行事件に抗議する大きなデモに参加している最中でした。

 その橋本・モンデール会談が行われ、SACOの中間報告があり、最終報告があったわけですが、そのとき沖縄はどんなふうに受けとめていたかということなんです。

 橋本・モンデール会談では、普天間基地が五年から七年以内に返還されるということが非常に大きく取り上げられました。しかし、それは、沖縄のほかの米軍基地内にヘリポートを建設し、あるいは、今答弁されましたが、嘉手納基地に一部機能を移転することが当時も条件とされていました。

 県内移設が条件とされたために、その後、移設先とされた自治体から次々と反対の声が上がることになりました。その反対の、当時の嘉手納の宮城町長は、合意の当日に、私たちが求めている整理縮小とは大きな隔たりがある、嘉手納基地の量的拡大と機能強化は一切認められない、このように述べております。

 橋本・モンデール会談の三日後のSACO中間報告、これが発表されたその翌日から、嘉手納、北谷、読谷、名護、沖縄県など、関係する議会で次々と反対決議が上がりました。数千人規模の住民大会も各地で開かれました。SACO合意で出された県内移設条件をめぐって沖縄が騒然となったのがあの時期でありました。

 そうしたもとで、いろいろな候補地を挙げているんですね。民主党政権もいろいろ候補地を挙げましたけれども、自民党政権だって同じなんですよ。当時は、嘉手納弾薬庫、嘉手納飛行場、宜野座村の潟原海岸、浦添市の牧港地先、ホワイトビーチ沖、キャンプ・シュワブ、次々と挙がり、移設先探しは混迷したわけですね。だから、自民党が民主党をいろいろ言うのはちょっと、自分たちも混迷していたよなという反省の上に立っておっしゃるのであれば納得するんですが、余り納得できない議論であります。

 九六年十二月に公表されたSACO最終報告では、「沖縄本島の東海岸沖に建設する」と明記されましたが、防衛大臣は触れませんが、それは、その翌年の名護市民投票で住民は反対の意思を示しました。

 県内たらい回しは認められないというのが当時からの変わらぬ県民多数の意思であります。移設条件つきの返還合意は県民の要望を踏まえたものではなかった。今、SACO合意、中間報告、橋本・モンデール会談から振り返ってみても、移設条件つきの返還合意は県民の要望を踏まえたものではなかったということではありませんか。いかがですか。

中谷国務大臣 SACOの最終合意に至るまでの間は、政府は沖縄とは協議を持っておりまして、この協議会、第一回沖米協とか、第三回沖米協議幹事会とかタスクフォースとかありましたが、結局、最終報告が出ましたときに知事さんがコメントを発表されておりまして、沖縄の知事は、SACOの最終報告について、基地返還アクションプログラムで第一期に返還を求めている施設のほとんどが返還されることになり、評価するものであるという旨のコメントをいただいております。沖縄県のこのアクションプログラムの第一期においての計画が全て盛り込まれた内容で、沖縄側にも一定の評価をいただいた。

 また、具体的な場所におきまして、赤嶺委員の御指摘のとおり、嘉手納町とか沖縄市とか北谷町、こういったところにつきましては、地元は移設案に反対する姿勢を示されたということでございますが、政府は、これについて、最終報告に従って一つ一つ検討した結果、海上施設の、沖縄県の北部の東海岸というふうになったということでございます。

赤嶺委員 沖縄県の返還アクションプログラムの実現の一歩だと、最初はニュースの大きさに、そういうぐあいに思ったけれども、ふたをあけてみたら県内移設条件つき、これは県民を裏切るようなやり方だ、目指した整理縮小とは違うということで、沖縄本島、沖縄県が騒然となるような情勢が生まれた。

 そこで、SACO最終報告が行われて、先ほど防衛大臣が繰り返しております一九九九年十二月の閣議決定、ここで、当初のSACO合意案、いわゆる海上ヘリポート案から軍民共用空港案に計画は変更になりました。日米が合意した中身を変更させたんですね。そのぐらい反対運動が強かったことです。

 当時の稲嶺知事、岸本名護市長も受け入れを表明した、このように防衛大臣も官房長官も繰り返しますけれども、ただし、そこには条件がつけられていました。十五年使用期限であります。稲嶺知事が九八年の知事選挙で選挙公約に掲げたものであります。なぜ十五年使用期限とかというこのような条件をつけなければならなかったのか。大臣はどのように認識しておられますか。

中谷国務大臣 この使用期限の問題につきましては、平成十一年の十二月の閣議決定、普天間飛行場の移設に係る政府方針にもあるとおり、国際情勢もあり、厳しい問題があるとの認識を有しながらも、沖縄県知事及び名護市長から要請がされたことを強く受けとめ、これを米国政府との話し合いの中で取り上げるということを決断したものでございます。

 その後、実際に閣僚級の日米会談等の場で使用期限問題を取り上げてきておりますが、平成十八年に、抑止力の維持と負担軽減の両立を図る日米ロードマップが合意されたことを受けまして当該の閣議決定を廃止して以降、政府としては、代替施設に使用期限を付すという考えはとっておりませんが、地元の知事、市長からの要望に基づきまして、この十五年の期限につきましては、検討して、米国にもお願いをしてきたという経緯はございます。

赤嶺委員 今、大変大事な答弁をされたと思うんですよ。

 閣議決定をしましたと。その受け入れについて稲嶺知事は十五年使用期限をつけていましたと。何でつけたかはおっしゃらなかったんですが、それは、県内移設は絶対に受け入れられないという県民世論との関係で、十五年たてば米軍はいなくなり、最終的には県民の財産になると。私たちは、そのようなことはあり得ないと私も批判しましたが、ともかくこういう形でしか稲嶺知事は受け入れを正当化できなかったわけです。

 ところが、その案も結局はほごにされてしまいます。十五年使用期限という、基地の使用に使用条件をつけることが日米関係では達成不可能なものであったからです。

 だから、閣議決定、閣議決定と言いますが、その閣議決定は、大臣がお答えになったように廃止されたんですよ、廃止されたんですよ。廃止されたものを、あのときの閣議決定でと言うことについて、やはり納得いかないんです。

 日米両政府は、こういう経過をほごにして、再び計画を変更しました。何度も変更しているんですね。二〇〇五年十月の米軍再編のもとで、日米両政府はL字案に変更することに合意いたしました。これに対して、稲嶺知事は猛反対するんですね。こんなものは絶対に受け入れられない、こういうことで、二〇〇五年十月三十一日に稲嶺知事のコメントが出ています。

 普天間飛行場の移設について、代替施設を引き受ける上で県民が納得できる条件として、軍民共用や使用期限を設けるなど、県内移設という限られた選択肢の中で、苦渋の選択をしたものであります。

閣議決定で、十五年使用期限など進められてきた経緯がある。しかし、今回の

 普天間飛行場の移設に係る新たな合意案については、国、県、名護市等の関係機関による基本計画の策定および作業等の経緯を踏まえれば、この新たな合意案が、課題解決のための実効性のあるものであるとは到底考えられません。従って、それはまた、「現行案でなければ県外移転」という県の基本的考え方とも、まったく相いれないものであり、沖縄県としては絶対に容認できるものではありません。

閣議決定の後、沖縄県と政府の関係はそういう関係に至るんですね。

 そしてその後に、さらに計画がL字案からV字案に変更されます。L字案も恒久基地をつくる計画ですが、V字案に再び変更されたことによって、滑走路の長さや施設の場所をめぐって混乱が続くことになり、ロードマップ後の閣議決定で、九九年の閣議決定は廃止をされました。

 防衛大臣に聞きますが、今になって、九九年、平成十一年の閣議決定を持ち出して、知事や市長の同意を得ていたと発言することは、こうした経緯を無視した極めて不当なやり方だと思いますが、いかがですか。

中谷国務大臣 稲嶺委員が申した経緯は……(赤嶺委員「稲嶺じゃないですね」と呼ぶ)ごめんなさい。大変失礼しました。

 経緯は、赤嶺委員がおっしゃった流れでございますが、しかし、この平成十一年の辺野古沿岸案、海上案だったんですけれども、これを実施していますと、なかなか円滑に調査が進みませんし、完成までさらに十数年近くかかる見込みでございまして、この海上案を見直しいたしたところでございます。

 その結果、米国との協議におきまして、一日も早い移設、返還の実現の方法を検討した結果、平成十七年十月の2プラス2において、この代替施設を、キャンプ・シュワブの海岸線の区域とこれに近接する大浦湾の水域を結ぶL字形に設置する案を公表し、このL字案に対して、当時の稲嶺県知事からは、沖縄県としては絶対に容認できる案ではない旨のコメントが出され、また、沖縄県議会及び名護市議会においても本案に反対する旨の意見書が可決されるなど、当時、平成十七年、地元からは、沖縄の受け入れ可能な案を米軍の再編協議の最終報告に反映するよう要請があったと承知をいたしております。

 その後、現行のV字案、これは、環境に配慮して、名護市、宜野座村から集落の上空の飛行を避ける要望がありまして、このV字案を検討いたしまして、平成十八年の五月に、当時の額賀防衛長官と稲嶺知事との間で在沖米軍再編に係る基本確認書を結んだ上で、同年八月以降、普天間飛行場の移設に係る措置に関する協議会において、政府と県や関係自治体との間で、代替施設の建設計画や環境影響評価手続、また普天間飛行場の危険性の除去等について協議を重ねてきたわけでございまして、これは政権交代まで継続をしていたわけでありますが、当時の額賀防衛長官と稲嶺知事との間で確認をいたしまして、政府案についての沖縄県側の同意をいただいたという経緯がございます。

赤嶺委員 きょうは時間がありませんので。

 ただ、稲嶺知事はその確認書の中でV字案に賛成しているわけではありません。これはまたあしたのお楽しみでやりたいと思いますが。

 そして、九九年の閣議決定の際に名護市長の同意も得たという、その岸本名護市長がどういう経過をたどっていったかということもまた、あした時間をとって議論していきたいと思います。よろしくお願いします。

北村委員長 次に、津村啓介君。

津村委員 おはようございます。民主党の津村啓介でございます。

 きょうは沖縄問題を中心とした一般質疑ということでありますけれども、まず冒頭、先般の長期契約法に関する中谷大臣と私の質疑の中で、数字に若干不正確なところがあったと考えておりまして、確認をさせていただきたいというふうに思います。

 P1の長期契約の話で、長期契約によるその縮減額が一体どの程度かということの数字を随分詰めさせていただいたんですけれども、大臣は御答弁の中で、「今回の要求した額で合計四百三億円の縮減を目指しておりまして、」というふうに発言をされております。ただ、これは概算要求ベースの数字であって、予算案では四百十七億円になっていると思うんですが、確認をさせてください。

中谷国務大臣 概算要求時において、捜索用のレーダーなどを含むP1二十機を長期契約により調達する場合の約三千七百八十一億円と、長期契約によらない場合の約四千百八十四億円とを比較し、約四百三十億円の縮減を見込んでおりました。

 他方、平成二十七年度予算では、捜索用レーダーなどを除いたP1二十機を長期契約により調達する場合の三千三百九十六億円と、長期契約によらない場合の三千八百十三億円を比較し、約四百十七億円の縮減を見込んだのでございます。

 長期契約により調達する場合の額が概算要求と予算で異なるのは、さきに述べたとおり、主に捜索用レーダーなどを長期契約の対象としないとしたためでございます。

津村委員 ありがとうございます。

 それで、P1の実績額ですけれども、一番最初にP1の調達をしたときに、予算としては百六十一億円だったんですが、実績は百七十一億円だった。それから七年たっているわけですけれども、だんだんその量産化が進んで、本来であれば調達額は低減していってもおかしくないのかなと思うんですが、今回の予算要求の中では、もともと二百十二億円かかる、長期契約することによって、それが百九十一億円で、二十億円安くなるよという話なんですけれども、もともとの調達額を二百十二億円として見込んでいるのは、過去の調達から見ると四十億円も高くなっていて、ここを高く見積もっているから縮減額が大きく出ているのではないかという疑念を私は先般の質疑で申し上げました。

 その際に、大臣は、必要な仕様を追加したためであるという御答弁をされて、主に通信関係を追加というふうに御答弁されましたが、それは正確ですか。具体的な数字を示していただけたらと思います。

中谷国務大臣 先ほどの答弁で一カ所数字を言い間違えました。縮減を四百三十億と申しましたが、四百三億円でございます。申しわけございません。

 次のお尋ねによりまして、四十億の増加という理由につきましては、まず、増減要因につきましては、作業員の習熟効果により作業時間が減少して約七億円の減少となった一方、平成二十年度以降に実施した技術実用試験の結果を踏まえた構造強化また機能の改善等で二十七億円の増加、次に、消費税の上げ、五%から八%になりました、約八億円の増加、そして第三に、輸入電子機器の価格の上昇その他の要因として約十二億円の増加によりまして、それらの要因を差し引きした結果、約四十億の増加となっております。

津村委員 今回これが、特措法といいますか、恒久法になっていませんので、恐らくまた四、五年後に同じ議論をしなければいけない。そのときに、この今挙げていただいた数字が本当にそういうふうに推移しているのかというのが大事なポイントになると思いましたので、少し詰めて伺ったんですけれども。

 一点、今初めて聞いた数字ですが、七年たって、百七十一億円が、習熟による低減効果で七億円とおっしゃったんですけれども、随分少ないと思うんですが、大臣の御感想はいかがですか。

中谷国務大臣 習熟効果によって作業時間が減少して、約七億円の減少になるという見通しを立てたということでございます。

津村委員 これだけ大きい調達といいますか機械を、七年たって数%しかそうしたコスト縮減効果がないというのは、ちょっとコスト削減努力が足りないんじゃないかというふうに思うんですけれども、これはまた今後も議論させてください。

 この件に関しては最後にいたしますけれども、今の議論ともかかわるんですが、こうした縮減額を含めた調達価格の算定に関しまして、附帯決議において、「信頼性及び客観性を持った額を主体的に算定できるよう、体制や制度の整備に向けた取組を行うこと。」ということが決議されています。

 これは具体的にどういう取り組みをされるお考えですか。

中谷国務大臣 具体的には、防衛装備庁を設置いたしまして、装備品の構想段階から研究開発、取得、維持整備といったライフサイクルを通じて、コストも含めたプロジェクトの一元的かつ一貫した管理を実施するとしておりまして、現在、関連法案をこの国会に提出をしております。

 また、適正な調達価格を独自に算定するために、コスト情報のデータベース化、また、これらの数値を用いた統計的な分析によるコストを推定評価する手法の確立等を実施いたします。

 これらに加えまして、防衛装備庁に教育部門を設置し、装備品の取得業務に係る専門的な知識、技能、経験が必要とされる人材の積極的な育成を行うようなことを考えております。

津村委員 防衛装備庁の件に関しましては、次のテーマになってまいります防衛省設置法の議論でもう少し詰めて伺ってまいりたいと思います。

 それでは、沖縄の話に入っていきたいと思います。

 沖縄問題を考える際に、現在の安全保障環境の変化、中国、ロシア、韓国といったことや、日米同盟の将来、沖縄の地政学的な意味、そういった、現在、未来の話もあるんですけれども、私は、琉球以来の沖縄と本土の関係、過去の歴史、しっかりとそこを踏まえた議論をしていくべきだというふうに考えるわけでございます。

 ちょうど七十年前、四月一日に沖縄に米軍が上陸をして、六月二十三日に牛島中将が自決をして、そこで沖縄戦が一つの区切りを迎えるわけですけれども、ちょうどこの四月、五月の時期に大変な戦いがあった。

 今回、この七十年という節目をどう考えていくかということですが、今月の八日にパラオに向かわれた両陛下が、出発の際に羽田空港で、太平洋に浮かぶ美しい島々の悲しい歴史を私どもは決して忘れてはならないということをお述べになって、そして、海上保安庁の船に泊まってまでパラオに向かわれた。このことは、日本国民、多くの皆さんがとても感動したことでございますし、大変大きなことだと思うんです。

 この七十年の節目、沖縄戦の歴史ということに関連して、きょうは、橋本岳厚労大臣政務官に来ていただいていますので、戦没者の遺骨の問題について伺っていきたいと思います。

 戦没者の遺骨収集、そしてそのDNA鑑定と遺族への引き渡しということが、厚労省の一つのテーマとして、有識者会合も持たれながら進められていると認識しております。

 いわば先行事例といいますか、比較的データの多いシベリア抑留中の死亡者の方が少しDNA鑑定は進んでいると認識しておりますけれども、このシベリア抑留中の死亡者の身元特定数、収容した遺骨数、そしてその遺骨に係るDNA鑑定による御遺族の判明数、この実績についてまず数字を伺いたいと思います。

橋本大臣政務官 お答えをいたします。

 シベリア抑留中死亡者の身元特定数、シベリアにおいて収容した遺骨数及びその御遺骨に係るDNA鑑定による御遺族の判明数ということでございます。

 まずDNA鑑定につきましてですけれども、厚生労働省では、平成十五年三月に取りまとめられた戦没者遺骨のDNA鑑定に関する検討会の報告書を踏まえ、平成十五年度から、死亡者名簿等の記録資料から戦没者及び遺族を推定でき、遺骨から鑑定に有効なDNAが抽出でき、そして遺族から適切な検体が提供されている、こういう三つの条件がうまく合うことができた場合にはDNA鑑定を実施しているというところでございます。

 お尋ねの数字でございますが、シベリア抑留中死亡された方について、旧ソ連政府等から、これは旧ソ連とモンゴルも含んでおります、提供された資料と厚生労働省が保有する資料を照合し、身元が特定された数は、累計で三万九千二百十八人、なお、平成二十六年度では九百三十八人となっております。なお、この地域での全体の死亡者数は約五万五千名と言われておりますので、そのうちの四万人近くの方が身元が判明している、一万五千人余りの方はまだ身元も判明できていないという状況がございます。

 それから、シベリア抑留中に亡くなった方について平成三年度から遺骨収集を実施しておりますが、その収容した御遺骨の柱数は、累計で一万九千四百四十五柱、平成二十六年度で百四十三柱となっております。

 そのうち、DNA鑑定によって御遺族が判明をした御遺骨の柱数は、累計で九百九十柱、平成二十六年度で六十五柱となっております。

 以上でございます。

津村委員 同じく、沖縄県及び南方地域の遺骨収容数、それからDNA鑑定による御遺族の判明数について、累計と二〇一四年度の数字を教えてください。

橋本大臣政務官 お答えをいたします。

 沖縄県における遺骨収容数は、累計で十八万七千二百四十一柱、平成二十六年度、二〇一四年度で百九十四柱となってございます。

 沖縄県で収容した御遺骨のDNA鑑定による御遺族の判明数は、累計で四件、平成二十六年度でゼロ件となっております。なお、鑑定実施総数が累計で五十件ありますが、判明したものが四件ということになっております。

 沖縄県を除く南方地域、硫黄島を含む南方地域における遺骨収容数は、累計で約五十五万九千柱でございまして、平成二十六年度は千八十九柱の御遺骨を収容しております。

 その、沖縄県を除く南方地域で収容した御遺骨のDNA鑑定による御遺族の判明数は、累計で、鑑定の実施総数十件中、判明した数が七件、平成二十六年度で実施も判明もゼロ件、このような状況でございます。

津村委員 沖縄戦の遺骨収集の状況について御説明いただきました。

 沖縄戦で亡くなった方は、十八万八千とかいろいろな数字があるかもしれませんが、これまでに、平成二十六年までに収骨されただけでも十八万四千、十八万五千という数字の収骨数があって、単年度でも、今数字をいただきましたように、二百とか三百とか、毎年新しく収骨をされているわけですけれども、そのうちわずか四件しかDNA鑑定がなされていない。鑑定自体は五十件とおっしゃったかもしれませんが、判明したのは四件だけと、大変少のうございます。

 シベリア抑留は、国家を挙げてされたがためにいろいろな資料が残っている。しかし、沖縄戦は、非常に激しい戦闘で、気象条件も含めて環境が悪いということはわかるんですけれども、しかし、国としてベストの対応をしていないのではないか。

 皆さんに県議会の決議をお配りしておりますけれども、この中身について伺いたいと思います。

 私は、あえて申し上げますと、きょうの答弁者に橋本先生を指名させていただきました。と申しますのは、お父上、橋本龍太郎元総理は、沖縄問題に深く思いをいたされて、何度も沖縄に行かれて、この問題、九六年、九七年当時、大変先鋭的なテーマにもなったわけですけれども、以後二十年続く非常に大きな問題となっているわけですけれども、政治にできることが、特に厚労省にできることがたくさんあると思うんです。

 答弁を用意されているんだと思いますけれども、よく読み直していただいて、本当にそれでいいのかということもお考えになって、今から、できること、ベストの対応は何なのかということを御答弁いただきたいというふうに思います。

 私が通告させていただいている質問は、皆さんにお配りしている県議会の決議、これをどう受けとめるのか。特に、後半に三つ四つ、具体的な要望が書いてあると思います。

 一つは、「戦没者遺骨は、DNA抽出が終わるまで焼骨せずに保管する」、これは簡単なことだと思います。そういうふうに国が決めればすぐにできることだと思います。

 それから、「現在の保管場所である仮安置室の施設拡充」、これもそんなに大変なことではないと思います。一つか二つ新しい施設をつくることが、厚労省ができないとは思えない。

 それから、「戦没者遺骨のDNA情報に関するデータベース」「DNA鑑定を実施する施設を沖縄県内に設置する」、これは、DNA情報をデータベース化するのはそんなに簡単ではないかもしれませんが、今、DNAの解析技術というのは非常に日進月歩、進んでいて、一つ一つのDNA鑑定の費用は相当程度、この二十年でも低減していると思います。

 こうしたことを踏まえて、政治家橋本岳さん、どういうふうに取り組んでいかれるのか、御答弁いただきたいと思います。

橋本大臣政務官 まずは大臣政務官として答弁をさせていただき、また、その中で自分の思いを述べたいと思います。

 こうした御要望をいただいたことは厚生労働省としてはもちろん承知を、御要望いただいたことというか、実は県議会が県知事に宛てての決議書でございますから、直接御要望をいただいたというわけではございませんが、私ども、このような決議がなされたということは承知をしております。

 その上で、DNA鑑定によってやはり一人でも多くの方の御遺骨が御遺族のもとに戻るようにという願いの中からそうした御要望が出された、決議がされたのだろうということも、十分私どもとしても重たく受けとめなければならないことだというふうに思います。

 ただ、DNA鑑定というのは、これは科学技術的な話でございますけれども、先ほど、シベリアと沖縄の話で、比較でお話をされましたけれども、やはり幾つか条件の違いというのが正直ございます。

 資料のことをお触れになりましたけれども、それ以外にも、何せ気候条件が違いまして、シベリアは寒いところでございます。沖縄を含め南方地域は暑い、高温多湿というところでございまして、そもそもDNAが抽出されにくいという事情がございます。また、シベリアの場合、埋葬されておりますので、個々にお一柱、お一柱というのが区分して埋められておられる。ところが、沖縄など、戦場でありました。そこでの御遺骨というものが、個体性を区分することが難しくと表現がなっておりますけれども、要するに、何人もの方の御遺体がまざってしまっているような状況等もございまして、その判断が難しいというような御事情もございます。そういうようなこともあって先ほどのような数字になっているということはお伝えをしなければならないと思っております。

 その上で、その決議の内容につきまして、読み上げることは控えますけれども、まず、焼骨をせずに保管するようにということにつきましてですけれども、沖縄県で収容された身元の特定ができない御遺骨は、今、沖縄県に委託をし、焼骨をした上で国立沖縄戦没者墓苑に納骨することとしておりますが、沖縄県は、関係御遺族などの御要望を踏まえまして、平成二十五年度から、収容した全ての御遺骨を焼骨せずに保管をしております。ということで、最初のことにつきましては、今そのような実態があるということがございます。

 そういうこともあって、御遺骨の保管場所確保についても御要望があったのだろうというふうには承っております。

 ただ、御遺骨のDNA鑑定をではそれでどう進めていくかということについて申し上げれば、御遺骨の中でも、歯牙、歯からDNAを抽出して行っておりまして、DNAデータが抽出できた場合には納骨後であってもDNA鑑定ができるように、そのデータを保存するようにまず検討しようというふうに考えております。また、歯がない、歯牙がない、別の部分の御遺骨についてはそもそもDNA抽出が困難でございまして、そのような御遺骨は国立沖縄戦没者墓苑に納骨するように県と協議をしてまいりたい、このように考えておるのが現状でございます。

 それからもう一つ、沖縄にDNA鑑定の施設を設置するようにというようなお話もございます。今これは、DNAの鑑定機関というのは、沖縄ではないんですけれども、信州大学、日本大学などなど、全国十の機関で鑑定をしていただいております。数としては十分対応できることでございまして、沖縄県内に新たに鑑定機関を設置することは考えておりません。

 今るる申し上げましたけれども、冒頭申し上げましたように、やはり、沖縄戦から七十年たって、それを忘れないようにする、あるいは御遺骨をきちんと御遺族のもとに届けていきたいという思いは私たちとしても重く受けとめて、できるだけ沖縄県やあるいは御関係の方々とも協議をしながら今後も進めてまいりたいと考えております。

津村委員 ありがとうございます。

 一つ目、二つ目、そして四つ目については事実関係の御説明だったと思います。そして、三つ目の戦没者遺骨のDNA情報に関するデータベースのところが検討中という表現をされました。

 橋本さん、これは私、政務官って何なんだということだと思うんですけれども、現状の説明はいいですよ。でも、政治判断できることが、たくさんはないかもしれないけれども、幾らかあると思うんです。データベースの検討とおっしゃったけれども、これはやるという決断ぐらい政務官でできないんですか。政務官として判断できることじゃないんですか。判断してください。

橋本大臣政務官 今、政治家としてお答えをということを言われました。政務官で何が決断できるかというのは、それは、津村委員も政務官を御経験でいらっしゃいますから、それぞれ思うところはあろうと思いますけれども、ですから、私たちは、そのDNA鑑定ができるように、DNAデータが抽出できたときはちゃんとデータをとっておこうということを今検討しようと思っております。また、津村委員からも今こういう御指摘がございました。ぜひ実現ができるように進めてまいりたいと思っておりますが、それに向けて検討させていただきたいということで、重ねてお許しをいただきたいと思います。

 ただ、本当を言うと、それを比較するための御遺族のデータも本当はあるべきではあるんですが、またこれはこれで、生きていらっしゃる方のDNA情報を持っておくということもいろいろなリスクもあるので、これはちょっと慎重に考えなければいけないなということもあり、そういったこともあわせて、きちんと実効あるように、ちゃんと御遺族のもとに御遺骨を届けるということが最終目標ですから、それに向けて何ができるか、いろいろなことを考えていきたいと思っております。

津村委員 失礼なことも申しましたけれども、私は、またこれは伺います。それは、橋本さん、きょうこの場でぱっとは責任ある立場でお話しできないこともあるのかもしれませんが、政務官というのは何なんだということだと私は思うんですよ。それを読むだけだったら誰でもできるわけですから。何かを決めて、責任ある発言をしていただく、そういう政務三役であってほしいし、橋本さんは、さっきお父さんのことまで申し上げましたけれども、今その立場にあって、それをできる方だと思うから伺ったので、引き続きこの話はさせていただきたいと思います。

 今後の議論のこともあるので、済みません、最後、もう一問だけ、これは大臣に質問をさせていただいて終わりますが、南西防衛の話。済みません、一問だけになってしまいましたけれども。

 スクランブル発進の数が過去最高の水準でこの一年間推移しているやに認識しておるんですけれども、直近、ことしに入って一月から三月までのスクランブル発進の実績、そして、それを足し上げた平成二十六年度のスクランブル発進の実績が、過去最高水準、昭和五十九年を超えているのではないかと思うんですけれども、その数字の内訳、対中国、対ロシアの発進の数も含めて、大臣の感想も含めて答弁ください。

中谷国務大臣 平成二十六年度の自衛隊による緊急発進の回数の合計は、前年度と比べて百三十三回の大幅増加となる九百四十三回でした。これは、昭和五十九年に記録した九百四十四回に次いで二番目に多い回数でありました。

 このうち、本年一月から三月にかけての緊急発進の回数の合計は百九十九回でございまして、国・地域ごとの内訳といたしましては、ロシア機に対するものが百四回、中国機に対するものが九十三回、台湾機に対するものが一回、その他が一回でございました。

 防衛省といたしましても、こういった状況も踏まえまして、我が国の領土、領海、領空、これは断固守らなければなりません。今後とも、我が国の周辺海域における監視警戒活動に万全を期すとともに、国際法、自衛隊法に従いまして、厳正な対領空侵犯措置を実施してまいります。

 中国の回数が非常にふえているということにつきまして、引き続き監視警戒を厳重に実施してまいりたいと思っております。

津村委員 時間が参りましたので、終わります。ありがとうございました。

北村委員長 次に、下地幹郎君。

下地委員 きょうは、こうやって沖縄問題に対する集中審議を北村委員長、小野寺筆頭、大串筆頭の御理解のもとにできたことを、出身者として非常にうれしく思っています。また、きょうもあしたも、二日間にわたりやっていただくということは、沖縄問題の理解が深まるんじゃないかというふうに思っていますので、心から感謝申し上げたいというふうに思います。

 また、先ほどDNAの話がありました。戦後七十年ですけれども、沖縄は、二十七年間異民族支配があって、今は復帰したわけですけれども、そのことで、安保問題だけじゃなくて、今厚生労働委員会の話もありましたけれども、いろいろなものがあるんですね。

 だから、本当に、年に一回、沖縄問題が重要だと言うんだったら、各委員会で沖縄に対する集中審議みたいなものを、年に一回でいいですから、こういうふうに安保委員会の事例をもってやっていただくと、沖縄の問題が十二分に国民に理解できるし、沖縄県民もまた、そのことについてしっかりと理解を深めながら、安全保障の役割を自分たちが担わなければいけないというようなことをもっとわかっていただけるんじゃないかなというふうに思っていますから、そのこともぜひまたお願いをさせていただきたいというふうに思います。

 大臣、きょうは一時間二十分ですから、ゆっくりやりましょう。また、私の質問も、大臣の答弁も、沖縄の県民から御理解いただけるようにお互いまた頑張っていければなと思いますので、どうぞよろしくお願いします。

 先ほど理事会をやったんですよ。そうすると、大串さんと小野寺筆頭がやりとりしたら、やりとりの中で、小野寺筆頭が、委員会は粛々と進めたいと言った後に、いや、粛々とは使っちゃいけないねみたいな話をなされたんですけれども、この前、菅官房長官のときに粛々論議がありましたけれども、この粛々という言葉は、大臣の間でも使わないし、大臣もお使いにならないし、政府の閣僚の間でももう使わないでおこうというようなことが決められているというか、そういうような状況になっているんでしょうか。

中谷国務大臣 これは、四月九日の参議院の委員会におきまして、総理の方から、粛々と進めていくという言葉が上から目線の雰囲気があるのでやめてもらいたいということであれば、あえて使う必要はないと述べられておりまして、それに尽きると考えております。

下地委員 この粛々というのは、静かにとか、ひっそりとか、厳かにという意味なんですよね。しかし、翁長知事がこの粛々という表現を上から目線だと解釈するのが、私もなかなか理解できないんですよね。わからないんですよ。どうしてなんだろうかなと。上から目線の言葉では一般的にはないですよね、これは。静かにとか、ひっそりとか、厳かにがどうしてかというような思いになるんですけれども。

 そのときに、菅官房長官との発言でこれを述べた後に、この粛々という言葉を、翁長知事は、米軍統治下の県政で圧制を行ったキャラウェー高等弁務官と今の政府の姿を重ねて、菅官房長官の粛々と進めるという言葉が連想されるというようなことを言っているんですね。キャラウェーというのは、静かで、ひっそりと、厳かな人では全くないんです、この人は。

 どうしてこのキャラウェー高等弁務官という人と粛々が一緒になったのかについて、大臣はキャラウェーという方をどういうふうな方だと御認識なされているかということをちょっとお聞きしたいんです。

中谷国務大臣 私も調べてみましたが、キャラウェー高等弁務官は、昭和三十六年から昭和三十九年にかけて、米国の施政下でありました沖縄に赴任していた人物でありまして、先般の翁長知事と菅官房長官の面談で、翁長知事から、このキャラウェー弁務官が沖縄の自治は神話である旨を述べて、当時の沖縄県民から強い反発を受けたという旨が発言されたと承知をいたしておりますが、そのように認識をいたしております。

下地委員 きょうは、また、この委員会の中でもキャラウェーという人がどういう人なのかというのがわからない方もいらっしゃると思うんですけれども、沖縄では、私どものように戦争を知らない世代でも、キャラウェーという言葉を言うと、何か親分みたいな、そういうふうなイメージを持っているんですけれども、このキャラウェーという高等弁務官は、強権発動政策を多くやった高等弁務官ということなんです。先ほど大臣がお話があったように、沖縄の自治は神話にすぎないということを公言して、米国民政府の法令である布令をたびたび発動して琉球政府の権限を制約してきた高等弁務官、人物がキャラウェーなんです。

 そのため、その当時においても、親米路線をとっていた与党沖縄自由民主党が、党内抗争が激化して、キャラウェーさんに対する反発が強くなって、親米だと言われている方でさえも、このキャラウェー発言を聞いて激怒して、党内抗争が始まって、当時の西銘順治那覇市長ら党内の反主流派は、脱党して、民政クラブ、当時の沖縄自由民主党を結成して、沖縄自民党は分裂するに至ったというような、政治の分岐点みたいなものをつくったのもキャラウェーなんです。

 また、キャラウェー高等弁務官は、沖縄における日本政府の影響力を排除するために、積極的にアメリカ資本の導入を行って、復帰運動への規制を強めていく。沖縄の方が復帰をしたいというようなことについても、アメリカの資本を入れることで、そこで働く人たちがふえて、復帰運動ではなくて、アメリカの施政権下のままがいいよというようなことを強く指導してきた人でもあるんですね。

 そして、キャラウェー旋風というのが激しく吹き荒れたのは特に金融界で、普通銀行や相互銀行の検査を強制的に行って、不正を摘発して、沖縄の各銀行の首脳全員を退任に追い込むというようなことをやったわけです。

 続いて、沖縄であの当時一番大きかった琉球銀行の株主総会にキャラウェー本人が筆頭株主として参加して、当時は米国民政府が五一%の株を所有していましたから、その上で、経営陣の責任を追及して、経営陣を総辞職させるというようなこともキャラウェーはやった。これは、今までの高等弁務官では考えられないようなことをやったわけなんです。

 また、農林漁業の中央金庫や琉球農業協同組合の連合会など、協同組合組織金融機関や保険会社にも検査を行って、容赦ない摘発をして、退陣に追い込むというようなことをやりました。

 そして、キャラウェーの政策は、住民の自治権を軽視する独裁的な政策だったんですよ。最後は、沖縄の住民の反発がキャラウェーに対して増大することになって、日本復帰を望んでいた住民はもとより、親米で、復帰にもそんなにまで積極的じゃなかった人たちに対しても、キャラウェーのやり方を見ていたらこれはもうだめだというようなことになって、キャラウェーに反発をして結局は反米主義に走ってしまって、キャラウェーの目算は全く壊れてしまって、逆の復帰運動が強くなって、復帰が成立した。

 こういう歴史的な背景があるのがキャラウェーなんですよね。どうでしょうか、このキャラウェー。

中谷国務大臣 ただいま下地委員の解説を、非常に興味深く、大変勉強になりました。

 私が調べた文献におきましても、これは松田米雄さんという方が書かれた「「基地の島」の成り立ちと今」というところにおきましても、非常に不正、腐敗の多かった沖縄の金融機関を思い切って改革したという点でキャラウェーを評価する向きもあるが、一方では、彼の姿勢に反対する者は権力で退けるなど、強圧的、民意無視ということで批判的な意見も多々あり、彼の評価は功罪半ばしているというような評価でございまして、多くの方々がこのような観点でいろいろと彼の実績を評論しているというふうに感じております。

下地委員 少し時間もありますから、キャラウェー論議をしたいんですけれども、何であの翁長さんは、沖縄でいえば、キャラウェーは両方の評価があるといいながらも、キャラウェーという余りいい評価でない人物を持ってきて、菅官房長官と一緒にして、政府の姿と一緒にしたのかというようなことについては、何が、私が今御説明したものの中でどこが心当たりがあるのか、いやもう全く違うとおっしゃるのか、どっちなんでしょうか。

中谷国務大臣 それは翁長知事にお尋ねいただきたいと思いますが、政府としましても、私も防衛庁長官をやった時期もありますし、また、沖縄の方には現役の自衛官のときも訪問をして、戦史の勉強をしたり、また北部訓練場で訓練もさせていただいたり、非常にかかわりを持っているところでありますが、非常に安全保障上大事な地点でありまして、そういう観点で累次政府と沖縄の皆さんとの話し合いは続いてまいりましたが、私から見ますと、決して上目目線で対応しておりません。非常に、沖縄の皆さんの声を聞きながら、できる限りの努力をしながら、時間をかけながら、誠実に、堅実に対応しているのではないかなというふうに思っております。

下地委員 政府が自分の辺野古を進めたいという考え方を推し進めて発言をしていくことを上目目線と言うのは、僕は違うと思うんですね。これは政府の立場だから。翁長さんは翁長さんの立場。これは違いがあることなんですね。

 ただ、この中で、翁長さんがこういうような表現をしているようなところは、先ほど大臣が読み上げた、沖縄の自治は神話にすぎないというようなことだと思うんですよね。

 この言葉と横に対比して置いているのが、みずからが今度の知事選挙で選ばれた選挙結果といいますか、私も選挙に出て厳しい結果を得ましたけれども、五〇%近くの人たちに自分が辺野古反対と言って支持されたことは、沖縄の自治がもうその方向でやりたいというようなところを何で認めないのかというような、私は一つの大きな思いが一点目にあると思う。

 それと、二つ目には、やはり、四カ月間にわたって、翁長知事が就任してから政府が会わなかったというようなところの感情的なところに、このキャラウェー発言が私はあるのではないかなというふうに思っているんです。

 だから、先ほど申し上げたように、政策のぶつかり合いは決して上から目線ではない、当たり前のことだと。違いがあって、それで政府のやり方と沖縄県のやり方が合わないことは、これまでも、屋良朝苗さんを筆頭にして、屋良朝苗さん、そして、今までに七人の県知事が生まれましたけれども、そのうちの半分は革新県政でありますから、全く政府の考え方と合わない人がいることだけは間違いないんです。大田知事もそうだし、平良幸市さんもそうだし、屋良朝苗さんもそうだし、三人とも革新の知事でありまして、また今回の翁長さんもそうですから、七人のうちの四人は政府の方針と違う人なんですよね。

 しかし、その人たちでさえもこのキャラウェー発言をしたことがないにもかかわらず、今回この発言が出てきている背景のところをもう一回ひもとかないと、私は、政府が自分からやりたいと思っている政策がなかなかうまくいかない。

 普天間が危ないから辺野古に移すんだ、これはおまえたちのためだよというようなものではなくて、今はもう、菅官房長官と翁長さんの会談を見ても、政策論議ではなくて感情論議になっているようなところがあるんですよね。やはりこれを一回ほどいていって、それで中谷防衛大臣が申し上げているような政策論議を闘わすというようなやり方をやっていく必要があるのではないかというふうに思うんです。

 私は、この対話、会談というものをどれだけ数多くやっていくかということが、キャラウェー発言を払拭する最大の要素、まずそれをやっていかないと次のステップが進まないのではないかと私は思っているんです。

 それで、この問題は中谷大臣がリードなされるわけですから、ぜひリードなされて、一週間に一回、昔はよくありましたよね、梶山官房長官もよく沖縄に行かれる、そして野中官房長官も行かれる、加藤紘一幹事長も連れ立って行かれるとか、もう来なくてもいいというぐらい行っている時期があったじゃないですか。あれぐらいのことをおやりになって心の壁を取り払う、そういうふうなことをおやりにならないと、これから国が進めようとしている政策が、強引に進めることがあっても、最終的には私は不可能になってくるのではないかというふうに思っていまして、それの、大臣、外務大臣、それに沖縄担当大臣、菅官房長官、四人の沖縄にかかわる大臣がいるわけですから、その方を中心に行かれることを綿密に計画されて進めていくというようなことをおやりになったらどうかというふうに思っています。それをやることで、また沖縄との距離も短くなってくるのではないかと思うんですけれども、いかがでしょうか。

中谷国務大臣 やはり、政治的に対話を行うこととか、心を開いて心底意見交換するということは本当に大事なことであると思います。

 私も、就任するまでは毎年五、六回は沖縄に行きまして、特に名護市には必ず毎年一回訪問して意見を伺うようにしてきておりまして、私の政治のライフワークも安全保障ですが、沖縄問題、現在のこの普天間の移設が一日でも早く辺野古に移ることができるかどうか、これは私にとりまして絶対にやっておきたい仕事でございますので、私の立場からしましても、沖縄に参りましていろいろな方々と話し合いをしてみたいなというふうに思っております。

 今の翁長知事さんもいろいろな立場があって発言をされていると思いますが、一言で言って、民意を大切にするということは大事なことでありますが、もう一方で、合意とか経緯とか約束とか、こういうことも世の中において大事なことでありまして、政府としては、一つ一つ手順を踏んで合意を得て、また確認をしながらやってきておりますので、こういった経緯も含めまして、今の沖縄の担当の皆さんとも話し合いをする必要があるというふうに思っております。

下地委員 この部分、質問では終わらせていただきますけれども、とにかくこのキャラウェーという発言をやはりやったことは間違いだったと、私は、そういう言葉が翁長知事から発言があるような、そういうふうな言葉が出るような対応を今後やってもらいたい。そこから、今大臣が言った約束とかということのスタートが切れるんじゃないかな、今はそのスタートが切れていない、そういうふうなことを申し上げさせていただきたいというふうに思っております。

 それで、二つ目ですけれども、大臣、唯一という言葉がまたあります。ただ一つしかないという言葉を唯一というわけでありますけれども、大臣がよくお使いになる、安倍総理もよくお使いになる、菅官房長官もお使いになる、粛々と唯一という言葉があるんです。

 この唯一という意味は、普天間基地の危険を除去する方法はもう辺野古移設しか絶対にないというのが、これは唯一の政策だとよく言われるわけですけれども、本当にこの政策はやはりもう辺野古しか絶対にないというようなお考えですか。

中谷国務大臣 もうこの問題は、橋本さんとクリントン大統領、またモンデール大使と合意をして十九年になります。当初は、いろいろな候補地もありまして、下地議員も指摘されるように、嘉手納の統合案とか陸上ヘリポート案とかありましたが、やはりいろいろ重ねてした結果に、辺野古で移転をするということが合意をされたことでございます。

 鳩山政権のときにも、県外へということで模索をされましたが、また一年後には、もう辺野古回帰というか、辺野古しかありませんでしたと。これは民主党の総理大臣として公式に言われたことでございまして、いろいろと検討してみても、やはり辺野古以外に私も実現できるところがないという思いがありまして、しからば、一日も早くこれを実現するしかないという思いで取り組んでいるわけでございます。

下地委員 今、普天間にどれだけの固定翼、オスプレイの飛行機が所属機としているか、ちょっと教えていただけませんか。

辰己政府参考人 お答えいたします。

 オスプレイは二十四機おります。

下地委員 所属機はオスプレイの二十四機だけですか。

辰己政府参考人 失礼いたしました。

 配備機種としては、C12一機、それからC35三機、それからCH53が十二機、AH1が十二機、UH1が六機おります。

下地委員 CH46E中型ヘリは今でもいますか。もうオスプレイとともにかわったんじゃないですか。

辰己政府参考人 失礼しました。

 今申し上げたのはCH53のことでございまして、CH46はございません。おっしゃるとおりでございます。

下地委員 大臣、この普天間という地域にいる所属機というのが、今、オスプレイの二十四機、それとC12作戦支援機というのは、これは司令官が乗る飛行機で小さい飛行機ですね。UC35という飛行機も、これも小型な飛行機ですから、これも司令官が乗って移動するような飛行機だけです、これで四機。それで二十八機になるわけですけれども、あとは、CH53大型ヘリがこれが五機いて、三十二機程度しかいないんですね。

 KC130空中給油機は、安倍政権の中で、また大臣の御活躍のおかげで、岩国に移設をするというようなことをやりましたから、危険の除去というのは、一番大きなKC130が、これが普天間からいなくなったというのは大きいことなんですよ。

 空中給油機、よくヘリコプターのことを心配しますけれども、この空中給油機が満タンに燃料を載せてこの普天間から離発着することが一番怖かったんですよね。これは、ヘリコプターが万が一のことがあるというのと、空中給油機が万が一のことがあるというのでは、全く違うんですよ。だけれども、普天間という地域は、確実に市内のど真ん中から空中給油機が乗りおりしていたものですから、今回、岩国に行くと、空中給油機は全部海上からの離発着になるものですから、これは沖縄にとっては、負担軽減、危険の除去としては、今までの中では最高な危険の除去だというふうに私は高く評価をさせていただいているんです。

 今残っているヘリコプターとオスプレイという数なんですけれども、本当に三十機未満ぐらいなんですよね。ここの三十機未満の飛行機が、所属機が、五千億円近くのお金を使って辺野古に行くということを、私たちは唯一の危険の除去だというふうに今表現しているんですよね。

 このことについて、もう一回冷静に考えてみる時期が来ているのではないかと思うんですけれども、私は、この所属機、本当にほかに沖縄のところに移動できる場所がなくて、唯一、改めて、三十二機か三十三機かしかいない所属機が移るために、私たちは今回辺野古をつくるということになっているわけですけれども、これが唯一なのかどうなのかというのを改めてもう一回聞かせていただきたいんです。

中谷国務大臣 私は唯一だと思っております。

 これは、十九年前に、当時、先ほど革新知事のお話をされましたが、大田知事と橋本総理が普天間の危険性の除去という思いで、まさに日米交渉に影響を与えて、合意をして実現してきたことでありますし、また、現実においても、普天間の危険性の除去というのは、もう日本じゅうの皆さんがあの地域の飛行場の存在において大変危険なものであると認識しておりますので、これは一刻も早く移すしかない。いろいろ場所を探しましても、辺野古に移設するのが一番確実で早いものであるということで、辺野古への移設が実現した場合の利点につきまして、下地委員の御指摘のとおり、オスプレイなどの運輸機能だけの移転となります。

 では、普天間は、全くなくなって返還されますと、非常に有効に沖縄県の発展のために使える場所になるということ、また騒音とか危険性がなくなるということ。また、辺野古で使用される埋立面積、これは今の普天間飛行場の面積と比べて三分の一以下に縮小されていく。また、訓練の経路につきましても、集落から数百メートル離れた海上へ変更されるということで、御迷惑をかける世帯がゼロとなる。これに加えて、万が一の不測の事態が発生した場合に海上へと回避することができる。

 ということに加えて、もう一点、普天間の海兵隊の航空部隊は、引き続き、他の海兵隊の部隊の近傍に居住をできるということで、効率的な訓練などの継続が可能になりますし、連絡もとりやすいというようなことで、やはりどう見ても辺野古に移転をするということ以外、私は考えられないということでございます。

下地委員 普天間の基地の滑走路の幅と長さを教えてください。

中島政府参考人 お答え申し上げます。

 普天間の滑走路でございますけれども、滑走路長は約二千八百メートル、幅は約四十五メートルであります。

下地委員 今度、普天間が辺野古に移設しますけれども、辺野古の滑走路の長さと幅を教えてください。

中島政府参考人 滑走路長でございますけれども、約千八百メーター。これは滑走路長が千二百、オーバーラン両側三百メーターでございます。

 幅につきましては、ちょっと今手元に資料がございませんので、すぐ調べてお答え申し上げます。

下地委員 大臣、今お答えいただいたように、普天間は二千八百の四十六あるんです。これは嘉手納基地が三千メートルですから、普天間を見ておわかりのように、オスプレイだけじゃなくて、空中給油機があったのと同じように、さまざまな輸送機が来るんですよ。たまにロシアのギャラクシーというあのでかい輸送機が、アメリカ軍がチャーターして普天間に物資を運んだりするんですよね。これが普天間の二千八百メートルの可能な範囲なんです。

 それで、普天間というのは、滑走路の下が、那覇空港とか普通の空港が大体二メートルから三メートル、これぐらいの滑走路の舗装の幅なんですけれども、普天間の場合は十三メートルの場合があるんです。

 物すごく強固な滑走路があって、今さっき言った再開発ということがありますけれども、私はよく当時の伊波市長にも申し上げたんですけれども、再開発をおやりになって原状復帰するとなると、浅いところで三メートル、深いところで十三メートルぐらいコンクリートを打たれているのは、あなた方、わかりますよね、地元だからと。これを原状復帰するというのは、相当な土砂を持ってきて入れかえて、この物事をつくらないと、再開発は絵に描いた餅になりますよ、簡単な再開発になりませんよ、これはと。これは、キャンプ・キンザーや今度の泡瀬のゴルフ場と違って、普天間の再開発というのは普通じゃないよということをよく御認識した上で絵を描かなきゃいけない。滑走路の上に建物は建てませんよ、全部取らないと。そういうことを全部認識しなきゃなりませんよと、よく普天間を表現するときには話をするんです。

 今回の辺野古の一千八百メートル、滑走路の幅は千二百の六百ですね。(発言する者あり)幅三十メートル。これは与那国空港より短いんです。久米島空港よりも短いんです。この千八百メートルでは、輸送機はおりられません。オスプレイだけなんですよ、オスプレイだけ。ヘリコプターだけ。あとは、UCの小さい小型機がおりられるかどうか。それでも、千八百メートルの長さなんですよね。この今大臣がおつくりになろうとしている辺野古の滑走路の長さ、今までの二千八百メートルから千八百メートルに変わるというのが、合理的に安全保障にとって大きな役割を担えるのか。

 今、話を聞くと、全部がまた嘉手納に輸送機はおろすらしいんですよね、海兵隊の飛行機は。それで、嘉手納におろして、これをまた陸送して辺野古に運ぶというようなことになると言われているんです。

 本当に、この千八百メートルの滑走路が、安全という言葉のみで、アメリカと私たちの日米同盟に資するぐらいの充実した施設になるのかといったら、私は、辺野古賛成か反対かじゃなくて、千八百メートルはならないと思っているんですよ。おつくりになるなら、普天間と同じぐらいの二千八百メートルの滑走路をつくる。つくって、そのまま輸送機にも対応できるような、そういうようなことをやらないとだめじゃないかと私は思うんですけれども、これはどうですか。

中谷国務大臣 その辺は支障がない、大丈夫だと思います。

 というのは、このV字形滑走路を決めるときも2プラス2が行われておりまして、その間、海兵隊も含めて米軍再編、これのリバランスも検討された上の結論でございまして、辺野古の使用等につきましても、現在、日米間で約束をしたもので、その範囲内で米軍も運用しているというような結論でございます。

 また、外国から来た航空機等も九州の鹿屋とかほかのところを使う、また、訓練等の移転も本州、本土の方へも依頼をしていくような内容がありまして、そういった点も日米協議の上、現在の辺野古の部隊の規模と運用というふうになっていますので、米軍の運用につきましては心配ないと思っております。

下地委員 今回のV字の滑走路をつくりましたけれども、これは最終的に、当時の額賀防衛庁長官のときに、宜野座村の方とか金武町の方々が、離発着において上空を飛ばないというようなことの住民の理解を得るために、このV字形というのが選ばれたわけなんですね。これは軍事的な要素で選ばれたんではなくて、ここはそのまま住民の上空を飛ばないというためにV字形にしましょうね、それで納得してもらえませんかと言って、あの合意文書が書かれたわけなんですよ。

 だから、私は、そのときにも、千八百メートルに対して非常に不満を感じている多くの海兵隊の方々がいて、本当にこれで、輸送機もおりられない、輸送は全部嘉手納を使ってやる、オスプレイしかおりられないような状況については満足できない、こういうようなことを私たちは聞かせていただいたことがあるんです。

 だから、稲嶺恵一さんという知事が仲井真さんの前にいたときに、稲嶺さんはこの提案をしたんですよね。二千五百メートル、軍民共用、十五年使用期限というようなことを申し上げたんです。二千五百メートルまで、大臣おわかりのように、この辺野古の案というのもいっぱい変わってきたんですよね。

 初めは、さっきいました橋本岳さんのお父さんが撤去可能な浮きドック型を持ってきたんです。それからまた、羽田空港みたいなくい打ち方式になって、そして埋め立てに変わって、それで二千五百メートルになって、今の千八百メートルになってきて、この十九年間で、ゆっくり調べてみると、七回か八回工法が変わっているんですよね。

 結局は、七回か八回変わって、最後に決まったのがこれになったんですけれども、一番ベターな政策というのは、稲嶺さんが言っていた、軍民共用、二千五百メートル、そして、できるだけ嘉手納の訓練も移してやっていこうというような提案が、滑走路の長さからしても一番喜ばれた提案だったんです。

 しかし、最終的には、使用期限が十五年というようなことが障害となって、この案は、両政府の中で認められない、十五年をもってこれが使えないということは今の段階で約束できないと言ってだめになったんです。しかし、あのときの二千五百メートルの案というのが、すごく、両政府の中の軍事的な関係者の中にも、これぐらいの滑走路だったらよかったというような声は今でも残っていると思うんですね。

 私は、そういう意味でも、この唯一という言葉をこの辺野古の中で当てはめるにはなかなか無理があるんじゃないか。私たちが、これは宜野湾の方々の危険の除去だけを考えて移設を考えるのか、日本とアメリカのプレゼンスも考えながら、海兵隊がこれからも役割が果たせるということを考えたときにこのプランが本当にいいのかどうなのか、やはりこれは一回考えてみる必要があるのではないかと私は思っているんですけれども、いかがでしょうか。

中谷国務大臣 今の千八百メートルの飛行場は、いろいろな経緯がありましたけれども、やはり早期に安全、確実にできるために検討されて、決定された案ではないかと思います。

 当初は、二千五百メートル以上の海上ヘリポート、十五年ということでやりましたが、実際、それで工事を調査したところ、非常に大きな反対運動で工事が実施できないような状況になりましたし、さらに長い年月がかかってしまうというような点で縮小をされ、かつまた、住民の皆様方の安全を考えればということで現在のV字案になったわけでございまして、現在、工事の準備を進めておりますが、これがさらに大きなものになることに対して、かなり、その実現性を考えますと、現実的に難しいのではないか。

 やはり、日本側も努力をいたしまして現行案にいたしておりますが、米側の方にも、こういった状況も踏まえて、アメリカの運用の面で調整の結果、現行になっておりますので、これをまた変更いたしますと相当な長期間の調整が必要でありますので、私は不可能ではないかなというふうに思っております。

下地委員 私が申し上げたいのは、この計画案というのは、唯一の、これしかないという案ではなくて、今大臣が申し上げたように、これ以上の案を持ってくると十九年以上かかる、この辺で妥協してつくっておかないと普天間の危険の除去はなかなかできないというような案であるという認識を持っていてもいいのではないかと僕は思っているんです。だから、本当の唯一という表現でなくて、これを選択したけれども、私は、ほかの案も、日米の中で合意できる案はほかに選択肢としてまだある、まだあるというようなことをぜひ申し上げさせていただきたいというふうに思っています。

 それで、もう一つですけれども、ラムズフェルド国防長官が沖縄に来られたときにも、神話のように言われているんですけれども、飛行機の上から見て、普天間は世界一危険な飛行場だと言って、これがうわっと流れたわけですね。彼が本当に言われたかどうかはわかりませんよ。しかし、そういうふうな根拠の中にあって今の辺野古移設の話が加速度的に進んでいったというのは、これは事実なんです。

 それで、一回ゆっくり調べてみたんですよね、危険というのを。

 これは平成二十五年度の空港別の離発着回数なんですけれども、一位から三十位までデータを見ると、福岡空港、これが十七万四千二百四十六回、一日四百七十七回。大阪空港が十三万九千百五十二回。普天間飛行場ですけれども、年間七万回というふうに言われていて、これは一日百九十一回。人口密度、半径三キロ以内で、福岡空港が十九万六千人、大阪空港が二十七万七千人、普天間飛行場が十二万七千人。一番少ないのは普天間空港なんです。それで、半径三キロ以内の世帯数が、福岡空港が十万三千戸、大阪空港が十二万一千戸、普天間空港が四万九千戸なんですよ。

 この三つの飛行場を比較すると、一番密度が高くて住宅地が高いのはやはり福岡空港、その次が伊丹の大阪、そして、普天間と書いてありますけれども、普天間がこの三つの中では三番ですけれども、ほかに調査すれば三番になるかどうかもわからないぐらいの回数なんですよね。

 今、何で普天間が、この回数からして、世界一危険な飛行場、しかも、さっき大臣がお話ししたように、ここにはオスプレイが二十四機しかいない、しかも、ヘリのCH53が五機しかいない、あとはもう司令官の飛行機が二機、三機、その程度なんですけれども、福岡空港とは全然違うわけですよね。何でこの飛行場が、軍用機と民間機が飛んでいるというのは抜きにして、同じ飛行機として、何で危険な飛行場と表現されるようになったんでしょうか。

中谷国務大臣 委員がお話しされたように、ラムズフェルド長官がそのような発言をされたこともあるかもしれませんが、私も、高台から飛行場を眺めまして、まさに市街地のど真ん中にある飛行場でありますので、万が一事故が起こった場合には非常に危険だなということで、いろいろな飛行場を見ていますけれども、本当に学校とか住宅が密集した市街地の真ん中に現在ありますので、非常に危険な空港だと認識をしております。

 先ほど民間空港のいろいろなデータを下地委員からお話がありましたが、一般的に申し上げますと、民間空港においては、旅客機を初めとして、定められたフライトスケジュールがありまして、多数の航空機を効率的に離発着させ、定時、定型の航路で運航させるなどが重視される一方、米軍基地を初めとする軍用飛行場におきましては、緊急の運用時など、軍用機を必ず定型的に運航しないという場合もあると考えております。

 また、軍用機の訓練につきましては、安全を大前提としつつも、さまざまな条件や環境下で機体や乗員に負荷がかかるような飛行も行うという側面が大きく捉えられることもあると認識をしております。

 その上で、普天間飛行場は非常に市街地のど真ん中にありまして、現に平成十六年の八月に沖縄国際大学への米軍ヘリの墜落事故のような、万一の航空機事故の危険性の不安が、騒音の影響、土地利用上の制約と相まって、周辺の皆様方に大変な負担となっております。

 こういった負担軽減をいろいろな形でとり続けておりますが、やはり普天間飛行場の移設、返還、この前も地元の市長さんが来られておりましたが、この原点は絶対に忘れないでほしいと、地元の宜野湾市、佐喜真市長さん、また地主会の会長さんも一緒に来られていましたけれども、心から、ぜひ原点を忘れずに取り組んでほしいということで、こういった危険性というのは地元の皆様方にとっての一番の心配事ではないかなと思っております。

下地委員 三沢空港も岩国空港も軍民共用、那覇空港も軍という意味では軍民共用ですよ、自衛隊機が飛んでいます。

 よく私が、逆の立場で大臣が今おっしゃったようなことをアメリカ軍に言ったんですよね。民間機は大丈夫で、あなた方が危ない、だから、あなた方は危険な軍隊の飛行機なんだというような話をしたら、ルールは一緒だ、世界じゅう飛行機の飛ぶルールは一緒なんだ、私たちのパイロットが腕が劣っているわけでもないと。それは、軍だから大変で、民間だから大変ということはあり得ないよというようなことを私たちに逆に返されてきたんですよ。

 今大臣はそのことの逆のことをおっしゃっておりますけれども、私は、そこのところの説明が、佐喜真市長が言っている原点というのがまだわからないんです。

 きのうも答弁を防衛省がやったんですけれども、普天間飛行場の周辺、この三キロ以内、小学校が十一、中学校が五、高等学校が四、全部で二十です。福岡空港、この三キロ周辺、小学校が十六、中学校が十一、高等学校が二、全部で二十九です。大阪空港、小学校が二十一、中学校が十、高等学校が八、合計すると三十九なんです。これに、きょうは書きませんでしたけれども、病院と保育所と老人施設と、こういう公共的なものを全部入れると、普天間周辺と福岡と大阪では全く数字が違ってくるんですよね。

 だから、私がきょう申し上げたいのは、この辺野古移設の根拠になっている普天間基地というのが危険だという根拠を、もう一回私たちは、しっかりとお互いが理解しなきゃいけない。

 それで、普天間においては、米軍基地の事故の概要を見ると、平成二十一年の六月の十五日にKC130空中給油機が緊急着陸したケース、それと、平成二十三年の十月六日、これは不時着をした、これも空中給油機ですけれども、この二回だけなんです、二回だけ。それに、先ほど言ったヘリの事故があったというようなことの三つがこの普天間基地が活用されてからの今の状況なんですよね。

 大臣、これ、さっきインターネットでとって、世界の空港でパイロットが嫌がっている空港というのがまた出てくるんですよ。これに入っていないんですよ、普天間も大阪空港も福岡空港も。世界の空港を見ると、異常なほどの空港が入っているんですよね。いろいろな空港、道路のど真ん中に飛行機が走っているとか、こんなところにはおりたくないとパイロットが言っているという上位十の中にも大阪空港とか普天間なんか入っていないんです。

 何でこれが本当に危険なのかというこの原点を、今これだけこの沖縄問題が大きくなっている中で、大臣、もう一回、ちょっと納得のいくような説明、こいつはやはり危険なんだと。

中谷国務大臣 まず、現実にヘリの墜落事故が発生したということ、地元の方々からも危険であるという要望が寄せられ、また、マスコミの報道においても、大変危険な飛行場がまだ存在していると。非常にこの普天間飛行場の危険性におきましては、いろいろな角度から声として寄せられているというのは現実でありますし、また、私自身も、仮に米軍の飛行機が墜落したり事故を起こした場合にはもう取り返しのつかないような大変なことになってしまうということで、安全飛行については本当にくれぐれも気をつけてほしいということは、従来、米側にもお願いしていますし、米側も非常にそれに留意をしながらやってきております。

 普天間飛行場の周辺での事故というのは、もう沖縄の基地全体が存続できるかどうかもかかったような大変な事態になりますので、やはり早期にこれを辺野古に移転して、また日米で共同で対処できるような体制をつくっていく。そのために十分日米間で話し合いをして、もう既にそういう計画を立てて事業も進行しておりますので、やはり早期に、早く移転をしていただきたいわけでございます。

 危険性につきましては現在も存在しているということで、その一位であるのか二位であるのか、いろいろな見方がございますが、広島で一昨日も飛行機の事故が起こりましたが、事故というのはいつ発生するかわからないわけでございますので、とにかく普天間の危険性の除去、これは早く実現しなければならないというふうに思っております。

下地委員 嘉手納飛行場にF15が七十五機いますよ。これにヘリコプターを初め嘉手納の所属の飛行機というのは、普天間が今三十二機ですけれども、嘉手納はもう二百機近くいますね。もう危険だといえば嘉手納なんですよね。そういう表現ならば嘉手納なんですよ。

 私が、きょう、しつこくこれを聞いているのは、この普天間ということの、私たちは危険、危険だとずうっと言い切って、今の辺野古案を考えなければいけない、別の案を考えなければいけないというふうに言っていたけれども、ちょっと立ちどまって、本当に危険かどうかも見ながら、これは翁長さんそのものも私はそれを考える時期に来ていると思うんですよ。辺野古反対ならどうするんだと。辺野古反対で、では、全部県外に基地は出ていけというようなことは、それは別の党が言うときはありますけれども、翁長さんも、そういう立場じゃない中で物事を考えてきた人なんですから。

 私は、この普天間の危険という言葉の意味をもう一回しっかり考えることが一点だということと、先ほど申し上げた唯一という言葉、唯一という言葉が、本当に辺野古しかないのか。あの千八百メートルの滑走路しかない辺野古が、私たちが、将来、日米安保条約をまとめて、沖縄はキーステーションの役割はそう簡単に失いませんよ、沖縄の役割はこれからも続きますよ。過重な負担の部分だけは取れますけれども、沖縄は、米軍の負担は、これからも日米安保条約の中でやっていくというのは、私は政治家として、一つの方向性だと思っているものですから。

 本当に千八百メートルの滑走路が、十年後、二十年後、三十年後、今、つくりたいという思いでつくるのと、二十年後、三十年後までこれがちゃんと評価されるものになるのかということは、もう一回私は考えてみる必要があるのではないかなというふうに思っていますから、唯一という言葉をもう一度考えて、説得力のあるものにやっていく必要があるということを改めて申し上げておきたいというふうに思っています。

 それで、次の質問ですけれども、今度、安倍総理が、今回アメリカに行って、上院と下院の両院の合同会議で演説をするということになっているんですね。これは池田総理以来五十四年ぶりということになります。

 この上下の合同会議で演説をするということは、私は国際約束だと思うんですね。やはり、あの議会の中で、アメリカ国民の代表のいるところで、私たちの国はこういうことをやります、こういうふうなことをやっていきますというようなことは、一つの国際約束として、やはりこれはもう守られなければいけないことだというふうに思うんですけれども、大臣、それはどうでしょう。

中谷国務大臣 国会で大統領なり首相が演説をするということは非常に大事なことでありまして、反対に、日本の国会に他国の大統領や首相が来られて演説をするということは、直接メッセージとして伝わりますし、また、その思いが直接わかりますので、非常にその重要性は大きいわけです。

 今回も、総理がアメリカを訪問する予定で、四月二十九日、連邦議会の上下両院で、合同会議で演説を行う予定であると聞いておりますが、この演説が実現をいたしましたならば、強固な日米同盟、これを世界に示す上で大変有意義なことであると考えております。

下地委員 大臣、私が申し上げたいのは、安保法制度についての日本の姿勢、沖縄の普天間基地の辺野古移設についての一つの発言が、これは原稿の中に盛り込まれるんじゃないかと私は思うんですね。安保法制度、やりますよというようなことを言って、これから、日本の役割みたいなものもしっかりとあの議会で発言する。沖縄の基地問題に関しても、今、約束どおりやりますよ、そう言うことによって、グアムに予算が、今まで凍結されていたものが解除されたばかりでありますけれども、これがまた予算がつく。

 一つの安倍総理の発言によって、今度はグアムの予算がついたり、安倍総理の発言によって、アメリカとの関係において、またガイドラインをつくっていろいろな仕組みができる。こういうような一つの発言が、お互いの政府間のこれからの行動に大きく影響してくるわけですよ。

 ということになってくると、私は、あの場所で発言することは、自分が確実に一〇〇%できること、自分が確実にやれること、誰が見ても環境的にうまくいっていること、こういうふうなことの内容をもって発言すべきだというふうに思うんですけれども、大臣、いかがですか。

中谷国務大臣 演説の内容につきましては、現在、安倍総理のリーダーシップのもとに準備が進められていると思いますが、日米安全保障体制、ちょうどガイドラインの2プラス2の会議もありますし、また、我が国におきましての安全保障の法律の審議もございますが、まさに節目でありまして、これからの日米安保をどのように考えるかということを直接総理が言われるという意味では、大きな意味があります。

 沖縄問題、もう十九年目に入っておりますが、沖縄における米軍の位置づけや我が国のとり方について、直接総理として言及をされていくという意味におきましては意味があることでありますが、内容につきましては、総理のもとで考えて、構想をされて発言をされますので、今、総理のリーダーシップのもとに準備がされているというふうに思っております。

下地委員 大臣は、今の発言だと、あの議会では、沖縄問題に対して総理は原稿の中に盛り込むべきだというお考えなんですね。

中谷国務大臣 これは、総理が現在、構想をめぐらせてお考えでございますので、私の方から言うことはできませんけれども、せんだってカーター長官と官邸で首脳同士でお話をされましたけれども、そういう思いの内容のお話を、非常に大事な問題としてお話をされておられました。

下地委員 もう一言だけ、ちょっとしつこいようですけれども、やはりやられるべきと思うのか。総理のお考えだと思いますけれども、防衛大臣として、やはり総理は、この問題については、普天間の辺野古の問題については触れるべきだというお考えをお持ちなのかどうなのかだけ、お聞きしたいんです。

中谷国務大臣 これは、まさに我が国の政府自身が努力をして、それを実現しなければならないという要素が非常に大きいわけでございます。それをやるということをアメリカにも約束はいたしておりますし、また、アメリカのグアムへの移転等につきましても米側が努力をされているわけでございますので、我が国自身の安全保障の取り組み方等はお話をされるのではないかというふうに思います。

下地委員 イギリスのブレア首相が、二〇〇三年の七月にアメリカ議会で演説しているんですよね。この演説の内容は、イラクの戦争について、大量の破壊兵器の結びつきを確信していたかと問われた場合、これだけは言える、少なくとも残虐な殺りくと苦難をもたらす脅威を排除することはできた、私は自信を持って歴史は許すだろうと言えると、正当性を議会で発言をして、その上で、イラクの大量破壊兵器に関する情報当局の情報については正しかったと確信しているというようなことをアメリカの議会で言ったんです。

 その一年後に、イラクの大量破壊兵器の情報について、イラクが持っているとの判断と現実は違っていたと認めた上で、自分も他の人間と同じように間違いを犯す人間だと語り、イラクの大量破壊兵器の情報が誤りだったことを認めて、判断の間違いを謝罪した。

 その後、また一月に、ブレア首相が、英の与党の労働党が国民の支持を回復したいなら、まずはブレア首相がイラクの戦争の誤りを認めるべきだとの批判を公然と唱え始めて、ベン国際開発相とか、ヘイン北アイルランド担当相とか、クーパー住宅計画担当閣外相とか、パーネル社会保障担当閣外相とか、ブレア政権の方々が、この発言から始まったことについて、確信ができていないものをこういうふうに発言したことが、後になって内閣の中で非常に大きな問題を生じるというケースが出てきているわけです。

 私が申し上げたいのは、安保法制度は、この委員会を見てもおわかりのように、自民党と公明党が多数ですから、これは大串先生がどんなに騒いでももう通りますよ。(発言する者あり)頑張るかどうかわかりませんけれども。だけれども、これは可能性のある話、一〇〇%の話だから、私はこれは発言していいと思うんですよね。

 きのうも国土交通委員会で、岩国や中部国際空港のことについて水資源開発局長が話をしたのは、やはり設計変更が出てきた場合、埋め立ての場合には、県知事の承認をいただかないと工事は進められませんねというようなことをきのう答弁しているんですよね。だから、設計変更というのは、みずからが設計変更してくれと言って承認されないのに、設計変更が承認されないのに工事を粛々と進めるということは厳しいんじゃないかというような答弁をきのうはなされているんです。私はそのとおりだと思う。

 今は、仲井真知事が印鑑を押したものを何で知事が認めないかということになると、岩礁破砕の取り消しを行ったり埋め立ての取り消しを行ったら、私は、政府の方が強くて、法手続的にも行政手続的にも絶対に沖縄県は有利にならない、弁護士じゃないですけれども、そう思いますよ。だって、仲井真さんが押したんだから。自分の県知事が押したことをもう一回否定するというのは、なかなか難しいことだと思う。

 しかし、新しい設計変更が出てきた場合には、翁長さんという知事がこれを押さないということになると、この時点で、継続性ではなくて、私は、工事もストップするし、設計変更をとれないうちに、粛々と進めるとかという言葉はもう絶対成り立たないというふうに思うんですよね。

 しかも、これは受託事務ですから、これを政府がとって代執行する。沖縄県に与えている埋め立ての認可の許可を政府が全部とって代執行しますよというようなことになると、設計変更が岩国でも八回出ていますから、一回ごとに代執行していかなきゃいけないんですよね。そうなると、この問題はもう暗礁に流れて、なかなか今の状況では、確実に一〇〇%できますというような状況には僕はなっていないと思うんですよね。

 だから、今、丁寧にやる以上は、今回の四月に訪米なされるときに、アメリカ議会で、今の段階でもう五割とも言えない、まだどうなるかわからない、そういうような、やりたいという気持ちはおわかりになるけれども、やることが行政的にも法律的にもなかなか難しい、それを発言して、このペーパーを書くという、今大臣が、言った方がいいというお話でしたけれども、僕はいかがなものかと思うんですよね。

 今は、粛々と、あの場所では約束せずに、沖縄と向き合って、先ほど申し上げたようにキャラウェー発言を取って、その後、心を開けるようにして、翁長さんの理解をもらえるようにする、そういう過程にエネルギーをかけるべきであって、アメリカ議会でどんと発言して、もう向こうでやってきたから、もう国際約束したからやらざるを得ないんだよというようなやり方は、私はいかがなものかというふうに思っているんですよね。

 だから、ここは、国内に向き合ってこの問題を解決する、アメリカを向いてこの問題を解決しない、そういうふうな政治の姿勢が私はいいのではないかと思うんですけれども、いかがでしょうか。

中谷国務大臣 当然、沖縄の地元の皆様方に接しながらこの事業は行っていかなければならないというふうに思いますが、これまでの経緯を見ましても、九六年の合意からもう相当年度たっていますが、政府としての沖縄に対する対応姿勢というのは、本当に丁寧に沖縄の要望を伺いながら一つ一つの手続を進めてまいりまして、ようやく埋め立ての承認をいただいたということでございます。いわばこれは行政的な合意の手続によるものでございますので、私たちは、今後の事業につきましてもこれを適切に実施して行っていきたいということでございます。

 現時点において、可能な限り工事が進捗できるように進めてまいりたいというふうに思っております。

下地委員 政治的に、行政的に、法律的にパーフェクトな形で発言をなされることについては、私はそれは賛成です。

 ただ、今の状況は、政治的にも、日本の政治と沖縄の、沖縄も日本ですから、沖縄県と政府との間で政治的にまだ全く共通の窓口がつくれないような、思いがつくれないような状況にある。行政的にも、この前、岩礁破砕の手続について、お互いが今お互いの権利を主張して、停止することを停止するとかというようなことを言って、今、あと三カ月間かけて審査の結果を待つというようなことになってくるだろう。

 予想されることとして、今度は埋立認可の取り消しをするというようなことになってきたら、またそれに対して不服申し立てをして、行政訴訟をして、停止をするものを、停止をやめさせるとか、こういういろいろな手続がこれから起こってくる可能性があるんですね。そして、行政手続で、不服申し立てでだめになったら、今度は法的裁判に入っちゃう。となると、もう政治がなかなか介入できないような、こういうふうな不安定な状況の中で発言をすることはおやめになった方がいいというのが私の思いなんです。そして、そのことがまた、大臣が着々と進めたいというような思いがあるならば、そのことに私はなるんではないかと思うんですよね。

 今は国内に目を向けて、アメリカに寄り添って決めていくんではなくて、国内に寄り添って物事を決めていくという判断を、大臣みずから、今は待てと、安倍総理に、今の議会の発言は、大臣がさっきやると言っていましたけれども、やらないで、次のステップを待つというようなことをおっしゃることが、私は賢明な閣僚としての総理大臣に対するアドバイスではないかというように思うんですけれども。

中谷国務大臣 まず一つには、我が国周辺の安全保障環境の変化といった安全保障問題があるということ。

 もう一つは、やはり普天間飛行場の固定化も含めた危険性の除去が、一日も早くこれは実現しなければならないということで、やはりこの普天間飛行場が全面返還されることが、私は、沖縄の負担軽減にもつながりますし、また危険性の除去にもつながりますので、先ほどから何度かお答えしております。

 では、ほかにどうすればいいかと。私の立場から考えても、これは考えれば考えるほど時間が費やされて、危険性の除去ができなくなってしまいますので、私としては、沖縄の負担軽減を図るという意味におきましても、現在の工事を予定どおり進めて、地元の皆様方に御理解をいただきながらやっていくほかに考えていないということでございます。

下地委員 大臣、対案が出てきたら、対案を検討する余地はありますか。

中谷国務大臣 私は、辺野古へ移設するというのが最も早く確実な手段でありまして、対案が出てまいりますと、政府だけの考えではできません。地元の皆様方の了解、またアメリカとの合意、こういった手続を考えますと、相当なまた年月がかかってしまうのではないかなというふうに思っております。

下地委員 この対案というのは、時間がかからなくて、それで今の辺野古の、今言った千八百メートルではなくて、さまざまな問題点で、今の日米のこの戦略的パートナーのきずなを深めるものであるというようなものが出てきた場合には、対案について大臣みずから話を聞いてみるというようなことをするのか、いや、もうこれは辺野古で決まっているから何でももうだめなんだというようなものなのか、どっちなんでしょうか。

中谷国務大臣 アイデアとか御発言等はいろいろな形で拝聴はさせていただきたいと思いますが、それを考慮することによって現在進めている事業が遅延をして、その結果、普天間の危険性の除去がおくれるということはあってはならないというふうに思っております。

下地委員 ぜひ、今の大臣の立場でお進めになるのは、もうこれは大臣の立場ですから、お進めいただいて、遅延のないようにというのは、もう大臣のお考え、立場、もう何度も申し上げますけれども、それはいい。

 ただ、横の方で、先ほど私がもうしつこく申し上げてきましたけれども、この危険の除去という今の現状、私はそんなに慌てなくても大丈夫だ。それと、今の千八百メートルの滑走路のあり方、これは長い意味での日米の戦略の考え方からしても、決して私はこのV字形というのはすばらしい唯一の構想だというようには思わないという観点からしても、私はいろいろな対案が出てきてもしかるべきだというふうに思っていますから、大臣の立場も進めながら、対案を聞く耳というのはしっかりとぜひ持っていただきたいというふうに思っていますから、ぜひお願いしたいというふうに思います。

 最後になりますけれども、那覇空港についてちょっと。

 那覇空港が今十四万八千回離発着をやっているんですけれども、自衛隊機はどれぐらいですか。何%ですか。比率も含めてお願いします。

中島政府参考人 お答え申し上げます。

 比率についてはちょっと、現在手元に資料がございませんけれども、平成二十二年度におけるF15の離発着回数は約一万回というふうになっております。

下地委員 今、F15だけが一万回でしょう。それと陸上自衛隊のヘリコプターとか海上自衛隊の哨戒機とか、全部やると二〇%近くが那覇空港の今のパーセントだと私は思うんですけれども、違いますか。

中島政府参考人 ちょっと古いデータになりますけれども、年間の離発着回数、これは平成二十一年のやりとりでございますけれども、民航機が十一万五千、それから自衛隊が約二万回ということでありますので、今、頭の中で概略言いますと、二〇%弱ということになろうかと思います。

下地委員 きょうも朝のテレビで、スクランブルの回数が、非常に那覇空港の航空自衛隊が頑張られているということで、重要になってきているんですよね、那覇空港は。今回二本目の滑走路をつくることになりましたけれども、あと五年ぐらいかかります。

 今度、第八十三航空隊が、F15戦闘機、二個飛行隊が入るわけですけれども、この飛行隊が二十七年までに入ると、那覇空港でF15はみんなで何機になりますか。

中島政府参考人 約四十機でございます。

下地委員 これは、四十機入るわけなんですよね。

 きょうのテレビを見ると、スクランブルだけで四百六十九回、それぐらいの数がありましたから、そういう意味でも、この南西諸島の空の防衛というのは非常に重要になってくるんです。これは私も深く認識して、賛成であります。

 しかし大臣、この戦闘機というのは百二十三デシベルぐらい出るんですね。航空局長来ていますけれども、民航機はどれぐらいですか。

田村政府参考人 デシベルというのは、ちょっと、状況をどこではかるかによって非常に差がございますので、一概に何デシベルと申し上げるわけにいきませんけれども、民間航空機の場合には、騒音基準が耐空証明の一部に取り込まれておりまして、かなり今低減されているということは事実でございます。

下地委員 大体私が調べた範囲では七十とか、いい飛行機になればなるほどもっと小さくなるんです。

 大臣、百デシベルとかいうと電車が通過時の路線脇にいるところとか、百十デシベルになると前方二メートル先でクラクションが鳴るとかという、その大きさなんです。私もこの前、那覇空港を体験しましたけれども、これは大きいですね。今回また新しい部隊がなってくると、やはり役割とはいえ、これは人に与える影響というのは物すごく大きなものがあるんです。

 これは、航空局がやる仕事なんですけれども、公共飛行場周辺における航空騒音による障害の防止等に関する法律というのが昭和四十二年にできているんだけれども、那覇空港は一種なんですよね。その次が二種があって、その次が三種があるんですけれども、一番低い対策になっているわけなんです。

 私が申し上げたいのは、一点目には、これぐらい、二〇%を超えるぐらい、そしていざというときのスクランブルをやるということになる中で、その役割はしっかり認めながらも、騒音問題が出ている。しかし、防衛省がやる周辺対策というのは皆無に等しいんですよね、全然。しかし、嘉手納飛行場とか普天間飛行場というのは、米軍基地であるがために、この対策がまたすごいんですよ、いろいろなものの対策が。防音工事にしても制度資金にしても、防衛省のものがいっぱいあるんですけれども。ただ、これだけ日本の防衛のために使われている那覇空港の周辺は、ここは二種空港で、これは国土交通省の空港なものですから、全く防衛省の対策が手薄なんですよね。

 大臣、これは見直して、しっかりと地域の理解を得られる、そういう政策を打ち出すべきではないかというふうに思うんですけれども、これは理解のあるものでさえもなかなかできなくなる可能性があるので、そのことについての大臣のお考えを聞かせてください。

中谷国務大臣 航空機の騒音につきましては適切な防音対策を実施する必要がありまして、これにつきましては、御指摘のように、那覇空港は国土交通省が設置管理する飛行場であることから、空港周辺対策につきましては国土交通省において実施をしております。

 こういった問題等につきましては、国土交通省であるのか防衛省であるのかにかかわらず、国としての必要な防音対策を適切に実施しなければならないわけでございまして、那覇空港に関する民生安定施設の助成等につきましても、自治体の要望を踏まえて実施をしておりますけれども、国交省においてしっかりと防音対策が実施されますように緊密に連携を図るとともに、今後とも、障害の実態を踏まえた民生安定施設の助成等に努めてまいりたいと思っております。

下地委員 国交省、これを見直す気持ちはありますかね、一種を二種に、三種に。僕はもう合理的に見直すべきだと思うんですけれども。

田村政府参考人 現時点で見直しを検討するということを決めているわけではございませんけれども、今後、政府の中で議論をされるべきものと考えております。

下地委員 大臣も航空局長も、F15がふえる、航空機の回数はもう十四万回を超えて、今一番飛んでいるのがこの那覇空港ですよ。私からすると、そういう状況になっていれば見直していくのが当たり前だというふうに思っているんですけれども、それについて、もう一度お聞きしますけれども、これを見直すつもりはないですか。

田村政府参考人 見直し云々はさておきまして、今後、航空自衛隊の増隊といいますか、部隊の増強に伴いまして騒音区域が拡大をする分につきましては、着実に周辺対策を講じてまいりたいというふうに考えております。

下地委員 大臣、今、F15がふえることを前提にしながら、見直しができるような状況だと、もう、ちょっと曖昧ですけれども、言っていましたけれども、これはもう一回防衛省の方も、那覇空港周辺というのは物すごく安全保障にとって大事なので、嘉手納基地並みに、私は、防衛省がしっかりとこの地域のサポートをしていくというのは大事だということを申し上げて、最後に大臣の答弁をいただいて、終わりたいと思います。

中谷国務大臣 防衛省といたしましては、国土交通省と緊密に連携をいたしまして、那覇空港の防音対策が適切に実施されるように今後とも努力を続けてまいりたいと思っております。

下地委員 ありがとうございました。

北村委員長 次に、照屋寛徳君。

照屋委員 大臣にお伺いします。

 中谷大臣は、去る四月八日、来日したカーター米国防長官と会談をしております。その際に、大臣は、カーター米国防長官に、普天間飛行場の五年以内運用停止を求めましたか。

中谷国務大臣 五年の運用停止につきましては、仲井真前知事から強い要請を受けて、政府として全力で取り組んでいるところでございますが、この負担軽減につきましては、五年以内の運用停止だけではなくて、嘉手納以南の土地の返還、沖縄海兵隊のグアム等への移転、またオスプレイの沖縄県外における訓練等の移転の推進などについて、同様に重要なものだと思っております。

 そこで、カーター長官との会談におきましては、いろいろな話もいたしました。沖縄の負担軽減全般について協力を要請して、カーター長官からは、米国としても米軍のプレゼンスの影響を緩和する措置に協力するという立場が示されたところでございます。

照屋委員 大臣、私は、抽象的な沖縄の負担軽減ではなくて、ずばり普天間飛行場の五年以内運用停止を問題にしている。

 今月二十七日にワシントンで、いわゆる日米の2プラス2が開催予定だとの報道に接しております。大臣は、今度の2プラス2で普天間飛行場の五年以内運用停止を求めるおつもりがあるでしょうか。

中谷国務大臣 この件につきましては、相手がある話ではありますが、できることは全て行うという政府の基本姿勢に基づきまして、引き続き政府として全力で取り組んでいく考えでございます。

照屋委員 先ほど大臣の答弁にありましたように、政府が当時の仲井真知事に普天間飛行場の五年以内運用停止を約束したのは、二〇一三年十二月二十五日の安倍総理との会談の席上なんです。あれからもう一年四カ月が経過しました。五年以内運用停止というと、あと三年八カ月しかないんです。

 どうして、ずばり政府が約束した五年以内運用停止をアメリカに求めないんでしょうか。不思議でならない。もう一度お答えください。

中谷国務大臣 アメリカとはいろいろな話はいたしておりますが、この五年以内の運用停止というのは、当時の沖縄の仲井真知事から、政府として要望という形でお伺いをいたしました。

 この点につきましては、政府としてはありとあらゆる努力をして行うという返事をいたしておりまして、基本的には、日本政府としてできる限りの努力を行うということではないかと思っております。

照屋委員 しつこいかもしれませんが、大臣、日本政府として、アメリカに対して正式な議題として普天間飛行場の五年以内運用停止を協議したことがありますか。ないでしょう、恐らく。

中谷国務大臣 いろいろなことはお話はいたしておりますけれども、会談の中身等につきましては、相手のあることでありますので、明らかにすることは控えさせていただきます。

 そこで、この五年以内の運用停止ということにつきましては、当時の沖縄県知事から政府がお伺いをしたことでございまして、政府としてはありとあらゆる努力をしているということでございます。

照屋委員 どうも、防衛の御専門である大臣の答弁にしては非常に煮え切らない。これはもちろん大臣だけの責任ではありませんよ。

 総理が沖縄県民に普天間飛行場の五年以内運用停止を約束して、多くの県民もそれを期待して、そういう中で、私は何も日米会談、日米協議の中身に立ち入って質問しているんじゃなくて、正式協議の議題に上ったかどうか聞いても、お答えにならない。これは、普天間飛行場の五年以内運用停止という総理の約束はもはや破綻をしたと私は言わざるを得ないと思います。

 ところで、大臣がカーター米国防長官と会見した直前に、菅官房長官と翁長知事が会談をしているんです。その席上、翁長知事が辺野古の新基地は絶対にできないと伝えたんですね。それでも、総理や官房長官や大臣は、依然として辺野古新基地建設が唯一であると繰り返しております。

 大臣、私は、国の安全保障は民意の支持がなくては成立をしない、こう思います。もはや沖縄の民意は後戻りすることはありません。どうしてもっともっと、政府と沖縄の考え方が違う、あるいは沖縄の声を率直にアメリカに伝えないんでしょうか。

中谷国務大臣 せんだっての会談の翁長知事の御発言は、辺野古はできないと言われましたが、民意を受けた上での御発言だと思っております。

 しかし、政府といたしましては、普天間の基地の危険性の除去、移転、一日も早い移設、これこそ沖縄の皆様方と話し合いをしてきた原点でありまして、もう十九年になりますけれども、いろいろな経緯をたどりましたけれども、一つ一つ話し合いをして合意をいただいて、そして確認をしていただいて、一つ一つ手続もやってまいりましたので、私たちは、その原点である普天間基地の危険性の除去、この基地の移転、これにお応えするということが我々の務めだというふうに思っております。

照屋委員 去る四月九日に都内で開かれた第四回環境監視等委員会で、沖縄防衛局は、コンクリートブロック投下による九十四群体のサンゴを破壊していたことを報告いたしました。また、昨日十五日に、沖縄防衛局が、そのうち八十九群体が沖縄県が許可した岩礁破砕許可区域外であることを認めました。

 この事実関係は大臣もお認めになりますか。

中谷国務大臣 先日、四月九日に開催された第四回環境監視等委員会におきまして、ブイの設置に伴うサンゴ類への影響について、全体で九十四群体のサンゴ類について影響が確認されたことが沖縄防衛局から報告され、このうち、八十九群体につきましては、埋め立てのための岩礁破砕許可区域外であることが確認をされております。

 防衛省としましては、岩礁破砕とは海域における地殻の隆起形態を変化させる行為であると考えておりまして、今回報告におけるサンゴへの影響を踏まえても、ブイのアンカーの設置によりまして規制の対象となるような岩礁破砕行為はなかったものと認識をいたしております。

 また、委員会から、今般のサンゴ類への損傷がサンゴ礁全体へ及ぼす影響はそれほど大きいものではなかったといった意見が示されたところでございますが、今後とも、同委員会で示されたその他の御意見一つ一つについても真摯に受けとめて、代替施設建設事業の実施に当たっては、同委員会の指導助言を踏まえて、環境の保全には万全を期してまいりたいと思っております。

照屋委員 今の大臣の御答弁を聞くと、恐らく多くの沖縄県民はブチクンになる、卒倒してしまうでしょうね。

 八十九群体のサンゴが沖縄県の岩礁破砕許可区域外であった、ところが、それは、サンゴは破壊したけれども、いわゆる岩礁破砕には入らない。大臣、そんな答弁は通らないと私は思いますよ。県民は、あの辺野古、大浦湾の海は命の母なる海だと。そんなサンゴを、岩礁を許可区域外で破壊する、それをいとも簡単に許しちゃいけません。

 それで、最後に聞きたいのは、辺野古基地建設に伴い、沖縄防衛局が設置した環境監視等委員会の副委員長である東清二琉大名誉教授が、基地をつくるとの結論ありき、現在の委員会のあり方では環境は保全できないとの理由で、去る三月九日に電話で辞意を伝えております。その後、防衛局側が慰留に努めておるようですけれども、東教授の辞任はどうなったんでしょうか。

中島政府参考人 お答え申し上げます。

 東副委員長におかれましては、環境監視等委員会に関しまして、委員を辞任する意向というものは示されておられますけれども、東副委員長にはこれまで非常に貴重な御意見をいただいておりますところから、事務局であります沖縄防衛局が慰留に努めているというところが現状でございます。

照屋委員 局長、随分無責任な答弁ですよ。私は、けさ、東教授に電話をして確認しましたよ。大臣、事もあろうに、この委員選任に当たって、事前に東教授の意向確認、意思確認もしないで選任をして、一回目の委員会に案内があって、出たら、これは基地をつくるとの前提での議論、これじゃ環境保全はできない、こう言って先生は辞任したんです。

 しかも、皆さん、慰留と言っているけれども、一回だけやっただけで、その後、全く慰留も何もしていないでしょう。これは、環境が御専門の東教授にも失礼だし、県民に対しても、環境保全は単なるアリバイ、そういうふうに言われてもしようがないんじゃないですか。答えてください。

北村委員長 地方協力局長。

 時間が来ていますから簡潔に。

中島政府参考人 お答え申し上げます。

 私どもが報告を受けている限りにおきまして、東先生は、御専門の観点から非常に貴重な御助言をいただいているというふうにお話を受けておりまして、最初から、今委員がお使いになられた言葉を使いますと、全然そういうふうな接触はなかったというふうには私どもは承知をしておりませんので、また何かございましたら、先生のつかんでいる事実関係をお知らせいただければというふうに思います。

照屋委員 委員選任もずさん、環境保全もずさん、そういうことを申し上げて、終わりたいと思います。

北村委員長 次回は、明十七日金曜日午後一時五十分理事会、午後二時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後零時五分散会


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