衆議院

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第9号 平成14年5月28日(火曜日)

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平成十四年五月二十八日(火曜日)
    午後五時開議
 出席委員
   委員長 萩野 浩基君
   理事 金田 英行君 理事 西野あきら君
   理事 松岡 利勝君 理事 吉川 貴盛君
   理事 荒井  聰君 理事 武正 公一君
   理事 白保 台一君 理事 一川 保夫君
      岩倉 博文君    倉田 雅年君
      仲村 正治君    林 省之介君
      福井  照君    吉野 正芳君
      渡辺 具能君    金田 誠一君
      川内 博史君    楢崎 欣弥君
      原口 一博君    横路 孝弘君
      丸谷 佳織君    赤嶺 政賢君
      東門美津子君
    …………………………………
   外務大臣         川口 順子君
   国務大臣
   (沖縄及び北方対策担当大
   臣)           尾身 幸次君
   外務副大臣        植竹 繁雄君
   内閣府大臣政務官     嘉数 知賢君
   会計検査院事務総局第一局
   長            石野 秀世君
   政府参考人
   (内閣府政策統括官)   安達 俊雄君
   政府参考人
   (内閣府沖縄振興局長)  武田 宗高君
   政府参考人
   (外務省北米局長)    藤崎 一郎君
   政府参考人
   (外務省欧州局長)    齋藤 泰雄君
   衆議院調査局第一特別調査
   室長           小倉 敏正君
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 会計検査院当局者出頭要求に関する件
 政府参考人出頭要求に関する件
 沖縄及び北方問題に関する件


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     ――――◇―――――
萩野委員長 これより会議を開きます。
 沖縄及び北方問題に関する件について調査を進めます。
 この際、お諮りいたします。
 本件調査のため、本日、政府参考人として内閣府政策統括官安達俊雄君、内閣府沖縄振興局長武田宗高君、外務省北米局長藤崎一郎君及び外務省欧州局長齋藤泰雄君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
萩野委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。
 引き続き、お諮りいたします。
 本件調査のため、本日、会計検査院事務総局第一局長石野秀世君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
萩野委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。
    ―――――――――――――
萩野委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。横路孝弘君。
横路委員 きょうは、北方領土の返還問題を中心とした対ロシア外交について、主として外務大臣にお尋ねをしたいと思います。
 外交というのは、言うまでもなく外務省だけがやっているわけじゃありません。特に、領土問題のような問題になりますと、いわば国民への啓発、世論の喚起をしていかなきゃいけません。これは、国内的にも国際的にも喚起していかなきゃいけない。それから、やはり国論の統一を図っていかなくちゃいけないということで、さまざまな活動が、戦後間もなくから始まりまして、運動の積み重ねがずっとあるわけですね。
 例えば、二つの、昔住んでいた旧島民の居住者連盟という組織がありますし、北方領土復帰期成同盟という組織もありまして、この二つが中心になりながら、北方四島は行政区域からいうと北海道の、及んではいませんけれども行政区域ということで、北海道としても、私、知事の時代に毎年必ずこの領土問題についての県民集会というのを各県持ち回りでやりました。あるいは、署名活動を展開する、あるいは外国へ行って外国政府に対するキャンペーンを張る、九〇年代になってからロシアの国内でロシアの政治家やマスコミの関係の人たちに対してキャンペーンを行う、あるいはサハリンでシンポジウムを開催したり、そういう活動をずっと積み重ねてきて、そういう力をバックにしながら外務省として御努力されてきたんだというように思うわけでございます。
 そうした中で、例えば、旧島民の人の墓参の活動からビザなし交流というようなことにも発展をしてきたわけですが、交流も深まってきたというときに一人の政治家にこの運動全体が何か食い物にされてしまったという思いをみんなが持っています。しかも、外務省がそのことにある意味では協力をしてしまったということで、返還運動を進めてきた人々、関係者は、この今日の混乱状態ということに本当に皆、憤り、怒りを持っています。
 私は、外務大臣に、どうしてこんな混乱が生じたのか、そのことの反省と問題点の整理をしっかり行って、そして、やはり対ロシアとの外交交渉を再構築していくということが今必要なところではないかというように思いますけれども、お考えをお伺いしたいと思います。
川口国務大臣 北方四島の返還問題というのは、これは我が国にとってロシアとの間で戦後ずっと問題となってきた点でございまして、委員がおっしゃられましたように、多くの方がこれに携わって一生懸命にやってこられたということは、私もよく理解、認識をいたしております。
 外務省が今回の一連の報告書で、社会の通念から見て異例であるというふうに書かせていただいた外務省とある政治家の方の関係、鈴木議員との関係については、外務省としてはさまざま反省をすることがございますし、また、このことにつきましては、前に処分もさせていただいたわけでございます。
 北方四島の返還の問題がこういったことで影響を受けるということがないように、外務省としてもこれからさらに北方四島の返還の問題については頑張っていきたいと思っております。
 日本政府の方針というのは、これについては北方四島の帰属の問題を解決して平和条約ということで一貫をしているわけでございまして、この方針に基づいてきちんと申し上げるべきことは申し上げるということでやっていきたいと思っております。
横路委員 ここに来て問題が少し混乱しておりますので、少し整理したいというように思うんですけれども、日本側の基本的立場というのは、冷戦時代は四島の即時一括返還だったんですね。これはいろいろな集会やなんかの発言もそういうことで来たわけです。九〇年代になりましてから少しいろいろと表現が変わってきましたが、九三年の東京宣言、あそこから以降は、四島の帰属問題を解決して平和条約を締結する、その四島の帰属問題というのは、いろいろな形が考えられますが、そこは横に置いておいて、四島の帰属問題を解決して平和条約を締結するということを基本的な姿勢にしているというように思いますが、いかがですか。
川口国務大臣 おっしゃるように、一九九三年十月の東京宣言の第二項で、領土問題を北方四島の帰属に関する問題であるというふうに位置づけまして、四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結し、両国関係を完全に正常化するという手順を明確化したということでございます。そして、領土問題を「歴史的・法的事実に立脚し、両国の間で合意の上作成された諸文書及び法と正義の原則を基礎として解決する」という明確な交渉指針を示したわけでございます。
横路委員 これに対するロシア側の立場なわけですけれども、ロシア側は、共同宣言に基づいて二島は返還して平和条約を締結するということで、歯舞、色丹については触れているわけですね。国後、択捉については従来は触れていなかったわけですが、その九三年以降、四島の帰属ということで、一応交渉の対象として四島全体が九三年から入ってきているということだと思うんですね。
 そうすると、ロシア側の立場というのは、二島の返還、二島は継続協議、こういうような形に整理してよろしいんでしょうか。あるいは、二島は返還、二島は帰属問題、もう少し正確に言えば帰属問題というような形にロシア側の主張というのは整理してよろしいでしょうか。
川口国務大臣 東京宣言はエリツィン大統領が訪日をしましたときに両国で署名をしたものでございまして、したがって、これは両国が合意をしたということだということでございます。
 それから、その後の九七年のクラスノヤルスクの合意、これは首脳会談があったわけですけれども、ここでも、「東京宣言に基づき、二〇〇〇年までに平和条約を締結するよう全力をつくす」ということで合意をしているわけでございます。
 さらに、二〇〇一年のイルクーツク声明、これも両国で出した声明でございまして、我が国だけということではありませんけれども、これは、まず、五六年の日ソ共同宣言を平和条約交渉プロセスの出発点ということで設定した基本的文書、基本的な法的文書であるということを確認し、その上で、九三年の東京宣言に基づき四島の帰属の問題を解決することにより平和条約を締結すべきということの再確認を両国でしたということでございまして、これによってこれまでの交渉の姿を明確な形で総括することができたということで、さらに、あり得べき最も早い時点で平和条約の締結へ向けた前進の具体的方向性を決定することで一致をしているということでございます。
横路委員 それはもちろん承知して御質問申し上げているわけなんですけれども、問題は、二島についての返還、これはロシア側も、共同宣言を認めてそれをベースにするというわけですから、そこは了承、了解していると見ていいんでしょう。そうすると、あとは二島についての帰属の問題ということになるわけなんですが、今までの協議の中で、一九九二年の渡辺・コズイレフ外務大臣、これは、ソ連邦が崩壊した後、当時のロシア共和国の外務大臣だったコズイレフさんが新しい国の外務大臣として来られたときに、二島返還で、あとの二島は継続協議というような提案があったということが伝えられていますけれども、今までの交渉の中で、そういうような話が向こう側から出たことはあるでしょうか。
川口国務大臣 おっしゃったその九二年に、コズイレフ外務大臣が渡辺外務大臣に対しての会談、これにつきましては、交渉中の案件であって、ロシア側との関係もございますので、その中身にかかわることについて、政府としてコメントは差し控えさせていただきたいということです。
横路委員 今日までの交渉の中で、日本側の主張が比較的よくまとめられているというのは、先ほど大臣が挙げられた二〇〇一年三月の森・プーチン、イルクーツクの会談ですね。これを見ますと、おっしゃるように、一応二島については一定の方向性が出されて、あと残りの二島についてこれから一生懸命協議をしていきましょうという形になっている。
 この共同発表、これは非常によくまとまっていて、それまでのいろいろな会談の積み重ねというのをある意味でいうと集大成したという意味では、評価すべき内容があるというように私としては読んで思うんですけれども、それは、外務省としてはどうなんでしょうか。
川口国務大臣 これは、先ほど申しましたように、これまでの交渉の姿を明確な形で総括することができた、平和条約の締結に向けた前進の具体的な方向性、これを決定するということで一致したという意味で、委員のおっしゃったとおりだと思います。
横路委員 私は、この森・プーチン会談というのは、ちまたでよく、だれが関与したからどうこうということを言われていますが、内容そのものは非常によくまとまって、整理されているというように思いますよ。
 この後、小泉さんとプーチン大統領の会談が二〇〇一年に上海APECのときにあって、そのときに、同時かつ並行的な議論、つまり歯舞、色丹と、国後、択捉というのを同時かつ並行的に進めていくということで一致したというように言われていますが、これは間違いございませんか。
川口国務大臣 二〇〇一年十月の上海の日ロ首脳会談でございますけれども、これは、歯舞、色丹の返還の態様の議論と国後、択捉の帰属の問題の議論とを、同時にかつ並行的に進めていくということでおおむね一致をしたということでございます。
横路委員 ですから、具体的に、歯舞、色丹については返還の条件を詰めていく話になり、それから国後、択捉については帰属問題について話をすると。やはりこの二つの島、それぞれ事情、状況が違うわけですから、そういう意味では、こういう話し合いが非常に合理的なんですね。
 これが、ことしの二月の日ロ外務大臣会談でも確認されたわけでしょう。三月になって、これが、合意はなかったというような発表になりますよね。これはどうしてこういうことになったのか。それはロシア側の事情なのか、日本側の事情なのか、そこを説明してください。
川口国務大臣 先ほどのイルクーツク首脳会談、それから上海のAPECの際の首脳会談の合意を含むこれまでの合意をすべて遵守していくということで、私がイワノフ外務大臣とことしの二月に行いましたときには、その旨の確認がされたということで、そのために、四島の帰属の問題を含む平和条約交渉にかかわるすべての問題について、実質的、具体的に議論をするということで合意をしているということでございます。
 平和条約交渉というのは領土交渉ということでございますから、これは非常に、どこの国が行ったとしましても、困難な、時間がかかる、紆余曲折があるということは当然でございまして、日ロ双方がこれまでこの件をめぐって精力的に交渉をしてきているわけですけれども、両方とも、国内世論を背景にして非常に厳しい対応を迫られるということはあるわけでございまして、それぞれ、一回の交渉でそれが何か前進したとか後退したとか、そういう表現をしていくということは必ずしも適切ではないということだと思いますが、とにかく一貫していますのは、四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結するというこの一貫した方針、これに基づいて今後とも交渉が続いていくということでございます。
横路委員 やはりそれはそうじゃないんですね。つまり、話をしてきて、歯舞、色丹については返還の条件の話をしようというわけでしょう。それから、国後、択捉については帰属の問題を話をしようというわけでしょう。四島を一つに議論するのではなくてそこを分けようというのは、ある意味では一歩前進でもあるんですよ、それは。
 例えば、ビザなし交流が始まって、私も、択捉も国後も色丹も行ってきました。向こうからも人が来る。行って必ず話が出るのは何かというと、日本に返った場合、我々はどうなるんだという質問なんですよ。色丹なんかは世論調査をやると八割ぐらいが返還賛成ですからね。今はどうなっているかわかりませんけれども、前はそうだったんですよ。そうすると、必ず、どうなるんだと。土地や住宅はどうなるんですか、学校の教育のときにロシア語は使えるんですか、そういったいろいろな問題が必ず出てくるわけですね。
 私は、そういうやりとりを聞きながら、領土返還というのは、やはりいろいろな段階を踏まなきゃだめだなと。段階というのは、例えば、日本の主権だということが決まっても、すぐ施政権も含めて全部やるということは、いきなりはやはり無理だ。そうすると、日本の領土だけれども、向こうの施政権も認めて、その中である程度何か準備をずっと進めていくというようなことも考えていかなきゃいけないな、そのためには、共同で活動する分野というのをできるだけ広げていった方がいい。
 さらに、四島全体、あるいはロシアの、サハリンを含めた極東地域の了解をしてもらえるためには、やはり北海道とか日本との相互関係、そういう非常に強い関係がなければ自分たちの地域の発展もないというような、経済を含めた関係をやはり強化していかなきゃいけないなということは、ロシアに行って向こうの人と話をすればだれもが感ずることなんですね。向こうもそれを非常に強く要望していた。
 ですから、私は当時、外務省にもただ単に主権を返せだけじゃなくて、住民から言われたときには、個人の立場だと言って、こういうことを言っていました。大体、この島は日本の人々が住んでいるときにソ連が不当、不法に入ってきて、住んでいる人に対して、国籍をロシアにするか、嫌なら出ていけといってみんな追い出されたんだ、だから、お墓だってみんなここにあるじゃないですか、墓参に我々来ていますよと。そんなことを私たちは皆さんにはしたくない、だから、それは十分日本政府も考えますよということを、そういうことを言われる住民の皆さんには話をしてきたんですね。
 そして、実際問題、これは返還して日本の主権になった、ロシアの人とも一緒に住むんだということになりますと、本当にいろいろな問題が起きてきます。整理しなきゃいけない問題も山ほどあります。私はそのとき、外務省には少しそういう準備もした方がいいですよということを申し上げたことがありますが、準備されているかどうかわかりません。だから、考えてみると、この領土問題というのはいろいろなことを考えなきゃいけない。その考える範囲というのは相当たくさんあるんですね、幅が広いんですね。したがって、今言った主権と施政権の問題、それから共同活動をどう広げていくかというような問題というのは、外務省もお考えになったと私は思うんですよ。
 先日、朝日新聞に、一九九七年の「領土問題解決の今後のオプション」という選択肢三つの記事が出ていました。あれは、あったというふうにお認めになることはなかなか難しいのかもしれませんけれども、ただ、あれを読んでみて、やはり私が今言ったような共通の問題意識に立って、そして具体的にどうしていくのかということを考えた選択肢なんだというように思いますよ。どれがいいとは言いませんけれども、やはりいろいろと皆さんで考えてこられた。そういう積み重ねの上に今日来て、そして二島については返還の条件、二島については帰属問題と来たのを、三月に何か白紙に戻してしまったのかどうしたのか、あれはなかったことにするというようなことをいきなりやられるわけですから、私は、一体どうなっているのかと。
 鈴木宗男代議士絡みのことは、もうそれはそれでちゃんと今、これから司法が整理するわけですから整理して、しかし、この北方領土返還運動の方は、やはりしっかりした土台で積み重ねてきたものは生かして、その上に立って交渉というものはしていかなきゃいけないというように思います。
 幾つかお尋ねしましたけれども、お答えください。
川口国務大臣 幾つかのお尋ねがございましたので、ちょっとどういう順番に申し上げるか迷っておりますけれども、まず、委員がおっしゃった領土問題、これはそこに住んでいる人の、例えば不安、そういった問題についても、十分に注意を払って進めなければいけないというのは私はそのとおりだと思います。けさ方尾身大臣が北方四島からお帰りになられておっしゃった、あちらでお聞きになられたことの一つの感想の中にもそういうことを私は伺わせていただきました。
 これにつきまして、外務省としては、北方四島に居住するロシアの国民の人権、利益、そして希望、これを返還後も十分に尊重していくということは重要であると思います。四島への日本の主権が確認をされれば、実際の返還の時期、態様及び条件については柔軟に対応していくという考えでございます。
 それから、朝日新聞の記事についてのお話がございました。これは、まず、あの記事もいろいろなことが書いてありましたけれども、一つ、報道にあるようなペーパーあるいは三つの案、これを当時の橋本総理に提示をしたり説明をしたという事実はございません。
 ロシアとの平和条約の交渉につきましては、これは交渉中の案件でございますので、交渉に関しての部内の検討については、報道されているような出所不明の文書、これについてコメントをすることは一切差し控えさせていただきたいと思います。
 その上で、あえて一般論として申し上げるわけですけれども、これは交渉において、あるいはより一般的に政策を立案する過程で、部内でいろいろな理論的な可能性、あるいはアプローチの適否について検討していくというのは当然であると私は思います。ただ、いずれにしても、あそこにございますように、政府としての立場は四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結するというのは一貫した方針でございますので、ロシアに対していわゆる二島先行返還論ということを言ったことはないということでございます。
 そこで、今までの積み重ねが、三月の次官級協議で日本が並行協議を断念したということで報道されているけれどもそれは問題ではないかということですけれども、先ほど上海での小泉総理の会談でおおむね合意があったというふうに申しましたけれども、歯舞、色丹の引き渡しの態様の議論と国後、択捉の帰属の議論を同時かつ並行的に進めていくという協議の形式について、日ロ間で明確な形の合意があったというわけではありません。私どもにとって重要なことは議論の形式ではなくて内容であるということでして、三月の次官級協議において、我々からは、日本からは、歯舞、色丹の議論と国後、択捉の議論のそれぞれを提起したということでございます。
 したがいまして、平和条約の締結交渉そのものが後退をしたということでは考えておりません。
横路委員 そうすると、具体的に、歯舞、色丹については返還の条件を詰める交渉というのは行っていくということですか。四島一括でまた何か、前は即時一括返還ということのやりとりで終わっていたわけですね。それがだんだん、九三年以降、少しずつ積み重ねてきて、交渉が具体化してきた途端に、それが合意がお互いになかったというような発表になったわけでしょう、モスクワで。だから、それはちゃんとやるならやるということを明言してください。
川口国務大臣 北方四島に関する双方が関心を持つすべての問題について議論をしていこうということでございます。
横路委員 だから、すべての問題ということでやってきているんです、ずっと。しかし、九三年以降は、そこのところは二島の返還条件と二島の帰属問題というように整理されてきて、そしてどうするかという議論になっているわけです。ロシア側は、二島の返還については一応認めて、二島についての交渉も認めているわけですね。しかし、プラスアルファの二島のところがどうなるかということは、日本とロシアで意見がぶつかっているところでしょう。そこが交渉の焦点になっていくわけじゃないですか。しかし、お互いに合意されている事項については、やはり詰めることというのはあるわけですから、話をちゃんと詰めていっていただきたい。すべての問題を議論するというのは当たり前の話なんで、それではお答えになっていませんね。
 ですから、今までいろいろな表現をしてきましたけれども、問題がこういう形で絞り込まれてきたというのは事実ですよ。私も四島の帰属を解決して平和条約を締結すべきだと思いますよ。その四島の帰属の問題を解決してというのはいろいろな形が考えられますから、そこは双方が合意する方向を目指すということになるわけですね。ただ、積み重ねてきたのが何か三月になって白紙に戻ってしまったということはないんですね。つまり、去年の秋の小泉・プーチン会談の合意事項というのは生きて、そのことをベースにして交渉していくんですね、これは。
川口国務大臣 日本側としては、今まで積み重ねてきたすべてのことの上に立って、きっちりと交渉をしていくということでございます。
横路委員 もう時間がありませんので、最後に、ビザなし交流と人道支援問題についてちょっとお尋ねしたいと思うんです。
 人道支援問題も、あんな形になって、問題がたくさんありますから、そこはそれでしっかり整理してほしいと思うんです。しかし、これはなくしちゃうのがいいかどうかという問題もあるんですね。
 実は、北方四島からこんな要望を受けて、私、小泉さんが郵政大臣のときに話したことがあるんですけれども、例えば、天気予報やニュースをロシア語で流してほしいと。それから、日本語の講座を日本のテレビでやってくれないか。四島の人たちのテレビはよく映るんですよ、日本のテレビが。ですから、私は、NHKの第二放送でも使ってやったらどうですかという話を小泉さんが郵政大臣のときに申し上げたことがございます。
 結局、今、そういった面でのお互いの協力だとか共同活動とか、相互理解する分野をふやしていくべきなんですね。公共事業に手をつけたというのが間違いなんですよ。私は、だから、むしろ医療関係の協力とか、教育だとか、あるいは経済活動ですね。経済活動も四島において領土問題に触れないような形の、日本企業が行っての活動というのはなかなかこれは難しい問題がありますが、しかし、そういうことだって必要になってくると思うんですね。
 そこで、外務大臣からはこれからの支援委員会について、それから、尾身大臣、御苦労さまでございました、国後の方に行かれてこられて、向こうの住民とも対話されたということでございまして、私はこのビザなし交流というのはやはりいろいろな意味でいい役割を果たしているというように思いますので、この点についてのお答えをいただいて、私の質問を終わります。
川口国務大臣 支援委員会のことでございますけれども、これは、四月に専門部会の方が御検討いただいて、提言をいただいておりまして、私といたしましては、この支援委員会の事業の内容、北方四島への人道的支援、ロシアへの人道的支援、それから市場経済化への支援ということは必要だと思っておりますが、支援委員会は廃止すべきであると思っております。そして、新しい枠組みをつくることが必要だと思っています。
 ただ、その前に、これは国際協定でやっておりますので、ロシア側の了解を得るということが必要になってくるということです。
尾身国務大臣 四島との交流は今後ともできるだけしっかりとやって、お互いの理解を深めるということが、領土問題、領土の返還を実現するために大事であるというふうに考えております。
横路委員 終わります。
萩野委員長 次に、赤嶺政賢君。
赤嶺委員 日本共産党の赤嶺政賢でございます。
 尾身大臣も北方四島ビザなし交流から帰られた直後ではありますが、きょうは、その北方問題について、外務大臣に主に伺っていきたいと思います。
 今の人道支援事業で色丹島に贈られたはしけ、友好丸が、一度も使われないまま約七カ月間港に係留されているということですが、それは事実ですか。
齋藤政府参考人 お答えいたします。
 友好丸は、御指摘のとおり、現在、国後島古釜布に係留されておりまして、いまだ運航されるに至っておりません。これは、島側内部におきまして、友好丸の運航に必要な手続が完了していないためであるというふうに承知しております。
赤嶺委員 ここで言っている古釜布というのは、尾身大臣も行かれたところであるわけです。尾身大臣もごらんになりましたか。
尾身国務大臣 はしけそのものは見せていただきました。
赤嶺委員 そこを、島側の理由といってもよく意味がわからないんですが、一体どういう理由なんですか。
齋藤政府参考人 島側において必要な手続の詳細については私ども承知しておりませんけれども、一つ、聞くところによりますと、この運航を委託する先がなかなか見つかっていないという事情があるようには聞いております。
赤嶺委員 全く無責任な答弁だと思うんですよね。これは、つくられてから一年もたって、委託するところがなかなか見つからないということなんですが、この友好丸というのは、そもそも、鈴木宗男議員と外務省の疑惑の一番端緒になった事件であります。
 二月十三日の予算委員会で、我が党の佐々木憲昭議員がムネオハウスと一緒に取り上げたものですが、これは、そのときということじゃなくて、昨年六月に完成して進水式が行われていたにもかかわらず、根室造船につながれて引き渡されていないということを、私たちの党が根室に調査に行ったときに本当にたまたまそれを聞き及びまして、外務省に問いただして、こういう事件にまで発展をしてきたという問題の始まりであるわけですね。
 どこが問題であったかというと、やはり、この友好丸を建造するに当たって、ロシア側と調整もしないで建造をしていった。つくったけれども、ロシア側は定期便として使いたい、日本側ははしけとして使ってほしい、こういう最初の意思の疎通も全く行わないで、本来、そういう支援事業というのは使用目的あるいは使用方法も合意されていいはずですのに、それもしないで二億円近い予算をかけてつくった。つくった船が一年たってもまだ使われていない、一体これはどういうことだという問題になると思うんです。
 その根っこには、最初に造船ありき、船ありき、発注ありきで、この友好丸を、御承知のとおり、根室造船が入札資格もねじ曲げて入札に参加し、その根室造船は鈴木宗男氏の後援会の代表者であり、ということになっているわけですね。すべてが、人道支援の目的のためにこの船がつくられたのではなくて、最初に船ありき、最初に受注ありきで始まったのがこの友好丸の問題だと思います。
 外務省が手をかして、一年たっても使われていない。これは、外務省、非常に責任は重大だと思いますけれども、外務大臣、いかがですか。――外務省の大きな責任の問題ですから、外務大臣、答えてください。一年たっても使われていない問題。
齋藤政府参考人 友好丸の供与に当たりましては、色丹島の木造小型桟橋が非常に老朽化していたということとか、北方四島住民支援のときに必要となるはしけが色丹島になかったという事情を踏まえて供与したわけでございますが、御指摘のとおり、島側に引き渡すタイミングが島側の手続遅延のためにおくれたという事情がございましたし、また、先ほど来御説明申し上げていますように、運航に必要な手続がいまだ完了していないということは我々としても非常に残念に思っておりまして、島側に対して、当然この友好丸の管理の責任が基本的にあるわけでございますので、我々としても、情報収集するとともに、できるだけ早く手続が完了して運航できるようにということを督促してきているところでございます。
赤嶺委員 これもあきれた答弁ですよ。こういう感覚で、この問題、どこにこの問題の発端があったか、そして今その友好丸というのは日本の政治にどんな問題を提起しているかというところにメスを入れないで、島側の理由で引き渡しがおくれました、引き渡したら島側の理由でまだ使われていません、こんなことでいいんですか。
 定期便として使いたいという島側の希望、あるいははしけとしてしか使わせないという日本側の問題、それが全く事前に合意もしないまま、造船、船ありき、発注ありき、みずからの、政治家の後援会に発注し、こういう経過を招いているということは重大じゃないですか。外務省はそういう責任を全く感じないんですか。
川口国務大臣 これは、委員がおっしゃられますように、そもそも国民の税金を使ってこれをつくっているわけですから、それが一年遊んでいるような状態になり得ることを最初に認識していない、それでこのはしけをつくるということは、私は大きな問題があると思います。
 それで、今、そういう状況になっていて島側の手続が進んでいないということですけれども、こういった状態でこのままずうっといくということは、これは非常に問題があると思っておりますので、できるだけ早くもう一度島側と話をするようなことを督促したいと私は思います。
赤嶺委員 私、今の外務大臣の答弁でも、責任の認識が非常に浅いと思います。
 そこで、会計検査院がきょうお見えだと思うんですが、二億円という国民の税金を使って、そしていまだにその友好丸は使用されていないという問題があるわけですね。それで、ODAと同じように、やはり相手側、島側の協力も得ながら現地で検査をする。もちろん、北方支援事業が会計検査の対象外であることはよくわかるわけですが、しかし、ここまで問題が明らかになっている以上、会計検査院としても現地の協力も得て検査をすべきだと思いますが、この点はいかがですか。
石野会計検査院当局者 今お話しの点以外にも、支援委員会につきましてはさまざまな問題点が指摘されているところでございまして、会計検査院としましても、現在、外務本省に対しまして検査を行っているところでございます。
 今、友好丸の御指摘がございましたけれども、この点につきましても、外務省の検査を十分に行った上で、その結果によりまして、その当否の判断あるいは現地調査の有無も含めまして判断していきたいと考えております。
赤嶺委員 現地調査も含めて検討したいということでいいのですね。
石野会計検査院当局者 まずは外務本省に対する検査を十分やるということで、その上で必要性があるかどうかということを判断したいというふうに思っております。
赤嶺委員 事柄は、私たちは北方四島の旧島民から、墓参に行くときの船が学校の訓練船でベッドが大変狭くてお年寄りにとっては非常にきつい、だから墓参に安心して行ける船が欲しいという要望もこれまでたびたび受けてまいりました。しかし、それは一向に改善されないで、本当に訓練船を利用しているという以外にないのです。これは尾身大臣のところの所管であるわけですが、別に質問ではないのですが。一方で、二億円というこんなむだ遣いが行われているということは、国民的に絶対に許せないと思いますよ。許しがたい話だと思いますよ。こういう点で、私は外務省の責任はもっと深刻で重大だということを指摘して、次に日ロの交流事業、これについて聞きたいと思います。
 交流事業は三つもあるわけですね。支援委員会の北方四島交流、それから二つ目は対ロシア技術支援による交流事業、三つ目は日露青年交流委員会の交流事業。三つの交流を合計すると、招聘した者が八千五百五十九人、派遣した者六千百二十三人、約百三十億円の莫大な予算をこれまで使ってきているわけです。
 ところで、青年交流について具体的に聞きたいと思います。
 実は、ロシアから日本に招聘されてきた訪問日程プログラム、外務省からなかなか資料として出してもらえませんでしたけれども、きょう初めて手にいたしました。これを見て大変驚きました。これは、日本紹介クイズ優勝者の日本との交流ということになっています。二〇〇〇年の七月三十一日から八月九日までの日程なんですね。
 これを見ますと、日程で、着いた翌朝、午前中の一番最初に、鈴木自民党総務局長表敬、こういうのがあるんですね。着いた翌朝、すぐに自民党の総務局長のところ、鈴木局長のところを表敬する、こんな日程。これは何ですかね。どういうことですか。
齋藤政府参考人 今御指摘のグループでございますが、確かに七月三十一日に稚内に到着いたしまして、午後、東京に移動しまして、一日、翌日、鈴木自民党総務局長を表敬しております。また、翌二日、自民党総務局長主催の懇親会が行われております。
 これは、鈴木議員は、この青年交流でロシアから来日いたしますグループの方々にできるだけ会いたいという希望をかねてから持っておられまして、そういったこともございまして、来日するグループの多くの人たちに、表敬を受けられたり設宴をされたりということが行われていたということでございます。
赤嶺委員 そうすると、これは外務省が鈴木議員の意を受けて積極的に決めた日程だというぐあいに理解してよろしいのですね。
齋藤政府参考人 日程の大枠は外務省の方で決めまして、詳細は交流センター事務局の方で調整する、こういうのがおおむねのパターンであったというふうに理解しております。
赤嶺委員 日程の大枠は外務省で決めた、これは外務委員会でも、この日程は外務省の方で決めた日程という我が党の松本善明議員への答弁があります。
 私は、こんなこと、言語道断だと思いますよ。外務大臣のところへの表敬を外務省が組むならともかく、鈴木議員は自民党の総務局長、ここに外務省が外務省ぐるみで日程を組んでいく。これだけじゃありませんで、全体の交流の中で四十四回そういうことがあったというのも今までの答弁でいただいています。言語道断だと思いますけれども、今後もそういう方向で外務省としては支援交流をやっていくという、間違っていることだという認識はありますか、大臣。
川口国務大臣 私は、二重の意味でおかしいと思っておりまして、一つは、もちろん、国会議員の方がこの日ロの交流についてどういうふうに考えているかといったようなことについて、来た若い人たちが話を聞く、これは私はいいと思うんですね。ただ、それはずっと一人の人だけに限定されることはないだろうと思います。
 それからもう一つ、やはり仕事の仕方として私はおかしいと思うのは、これは交流委員会と事務局があるわけでして、外務省が実質的にそういうことをやるというのは、外務省はむしろ監督官庁ですから、ちゃんと事務局がそういう仕事はやるべきであったと私は思います。
赤嶺委員 そこで、もうちょっとこのプログラムにかかわって伺いたいのですが、これは全体が出ていませんので、出てきた資料だけに基づいてお話をするわけですが、私たちが提出を求めた資料の中で、交流委員会との食事会とか歓迎会とかも鈴木議員はたくさんやっていらっしゃるわけですが、その中で、九九年八月二十三日の鈴木議員による歓迎会、費用十三万一千二百五十円、十九人分、一人約六千円の費用です。九九年十月十三日、同じように鈴木議員による歓迎宴、一万二千十二円、これは一部負担です。三つ目に、九九年十一月二十九日、鈴木議員主催の昼食会、費用二十一万五千四百二十四円、一人約四千三百円の費用となります。
 これは交流委員会が負担をしているわけですけれども、この鈴木議員による歓迎会が行われた場所、これはどこですか。
齋藤政府参考人 まず、九九年の八月二十三日でございますが、これは花紋というところのようでございます。それから……(赤嶺委員「どこにありますか、場所ですから」と呼ぶ)赤坂のようでございます。それから、同じく九九年の十月十三日でございますが、これは赤坂の京城苑というところでございます。それから、十一月二十九日でございますが、これは自民党本部でのお弁当であったというふうに聞いております。
赤嶺委員 ここでも先ほどと同じような疑問がわくんですが、なぜ鈴木議員による歓迎宴なのか。そして、鈴木議員主催の昼食会でありながら、三件合わせて約三十六万円というのは国の税金であります。鈴木議員のお金ではありません。交流事業が鈴木議員に私物化されているということは明らかであるわけですが、さらに重大なのは、一体となってその後押しを外務省がしているという点です。
 そこで、きょう、本当にこの委員会が始まる三十分ぐらい前にどたばたと新しい資料が出てまいりました。その資料の中でも、鈴木議員が主催する宴会等があります。これについての場所、費用について明らかにしていただきたい。
 それから、その日程を見ていますと、この日程の中には、これは、鈴木自民党総務局長というところなんですが、一九九九年の十一月二十五日から十二月六日までの日程の中の十二月四日には、佐藤主任分析官主催夕食会、こういう日程が入っているんですね。同じように、十二月の五日も佐藤主任分析官主催夕食会というのがあるわけです。
 始まる前に急に渡されて、まだ全体を詳しく見るゆとりはないんですが、ただ、何でここで佐藤主任分析官主催の夕食会が行われているのか、これは予算はどこから出ているのか、場所はどこなのか、これらについて答えていただきたいと思います。
齋藤政府参考人 確かに、十二月四日の夕食と十二月五日の夕食が佐藤当時主任分析官主催で行われていたというのが、私も日程を見て、あるわけでございますが、二日続けてこういう形で主催したということが適当であったのかどうかという気はいたしますけれども、ちょっと今手持ちの資料ではどこで行われたかということがわかりませんので、調べられれば調べた上で、また御報告させていただきたいと思います。
赤嶺委員 どこでそれが持たれたのか、そして費用はどこが負担したのか、そういうところまで、先ほどのまだ明らかになっていない鈴木宗男氏のことも含めて、きちんと調査をして資料を提出するというお約束ができますか。
齋藤政府参考人 資料につきまして、具体的にどういう資料というふうに御説明いただければ我々としても対応しやすいと思いますので、どこまでの資料をということを御指摘いただければありがたいと思います。
赤嶺委員 資料については、これまでずっと我が党は一貫して求めてきて、質問を前にしても皆さんがなかなか出してくれないという、本当に問題があります。今回のものについては、佐藤主任分析官については、あきれた話ですけれども、逮捕された人がそういう日ロ支援交流で主催して夕食会も開いていたということ自身が語るに落ちるという話なんですが、場所と費用、このことについて、お金をだれが負担したか、どこが負担したかということをしっかり出していただきたいと思います。
 時間がありませんので、もうちょっといきますが、日露青年交流センターが発行したパンフレットというものをいただきました。外務大臣もお持ちだと思います。このパンフレットの一番最初に、小渕総理がおられまして、その下に鈴木宗男さんの写真があるわけですね。
 このことを外務委員会で我が党の松本議員が、なぜ鈴木さんの写真がここにあるのかと聞いたら、政府の役職についている方だから問題ないと思いますという外務大臣のそのときの答弁がありますが、このパンフレットは、実は鈴木議員が役職をおりてから後作成されたパンフレットなんですね。それでも問題はないという御認識ですか、外務大臣は。
川口国務大臣 このパンフレットの準備がいつごろなされていたのかということについて私はよくわかりませんので。ということでございますけれども、いろいろな過去の経緯あるいは過去の活動状況等を紹介するという形でパンフレットができるというのはないわけではないと思います。
赤嶺委員 それでは、一連の経過の中で、これらのパンフレットに鈴木議員が載っているということは、外務省としては、問題ないことだ、あり得ることだというぐあいの御認識ですか。
齋藤政府参考人 表紙に十五枚の写真がございまして、日ロ双方の参加者が交流している様子を写しているわけでございますが、その中に、小渕元総理、この日露青年交流委員会が設立されたときの総理大臣であられました小渕元総理と、それからそのとき官房副長官であった鈴木議員が写っている写真がそれぞれ一枚入っているということでございます。
 鈴木議員の写真の掲載について同議員から具体的に働きかけがあったというふうには聞いておりませんけれども、こういうところに、パンフレットとして載せる写真としてどういう写真がいいかということは、今後作成する場合には、いろいろ慎重に検討した上で考えた方がいいかというふうに思っております。
赤嶺委員 これも、こんな態度をとるのであれば、もう外務省改革ということは口にしないでほしいと思いますよ。
 このパンフレット全体は、まだまだ問題があるんです。
 パンフレットの十八ページには、日本のお相撲さんの紹介が出ています。普通、お相撲さん、日ロの交流となると、私らがファンであるかどうかは別にして、当時でいえばやはり正横綱貴乃花がありますが、これはどういうわけか八角部屋の北勝海になっています。何でそうなのか。
 それから次の、赤坂のお店の紹介がこのパンフレットの二十四ページにあります。私、赤坂にはお店がたくさんあると思います。しかし、紹介されているのは、ステーキ屋さんで「大友」という店、それからバーが「和」というバーなんです。詳しくは知りませんが、赤坂にはバーも本当にたくさんあると思いますよ、千軒以上。その中から何でバーは「和」でステーキ店が「大友」なのか。この一軒しか載っていないんですよ。これは何でですか。
 表紙は鈴木さんの表紙、相撲は八角部屋、そしてバーを紹介したら「和」、ステーキ屋を紹介したら「大友」、ここしか載っていない。これは何ですか。どういうことですか。大臣、答えてください。
川口国務大臣 このパンフレットは、聞きましたら、青年交流協会自体がつくったパンフレットであるそうでございまして、私は、外務省がこういった団体がつくるパンフレットの表紙あるいは中身まで一々口を出していると思いませんけれども、いずれにしても、これも、報告書に書かれていた、社会通念としては異例なほど気を使った、協会が気を使い過ぎた例ではないかと思います。
赤嶺委員 もう時間ですので終わりますけれども、私、聞いていて、一つ一つ突っ込んで聞いていかないとこの問題についてのきちんとした見解が出されない外務省、日本の一国の外交がこんな形で一人の政治家によってゆがめられていることを反省もできない外務省というのがここに出ていると思います。
 そういうことを厳しく指摘して、私の質問を終わりたいと思います。
萩野委員長 次に、東門美津子さん。
東門委員 私は、沖縄問題に関して御質問いたします。
 沖縄は本土復帰から三十年たちました。三十年というと、復帰の年に生まれた子供たちが三十歳、人でいうならもう本当にしっかりとひとり立ちをしているときだと思います。これから明るい未来、さらに大きく広がっていく未来に向かってまさに羽ばたき始めているところだと思うんですが、そういう中で沖縄が迎える三十周年、ちょっとまだまだ晴れやかな気分で迎えられないということなんです。
 沖縄は、戦後二十七年間の異民族支配のもとから祖国への復帰を熱望して、長い、苦しい闘争の後やっと実現しました本土復帰。それは、沖縄戦での多大な犠牲、そしてそれに続く長年の米軍統治下での無権利、無憲法状態の生活から、平和憲法のもとへの復帰を望んだ沖縄県民の姿がそこにありました。しかし、いまだに憲法が保障する平和的生存権が脅かされているという現状です。
 この三十年間、国は、確かに社会資本整備の面では大きな前進があるほどいろいろな施策を行っていただいたと思っております。しかし、沖縄県民が本当に復帰前から今日まで掲げている基地のない平和な沖縄、その実現の熱い思いにこたえるためにどのような対応をこの三十年間してこられたのか、まず尾身大臣に伺いたいと思います。
尾身国務大臣 沖縄基地の存在は、我が国のみならず、アジア太平洋地域の平和と安全に大きく寄与している、そういうことは事実だと思います。ただしかし、その中で、在日米軍基地の七五%が〇・五%の面積の比率しかございません沖縄に存在しているということによりまして、多くの負担を沖縄の県民の皆様にかけている、これもまた事実でございまして、私どもは、そういうことに対しまして、SACO最終合意に従って米軍基地の整理、縮小、統合を着実に進めていくということを現在やっているところでございます。
東門委員 SACOの最終報告、それはよく存じておりますが、私は、この三十年間、復帰後これまで、沖縄の基地の整理縮小、そして本当に多発する事件、事故を削減するためにどのような対応をなさってこられたのかということを伺っておりまして、SACOだけではないと私は思います。
 これまで、沖縄の基地の現状が、どれくらい減らされて、事件、事故がどれくらい減らされているか、本当にそういうことを伺いたい。国がどのような政策を持って対応してこられたか、それを伺いたいと思うんですが、これは外務大臣、いかがでしょうか。
川口国務大臣 沖縄の復帰後三十年という時間の長さの重さというのは、私はこの前沖縄に三十周年記念で伺いましてしみじみと改めて思いました。
 通貨の切りかえ、あるいは道路を走る車の方向が右から左に移る、そういったプロセスを経て、沖縄の方のさまざまな御努力もあってここまで来たということでございます。その過程で、先ほど尾身大臣がおっしゃいましたけれども、沖縄に基地が集中をしているということからさまざまな問題がずっとあって、これを一つ一ついろいろな形で、沖縄と米軍とそれから外務省、あるいは日本政府と申し上げた方がいいと思いますが、あるいは県との間での話し合いを経て今日の状態になってきているわけですけれども、この間の沖縄の県民の方が感じてこられた負担というのも、この前改めて私は思いました。
 それから、三十年の間に日本政府の沖縄振興への試みというのもあったわけでして、この間新しい法律が通りましたけれども、そういった努力も片方でなされてきていると思います。
 それで、沖縄県の県民の方の基地の問題からくる負担、これをどのように減らしてくる試みがあったかということですけれども、さっき尾身大臣がおっしゃった、SACOの最終報告、これをきちんとやっていくということが、今まさに政府が努力をしているということでございますし、その前の段階でもさまざまな努力がなされてきた。その一例を挙げれば、その前の段階で、沖縄の基地の面積というのも、例えば七二年から二〇〇二年までの三十年で一六%減った。SACOの段階、これが最終的になされた段階で現在より二一%ということでございますけれども、そういったこともあったと思います。
 いずれにしても、今引き続きいろいろな問題が、最近でいいますと、事故の問題というのが起こっていますし、これは航空機の落下事故等が起こっていますし、それからその前、さまざまな、特に集中して起こっているということがあるわけですけれども、そういった一つ一つの問題について真摯にこれに取り組んで解決をしていくという必要があると思います。
東門委員 外務大臣、たくさん述べていただきましたけれども、私の質問にはお答えになっていないなと思います。
 本当に国として沖縄の基地そのものをどのように削減するかとか、今一六%とありましたけれども、本土でどれぐらい減ったか御存じですか。そういうのもあるんですよ。沖縄は一六%減らしました、じゃ、本土はどうだったんでしょうかということもぜひお考えいただきたいと思うんです。事件、事故だって今でもどんどん起こっている。
 そういう状況で、沖縄県民が、平和憲法のもとへ帰りたい、その熱い思いで頑張ってきた、そしてもちろんいろいろな方の御尽力もあって復帰は実現したわけですが、それが今でもほとんど変わらない状況にある。いわゆる平和憲法のもとに本当に戻ったんだろうかと思わせるような現実の中にいるということですね。それに対して政府は、これまでどのように対応されてきて、これからどのようにしていかれるかということを伺いたかったのですが、もうそれで時間をとられますと、同じような答えが返ってくるようですから、一応きょうはこれで終わります。
 尾身大臣に伺います。
 四月一日スタートしました沖縄振興特別措置法ですが、その一条で、沖縄の置かれた特殊事情にかんがみ、沖縄の振興の基本となる沖縄振興計画を策定し、及びこれに基づく事業を推進する等特別の措置を講ずることにより、沖縄の総合的かつ計画的振興を図り、もって沖縄の自立的発展に資するとともに、沖縄の豊かな住民生活の実現に寄与することを目的とするとしています。
 沖縄の置かれた特殊事情にかんがみて、計画的に豊かな住民生活の実現を目指すのであれば、現在策定中の沖縄振興計画において、本委員会でも振興新法に附帯決議として採択されました日米地位協定の改定をぜひ明確に位置づけていただきたいと思いますが、御見解を賜りたいと思います。
尾身国務大臣 この沖縄振興計画のもとになりました特別措置法につきましては、沖縄について他の地域にない特別措置を講ずる根拠として、沖縄の戦中戦後の歴史、また遠隔地にある離島県であるということ、及び米軍の施設・区域が沖縄県に集中しているということ等、そういう特殊事情を総合的に勘案して振興計画をつくるということを特別措置法で決めているところでございまして、現在沖縄県がその原案を策定中でございまして、その原案が出てまいりました段階で、政府が沖縄振興審議会の意見を聞いて、政府の決定としてこの振興計画を決める、こういうことになっております。
 そういう中におきまして、地位協定の問題につきましては、かねがね申し上げておりますとおり、運用の改善でしっかりとやる、そしてまた、それが難しいような場合には、相手もあることでございますけれども、その改定も視野に入れるというのが私どもの考え方でございまして、そういう考え方に基づいて誠心誠意しっかりやってまいりたいと考えている次第でございます。
 そういう内容をどう振興計画に入れ込むかということにつきましては、振興計画という計画の事柄の性格上、その内容として入れるものが適当なものと、それからそうでない扱いにするものとがあるわけでございまして、その辺を踏まえながら対応してまいりたいと考えている次第でございます。
東門委員 確かに、政府側の答弁は常に日米地位協定に関しては運用の改善というふうに出てくるんですけれども、運用の改善はもう限界だ、これではどうしようもならないんだということが、沖縄県民、既にみんな思っております。
 それは、大臣お二人とも多分もう御存じだと思いますが、今月十二日、朝日新聞が沖縄タイムスと共同で発表した世論調査によりますと、日米地位協定について改定が必要と答えた人が全国、そして沖縄ともに九〇%に達しているんですよ。九割に達しているんですね。ですから、もはや地位協定の改定は沖縄県民のみではない、それを求めているのは沖縄県民のみならず、国民全体の総意と言っても過言ではないというところに来ていると思います。
 常に運用の改善に努めると言っておりますけれども、本当に運用の改善でよいとした回答は全国でも五%にすぎないんです。ですから、政府の立場は国民の理解を得られていないと言えると私は思うんです。やはり国民は、日米地位協定がいかに不平等であるかということをよく知っている。ですから、やはりそれは改定すべきだという意思がしっかりあらわれたことだと思うんです。沖縄県だけであれば、まだ私はここで大きな声を出さないかもしれません。しかし、これは全国の皆さんのアンケートから出たということをぜひわかっていただきたいと思うんです。
 運用の改善、それは私たちよく知っております。それではもうだめなんです。やはり地位協定は踏み込んで改定する以外はないと思います。それが、私、一番最初に質問しましたけれども、本当に、沖縄県民のために沖縄県民のためにと言うけれども、沖縄県民が本土復帰、祖国復帰を願ったその思い、それに対応するためにも、私はやはりここで見せていただきたいと思うんですね。政府として、地位協定の改定には一歩踏み出す、アメリカ側と交渉していくということをしていただきたいと思います。
 大臣、川口大臣はこういうお話をすると相手があるからといつもおっしゃいますけれども、三月の十八日、日本記者クラブにおいて川口外交のキーワードが発表されたようですが、言うべきことは言い、やるべきことはやるという強さを前に出しておられるわけですから、ぜひそれはやっていただきたいと思いますが、いかがでしょうか。
川口国務大臣 これは繰り返しになりますけれども、東門委員がもう既に御存じのように、政府のこの問題に対しての今の立場というのは、先ほど尾身大臣がおっしゃったとおりでございまして、日米地位協定については、その時々の問題について運用の改善により機敏に対応していくということが合理的であるという考え方のもとで、運用の改善に努力をするということでございまして、これが十分に効果的でない場合には、我が国だけで決定できる問題ではないけれども、協定の改正も視野に入れていくことになる、そういうことでございます。
東門委員 四月に続発しました米軍機事故、その米軍機事故の再発防止策を協議するために、五月十四日に沖縄県、在沖米軍、外務省沖縄事務所のトップによる三者会議が開かれたということを私は前の外務委員会でも申し上げました。その会議の成果について、橋本沖縄大使からはどのような報告がありましたか。たしか大臣は、電報がございましたという答弁があったと思います。どのような内容だったのか、お聞かせください。
川口国務大臣 これにつきましては、報告が橋本大使からございました。
 これにおきまして、橋本大使からは、一連の事故の発生を遺憾として、米軍側が原因究明について徹底した再発防止策をとるということについて橋本大使は改めて述べたということでございまして、このような意思の疎通は重要であるということ、それから地元と米軍と政府関係機関の間の意思疎通が大事だというようなことを大使から述べた。
 それから、稲嶺知事よりは、一連の米軍航空機事故に関する県民の感情について言及を知事がなさった上で、米軍関係者による航空機の安全運航についての意識、軍全体としての綱紀の維持、粛正の徹底、事故があった場合の連絡等について要請があったということでございまして、これに対してラーセン四軍調整官代理よりは、最近の一連の航空機事故に関する政府及び地元の懸念については承知しているということを言った上で、嘉手納飛行場及び普天間飛行場で行った説明会について述べて、航空機の運航の安全確保、通報についての米側の努力についての説明があったということを聞きました。
 それで、出席者間で今回の会合を通じて三つのことが確認をされたということで、一つは、今回の一連の米軍の航空機事故についての問題が県民に不安や懸念を感じさせているという認識を共有したということ。それから二番目に、再発防止のための最善の方策は、個々の問題について徹底した原因究明を行うことである、及びこれに基づいて効果的な対策を行うということである。三番目に、問題が発生した場合には、日米合同委員会で合意されている事件、事故に関する既存の通報体制及び現地レベルの好意的通報の枠組みを効果的に活用して県民の不安や懸念を軽減する、そのための積極的な協力を行うように誠実な努力を行うということが確認されたというふうに報告を受けております。
東門委員 かなり長い御答弁でしたけれども、私がお聞きしたのは、橋本沖縄大使からはどのような報告がありましたかと。今のは全部橋本大使からの報告ですか。この今回の三者会議の報告ですか。わかりました。
 その会議なんですが、F15戦闘機の風防ガラス落下事故の原因公開について、米軍は公開できないと言っているんです。軍が設置した安全調査委員会の調査結果は、米国国内法を根拠に非公開と言い切っております。橋本大使は、日米地位協定の解釈を本省に聞いてみないといけないと、公開要求にも腰の引けた慎重な姿勢を示したというふうに報道されておりますし、手元に沖縄事務所から来ているメモもございますけれども、そういう点で、では、今回の事故との関連で地位協定の解釈はどのようにされているのか、伺いたいと思います。
藤崎政府参考人 お答え申し上げます。
 今御質問の地位協定との関係でございますけれども、これは地位協定に直接規定があるということではございませんで、地位協定のもとで設置されております合同委員会の合意に基づきまして、事故等がございました際、米側と日本側の間において、航空機事故等につきまして報告を受けてこれを公表するというふうな合意を行ったというところでございます。
東門委員 そうしますと、今回の事故、米軍は事故ではないと言っているわけですが、この間大臣は、空から物が落ちてくる、これは事故だという御答弁がございました。私たちは事故と呼んでおりますが、この件に関しては、通報体制がしっかりとルールで決められているようにとられて、そして、事故の原因、そういうものも公開されるんでしょうか。原因が究明されて、そして公表されるのでしょうか。合同委員会の合意に基づいてとおっしゃった。
藤崎政府参考人 先般、大臣から御答弁申し上げましたように、私ども、この一連の航空機の事故について、まさに今委員が言われたとおり、事故だというふうに私どもとしては認識しておりますし、可能な限り、この原因究明、再発防止ということが図られまして、米側においてどういう原因究明が行われたのか、また再発防止策がとられたのかについて報告を受けまして、これについて発表していきたいと思っておりますが、これは米側と今後話し合っていくべきことでございますので、現在、この時点におきまして、どれをいつどういうふうにできるかということを申し上げることはちょっと差し控えたいと思います。
 しかし、私どもとしては、可能な限り努力してまいりたい、委員と同じ考えでございます。
東門委員 局長、今回私は初めて知りました。局長は、もちろん担当ですからもう既に御存じだったと思うんですが、事故の基準ですか、Aランク、Bランク、Cランクというのがあって、これじゃないと事故とは認められないというのが、米軍側から国内法の基準が今度示されたわけですが、それは、沖縄県だとかあるいは航空基地を抱えている県の担当の皆さんは御存じだったのでしょうか。外務省としては、それはもう既に報告をしてありましたか、それとも全然知らない状況に置いていたのでしょうか、ちょっとお伺いしたいと思います。
藤崎政府参考人 米側内におきまして、今委員が御指摘のような一定の基準ということを、これは法律ではないと思いますけれども、米側の内部規則で設けているといったような説明があったことは承知しております。
 他方、これはあくまでも米側内部の話でございまして、私どもといたしましては、かかる事故につきましては、住民の方々の御不安が生じないように、可能な限り、原因究明かつ再発防止策がとられ、これについて御説明できるようにしていきたいというふうに考えております。
東門委員 局長、私は一点だけ、局長はその件は御存じだったんですか、そしてそれをその関係する県にはもう伝えてありましたかという質問なんです。そういうアメリカ側の対応です。
藤崎政府参考人 私ども、米側の内部の手続につきまして、一々詳細を承知しているわけではございません。
東門委員 そうすると、やはりこういうものも含めて、地位協定の改定は私は一歩踏み込んで検討し始めるべきだと思います。
 質問を変えます。時間がありませんので急ぎますけれども、現在、横須賀刑務所には約二十人の米軍人軍属が収容されているということですが、米軍人軍属の受刑者の待遇、それが日本人や他の外国人受刑者とは異なるとの報道を見て、私は驚きました。つい先日です。もう四十二年間も行われているようですので、私の不勉強が出てきたというところだと思うんですが、ただし、同じ米国人ではあってもシビリアンは特別待遇の対象にはならないということですね。
 その待遇の違い、改善というのか近づけられてきたというのか、そういうことで幾らか変わってきた部分もあるんですが、食事の面では優遇されているそうです。刑務所で通常は食料の差し入れは認めていないけれども、米兵らには軍からの補充食料、差し入れを認めて、それらを使った別献立の食事を出しているということですが、なぜそうなったのか。米軍人軍属の受刑者を優遇する法的根拠は何ですか、それをお聞かせいただきたいと思います。
藤崎政府参考人 今、委員から御指摘の横須賀の拘置所におきます米軍人軍属の受刑者についての処遇ということでございますが、この米軍人軍属の受刑者の処遇に関しまして、一つ一つの措置についていかなる経緯があったかということを私どもも承知していないわけでございます。
 これは、外務省といたしましても、この受刑者の処遇について責任を持ってお答えする立場にはございませんけれども、他方、日米両国間で、軍の関係者を拘束いたしました場合には習慣等の相違に考慮を払うという趣旨は、既に合意をしていることは事実でございます。
 私どもといたしましては、米軍関係者等、これまで置かれておりました立場にもかんがみまして、過去におきましてかかる考慮を払ったということは事実でございますし、現在においてもこれが妥当しているということであろうと存じます。
東門委員 米軍人がかなり優遇されているという一例だと思うのですが、こういうような米軍への特典というんでしょうか、もともと地位協定には盛り込まれていなくても、日米合同委員会が合意をしたとか、あるいは思いやり予算と呼ばれる特別協定、このように後から米軍に有利になるような措置が講じられたケース、これもその一つだと思うんですけれども、そういうケースはほかにもありますか。地位協定があって、それ以外に葉っぱを出して枝を出していった、そういうのがあるのかどうか、お聞かせいただきたいと思います。
藤崎政府参考人 私、委員の御質問の枝葉っぱの趣旨を必ずしも十分理解しているかどうか存じませんが、もちろん地位協定からいろいろ合意いたすわけでございますから、場合によって、米側の要求に応じて合意をすることもございますし、日本側の要求に応じて合意をする場合もあるわけでございます。
 いずれも、地位協定そのものがどうということではございません。地位協定をベースにして、何が望ましいかということで双方で合意をしていくというのが仕組みでございます。
東門委員 地位協定をベースにして、そして米軍側に有利なことが日米合同委員会で合意されていくというケースだと思うんです。
 先ほどの受刑者への補充食料の差し入れというんでしょうか、それも、何か日米合同委員会で一九五三年に合意されたというふうに聞いているんですね。もちろんこれは地位協定の前の行政協定であろうかとは思いますが、常にそういう形で動いているのかな、そうすると日米地位協定というのはいつまでたっても改定できない、それが政府の姿勢なのかなということで私は伺ったんです。特別協定も同じです。思いやり予算もそうでした。最初はそこから出て、いつの間にか特別協定という形で出てきた、そういうことで伺っているんです。
藤崎政府参考人 繰り返しになりまして恐縮でございますが、地位協定をベースにいたしまして各種合意をしているわけでございますが、例えば、これは委員も十分御承知のとおりでございますが、在日米軍に係る事件・事故通報体制の整備に関する合同委員会合意あるいは低空飛行訓練に関する具体的措置の公表、緊急車両等の立ち入りについての合同委員会合意、あるいはさらに、SACO関連で九項目ございます。こういう合同委員会合意、さらに、さかのぼりますと平成七年十月の刑事裁判手続に関する合同委員会合意といったものにつきましては、これは御案内のとおりでございますが、我が方からの要求に応じて合意をしているものでございまして、委員がよく御承知のとおりでございます。
東門委員 今の、たくさん反論したいことはありますけれども、時間ですから終わりますが、地位協定の改定につきましては、外務省、沖縄担当大臣にもぜひ考慮していただきたいとお願いをして、私の質問を終わります。
 ありがとうございました。
萩野委員長 次回は、来る六月四日火曜日午後四時五十分理事会、午後五時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。
    午後六時三十一分散会


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