衆議院

メインへスキップ



第11号 平成14年7月11日(木曜日)

会議録本文へ
平成十四年七月十一日(木曜日)
    午前九時開議
 出席委員
   委員長 萩野 浩基君
   理事 金田 英行君 理事 西野あきら君
   理事 松岡 利勝君 理事 吉川 貴盛君
   理事 荒井  聰君 理事 武正 公一君
   理事 白保 台一君 理事 一川 保夫君
      岩倉 博文君    倉田 雅年君
      仲村 正治君    林 省之介君
      福井  照君    吉野 正芳君
      渡辺 具能君    金田 誠一君
      楢崎 欣弥君    原口 一博君
      横路 孝弘君    丸谷 佳織君
      赤嶺 政賢君    東門美津子君
      山内 惠子君
    …………………………………
   参考人
   (東京大学名誉教授)   和田 春樹君
   参考人
   (根室市長)       藤原  弘君
   参考人
   (社団法人千島歯舞諸島居
   住者連盟理事長)     小泉 敏夫君
   衆議院調査局第一特別調査
   室長           小倉 敏正君
    ―――――――――――――
委員の異動
七月十一日
 辞任         補欠選任
  東門美津子君     山内 惠子君
同日
 辞任         補欠選任
  山内 惠子君     東門美津子君
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 参考人出頭要求に関する件
 北方問題に関する件


このページのトップに戻る

     ――――◇―――――
萩野委員長 これより会議を開きます。
 北方問題に関する件について調査を進めます。
 この際、参考人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。
 本件調査のため、本日、参考人として東京大学名誉教授和田春樹君、根室市長藤原弘君及び社団法人千島歯舞諸島居住者連盟理事長小泉敏夫君の出席を求め、意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
萩野委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。
    ―――――――――――――
萩野委員長 この際、一言、参考人各位にごあいさつ申し上げます。
 本日は、天候も不順でございましたけれども、本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人各位におかれましては、北方問題につきまして、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。よろしくお願いいたします。
 次に、議事の順序について申し上げます。
 まず、和田参考人、藤原参考人、小泉参考人の順に、お一人十五分以内で御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑に対しお答えをいただきたいと存じます。
 なお、念のため申し上げますが、発言の際はその都度委員長の許可を得ることとなっております。また、参考人は委員に対して質疑をすることはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。
 それでは、和田参考人にお願いいたします。
和田参考人 本年三月に明るみに出ました鈴木宗男議員のスキャンダルは、国会での追及、外務省による調査が行われ、現在は司法当局の手によって捜査が進められております。対ロ支援における正しくないやり方がただされ、国民の理解と監督のもとにこの事業が進められるようになることが望まれます。
 しかし、この間の過程により、過去十五年間対ロ政策の中心に立っていた人々が逮捕ないしは追放と、否定的な評価の中に沈んでしまったことは、日ロ関係に少なからぬ混乱を与えたと言わざるを得ません。このようなときには、日ロ外交、領土交渉の進んできた基本線が何であったかをはっきりと認識することが必要です。私の考えるところのこの基本線についてお話しさせていただきます。
 日ロ間の領土問題というのは、端的に申しますと、北方のアイヌの地であるクリル諸島とサハリン島に北と南から侵入しましたロシアと日本が、どのようにこれらの地を分割するかという問題でありました。
 日本とロシアは、当初は一対一の比率で分け合っておりました。しかし、日露戦争によって日本はクリル諸島に加えて南サハリンを獲得し、一・五対〇・五という比率に持ち込みました。これに対して、第二次大戦の末期の日ソ戦争で、ソ連は勝利者として、米英の支持を得て、日本の持っていたクリル諸島と南サハリンをとり、比率を〇対二としたのであります。日本はサンフランシスコ講和条約で、クリル諸島と南サハリンを放棄することを余儀なくされました。しかし、これでは余りにソ連はとり過ぎである、日本に少しは返すべきだというのが、いわゆる北方領土問題の外交的な本質だと思います。
 一九五五年から始まった日ソ交渉は、領土問題についての合意が得られず、領土問題を棚上げして国交を樹立することになりました。五六年に調印された日ソ共同宣言では、国交樹立後、平和条約の交渉を継続する、平和条約調印後にソ連は日本に歯舞、色丹島を引き渡すと約束することがうたわれました。
 日本政府の主張は、一九六一年に池田首相のもとで整理されました。択捉、国後島はクリル諸島に属さず、したがって日本はこれを一度も放棄したことはない、ソ連の四島占領は不法であるという主張になりました。これは冷戦の中で主張できる対決の論理です。
 他方、ソ連は、日米安保条約が改定された一九六〇年、歯舞、色丹の引き渡しには米軍の日本撤退という新条件が必要だと主張しました。これは二島引き渡しの約束の取り消しに等しいものであります。批准を経た国交樹立の条約的文書を公然と破るものであり、冷戦対決のきわみでありました。
 北方領土問題は、どれだけ旧島民の願いがそこに込められているにしても、冷戦時代は日米同盟を強めるために、解決できない問題であることで意味を持ったと言わざるを得ません。
 だが、ペレストロイカが始まり、冷戦が終わると、これは解決することが必要な問題に変わったのであります。となれば、論理もまた、対決の論理から対話の論理、説得可能な論理に変わらなければなりません。両国間の国交を開いた五六年共同宣言が交渉の基礎に置かれるのは当然であります。
 しかし、ゴルバチョフは、九一年に訪日した際には、四島の帰属について交渉することは認めましたが、ついに五六年宣言における二島返還の約束を再確認することをなし得ませんでした。つまりゼロ回答のままでありました。唯一の前進はビザなし交流を開いたことでした。
 ソ連解体後、後継ロシアの大統領となったエリツィンは、ゴルバチョフを超える意欲がありました。しかし、宮澤内閣の渡辺外相が、返還の時期は先でもいいから四島の主権を認めてほしいと迫ったのに対して反発を示し、対日強硬論の議会にも悩まされて、訪日をキャンセルするに至りました。ようやく九三年、議会に大砲を撃ち込んだ直後に訪日しました。ここで出されたのが東京宣言です。四島を対象とする平和条約交渉は再確認されましたが、五六年宣言については、これまで日ソ間で結ばれた文書を継承すると一般的に表明しただけであります。このときのエリツィンも、二島を渡すとは表明できませんでした。
 東京宣言は、歴史的・法的事実、両国間の諸文書、法と正義の原則という三原則に立って四島の帰属について交渉するとしています。そこで、この三原則で交渉すれば四島返還という結論になると考える見方がありますが、ロシアの側からすれば、とてもそうはならないわけであります。ですから、東京宣言が出た後、領土交渉は進展しませんでした。
 九三年にはビザなし交流も、日本側が九次、四島側が七次とかなりの規模に達しましたが、北の海では、九三年から九四年にかけては、日本漁船がソ連の警備艇の銃撃を繰り返し受け、険悪な雰囲気が醸成されました。
 この危機の中で、四島周辺での日本漁船の漁業に関する交渉が九五年三月に始まったことは、一つの突破口を開いたものであります。九四年十月の北海道東方沖地震による色丹島の被害に対して救援物資を送り、学校や診療所の建設を助けたことも、ロシア側島民の対日感情を好転させたと申せます。
 外務省の中でも変化が起こりました。九六年八月、東郷和彦氏が欧亜局審議官となり、ロシア課長篠田研次氏が重層的アプローチを打ち出しました。政経不可分の路線を最終的に放棄して、領土問題の解決とロシアとの協力関係の発展を結合せず、それぞれ進めていくという方針です。九五年から分析一課に配属された佐藤優氏も、新しい政策のために働いたように見えます。東郷氏は、四島周辺漁業交渉を加速させ、九七年七月に画期的な合意に至りました。その七月には、ロシア語スクールの代表的人物の一人、丹波實氏が、外務省のナンバースリーの審議官に任命され、新しいロシア政策を推進するチームの上に立ちました。
 丹波氏以下の外務省チームと通産省が協力して準備したのが、一九九七年七月二十四日の橋本首相の経済同友会演説です。日ロ友好、ユーラシア外交が打ち出されました。日本とロシアの関係が現在のレベルにとどまることは、日ロ両国のためにも、アジア太平洋地域にとってもよいことではなく、関係改善は最優先の課題であると宣言されました。日ロ関係の原則は、人間的信頼の原則、交渉で勝者も敗者もつくらぬ相互利益の原則、未来の世代のために今の世代が努力する長期的な視点の三原則が掲げられました。まさに日ロ新時代の到来を告げる、対ロ政策の根本的な転換が打ち出されたと考えられます。橋本演説にロシア側は熱狂を示し、十一月のクラスノヤルスクでの非公式会談で、エリツィンは、二〇〇〇年までに平和条約を調印できるように努力すると表明したわけであります。
 二〇〇〇年までに平和条約の調印を目指すと言われて、日本側はこのチャンスをつかもうとしました。九八年四月の川奈会談に向けて、日本側では、四島一括返還論としては最も譲歩した案を用意しました。それは、択捉島と得撫島の間に国境線を画定すれば、四島をロシア側が保有しても構わないという案です。日本の潜在主権を認めれば、施政権はロシアが持ち続けてもいいという案だという意味で、沖縄案だと言うことができます。
 さて、この案を聞いたエリツィンは、興味深いと身を乗り出しましたが、結局はそのまま持ち帰ることになりました。しかし、不幸なことに、帰国直後にロシアは金融危機に見舞われ、政治的危機を併発し、最後にはエリツィン自身の肉体的危機に及びました。したがって、橋本首相にかわった小渕首相が九八年十二月に訪ロしたときには、エリツィンは、川奈提案を受け入れられないと回答したわけであります。
 対ロ交渉は再び行き詰まりました。はっきりした打開の方針がつかめないままに、橋本・エリツィン・プラン、小渕・エリツィン青年交流プロジェクトが進み、大規模な対ロ支援が行われた観があります。
 結局、九九年十二月、エリツィンは大統領を辞任してしまいます。エリツィンに期待をかけ、川奈提案をぶつけたのに、いかなる実も結ばずに終わった結果は、小渕首相にも外交当局にも大きな衝撃を与えたのでありましょう。
 エリツィンの後継者に任命されたプーチンがエリツィンの約束を守るのかどうかに関心が集まりました。四島を交渉の対象にする立場を継続するのか、五六年宣言の約束はどうか。小渕首相は、プーチン大統領との早期の会談を切望しました。ここで、鈴木宗男総務局長がロシアに首相特使として派遣されることになったのです。出発前夜に首相は倒れましたが、特使は、日ロ関係打開の小渕首相の意思を体して出発し、プーチン大統領に新総理との四月下旬会談を約束させました。かくして、森首相は、就任直後にロシアを非公式訪問し、その年の首脳会談のスケジュールを取り決めたのです。
 九月初め、プーチン大統領が訪日しました。森首相は大統領に川奈提案を繰り返しました。これに対して大統領は、川奈提案を日本側の熟慮に基づくものとして、日本側の譲歩の努力を理解しているといいながら、ロシアの現実では川奈提案を受け入れられないと答えました。だが、大統領は、五六年共同宣言を再確認することを表明し、この宣言を出発点としながら交渉を行うことに同意しました。このときの大統領の表明が、新しい領土問題交渉の段階的アプローチを開くものになったのです。
 会談直後の読売新聞九月八日号は、二島先行返還の中間条約を結び、残り二島を継続協議するという案を日本側が会談前夜にロシア側に打診したと報道しました。これによって、二島先行返還論が一挙に注目を集めるようになりました。このような案も検討されていたことは確かでしょうが、それが外務省案になっていたとは考えられません。五六年宣言では、二島を返すのは平和条約締結後となっています。段階的アプローチは、二島の引き渡しの約束を確認させた上で、残り二島の交渉に進むということです。川奈提案が受け入れられない以上、四島一括で交渉し、四島一括で回答を得るという方式を去って、二島、二島の段階的アプローチに転換するのは自然な流れでした。
 このような転換に反対して、五六年宣言を再確認すれば二島返還で終わりになると反発する意見もありました。五六年宣言でなく東京宣言から出発して、四島一括返還を主張せよという議論です。しかしながら、外務省内の検討を東郷局長が推進して、段階的アプローチを採用することになりました。
 二〇〇一年三月、イルクーツクで森首相とプーチン大統領は正式会談をし、二十五日、共同声明に調印しました。五六年共同宣言が日ロ平和条約の出発点を設定した基本的な法的文書だと確認され、その上で、東京宣言に基づき、四島の帰属を解決して平和条約を結ぶことがうたわれました。プーチン大統領は、会談の前夜、NHKとのインタビューで、平和条約の署名を条件に二島を日本側に引き渡すという五六年共同宣言の約束は自分にとっても義務だと語りました。プーチンは、フルシチョフ、ブレジネフを否定し、ゴルバチョフを乗り越え、エリツィンも間接的にしか言えなかったことを確認したわけです。日本とロシアが真に冷戦から脱して正常な外交関係を持ち得る条件が整えられました。一九六〇年代の対立以来、初めて明確な前進が画されたと言えます。
 ロシア側には、ゼロ回答から二島引き渡しに飛躍する以上、残り二島は無理だという主張があるのは当然です。しかし、日本側は、残り二島の引き渡しを求めることが可能です。五六年宣言は、ソ連が、日本国の要望にこたえ、かつ日本国の利益を考慮して色丹島を引き渡すと述べています。ロシア人の考えでは、この島は、国後島とともに南クリル地区をなしているのです。とすれば、同じクリル諸島の一島、国後島を同じ判断で日本に渡すように説得することは原則的に可能です。また、択捉島も同様です。
 以上です。(拍手)
萩野委員長 どうもありがとうございました。
 次に、藤原参考人にお願いいたします。
藤原参考人 おはようございます。
 ただいま御紹介いただきました根室市長の藤原でございます。
 萩野委員長さん初め委員の皆様の御高配によりまして、意見陳述の機会を得ましたことをお礼申し上げます。また、日ごろ、北方領土返還運動原点の地である当市へ御支援、御協力を賜っておりますことに対しまして深く感謝申し上げます。
 初めに、北方領土返還運動への取り組みについてでございますが、北方領土返還運動は、戦後の混乱の中、当時の安藤石典根室町長がマッカーサー元帥に対し、北方四島を米軍の占領管轄下に置いてほしいと陳情したことが始まりであります。
 この叫びは多くの人々によって連綿と受け継がれ、根室から各地に大きな広がりを見せ、現在では、四十七都道府県すべてに北方領土返還を求める都道府県民会議が結成され、全国それぞれの議会でも領土返還促進の決議がされるなど、今日の全国的な運動へと拡大した次第であります。
 これまで根室市民は、東西の冷戦構造下にあって領土問題が進展しない中、一貫して、半世紀以上にわたり全国民の先頭に立って、不安と希望が交錯する思いを抱きながら運動を推進してきたところであります。
 特に、九七年のクラスノヤルスク合意では、二十世紀中の解決という目標が打ち出され、日ロ平和条約締結に大きく期待したところでありますが、残念ながら、領土返還は実現されることなく、市民の中からは失望、落胆の声を初めさまざまな意見が聞かれているところであります。
 昨年三月のイルクーツクでの日ロ首脳会談では、五六年の日ソ共同宣言が法的文書として確認されました。また、先月のカナダでの主要国首脳会議の際の小泉・プーチン会談におきまして、小泉総理の訪ロが合意され、あわせて、これまでの成果を踏まえた上で平和条約交渉の協議を継続することが確認されております。
 このことからも、地元としては、今後の積極的な外交交渉の推進により、領土問題が具体的に進展し、一日も早く解決することを期待しているところであります。当市といたしましても、政府の外交方針を強力に後押しする世論形成のため、より一層返還運動に邁進していく決意であります。
 次に、当市における元島民の状況についてでありますが、終戦時には、北方四島には一万七千二百九十一人の日本人が住んでおりましたが、これらの人々は、旧ソ連軍の侵攻によりまして、島を脱出することを余儀なくされたり、あるいは強制送還をされるなどして、最終的には全員が島を追われたのであります。このうち、当市には、速やかな四島への帰還と地理的、歴史的なきずなから、約六千人の元島民が居住いたしました。
 元島民は、現在、平均年齢も七十歳を超えており、島にもう一度帰りたいとの望郷の念を抱きつつ、無念の思いとともに多くの方が他界され、現在当市に居住する元島民は二千二十三人となっております。また、後継者である二世から四世まで合わせて五千四百八十人を加えますと七千五百三人となり、市民五人に一人は元島民関係者であります。しかし、戦後五十七年が経過し、常に返還運動の中心として活動してきた元島民には、高齢化や運動の疲労感が募るといった問題が起きております。
 このようなことから、返還運動を若い世代に継承するための青少年に対する後継者育成の取り組みは、今後、返還運動を進める上で重要な課題と考えております。このため、当市におきましては、従来から、少年弁論大会を初め少年少女の派遣などの各種の後継者育成事業を実施しておりますが、今後、より一層の後継者育成に取り組まなくてはならないと考えております。さらには、元島民にとって残された時間が少ない中、援護措置の充実は急務となっております。
 次に、北方領土問題未解決による影響についてでありますが、戦前の北方領土の産業は漁業を中心に繁栄し、その漁獲高は、昭和十五年で二十六万トンを記録しておりました。当市の平成十三年の漁獲実績十一万トンと比較いたしましても、その二倍以上の漁獲高であります。
 また、根室市は北方領土の島々を結ぶ六つの航路の玄関口として、北方四島から生産されます水産物製品が集荷されるとともに、島々での生産資材を初め日常生活必需品等を送り出すなど、物流の拠点として古くから北方領土と一体の社会経済圏を形成し、いわば親子の関係にありました。
 昭和二十年八月、終戦後に北方領土がソ連邦に不法に占領され、当市はその水産基盤を根底から一挙に失うこととなりました。加えて、戦災により町の八割が焼失し、硝煙立ち込める混乱の中にあって、戦災者の救助、町の復興、そして元島民の受け入れを同時にしなくてはなりませんでした。このことから、復興も一時は危ぶまれた状態にありましたが、その後、北洋漁場の開拓によりまして、国内有数の水産都市としてその基盤を築いたところであります。
 しかし、一九七七年、昭和五十二年の漁業専管水域二百海里の設定によりまして漁場が縮減され、先人がまさに命をかけて切り開いてまいりました北洋漁場からの撤退を余儀なくされたのであります。
 さらに一九八六年には、好漁場である通称三角水域での操業の全面禁漁、また一九九二年のサケ・マス沖取り禁止や公海流し網漁業の禁漁により、根室港が不夜城として栄えた全盛期では四百十五隻ありましたサケ・マス漁船が、その二割に満たない八十隻にまで激減しております。
 加えて、一昨年末の日ロ地先沖合漁業交渉で、資源減少を一方的な理由としてマダラ漁獲割り当て量が前年の約八割も削減され、根室市関係船十六隻が減船になり、さらに昨年の交渉では漁獲割り当て量の四割が再度削減されるなど、当市の漁民にとって、あすを信じて生きていく希望を打ち砕かれるほどの幾重もの打撃を受けたのであります。
 このため、当市の基幹産業であります漁業環境の変貌は、地域漁業者はもとより水産加工業界、運輸、製函、燃油、造船のほか、地域商業まですべての経済活動の経営安定、雇用確保に大きな影響を及ぼし、市中経済は壊滅的な打撃を受け、危機的な状況になっております。このことはまさに、私どもの父祖が血と汗で築いた北方領土がいまだ不法に占拠され、北方領土問題が未解決であることに起因しているものであります。
 これらのことから、漁獲実績はピーク時に比べまして四五%の減少、水産加工製品生産高では五三%の減少となっております。その要因から、市税は十年前と比較して、全道平均では一三・八%の伸びに対しまして、当根室市は二・五%増と伸び悩んでいる状況にあります。また、経済状況の悪化とともに、当市の人口は年々減少を続け、ピーク時には五万人弱であったものが現在では三万三千人台と、約一万七千人、三二・八%も減少しております。
 このような現状の中、当市の財政は危機的な状況に陥り、各種施策、事業の推進に大きな支障を来しております。このため、将来とも全国民の先頭に立った北方領土返還運動の先導的役割を果たすことも含め、正常な行財政運営を推進することが極めて困難な状況となっております。
 次に、北特法の現状と北方領土隣接地域への財政支援についてでありますが、これまでお話しいたしましたことから、昭和五十五年十一月の閣議におきまして、政府として根室地域に対する国の支援の姿勢を明確に示すことが重要であるとの総理発言と、根室市を初め関係者の強い要請を受けまして、北方領土問題及びこれに起因して北方地域元居住者及び北方領土隣接地域が置かれている特殊な事情にかんがみまして、一つ、国民世論の啓発、二つ、元居住者に対する援護等、三つ、北方領土隣接地域の振興と住民の生活安定等の三つを柱といたしまして、北方領土問題等の解決の促進のための特別措置に関する法律、いわゆる北特法が議員立法として昭和五十七年八月に制定され、翌年四月一日より施行されたところであります。
 しかし、法施行後、同法に規定されておりますさまざまな優遇措置は十分に生かされていない現状にあります。特に、本法律の第十条に基づく北方領土隣接地域等振興基金、いわゆる北方基金につきましては、平成三年度までに百億円が造成されたところでありますが、その運用益は、市場金利の低下などにより、平成十三年度では、設置当初見込みの三割程度となっております。
 一方、領土問題解決に対する日ロ外交交渉の進展は、本法律制定時に比べて大きく前進しているところであります。このためにも、将来、北方領土の返還を見据えた拠点形成が急務となっているところであります。このことから、このたび、北方領土隣接地域振興対策根室管内市・町連絡協議会、いわゆる北隣協といたしまして、お手元の「「北方領土問題等の解決の促進のための特別措置に関する法律」の改正に関する要望書」のとおり、北特法を改正し、真に効果のあるものとしていただきますよう要望しているところであります。本趣旨を御理解の上、その実現につきまして特段の御支援を賜りますようお願い申し上げます。
 終わりに、北方領土返還促進についてであります。
 北方領土問題をめぐる昨今の日ロ関係は、九一年の新生ロシア誕生以降大きく変貌し、とりわけ、日ロ相互理解の増進と領土問題解決に寄与することを目的として九二年から始まりましたビザなし交流の積み重ねにより、ロシア人にも、日ロ間には領土問題が存在するという認識の広がりを見せているところであります。
 当市は、歴史的経過や地勢的条件からその交流の拠点となっており、北方領土問題解決のための一翼を担ってきております。北方領土と一体であった当市にとって、領土問題の解決なくして戦後はなく、経済的にも社会的にも領土が返って初めて正常になる、まさに北方領土との対峙は避けられない宿命の地域であります。
 さらには、北方領土問題は単に一地域の問題ではなく、国家の主権と民族の尊厳をかけた問題であり、我が国最大の懸案事項となっていると考えております。しかし、残念ながら現実的な返還の見通しはいまだ立っておらず、全国の領土返還を求める声はもとより、当市に多く居住する高齢化した元島民や後継者の心情、あるいは疲弊した地域の経済状況を考えますと、政府におかれましては、これまで以上に強力な外交交渉の推進を強く望むものであります。
 萩野委員長を初め皆様方におかれましては、北方領土返還運動原点の地であります当市への御視察を切にお願い申し上げますとともに、今後ますますの御健勝と御活躍を祈念いたしまして、参考人としての私の意見陳述を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。(拍手)
萩野委員長 どうもありがとうございました。
 次に、小泉参考人にお願いいたします。
小泉参考人 ただいま御紹介をいただきました小泉でございます。
 本日、萩野委員長を初め委員各位と関係する皆さんの御高配により、北方領土に居をともにした者を代表して、意見陳述の機会をお与えいただきましたことについて、厚くお礼を申し上げますとともに、日ごろ、私ども元島民に御厚情、御支援を賜っておりますことに、まずもって心から感謝申し上げます。
 私は、元島民の一人としての立場と、社団法人千島歯舞諸島居住者連盟の理事長としての立場にもございます。本日は、主として組織の長としての立場で発言させていただきたいと考えておりますが、私も元島民でありますから、元島民としての心情が主になることがあろうかと思います。その点は御容赦を賜りたいと存じます。
 最初に、当千島連盟の発足の経緯と事業について若干申し上げ、その後に意見と要望について述べさせていただきたいと考えておりますので、よろしくお願いをいたします。
 当千島連盟の発足の経緯ですが、北方四島の元島民は、さきの大戦の終結に伴い、旧ソ連軍が北方領土に上陸するとの報により、二つの決断を迫られたのであります。一つは、隣接する北海道本土への決死の脱出であり、その様子は、平成十二年の当委員会でも申し上げましたが、多くの人々が死との対決という悲壮な覚悟で脱出したのであります。二つには、先祖代々の墳墓の地を去りがたく残留を決意した者、しかし、残留者もまた、旧ソ連軍政下において、言葉に言いあらわせない過酷な労役に服することになりましたが、昭和二十三年十月を最終として、全員が日本本土に強制送還されたのであります。
 北方四島からの脱出者も、また強制送還された者も、それまでに築き上げた生活の基盤のすべてを島に残し、裸同然の引き揚げであり、その後の生活は、住む家もなく、教育の機会も失われ、不安定なその日限りの職業を余儀なくされ、極めて厳しく、まさに苦難の一語に尽きるものでありました。
 こうした中で、元島民たちは、時の経過とともに、極寒の地で荒波に挑みながら、世界屈指の漁場を築き上げた開拓者精神をよみがえらせ、劣悪な生活環境の中、元島民は、出身別の島の会などを組織し、励まし合いながら、再びふるさとに戻る日を誓い合うようになったのであります。
 昭和二十五年ごろから、サンフランシスコ平和条約締結の盛り上がる機運を背景に、現在の根室市や札幌市を中心に、北方領土返還要求運動を主たる目的とした任意団体が次々と結成されましたが、その後、北方領土元居住者団体の大同団結が図られ、昭和三十三年七月に、内閣総理大臣認可の公益法人として、全国唯一の元島民による団体である社団法人千島歯舞諸島居住者連盟が設立をされました。
 以来、当千島連盟は、父祖伝来の地であり、懐かしいふるさとへの帰島を熱望する会員の総意を結集して、北方領土一括返還を連盟の基本に掲げ、返還要求運動の先頭に立って活動を続け、現在、道内外十五支部を拠点として諸事業を積極的に展開しております。
 主たる事業として、北方領土返還に関する運動、私有財産権の確保とその補償に関する運動、元居住者に関する実態調査などの事業を中心として実施し、今日に至っております。その事業の中でも、北方領土返還要求運動の核とも言える署名運動は、終戦二十年を経た昭和四十年八月に、国民世論の喚起とふるさとの早期祖国復帰の悲願達成を目的として、当連盟の会員数人が、画板を肩に街頭において署名収集を実施したのが最初であります。
 当時、国民の関心は沖縄返還問題に向けられ、北方領土問題に対する関心が薄く、返還要求の署名収集は先行き多難が予想されましたが、その後、この草の根運動の展開は、全国各地の自治体や青年団体、婦人団体など各種団体等の支援、協力と共感を得ながら、急速に全国規模の運動に展開、拡充、発展をしたのであります。
 その署名数は、平成十一年九月に七千万人に達し、現在さらに継続されております。この北方領土の早期返還を要求する国民の署名の意思が一日も早く達成されるよう、国会法第七十九条の規定に基づき、毎年、多い年には四百万人を超える署名を携えて衆参両院に請願していることは、御承知のとおりであります。
 さて、前段が長くなりましたが、本日は、当特別委員会において意見陳述の機会を与えていただきましたので、さきにお配りしてあります千島連盟の要望書に基づき、私たち元島民の要望について申し述べさせていただきます。
 私たち元島民は、苦難の道を歩みながら、五十七年間という長い年月、ふるさとの一日も早い祖国復帰を願いながら、国の外交交渉を支援する立場で北方四島の返還要求運動に邁進してまいりました。この間、日ロ両国間の外交交渉のたび、その結果に大きな期待を抱き、そして失望を味わうということの繰り返しの中で、そのたびに、さらに奮起して北方四島一括返還に向けての取り組みをしてまいりましたが、次第に疲労と焦燥の感が増幅してきているのも事実であります。
 御承知のとおり、私たち元島民も、逐年高齢化が進み、現在では平均年齢が七十歳を超えております。ふるさとの祖国復帰に思いをはせながらも、再びその地を踏むことなく他界する同胞も近年ますます増加し、終戦時には一万七千余名いた元島民も、現在では八千六百六十七名と半減をしております。
 このような元島民の現状と心情をぜひとも御理解いただき、北方領土の早期返還について、今後さらに国民世論の啓発と国際世論の喚起に努めていただくとともに、強力な外交交渉を進めていただくようお願いする次第であります。
 また、元島民のふるさと訪問ということで、平成十一年から実施されております北方四島自由訪問につきましては、参加した元島民は、父母兄弟と生活した居住跡に立ち、懐かしさと悔しさが交差する気持ちを抑え切れずに涙しております。この自由訪問の実現に感謝しつつ、参加団員枠や訪問回数の拡大など、自由訪問が一層充実するよう要望するものであります。
 一方、北方墓参についてですが、国は、このことは私的行為であるとしていますが、いかに私的行為であっても、やはり墓参は人道上の問題であります。元島民のだれもが希望するすべての墓地で実施できるよう、特段の御配意をお願いするものです。
 ビザなし交流につきましては、実施以来十年が経過しましたが、本来、この交流事業は、日ソ両国民の相互理解の増進を図り、北方四島返還に寄与するという目的を持った交流事業であります。国として一層の充実強化を図るよう要望するものです。
 さらに、これらの訪問、交流事業に使用する船舶につきましては、元島民の高齢化に配慮した安全性の確保など、渡航手段に万全の措置を講ずるようお願いをいたします。
 次に、元居住者の権益の保護にかかわる項目ですが、一つには、今日まで五十七年間の空白を生んだ、元島民に対する財産権の不行使に対する措置についてであります。
 私たち元島民は、半世紀を超える長い期間、それぞれの島に残した財産について、みずからが行使することができないという特殊な立場に置かれてきました。この不動産の所有権や賃借権などの不行使に対する損失は、はかり知れないものがあります。私たち元島民は今後に残された時間が少ないという現状から、千島連盟としても、財産権の不行使に対する補償の問題を最重点課題として長年にわたり政府関係省庁に要望してまいりましたが、全く進展がなく今日に至っていることはまことに残念でなりません。
 当特別委員会におかれましては、元居住者の特殊な立場に置かれてきた事情をしんしゃくし、北方領土問題等の解決の促進のための特別措置に関する法律第五条の規定がございます。それに基づき、元居住者の要望に沿った直接的支援措置を一刻も早く実現されるよう、特段の御支援を賜りたく、強くお願いを申し上げます。
 また、要望書に記載してありますとおり、「北方地域旧漁業権者の補償について」「残置財産の保護等について」「北方領土における共同経済活動等について」「北方領土への外国企業進出等の防止について」などの項目につきまして、十分御配慮いただきますようお願いをいたします。
 次に、「後継者の育成強化に係る要望」でございます。北方領土問題の解決も長期化が懸念される現在、ふるさとの祖国復帰という悲願達成の日までと返還要求運動の先頭に立ってきた元島民の意志を引き継ぎ、これからの返還要求運動の担い手となるべき後継者等の若い力の結集が重要かつ緊急の課題でございます。後継者等が返還要求運動にみずから積極的に参加するための環境整備と予算措置を含めた支援体制の確立にお力添えをお願いいたします。
 次に、「北対協融資制度の改善に係る要望」でございます。
 元居住者の事業の経営とその生活の安定を図ることを目的とした融資制度が、北方地域旧漁業権者等に対する特別措置に関する法律によって立法措置されているところであります。この融資制度は、各会派の諸先生の特別な御配慮により平成八年に法改正が行われ、高齢化が進行している元居住者等の主たる生計を維持してきた子または孫に融資資格を承継できるものとなりましたが、現行の制度においてもなお十分とは言いがたい部分がございます。要望書に記載してありますとおり、生前承継対象者の要件緩和などにつきまして、ぜひともお力添えいただきたくお願いいたします。
 以上、当千島連盟の要望に基づき種々お願いを申し上げましたが、これらのことにつきましては、国として真摯に受けとめていただき、国の責任において、元島民の一人でも多くの者が生存しているうちに要望に沿った結論を出していただきたく、萩野委員長初め委員各位には特段の御高配を賜りたく、元島民を代表して心からお願いを申し上げます。
 さて、最近、北方領土問題に関しての日ロ間の外交交渉は停滞が懸念され、私たち元島民は不安感と危機感が高まっております。小泉総理大臣が本年十二月または年明け一月にロシアを訪問することに合意したとの発表がありましたが、この両国首脳会談において北方領土問題のさらなる進展が図られますよう強く期待するものであります。
 終わりに当たり、重ねて申し上げますが、私たち元島民としては、高齢化がさらに進み、残る時間も少ないという中、北方領土の返還を求める当事者として、国の外交交渉を支援するという立場を堅持し、引き続き全力を傾け返還要求運動の推進に努力することをお誓い申し上げ、私の陳述を終わります。
 最後に、萩野委員長初め委員各位のますますの御繁栄を御祈念申し上げます。本日は、ありがとうございました。(拍手)
萩野委員長 小泉参考人、ありがとうございました。
 以上で参考人の方々からの御意見の開陳は終わりました。
    ―――――――――――――
萩野委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。林省之介君。
林(省)委員 おはようございます。自由民主党の林省之介でございます。
 参考人の皆様方には、早朝よりお出ましをいただきまして、貴重な意見を賜りましたこと、心より厚く御礼を申し上げます。
 また、藤原参考人につきましては、私ごとになりますけれども、先般、ビザなし交流で団長として我々を率いてともに択捉島に参りました。その節には大変なお世話になりましたこと、改めてお礼を申し上げる次第でございます。
 ただ、大変長い船中、およそ二昼夜、大勢の皆様方と私も意見の交換をいたしてまいりました。北方領土が日本に返ってくる、返るべきである、当然日本の領土である、この問題に関しての皆様方の御意見というのは全く違わないわけでございますけれども、個々の御要望については随分とそれぞれの皆様方に差があるなということをしみじみと感じたものでございます。この件については、きょうは参考人への御質問でございますから控えさせていただきますけれども、いずれにいたしましても、皆さんそれぞれの思いで一生懸命にビザなし交流をなさっておられた、このことについては改めて敬意を表するものでございます。
 そこで、早速でございますが、何しろ与えられた時間が十分間でございますので、三人の皆様方にお尋ねをすることができないかもしれません、お許しをいただきたいと思いますが、昭和五十七年にいわゆる北特法が制定をされました。そして、翌年施行されたところでありますけれども、この法律に規定されている優遇措置が十分に生かされていないという先ほど藤原参考人のお話でございました。では、具体的にはどのような状況になっているのかということをお尋ねいたしたいと思います。
藤原参考人 北特法の優遇措置についてお答え申し上げます。
 北特法には、隣接地域に対する優遇措置として、まず第七条の国庫補助負担率のかさ上げ、第八条の地方債の政府資金等の優先引き受け、第九条の財政上、金融上及び技術上の配慮、第十条の北方領土隣接地域振興等基金などが規定されております。
 しかし、第七条の国庫補助負担率のかさ上げにつきましては、地元負担額が標準財政規模の一〇%を上回らなければならないなどの規定によりまして、昭和六十一年度実施以来、根室市においては一度も適用されたことがありません。
 また、第十条により積み立てられました北方基金の運用益につきましては、平成三年度の五億九千万円を最高に、近年の市場金利の低下等によりまして、平成十三年度では二億三千万円と、設置当初見込み七億三千万円の約三割程度まで激減している状況にあります。
 これらのことから、本法律の設置目的が十分生かされていない状況が続いているものと私は考えております。
 以上です。
林(省)委員 ありがとうございます。
 いろいろ厳しい財政状況の中で今参考人からも出てまいりましたような状況になっているんだろうと思いますけれども、北特法があるわけでございますから、我々委員としてもできるだけその趣旨にのっとったいわゆる特別措置を講じていかなければいけないということを私は感じるものでございます。
 続いて、これまた藤原参考人ばかりで申しわけございませんけれども、お尋ねをいたします。
 特に、根室地域というのは、北方領土問題がまだ未解決であるということによりまして、先ほどもお話がありました、経済上の発展が随分と阻害されている、そして財政状況も大変厳しい状況に悪化している。このような状況の中で、今後の返還運動にもいろいろな影響が出てくることが懸念されるだろうと思います。
 特に、隣接地域によりますところの北特法の改正要望というものが出ておりますけれども、これらの要望につきまして、これまた具体的に御説明をお願いいたしたいと思います。
藤原参考人 北特法の改正要望の内容についてお答え申し上げます。
 まず、北特法の性格についてでありますが、現行の北特法は、隣接地域の置かれている特殊な事情、つまり他の自治体に比べてハンディがあり、それについて補うものであると私は考えております。しかし、近年の日ロ関係の進展などから、今後北方領土の返還がなされた場合を想定いたしまして、隣接地域の振興についてより積極性を持たせるため、北方地域復帰後を見据えた後背地域形成としての必要性を明記していただきますよう要望しているところであります。
 次に、第七条の特別の助成、いわゆる国庫補助負担率のかさ上げについてでありますが、現行の規定が適用となるためには、国庫補助事業費のうち自治体負担額が標準財政規模の一〇%を上回らなければならず、現実には、先ほどもお答えしましたとおり、昭和六十一年度実施以来、根室市においては一度も適用されておりません。このことから、国庫補助負担率の引き上げが確実に適用されますよう、現行のかさ上げ方式でなく、例えば沖縄振興特別措置法などのように、政令においてそれぞれ事業ごとに補助負担率の引き上げについて定めていただきますよう要望しているところであります。
 第十条の北方基金についてでありますが、北方基金の運用益については、百億円の造成が完了いたしました平成三年度の五億九千万円を最高に、近年の市場金利の低下によりまして、平成十三年度では二億三千万円と、設置当初見込みの三割程度まで激減している状況にあります。このことから、隣接地域の振興、啓発及び援護等の推進に要する財源に運用益では不足する金額について国において交付していただくとともに、補助対象事業の拡大、また振興事業にかかわる補助率を現行の二分の一から十分の八に引き上げていただくことなどを要望しているものであります。
 以上です。
林(省)委員 ありがとうございました。
 なかなか厳しい状況の中での返還運動、そして返還に対するさまざまな取り組みがなされているわけでございます。引き続き、和田参考人、藤原参考人、小泉参考人、皆様方へのお尋ねがあろうと思います。せっかくお越しをいただきましたが、大変失礼をいたしましたけれども、どうぞ引き続いての審議に御協力を賜りますようお願いをいたしまして、私の持ち時間が終わりましたので、終わらせていただきます。ありがとうございました。
萩野委員長 次に、吉野正芳君。
吉野委員 おはようございます。自由民主党の吉野正芳でございます。参考人の皆様方には、よろしくお願い申し上げます。
 私も、先日、林省之介議員ともども、択捉島へ行ってまいりました。そのときの団長さんが、ここにおられる藤原市長でございます。
 四日間の訪問で私が一番印象に残ったことは、択捉島で歴史教育を行いました。日本からも羅臼町の小学校の先生が行って、向こうの子供たち、そして私たち訪問団、ロシアの大人の方々に対して、日本では北方四島についての歴史はこういうふうにやっていますという、同じ授業をやったんです。それで、日本の小学校の先生が終わって、次はロシアのやはり女性の先生でした。先生で、今は博物館の館長さんという立場の方なんですけれども、興味があって、真実を教えているのかなということで、授業を受けました。そうしたら、何と、北方四島はロシア固有の領土だ、そういう教育をしていたんです。これには私びっくりしました。
 それで、おかしいなと私思っていたんですけれども、そこへ、すかさず我が藤原団長が手を挙げて、それは違う、本当はそれは違うんだということをきちんと間髪入れずに正した、そのタイミングのよさは、さすが北方四島返還に命をかけてやっている根室市の市長であるなということをそのとき感じ取ったわけであります。
 そういう意味で、藤原団長さんに、ビザなし交流の択捉島への感想について、もっと私よりも詳しく御意見を賜りたいと思います。
藤原参考人 お答え申し上げます。
 ただいま吉野先生がお話しされましたとおり、林先生、吉野先生の御参加を得まして、元島民等六十五名の団員の方々と択捉島へ行ってまいりました。
 島の感想等につきましては、両先生も大体同じような思いだと思います。まず、択捉島は、鳥取県の面積に匹敵する約三千百平方キロの四島のうち最大の島でありまして、現在約八千人のロシアの人たちが住み、生活しておることは御案内のとおりであります。行政的には、色丹、国後が南クリル地区に属しているのに対しまして、クリル地区に属しているわけです。ギドロストロイという大きな水産会社がございまして、企業城下町的な印象を受けたところであります。島の税収の七〇%がこのギドロストロイという水産会社によるものでございまして、四年間税収状況は黒字で健全財政であるというふうに行政府の人たちは言っておりました。まさに自立する島というような感想を持ったわけでございます。
 このように、ギドロストロイを中心といたしまして、活発な水産加工業や、巨大なサケ・マスふ化場による大規模なふ化増殖事業、さらに地熱発電所の建設が進んでおりまして、ロシア連邦による開発事業が進展中であるというふうな感じを受けました。このようにインフラ整備が進むことによりまして、領土返還は今後厳しい情勢が生まれるのではないかというふうな危惧をしたというのが実感でございます。
 以上です。
吉野委員 私も、そういう意味で、なかなかこの返還運動というのは、北方四島にきちんとした基盤をロシアの方々は築いておりますので、本当にもっともっと強力な運動をしていかなければ大変だなという印象を持った次第です。
 さてまた、先ほど林委員からもお話しになりました話なんですけれども、北特法、ここで百億円の基金が北方基金という形で積まれています。確かに、当初の予定、平成七年のころには運用益が三億四千五百万、八年には三億三千六百万、ずうっと三億四、五千万の金額が続いていたんですけれども、この低金利の時代で平成十三年度は二億三千万という形で、本当に少なくなってしまいました。
 北方基金を活用していろいろな地域振興の事業を組み立てていると思うんですけれども、その辺の影響、かなりあると思うんです。具体的に根室の藤原団長さんの方でお聞かせ願いたいと思います。
藤原参考人 北方基金の運用益の減少による影響についてでありますが、北特法十条に規定されております北方基金の運用益は、制定時には、十年間で約百五十二億円の単独事業について二分の一の補助率で、年間約七億三千万円、十年間で七十三億円を見込んで設置されたものであります。しかし、先ほど来からお話ししているように、市場金利の低下などから、現在までおよそ二十年間の合計で六十億円程度と大きく目減りしております。
 このことによる影響ですが、例えば根室市における平成十四年度予算の編成では、北方基金による補助対象事業は水産資源増大対策事業や生活環境施設整備事業など、事業費で約五億円でございました。この総事業費五億円に対する補助金を計算いたしますと、二億四千万円となるところであります。しかし、基金運用益の低下によりまして、今年度の当市における北方補助金の見込みは約一億円となっており、当初の希望額に対しまして一億四千万円の不足となっているものであります。
 このことから、これらの事業の実施に当たりましては、多額の一般財源の持ち出しを余儀なくされるとともに、各種施設の整備が停滞するなど、当市の財政や住民生活の安定に大きな影響を与えております。
 以上です。
吉野委員 根室市を見てきまして、本当に水産と町は一体不可分だという、やはり現場に行かないと、そこまで感じ取ることができません。そういう意味で、二百海里規制というものが始まり、本当に根室の町は水産なくして町が成り立たない、そういう現状にあります。
 ですから、北特法等々のもっと使い勝手のいい形での地域振興策というものを、これは私たちが考えていかなければならないわけで、北方領土返還の原点の地を守っていくという意味でも、地域振興策ということを私たちが考えていかねばならないということを申し上げまして、時間となりましたので質問を終わらせていただきます。ありがとうございました。
萩野委員長 次に、荒井聰君。
荒井(聰)委員 和田先生、藤原参考人、小泉さん、きょうはありがとうございます。沖特委として参考人の皆さんに意見を聞く機会というのは余りございませんけれども、きょうはお忙しいところ御参加いただきまして、ありがとうございます。藤原さんは、私は道庁時代に一緒に仕事をさせていただいた同僚でもございます。きょうはどうぞよろしくお願いを申し上げます。
 まず和田参考人にお聞かせ願いたいんですけれども、今回、鈴木宗男議員の逮捕によりまして、日本の北方領土にかかわる外交の姿勢あるいは方針というものが大きく変わるのではないか、あるいは、それが与えた影響、ロシア側の方も極めて戸惑っているのではないだろうか。
 多くの国民が大変心配しているのは、この間、大変な国益が失われたのではないか、領土交渉問題がとんざするのではないだろうか、あるいは、外務省のいわゆるロシアンスクールと言われている人脈が、人材の枯渇のような現象が起きるのではないか。鈴木宗男議員の逮捕によって北方領土返還交渉問題というものは大きな転機を迎えたのではないかと指摘する方もおられるんですけれども、このあたり、先生の御所見はいかがでしょうか。
和田参考人 今、荒井先生が御指摘のような憂慮というものは現実に存在しておると思われます。
 ただ、問題は、実は、率直に申しまして大変恐縮でございますけれども、小泉内閣ができまして田中外務大臣が登場なさいましたときから、従来の領土問題の交渉の進め方につきましての引き継ぎにおきまして、少し混乱があったように考えております。
 現実といたしましては、先ほど来申し上げましたところでございますが、イルクーツク共同声明は非常な大きな成果でありまして、これを基礎にいたしまして交渉を進めていける基盤ができたものと思われますが、その点につきましての判断が政府及び国民の間で十分に確立しなかったところに、混乱が生じた原因の一つがあろうかと思います。
 その上に、今般の鈴木議員のスキャンダル問題というものが発生して余計混乱が生じておると思いますが、これまで進められてきた外交の方針においては、国益を損なうようないわゆる二重外交や国益を損なうような外交が行われたということは、基本的にないように私は見ております。イルクーツク共同声明というものは、そのような憂慮を向けるべきものではない、こういうふうに思っております。
 ただ、もちろん、鈴木宗男議員の官僚の方との交渉の際に述べられた言葉かもしれませんが、領土問題というようなものは必要ないといいますか、そういうふうな種類の発言が、そういうのを盛り込んだ資料が公表されたことは、これはロシア側に誤解を与える、日本の外交の責任を担っておられた方の発言としてそういうようなものが伝えられた、公表されたということは、ロシア側に誤解を与える憂慮もあったと思います。
 ロシア側の方といたしましては、基本的には、ロシアの議会ではいろいろな議論がございますけれども、外交当局そしてプーチン大統領の方は、イルクーツク共同声明の線を堅持いたしておられる点でこの点の心配はないのではないかと思われます。
 日本とロシアの間には国境が画定しておらないので、これを画定しなければならないということは明瞭に述べられておりますし、また、五六年の共同宣言の約束は義務であるということが、先般、イワノフ外務大臣からも議会で表明されたことでございます。
 そういう状況でございますので、これを進めてまいれば、私は、それほど基本的に何か問題が起こっておるということではないと思いますが、ただ、外務省の方の官僚の方々が今般のことで非常に萎縮した気分になるということを非常に恐れておりますので、これは、政治の方からバックアップをして、全体の体制を再建することが必要であろうと思われます。
 以上です。
荒井(聰)委員 ありがとうございます。
 確かに、今の外務省は極めて混乱しているという状況に見えます。特に対ロシア外交では、非常に情報を持っていたという佐藤優さんという方が逮捕された。この問題にはいろいろな意味が含まれていると思うんですね。
 政と官との関係あるいは公務員制度、非常にすぐれた人ではあるにもかかわらず、ノンキャリという身分制度から処遇をされていかなかった、あるいは、その情報がしっかりと上部に上がるような形になっていなかった、そういう公務員制度の問題ともかかわっているんだろうというふうに思います。次の国会あたりから、公務員制度問題や政と官とのかかわりというものは大きな議題になっていくのだと思います。
 ところで、私も十年前に北海道庁に勤務をしていたんですけれども、ビザなし交流の交渉がございまして、私が団長になってサハリンに行ったときに感じたことなんですけれども、モスクワと、地方政府といいますか、サハリン、極東ですね、そことの間に大きな断絶というか、あるいは、モスクワで勝手に決めていておれたちはそんなこと知らないぞというような感じの話が随分ございました。
 それから、北方四島に居住をしている人たちが、いわゆるモスクワ系の人脈ではなくて、ウクライナ人でありますとかコサック人でありますとか、どちらかというとモスクワに受け入れられなかった人たちが極東の方に来て自分たちの生活圏域をつくっていっている。そういう意味で、モスクワに対する対抗意識というものが非常に強いように見受けられまして、どうも日本の外交がモスクワとの間だけで何かを解決しようとしているところに、この北方問題の難しさ、あるいは日本側のもう一歩踏み込めない点があるのではないだろうかというふうにも感じました。
 さらに、北方四島とのビザなし交流を進めていく上で、行政区域が、向こうの方は北方四島のところが二つに分かれていた、歯舞、色丹の部分と択捉、国後の部分で行政区域が分かれていたというのは、ロシア側の方にも、この北方四島問題についての何らかの思惑といいますか、そういうものもあってそういう行政区域を分けていくというような措置もしたのではないかというふうに思われるのですけれども、この極東状況、極東情勢、あるいは北方四島をめぐる地域情勢というものをどういうふうに見たらいいのか、モスクワとの関係でどのように見たらいいのかということについてお聞かせ願えるでしょうか。和田先生です、ごめんなさい。
和田参考人 私はビザなし交流でその地を訪問したこともございませんし、そういう御経験を踏まれておる藤原市長、小泉さん、おられますし、議員の先生方もそういうこともよく御存じの方が多いところで私の意見を申し上げるのは恐縮でございますけれども、今先生御指摘の点は非常に重要な点ではなかろうかと思われます。
 すなわち、この問題を解決するには、モスクワの方とだけ交渉してもこれはどうにもなりませんので、サハリン州との交渉、そして島部、四島の島民、行政地との交渉、接触、そういう三段階でやはりアプローチをしていかなければなるまいと思われます。
 特に、島部の方々、島民の方々は、非常に困難な状況の中で、中央からの援助も乏しい中で、自分たちがこの島を愛して、今や自分たちの住んでいるふるさとであるこの島を愛して、そしてそこで頑張ってきたというプライドを持っておられますから、余計そのことにつきまして、その感情に配慮することが必要ではなかろうかと思われます。
 その意味では、今般の議論の中で大変問題になっておりますいわゆる人道支援問題というようなものにつきましては、何かこれをやめてしまうのがよいというふうなムードが漂っておりますけれども、これは非常によろしくない傾向であろうと思われます。それからまた、今般、これと関連いたしましては、いわゆるムネオハウスというふうに日ロ友好の家を呼ぶというようなことも、島民の感情にとっては好ましくない動きではなかろうかと思います。
 いずれにしても、一番重要なことは、島民の方々に対する、その感情を配慮したところのアプローチというものが一番重要ではなかろうかと思われます。
 それで、行政区域を二つに分けておるということにつきましては、これがロシア側の島に対する一つの態度のあらわれであるかどうかという点でございますが、これは定かではございません。しかし、確かに択捉島と国後、色丹との間にいろいろな意味の歴史的な差異が形成されつつあるという、ロシア側からしてされつつあるということもやはり考えてアプローチをしていくべきであろうかと思われます。
    〔委員長退席、松岡委員長代理着席〕
荒井(聰)委員 ありがとうございます。
 次に、藤原参考人にお尋ねをいたします。藤原参考人は水産畑ではエキスパートでもおられますので、水産の話を少しお聞かせください。
 北方四島周辺でのロシア側の漁業関係者というのは、ウラジオストクを中心とする極東に拠点を置く、どちらかというと、北方四島に居住をしている人よりももっと大きな勢力、力を持っている人たちが中心だというような調査もあるのですけれども、その点はいかがなんでしょうか。
 それから、最近の密漁の状況についてどのように把握をされているのか。ロシア側の密漁取り締まり官が先般暗殺をされるというような状況があって、密漁取り締まりに関して混乱があるのではないだろうか。また、これに鈴木宗男さんが、こんなことあるかどうかわかりませんけれども、ムネオフラッグなどということが週刊誌にも書かれていましたけれども、そんなような状態が本当にあったのかどうか、北方四島周辺の漁業の実態、特に密漁の問題をどのように把握されているのか、お聞かせ願えるでしょうか。
藤原参考人 お答え申し上げます。
 極東地域、ウラジオストク等の勢力が漁業の場合強いのでないかというようなお尋ねでありますが、根室関係、今根室には年間一千六百隻から七百隻のロシアの船舶がカニ等を積んで入ってきておりますが、こういった状況等をよく見ますと、根室の場合は、極東からこちらの四島周辺海域に来ておるというような感じは私は受けておりません。
 それと、密漁対策でございますけれども、私は、自国の密漁船については自国で取り締まるのが第一義的だというふうに考えております。御案内のとおり、四月一日から、外規法、外国人漁業の規制に関する法律に基づく取り締まりが強化されまして、現在、根室初め稚内、留萌、紋別、小樽等非常に厳しい取り締まりが、取り締まりというか、外規法に基づく取り締まりがなされているわけでございます。そうした中では、今、日本側にとってはかなり不利なというか、従来に比べて不利な状況があると思いますけれども、私は、カニバブル、ウニバブルということで一時的にその港港が栄えるというよりも、やはり、ロシア水域といいながら、資源を大切にし、再生産を図りながら堅実に漁業が行われ、そうした中で正規のものが我が国に入ってくる、輸入されるということが最もベストな形ではないかというふうに思っております。
 それと、ムネオフラッグというようなお尋ねでありますけれども、私はそういうような存在はなかったというふうに承知しております。
 以上です。
荒井(聰)委員 根室市にとっては、北方四島との間のスムーズな交流、一層の交流というのが地域振興にとって大変大きな意味を持っていると思われるんです。これに関して根室市長は、例えばもう少し定期航路みたいなものをつくっていくとか、あるいは有線放送、有線放送というよりも普通の無線放送ですかね、海事情報の交換をしていくとか、テレビが共同で見られるような状況をつくっていくとか、あるいは、今飛行機の航路はないんですけれども、飛行機の航路をつくっていくとか、そういう行政サイドから見た四島との交流策というのはいろいろあるのではないかと思うのですね。
 若干支援事業で公共事業的な手法を使ったんではないかと思われるんですけれども、そうではない、もう少し、地域住民との間の交流の方法というのはさらに考えられるんだと思うんですけれども、藤原市長としては何かそのあたり意見がおありでしょうか。
藤原参考人 まず、船舶等の定期航路の関係につきましては、先ほどの陳述の中でもお話ししましたけれども、戦前には根室を根拠として島々への定期航路が通っていたわけでございますが、今一番の問題は、やはりこの四島との経済交流が我が国ではできない、日本固有の領土であります四島とは経済交流はできないということが決まっているわけでございます。したがいまして、先般の択捉に行きましたときにも、行政府の地区長の方から経済交流の申し出というのがあったわけですけれども、私は、国の基本方針、いわゆる四島とは経済交流はできないんだということをはっきりとお答えしたわけでございます。
 それと、テレビ等の共同聴取といいますか、そういったこと等については、国後の一番最南端の泊村というか、ああいうところでは日本のテレビを受像しておりますけれども、その他の地域では……(荒井(聰)委員「少し短くしてください」と呼ぶ)はい。
 それと、航空航路の関係につきましては、現在のところは通っておりませんけれども、根室としては、コミューター空港の整備等をいたして、将来的にはそういうことも考えてまいりたいというふうに思っております。
 以上です。
荒井(聰)委員 根室市では二島先行返還論に偏った経済人の集まりがあったというふうにも聞いているんですけれども、やはり国論を意思統一していくという意味では、そういう別々な考え方で言っていく団体が出てくるというのは、私は余り好ましくないというふうに思います。
 そこで、小泉参考人にお聞きしたいんですけれども、戦後五十数年間大変御苦労なさって、いまだに熱心な返還運動をされているということで、本当に頭の下がる思いでございます。
 そして、その中で、先ほど和田参考人からもお話がございましたけれども、小泉さんたちの旧島民とそれから居住者との交流というのが極めて大事なことだというふうに思います。そのためにビザなし交流の果たした役割というものはとても大きなものがあったと思います。今後ともこのビザなし交流というのを続けていくべきだと私は思いますけれども、小泉参考人の御意見をひとつお伺いいたします。
 ただ、そういうものと別枠で、ある団体、具体的に言うとピースボートの人たちがこのビザなし交流とは別の枠組みで北方四島を訪れたい、訪れるという情報もあります。このような件に関して小泉参考人はどのようにお考えなのか。
 もう一つ、先ほど戦後補償のお話を伺いました。戦後補償というのは本当に大きな課題でありますし、また難しい課題でもございます。これについても私たちは積極的に取り組んでいかなければならないと思うんですけれども、もしもおわかりでしたら、その残置補償なり、あるいは補償問題についてどのぐらいの予算規模、補償規模をお考えなのかということについて、もしもお答えできるようでしたら、お答えいただきたいと思います。小泉参考人にお願いします。
小泉参考人 私の答えられる範囲でお答えしたいと思います。
 まず最初に、ビザなし交流でございますけれども、十年を経過したわけでございまして、その間に私ども元島民もこの枠の中に入れていただきまして、交流を進めてまいりました。先ほどもちょっと申し上げましたように、交流そのものは順調に推移してございますけれども、その対話の中身というのは、やはり私ども元島民の立場、それから現島民といいますかロシアに今住んでいる、北方四島に住んでいる住民との対話、こういうものについては、ある程度あうんの呼吸で話し合いができるわけでございますけれども、限られた日程の中で、限られた行動の中で十分な島民同士の交流というのは残念ながら進んでいないというのが現状でございます。
 したがって、先生おっしゃったように、私どもは、この交流そのものをもう一度見直していただきまして、やはり元島民、現島民との交流といいますか、腹を打ち明けた話し合いをぜひ進めていただきたいというのが私個人の考え方でございます。
 それから、お話のございましたピースボートの件でございますけれども、これについては、一九九一年に一度ビザをとって行かれたという話を私どもは聞いております。今回話が出ておりますことにつきましては、ちょっと詳細はわかりませんけれども、私ども島民あるいは日本人としてこの北方四島に渡航する場合には、ビザなし以外で、このビザをとって行くということ自体が国の方針に反することでもございます。
 したがって、私自身、これについては最も反対でありますし、それから組織としましても、前回もそうでございますけれども、やはりこれは容認するわけにはいかないという立場をとってございます。
 今回の分については詳細はわかってございませんけれども、言うなれば、ビザなしで行っていただく、そういう形、それから枠も、従来の元島民あるいは運動関係、報道、そして専門家の交流ができてございますので、そういうような考え方からすれば、やはり国の方針にのっとった交流であるべきではないかというのが私の考えでございます。
 それから補償問題につきまして、先ほども、特に私ども、元島民の立場としては最重点項目として取り上げてございます。五条にございますように、このことにつきましては一切、今まで何ら補償を受けていないというのが実態でございまして、私ども内部で試算をせよといえば試算できないわけではございませんけれども、やはり私自身の考え方として、元島民のエゴであってはいけない。国民がこれを理解する、そういう補償でなければいけないということであるならば、やはり第三者機関等に詳細なデータを積み上げていただきまして、それに基づいての補償であるべきだというふうに私は考えております。
 終わります。
    〔松岡委員長代理退席、委員長着席〕
荒井(聰)委員 どうもお三人の方、大変ありがとうございました。
萩野委員長 次に、武正公一君。
武正委員 民主党の武正でございます。参考人の皆様、どうぞよろしくお願いいたします。
 まず、小泉参考人にお伺いをいたします。
 きょうお手元にこのような資料を配らせていただいております。「北方領土問題のこれまでの動き」ということでございまして、こうした文書を東郷局長の方から見せられたり説明を受けたことがおありになるかどうかをお聞きしたいと思うんですね。
 これは、既に当委員会では参考資料として同僚委員が出しておりまして、特に三枚目の「日本側からの歩み寄り」、九八年と書いてありますが、「ウルップ択捉間に国境を確定しぎりぎりの平和条約を探求。」と。このぎりぎりとは何だ、あるいは日本側からの歩み寄りとは何だというような形での指摘が当委員会でもありました。やはり私は、昨年あるいは一昨年、この東郷局長、そして鈴木議員というような形でいわゆる二島先行返還というような形が進められたんではないかというふうに思うわけなんですが、参考人におかれましては、このような文書を東郷局長から説明を受けたことはおありになったかどうか。
 あるいはまた、特に参考人が日経ビジネスのことしの五月十三日に、「無念、鈴木宗男氏に裏切られた」ということで書かれております。いわゆる四島一括返還をこれまでずっと求めてきた、しかしながら、どうも鈴木議員と会っていろいろお話しすると、一括という言葉は困るというようなことのやりとりや、あるいはことし二月七日の全国大会の後、皆様が、我々沖北の委員にも請願に来られました。そのときにも大激論がありまして、私もあの場に居合わせました。ということで、そのときの模様も、小泉参考人は日経ビジネスの方に書いておられます。
 いわゆる四島一括が、いつの間にか二島先行にねじ曲げられたのではないか、これはやはり日本の外交にとって大変問題だということが当委員会でもこれまでも議論されておりますが、まずは、こういった外務省東郷元局長からの御説明ありやなしや。あるいはまた、日経ビジネスに書いておられます、鈴木宗男氏に裏切られた、無念だという小泉参考人のこのインタビュー、このことについて、鈴木宗男議員あるいは二島先行返還論についてどのようにお考えになるか、お答えをいただけますでしょうか。
小泉参考人 お答えいたします。
 鈴木議員との関係でございます。
 私どもは、北方四島に元居住しておりました、今おります私どもの組織の中の会員は、御案内のように、択捉島、国後島、色丹島、それから歯舞群島の五つの居住した島、この島の者をもって構成している団体でございます。したがって、我々の返還要求というのは発足当初から、あるいはもっとさかのぼれば島を追い出されてから、四島一括即時返還というのが私どもの言っている返還運動であります。即時という言葉はとりましたけれども、今でも四島一括返還というのは、私ども組織としても、また我々仲間でも、これはスローガンとして、また実際に返還に当たる外交折衝の中でも、ぜひこのことは守っていただきたいというのが私どもの本音であります。
 お話がございましたように、昨年、二島先行あるいは並行協議というような話し合いがございましたが、私どもは、前段申し上げましたようなことからすれば、四島で組織している私どもの組織としては、二つも三つも切るということができない、こういう立場にございますし、また、我が国固有の領土というふうに言っているこの北方四島については、あくまでも四島一括である。
 ただ、そこで申し上げたいのは、今回いろいろ議論がされておりますけれども、四島一括であっても、四島の帰属の問題が解決して平和条約を結ぶ、これは一言で言えば四島一括返還というふうに私どもは考えております。したがって、実際の返還に当たっては、国の指針でございます段階的な返還もこれはあり得るべきというふうには理解をいたしております。
 さて、鈴木議員とのやりとりでございますけれども、私どもは、先生が今の十三区、旧中選挙区の五区でございますが、その時代からかかわっております。特に十三区の選出であられる現在、やはり、私ども旧島民もそうでございますし、私自身も接触は大変多うございました。これは、地元選出の先生、党派を問わずいろいろお願いをしている立場でもございます。したがって、それはそれで私どもは別に異を唱えるわけではございませんけれども、鈴木先生が北方領土問題に非常に熱心であるということも事実でございまして、また、支援事業等についても非常に熱心にやっておられたということも知っております。
 また、私どもも先生のところへ参りましてよく言われましたけれども、おまえたちは四島一括か、四島一括ですということで随分批判はされましたけれども、それについて、それ以上は先生からのお話はございません。また、恫喝されたということも実際ございませんので、その点はひとつ御理解いただきたいなというふうに思っております。
 蛇足でございますが、先生にはいろいろ、法改正の問題あるいは自由訪問等でお世話いただいておりますので、その点については感謝を申し上げているというふうに私は申し上げておるわけでございます。
 それから、二島か四島かという問題でございますけれども、これは私ども、あくまでも四島ということで進めておりますことを御理解いただきたい。(武正委員「この文書は」と呼ぶ)
 この文書につきましては、これはいただいておりません。そういうことでございます。
武正委員 段階的なことも可能だよといいますけれども、ただ、二島だけで残り二島が戻ってこないというのはこれはもうとんでもないことですから、やはり四島の返還ということは変わりないというふうに私は認識しております。
 この説明資料について、もらっていないというお話でございましたが、これは今回、鈴木議員の著作物の中でも同様のものが出ていまして、日付は三月になっていましたけれども、こういった文書で外務省がロシア外交を進めていたといったことは明らかでございます。
 さて、きょうの要請書には、特に不行使への補償、先ほど荒井議員からも質問がありました。私は、これは、当沖北委員会としてはこの問題についてやはり真摯に取り組んでいくべきだというふうに考えますし、あるいは法案立法作業といったことも必要ではないかなというふうに考えます。あるいはまた先ほど飛行機の話がありましたが、中標津空港から、一回四島の方に飛んでおりますが、やはりこうした航路も必要ではないかなというようなことも考えるわけでございます。
 さて、根室市長であります藤原参考人にお伺いをいたします。
 小泉参考人が日経ビジネスに書かれていた中にも、北方領土返還促進根室会議のことに言及されています。当時の北海道新聞によりますと、鈴木議員はこの会議のことについて、「原理原則でこの戦後の五十六年間、何が進んだのか。大きな目的のためにはさまざまなアプローチがある」というようなあいさつをされた。
 藤原参考人も、その二〇〇一年八月二十六日、北方領土返還促進根室会議の設立のときに、「原点の地・根室の返還運動に厚みと広がりが増したと思う。市としても産業基盤である漁業の窮状を全国に向けて発信したい」というような形で、このときの見出しには「段階返還の団体発足 四島一括から転換」というような形で北海道新聞の朝刊には出されております。
 この市民会議、根室会議の発足のときに市長として参加をされていますが、この会議が設立されたとき、このようなコメントが出ておりますが、参考人はどのように考え、この会議に参加をされたか、お伺いをします。
藤原参考人 昨年設立されました返還運動団体、市民会議の設立経過等についてお答えを申し上げます。
 この市民会議の設立目的は、北方領土問題が未解決に伴いまして、これに起因して疲弊しました地域経済の実情を、経済界の視点で全国民に訴えることであるというふうに承知しております。
 市民会議の構成は、市内の漁協、農協、建設協会、商工会議所など経済界を中心として設立されたものと承知しております。
 以上です。
武正委員 小泉参考人も、二島先行返還のそんな団体ができてしまった、これは四島一括を訴えている貴団体からすれば大変遺憾なことだ、こんなことを日経ビジネスにも書いてありますので、今の藤原参考人の、経済のための団体だというのは私はやはり納得できないわけであります。
 ちょっともう一つ、今、藤原参考人、いろいろ述べましたが、日ロの漁業交渉、これについても、今どんどん割り当て量が減っていますね。割り当て量が減っている中での漁業交渉ですから、ある面、交渉しながら、そしてまた今度領土交渉もする、これはなかなか難しいところがありますね。やはり、魚をできるだけとらせてください、こういう交渉をしながら、一方で領土を返してほしい、この両方というのは大変実は難しいところがあるんじゃないかなというふうに考えるわけなんですが、ちょっと時間の関係もありますので和田参考人の方に移らせていただきます。
 昨年の六月二十九日ですか、対露政策を考える会がやはり九三年の東京宣言を今後の交渉の原点にすべきだというようなことを言っています。あるいは、その対露政策を考える会のメンバーでもありますし安保研の代表でもあった末次一郎さんが、産経新聞との対談では、やはり対ロ交渉は基本路線に立ち戻れというふうに言っております。
 先ほど参考人は、外務省が二島先行返還論をリードしたのではないというようなことも言われておりますが、私は、それはやはり認識が違います。そういった中で、五六年の日ソ共同宣言がまず交渉の原点だというような参考人の御発言がありましたが、この末次さんの言われました、東京宣言を今後の交渉の原点とすべき、そして対ロ交渉は基本路線に立ち戻れ、この点についてはどのようにお考えになりますか。
和田参考人 交渉の原点というふうなものをどういうふうに考えるかということでございますけれども、日本とロシアの間には、基本的に、国交を樹立した際の基本的な文書であります五六年の宣言というものが存在いたします。ロシア側はこれを嫌って、これを否定しておりました。日本側でも、この文書はややもすると二島返還を裏づけるのみであるということで、これに対する反発というものが、かつてもありましたし、現在も存在しているように見えます。
 しかしながら、国家と国家の関係というものは、やはり基本的に取り交わした文書というものを基礎にいたして行うものでありますから、私は、ノーマルな交渉といたしましては、五六年を基礎にして、そこから出発した上で、日本としては四島返還になるようにそこから努力をしていくというのがやり方だと思っております。
 それで、東京宣言の方は、先ほども申しましたが、共同声明でございまして、これは五六年共同宣言とは比重が全然違うものでございます。それで、確かにここでは、四島について帰属を解決する、そして平和条約を結ぶんだということが述べられておりますし、先ほど指摘した三原則が述べられておりますけれども、しかし、それは一つの抽象的なものを述べているだけにすぎませんで、これだけでは領土問題の解決、日本が望むような解決に直ちに歩み寄れるというものではないわけであります。
 それから、今の御指摘のとおり、四島一括返還論というもので進められましたいわゆる川奈提案問題でございますが、川奈提案問題というものがぎりぎりの提案として出されましたが行き詰まりましたという状況のもとで、交渉の仕組みを変えるということで段階的なアプローチが出たものというふうに見ております。それは、四島返還論を捨てるというものではなく、それを達成するための新しいアプローチであるというふうに私は見ております。ですからこれが、二島返還で中間条約を結んで、そしてそれで進めていくとなりますと、これは確かに二島先行返還論でございますが、進みましたのはそういうものではなかったのではないかと私は見ております。
 ですから、末次先生が生涯最後の文書でああいうふうに御指摘になられましたことを私も重く見ておりますけれども、しかし、やはり大筋に考えれば、イルクーツク声明に対する非常な心配が当時存在しておったのでございますけれども、次第にそれは薄らいできている、イルクーツク声明というものを基礎にして交渉できるのではないかというふうになっておったのではなかろうかと思われます。
 ですから、末次先生が生きておられれば、また、もう少しどういうふうな展開になったかということを私はいつも考えております。
 以上です。
武正委員 以上で終わります。ありがとうございました。
萩野委員長 次に、丸谷佳織さん。
丸谷委員 公明党の丸谷佳織でございます。参考人の三名の皆様、きょうは本当にありがとうございます。
 二年前の十一月には、この沖縄北方問題特別委員会におきまして、藤原根室市長また小泉理事長、お越しくださいまして、御意見を述べていただきまして、私も質問をさせていただきました。本日、御意見をお伺いしておりまして、この二年間、皆さんの御要望に、あるいは御意見に対して本当に一つ一つ結果として出すことができたんだろうかと一議員として反省をしながら、またきょう皆さんの御意見を聞かせていただいてもおりました。
 二十分という時間ですから、早速質問に入らせていただきたいというふうに思いますけれども、まず、和田先生にお伺いをしたいと思います。
 先生が新聞ですとかあるいは外交、安保関係の雑誌に寄稿されたものを拝読いたしました。その中で私が理解しておりますのは、この北方領土問題におきましては、友好の増進と領土問題解決のための条約を結び、歯舞、色丹の返還をまず約束させる、国後、択捉というものに関しては、交渉の期限をまた設定して、部分返還交渉による打開策というものをとっていくことも、これは大きな前進の一つであるというふうに主張されていると理解をしております。
 私もこの方法は外交の手段として根強く残るものだというふうに同じ思いをするんですけれども、例えば期限を区切る、あるいは時間の設定をするということに関しまして、以前、二〇〇〇年というめどを立て、クラスノヤルスク合意から基づいて、元島民の皆さんですとか日本全体が非常に期待を膨らませた結果、これがなかなか思うように進展しなかったときの反作用といいますか、失望感というものがまだ最近のことで根強く残っているものですから、時間の設定、期限を限定しての交渉というものに対して一抹の不安も感じる次第であります。
 例えば十年、十年後に国後、択捉の交渉をしていくということに関して、どのような根拠でお考えになっていらっしゃるのかということをまずお伺いしたいと思います。
和田参考人 今先生が私が述べておる議論を御紹介してくださいましたが、大筋においてそのとおりでございますけれども、もうちょっと述べさせていただきます。
 私、「北方領土問題」という本を九九年に書きまして、非常に領土交渉が行き詰まっておるときでございましたので、そこで巻末に私の提案を述べさせていただきました。
 その中で私が述べましたことは、まず五六年の共同宣言の約束を再確認してもらって、そして二島を将来、平和条約を結んだら返すということを確認してもらう、再確認してもらう。そしてその上で、十年間、四島を対象とします共同経済活動というものを行って、そして、島民の人々あるいはサハリン州とも協力関係をつくり上げていく。そういう変化の上で、十年後にもう一度、残り二島についての交渉を行って、そこで平和条約を結ぶように期す。
 二島返還というのは、先行して二島返還をするということではないわけでございます。最終的に四島というものを平和条約を結んで実現することが目標でございますが、今のような段取りをとったらどうかというふうに私は考えたわけでございます。
 ですから、お尋ねの点につきましては、十年間、四島と経済的な交流というものを行う。それは、日本の主権主張を害さないような特別な法制的な枠をロシア側と話してつくりまして、それを進める。こういうふうな案になっておるわけでございます。
 以上です。
丸谷委員 それは、とりもなおさず日本とロシア間の、また国民同士の理解と友好の増進につながり、そして、その経済協力は、変わり行くロシアを見ながら大体十年をめどにされたということだというふうに、理解をさせていただきました。
 続きまして、交渉相手として、今、プーチン大統領がいるわけなんですけれども、現在のロシア政権を相手に交渉するというのは、非常によい時期、モーメンタムを得ているというふうに思います。というのは、さきのカナナスキス・サミットの中でもロシアの正式加盟が決まりましたし、また、プーチンは非常に高い支持率を得て、政権自体も安定をしている、また、首脳会談もことしの末あるいは来年の年明けに行われるということ、それぞれを見ましても、また、先ほど参考人の御意見の中にもありましたが、プーチンが、五六年宣言というものをしっかりと自分の義務として理解をしているということを考えますと、交渉段階としては非常にいい状況にあるというふうに思います。
 こういう状況を踏まえて、どのような点に注意をしながら日本は外交を進めていくべきというふうにお考えになられるか、この点について、和田参考人にお伺いします。
和田参考人 大変難しい御質問であるように思いますが、お述べになられました、プーチンを相手に交渉を進めるのにはよい時期だという点は、私も全く同じ意見でございます。
 というのは、先般、ゴルバチョフ、そしてエリツィンとの交渉は、日本が非常に強い切り札、これだけは獲得したいということを出して交渉しましたが、いずれもほとんど政権の末期であって、ゴルバチョフは日本から帰るとすぐその年のうちに政権が崩壊してしまいましたし、エリツィンも、先ほど申したような状況でございます。ですから、新しい指導者が出てきて非常に支持を得ている段階で、時を移さずにそこで話し合いを詰めていくということが私はよいと思われます。
 ですから、プーチンとの間にイルクーツク共同声明ができて、それに基づいて話を進めていくというのは非常によいタイミングであったにもかかわらず、混乱が生じましたことは、非常に残念でございます。
 それで、今は再建していくというところでございますから、日本といたしましては、橋本総理の演説に始まった、日本にとってロシアは必要だ、ロシアにとっても日本が必要だろうという、この確認の上で、日ロ友好の政策をとっていくという方針は不動であるということを示しながら、返還され得るとロシア側が述べておる二島に対して日本がどのような政策をとるか、どのような条件を提示するか、そして、残りの二島についてどのようにそれを日本側に返してもらうように説得するか、やはりこのことを精力的にやる以外にはなかろうかと思います。
丸谷委員 ありがとうございました。
 今までの交渉の仕方を見てきても、例えば橋本・エリツィン会談がありましたが、余りにも一つの流れに頼ってしまうと、そこが崩れたときに何ら進展を得ない、そういうことも反省点として踏まえつつ、また議員外交等も推進しながら、これから多角的な交渉を、この非常にいい時期に重ねていかなければいけないということだというふうに思います。
 続きまして、藤原参考人にお伺いをしたいと思います。
 私自身も、北海道出身の議員としまして、根室沖、また羅臼沖の漁業の状態というものの視察等を重ねてまいりました。その中で、実際に、ロシアのトロール船という大きな船のもとで、日本の小さな船が資源の確保等も考慮しながら操業をされている、時には安全じゃないというふうに感じることもある、また、漁網の非常に大きな被害もまだ残念ながら出てきている状況をつぶさに見てまいりました。
 これを踏まえまして、外務大臣も外交ルートを通じてロシアの方に即刻申し入れを行い、また、あちら側からも、わかりましたというような返事をもらえるにもかかわらず、毎年これが繰り返されている。というのは、先ほどの議論の中にもあったというふうに思いますけれども、実際に、ロシアの中央側とまた各自治体では、意思疎通というものがなかなか図られていないんだなというふうにも思うわけなんです。
 先日も、羅臼沖の方にお伺いをしましてお話を聞いた中では、例えば、この日本という資源を持たない国において現在サハリン2プロジェクト等がございますが、油田事故があった際にも、情報伝達というもの自体、なかなか日本側には伝わらなかったと。油田事故による水域の環境汚染という問題も今後十分懸念をしていかなければいけない旨の、漁民の皆さんからの御要請もあったわけなんです。
 こういった漁場の環境あるいはサハリン2プロジェクト等による環境汚染への懸念等、いかがな問題意識を現在お持ちになっているのか、藤原参考人にお伺いをします。
藤原参考人 お答え申し上げます。
 ただいま御質問がありましたとおり、羅臼沖では、冬期間、一番多いときでは五隻というふうにカウントしておりますけれども、ロシアの大型トロール船がスケトウダラをねらって来ております。日本の羅臼の船は刺し網船でございますから、非常に漁獲が限られておる。そうした中で、トロール船がスケトウダラを一網打尽に持っていくというようなことがずっと続いているわけでございます。
 そうした中で、外交ルートを通じまして要望しているわけでございますが、現在のところ、そういった実現は見ておらない、ロシアの大型トロール船の操業というのは中止になっておらない。残念ながらそういうような状況が続いておるわけでございます。
 また、サハリンプロジェクトの油田開発事故等についてのお尋ねでありますが、私も、そういった事故が万一発生した場合は、サハリンからオホーツク沿岸、そして知床半島から根室等にも回ってくるんではないかというふうに、非常に懸念しております。流氷の流れ等を見ると、そういったことで油が回ってくるんではないかというふうに思っておりますが、これはあってはならない事故だと思っておりますので、今後とも、国等に対しまして、未然防止を要請していくつもりでございます。
 以上です。
丸谷委員 ありがとうございました。
 予算措置の中でも、このような環境問題を未然に防ぐための措置というものをとっていかなければいけないというふうに思っております。
 続きまして、最後になるかというふうに思うんですけれども、小泉参考人にお伺いをします。
 以前に当委員会でも御意見を伺わせていただいた中で、命からがら日本に逃げてこられたというお話を本当に切実な思いでお伺いをしておりまして、本日も北方領土への墓参の慰霊について強く望まれる御意見をお伺いしまして、人道的な観点からも、何としてもこの北方領土への皆さんが望む形での墓参の慰霊というのを実現していかなければいけないなという思いでいっぱいでおります。
 また、旧島民の皆様も非常に高齢になられているという状況を踏まえますと、後継者の育成というものも非常に重要かというふうに思いますが、現在、青少年後継者の育成に対しまして、どのような予算措置の中でどのように行われ、また、今後に向けてはどのような支援を望まれるのか、この点についてお伺いをします。
小泉参考人 お答えいたします。
 島への思いということで、墓参事業でありますとかあるいは自由訪問等で参っておりますけれども、やはりいまだに墓参に行けないところもございまして、ぜひともこれらのところにつきましても行けるように、また希望する時期にお願いしたい。
 それから高齢化でございますが、平均年齢七十歳、もともと、元島民一世といいますと一番若くても五十七歳でございます、当然でありますが。このような状況の中で、領土返還が長引いている、あるいはこれからいつになるか、なるべく早く解決をしてほしいのでございますが、この運動を引き継ぐために私どもは後継者育成をいたしております。
 先ほどお話ししましたように、私どもの組織の中に支部が十五ございまして、それぞれの支部に青年部あるいは後継者の方々の集まりを持ちまして、我々一世からの運動の引き継ぎあるいは一緒に運動をする、こういうことをやっておりますけれども、何せ私どもの限られた予算の中でもございます。それから、後継者といいましても仕事を持っている後継者でございますので、集まるのはどうしても休日あるいは夜間というようなことになりますと、例えば場所の選定であるとか集まる人数、そういうものに非常に制限がございます。
 私どもとしては、私どもの今までやってまいりました運動を、島の思いをあわせて後継者にお伝えをしていきたい、そのためには予算化を、何がしかの予算をお願いしたいというのが私のお願いでございます。
丸谷委員 どうもありがとうございました。
 本日の御意見を十分に受けながら、外交ルートでも、また議員外交の中でも、しっかりとした一つの方向性を持って四島返還に向けて努力をしてまいりたいというふうに思います。
 本日は、参考人の皆様、どうもありがとうございました。
萩野委員長 次に、一川保夫君。
一川委員 自由党の一川保夫と申します。本日は、参考人の皆さん方、御苦労さんでございます。今のやりとりを聞いておりまして、重複をできるだけ避けてお聞きしたいと思うんです。
 先ほど、小泉参考人のお話の中にちょっと触れられておりました。そこで、小泉参考人と藤原参考人にお聞きするわけですけれども、今回までのいろいろなビザなし交流運動、これについての一つの総括の中で、島民同士の、まあ島民同士という表現が正しいのかどうかわかりませんけれども、要するに皆さん方は元島民でございますけれども、今現在四島に住んでいるロシア人の方々とのいろいろな実質の交流、話し合い、そういうものが余りうまくいっていないんではないか。私は個人的にもちょっと思いがあるのは、どうも、ビザなし交流的な交流運動は盛んにやってはきているんだけれども、今四島に住んでいるロシア人の皆さん方が、ロシアの世論を喚起するためにあの人たちが何をやってくれているんだと。
 確かに、今、日本の皆さん方はいろいろな交流を一生懸命行って、それなりのことは頑張っていらっしゃるわけだけれども、本当にロシアの方々は、ロシアの世論を喚起するための何か運動的なものなりそういうものに、ある程度日本の国民の気持ちを理解しながら頑張っているという方々がふえてきているのかどうかなというところがちょっと気になるわけですけれども、そのあたり、藤原さん、小泉さん、お二方はどういう印象をお持ちですか。
    〔委員長退席、金田(英)委員長代理着席〕
藤原参考人 お答え申し上げます。
 ビザなし交流等は、御案内のとおり、ことしで十年目を過ぎまして、かなりの交流がなされているわけでございます。昨年までに約八千八百人以上の交流がなされているわけでございますが、個人的には、先ほどお答えしたように、最初は、島の住民の人たちは北方領土問題があったというその存在すら知らなかったということでございますが、今はそういう問題があるという認識はみんな持っております。ただ、そういった中で、個人対個人の交流はよいわけでございますけれども、やはりビザなし交流の中で反省すべき点は、領土問題について話し合おうということがだんだん薄れてきたという中で、改めて昨年あたりから領土問題についての話し合いが持たれてきておるということでございます。
 ただ、一点申し上げたいのは、外務省の基本的姿勢というのは、島の、現在住んでいるロシア人から領土問題について本国へ意見具申して云々、そういうようなことは考えておらないというふうに私は受け取っております。
 以上です。
小泉参考人 お答えいたします。
 ビザなし交流のことにつきまして先ほどちょっと申し上げましたが、私も何回か交流に参加をさせていただきました一員でございます。ごく最近は、先般尾身大臣が国後島に参りました折に御一緒させていただきました。
 そのとき、交流の中で歴史教育、これを日本側とロシア側がそれぞれ担当して実施をいたしました。その中での話し合いというのは、非常に間違っているといいますか、話自体がすれ違いが多いということを私はじかに感じてまいりました。先ほど和田先生の方からもお話がございました、やはりもっと歴史教育なりあるいはそのことについての時間を十分費やす必要があるのではないかな、おざなりの、細切れの時間で交流をしていくのではなくて、そのことについてじっくり話し合いをする必要があるんではないか。
 私、気づきましたのは、国後島に行きましたときに、ロシア、国後、日本という、ロクニという名前の交流組織がございまして、女性でございますが、一生懸命やっているということでございまして、お話を伺いました。これは最近できたのでございましょうが、日本とロシアの交流、そして領土問題について話し合いをするという団体でございますけれども、ほかの島にはございません。したがって、こういった地元、ロシア側での交流、そういった団体ももっともっと強化されていくべきではなかろうかなというふうに思っております。
 島の関係につきましては、今ロシア人住民が住んでいるのは三島でございますけれども、それぞれやはり温度差がございまして、色丹島、国後島、択捉島の順で領土問題についての関心の度合いが違うということを実感いたしております。
 以上であります。
一川委員 これは、相当、何年もかけていろいろな運動が展開されてきておるわけです。
 何年か前にこの委員会でちょっと私の考え方として申し上げたことがあるんだけれども、日本の国民世論全体を喚起する運動というのは全国的に展開をされております。
 今回の支援事業にかかわる鈴木議員のああいういろいろな疑惑問題というのは、ある面では全国の運動家にとって大変ショックな出来事なんですけれども、一つのやり方として、今ロシア人の方で北方領土に住んでいる方々を日本に返還された段階で強制的に退去させるということじゃなくて、本人の自由意思の中で、いろいろなやり方があると思いますけれども、もしと言うとおかしいんだけれども、もともと日本の固有の領土であるその領土が日本に返還された暁には、日本政府としては責任を持って、この四島はこういうふうに振興しますよ、こういうビジョンを持っていますよというものを日本政府としてもつくったっていいじゃないですか。それを日本国内の方々に理解していただく。それで、日本国民全体の運動にもっと熱がこもるかもしれない。
 それからまた、ロシアの方々にも、ああ、日本政府はそこまで考えてもらっているのかというのであれば、何かもっと円満に返還が動き出す可能性もあるんじゃないかなと私は思って、そういうことをちょっと意見を言わせていただいたことがあるんです。
 そのときの政府の答弁がちょっとおかしいんですけれども、いや、それじゃまた、よその国が住んでいるところに日本が勝手にどうのこうのというような答弁をされておりましたけれども、しかし、日本の固有の領土、日本の主権があるということを主張している以上はそういうことがあっていいんじゃないかと思ったんですけれども、和田先生、そういう意見はどう思いますか。
和田参考人 おっしゃられた点はとても大事な点ではないかと思われます。
 それで、イルクーツク共同声明によって開かれているのは、二島は返すという約束が確認されるということでありますと、その二島につきましては、こういうふうな将来ビジョンを日本側は考えておるということを提示できることになるわけではないかと思われます。四島全体に対してこういう案を我々は持っているんだと言ったら、ロシア側は聞かないわけでございまして、今まで引かなかったんでございますが、二島について向こうが返すという約束をするならば、そこについてはこういうふうな案を出すということにいたしまして、それを残りの二島の人たちに対しても知らせていって、こういうふうなことになるのかという話を進めていくことができるという意味では、返還されるとする島に対してはこういう案を持つということを出すのは非常に重要ではなかろうかと思います。
 例えば、この点につきましては、私、思い切った方策というようなものが考えられる必要がある。例えば国籍問題、ロシア国籍と日本国籍の関係、あるいは二重国籍を認めるのかどうかというような問題、それから、移住するロシア人に対してお金を払うことは当然でございますが、残るロシア人が多数を占める場合には、行政を何語でやっていくのかという問題、公用語をどうするかという問題、そういうようなことにつきまして柔軟な思い切った政策を考えて、そして提示するというようなことは、残り二島にとっても非常に大きな影響を持つのではなかろうか、日本国民にとってもそれはまた非常に新しい視野が開ける思いを喚起することになると思いますけれども、そういうふうなことを思います。
一川委員 和田先生にもう一点、お考えをお聞きするわけですけれども、クラスノヤルスク会談という会談がありましたね。橋本総理と当時のエリツィン大統領との話し合いの結果、二十世紀中に平和条約を締結する目標でやろうということが合意されました。当時、大変なことだなという印象、画期的なことだなというふうな、一つの期限を決めたというのは。
 当時、ある程度期限を切って合意ができるんじゃないかというような感触をお互いに持ったというのは、何か理由があるんじゃないかと思うんですけれども、そこのところは、先生は当時のことをどのようにお考えですか。両首脳が期限を切って平和条約を締結しましょうというふうに至ったその背景といいますか、それはお互いの人間同士の信頼関係みたいなものがあったのかもしれませんけれども、そこのところをどのように理解していらっしゃいますか。
和田参考人 日本側といたしますと、二十世紀の戦争の時代における後始末の問題、平和条約の問題でございますから、これを新しい世紀に持ち越さず二十世紀のうちに解決したいというふうに思ったところは、もう普遍的なもので、みんながそういうふうに思っておりましたし、総理もそういうふうにお考えになっただろうと思われます。
 問題は、ロシアの側が、エリツィンがそのように答えたということでして、これは非常に予想を超えた展開であったと考えられます。なぜ、そのようなことをエリツィンが踏み切ってそういうふうに申したかということでございますけれども、エリツィンという人はなかなかわからないところがある人でございますが、やはりそれは、先ほど申しましたが、橋本総理の経済同友会演説というものがロシア人の間に非常に強い熱狂を呼び起こしておりました。エリツィンもまたその一人ではなかったかと思います。
 NATOの東方拡大というものにロシアとしては非常に苦慮しておりまして、日本との関係というものをよくすることによって、それに対して備えていきたいという気持ちもひとしくあったように思われます。ですから、日本の政策がロシアに対して変わったということを非常に強く感じ取って、やはりそれに対してこたえたいという気持ちがああいう方向に踏み切らせたのではなかろうかと思います。
一川委員 それから、和田先生にもう一点、先ほどのやりとりの中で、小泉政権がスタートする段階で、北方領土返還交渉の基本的なところが政府の中で若干混乱があったのではないかというような言い方があったと思うんですね。そこのところをもうちょっとかみ砕いてお話ししていただけませんか。
和田参考人 当時、森政権から小泉政権に変わったわけでございまして、森前首相と小泉首相とは同じ派閥でおられましたところでいえば、森政権が達成したところを小泉政権としては受け継いで進まれるというのは当然のことだと思われます。
 ところがその点で、四島返還ということは日本の基本的な方針でございますから、これを追求するのは何ら変わりがないわけでございますが、しかし、四島一括返還という言葉の使い方が、当時、さながらイルクーツクでの達成というものと微妙に食い違うかのような印象を与えるようになりましたことが、少し混乱を招いたのではないかと思います。田中外務大臣の発言も同じような形をとったと思われます。その点がもう少し、継承性といいますか、連絡をつけた上でお話しになればよかったという印象を私は持っております。
 以上です。
一川委員 そうすると、和田先生、今、小泉総理以下外務大臣も含めて、北方領土返還に対する政府としての基本的な姿勢というのは、森内閣のときの姿勢と若干変わってきておるというような印象をお持ちですか。
    〔金田(英)委員長代理退席、委員長着席〕
和田参考人 当初は確かにそのような印象を与えたわけでございますが、その後、小泉総理は、プーチン大統領と何回かお会いになられまして、そしていろいろお話をされた結果、現在のところ、日本の政府の方針としては、森政権が達成したイルクーツク共同声明というものを基礎にして、それをさらに進めるという方向で交渉しようというふうにはっきりとした軌道をお持ちになられたと私は思っております。
一川委員 最後になりますけれども、藤原参考人、小泉参考人にお考えをお聞きするわけですけれども、先ほどちょっと触れましたように、我が国全体の世論を喚起して国民運動を展開していくという中で、今回、こういった北方領土にかかわる、疑惑を抱かせるようないろいろな問題が生じたということで、全国のこういった運動家の方々あるいは国民一般の皆さん方にも、いろいろな面でマイナスな影響、悪影響が及ぶんではないかということが懸念されるわけですね。
 御両人、地元におられて熱心にいろいろな運動を展開されていると思いますけれども、今、日本の国民の一般の皆さん方に対して、この北方領土返還運動について、ここで再度何か呼びかけるとしたら、どういうお気持ちでこれから再度運動を展開していかれようとするのか、そのあたりの見解をちょっとお話をしていただければ、簡単で結構ですけれども、お二方からお願いしたいと思うんです。
藤原参考人 お答え申し上げます。
 北方領土問題に関する一連の問題につきまして、これが事実とすれば、私は、遺憾なことであり、地元の返還運動に少なからず影響があるんではないかというふうに考えておりますが、いずれにいたしましても、この問題が返還運動全体を停滞させることがあってはならないというふうに考えております。
 以上です。
小泉参考人 お答えいたします。
 先生がおっしゃるように、確かに、今回の疑惑事件で、返還運動関係者に対するマイナスイメージというのは多分にあったというふうに私どもも思うわけでございますが、いろいろな団体等々といろいろお話し合いをしている中で、今回の事件については、やはり領土問題の認識を改めてきた、こういうことについてはプラスに評価していいんじゃないかと思う。しかし、運動そのものへのマイナス面は確かにありますので、これからもめげることなく運動を続けていきたいというふうに考えてございます。
一川委員 北方支援にかかわるいろいろな疑惑問題等々、いろいろと国会の場でも、またはマスコミ等を通じて大変な話題になったという面、北方領土問題というのに今まで余り関心のなかった方々も逆に関心を持っていただいたという面では、一つのチャンスだというふうにも思います。これを健全な方向で正しく立て直しをして、しっかりと早期に返還できるように我々も含めて関係者一丸となって展開していく、そういう面では、今おっしゃったような面で非常にチャンスだというふうにとらえて、反省するところはしっかりと反省して、前進していくという気持ちで臨みたいというふうに思いますので、ぜひ皆さん方も頑張っていただきたい、そのように思います。
 ありがとうございました。
萩野委員長 次に、赤嶺政賢君。
赤嶺委員 日本共産党の赤嶺政賢でございます。
 根室の藤原市長、それから小泉理事長にはたびたびお目にかかり、その都度問題の深さを受けとめてきているわけですが、大変印象に残っておりますのは、二〇〇〇年の八月に当委員会で根室市に伺いまして、旧島民の方々の要望も伺う機会がありました。
 ちょうどそれは、プーチン来日を前にして、北方領土問題があるいは前進するのかしないのか、大変不安な状態にある中であの交流会が開かれたわけですけれども、そのときに、元島民の方の発言として印象に残っておりますのは、非常に疲れており、墓参もビザなし訪問の受け入れもことしで限界だ、こういう発言がありました。それから、四島で私たちの土地に発電所を建てるなら、残置財産を国が一括で買い上げてほしい、こんな発言もありました。
 当時を思い起こしまして、その土地に発電所を建設する問題が今日、疑惑、利権の問題として取り上げられているわけですけれども、その一事をとってみても、政府の北方領土問題に対する対策というのは、打つべきところに対策を打たずに、打っちゃならないところに対策をとっていたのかなという感じを持っています。そのときにも島民の方の高齢化が言われ、元島民の支援対策があれば返還運動も活発になる、半世紀以上も望郷の念を抱いて、そして今か今かと待ちわびていた返還がその都度遠のいていくような事態に、大変怒りと悩みを訴えられていたあの集会を思い出しております。
 それで、具体的な質問に入りたいわけですが、まず小泉参考人にお伺いをいたします。
 この皆さんの連盟の出している要望書の中でいつも気にかかることが一つあるんです。それは、「自由訪問等に係る渡航手段について」「元居住者の高齢化等に配慮した安全性と快適性に優れた専用船舶等を確保するなど、渡航手段について万全の措置を講ずること。」という項目があります。
 実は、私もこの間の沖縄北方のこの委員会で、当委員会で取り上げた友好丸、人道支援事業として二億円もかけて、船は建造したけれども一年以上も使われていないという問題にかかわって、そういうむだ遣いを改めれば高齢者の方々の墓参への専用船舶の確保もできるんじゃないかということを申し上げたんですが、いま一度、墓参に行く場合に使われている船というのはどういう船で、それは高齢者の方々にとってどういう条件になっているのか、それで、どういう専用船舶を求めていらっしゃるのか、この辺を具体的にお聞かせいただけたらと思います。
 小泉参考人、よろしくお願いします。
小泉参考人 お答えいたします。
 先生には、先回の私どもの陳述につきまして大変御理解をいただきましたことを、厚くお礼を申し上げます。
 そのときも、墓参にしましても、ビザなしあるいは自由訪問につきましても限界だということを申し上げたわけでございますが、渡航手段につきましては、先ほど申し上げましたように、墓参というのは個人のものだというような言い方がされておりまして、私どもとしては、自由に行けるのであればこれは自由に行けるわけでございますが、今のような状況では行くわけにいかない。したがって、国の方に要請をし、私どもは船舶を御用意していただいております。その船でございますが、これは北海道庁が主体になっておりますが、民間の船をチャーターしたり、あるいは国の、水産大学の船を回していただいたり等々、あるいは北海道の監視船を使う、こういうようなことがございます。
 いずれにしても、その船一そうでは、単独では、なかなか墓参なりほかの訪問が不自由だ。というのは、向こうに参りまして、桟橋なりそういった上陸地点がはっきりしていて、そこに接岸できれば別でございますが、どの島へ行きましても、直接接岸はできない。そういう状況の中で、やはり次の、一級下の船を用意していき、さらにボートを用意していって、三段ぐらいの分け方をして上陸をする。その間、波もありますし、海の上をまたぐわけでございますから、これは高齢化している人間については大変危険である、そういうふうなこともございます。
 それから、船舶でございますが、やはり夜間寝るには非常に不自由で、それからベッドも二段ベッドになっておりまして、上の方に上がっていくのははしごを使って上がる、そういう中では、途中で揺れでもしたらおっこちてくるわけですね。ベッドそのものも問題でございますが、船内が非常に手狭である。
 それで、今申し上げましたように、上陸する地点での振り分けが大変に大変ということで、ただ一隻の船を使っても、これは実行不可能でございます。したがって、段階的な船を用意していただき、またその間、非常に便利ないい船でなければいけない。極端でございますが、上陸用舟艇のようなもので行けばこれは別でございますが、今の、例えば友好丸、希望丸等では、これは単なるはしけでございます。
赤嶺委員 大変ありがとうございました。
 安全性と快適性にすぐれた専用船舶の確保、水産大学の訓練船というのは高齢者にとってどんな条件の船なのかというのは、ちょっと考えただけでも、大変きつい条件だなということを思いました。
 それで、今度の問題とは別個に、政府が進めてきた人道支援というのも、私、人道支援そのものを否定するわけじゃないわけですけれども、問題になりました発電所でも、四億で済むものが四十億円使われていたとか、北方領土という名前で、一方では浪費で利権に満ちたお金の使い方があり、もう一方では本当に大事なところにお金が使われていないということを痛感しております。
 そことかかわって、藤原市長に、北特法の問題についてお伺いいたします。
 六月十二日にも、同趣旨の要請を、根室市議会の島津議長を初め北方領土対策特別委員会の波多委員長、議会代表から私たちも受けました。まず最初に十条の改正の問題ですが、金利七・三%で、百億円の基金があって、その運用益によって単独事業を起こしていきたい。ところが、運用益に大幅な狂いが出て、法制定時には想定できないような事態になっている。
 私たちは、そういう運用益によって事業を運営していくそもそもの見通しが、議員立法であったとはいえ、政府が責任を持った見通しであるわけですが、こういう結果になっているわけで、やはり運用益に対する補てん、例えばJR北海道についても、同じように運用益で運営していくということが目算が狂いまして、今、国は、JR北海道には運用益の補てんというものを実行しております。
 十条については、やはりそういう運用益の補てんというのが今大事な課題になっていると思うのですが、その点、その運用益を活用しての市の事業がどういう条件にぶつかっていて、どうしなければいけないのかというところを市長の方から御意見を伺いたいと思います。
藤原参考人 北方基金の運用益の減少による影響についてでございますが、まず、北特法の第十条に規定されております北方基金の運用益は、制定時、十年間で百五十二億の単独事業について二分の一の補助率で、年間七億三千万円、十年間で七十三億円を見込んで設置されたものでございます。先ほどから申し上げておりますとおり、金利の低下などから、現在まで二十年間で約六十億円ということでございますから、大きく目減りしているわけでございます。
 そうした中で、今後、どのようにこの金利の補てんをしていくかということになりますと、今の状況の中では、低金利の時代というのはしばらく続くものというふうに私は考えております。そうした中で、今後の北方基金の改正につきましては、先ほどもお答え申し上げましたけれども、隣接地域の振興、そして啓発、援護等の推進に要する財源にこの運用益では当然不足するわけでございますから、その不足する金額について、国において何らか交付していただきたいということでございます。そして、その補助対象事業の拡大とか振興事業にかかわる補助率の改定等についてもお願いしておるところでございます。
 以上です。
赤嶺委員 どうもありがとうございました。
 私も、今の低金利の中で、この制度をつくられた当時と大幅な狂いが出てきているという地点に立って、運用益に対する補てん、補助、これが大事になっていくのではないかと思います。
 根室市が、北方領土がロシアに不当に占領されたことによって産業の衰退を招いているということも、たびたび聞かされているお話であります。
 実は、私、沖縄県の出身でありまして、やはり米軍の占領下、あるいは沖縄戦の地上戦などによって起こされたインフラ整備のおくれ、産業振興の立ちおくれ、今日なお米軍基地が存在することによって産業がなかなか起きない、失業が全国の二倍もある、こういう状況の中で沖縄の特別措置法があります。さらに、きのう、政府において振興開発計画も承認をされておりますが、その沖縄振興を支えているのは高率補助制度であります。私、北特法も同じような制度だと思っていたんです。
 そうしたら、先ほどの御説明にもありましたが、標準財政規模の一〇%を上回る事業についてだけ適用する。一〇%といいますと、根室市の場合は十億円を上回る事業のときに適用されるということで、実際には余り使われてないという御説明だったと思うのです。それだと、本当に使い道がないんじゃないかと思うんですけれども、この点、もう一度市長の御意見を伺いたいと思います。
藤原参考人 お答え申し上げます。
 先ほども申し上げましたけれども、現行の規定を適用するということになりますと、国庫補助事業費のうち、自治体負担額が標準財政規模の一〇%を上回らなければ、現実的には適用にならないということでございまして、昭和六十一年実施以来、当市においては一度も適用されておりません。
 ちなみに、当市の標準財政規模は百三億円でございますから、十億円以上の事業を負担しないと適用にならないということでございますから、非常に難しい状況にございます。
 以上です。
赤嶺委員 私は、やはりその一事をとってみても、これは振興法としての法律の役割をなしていないというぐあいに感じます。この前、議会の陳情来たときもつくづくそのことを思いまして、皆さんの高率補助制度という点について、やはり今後も取り組んでいかなきゃいけないなという意を持っているところです。
 それで、最後の質問になりますが、時間があれば御三名の参考人の方々に一言ずつお伺いしたいんですけれども、領土の返還運動というのは、いろいろなやり方をとってまいりました。るる議論も当委員会でありました。結果として、何も進んでいないということだろうと思うんです。どこに前進があったかといえば、やはりない。
 私たちも、沖縄が米軍占領下にあったときに、祖国復帰運動が県民規模でありました。そのときに、沖縄県というのは、サンフランシスコ条約の第三条で米軍の統治下に置かれる、不当に置かれるということで、沖縄県民が掲げた要求というのは、サンフランシスコ条約第三条の撤廃でした。それ以外の、対米交渉だとか、いろいろな議論が起きました。教育権だけ分離して返還しようだとか、施政権の地域を分離して返還しようだとか、現実主義的ないろいろな提案がありましたが、沖縄県民が一貫して求めてきたのは、サンフランシスコ条約第三条の撤廃でした。そして、サ条約第三条は、現在、撤廃はされていないんですが、実際には死文化された状態で、施政権が日本に返還をされました、今なお基地は抱えておりますが。
 パスポートを持って東京の大学に勉強に行かなければいけないということは、学生時代、私たちは日本人として扱われていないという非常に屈辱に満ちたものがありましたけれども、やはり日ロの外交というのも、私は、国際法の大義と道理に立って初めて国際世論の多数にもなるし、日本国民の世論の多数にもなるんじゃないかと。首脳同士が個人的に親しいとか、支援事業をやれば気持ちが動くだろう、こういう問題ではなくて、領土問題というのは、やはり、歯舞、色丹でいえば、北海道の一部であるし、平和条約を結ばずとも直ちに返還をすべき、それから、千島、北千島、南千島も領土不拡大の原則を打ち破ったスターリンの不当な侵犯であるわけですから、そういうものについても直ちに要求すべきという立場に立つべきだと思います。
 その点で、ちょっと、もう時間がなくなりましたので、和田先生だけに、一言、そういうことについての御意見を伺いたいと思います。
萩野委員長 時間が来ておりますから、簡潔にお願いします。
和田参考人 先生の御主張はよくわかっております。
 国際的な法の大義に基づいて交渉をするということは、大西洋憲章における領土不拡大の原則というようなものをお指しになっておられると思いますけれども、そういうことをもってロシアに交渉した場合に、ロシアがそれに対して聞くかどうかという問題につきましては、これは今までの経験からしますと、それだけでは効果を上げていないことは明らかであるように私は思います。
 ですから、それを言い続けるということも一つの原則的な立場でございますけれども、しかし、交渉としましては、かくも長く解決できない交渉を、何としてでも、一日も早く解決していくためには、またそれに加えた新しい考え方が必要ではなかろうかと私は思っております。
 以上でございます。
赤嶺委員 終わります。
萩野委員長 次に、山内惠子さん。
山内(惠)委員 社民党の山内惠子です。藤原市長を初め参考人の皆様、お忙しい中、きょうは本当にありがとうございます。
 二〇〇〇年の十一月のこの特別委員会で、市長さんが参考人として国会に来られたのは二十年ぶりだということをお聞きして、そのことにも大変びっくりをしたんですが、そのとき私も質問をさせていただきました。
 あれから一年半以上過ぎましたが、ことしの三月には、思いがけないことで、野党四党でつくりました外務省疑惑解明プロジェクトチームの一員として根室市と中標津を訪問させていただきました。この中で、外務省と鈴木議員の疑惑解明ということで行かせていただきましたが、この北方四島関連で、幾つかの疑惑の新事実も発見することができて、本当に私は、このときにたくさんの方たちにお目にかかることもできましたし、また、外交のあり方、それから公共事業のあり方についても、外務省や鈴木議員がかかわることで、疑惑と言われている、あるべき外交をゆがめてしまわれたことに私も胸を痛めた日々を体験させていただきました。
 あのとき多くの皆様にもお目にかかりましたけれども、根室の方々、元島民であった方たちの声もお聞きしながら、この返還運動にかかわる方たちの高齢化の問題もお聞きしました。その意味で、きょう市長にお聞きしたいと思います。
 今後の返還運動の推進に当たってですが、後継者が育っていただくことが大変大きい課題というふうにお聞きしました。現在の皆様の生の声でのお訴えということにも限りあることだというふうに言われること自体にも胸が痛むほど、本当に早く解決が急がれると思いますけれども、後継者の育成にどのように市では取り組まれているのか、お聞かせいただきたいと思います。
藤原参考人 後継者育成対策についてお答えを申し上げます。
 私も、後継者対策は非常に重要な課題であるというふうに認識しております。当市では、北方領土に対する正しい理解と認識を深めていただくことを目的といたしまして、昭和五十年から市内の中学生を対象に少年弁論大会を開催いたしまして、上位入賞者を各地に派遣しております。
 このほか、学校教育の場におきましては、小学校四年生以上の社会科並びに中学校三年間において、年間三、四時間の北方領土の授業が取り入れられております。この授業におきましては、市内の社会科担当の教員によるサークル作成の副読本を使用しております。また、五十八年には教員等で組織いたします根室管内北方領土学習研究会が発足いたしまして、二十年以上にわたりこの研究大会を開催し、学校現場での学習実践の定着と広がりを図っております。加えまして、一昨年の北方領土の日にオープンいたしました北海道立北方四島交流センターを使用いたしまして、元島民の講話や視聴機器を利用した北方少年少女塾を開催しております。
 このほか、次代の運動のリーダー育成をねらいといたしまして、全道の元島民後継者を北方領土返還運動原点の地であります根室市に招聘いたしまして、市内の島民二世あるいは三世と一緒に研修をしているような事業もやっております。
 いずれにいたしましても、当市といたしましては、今後より一層、後継者育成対策の充実に努めてまいりたいと考えております。
 以上です。
山内(惠)委員 きょうは、お三人いらしていらっしゃるんですけれども、市長に集中的にお聞きしたいことがあります。
 ただいまの後継者の部分につきましては、学校教育ということが大変重要だということや、それから教職員の研修ということまで深めていらっしゃるということで、私も、この間訪問させていただきましたときに北方四島交流センターも見せていただきまして、目に訴えるもの、耳に訴えるもの、いろいろ見せていただきまして、今後の後継者が本当にしっかりと根づいていくことの意義を、今おっしゃられたこと、この後がまた充実されることを期待しているところです。
 疑惑解明のプロジェクトチームで訪問させていただきましたときに、なぜこのようなことが起こったのかということをつくづくと思いましたが、北海道の失業率は沖縄に次いで高い、そういう中で、中央の公共事業に依存しなければならないような地方経済の疲弊というのが大きくあるというふうに思いました。仕事が欲しい人の気持ちにつけ込んで鈴木議員の行ったことが、本当に私はある意味で残念でなりません。
 北海道の発展のためには経済的に解決していかなければならないことが本当にいっぱいある中で、今回、北特法の問題につきまして、市長さんの要請文の中にもありますが、この第七条に規定されている国庫補助負担率のかさ上げということにつきまして、ほかの議員の皆様からも質問がありましたけれども、根室市においては適用されたことがないというこの問題、隣接地域への、要望による改正案ということがありますが、具体的にもうちょっと深めてお答えいただけたらと思います。
藤原参考人 お答え申し上げます。
 北特法第七条の関係についてでありますが、現行の規定は、新産業都市建設及び工業整備特別地域整備のための国の財政上の特別措置に関する法律を準用いたしまして、特定の国庫補助負担事業については補助率を最高一・二五倍までかさ上げするというものでございます。しかし、この規定が適用となるためには、先ほどから申し上げておりますように、国庫補助事業費のうち、地元負担額が標準財政規模の一〇%を上回らなければならないということでございまして、現実的には、先ほどから申し上げておりますとおり、一度も適用されたことがございません。
 当市の財政事情は非常に逼迫しておりまして、本制度の適用を受けられるような多額の地元負担を要する事業の実施は困難な状況にございます。このため、今回の第七条の改正要望の内容につきましては、国庫補助負担率の引き上げについて、例えば沖縄振興特別措置法のように、政令で事業ごとに定めていただきたいというものでございます。
 これによりまして、隣接地域一市四町における平成十五年度の予定事業で申し上げますと、例えば公営住宅建設事業など、各種の国庫補助事業の補助率を沖縄並みに引き上げた場合の国庫支出金総額は、現行二十二億円に対しまして、引き上げ後で三十四億円と試算されまして、差し引き十一億円の財政効果が見込まれるものというふうに考えております。
 以上です。
山内(惠)委員 法改正という意味では、今おっしゃられたことが本当に重要だと思います。
 私、二〇〇〇年の十一月に質問しましたときに、独自に策定した振興計画の五分野二十六事業達成のための財政上の援助ということをおっしゃられたんですが、今との関連で、あのとき言われた市立根室病院の建てかえというのもこのような形で、沖縄振興特別措置法のような形でしていただければよりやりやすいというのがおっしゃられる趣旨なんでしょうか。この病院の件がその後どのようになっているのかを含めてお聞かせいただければと思います。
藤原参考人 お答え申し上げます。
 北特法の改正そのものとこの市立根室病院の改築の資金等についての直接の関係はございませんが、今後私たちは、市立根室病院を改築する場合は、もちろん四島の住民たちの診療等も頭に入れながら、そうした病院づくりをしていきたいというふうに考えております。
 以上です。
山内(惠)委員 わかりました。ありがとうございます。
 それと、前にお聞きしたときのことでとても気になっていることが、私の質問した部分の中でですけれども、もしかしたらこの北方基金の運用益の減少のことと関連があったのかなと今思っているんですけれども、例えば、小中学校のグラウンド整備など教育施設の整備や生活環境施設整備等の振興事業、あるいは望郷サイクリング、あのときこの言葉をお聞きして、子供たちの気持ちとも合うとてもいい事業だなと思ったんですが、そういう啓発事業等の縮小廃止を余儀なくされているという意味で、私は大変胸を痛めたお答えだったんです。
 その意味で、この北方基金の運用益の減少によって、そこが大変打撃を受けているということなのかというふうに受けとめたんですが、ここの部分の影響を具体的にもう少しお聞かせいただければと思います。
藤原参考人 お答え申し上げます。
 ただいま具体的な事業の内容を挙げてお話しされましたけれども、もちろん、北方基金の金利低下によりまして、教育施設、グラウンド整備とかあるいは望郷サイクリング、そういった啓発事業、いろいろの面におきましての影響というものが出てきております。
 先ほど来からお話ししておりますけれども、当市の財政状況は非常に危機的な状況にございまして、北特法の制定時、産業の振興や住民安定のために、各種施策の推進につきましてはこの北方基金の運用益に大きく期待していたところでございますが、現状のような状況でございまして、多額の一般財源の持ち出しあるいは市債残高の増嵩などによりまして、財政状況は非常に悪化を余儀なくされておるということから、正常な行財政運営を推進するためにもこの改正は必要であるということを訴えてまいりたいと思います。
 以上です。
山内(惠)委員 どうもありがとうございました。
 沖縄振興特別措置法のように政令で事業ごとに定めてほしいという問題と、それから運用益の目減りによって打撃を受けて、それが一般財源で出していくしかないという状況であれば、根室市の財政が厳しい中で本当に大変なことだと思います。その意味で、今後、ここが、皆さんのおっしゃる方向で政府がしっかりと受けとめて、予算が確立できる方向で私もともに頑張りたいと思います。本当にありがとうございました。
 先ほど市長に絞ってと話をさせていただきましたが、今回来てくださっている和田参考人にも一つお聞きしたいと思います。
 私が疑惑解明プロジェクトチームでお伺いしたときにもびっくりしたんですけれども、希望丸の問題でも随分問題になった。それから、友好丸も、せっかくつくったにもかかわらず完成してから四カ月間もほうっておかれた。本当に花咲港にむなしくつながれていたと私は思うんですけれども、この四カ月、係留代として払われたお金が二百六十万円。このこと自体が、支援委員会が機能していなかった、何のための支援委員会だったのか。
 私は、この支援委員会が、はっきり言って、あえて感想的に言えば、鈴木議員のためだけにあったんじゃないかと言いたくなるような支援委員会だったというふうに感想を持っているんですけれども、この支援委員会について、現時点で和田参考人はどのようにお考えになっていらっしゃいますか。
和田参考人 支援委員会につきましては、今御指摘のことも含めましていろいろと問題点が指摘されております。
 私は、そのような実態につきましては情報を得ることも少なく、今まで承知しておりませんでしたが、ただ、私、この間の政策の出方を見ておりまして感じておりましたことは、外務省には極めて特徴的な秘密主義というものがあったということは明らかであろうと思います。
 国民の支持を得てこのようなロシアとの新しい関係をつくっていくということは必要であり、しばしば、外務省が進めておるよき事柄も国民には十分知らされておらないという状況がありましたので、そのような点につきましては、もっと国民に知らせていくことが必要だということは気がついてもおりましたし、申してまいったのでございます。
 それで、国民に知らせて支持を求めていくということは、とりもなおさず、国民からの監視を得る、監督を得るということになるわけでございまして、そのような意味で、外務省にある意味では固有の外交を扱っているものとしての秘密主義というものが、この場合には非常にマイナスに出ているケースではなかろうかと思われます。この点につきまして、今般のことが新しい改革をもたらすということを非常に期待いたしております。
山内(惠)委員 どうもありがとうございました。
 私も、北方問題を考えるようになったきっかけがこの委員会でありましたし、地元、根室市というところに個人的に関心もありましたので、きょう皆様が参考人としてお話しされたことが、本当に皆さんの期待にこたえる、政治としてあるべきだと思う方向で、私も一議員として頑張っていきたいというふうに思っています。
 やはり人々が幸せになるためには、外交はしっかりと、外交として仕事をしていただかなければ、本当に地元の皆さんにとってこの北方四島問題は、私は今回の疑惑問題のときに、ああ、仕切り直しのときが来たなというふうに思っていました。その意味で、今回、ある法律に関しても改正の要求がございましたし、政令化してほしいという声もありましたので、そのことも受けとめて、私も今後の活動をしていきたいというふうに思います。
 焦って質問しましてちょっと早目に終わりましたけれども、きょうは本当に参考人の皆様、ありがとうございました。質問を終わります。
萩野委員長 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。
 この際、参考人各位に一言御礼を申し上げます。
 本日は、御多用中のところ、本委員会に御出席をいただき、また大変貴重な御意見をお述べいただきまして、感謝にたえません。まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして、厚く御礼を申し上げます。(拍手)
 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。
    午後零時五分散会


このページのトップに戻る
衆議院
〒100-0014 東京都千代田区永田町1-7-1
電話(代表)03-3581-5111
案内図

Copyright © Shugiin All Rights Reserved.