衆議院

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第4号 平成14年5月31日(金曜日)

会議録本文へ
平成十四年五月三十一日(金曜日)
    午後一時十五分開議
 出席委員
   委員長 石原健太郎君
   理事 田野瀬良太郎君 理事 棚橋 泰文君
   理事 西川 公也君 理事 蓮実  進君
   理事 河村たかし君 理事 玄葉光一郎君
   理事 河合 正智君 理事 中井  洽君
      荒井 広幸君    熊谷 市雄君
      佐藤  勉君    七条  明君
      竹本 直一君    増田 敏男君
      松本 和那君    茂木 敏充君
      渡辺 喜美君    大谷 信盛君
      小林  守君    中川 正春君
      前田 雄吉君    石井 啓一君
      矢島 恒夫君    大島 令子君
    …………………………………
   衆議院調査局国会等の移転
   に関する特別調査室長   内野 隆正君
    ―――――――――――――
委員の異動
五月三十一日
 辞任         補欠選任
  野田 聖子君     七条  明君
  八代 英太君     竹本 直一君
  牧  義夫君     前田 雄吉君
同日
 辞任         補欠選任
  七条  明君     野田 聖子君
  竹本 直一君     八代 英太君
  前田 雄吉君     牧  義夫君
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 国会等の移転に関する件


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     ――――◇―――――
石原委員長 これより会議を開きます。
 国会等の移転に関する件について調査を進めます。
 この際、一言申し上げます。
 本委員会は、平成二年十一月七日の国会決議を受けて、国会等の移転に関する調査を行うため平成三年八月五日に設置されて以来、今日まで精力的な調査を重ねてまいりました。これまでに、委員会開会は本日を含め百三十三回、参考人意見聴取は延べ八十四人、移転先候補地等への委員派遣ないし視察は延べ二十回に及んでおります。特に、平成十一年十二月の国会等移転審議会の答申後は、移転先三候補地を一カ所に絞り込み、国会等の移転に関する結論を出すべく、理事並びに委員各位が精力的に協議を重ねてきた次第であり、私自身、委員会を預かる責任者として、大いに悩み、検討を続けてまいりました。
 本日は、移転先三候補地の絞り込みの期限の目途とされてきました本年五月の最終日でありますことから、全委員一人ずつから、移転先候補地及び絞り込み方法等を含め、国会等の移転に関し、忌憚のない御意見を賜りたいと存じます。
 それでは、委員各位におかれましては、委員長の指名に基づき、順次、おおむね三分程度で御発言をお願いいたします。
 御発言は、着席のままで結構でございます。
 それでは、荒井委員からどうぞ。
荒井(広)委員 荒井でございます。
 意思決定ができない国会では、国民の負託にこたえることはできないというふうに思っております。今回の事態は、そういう意味で、まことに残念でございます。
 私としては、北東地域が国民の理解を得るには望ましい地域であろうと考えておりました。しかし、一方で、国会決議までしている国家的、歴史的、あるいは国民の意識的革命である今回のこのことにつきまして、最終的には、候補地を絞り込んでも、東京と比較して結論を出すわけでありますから、現状を考えてみますと、国民の関心が薄れつつあるのではないか、また、国民のコンセンサスを得るという一番重要な状況にまだ到達していないのではないかという感もあるわけでございます。
 そこで、議長のもとで協議する時間的余裕があるということを、むしろ有意義なものにしていきたい。それは、革命と申しましたけれども、改めて、国会等の移転、これらの多角的、多面的中身をいま一度、そして必要性を再度確認するという時間的有意義な機会をもらったものと考え、一番重要な国民の皆さんのコンセンサスを得られるように、さらに努力を続けていくべきであろうと思います。
 その際、一点、視点として必要なことは、国民の皆さんが、単なる物理的引っ越し論に、そういった観点で御理解をされているのではないかというのがあります。
 ネット社会になりました。一人一人が主役になれる民主主義改革もまたネット社会で実現できる可能性も強まります。分散型の国土をつくることもできます。ネット社会の中で、政府や国の役割、国会の機能そのものを、いま一度国民の皆さんに青写真を提示し、そして国民のコンセンサスを得て、この委員会の意思であります国会等の移転というものを実現していく、こういったことにしていくようにしたいと考えております。
 以上でございます。
石原委員長 ありがとうございました。
 次に、大谷委員、どうぞ。
大谷委員 民主党の大谷信盛でございます。
 国会等の移転に関する特別委員会、委員会させていただきまして、ずっとこの間、この国会移転の課題について、自分自身の研究というか、自問自答を繰り返してまいりました。
 一つだけ御意見をさせていただきたいのは、まず、東京の一極集中がございます。そして、私の地域、大阪・北摂、北部の地域なんですけれども、阪神・淡路大震災がありました。その経験からいうと、やはり災害対策というものをしっかりと考えた上で、国会、今東京にあるわけですけれども、何らかの形で、いざという場合には移って、代替機能を備えておくべきだという気持ちを強くしております。
 ただ、この特別委員会で、今月、ことしの五月中に決めるという決議をなされておるわけなんですけれども、私は、何よりも足りないのは、今も御指摘ございましたが、国民的議論というものがまだまだ足りていないんではないか。候補地を絞る、そのことが、ある意味、国民的議論を巻き起こす第一歩にもなると考えられるし、また、国民的議論が先にあって、候補地の選定というものをそのとき考えましょうというのも一つの考え方であるとは思います。鶏が先か卵が先かの議論になるのですが、一番肝心なこの国民的議論をどうやって巻き起こしていくのか、その上で、先ほどの御指摘のとおり、コンセンサスが初めて生まれていくんだというふうに思います。
 そんな私自身の感想から述べさせていただきますと、同時に、災害対策、東京一極集中の対策というものを講じながら、国民的議論を巻き起こして、この対策としては、国会を移転することがいいのか、いや、東京に国会、首都機能は置いておきながら、もっともっと代替地を既存の都市につくる、いや、新しい土地に新しい都市をつくっていって、二十一世紀の我が国のこれから百年、二百年の国家の大計をつくっていくんだ、そんな選択をしていく始まりの委員会を、もっともっとこの中で役割を果たしていかなければいけないのではないかというふうに思っております。
 以上でございます。
石原委員長 ありがとうございました。
 次に、熊谷委員、どうぞ。
熊谷(市)委員 まず最初に、当委員会のあり方について、ちょっとだけ触れさせていただきます。
 先ほど委員長も申されたように、とうにこの委員会では、三候補地の中で一カ所に絞るという課題に向けて取り組みをしなければならなかったという、大きな任務というか役割があったと思いますが、いろいろな事情でそういう絞るという段階に至らなかったということを、これは委員会として我々も大いに反省をしなければならないというふうに思います。
 したがって、今日まで約十年間、国会決議を踏まえて法律をつくり、さらには法の改正まで行いながら、審議会なり、あるいは国会の中では特別委員会というものを立ち上げて、かなり多くの時間と多くのエネルギーというものを投入しながら今日まで取り組んできたわけでありますが、残念ながら、その与えられた期限の中で結論が見出し得なかった、このことについての国会なりあるいは国民全体に対しての説明責任というものをやはりきちんと果たすべきじゃないかな、こんなふうに思います。
 さて、これからどうするかということになるわけでありますが、したがって、やはりこの委員会としての任務、役割というものをもう一度確認をしながら、具体的にどういう対応をしていくかということについて、委員長なり理事の皆さん方に真剣に御検討をいただきたいということをまず御要請を申し上げておきたいと思います。
 私の考え方としては、今もいろいろお話があったように、この首都あるいは国会等の移転ということは、総合的な、国土軸という見地に立って、いわゆる二十一世紀型の未来というものをつくり上げていく国会としてどういうあり方が望ましいかということになるわけでありますから、雑踏の中で時間に追われ、悪環境の中で議論するというのじゃなくて、やはり大自然というかその空間の中で、お互い、考える力というもの、知恵を出す、そういう環境というものをつくり上げて、国民に対して全体責任というものを国会が担っていく、そういうことからして、私は、北東地域が一番適当であろうというふうに思います。これからも、そういう考え方に立って議論をしてまいるつもりであります。
 以上、私の考え方を述べさせていただきました。
石原委員長 ありがとうございます。
 次に、小林委員、どうぞ。
小林(守)委員 民主党の小林です。
 衆参の与野党の国対委員長会談の結果、議長のもとに協議機関が設定されることになったわけであります。この協議機関の性格それから役割について、できるだけ明確に国民の皆さんに説明をする必要があるだろう、まずそのように思います。
 特に、審議会の答申で予定候補地に挙げられた地域の皆さん方は、本当に厳しい目で国会の対応のあり方について見ているのではないか、このように思いますし、そういう点での説明責任を果たす必要がある、このようにまず思っているところであります。
 それから、今後の移転の手続というのでしょうか、この進め方にかかわってですけれども、九九年に出された審議会の答申というものは、私は、非常に公正な立場で、客観的に、いろいろな角度から、しかも調査会の基準に基づいて評価をしたものでありまして、非常に客観性の高い評価ではないか、このように思いますし、これから国会でその候補地を絞り込んでいくという中では、最大限尊重すべきことではないか、このように考えているところであります。
 それから、既にお話があったかと思いますけれども、確かに、国民合意の形成の問題、あるいは社会経済情勢の変化ということで、九〇年の衆参の国会決議の時点から社会経済情勢については大きく変わってきておりますし、また、国民の合意形成という点では極めて不十分だということも否めない事実だというふうに思います。
 しかしながら、災害の対応力の強化というようなこと、阪神・淡路大震災の教訓も含めて、やはり災害対応力の強化というものは国会移転の大きな基軸になっている視点ではないかというふうに思いますし、また、一極集中の弊害の是正という問題についても、分権の推進という視点から、やはりあの九〇年の国会決議以降も変わらない課題ではないか、このように考えております。
 そういう点で、可及的速やかに、議長のもとに設置される協議機関において、その役割とそして性格、これを国民に明示すべきである、このように思いますし、単なる先送りは許されないというような思いで考えているところでございます。
 以上です。
石原委員長 ありがとうございました。
 佐藤委員、お願いします。
佐藤(勉)委員 自由民主党の佐藤でございます。
 私は、今まで先生方からお話が出ておりました件について避けてお話をしたいと思います。
 この法律ができたときに、私は県議会議員でございました。そういう中で、栃木も手を挙げようということで、一生懸命このことに関して傾注をしてまいりました。国会議員にならせていただいてからも、この委員会にずっと所属をいたしまして、いろいろな問題を論議してきたわけでありますが、五月に結論を出していただけるという思いの中でここまで来たわけでありまして、非常に複雑な気持ちでいることは否めないところであります。
 したがって、先ほどから出ておりますように、災害の面から考えても、私は、この際、早いうちに、少なくともこの国会を補完するバックアップ施設ぐらいの話をしっかりとしておかないと国会の機能がどうにかなってしまうというふうな思いをしておりまして、ぜひとも早急に移転地を見出していただいて、速やかな移転を模索できるような行動をぜひともおとり願いたいというふうに思います。
 したがいまして、私は、思いの中では、この委員会で今までこの論議を何回したか、この論議は何だったかという、非常にむなしいといいますか、腹立たしい気持ちもあるわけでありますが、いろいろ、先ほどからお話が出ております諸般の事情等々もかんがみれば、理解できないところもないわけでありますが、ぜひとも、でき得ることならば、今でも私は、この委員会で結論を出していただきたいという思いをしているところであります。
 とにもかくにも、国民のコンセンサス等々確かに得られていないかもしれません。ただ、私は、一カ所に絞ることによって、そのコンセンサスは、先ほどお話にございましたように、かなりの盛り上がりがあるというふうに理解している一人でもございますし、ぜひとも、委員長初め理事の皆様方には、今後、そういうお話ができ得る場面をつくっていただくことを心からお願い申し上げたいと思います。以上でございます。
 それと、もう一つ、申しわけございません、ぜひとも、私は栃木の出身でありますから、北東地域にという思いをしておりますので、よろしくお願い申し上げたいと思います。
石原委員長 ありがとうございます。
 前田委員。
前田委員 民主党の前田雄吉でございます。
 私も、基本的に移転に賛成の立場から、また、でき得れば、国土の中央にあります愛知・岐阜地域をお願いしたいと思っております。しかしながら、国民的合意形成にはまだ至らない、それが今の現状であると思っております。
 しかし、皆さん、時代は変わり、バブル期の大計画ではなかなかこの合意形成あるいは国民の関心を呼ぶことができないと思います。森の中に大宮殿をつくるような計画は現実性に乏しい、また六十五万都市を森の中につくるような、そんな計画は、毎日の生活に苦しむ国民には縁の薄い話になってしまっているんではないでしょうか。
 ですから、私は、多極分散型国土形成法を改正して、既存の町並みを活用して、例えば、私だったら、名古屋の駅の近くにもありますような、笹島操車場というのがありますけれども、そうした地区を利用しながら、新しいコンパクトな機能移転を考えるということが大切なのではないかと考えております。
 皆さん、それにつけても、例えば我が愛知・岐阜地域のことを考えましても、今までこの十二年間に、岐阜県の梶原拓知事が申しておりますけれども、四億円もの誘致の広報の費用を使っております。これから長期に延ばしますと、私は、さらに費用を重ねる、いわば、延ばしに延ばせば国家的偽善を繰り返すようなことになるのではないかと思っておりますので、国会決議ももう既にありますし、そして二十回にもわたります公聴会も各地域でやってまいりました。短期の決着を図るべきではないかと思っております。
 以上です。
石原委員長 増田委員。
増田委員 平成二年の二月に国会へ出てまいりました。十一月ごろからこの話は始まったと覚えております。そして、十年を超える歳月をかけて今日があります。
 そこで、初めのころは、諮問の審議会でそれなりのもっと具体的なものを出してくるだろう、国会へ持ってこられたら、国会議員の先生方がそれぞれの地域の背景を背中にしっかりしょって大変な動きになるだろう、こういうような懸念を持ちながら眺めておりましたが、ついに本日が来てしまったわけであります。
 そこで、私としては、市長もやってまいりましたから、そういう立場に立つと、早く結論を出してくれないと関係の地方自治体は大変で、ますます参ってしまうだろう、このように実は考えるところであります。
 かといって、国会等の移転、初めは首都機能移転ということが大きかったんですけれども、こういうような形で歩んでまいりますと、今日までの日本の歴史の中でも、首都なり国会の機能なりが移るということは、その地域なりこの国の社会、文化までが大きく影響していくだろうというのは歴史の示すところであります。したがって、古来、人心一新等を考えたときには、断固これらを実現してきたというのが実態であります。
 そこで、三カ所ある予定を一カ所に絞って、その絞られた一カ所は東京との比較考量の上でここなんだという決定に入るんだ、このように承ってまいりましたが、残念ながら、出発の当時と今の状況を踏まえますと、必ずしも急いで事がなせるというような、経済にしても、世界の中の我が国の状況にしても、そういう点はなかなか返事がしがたいと思います。
 加えて、国民の関心はいま一つ薄らいでいるように思います。しかし、災害は必ずやってくる。このような点を考えたときに、私としては、この扱いを、これからどういう運びになるかわかりませんけれども、どういうふうにやるんだ、計画をどういうふうにやるんだ、仮に一カ所に決まったらどういうふうに取り組んでいくんだ。国家百年の大計でやるのなら、相当の時間がかかってもその建設はできると思います。決めることが一番問題なんですから。
 そう考えたときに、これからどういう運びになっていくのかわかりませんけれども、私としては、いろいろの意味の中で、現状ならば、当面東京でいいじゃないか。しかし、これをどうしても一カ所に絞れといえば、私は、やはり北東の方を選んで新しい人心一新を求めて歩んだらどうだ、こういう意見を持っているのですが、いずれにしても、ぜひ、慎重な上にも慎重に、最後の詰めを急いでやってもらいたいな、こういうことを申し上げます。
 長くなりますので、三分ということですから言葉を結んでしまいますが、御苦労さまでございます。終わります。私、途中休みましたからね。御苦労さまです。
石原委員長 ありがとうございます。
 松本委員、どうぞ。
松本(和)委員 私、委員会の中で申し上げてきた点でありますから、改めて申し上げることはないんですが、三点ございます。
 まず、東京の都市再生、これはもう、都市再生法という法律もでき上がりましたし、これを本当に思い切ってやらなきゃ、従来の考え方でやっていたんじゃ絶対だめだ。これによって国際競争力と経済効果を徹底的にねらっていく。このことがまた都市の再生につながります。
 二点目は、今各先生がおっしゃっておりますけれども、やはり戦後五十数年、行政改革は我々議会の中でやってまいりました。しかし、実態の政治は、官僚支配、官僚による政治というのが基盤にあります。これがなかなか打破できない。やはり首都を移転することによって、これはいろいろな今までの歴史を見ても可能だろうと思います、そうしない限り無理だというのが結論でありまして、その場合に、コンパクトに人口十万程度の、国会を中心にした、行政を中心にした、セキュリティーを中心にした都市をつくり上げ、それを今ネット社会の中でもって構築していくことがいいだろうというふうに思います。そういう形にしない限りこの行政の構造改革というのはできない、そういうふうに思っております。
 それから三点目は、この委員会に所属していてもわかるんですが、ほとんどの皆さん方が地域を担った地域代表の先生方でありますから、どうしてもそこでもって地域を担って御発言されるのは、当然、当たり前であります。
 しかし、今後、この委員会においても、あるいはどういう形をとられるかわかりませんけれども、先送りせずに、期限を切って、そして公平に、平等に、委員の数を、地域あるいは地域以外の先生方も入れて、そこで討論されませんと、これはやはり、いろいろな意味でもって、今日ここまで来て決定できないというのはそこに起因していると私は思いますので、その点を御要望申し上げながら、以上三点が、やはりこれからの首都機能移転のあり方だと思います。
 それで、ちょっと言い忘れていましたけれども、十万のセキュリティー都市というのは、東京との、今の首都との関係からしますと、やはり東北部の栃木・福島を中心にした方がベターだ、そういうふうに私は思います、どうしても一つを選ぶという形ならばですね。
 以上です。
石原委員長 ありがとうございます。
 茂木委員、どうぞ。
茂木委員 私は、大変じくじたる思いで、このきょうの委員会に臨んでおります。
 本来、この国会移転の問題は当委員会において明確な議決が行われるべき問題でありまして、それができないとしましたら、私の責任も含めて、委員会全体として大変遺憾なことであるな、このように今考えております。
 その上で、二点申し上げます。
 一つは、最近の国民の政治に対する不信、批判であります。
 いろいろな要因でこの政治不信、政治に対する批判は高まっておりますが、その一つの大きな要因は、私は、決めるべきときに決めるべきことを決められない、こういう政治のありようではないかなと。この国会移転という国民にとって大変重要な問題について、これから協議機関がどのような場に移ったにしても、期限をしっかりと区切って、速やかに意思決定をしなければならない。まさに国会の権威が問われる問題だと思っております。議論の先送り、うやむやな決着では政治不信が高まる、このことをまず強調させていただきたいと思います。
 次に、第二点目であります。
 日本の国会審議、これは先生方御案内のとおり、委員会中心主義であります。法案等の審議、まれに本会議におきまして趣旨説明、質疑を行うことがありますが、これは、国会法上からも例外的な場合でございまして、基本的には委員会での審議、そして議決をしていく、こういうことでございます。
 この国会移転の問題につきましても、一九九〇年に国会決議が行われ、翌九一年にこの委員会が設置をされ、そこで百三十三回の委員会が開かれて、あらゆる角度から十分な議論が行われてきた。私は、この成果というものがしっかり最終的な方向づけに反映されることがどうしても必要だ、このように考えております。
 委員会として、最終的な意思表示の機会をぜひ確保していただきたい、このことを委員長に強くお願い申し上げます。
 以上です。
石原委員長 ありがとうございます。
 竹本委員、どうぞ。
竹本委員 竹本でございます。
 この国会等の移転の問題は、もともと首都移転という議論から始まりまして、そして、首都をどこかに移そうという議論から始まりました。なぜならば、災害時の危険に対してどう対処するかということから始まったと思います。
 その後、首都機能移転というふうに言葉が変わりまして、そして現在は、国会等の移転ということに変わってきているわけでございますけれども、もともと、首都移転という発想からいきますと、災害時に対する備え、バックアップ機能の確保ということは必要でございますけれども、同時に、首都移転ということを議論する一番重要な問題は何かというと、それは、日本が、経済では大国になったけれども、文化はどうか、社会体制はどうか、いろいろな部面の問題が、今、全部すべてが東京に集まってしまっている。
 確かに、経済では第二番目の大国だと言われますけれども、文化その他すべてのものが一極集中という国は、近くでは香港ぐらいしかないんじゃないかというふうに私は思うわけでありまして、そういう意味で、国の重みを増すという意味で、東京以外にもう一つ、首都機能を持てるような、持っているような都市があってもいいのではないか、このように思っておりました。したがって、この問題に対しては、私は議員としても、また個人としても大きい関心を払ってまいりました。
 今御説明にもありましたように、御承知のとおり、三つの地点が選ばれて、今、一つに絞るときに絞れないということでございますけれども、私は、十年前、あるいは二年前のような決議のときよりは、やはり経済社会体制が大きく変わっていると思います。
 したがって、この時点で、議長という一段高いところに上げて協議機関をつくり、より広い、高い立場から議論するのもやむを得ないことだと思いますけれども、ただ、結論は出さなきゃいけない。どこかの地域にするのか、あるいは現在のままでいい、つまり東京でいいとするのか、あるいはこの議論をしばらく凍結するのか、何がしかの政治的決断は、十年の勉強を重ねたのであればもう結論を出さなきゃいけない、そのように思うわけでありまして、仮にといいますか、議長のところに預けられましても、可及的速やかにとは申しませんが、できるだけ早いうちに決断をすべきときが来ているのではないか、私はそのように思っております。
 いずれにしろ、この首都移転という問題は、文化を背景とした議論でなければいけないというふうに思っておりまして、そういった前提で考えますと、新しい首都というのは、ブラジリアを考えましても、あるいはナイジェリアの新首都建設の例を見ましても、全く何もないところではなかなかうまくいっていないということも十分考慮に入れて判断されるべきものだと思っております。
 都市というのは、ローマは一日にして成らずと言いますけれども、都市の集積というのは一日ではできないものである、そういうことを前提に、より深い、高い立場からの議論を期待するものであります。
 以上です。
石原委員長 ありがとうございました。
 渡辺委員、どうぞ。
渡辺(喜)委員 この国会等移転の問題は、数年前から、正確に申し上げますと、九七年のちょうど今ごろから大変不幸な二重構造の中に陥ってしまったと思います。法の建前と政治の現実との間で、大変なギャップが起こってしまったんですね。
 橋本内閣の当初のころは、六大構造改革のいわば総仕上げとして国会等移転を実現しようという、大変に強い意欲があったと思います。実際に、当時の与謝野官房副長官から官邸で使っているスケジュール表というものを見せていただいたことがございますが、その六大構造改革の一番枠の外の下側に、国会等移転については二〇〇一年建設着工、二〇一〇年第一回国会とちゃんと書いてあったんですね。それが、残念なことに、政治的には、財政構造改革会議という当時の政権の幹部の皆さんたちが集まった席で、事実上御破算にしようという決定がなされてしまったわけでございます。
 しかし、法律が廃止されたわけでも何でもありませんから、法律に従って着々と審議会の答申が出され、北東地域が最優先の点数づけがなされたんですね。この委員会もそれに従って、あるいは各地域での運動をやっておられる皆さんも、まさに法律の建前に従って行動をしてこられたんだと思います。
 きのうからおとといでしょうか、私も政治家の端くれでありますから、どういう決定がなされたかぐらいはわかっているつもりでございます。しかし、先ほど来話が出ているように、議長のもとで協議機関をつくろうなどという話は、委員長は一言もおっしゃっておられませんよね。先ほどの、冒頭のごあいさつを聞いておりましたら、そんな話はみじんも出てきていないじゃありませんか。
 大体、この国の政治をだめにしてきたのは、権力の二重構造ですよ。表の、正規の機関がありながら、裏で、わけのわからない裏舞台が密室談合をやって、実際に物事を決めてしまう。そして、その物事の決め方は、問題の先送り。それが、この十年間、日本をだめにした最大の政治の元凶じゃないんですか。
 私は、この不幸な二重構造の中で、この委員会でたびたび申し上げてまいりました、フル規格の移転論はもう変更すべきであると。そして、平成七年の神戸の大震災の原点に立ち戻って、バックアップ機能の移転に特化をした議論をすべきである、そう申し上げてまいりました。
 どうぞ、委員長、法律に従って、法律の第九条には柔軟対応ができるという規定があるんですよ。ですから、きょうここで、審議会の答申で一番高い点数をつけられた北東地域の議決をやり、そして、法第九条に基づいて、フル規格の移転ではなくバックアップの移転という方向性をきょうここで決めていただきたいと思っております。
 まだ時間はあります。委員長の御采配一つで、きょうここで採決をやろうとお決めになれば我々は賛成しますから、どうぞ御決断をいただきたいと思います。
石原委員長 中川委員、お願いします。
中川(正)委員 民主党の中川でございます。
 これまでの国会での議論というものがこれだけ時間がかかってきただけに、一つは、当初出発をした時点とやはり国民の意識が相当ずれてきているということ、それからもう一つは、経済的な背景というか日本の国力といいますか、そういうものも大きくその当時とは違った形の認識というのが出てきているなということ、このことは、私は、国会としてもしっかり受けとめていかなければならないことだろうというふうに思うんです。この点が一つ。
 それからもう一つは、先ほど渡辺委員からも御指摘がありましたように、政治的なプロセスというのが、本当にこういう形で物事を決定していっていいものだろうかどうだろうかということ、我々は本当に国民に信頼された形でこの議論を進めているんだろうかどうだろうかということ、これがもう一つあるんだと思うんです。
 その後者の話に立っていくと、どうも私たちの審議過程というのは、満足したものではないという結論を出さざるを得ないということだと思っております。
 この二つの対極に立って考えていくと、最終的には、これは、実験といいますか、この国の民主主義の組み立てにとっても一つの決断だと思うんですが、こういう話題を国民投票にかけてみよう。私たちのこれまでのプロセスはさっきの話で十分でなくて、本当に国民の信頼を得ているかどうかということについては不十分だということを踏まえても、しかし、いろいろな選択肢といろいろな議論というのは尽くしたというふうに思うんです。
 客観的な専門家による評価というものも一つはっきりとここで出てきているということ、こういう国民が選択する上での一つの材料というのを国会としてはそろえたという機能、これは私たちの議論の中でこれまでもあったということだと思うんです。
 将来、この首都機能の移転ということだけじゃなくて、私たちのもう一つ大きな課題としては憲法というのがあるわけでありますが、こういうようなものを、民主主義のシステムの中で国民のコンセンサスを得ながら、コンセンサスというのは、国民がそれに対して注意を払って、自分たちも一緒に考えていこうという参加のシステムというのをその中に組み込んで物事を決めていく、そういうプロセスをこの国に定着させるためにも、この首都機能移転というのはその大きなステップになっていくんだろうというふうに思います。そういう意味で、これからの仕切り直しを私は提唱したいというふうに思います。
 この先、国民投票に向けてのプロセスに切りかえていくということ、こんな決議を委員会の中でしていくべきだということを主張していきたいというふうに思っております。
石原委員長 ありがとうございます。
 石井委員、お願いします。
石井(啓)委員 公明党の石井啓一でございます。
 本委員会では二年前に、三候補地の絞り込みを行うという決議をみずから行っておりますので、委員会としての絞り込みの意見集約ができなかったというところが私は非常に残念でございまして、どういう結論が出るにしろ、本委員会での意思を明らかにすることが本来は重要であったというふうに思っております。
 議長のもとで協議機関がつくられるということでありますが、先送りということではなくて、早期に結論が得られるように期待をいたしたいと思います。
 候補地につきましては、それぞれの議員が出身地域を背景にして評価をするのはもう当然のことでありますから、だからこそ、その第三者の機関の客観的評価というのが重要になるわけでございますけれども、国会等移転審議会で総合評価が高かったのは栃木・福島地域である、このことはやはり十分重みがあるというふうに思っております。
 ところで、今回のこの国会移転については、厳しい経済情勢を背景に、移転に巨額の事業費がかかるということから、夢物語といいますか、もう現実的ではない、この国会の一部だけで議論をしているというふうに扱われておりますけれども、これは大変不幸なことでございまして、首都移転というのは何世紀にもわたる大きな事業でございますから、特に今回の首都移転というのは、地方分権とかあるいは規制改革のシンボルとなるような、そういう移転でございますので、そういう理想は掲げ続けながらも、やはり現実問題を考えると、必要最小限の災害時のバックアップ機能を整えておくということが現実的な選択であろうというふうに私は思っております。
 最後ではありますけれども、本日の委員会はいつになく報道機関の方がたくさんいらっしゃいまして、関心が高いわけでございます。毎回このように来ていただきますと国民の皆様方の関心も高まるというふうに期待をいたしますので、今後ともぜひ報道機関の方にはよろしくお願いしたいと存じますが、本委員会においては、今後、やはり国民の皆さんの関心を引き続き高めていく努力をしていくことが最も重要な役割ではないかというふうに思っておりますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
石原委員長 ありがとうございます。
 七条先生、何か御意見がありましたら。
七条委員 今、差しかえもありまして、少しおくれてまいりまして、きょう私自身も何かと、こういうことでございます。
 この委員会が今までずっと論議をしてこられたこと、それが無にならないような形で結論を出すことというのは非常に大事なものではないかと考えておる一人であります。
 当然、私も、東京一極集中ということに対して、これを何かの形で是正していかなければならない、こういう形の中で弊害がないような形にしていかなければならないと思っている一人でもありますし、当然、先ほど言いました、皆さん方のいろいろ論議の中にもありましたかもしれませんが、国民のコンセンサスが得られるという形の中でこれを考えていかなければならない、当委員会が今までやってきたことをむだにしないように結論を出さなきゃならない、これだけは言い添えておきたいな、こう思っておる一人でございます。
 終わります。
石原委員長 ありがとうございます。
 では、蓮実理事、お願いします。
蓮実委員 私は、国会の移転は、国政全般の改革、そして東京の一極集中の是正、国の災害対応力の強化を実現することによって二十一世紀にふさわしい新しい日本を築き上げていく、極めて重要な、国家的な大プロジェクトであると思っております。
 特に、国の災害対応力の強化という観点から、国会を移転し、国の危機管理体制を万全のものにしていく必要があることは、阪神・淡路の大震災あるいは先般の米国における同時多発テロの教訓からも明らかであります。また、南関東での大規模地震発生が危惧されておる今日、このことは、もはや一刻も猶予はならないと思っております。
 国会等の移転は、我が国を覆う閉塞感という重い扉を開いて、明るく希望に満ちた未来を開こうとする極めて重要なプロジェクトであると思います。二十一世紀にふさわしい価値観に基づいた新しい政治、行政、経済システムや社会システムを構築し、国民が見失いつつある我が国のアイデンティティーを確立していくための重要な契機になるものであります。
 栃木・福島地域は、国会等移転審議会の客観的かつ公正な審議の結果、最高の評価を得た最も移転地としてふさわしい地域であります。国会等移転の三つの意義、目的を達成することはもちろん、我が国が国際社会に貢献していくために、世界の範となるモデル的な新都市をつくり育てていくことができる地域だと思っております。特に、首都東京との連携が容易で、かつ地震等による東京圏との同時被災の可能性が極めて低い栃木・福島地域への国会等の移転によってこそ、我が国の緊急課題である危機管理の強化を早期に実現をすることができると思っております。
 今まさに、国会移転審議会の答申を尊重し、栃木・福島地域を移転候補地として決定すべきであると思っております。
石原委員長 ありがとうございます。
 玄葉理事、お願いします。
玄葉委員 玄葉光一郎です。
 今回の国会等移転の委員会、五月を目途に委員会として絞り込みをするという決議を踏まえた委員会だというふうに聞いております。
 私は、かねてから、本日メディアの方々がいらっしゃっておられますけれども、この国は情報の発信がほとんど東京からなされている、九割以上ではないかというふうに思うんですね。これはとても異常なことで、それが同時に、東京中心主義やお上依存という日本人の体質を生んでしまっているというふうに思っていますし、ずっとこれまでも指摘をしてまいりました。
 私は、候補地は、審議会が客観的にごらんになって最適地だというふうに答申をした北東地域が一番いいと思いますけれども、ただ、私は移転それ自体に賛成の立場ですから、どこに決まっても最終的には賛成したいというふうに思っています。
 もともと私たち日本人というのは、体質として、小さな変化にはとてもよく反応する国民性だと思いますけれども、大きな流れの変化とか根底の流れの変化には感度が低いというふうに私自身は思っています。だから、マッカーサーの手をかりて戦後のレールが敷かれたり、ペルリの黒船が来て初めて明治維新の幕があくということがあったのじゃないかというふうに、決して自虐的じゃなくて、そう思っています。
 今度は、私たちみずからの手で根底の流れの変化に対応しなきゃいけないということになると、大きな起爆剤がどうしても必要ではないか、その一つは国会を移転するということが起爆剤になるというふうに思っています。そういう大きなスパンで、もっと言えば、司馬遼太郎さんが語られたように、四百年に一回の大事業でもあるんだろうというふうに思います。
 本日は、最初にも申し上げましたように、絞り込みをするかしないかも含めたこの委員会だと思いますから、本来はこの委員会で決めるべきだというふうに思いますが、私は、四百年に一回のあるいは数十年に一回の大計の事業でありますから、きょう決められなくても、今後決められないというたぐいの話でもないのではないだろうかというふうに思っています。私たちはもっと構えを大きくしてもよいのではないだろうかと。
 そもそも、どの国でも、過去国会等移転があった国を見ても、簡単に決まるなんということはほとんどないわけであります。紆余曲折があって当然とも言えなくもないわけです。先ほどから御意見があったように、これまでのこの委員会での議論の積み重ね、私は、この委員会にいて、かなり大局的な議論の展開もあったと思います。仮に、きょう決められないのであれば、そういう積み重ねを大事に大事に、無にしないようにしてこれからの議論の場を設けていかなくてはいけないのではないかと、そのことを申し上げておきたいというふうに思います。
 以上です。
石原委員長 では、矢島委員どうぞ。
矢島委員 日本共産党の矢島恒夫でございます。
 五月中に一カ所に絞っていこうという方向だったわけですが、きょうは三十一日ですから、結果的に絞れなかったという状況の中できょうを迎えていると思います。そういう中で今後どうするかということになるわけですけれども、そういう意味からしますと、やはり今日までの当委員会なりあるいはまた政府なり、対応の点でどういう点に問題があったのか、そういう点を十分踏まえた上で考えるべきだと私は思うんです。
 そういう観点から、三つの角度からの意見を私は申し上げたいと思うわけです。
 一つは、この二年間における当委員会の問題ということになろうかと思います。
 私ども日本共産党は反対いたしましたけれども、あの二年前の当委員会において決議がなされました。二年を目途に一カ所に絞り込む、こういうことだったけれども、この決議の位置づけがどうだったかという非常に根本的な問題になるかと思いますけれども、やはり考えておく必要があるんじゃないか。
 というのは、例えば絞り込みということを二年後までに行うというわけですが、その方法あるいは段取りあるいは見通し、こういうことについての議論や準備というのがどうも見えなかった。とりわけ、本委員会と本会議との関係だとかあるいは参議院との関係だとか、重要だと思われる諸問題、これをあらかじめ、予測できるはずですから、それらの見通しというものをきちんとつけておくべきだったのではないか。それが見えなかったというところに一つの大きな問題があり、この欠陥とも言えるような決議に縛られて、ことしに入ってから本当に理事会や委員会、かつてなくいろいろなことをやってまいりましたが、大変混乱する状況もあったわけですから、予測される事態とも言えるものをやってこなかったという問題点が指摘されるんじゃないか。
 それから、二つ目には、やはり政府の対応の問題だろうと私は思います。
 二年半前に、総理の責任で、国会に対して三候補地の審議会答申、この報告がなされたわけです。この審議会、二年半にわたっての討論を経た上で、結局は一カ所に絞り込むことができなくて、中途半端な報告を国会に行う。こういう一方で、いわゆる財政再建計画のもとで移転計画凍結というのを政府が決定しました。その後、扇国土庁長官の発言に見られるとおり、政府としての移転消極論や凍結姿勢、こういうさなかにおける国会の移転候補地選定作業というんですか、そのちぐはぐさというのを国民やあるいは候補地の地域の住民の前にさらけ出した。こういう政府の責任は極めて重いと私は思うわけです。
 三つ目に、移転論議として最も重要な点である東京都との関係であります。
 法律の中でも、東京都との比較考量、これを通じてということになっているわけです。移転の是非の最終判断、これは東京都との比較考量が行われなきゃなりませんけれども、このハードルがどうなっているのかという問題です。このハードルをクリアするということなくしては、やはり論拠はないわけであります。この比較考量の道筋も必ずしも明確だというわけではない。
 そこで、私たちは、九〇年の本会議の決議の当初から移転必要なしと主張してまいりました。最近に見られる三候補地の地元の皆さん方の誘致運動、これも非常に過熱的なものがあり、先ほども話がありましたように、その誘致のために相当の予算等を組んでおられるわけです。
石原委員長 手短にお願いします。
矢島委員 はい。
 そこで、結論として、私たちは、これ以上いわゆる三候補地の人たちにいろいろとエネルギーや時間やあるいは費用というものを使わせるということには問題がある、だから、一刻も早く国会と政府の責任で終止符を打つべきである、この委員会としてもその責任の一端を明確にするためにも終止符を打つべきであるということ、このことを主張いたしまして、意見を終わります。
石原委員長 ありがとうございました。
 大島委員、どうぞ。
大島(令)委員 社会民主党の大島令子でございます。
 私ども、この法案ができたときは党名が社会党でございました。今、社民党になりまして、小さな政党になり、この間、この問題に対する党の態度が変わりましたので、若干そのことを述べさせていただきながら意見を申し上げたいと思います。
 もともとは、当時の社会党山口鶴男元書記長を長とする社会党国会移転特別委員会で議論がされ、東京の一極集中の是正、経済再生、災害対策、分権の起爆剤となるという観点から推進することとして与党に働きかけ、超党派の国会決議に結実したと聞いております。その後、国会移転調査会設置法案にも賛成しました。また、二〇〇〇年の五月の、二年以内に候補地を絞り込むという国会決議も共同提案をしてきたと聞いております。
 しかし、その後、財政状況の深刻、環境問題、東京都の強い反対もあり、私どもも、二〇〇〇年に当選しました議員がふえましたので、党内に慎重論が台頭し、結果的には、今百五十四通常国会の冒頭、社民党としてはこの特別委員会の設置自体に反対してきた経過がございます。
 私は、この特別委員会の委員になりまして、昨年の六月二十一日に、初めて東京都を皆さんと一緒に訪れました。日本一の乗降客数を誇る新宿駅では、JRが何の混乱もなく、改札機、すごい技術革新のもと、皆さんも見られましたよね、乗客をさばいている実態。都庁の中では、ハイテク技術を駆使した災害の防災センターも皆さんと一緒に視察しました。
 その後、移転三候補地の視察と、あと、地元自治体の知事さんたちからも、この委員会に参考人として意見を聞きました。印象的なのが、十一月二十一日の石原東京都知事を招いた際には、東京都と移転候補地との比較考量の実施方法について鋭い指摘があり、いろいろな問題も皆さん御記憶に新しいと思います。
 また、十一月二十八日には、岐阜、愛知、栃木、福島知事等を招きました。その中で、岐阜県の梶原知事は国会における検討に言及しまして、もし首都機能移転問題がうやむやになることがあれば誘致費用の返還を国に求めることもあると、移転先候補地が置かれている苦しい実情を吐露する場面もございました。
 その後、十二月四日には、三重県、奈良県、滋賀県及び京都府の知事等を招いて、ほとんどすべての候補地の知事さん等から意見を伺うことになりました。
 この間、私が思いましたのは、各候補地の自治体の皆さんには、首都機能の移転という夢を膨らませ、皆さん、非常に誘致合戦に取り組まれたという印象を覚えました。厳しい予算の中で、多くの人やお金や時間を投入して、各移転候補地の自治体がやってきた。これは実態として、きょう、この日を迎えるに当たっては、使わされてきたというような印象を私は持っております。
 現在の国会移転の問題は、バブル期の、平成二年十一月の衆参両院における決議に端を発しているわけでございますけれども、その後、バブルがはじけ、土地等も、地価は十五、六年前の水準に戻り、日本経済も低迷を続け、特に国際競争力の面では目を覆うという日本の財政状況、皆さんも御存じのように、国と地方合わせた七百兆円にまで及ぶ負債が残っている、借金があるという状況でございます。
 そして、もう一つやはり私は言いたいのは、リストラとか倒産が連日のように報道され、自殺者が、中高年、三万人を超えるという本当に痛ましい社会経済状況の中で、国民が果たしてこれを求めているんだろうか。
 そういう中、先月ですか、総理官邸が六百五十億円かけて竣工しました。既に防衛庁の庁舎ですとか総務省や国土交通省の入る合同庁舎二号館も完成し……
石原委員長 手短にお願いします。
大島(令)委員 議員会館の建てかえの調査費も入っています。これまで六千九百億円という予算が庁舎の建てかえに費やされている。これに対して、国民にどのように納得させるのかということで、非常に出口が見えないと私は思っております。
 もう一点、済みません。
 首都機能の移転によって、例えば政治家がかわり、公務員の入れかえがない限り、単に場所が変わっただけで、今の国民の政治に対する信頼が取り戻せるのか。今国会が始まっても、政官業の癒着が暴かれて、国会を去った議員がやはり複数おります。そういう中で、この問題、既に十一年もの長い年月にわたって論じられ、その間、国民の合意が成り立っていないということを考えれば、きょう、単に移転候補地の一本化の先送りという回避行動をとることではなく……(発言する者あり)もう終わりにします。国会等の移転に関する法律の凍結、廃案を含めた根本的な解決策を本来ならばこの委員会で見出して、早期に結論をつくることが移転候補地への配慮であり、また国民の負託を受けた国会議員の責務であると思っております。
 以上が、二年間ですが、冷静にこの委員会の審議に臨んだ者としての提案と発言とさせていただきます。
 ちょっと長くなりましたこと、済みませんでした。
石原委員長 では、西川理事、お願いします。
西川(公)委員 意見を述べさせていただきますけれども、非常に難しい問題であったなと今思っています。
 審議会よりの意見も聞いて、北東地域に決まっておった、こういう状況の中でありますけれども、十年間かかって決まらなかった、二年間延ばして、今度は決まるだろうと思ったら、まだ現在の時点で決まっていない、こういうことであります。そういう意味で、一人気負ったってしようがありませんが、非常に責任は感じております。
 ただ、振り返ってみますと、私ども、この委員会で決めることができる、こう思ってやってきました。北東地域が審議会でも第一位の地域でありましたし、委員の皆さんも、私どもが想定するところ、北東地域でいいという意見が過半数を占めておったのではないかと私は理解をしています。
 そういう中で、今決まっていないわけでありますけれども、実感として、私どもと意見を異にする皆さんに国会の中の冷ややかなさめた意見を取り込まれちゃって、混乱に拍車をかけられてしまった、これが私の実感であります。意見はそれぞれ違うと思いますけれども、私はそう感じています。
 しかしながら、東京だけで国会機能はいいかというと、いついかなることが起きるかわかりませんので、私は、今後とも、北東地域に国会機能を持っていきたい、この願いがありますので、運動を続けてまいりたい、こう思っています。
 ただ、審議会の答申も一カ所に絞り込めなくて三カ所になっているわけでありますので、お互いに財政の許す範囲内で三カ所の地域に、多極分散型になるかどうかわかりませんが、どの地域でも国会に直接結びつくような機能を持っていって、三カ所がそれぞれ、当初の目標よりも少し縮むかもしれませんが、そんな形の国会あるいは関係機関づくりを進めていかれればと思っています。
 今後、議長にお願いするかしないか、これからどうするかわかりませんが、そういうことが仄聞するところ流れておりますので、その中でもしっかりなるべく早く結論を出していただき、私どもは、北東地域に最小限の経費で国会等の機能を移転させたい、こういう運動を続けてまいりたい、こう思っております。
 以上です。
石原委員長 ありがとうございます。
 中井理事、お願いします。
中井委員 自由党の中井洽です。
 まず、冒頭、今日まで御努力をいただきました委員長を初め、熱心に委員会でさまざまな議論や視察を繰り返していただきました委員の皆さん方に心から敬意を表します。また、今日まで御協力をいただいた審議会の諸先生、参考人の皆さん、そして地方自治体の関係者の皆さん方にも厚くお礼を申し上げます。
 私は、平成二年の国会決議のときも賛成をいたしましたし、また、平成十二年一月から五月までは委員長をいたしまして、二年を目途にその結論を得ることができるよう早急に検討を進めるべきであるという決議案をつくった男でございます。
 お隣の共産党さんから先ほど欠陥決議だと言われましたので、これから共産党さんとは物も言う気はありませんが、この決議をめぐって本当に真摯な御議論もいただいた。あのときにああいう決議をつくらなければよかったかな、どうだったかなという思いも、本当にここ二カ月、頭の中を去来いたしております。
 ただ、この二十五人のメンバーで首都機能移転、国会移転という候補地を決めるという重大なことを決め切れるか、このことは常に心配をいたしておりまして、決めると言った途端あるいは決めた途端違う動きが出てくる、したがって、かなり慎重にやるべきだ、このことを言い続けてまいりました。
 場合によっては、各党代表が入った五十人の大委員会に編成がえをする、こういったことも考え、提言をしたこともございます。また、そういう意味では、全国会議員、特に衆参同時にアンケート調査をして投票をする、その後、委員会で決める、これは実によくできた案であったと今さらながら考えているところでございます。
 しかし、事ここに至っては仕方がありません。この上、新しい機関で十分な御協議をいただくようお願いを申し上げる次第であります。
 私自身、首都機能移転の候補地について、この機会に申し上げます。
 私は、国会等の移転、東京の現行の国会のバックアップセンターとしての移転ならば、栃木・那須地方が最適であろうかと思っています。国家百年の計であるならば、三重・畿央が一番であると確信をいたし、今日まで行動を続けてきたところであります。
 いずれにいたしましても、首都機能移転を実現して東京一極集中を排して新しい国をつくる、このことが大事であります。
 一極集中の弊害については、もう多くのところで語られてまいりました。一つだけつけ加えますと、過日、高額納税者の番付が発表されました。上位五十人、三十人が東京都であります。こんな国が世界にあるでしょうか。東京一極集中、県庁所在地一極集中、このスタイルを直さないと日本の行政のシステムは変わらない、政治も変わらない、このように考えております。
 最後に、三重・畿央につきましては、ことし参議院が、昨年当委員会が御視察をいただきました。ありがとうございます。この御視察をいただきましたところは審議会が調査をなすったところと違う場所でありまして、四府県が新たに提言をいたしました。したがいまして、審議会の答申等には国有地がないと書かれておりますが、八千五百ヘクタールの中に千七百五十ヘクタールの国有地を有すなど、全く違う条件になってまいっております。また、三重県の県民はケーブルテレビの普及率が日本一でありまして、県民一人当たりのブロードバンド普及率も全国一位。こんなことも含めて、新たな観点で御議論をいただけるよう期待をして、私の意見表明といたします。
石原委員長 ありがとうございます。
 棚橋理事、お願いします。
棚橋委員 まず、私から冒頭申し上げたいのは、当委員会におきましては、一昨年の五月の当委員会の決議におきまして、本年五月を目途に移転先候補地の絞り込みを行い、移転についての結論を導き出すということになっておりましたが、本日までこれができなかったことは大変残念でございますし、同時に、何よりも理事の一人として責任を痛感しております。
 私は、平成八年、衆議院議員に当選をさせていただいて以来、当委員会に継続して所属をさせていただいておりまして、現在は理事を務めさせていただいておりますけれども、これは、首都機能移転というものを前向きに検討し、議論する、この意義が今我が国が置かれている状況において非常に大きいという信念に基づくものでございます。
 今日の何とも言いようがない閉塞感、これを打破するということも当然でございますし、何人かの委員の方からもお話がございましたが、いわゆる東京一極集中、これは、単に災害の問題だけではなくて、東京からほとんどの情報が発信され、東京から文化がつくられ、そして東京の価値観が全国の主要な価値観になってしまうという状況から、今我が国が一番必要とされているのは、多様な価値観、多様な情報が国の中できちんと交錯することではないか。そういう観点からも首都機能移転というものは前向きにとらえるべきでございます。
 また、行政のあり方、特に官僚とそしてまた我が国の経済を初めとする状況のあり方を考える点においても、首都機能移転を真剣に議論し、前向きに進め、そしてまた、その候補地の中では、全国からのアクセスが最適な岐阜・愛知地域が私は最も妥当な候補地だと思って議論に参加してまいりましたが、本日まだ結論を得ることができないことに、その責任を感じておる次第でございます。
 特に、当委員会におきましては、本年二月二十一日の委員会において、委員長から、「委員会として全議員に対するアンケート調査を行った後、委員会が議決をもって決定する」という大変妥当な案が示されて、私は、この案を軸に当委員会で議論が進むものと喜んでおりましたが、にもかかわらずこの絞り込みができなかったということは、私どもの責任であると同時に、非常に残念である、そして同時に、やはりこの責任を放棄すべきではないというふうに考えております。
 ですから、ぜひ委員長にお願いしたいのは、今後とも、当委員会としても、国会はもとより、国民的な議論を高めながら、この首都機能移転に関して、さらに積極的に、前向きに議論を進められるように取り計らいをお願いする次第でございます。
石原委員長 河合理事、お願いします。
河合委員 公明党の河合正智でございます。
 私も岐阜・愛知地域出身でございますが、あえてその高まる気持ちを抑えつつ、私の意見を申し述べさせていただきたいと存じます。
 国会等の移転に関します議論は、国民世論と国会との間にありますギャップが余りにも甚だしい、そして、地域間の意見も甚だしい、さらに、移転対象となる都県は盛り上がりますけれども、そうでない府県につきましては全く無関心であるという状況がございます。国会等の移転という国家的なプロジェクトというのは、国民世論の盛り上がりなくしてこれは成り立つものではない、そのように考えます。
 そもそも、国会等の移転に関する国会決議は一九九〇年十一月に、その法律は九二年十二月に成立しました。当時、日本経済というのはバブルの絶頂期でありまして、地価高騰による東京への一極集中を是正するという大義名分は、この時点ではございました。しかし、バブル経済が崩壊しまして、その後、複合不況が十年を超える長期不況となりまして、デフレスパイラルさえこの国は直面した近年でございます。したがいまして、当初のこの法律の立法根拠というのを失っているのではないかと私は考えます。
 今、私たちは、国の構造そのものを変革しまして、二十一世紀に活力と安心をもたらす新たなシステムをいかに構築するかということが問われております。二十一世紀というのは、デジタル革命、バイオ革命の時代、日本列島そのものが、その観点からしますと、一つの情報拠点として機能するネットワーク社会でございます。その中にありまして、国会等の持つ機能とか都市機能というのはいかにあるべきかが、まず重要な課題となります。さらに、先ほども申し述べられておりましたように、自然ですとか原子力等による災害に対処するための危機管理のためのバックアップ機能ということも必要でございます。
 さらにまた、サッチャー政権が行いましたように、国家機能というものを地方に分権的に分散して、地域経済を振興して、イギリスを再生させました。また、スウェーデンにおきましては、教育機関を中核拠点としまして、地方に雇用を創出したという例もあるわけでございます。
 要するに、私が申し上げたいのは、この国でも国会等の移転の必要性を改めて再定義することが必要ではないかと考えます。その上で、再びこの国民的な議論を再興すべきであると考えます。
 以上でございます。
石原委員長 ありがとうございます。
 河村理事、どうぞ。
河村(た)委員 河村たかしでございます。
 まず、結局、我が日本の国会は、党でみんなやるというのが原則でございます。団体主義でございますので、どうしても党のコンセンサスをとっておると時代に乗りおくれるということで、先ほど二重構造だと言われましたけれども、それは、これが理由でございまして、それでも結構活発な議論があって、やはりこれなんかは、どんどん個人がいろいろな法律を出して、それでどんどん採決していく、そういう方向になりゃええんだけれども、それは原則がそうですから、ならなんだ、もうちょっとというところでございましたけれども。そういうふうに国会を変えていかぬと、党だ党だ言っとるとさいが、本当に時代に取り残されていくだろう、そんなふうに思います。
 それから、この問題ですけれども、移転法の二十二条に、実は、国民合意と社会経済状況の変化について考えると書いてありまして、それを考えていかないかぬ。そうなると、このくそもうからぬときに何を一体やっておるんだというのが、国民の本当の、大方の意見だろうと思います。何か、移転の図を見ておりますと、森の中に宮殿があって、なぜか池があるんだよね、必ず。その池の横に議員が歩いておる。こういうのは、森の中とか別荘地というのは、タックスペイヤーで、金をもうけた人が住まないかぬ。それで、国会議員とか役人というのは、むさくるしいところで、もう仕事にあくせく、どえりゃあえりゃあところで働かないかぬ。そういう国家像に二十一世紀はしないと、やはり日本はぶっつぶれますよ、これは。
 そういう改革をせないかぬということで、私は、移転法を改正すべきであるということで、これは皆さんのところに、お手元に出しましたけれども、二〇〇二年二月八日に提案をしておりますので、まだちょっと時間があります、時間内に終わりますが、二案ありますけれども、一案だけ簡単に骨子部分を言います。
 だから、こういうのをどんどん出して、皆さんでどんどん採決していけばいい。議員というのは、国会サラリーマンじゃなくて、社長なんですよ、それぞれ、国民に責任を負う。そういう時代をつくらないかぬ、そういうふうに私は思っております。
 ざっとフルスピードでいきますからね。「国会等の移転に関する法律の改正について」ということで、二月八日に出しました。「河村たかし」と書いてあります。
 一番、前文。東京の都市構造に象徴されるような、東京を頂点とする序列意識、官尊民卑の意識・構造を打破することこそが、国会等の移転の中心的意義である。前文にこのような構想を書き込むとともに、東京一極集中による弊害を人口の過密等の物理的側面からとらえている部分は削除する。
 二番、国会等の移転の意義と効果。一に掲げた構想を踏まえると、移転先は他の大都市圏でも許容されるので、多極分散型国土の形成に言及した部分は削除する。それから、東京圏と同時に被災しない地域に移転することにより、リスク分散が図られればよいので、移転先の災害に対する安全性について言及した部分は削除する。
 それから三番、移転先の選定基準。移転先の選定基準は、以下の三項目とすることを基本として、法第七条を改正する。既存都市の都市機能の活用、土地取得の容易性、自然環境への負荷の程度。
 それから四番、移転先となる新都市のあり方。小さな政府の考えに基づくとともに、広く国民の理解の得られるものとするため、経済財政状況に配慮した小規模で質素なものとすべきであり、このような考えに基づき法第八条を改正する。
 五番目として、調査会への差し戻しということになるかもわかりませんが、そうすると非常に大変ですので、差し戻さずに、三候補地に新たな候補地を加えるところで考え直す。
 こういう法律をぜひ通していただければ、私は、国民の賛成を得られると。やはり、国民の考えておることは非常に真実をついておると思いますので、この今の雰囲気というのは、やはり今の法律ではどうも時代に即していない、それはバブル期の考え方であったんだということだろうと私は思っております。
 以上でございます。
石原委員長 ありがとうございます。
 田野瀬理事、どうぞ。
田野瀬委員 最後に御指名いただいて恐縮に存じますが、簡単に意見を申し述べたいと思います。
 現在の東京は、今もって毎年数万人の人口の増加が続いておるところでございます。全国各企業の本社という本社がどんどんと東京に集まってきておる。すなわち、一極集中は今もって著しい状況にございます。地下鉄の下にまた地下鉄ができ、高速道路の上にまた高速道路ができ、大変異常な構造を呈しておるところでございます。私は、平成二年に衆参国会で決議されたこの首都機能移転を何としても成功させなければならない、なし遂げなければならないと今もって強く考えておる一人でございます。
 ところが、時には、あるいは中には、心ない、社会経済情勢が大変変化してそういう状況ではないじゃないかというような御意見、非常に残念な意見を聞くわけでございますが、私どもは、首都機能移転、国会等移転、これは四、五百年に一度の国家大事業でありまして、わずか十年による社会経済情勢によってこれは判断すべきではない、このように考えます。
 また、大変お金がかかるじゃないかという心ない意見もございますが、私の試算では、国会あるいは霞が関の政府の皆さん方のわずか通勤費だけで、五十年でこの二兆四千億をペイできる、そういう計算もできておるところでございます。五十年というのは長いじゃないかとおっしゃる方もおるんですが、人生、働く期間五十年といたしますと、わずか五年でその二兆四千億、ランニングコストで返せるというデータも出ておるところでございまして、お金がかかるという理屈も私は決して成り立たない、ランニングコストが大変安くなりますので、むしろ移転する方が国家予算が少なくて済む、こういうことも言えますので、ぜひ、こういう理解者がふえてほしいものだ、このように考えるところでございます。
 そんなことで、我が委員会におきまして、今国会冒頭から、いよいよこの三つの候補地を一つに絞るべく、真剣に議論を重ねてまいりました。時には怒号飛び交う、きょうは理事、仲よく並んでおりますけれども、それはそれは激しいぶつかり合い、激しいやりとりも実はございまして、真剣に取り組んできたところでございます。
 ところが、残念なことに、円満かつ民主的、公正な形で、選ばれたところはよかったですねと、外れた二候補地も、こういう公正な形で選ばれるのであればいたし方ございませんと選ばれたところを祝福の念で決定する、そういう案と、先ほどから出ておりますように、いやいや、二十五人の委員会、委員会の責任でもってこれを一つに絞り込むべきではないかという意見と、これが先ほどから申し上げておりますように激しくぶつかり合いながら、平行線をたどり、きょうを迎えた。こういう状況にあることを、我々決しておろそかに議論しておらなかったということを、ぜひお互い確認をこの委員会でし合いたいものだ、このように思います。
 この後、委員長の方から発言があるわけでございますが、議長のもとに一定の協議機関ができて議論されるということでございますが、その議論の行方によっては、小休止とかあるいは一服だとかというような議論になりかねませんが、再度、三候補地を抱える我々国会議員を中心といたしまして、この火を消さないように、速やかに候補地を一つに絞って、この移転を実現させるべく一致団結して皆さんと行動したいし、そのことをぜひ皆さん方に改めて呼びかけたい、このように思うわけでございます。
 私も、与えられた職責をしっかりと全うすべくこれからも頑張ってまいりたい、このように思いますので、ともに皆さん頑張っていきましょう。
 以上でございます。
石原委員長 ありがとうございました。本委員会を担う全委員の御意見を承りました。
 移転を進めよとの意見が圧倒的多数だったと思います。また、栃木・福島地域の意見が多かったと思いますが、委員各位の御意見を踏まえ、委員長としての考えを述べさせていただきたいと思います。
 国会等移転候補地選定という問題は極めて重大な政治問題であるので慎重に扱うべきだとのお考えもございますが、委員会を預かる私としましては、長時間にわたる御熱心な審議を考慮すると、今再び約束をほごにするのは無責任のそしりを免れないと思います。
 国会移転問題は国家百年の計と言える大プロジェクトであります。ただいま申し上げました本委員会の意見集約の結果を生かしつつ、その実現に向けて、より真剣な取り組みを進めていくことが重要と存じます。
 なお、本日をもちまして私は委員長の職を辞任いたしますが、しばらくの間御協力くださいました皆様方に、厚く御礼を申し上げます。
 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。
    午後二時四十五分散会


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