衆議院

メインへスキップ



第4号 平成14年11月20日(水曜日)

会議録本文へ
平成十四年十一月二十日(水曜日)
    午後三時一分開議
 出席委員
   委員長 中井  洽君
   理事 田野瀬良太郎君 理事 棚橋 泰文君
   理事 蓮実  進君 理事 大谷 信盛君
   理事 玄葉光一郎君 理事 河合 正智君
   理事 塩田  晋君
      荒井 広幸君    石田 真敏君
      佐藤  勉君    松島みどり君
      松本 和那君    八代 英太君
      吉野 正芳君    河村たかし君
      小林  守君    中川 正春君
      牧  義夫君    石井 啓一君
      矢島 恒夫君    山内 惠子君
    …………………………………
   参考人
   (エコノミスト)
   (元経済企画庁長官)   堺屋 太一君
   参考人
   (東京大学先端科学技術研
   究センター教授)     大西  隆君
   参考人
   (財団法人日本総合研究所
   理事長)         寺島 実郎君
   参考人
   (国際日本文化研究センタ
   ー教授)         川勝 平太君
   衆議院調査局国会等の移転
   に関する特別調査室長   内野 隆正君
    ―――――――――――――
委員の異動
十一月二十日
 辞任         補欠選任
  渡辺 喜美君     松島みどり君
  大島 令子君     山内 惠子君
同日
 辞任         補欠選任
  松島みどり君     渡辺 喜美君
  山内 惠子君     大島 令子君
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 参考人出頭要求に関する件
 国会等の移転に関する件


このページのトップに戻る

     ――――◇―――――
中井委員長 これより会議を開きます。
 参考人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。
 国会等の移転に関する件調査のため、参考人の出席を求め、意見を聴取することとし、その日時、人選等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
中井委員長 御異議なしと認めます。よって、そのとおり決しました。
     ――――◇―――――
中井委員長 国会等の移転に関する件について調査を進めます。
 本件調査のため、ただいま参考人としてエコノミスト・元経済企画庁長官堺屋太一君及び東京大学先端科学技術研究センター教授大西隆君に御出席をいただいております。
 参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、極めて御多用のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。
 本委員会におきましては、現下の厳しい社会経済状況を踏まえ、移転規模、形態や新たな移転手法などのコンセプトの見直しについての検討を行っているところであります。
 本日は、そのような観点から、特に、国会等の移転の規模、形態についてのお考え、その具体的な方法論、また、東京都との比較考量についてのお考えなどを中心に、忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。
 なお、議事の順序についてでありますが、まず各参考人から十分程度御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑に対してお答えいただきたいと存じます。
 念のため申し上げますが、御発言の際は委員長の許可を得ることになっております。また、参考人は委員に対し質疑をすることはできないことになっておりますので、あらかじめ御了承をいただきたいと存じます。御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、まず堺屋参考人にお願いいたします。
堺屋参考人 まず、私が申し上げたいのは、本件首都機能移転は、国家の文化、政治事業でありまして、公共事業ではないということであります。これを公共事業として考えますと、ごく小規模なものでございまして、関西空港あるいは東京湾岸の開発に比べまして、はるかに小さな規模であります。このような文化、政治の大事業を一公共事業として議論する傾向がマスコミ等にあることをまことに残念に思っております。したがって、これは、国家のあり方を変える文化、政治事業としてお考えいただきたいと思います。
 第二に、首都機能を移転することは、時代精神の転換でございます。日本の歴史を見ますと、すべての時代が首都機能の所在地で呼ばれています。奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、安土桃山時代、江戸時代、そして幕末のときには京都に移転をいたしまして、そして改めてまた東京に移転をして、今、東京時代。すべて地域、場所の名前で呼ばれています。
 ということは、時代が変われば場所が変わった、場所が変われば必ず時代が変わった。逆に、首都機能の場所が変わらなかったら時代は絶対に変わっていない。これは幕末の例を見ても明らかでございまして、あれだけ黒船が来て幕藩体制が行き詰まっても、京都に移転された文久三年までは何一つ変わらなかったんですね。だから、今、日本が新しい時代、新しい世の中になるためには、首都機能の移転が不可欠だと考えております。
 そして、三番目には、今、日本にとって最も必要なことは、通信情報社会を確立するということです。日本はずっと対面情報社会でやってまいりました。世界じゅうがグローバル化して通信情報で処理されるときに、日本だけがあくまでも対面情報に拘泥しておりますので、情報社会にどんどんおくれてまいりました。これからの新しい知恵の時代においては、迅速、公正、正確、グローバルな通信情報慣習をつける必要がある。そのためにも、首都機能の形態を変えて、東京のように対面情報にこだわる場所でないところに置くべきだと考えております。
 最近の情勢といたしまして、まず一つ申し上げたいのは、東京集中が九六年以来物すごい勢いで加速している、この事実であります。地方分権を二十年間叫び続けてまいりました。しかし、どんどんとその間に東京集中が進んでおります。特に九六年以降の東京集中は著しいものがありまして、地方は空洞化し、関西圏も中京圏も非常な勢いで空洞化しています。特にインターネットの発達が物すごい勢いで東京集中を促進するような、そのような構造、体質が我が国に存在している、これを打ち破らなければならないと思います。
 また、小泉内閣を初めすべての内閣、平成になりましてから十一の内閣が改革を言ってまいりましたが、いずれも期待された改革がそれほどの成果を上げていない。これも、東京に存在する官僚機構の強さと関係があると思っております。
 したがって、改革を推進するためには、歴史から見ても、世界の現状から見ても、また構造的な問題から見ても、首都機能の移転なくしてはできないのではないかと考えております。
 なお、国際的な傾向を見ますと、現在、政治中心と経済文化中心が一緒のままというのは、大きな国では、人口が五千万人以上の国ではロシアと日本だけになりました。アメリカも中国もインドも、そしてヨーロッパ諸国、EUも政治行政機構はブラッセルに移りまして、パリもロンドンもローマも、政治機能はローカル政府になった。この事実も重要ではないかと考えております。
 そのようなことを前提といたしまして、ここで財政の負担を軽減する。この東京集中型の財政構造は限界でございます。私も経済閣僚としてさまざまと努力をいたしましたけれども、東京一極集中では物すごくお金がかかりまして、これが規格大量生産のときはよかったんですが、今日のような多様な知恵の時代になってくると、このシステムでは日本の経済財政はやっていけなくなっているだろうと考えております。
 そこで、どのようにすればいいかということで、本日御下問の点につきまして申し上げますと、お手元に配付いたしました資料の中に、二枚の紙がございます。一枚は絵をかいておりますが、この絵にございますように、現在の構造というのは、国会と内閣があって、そのすべてが官僚機構に依存しております。そして、官僚機構は各省別の縦割りになっておりまして、その中に国政の審議、立案にかかわる機構、それから調査、統計、記録等にかかわる基礎事項、これが縦に一緒になっておりまして、それがさらに突き抜けて、市町村、都道府県の至るところまで人脈と補助金によってつながっています。そして、知事部局によってようやく一体化する。こういう徹底した縦割り機構になっています。これが対面情報機構であり、情報の秘匿性であり、そして今日の官僚の権限縦割り構造にかかっている。この構造がある限り改善が非常に難しいということであります。
 それを、これからの日本、新しい知恵の時代にするためには、右にございますような、国会と内閣と官僚機構とが並列となりまして、中心に内閣が入り、そして官僚機構は、国政部分は縦割り、国政の立案、審議、企画に当たる部分は縦割り、そして調査、統計というのは一つの横割り機構になるべきである。そういたしますと、経済統計一つとりましても二重、三重にとられることはない。
 現在、景気判断、いろいろなことが各企業に各省からたくさんやってまいりまして、大変迷惑であり、不正確であるというような状態がありますし、登録もさまざまになっておりまして、統計一つ調べるのが、インターネットのホームページでも、あっちに飛び、こっちに飛び、大変不自由であります。それを補うために、一人ずつ官僚と顔を合わす。このことが非効率であり、不正確であり、不透明であり、そしてしばしば問題を起こすことにもなっています。これを、完全に基盤機能を分けまして、そして、この間を情報でつなぐ、通信でつなぐ、こういった組織にすべきだと考えております。そういたしますと、これが非常に透明化し、効率化し、安く上がるようにできると思います。
 また、記録、権利、そして、それの保全に当たる、知的財産権を初めといたしまして、土地登記、そういったものが一つのグループである。そして、これは司法とも密接に関係しています。
 そういったような三つぐらいの機能に大きく分けるべきだろう。そして、これが通信情報で処理される。アメリカもヨーロッパも中国もそうでございますが、今や通信情報社会でございますが、そういったことになるためには、この三つの機能、国会、内閣、官僚の国政機能、この逆L字型になっております箱の部分、それから、調査、統計、研究の基盤機能、そして司法保全の機能、この三つが地域的に分かれていた方がいいのではないか。これを分けることによって、必ず通信情報によってその間が結ばれ、そしてそれが国民すべてに公開される、極めて透明な状態が生まれるのではないか。
 また、自治体に対しましては、現在のような、補助金と人事によって各省の系列が府県の中にまで刺さり込んでいる、知事が何かをしようとしても、補助金の問題、あるいは各部長さんがそれぞれの出身官庁につながっておりまして動きがとれないというような状態を外しまして、この国政の部分と自治体の部分との自立をはっきりさせるべきである。このような形の政府構造を考えるといたしますれば、首都機能の移転の議論におきましても、一カ所である必要はない、ある程度分離して置かれていいのではないかと考えています。
 そのことをつくり上げましたのが、もう一枚のこういう表でございますが、この表では、日本の国家をどのような形に考えるかということと、それぞれの首都機能のあり方、物理的なあり方とを並べております。そして、一都市集中型、それから複数、二、三都市への分散型、それから多数の地方への分散型、それから東京に残留する型、この四つの分野に分けまして、都市の形態と、それから起こるであろう日本国、日本国家の形というものを考えてみました。
 さきの首都機能移転審議会の答申は、この一極集中型でございまして、縦割りの現行制度が移行するということを前提として、公共事業型に積み上げております。この積み上げの問題が、非常に高い答え、コストのかかる答えを出しました。行政整理をして、これを小さくして移転するということもございますが、行政改革自身が本当に進むかどうか、ここのところで先にネックになる可能性があります。
 したがいまして、次の、複数にするとき、これを縦割り型にする。例えばA省は甲の地点に、B省は乙の地点にという縦割りで分ける。これはドイツがやったのにやや近いのでございますけれども、これでやりますと、費用は一兆五千億円ぐらい、国費で一兆五千億ぐらいで進みますが、後の運営は、やや困難が伴うのではないかと思います。
 そして、B型、これは、先ほどの図面で申し上げました、機能別に、国政機能と基盤機能と司法保全機能に三分割するものでございますが、これでございますと、私の考えでは、一兆円程度におさまる、そして通信情報社会が形成されると考えています。
 なお、東京に残すということになりまして、バックアップ、震災その他のときだけのバックアップをつくろう。これは、かつて臨時大本営をつくろうというようなこともありましたが、ほとんど効果は期待できません。神戸の地震の例もお手元の参考資料に書いておりますが、こういうバックアップ施設をつくっても、ソフト、毎日毎日使っていない施設だけをつくっても全く効果が上がらないだろうと思います。
 それから、東京にとどめて一部官庁を移転するというのは、竹下内閣の一省庁一機関移転のときもやりましたけれども、結果といたしましては、東京圏の中で動いただけで、外へ出ていったものはわずか七機関、それも極めて小規模のものでありました。
 以上のことから申し上げますれば、私は、この際、首都機能を国政機能、国会、内閣、そして国家の重要企画に参加する部分、これは人数はそれほど多くはありませんけれども、そういった首都の中核機能と、そして政府としての統計、調査、記録等を保全する基礎機能、そして司法とかかわります権利機能、登記機能、そういったものに分割して、二つないし三つの地域に配置するのが最善ではないかと考えております。
 ありがとうございました。(拍手)
中井委員長 ありがとうございました。
 次に、大西参考人にお願いいたします。
大西参考人 こういう機会を与えていただきまして、どうもありがとうございます。東京大学の大西と申します。
 私は、かねてから首都機能移転についてもちろん関心を持っておりましたが、特に現在、法律等によって定められているような、一括して一カ所にすべての首都機能を移転するという方法でかなり大きな都市をつくるというやり方に対して疑問を持っておりまして、もっと現代的な首都機能移転というのがあるのではないかというふうに考えておりました。
 そのことについては、もうかなり前から、いろいろな機会に書いたり発言をしたりしておりましたが、今回当委員会の命令によってまとめられた衆議院の調査局のレポートの中では、今私が申し上げたような観点が大幅に取り入れられて、諸外国における分散型の首都機能移転の事例とか、あるいは日本の中で、堺屋先生を初めとしてそうしたことを主張している幾つかの論稿がおさめられていて、これまでの首都機能移転の議論とは少し違う議論が起こる可能性が生まれたのではないかということで、非常に期待をしております。
 私は、そういう移転形態を分散型分都というふうに呼んでおります。分都というのは、随分前に首都機能移転の諸形態を分類されたときに、その中の一つ、いわゆる首都機能を幾つかの都市に分けて存在せしめるというのが分都でありますが、それがかなりたくさんの都市にわたるということで、形容詞的にその前に分散型という言葉をつけて分散型分都というふうに呼んでおります。
 お手元に四枚の、私が用意しました資料を配付させていただいておると思いますので、それをごらんいただきながらお聞きいただければ幸いでございます。
 最初の御質問が、移転の規模と形態についてということであります。これはまさに、分散型分都というのが移転の規模、形態にかかわる概念というふうに私は考えているわけでありますが、最少の費用で最大の効果を上げるのにはどうしたらいいのかということであります。
 形態としては、首都機能移転の場合に、首都機能というのが大きく三つぐらいの都市に分けることができるんではないかというのが一点、形態に関する論点であります。
 日本の場合には、立法府と行政の中枢的な機関というのが、これは同じ場所、緊密に連絡をとりながら存在していることが望ましいというふうに私は考えておりまして、それが立法、行政中枢で形成される国会都市と仮に呼ぶことにいたします。
 これに対して、司法あるいは司法に関連する行政というのは、国会都市とは相対的な独立性を保っている方がむしろいいんではないかということで、最高裁判所を中心とした、あるいはそれにプラス関連行政機関が集まる場所を司法都市というふうに呼んでおります。
 それからさらに、先ほどの堺屋先生のお話にもありましたけれども、行政府の中でも、政策形成にかかわる行政府に対して政策の実施とかあるいは統計の整理とか調査を行うという役割を持っている中央官庁があるわけでありまして、こうした機能というのは一つのまとまりをまたつくることができるんではないか、場合によっては、一番最後に申し上げているグループというのはさらに幾つかに分かれることも可能であるということで、これを行政都市ないしは行政都市群というふうに呼んでおります。
 そうしますと、国会都市、司法都市、それから行政都市ということで、現在東京に、永田町、霞が関に存在する首都機能というのを幾つかに分けて、しかし一定の重要な機能をそれぞれが果たしつつ日本の中枢を構成するということができるのではないかというふうに考えているわけであります。
 それで、お手元に表の一というのがありまして、細かな数字が並んでおりますが、少し具体化するために、今のような概念で国会都市、司法都市、行政都市というのがどのくらいの規模になるのかというのを整理したものがこの表でございます。
 考え方といたしましては、現在の首都機能をそっくり移転の対象とするということであります。したがって、余り小さくし過ぎると全体として中途半端な首都機能になるということで、一定の規模が必要だ、しかし、その一定の規模の中でできるだけスリムな移転というのを考えようということで、まとまって首都機能が発揮される中でできるだけ小規模な移転ということを考えた場合にどのくらいになるのか。私の試算では十七万七千人というふうになっております。これは、先ごろ衆議院の調査会でお出しになった十四万六千人という規模に対してやや多いということになっておりますが、このあたりは、行政のスリム化をどの程度考えるかとかいう御判断もあるので、私としては、本質的にそう大きな違いはない数字ではないかというふうに考えております。
 その上で、十七万七千人という規模は、実は全体、国会都市、司法都市、行政都市を合わせたものでありまして、これが少なくとも三つあるいはそれ以上の都市に分かれる。その中でもちろん最大のものは国会と行政の中枢が存在する国会都市でありまして、私の試算では十三万三千人ほどがここの人口だということになります。
 十七万とか十三万とか申し上げるのは、国会議員の方々あるいは公務員だけではなくて、それに関連した業務についておられる方、あるいはサービス機能に従事しておられる方、あるいはその家族というのもすべて含んだ値でありまして、一定の都市生活が保障される人々の集合体というふうに考えております。
 そこで、これまで、例えば国会等移転審議会等が行った試算方法に倣って、どのくらいの費用でこうした少なくとも三つに分かれる十七万規模の都市を整備することができるのかということを試算してみますと、公的負担でおよそ一・五兆円ぐらいでできるのではないか。これは、一つ一つの都市が小規模になることによって、例えば都市内の公共交通のような大規模なインフラが不要になるというようなことを勘案したものでありまして、およそ一・五兆円で三つの都市を整備することができるということであります。
 したがって、それぞれの都市では、小規模になったということに対応しまして、例えば交通手段でいきますと、徒歩や自転車が国会都市といえどももっと活用されるということも考慮しているものであります。
 では、一体何でこうした分散型分都ということを主張するのかということでありますが、特にその効果として私は重要だというふうに思っておりますのは、これからの社会で我々大きな課題は、人口減少社会に入る中で、特に地方都市が衰退するところがふえてくるということであります。先ほども、堺屋先生のお話の中で、東京の一極集中が数字の上でまた復興しているという指摘がなされましたけれども、これは今まで以上に厳しい地方の衰退現象ということを意味するわけであります。
 先例では、イギリスやスウェーデンにおいて、やはりこういう問題に直面して、政府の雇用機会そのものが地方を支えるということで、随分前からスウェーデンあるいはイギリスにおいてこの分散型分都の形態がとられてきたわけであります。つまり、公務員のポストをポストとして各地に配分して、そこで中核的な雇用機会としていく、それが雇用を支え、かつ地域の活性化の一つの核になるというやり方でありまして、そういう意味では、地方都市の振興という観点からも、この首都機能移転、分散型分都というのが必要になるのではないか、それを徹底すれば、先ほど申し上げたような行政都市というのは必ずしも一つである必要はない、もっとたくさんの地域に分かれるということもあり得るということであります。
 加えて、もちろんこれまでも議論されていた一極集中是正、あるいは防災性の向上、国政改革の契機というようなことも重要な効果であります。
 二つ目に、東京との比較考量について御質問がありました。これをどういうふうに進めていくかということであります。
 まず前提として申し上げたいのは、一番最後のページに表の二というのがありまして、東京が日本の中心でなければいけない、首都は東京でなければいけないという議論の背景には、国際競争の中で東京が頑張らなければいけないという議論、論点があるわけであります。
 しかし、この表の二は、世界の三大地域、日本、アメリカ、欧州、EUをとって、そこで民間企業の頂点にある売上高上位百社がどういうふうに立地しているのかというのを見たものであります。
 この並んでいる都市あるいは地域の数から明らかなように、日本は非常に少ない。中でも、東京都区部に六〇%以上の本社機能が集中立地しているわけであります。しかし、アメリカやEUを見ますと、それが分散しているというわけであります。EUにおいてもフランスやイギリスは一極集中ではないかというふうに言われてきましたが、今やEUが一つの国であります。
 その観点からすると、百の本社のうちフランスやイギリスにも二割程度しか立地していないということでありまして、全EUにいろいろな機能が分散的に立地している。これは、分散的に立地しながら非常に強力な機能を発揮しつつ、同時に、文化あるいは都市的な生活という意味では、ゆとりを楽しむ快適さが追求されているということが一方ではあるんだろうというふうに推測するわけであります。
 そのように考えると、なぜ日本だけが一極集中という格好で世界の主要な国々と競争していくという考えに立たなければいけないのかというのが非常に疑問でありまして、集積のよさを生かしながら、しかし、ゆとりある生活あるいは快適な都市環境を実現していく道があるのではないか、それには、過密の弊害というのを極力削減していくということが必要だというふうに考えるわけであります。
 そういう観点から、東京との比較考量については次のような手順で詰めていってはいかがかというのが私の提案であります。
 まず、私の提案では少しスリムな首都機能移転というのを提案しておりますので、現在移転調査会あるいは審議会等で選んだ候補地よりももう少し幅の広い場所を選ぶことができる。面積が千七、八百ヘクタールで国会都市ができるということであれば、今までの八千五百ヘクタールよりは幅広い選択肢がある。しかし、せっかく移転審議会で大きく三カ所を選んでおりますので、これを尊重しながらも、主要な都市に近接しているとか主要な新幹線等の駅からそう遠くないという観点で、より適切な場所をさらに精査して選ぶという作業が要るのではないかというのが手順の一であります。
 手順の二は、そうして追加された候補地、これらも含みながら、東京都と比較考量をそれぞれ個別的にやってはどうかということであります。
 東京都に比べてはるかに条件が落ちるところは対象にならないかもしれないわけでありまして、そこに述べておりますような、国民から見た首都の利用しやすさとか、あるいはそこに首都が移った場合に環境がどれほど改善されるかとか、あるいは東京を含めた混雑がどれほど緩和されるかとか、あるいは首都機能移転による諸改革の進展効果がどれほどあるのか、あるいは防災性の向上効果がどれほどあるのかというような、これまでも言われてきたような観点でありますが、こうした観点について東京都と比べていく。これに残った場所というのは東京と比べても十分首都として今後期待できる場所だということでありますので、そこが最終的な首都機能移転の候補地ということになるだろうと思います。
 私の提案では、候補地は一つである必要はないということでありますので、そうした候補地群を前提として、どういうふうに機能を配置したらいいのかということが最終的に考えられるべきだということであります。
 前後しましたが、こうした手順を踏んでいく出発点として、十二年前に国会で決議して決めた首都機能移転、これを改めて国会において確認していただくということは非常に意義のあることだろうというふうに思います。それを確認していただいた上で、今のような手順で候補地をこれまでの議論も踏まえながら精査をして、東京との比較等に移っていくということが私としては今必要なことではないかというふうに考えるわけであります。
 ちょっと時間が長くなりましたが、以上で発言を終わりにいたします。どうもありがとうございました。(拍手)
中井委員長 ありがとうございました。
 以上で参考人からの意見の開陳は終わりました。
    ―――――――――――――
中井委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。
 委員各位に一言申し上げます。
 議事整理のため、御発言は、一回につきおおむね三分以内でお願いいたします。また、御発言は、挙手の上、委員長の許可を得た後にお願いいたします。御発言は着席のままで結構です。
 それでは、挙手をお願いいたします。
石田委員 石田と申します。
 堺屋先生にお伺いをさせていただきたいと思います。
 三点にわたってですが、まず一点は、私は以前に先生の「日本革質」という本を読ませていただいて、昭和十六年体制という先生の主張、本当にそのとおりだなというふうに思ったわけですが、そういう点からいきますと、今日の東京一極集中というのは、どうもシステムとして東京一極集中がなされるような、そういうシステムをつくり上げたということになると思うんですね。そうしますと、今後も、システムである以上はまだまだ東京に一極集中する、展都とか拡都とかいろいろ言われますけれども、幾らやってもどんどん東京に集まるシステムということになるんではないかというふうに私は思うんですが、その点についての先生のお考えをまずお聞かせいただきたいというふうに思います。
 それから、いただきましたペーパーの九ページの「国会等移転の形態」という中で、「首都機能移転の最終形態は、通信情報社会の確立、情報発信機能の多源化、文化的多様性の確保の観点から、」というふうに書かれておられるわけですけれども、これは恐らく、今日までの日本の状況に対する反省を踏まえてこういう観点を主張されておられるのだと思うんですが、その辺について、どういう弊害なり反省なりがあるのかというあたりを、もう少し具体的に教えていただければありがたいというふうに思います。
 それから、それにつけての主張として、二、三カ所に分散することが望ましいというふうに主張されたわけですけれども、それでは、どういうふうな基準でその二、三カ所の用地を選定するか、もしこういう基準というようなことがあればお教えをいただきたいというふうに思います。
 以上でございます。
堺屋参考人 まず、日本が、戦後あるいは明治以後ずっとそうですが、発展してくるときには、近代工業を興そう、つまり規格大量生産を実現しようということが第一でした。そして、それは、この時代、二十世紀には間違った方向ではありませんでした。そのために、一極集中、官僚統制、官僚の規格基準、そして金融から教育まですべてを規格大量生産に向けて動員をいたしました。その結果、一九八〇年代には、日本はジャパン・アズ・ナンバーワンと言われるぐらい規格大量生産の上手な国になって、輸出も伸び、産業も経済も発展しました。
 ところが、八〇年代に人類の文明ががらりと変わりまして、今や多様な知恵の時代になりました。世界的に規格大量生産は、中国や東南アジアのような非常に賃金の安い国でどんどんできる、コンピューター制御を利用すればどこの国でもできるようになって、どんどんと価格破壊が続き、以後、九〇年代に入って、日本は全く成長をとめてしまうという状態になりました。それにもかかわらず、東京一極集中と官僚の規格基準のシステムが残っている、ここが大変な問題でございまして、平成になってから十一の内閣がことごとく改革を提唱されながら改善ができなかった、まさにこの部分であります。
 したがって、これを変えようといたしますれば、やはり首都機能を移転することで人心を一新し、組織を変える。特に、先ほど申しました各省の企画立案審査部門と基礎データを集める基盤部門、これを分けることによって通信情報社会にする。何かお役所へ行って顔を見なければ話が進まないというような状態をやめなければ、グローバル化の時代に日本はどんどんとおくれてまいりました。もうこの数年間、十年ぐらいの間に、東京一極集中が進むのと同じぐらいのスピードで日本の国際的地位はどんどん落ちて、外国特派員の数でさえもどんどん減っている状況であります。これを改めるためには、日本が新しい通信情報社会、情報発信の多源化、そして多様な文化が全国各地から出てくるような状況にしなければならないと考えております。
 それで、二ないし三カ所でございますけれども、まず、東京から百五十キロ以上離れているということが一つの条件だろうと考えております。そして地域としては、既に審議会で答申された三カ所、これはいずれも私は合格だと思います。さらに、面積はうんと狭い方がいい。自動車に乗って走り回るロサンゼルス型の都市、これが一九八〇年代までは新しい町として非常に推奨されたのでございますけれども、今や、都市は全く変わりました。世界一の都市ニューヨークでもヨーロッパでも中国でも混合都市化して、歩いて暮らせるまちづくり、これは私も閣僚のときに提唱したことでありますが、それこそが一番人間的であり、便利であり、安全であり、かつエコロジカルである、そういう都市になる。したがいまして、面積が狭い分だけ選択の余地は広がると思いますけれども、基本としては、審議会答申で御研究いただいた線はかなりいいところが出ているんじゃないか。
 そしてもう一つ、付表をつけておりますが、やはり安くできるところですね。安くできるところがやはり大事だろう。そういう意味では、地元の協力体制がありまして、用地買収その他に手間がかからないこと。国有地だからと言っていると、後の部分で大変な手間になる例が成田空港以下よくあるわけでございますけれども、そういう地元の協力体制。そうすると、二、三カ所がありますと、協力体制が強くてやりやすいところは機能を大きくし人口をふやす、そうでないところはだんだんと縮小していく、こういう競争体制を保つと、途中でごね得、そんなのは絶対出ません、出た途端に減らしますから。
 そういうような柔軟な発想で、まずこの国会移転をやるんだということを決議していただきまして、その次に、手順として、そういう調査する機関をつくっていただいて、そして二ないし三カ所の、それぞれの地形や土地所有の状態や値段の問題、あるいは交通アプローチの問題、その地域の人々の受けとめ方あるいは日本全国の人々の受けとめ方、そういったことを調べながら逐次やっていけばいいんじゃないか。
 まず国会を移転するんだという第一段階をやって、そして、すべてのそういう技術的な調査、経営的な調査ということを、一年百億円ぐらいの費用で三年ぐらい続けていく。そして、どのところを国会にするのか、どこを基盤とし、どこを司法都市にするのか、そういうことも三つの案を比べて国会で比較検討していただける、そういうような機関が正確な三案を提出していく。そういう形にすると一兆円以内ですべてできるだろうと私は考えております。
玄葉委員 大変参考になりました。
 若干繰り返すような質問になります。今回のこの委員会の趣旨は、結局、その一つは、一括移転と分散型移転の比較といいますか、優劣だと思うんですね。
 そこで、お二人の先生から、分散型移転の方がむしろ望ましいのではないかというアイデアというか、整理がなされたわけでありますけれども、何ゆえに一括移転よりも分散型移転の方がすぐれているのかということを、今大分、堺屋先生に話をしていただいたんですけれども、大西先生もここに若干書いてございますね。そもそも、分散型であっても、国政全般の改革の契機には差し支えないし、地方都市の活力といいますか、雇用拡大によりつながるではないか、こういう観点も述べられておられるんですが、改めて整理をして、その優劣、比較を端的にお話しをいただけるとありがたいということです。
 以上です。
大西参考人 先ほども申しましたけれども、私は、一括移転と私の分散型分都、分散型移転というのが、一番大きな論点としては、今の時代にどちらが適当かということだろうと思うんですね。理論的といいますか、形としては世界にも両方が存在しておりますから、両方の可能性があるんだろう。しかし、日本が今置かれている状況でどちらがいいのかということが重要な論点だろうと思います。
 その意味では、先ほども申しましたけれども、まず、首都機能移転、地域に対する非常に強力な効果のある、あるいはインパクトのある事業を、一カ所だけにとどめるんではなくて、より全国に波及する格好で展開することが望ましい。つまり、これは、日本の政策の中でも多極分散型の国土の形成ということが言われてきまして、中枢都市、札幌から福岡に至るような主要な都市が日本をそれぞれ支えていく、そういう国の姿というのが望ましいという議論は以前からあると思います。私もそれにくみする者でありますが、そうした文脈で考えていきますと、首都機能というのが、すべての中枢的な都市を支えるというわけにはいかないにしても、幾つかの都市について支える力になる、そういう地域振興に首都機能移転をぜひ活用していくべきだというのが主張の一番大きな点であります。
 これをやや消極的な観点からもとらえれば、先ほど申し上げたように、過疎対策にもなり得る。現に、イギリスやスウェーデンの首都機能の移転というのはそうした側面が強いというふうに言われているわけでありますが、まさに日本の局面はそういうことを考えなければいけない。つまり、人口減少下で、やや衰退傾向が強まっていくような地域をどう支えていくのか、その中で国は何ができるのかということを考えていかなければいけないということが一番大きな点であります。
 それから二つ目は、むしろそうやって分散することによるデメリット、つまり、いろいろな機能がばらばらにあると、連絡がうまくいかなかったりしてそごを来すのではないかということが心配されるわけでありますが、そこは、何のためにこれまで情報化社会を推進するためのいろいろな整備をしてきたのか、あるいは情報技術の発展に大きな資金を投じてきたのかということになると思いますので、交通あるいは情報基盤がかなり整備されているという現実を考えれば、それらをフルに使えれば、離れていることのデメリットは最小限にとめられるんではないかということで、一カ所に集めるよりも、より全国に波及効果のある分散型が望ましいというのが私の考えでございます。
堺屋参考人 私は、より積極的に考えております。
 この首都機能の移転の問題が出てから十数年、この間に、大変大きな社会的変化がありました。その第一は、先ほど申しましたように、規格大量生産時代から知価社会に変わった。だから、技術にいたしましても、アポロ計画やジャンボジェット機あるいはコンコルドより速い飛行機というような大型の技術開発は全く行われなくなって、分散型になってきている。こういう知価社会というものが一つ存在します。
 二番目には、通信情報社会が物すごい勢いで進んだ。もう世界じゅう、どこへ行っても通信情報でございまして、公開で透明で公正でなければいけない、これが日本に対する国際的な不信感にさえなるぐらい、日本の一極集中、対面情報体制というのは今や問題でございます。
 三番目には、やはり日本を変えるという、官僚主導から民主導、民に選ばれた人々が主導していく、この体制にはっきり変える。そのためには、より大きな刺激が必要だろうと考えております。
 日本の歴史を見ますと、一極集中型の体制をとったのは奈良時代、平安時代、そして今、東京時代、この三時代でございますが、いずれもやがて停滞になってきた、官僚主導の停滞になってきたことがございます。そういう意味で、分散いたしますことで本当の知価社会をつくり、通信情報社会をつくる。これを物理的に分離しなければ、やはり何かまた官僚主導に戻ってしまう。
 ぜひここを明確に意識して、そして役所の機構自身を、基盤的な情報収集活動、例えば統計でございますと、財務省の統計も、経産省の統計も、内閣府の統計も、総理府の統計も、同じような統計がいっぱいありますが、これが一括してインターネットできちんと整理されている、そうすると、国会で御利用になるときも、民間企業で利用するときも、外国が利用するときも実に透明だ、こういう形にするためには、やはり通信情報社会をつくるということが今や必要になってきている。だから、ぜひこれは分離して、そういう訓練、慣習を日本じゅうに広げていく必要がある。
 こういう意味でいいますと、二ないし三カ所に分離している方がはるかに効果的ではないかと考えております。
河合委員 本日は、大変にありがとうございます。
 堺屋参考人にまずお伺いさせていただきますけれども、この堺屋参考人の提言の前提として、私たちは、堺屋参考人がこういうことを体験的におっしゃっているということを聞いております。
 それは、もし首都東京が阪神・淡路大震災と同等の地震に被災し、その発災時間が三時間おくれていたら、すなわち午前八時四十六分と仮定した場合、死者は約三十万人、物的損失は一千五百兆円に上り、首都機能は、交通、通信の遮断と欠勤、活動不能状況で、国家行政が麻痺して、国家の中枢機能は長期にわたり喪失するとの、阪神・淡路の大震災の体験を踏まえてこの提言をされたというふうにお伺いいたしております。
 そこで、先ほどの情報通信革命も立論の根拠になっているわけでございますが、もう一つ、これは大西参考人もただいま陳述なさったことでございますけれども、分散的分都。
 そもそも、この一極集中を是正するというこの立法根拠を、一括移転するというのは、これは非常に私は矛盾があったのではないかと思います。それはどうしてかといいますと、新たな集中を生むことになるからでございます。大西先生のおっしゃいましたスウェーデンとイギリス、私、実際に行って見てまいりました。先生のおっしゃっているとおりでございました。
 そこで、私は、この国会等移転の問題というのは、十年を経まして、再定義をした上で取り組むべきであると考えております。
 そうしますと、両先生のおっしゃいますことは、一括移転というよりも、分散的に移転した方がいい。ただ、どのようにその機能を分割するかというところで御意見が少し違うように思われます。それは、大西先生は、例えば立案機能と執行機能を分けていらっしゃる、堺屋先生は、新たな枠組みを設定していらっしゃいますけれども、両参考人それぞれ、それぞれの、大西先生は堺屋先生の、堺屋先生は大西先生の考え方をどのように評価されますでしょうか、非常に失礼な質問かもしれませんけれども。
堺屋参考人 まず、二つ質問があったと思いますが、一つは、震災等災害の場合に東京がどうなるかということであります。
 私は、阪神・淡路復興委員をいたしまして、震災の翌々日から神戸に入りましたけれども、そこではっきりしたことは、まず第一に、被災をした人が救済はできないということであります。特に十キロ以上離れている人は、出勤、通勤がほとんど不可能になります。
 したがって、東京で被災が起こったとき、東京の通勤者、二十四キロが平均でございますから、ほとんどの人は帰れない、出てこられない。ところが、今の救済体制というのは、すべて人々は出てくるという前提になっているんです、これは東京電力も、ガスも、東京都も、国の政府もみんなそうなんですが。そうすると、これは絶対に不可能だということが考えられまして、大変な問題が起こるだろう。
 特に、第一次被害、ぐらっと揺れてどすんと落ちて被害を受けるのは都市の規模の一乗に比例いたしますが、そこから火災が発生する二次被害は二乗に比例します。そして、三番目の、ライフラインがつぶれたことによって人々が困る、伝染病が発生する、飢え死にが出る、暴動が起こる第三次被害は三乗に比例します。そして、最も恐ろしいのは第四次被害。一つの地域が破損したことによりまして他の地域も影響を受ける。この損失は四乗に比例いたします。
 したがって、東京が神戸の十倍の規模があるとすると、この被災は一万倍にもなって、世界経済を揺るがすような事態になり、日本人の人命は非常に危険にさらされるだろうと思います。
 そういった点からいいますと、別の首都機能があって、そこが情報を発信し、企画管理をできるという状態をつくらなけりゃいけない。このために、私、IT担当大臣のときにも、随分お金をかけて、ある一点に集中しておりますインターネットを迂回するようなことをするために大変な努力をいたしましたけれども、結果としては、猛烈に集中が進んだだけでございまして、その一点をテロ攻撃されると日本は危ないような状態になっておりますが、ぜひこの点も、安全性の問題も大きな課題だと思います。
 それから、大西先生の案とは、大西先生はむしろ都市構造的に理解されたのでございましょうけれども、私は、行政として考えますと、やはり基礎的なデータ、絶対に中立的であり、長期保存的であり、そして全国民、全世界に公開的である、こういう基礎活動、かなりの規模になりますが、これを映像で出す、インターネットで出す、あるいは文字で出す。いろいろな形を考えますと、この機能こそ、これからの政府の機能の中で極めて重要なものになると思います。その部分を、中立的な、安全なところに置いて、即時、全部に公開されるような形にする。この分け方が、首都機能の移転にかかわらず、必要なものである。
 それが、情報で伝わる、対面でないということにするためには、地域を離した方がいいのではないか、そのことが、日本全体を通信情報慣習に入れて、大いに新しい時代をつくることになるんじゃないか、こう考えておりまして、大西先生との間に基本的な対立はないと思っております。
大西参考人 私への質問は、分散型分都の形態ということで、特に分散を行政府に対してどういうふうに行うのかということであります。
 堺屋先生の御主張も、私、勉強させていただきまして、傾聴に値する御主張だというふうに思っております。
 この議論は、そもそも、今まで一括移転ということでやってきましたので、どういうふうに行政を分けて立地することができるのかということをまだ余り詰めてやられていないと思いますので、いずれにしても、そういう方向があり得るということであれば、ぜひ調査研究を深めるべき領域だというふうに思います。
 その上で、一番重要な点は、日本の議院内閣制、大統領制とは違って、国会議員の中から総理大臣を初めとする主要な大臣が選ばれるという、現在の内閣は必ずしもそうでないかもしれませんが、そういうシステムの中では、やはり国会が国の基本的な方向を決め、行政がそれを実施していくということが基本でありましょうから、その国会と行政の中枢的な機能というのが一体でなければいけない。そうすると、そこに、国会のそばにまさに一体的に存在しなければいけない行政の中枢的な機能というのは何かというのが詰められる必要があると思います。
 それで、それを詰めた後、必ずしも一緒にいなくてもいいというのが出てきた場合に、それを堺屋先生がおっしゃるような調査、研究あるいは統計というようなグループとして一つの役所にまとめるのか、あるいは、それはそれぞれのテーマごとの役所の一つの部局として残したまま行政都市に行くのか、そこの手法はまた別途考えればいいことではないかということで、一番まだ欠けている論点は、国会と一緒にいなければいけない中枢的な行政機能、これをもう少しきわめて整理していく。
 これは規制緩和とか地方分権の議論と大いにかかわることでありまして、ここをきちんとやれば、移転規模そのものも、現在の行政府全体ではなくて、二割五分とかあるいは三割減らせるんではないかという議論が根拠を持って言えるようになってくるんではないかというふうに考えております。
八代委員 両先生、きょうは御苦労さまでございます。
 私は自民党の八代英太でございます。
 私は、首都機能移転あるいは国会等移転に反対の立場を貫いておりますし、そしてまた、日本の首都として、また三権が存在するこの永田町周辺とでも申しましょうか、この配置というものに、非常に世界でも誇れる分布の形ができているということをむしろ誇りに感じながら、そしてこれが、平成二年に、当時のバブル時代の一つの夢物語のような発想のもとにスタートした、当時は首都移転、その首都移転の審議会も、首都移転ということをコンセプトにしてやってきたけれども、今や審議は、一体どのように、一括移転なのか、分都的移転なのか、あるいは国会等だけ、行政だけ移転をするのかという、ばらばらな形の議論がずっと推移いたしております。
 堺屋先生には、ちょうど小渕内閣のときに大変ITで御指導いただきました。ITという時代になればなるほど、首都などは移転せず、国会等も移転せず、まさに自分のひざの上にパソコンを置けば、自分の隣がアフリカであり、自分の隣がホワイトハウスだという意識の世界になっていく状況等々を考えましても、今あるこの首都というもの、あるいは国会等というこの日本の三権のあり方というものが、何でこの厳しい財政の中に移転をしなければならないのか。公共事業ではないとするならば、あるいは文化事業とするならば、なぜ今そのようなことが必要なのかという私は疑問を抱かざるを得ません。
 当時、審議会が三つの候補地を絞ってまいりました。あのとき、小渕総理は、ううん困ったなと、本当に額にしわを寄せた顔が今も心に焼きついておりまして、まさにあの平成二年の延長線上が、厳しい財政の中でもやはり審議会で答申せざるを得なかったという一つの苦渋の結果でもあったろう。
 こんなふうに思うときに、今、こうして時代を振り返り、堺屋先生が時代が変われば首都が変わるという歴史的なお話もなさいましたけれども、当時は群雄割拠の時代、あるいはまた関所があり、ITもなければ飛行機もなければ新幹線もない時代の、いわば首都の、変わりようのない、小さなところに押し込められた日本のそれぞれの藩というものが地域の中に分散していたように思うんです。
 日本という国をよく地図で見ていただきますと、北海道があって、本州があって、四国があって、九州があって、沖縄がある。そして、北海道が頭とするならば、人間の体でいうならば、ちょうど東京というのはまさに心臓の位置にあって、それから四国、九州、それがしっかりと支えている。世界にまれに見るいいところに日本の東京というものは、考えられた機能としての、首都としての存在になったんだなということを考えますと、民族の集大成として、私は、この東京というものが、いわば歴史的、文化的に最良の首都であり、最良の三権のいわば中枢機能としての存在、心臓部であったろう、このように思っているわけです。
 羽田もいよいよ四本目の滑走路をつくろうとしている、首相官邸も新しくなった、各省庁は高層ビル化をしてますます機能をよくしていくような時代になってきた、こういう時代であればこそもっとやるべきことはたくさんあるのではないか、地方分権、縦割りというならば、それこそが政治の怠慢ではなかったのか、官僚に支配されている政治というならばそれこそ我々政治家の責任ではなかったのかということを考えますと、今まさに、この国会の、この委員会でも、この五月にさえ一つに絞り込むのが不可能であったということを見ましても、まさにここは、一長一短、いろいろな思いがあるだろうと思うことを考えましても、この議論はやはり終息すべきだというのが私の一つの考え方であります。
 東京に私は住んでおります。しかし、私のふるさとは山梨です。恐らく東京というのは、単に東京のものではなくて日本全体のものだという意識を持ちますと、四十七都道府県が一体となって東京を支えていく、そこにいろいろ問題点があるとしたならば、それは経済と政治を分離する、あるいは地方分権ではなくて地方主権のようなそういう一つの国づくりをしていく、あるいは廃県置州的な考え方によって機能を分散していくということを、経済を分散していくということを考えましても、やるべきことはただただ政策の中に多岐にわたってあるのではないかという思いを持つんですけれども、その私の考え方に対しまして両先生はどのようなお考えを持っておられるか、私はあくまでも反対の立場でありますからこういう論評しかできないわけでございますが、ひとつ御意見を伺いたいと思っております。
堺屋参考人 東京に現状のまま置いておいて日本が改革できるか、これが一番のポイントだろうと思います。
 私も、昭和四十三年に「日本の地域構造」を書いたときには、首都機能移転ではなくして、地方分散、地方分権を進めることで日本がよくなるんじゃないか、官僚主導が変わるんではないかという期待を持ってまいりました。それからいろいろな人々が地方分権を言いました。鈴木内閣以来ずっと言っておりますが、その間に東京一極集中が物すごい勢いで進んだ。そして、東京は今や首都機能の重圧でもう耐えかねている。例えば、国賓が一人来ただけで日本の経済機能がマイナスを受けるぐらい規制をしなきゃいけない、こういう状態の国というのは、もう今や日本とロシアだけなんですね。そこまで来ている。また、安全性の面から見ても、東京で震災が起これば極めて危険な状態、それを救済する存在がないような状態になっている。
 特に平成二年から、一時は、インターネットがはやることによって、八代先生がおっしゃいましたように、ひざの上にアフリカが乗っている、ホワイトハウスが乗っている時代だと。確かにそういう時代で、多くのデータを私たちも利用しておりますが、残念ながら、霞が関だけは乗りません。世界じゅうの情報が入るのに役人の情報だけは霞が関へ行ってやはり対面しなきゃいけない。だからどんどん日本じゅうの本社が東京へ集まってきている。
 この現実を、単に地方分権等の空論をもてあそぶのではなくして、この二十年間の現実を見ますと、やはり私は首都機能を移転しなければ日本の安全性と効率性とそして多様性は保てないんではないかとつくづくと思う次第です。
 平成二年のとき、これはバブルではありません、バブルのこととは関係なしに言われたことで、当時バブル的な話もありましたけれども、バブルが起こっているから移転しようというのではありません。
 特に問題は、東京一極集中の財政構造に着目していただきたいと思います。これは、全国のお金が東京に集まって地方に配られる、そういう仕組みになっておりますから大変高くつきます。知事さんたちがいろいろとみずからの特徴を打ち出そうとしても、ことごとく、最近の特区の議論を見ましても、これはこうやったらできる、ああやったらできるというんですが、実際はできない仕掛けになっているんですね。
 そういうことをずっと考えていきますと、やはり人心の一新が必要である。この一新の方法として、最も安上がりで確実でそしてその後にいい効果を残すのは、私は首都機能移転ではないかと思っています。
 八代先生にも、私も東京に住んでおりますけれども、東京に住む者として、あしたぐらっと来たら一体どうするんだということを本当に東京を愛する者として考えていただきたいと思う次第であります。
大西参考人 私は、八代先生が描かれたような、東京が首都である時代に日本が遂げた発展、あるいは今日の世界における地位、それが非常に重要なものであるということについて否定するものではありません。おっしゃるとおりだというふうに思います。むしろ、私の観点は、その上に立って、これからの時代を考えるときに、さらに日本の社会を改善するのに何が必要かと、そこの点であります。
 私は、大学で都市計画を研究する学科におりまして、その中で、特に国土計画の講義を担当しております。
 なぜ身近な都市計画の中で国土計画という少し広いことをやっているかといいますと、日本の都市問題、これはいろいろなものがありますが、何といっても、住宅が狭いとかあるいは満員電車、自動車の混雑という、密度が高いということにまつわるいろいろな問題が非常に大きいわけであります。これは、一面では効率的な社会をつくってきたということでありますが、他方では、ゆとりがない、非常に窮屈だ、ちょっと何かがあると住宅難に陥ってしまうというような一方の弊害もあるわけであります。
 これを解決するのは、なかなか近隣の計画だけでは解決できないのでありまして、狭いといいながらもこれだけの国土のある国をフルに活用するという観点がないと一つ一つの都市もよくならないというのが私の問題意識であります。その意味で、いかにして日本の国土全体をフルに活用する仕組みがつくれるのかということで、国土計画に関心を寄せたわけであります。
 その点からすると、将来日本の人口が減っていくというのは、ある意味ではゆとりを生む契機かもしれないんですが、昨今の統計を見ますと、さらにその中で東京に人が集まっているということで、やはり、何か大きな力を加えないと流れが変わらないという状況に我々の国はあるのではないかというふうに考えるわけです。
 その観点からすれば、政府がやれることは限られているわけでありますが、その中で、ある意味で確実にやれることは、みずからの場所を決める、あるいは国会がみずからの場所を決めるということでありまして、これを最大限効果を発揮するような格好で行うということが、混雑、過密あるいは狭小住宅の大都市問題というのを解決する上で重要だ。そういう意味で、私は、東京のまさに一番大きなテーマが首都機能移転ではないかというふうにさえ思っているわけでございます。
矢島委員 堺屋先生に。
 IT担当大臣をやられたときに、私、IT基本法で堺屋参考人と大分質疑したり論議したりしたことを思い出しております。
 そこで、この報告書の中の「通信情報社会の確立」というところがございます。この中で、東京一極集中ということが対面情報を前提としている、だから、対面者にだけ情報が流れる非効率、不公平、そして不正確、そういう仲間社会をつくっているというような記述がございます。
 一方、国土交通省の国土計画局の方で先生方に集まっていただいてつくった、いわゆるITを活用した首都機能都市のあり方に関する提言というのが出されております。昨年の三月だと思います。その中にはこういう記述があるんです。
 IT化が進んでも現実空間における活動を重視するニーズが消えることはない、むしろ、創造的な議論や高度な意思決定、より深い理解を求める場面や交渉の場面等において、情報空間と現実空間とが一致する、いわゆるフェース・ツー・フェースの空間の重要性が増すことになるということで、先生の言われていることと相反する部分というのがここに出ているわけです。これについてどうお考えになっていらっしゃるかということ。
 それからもう一つは、いわゆる情報化社会ということで、IT技術が大いに発展する、そうすると、場所に拘束されずに情報というものを受発信することができるようになる、あるいは他者の情報というものを共有することができるようになる。そこで、国会がどこにあろうと、場所や配置などというのはどうでもいいんじゃないかという意見もあるわけです。
 ですから、現実空間と情報空間との関係、こういうものについてどのようにお考えか、その二点についてお答えください。
堺屋参考人 まず、ITと対面情報の関係ですが、人間が情緒的に生きる状態において、対面的な情報交換、つき合いというのが不可欠なことは間違いありません。ただ、政治、行政の場においてそれが主流であっていいのかというのが、やはり大問題だと思うんです。行政というのは、あくまでも透明で公正であるべきだ。それが役所へ出入りする人たちに有利だということがありますと、これは問題ではないか。むしろ、どこにいても国の行政は同じように把握できる、そういうIT社会になるべきだと思います。
 そうすると、国会はどこにあってもいいんじゃないかというような議論もまた出てくるわけでございますが、現実問題として、この東京という巨大な都市に行政機構、立法機構、司法機構が集まっておりますと、そこにやはり、それぞれの役所を担当する担当者が生まれて、その人たちの間に特別な関係ができる。
 これは、私、最近、高速道路の件でフランス、ヨーロッパへ調査に行きましたら、出ている資料以外のことは何もないということを強調するんですね。私たちは、わざわざ行ったんだから、何かそこで違った情報の一つぐらいは対面情報で教えてもらえるかと。いや、そんなことをしたら株主代表訴訟でやられてしまいますよというので、全く、行政に関する限りは完全に通信情報で十分になる。もちろん、社交的な問題とか、そういうことは別にあるんですが、そこははっきりさせた方がいいだろうと考えております。
 そして、それなら場所はどこにあってもいいんじゃないかということになるわけですけれども、この点に関しまして、私はやはり東京の未来というのをはっきり考える必要があると思うんですね。私は、東京は世界の経済、文化の中心都市になる、二十一世紀の世界都市であるべきだ。そして、やはり情報通信によって行われるような、世界じゅうの情報が集まって、また加工されて発信できるような都市であってほしい。そして、第三番目には、やはり完全に安全な都市であってほしい。そのためには、やはり、東京を万一のときに救済し、復旧するような機関がなきゃいけない。阪神のときは、東京に国家があり、そして民間企業は大阪で策源地がありましたから、直ちに、その日のうちにもう救助計画、資材計画などができました。東京でこれが起こると全くできないという問題があります。
 そういう三つを考えますと、東京が首都機能、行政機能の重みから解放されて、本当に新しい都市をつくれるような町になり、その中で、まさに対面情報がなければならないようなインキュベーターは大いに燃え立つように上がって、情報を公開すべき行政については離れたところにある、これがやはり日本の将来の理想ではないか、こう思っておるんです。
中井委員長 時間がございますので、あと山内委員と蓮実委員にお願いをして、塩田委員、河村委員には、御希望でありますが、寺島先生や川勝先生のところでひとつ優先的に御発言をいただきたい、このように思いますので、御了解をいただきます。
山内(惠)委員 社民党の山内惠子と申します。
 堺屋参考人には、移転のコンセプトの二つ目に時代精神の転換ということをおっしゃっていますが、そのことについて二点、一つは、その時代精神をどのようにお考えなのか、二つ目、それは首都移転がなければ転換できないのかということをお聞きしたいのです。
 私の意図としているのは、司馬遼太郎さんが、これからの日本は美しい停滞が必要なのではないかとおっしゃったことがありました。私はそのことを、公正、連帯、それから民主、自治、人権、平和、地球環境といったキーワードで考えたいと思っているんです。参考人の分析では、国際競争力とか進歩の遅い国、地域開発、それから新規起業、産業発展といった言葉が並んでおりまして、やはりそこから見ると、時代精神というのは生産力でお考えなのかなと思いましたので、通信情報社会との関連でお答えいただきたいというのが一つ。
 あわせて、大西参考人にも、趣旨の中で諸改革の契機になるということが言われていますが、その中に、分権型社会の創造とNPOと市民の社会参加度を高めることということが述べられているんですけれども、私はこのことに大賛成です。その意味で、この内実を備えたものであるとすれば、そのプログラム決定過程にどのように理念とか主体とか方法が生かされるべきかということについてお聞きしたいと思います。よろしくお願いいたします。
堺屋参考人 まず時代精神でございますが、今日まで二十世紀を生きてきた日本の時代精神は、先ほども申しましたように、規格大量生産を徹底させて、世界で規格大量生産に関して最も競争力のある経済大国をつくろうということだったと思います。
 そのために、官僚主導、業界協調体制というものができまして、終身雇用で職縁社会、職場のえにしでつながる社会ができ上がりました。それにふさわしく、都市の構造も、生産手段と労働力を再生する都市、住宅それから学園都市を分離する、その間を高速交通機関で結んで、巨大都市をつくるということに徹底してまいりました。
 これからの時代は、多様な知恵の時代、日本の多くの人々が参加して知恵を絞り出していく時代だろう。そうなりますと、官僚主導というのが非常にやはり気になります。気になるというか妨害になります。だから、民がまず知恵を出して、それぞれに自分がいいと思うものを発言し、それを民が選択するという自由な市場の中で、政治も経済も自由な市場で選ばれたものが第一になる、そういう時代でなければならないのではないか。
 そのためには、ここにも書きましたように、首都などは、まさに環境問題でいいますと、規模が小さくて、歩いて暮らせるような町、そしてエコロジカルな観点で、非常に再生ができる都市ということでございます。
 私の提出いたしました資料の最後にお金の話も書いておりまして、大体一兆円でできると書いてある。ちょっと訂正がありますので、ついでに申し上げさせていただきますと、その中の(ハ)の国家機能というのは、千億円になっておりますが、千四百億円、その次の象徴施設というのは千六百億円の誤りでございますので、あわせて訂正させていただきますけれども、ここでも、その次のごみ処理施設、これだけは公営で一千億円かけて再生機能をつくり、裏動線のある都市をつくる。こういうような象徴的な都市をつくることによりまして、我々の形は変わっていくんじゃないか。
 今おっしゃいました司馬遼太郎さんも熱心な首都機能移転論者でございました。私ともこの点も話し合ったことがございますけれども、やはり、この官僚主導という発想から民が選んだ人という発想に変える。この時代精神を確立するためには、あくまでも官僚機能がわきに寄ってくれる。大都市のど真ん中で存在すると、人材、人の評価もすべてそういう位置と関係してつけられますので、これはやはり事後的監視というような形に存在するのがいいのではないか。国の組織として、精神として、そして地域構造として実現するのが最もいいのではないか、そう考えております。
大西参考人 私は、首都機能移転の決定過程について、例えば諮問的国民投票といいますか、今国民投票の制度はありませんけれども、国民の多くが意思表明をできるような機会をつくるというのも一つのアイデアだというような提案もしたことがあるんですが、まず、首都機能移転については、そういう議論をぜひ巻き起こして、国民がどう考えているかということを国会の方々が十分把握して最後の決定をするということが非常に大事だと思っています。
 そのことと、それから、首都機能移転というのは都市づくりという面も一方で持っていると思いますが、その都市を、国会都市、ほかの都市をどうつくっていくのかというのはまた別な問題としてあると思います。
 その都市づくりという観点では、特に、そこに住むことになる人々が参加するということがまちづくりの中で大事だということでありますが、国会都市の場合には、移転して新たな土地に住みつく人が多いということで、現在余り人が住んでいないところに都市をつくっていく、そこに、居住者といいますか、将来の市民が、どういうふうに自分の意向を反映させたり意見を表明していくのかというなかなか難しい問題があると思います。
 その点では、私は、規模の小さな移転というのを提案しているんですが、母都市といいますか、日本のどこを取り出しても、だれも人が住んでいないということはありませんので、現在そこに住んでおられる方々と一緒に新しい都市をつくる。そういう仕組みをつくることによって、地域社会になじんだ都市の形態、かつ、新たにそこに行く人にとっても便利な都市をつくる。そういう手法を、これは特にこのテーマで新しく開発していかなければいけない都市づくりの手法だと思いますけれども、そういうことについても、決まった暁には、ぜひ積極的に検討していくべきだというふうに考えます。
蓮実委員 自民党の蓮実でございます。
 当委員会も、おかげさまで百四十回、参考人も九十人に及んでおります。かなり長い審議を続けておるわけであります。特に堺屋先生には、本日で三回目の参考人でございまして、心から厚く御礼を申し上げたいと思います。
 きょう、両先生のお話をお伺いいたしまして、大変意を強くしております。国会移転問題がこれまでと違った新しい段階にいよいよ入ってきたな、現実的になったなというのが実は私の印象であります。
 そこで、両先生が強調されておられる、これからの国づくり、国のあり方というものを起点にして、今、目の前のデフレを克服するための新しい国家的プロジェクトの必要性、その持っている意味、役割などについてどのようにお考えになっておられるか、これが第一点であります。
 それから第二点は、国民が希望を持てるような社会基盤を今こそつくっていくべきではないか。従来の公共投資が道路、橋、港湾あるいは土地改良、河川改修などに行きがちでありますけれども、それはそれとして、国会移転のようなプロジェクトを集中的に進めるべき時代だと私は思っております。
 電子政府、住基ネットに関心が行っておりますが、立法、行政、司法の三権のあり方にかかわる基本をどうIT化し、あるいは政府と国会のあり方、それからいわゆる政と官の関係、規制緩和などを具現化する場になるのではないかと考え、実験的に大胆に推進することが日本経済再生につながっていくと私は思っております。
 こうした見方について、両先生の感想を簡単にお聞かせいただければ幸いと思っています。
堺屋参考人 仰せのとおりでございまして、現在、日本、九〇年に入りましてから、九〇年以来十二年間、大変閉塞感があります。これを何らかの形で打ち破るというのは、人心を一新する意味で大変重要なことでございまして、これは小さなことではできない、やはり象徴的なことが必要だと考えております。
 私は、首都機能を移転するに当たりましては、まず情報通信社会をどのように考えるか、それから民の選択を重んじる社会をどのように考えるかというような、政治、行政のあり方の大議論を巻き起こすと同時に、一方では、新しい都市が象徴するような文化、歩いて暮らせるまちづくり、あるいは、あらゆる年齢の人々が一緒に住めるようなまちづくり、そしてエコロジカルなまちづくりをどういうぐあいに達成するか、情報通信社会をどういうぐあいにつくり上げるか、こういう議論を巻き起こすべきだと思います。
 あわせて、私は、きょうのペーパーの最後にもお書きしたのでございますが、これをつくるときには、大いにイベントをやりまして、それで首都機能観光というのをはやらせる。そういたしますと、交通機関の非常な頻繁性が出てまいります。また、人々と行政の間を近づけます。そういうような形で、収益を上げながらこの事業をやっていく。そういたしますと、当初の投資が赤字になることがない。初めから都市の中の交通機関も高速道路も飛行機の運航も確保できる。そういう沸き立つような十年間をこの首都機能移転の問題でつくり出していく。それがありますと、収益もございまして、一兆円ぐらいのお金でできる。公共事業の一%を提供する、十年間にわたってただ一%を出す、これは極めて効率が高い。そして、その後は地方分権で財政を完全に立て直す。そういった大きなプログラムを国会でぜひ考えていただきたいと思っている次第であります。
大西参考人 私は、現在、日本が経済的に不況にあるということは、一過的なものではなくて、むしろ時代の転換期を予兆するような現象ではないかなと思っております。
 というのは、土地の不良資産化が今日の不況を招いている一つの大きな原因だというふうに指摘されておりますが、やはり、土地に対する需要というのが変わりつつあるわけであります。少しコントラストをはっきりさせて言えば、戦後から二十世紀後半、これは開発の時代だった。人口もふえ、新たな土地が必要になる、住宅も必要になる、そういう時代を我々は一生懸命活動してきたわけですが、これから先を見れば、人口減少ということが相当的確に予想されているわけでありまして、むしろ、土地利用からすれば、保全型の国土づくりが必要になる、保全の時代だというふうに考えるわけであります。もちろん、開発が全然ないということではありませんが、そういう意味では大きくさま変わりするわけであります。
 そういうふうに考えますと、首都機能移転に、これが事業であることは間違いないわけですが、量的な効果を求めるのは危険なのではないかというのが私の意見でありまして、むしろこれは、質的な効果というのを十分に発揮させるべき事業だと。
 質的な効果といいますのは、環境共生型の都市という言葉がありますが、中身がまだはっきりしない、これも非常に重要でありますし、情報通信が本当に生かされる町というのに今まだなっていない、あるいは、福祉型の都市といいますか、そういう都市にもまだ十分に日本の都市はなっていないということで、質的に都市を向上させるについては、まだ多くの課題があると思います。
 ぜひ、その課題にこたえていく、そういう契機として首都機能移転というのを事業面ではとらえるべきではないかというふうに私は考えております。
中井委員長 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。
 お二人の参考人に一言御礼を申し上げます。
 堺屋参考人、大西参考人におかれましては、大変貴重な、また非常に参考になる御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表して厚く御礼を申し上げます。ありがとうございました。(拍手)
 速記をとめてください。
    〔速記中止〕
中井委員長 速記を起こしてください。
    ―――――――――――――
中井委員長 ただいま参考人として財団法人日本総合研究所理事長寺島実郎君及び国際日本文化研究センター教授川勝平太君に御出席をいただいております。
 お二人の参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、極めて御多用のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。
 本委員会におきましては、現下の厳しい社会経済状況を踏まえ、移転規模、形態や新たな移転手法などのコンセプトの見直しについての検討を行っているところであります。
 本日は、そのような観点から、特に、国会等の移転の規模、形態についてのお考え、その具体的な方法論、また、東京都との比較考量についてのお考えなどを中心に、忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。
 なお、議事の順序についてでありますが、まず、各参考人から十分程度御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑に対してお答えをいただきたいと存じます。
 念のため申し上げますが、御発言の際は委員長の許可を得ることになっております。また、参考人は委員に対し質疑をすることはできないことになっておりますので、あらかじめ御了承をいただきたいと存じます。御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、まず寺島参考人にお願いいたします。
寺島参考人 寺島でございます。
 私の立場は、ニューヨークに四年半、それからワシントンに六年半生活して帰ってきたということで、今回議論されております政治と経済の機能が二つの町に分離した場合にはということで、そのどちらの町も体験したということが一つの視点となって、これから申し上げるような発言につながっているというふうに御理解いただきたいと思います。
 平成二年の決議から十二年たっているわけですけれども、その間の経年変化といいますか、一体何が基本的に変わったのかということに関連してまず話を始めたいんですが、お手元に配付されております衆議院の調査局の、私、意見書という形で提出しておりますのが百一ページから出ておりますが、大体この趣旨に沿って発言したいと思いますので、これをごらんになっていただければと思います。
 この十二年間でどう何が変わったかということなんですけれども、平成二年の決議というのは、明らかに、バブル期の日本を背景にして、まだまだこの国はやれるというある種の夢といいますか、野望といいますか、そういうものがまだ盛り上がっていた時代を背景にした決議だったろうと思います。
 ただし、現在、御承知のように、縮む日本といいますか、デフレスパイラルのような状況の中で、財政の悪化を背景にして、公共投資全般の見直し論というものが国民の大きな関心ということになっている状況下で、この点がまず大変大きな平成二年時との背景の違いであるということは、もう間違いないと思います。
 それからもう一つ、十二年前と比べて、IT革命と言われるいわゆるネットワーク技術革命の進行ということと、経済のグローバル化というものが加速度的に進行しているというのが、多分、十二年前との大きな違いだろうと私は思います。
 それから三番目には、阪神・淡路大震災という体験を経て、やはり都市における集積というものの危険みたいなことを味わったといいますか、そらから、さらに、昨年、ニューヨーク、ワシントンと、九・一一という事件に襲われて、これまた安全性といいますか、そういう問題意識をいやが上にも持たなければいけないような情勢の変化というものが起こった。
 それから、さらに四番目に、これはまさにこれからということなんですけれども、二〇〇六年をピークとして、日本の人口が大きく、いわゆる人口構造の成熟化という局面に入っていく、二〇五〇年に向けて平均六十万人ずつ人口が減るというサイクルに入っていって、一億二千七百万をピークにして、二〇五〇年にはよほどの変更要素がない限り一億人に収れんしていくだろうという大きな環境の変化というのがある。今まで五十年、日本は人口が五千万ふえるというサイクルの中で走ってきたわけですけれども、これからよほどの変更要素がない限り、極端な移民政策への転換とか、そういうことでもない限り、二〇五〇年までには少なくとも二千七百万人ぐらいの人口が減っていくんではないかというサイクルの中に入っていく、こういう認識が多分重要なんだろうというふうに思います。
 そういう中で、私は、それらの経年変化、十二年間の間の我々の環境認識の変化というものを背景にしても、なおかつ、私の主張として申し上げたいのは、二十一世紀の新しい日本のパラダイムを創造するプロジェクトが重要であるという論点を大事にしていきたいというふうに思っております。
 海外で動いていますと、一体日本はどういう国をつくろうとしているのかという質問を受けることがありますけれども、非常にメッセージ性の高い、どういう国を創造しているのかということを明確にしたシナリオというのが今こそ問われている。私は、大型公共投資のプロジェクトとして首都機能移転などというものに期待するんであるならば、その種の議論にもう賛同する気は一切ないわけですけれども、新しい日本を創造していくための引き金といいますかトリガーとなるような、新しい日本のプラットホームになるような構想としてこの首都機能移転というプロジェクトを推進していくことには歴史的な意味があるというふうに感じております。
 そこで、私が議論していますのは、創造的首都機能移転論というものなんです。
 どういう意味で価値創造的なプロジェクトというものが必要かということなんですけれども、明治以来の日本のパラダイムを転換するために、ここに書いてある幾つかのキーワード、時間をとって説明する余裕がございませんけれども、例えば、新しい首都機能の集中した場を環境保全型の実験都市と位置づけて、世界じゅうの環境保全型技術を注入して、エネルギーの利用効率とかCO2の排出とかリサイクル等において先駆的な試みを行う場とする。
 あるいは、住環境整備の実験都市と位置づけて、公務員住宅のスペックを二十一世紀の日本人が住むにふさわしいスペックの都市として建設する。例えば、一戸当たりの公務員住宅のスペースを倍増し、集中冷暖房給湯を完備し、せめて駐車場ぐらい完備しているようなスペックにする。そういうことによって、衣食住という中で住環境だけがまだ国際社会の中で僕はかなり劣勢にある、特に、東京を中心にした住環境が劣勢であると思っていますので、国家公務員住宅のスペックをこういう形でもって設計してみる。あるいは、残された東京の公務員住宅の跡地を再開発することによって、東京圏の住環境整備の引き金を引くようなプロジェクトとしていく、そういう視点も必要なのではないかというふうに思っています。
 それからさらに、国際中核都市というキーワードをここで使っておりますけれども、要するに、行政と政治だけが集中した都市というだけではなくて、無味乾燥な政治都市にしないためには都市としての付加価値が非常に問われる。その際に、ジュネーブ・モデルという言い方を私はよくしているんですけれども、スイスのジュネーブには国連機関が十五、本部を持っていて、そこに年間四十万人の国連関係者が訪れ、情報密度の高い国際中核都市になっております。ジャーナリスト、学者が絶えずジュネーブを訪れざるを得ないような情報の磁場を形成しているような町になっています。
 したがいまして、僕は、新しい新首都というのは、例えば日本が得意とする分野の国連機関などを誘致し、あるいはAPECの下部機関、アジア太平洋エネルギーセンターみたいなものを創設してでも新しい首都を訪れる人の質と量を高めるべきだという意味で、国際中核都市というキーワードを配置すべきだということを議論しております。
 その他、日本らしい都市の創生ということで書いてございますが、あくまでも、東京は、欧米模倣型の近代都市、特に戦後の昭和三十年代以降に東京に集中した人口を支えるために国道十六号線の外に急遽団地とか住宅地を開発してつくったプレハブ的都市という性格をどうしても持っておるんです。
 そういう、西欧近代模倣型の都市というものを脱却して、そろそろ日本の知恵に裏づけられた、文化、伝統に根差すユニークな都市、ここでは伊勢神宮のごときイメージの森に沈む町なんという表現をとっておりますけれども、日本が蓄積してきた技術とエンジニアリング力を駆使してそういう都市の建設に立ち向かってみるなんというのも、閉塞感あふれるデフレスパイラルのような状況の中においてはチャレンジに値するテーマではないのか。
 イタリアのベネチア、水に浮かぶ町として世界に個性を放っておりますけれども、私は、日本も独自の文化に立つ、日本は集積された技術と資金力を集中して極めて個性的な新しい都市空間をつくり始めたぞというようなメッセージが世界に発信されても大変意味のあることではないかなというふうに思っております。
 それから、東京の一極集中是正の新たな視点ということなんですけれども、これは、先ほども申し上げたように、阪神・淡路、九・一一というものを経て、やはり分散を通じた安全性の確保というのはこの国にとって極めて重要なテーマになってきている。
 それから、国際都市間の競争というものを冷静に比較してみても、やはり平均の通勤時間が二時間を超えるようなサラリーマンにとって、やはり創造的な人生の設計なんてなかなか難しい。やはり、集積のメリットが明らかにデメリットによって凌駕されている。実は、東京の効率性と魅力を高めるためにも、ニューヨーク、ワシントンというものをにらんでいて、私、特にそう思いますけれども、分散というものへの努力がこれから不可欠になるんではないか。
 先ほど言いかけた人口の構造の変化を見ていますと、五十年後には五割から六割の人口が東京圏にだけ集中していくような国になりかねない。既に地方では高齢化といわゆる人口減というものが前倒しで進行し始めている。国土軸をもう一回広くとり直して、日本列島全体に目配りしたような構想というものが問われているんじゃないか、こういうふうに思います。
 それから、国会等の移転の規模の話でございますけれども、これは、現在大規模な移転を意思決定することが非常に困難だという現実認識に立って、それでもなおかつ未来に構想のプラットホームを残しておきたいという気持ちが前提になっているわけですけれども、段階的接近法でやっていくしかないのかなと最近はもう考え始めております。
 まずは、十万人規模の移転というものを実現するということに着手して、段階的に、最終的には六十万人規模の都市ということを想定すべきではないか。たとえ段階的接近法であっても、総合ビジョンというのは不可欠なわけで、やはり国家百年の大計に立つプロジェクトであるという意識のもとに、強い政治の意思というものを発言すべきときではないか。
 合意の形成ということがよく議論されますけれども、このプロジェクトこそ、演繹法、帰納法の積み上げの中で合意が形成されるものではなくて、仮説法型のパラダイムジャンプのシナリオを議論しているわけですので、我々の発想を転換する強い意思というものがリーダーから語りかけられなければならないプロジェクトだろうと私は思っております。
 それから、移転の形態につきましては、私自身は三権の一括移転が望ましいと考えておりますが、段階的な移転方式というものを現実的に採用するということになれば、国会と行政の中枢をできるだけ速やかに移転することを優先させて、司法関係だとかは一部東京にとどまることもあり得べしだと思います。また、一部の行政機能のいわゆる分都方式等への現実的な対応ということもあってしかるべきだろうというふうに思います。
 その他、国会等の移転費用の軽減のための視点ということで、これは民間の中では既に大変熱心に議論されている分野でありますけれども、PFIとかPPPだとか、公的分野を民間の資金によって推進するような手法というものが各国いろいろな形で検討されておって、イギリスなんかはその実績の非常に高い国ですけれども、そういう手法をよく研究して、できるだけ公共投資に依存しないプロジェクト設計というものは可能であるだろうと考えております。
 それから、その他、費用軽減のための立地の戦略性ということで、特に国際空港基盤、東京と結ぶ交通システム等に戦略的な配慮が必要だろうというふうに思います。
 その他、政治と行政改革との相関性ということで、私は、日本の閉塞感の理由の一つが、霞が関と永田町と丸の内が、地理的にも極めて近接して、過剰なもたれ合いの構造になっている点というのが重要だろうと思っています。ニューヨーク、ワシントンに離れていて、移動に一時間の時間がかかるということが、適切な距離感というものですね、熟慮した関係というものが構築される物理的な距離感が存在するというふうに私自身は思っております。
 その他、文化性重視の都市にするために、アメリカのワシントンDCにおけるスミソニアン博物館群のような、付加価値の高い、歴史あるいは宇宙航空、自然科学等の博物館、あるいは美術館等を創設していくといいますか、これはどうしてかというと、分権化という大きな流れの中で、逆説的ですけれども、逆に国をどう束ねるのかということが非常に重要になってきます。分権の進んでいるアメリカこそ、逆にシンボリックに、ワシントンという物理的な空間においてアメリカ人のアイデンティティーを感得させる、感じさせるシステム設計がなされているということを感じる必要があるだろうと思います。
 最後の点ですが、IT時代における首都機能のあり方ということで、首都機能移転をすべきじゃないと言う人の論拠に、もうIT革命の時代なんだから、首都なんというのはどこにあっても同じだ、ネットワークでつなげばいいんだという議論がありますけれども、これまた逆説的ですけれども、IT化が進めば進むほど、逆に、顔と顔を突き合わせて意思疎通するということの重要性というものは、これは逆説的ですけれども、高まるというのが我々の経験則において強調しておきたいことで、シンボリックにも、この国の中心軸というものが、目に見える形できちっとした物理的空間として存在していることは、重要であるというふうに思っております。
 以上です。
中井委員長 ありがとうございました。
 次に、川勝参考人にお願いいたします。
川勝参考人 川勝平太でございます。
 既に、私の所感は、国会等の移転の規模及び形態の見直しに関する予備的調査についての報告書に提出しておりますので、お与えいただきました時間内で、その要点のみ申し上げさせていただきたいと存じます。
 まず、日本の首都は、奈良、平安、鎌倉、室町、江戸というように、その首都を移してまいりました。これを文明史的に位置づけしますならば、日本という国がなかった七世紀、これは唐の大軍の前に敗戦をいたしまして、日本の国を唐に似せてつくるというのが、奈良と平安という、そのたたずまいであったというふうに私は存じます。
 その後、鎌倉に首都が移りますけれども、その鎌倉の首都のたたずまいというのは、これは中国の南の文化、すなわち鎌倉の五山に象徴せられますように、これは南宋の制度を取り入れたものでありますけれども、そこに、禅、庭あるいはお茶といったようなものを見事に取り入れました。
 これを、建武の中興以降、京都に五山を移すという後醍醐天皇の御遺志がやがて室町幕府に継承せられる形になって、京都に、長安における、既に自家薬籠中のものにした北の中国の文化を基礎の基礎にいたしまして、その上に中国の南の文化を融合した、言いかえますと、室町時代において、日本は、中国における南船北馬として特徴づけられる北の文化、南の文化、その双方を室町時代に入れ切ったと存じます。その過程で、日本各地に小京都というものが生まれました。
 しかし、この室町時代は、通貨がすべて明の通貨でございます。したがいまして、果たしてこれが中国から真に自立した姿であるかどうかということを今日的観点からいいますれば、これは、外国の通貨を国内通貨として使っているわけでありますから、真に自立したとは言いがたいと存じます。
 しかしながら、江戸に首都機能を移しました折、これによって、私は、中国から自立した日本の国の形を初めてつくったと。通貨について言いますれば、寛永通宝というものをつくりまして、日本の国内から初めて外国通貨が駆逐せられました。そして、江戸のたたずまいというのは、これは全国三百諸侯、一国一城ということで、全国に小江戸ができ上がりましたけれども、これは中国の文明のまねではありません。日本の独自の姿であります。したがいまして、京都という、中国文明を十分に入れ切った上で、今度は、新天地、この関東平野に日本独自の脱中国をした形の国の形をつくり上げた。その代表、象徴が江戸であったと存じます。
 そして、それは、言いかえれば、東洋文明を自家薬籠中のものにし、中国の文明よりも、経済力においても、またその意識においても、といいますのは、中国は女真族の、つまり夷狄の支配する国でありましたから、したがって、日本におきましては、中国よりも日本こそが中国だという意識がございました。すなわち、日本型華夷システムというのができ上がっていったわけであります。したがってこそ、幕末に外国人が参りました折には、すべてこれを夷狄とみなしたわけでありますが、それは、みずからを中華であるというふうに認識してきたからにほかなりません。
 我々は、そのような意味におきまして、江戸に東洋文明から自立した姿を見出すことができるのであります。その基礎の上に、すなわち東洋文明を入れ切ったその成果の上に西洋の文明を入れるその器として、我々は東京を首都としたのではなかったかと存じます。
 そして、戦前は主にイギリスを、戦後は主にアメリカをそのキャッチアップないし模倣の対象として、この東京におきまして、イギリスを抜き、またアメリカに匹敵する国の形をつくり上げてまいりました。
 しかしながら、その弊害もまたあらわになったかと存じます。それは、集中のメリットに随伴するデメリットであります。
 一極集中の問題点については、ここでるる申し述べる必要はないかと存じますけれども、特に一点だけ申し上げますならば、これは、もし阪神・淡路大震災のような被害が起こりますと、ただ日本のみならず、世界に対して大変な迷惑を与えることになるという日本の存在の国際性ということにかんがみましても、日本を多極分権型の国に変えねばならぬという時代になっていると存じます。
 言いかえますれば、私どもは、この二千年近い日本の歴史において、東洋の文明を入れ切り、また西洋の文明もほぼ入れ切って、今、二十一世紀を迎えているというふうに存じます。そうした中で、我々は新しい日本の顔、これをつくる時代になったと思います。しかしながら、人間、仮に日本の国土を身体に例えますれば、顔に対して身体というものがなければなりません。したがって、首都機能について考えることは、同時に国土について思いをはせることであります。
 それは、私どもが、一九九八年に正式に策定せられました二十一世紀の国土のグランドデザインというものを踏まえることになろうと存じますが、これは、地域の自立を促し、美しい国土をつくるということをうたっております。
 そのためには、東京より西に広がる、いわゆる第一国土軸、国土計画においては、これは西日本国土軸というふうに言われておりますけれども、それ以外に、日本の多様な顔として、北東国土軸、日本海国土軸、そして太平洋新国土軸がある。そういう地域に、自然と調和をした多自然居住型の空間をつくり上げるべきであるというふうにこれはうたっているわけであります。
 しかしながら、この四つの軸というのは、行政区分としては、例えば北東国土軸と日本海国土軸とは重なっております。地域が自立するという場合に、自治という行政機能をどのように果たしていくかといった場合には、差し当たって、日本を四つほどに分けることができるというようにこれを受け取るべきではないかと存ずる次第であります。
 その際に、何を基準にするべきかといいますれば、これは、言うまでもなく東京であります。あるいは首都圏であります。これを経済規模でいいますれば、東京だけでカナダに匹敵する経済規模を持っております。首都圏ということになりますと、フランス規模の経済圏を持っているわけであります。したがって、既に、東京だけ、首都圏だけでも先進七カ国の仲間入りができる実力を持っているわけであります。
 このようなものを何がしかの基準にいたしますれば、私どもは、国を分けることによって先進国を幾つかつくれる、そのような観点に立つことができます。言いかえますれば、五百兆円の日本の国力というのは、カナダ六カ国分ないしフランス三カ国分に匹敵するものであります。したがって、そのような観点で見ますれば、北海道・東北、これがほぼカナダに匹敵する。そして、首都圏、これはフランスに匹敵する。これをその風土において特徴づけるといたしますれば、すなわち、多自然地域を重視するという、そのような理念に立脚いたしますれば、北海道、東北、白神山地あるいは北海道の原生林というような風土を持つその風土性において、我々はこれを「森の日本」というふうに名づけることができるかと存じます。
 それとの対比において、日本で最大の平野でございます関東平野は「平野の日本」というように特徴づけることができるでしょう。そして、「平野の日本」の西側には、霊峰富士を初め、南アルプス、中央アルプス、北アルプスという「山の日本」が広がっております。この「山の日本」、すなわち北陸・中部地域というのは、それ自体九十兆円の経済規模を持つ、いわばカナダ規模を持つ地域単位でございます。そして、木曽より西に参りますれば、九十兆円の規模を持つ近畿、そして中国、四国、九州、それぞれ三十兆、十五兆、五十兆円ということでございますけれども、この四つの地域は、琵琶湖の水を京都、大阪の方が命の水として飲んでいますように、これは瀬戸内海に注いでおりますから、瀬戸内海を囲む地域、まさに津々浦々の「海の日本」というように特徴づけることができます。
 仮に、このような形で、北東「森の日本」、関東「平野の日本」、中央の「山の日本」、そして西の「海の日本」というように分けたとしても、日本は、先進国並みの経済力を持ち、先進七カ国の仲間入りさえできる、そのような国になるだろうと私は思うのであります。言いかえますれば、そのような形で地域が自立をいたしますとすれば、首都機能が果たすべき役割というのは対外的に国家主権を行使するべきことに限ってもよいということになるかと存じます。それは、外交権、あるいは貨幣鋳造権、あるいは安全保障・自衛権ということになるかと存じます。
 そうしますと、財務省、外務省あるいは防衛庁、このようなもの以外の省庁は、それぞれの四つの国に移譲することができるということになろうかと存じます。言いかえますれば、国土交通省、農水省あるいは文部科学省、厚生労働省、経済産業省、環境省、こうしたものは、それぞれの四つの地域に、権限も財源もそして人員も、すなわち国家の職員も移譲することができると存じます。そのような意味におきまして、その規模というのは、四つの国とのかかわりでいえば、現在の五分の一というふうに考えることができるのではないかと思うのであります。
 さて、これをどのように実現していくかということでありますけれども、現在進められているいわゆるブロックシステム、北海道、沖縄を国の直接的な管理に置く以外は、東北、関東、北陸、中部、近畿、中国、四国、九州と八つのブロックに分けられているわけであります。こういう地域において、権限並びに予算編成、そしてその執行というものを、今、国土交通省の地方整備局が実施しておりますけれども、そのような形で地域のまとまりをつくり上げていく、府県の壁を越えた連携をつくり上げていくということによって、私は、差し当たって、北海道、沖縄を加えた十のブロックというものをつくり上げていく必要があるだろうと。
 ただし、これをこのままに、すなわち十のブロックを道州制にいたしますれば、関東百八十兆円、四国十四兆円というようなことを言うまでもなく、このブロック間の格差、道州間の格差は目に見えております。したがいまして、この道州間の広域連携というものもあわせて考えねばなりません。その行き着く先が、先ほど一応例示として申し上げました、東京を基準にし、かつ先進七カ国の一番小さいカナダ、中堅どころのフランスというものを基準にいたしまして、分けますれば、先ほどの四つの国になるだろうというふうに思う次第であります。
 それから、もう一つだけつけ加えますれば、日本の立法、行政をする一番の象徴的な建物というものは国会でございます。京都においては御所、江戸時代においては江戸城でありました。それが、今ここに国会がございます。それぞれのたたずまいは、御所が中国的なもの、江戸が純粋日本的なもの、この近代日本の国会がヨーロッパ的なものを象徴しておりますように、新しい日本は、日本全国の、北海道から沖縄まで、それぞれ自然を出していただく。丸太百本出していただければ、森の議事堂になるだろう。そして、それは、二酸化炭素を固定しているという意味において、世界の環境問題に対する日本の姿勢というものを国会議事堂においてあらわすことができるというふうに思います。
中井委員長 なるべく簡潔に、結論を。
川勝参考人 そして、その結論におきまして、その場所をどこに決めるかということについてあえて申し上げさせていただけますれば、国会等移転審議会がその立派な調査に基づいて提起せられました那須・阿武隈地域がその候補にふさわしいと存じます。
 那須・阿武隈も、東濃も、三重・畿央も、それぞれ里山の景観を持ち、美しい景観でありますが、それは日本の国民の首都に対するイメージをあらわしております。最高点をとったところには御用邸がございます。憲法に立脚しますれば、これは陛下の国事行為というものを無視することはできません。そして、その位置を見ますれば、「平野の日本」が「森の日本」に入るところ、あるいは「森の日本」が「平野の日本」に出るところであります。言いかえますれば、鎮守の森というものをイメージした、そのような場所の力を那須・阿武隈は持っているというふうに思うのであります。
 以上でございます。
中井委員長 ありがとうございました。
 以上で参考人からの意見の開陳は終わりました。
    ―――――――――――――
中井委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。
 委員各位に一言申し上げます。
 御発言は、先ほどと同様、着席のまま、挙手の上、委員長の許可を得た後に、できる限り簡潔にお願いをいたします。
 それでは、先ほど我慢をいただきました河村委員からお願いいたします。
河村(た)委員 河村たかしでございます。
 きょう、ずっと聞いておりまして、学者の先生というか、こうやって皆さん聞くと、やはり日本人というのは意外と分権的思想というか、できるものだなと。それが、一転、国会に来ますと、これが全部党でがんじがらめになっていまして、きょうも、すばらしいんですけれども、実は党議拘束がないものですから、当たり前のように思えますけれども、全くこういう自由な議論を、本当の意味で自由ですよ、するというのは非常に珍しい。それプラス、予備的調査というのをしておりまして、これも、普通は役人のレポートなんですけれども、国会がみずから出したということで、基本的に今までの流れを国会がみずから変えることができるということはすばらしいことだというふうに感じております。
 とにかく、日本は党で全部やりますから、党が刑務所というと怒られますけれども、そういうことで、個人の力を出す国をつくっていけばいい国になるんだろう。したがって、国会移転のあり方も、やはり一番大きいところは、強度にインテグレートされたというのか、そういう集中したものではない、分権型とよく言いますけれども、そういうものにしていかにゃいかぬということが一番の課題で、スターリン型の、山の中に森を切り開いて宮殿をつくって、国会議員がその横を歩いておるような国は、絶対に国力は伸びません。やはり稼いで税金を払う納税者というか、実業の世界で生きておる人間が一番大事にされる、そういう国をつくっていかにゃいかんということで、ぜひ委員長殿におかれましては、これからが大事なところでございますので、党で全部決めるということを……
中井委員長 委員長に対する注文よりも、参考人のお二人に対する質問を。
河村(た)委員 皆さんには、党で全部拘束をされぬように。そうすると、いい意見は全部死にますので。御要望しておきます。
 では、きょうの皆さんには、まず、今の、審議会の方針に従った移転のやり方、あれならしない方がいいかどうか、それをひとつちょっとシンプルにお聞かせ願いたいと思います。
 それから、議事堂を木でつくるというのは私は前から言っておりまして、大賛成でございまして、議事堂ぐらいだけは超立派にして、あとはそれこそ貸しビルでいいんですよ、こんなのは。公務員が偉そうな顔をしておる社会は本当にいかぬですから。そういう移転像でいいのではないか。
 この二点についてどうですか。
寺島参考人 私は、一言で言えば、何らかの形でも首都機能移転という議論の芽を残すためには、段階的接近法でも実現していく方向に意思を固めていくべきだという議論です。
 一つだけつけ加えさせていただきたいんですけれども、今、例えばスペインのバルセロナでサクラダ・ファミリアという教会を百年以上建て続けているプロジェクトがありますが、あそこへ行ってみると、日本の若者が結構な数、ボランティアプラス大変な意志で働いているんですね。何でだと聞くと、自分たちが情熱を傾けるプロジェクトが欲しかったと言うわけですね。今、この国の閉塞感の中で、若い人たちが、自分たちがつくり上げていく日本に参画するきっかけになるような、つめを立てるようなプロジェクトというのが果たしてどれだけあるのかということなんですね。それを構想してプラットホームをつくるのが大人社会の責任じゃないか。
 したがって、この話をより軌道に乗せるための一つの具体的な提案として、僕は国土交通省の方なんかに言っているんですけれども、例えば、大学生から就職に入るときに若者を、かつてアメリカがニューディールで実験したように、五千人ぐらい、新しい首都機能というものについてもう一回若者を参画させて、しかも半分は女性ですね、女性の、若い人たちの感性で、一体未来の日本というものをどういうふうに創造するんだというプラットホームを提供するようなことをやれば、一気に首都機能移転に対する若い人たちの関心も、いわゆる世論の盛り上がりも動き出すのではないかというようなことも考えております。
川勝参考人 河村先生の言われたことに基本的に賛成です。郷土の力を出すということが一番大事ですということでございますが、今、日本の東京以外の地域が力を東京に吸われている、これは若者も含めてですけれども。そうした中で、郷土の力あるいは地方の力というものをどう出すかということを国政を考えてくださる先生方にはぜひお願いしたいと存ずる次第であります。
 その場合に、もし、一つの外国の例ということでいいますれば、私はEUだと思います。EUにおけるブラッセルあるいはストラスブルク、ここに議会の本部がございますけれども、それは決して大きいものではありません。そして一方、フランクフルトやあるいはベルリンやあるいはロンドンやあるいはパリ、ローマといったところは、それぞれその地域性、郷土性というものを大いにフルに発揮しているのであります。したがって、中心というものがばかでかくて、その周りに小さな周辺地域があるというのではなくて、中心が小さくなることによって、しかし地域が元気になる、そういう形もあるということでありますね。
 その意味におきまして、私は、森の中を濶歩すると言われるよりも、まさにこのように森を大切にしているというようなメッセージ性、そういう意識を持っていただきたいとさえ思うのであります。
 それで、森の議事堂に対して先生が御賛成であると言われました。私は、木造だけにすると弱いので、鉄筋木造というふうにするのがふさわしいかと存じます。鉄は人類の歴史とともに古いわけであります。これを腐らぬように、ガラスや近年の技術を駆使して、しかし木造にする。この木造は、日本がその国土の七割を森で覆われているからということでございます。しかも、北は亜寒帯の樹木、南は照葉樹林の樹木というものがありまして、その意味におきまして、世界の自然生態系のミニアチュアという面がございます。そうしたものを一堂に集めることによって、木造にするという意味であります。これはむしろ樹齢が何年、その樹名が何か、どこに生えていたかというように、ある意味で床柱のようにして、各府県から百本出せば四千七百本ですから、四千七百本の床柱が並びますと壮観であります。しかも、そのときに先生方が、この柱を一柱として我々は神を古事記以来数えてきたということで樹木を大切にするのだというふうに言われますならば、仮に屋久島の杉でございますれば一千年を保たせることができます。すなわち、我々の子々孫々にわたってこれは使われていくだろうという意味におきまして、集まり散じて人はかわっても、日本の自然がそこにある、その自然は一方で世界の生態系の代表でもあるということで、それを大切にしているんだということが地球社会へのおのずと発信にもなるというふうに信ずる次第でございます。
塩田委員 自由党の塩田晋でございます。
 両参考人に対しまして、二問御質問したいと思います。
 一つは、首都の移転ということ、これは歴史的に見まして、参考人の方々も言われましたように、百年なり二百年あるいは数百年のスパンでもって首都が変わっていった日本の歴史、それは人心一新を含めて、文化が唐とかあるいは宋、あるいは日本独自のところ、あるいはまたアメリカ、イギリス等の文化が首都の移転とともに形成されて変わっていったということですね。今度日本で首都を移転した場合に、何百年、あるいは何十年のスパンかわかりませんけれども、いわゆる文化の変化がどういうふうに予想されるか、この点について一つお伺いしたいと思います。文化のパラダイムのチェンジ、これがどういうふうになっていくか考えておられるかということをお聞きしています。
 第二点は、この首都移転、あるいは国会移転の問題が出てきましたのは、やはり首都東京の一極集中に対する、メリットに対してのデメリットが非常に高まって、これが大変なデメリットになっていくということで、これを排除しなければならぬ、一極集中の排除ということが大きな論点になったと思うんですね。そこから始まったことですけれども、そのときと比べて、現時点では、かなりインフラの整備なりいろいろな手を打って、東京自体が、まあそんなに住みにくいところではない、むしろ魅力のある、あるいは経済的にも生活の面でもメリットがある、利便が得られるということですね、こういった状況の現時点に立って考えると、一極集中という問題について、この国会移転等を考える場合に、現時点でどう考えておられるか、この二点についてお伺いいたします。
寺島参考人 二点について簡潔に話させていただきます。
 どう文化のパラダイムが変わるのかということなんですけれども、いろいろなところからの文化の影響を集積してきた国ですけれども、その集積の先に、いよいよ日本が発信型の、自前の文化を創造する空間としての、新しい新首都機能の集中した町というイメージを私自身は持っています。しかも、分権化していく日本を束ねるシンボルとしての新しい首都機能の町といいますか、そういうパラダイムであるというイメージがあります。
 それから二つ目の質問ですけれども、東京のメリット、それからデメリットという話なんですけれども。
 私は、東京が空洞化するから移転しない方がいいということではなくて、東京の魅力を付加するためにも分散というシナリオはあり得るということなんですね。これが、先ほど言いかけたことなんですけれども、ニューヨーク、ワシントンが分かれていることによって、それではニューヨークの魅力が空洞化しているかといったら、そうではなくて、やはりいい意味での緊張関係といいますか、例えば、ニューヨーク、ワシントンが分かれていることによって、それをよりコミュニケーションするシステムをつくろうということから、例えばIT革命などが進行した背景には、コミュニケーションしなければいけないというニーズがそこに横たわっていることが、必要は発明の母ですから、新しい技術パラダイムの転換につながるだとか、あるいは、離れていることによるメリットの点が多々あるというふうに私自身は思っています。
 したがいまして、空洞化するんではなくて、新しい新首都機能を持ったところと東京とが、いい意味での緊張関係の中で切磋琢磨するといいますか、やはり魅力を付加するために、いろいろな人がいろいろな知恵をつくる、空洞化させないために努力する、そういう緊張関係とか競争関係というのは都市間においても大切だろうというふうに思っています。
川勝参考人 塩田先生の御見識に感じ入りました。
 首都が四百年ごとにかわってくるから、そろそろ変更するべきだというのは、これは後知恵でございます。そうではなくて、唐、宋、そしてやがて日本が中国から自立するというような、対外関係の中でこの国はその姿を変えてきたのであります。
 そうした中で、私どもは東西両洋の文明を入れ切って、そして、それまでは追いかける存在であった、追いかけられる中国があり、欧米文明がありました。しかしながら、この百年、徐々にではありますけれども、中国から初めて日本に留学生が百年ほど前に参りました。それ以降、今十万人近い留学生が学んでおりますし、仕事も含めて、いろいろな外国人が日本に来ております。
 すなわち、日本のたたずまいが模倣せられるという時代になりました。特に近隣のアジア諸地域は、日本の国土計画をそれぞれの国語に翻訳し、日本の経済発展の政策をそれぞれの国語に翻訳して、それをまねて、また日本との競争に入っていくということで、我々は、キャッチアップ型からキャッチアップされる型に今変わっているわけであります。
 そうした中で、この国のたたずまいが、おのずと他の地域においても望ましいというような、そういうたたずまいにしていくという意味におけるパラダイム転換がある。これは、日本におけるまさに受信型から発信型への転換であって、その発信するべき相手は、我々は人類が地球上に生み出してきた東西両洋の文明の成果を入れたのでありますから、したがって、これは地球社会に発信するという志を持っていいと思うのであります。
 それは、地球の多様性というのはこれは自然の多様性でありますから、そうしたものと調和をして生きるというのは、これは偶々先人の成果によって自他ともに認められている、つまり、自然との調和というのは日本独自の文化だと言われております。しかしながら、そのような自然との調和の形を東京はたたずまいとして果たして持っているかというと、そうは言えません。
 しかし、東京は一方で、西洋の文明を見事に日本化した、土着化させた。すなわち、日本人が、背広も音楽会もそれから料理のマナーも含めて、国際都市でありながら、ここはすべて日本人が西洋の文明を、いわば日常生活の中でつくり上げているわけであります。あたかも、それは京都が東洋の、中国の文明をみずからの中に入れたのと一緒で、いわば東洋文明の生きた博物館が京都であるといたしますれば、いずれ西洋の文明が凋落しましたとした場合に、非西洋圏にあって、その西洋の文明がどういうものであったのかということを示す、そのような世界遺産的な意味をも東京は持っていると私は思います。
 ですから、新しい首都は東京と対立するものではなくて、これはまさに、非西洋圏で政治的な独立を唯一堅持し、経済的発展にも成功したそのたたずまいとして、我々は東京をいかに誇ってもいいというふうに思うのであります。
 しかしながら、その東京における……
中井委員長 ちょっと済みませんが、時間がなくて、まだたくさん希望者がいますので。
川勝参考人 それでは、以上で。
松本(和)委員 松本でございます。
 寺島参考人に、簡単に二点お尋ねします。
 先ほど、大変すばらしい、都市としての付加価値をつける、このことに私は尽きると思うんですが、景気が悪いからということでもって、先ほどの堺屋先生の案もいいんですけれども、一兆円とか一兆五千億からどんどん始まっていくという話でありましたけれども、やはり衆議院の調査局が出した人口十万から十五万、そして四兆円から四兆七千億円というのは、付加価値をつけるための一つの基礎じゃないかなという気がいたしますね。
 ですから、一兆円ならば、確かに、三地区あるわけですから、それぞれ三地区にみんなできてしまうような形もあるわけでありますけれども、その点、やはり人と企業が集積したり、資本と労働が集積する、そういった集積メリットも非常に大事だと思うので、かといって、膨らませる必要がないからコンパクトな形でという考え方だと思うんですが、この点をもう一度、ひとつきちっとお聞きしたい。
 二点目は、お金がかかる問題で、なるべく少なく、小さくしようということなんですが、PFIも言われていますけれども、非常に使い方が難しいと思うんです。しかし、この報告書にありますように、霞が関の移転跡地というのは都心のど真ん中ですから、ここは不動産の証券化でいろいろな、容積を変えたりして付加価値を物すごくつけられる土地だと思うんです。
 それから、移転先は三地区あるわけでありますけれども、これは、それぞれの地場産業の育成とかいろいろなことも含めて、PFIというものを使っていくというやり方、大変にすばらしい。それはわかるんですが、国際的な民間資金というのがここに書いてありますけれども、例えばどういった形のものか、この二点をお尋ねしたい。
寺島参考人 都市の付加価値をつけるという意味で、私自身は、先ほども申し上げたように、先生おっしゃるのと全く同じで、人口十万、四兆円ぐらいのマグニチュードを第一段階として想定すべきだというふうに思っています。
 つまり、それは背景に、この国を再生するためには、実需につながる内需の拡大について堅実な構想が要るというふうに私は考えているからなんですね。つまり、物づくりを基軸にした産業国家において、その物づくりで集積した技術を集中して新しい都市空間を創設してみせて、世界に、新たな日本の産業のショーウインドーとして提示するぐらいの気迫を見せることが非常に必要だ。
 マネーゲームに傾斜し、金融に傾斜した産業観から、日本らしい産業観、物をつくるということによって今日の産業国家をつくってきた誇りを取り戻すためにも、自尊をかけて、僕は、都市の付加価値について、例えばこの国の中小企業の人たちがさまざまな努力をして蓄積してきている技術基盤を空洞化させないためにも、この実験プロジェクトに参加させるプラットホームを提供するためにも、人口十万、四兆円ぐらいのマグニチュードの構想は必要だというのが私の意見です。
 それから、二番目の先生の御質問ですけれども、このPFIは、おっしゃるようになかなか単純なものではない。ただ、まず言えることは、国家公務員住宅は、東京地区だけでもって三万九千坪、こう言われています。それと、おっしゃった霞が関地区の再開発等を視界に入れれば、いわゆる資金調達という意味においてもかなり新たな光が見えてくるのではないかというふうに、これは具体的な試算がいろいろございますけれども、それだけ申し上げておきます。
 それから、国際的なということは、今、例えば、欧米のエンジニアリング会社の人間なんかと議論する機会が私のような立場の人間は大変多いんですけれども、日本発信型のメガプロジェクトというのはほとんどないんですね。つまり、欧米のエンジニアリング会社が参画したいと思うような、それは、誇大妄想狂的な世界でいえば、第二パナマ運河だとか、いろいろな新しい、大きなメガプロジェクトというものが盛んに国際的には議論されているんですけれども、やはり日本発信型の、例えば阪神・淡路震災からの復旧プロジェクトとかというようなものだけじゃなくて、創造型のプロジェクトというものを提示していけば、エンジニアリング会社の人たちなんかが息をのむように待っているといいますか、それに参画させてくれ、我々の技術を提供させてくれということを、そのプラットホームとしても提供し、それは勢い、おっしゃった国際的なさまざまな民間資金というものが流れ込んでいく。これは、水が高い方から低い方に流れるように、プロジェクトとしての魅力があれば資金というものはついてくるというのが経済社会の大変重要な原則だろうというふうに僕は思っています。
大谷委員 寺島さんにお聞きしたいんですけれども、さきの二名の参考人の方々は、どちらかというと司法、立法の、三権の分立をした上での分散型の移転というようなことを強調しておられましたのですが、寺島さんの考えですと、一つである方が望ましい、IT化社会の中でも顔と顔とのコミュニケーションは必要であるということをお述べになられたんですけれども、もう少し三権が一緒にあるべきだという理論を教えていただきたいと思います。
中井委員長 関連して、玄葉委員から。
玄葉委員 同じようなことなので、ぜひこれはお二人に、一言ずつで結構ですから。
 つまり、さっき、こういう考えが提示されたんですね。要は、一括移転と分散移転という比較優劣で、国政機能、例えば立法府プラス行政の企画部分、そして司法機能、そして基盤、これは研究とか調査とか統計とか、これは分けられるんじゃないかと。分けて、二、三地区に分散して移転してもいいんじゃないか、一括移転よりもむしろいいんじゃないかという御意見があったわけですが、仮にこういう手法で、こういう形態で国会等移転が実現したときに、お二人の考える意義というのは軽減するのか、それとも、いや、変わらないよ、それでもいいんじゃないかということなのかということを、一言で結構ですからお答えいただけるとありがたいなと。
寺島参考人 私の意見は、視界に国際社会への説明力というのをすごく意識しているものですから、マグニチュードということをすごく気にするんですね。ですから、分散型移転も現実的な選択肢であるということはよく理解した上でなんですけれども、できるだけ、日本は何をしようとしているのかというとき、やはり多くの世界のエンジニアリング会社あるいは投資家の人たちに、世界の政治家の人たちに、ああ、日本はそういうことを軸に新しい国土観を持って立ち向かおうとしているのかということが三十秒以内で明確に説明できるようなものでなければ、シンボリックマネジメントにならないと僕は思っているんですよ。というのは、長々としゃべって、三十分しゃべってようやく納得してもらうものじゃなくて、日本はこの国を空洞化させないためにこういうシナリオで立ち向かっているんだということを言うためには、できるだけ、いわゆるマグニチュードの大きい一括集中に近づけるべきだと僕は思っています。
 ただ、その中で、機能を見て、現実的に東京に残した方がいいものとか、あるいは現実的にさいたま副都心に置いていても構わないものとか、教育機関なんかも含めて、そういう現実的分散というものはやむを得ないし、せざるを得ない部分もあると思います。だけれども、コンセプトはきちっとやはり集中という視点でもって説明力を持つべきだというのが私の意見です。
川勝参考人 私は、分散型でございます。ただし、これは立法、司法、行政を分散するというのではなくて、現在東京に集中しております首都機能のうち、内政にかかわる事柄を四つの地域に分散する、また分在するということであります。そして、ここで論じられている新首都には、対外関係にかかわる、また国家の大権にかかわる、そしてまた大きなプロジェクトにかかわる、そうした首都機能のみを持っていくという考えでございます。
中井委員長 ありがとうございました。
 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。
 お二人の参考人に一言御礼を申し上げます。
 寺島参考人、川勝参考人におかれましては、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表して厚く御礼申し上げます。
 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。
    午後五時三十五分散会


このページのトップに戻る
衆議院
〒100-0014 東京都千代田区永田町1-7-1
電話(代表)03-3581-5111
案内図

Copyright © Shugiin All Rights Reserved.