衆議院

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第4号 平成15年2月26日(水曜日)

会議録本文へ
平成十五年二月二十六日(水曜日)
    午後一時一分開議
 出席委員
   委員長 中井  洽君
   理事 佐藤 静雄君 理事 田野瀬良太郎君
   理事 棚橋 泰文君 理事 蓮実  進君
   理事 玄葉光一郎君 理事 永井 英慈君
   理事 塩田  晋君
      荒井 広幸君    石田 真敏君
      金子 恭之君    後藤田正純君
      高木  毅君    松本 和那君
      宮澤 洋一君    八代 英太君
      吉田 幸弘君    吉野 正芳君
      渡辺 喜美君    大谷 信盛君
      河村たかし君    小林  守君
      齋藤  淳君    中山 義活君
      松本  龍君    西  博義君
      矢島 恒夫君    山口 富男君
      菅野 哲雄君    江崎洋一郎君
    …………………………………
   参考人
   (エコノミスト
   元経済企画庁長官)    堺屋 太一君
   衆議院調査局国会等の移転
   に関する特別調査室長   五十島幸男君
    ―――――――――――――
委員の異動
二月二十六日
 辞任         補欠選任
  石井 啓一君     西  博義君
同日
 辞任         補欠選任
  西  博義君     石井 啓一君
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 国会等の移転に関する件


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     ――――◇―――――
中井委員長 これより会議を開きます。
 国会等の移転に関する件について調査を進めます。
 本日は、参考人としてエコノミスト・元経済企画庁長官堺屋太一君に御出席をいただいております。
 参考人に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、極めて御多用のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございました。堺屋参考人には、先国会におきましても本委員会に御出席をいただき、現下の厳しい社会経済状況を踏まえ、移転規模、形態や新たな移転手法などのコンセプトの見直しについて貴重な御意見を賜りましたが、本日は、その際の議論をさらに深めるため、再度、忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。
 なお、議事の順序についてでありますが、まず堺屋参考人から三十分程度御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑に対してお答えいただきたいと存じます。
 それでは、堺屋参考人にお願いいたします。
堺屋参考人 首都機能移転の問題につきましては、私、二十年ぐらい研究をしてまいりまして、十年ほど前に、この移転に関する法律案も作成していただきました。ところが、その趣旨が徐々に変わってまいりました。
 そもそも、この首都機能の移転は、日本の経済、社会、文化の各面を抜本的に変更しようという大国家事業として考えられました。
 戦後、日本は、規格大量生産型の近代工業社会の確立を目指して、官僚主導、建設優先、東京集中の体制をとってまいりました。この結果、八〇年代には、日本は世界一規格大量生産の上手な国になり、ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われたこともございます。しかし、その八〇年代のうちに世界の文明が変革をいたしまして、多様な知恵の時代になってまいりました。それにふさわしいものに日本を改革しなければならない、そういった発想から、この首都機能移転の問題が不可欠であるという考え方が生まれてきたわけであります。この考え方は、現在の世界、日本の情勢に関して、全く正しいものだと考えております。
 ところが、九〇年代も後半に入りまして、首都機能移転の問題が政府、審議会で議論されるようになりますと、場所の選び方と費用の問題に話題が集中いたしました。このために、話が徐々に、東京の過密防止と地震対策に矮小化されてまいりまして、公共事業の一種と理解されることが多くなりました。これが最大の問題、間違いの始まりであります。
 このため、東京の過密防止ならば移転する人口が一定以上多くなけりゃいかない、大規模でなければならないという考え方が生まれてまいりました。
 また、場所選びということから各地が立候補なさいまして、そのために地域運動と考えられるようになりました。これは、六〇年代、富士山のすそ野がいいとかいろいろ言われたときはまさに地域運動であったんですが、そこへ戻ってしまった。文明の変化に対応した事業ではなくなってまいりました。これに対して、東京の不動産業者及び東京で受注の多い建設業者が組織的な反対をし出したことは、むしろ当然であったと思います。
 ここで重要なことは、首都機能の移転問題の本質に立ち返りまして、経済、社会の構造変革の国家的事業として正確な審議をお願いしたいということでございます。当委員会が新たに人数をふやし発足されましたことに、非常に期待しているところであります。
 これから申し上げようと思うことの趣旨を、一言にしてまず最初に申し上げておきたいと思います。
 東京一極集中は、一九九〇年以降の日本の経済が停滞し、社会が混迷しております重大な原因であります。これは、あらゆる検証で証明されているところであります。
 知価社会が深まるにつれまして、諸外国では、政治と行政の中心と経済や文化の中核とが分離分散する方向にあります。その中で、日本だけが全機能を東京に一極集中して、規格大量生産型の構造の強化をしております。このために、多様な知識、知恵が創造されない。そして、迅速で安価な通信情報は発達しない。いつまでたっても対面情報、人に会わないと情報が交換できないという困った情勢になっております。
 特に近年に至りまして、過去二十年余、地方分散、地方分権が熱心に唱えられてきましたが、現実には、官僚機構が非常に強力に東京一極集中の政策をとっておりますために、地方は空洞化いたしました。東京一極集中は自然に行われているのではなくして、後に述べますように、官僚の大変な努力によりまして起こっていることでございまして、日本特有の現象であります。
 特に、九六年以降、経済、文化、情報発信、国際関係の一極集中が非常に急激になりまして、地方の経済、文化が危うくなるばかりか、日本の文化的多様、創造性というものが失われてまいりました。
 したがいまして、通信情報社会の発達、これがこの十年間の大変な世界の流れでございますけれども、この世界の急速なグローバル化、情報化に対しまして、通信情報社会の迅速、公平、正確、透明、安価な情報交換が必要になっています。こういったことを日本も行わないと、日本飛ばし、日本の国際的な地位の低下が猛烈な勢いで進んでおります。
 そこで、私がこれから提案したいのは、実は一番本音のところでございまして、立法、司法、政府の機能を三つに分割して移転するのが最良であるということでございます。
 まず、国家の機能の中には、立法機能と、それに関係の深い行政府の政策の企画審議機能、これをA機能あるいは企画審議機能と申してもいいでしょう。そういうものと、第二番目に、行政機能のうちで、統計、調査及び基礎的な研究を行う機能、これをB機能または統計調査機能と呼べると思います。そして、司法と、それにかかわりの深い行政府の記録、保全の機能、保記機能、C機能との三種類の機能があります。
 この三種類の機能をそれぞれ別個の場所に移転する。そのことによりまして日本の通信情報社会を徹底させるとともに、財政の抜本的な改革、文明の大幅な前進を期待したいところであります。また、そういたしますと、地震やテロに対する災害対応力も非常に高いものになると思います。
 さらに、首都機能の移転のコストがよく問題になりますが、この方式でございますれば、総事業費大体三兆円、公的負担が一兆円前後ということになります。
 これに対しまして、現在、東京にございます首都機能関係の行政財産の土地評価が四兆七千億円ございますから、これの二分の一を売っても二兆三千億円の収入があります。残り二分の一は東京の開発、安全のために使用するといたしまして、二兆四千億円。そのほかに、公務員宿舎の土地など約七千億円がございますが、そういったものを活用して東京を活性化していく。
 そういたしますと、費用が一兆円少々、収入が二兆三千億円以上でございますから、財政には一兆三千億円以上の収入があります。
 首都機能の移転は、まず、そういう移転による財政の収入が非常に高まる、これが第一であります。また、その後の運営費等、かなり細かい計算でございますが、財政の抜本的な改革の現実的な唯一の方法ではないかと考えております。
 以上のように、首都機能の三機能分離移転はいろいろな効果があります。
 まず、通信情報社会を形成して、日本の国を公平で迅速で安価で正確で、そういう情報社会に変えることができます。
 二番目には、清潔な政治行政ができます。そもそも、日本の政治行政にさまざまな問題がありますのは、何よりも対面情報、つまり、人脈を通さないとなかなか情報が得られない。東京に出張してきて、あるいは東京に居住や本店を移しまして、常に官僚と顔を突き合わせていないと情報が得られない。この不公正さがもとでございます。これが完全になくなります。
 また、多様な知価の創造が生まれます。いろいろな地域、いろいろな環境の中から新しい知価が創造される。東京一極集中によりまして頭脳機能が東京のごく狭い範囲に閉じ込められている、この状況が打ち破られまして、開放的なことになるでしょう。
 そして、地方分権、地方分散が確実に実行されます。
 また、災害対応力が非常に強まります。
 そして、先ほど申しましたように財政が大幅に改善できます。
 以上のことから、首都機能の移転は非常に必要かつ重要な仕事だと考えております。
 さて、改めて首都機能の移転を申し上げますと、東京一極集中では、日本経済の復活、日本社会の復活はあり得ないだろう。これまで、平成になりましてから十五年間、十一人の総理大臣がいろいろな改革を宣言してまいられました。しかし、依然として十分なことはできておりません。それというのも、日本の社会というのが、東京一極集中、官僚主導、そして建設優先という日本の戦後の形に完全にはまり込んでいるからであります。
 日本の歴史をひもときますと、あらゆる時代が首都機能の場所で呼ばれています。飛鳥時代、奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、江戸時代、そして今、東京時代でありますが、この状況を見ますと、すべて、首都機能が移転したら必ず時代が変わった、首都機能を移転しない限り時代は変わらなかったことを示しています。
 例えば、江戸から東京に移るとき、黒船がやってまいりましたのは、嘉永六年、一八五三年ですが、それから十年間は何の変化も起こっていないんです。安政の大獄等いろいろございましたけれども、行ったり来たり、むしろ保守化が進んだだけであります。
 ところが、文久三年、一八六三年に、将軍家茂と、その後見役でありました後の十五代将軍慶喜が京都に移転します。それに伴って、諸大名、有力大名もことごとく京都に移転します。したがって、このとき首都機能は完全に京都に移転したんです。それからの五年間、明治元年までの五年間にすべての改革が行われました。
 そして、改めて改革した明治維新政府が、東京と名を変えたもとの江戸の地に来たのでございまして、江戸で改革をしようとした間は全く成果が上がっておりません。同様に、今もなかなか改革の成果は上がっていないと言わざるを得ないと考えております。
 次に、東京集中は自然に起こっているんだ、これは経済の流れであると言う人がおりますが、これは全く間違いでございます。
 戦後、昭和十六年体制、あるいは一九四〇年体制と言われる中で、官僚が猛烈な勢いで東京一極集中を無理やり進めてまいりました。そのやり方というのは、まず、産業、経済の中枢管理機能を全部東京に移す。そのために、全国的な産業団体の事務局は東京都に置かなければならない、二十三区に置かなければならないという指導を徹底しました。
 だから、もともと大阪にありました繊維業界の団体も、強引に、あの日米繊維交渉のときに無理やり東京に移しました。十年かけて移しました。名古屋にありました陶磁器工業会も移しました。京都にあった伝統産業振興会も東京に移しました。
 かくして、主要な企業の本社は東京に移らざるを得ない。団体が東京に移りますと、団体の長になるような大企業の社長は、何々工業会の団体長になりますと週に三回ぐらい東京に呼び出される仕掛けになっていますから、地方に本社を置いていられない。これでどんどんと移転した。これが第一であります。
 二番目は、情報発信機能を、世界じゅうで類例がなく、日本だけが東京一極集中いたしました。
 例えば、印刷関係で申しますと、元売を東京一極に集中しております。今これがまた問題になっておりますけれども、東京にしか日販とかトーハンとかいう元売会社はございません。したがって、関西で出版していたエコノミストやPHPは発行が一日おくれる。大阪で印刷した本を川一つ挟んだ尼崎で売るためにも、必ず東京へ持ってこなけりゃならなくなっております。これは非常に強い犠牲でございます。したがって、雑誌の場合は締め切りが一日早くなる。これで東京以外で雑誌をつくることができなくなりまして、全部東京へ無理やり移しました。これは国土政策懇談会でも何回も問題になりましたが、政府、官僚の方は頑固に譲りません。香川県や長野県でも元売をつくろうという動きがありましたけれども、ことごとくつぶされてしまいました。
 また、電波につきましては、世界に類例のないキー局システムをつくって、キー局は東京にしか許されていない。そして、キー局でないと全国番組編成権がございませんから、すべて東京都スルーの情報しか流れないようになっています。
 さらに、文化創造活動も東京に集中いたしました。だから、特定目的の施設、例えば歌舞伎座でありますとか格闘技専門体育館でありますとかいうのは、補助金の関係で東京にしかつくれないようになっています。これで歌舞伎役者は全員東京に住むようになって、関西歌舞伎は一人もいなくなりました。あるいはプロレス団体も、東北地方にみちのくプロレス、大阪に大阪プロレスがあるだけで、四十団体はことごとく東京に集められました。
 さらに、最近は、BS放送七局を全部東京にしか許可しないという制度になっています。
 こういった官僚の強引な、コストを無視した集中制度によって東京に集まっている、このことも重要なことだと思っております。
 したがいまして、日本全体が一律の情報環境になり、大量販売、規格大量生産には向いておりましたが、没個性、均質社会になった。対面情報を重視するために、人脈重視、選別的な官僚主導が行われるようになりました。また、文化創造活動も、もたれ合いの社会になって、世論が一色になってしまいました。こういったことは、新しい知価社会においては大変不利なことであります。このために日本の地位が、この十年間、世界じゅうが知価社会が進むに従って、猛烈な勢いで低下しています。
 例えば国際競争力の順位、これはスイスの研究所が示しているものでありますが、八九年には世界一であったのが、今は三十位であります。また証券取引も、これは上場株式時価総額でございますが、六百十一兆円から二百四十八兆円に落ち、外国株の上場件数も、百三十件ぐらいありましたのが、今は四十件以下になってしまっている。日本の東京証券取引所はほとんど無視される状態です。
 さらに、コンテナヤードの取扱高を見ても、八九年には神戸が五位、横浜が十二位でございましたが、今やずっと下の方になって、香港や釜山に比べて、日本じゅうのコンテナヤードを足しても及ばないというところまで落ち込んでしまいました。これは、ことごとく東京集中の結果であります。
 さらに恐ろしいことは、九六年から東京集中が非常に激しくなっているということでございます。人口も、九六年ごろには首都圏への集中は一時とまりましたけれども、去年あたりはかつてないほどのすごい勢いで東京集中が進んでいます。わずか二年余り前、私がIT担当大臣のときに、地方のITソフト関係者で、有能な、有望な新人、若者を二百人ほどリストアップしましたが、たった二年の間に、そのほとんどが東京へ蝟集しています。猛烈な勢いで東京に集められている。だから、地方の空洞化は猛烈な勢いでまだまだ進んでいるということです。
 この現象は、諸外国とは全く逆でございます。よく、日本だけではなしに、これは文明の流れであって、世界的にそうだろうと言う人がおりますが、七ページの表を見ていただきますとわかりますように、アメリカでもフランスでもロンドンでも首都の比重は低下しています。地方が盛んになって、首都圏の比重は低下しています。
 これは、専ら日本が、無理やり官僚主導で首都に、東京に集めてきたことを示しているかと思います。このままで日本が進みますと、アルゼンチンの形を再現するのではないか、最近、国際的にもそういう評価が出てまいりました。
 アルゼンチンはグラン・ブエノスアイレスという、国土面積で〇・一三%のところに人口、機能が集中しておりまして、特に地主階級、日本でいえば本社機能でございますが、これがそこにある。そして、農業をやっているところ、工場をやっているところには代理人、支店しか置いていない。このために、ブエノスアイレスに社交場ができまして、しょっちゅう顔を合わす対面情報になった。だから、これが非常に社会を固定いたしまして、どんどんと一律化し、現在では、だれが見ても発展途上国になりました。百年前、二十世紀の初めには、アルゼンチンは世界有数の豊かな国であります。「母を尋ねて三千里」という小説は、貧しいイタリアから豊かなアルゼンチンを目指す話なんですが、今は全く逆になっています。
 それに比べてブラジルは、とかくの批判がありますけれども、ブラジリアをつくったおかげで、アルゼンチンよりもはるかに経済力が上になりました。この事実はやはり見逃せない点だと考えております。特に、これから申します私たちの発想では、財政的にも非常に有利でございますので、ぜひ考えていただきたいと思っています。
 ところで、そのような東京一極集中はどこから起こっているか。
 まず第一は、官僚主導でございます。十一ページの図を見ていただきますと、日本の官僚制度の正体について書いております。これは、日本では官僚が真ん中におりまして、国会の先生方と内閣を双方根回しする仕掛けになっています。イギリスは同じ議会内閣制でございますが、右の図のように内閣が真ん中にあって、官僚が内閣の注文にこたえて内閣に回答を出す、そして内閣が国会に責任を持つ、こういう形になっています。だから、内閣にはたくさんの閣外相が入っておりまして、日本でいう副大臣のような方々がたくさんおられまして、これに対応する。官僚が国会議員と直接接することは禁止されています。こういうようなことができておるので、官僚主導ができない、進まない。そのおかげで、今やロンドンにいる国家公務員は、十五万人から八万六千人まで減らすことができました。
 さらに十三ページをごらんいただきますと、日本の官僚は、それだけではなしに、縦に貫かれた形になっています。つまり、先ほど申しましたA機能、立法とそれに関係の深い企画審議をする機能、それから調査統計をする機能、記録保全をする機能、全部同じ省に属しています。したがって、大蔵省からも経産省からも内閣府からも、いろいろなところから景気調査が来るとか、二重三重に統計のダブりがあったり記録のダブりがあったり、その逆に、どこに本当の統計があるのか、記録があるのか非常に探しにくい。今問題になっております住民の登録台帳にいたしましても各省別々、社会福祉あるいは納税、住民台帳、全部別々につくる。しかもそれが自治体まで貫かれておりまして、この人脈の中で情報が動く、こういう仕掛けになっています。これが最大の問題であります。
 それで、これを、次の十五ページにございますように、一つの場所、第一の地区は、国会、内閣、そしてA機能、企画審議機能、それに伴う執行機関、これだけを移す。そして第二の地区には、調査統計機能、それに伴う執行、この部分を移します。これは人数では相当大きな部分、西ドイツがボンに残した機能とほとんど同じでございますが、これがかなり大きな部分を占めます。そして三番目の地区には、最高裁判所と権利関係、保全をしなければならない記録、こういった機能を移します。そして、この間を五ギガビット程度の情報機関で結びまして、だれでもアプローチできるような方法をとる。この間が通信情報で行き来しておりますと、政府部内、同じ省庁だけではなくして、どなたにでも接近できる、そういった、透明で、迅速で、公平で、安価な通信社会ができるだろうと考えています。
 それで、どの程度の規模になるか。先ほどお金の話もちょっといたしましたので、そのことを十七ページで見ていただきたいと思います。
 これで移転いたしますと、大体、政府関係者が二万五千人ほど移転いたします。東京に残る人が少しあります、国立劇場とか国立博物館とかいうのがございますので、少しありますが、大部分の方が移転されるとして、二万五千人であります。第一地区に移転する人は国会とA機能で約一万人、第二地区が一万人、第三地区が最高裁判所とC機能で五千人。このA機能の中には、大使館あるいは国事行事を行う施設が含まれることになります。それに準首都機能、マスコミの人とか報道機関、政党職員等を加えて出しまして、さらにサービス従業員を計算いたしますと、想定される人口は、第一地区が八万四千人、第二地区が六万八千人、第三地区が三万六千人、合計十八万八千人。当然のことながら、地元で雇用する職員がおります。これは、大体二千人プラス二〇%というのは非常に低く見た数字でございますが、そういたしますと、そこに新たに居住する人は十四万六千人でございます。
 これらの数値をもとに、どの程度の規模のものになるかというのを計算いたしますと、十八ページにございますように、面積でいいますと、第一地区が六百ヘクタール、第二地区が四百ヘクタール、第三地区が二百ヘクタール。居住人口をそれぞれ出しておりますが、これで多摩ニュータウンなどよりはもう少し、大体同じぐらいの余裕を持つ場所にいたしますと、このような面積でいいわけです。
 これが、審議会では、八千五百ヘクタールという途方もない大きな数字になっています。この数字になったのは、まず一カ所に出すということもありますけれども、とにかく東京の過密を和らげる目的だから大勢移さなきゃ意味がないというものが働いたわけです。
 なお、十九ページには、これで幾らかかるかということでございますが、公的負担分は、この計算では一兆五百億円になっております。一兆五百億円でございます。これは、関西空港などに比べますと数分の一という大きさになりまして、建設事業としては非常に小さな規模でできます。この金額でございますと、恐らくこれよりもかなり下回る金額ででき上がるんじゃないか、万国博覧会その他の事業から見て。そのような計算ができると思っております。
 こうしておきますと、過度に集中することはありません。よく、首都機能を移せばそこにまた民間企業が集まるだろうと言う人がございますけれども、通信情報社会が完成いたしますので、再び集中することがございません。また、これが国家の抜本的な改革になることは明らかであります。
 まず第一に、財政が決定的に改革できます。重複行政が解消し、人員が減らせる。警備が簡略化できる。
 あるいは、通信情報社会によりまして交通費が軽減できる。実は日本は、国土は狭いのですが、民間企業総交通費あるいは民間企業交際費総額は、GNP当たりで見ますと、アメリカやドイツよりも何倍も高いんですね。この状態が解消できると思います。
 それから、建設国家という思想が崩れる。規格大量生産思想から脱却できる。
 そして、先ほど申しましたように、国有地の売却等で、建設費を除いて一兆数千億円の収入が上げられる。
 二番目には、官僚主導を完全に解消することができます。これでこそ初めて日本の改革が成り立つ。
 過去、日本の歴史の中で何度も改革を行いました。平清盛の力を持ってしても、享保の改革にしても、全部失敗でありました。首都機能の移せない改革で成功した、進歩的改革は一度もございません。したがって、やはりこれが最終的な改革の問題になろうと思っています。
 また、建設型から生活型への思想転換、例えば、貯蓄は良で消費は悪だとか、建設はいいけれども観光はいかぬとか、そういった思想も抜本的に変わると思います。
 何よりも重要なことは人心の一新でございまして、今まさに日本は非常に閉塞感に満ちあふれております。私も東京大学で講座を持っておりますけれども、若い人の未来に対する、日本に対する非常な悲観論が満ちあふれています。これを打破する一番確実な方法だろうと思っています。
 ぜひこういうことをお考えいただきまして、当委員会が、この首都機能の移転の問題を正道に戻して、国家を改革する文明的、社会的、経済的大事業として、費用はかからないけれども大事な事業だとして、もう一度御審議いただき、本当に国家百年以上、国家数百年の大計をお立ていただくことをお願いしたいと思っております。
 どうもありがとうございました。(拍手)
中井委員長 ありがとうございました。
 以上で参考人からの意見の開陳は終わりました。
    ―――――――――――――
中井委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。吉野正芳君。
吉野委員 自由民主党の吉野正芳でございます。
 先生には大変すばらしい御意見を賜りまして、私、今聞いていて感動しました。ただ、一つちょっと質問したいという点がありまして、それはフェース・ツー・フェースのことでございます。
 清廉な行政を行うためには対人からの情報はいけないんだという先生の御主張、これはある意味ではわかりますけれども、私、ソニーの出井会長さんの講演を聞いたことがあります。好むと好まざるとにかかわらず、これからの情報社会においては、自分一人と六十億の全世界の人とのコミュニケーションがあるので、いわゆる人間としてのきずな、地域としてのきずな、あるいは国家としてのきずな、そういうものが薄れてしまう、好むと好まざるとにかかわらずそういう状態になるというようなお話を伺いまして、私たち政治家の役割として、いわゆるフェース・ツー・フェースの形が薄れていく。そういう中で、私たちはあくまで人間でありますので、そこの部分を先生が、ある意味では否定といいますか、そういうところを感じましたので、ちょっと冒頭、そこの点について御意見を賜りたいと思います。
堺屋参考人 人間として多角的にいろいろな人に出会い、いろいろな触れ合いをする、これは極めて大切なことであります。今私が問題にしておりますのは、国家行政として、国家の政治行政としてフェース・ツー・フェースに依存していいかという問題でございまして、家族であるとか友人であるとか、あるいは先輩後輩の関係であるとか、そういった人間関係とは別でございます。
 国家行政をフェース・ツー・フェースにするということは、国家の情報として公正を欠くのではないか。東京にいる人は有利だけれども、そうでない人は不利になる。今、東京にいないと情報が来ない、あるいは、東京から行政機能を移転すると情報に支障を来すと言う人がおりますが、もしそれが本当だったら、東京以外に住んでいる人は大変な不利になっていると言っているのと同じでございます。
 だから、そういう意味で、国家行政として、国家の政治行政として考えたときに、これは通信情報ではっきりわかるようにする。そして、そのほかに人間的な触れ合いは、地元の選挙区あるいは家庭の中、学校の中、これは人間的なものとして、国家の行政というような、公正を重視する、迅速、安価を重視する、正確を重視する部分でないところでお考えいただくべきだと考えております。
吉野委員 大変よくわかりました。それでは、質問に移りたいと思います。
 今、国民、本当に国会移転ができるのか、私は実は福島県でありますから、委員会のあの通信簿が一番高い地域におるのでありますけれども、私も含めて、本当にできるのであるかという思いが、今ここにおられる議員の方々も心の隅にはそういう心を、気持ちを抱いているというふうに私は思います。
 そういう意味で、本当に、今先生のおっしゃったすばらしい理念というものを一人一人の国民に理解させていく。やはり国民的理解がなければ、私たち国会で幾ら移転を決めても、国民の支持がなければ、支えがなければ実現できないと私は思います。
 そういう意味で、今先生のおっしゃったすばらしい理念をどう国民に伝えていくのか。本当に国会移転は、国家百年の大計の中で、一公共事業ではなくて、必要なんだ、そういう部分を私たちは全国民に、福島県民、栃木県民、また三地区の方々は、十分に県独自がPR活動をしておりますので、ほかの地域の方々よりは理解はしているというふうに思いますけれども、そこだけの方々の理解で国会移転はできないと私は考えております。
 そういう意味で、国民的理解をどうすれば深めることができるのか、御意見を賜りたいと思います。
堺屋参考人 私が閣僚のころから、この件につきましては、半信半疑じゃなしに三信七疑じゃないかと言われていました。中には一信九疑だと言う人もおりまして、なかなか信じてもらえない。どうせできないだろうと思われた。これが一番の問題でございまして、半信半疑まで来ると一挙に国民的議論が舞い上がると思うんです。ところが、どうせできないだろうということがなかなか国民の議論を呼ばない。マスコミ各社などに聞きましても、一番言うのは、どうせできないんじゃないか、もう少しできるように議論が進めば私たちも特集番組をつくりますよ、特集記事を書きますよとおっしゃるんですが、今は、できないと思っているからできないんだ、こういうことなんだと思うんです。
 これは、私どものときに行いました金融改革でも、大銀行をつぶすなんということはどうせできないというので、ずっと記事に出なかった。ところが、いよいよ長銀、日債銀がつぶれるという直前になって、わっと新聞にも載ってまいりました。それが一つの問題で、この委員会で本当に議論を進めていただければ、それによってマスコミも大いに議論に参加してくることがあると思います。
 もう一つの問題は、やはり情報機関、情報発信の東京集中でございまして、東京の人に興味のあることを中心に書く。だから、福島県あるいは岐阜県では知られていても、東京発の全国番組には乗りにくい、これも大きな理由であろうかと思っております。
 この議論、知っている方、正確に、これは公共事業ではなしに国家を変革する重大な話だということを理解していただいている方には、皆さん、大変重要な仕事だとおっしゃっていただくんですが、多くの人は、ああ、公共事業ですね、また公共事業をふやすんですね、こういうような理解が行き届いているんですね。ここをぜひ、この委員会でさらに前進した方向をお出しいただくことで変わってくるものだと思っております。
吉野委員 まさに、私たちの委員会で国民に向けて大きなアピールをしていくというのも一番大切なことかと思います。と同時に、やはり内閣の行動というのも、国民に向けて大きなアピールをするものだと思います。
 そういう意味で、先生は小渕内閣で閣僚でございました。総理官邸が新しくでき、そして議員会館も建てかえよう、赤坂の議員宿舎もPFIで建てかえよう、そういう流れの中で、国民は、果たして本当に政府も国会もやる気があるのかなという、形を見ていけば、何かやらない方向への施策を次々と打っているように見えるんですけれども、その辺の閣僚経験者としての御意見をお聞かせ願いたいと思います。
堺屋参考人 今御指摘になりました首相官邸につきましては、長らく、首都機能の移転があるので建てかえることは差し控えた方がいいという意見もございました。ところが、どんどんと老朽化が進み、特に通信機関が弱体である。あれは数百億円かかっておりますが、建物そのもの、構造はそんなに大したことはございませんで、通信機能が中心だということでした。
 これをつくるときに、私は閣僚にはなっておりませんでしたけれども、さまざまな営繕からの御相談がございました。そのときに、この建物は、首都機能が移転したときに、この中にも書いてございますが、東京の情報センター、首都機能の場所から東京に情報受発信、それから、東京で開く審議会等のできるような場所にしようというような形でつくられています。これは非常に議論をいたしまして、首都機能が移転したときにどこをどう使うか、そういう形に初めからつくられております。
 今、官庁が建てかえておりますけれども、これは、首都機能移転を決定いただきましても相当の期間がかかりますので、順次建てかえていくということで、見た目には非常に営繕に費用がかかっております。逆に言えば、営繕を一時停止いたしまして新しい場所に移転するとなりますと、全く予算がかからないでできるということはわかるんですけれども、そういうように、見た目では変わっておりますが、建物の耐用年数、特に中の通信情報機関、電気施設等を考えますと、移転に十年あるいは十五年かかるといたしますれば、決してむだなことをしているわけではないと思っております。
吉野委員 最後の質問になりますけれども、首都機能移転は公共事業ではない、これは当然であります。でも、一歩下がって、今のこの不況、恐慌一歩手前と言っても過言ではない今の経済情勢を立て直していくという中で、昔アメリカがとったニューディール政策という、やはり恐慌解決策の切り札とでもいうべきいわゆる財政支出政策があろうかと思います。私たち日本も、そろそろニューディール政策を導入する時期に来ているのかなというふうに私は思います。
 その中で、では何をやるか。緑の雇用という形で、森林整備にもっと多くの財政支出をして森林を整備していく。水を守り、空気を守り、土砂崩壊を防いでいく、国土を守ってくれるという、これも大きなニューディール政策の一つの政策ではあろうかと思います。もう一方、やはり首都機能移転、国会移転というのもニューディール政策の一つの選択肢として私は考えていいのではないかというふうに思います。
 この首都機能移転には、先生もおっしゃっているように、夢があるんです。単なる有効需要の創出、いわゆる経済的波及効果という経済理論だけでなくて、やはり大きな夢がある、将来に対する夢がある。まさにここで先生が述べられているようなこんな夢もプラスアルファとしてつくことのできるニューディール政策の一つだと思いますので、その辺についての御意見をお伺いして、終わりたいと思います。
堺屋参考人 御指摘のとおり、この首都機能の移転の公費の負担はせいぜい一兆円ぐらいでございますけれども、これによって誘発される需要効果、特に、東京の再生、東京に国際機能が集まる、あるいは安全性が高まる、そういったことの需要効果は恐らく乗数効果が数十倍になるのじゃないか。そして、日本全国から多様な知恵が出るようになって、日本も知価社会に入る。そういう意味では、御指摘のように、ニューディールを上回るような大変大きな政策として実行できるんじゃないかと思っています。
 これは、明治時代に首都機能を移転したとき、あるいは鎌倉幕府、室町幕府、安土城をつくったとき、日本全国がどれほど変わったか、これを考えていただければ十分かと思っております。
吉野委員 大変ありがとうございました。
中井委員長 次に、松本龍君。
松本(龍)委員 民主党の松本です。
 きょうは、堺屋先生、本当にお忙しい中、本委員会に意見を開陳していただいて、ありがとうございます。
 けさ、目が覚めましたら、きょうは二月二十六日で、昔二・二六事件というのがあって、今から六十七年前、昭和十一年に青年将校のクーデターが起こったわけですけれども、くしくもその昭和十一年に国会議事堂が十一月に完成をしたということがありまして、もう六十七年間、国会議事堂もたっているわけです。
 ちなみに、そのころは二千六百万で国会議事堂が建ったという、今に換算してみれば幾らになるかわかりませんけれども、国会議事堂一つ移転をするのに、あのときは大正九年から昭和十一年ですから十七年の建築の期間があったということもありまして、まさに国会議事堂ができたときに思いをしたときに、大きな事業だったんだろうなというふうに思っております。
 そういう意味で、私も国会等移転のこの委員会におりましたけれども、しばらく離れておりまして、離れているからこそ外の方からいろいろなものが見えてくるというふうに思っております。
 市民の目線と同じ視点に立って考えてみると、ちょっと懸念が二つございまして、一つは財政事情の問題であります。
 去年の失業あるいは倒産件数を見ても、二万件、そのうち、しにせの倒産件数が五千件を超えて、四分の一が創業三十年以上のしにせ企業だ、ちまたではそういう状況の中で、国会の中で移転論議がある。少しそこに乖離があるのではないかというふうに私は思っております。
 財政事情に詳しい堺屋先生ですから、その辺も勘案をして、その乖離をどうやって埋めていく作業をしていくのか、その点についてまず御質問したいと思います。
    〔委員長退席、永井委員長代理着席〕
堺屋参考人 御指摘の点は、これまでの首都機能移転の中で、特に九五年以降の話として、首都機能移転は大規模でなきゃいけない、そうでなければ東京の過密防止に役立たないんだというような話がございまして、規模も土地も、そして人数もどんどんと大きくいたしました。その結果、十二兆とか十四兆とかいうような途方もない数字がぽんぽん飛び出してまいりました。当時、まだバブルのぬくもりがございまして、つくるのならいいものをというような考え方があったものですから、大変高価なことを言いました。
 先ほどから私が申し上げておりますように、この事業は一兆五百億円程度の工事費でできる。土地買収一切含めて一兆五百億円。それに対しまして、国の財産が四兆七千億円プラス七千億円ございますので、この半分を売却し、半分は東京都の安全と発展のために尽くすといたしましても、国家収入に一兆三千億円の収入をもたらす。このことを国民に御理解いただければ、財政事情が厳しい中で数十兆円の需要を生み出し、なおかつ財政がプラスになるというのは、御理解いただければ、その面では必ず支持いただけると考えております。
 だから、財政の点でこそ、これがいかに効果的かということをぜひ御理解いただきたいと思っております。
松本(龍)委員 今言われた、まさにこの移転というのは公共事業ではないというのは私も理解していますし、日本のいわゆるパラダイムといいますか、経済、社会、文化を本当に大胆に抜本的に変えていく事業だということも、私は先生と認識を共有しているというふうに思っております。ただ、そこの乖離ですね。国民はこういうふうに思っているんだけれども、国会移転、それどころじゃないだろうという乖離を埋めていく作業が必要なんだろう。これは私も、先生も悩んでおられると思いますけれども。
 一つには、前は、六十万人、九千ヘクタール、そして十四兆でしたね。あのとき、六年前の議論ですけれども、先生も、民間のあれもあるんだから、その辺が妥当な線だというふうに言われたと思うんですけれども、それが、先生の今度の試算で変遷をされてきました。それはどういうきっかけでこの十四万六千人、千二百ヘクタール、一兆五百億円という、きっかけといいますか動機といいますか、そこに至った経過をちょっと御説明していただきたいと思います。
堺屋参考人 当時、私は首都機能移転審議会の委員を務めておりまして、その案には賛成ではございませんでした。特に事務局も国土庁という、もともとは経済企画庁から分かれたところでございますけれども、建設関係に詳しい方が非常に多い、そして、委員の中にも建設、国土開発に詳しい方が多いというような形でございまして、大規模な東京の過密防止、これは地価高騰とも関係いたしまして、過密防止が大事なんだ、そういうような発想が非常に強くございました。
 それに加えまして、都市の構造自身に対する考え方も当時と大分違いました。当時は、森の中に、緑の中に沈んで、自動車、交通機関で走り回るようなロサンゼルス型の都市というのを非常に言われていた。最近は、どこの国でも、都心に集中するという形で、面積も変わってまいりました。
 それから、公共事業の考え方自体が、いいものをつくる、そのためには子孫のために銭金を惜しまないというような思想がございまして、金額の多寡についてそれほど考えなかったということでございます。
 私が一番この十年間で考え方を変えましたのは、一カ所に移転するのがいいのか、あるいは通信情報社会で分散的に移転する、分散といいましても機能別分散、役所ごとの分散ではなしに、機能的に分散するのがいいのではないか。これは、特に九六年以降の情報技術の猛烈な発達でございます。
 私も、九六年、九七年ぐらいまではITを使っておりませんでした。こういうものが世界的に発達いたしまして、世界じゅうで分散が物すごく進んでいる。それにもかかわらず、日本だけが集中政策をとっている。これはやはり非常に違和感、世界の文明との流れが違うのではないか。したがって、この際、小規模な分離をした方がいいのではないか。これは、私が閣僚になってから、九八年以後につくづくと感じ、特にIT担当大臣をやらせていただきまして、ぜひこれは日本に必要だ、世界じゅうがそうなっている、日本だけが逆に動いている、これが日本の最近の経済と社会の混迷の最大の理由だということに気づきました。
 その点で、きょう出させていただいたような三分割案になったらいいんじゃないか、そうすると値段も物すごく安くなるということがわかったということです。
    〔永井委員長代理退席、委員長着席〕
松本(龍)委員 三分割は、今、先生のお話を聞いてわかったんですけれども、三分割したときに、候補地の地域も三分割ということですか。
堺屋参考人 私は、A機能、国会と企画審議機能、これと他の機能とは分かれた方がいいと思います。これを分けないと、省庁もやはり縦割りの省庁が続くと思うんです。けれども、B機能とC機能、つまり、調査統計機能と記録機能は、同じ地域であっても別の地域であってもいいのではないか。それは今後の検討課題だと思っています。
 また、どれをどの地域にするかも、もっと具体的に、場所を探し、地元の御意見も伺い、日本全国の動き方その他を見て、それぞれに決めていけばいい問題ではないかと思っています。
松本(龍)委員 先ほど冒頭に、二つ懸念があると言いました。
 もう一つは、平成七年暮れの国会移転調査会報告では、新しい日本は新しい革袋に盛れ、新しい酒は新しい革袋に盛れのあれですけれども、革袋理論みたいなものがあったのです。そのころからずっと見ていますと、政治というものが大変、新しい政治なのかということも、国民の間では不信が物すごく増大をしている。昨年の議員辞職とか逮捕とか、そういったもので、この十年間、物すごい政治不信が重なってきている。そのことも、いわゆる国会移転に対する国民の夢とか希望みたいなものをシュリンクさせているのではないかというふうに思いますけれども、忌憚のない御意見を。
堺屋参考人 どこの国でも、民主主義国家というのは、政治は批判されるものであります。政治は厳しく批判されることによって正しい道を選んでいく、自由競争の中で淘汰されていくものだと思います。およそ外国へ行きましても、我が国の政治がいいと言っているのは朝鮮民主主義人民共和国ぐらいでございまして、あとは大体悪いと言っているんですね。だから、それは、政治が批判されるのは悪いことではないと思いますけれども、やはり一番の問題は、対人、対面情報で、だれにもわからないことが、政治あるいは行政の裏話がどこかで行われているんじゃないか、これだと思うんですね。
 最近、私は高速道路の関係でフランスに調査に行ったんですが、EUになりましてから、通信情報、書いたもの、インターネットに出ているもの以外に、政府と業界との間あるいは公団等の間に一言でもあったら、たちまち有罪になっているんです。全部公開すると。
 情報社会になりますとそういった徹底が行われますので、完全に問題がなくなるとは言えないまでも、非常に信頼感が高まるんではないか。これが大きな、通信情報社会にし、首都機能を移転する効果だと思っております。
松本(龍)委員 最後になりましたけれども、堺屋先生におかれましては、もう何度も何度もこの委員会に来ていただいて熱弁を振るわれる、それに本当に敬意を表しますし、その御忍耐にも頭が下がる思いをいたしております。私でしたら、もういいかげんにしてくれよと、度量の小さい者はそういうふうになるんですけれども、きょうは中井委員長も聞いておられますので、この委員会に対する思いを最後に述べていただいて、私の質問を終わりたいと思います。
堺屋参考人 首都機能移転の問題は、非常に誤解されやすい問題でもありますし、それに何よりも、地域というものの郷土愛がございまして、なかなか説得しにくい。東京の好きな人にはなかなか説得できないとか、首都機能と一緒に住みたい人も大勢おられるとか、いろいろな思いがあります。
 しかし、これからつくろうと言っている国は今までの国と違うんだ、新しい国の形、新しい国の気持ち、これをつくるんだということをこの委員会でぜひ出していただいて、そして、できることなら国会として、政府、行政機関じゃなしに国会として審議研究を重ねられまして、最良の政治的決断を出すような仕組みをつくっていただきたいと考えている次第であります。
松本(龍)委員 ありがとうございました。終わります。
中井委員長 次に、西博義君。
西委員 公明党の西博義でございます。
 堺屋先生、本当にきょうは多角的な面から御説明をいただいて、参考人の皆さんから数々お言葉をいただいておりますけれども、本当に感銘を受けさせていただきました。殊に先生の、首都機能移転というのは、ただ地理的な条件で移転するという物理的なものだけではなくて、経済、文化、ありとあらゆる問題で大きく日本のパラダイムが変わっていく、そのきっかけにというお話に、私も深く感銘いたしました。
 昔、先生からお伺いしたお話で、大阪万博の話をたしか先生はされたことがおありだと思うんですが、御活躍だったと思うんですが、そのときに、男性が休みの日にカジュアルな服を着るようになったとか、それから喫茶店が外から見えるような時代がやってくるとかいうような単純なことしか覚えていないんですが、たしかそんなお話があったように思いまして、やはり一つの大きな時代の流れというものをつくっていく一つのきっかけになるのかなというふうなことを考えながら、きょうは拝聴させていただきました。
 そこで、御質問を申し上げたいと思います。
 そういうことの中で、この審議会の答申も私どもは森先生からお聞きをしたんですけれども、この大きな内容、最終的には三つの地域に絞られて、それぞれ厳密な評価をされて、重みまでつけて、十六項目積算して評価をされたというふうにお聞きしたんです。
 そんな中で、最終的には、この間、森先生からお話を伺った中では、この十六項目の中身についてちょっと私お伺いしたんですけれども、突き詰めたところが、災害対応能力ということがやはり一番の大きな課題であったんだ。続いて、東京一極集中をどうするか。それから三項目の中身では、国政全般の改革がその次に続く。三つの分類をされているんですが、そういう御答弁をいただいたんです。
 この審議の中で先生が今さっきまでおっしゃられましたように、そういう都市としてのあり方とか経済的な面、文化的な面、これを一切排除して、私は非常に客観的な、ある意味では客観的な評価をされていると思うんですが、そのことについて先生は、その当時の審議会の内容についてどう評価されているか、初めにお伺いをしたいと思います。
堺屋参考人 この点は審議会でも非常に議論がございました。それで、災害対応力というものをどう考えるかということが一つのポイントでありました。
 その大きな分かれ道は、地震の起こりにくいところがいいんだと言う人と、分けることがいいんだと。日本列島、今まで地震が起こらないと言っていたところでよく起こっているんです。神戸などでも、起こるという予想はなかったんですが、起こっているんですね。どういうような記録でというと、大きな地震が起こった記録のないところは比較的安全と見られている。だから、人の住んでいないところは記録がないから安全だという結果が出るようなこともあるんですね。
 それで、地震の対応力をどれぐらいに考えるか。審議会の委員を選んだときに、既に地震学者の方がたしか二名お入りになって、これが非常に大きなウエートを占めた。それに比べて、経済、文化の面の方が軽いんじゃないか、そんな議論もございました。
 私が考えますのには、地震の被害というものは、第一次被害から第二次被害、第三次被害、第四次被害とございます。第一次被害というのは、ぐらぐらっといってドスンとつぶれたときにどれぐらいの被害が出るか。第二次被害は、それによって火災等が発生してどれぐらいの被害が出るか。第三次被害は、ライフラインが切れたことによってどれぐらいの被害が出るか。第四次被害は、一つの地域がつぶれたことで、全国、全世界に与える影響がどうか。
 これがそれぞれ、十の、都市の規模に比例する。第一次被害は都市の規模に比例する、第二次被害は都市の規模の自乗に比例する、第三次被害は三乗に比例する、そして第四次被害は四乗に比例すると言われております。だから、神戸と東京と比べて、仮に東京が十倍といたしますと、第一次被害は十倍、第二次被害は百倍、第三次被害は千倍、第四次被害は一万倍となります。これは、過去の統計に合わせていくと非常によく当たっているという数字なんですね。
 したがって、ここに書きましたような数万の規模でございますと、たとえ地震で揺れても大きな被害がないし、分散していることで安全だと考えています。
 先ほども繰り返し申しましたけれども、規模を大きくするということが一つの前提でありました、究極で六十万人。したがって、地震がかなり恐ろしい。六万人でございますと、地震の影響は、建物も低くできますし、周囲もすぐに避難できますから、これはそれ自体が減ります。さらに地震だけではなしに、最近は、大規模テロ等さまざまな災害に対応しなければいけない。そういうことを考えますと、やはりあの審議会のころよりは少し変わっているんではないかという感じを持っております。
西委員 ありがとうございました。大分具体的にお話をいただきまして、理解させていただきました。
 続いて、前回の議論は、東京という都市が特に首都としての機能を維持するためには、もっと言いますと、国際競争力を発揮して日本という国を引っ張っていくためには、都市東京の再開発と同時に、立法、行政、司法という機能を付加するということが非常に大事である、こういう議論が実はございました。いわば先生のお考えと逆の観点もあろうかと思います。
 小規模とはいえ、三つそれぞれに分都ということになりますから、その三つの機能が東京からなくなるわけです。先生は、そのことがまた新たな東京の活性化を呼ぶというふうに先ほどおっしゃられたように思うんですが、そこの部分のお考え方についてお伺いをしたいと思います。
堺屋参考人 今、全世界は、政治行政の中核地域と、経済、文化の中心地域が離れています。アメリカや中国やインドはもちろんのこと、最近はヨーロッパも、政治行政機能はEUの中心地のブラッセルに集中いたしまして、パリもロンドンもローマもベルリンも大幅に首都機能が低下してきております。それとは逆に、経済機能は、ニューヨーク、ロサンゼルスとか各地に分散して、非常に発展をしている。
 その中で、日本は、一極集中が激しくなるに従って、国際的地位がどんどん低下しています。このことは、一極集中が、今の情報化社会、知恵の社会に不向きであるということを明確に示していると思うんです。
 集まっていればいいと言う人は、あくまでも対面情報を前提としておられると思うんですね。東京の百平方キロの中に今やほとんどの機能が集中し、しょっちゅう顔を合わせる。だからいいんだということでございましょうけれども、その結果、日本の文化、情報が非常に単一化いたしました。雑誌でもテレビでも、番組が全く同じような形になってまいりまして、多様性が失われてきた。これは日本にとって大きなマイナスでございます。
 また、つい対面情報に頼るものですから、通信情報化しない。日本国内だけではまだ、みんな集まって、エレベーターに乗って、まあ、通信情報に比べれば何十倍か時間はかかり、何十倍か費用はかかりますけれども、我慢できるかもしれませんが、外国との情報は全くこれではやっていけません。
 そういうことが重なって、今、現に日本の地位は低下しております。これだけたくさんの高層ビルが建った。この二〇〇三年度に建ちますビルは、東京にできますものは二百十八万平米。何とバブルの最盛期をはるかに上回るほど建てておりますが、それにもかかわらず、日本の地位はどんどん下がっている。この事実をやはり率直に考えるべきだろうと考えております。
 さらに、経済機能、文化機能は東京に集中し、東京を世界都市にする運動をするのはいいことだと思います。けれども、それが首都機能という重圧の中でできるかどうか、これが大問題であります。例えば、国賓が一人来られただけでも都心部が渋滞を起こす。そういう負担の中でやらなきゃいけないのか。これも大きな問題だと思っています。
 そういう意味で、東京と首都機能とは分離して、東京はもっと盛んな経済、文化都市にし、そして、首都機能からの情報発信で地方都市、地方の地域も活性化する、これが一番正道ではないか、これからの世の中に向いているんじゃないかと思っています。
西委員 よくわかりました。
 つまり、首都機能を付加した東京からその部分を分散してという意味では、もちろん都市としての人口等は東京は格段に大きいですけれども、これからは、ほかの地方の都市、例えば名古屋、大阪、もちろんそれぞれのたくさんの都市がありますが、そういう意味では同じ立場といいますかスタンスで、新たに地方にも新しい都市機能、同格の、特別の存在ではなくて、皆同じような都市としての経済発展のチャンスもまた逆に同じ条件で生まれるというふうに解してもいいんじゃないかなというふうに、先生のお話を伺って感じました。
 具体的には、先生は、A、B、Cという三つの機能をそれぞれ分けたらいいんじゃないか、最大の問題は、やはり透明性、公平性、また、その情報通信を通じて、すべてひとしく皆さん方が同じ情報を共有できるということに大きな観点があるというふうにお伺いしたんですが、もう少し具体的にいくと、例えば、立法府と、今も国会連絡室とか大臣官房、それからそこの各省庁の企画部門、その辺が一緒に行って、あとの部分がそのまま別のところに、ルーチンの仕事をしているところが別のところに行くのかなと。実際の行政のうちの一、二割程度がついていくのかなというような大まかなイメージで私はお伺いをしたんですが、その辺のもう少し詳細のところをお教えいただきたいと思います。
堺屋参考人 具体的に省庁の名前を挙げ、それぞれの局の名前を挙げますと、行政機能がハチの巣をつついたようになりますので、あえて具体的な名前は申し上げませんけれども、各省の国会審議と関係のあるような政策の企画立案、審議、そしてそれの執行の部分、これが大体、各省でとりますと半分以下でございます。それに対して、各省の中、各局の中でも、統計数字を調べて渡すとか、あるいは現在の景気動向を知らせるとか過去の法案を調べるとか、そういった機能が約半分、大体二分の一ずつぐらいです。
 それで、国会とその企画審議部門、これが同じところへ移転いたします。そして、そういうような各省の思惑に動かされない調査統計、正確な情報が即座に出るような機能を別のところに置きまして、これが、情報で注文を受けて、すぐ情報で返す。例えばオーストラリアなどは、既にキャンベラに首都機能がございますが、オーストラリアに駐在した新聞記者あるいは学者が言いますのに、質問をシドニーからしたときの情報の返り方が日本と違って物すごく速い、これはカナダもアメリカもよく言われることですが。
 そういう通信情報の社会になっておりますと、通信化できるような、つまり、マシンリーダブルといいますが、機械が読み取れるような文字や数字や図面に情報化する習慣がつきます。ところが日本は、すぐ御説明に上がりますというので国会へ走ってくる、政党本部へ走ってまいりますものですから、説明される各お役人の能力に依存して、書面の整理なんというのは膨大なものを抱えてくるようになっておるんですね。こういうこともまずやめる。
 それから、今、ドイツのボンに残っておりますような文化財の保護とか、特許料、知的財産権、あるいは国土の保全、そういうようなものに関する記録、これからのアーカイブズが大変重要な時代になってきますから、これはこれで確実に確保して、そして利用できるような状況にしておく。そして、それが本来の務めだ。
 今、本来の務めはみんなもう企画審議の方で、調査統計というのは余り重視しないような雰囲気がありますが、これはそれぞれに大事な機能として独立させて、その間を通信でやることにしますと、非常に迅速で公平で、そして、いつでも出せるような習慣が生まれてくる。そうしますと、民間企業も同じように、役所の形の通信情報の技術と慣習を持つようになります。かくして、日本が、どこの地域にいても、外国にいても日本の情報が正確にとれる国になる、通信情報社会になる。これが二十一世紀にはぜひ必要なことだと思っておるんです。そういうような分け方を考えている次第であります。
西委員 国会移転を通じて日本の社会のシステムを大きく変えていこうという先生のお考え、拝聴いたしました。
 本日は、大変ありがとうございました。
中井委員長 次に、塩田晋君。
塩田委員 本日は、堺屋太一参考人におかれまして、非常に簡明かつ明確な、また、非常に説得力のある御議論を展開していただきまして、非常に感銘を受けました。ありがとうございました。
 参考人の御意見に対しまして、私はおおむね賛成でございます。しかし、お聞きしました中で若干お尋ねしたいことがございますので、二、三申し上げたいと思います。
 まず第一に、この委員会でもそうでございますが、国会で国会移転を決議し、国会を移転しようということが決まりました。それから十一年たっておるわけです。その間に、あの当時は国会を移転しようという気持ちが非常に盛り上がっておった。最近に至りまして、この十年の間に変化がかなり起こって、一極集中あるいは地震対策ということで言われておったのが、余り言われなくなってきたといいますか、首都自体も集中化、人口が減ったり、あるいはまた最近ふえていますけれども、そういった変化が起こっている。地震対策も、思わぬところで起こったり、あるいは既に候補地に挙がっているところでも活断層がかなりあるとか、いろいろ議論されてまいりました。
 そういった経緯を経まして、今、この十年間に首都移転論が変化をしてきた。そして、東京を初めとして大変な反対論が起こっておるということから、現在の状況について、どういうことでこのような状態になってきたとお考えか、お伺いいたします。
堺屋参考人 まず第一に、十一年前にこの話が出たときに、二つの要素が混在しておりました。
 一つは、日本の国を改革しなきゃいけない、そのためには、歴史的にも、また理論的にも首都機能の移転が必要である、それ以外に、人心を一新し確実に改革する方法はないのではないか、そういう大きな議論から生まれたもの。もう一つは、ちょうどバブルのときで、東京の土地が猛烈に値上がりをした、また、東京集中も激しくなった、こういう非常に短期的な視点から、これを移転した方がいい。そういう二つの要素が重なっておりました。
 ところが、バブルが崩壊して、九五年ぐらいになりますと、東京圏への人口の流入がとまるという一時的な現象がございました。土地の値段も下がってきた。だから、もう東京はそう集中しないんだから、これでいいんじゃないかというので、一時ぐっと熱が冷めました。ちょうど条件の悪いことに、その熱が冷めたときに政府審議会が答申を出すということになりましたので、主として地震対策だ、過密対策がなくなったから地震対策だというような意見の人が多くなったんですね。そして、国を変えようというのがだんだんと薄れてきたといいますか、その必要性が感じられなくなりました。
 ところが、ちょうど一番熱が冷めた九五、六年、地震対策だけだと言われたような時代から、まさに東京集中が猛烈な勢いで始まったんですね。そして、それとともに日本の国際競争力、日本の文化がどんどん低下する。その中で、財政も厳しい、だから、前に言っていたような大きな数字ではなかなかできないのではないか。
 それからもう一つ、審議会が場所を選べということになりましたら、これはあらゆる改革がそうなんですけれども、具体化いたしますと、改革は決して多数をとれないというんです。昔、宋の時代に、王安石という人が大改革をしようとした。そうすると、たちまち、王安石の言っているのはやり過ぎだという人と、あんなのではまだまだ生ぬるいという人が出てきて、今は悪いという人が八割いても、一つの案に賛成する人は三割しかいない、こういう現象を生むんですね。それと同じように、この改革も、首都機能移転も、具体的にどこか出てくると、その地域の人はいいですけれども、それ以外の人はみんな熱が冷めてしまう、こういう地域運動化した。この二つの条件が重なったと思うんですね。
 ここでやはり大事なのは、日本の構造全体を通信情報社会にし、多様な知恵の時代にしていかなきゃならない、官僚主導から抜け出さなきゃいけない、この根本を見失ってはいけないと思うんです。ややもすれば、地域が決まってきますと、あそこの場所はどうだ、ここはどうだという地域運動化することで、非常に人気がない。
 それに加えまして、土地が余ってきた、建設が不況になったということで、東京の不動産業者、あるいは東京で受注の多い建設業者が非常に反対。これは明らかに、移転しますと安くつきますから、公共事業費としてはふえないと思います。そういうことから、建設業界は熱心でなくなったということもあろうと思います。
 そういった誤解と利害、そして地域的な感情が重なって、このところちょっと下火になっているんじゃないか。ぜひこの委員会では、それを正道に戻して議論していただきたいと思っております。
塩田委員 次に、官僚主導を首都移転によって国民あるいは政治主導に変えられるんだということを参考人が言われました。これは歴史的に、人心一新のために変わってきた首都の移転、こういったこともお話しされましたが、日本の官僚機構は、明治以降、政治が中心になって官僚機構を育てて、そして、日本の国の改造あるいは発展のために官僚をまず育成した、それに力を持たせる。また、戦後におきましても、日本の経済の回復の過程で官僚が果たした役割は大きいと思うんです。
 そういった中で、今や官僚の弊害が、参考人言われますようにたくさん出ている。これは変えなければならぬ、それには首都移転が決め手だというふうに言われたと思うんですが、なぜ首都移転すれば官僚主導がなくなるのか、その辺のもうちょっと詳しい御説明をいただきたいと思います。
堺屋参考人 私の資料の十ページに書いてございますように、星形ができておりますけれども、まず日本の三角形、官僚主導機能と建設優先思想と東京一極集中、これは不可分にでき上がっております。そして、昭和十五、六年ごろから日本が規格大量生産の社会を目指すという中で、まず官僚が基本方針を定めて、それに従って民間が協調して、官僚主導、業界協調体制でやっていくんだ、そういう仕掛けができ上がったわけです。そのために、特に重要な問題は、日本の官僚機能が全部省庁別に、分野別に縦割りになりまして、それがさらに地方自治体まで、例えば地方自治体の財務部は財務省と人脈の上でも情報の上でも絡んでいる、農林水産部は農林水産省と補助金でもつながっている、そういうような形で、全部中央の官庁に集中する仕掛けをつくってきた。このことは、規格大量生産をする上で非常に有利だったと思うんです。だからこそ、日本は八〇年代にはジャパン・アズ・ナンバーワンになり、大いに発展できたと思うんです。
 ところが、今やこの官僚主導というのが、新しい知恵を出さない、新しい人材を発掘しない、また日本の起業、新しい業を起こすのがどんどん低下いたしまして、今やアメリカの五分の一になってしまいました。そういったことで、非常に弊害がたくさん出ています。これを取りやめなければいけない。そのためには、官僚が、東京という非常にエリート意識の持ちやすいところ、世間からもあがめられるところにどんと頑張っていて、全部を呼びつけ行政にしている、大企業の本社は全部東京にある、弁護士会でも医師会でも、大団体は全部東京に集まる、そして、そこに官僚の天下りがおりまして行政をやる、こういう体制を打ち破らなきゃいけない。
 ちょうどこれは、平安時代から鎌倉時代に移転するとき、あるいは室町時代から安土桃山に移転するとき、そうでございました。あの平安時代、三百九十八年続くわけでございますけれども、この四百年間に随分といろいろなことが変わるのでございますけれども、それでも、平安朝にいる限りやはり王朝文化から出られない。平清盛の力をもってしてもできなかった。ところが、鎌倉に移転しますと、旧来の公家さん、貴族の人脈と武士の人脈がばんと切れたものですから、一遍に世の中が変わる。同じことは明治維新のときにも起こりました。
 移転をいたしますと、まず、縦割りの行政が横割りになる。三つの機能が横割りになる。そして、東京という中核都市でなくて、官僚が一歩わきに置いたような立ち方になる。この二つの効果が非常に重要だと思うんです。そして、そうなれば官僚自身も、公平に全国の情報を聞いて、わきから指導する、主役じゃなしにわき役であることを十分承知してくれるようになるだろう、こう考えております。だから、人心の一新とともに、これは決定的な効果を上げるだろうと思います。
塩田委員 歴史的、また具体的にいろいろ御説明いただきまして、ありがとうございます。
 時間が迫ってきましたので、あと項目だけ二、三申し上げたいと思います。簡潔にお答えいただきたいと思います。
 一つは、今言われました経済団体を初めとする各種団体の全国団体が新しい首都にまた移るんじゃないかとか呼び寄せるんじゃないかとか、また、フェース・ツー・フェースについて御批判がありましたけれども、やはりそういったことを求めて新しいところに移っていく、呼び寄せなくても、強制的にやらなくても移るじゃないかということについてお伺いいたします。それが第一点。
 第二点は、首都移転の建設費用が余りにもかかり過ぎるということで、これは、不況のこの時代にそんな大きな、まず財政が赤字の中で負担できないという御議論がありましたけれども、参考人がおっしゃったのは一兆円ですね。これは、私からいいますと、わずかに一兆円だと思うんです。ODAだけでも一兆円ですからね。それから、十年かかるとしたら、一兆円といったって、これは一千億ですね。一千億はそんなに財政負担になるとは思いません、国家の大事業ですから。また、何百年の首都のことですから、これは十兆円かかったって、首都移転を決めたときはそれぐらいの意気込みでやはりやるべきだと思います。これが第二点。これは感想として申し上げます。
 それから最後に、皇居ですが、参考人、この首都移転を考えておられるときに、皇居はどういうふうに、移転するのか、しないのか。東京のこのままであるのか。その点についてお伺いしたいと思います。
 それから、これはそれに関連したことですけれども、新しい官邸なんかが、周りにいっぱい高い建物が建って、見おろしが、ほとんど谷底みたいになっていますね。これは、建物の規制をほかの国もやっていますけれども、新しい首都では国会も官邸も高いところに置いて、そして見おろされるようなことのないように、そういった高さの規制をやるかどうか。こういったことについてもお伺いいたします。
堺屋参考人 まず第一点の経済団体等が移転するかということでございますけれども、三つに分けると、移転することは全くないと思います。よほど特殊な団体は別といたしまして、経済団体等は、外国の例を見ましても移転しておりません。ドイツでも、フランクフルトにあるものはそのまま移っておりません、ベルリンに移ることはありません。この方式でございますと、通信情報が十分でございますので、年に一、二度出張するという程度で済むことだと考えております。
 それから、費用の点でございますが、これは一兆円で十分にできるという計算をいたしておりまして、十九ページにその内容も書いておりますが、決して無理なことではありません。
 最後に、皇居のことでございますが、この中に、国家機能施設の次に、象徴施設というのに千六百億円と出ております。これは、国会と最高裁判所、そして陛下のお使いになる国事機能の場所でございます。したがって、今の皇居はそのままでございます。陛下のお使いになる施設としては、葉山の御用邸とか那須の御用邸とか、あるいは京都の御所とかいうのもございますが、あと、国事のために必要な施設をもう一つ追加するということで、現在の皇居を積極的に変える必要はないと考えております。
 それから、建物は、この規模でございますと、やはりそれほど高層のものは建てない方がいいだろうと思っております。したがって、総理大臣官邸あるいは国会を見おろすような建物をつくる必要は全くないんじゃないか。都市の規模から見ても、それで十分に、短距離で通勤、徒歩で通勤可能な範囲におさまるものだと思っております。
塩田委員 ありがとうございました。終わります。
中井委員長 次に、江崎洋一郎君。
江崎委員 保守新党の江崎洋一郎でございます。
 本日は、堺屋先生に、大変お忙しい中、貴重な御意見を賜りまして、本当にありがとうございます。
 そこで、先ほど来、先生の御高説に関しましていろいろ拝聴させていただき、また、こちらのレポートも読ませていただきました。冒頭にもございますように、日本の経済、社会、文化の各方面を抜本的に変更しようという国家事業であるということで、大変壮大なスケールのお話でございます。
 後に、一極集中の是正とかいろいろな議論があって少し議論が矮小化されてということも御指摘されておられますが、まず一点目は、東京の一極集中について、先生の御高説とはまた切り離して、一極集中自身はもう是正する必要ないのかどうか。今、機能分化という部分で政治体制の方は刷新されるという御意見でございますが、やはり経済的機能というものをいじっていきませんと、恐らく東京の集中化、過密化というのは解消されないんだと思いますが、別の議論として、東京の一極集中というものにつきまして、先生の御意見をいただきたいと思います。
堺屋参考人 私は、経済、文化の流れとして自然に東京が発展することは非常にいいことだと思っております。したがって、それをあえて規制することはない。むしろ、用途規制などは廃止して、もっと東京の土地の価値を、使用価値を高めるべきだ、価格よりも価値を高めるべきだと考えております。
 しかし、官僚主導によって東京に集められている部分、例えば、情報発信機能が東京でなきゃいけないような仕組みをつくって、それが六十年間頑固に守られているとか、あるいは特定目的の文化施設は東京でないと補助金交付規則でなかなかできないとか、こういうことはやめるべきだと思うんですね。そして、地方にもそれぞれ個性的な文化が発展し、個性的な企業が栄える、そういった形にしていくことが大事だろうと思っています。また、教育関係、文化関係、特に大学の設置とか教育関係につきましては、地方に振興するような方策をとるべきだろうと考えております。
 したがいまして、首都機能移転を行いますればすべてが公平に動くようになりますので、その範囲で適切な分散が進むだろうと考えております。
江崎委員 ありがとうございました。
 先生の論文の中にも日本の国際的地位の低下という議論もございますが、いわゆる都市の競争力、少し議論が首都機能移転とそれますが、先生のお考えになります都市の競争力というものはどのようなお考えでございましょうか。
堺屋参考人 現在におきまして、都市の競争力というのは、一番大きいのは、やはり情報の収集、発信能力だろうと思っております。
 したがいまして、ニューヨークなどは非常に情報発信能力が高いものですから、どんどんと世界じゅうからいろいろな人々が集まっておる。アメリカの場合には、そういうところがシカゴにもできておりますし、ロサンゼルスにもできております。全国数十の都市が情報発信機能を持っておる。これがアメリカの大きな力だと思うんです。
 例えば、今イラクの問題がいろいろと報じられておりますけれども、そのときに、アメリカ二十五都市ぐらいの新聞やテレビがどう言っているか、そういう統計をとられるんですね。日本だったら東京一都市ばかりで、あとは共同通信の同じことばかり書いていますから、そういう統計にならない。
 これがやはりアメリカでもヨーロッパでも大きな力だろうと思うんです。そういうような情報の収集と発信が切磋琢磨する、そういうところがないと、都市の機能として向上しないんじゃないかと思います。
 それから、やはり便利で自由だということが第二番目の問題です。
 日本の株式市場がどんどん低落いたしました。かつて、一九九一年には、大阪の先物取引所は世界一でありました。それが、今は世界三十位であります。これは、先物規制をいろいろやって、官僚が手をつけるたびに低下してまいりました。一時、先物の空売り規制などをやると二千円ぐらい上がりましたけれども、全部外資が逃げちゃうものですから、ますます下がる。
 したがって、官僚が余り間近にいていろいろと手をつけるのはいかがなものか。もっと自由な体制にすべきだ。今、小泉内閣では特区というのをやっておられますけれども、こういう特区も、金融の面、産業の面、教育の面、医療の面、どんどんと広げて、特区といわずに日本全体がそういうようにならなければいけないんじゃないか、このように思っております。
 そして、三番目に、やはり都市の大事なことは楽しさでございます。おもろいところにみんな来る、これは避けられないことなんですね。ところが、首都機能がありますと、国賓が来たら警備をしなきゃいけない。そして、一番真ん中に首都機能が頑張っておりますから、ネオンのつかない大きなところができる。これも今やいかがなものかという感じがいたします。
 そういった面から、東京から首都機能を移転して、その部分が経済、文化の中心地にその半分ぐらいでも転換しますと、東京は本当ににぎやかな町になり、世界の競争に負けない都市になるだろうと期待しています。また、それにあわせて、大阪も名古屋も立派な情報発信都市として世界の注目を浴びるようになるんじゃないか、そう思っております。
江崎委員 そうしますと、政治機能の分化した都市においても、新たに情報インフラを整備して、情報収集、発信できるようなモデルをつくっていくということで、むしろ、新しい都市が全国へのモデルになり得るというようなことでございましょうか。わかりました。ありがとうございます。
 先ほど来の先生のお話で、機能分化が政治体制を変えていくということにつきましては十分理解できたわけなのでございますが、いわゆる分散するイメージとして、距離的、地理的にどの程度のスケールをお考えなのか。あるいは、今回、審議会が選定しました三地域につきましても、先生のお考えでは、それぞれの機能分化する候補先とお考えであられるか、御意見をいただきたいと思います。
堺屋参考人 私は、審議会が三都市を選ばれたのは、自然条件、立地等から見て非常に適切な三カ所を選ばれたという感じはしております。
 ここで大事なことは、ベルサイユにしてはならないとよく言われるんですが、ルイ十六世という人がベルサイユをつくったときに、パリから馬車で大体二、三時間の距離、今、自動車で一時間弱でございますが、そのぐらいの距離、つまり日帰りできるところにつくった。社交機能は全部パリに残ったままで、官僚と貴族だけ行ったんですね。そうすると、庶民の社会というのと隔絶された中で政治、行政が行われたものですから、よろしくない。やはり、日帰りを超える部分ぐらいのところがいい。
 そういたしますと、少なくとも東京から二、三百キロは離れている方がいい。それで、日本列島全体の余り端になりますと、全国から人が集まるのに不便がございますから、そういう点からいいますと、審議会が選ばれた地域というのは、非常によく考えた三つの地域になっているんじゃないかという気がします。
 ただ、私も審議委員をしておりまして、最後の部分は閣僚になったからいなかったんですけれども、ずっと来たときには、点数というのは、これで甲乙をつけるほどのものではない。どれをどのぐらいの比重にするかもいろいろと議論がありましたから、一応やってみるということでございまして、あの三つの地域の間にはそれほど差がないのではないかという気はしております。
江崎委員 先生の地方分権に対する御意見もいただきたかったんですが、時間が参りましたので、きょうは以上とさせていただきます。ありがとうございました。
中井委員長 次に、菅野哲雄君。
菅野委員 社会民主党の菅野哲雄でございます。
 この一月から特別委員会の委員になって、そして、先生の御意見を今初めて拝聴するという状況の中で、こういう考えで進んできたのかなというふうな思いをいたしているところでございます。
 まず冒頭にお聞きしたいんですけれども、この文章の中に「「アルゼンチン的衰退」の危機」という表現がございました。このことが底流にあって先生の意見陳述がなされているというふうに私は思うんですけれども、このアルゼンチン的危機というのをもう少し具体的に拝聴したいというふうに思うんですが、よろしくお願いします。
堺屋参考人 アルゼンチンは、十九世紀には大変栄えたところでございまして、牛肉と小麦の輸出で世界有数の経済大国になりました。だから、イタリアやドイツからどんどん移民が来る。所得水準が高いから来て、そして、アルゼンチン・タンゴがはやってオペラがはやったというところでございました。ところが、第一次大戦でも、第二次大戦でも大した戦争はしなかった。それで改革がほとんどなされなかったんです。
 その中で、グラン・ブエノスアイレスという大ブエノスアイレス地区、これが三千六百平方キロぐらいなんですが、その中にどんどん集中が進みました。そして、市場としてもブエノスアイレスが圧倒的に有利だ、それから公共事業も進んでいる、いろいろな機能が進んでいるから、政府は波風立てないように、改革をしないものですから、何かつくるといったらやはり一番大勢いるブエノスアイレスだ、何かするとなったらブエノスアイレスだ、こういう格好になったんですね。
 その結果、地主階級がだんだん固定いたしまして、二世、三世の地主はみんなブエノスアイレスに住む。地方で事業をやっている、牧場とか農園をやっている人も、ブエノスアイレス以外に生活の条件を持っていない。おやじさんがブエノスアイレスに住んでいるからそのまた子供もブエノスアイレスにしか住まないということが繰り返されてまいりまして、日本でいえば、本社機能は全部ブエノスアイレス、そして、農場のパンパにいるのは代理人ばかりだということになりました。
 こうなると、対面情報、いつも社交界に集まっている人が顔を合わすものですから、ますます保守化いたしまして改革ができないという条件が積み重なった。この結果、不満の地方に対しては、やたらに福祉をばらまく、これがペロン内閣なんかに象徴される、お金をばらまくことで地方をなだめて、みんなブエノスアイレスへ集めるという仕掛けになった。
 これがアルゼンチン化の悲劇でございます。このために、今やアルゼンチンは非常に経済が窮乏し、立ち行かなくなってきている。こういうことに日本もなっちゃならないと思っております。
菅野委員 そのことが首都機能移転で達成されるという持論なんですけれども、先ほど、日本の東京一極集中は経済的には必要なんだと答弁でなされて、経済的な分野で。そういう意味では、経済的な流れの中で一極集中が起こるのは自然の流れだと私は思うんですけれども、そのことと、この首都機能を移転することで一極集中は阻止できるんだ、アルゼンチン的衰退は阻止できるんだという相関関係、そこがはっきりしないんですけれども、先生の御所見をお伺いしたいと思います。
堺屋参考人 私は、東京が経済的、文化的に発展することは非常にいいことであり、今後も必要なことだと申しましたが、一極集中であるべきではない。ここが非常に重要なことです。だから、東京も発展し、大阪も発展し、名古屋も発展し、全国がやはり情報発信のできるところにしなきゃいけない、こう申し上げておりまして、一極集中はやはり悪いことだと思います。
 東京しか文化がない、東京しか情報発信できないということになりますと、日本は非常に一色になります。日本の歴史を見ましても、平安時代の末期とか江戸時代の末期になりますと、江戸集中が起こるものですから、新しい文化が全く出てきません。そしてやはり、幕末とか戦国時代とか、改革のときは、幕末のときでも、江戸から起こったんじゃなしに地方から意見が出てきたんですね。こういう状態にしなきゃいけない。あれはやはり、江戸幕府の力が弱くなって一極集中じゃなくなった。
 東京が繁栄し、それ以上に地方も繁栄して、全国でかしましい文化が生まれる、そのために首都機能を移転して、東京集中している行政をやめるべきだ、こう申し上げたのでございます。
菅野委員 わかりました。
 それと同時に、私は、今、東京一極集中という反面、地方の空洞化という側面が生じてきたというふうに思うんですね。そのときに、なぜ地方の空洞化というのが進んできたのかというと、経済活動すべてを市場競争、もう競争社会にゆだねてしまった結果として地方の空洞化というのが進んできている。ある意味では、今進めている小泉構造改革という部分が浸透してきているから、ますます東京一極集中、地方の空洞化という方向に進んでいるというふうに思えるんですけれども、先生、そういう意味で、地方から文化を発展させる方法というのを今とらなきゃいけないというふうに思うんですけれども、そのことと首都機能移転というのはどう結びついていくのかということをお聞きしたいと思います。
堺屋参考人 現在、地方、地方といいましても、中山間地から地方都市までいろいろございますが、特にこの地方都市を含めた地方が衰退しているのには、東京に情報が一極集中している、その結果、テレビなどを見ておりますと、新しい文化は東京にしかないように見えます。地方にも新しい流行、新しい発想が出ておりますが、これが情報発信に乗らない。
 どうしても、東京のキー局へ来ますと、地方の上り記事などは書かなくていい、上り番組はつくらなくていい、これが一番問題なんです。だから、アメリカでもドイツでも、どこの国でもそうですが、番組自由販売制にすれば、各局が一生懸命つくって、そして、それを地方局同士で売り合いをする。九州の局が東北で売る、北海道の局は四国で売る。こうなりますと、地方局でも、今度はひとつというので、知恵も絞れば人材も出てまいります。
 だから、まず一極集中型の行政をやめてもらう。それには、やはりこの東京にいるということが、お役人も東京情報ばかりしか聞きませんから、やはりこれを是正するのが一番確実である。そして、人心、国民の心理としても、いよいよ首都機能が移ったかというと、我々もという感じが必ず起こってくると、日本人の気迫を期待している次第であります。
菅野委員 最後になりますけれども、私も一月からこの委員会で勉強させていただいております。そういう意味では、国民的盛り上がりがない中で、ないというふうに先ほども先生はおっしゃっていましたけれども、私も強くそう感じております。委員でなかったときにどれだけ自分自身が関心を持っていたかといったときに、反省する点はあるんですけれども、そういう状況の中で、今後、候補地も含めて移転をどのように進めていったらいいのかというのがこの委員会に課せられた大きな任務であるというふうに思ったときに、今後の進め方について、今まで先生が携わってきた関係から、どうあったらいいのか、御所見をお聞きしておきたいというふうに思います。
堺屋参考人 まず、この委員会で、首都機能の移転というものを現実的な問題とするような調査委員会をつくるとか、あるいは調査報告を出すとか、そういうことをやっていただきまして、従来の、大規模、高価、そして一斉という考え方と違う道をも考えている、国会がそういうのを出されますと、当然それに対して反対論も出ると思いますが、反対論が出てくれると、また賛成論も盛んになるのでございます。
 そういう意味で、この委員会が次の段階の新しい、もとに戻った首都機能移転論をぜひ報告、審議に上げていただければありがたいと思っております。そういたしますと、我々もまたいろいろ、マスコミその他にアプローチさせていただけると考えております。
菅野委員 ありがとうございました。以上で終わります。
中井委員長 次に、山口富男君。
山口(富)委員 日本共産党の山口富男です。
 今のお話の最後に、反対論が出てくれないかというお話があったんですけれども、私は首都機能移転については反対の立場です。
 それで、この問題を考えるときは、やはり首都機能移転にかかわる目的が何なのか、それから、移転によって生まれる、効果と言ってもいいと思いますけれども、一体何が起こってしまうのか、この両面からの吟味が本当に欠かせないというふうに思うんです。
 きょう、参考人のお話をお聞きいたしまして、堺屋参考人のお話では、移転問題の本質的な部分に、首都機能の移転というものが日本の歴史の場合は時代を変えてきた、あるいは、首都機能が移転しないと改革が進まないんだ、そういう歴史認識がどうもおありのようにお聞きいたしました。しかし、これはやはり歴史の実際の姿に照らして考えないとうまくないと思うんですね。
 考えてみますと、鎌倉時代の場合は、鎌倉と京都に都が並立している状態ですね。それから、安土桃山になりますと、一体どこを首都と言っていいのかはっきりしなかったような時期だったと思います。それから、江戸時代になりますと、江戸も大きかったですけれども、あのときは、日本の歴史の中で、大阪も京都も非常に大きな力を持ったいわば三つの都市の体制として時代は動いたと思うんです。ですから、幕末期の、江戸の幕藩体制の解体を首都機能の移転ということで説明するわけにはいかないなというのが私の歴史認識なんです。
 特に、東京時代というお話をなさいましたけれども、確かに、明治維新からこの方、ずっと首都は東京です。しかし、一九四五年を境にして、やはりその前と後は、政治の原理の点でも経済的な編成の点でも全く違うわけですね。その点では、首都機能の移転なしに大改革が進んだというのが日本の政治のいわば直近の経験だったというふうに思うんです。
 私、そのように考えますと、参考人がおっしゃるように、首都機能の移転なしに改革がないという話をしますと、一つの文明論、文明批評としては意味があると私は思うんですが、これを移転論の本質的なところの前提に据えてしまいますと、国民の皆さんの大方の納得を得るのはちょっと難しいように思うんですが、この点はどのように見られるでしょうか。
堺屋参考人 私は、さまざまな形態、例えば鎌倉時代のように、鎌倉と京都に両方ある、政治、行政からいうと鎌倉だったんでしょうけれども、そういうような形態、あるいは江戸時代の前半期、元禄までは確かに大阪、京都も大きな都市でありましたが、後半になると江戸一極集中がかなり進みます。そういうような事実認識の問題がございます。
 私は、首都機能のあり方が、形が変わった、少なくとも京都一極集中から鎌倉に政治、行政機能が移った、あるいは室町という京都の貴族社会にあったものが、安土という、いわば今でいうと田舎でございますが、そういうところへ移った、こういうことが大きな変革になって、その途端に変わっている。平安時代四百年ぐらいの間に、やはり一色なんですね、平安時代というのは。ところが、鎌倉移転から数十年の間に、文化から宗教まで大きく変わった。
 問題は明治維新と昭和でございますが、明治維新の場合も、やはり歴史を詳しく見てみますと、首都機能の移転がないとき、いろいろと幕府は改革を試みますけれども、ほとんど成功していません。そして、五年間に大きく変化した。
 また、昭和の場合、これはいろいろな人が論じておりますけれども、昭和の戦後の体制には、昭和十六年体制、あるいは一九四〇年体制というものが引き継がれている。これこそ官僚主導の一番重要なところで、占領軍が参りまして大きく変えました。けれども、どんどんとまたもとへ戻って、官僚主導の業界協調体制になって、これで日本は工業が発展した。もちろん、軍事、思想、そういう点は変わりましたけれども、経済、文化の点では非常に継続性があるんじゃないか、こう考えている次第であります。ここはいろいろと昭和史の意見が分かれるところかもしれませんが、私と同じ認識を持っている者も結構多いのではないかと思っております。
山口(富)委員 平安時代について言いますと、決して一色では見られない、おもしろい時期なんですね、日本史の歴史の中でも。それから、一九四〇年代体制論をおっしゃいましたが、確かに、考えてみますと、あれは研究者は野口さんというお名前だったように記憶していますが、一九四〇年代体制論は知価革命よりはやったかもしれません。
 しかし、そこで一番欠ける問題というのは、確かに官僚主導体制という点では特徴づけできますけれども、やはり今の憲法体制を説明できないんですね、主権在民の。この点は、私、首都機能移転論で歴史を見ていくということは、よほどのことがないと、いろいろな条件をつけてやはり考えるべきだというふうに思います。
 さて、この移転計画が法的裏づけを持ったのは一九九二年のことでした。その九二年以降とりますと、とにかく日本社会の変貌ぶりというのは大きいんですね。特に移転とのかかわりでいいますと、やはり国と地方の財政破綻、これは計画の是非を問い返すような重い意味を持つと思うんです。それから、経済のグローバル化の問題でも、やはり政治と企業の活動というものが密接な連携関係を持たないと力を発揮できないような時期になってきているというような、そういう変化だったと思うんです。
 きょうの参考人のお話ですと、この二枚目の冒頭に、九〇年以降の日本の経済的停滞と社会的混迷の重要な要因が東京一極集中にあるというふうにお述べになっているんですけれども、私は、少なくとも財政破綻については東京一極集中では説明つかない。これは参考人御自身がこの時期国政に直接携わっていらっしゃいましたからいろいろな思いもあると思うんですけれども、この点はどういうふうに見ていらっしゃいますか。
堺屋参考人 私は、九〇年以降、日本の財政破綻を起こしたのはまさに東京一極集中そのものだと考えております。東京一極に集中して、地方の自活能力をどんどんなくして、情報発信能力も文化創造活動も全部なくして、そのかわりに補助金をやると。そして、そのために全部規格を東京で定める。例えば、学校の天井の高さでも三メーターに決める。これは東京で決めるんです。これは、本来なら各地方で、うちは教室が二・四メーター、体育館は四メーターにするというところがあってもいい。道路にしても全部、国道であれば二車線対向にする。ことごとく東京の高い単価を押しつけ、そのかわり補助金やるよ、これをやっているんですね。これはどうしても改革しなきゃならない。
 私たちは財政構造改革というものを言いました。構造改革の第一は、ソフトのものを繰り越しができるように、公共事業だけじゃなしに、調査研究とか自然保護とか雇用対策も繰り越しできるようにすること。二番目には、単価の自由化、これを地方の自主に任せる。そのためには官僚にひとつ引いていただいて、そういうコンサルタント会社ができてもいいじゃないか、そういう思いがございました。そして三つ目には、各省配分を変える。この三つの構造改革をやらなきゃいけない。小泉内閣は、構造改革でも総量規制の方を先におやりになったんですが。
 そういうような形から見ると、やはり首都機能に集中して全部呼びつけで、世界じゅうで、呼びつけ行政といって、東京へ全部陳情させて、もう北海道から沖縄県まで全部説明に来さすというのは日本だけであります。この制度をやはりやめてもらわないと。
 そして、私も官僚をしていた経験がありますが、そういたしますと、ずっとやはり同じように、同じ基準でやらないと怪しげに思うんですね。だから、それは中央官僚の方の責任感の過剰でございまして、これは、地方を信頼して、能力がなかったらコンサルタントを雇ってやるよという形にした方がずっといいと思うんですね。そうしますと、今の単価がどんと下がって、一兆円財政収入があるだけじゃなしに、本当の財政改革、これ以外にできないと思います。今、これに対抗する対案で、これで財政改革ができるというのは何にもないんです。ぜひ御理解いただきたいと思います。
山口(富)委員 時間が参りましたが、行政の集中の問題ですとか補助金行政ですとか、一連のものは確かに改革が必要だと思います。しかし、それは決して、首都機能の移転によって改革がそれで進むかといったら、この間の問題でも、構造改革でいろいろな問題、うまくいっていないわけですよね。そのこと一つとってみても、やはり慎重な吟味が必要だということを申し上げて、時間が参りましたので、質問を終わります。
 ありがとうございました。
中井委員長 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。
 参考人に一言お礼を申し上げます。
 堺屋参考人におかれましては、貴重な御意見を長時間にわたってお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表して厚くお礼申し上げます。
 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。
    午後三時五分散会


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