衆議院

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第2号 平成13年2月28日(水曜日)

会議録本文へ
平成十三年二月二十八日(水曜日)

    午前九時開議

 出席委員

   委員長 野呂田芳成君

   理事 北村 直人君 理事 久間 章生君

   理事 小林 興起君 理事 自見庄三郎君

   理事 細田 博之君 理事 池田 元久君

   理事 佐藤 観樹君 理事 原口 一博君

   理事 谷口 隆義君

      池田 行彦君    奥野 誠亮君

      亀井 善之君    栗原 博久君

      田中眞紀子君    高鳥  修君

      谷川 和穗君    谷田 武彦君

      津島 雄二君    中山 正暉君

      丹羽 雄哉君    葉梨 信行君

      萩野 浩基君    林 省之介君

      福井  照君    牧野 隆守君

      三塚  博君    宮本 一三君

      五十嵐文彦君    岩國 哲人君

      生方 幸夫君    海江田万里君

      金子善次郎君    城島 正光君

      仙谷 由人君    中田  宏君

      平岡 秀夫君    松野 頼久君

      白保 台一君    若松 謙維君

      鈴木 淑夫君    中井  洽君

      佐々木憲昭君    山口 富男君

      辻元 清美君    横光 克彦君

      井上 喜一君    森田 健作君

    …………………………………

   公述人

   (慶應義塾大学経済学部教

   授)           島田 晴雄君

   公述人

   (慶應義塾大学経済学部教

   授)           金子  勝君

   公述人

   ((財)日本証券経済研究

   所主任研究員)      紺谷 典子君

   公述人

   (東洋大学経済学部教授・

   国際経済学科長)     中北  徹君

   内閣府副大臣       仲村 正治君

   環境副大臣        沓掛 哲男君

   法務大臣政務官      大野つや子君

   財務大臣政務官      大野 松茂君

   農林水産大臣政務官    金田 英行君

   環境大臣政務官      熊谷 市雄君

   予算委員会専門員     大西  勉君

    ―――――――――――――

本日の公聴会で意見を聞いた案件

 平成十三年度一般会計予算

 平成十三年度特別会計予算

 平成十三年度政府関係機関予算




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     ――――◇―――――

野呂田委員長 これより会議を開きます。

 平成十三年度一般会計予算、平成十三年度特別会計予算、平成十三年度政府関係機関予算、以上三案について公聴会を開きます。

 この際、公述人の皆様方に一言ごあいさつを申し上げます。

 本日は、御多用中のところを予算委員会に御出席を賜りまして、まことにありがとうございました。平成十三年度の総予算につきまして皆様の御意見を伺い、予算審議の参考にしたいと思いますので、どうぞ忌憚のない御意見をお述べくださるようお願い申し上げます。

 御意見を承る順序といたしましては、まず島田公述人、次に金子公述人、次に紺谷公述人、次に中北公述人の順序で、お一人二十分程度ずつ一通り御意見をお述べいただきまして、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。

 それでは、島田公述人にお願いいたします。

島田公述人 島田でございます。

 平成十三年度総予算について、若干の考え方についてのコメントを申し上げたいと思います。

 私は、きょうは、財政再建について第三の道があるのではないかということを申し上げたいと思います。つまり、生活者のウオンツにこたえる新生活産業を活性化することによって増税なき財政再建を可能にする道があり得るのではないかということを申し上げたいと思います。

 昨日の御議論でも、景気刺激なのか痛みを甘受した構造改革なのかという議論がございましたけれども、第三の道ということで、つまり新生活産業を創出、活性化することによって民間の消費を増加させ、産業活動を拡大し、それが雇用創出となり、所得増加となり、ひいては税収の増加になる。また、産業活動が活発になりますと、生産、売り上げが伸びることによって企業所得が増加して、これも税収増加になりますから、そういう好循環をつくり出すということに努力をすべきではないかということを強調申し上げたいと思います。

 今日、日本経済が非常に低迷をしておる最大の原因は消費の低迷でございますが、消費の低迷は所得が低迷しているということだという議論がございます。それは間違いではありませんけれども、実は昨年は所得がやや増加したにもかかわらず消費が伸びないということがございまして、これは、生活者が安心して消費ができる環境条件というものが欠如しているということだと思うんですね。とりわけ、高齢社会の中で高齢者が安心して消費をできる環境条件が欠如しているということが大きいと思います。

 消費が低迷する傍ら貯蓄は非常に累積をしておりまして、過去数年間、年間大体三十兆円ぐらい貯蓄が累積をしておるわけでございます。そしてまた、高齢者の方々は、貯蓄をしながら意図せざる遺産相続というのが年間の生活費の約二十五倍ないし二十六倍というのが平均値でございまして、これは大変不幸な状況、つまり多くの人々が安心して消費のできる社会になっていないということをあらわしていると思うのです。

 この生活者の不安というのは一体どこにあるのかということについては、増税が見込まれる、財政赤字が累積しておる、それから社会保障の不安があるということがよく言われますが、それはもちろん抽象的にはそうなんでしょうけれども、人々の生活不安はもっと切実で具体的なところにあるわけですね。つまり、住宅の重荷とか高齢化のもっと具体的な不安とか、それから、仕事を持った場合に家庭生活と両立がしにくいとか、そういったところに非常に具体的な、切実な不安がございます。

 今日は、私は、そういう問題について少し具体的に立ち入って、この日本の経済社会の設計のあり方についてコメントを申し上げたいというふうに思います。

 まず、住宅の重荷についてでございますけれども、住宅は極めて数が多いのですね。日本には五千二十五万戸の住宅がございます。世帯数は四千四百二十万世帯なのでございますが、住宅の数が大変多い。ところが、この高齢化社会で非常に新しい問題が起きてきておりますのは、人生八十年で、これまでとは全く違った問題があります。

 これまでは、家を一回建てると六十代でお亡くなりになるというのが一昔前の話でございましたけれども、これから八十年ということになりますと、恐らく、高齢段階に入って人生三回家の買いかえが必要な状況になると思うんですね。つまり、子供が家を離れてしまう、配偶者が不幸ながらお亡くなりになることがある、あるいは御自身が病気になる、あるいはぼけるということで、家を買いかえていかなければいけないという問題はかつてはなかった問題ですね。

 しかし、日本の住宅市場の非常に大きな問題は、家を買いかえると資産を失ってしまう、こういう市場でございますね。よくあるのは、三千万の家を売ろうとすると、上物は評価できませんと言われるのですね。千万円の土地だけというんですが、千万円も、この御時世ですから数百万円です。その数百万円が手に戻ってくるかというと、実は戻ってこなくて、二、三百万低く戻ってくる。なぜかというと、解体費用に取られました、こういうことが生活者、庶民の現状でございます。したがって、なけなしの資産を使うと次の生活がない、こういうのが日本の状況ですね。つまり、中古の住宅市場が極めて未整備もしくは欠如している、こういうことでございます。

 アメリカと比較をいたしますと、六十五歳以上の住みかえ率というのは日本はアメリカの四分の一ということでございます。したがって、生活者は住宅、不動産にくぎづけされる。不動産という言葉は、要するに動かすことのできない、くぎづけされる財産という意味なんだろうと思いますが、リアルエステートは実質の財産ですけれども、そういう生活を強いられるために、高齢者は世界最大の貯蓄を持ちながら使うことができない、こういう事態でございます。この中古住宅の回転率は、日本はアメリカの十分の一ということでございます。

 したがって、高度成長時代には意味を持った持ち家政策が、この成熟化時代では意味を持たなくなっているということだろうと思うんですね。つまり、政府も持ち家は大変支援いたしましたけれども、一般の生活者は一生に一回しか家を持てないと思うものですから、自分の好みの十分入った家をつくる。そういうものは一切市場価値がないものですから安くなってしまう。また、不動産を建設する方は、売ったら、もう二度とお客の顔を見たくない、そういうような建設の仕方が多いわけでございます。また、税も、家を持つことには支援がありますけれども、買いかえ、売りかえには支援がない。相続には有利ですけれども、家を流通させるということについては極めて不利な税制でございます。

 そういったことを考えますと、ここに非常に大きな生活者のウオンツにこたえる産業があり得るのですね。

 日本の家は、マンションは今三、四十年しかもちません、材質が非常に劣質でございますから。これは木造の家の方が百年や二百年はもつのですね、本来を言うと。しかし、新しい工法ができておりまして、百年住宅というのが今建設業界で一生懸命研究が行われておりますが、所有権法は整備されておりません。つまり、百年住宅というのは、スケルトンを百年もたせて中のインフィルというのを安くどんどんかえていく、こういうことなんですが、インフィルが不動産の対象にならないものですから融資を受けられないということがございます。

 それから、日本では消費者がみんなリスクを背負わされるリコースローンというものばかりでございますので、大変なことになるわけですね。レンダーズライアビリティーがほとんど問われないということでございます。住宅のライフサイクルマネジメントがない。

 つまり、今申し上げたようなことを世の中を変えていく形で工夫をいたしますと、実は人々が年をとっていってお亡くなりになるまで、自分の体の状態あるいは家族の状態に合わせて何度も家を買いかえる。つまり、サラリーマンの方でも商店主の方でも、三千万円ぐらいの純貯蓄を一回手にしたら、もう人生の成功者だ、あとは何も心配することがない、家がどんどんリサイクルをされる、資産のリサイクルが起きる、そういう社会を構築なさいますと、世界最大の貯蓄の氷山は解けてまいりまして、消費の水準が上がって、そこに目がけて投資が起きるという好循環が起きるのですね。そうすると税収が上がってまいりまして、増税なき財政再建というのも可能になる一つの突破口が出てくるというふうに思います。先生方におかれましては、そういう視野のもとで税制の改革とかいろいろなことを御支援いただける余地が大きいのではないか、こういうふうに思います。

 次に、高齢化不安ということで申し上げたいと思いますが、政府は大変一生懸命やっておりまして、公的福祉施設に大変注力をなさっておられます。特養施設は四千四百カ所ございます。老健施設は二千五百八十カ所、療養型病床群三千八百カ所というのがありまして、比較的所得の低い、恵まれない方については、政府はかなりの努力をしております。大変な補助金が入っておりますが、ケアハウスは約千カ所ございます。

 しかしながら、他方、頑張って貯蓄を蓄積した方がどういうところで老後を安心して過ごせるかというと、民間老人ホームが全国に三百五十カ所、企業が経営しているのは二百二十カ所ございますけれども、これは、入居金が一番多い価格帯で二千万円から五千万円、月々二十万円から三十万円取られるということで、普通の中産階級の方は入れないですね。しかも、半分ぐらいががらがらでございます。経営は実は赤字なんですね。

 したがって、多くの方はどこへ行かざるを得ないのかというと介護保険に期待せざるを得ませんが、介護保険の在宅介護に参入している企業は赤字でございます。これは、もともと御老人の面倒を見に行くのに交通時間のかかる非効率な制度ですからしようがないんですけれども、御家庭で苦しんでおられる老親を抱えた御家族がどのぐらいの苦労になっているかというと、大変なことなんですね。実はここに、たくさんの貯蓄を持ちながら非常に将来が不安で予測の立たない生活をなさっている多くの方々がございます。

 既に、寝たきり老人と言われる方あるいは要介護者、これは現在二百八十万人。あと十年もすると四百万人になろうと言われておりますが、国が頑張ってケアしている施設の定員というのは五十万人強でございますから、中産階級の方はどこへ行けばいいのかということなんですね。

 したがって、この人たちが自力で蓄積した貯蓄が使えて、安心して人生を全うできる仕組みというのを構築しなければなりませんが、このために大変重要なことは、すべてこれを政府でやるわけにはいかないので、公設民営ということで、効率的に民営団体に経営をさせる。

 この民営団体に経営させるということについては、ケアハウスを経営させても、憲法八十九条という問題がありますけれども問題はないことになっておりますが、通達で今はやはりだめだと。つまり、民営というのは、公的なものと違って、ずっとやるかどうかわからない、それから資産についてもしっかりしているかどうかわからないのでということで、通達で禁止しておりますけれども、ぜひこのあたりは先生方にお考えいただいて、国の努力と民間の努力が共存してやっていける、千数百万人の後期高齢者の方々がそれを待っているわけですから、そういう産業を起こしていただきたい、支援していただきたい、こういうふうに思います。

 さて、三番目の切実な問題としては、子育てと仕事の関係がございます。

 日本の社会は子育てと仕事を両立させることが極めて難しい、特に大都市ではこれが難しい状況でございます。したがって、勤めておって子供が生まれると仕事をやめる、あるいは仕事を続けたいから子供はつくらないという選択をする若い夫婦が多いので、子供が生まれてきません。そして、子育ての困難というのはどこにあるかというと、家族が孤立をしているということなんですね。

 今、日本には四千四百万世帯があると申し上げましたけれども、実は、そのうち千万世帯はひとり暮らしでございます。そのうちの三分の一がお年寄りです。あと二十年いたしますと、今ひとり暮らしの比率は二二%ですけれども、三〇%がひとり暮らしになって、そのうちの三分の二がお年寄りという大変な世の中になります。したがって、子供を育てるときにおばあちゃんが隣にいるということはもうあり得ないんですね。

 それでは保育所があるではないかと。保育所は、日本は恐らく世界で最もよく整っていると思いますが、全国に二万三千カ所ございまして、膨大な予算がつぎ込まれております。国の予算が四千六百億円、地方の予算は国基準ではなくて単独事業もおやりになっていますので、合わせるとこれは一兆五千億円ぐらいかかっているんだという推計もございますが、そういう予算をつけながら、実は待機児童が多いんですね。待機児童が三万三千人だと言われておりますが、これは、施設をつくればつくった分だけ待機児童がふえてくるというのが現状でございまして、今百七十万人の方が施設に入っておりますけれども、実は、これは数百万人の待機児童があり得るのではないかというふうに思います。

 ということで、これは、現状の保育所のもっと多様なサービスの提供、フレキシブルな使い方、つまり、保育時間の延長とか、四月入園ということになっておりますけれども、子供は四月に生まれるようにつくられてきているわけないですから、もっといろいろなときに入れるようにするとか、あるいは医療手当ということがございます。あるいは、失業者は今入れないですね。仕事をしていないと入れないということになります。それから、子供をお願いしておいて、次の子供が生まれて育児休業に入るともう入れない。

 こういうことがございまして、日本の保育に関する仕組みというのは、余りに硬直的で、ほとんど奴隷制度に近いのではないかというふうに思います。この辺を大いにフレキシブルにするということは現状でもできることで、お願いしたいと思います。

 もう一つ、企業に子供を育てるということをもっと尊重するという考え方を大いにお願いしたいと思うんです。育児休暇の問題、病児休暇の問題、短時間勤務、あるいはITがこれほどはやっているんですから、ITでもって在宅就業ができる、それを給料にちゃんと換算するというようなことがあれば話は違ってくると思いますけれども、それでも総量からいって非常にこれは足りないんですね。四百万人近い女性の方々が、もしもっと自由に仕事が続けられるなら仕事をしたいと思いながら、実は子育ての問題とかあるいは配偶者控除の制約の問題とかでうちへ引っ込んでいる、あるいは短時間就業に甘んじているという方が多いわけでございまして、大変な宝のロスだというふうに思います。

 そこで、これを全部政府がやるわけにいかないんですから、できるだけ民間の力を活用して、支払い能力を持った方々が何百万人もいらっしゃるわけですから、この方々がウオンツを実現する産業が成立するように、先生方におかれましては御支援をお願いしたいと思います。

 「公設民営のすすめ」と書きましたけれども、実は、PFI法というのがございますね。あそこの中で、社会福祉法人でない民間業者でもやっていいですよということを昨年実現したものですから若干の例がございますけれども、もっともっとこれは使いやすい形にしてもいいのではないかというふうに思います。このことによって、子育てをしながら仕事をするという御本人の自己実現、それからこの方々の人的能力の活用、そのことがそのまま日本の経済の活性化、雇用創出ということにつながるのだと思いますね。

 今、高齢者の問題と子育ての問題で公設民営ということを申し上げましたけれども、先生方にぜひひとつお願いしたいのは、日本では、民営するとなると情報が必ずしも監督官庁に入らないという事態があるんですね。私は、NPO法のもとのもとを書くお手伝いをしたんですが、結局、NPOの情報というのは経済企画庁に余り入っていない。各都道府県の中で情報を一応とっておられるんでしょうけれども、日本というのは妙で、入り口を制限する、入れたらもう全然情報をとらぬ、こういう国ですから、ここのところをぜひ変えないと実は民営化というのは進まないんですね。

 民営化を進めるためには、官の方にも情報公開は必要ですけれども、むしろ民の情報公開というのを徹底的におやりいただいて、参入は自由、活動は自由だけれども、全部情報は提供させてチェックをしているという状況であると安心して民営化を進めることができる、こういうふうに思います。

 そこで、もう一度大局に戻りまして、第三の道を追求していただきたいということを申し上げたいわけですけれども、人々のウオンツにこたえる新生活産業を創出、拡大することによって、支払い能力のある人々に安心して貯蓄を使っていただく。所得を使っていただきながら豊かな生活を実現する中で、産業の生産量、企業所得をふやして、それで納税をしてもらう。それから、雇用が生まれると所得が生まれますから、そこから納税していただくということで、人々を幸せにしながら財政再建を達成する、こういう道があるはずなんでございますね。

 今私は、住宅と高齢者ケアと子育てという分野についてのみ申し上げましたけれども、交通、つまり、高齢社会で車の運転を実はしにくい。現状のタクシー産業というのは、実は余り高齢社会の生活者のウオンツには合っていないんですね。ですから、抜本的な改造、つまり、私は、年金で雇える自家用運転手の産業なんていうのがあっていいんじゃないかと思います。

 これは、道路交通法の解釈をちょっと変えて、精密に精査をして、そういうことをやっても実は白タクにならない、そして政府はきちっと情報を集めて管理をしているという状況の中でノンアクションレターを書いていただくということになると、新産業はどっと出てきて、現状のタクシー産業も高齢社会に合わせた形で体質改革をなさっていただけると思います。そうすると、これは大きな産業になる可能性があります。

 もっと大きな産業は、人々の健康に対する関心なんですね。日本は紅茶キノコは物すごく売れますけれども、正しい健康情報がどこにあるかというのは、実はよくわからないんですね。

 イギリスでは、ナショナル・ヘルス・サービスという機関が、官民の実証研究を踏まえて、あなたの健康状態はこうすればいいですよ、こういうことをやればいいですよという情報を提供するわけです。それをトリアージと言うようですけれども、日本でも、なるべく早くそういうものをおつくりいただきまして、そして、正しい知識でもって健康を増進するために、トレーニングをしたり意味のあるものを食べたり、そして適切な医療を受けたりという、これは大産業体系になるはずなんですね。そういったものをやっていただきたい。

 こういうことを進めるためにも、実は規制改革と新しい法制の整備が必要でございます。

 例えば、先ほどの住宅でいうと、所有権法を整備しなくちゃなりません。それから、税制で、家の売り買いを支えるような税制が必要でございます。それから、公設民営、先ほどPFI法と言いましたけれども、もうちょっときちっとした公設民営の法基盤が必要と思います。そして、規制については情報開示、これはもう何より重要でございまして、民間であってもむしろ公よりも詳しい情報を開示しながら、官民ともに情報開示して進めることが必要だと思います。

 こういうことで第三の道が追求できると思いますので、先生方におかれましては、よろしくひとつ御理解いただいてお力をいただければ、こんなふうに思います。

 ありがとうございました。(拍手)

野呂田委員長 ありがとうございました。

 次に、金子公述人にお願いいたします。

金子公述人 慶応大学の金子でございます。よろしくお願いします。

 お配りしているのは、簡単な表とチャートだけでございますので、わかりやすく御説明したいと思います。

 第一点目は、公債残高の急激な膨張とリスクについて、どういうリスクであるかということについてしっかりと認識する必要があるというのが私の意見でございます。

 左側の表でありますけれども、これはOECDレベルの統計ですのでやや過小に評価されております。(2)を見ていただければわかりますように、日本の国債残高は世界で群を抜いて突出してふえております。六百六十六兆円にならんとしておりますし、国債だけでも十二年度末で三百六十五兆円の残高があるわけでございますが、今年度の予算は、ある意味で、公的資金投入の枠組みが変更されたこと等で予算規模そのものはそれほど伸びてはおりませんが、一般歳出レベルでは依然として増加の傾向をたどっております。

 問題は、何が本当のリスクなのかということについて、最近のメディアを含めて、意見の混乱があるように私には見受けられます。将来世代にツケが回るというような言い方が通常なされますが、私は必ずしもこういう言い方は正確でないだろうと思います。対GDP比で国債残高が減っていけば、それはそれなりに問題ではありませんし、成長率が一定確保できて金利を絶えず上回っていれば、借りかえ、借りかえを続けていく限りにおいて、将来世代に一気に負担が押し寄せるということはないからであります。

 実は、問題は、ストックとしての国債残高の規模が余りに大き過ぎるということであります。わかりやすく申し上げれば、例えば住宅ローンを借りるときに、身の丈を上回るような借金の残高があれば銀行が貸してくれなくなるという事態に我々は直面するわけです。

 このことを裏返して申し上げますと、一番大きいのは、はっきりと時期を申し上げることはできませんが、絶えず長期金利が上昇してしまうという圧力が加わることであります。典型的な例は、一九九八年の十二月に日銀が一たん国債の買い切りオペを中止いたします。その途端に実は金利が二・五%に上昇いたします。オペの再開をした瞬間に一・二三%に落ちるという事態がございました。

 これは、財政政策が余りに放漫なために金融政策にゆがみを与え始めていることを示しております。実は、日銀の手持ちの国債は、一九九二年の九月に底をつきまして、大体十九兆円弱にまで落ちたわけですが、二〇〇〇年の三月末で七十四兆円に膨らんでおります。今、国債は市中で消化されているといっても、銀行が非常に、貸出先がないままに、あるいは他方では貸し渋りをしているという見方もありますが、国債を持っていることと、公的部門がこれを吸収することによって金利を人為的に抑えて、その金利が低いことをよいことに国債費をさらに出していくというやり方であります。

 問題は、これがサステイナビリティーがあるかどうかということにかかっております。クラウディングアウトという有名な議論があります。いわゆる景気がよくなると民間の資金需要とバッティングして金利が上昇するというケースでありますが、こうしたケースは必ずしも歴史的には観察できません。むしろ観察できる事態は、不況でありながら国債の信用が落ちて長期金利が上昇するという最悪のケースであります。日本にとっての最大のリスクが実はそこにあるというふうに私は考えております。

 実は、不況でありながら国債の信用が落ちて長期金利が上昇するという局面になりますと、後戻りができない状態になってまいります。デットトラップという言い方をしますが、負債のわなというふうに私たちは呼びますが、つまり、金利が上昇している中で景気が悪い、税収が上がらない、さらに国債を発行しなければいけない。そうすると、次々と借りかえの需要がまた押し寄せてまいります。その時点で、累積した国債をまた新規の国債で借りかえていかなければいけない。ところが、金利は上昇してしまっている、国債の価格は下落してしまっているという局面に当たりますと、急激な引き締めをしない限り国債の信用を取り戻すことができないという局面に当たります。

 多くの発展途上国や、あるいは中進国、中進国というのは中ほどに進むという意味ですが、そういう新興工業国の幾つかがそうした局面に突き当たります。最悪の事態では、中央銀行がそれを買い支えなければいけないという事態になります。こういう事態になった場合には、我々はなかなか引き返すことができないような事態に入るということであります。

 肝に銘じておかなければいけないのは、不良債権問題を含めて、ある時期、不良債権問題の処理は終わったんだという言い方が、九四、五年からずっと続けられてきたわけでございますが、今日の事態を見ても明らかなように、実は事態は一向に改善していなかったということであります。

 つまり、将来のリスクを甘く見ると、まさにツケが先にやってくるということ、これが最大の問題であるというふうに私は考えているわけです。短期で、手術を怠って麻酔薬やカンフル剤だけを投入していると後で非常に大きなしっぺ返しを食うというのが歴史の教訓であるというふうに私は考えております。

 そういうふうに考えると、日本全体で将来急激な右肩上がりの成長が予測できないという事態に立ち至りますと、あるいは現状の景気対策がなかなかきかないということが続くということになりますと、こうした将来へ向かってのリスクをためていくということになるわけでございます。私は、そういう意味を込めて、現状の予算の立て方に対してはやや疑問を持っております。

 第二番目は、実はその中で問題は、景気対策としての公共事業政策が十分に効果を発揮していないということでございます。

 この点については、実は衆目の一致するところとして、不良債権問題の解決がおくれていることが挙げられます。残念ながら、公共事業政策をすると一番最初に直接的にお金が落ちるところは建設業者や不動産業者ということになりますが、実はそこが最も不良債権が累積しているセクターであるということで、そこに、いわば借金返済のループホールに公的な、いわゆる国民の税が投入されてしまっている。間接的に実は不動産業や建設業の救済だけに終わってしまっているということが現状の大きな問題になっているわけです。

 本来ならば、景気が悪いときに公共事業政策を遂行すること自体に私は反対でございませんが、今の状況では、病気の根っこが未解決のまま景気対策を打ってもきかない構造になっている。そういうミクロの構造をしっかりと改善しない限り景気対策としての効果が上がらないということでございます。

 では急激な財政再建をすればよいかというと、実は今のデフレ状況の中ではなかなかそうした政策を実行することができません。残念ながら、アメリカのITバブルがはじけて以降、経済の減速は予測を超えるスピードで進んでおります。アジア諸国も、実はこのアメリカのITバブル、とりわけて一九九九年のナスダックの株価の急騰に乗っかりながらアメリカに輸出をし、アジア諸国もIT化を進めながらやってまいりましたので、アメリカの経済減速はアジアを通じても日本にはね返ってくるという関係をつくり出しております。

 そういう意味では、今の時点で急激な引き締め政策をしてもかえってマイナスが起きるというような事態に立たされております。我々に残された選択肢は、ある意味で極めて小さな針の穴を通すような政策以外にはあり得ないような状況に残念ながら立ち至っているというのが私の認識でございます。

 もちろん、ITバブルがはじけたからといって、IT化というのは長期の流れとして必要でございます。しかし、これを短期の景気政策としてやることは間違いでございます。隣の韓国を見れば明らかなように、急激なIT化の設備投資にあわせて公的な投資をやった結果、今日、二〇〇〇年以降、株価の下落とともに急激な経済の収縮を経験しております。我々は、長い意味で、長期の社会インフラを整備する政策としてITに関する施設を整えていくという考え方を基本にするべきであるというふうに考えます。

 最後に、第三点目として、ではどういう政策をすればいいかということに関して私の意見を述べさせていただきたいと思います。

 私は、債務管理型国家の構想という考え方を提示しております。つづめて簡単に申し上げれば、これ以上財政赤字をふやさないけれども減らしもしないという考え方でございます。今までのプライマリーバランス論と違って、財政赤字の累積、つまり国と地方の借入金全体を、アッパーリミットを決めて、そこに至ったところでそれ以上債務がふえないようにしていく、一種の債務管理と似たような政策をとりたいというふうに考えております。

 どういうふうにやるかと申しますと、民間会社で申し上げれば債務管理会社をつくるのと同じように、ある債務、負債の会計を、箱をつくります。国債をいわゆる負債の側に乗せ、財務大臣が持っておりますJRだとかNTTだとか、そういう国の金融資産を一方で持ちます。

 これは、ある一定期間を設けていついつまでにこれだけ返すという政策ではありません。そうすると、実は、市場は織り込み済みで、国債を買いたたいたり、あるいは株を買いたたいたりするということになって、金融に対して非中立的な影響を与えることになります。ある意味で、金利が低いときに国債を借りかえ、そして、株価が高いときに金融資産を売っていくという形で、長期で国の借金、債務残高を返済していくというような政策の考え方でございます。

 こういう考え方をとりましても、残念ながら、金利が非常に高くなったり株価が低迷したりする時期があります。こういう事態に立ち至ったときは、短期国債で回したり、あるいは国債整理基金を一時的に取り崩したり、あるいは税を投入したりというような形で対応する。万やむを得ざる場合、つまり、デットトラップに陥りそうな場合には、一回限りの資産課税を、純資産税、財産税を課するというようなやり方で、長期でこの債務とつき合っていかざるを得ないような状況にあるというふうに私は考えております。

 しかし、債務管理をして国の債務残高あるいはそれがこれ以上ふえないというところに設定しても、もとの財政の構造が同じであれば、また再び同じことを繰り返すことになります。今ある政府の体系を大胆に変えない限り、現状を打破することはできないだろうと思います。残念ながら、今の政府体系は、歴史の状況、今の状況に合っておりません。私は、大胆な分権化政策をするべきであるというふうに考えます。

 二ページ目のチャートでいえば、(9)のところに大きな概念図がかかれております。地方政府、日本ではローカルガバメントという言い方はなかなかしっくりきませんが、権限を移すだけではなく、税源を大胆にここに移していく必要があります。

 我々は、所得税の基礎税率を住民税に移すべきであるという考え方をしております。もちろん、そのほかにも、地方消費税を地方になるたけ配分するようにするというような考え方もありますし、交付税として配分されている中の地方税分を税源化するというような考え方ももちろんとることができます。

 一ページ目の右上、(3)の表を見ていただいてもわかるように、地方の借金も実は急激な伸びをしております。地方交付税対策は、今まで交付税特別会計が借入金をする形になってきております。昨年は非常にゆがんだ形で、民間からも調達するという事態になりました。今年は、国の負担分が特例加算になったり、地方負担分が特例地方債によって賄われるように、財政の赤字を隠さないで表面化するという意味では私は一定の改善だと思いますが、それでもなおこの借入金の残高の増大ということの現実を踏まえていないというふうに考えます。

 なぜそう考えるかといえば、御存じのように、地方自治体は既に単独事業を遂行することができなくなってきております。

 歴史の教訓では、一九三〇年代の後半、国の膨大な景気対策が行われて、高橋是清が急激な財政赤字を出しながら財政拡大をしたのですが、残念ながら景気はなかなか盛り上がらない中で、地方がなかなか単独事業でついていけなくなる。あるいは、アメリカでも、アメリカのニューディールは一定の期間もちましたが、州の政府が赤字になってついていけなくなって、結果として実は景気拡大を相殺するという局面に達しました。それが大きな問題として表面化しなかったのは、実は戦争という事態に立ち至ったためにそれが表面化しないまま行ったわけです。残念ながらというか幸運というべきか、我々は、いま一度戦争をしてこういう事態を一気に解消するというような考え方をとることができません。だとすれば、歴史上初めての経験に突入することになっていくわけです。

 そう考えますと、実は、地方の財政赤字をますます累積させながら国で幾ら景気対策をやっても、そこで相殺されていく中で効果が失われていくということになります。ここは大胆に仕組みを変えて、地方で小さな公共事業をできるような体制にしていく必要があります。私は、今現状で建設業が市場の規模に比して多いということを認めますが、ただこれをつぶせばいいということでは事は済まないだろうと思います。雇用の問題もありますし、地域経済の問題もございますので、ソフトランディングをする、そういう考え方が必要だろう。

 そうすると、地方に税源を与え、地方が独自に小さな事業をしていく、土地の購入がないままに既存の施設を改修したりして、住民のニーズに合わせた公共事業に変えていくということが現実的な提案だろうと思います。

 もう一つ地方が行うべき任務は、介護保険の現状の行き詰まりに対して、地方税を充実して、介護システムをより一層強化することであります。

 残念ながら、今の日本の消費の状況は、多くは将来不安によるものと思われます。さまざまな世論調査においても、社会保障や雇用に対する不安が非常に高まっております。ここでまず老後の安心を与えることが、しかも自分たちの身の回りの領域でそうしたものが目に見える形であらわれる必要があるというのが私の考え方でございます。

 もう一つ重要なのは、社会保障制度の改革でございます。いろいろな考え方がございますが、私は、拠出税方式と呼ばれる方式を提案しております。

 拠出税方式とは何か。所得に比例する税の形でございます。これは移行が非常に容易であります。保険料をそのまま税に変えていくということでございます。とっぴな提案のように聞こえますが、福祉の先進国であるスウェーデンも、実はアメリカも、この社会保障税方式をとっているわけでございます。その意味では、実は最も国際会計基準に合っている提案でございます、私は国際会計基準に対して批判的意見を持っておりますが。

 そういうふうにしながら年金を一元化し、なおかつ、所得スライド方式あるいは経済成長スライド方式と呼んでいますが、いわゆる現役世代の所得に応じて年金を絶えず動かしていく、スライドしてリンクさせていくという考え方をとります。

 若い人たちにとって、今の将来不安は非常に重たいものがあります。年金を一元化すれば、雇用流動化に対しても一定の対応力を持つことになります。どのような会社に移っても、あるいはサラリーマンから自営業になっても年金を通算することができるわけです。四〇一kは、残念ながら、アメリカではナスダックの暴落とともに必ずしもうまくいっておりません。むしろ、公的年金を一元化していくことこそが真の年金改革であるというふうに私は考えているわけでございます。

 もう時間もございません。私は最後に、今まで私たちの常識を縛ってきた、市場か政府かという二項対立、二分法を拒否いたします。政府が要らなくなるのでもなければ、市場だけでできるのでもありません。歴史的な転換期にふさわしいような政府の体系、政府の役割がきちんと果たせない状況になっている。財政をただ引き締めたり、ただ財政再建を進めたり、あるいは景気対策と称して財政赤字を膨大に累積させることではなくて、きちんとした政府体系の組みかえをする。

 中央政府の役割も、ミニマムの保障や調整機能を中心にしながらも、このグローバリゼーションの中で戦略機能を重視し、遺伝子組み換えや会計基準やあるいは金融における日本の立ちおくれといった事態を考えるならば、もっと頭脳的な機能を中央政府に与えるべきであるし、中央官僚にそういうインセンティブを与えなければ、日本全体の国際競争力は低下する一方であるというふうに私は考えるわけでございます。

 そういう意味では、今までの常識から一つ脱皮した方向性を追求することによって今の閉塞状況を打ち破ることができるということをあえて強調して、私の意見とさせていただきたいと思います。

 どうもありがとうございます。(拍手)

野呂田委員長 ありがとうございました。

 次に、紺谷公述人にお願いいたします。

紺谷公述人 島田先生のお話にも大変示唆を受けましたし、特に金子先生のお話は、骨太の中長期的な方向を示していただけたという意味で多くの点で賛同いたしますけれども、あえて違う部分について聞いていただきたいと思うわけでございます。

 まず、なぜこのように債務が累積してしまったのかということなんですけれども、それはやはり景気対策が適宜適切に出てこなかった、ツーリトル・ツーレートだったということがあると思うのですね。くしゃみ三回ルル三錠というコマーシャルがありますけれども、くしゃみ三回ルル一錠であった。早目のパブロンという風邪薬のコマーシャルもありますけれども、遅目のパブロンであった。でも、ようやっと薬をもらって何とか熱が下がってきたかなと思うと、もういいじゃないかといって薬を取り上げてしまう。薬が効いて熱が下がっているにもかかわらず、途中で取り上げられてしまうものですから、またすぐぶり返す。ぶり返すたびにまた重くなって、またツーリトル・ツーレート、そういうことを繰り返してきたがゆえにこれだけの債務残高ということになったのではないかと思うのですね。

 そこで、今回の不況の特殊性ということをぜひ思い出していただきたいと思うのです。

 金子先生とは別な観点から議論の整理をさせていただきたいと思うのですけれども、例えば、危機と平時の区別がついていなかったのではないかというふうに思うわけです。

 恐慌の懸念さえあるような、財閥系の大銀行あるいはかつての国策銀行が破綻するようなとてつもない状況だったわけです。日本発の恐慌かということまで言われるような事態であったわけです。一刻も早く手を打たねばならないというにもかかわらず、平時の不況の議論と同じような議論を重ねてきた、そのために適切な対策が打てなかった、おくれてしまったという問題は大きかったのではないかなと思うわけです。

 経済というのは、綿のボールに例えればわかりやすいと思うのです。綿のボールの一、二%が最初水につかっているという状態をお考えください。だけれども、どんどん毛細管現象で水を吸ってきてしまうのですね。

 あるシンポジウムで有名なエコノミストの方と議論をしたことがあるのですけれども、三年ほど前のことでございます、この方がこうおっしゃったのです。恐慌だ、恐慌だと大騒ぎしてはいけない、恐慌というのは少なくともGDPが二、三割おっこちるような事態であって、たかが一%、二%のマイナスで大騒ぎしてはならないとおっしゃったのですね。

 日本は豊かですから、全国民が一律に一、二%所得が落ちるということであれば十分に耐えられると思います。ですけれども、そうじゃないのですね。失業して所得を失った方、倒産して資産がなくなった方、それどころか借金だけ残ったという方もいた上で、一方で大もうけしちゃっている人がいるわけです。そういう方たちをひっくるめて平均でマイナス一%、二%である。

 ですから、先ほど申し上げたように、綿のボールのごくごく下の方の一、二%が水につかっている状態。平気じゃないか、綿のボールは浮かんでいるじゃないか、一体何人海外旅行に行っているんだといううちに、どんどん毛細管現象で綿のボールは水を吸ってしまって、二、三割水を吸ったところで慌てて引き上げようとしても、もう水の重みで引き上げられないのです。

 先ほどお話がありましたけれども、大恐慌から救われたというのは、常に戦争の軍需景気によってでございます。ですから、戦争を起こしていいというのなら二、三割おっこちるところまでほっておくということもあろうかと思うのですけれども、そうじゃないのじゃないかなと思うのですね。

 九八年秋にありましたアメリカのLTCMの破綻の事件を思い出していただきたいと思うのです。それまでアメリカは日本に、大銀行といえどもつぶせ、護送船団の資本注入はやめろとおっしゃってきたわけです。そうであるにもかかわらず、銀行でもない、預金者もいなければ中小企業の借り手もいない、たかが投機集団であるヘッジファンドを護送船団の資本注入で救ったのです。LTCMの危機はヘッジファンドの危機、ヘッジファンドの危機は銀行の危機を内在していたわけですね。ですから最初のアリの一穴をがしっととめたということでありまして、ここから学ぶべきことは、危機においては何でもあり、危機においては危機脱出が最優先ということではないかと思うのですね。

 ですけれども、日本では危機感の薄い議論がずっと行われてきて、公共事業と減税とどっちがきくかよく考えようとおっしゃっていたわけです。恐慌の懸念がある時点でさえそういう議論をなさっていたわけです。ちょっとでもきくと思ったら、どちらもおやりください、さっさとおやりくださいというような事態であったと思うのですけれども、なかなかそれができなかった。

 もう一つ、景気に関しては、変動と水準の見誤りということがあろうと思いますね。

 日本の経済は、確かに世界でトップクラスに豊かになっております。水準は高いです。では、ある程度水準が高くなったらもう景気対策は要らないのか、日本よりも豊かであるアメリカは景気対策はやらないのか、そんなことはないわけでございます。変動と水準というのは違うのですね。

 変動が問題といいますのは、やはり人間というのは過去が持続するということで行動をとっているわけです。必ずしもバブルに踊ったわけではなくても、これだけ売れるかなという見通しで人を雇ったり工場を建てたりしているわけでございます。そういうことが崩れてくるということなのですね。もう豊かだから景気対策は要らないというのでしたならば、一体いつから景気対策は要らなくなったのでしょうか。今よりもっと貧しかった江戸時代には、人々は不幸せだったのでしょうか。そうじゃないのです。各時代時代でそれぞれの幸不幸というのがあるわけですね。

 ですから、どんなに経済水準が高くなっても、変動で傷を受ける人々がいる以上は、それに対する対策は必要である、無用な傷はできるだけ避けるべきであるというふうに思うのですね。豊かさというのは一体何でしょうか。他を顧みるゆとりがあるということではないでしょうか。恒産恒心という古い言葉がございますけれども。

 この間、電気をとめられてろうそくで勉強していた中学生が焼死してしまいましたね。老夫婦が餓死なさいましたね。豊かと言われる日本で、そういうことが起きているわけです。海外旅行に何人とおっしゃいますけれども、日本は水準は高いですから、たとえ恐慌になったって海外旅行に行く方たちはおいでだと思うわけですね。そういう御議論の混乱というのがあったのではないのかなと思うのですね。

 百数十兆円の景気対策をやったにもかかわらず景気はよくならないじゃないか、だから構造改革が必要なんだよという御議論が一般的でございますけれども、私は、今言ったような理由から、そうは思わないのです。構造改革が必要ないと言う気は全くございません。改革は必要なのですね。改革は無用だというような方は多分ただ一人もおいでじゃないと思うのです。ただ、どんな改革をやるのか、いつやるのかということに関して意見が分かれているだけかなというふうに思うのですね。病人にジョギングやダイエットはさせられないのです。体質が弱いから病気になったということはあったといたしましても、まず健康を回復してから体質を鍛えるということだろうと思うのですね。構造改革というのは、中長期的に経済変動の波を上にシフトさせてくれるということはあり得ると思いますけれども、不況のどん底から経済を好況に連れていってくれるという力には到底なり得ないということでございます。その辺の誤解をぜひ解いていただければなと思うわけです。

 ですから、いろいろな問題がありますけれども、当然のことながら、日本経済というのは戦後五十有余年を経て大きく変わっているわけです。あらゆる状況の変化はシステムの変革を要請するというところがございます。ですから、改革が必要ということは論をまたないのですけれども、改革するとしたらまず何をやるべきかといいましたらば、これまでの仕組みのどこが現状に合わないのかというその分析から入るべきじゃないでしょうか。今まで日本の強みとしてきたものは一体どこだったのか、それを残しながらもっと強くなる方法というのを吟味すべきではないでしょうか。アメリカでああだから、イギリスでサッチャーさんがしたから、そういう安易なことで日本のこれまでの仕組みを壊すようなことをやってしまっていいのだろうかというふうに思うわけです。

 グローバルスタンダードというようなことがよく言われましたけれども、国際化というのは平準化ではないのではないかと思うのですね。国際化即平準化というような議論もあるんですけれども、だれもかものっぺらぼうに同じになってしまったらば、国際化、グローバライズの意味というのはなくなってしまうと思うんですよ。

 日本は異質であるというような言い方がよくされますけれども、日本が異質であるというのは、ある意味では思い上がりでございます。各国それぞれに異質だからです。経済だって政治だって人間が動かしていく以上、歴史や文化や風土や国民性を離れてはあり得ないのですね。そうであるにもかかわらず、アメリカンスタンダードをグローバルスタンダードとして、従来の日本の強みを壊すような改革というのは考え直すべきではないでしょうか。

 繰り返しますが、改革が必要ないと申し上げているわけではないのです。どんな改革をいつやればいいのかということを十分吟味してからおやりいただきたいというふうに思うんですね。

 例えば、株式持ち合いというのはけしからぬということになっておりますけれども、株式持ち合いは日本固有の困ったやり方だというような御議論もあるわけでございますが、株式持ち合いなんてどこの国の企業だってやっていることです。ルノーとボルボが資本提携なんていう新聞記事が躍ったこともありますけれども、資本提携というのは株式持ち合いなんですね。業務提携とか営業のネットを共有するとか、いろいろな提携が企業同士であり得るわけですけれども、その場合に、いいとこ取りだけされないように、資本で担保して相手の企業に発言権を持ってお互いにやっていくということは、どこの国の企業も行っている普通の企業戦略でございます。もちろん、日本は株式持ち合い比率がほかの国より多いということはありますが、それは、持ち株会社を認められてこなかったんですから、お互いに企業同士が株を持ち合うという方法しかとり得なかったということです。

 株式持ち合いがMアンドAを行わせなくて、そのためにだめな経営者が温存されて、だから日本の経営は強くなれない、企業は強くなれないというふうに言われるわけでありますけれども、三越の岡田さんの事件を思い出していただきたい。岡田さんが三越の経営を危うくしたら、三井グループの総帥が役員会に乗り込んできて首を切った、突然のことなので、なぜだと岡田さんが叫んだという有名な事件がありますけれども、むしろ株式持ち合いの中で、企業グループの中で、系列取引の中で経営者の首のすげかえということを日本はやってきたわけです。

 資本主義社会におきまして、会社経営というのがいいかげんだったら経済がもたないんですね。どんな国でも必要とする機能は何らかの形で持っているはずであると思うわけです。それは何もアメリカやイギリスと同じ形でなくてもよろしい。MアンドAを通して株式を買い占める、テークオーバービッドというような形でやらないというだけのことでございます。

 今回もダイエーの中内さんがおやめになりましたけれども、これまでずっと日本は不況のたびに多くの企業で経営者の首のすげかえということが行われてきたわけです。経済社会が必要とする機能は何らかの形でどこの経済社会も持っているはずでありまして、機能があるかどうかということを論じればいいにもかかわらず、形が同じであるかどうかということを議論してはいないでしょうか。

 銀行をつぶせという御意見も多々出てきたんですけれども、銀行なんていうのは絶対つぶしてはならないと私は思うんですね。経営責任があるというんだったら経営者だけおやめいただけばよろしい。銀行をつぶすと、預金者を守るために余分な公的資金が必要になる、何の罪とがもない中小企業が困るというような事態があるわけでございます。経営責任の追及と銀行をつぶすということは区別して論じていただきたいなと思うんですね。

 時価会計ということもありますけれども、時価会計、時価会計と、あたかもどこかに時価というデータがあるかのような御議論をなさっているんですけれども、時々刻々変わる市場価格が時価というふうにどうして言えるのでしょうか。例えば金融商品の時価会計におきましても、為替に関しては期末の一カ月間の平均値を用いる、株式に関しては期末の最終日の終わり値を時価とする。そういう時価会計というのが、どれほど企業の経営にプラスになるのか、投資家にとってプラスになるのか。

 今、時価会計、減損会計のおかげでやたらめったら株の売りというのが出てきているわけですね。赤字決算を避けようということのためにそういう問題が起きているわけでございます。企業の実態を知らせるということであったらば欄外注記でも何でもいいにもかかわらず、損失として計上せよ、だけれども税金をまけてやるかどうかはこれから考えるというようなことであっては、企業は慌てざるを得ないわけです。

 今日の株価下落の大部分は供給超過ということです。ミカンだってリンゴだって、味は変わらないにもかかわらず豊作の年には値が下がるということがあるわけですね。なり年ですから、いつもより味はよくなっているにもかかわらず値が下がる、供給超過でございます。そういう状態に今株式市場を追い込んでいる、企業を追い込んでいるということです。今必死で企業は何とかこの難局を乗り越えようとしているときに次から次へと矢を放つみたいな、そういう状況の改革論というのが多くはないでしょうか。

 財政に関して申し上げますと、大蔵省は、実は昨年の十月まで、ただの一度も累積の財政赤字という数字を発表したことがないんです。発表してきたのは、実は債務残高と、それから毎年毎年の歳入不足の額。対GDP比で三%をはるかに超えた、これじゃEUにも入れないという議論をしてきたわけですけれども、では、日本は年々の歳入不足を小さくしてGDPの三%以下にしたらEUに入れていただけるんでしょうか。どうせ入れてもらえないんじゃないでしょうか、極東の国なんだから。そうであるにもかかわらず、そういう議論をしてきたということです。

 毎年毎年の赤字の額と累積債務の額だけを言って、累積の赤字がいかにも巨額になったかのような議論をずっとしてきたわけですけれども、どこの企業だって、どこの家計だって、利払いだけで生活費に食い込む、通常の企業の活動ができないというような状態になったら何をやるか、資産の洗い直しをするわけです。だけれども、大蔵省は、ただの一度も資産の洗い直しということさえしてこなかった。小渕政権発足直後に、どなただかわかりませんけれども、各省庁におふれを出して、各省庁取り扱いの国有財産のうち何も国が持っていなくてもいいものを洗い出せ、リストアップせよということをおやりになったそうですけれども、まさしく政治家の皆さんからそういう指示を受けるまで大蔵省は何一つなさってこなかったということです。本気で、累積赤字が緊急だ、深刻だとお考えでしたらば、どうして資産の洗い直しぐらいなさらなかったんでしょうか。

 昨年の十月に初めて国のバランスシートというのが公表されましたけれども、不思議なことに、これまで発表されてきた債務残高より赤字の額が大きいというものまで出てきたんです。全部で三通り出ましたけれども、一番大きいものはそういう数字だったのですね。どうしてか、非常におかしな計算をしているからでございます。

 例えば年金ですけれども、これから国が国民に払っていく年金は国の債務であるということにして債務を膨らませた結果そういうことになってしまったわけですけれども、国民は何も年金を受け取る一方の人ばかりじゃないんですね。掛金を払う人だっているわけです。税金だって払っていくわけです。これから国が払う年金が国の借金だとおっしゃるんだったらば、国民がこれから払っていく掛金や税金も国の資産に計上していただきたいなと思うわけでございますけれども、どうして今まで発表してきた債務残高よりも今回の赤字という額は大きいのか、そういうコメントを私は残念ながら新聞で一回も見ませんでした。

 そもそも、日本の財政赤字と累積債務残高というのが仮に巨額であったとしても、不況の真っ最中に緊急緊縮財政をとったりとか増税したりとかしなくてはいけないほどの状態ではないというふうに私は思うんですね。そういうことをしたためにさらに債務残高を膨らませるということになってしまったわけでございますけれども、どうしてか。日本は、年々経常黒字を重ねていて、国全体としては黒字だからでございます。

 よくマスコミの御議論で、日本の財政というのは企業に例えたらばとっくに倒産していてもおかしくない状態であるというような例を聞くんですけれども、財政は企業に例えてはいけないんです。財政は家計に例えるべきなんです。何となれば、財政と家計というのは全体の共通のお財布の部分でしかない。家族それぞれ、国民それぞれ別のお財布を持っていて、家全体、国全体としては黒字ということが大いにあり得るからであります。

 日本の財政赤字論というのは、同時に経常赤字も抱えているような国の赤字論と全く差がなかったということです。奥様のやりくり、政府のやりくりが下手で家計費は赤字であっても、御主人様、つまり国民ですね、働き者でせっせと稼いで、稼いだ割には使わないで、余ったお金を隣近所にたくさん貸してあげている、そういう家と日本は同じでございます。そうであるにもかかわらず、御主人が大病で、恐慌の懸念さえある、薬が欲しい、景気対策やってくれと言われても、何言ってんのよ、あなた、家計費が赤字なんだから薬代なんか出ませんよ、景気対策なんかできないわみたいな、そういう議論をしてきたということです。それはどこか間違っていたんじゃないでしょうか。

 奥さんの借金は御主人から前借りしているだけです。日栄、商工ファンドから借りてきたわけではありませんから、目ん玉売れとか腎臓売れとか言われる心配も全くないのですね。御主人と奥さんの話し合いで済むことなんです。今どこにお金を使うことが家族にとって幸せなのか、国民にとって必要なのかという御議論をしていただけば十分だったんですね。それなのに、そういう議論にならなかったということでございます。

 政府は国民から借りているだけでございますから、返すときには国民に返すんです。家の中でお金は回っているだけなんです。ほかの財政赤字国のように、海外から借金をして、官民ともに海外からお金を借りていて、いつか外国に返さなくてはいけない借金に苦しんでいるという国と日本は全く違うということなんですね。ですから、今何が必要なのかという御議論を一生懸命おやりいただけばいいだけではないかと思うんですね。

 ほかにも申し上げたいことは多々あったんですけれども、時間になってしまいましたので、申し上げたいのは、改革は必要なんだけれども、改革に名をかりたジャパン・バッシングはおやめくださいということです。

 日本がどこがいいのか、日本の誇りを取り戻すというんでしょうか、高齢化で暗くなる、暗い暗いという話ばかりありますけれども、お元気な高齢者がいるからこそ高齢化が進むんだ、これから高齢化、少子化で労働力不足がやってくるというんだったらば、お元気な高齢者に働いていただけばいい。生きがいを持って働いていただけば、介護、医療の予防措置にだってなるわけですね。

 私学共済年金という年金の組合は財政優良なんですけれども、ここは定年が遅いからなんです。六十過ぎても、六十五過ぎても、場合によっては七十過ぎても、掛金を払いこそすれ年金を受け取っていないんですね。だとしたら、日本全体もそうしたらよろしいということでございます。そういう前向きの御議論をおやりいただきたいと思うんですね。

 そんなに日本がだめだと言うんでしたらば、どうして日本は世界の奇跡と言われた高度成長を達成できたのか。あるいは、アメリカやイギリスがそんなにいいと言うんなら、アメリカはどうして八〇年代の終わりから九〇年代の初めにかけてあんなに絶不調だったのか。イギリスはどうしてあんなに長い経済低迷に苦しんだのかという問題があるわけでございます。たまたま今日本が調子悪い、それも、グローバリゼーションに名をかりたジャパン・バッシングについ乗ってしまったという部分があったからではないかと思うんですね。

 最後に、もう一つだけ大急ぎで申し上げたいのは、金子先生もおっしゃいましたけれども、公共、公というものの役割をしっかり確認していただきたいということです。政府予算でございますから、公共とはどういうものか、国の仕事というのはどういうものかという御議論をしていただきたいと思うんですね。

 一時期、財投機関は市場メカニズムの中で金利を払って財投機関債を発行できなかったらばもうやめろというような御議論がありましたけれども、市場メカニズムの中で金利を払ってやっていけるような仕事だったら、初めから民に任せたらよろしいんです。国がやらなければならない仕事だからやるわけですね。市場メカニズムには乗らないんだけれども、国民にとって必要な仕事だからやるわけでございます。どこが国の仕事であるかということをきちんとお考えいただいて、何でもかんでも市場メカニズムにゆだねればよろしいという幼稚な議論はいいかげんにやめていただきたいと思うんですね。

 三十年前には公害の問題があったわけでございます。騰貴もパニックも市場メカニズムの中で起きるわけでございます。市場メカニズムに任せていては危ういからこそ政府というものがあるわけでございますから、そういう政府の役割ということをじっくり考えて、きちんと明確にした上での国家予算ということであっていただきたいなというふうに思っております。

 どうも失礼いたしました。(拍手)

野呂田委員長 ありがとうございました。

 次に、中北公述人にお願いいたします。

中北公述人 私は、文京区にあります東洋大学の経済学部で、金融と国際経済学、それから産業組織論というごく専門的な分野を教えておりますが、きょうは、そのような経済学者の立場から、特に最近の経済政策、ミクロ、マクロ経済政策の現状、それから短期、中期的な問題点に論点を絞ってお話しさせていただきたいというふうに思います。

 一九八〇年の末といいますか九〇年の初頭にバブル経済が崩壊し、金融システムがその後危機にさらされて、この十年間、国民は好況感を持てないまま、景気の低迷が続いております。

 その原因は一体何であるかということでありますが、日本経済が現在大変大きな転換点を迎えているにもかかわらず、バブルの熱狂によって関係者が思い切った構造改革を忘れ、転換する能力を失ったまま、既成の構造や権益に安住してきたことが大きい原因ではないかというふうに私は感じております。それは、ひとえに産業界だけでありませんで、政治の関係者も魅力あるビジョンを示せなかったことにも原因があるというふうに思っております。

 本来、日本経済は困難な局面を構造改革によって乗り越え、GDP世界第二位の経済規模を生み出してきたわけであります。にもかかわらず、経済が低迷し、政治が魅力あるビジョンを示せなかったのは、一体どのような原因によるのでしょうか。

 私は、ここに至る過程を与えられました時間の中で若干振り返り、不況を克服し、さらなる構造改革を今後促していくための政策発動は何であるのか、一体どのようなミクロ、マクロ政策が効果的であるかを真剣に考えるべきであり、この点に関して若干の私の意見をこれから言及させていただきたいというふうに思います。

 現在、日本経済は、金融システムの不全と構造改革の立ちおくれによって景気後退が極めて長引き、雇用の縮小、消費の低迷といった深刻な不況の状況から脱出できないのが現状であります。

 この不況に対しまして、国が一体どのような政策対応をしてきたのかを考えてみますと、まず財政面を取り上げますと、累次の大型補正予算をほぼ毎年度にわたって組み、そのような中にあって、建設土木に典型的に代表されます公共事業を量的に拡大させるという対応を続けてきたように私は観察しております。

 しかしながら、このような対応というものは、既に幾人かの公述人の意見にもございましたとおり、国民の生活の向上から見て必ずしも必要ではない、あるいは次世代の産業を発展させるという建設的な観点からは既に役立たないという性格を年々強めているのが現状であるというふうに思います。

 それにもかかわらず、国はこうした分野に大量に持続的に財政資金を流し込んだ結果、将来の財政負担が急激に増加したというのが現状ではないかというふうに思います。そして、この種の公共投資は、私が知る限り、近年乗数効果が著しく低下し、政策効果の波及という点ではほとんど無力に等しいというふうに言わざるを得ないわけであります。

 このような状況のもとでの積極財政による財政運営というものは将来の財政負担を増加させます。したがって、合理的な個人という立場からいたしますと、将来の増税を予想させますために、家計はおのずと財布のひもをますますかたく締めて資金を貯蓄に回しますので、消費は低迷し、景気後退に一層拍車がかかっているというのが現状であるというふうに思います。結局、財政の赤字は家計の貯蓄増加に振りかわってしまい、財政による景気刺激は消費の停滞を生んでいるだけで、ほぼ完全に近い形で相殺されているということになるわけであります。

 このように、財政投入の効果が消え、景気の腰折れが懸念されてきますと、そのような中で、勢い金融政策、日銀の金融政策にはますます重圧がかかろうとしているのが現状です。ゼロまたはほぼゼロに近い金利がこの二、三年の間維持されてきているわけでありますが、さらにこの上一層の金融緩和、特に量的な金融緩和、さらには国債の直接引き受けを求める声が、政治家、マスメディア、あるいは一部の経済学者の間から聞こえてくるのが現実です。しかし、現実は、私が観察する限り、十分過ぎるほど潤沢にマネーが供給されているというふうに思います。

 事務局を通してお配りいただきましたお手元の資料をお持ちでしたらこの六ページをごらんになっていただきたいというふうに思います。

 この一連の表は、昨日こちらで意見を述べられましたKPMGの木村さんから許可をいただいて引用させていただいているデータでありますが、もちろん原データはそれぞれ政府及び中央銀行のデータであります。まず、この六ページ目の図を見ていただきたいというふうに思います。

 この図を見ていただきますと、山一・三洋危機が起きましたあの九七年以降、マネー、特にいわゆるM2プラスCDというベースで見ますと、マネーの残高は実に右肩上がりに増加を続けています。この黒い棒グラフが残高の実額であります。最近ではさすがに、対前年比で見ますと、二%から三%の増加を続けております。しかし、翻って、最近のGDPが、つまり経済のサイズ自体がゼロあるいは残念ながらマイナスであるということを考慮いたしますと、その経済のサイズに対するマネーの量というのはかなりの伸びに至っているということを認めざるを得ません。

 そこで、次のページでありますが、七ページをごらんになっていただきたいというふうに思います。

 これは、いわゆるマネーサプライ、今申し上げましたM2プラスCDですが、それのまさに対名目GDP比率をとったものであります。講学上はマーシャルのkというふうに呼んでいる値でありますが、この値を見ても、その値は実に一一〇%という水準を大きく超えております。特に、今IT革命というふうに呼んでおりますけれども、日本はこのマーシャルのkの値が、九九年、二〇〇〇年に至っても右肩上がりで上昇し続けているわけであります。

 ところが、この図にはございませんが、アメリカのマーシャルのkというものを参考までに見てみますと、むしろアメリカは日本の半分以下、五〇%内外のレベルにあり、しかも、この数年間右肩下がりに下がっているという大変興味深い事実も指摘することができます。

 少なくとも、このように事実を観察いたします限り、日本の中央銀行、日銀を通じて銀行部門にはマネー自体はふんだんに供給されている。モラルハザードを犯してこれ以上のマネーをあえて供給する強い理由は見当たらないのではないかというふうに学問的な見地から言いたいと思います。

 にもかかわらず、強いてこれ以上のマネーの供給を望むのはなぜかと考えまするに、恐らくそれは、前例のないデフレというふうに称して、中央銀行に経済政策の多くの責任をかぶせ、人為的にインフレを起こし負債を帳消しにしようという意図が一部関係者の間にあるのではないかというふうに勘ぐらざるを得ないわけであります。私は、規律ある、そしてバランスのとれた賢明な経済政策の早急な実現をやはり強く望みたいというふうに思います。

 さて、長引く不況の原因は、日本の金融システムがいまだ回復しないまま、構造不況業種に依然として追い貸しなどの形で大量の資金が流し続けられていることだと思います。この点につきましては、先ほど公述人の方からややマクロの観点から同じく指摘があったとおりであります。せっかく、昨年の半ばだったと思いますが、民間設備投資が、情報産業、ITを中心にようやく上向きかげんに転じたという事実があったにもかかわらず、不良債権の額自体は減っていない。そのことが市場関係者に早晩露見し、日本株が売られるという因果関係をつくっているのではないかというふうに私は思います。すなわち、不良債権の問題がやはり景気回復の足を引っ張っているというふうに私は思います。

 従来型の資金の投入、公的資金の投入というだけでは、残念ながら、貴重な税金、資金はむだ金、死に金となってしまい、結果的には、不振企業の、構造不況業種の延命策に使われているにすぎないというふうに言わざるを得ないと私は思います。このような従来型の資金投入を続けている限りは、成長分野へのマネーの補給につながりません。恐らく資金が返済される見通しも薄いというふうに思います。

 日本が、バブル経済崩壊後、この十年間続けてきた今の追い貸しの体制、すなわち間接償却に基づいて引当金を上積みしていく体制、あるいは分割償却、さらには銀行と借り手との間で繰り返される再建計画、この再建計画とセットでの債権放棄という対応は実は先送りの対応であり、結局、国民が負担する最終的なコストを増嵩させているというふうに思います。

 お手元の資料をもう一枚お繰りいただきたいというふうに思います。八ページ目でございます。ここに、いわゆる公表不良債権の残高の推移を示した図がございます。

 いわゆる不良債権の定義は、その不透明さあるいは非開示に対する罰則が軽いといったさまざまな事情から強い世論の批判というものを浴びてきましたが、その結果、九七年以降、この定義は大幅に変更されました。その結果、不良債権の額は、この図が示しましたとおり、九七年を境に大幅にふえることになりました。すなわち、開示がうんと進んだということであります。私は、その限りでは大変結構なことだというふうに思いますが、

さて問題は、その残高がその九七年以降も一向に減ることなく、高どまりを続けているということであります。にもかかわらず、先ほど公述人から御指摘があったとおりでありますが、政府は、不良債権の処理は終わったという発言を繰り返してきたということを我々は忘れることはできません。

 高どまりを続ける理由は、恐らく、最終処理、後で言及いたしますが、直接償却したものを除くと、多くの場合はいわゆる間接償却、つまり、将来のデフォルト、倒産というのを予想して貸倒引当金というものをバランスシートの上に積むということで帳簿上処理がなされてきているわけでありますが、それは帳簿上の世界であります。しかし、経済の実態というものを考えてみますと、実は、景気が本格的に回復しない、そのような中で、地価の下落によって担保価値が下落する、あるいは構造的に業績回復が困難な業種への貸し出しが縮小しない、いわゆる追い貸しでありますが、そういった事情から、追加的な引き当てが継続的に必要になっているというのが遺憾ながら現状です。そして、その一方、昨年来、ITバブルの崩壊という事情もあって、新しい不良債権もまた発生しているわけであります。

 こうした結果、全国銀行ベースで見ても、リスク管理債権の残高、これが高いレベルで、恐らく三十兆円レベルというふうに言われておりますが、その数字を根拠にしたとしても、先ほど申し上げたとおり、高どまりを続けていて減っていないわけであります。しかも、最近の株価低下で、含み益による銀行の不良債権処理というものはますます低下しているわけであります。

 このように、現実は、マネーを過剰に供給し延命させ、他方、肝心の不良債権は一向に減っていない。したがって、国は極めて不徹底な形でしか不良債権処理を行ってこなかった、マネーを供給した、それも潤沢に大量に供給したにすぎないというわけでありまして、これでは止血剤を注入するというだけであって、外科手術に当たる構造改革をちゅうちょしたに等しいと言わざるを得ないわけです。このため、構造不況業種は生き延び、財政に巨大な赤字が堆積した。これがバブル崩壊後の経済運営の経過であり、とりわけ九七年以降の経済政策の結末であるというふうに言わざるを得ないというふうに思います。

 そこで、この体制を今こそ終えんさせて最終処理を行う必要があります。すなわち、不良債権の直接償却を行って、借り手企業の倒産もあり得る抜本的なリストラや再編、思い切った処理を行って、最終的な決着、決断を下すことが必要であるというふうに思います。取りざたされています建設、流通、不動産の不況三業種に対する引き当て水準も、もはや直接償却を実行する必要に迫られているというふうに評されております。

 もともと、財政をもっと効果的に投入し、早い時点から不良債権の処理とセットにして産業構造の転換を促すべきであったというふうに私は思います。あるいは、日銀がゼロ金利を実施している間に、もっと速やかに政府は直接償却の推進に取り組むべきであったというふうに思っています。

 かつて日本は、一九八〇年代前半までは、高度成長のプロセスの中で、通産省がビジョンを持って税制上のインセンティブをつけながら、構造不況業種の改革を進めた歴史があります。いわゆる産構法がその典型的な例でありますが、時には外圧も利用しながら、構造改革をリードし、それを推進してきました。しかし、現在は、規制緩和の推進と企業のグローバル化によって、もはや行政による業界への指導という手法は通用しなくなりました。

 通産省にかわって大蔵省が行ったのは、銀行への不良債権の処理という帳簿上の処理でありますが、それさえも、当初は護送船団体制の維持、税収の確保という目的から、帳簿上の償却さえ各行の自主的な判断にゆだねることは許されませんでした。ようやく間接償却が可能になっても、大蔵省は財政の利益を優先したことから、公的資金の活用による企業の債権処理はタイミングが大きくおくれています。

 私は、重要なことは、財政、とりわけ税制を効果的に使い、産業の淘汰と育成のメカニズムを活性化させることであるというふうに思います。したがって、金融政策の緩和というマクロ政策より、むしろ税制のインセンティブと補助金の投入といったセミマクロの経済政策を活用する余地が大きいというふうに思います。

 本来は、財政と金融が分離独立し、その一方で互いに補い合いながら、それぞれの政策と役割を効果的に果たしていくことが求められます。しかし、現実は、財政が出られないと称して、首相官邸の直属の会議があたかも日銀総裁を呼びつけるかのごとき、さらには日銀の独立性をうたった日銀法の再改正をちらつかせるなど、極めて危険な形で金融政策に対し大きな圧力をかけ、負担を転嫁しようとしているやに思われます。日銀法は国家の柱、基本法でありますから、私は、そのような言動というのはもっと慎重であるべきではないかというふうに思います。

 最後になりますが、直接償却を行いますと、整理、淘汰が進み、雇用が縮小し、デフレ効果は確かにかかってくる危険性は大きいと思います。そのような場合には、金融政策が必要なサポートをする余地があると思います。それこそが本来のポリシーミックスの精神であり、このような観点から、新しい体制、日銀法の独立という体制を踏まえて、あり得べき役割分担を我々国民が脳漿を絞って考えることが重要であるというふうに思います。最後にこの点を強調して、私の意見陳述を終えたいというふうに思います。

 少し長くなりましたが、失礼いたしました。(拍手)

野呂田委員長 ありがとうございました。

    ―――――――――――――

野呂田委員長 これより公述人に対する質疑を行います。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。林省之介君。

林(省)委員 皆様、おはようございます。

 公述人の皆様方におかれましては、大変お忙しいところを、貴重な資料を初め有益なお話を賜りました。まことにありがとうございます。

 私も、この予算委員会で質問をさせていただく、地元の皆さん方も大変喜んでおられまして、先週の土曜日にミニ政局懇談会をいたしました。

 いろいろな御意見が出てまいったわけでございます。先生、予算委員会というのは何をやるんですか、人民裁判ですか、国会議員の皆さん方というのはあんなに理解が悪いんですか、同じ話を何度も何度も、どうしてあんなのしかテレビに映らないんですか、もう少し、我々国民のことを一生懸命考えていただいている、そういう姿を映していただけないんですか、予算の審議をやるのが予算委員会ではありませんか、そういう御意見をたくさんいただいたわけでございます。

 そのような中で、特にお年を召した方から出てきた話でございますが、景気が悪い、消費が伸びない、いろいろなことを言われるんだけれども、私たち年寄りからすれば、いわゆるぜいたくをしたい、あるいは年に一回、二回お父さんと一緒に温泉旅行に行きたい、こういうものが今までだったら預貯金の利息だったんです。その利息の中で、少しお金をためながら、年に一度、二度の旅行を楽しむ、あるいは少しぜいたくな部分にお金を使う。孫が来た、孫に小遣いの一つもやりたい。これはすべて、私たちは、今までの預貯金、いわゆる退職金だとか、今までためてきたお金の利息で賄っていたんです。これを全部取り上げられて、そして消費拡大だと言われても、我々としてはこれ以上に金は使えません。将来の社会保障の不安などを考えると、とにかく今しっかりと手元に金を持っておかなければいけない、こんな考えになってしまうんです。今ある預貯金にたとえ二%の利息でもつけば二十兆円ぐらいのものが我々庶民の懐に入ってくる。これで我々はぜいたくな部分、あるいはそういう将来に備える部分を今まで賄ってきたんです。こういう御意見が多く出てまいりました。

 私は、皆様方の代表として国会に出させていただいているわけでございますので、このあたりのところは何とかならぬかという皆様方のお声に、島田公述人の先生はどういうふうにお考えになるのか、少し御意見を賜りたいと思います。

島田公述人 ただいま林先生から、選挙区の皆様の、特に高齢者の方の切実な思いを御披露いただきまして、まことにありがとうございました。私も、全国各地でそういうお話を聞いて、極めて共感するところがございます。

 さて、金利をふやしてくれるとありがたいという話なんですけれども、昨今の御議論は、むしろマネーサプライをふやして何とか景気を刺激してくれ、こういう話で、これは金利が下がるわけですね。はたまた逆に、先ほど金子先生が警告をされたように、どんどんと財政赤字が積もりますと、今度は国債の価格が下がって長期金利が上がってくるということで、これは壊滅します。

 ですから、お気持ちは非常によくわかるんですけれども、私は、林先生におかれましては、選挙区の皆さんにこういうふうに言っていただけるといいのではないか。気持ちはわかったと。しかし、まず一つは、デフレでございますから実質の貯蓄はふえているんですね。それから、どんどんと貯蓄を積み増しています。理由は何かというと、温泉に行きたい、孫にというのは、それは卑近の理由なんですけれども、本当の理由は、今持っている家を体が壊れたときに売れないのですよ。それから、どこの施設に行ったらいいか。今、家で自分が倒れたら家族に迷惑がかかる。こういう深刻な問題に実は国が十分こたえていないのですね。

 それで、国は一生懸命やっているんです。低所得者のためには物すごく一生懸命やっています。しかし、国がこたえていないのは、今、全国平均で二千万の貯蓄を持っておられますが、その二千万の貯蓄を持った、あるいは中産階級の方で三千万、四千万の貯蓄を持った方が、大変な税金を払っているのに、いざ倒れたらどこへ行けばいいのか、これがない。持っている家を売ったら、さっき申し上げましたように、上物は評価できませんと言われる。つまり、住宅政策の間違いなんですよ。

 ですから、林先生におかれましては、いや、私が日本の住宅政策を変えてあげよう、今までは自分でつくって自分で壊してローンを払っていたんだ、そうじゃなくて、一度建てた家は社会資本として流通するように税制を変えていきますから、どうぞ御安心ください、そういうふうに選挙区の方々に言っていただきたい。

 それから、国は一生懸命やっています。低所得者のためには物すごく一生懸命、介護の施設もつくっております。ヘルプがないのは中産階級です。この方々のために、ケアハウスを公設民営で、情報をしっかり集めて、国民から見ても間違いのない民間のケアハウスを、この方々の貯蓄を投入していただくことでやっていただく。

 先生にお渡しいたしました図をちょっと見ていただきたいのですけれども、日本とアメリカで物すごく違うのは高齢者の貯蓄率です。日本の高齢者の貯蓄率は高いのです。今申し上げたように、まさに住宅不安、老後不安のために貯蓄率が高くなっているのですね。次のページを見ていただきますと、日本人は膨大な資産を持っております。アメリカ人はほとんど持っていませんね。この資産は何だというと、やはり高齢化不安のため。

 そして最後に、私が申し上げましたように、実は、日本は意図せざる遺産相続は世界最大でございます。高齢者家計の一年分の生活費の二十五年分を意図せざる形で残さざるを得ない。この状況は、住宅が社会資本になっていない、中産階級のために使いやすいサービス、施設がない、これをあらわしている。ですから、孫に物を買ってやるとか温泉旅行というのは、それは口ではおっしゃるでしょうけれども、本当の不安はそっちにある。先生におかれましては、私がその不安を解消してやるからついてきてください、こう言っていただきたいと思うのですね。

 これは、住宅の流動化。さっき、どういう税制を変えればそうなるか申し上げました。それから、民間参入によって、いいかげんな民間はやらせません、きちっと情報をとって、公の資金でできないところを、二倍も三倍も施設を展開するということによって人々は安心して、先生またぜひ頑張ってくださいねという選挙区の大応援を得ることは確実だと思います。

林(省)委員 まことにありがとうございました。

 私もいささかの御説明は申し上げたのですが、島田先生のような力強い、どうぞ任せておいてくださいというところまでの御説明ができませんでした。大変参考になりました。ありがとうございます。

 それと、もう一つでございますが、先生は今、ケアハウスの問題ですとか、いわゆる福祉の支える部分、これの公設民営化というお話を御提案いただきました。例えば、今非常に大きな問題を起こしている中学校あたりで、一人当たりの教育費というのは、大体全国平均で九十五万円ぐらいかかっているらしゅうございます。私立は今七十万ぐらいでやっておるわけですね。この辺のところも、先生の御意見、例えば公設民営ということで公教育をどうお考えになるのか、これをちょっとお伺いしまして終わりにしたいと思います。よろしくお願いいたします。

島田公述人 この点は、既に私どもの持っている公共、民間のさまざまな施設を目的外使用ができるように、ぜひ先生方におかれましては、政治力で縦割りの官僚の分野を破っていただきたい、そんなふうに思います。

 さっきちょっとアメリカの話をしましたけれども、アメリカ人は貯蓄が少なくても実は住宅でもっているのですよ。住宅でどんどん売り買いが、リサイクルができるものですから、実は大変な貯蓄を持っているのと同じなんです。ではヨーロッパの人はどうしているかというと、二百年、三百年続いた社会資本を享受しながら住んでいるから、ちゃんと消費生活が楽しめるのですね。日本は、一度建てたら壊してローンを支払うというばかなことをやっている。これは別にアメリカがいいとかヨーロッパがいいというのじゃないのです。日本が歴史の変化におくれているというだけの話で、ここもまた、先生におかれましてはひとつ大活躍をお願いしたいと思います。よろしくお願いいたします。

林(省)委員 どうもありがとうございました。

 まだまだお尋ねしたいことはございますが、私の与えられた時間、ちょうど今十分になりましたので、これにて終わらせていただきます。どうもありがとうございました。

野呂田委員長 次に、若松謙維君。

若松委員 公明党の若松謙維です。

 一番最初に島田公述人がお話しされて、大分集中されると思いますので、我が党がお願いしました紺谷公述人に質問させていただきたいと思います。

 まず、先ほどちょっとパブロンの話が出て、私も、そういえばきのうから薬を飲んでいなかったなと、御指導いただきまして、さっき飲んだのですけれども、今回の平成十三年度予算について、公述人の立場からして、どういったところにめり張りをつけるべきだったのか、弱かったのか、ちょっと概括的に御説明いただけますか。

紺谷公述人 いろいろございますけれども、あえて申し上げますと、公共事業だと思います。

 公共事業は今こそやってほしいというふうに私はずっと申し上げてきたのですけれども、公共事業に問題があるとするのだったらば、やり方を変えればいいだけ。必要なことかどうかということは二〇〇%ぐらい議論していただきたいと思うのですね。かつ、必要なことを効率的にやるかどうかという御議論もやっていただきたいと思うのです。日本は、社会資本整備が先進国の中で最もおくれた国の一つでございますから、今こそ社会資本整備をおやりいただきたい。

 というのは、こんなに金利が低い、こんなに地価が下がっている。今、社会資本整備を進めれば、国民の負担は非常に安くて済むわけです。いつか必ずやらなくてはいけない社会資本整備を今やるのでしたらば、将来、財政支出が減るわけでございますから、それで借金を返せばよろしいだけなんですね。それなのに、公共事業は総額を減らさなくてはだめというのは、今までの過程を見ればわからない御議論ではないんですけれども、むしろ、やり方をしっかり変えて、やるべきことをさっさとどんどんおやりいただきたい。大地震対策を初めとして、やらねばならないことはたくさんあると思うのです。

 それから、例えば郵便局にかかわることなんですけれども、郵便局の役割というのが随分過小評価されているのではないかと思うのですね。市場メカニズムの自由競争の時代だから、税金を免除されている郵便局の存在を許していいのかというような御議論がありましたけれども、弱肉強食、優勝劣敗の市場メカニズムの時代だからこそ、むしろ政府の補完というのが必要になるという部分があると思うのですね。

 金融機関は、競争の中で自分が淘汰されたくありませんから、率のいい、おいしいお客だけを自分のお客にしようとする。ですから、大都会、大企業、大金持ちの皆さんに対してはサービス合戦が始まるかもしれませんけれども、それと反対の方たち、低所得者、零細業者、過疎地の人たちにはサービス低下ということが大いに考えられるわけです。現に、小口のお客さんからは口座管理手数料をもらうというような話が多々出てきているわけでございまして、それは、小口切り捨てということなんですね。

 そういう中で、郵便局の議論というのは公的役割というのがきちんとされていないのではないかなというふうに思うわけです。今回、郵便局のための幾つかの予算もついたわけですけれども、公的な役割、政府の役割というものをどう見るのかという御議論をきちんとしていただきたいというふうに先ほど申し上げましたけれども、公共事業もその一つ、郵便局もその一つと思うのですね。

 公明党の方からの御質問ですので、聞かれていないことを一つ言いたいのですが、児童手当でございます。

 児童手当は、それが少子化対策に非常にきくということは考えられないと思うのです。ですけれども、少子高齢化というのは先進国が共通に抱える問題ということを考えましても、豊かさの裏返しということですから、一つや二つの政策ですぐにきくというものではないと思うのですね。ただ、地道にいろいろな対策をやってみるということです。北欧でも児童手当が多少きいたのではないかという議論があるわけですけれども、今すぐにきかないからといってこれをやめるというようなことにはならずに、何でもやってみるというような姿勢でいいのではないのかなと思うのですね。

 ただ、やはり財政が厳しい折から、できるだけいい政策をとるということだろうと思うのですけれども、その点から見ますと、今までの所得控除を減らして、それで重点的に、より貧しい人たち、より困っている方たちに手当という形で行っていくということはある程度評価されるのではないかと思っております。

若松委員 児童手当が出ましたので、大体、児童手当に対して文句をつける方というのは、もう子育てが終わった方か、所得が十分な方なんですよね。ですから、本当に必要な方の声がなかなか政治に実現されていないと私は率直に思いました。

 それで、島田先生にお聞きしたいのですけれども、ちょうど今週の日曜日、公明党は、今、教育対話集会ということでそれぞれの地域で率直ないろいろな声を聞いておりますが、埼玉県本部浦和で、二十代、三十代の母親五十人に集まっていただきました。いろいろなお話をしたわけですけれども、特に子育てで母親もストレスがたまって御主人に言いたい、ところが、御主人は会社でなかなか不景気で給料が上がらないのに仕事量はふえている、こういうことでさらにそのストレスが母親にたまって子供に当たる、こんな悪循環がある意味で日本のすべての社会の状況じゃないかと思うのです。

 私は、八〇年代に、アメリカとかイギリスとかに六年勤務しましたが、彼らの生活スタイルというのは、まず五時になったら仕事がどんなに余っても家に帰る、大体週二、三回台所に亭主が立つ、残った仕事は翌日の朝やる。ですから、だんだん朝型になってくるのですね。だけれども、夕方はしっかり帰る。週二、三回台所に立たない人は、奥さんから飽きられる、捨てられる、逃げられてしまう。逃げても、欧米は男女の賃金格差がありませんから、それで済んでしまうのです。いわゆる亭主を評価できる、または決別を与えられるシステムができている。日本はそれができていないから、亭主も甘えている、奥さんも不満たらたら、だけれども解決策がない。

 そこで、御質問なんですけれども、まず、先生は台所に週何回ぐらい立ちますか。

 それと、先ほどの一番の不満というのはやはり雇用だと思うのです、そういった方々については。その新産業のどういった分野にこれからどのくらいの雇用増が見込めるのか。それで、その裏には当然雇用のミスマッチがあるのです。有効求人倍率はふえているのですけれども、実質的には供給の方が追いつかない、何かすごくこれも空回りしている状況。ちょっとそんなところを御説明いただきたいと思います。

島田公述人 ありがとうございます。

 私が台所に立つ話をしても国政には役に立たないかと思いますけれども、私、毎日立っておりまして、冷蔵庫をあけに行くと、うちの家内に、あなた、台所でうろうろしないでよ、邪魔だからと言われております。どうも大変申しわけありません、恥ずかしいお話です。

 そして、雇用の問題ですけれども、今IT立国と言われておりますが、我々非常に気をつけなきゃいけないのは、IT立国はエンジニアの雇用がふえますけれども、あれはもともと刀を研ぎ澄ますようにして効率を上げるためのものですから、ITを進めて全体の雇用が減らなければ、ITは失敗なんです。雇用を減らすための政策だといってよろしい。ですから、ITだけでは立国しません。車の両輪です。ITで効率を徹底的に高めて、便利に便利に便利にして、その力で人々を幸せにする雇用をたっぷり生み出さなきゃいけない。それが何だというと、これは生活者を支える対人サービスなんです。

 つまり、多くの老若男女が生きていてよかったと思えるような、つまり、今のお話ですけれども、仕事は徹底的にしたい、しかし子供もちゃんと育てたいということが自由にできる社会。それから、一回三千万円つくったらもう死ぬまで成功者だと言えるように、ぐるぐると資産がリサイクルできるように、その生活者のためにITを駆使した情報を使って適切なサービスを展開するということが必要なんです。あるいは、健康産業がございます。あるいは、高齢者の雇用というのも、こういう分野は自分が得意なんだということはたくさんあるのです。先ほど紺谷先生がおっしゃられたことに大賛成ですけれども、それをどんどんやっていく。

 それから、さっきの、私はライモビと言っていますけれども、ライフモビリティー産業。今のタクシーよりももっと多様なサービスが展開できて、自家用運転手を年金で雇えるというようなコンセプトですけれども、そんなものをうんとつくっていくと、ITで進めた効率の成果が人々をみんな幸せにするところへ返ってくるということです。

 紺谷先生のコメントを助けたくて、申しわけありません。公明党は大変私は尊敬する党なんですけれども、児童手当は所得付与政策だろうと思います。低所得者の方でも、一万円もらったからこれで子供を産もうとは恐らく思わない。もし、本当に児童手当を出すんだったら、五百万ぐらい上げなきゃ子供は産みません。

 ですから、そうではないのです。みんな仕事もしたいし子供も持ちたい。これは、既存の保育施設のフレキシブルな多様なサービスの展開、それから中産階級のためには公設民営、こういうことによると本当の少子化対策になるんだろう、それよりも本人たちを幸せにする対策になるんだろう、このように思います。生活産業のところに雇用を吸収する最大の宝の山がある、これを御理解いただければと思います。

若松委員 時間が来ましたので、ちょっとコメントを述べさせていただいてやめますけれども、まさに対人サービス誘発型公共事業、思いつきの言葉なんですけれども、そこで、やはり亭主が子育てに本当に積極的に参画しなきゃいけない、それを実は強調したかったわけなんですけれども、先生も台所で邪魔者にならないように、ぜひ家の中での主権回復を願って、質問をやめます。

 ありがとうございました。

野呂田委員長 次に、井上喜一君。

井上(喜)委員 私は、保守党の井上喜一でございます。

 公述人の皆さん方、きょうは御苦労さまでございます。また、あわせて御礼を申し上げる次第であります。

 私は、四人の公述人の方にそれぞれお聞きをいたしたい、御意見を伺いたいと思うのです。

 今の一番大きな問題は何か。予算を編成するにいたしましても、その他にいたしましても、やはり景気の回復というのが最大の政治の課題だと思うのです。これは短期的にはもちろんでありますし、中長期的に見ましても一番大事な問題だと思うのです。雇用につながるとかあるいは消費に影響するとか、あるいは企業利益、ひいては設備投資に影響してくるということですから、私は、景気の回復ということを中長期の視点を含めて第一に取り上げるべきだ、これがやはり政治の課題だと思うのであります。

 公述人の方、お聞きしたのでありますが、財政の規模をもっと大きくしろという方もあれば、いや、規模は今ぐらいにして中身を変えていけというような方もありますし、あるいは税制をもう少し変えたらどうだとか、あるいは金融につきましては、不良債権を処理する、その処理の仕方もある程度現状を見て弾力的に対応していったらいいというようなこととか、いやいやそういうことじゃなしに、ある程度強制的にやるべきだという方もありますし、あるいは金融緩和をやったらいいじゃないか等々、いろいろな意見があるわけであります。

 私がお聞きいたしたいのは、いろいろな対応のうち三つを挙げていただきたいのです。優先順位の高い順番に三つ、具体的に何をやるべきなのか、何を取り上げるべきか、その理由も含めて、簡潔でありますが大変難しい御質問かと思うのですが、御答弁をお願いいたしたいということです。順番に四人の方。

島田公述人 私は時間を節約するために二つにしたいと思います。

 一つは長期構造政策、もう一つは短期緊急政策ということだと思うのです。

 長期構造政策は、先刻から強調しているように、生活者を幸せにする産業が活躍できるような経済基盤をつくる。これは、主に規制改革なんです、そして情報開示だと思います。これを徹底的にやっていくことによって人々の貯蓄の氷山がどんどん解けて消費の水位が高まるというようなことが必要だと思うのです。

 なぜこれを申し上げるかというと、日本は、実は短期、中期的な景気循環にはもちろん影響を受けますけれども、歴史的な大きな段階を一つ経て変わってきていると思うのです。かつて欧米を目指してキャッチアップのために工業化優先で来た。その過程で、生活者を幸せにするという政策の力点が取り落とされてきている。一つの端的な例が先ほどの、住宅がなかったからみんな自分でもってつくって壊しなさい、ローン払いなさい。これは社会資本に二十年か三十年前に転換しなきゃいけなかったのです。まだまだ申し上げたいことがありますが、そのためにそれが一番重要。

 そして、短期緊急な問題は、紺谷先生もおっしゃいましたが、必要なものは必要なところでやらなきゃいけない。

 私もここで一時間ぐらいお話ししたいのですけれども、この話題は、本当に金融政策でインフレを起こせるのか、あるいは本当に金融政策で企業所得をふやして投資誘導ができるのか、この辺は本当に実証的に議論をした上でやっていただきたいんですけれども、それで本当に役に立つということなら短期にそれをしてもいいとは思いますが、私は、基本的なことは人々を幸せにすることができるような産業構造の改革のために規制改革を推進することだろうと思っています。

金子公述人 御質問の趣旨が、景気回復のために何をしたらいいかということなんですが、私は、まずもってそういう発想はやめた方がいいと思います。

 というのは、迫りくるリスクに対して、これまで一発主義で、金融ビッグバンだのメガコンペティションだのIT革命だの言ってきたわけですが、そのたびに失敗を重ねてまいりました。問題は、今この社会がどのようなリスクを抱えているのか、そこをどうやって底割れしないように防ぐのか。むしろ、無理な成長をしてはリスクをためていく、そういう政策を続けてきた結果こういうふうになったと考えております。その意味では、不良債権処理の問題をしっかりすることが必要でありますし、政府のいわば体系を改革していく、あるいは財政赤字を累積させない。

 これで成長するというようなことを政治家が言って、うそで裏切られていくと、国民はむしろそういうことで政治家に対する信頼を失っていくということになります。むしろ、性根を据えて、今置かれている日本、あるいはアメリカの経済減速は思っている以上に深刻ですので、そういう影響に対してどういうふうにしたらリスクを防げるのかというふうに考えた方がいい。

 そのためには、私が先ほど申し上げたように、債務管理型国家にしながら分権化して、どうやって人々が安心できるかということを政策としてまず第一義的に優先して、そこは安心から逆に積み上げていくというやり方。勝負というものは、いつも攻めているばかりではなくて、守りながら攻めの反転の機会をねらうという時期があるわけです。今はまさにそういう時期であるということを正直に言わなければ、政治家が政治家であるというふうには言えないだろうと私は思います。

 以上でございます。

紺谷公述人 優先順位、どれが一番ということは難しいんですけれども、社会不安が景気の足を引っ張っているということを考えますと、まず第一に、霞が関の方に本当のことをおっしゃっていただく。財政赤字の緊急、深刻という議論が本当にそうなのかどうか、国有資産というのがどれほどあるのかということをきっちり見せていただきたいと思うんですね。日本が世界一の債権国であるということもきちんと国民に周知徹底していただきたいと思うわけです。

 それから、年金に関しましても、厚生省御出身の方たちが、何で厚生省はあんなに年金の危機をあおるのか、そんなに危なくはありませんよとおっしゃっているわけですから、その辺のこともきちんと教えていただきたい。

 医療の危機に関しましても、実は日本の医療費の中に占める薬の比率というのは非常に高いわけです。ほかの国に比べて一〇%ぐらい高いんですけれども、なぜそういう構造なのかというようなことをきちんと分析してお話しいただくということではないかと思うんですね。

 大急ぎで申し上げますと、日本の医療費というのは、国民一人当たりで見ても、あるいはGDPに占める比率で見ても低いんですね。いい医療を受けられるというような形にはなっていないんですけれども、最低限の医療は平等に受けられるというふうにはなっているわけでございます。

 そういうことも含めまして、医療の危機、年金の危機、財政の危機ということの実態をきちんとお調べいただいて教えていただくということが第一と思うんですね。

 第二は、急にレベルが違うようなんですけれども、株式市場対策であると思うんですね。

 今なぜ株価が低迷しているかというと、売り手ばかりで、現金が欲しくてどんどん売りに出しているという人たちばかりで、買い手がいないということです。先ほどの不安ということと絡み合って、日本に投資しようと思う国民がほとんどいないということです。株式投資というのはばくちだ何だというふうにおとしめてきているわけでございますけれども、それを言ったらば、人生皆ばくち、将来にかかわることは皆ばくち、結婚だって学校選びだって会社選びだってみんなばくちなわけですね。ですから、将来にかけるということは決して恥ずかしいことではないんだということを国民の皆さんにおっしゃっていただく。

 実は、私は一九五二年から九八年までの四十六年間のデータを持っておりますけれども、その間の、一年物の定期預金の平均金利は五・一%、国債は六・八%、株式は一四・五%でございます。それで、四十六年間複利計算をしますと、五二年の一万円が九八年に幾らになったかというと、株の場合は五百七万円、国債の場合は二十万六千円、定期預金の場合は九万九千円です。長期の資金を多々持っているにもかかわらず、長期だったらば比較的に安定した高利回りを約束する株式投資をする人がほとんどいないという状況があるわけですね。

 金融ビッグバンで、いきなり自己責任といって、銀行を国民が選べみたいな話になっているわけなんですけれども、公認会計士がだまされるような粉飾決算を、どうして御家庭の奥様やサラリーマンが見破ることができるのか。そもそも大蔵省は御自分たちが銀行の経営をわかっていらしたのかどうかという問題があるわけですね。そういう中で資産運用の不安というものを強くお持ちなわけでありまして、だから、その資産運用の知識とあるいは勉強をできるようなチャンスをぜひおつくりいただきたいと思うんですね。

 三番目は、先ほど申し上げました郵便局。

 全国二万四千七百ある郵便局をコミュニティー拠点として活用していただいて、何らかの形でそこで資産運用の知識を出していくとか、あるいは逆に、情報発信ばかりではなくて情報収集拠点として使う。各地域の特産物とか名所とか、そういうものを各地域の方たちが郵便局に行ってパソコンに入力すれば出ていくみたいな、そういうことだってできるわけですね。今持っている国の資産を効率的に活用するということもぜひおやりいただきたいと思います。

野呂田委員長 残念でございますが、時間が過ぎてしまいましたから、お許しをいただきたいと思います。

 次に、中田宏君。

中田委員 本日は、公述人の先生方には大変御多忙中に本委員会にお越しをいただきまして、また、大変貴重なお話をいただきまして、ありがとうございました。

 きのうも公聴会をやったわけでありますけれども、もちろんある意味では当然なんですが、公述人の皆さんの中でも割と意見が違うわけであります。きょうもそういう一端が見えますけれども、じっくりそれぞれお聞きをしてさらに深めていきたいところでありますが、時間もありませんので、私は、島田先生とそれから金子先生にお聞きをさせていただきたいというふうに思っております。

 島田先生には、第三の道を求めろということで、住宅の問題あるいは高齢化不安の問題や、また、仕事と家庭の両立の困難さを克服するにはいかにするかといったところについて具体的な御示唆をいただいたということを本当に感謝いたしております。

 私は、それらを実現していくために、今の三つだけでなく、本当はもっと物すごいいろいろな分野において、手段をどうしていくのか、いろいろな手段がもちろん政策決定の中であるわけでありますけれども、その手段の中で、先ほど来出ているところで、先生のある種御専門でもあるからちょっと絡めてお聞きをしたいのでありますけれども、いわゆるIT技術をどう生かしていくのかということは非常に重要なところだろうと思うんですね。

 先ほどもちらっと出ておりましたけれども、ITというのを単なる短期的な経済対策に用いるんじゃだめだというふうに私もかねてから思っておりまして、効率を高めてより国際競争力を持てていく、また、国民、人類にとって安価な製品や、生活水準を上げていくといったことを達成していくためには、やはりこれは避けて通れないことであって、IT化を進めていくことはどうしても重要である。それは、先生が先ほどもおっしゃられたように、もしかしたら一時的には失業がさらにこのことによってふえるかもしれませんが、避けては通れないことだし、また、歴史をひもといてみれば、産業革命以降のイギリスにおけるラダイト運動のように、失業者があふれ返ったけれども、やはりあれがあったからこそやがて人類により広範な幸せがもたらされたというような技術ではないのかなというふうに私はITを考えているわけであります。

 そこで、IT基本法というのもできたんですけれども、ブロードバンドをつくりましょう、世界最先端のIT国家にしていきましょうなんていうのは実は理念でも何でもないと私は思っていて、そんなのは単なる中間目標でしかないと本来思うのが、なぜか国だと理念として語られちゃっているところが大問題だと思うんですね。

 言いたいことは、医療の問題であるとか、例えば情報公開、役所の効率化の問題であるとか、あるいは障害を持っておられる方への情報提供や仕事場の提供であるとかという、日本がより発展をさせなければいけない分野や今までおくれてきた克服分野といったところにこの技術を生かしていくという長期目標を持ったとき初めてそこに技術が生かされ、そしてそこに向けた産業が興り、活力がついてくる、こういう順番だと私は思うわけであります。

 そこで、先生には、ぜひこういう場だからこそお聞きしたいのは、まさに御専門の一つでもあるITというものを生かした、先ほどの話も含めた我が国の活力づくりということについて、まず一問だけさせていただきたいと思います。

島田公述人 ありがとうございます。

 これは大変重要な問題でございます。

 IT基本法ができて、まさに今、中田先生おっしゃるように、それは理念として語られている。まあ理念でもいいのかもしれませんが、要するに、国民にとって何をもたらすのかということをもっと具体的に我々は考えなきゃいけませんですね。

 私は、IT戦略会議、それから現政権で進めておられる、五年後に日本じゅうを光ファイバーで包んで、そしてIPv6を使って一家が二百も三百もインターネットアドレスを持てるようにするからアメリカを追い抜くんだ、こういう話は夢物語として結構ですけれども、アメリカのところへ追いついたと思ったら、アメリカははるかにまた先へ進んでいますから、アメリカに追いつく、追いつかないなんていう話はする必要はないんであって、とにかくそれをやるならやるでいいんですが、実はとんでもない間違いを日本の政策はしてきているんですね。

    〔委員長退席、北村(直)委員長代理着席〕

 それは、今全国の列島の基幹部分は光ファイバーが入っております。大きな企業も役所もみんな光ファイバー網で包まれておりますが、四千四百万のラストワンマイルにはまだ来ていないですね。ここのところを、今持っている電話線で情報処理速度が、NTTでいえば十倍、韓国ふうにやれば二十倍から百倍の情報処理ができるADSLという仕組みは、近隣諸国はもうみんな普及しちゃっているんですね。それをなぜ日本は二年間もとめていたのか。これは私はNTTの対応に非常に大きな問題があると思いますが、幸いなるかな、昨年の暮れにNTTもやり出すというので、おくれているけれどもやらないよりはいいのでやっていただきたい。つまり、それをやりますと、全国の中小企業で、今の電話線を使ってADSL対応で一時間で処理できる情報が十倍、二十倍にふえるわけですから、これは物すごい福音なんですね。

 今の電話線でできるわけですから生活者にも、どういうことが起きるかというといろいろなことが起きるんですが、その前に、今、中田先生がちょっと前にやることがあるんじゃないのとおっしゃったことに非常に重要な示唆を私は受けているんですけれども、政府や民間で本当の情報公開をしているんですかということがあるんですね。

 例えば、土地のことを申し上げましたが、土地価格の一覧というのはどこへ行ったら得られるんですか。弁護士さんか銀行ならこれは特殊に得られますけれども、一般の人が市場土地価格というのを見れないんですよね。全国には一億七千万筆しかないわけですから、これは本当はハードディスクに載るぐらいのものなんです。こういうものの情報公開というものがあると、人々は生活設計も立つし、企業は投資設計も立つし、不良債権の処理の目安も立つ。この情報が公開されていませんよ。

 それから、レセプトがありますね。レセプトは八千人の人たちが読んでいるようですけれども、あんなものがみんな情報ベースに載っていますと、実はこれをもとにして人々が健康のガイドラインを得るということは簡単にできるんですね。そういうような情報公開、これは民間でも随分ございます。

 ですから、ITを活用するのは、基本中の基本はまず情報公開なんだということがあります。情報公開があって、現状のADSLでこんなに楽しいんだ、じゃ、一年間に十二万、十三万払えますか、それじゃ自分の費用でこの町で光ファイバーを引きますかということは出てくるわけですね。興味もないのに、パソコンもいじらない、電話も余りかけたことのない人が、国が公共工事で光ファイバーを引くからといったって、それは石英の線とコンピューターがほこりをかぶっちゃうだけの話ですから、やはりADSLでおもしろいなというものを見せた上でやるという必要がありますね。

 そして、何がおもしろいんだというと、生活産業にはITは非常になじみがいい。といいますのは、工業製品というのは、パソコンにしてもテレビにしても、標準品でございます。生活産業は、教育にしても、介護にしても、子育てにしても、食事にしても、エンターテインメントにしても、住宅にしても、全部個人の名前入りの自分だけのサービスです。そんなものを今まで設計して提供することは余りに情報コストがかかるためにお仕着せでやっておられたわけですね。しかし、今は、これは何十人とか何百人じゃございません、数十万人、数百万人、数千万人の方に名前入りの情報を提供できる技術はもう完成しているんですね。

 ですから、考えは、先ほど申し上げましたように、自分が家を売りたいと思ったら、家の情報が潤沢にあって、くりっとやったら全部わかるというような社会になっていると見通しはうんとつくわけですね。例えば、自分が病気になってきたらどこへ行けばいいんだろうといって、多くの庶民は、近くに特養があれば行くでしょうけれども、まずどこへ行けばいいんだというのがわからないんですよ。その情報が公開されていない。

 したがって、私は、ITの活用の仕方というのは、実は全国各地の地方でそういう情報が公開されて、これはソフトでいうとマーケットプレースというソフトになりますが、くりっとやったらいろんな情報が全部生活者のためにも中小企業のためにもすぐわかるようになっている、医療のためにもわかるようになっている。

 岩國先生が随分前に出雲で電子カードを持たされました。当時は物すごく珍しかった。これからなら常識ですよね。国民が定期券と同じに電子カードを持って、あらゆる施設を使うときにくりくりっと入れていくと点数がみんな入る。点数が入ると実は地方自治体は住民が何を望んでいるのか全部リアルタイムでわかりますから、それに合わせて予算編成をするとむだな予算は編成しないということで、財政再建も成り立ちますし、人々も幸せになる。これは、カフェテリアプランというのを地方自治体で本当は展開した方がいいんですね。さまざまな何十というサービスを、一人一人に電子カードを持たせてやると、全部リアルタイムでわかっちゃいますからね。ですから、そういうことで物すごく大きな福音があります。

 ですから、ITそのものは効率化を進めるんですが、私はITを進めたからといって失業がすぐ起きるとは思わない。ITだけ進めてほかに何もやらなければ失業が起きますけれども、ITを進めながら今私が申し上げているようなことをすれば陸続と新しい対人サービスが生まれて、そしてそれがITを活用しながらいきますから、全然失業が起きないで、実は大変暮らしやすくて財政再建も成り立つような社会というのが構築できると思います。そういう意味で、ITというのは使いようによっては物すごい刀になるというふうに思います。

 ありがとうございました。

    〔北村(直)委員長代理退席、委員長着席〕

中田委員 大変示唆に富むお話をありがとうございました。

 この話も続けたいんですが、ちょっと金子先生にお話をお伺いしたいと思います。

 景気回復論というのは、いろいろと処方せんも出ているし、先ほど紺谷先生も多々おっしゃっていただいたのもある意味ではすべて正しいと思うんですね。問題は、構造改革という一方におけることをしっかりと理念として置いて見据えて、そしてそれを進めながら、今死にそうな人を救わないというのはそれはだめなわけであって、そのことについてはきちっと手を施していくというのが政治のあり方であろうと思いますから、その意味では、論が仮に分かれていたとしても、それが一方が正しい、一方が間違いでないと私も思います。

 ただ、金子先生のお話で大変傾聴に値するなと思って今私自身がメモをとったのは、無理な成長を目指してリスクを逆にため過ぎてきてしまったというところでありまして、リスクを取り除いてむしろ安心を持つところからこれから先もう一度再構築していくことを考えていった方がいいのではないか、こうおっしゃられた部分は、非常に私はこれまで余り言われてこなかったような感覚を覚えた次第であります。

 確かに、財政を投じて景気対策をさんざんしてきましたけれども、残念ながらプラス成長にすらなかなかならないわけでありまして、それはなぜならばといえば、リスク、すなわち不良債権がたまりにたまっているわけですから、企業は利益を出してもそれを債務減らしにしか回していないという現状がある、金融機関もそのだぶついたお金で国債を買っている、こういうような悪循環になっているわけで、きのうの本公聴会でも、バランスシート不況だ、こういう言われ方が何人もの方からされておられました。私自身もそういう認識であります。

 まさに資産デフレで不良債権があふれている現状で、そういった状態の経済にお金を、財政をつぎ込んできて、結果、例えば今審議をしている来年度の予算でも、国の歳入のうち三四%が国債、歳出のうち二〇%が国債、こういうような状態で、御承知のとおり、国、地方を合わせて六百六十六兆だというふうにまで至っているわけであります。

 そこで、私もこういうことを地元を含めて有権者の方とお話をしていると、では、財政破綻に陥る国のシナリオというのは何なんですかという話に時々なるわけです。

 私、三十代の者でありますけれども、私のような若い世代からすると、これはやがて我々が返すんだよなと思うとぞっとするし、ましてや、私も小さな子供が二人おりますけれども、こいつらに背負わせるのは幾ら何でも酷だよなという感覚は私もあります。しかし、国会議員をやっておっても、何兆という金額の積み重ねになるともはや、自分で見たこともない金額でありますから、ある種の観念論でしかなくなるわけであります。

 財政の硬直化であるとか、あるいは将来世代の租税負担が増して国民負担率が上昇していくといったような議論はあるわけですけれども、多くの有権者からの漠然とした問いというのは、このまま国債がふえたら一体国はどうなるんですか、あるいは、危機、危機とテレビを見ていてもいろいろな人が言っているけれども、危機というのは一体本当に来るとどういう状態なんですかというところが漠然とした問いとしてあるわけであります。まず、そうしたシナリオや危機といったことについての先生の御定義というのをお聞かせをいただきたいと思います。

金子公述人 御質問ありがとうございます。

 財政破綻のシナリオというのは、はっきり申し上げて幾つもございますし、今の時点でこれこれこうだというふうに自分の学問的な能力から断定することは、正直申し上げてできません。これが正直な答えです。しかし、幾つかの可能性については、我々は考えなければいけないということが幾つかあります。

 御存じのように、今、アメリカの経済減速が思った以上に進んでおります。皆様方は多分こういう言葉を御存じだと思いますが、愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶという言葉がありますが、私の持っている感覚では、一九二〇年代末から三〇年代にかけての展開と全く同じ展開になっているというふうに私は考えております。一九二七年に金融恐慌があり、その後、過って、グローバルスタンダードという形で金本位制に突っ込んで、井上準之助が濱口内閣のもとで大恐慌に突っ込んでいってしまったという展開と同じです。

 ITの話になりましたが、あのときも、モータリゼーションとハイウエーの両者の連関の中でアメリカだけが最後に残って、そこにお金がラッシュのように入って、最後はクラッシュに行ったわけです。今、アメリカ国内でグリーンスパン神話は崩れつつありますが、あれは、今まで成功したのはすべてクラッシュ型です。暴落直後の金利引き下げであります。ITバブルのはじけ方は極めてゆっくりとした形で進んで、実体経済に入ってから、利下げが今行われております。

 状況の深刻さというものをまず認識しておく必要があります。そのもとで、財政を効率的に、最も効果的に使わないで、どぶに捨てるようなやり方をして財政赤字を累積させていけば、不況のもとで実は国債の信用が失われるという事態がおいおいやってくるかもしれない。これは来るかもしれないであって、今すぐ来るとか、いつ来るとかいうことは断言できません。

 ただ、申し上げておかなければいけないのは、まさに歴史に学ぶとするならば、今の時点で引き締め政策を強行するということはほとんど不可能でありますが、残念ながら、一部の建設業や流通業を含めて、倒産の危険を抱えております。既に不良債権問題は倒産型になっております。

 倒産型になっている形の中で問題なのは、合併をして支払い不能にならない形式は、実は戦前、もう一県一行主義でやっております。問題は地方の中小金融機関であります。皆さんの選挙区であります。そこは、実は引き当て不足と、自己資本比率を満たしておりませんので、非常に足りないので、実はそごうの倒産のケースの場合にも地方銀行は赤字に転落しそうになるというケースや、ちょっと具体的な名前を挙げられませんが、ある建設会社の債権放棄をするときに、北陸のとある地方銀行がそれを拒否する。百億、二百億は、中央の銀行でははした金なんですが、地方にとっては実は非常に深刻な事態です。

 グローバリゼーションの中で、グローバルスタンダードに対してもリスク感覚がないまま、突っ込めば日本の仕組みは全部変わるというような、非常に短絡的な議論をしてまいりました。これはもうほとんど間違いです。なぜか。我々の国は改革しなきゃいけない。例えば国際会計基準に合わせて会計を透明化しなきゃいけない。しかし、この年金の状態、厚生年金基金を自由化してどんどん代行運用で自由運用させておいて、穴があいている状態で年金債務の開示義務を強制したらだめになるのは当たり前ですし、不良債権処理もしっかりしていないのに時価会計主義をやればだめなのもはっきりしていますし、雇用に対してきちんとした社会保障制度もないのにキャッシュフロー計算書を入れればだめになるのは当たり前なんです。ペイオフ制度についてもそうです。きちんと整理していないままやればアメリカとは意味が全く逆になってしまいます。こういう事態に今立ち至っている中で、不況が長期化していく可能性を我々は今も抱えているわけです。

 しかし、今までの景気対策では逆に悪くなる、リスクが積もってしまう、こういう状況に置かれているんだということを認識する必要があります。今の状況に対する正確な認識がなければ今の政治家は歴史の汚名を着ることになるんだということに私は確信を持っています。

 今、いろいろな意味で制度が転換する時期であります。このときに、今言った形で、一つ一つのリスクに対してどういう改革をしなきゃいけないかというきちんとしたビジョンもないまま突っ込んでいく、景気回復の見込みもないのにただただ公共事業をやっていけば、どんどん国債が累積するばかりなわけです。今、貿易赤字があって、一応マクロのバランスでは、国内の貯蓄があるために表面的に出てこないだけであります。不況が深刻化していく中で、財政赤字がこの先どこまでいくかわからないという不透明感が広がれば、これは国債を持っていると危ないということになりますから、そういう形で暴落して、長期金利が上がるというシナリオが一番悪いんです。これを防ぐためには、中央銀行が引き受けたり、さまざまな非常手段をとらなければいけないという事態に必然的に入っていくというのが、過去の歴史の教えるところであります。その結果は、必ずしも幸福な結果をもたらしたとは言えないと思います。世界的には、チリだったと思いますが、一回だけやってうまくいったという事例はありますが、おおむね長期的にはうまくいっていないというのが現状だと思います。

 そういうふうに考えますと、グローバリゼーションは、実は市場の調整速度が一番遅い農業にやってまいります。金融は未来も取引いたします。次に雇用であります。雇用は非常に調整能力が遅いですが、まだ農業よりは速いです。自然の時間でぐるぐる回っているものは調整がきかないところになります。WTOルールが次に発動されて、恐らく今、米は四分の一ぐらい下がっておりますし、去年ぐらいから中国から本格的な野菜の輸入が始まって、急激に落ちております。皆さんの選挙区では、もう一つグローバリゼーションの波が押し寄せてくるはずであります。そういう不況の状況の中で税収が上がることは考えられないというふうに考えます。

 そういうふうに考えると、破綻するシナリオというのは、効果がないままに国債が累積して、それがさまざまなゆがんだ金融政策で支える以外にない状況に陥る。それを切った瞬間に長期金利が上がってしまう。不況で長期金利が上がれば、税収は上がらない。そこの中で国債の価格がおっこってくる。金利が高いから、新しく国債を発行しなければいけないときにはさらに調達コストがかかるというようなことになってくる。そういう状態が一番悪いシナリオだ。今は金利が低いから利払い費は伸びていない。しかし、こういうときに、つまり油断をしてやるというのは、ちょうどバブルの時期に我々がめちゃくちゃなことをしたのと同じことであります。

 そういう意味で、十年後になるかもしれませんが、あるいは二、三年後になるかもしれませんが、そういう将来のリスクを、今、政治家の方々が真剣に考えていただかなければならないというふうに私は考えております。これが具体的な破綻のシナリオというか、私が考えている財政破綻に関する考え方です。それは、景気対策か財政再建かが本当の論点ではないということをあえて強調させていただきたいと思います。

 以上でございます。

中田委員 ありがとうございました。

 大変熱弁をいただいたわけでありますけれども、まさに先生が最後におっしゃったところなんですけれども、どうしてもこれが政治の中における議論、あるいはマスメディアを通した議論になりますと、財政再建か、もしくは景気対策かといったような議論になりがちなわけであります。

 そもそも、財政再建か景気対策かという議論も非常にすりかえ議論だと私自身思ってきたわけであります。例えば橋本政権における大罪はもちろん大きく今の経済に響いているわけでありますけれども、あのとき財政構造改革法ができたりしたけれども、要はあの失敗というのは、もう一律カット方式の単なる財政緊縮法でしかなかったというところですよね。そういう意味では、財政構造改革というふうな言い方を実は私たちは当時もしていたわけであって、それは決して財政を緊縮しろと言っているということではなく、むしろお金の流れ方を変えなさいという地方も含めた仕組みの問題と、それから、お金の使い方を改めなさいという優先順位の問題というところの議論が実は財政構造改革という話だったと思うんです。ところが、その財政構造改革の財政の二文字だけとって、財政再建なのか、それとも景気対策なのかというような二者択一が迫られたのがここ二回ほどの選挙であったような気もするし、最近でもまだそのことはずっと言っておられる与党の方々も多いわけであります。

 そういう意味では、私は、これは決して二者択一ではないと思ってきたんですが、しかしその財政構造改革も、どうも最近、実現しないまま使い古されてきた言葉の感があります。そういう意味では、先生が先ほどおっしゃった債務管理型の国家ということとの違いといいますか、先生がおっしゃる債務管理型というのは、これは財政構造改革からさらに一歩前に進めた議論でありましょうけれども、この違いというものについての言及をいただければと思います。

金子公述人 今までの財政構造改革は、プライマリーバランス論であります。つまり、一般歳出の赤字分をどうやって減らしていくかということをターゲット化していきます。ところが、これは御存じのように、建設国債は抜け穴になります。一定の期間の中でプライマリーバランスを達成しようとすると、そこからどんどん公共事業が続けられて、実際に削るときになると一般歳出を一律カットになりますから、今の構造はなかなか変わらないということになります。

 つまり、今の省庁別というか、再編はされましたけれども、その配分の構造も変わらないまま、政策的重点がはっきりしないまま一律カットになってきて、今までのように公共事業だけが延々繰り返されていく。ところが、先ほどしゃべりましたように、実は公共事業の行っている先がほとんど瀕死の状態になっているということで、効果が上がらないというふうに私は考えているわけです。

 その意味では、財政構造改革というよりは、生活の安心になる部分は大胆に分権化した方がいい。つまり、公共事業をカットして、例えば直接償却をしてという中北先生の御指摘もあるわけですが、それはもう必要なんですが、それに対して必要なのはソフトランディングをすることです。地域経済がこのままいけば落盤してしまいますので、小さな公共事業をたくさんできるような体制にするには、大胆に分権化をしていく、それで地方でみずから最も役に立つような公共事業をできるようにしなければいけないというふうに思います。そうでないと、ニーズに合わない、後で維持費や借金の返済費だけが累積するような大規模事業だけをやって、しかも後で地元の負担になってきますから、今度新しい事業を展開しようにもできなくなってくる。これでは地元の経済はほとんど救われないと思います。

 地方が自主的に自分たちの税源を中心にして事業が展開できるような体制というものに転換していく、そうすればニーズも反映してくる、そこで安心も確保できる、そういう大胆な改革が必要です。それには、プライマリーバランス論だけではなくて、債務管理型国家で債務の膨張を抑えながら、政府の仕組みを大胆に分権化する。ここはかつての財政構造改革法とは決定的に違っている点だというふうに思います。

 社会保障に関しても、わからない形でこれを財投に運用し、それでどんどん焦げつかせるのではなくて、これをしっかり拠出税方式にして分離をしてしまう。つまり、政府の機能をそれぞれの役割に応じて大胆に分権化して、政府の分業関係をしっかりさせるということが必要だと思います。本格的な意味での、これが本当の財政構造改革だと私は思うのですが、残念ながら、ちまたで流れている財政構造改革は極めて矮小なものにすぎないというふうに私は考えております。

 以上、十分に違いがわかっていただけたかどうかわかりませんが、私の考え方を述べさせていただきました。

中田委員 大変わかります。

 それで、地方財政もまさに今、国だけでなく瀕死の状態でありまして、来年度末には恐らく百八十八兆円という規模の債務を抱えるということになります。そういう意味で、先生が今おっしゃられた分権をしていくということについて、先ほども御説明をいただいたわけですけれども、当然のことながら、そこには思い切った権限とそして財源がなければ、地方分権推進一括法か何かでやったときのような、どうでもいいと言っちゃおかしいけれども、権限が来ても本当の意味での権限は来ないで、さらには財源も来ないというような分権では、恐らく先生がおっしゃられている趣旨とは全く違うんだろうというふうに思うんですね。

 今までは、地方債を出しても、その元金や利子までもが地方交付税特会で負担をするような仕組みになっていて、いわば、地方からしたら借りなきゃ損だみたいな仕組みをつくっちゃっていたわけです。今、地方交付税法の改正案なんかを実は別のところで国会で議論していますけれども、これも根本的にそれを改めることにはなっていません。

 先生がお考えになる財源ということになれば、先ほども触れていただきましたが、大体どの程度地方に移していくのかということについて、御意見を伺えますか。

金子公述人 私たちは、制度的に非常にわかりやすい提案をしております。

 現行の税率では課税最低限が上がり過ぎておりますので、これをもとに戻す必要があります。その上で、基礎税率の一〇%部分を住民税に移します。住民税の低いところの、ちょっと階段の部分ですね、累進の部分をなるたけ平らにしていくという形にします。中央と地方の関係でいえば、地方に所得比例部分を移行させることになります。そうすると、税源全体でシミュレーションすると、中央と地方の財源の比率はちょうど逆転する形になります。それでも不十分でありますから、消費税の一部をかなり地方に移譲していく必要があります。

 そういう形の税源移譲がないと、恐らく地方債の規制緩和をしても難しいと思います。なぜかといえば、所得の稼得能力がない人が幾ら借金をしても信じられないわけですから、とりわけて弱い地方団体は、起債が不可能になってまいります。そういう意味では、基本的に大きな団体、大体中小都市くらいまではそれで賄えるだろうと思います。その上で、幾つかの地方団体、弱い団体には、国が共同起債機関か共同起債の引受機関で、少なくとも大都市と同じ金利で引き受けられるような機関を設けるか、あるいは、幾つかの地方団体が、同じ建物を建てるのではなくて、共通の町づくりをするためにロットを大きくして共同発行できるような、そういう仕組みをしたり、地元で、ドイツなんかでやっていますけれども、コミュニティーボンドみたいな形で、金融市場を介さないで地元の住民自身が直接引き受けるような、そういうボンドを公的部門が発行できるようにしたり、こういう形でやっていくことが望ましいと思います。

 しかも、例えば、少子化で学校だとか保育園だとか、そういう要らなくなったものを例えば高齢者用の施設につくりかえるなどということは、土地取得費用が要らないわけですから、それほど大きなコストはかからない中で、地元の業者でも十分できる。もちろん、これに対しては会計の外部監査や情報公開や住民参加というものがなければ、非常に汚職の温床になってしまいますので、そういう会計上の透明化というような改革も同時に必要になってくるだろう。

 そういうことをやっていくということと、税源移譲ということ、つまり、基本的には地方債と地方税の充実のあり方というのをセットでやっていくということがどうしても必要になってくるだろうというふうに私は考えております。

中田委員 ありがとうございました。

 時間ももう終わりましたので、これを最後にします。最後というか、もうお聞きはできないと思いますが、紺谷先生にもありがとうございました。紺谷先生のは、先ほど私、お話をお伺いしていてこういう言葉を思い出しまして、悲観論は気分に属し、楽観論は意思に基づくというような気分になりました。

 すなわち、紺谷先生のが決して単純な意味での楽観論とは思いませんけれども、しかし、ある意味では、意思を持ってやっていったときにできないわけないんだからという励ましもいただいたような気もします。

 すべての先生方に御質問ができませんでした。時間も終わりましたけれども、参考にすると言って先生方をここに呼んでおきながら、一向に参考にならないのが我が国の予算の問題でありまして、全然この委員会でも反映されないというのが問題でありまして、私は、きょうは穏やかに最後まで話ができたことを大変感謝を申し上げて、終わらせていただきたいと思います。

 ありがとうございました。

野呂田委員長 次に、中井洽君。

中井委員 自由党の中井洽です。

 四人の公述人の皆さん、ありがとうございました。十分間でございますので、感想を少し述べさせていただき、お二人の先生にお尋ねをしたいと思います。

 四人の、予算に賛成、反対、それぞれの公述人の皆さんの共通は、やはり国会や政府がやってきた政策は少しピントがずれているんじゃないか、また、論議も的外れが多いじゃないか、もっとしっかりしろ、こういう厳しいおしかりをいただいた、こう考えております。

 その中で、島田先生の発想を変えろというお話は、実は、私も人口六万の小さな町に住んでおりまして、高齢化率はもう二〇%をとっくの前に超えております。市長や議員の皆さんは皆、若い人に魅力のある町づくりをと言うから、そんなのやめろ、六十以上の東京や大阪へ行った人が戻ってきて老後をゆっくりと暮らせる町をつくれ、発想を変えろ、そのためには税制や住宅制度やいろいろと変えればいいんだ、こういうことをここ十年間言い続けておりましただけに、我が意を得た、こんな思いでありました。このことだけを島田先生に申し上げておきます。

 中北先生のお話は、私もそのとおりだ。直接償却を私どもはここ数年間やかましく言ってまいりました。企業が大きい、小さいということではなしに、やるべきだ。特に、銀行、金融機関を助けたときに、その体力のある時期に思い切ってやるべきだ。それを、ソフトランディングをさせよう、いつか景気がよくなるよ、こういうことでずるずるとやってきた決断のなさが、今日、こういう絶望的な状況を招いているんだろうと思っています。

 そういう意味で、今、金融庁が、金融機関が赤字になっても直接償却をやれと言い出しておる。これは時期が違うんじゃないか。今までの反省なしに何だという思いと、本当に今の時期にこれをやれるのか、このことを心配いたしております。やらなきゃならないし、やれないんじゃないか。

 この点について、金子先生、先ほどからちょっとお触れがございましたが、もう一度お考えを、それから紺谷先生にもこの点についてのお考えをお尋ねいたします。

金子公述人 具体的にはどういうお答えをすればよろしいでしょうか。

中井委員 今、金融機関が直接償却をやってしまうだけの体力があるのかどうか、ないのにどうしてやるのか、こういう話です。

金子公述人 私は、実は、九七年終わりに、第二次の破綻というか、住専問題の次にあった後、九八年ごろには強制注入論というものを展開しておりました。経営責任を問うて、一気に公的資金投入枠を全部入れるべきであると。これは、欧米諸国のケースだと大体そうであったわけで、別に特異な議論ではなかったと私は考えていますが、残念ながらそういう考え方ではなくて、戦略会議の最終報告のように、経営責任を三年棚上げして七・五兆円というようなやり方をしたわけですね。

 今の時点で情報がしっかり私にはありません、正直申し上げれば。どの程度やったらいいかという判断を、情報が非常に不正確なまま断言してしまうのは、ちょっと怪しいと思われます。つまり、体力が低下すればするほどがんの手術は難しくなるのと同じで、今相当厳しい状況にあるだろうとは想像できるけれども、どの程度までやったらいいのかということについては、実は自分が誠実に答えられる範囲では、ちょっと専門を超えているというふうに思います。

 ただ、何らかの形で、多額のものを入れながら直接的な償却をしていかざるを得ない。ただ、問題は、先ほど申し上げましたように、地域の金融機関やあるいは地域の地場の産業が急激に落ち込む可能性がありますので、今の全体のデフレ状況の中で、そういう政策に対するソフトランディングの政策をするべきだというふうには言えると思います。恐らく必要だけれども、今の時点で全部やってしまえと言うだけの資料を持っていないということでございます。

 ちょっと、十分な答えになったかどうかわかりません。情報がしっかりあれば、私なりの判断はできると思います。

紺谷公述人 私は、はっきり、今直接償却などやるべきではないと思っております。

 間接償却と直接償却というのは、銀行にとって大して変わらないのですね。いずれにしろ引当金を積んで、損失処理はしていくということです。だれにとって違うのか。借り手である企業にとって違うのです。直接償却ということは、企業にもうお金は貸さない、息の根をとめるということに等しいのですね。

 今、多くの企業が苦しんでおりますけれども、この状況というのは、合格点が八十点になっちゃったような状況だ。本来だったら六十点が合格点であるにもかかわらず、七十五点、七十点、六十五点の企業までつぶさなきゃいけないという状況になっていくわけでありまして、今企業をつぶすということは、それは、翻ってまた銀行にはね返ってくるということがあるわけでございます。直接償却ということがアメリカにおいて可能だったのは、企業がそれほど傷んでいなくて銀行だけが傷んでいたという事情があるから、銀行の帳簿をきれいにするということがある程度意味があったのですね。まして日本では、直接償却をしても、不良債権を販売するルートがないということがあるわけでございます。

 ですから、それはもう企業に死ねと言うことと同じでありまして、今、実は信用金庫、信用組合というのは、必死で企業に貸し付けを続けようとしているわけですね。ところが、金融監督庁のあのマニュアルというのは、東京三菱のような大銀行も、町の小さな信用組合もほとんど画一的な査定でありまして、二期続けて赤字だったらば、もう要注意先債権だ、不良債権だ、引当金を積めということで、それで信用金庫、信用組合の自己資本比率というのはどんどん毀損しているという状況でございます。言われたとおりにやってしまうと、今度は企業をつぶして、それがまた自分にはね返ってくる。だからといって無理やり貸し付けを続けていると、自分の自己資本比率が減って、好きでもない相手と結婚を無理強いされるみたいな、そういうことになってしまうわけですから、もうにっちもさっちもというところになっていると思うのですね。

 確かに、先送りが今日のような混迷を生んだということは言えると思います。ですけれども、手術をおくらせて、先送り先送りを重ねているためにどんどん体力が落ちて、今は手術ができませんね、もうちょっと体力を回復してから手術しましょうとお医者さんがおっしゃることだってありますね。日本経済は、今そういう状況だと思います。今こそ先送り、今こそ護送船団で、一つでも多くの企業がトンネルの出口を出られるようにしたい。もうトンネルの出口は見えているわけでございますから、ここで無用な失業、倒産というのは極力避けていただきたい。

 アメリカやヨーロッパでどういうやり方をしたかは存じませんが、国情はそれぞれ違うわけです。企業が置かれている状況も違うわけです。考え方をまねするということはいいのかもしれないのですけれども、形を猿まねするというのは、もういいかげんでやめていただきたいなと思っております。

 失礼いたしました。

中井委員 紺谷さんにもう一つだけお尋ねをいたします。

 先ほどから、改革というのはやらなければならぬけれどもということで、独特の御意見をお聞かせいただきました。それはそれとして、私も幾つかの点で、反省やうなずかざるを得ない点はあるわけですが、しかし、例えば今、株がまた一万三千円を割っているような状況。これは、預金があれだけありながら株へ行かない。証券会社がいろいろあった後、今度は例えば投資信託だ、ファンドだという形で、かなりのお金が株式市場へ行ったのですね。行ったけれども、相変わらず日本の証券会社は売り買いを勝手にして、短期の繰り返しをやって、自分の会社の手数料稼ぎをやっちゃう。預託をした人の三年、四年の長期的な投資、こういったことをちっとも考えない。

 これは、日本はちっとも反省がないじゃないか、体質が変わらないじゃないか、こういうことがいっぱいあるわけですね。こういったことはやはり変えていかないと、日本の経済というのは新しい展開ができないと僕は思うのですが、そういった点について、どうでしょうか。

紺谷公述人 おっしゃるとおりでございます。

 昨年の初めに、多くの個人投資家が株式投資に関心を持って、投資信託なんかをたくさん買ったのですね。ところが、日経平均の銘柄入れかえを利用して、証券会社だけがもうけて、投資信託に大損をさせたということがあります。ですから、今、本当の意味での証券市場改革というのが必要であろうと思うのですね。

 何より大事なのは、先ほども申し上げましたけれども、株式投資は恥ずかしくないのだということです。株式投資家がいなかったらば経済は立ち行かないのだということを御理解いただく。大恐慌の後ペコラ委員会がやったような、そういう教育啓蒙活動が必要だろうと思うのですね。ところが、証券界というのは、教育啓蒙活動にほとんど取り組んでいない。実は、不肖私は、女性投資家の会というのを立ち上げまして、もう私財を数百万円投じておりますけれども、昨年、八十七回勉強会をいたしました。株式市場の役割、株式投資の意義、株価の経済的影響ということについて、多くの皆さんに御理解いただきたいと思ってやってきたのですね。今、それが必要だと思うのですよ。

 先ほど申し上げましたように、長期投資すれば、株式というのはそれなりの利回りを結果してくれるということなんですね。証券会社の言うがままに短期売買を繰り返しておきますと、非常にリスキーで損ばかりしちゃうということなんですけれども、どういう株式投資のやり方があるのか、どういうリスクコントロールのやり方があるのかということをきちんと教育啓蒙を行いまして、今千三百八十兆円あると言われる国民金融資産のうち一%が株式市場に向かっても、十三兆、十四兆なんですよ。下手な株価対策よりよっぽどきくということなんですね。

 税金の面や何かでも、株式投資をすると二六%のキャピタルゲイン課税、だけれども預金については金利に対して二〇%の課税ということで、株式投資をする人に罰金をかけているような状況なわけです。そういうことはぜひぜひ見直していただきたいと思うのですね。サッチャーさんは、イギリスで民営化をなさったときに、十株買えば一株おまけについてくるとか、あるいは小口の方のために分割払いを認める、全額払い込んでいなくても配当はもらえるというような形をとったわけです。そういう意味での株式市場育成策というのが、国を元気にするために必要であると考えております。

中井委員 ありがとうございました。

野呂田委員長 次に、山口富男君。

山口(富)委員 日本共産党の山口富男でございます。

 きょうは公述人の皆さん、意見の陳述、ありがとうございました。

 私は、皆さんの意見を聞かせていただきまして、財政の問題でも、それから国民生活にかかわる密着した問題でも、本当にこれまでのやり方を切りかえていく、そういう大事な、歴史的な転換の時期に入っている、そういうことがほぼ共通に指摘されたのじゃないかと思うのです。

 そういう時期だけに、やはり実際に私たちが遭遇している問題の姿や性格に対応した処方せんが大事になると思うのですが、まず島田公述人にお聞きしたいのですけれども、きょうのお話でも、冒頭に消費の低迷の問題からお話を進められました。これは本当に深刻な問題だと思うのです。そうしますと、日本のこの経済、今後のことを考えた場合に、もっと個人の消費、家計部門、ここに軸足を本当にきちんと置いていろいろな物事を考えなければいけない、そういうお考えでいらっしゃるということでよろしいのでしょうか。

島田公述人 そのとおりでございます。

 今先生がおっしゃられた、歴史の転換点といいますか、新しい歴史の段階に入ったわけですね。終戦直後の焼け野原の中から、とにかくアメリカに自分の商品を売るのだということで、日本民族が一生懸命頑張ってきた。これは、その歴史的意味がしっかりあったと思うのですね。そして、高度成長を達成しました。

 しかし、その後、実は豊かな社会になってから、そして高齢化の進む社会になってから、対応する政策を大きく誤ったのだろうと思いますね。具体的な例で言えば住宅政策がそうで、焼け野原の中で、国にお金がないわけですから、個人に優遇をして自分のマイホームを建てていただくというのはまず必要な住宅政策ですね。しかし、ある程度豊かになったら、せっかく建てた家を三十年でつぶしてローンの借金を負っていくというのはおかしいのですね。これは、社会的な流通ができる、社会資本として豊かに維持していくという方向に転換すべきだったのが、いろいろな既得権が入ったのだと思いますけれども、転換できなくなってしまったのですね。またそれは、子育てでも、高齢化の問題でも、交通の問題でも、あらゆるところにある。つまり、高度成長を支えてこられた生活者をトータル取り落としてきたのが日本の社会じゃないか。ですから今、それが全部裏目に出て、世界最大の個人貯蓄が累積しているのに、みんな将来不安で使えない。こんなばかな国はないのですよね。

 そういう大きな歴史的な変化の段階というのとバブルの崩壊というのが重なっているものですから、非常にやりにくいのですけれども、私は、きょうはあえて歴史的な変化、つまり生活者中心の政策、あるいは産業界の認識もそっちへ向けることによって、日本は大変大きな可能性を持っておりますから、人々が安心して暮らせる、それが経済成長になる、こういう国を構築できるはずだ。ぜひ、先生方におかれましては、そういう発想の大転換であらゆる政策を組み直して、幸せが経済成長に結びつくのだ、結果としてですよ、経済成長が目的じゃないのです、結果としてそうなるのだ、こういうことに発想を転換していただきたい、このように思います。

 どうもありがとうございました。

山口(富)委員 家計部門に軸足を置くというのは本当に大事なことだと思うのです。

 続いて、金子公述人に二点お伺いしたいのです。

 まず第一は、お配りいただきました図表なのですけれども、この二枚目の第七番なんですね。雇用不安と社会保障制度の動揺から消費の低迷に至り、リストラ等による収益確保、この意味合いについてお教えいただきたいのです。その際に、今起こっている問題というのは、構造的なものなのか、いわばこれまでの政策的なやり方の誤りに起因したものなのか、その性格の問題もあわせてお伺いしたいと思います。

金子公述人 雇用といわゆる社会保障に関してですが、私は、政策的な誤りと構造的な問題に対する見方が甘かったという点が、結果的には政策的な甘さがかなり今出てきていると思います。とりわけて問題なのは、雇用に関しては、三つほどの要因で私はリストラが継続していくだろうと考えております。

 一つは、企業にとって景気の先行き不透明感はしばらくの間続くだろうと考えます。これはアメリカ経済の減速の状況で、私はだから先ほど、今の時点で公的資金をどこまで直接償却で入れるかちょっと言いにくくなったというのは、そういうデフレの状況が相当続くだろう。

 もう一つは、IT化に対してホワイトカラーの過剰感があって、これは過剰に反応している面があります。

 三つ目は、実はこれは国際会計基準との関係で、いわゆる連結キャッシュフロー計算書の導入にかかわっていると思います。いわゆるフリーキャッシュフローと呼ばれる、設備投資及び営業活動から出てくるキャッシュフローの差額を絶えず黒字にしなければいけませんから、売り上げが変動するたびに、雇用が固定費になってしまいますので、これが弾力化しなきゃいけない。ですから、有効求人倍率は、ほとんどハローワークで出てくるような、かなり短期雇用も含んだような雇用統計ですので、有効求人倍率は上がってくるけれども失業率の方は高どまりしてしまうという構図がしばらく続く可能性を持っている。

 そうすると、二つの方法しかあり得ないと思います。

 一つは、職種転換ができない中高年を、賃金が下がっても雇用を守るような、ワークシェアリングで守っていくのかという話と、既に若い人の意識は変わっておりますので、若い人に対しては、雇用がさまざま流動化して自分たちで選べるような、そういう人たちにとってのセーフティーネットというか、年金を通算したり、社会保障制度に関して一人一保険証を実現したりする、そういう最低限のネットを整えながら雇用のルールをつくり上げていくということが大事だと思います。そういう意味では、構造的かつ政策的なものに対しては、やはり構造的な問題に対して、政策的にしっかりとした制度改革をする必要があるというのが一点目でございます。

 もう一点は社会保障なのですが、これはやはり両方あると思いますね。事実上、想定を超える高齢化が進む、予想を上回る低成長に直面してしまっている。しかも、それに対する対応を後手後手で誤ってきましたし、今までのような一種の修正積立方式、あるいは最近、積立方式にしろという提案もありますけれども、この両者とも、多分将来に関するリスクを負えないと思います。変更があるたびに、将来、つまり積立運用益に反映してまいりますので、ずっと未来永劫にわたって影響が及びますので、いつとまるかわからないという、今の政策の枠組みの弱点がもろに出ていると思います。

 そういう意味では、私たちは拠出税方式と言っていますけれども、つまり高齢化のところで完全に扶養を社会化いたしますので、両者が連動するところで改革の終わりが見えるんですね。そういう改革をしないと将来不安はなかなかなくならないだろうというふうに考えます。そういう意味では、どちらも政策的、構造的という意味では、変えるものもそういう大胆なものでないといけないというのが私の意見でございます。

山口(富)委員 金子公述人にもう一点、最後にお尋ねします。

 私どもは、銀行への公的資金の投入には賛成しておりませんけれども、財政赤字の問題で、これを累積させていかない、迫りくるリスクをきちんと見据えようというのは、そのとおりだと思うんですね。

 その際に、公共事業量の問題で、効果をもう発揮していないという話が出されました。私たちも、むだ遣いになったり浪費になっている部分は思い切って削って、それで、地方にも経済的な波及効果もあるし、雇用にも効果を生むような生活密着型の中身に改めていくべきだという考え方なのですが、今度の予算の場合、やはり従来型の公共事業の積み立てになっていると思うのですけれども、この点について御意見をお願いいたします。

金子公述人 中身的には、IT関連だとか、配分の仕方は多少変わったと思います。全然同じだとは思いませんが、ただ、根本的に転換したかといえば、転換は不十分どころか、むしろ旧来型に近い側面が非常に強くなっているのではないかというふうに考えます。

 私が非常に気にしているのは、来年度にかけて地域経済が相当傷むだろう、先ほどから私述べていますけれども、そういう予測を立てております。そういう意味では、今の時点で直接償却を主張するのは逆で、それだったら九七年の後に言うべきだったというふうに私は思っています。

 私はほとんど孤立していましたが、ずっと強制注入論で、一気にやって一気に整理しなければいけないという主張をしていました。逆に今の時点では、やり過ぎると、体力が衰えていますので、どこへ行ってしまうかわからないみたいな不安を逆に感じています。そういう意味では、正確な情報をいただかないと判断はできないと同じように、公共事業についても、大規模な公共事業を今のまま継続して、一応二百七十以上事業は中止するという建前ですけれども、実際にどこまで中止するのかわからない状況のままで今のままやっていくと、地域経済の底割れみたいな問題に直面したときに、やはり政治の責任というのは問われることになるというふうに私は思います。

 そういう意味では、地域経済をしっかり救うようなビジョンを考えるという意味では大胆な制度改革がどうしても必要だろう、公共事業に関してもそういうことがやはり求められているというふうに思います。

 以上です。

山口(富)委員 どうもありがとうございました。

野呂田委員長 次に、辻元清美君。

辻元委員 社会民主党の辻元清美です。

 十分ですので何人の方にお伺いできるかわかりませんが、できるだけ多くの御意見をいただきたいと思います。

 まず中北公述人にお伺いしたいのですが、一つは、この間、経済政策で行き詰まると日銀に対してプレッシャーがかかるというようなことをかいま見るのですが、今、日銀法の改正なんということもこの永田町で言われたりしてきています。公述人は、日銀法は国家の柱で基本法であるという御発言がありましたので、この点についてどのようにお考えかということと、もう一つ、先ほど御意見をいただいた中に、ポリシーミックスの精神ということを直接償却の問題に触れられた中でおっしゃっているわけですが、この点をもう少し詳しくお聞かせいただきたいと思います。

中北公述人 御質問ありがとうございます。

 御承知のとおり、日銀法の改正は、さかのぼりますところ、住専問題あるいは大蔵省の改革の問題ということに戻るわけですが、それはまたバブルの生成と崩壊というところに原因が求められるわけです。しかし、大もとは、各先生方からお話がありますように、日本の経済が高度成長を達成した後、従来のキャッチアップ型を脱しなければならないときに、戦時体制下で制定された仮名書きの旧日銀法を実に六十年以上続けてきたというところに問題があったというふうに思います。言いかえますと、確かにきっかけはバブルの崩壊でありますが、もともとの原因というのは、日本経済が大きく構造改革しなければならなかった、それをやってこなかったことだというふうに思います。

 そういう意味では、この改正された日銀法というのは、五十年、数十年に一回のまさに基本法の改正であって、それは、ではちょっと都合が悪いから来年変えるとか、急に見直しするというような話ではないというふうに思うわけです。

 他方、世界の大きい流れというのは、中央銀行が独自性を強めていく。特に、EUの市場統合を見ますと、ECB、欧州中央銀行、これは極めて独立性の強い中央銀行でして、あのドイツ連銀の独立性さえまだ不十分だということでつくった銀行であります。そういった大きい流れの中で日銀法が改正されてきたわけでありますから、その独立性に関して、議論をするということ自体は結構だと思いますが、安直にそれをまた針をもとへ戻すとか、そういうことは、世を指導する方々の発言というのは極めて慎重たるべきではないかというふうに私は思っております。

 もう一点御質問の直接償却ということでありますけれども、これはきょうの新聞を見ておりましても、既に定義がかなり揺れ動いているように思います。技術的に直接償却という言葉はきちっとあるわけでありますけれども、議論が揺れ動いて内容が変わってきたときには、やはり再定義をするなり、名称を変えるというぐらいのことをやっていかないと、直接償却といいながら、また従来の間接償却を実は考えているということではいけないというふうに思います。

 例えば、単に会社を分割して、汚いところを切り離して、優良会社に資金を入れるというだけでは、従来型の債権放棄とどこが違うのかという疑問が多分市場の方からまた出てくるのではないかということであります。ここはやはり専門家の意見もきちっと耳を傾けながら、厳しいですが、誤解のないような形で、しっかりした情報なり決定というのを市場に流していくことが重要ではないかというふうに思います。

辻元委員 ありがとうございました。

 引き続き、金子公述人にお伺いしたいのです。

 債務管理型国家という御主張を先ほど伺いました。

 ことしの予算の特徴なんですけれども、私はきのうちょっと計算してみますと、国債で借りかえをするという国債の割合が一二%増と大幅にふえているのですね。こうなってくると、自転車操業に陥っていっているのではないかという危機感を非常に強く持った点と、隠れ借金の問題なんです。

 ことしの予算の特徴では、財投とかそれから特別会計の隠れ借金を表に初めて出してきたと思うのですが、それをこれから返していくプロセスの一端が今回見れますね。そうなってくると、本四架橋だけで八百億、これが特徴的に言われていますけれども、これからぞろぞろ隠れ借金が出てきて、それを一般会計で処理していくということになったら、果たして債務を管理していけるのかという危機感を強く持つわけなんですが、その点、いかがお考えでしょうか。

金子公述人 おっしゃるとおりでございます。

 私が配った表の(4)を見ていただけるとわかるのですが、今は非常に金利が低いですので、安易に借りつないでいって残高を累積させてきているという意味では、後になったとき、その借換債も同時にまた借りかえの時期を迎えるわけですから、その将来のことを十分にカウントしていないという意味では、やや安易かなという気が私はしております。その点は御指摘のとおりだと思います。

 もう一点は、実は、財投関係の赤字を出してきたということ自身は私はいいことだと思います。これは、債務管理型国家との関係でいえば、年金を社会保障基金制度として自立させますので、今の現状の人たちに対して給付水準を極力下げないようにするためには、旧年金を少しずつ取り崩していかざるを得ません。そうすると、貯金を取り崩す過程で、焦げついている部分をどうするかというのが問題になってきます。

 我々は、二十年か四十年で旧年金を取り崩していこうとするわけですから、その間に徐々に債務の部分をどう整理するか、つまり、年金を貸し付けている部分がありますから、そういう部分についてどうするかということを一つ一つ長丁場で議論して解決していく以外にはないだろう。我々の債務管理型国家というのは、そういう意味では、財投を本来の業務に縮小させていく、ある意味では、無理に使い込みをするというのをチェックしていく、しかも、ある一定の期間そうせざるを得ないという枠をはめてしまう。要するに、旧年金を保障するためにどんどん削っていくわけですから、取り崩していかなきゃいけないわけですから、そういう強制のたがをはめる、そういう仕組みでもあります。

 そういう意味では、我々はモラルをしっかりさせるルールづけというものを重視している、そういう提案だというふうにお考えいただければと思います。

辻元委員 ありがとうございます。

 そのほかも、地方への税源の移譲ということは、これはたくさんの先生方が多々指摘された点なんです。私は、もう一つ、この税源の世帯単位から個人単位への移譲ということも大事ではないかというふうに考えているのですね。

 これは、特に女性の社会進出、それから男女ともが働き、暮らし、生きるという三つの機能をお互いに担い合うという意味では、特に女性の場合は世帯単位の税制であったり年金で非常に縛られていますので、ここを解き放つということは経済効果が大きいのではないかと思っています。

 さてそこで、最後の質問ですので、島田公述人に明るい質問をしてみたい。将来のビジョンなんですよ。ピンチはチャンスということで。

 先ほど、経済はウオンツの実現であるということでした。そのとおりで、経済は手段ですから、目的ではないですね。最近は価値観が変わってきまして、そのウオンツを実現するプロセスのウオンツというものも変わってきていると思うのですよ。

 どういうことかといいますと、例えば、サステーナブルという言葉が出てきましたように、今までのようなウオンツの実現の手段ではない方法がないかということで、例えば株式投資にしましても、社会的責任投資、エコファンドなどに象徴されるような、男女とも働きやすい仕組みをつくっている会社の株式が非常に株式投資のインセンティブを持つような社会につくり変えていくとか、それから、グリーンコンシューマーという発想で、消費者の意識も変わってきている。そしてさらに、新しい産業連鎖ということで、私は、これからゼロエミッションというのはすごく大事になってくると思います。

 先ほどから公共事業についても議論がありましたが、このゼロエミッション社会を実現していくためには、新しい産業連鎖をつくっていくための公共事業というのは物すごくたくさん必要になってくるわけです。要するに、プロセスを新しい社会の設計図に書きかえるために、公共事業であったり、税制であったり、株式投資であったり、これを変えていくことが、その設計図を書くのが私は政治の役割だと思っているのです。

 最後に島田公述人に、将来の見通し、このような発想で社会が流れていくのじゃないかと私は思っておりますが、それについてコメントをいただければと思います。

島田公述人 ウオンツを実現するのが社会であり、それを支えるのが政治である、そのウオンツの実現の仕方のウオンツがあるというお話で、非常に高度な話だと思いますが、しかし、私なりに今の辻元先生のお考えはわかるような気がするんですね。

 それはどういうことかというと、やはり基本的には、メガトレンドとして人口構造がどんどん変化しておって、大家族から核家族へ、そしてシングルの家族、家族とは言えないんでしょうけれども、好むと好まざるとにかかわらず、高齢社会というのはひとり暮らしがふえていく社会ですし、また、それだけに今度は家族の大切さというものをみんな改めて自覚する。そして、地球の制約がますます厳しいですから、非常に多くの人たちがそういう問題に関心を持ち始めているわけですね。

 そういうことを考えますと、その中で国家があり、企業があり、家庭があり、個人があり、みんなで生きていてよかったというような社会をつくろうじゃないか、こういうことですよね。そこにウオンツがあるんだ。それにこたえるということは、私はきょうは専ら、それは実は経済的に見ると宝の山なので産業になるんですよ、そこから税収が上がるんですよ、しかしそれよりもまず人々が幸せになるんですよ、こういうことを申し上げた。

 しかし、そういうことに力点を持って進められていることは、実は政治にとっては一番のアピールなんですね。政治家の皆さんに多分それをみんな期待しているというふうに思いますね。ですから、これは企業も個人も政治も教育も、やはりプロセスで、人間らしい生活、生きていてよかったと思えるような生活をトータルで実現していくというところに本当に我々も考え方を集中していく必要があるんじゃないか。

 そういう意味で、先ほども歴史の変化と言われましたけれども、今、辻元先生のお話はさらに大きな、ちょっと哲学的な感じになりますけれども、私どもは本当に歴史が大きく変わっているということを、目の前の歴史が変わっているということを、家族とか人間とか社会とか環境とか、それもトータルでとらえて、そこに我々の夢があるんだ。しかも、日本民族は一生懸命働いてきましたから、世界最大の貯蓄を持っているわけですから、技術もあるし土地もあるし、ですからそれをフルに使えば、決して世界で最もとまった国でなきゃならないということはないわけですから、ひとつよろしく、一緒にやりましょう、こういう問題は。

 どうも本当にありがとうございました。

辻元委員 ピンチはチャンスで頑張りたいと思います。

 きょうは皆さん、ありがとうございました。

野呂田委員長 これにて公述人に対する質疑は終了いたしました。

 公述人各位におかれましては、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。

 以上をもちまして公聴会は終了いたしました。

 午後三時三十分から委員会を開会することとし、公聴会は、これにて散会いたします。

    午後零時二分散会




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