衆議院

メインへスキップ



第1号 平成18年2月24日(金曜日)

会議録本文へ
平成十八年二月二十四日(金曜日)

    午前九時開議

 出席委員

   委員長 大島 理森君

   理事 金子 一義君 理事 田中 和徳君

   理事 玉沢徳一郎君 理事 松岡 利勝君

   理事 茂木 敏充君 理事 森  英介君

   理事 細川 律夫君 理事 松野 頼久君

   理事 上田  勇君

      安次富 修君    井上 喜一君

      伊吹 文明君    浮島 敏男君

      臼井日出男君    尾身 幸次君

      奥野 信亮君    河井 克行君

      河村 建夫君    斉藤斗志二君

      笹川  堯君    実川 幸夫君

      篠田 陽介君    杉田 元司君

      園田 博之君    高市 早苗君

      渡海紀三朗君    中山 成彬君

      長崎幸太郎君    根本  匠君

      野田  毅君    原田 令嗣君

      二田 孝治君    町村 信孝君

      三原 朝彦君    山本 幸三君

      山本ともひろ君    山本 有二君

      小川 淳也君    大串 博志君

      岡田 克也君    加藤 公一君

      北神 圭朗君    近藤 洋介君

      笹木 竜三君    仲野 博子君

      伴野  豊君    古川 元久君

      馬淵 澄夫君    松木 謙公君

      坂口  力君    佐々木憲昭君

      阿部 知子君    日森 文尋君

      糸川 正晃君    徳田  毅君

    …………………………………

   公述人

   (21世紀政策研究所理事長)            田中 直毅君

   公述人

   (日本労働組合総連合会副事務局長)        逢見 直人君

   公述人

   (野村證券金融経済研究所経済調査部シニアエコノミスト)          植野 大作君

   公述人

   (昭和女子大学人間社会学部教授)         木下 武男君

   公述人

   (慶應義塾大学経済学部教授)           吉野 直行君

   公述人

   (桐蔭横浜大学法科大学院教授)          郷原 信郎君

   公述人

   (静岡大学教育学部教授) 馬居 政幸君

   公述人

   (日本大学経済学部教授) 牧野 富夫君

   予算委員会専門員     清土 恒雄君

    ―――――――――――――

委員の異動

二月二十四日

 辞任         補欠選任

  伊吹 文明君     山本ともひろ君

  奥野 信亮君     篠田 陽介君

  亀井 善之君     浮島 敏男君

  園田 博之君     長崎幸太郎君

  町村 信孝君     杉田 元司君

  原口 一博君     仲野 博子君

  古川 元久君     近藤 洋介君

  阿部 知子君     日森 文尋君

同日

 辞任         補欠選任

  浮島 敏男君     安次富 修君

  篠田 陽介君     奥野 信亮君

  杉田 元司君     町村 信孝君

  長崎幸太郎君     原田 令嗣君

  山本ともひろ君    伊吹 文明君

  近藤 洋介君     古川 元久君

  仲野 博子君     松木 謙公君

  日森 文尋君     阿部 知子君

同日

 辞任         補欠選任

  安次富 修君     亀井 善之君

  原田 令嗣君     園田 博之君

  松木 謙公君     原口 一博君

    ―――――――――――――

本日の公聴会で意見を聞いた案件

 平成十八年度一般会計予算

 平成十八年度特別会計予算

 平成十八年度政府関係機関予算


このページのトップに戻る

     ――――◇―――――

大島委員長 これより会議を開きます。

 平成十八年度一般会計予算、平成十八年度特別会計予算、平成十八年度政府関係機関予算、以上三案について公聴会を開きます。

 この際、公述人各位に一言ごあいさつ申し上げます。

 公述人各位におかれましては、御多用中にもかかわらず御出席を賜りまして、まことにありがとうございます。平成十八年度総予算に対する御意見を拝聴し、予算審議の参考にいたしたいと存じますので、どうか忌憚のない御意見をお述べいただきますようお願い申し上げます。

 御意見を賜る順序といたしましては、まず田中公述人、次に逢見公述人、次に植野公述人、次に木下公述人の順序で、お一人二十分程度ずつ一通り御意見をお述べいただきまして、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。

 それでは、田中公述人にお願いいたします。

田中公述人 痛みなければ利得なしという、非常に厳しい国民にとっての予算状況の中で、日々御審議いただいております先生方に感謝申し上げます。

 きょうは、来年度予算案について、基本賛成という立場からお話をさせていただこうと思います。

 そして、現在、歳出と歳入改革を一体として行うべきだという大きな路線設定がなされているというふうに理解しておりますが、それを考えるときに、経済情勢がどのように現実に推移してきているのか、経済分析を業といたしています者の立場から、きょうはお話しさせていただこうと思います。

 図表を四枚用意してございますので、それに沿ってお話をさせていただきます。

 第一の図表は、これまで日本の経済財政運営において、不景気がありますと補正予算を積み上げて何とか痛みを和らげようとする、そういう対応がなされてきたという事実がございます。これは、小泉政権が成立する直前までそういう対応がなされてきたわけですが、その結果何が起きたのかということを、できるだけわかりやすくグラフにしたものでございます。

 出ておりますのは、九〇年代に入りまして、大型の補正予算を組んで景気対策を行いますと、その後、円高がやってくるという経緯でございます。円高がやってまいりますと、どうしても輸入がふえ、輸出が抑制されますので、名目GDPの伸び率は、補正を組んだにもかかわらず、なかなか景気がよくならないということになっていることがおわかりかと思います。

 このことは、とりわけ一九九四年、これは一ドル八十円という異常円高をつけたことがございますが、その前に補正が相当組まれているという事実がございます。それから、九〇年代後半にこれもまた補正を大幅に組んだわけでございますが、その後は円高という形になっておるわけです。

 これは、なぜこういうことが起きるかといいますと、変動相場制のもとにおいて、実は財政金融政策の運営というのは一〇〇%の自律性を持っているわけではないという厳しい現実でございます。

 補正を組みますとどういうことが起きますかというと、従来に比べますと、それだけ国内の景気を、局部的ではございますが持ち上げることになります。そのことが金利を高くすることによりまして円高を誘導するということにつながるわけでございます。変動相場制のもとでは、景気が悪いからといって財政支出をふやしますと、円高を通じてその分だけ日本の需要の積み上がりが阻害されるという関係がございます。

 こうした事実関係がどうもありそうだということについては、実はもう四十年ほど前から経済学者が言及していたことでございまして、一九六〇年代からそういう論文がございます。残念ながら、日本人ではございません。マンデルとかフレミングとかという経済学者の名前を通常引用するわけでございますが、変動相場制がまだ全般的に導入されてはいなかった六〇年代の終わりには、そうした事実がある種公知として広く知られているところとなったわけでございます。

 ただ、この点については我が国における理解は必ずしも十分ではなくて、国家公務員試験を受けられる方がテキストブックとして使われています経済学の教科書には、この点はほとんど書いてございません。代表的な教科書にはこの点が書いてございませんので、ひょっとしたら霞が関の経済担当のお役所の方々も十分には御理解しておられなかったのではないかというふうに、今、ヒアリングを通じて確かめたわけではございませんが、そのように私は思っております。

 いずれにしろ、景気が悪いから歳出をふやせとか補正を組めという話は何度でもやってまいりましたが、これが実は失敗のもとだったというのが一九九〇年代の総括だというふうに思います。小泉政権の登場は、まさにそうした失敗の総括の上に、景気が多少悪いからといって補正予算を組んだりはしないという対応をとったというのが基本姿勢だと思います。

 結果はどうなったのか、いろいろ評価はあろうかと思いますが、ここで、第一図では二〇〇四年度までしかございません、二〇〇五年度はこの三月末まででございますので。補正は確かに今年度明らかになっていますが、ここで挙げます名目GDPや期末の為替レートについてはまだ入れてございませんが、御存じのように、名目GDPもどうやら三%台には乗ったようでございますし、為替レートにつきましても、この二〇〇四年度末に比べると円安に推移しているわけでございます。そういう意味では、足元においても、景気が悪いからといって財政支出を積み上げるというやり方は正解ではないということが出ているように思います。

 恐らくこのことは、予算委員会の先生方にとっても、そんな話というのはいつからあるんだと言われるかもしれませんが、実は、そういう因果関係については英語の標準的な教科書にはずっと書いてあることでございまして、我が国、私どもの同僚をとやかく言ってもしようがないんですけれども、日本の教科書にはなかなかその点が書いてございませんので、ちょっと失敗が長引いたかなというふうに思っております。

 二番目に指摘したいのは、今、政府部内でも、名目GDPの成長率と長期金利とは一体どっちが大きいのか小さいのか、今後の絵姿を考える上でこれは重要だという指摘が何人かの方々からなされております。

 そこで、図二をごらんになってください。図二は、我が国における名目GDPの伸び率と、それから国債の利回り、それから米国の長期金利をとっております。

 一九八〇年代の前半まで、我が国では、国債は実質上簡単には売り買いはできないというふうに認識されておりました。そこで、利付電電債とかそういうものを使って長期金利の推移を見るところでございますが、今回は予算でございますので、足元、この十数年のところだけごらんになっていただければと思いますが、我が国の長期金利の推移と一番似ている動きは何かと見ていただきますと、米国の長期金利でございます。

 米国の長期金利の方が我が国の長期金利よりは高いわけでございますが、これがボルカーの就任、一九七九年にボルカーが連銀の議長に就任しております、グリーンスパンになりましたのは八七年でございますが、一貫して米国の長期金利が下落傾向をたどる、とりわけ九〇年代においては明瞭な下落傾向をたどっておるわけでございます。

 我が国の長期金利は、特に九〇年代、新発債をどんどん出しましたので、こんなに国債を発行していれば長期金利は我が国では上がってしまうのではないかという懸念を非常に多くの人が言いましたし、私もそういう可能性は一般論としてはあり得るというふうに思っていたわけでございますが、経緯をごらんになっていただきますと、我が国の長期金利はこの間一貫して低下しております。

 名目GDPの伸び率との対応というものよりも、米国の長期金利の下落に引っ張られてと、グラフの読み方というのはいろいろありますので、どれが因であり、どれが果である、因果関係だというふうに読むのはそんなに簡単ではございませんが、しかし一応、例えば十六、七の高校生にお話をするというふうに考えますと、このグラフの中で何と何との関係が一番ありそうだというのを、心を平明にして見てくださいと言えば、そして気になっているのは我が国の長期金利だということでしたら、どうも米国の長期金利ではないかというのが普通の答えだろうと思います。

 これは何かといいますと、グローバル経済のもとにおいて、やはり金融秩序をつくり上げている国と、その金融秩序に依存してその傘のもとにある国というのが現実に生まれてしまっている。グローバライゼーションというのは、実は、規律を持った国から規律をおかりして我が国の規律とするという仕組みが実際には成立してしまっているという面がございます。

 もちろん我が国でも、いつまでも米国の金融秩序の傘のもとにあっていいわけではございませんので、数年前に日銀法の改正を行いまして、日銀のボードは眠ったボードではないということで、政策審議委員をそれぞれ選出いたしまして、その方々の独自な討論を通じて日本の金融政策を決定するという仕組みをやっと導入するようになったわけですが、その前というふうに考えますと、これは眠っていたボードだと。まあ、俗称でございますが、内部におられた方がそう言われているわけじゃないんですが、観察している者は、あれは眠っているなと言っていたわけですが、眠っているということは金融政策に規律が確立しない。

 アメリカの連銀の仕組みも、長い間にいろいろな実践例を積み重ねることを通じてどうやらこういう規律を確立した。我が国は、この規律をかりる限りにおいて長期金利の反騰を避けられたという関係があるように思われます。

 そこで、それでは我が国の財政金融政策というのはどういうふうに機能しているんだ、マクロ経済政策というのは何も要らないのかという議論がもたらされます。

 三の図をごらんになってください。これは、日本銀行が発表しています、昔は卸売物価というふうに称しておりましたが、最近は企業物価指数というふうに名前を変えております。内容はほぼ同様でございますが、普通で考えますと、工場からの出荷段階における値段を拾っているというのが企業物価指数でございます。通常はこれは一本で、千品目を超える品目の加重平均で発表しておりますが、内容を詳しく見るためには分けて考える必要がある。

 ここで、九〇%点から一〇%点まで、一〇%刻みで線が引いてございます。これはどういうことかといいますと、千を超える品目のうち、対前年同月比で一番値下がりをしているものから順に考えまして、ちょうど一〇%に当たるところというのを一〇%点というふうに考えます。そして、前年同月比で一番値下がりしているものから番号をつけまして、二〇%相当のところを二〇%点というふうに呼びならわすわけでございます。

 そのように考えますと、例えば九〇%点というのは、二〇〇三年の後半から二〇〇四年にかけまして大変高騰しております。これは、いわゆる卸売物価の中の一〇%程度、構成品目の中で一〇%ぐらいに相当するものでございますが、ここには、例えば中国経済の過熱の影響があるというふうに考えてよかろうかと思います。

 ちなみに、鉄鋼製品は、この上昇のときに九〇%点に相当するように上がりまして、最近は、鉄鋼製品は八〇%点ぐらいのところに推移してございます。そして、昨今のように原油価格が上がりますと、原油価格はこの九〇%点より上に位置する、こういうことになっておるわけです。

 一〇%点は現在でも対前年同月比で三%のマイナスになっております。ここまで改善してまいりましたが、しかし、三%程度の前年比下落を続けています。

 では、これは不況でかわいそうだなというふうに一般に思われるかもしれませんが、例えばエレクトロニクスがここに入ります。薄型テレビの値段がどんどん下がってくるというのは御存じのような経緯でございますが、そういうものに引っ張られまして、今でも電子製品については対前年比マイナスでございますが、では、これは意味がないかといいますと、この業界における競争を通じてこれが実現しているのであり、業界内において企業戦略の失敗があるところは、シェアを落としたり、どこかの時点で市場から退出しなければいけないということがあるかもしれません。しかし、それは競争社会においてはあり得ること、あるいはあり得べしという形で多くの国民は理解しているのではないかというふうには思われます。

 そのように考えますと、それぞれ、物価のパーセントポイントで分類しましたもの、いずれも右上がりを見せておるわけでございまして、どうやら、時間はかけてはございますが、情勢の改善は見られるということでございます。

 ちなみに、ここで四〇%点と五〇%点は重なりまして、対前年比ゼロをしばらく続けております。したがいまして、今でも明確な対前年比プラスは五割しかない、ゼロが二〇%ぐらいあって、マイナスが三〇%あるというのが現在の工場渡し値段の大ざっぱな推移だというふうに考えていただいたらいいかと思います。

 ここで、では金融政策はこれを無理やり引き上げることが望ましいのかというふうに考えますと、それぞれの業界において調整をされております。長い目で見て、企業経営の持続性から考えて、調整すべきものは調整すべきというふうに考えて、個々の企業経営者が御努力なさっております。それからいきますと、現在の物価の決まり方に異常性はない。

 非常に大ざっぱな議論をされる方の中に、デフレは依然として加速しているではないか、デフレからの脱却を図るために金融政策により一層の踏み込みが必要なのではないか等々の議論がありますが、これはもちろんいろいろな見解があるところでございますので、そういう見解も世の中にかなりあることは承知の上で申し上げておりますけれども、私は、この企業物価指数の推移を一〇%ポイントずつ区別して見ますと、どうやら日本経済に正常なリズムが戻ってきている、そういう形としてこれは見るべきではないかというふうに思っております。

 そのように考えますと、それでは、一体、財政政策とか金融政策というものは、日本の景気を考える上で何もしなくてもいいのか、そこから手を引いてしまえばいいのかというと、決してそうではないというふうに思っております。

 冒頭のこの紙のレジュメの四番目に書きましたものがそれを示すレジュメでございまして、我々はやはり、歳出は一体何に割り当てられるべきか、国民の負担を背景としていますから、一体何が重要なのか。もちろん、歳出と歳入の不均衡を持続しますと大変問題が多いわけですから、将来足元をすとんとすくわれるかもしれないというリスクをだんだん膨らませることになりますので、財政の不均衡が膨れ上がるということは、これは困ることだというふうに皆考えております。

 我が国において、二〇〇三年後半以降、民間設備投資が上昇に転じた大きな理由は、企業経営者が日本をもって投資するに値する場所だという評価をし始めた、従前に比べるとそう考える人がふえた、あるいはそれについての確信をふやす人がふえたということでございます。

 現在のグローバル経済そして企業のグローバル経営を考えますと、どこに設備投資を行うのか、我が国に行うのか周辺アジア諸国に行うのか、あるいは欧米に行うのかは、実は選択肢の範囲という面がございまして、我が国で設備投資が出ませんと我が国の職場はふえない、我が国においてスマートなといいますか、快い形の所得を得る職場はふえないという大変冷厳な事実がございます。そういう意味では、我が国において、我が国がリスク遮断が行われ、投資に値する国だということを象徴づけるためには、財政不均衡を放置してはならない。これは、何が起きるかわからないということでございます。

 最後の図の四に、米国経済をとってございます。

 米国経済においては、今、名目成長率の伸びと対比しまして長期金利の伸び率が低くなっております。グリーンスパンはこれをなぞと言って退任したわけでございますが、この米国の長期国債が安定している理由として、やはり、中国からは労働集約的な製品、日本からは資本財や重要な部品を初めとした工業製品の値段が上がらない、投資が我が国において行われ、我が国から重要な機材や重要な部品が米国に安い値段で出し続けられるということがこれを生んでいるわけでございます。

 グローバル経済のもとにおいては、いわばサバンナにおけるライオンとシマウマと草の関係があるように思います。ライオンは強いからどこまでもふえるかというと、そのサバンナにいるシマウマの量に依存するわけでございます。ではシマウマは何かといいますと、草原に生えている草の量に依存するわけでございます。このライオンとシマウマと草の関係において、お互いに依存関係を深めている。

 確かに、金融秩序については米国からおかりしている面がございますが、工業製品の安定した背景には、もちろん、生産性の向上とか創造と挑戦を繰り返す日本の企業群があるわけでございます。それがあれば、原油の価格がたとえ値上がりしたとしても、重要な工業製品あるいはその部品というものの値段は上がらない。それを米国は享受できるということになりますと、米国において長期金利は上昇しない、将来についてのインフレのリスクというのは米国においてとめられているという面がございます。

 そういう意味において、世界じゅうが相互に関係し合いながら動いておりますので、我が国において重要なのは、米国でもたまたまこの十数年はよろしかったのですが、その前の十数年は、御存じのように米国も大変つらい思いをしました。いわば秩序ができない時代がございました。米国が果たして二十一世紀ずっと秩序を持ち得ているかどうかということについては、世界の多くの人が願ってはおりますが、それが保障されるわけではありません。

 日本について言えば、十数年は大変ひどい、秩序をなくした時代が続きました。そういう意味では、我が国が秩序を確立し、リスクを封じ込めることを通じて世界に貢献するということは極めて重要でございまして、歳出は、国会で不必要あるいは優先順位が低いと思われるものについては思い切った切り込みをしていただき、そして、財政収支の不均衡についてはできるだけこれを封じ込めるような御努力をしていただく。それを国民も支えるということを通じて、世界の秩序を日本もまた支えるという側に回るために御尽力いただければと思います。

 どうもありがとうございました。(拍手)

大島委員長 ありがとうございました。

 次に、逢見公述人にお願いいたします。

逢見公述人 おはようございます。連合で副事務局長を務めております逢見です。

 本日は、働く者を代表する立場から、昨今話題となっております格差問題、なかんずく格差拡大という問題につきまして連合の認識を御説明させていただきまして、予算委員会における審議の参考に供させていただきたいと思っております。

 さて、昨年からことしにかけまして、公共交通の大事故、耐震偽装問題、米国産牛肉輸入とBSEにかかわる問題、子供の殺害事件など、安全、安心にかかわる極めて重大な社会問題が起こっております。これらの点について細かく議論することはいたしませんが、今我が国に何より求められているのは、安全と安心の社会だと思います。安全に働くことができ、安心して暮らし、子供が産め、老後を迎えられ、仮に失敗しても再挑戦可能な社会が必要だと思っております。

 そういう社会を実現させていく政策を考える上で、その前提となる問題意識、すなわち格差についてでございますが、昨今は格差が拡大し、それが行き過ぎているのではないか、つまり、安全と安心の社会から遠ざかっているのではないかと考えるところであります。もちろん、格差の全くない社会などあり得ないわけでありますが、しかし、それが行き過ぎているところに今日の我が国の問題があるのではないかと思っております。

 格差はここ数年拡大していると実感しております。客観的な資料からもそのことは明らかだと思っております。しかし、内閣府は一月十九日の月例経済報告で、格差拡大の論拠として所得、消費の格差、賃金格差等が主張されているものの、統計データからは確認できないという見解を示しております。また、小泉総理は、この報告を受けてのことであると思いますが、国会において、格差拡大は誤解であるという答弁をされたという経緯がございました。

 そこで、私ども連合としては、この格差問題の認識について発言させていただくこととした次第であります。お手元に資料を用意してございますので、参考にしながらお話しさせていただきます。

 まず、内閣府が見かけ上の格差と判断された根拠は厚生労働省の所得再分配調査に基づくものと思いますが、この資料によれば、「ジニ係数上昇の背景には、近年の人口の高齢化による高齢者世帯の増加や、単独世帯の増加など世帯の小規模化といった社会構造の変化があることに留意する必要がある。」という認識に立って、これらの要因を除いた上で、所得格差の広がりは小さい、こういう分析をしていると理解しております。

 しかし、この資料は、急速に格差が拡大していると我々が認識しておる直近のデータに基づいたものではありません。このデータは二〇〇一年までの数値しか示されておりません。また、調査結果は世帯所得を対象としておりまして、各個人の労働所得格差については明らかになっておりません。そもそも、高齢者世帯における格差そのものについても、決して無視できる問題ではないと思っております。

 格差に関する統計分析については、資料の一ページにございます総務省の全国消費実態調査、これによるジニ係数の推移によりますと、三十歳未満の若年世帯で格差が拡大していることが示されております。また、二〇〇五年五月に内閣府経済社会総合研究所が公表した「フリーターの増加と労働所得格差の拡大」、これは資料二ページに載せておりますが、この報告書では、一九九〇年代後半から最近にかけて、個人間の労働所得格差が拡大していること、いずれの年齢層でも格差が拡大していること、特に若年層でその拡大のテンポが速いということが指摘されております。

 また、国際比較におきましては、OECDのワーキングレポート二〇〇二、これは資料の三ページでございますが、ここでは、OECD諸国では近年所得格差が安定しつつある中で、日本は各国よりも所得格差が大きく、しかも悪化してきており、貧困率も高いという結果が示されております。

 私ども連合のシンクタンクであります連合総研では、日本の可処分所得のジニ係数や貧困率が高い要因として、日本では他のOECD諸国に比べて政府の社会保障給付及び税による所得格差の縮小策が貧弱であること、日本ではパートなど低賃金労働が広範に存在し、この勤労者が低所得層を形成し、貧困比率の高さを生み出していることなどを指摘しております。

 このような点を踏まえますと、小泉総理が国会において格差拡大は誤解という答弁をなされたことに対しても、私どもとしては大きな疑問を感じざるを得ません。

 同時に、マクロ統計のみをデータとしてとらえ、統計データからは格差拡大を確認できないという月例経済報告における内閣府の認識についても、強い懸念を感じます。所得、資産格差の拡大や雇用の二極化、貧困、生活困窮層の増加など、国民の労働、生活現場で現実に起こっていることを十分認識される必要があるのではないかと思います。

 私どもが認識している格差の実態について、所得と資産という点から申し上げます。これは資料の四ページでございます。

 年収三百万円以下の世帯、今、大卒初任給が二十万ぐらいだと思いますが、月二十万ぐらいで生活している人が年収三百万世帯ぐらいになろうかと思いますが、それ以下で暮らしている世帯が二〇〇三年で二八・九%、一九九九年と比較して五・一ポイントふえております。さらに、年収二百万円以下の世帯が一八・一%と、五、六世帯に一世帯を占めるようになっておりまして、これは明らかに低所得層が増加していると言えるのではないかと思います。

 これは、高齢者、年金生活者世帯が増加しているという側面もあろうかと思いますが、それだけではないのではないか。社会問題化しているフリーター、ニート問題でも明らかなように、若年層の低所得者も増加しており、そういう不安定な雇用形態の若者が、正社員などに移行できず、そのまま固定化する傾向すらあることを考えますと、格差の存在はもちろんのこと、少子高齢社会を迎え、国際競争が激化していく中で、この先の経済、社会に大変悪い影響を及ぼすのではないかということを懸念しております。

 先ほども申し上げましたように、二〇〇五年五月の内閣府経済社会総合研究所「フリーターの増加と労働所得格差の拡大」の中では、「労働市場の変化の中で、最近では、所得格差は拡大しているのではないだろうか。」という指摘がされております。

 それ以前の格差認識については、非正規雇用者までカバーされていなかったことが問題だということで、その報告ではそこをカバーする統計を用いまして、「いずれの年齢層でも格差は拡大しているが、特に若年層でその拡大テンポが速い。この若年層内における格差の拡大は、フリーター化など非正規雇用の増大の影響が大きい。 若年層の間での格差拡大は、日本社会の将来の姿を先取りしたものである可能性もある。」と、非常に現実的な分析をされております。これは、私ども現場での実感を非常によくあらわした分析だと思っております。

 次は、資産の面についてであります。

 資料の五ページでございますが、貯蓄保有世帯の平均額が二〇〇五年で千五百四十四万円。これは九七年に比べまして二〇%増加している。その一方で、貯蓄ができない世帯が全世帯の四分の一近い二三・八%も存在しております。年金を初めとする社会保障に対する将来不安の問題は、二年前の年金制度改革で大いに世間をにぎわせましたけれども、抜本改革が先送りされ、将来に不安があるにもかかわらず貯蓄ができない世帯がこれほど増加していることは、非常に懸念されることだと考えております。

 これら格差の要因の一つは、明らかに雇用形態の変化であります。働き方の二極化が進行しております。企業のリストラなどの結果、正社員が減らされ、パートなどへの置きかえが急速に行われました。この十年間で正社員が四百万人減った一方で、パートタイマーが六百五十万人増加。これは資料の六ページに載せておりますが、このような働き方をされている四割近くが月収十万円以下という、非常に低い賃金水準となっております。

 このような所得、資産の格差拡大を背景に、生活困窮層が増加していることも統計的に明らかになっております。

 一つ飛ばして八ページでございますが、貧困率という指標がございます。これは、日本はOECD主要国でアメリカの一七・一%に次いで二番目の一五・三%となっております。国際的に見ても日本は格差の大きい国と見られております。

 その他、九ページには、生活保護世帯が二〇〇五年で百四万世帯となり、一九九七年と比較して約七割もふえております。

 そして、十ページですが、自治体から援助を受ける就学援助制度の利用者が、二〇〇四年度で百三十三・七万人。ここ四年間で三六・七%、これは給食費が払えないとかあるいは修学旅行に行くお金がないという形で援助していただく子供さんの数ですが、これだけ増加しております。

 さらに、国民健康保険料長期滞納のために保険証が使用できない、いわゆる無保険者が、この四年間で三倍の三十万世帯になっているという実態もあります。まさに格差大国になっていると言わざるを得ないと思います。

 さてそこで、なぜこのような格差の拡大、二極化が進行したのかということですが、直接的には、長期デフレのもとで、労働者にしわ寄せする形でマクロ的な分配が行われてきた結果であると思います。

 その背後にあるのは、構造的な変化として、アメリカン・スタンダードといいますか、そういう基準、市場原理主義に追随した短期利益追求の経営への変化があります。

 市場競争の過酷さを労働者に押しつけることによって格差が生み出されているのではないか。さらに、自己責任ということを強調することによって個人へのリスク転嫁を進め、セーフティーネットを縮小させる小さな政府論というものがこういう結果を引き起こしているのではないかと思います。

 二極化が始まったのは、我が国がデフレ経済下でマイナス成長に陥った一九九〇年代の後半でありまして、この間のマクロ的な分配のゆがみが格差社会につながっているのではないかと思います。

 特に、九八年以降の社会的な分配のゆがみの一つは、家計部門と企業部門における付加価値の分配が企業部門に偏ったことにあると思います。一人当たりの生産性が伸びた一方で、一人当たりの人件費は低下傾向にあって、その乖離がますます広がっております。

 労働分配率は、一九九八年度の六五%から二〇〇四年度には六一%にまで低下しております。厚生労働省の労働経済白書においても、企業収益の改善が賃金の回復に結びついていないことが指摘されております。勤労者世帯の家計収入は、ピークである一九九七年に比べ約一割低下しており、税や社会保障における負担増、給付減の影響とあわせ、年々厳しさを増しております。

 長期デフレへの対応策として、先ほども申しましたとおり、多くの企業は、正社員を減らし、パートや派遣、有期契約、請負労働といった非典型雇用労働者をふやすことで総額人件費を削減するという手段をとってきました。人件費コスト調整のしわ寄せがパート、派遣労働者などに集中することによって、全体的な所得格差が拡大したと言えると思います。

 次に指摘させていただきたい点は、経営姿勢の変化が格差社会への流れをつくった一因ということです。アメリカン・スタンダード追従の短期利益追求型への傾斜であります。

 日本の企業経営は、これまで経営の優先順位として従業員を重視するという姿勢があったと思いますが、これが、株主主権に変わったと言わないまでも、株主重視の姿勢をかなり強めてきたことによって、企業は、長期的、集団的で仲間動機に訴える雇用慣行から、短期的、個別的で市場動機に訴える人事施策をとるようになりました。その象徴的な動きが、中核的労働力とパートや派遣などを分離する、いわゆる雇用ポートフォリオという施策、あるいは成果主義賃金の導入であると思います。そして、これを後押ししたのが、非典型労働分野での規制緩和を進めたことの政策にあると思います。

 我が国の労働現場は、職務や役割の区分が明確な英米とは異なって、人に仕事をつけて、チームでカバーし合いながら組織目標を達成し、その中で人を育成していくという職場が多いというのが実態だと思います。そして、これが日本的な強みであったと思いますし、今日でもそうだと思います。こうした実態を無視したところでアウトソーシングを進めた結果、職場では今、現場の総合力が落ちているということが大変問題になっております。

 公正な処遇と人材育成という視点を欠いたまま雇用形態の多様化だけを先行させていることが、格差拡大の大きな要因になっていることのみならず、それが労働者の不満を高め、職場を分断化し、個別労働紛争を増加させている、そして、現場において総合力を低下させているという結果になっている。これは大変大きな懸念材料だと思います。

 また、投資ファンドが関与する企業買収の動きが活発化していることも、株主の権利ばかりが声高に叫ばれ、従業員の声が無視されているという流れを加速させております。

 企業にとって株価が重要な企業価値の面があることは否定しませんが、本当の企業価値はそこに働く従業員によって成り立っている側面が極めて大きいということを強く訴えたいと思います。とりわけ、ライブドア問題などはその最たるものと言えます。この件は捜査中ですのでこれ以上の発言は控えますが、ライブドアはITとは無縁で、単に株式市場を舞台にした、まさに虚業であったことが明らかになりつつあります。こうしたマネーゲームの風潮については極めて強い懸念を持っております。

 さらに指摘したい点は、小さな政府の名のもとに、一方的な負担増、給付削減の財政改革を進め、また市場原理に基づく自己責任原則のもとで個人へリスクを転嫁しようとする方向に政策のかじ取りが行われていることであります。

 市場万能主義者は、機会の平等さえあれば自助努力で挽回できると言いますが、自己責任では賄い切れないリスク、具体的には、その時々の経済や雇用情勢などで働きたくても働く場所がない、正社員で働きたいけれども雇ってくれるところがない、こうした側面の中で、市場競争がもたらす痛みが個人に集中しやすくなっていることが負け組を生み出す原因になっております。

 特に、社会の所得再分配機能が弱まっていることが格差拡大に拍車をかけていると言えます。課税前の所得とともに再分配後の所得も格差拡大を続けているということは、税金が高いと経済活力が低下するという一部の主張によって、所得税の税率のフラット化や、資産、財産収入への課税の軽減が行われてきたためにほかならないと思います。

 そうした中で、サラリーマンにねらい撃ちの増税が行われようとしていることについては、大きな懸念を感じます。恒久的減税措置とされてきた定率減税が今年一月から半減され、今国会では完全廃止の方向で審議が進んでおります。さらに、昨年六月に政府税調の基礎問題小委員会では、所得税の各種控除の縮小、廃止を盛り込んだ個人所得課税に関する論点整理をまとめたわけでございますが、これはまさにサラリーマンをねらい撃ちにした増税と言わざるを得ないと思います。多くの勤労者、サラリーマンが大きな不安と怒りを訴えております。現在でも不公平であると感じている税制について、どのように公平で透明な税制にしていくかという議論がないまま、取りやすいところから取るという安易な増税路線を進めると、貧富の差はますます拡大すると思います。

 社会保障についても、この十年間の制度改革は、負担増、給付減による財政上の対応を優先し、制度の抜本改革を先送りしてきたことから、制度に対する不信感が高まっております。

 社会的セーフティーネットから抜け落ちる人が増加し、公的年金では二号被保険者から一号被保険者へのシフトが起こっておりますし、さらに、一号被保険者の保険料未納者も、御承知のように、国民年金では四割近くの未納というところまでふえてきておりまして、将来の無年金者の増大が強く危惧されるところであります。医療保険でも、組合健保から政管健保あるいは国保へのシフトと同時に、健保財政の悪化も進んでおります。

 最後に指摘したい点は、ワークルールの破壊が不当な格差を生み出しているということです。最低限のワークルールさえも守られない職場がふえております。その一つは最低賃金であります。

 これは、資料の七ページで示すように、日本の最低賃金水準というのは欧米先進国に比べて決して高いわけではありません。その低い最低賃金水準すら守られていないという問題があります。

 北海道のハイヤー、タクシー労働者の最低賃金違反をきっかけに、全国で自主点検を行ったところ、五%の事業者で最賃違反が見つかった。これはあくまでも経営者が自主点検した結果でありまして、これは氷山の一角であって、実際にはもっと違反があるのではないかと思っております。

 また、不払い残業は依然として多くの職場で横行しております。具体的に申しますと、労働者からの自己申告で労働基準法違反を申告された事案が年間三万六千件に上り、これにより臨検監督をした事業場の七割に法違反が認められております。こうした違法行為の増加は、労働分野の規制緩和の一方で監督行政が徹底されていないことが大きな原因だと思います。こういう社会的規制こそむしろ強化されるべきだと思います。

 格差社会を乗り越えるためには社会的な分配を変えていく必要があり、そのためには、以下のような雇用、労働法制や、税、社会保障制度の見直しが必要であると思います。

 一つは、均等待遇の実現など、雇用形態間の格差の対応を図ることであります。

 均等待遇の原則が貫かれてこそ、労働者の働き方の選択肢として多様な雇用形態を生かしていくことが可能になります。二〇〇四年の統計では、男性のパート労働者の一時間当たりの平均賃金は千十二円で、男性一般労働者の五〇・六%。同様に、女性では九百四円で、女性一般労働者の四五・二%と半分以下になっております。もちろん、正社員とパートでは責任の軽重とか転勤や残業の有無とかという差もありますが、合理的な理由で説明できない、ただ単にあなたはパートだからというだけで、同じ仕事をしていながら正社員よりも不当に低い賃金で働いているという実態があります。

 また、待遇面では、パートには有給休暇というものがそもそもないんだと言われることも後を絶ちません。このような処遇に大きな格差があることは社会的な問題であり、これを克服していかなければならないと思います。ぜひとも均等待遇原則の法制化や有期労働契約のルール化を進めていただきたいと思っております。

 第二に、社会保障制度の改革であります。

 二極化、格差社会に歯どめをかけ、是正するためには、社会のセーフティーネットである社会保障制度の改革、再構築が不可欠です。制度の抜本的な見直しを通じて、安心、安全、公正な社会を実現することが喫緊の課題であります。

 今国会では医療制度改革関連法案が上程されております。この中には、連合が求めてきた主張が盛り込まれていた点もありますが、独立した高齢者医療保険制度の創設については、財政調整や最終的な責任主体が不明確であるということから見て、見直しが必要と言わざるを得ません。

 年金制度については、雇用形態にかかわらず、生涯を通じてすべての雇用労働者を対象として一元化を図ること、子育て世代が将来に希望を持って子供を生み育てられる子育て支援策を強化することなどが必要です。

 最後に、不公平税制の是正です。

 格差が拡大し、低所得、生活困窮層が増加している現状において、所得の再分配機能は今極めて脆弱になっていると思っております。取りやすいところから取る税制ではなく、ぜひとも不公平税制を是正し、公平で透明な税制改革を実現していただくようお願いいたします。また、定率減税の廃止につきましては、今申しました二極化の現状を十分に踏まえ、慎重に対応すべきだと思っております。少なくともその実施に当たっては、デフレからの確実な脱却を前提とすべきであり、持続的な経済成長に悪影響がないよう慎重に御判断いただくことを強くお願い申し上げます。

 以上、私の公述とさせていただきます。(拍手)

大島委員長 ありがとうございました。

 次に、植野公述人にお願いいたします。

植野公述人 ただいま御指名いただきました野村證券の植野と申します。本日は、このようなところにお招きいただきまして、まことにありがとうございます。

 私は、現在、弊社金融経済研究所におきまして、内外の経済金融情勢をもとに、為替相場及び国際資本移動に関する調査、分析、予測に携わっております。平たい言葉で言ってしまえば、あなたは為替レートの予測をやりなさいということで、恐らく世の中で一番当てるのが困難な仕事だと思いますが、それを仰せつかって、ここ八年ばかり、野村グループの中で為替の調査について責任を持ってやっているものでございます。

 したがいまして、私、本日は、そういう立場にございますので、我が国が現在取り組んでいる財政再建、これを進めていく上で、必要不可欠あるいはチェックしていかざるを得ない環境として注目されております日本経済の現状と為替変動のリスクについて、私どもの見解をお話しさせていただきたいと思います。

 まず、日本経済に関しましては、御用意いたしました資料の表紙をめくっていただきまして、一ページ目をごらんになっていただけますでしょうか。

 結論から最初に申し上げますと、現在は、マクロ経済全体としては、比較的順調な回復、拡大過程にあるというふうに考えてございます。一ページ目の左に載せてございます二〇〇五年から二〇〇七年度の日本経済見通し、こちらが二月二十二日に私どもが公表いたしました経済見通しでございます。

 ポイントは大きく分けて三つございまして、一番最初は、上の水色のラインのところをごらんになっていただきたいんですけれども、民間内需主導で、日本経済は回復持続の蓋然性が非常に高くなってきているということでございます。

 私どもの予測に基づきますと、二〇〇五年度は三・三%成長、それから二〇〇六年度は三・一、二〇〇七年度は二・六ということで、比較的安定的なプラス成長を実質ベースで確保すると考えております。

 うち、その下の緑のところに赤い丸で囲ってあるところ、こちらがその成長率のうちどれぐらいが民間内需によるものかというものでございますが、民間内需主導という特徴が極めて鮮明になっております。すなわち、二〇〇五年度は三・三%成長のうち二・七%は民間の内需によるもの、二〇〇六年度は三・一のうち三・二というのが内需によるもの、それから、二〇〇七年度についても二・六のうち二・八ということになりますので、基本的には、二〇〇五年度、二〇〇六年度ともに三%台の成長を見込みつつ、民間内需主導でこういった成長が達成されるということが予想されております。

 すなわち、近年の景気回復の特徴としては、九〇年代、いわゆる失われた十年の特徴でよく言われているように、外需、つまり輸出ですとかあるいは公共投資、これに頼った成長というよりは、民間の活力を背景とした経済成長ということを見込むということですね。

 ポイントの二番目は、こういった環境の中で、長らく日本経済を悩ませていた宿痾と考えられていたデフレ、これも徐々に克服され始めているということですね。表の中では黄色い部分になりますけれども、赤い丸をつけてあるところが消費者物価の中から変動の激しい生鮮食品を除いたものでございますが、おおむね、グラフで御確認いただいてわかりますように、小幅ながらもプラスの伸び率に転じてくるというふうに考えております。したがって、今年度以降、徐々に日本経済はデフレからも脱却ということが見えてきていると考えております。

 この結果、現在のような景気拡大が続けば、恐らくことしの十一月には、戦後最長の景気拡大記録として現在残っております、五十七カ月続きました一九六〇年代のいざなぎ景気、これを上回って、戦後最長の景気拡大ということになるかと思います。

 したがいまして、今回の景気回復の特徴を三つのキーワードで示すとすれば、一つは民間内需主導、二番目はデフレ克服元年、それから三番目は戦後最長の景気拡大、こういったところになるかと思います。

 もちろん、経済は生き物でございまして、日々変動している内外の金融環境や政策変化によってさまざまな影響を受けます。その中には、よい影響を及ぼすものもあれば悪い影響を及ぼすものもあると思いますが、我々が注視すべきはやはり悪い影響を及ぼすもの、すなわちリスクだと思います。

 その中で、日ごろ為替相場を見ている私の立場としては、やはり気になるリスクは為替円高のリスクになると思います。先ほど田中先生も御指摘しておられましたが、なぜなら、このように日本経済に対する内外の評価が高まったり成長率が高まりやすい局面においては、円に対する評価も高まって、結果として円高になる可能性があるからです。この円高も、行き過ぎますと、企業収益を圧迫し、デフレ圧力を発生する源となりますので、この点には注意が必要、過去何度も我々が経験してきたことだと思います。

 この点について次にお話ししていきたいんですが、ページをまためくっていただきまして、二ページ目をごらんになっていただけますでしょうか。

 ただし、結論から申しますと、私は、日本経済を再び奈落の底に突き落とすような強烈な円高というのは起きにくいのではないかというふうに思っております。もちろん、数カ月、半年あるいは一年単位等で見れば、時々の循環的な要素によってある程度の円高、ある程度の円安という振れが起きる可能性はありますけれども、ここで私が強調しておきたいのは、非常に長い長期的な視野で見れば、ドル・円相場の変動は過去に比べて抑制され始めていると考えられるからです。

 二ページ目の左側のグラフをごらんになってください。こちらは、ドル・円三百六十円から出発した一九七〇年代以降、過去三十七年間ぐらいのドル・円相場の動きでございます。グラフはドル・円相場でございまして、上に行きますと、これは目盛りを逆にしておりますので、円高というものですね。

 こちら、ごらんになっていただいてわかりますように、例えば、十年単位でドル・円相場の変動をごらんになっていただきますと、一九七〇年代は、三百六十円が安値、高値が百七十五円五十銭ということですから、値幅は、赤いところに書いてございますが、百八十四円五十銭もあったわけですね。その間、変動率六五%近く。八〇年代は、これが少し縮小してまいりまして、値幅に直しますと百五十八円五銭、変動率約八〇%。九〇年代は、さらにこれが一段と縮小いたしまして、安値百六十円ぐらいから高値七十九円七十五銭ということで、八〇年代の約半分、変動率にしても六九%ぐらい。

 今世紀に入って、この傾向がさらに一段と縮小いたしまして、値幅は、二〇〇〇年代に入って、今のところわずか三十三円六十四銭、変動率にいたしましても約三〇%弱という形で、一九七〇年代初頭の変動相場制への移行後、各年代におけるドル・円相場の変動幅と変動率は、一貫して抑制される傾向にある。かつ、今世紀に入って、ドル・円相場、下値はまだ切り上がっているように見えるんですが、高値がようやく切り下がってきたようにも見えるということで、世界最強通貨円という状況が徐々に終わりを迎えつつあるのかなというような傾向すら見えるということですね。

 この原因は一体何であろうかということが非常に重要になってくるわけですが、考えられる理由としては三つぐらいあると思います。

 一つは、変動相場制移行後三十数年を経て、日米経済の格差がかなり縮小してきたということだと思うんですね。すなわち、変動相場制に移行した当初というのは、日本はまだ高度成長期から安定成長期に入る手前でございまして、世界の先進国を圧倒的に凌駕する高い成長ポテンシャルを持っていたわけですけれども、現在、人口の減少とともに徐々に日本の潜在成長率なるものは下がってきておりまして、その他の先進国に比べて圧倒的に日本が高い成長を遂げるというような状況ではなくなってきている。格差が縮小すれば、それの表現の場である為替の変動も縮小してくるんじゃないかということですね。

 それと、もう一つ言えますのは、この変動相場制移行の初期段階というのは、ドル・円三百六十円からスタートした当初というのは、恐らく当時のドル・円相場というのは、今の中国人民元のように、のっけからすごくプライスのミスマッチというのがあったと思うんですね。つまり、当時の日本は、世界的に見ても非常に競争力のある製造業を抱えていながら、黒字も稼ぐ、しかしながら、輸出産業が為替固定相場の中で保護されていたわけですね。ほとんど今の中国と似たようなところ。

 したがって、変動相場制に入った用意ドンの初期の段階というのは、当初から本当にもう埋めていかなきゃいけない価格のミスマッチというのがあった。それを埋めていくためには、十分な値幅も必要であったし、かつ相場は円高傾向である必要があったと思うんですが、三十数年も変動相場をやっていくと、初期に発生していた大幅なミスマッチというのは徐々に解消されているのではないかということですね。これが一番目です。

 それから、二番目は、経済金融統計の整備と拡大によって正しい情報がマーケットに伝えられるようになった結果、過剰な、間違った価格のつけ方というのが起きにくくなってきているんじゃないか、あるいは規制緩和によって市場参加者の厚みが増してきている、こういったことが変動を抑制しているのではないかというようなことも言われております。

 それから、最近の、今世紀に入ってというところで私が大きいと思っておりますのは、情報技術革新による情報の共有化ですね。

 すなわち、これまでは多分、内外の投資家、海外の投資家と国内の投資家は、持っている情報に相当な格差が時間的に見ても内容的に見てもございました。しかしながら、現在は、インターネット取引等の普及によって、例えばアメリカの金融政策の情報などについても、英語さえ読めれば、夜更かしする覚悟があれば、ほとんど海外の投資家とリアルタイムで我々は情報を入手することができるというような状況になってきております。

 したがいまして、内外の投資家の情報格差が埋まる。あるいは、インターネット取引が普及すれば、各官公庁が発表しているさまざまな経済データあるいは詳しい内容についても、アマチュアの投資家だって、すぐにプロと同じ時期に見ることができるわけですね。恐らく、価格の変動というものが、いわゆるいい情報を持っている人といい情報を持っていない人の差によって発生しやすいというふうに考えれば、それがなくなることがこういった過度の変動の抑制に寄与しているという面もあると思います。

 それから三番目には、過去の試行錯誤を経て、日米ともに金融政策が市場との対話を重視し、時宜を得た運営のあり方を模索されてきたということで、マーケットを驚かす、つまりびっくりさせるような政策の変更というのが、過去に比べると総体的には起きにくくなってきているというようなことも背景としてはあろうかと思います。

 いずれにいたしましても、ドル・円相場は昔に比べると派手な変動が抑制される傾向にございますので、今後、数年単位で恐らく円高、円安への循環というものは起き得ると思いますが、昔のように、一たん円高になってしまうともう二度と返ってこないような非常に強烈な円高、あるいは日本経済の体力を急速に奪ってしまうような過度な円高というのは、現局面においては私は起きにくいのではないかというふうに考えております。

 経済の環境が民需主導で比較的よい状況にあるということも踏まえて考えますと、現局面というのは、我が国が長く取り組んでまいりました財政再建、これに取り組むべき絶好の機会が訪れているのではないか、このように考えております。

 以上でございます。(拍手)

大島委員長 ありがとうございました。

 次に、木下公述人にお願いいたします。

木下公述人 昭和女子大学の木下と申します。よろしくお願いします。

 私は、そこにありますA4二枚のテーマでお話しします。何やら大学の講義のようなレジュメになってしまって恐縮ですが、ごらんください。

 私は、今到来しつつある格差社会に十分に配慮して予算編成をしていただきたいという立場からお話しします。連合の公述人の方も格差社会について触れられましたけれども、私は違った角度からお話ししたいと思います。それは、格差社会の問題を構造的にとらえるという視点です。つまりそれは、単に格差が拡大してきている、ないしはフリーターの増加が問題であるということにとどまらず、実は、戦後につくられた労働と生活をめぐる日本的システムが崩壊しつつあるという認識に立っているからです。

 本題に入ります。

 まず、格差社会の指摘というところですけれども、今、格差社会ないしは下流社会等々の言葉がはんらんしておりますけれども、私は、それは不正確であって、二極化社会というふうに考えたいと思っています。それは、これまでの日本の社会は十分に格差社会であったというふうに思っているからです。

 ここに引用しましたのは、一九九一年の国民生活審議会の答申、報告であります。ここに、企業中心社会、余りにも経済効率に偏った企業中心社会が、長時間労働、会社人間、単身赴任など諸外国に類を見ない勤労生活をもたらしている、この企業中心社会の変革が必要だというふうに述べていました。そして、その中で格差社会についてこのように触れています。個人の生活が過度に企業に依存してしまった状況下では、企業間の優劣が単に賃金の格差にとどまらず、従業員の生活全体に格差を生じさせてしまう、企業規模間の賃金格差は近年拡大傾向にある、教育機会や相続を通じて次世代にわたって継続していく場合があり、社会の不平等性の見地から問題になるというふうに言っています。

 ちょうど、亡くなったソニーの盛田会長は、日本的経営が危ないという論文を書いて、似たような問題意識でありました。こういった一九九一年状況のときには、かなりこういった企業中心社会や格差社会についての問題指摘があったわけであります。

 それでは、格差社会から二極化社会へというのはどういうことなのか、つまり、これまでの格差社会は一体どういうものであったのかということをお話しします。

 下の図、左のところを見てください。実は、格差社会の秩序と安定ということでこれまでの日本社会は形成されていたというふうに考えています。

 図は、九六年の企業規模ごとの年齢別賃金カーブを描いたものです。企業規模別のカーブで、整然と、しかも序列化されていることがわかります。働いている者の世界では、日本のこの格差は、企業規模別に大変大きな賃金の格差がある、これは日本の特殊な年功賃金によるものでありますけれども、そのことは省きます。企業規模によって賃金格差が極めて大きい、そして、賃金の年収格差はやがて働く者の生涯所得格差を生み出します。

 そして、その企業規模間の秩序と、実は、大学、学校の格、序列というものが対応関係にあったわけです。つまり、この年功賃金カーブの一番上のトップのカーブに乗ろうとするならば、いい学校、いい大学に入らなければならない、こういった構造になっていたわけです。

 したがって、日本では、いい学校、いい大学、そしていい会社、こういったルートがつくられて、学校や大学の格を競う日本特有の学歴競争社会というものがつくられたわけです。そして、このことについて、親も子供たちも教師も、一応このルートに乗せることを暗黙の合意として、そして、そのルートに乗せるために勉強させていたわけでありますし、学生生徒は、ここから落ちた場合には、自分が勉強しなかったから、自分がだめだったからといって納得していたわけです。

 しかし、この格差社会というものは、実は、格差はあるけれども、私は、安定した社会、秩序があった社会だというふうに思っています。それを今の図の右のところで示しました。

 これは、下の長方形と上の台形が重なっています。下が学校、上が会社です。三月卒業、四月入社という日本特有の定期一括採用制度というものがありますけれども、このことによって学生生徒は、企業内の生涯の入り口に正社員として立つことができたし、そしてその中で、内部昇進制といいまして、日本特有のだんだんと昇進、出世していくという仕組みに乗っていったわけです。

 つまり、三月卒業、四月入社、昇進、出世、そして定年を迎える、これは企業の濃淡があって、大なり小なり差はありますけれども、しかし、このルートに多くの学生生徒は乗ることができた。これが格差社会の安定と秩序というふうに見ることができると思います。

 この格差社会へのインパクトというものがどのようなものであったのか、これが下のところで書きました下層の形成。1は失業者、2は有期雇用労働者、これは左のところが十五歳から二十四歳までの男性の正社員と有期雇用の比率ですけれども、右の薄いところが正社員です。左が有期雇用というふうになりますけれども、これは就業構造基本統計調査で五年ごとの変化ですけれども、二〇〇二年のこの変化が大変大きいというところに注目していただきたいと思います。

 今、これは四二%です。二〇〇二年段階で、この二十四歳未満の若者の四二%は非正規です。そして、直近の二〇〇五年の労働力調査では、これが四八%という結果が出されています。右が女性ですけれども、女性全体では五三%、つまり、働く女性の多数派は有期雇用というふうに変化いたしました。

 そして問題は、上のところの二極化社会という図に戻っていただきたいのでありますけれども、この若年を中心とした有期雇用、失業者、無業者という若者の労働市場がだんだんと壮年や中高年へと拡大していく、こういったことが予想されるわけです。

 現に、昨年の国民生活白書では、フリーターの中心層が三十代にかかり始めている、そういったふうに述べております。また、そこでは、これは二十五から三十四歳ですけれども、共働き世帯の四、五%がフリーターカップルだというふうにデータを出しています。あるいは、中高年フリーターという言葉も出ています。つまり、若者を中心とした労働市場の変化が、やがて日本全体の労働市場の変化を引き起こしていくだろうというふうに予想することができるわけです。

 これが右のところでありまして、これまでの台形と長方形が接していた、ここのところに、そのまま正社員になれない部分がある。流動的労働市場というふうに言いましたけれども、このことが形成されて二極化社会がつくられていくだろうというふうに予想することができます。

 次に、二極化社会についてのイメージですけれども、少しイメージでお話しします。

 左の下ですけれども、実現してはならないアメリカ二極化社会の例ということで、左のところの棒グラフを見てください。これは、アメリカの所得階層を五つに、最も低所得、そして最も高所得というふうに五分の一、五分の一、五分の一で分けています。上が、小さくて恐縮ですけれども、一九四七年から七三年までの所得階層の伸び率を示しています。明らかに一番低所得の階層が所得は伸びています。しかし、下のこれは一九七三年から二〇〇〇年です、低所得者は余り伸びない、高所得者は大変伸びているということがわかります。

 そして、二極化社会というのは、五割五割という分け方ではなくて、少なくともアメリカの場合は、右の高所得者の五分の一と五分の四に断層があるように感じられます。つまり、五分の一階層と五分の四階層というふうにアメリカは分かれているということであります。

 そして、右のところ、上層は、これはかなり言われていることでありますけれども、ゲーテッドタウンといいまして、一つの町に鉄さくをつくって、そこでライフルを持ったガードマンが警備し、その中に上層のお金持ちの邸宅やショッピングのお店があるということがありまして、郊外にそういうものがあります。下のダウンタウンでは、ここに書きましたように、刑務所人口がこのような形になっています。五百万人が保護観察下にあるということで、見たら、これは長崎県ないしは青森県の人口に匹敵します。このような二極化社会がこういった不安定な社会をつくり出すということは明らかであります。

 次のところに、それでは日本はどうなのかということで少し見てみたのがこの図であります。これは勤労者の純預貯金額の推移を示していまして、アメリカは五分の一で切りましたけれども、これは十分の一ずつに切ってあります。

 そうすると、これが一九九五年から〇四年までの間の経過でありますけれども、実は、純預貯金額の推移でいえば、一番上層がやや伸びているという感じですけれども、あとは右下がりになっています。とりわけ、十分の一の階層のところを見ていただきたいんですけれども、二〇〇〇年に純預貯金額ゼロになっています。そして、これはマイナスですから、預金の切り崩しに入っているということです。

 見なければならないのはこの第一階層、さっき言いました預貯金なしですけれども、この世帯主の年齢は決して若くなくて、四十五・四歳です。世帯数三・〇六人です。こういったところに今階層化、二極化という事態が進んできているというふうに見ることができます。

 それで、ここで強調したいのは、次の、日本的システムの崩壊と二極化社会というところであります。

 私は、先ほど、労働と生活をめぐる戦後的システムの崩壊というふうに話しましたけれども、重要なのは、その代替システムを構築するということが大切だということが一番強調したい点であります。

 一つは、(1)年功賃金・企業福祉による生活保障の崩壊ないしは縮減ということでありまして、先ほどの生活審議会は、個人の生活が過度に企業に依存しているという表現ですけれども、これは企業依存の生活構造というふうにとらえることができます。

 つまり、どういうことかというと、左のところは、上がブルーカラー、下がホワイトカラーの年齢別の賃金カーブです。これを見ますると、日本だけが特別な年功賃金というふうになっていまして、欧米は年齢とともに余り上がらない、フラットになっていますね。これは極めて注目すべきものだというふうに思っています。

 右はそれをモデル化したものですけれども、これは賃金の水準ではなくて上がり方です。ヨーロッパの場合は、ここの水準のフラットのところが一人前の賃金です。日本の場合は、単身者賃金から世帯主賃金へと上がるという年功賃金です。この二つの差が今大変重要になってきているわけです。

 ヨーロッパの場合は、モデル化して示しましたけれども、年齢とともに上がらない。さぞや大変だろうというふうに思われがちですけれども、生計費が上がらないような仕組み、これがヨーロッパの福祉国家における社会保障、社会政策で、住宅、教育、老後ということでベクトルを下に押し下げる役割があるということと、生計費を上げる、これが児童手当であります。このような形で、フラットになっているものに対して、これを押し下げる、押し上げるという福祉国家的機能があるということです。

 強調したいのは、これを日本は企業が肩がわりしていたということですね。この企業が肩がわりしていたものに対して、もう企業は撤退する、どうするのかということが、私は日本の政策的な中心点にならなければならないだろうというふうに思っています。

 それで、具体的に連合の公述人の方がおっしゃられたところはそのとおりでありまして、省きます。

 それと、特に(2)日本型雇用の崩壊と労働力政策という点では、これは日本の雇用の特殊な採用方式というのがありまして、さっき言いました三月卒業、四月入社です。だから、学校に職業紹介を任せていたわけでありまして、これが、もうそれこそ高校では正社員になれない人たちがいるから、結局はハローワークだとかさまざまな派遣になってしまうわけでありますけれども、この職業紹介についてもきちっとした手当てが必要だろうということ。

 二番目は、日本の企業内の技能養成システムです。

 これは、日本は特殊な技能養成の仕方がありまして、欧米は企業の外で技能を養成するということです。これが、日本で今企業に余裕がなくなった、あるいはフリーターとして技能を養成することができない、これは私はもう国家的な課題だと思います。技能を身につけることのできないような国になってはいけないと思います。

 トニー・ブレアが、エデュケーション、エデュケーション、エデュケーションと三回叫びました。先進国はどこでもITを中心とした教育に熱心です。しかし、日本のフリーターやさまざまな有期雇用に対してどこが技能養成をするんだ。これまでは企業がやっていました、企業が撤退した後どこがやるのか、このことが今重要になってきていると思います。

 最後に、トリノ・オリンピックで、一つとったようでありますけれども、振るわなかった背景に企業がスポーツから撤退しているという指摘があります。それを国家が肩がわりするというのもいかがかと思いますけれども、少なくとも、労働と生活のところで企業が撤退しつつあるということに対して、どこがどのような形で代替機能を構築するのか、それは決して小さな政府ではないだろうというふうに思っています。積極的な御論議をお願いしたいと思います。

 以上で終わります。(拍手)

大島委員長 ありがとうございました。

    ―――――――――――――

大島委員長 これより公述人に対する質疑を行います。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。高市早苗君。

高市委員 おはようございます。自民党の高市早苗でございます。

 本日は、公述人の先生方におかれましては、御多用の中お出ましいただきまして、すばらしい御見解をお聞かせいただき、本当にありがとうございました。

 冒頭に、小さな政府と官の役割ということで、田中先生に伺いたいと思います。

 自民党は、昨年の総選挙で小さな政府の実現を公約いたしました。民間でできることは民間で、地方でできることは地方でということで、官が民の邪魔をしない、それから、官が使うお金を減らすこと、これを目標にいたしました。そして、自民党総裁の小泉総理は、今国会で審議される法制度改正ですとか、それから十八年度の予算、税制、こういったものを通じてこの公約を実現されようとされているわけでございます。

 さて、田中先生は、財政制度審議会の委員でおられると理解しているのですが、財政制度審議会が去年の五月に試算を出された、二〇一〇年代初頭に国、地方の基礎的財政収支を黒字化させるという小泉政権の方針、これを実現しようとしますと、非常に大変な改革をやらなきゃいけないと。

 二〇一五年にプライマリー収支をバランスさせる、二〇一五年と設定したといたしまして、もしもこれを歳出減のみで達成するとしたら、国債費以外の歳出を三割はカットしなきゃいけないだろう。これを歳入増、税収増のみで達成するとすると、税収を四割ぐらい増加させるようなことになる。仮にこれをもし消費税だけで賄うと、税率が一九%ぐらいになるんじゃないかなというようなこと。そこで、歳出減と歳入増、両面抱き合わせて達成していこうということであっても、社会保障費以外の歳出、国債費を除いて二割は圧縮しなきゃいけないだろうということで、今回、予算の審議でございますので、どういった分野に歳出を割り当てるか、どう節約していくか、これは大変大事な視点でございます。

 田中先生は、中央公論のことしの二月号に、昨年の総選挙を機に加速する小泉改革についてということで「小泉改革、最終年の標的とリスク」と題した論文を発表しておられます。

 その中の幾つかのフレーズを申し上げますが、「昨年の総選挙の際、有権者は日本の将来を考えるにあたり、財政赤字を生み出す仕組みを放置したまま人口減少に入ったならば、今後の生活展望は可能なのか、という点に焦点を合わすほかなかった。そして老後を考えれば、勤労時に拠出した年金持ち分の価値の増殖がなければ、年金給付額はみじめなものになるだろう。ここから年金持ち分の価値の増殖につながるはずの、日本における国富増殖の趨勢を決定するものを直視せざるをえなかったといえよう。」と。

 続いて「有権者は、戦後の保守政治が骨格のところで、「政府」の役割を利害調整にまで広げてしまったことに気づかざるをえなかった。」そして「利害調整に割り当てられた経済的資源は日本における国富増殖に結びつかないばかりか、国富を食いつぶしているのではないか、という結論に至らざるをえなかった。」と書いておられます。

 そこで、政府の役割を、国富を食いつぶす利害調整から、どのようなものに変えていくのが好ましいかという話になるのですが、自民党は、この政府の役割ということで、昨年の総選挙で、官が民の邪魔をしないで、安心で安全で公正な社会をつくるためには、ルールと秩序、不正の摘発と厳格な監視が不可欠だということで、官の役割を、市場の監視や不正の取り締まりなど、ルールや秩序を維持する番人型ということで提示をさせていただきました。

 そこで、先生は論文の中で「政府の役割として、真の弱者への支援策を正面から打ち出すべきだという路線が次第にかたちを整え始めたといえるのではないか。」という御指摘もされておられますけれども、この新たな政府の役割ということを田中先生の言葉で明確に定義づけていただくとすると、どのような物差し、どのような表現になるのかということが一点。

 それから、真の弱者への支援策というと、具体的にはどのような施策が必要、どのようなことに歳出を使うべきだと考えておられるのか。そしてまた、現行の施策の中で、これは真の弱者への支援策ではないため支出は必要でないよとお考えになるようなものがあれば、お教えください。

田中公述人 戦後の日本政府が何をやってきたのか、そして、自民党を中心とした、政府を担ってきた諸政党の代表者の人々がどういう考え方であったのか、いろいろ考えることがございます。

 亡くなりました渡辺美智雄先生が、小さな親切大きな迷惑というふうに言われたことがございまして、確かに政治家は法で親切心を発揮しなければいけないといろいろ頑張るんだけれども、よくよく考えてみたら政府財政に大きな穴をあけてしまった。このあけた穴がどうなるのかという点については、なかなか政治家は思い浮かばないものだ、小さな親切運動にも限度があるのではないかと渡辺先生が言われたことを、私は今でも記憶しております。

 ということは、戦後保守政治の真ん中におられた方でも、やはり今のままの政府の支出あるいは政府のあり方には限度が来ているという御自覚があったんだと思います。一九九〇年代に入ってからの御発言でございましたけれども、私は、やはりそういうものかなというふうに理解しております。

 それからいきますと、現在、それからもう十年以上経過いたしておりますが、今日の医療保険と介護保険をとりましても、公費負担が入っております。国債の発行によって四割以上のカバーをしているわけですから、次世代に対する負担で、歳出の四割以上を負担している中で、そして公費助成が行われなければ医療保険も介護保険も持続しないということは、現在の世代が孫や子供のクレジットカードで保険料の支払いをしているのと同じだということでございます。

 これを続けますと、次の世代の人たちは、我々の前の世代は一体どういうツケを回してくれたんだということになろうかと思います。現在の状況は、そういう意味において、残念ながら、世代間において財政赤字あるいは将来に対するツケ回しを行っている財政構造全般に対する不信感が非常に強いということだと思います。ここから、やはり政府の役割はもう少し絞り込まなければいけないという議論になるんだろうと私は思います。

 お尋ねの中で、弱者をどう定義するのかということは、私は非常に重要なことだと思います。戦後政治の中では、弱者と政策上定義されたわけではありませんが、ただ、こういう分野には優先的に財政資金を回した方がいいと思われるものを非常に包括的に決めてきたという経緯があると私は思っております。

 例えば、中山間地はどうだろうという問題があります。あるいは半島はどうか、あるいは離島はどうだろう。それはやはり、離島ならば、半島ならば、あるいは中山間地ならば、政策優遇の何かが行われるべきだ、こういう考え方もございました。あるいは中小企業、あるいは農業というと、これはもう助成の対象である、何らかの支援をしなければいけないということになっております。

 しかし、本当にそれでいいのだろうかという問題がございます。民間事業所の統計を見ますと、事業所の規模が百人未満で、ちょうど、我々働いている人の半ばでございます。百人以下というのは間違いなく中小企業だと思いますので、中小企業振興といえば、では民間事業所で働いている人の半分がそもそも何か助成されたい、政府が手を差し伸べなければいけない対象なのかといえば、それはちょっとバランスを欠いた議論だということになろうかと思いますし、そのこと自身、たとえ五十人規模の事業所に働いている人でも、何かほかのタックスペイヤーから助成をいただくということを是としない方もいっぱいあるわけです。

 ということは、例えば農業とか中小企業、これは職業とか規模でございますが、あるいは住んでいる地域によって、包括的に何か支援をしなければいけないという仕組み、それはまさに小さな親切運動の結果つくり上げてきたものだと思いますけれども、もう一度見直すべきではないかということでございます。

 そこを見直したときから、政府が支援の対象としなければいけない真の弱者が浮かび上がってくるというふうに思っておりまして、これは諸論、あらゆる分野において議論をしていただく以外ありませんけれども、私は、みなし弱者という仕組みを小さな親切運動がつくり上げてきたおかげで、とりわけ将来世代が大きな迷惑をこうむっている。ここに、政府の役割の限定と、それから真の弱者を、この高度文明国家、市民国家においてもう一度、しかし支援を受けなければいけない弱者がおられることは事実ですから、そこに政府の施策を絞り込むべきだというふうに思っております。

    〔委員長退席、玉沢委員長代理着席〕

高市委員 つまり、シビルミニマムというものをどう定義づけて支援していくかということになるんじゃないかなと、今、お話を伺いました。

 続いて田中先生に、きょうも先生方から御指摘のありました格差の問題についてのお考えを聞きたいと思うのですけれども、今国会、予算委員会でも本会議でも、実に多くの、野党委員を中心に、勝ち組、負け組の言葉に代表される二極化、格差の拡大ということを指摘されまして、これを小泉構造改革の失敗だと断じられる方が多うございました。

 批判を恐れずに言いますと、私はむしろ、仮に全く格差のない社会ができてしまったとしたら、これはもう小泉構造改革は大失敗という考え方もあると思います。本日、木下先生や逢見先生が教えてくださったように、もしも貧困層の拡大のみによる格差拡大ということになりますと、これは確かに税収を減らし、そしてまた福祉の支出をふやしてしまうということで、将来的に大変なことになるんですけれども、反対に、もしも富裕層の広がり、こういったものが原因になった格差であれば、これはむしろ、官が民のすることを邪魔しない、規制緩和の成果があらわれた、そしてまた、本当に創意工夫して努力する方々が頑張れる環境が整ってきた、こういう考え方もできるんだろうと私は思います。

 ですから、私は、特別な事情から努力したくてもできないようになったとか、また、天災ですとか資源の高騰など特別な事情でどうしようも立ち行かなくなってしまった企業があるですとか、こういった場合はやはりシビルミニマムということで公平さをつくり出していく、これは国の役割だと思うのですけれども、田中先生は、昨今の国会やマスコミで非常に大きく取りざたされておりますこの格差拡大と小泉構造改革の失敗という視点についてどうお考えになるかということ。

 あと一点、今回、この格差拡大の事例として、正社員とパートもしくは派遣社員の所得格差という視点も国会で取り上げられております。特に、本会議ででしたが、共産党の方から、派遣労働自由化など規制緩和路線が格差をもたらしたという御批判がございました。

 私の奈良の事務所にも、大手の派遣会社から、政党支部の職員として、経理やコンピューターを担当してくださる方に来ていただいているんです。きっちりです。もう時間は九時―五時できっちり、お昼休みもきっちり一時間、まあこれが契約ですから。お昼休み中はプライベートに使うということで、全く事務所の用事は頼めません。また、ほかの正規の職員が大変忙しくしていても、これもきちっとお帰りになるということで、ただ、大変よくトレーニングされた方ですので、社会保険ですとかボーナスとかそういったことを正規の職員と同じ扱いにしたいので、ぜひもっともっと続けて働いてくださいとお誘いいたしましても、もう五時以降はとにかく趣味を楽しむので、習い事もしたいのでというようなことで、全くそれは断られてしまったんですけれども。

 派遣労働自由化が格差を拡大した、一つの政策の失敗である、そのようにお考えになるかどうかという点、これをお伺いしたいと思います。

田中公述人 日本経済の先行きについて非常に悲観論が広がりましたときに、日本で投資が起きるかどうか、あるいは新しい職場を本当に生み出すことができるのかどうか、これが問われたことがございます。

 ちょうどそのときは、我が国の賃金水準が、ドル建てで見て、世界で見て第一等の、平均賃金でございますが、そういう立場であります。そうしますと、もし新たに日本で職場が生まれるとすると、創造と挑戦が企業のどこかで起きていなければ新しい職場は生まれないだろうという理解が国民的に広がったんだと思います。

 そうしますと、その創造と挑戦にかける、そこに自分の時間を投入して企業経営を行う、あるいはそのために一生懸命努力をするということになりますと、そういう人たちは、どういう動機といいましょうか、名誉がいただけるのか所得がいただけるのか、あるいは自分自身の仕事の達成感なのか、いろいろあると思いますが、やはりそこには何らかの形のものが要るのだろうというふうに考えたのだと思います。

 そのときに、やはりだれでもかれでもこの創造と挑戦に取り組めるわけではない。もっと言えば、自分の時間と自分の能力をそれにつぎ込むということはリスクを負うことでございますから、心理的な負担まで、疲労感まで、だれでも負担できることではないことをお願いしないと、新しい職場を生み出す力というのは社会の内部から生まれないという理解が広がったんだと思います。

 ここから幾つかの実際上の取り決めといいますか、国会で幾つかの法案が通りました。例えば、最高限界所得税率が五〇%になりましたのは小渕政権のときでございます。これが通ったのは、やはり、もう少し余分に働くときに、六五%取られて、残るのが三五%じゃなというのと、五〇%は税金だけれども五〇%は手元に残る、そういうバランスなんですけれども、五〇対五〇、五公五民は一応取り上げるべき筋だなと。そして、国際的にも限界最高所得税率は、地方税、国税合わせてでございますが、五〇%程度という国が多いわけですから、これが基準かというので入ったのだと私は思っております。

 それから、金融所得について、例えば配当所得を通常ならば二〇%取るところを、現在一〇%でございます。これは確かに、配当所得について源泉分離一〇%というのは優遇し過ぎだという意見が国民の中に上がったとしても不思議はないと私は思っておるのですが、ただ、あの時期なぜこれが通ったかというと、株価の上昇を通じて意欲ある企業分野に資金が回る仕組みをつくらないと日本で職場をつくり出すことはできないぞという理解が国民の間に強かったから、あのとき、一応特則としてではございますが、配当所得一〇%、源泉徴収課税というのが通りました。それは、我が国の置かれたつらさの中で、そうした手段を投入してでも、我が国の職場を何としてでもふやすという国会の意思が結集されたものだと私は思っております。

 ただ、どうにか日本経済、立ち上がってまいりまして、しばらくはうまくいきそうでございますので、例えば配当所得について、この一〇%を二〇%という本則にまで戻す時期が近づいているということだと思います。

 格差はなぜ生まれたのかというときに、我々は確かに、高い所得を上げる人に対して、最高限界所得税率五〇%にしたときに、弁護士さんならもう一件歯を食いしばってやってください、百万円余分に入ったら五十万円はお手元に残りますということを認めたんだと思います。

 このことについて、多分、国民的理解は、五公五民はいいのかな、これは受け入れるべき筋のことだというのが私の理解でございます、もちろんいろいろ意見があることは承知の上で。その範囲でいうと、多少所得の高い、創造と挑戦に取り組んでいる人たちに、その税引き後の勤労所得を与えることは、私はほぼ認められていると思います。

 ただし、金融資産について言いますと、これは過去に、あるいは相続を通じて得られたものですから、現在ただいまからいくと、金融資産所得二〇%という本則に戻すべきだという意見が多分強まっているように思いますし、私は、もし意見を求められれば、配当の一〇%というのは二〇%の本則に戻すべきだというふうに思います。そういうことが一つの流れかというふうに思います。

 それから、求人、求職、要するに常用雇用の問題は極めて重要でありまして、日本経済が回復してまいりましたので、常用雇用をふやそうとする動きが企業の中に強まっております。

 そういう意味では、求人活動と求職活動のバランスは、求人を心がけておられる企業がどんどんふえているんですが、実際には、数値の上では有効求人・求職倍率は一を上回ってきているんですが、雇えないと言っているんですね、企業は。それは、こういう条件でというか、こういうことを備えた人がいれば欲しいんだけれども、求職で来ていただく中にそういう人を見つけられない。だから、依然として求人という広告を出し続けながら実際には未充足な職場がいっぱいあるというのが現実ですので、どうやってそこに橋をかけるのか。そこが橋がかかれば、雇用形態が、パートとか派遣から常用雇用にもっと円滑に移る。

 そういう意味では、比較的所得の低い方の所得を改善するためには、求められている労働にふさわしい訓練が受けられる仕組みを社会全体としてどうやってつくるのか、それはやはり個別に考えるべきテーマに既になっているんだと思います。ミスマッチの数は極めて多い、未充足な求人が物すごくふえているということに焦点を当てると、ここには国政上の何らかの施策が施されてしかるべきだというふうに思います。

    〔玉沢委員長代理退席、委員長着席〕

大島委員長 お時間でございます。

高市委員 はい。

 時間が参りました。先生のお話の中で、小さな政府の中でも、職業観教育ですとか、あとまたマッチング政策、充実させていきたいと思います。

 ありがとうございました。

大島委員長 次に、上田勇君。

上田委員 公明党の上田勇でございます。

 きょうは、四名の公述人の皆様方には、大変お忙しい中御出席をいただきまして、そしてまた、それぞれの立場から大変貴重な御意見を伺ったこと、心から御礼を申し上げます。

 今伺いました御意見について何点か質問させていただきますが、全員の先生方に、本当はいろいろとお聞きしたいこともあるんですけれども、限られた時間の中でやらせていただきますので、質問できない部分もあるかというふうに思いますが、御理解いただきたいというふうに思います。

 最初に、田中先生にお伺いをいたします。

 先生の今の御意見の中で、図の一番で、いわゆる財政出動と経済のパフォーマンスというのは、むしろここのところ負の相関にあったということをおっしゃったわけでありますけれども、この間、景気対策というのは、一つには、公共投資の積み増しに代表される財政政策と、それからもう一方で、所得税、法人税などの大幅な減税も行われてきました。そこで、そうした財政政策と減税というものの経済のパフォーマンス、成長率との関係について、それぞれどの程度の関係があるのか、もし御意見があれば伺えればというふうに思います。

 これは、これから財政の健全化を議論していくときに、歳入歳出両方を改革していくということになりますので、それぞれどういうような影響があるのかということを考える基礎になるのではないかというふうに思いますので、御所見を伺えればというふうに思います。

田中公述人 私、経済予測の仕事を一九七〇年代に入ってから民間の研究所でやっておりまして、公共事業を積み上げるやり方で景気がよくなるというチャネル、その因果関係が崩れているんじゃないかというふうに思ったのは、一九七〇年代の後半でございます。

 これは、時の政府が景気が悪いからといって公共事業をふやされるんですが、いろいろな計算の仕方がございます。公共事業がふえることによって例えば資材に対する発注がふえる、そうしたら景気はよくなるではないか、これはその当時の代表的な見解なんですが、しかし、実際にはなかなか思ったほど景気が立ち上がってこないという事実がある。

 その中で、やはり経済の仕組みはグローバルな仕組み、変動相場制を通じて世界につながった場合に、一たんは確かに景気がよくなる局面があるんですが、それが、従来思っていたよりは金利が高くなるということになると、やはり為替レートの動きを通じて減殺されるというのが現実に起きているという観察が、もう七〇年代の後半でそういう観察結果に至らざるを得ないということでございました。

 それ以来、私は、いわゆるケインズ型の景気対応はまずいと。それは、財政赤字をふやすのみであって、国債の発行残高がふえるばかりであって、景気を刺激することにつながる要素は非常に小さくなっているというふうに思いまして、それ以来、そういう論文を書くようになっております。

 どうも、残念ながら、九〇年代に入りましてもそういう政策が続く。

 例えばですが、連立与党の中で、建設業者の人たちが仕事がなくなったという声が入ってくると、仕事を出してやれ、それが景気対策だぞという考え方がやはり非常に強かったと思うんですが、それは、確かにその分野だけについて言えば、そこは仕事が余分に出ますから、仕事はある程度回るようになります。しかし、それが日本経済全体には回ってこないというには、別の影響のチャネルが働いているということでございますので。

 私は、国会の先生方のお仕事の中で、そういう形で、地元から景気が悪いというお話が入ってきたら、これは何とかして予算を拡大して政府が仕事を配らなければいけないというふうに、それだけで対応されると結果としてはうまくいかないというふうに思っておりまして、これを選挙民の方々、地元の方々にどうやって説明するんだという非常に難しい課題があるんですが、これは相当難しい話なんですが、やはり政府が直接仕事を与えるというのはよほどのことだと。政府が直接、特定の分野を選んで職場をふやすという形に乗り込むことがすべて拒否されると私は思いませんが、それはよほどの非常時だということで、多少景気が悪いからとかお金の回りが悪いからといって政府支出を拡大するというのは、もうやめるべき時期に来ているという説得をしていただけないものかと。多分それは選挙民に伝わる、その真意は伝わるのではないかと、済みません、勝手に憶測しておるんですが、思っております。もし間違っておりましたら御指摘を。

上田委員 どうもありがとうございます。

 それでは、逢見さんにお伺いをいたしますけれども、逢見さんの御意見の中で、経済格差が拡大をしているということをいろいろなデータでもって示していただいたわけでありますし、また、その要因についてもいろいろとお話を伺ったところでございます。

 この格差の問題についてはさまざまな御意見があります。現状認識についてもいろいろありますし、またその評価といったこともいろいろ分かれているのではないかというふうに思いますが、ただ、一つ言えることというのは、少なくとも、将来の生活の格差についてそういう不安感が広がってきているということは、もう間違いのないことなんだろうというふうに思っております。

 逢見さんの御意見の中でも、その原因というのが、例えば労働法制等の規制緩和といった政策的な判断というようなものもあったけれども、主としてそれは、経済がグローバル化した、それに伴って経済が構造が変わってきた、そしてそれに対応するために企業の経営の理念や手法も変わってきた。それが最大の原因であるということでありまして、私も同じように考えておりますし、またその上に、やはり高齢化という問題がもう一つの要因としてあるんだろうというふうに思います。

 そういった認識は理解するところなんですけれども、ここで重要なのは、ではこれから政策はどういうふうに、特に財政運営についてはどういうふうにやっていくのかということなんだろうと思うんですが、特に、この格差の問題と関係しては、所得の再分配という社会保障制度についてどうあるべきかということが、これから政策選択の非常に大きな要素じゃないかというふうに思うんです。

 そこで、ちょっとお伺いしたいんですけれども、一つは、なかなかこれは定量的にあらわしにくいことかもしれませんが、逢見さんのお立場から考えて、将来とも適正な国民負担率の割合というのはどの程度が適切というふうにお考えなのかという点。

 それともう一つは、社会保障に向ける財政の総額というんでしょうか、これも今の一般歳出の中では相当大きなウエートを占めるようになってきたんですけれども、その割合というのは、現状が適切なのか、もっと多くあるべきなのか。特に、これから財政の健全化を図っていく中で、いろいろな分野、これは無駄なところは全部排除していかなければいけないんですけれども、では、社会保障の財政の規模というのはどの程度に考えていくべきなのか、その辺の御意見。必ずしも何%という数字で言うことは難しい面もあるかというふうに思いますが、大まかな考え方を伺えればというふうに思います。

逢見公述人 あるべき国民負担を数字で示すことは、なかなか難しいところがあります。といいますのは、例えば、今国会でも医療保険制度についての審議がなされますけれども、もし仮に、健康でずっとお医者さんにかからずに死を迎えたという人にとっては、全く医療保険を使わずに済むわけですが、最も望ましいのは、健康でずっと生涯を送ることができる、それが、何かの形で病気にかかってしまったときに安心して医者にかかることができる、その安心感というものの負担のために国民は医療保険料を拠出しているだろうと思います。たくさん病気になる人がふえて、あるいは感染病にかかる人がふえて医療費がふえてしまった、そのことによって国民負担がふえたというのは、あるべき社会としては決して望ましくない。

 そういう意味では、国民負担ということをある前提に置いて社会制度を考えるという議論は、私は余りすべきではないと思っておりまして、総額でキャップをかぶせてそこで提供すべきサービスとかを抑制するというよりは、むしろ、どのようなサービス、特に、国民が安心して暮らせる、安心して老後を迎えられる、健康で過ごせるというその安心、安全のためのコストとしてどれぐらいのものが適当か、そういう議論をすべきだと思いますので、ここで数字をもってお答えすることは差し控えたいと思います。

上田委員 終わります。

大島委員長 次に、大串博志君。

大串委員 本日は、予算委員会の公聴会ということで、各公述人の方々にはお忙しい中足をお運びいただきまして、大変ありがとうございます。民主党の大串博志でございます。

 本日は、国の予算についての意見を各公述人の方々から、大変貴重な意見をお聞かせいただきました。

 予算というものは、考えてみますれば、国の財政の持つ機能をひもといてみますと、よく言われておりますように、一つは景気を安定させる機能、これはビルトインスタビライザーの存在を通じて、あるいはより積極的な財政の対応を通じて景気を安定させる機能、もう一つは公平という観点から資源を再分配する作用、この二つがあるというふうに言われております。

 きょうの公述人の皆さんの御意見を聞かせていただいていると、大変その二つの問題、しかも今日的な問題について、バランスよく御意見を聞かせていただいたというふうに思っております。すなわち、前者の景気安定という作用から話をすれば、田中先生あるいは植野先生の景気の全体の話、そして現在の財政の持つ役割、マンデル・フレミングのモデルにも触れていただきましたけれども、そういう面からしても、どういう役割を持っているのかということ。そしてもう一つの、公平という観点からして、資源をどう配分していくかという観点からしてみると、そこを若干単純化も含めて、経済的な格差論という問題について言えば、むしろ、政府が経済格差という問題に関して対応するとすると、財政の資源再配分の機能を通じてどうやってこの経済格差を埋めていくのか、若干の単純化も含めて言っていけば、そういう問題にきれいに整理できるんだろうというふうに思います。

 その二つの面から、今申し上げましたように、非常に今日的な問題だというふうに私思っておりまして、その二つとも非常に重要な問題だというふうに思っています。ですから、その二つの問題について、きょうはいろいろお話をお聞かせいただければというふうに思うのでございます。

 まずは、逢見公述人に、景気の安定化作用は後ほどまた田中公述人にもいろいろ聞かせていただければと思うんですけれども、まずは資源再配分という観点から、格差という問題について少しお話を聞かせていただければというふうに思います。

 今回の国会でも、現在の小泉内閣での改革路線、これに対する総決算ということで、行革国会というふうに小泉総理は銘打たれていらっしゃって、その中で、その改革の内容が結果として格差というふうなものにつながってきているのではないかという観点から、いろいろな質疑が行われてきました。

 そして、その中で、先ほど御紹介もありましたように、内閣府による資料によりますと、現在の格差というものは、統計的には必ずしも格差が広がっているようには確認できていないと。それは、格差が広がっているように見える、見かけ上の格差というふうに現在の政府の説明ではなっているわけでございますけれども、一つには、高齢化世帯、高齢者の方々がふえている。高齢者の方々というのはおのずと所得の広がりを持ち、であるから、その層がふえているということは、経済格差が全体で見ると自然的に広がる、そういう意味から一つの見かけではないかという論点が一つ。もう一つは、世帯の単位が小さくなってきているという点、この点から見かけ上の格差の拡大なんだというふうな意見がございました。

 これに関して、私、前の予算委員会でも少しずつ議論を行っていたところでございましたけれども、もう少しこの点についてお聞かせいただければと思うんです。まず、高齢者の方々がふえている、よって格差が拡大しているように見えているんだというふうなこの認識に関して、果たしてそれでいいのかなという思いがあるわけでございます。

 すなわち、高齢者の方々の中の、この間の格差。年金だけに暮らしの生計を頼っていらっしゃって、その中で非常につつましい、あるいは苦しい生活をされている方もたくさんいらっしゃる。いろいろな統計でも、高齢者の方々の貧困の問題が大きな問題になってきているというような話も聞いております。先ほどお話しいただきました内閣府研究所の二〇〇五年五月の発表におきましても、各年齢層の中でも格差が広がっているんだという話も先ほどいただきました。資料を見させていただきますと、高齢者層の中でも格差が広がっている、そういうふうに見えもしました。

 この辺につきまして、高齢者の方々の格差、これ自体が問題なのではないかという点について、私は問題意識を持っているんですけれども、この点に関して、逢見公述人、御意見がありましたら聞かせていただければと思います。

逢見公述人 高齢化によって格差が見かけ上拡大しているにすぎないという内閣府の見解は、恐らく私が解釈するに、高齢者世帯がふえると、高齢者というのは稼労所得はないわけですから、年金とそれから過去の貯蓄を徐々に取り崩しながら老後生活の消費に使っていく。したがって、貯蓄そのものが次第に減っていくわけであって、これが、豊かな高齢者が、貯蓄がたくさんあって、その人たちが自分の持っている貯蓄を徐々に使うことによって生活を維持していくこと自体であれば、余り問題にすることはないと思うんですが、では、果たして、今、豊かな高齢者が自分の貯蓄を取り崩すことによって起こっている見かけ上の格差拡大なのかというと、私はこれは違っているんじゃないかと思います。

 高齢者の中にも決して豊かでない人たちもいる、つまり、公的年金のみに依存して老後生活を送っているという方もたくさんいらっしゃいます。そういう意味で、高齢化による見かけ上の格差という認識は実態を正確に把握していないんじゃないか。むしろ、高齢者の中で、豊かな人と貧しい人といいますか、蓄えがない、貯蓄がないという人たちの格差が拡大している。もう一つは、現役世代で貯蓄が減っている。これは、まさに老後生活に向けて貯蓄を拡大していなければならない人たちが、今、目の前の生活費のために貯蓄を減らしてしまっているという実態があります。これは将来、大変大きな不安材料になると思います。

 そしてもう一つ、先ほど公述で申し上げましたことは、若年層の中に格差が拡大している。これは、再挑戦可能で、自分は今フリーターだけれども、しかし挑戦して、また、より能力の高い、レベルの高い仕事につくということが可能であれば、たまたま今フリーターであってもそのことは問題ないと思いますが、それが固定化してしまって、一たんフリーターになってそこから再挑戦できない、上のレベルにはい上がることができないということになれば、これは、その人の労働生活、さらに老後生活にとって大きな不安を抱えることになるのではないかと思っております。

大串委員 ありがとうございます。

 まさに今おっしゃったように、私も高齢者の方々の生活を地元に帰って見ておりますと、確かに、手厚い貯蓄を持ち、年金を持ち、暮らしている方もいらっしゃれば、非常につつましい、公的年金に頼って日々一生懸命暮らしている方も大変多くいらっしゃる。そういう意味からすると、高齢者の方々の層が人口的に多くなっているから、それが格差を見かけ上ふやしているんだというのは、やや早計かなという感じが私自身もしておるわけでございます。

 そしてもう一つ、内閣府の格差に関する分析の中で、私、おやっと思ったところがございまして、もう一つの点といいますのは、今最後におっしゃいました、若年層の方々の間での格差という問題でございます。

 これも内閣府での分析の内容を見てみますと、若年層におけるニートとかあるいはフリーター、総体として非正規な雇用者の方々がふえているということについては、それ自体が格差だという認識でぴたっと定式化されているわけではなくて、それは将来の格差を拡大させる可能性を秘めたものなのだというふうに、将来の格差を拡大する可能性なんだというふうに分析がされているわけです。

 確かに、そういう面もあろうかと思います。先ほどお話がありましたように、非正規雇用者として、訓練を受けず、あるいは低い所得の中で、みずから訓練をするということもなかなか機会を与えられず、かつ正規雇用に移っていくということが難しいことが現状としてあるとするならば、それが固定化されていき、身分が変わらないということから、将来的にもより格差が固定化され、あるいは拡大されていくということがあるんだろうというふうに論理的には思うんですけれども、では、目を転じて、現在の若年層の方々に、ここに格差が広がっているという実態がないのかというと、私はそうではないのではないかと。

 これもまた地元に戻って、いろいろな若者と話をします。そうすると、高校を出て、あるいは大学を出て、一生懸命仕事をしたいと思って求人を求めていく、そういう中でも本当に職がなかなか得られないという実態があります。そういう中で、仕方なく非正規の雇用の中に入っていく。それで、非正規の雇用者の方々は、やはりなかなか生活的には厳しいというところがあると思うんです。

 そういう点、恐らくお仕事の中で職場の現場等々をごらんになって、若年層、若い人たちの、フリーターや非正規雇用者の中で、ここに実態としての格差が見られるのではないかというようなところについて、ちょっとお話しをいただければというふうに思うんです。

逢見公述人 まずマクロ的に、失業率が改善されているとか、あるいは有効求人倍率が一・〇になったとかということで雇用環境が改善されている、マクロ的にはそういうことだろうと思います。しかし、これは大変地域格差がありまして、愛知県とかそういうところは非常に活況を呈しておりますが、東北とかそういうところへ行くと、依然としてまだ雇用環境は厳しい。そうすると、労働市場というのは、全国的に、広域に移動できる方もいますけれども、しかし、その地域で生活しなきゃいけない方も大勢いらっしゃいます。そうすると、その地域の雇用環境のもとで、今まだ良好な求職先がなくて職が得られていないという方もいらっしゃいます。

 それから、フリーターとかいう形で、一たんそういう形で就職して、若いうちはまだそれでもいろいろ仕事を楽しめるということがあるかもしれませんが、やがてその人たちが結婚する世代になる、そうすると、今の所得ではとても結婚できないということで、結婚をあきらめざるを得ない。あるいは、より高いレベルの仕事につきたいと思っても、自分の能力を高める手段が自己責任だとすれば、その自己責任の中でそういう訓練を得られる場もないし、またそういう時間もない。結局、フリーターというままでずっと甘んじざるを得ない。こうなると、これは格差の固定化という問題になってくると思います。

 今、九〇年代半ば以降、そうしたフリーターがふえてきた中で、そういう長期にフリーター生活をしている人たちが次のステップアップする機会がないことが問題ではないかという指摘がされておりまして、私もこれは大変重要な問題だと思っています。正社員であれば企業内で人材を育成する仕組みがあります。しかし、非典型雇用の方については、企業の中で能力を開発し、教育訓練するという仕組みは整っていないわけでありまして、これはやはり外部で、あるいは公共政策としてそういう部分をやる。そのことが格差の固定化を防ぐことであって、そのために必要な財政出動はすべきだ、つまり、人に対する投資の重要性ということを私は強調したいと思います。

大串委員 ありがとうございます。

 今おっしゃいましたように、確かに、フリーター、非正規雇用者、若年層の中での格差、そしてその中で適切な職業訓練やスキルの獲得がなかなかなされないということにおいて、現実に今非常に大変な思いをしていらっしゃる方々、そして将来の格差の拡大に非常に心配をされている方々、それが非常に多いんだと思います。今おっしゃったように、その中で政府が重要な役割を果たしていく、特に雇用教育の面や、それ以外の一般的な教育の面でも果たしていく役割があるんだという点については、そのとおりだと思いますので、その点についてはまた後ほど少し話をさせていただくことにします。

 もう一つ逢見公述人にお尋ねできればと思うんですけれども、先ほどのお話の中で、格差拡大の背景の一つとして、企業の行動の変化があるんだというお話をいただきました。アメリカ流の短期利益追求主義に走り過ぎたがゆえに、例えば、人を育て、人を活用していくというような視点をもってして企業経営をしなくなったのではないか。あるいは、雇用ポートフォリオというふうな言葉をお使いになりましたけれども、雇用の部分に異常に無理を強いて企業の利益を上げていこうとしているところがあるんじゃないかというふうなお話がありました。

 一方、日本経済の現状、先ほど植野公述人からもお話がありましたけれども、戦後の日本の経済の成長過程を見ておりますと、オイルショック前後、それからバブル経済と言ってもいいでしょうか、バブル経済が終わるころまでのところ、ある程度のコンセンサスはあるんだと思いますけれども、潜在的な経済成長率が非常に高かった時代というのがあったんだと思います。

 そういう中での企業経営というのが一つあって、そしてバブルが崩壊して以降、いわゆる人口もそう伸びなくなる社会に入ってきて、かつ、もう一つ、経済成長の一つの淵源たる資本の深化みたいなものも、戦後の時代が終わるとともに、その部分で伸びていくというのもなかなかなくなってきて、あとは技術進化でどう伸びていくか、そういう世界になっていく、潜在成長率が非常に低くなった時代に入ってきているんじゃないかというふうに思われます。

 そういう中での企業経営というのは大変難しくなってきているんだろうというふうに思うわけです。非常に効率的に、人材も含めて資源を使っていかなければならないというふうな企業経営が求められてくる。そういう中で、企業の中のいろいろなインセンティブシステムをきちっと働かせて、収益をどう上げているかということをきっちり管理していかなければならなくなるような時代におのずと入ってきているのではないか。しかもそれは、全体の経済の活力を維持するためにはそういう面も、企業の中で一生懸命頑張ってもらうという点も、やはりどうしても経済の構造の変化とともに起こってきているんじゃないかというふうに思うわけです。

 一方で、先ほどお話のありましたように、過度にそれが一部のところにツケが回るようなことがあってはいけない。先ほど、雇用形態ごとに非常に待遇が違うんだという点の指摘がございました。一方が非正規で一方が正規だったら、同じような仕事をしていても取り扱いが全く違うんだ、そこで非常に不平等を感じていらっしゃる方々が日本の中では非常に多いんだというふうな御説明もありました。

 そういうふうに、企業の中でも効率を求め、収益を上げていくという動きが必然的になってきている時代にはあると思うんです。それはある程度、日本の中でも起こっていかざるを得ない。それと、先ほど申されたような企業の雇用慣行等も含めて、どこか弱いところに非合理的な力をかけて、圧力をかけて、どこかに苦しみのしわを寄せるようなことがあってはならないんじゃないかというふうに思われるんですけれども、そこをどういうふうに企業経営として調和させていくのかというところが、非常に悩ましいところがあると思うんです。その辺については御所見はございますでしょうか。

逢見公述人 九〇年代のバブル崩壊以降、グローバル競争と厳しいコスト削減競争の中で、企業が生き残りをかけて戦略を立てなければならなかった、これは事実としてあると思います。

 ただ、私は、競争には二つあると思っております。一つは、持続可能性ということを考えながら、そしてその中で人とかいろいろな資源配分のバランスを考えながら、長期的視野を忘れずに、しかし、もちろん企業ですから利益を追求していかなきゃいけません。そういう競争ルールの中でやっていく競争と、それからもう一つは、コスト削減のためにはそのほかの部分は無視していいんだ、安全も無視していいんだ、そして人件費を削減するということの手段は選ぶ必要がないんだという形でいく。これは奈落の底に向かっていく競争であって、その結末のどちらがいいかということは明らかだと思います。そういう意味で、市場競争の厳しさはありますけれども、そこに当然守らなきゃいけないルールというのがあって、それをつくることが政府の役割だというふうに思っております。

 そういう点でいうと、私が懸念するのは、今、そうした奈落の底に向かっていく競争になりはしないかと。そのことに対して、やはり経営者の中にも問題意識を持つ人たちが出てきていると思います。ことしの日本経団連の経営労働委員会報告、通称経労委報告と呼んでおりますけれども、そこで、日本的経営をもう一回見直そうということが言われております。

 今までの経営パラダイムの変化といった中で、もう日本的経営の時代は終わって、アメリカ型のルールに向かっていかなきゃいけないんだということが議論の主流になった時期もありますけれども、そこで起こってきた問題は現場力の低下ということであって、いろいろな大事故が起きた中で、職場できちんとした技能の伝承、技術の継承ということが人を通じて行われていないのではないかということが問題視された。

 それから、短期的な利益追求の中で成果主義賃金ということが言われましたけれども、この成果主義というのは、端的に言いますと、頑張った人にはたくさん払います、しかし、普通の人や頑張らなかった人についてはそこそこか、あるいは、頑張らなかった人は下がりますという賃金制度なわけですね。

 頑張った人には報いるという賃金システムにしたことによって、実は、大部分は普通の人なんです。黙々と、きちんとした仕事をこなしていく、チームプレーの中で決して自分が目立ったことをしないで、きちんとその仕事が行われていくことを誇りにしている、そういう人たちによって実は日本の職場集団というのは守られているわけですが、成果主義になると、そういう普通の人たちが日の当たるところに行かない、どうも目立つ人だけが成果をかすめ取ってしまうということがあって、そこで経労委報告では、ことしは普通の人がちゃんと報われる賃金制度にしなければいけないんじゃないかという提起が出て、これもまさに的を射た問題指摘だと思っております。そういう意味で、経営者サイドの中でも心ある人たちは、今までのようなものではなくて、もう一度日本の強さを見直して、そういう経営をしていくべきだというところに立ち返っているわけです。

 私は、雇用の多様化そのものは否定しませんが、しかし、それが格差の拡大や固定化につながるような処遇ではなくて、働きに応じて適正に公正に配分できる仕組みというものをつくっていく、そして政府に対しては、人への投資ということについて、それは長期的に考えれば日本の国力、活力を高めることにつながるということを申し上げておきたいと思います。

大串委員 ありがとうございます。

 先ほどもそうでしたけれども、今も、持続可能な企業経営が行われるようにと、持続可能という言葉をお使いになって企業経営ができるように、そして、そういうルールが守られるように、政府がしっかりとした役割を果たしていかなければならないというふうな話がございました。

 格差に関して申し上げると、やはり政府の役割というのが非常に大切なんだろうというふうに私は思います。つまり、経済格差の何が問題なのかということの認識が必要だと思うんです。

 先ほど、高市先生からの話もありました。現在の経済体制の中で、成功した人がどんどん成功していく、この意味において格差が広がっていることが悪いのではないのではないかという話がございました。私も全く同意見でございます。頑張った人が報われる、あるいはそれに対するリワードを得るという社会、これは、社会の活力を高めていく。特に、現在のような潜在的な成長率が低くなった社会において経済全体の活力を高めていくためには、頑張った人が報われるという仕組みがきちっとそこにあるということは、極めて重要なことだというふうに思うんです。

 他方、では問題になるような経済格差というのはどこかというと、その頑張った人が報われるという仕組みと、その中で頑張りたくても頑張れない、機会に恵まれない、あるいはいろいろな不遇なことがあって恵まれない、あるいは声が出せない立場にいる、そういうふうな立場の方々がいらっしゃることに対して、そこは市場では対応できない部分がどうしても残るんだろうというふうに思うんですね。それに対して、いかに政府がきちっとした対応をしていくことができるかというのが、今非常に大切なんだろうと思います。

 そこが、まさに最初に申し上げた、政府の資源配分、富の再配分機能という中で、別に、所得が上の方に負担を負わせるということだけに注目が行くんじゃなくて、そのことよりもむしろ、富の再配分という意味において、政府の手が差し伸べられることが必要な方々のところにきっちりと手が届くような政府のあり方、社会のあり方にしていかなければならないんだろうというふうに思うわけです。それが、先ほど申しました富の配分に関する私の考え方でございます。

 ここで、話をマクロの方にもちょっと移させていただければと思いますけれども、今申し上げましたように、富の再配分については、政府は非常に重い役割を負って、経済格差をなくしていくために、本当の弱者のために、しっかりとした手をピンポイントで伸ばしていくということが必要だろうというふうに思っています。

 そして、今の経済情勢、特に財政情勢を見ると、ところが、富の配分機能と景気安定機能が若干重なりを持ってきている。それはどういう意味かと申しますと、財政が非常に厳しい状況になってきているがゆえに、その財政が厳しいということをもって、本来であれば富の再配分機能として政府が果たすべき役割、ここと、ここと、ここにきっちりと財政出動していかなければならないというときに、お金がないというふうな判断が若干入ってきてしまっている。そういうふうな、お互いが影響し合ってくるような状況になってきているんじゃないかと思うんです。

 そこで、国の財政の景気安定機能の方に話を移しますと、田中先生がおっしゃいましたように、財政において景気を浮揚する、操作する作用というのは、マンデル・フレミング・モデルにおいても明らかにされたように、あるいはその後の資本自由化モデルにおいても明らかにされたように、それは先進国、特に資本の自由化された先進国経済においては非常に低くなってきている、そのとおりだろうと思います。

 それを、私は前に財務省におったもので、財務省もしっかり勉強していたかというと、自戒の念を込めて、もっとしっかり勉強すればよかったかなという思いもあるんですが、財政支出がそれでもなされてしまったということについて言うと、例えばマンデル・フレミング・モデルのようなものに対する無見識が原因だったのか。私は、そうじゃなかったんじゃないかという気がするんです。

 もう一つ、経済の考え方として、政治経済学というのがあるのを先生よく御存じだと思います。バージニア学派、ブキャナン、タロック、これもノーベル経済学賞をいただかれました。合理的な経済政策はわかっていても、政治的プロセスの中ではどうしても財政を拡張する方向に財政判断はなされる、その結果、財政赤字は膨張する方向に働くんだという理論でございました。

 むしろ、この理論の方が、日本の財政赤字の拡大に向けた過去の経緯を説明するのにはより適切なんじゃないかと思うんです。つまり、政治プロセスの中で財政赤字は拡大していったという側面の方が強いんじゃないかと私は思いますけれども、その辺に関する田中先生の御見識をいただければというふうに思います。

田中公述人 我々が、公的なといいますか、私的な自分の庭を超えた形で社会に関与しようとするときに、一つは、政府とか政治にかかわるかかわり方だと思いますが、政治や政府ではなくても、非政府でも公的な領域にかかわることはできるんだろうと思います。

 だから、そういう領域において、きょう出ておりますような、社会に対して意欲を持たない、あるいは社会から共鳴を受けることができないような状態に陥ってしまった若い人たちに対して、どうやってもう一度刺激を与えることができるか。共感力といいましょうか、それをどうやったら取り戻せるか。もちろん、政府の施策ということはありますけれども、もともとこれは国家公務員が手がけるような仕事ではないような気がいたします。

 そういう意味からいきますと、NPO法人の設立、それに対する税制上の対処についても今後大幅に進みそうでございますので、一応、官から民へというので民になっていますが、民も、利潤動機で動くところと非利潤動機で構成されたものというこの二つを区別して、それぞれに規律が要ると思いますけれども、私は、非政府でいわゆる公共的な役割を、政府でなくて担う主体というのが重要ではないかというふうに思います。御指摘のように、格差がもし世代間で固定化するというようなことがあれば、日本社会は大変なことになると思います。

 アメリカ社会で、こういう問題に対して議論が幾つかありました。一九六〇年代の後半に市民権法案が議会を通りまして、そして、マイノリティーの人たちがいわゆる白人居住区にも実質上住めるようになりました。そうしますと、黒人居住区で非常に身ぎれいな生活をしている、例えば学校の先生とか牧師さんとか、そういう人たちがそのコミュニティーから出てしまいました。結果として、その社会では、若い人たちが自分たちの先輩の背中を見て育つという機能が喪失したというふうに言われています。

 食料切符を親子三代にわたってもらい続ける、そして三代にわたって勤労したことはない、食料切符をずっともらい続けているという世代が出たときにどうするんだという問題を、アメリカの中で八〇年から九〇年ごろにかけて議論したことがございます。やはり議論は、NPOの活動を高めるために、どうやったらそういう問題に取り組む人たちを組織化できるのかということになったようであります。牧師さんや学校の先生にもとのコミュニティーに帰れと、帰れ運動というのも起きたようでございます。

 我々、もし若い世代の人々に社会に対する共鳴力をなくしつつある人があるとすると、それはもう本気になって考えなければいけないテーマで、それが世代を超えてもしそういう脱力的な状況が続くとすると、それはもう大変なことだというふうに私も思っています。

 でも、その役割は政府だけかと言われれば、政府だけではない。国会における社会の設計は、非政府部門の設計とそれに対する税制、あるいは認定の仕組みというものまで含んで御検討いただければありがたいと思います。

大島委員長 大串君、時間でございます。

大串委員 ありがとうございます。大変参考になりました。

大島委員長 次に、佐々木憲昭君。

佐々木(憲)委員 日本共産党の佐々木憲昭でございます。

 公述人の皆様方、大変御苦労さまでございます。

 この国会は、格差社会、これが一つの焦点になっております。格差をどうとらえるかというのはいろいろありまして、それぞれの見解がおありだと思いますけれども、私は大変大事だと思いますのは、やはり非正規雇用というものが格差社会を考える上での一番の基本になる、かぎになるというふうに思うわけです。それは、世帯間の格差あるいは個人の所得の格差、その一番の基礎にあるだけではなくて、社会を支えていく社会保障の制度、この支える支え手といいますか、この分野をどう確保していくかということにもかかわる大変重要な問題だと思っているわけです。

 まず、逢見公述人と木下公述人に、この非正規雇用の拡大ということがどのような意味を持っているのか、この点についての認識をお伺いしたいと思います。

逢見公述人 私は、多様な働き方がお互いに認め合える社会ということが基本的にはあるべき姿だと思います。それは、本人が希望した働き方が選択できる。特に、これから女性や高齢者の方も職場の中で活躍していただくためには、多様な働き方を認め合わなきゃいけない。そういう中に、正規雇用だけじゃない働き方もあると思います。

 ただ、問題なのは、そこに所得格差が生じている、均等待遇原則がないということが一つ。それからもう一つは、働き方によって社会保険等の適用関係が違っている、あるいは税金が働き方に対してかけ方が中立でない。これはやはり直す必要がある。

 そういう意味では、まだ均等待遇原則ということがきちんとした理念として法にはうたわれておりません。国際的には、ILO条約の中にそういったものがあるわけですけれども、日本は未批准であります。それから、税、社会保険については、働き方によってその適用関係が違う、中立的でないという問題が残っております。こうした点を制度として直すことによって、本人の選択によって多様な働き方ができる社会を築き上げていくことが必要だと思っております。

木下公述人 非正規の働く者の増大がどのような意味を持っているのかという御質問ですけれども、一つは、先ほどもお話ししましたけれども、日本の格差社会を形成する機動力になっているということだと思います。これは現に、先ほども言いましたけれども、単に若年の問題ではなくて、やがて、三十代、四十代というふうに広がっていますので、これは単に若者たちの生活の困難にとどまらず、日本社会全体を真っ二つにしていく。五分の一対五分の四にならなければいいのですけれども、そういったものになっていくだろうということが一つです。

 あと一つは、無技能者の大量登場を促しているということです。これは非常に国家的な課題でありまして、このことを真剣に考えないと、今、確かに政府も大学院改革は熱心であります。それは技能のピラミッド形の頂点に位置づいているものでありまして、一国の技能養成システムというのはピラミッド形であって、もっとすそ野の広いものです。これに対してはきちっとした対応をとらなければならない、必要だと思っています。

 例えばですけれども、現に、公共職業訓練所というのもありますし、職業学校というのもあります。あるいは、民間の専門学校もあります。その三つの現にあるものを有機的に連携させながら一定の国家資金を投入すれば、日本独特の企業外的技能養成システムの、ある一端は構築できると思います。それほどお金はかからないはずです。

 ただ、学生もダブルスクールで行っていますけれども、百五十万か二百万ぐらい専門学校はかかります。こういったものに対して、決して自己責任、自己資金ということに任せず、やはり政府が援助し、無技能者をなるべくなくしていくということが、国の将来にとっても必要ではないかというふうに思っております。

 以上です。

佐々木(憲)委員 ありがとうございました。

 逢見公述人の方から、先ほど、非正規雇用というのが非常に社会的に重要な問題であるとおっしゃいました。選択によって多様な働き方ができるようにしていくのが望ましいと、私もそう思うんです。

 ただ、問題は、現実に一度非正規雇用のルートに乗りますと、なかなか正規雇用に行けない、これが大変な問題になっていると思うんです。労働の現場でその点をどのように感じておられるかということが一つ。

 それから、この非正規雇用が拡大してくる要因として企業側の雇用政策というのがあると思いますが、同時に、政府側の雇用面での規制緩和といいますか、派遣労働法の制定、さらにそれの緩和、その他いろいろあると思うんですけれども、こういうものが大きく作用しているのではないかと思いますけれども、その認識をお聞きしたいと思います。

逢見公述人 まず、労働市場の規制緩和について言いますと、例えば、派遣というのは一時的、臨時的に使うもの、そういうルールのもとで使えばいいんですけれども、しかし、規制改革の中で、それをパーマネントに、あるいは仕事を固定せずに幅広くという形の緩和が行われてきました。これはやはり、働き方のルールとして派遣というのをどのような形で位置づけるかということに対して、それをパーマネントなものにしていく方向というのは、私は間違っているのではないかと思います。雇用のポートフォリオというのは、必要な部分に必要なものを入れますけれども、しかし、それは固定化するものであってはいけないというふうに思います。

 それから、一たん非典型になってしまって、それが固定化していることは大変大きな問題だと思います。特に、労働を通じて能力を高める、そのことによって所得を上げていくという仕組みがあるわけですが、一たん非典型になった人たちはその手段がない、そこに固定化してしまう。そのためには、やはり企業の外にそうした能力開発を支援する機関、あるいは仕組み、助成といったものが公共政策の手によってなされるべきだというふうに思っております。

佐々木(憲)委員 最後に、木下公述人にお伺いします。

 予算との関連で、今、所得格差の問題が議論になりましたが、例えば定率減税の全廃という方向が出されていますし、あるいは高齢者負担をふやすという方向が出されております。現実のこの社会の格差を、本来ならば底上げをして、それを縮小していくというのが政策の基本でなければならぬと私は思うんですけれども、現在出されている政府の予算というのはどうもそれに逆行するのではないかという感じがしますが、木下公述人の御意見をお伺いしたいと思います。

木下公述人 税制そのものについては詳しくありませんので、違った角度からお話ししますと、今、予算上最も必要なのは緊急性だと思います。

 先日の新聞ですけれども、若者たちは、ゲストハウスといいまして、寮の社宅を売り払って、言うならば集合住宅にしているんですね。そこで、月五万円、一部屋、六畳で暮らしています。そして、共有のスペースもあります。あるいはさらに、レストボックスといいまして、雑居ビルに三階建てベッドをつくって、一泊一千四百八十円です。これはもう明らかに、若年ホームレスの登場は時間の問題です。こういうものに対して、若者に限定した家賃補助をするとか住宅援助をするだとか、私はそういう方向に税を使うべきだと思います。

 先ほど強調したのは、九〇年代からこうなったとか二〇〇〇年からこうなったというよりも、この三、四年、労働社会は激変しています。ここに緊急の予算投入をしなければ、若年ホームレスだとかさまざまな社会現象はもう時間の問題です。早く手を打たないと大変な現象があらわれることは確かです。だから、ちょっと答弁はあれですけれども、そういうところに積極的に予算投入をしていただきたいというふうに思っております。

佐々木(憲)委員 ありがとうございました。

大島委員長 次に、阿部知子君。

阿部(知)委員 社会民主党・市民連合の阿部知子です。

 本日は、四名の公述人の方々から、それぞれに異なるいろいろな立場からの御意見をいただき、大変勉強になりました。限られた時間の関係で皆さんに質問できないかもしれませんが、お許しください。

 まず冒頭、木下公述人にお願いいたします。

 今も佐々木委員からの御質疑にもありましたが、今、私どもの社会というのは、ある意味で非常に大きなスピードで崩壊しつつある。幼い子供たちがあやめられたり、社会規範が全くなくなっていっている、先生の御指摘でいえば、労働と生活をめぐる戦後的システムの崩壊、まさにそういうふうに言えるんだと思います。

 先生のお話の中で、今までのある種の格差社会がもっと二極に引き裂かれていくという中で、もちろん経済も失われた十年かもしれませんが、人間の生活の価値規範やさまざまなものも失われた十年であると。

 この二十一世紀初頭の出発が、まず二つの面で、例えば国がこの事態に対して行うべきナショナルミニマムとは何か。それから、今まではいわゆる企業が代替していた社会保障の役割、あるいは人間の安定、人間関係もかなり企業文化の中で組み込まれてまいりましたが、それも今崩壊しています。そして、国にナショナルミニマムを求めるとき、もう一方の企業にどのような社会的責任を求めていくのか。今までは、企業という枠内へのいわゆる社会保障政策で企業も成り立ってまいりました。しかし、これからはそうではないだろう。そこでの企業の社会的責任とは何か。一方の、国のナショナルミニマム、先ほど先生は住宅政策を一つおっしゃいました。そのほかにもここの中にも触れられておりますので、この二点をお願いいたします。

木下公述人 一つは、これはそれほど予算上膨大とは思えないんですけれども、最低賃金制度については、今、生活保護の方が下回っているから最低賃金制を下にするという、まさしくそこに向けた二つの競争がありますけれども、これをやっていくとやはり生きていけない人たちが出てきますので、生活保護と最低賃金制度については少なくともそこをきちっとする。そこが今破れつつあるわけですから、ともかく、ここのところの、そこだけは、これ以上、下に下がらないという手当てだけは急いでやらなければならないと思います。

 それから、社会保障、社会政策ですけれども、これについては、私は医療、年金ということがもちろん大切なことはわかっています。しかし、日本で足りないのは、勤労者に向けた社会政策、社会保障です。

 これは、ヨーロッパ型となると大きな政府とよく言われてしまいますけれども、少なくとも、これまでは老後ないしは緊急の医療というところに向いていましたけれども、働く者にとって、例えばフリーター同士、二百万、二百万で結婚して四百万の収入のある人をどのようにして支えるのかという社会保障、社会政策に対象を広げるべきだというふうに思っております。

 それから、企業の社会的責任ですけれども、確かに正社員化すればいいわけですけれども、先ほどだれか御指摘あったように、やはりスキルを身につけさせて、企業が雇えるようにするということ自身が非常に重要だと思います。

 あと一つ、企業の社会的責任というふうに言うのならば、これは多分無理だと思うんですけれども、今、労働時間について少し真剣に考えないといけない事態になってきていると思うんです。

 つまり、労働時間の二極化です。フリーター、アルバイターのような大変短時間の働き方と、あと一つ、例えば三十歳代前半の男性の二四%、四人に一人あたりは週六十時間働いているんですね。この週六十時間、四分の一働いているのを学生に説明するときに、週休二日制、六十割る五、十二、プラス一、休憩時間が一時間必要です。そうすると、九時出社、夜の十時退社というのを月火水木金とやるんですね。これが四分の一ぐらいいるんだということを話すと、教室はざわめきます。そして、東京の男性の三十五歳前半の未婚率は約五五%です。

 労働時間をこういう少子化と絡めて考えないといけないと思います。当時、坂口厚労大臣が民族の滅亡であるというふうにおっしゃったことが大変耳に残っておりますけれども、まさしく今、日本民族の滅亡に向かってひた走っているわけでありまして、だから、少子化対策のつぼは家族形成期における働き方なんですね。ここにメスを入れない限り、日本民族の滅亡はとまらないと今考えています。

 そうすることによって、つまり、言うならワークシェアリングなんですね。正社員の労働時間は下げて、そのかわり非正規を入れる、こういった国のワークシェアリングというものも根本的には必要だと思います。もちろん、直ちにできるとは毛頭思っておりませんけれども、そのことをやらないと日本は大変なことになるということだけは確かだと思います。

 以上です。

阿部(知)委員 先生にいただきました資料の中でも、特に今フリーターと呼ばれる方々が三十代後半に広がり、そして四十代、普通であれば社会の中堅層が貯蓄を持たなくなっているということで、坂口元厚生労働大臣も、私も厚労委員会で聞いたことがありますから、御指摘をされておりましたが、新たに本当に重要と思います。

 そして、田中公述人にお願いいたしますが、今、同じ質問でございますが、一体ナショナルミニマムとは何だろうというところで、先生のお話の中で、未充足求人、要するに、求人があっても求職する側のスキルが追いつかないということもありますし、イギリスのブレアの場合は、このあたりを教育、教育、教育と言って、子供のときの教育から職業人になってからの教育まで拡大して、ミスマッチを埋めていこうとしたのではないかと私は思っていますが、この未充足求人の問題についてもう少し、どうすればよろしいか。

 それからもう一つは、先ほど、これもナショナルミニマムですが、医療や介護における国の負担の問題をお話しになりました。これも同じくブレアを引いて恐縮ですが、彼は、医療費の対GDP比枠がイギリスで多分七・四%くらいになって、医療が崩壊状況になった。公約に一〇%というのを掲げて、彼自身はもちろん歳出削減はきっちりやりつつ、しかし、国民に聞いてみよう、やはりもっと医療に歳出した方がいいんじゃないかと投げたというふうに私は理解しておりますが、きょうの先生のお話で、国はこうした社会保障分野をどのようにやっていくべきか。

 この二点について、お願いいたします。

田中公述人 日本の企業も、なかなか人が集められないところから、多分人が簡単に集まると思うところに移動することがあります。

 自動車産業が九州北部に立地するようになりまして、トヨタ、日産、ホンダ、そうしますと、関連企業がさらに出ますので、本来は求人数がふえて、それでみんな満足ということになるはずだったんですが、状況は、人が雇えない。だから、もはや限度に来たというのがどうも実際のようです。

 それでは、なぜ職場で迎え入れようとしても、人が本当に払底したわけでもないのに集められないのかというふうに考えますと、やはり職業をめぐる若い人の意識が十分、教育機関の中において職業を前提としたお話を先生方から聞くこともないし、社会から示唆を受けることもないしということで、気持ちの上でのずれが、もう十代あるいは二十前後で起きてしまっているということがどうもあるように、観察的にはそういうことになるんだと思います。

 したがいまして、我々は、二十一世紀における職場というのがどういうふうに変わろうとしているのか、その中で我々は何に備えなければいけないのかを、もう少し広く、少なくとも中学校や高等学校の段階でわかるような仕組みはやはり要るんじゃないか。それがないと、いわゆるミスマッチと言われている現象は簡単には埋められないんじゃないかというふうに思います。

 それから、国民にとってのミニマムは何だ。おっしゃるように、医療にかかわるテーマは極めて重要であります。

 ただ、これまでの観察からいきますと、毎年一兆円近くが医療を中心とした分野でふえていくという現象に対して、医療資源は本当に適正に使われているのかどうか。保険制度は、結局のところ、医療機関が保険会計に請求書を回せば、それで売掛金が取れないこともないし、それからまけろと言われることもない。そういう仕組みの中で、もちろん国民皆保険によって我々は高い水準の医療サービスを受けたというふうに認識はしていますが、しかし、そこにはやはりどうも、保険会計の設計上、結果としての浪費あるいは資源配分のゆがみがある。

 それは、何かもう少し手を加えて、全体としての医療費を抑制しつつ、かつ国民にとって必要な医療サービスが受けられる仕組みはあるのではないか。やっと、医療保険の保険点数に至るまで、いわば総体価格のところにも手を入れて議論するというところになってきたように思います。

 長い時間、まさに厚労委員会も含めて、いろいろな御努力がなされている中で、少しずつ、国民にとってのナショナルミニマムは何か、医療について保障さるべきは何か、そして選択されるべき医療サービスという領域についても、国民の意向は明瞭になってきておりますので、そこの組み合わせは、今後国会の御審議を経ていい仕組みができるのではないか。我々にとってミニマムの意味が皆に理解できるものになるのではないかと期待いたしております。

阿部(知)委員 どうもありがとうございました。

大島委員長 次に、糸川正晃君。

糸川委員 国民新党の糸川正晃でございます。

 本日は、予算委員会の公聴会に御多忙の中御出席いただきまして、また貴重な御意見をいただきまして、ありがとうございます。

 まず、今、経済停滞が多数の負け組を生んで、その結果、経済生活問題が原因の自殺というものが激増しているわけです。平成二年には千二百七十二人だったものが、今はもう九千人を超える、実に七倍ぐらいになってきている、そういうデータがございます。

 自民党の税制調査会の家計負担に関する試算というのもありまして、そこでは、二〇〇六年度の定率減税廃止などによる所得税、住民税の負担増分は一・六兆円、それ以外の負担増を加えると二・五兆円になるというふうにされているわけです。

 そこで、植野公述人にお聞きしますが、増税をした場合と増税をしなかった場合ということで、増税がなかった場合に比べて、増税をした場合、どれだけデフレというのが悪化するのか、どれだけ名目GDPを押し下げるのか、お答えいただけますでしょうか。

植野公述人 私も、昔、大学で勉強した古い記憶を今たどったんですけれども、増税によって、結果的にそれを歳出に回した場合は、多分、乗数は一だったというような議論があったと記憶しております。ですから、増税をしてその分歳出、増減税中立にした場合は、多分景気に対してはその分同じインパクトということになると思いますが、増税をしてしまってそれを効率的に使わなかった場合には、長期的に悪影響が出てくるのではないかなと思います。

糸川委員 内閣の「改革と展望」でも試算が出ていまして、増税をするとデフレ傾向になっていくというようなことを言っているわけですね。

 そこで、逢見公述人にお尋ねいたしますが、今政府は、小さな政府にしようと言っているわけです。ただ、実質増税をして、官が民からお金を吸い上げて大きな政府になるのかなというようなこともあると思うんですけれども、先ほどの植野公述人の意見をちょっと踏まえまして、増税をするとデフレになる可能性がある、そうなってくると、いろいろな負担増が出てきますので、また格差社会も生まれてくるのかなと。その辺について御所見がございましたら、お答えいただけますでしょうか。

逢見公述人 景気の現状の中で、家計部門についてはまだ回復感がそう著しくないという現状があります。そういう中で増税ということが行われますと、家計としては防衛的な対応になる、つまり、消費を抑制して増税に備えなきゃいけないと。そういう行動パターンが、家計部門がみんながそういう行動をすると、全体としてマクロの消費が萎縮して、そしてデフレ経済になるという傾向があります。

 したがって、政府のメッセージとしてこれから増税がどんどん続いていくんだということが国民に伝わりますと、国民の側としては消費を萎縮してでも増税に備えなきゃいけないという行動になるとすれば、それはデフレを招くことになる、そういう懸念を持っております。

糸川委員 今、格差社会という中で、実は、日本もかつて一人当たりの名目GDPの国際順位というのは一位だったわけですけれども、今はもう十一位とかそのぐらいまで落ちてしまっている。それでもまだ、今GDPが少しずつ回復しようとかという話が出てきているのかなと。そこで、今回増税をすること、実質増税をすることによって与える影響というのはどれだけあるのかというのを田中公述人にお答えいただけますでしょうか。

田中公述人 我が社会は、増税に耐えられないほどやわなものではないとは思っておりますが、しかし、一九九九年から、民間事業所の賃金支払い総額は、対前年比で六年連続マイナスになっております。ということは、増税の余地が全くないわけではないけれども、かなりこれはこたえるなという増税になれば、それは個人消費に影響が及ぶことは、私は避けられないと思います。したがいまして、増税のプログラムは議論されるべきですけれども、経済実態の回復とのバランスを失した場合には、少し早目の増税、結果として早目の増税になるのかなという議論は起きようと思います。

 アメリカの経済学者と議論していまして、アメリカと日本との違いは、アメリカは本当によくなってからしかやらないものだ、日本は少し危ういときから増税をやる嫌いがあるなというふうに言う人はいます、全員ではありませんが。ですから、本当に療養所から出て風に耐え得るというときまで待ったらどうなのというたぐいの助言をする人は、かなりいるということは確かです。

糸川委員 大変貴重な御意見、ありがとうございます。

 今と全く同じ質問で、木下公述人はどのようにお考えになられるか、お答えいただけますでしょうか。GDPが今、国際順位がどんどん下がってきているという中で、増税をすることによってGDPをまたどれだけ押し下げるのか。ですから、その辺の、増税をしていいのかどうかということに関して、税制に詳しくないというのはよく存じておるんですけれども、別の角度からでもお答えいただければと思います。

木下公述人 二極化という観点からいうと、増税はかなり命取りになると思います。

 例えば貧乏人からもひとしく取るということよりも、違った税制でこれからやらない限り、下はかなり、増税によってもう医療費を含めて今、生きているのがやっとという階層が出始めていますから、そこから税負担するならば、やはり大変な、悲惨な状況が出てくるだろうというふうに、普通、常識的に考えられると思います。

糸川委員 第一生命の経済研究所が行った調査なんかですと、今の財政赤字の六〇%以上は、デフレのおかげで税収が減ったということが原因というふうにされているわけです。ですから、デフレから脱却すれば赤字も解消できるということなわけです。

 そこで、デフレ脱却に向けて、増税をすると債務のGDPの比が上がってしまうということですから、増税というものは害があって益がないのかなというふうに思うんですが、ここは逢見公述人、再度、これでもう最後になってしまうんでしょうか、御答弁いただけますでしょうか。

逢見公述人 再度になりますけれども、今、日本経済にとって大事なことは、デフレを克服して持続的な成長軌道に乗せること、これがやはり最大の政策的な課題だと思います。そういう意味では、ようやくデフレの出口が見え始めてきた中で、国民が、これから増税社会が来るんだ、あるいは政府のメッセージとして、財政再建が最優先課題であってということが来ますと、デフレにまた舞い戻ってしまうという懸念がありますので、そこは慎重に対応すべきだというふうに思っております。

糸川委員 大変貴重な御意見、ありがとうございました。田中公述人も、時期をしっかりと見た方がいい、そういう大変貴重な御意見もございましたので、しっかりと参考にさせていただきたいと思います。

 ありがとうございました。

大島委員長 これにて公述人に対する質疑は終了いたしました。

 一言ごあいさつ申し上げます。

 公述人各先生方におかれましては、貴重な御意見、本当にありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。(拍手)

 午後二時から公聴会を再開することとし、この際、休憩いたします。

    正午休憩

     ――――◇―――――

    午後二時開議

大島委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。

 平成十八年度総予算についての公聴会を続行いたします。

 この際、公述人各位に一言ごあいさつ申し上げます。

 公述人各位におかれましては、御多用中にもかかわらず御出席を賜りまして、まことにありがとうございます。平成十八年度総予算に対する御意見を拝聴し、予算審議の参考にさせていただきたいと存じますので、どうか忌憚のない御意見をお述べいただきますようお願い申し上げます。

 御意見を賜る順序といたしましては、まず吉野公述人、次に郷原公述人、次に馬居公述人、次に牧野公述人の順序で、お一人二十分程度ずつ一通り御意見をお述べいただきまして、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。

 それでは、吉野公述人にお願いいたします。

吉野公述人 最初に御意見を申し上げさせていただきます慶應大学の吉野でございます。どうぞよろしくお願いいたします。

 お手元に資料を配付させていただきまして、全部で七枚ございますが、五ページ目までページが振ってございまして、最後に二つ表がございます。これを使いながらきょうはお話をさせていただきたいと思います。

 まず第一番目が、一ページの最初にございますが、財政の現状を、国民の皆様にわかる指標というのをひとつつくっていただけないかということでございます。それは非常に簡単なんでございますが、歳入割る歳出、どれくらい歳入で現在の歳出を賄っているか、あるいは歳出が歳入をどれくらいオーバーしているかということでございます。

 例えば、一の一でございますが、中央政府ですと一・八六というふうになっております。つまり、約二倍弱は、半分ぐらいしか税金で賄えていないという現状でございます。ですから、身の丈以上にどの程度の歳出がなされているか。そういたしますと、財政をバランスさせるためには、この一以上の〇・八六の部分をやはりどこかで削らなくちゃいけない、あるいは税をふやさなくちゃいけない、こういう二つになると思います。

 それから、一の二は地方政府の場合でございますが、これはある九州の県の場合でございますけれども、県の税が全体の約二五%でございます。ですから、県の歳出が四倍になっております。六割近くが中央からの配分、こういうふうになっております。

 ですから、やはり中央政府も地方政府も、それぞれのところでどれくらい自分の負担でやっているかということがまず必要じゃないかと思います。

 一ページ目の真ん中に図がございますが、これは、ずっと最近まで歳出を税収で割ったものの比率をあらわしたものでございますが、バブルの時期には税収がふえておりましたからこの比率は下がりましたが、その後、趨勢的な傾向として上がっているということでございます。

 二番目でございますけれども、これまで大量の国債発行でも大丈夫だったじゃないか、日本経済はこれでうまく動いていたんだから全然心配ないであろう、こういうことでございます。

 それでは、なぜこれまでは大丈夫だったかというのを、次の二ページ目をちょっとごらんいただきたいと思います。

 二つ図がございますが、上の方は、御承知の、各国の債務残高を見たものでございます。一番上でずっと上がっているのが日本でございまして、GDPの一六〇%以上になってきております。二番目の線がイタリアでございますが、一時九〇年代に上がりまして、その後少し下がってきております。それから、三番目の線がカナダでございます。これを見ていただきますと、やはり日本の場合には、ほかの国と比べると相当上がっていっておるということがございます。

 今でも覚えているんですが、九一年の数字を見ていただきますと、日本はカナダとかイタリアより低くなっていたわけです。このとき私が学生に対して、イタリア人は怠け者だからこんな財政赤字だろう、日本はこんなにいくことがないだろうと言ったんですが、先日、イタリア人に会いましたら、ほら見てみろ、日本人も怠け者になったのかというふうに言われまして、やはりこれだけ財政が大きくなっているということでございます。

 では、なぜこれが大丈夫だったかといいますと、次の円グラフを見ていただきたいと思います。

 これは、これまで日本人が蓄えてきたお金がありまして、それが大半の、ほとんどの国債を買っているということでございます。左側の白いところが、市中金融機関とございますが、これは銀行などでございますが、これが国債の約三分の一、三一・九%を買っております。それから右側が、郵便貯金が一六・四%、簡易保険が八・二%、年金の基金が八・七%となっておりまして、やはりこれまで国民がためてきたお金でこういう国債を持てたということでございます。

 一ページ目に戻っていただきますと、今のを御説明いたしますと、大半の国債を金融機関が持っていた、高い貯蓄率がこれを保てていたということでございますし、二の二のように、最近は、企業が景気低迷で需要が少なかったものですから、銀行の貸出先が余りない、そのために、預金は集まってきますけれども、それを国債で運用できたということで国債が保たれていたということでございます。それから、一番下でございますが、もう一つ、ゼロ金利政策がやはり国債の大量発行をうまく処理していたといいますか、うまく動かしていた。それは、金利支払いがほとんどふえなかったということでございます。ですから、この十年以上、国債の残高は二ページ目の図のようにふえておりますが、国債の利払い費は、全体の歳出に占めますとほぼ二〇%ちょっとで推移しておりまして、ほとんど動かなかったということでございます。

 二ページ目をごらんいただきたいと思います。

 これが今後本当にこれでいいのかということですが、これから景気が回復してきますと、銀行は貸し出しを伸ばすことになりますので、これまでのように国債を購入し続けるということはできなくなります。

 それから、二の五でございますけれども、これはよくアメリカで議論されるんですが、国債が大量に発行されているということは、将来だれかがその国債を返さなくちゃいけないわけであります。永遠に借り続けることはできないわけでありますから、それは我々の世代が、将来の子供の世代あるいは孫の世代に負担を先延ばししている、こういうことになると思います。

 それから、二の六でございますけれども、今後、景気が回復する中で税収がふえてくるわけでございますけれども、九〇年代の後半にさまざまな減税が試みられまして、ですから、税のいわゆる弾力性というのが落ちてきております。そういたしますと、景気が回復する中で、前ほどは税収がふえないという可能性があるというふうに思います。

 次に、下の三のところを見ていただきたいんですが、イタリアは、先ほど申し上げましたが、真ん中の図のように少しずつ減ってきておりまして、先週、イタリア人の学者が来たときに、彼らに聞いてみますと、三の一がイタリア人の考え方であると。つまり、国民の負担というのは、自分の税に見合ったところで歳出を望む。日本の場合には、国民はみんな、税は低く、それから歳出は高くと。これですから先ほどの一・八六という数字になってきたわけですけれども、どこまで自分で負担できるのか、そこからやはり歳出の額を決めていくという姿勢にならないといけないように思います。

 次は、三ページをごらんいただきたいと思います。

 こういう財政の中で、公共投資とか社会資本をある程度整備しなくてはいけないということでありますが、三の二のところでございますけれども、これまでいろいろな公共事業というのは、全部税金のお金あるいは国債発行で行われてきました。ところが、最近、民間の資金をそこに活用しようという、いわゆるPPPあるいはレベニュー債券というようなことが使われております。

 これは、例えばレベニュー債券と申しますのは、それぞれの事業の収益から得られたものでその債券を購入した方に金利と元本が返済される、こういう仕組みでございます。これをちょっと説明させていただきたいと思いますが、後ろから二枚目に図がございまして、風力発電、地域ファンドという例がございます。三の三というふうに書いてございますが、これを使わせていただいてお話しさせていただきたいと思います。

 これは、北海道のところでやられている、民間のお金を集めて、いわゆる風力発電、風車ですね、風力発電をつくるというところでございます。この風力発電の機械が大体一つ二億円いたします。しかしそれを、個人から一口五十万円で集めております。その五十万円を集めて、二億円で、もう三つ風力発電の機械ができているんですけれども、そのやり方は、風力発電から出てくる電力、この電力料金を風力発電の会社が受け取ります、そして、そこに五十万円を預けられた方に配当として毎年入ってくる、それから元本を少しずつ返していく、こういうやり方でございます。

 これまで三年間これが続いておりまして、五十万円を投資された方が大体十八万円、今のところ収益を得られている。ですから、これが順調にいけば、必ず五十万円の元本も返りますし、うまくいけばさらに収益が入ってくる、こういうことでございます。

 つまり、これまでは、いろいろなこういう社会資本というのは国がやらなくてはいけないのではないかというふうに言われていたわけですが、それが民間の資金でもできるという一つの例だと思います。

 その次のページ、一番最後のページでございますが、インフラの整備のためのレベニュー債券ということをお話しさせていただきたいと思います。

 これも、高速道路の例をとったのでございますけれども、高速道路を建設する場合に、資金をやはり民間から集めます。そのときに、一〇〇%集めてもいいんですが、例えばの話で、七〇%を投資家から集めます。それから、三〇%の資金は税金のお金で見るわけであります。そうしますと、投資家の資金は七分の十だけ、てこ効果がありまして、有料道路の収入が入ってきますと、七割の投資家にその配分がなされるというわけであります。ですから、三割の部分は国のお金、しかし七割は民間の資金。こういたしますと、インフラの整備のための資金が入りますし、そのインフラがうまく動いて有料道路の収益があれば、投資家の方々もそこで収益が入る、こういうことでございます。

 こういうことをすることによって、それぞれの公共投資なり社会資本でこれまでは見えなかったところが、金利あるいは配当という形で、その事業がうまくいっているのか、それとも余りうまくいっていないのかということがわかるようになっております。

 実は、三月の初めにインドネシアに行くんですが、インドネシア政府も、日本のODAが減ってくる中で、何とかインフラの整備をし続けたいと。私がこのアイデアを言いましたら、では、ぜひインドネシアのジャカルタでもやりたいので来てくれということで、うまくいけばインドネシアでもやらせていただくということになっております。

 次は、前の方の三ページにお戻りいただければと思います。

 こういう中で、地方経済の活性化ということが今後大きな、日本の重要な課題になってきていると思います。現在、景気回復しておりますが、やはり東京とか名古屋とか関西、こういうところを中心に景気が回復しておりまして、地方の中ではばらつきがあるわけであります。

 四の一でありますが、公共投資の依存型というのがこれまでだったと思いますが、重要なことは、整備された社会資本をいかに今後有効に活用していくかということではないかと思います。多くの地域では、もうこれまで社会資本がある程度整備できてきておると思います。ですから、それをいかにうまく活用するかということがもう一つ重要だと思います。

 さらには、そういうところで働いている方々、技術を、アジア諸国のインフラの整備にもっと活用してはどうかというふうに思います。

 例えば中国ですと、海岸のところから西部地区に対するインフラの整備というのは今後相当必要になります。その場合には、日本のインフラの整備の技術力というのは相当使えると思います。ですから、ぜひ、先生方も含めて、政治、民間を含めた形で、いい意味でのそれぞれの国への援助、それを日本の技術が使える、こういう形で、日本で活躍された方々がそういうところでも働けるということを考えていただければと思います。

 それから、四の二でありますが、これまでの日本の戦後の経済をずっと見ておりますと、やはり守られた産業は衰退するということが最終的には起こっているように思います。ですから、いろいろな政策、農業でもそうですけれども、補助金漬けとならないように、やはり自立できる、そういう地域の活性化ということが必要だと思います。同時に、四の三ですが、中央に頼る政策ではなく、地方で考える政策、それがないと地域の自立がないような感じがいたします。

 その中で、四の四ですが、地域の金融とか中小企業の中で、最近いわゆるリレーションシップバンキングということがよく言われておりまして、長期の契約を考えながら中小企業と銀行の間で貸し出しをしていく、こういうやり方であります。

 それぞれが考えながらやるということはいいことだと思いますが、ここですと、やはり銀行の預金を貸すということでありますから、少しリスクの大きいところにはなかなか資金が流れないわけであります。そういたしますと、さっき公共事業でレベニューボンドと申しましたけれども、ああいうような投資のファンドというようなものもつくりまして、そこが少しリスクをとりながらいろいろな中小企業に貸していくというところが、もう一つ、銀行と加えてチャンネルとして必要ではないかというふうに思います。

 次に、五番目でございますけれども、今後、いろいろ日本の政府の支出を考える場合には、歳出を考える場合には、やはりナショナルミニマムとは何かというのをぜひ先生方に定義していただきたいと思います。これがありませんと、何でもナショナルミニマムというふうになってしまいますと、それをやはり税金で見なくちゃいけない、そうしますと、国債の大量発行ということになってしまうわけであります。

 例えば、四ページをごらんいただきたいと思いますが、ここに図がございまして、上の方が国が提供する公共財、それから、下が地方政府が提供する公共財でございます。私、ナショナルミニマムの定義はどこかにないかなと思っておりましたら、スウェーデンの本の中にこういう定義をしている本がございまして、これはそれからとったものでございます。

 そういたしますと、例えば、国が最低限提供するものというと、外交とか警察、それから住宅政策と医療政策、こういうものが1から9までございますが、これが、国が最低限、どこに国民が住もうがやることであります。それから、地方政府がやるところは、もう少し住民に近いところ、幼児教育とか地域経済対策とか、そういう形で、住民に近いところは地方政府。ですから、中央政府と地方政府がそれぞれやるべきナショナルミニマムというのをやはりぜひ定義していただきたいと思います。

 三ページに戻っていただきますと、そういう中では、私は、義務教育というのは一つ重要なことであると思いますので、これはやはり前向きの支出でありまして、将来の日本を担う子供さんたちの投資であります。ですから、もう少しいろいろ小学校の教育が自由度が認められて、ある小学校では英語の教育も始める、あるところでは地域別の授業をするというような形で、自由度を持ちながら、最低限のところは皆さんがやっていくというようなことが必要ではないかと思います。

 それから、いろいろ政策をやった場合にはその評価をすることが必要でありますが、教育の場合には、よく言われますのは、非常に長期で時間がかかってわからない、こういうことが、日本の最近見られる教育の質の低下に結びついているのではないかと思います。そういう意味では、共通テストとか、その評価ができる、比較ではなく、日本の教育がうまくいっているのかどうかということを評価するための政策として考えていただければというふうに思います。

 次は、四ページ目をごらんいただきたいと思います。下の方から、あと残りの時間で少しお話しさせていただきたいと思います。

 よく、国有財産がすごくあるじゃないかと。四ページの下から六行目でございますが、六百九十五兆円、国有財産がございます。アメリカ人の知らない学者の方は、これを全部売れば日本の財政赤字はちょうどなくなるじゃないかと。約七百兆円なわけです。ところが、見ていただきますと、八十兆円が外為特会で、そこで為替の買いに入ったり、貿易黒字で入ってきた部分であります。それから、二番目が財政投融資の貸付金で、これも中小企業貸し付けとかいろいろなものがございます。それから国有財産四十一・九兆円、これは空港とか裁判所とかこういうところがございます。百三十一兆円が道路とか河川でございまして、そういたしますと、大体全部見ていただきますと、ほとんど売れるものはない。ですから、国有財産というのは六百九十五兆円あるわけですけれども、その中で処分できるというところはまだまだ少ないような気がいたします。やはり財政の中で歳出と歳入を考えながらやるということが必要だと思います。

 最後に五ページで、日本経済とそれからアジアの関係も含めて意見を述べさせていただきたいと思います。

 七番目は、アメリカとか諸外国を見ていますと、政治、官僚、民間、学者、この連携がすごくとれているように思います。

 これも余談ですけれども、韓国などでは新幹線をフランスの新幹線にしたわけですけれども、冗談に韓国の方が、もともと鉄道というのは日本がつくったものである、ところが、フランスがすごく誘致をしたそうでありまして、美人の方々も一緒に来られて、それでフランスの鉄道がいいんだというようなことをされて、それでフランスの方に決まったわけですけれども、日本も、やはりいい意味で、日本の鉄道の技術があるわけですから、それを政治家の先生方も、国、民間、学者も含めて、そういうところで日本の技術がそちらに使えるようにするということは、アジアの発展にとっても必要だと思いますし、日本にとっても必要だと思います。

 それから、中国との関係というのもよく先生方に理解していただいて、中国は、その八番に書いてございますけれども、中産階級が随分増大しております。アジアの中では、この中産階級、中流階級の増大というのは、恐らく、日本からいろいろなものを買う、あるいは日本の技術を誘導するというところでは、これから相当きいてくると思います。インドもこれから中産階級がどんどん出てくると思います。そういう意味では、アジアと日本の関係を大切にし、その中から、日本が政治力、官僚、民間、学者、こういうところが一緒になって、いい意味で海外とネットワークを結びながら、日本の技術なりを発展させていくということが必要ではないかと思います。

 それから最後に、アジアのことに関しましては、金融市場でも、アジアは日本とこれから結びつきが強くなってくると思います。

 八の二のところでございますけれども、アジアの特色というのは、やはり高い貯蓄率。日本もこれまでは高い貯蓄率でしたけれども、この高い貯蓄率がほとんど銀行の預金に向いている。非常に日本と似た形態でございます。この預貯金に向いている資金を、やはり債券市場あるいは資本市場の方に一部流していくことによって収益性を上げていくということが重要ではないかと思います。

 その中で重要なことは、八の二の4と5というところでございますが、各国とも、いわゆる資産運用が自国に偏っている、ホームカントリーバイアスが非常にございます。ですから、本来収益性が外にあるのに自国の中にとどまっている、こういうことでございます。その大きな理由は、やはり情報がないということだと思います。例えば我々も、マレーシアの企業がどうなっているのか、あるいはマレーシア経済はどうなっているのかという情報は余りないわけです。どうしても欧米の情報に偏ります。

 ですから、今後アジアとの関係を密接にするためには、やはり各国の情報をみんながお互い見えるようにする、それから企業の情報を見えるようにする。そうすることによって、日本人もアジアの国々を知り、では、どういうところに投資したらいいんだろうか、あるいはどういう資産運用をしたらいいんだろうか、また、アジア人の方々が日本のどういう企業に投資をしたらいいんだろうかという、点の情報から面の情報、こういうことが必要ではないかと思います。

 最後に、アジアの通貨制度でございますけれども、今のところは、それぞれの国が別々の通貨でございます。ヨーロッパのユーロのように、将来は、相当先になるかもしれませんけれども、一つの方向としては共通通貨の方に動いていくということも一つかと思います。

 それは、ヨーロッパの場合は、ユーロができることによってヨーロッパの結束がすごく出てきたわけです。ですから、アジアの中でもやはり為替制度をある程度共通化することによって、それでアジアの中でのいろいろな意見の交換、そして、アジア自身がアメリカ、ヨーロッパに対してしっかり意見を言えるということが必要ではないかと思います。

 以上でございます。(拍手)

大島委員長 ありがとうございました。

 次に、郷原公述人にお願いいたします。

郷原公述人 桐蔭横浜大学の郷原でございます。よろしくお願いいたします。

 私は、桐蔭横浜大学の法科大学院で学生の指導をやっておりますとともに、コンプライアンス研究センター長ということで、コンプライアンスに関する研究、教育を行っております。

 本日は、このような貴重な発言の機会をいただきましたので、最近多発しております経済社会でのさまざまなトラブル、不祥事の背景となっておりますコンプライアンスの問題と、それに関する制度上の問題について指摘し、これに対しての政府の施策についての意見を申し述べたいと思います。

 官から民へ、そして競争を徹底していくという経済構造改革は、複雑化、多様化する経済社会において、ニーズに応じていく方法として基本的に正しいものだと思います。

 しかし、そこには不可欠な前提があります。第一に、どのような手段によって競争を機能させていくのかという競争の基盤の問題、価格だけではなくて、品質、価値も含めた多様な競争手段を確保していくこと。そして、事業活動がルールに違反した場合に適正かつ効果的な制裁を加えるための制度の確立。この二つは、要するに、企業のコンプライアンスが機能するための制度を構築していくということだと思います。

 最近の耐震強度偽装問題とかライブドア問題とか官製談合問題など、いずれもこのようなトラブルは、すべて広い意味でのコンプライアンスの失敗によるものではないか。こういうコンプライアンスをどのようにしてまともな方向に向けていくのかというのが、これからの経済社会に対する政府の施策として求められるんじゃないかと考えております。

 まず、そこで、コンプライアンスとは何かというところから考える必要があります。

 コンプライアンスは、しばしば法令遵守という言葉にそのまま置きかえられますが、その単純な法令遵守という考え方が実は大きな弊害をもたらしているというのが私の考え方です。これには二つの面があります。

 まず、一枚目の資料ですが、消極的法令遵守ということです。法令遵守という意味でのコンプライアンスが徹底されるということになると、何事も組織が法令、規則に縛られることになり、仕事のやり方には積極的なやり方、消極的なやり方がありますけれども、新しいものにチャレンジするというやり方は常に法令上のリスクを伴いますから、そういったことをやるよりも、今までどおりのことを今までどおりにやっていた方が得だという事なかれ主義に陥ってしまいます。それが組織に閉塞感をもたらすことになります。

 一方、積極的法令遵守というのがあります。これは、法令に違反しない限り何をやってもいいという考え方です。言いかえると、ホリエモン流法令遵守と言ってもいいかもしれません。このような、法の不備をつく、すれすれをやっていくやり方というのは、ある意味では最大限の利潤追求が可能になります。しかし、一つ間違うと、違法だということで摘発を受けて、強い社会的非難を受けることになります。しかし一方で、もしうまくすり抜けることができれば、非常に急速な成長を遂げて、社会的な地位を確立することもできるということになります。

 こういう、法令に違反しない限り何をやってもよいという考え方の背景には、自由競争と法令遵守の組み合わせですべてが解決するという考え方があります。これは三枚目です。

 確かに、自由競争と法令遵守という考え方、ルールに違反しない限りあとは徹底的に競争して利潤を追求していけばいいんだという考え方は、基本的には正しいと思います。しかし、忘れてはならないのは、この考え方が正しいことには二つの前提が必要だということです。一つは、社会の要請がすべて法令に反映して、法令が経済社会の実態に適合しているということ。そしてもう一つは、法令違反に対して制裁を科す司法制度が十分に機能しているということです。

 問題は、我が国でこの二つの前提が満たされているかどうかです。四枚目の資料です。

 法令には、もともと絶対的な限界があります。それに加えて、日本の場合は、法令の限界、法令と実態との乖離というのが顕著です。それは、日本の多くの法令が外国から輸入されたもので、市民社会にとって法令が遠い存在にあるということです。どうしても、法令以外の手段による解決が主体だった日本においては、法令が経済実態と乖離するということになりかねません。耐震偽装問題で建築確認制度が甚だ実態と乖離していたというようなことが次第に明らかになってきていますが、これも法令と実態の乖離の典型的な例じゃないかと思います。

 そして、五枚目ですが、司法の機能という面で考えた場合、日本とアメリカとの間には非常に大きな差があります。司法社会と言われるアメリカでは、ここに書いておりますように、法令が社会の実態に適合するようなシステムが十分に整っています。膨大な数の弁護士が、社会の隅々からいろいろなトラブルを司法の場に持ち込み、その具体的な解決を通じて判例法が形成され、そして、場合によっては裁判所が違憲立法審査も積極的に行う。そのようにして法令と実態の乖離が生じないようにした上で、違法行為に対しては徹底的に厳しいペナルティーを科すというのがアメリカのやり方です。罰金にしても損害賠償制度にしても、巨額のペナルティーが科されるのがアメリカの特徴です。

 それに対して日本の場合は、先ほど申し上げたような経緯もあって法令と実態はしばしば乖離しますが、法令が見直されるということは、アメリカと比べると、その程度が高くないと言えます。そして、その反面、違法行為に対するペナルティーは著しく低いということが言えます。このような形で、法令と実態との間の乖離というのが生じやすいのが日本の現状です。

 六枚目に入ります。このように法令と実態の乖離が生じた場合、本来、法令、規則の背景には社会的要請というのがあって、法令、規則を遵守していくことが社会的要請に応じていくことになるはずなんですが、このずれというのがあるのに、法令、規則の方ばかり向いていると、法令、規則は守っているけれども、いつの間にか社会的要請に反した結果になってしまうということもあります。

 それは、一面で、日本の場合、特徴的な違法行為というのをもたらします。七枚目です。私はよく虫とカビという例えを使って説明しておりますが、違法行為の実態として、アメリカの場合は虫に例えられる。それに対して、日本の違法行為はカビに例えられるんじゃないかと思います。

 アメリカの場合は、何といっても、個人の利益のために行われる、個人の意思による違法行為が中心です。それは虫に例えられると思います。このような違法行為に対する対処方法というのは単純です。厳しいペナルティーを科せばよい。殺虫剤をまけばいいわけです。ところが、日本の場合は、多くの場合、組織の利益が目的となって、恒常的、継続的に違法行為が行われている場合が多い。その背景には何らかの構造的な要因があります。こういうようなカビ型の違法行為に対しては、単にペナルティーを厳しくする、殺虫剤をまいただけではよくなりません。カビは、まず、どこまで広がっているかを明らかにして、そして、その原因が汚れなのか湿気なのかということをはっきりさせてその原因を取り除かないと、よくすることができません。

 そういう面で、最近問題になっております官製談合の問題も、まさにこれはカビ型の違法行為の典型だと思います。まず、制裁の強化もさることながら、このようなカビ型の違法行為に対しては、原因を明らかにして構造的な問題を取り除くことが最善の策じゃないかと考えています。

 次に、ライブドア問題に関して、コンプライアンスの観点から考えてみたいと思います。

 今回の事件では、株式市場というのは一体何のためにあるのかということが問われているんじゃないかと思います。スライドでは八枚目からですね。

 株式市場というのは、端的に言えば、企業の資金調達のための手段だと思います。資金調達の手段には、国民が預金を金融機関に行って、金融機関が融資を通じて事業者に資金を供給するという間接金融と、国民が証券市場を通して企業に投資するという直接金融がございます。

 そして、この直接金融については、九枚目に行きます、その健全性を確保するために、この図に書いておりますような仕組みがとられています。投資家が証券市場に投資を行い、企業が資金調達するに当たって、企業内容が適切に開示され、それと同時に不正行為の監視が行われないといけない。そういう面で重要な機能を果たしているのが証券取引所であり、証券取引等監視委員会です。このような仕組みが十分に機能していれば、今回のような問題は起きないんじゃないかと思います。

 結局のところ、このような直接金融と間接金融が、それぞれのメリット、デメリットがきちんと認識されてバランスよく使われるということが経済社会にとって重要なんじゃないかと思います。

 そういう面で考えますと、直接金融には、メリットとして、多数の投資家の意思に基づく民主的な資金調達が行われるということ、あるいは新規事業への投資が促進されるというメリットがある反面で、デメリットとして、不公正な行為が行われると投資家が不測の損害をこうむる、資金使途に対するチェックが働きにくいということが言えるわけです。

 間接金融であれば、人の判断を通して、資金を流していいかどうかということが融資の担当者の判断を通して行うことができますが、直接金融の場合には、そういった形で不正行為の監視と企業内容の開示についてのチェックが行われることが不可欠だということになります。

 それでは、このような機能を充実させていくためにどのような施策が考えられるかということです。

 まず、今回のライブドア事件では検察による摘発というのが行われたわけですけれども、こういう証券市場の問題に関して刑事罰を適用するというやり方は、いろいろな面でマイナスもあります。生きている証券市場に対する影響が大きいというマイナス面もあります。そういうふうに考えますと、やはり、証券取引等監視委員会による行政的な措置などを通じての、日常的な監視活動を充実させていくということが当然考えられます。

 ただ、そこで問題になるのは、それでは、そのための武器が十分なのか、その武器を扱う人間が十分なのかということです。

 まず、武器の問題として、証券取引法による課徴金という制度が一昨年の証取法改正で導入されておりますが、課徴金のレベルというのは、経済的利得の徴収ということにその性格が説明されているために、非常に低いレベルにとどまっています。まず、そのレベルを、制裁という性格を明確に認めた上で、十分なレベルに引き上げる必要があると思います。

 そして、もう一つの問題は人材の問題です。証券関係の専門の法曹というのが、専門家というのが極めて少ないという現状があります。こういう現状のもとで、例えば証券取引等監視委員会の組織を充実させていくといっても、一体どこから人を持ってくるのかという問題を解決しないと、不公正行為に対する十分な監視はできません。

 そこで考えられるのが、証券取引に関する専門のキャリアの創設という考え方です。国税に関して国税専門官という制度がありますが、証券に関しても証券監視専門官というようなキャリアをつくって、そして、それに対応して証券法務士というような準法曹資格を認めるという方法があり得るんじゃないか。そのようにすることによって、さまざまな分野から人材を確保することが可能なんじゃないかと思います。

 このような制裁制度の不備、そして専門法曹の人材難という問題は、何も証券取引の分野だけではありません。違反行為に対する制裁制度が適切に構築されていないという問題は、むしろ経済社会全般に言えることじゃないかと思います。最近のいろいろなトラブルの多発を経済治安の悪化というふうに呼ぶとすると、その背景には、経済司法の未整備という問題があると言えるんじゃないかと思います。

 企業に自由な事業活動を保障するのであれば、経済法令違反に対して有効かつ適切な制裁制度が不可欠です。しかし、日本の経済社会においては、今まで全体的に司法の機能が未整備であった。特に、経済法令違反に対する制裁制度が、刑事罰は個人中心で、法人処罰というのが余り機能していない。行政という面では、行政上の制裁は官庁に裁量が認められない、制裁を科す権限が認められないということで、いまだに不十分である。そして、民事に関しては、実額の損害賠償しか認められず、懲罰的損害賠償が認められないということで、全体として非常に不十分です。

 では、この問題をどういうふうに解決していったらいいかということ、それではどこが中心になってこの問題を検討していくのかということになっても、経済法令は経済官庁の所管、そして司法制度は法務省の所管ということで、そういう組織、所管のすき間に入り込んでしまって、なかなか抜本的な検討ができません。こういった組織の垣根を越えた経済司法の全体的な確立ということが、まず重要な課題になってくるんじゃないかと思います。

 そして、もう一つ大きな問題は、先ほども証券法務士ということを申しましたが、この証券の問題に限らず、さまざまな経済の分野に関する専門法曹を育てていく必要があるということです。

 その点に関して考えますと、今、司法制度改革のもとで、私の勤務しておりますのも法科大学院ですけれども、法科大学院教育というのが昨年から始められています。まさに、司法制度改革の重要な目的として経済社会における法の機能というのがあるわけですから、法科大学院の教育を、もっともっと経済社会における法の機能の強化、専門法曹の教育という方向に向けていく必要があるんじゃないかと思いますが、これまで、どうも法科大学院の教育は司法試験対策という方向に偏りがちで、こういう経済法曹の養成という面で十分な教育が行われているかというと、甚だ心もとないところであります。むしろ、法科大学院の修了者に多様なキャリアでの活躍を保証していくことによって、司法の世界に優秀な人材を呼び込むことができ、それがひいては経済司法の確立につながっていくんじゃないかと思います。

 我が国の司法は、一般の刑事、民事に関しては極めて精緻なシステムを構築してまいりました。しかし、残念ながら、経済活動を規律する司法、すなわち経済司法という面では極めて脆弱です。真の経済構造改革を行うためには、経済法令違反に対する制裁制度の確立、そして経済法曹の養成という司法制度の確立が喫緊の課題でありまして、それによって、今後、企業に関する法を本当の意味で経済社会に機能させていくことができるんじゃないか。そのことが、先ほどの六番目の図でも申しましたように、社会の要請に企業活動がどう応じていくのかということ、これを法令の趣旨、目的をきちんと明らかにして、総合的に法の趣旨を理解して、企業活動を正しい方向に向けていくということにもつながるんじゃないかと思います。

 ということで、経済司法の確立ということをぜひ重要なテーマにしていただきたいということを申し述べて、私の意見の陳述を終わらせていただきます。(拍手)

大島委員長 ありがとうございました。

 次に、馬居公述人にお願いいたします。

馬居公述人 静岡大学の馬居政幸と申します。よろしくお願いいたします。

 私は、今までの方とは違って、教育学部で社会科の教員になる人を教えていることを職業とする者で、その一方で、地域の中でさまざまな生涯学習等の活動に参加する人たちの支援に当たってきました。

 きょうはレジュメと資料を用意させていただきましたけれども、そのレジュメの冒頭に書かせていただきましたように、そのような地方と地域の現場での調査研究で学んだことをもとに、少子化と高齢化の同時進行、そして、国のレベルでは二年早く、地方では既に進行している人口減少に伴う女性や子供たちの生きる場の変化に対応する政策課題について私見を述べさせていただきたいと思います。

 資料の方には、これから述べさせていただく部分と少し異なる内容も入っておりますけれども、とりあえず、レジュメに従って時間の許す限りお話しさせていただいて、もし時間が余るようでしたら、資料の中に入れた別の観点の部分について説明させていただきます。

 まず、このような私の立場から平成十八年度の予算案を読ませていただきました。その結果、少なくとも、財源と制度の制限の中で、少子化対策を最重要課題の一つに位置づけ、実現可能な処方せんを考案し、施策として実現しようとする努力に対して、率直に評価したいと思います。特に児童手当の拡充が図られたことは歓迎したいと思います。その理由はまた後に述べたいと思います。

 しかし、他方で、予算案に示された施策が子育て支援の範囲にとどまる限り、残念ながら、出生率回復への道は険しいと言わざるを得ません。その結果、高齢化率の上昇と人口減少の速度もまた今以上に速まる可能性があることを指摘せざるを得ません。

 既に、昨年暮れに発表された平成十七年度国勢調査の速報値で明らかなように、少子高齢、人口減少社会への進行速度は推計値を超えております。今後、この国勢調査の結果をもとに、新たな人口予測が推計されると思います。その際に、地方と地域に生じつつある問題と、その延長線上に予測される危機的状況を把握し、問題解決への道を探るための新たな調査と研究が実施されると思いますが、その過程に、政治の責任を担う方々が強い関心を持って参加されることを願わざるを得ません。

 結果としてあらわれたデータだけではなくて、そのデータがどういう過程で生まれてきたのかという、データの背後にある現実を知ることからぜひ判断していただきたいと思います。コンマ以下の数値がどうなったかということで現実に動くわけではなくて、現実はもっともっと厳しい状況の中で動いております。

 少子化の進行がもたらす新たな状況は、社会制度の再設計を求め、その制度変革の方向の選択の決断は、法をつくり、実施する権限を持つ方の責任と考えるからです。

 その判断の一助となることを願って、レジュメに沿って私見を提示させていただきます。なお、レジュメでは二、三、四、五と四つに区分しておりますが、主に二、三、五を中心にして、三点に要約して述べさせていただきます。

 まず最初に、二に、「直近の社会状況へのラベリングを安易に出産率低下に結びつけるべきではない」という言葉を書かせていただきましたけれども、出生率が一体何で落ちていくのか、そのことについて、安易に現在の社会状況と直接結びつけることがかえって出生率低下を促進させる要因にもなるという、言いかえれば、出生率低下の原因というのは、もっともっと広く、また深いんだという部分を。

 最近、「下流社会」や「希望格差社会」など、ベストセラーの書名を用いて、小泉改革による規制緩和が格差を生み、現在と未来に対する不安を高めたことが出生率低下の原因との批判を目にします。しかし、それほど単純ではありません。合計特殊出生率が一・二九になった二〇〇三年、平成十五年、その年に、経済的に必ずしも豊かとは言えない沖縄の合計特殊出生率は、全国で最も高く、一・七二でした。今もこの水準は維持しております。さらに、少子化は、何よりも日本だけの現象ではなくて、東アジア全域に広がっています。小泉内閣による構造改革の功罪という視点で、沖縄の出生率の高さや、一昨年、日本よりも低くなった韓国の合計特殊出生率の低下を説明できません。問題の根は、もっと広く、深い次元に求めなきゃならないと考えます。

 さらに、レジュメ二の2に示しましたけれども、今後は、再々度、つまり戦後三度目の出生数低下が顕著になってくるはずです。この問題も射程に置かなきゃならない。出生値ではなく、出生数です。問題はそっちの方なんです。

 資料、図の一を参照ください。よく知られている図ですけれども、私なりに手を加えて、三つの山と谷にそれぞれ名前をつけておきました。

 現在の出生率低下の原因は、今の社会状況ではなくて、一九五〇年代の少産化、すなわち、さきの大戦後のベビーブーマーである団塊の世代の誕生の後、急激に出生数を減らしたことです。レジュメに示しますように、家族の五五年体制とも言われる、都市のサラリーマン、専業主婦、子供二人、学校中心の子育てという戦後家族のモデルの功罪を問い、清算する迂回を避けては、出生率低下の根を見失うことになると思います。いつまでも、専業主婦とサラリーマンの夫と二人の子供を一生懸命育てる家族モデルを持っている限り、出生率の低下はとまらないという意味であります。

 ただし、このことは、過去の多世代同居の大家族に戻ることではありません。逆です。課題は、血縁を相対化し、個人化を前提とした家族のきずなの創造です。伝統的な家意識、家父長制あるいは嫁という世界から解放されることで、日本は世界に冠たる経済大国を築きました。この繁栄を維持しようとする限り、過去の家族に戻ることはできません。ただし、その繁栄をつくった戦後家族もまた過去のものになりつつあります。その戦後家族の射程は工業化の段階まででした。

 実は、出生率低下が高齢化率上昇に結びつくまでに四十年以上の時間がかかります。この間は、子供の数は減っても高齢者はふえず、双方への扶養負担が少なく済み、経済発展に有利になります。この時期を、国連が人口ボーナスと名づけました。日本の高度経済成長は、まさにこの時期に重なるわけです。

 この人口ボーナス時に工業後の家族観を誘引する意識、価値と制度を構築することを怠ったツケが現在の少子化です。転換のチャンスは八〇年代でした。そのとき、日本は、中福祉・中負担という名分により、専業主婦を支援し、その再生産を前提とする制度設計の道を選択しました。その代表が、年金における三号被保険者でしょう。しかし、実際に生じた現象は、出産を選択する前に結婚をためらう女性の増加と、資料四ページの上に載せておきましたが、東京のデータですけれども、女性が結婚をためらえば、その必然として、三十代後半になっても、全国平均で二五%、都市部では三割を超す男性が独身という時代を呼ぶことになりました。

 これは前回の国勢調査の結果ですので、ぜひ今回の国勢調査、この方たちが四十代前半に入ってきていますので、多分、生涯未婚率という形に置きかえられると思いますけれども、どこまで伸びているか、伸びているかという言い方も変なんですけれども、根本的な日本の社会構造を変える要因になると私は考えております。

 このような選択の背景には、高福祉・高負担への危惧という経済財政の論理だけではなく、血縁と地縁、あるいは、あえて言えば、社縁とか新しい知縁といったような縁も含めて、日本的あるはアジア的な、個と集団の関係の再構築を阻むアジア的基層文化に根差した家族観があったと考えられます。血縁を清算することなく、自己実現を求める教育と経済の論理に裏打ちされた個人化の進行は、新たな家族創造への意欲と覚悟の形成を阻害するものとして機能しました。親の愛のあかしとして与える子供時代の豊かさは、みずからが親になるための結婚、出産、育児の意味と価値を見失わせることになりました。

 少しかたい表現ですが、具体的に申し上げます。

 団塊の世代までは、家族をつくることは人間として当然の行為でした。生活の安定と保障は、自分の家庭をつくることで得ることができました。しかし、今私が教える学生にとって、結婚、出産、育児は、人生の選択肢の一つであります。しかも、その選択肢は、それまでの人生で得たものを失うことを意味します。しかも、喪失感と負担感は女性だけではありません。男性の側にも、相手の人生を引き受ける負担感への戸惑いが生じています。男女ともに、家族をつくることで失うものの多さを解消できない限り、今後も、キャッチアップ現象、すなわち、晩婚化もしくは高齢出産ということによって人口が復活するというのがシナリオでしたけれども、それは期待できないと考えます。

 その結果、先ほど申し上げましたさまざまなラベリングというのは、現在の社会状況に応じて説明することが、出生率を上げたいという思いが、かえって逆にそこから離れていく人を正当化する、だから子供を産まないんだ、だから結婚しないんだという理由づけにされると思います。その結果、出生率が低下しても出生数の低下を押しとどめていた現在三十代前半にいる団塊ジュニアが三十代後半に入る数年後に、戦後三度目の子供の減少時代を迎えることになります。

 言いかえれば、今出生率の低下がいろいろ話題になっていますけれども、本当の問題は出生数なわけです。その出生数は、母集団である団塊ジュニアがいたために、率が下がっても数は比較的減らなかったんです。ところが、それがいよいよ三十代後半に入っていきますと、分母の割に子供の数が出てこなくなって、出生数そのものが減り始める。

 さらに、この現象は日本だけではありません。韓国、台湾、香港、シンガポールと、かつてアジアNIESと呼ばれた国々は、すべて、日本よりも急激に進む出生率の低下をとめるために苦闘しています。さきに、少子化の原因はアジアの文化の基層に及ぶ問題と考えた理由です。日本も含めてアジア各国は、何千年もかけて築いてきた子供を生み育てることの意味や価値あるいは知識や技術を、工業化の成功とともに見失ってしまったのではとのレベルでの検討が求められます。もしそうであるならば、出産、育児の理念や方法を新たに創造することから始めなければなりません。

 しかし、ここで確認しておかなければならないのは、あくまで子供を産むかどうかの選択は個人の判断によるということです。公的な行政の役割は、出産奨励ではなく、子育て支援のための条件の整備にとどめるものでなければならないことが前提になります。

 そのため、少子化対策の名のもとに実施された施策の多くは、出産時以降の負担を軽くすることにかかわるものでした。言いかえれば、出産やその前提にある結婚を直接奨励する施策は控えてきたと思います。

 しかし、その結果生じたのは、推定より二年早い人口減少社会への転換でした。非常に悩ましいことですが、現状の対策レベルの施策を続ける限り出生率の大幅な上昇を期待できないとの現実認識に基づき、人口減少社会へのソフトランディングの方法をも視野に置いた検討が必要であると言わざるを得ません。これが、困難な改革の決断が求められると考える二つ目の理由です。

 出生率の回復いかんにかかわらず、既に高齢化率三〇%を超える自治体は、全国に少なからずあります。現在は交付税等で財政を維持していますが、今後の改革の方向によっては、破綻する自治体が出ることを避け得ないでしょう。何よりも、その交付税の源である大都市における高齢者の急増への対応が課題になります。

 資料二ページの上の図を見てください。実数レベルにおいて高齢世帯の増加が、埼玉県の一三三・七%、すなわち現在の二・三倍になることを筆頭に、大都市を中心に急激に生じることが国立社会保障・人口問題研究所によって推計されています。言いかえれば、これからは大都市が高齢化に入っていくわけです。それも急激に、量の問題として。単独もしくは夫婦のみの世帯が全世帯の三割前後になることも推計されています。すなわち、大都市は特に、ふえる高齢者は単独もしくは夫婦のみ、縁故のないということになります。今の埼玉のマンション群が、高齢化したときのことを想像してみてください。

 ただし、日本経済の潜在力は大きく、高付加価値の産業によって、人口減少をより豊かな社会に転換する契機と見ることもできます。小泉改革はその道筋を示すものと評価しますが、このことは新たな困難を呼び込むことになりかねません。労働力を外国の人たちに依存することになるからです。

 資料一ページを見てください。現在の出生率が、あるいは出生数も含めて、国立社会保障・人口問題研究所の推計では低位推計に近いことは周知のことだと思います。そのため、このままで推移すると、団塊の世代が八十代になる二〇三〇年に生まれる子供の数は六十四万人です。昨年生まれた百七万人と比較すると四割減。一年間に二百五十万から二百七十万人生まれた団塊の世代と比較すると、三割にも届かないわけです。同時に、先ほど申し上げましたように、十七年度国勢調査から、予測よりも減っていることが明らかですので、再集計、再推計することによって、この数はもっと減ってくるはずです。

 小泉改革による財政再建は、子供たちに負担を残さないことが目的です。先ほどもそういう話がありました。しかし、もし出生率の回復に失敗しますと、経済が復活しても、伝えるべき子供を失うことになります。それは、この国の未来を、私たちの子供ではなく、他国の人たちにゆだねることを覚悟しなければならないことであります。レジュメの三の末尾に「新日本人」と記した理由です。

 したがって、日本の未来を私たちの子供に託すことを望むならば、どんなに困難でも、出生率の回復を実現しなければなりません。しかし、さきに述べましたように、出産を強制することはできません。出産と育児を支援する制度を整えることしかできません。これが第三の、そして最も困難な、かつ重要な選択の決断の課題です。

 私は、道は二つあると考えております。

 一つは、出産、育児、教育にかかわる負担感を排除する制度です。

 出産費の無料化が政策課題に挙げられましたが、医療費や教育費の負担をなくすことも課題となるでしょう。さらに、望む方はすべて受け入れることが可能な質と量を保障する保育施設を完備し、ベビーシッターのように家庭内での保育を支援する制度も充実させなければならないでしょう。ふなれな子育てに悩む親を支える専門家も育成しなければならないでしょう。

 ただし、負担感をとるだけでは不十分です。もう一つの、そしてより重要な道は、子供を生み育てることで、より豊かな生活が保障される制度です。負担感と同様の表現で言えば、お得感です。

 多分、このように表現すると、違和感を感じる方が多いと思います。しかし、思い返してみてください。皆さん方が、結婚をし、子供を育てることで得たものがたくさんあったと思います。逆に、もし結婚や子育てで失うものが多いとわかれば、迷わなかったでしょうか。子供の誕生を、天から授かるに任せるのではなく、制限した背景に、生活の豊かさの維持という基準がなかったでしょうか。

 現在の若い人たちも同じです。違うのは、結婚、出産、育児によって、失うものと負担になるものが飛躍的にふえたことです。それも、女性だけではなく、男性にも。

 加えて、その背景には、誤解を恐れずに言えば、男女平等や男女共同参画という理念ではなく、性差ではなく、一人一人の個性と能力による成果を評価する教育と経済の論理があることです。

 少なくとも、現在の職場からすべての女性が専業主婦の道を選べば、日本の経済は破綻するはずです。まして、グローバル化する大競争時代を勝ち抜くために、また、経済の復活と少子化による若年層の減少が同時進行する時代を迎えて、経済が復活したという話はよく聞くんですが、大丈夫なのかと、正直思います。八〇年代のあの、就職難ではなく、逆に求人難が再び生じるのではないか。子供たちはこれからどんどん減っていきます。それは大学で教えている私が今実感していることでございますが、グローバル化する大競争時代を勝ち抜くために、また、経済の復活と少子化による若年層の減少が同時進行する時代を迎えて、人の財、宝の選択と配置を性差を基準に行う企業は生き残れないでしょう。しかし、同時に、後継者を再生産できなければ消えていかなければならないのは、企業も国家も同じです。

 このような厳しい条件のもとで子供を生み育ててくれる人たちに、育児時間の給与を保障し、税制で優遇し、児童手当や奨学金などによって、子供を生み育てること自体で家族の生活が保障される制度を用意することは、理にかなったことと考えます。

 もちろん、この二つを実現するには、かなりの額の財源が必要になります。現状のままでは不可能です。国民の皆さんに新たな負担をお願いすることにならざるを得ないでしょう。その際に重要なのは、その理由です。この国の未来を私たちの子供にゆだねるのかどうかを問わなければならないでしょう。

 少なくとも、国民の皆さんは介護保険を受け入れてくれました。家族介護ではなく、社会全体で負担することを理解してくれたわけです。子供を生み育てることに伴う負担を社会全体で分担していただくことをお願いする勇気を、日本の未来の、選択し決定する責任をゆだねられた皆様方が、すなわち国会議員の皆さん方が持たなければならないときが来ていると私は考えます。

 しかし、このような負担は、当然のことながら、政治と行政への信頼の回復がなければ不可能です。今後進める行政改革を含めて、国会の場でみずからを削る覚悟が何よりも必要と考えます。

 最後に、この私のアイデアをゼミ生に話しました。多くは女性なんですけれども。すなわち、介護保険もしくは年金の、介護保険ならば二十まで拡充することを前提にですが、自分たちに返ってくる、すなわち子供を育てるということによって返ってくることがわかれば、年金も介護保険も払いますよと。確実に取り返す方法が見えれば、払うものだと思います。同時に、払ってしまえば、取り返すために産むという選択肢も多分あり得ると思います。少なくとも、子供を産むことによって自分の生活が保障される条件が整えば産みたいという方は、周りにたくさんいます。

 御清聴ありがとうございました。以上でございます。(拍手)

大島委員長 ありがとうございました。

 次に、牧野公述人にお願いいたします。

牧野公述人 日本大学の牧野と申します。

 お四国大学という言葉を私は最近知りました。特定の大学を指す言葉ではもちろんございません。四国巡礼のお遍路さん、あの中に、休学したりあるいは退学したりした大学生が年々ふえているのだそうです。こういう現象を指してお四国大学と呼ぶということを最近知りました。大変深刻な問題だと思います。もちろん、そういうところに、自分の大学からお四国大学に転学した諸君の中には、自分探しとか、さまざまなねらいはあるんでしょうけれども、私は、ある背景があってそういうことになっていると思わざるを得ません。

 求人数、これは正社員として人を雇う求人数でありますが、ここ十年ほどの間に、高卒ですと七分の一、短大卒だと四分の一、四大卒で二割ぐらい減っている、こういう実態があります。ということは、高卒、短大卒、四大卒の学生諸君が、卒業していく諸君が、学力、人間性その他の面で仮に一〇〇%すぐれた若者たちであったと仮定しても、いわゆるフリーター、ニート、こういった若者たちが相当数出るのは、これは必然なんですね。何か、最近の若者は我慢が足りないとか、いろいろなことを言われますけれども、一〇〇%理想主義的な若者であってもニート、フリーターは出る、相当数出る、このことはきちんと踏まえておくべきことだと思います。

 どうしてこういうことになったかといいますと、企業の厳選採用ということで、正規の採用を極力絞り込んで、パートとか派遣とか、いわゆる不安定雇用に中心をシフトしていっている、こういうことがあります。こういう企業の雇用に向けての対応は、今日のいわゆる新自由主義という政策のあらわれであると考えざるを得ません。新自由主義というのは、最高の価値を市場原理に置いて、市場原理が活動するのを妨げるものはすべて取っ払う、要するに規制緩和、これが労働の分野でも九〇年代の後半から相次いで行われていて、そういうもとで、申し上げたような厳選雇用を促していっている、こういう関係があるのだろうと思います。

 私の周りにいる学生諸君に、君らが今の親の世代になったときに親の世代のレベルの生活ができると思うかと聞きますと、ほとんどがノーであります。私の学生のころだったら逆でした。夢を持てずにいるわけであります。

 こういうときでありますから、夢の持てる予算案、予算をつくっていただきたいと思いますが、正直、拝見した予算案は、私に遠慮なく特徴づけをさせていただくならば、少子化加速型予算あるいは夢つぶし予算……(発言する者あり)そうですね、そんなことになるのではないかと思います。

 それで、小泉首相の施政方針演説でも非常に強調されたわけでありますけれども、小さな政府、言い方は、簡素で効率的な政府と言っても同じでありますけれども、簡単に、小さな政府を目指すということが非常に大きく柱として打ち出されています。

 小さな政府にしなくちゃいけない理由、いろいろ言われていますけれども、国際競争力の強化、ここにエッセンスは、私の読む限り、言っています。では、その小さい政府をつくり出す手段、方法は何かということで、これが構造改革、こんなふうな関係になっています。

 ところが、その一つずつを見ますと、まず、中心にある小さな政府でありますけれども、これを目指すということですが、既にそうなっているではありませんか。公務員の数だって、人口当たりの国際比較で見て、日本はヨーロッパの半分から三分の一ではないですか。社会保障費だってそうではありませんか。既にこの国は小さな政府なんです。にもかかわらず、小さな政府を目指すというおっしゃり方は、これは一つのイデオロギー論ですね。事実とは違うんです。その理由として、さっき申し上げたように国際競争力強化のために、こういうことになっていますけれども、一体何なんですか、国際競争力というのは。さまざまな試算がありますけれども、あれはラッキョウの皮むきみたいなものじゃないですか。

 IMDインターナショナルという、皆さん御存じの、権威のある、そういう比較をやっているところによると、九一、二、三年までは日本の国際競争力は第一位でした。以後、どんどん下がっていって、一番低いときには三十位、まあ十位台に今ずっと推移している、こういうことであります。

 リストラをしなくちゃいけない、賃下げをしなくちゃいけない、そうしないと国際競争力が保てないという議論が当たり前のようになされていますけれども、先ほどの、九三年までは日本の国際競争力は世界一で、その後下がっていった過程というのは、まさに賃下げ、リストラの時代に日本の国際競争力は下がっていっているんですよ。ですから、人件費を抑えれば国際競争力がふえるなんというのは、これは幻想だと言わざるを得ません。

 いいですか、私が申し上げているのは、小さな政府を目指す、そのためには国際競争力、目指す理由は国際競争力を強めるためだ、この二つとも根拠がないんですよ。あるのは構造改革。

 この構造改革も、何をどう変えるかということでいろいろな問題がありますけれども、これも、要するに、市場に任せておけば常に資源は最適に配分される、最適配分がもたらされる、こういう哲学によっているようでありますけれども、この構造改革という言葉が初めて公式に使われたのは九三年、その後、橋本六大改革、そして何よりも、小泉内閣のもとで連日のように聞かされてきているわけでありますけれども、今世間でも問題になっているのは、格差拡大社会の到来ということであります。小泉首相は、格差があっても悪くないじゃないかと。非常にまじめな発言だと思いますね、正直な。だって、構造改革をやればそういうことになるのは当たり前ですから、そうなるのは当然ですからね。

 私は、勝ち組、負け組の二極化が進んでいるという言い方に必ずしも賛成じゃないんです。勝ち組、負け組の二極化と言う以上は、勝ち組の方にせめて三分の一ぐらい行っていて、三分の二ぐらいが負け組になっているというんだったら二極化と言っていいと思うんですけれども、勝ち組というのは、ごくごく限られた微少な部分じゃないですか。

 確実に進行していることは、ほとんどの勤労国民が、庶民が、その生活が悪化しているということ、これは間違いない現実ですよ。

 幾つか申しますと、賃金は七年間下がっています。可処分所得もそうであります。この賃金減少には、成果主義、これが導入されて、成果主義が賃金を下げる。確かにそうですよね、中高年のカーブを抑えますから、成果主義というのは。そういうことを内閣府の最近の論文も指摘していますね、結果として成果主義の導入が賃金を下げていると。結果としてというのは一体どういうことですか。もっとしっかりしてほしいと思いますね。成果主義というのは、何よりも人件費を下げることが第一の目的じゃないですか。

 それと、賃金が七年間下がっているということに関連して一言補足しますと、サービス残業がふえていますので、人を切り詰めて正社員の残業がふえていますので、そのことを入れて時間賃率で見ると、もっと下がっているということになります。とにかく賃金が下がっているということは、公式の統計でもごらんのとおりであります。

 二つ目に雇用。これが、正規雇用から非正規雇用、安定雇用から不安定雇用。私、最近、この不安定雇用という言葉を使うのをちょっとちゅうちょするようになりました。ある時期まで、不安定雇用というと、パートとかアルバイトとかそういう形態の雇用のことだということでよかったんですけれども、最近は正規雇用も不安定ですからね。

 この不安定雇用という言い方は、そろそろ私は書くものではやめようと思っていますが、今申し上げているのは、正規から不安定になるということは、これは所得減につながることは申し上げるまでもないことであります。正規から非正規に変えて、雇用破壊を通じて賃金を下げるというやり方、つまり、賃金だけを例えば半分に正規のままでしようとしたら、これは熟睡している労働組合だって飛び起きますよ。そんなことは賢い企業者がやるはずはなくて、雇用破壊を通じてということで人件費を下げていっていることは、指摘するまでもないことであります。

 三つ目に、まあ順番はどうでもいいんですけれども、賃金、雇用と来ましたので三つ目にということでありますが、貯蓄率が結果大きく下がっています。これはいろいろな理由があると思いますけれども、今二%台でしょう。可処分所得の中の貯蓄に回る比率が二%台です。七〇年代はどうでした、二〇%台でしたよ。十分の一になっちゃっている。このことも、以前に比べて勤労国民の状態が悪くなってきていることのしるしとして指摘できると思いますが、そのために、就学補助が、何とこの四年間に四割もふえています。

 順番でいうと五つ目になりますかね。少子化については先ほども話がありましたけれども、人口が、昨年十月時点で、その前の一年に比べて、戦後初めて二万減った。これは、いろいろなことを総合した結果であるに違いないと言わざるを得ません。

 今五点だけ言いましたけれども、意識調査を見ましても、つい最近、日経新聞がやったもので、これは八〇年代の終わりと比べてですけれども、暮らし向きが悪くなったという比率が三七%ということであります。とにかく、そういう意識調査、さまざまたくさん出ていますけれども、よくなったという調査があったら、私は寡聞にして存じませんので、教えていただきたいと思います。

 とにかく、幾つかぱらぱらと申しましたけれども、二極化というよりも、確かに二極化は二極化でありますけれども、だって、大企業、大銀行の収益増は、アメリカや中国の外部条件プラスリストラ効果だというのは常識ですね。そういうところと比べて二極化でありますけれども、やはり、先ほど申し上げたように、勤労国民全体が、生活状態が、のみならず将来の展望、そういうことも含めて悪くなっているということは、これは否めないことであると思います。

 時間を皆さんお守りになりましたので、私も守ることにいたしますけれども、私は教育の場で仕事をしております。教育というのは、せんじ詰めれば、学生たちとともに夢を語り合うことじゃないんですか。若者に夢を持たせる、どうかそういう予算にしていただきたいということを申し上げまして、私の発言とします。

 どうも失礼しました。(拍手)

大島委員長 ありがとうございました。

    ―――――――――――――

大島委員長 これより公述人に対する質疑を行います。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。渡海紀三朗君。

渡海委員 自由民主党の渡海紀三朗でございます。

 公述人各位におかれましては、大変お忙しい中、きょうは各位のそれぞれの貴重な意見をお聞かせいただきまして、ありがとうございました。

 今、この予算委員会、これは当たり前のことでありますが、十八年度予算を実は審議いたしております。先ほどから公述人のお話をお聞きしておりまして、それぞれの分野でそれぞれの御意見というのはあったように思いますが、この予算そのものをどう思っているか。今、牧野公述人はこれに反対だということがはっきりとお話でわかったわけでありますが、予算の中身について、それぞれお三方に、私はこう考えるというか、ばくっとしたことで結構でございますから、賛成か反対か、しかし、できればもう少しこういうのを加えた方がいいよ、そういった御意見をいただければと思います。それぞれよろしくお願いいたします。

吉野公述人 御質問ありがとうございました。

 一番最初に私は申し上げましたが、やはり歳出というのは、歳入に見合った、身の丈に合ったものであるということが長期的には必要だと思います。そういう意味では、日本の中央政府の歳出割る税収が一・八六倍であるということは、八六%も自分たちの税で賄えない支出をしているという意味では、やはり我々国民みんなが認識しなくちゃいけないんだと思います。

 その際に、では、一律に八六%カットしたらいいのかということになると思います。そこで、最初に私が申しました、ナショナルミニマムとは何かということからやはりきちんと議論しないといけないと思います。ですから、予算案全体の中で、我々自身が自分で負担できる部分はどうかということを考えることと、では、もし現在のような歳出を今後とも続けていくのであれば、我々国民がそれを負担する意識があるかどうか、これをやはり国民の方にぜひ問うていただく必要があると思います。

 それから二番目は、日本自身がいろいろな面で国際的に競争に劣ってきております。その中で、私は、長期的に見れば、人、とにかく人材としての我々一人一人の力というものは、教育も含めてぜひこれから考えていただきたいと思います。

 三番目は、お話の中で申し上げましたけれども、やはりいい意味での、政治の先生方、民間ビジネス、いろいろなところが一緒になって日本を活性化させ、そこでアジアと共同しながら日本の経済を発展させていくということをぜひ進めていただきたいと思います。

 一部のマスコミが、いろいろ政治家の先生がやられると、あれは癒着じゃないかという議論があるんですが、癒着ではなくて、日本経済全体のために働いていただき、それがアジアと結びつくということが私はぜひ必要だと思います。ですから、政治の先生方の力というのはぜひ必要だと思います。

 そういう意味では、中国というのは、それをうまく使いながら、日本、アメリカを比べながらやっているような気がいたしますので、ぜひ、政治、民間、我々学者も含めたネットワークによる日本経済の再生ということが必要だと思います。

郷原公述人 私は、法律の専門でございまして、予算とか財政全般について特別の意見を持っているわけではございません。私が特に関心がある点について、もっと予算で重点的に措置をしていただければと思うようなところについてのみ申し述べます。

 先ほども申しましたように、コンプライアンスだとかあるいは法曹、経済司法の充実という面に関してもっと重点的に予算を配分していただければというのが一つの私の希望でございます。

 何といっても、こういった問題は人材がすべてでございまして、例えば、多くの企業でこれから五年ぐらいの間に団塊の世代が大量に退職していくというふうに言われていますけれども、そういった世代を、これから、企業での経験を生かして企業のコンプライアンスという観点から活用していけないか、そういう面で考えましても、もっとそういったところに、中高年の再教育というところ、法的な素養の面での再教育も含めて考えていただければというようなことも考えております。

 それから、先ほど申しました法科大学院の教育の充実に関して、本当に意欲を持った若者たちがたくさん法科大学院に入ってきております。こういった若者をこれからの経済社会で活用していくためのさまざまな施策というのが必要になってくるんじゃないかと思います。

 余り具体的な意見にならなくて申しわけないんですが、以上でございます。

馬居公述人 私も、金勘定は苦手でございまして、予算そのものについては、正直、細かいところはよく、理解できないというよりも、素人ができるようにはつくっていないということは理解できると思います。

 そういう意味で、私が関係する、先ほど申し上げました少子高齢化あるいは人口減少、さらには自分のかかわる教育の問題とかかわっては、順番も上位にあって、そしてそれなりの配慮をされているということはよく理解できます。その意味では、先ほど申し上げましたように率直に評価したいと思っておりますが、正直、今回こういう形で機会をいただいて、読もうと挑戦しましたが、かなりしんどい作業でありました。だれのためにつくった本なのか。国会議員の皆さんはこれが読めるのかなということを正直思いました。同時に、何でこんな形にしなきゃいかぬのか。ディスクに入れてくれればもっと読みやすいのに、索引がつき、あるいはメールでくれればすぐわかったのにということで、手順をもう少し考えていただきたいな、これが二つ目です。

 それから、済みません、一つ目をちょっと忘れました、つけ加えます。

 福祉に関しても教育に関しても、単年度にそぐわない性質を持っていると思います。まして転換期で、福祉はとりわけ構造が変わっていかなきゃならない。そういう意味では、ことしはこの部分なんだということを不十分なりにもわかるような表現の仕方が欲しいなというふうには思いました。来年度、少なくともこういう方向は目指したいということを、政党の選挙のときだけではなくて、政府としてもそれなりのマニフェストを提示していただけるような形式があればなと。

 最後に、社会科の教員を教えている立場からすれば、これを中高生は絶対わからぬな。自分たちの国家の予算を、まして国家社会の形成者というのが社会科の目標ですけれども、その一番大もとにある予算に対して、日常的と言わなかったとしても、中高生が、小学生とは言いませんけれども、中高生が何らかの形でアプローチできるような窓口はぜひつくっていただきたいと思っております。

 以上です。

渡海委員 ちょっと問いかけがあいまいであったわけでありますが、基本的に、我々は、主権者の代表として、責任を持って自分の態度をはっきりとしなきゃいけないわけです。そういった意味で、先生方がどういう態度で今この予算を見ておられるかということを、というのは、物事というのは右から見るか左から見るかで随分違うんです。例えば、同じ言い方であっても、賛成の側から言う言葉と反対の側から言う言葉というのは随分違うわけでありますから、そういうことを聞かせていただいたということであります。

 それで、実は、吉野先生は、公共投資と経済効果ということを計量分析されて、そして将来予測をされて、そこから、フィールドから起こしたいろいろな政策を立案されているというふうに、物を読ませていただいて思っておるわけでありますけれども、そういった面からしますと、小さな政府という考え方は、先ほどからいろいろ話があります。

 昔の小さな政府という考え方というのは、どうしても社会保障が薄いみたいなイメージだったんですが、今は違うんですね。要は、これはこの前の党首討論でも前原党首もおっしゃっておりましたが、共有できる部分があると。必要なことはもちろんやるんです。ここで価値観が違ったり意見が違ったり政策が違ったりということは当然あるわけでありますけれども、要は、国民の税金を有効に効率的に使って、そしてサービスをしていく。できるだけ小さくすることによって後年度負担を少なくする。また、逆の意味では、国民に対するサービス、自由に使えるお金をたくさん生み出して、社会保障にしましても、考えようによっては、そのことによって実は安定したものにできるという考え方が小さな政府だと思っております。

 公共事業の乗数効果が一ぐらいにもう落ちちゃっているんですね。そういったことも含めて、全体のこれからのいわゆる社会資本の整備の考え方、先ほどもアイデアはいただいたわけでありますけれども、少しそういうことについて言い足りない点があればお答えをいただきたいというふうに思います。

    〔委員長退席、上田委員長代理着席〕

吉野公述人 御質問ありがとうございました。

 日本はこれまでずっと高度成長でうまく戦後からできたのは、社会資本を全国的に整備することによって、それでいろいろなところに産業が立地され、また物流が活発になるという面では、私は、産業基盤の整備としては非常に役立っていたと思います。

 そういう意味では、中国では今沿海側だけが発展しておりますけれども、では内陸をどうするか。そういうときに、日本のように何とかいいインフラを整備していきたいということで、日本を見習っていきたいという意味では、日本はいいお手本を少なくとも八〇年代ぐらいまでは示したと思います。ただ、先生も御指摘のように、社会資本の効率性あるいは効力が大分落ちてきているということは事実であります。

 その中で、では今後、社会資本の整備あるいは地方の活性化をどうしたらいいだろうかということでありますが、きょうの私のお話でさせていただきましたのは、これまでは、社会資本の整備といいますと、みんな税金の金である、国あるいは地方が全部行うということが社会資本という定義だったと思います。ところが、そうではなくて、今後は民間の資金もそこに入れてきて、それで、ある場合には全部民間の資金で、しかし、国と民間の資金を一緒に合わせた形のインフラの整備とかいうことがいろいろな形でできると思います。

 その中では、最近、地方では、愛県債とかミニ公募債というのができてきております。これも一種の地域の、病院をつくったりいろいろなものをつくるときに、小さな債券を発行して民間のお金を集める、こういう手法だと思います。これも、なるべく小さな政府でありながら、しかし、必要な社会のためのインフラは整備していくという議論だと思います。

 ただ、ここで一つ私が疑問に思いますのは、ミニ公募債とかの場合には金利と元本が保証されております。ですから、そこでできたものがどんなものであろうが、必ず金利と元本は別に保証されているということであります。つまり、対象の事業の効率性と関係なく資金調達が進んでしまうということであります。

 きょうお話しさせていただきましたPPPとかあるいはレベニュー債券というのは、その対象事業がどれくらい効率的に動いているかということが市場でもわかるような債券でありますので、ぜひ、それぞれの事業のやっている内容と、マーケットにおけるそこの効率性がわかるような指標というのをつくっていただきたいと思います。

 それから、もう一つ関連では、地方はこれまではいろいろ社会資本で雇用者が多かったわけですけれども、では、地方はどうしたらいいだろうかということになると思います。

 私は、多くの地域では、既に一般道路なりある程度の社会資本は、日本の場合できてきていると思います。それをどうやって活用したらいいんだろうか。新しいものをつくる場合にも、既存のインフラをどういう形で発展させればその地域の経済が活性化するか。まさにそれが、各先生方が各地域から出てこられまして、日々ごらんになっているところだと思います。ですから、既存のインフラをいかに使うか、それに、あとプラスアルファでやればいいのではないか。新しいものを何でもつくればいいというのではないような気がいたします。

 さらには、地方の方でもいろいろな建設業者の方がおられまして、こういう方々が今後どういうふうに生活したらいいんだろうかということがございます。

 私は、今後、アジアの国々では相当インフラの整備が必要だと思います。タイの場合ですと、例えばモノレールができたわけですが、そこは日本が受注できませんで、ドイツの会社が受注してしまいました。それから、韓国とか中国の新幹線の場合にもヨーロッパの国々が受注しちゃっているわけです。

 それは、日本の技術を使って、日本の新幹線技術は世界一でありますから、そういう日本の今まで持っている技術それから建設能力、さらには地震に対してもこれだけ強い、そういう能力を先生方にぜひ宣伝していただいて、そうすれば日本の企業は海外で活躍でき、そしてアジアの国々も発展するということになりますので、もう少しグローバルなところから、日本経済をどう見ていったらいいんだろうかと、御自分の地域と同時に全体を見ていくということを考えていただければと思います。

渡海委員 アジアの話というのは、実は私は、たまたま先生がお話しになりましたから、一級建築士でございまして、シンガポールとかインドネシアで仕事をしておりましたので、非常にマーケットがたくさんあるなというのはよくわかっております。これは余計な話でございますけれども。

 ただ、やはり日本の政治の方の仕組みがなかなか、例えば、当時出ていった民間企業なんかも、政府の後押しが多いんですね、JICAとか。こういった形のものが独立してやっていったときに少し弱い部分がありまして、現実に政府の後押しなしで攻めていく場合に一体何が起こるかということなんかについて、やはりこれから随分考えていかなきゃいけない、そんな感じがいたします。

 最後に、短い時間ですから、ぜひひとつ、これはやはり吉野先生になるんですかね。

 最近、実は、これは経済財政諮問会議だと思うんですが、名目成長率と長期金利の話、これは午前中の方がよかったのかもしれないんですけれども、話が出てきたんですよ。財政再建をやらなきゃいけないというところで、経済成長をやると、かえって三%より四%の方が財政支出がふえるという試算が出てきているんです。

 これは、先ほど国債の金利のお話がありましたからあえて吉野先生にお聞きをしたんですが、要は、従来と違いまして、今、名目成長率より長期金利の方が上回ってしまう。八〇年代以降そういう傾向がアメリカでも出てきていまして、そのことを考えると、経済成長をただ単に目指すということで本当に財政再建がうまくいくのか。税収はふえたけれども、それよりも、抱えている国債の金利が大きくなってしまって、かえって重い荷物を抱えてしまう、こういう意見が出てきているんです。

 これが正しいかどうか、私はまだわかりません。わかりませんが、先ほど国債の金利の話もちょっと出ておりましたので、先生、もし何か御意見がおありでしたらお答えをいただきたいというふうに思います。

吉野公述人 随分詳しい御質問をありがとうございます。

 経済成長率と金利の関係は、やはり幾つか前提があると思います。そこで重要なことは、金融政策は今後どう動くかということも金利に対して影響を与えます。ですから、これまでのような割合低金利政策というものを続けるかどうかによって一つは違うと思います。それからもう一つは、金利の場合には、名目金利でありますので、将来のインフレ率がどうなるかということも名目金利に影響してくると思います。

 それから、やはり経済回復が重要なことは当然でありますけれども、その場合にもう一つ、一九九〇年代から二〇〇〇年にかけていろいろな減税をしてまいりましたので、景気が回復したときに、以前と比べて同じぐらいに税収が入ってくるかといいますと、それが少し減ることになってくると思います。ですから、そういう意味では、成長率があることが税収をふやすことは重要なんですけれども、減税の影響がどうなるかということは今後あると思います。

 ただ、私個人の考えとしましては、経済成長率を伸ばすことがすべての国民の方々の可処分所得を上げていくという意味では、やはり貯蓄率もまた回復してくるでしょうし、それから、日本全体に対する夢といいますか基盤も出てくると思います。

 ですから、私は、成長率を上げるという景気回復はぜひ必要だと思いますし、ですが、その中で、インフレが起こらない形でやるということと、金融政策も実体経済を見ながら運用していくということが重要ではないかというふうに思います。

 ありがとうございました。

渡海委員 もうあと一分ぐらいだと思いますけれども、少子化の問題で、私は非常に極端な意見を持っておりまして、経済的負担を減らすこと、そして子育てをしながら仕事が続けられること、この二つが決め手だというふうに思っております。これは、娘二人がそう言っていますから多分間違いないんだろうと思っておるわけでありますけれども、先生の方で、大体そんな方向だったというふうにも思うんですが、最後に、まだ私は言い足りないことがあるというか、御意見がございましたらお答えをいただきたいというふうに思います。

馬居公述人 多分、基本的には同じだと思うんですが、二つ。

 一つは、そこまでして結婚し、子供を産むのはなという意識は常にあると思います。ですから、それを超えさせるために何かの手段が必要になってくると思います。

 それからもう一つは、仕事に生きがいを持てない方たち、もしくは、あえて言います、高い能力を持てない方たちが、しかし結婚という道への広い選択肢が準備されていないとき、多分大きな問題が起こってくるのではないかな。少子化対策の、少子化の問題の裏側にある未婚率の上昇は、そういう、積極的にこの社会で活動しようとする人たちだけではございませんので、その部分をどういうふうに考えるかという問題は出てくると思います。

渡海委員 ありがとうございました。

上田委員長代理 次に、坂口力君。

坂口委員 公明党の坂口でございます。

 きょうは、公述人の皆さん方には、大変お忙しい中をこの予算委員会のためにお時間をとっていただきまして、心から感謝申し上げたいと思います。

 私、持ち時間、十分しかないものですから、すべての皆さん方にお聞きすることはできないと思いますが、まず、吉野先生に先にお聞きをしたいと思いますけれども、地方経済の活性化ということを先ほど御指摘いただきました。

 最近、この四、五年の地域別の雇用状況を見ておりますと、北海道それから南九州、沖縄、四国では高知といったところがずっと常に悪いわけですね。この辺のところを一体どうしていったらいいのかということを常に思っている一人です。

 そういう意味で、先生、地方の中で、とりわけそうした地域についてもし何か御意見をお持ちでございましたらお聞かせいただきたい、そう思います。

    〔上田委員長代理退席、委員長着席〕

吉野公述人 御質問ありがとうございます。

 私も興味を持ちまして、先月、北海道に参りまして、それから南九州では熊本の方に参りまして、それぞれそちらの方々と御意見を交わせていただいたことがございます。

 全般的なところでは、先ほど先生おっしゃいましたように、地域での成長率の格差というのが日本で出てきていると思います。ところが、北海道に行きましたときに、随分台湾人の方が来られているんです。ホテルのほとんどが台湾人の方なんです。どうしてこんなに来られるかといいますと、雪を見に、あるいはスキーをやりに来られるということです。それからさらに、北海道では、オーストラリアと北海道の札幌の間の直行便をつくりまして、これまではカナダに行かれていたスキーヤーの方を皆さん北海道に呼んでくる、こういう努力をなさっております。

 私は、それぞれの地域が、どういうところを目指して、どういう人たちを呼ぶことがいいんだろうかということを考えれば、それぞれの地域でやれることはたくさんあると私は思います。その中で、では、例えば台湾の方を呼ぶためにはどういう形の航空路線がいいのか、どういうふうにしたらいいのかということをまた考えていくということだと思います。

 それから、今おっしゃいました南九州とか沖縄のところがやはり成長率は低いんですけれども、熊本に行きましたとき、そこの中小企業で、地場のところでいろいろうまくやられているところがあるわけです。そこは、インターネットやあるいは全国紙の広告を出しながら、自分のおつくりになっているものを出している。ですから、いい製品をつくって、それを全国の方に知られている企業は、やはり活力あってやっておられると思います。

 ですから、全般的には地域間格差がありますけれども、それぞれの地域が努力をすることによってやっている生き生きとした企業はあるというふうに思います。

 それから、私の中で申し上げましたけれども、これまでは全部税金のお金でいろいろなインフラを整備してきたわけですけれども、地方でも、いいインフラであれば、民間の資金をそこに呼び込むことによって、そこで収益性が上がる事業ができると思います。

 そういう意味では、経済全体は悪くても、例えばここの道路はすごく必要である、みんなが使う道路であるというのであれば、民間の資金を活用しながら、どんな地域でも事業を起こしていくということは可能ではないかと思います。

坂口委員 ありがとうございました。

 馬居先生にお聞きしたいと思いますが、先生のお話を聞いておりまして、日本人絶滅の危機、さらに深くしたわけでございまして、一体どうしたらいいのかなというふうに思いながら聞かせていただきました。とりわけ、もう一段下がるぞ、こういうことを先生が言われたものですから、待ってくださいよ、もう一段下がるんですか、こう言いたい気持ちでございます。

 それで、先生が御指摘になっております中で、失うことの多さを解消しない限り今後もキャッチアップ現象は期待できない、こういうことをおっしゃっている。一方におきまして、最後に保険のお話をされまして、やはり必要ではないかというお話もされました。保険をつくれば上がるのかといえば、先生の説からいえば、たとえ財政的な基盤をつくったとしましても、失うことの多さを解消しない限りだめだということになるんだろうと思うのです。

 失うことの多さ、何を失うかということですが、経済的なものをいえば、それは子供ができれば経済的に失うものが多い。時間を基準にして考えれば、時間も失うことは多い。しかし、子供を生み育てたいという気持ちを中心に考えれば、それはまた別の結論が出てくる。価値観の問題ではないかという気がしますが、その辺のところの先生のお考えをお聞かせいただきたいと思います。

馬居公述人 一番難しい問題だと思います。

 よく言われる質と量に分けますと、通常は、これまで女性の側が経済的な問題以上にいわば負担がかかってくるということで、その負担というのは、裏返せば、それまでの人生と違うものをしなきゃならないということで、失うということとセットになるわけですけれども、今、多分問わなきゃならないのは、質的な問題として、子供を生み育てるという経験を持たない人が子供を生み育てなきゃならない状況に入ったときに、意味のない不安を持つと思います。言いかえれば、子供のころから子供を生み育てることを日常の常としている人であれば、それを当然のこととして、また自分の人生の中に繰り返していくようになると思います。

 しかし、先ほど私が申し上げました、現代家族とか戦後家族と言われている、昭和三十年代半ば以降、子供二人、サラリーマンの父親、専業主婦の母親のもとで育った、学校中心に育った子供たちは、自分が育つ過程において、自分が育てる子供の学習を一切しないままに進んできていると思います。

 したがって、子供を育てるということは、本当はいただくものがたくさんあるんだ。沖縄に行って調査したときに、沖縄の人たちはこう言っていました。子供たちは三歳までに返してくれるんだ。言いかえれば、子供を育てていけば、その負担は三歳までに喜びとともに返してくれるんだ。でも、これは、子育てを日常で経験している人だからそう言えるわけであって、二十、二十二、私の大学なら二十二までですね、子育ての世界とは全く無縁で育った男女が、女であるからということだけによって子供を産みなさいと言われたときに、自分の人生そのものを失うというふうに考えても大げさではないのではないかな。

 そういう意味で、今言われたように、私が言うところの保険によってお得感を与えたとしても、正直、ではふえるかといえば、社会過程である以上、これはわかりません。

 しかし、逆に言えば、今は、結婚し、子供を産むことよりも、結婚しない、もしくは結婚しても子供を産まない方がより高度で自由な生活ができるというふうに信じていることによって、逆に、結婚し、子供を産むことの喜びを知る道を閉ざしている。

 したがって、あえて言えば、結婚し、子供を産んだ方が、結婚しない、もしくは結婚しても子供を産まないよりも得なんだという一種の利害の道を手段にして、そこから新しい道を開いていけば、今度はそこからさまざまな情報が発せられることによってということがあると思います。

 もう一点、同時に、保険は、もう一つの、さまざまな子育ての社会的な整備とセットであります。例えば児童手当を、私が考えているのは月五万ですけれども、一人五万与えて三人やれば十五万。十五万与えればまず食っていけますということで、そのお金が非現実的であることは承知で言っているんですけれども、要するに、それくらいの迫力を持たないと多分選択しないだろうなという意味でございます。

 その裏返しは、その十五万が今度は新しい雇用に広がっていって、子育ての産業化によって、十五万もらう人はその十五万を新しい雇用の方に金を回して、自分は自分でまた自分の雇用に入っていく。言いかえると、子供を育てる責任は、根本的には親ではなくて社会の側にあるということをだれもが信ずるように、ほぼ多数派が信ずるようになったときに、多分、スウェーデンのように、子供がある程度戻ってくるのではないかと思います。

坂口委員 まだお聞きしたいことがたくさんございますけれども、時間が参りましたので、これで失礼させていただきます。

 ありがとうございました。

大島委員長 次に、小川淳也君。

小川(淳)委員 先生方、きょうは本当にありがとうございました。たくさん示唆に富んだお話でしたし、何より、それぞれの分野において、先生方の熱情といいますか、その分野に対する情熱を感じることができたことは本当に幸せなことだと思っています。本当にありがとうございました。

 その上で、少し大局的な観点からお尋ねをしたいと思っています。実は、この予算委員会、百時間に余る審議時間を経過してまいりましたが、耐震偽装、BSE、牛肉問題、それから談合、こうしたことに関連した審議がほとんどだったんですね。いろいろな規制緩和とか自由主義、そういったことのいい面と悪い面、これは両方考えないといけないと思うんですが、まず、吉野先生にお伺いしたいんです。

 経済あるいは金融自由化、こういった専門家から見て、私は、このベースに、牧野先生がおっしゃった新自由主義とか新保守主義といった最近の価値観が流れているんじゃないかなという気がしてならないんですが、先生は、この新自由主義あるいは新保守主義といった価値観をどのように評価しておられますか。

吉野公述人 御質問ありがとうございました。

 日本をこれから考える場合に、やはり、ほかの国々と比較してどうかということを一つ考えなくちゃいけないと思います。それから、マーケットメカニズムと、それが働かなかったときにどうするかという両面があるのではないかと思います。

 まず一つは、日本の高度成長期のときにはずっと、アジアの国々という競争をする相手がほとんどいなかったと思います。ところが、中国という国が起き出しまして、そこが非常に成長してきたというわけです。中国は、経済の中では相当マーケットメカニズムを使いながら成長していると思います。日本の中でも、これまでいろいろ自由にできることができなかったために、本来ならばもっと成長できた分野というものがあったと思います。だから、そういう意味では、いい意味での市場の活力を利用してアジアのほかの国々に負けない力をつけるという意味での新自由主義というのは、私は大賛成です。

 ただ、それと同時に、ナショナルミニマムとして、ここまでは税金のお金でみんなが見るべきである、例えば義務教育でも結構ですけれども、そういうところまでは必ず見ていく必要が私はあるような気がいたします。

小川(淳)委員 ありがとうございます。私もそのとおりだと思います。

 いわば自由主義は、社会主義との百年戦争に勝って、完勝して、私は、何かおごりが出てきているのかな。アメリカの市場主義もそうですし、対外的な外交、軍事の強硬路線を見ても、ライバルを失ったアメリカの大変なおごりが出てきているんじゃないか、自由主義が非常におごった形で出てきた、それがいろいろな形の弊害を生んでいるんじゃないかなという歴史観、社会観を持っています。決してそれに日本が乗せられてはならないという気がしてなりません。

 社会主義は、経済、政治システムとしては歴史上完敗したわけでありますが、それが目指した、助け合いだとか結果の公平だとか社会の安定だとか、その価値自体は、これからも生きるんだという気がしています。そういう意味で、今のこの余りにも自由とか市場とか民営化とかいう路線が行き過ぎることに対して、やはり日本国としては慎重な路線をとるべきだという気がいたしております。

 そして、これに関連して、雇用問題、馬居先生にお聞きしたいんですが、これもある種の歴史観が必要だと思っていまして、今、正規雇用と非正規雇用の対称性がよく議論になります。先生御自身が、この区分がもはや成り立たないんじゃないかということを先ほどおっしゃいましたね。(発言する者あり)牧野先生です、失礼しました。

 それで、牧野先生、世の中の一般的な議論としては、非正規雇用は不安定で不利だから正規雇用をふやすべきだというような考え方をとるんだと思うのですが、私、実は逆でして、一生涯保障する形の正規雇用というのはこれから日本で成り立たないという気がしています。ですから、そういう意味では、雇用は、どんどん非正規雇用、臨時的な雇用、少なくとも非終身雇用へ向かうんじゃないか。そのかわり、例えば年金とか医療とかいった社会保障に関しては完全に格差のない、あるいは同じ職業であれば賃金水準は全く同じ、そういう、今までの正規雇用と非正規雇用という対称的な分け方ではなくて、社会保障という意味では完全に一緒、しかし、それは生涯の、一つの会社、一つのポジションにおける雇用を保障するものではないという意味での非正規雇用、こういう新しい形の雇用形態が日本に必要ではないかという考えを持っておるんですが、牧野先生、いかがでしょうか。

牧野公述人 先生は、割合、私に近いんですよ。

 私は、きょうは労働の分野から発言させていただいております。資本主義の大原則は契約自由の原則です。私はそれを否定していないんです。ある範囲でそれは修正しなくちゃいけないということを申し上げているわけです。

 例えば、最低賃金制というのがこの国にもございます、低いんですけれどもね。沖縄だと、時間六百八円、これは一カ月に直しても十万円程度でしょう。だけれども、今、高い低いを問題にするんじゃなくて、それよりも、例えば、ばからしい数字を言いますけれども、契約自由の原則で、一日一億円だっていいんですよ、払う方と払われる方がオーケーすれば。だけれども、六百八円を下回ったら、法律に反した犯罪者として使用者は罰せられる。これなぞは、契約自由の原則を私は認めているわけでしょう。だけれども修正が必要である。

 これは、資本主義がだんだん進んできた過程でそういうのがいっぱい出てきていますので、そういうのが積み上げられてきた。先生もさっきおっしゃったように、やはり社会主義との対抗上、資本主義諸国も社会保障を充実させてきたということがあります。そういうふうに考えています。

 雇用についてですけれども、先生御存じでしょう、アメリカのスタンフォード大学の名誉教授の青木昌彦。よくいろいろなところに、私、これは日経新聞のことしの元日号からとったんです。こういうのがあるんですよ。青木さんが言っているんですよ、「私は日本の制度の核心にあったのは、終身雇用、年功序列システムだと思う。一つの場所にある職業を天職と考え、そこで精進することと引き換えに安定を得られる仕組みだった。」これが崩れたということを、あの方は、アメリカに長くいて、日本のシステムの変わった、ここでは中立的に変わったと言いますけれども、変わった大もとにこれがあるということを言っているわけです。

 確かに、高度成長以降、ある時期まで、頑張れば賃金も上がるということで、パイの理論というのが働いてきたと思うんですよ、パイを一緒にふやそうやと。ところが、最近は、幾ら会社のためにやっても、会社の方は史上空前の利益を上げるのに賃金は下がっている。こんなふうになってきているところで、パイの理論が破綻していますね。

 そういうことから考えると、一定数の会社に責任を持った雇用形態の人たちというのは、これはぜひ必要じゃないかと思います。その比率がどうかは業種によっていろいろあると思いますけれども、問題は、正規以外のところに、だって、物はばらで買うと普通高いんです、あめだって。ところが、労働力だけ、ばらであれすると安いというのはどういうんですか。まあせいぜい、ばらで買ってもまとめて買っても同じ、つまり正社員も非正社員も同じということになれば、先生の考えと同じでございます。

 以上です。

小川(淳)委員 ありがとうございます。

 私も本当に近い考え方を持っていまして、つまりは、日本は高度成長期の幻想から覚めなきゃいかぬ。こんな、三十年間、四十年間かけてあなたの雇用を保障します、しかも退職するときにすべての元を取らせますという言い方そのものが、高度成長期のみに成り立った幻想だ。それに従ってつくられたあらゆる年金制度、医療保障、社会保障制度を一回組み直さなきゃいかぬという認識を私は持っておりまして、非常にそこには力を入れたいなと思っております。さらに言えば、予算編成、あるいはここから先の日本、少子化の問題、本当に大きな問題、人口減少の問題、これほど大きな構造変化はこの先ないと思っています。

 実は私も、先ほど馬居先生のお話をお聞きしながら思っていたんですが、私、団塊ジュニアです。昭和四十六年生まれ、三十代前半。二カ月たったら三十代後半に入ります。そして、都市のサラリーマン、ちょっと不安定なサラリーマンですが、ほぼ、専業主婦に子供二人、小さなアパート暮らしをしています。子供は三人欲しいですね、三人以上いてもいいなと思います。でも、結果的に二人です。

 少子化を考えたときに、ちょっとびっくりした数字がありまして、出生率が今一・二九と言われていますが、実は、既婚者のカップルから生まれる子供は二・二人。この数字は、七〇年代から三十年間変わっていないんですね。そこはまさに、先生おっしゃるように、晩婚、未婚が極端に進んでいるということだと思います。それから、結婚しているカップルが望む子供の数は、通常三人を超えています。ところが、実際には二・二人前後。そこのギャップ、この二つのギャップを何とかして埋めなきゃいかぬということなんだと思うんですね。

 そこで、家族観の問題、アジアの問題をおっしゃいました。ここにも驚くべき数字がありまして、出生率が回復している北欧諸国では、結婚する前の男女が自然に恋愛関係に入って、自然な形で暮らしをともにする、そこで非嫡出子の形で出生をして、その後結婚していくという形で家族を構える割合が、何と九割だそうです。

 これは本当に根深い問題、日本の雇用制度から、もちろん社会保障制度からいろいろな問題がありますが、伝統的な家族観を含めて、これはひょっとしたらアジア全体の問題かもわかりません、そういうところから一度立て直していく必要があるのかなという気がするんですが、先生の御高説を賜りたいと思います。

馬居公述人 今言われたデータは大体承知しておりますが、より正確に言いますと、結婚した者の出生率が、昨年、一昨年度かな、減少期に入った。これは、晩婚化の進行によって一人しか産まない方がふえてくる。これはもう当初からわかっていたので、晩婚化が進めば二人も難しくなるであろうということが、これは三段階目ですね。最初、少産化、すなわち意図的に子供を減らした。それから二段階目に、結婚する人と結婚しない人に分かれることによって、産む人は二人、しかしゼロの人がいる。三段階目が一人しか産まなくなる。

 日本は今その段階に入りつつあると思いますが、ただ、結婚そのものの経緯というのがある種の二極分化をして、結婚される方が、意図的に明確な目的を持って結婚される方と、さまざまな理由で、やむを得ずということは言い過ぎですけれども、それほど準備なく結婚される方という二極分化が進んでいるとはよく言われております。それは、結果的には、子供の世界における学力の二極化に反映することもあるのではということを今は危惧しております。

 それで、アジアの問題とかかわっていえば、まさにそういうことではありますが、先ほど雇用の問題の話に出てきましたけれども、人口構造が根本的に変わって、きょう、人口ボーナスという言葉を使いましたけれども、このことは最初からわかっていたわけですね。にもかかわらず、準備は多分した、それが八〇年代のミスというふうに私は言いましたけれども、日本型の構造はピラミッド形の人口構造でなければ維持できないということは少し考えればわかることなのに、何でそれにまたしがみつこうとするのか。

 したがって、日本型の構造、ピラミッド形の構造が逆ピラミッド形に変わっていくというのは、これはアジア型の地縁、血縁を中心とする、もっとも、これはアジア型だけじゃなく、前近代社会はほとんどそうですけれども、社会が工業化、言いかえれば、ヨーロッパに生まれた、それに先立つ個人主義的な文化を前提とする、その結果、夫婦と二人の子供という核家族化を家族のモデルにするという、これは全部ワンセットなわけですね。そうでないと工業化は不可能なわけです。

 にもかかわらず、従来の、専業主婦が維持できる、言いかえれば人口ボーナス時の一時期の社会現象と考えたこと自体が間違いなのであって、もうそろそろあきらめて、新しいモデルをつくることを考えないと、人の面でのキャッチアップ、すなわち外国からのキャッチアップが日本を追いかけてくると思います。

 ただし、どこの国も成功していません。ヨーロッパの制度を入れることに対しては、御存じだと思いますけれども、北欧型は、今はフランスもそうなりましたが、生まれてくる半分が、結婚していない、もしくは結婚を一時的にしているだけの男女の子供です。

 この点について最後に言いますけれども、このことは、そういった工業化後の社会において個人化が進むときに、それでもなおかつ次世代を育てていくためには、多分、ヨーロッパ的に考えたら必然だったんだと思います。アメリカのように、移民の活力を常に内側に持ちながら、なおかつ、高い富を持った人が安い子育ての労働力を維持できるような社会ではなく、権利意識の強い社会においては、ヨーロッパ型の方向をとらざるを得なかったんだと思います。

小川(淳)委員 ありがとうございます。

 とにかく日本というのは、本当にいろいろなことを根底から組みかえていかなければならない時期にそろそろ来ているんだろうなと、本当に心からそう思います。

 郷原先生、お待たせいたしました。きょうは、郷原先生にお目にかかるのを楽しみにしていたんですが、いろいろな先生のコメントを見るにつけ、また、きょうのお話を拝聴するにつけて、その洞察の深さといいますか、お考えの深みに感銘を受けております。

 例えば、各種の法律の背景にある理念と社会的要請を徹底的に理解しなければならない。マニュアルや法令に従ってさえいればいいという考え方は、場合によってはより大きなリスク要因となり得る。重要なのは、そうしたマニュアルや法令が目指している社会的要請にこたえるという考え方を持つこと、法令やマニュアルは、そうした社会的要請にこたえるためのあくまで手段にすぎない。

 やはりこういう倫理観、価値観が、まさに耐震偽装の問題、それからライブドアの問題で問われた予算委員会でありました。

 少し具体的な証券市場等のお話をお伺いする前に、その辺の、日本人としての価値規範、あるいはいろいろな世界の国際的な動きの流れとの関連もあろうかと思いますが、そこに対する先生の熱情といいますか情熱といいますか、大変漠然としたお尋ねで申しわけないんですが、心の問題も含めた、今、日本人が抱えている病巣について、先生の観察をお聞かせいただきたいと思います。

郷原公述人 よく、企業倫理とか経営倫理という言葉が出てきます。私は、それが非常に大事な言葉だと思う反面、法令遵守という言葉と同じように、抽象的な言葉で片づけることでかえってマイナスになってしまうんじゃないかという気がしております。

 要するに、必要なことは、具体的に何をどうしてどう解決していくかということであって、そういったことについて、恐らく先人、例えば企業でも、戦後の名経営者の人たちは、コンプライアンスがどうのこうのということを言わなくてもきちんとした対応をしていたんだと思うんですね。

 ところが、最近の経済社会の司法化、社会全体の司法化の流れの中で、法というものを誤った方向で理解して、何か一たん決めたものはそのまま守らないといけない、それさえやっていればいいというような感覚に陥ってしまったことに、最近いろいろな問題が発生している根本的な原因があるんじゃないかという気がしています。

 法にはその込められた大きな価値観があって、そっちの方を向いていかなくちゃいけないわけで、それを単なる一つの言葉というふうに理解してしまうと、誤った方向に行くんじゃないかというふうに考えております。

小川(淳)委員 先生、なぜ私たちはそこをさまよっているんでしょう。未熟なんでしょうか、精神的に。

郷原公述人 要するに、法とのつき合い方というのが、日本人の場合、先ほども申しましたように、日本人における法というのは遠い存在でした。ですから、本当に自分たちのものとしてルールをつくっていって、自分たちのルールとして大切にしていこう、そういう形で法に魂を入れていこうということを今まで十分にやってこなかったんじゃないか。これから司法制度を改革して、もっともっとルールを大事にしていかないといけないということは、経済の自由化に伴って不可欠になってくると思います。競争原理を徹底することに伴って不可欠になってくると思いますけれども、そうであれば、なおのこと、そこのスタンスをもう一回固めないといけないんじゃないかと思っております。

小川(淳)委員 自由化とか規制緩和とか、自由、自由というわけなんですが、何か思うんですよね、多分、自由ほど不自由なことはない。自由というのは、本当は不自由なことであるはず。それまで外側に設けられていたさくを、今度は自分の心の中に立て直さなければならないはずなんですね、恐らく自由とか規制緩和ということは。そこの価値規範とか倫理規範がまだまだ未熟。本当の自由と言葉じりの自由とを履き違えてきている。そこに私たちの大きな未熟さがあり、これは相当、私たちが一人一人の問題として考え直さないと、同じような問題が繰り返し繰り返し起きていくんだろうなという気がしてなりません。本当に日本という国が、日本人が自立した存在として確固たるものに成長していく、そのために物すごく乗り越えなければならない一つの壁なんだろうなという気がいたします。

 そうはいっても、具体的な政策論としても、やはり専門的な御所見をぜひ知恵としておかりしたいわけであります。

 例えば、市場規模が急激に拡大している、一方で、こうしたライブドアを初めとした事件が起きた。あるいは、昨年、JRの尼崎線で、効率的なダイヤを追求する余り、あれだけの人命が失われた。そこには、効率とか市場の拡大とか経済性とかいった一方の価値を追求する余り、何かもう一つの大切な価値を軽視してしまった、その矛盾と闘うためのさまざまな行政、経済上の仕組みを今度はつくっていかなければならないんだと思います。

 そこで、先生が御専門としておられます、例えば今回のライブドア問題を初めとした証券市場のトラブルと、新しく施行が予定されています新会社法との関係、あるいは、先ほど先生おっしゃいました証券監視に関する専門職の設置、さらに言えば、その前段階としての法科大学院での証券、経済市場に関する専門教育、こういった分野についての先生のお考えをお聞かせいただきたいと思います。

郷原公述人 ライブドアの問題、ライブドアの事件という面で、私は事件の中身を詳細を把握しているわけじゃありません。その点についてのコメントは差し控えますけれども、新聞などで言われているように、あの事件が、株式、自社株の売却によって得た利益、それを、言ってみれば資本勘定に計上すべきであるのに利益として計上したことが粉飾だというふうにとらえられる、そういうようなことと、今回、もう数カ月後に施行される予定の会社法とどういう関係にあるのかというのは、これはかなり大きな問題があって、これからいろいろ検討していかないといけないのではないかと考えております。

 と申しますのは、数年前からの会社法改正の流れというのはファイナンス理論というような考え方に基づいていまして、昔は、会社を自然人と同じように法人として権利能力を与えてきちんと尊重していくためにはいろいろな要件があるんだ、資本充実の原則とか、取締役が何人いないといけない、こういう仕組みじゃないといけないという要件を満たして初めて、会社というのはそういう権利能力を持つという考え方、言ってみれば強行法規的な考え方でした。

 それが、もうそんなふうにかた苦しく考えなくていいんだ、会社というのは、お金を持っている人がお金を使いたい人にお金を流すための手段なんだというような考え方で、これをファイナンス理論と呼んでいますけれども、そういう方向での改正がどんどん進んできました。その総仕上げのような形になるのが、今回の、商法から分離されて独立する会社法の制定だろうと思います。

 そういうような考え方が、果たして、今後、企業社会が健全に運営されていくためにいいのか悪いのか。ライブドアのような問題というのが、そういうような会社のあり方、会社法の位置づけの中でどういう問題なのかということも改めて考えてみないといけないのかなという気がしています。

 ですから、結局のところ、会社は何をやってもいいんだ、そのかわり法さえ守っていればいいんだというのが、最初に私が述べた考え方です。それは、日本の経済社会でいろいろな手当てをしていかないとそういう考え方は妥当しないということは、先ほど申し上げたとおりです。

 しかし、そういう方向にある程度進んでいくことは間違いない。そうであるとすれば、先ほども申しましたように、法曹の世界をもっと充実させていかないといけない。そのための教育として、専門法曹養成のための法科大学院の教育、経済に関する法、特に証券取引法などの教育というのはまだまだ不十分なものです。そういった面をもっと考えないといけないんじゃないかというのが私の意見です。

小川(淳)委員 ありがとうございます。

 吉野先生、これは私の考えなんですが、先ほど、日本人は低負担・高福祉を望むんだということをおっしゃいましたね。

 私は、日本にこういう時代が来ればいいなと思っているんですが、この間、ある民放番組でニュース番組を見ていましたら、北欧で街頭インタビュー、普通に町を歩いている男性、北欧は、御存じのとおり国民負担率七割ですね、所得税率が五〇%、消費税率二五%、これは高くないかと聞かれたんですね。そうしたら、確かに高いと言うんですよ。確かに高いが、これはちゃんと私たちのために使われているから不満はないと言い切ったんですよ。

 私は本当にびっくりして、とにかく日本を一日も早くそういう国にしたいんです。それが本当に価値観として成り立った日には、負担は低くて高いサービスをなんということは、多分おくびにも出てこなくなる。そんな誇り高い日本国家、日本国民になるんじゃないかなという気がしてなりません。これは、国民の責任であると同時に、本当に政治、政府の責任だという気がいたします。

 最後に、私たちは、そろそろ、より上位の価値観が必要な時代に入っているのではないかという気がしています。と申しますのは、市場化そのものも、目的ではありません、手段です。少子化を防ぐことも多分手段、遵法精神をたっとぶことも多分手段、雇用を安定させることも多分手段。でも、それぞれの手段が一体何のための手段かというときに、私は、国家として、国民としての幸福感を増すため、幸福感を増すために効率化もせねばならないし、市場化が必要なときもある。でも、助け合いが必要なときもある、子供が必要なときもある、産まない選択肢もあっていい。何かそういう、今まで並べ立ててきた価値観のさらに上を行く価値観をこの日本でぜひ生み出していく、そんな政治をぜひこの国で実現したいと思っております。

 きょうは大変勉強になりました。ありがとうございました。

大島委員長 次に、佐々木憲昭君。

佐々木(憲)委員 日本共産党の佐々木憲昭でございます。

 公述人の四人の皆さん、大変御苦労さまでございます。

 雇用問題について、まず牧野先生にお考えを伺いたいと思います。

 先ほどのお話、なかなかずばり本質をつくお話でございまして、大変参考になりました。特に雇用問題で、正規雇用、非正規雇用というふうに分けて、非正規雇用が不安定だという言い方はおかしい、正規も含めて不安定であるから、全体をどうするかということを考えなければならない、こういうふうにおっしゃいました。なるほどというふうに思いました。

 ただし、私は、今の雇用状態、特に非正規雇用がどんどんふえていくという状況は、自然にそうなったのではないのではないか。やはりその裏に、ある政策的な意図がそこには作用しているに違いないというふうに思っております。

 特に財界の雇用政策、これがやはり大きく変わってきたのではないか。特に、日本が多国籍企業化し、世界に大きく展開をしていく過程で、国内の雇用政策そのものも大きな転換を遂げてきた。同時に、その財界の意向が政府の政策に直接反映する形になっている。そして、その仕掛けは、経済財政諮問会議というのもありますけれども、同時に、雇用分野での規制緩和を推進していく、政策をつくり推進していくその部署に直接財界の代表が入っているんじゃないか、労働組合の代表はどうも入っていないようだ、こういうことも聞いておりますので、その辺の、現在の雇用全体を不安定にしていく背景にあるこういう構造といいますか、その点を牧野先生はどのように把握されておられるか、お話を伺いたいと思います。

    〔委員長退席、茂木委員長代理着席〕

牧野公述人 九〇年代に入って、一つは、長期不況の時代に入ると同時に、経済のグローバル化が進んでいく。そういう中で繰り返し強調されたのが国際競争力論であります。

 それで、日本の国際競争力を妨げているものとして、世界のトップクラスの賃金という言われ方が、当時、日経連でしたけれども、盛んにやられる。終身雇用であるとか年功賃金あたりが、これは古い制度であるということで攻撃の焦点になっていったという経過があると思います。

 そのことをまとめた形で提起した重要なリポートが、これは九五年、日経連当時の、新時代の日本的経営というものでありました。それで言っていることは、一つは、労働力の流動化、それと多様化、いろいろな雇用形態があり得るわけだから、とにかくそれを追求していきましょう、こういうことでありました。

 企業は、とりわけ民間大企業は、以後、労働力の流動化、雇用形態の多様化ということを追求していくわけであります。ただ、法律で規制されている部分がありますので、そこが労働分野の規制緩和ということで、日経連が非常にはっきりした形で政府に要求していく。例えば派遣労働者だって、今のままじゃ使いにくいであるとか、裁量労働だってあるけれども、あんなのじゃ使いにくいとか、さまざまな規制緩和を要求していく。

 それに、事実を見ると、財界が要求したようにほぼなっていっている、こういう関係がありますね。だから、そこのところは事実としてそういうふうな関係にあるということだけは申し上げてよろしいと思います。

 差し当たり、そういうところでよろしいでしょうか。

佐々木(憲)委員 はい、いいです。

 もう一点、続けてですけれども、そういう財界の意向が反映される政策になってきているという、事実関係としてそういうことをおっしゃいましたが、それを推進していく仕掛けというのはどのように先生は見ておられるかということをお聞きしたいと思います。

    〔茂木委員長代理退席、委員長着席〕

牧野公述人 仕掛けはつくった人に聞いてもらった方がいいと思いますけれども、ワークシェアリングというのが私は一つの仕掛けになっているように思います。

 日本の失業率というのは非常によろしくて、雇用優等生と言われてずっと来たわけでありまして、失業率三%になったのがちょうど九五年です。九八年に四%、その後、四%台の後半、五%をうかがう、こういうことになっていっているわけでありますけれども、雇用問題、失業率が高くなっていく過程で、ワークシェアリング、つまり仕事をシェアしましょう、分け合いましょうというふうなことが言われていくわけです。

 そういう中で正規以外のさまざまな雇用形態がつくられていったということでありまして、そういう仕掛け、それは企業レベルの仕掛け、それに規制緩和ということで国レベルの仕掛けがかみ合っていった、そんなふうな関係ではないかと見ています。

佐々木(憲)委員 ありがとうございました。

 今度の予算は、いろいろな側面があると思いますけれども、例えば国民の側からの負担という点からいいますと私はいろいろな問題が含まれているように感じておりまして、例えば所得税定率減税、半減を行った上に今度は撤廃ということでありまして、それだけでも相当な、三兆円を超える大きな増税になるわけですし、その他の税金もいろいろ上がるような形になっております。

 また、医療の負担、介護保険などの引き上げ等々、全体として、今度の予算で、家計に対する影響というのは非常に大きいと私は感じておりまして、約三兆円ぐらいではないかというふうな試算をしているんですが、これは吉野公述人に、この負担というものが経済に与える、つまり景気に及ぼす影響というものはどのように感じておられるか、その一点だけ、時間がありませんので、最後にお聞きをしたいと思います。

吉野公述人 ありがとうございます。

 短期的な面と長期的な面と両方あると思いまして、短期的には少し国民の負担がふえるということはあると思いますけれども、ずっとこの負担を低くしておくということは、やはり財政赤字をずっとふやすということになりまして、結局はそれは将来的な国民の負担あるいは次世代への負担につながるということになると思います。

 やはり一番重要なことは、短期的な負担はちょっと上がったわけですけれども、これによって経済の活性化をして、税金の負担は多いんですけれども可処分所得がふえるという形で、経済の活性化によって国民の負担は減っていくということが一番理想ではないかと私は思います。

佐々木(憲)委員 財政赤字をどう克服するかというのは確かに重要な点でありまして、ただ、税金の取り方というのは、所得税等々、家計に負担を負わせるというやり方も一つあるわけですが、政府はそれをやっておりますが、しかし、そうではなくて、例えば法人税というのは減税をしたままで、もとに戻っておりません、あるいは所得税も高額所得者の減税は続けたままでございまして、むしろ利益の上がっているところにしっかりと税金を払ってもらうということが大事ではないかと私自身は感じておりますが、もう時間がありませんので、そういう意見を持っているということだけは述べて、終わりたいと思います。

 どうもありがとうございました。

大島委員長 次に、日森文尋君。

日森委員 四人の公述人の皆さん、大変御苦労さまでございます。社民党の日森文尋と申します。

 最初に、吉野先生にお伺いしたいと思うんです。

 スウェーデンの例をお出しになって、ナショナルミニマムの定義をしっかりしよう、そのことが大事だという御指摘がありました。御承知のとおり、先ほど小川先生の話にも出ましたが、スウェーデン、高福祉・高負担という国になっていますが、しかし、国際競争力はたしか日本より上だと思うんですね、国際比較で。それで、ナショナルミニマムの定義を明確にして、そして、先生の御提起で、それを超える部分は、PPPそれからレベニュー債券、こういうものでやっていこうと。

 つまり、こういう形にちょっと財政の仕組みを変えて、地方と国の役割分担を明確にして、そしてプライマリーバランスをなるべく正常化していこう、できたら黒字にしていこうと。黒字にした金、金というか財源で、膨大な債務について解消していこうというお考えでこういう提起をなさっていたのかどうかということについてお聞きしたいと思います。

吉野公述人 御質問ありがとうございます。

 スウェーデンのお話が先ほどもございましたけれども、私も二週間前にスウェーデン人の学生に聞きましたときに、やはり高負担で高福祉と。ですから、やはり身の丈に合った、支出に対しては自分たちが負担するんだ、そういう意識があると思います。

 ところが、最初に申し上げましたように、日本の場合には、負担は少なく、そしていただくものはいただく、そういうところがあったことが、今日までのこの大きな、大量の赤字になってきたのではないかというふうに思います。ですから、そこは、我々の身の丈に合ったものを見るということはいつも考えなくてはいけないと思います。

 それから、ナショナルミニマムということをしっかりしなくちゃいけないと思いましたのは、例えば、一般道路があって、それで高速道路ができて、新幹線ができて、では、どこまでナショナルミニマムだろうかということをしっかり議論しませんと、何でも中央からの金で自分たちのところにやってもらえればいいと。例えば新幹線の場合でも、南九州を見ました場合には、その途中のところの駅の方々はかえって不便になっているわけです。その駅の方々のところは便利になっているわけです。そうすると、一般の鉄道の方がよかったんじゃないかという方々もおられるわけですから、そういう意味では、しっかり、それぞれの地元の方々も含めた形でのナショナルミニマムの議論というのは必要だと思います。

 それから、やはり私が思いますのは、短期的には、財政赤字があることは、日本の場合、貯蓄率がこれまで高かったですからどうにかもっているわけでして、それでいいと思うんですけれども、長期的にはこれはブローになってくると思います。

 ですから、そういう意味では、経済活動を活性化させるために、今までのようにすべてのものを国の金でやるのではなくて、一部は民間からの資金を入れた形で、できる事業をやっていく。そういう形で資金をミックスすることによって、これまでと同じような公共投資なり、歳出のところは削減しないでいくというやり方もあるのではないかというふうに思います。

日森委員 ありがとうございました。

 牧野先生にお伺いしたいと思うんです。

 私もまさにそのとおりだという思いでいるんですが、二極化とか格差という言葉が、ちょっと今そぐわないという感じもしているんです。もう少し具体的に、実は貧困化が進んでいるというふうに言い切ってもいいような状態があるのではないかというふうに思っています。

 国際比較をしてみても、平均の所得から下にいる人たちの数が、この間、圧倒的にふえてきていますね。これは貧困化率が高まっているというふうに言っても過言ではないと思うし、先生がおっしゃった、ほんの一握りと大多数の所得が低い方々のそういう意味での分化が進んでいる、これは貧困化のあらわれだというふうに言い切れるのじゃないかというふうに私は今思っているんです。

 それでもいいよというふうに総理はおっしゃったわけですから、何をか言わんやという気もしますが、先生がおっしゃった貧困化の背景に実は雇用の問題があるんじゃないか、非正規、正規の問題もそうですが。そういうふうにちょっと思っているんですが、この辺の関連でもう少し詳しく、雇用の問題について先生の思いのたけを語っていただけたらありがたいと思います。

牧野公述人 貧困化が進んでいるんじゃないかという御指摘、私も同じように思っています。言葉は、勤労者の多くの生活状態が前と比べて悪化していると、少しマイルドに言っただけで、先生のおっしゃるように思っております。

 本当に、雇用の問題についてはいろいろもっと詰めなきゃいけない点があると思います。雇用、つまり働くということは一体どういうことかなんということも大きな問題ではないかと思います。

 労働については、例えばアダム・スミスあたりは、骨折り、苦しみと言っていましたが、ロバート・オーウェンのグループあたりだと、楽しみ、快楽だと言っています。全然違うんですよ。これは両方ともそういうふうに一面的に決めつけること自体が問題で、働くということは、条件次第で、本当に喜びにもなるし、つまらないものにもなったりするということだと思います。

 それが今日のような、さっき、ばら売りなんて妙な言葉を使いましたけれども、ばら売りで労働力を売っても、積み上げが全然見通しが立たないわけでありますから、そういうところに労働の喜びを見出すことは非常に困難だと思います。

 だから、雇用の問題というのは、量の側面だけではなくて、働く人々が本当に、もともと労働というのは、ある目標を持ってそこに合目的的に精神、体を動かしていくのが労働ですから、そんなふうな要素がどれだけ入ってくるかということなどを考えますと、ますます、歯車人間という言葉が一時ありましたけれども、今、歯車以下人間になりつつあるというようなところがあるのではないでしょうか。

 さっき先生が御指摘になった国際競争力論、これもあるんですよ。おっしゃったように、北欧の国は競争力は高いんですよ、福祉をちゃんとやっていながら。だから、国際競争力というときに、単なるコスト競争だけではなくて、環境とか、さまざまな国のバランスや金の使い方、そういうのを全部入れて総合するとああいうことになるわけで、ああいう意味の国際競争力の高い国、つまり、品のない国というのは幾らコストが安くたってだめなんですよ。だって、皆さん方、安い、品のない国のもの、いっぱいありますよ、言いませんけれども。そんなものは買う気にならないですよ。やはり品のいい国のものだと、同じネクタイだってそっちの方がいいじゃないですか。そういう国にしましょうよ。

日森委員 ありがとうございました。

大島委員長 次に、糸川正晃君。

糸川委員 国民新党の糸川正晃でございます。

 本日は、御多忙の中、公聴会に御出席いただきまして、ありがとうございます。大変貴重な意見を聞かせていただきまして、ありがとうございます。

 午前の公聴会では、増税の時期とか増税の経済に与える影響などについて質問させていただいたわけですが、公述人の先生方が皆様大学の教授でいらっしゃるということで、教育の視点からお答えをいただければと思います。

 よい教育を受けた労働者というのは、人的資本という観点からしますと、非常に単位労働コストが抑えられて、結果、高い生産性が生まれる。結果、国の成長率を増加させて財政を改善するには、官民両サイドでの投資の拡大というものが必要になってくるのかな。また、我が国の将来を考えるのであれば、教育というものの投資は極めて重要だろうというふうに思っております。

 しかし、緊縮財政の中におきましては教育予算というものは削減される一方で、例えば教育のIT化というふうに言われていますが、学校が保有しているソフトウエア、こういう本数なんかは年々減ってきている。教育ソフトなどの教育コンテンツの購入費用は、例えば、イギリスの中学校とか日本の多くの中学校というものを比較しても、日本は大体三十分の一ぐらいになっている、こういうレベルであるわけです。ですから、教育のIT化と言われていても、予算が削減された結果、世界から大きなおくれをとっているというふうに言えると思うんですね。

 国のあらゆる分野でコンピューターが導入されてきている、効率化もどんどん進んで生産性が向上している中で、なぜ教育現場では、その流れに沿った体制がなかなか整わないのか、大変疑問に今思っているところです。

 そこで、予算削減では、日本の未来を築いてくれる人材育成というものがなかなかできない、経済の長期的な発展にはマイナスになるだろう、そういう観点から、経済と人材育成、教育の関係につきまして、各先生方それぞれの、もう最後でございますので、一人ずつ御意見を賜れればと思います。よろしくお願いします。

吉野公述人 御質問ありがとうございます。

 私もずっと教育でやっておりまして、それで、先ほどからの御議論でいきますと、正規雇用とかフリーターという話がございますが、私は慶應義塾大学で十五年間教えさせていただいておりますけれども、四分の一の学生がもう職をかえておりまして、そういう意味では、人材の流動化というのは相当進んでいると思います。

 教育に関しましては、いろいろなアジアの国々でも講義をさせていただくんですが、中国で授業をしますと、みんな一生懸命聞いてくれるんですね。ところが、慶應大学でしますと三分の一ぐらい眠っているんですね。学生にも、中国でやるとみんな一生懸命聞いてくれる、こう言うわけなんです。ですから、そういう意味では、やはり日本人の学生といいますか、子供たちから含めて、教育で我々自身が学んで、それで成長しようという意欲がおくれてきていると思うんです。

 アジアの方々は、日本人を見て、あれに追いつけ追い越せという目標があるわけです。中国人の学生の方々に、何で皆さんはそんなによく授業を聞くんだと聞きますと、我々も日本人みたいに一生懸命働いて追い越したいと言う。こういう意欲だと思います。

 それで、二十年ぐらい私はアジアの国々を回っているんですけれども、二十年前にアジアに行ったときは、絶対アジアの国民には負けないと思ったことがあります。それはまず、アジアの国が、東南アジアは特に暑いわけです。ですから、日本人が少しぐらい怠けても絶対大丈夫だろうと思ったわけです。二番目は、図書費がさっきおっしゃったように高いわけですね。ですから、図書館に行っても、いい本がないわけです。

 そういうことを見ますと日本は絶対に負けないだろうと思っていたんですが、最近は、シンガポールのマハティール首相なんかも、がんがん冷房を使えと言うわけですね。学校の中の図書館なんか非常に涼しいわけです。ですから、気候で負けるということはなくなりました。

 それから今度は、本は買えないだろうということなんですけれども、インターネットを通じて外国の文献にすぐにアクセスできるわけです。そうしますと、英語ができる香港とかシンガポール、そのほかの国々の方は、アメリカとかヨーロッパの情報にすぐアクセスできちゃうわけです。そうすると、勉強量も日本人以上にできてしまう、こういうわけです。

 私は、日本がこれから考えなくちゃいけないことは、やはり子供さん、我々みんな含めて、本当に人材しか日本はいないんだ、人が効率的になり、あるいは人の能力が高まることによって技術進歩を図れますし、やはり日本はとにかく人材でいくしかないということは認識すべきだと思います。

郷原公述人 二つの観点から申し上げたいと思います。

 一つは、小学生、中学生、高校生に対する法教育という問題です。

 法律は、今大学でしかほとんど教えていません。でも、法の基本のところ、国の仕組み、基本法の原理、憲法、民法、刑法の基本原理は何なのか、そして、企業というのは何なのか、法人は何なのか、そういうような根本的なところについては、やはり中学校、遅くとも高校までにきちんと教えておくべきだと思います。それをやっていないので、企業に入ってから、今コンプライアンス教育などといって法令豆知識の教育をしていますけれども、根本を教えることができません。まず、そういう意味で、法教育の早期化ということが必要だと思います。

 もう一つは、逆に、企業の第一線を退いた人たち、退こうとしている人たちが、企業での経験を生かして、本当のコンプライアンス、社会的要請に応じるというコンプライアンスを知るための法教育、法の基本と、そして実務との関係をきちんと理解する、そういう再教育をやっていけば、企業の現場の人たちにももっともっと大きないい影響を与えることができると思います。

 今の法に対する教育というのは、費用対効果が一番低いところに教育をしているんじゃないかという気がいたします。

 以上です。

馬居公述人 今の話については、社会科では法教育はやっているはずなんですけれども。したがって、やっていないんではなくて、現状の社会科における、そういう社会科学関係に関する教育と、実際の社会が求める教育の内容との間にずれがあるというふうに押さえていただいた方がいいと思います。

 同時に、政治家の皆さんがいらっしゃいますのであえて言いますけれども、学習指導要領の内容をだれが規定しているのか。それぞれの、かつての族議員と同じような構造が、内容の中にも正直あります。したがって、これから必要な内容は何なのかということを、あるものを捨てて、あるものを入れない限り学習指導要領はできないわけであって、単純に時間数が減ったというような極めてお粗末な議論で学力問題を論ずるようなことはやめてほしい。これが一点です。

 もう一つは、先ほどから人材という言葉が出てくるときに、親はどうやってつくるんだと。これは、私、きょう渡してありますので多分承知だと思いますが、あえて言いますけれども、皆さん方が人をつくるといったときに、人を選んだりつくるといったときに、人を生み育てる人はどうやってつくるのかということ、人材の中に入っているのか。多分入っていないと思います。だから子供が生まれないんです。言いかえれば、女に生まれた以上それはできるはずだという架空の前提で社会の仕組みがそれこそ成り立っているためにというのが一つ。

 それからもう一つは、性差にかかわりなくという前提ではありながらも、実際には、その働く人にだれかがサポートしてくれるであろうということ、言いかえると、その人もまた自分の子供を、男なら産みませんが、育てなきゃならないんだ、そのことを踏まえた人材という発想をしているのかどうかということ。そのことがなかったならば、しょせん、幾ら坂口さんが悩んだとしても、多分、厚生労働省の領域だけの話になってしまうと思います。

 したがって、経済の問題を考えるときこそ、一体その人間がどこから生まれてくるのかということ、あるいはどうやって育てるのかということをセットで考える視点を持っていただきたいと思います。

牧野公述人 大学に限ります。大学のステークホルダー、大学教育のステークホルダーはだれだろうと思いますか。本人はそうかもしれません。親は違いますね、育っても親の面倒は見ませんから。

 それはともかくとして、ずっと追っかけていくと、大学教育の、大学のステークホルダーは国民だと思います。だって、こういう混沌とした時代に、光をともしてくれる、真理を探す、それは大学ですよ。だったら、そこの費用は国がちゃんと面倒を見ることだと思うんですね。それが一点。

 それと、今、〇四年は大学問題の年と言われました。法人化された、第三者評価が入った、COEが入った、すべて〇四年です。だけれども、流れとしては、八一年から八三年の第二臨調、あそこで教育問題が出たんです。日本経済のステージが変わったから、何か少し独創的なものをつくれ、それを受けて、八四年から八七年に臨教審ができた。そこで高等教育の方針が大体できた。それを、大学審というのが八七年から〇一年の省庁再編までかかって、その後は遠山リポートが出てきて、こういう関係なんですけれども、問題は、日本経済の競争力をつけるためにはどういう人間をつくるかということでやられています。ゆがんだ大学改革が問題です。

 以上です。

糸川委員 ありがとうございました。

大島委員長 これにて公述人に対する質疑は終了いたしました。

 公述人各位の先生方におかれましては、貴重な御意見、まことにありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。(拍手)

 来る二十七日の公聴会は、午後一時から開会することとし、本日の公聴会は、これにて散会いたします。

    午後四時五十一分散会


このページのトップに戻る
衆議院
〒100-0014 東京都千代田区永田町1-7-1
電話(代表)03-3581-5111
案内図

Copyright © Shugiin All Rights Reserved.