衆議院

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第1号 平成25年4月11日(木曜日)

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平成二十五年四月十一日(木曜日)

    午前九時開議

 出席委員

   委員長 山本 有二君

   理事 伊藤 達也君 理事 岩屋  毅君

   理事 遠藤 利明君 理事 小此木八郎君

   理事 西銘恒三郎君 理事 萩生田光一君

   理事 長妻  昭君 理事 山田  宏君

   理事 石田 祝稔君

      あかま二郎君    秋元  司君

      伊藤信太郎君    池田 道孝君

      池田 佳隆君    今村 雅弘君

      岩田 和親君   うえの賢一郎君

      衛藤征士郎君    大塚 高司君

      大塚  拓君    大野敬太郎君

      奥野 信亮君    門  博文君

      金子 一義君    菅家 一郎君

      小池百合子君    清水 誠一君

      塩崎 恭久君    関  芳弘君

      渡海紀三朗君    野田  毅君

      野中  厚君    原田 義昭君

      福田 達夫君    船田  元君

      星野 剛士君    牧島かれん君

      牧原 秀樹君    三ッ林裕巳君

      宮路 和明君    武藤 貴也君

      保岡 興治君    山本 幸三君

      若宮 健嗣君    岸本 周平君

      玉木雄一郎君    辻元 清美君

      原口 一博君    前原 誠司君

      坂本祐之輔君    重徳 和彦君

      中田  宏君    中山 成彬君

      東国原英夫君    松田  学君

      浮島 智子君    佐藤 英道君

      柿沢 未途君    佐藤 正夫君

      杉本かずみ君    宮本 岳志君

      村上 史好君

    …………………………………

   公述人

   (みずほ総合研究所株式会社常務執行役員チーフエコノミスト)        高田  創君

   公述人

   (北海道大学大学院法学研究科教授)        山口 二郎君

   公述人

   (群馬大学理工学研究院教授)           片田 敏孝君

   公述人

   (大阪府教育委員会教育長)            中原  徹君

   公述人

   (慶應義塾大学経済学部准教授)          別所俊一郎君

   公述人

   (法政大学経済学部准教授)            小黒 一正君

   公述人

   (三菱UFJモルガン・スタンレー証券株式会社参与

   景気循環研究所長)    嶋中 雄二君

   公述人

   (全国労働組合総連合事務局長)          小田川義和君

   予算委員会専門員     石崎 貴俊君

    ―――――――――――――

委員の異動

四月十一日

 辞任         補欠選任

  伊藤信太郎君     福田 達夫君

  大塚 高司君     野中  厚君

  大塚  拓君     三ッ林裕巳君

  中山 泰秀君     牧島かれん君

  西川 公也君     菅家 一郎君

  船田  元君     星野 剛士君

  保岡 興治君     池田 佳隆君

  坂本祐之輔君     松田  学君

  佐藤 正夫君     杉本かずみ君

同日

 辞任         補欠選任

  池田 佳隆君     保岡 興治君

  菅家 一郎君     門  博文君

  野中  厚君     大塚 高司君

  福田 達夫君     池田 道孝君

  星野 剛士君     船田  元君

  牧島かれん君     大野敬太郎君

  三ッ林裕巳君     大塚  拓君

  松田  学君     坂本祐之輔君

  杉本かずみ君     佐藤 正夫君

同日

 辞任         補欠選任

  池田 道孝君     岩田 和親君

  大野敬太郎君     中山 泰秀君

  門  博文君     清水 誠一君

同日

 辞任         補欠選任

  岩田 和親君     武藤 貴也君

  清水 誠一君     西川 公也君

同日

 辞任         補欠選任

  武藤 貴也君     伊藤信太郎君

    ―――――――――――――

本日の公聴会で意見を聞いた案件

 平成二十五年度一般会計予算

 平成二十五年度特別会計予算

 平成二十五年度政府関係機関予算


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     ――――◇―――――

山本委員長 これより会議を開きます。

 平成二十五年度一般会計予算、平成二十五年度特別会計予算、平成二十五年度政府関係機関予算、以上三案について公聴会を開きます。

 この際、公述人各位に一言御挨拶を申し上げます。

 公述人各位におかれましては、御多用中にもかかわりませず御出席を賜りまして、まことにありがとうございました。平成二十五年度総予算に対する御意見を拝聴し、予算審議の参考にいたしたいと存じますので、どうか忌憚のない御意見をお述べいただきますようお願い申し上げます。

 御意見を賜る順序といたしましては、まず高田創公述人、次に山口二郎公述人、次に片田敏孝公述人、次に中原徹公述人の順序で、お一人二十分程度ずつ一通り御意見をお述べいただきまして、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。

 それでは、高田公述人にお願いいたします。

高田公述人 みずほ総合研究所の高田でございます。本日はどうかよろしくお願いいたします。

 私の方は、皆様方のお手元にこういう「日本経済と国債の課題」と書かせていただきましたレジュメを用意させていただいておりますので、こちらを使いまして、約二十分程度ということでお話をさせていただければと思う次第でございます。

 私の場合は、民間のシンクタンクそれから実務の世界で国債の市場を四半世紀見てまいりましたので、そんな観点から、今回、足元の状況ということをお話し申し上げたいなと思う次第でございますが、特にマーケットの観点から、グローバルも含めて、国債がどう評価されているのかという点を中心にお話をさせていただこうかと思います。

 まず、皆様方のお手元をおあけいただきますと、最初のページでございますが、十一のキーワードとさせていただいたことがございます。まあ、何を言っているんだというふうなお答えになろうかとは思いますけれども、ここにございます論点を中心といたしまして、きょうはお話をさせていただこうかと思っております。耳なれないこと、私なりの言葉もございますけれども、ある程度ここの場でお話を申し上げたいなと思う次第でございます。

 それでは、最初の論点、二ページ目のところでございます。

 実は、先週、四月の五日でございますが、日本の指標とされております十年国債、この金利が、世界の歴史始まって以来の低金利を記録いたしました。日本というよりは、世界の歴史、人類始まって以来というくらいでございます。

 一時的ではございますが、〇・三一五という水準、これがこの二ページ目のところにある水準でございまして、人類の歴史を塗りかえたというくらい。もともと日本の金利、二〇〇三年に〇・四三という状況はございました。その後、スイスあたりで若干それを上回るといいますか、実際は下回る金利水準がございましたが、この水準が先週破られた。

 足元、若干上がってはおりますが、それだけの未踏の状況になっているということでございます。

 こういう状況の中、足元の財政状況でございますが、これはもう先生方の前で申し上げるほどのことではないのかもしれません。ただ、実態面ということで、若干のおさらいをさせていただくというところが三ページ目以降の状況でございます。

 こちらの三ページ目のところにございますように、大規模な国債発行それからプライマリーバランスの赤字拡大というのが今日本の財政が抱える問題でございまして、その背景にございますのは、歳出の拡大、大規模な国債の発行の継続ということでございます。歳出の拡大が趨勢的に続く中で税収がなかなかふえていない、その結果といたしまして、プライマリーバランスの赤字というものも再び拡大するような状況になっているということでございます。

 この問題の背景には、次の四ページ目のところにございますように、日本の歳出それから税収等の問題があるということでございまして、とりわけ歳出につきましては、社会保障の関係費それから国債費というものが大きく拡大をしているというのが実態でございます。また一方で、収入、税収というところにつきましては、税収が頭打ちになっている、歳入の半分程度しか賄っていない状況になっているといったところが、この四ページ目のところの資料が示すところでございます。

 この結果と申しましょうか、日本の国債の残高でございますけれども、現在、累積的に七百五十兆円にまでなっているということでございまして、どうしても借金に大きく依存する財政構造ということになるわけでございます。この公債残高七百五十兆円の見込みというようなところ、また、今後も拡大というものが予想されているといったところが既に試算としてあらわれているということでございます。

 今申し上げました点は、歳出それから税収構造の中にあるということでございますが、これをもう一段大きな、歴史的なと申しましょうか、広目に見たらどういう問題になっているのかということを、六ページ目以降で改めて議論させていただこうかと思います。

 これだけの大きな、構造問題と言われる財政の問題、私は、ある面での一つの出発点は、九〇年代以降の大きなバブル崩壊といったところにあったのではないかと。この問題は、第二の敗戦とも言われる、資産デフレと言われるような、ここに国富というものがございますけれども、バブル崩壊後、土地だけで一千兆円、国富というものも、GDPでいう一年以上の部分が消失してしまっているという大きな転換が生じた。この九〇年代以降の構造問題と言われる点でございます。

 この構造問題でございますが、七ページ目のところにございます、よくバランスシート調整と言われる議論がございます。

 ややテクニカルな部分はございますけれども、バランスシート調整の本質は何かと申し上げますと、信用拡張期におきましては、こちらに企業、金融、非金融セクターとございますが、信用拡大におきまして、このバランスシートが両建てでどんどん大きくなってまいります。そこで、資産デフレと先ほど申し上げましたけれども、資産サイドは大きく縮小するというのがその前のページのところでございますが、負債は残ってしまうということでございます。ここに、資産と負債の大きなミスマッチが起きる。

 実は、この問題が、大変大きな、この二十年間の構造問題、失われた十年とも言われるような状況を引き起こしたというふうに考えることができようかと思っておりまして、こうした論点が、最近、グローバルにもいろいろな国々で指摘される論点でございます。

 この調整プロセスでございますが、大体、次の八ページ目のところにございます基本形をとるケースがグローバルでも多うございます。

 この八ページ目のところに概念図がございます。調整の三原則というふうに書かせていただいておりますが、先ほど申しました、要は、資産が減少しても負債が残るということ、これは当然のことながら、負債が大きい、過剰債務という現象になるわけであります。こうした状況の肩がわりをする、負担の順序でございますが、まず金融セクター、そしてそれがだんだんと国に移しかえられていくプロセス、実はこれが、この十年、二十年のプロセスだったわけでございまして、日本の場合は、このプロセスはかなり進捗いたしました。ほぼ終わっていると言ってもいいのかもしれません。

 しかしながら、三原則とございますが、そうした肩がわりした債務をどこかで償還する必要がある、これが成長戦略ということでございます。

 そして、先行きの期待をよくする。

 この三つであるわけでございますけれども、日本の場合は、この国債、過剰な債務というものを肩がわって大きくなってしまった国債、私はこれを身がわり地蔵というふうに申し上げておりますが、これが大変大きな状況になった。そのかわり、民間の債務は極めて軽くなった状態にあるという状況でございます。

 そうしたプロセスをちょっと見ていただきたいのが、次の九ページ目、十ページ目というところになるわけでございます。

 この九ページ、債務ということでございますが、民間の債務、実額で比較するわけにいきませんので、GDP対比でとらせていただいております。

 日本の場合は、八〇年代、バブル期というところでどんどん大きくなり、この結果、九〇年にピークを迎え、先ほどのグラフにもございましたけれども、そこから、失われた十年、実際には二十年近くかけて、この絵で申しますと、大体二〇〇七年ぐらいのところで一つのめどがついているというグラフでございます。

 ただ、実は、ちょうど二〇〇七年のときに、海外のバブルがはじけてしまった、アメリカ、ヨーロッパもそのくらいの時期にというところも示しているわけであります。

 ただし、先ほど申しましたように、民間セクターは随分軽くなったという一端をお示ししたもの、これが次の十ページ目のところでございます。

 これは、日米の上場企業で実質無借金の企業の比率をあらわしたものでございますが、日本は、足元で申し上げますと、約半数近く、四五%程度が実質無借金の状況にある。これはアメリカを上回るくらいでございますし、九〇年代の二割台からいたしますと、倍近いくらいまで、このくらいまで企業セクターは非常に軽くなっているという状況でございます。

 こうしたものをちょっと時系列的に見たのが、次の十一ページのところでございます。

 これは、先ほど、日本は九〇年から、アメリカ、ヨーロッパは二〇〇七年で大きなバブルの崩壊がと申しましたが、日本は九〇年、アメリカ、ヨーロッパは二〇〇七年を出発時点にして描いた、民間の債務と公的な債務を見たものでありますが、日本は一番細い線でございます。

 日本のプロセスは、民間の債務がだんだん小さくなる中で、公的なところ、私は先ほど身がわり地蔵と申し上げましたが、そちらがどんどん大きくなり、ちょうど交差したのが二〇〇三年から四年にかけてという状況でございます。そして、アメリカ、ヨーロッパもやや似たようなプロセスを踏んでいるというところもおわかりいただけるのではないかと思います。

 そうした中、十二ページ、先ほど御紹介した絵と全く同じでございますが、今の課題は何かということになりますと、先ほど申しましたように、肩がわりのプロセスは終わりました。民間は非常に軽くなりました。しかしながら、公的なところが非常に重くなってしまっている。これを、左側の成長戦略、そして先行きを改善するということの中で、どのようにしてこの身がわり地蔵を小さくしていくかという段階に入りつつあるというふうに考えることができようかと思います。

 一番理想的には、生産性の向上、例えば新しい技術ができますとかということでございますが、通常の場合、過去の歴史を振り返ってまいりますと、外需、外の景気、しかも、それを自国通貨が下がる中で対応してきているケースが大半であった。そういう中で、今の課題ということであれば、外需と、先行き期待を改善する中でも、これまでの極端な円高を回避するというところが非常に大きな課題であるということがわかるのではないかと思います。

 しかしながら、依然として残る問題は、日本がこれだけ大きな債務を抱えているという点でございますし、また、今申し上げました肩がわりというプロセスが終わったというのは、これは大変日本にとってはすばらしいことではあるわけでありますが、しかしながら、そうした状態の中で、国債市場の安定性を保てるのかというところも常に議論になっているわけであります。逆に、国債の暴落が起きるのではないかということも常にささやかれている。

 その背景を考えますと、次の十三ページのところにございますように、実は、日本の債務残高、これは、時期にはよりますけれども、世界的に見ても最悪の状況にあるということが、ギリシャのほとんど隣にあるのではないか、場合によっては大きいのではないかと言われる。これが国債の問題。また、ここ数年間で見ますと、いわゆるヨーロッパの債務国、PIIGSなんて言われることがございますが、そうした国々よりも大きいではないかと言われることがございます。

 しかしながら、ギリシャを含めてヨーロッパの債務国の国債市場が暴落したにもかかわらず、日本の金利が史上最低というのはどうしてなのかということを考えますと、次の十四ページのところにございますように、日本の場合は、経常収支は黒字であるというところ。実は、これまでの債務国と言われておりますのは、右側のところにございますように、いわゆる経常収支の赤字国であったというふうに考えることができるわけであります。

 こうした状況をとりまして、私は、この十年間ぐらい使っております例えがございます。これが、次の十五ページのところにあります。

 日本の構造というのは、日本の家としては借金がない。これは、経常収支が黒字であるということであります。しかしながら、日本の家の中で、お父さんがお母さんから借りていて、お母さんがさすがに不安になってきた、私は家から出ていきましょうかというのがキャピタルフライト、資本逃避ということになるわけでございます。

 その中には、要は信頼というものが必要である。国債は、ある面では、時間を確保できる特権ではあるわけでありますが、どこかではと。家の中でも信頼関係というものが重要である。また一方で、そもそも、日本の家といっていられるためには、経常収支が黒字である必要というものが生じている。

 そうなってまいりますと、次の十六ページ。

 今後国債は暴落するのかというところは、そもそもが経常収支の黒字を保てるのか。また一方で、その中でも家の中での信頼関係を保つことができるのかということでいえば、私は、今、そうはいっても市場参加者がまだ信頼をしているのには、ここにあります暗黙の信認の三条件というものがあるのではないかと。

 すなわち、どこかでは成長ができ、そうするところになれば租税高権を発揮できる、そしてその中の決断を下せるというふうなことを暗黙裏にまだ市場参加者は信頼をしている。逆に言えば、こうした信頼感というものが毀損すれば、日本の今の状況は維持できないというふうに考えることもできるわけであります。

 そういうふうに考えてまいりますと、まとめれば、ここにあります成長と財政規律ということになろうかと思いますが、今いろいろ議論されているこうした問題は、全て国債の問題に通じるというふうに考えることもできるのではないかと思います。

 そういう意味では、今の論点とすれば、十七ページのところに書かせていただいております、いわゆる成長それから財政、金融というようなもの、こういうものを、段階的な状況の中で、ここでは概念図を描かせていただいておりますけれども、いかに、単に財政金融政策だけではなく、成長につなげる、しかもそれを持続的にできるのかといった論点が非常に重要な局面になっているというふうに考えることもできましょう。

 また、次の十八ページ目のところでございますが、これも先ほど御紹介申し上げたものでございます。

 先ほど申しましたように、今、身がわり地蔵となった国債は大変な残高でございます。これをいかに安定的に出口のところまで持っていくことができるのかということを考えた場合には、財政規律を保ちながらも、外需というようなところ、そしてまた同時に、国債市場の安定化を図るための対応、これは金融政策というようなものとも一体化をしている。そういう意味でいえば、先週、国債への大きな関与というようなことも、こういう枠組みの中にあると考えることもできるのではないかと思います。

 十九ページ目以降でございますが、日本は、この二十年間、大変な危機状況でございましたけれども、しかしながら、この十九ページ目のところで振り返らせていただければ、日本というものは危機対応をずっと繰り返してきた。ある面では、大きな危機対応の先進国というふうに考えることもできるのではないかと私は思います。

 そういう中、二十ページ目のところでございますが、先ほどから国債の問題を申し上げておりますけれども、一方で、日本というものは、国債、金融の資金力という面も含めて、いろいろなものを持っている国なんではないか。ここには、適応、技術力、きずな、そして金融の資金力とございますが、これだけ大きな調達ができるというのも日本の大変な国力でございます。今、これだけの、十兆円規模で、しかも低金利で調達をできる国というのは、世界じゅう探しても、日本ぐらいかもしれません。

 こうしたものを、いかに安定的に対応できるかということの重要性。二十一ページ目のところは、今申しました点の、技術という点を挙げておりますが、研究開発費、これまで非常に高い水準を保っておりました。

 しかしながら、同時に、金融力ということで考えますと、二十二ページ目のところにありますように、日本の国債というものはグローバルな市場でも試されているわけであります。私は、こうした状況をソブリンワールドカップというふうに言うことがございますけれども、要は、欧州の国々は、その闘いの中ではなかなか難しかった。その中で生き残っているというのは、こうした市場の中での評価、ここでは格付それから市場評価ということで、CDSというデリバティブのところでの評価がございますけれども、こうしたところもやはり目配りをする必要があるだろうということでございます。

 最後になりますけれども、二十三ページ、二十四ページ、若干のまとめをさせていただければと思います。

 先ほどから申し上げておりますように、日本の国債の調達力は大変重要な国力でございます。まさに、先ほど申しましたソブリンワールドカップと言われるような、その中で生き残っているというのは、ある面では、経常収支、そしてその中での信頼、財政規律というようなことにあるわけでございます。

 こうしたところをとりあえず日本は調整してきたわけでありますけれども、今後、その持続性といったところが試されているという、まさに政策というものが問われているということになるわけでございます。

 また、最後のページでございますけれども、こうしたところに対応しながら、これまでの、脱失われた二十年、悲観というようなものを、いかに自分たち、日本は持っているものとして対応できる、まさに、今でしょというようなことが問われている局面ではないかということで、私のまとめとさせていただければと思います。

 どうもありがとうございました。御指導のほどよろしくお願いいたします。(拍手)

山本委員長 ありがとうございました。

 次に、山口公述人にお願いいたします。

山口公述人 おはようございます。北海道大学の山口です。

 こういう機会を与えていただきまして、大変ありがとうございます。時間が少ないので、基本的な理念、それから大枠の話を幾つかいたしたいと思います。

 やはり、予算というものの目的を考えますと、その最大の目的は人間の尊厳を守ることだと私は考えます。

 その理念に照らしてみて、日本の現状はどうか。東日本大震災から二年経過しまして、いまだに原発事故の被災者の皆さんが事実上難民化している、そういう方が二十万人とも三十万人とも言われている現実があります。その人たちの人権、人間の尊厳を守るという役割を今の政府が本当に果たしているのかという点について、大変大きな危機感を覚えます。

 お配りした資料の図の一に絵があります。これは、ギリシャ神話のプロクルステスのベッドというイラストであります。

 この話は、要するに、ギリシャの山の中で旅人をつかまえてきて、狭いベッドにくくりつけて、ベッドからはみ出す足、手をちょん切るという大変残虐な追い剥ぎの話であります。この刀を振り上げているのがプロクルステスです。

 この寓話の意味は、人間というものは、自分の既に持っている手持ちの枠組みあるいは資源に合わせて問題を裁断する、虚心坦懐に問題を認識することは難しいという意味であります。

 例えて申しますと、この狭いベッドに相当するのが法律の制約、予算の限界、くくりつけられている旅人は原発事故の被災者、そして、刀を振りおろそうとしているのが為政者かもしれません。

 日本の政治全体でプロクルステスのベッドというような病理がないかどうか、ぜひとも皆様方にしっかりと御検討いただきたいというのが最初のメッセージであります。

 世の中はいわゆるアベノミクスがもたらした好景気に沸いておりますが、私には既視感があります。いわゆるアベノミクスには、トリクルダウン、つまり、経済の一番上の方を刺激してそこにお金を回せば、富がだんだん下の方に滴り落ちるであろう、トリクルダウンするであろうという前提があると思われます。

 しかしながら、そのような政策は、既に十年前、いわゆる小泉構造改革のもとで実行されたわけであります。そして、トリクルダウンが起こらなかったということは歴史的な事実が証明しております。

 図の三にグラフを出しておりますけれども、二〇〇〇年代、企業の収益は大幅に向上いたしました。しかしながら、賃金は低下いたしました。結局、会社がもうかっても賃金はふえない、いや、もっとありていに言えば、雇用の規制緩和等々を行って、賃金を減らすことによって企業がもうかるという経済の構造をつくってしまった。

 この時代にできたさまざまな法制度、税制等の仕組みは基本的には変わっていないわけでありまして、今回の好景気というものが本当に社会の隅々に恩恵を及ぼすのかという点について、私は懐疑的にならざるを得ません。

 またしてもバブルを起こすだけではないか、あるいは、市中の金融機関にいっぱいお金を流し込んでも、そのお金が生きた目的に使われず、土地や石油等の物資に対する投機という形で終わるのではないか、こういう懸念を持っております。

 まさに政治こそ、お金を生きた形で使うという大きな仕事を持っているわけであります。

 そこで、二つ目の論点であります、お金をどう使うかということについて、基本的な枠組み、理念についてお話をしたいと思います。

 私は、別に民主党の肩を持つわけではありませんが、やはり人への投資が今の日本にとっては最も重要な課題であると考えております。もちろん、今の予算の中でもそういう方向性を暗示するものはあるとは思いますけれども、やはり、イノベーションを起こすにも、人の能力を高めるということが何よりも重要であります。

 まず、アベノミクスで、ともかくお金をどんどん社会にあるいは市場に投入するということなんですけれども、そのお金が本当に、実際に生活をしている人々、なかんずく、いわゆる弱者あるいは地方に回るのかという点について疑問があります。

 例えば、地方公務員給与の削減という目的で、地方交付税の削減という方向が打ち出されました。

 多くの自治体は、既にもう大変な財政難でありまして、国から言われなくても、公務員給与の削減を数年続けてまいりました。それにさらに追い打ちをかけるということになりますと、地方自治体の財政運営は極めて困難となります。基本的な行政サービスを持続していくことさえおぼつかないというような問題が、特に地方の弱小自治体において生じているわけであります。

 あるいは、生活保護基準の引き下げということも今回打ち出されております。

 いわゆる不正受給というものが全体の中で占める割合というのはほんのわずかでありまして、むしろ、日本の場合は、生活保護基準以下の収入、所得しかない人のうち実際に生活保護をもらえる人、いわゆる捕捉率が極めて低く、学者によっていろいろ試算はありますが、二〇%台と言われております。

 ですから、生活保護を実際にもらっている人は貧困者のごく一部であり、その中のほんの一部がいわゆる不正受給なる問題を引き起こしているということでありまして、針小棒大に不正受給を取り上げて制度全体を攻撃するということは間違っていると私は考えます。

 格差というものは、社会の健全性をむしばむものであります。

 世間では、平等という議論を殊さらにゆがめるために結果の平等を追求する一部の変な人たちがいるというような議論をする人がいますけれども、結果の平等などを政策目標として掲げたなんということは、いまだかつてないと思います、一部の政党はあったかもしれませんが。普通に政策を議論している論者あるいは政党でもって、完全な結果の平等をもたらすなんということを言った人は多分いないと思います。

 問題は、機会の均等をいかに確保するか。ほっておいたら機会の均等を確保できるというのんきな時代ではない。政策的にある種の介入を行うことによってようやっと機会の均等も確保できる時代に入ったということであります。

 お配りした資料の図の四にありますように、先ほど申し上げた、企業が大変な高収益を上げていた二〇〇〇年代、右肩上がりで相対的貧困率は上昇しております。すなわち、働く人たちに分配されていない、低賃金労働がふえるということで、日本は貧困大国になってしまった。OECDの中では、いわゆる先進国の中で、アメリカに次ぐ貧困大国になってしまったわけであります。

 そのような問題に対して、きちんと対応するという方向とは逆の方向を今向いているのではないかという懸念を私は持つわけであります。

 働く人間の生活をいかに向上させるかというテーマについて、安倍総理は、経済界の首脳に賃金引き上げを要請しました。そして、一部の超優良企業では、春の労使交渉で、一時金の引き上げという形で富を分配するということが行われつつあります。しかし、これはまことに変な話でありまして、賃金交渉は労使交渉でやるお話であります。

 政治の力で賃金を上げる方法は何か。一番簡単な方法は、最低賃金の引き上げであります。

 世間では、最低賃金で所定時間働いても生活保護基準に行かないという議論でもって、生活保護の方を下げるという議論がありますが、これはまことに倒錯した話でありまして、普通に働けば最低限度の生活ができる程度の最低賃金制度をつくるということが王道であります。

 そして、賃金上昇分は価格に転嫁する。下請であれば発注元の大企業がちゃんとそれを負担する、小売であれば一般消費者がそれを負担する、そして、ディーセントな人間らしい働き方を国民全体で支えるという方向を目指すべきではないでしょうか。

 もう一つ、最近大変気になりますのは、教育や医療という人間の生命あるいは生活そのものを支えるサービスが、希少財、すなわち、お金に余裕のある人にのみ許されるぜいたくな財に変わりつつあるという問題であります。

 資料二で朝日新聞の記事を引用しておりますが、親の経済力によってその子供の教育機会が大きく影響される、いわゆる教育格差の問題が存在しているということは既に常識に属することとなっておりますが、もっと大きな問題は、そのような格差について、やむを得ない、あるいは当然だと容認する人間が大幅にふえているという点であります。これはまさに、社会正義にもとる現象であります。

 昨日は、この予算委員会で教育をめぐる議論がありました。若い人、子供たちに、日本に生まれてよかったと思えるような教育をせよという主張をされた方もいらっしゃいました。

 私は、これに対して、あえて反論を申し上げたいと思います。これは精神論ではありません。

 たまたま貧しい家庭に生まれたがゆえに、志途中で学業を中断せざるを得ない状況に追い込まれ、かつ、そのことに対して当然であると大半の人が言うような社会において、一体、若者が、どうしてこの国に生まれてよかったと思えるでしょうか。

 まさに、国会議員の皆さんは、大変大きな権限、権力を持っておられます。それは、この国に生まれた全ての人間がその能力と意欲に応じて、思う存分勉強し、社会に貢献できる人間として育てるような環境、条件を整備する力であります。そして、予算こそ、そのための最大の武器であります。そのことを基準に据えて予算のあり方についてしっかりと考えて議論をしていただきたいと、教育の世界の片隅にいる人間として心からお願いをいたします。

 そしてもう一つ、人への投資という観点からいきますと、社会保障制度をいかに持続可能にするかという大きな問いについて、今年度の予算は、どのような方向性、答えを出しているのかという点で、メッセージを感じないわけであります。

 昨年、前政権の末期に、主要な政党の合意によって、税・社会保障一体改革の大枠が決められました。私は、このことについては、政治家の方々が責任を果たしたということで大変高い敬意を持って評価しております。

 しかしながら、来年の四月から消費税率が上がるということだけ決まっているわけですが、国民の負担をふやすことによってこれからの社会保障制度をどのように整備し、持続可能なものにしていくのかという点については、残念ながら展望が見えていないわけであります。この点についても、この予算の中でしっかりと議論をしていただきたいというふうに思うわけであります。

 地方の観点から、この予算について一言申し上げたいことがあります。それは、国と地方の関係に関する、いわば政策の逆行とでもいうべき現象であります。

 今回、一括交付金を基本的に廃止するという方向が打ち出されております。ちょっと学者っぽい議論で恐縮ですが、お配りした資料の二ページ目の図の二をごらんください。

 もともと、長い間、自民党政権というものは、地方に寛大であった、弱者に優しかった、ある種の平等社会をつくったという功績があります。そのことを私は、リスクの社会化、つまり、貧困とか自然災害といったリスクを国全体の問題としてカバーしていく方向性として捉えております。

 しかしながら、そのようなリスクを処理する手法について、日本では、西欧の福祉国家のような、普遍的な、包括的な、あるいは制度化された形での仕組みではなくて、権限、財源を持った官僚のさじかげん、裁量によって、その都度、特定の地域や特定の集団に対して補助金をつける、保護、規制を行うといった形で対応してきたわけであります。特に、公共事業系の官庁がずっと握り込んできた事業別補助金というものは、裁量型の、リスクの社会化の最も典型的な例でありました。

 そのことは、もちろん、地元からあるいは業界から陳情をもらって、そして中央省庁につないで地元にいろいろな利益を還元するという意味での政治家の仕事をふやしたという面はありますが、しかし同時に、さまざまな無駄を生む。つまり、地域の政策的な需要と行政の側からの政策の供給との間に大きなミスマッチを生んだという無駄をもたらしましたし、それから、地方の自立という点から見ても非常に大きな障害となったわけであります。

 やはり、地域のことは地域の住民で議論をして政策の優先順位を決めるということが民主主義の基本であります。その意味で、またしても中央省庁の官僚の裁量的世界に財源を戻して、そして、お金をもらうのに、一々陳情に行って頭を下げて、そして使い勝手の悪い事業別補助金をもらって地域で仕事をするというような、極めてコストの高い、あるいは集権的な仕組みに戻すということについては、私は非常に大きな疑問を感じるわけであります。

 最後に、最近何かと話題になっておりますTPPの問題について一言だけ申し上げて、終わりにいたしたいと思います。

 北海道に住んでおりますと、やはり農業というのは大変重要なものだということがよくわかるわけであります。経営規模が百ヘクタールになんなんとするような、日本で最も大きな規模で農業をしている北海道東部の十勝地方の農家でさえ、聖域なき関税撤廃ということを言われたらもうやっていけないと悲鳴を上げているわけですね。規模拡大、効率化、競争力などというのは、東京の人たちが言う、いわば絵そらごとであると私は思います。

 要するに、何でもかんでも自由にする、そうすると値段が安くなる、そうすると消費者が喜ぶという単純な図式がありますが、人間の生活は消費だけで成り立っているわけではありません。私たちは、生産、供給に従事して、労働力を売って、その対価として報酬を得て、そのお金で消費をするわけであります。消費だけで生活ができるわけではありません。

 生産、供給の世界において、ある種の秩序を保って、一生懸命、週四十時間ないしプラスアルファの時間働いたら生活に困らないだけの賃金を得られる、そういう生産、供給の秩序を守らなければ消費も生まれてこないわけであります。

 そういう意味で、私は、TPPの問題に関しては、やはり地方の視点というものをしっかりと踏まえる。それから、生活者という言葉を安易に消費者と同一視するのではなくて、生産、供給に携わるという側面と、それから、なるべく安くてよい物を選ぶ、買うという消費者の側面と、車の両輪として生活という言葉のイメージを捉えていく必要があるということを申し上げたいと思います。

 いずれにいたしましても、長い停滞の中で、日本の民心というのはかなり悲観に暮れてきた。だからこそ、今、アベノミクスというきっかけで、何か明るい光を持ちたいという願望が噴出しているところだろうと思います。

 しかしながら、安易な解決策、これさえあれば全部うまくいくというような万能薬はないわけでありまして、やはり、日本を立て直すためには、この国に生きる人々、なかんずく、これからを担う若い世代の人々が、しっかりと勉強をし、力をつけ、そして社会に参画していく意欲を持つ。

 我々、上の世代の人間は、そういう人々のためにしっかりと道筋をつける。精神論ではなくて、具体的に、勉強して仕事をしていくために必要な投資をきちんと行っていく。そういう責任、役割というものを我々の世代として果たしていかなければならないと思います。

 そのような観点で、国会においてもしっかりと予算、財政の議論を深めていただきたいということをお願いして、私の話は終わりといたします。

 ありがとうございました。(拍手)

山本委員長 ありがとうございました。

 次に、片田公述人にお願いいたします。

片田公述人 群馬大学の片田と申します。

 私の専門分野は、防災、減災対策及び防災教育というような分野で仕事をしておりまして、東日本大震災におきましても、特に防災教育というような観点から、子供たちに生き抜く力を与えたいというようなことで、長年にわたって、防災教育、事前の防災教育に取り組んできたという立場にあります。

 そのような観点から、きょうは、この防災のお話をさせていただきたいというふうに思っております。

 今申し上げましたように、私は、防災、減災対策及び防災教育というような分野で仕事をしているわけなんですが、今回の東日本大震災を見たときに、その関連死まで含めると二万人以上の方が亡くなる。本当に、防災研究者としては痛恨のきわみでありますし、情けないという思いで、今、この悔しい思いを何とか、来るべき南海トラフの大津波等々で生かし、一人の犠牲者も出さないような国土形成、国づくりということに対して、できる範囲での努力をしているという立場でございます。

 こういう取り組みをしている中で、今の防災、そして減災、こういった分野において、幾つかの問題点、方向性において私なりの意見を持っております。この点、二点ほどお話をさせていただこうというふうに思っております。

 まず、私が防災の観点において大変重要だと思っていることは、もちろんこの災害大国日本でありますので、時に、あの東日本大震災のようなことは、物理現象として起こってしまいます。しかし、そうであっても、国民の命を、一人も死なせない、特に子供たちに生き抜く力を与えて、犠牲者を出さないような国土づくりというものは絶対に必要なんだ、そういう思いでおります。

 そういう観点において、今、国土強靱化論というものが出されているわけなんですが、その中において、ぜひ、その概念の中に含まれているのかもしれませんが、国土強靱化の前に国民強靱化、これが必要なんだということを非常に強く思っております。

 といいますのは、この三・一一東日本大震災以前の状態を思い起こしてみてください。例えば、宮城県沖地震は、向こう三十年の間に九九%の確率で起こる、つまり絶対起こると言われていたわけですね。であるにもかかわらず、避難勧告を出そうが、津波警報を出そうが、国民は逃げない、こういう状態に置かれていたわけです。そのままそのときを迎えれば何が起こるのか、ある意味、これはもう明確なことでありました。

 そして、そのような大人たちの背中を見た子供たち。子供たちは、避難勧告が出ても逃げようとしなかった。ある学校で、どうして君は逃げないのと聞いたら、だってお父さんも逃げないもん、おじいちゃんも逃げないもん、こう言っているわけです。

 このままあの子たちが大きくなり、そしてそのときを迎えたとするならば、必ずや命を落とす危険に、その状況に置かれているんだ、そう思ったときに、私は防災教育の必要性というのを非常に強く認識し、防災教育の現場に入っていったということなわけです。

 今このような状況の中で、なぜ、このように国民は逃げなくなってしまったのか、もしくは、防災というと行政がやるものなんだというようなことで行政依存意識を高めてしまったのか、そして、ある意味、国民自身が災害に対して脆弱になってしまったのか。ここの部分を改善しない限り、今の防災、幾らハードを行っても、それを超える部分において、必ずや国民は自分自身で命を守らなきゃいけない部分を残しておりますので、もちろんハード対策も重要、しかし、それを超える部分が必ずあることにおいては、その部分は国民自身が強靱化していかなきゃいけない、こういう必要性を感じているわけです。

 なぜこのような国民になってしまったのかということを考えてみますと、これまで日本の防災というのは、災害対策基本法において、国、都道府県、市町村、これが三条、四条、五条で規定されているわけなんですが、国民の命を守る責務は国にあるんだ、都道府県にあるんだ、市町村にあるんだ、つまり行政にあるんだ、そういう体制の中で、行政主導、そしてハード主導で進められてきたというのがこれまでの経緯だったと思います。

 この災害対策基本法は、昭和三十四年に伊勢湾台風がありましたけれども、これを契機につくられたわけなんですが、当時、毎年のように、日本というのは数千人規模で災害犠牲者が出ておりました。何でこんなに災害犠牲者が出るかといえば、それは、先進国にふさわしい最低限のハード、防災対策ができていなかったからです。

 それに対して、国、行政が主導して防災対策をやる、ハード中心になるわけなんですが、決定的に不足していたわけですからそれをやってきたわけなんですが、そうしたところ、災害犠牲者は、数千人オーダーから百人ぐらいまで、ずっと、毎年のように落ちてきました。そして、阪神・淡路大震災と三・一一東日本大震災を除けば、毎年百人ぐらいになってしまったという状況の中で、確かに功を奏してきた。ここにおいて、私は、防災におけるハード対策の必要性というのは重要であり、それを否定するものではない、そういう基本的な考え方を持っております。

 しかしながら、このレベルが、非常に高いレベルで防災を進めてきたがゆえに、これは明らかにソーシャルウエルフェアの向上につながったということにおいてよかったわけなんですが、一方で、大きな問題をもたらしました。

 それは何かというと、例えば治水を例にとりますと、百年確率、つまり百年に一回あるかないかの大雨でも災害が起こらないようなハード対策をする。そうしますと、国民は、おおむね平均的には百年に一回あるやなしやの災害のレベルで災害をこうむることになるんですが、これは、一人一人の一生の間に一回あるやなしやの期間、もしくは、世代でいうと、二十五歳で第一子が生まれると考えると四世代ぐらいになりますから、ひいおじいちゃんの時代にあったらしいよぐらいのレベルまで災害というのはなくなっていったんですね。

 これは大変いいことなんです。だけれども、考えてみてください。そこまでのレベルでハードをやったことによって、いわばそこで守られる以下の、いわゆるちまちました災害といいますのが、小さな災害が、確かに高頻度にあった災害なんですけれども、これが全部取り払われた。それによって、国民はいつしか、防災というのは行政がやり、ハードに守られ、自分はもう災害なんかに遭わないんだ、ひいおじいちゃんの時代にあったらしいよのレベルで聞いて、それはもう自分には関係ないことなんだ、こういう意識を持ち始めてきたわけですね。

 そして、結果として何が起こったかというと、防災は誰がやるの、行政。危ないところに堤防をつくってくれるのは誰、行政。危ないところを情報で教えてくれるのは誰、ハザードマップ、これをつくるのは行政ですから、これも行政。危ないときに逃げろと教えてくれるのは誰、これも行政。あなたの命を守っているのは誰、これも行政。大体こういうことになっていってしまい、全部、国民一人一人が自分の命を守るということに対する基本的な認識をなくしてしまった、こういう状況があるわけです。

 しかしながら、もちろん高い安全を保持することはいいことなんですが、ここで重要なポイントになるのは、人為的に高める安全は、ヒューマンファクター、つまり人間側の脆弱性を高めるということです。過保護な親のもとにひ弱な子供が育つ、全く同じ構造になっているわけです。そして、今は避難勧告が出ても逃げやしない、こういう状況の中で、どうして逃げなかったのと聞くと、だって避難勧告がなかったじゃないか。国民は、これほどまでに自分の命を守るという基本的な力をなくしております。

 私は、国土強靱化、その概念の中に国民強靱化という概念が大きく含まれていると信じております。そして、そのためには、子供たちに対する防災教育、そして災害に向かい合う、もともと災害大国日本ですから、それに向かい合う強靱な国民であるよう国民を誘導していくのが政治の役割ではないのかというふうに私は思うわけです。そういった意味におきまして、防災教育の重要性は殊のほか大きいというふうに思っております。

 この防災教育につきましては、私は、冒頭申し上げましたように、子供たちに、ここは昔から津波が来るんだけれども、君、ちゃんと逃げるか、こう聞いたときに、逃げないと。その逃げない理由が、お父さんも逃げない、おじいちゃんも逃げないからだ、こう言っている。この状態を見たときに、今、もちろん子供たちに対する防災教育も重要ですが、大人たちに対する防災教育も含めて、三・一一の東日本大震災を受けた我が国だからこそ、今後に向けて、国民が災害に未来永劫向かい合って、強い国民であるよう誘導していくことが重要だろうと思いますし、そのために必要な手だてとしての防災教育の重要性を改めて御指摘しておきたいというふうに思うわけです。

 防災教育は、教室座学として先生が子供に教えている、こういうイメージをしがちなんですが、こんな狭い範囲で考えていただきたくないんですね。

 考えてみてください。十年間防災教育を継続する、もしくは三・一一のあの悔しい思い、あの無念の思いを十年間頑張って維持して子供たちに教育を続けたとしますと、小学校六年生、十二歳は二十二歳になります。十五歳、中学校三年生は二十五歳。つまり、悉皆性を持って日本国民をつくるプロジェクトなんだ、こう考えるべきだろうというふうに思うわけです。これが十年間のタームで考えられることですね。

 もう十年考えてみましょう。彼らは三十二歳、三十五歳。ぼちぼちお父さん、お母さんになります。そして、真っ当な防災意識を持った、もしくは自然にちゃんと向かい合える、自分の命をしっかり自分で守れるようなそのお父さん、お母さんのもとで子供が育てば、当然子供はそういう子供に育ちます。

 つまり、十年で国民をつくるプロジェクト、そして、もう十年で文化をつくるプロジェクトなんだ、こう考えていただきたい。そう考えていただくときに、この防災教育の重要性というものを改めて強く認識していただきたいなというふうに思うわけです。

 そのために、私は文部科学省の中央教育審議会の委員ですとか防災教育に関する有識者の会議に委員として出させていただきました。そこで申し上げたことは、ぜひ先生方に防災の教育ができるような素養をつけていただく。そのためには、これはもう、日本国民、この災害大国日本に住む以上は皆が皆持っていなければいけない知識ですし、姿勢ですので、教員の養成課程の中に、ぜひ防災の科目というものを必須条件にしていただきたいというふうに思うわけです。

 加えて言うならば、学校教育の中に、今、理科教育等々が、どんどん時間がなくなってしまいまして、私も大学入試をやっておりますけれども、地学で受けてくる学生なんか、もうほとんどゼロです。自然に向かい合うというこんな大事な科目、これは日本であるからこそ本当に重要な科目だと思うんですけれども、もうほとんど受験は物理、化学。それも大事なんですけれども、でも、こんな災害大国にありながら地学教育がこんなにもないがしろにされているということに対して、私は非常に大きな危機感を持っております。

 そして、地球の営み、自然との向かい合い方、そして助け合い、きずな、この防災の概念の中に含まれるものを全部統合したような、防災というような科目をぜひ学校教育科目の中に新たに創設すべきじゃないのかというような発言をさせていただきました。

 この観点については、国民を強くすることにおいて大変重要な骨格となることであろうと思いますので、ぜひ、今後において御検討いただければというふうに思っております。

 そして、次は、最近の取り組みの中で痛切に感じていることをもう一点申し上げたいと思います。

 防災の基本原則はどこにあるべきか。一義的に、一番重要なことは何かというと、災害ごときで人が死なない、国民が死なない国土、国民をつくり上げていくことだろうというふうに私は考えております。

 我が国は、阪神・淡路大震災を経て、防災に対する国民意識は非常に高まりました。そして、阪神・淡路大震災を契機に、日本の防災そのものが国民レベルでも非常に底上げがされたと思います。ボランティア元年とも言われました。

 今回も、被災地に行きますと、本当に多くの国民が、精いっぱいの努力をもって、被災地をお助けしたいという意識の中で、誠心誠意、日本国全体が被災地を助けようとしております。本当に、この文化ができたのは阪神・淡路大震災以降のことだと思います。

 しかし、それであっても、僕は、日本の防災はこの間間違ってきたんじゃないのかと思っております。それは、何が間違いだったのかということなんですが、阪神・淡路大震災以降、よくなった防災というのは何かというと、生き残った人たちを助ける防災、ここに重きがあったように思うんです。もちろん重要です。

 今回も、三・一一の後、私は、三日後ですか、現地に入りました。私の目の前には、家をなくし、家族を亡くし、そして家族の行方がわからないという状況の中で、不安に駆られ、苦しんでおられる被災者の方々がたくさんおられました。

 当然です。誠心誠意、精いっぱい、自分のできる限りの支援をもって、彼らにできることをやってあげたいというふうに私は思いました。これは人であれば当たり前の心理であって、それをやることは当然のことで、それを否定するものでも何でもありません。

 しかし、ここで考えなきゃいけないことがあると思うんです。

 今回は、関連死も含めるならば、約二万人の方が亡くなったんですね。誰が一番悔しい思いをしているのか。これは言うまでもなく、この亡くなった二万人の方々です。しかし、我々が現場に入りますと、彼らは我々に物を言うことはできない。そして、遺体がありそうな現場というのは、もうロープが張られて、警察や消防や自衛隊の方々がひっそり遺体処理をしてくださる。この御遺体というのは、無念の塊であるところの御遺体です。

 そして、我々の目の前にいるのは、生き残って今を苦しむ方々。ここを支援するのは当たり前です。これを否定するものではないんです。これは重要な防災です。

 しかし、防災は、人が死なないということ、国民を災害ごときで死なせない、そのために国民に力をつける、こういうことも僕は大変重要なことなんだろうと思いますし、防災は、まずは国民を死なせないということに特化していただくことが重要ではないのかというふうに考えるわけです。

 例えば、これは否定するものではないんですけれども、あの三・一一の後、帰宅困難者問題というのがさんざん議論されました。重要な問題です。あれほどの混乱を招いたわけですから、重要な問題です。

 でも、考えてみてください。この問題は三日すれば解決します。生きているんですね。そして、帰れないといって大混乱をもたらしている。これは大きな大きな問題であり、だけれども、これは防災の問題かというとそうではなくて、都市交通の災害時対応の問題で、都市交通部局が頑張ればいい問題だと思うんです。平常モードの仕事、災害モードの仕事がある、それを都市部局がやればいい問題だと思うんです。

 私は、防災の一義的な目的は、やはり国民が災害ごときで死なない、そして自分の命を守るということに対して主体性を持ち、何かにつけ行政依存の状態から脱し、自分の力でちゃんと行動がとれるような子供たちを育て、そして国民にしていく、こういうプロセスこそが今日本の防災に求められていることなんだろうと思います。

 私が十年前から取り組んできました釜石におきましては、釜石の子供たちは懸命に避難しました。そして、自分が避難するだけではなくて、保育園の子供を抱きかかえ、おじいさん、おばあさんに手をかし、そして、逃げようとしない大人たちを、一生懸命、泣きながら説得して、避難をしてくれました。それであっても子供たち全員の命は守れなかったわけなんですが、でも、釜石の子供たちの一生懸命とってくれた行動は、釜石の奇跡として全国に紹介されるところとなりました。

 今、私のところには、特に高知県や徳島県や和歌山県や三重県や、これから津波が危ないと言われている、道東なども含めてなんですが、防災指導の依頼が毎日五件も六件も来ます。もう対応できません。きょうもこの後、高知県の黒潮町、三十四メートルと言われているあの黒潮町の町長さんにお会いします。また、高知県の防災担当にもきょうお会いします。

 こうやって、私のできる限りのことはやっておりますけれども、今まさに、災害に向かい合う主体的な姿勢をどう国民につけていくのかというのは、これはもう防災教育以外あり得ない。そして、やはり国家は人だと思います。十年、二十年という長い教育の中で、子供たちに生き抜く力を与え、国民をつくり上げ、そして、お父さん、お母さんになり、文化として育て上げていく。こんなところに施策としての重点をぜひ置いていただきたいというふうに思います。

 もちろん、ハード対策も私は重要だと思っております。ハードのレベルというのは、ある意味国力のレベルだと思います。そこまでは物理的に災害を排除してくれるということにおいて、これは何ら悪いことではないと思うんです。

 ただ、私が強調したいのは、ハードですとか人為的につくり上げていく安全というのが、必ずや人間側の脆弱性をつくり上げていくんだということ、このバランスをどうとるのかということ、ここをぜひ先生方には御理解いただき、ハード対策をやればやるほど、ソフト対策、人間側の脆弱性をどうリカバーしていくのかということに対しての特段の御配慮をいただきたいというふうに思うわけです。

 そして、岩をどれだけ高く、堤防を高くしても、それを越える津波、それを越える洪水はあり得ます。高ければ高いほど、確かに安全度は高まる。しかし、それを越えるものが起こったときに、一網打尽のように死んでいくような脆弱性を高めることでもあるということ。それを理解していただいたときに、やはり最後、我々国民自身が、一人一人が自分の命を守るということ、ここに対する主体的な姿勢をしっかり持つ、これはもう教育以外あり得ないというふうに思っています。

 この教育をもって、ぜひ日本国を真の意味で強靱化していきたいと私自身は思っておりますし、私は一介の研究者ですので、できることには限界があります。しかし、私のできる限りの対策をもって、今でも全国各地を飛び回っているんですが、これからも続けていきたいというふうに思っております。

 ぜひ、この国会の場の先生方には、国土強靱化とは何なのか、もちろんハードも重要、でも一方で、それに応じたソフト、つまり国民強靱化が重要なんだということを、この観点をぜひお持ちいただき、日本の防災教育の推進ということに対してお力添えをいただければというふうに思っております。

 私の申し上げたいことは以上でございます。よろしくお願いいたします。(拍手)

山本委員長 ありがとうございました。

 次に、中原公述人にお願いいたします。

中原公述人 大阪府教育委員会教育長の中原徹でございます。

 本日は、貴重な機会をいただきまして、大変ありがとうございます。

 私は、教育に携わっておりますので、教育に関する仕組みの改善点と教育施策に対する改善点の二点をお話しさせていただきたいと思います。

 まず初めに、私の教育に対する考え方がどうして生まれてきたかという意味で、私のバックグラウンドを少し御紹介させていただきます。

 私は横浜出身で、東京の中学、高校に行きまして、大学も、早稲田大学の法学部に行きました。ですから、通常の、本当に、日本のどこにでもいる中高大学生でした。

 その後、日本の司法試験に受かりまして、今議員定数不均衡の中心的な役割を果たしておられる升永弁護士さんのところの若手として、その事務所に入りました。二年弱、日本で弁護士をしまして、その後、一旦無職になりまして、米国のミシガン大学のロースクールに通い、その後、ニューヨーク州とカリフォルニア州の弁護士資格を取って、約十年間、アメリカのロサンゼルスで弁護士をしてきました。

 晩年は、パートナー、共同経営者にもさせていただいて、アメリカの方が長くなってしまったんですけれども、弁護士生活を送った後、二〇一〇年から三年間、大阪の岸和田市にあります和泉高校というところの校長を務めました。民間人校長です。それを務めながら、去年は、橋下市長の推薦だったんですけれども、大阪市の教育振興基本計画の策定委員として、これはボランティアでしたけれども、参加いたしました。ことしの四月から大阪府の教育長として務めております。

 これが私の背景なんですが、どうして教育に行こうというふうに思ったかといいますと、そもそも、日本で弁護士をしておるころに、アメリカやイギリスの弁護士だったりビジネスマンが来ると、どうしても日本の弁護士が少し弱腰になってしまったり、あるいは、日本の法律事務所は、大手になればなるほど欧米の事務所のスタイルを、これは準備書面の書き方も含めて追従しているということがありましたので、そんなにアメリカがすごいのかということで、本場の弁護士の実態が知りたくて行ったというのがきっかけでございました。

 しかし、行ってみると、中身で考えていることというのは大して変わらないな、もう十分に対等な勝負ができる、そういう思いで十年間頑張ってまいりました。

 それで、特に、日本のエリート層の人たちがアメリカに来るときに、どうしても、最初からコンプレックスみたいなものが手伝って、欧米に近づければいいなと。追い越したり、彼らをリードするような、そういった人になりたい、そういう思いで来ている人がほとんどいないという状態に触れました。

 私は大した弁護士ではありませんでした。しかし、曲がりなりにも、大きな事務所で共同経営者までなれたということで、自分ができるんだったら、自分よりももっと優秀な人が大勢いるのに、どうして日本人が世界に出ていかないのかというところに、非常に、疑問というか、一部、勝手ながら怒りのようなものも覚えて、それを立て直すにはやはり教育からだということで戻ってまいりました。ですから、その思いが根底にございます。

 先ほど、冒頭申し上げましたように、二点。

 まず一点目、仕組みの改革なんですが、近時話題になっております教育委員会制度をどう考えるか、これについての私の見解を述べさせていただきます。

 私は、結論から言うと、制度を変える、変えることが解体という名前を使うのであれば、解体した方がいいというふうに思っています。今、自民党の教育再生実行本部からも言われているように、これは国の制度と同じようにしたらいいのかなと思っています。

 つまり、内閣総理大臣が文部科学大臣を選んで、そこが文科省という大きな行政組織を率いていく。同じように、各地方公共団体の首長が、これは、教育長という名前でなくても、教育局長という名前でも、もっと格好いい名前があればみんなで考えたらいいと思うんですが、そういう文科大臣に当たる人を選んで、そこが各地方公共団体の教育行政を引っ張っていく、そういう形がいいのではないかというふうに思います。

 これに対する批判としては、教育が政治から中立的でなくてはならない、こういうようなことがよく言われて、おかしな人が首長についたらおかしな教育になるということが言われるんです。これは、究極的に言うと、選挙による民主主義をどこまで信頼していくかということにもなると思うんですけれども、と同時に、では、それに対する抑制機能があれば、それはそれでいいのではないかと思うわけです。

 首長というのは、当然、四年に一回選挙で選ばれますから、選挙というスクリーニングもありますし、リコールという方法もあります。もしそこが、首長の権限が強化されるのであれば、リコールの条件をもうちょっと緩やかにして、よりリコールしやすくするという方法もあります。

 戦前の、検閲がなされていたような状況と違って、表現の自由が完全に強化されて、むしろそこが強過ぎるんじゃないか、マスメディアの権力が、もう第四権力、あるいは三権分立の上に来るんじゃないか、そんなことが言われている時代ですので、そういった意味では、抑制効果というのは十分にあるだろう。

 ということで、教育に関してもシンプルに。

 これは、地方公共団体、他の部局は、国と同じように、国土交通省があり、財務省がありというように、環境局があったり、商工局があったりということで部局になっていますので、どうして教育だけ独立してやるのかというのが、私の考えではよくわからないんです。

 一つの批判として、教育というのは非常に大切で、簡単に動いちゃいけないんだという声もありますけれども、では、福祉、医療、環境、いいかげんなダムをつくって決壊しちゃった、いいかげんな薬を認可して、あるいはいいかげんな医療制度にしてお年寄りが亡くなっちゃった、それと教育とどれだけの差があるのか。必死に生きている人たちを支えていくという意味で、地方公共団体の行政が担う仕事というのはどれも大切で、究極的には、生きている市民の生命身体あるいは健康、そういったものの安全に資するわけです。

 ですから、教育だけ第二次世界大戦の総括ができていないところがやはり残っていて、どうしても教育、首長イコール軍国主義であったり、危ないことをするんじゃないか、そういうトラウマみたいなものがいまだに払拭できていないのかな、そういう気がいたします。

 ですから、私は、教育も医療も環境問題も、いろいろなものも、地方公共団体の、大阪府でいえば、大阪府の行政が担っている役割というのはどれも大切であって、教育も同じように考えたらいいのではないかというふうに思います。

 では、ほかの教育委員はどうなるんだと。

 今、教育委員会というのは、皆さん御存じのとおり、大阪府でいえば、六人教育委員がいます。

 そのうちの一人が教育委員長。これは今、陰山先生が、優秀な先生ですけれども、務められています。企業でいえば社長ですね。だから、六人の取締役がいて、代表取締役社長に当たるのが教育委員長。この方は非常勤です。

 今私が務めている教育長というのがいわゆる事務局長で、会社に例えれば、六人の取締役のうちの常務取締役という感じですかね。常勤で一人だけ。唯一、六人の一人が常勤です。ですから、あとの五人は非常勤。

 非常勤であるけれども、今、首長が教育の中身は決められませんので、教育の中身を決めるのは、この六人が合議して、取締役会で会社の経営方針を決めるかのように決めているわけです。

 そうすると、私は常勤で、六票のうちの一票しか持っていないんです。あとの人は非常勤で五票持っている。ですから、首長の考えが危なくなると教育が危なくなるどころか、もうある意味、議会も手を出せない。条例をつくってしまえば別ですが、しかし、学校のカリキュラムの中まで条例をつくれるのか。これはまた、法的な議論も出てくると思うんです。

 その六人が、地方公共団体の権限を、本当に強烈な権限を今持っている。そのうちの五人は非常勤。非常勤の人も重い責任を負わされるのはたまったものではないんですが、一方で、強烈なその権限を、六票のうちの五票を持っちゃっているわけですね。

 例えば、大津市の事件を見ても、大津市の教育長がずっと批判の矛先でしたけれども、教育委員長だったりほかの教育委員というのは、同じように票を持っていたのに、いじめ対策ということでいえば、どうしてその人たちが出てきて責任をとらないのか。

 私は、非常勤の教育委員を責めているわけではなくて、これは、仕組み自体がもう制度疲労をしてきていて、責任と権限が一致していない、そういうことであると思いますので、教育委員会制度というのはそういうふうに直していったらよいのではないかというのが私の見解でございます。

 次に、教育施策なんですけれども、これは、きょう二時間、三時間いただけたら、本当に十個も二十個もお話ししたいんですけれども、もう残り十分ということなので、三つぐらいに絞ってお話しさせてください。

 一つ目は、今、自民党の教育再生実行本部で議論されています英語教育ですね。

 私は、先ほど、冒頭申し上げましたように、通常の日本の高校生、大学生でした。それが十年間、やいのやいの言いながらアメリカで生き残ってきました。ですから、英語に関しては、帰国子女でもなければ、特別な英語教育を日本で受けたわけでもありません。

 そういった経験を踏まえて、自分は教育者としてこれからの子供たちにどんなことをしてあげられるかと思ったときに、私は、TOEFLというものに目をつけて、実は、三年前からTOEFLというのを自分の高校で実践してまいりました。これは、カリキュラムの中に入れていなくて、課外授業で。

 課外授業というのは、ある意味無責任で、だめだなと思えばやめられるんですけれども、カリキュラムで入れちゃうと、中学生に発表した段階で、その子が高校一年で入ってきたら、三年間は絶対に守ってあげなきゃいけないことになりますので、非常に責任が重い。

 そういう中で、当初、英語教員に提案したところ、十一人中二人しか賛成してくれなかったんですが、いろいろ議論を重ねて、少人数でもいいから、意欲と実力を見せてくれた生徒を対象にやってみようということで、三年間やってまいりました。

 私が赴任した高校は、俗に中堅校と言われる学校でして、いわゆるトップ校ではございません。しかも、彼らが一年生のときには、TOEFLの授業をつくる、カリキュラムをつくる会議に追われていましたので、通常は二年かかると言われたんですけれども、大急ぎで議論して、三カ月でつくりました。

 とはいえ、始められたのが、彼らが高校二年生のときです。ですから、実質二年間、受験もあると正味一年半ぐらいになってしまうんですが、結論として、何にも、TOEFLのトの字も知らない、今まで英語をまともにしゃべる練習もしたことがない子たちでも、百二十点中六十点から七十点ぐらいは頑張れば届くということを、これは本当に彼らに感謝していますけれども、そういうことを証明してくれました。

 なぜTOEFLがいいかというと、読む、聞く、書く、話すという四技能がバランスよく問われるからなんです。

 今までは、英語教育を最初に始めたときに、明治維新が終わった後には、とにかく欧米のものを輸入しよう、どんどん学ぼうということだったので、やはりそこは、読めて、翻訳できるという人材の育成が急務だったというふうな話も聞いております。

 しかしながら、今の時代は、我々が考えていることを世界に発信していかなければならない時代で、いつまでも人の国の、もちろん、人の国の話やデータをとることは重要ですが、やはりリードしていくということに目標を据えてもいいのではないかと思いますので、そういった意味では発信しなきゃいけない。それは、書く、話すという技能がなければどうしようもない。

 今、英語は嫌だといったって、ほかの国がもう動いています。特に、中国、韓国は大きなかじ切りをして、完全に英語ができるようになってしまっています。中国、韓国でトップ層の子がTOEFLで百点をとっているなんというのは今当たり前の話になっていますので、そういった意味では、書く、話すということを学ばなきゃいけない。

 それには、何といっても、やはり大学受験なんです。ですから、自民党の皆さん、あるいは他の議員の皆さんにもぜひお願いしたいのは、大学の卒業要件でもいいんですけれども、やはり入学要件に入っていなかったら、この話は流れます。確実に中高は動きません。

 今、私が高校三年間でTOEFLというのをやっていて、そこに呼応してくれている、グローバル化に興味を持った高校が、私どもを含めまして四校あります。そこでアライアンスというのを、これは、横浜のサイエンスフロンティア、新潟の国際情報、それから大阪の三国丘と和泉高校の四校でTOEFLを広げようということで、地道にゲリラ的な活動をしてきましたけれども、それをほかの学校に言っても、なかなか聞きません。しかし、これが国会で正式に皆さんの議論を経て決まって、TOEFLを大学入試に入れる。

 特にトップ層の大学には、ぜひ入学要件で入れてほしいんですね。下位になってくるとちょっと、余り低い点数同士で争って優劣を決めるのはどうなんだろうということは一考の余地があると思うんですけれども、特にトップ層に関しては、どんなに低くても七十点、上を目指すなら百点ぐらいを設けても、恐らく、ついてくる子は十分についてくると思います、中堅校の和泉高校で六十から七十ということでしたから。

 ですから、ぜひ、大学入試。これは、公務員の試験でももちろん大事なんですけれども、一番この国の英語教育を動かせるというのは、大学入試、しかもトップ層の。

 私は、おととしでしたか、文部科学省でもこういったスピーチというか座談会をさせていただきまして、そのときにも、とにかく東大の法学部の、文1の入試をまずTOEFLにしてくれればそれだけで変わってくるということを僣越ながら申し上げたんですが、それどころか、今、トップ層、あるいは大学全体に普及させるという物すごい流れになっています。

 もしこのチャンスを逃してしまいましたら、五年ぐらいはまた封印されるわけですね。ああ、読む、聞く、書く、話すという話は、実は三年前にあったよ、あれはもういろいろな理由で流れたんだと。特に教育界というのは動きが鈍いですから、そういうことが五年から十年封印されます。そうすると、そこの時代に中高生だった子たちは恩恵を受けませんから、これは少なくとも二十年ぐらい、また暗黒の時代に戻るというふうに考えています。

 ですから、こういう貴重な機会をいただいて私は本当に光栄に思っていますが、これからまたTPPという話なんかも出てきて、グローバル化が進んでいることを否定する方は誰もおられないと思うので、本当に日本の子孫のためを考えて、TOEFLという案は入試に入れるということで進めていただきたいというふうに考えております。

 それから、時間がなくなってまいりましたが、あと二つほどお話しさせください。

 二つ目が、これは先ほど先生からお話がありましたけれども、理科の教育を初めとして、私は、英語、英語と、中原というのは英語ばっかりかというふうによく言われるんですけれども、とんでもない話で、知識と教養というものがなければ、当然、グローバル社会に出たとき、グローバル社会というのは、例えば、日本でコンビニで働くとか工場で働くといったって、今外国の人がどんどん来ていますから、そういう意味で、一生日本で暮らす、必ずしも英語を使わなくてもグローバル化の波というのはもう押し寄せてきているわけで、豊富な知識と教養を養ってあげるということは非常に重要です。

 例えば、土曜日の授業であったり、あるいは理科教育が今、一、二年生、小学校低学年が生活という教科になって、理科と社会をまぜて、理科のブレンド率がかなり高い感じなんですけれども、そこでは割と実験で興味を持たせるというところに重点を置いていまして、知識を蓄えるというところが少し弱くなってしまっている。そういうところも含めて理科教育を充実させたり。

 何年か前ノーベル化学賞をとられた根岸教授が、私は受験地獄の支持者だとおっしゃっていました。先日ノーベル賞をとられた山中先生も、ゆとり教育の前の理数の教育を受けているわけです。

 ですから、知識と教養ということを考えたときに、本当に自分たちが学んで、そこで得た知識や教養や思考力でないと、資源がもともとない国ですから、そういった意味では、そこで力をつけないと他の国と区別していくことができないだろうと思いますので、知識と教養の強化というのはぜひ進めるべきだというふうに考えています。

 それから、三点目で、道徳を教科の中に入れるという話との関連なんですけれども、私は、日本の教育に決定的に今欠けているものというのは、正解が一つではない問題を思考する力だというふうに思っています。

 それとの対比なんですけれども、正解がないのだから自由に発想していい、自由に自分の意見を考えて述べなさいという片側の要請と、もう一つで、これは道徳と重なってくると思うんですけれども、世の中にはやはりルールだったりマナーというものがありまして、それは世界のマナーと日本のマナーは違うので、そこは両方教えてあげなきゃいけないんですが、そういった守らなきゃいけないことというのをまず明確にして、守らなきゃいけないこと以外は自由に意見を述べていいんだ、しかも、意見を述べるときには、人格と意見というものは別にして、これは国際協調にも必要だと思うんですけれども、意見が違って唾を飛ばして議論し合っても、その議論が終わってお昼御飯を一緒に食べるときには笑顔で食べると。

 実は、私の高校で、大阪大学の大学院生、中国人の方二人、韓国人の方二人と、それからうちの有志の生徒五十人で、尖閣と竹島に関する議論をしました。

 そのとき私が生徒たちに言ったのは、ルールは一つです、笑顔で握手して始まる、そして終わるときも笑顔で握手して終わる、意見が異なるのは当たり前、これは政府レベルで話し合ったってまとまらないのに、君たちが二時間しゃべってまとまるわけがない、そういう話をして、実に闊達に議論して、時に議論は熱くなりました。

 韓国の方二名、中国の方二名が、日本語は流暢でしたけれども、それは本国での影響だとか、いろいろな、家族の影響なんかもあったかもしれないんだけれども、やはりこれからは仲よくしていかなきゃいけない、お互いの国のことをまずは語り合うということから始めなきゃだめだということで、そこに勇気を持って来てくださって、すばらしい議論が二時間できたんです。

 話は飛びましたが、要は、守らなきゃいけないルールというものをもっと厳しく教える。

 これは、いじめに関してもそうだと思います。いじめの被害者の保護も大事ですけれども、私は、加害者、本人の生徒そして保護者に、まずは、ルール違反で間違っているということを、社会に出たら相手にされない、下手したら刑務所に行くということをしっかりわかってもらって、その上でもう一回チャンスを与えるというのが教育であると思っています。厳しいことをまず言わないことが教育ではなくて、厳しいことを言った上で、そして、あなたにはもう一回チャンスがあるんだということで機会を与えるのが教育だと思います。

 ですから、道徳教育を考えるときに、自由な発想をして、答えが一つでないものを考えさせるところまで、こういう考え方を持てというところまで強制せずに、ルール、マナーのところだけを道徳として、これは守らなきゃ社会人としてだめだ、しかし、あとは自由に考えなさい、そういう色分けをしっかりしてくださることが道徳教育に関しては非常に重要かな、そういうふうに思っております。

 短い時間でしたけれども、貴重な時間をいただきまして、ありがとうございました。(拍手)

山本委員長 ありがとうございました。

    ―――――――――――――

山本委員長 これより公述人に対する質疑を行います。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。大塚高司君。

大塚(高)委員 自由民主党の大塚高司でございます。

 公述人の皆さん方、本日は、貴重な御意見、まことにありがとうございます。

 今、日本は本当に大変な状況の中、また、国民は、将来に対して大きな夢を持てない、長いトンネルの中からなかなか抜けることができない、そういった閉塞感の中でもがいているような感がするわけであります。

 そういった中、安倍政権が誕生いたしました。そしてアベノミクス。そういった流れの中で、ようやく光が見えてきた、そういった感がするわけです。

 ということで、本当に、これは何とかならないかと思っておられる方、国民の皆さん方はたくさんいらっしゃるというふうに思うわけであります。その一物の光を何とかほんまものにするためにも、我々が成長戦略をいかに伸ばしていくか、これが一番大きな鍵だろうというふうに思っておるところでございます。

 そこで、高田公述人にお尋ねをするわけでございます。

 私もいろいろな業界の方にお話をお聞きしました。その中で、やはりまだまだ景気はよくなっていない。医療関係もだめだ。プラスチック関係、製造業の方々にお聞きしても、まだまだだ。本屋さんの卸の方にお話ししても、まだまだ。お酒もまだまだ。そういったところで、いろいろなお話をお聞きします。

 しかし、よくなってきているよと言われるところもたくさんございます。特に、産業機械をつくっている会社におきましては、数年先まで受注がいっぱいである、建設業は、人夫、人が足りないというようなことで、今本当に困惑しておる状況だということでございます。

 そういった中、本当に、いろいろな今回の金融政策にいたしましても、期待感が多い。こういうのは、大企業、大手の企業は期待感が多いと言われておりますが、中小零細企業にはそういった実感がまだまだないというような感がするわけであります。

 また、株価につきましても、円安、株高がどんどん進んでいるこの状況の中で、株価は今、外国人の投資家を中心に行われているような感がするわけであります。日本人投資家はまだまだ様子見をしているような感がするわけでありますが、高田公述人の御見解をお尋ねいたします。

高田公述人 大塚先生、どうもありがとうございます。

 先生の御指摘のように、まだまだ非常に跛行性が強いというのが実態ではないかと思っております。円高の是正が始まってから、せいぜいまだ三、四カ月という状況でございます。

 ただ、失われた二十年というふうに私は申し上げましたけれども、過去の状況を見てまいりますと、先ほど、最初に申しました、バランスシート、信用収縮というものと円高というような状況が十年、二十年続く中で、どうしても、企業の方々が生き残りをされるという中では、多分、マージンを圧縮する、それから、円高の中でも価格を上げない、要は、自分たちでどんどん経費を削減するというんでしょうか、人件費を削減するというような動きが続いていたわけであります。

 こうした動きが十年、二十年続けば、当然、かなり身についてしまったということでございますから、そんなにすぐに、ここ数カ月の中でこれが本当に定着するのかということであれば、そろそろ、これまでの二十年の行動パターンというんでしょうか、変えるということになるんだろうと思うんですが、それが確信が持てるようになってくれば、これまでの流れを解き放ってでも対応していこう、その一つの岐路に差しかかっているのが今ではないか。

 ですから、ようやく海外の市場で輸出が少し伸びるかもしれないという中で、場合によっては、これまで賃金を圧縮していたところも、やめてもいいのではないかと、一部のところが動き出した。しかしながら、まだそれが完全に広がっていないというのも確かだろうと思います。

 ですから、この流れをいかに定着させ、そして確信を持てるか。そういう意味では、私は、まさに今、そのタイミングに差しかかる、これをいかに定着させるかというところが非常に重要な点ではないかというふうに思っておりまして、それを非常に我々も期待したい、サポートしていきたいというふうに考える次第でございます。

 どうもありがとうございます。

大塚(高)委員 ありがとうございます。

 特に日本人というのはシビアなところがございまして、よくマーケットをにらんでおるところでございます。長年の低金利時代ということでございまして、そういった動向を必ず見定めているというのも日本人らしいところではないかなというふうに思うところでございます。

 そういった中で、市場というのは、いろいろな、例えば重要な発言をされる方の動向にも敏感に反応するわけですね。そういった流れの中で、今の株式市場というのは今の政権に関して何を求めているんだろうかということをお尋ねいたします。

高田公述人 先生の今の御指摘で、何を求めているかということでございますけれども、先ほどの御質問の中で、日本人が動いていないというところも含めて、ちょっとお答え申し上げたいと思っております。

 私は、今外国人が求めているものの一つは、日本が、もとの、八〇年代ということではございませんけれども、ある程度成長というものに戻れるのかどうかといったところを非常に求めている部分が大きいのではないか。

 日本は九〇年のところで一つとまってしまいましたけれども、世界的には九〇年代、二〇〇〇年代も成長が続き、足元、先ほど申しました二〇〇七年以降にやや調整はございましたけれども、そこからようやくアメリカを中心に立ち上がりかけた状況にございます。そうした世界的な大きなトレンドと申しましょうか、こうしたところにある程度日本も同じような形で戻っていけるのかというところ、この辺を求めている部分が非常に大きいと私は思っております。

 そこに対して、日本が、どうしてもこれまで悲観というところで縮こまってしまっていたというところ。先ほど私は、日本は本来持っているというふうなことを申し上げました。海外から見ますと、日本には持っているものが大変ございます。先ほど私が挙げましたのは、きずな、技術力、そして適応力というところ。それに加えて、金融、いろいろな資金があるということでございましたから、そうした潜在力をいかに生かせるかというところをまさに海外の投資家は見ている。

 それを見てまた日本の投資家が自信を取り戻していけば、先ほど先生から御指摘あったように、日本の投資家ももう一回ついてくるということになるのではないかというふうに考えておりますので、そうした、日本が取り戻すことができるのかといったところを海外の投資家なり世界は見ているというふうに私は考えるべきではないか。

 私もたまたま、先々週、ヨーロッパの投資家を回ってまいりましたけれども、ようやく海外の方々も、日本は何か動き出すのではないかというような期待を持つような状況にもなってまいりましたので、そうした期待を、成長戦略といったことを、具体的なものも踏まえた上で、これまでの財政、金融がございましたので、いかに示していくことができるかというところがやはり問われている局面ではないかと思う次第でございます。

 どうもありがとうございました。

大塚(高)委員 ありがとうございます。

 そういった流れの中で、やはりマーケットというのは敏感でございまして、特に日本のこれからの動向、本当に以前のようになるのだろうかというような不安感、そういうものもあるわけであります。

 しかし、何といいましても、以前のような政治の安定がマーケットに大きな影響を及ぼすのではないか。我々は、何としても、政治、安定した政権、そういったものを必ず構築していくことがマーケット、市場にとって大きなプラスになっていくものだろうと確信をして、努力をしていかねばならないというふうに思っておるところでございます。

 今回の安倍政権、金融、財政、成長の三本の矢、アベノミクス、何としてもこれをうまくつくっていかねばならない、うまく回していかねばならない。そういった流れの中で、この三本の矢以外にまた違う矢を入れるとするならば、どんな矢をつけ加えたらいいとお考えでしょうか。

高田公述人 どうもありがとうございます。

 非常に難しい論点かなというふうに私は思っております。

 三本の矢というところ、財政、金融そして成長ということでございます。これがかなり包括的なということではないかと思いますが、私は先ほど、持っているというようなことを申し上げました。そういう観点から申し上げますと、第四の矢ということになってまいりますと、もう一つは、やはり、人というんでしょうか、教育と申しましょうか、先ほどの私のペーパーでいいますと科学技術といいましょうか、こうした論点が非常に大きいのではないか。すなわち、日本のこれまで持っているものを示す。

 それと、もう一つ、第五ということで挙げさせていただくとすれば、日本は、実は、世界から見ますと非常にいい環境に恵まれているのではないか。すなわち、世界の中では一番高成長な地域のど真ん中にいるではないか。まさに、アジアという世界の中でも一番の高成長。これはもう、誰が見ても、世界じゅうの人たちが見てもうらやむべきところでございます。

 すなわち、こうした舞台をいかに利用できるか。場合によっては政治、場合によっては外交、もしくは通商関係と申しましょうか、日本は世界の中で生きている、そして貿易、投資で生きているわけでございますから、そこの舞台を非常に多用する。

 これが、場合によっては、例えば金融、財政のところの円高対策というようなこと、円高を回避するということの一つにもなってくる可能性があるわけでございますので、こうした世界の中での立ち位置、これは単にこれまでの日米にとどまらず、また近隣の諸国ということでもございますけれども、そうしたものをいろいろな矢として用いていくということが重要ではないかと私は考える次第でございます。

 どうもありがとうございます。

大塚(高)委員 ありがとうございます。

 やはり外交ということ、そういったものも大きな役割を果たしていくんだろうなという貴重な御意見、ありがとうございました。

 それから、本日は、私の地元大阪から中原公述人がお見えでございますので、いろいろとお話をお聞きしたいというふうに思っております。

 先ほど教育長の方からお話ございましたように、特に教育に力を入れている。そういったこと、本当に私も同感であるわけであります。

 今、大阪の学力のレベルというのは、全国レベルから比べて低いと言われております。何としても、教育改革を一生懸命やっていただいて、レベルを本当に向上していただきたい。それが、ひいてはこの国のためになるんだということ、そういう気概を持って頑張っていただきたいというふうに思っております。

 私の子供もまだまだ小学生でございまして、特に、いじめや体罰、そういった問題に関しましても、本当に敏感に動向を見守っておるところでございますが、いろいろな地域の行事に参加をさせていただいておりまして、先生方にいろいろな御意見を聞かせていただきます。

 その中で、朝、登校してくる小学校の生徒に、先生方は、おはようと声をかける。そのときに、目を見て、先生おはようございます、おはようと声をかけてくれる、そういう生徒は必ず、いじめをしたりいじめに遭ったりしていないというんですね。そのかわり、おはようと声をかけても、うつむいたり、目線をずらしたり、そういった児童は要注意、よくチェックをしていかねばならないというような話をよくお聞きするわけであります。

 現場において先生方の御努力というのは本当にすごいなというふうに思いますし、感謝をしなければならないというふうに思っております。

 特に今、先生はレベルアップに取り組んでいただいておりますが、末端のいじめや体罰、そういった問題に関しても、本当にこれから大きくさまざまな社会環境が変わっていく状況の中で変化していくものだろうというふうに思いますが、そういった改革について、教育長のお考えをお聞きします。

中原公述人 まず、大阪の学力低下というのがすごく印象づいているんですけれども、実は、これは頑張ってまいりまして、というか、私が頑張ったわけじゃないんですけれども、各市町村の皆さんが頑張ったんですが、小学校に関しては、ほぼ全国レベルまで上がってきました。それから、中学校の方も、上昇傾向に、ずっと右肩上がりで来ているんですが、まだ全国平均に届いていないので、これは、必ず全国平均を追い抜いてやろうということで、市町村と一体となって頑張っております。

 それから、いじめや生徒の問題行動についても、実は、先ほど私のスピーチの中で申し上げましたが、大阪市の教育振興基本計画をつくる中で、問題行動に対する対処も、できるだけ、現場の先生が、若い先生で経験のない人でも、こういう行為を見つけたら、そのフローチャートを見てと。

 いじめというのは段階的なもので、大津のようなああいう形に、いきなりある日突然なるというのではなくて、最初は、いわゆるテレビで言ういじるという、私は、いじるといじめの境目は、やられている方がいいかげんにしろと言える場合には、まだいじりぐらいで済むと思うんですが、言えなくなった瞬間からいじめに移行すると思うんです。

 そういう初期症状のときに、あるいは中間症状、末期症状、それぞれに応じて、先生がそれを見つけたときに、誰に何を言って、どこの機関と、時には警察のOBも入るでしょうし、そういうことも含めた、わかりやすいチャートを今つくろうということで、大阪府もそれに向けてやっていますので、もうあと数カ月以内にはそれをお示しできると思います。また、その上で御意見をいただければと思います。

大塚(高)委員 ありがとうございます。

 本日は、公述人の皆さん方、貴重な御意見ありがとうございました。

 以上で終わります。ありがとうございました。

山本委員長 次に、石田祝稔君。

石田(祝)委員 公明党の石田祝稔です。

 きょうは、四名の公述人の皆様、大変に貴重な御意見をありがとうございました。

 限られた時間ですので、全員の方に御意見を伺えないかもしれませんので、それはそれで御容赦をいただきたいというふうに思います。

 私は、まず片田先生に、防災の観点から何点かお聞きをいたしたいと思います。

 私も、平成二年の初当選以来、出身地が四国の高知ということですから、特に防災、国会の災害対策特別委員会には常に所属をし続けてまいりました。そういう中で、全国のいろいろな災害現場にもほとんど参りましたが、一昨年の東日本大震災、まさしく衝撃的な災害でございました。二万人を超える方が関連死を含めていらっしゃる、こういうことで、私は大変な大災害であったと思います。

 それで、今までの私の感じと違うのは、津波というのが、これはややもすると、国の防災の政策の中に抜けておったのではないか。地震そのものとか大雨とか台風とか、こういうものは、伊勢湾台風をきっかけに災害対策基本法をつくられた、こういうことでありますけれども、津波というのが抜けておったのではないか。

 そういう中で、私は、片田先生が釜石の奇跡と言われるような防災教育をなさって、それが現実に、本来そういうものが生きない方が当然いいわけですけれども、何かのときに、そのときのために教育はあった、こういうことで、非常に私も感銘を受けたんです。

 そういう中で、東日本大震災でいろいろな映像が流れておりましたが、津波が本当に水の壁のごとく来る映像も衝撃的でしたけれども、それ以上に衝撃的なのは、津波がもうそこまで来ている、そういう中で、ある一人の、これは壮年の方だと思うんですけれども、自転車で防波堤、防潮堤の内側を悠々と乗ってずっと動いている方の映像がありました。

 役場かどこかの上から、危ないぞ、早く入ってこいと呼んでいるんだろうと思うんですけれども、それが聞こえているか聞こえていないか。私たちが映像で見ると、高いところから、もう防潮堤を越えて津波が来ているのが見える、片や、一人のおじさんだと思いますけれども、自転車に乗って悠々と行っている。これはまさしく、自分が避難をしろだとか危ないということを現実に教えてもらっていない限りなかなか動けないのではないか、こういうことを実感いたしました。

 先生は防災教育で全国を飛び回られているということもお聞きをいたしましたけれども、国として、災害対策基本法の改正とかいろいろな法律で、防災教育の重要性も法律に入れました。具体的な動きはこれからになりますけれども、そういう法律に入れて予算をやったとしても、その後、具体的に例えばどういうことが大事か、これを、ぜひ御意見をお伺いしたいと思います。

片田公述人 まず、日本の津波防災が他の災害に比しておくれていたのではないのかという御指摘がありましたけれども、まさにそうだろうというふうに思います。

 といいますのは、洪水の場合は、比較的、毎年のように、雨のシーズンにはどこぞここぞがやられるという構造があるものですから、まだ国民の中に災害を意識するという観点はあると思うんですね。それから、地震についても、時々あるものですから、これも認識はあるんですが、津波は、やはりある程度周期が長いものですから、どうやっても国民に現実感を持って捉えられないというようなところもあり、それが、いわんや国民、地域の防災行政の推進に対する要求というのか要望というのか、これをそれほど高いものにしなかったというような状況もあろうかと思います。そういう面において、確かにおくれはあったんだろうというふうに思います。

 ただ、厳しいところにありました三陸沿岸ですとか、過去何度も何度も大きな被害に遭っているところについては、それ相応に進んできたところもあることも事実でありますけれども、一方で、高知県もそうだろうと思います、徳島県なんかもそうなんですけれども、和歌山もそう、さほど進んでこなかったというのが事実でありまして、その最低限度のところができていないというところにおいてはやはり対策を進めていかなきゃいけないということなんだろうと思います。

 そして、今回の予算の中で、この防災の予算、非常に先生方には御理解をいただきまして、あの三・一一を受けた日本の防災のありようということで、しっかりした予算措置をしていただいているというふうには思います。

 予算措置をした後どうしたらいいのかということだと思いますが、まず、先ほどのスピーチの中でも述べさせていただきましたけれども、何といっても、人為的に高める安全、これはある程度国家がやらなきゃいけない、行政がやらなきゃいけない。

 国民自身が、幾ら大きな津波が来ようとも、ちゃんと逃げることができる国民に育てるという、ここの部分はソフトですので、ハードに比して大きなお金がかかるものではないと思います。しかし、これは将来にわたる日本国の財産であろうと思います、国民そのものを強くしていくということですから。そこについては、ぜひ手厚い予算措置をしていただきたいと思います。

 何といっても、これからの日本を背負って立つ子供たちが、いかなる事態にあってもちゃんと生き抜く力、自分で判断し自分で行動をとれる、そんな力を育てるための防災教育というのには、ぜひこの予算措置の中でも特段の御配慮をいただきたいというふうに思うわけです。

 釜石におきましては、どんな教育をしていたかというと、相手は自然なんだ、いかようなこともあり得る、時にあんな津波もある、こういうことをまず教えたわけです。

 ハザードマップなどのような情報を与えると、依存状態が高い日本国民、子供たちもそうでした、ハザードマップを見ると、行政からの情報なんだから、ハザードマップの外であればもう安全なんだという完全に受け身な意識でいるものですから、ハザードマップの外側で人がたくさん死ぬという非常に変な現象が起こってまいりました。もう行政依存の最たるもので、国民を逆に危ない状況に追いやっているという状況が明確に見えたわけです。

 子供たちには、想定なんかにとらわれるな、過激かもしれませんけれども、ハザードマップなんか信じるな、これは一つのシナリオにすぎないんだ、そして、相手は自然だ、いかようなこともあるから、君は精いっぱいそれに向かい合え、こう教えたわけです。

 子供たちは本当に精いっぱい避難をしてくれましたし、その子供たちの純真な目から見たときに、おじいちゃんが逃げられない、あの小さな子供たちが逃げられないと思ったときに、子供たちは本当に弱き者に対する気持ち、優しい気持ちを持って避難を手助けしてくれました。

 それを考えますと、子供たちは、自然に向かい合うということを通じて、自分の命を守るということ、自分の命の大切さ、これを十分に認識した上で彼らはあのような行動をとってくれたんですが、学校の先生に聞いてみますと、こういった防災教育をしっかりやったところは、やはり命を大事にする、そして、みんなで協力して、一人だって地域から犠牲者を出さないんだという思いの中で、地域に対する誇り、郷土愛、そして弱き者に対する配慮ができ始めまして、いじめの問題ですとか、こういった問題も徐々に解決の方向に向かっていったと聞いております。

 まさに、この防災という予算を、災害に強い国土、その中には国民という概念も大きく入れて政策展開をしていただければというふうに思います。

 以上でございます。

石田(祝)委員 それでは、片田先生、もう一問あるんですが、ハードとソフトのバランス、こういうお話がございました。

 我々は、国としては、地方公共団体もそうだと思いますけれども、できるだけ目に見えるような、いわゆるハードをしっかりやっているよ、こういうことも住民に安心していただくためにはやらなきゃいけない、こういうことでやってきたわけですね。

 私の住んでいる高知県なんかも、非常に台風の多いところで、常に水害、私の家も実は台風で二階まで水につかりまして、その年々で場所は違うんですけれども、そういう経験をほとんどの人がしております。

 そこで、雨の対策をやりまして、私の記憶では、一時間に八十八ミリの雨が三時間降っても大丈夫なような体制にしたんですね。しかし、実は、そのほかの事業が全くできなくなってしまった。それだけハードにお金をかけてやったわけですね。そうすると、住民が安心するというところで、やはり頼ってしまうというところができてくる。

 だから、そこのバランスというんですか、ハードとソフトのバランスをどういうふうに考えていけばいいか。もう少し、短目で、ちょっとお願いをいたしたいと思います。

片田公述人 ハードは、これはまさに国力の象徴だというふうに思います。そこまでのレベルは明らかに災害を排除してくれる、物理的に排除してくれることにおいて、これは高ければ高いほど安全であるというのは間違いないわけですね。

 ですから、これは財政の許す範囲の中でやればいいと思うんですが、そこで重要になるのが、バランスという問題になってまいります。どれだけ高くしてもそれを越えるものがあるということを考えると、やはり、一定のところに限度、限界というものを置かざるを得ない。それは地域のコンセンサスだろうというふうに思います。

 例えば、治水においては、国管理の河川の場合は百年に一回起こるか起こらないか。これは、人一人の一生の間に一回あるかないかというレベルですね。

 津波については、まさに、三・一一を受けて、今議論をしておりますよね。堤防を、あの三・一一が起こっても大丈夫な堤防をというふうに言い始めたら、途端に地域の方々は、そんな高い堤防は要らないと言い始めた。つまり、国民の皆さんも気づき始めました。全部ハードで守るということを望んでいないんだということ、その地域的なコンセンサスというものを僕は大事にしていただきたいと思います。

 行政が一方的に、三・一一でも大丈夫だ、この堤防は必要なんだということを地域に押しつけるのではなくて、地域の皆さんが、これぐらいまでは取り除いてほしいんだ、でも、ここから先は僕らは自分たちで逃げるから、そのときにちゃんと逃げられるというハードはつくっていただきたいと。それは大してお金のかかるものではございませんので、やはり、地域的なコンセンサスを大事にしていただきたいというふうに私は思っております。

石田(祝)委員 ありがとうございました。

 続いて、私、山口先生にお聞きをしたいんですが、特に教育格差の問題ですね。

 私の経験もちょっと申し上げますと、私も高校、大学と奨学金とアルバイトでやってきた。特に大学は、私が入った当時、昭和四十五年、国立大学へまず一旦入ったんですが、そのときの授業料が一カ月千円だったんですね。ですから、正直、今幾らになっているか、正確な数字は覚えておりませんけれども、高等教育にすごくお金がかかり出した。ということは、それまでは日本が、ある意味でいえば高等教育に非常に大変な投資をしてきたんじゃないかな、そう思うんです。

 自分の経験からすると、奨学金とアルバイトで何とか自分はやってこれた。意欲と能力と努力と、そういうものを積み重ねていただくと、今、奨学金もたくさん充実をしております。逆に、奨学金を借り過ぎて、卒業した途端に何百万かの借金になるからという、そういうちょっと違った議論も今出てきているんですが。

 そういう中で、格差で、やむを得ないという方が非常にふえてきているのが心配だというお話もございましたけれども、これは人の心の中ですから、国とか地方公共団体がどうこう、こう思うべきだということはできないんですが、私も、これは、そういう意識が変わってきているのはやはり問題ではないのか、こういう気がしますが、具体的に、何か、国の方でこういう点を重点的にやれば教育格差の問題の解消につながるんじゃないか、こういう点がありましたら、ちょっと時間の範囲で、余り時間がないかもしれませんが、よろしくお願いします。

山口公述人 ありがとうございます。

 まず、国立大学の授業料は、今、年額五十五万余りでありまして、なかなかアルバイトで払うというのは難しいわけです。

 いろいろな階層の家庭の若者がいますから、やはり、低所得者層に対して給付型の奨学金を拡充する、あるいは授業料の減免の枠をもっと広げるといった形で、とりあえずできることとしては、ある程度ターゲットを絞って経済的な支援を強化するということがまずは第一だろうと思います。

石田(祝)委員 最後に、高田公述人にお伺いをします。

 アベノミクスのいろいろなことで、今、日本の経済も上向きになっていると思いますが、これは発展途上国からどう見られているかというのを、わかりましたらちょっと。極端に言えば、日本が円安の方に政策誘導しているんじゃないか、そういうことについて、発展途上国の方がどういう見方をしているかということを、わかったら教えていただきたいんですが。

高田公述人 今回の見方についてはさまざまな意見があろうかと思いますけれども、ちょうど今週もIMFの方から、こうしたものはウエルカムであるというふうな動きもございましたし、また一方で、これから、いろいろな国々の中で、為替の状況をどう考えるのだという議論はあろうかと思います。

 発展途上国の中から、近隣のところから、とりあえず、今のところの状況をそう大きく批判するという話は、私の聞く範囲ではそう聞いておりませんけれども、ただ、こうした状況を、別に日本とは限りませんけれども、例えばブラジルあたりの方が、カレンシーウオー、通貨戦争であるというような議論がこれまでございましたので、今後、そういうような誤解を避けるようなことは当然日本もしていかないといけないのではないかなと思う次第でございます。

 どうもありがとうございます。

石田(祝)委員 どうもありがとうございました。

 時間になりましたので終わりますが、中原公述人、ちょっと質問するチャンスがなかったので、申しわけございません。

 どうもありがとうございました。

山本委員長 次に、玉木雄一郎君。

玉木委員 民主党の玉木雄一郎です。

 きょうは、四人の公述人の先生方、大変興味深いお話を聞かせていただきまして、ありがとうございました。

 きょう四人の皆さんから共通していたのが一つあったのは、教育のことだったと思います。技術力を高めていく教育、教育を希少財にしてはいけないというお話、また防災教育の話、あるいはグローバルの人材育成。

 教育は大変重要だと思いますし、予算委員会でもさまざまな方向性からこの教育及び教育予算についてこれまで議論がなされてきました。

 きのう、集中審議の中で我が党の枝野議員が出した資料の中に、四年制大学に進学する方の進学率、これが明確に、親の年収が多い方は進学率が高いんです。低くなればなるほど下がっていくという正の相関があるということ。逆に、高校を卒業して就職される方、これは年収が低い方の方が、やはりそのお子さんが就職の道を選ばれるという方が多いという数字が出ておりました。

 それぞれ、教育現場におられる方で、実感でいいんですけれども。

 我々は、数字はいろいろなものを見ます。ただ、教えていても、あるいは先生方から話を聞いていても、実際、親の所得によって学力の差がついてきているのかどうか。今申し上げたような進学率とか、学ぶ機会の、チャンスの平等、不平等が、年収によってその差が出てきているのかどうか。実際にお感じになっていることで結構なので教えていただきたいなということと、それに対しての改善策といったものについて、これは、教育の現場にいらっしゃる山口先生と片田先生そして中原さんにお聞きをしたいと思います。

 まず、山口先生から。

山口公述人 まず、学生支援機構の奨学金について、やはり卒業後返済が滞るという延滞の事例がどんどんふえているということは事実であります。

 それから、個人的な経験を申し上げれば、やはり、実家からの仕送りがほとんどない、さすがに学費を自分で全部稼ぐというのは難しいけれども、月々の生活費は自分のアルバイトで稼がなきゃいけない、そういう意味で、アルバイトで忙しい学生、それも小遣いじゃなくて生活費を稼ぐためのアルバイトで忙しい学生がふえてきた。そうすると、必然的に勉強する時間は減りますから、学歴格差というところにはまだ直結はしておりませんが、学ぶ環境というものはやはり経済的な力によって大きく影響されているということは、個人的にも経験をしております。

片田公述人 まず、今山口先生もお話しになられたように、確かに学生たちは、親の経済状態が非常に厳しい状況の中で、アルバイトをかなりやらなきゃいけないというような状況は多々見られるように思います。そして、そんな中にあっても、それをはねのけ一生懸命勉強する学生は勉強する学生としているということにおいては、学力と親の年収というものに対する明確な相関というものは、余り実感としては持っておりません。ただ、明らかにあるということは認識しております。

 といいますのは、我々のところは、既に進学してきた者を見ておりますので、一カテゴリーでしか見ていないような状況にあると思うんですね。

 ただ、もう一つ非常に感じているのは、学ぶ姿勢とか、俗っぽい言い方ですけれども、しつけですとか礼儀ですとか、こういった面は少し相関があるように思います。

 これは、単に学力という面では見られない部分だとは思いますけれども、しっかりした御家庭でしっかりした子供が育つという、やはり、防災教育もそうなんですけれども、親の背中を見て子は育つというその構造は、さまざまな面において見られるというふうに思います。

中原公述人 まず、学力と保護者の年収という関係では、特に首都圏では強いかもしれないですね、首都圏では私立に中学から入る率が非常に高いですから。大阪でいうと、割と公立中学、高校、高校なんかは特に頑張っていますので、特にトップ層は頑張っているんですけれども、一般的に言ったら、やはり関係はないと言うことは無理だと思いますね。それは、何をやるのでもやはり予算、資金というのが必要ですから、それが多い方が有利というのは、一つの事実としてはあると思います。

 しかし、では、資金がない人はもう何もできないのかというと、だからこそ、今、大阪では、全国的にですけれども、高校の授業料が無償化になりましたし、公立小学校の放課後の指導であるとか、あるいは中学でも、放課後ないし土曜日のということで今動いています。大阪市では、小学校一年生から、始業時間前だとか放課後だとか土曜日に英語も教えようということで、そうしたら、英会話教室に行くお金がかからなくていいわけですね。そういう施策はやっていこうと思っています。

 ただし、経済的に恵まれない人たちの中で二通りあって、一つは、本当に何とかしなきゃいけない層と、もう一つは、やはり努力、これは保護者の方の意識も含めてですね。

 私は、ずっとアメリカにいましたけれども、アメリカでは、低所得者層の方々も、いい教育はやはりどうしても与えたい。だから、勉強することは恥ずかしいことじゃない。私は勉強するためにきょうは早く家に帰るんだ、小学生がそう言っても誰も冷やかさない、そういう空気があります。

 しかし、日本では、何となく、がり勉なんということがあって、勉強ばかりやっていたらだめだとか、何か遊ばなきゃだめだとか、スポーツもやらなきゃだめだとかということ。

 やはり、身を立てていくのに、学問で、多くの人は、芸能人やスポーツ選手のように特殊な才能がありませんので、勉強することが子供の仕事だということを、保護者の方も協力していただいて。

 私の知り合いで、カンボジアでベンチャービジネスを立ち上げている人が言っていましたけれども、学校に行けない子が木の下で本を読んでいる、そういう気持ちをやはり持たなきゃいけない。

 もう環境はあるじゃないか、何とか教科書もあって、勉強する環境はあるのに、やはり努力が足りないと言わざるを得ない層も一方でいると思います。

 だから、それはちゃんと区別して、必要なところに、本当に恵まれない人たちには必ずチャンスがあるようにはしたいなと思っています。

玉木委員 ありがとうございました。

 それぞれ興味深い御意見、現場のお話を聞かせていただきました。

 次に、社会保障について少しお伺いをしたいと思っております。

 我々も三年三カ月政権を実際に担当し、そして、悩みの連続でやってきたのは、さまざまな制約要因がある中でいろいろな選択をしていかなきゃいけない、無限の資源があってその中から自由に選べるということではなくて、むしろ制約の中の選択をどうやってやっていくのかということは極めて難しいなというのを実感として感じました。

 そんな中で、これは日本だけの問題ではなくて、多分、世界で今起こっていることだと思うんですけれども、一つは、金融政策の話も出ましたけれども、もう一国だけでは自由に自分の国の政策を決められなくなっていると思っているんですね。

 それは、開放経済であり、資本の動きがこれだけ自由になってくると、一つのことをやろうとしても必ず相手がありますから、例えば、今円安政策をとっていますけれども、それはある種、アメリカ側がそれを容認する経済的余裕が彼らにあるということと、結果としてのコーディネーションがうまくいっているところも非常に大きいと思うんですね。

 ただ、アメリカが、どうしてもこれはもうつき合い切れないということになると、今のような自由度の中でどれだけ日本が金融政策ができるのかということもあると思うので、そういった、世界が経済的に非常に結びつく中で、自国の政策を自国だけでなかなか決することができないという制約要因が一つあると思います。

 もう一つは、特に先進国で、どの国も高齢化が進む中で、財政支出の中で高齢者向けの支出を、ある種、義務的経費として一定程度確保せざるを得ないという中で、他の政策経費に回すものをどうしても削らざるを得ない。単に、コンクリートから人へという理念的なものではなくて、裁量的経費を削らざるを得ないという一方の制約の中で何かを選択していかなきゃいけない。

 もう一つ、私、最近非常に大きいなと思うのは、SNSの発達が特にそれを後押ししていると思うんですけれども、国民一人一人が、情報を発信したり、あるいは何かを要求するという能力が高まっていると思うんですね。

 これは、実は、十八世紀型の民主主義と今日我々が向き合っている民主主義の姿は随分変質してきているなと思っているのは、つまり、今申し上げたようなグローバル化とか高齢化に伴う財政の極めて制約的な要件で、国あるいは政府が提供できるものがすごく減ってきている中で、国民自身が何かを発したり要求したり、そういったある種の能力は、現代型の民主主義が生み出された十八世紀、十九世紀のころとは格段に違ってきていると私は思っているんですね。

 つまり、国が提供できるものは少なくなっていますけれども、民主主義を構成する国民が要求するものは、ある種、私は、質的に量的に高まっているような気がします。

 そういう中で、例えば、社会保障と税の一体改革という日本の構造問題を解決していく、先ほどあった財政の規律なり信認なりあるいは再配分の問題も含めて社会的な問題をきちんと解決していく、極めて重要な問題だと思うんですが、こういう中で、いわば国民にとって必ずしも人気のない政策、あるいは、まさに、ある時間の中で考えたらベストな選択なんですけれども、大変短い期間あるいは次の選挙の選択というときには必ずしも政治的に合理的じゃないということに向き合うことは、これからふえてくると思うんです。

 その意味でお聞きしたいのは、今の日本の抱えている大きな問題の一つであるこの社会保障の持続可能性をどう担保していくのか。これは、高齢者向けの社会保障だけではありません。今出た教育とか、これからの若い世代に対しての、全世代型の社会保障の持続可能性、これをどう担保していくかが極めて大事だと思っているんです。

 その意味で、前の政権で三党合意の中で成立をした社会保障と税の一体改革についての評価と、そして、これからの社会保障制度の改革のあり方、方向性、また、民主主義の過程を通じた実現の、具体的な、国民との対話とも言ってもいいかもしれませんが、国民の御理解をいただきながら進めていくに当たっての困難をどう乗り越えていくのか。

 こういったことについて、山口先生と、そして高田先生にお聞きをしたいと思います。

山口公述人 まず、グローバル化で政策的な選択の余地が少なくなるというお話なんですが、しかし、アメリカと、それから、例えばデンマークとかスウェーデンといった北ヨーロッパの国では、明らかに公共セクターの規模が違います。負担率も違います。日本としてどういうモデルを選ぶのかということについて、やはり幾つか、多分二つないし三つだと思いますが、モデルを示して、まさに国民としてどうするのかという議論をしなければならないと思います。

 もう一つは、租税国家という概念が重要だということであります。

 シュンペーターの言葉に租税国家という言葉がありまして、要するに、国民が税金を払うことによって政府を支えて、国民が受益をするんだという意識です。

 残念ながら、日本は、高度成長の惰性、あるいは九〇年代以降の国債の大量発行の中で、租税国家という概念が崩壊をしてしまった。今回、税・社会保障一体改革でもって、国民に負担をお願いする、しかし、そのかわり、きちんとした社会保障制度を再構築していくということを政治の方で決めたことは、やはり意味があったと思います。

 さらに、これから幾つかのモデルを示して、やはり中期的、長期的なビジョンをしっかりと打ち出す。

 そして、可処分所得という概念を変える必要があるわけです。

 給料から税と社会保険料を引かれた残りが可処分所得じゃない。やはり人間、生きていくうちで必ず、子供の教育費あるいは自分の医療費、老後の生活等々お金を使うわけで、それを控除した残りが本当の可処分所得であります。

 医療や教育に使う部分について、公共セクターなり社会保険の仕組みをつくって公的にカバーするのか、それとも、アメリカ流に私的に全部、学費も医療費も自分で払うのか、そこの部分の選択肢をしっかり整理して国民の議論をする、そして政策を決めていく、こういう議論をぜひこれから政治の方で進めていただきたいと思います。

高田公述人 どうもありがとうございます。

 先生がおっしゃいました一体改革というところ、これは大変に重要なものであり、私も非常に評価しております。と申します以上に、市場の評価が高いということだと思います。

 何とか日本の国債の信認が保たれているというのは、財政規律という部分があったわけでございますので、そういう意味から申し上げますと、やはりこの一体改革という大きな道筋というものが超党派でできているということに国債市場の支えがある。しかしながら、それを具体化するということで考えていくんだとすれば、当然のことながら、その社会福祉、また全般的な給付体系にどうメスを入れていくのか。

 それから同時に、収入の方でございますけれども、日本は租税負担がまだ低い状況でございます。グローバルな投資家は、まだ低い、まだ上げることができるんだということを信じておりますので、その具体性をやはり信じているということでございますし、そこのところを、どういう形で国民に合意を求めていくのかというところを、この世界の市場の環境とあわせながら、よりみんなに知らせるということが、国民合意を求めるということが重要ではないかと思う次第でございます。

 どうもありがとうございます。

玉木委員 大変貴重な意見をいただきました。ありがとうございます。

山本委員長 次に、中田宏君。

中田委員 きょうは、公述人の皆様、ありがとうございました。それぞれ大変に、もう学ぶことばかりの話でございました。

 ただ、十五分しかないという中で、これから私の時間でありますので、そういう意味では、申しわけございません、中原徹公述人に全てお聞きをして、この限られた時間に、今後の、極めて貴重な教育改革についての議論を深めたいというふうに思っております。

 教育改革というふうに言いましたけれども、これはもう、ここで定義をしていたらそれこそ時間がたってしまいますから、言いません。その上で、現場と法律、あるいは国と地方、こういったことのギャップということをこれから改めていかないとだめだろう、こう思うわけでありますから、そこについての議論をしていきたいと思います。

 一言だけ前置きしておきますと、これは国会の中でどんなに議論していても、果たしてどれだけわかっているのかなというところがあると思うんです。中原さんから見てもそうだと思いますし。

 率直に申し上げて、同僚の議員の先生方がたくさんいらっしゃる中で私が生意気なことを言うのも恐縮なんですけれども、私も、国会議員をずっとやっていたらわからなかった、正直言って。もう、地方の教育現場の実態というものについての理解が足りていないというのは、これは私自身も自分を戒める意味において今あらかじめ申し上げた上で、地方の教育の実態ということについてお伺いをしていきたいというふうに思います。

 教育委員会の改革ということについて先ほど中原公述人が意見陳述をしてくれましたけれども、果たして、教育委員会が、今、日本のそれぞれの地方の教育行政の中できちっと機能しているのかということ、いじめの事件があったり学力の問題があったり、それから中原先生がおっしゃられた英語だとか教養だとか、こういったいろいろな問題がありますけれども、果たして、教育委員会が、しっかりとした理念、こういったものを提示しながら教育行政を引っ張れているのか、そこについて、まず、公述人の御意見を伺わせてください。

中原公述人 結論から言うと、教育委員会は機能していないと思います。

 これは、教育委員会に限らず、教育行政を現場の校長という立場から、あるいは今教育長という立場から見ていますけれども、キーワードとしては四つあると思うんですけれども、まず義務と権限というものが、世の中、当然、仕事をしていくわけで、あるんですが、まず、そこの感覚が非常に希薄な組織になってしまっている。

 つまり、やらなきゃいけないことと、やってもいいこと。やってもいいというのは、それぞれの権限あるいは裁量権ですから、それを行使した結果の責任はその人が負うわけですね。だから、権限の裏には責任があり、義務は当然義務としてある。まず、そういう仕組みが定立していないので、例えば、文科省が何ができるのか、それを受けて地方の教育委員会が何ができるのか、その地方の教育委員会の横にいる首長が何ができるのか、教育委員会の下にいる学校の学校長が何ができるのか、学校長ができるところはどこまでで、あるいはやらなきゃいけないことはどこまでで、そして、学校長の下にいる各先生が、個人で、裁量で何ができるのか、何をしちゃいけないのか。

 そういうところに、今三つキーワードが出ましたけれども、義務と権利、そしてその権利の裏にある責任、そこに一番どよんとのしかかっているのが、これは慣習。前例、慣例、因習、何と言ってもいいんですけれども、慣習と言います。慣習というのが存在しているがために、明確な、これは法的な義務なのか、あるいは教育委員会から与えられた権利なのか、そういうこともよくわからないままに、もわっと、今までそうだったからという。だから、学校の先生が一番喜ぶのは、職員会議で、ことしも去年と同じようにやりますといったときはみんなほっとするんですね。これは恐らくお役所も、もしかしたら日本の企業もそうかもしれません。

 そういうことの何が怖いかというと、やはり思考停止をしてしまう。自分たちでルールを、例えば、学校の先生に、何で茶髪はいけないんですか、生徒が何で茶髪にしちゃいけないのか、小学校でどうして髪どめをおしゃれなものをしてきちゃいけないのかというところが、意外と根本論から議論されていない。一つの例ですけれども。

 そういった意味で、今諸悪の根源になっているのは、先ほど申し上げた、やはり教育委員会制度自体。トップが、取締役が六人いるのに、そのうちの五人が非常勤で、責任の所在もよくわからない。トップの責任の所在がわからないものだから、当然、その下にぶら下がっている教育委員会事務局、そして各学校、学校長、先生というものも、何のルールがあって、何の権限があって、そして、どこまでが慣習でどこまでがルールなのかということもよくわかっていない。そういうのが現状だなというふうに思います。

中田委員 まさに、去年と同じでありますというと安心するというのは日本社会全体の問題だと私は思いますが、それでも、日本社会の中には責任と権限と役割というものがそれなりに一致しているのが普通なんですよね。ところが、教育の場合はそれすらが一致していない。責任が極めて曖昧ということが、さらに、日本社会全体のどんよりした雰囲気がますます凝縮した形であるのが教育行政のあり方だろうということだったと思います。

 その意味においては、中原さんが今度、大阪府の教育長になられたわけですよね、この四月から。という中で、その非常勤六人のうちの一人が教育長、常勤だという中で、これは明らかに、そういう意味では限界がある、こういうことになるわけですね。

 その限界があることと、一方では、教育長としてこれからやらなければならないと温めていること、そのことについてお伺いできますか。

中原公述人 確かに、教育長の限界はあります、これは六人で決めますから。ただ、これは民主主義をどう捉えるかということと結びついてくると思うんですが。

 私は、例えば、教育委員会制度が改革されて、教育長に教育委員会の権限が集中したときに、その上にいる首長に常に任免、罷免権があるということが正しいと思っています。

 例えば、松井知事から私が任命されたときに、急に私が一定の権力を持ってというのは、何もそこに民意の源泉というものが私には、間接的に、松井知事が選んだということで、あるのかもしれませんが、基本的にはないわけです。ですから、そういう人間が権限を持つというのは間違っていまして、やはりそれは選挙というスクリーニングを通した知事がいつでも、知事のところに中原というのはだめだという声が高まれば、当然知事は選挙に落ちてしまうということで、これは民意を酌まなきゃいけない。議会での議論を通じて、いろいろな議員の先生がおっしゃっていることが正しいのに、中原というのが変なことをやっている、そうしたら、それはすぐ首を切ればいいというふうに思っています。

 あと、残りの教育委員の五人をどうするかという話なんですけれども、全部選挙にしたらいいじゃないかという案もあると思うんですけれども、これはざっとですが、五億から十億くらい、一回選挙をやったらかかってしまうんじゃないかと思うんです。それを、ちょいちょい、やめるたびに行うような予算を、果たして国民や住民の方が求めているかというと、何かそれは違うような気もしますし。

 では、常勤で六人体制でやる。これも、そこまで引き受ける引き受け手がいるのかという問題と、あとは、そこに当然税金がかかるわけですよね。だから、そこまでする必要があるのかというと、私は、そこは否定論者なんですけれども。

 だから、首長が教育長を選んで、いつでもやめさせられる、そのかわり、首長が民意を酌み取って教育施策を実行していくというのが、新しい形の、一番民意を酌むやり方ではないか。そのかわり、表現の自由をしっかりと保障して、賛否両論、議論はいつでもしていくということが正しい姿じゃないかというふうに考えております。

中田委員 今、重要なキーワードがあったと思うんです。選挙ということなんですけれども、教育委員の選挙の考えまでありましたけれども、それに先立っての、いわゆる首長の選挙ですね。選挙で選ばれた首長が任命するというところまではいいんですけれども、そもそも教育の中立性とは何なのかというところについてのお考えをお聞かせいただきたいんです。

 私は横浜の市長をやりました。そうすると、教育のことを語るんですよ、選挙で。教育のことを語って、施設の充実だったり、英語教育を充実させますとか、給食の問題を語ったり、放課後児童の育成の話を語ったりしても、権限はないんです、これ。権限は教育委員会という、法人格が一体何だかよくわからぬ、そこに権限があって、では、約束する人は誰もいないという話になってしまいますよね。

 そもそも、選挙というのを経て本来は教育も語られるべきなのに、政治の中立性、教育の中立性というと、何かそこで議論がとまっているんです。この中立性ということについて、どうお考えになりますか。

中原公述人 まず、そもそもの出発点として、政治の定義というのが、多分、皆さんの中で曖昧になっていると思います。政治から教育が中立的でなければならないというのがいわば呪文のようになっていて、それを唱えるとそこで思考停止をしてしまうということが、先ほど思考停止という話をしましたが、あると思います。

 私の中で、政治とは何だと考えたときに、教育と離れていなきゃいけない政治という意味で使われるときには、それは各党の、あるいは各政治家の皆さんのイデオロギーであったり、個人的な心情であったり、あるいは党利、党の利益であったり、党の争いの道具になる、こういう意味での政治という意味では教育は離れていなきゃいけませんが、しかし、民意の反映という意味での政治という意味では、まさに政治が教育を引き受けなきゃいけないと思います。

 でないと、例えば、私が選ばれて、それからあと五人の人が選ばれて、結局、選ぶのも知事が選んで、その後議会が承認しますが、それで一回選ばれた人間がなぜか強大な権力を持って、その人たちは政治という言葉から逃れられて、何か神様のような非常に中立的な思考を持った人間だ、そういうちょっと論拠のないことが前提になっていますので。

 だから、これは、三権分立であるとか民主主義であるとか、一人一票の平等選挙という根源にかかわる話だと思っていまして、それを、例えば、昔、西洋なんかは、自分たちで、ある意味血を流して革命をしたりしてつくってきた中で、我々は、江戸時代には、全くそういう発想がなかったわけですね。それを急遽、明治維新で開国をしていったときに、どんどん輸入してきた。また、第二次世界大戦が終わって、教育委員会も含めて、アメリカが入ってきてつくった。

 そういう歴史的な経緯の中で、教育委員会を、本当に日本人が英知を結集して、ありがたがってつくった、思考を停止しないで、思考した結果できたものなのか、あるいは本当に普通選挙、一人一票の平等というものがどういう価値があるものなのか。やはり、そういう意味では、生意気なことを言わせていただければ、本当に、民主主義の浸透であったり国としての独立性みたいなものが保たれていないような、そういう印象があります。

 ですから、政治に対する教育との距離感というのは、そういうふうに考えております。

中田委員 ありがとうございました。

 時間も限られているので、あともう一つお伺いをしたいと思うんですが、国と地方の役割分担ということなんですけれども、これを教育においてはどういうふうに考えるかということであります。

 国が、教育のいわば水準、到達目標、こういったものを定めたり、あるいはその中身、先ほど来、教養あるいは英語、こういったことも含めて御提案がありましたけれども、国がその中身について、これはもう日本人としてしっかりやっておいてもらわなければいけないというようなこと、ここは地方分権とは別に、これは国でなければだめだと思うんですね。一方で、それを達成する手段の、現場における自由度であったり経営管理であったり、こういったことについては、それぞれの地方ではないのだろうかということを私は思うわけでありますけれども、この国と地方の教育における役割分担、ここをぜひお聞かせいただきたい。

中原公述人 先日、大阪府にある小さな町の町長とお話ししました。そうしたら、そこは、小学校が二つで中学校が一つなんですね。ですから、町長が、役場から、ガラス戸をあけると、小学校がもう見えているわけですね。そういう距離感の中で、町を挙げて子供たちを育てている。つまり、町を歩いている人が、小学生が行き来をしていると、おはようと声をかけて、悪いことをしていると、こらっと。これが非常に血の通った教育の原点なんだなというふうに、その町を見て私は感じました。

 例えば、その町の小学生と、東京の港区にある小学生、それはもう、環境も違うし、考え方も違うし、文化も違う中で、一律に同じような教育がうまくいくとは思えません。大阪府だけをとっても人口八百八十万、これは北欧四国と比べても、もうノルウェーやフィンランドよりも人口が多いような状態です。そんな中で、大阪府としても、一つの教育の中身というのを決めつけるわけにはいきませんので、それはできるだけ市町村に、教育の具体的な施策について、大きなゴールは一緒に共有するけれどもという形でやっていくのが正しいというふうに、だから、それは国と地方の関係でも同じように。

 現に、文科省はそんなに縛ろうとしていなくて、どっちかというと地方の方が勝手に萎縮してやっていないようなところもありますので、今回の大阪市の英語教育でも、別に文科省の方からやってくれるなとかいう話はありませんし、そこはもう、そういう考え方をきちんと整理して国と地方がやっていけばいいのかなというふうに考えております。

中田委員 貴重な御意見、ありがとうございました。

 終わります。

山本委員長 次に、杉本かずみ君。

杉本委員 きょうは、公述人の皆様、ありがとうございます。

 私以降は、十分ずつしか時間がありませんので、端的に御回答いただければと思います。

 先ほどの高田公述人のお話で、いつやるの、今でしょという、どこかの予備校のフレーズのようなものがありました。これは安倍総理にも、ぜひこの後のやりとりを聞いていただきたいと思います。

 そんな意味で、私は、国を重んずる人間として、党派を超えて提案をさせていただきたいと思います。

 まず、競争力、成長力、これが全てだと思っています。金融緩和によって、参議院選まで、あるいは年内もつと言われていますけれども、三本目の矢がいかに本当に放たれるかが全てだと思っております。

 そんな意味から、あえて申し上げますが、先般、原子力発電所を持つ電力会社の社長さんに、御社のバランスシートからこれをなくして、自由に競争できるような形であれば、発送電分離も非常に考えられる競争力の源泉ではないか、こういう話をしたら、にたっと笑って、うれしそうな顔をされました。

 率直に言って、原子力は、コストでありバーデン、負荷であるというふうに私は認識しておりまして、これを国有化するのか、あるいはブックアウトする形でとにかく電力会社から外してあげることによって発送電分離を進め、競争力を高め、今日本の中で問題になっているしがらみの世界、農業、医療あるいは電力、ここの部分を開放することによって競争力が増すと思います。

 高田公述人におかれましては、この電力、ちょっとお仕事柄、いろいろかかわる会社さんもあるのは十分わかっていますが、あえて彼らのためにも申し上げると、原子力をブックアウトして競争力を高める発送電分離、ここに成長力の可能性がどのぐらいあるとお考えか、教えてください。お願いします。

高田公述人 今、杉本先生から御指摘いただいた点でございますけれども、いずれにしても、エネルギー問題というのは、日本の戦後を考えましても非常に重要な歴史で、これの繰り返しであったということでございます。

 そういう中では、今、日本が大きな制約を抱えている分野がこの分野であるといたしますと、いろいろな選択肢というものに、これまでのしがらみにとらわれずに何でも対応、検討していく。そういう中で、今先生がおっしゃったような、原子力の関係のところを分離しながら発送電分離をしていくというのも重要な対策ではないかと思います。

 ただ、その中のいろいろな選択肢をこれから考えながら、その選択するものをいろいろな公開の場で、しんしゃくしていくと申しましょうか、いろいろなバランスにかけていくといいましょうか、そういう作業が必要になってくるのではないか、その中で、先生がおっしゃったものも非常に重要な選択肢の一つになるのではないかなと私は思う次第でございます。

 また、今、先生は農業とおっしゃいましたけれども、農業の点も含めて、まさに今ということの中で、いろいろな選択肢というものを、これまでの前例ということでなく、変えていくというところが重要なタイミングではないかなと私は思う次第でございます。

 どうもありがとうございます。

杉本委員 もう一つ、提案型で、先般も安倍総理と麻生副総理・財務大臣がいらっしゃるところであえて申し上げましたが、高速道路の、土日に限らず、平日も含めて、自家用車に限らず商用車もということで、いわゆるアセット・ライアビリティー・マネジメント上、このアセットマネジメントが実は我が国も求められているということの中で、既存設備の活用、アセットの活用というのは極めて重要だと思っています。

 いつやるの、今でしょ、こう私は安倍総理に申し上げたいですし、麻生副総理も多分賛成してくださると私は思っていますが、日本のデフレ脱却とはちょっと異にするという解釈もあるかもしれませんが、高速料金を、いわゆる距離に応じてお金が課金されるという形ではなくて、日本の物流コストを低めて、物流あるいは人の流れ、あるいはお金の流れも含めて、この高速道路の設備を、千円にしなくても、安価にして活性化することによって、日本の内需というのが極めて爆発的に伸びる可能性を秘めていると私は感じておりますが、これもまた高田公述人にお伺いしますが、端的に御回答いただければと思います。

高田公述人 どうもありがとうございます。

 今先生がおっしゃいました負担、アセット・ライアビリティー・マネジメントとおっしゃいましたけれども、そこのところで、どういう形でファイナンスをし、そして資産を持つのかというのは、いろいろな選択肢があろうかと思います。

 そういう中で、いかに活用するかということでございますから、一律の料金体系がいいのか、それとも、実際のその負担、もしくは便益に応じてといったところでどう対応するのかというのは、さまざまな対応策があると思いますので、一律がいいかどうか、その辺のところは、どこにある地域なのか、どういうような性格にあるのかといったところの、需要状況でございますとか、そんなものを踏まえながら、実態に合うような料金というもの、要は物流が動くということでございますから、そういうものに沿った体系にしていくということが必要だと思います。

 私は、そのためにも、いろいろな調査をしながら、需要等を考えながら、それに応じたフレキシブルな対応ができるようにということが大切ではないかと思います。

 どうもありがとうございます。

杉本委員 次に、いつやるか、今でしょということで、TOEFLの問題を中原公述人がおっしゃいました。

 私も、二十年前から同じ思いを持って、留学から帰った仲間とずっと勉強会を重ねて、日本の大学受験にTOEFLを入れるべきだということをずっと言い合ってきて、ようやっと政治家になりまして、実は、昨年の三月、旧民主党政権だったんですけれども、大学受験にTOEFLを入れないのか、韓国はそれによってかなり英語力が増して国際競争力を増した、いかがでしょうかと言うと、前政権を批判したくはありませんが、どうしても、制約の中で既成概念にとらわれて突破できないということがあるので、私は、党派を超えて、日本は本当に今ここにある危機であって、いつやるんだ、今だという意味で、このTOEFLの問題というのは極めて重要だと思います。

 先ほど、お話の中で、十二人のうち二人しか賛成しなかったというお話、十人だったか、全体がわからないんですが、どういうふうに先生方は反対意見を持っていて、逆に、賛成した方はどういう発想だったか、端的にお願いします。

中原公述人 十一人中二人なんですけれども、二人の人は、やはり、今まで私が申し上げたり先生がおっしゃったような感覚を持たれていた先生が、そういうおもしろい校長が来たから一丁挑戦しよう、そういう気持ちです。

 あとの人は、実は、これは、反対する人の考え方というのは二通りあると思うんですけれども、一つは、腹の底では実はよくわかっているんだ、しかし、やはり自信がないというのが一つのパターンじゃないかなと思います。もう一つ、反対する人は、そもそもグローバル化というものがもう余り関係ないじゃないか、そんなことをやらなくたって生きていけると。

 私の学校の先生の中では、そう思っている人はほとんどいなくて、先生ですから、やはり英語力をつけさせてあげたい、できればTOEFLで問題が解けるようになってほしいということはあったんですけれども、要は自信がない。最後、落としどころとしては、反対する人が引き受けるということはないからということで、やりたい、やるという人だけでその科目は任せるからということで結局折り合いがついたということを見ましても、要は、やはりこれは自信だと思います。

 戦後六十七年間ずっと英語教育は大失敗で、先進国の中でびりを独走している状態です。だから、もう本当にびっくりするようなことを思い切ってやらないと、六十七年間日本人が考えてきたことじゃないことをやるわけですから、それは物すごい風当たりというのはあると思うんですけれども、まさに、それは先生方、将来の日本の子孫のことを考えて、そこはぶち破っていってほしいなというふうに思っております。

杉本委員 次に、いつやるか、今でしょなんですが、間違ったことはやっちゃいかぬぞというような意味を含めて、間違ってはいない部分もあるんですが、片田公述人にお伺いするんですが、宮城県では、総延長百六十三キロのコンクリートの防潮堤をつくらんとしていますが、先般、南相馬に伺ったら、市長さんから、いわき方式じゃないけれども、いわき型の防潮林が実は多くの命を救ったというお話をいただきました。

 この点について、今までのお言葉に大分答えは含まれていると思うんですけれども、単に十メーターの防潮堤百六十三キロについて、どうお考えになるか教えてください。

片田公述人 地域の方が望み、そしてそれが可能であれば、財政の許す範囲でやればいいと思います。しかし、地域の方々は、それは本質ではないということを気づき始めておられると思います。その意見を尊重すればいいというふうに私は思います。

 そして、どれだけ高く、どれだけ大きな堤防をつくっても、それを越えるものは必ずあるんだということを考えたときに、それだけの大きな投資をすることの意味を、真剣に地域の方々と話し合うべきであろうというふうに私は思います。

杉本委員 終わりますが、山口先生、質問できずに申しわけございませんでした。

 どうもありがとうございました。

山本委員長 次に、宮本岳志君。

宮本委員 日本共産党の宮本岳志です。

 きょうは、四人の公述人の方々からの御意見、まことにありがとうございます。私も十分でありますので、時間に限りがあるかと思いますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 まず、山口二郎公述人にお伺いするんですけれども、今、アベノミクスと言われる経済政策、これがずっと進められているわけですけれども、先ほどのお話の中でも、トリクルダウン、つまり、大企業がもうかれば、やがて国民のところにも滴り落ちてくる、こういう状況にならないんだというお話がございました。

 私どもも、やはり、内需をしっかり拡大するという点で、今のままではいかないんじゃないかというふうに思っておるわけですけれども、山口公述人の御意見をお伺いしたいと思います。

山口公述人 多分、企業がもうかったらまずやるのは内部留保の積み増しでありまして、それに関する資料もきょうはつけております。

 内需を拡大するということは、消費性向の高い低所得者層、中から下のレベルの人たちの購買力を高めるということが一番効き目が大きいわけでありまして、そのためにはやはり再分配が必要であります。

 ですから、先ほど私が申した最低賃金の引き上げなどに加えて、例えば、非常に低賃金できつい労働をしている介護だとか保育といった対人サービス、社会サービスの労働においても賃金を引き上げる、そういう前提で社会保険システムをもう一回組み直すということが、やはり非常に即効性があると思います。

 ついでながら、公務員給与の削減というのは、やはり地域にとっては非常に需要を減らす原因でありまして、この点についても、単なる公務員バッシングじゃなくて、もうちょっと地域経済の実態に合わせた、本音の議論が必要だと思います。

宮本委員 最低賃金の引き上げということにも今触れられました。

 我が党は、かねてより、最低賃金をせめて時間千円以上に引き上げるということも訴えてきたわけですけれども、賃金というか働く者の収入の問題では、今、首相が企業、経済団体に賃金の引き上げを要請した、あるいはそれに応える企業も幾つか生まれてきた、こういう報道もされているわけであります。

 山口公述人の方から、最低賃金を引き上げていく、これが本当に一番効果的だというお話でありましたけれども、どの程度、どれぐらい引き上げていく必要があるとお考えか、これも含めてお話をいただきたいと思います。

山口公述人 一九九七年にイギリスで労働党が政権をとった後に、イギリスで初めて最低賃金制を導入いたしました。当初は経済界ももちろん反対をしたんですが、実際にやってみると、むしろ、まさに内需が拡大して、経済的な効果があったという研究も出されているわけであります。

 具体的な金額がどうかと言われると、私はそっちの方の専門家ではありませんが、やはり、おっしゃったように、最低一時間千円、あるいは標準的な生活を営むために必要な経費を所定の労働時間で割ってという発想で、徐々に引き上げていくべきだというふうに思います。

宮本委員 山口公述人が新聞などに書かれたものを読ませていただきますと、四月の二十八日に、安倍首相が、内閣が今度決定をした主権回復記念式典、これについても異議を唱えておられると思うんですね。

 私たちも、この日を国民全体で祝うというのはやはり問題がある、こう考えておりまして、このあたりについても御意見をお伺いできたらと思っております。

山口公述人 サンフランシスコ講和条約が発効する日を主権の回復として位置づけるということは、要するに、非常に抽象的な国家の主権の復活を祝うということであります。日本国は、憲法の中で国民主権の原理を明示しているわけでありまして、やはり国民主権という観点で主権という問題を考えなければなりません。

 そうすると、例えば定数不均衡の問題等々、国民の主権が十全に行使できないような状況を放置しているこの政治の現状で主権を云々するというのは、私にとってはまことに不可解と言うべきでありますし、さらには、例えば、先般報道があった、日米安保条約の、いわゆる砂川事件に関する当時の最高裁長官の行動ですとか、およそ主権国家とは思えないようなことが多々あったわけでありまして、そういうことをきちっと総括して、日本の国の主権というものが一体いかなるものか、国民主権というものが本当に守られているか、そういう論争こそが必要だと思います。

宮本委員 私も、この予算委員会でTPPをめぐる総理との論戦にも立たせていただいたわけですけれども、本当に、我が国の国民の利益というものをいかに守るかという点で、独立国と言えるのかと言われるような現状が現にある。また、前半に意見をお聞かせいただいた経済対策にしても、国民の暮らしをどう温めるかという点では、まだこのアベノミクスというものからは何も見えてこないということは、本当に重大な問題だと思っております。

 次に、片田公述人にお伺いしたいと思うんです。

 かつて対談をされたような資料なども読ませていただきました。片田さんは、何といっても、防災教育において子供たちを一つ一つ納得させることが大事で、知識偏重や、災害が起こると怖いというようなおどしではうまくいかないんだ、こう書いておられます。

 私は非常に大事なことだと思っておりまして、いじめの問題あるいは道徳教育の問題、さまざまな議論がきょうも交わされておりますけれども、もちろん、私どもも、市民的な道徳という意味での道徳、これは決して否定するものじゃないですけれども、ただ単に、厳罰でおどすとか、あるいはマニュアルをつくって安直にやるというだけではいかないわけであって、このあたりのところ、ぜひ、防災教育に取り組んできた御経験から、お聞かせいただきたいと思っております。

片田公述人 私が今、防災教育を全国でやっているわけなんですが、そこで重視していることは、今先生がおっしゃったような、おどしの防災教育はいけない。それは、もし、津波が怖いぞ、津波が怖いぞと教えていく、逃げなきゃ死んじゃうぞ、こういう教え方をしますと、子供たちは地域のことを嫌いになっていきます。自分の地域のことを誇りに思えなくなります。そして、いつか出ていこうと思います。

 私は、釜石の子供たちにも、釜石はとってもいいところだ、海がこんなにきれいで、食べるものがこんなにおいしくて、君たちはここに住んでいるからわからないかもしれないけれども、とってもいいところなんだ、まず、その地に住むに当たって一番大事なことは、その地を誇りに思い、大事に思い、そして、思い切り海に近づいて、思いっ切り恵みをもらうということ、これを未来永劫もらえるように、そのためには、時々、海の大きな振る舞いにもつき合わなきゃいけない、でも、恐れるな、そんなのは一生に一回か二回だけだ、その日、そのときだけしっかり逃げる、大人たちは逃げないかもしれないけれども、君はしっかり逃げる、君であればいいんだ、決して人に委ねるのではなく、自分の意思で、そのときだけかちっと行動をとれる君であれ、こう教えてきたわけです。これを僕は姿勢の防災教育といい、地域に住むお作法の教育だろうというふうに思っています。

 そういう観点からいくときに、単に、怖いぞ、怖いぞ、怖いから逃げなきゃいけないんだ、こういう教え方は僕は間違いだと思いますし、知識偏重型の教育、これさえ知っていれば大丈夫などということは、相手は自然だからあり得ない。

 だから、主体的に判断できる姿勢を身につけ、判断力、主体性を身につけ、その地に住む姿勢を身につける、そして、それを地域のお作法として教えることの重要性、これを今の防災教育の重点に置いて取り組んでおります。

宮本委員 時間が参りましたけれども、片田さんのものを読んでおりますと、子供たちは、やはりなかなか、逃げるということを言っても、すぐには逃げると決められない。それに対して、君が率先して逃げたら皆の命が助けられるぞ、もし君が逃げなかったら、お母さんが危険を顧みず迎えに来ようとするじゃないか、お母さんの命まで危ないぞ、こういうふうに語ってもらったという話を聞きました。

 やはり、一人一人が自主的に判断できる能力を子供に培う、ここに教育の原点があるように思います。

 本日は、まことにありがとうございました。

山本委員長 次に、村上史好君。

村上(史)委員 生活の党の村上史好でございます。

 きょうは、公述人の先生方、本当にありがとうございます。私が最後の質疑者でございますので、よろしくお願い申し上げたいと思います。

 さて、予算委員会の方でも、デフレの問題、景気の回復、さまざまな角度で質疑をされております。金融、財政あるいは成長戦略、さまざまな論点が出てまいりました。

 ただ、一つ、私は、このデフレ不況を脱却する意味において、そういう経済的なまたは金融政策的なことだけではなくて、日本が今抱えている社会的な、構造的な問題がこのデフレ不況の遠因あるいは心理的な要因になっているのではないかなというふうに考えております。

 具体的には、まず、雇用の不安、あるいは格差と言ってもいいと思います。あるいはまた、税と社会保障の一体改革という中で結論が出るわけでございますけれども、年金一つとっても、所得比例年金にするのか、現在の年金制度を維持したまま続行するのか、そのことも全く見えてこない。また、世代間格差あるいは地域の格差、そして所得の格差、さまざまな問題を、今、日本は抱えております。

 そういう中で、どうしても心理的に消費に向かない、あるいは企業も積極的な対応ができないという、いわゆる内向きのあるいは縮小の状態の中で、幾らさまざまな対策を打ってもこのデフレ不況を脱却するというのはかなり難しいのではないかというふうに思っております。

 高田公述人と山口公述人にその点について見解をお伺いしたいと思います。

高田公述人 どうもありがとうございます。

 先生がおっしゃいました、構造問題と申しましょうか、私が最初に御説明申し上げた中で言いますと、やはり、八〇年代に余り大きく借り過ぎてしまったと申しましょうか、信用拡張というようなもの。それまでの食べ過ぎといいましょうか、その反動みたいなものが、どんどんどんどん、ダイエット、ダイエットというような状況。それに加えまして、やはり円高の二十年間という中で、どうしても、自分の身を少しくしてでも、世の中で、世界の中で生き残らなければいけないのではないかというようなもの。

 ですから、一企業の方々の生き残りでは正論ではあるんですが、まとまってまいりますと、合成の誤謬として、デフレ、デフレと縮小均衡というものをつくってしまった、そういうスパイラルになってしまったということだと思うんですね。

 ですから、ここからの脱出ということになってまいります。そのわなからいかに脱出できるかということなんだろうと思います。そうしますと、実は、ダイエットはもうかなり終わっております。ということから申しますと、先ほど円高のところの縮小均衡というんでしょうか、それを切った上で、いかにみんなが前向きな、今でしょというような旗印のものを持つことができるかというところが私は大きいのではないかと。

 ですから、一つ、為替が変わったのは大きい点でございますけれども、次に、成長にというようなための、何か旗印といいましょうか、それを、英知を持って皆さんで、我々も含めて考えていく、まさにそれが今問われている時期なのではないかなと思う次第でございます。

 どうもありがとうございます。

山口公述人 数字先行ということを私は申しましたが、やはり今の株高、円安を喜んでいるのは、輸出でもうける企業、あるいは株等に投資できる富裕層。今から市場に入っていく人は、多分ばばを引かされるだろうと私は予想しております。

 中期的に日本の経済、社会を立て直すということでいえば、まさに生活の展望をきちんと示すということでありまして、中流の没落というのは世界じゅう悩んでいる問題ですけれども、日本の場合、やはり、正規社員じゃなきゃ中流になれなかったという今までの仕組みに対して、たとえ非正規であっても、夫婦二人で働けばそこそこの生活ができるという社会環境を整備することが、私は喫緊の課題だと思います。

 そのためには、やはり、繰り返しになりますが、教育、子育て、医療、介護等の対人サービスについて社会できちんと供給する。それも公共財として、無償ないし廉価で供給するシステムを早急に整える。それによって、みんなが安心して、多少給料が安くても、働いて、家族を持って、子供を産んでという好循環が始まるだろうと思います。

村上(史)委員 ありがとうございました。

 一言で申し上げれば、将来的な不安を解消することによってそういう前向きのマインドをつくっていくということが必要ですし、そのことは、我々政治の方に課せられた大きな課題だと思っております。

 次に、高田公述人にお聞きしたいと思います。

 私は、消費税の引き上げのタイミングについてお伺いをしたいのですが、景気回復、デフレ不況を脱却するという大きな目標の中で、国民に新たな負担を求める消費税増税のタイミングというのは大変大きな問題だと認識をしております。

 高田先生の先ほどの資料の中でも、経済成長路線に戻れば増税だというふうな表記になっておりますけれども、消費税増税のタイミングについてお伺いをしたいと思います。

高田公述人 消費税のタイミングでございますけれども、同じページのところでございますけれども、私は、実は、市場の財政規律の一つのしるしなのではないかなと思っている次第でございます。

 先ほど申しました日本の国債の安定というところは、先ほどお父さんとお母さんのやりとりと申し上げましたけれども、その中の信頼関係でございます。その最低限のものを示すというところ、これが今はなかなか、いろいろな選択肢がない中での消費税ということではないかと思っておりますので、やはり、国債市場の安定を求める上での、信頼関係の、愛の一つのしるしと申しましょうか、というところ。

 その中で、もちろん、大幅に上げるということになれば景気を冷やすということになりますので、大幅にということには限度があるわけでございますけれども、少しでも値を示しておく。そういう意味では、今検討されております数%のといったところは、私は、国債の市場の中でのそれなりに非常に重要な観点であり、それを持続的に、どんどんということになれば、先ほど書かせていただいておりますように、やはり、タイミングをより見きわめながら成長に沿ってという、両建てで考えるべきではないかなと思う次第でございます。

 ありがとうございました。

村上(史)委員 ありがとうございました。

 若干意見は異にするんですけれども、やはり、景気の足を引っ張るということは消費税の宿命でもありますし、橋本内閣のときもどうしてもそういうことになったということは事実でございますので、その点は慎重に考えるべきだと思っております。

 それでは、最後に、山口公述人にお伺いをいたします。

 私は、安倍内閣は、本当に数字的には順調にスタートをしたというふうに評価はいたしますけれども、ただ、参議院選挙後の、憲法改正の問題が政治スケジュールにのるのではないか、あるいは、過度な金融緩和政策が最終的に金融不安に行ってしまうのではないか、また、原発を再稼働するということを前提にしたエネルギー政策ということの方向性を打ち出されておりますけれども、私はその行く末の危うさを感じているんです。

 山口先生の安倍政権に対する見方を教えていただきたいと思います。

山口公述人 事経済に関して言えば、やはり、非常に直近の問題に手をつけて、目に見える成果を上げるというアプローチだと思いますが、御指摘のように、バブルを生む、そしてまたそれが大きな混乱を生むという危険性は大きいというふうに懸念をしております。

 それから、憲法、外交等の問題に関して言えば、非常に現実的に慎重な政権運営をされることは私は大いに結構だと思いますが、参院選の後に本音を出して憲法改正に着手というようなことになりますと、これはちょっと話が違うのでして、昨年十二月の総選挙における民意は、やはり自民党にとりあえず雇用、景気の問題に取り組んでもらいたいという民意でありまして、それ以上の信託、負託というのは、正直言って、国民はちゃんと考えていなかった。

 ですから、雇用、景気という問題を超える、政治体制の原理にかかわる問題に関しては、やはり国会全体としてしっかり御議論をしていっていただきたいと願っております。

村上(史)委員 ありがとうございました。

 終わります。

山本委員長 これにて公述人に対する質疑は終了いたしました。

 公述人各位におかれましては、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。

 午後一時から公聴会を再開することとし、この際、休憩いたします。

    午前十一時五十一分休憩

     ――――◇―――――

    午後一時開議

山本委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。

 平成二十五年度総予算についての公聴会を続行いたします。

 この際、公述人各位に一言御挨拶を申し上げます。

 公述人各位におかれましては、御多用中にもかかわりませず御出席を賜りまして、まことにありがとうございます。平成二十五年度総予算に対する御意見を拝聴し、予算審議の参考にいたしたいと存じますので、どうか忌憚のない御意見をお述べいただきますようよろしくお願い申し上げます。

 御意見を賜る順序といたしましては、まず別所俊一郎公述人、次に小黒一正公述人、次に嶋中雄二公述人、次に小田川義和公述人の順序で、お一人二十分程度ずつ一通り御意見をお述べいただきまして、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。

 それでは、別所公述人にお願いいたします。

別所公述人 慶應義塾大学経済学部の別所です。

 今回は、貴重な機会をいただきまして、まことにありがとうございます。

 今回の発表の趣旨はお手元の資料にあるとおりでございますので、それに沿ってお話をいたします。

 本日は、私の研究分野に近い点について、政府予算案についての意見を申し上げます。

 平成二十五年度政府予算案については、私は、基本的には賛成の立場です。復興・防災対策などを重視した上で、プライマリーバランスを着実に改善させ、財政健全化目標の達成へ向けて進んでいるように思われる点が、特に賛成できる点です。また、実施は平成二十七年度以降になりますが、所得税の最高税率を引き上げるという点も評価しています。

 ただし、全面的に賛成というわけではなく、相続税及び贈与税の軽減については、私は、余り評価はしていません。

 これから、なぜそのように思うかについて述べますが、基本的には、厳しい財政状況が続く中で、これを改善する方向に何らかの行動を起こした方がよいのではないかと思われること、他方で、社会保障等の充実が求められるとすれば、そのことが財政状況をさらに深刻な方向へ持っていくのではないかと感じられることがその理由です。

 最後に、今後へ向けて思うところを少し述べたいと思います。

 資料の二枚目ですが、国と地方を含めた政府全体の収支をまとめた図を載せています。数字は二〇一一年度のものです。

 省略している数字があるので収支がずれているところもありますが、大まかに言えば、政府は、全体として、税として七十九兆円、社会保険料として五十六兆円を集め、借金を五十兆円ほどした上で、年金、医療に八十八兆円、福祉などに二十七兆円、そのほかに五十五兆円ほど使っています。社会保険料は制度的には税ではないのですけれども、ほぼ税金と同じようにみなすことができると私は考えています。

 この図から明らかなように、社会保障に政府は半分以上使っているということになっております。

 したがって、その下に書きましたように、社会保障の支出を見直すことは必要だと思います。社会保障というのは、基本的には、誰かから取って誰かに上げるという政策なので、支出を減らす方法というのは主に四つ考えられます。第一は、誰かから取る分をふやす、第二は、誰かに渡す分を減らす、第三は、取る人をふやすか受け取る人を減らす、第四は、受け渡しの途中で消える分を減らすということです。

 もちろん、社会保障制度が人々の行動を変える効果、つまり、取られた人が働かなくなるとか、日本から出ていくとか、あるいは、受け取った人が働かなくなるとか、不正に受け取ろうとする人が出てくるとかいう問題を考えなくてはいけませんけれども、基本的にはこの四つです。

 社会保障と税の一体改革では、御存じのとおり、全世代対応型への転換というのがうたわれ、年齢によらず、受け取るべき人には渡しましょうという方向で改正が進んでいるものと理解はしています。

 この転換の方向性は、大まかには、誰かからもっと取るという点では、高所得高齢者を初めとする現在世代からもっと取る、誰かに渡すのを減らすという意味では、現在世代に渡すのを減らす、少子化対策とか年金の給付年齢の引き上げというのは、取る人をふやして受け取る人を減らすということにちょうど対応しています。また、行政改革や各種制度改革あるいはマイナンバー制度というのは、途中で消える分を減らすということに対応しているものだと理解しています。

 さらに、高齢化が進みつつあるということを考えますと、これも社会保障の財政に大きな影響を与えかねない。高齢者は社会保障の受け取り手になりやすい傾向がありますから、社会保障から財政を健全化しようと思えば、高齢者の受け取りを全体として減らし、現役世代の支払いを全体としてふやす、また高齢者から現役世代に移ってもらうといった方向での検討が必要になろうかと思います。

 高齢化というのは確かに大きな問題だと思うのですけれども、世代以外にも注意するべき点はさまざまあると思います。

 例えば、制度間の連携がうまくいっていないところがあるということや、社会保障が果たすべき役割を企業や家族に依存していたということから、それが原因で保険が分立しているといった点は問題かもしれません。

 世代内の不平等という点では、加入している保険によって受け取るサービスが異なる、例えば、健康保険料率というのは比較的豊かな人が多い大企業の方が低い傾向にあるということであるとか、あるいは、地方単独事業の存在によって、子育て支援に地域差が発生しているとか、予防接種の助成についても地域によって差があるとか、そういうことは、私個人としては、余り好ましいことだとは思っていません。

 それから、世代とちょっと関係するんですけれども、不平等の世代間連鎖というものも問題だと思います。この点で、私は、相続税や贈与税の軽減というのを必ずしも評価していないです。経済的に恵まれた家系に生まれついた子供が、そう生まれたというだけで、教育費などでさらに有利な立場に立つということになるからです。

 支出の規模で見ると、社会保障支出のかなりの部分は、年金と医療で占められています。年金と医療、介護というのは、現金を渡すか、あるいは、サービスの提供体制まで考える必要性があるかという点で大きく異なります。高齢化がさらに進むことを考えると、医療、介護の費用をどうするかということは大きな問題点の一つだと思います。

 日本の医療制度というのは、国際的には非常に高く評価されていると私は認識しています。その理由は、健康水準が高い割に医療費が低いということにあります。

 この医療費が低いということは、もちろん、関係する方々が献身的な努力を払われてきた、また、それに伴う効率的な制度設計が行われてきたおかげであろうと思うのですけれども、他方で、医療・介護サービスを提供する人たちへの支払いを抑圧してきたということが考えられるのではないかと私は個人的には危惧しています。

 そうすると、さらに費用を削減し、医療、介護に関係する人たちへの支払いを直接的、間接的に減らすということは、サービス水準の低下につながるかもしれません。言い方をかえると、医療、介護を提供する人たちの善意だけに頼っていてはいけないのではないかということです。

 お金を減らすとサービス水準が低下するかもしれないということは、政治家の皆さんであるとか、公務員であるとか、あるいは国立大学の教員であるとかというところにも同じことが成り立つのではないかなと心配しています。

 医療、介護に戻りますが、そう考えると、医療、介護費用を適正化するということで費用を節約していくということが今後はさらに難しくなっていくという可能性が高いと思います。

 こういった状況下で、公債残高、国の借金を減らすにはどうするかということを考えてみます。今回は、国の借金をなぜ減らさなければならないのかということについては申し述べないことにします。

 経済規模に対して国の借金を減らす方法は、主に五つあります。一つは歳入をふやすこと、第二は歳出を減らすこと、第三は経済規模の方をふやすこと、第四はインフレを起こすこと、第五は踏み倒すことです。

 デフォルトというのはしないとすると、大胆な金融政策というのは第四番目の方法に対応しているものと考えられ、成長戦略というのは三番目の方策にちょうど対応していると考えられます。

 この五つの方法の中で一番弊害が少ない方法は、第三の方法ですね。成長を促し経済規模そのものを大きくするという方法です。これには規制改革とかいろいろなことが含まれると思うのですけれども、成長戦略とか金融政策は私はよくわかりませんので、最初の二つについてだけ、もうちょっとお話をしようと思います。

 歳入をふやすか歳出を減らすかと考えるときには、歳出を減らすことには限度がある、自然増によって歳入を期待するということも難しいのではないかと思います。先ほど述べたように、歳出のかなりの部分は社会保障が占めていて、社会保障の支出を減らすということは、サービス水準を減らすということを甘受しない限りは難しいように思います。また、公共事業や人件費というのも、現在の水準よりも大きく減らすということには限界があるように思います。なので、明示的な増税を行う必要があるのではないかと考えています。

 ですけれども、日本という国は、明治期以来、明示的な増税というのは余り行ってこない国でした。次のページのグラフというのは、一九五五年以降の政府全体での収支を示したものですけれども、経済規模に対する比率で見ると、社会保険料というのは一本調子に上がっているのですが、真ん中の破線で示した税収の方は、GDP比で見て一五から二〇%の間をうろうろしています。

 もう一つ、これから行われるべき増税というものは、政府が提供するサービスを充実させるというよりは、既に政府が提供したものに対する支払いを後から行うという性格が強いものだと思います。税金を支払うからには対価が欲しい、政府サービスが欲しいという感覚があるので、既に受け取った分を払えというのは結構受容しにくい事態だと思います。

 増税の経験が少ないということと、既に受け取ったものを今から払うということ、つまり今後の対価が求めにくいということは、今後の財政運営にとってはかなり障害になるのではないかと思います。

 単に税金を取るといっても、誰から取るかによって、その影響というのは当然異なります。基本的にはみんなで払うのがいいと思うんですが、やはり経済的に恵まれている方にはそれなりに払っていただいた方がいいのではないかと私は思います。

 そのような差をつけやすい税は所得税ですから、その点で、累進性を強化しようとする昨年度及び今年度の税制改正というのを私は評価しています。

 もちろん、所得税というのも完全な税ではないですから、消費税も必要にはなろうと思います。消費税の導入というと複数税率とか軽減税率の議論があるんですが、経済的に恵まれていない方に対する配慮をするという点ではいいように思えるのですけれども、軽減税率というのは高所得者にとっても優しい税になるという性質を持っているので、税収を確保しようと思うと、税率全体をさらに上げなければならないとなります。したがって、税収を確保するためには、軽減税率というのは余り使わない方がいいのではないかと思います。

 あと、地方分権の時代ということなので、地方自治体の基幹税である資産税、特に固定資産税については検討する必要があると思います。

 最後なんですが、具体的に誰にどれぐらい払ってもらうのかというのは国会で決めるべきことで、私がこう思ったからどうだというわけではないのですが、財政が深刻な状況になっているということを考えると、財政再建を進める仕組みをつくっておく必要があるのではないかと思います。

 減税とか歳出拡大というのは今の有権者の支持を集めやすいところがありますし、もちろん機動的な財政出動というのも必要だと思います。ですが、政権交代が起きやすいという、起きてほしいとかそういう意味ではなくて、起きやすい状況になったということを考えると、減税や歳出拡大をしたくなるという誘惑は大きいのではないかと思います。

 とすれば、財政再建とは言わないまでも、せめて財政が悪化しないような仕組み、超党派の縛りというものを設けた方がいいかと思います。債務残高であるとかあるいは財政収支について、政権党がかわってもみんなで守り続けるようなルールというのをつくっておく必要があるのではないかなと思います。ルールがなくても、財政状況について中立的な立場から監視し報告するような機関をつくっておくということでも、財政への縛りになるかもしれません。

 ただ、そのような縛りが縛りとして機能するかどうかは、予算を編成し審議する議員の皆様に依存しています。なぜなら、議員というのはルール自体を変更することができるからです。もちろん、ルールを変更できること自体は、経済環境が大きく変わったときに対応できるという点で好ましい性質だと思うのですが、財政再建とどう折り合いをつけていくかというのは考えておかなければならない問題ではないかなと思います。

 少し早いですが、私の公述はこれで終わります。ありがとうございました。(拍手)

山本委員長 ありがとうございました。

 次に、小黒公述人にお願いいたします。

小黒公述人 法政大学経済学部准教授の小黒でございます。

 本日は、貴重な意見公述の場にお招きいただきまして、ありがとうございます。

 お手元の方に、分厚い資料「アベノミクスと日本経済の課題」というものと、あと、日本経済新聞の「経済教室」とをお配りしてございますので、これらを用いまして、簡単に私の意見を述べさせていただきたいと思います。

 まず、「アベノミクスと日本経済の課題」の方の資料の一ページをおめくりいただきまして、見ていただきたいんです。今、慶應大学の別所先生が、日本の財政の概観についてお話しいただきました。非常に財政が厳しい状態であるということは、まさに私も同じ認識を持っております。

 そうした中で今回の予算が出てきているわけですけれども、私も、一〇〇%完全にそれに同意するということはない、ただ、今現状で予算編成をしているものについてはこれで仕方ないのかなというふうに思っております。ただ、もうちょっと中長期的な中身の中で、今、日本が置かれている財政状況は非常に厳しいものですので、何らかの大きな視点を持って改革を進めていく必要性があるのではないかというふうに認識してございます。

 そこに書いてありますのが三つの視点でございまして、認知的不協和を打破し、第二の敗戦を回避すると書いてございます。

 これはどういう意味かと申しますと、後でちょっと御説明させていただきますけれども、社会保障費を削減するのはなかなか容易ではないという前提に立ちますと、仮に、消費税率でこれから増税をしていって財政を安定化させるということになった場合、少なくとも、その消費税率は二〇%を超えるような高い税率でないと財政が安定化しないというような形になるものと思います。ですけれども、一般的な風潮としては、とりあえず今回五%の増税をするわけですけれども、それでどうにかなるのではないか。

 あるいは、経済成長そのものは非常に重要ですので、私も全く否定しませんし、できれば、経済成長によって、先ほど別所先生が御説明されていましたように、財政の安定化、債務残高GDP比が安定化するような状況に持っていくということは非常に重要だと思いますけれども、やはり経済成長だけでは難しいということは明らかであろう。そうしますと、やはり抜本的な改革をせざるを得ないのではないか。

 その場合に、人口増のシステム、今はいろいろ、年金等でございますけれども、これを微修正する形でやっていくのか。あるいは、人口減少、少子高齢化がこれから進んでいくことを前提として、一度かなり痛い思いをするかもしれませんけれども、抜本的な改革をするのかというところの対立軸が重要な視点になってくるのではないかというふうに考えております。

 そういった中で、では何を重要な哲学としてやっていくことが重要かといいますと、私なりの考え方ですと、将来の日本に何を残すのかということを、我々、国民全体が考えていく必要があるのではないかというふうに思っております。

 どういうことかと申しますと、予算は限られておりますので、例えば、ここの事例に書いてありますように、年金みたいなものは、基本的には消費に相当するものであるというふうに認識しております。他方で、例えば、教育、科学技術みたいなものは、将来の日本の経済成長を促すような投資的な部分も持ってございます。そういった二つの予算を考えた場合に、では将来の日本に何を残すのかということを考えた場合には、やはり私は後者の方が実は重要ではないかというふうに考えております。

 そうはいっても、限られた中で年金とかも再分配していかなければなりませんので、困っていない人が困っている人を助けるというような形で、世代間移転をこれからは重視するのではなくて、むしろ世代内の再分配を強化していくという形で、困っている人を救い上げていくような改革が必要なのではないかというふうに思ってございます。

 資料が大部でございますので、全部説明することはできませんが、まず、消費税率等についての御説明をさせていただきたいと思います。

 資料の六ページ目をごらんください。この資料は、いろいろ国会等でも御説明させていただいている資料で、もしかすると先生方も何度もごらんになられているかもしれませんけれども、まず、やはり一つ重要な視点は、社会保障費が今毎年一兆円超で伸びていっている中で、もし、この社会保障費を抑制しない形で債務残高GDP比を安定化させるというようなことをしますと、二〇一七年度に一気に消費税率を引き上げたとしても、三三%ぐらいになってしまうだろうということです。

 それから、三番目にございますけれども、今、金融政策の量的緩和で二%のインフレーションを目指しておりますが、仮にこれが恒常的に成立したとしても、二五・五%ぐらいの消費税率が必要だろうというような換算になっているという海外の研究者の研究報告もございます。

 そうした視点に立ちますと、やはり非常に厳しい。こういった中で軽減税率を入れれば、もっと高い消費税率にならざるを得ないというような状況ですので、やはり現実をきちんと直視して議論を進めていく必要があるのではないかというふうに考えております。

 それから、七ページ目のスライドでございますが、これは、前民主党政権が進めた消費増税五%の法案を仮に実施したとしても、では、どれぐらい財政が延命できるのかというような簡単な試算を、これはブラウン・アンド・ジョインズという二〇一一年の推計でございますけれども、実は、大体四年か五年ぐらいしかないということになります。

 これは目の子で計算できまして、消費税一%で二・五兆円入りますので、純増で大体十二兆円ぐらいだという形になります。社会保障費は大体一兆円超で伸びておりますし、これから利払い費が現状の金利の推移でも〇・八兆円ぐらい伸びていきますから、年間大体二兆円ぐらい伸びていくということです。十二兆円を二兆円で割りますと、ざっくり言っても六年ですので、四、五年ぐらい延命できる期間しかないということでございます。

 そういった中で、八ページ目のスライドを見ていただきたいんです。一気に消費税率、もしくはいろいろな増税の仕方があると思いますし、裏側では歳出の削減等いろいろ進めていく必要があると思いますが、一度に消費税率を三三%もしくは二〇%ぐらいまで引き上げるということはなかなか現実的には難しいですので、仮に段階的に引き上げていくということをした場合に、彼らはまた別途の計算をしてございます。

 二%のインフレーションがずっと続くということをまず前提とした上で、そこに、高齢者の窓口負担等、これは七十歳から七十四歳ぐらいのものですけれども、一割負担になっているものをきちんと二割にする。しかも、年金の所得代替率の五〇%のところを割ってもまだカットしていく。それから、政府の経常経費を一%削減するというようなことをしても、スライドの九ページにございますように、段階的に引き上げていった場合には、三〇%を超えるような消費税率にならざるを得ないということでございます。

 こういった中で、では、これから解決策としてどういうものがあるのかということでございますけれども、十ページ目のスライドを見ていただきたいんです。

 ほかにもいろいろな解決策はございまして、十一ページのスライドの方に、私なりに考えているものを「危機脱却の再生プラン」という形で、これは中曽根元総理の推薦をいただいていますけれども、本を出してございます。ただ、全部に触れる時間はございませんので、幾つか要点だけを絞って御説明させていただきますと、十ページに書いてあるような三つのものが基本的にはやはり重要ではないかというふうに考えてございます。

 一つが、社会保障予算のハード化と呼ばれてございますが、これからは人口が、特に高齢者の人口がどんどん伸びていくという中で、経済成長率よりも高いような伸びをしていくということになりますと、やはりそこに何らかの制約をかける必要がある。その場合には、社会保障の受益と負担はきちんと透明化するように、給付と負担が一致するように、別の会計にして管理していくというような仕組みが必要ではないかというものが解決策の一番目になります。

 それから、解決策の二番目ですけれども、ちょっと資料の後ろの方になってしまって恐縮なんですけれども、五十六ページを先に見ていただきたいんです。

 これは、仮に、段階的に、今の財政赤字を単に消費税率で閉じていった場合に、どれぐらいの税率が必要になるかというものを模式化したものでございます。

 例えば、二〇一一年度ですと、財政赤字が三十五兆円、本当は四十兆円ぐらいございますが、公債の償還とかにためている十兆円分がありますので、それを除きますと、本当の赤字は三十五兆円ぐらいというふうに認識してございます。そうしますと、仮に二〇一一年時点ですと、大体、消費税換算一四%ぐらいで閉じれば、財政が閉じるということでございますが、二〇五五年ぐらいになりますと、先ほどのブラウン・アンド・ジョインズとかの推計と同じような形で、一四%プラス一二%で二六%ですね、今の消費税五%分がありますので、大体、消費税三一%のような世界にしなければ閉じないということになります。

 この場合、何が起こるかといいますと、基本的には社会保障費がどんどん伸びていく中で、その財源の負担を主に負うのは現役の世代になります。そうしますと、ちょっと言葉は悪いんですけれども、高齢者高福祉、若者高負担というような形で、非常に過重に重たい負担が将来世代、もしくはこれからの若い世代にかかっていくということになると思います。

 そのような仕組みを改めるものとしまして、先ほどの十ページの解決策二として、事前積み立てというものを入れていく必要があるのではないかというふうに考えてございます。これは、みんなの党であるとか、あと、民主党の一部の先生方も何か賛同していただいているというふうな話を伺っております。

 今の年金は、実は、完全な賦課方式にはなっておりませんで、一部積立金を持ってございます。この積立金をもうちょっとうまく活用することで、将来の負担を平準化するというふうな仕組みを入れることがやはり重要なのではないか。

 その簡単な概念図ですけれども、四十ページ目のスライドを見ていただきたいんです。非常に簡単な仕組みでございまして、これから、例えば、年金が一年間で三百万円あるとする、これは仮想的な数字でございますけれども。その場合、今、大体、三人の現役で一人の高齢者を支えているとしますと、一人百万円拠出すればいいわけですけれども、それが一人で一人を支えるというような二〇五〇年ぐらいの世界になりますと、三百万円負担をしなければいけないという形になります。

 そういった場合に、民間等の保険会社であればどうするかといいますと、最初、百万円が少な過ぎるので、もうちょっと追加的な負担を、例えば二百万円とか百五十万円という形で、ずっと負担が同じになるようにする。

 そうしますと、このスライドの下に書いてありますように、最初は、入ってくる保険料収入等の方が、税金もあってもいいですけれども、税金とか保険料で社会保障会計に入ってくる収入の方が出ていく給付よりも多くなりますので、それを四十ページの下側のスライドのように積み立てていく。もう少し高齢化が進んだ段階では、今度は出ていくお金の方が入ってくるお金より多くなりますので、その場合はその積立金を取り崩していく。そうすることによりまして、給付はずっと同じようなレベル、それから、負担もずっと同じようなレベルに維持することができるというふうなことがやはり重要ではないかと思います。

 実は今、公的年金は積立金を持ってございますが、ちょっと飛びますけれども、スライドの五十ページにありますけれども、積立金がどんどん取り崩されていくような状態になっているわけでございます。

 ですので、そうするのではなくて、なるべく早目に給付と負担のレベルを決めていただいて、中長期的に財政が閉じるような形で、負担の水準と給付の水準をなるべく同じように平準化するというような仕組みをなるべく早くつくっていただくということがやはり重要なのではないかと考えております。

 実は、そこに対していろいろな批判がございます。お配りしてございますエコノミストの記事が別途、日経新聞の後ろについてございますけれども、こちらを見ていただきますと、それが実は誤解であると。例えば、積立方式型みたいな事前積み立てにすると国債を発行しなければいけないとか、あとは、積立金がすごく、七百兆円ぐらいになってしまうので実は運用できないとか、いろいろな通説があるんですけれども、実は、ピーク時でも例えば年金の積立金がそういうふうにならないということがわかってございます。

 それは五十一ページのスライドに書いてございますが、例えば学習院大学の鈴木亘先生とかも推計してございますけれども、ピーク時では、今みたいな保険料を平準化するような事前積み立てを導入した場合に、二百兆円ちょっとぐらいで十分であると。ちょっと前の厚生年金の積立金は百四十兆円ぐらいでしたので、これに八十兆円がオンするぐらいで、実は負担と給付が平準化できるわけですね。

 ですので、余り大げさなことをしなくても、ちゃんと先生方に議論していただいて、給付と負担の平準化をするということで法案等を出していただいて成立させていただければ、もうちょっといい仕組みができるのではないかというふうに考えてございます。

 それからあと、社会保障の中には、年金だけではございませんで、当然、現物給付であるような医療とか介護もございます。この辺の効率化につきましては、先ほどの資料の十ページの解決策三のところで挙げておりますような、管理競争と呼ばれるようなものをぜひ日本でも議論していただけないかなというふうに考えてございます。

 これは、オランダ等の北欧諸国では一部導入されているもので、これから、どうしても予算が逼迫していく中で効率化するときには、やはりこういったものを入れていく必要があるのではないかというふうに考えておるところでございます。きょう、多分時間がないと思いますので、詳しいことは御説明することができませんが、五十三ページのスライドにありますような仕組みになってございます。

 このお話は、基本的には、レッセフェールといいますか政府が全く介入しないようなアメリカ型のシステムでは全くございませんで、ちゃんと政府がコントロールしながら、医療の価格メカニズムを、少し市場の規律を入れて効率化していくというふうな仕組みになってございます。

 例えば、今は完全に厚生労働省のところで医療の診療報酬体系とかが一律に決まっているわけですけれども、それをもうちょっといろいろなところに、例えば五つぐらいの主体に分けて、それぞれが競争する形で価格を決めていく。その場合に、例えばある保険者Aとある保険者Bがあった場合に、保険者Aの方にすごく病気がちの方々とか高齢者の方々が集まってしまいますと、どうしてもその保険者に対しての収支が悪くなります。ここについては、上からまた別に政府が補償する形でコントロールするという仕組みなんですけれども、ぜひこういうようなものを入れていただいて、もう少し医療とか介護の効率を高めていただけないかということが私の希望でございます。

 大体、今お話ししたことが全部でございますので、ちょっと時間が余っているかもしれませんが、これで終わりにさせていただければと思います。(拍手)

山本委員長 ありがとうございました。

 次に、嶋中公述人にお願いいたします。

嶋中公述人 三菱UFJモルガン・スタンレー証券の嶋中でございます。よろしくお願いいたします。

 私は、主に景気を見ている人間でございますので、今回の予算審議に当たって、どれだけ今お二人の方がお話しになられたような政策的な見地からの参考になるかどうかはちょっとわからないんですけれども、今般、アベノミクスと日本経済について、特にアベノミクスの第一の矢、そして第二の矢が放たれようとしているという中で、第三の矢が出てくる前に、これまでのところの評価をして、それから、景気がこれからどうなっていくんだろうかというお話をしたいと思います。

 結論としては、第一の矢の大胆な金融緩和を中心にして、国民各層のマインドを大きく好転させつつあると、今までのところは評価してよろしいんじゃないかなというふうに思います。

 そこで、皆様にお配りいたしました資料のまず一ページ目をおあけいただきたいと思います。

 グラフがいっぱいございますけれども、アベノミクス、特に第一の矢、大胆な金融緩和政策が中心になるかと思いますが、市場そして企業、家計のマインドに大きなプラス効果が既に発現しているということが言えるかと思います。

 まず、図の一でございますけれども、ここには、株価と為替と長期金利、これは債券相場の形にしていますけれども不動産投資信託、J―REITの推移が出ております。

 十一月十四日の野田前総理の衆議院解散宣言以来、十二月二十六日の第二次安倍内閣発足を通過点として上昇傾向というのが見られるわけですが、日経平均の株価は五割以上上昇しておりますし、円は二割以上下落しております。債券相場は、大胆な金融緩和である、黒田総裁率いる日銀の新たな金融緩和政策に伴って、若干の混乱は見られるわけですが、基本的に上昇をしてきた。そして、J―REITも五割以上上昇したというようなマーケットの動きです。

 さらに、図の二でありますが、ブレーク・イーブン・インフレ率というものがありまして、五年債の利回りと五年物の物価連動債利回りの差として算出しておりますけれども、これでは、赤い線が引き算をしたもので、青い線が物価連動債利回りですね。どんどん、インフレ的に将来なるというふうに予想すれば、この赤い線が上がっていくということになりまして、現在一・四%台ということで、市場では将来の期待インフレ率が高まっているという状態であります。

 そして、図の三でありますが、内閣府の景気ウオッチャー調査を見ますと、三月の現状判断は非常に高い水準になっておりまして、五七・三という、二〇〇六年の三月が実は五七・三だったんですが、それと同じ最高点に到達しております。三月は、前月比四・一ポイントも上昇しまして、家計そして企業、雇用関連の全てで上昇しているということになっております。

 さらに、図の四ですが、主に中小企業が多い日本商工会議所のLOBO、早期景気観測という企業アンケート調査でありますが、こちらの方も三月はかなり上昇してまいりまして、この統計は好転から悪化を前年比の業況で見ているんですけれども、ずっとマイナスなんですが、マイナス幅が縮まって、一二年の四月以来の状況になってきたということです。

 このようにマインドに大きなプラス効果が発現しておりますが、景気そのものはどうかといいますと、二ページをごらんいただきたいと思うんですけれども、短期的な景気動向は、二〇一二年の十一月を底に、回復軌道に今日本経済は入っているということが言えるかと思います。

 まず、図の一というのが景気の先行指数なんですけれども、これは右にもデータがございます。

 黒い線を見ていただきますと、三カ月連続で先行きの景気が上昇するというサインが出ている中で、図の二というのを見ていただきますと、これは、内閣府でも、最終的に景気動向指数研究会というところで、私も委員をしておりますけれども、景気の山とか谷を判断するときに使う景気一致指数のヒストリカルDIというものでありますが、これが五〇%ラインを下回っている間、すなわち、右下にデータがありますけれども、昨年の四月から十一月までは五〇%ラインを下回っていて、景気が後退していたと見られるんですが、これは私の判断ですけれども、十二月以降、三カ月連続で五〇%ラインを上回って、まさに今、景気回復が始まろうとしているということであります。

 そして、三ページでございますが、これまでのところ、アベノミクスの第一の矢と第二の矢の経済効果がどうかということでありますが、実は、表の一に、緊急経済対策と一三年度予算案での、御審議いただいているわけでありますが、公共投資の増額が、あわせて実質GDPの成長率にどのぐらい効果が及ぶかということで計算しましたところ、一・二%ポイントぐらいあるだろうということになります。

 ただし、御承知のように、一三年度予算案での公共投資の増加額は〇・七兆円、これは前年比で一五・六%増、五兆二千八百五十三億円という案でございますけれども、これがまだ出ていないのはもちろんでありますし、緊急経済対策に対しての補正での予算の財政出動、これもまだ実際に出てきていないという面がありまして、これは、これまでのところと言いましたけれども、あくまでも出てきたらということであります。

 一方で、円安の影響は〇・四%程度。そして株高、これは四千五百円と書いてありますけれども、あくまでも四月十日までの状況であります。今もまた上昇しておりますけれども、これは〇・四%ポイントぐらいGDPを押し上げるだろう。

 というようなことで、とりあえずいい船出を切っているということであります。

 そして、四ページでございますが、先ほど申し上げましたけれども、公共投資につきましては、これは意外に思われるかとは思いますが、図の一で、公共工事請負金額ですね、契約ベースの公共投資を見ますと、赤い線が前年比、前年割れになっています。そして、黒い実線が実績水準でございますが、一、二月平均で請負金額は年率換算で十二・四兆円、十―十二月期比で〇・五%減というような状態で、これから出てくるというのが期待されております。

 そして、五ページでありますが、若干細かくなっておりますけれども、今回の第一の矢ということになりましょうか、日銀が自主的に決定しているわけでありますが、日銀の量的・質的金融緩和、四月四日に金融政策決定会合で決まったわけでありますが、これは実は、二年後にCPIを二%上昇させる、そしてその軌道を継続させるために必要なマネタリーベースの拡大を保証するような枠組みになっているのではないかと思っています。

 まず、図の二を見ていただきますと、これは、マネタリーベースを点線で書いてございまして、そして名目GDPを赤い線で書いてありますが、一年半のタイムラグがありますので、一年半だけマネタリーベースを右にずらしております。これはトレンドを一〇〇としておりますが、ごらんのようにかなりきれいな相関があるんですが、今回の日銀の金融政策によって点線の先行きがウナギ登りになっておりまして、こういう効果が期待されるわけであります。

 一応、名目GDP成長率を二〇一五年一―三月期に、二年後ですが、年率三%にするようにマネタリーベースをふやすということは、実はCPIを二%に持っていくということと同じ話であります。なぜかというと、三%というのは、通常、一%のGDPデフレーターの上昇率と二%の実質潜在成長率の和でありますので。では、そのGDPデフレーターと消費者物価がどんな関係にあるかというと、図の一のように、GDPデフレーターの方が一九九五年からの十八年間でCPIに対して一%ぐらい下回っているわけでございます。

 したがって、二%のCPIの上昇率を目指すためには、私どもで三月十九日の時点で計算したところ、マネタリーベースは、表の一の、実はこれは日銀がつくったベースでありますが、二〇一四年の第四・四半期で二百七十兆という計算でございますが、私どもは、一五年の第一・四半期で平残ベースで二百五十九・四兆円と計算しておりました。ですから、ほぼ同じベースだというふうに思いますけれども、それ以上でありますので、どうやら期待していいのではないかというふうに思います。

 これはもちろん必ず実現しなきゃいけないということでは、もちろん日銀としてはそういう取り組みとして考えると思いますけれども、問題は、そのような目標を掲げることによって景気全般がよくなっていくということが一番の本来の目的ではないかと思います。その意味で、景気がどうなっていくかということがこれから重要になってまいります。

 そして、六ページでございますが、今回の日銀の量的・質的金融緩和の規模なんですが、これを、図の一で、アメリカのバーナンキ議長が率いるFRBがリーマン・ショックの二〇〇八年九月以降にやりましたQE1、QE2、QE3でありますけれども、量的金融緩和の規模と比較しますと、ほぼ同じ程度の規模になろうとしております。点線が私どもで試算したもので、赤い線の斜め線が今回の日銀の計画でございます。

 そして、図の二でありますが、アメリカのマネタリーベースの伸び率に比べて、日本のマネタリーベースの伸び率が昨年の五月ぐらいから上回り出しまして、そして今回の日銀の計画を入れますと、六三%ぐらいにピークでは達する。これは、アメリカが、FRBがやったとき、二〇〇九年五月で前年比一一三・七%、これには及びませんけれども、かなりのものになる。これが為替の円高是正に役に立つだろう。

 そして、七ページをごらんいただきますと、マネタリーベースというのは茫漠としたもので、これで経済がどうなるのかというのはわからないという御質問をよく受けるんですけれども、例えば株価とかあるいは設備投資との関係はかなり連動性がございまして、図の一でありますが、名目GDPと同じように、これは株価の時価総額とマネタリーベースのGDP比をちょっとトレンド線からの乖離で書いたんですけれども、ごらんのように、今回の政策をやりますと、かなり株価も上がりやすくなるだろう。

 そして、図の二でありますが、設備投資の循環、青い線であります、設備投資のGDPに対する比率は、二年弱ぐらいのタイムラグでマネタリーベースの後を追っていくということで、設備投資にも明るい兆しが出るだろう。

 さらに、図の三でありますが、日銀がマネタリーベースをふやしても全体のマネーはふえないということをよく言われるんですね。確かに信用乗数はだんだん低下しているんですが、ごらんのように、一〇%マネタリーベースをふやすと一%ぐらいはマネーストック、M3はふえておりまして、今回のように、四〇%とかそういう伸びになりますと、四%以上のマネーストックの伸びも期待できるという計算にはなるわけであります。

 そして、八ページをごらんいただきたいと思うんですけれども、実は、さっき言いましたように、結局、経済をよくするということが一番の課題なわけでありますけれども、CPIの上昇率と日本のGDPギャップとの関係を見ますと、GDPギャップが今三%のデフレギャップに、ピンクの線ですね、なっているんですけれども、半年ぐらいのタイムラグでCPIに影響を与えてまいります。これがゼロを超して〇・七%ぐらいになりますと、ちょうど左目盛りの消費者物価、CPIの目盛り、二%になるということになります。それへ向けて需給を改善していくということが大切です。

 ただし、一方で、図の二でありますが、これは、日経平均株価を一万で割って、赤い線で十年国債利回りと比べているんですけれども、二〇〇三年のVaRショックで、長期金利が〇・四三まで下がった後急騰したことがありましたけれども、そういうことにならないように、長期金利を余り混乱させないようにするということが今後の日銀の課題だと思います。

 そして、九ページでございますが、これからアベノミクスの金融政策などで設備投資がどうなるかということでありますが、図の一の赤い線が設備投資のGDPに対する比率ですが、薄い青い線が投資採算といいまして、利払い前利益率から有利子負債利子率を引いたものです。当然のことながら、長期金利が大幅低下をいたしまして、これが上がってまいりますね。そうしますと、一年半ぐらいのタイムラグで設備投資がふえてくるということなので、今のところ、かなり順調な感じがあります。

 そして、うまくすれば、十ページの図の一にありますように、景気拡張期間の全期間に対する比率というのを棒グラフで描きますと、一九五一年度以降、日本経済というのは九・五年周期で循環しているんですけれども、昨年の第四・四半期で最悪場面が終わったとしますと、今後うまく政策運営をしますと、一七年の第三・四半期ぐらいまで上昇が中期的に起こる可能性があります。

 その場合は、あと時間がなくなりましたが、十一ページをごらんいただきたいと思うんですが、当然、図の一の、設備投資のGDP比率と生産性との関係を見ますと、設備投資の状況が上がってまいりますと生産性も上がってくるという関係があります。潜在成長率というのは設備投資による資本ストックと労働の増加とその他の技術進歩などを入れているんですが、その生産性が上がりやすい。

 さらに、図の二ですが、いわゆるプライマリーバランスも、設備投資のGDP比率が上がってくるような状況であれば上がりやすくなりますので、日本経済は、中期循環の上昇期にうまく入って、それを、さらに第三の矢を投入しながら財政健全化目標のきちっとした遂行というのをやりますと、今までよりも、失われた十五年と言われた状況よりも、大分よくなるのではないかというのが私の見方でございます。

 私からは以上でございます。(拍手)

山本委員長 ありがとうございました。

 次に、小田川公述人にお願いいたします。

小田川公述人 全国労働組合総連合、労働組合ですが、全労連の小田川と申します。

 お手元にペーパーを配らせていただいておりますので、それに沿いまして発言させていただきたいと思います。

 まず最初に、こういう場をいただきましたことに心から感謝を申し上げたいと思います。

 首相が雇用者の報酬引き上げを使用者に要請いただくという異例の対応を行っていただいておりますけれども、残念ながら、アベノミクスの効果は、今の時点では賃金改善には回っていないというのが実際であります。

 私どもの三月二十八日時点の集計では、組合員平均で、前年同時期比七百七十三円のプラス、〇・二五%プラスということですけれども、ほぼ定期昇給程度にとどまっております。使用者側、経団連の発表でも、大手三十五社の賃金回答は、組合員平均で、前年同時期比マイナス三十七円、マイナス〇・〇三%となっております。

 賃金以外でも、二〇一三年二月、本年二月の完全失業率は、前月比で〇・〇一%上昇しておりますし、同じ月の現金給与総額は、昨年同月比〇・七%の減というのが政府統計の結果であります。

 四年七カ月ぶりに一万三千円台を回復した株価と、雇用をめぐる状況は、大きく相違をしているように私ども感じております。

 二〇〇二年から二〇〇六年にかけまして景気回復期がありましたけれども、企業業績は改善をいたしましたが、労働者の賃金は低下し続け、いわゆる実感なき景気回復の状況となりました。今回も同様の状況になることを懸念せざるを得ません。

 民間消費の中心であります労働者の消費購買力を高める直接的な施策、財政措置を伴う政府の積極的な施策を希望したいところであります。

 若干、釈迦に説法ぎみで恐縮ですけれども、現状の労働者の状況などについて最初に申し上げたいと思います。

 国内消費縮小の大きな要因が、低下し続けています賃金の水準と、非正規労働者の増加にある、このように私どもは考えております。

 例えば、OECD加盟国の中で、賃金が低下し続けていますのは唯一日本の労働者だけでありまして、一九九七年を一〇〇といたしまして、二〇一一年の日本の労働者の平均賃金は八七・八、同じ時期に、イギリスは一八九・八、アメリカは一七七・八、フランス一六三・一と上昇していることと比べますと、大きな差となっております。

 その結果、民間企業の賃金支給総額は、一九九七年の二百二十・六兆円から二〇一一年には百九十五・八兆円に二十四・八兆円減少しておりまして、一年間働きました労働者の平均年収も、四百六十七万円から四百九万円に五十八万円低下をしております。税率の違いはありますけれども、この間、所得税額も十二・一兆円から八・一兆円に減少している。これは、国税庁の調査の結果から見えるところであります。

 非正規労働者は、二〇一二年に、労働者の三五・一%、千七百八十六万人に達しました。就業形態の違いによる年収格差は日本では極めて大きい状況にありまして、正規社員に対する非正規社員の年収水準は、二〇一一年の時点で三二・六%にとどまっております。三割強の状況であります。二〇〇五年と比較いたしましても、ほとんど変化をいたしておりません。

 ちなみに、政府調査でも、賞与支給制度、いわゆる一時金支給制度が適用されていますパートタイム労働者は三二・四%にとどまっておりまして、今議論になっております業績反映は一時金でという方法では、非正規労働者の賃金改善にはつながらないと考えております。

 厚生労働省の労働経済白書二〇一二年版でも、企業のコスト削減及び弾力化のニーズにより非正規労働者が増加し、これに伴い格差も拡大したのではないか、また、こうしたことが消費の伸び悩みを通じた経済停滞の要因となったのではないかと指摘をしておりますが、この点を改めて紹介させていただきたいと思います。

 賃金低下が、不合理とも言える格差の拡大を伴って進んできた、これも日本の賃金状況の特徴だと私ども考えております。

 格差が大きい男女賃金は、二〇一一年の平均年収で、正社員でありましても女性労働者は男性労働者の七〇・一%、七割にとどまっております。

 一九九七年と比較をいたしまして、企業規模千人以下企業あるいは卸売業、小売業、医療、福祉、こういった産業で顕著に賃金が低下をしております。二〇一一年の年収水準で、千人以上規模企業と十人から九十九人の企業を比較いたしますと、千人以上の企業に対する小企業の賃金水準は六二・九%にまで低下をいたしました。下請企業、第三次産業の企業、ここでの賃金低下が大きいと言えるのが今の現状だと思います。

 労働者の賃金が低下をし経済成長がとまった、こういうもとでも、企業の収益や株主への配当がふえてきていることが事実であります。マイナス成長のもとで富の偏在が進行したと私ども考えておりますし、率直に指摘をさせていただきたいと思います。

 それを図式化いたしましたものがお手元のペーパーの一ページ目の一番下につけさせていただいているものでありますので、ごらんください。

 二〇〇〇年代以降でも、賃金は九%低下をいたしましたけれども、企業の収益は一五六%に、株主配当は二八〇%に上昇しているところであります。

 企業の富の蓄積は、大企業五千社の内部留保額が二〇〇〇年の百七十二兆円から二〇一一年には二百六十七兆円に増加をしていることでも明らかでありますし、その内部留保が国内の設備投資よりも手元流動性資金の増加となっていること、少し言い過ぎかもわかりませんが、使い道のない蓄積になっていることも指摘させていただきたいと思います。

 株主配当が増加したこととも関連をし、金融資産のみで百万ドル、約一億円を保有する富裕層は、二〇〇四年の百三十四・三万人から二〇一〇年には百七十三・九万人に、三十九・六万人増加をいたしました。個人のベースでも格差拡大が進んでいると思います。

 この点は、OECDの調査で、可処分所得ベースの所得格差を示しますジニ係数が、日本は〇・三二九で三十四カ国中十一番目ですけれども、九〇年代以降、次第に格差が拡大していること、とりわけ、ユニセフの調査で、二〇〇九年の時点で十八歳未満の子供の相対的貧困率は一四・九%で、先進三十五カ国中ワースト九位となっておりまして、二〇〇〇年から約二・四ポイント増加している点は重大だと考えております。

 格差の拡大は、短期就労の繰り返しや有期雇いどめの不安定に直面する非正規労働者の雇用実態としてもあらわれております。

 二〇〇九年の厚生労働省調査では、一回の有期契約期間は、六カ月から一年以内が五四・二%で半数を超えております。有期契約の更新回数は、六回以上が三六・六%ということになっております。一年未満で雇用がリセットをされて、長期間継続して雇用される、しかし処遇は改善をしない、こういうのが今の非正規労働者の状況ではないかと思います。

 なお、二〇一三年、本年四月から改正労働契約法が施行されておりまして、五年を超過した場合、労働者の申し出で無期雇用への転換が規定をされましたが、この規定を脱法するため、五年未満で雇いどめの押しつけをする、こういう事例が頻発をしていることが私どもへの相談でも明らかになってきているところであります。

 正規労働者は安泰か、こういうふうにいえば、OECDの調査で、週当たりの労働時間が四十九時間以上の労働者の割合は、高所得三十一カ国中、日本は二三・一%で、韓国に次ぐワースト二位でありまして、長時間過密労働に正規社員は追いやられている状況にあります。

 長時間のサービス残業を正規社員に迫ります、いわゆるブラック企業という議論が最近ありますけれども、この告発、私どもの労働相談にも相次いでいるところであります。

 以上のような労働者の状況等を前提に、本年度の予算案に対する意見を申し上げたいと思います。

 賃金を引き上げた企業での減税、中小企業での最低賃金引き上げ支援補助金の継続、地域での雇用創出事業の創設など、財政規模の不十分さや内容への意見は持っておりますけれども、政策の方向としては賛同できるものもあります。

 しかし、二〇一二年度補正予算と二〇一三年度一般会計予算案全体を拝見いたしますと、補正予算での大型公共事業や大企業支援策などに多額な予算が投入される、その一方で、東日本大震災復興とかかわって、医療・介護保険料の減免措置が廃止をされるなど支援策が後退をしていること、軍事費に巨額な予算が振り分けられる一方で、生活保護費の六百七十億円の減額や地方公務員の給与削減が強制されるなど、供給サイド重視、需給サイド抑制の、私ども労働者に痛みを押しつける内容になっていると考えております。

 また、原発関連予算で、原発再稼働や高速増殖炉の維持、継続を前提とする内容となっておりますが、福島原発事故の原因解明もないままに事実を積み上げようとする内容だと思います。

 これらの点の見直しは強く要望したいと思います。

 とりわけ、先ほど申し上げました労働者の格差の拡大と貧困の深刻さを踏まえて、次の三点について御検討を強くお願いしたいと思います。

 一つは、生活保護基準の見直しと二〇一三年度での予算削減の取りやめであります。

 それは、生活扶助の削減が七・四%、六百七十億円と過去にない過大なものであること、削減額六百七十億円のうち九十億円は低所得層での消費支出を単純に比較したものでありまして、健康で文化的な最低限の生活を維持する費用の確保を検討したものでないと思われること、六百七十億円削減のうち五百八十億円は物価下落考慮分とされておりますけれども、この物価下落はとりわけ電気製品の価格低下を強く反映しておりまして、生活保護世帯の支出構造と合致をしない数字であること、生活保護基準の引き下げは、国民年金保険料の免除など最低生活を保障しております諸制度と密接に関連をしておりますけれども、広範囲に悪影響が生じることなどから、私どもとしては見直しを強く要望したいと思っております。

 二つは、最低賃金引き上げを政策目標として、その実現のための予算の大幅な増額を要望したいと思います。

 低賃金で不安定な雇用実態に置かれ、一時金制度からも排除をされ、労働者全体の賃金低下の要因ともなっております非正規労働者の労働実態は、先ほど申し上げました。一千七百万人を超えるこの層への対策こそ、雇用者報酬引き上げの中心課題だと私どもは思います。

 その点で、最低賃金引き上げのために五年間で八千八百億円を投じましたアメリカや、社会保険料の事業主負担分の軽減措置で三年間で二兆二千八百億円の予算を投入いたしましたフランスに倣い、本年度予算では二十六億円程度にしかすぎません中小企業支援策の大胆な増額を行い、政府が賃金水準の底上げを先導する、こういう政策を実施いただくよう要望いたします。

 OECDの調査によれば、一般労働者の賃金の中央値と比較をした日本の最低賃金の水準は、改善はされてまいりましたけれども、二〇一〇年時点で三七%であります。五〇%前後にあります他の先進諸国に比べて低い状況にあることは、お手元の資料の三ページの下のところにもつけさせていただいておりますので、ぜひごらんください。

 せめて先進国並み、こういう私どもの希望からすれば、できる限り早期に全国最低八百円を確保し、全国平均一千円を目指すといたしました、二〇一〇年六月三日の雇用戦略対話の合意、この前倒しの履行をいただくよう要望したいと思います。

 三つ目に、高校、大学の無償教育の漸進的な導入に向けた予算措置を要望いたします。

 二〇一二年九月に、政府は、国際人権規約A規約十三条二項(b)、(c)の留保を撤回いたしました。そのことで、日本は、高校、大学の無償教育の導入を国際的に公約したと私どもは考えます。

 子供の貧困化の進行は、先ほど申し上げましたけれども、その解消は、祖父母から孫への贈与税減免など一部の有資産家向けの対策どまりではなくて、高校授業料無償化を継続し、さらに、高等教育、大学教育の無償化や奨学金給付制度などの検討が必要だと考えます。

 最後になりますけれども、予算とは少し外れますが、政府の成長戦略ともかかわります内容の中で労働法制の規制緩和の検討が進められておりますので、一言申し上げたいと思います。

 四月二日の第六回日本経済再生本部で、労働法制にかかわりまして、行き過ぎた雇用維持型から労働移動支援型への政策シフトを具体化すること、民間人材紹介サービスを最大限活用するための方策を具体化すること、職種や労働時間等を限定した多様な正社員のモデルを確立するための施策を具体化することが当面の見直しの課題とされていると承知をいたします。

 また、首相は国会の答弁で、解雇の金銭解決制度の導入に前向きの答弁を行っていらっしゃるように思います。

 これらの検討、答弁は、前述をいたしました九〇年代後半からの労働者の状態悪化、そのことを主因にする格差の拡大と貧困化、国内消費の停滞、こういった現状をさらに悪化させかねないものだと考え、強く反対を表明させていただきます。

 検討の前提にあります日本の正規労働者の解雇規制が強過ぎるというのは、現実からすれば、誤解だと思います。

 現実には、労働基準法第二十条の悪用や業績不良を理由にした普通解雇が今広がっております。

 企業リストラなどの際に、人権侵害である脅迫まがいの面談、遠隔地配転、賃金カット、業務を取り上げての隔離部屋への出向強要、こういった退職強要が日常化していることは、昨年来の電機産業での大規模リストラの中でも多数報告されている現状にあります。

 検討されています諸課題は、特に解雇の金銭解決などは、このような状況をさらに悪化させ、解雇自由社会に踏み出すことになりかねないと考えます。

 また、職種や労働時間等を限定した多様な正社員は、正規労働者と非正規労働者の中間の雇用形態を広げようとするものだと考えます。

 それは、正規労働者に蔓延をしております滅私奉公型で無制限の配置転換や長時間労働の受け入れを迫る状況をさらに固定化する、名ばかり正社員をつくり出すことで就業形態による格差構造をさらに深刻化させる、当該職種がなくなったことを理由に解雇を容易にする、こういう結果が容易に想定されるものであります。

 私どもは、ILOが呼びかけておりますディーセントワーク、この具体化を日本国内でも行うよう強く要望しております。

 私は、日本におけるディーセントワーク実現の課題として、無期雇用原則の確立、働くルールの遵守、とりわけ不払い労働の根絶、休暇の完全取得といった労働時間対策、最低賃金時給千円への引き上げ、公務員労働者への労働基本権回復を初めとする労働者権利の確立、同一労働同一賃金などの均等待遇の実現、この五点を早期に実現いただくよう要望したいと思います。

 私どもと協力関係にあります労働運動総合研究所の試算では、働くルールの確立、最低賃金の引き上げ、非正規労働者の正規化、これを実現するだけで新たにGDP十六兆円を誘発し、国、地方を合わせて二・六兆円の税収増になると試算をしております。また、働くルールを遵守するだけで新たに四百二十万人の雇用を誘発する効果もあることが指摘をされております。

 雇用流動化よりも、雇用の安定と質の改善が経済効果が高いと思われることを最後に申し上げまして、私の意見とさせていただきます。

 ありがとうございました。(拍手)

山本委員長 ありがとうございました。

    ―――――――――――――

山本委員長 これより公述人に対する質疑を行います。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。若宮健嗣君。

若宮委員 自由民主党の若宮健嗣でございます。

 四名の公述人の方々におかれましては、本日は、まことにお忙しい中、貴重なお時間をいただきました。また、さまざまな観点からいろいろなお話をいただきましたことに、心より厚く御礼を申し上げます。ありがとうございます。

 私は、昭和三十六年生まれでございまして、ちょうど日本に国民皆保険・年金が広く行き渡った年でございます。お二方はもしかしたら私より大分お若いかもしれませんが、ほかの方は先輩かと思いますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 早速でございますが、昨年の十二月の十六日の総選挙、私も何度も街頭でも申し上げ、また、その前からもいろいろな集会のたびに申し上げておりました。とにかく、このデフレから脱却しなきゃならない。二十年間、どうにもならなくて張りついちゃったこのデフレのスパイラル、もう皆様方もよく御存じのところだと思います。この不況感、厚い雲になってしまって覆いかぶさったような状態を何とか一刻も早く脱しなきゃならない、この思いでいっぱいでありました。

 思い返せば、二〇〇九年のあの暑い夏の選挙で、自民党は、国民の皆様方から厳しいお叱りを受け、野に下りました。今、私自身もそうですが、厳しかったけれども、よかったと思っております。敗れて目覚めて、本当に原点に返って、初心に返って、どうあるべきかというのを、今二百九十四名の議員が当選をさせていただいておりますが、一人一人が、総理・総裁、幹事長初め全員が、何とかもう一回日本を復活させよう、再生させよう、そして世界の中でも確たる地位を占めていこう、この思いでいっぱいであります。

 そして、安倍内閣が発足して、これが初めての予算でございます。もちろん、緊急で補正予算を通させていただいております。何とか応急の手当てもしていかなきゃいけない。ただ、やはりここは、この平成二十五年度に向けて、きょうは皆様方からもいろいろな御意見を頂戴いたしましたが、何とか前向きに、日本経済を浮力だけじゃなくて自力のエンジンで飛べるような状態に持っていかなきゃいけない、そんな思いでいっぱいでございます。

 皆様方からお話を頂戴いたしました。オイルショックやバブル崩壊のいろいろな経済変動あるいはリーマン・ショック、もちろん、日本だけでどうにもならない状況というのが今現実でございます。今も北朝鮮が、きのうあたりから、いつミサイルを撃つかわからない。国際情勢というのは本当にどうなるかわかりませんので、こればかりはいかんともしがたいところがございます。

 ただ、ひたすら前向きに今、昨年の十二月の二十六日に内閣が発足してから、安倍政権、どうにかして、まずは金融緩和、次に財政出動、そして最後に成長戦略、この三本の矢で一生懸命取り組んでいるところでございますが、いろいろ御意見もあるかと思います。

 今回の予算に対しても、別所先生の方も、おおむね賛成だけれども、ちょっとどうかなと思うところもあるというところでございますが、やはり、とにかくデフレから脱却して何とか成長軌道に乗せなきゃいけない。もちろん、中長期的な物の見方をしなければいけないと思いますが、ほかの国に比べて、何とか、このデフレスパイラルに陥った状態から。もちろん、働く方のお気持ちもよくわかります。ただ、企業がある程度売り上げが上がって内部留保が豊かになるのもそうなんですが、お一人お一人の懐が暖かくならないと話になりません。使うお金がふえなければ、世の中に回るお金がふえませんので。

 まず、では、どこから使うお金をふやしていくのかというところがございますので、デフレ脱却からの景気回復という観点から、もしできればお三方、別所先生から御意見を頂戴できればと思っております。

別所公述人 デフレ対策とか景気回復のためという観点から今回の予算案をということですが、そういう話は私は余り得意ではないので、正直なところ、よくわからないのではありますが……(若宮委員「どうぞ、思うところで」と呼ぶ)いや、本当によくわからないのですが。

 というのと、もう一つ、デフレというのは、基本的には、日本銀行といかに協調するかという点が重要だろうと思うので、予算だけ見てどうこうという話ではないのかなとも思います。

 それらを踏まえた上で、基本的には、中長期的なことを何となく見据えた上で短期的な対応をするという点では、好ましいような組み方になっているのではないかなと思います。

 済みません、ちょっとわからないので、これで失礼いたします。

小黒公述人 私は、一応デフレについては脱却する必要はあるとは思うんですけれども、ただ、今の中央銀行が進めている量的緩和については、やはりかなりリスクがあるのではないかというふうに認識してございます。

 なぜかと申しますと、お手元に資料をお配りしたものの中に実は入れてございまして、余り長くなるとあれなんですけれども、まず、認識として、本当に日本は不況なのかどうかということをちょっと真面目に一度議論していただいた方がいいのではないかというふうに考えてございます。

 どういうことかと申しますと、資料の二十二ページ目を見ていただきたいんですが、釈迦に説法で恐縮でございますけれども、名目ベースと実質ベースというのがございますが、実質ベースで見た場合、例えば、アメリカと日本の実質経済成長率の推移をIMFのデータ等からとってきて比較してございますけれども、九七年とか九八年の金融危機があったとき以外は、基本的にはほぼ同じような成長をしているということです。

 実は、これと同じような資料を、東京大学の吉川洋先生が最近「デフレーション」という本を出されてございますけれども、これに、EU諸国の平均的な実質経済成長率も重ねて載せているような資料がございます。それを見ますと、やはり同じような動きをしてございまして、実は日本のパフォーマンスはそんなに悪くないのかもしれないと。

 しかも、図表一と図表二と二つございますけれども、片方は実質経済成長率、規模ですね。もう一つの方は、日本の方は人口減少に入っておりますので、一人当たりの実質経済成長率で見ますと、例えば二〇〇七年ですけれども、日本の方が実はアメリカよりも成長しているというふうな状態でございました。

 しかも、例えば二〇〇〇年から二〇一〇年で、お手元の資料の二十三ページでございますけれども、見ていただければわかりますように、実質経済成長率で見ますと、一番右側ですけれども、日本は〇・八%ちょいの成長率でございます。他方で、アメリカとかは、ちょっと数字が見えないのであれですけれども、一・八とか一・七ぐらいの成長率をしてございます。こういった面で見ますと日本はかなりパフォーマンスが劣っているように見えますけれども、少し左側を見ますと、一人当たりにしますと、実はアメリカと日本は同じぐらいの成長をしている。

 しかも、働いている人数の母体であります生産年齢人口で比較しますと、実はアメリカよりも日本の方が成長しているというような形になりますので、果たして本当に不況なのかどうかということについて議論をする必要があるのではないかなというふうに思います。

 その上で、金融緩和の効果について、やはり危惧されるところは、現状では無害のような状態になってございますが、スライドの十七ページを見ていただくとわかりますように、余り詳しい説明をするとあれですけれども、横軸にマネタリーベースをとりまして、縦軸に名目GDPをとりますと、一九九〇年ぐらいまでは、日本はGDPの規模に対して平均的に大体八%ぐらいのマネーを使っているので十分であったということでございます。右側の方にアメリカの同じようなスライドをつけてございますけれども、これも見ていただくとわかりますけれども、アメリカの場合、GDPの規模のうち大体五%ぐらいのマネーを使っていれば十分、マネーとは正確にはマネタリーベースですね、マネタリーベースを使っていれば大丈夫だというふうな状態になっています。

 余り長くなるとあれですが、二〇〇八年度以降、アメリカであったリーマン・ショック以降だと、バーナンキ等が、FRBが量的緩和していますので、どんどんマネタリーベースが膨らんでいっている。例えば日本だと、今、直近で百三十八兆円ぐらいのマネタリーベースを出してございますが、この状態でもし正常化した状態に戻りますと、見ていただければわかりますように、四十兆円で日本はかつて五百兆円ぐらいの名目GDPだったわけですけれども、これが百四十兆円ぐらいで、もとの名目GDPとマネタリーベースの関係に戻りますと、GDPが大体千七百兆円ぐらいになる。

 名目GDPというのは、中身は一般物価掛ける実質GDPですので、実質GDPが仮に余り伸びなければ、物価が三・五倍とか四倍にはね上がる可能性があるということですので、もしそういう状態になったら、インフレーションの圧力が出てきて長期金利にはね返ります。長期金利にはね返れば、財政がかなり影響を受ける可能性がございますので、今からでも中央銀行と政府の間で、金融政策の最後の出口戦略についてきちんと議論を進めていただくということをしていただいた方がいいのではないかというふうに考えてございます。

嶋中公述人 嶋中でございます。

 私は小黒公述人とはちょっと意見が異なりまして、今、不況であるかどうかということなんですが、一般的に言って、デフレギャップが三%もあって、なおかつ、日銀短観の業況判断DIが大企業製造業でマイナス八、これは三月ですね。よいと答えた企業の割合より、悪いと答えた企業の割合の方が多い。そういう状態ですから、不況だと思います。ただし、景気後退は終わった。さっき言いましたように、昨年の十一月を底に、変化の方向は改善に転じたということです。

 景気というのはとても難しいんですが、水準で見るか方向で見るかということで、水準で見れば明らかに不況です。そして、デフレから脱却できていないという状態ですが、景気後退は、変化の方向では終わり。現在、回復に向かって、日銀の金融緩和政策をまず第一の矢として回復をさらに積み重ねていき、さらに、最終的に二%の物価上昇目標を達成するように努力する。そのときには、デフレギャップは健全なインフレギャップに変わっているだろう。

 そして、第二の矢である積極的な財政出動によりまして、例えば前回の、二〇〇二年の一月を底にして、何回か踊り場はありましたけれども、二〇〇六年の量的緩和解除、そして二〇〇七年の追加利上げを通じて、結局、景気後退になってしまったとき、このときは財政出動がちょっと足りなかったという部分があったかなと思うわけであります。今回は、財政出動というのは余り恒常的にやるものではないと思いますが、デフレギャップが非常に大きくて、それを緊急に改善しなきゃいけないという意味で第二の矢を放ったという形になっております。

 さっき言いましたように、残念ながら、補正予算がずれ込んだという影響で、まだ公共工事請負金額が余り出ていないとか、それから予算案、今度の二十五年度予算を審議していただいて新たに五兆円ほど公共投資を出していただくわけでありますが、それをやらないと、やはり腰折れだとかそういう危険もまだまだ残っております。

 また、日銀は、二%の物価上昇目標に向かって結果を出すという黒田総裁以下、恐らく全職員一体となって、今までの日銀では考えられなかったような革命的な選択をされたわけです。

 そして、安倍総理も、最初は孤立無援で、二%のインフレターゲットを日銀に採用してもらいたいと言ったわけでありますが、それに対して批判をする人がたくさんいました。ハイパーインフレーションになるとか、財政規律が失われるとか、マネーをふやしたって効果がないとか。しかし、そういう意見に揺らぐことなく主張を貫かれたということによって、今日のとりあえずの成果が出ている。ですから、信念を曲げずに頑張っていただきたいと私は思っております。

若宮委員 貴重な御意見をありがとうございました。

 お三方から、ちょっと得意分野でない分野のお話も聞いたかと思いますので失礼いたしましたが、これからもまたいろいろ、私ども全力で頑張ってまいりますので、御意見を賜りながら、最善の努力を尽くしてまいりたいと思っております。

 本日は本当にありがとうございました。

山本委員長 次に、佐藤英道君。

佐藤(英)委員 公明党の佐藤英道でございます。

 きょうは、御多忙の中、貴重な御意見を本当にありがとうございました。

 まず初めに、全国労働組合総連合の小田川事務局長にお伺いをさせていただきたいと思います。

 本年度の予算案に対して、私はもっと厳しい御意見をいただけるのかなと思っておりましたけれども、さまざまな御意見もありましたけれども、賛同できるものもあるというお話が冒頭ございました。賛同できるものについては、どういったところを御賛同できるのか、まずお伺いをさせていただければと思います。

小田川公述人 例えば、賃金を引き上げた企業に対する減税でありますとか、中小企業の最低賃金引き上げの支援策が継続をされて、先ほど申し上げましたように、金額としては不十分さを感じておりますけれども、そういうものが含まれているとか、あるいは地域での雇用創出事業が新たに創設されていることでありますとか、そういった点について、現状の雇用の実態あるいは賃金の状況から考えれば賛同できる政策だと受けとめております。

佐藤(英)委員 ありがとうございます。

 本当に、組合の皆様方は、働く方々の味方としてさまざまな施策を講じられていると思います。特に、消費税がこれから上昇していった場合の労働者の方々また低所得者の方々への対策としてもさまざまな御意見が寄せられておりますけれども、組合を代表するお立場として、御意見があればいただければと思います。

小田川公述人 私ども、消費税の増税につきましては反対の立場を明確にしております。

 それは、先ほど来から申し上げていますように、労働者全体から見れば、さまざまありますけれども、全体として低賃金労働者が増加をし続けており、貧困化をしていること、そして格差が拡大をしている状況があり、どちらかといえば生活はぎりぎりの状況まで落ち込んでいるわけです。これに新たな増税負担が加わる。しかも、試算をされているところによりますと、社会保障の負担増と合わせれば、ほぼ一月分の平均賃金が新たな負担となっていく。こういう状況について賛成できる今の現状ではないと考えております。

佐藤(英)委員 私は北海道でありまして、北海道は大変に組合の方々が多い地域であります。組合員の方々ともいろいろな御意見をいただく機会も多いのであります。

 その中で、さらに局長が、日本におけるディーセントワーク実現の課題の中で、いわゆる公務員労働者への労働基本権の回復を初めとする労働者権利の確立ということをお話しされましたけれども、この問題については、時代状況の現状の中で、国民の方々もさまざまな御意見もありますし、また公務員の方々もさまざまな御意見があるのも事実であると思いますけれども、これについてもうちょっと見解をお寄せいただければと思います。

小田川公述人 お答えします。

 公務員も労働者であり、憲法に規定されております労働基本権が保障されていることは御承知のところですが、それに対して人事院勧告制度という代償措置を設けることで制約の理由になっていると承知をしております。

 しかし、昨年四月に公務員賃金の引き下げが人事院勧告から少し離れた形で進められていることにも見られますように、現状から申し上げれば、憲法二十八条の規定が公務員に十分に守られているという状況ではないとまず考えております。これが一つ目です。

 二つ目は、二〇〇〇年代の初頭から十数年にわたって公務員の労働基本権問題が議論され続けてまいりましたけれども、一昨年ですか、政府として法案が提出をされていますように、少なくとも交渉によって労働条件を決定する仕組みを設けるべきだということで前進をし、これは国際的にも評価をされたものと考えております。不十分さは持っておりますけれども、私どもとしてもその立場をとりたいと考えております。これが二つ目です。

 三つ目には、先般三月に、八回目になりますけれども、ILOから、日本の公務員制度の改善、とりわけ労働基本権の回復について改めて勧告が出されておりますので、そういう国際的な関係も含めて早急に結論が出されるべき課題だと考えております。

佐藤(英)委員 ありがとうございました。

 次に、慶應大学の別所先生にお伺いをさせていただければと思います。

 「誰から税を取るのか?」という先ほどのページの中で、消費税の課題がございました。軽減税率は高所得者にも優しいというお話でありましたけれども、公明党はいわゆる軽減税率、複数税率について賛成の立場をとっておりまして、お訴えをさせていただいているところであります。

 私自身も、軽減税率というよりは複数税率という言い方の方がわかりやすいのではないかなと思っておりますし、特に消費税先進国、先に、もう既に日本よりも早く取り入れた国々におきましても、複数軽減税率、ヨーロッパ等なんかでも既に導入をされております。

 いわゆる衣食住、食べるものなどの食料品などについては、日常用品については低率で、そして、ぜいたくと言われるような品々については高税率を掛けるというような複数税率を掲げているわけでありますけれども、そうした複数税率の他国でのあり方について先生はどのようなお考えをお持ちなのか、お聞かせをいただければと思います。

別所公述人 消費税の複数税率は既にほかの国で導入されておりますが、聞いたところによると、それらの国々では、複数税率にして失敗したなと思っているところもあるやに伺っております。

 したがって、安い税率にしたもの、食品とか、そういうのを買う人たちに対して優しい政治をしたいのか、全体として経済的に恵まれない方々に対して優しい政治にしたいのかという選択になるかと思います。

 もし、ある特定のものを買う人たちを経済的に優遇したいという強い意思があるのであれば、逆に言うと、例えばたばこ税とか酒税というのは、そういうのを消費する人たちを経済的に罰しようという税ですから、そういう目的があるんだったらよいのかもしれませんが、一般には、軽減税率というものは、経済的に恵まれない方々に対してどうにかしてあげようという意図のもとに設定されるものであろうと思います。

 とするなら、その政策目的は、消費税の複数税率という形で行われるよりも、所得税の軽減であるとか、その他の社会保障制度の充実によって行われるべきではないかなと思います。

 以上です。

佐藤(英)委員 きょうお話を伺いまして、日本の今後の税制のあり方というのは、やはり大いに議論しなければならない時代が来ていると私も思っております。

 これまで日本は、我が国は、所得税や法人税などのいわゆる直接税中心と言われていたわけでありますけれども、かつても、あるべき姿として、直接税中心の税制であるべきか、それとも間接税中心であるべきか等々、さまざまな議論があったのも事実であります。

 こうして消費税がこれから導入をされていくというような趨勢の中で、今後の社会保障、毎年一兆円の増額、ふえるという状況の中で、消費税の議論はやはり避けられないと思っております。そしてまた、直接税であるべきか間接税中心であるべきかということについてもさまざまな議論が今後されていく中で、こうした複数税率もやはり大事なことじゃないかなと私は思っているわけであります。

 最後に、嶋中先生、小黒先生に、ぜひ、直接税と間接税のあり方について、今の日本の現状と、また今後のあり方について、もし御私見があればお伺いをできればと思っております。

嶋中公述人 もちろん私の専門外ではございますけれども、基本的には、社会保障を限定的な対象として消費税を上げていく方向性というのがいいんだろうというふうに思っておりますが、しかし、財政のことを考えると、消費税は上がらざるを得ない、これは議員が御指摘のとおりだと思います。

 問題は、直間比率だとかそういう議論とはまた別に、消費税を上げるときに、いつごろに上げたらいいのか、それから、どれだけのマイナス効果とか、要するに景気を落ち込ませる、そして、そのマイナス効果がどれだけで終わって、後、もとに復するのか、そこら辺のところをうまく検討していかなきゃいけないというふうに思っています。

 ちなみに、私の資料、このカラーの十二ページ目という最後のところ、先ほどのお話のときにカットしてしまったんですが、消費税を引き上げるのを、一応、二〇一四年の四月、第一回目がそれで、そして一五年の十月にも二回目を引き上げるという予定になっておりますが、その前にデフレ脱却のための政策を打って、今、第一の矢が放たれたわけです。

 問題は、一四年の四月に消費税を三%上げた場合にどのぐらいの影響が出るかということでありますが、一応、私は、一四半期だけGDPはマイナスになると思いますけれども、二〇一三年度は、実は、政府見通しの実質成長率二・五%よりちょっと高くて、二・九%を想定しているんですが、一四年度は、消費税の一発目の上げがあって四―六月期は落ちるけれども、その後浮上して、一・三%という形で、プラス成長を維持するのではないかと思います。また、一五年度は、駆け込み需要もありますので、二・二%に上がってくるのではないかというふうに思います。

 一応、まずデフレ脱却に手をつけて、そして緊急経済対策を打って、第三の矢である成長戦略をしっかりと出していけば、先ほど言いましたように、中期的な経済の景気循環の上昇期に入っているというふうに私は思っていますので、消費税を上げるのは社会保障のために必須でありますので、それをやっても衝撃を吸収できるのではないかということで、所得税とのあり方というよりも、消費税は上げざるを得ないので、その上げる時期を、今決まりつつある時期でいいのかどうかは、景気を見ながら、ぜひ皆様に検討していただきたいなというふうに思います。

小黒公述人 先生御質問の、これから社会保障が一兆円超で伸びていくので、その財源をどうしていくのか、税制のあり方をどうしていくのかという御質問の中に、直間比率の御質問がございました。

 ちょっとまた恐縮なんですけれども、私の資料の四十九ページ目を見ていただきたいんです。

 いろいろな家計があるわけですが、親から大量に、一億円以上等の相続をもらえるような家計、個人というのはそんなにたくさんおりませんので、基本的には、自分の稼ぎが生涯の消費につながるという形になります。そうしますと、これは何を言いたいかといいますと、基本的には、消費税と比例の賃金税みたいなもの、ですから保険料みたいなものというのは同等であるというふうに考えられる。

 そうしますと、直間比率ということは実は余り重要ではなくて、税の捕捉の観点から、どちら側が効率的に税を徴収できるのかという観点と、あとはやはり、困っていない人が困っている人を助けるようなシステムとしてどういう税制が好ましいのかという組み合わせになるのではないかというふうに思ってございます。

 その点で考えますと、まず徴収の効率性から考えますと、消費税がすぐれているということは明らかでございまして、やはりそれを社会保障の基幹財源とせざるを得ないではないかというふうに考えられます。

 それを、例えば消費税で一〇%換算の増税をしようとした場合に、それと同じだけの財源を所得税で調達しようとしますと、所得税の方はいろいろな控除等がございますので、二倍ぐらい税率を引き上げなければいけない。要するに、消費税だと一〇%だったのが二〇%超の所得増税をしなければいけないというような、平均税率でですね、そういう感じになりますので、やはりかなり所得税でやるのは難しいのかなと。

 それからあと、また別の財源として法人税等がございますが、法人税については、グローバル競争の中でアジア等ほかの国々はかなり低い法人税率の部分もございますから、そういった中で法人税を上げていくのはやはりあり得ない。そうすると、やはり三大財源の中だと消費税が基幹財源にならざるを得ないのかなと。

 あと、別個の税として資産課税等があると思いますけれども、これについては補足的な税として活用していく手段があるのではないかというふうに考えてございます。

 若干個人的な意見を述べさせていただきますと、これから二〇四〇年に向けて、日本はどの地域も人口減少していくという話でございます。そうしますと、人口密度が薄くなった地域については成長率が落ちるというような関係もございますので、そうであれば、都市部の方の資産税等を、固定資産税とかを念頭に置いてございますが、安くして、かわりに過疎地の税を少し引き上げるという形で、なるべく中核都市に人を呼び込んで、経済成長を高めていくようなツールとして増税を使っていくというようなやり方もあるのではないかというふうに考えてございます。

佐藤(英)委員 ありがとうございました。

山本委員長 次に、岸本周平君。

岸本委員 民主党の岸本周平でございます。

 きょうは、四人の公述人の皆様にお忙しい中お越しいただきましたこと、感謝申し上げますとともに、前段の御説明、大変興味深く聞かせていただきました。

 それで、私は野党なんですけれども、アベノミクスのリスクはリスクとして指摘させていただきながら、しかし、一国会議員としてはぜひ成功してほしいと毎日祈るような気持ちで、実際お祈りもしております。

 一応、日銀は、既に黒田新体制でスタートダッシュを切られております。そうすると、次は、政府の側がそのバトンを受けてきちんとした対応をしなければいけないということだと思います。

 それで、今、これだけ巨額の国債あるいは債務残高がありながら日本の国債が信認を受けてマーケットから買っていただけるということは、これは財政規律が保たれるであろう、今は保たれているということがあるからだろうと考えております。

 これまた若干批判めいてまたお叱りを受けるんですが、今回の補正予算で新たに五兆円借金をされました。これは二〇一三年度に執行されます。そうしますと、二〇一三年度の執行ベースのSNAでは、明らかにプライマリーバランスは相当悪化いたします。したがいまして、二〇二〇年にプライマリーバランス黒字、そして二〇一五年半減という国際公約を守ることが、この補正予算の結果、相当厳しくなるという可能性もあります。実際、財務省の後年度負担では、三%成長した最高のパターンでも難しい。これはSNAベースに置き直す必要もありますけれども、そういう資料も国会に提出をいただいているわけであります。

 そこで、別所先生が最初にプレゼンテーションをしていただきました中で、財政再建を進める仕組みづくりという最後のところがございます。私もこの予算委員会で再三指摘をさせていただいているんですが、財政規律を守るための仕掛け、これが日本ほど先進国の中でおくれている国はありません。実際、IMFとかOECDからも、財政規律が非常に弱い国の一つであるというレポートを頂戴しているわけであります。それは、予算の透明性が非常に欠けている、あるいは財政規律を守るルールを持っていない国だと言われております。

 一方で、財政再建が進んでいるニュージーランドなどは、九四年に財政責任法をつくりました。これは、財政の透明化、あるいは、政府が補正予算を打つとき、景気対策をするときには、そのお金はどう取り戻すんだ、どう増税するんだということの説明責任を果たさないと、補正予算すら打てないというようなルールになっているわけであります。

 例えば、小黒先生は、これは年金の話ですけれども、運用利回りの前提の置き方は役人がやると甘くなるんですね、だから第三者機関でやったらどうかというような御指摘もありました。

 そういう意味で、別所先生、小黒先生、嶋中先生にお聞きしたいのであります。

 財政規律を持たせるための仕掛けとして、例えば、中長期の財政試算もこれから政府はされるんですけれども、これも政府が決めるんですね。そうすると、さっき言いましたように、プライマリーバランスを達成できそうになければ、めちゃくちゃ高い経済成長率を前提に置いて試算が出てくるんですね。これは国民をたばかることになります。

 ですから、イギリスでは、このような場合は、単年度予算の政府見通しですら第三者機関が出しています。第三者委員会がつくって、それで保守的な、厳し目の前提でどうですかということをやっているんです。

 それも含めて、何か財政規律を守らせるための具体的な方法について、もう少し詳し目に、特に別所先生は、おまえらが決めるんだから変えられるだろうとおっしゃらずに、どうかルールを教えてください。

別所公述人 財政規律を守るための有効な方法の一つは、金融政策と同じように、誰かに任せてしまうということです。その道のプロを選ぶということですが、そうすると、国会とは何じゃいなという話になってしまう。財政政策の方が金融政策ほどその目標がはっきりしていないわけですから、そういうのは実際的ではないと思います。

 そう考えると、今議員がおっしゃったように、中立的な立場の機関をつくり、そこが絶えず財政状況をウオッチし、その成果を公表するということが有効なんだろうと思います。

 海外の論文とかでは、実は、日本においては財政制度審議会がそれなんだみたいにうっすら書いてあったりするんですけれども、それはちょっとどうかなと思ったりするので、もっと明らかに中立性の高い第三者機関をつくるというのが有効な手段ではないかなと思います。

小黒公述人 私も別所先生と同じような意見を持ってございます。

 ただ、それに加えて、やはり一番重要なのは、これは多分国会議員の先生方が、一番難しい話だと思いますけれども、このまま自然体ベースで日本財政が二〇五〇年ぐらいまでどういう姿になるのかということを、内閣府はかなり嫌がると思いますけれども、そこを出していただくということがまず最初の出発点になるのではないかと思います。

 その場合は、多分、債務残高GDP比はすごくひどい姿になると思いますが、仮に、そこでターゲットとして、GDP比二五〇%ぐらいの債務残高をもうこれ以上発散させないんだというのを例えば政治の先生方で決めていただいた上で、では、社会保障の削減ぐあいもありますけれども、まずは、社会保障費を削減しない状態でどれぐらいの増税をしなければいけないのかということを明らかなデータとして出していただく必要があるのではないかと思います。

 その上で、最終的には、税率を引き上げるものについても限界がございますので、そこで、歳出の抑制、特にこれは社会保障の部分が中心になると思いますけれども、それで先ほど社会保障予算のハード化という話をさせていただいたんですが、どこまで切り込んでいくのかという枠組みをまず最初に議論していただくというところがやはり必要ではないかというふうに認識してございます。

嶋中公述人 プライマリーバランスを二〇二〇年度に黒字化する、そして一五年度に半減するという目標を堅持していきますということをずっと言い続けるということは大事だと思いますね、当然のことながら。

 その上で、黒田新総裁のもとで新たな金融政策がとられた、そのときの目標がCPI二%、これは名目GDP成長率三%と等しいんだということを申し上げました。それを二〇一五年一―三月期までに達成するんだ、こういうことでやっていく。

 さらに、長期金利が今ちょっと短期的に乱高下になっていますが、これは、新政策に適応するのに時間がかかっている、新たな均衡点を見つけているというのが黒田総裁の御説明ですが、財務省が国債費を計算する上でどのぐらいの金利を想定するかというと、一・八%ということになっているかと思います。それに比べると、大分今下がってまいりました。それでも、名目成長率がマイナスでは話にならないわけで、政府債務残高が発散し続けるということにGDP比でなりますので、まずはやはり名目GDP三%というのも、財政規律を維持するためにも、それもきちっとやる。

 政府は、そこら辺は国民の前でしっかりと約束して、財政を切り詰めるんですよということだけじゃなくて、総合的に、体系的に、こういう政策パッケージなんですというのを国民及び世界に知らしめてほしい、こういうふうに思います。

岸本委員 ありがとうございます。

 大変知的刺激をいただきながら聞かせていただいておりました。

 残された時間がございませんので、ちょっと私の個人的な知的興味で、小黒先生と嶋中先生にお伺いをしたいと思います。

 先ほど小黒先生が補足的に資料を使われて十七ページで御説明をされたのは、私の理解では、マネタリーベースと名目GDPの関係が、日本では七〇年代、八〇年代は正の相関があったけれども、九〇年以降は正の相関はないんだ、こういう御指摘であり、アメリカでも二〇〇七年までは正の相関はあるけれども、二〇〇八年以降は正の相関がない、こういう御説明でありました。

 まず、なぜそのようになっているんだろうかということについての御説明をいただきたいのと、あと、公平を期するために、嶋中先生はずっと正の相関があるという御説明を五ページでされていますので、もしその御意見に御反論があれば、続けてお願いできればと存じます。

小黒公述人 これは、実は私だけではなくて、昔から議論がある話だと思います。実は、ケインズの時代も、同じような現象があったときに、ずっとこの貨幣数量方程式と呼ばれるものが成立するのかどうかということを議論していたということです。

 基本的には、マネタリーベースとマネーストックの関係、マネーストックの中にマネタリーベースの一部も入りますので、それは、量をふやせば少しはふえるというのは当たり前の話です。ですので、これは早稲田大学の野口先生も言われていますけれども、マネタリーベースをふやせばその分マネーストックもふえているけれども、それは、ほとんどはマネタリーベースをふやした部分に相当しているということであると思います。

 裏側の背景にありますのは、やはり、これはもうずっと言われている話ですけれども、中央銀行がお金をじゃぶじゃぶに市中銀行に供給しても、それがまた結局貸し出しに流れないでもとに戻ってきてしまうということで、実は、一番重要なのは、マネーストックが、経済学のワードで言うと内生変数であるということだと思います。

 このマネーストックを中央銀行は完全にコントロールできるんだということがある程度前提条件になって金融政策が行われているわけですけれども、実は、やはりそこがかなり難しい状態になっているのではないかということでございます。

 あと、ちょっと恐縮なんですけれども、先ほど発言できなかったので補足的に説明させていただきますと、十九ページのスライドになりますけれども、きのうもありましたし、その前の九日もありましたけれども、これから財務省が発行する市中消化の国債は、大体百二十七兆円になります。ここで、中央銀行がこれから四兆円弱から七兆円にマネタリーベースを毎月ふやしていくということになりますと、国債発行するうちの大体七〇%を中央銀行が買い取るというような状態になる。これは、プールの中に大きな鯨が入ってきて、価格を乱高下させる要因になると思いますので、やはりかなり難しい領域になるのではないか。

 特に、先ほどのスライドの実は十七ページが重要でございまして、過去、中央銀行は、長期国債に相当する部分のマネタリーベースについて、ずっと順調に増加してきた、七〇年代、八〇年代は経済成長が順調でしたので、回収したことがないはずなんですね。あとは、その変動部分もありますけれども、回収したときにどういうことが起こるかということについては、やはり十分検討する必要があると思います。

嶋中公述人 マネタリーベースが一年半ぐらいのタイムラグで名目GDPに影響して、その弾性値は〇・一一であるという結果が出ておりますので、それを使わせていただいて私が試算したところ、今回の日銀の、二〇一四年末にマネタリーベースを二百七十兆に、二倍にするんだというのとほぼ合致したということでありまして、私が持ってきた資料の五ページの図の二でございまして、トレンドを一〇〇といたしますとかなりきれいな相関が出ておりますので、事実に基づいて、マネタリーベースをふやせば名目GDPがふえる。

 そして、先ほども言いましたけれども、マネタリーベースがふえれば、信用乗数は近年下がっておりますけれども、七ページをごらんいただきたいと思います。七ページの図の三ですね。右横に、「マネタリーベースを一〇%伸ばした場合のマネーストックの増加」。マネーストックというのはM3でありますけれども、これは、七八年から九一年、バブルを含むときには九%強、一〇ふやすと九だった。そして、九二年から九八年の金融危機を含むころは、一〇ふやすと六になった。そして、最近は、金融庁の指導というのももちろんありますが、九九年以降では、一〇ふやしても一しかふえない。それでも、四〇ふやせば四ふえるんですね。そういう関係があるんです。図の三を見ていただければわかりますけれども、非常に密接な関係がありますので、これを使わない手はない。

 現実に、二〇〇八年九月のリーマン・ショック以降、FRBが猛烈な金融緩和をやって、また、その後、イングランド銀行もそれからECBも韓国も中国もマネーを大幅に出したのに、日本だけが、日銀だけがマネーの増加を怠ったというのが今回の革命的な金融政策をとるきっかけになったわけですから、そこの原点に戻らなければいけないというふうに思っています。

岸本委員 小田川先生にはちょっとお聞きする時間がなくて、失礼いたしました。

 これで終わります。ありがとうございました。

山本委員長 次に、松田学君。

松田委員 日本維新の会の松田学と申します。

 私、財務省の出身なんですが、一応こういう立場になりましたので、財務省の考え方とは別に、自由にいろいろな提案とか議論をさせていただいていまして、また、維新の会が、反対する野党ではなくて提案型の野党といいますか、是々非々でやるということでいろいろと提案させていただいているんですが、予想どおり、型どおりの答弁しか政府から得られないので、きょうはちょっと自由な発想で議論をさせていただければというふうに思っています。時間が十五分しかないので、三点ぐらいに絞りたいと思います。

 一つは、これはちょっと私の長年の個人的関心でもあるんですが、ワイズスペンディングといいますか、財政の質の改善という言葉があります。

 今、国債発行残高をとにかく縮減しなきゃいけない。それはそうなんですけれども、国債も、いわゆる赤字公債と建設公債、六十年償還で同じでして、建設公債というのは、将来に資産を残すので、次の世代に負担してもらうというのが正当化されるので、財政法四条で許されている。よくないのはやはり赤字公債で、今、日本の千五百兆円の個人金融資産、一方で、それが政府に最終的には一千兆円ぐらい行っている。しかし、そのうちの、赤字公債のいわゆる借換債、これがどんどん膨らんでいるのが非常によくないのであって、もし建設公債が本当に将来によい資産を残すものであれば、そこは少しめり張りをつけた対応というのも考えられるという議論ももしかしてあるんじゃないか。

 たまたま、エール大学のシラーという教授が、景気と財政再建の両立が可能であるという、いわゆる均衡のとれた景気刺激予算と。これはもともと経済学でも、増税と歳出増を同じだけやると乗数は一であるというのは、マクロ経済学の教科書にあるとおりなんです。だからといって、それをやればいいというわけじゃないんですけれども。

 ただ、こういうオペレーションをやりますと、特に心配なのは、今回、アベノミクスで経済がわあっとよくなっているんですが、来年度なんですね。来年度は、もちろん消費増税がデフレ効果を持つというのと、それと、今回、公共事業をどっとかさ上げしていますから、もしこれが臨時異例とすれば、これは来年はマイナス成長に寄与するということで、財政的にはダブルパンチできいてくるという問題がある。

 ここのところは本当に大丈夫なのかなと考えると、だからといって、従来の公共事業をふやすわけにはいかないとすれば、もう少し、先ほど小黒先生も、投資型の支出といいますか、消費じゃなくて投資型と。投資というのは物ではなくて、例えばそこに挙げられているように科学技術であるとか教育であるとか、そういったものについては少し弾力化しながら、全体として毎年の国債発行額をふやさないということをやっていくと、千五百兆円の資産のポートフォリオの中身は、赤字公債が減って、その分、生産的なところに向かう資産がふえるということであれば、これはマクロ経済的にも問題ないし、財政的にもそんなに大きな問題じゃないんじゃないかという見方もあるかと思います。

 こういう見方について、小黒先生、いかがでしょうか。

小黒公述人 御主張は私も同感するところがございます。

 やはり先ほど申し上げたところは非常に重要なポイントだと思ってございまして、今、全体の歳出のうちの膨張している最大の要因は社会保障でございます。これは、基本的には医療とか介護を除けばほとんど消費みたいなものでございますので、将来の経済成長率については、もしかすると余り効果がないような可能性が高い。

 ですけれども、今政府がやっていることはどういうことかといいますと、社会保障の財源を賄うためにほかの投資的な予算を削減する、抑制するというようなことが行われてございますので、先ほど資料の三十九ページのところをお見せするのをちょっと忘れていたんですけれども、もしそういうことをして赤字国債を出しているとすると、これは二重の意味で将来にツケを先送りする。まず、赤字国債を出して将来の世代にツケを先送りすると同時に、消費と投資で本来支出があるところで、消費を重視して投資を削減していく、そうしますと将来の成長率が落ちますので、またそこで二重の意味で将来世代にツケを先送りするということになります。

 そういった意味では、やはり社会保障の予算とそれ以外の予算のところをきちんと分けるというところを抜本的にしていただくというところがまず基本的に重要ではないかというふうに考えてございます。

 その上で、では、投資的予算についてどういう配分があるのかということになりますと、これは私の考えですけれども、これから人口減少していく、二〇四〇年ぐらいにはどの都道府県も全部減少するということでございます。そうしますと、もし社会インフラに投資するとしても、かなりめり張りをつけていただく必要があるのかなと。

 特に、横軸に時間軸をとって、縦軸に人口をとった場合に、ある特定の過疎地の地域では人口がどんどん減っていきますと、その場合、今のレベルが一〇〇がいいと思っていても、本当は七〇とか八〇がいいかもしれないわけです。そうしますと、将来の人口動態を見据えた上で、きちんと選別をしていただいて投資していくというような姿勢をとっていただくということが非常に重要なのではないかというふうに考えてございます。

松田委員 日本維新の会は、強く賢い経済財政運営ということで、もうちょっと賢い、めり張りのきいた、真に戦略的な財政支出にしていくにはどうしたらいいかということで、またこれからもいろいろとお知恵をいただければと思っています。

 それに関連してですが、先ほど岸本委員からも財政責任の話が出ましたが、実は我が党は財政責任法案というのを今準備中でございまして、ニュージーランドやオーストラリアの例も参考にしながら法案をつくっているところなんです。

 別所先生から以前いただいた論文の中に、財政規律を維持する仕組みとして幾つか挙げておられて、市場規律であるとか、あるいは政治家の再選動機ですか、それから財政ルール、財政委員会というようなことを挙げておられて、どれも決め手にならないというふうにたしかお書きになっていたと思います。

 その際、財政ルールというのを、我々の考えは、次世代は投票権を持っていないものですから、その投票権のない世代の意見をどうやって反映させるか。これは一種の民主主義の欠点を補正するという意味で、政府も政治家も縛るようなルール、法律をつくる必要があるんじゃないかという考え方に立っているんです。

 一方で、我々の世代としての責任もきちっと果たせるような財政の仕組みというのも必要じゃないか。

 今、小黒先生もおっしゃったように、社会保障は別の勘定にしていく。そうしますと、恐らく社会保障目的税というのは、多分、国民から国民への、あるいは世代間のお金の移転にすぎないといいますか、政府の懐に入るというよりは、むしろ政府はその仲介役であるということで、お互いに国民の間でどういう分担をしていけばいいのか、その辺が見えるようにしっかりとした区分をしていった方がいいんじゃないかと私も思っているんです。

 こういった意味で、全体として国民に見える財政というのをつくっていくことが政治家の再選動機にもつながっていくんじゃないかと思いますけれども、別所先生のお考えを改めて確認させていただけますでしょうか。

別所公述人 おっしゃるとおりだと思います。

 以上です。

松田委員 小黒先生はいかがですか。

小黒公述人 今、松田議員が言われていましたように、全く私も同意見でございまして、あえてつけ加えさせていただければ、やはり、国民から見て余り複雑な制度にすると、外から見たときにわかりませんので。

 財政の中の社会保障が占めている部分のトランスファーというのは異常に入り組んでございます。例えば、同じ社会保障の保険者同士でも、あと、医療でも、ある医療保険を救済するために、ほかの医療保険からお金を取ってきて、トランスファーしながら救済するというような仕組みができ上がっています。

 例えば、余り言うとあれですけれども、国民年金と厚生年金とかでも、実は、国民年金の一部のお金が厚生年金に流れて、それは専業主婦の部分と関係しているというふうに認識してございますが、そういった非常にわかりにくいトランスファーがたくさん出ていますので、それをなるべく外から見たときにわかりやすいように、ちゃんと区分経理していただくというところがやはり最初は必要なのではないか。

 それをしない限り、経済学のワードでハードバジェットとソフトバジェットというのがございますけれども、厚生労働省から見ますと、国庫負担みたいな部分は外から降ってくる財源だというふうに思っておりまして、思っているというか、思っているのではないかというふうに思っておりまして、保険料で最後閉じなくても、最後どこからか、税金なり、国債発行したお金が入ってきて閉じるというような感じになってしまう。そうするとやはり規律が働きませんので、きちっと分けて、しかも透明性がある形で、どういう先生方が国会議員になられて、しかもその国会議員の中でまた内閣が構成される、総理大臣とか厚生労働大臣になられても、管理しやすいようなシステムに改めていくというところがやはり重要なのではないかというふうに考えてございます。

松田委員 それでは、時間も迫ってきたので。

 我々維新の会は、基本的な考え方は、自立という考え方を持っているんですが、この自立も、個人の自立、地方の自立、国家の自立、いろいろな自立があるんですが、世代としての自立も大事じゃないかというふうに考えています。

 この世代としての自立というのは、いわゆる世代間不公平の話は小黒先生もいろいろと御指摘になっているとおりで、今の勤労世代が、所得再分配をした後、かえって格差が拡大している。高齢世代は格差が縮小していて、社会保障がちゃんと機能している。こういうことこそが本当の不公平で、むしろ、税率はフラットにして、金持ちとかどうかという前に、世代間不公平の是正をするためのいろいろな仕組みをつくらなきゃいけないんじゃないかというのが我々の考え方であります。

 そのためには、やはり、世代の中で相互扶助が行われる、世代の中で受益と負担がはっきり、理想を言えば完結している、それができない部分については世代間で再分配している状態が見えるようにしていく、納得ができるようにして世代の協調を図っていくということを我々は主張しているわけなんですね。

 その際に、そういう考え方に即して小黒先生はいろいろな社会保障の御提案もされているように私は受けとめましたけれども、今、高齢者が金融資産の大半を持っていることを考えると、フローだけじゃなくて、ストックの面も少し考えるべきじゃなかろうかなということに行き着くわけなんです。

 高齢者の資産を、今回の税制改正でも教育資金として贈与するというのがありますけれども、むしろ、世代の中で配分していく上では、一つは、資産課税ということももう少し社会保障の財源として考える余地があるのかどうか。あるいは、高齢世代が、例えば病院なんかでもいろいろなサービスをつくって、自分の健康のために支出すればそれが公的な健康保険に回っていくような仕組みをつくるとか、そういう意味で、もう少し資産をうまく回すような創意工夫ということがいろいろ考えられるんじゃないかという気もいたしますけれども、とりあえず、小黒先生の御意見を聞かせていただけますか。

小黒公述人 別所先生のスライドで恐縮なんですけれども、七ページに書いてありますように、世代間の不平等の連鎖を断ち切る意味では、確かに、相続税とか、やはりその辺を強化していくというのは一つのやり方ではないかなと思います。

 それは、各ファミリーの連続的な流れを考えたときに、豊かなファミリーとそうじゃないファミリーがあったときに、贈与税なり相続税を軽減してしまうとそのトランスファーが起こるわけですけれども、そのときに、やはり一つ財源として有力になってくるのは、金融資産に高齢者の方々が生きている間に課税してしまうと、金融資産というのはかなり逃げる可能性がありますので、亡くなられた段階で残った部分を回収させていただくという意味で、相続税を強化して、もしくは、残った住宅があれば、その住宅等を回収させていただくというようなことを検討していただくのも一案ではないかなというふうに考えてございます。

松田委員 もう時間なので、最後に嶋中先生に。

 日本の実質成長率をある程度引き上げないと物価も上がらないんじゃないかという見方もあるんですが、例えば、二%ぐらい実質成長が何年か続かないと二%までいかないという説もあるんですが、デフレはいわゆる貨幣的現象では割り切れない部分というのは相当あると思うんです。

 その点から考えて、かなり楽観的なシナリオが示されていましたが、本当にそれだけの二%の成長をするためには、これを生産性上昇率にすると相当な生産性上昇率のアップがなきゃいけないということになると、それがすぐに達成できるかというとかなり非現実的にも思えるんですけれども、その辺について、ちょっと最後にコメントをいただければと思います。

嶋中公述人 私は非現実的だとは思っていないので、それは日銀の黒田総裁と同じ意見でありまして、一五年一―三月期には二%の物価安定目標が実現して、そのときには名目三%成長が実現しているということでありますし、景気循環は急変しますので、ちょっとしたきっかけを与えるということが大事で、今はそれに成功し始めているということ。例えば、十一月ごろ、我々は、株式市場や為替がこんなになっていると誰が想像したでしょうか。

 このように、二%のインフレ目標を政府が日銀に迫ったというところが最初であったんですが、日銀は独自にこのような政策を考えました。それによってマインドがこれだけ変わるわけでありますから、こうして予想インフレ率を引き上げる中で、いろいろな、例えば、株価が上がっただけではなくて、資産効果で消費がふえる。それから、為替が円安になると、輸出採算が上がって、輸出数量もふえてくる。また、消費がふえれば住宅につながってくるし、長期金利が下がることが住宅や設備投資につながってくる。それによって、稼働率が上がり、有効求人倍率が上がり、失業率が改善し、デフレギャップが改善して、そして、ついにインフレギャップの領域になる。これが今までの景気循環でありまして、決して不可能なことではない。

 要するに、やろうと思ったときに反対が入って、やらせないという状態で十五年間、今まで失われたわけでありますので、私は、そういう懐疑的な見方も当然あっていいと思いますけれども、せっかく緒についたので、ぜひ肯定的な評価もしていただきたいと思います。

松田委員 そのようになることを私も心から祈っております。

 以上で終わります。ありがとうございました。

山本委員長 次に、柿沢未途君。

柿沢委員 みんなの党の柿沢未途でございます。

 四人の公述人の皆さん、本当にお疲れさまでございます。ありがとうございました。

 今まで十五分の持ち時間で四人の方がやられたわけですけれども、私は十分なものですから、きょうは、正直申し上げると、小黒公述人との対話のような形になってしまうかと思います。お許しをいただければというふうに思います。

 きょうのお話の中で、予算の歳出構造改革をしていくためには社会保障の部分に手をつけていかなければいけないのではないか、そしてそれは、人口増加を前提とする現行制度の微修正ではなくて、やはり人口減少、あるいはそれほどふえない、こういう状況の社会を前提とする大きな制度そのもののつくり直し、これをやっていかなきゃいけないのではないか、こういう考え方から、恐らく、積立方式の年金制度への移行、こんなことも具体的な制度として提案をされているんだというふうに思っております。

 これをやっていかないと、やはり世代間の格差、そして不公平感というものが解消できない。これが実は社会保障制度の空洞化の大きな原因となっていて、例えば国民年金の保険料でいえば、二十代の人は、二人に一人が払わない。払えないから払わないんだという説がある一方で、どうせ払ったって、いずれもらえないんでしょう、こういう不信感があること自体が、この納付率の低下を招いている原因になっているというふうにも思うんです。

 世代間格差、不公平の問題で申し上げれば、年金、医療、介護の保険料が大体六十兆円、そして、一般会計から入っている社会保障関係費が二十三兆円。これは基本的には、現役世代、若者世代から高齢世代への所得再分配ですね。

 その結果、ではどうなっているかというと、先ほどお話が出たとおり、所得再分配を行った後の格差というのは、日本は、諸外国と比べると、格差の程度は十分に縮まっていない。むしろ、小黒さん自身が書いておられますけれども、勤労世代と引退世代で再分配後の所得が逆転をしてしまっている、こういう再分配になっていない再分配政策が行われてしまっているわけです。

 この現状を知った上で、社会保障制度を若い人、勤労世代が支えようと思う気になる方がおかしいと言っても過言ではない、こういう状況だというふうに私は思います。そして、問題は、なぜそうなっているのか、こういうことだというふうに思います。

 小黒公述人は、このような状況がなぜそうなっているとお考えですか。お伺いします。

小黒公述人 やはり、最終的に決めているのは政治でございますので、政治がその分野について切り込んでいけるだけのパワーがまだないというところが最大の原因かなと。

 その背後にありますのは、やはり、政治の高齢化という概念とかがありますけれども、あと、英語だとポリティカルエージングみたいなワードが最近ちょっとネット上とかでも出てきてございますけれども、どうしても、政治家の先生方も当選しなければなりませんので、だんだん有権者の中で高齢者の方々がふえていく、特に、中位の方々は四十代半ばぐらいまで既に来ていますので、そうしますと、社会保障の改革に手をつけようとするとなかなか当選しにくいということがあると思います。

 ただ、では、その状態がずっと微修正で維持できるかというと、やはり難しいのではないか。

 それはなぜかといいますと、よくワニ口の予算の税収構造がございますけれども、税収はだんだん減っていって、歳出はどんどんふえていっている。歳出がふえている裏側の背景は、社会保障等による、高齢者の方がふえていっているのが要因ですし、あと、税収の方も、保険料の方も気になるところがありますけれども、これから働く人たちが減っていけば、当然その税収等も減っていく可能性がありますので、閉じなくなるわけですね。

 そうすると、どうしても財政構造も維持できなくなる。では、そこに手をつけようとすると、なかなか難しいところがある。そこをやはり政治家の先生方に解決していただくというところが重要なのではないかというふうに思ってございます。

柿沢委員 先ほど、年金の積立方式への移行は可能だ、こういうプレゼンテーションをしていただきました。

 二点、やはりこれはできないんだという有力な、よく言われる反論があります。一つは、暗黙の債務の問題。要するに、既裁定債務というか、ここの部分について膨大な積み立て不足があるので、これは無理だという話。もう一つは、積立方式にするとインフレに弱いじゃないか、つまり、インフレが高進した場合はソルベンシーがなくなるじゃないか、こういう話があります。

 この二点について、ぜひ簡潔に反論をしていただきたいと思います。

小黒公述人 今、柿沢先生から御質問がありました二点でございますけれども、まず、前者の債務の話でございますけれども、これは多分ここで御説明すると長くなりますので、結論だけ申し上げますと、先ほど御説明させていただきましたように、事前積み立てという形で、将来の、これからふえていく負担増をあらかじめ事前に積み立てていただくという形をとれば、実は、全く国債を発行することなしに賄うことができるということでございます。

 あともう一つは、インフレについてでございますけれども、積立金がインフレーションになったら目減りするという話もございますが、そこもかなり誤解があるのではないかというふうに思ってございます。もしそういう心配があるのだとすれば、インフレ連動国債等で運用していただくとか、あと仮に、もうちょっと細かい話をさせていただければ、フィッシャー効果等もございますので、名目金利は基本的には実質金利プラスインフレーションですから、インフレになれば名目金利も上がりますので、そこで調整されて、きちんとした運用ができるのではないかというふうに考えてございます。

柿沢委員 さらに言えば、これは、現行制度のいわばつくりかえ、これで対応できる制度変更だということも大変重要だというふうに思います。それによって、自分が払ったものはいつか必ず自分のところに返ってくる、この負担と給付の関係性、連続性が保たれることによって、私は、年金制度に対する信頼感、社会保障全般に対する信頼感をもう一度取り戻すことができる、これは一概に非現実的だと切って捨てるべきではない、こういうことを私自身も思っているところです。

 もう一点、吉川洋先生の「デフレーション」の話がありました。日本のデフレの原因として、名目賃金が下がりに下がり続けている、名目賃金の下方硬直性と言われるんですけれども、日本の場合、それが当てはまらない、こういうことが言われている。逆に、クルーグマンに言わせると、アメリカは名目賃金の下方硬直性があるからデフレに陥らないで済んでいるんだ、こういう説明もあるわけです。

 では、日本の場合、世界的に常識のようであった名目賃金の下方硬直性というのがなぜ見られないのか。ここの部分を、政府が要請して、人為的に賃上げを行ってもらおう、こういうことを今政府はやっているわけですけれども、これが必ずしも正しい解決策だとは私は思わないんです。政府が企業に賃上げをしろと言うのは、ある意味では、この市場経済の中ではちょっと違和感のある手法だと言えなくもない。

 そういう中で、では、なぜ今こうなっていて、それがそうでなくなるためにはどんな解決策があるのか、小黒公述人にお聞きをしたいと思います。

小黒公述人 この部分は、実はかなり労働政策の部分にかかわりますので、難しい部分かもしれませんけれども、私なりの観測した事実だけを申し上げさせていただくと、横軸に失業率をとりまして縦軸にインフレ率をとりますと、多分、欧米型は失業率でいろいろ調整するような形になっている。他方で、日本は、特に名目賃金ですね。インフレ率が基本的には名目賃金の影響を受けるとしますと、不況になったら利益が減りますので、その場合、賃金を下げていって調整する、そのかわり、余り失業率はアップしないという形をとる。他方で、欧米の場合は、先ほど横で調整するという意味は、レイオフをする、かわりに、生き残った方々は基本的には余り賃金が下がらないという形で、デフレーションのスパイラルには陥らないということになっているということでございます。

 そうしますと、もし、今の、インフレーションを二%に近づけていくというような政策目的と、これはまた別途違う目的がございますけれども、いろいろな産業構造が変わっていく中で、必要なところに人の資源が移っていくということが必要だ、その物価二%目標を達成するということでありますと、やはり労働政策、特に雇用の流動化等についての議論を深めていただくというところが必要ではないかというふうに認識してございます。

柿沢委員 十分は短いということを痛切に感じました。

 終わります。

山本委員長 次に、宮本岳志君。

宮本委員 日本共産党の宮本岳志です。

 四人の公述人の皆様方からの冒頭のお話、心から感謝を申し上げます。私どもも十分でありますので、なかなか皆様方にお伺いするということになりかねると思いますけれども、どうぞよろしくお願いをいたします。

 デフレ不況と言われるもの、これがデフレスパイラルと言われる悪循環をしている。賃金自身もこの間下がってきました。ですから、消費購買力がなかなか上がらない、売れ行きが伸びないから利益が上がらない、利益が上がらないから、さらにリストラがやられる、あるいは価格が下がるという悪循環ですよね。

 ですから、それをどこで断ち切るかという議論が中心だと思うんですけれども、私たちは、やはり働く人の所得をふやす、こちらからデフレ不況を打開しようということを提案してまいりました。今のアベノミクスとは少しやり方が違うわけでありますけれども。

 今、賃下げや非正規の拡大がデフレ不況に悪循環をつくり出していると全労連の小田川公述人からもお話がありましたけれども、そこに消費税の増税を来年の四月、さらにその翌年と、こうしますと、経済にも非常に重大な影響があると思うんですが、小田川公述人の御見解をお伺いしたいと思います。

小田川公述人 消費の停滞が全てデフレの原因かどうか、私は専門でないからよくわかりませんが、少なくとも消費が減退をしている、それは、物を買いたいけれども買い控えをしているという状況でないことは、例えば貯蓄ゼロの世帯がこの十数年間で一気にふえてきているということからも見られますように、最低限の生活、ぎりぎりで生活する労働者がふえているということの状況だと承知をいたします。

 その上に、逆進性が強くて生活費に課税をする消費税が導入をされるということになりますと、途中で生活保護世帯の例を申し上げましたけれども、所得の構造によってやはり支出の構造というのも違っているはずでありまして、消費税増税は、より厳しい生活への負担が低所得者にかかっていくことになるというふうに承知をいたしますので、今の状況ではとても賛成できないと考えております。

宮本委員 午前中も実は北海道大学の山口先生とも議論になったんですけれども、最低賃金の引き上げということでなければ、ボーナスがいっときふえるとかいうだけではいかないんだという議論もありました。それから、トリクルダウンという、企業が潤えばやがて労働者にも回っていくだろうという議論は、今そうなっていないんだという議論も出されたと思います。

 いずれにせよ、企業の収益が戻ればやがて労働者にも回るんだ、だから賃上げをと、今の政府もそういうふうに言ってはいるわけですけれども、ただ、それが確かにそうなっていくか。そのためには、本当に政治がやるべきことは多いと思うんですね。その点で、最低賃金の引き上げというのは非常に大きな力を持っていると思います。

 それで、タイムラグがあるんだというふうによく言われます。予算委員会でもそういう答弁が政府からあります。タイムラグが生じるという点では、それは、労働者の賃金を引き上げて、やがて消費がふえ、企業収益が戻るのにもタイムラグがあることは当然でありますけれども、そちらの方のタイムラグというものは許さないのに、企業収益が伸びてから労働者の生活や国民の暮らしへのタイムラグの方はおおように構えるというのは、非常に僕は矛盾を感じるんですけれども、この点について、小田川公述人、どうお考えでしょうか。

小田川公述人 意見公述でも申し上げましたけれども、大きな企業と小さい企業との格差というのはだんだん広がってきているということでありまして、トリクルダウンのお話もありますが、企業から労働者へもそうですけれども、大きな企業から小さな企業への移転といいますか、これも非常にうまくいかなくなっているのではないかと私どもは感じております。

 とりわけ、最近の状況で申し上げますと、円安の結果、原材料の上昇が言われておりまして、これが中小零細企業での経営難にも来ているというふうに言われております。

 したがって、タイムラグの問題だけではちょっと整理がつかない問題が今の現状にはあるのではないか。いずれ労働者に回るからというふうには、今の状況の中では必ずしも期待できないものだというふうに考えております。

宮本委員 私どもは、国会でも大企業の内部留保というものを取り上げてきました。ため込まれていると私たちは言っておりますけれども、二百六十兆円に及ぶ、これは政府側の答弁も、額はともかくとして、ため込んでいるというか、たまっているということは認めざるを得ない状況であって、試算してみますと、トヨタ自動車でも月一万円の賃上げをするのに内部留保のわずか〇・二%という数字が出ておりますが、一%以下の取り崩しで賃上げが可能だと。やはりここをまずしっかりとやってもらわなければ、本当にデフレからの脱却というのはできないと思うんです。

 ところが、一方では、一層雇用が壊されるような動き、例えばベースアップはもうなくすとか、あるいは働き方そのものを、先ほども準正社員のような話が出てまいりました。それから、公述の中でもブラック企業という言葉が出てきましたけれども、例えば、正規で働いていれば安心かといえば、正規で働いている人の中にも、本当に劣悪でひどい状況が広がりつつある、こういう報告もされております。

 そういう相談がたくさん寄せられていると少し触れられましたが、中身はお触れになりませんでしたから、今、現に現場で起こっているひどい事例を御紹介いただければありがたいと思います。

小田川公述人 まず、ブラック企業ということで申し上げれば、最も多いのは、不払い残業を強いながら、過労死ラインと言われます八十時間まで労働を強制するという事例が時折出てまいります。どちらかと申し上げれば、サービス業関係のところでそういう事案が発生する事例は多いというふうに相談の中からは感じておりますけれども、こういう事例があります。

 あるいは、リストラに際しまして、隔離部屋という形で、仕事を取り上げて、窓もない部屋に閉じ込めながら、一日そこで、仕事というよりもじっとすることを強要する、こういうやり方で退職を強要するという事例は、去年来からの、先ほども申し上げましたけれども、電機のリストラの中で何件か私どもも相談を受け、対応をしてきたところであります。

宮本委員 私、実は、若者の就職難の問題というものにずっと取り組んできたんですが、大学生などの間に、どうしても正社員にならなければならないと。というのは、非正規が非常に悲惨だという状況が知れ渡ってきていますから。だから、正社員になるために、みんな物すごい競争をやっている。逆に、そこにつけ込んで、正社員だということで雇うんだけれども、最初から選別をして、放り出していくということを予定して採用するような企業があって、それがやはりブラックと言われる企業の出発点になっている。

 ところが、今起こっている状況は、それが、かつてであれば、ごく一部の企業、一部のそういう非常に悪質な企業のことでありましたけれども、私たちが国会で取り上げた隔離部屋とかという企業は名立たる大企業であって、ですから、最初はごく一部に始まったことが、今や名立たる大企業にも広がっている。

 要するに、全ての企業のブラック化というか、そういう状況すらあるのではないかというふうに言われておるわけですけれども、このあたり、小田川さん、いかがお感じでしょうか。

小田川公述人 私どもが受ける相談の中には、特定の企業でというふうに申し上げませんけれども、大小を問わず、著名な企業の中からも相談をいただくことも相当数あるのは事実であります。例えば三六協定というのがありますけれども、これの上限を超えて働かせている実態が大企業の中からも時折出てくるという状況にあります。

 その意味では、先生がおっしゃいますように、社会全体として、働くルールを守らなくてもいいという風潮がとりわけこの二〇〇〇年代に入って広がってきていることについては、私ども労働組合として非常に強い懸念を持っております。

宮本委員 同時に、この国会では、やはりTPP交渉への参加ということが大きな論点になってまいりました。

 農業団体、漁業の団体、そういうところが反対の声を上げるのは当然でありますけれども、労働組合としてTPPについてどうお考えか、最後にお伺いして終わりたいと思います。

小田川公述人 TPPは、人、物、金の国境を越えた移動を自由にする。当然のことですけれども、人にかかわるさまざまな制度についてもハーモナイゼーションする。要は、私どもの感覚で申し上げれば、アメリカ的な制度に全体として持っていくという危険性を持っているのではないかと、まず基本に考えております。

 そういたしますと、アメリカの労働者の実態あるいは雇用の状況、権利の状況を考えますと、今の日本の状況よりも、いい部分がないとは申し上げませんけれども、全体として申し上げれば、極めて雇用は流動的であり、低賃金労働者も相当数存在をする、貧困の実態もひどいというふうに承知をしておりますので、そういう事態が日本で起きることをまず第一に懸念をいたします。

 もう一つは、日本の労働市場に他の国から参入をされる場合の規制が、この国では残念ながらまだ十分議論がされていないように承知をいたします。

 研修・実習生問題というのが最近議論になっておりますけれども、そこの中で、最低賃金さえ下回る働かせ方をしているという実態が、私どものところにも相談を受け、実際に事件としても扱いました。

 そういう状況があることを前提に考えれば、日本の労働市場の現状というのは極めて不安定性を持っておりますので、そういうところの手当てがないままにTPP参加の議論だけが進むことについては、必ずしも賛成をしておりません。

宮本委員 時間が参りましたので、終わらせていただきます。

 ありがとうございました。

山本委員長 次に、村上史好君。

村上(史)委員 生活の党の村上史好でございます。

 最後の質疑者となりますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 さて、嶋中公述人からちょっと質問させていただきたいんですけれども、御承知のように、円安が急激に進んでおります。その結果、輸入原材料が上がって、生活必需品も物価高だという状況であることは、皆さん御承知のとおりだと思います。

 このことは、アベノミクスを推進する立場からすれば織り込み済みの状況かとは思いますけれども、ただ、国民生活、あるいはまた実体経済の面から見れば、当然マイナスの要素があると思います。

 この円安がもたらす実体経済に対する影響をどのようにお考えなのか、そしてまた、円安の許容範囲、幾らぐらいだったら内需また国内景気に許容範囲でおさまるのかなという、そのあたりのお考えをお示しいただきたいと思います。

嶋中公述人 為替は、プラス面とマイナス面、両方あると思います。

 今先生が御指摘になった原材料価格の上昇というのは、原材料価格そのものの値段が上がるケースと、それから為替が円安になることによって上昇するケースがあって、後者のことを指摘されていると思います。

 実際に、ガソリン価格が上がったりあるいは小麦価格が上がったり、それで、全体的に言えば、輸入原材料価格が上がって、中小企業、零細企業が困っているというケースがあります。あるいは、家計でも困っている。そういう面があって、なおかつプラス効果は何かというと、御承知のように、円安による輸出競争力の向上、輸出採算が上昇して、そして、世界経済の状態にもよりますけれども、実際に輸出が出てくるということであります。

 そのほかにもいろいろな効果がありますけれども、全体として言えば、先ほど私が、円安により実効レートが二〇%下落して、私の資料の三ページでありますが、実質GDPの成長率は〇・四%押し上げられるという計算をしました。大体そういうようなマクロ効果が及んでいるのですが、当然のことながら、この中にはマイナス面も入って、マクロ的にはプラス効果の方がはるかに上回っているということです。

 ただし、実際問題として、弊害の方、マイナス面を感じている方はたくさんいますから、そういった方々に対して、きめの細かい中小企業対策とか零細企業対策、あるいは、不安を解消するようないろいろな政策はやっていかなければいけないんじゃないかというふうに思います。

村上(史)委員 ありがとうございました。

 お答えにくいのかもしれませんけれども、いわゆる国内経済で円安がどの辺までは許容範囲なのかという、その辺の御見解をお示ししていただけますか。

嶋中公述人 失礼しました。御質問があったのに、答えませんでした。

 一九九五年に一ドル七十九円の円高になってから三年半たちまして、金融危機などもあったのですが、一ドル百四十七円までいったことがありました。これは日本経済が非常に悪いということで円が売られたわけでありますが、今回の場合、マーケットというのは結構スパイラル的にいくという傾向があるんですけれども、そこまでいくような流れではないし、実際、適正なところはどこかというのは非常に難しいですけれども、百五円とかそこら辺のところまで年内にいく可能性はあるかとは思いますけれども、そこら辺までですと全体的にプラス効果の方が上回るのではないかなというふうに思います。

 そもそも数年前は百十円台だったわけですから、そこをやはり頭に入れないと、円安、円安といっても、猛烈な、他国と比較しても先進国の中で日本だけ円高だった、為替が高かった。そういう状態になっていたのは、日銀の金融政策を受けて、外国人投資家などが、これはマネー出していないから買った方がいいんだということで、急速に円高になって企業が行き詰まったんだと。

 それが、生産を落として、所得を落として、日本経済全体をやはり苦しませているわけでありますから、適正がどこかというのは非常に難しいですけれども、九十五円から百五円、現在その領域に入ろうとしていますけれども、それぐらいは認めていただかないと。円安になって大変だから円高政策とりましょうとか、要するに、円高の方がいいんですみたいな話が前あったと思うんですけれども、もうそれは、ちょっと日本経済が立ち行かなくなりますので、それぐらいの円安は許容してもらわないと困るというふうに思います。

 なお、金融政策は、何も為替を円安にするためにやっているわけじゃありませんので、デフレを脱却して、インフレ目標二%を実現するためにやっている、そこら辺は国際的にも誤解のないようにしたいと思います。

村上(史)委員 どうもありがとうございました。お答えにくい部分もあったかと思いますけれども。

 それでは、時間的にも短くなりましたけれども、小黒公述人にお尋ねしたいと思います。

 先ほど、極端な金融緩和には慎重なお立場だという意味の御発言がございました。

 きのう、黒田総裁のインタビュー記事がございまして、日銀券ルールを将来復活するんだということをインタビューの中で述べられたと。これは恐らく、出口論のところで、行き過ぎた金融緩和が財政規律を緩めて、財政ファイナンスに近いように市場が捉えられるということで、国債の暴落また金利の上昇を危惧しての発言だと思います。と同時に、政府に対する財政赤字の縮小を求めているということにもなると思うんですけれども、先生のお考えでは、金融緩和の、今の黒田日銀総裁を初めとする日銀の方針というのはどのように評価をされるんでしょうか。

小黒公述人 御質問にお答えしますと、評価については、まず、立場上、デフレは余りよくないということは直観的にみんな把握していますので、ある程度マイルドなインフレーションをつくり出すという目標については積極的に評価をするということになります。

 ただ、その手段として、これだけのマネタリーベースを拡張していくことが本当にできるのかどうかということがまず一つ目にありますし、先ほど申し上げましたように、市中の発行額百二十七兆円ぐらい、そのうちのもう七〇%ぐらいを中央銀行が買っていくということを本当にできるのかというところ。

 裏側では、長期金利が引き下がるところもかなり念頭に置いているはずなんですけれども、直近の長期金利を見ましても、初会合で発表されたことを受けまして、長期金利は一時的に〇・三%ぐらいまでかなり下がりましたけれども、その日にまた上がっていく。金利が下がっていくことについてのある程度の効果が私もあるのかなとは思っていたんですが、実は、最近、金利が下がらないような状態、むしろじわじわ上がっているような状態になっている。

 背後にあるのは、これは専門用語ですけれども、イールドカーブがフラットに潰れていくと、特に生保業界とかいろいろな業界、長い年限の国債を買って収益を上げていたところが、どうしても余り収益が上がらないので一部海外に投資したりとかする。というと、海外金利との裁定で、金利が余り下がらなくなってくるものが出てきているのではないかというふうに危惧しております。そうしますと、実はやはりかなり難しい領域に入るのではないかというふうに危惧してございます。

 それと同時に、やはり出口戦略で、もし仮に二百七十兆円ぐらいまでマネタリーベースを拡張させることができたとしても、それを今度回収していく、要するに日銀券を回収していく段階で、基本的には、国債を売りオペしたりとか、あと、準備預金の金利を引き上げたりするというようなことがあると思うんですけれども、それが長期金利にまたはね返ってくるという可能性も当然ありますし、そうしますと、財政当局とのコラボレーションがかなり難しくなるということも想定できますので、やはりかなり難しいというふうな認識。だからこそ、ぜひ今から出口戦略も含めて検討していただけないかなというのが私の希望でございます。

村上(史)委員 時間が参りました。ありがとうございました。

山本委員長 これにて公述人に対する質疑は終了いたしました。

 公述人各位におかれましては、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。

 以上をもちまして公聴会は終了いたしました。

 公聴会は、これにて散会いたします。

    午後三時四十七分散会


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