衆議院

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第2号 平成16年2月26日(木曜日)

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平成十六年二月二十六日(木曜日)

    午前九時二分開議

 出席委員

   会長 中山 太郎君

   幹事 小野 晋也君 幹事 近藤 基彦君

   幹事 船田  元君 幹事 古屋 圭司君

   幹事 保岡 興治君 幹事 木下  厚君

   幹事 仙谷 由人君 幹事 山花 郁夫君

   幹事 赤松 正雄君

      伊藤 公介君    岩永 峯一君

      衛藤征士郎君    大村 秀章君

      倉田 雅年君    下村 博文君

      棚橋 泰文君    渡海紀三朗君

      中谷  元君    永岡 洋治君

      平井 卓也君    平沼 赳夫君

      二田 孝治君    松野 博一君

      森岡 正宏君    森山 眞弓君

      綿貫 民輔君    伊藤 忠治君

      大出  彰君    鹿野 道彦君

      楠田 大蔵君    小林 憲司君

      園田 康博君    田中眞紀子君

      武正 公一君    辻   惠君

      計屋 圭宏君    古川 元久君

      増子 輝彦君    村越 祐民君

      笠  浩史君    太田 昭宏君

      斉藤 鉄夫君    福島  豊君

      山口 富男君    土井たか子君

    …………………………………

   衆議院憲法調査会事務局長 内田 正文君

    ―――――――――――――

委員の異動

二月五日

 辞任         補欠選任

  大出  彰君     松本 剛明君

同日

 辞任         補欠選任

  松本 剛明君     大出  彰君 

同月十九日

 辞任         補欠選任

  杉浦 正健君     早川 忠孝君

  土井たか子君     山本喜代宏君

同日

 辞任         補欠選任

  早川 忠孝君     杉浦 正健君

  山本喜代宏君     土井たか子君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 日本国憲法に関する件

 小委員長からの報告聴取


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     ――――◇―――――

中山会長 これより会議を開きます。

 日本国憲法に関する件について調査を進めます。

 本日は、各小委員会において調査されたテーマにつきまして、各小委員長からの報告を聴取し、委員間の討議に付したいと存じます。

 議事の進め方でありますが、小委員会ごとに、まず小委員長の報告を聴取し、その後、そのテーマについて自由討議を行います。

 なお、各テーマごとの自由討議における最初の発言者につきましては、幹事会の協議決定に基づき、会長より指名させていただきます。

 自由討議の際の一回の御発言は、五分以内におまとめいただくこととし、会長の指名に基づいて、御着席のまま、所属会派及び氏名をあらかじめお述べいただいてからお願いいたします。

 御発言を希望される方は、お手元のネームプレートをお立てください。御発言が終わりましたら、戻していただくようお願いいたします。

 発言時間の経過につきましては、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたします。

    ―――――――――――――

中山会長 それでは、まず、天皇制について、最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員長から、去る五日の小委員会の経過の報告を聴取し、その後、自由討議を行います。最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員長保岡興治君。

保岡委員 最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会における調査の経過及びその概要について御報告申し上げます。

 本小委員会は、二月五日に会議を開き、参考人として、流通経済大学法学部教授・九州大学名誉教授横田耕一君をお呼びし、天皇制、特に皇室典範その他の皇族関連法について御意見を聴取いたしました。

 会議における参考人の意見陳述の詳細については小委員会の会議録を参照していただくこととし、その概要を簡潔に申し上げますと、

 参考人からは、天皇制についても、憲法の規範に沿った理解が必要であり、憲法の条項に違反する伝統は否定されなければならない、また、天皇の公私の区別は厳格になされるべきとの立場から、憲法の基本原則と象徴天皇制との関係、憲法規範的に見た天皇の地位、権能及び根拠、天皇は元首か、日本国は君主国か、公的行為は存在するか及び公私の混同という規範解釈上のこれまでの主要な論点についての説明がなされました。

 その上で、現在の天皇は、主権者ではなく国政上の権能も有していないものの、高度な政治的機能を果たしてきたと言えるが、近年の天皇、皇族のスター化や伝統の変更、廃止による権威の足元を崩す行為は、天皇の統合力の希薄化を招いている。女性天皇は、憲法の下位法である皇室典範を憲法の規範に沿うように改正すれば認められるが、男女差別が依然存在する現状では、さらなる国民統合能力の希薄化を招来する可能性を否定できないとの意見が述べられました。

 このような参考人の御意見を踏まえて、質疑及び委員間の自由討議が行われ、委員及び参考人の間で活発な意見の交換が行われました。

 そこにおいて表明された意見を小委員長として総括するとすれば、まず、象徴天皇制に関する規定のうち、皇位の世襲を定める第二条が、近代立憲主義の正統に位置するとされる日本国憲法において、憲法それ自体が認める例外的な規定であることについては、各会派に一致した見解であると思われます。ただし、その例外的な規定に、我が国の歴史や伝統を読み込むのか、また、第十四条の男女平等の原則を適用するのかについては、なお隔たりがあるように感じられます。

 我が国の歴史や伝統と近代立憲主義との調和をどのように図っていくべきであるかについては、これまでの調査の中でも明らかにされてきたように、明治憲法の制定以来、折に触れ問題とされてきた点であります。

 この問題を今後どのように解決していくべきかということは、皇位継承の問題のみならず、国のあり方を考えていく上で、大きな課題の一つであるということに思いを新たにした次第です。

 以上、御報告申し上げます。

中山会長 これより、天皇制について、皇室典範その他の皇族関連法についても含め、自由討議を行います。

 それでは、まず、計屋圭宏君。

計屋委員 民主党の計屋圭宏でございます。よろしくお願いします。

 グローバル化、ボーダーレス化が進み、国家国民という枠組みも変わりつつある中で、一方、国家主義の高まりという現象もあります。しかし、五十年から六十年という過去から見ると、歴史的に役割を果たしたものや、なお必要として継続されなければならないもの、また新しく追加しなければならないものがあります。

 そこで、憲法を考えるとき、未来から現代を見て、五十年先から逆算して見る必要があるのではないかと思います。

 憲法改正は、江戸から明治、軍国主義から平和主義に変わったぐらいの大転換で、五十年に一回の国の形をつくるという大きな仕事です。日本の場合、これまで、天皇制、天皇の存在が大きな役割を果たしてきたということは言うまでもありません。日本独自の文化や伝統は我が国の歴史と切り離せない密接な関係であり、現在の象徴天皇は、歴史的に見ると、むしろ本来の姿であるのではないかと考えております。

 また、象徴天皇存在は、他の国に例を見ない国民統合力として貴重であると思っております。

 次は、女帝と退位の見直しについてであります。

 現行の皇室典範では、男系の皇族にしか皇位継承権は認めておりませんが、天皇が未成年あるいは精神もしくは身体の重患または重大な事故により職務を遂行できないときには摂政を置くことになっております。皇位継承については認めないが、摂政については皇后を認めております。摂政は実質的に天皇の役割を果たしており、天皇制の持つ日本国有の文化的要素を持っており、また、男女共同参画社会の精神から考えても、女帝は認めるべきだと考えております。

 退位については、天皇が崩御しない限りその地位にとどまることになっておりますが、本人の意思で退位することが可能な英国皇室などと比べると極めて非人道的ではないかと思われます。

 天皇が職業かどうかはわかりませんが、基本的人権を天皇にも認めるべきと考えます。

 以上です。

中山会長 ありがとうございました。

 ただいまの御発言に関しまして、関連して御発言を希望される方は、お手元のネームプレートをお立てください。

船田委員 自由民主党の船田元でございます。

 天皇の地位の問題、前回の会合でかなり議論が高まったところでございますが、私、二点ほど、そのときも自分自身の意見は申し上げましたが、もう一度ちょっと確認の意味、それから少し言い足りなかったことがございますので、敷衍をしたいと思います。

 一つは、横田参考人も御指摘いただきましたが、天皇の国事行為とそれから公的行為、私的行為というのもあるんでしょうけれども、横田参考人は国事行為と公的行為という分け方をされました。そして、国事行為はもちろん象徴天皇としての、まさにその象徴を裏打ちする行為として当然のこと、しかし、公的行為についてはやはり公私混同のおそれがあるということから、天皇の公的行為にはやや否定的な御意見であったと理解をしております。

 しかし、私は、やはり国事行為のみ、これは憲法に規定をされておりますけれども、これのみによって象徴天皇の地位を、あるいはその意義を明らかにするということはなかなか無理があるのではないか。やはり、天皇の公的行為、これを少し幅広く認めることによって象徴天皇のその地位、あるいは統合の象徴という立場を補完する、こういう必要が私はあると思っております。この点、一つ指摘をしたいと思います。

 もう一つ、女性天皇の話でございます。

 これは大変微妙な問題であります。現在なおこれから将来のことが確定できていないという状況から、これを議論することは確かに時期尚早なのかもしれません。前回の私の発言ではそちらにやや重きを置きましたけれども、私の真意は、さはさりながら、しかし、この女性天皇問題について早く方向を示さないとまさに天皇家そのものを継続することが不可能になるおそれがある、このように私は考えております。

 ただ、その場合、どこまで認めるべきかということが次に問題になります。男系男子というのが現在の皇室典範でありますが、男系女子まで認めてはどうかという意見があります。しかし、これは、やはり過去におきましても特殊、一時的なことであり、また一代限りでそのものが終わってしまう、こういう問題があります。したがって、やはり恒久的に、これから将来のことを考えると、女系女子まで認めることがどうしても必要になってくる、このように思います。

 ただ、女系女子まで認めた場合の次なる問題としては、いわゆる宮家がこれからどんどん増加をしてしまう、このことが皇室財政に大きな影響を及ぼす可能性があるということ、また、女系女子まで認めることになると一体どこの皇族の女子までそれを認めるのか、大変恐れ多いことですが、どこまでに限定をするか、どこまでで線を引くか、こういうような問題につきましても非常に多くの課題を抱えているというふうに私は思っております。

 横田参考人は、現状では男女差別の意識があることによって、女性天皇を認めることが統合力を弱める、このような御指摘でございましたが、私は、その解釈はちょっと逆ではないか、女性天皇を認めることによって、世の中におけるまだ残っております男女差別問題、意識、そういうものを変えていくことにむしろつながっていくのではないか、このように考えております。

 時期の問題、尚早と申し上げましたが、理論的に考えると、女性天皇はやはり早い段階で一定の方向性、結論を出すべきであるというふうに思います。

 以上です。

山口(富)委員 日本共産党の山口富男です。

 先日の横田参考人をお呼びしての小委員会でのキーワードの一つというのは、やはり近代立憲主義だったと思います。それは、先ほど小委員長からの報告にもあったところなんですけれども。

 これは、日本国憲法で定めた国家制度なわけですけれども、主権在民のもとに置かれたわけですね。そこに、それぞれの立場から、あるいは憲法の解釈から伝統というものを読み込みがちなんですけれども、横田参考人御自身は、やはりこれは近代立憲主義として、法規範の問題と、そこにそれぞれの方が伝統を読み込もうとするところは区別して考えた方がいいという定義だったと思います。

 ですから私は、調和という、先ほど御報告がありましたけれども、そういうものと、接近ではなくて、やはり憲法に定められた国事行為、そしてそれ以外は、私は公的行為論でなくて私的行為論という立場に立っておりますが、厳格に区別して運用することが極めて大事であるというふうに参考人の意見を聞きながら感じました。

 女性の天皇の問題は、皇室典範という法律事項にかかわる問題ですから、そういうものとして議論をするということになると思います。

小野委員 ちょっと今までの議論と違う視点の問題提起を一点させていただきたいと思いますのが、日本国憲法第一条のところの、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であるというその部分でございます。法理論的に言うならば、日本国民というのは、現実に今この世に生きている日本に国籍を持つ人ということになるんだろうと思いますけれども、私は、ここに描かれている日本国民というものにもっと大きな広い意味が願いとしては込められているのではないかという気持ちがするところがございます。

 つまり、天皇を象徴としていただくところに、日本の国の歴史、伝統、文化ということがよく語られるわけでありますが、では日本国民という言葉でそれをどう含むかという場合、この日本の国に生きとし生きたすべての人たちという願いがあるのではなかろうか。だから、もう今現在この世に生きていない、既にお亡くなりになった方々、江戸時代であれ、平安時代であれ、明治時代であれ、そういう過去にこの国に生きた人たちということも含めてこの日本国民という言葉の中に描かれているような気持ちを受けることがございます。

 それは、同時に、現代世代の私たちの責任において論じようとするならば、未来にこの国に生きる人たちのことも含めて日本国民というような表現がなされているのではないか。法律論からいうと少し荒唐無稽な発言というふうに受け取られる方もおられるかもしれませんが、私は、そこまでの広がりを持つ象徴という意味でこの天皇というものが描かれている、こんな印象を持っている点を語っておきたいと思います。

下村委員 先ほど、天皇制の議論の中で、基本的人権の問題あるいは男女共同参画という視点からの言及がございました。

 この天皇制は、今お話がありましたように、日本国憲法第一条の中で、天皇の地位そして主権在民というのは明確にうたわれているわけでございますが、同時に、この日本国憲法の法律の位置づけ以前の問題として、天皇制というのが長い我が国の中で、歴史、伝統、文化一体とした中での天皇制の存在というのは厳然たるものとしてあるわけでございます。

 これは、GHQのマッカーサー最高司令官、当初の憲法草案の中ではこれが入っていなかった。それが、今後の日本の将来における国体等考えている中で天皇制を入れたということはまさに賢明な判断でもあったというふうに思うわけでございまして、この問題と基本的人権やあるいは男女共同参画を同列に議論、なかなかできることではないというふうに思っておりますが、一方で、前回も横田参考人とは意見は違いますが、しかし、できるだけ法治主義国家として法律の中で厳然とその位置づけを明確にするということは必要であるというふうに思います。

 そういう中で、改めて、基本的人権やあるいは男女共同参画と別の次元の位置づけとしてこの天皇制をどう憲法で位置づけるかということについての精査、議論というのはきちっとして、将来において改正の中でも位置づけをしていくことは大変重要なことであるというふうに思います。

 それから、女帝の問題でありますけれども、これも長い天皇制という歴史の中で、今までの男系男子というその枠組みはこれは守るべきではないかというふうに思っておりますが、ただ、過去にも例外的なことがございました。それに準じた形の中で皇室典範の一部改正は必要ではないかというふうに思います。

 以上です。

中山会長 他に御発言ございませんか。

 それでは、討議も尽きたようですので、これにて天皇制について、皇室典範その他の皇族関連法についても含めての自由討議を終了いたします。

    ―――――――――――――

中山会長 次に、憲法第九条について、安全保障及び国際協力等に関する調査小委員長から、去る五日の小委員会の経過の報告を聴取し、その後、自由討議を行います。安全保障及び国際協力等に関する調査小委員長近藤基彦君。

近藤(基)委員 安全保障及び国際協力等に関する調査小委員会における調査の経過及び概要について御報告申し上げます。

 本小委員会は、二月五日に会議を開き、委員中谷元君及び松本剛明君から、自衛隊のイラク派遣並びに集団的安全保障及び集団的自衛権を中心とした憲法第九条に関する基調発言を聴取いたしました。

 会議における両委員の基調発言の詳細については小委員会の会議録を御参照していただくこととし、その概要を簡潔に申し上げますと、

 中谷委員からは、

 戦後大きな機能を果たしてきた九条が国際情勢の変化により現実と乖離したことから憲法の軽視と形骸化が生じていること、また、九条のもとで海外派遣された自衛隊の自己防衛が困難になっているとの認識が示されました。その上で、現行憲法下では、外国部隊等の警護、任務遂行のための武器使用、日本周辺での米軍への攻撃に対する応戦、国連軍への参加ができず、アジアの安全保障機構への参加の制約となり、仮に日韓防衛条約が締結されても片務的になることから、憲法改正により安全保障上の環境整備をすべきこと、安保理常任理事国入りし、国連のイニシアチブをとるとともに、複合的になっている国連の安全保障政策に対応し参加、協力すべきこと、新憲法に自衛権、自衛隊の役割、国際貢献についての権限を明記すること、平和主義や国連中心主義の理念を九条の中心にすることについて意見が述べられました。

 松本委員からは、

 政治は時代の要請にこたえるべきだが、法治の観点から、必要なら法を整備すべきで法を飛び越えるべきではないとの認識のもと、イラク戦争については、国際法から見た攻撃の根拠や、先制攻撃による自衛権発動の是非等、その大義を検証すべきであり、自衛隊のイラク派遣については、政府の憲法論議を避けた特措法の構成に無理があるとの見解が述べられました。

 また、国連については現実を直視しつつも理想に近づく道を選択すべきであり、国連軍、多国籍軍、平和維持活動等の集団安全保障活動への幅広い参加を可能にするため、同活動を九条の枠外とする解釈、安全保障に関する基本法制定、憲法改正の選択肢があること、集団的自衛権については、日米安全保障条約のあり方や将来の見直しも視野に入れる必要があること、太平洋、東アジアにおける安全保障網の構築を考える際、これを行使できないことが外交上の足かせになる懸念があること、集団的自衛権は主権国固有の権利であり、政府解釈の論理的検証が必要であることについて、意見が述べられました。

 その後、両委員の基調発言を踏まえて、質疑または発言及び自由討議が行われました。

 そこで表明された御意見を小委員長として総括すれば、九条に関する昨年以来の憲法調査会における議論において、九条一項の侵略戦争放棄の理念の堅持については各委員とも認識を共有するものの、安全保障及び国際協力の方向性については、現行憲法の前文に掲げる平和主義や九条二項の戦力の不保持、交戦権の否認の理念を今後も維持していくのか、あるいは新たな国際協力にかかわる理念を打ち出していくのかという点で見解を異にしていたところです。今回の集団的自衛権及び集団的安全保障並びに自衛隊のイラク派遣に関する調査においても、この点において見解に相違が見られました。

 集団的自衛権については、我が国の自衛上の必要性やアジアにおける安全保障網の構築の観点から行使できるようにすべきとの発言があった一方、九条のもとにおいては、我が国はこれを有していないとする発言がありました。また、行使できるようにすべきとの立場からは、憲法上明記するのか、憲法解釈の変更によることも検討に値するのではないかといった点や、行使をどの程度認めるべきかといった点について、さまざまな発言がありました。

 次に、国連の集団的安全保障については、その活動に幅広く参加できるよう憲法改正も含めた枠組みづくりが必要である、あるいは前文の国際協調主義により認められるとの発言があった一方、あくまで九条に基づいて平和主義や国連中心主義を実現すべきであるとの発言がありました。

 自衛隊のイラク派遣については、安保理決議に基づくものであり九条に違反するものではないとする発言があった一方、九条及び国際法に違反しており撤回すべきである、あるいはイラク復興は国連の枠組みで行うべきとの発言がありました。また、武器使用基準の見直しなどの自衛隊員の安全確保の必要性について発言がありました。

 これまでの議論の積み重ねにより、九条をめぐる問題については、次第に論点が明確になってきていると考えます。今後も、我が国の安全保障及び国際協力等のあり方について、さらに議論を深め、この争点に関する憲法上の問題について、早急に合意形成を図る必要があると考えております。

 以上、御報告申し上げます。

中山会長 これより、憲法第九条、特に、自衛隊のイラク派遣並びに集団的安全保障及び集団的自衛権について自由討議を行います。

 それでは、まず、武正公一君。

武正委員 民主党の武正公一でございます。

 まず、イラク自衛隊派遣の一つ説明とされます国際協調と日米同盟の両立ということでございますが、現憲法の前文に日米同盟という明記がないのでございまして、そもそもこの両立というか、それぞれの概念が違うわけであります。国際協調が上位概念と言ってもいいわけでございます。譲って、両立でも、今回のイラク自衛隊派遣はやはり日米同盟ありきといったことが指摘をされるわけでございます。もちろん、小委員会の中でも、日米安保の極東の安全と平和という、そのことの指摘もありました。

 さらに、今イラクまで自衛隊を派遣されておりますが、今後全世界にこの日本の自衛隊は出ていくのかどうか、こういった今岐路に立っているし、そのための憲法上、法律上のやはりさまざまな必要性、検討が必要な時期に来ているというふうに言わざるを得ません。

 民主党では、二〇〇二年七月にまとめましたこの憲法調査会、民主党のものでございますが、憲法解釈変更、そして安全保障基本法等による規定、そして憲法改正の三つの選択肢を掲げておりますが、特に、先ほど触れました現憲法の前文にある国際協調、この国際協調主義を一つの論拠にいたしまして、自衛のための必要最小限度の武力行使は集団安全保障活動として認められることもある、これもやはり選択肢のうちの一つというふうに考えるところであります。

 今回のイラク自衛隊派遣は、特措法は、九・一一テロ特措法に由来をする、いわゆる国会の関与については事後承認になっております。そもそもシビリアンコントロールというのは、あくまでも国民の代表である国会が自衛隊あるいはそうしたフォースのコントロールをするというのでありまして、この国会の関与が弱いということが甚だ問題でありますので、やはりイラク特措法、テロ特措法など、国会の関与は積極的に事前承認に、基本計画等あるいは閣議決定の基本計画の承認等をしていくべきであろうというふうに考えるところであります。

 そしてまた、この憲法裁判所の設置の必要性、そしてまた国連中心主義ということでありますので、国連が機能するよう、国連改革を含め、不断の努力をすべきであって、あだや国民軽視のような発言をすべきではなく、また過日、事務総長の国連での演説の一部をとってイラク自衛隊派遣の大義とするようなことはあってはならないというふうに考えるところでございます。

 以上でございます。

中山会長 御発言を希望される方は、お手元のネームプレートをお立てください。

仙谷委員 私自身は、いわゆる国連による集団安全保障及び集団安全保障措置について、日本が積極的に関与すべきである、あるいはそのために日本が国連の中で、いわゆる安全保障理事会の構成を含む日本の関与をより強めるべきであるというふうに考えておりまして、さらに、そのために日本国憲法でその旨を明確にするための規定を置くことについてもちゅうちょするべきでないというふうに考えているわけでございます。

 しかしながら、最近の集団的自衛権をめぐる議論というのは、そういう観点からすればするほど少々不可解な感覚で聞いております。つまり、国連憲章五十一条の集団的自衛権行使についての規定というのは、言うまでもなく、国家に対する武力攻撃が発生した場合の、これに対する緊急やむを得ざる自衛の措置あるいは自衛権の行使としての規定が記載をされているわけであります。

 ところが、最近、非常に不明確な形で集団的自衛権という言葉が使われているわけであります。一つには、イラクの、アメリカのこの占領行為に対する自衛隊の派遣が、何か集団的自衛権の行使と関係があるかのような、ないかのような議論がされているわけであります。どうして今度のイラクへの自衛隊の派遣が、集団的自衛権の行使というふうな解釈なり適用ができるのか、私にはわからない。

 つまり、日本の国家が武力攻撃を受けているわけでもない、アメリカという国家がそのような攻撃を受け、もしくは武力攻撃を受ける緊急性、あるいは急迫の侵害を受ける急迫性といいましょうか、そういうものがあるわけでもない。つまり、集団的自衛権の行使をとることができると仮定しても、そのような要件が全くないわけであります。

 それで、このイラクへの自衛隊派遣もそうでありますが、その他の自衛権、集団的自衛権の行使と言われておるものは、要するに、根拠がある自衛隊の海外的プレゼンスなのか、全く国際法的根拠のない海外における自衛隊の行動なのか、いずれにしても、その場合の集団的な戦闘あるいは武力を行使しての行動が、あたかも国家における自衛権の行使と混同して語られているというところが非常に大問題ではないか。このことは、集団的自衛権の行使というふうな概念を使う場合に大いに注意を喚起して使っていただかなければならないんではないか。

 当然のことながら、この集団的自衛権の問題と国連による集団安全保障の問題というのは、全く概念もあるいはその要件も異なるということを改めて確認すべきだろうと私は思っております。

 以上であります。

中谷委員 ただいまの仙谷さんの御意見について、まず、イラクにおける復興人道支援というのはあくまでも武力行使にならないということでありますので、集団的自衛権を発動するという範囲の話ではない。

 しかしながら、PKO活動のときからもそうでしたけれども、武力行使の一体化という観点で他国と協力をしたり、他国を警備、防衛したりすると武力行使と一体化になるのではないかというような憲法解釈で、それは、集団的自衛権のこの解釈の幅が広くなりまして、単なる国際貢献における外国との協力も、また米国の自衛権に対する協力も、同じ集団的自衛権であるということから来ているわけでありまして、この辺においては、明らかに集団的自衛権で今後ともできない部分と、こういった国際協力活動においては他国と協力、協調するということで必要な部分と二面性があるということで、今後議論をしなければならない分野だと思います。

 それから、武正さんに機会があったら伺いたいんですが、この国際協調と日米同盟というのはまさしく二つの概念がありまして、当然、国際協調の方が上位になると私も思います。

 ただ、昭和二十五年に講和条約ができた際に、そのときに、日米安保条約も一緒に結んでいまして、これは、国連が機能するまでの間は日米安保を日本の防衛に資するというようなことでありますので、要は国連が機能している状態かどうかというと、それから五十年たっても、いまだに国連軍すら機能していない。つまり、常任理事国の五カ国が意見が一致しないから国連が紛争防止などの機能をしていないという観点で、今後のことも考えますと、なかなか機能ができないというところから、現実的な問題として日米同盟というものを重視せざるを得ないというところに来ていると思います。

 そのような観点で、日本は国連に依存するということで、本当に国連自体の改革を待たずしてそういうものに依存をしても、これまた不安な面もございます。

 そして、最後に質問ですが、この集団的安全保障活動というのは、いわゆる日本は後方支援にとどめていますが、おっしゃるような国連の協力なら全面的にやるべきと考えているのか、すなわち治安維持とか、いわゆる平和回復活動的な部分もあろうかと思いますけれども、国連に対する集団的安全保障という概念は、そういった部分も含まれるかどうか。こういう観点について意見を聞いてみたいと思っております。

武正委員 まず、日米安保条約が国連が機能するまでの暫定的なものだというところは、やはり議論が分かれるのではないかというふうに思いますし、国連は今後機能しないというふうに中谷委員が断言をされるのは、やはり問題であろうというふうに思います。やはり国連の構成員が努力をしなければ国連は機能しないわけでありますので、やはり分担金第二位の国が国連を機能させるための不断の努力をしていく必要があるというふうに思います。

 そして、集団安全保障活動について、今どこまでかという話がありましたが、日本として今PKOということで参加をしておりますので、その後のPKFについては、政府の方も条件を幾らか緩めておりますので、これについての参加というものは当然また選択肢のうちの一つに入ってくると思いますが、現状ではPKOまでといったことだと思います。

仙谷委員 中谷先生の今の御質問に、これは私的な見解を含めてお答えをしておきます。

 法律論、憲法論としては、先生のおっしゃったことに対する答えはイエスであります。許容範囲は、許される政策選択の幅としては、当然のことながらそこまであると私は考えております。

 ただ、その時点で、日本のそのときの政府がとり得る政策、国連の集団安全保障としての取り決めに、どういう選択をして、どこまで関与するか、参加するかというのは、これは全く別問題であろう。ただし、憲法論的、法律論的には、先生のおっしゃったところについてはイエスである、こういうふうにお答えをしたいと思います。

渡海委員 中谷元委員からもお話があったところでございますが、私は、仙谷委員からの先ほどの発言を聞かせていただいていて、これは非常に大事な問題だと思っております。

 とかく、さまざまな議論をいたしますときに、実は、言葉の定義ということがお互いにどうもはっきりしていないということが多々、我々の議論の中でもあるのではないか。

 イラク特等で今議論がされておりますが、例えば戦闘地域とか戦闘行為とか、集団的自衛権もそのうちの一つであろうと思います。この間、小委員会では、松本委員の方から、自衛的、集団的自衛権なら認められるんではないかというふうな趣旨の発言も実はあったわけでございまして、これは、日米安保は極東地域という田中委員の御指摘もあったとおりでございますから、そういった意味では日米が基本になるというんですが、これだって拡大をしていけば、例えば、イラク地域で一緒に行動している、今はオランダ軍に守られておるわけでございますが、このオランダ軍がもし攻められたときに、そして警護のオランダ軍が危なくなったときに、ほっておいたら日本の自衛隊が危なくなる。これは多分、恐らく今までの集団的自衛権という概念ではないんだろうけれども、拡大すれば自衛のための武器使用ということに当たるのかもしれない。この辺のところをやはり厳密に規定していかないと、なかなか言葉がすれ違っていて議論がかみ合わないんじゃないか。

 そういった意味で、集団的自衛権は、私はやはりこれは国際法上の言葉であろうと思いますし、もともとはパリ講和条約で英米が主張したところからスタートをしている、こういう説もあるわけでございますから、国家の問題であろう。そうすると、同盟関係があって初めて成り立つという、法的にはそういう根拠になるのが事実であろうと思います。

 しかし、現実として、先ほど申し上げましたような自衛的な自衛権といいますか、そういうことを考えますと、我が国の代表として出て行っているイラクの現場の自衛隊が現実にどういう状況に置かれるかということは十分に吟味をした上で、ただ単に法律上とか、ただ単に憲法解釈という意味で物事が行われてはやはりいけないんじゃないかな。

 そういう意味では、特に憲法調査会で、これは会長を含め、私は今回から入れていただいておりますから、皆さんの議論を聞かせていただいて一つだけ感じますのは、イラクの今の派遣がどうかということは大変大事な問題であります。そして、当然この立法府で議論される問題でありますけれども、そのことと同時に、憲法調査会は、今やっていることが違憲かどうかということをベースに考えていただいて結構ですから、この国は今後国際協調の中でやはり何をなすのかということを中心に、いろいろな意見を集約していただけないかな。

 そして、その上で、先ほど仙谷委員も御指摘いただきましたように、例えば国連の集団安全保障、これも概念もしっかりする必要はあると思いますけれども、そういった中で我が国が参加するとしたら、現行憲法ではやはり不都合ではないか。そういうことであれば、どういうふうに書きかえればいいかということを考える議論を積極的にしていただいたらどうかなという気がいたします。

 イラク特なり予算委員会なり、さまざまな委員会で、当然いろいろな違憲論争も含め、なされているわけでございますから、調査会は、私は、これは個人的な思いでありますが、この国のあり方を大いに議論して、集約できるところは、現行憲法がそのままでよければ、それをもう一度確認を国民にしていただく。そして、不都合な点があって意見の集約が見られる点については、きちっと国民に提示をして、手続に従って、やはり国民の選択のもとで、新たな憲法、私はそのままのものをかけるというのも一つだと思います、極論すれば。そういった作業のまとめ方をしていただければありがたいかな、そんなふうに思っておりますので、一言意見を言わせていただきました。

中山会長 会長として渡海委員に申し上げておきますが、本調査会は、一つの案件を決議するとか、そういうことは権限として認められておりませんので、あくまでも委員各位の御議論としてお述べいただくことは自由でございますが、調査会として結論を出して一つの決議をするということは権限外のことでございますので、その点、あらかじめ御理解をいただきたいと思います。

渡海委員 わかりました。

船田委員 自民党の船田でございます。

 これまでの自衛権あるいは安全保障に対するこの憲法調査会での議論、かなり、方向性はまだ定まらないところが多いわけですが、煮詰まってきた部分もあると思っております。

 しかし、いずれにしても、私は、第九条、現状のままで、解釈によって自衛隊の行為あるいはその他の行為を拡大していくあるいは広げていくということは、これはやはり限界があるだろうと思っております。やはり憲法上にきちんと明記をする、そういうことでそれぞれの種類の自衛権を一つ一つ規定するということが私はやはり最高法規としての責任であるというふうに感じております。

 例えば、安全保障基本法、仮称でございますが、そういうものを別に憲法のもとに下位法としてつくりまして、それで集団的自衛権、集団的安全保障という行為をそこで認めていくというのは、私はやはり無理があるというふうに感じております。

 次に、私の集団的自衛権と集団的安全保障に対しての考えですが、私は、いずれも、条件をつけながらも、やはりそれが認められる、今我が国においてそれをやることは認められるということで九条を書きかえるべきだというふうに思っております。

 ただ、集団的自衛権については、先ほど来いろいろ御議論もありますけれども、やはり一定の限界、限定というものをつけた集団的自衛権であるべきではないかということであります。例えば、同盟国の間において、あるいは安全保障に関する条約の締結国において、あるいはまた東アジア地域などの地域的限定をつけて集団的自衛権を一部認める、このようなことで、我が国の個別的自衛権の行使、その結果として我が国の防衛ということに万全を期すということは極めて重要であるというふうに思っております。

 もう一つの集団的安全保障であります。

 これは、現在、国連の集団的安全保障という議論が中心ですが、例えば、今後、アジア地域においての何らかの枠組み、安全保障上の枠組みができたときに、それもやはり集団的安全保障という枠組みで議論するという余地を残しておくべきではないかというふうに思っております。

 それから、この集団的安全保障の行使において、例えばある方は、国連待機軍、別組織をつくって、それで対応すればいいではないか、こういうお話がよく出るわけでございますが、自衛隊とは別の組織をつくるということは、やはり人材の面でも費用の面でも、私は大変、大いなるむだであるというふうに解釈をしております。また、別組織をつくることによって、憲法九条を余り手を加えなくても集団的安全保障ができるという考えに成り立っていけば、国権の発動というものをそれによってすり抜けてしまう、つまり、九条でまともに議論をしているような国権の発動におけるさまざまな安全保障に対する我が国の行為というものを、その前提を外してしまう、こういうことでありますので、私は、この議論は慎重に対応しなければいけない、このように考えております。

 以上です。

土井委員 少し、先ほどもそういう御意見が出ておりましたけれども、やはりこの問題も含めまして大事なことは、言葉の概念というのをどのように認識するか、それから、それが法文の用語になった場合は、もはや法律語でございますから、法文語でございますから、したがって、その持っている定義というのをどのように位置づけて考えるかという問題というのがはっきりしていないと、これは大変混乱のもとになるといつも思うのでございます。

 今回は、それぞれの主権国家においては自衛権というのはおのずと存在しているわけでありまして、この自衛権を否定するわけにはいかない。しかし、その自衛権をどのように発動するかというのは、それぞれの国がその最高法規である憲法の内容として決めているところに従って考えなければならないということではないかと私は思います。

 そうすると、日本の場合は、自衛権の発動というのはもう既に最高法規である日本国憲法の中におのずとはっきりしているわけでございまして、その中身を見た場合は、第九条ですね、条文をどのように理解し、どのようにそれに対して定義するかというところが大変問題になるだろうと思うのです。

 新憲法に自衛権、自衛隊の役割、国際貢献についての権限を明記することというのが中谷議員の方からの提案としてございますけれども、しかし、現在の日本国憲法においてもこの点ははっきり決められているというふうに認識をしなきゃいけないんじゃないでしょうか。

 それと同時に、この集団的自衛権の問題についても、勝手にこれは主張する話ではございませんで、国際的なお互いの取り決めだと言われることに対しても、国連憲章が決めているところによるというのが大体お互い認識の中では基本に置いて考えておかなければならない問題だと思うんですね。

 したがって、集団的自衛権というのも、勝手に日本が、あるいはアメリカがこれに対して主張をしているというわけではありませんで、国連憲章の中でどのようにこれを取り上げて問題にしているかということが基本にあって、しかもこの問題に対しては、歴代の内閣が、内閣の意見として統一見解が既にございます。日本としては、集団的自衛権というのが国連憲章によって国際的に認められている中身ではあるけれども、これを行使しない、したがって、日本としては集団的自衛権ということを行使しないという認識を公にするということを今まで培ってきたんじゃないでしょうか。

 しかし、昨今は、その政府の統一見解や解釈、それ自身が変遷していっているものですから、非常に問題をわかりにくく、しかもいろいろ問題を理解しようとする場合に混乱が生ずるということになっていると思うので、もう一度原点に戻ろうということを私は本当に提唱したいと思います。

 さて、あと一つ、これはきょうの御報告を聞いておりまして、ちょっと気になるんです。それは、最後のところに、「この争点に関する憲法上の問題について、早急に合意形成を図る必要があると考えております。」という小委員長報告でございますけれども、この「早急に合意形成を図る必要」とおっしゃっているところが気にかかるんです。

 実は、この憲法調査会というのが設置される場合に、これに対して決められているところは、国会法と、そして御案内のとおり衆議院憲法調査会規程によるわけでございますけれども、そのいずれを見ましても、日本国憲法について広範かつ総合的に調査を行うため、衆議院に置かれた機関であるということを明確にして、そして調査会は「日本国憲法について広範かつ総合的に調査を行うため、各議院に憲法調査会を設ける。」ということになっているわけで、そして、これの運営に当たっては議運の方がお互いこの中身について合意事項ということを決めておられるようですが、この衆議院の憲法調査会の調査期間というのがおおむね五年程度を目途とするということと同時に、議案を提出することはできないということも決められているということからすれば、ここにある「早急に合意形成を図る必要がある」と言われている中身というのはどういう意味を持つのかというのが非常に気にかかるんですね。

 お互い意見が違うからこそ、論議をする意味があるわけでありまして、合意形成を図るということは、何かの目標があるから、目的があるからこれをする必要があるということに初めてなるんじゃないでしょうか。そう言わざるを得ないですよね、これはどうも。

中山会長 土井委員の御発言に対して、近藤小委員長、御意見があれば御発言ください。

近藤(基)委員 特別、特段の、国会法あるいは調査会規程を別に覆すつもりはありませんので、その辺は。ただ、先ほど土井委員の方も、そういった解釈改憲等で混乱を来している、変遷をしていると。ですから、それは論議をして、全会派からお出ましになっているわけですから、合意が図れるものならば、特段別にそれは問題はないだろうと。

 ただ、それを無理やり何かに決議をするとか、先ほど会長からも御指摘ありましたが、議案の提出権はもちろんありませんし、決議すら、そこから発生すれば決議権もないということになりますので。ただ、調査をしながら、こうやって自由討議や何かで論議をし、別に集団的自衛権だとかそういった意味だけで合意形成を図るということではなくて、少なくともその中で合意が図れるものは当然出てくるだろうと思いますし、図れなければ図れないで、五年をめどに、これは調査をし報告をする義務があるわけですから。

 ただ、そういった意味で、少し、ちょっと書きぶりあるいは言いぶりにもし誤解が生じるような言い方でありましたら、若干、次回にでも、少し、ちょっと協議をして御訂正をすることになるやもしれませんが、そう深い意味はないと御理解をいただければありがたいです。

土井委員 小委員長、そうおっしゃいますから、ぜひその御努力をお願いしたいと申し上げます。ありがとうございました。

山口(富)委員 日本共産党の山口富男です。

 私は、小委員会の討議の中で、今回のイラク戦争への自衛隊の派兵については、国連が最後まで合法性を付与しなかった戦争を追認することになってしまう、また、憲法九条からいっても派兵は許されないということを詳しく述べました。

 きょうは、武正委員や仙谷委員から出された問題にかかわって二点発言したいと思うんです。

 第一は、憲法九条の問題なんですけれども、私はやはり、九条がつくられた法規範として生きている力というのは、一つは、アジア太平洋地域にかけて行われた日本の侵略戦争に対する反省、これを繰り返したくないという思いが基本にあると。これは、あの戦争の評価は別にいたしましても、少なくともああいうことを繰り返さないという点では、私は大きな一致は今も国民的に存在していると思っております。

 もう一点は、国のあり方の問題として、では、世界に対してどうやって働きかけていくのかという点が問われたと思うんです。そのときに、九条は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求するという言葉で表現しておりますし、前文では、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」という形で、積極的な平和創造といいますか、世界に働きかける平和の立場を示したというふうに思うんです。

 この二つがやはり、九条や前文に込められた平和主義の非常に大事な背景だと思います。その点で私は、今日、これを変えることは、必要は全く感じていないというのが第一に発言したかった点です。

 二つ目が、集団的自衛権なんですけれども、これは小委員会でも、国連憲章五十一条の解釈が、私はこれはあくまで例外的なものなんだということを申し上げたんですが、その点でのいろいろな意見は交わされました。

 この問題で、私は今目を向けなければいけないと思っておりますのは、では、その後の五十数年の中でこの集団的自衛権という名前のもとで何が行われたのかということなんですね。実際に、これを名目にしてやった戦争というのは、まあ事実上、戦争が違法化されているんですけれども、武力行使というのはアメリカや旧ソ連がやった一連の戦争だったんです。そういう点でいいますと、自衛という名前はついておりますが、現実には攻撃権になっていたんですね、軍事同盟の根拠に。私はやはり、日本の憲法の立場からいって、これは認めることができないものだというふうに思います。

 そして、現実に、今世界の三分の二の諸国が非同盟運動ということで軍事同盟に参加しない道を選んでいるわけですから、集団的自衛権という問題が、国際的な二十一世紀の流れからいきましても、何かそこに主要な流れがあるというふうに見ることはできない問題だな、そのことを感じておりますので、その二点をきょうの発言にしたいと思います。

小野委員 先ほどの土井委員からの問題提起に対して近藤小委員長がお答えをして、そして土井委員もそれで納得されたということでございますが、この点はちょっとこの調査会としてやはり検討すべき問題があるような気持ちがいたします。

 この設置法において、調査を行うということが目的であるということでありますが、ただ、この調査というものは、国民の皆さんからして、憲法というものがさまざまに解釈をされて、その解釈が一定しないがゆえにこの国の方向をめぐっていろいろな疑念があったり、戸惑いがあったりしているものについて、ある一定の方向づけを期待されているという部分があるというのも事実としてあると思います。

 自衛隊の派遣問題一つをとっても、これは派遣するかしないかということについて、国家としては国家意思を持って決定しなきゃいけない問題であって、解釈が幾つもあるから、そのいろいろな解釈が併存していていいという問題でないとする以上、この調査会として合意を図る必要があるというこの必要という言葉には、少しこの調査会の権限を逸脱するものがあるとしても、合意を図る努力をするということについては、やはり調査会のメンバーとして一つの共通の意思を持つべきなのではなかろうか、こんな気持ちがいたします。

 ですから、この調査会の設置法をどうこうという議論をするつもりはございませんけれども、この場での議論において、ただそれぞれの党がそれぞれの見解を表明すればいいということではない。その議論を通してある一定の方向づけをするということについての一定の努力がここに存在しなければ、調査会の議論というものが、ただ今までのそれぞれがそれぞれの見解を言い続けてきたということと何も変わらないわけでありまして、各党がこの一つの舞台の上に乗って、少なくともそこで一定の何らかの解答を求めようと努力する、こういう部分だけは必要な問題だろうという気持ちがいたしております。その点だけちょっと触れさせていただきたいと思います。

赤松(正)委員 公明党の赤松正雄でございます。

 この憲法調査会のきょうのこの会合、今、先ほど他の委員会から戻ってまいりましたところなので、今までの経緯はちょっとよくわかりませんので、そういう経緯とは関係のないお話をさせていただきます。

 実は私、先般、つい数日前に、参議院の憲法調査会でこの安全保障をめぐる問題について三人の、まあお三方とも有名な方、大阪大学の坂元一哉さん、そして拓殖大学の佐瀬昌盛さん、そして朝日新聞の田岡俊次さん、三人を呼んで、参議院憲法調査会の話、特に集団的自衛権をめぐる問題についてお三方の発言を聞いていて、非常に感ずるところがあったというか、思いがあります。

 それは、先般、中谷前防衛庁長官が、この小委員会でも自由民主党を代表されてのお話の中に、集団的自衛権をめぐっての学説の分かれているところありということで二つの見方を出しておられましたね。日本国そのものが、正確なことは忘れちゃいましたけれども、自衛のための対応、それと国際的な役割を持った上における自衛権の発動、そういうふうな言い方をたしかされておったような気がするんですが。

 要するに、集団的自衛権をめぐって、私は定義の混乱というか、いささか同床異夢というか、同じ言葉を使ってもそれぞれが違うことを考えて言っている側面があると。であるがゆえに、恐らく、今から二年半ほど前に小泉さんが総理大臣になられたときに、集団的自衛権問題は研究の余地がある、こうおっしゃったのはまさにそこにつながっていくと思うんですが、だれかが入れ知恵されたのか、否定されたのか何か知りませんが、それが後退をしてしまって、議論をすればいいと、内閣として、政府の積み重ね、歴代内閣の積み重ねがあるから、それを変えるつもりはない、こういうふうな形に戻っておられるというのはいささか残念な気がいたします。

 私は、このように申し上げたからといいまして、集団的自衛権を、今の憲法の中で、憲法解釈を変えて、瞬時のうちにそれは変えることはできるんだというふうな言い方をされる、例えば佐瀬さんのような方の意見には首肯できないものがあります。やはり、集団的自衛権問題は、憲法改正を伴わないとさわれない問題だという立場に立っております。

 では、憲法を改正して、今言われているところの集団的自衛権すべてオーケーとするのか、それはそうではない。その場合に、集団的自衛権というのは二つに大きく分けるべきだ。私の造語ですが、一つは能動的集団的自衛権、そして受動的集団的自衛権というふうに分けるべきではないかと思います。

 例えば、参議院で言われた、大阪大学の坂元さんが、海外派兵と集団的自衛権を分けてほしい、懇願するように言っています。ぜひ分けて国会で議論してほしい。海外派兵はいけないに決まっている、しかし集団的自衛権で認められるものがあるんだ、認めていかなくちゃいけない、そうでないと日米関係はだめになっちゃう、すごく粗っぽく言うとそういう言い方をしていますが。ただ、そこにおいても、私に言わせれば、集団的自衛権というのは能動的と受動的に分けた方がいいような気がするんです。

 いずれにしても、そういうふうに仕分けをして、憲法改正という場面があって、今の状況でいろいろなそごを来している、日米関係においてそごを来しているような問題について、今私の言った受動的集団的自衛権の部分は憲法改正と同時に認めるようにしていいし、でも、改正をしても断じて認められない、先ほど言った能動的自衛権、例を出して言えば、アフガン空爆に日本が参画するとかイラク侵攻に参画する、そういったことは断じてしてはいけないこと、こういうふうに仕分けをしていくということが大事じゃないかな、そんなふうな印象を受けたことを報告させていただきます。

 以上です。

土井委員 先ほど小野議員がおっしゃった問題について、少し誤解のないように申し上げます。

 きょうの、この小委員長からの御報告の文案を見ておりますと、もう文案というのは間違っているかもしれません、小委員長報告と申し上げなきゃいけませんね、によりますと、「早急に合意形成を図る必要があると考えております。」とおっしゃったんです。

 ここのところは、私は心配性だから、特に言ったのかもしれませんけれども、法案とかそれから議案を当調査会からは提案することができないということがあるとするならば、この合意形成を早急に図る必要というのは何のためか。目標、目的がないと、これは合意形成を図るという必要は、恐らくはないでしょうから、したがって、どういう目標や目的がほかにあるんでしょうかねということが、勢い考えざるを得ない問題になってくるんですよ。そういうことからすると、ここのところがちょっとひっかかりますねと言ったんです。

 そうしたら、そういうふうに思われる節があるならば、もう一度考えてみようと小委員長がおっしゃったことに対して、どうぞそれは御努力方お願いしますと言って、私は、納得と先ほどおっしゃいましたけれども、小委員長の御努力に対して納得しますという意味の納得だったら、納得したんですよ。だから、まさしく、合意形成をわざわざ図る必要はない問題ではないかと私は思っているんです。つまり、争点に対しても明らかなんですから。

 それで、争点に関する憲法上の問題について合意形成を図る必要があると言われれば、何のためですかと言わざるを得ぬのであって、むしろ、かつて内閣に憲法調査会が設けられて、七年間その作業を進められたとき、結論としたら、一つにまとめないで両論併記だったということを思い起こす必要もあるかと思います。私は、内閣に憲法調査会を設けること自身が、賛成ですか反対ですかと言われたら、間違っていると思っている一人ですけれども、しかし、それにもかかわらず、そのときの取り扱いについては、両論併記だったというのはどういうことかというのは、非常に示唆に富んでいると私は思いますよ。

 したがって、今おっしゃる御意見というのは、ちょっと聞いていて私は奇異に感じましたので、一言申し上げさせていただきました。

小野委員 基本の部分に、当初から何らかの目的があって、そこに、強引にこの憲法調査会の議論において誘導するために取りまとめをしなければならないということではなくて、やはり、土井委員も若干触れられましたけれども、世の中が移り変わってくる、国際環境も変わってくれば、この国自身の持っているものも変わってくるし、国民意識も変わってくる。そういう中にあって、憲法がいかにあるべきかについての議論を行うということになるわけでございますから、それに対して、過去の解釈がこれであったから、それを変える必要はないというだけの議論ではないような気持ちが私はいたしております。

 例えば、自衛隊の存在そのものについても、過去においては、自衛隊存在そのものが違憲であるという解釈もあったわけでありましょうけれども、それは、今の段階では、自衛隊の存在はもう大体各党共通に、存在そのものについては認めようということになってきているわけでありますし、そういう変化が起こってくる中で、憲法の条文そのものがそのままでいいのかという議論が起こるのは、これは当然の話だと思うんですね。

 ですから、そういうところを率直に論じ合っていきながら、やはりこの調査会として、国民の気持ちや国際情勢の中での、国益という言葉がお嫌いな方もおられるかもしれませんが、国益をいかに図っていけばいいかということも、やはりこれは国会としての大切な責任でありますから、そのようなことを総合的に勘案して、でき得るものならば、そこに合意を形成しつつ、国家の今後の進路を明示していくことについての努力を図るということは、この調査会の仕事だろうという気持ちを持って私はこの場にいるものでございますから、その思いを語らせていただいた次第でございます。

山花委員 民主党の山花郁夫でございます。

 今からお話をさせていただくことは、ちょっと、直接日本国憲法第二章第九条のことではないのかもしれないんですが、大変象徴的に出ている問題なので、発言をさせていただきたいと思います。

 これは、内閣法制局という存在の権威あるいは機構ということであります。

 先ほど、渡海委員であるとか土井委員からもお話がございましたように、もちろんそれだけではなくて、各委員からも御発言がございましたように、憲法の解釈について政府見解が変わってきている、その一番象徴的なものが憲法九条なのかなと思っております。

 一般に、学術上の話ですけれども、国会が制定した法律は合憲であると推定されると論じられております。何となれば、国民が直接選挙した議員が議会で制定したものだからだという理屈なんですが、ただ、我が国では憲法の解釈について、ほかの国で私は寡聞にして、ここまで内閣法制局あるいは行政権の法制局が権威を持って、あたかもそれが有権解釈の権威であるというような形で登場する国というのは、余り存じません。

 あるいは、過去にこういった議論が起こると、与野党の論戦の中で、では内閣法制局出てこいと言って、今までの言っていたことと違うじゃないか、こういうことをやっていく中で、もしかすると、当時の野党側の思いとは別に、どんどんとそれによって内閣法制局の権威が高められていったのかもしれないんですけれども。

 ただ、私は、先ほど土井委員が、この憲法調査会、内閣に設置するのは反対ですという話があって、そういう意味では議会の方に置いているというのが正論なのかなと思っております。

 こういった憲法解釈についても、また別に議論を誘発するつもりはありませんけれども、この場で仮に、例えばの話で、合意ができて、何らかの規範を新たにつくりましょう、あるいは、これについてはこのままでいきましょうと合意がされたとしても、それに対して、また何か事態が起きたときに、本当は議会としてあるべき姿というのは、各院の、各ハウスの法制局に対してもっと、これについてどう考えるか。本来であれば、ああいう議論が起きたときに、内閣法制局はこうだというのではなくて、議論の中でもう少し衆議院あるいは参議院の法制局が権威を持って発言、発言というのもおかしいかもしれません、これについてはハウスとしてはこうではないかということがもっとあってしかるべきではないかと思っております。

 そういう意味で、直接、この九条だけの話ではないかもしれません、各ハウスにある法制局というものを、もっと機能を強化したり、あるいは機構についてしっかりと整えたり権威を持たせるということが今後の憲法の議論の中でも必要ではないか、そういう問題意識を持っておりますので、発言をさせていただきました。

中山会長 ありがとうございました。

 ただいまの山花君の御発言、非常に重要な問題だと私も認識しておりますので、今後とも検討させていただきたいと思います。

棚橋委員 自由民主党の棚橋泰文でございます。

 今までの議論の中でも、やはり集団的自衛権の問題が憲法九条の中での非常に大きな議論として論じられてきたと思いますが、どうも私は、やはりこの議論を論じるに当たって、一つ整理しなければいけない論点を前提に議論すべきではないかと思っております。

 と申しますのは、これはもう皆様方御承知のように、日本国憲法は、制定以来一度も改正されたことがございませんので、特に九条については、国際的な環境の変化の中でその解釈が歴史的な推移の中で変化しているということはほぼ異論がないと私は思っています。

 そういった中で、憲法改正を論ずるに当たって、憲法の本質的なエッセンスとなる、例えば民主主義とか三権分立とか、これは憲法改正の改正規定によっても本来改正することができない、それはもうある意味では廃憲であり革命である、絶対に変えてはいけないエッセンスというものと、それから憲法改正規定に従って手続的にきちんと行えば変えることができるというものと、やはりこの本質的な中身を分けて議論していかなければいけないんだと私は思います。憲法九条に対する議論が錯綜しますのは、憲法九条の目指す我が国の平和主義というものの本質が、国際環境が変化する中で何がエッセンスであり、何が変化する国際環境の中で変えていっていいものなのかということに多分合意がないからではないかと思っております。

 私自身は、憲法解釈で集団的自衛権を合憲とする、あるいは集団的自衛権を認められるような憲法改正をするということに今すぐ賛成という立場でないということを前提にした上であえてお話をしたいのは、やはり集団的自衛権の議論も、虚心坦懐議論していくことは大変有意義なことではないか。今までの冷戦構造の中で、我が国がこの国の安全と国民の生命財産を守る、さらには世界の平和に一番貢献する手段というのは、私は憲法九条の基本的な理念というのは非常に正しかったと思います。

 ただ、今のこの国を取り巻く国際情勢、あるいは、二十一世紀、冷戦構造が崩れて、残念ながら、第二次世界大戦後、内戦、地域間紛争も含めてそういった紛争がなかった日はほぼなかったと言っていいぐらい厳しい国際情勢でしたが、二十一世紀になってさらにこれが激しくなる可能性がある。そういった中で、我が国が置かれた立場と国力の中で、我が国が平和と安全、これは自国とそれから国際社会両方のために一番、よりベターな貢献をするには、集団的自衛権というものも踏み込んで考えるのか、それとも従前どおりの議論でいくのかという観点から私は議論されるべきではないかというふうに考えております。ですから、ぜひ当調査会におかれましても、そういう観点からも御議論いただきますようお願い申し上げます。

土井委員 先ほどの問題が少し釈然としないまま終わってしまうというのは不本意に思いますので、一言。

 争点というのをお互いが認め合って論議するということは、これは当然だと思います。ただしかし、その結論においてお互いの意見が違っていることを同じようにしましょうというのは、これは無理というものだと思います。したがいまして、今おっしゃっている御趣旨というのが、もう小委員長に私はお預けをしておりますから、あとは小委員長の御努力方にまちたいというふうに思っておりますので、その上で、また改めて問題があるならば申し上げます。ありがとうございました。

中山会長 では、これでこの件に関する御意見、御発言は終わりにいたしたいと思います。

 それでは、討議も尽きたようですので、これにて憲法第九条、特に、自衛隊のイラク派遣並びに集団的安全保障及び集団的自衛権についての自由討議を終了いたします。

    ―――――――――――――

中山会長 次に、法の下の平等について、基本的人権の保障に関する調査小委員長から、去る十九日の小委員会の経過の報告を聴取し、その後、自由討議を行います。基本的人権の保障に関する調査小委員長山花郁夫君。

山花委員 基本的人権の保障のあり方に関する調査小委員会における調査の経過及びその概要について御報告申し上げます。

 本小委員会は、二月十九日に会議を開き、参考人として、中央大学教授内野正幸君をお呼びし、平等原則に関する重要問題という観点から、法の下の平等について御意見を聴取いたしました。

 会議における参考人の意見陳述の詳細につきましては小委員会の会議録を参照いただくこととし、その概要を簡潔に申し上げますと、

 参考人からは、まず、人権の領域では憲法改正の必要性は少なく、現憲法下で諸施策を充実させるべきであるとの意見が述べられました。それを前提として、平等の観念には、諸個人をその事実上の違いにかかわらず一律に同等に扱うべきことを求める形式的平等と事実上の劣位者をより有利に扱うことにより結果を平等なものに近づけようとする実質的平等があるが、十四条が要求しているのは形式的平等であり、実質的平等の実現の役割は、主に立法政策に期待されているという見解が主張されました。

 その上で、形式的平等が問題となる事例として、議員定数不均衡問題や婚外子への差別が紹介され、また、実質的平等については、アファーマティブアクションを含め立法や行政の政策によって積極的に推進すべきであるという主張がなされました。さらに、女性差別については、男女共同参画社会の実現が今後の重要な課題であること、民間社会における平等と差別については、憲法の人権規定の間接適用によって理論上十分対応できるが、私人間における差別禁止のルールづくりが必要であり、この意味で、人権擁護法案の見直しや差別禁止法の検討が必要であるとの意見が述べられました。

 このような参考人の御意見を踏まえて、質疑及び委員間の自由討議が行われ、委員及び参考人の間で活発な意見の交換が行われました。

 そこにおいて表明された意見を小委員長として総括するとすれば、まず、参考人の人権の領域では憲法改正の必要性は少ないという意見に対し、これを支持する意見がある一方で、近年のIT技術の急速な進展や電子政府の推進などに伴い、個人情報保護の要請が高まっていることなどを挙げて、プライバシーの保護等の新しい権利を憲法に明記することが必要であるとの意見も示されました。

 次に、憲法十四条の平等の意味についてですが、参考人が、十四条は形式的平等のみを要求しており、実質的平等の実現までは要求していないとの見解を示したのに対し、憲法は実質的平等までも保障しているととらえるべきではないかとの意見が提起された一方、参考人と同じ理解で差し支えないとの意見も出されました。

 続いて、私人間効力についてですが、企業など社会的に巨大な権力を持つ私人が、国家と同様、国民の人権に対して重大な影響力を及ぼすに至っている現状にかんがみ、私人間にも憲法の趣旨が十分に及ぶような理論構成を引き続き議論していくべきであるとの意見が多く見られました。

 そのほか、平等原則に関しましては、議員定数不均衡、つまり一票の格差の問題、アファーマティブアクション、企業内における男女差別などについて多岐にわたる活発な議論が交わされました。

 平等の理念は、自由の理念と並び、身分制社会を打破し、近代立憲主義を確立する推進力となったという歴史的意義を持ち、日本国憲法には人権の総則的な意味を持つ重要な原則として十四条に規定されています。憲法制定以来、十四条の精神が、国民の人権保障に果たした役割は大変大きかったものと考えます。この精神をより十分に生かし、時代の要請に応じていかなければなりません。これらの点を踏まえ、基本的人権に関する調査をさらに進めてまいりたいと思う次第であります。

 以上、御報告申し上げます。

中山会長 これより、法の下の平等、特に、一票の格差の問題、非嫡出子相続分等の平等原則に関する重要問題について、企業と人権に関する議論を含め、自由討議を行います。

 それでは、まず、平井卓也君。

平井委員 自由民主党の平井卓也であります。

 先日の基本的人権に関する調査小委員会においてテーマとして取り上げられました、憲法十四条の法のもとの平等に関する問題は、私、十四条の問題のみならず、十三条の幸福追求権という切り口からもあわせて考えるべきではないかなという見地から発言をさせていただきたいと思います。

 現在、我が国には多くの問題が山積しておりますが、従来、専ら十四条の法のもとの平等の問題としてのみに考えられてきた事柄を十三条の幸福追求権の視点からも考えてみることで、いろいろな問題の解決の糸口が見つかる場合もあるのではないかと思います。また、いずれにせよ、この十三条の幸福追求権の問題は、新しい権利をいかに含むかというような問題も含めて、まあ別の議論もありますが、私は、この十三条の問題をもう一つの視点とすべきではないかな、そのように思っています。

 その具体例としましては、現在日本が直面している少子化問題があると考えています。

 現在、我が国は急激な少子化に直面しており、合計特殊出生率は一・三人と言われています。生産年齢人口は平成六十二年にはおよそ五〇%までに減少することが見込まれるとする見解もあります。急激な少子化は国の活力を損ない、国家や社会のあり方に大きな影響を及ぼすことは明らかであります。

 憲法上の平等原則という観点からこの少子化問題を考えるとき、非嫡出子の差別の問題を避けて通ることはできません。

 非嫡出子に対して、民法九百条で、法定相続分は嫡出子の二分の一である旨、定められています。また、我が国では、法的な面のみならず、社会的にも非嫡出子が差別されるという事例が見られます。子供に占める非嫡出子の割合は、北欧諸国では五割を超え、フランスでは三割前後となっています。また、言い方を変えて、婚外子の割合という形で見れば、イギリス、アメリカはここ十年で相当にふえており、現在三割を超えていると思います。それに引きかえ、我が国では一%であるということは明らかであります。

 私は、法律婚こそ純風美俗にかなうという立場に立つものであります。しかし、だからといって、それを根拠とした非嫡出子に対する差別を素直に受け入れるべきではない、受け入れることはできないと思っています。

 子供は自分の意思にかかわりなくこの世に生をうける。人生にはさまざまな状況があり、困難がある。そうした人間の生き方を深く考え、思いやる社会こそ、成熟した社会としての今の日本に求められていることであると考えています。その方向性を指し示しているのが、憲法十三条が宣言する個人の尊厳ではないでしょうか。そのような成熟した社会において子供は両親の愛を受けてはぐくまれ、そして、そのような子供たちに私たちはこの国の未来を託す気持ちになることができるのではないでしょうか。これは私の考えでありますが、北欧諸国が少子化問題を克服したかぎはこの点にあるような気がいたします。

 また、この問題を考えたときに、一方、個人の尊重と家族や共同体の関係というものもあると思います。これは、憲法二十四条の規定、これからの時代の家族をどのような形で規定して、保護をしていくか。これは、イギリス、ドイツ等の憲法に書かれています家族条項というものを今後どう考えていくかという問題もあります。

 次に、平等原則から少子化問題を考えるとき、企業と男女差別の問題を挙げておきたいと思います。

 この問題については、十四条の法のもとの平等に関連して多くの判例が積み重ねられ、また、男女雇用機会均等法などの成立もあって、相当程度解決されていると言うこともできます。しかし、私は、少子化に歯どめをかけ、日本経済の再生を図るためには、男女の差別の問題を従来のように十四条の問題としてだけ扱うのではなく、憲法全体の趣旨、または日本の全体の方向性という視点から考えていかなければならないと思います。

 例えば、アファーマティブアクションによって女性への優遇措置を進めるであるとか、男女平等やジェンダーを声高に叫ぶといった程度の対応では、何ら解決策になっているとは思えません。男性、女性を含め、みずからが自立的な生き方を追求すること、男女ともにこの国を支える主体として積極的に国の行く末を考えることこそ、男女差別や少子化問題への解決の道筋を示すものになるのではないでしょうか。

 二十一世紀の日本がどうあるべきかという国家の歩む道を国民一人一人が見据えることこそ、未来の日本を託すべき子供たちを育てていくことにつながっていくものと考えます。それは、十四条の精神とあわせて、一人一人の個人の尊厳を宣言する十三条に示されているものであるということを主張させていただきまして、私の意見とさせていただきます。

    〔会長退席、仙谷会長代理着席〕

仙谷会長代理 御発言を希望される方は、お手元のネームプレートをお立てください。

古川(元)委員 民主党の古川元久でございます。

 法のもとの平等、とりわけ一票の格差の問題というのは、実は、民主主義、これとの関係で非常に重要な問題だというふうに私は考えます。

 なぜならば、日本国憲法では民主主義は基本原則、その民主主義を間接民主義という形をとって実現をしていくという仕組みをとっているわけでありますけれども、この間接民主主義を正当化する前提としては、やはりその選ばれてくる議員の背景にある有権者に大きな人口の不平等があるということはおかしい話じゃないか。

 まず、この間接民主主義の中で、この議会の中で民意を吸い上げてそれが反映されるためには、当然この一票の格差というものが是正をされて、きちんと平等な定数の中で選ばれた議員によって議会の中で民意が反映される、それによって、初めて、間接民主主義を通じての民主主義の実現というものが正当化されるのではないかと思います。

 そういう意味では、憲法がこの法のもとの平等というものをうたい、当然その中には、一票の価値が平等であるということは、この法のもとの平等の平等原則の中でも極めてこれは民主主義を正当化する、間接民主主義を正当化する上でも大きな意味を持つものであって、それであるにもかかわらず、この一票の格差の問題がなかなか抜本的な解決につながらない。この点は、今後の日本の民主主義、これをより進化させていくという際には、どうしたらこの民主主義、とりわけ間接民主主義を正当化する、そのための一票の価値の平等を担保する、そのためには、常に一票の格差の是正をしていけるようなシステムをどうつくっていくかということを考えていかなければいけないのではないか、そのように考えます。

 以上です。

船田委員 自由民主党の船田元でございます。

 この基本的人権のまさに根幹とも言える憲法十四条、十三条も先ほど平井委員の方から御指摘をいただきましたけれども、十四条における平等とは一体何か、これもやはり言葉の定義の問題がいろいろ今回も議論をされました。

 当日の内野参考人からは、この平等というのはあくまで形式的な平等である、実質的な平等ということまで憲法十四条が最終的に求めているものではない、この御意見を開陳していただきましたが、私も、やはり形式的平等は十四条において最低限やらなければいけない、しかし、実質的平等についてまですべてを、つまり結果の平等まですべてを憲法が保障しているものではない、この考えで私はよろしいんではないかというふうに考えております。

 ただ、形式的平等がたとえ達成されたとしても、この実質的な不平等が非合理的に存在をしている、あるいは世間常識的な考え方からすると極めて理不尽である、そういう不平等状況については、やはり憲法としては、それは知らないよというのではなくて、そのことについてはできるだけ世間常識的に認められる範囲まで平等にすべきである、そのためには、やはり法律上の規定あるいは政策上の問題として解決をする努力をするべきであるというふうに私は考えております。

 憲法そのものではそこまでの言及はないとしても、憲法の精神からして実質的平等を求める分野あるいは求めるべき状況というのはおのずからあるんではないか、こういうふうに考えております。

 ただ、この実質的平等を求めるということで、アメリカで、特に人種差別問題等の解決のときに使われたアファーマティブアクションあるいはポジティブアクションという考え方でございますが、これにつきましては、やはりこれは時代とともに変化をするものでもありましょうし、また、アメリカにおいて、長年このアファーマティブアクション、例えば、公立の大学において黒人の学生を何割入れる、あるいは障害者の方々を何割入学させる、そういう特別枠を設けて、そしてそのまま置いておくということになりますと、やはりある一定時期以後においては逆差別、そういう新たな問題も発生をする。アメリカ、一九九〇年代においては、どうもアファーマティブアクションの一部に行き過ぎがあったのではないかということでその是正がなされている、あるいは廃止がなされている、このようなことも聞いたわけでございます。

 したがって、このアファーマティブアクション、必要性は私も十分にあると思っておりますけれども、同時に、そのアファーマティブアクションの整合性、またその限界、逆差別ととらえられないような状況をつくるということは極めて重要なことである、このように理解をしております。

 以上です。

山口(富)委員 日本共産党の山口富男です。

 小委員会、小委員長の報告がありましたが、内野参考人が、この人権条項の分野で憲法改正の必要ないという発言、報告されたんですけれども、私はこの点も同感です。

 それで、その背景なんですが、小委員会でもお聞きしたんですけれども、やはりこれだけ詳しい基本的人権にかかわる条項を持っている憲法というのは、日本の二十世紀前半の人権のなかった時代の反省と総括の上に立っているということ、それから、あの当時から始まっていた、世界的に社会権が広く認められ始めたわけですけれども、そういうものをできるだけ憲法に取り入れようとした努力、そういう中でいわば二十一世紀にも生きる人権条項になったんだなというふうに思うんです。

 先ほど平井委員から十三条への注目がありましたけれども、私も十三条は大変大事だと思っているんです。といいますのも、今、先ほども少し触れられたんですが、新しい人権論の話がありまして、十三条と二十五条でいわば包み込むように、今の憲法がプライバシー権にしても環境権にしてもきちんと認めているものである。

 そういう意味で、参考人もあの小委員会でおっしゃったように、新たにつけ加えるという形でなくて、立法府や行政がこれを生かすことが大事だという指摘になったんだろうというふうに思うんです。

 きょう私発言したいのは、その十三条にかかわって少し感じたことがありましたので発言したいんですけれども、実は、昨日予算委員会で、私はハンセン病にかかわる問題を取り上げたんですが、今週ある療養所に行ってきたんです。そのときに、非常に深刻な事態が起きていると。それは、いろいろな職員の方が定年を迎えまして、不自由者棟といって介護を、生活上の介護を必要とされる方が大体入所者の半分を占めるわけですけれども、その方々は、トイレにしても薬を飲むにしても食事をされるにしても全部介助が必要なわけですけれども、その人手が足りなくなっている。そのうち一割がこの三月末でいなくなるんだけれども、その後の補充がいまだに見通しがないということで、とにかく始まって以来、自分たち自身が初めて経験するような深刻なことだという訴えがあったんですね。

 それで、改めて私、熊本地裁の判決に立ち戻って考えてみたときに、あそこで、熊本地裁が憲法に反すると、この強制隔離政策と人権侵害は。そのことを認定したときに依拠したのは憲法十三条だったんです。その人間として生きる可能性を奪うやり方が間違いだというふうにされたわけですけれども、となると、この三年間、立法府として私たちは、あの時点で謝罪と反省を表明して、これについてきちんとした対応をとるという誓いを立てたわけですけれども、現実にはそれにそぐわない問題が起きている。

 そして、参考人が小委員会でおっしゃっていた、憲法規定の実質的な中身というのは立法府や行政の分野できちんとやってくれということになりますと、やはり突きつけられている問題は非常に大きいんだなということを、行ってみて非常に強く感じたんです。

 ですから、この点では憲法調査会でも、これは広範に調査するということになっていて、別に意見を集約するわけじゃありませんから、その点では現実に起こっているこの十三条にかかわるような問題もきちんと調べていくということが私は大事じゃないかなということを痛切に感じて帰ってまいりましたので、少し主題と離れる点はありますけれども、発言しておきたいと思います。

辻委員 民主党の辻惠でございます。

 憲法十四条が形式的平等を保障したものにすぎない、これは判例、通説であり、私も同意するものであります。憲法十四条は、すべて国民は法のもとに平等であると。つまり一人の個人個人を、少なくとも機会均等であり、形式的に平等に取り扱わなければならないという、これは近代民主主義の原則であります。しかし、多くの場合、ほかのまたいろいろな要請があって、本来的に保障されるべき個人の権利が制限される、そういう局面が出てくるわけであります。

 今回問題になりました議員定数の問題、そして相続をめぐる非嫡出子の相続分の問題、これはいずれも一個の個人と個人の権利という形式的平等をそのまま考えたときには、参政権はやはり価値が平等でなければならない、一対一を原則とすべきであるということに当然なりますし、また、相続分につきましても、嫡出子と非嫡出子を区別する理由は本来的にはない、一人の個人と個人は価値として平等でありますから、相続分についても同等に扱うべきだというのが原理原則だと思います。

 そのときに問題になるのがやはり憲法十三条で、基本的人権につき、公共の福祉に反しない限りということで、合理的差別が許されるということの関連で問題点が出てくる。

 非嫡出子の相続分の問題につきましては、非嫡出子の相続権という人権の問題と、他方で、法律婚を尊重しなければいけない、そういう要請、いわば価値の衝突という場面が出てくるわけであります。その価値の衝突が、憲法十三条の公共の福祉という言葉で安易に制限されていいものなのかどうなのか、この点が問題であります。憲法の根本規範としてのやはり基本的人権というものを尊重するという価値を優先して物事の対処には考えるべきであり、非嫡出子の相続分の問題につきましては、一方で確かに法律婚を尊重すべきだという一つの要請というのはありますけれども、それによって個人としての基本的人権を同等に扱って問題を考えるというのはやはり基本的に間違っている、誤っているんではないか。

 そういう意味におきまして、地方裁判所のレベルにおきましては違憲判断が下されたにもかかわらず、高等裁判所において非嫡出子の相続分については合憲だということにされている現状についてはやはり問題がある。そういう意味では、司法消極主義と言われる今の立法、司法、行政のチェック・アンド・バランスの中での司法の役割に大きな責任、問題点があるのではないか、このように考えております。

 以上です。

山花委員 民主党・無所属クラブの山花郁夫でございます。

 小委員長として報告をしておきながら、こういう発言はいいのかどうかちょっと悩みながらということなんですが、内野先生から意見聴取をいたしましたところ、今、辻委員からは、形式的平等と十四条を解するのが判例、通説じゃないかという御発言がありましたが、私はちょっと理解が違っておりまして、通常、解釈概念としては、絶対的平等か相対的平等かということで争われていて、形式か実質かというのは社会経済上の展開のことを言っていて、相対的平等としてそれが妥当かどうか、その正義の観念を入れる際に、例えば実質的平等の中身として結果の平等まで要求するのか、条件の平等ぐらいなのかという話なのかなと私は理解をしております。その上で、現行憲法上は、恐らく通説的な理解は相対的平等で解釈をするのだということだと思います、京都系の方は絶対的平等と解した上で公共の福祉によって例外をという議論もあるのかもしれませんけれども。

 ただ、その中で、先ほど古川委員からも御指摘がありました一票の格差の問題です。過日、参議院の選挙について、事実上違憲状態ではないかというような、最高裁の判事の数を足せばそうともとれる判決が出ております。少数意見として憲法違反だと言った判事、そして今度やったらもうだめだぞというような書き方をした意見を足せば、このまま、この七月十一日と聞いておりますが、参議院の選挙をやると、今の状態では、憲法違反、瑕疵ある形で参議院の半数が改選されるという事態を生じてしまいます。

 そこで、この手の議論になると、内野参考人からも、衆議院と参議院とではちょっと判断基準が違うのではないかという御意見がございました。参議院の場合は衆議院と違ってというところなんですけれども、ただ、憲法上許容されている衆参両院の違いというのは、半数改選制であるということだけではないかというのが私の意見であります。

 つまりは、よく出る話なんですけれども、参議院の場合は県単位で選ぶから、したがってどうしても人口密度によって一番小さなところに合わせると差が出てしまうのはある程度やむを得ないのではないかという意見が出るんですけれども、ただ、それは、法律でそうしているから、つまり公職選挙法によって県単位での選挙区が置かれているからという事情によるものであります。あくまでも、憲法上、衆参どこが価値判断を分ける上で違うのというその一点に絞れば、衆参の違いというのは半数改選であるということしかないわけであります。

 御案内のように、憲法上は、参議院議員といっても、地域代表である、あるいは県代表であるという形にはなっておりません。よく、アメリカの例えば連邦議会上院は、定数、どこのどんな州でも決まっているじゃないか、こういった意見が出ることがあるんですけれども、あれは連邦制の国で、上院については連邦の代表者である、そういうことになっているからだと承知をいたしております。日本国憲法の場合は、あくまでも両院とも全国民の代表という形で規定をされているわけでありますから、衆議院、参議院ということで、その一票の格差、一対五なのか、一対二が望ましいのか、そういうことで差が、価値判断が違ってくるというのは私は余り納得ができない話でありまして、可及的に一対一に少なくとも理想としては近づける形で努力をする責務が我々にはあるのではないか、このように思っております。

山口(富)委員 日本共産党の山口富男です。

 二回目になりますので、ごく短く発言したいんですが、婚外子の問題は、日本で現実的に婚外子の差別が起こっているというのは国際社会から批判を浴びている問題ですし、早急な解決が求められると思います。

 それから、十四条の解釈について、先ほど山花委員からお話がありましたように、通説上どう理解するのかというのは、私も、小委員会を通じまして、一つの意見として内野参考人の話はお伺いしたんです。その際に、私、気をつけなきゃいけないなと思っておりますのは、今、憲法調査会の事務局が憲資資料という形で小委員会ごとに資料を配付するんですね。その中に、形式的平等という参考人の言葉にひっかかっちゃいまして、形式的平等と実質的平等というのを、それこそ結果の平等か機会の平等か、そういう語彙の概念にしちゃったんですね。私は、あれはやはり、学界の今の論議の状況をすべて反映したものじゃないし、ちょっと引っ張られ過ぎたんじゃないかなと。そういう点では、今後、ここで私たちが議論する際の一つの材料にもなっておりますから、整理に当たっての意見として一つ申し述べておきたいと思います。

土井委員 内野参考人のお話の中で、初めに、改憲を主張するより現憲法下で諸施策を充実化させよということがレジュメの冒頭に載っておりまして、これは本当にそのとおりであると、私は全く同感なんですが、これですべてだと申し上げても過言でないくらいに、この人権問題について言うと、いや、憲法全体が保障している中身についてこれは共通の問題だろうというふうに私は強く思います。

 少なくとも、私自身、女性という立場から考えましても、今、先ほど来問題になっております、国際社会の中で、特に国連から、いろいろな関係する条約を日本が締結して後、それに対しての実施状況に対する意見が出てまいっておりますけれども、余り、日本とすれば、これに対して状況を喜んでいい中身では決してありません。随分、だから、国際水準から考えれば、先進国と言われつつもまだおくれている、人権問題に対してはおくれているということを認識していなければならないと思うんですね。

 婚外子の相続差別を撤廃する問題も、それからさらに女性の婚姻可能年齢を男性と同じ十八歳に引き上げるという問題も、女性の再婚禁止期間を百日に短縮する、もっとこれは百日よりもさらに短縮する必要があるという意見も強くございますけれども、これはすべて現行民法に対しての改正案を用意して、私どもは参議院先議で中身に対して審議を今までやってまいりましたけれども、しかし、現実の問題、これは改正として実現をいたしておりません。時間切れで審議未了という形で、取り扱いからいったらもう一度また出し直さなければならないという中身になっておりますが、国内ではこれは一進一退のような状況で、しかし、努力の積み重ねを今までやってきたということが現実の問題です。

 選択的夫婦別姓制度の導入についても同様です。よほどこれは、外から見ました場合に、やはり、国連の女性に対するあらゆる形態における差別撤廃条約の実施状況についての報告書を日本の政府が出したことに対しての女性差別撤廃委員会からのこれに対する審査報告というのが、決して余り喜ばしい中身にはまだなってきていないということもそうですし、それからさらに、最近は、リストラで正社員の数を減らしていっている企業は、その数を減らす一方で女性の大半を雇用関係が非常に脆弱な派遣社員として雇うという、新たな形の男女の間での差別ということも現実の雇用関係の中で出てまいっております。後を絶たないですね、こういう問題が。

 だから、そういうことを考えましたら、少なくとも、もう一度申しますけれども、改憲を主張するより現憲法下で諸施策を充実化させよというこの問題は、一つは、現憲法での諸施策を人権を充実させる方向で実現する努力が不足な中で改憲を問題にしても、その憲法の中身は今よりもよい憲法に変えることはできないであろうということが示唆されているというふうに私は思います。

古川(元)委員 先ほど山花幹事の、衆議院と参議院の一票の格差の違いについての意見に対して、ちょっと私としても一言つけ加えたいんです。

 今、現行憲法の中でいうと、衆参の役割といいますか位置づけがほとんど変わらない状況の中で、裁判所が今解釈として、衆議院については一対二、参議院については一対五というような、こういう基準をつくっているということについては、私は大きな疑問があるのではないかというふうに思います。

 そういうことを考えても、参議院の役割やあり方を今議論されているわけでありますけれども、まさに、もしこの一票の格差について参議院については衆議院よりも大きな格差を認めるということであれば、当然そこには、やはり憲法上も参議院の位置づけについて、それをちゃんと、法のもとの平等、平等原則と反しないような形できちんと参議院の別の役割というものを位置づけるという必要があるのではないかというふうに思います。

仙谷会長代理 他に御発言ございませんか。

 それでは、討議も尽きたようでございますので、これにて法の下の平等、特に、一票の格差の問題、非嫡出子相続分等の平等原則に関する重要問題について、さらに、企業と人権に関する議論を含めての自由討議を終了いたします。

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仙谷会長代理 次に、司法制度について、統治機構のあり方に関する調査小委員長から、去る十九日の小委員会の経過の報告を聴取し、その後、自由討議を行います。統治機構のあり方に関する調査小委員長木下厚君。

木下委員 統治機構のあり方に関する調査小委員会における調査の経過及びその概要について御報告申し上げます。

 本小委員会は、二月十九日に会議を開き、参考人として、立命館大学法学部教授市川正人君をお呼びし、司法制度、特に、国民の司法参加、利用しやすい司法制度等の司法制度改革について御意見を聴取しました。

 会議における参考人の意見陳述の詳細については小委員会の会議録を参照いただくこととし、その概要を簡単に申し上げますと、

 市川正人君からは、まず、司法権の意義、具体的事件・争訟性の要件の意義について説明がなされた後、裁判を受ける権利は、裁判へのアクセスの実質的保障を含む、適正な手続による裁判を受ける権利や公権力による権利侵害に対して実効的救済を受ける権利を意味すること、司法制度改革の背景と改革においては人的基盤の拡充が重要であることについて意見が述べられました。

 その上で、利用しやすい司法の実現のために、裁判へのアクセスの拡充と行政訴訟制度の改革が必要であるが、行政訴訟制度についてはより大胆な改革を期待するとの見解が述べられました。

 また、裁判員制度の導入により司法への国民参加を進めることに基本的に異論はなく、合憲と解されるが、その際、司法の非民主的な性格を踏まえ、憲法と法律のみに従い公平な手続のもとで判断するという裁判の性格に配慮する必要があること、同制度は、刑事裁判の現状を転換する起爆剤にも厳罰主義のイチジクの葉にもなり得る改革であるとの意見が述べられ、また、憲法裁判所の設置に慎重な考え、今回の司法制度改革は付随的違憲審査制の活性化にもつながるとの考えが述べられました。

 このような参考人の御意見を踏まえて、質疑及び委員間の自由討議が行われ、委員及び参考人の間で活発な意見の交換が行われ、行政訴訟のあり方、いわゆる裁判員制度と憲法との関係等についてさまざまな意見が述べられました。

 そこで表明された発言を小委員長として総括すれば、現行の違憲審査制の運用が消極的であり、活性化の必要があるとの認識から、現行憲法のもとで抽象的違憲審査制を認めるべきとの見解や、憲法裁判所を設置すべきとの見解等が示されました。また、いわゆる裁判員制度に対する考え方についても、司法の非民主的性格、独立性、客観性等との関係、被告人の裁判を受ける権利の保障や我が国の社会的土壌との関係、制度を定着させるためにはいかなる措置が必要か等をめぐり、多様な意見が示されました。

 法の支配の見地から、国民の権利の侵害に対して、実効的な救済が図られるような司法制度を整備することが政治の責務であること等にかんがみれば、引き続き総合的見地から議論を深める必要があると感じました。

 今後も、本小委員会のこれまでの議論を踏まえた上で、今後の国の統治機構のあり方について議論を深めてまいりたいと考えております。

 以上、御報告を申し上げます。

仙谷会長代理 これより、司法制度、特に、国民の司法参加、利用しやすい司法制度等の司法制度改革についての自由討議を行います。

 それでは、まず、岩永峯一君。

岩永委員 自由民主党の岩永峯一でございます。

 自由民主党は、昨年、司法制度改革のための裁判所法等の一部を改正する法律案を初めとする司法制度改革関連法案を成立させ、着実に司法制度改革を進めております。今国会におきましても司法制度改革関連法案の提出が予定されているわけでございまして、引き続き司法制度改革を着実に進める観点から、三つの意見を述べさせていただきたいと思います。

 まず、裁判員制度の導入について申し上げます。

 市川参考人からは、裁判員制度は事実認定と量刑を裁判官と裁判員とで共同決定するものであるから、裁判官が狭義の法解釈について専権を有していれば、基本的に合憲であるとの意見陳述がなされました。私も、裁判員制度は、被告人の裁判を受ける権利や裁判官の職権行使の独立を侵害するものではなく、合憲であると考えているところであります。

 また、年齢、二十歳以上の者から無作為抽出による裁判員の候補者が選ばれることから、必ずしも裁判員としての適性を有しない者が選ばれるのではないかという不安につきまして、そのような者の意見は裁判官やほかの裁判員との合議において適宜修正されることが考えられるほか、最終的には、従来どおり裁判員制度を導入しない上級審において修正されることになるわけでございますので、過度に懸念する必要はないように思われるわけでございます。

 ただ、市川参考人から、裁判員制度の導入は、制度構築の条件により、刑事裁判の現状を転換する起爆剤にも、また厳罰主義のイチジクの葉にもなり得ると指摘されております。

 司法制度改革を成功させるためには、この裁判員制度を初めとする国民の司法参加が刑事裁判の現状を転換する起爆剤となる必要があります。そのために、裁判員制度を我が国の社会的土壌にしっかり定着するものとする必要があることはもとより、裁判員となる者の負担が重くなり過ぎないように、休業制度や守秘義務のあり方を含め、注意深く制度を構築した上で、五年間の準備期間に裁判員制度の周知徹底を図り、国民の司法への参加意識を醸成する必要があるものと考えるわけでございます。

 次に、行政訴訟制度の見直しについて申し上げます。

 司法制度改革審議会意見書は「司法の行政に対するチェック機能の強化」という項目を設け、行政事件訴訟法の見直しを含めた行政に対する司法審査のあり方に対して、法の支配の理念のもとに司法及び行政の役割を見据えた総合的多角的な検討を行う必要があるとしているわけでございます。

 立法、行政、司法の三権分立は、相互の抑制、均等を内在しているものであります。しかも、さきに述べましたように、事前規制型社会から事後チェック型社会に転換することによって司法の役割が増大することになるわけでございますから、司法は行政に対しても適切なチェック機能を果たすことが要求されることになると考えるわけであります。

 ところが、行政訴訟については、昭和三十七年の行政事件訴訟法施行以来、大幅な改正がなされておらず、提訴件数の少なさや原告の勝訴率の低さが適宜指摘されているところであります。そこで、国民の期待にこたえる司法制度の構築の一環として行政訴訟制度を見直して、司法の行政に対するチェック機能を強化する必要があるものと考えるわけでございます。

 最後に、知的財産権の保護について申し上げます。

 平成十二年に、IT基本法において初めて知的財産権という言葉が法律上用いられました。平成十四年には知的財産基本法が成立いたしたわけでございますが、今や知的財産権の保護は、我が国のみならず世界的レベルにおいて極めて重大な課題となっているところであります。そのため、司法制度改革審議会意見書においても、「知的財産権関係事件への総合的な対応強化」として、裁判所の専門的処理体制の一層の強化や、日本知的財産仲裁センターや特許庁等のADRの拡充、活性化等の必要性が指摘されております。これらの施策の推進とともに、いわゆる知財高裁の創設によって知的財産権関係事件の専門的処理体制が抜本的に強化されることになると聞いております。

 知的財産権関係事件は今後ますます重要となり、かつ多様化していくことが予想されていますので、今後ともこのような変化を見守り、適時適切に制度の改革を図っていく必要があると考えております。

 以上をもって私の発言とさせていただきます。ありがとうございました。

    〔仙谷会長代理退席、会長着席〕

中山会長 御発言を希望される方は、お手元のネームプレートをお立てください。

下村委員 下村です。行政訴訟制度と裁判員制度、二点について意見を申し上げたいというふうに思います。

 我が国は三権分立とはいえ、厳密な意味での分立にはなっていないのではないかと思っております。司法の消極主義、一方で行政の優先がございまして、特に行政訴訟におきましては、訴訟そのものの要件が厳しいことによって、裁判所における訴訟そのものが受けられないというようなこともございます。

 これは、いたずらに裁判、訴訟をふやすということではなく、ある意味では行政における裁量権をより縮小することによって、民主主義国家において国民が、この国づくりやあるいは地方行政を含めまして参加するという意味からも、行政訴訟については、より積極的な国民参加が得られるような大胆な改正、改革を行うことによって、行政そして司法、立法との三権分立がバランスよくとられ、そして国民の自立性を促すということでは大変重要なことであるというふうに思います。

 特に行政訴訟については、今も報告がありましたように、今国会で司法制度推進本部から法案として出される予定でございますが、これは、特に立法機関である政治が、いかにこの訴訟制度についてかかわりながら、より国民が利用しやすい制度にできるかどうかということが問われるのではないかというふうに思います。

 それから、裁判員制度についてでありますが、これが合憲か違憲かというような議論そのものが小委員会で行われたということを初めて聞きまして、そもそも違憲という観点からの議論が、するべきものかというふうなことについても疑問を感じるわけでありまして、司法参加という意味では、ある意味では裁判員制度というのは、これからの我が国の、さらに開かれた司法改革の中では当然な制度導入であるというふうに思っております。

 ただ、その中で、これも今国会で法案として出される予定でありますけれども、いろいろな世論調査によると、六割近くの方がこの司法における裁判員制度導入については賛成をするけれども、自分が裁判員になることについては、参加をしたい、ぜひ参加したいというのが数%にすぎない。選ばれれば参加したいという方を含めても三割程度ということで、大変にこの裁判員についてはまだまだ理解が得られていないという部分がございます。

 与党案では、裁判官と裁判員の数が三対六ということで与党合意ができております。一方で、今お話がございましたように、選挙人名簿から無作為抽出で裁判員が選ばれるということの中で、刑事事件にかかわる裁判員は、その件一件だけでありますが、それにしても、そのかかわった中での守秘義務の期限やあるいはその範囲、またそれに対する罰則規定等があることによって、多くの国民がこの参加に対しては非常にちゅうちょしているというような調査もあるわけであります。

 今後、この法案が国会に提案される中におきまして、開かれた司法改革ということの中で、いかにこの裁判員制度を成功させるような法案づくりをするかということが今国会において大変重要なテーマになってきているのではないかというふうに思います。

 以上です。

古川(元)委員 民主党の古川元久でございます。

 私は、法治国家においては、最終的に法の公権的解釈をするのは司法の役割でなければならないというふうに思いますが、これまでの日本は、今の下村委員のお話にもあったように、そうした司法が消極的で余り前に出てこない、その結果、法の運用が、これがきちんと合っているかどうかの、その解釈を行政権が行ってきた部分というのが極めて大きいんじゃないかと。そのため、法治国家といいながら、行政の恣意的な裁量の解釈によって法の運用がなされてきた面が多々あるというふうに思っております。

 行政に所属する内閣法制局が憲法の解釈をして、その解釈が公権的解釈というふうに認められるのは、まさにその象徴じゃないかというふうに思いますけれども、そういった意味では、法治国家をきちんと、これを中身のあるものにしていくためには、最終的に司法権が法の解釈をする、そういう体制をとっていかなければいけない。そのためにも、司法が今以上に大きな役割をこの国の中で果たしていかなきゃいけない、もっと積極的に司法権というものが行使されるような環境をつくっていかなければいけないというふうに考えています。

 ただ、そのときには、この裁判員制度のように、国民が司法に対してより参加をしていく、司法が、一部の専門家のものではなくて、より国民に広く開かれた、そして国民にとってもわかりやすい、そして信頼される、そういう司法になっていかなければいけない。

 そういう意味では、裁判員制度を導入されることも一歩前進だというふうに思いますけれども、同時に、この今の司法権の構成のあり方、裁判官、検事、弁護士、この法曹三者が基本的にばらばらになっているという状況というものも、果たして今後、いかがなものなのか。やはり、本来は、法曹一元化をして、そして、弁護士などをした人たち、そういう人たちの中から裁判官も選んでいく。裁判官がともすると行政官、そのキャリア官僚のような形になった裁判官が最終的な法の解釈をするというようなあり方が今後とも続いていくというのではなくて、やはり、司法に参加する者については、そういうキャリア官僚というような発想ではなくて、法曹一元化の中で、弁護士経験ある者から選んでいくというような、そういう形での司法の民主化というものも同時に、国民の司法参加、そして司法に対する国民の信頼を高めるためには必要ではないか、そのように考えます。

 以上です。

辻委員 民主党の辻惠でございます。

 司法への国民の参加ということを論ずる場合に、何のために、司法に国民が参加することが意味があるのか、このことを考えなければいけないと思います。

 市川参考人が述べられたように、司法はそもそも非民主的な性格を持っている。そうであるがゆえに、日本の現状においては行政訴訟において原告側の勝訴率が非常に低い。そしてまた、重大な、参政権の問題も議員定数の問題もそうでありますけれども、行政国家化をチェックするように司法が機能していない。そういう意味で、非民主的な性格が牢固としてあるというのが現在の日本の司法制度であると思われます。

 司法への国民参加の意味があるというのは、この非民主的な性格に風穴をあける意味、そういう効果があるという意味において国民の司法参加が歓迎されるべきであるということであります。したがいまして、国民が何らかの形で参加すればそれでいいんだということではありません。陪審制が、より妥当な国民の司法参加への関与のあり方かもしれない。現在問題となっている裁判員制度が、そういう意味において、現在の非民主的な司法に風穴をあけるような制度として機能するものとして提言されようとしているのかどうか、この点をしっかり議論していかなければいけない、このように思います。

 そして、一方で考慮されなければいけないのは、司法がそのように変わることによって、裁判を受ける国民の権利がないがしろにされてはいけない。従来基本的人権として保障されていた国民の裁判を受ける権利が今よりも弱められるような形になれば、国民の参加という名前をかぶせるとしても、それは、市川参考人がおっしゃったようにまさに厳罰のためのイチジクの葉にしかならない、国民という名前がかけ声として利用されているにすぎないということも言えるわけであります。

 そういう観点で、今の裁判員制度は、否認事件について六カ月、一年間準備手続を行い、裁判官、検察官、弁護人、被告人が公開の法廷以前の準備段階ですべて争点を出して、公開の法廷が開かれるのは、戦前の陪審制では一・七日が平均であったと言われております、今想定されているのは二日、三日、四日と言われているように思います。そうしますと、裁判員が参加をするとしても、六カ月なり一年かけて法曹三者が議論を煮詰めて、争点が何なのかを煮詰めて、その上で証人尋問を三日か四日の公開の法廷で行う、そこに裁判員制度が参加する。そういう状態の中で、裁判員、国民の常識を反映できるような評決がなされるのか、そういう制度的保障が今提言されようとしている裁判員制度の中にあるのか、大きな疑問なのではないかというふうに私は考えます。

 これが、戦前のいわば予審の復活にならないように、また、多くの問題点を現在の刑事裁判は抱えておりますが、しかし、少なくとも原則としては、無罪の推定という、被告人の無罪が推定されるということで、まず検察官側が合理的疑いを入れない程度に相当程度に立証しなければならない、そういう立証責任が、何かそこの原則が崩されてしまうような危惧感を感じるものであります。慎重に議論すべき問題ではないか、このように考えております。

 以上でございます。

山口(富)委員 日本共産党の山口富男です。

 私は、市川参考人をお呼びしての小委員会を通じまして、この司法制度改革については二つの眼目があるというふうに感じました。

 一つは、基本的な性格としましては、やはり国民の皆さんに開かれた、利用しやすい、そして実効的な救済が図られるような司法に向けての改革が望まれる。これは、三十二条での裁判を受ける権利とのかかわりでそれが求められるわけですけれども、その視点からいいましたら、やはり個々に出てきますさまざまな法案についても、そういう性格として是認できるかどうかの吟味が必要だと。私は、例えば敗訴者負担なんかについては、これは訴訟から国民を遠ざけるものとして、反対の立場をとっております。

 もう一つ大事だと思っておりますのは、やはり、司法制度そのものが第六章で定められていて、先ほどもお話がありましたけれども、市川参考人の言葉では、括弧がつく非民主的という話があったわけですね。国民主権原理が現実の裁判の過程で発揮される保障をどうとっていくのかという問題だったわけですけれども、それは、結局、第七十六条での「裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」というところに基本があるという話だったんですけれども、となりますと、やはり憲法での司法制度の定めてあります違憲審査制の問題も積極的な活性化が望まれますし、それから、先ほど古川委員の方から指摘がありました法曹一元制の問題も、やはり憲法の司法制度の問題として実現していくには、やはりその方向での検討が不可欠だというふうに考えます。

 そのように、三十二条にかかわる基本的人権にかかわる面での問題と、第六章での司法制度にかかわる問題として、その両面から司法制度の改革について今後ともよく吟味する必要があるということを感じました。

渡海委員 御本人はいらっしゃらなくなりましたが、古川さんが先ほどおっしゃっていたいわゆる行政と司法の関係というものを、この際もう少し整理しておく必要があると私は考えております。

 その中で、今までの論点とは違った論点で、どうも今までの調査会でも余りそういう議論はなかったようでありますが、三権分立というからには、実は、行政と司法が違った見解を持ったときにそれをどうやって裁くかという機能として、例えば、今憲法裁判所の問題というのは随分議論があるようでございますけれども、私も、まだ確信はありませんが、行政裁判所的な存在というものを考える必要があるのではないかな、こんな必要性を感じております。

 これは私の経験でございますが、約十年前に、実は民事訴訟法の改正のときに、個人の情報を公務員が守秘義務で持つ、それを裁判所の裁判にどうやって提供していくかというところで、見解が変わったときに、一体これをだれが決めるのか、そんな課題がございまして、随分、当時のいろいろな議論の中でそのことを議論した経験がございます。

 そのときに、例えばアメリカではインナーで、裁判官が情報公開、まず行政に求めて、そして守秘義務を守って、これは出すべきかどうでないかという判断をする、こういう制度があるというふうな話も今ちょっと記憶をいたしておるわけでございますが、そのために、現実にやはり行政の守るべき義務と、そういったものを裁くべき司法が判断をするというのが果たしてなじむのかどうかという議論になりまして、やはり三権が対立をした場合、違った見解を持った場合には、あえて言うならば、特別裁判所をつくるのならば、行政裁判所といったような機構も考え得るのではないかな、私自身はそんな意見を持たせていただきました。

 今回、司法制度改革がいろいろなされておりますから、そういった中で、先ほどの古川委員の意見も含めて、きっちりと民意を反映した行政に対するウオッチを司法がしていただくというふうな制度が担保されるということもあるわけでございますけれども、そういったあらゆるケースを考えた上でのスタディーというものが要るだろうというふうに思っておりますし、当然、そういった存在をつくるということになれば、これは七十六条の二に、特別裁判所は、これは設置することができないということでございますから、憲法の問題にも絡んでいる、そういうことで一言発言をさせていただきました。

永岡委員 自由民主党の永岡洋治でございます。

 先般の統治機構のあり方に関する調査小委員会で、裁判員制度について私も発言をさせていただきましたが、ちょっと補足をさせていただきたいと思います。

 国の統治機構に国民が参加をしていくという意味で、裁判員制度、司法に国民が参加をする道を開いていくという考え方は、それは一つの選択肢として十分あり得ることだと考えております。しかしながら、現実を見たときに、司法が要求する独立性、専門性、客観性ということと司法への国民の参加というものとの間にかなりのギャップがあるように今感ずるわけであります。

 先般の参考人の質疑のときにも、まだまだ国民の意識がそこまで行っていないということを御指摘申し上げて、先生の意見を伺ったわけでありますが、それは卵が先か鶏が先かという議論だ、こういうふうに参考人はおっしゃいましたけれども、私は、司法制度というのはそんなに、卵や鶏の議論に置きかえるほど簡単な問題ではない、国民の権利あるいは義務に制約を加える最後の判断をするとりででありますから、そう簡単な議論で済ますわけにはいかない、こう考えております。

 幾つか具体的に申し上げたいと思っているんですが、東大名誉教授の三谷さんが、司法制度改革審議会の中でこういうことを言っています。国家の軍事力を管理するミリタリープロフェッションに対しシビリアンコントロールが必要なように、国家の司法権を管理するリーガルプロフェッションにもこれに相当する制度が必要であろう、こう言っています。これが司法制度への国民参加を促す一つの考え方だということだと思いますけれども、ここでよく注意しなきゃいけないと思いますのは、ミリタリープロフェッションに対してシビリアンコントロールする側は、シビリアンというのは、国民ではなくて、これは行政であります。要するに、制服を着ていない行政官がシビリアンコントロールとして参加をしてくる。となりますと、これに相当する制度というふうに簡単に割り切れるのかどうか、ここが大きな問題であります。

 実は、世論調査をとりましても、二〇〇三年七月、最も裁判員制度について盛り上がった時期の世論調査を見ても、国民の五五・四%は裁判員制度そのものを知らない、こういうことでありまして、中身を知らない国民に、これは国民に対して負担を課すことにもなるわけでありますから、この裁判員制度を導入するについては、やはりもっと国民の隅々まで議論を深めていく、これが大前提ではないかと思うわけであります。

 私は、アメリカにおける、ちょっと経験をしたことを申し上げますと、アメリカは国民と司法との距離が極めて近いと思います。それはこの間も指摘しましたけれども、司法取引とか、裁判の中にもネゴシエーションという概念が入っている。そしてまた、サーキュレーティングジャッジという制度がありまして、裁判官が地方に巡回をしていきます。そして、苦情があると、その苦情をその場で受け付けてジャッジをするという制度があるんですね。つまり、司法と国民の距離が極めて近い。

 しかし日本は、司法と国民の距離が極めて遠い状況のもとで、ではすぐに裁判員制度というものが国民になじむ、魂の入った制度になるかというのは、私はやはり、相当慎重に検討をしていかなければならない課題ではないかと思うわけであります。

 やはり、小学校あるいは中学校という教育の段階から、国民の統治機構に対する参加の意識というものをきちんと教育の分野で教育をして、司法へも参加をしなければならない、この意識をきちんと持たせることが裁判員制度を導入する上で前提となるのではないかと考えております。

 以上でございます。

増子委員 私は、憲法七十九条の第二、第三項の件について申し上げたいと思います。

 ここは余りにも形式論にすぎないのではないか、現実的に、国民の立場からすれば、裁判官の、衆議院選挙の際に行われる判断について、果たして適正にできるかということになれば、これは極めて疑問であるというふうに私はかねてより考えておりますし、多くの国民の皆さんからも、この方法論、形式論については大きな疑問が出されているわけでありますから、ここの部分については、私は、早急にこれは、ここを削除しながら新しい方法を考えるべきではないかということをまず申し上げておきたいと思います。

 さらに第二点、裁判員制度の導入については、まさに国民の参加という観点からすれば、私は十分それはあってしかるべきだと思っております。ただ、この裁判員制度もなかなか実際面として、非常に時間がかかっていくのではないだろうか。拙速を避けながら、もう少しこの部分については、私どもこの憲法調査会の中でもしっかりと議論をしていくべきではないだろうかと、これは各委員からのいろいろな意見をお聞きしても、非常にここは難しい点が多々ありますので、拙速を避けながら、もっともっと時間をかけて十分な論議をしていくことが必要でないだろうかということを申し上げたいと思います。

中山会長 他に御発言はありませんか。

 それでは、討議も尽きたようでございますので、これにて自由討議を終了いたします。

 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。

    午前十一時三十八分散会


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