衆議院

メインへスキップ



第9号 平成23年4月12日(火曜日)

会議録本文へ
平成二十三年四月十二日(火曜日)

    午前九時三十分開議

 出席委員

   委員長 原口 一博君

   理事 稲見 哲男君 理事 小川 淳也君

   理事 黄川田 徹君 理事 古賀 敬章君

   理事 福田 昭夫君 理事 石田 真敏君

   理事 坂本 哲志君 理事 西  博義君

      石井  章君    石津 政雄君

      磯谷香代子君    稲富 修二君

      内山  晃君    大谷  啓君

      大西 孝典君    逢坂 誠二君

      奥野総一郎君    笠原多見子君

      小室 寿明君    後藤 祐一君

      鈴木 克昌君    高井 崇志君

      中後  淳君    永江 孝子君

      平岡 秀夫君    藤田 憲彦君

      松崎 公昭君    皆吉 稲生君

      湯原 俊二君    渡辺 義彦君

      赤澤 亮正君    加藤 紘一君

      川崎 二郎君    佐藤  勉君

      橘 慶一郎君    谷  公一君

      森山  裕君    稲津  久君

      塩川 鉄也君    重野 安正君

      柿澤 未途君

    …………………………………

   総務副大臣        鈴木 克昌君

   総務副大臣        平岡 秀夫君

   総務大臣政務官      内山  晃君

   総務大臣政務官      逢坂 誠二君

   参考人

   (新潟県知事(全国知事会災害対策特別委員会委員長))           泉田 裕彦君

   参考人

   (釜石市長)       野田 武則君

   参考人

   (東京都三宅村長)    平野 祐康君

   参考人

   (新潟大学災害・復興科学研究所助教)       井ノ口宗成君

   総務委員会専門員     白井  誠君

    ―――――――――――――

委員の異動

四月十二日

 辞任         補欠選任

  石井  章君     渡辺 義彦君

  中後  淳君     磯谷香代子君

  湯原 俊二君     稲富 修二君

同日

 辞任         補欠選任

  磯谷香代子君     中後  淳君

  稲富 修二君     湯原 俊二君

  渡辺 義彦君     石井  章君

    ―――――――――――――

四月十二日

 郵政改革法案(内閣提出、第百七十六回国会閣法第一号)

 日本郵政株式会社法案(内閣提出、第百七十六回国会閣法第二号)

 郵政改革法及び日本郵政株式会社法の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律案(内閣提出、第百七十六回国会閣法第三号)

は郵政改革に関する特別委員会に付託替えされた。

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 行政機構及びその運営、公務員の制度及び給与並びに恩給、地方自治及び地方税財政、情報通信及び電波、郵政事業並びに消防に関する件


このページのトップに戻る

     ――――◇―――――

原口委員長 これより会議を開きます。

 行政機構及びその運営に関する件、公務員の制度及び給与並びに恩給に関する件、地方自治及び地方税財政に関する件、情報通信及び電波に関する件、郵政事業に関する件及び消防に関する件について調査を進めます。

 本日は、参考人として、新潟県知事(全国知事会災害対策特別委員会委員長)泉田裕彦君、釜石市長野田武則君、東京都三宅村長平野祐康君及び新潟大学災害・復興科学研究所助教井ノ口宗成君、以上四名の方々に御出席をいただいております。

 この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。

 本日は、御多用中のところ当委員会に御出席いただきまして、まことにありがとうございます。参考人各位におかれましては、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。

 次に、議事の順序について申し上げます。

 まず、各参考人の方々からそれぞれ十分程度で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。

 なお、念のため申し上げますが、御発言の際にはその都度委員長の許可を得て御発言くださるようお願い申し上げます。また、参考人は委員に対して質疑をすることができないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。

 それでは、泉田参考人、お願いいたします。

泉田参考人 本日は、このような場で発言する機会をいただきましたことを心より御礼申し上げます。

 また、このたびの災害で亡くなられた方の御冥福と、そして被災された方々に対しまして心よりお見舞いを申し上げたいと思います。

 では、きょう、お手元に資料を配付させていただきましたので、これに基づき発表をさせていただきたいと思います。「全国知事会」と書きました「東北地方太平洋沖地震に係る緊急要請」ということでございます。

 まず、委員の先生方は御存じのとおり、今回の震災は、規模が大きい、広範囲に及ぶということに加えまして、原子力発電所の被災も重なっております。このため、県境を越えた避難というものも多発をしている。加えて、収束のめどが立たない原子力発電所の災害が加わっておりますので、長期化も懸念をされているという状況になっております。

 さらに、三陸地方におきましては、リアス式海岸であるということから津波の高さが相当上がっておりまして、原形復旧ということを原則とするこれまでの法制度ではかなり限界があるのではないかというふうに考えております。場所も、県内、県外を問わず、一部移住というような形が発生する可能性もある。すなわち、原形復旧を基準としたこれまでの法制度を大幅に見直していただくということが災害復興のためにどうしても必要ではないかと思っています。

 さらに、原子力発電所の周辺地域を中心として一定期間の移住ということも否定できないことから、これまでの法制度に限界があると考えております。

 一枚はぐっていただきまして、二ページ、三ページをごらんいただきたいと思います。

 現行法制度、特に激甚災害法それから災害救助法とも、これはどういう法律かと申しますと、被災された住民の皆様を被災した自治体が助けるという基本的な考え方に立っています。そして、被災された住民を被災された自治体が助けるということから、支援をする対象というのは被災自治体ということになっているわけです。さらに、それの財政援助を国が行うということから、これは、パッチワークで縦割りで、かつ資金使途を制限する法律になっているというのが現実でございます。

 ちなみに、少し例を挙げますと、災害救助法、これは厚生労働省所管ということになるのですが、これと被災者生活再建支援法というのはダブってくる部分があります。応急修理については期限の制限があったり、それから住所地を変更したら使えなくなるという問題があります。

 また、先般、授業が始まりました。新潟県においても、八千名を超える方々を受け入れております。小中学生を初め一千名の方が、新たに県外で授業活動を始めていらっしゃいます。そういった場合に、制服を支給したら支援の対象になるのかどうか、かばんを買っていいのかどうか、スクールバスを運行したらこれが使えるのかということを一々確認しないといけないので、復興の妨げになっているということでございます。

 また、新潟でもあったのですけれども、物がどれだけ壊れたかに対して被災者生活再建支援法の給付が決まります。全壊なのか半壊なのか、そして一部損壊なのかによって金額が変わってくる。

 しかしながら、これは、避難をされている方、特に原子力発電所の周辺にいられる方で、地震を受けて、津波でなくて全壊でない人は、本当にどれぐらい壊れているのかがわからないという状況になっています。生活を立て直さなければいけないというのは、まさに被災された地のすぐ近くでもう一回組み直すのか、それとも県外へ行くのかにかかわらず、三月十一日時点で被災された人というところに注目をして支援しないと、物がどれだけ壊れたかということに着目して支援をする制度では限界があるのではないか。それも、被災された自治体に対して支援をするという形にしかなっていませんので、どうしてもそこに制約が出てきます。

 新潟県でも、山古志で全村避難を行いました。このときに大変だったのは、避難をしていただくというときに、おれは牛を置いていくのならここで一緒に死んだ方がいい、親ゴイを捨てるぐらいならおれはここで一緒に死ぬというような方々がおられて、避難していただくのは極めて大変でした。命が大切だから逃げてほしい、かわりに牛は連れていきます、それから親ゴイは助けに行きますということで説得をしました。結果として何が起きたかというと、覚えている方もいらっしゃると思いますが、牛をヘリコプターで空中避難するということまでやりました。これが果たして支援対象になるのかどうかというのを一々霞が関の判断を仰いでいたのではできない、お金は後で何とかするから、とりあえず命を助けようということを進めたわけです。

 それから、災害復興をする際においても、こういう方がおられました。三百万円、被災者生活再建支援法があります。仮設住宅は三百から四百万円かかります。そこに義援金があります。これをもし全部足し算すれば、しばらく親戚のうちに身を寄せるから、全額キャッシュでもらえないか、そうすると私はうちを建て直すことができるんですという人もおられました。また一方で、避難をする際に、車庫の中に避難をしたい、そうしたら、その改装費があればこれでいいんですという方もおられました。

 こういったものをすべて使途制限がかかっている現行法体系でやれというのは限界がありますので、ぜひ特別立法をしていただけないかと思っています。既に手続に入っている方々は構わないと思うのですけれども、新たなニーズが生じてきた場合にどのような形で対応するかというのはそれぞれの地域によって違ってきますので、どのように地域を復興させていくのかということをぜひ実現できるような特別立法をしていただけないか。

 それが間に合わないのであれば、もう一つ考えられるのが特区法案ということだと思っています。この特区法案によりまして、それぞれの地域がみずからのイニシアチブで復興ができるように、これまで私も、柏崎刈羽原子力発電所が被災した中越沖地震、それから全村避難を伴った中越地震、国の皆様に大変助けていただきました。でも、復興過程で一番大変だったのは、この資金使途制限との闘いです。例えば、仮設住宅に床屋さんをつくっちゃいけないから始まって、仮設住宅に集会所をつくっちゃいかぬと、事細かな規制があって、それを一つ一つ外していくのに大変時間がかかりました。

 一方で、大変助かったのが基金制度でございました。これは、一遍でつくると、将来にわたって十年分を役所の方は積み上げて、これだけの資金需要という形でやるんですが、時間とともに、状況とともに、資金使途というのは変わってまいります。留保をした上で、毎年、住民の皆様それからそれぞれの地域の皆様の要望を踏まえて使っていきます。でも、十年で措置してもらったものがまだ若干、数%残っているのですが、心のケアから高齢者に対する支援、長期に及ぶもの、それから短期に一気に直さないといけないもの、ぜひ地域の事情に合わせて修正できるような基金制度をつくっていただきたいと思います。

 財源問題がいろいろ言われております。中小企業、地域は大変困っています。もう少し円が安ければ工場を日本に戻したいという方もおられるのですけれども、この円高水準であればとても難しいと。ぜひ、財政措置をするときには、国債の日銀引き受けによって通貨価値を若干下げていただくことも視野に入れた財源措置を考えていただけないかということも申し添えたいと思います。

 参考までに、八ページ、九ページ、こういう条文をつくっていただくと復興は円滑にいくという条文をつけておりますので、ぜひ参考にしていただいて、一日も早い被災地の復興、そして笑顔を被災された方が取り戻されるような、そしてまた将来に対する希望というものがわくような中長期の見通し、特に原子力発電所の被害で避難されている方は本当に困っていらっしゃいます、帰りたいと言われても、学校も仕事のめどもつかないという中で、新しい生活、三年なのか五年なのか三カ月なのかということの見通しを立てて、それぞれ避難者を受け入れた自治体においても対応ができるような柔軟な制度の構築をぜひお願いできればと思います。

 どうぞよろしくお願いいたします。(拍手)

原口委員長 ありがとうございました。

 次に、野田参考人、お願いいたします。

野田参考人 岩手県釜石市長の野田武則と申します。

 このようなむさくるしい姿で出席をさせていただきました。大変失礼でございます。

 実は、昨日の夜、夜行バスでこちらの方に向かってまいりましたが、地震がございまして、途中、通行どめということになりまして、きょうは出席できないのかなと一瞬不安に思いましたが、おかげさまで解除になりまして、きょう、このように出席をすることができました。

 本日は、東日本大震災によって被災した三陸地域の都市の市長として意見陳述の場を与えていただきまして、まことにありがとうございました。

 このたびの未曾有の大災害に遭遇した行政の現場からの報告、そして町の復旧復興のために必要と考えていることにつきまして意見を述べさせていただきたいと存じます。

 既に御案内のことと存じますが、釜石市につきまして若干紹介をいたしますと、当市は、岩手県の南東部に位置し、太平洋に面した都市であります。また、我が国近代製鉄発祥の地であり、現在も世界の特殊鋼線材のトップメーカーである新日鉄釜石製鉄所が立地しております。豊かな自然に恵まれた三陸漁場の中心港であり、鉄と魚と観光の町として栄えてきたところでございます。

 さて、当市における大震災発生後の経過及び対応状況についてでありますが、去る三月十一日の東北地方太平洋沖地震により発生した大津波は、市内の大槌、両石、釜石、唐丹湾の各湾に面する地域を壊滅的な状態とするなど、甚大な被害をもたらしました。これにより当市は、同日付で災害救助法の適用を受けております。

 当市において確認された死亡者は昨日現在で七百八人と、多くのとうとい命が失われております。また、いまだ行方不明の方は六百二人、家や財産を失った市民も多数に上っております。岩手県全体での死亡者、行方不明者は八千五百人余となるなど、まさに想像を超える惨状であります。

 気象庁によりますと、当市での地震の震度は六弱、釜石湾の津波の高さは、その痕跡などから九・三メートルと推定されております。

 市では、大震災の発生後、直ちに市内各所に避難所を開設するなど、市民の安全確保のため職員一丸となって、夜を徹して対応してまいりました。また、自衛隊を初め消防援助隊、警察隊、海上保安庁などによる救助・捜索活動、災害派遣医療チームによる診療活動につきましては、関係機関の御配慮により速やかに展開をしていただいたところであります。さらには、姉妹都市を初め全国の地方自治体、民間の企業、団体、個人、そして海外からも多くの御支援をいただいております。

 おかげさまをもちまして、当市においては、ライフラインの復旧や燃料供給の拡大と相まって、震災発生直後の物資窮乏の状況が大きく改善をされてまいりました。この場をおかりいたしまして、我が国政府並びに関係機関はもとより、御支援をいただきました国内外の皆様に衷心より御礼を申し上げたいと存じます。

 次に、今回の大震災における行政機能の状況についてであります。

 当市では、市庁舎のほか、保健福祉部門と医療機関などが入居する保健福祉センター、教育委員会などが入居する教育センター、市内八カ所には出張所機能とあわせ保健福祉や生涯学習支援機能も持つ生活応援センターを設置し、市民が安心して生活できる行政運営に努めてきたところであります。

 今回の大震災により、海岸から約一キロメートル以内にある市庁舎及び保健福祉センターは一階部分に津波が押し寄せて破壊され、周辺の道路、電力などのライフラインも寸断されました。

 また、消防本部及び消防署にも津波が押し寄せ、消防車両が流失したほか、消防指令室の機能が失われるという事態になりました。

 また、生活応援センターのうち二カ所が流失し、特にそのうちの一カ所のセンターでは、避難してきた住民とともに市職員も命を落とすなど津波被害が著しく、地域における行政機能の拠点が失われております。このほか、市内沿岸部各所において多くの公共施設が失われました。

 また、ことし七月の地上デジタル放送への完全移行に向けて準備を進めておりました難視聴解消事業も、放送施設、伝送路施設ともに失われてしまったことから、改めて工事を施工するため、事業費の支援とともに、この完全移行への実施時期の延期が必要であると考えております。

 さらに、防災行政無線につきましても、沿岸部の放送設備が失われておりますことから、市民への避難の呼びかけなどに必要欠くことのできない施設であり、再整備の必要があります。

 被災直後においては、避難所への避難者の収容と食料、生活用品の確保、健康管理、亡くなられた方の死亡届の受理や火葬の手続、御家族や御親戚などの安否確認への対応に追われておりましたが、その後、日数がたつにつれ、生活再建のための各種相談への対応、住民登録や戸籍事務、国民健康保険業務など、市民向けサービスの再開も求められるようになりました。

 今回の大震災による当市職員の死亡者は七人でありますが、百名が家屋の流失を経験しております。また、避難所の運営を初めさまざまな業務に人手が足りない状況であり、県や他市からの職員の応援、ボランティアの御協力により対応しているところであります。

 また、近隣の大槌町、陸前高田市においては、庁舎の流失とともに、幹部職員を含め二割以上の職員が死亡、行方不明となっており、このような被災自治体に対しましては、物資のみならず、人的な支援につきましてもさらに手厚い配慮が必要であると存じます。

 当市における学校の児童生徒の状況についてでありますが、今回、幸いにも、日ごろからの防災教育により適切な避難誘導が行われたため、鵜住居小学校、釜石東中学校を初めとした市内沿岸部のすべての学校において、地震発生直後に学校外の指定避難場所への避難が行われたことから、学校管理下における死亡者はゼロでありました。また、下校後であった児童においても、みずから家族に早急な避難を促して率先して逃げるなど、大きな成果があったものと考えております。この防災教育の大きな成果は、当市の防災アドバイザーである群馬大学大学院の片田敏孝教授の御指導によるものであり、心から感謝を申し上げる次第であります。

 津波により校舎を破壊された学校の児童生徒は、当面、被災していない学校の校舎の一部を借りて授業が再開されることとなりますが、今後、校舎の再建を進めていかなければならないことから、関係各位の御支援をお願いする次第であります。また、今回の大震災により、御両親や親族を失い、また不自由な生活を余儀なくされている児童生徒も多くありますことから、心のケアとあわせた物心両面にわたる支援が必要であります。

 現在、当市を初め被災地域においては、復興事業が本格化するまでの応急対策として、まずもって、瓦れきの撤去や地域コミュニティーに配慮した仮設住宅の建設が求められております。被災者の安全、安心が確保されることを求めております。また、緊急的な雇用の場の確保、仮設商店街の形成などの経済対策、さらには、再び被災することのないよう、防災に配慮した避難システムの確保も必要であります。その上で、当市の主要な産業である漁業や製造業などの地域産業の復興、失われた公共施設、基盤施設の再建を進めていかなければなりません。

 特にも基盤施設に関しまして述べておきたいことが二つございます。

 今回の大津波により、釜石港に建設された総延長約二キロの防波堤は大きな被害を受けました。この釜石港湾口防波堤は、水深六十三メートルと、世界で最も深い防波堤として昨年七月にギネス新記録に認定されたものであります。昭和五十三年の着工から二十八年の歳月をかけ、二年前に完成したものであります。

 残念ながらこのたびの津波被害を防止することはできませんでしたが、その後の研究機関の検証によれば、釜石港の津波の高さを低減させるとともに、市街地を守っている四メートルの防潮堤を越えるまでの時間を六分間おくらせるなど、一定の減災効果を発揮したと分析されております。

 したがいまして、もしこの湾口防波堤がなければ、当市の被害はさらに大きくなったところであります。実際に、この湾口防波堤のない隣の大槌湾では、鵜住居町や大槌町で、外洋からの大津波が防潮堤を容易に乗り越えて、多くの人命を失い、町を全滅させるほどの大被害をもたらしております。

 このことを考えるとき、当市の復興のためには、やはり湾口防波堤の早期改良復旧が必要であることを改めて訴えるとともに、それぞれの湾のエリアごとの状況に沿った復旧復興計画が必要であることを申し述べたいと思います。

 もう一つは、大震災直前の三月五日に一部開通した三陸縦貫自動車道・釜石山田道路の効果であります。先ほど述べましたとおり、当市の鵜住居小学校、釜石東中学校の児童生徒たちは、高台への避難場所に逃げた後、瓦れきで埋まり、また津波で破壊された国道四十五号で立ち往生することなく、この自動車道を歩いて市内の避難施設までたどり着くことができました。この地域の住民も同様であります。また、被災後は、この自動車道を通じて救急患者が搬送され、さらには避難所に救援物資を運ぶ道路として、まさに命をつなぐ道として機能いたしたところであります。

 さらには、市民の悲願により平成十九年に開通した当市と県内陸部を結ぶ一般国道二百八十三号仙人峠道路は、このたびの震災に際して、沿岸地域への各種支援が続々と到達する幹線道路として機能しており、縦横の高規格幹線道路の結節が災害対策上も大変有効であることを如実に示したということを忘れずに述べておきたいと思います。

 私は、大震災の発生から一カ月となる昨日十一日、市民の皆様に対し、明治、昭和の大津波や第二次世界大戦時における戦災など、釜石市におけるこれまでのさまざまな試練を乗り越え、脈々と受け継がれてきた、たわまず、屈せずという精神で、力強く復興に向けて市民一丸となって歩み出そうというメッセージを出させていただきました。

 また、それに先立つ四月六日には、岩手県沿岸の各市町村とも手を携えて復興を進めていくため、十三市町村で構成する岩手県沿岸市町村復興期成同盟会を組織し、関係機関への強い働きかけを通じて、一致団結して復興に取り組むことを確認しております。

 これら復興の取り組みを進めていくことが、今回の大災害に遭遇した私たちの使命であると心に強く刻んでいるところであります。

 今後とも委員の皆様の御支援と御協力をお願い申し上げ、終わりたいと存じます。よろしくお願い申し上げます。(拍手)

原口委員長 ありがとうございました。

 次に、平野参考人、お願いいたします。

平野参考人 皆さん、おはようございます。

 今回の東北で起こりました災害に対しまして、衷心より、私も非常に大変だということを思っております。また、現地で行政運営されております職員の皆様方初め工事関係者の皆様に早い復旧をお願いしたい、このように思っております。

 まず、本日の案件は行政機構及びその運営に関する件でございますから、私の方からは参考に資するために、かいつまんで御意見を言わせていただきます。

 我々は、二〇〇〇年の三宅島噴火で、三千八百人がなれない都会に避難いたしました。そのときは、二〇〇〇年の九月、東京都の新宿にございます都庁の四十一階に行政機能を置いたわけでございます。我々が来るときは、島民はすぐ春になれば帰れるというような気持ちで避難したわけですが、それが何と四年五カ月にも及んだということでございます。

 私はその当時、財政担当課長でございまして、当時の村長が、かなりマスコミあるいは議会、関係者の皆様からいろいろな御意見を、また村長としての考え方を聞かれるということがございまして、何かしてあげないと村長がつぶれちゃうんじゃないかということで、一つの本を私なりに、私の独断のもとでつくってみました。それは、四年五カ月の長期にわたる三宅島島民を支えるための「三宅島噴火災害の中長期化時の対応策に関する検討調査」でございます。これはどこにも、世間にも一冊も出ていないものでございます。当時私が、村長用ということで、お金は財政課長ですからどうにかなりましたので、多分かなりの額をかけてつくっております。数冊をつくっております。

 その中には、調査の目的といたしましては、まず、長期にわたることが懸念されているこの前例のない災害に対応するために、幾つかの帰島時期を想定した上で、起こり得る事態と必要な対応を検討し、適切なタイミングで対策を実施することが重要である。本調査は、今後想定される災害シナリオを検討し、必要となる避難生活支援対策と帰島後の迅速な生活再建、地域復興のための対策に取り組む方策を検討することを目的として実施するということでつくったわけでございます。

 調査内容につきましては、災害のシナリオの想定でございますが、避難生活の状況や発生する問題とその原因、これが一つでございます。それから島の状況、被害の拡大。それから三番目が一番ポイントになったわけですが、二年後帰島できない場合、五年後の帰島ができない場合の想定をいたしましてつくっておるものでございます。

 この中にありますが、最終的には帰島不能時の対応が課題、もし五年後に三宅島に帰れなかった場合どうしますかということでつくった本でございます。全島避難から四年目の時点でガスの噴出がおさまらない場合どうしますかと。首長、議会は、当面の帰島実現が難しいと判断し、島外での生活の正常化、安定化に向けた本格的な取り組みの検討に入ることを表明ということでございます。非常にリアルに、しっかりとつくっております。

 これでなかなか難しかったのは、最終的に、五年後に三宅島を捨てるというときに、どこに三宅村を置くか、個人財産はどうするのか。一番問題になったのが、宗教の関係もございますが、墓地の問題が非常に懸念されまして、これを島民の方たちがイエスと言ってくれるかどうかということが非常に気になっておりました。

 よければ、これを総務委員長の方に一冊置いていきますので、参考にしていただければと思います。

原口委員長 ありがとうございます。

平野参考人 よろしくお願いします。

 私の方からは以上でございます。(拍手)

原口委員長 ありがとうございました。

 次に、井ノ口参考人、お願いいたします。

井ノ口参考人 新潟大学災害・復興科学研究所の井ノ口と申します。

 このような場は実はふなれでして、それでも呼んでいただいて非常に光栄に思っております。

 まず最初に、東日本太平洋沖地震で被災された皆様にお見舞いを、また、亡くなられた多くの皆様に対して御冥福をお祈りいたします。

 私の方は、特に私自身の研究の関係を御紹介するとともに、今回の災害に対していろいろと懸念されると私自身が思うところを述べたいなというふうに思っております。

 私自身の研究の一番基礎となっている部分でありますが、基本的なITシステムをどのようにうまく活用すればいいかというところです。特に、防災の中で、ITシステムというのは情報の収集だとか集約になっていて、それが被災者の皆様に対してなかなか伝わっていないというふうなところに懸念をしているところでございます。

 本日お配りしている資料がございますが、字も多いですし図表も多いので、また後で見ていただければというふうに思います。要点だけかいつまんで御説明したいと思います。

 先ほど申し上げましたように、まず、新潟県の事例が最初の二ページから三ページほどに書いてございます。

 当時、被災者生活再建支援法を使うに当たって、それ以外の支援制度も含めてですけれども、基本的には、被災者の皆様が手元に罹災証明書というものを置いて、それの判定基準に基づいて支援を受けるというのが大前提というふうになっております。しかしながら、罹災証明書というのは、建物被害を決めなければいけないというお話、そして、だれが被災者なのかということを決めなければいけないという問題がございます。しかしながら、建物被害を調査するだけでも大変ですし、本当に建物がどこにどれだけあったのかということは、実は、実態と、いわゆるデータベースとか呼ばれていますが、台帳内に記録されているものに、かなりずれがあるというのが現実として起こっている課題です。

 それが、同様に人に対しても起きるわけです。住民基本台帳にすべてが載っているかというとそうではなくて、まだ登録が済まれていない方だとか、あるいは高齢者の方で、息子さん娘さんのところにおられて住民票を移していない方、そういう方もおられます。そうすると、罹災証明のときに、そういう方をいかに把握するかというのが非常に重要な課題になってきたのが当時の問題でした。

 それを解決する一つの方法としまして、我々は地理情報システムと言うんですが、GISという言葉が使われていますけれども、空間上に、その住まわれた人、あるいは私はここにいましたよというお話を聞きながら、もちろんそれを審査はするのですが、それで認めた場所と、ではその場所にどんな建物があって、その建物がどういう被害があったのかというのを組み合わせていくところでまず罹災証明書を発行したというようなところでした。

 罹災証明書を発行すると、その後さまざまな支援が展開されます。これまでの情報システムのよくないところになってくるんですけれども、データが残ったからよかったねというふうなところが多くあります。しかしながら被災者の皆様は、世の中にいろいろな支援が出てくるわけですけれども、その支援をすべて知っているわけではございません。

 一方で、行政の方としては、こういうふうな支援がどういう人に適用になり得るのかというのがすぐわかります。罹災証明書の結果、あるいはその他さまざまな被災者の皆様の情報というものをうまく組み合わせていくことで、新しい支援策だとかいうものが提示されたときに、では、どの方が支援を受け得るのかということがわかります。それと同時に、支援を受けられる方、特に若い方とかはすぐアクセスをして支援を受けられるんですが、どうしても高齢者世帯とかあるいは要介護者世帯というふうなところになりますと、なかなか支援が行き届かないということがありますが、そういうものを逆に把握することができるというふうなところでした。

 これは柏崎市の例ではございますけれども、そういうふうなシステムあるいは台帳、被災者台帳と我々呼んでおりましたが、そういうものをつくり上げていくことで、支援が行き届いていない方がどこにいるのか、どれだけおられるのか、それは一体どういう方なのかということが見えてくるというふうなところです。

 参考程度に後ろに少し表を載せましたけれども、例えば、六ページ目の右上に図七というところがございますけれども、「再建の進捗状況の集計把握」というふうに書いております。

 被災者生活再建支援のさまざまな制度を受けると、行政に来ていただいて、相談に乗って、いろいろと御説明を申し上げるというふうなところなんですけれども、一度来ていただいて説明をしても、多くの方は実は申請まで至らない。それには内容がわからないということもありますし、そのうち忘れられるというふうなこともあるかと思います。ただ、実はこういうふうな方々が、言葉を悪くすれば忘れられる、よく言えば取り残されていかれる方々がおられるというのが実態として見えてきます。

 柏崎市の例ではございますけれども、こういう方々に対して、郵送で広報するのか、あるいは広報誌に入れて何かお伝えするのか、また個々に訪問をして回るのかというふうな、施策を実際に運用するための方策をこの中から導き出すというふうなところで使われました。こういうものがないと、なかなか、支援を一方的に提示しているだけでは被災者には届きませんで、数が多いうちは広報を使えますが、数を少なくしていけば、その後、どうにかしてそういう皆様に情報を届ける、それを支える基盤としてもITがあるのではないかというところが今求められているところだと思います。

 こういうことの経験を踏まえて、今回の東北地方太平洋沖地震においても、やはり各自治体に対してこういうふうな仕組みが要るだろうというふうに私自身は思いますし、その一方で、私は新潟大学ですし、新潟県知事もおられますけれども、新潟県は多くの被災者、避難者を受け入れている。そういう方々に対して、避難する前の、被災したときの自治体から情報が発信されているものが、必ずしも遠くにいる方々に対して本当に届くのか。

 私自身いろいろとお話を伺いながら、一つ懸念することとしては、遠くに行かれて、公的にサービスとして提供されるような居住空間に住まわれている方、公営住宅だとか、そういうふうな方々については行政としても把握はできるかもしれませんけれども、その後、民賃に移られた方だとか、私は出身が関西の方ですけれども、あの発災の直後、大阪あたりのホテルは全部予約をされているというふうなお話を伺ったことがあります。避難をするために来られているんだと思いますが、そういう方はどこにおられるのかということが本当に把握できるのかというのが非常に問題かなというふうなところです。

 裏を返しますと、どの方が被災者であり、その方が今どこにいるのか、そういう方々が何かしら、外部からであっても情報にアクセスをしながら、今その被災した自治体の中から提示されている支援策にたどり着けるような仕組みというものを早期につくらなければ、どうしても、遠くに行かれれば行かれるほど支援から遠ざかっていくというふうな実態に行き着くのではないかというところを非常に懸念しているところでございます。

 あともう一つは、そういうふうな情報システムの大きな強みというのは、シミュレーションというのを我々は考えておりまして、常に推定ということをやっております。

 今現在、内閣府の方の支援ということで、地図作成という形で支援をして、今、合同庁舎五号館の方におりますけれども、被害の状況というのは大き過ぎてなかなか見えない部分がございますし、新しい支援策を打ったとしても、どういう方々が適用されて、どういうふうにそれが進むのかということはなかなか見えないです。ただ、過去の災害の経験上、例えば相談窓口を開くと、最初すぐピークが来るんですけれども、その後、柏崎でも、三年たっても相談がやまないというふうな実態がございます。

 そういうふうに、業務量だとか、あるいはそういうものがどういうふうに進むのかを、限られた情報を組み合わせていき、過去の知見を生かしてシミュレーションをし、それを運用するために、計画策定にうまく使っていかなければいけないというところが非常に重要な課題ではないかというふうに私自身認識しております。

 最後になりますけれども、ITシステムは、どうしても情報がたくさん来て、それを処理することが求められるようなところがございます。初期の段階はそれが非常に重要ではございますけれども、これから、長期化する災害対応ということを考えますとどうしても、残された被災者をどう把握し、そういう方に手厚いと言ったら、均一でない、公平でないというふうな御意見があるかもしれませんが、弱者に対してどのように手を差し伸べていくかというところ、数の限られた行政職員の方々、少ない数で対応しなければいけませんので、質をどういうふうに高く、どこに重点的に目を向けるべきかというところをきちっと把握していかなければいけないというふうに私自身考えております。

 雑多なお話ではございましたけれども、以上で私の方からの御紹介とさせていただきたいと思います。

 御清聴ありがとうございました。(拍手)

原口委員長 ありがとうございました。

 以上で参考人の意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

原口委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。後藤祐一君。

後藤(祐)委員 民主党の後藤祐一でございます。

 まずもって、今回、大震災でお亡くなりになられた被害者の皆様にお悔やみを申し上げたいと思います。

 また、大変忙しい中、特に野田釜石市長におかれては、現地で指揮を振るっている中、夜行バスでお越しいただきまして、そして知事も、恐らく知事会の中で経験が一番おありの新潟県知事にお越しいただきまして、ありがとうございます。また三宅村長も、テレビでの映像も私、拝見いたしましたけれども、大変な御知見をお持ちだと思います。本当にありがとうございます。また、井ノ口参考人にも専門的なところをお伺いしたいと思います。

 まず、財源、お金のあり方についてお伺いしたいと思います。

 前回、四月五日の当委員会で、こちらの小川淳也委員から、四つのお金の出どころがあるんではないかというお話がございました。まず一つは、従来の災害復旧事業などについての対象を拡大するということと、その補助率を上げるというアプローチが一つあります。二つ目は、社会資本整備交付金のような、比較的使途が緩い既存の交付金というのがあります。三つ目が交付税です。特に特別交付税というのがございます。四つ目が、きょうも泉田知事から御提案がありましたけれども、何らかの基金的なもの、復興基金、こういったものをつくってはどうか。

 大きく分けるとこの四つぐらいがあると思うんですが、これに関して、例えば最初の一つ目、二つ目の、国からの補助金、交付金的なアプローチでまず何割かお出しして、そうすると地元負担が発生します。ところが、今回の震災ですと、そもそも直さなきゃいけない事業量が膨大ですから、たとえ十分の一でも十分の二でも、その額というのは膨大になるわけです。その分が特別交付税で全部来ればいいですけれども、来ない場合に、交付金あるいは災害復旧補助金みたいなものについて申請をちゅうちょしてしまう、こういうことはあってはならないと思うんですね。

 合わせわざをすれば、結局、実質十割来るのであれば、むしろ最初から十割下さいという方が事業決定においてしやすいんじゃないかなというようにも思うわけでございますけれども、今言った四つの組み合わせについて、基金のあり方なんかも含めて、ぜひ、こういう形で決めていただける方が現場としては、あるいは県、市町村としては使いやすいのだということについての御意見をいただきたいと思います。

 あと補足ですが、交付税については不交付団体がありまして、女川町ですとか幾つかあります。今回、交付税で不交付団体のところが出ないと大変なことになるので何とかしてほしいということを、私、女川町にお伺いしたときに女川町長から強く伺いまして、この話は総務省なんかにもお願いしたところ、四月八日に既に特別交付税が不交付団体も含めて交付されておりまして、この問題はもう既にないのかなというふうに感じております。

 戻りますが、もう一回繰り返します。先ほどの四つの、災害復旧事業的なものについての補助の対象拡大あるいは補助率のかさ上げというアプローチと、二つ目が社会資本整備交付金みたいな国費をどういうふうに使っていくかという話と、三つ目が特別交付税を中心とする交付税をどうするのか、四つ目が基金。このあたりの軽重、あるいは、こっちを減らしてむしろこっちをふやしてほしいということも含めて御意見を、泉田知事、野田市長、平野村長からいただければと思います。

泉田参考人 お尋ねの件でありますけれども、これはスピードも優先でありますので、既存のスキームというのはやはり維持をしないと復旧復興に影響が出ると思っています。したがいまして、特にハードインフラの整備については補助率のかさ上げをやっていただいた方が円滑に、現場は混乱せずに進むと思います。

 ただし、裏負担部分をどうするかというところがありますので、これは特別交付税で措置をするということが基本なんでしょうけれども、自治体から見るとわからないんですね、どこまで生きているのか。結果として財政を悪化させる。柏崎市もそうなんですけれども、震災復興が終わってみたら、ほかのところの生活面に影響が出るということになりますので、それ以外のところ。資金使途を外していただきたい。社会資本整備交付金というのは結局補助金と変わらない運用になっていますので、これをふやしてもなかなかだめ、つまり、補助裏に充てることのできる交付金もしくは復興基金というものをつくっていただいて、その選択を現場に任せていただく。

 例えば補助金だけでいくと、これは中越沖、中越地震もそうだったんですが、途中で査定が入るんです。七・一三水害が途中にあって、復興する前に、ここまでは使っちゃだめ、原形復旧ですよといって制約をかけられる。原形復旧ができないような場合はどうするんだという配慮が全くなされていないので、そこは柔軟にできるように、補助金交付要領上の制限は外していただきたいと同時に、それで補助裏のところに自由に充てられるようなボンド、それで、生活再建をどうするのか、それともほかの場所に行くのかという選択ができるような制度をつくっていただけると大変ありがたいと思います。

野田参考人 災害復旧に関しての財源の問題でございますけれども、我々としては、やはりスピード感を持ってこうした災害復旧に取り組んでいかなければなりませんし、被災された方々の生活の安定、今後の見通しというものをきちんとお示しをしていかなければならない立場にあります。

 そういう観点からすると、例えば一つの例でございますけれども、瓦れきの撤去につきましては、県がやれば十分の九だとか、市がやれば十分の十だとかというふうな話が新聞とかで騒がれておりまして、そういったときに、県がやるんだとか市がやるんだというふうな、いわゆる時間のロスというものも非常に大きいし、市民の皆さん、住民の皆さんに対するきちんとした対応が示せないという時間のロスがあるわけですね。

 そういう点からすると、我々の立場からすれば県と市という格好になるわけですが、やはり県がやるべきものは何なのか、市がやるべきものは何かということをきちんと明確に区別していただいて、その中で、そういった財源のさまざまなメニューがどうのこうのというものじゃなくて、一括して責任を持って対応できるような仕組みであれば我々としては大変やりやすいし、また市民の皆さんもその方がわかりやすいと思います。ぜひ、基金的なものをつくっていただければありがたいと思います。

平野参考人 それでは、私の方から財源の関係でございます。

 私の経験からしまして、二〇〇〇年の噴火のときに、我々は厳しい小さな自治体ですから、噴火の被災当時、財調が二億円足らずということで、三千八百人を都会へ連れてきたわけです。

 そのとき私は財政課長で、ずらっと国会議員の先生方もいて、お役人さんがその後ろにいまして、私が言ったのは、ハード事業は現行法があるから、激甚災害指定を受ければ、そんなものはかさ上げしていけばできて、九八%ぐらいいくので問題ないだろうと。被災直後ですから、一番大事なのはソフト事業といいますか、被災されている高齢者、子供たちをどのように我々自治体が面倒を見るか。国の中にはそういう制度は何もないんですよ。なかったので、私は、将来三宅村が財調でもいっぱいできたらお返ししますから、ぜひとも起債をさせてくださいと言った。先ほど知事も言っていましたが、自由になる、被災者を面倒見られる、首長が自由にできるもので借金させてくださいと言ったら、それもさせてくれなかったんです。

 その辺の、ソフト事業に対する被災直後の資金調達というんですか、起債関係も含んで、もちろん特別交付税もいいでしょうけれども、それらも含んだ制度の確立をしていただければ、私の経験知からしてはそれが一番大事なのかな、このように思います。

 以上です。

後藤(祐)委員 ありがとうございました。

 最後の、ソフト事業に使えるようにといったことも含めて、きょう副大臣もおられますので、ハード事業には比較的お金がつきやすいという中で、特別交付税あるいは基金の設置といったものも含めて、ぜひ大胆なお金のやりくりができるように私からも要望申し上げたいと思います。

 それでは、次の大きな固まりとして、これからの復興のビジョンと言うのがいいのかどうかわかりませんが、これから復活していくための設計を何らかしていかなきゃいけませんが、これについて、国、県、市がどういう役割でこれを担っていくのかということについての御意見をちょうだいしたいと思います。

 先日、女川町長にお話を伺ったときに、市町村が復興ビジョンも全部つくって、手を挙げて、それを認可するというようなものはやめてほしい、そんな壮大なものをつくっている余裕は現場では申しわけないけれどもないんだ、むしろ、これこれこういうことを踏まえたAプラン、Bプラン、Cプランみたいなものを国である程度つくってもらって、それを市町村が選んで、それに必要な法律というのはもう張りついていて、予算も張りついていて、だけれども、細かい現場での設計みたいなところは少し自分たちに裁量が欲しいというような御意見を私はちょうだいしたんです。

 現場で大変忙しい中、きょうは釜石市長にも来ていただいていますけれども、国、県、市が、今後の復興の計画をつくるに当たって、どういう分担で進めていくのがいいかということについて、ちょっと時間がなくなってしまっているので、泉田知事と野田市長からお願いします。

泉田参考人 国、県、市の役割でございますけれども、今委員御指摘のとおり、やはり現場で全部考えろというのは無理だと思います。大きくパターンを示した上で選択ができ、そして詳細設計は地元でできるようにすべきだろうと思っています。

 今回、大変大きな地震ですので、国がやはり幾つかのパターンを示すということが重要だと思います。実際、私も中越、中越沖地震、両方やってみて、力のある自治体と力のない自治体で相当差がありますので、そういったところのきめ細かさ、サポート体制というのもつくっておく必要があると思います。

野田参考人 岩手県の例で言えば、我々釜石市の実情と、例えば隣町の大槌町さん、宮古市さん、あるいは大船渡市さん、陸前高田市さんとあるわけでございますが、それぞれ、被害の大きさは大変大きいわけですが、その実情と申しましょうか、やはり微妙に違うところがあると思います。したがって、国の方できちんとした形でパターンを示していただくというのは結構なことだと思いますし、早急な復旧復興には効果的な役割を果たすと思います。

 ただし、そのパターンをだれがどう決めるかというときに、今申し上げましたとおり、それぞれの市町村の実情が違いますので、ある意味で、そこで自主的に主体的なまちづくりに取り組もうとしている、そういった市町村がもしあるのであれば、やはりそういった考え方も十分酌み上げながら、そういったパターンをつくっていただくという仕組みが大事だと思います。

 そこら辺、私の隣町の大槌町は庁舎も流され、町長さんも亡くなられました。それから、町の職員も三割以上亡くなられておりまして、ましてや浸水した地域が大体七割、八割ぐらい、いわゆる町の中心部がすべて流されております。そういう町に、例えば自主的に、主体的に何かというのは非常に困難な状況だと思います。ですから、それぞれやはり地域差がございますので、そういった地域差のある考え方を十分酌み上げたパターンを国が示すという形にしていただければありがたいと思います。

後藤(祐)委員 ありがとうございます。

 本来、きょうこの場には黄川田筆頭理事、あるいは大洗が被災されておりますので、石津元大洋村長にここに立ってもらう方が本当はよかったのかもしれませんが、石津元村長からきのう聞いたお話として、やはり現場の首長に情報は集約しているので、国が今言ったような復興プランをつくるときには、ぜひ首長からの意見をダイレクトに聞けるような、そこのパイプをしっかりつくってほしいというようなお話が石津さんからございましたので、そこもぜひ、国の方でつくるときは御配慮いただければと思います。

 それでは、ちょっと時間がなくなりましたので、井ノ口参考人に最後にお伺いをしたいと思います。

 こちらの被災者台帳システムについてですけれども、柏崎のときにかなり上手に機能されたようにお話を拝聴しましたが、今回、大変大規模に、数多くの市町村で被災をされておられて、規模が大きくなったときにこういうシステムをうまく稼働させるために考えなきゃいけないところ、難しさ、こういったところについて少し御意見をいただければと思います。

井ノ口参考人 私の方で懸念されることは二つあります。

 一つは、近年ITはかなり進んでおりますので、ウエブ型みたいな形で、どこの自治体からもすべて、ある一元化された情報にアクセスができるというふうな仕掛けをどうつくるかということが一つ重要な観点かというふうに思います。技術的にできるかどうかといいますと、基本的に、最新の技術を使えば可能なことである。中の仕組みについては今までのものを運用し、恐らくほかの自治体も同じなので、基本的には同じ枠組みで動くだろうというふうに考えています。

 ただ、もう一点、かなり懸念しなければいけないことはセキュリティーの問題です。個人情報がたくさん入っている柏崎市のこれでも、漏えいすると問題になるような情報がいっぱいありますので、いかにして、どこまでを自治体ごと、あるいは自治体内部間で共有するもの、どこまでを被災者一般がアクセスできるような情報にするか。この二つをいかに切り分けるか。それを物理的に分けることがセキュリティー上一番安全だというふうに言われていますけれども、その柔軟性と機密性をいかに守るかというのが重要だというふうに考えております。

後藤(祐)委員 ありがとうございました。

 時間が来ましたので、終わります。ありがとうございました。

原口委員長 次に、赤澤亮正君。

赤澤委員 質問の機会を与えていただきまして、まことにありがとうございます。

 改めて、このたびの東日本巨大地震、津波の被害者の皆様に心からお悔やみ申し上げるとともに、亡くなられた皆様の御冥福を心からお祈りするものでございます。

 また、参考人の皆様には、お忙しい中、本当に貴重な意見をきょう聞かせていただいてありがとうございます。聞きたいことが大変多過ぎるところがありますので、皆さんもぜひ簡潔なお答えをいただきたいと思います。

 まず、泉田知事には、実は自民党の総務部会にも足を運んでいただいて、全国知事会の災害対策特別委員長としてもお話しいただいております。本当に、御指摘はすべてごもっともなものでありまして、私ども大変学ぶところが多い。そんな中でありますので、既にいろいろとお話しさせていただいたので、ちょっときょうは細かいこともお伺いをいたします。

 現行の災害対策法令が想定する事態を今回の被害は超えているというのは、まことにごもっともでありまして、幾つか例を挙げれば、知事の御指摘であります、原状復旧で足るという想定は全くだめだ、それから、被災県が被災者を助けるという想定ももう枠を超えておる、さらには、被災者の家屋の損壊など物に着目して支援すれば足るという想定もだめだと。改めれば、このたびの未曾有の大災害に当たっては、大きな復興のビジョンを絵として描いて、それに基づいて被災者の皆さんの生活からなりわいからすべて再建する、人に着目した支援が要る、しかも被災県以外の県からも支援を受けられる、こういう仕組みを臨機応変に、もうこの場でつくり上げていかないと、とても被災者の皆様を救うことができない。まことにそのとおりだと思います。

 それで、大きな課題は多々あるんですが、総務部会でもちょっと議論させていただいた被災者の皆様の一時的二次避難のニーズというのは、実は非常に高まっていると私は思うんです。

 最初の一カ月は、知事からも御指摘があったように、自分の家のあったところに毎日でも足を運んで、アルバムや位牌であるとか、あるいは場合によっては御遺体そのものも何とか捜したいと、一カ月間は毎日のようにその場に通いたい、こういうことであったんですが、正直なところ、発災後一カ月を経て大分落ちついてきた中で、避難所から聞こえてくる声というのは、若い女性がテレビで言っておられました、壁のあるところで眠りたい、プライバシーが欲しいと。

 そういう声がある一方で、例えば、観光庁が音頭をとって、全旅連と言われる旅館施設などは十三万六千九百人の受け入れ態勢を実はつくっている。これ以外にも、私の出身県であります鳥取県は二千人の受け入れを表明し、県同士で、例えば宮城県に働きかける、こんなこともやっておられます。被災者の方の数から見ても十分な、一時的な二次避難を行える、そういう受け入れ態勢ができ、なおかつ、御案内のとおり一泊三食つきで五千円というのは国庫が負担をする。それから、全旅連と観光庁が組んでやっているものについては、バスを用意して足代もただだ。

 そうすると、巨大なニーズがありながら、なおかつ、自己負担なしで快適な場所に一時的な二次避難ができるのに、どうもテレビの報道などを見ると、十四万人近い枠が用意されているのに、まだ、三けた、百数十名だったかと思いますが、それぐらいのものしか実現していない。何がまずいんだというのは真剣に考える必要があると思います。

 一月の避難所生活でまだ先が見えない、例えば原発関係であれば長引く可能性もありますし、そういうことで、いろいろと思ったところ、やはり知事の御指摘のように、人に着目した仕組みにどうもなっていない。

 端的に言えば、改めるべき点として指摘をし、知事のお考えを聞きたいと思いますが、今のところ県が主語になって、県庁の職員がこれを頑張ってやるということになっております。それから、こういう仕組みがあるということを避難所に紙一枚張り出すんだけれども、どうも見ていると、私の家族を知りませんかという周りの紙に圧倒されて埋もれてしまう。さらには、親戚を頼って例えば遠い県に、これは実際に確認した例ですけれども、石巻から愛媛県に避難しているなんという方がおられる。来ちゃった後で、受け入れてもらおうと思ったら、被災県の災害対策本部から我が県の災害対策本部に連絡を入れてもらえませんでしょうかみたいな話まである。これは全く人に着目した制度になっておりませんし、それから、端的に言えば、県が主語ということで、県外の支援を受けるような形になっていません。

 私のアイデアを一応あのときにも披露して、ちょっと知事との議論が不十分だったかと思いますけれども、今思うのは、やはり県庁の職員だけでなくて市町村の職員、住民になじみのある職員をフルに動員し、そしてニーズの掘り起こしを図る。そのためには、どういった県でどのような受け入れ施設があるのかを一覧にした紙を定期的に配って、市町村の職員が説明をする。さらには、罹災証明や住民票を持った方が受け入れ施設に赴けば、その施設の方で被災県に確認などをするというように、被災者の方に少しでも利便の高いやり方をしていく必要がどうしてもある。そうすればもっともっとニーズが掘り起こせると私は思っておりますけれども、知事から御見解を賜りたいと思います。

泉田参考人 ただいまの委員の御指摘、人に着目すべきであるという点、全くそのとおりだと思っております。

 そして、どうしてこれがうまくいかないかということなんですが、実は、なりわいを抱えていらっしゃる方がおられます。我々が中越地震のときに被災をしたときも、隣の長野県から、ちょうど白骨温泉の入浴剤事件があってあいているので、何人でも受け入れますので来てくださいと。必死で広報しましたけれども、結局一人も行かれませんでした。それはなぜかというと、知らない土地に対する不安があるということのほかに、家族関係、親戚関係、仕事の関係、牛の世話をしないといけません、コイの世話をしなければいけません、学校へ行かなければいけませんということがあって、遠距離に行ったときに、自分の生活がどうなるのかということもあわせてサポートをしない限り無理である。

 例えば、三十キロ圏内、南相馬からも、今大変多く新潟県に避難をされてきておられます。では、牛をほったらかしたまま行けるんだろうかということにやはりなるわけです。田んぼのこれからの作付はどうするんだというところを総合的にやらないと、単に避難場所を用意して、ただです、移動手段もありますというだけでは避難をしていただけない。

 週末、仕事の関係で帰られるという人もいます。実は、双葉郡と柏崎市というのは近い関係にあります。それはなぜかというと、原子力発電所が東電なので、両方とももともと行き来をした関係にあって、仕事に近い人はそっちに来るということになりますので、学校、仕事の関係、こういったものも含めて包括的に、人にどう支援をするのか、期限はどれぐらいなんだということを出さないと、避難所を整備するだけでは難しいところがあるというふうに考えています。

赤澤委員 全くそのとおりで、時間の関係でちょっとはしょりながらいきますが、実は我が自由民主党の方で、今、政府・与党、官房副長官にもお届けをしている「ホッと・あっとHome」計画というのをつくっております。これは、一週間から一月の期間を限って、あるいは三カ月、半年以内、一年といったように期限を限ってそのニーズに対応していこうということでありまして、そういうふうに期限を限る形であれば、ニーズが恐らくあるだろうということを考えて取り組んでおります。

 今、まさに知事がおっしゃった日常生活のニーズを満たすために、とりあえず数十万円のお金を差し上げるということもあるわけですが、それだけでは本当に今回の場合、なりわいがどうなるんだ、こういうことであります。

 そこで、もう一つ御紹介しておきたいのは、我が自由民主党から緊急提言として政府・与党にお話をし、谷垣総裁から総理にお話をしているのは、思いやり基金というものであります。恐らく、知事のおっしゃったものと共通するのではないかというので御感想を伺いたいと思いますが、それは何かというと、単に生活再建支援基金ということだけでは足りない。もう一度仕事をやり直すには、すべてを失っているんだから、小さな自営業でも二、三百万円の開業資金に当たるものをぽんと被災者に直接お渡しできなければどうにもならぬだろう、そういう意味での思いやり基金であります。

 特に、例えば合板の事業とか漁業であれば、これはもう本当に大きな、産業単位でまた大変厳しい状態になっている。ここについては、むしろ今度は漁業、林業に着目したそういう使い勝手のいい、企業に直接渡せるような開業資金、先ほどの額より規模はもうちょっと大きくなろうかと思いますが、そういうものも積まなければ今回は難しい、そういう思いを強く持っておりますが、知事のお考えを伺いたいと思います。

泉田参考人 委員の御指摘はまことに的確だと思います。漁業をやられている方にサラリーマンになれというのは難しい、田畑を耕している方に商店街をやれというのも難しいということだと思っています。自分の今までやってきたものを再建できるような資金を用意する必要があると思います。

 ただ、高齢化が進んでいますので、新潟の例でいいますと、そこまでやっても三割ぐらいの人は、今回、これを機に脱落して引退するという方が出ると思います。若い人が、将来に希望のある人が事業を再建できる、自分の仕事にもう一回能力を発揮できる機会をぜひつくってさしあげるということが必要だと思います。

赤澤委員 ありがとうございました。

 それでは、次に、野田釜石市長にお伺いをいたします。

 先ほど、大変貴重な教訓をいただきました。防災教育、避難訓練ということ。それから、釜石港の約二キロの防波堤が六分、時間を稼いだ、堤防との合わせわざ。さらには災害の代替路の確保。端的に言えば、一つだけでは足りない、ハード、ソフトの組み合わせで防災をやっていかなきゃいけないという大変貴重な教訓を教えていただいたということであります。

 ソフト、ハードの合わせわざで対応していくに当たって、現行講じていた対応の組み合わせで十分なのか。今回被害に遭われた方も、いろいろな訓練をし、防災教育を施し、避難所についてもよく周知をして、そういうことで足りていくのか。あるいは一方で、今、一定の面積ごとに鉄筋の五、六階建ての避難ビルを新たに整備するなど、新たにハード、ソフトを、さらに対策をつけ加えた合わせわざでなきゃいけないという考え方も出ていると思うんですが、その辺についての市長のお考えを伺いたいと思います。

野田参考人 防災教育につきましては、やはりふだんからの訓練が必要ですし、今回は本当に、何百年に一回、千年に一回というふうな想定外の大きな被害でございました。しかしながら、避難場所に避難をする、そういう訓練があってこそ大勢の命が救われておりますので、今後も継続してこうした避難訓練には力を入れていかなければならないと思います。

 同時に、想定した訓練あるいは想定した被害というものは、あくまでも想定であって、それを超える災害がいつ起きてくるかわからないというところが今回の大きな教訓だと思います。したがって、避難場所も決して安全ではないんだ、その状況に応じてさらなる避難場所に避難をしていく、そういう意識を常に我々は次の世代に伝えていかなければならないということが一つでございます。

 それからもう一つは、やはりハード面におきましても、先ほど申し上げましたとおり、従来の考え方でいくと防波堤によって、あるいは防潮堤でその地域を守るという考え方できた地域もあるわけでございます。したがって、そういう場所、つまりエリアごとの状況というのが違いますので、私は、防波堤が必要な町もあります、防波堤がなくても暮らしていける町もあると思います、そういった地形ごとの、あるいはエリアごとの状況について、個別に対応できるような仕組みが必要だと思います。

赤澤委員 大変示唆に富むお話でありまして、千年に一度の災害でも起きるということでありますから、それを念頭に、最悪の事態は想定を超えるということで、ハード、ソフトの組み合わせ、合ったものを考え抜いて各自治体につくっていかなきゃいけない、そういうことだと思います。その決意で、今後も防災対策に臨んでいきたいと思います。

 それでは、平野村長にお伺いをいたします。

 大変効果があったという例の冊子でありますけれども、危機管理は最悪の事態を想定するという大変貴重な教訓だと思います。この冊子については、何が起ころうとどんと来いということで、村を捨てる事態まで想定して村長とその思いを共有し、そこまで心の準備をすることで、毅然として自信を持った対応がまさにできたということで、大変効果があったと思うんです。

 一方で心配になるのは、住民との関係では、これをオープンにすれば、そんなに事態は悪いのか、やはり村を捨てなきゃいけないのかと反発が出たり、大きな不安が出たりという事態はあり得たと思うんですが、この冊子は住民に対しては明らかにしていたものなのか、その辺のことについてちょっとコメントをいただきたいと思います。

平野参考人 それでは、私の方から。

 この冊子につきましては住民も全然存じてございません。知っているのは、私と村長と一部、三人程度でございます。

 先ほども言いましたけれども、我々が避難中、これが行政の四年五カ月を支えた本だ、私はこのように認識をしております。いずれにしても、平成十二年九月に我々は避難したわけですけれども、これができ上がったのが一年後ですから、もう既に中長期的に行政のあり方を我々は検討しておって、それがなければ我々としては支えにならなかったのかな、このように思っております。

赤澤委員 大変役に立った冊子だということで、本当に三宅村の住民の皆様はいい行政の幹部に恵まれたということで、その点は大変よかったなと思います。

 最後に、井ノ口参考人にお伺いをいたします。

 お話を伺っていると、私は、実は一時的二次避難の大きな障害がここにもやはりあって、ぜひ研究を進めていただきたいなという感じがしたわけであります。要は、遠隔地に行けば行くほど支援の情報が入ってこなくなるという不安と闘うということでございました。私も全くそこの問題意識を共有しております。

 そういう意味で、御研究の成果などとして、全国で一元管理をして、例えばインターネットのそこのサイトにアクセスをすれば被災者の台帳にアクセスができ、どこに避難しているかの情報がそこにある、そういったものを立ち上げて維持管理することの効果ははかり知れないというふうに思ったのでありますけれども、そこについての参考人のお考えを伺いたいと思います。

井ノ口参考人 おっしゃるとおりだと思っていまして、そういう仕組みをつくっていかなければいけないというふうに思います。

 ただ、それをつくるに当たって、先ほど来申し上げたセキュリティーに加えて、もう一つは体制の問題です。細かな情報を集めるためには個票という一番下のレベルから、集約をした上のレベルまで、必ずいろいろな方々がかかわられますので、そういうふうなテンプレートをつくりながら、各自治体の中で自治体の対応に生かすための情報をつくり、それが結果として皆さんの中で共有されるような枠組みという、二つを組み合わせていくというふうなところをしなければ実は実現ができません。

 今の技術的な問題では解決はできるものの、そういう体制面の仕掛けづくりと仕組みづくりというふうなところが今足かせとなっている部分だと認識しておりまして、そこを解決すれば、恐らく早期にでも動き得るのではないかというふうに考えております。

赤澤委員 引き続き、御指導をよろしくお願いしたいと思います。

 きょうの参考人の皆様のお話を参考にさせていただいて、委員長以下この委員会、全力で復旧復興に対応していきたいと思います。どうもありがとうございました。

 終わります。

原口委員長 次に、西博義君。

西委員 公明党の西博義でございます。

 このたびの東日本大震災に対して、大勢の皆さんがお亡くなりになり、また大勢の皆さんが被災をされました。お悔やみ申し上げますとともに、心よりお見舞いを申し上げたいと存じます。

 大変お忙しい中、野田釜石市長さん初め大勢の皆さん、このようにして当委員会においでをいただき、私どもの質問にお答えをいただくこと、心より感謝を申し上げたいと存じます。

 初めに、泉田知事にお伺いをしたいと思います。

 知事自身が、今回の知事会の災害対策特別委員会の委員長として大変御活躍、今までの新潟県下における災害というものを契機として、その知見を存分に発揮していただいているということに感謝を申し上げたいと思います。地理的にも近いし、避難されている方もたくさんいらっしゃるということで、大変御多忙だと思いますが、ぜひとも御活躍をいただきたいと思います。

 今回、主に東北地方それから関東の一部を襲った大地震、この地域の広さ、被害の大きさ、これは今までの災害とは大変違う特徴だと思いますが、そのことに対応して、知事会を中心とした自治体が大変活躍をしていただいている、このことがまた一方では大きな特徴だと私は思っております。

 今までは、国が、ある程度限定された地域の災害に対してどっと一元的に頑張るということは大変効果があったと思いますが、このように多様な、地震によるもの、津波によるもの、原子力によるもの、あらゆる災害が一度に起こった、この地域的な差もありますし、そのことに対応するためには、それぞれの自治体にきめ細かな支援をしていくことが大事だ。先ほど釜石の市長さんもおっしゃられましたように、状況が違えばまた対応の仕方も違ってくる。このことに対して自治体として、知事会初め、それぞれが全国的に支援をするということは大変大事なことだというふうに私は思っております。

 それであるがゆえに、青森からずっと千葉に至る自治体のそれぞれの被災者の市町村に対して、もう少しきめ細かな手だてができないかなということを常に思っております。少し手厚い支援ということになるかもしれませんけれども、それぞれの自治体が担当を設けるぐらいの気持ちで、もちろん、そこだけやればいいというのではなく、全体的にやるということも大事なんですが、例えば先ほどの職員の派遣なんかにいたしましても、ここに相談すれば、例えば戸籍の係も戸籍の係で、この職員を派遣すれば現場でそのまま活躍できるというような一対一の関係が築ければ、長期にわたってさらにうまくいくのではないかというふうな気持ちを持っております。

 このことに対して知事の御見解をお願いしたいと思います。

泉田参考人 委員御指摘の、広範囲かつ長期にわたる災害での支援の体制についてであります。

 四川大地震というのが中国でございました。このとき北京政府がとった措置は、それぞれの省がどこの町を支援するか一対一で決めました。これは対口支援というふうに呼んでいます。そして、それぞれの地域を復興させるために、まさに競争、国じゅうがオリンピックを前に競争するような形で必死で支援をしたということがありました。そのとき北京政府がしたのは、だれとだれがペアになって、そしてお金は幾らですかということを、財源を自由に与えて、さあ、皆さん頑張りましょうという形でやったわけです。これは有効だったというふうに考えています。

 今回、大変広い地域、そしてまた事情が違う自治体を支援する。これは、防災協定があるので個別でやっているところはあるんですが、残念ながら、日本の場合は資金使途を制約されている、地方財政計画で縛られていますので、余裕がありませんので、別途、セットで財源を与えていただいて対口支援というのは一つの考え方であるというふうに考えております。

西委員 先ほどからずっと議論がありますように、使途が限られた予算ということがここにも大きな課題として残っていると思います。先ほどの被災者の受け入れ都道府県に対する手当てとも絡んで、大変重要な御指摘だというふうに思います。

 それから、先ほど少し特区という話がございました。私は一つの復興の有効な手段であるというふうに思いますが、このことについてもう少し、お考えがあれば御指摘をいただきたい。同じ泉田知事にお願いしたいと思います。

泉田参考人 特区についてでございます。

 例えば災害救助一つとりましても、現行法でいきますと期間制限がございます。例えば、もう既に仮設住宅二年というような制約が喧伝されております。例外的に認めていただくということも可能なんですが、二年では無理、最初から三年という形になるだけで被災者は大変安心をするわけです。したがって特区を設定していただいて、ある程度現行法制とそごを来した場合でも、ニーズに応じて判断ができる仕組みというのが必要だと思っています。

 ちなみに、仮設住宅をさらに、三年を超えて等々やろうとすると、建築基準法が障害になって認められないというような、やってみないとわからないような規制があっちこっちで出てまいりますので、ぜひともこの特区制度というのはつくっていただいて、現場判断が、霞が関の制約から外れて被災者本位でできるような仕組みというのを構築していただけるとありがたいというふうに考えております。

西委員 ありがとうございました。

 続きまして、時間の関係で短くて申しわけないんですが、野田参考人、釜石市長さんにお伺いをいたします。

 大変な被害で、今後復興に向けて長い道のりがあるんだろうと思いますが、一時避難を終えて復興の段階でも、雇用といいますか仕事がどうなっていくのかということはやはり市民の皆さんは大変不安だと思いますし、まさしくそこが、あの三宅島のケースもそうだと思います。帰るきっかけというのは、やはり働く場がなければ、それは生活として成り立っていかないわけですから。

 この点について、先ほどちょっと製造業、これももちろん、有名な製造業の町でもありますし、それから漁業というふうにおっしゃいましたけれども、とりあえずの手だてとして必要なことというのは、市長さん、どういうふうにお考えでいらっしゃいますでしょうか。

野田参考人 正直言って、今避難されている方々にとりましては、一時避難もさることながら仮設住宅でございまして、一刻も早く仮設住宅をつくっていただきたいというのが避難されている皆さんの思いでございますので、ぜひ、まずそのことを実現していただきたいと思います。

 その上でこれからの復興というものについて考えていかなければなりませんが、とりあえず、瓦れき撤去を初め、こうした災害の救助と整理をしていかなければなりません。そこにかかわるさまざまな雇用というものをこれからつくっていかなければなりませんので、いわゆる緊急雇用対策を早急に我々も立ち上げていかなければなりませんが、国の方でもぜひその支援をお願いしたいと思います。

 ただ、その先もやはり見据えていかなければなりません。ただ、現状では、残されている方々は高齢者が多いわけでございますし、なかなか、すぐに製造業に戻る、あるいは水産業に戻るという状況にはないわけでございますので、そういう意味では、先ほど泉田知事さんがおっしゃっておりましたけれども、やはり特区というものをきちんとつくっていただきながら、特に企業の皆さんは、負債を抱えたりあるいはローンを抱えた中での災害ということでございますから、急に企業再建といっても、なかなか難しいところもあります。そう簡単にはいかないと思います。

 そういう点からも、経済特区をきちんとつくって、企業家の皆さんあるいはこれから事業を起こしたいという方々が積極的に参画できるような、そういう仕組みをぜひつくっていただきたいと思います。

西委員 もう一問お願いいたします。もう余り時間もなくなってきたんですが。

 先ほど一つ、ああ、こういうことかなと思ったのは高速道路の問題でございます。

 私、実は紀伊半島、和歌山県の出身でして、今までの在来の国道は、大体海抜三メーター、四メーター、五メーターのところをずっと町を縫って走っているんですが、その上に高速道路をつくろうと。まだ田辺という町までしかできていないんですが、この効率は、一つは災害のためというふうに言っているんですけれども、具体的にはどういうことになるんだろうとずっと疑問に思っておりまして、先ほどちょっとお話が出ました。

 そうしますと、やはり田舎のことですから、こまごまと、簡単なインターチェンジでも退避路としてつくるということが今後必要なのかなという気も今聞いていてしたんですが、高速道路というものが今回の災害にどういうふうな効果を及ぼしたというふうに思っていらっしゃるのか、お伺いをしたいと思います。

野田参考人 先ほど申し上げましたけれども、地震、津波が発生する前でございましたが、三月五日に、四・六キロの短い区間でございますけれども、完成をいたしました。実は、その道路が命の道路として大活躍をしたところでございます。先ほど申し上げました、小学校、中学校の生徒が避難したわけですけれども、最終的にはその道路を歩いて安全な場所に避難をしていただきました。また、地域の皆さんもその道路を使って避難できたということで、我々としては本当に感謝をしております。

 なぜそれが命の道路になったかと申しますと、三陸沿岸は、岩手県は、国道四十五号線という道路がございまして、これは海沿いです。リアス式海岸なものですから、海沿いを曲がりくねった道路としてずっと続いているわけでございますが、それが今回の津波によりましてあちこちで寸断をしてしまいました。その結果、その地域の皆さんは孤立をしてしまいました。自衛隊の皆さん初め救助隊の皆さんに救助されたわけでございますけれども、大方は孤立してしまったということを考えますと、我々が今申し上げていますのは三陸縦貫道のことでございますが、仙台から久慈、八戸までという三陸縦貫道が、今ミッシングリンクになりまして、途中少しずつしかできていません。その途中少ししかできなかった道路が、実は、命の道路として今活躍しております。

 ですから、先生がおっしゃっているとおり、インターチェンジを各地区に設けていただきながら、何かそういった災害があるときはそれを活用しながら、縦貫道を使っていただく。いわゆる高速道路は山の、内陸の高いところにつくっていただくということが必要だと思います。

 そういった基盤整備、インフラ整備がどうしても、三陸沿岸のこれからの復興にはぜひとも必要だということを申し上げたいと思います。よろしくお願いいたします。

西委員 次に、平野参考人にお願いをいたします。

 大変先々を見据えたシミュレーションをされていたということに対して、本当に感動を覚えました。今回もまた、特に原子力災害についてはある程度長期の避難というものも想定されますし、きのうはまた、計画的避難区域ということで新たな避難の地域が発生をしたわけで、三宅村のこのケースが大変参考になるのではないかというふうに思っております。

 それで、一つは、どこに避難いたしましても、やはり島民の皆さんの連帯というものが大変重要だ、これは村長さんのおっしゃっているとおりだと思います。さまざまな工夫をされておられます。いつになったら帰れるのかわからないなりに、日々の生活をいかに島民が希望を持って過ごしていけるかというのが大変重要なことだと思います。

 私が特に伺いたいのは、いつ帰れるかもわからない状態の中で、多分仕事も、本格的な仕事が必ずしもできる状態ではなく過ごしておられる方がたくさんいらっしゃったんだと思うんですが、その辺のところの、島民の生活に対する自治体としての援助といいますか支援といいますか、このことの実態についてお伺いをしたいと思います。

平野参考人 それでは、私の方からお答え申し上げます。

 まず、原発の関係で、我々の三宅の方まで七名の方が避難してきております、十歳の子供を連れて、高齢者を含んでですね。我々は、当然ながら、二〇〇〇年の噴火で全国から大変お世話になったわけですから、その経験を踏まえて、生活用品の三十一品目をそろえて、村営住宅に早速入れております。

 そういう意味で、我々、当時を振り返ってみますと、まずは生活実態ということでございますが、今避難している方々がどのようなことを思っているのかということで、避難してこちらへ来てからの実態調査を早速実施しまして、その中で、島民の皆様方の要望なりを含めて、農業者の方はどのようにやる、漁業者の方はどのようにやる、商業者の方はどのようにやるというような雇用対策といいますか、精神的な面も含んで行ったわけでございます。

 例えば農業の方々につきましては、八王子の都有地に、げんき農場というものをつくりまして、そこで三宅の特産品のアシタバとか里芋とかそういうものをつくらせて、ふるさとのにおいをいつまでも忘れさせないとか、それから、ゆめ農園というものを江東区にもつくりまして、我々をいじめた噴火から噴出した溶岩をベースにしまして、溶岩鉢ということで、それに苗を植えつけて、今までお世話になった方にイベントのときに配布してお礼をしたりとか、漁業の方につきましては、基地を下田港の方へ置いたり、友島の伊豆七島を母港にしまして、現地の三宅島周辺に行って漁をして四年半生活をさせていただいたというふうなことで、要するに、職業に合ったような形の項目で支援していった覚えがございます。

西委員 時間ですので、終わります。井ノ口参考人には時間がなくて大変恐縮でございます。

 以上で終わります。

原口委員長 次に、塩川鉄也君。

塩川委員 日本共産党の塩川鉄也でございます。

 参考人の皆様には、それぞれの立場から貴重な御意見を賜り、ありがとうございます。

 早速質問をいたします。

 野田参考人に、まず何問かお聞かせいただきたいと思っています。

 専門家の方のお話でも、被災地において必要なのがイショクジュウだと言われます。その場合のイというのは医療的なケア、またショクは職業、ジュウは住まいでありますが、同僚委員の質問の中から、就労ですとか住居の質問もありました。

 そこで、お尋ねしたいのが、心身ともに医療ケアについて、現状がどうなっていて、課題がどういうものがあるのか。その辺、現地の避難所の生活が一カ月以上にわたるという中で、保健師さんあるいは看護師、医師の方などのいろいろな支援もあると思うんですけれども、市長の立場で、そういう医療的なケアで今必要なことは何なのか、その点についてお感じのところをお聞かせいただけないでしょうか。

野田参考人 災害が発生した当初は、市の職員も不眠不休で、コンクリートの上で段ボールを敷きながら頑張ってまいりました。医師の皆さんも同様に、各避難所を回っていただきながら対応していただきました。この場をかりて厚く御礼を申し上げたいと思います。

 岩手県は、医師の確保、医師の招聘ということで従来から努めてまいりましたけれども、医師数が非常に少ない地域でございまして、いわゆる医師過疎、医療過疎という地域として今日まで至っております。そういう中で今回の災害が発生したわけでございますので、地域の皆さんにとりましては、今御指摘のとおり、大変大きな課題の一つになっております。

 幸い現在は、赤十字の皆さん初め大学の医師団の皆さん等々大勢の皆さんに、医療チームを組んでいただきながら沿岸の方に来ていただいておりますので、そういう意味では、現在は何とか確保されているのではないか、このように思っております。

 ただ、先ほど申し上げましたとおり、中核病院であります、直接名前を申し上げますと、うちの方では岩手県立釜石病院が地震のために三階、四階、五階が使えないという状況になっておりまして、入院患者は全部盛岡の方に搬送しております。それから、大槌病院は浸水しまして、これも使えない状況でございます。山田病院も使えません。陸前高田の病院も使えないという状況になっております。

 したがって、何とか今は応援していただける医師団の皆さんの協力によって保たれておりますが、これから今後のことが大変心配でございます。何とか、沿岸の場合は県立病院が中核病院になっておりますので、その中核病院の今後のあり方、地域医療を守るという視点からきちんと確保していただきたいと思いますし、また医師団の皆さんにおかれましても、ぜひこうした地域になお一層目を向けていただきながら、協力していただける仕組みをつくっていただきたい、このように思っております。

塩川委員 ありがとうございます。

 今後、まちづくりを考えた際に、住民の皆さんのさまざまな御要望、御意見を踏まえて取り組んでいかれることが必要になってくると思います。その点で、まちづくりに当たっての住民参加の仕組みづくりといいますか、こういうことについて、現状、いろいろ今後に目を向けるときに当たって、市長としてお考えのところ、行政の方で具体化しようと思っているところがございましたら、御意見をお聞かせください。

野田参考人 うちの市では従来から、地域会議という名前でもって、地域の皆さんの代表者が数十名集まりながら、地域のことは地域が主体的に取り組んでいこうという仕組みをつくってまいりました。しかしながら、今回の津波によりまして、ほとんど流された集落、あるいは半減した集落等々がございまして、まずもって、地域会議そのものが現在では機能していない状況にございます。

 しかしながら、先ほどお話がありましたとおり、これからの復興ということを考えていきますに、やはり地域住民のそうした主体性、自主性というのが最も大事なことになるだろうというふうに思っておりますし、地域の皆さんも、そういう思いの強い方々がたくさんおられます。商店街の皆さん、地域の町内会の会長さん初め、あるいは水産関係、さまざまな各団体の皆さんと断続的な会議を開いておりますが、そういった中でも、積極的な住民参加の復興委員会のようなものをつくって取り組んでいきたいという御意見がございます。

 私としては、そういった仕組みを早急につくっていきたいということで、実は昨日、ちょうど一カ月目ということでございましたので、今後のまちづくりの基本方針というものを、あらあらでございますが、市民の皆さんにもお示しさせていただいたところでございます。

 復興のためのまちづくり委員会を設置し、なおかつ、先ほど申し上げました、地域住民の皆さんの意見も大いに参考にするということで、そうした地域会議、復興委員会のようなものを立ち上げていきたい、このように考えております。

塩川委員 ありがとうございました。

 泉田参考人にお尋ねいたします。

 先ほどの意見陳述の中でも、被災地から多くの避難者の方、被災者の方、八千人の方を受け入れたというお話がございました。特に福島の原発事故の避難者の方が、かなりの人数で隣県に移ってこられております。

 そういったところで、こういった多数の避難者の方々について、短期間で戻れないような状況にあるといったときに、住居の確保ですとか、あるいは就労といっても、もとに戻って仕事をしたいという思いもある中で、なかなか選ぶに選べない、しかし当座の生活資金の確保も必要だ、そういった際に、被災地の県ではない隣県の新潟県としての支援のあり方ということについて、お感じのところがありましたらお聞かせいただけないでしょうか。

泉田参考人 まず、お尋ねの、被災された方をどう支援していくかということなんですけれども、お気持ちのところがあるので、時間的なプロセスの中で考えていく必要があると思っています。

 ほとんどの方、特に原発周辺から避難された方は、二、三日で帰るというおつもりで避難をして、それが、避難地区が順次拡大をされた結果、県外まで来ることになってしまった。まさに着のみ着のまま来られていらっしゃいます。したがって、これが中長期にわたるのか短期にわたるのかということがはっきり示されない中で職業をどうしますかというのは、相当聞きにくい課題になっております。

 今、県で始めていますのは、張り出しをしています。説明会を開催して一律にするというのではなくて、もう新潟でしばらく生活されるという方には、こういうところもありますという形で始めています。

 少し中長期で、例えば数カ月になるのか数年になるのかという見通しがあれば、また別な支援もできると思っています。これは阪神・淡路からの報告もあるのですが、だらだらといきますとアルバイトしか仕事につけない、これで生活設計、人生設計が狂ってしまうという方も出られますので、中長期であれば、例えば農地を提供していく、漁業ができるような空き家と漁船も提供するというさまざまな支援ができるのですけれども、これはやはり見通しが必要だと思っています。

 最後に一言、新潟県も実は今回、震度六の地震に遭っていまして、十日町・津南地域で被災者が出ておりますので、少し記憶にとどめていただけると大変ありがたいと思います。

塩川委員 ありがとうございます。

 次に、原発事故に関連して泉田参考人に伺いたいのですが、新潟県も、柏崎刈羽で一号機から七号機がございます。改めて、この原発事故を踏まえて、政府における原子力行政推進の経済産業省から独立した規制機関をつくる課題というのもありましょう。また、柏崎刈羽原発を一体どうしていくのか、こういうことも問われてくると思います。そういう点について、知事として今お考えのところがありましたらお聞かせいただけないでしょうか。

泉田参考人 まず、エネルギー政策につきましては、やはりしっかりと今後議論していく必要があるというふうに思っています。

 その前に、今回の原災法、原子力災害対策法なんですけれども、縦割りになっているということで、大変問題が多いと思っています。

 原子力の専門家が、半径何キロは避難しなさいという形、屋内退避をしなさいということになっているのですが、それが自治体と連動していない。特に南相馬の方なんて本当にどうしようもない状況だと思うのですが、屋内退避になりながら、そこに物資が届く仕組みというのを構築していない。まさに経済産業省から官邸には直接上がるのですが、ではその屋内退避をした人の生活をどう支えるのかという総合法体系になっていないという問題があるわけです。

 これは、期間の問題、遠距離に避難をされた人の生活をどう立て直すかということも一切考えていない、まさに原子力の観点のみの法律になっていますので、被災された方の生活を立て直すという法体系に直していかなければいけない。エネルギー政策というのは、そういった全般の中でいろいろなことも含めてやはり考える必要があるということだと思います。

塩川委員 ありがとうございます。

 続けて、泉田参考人と井ノ口参考人にお尋ねいたします。

 泉田参考人が、被災者支援のスキームの話として、物が壊れる程度に応じて被災者の支援内容が変わる、つまり住家の損壊状況によって被災者支援のメニューが変わってくる、そういう点でも、三月十一日時点で被災した人に着目した支援をという話がございました。

 また、井ノ口参考人が書かれました論文を拝見した中で、罹災証明書についての部分で、もともと罹災証明書は、一般的に、火災の被害を受けた際に保険金を受給するために、火災による被害の程度を示した証明書。災害発生時においてもこの仕組みが援用されており、行政より罹災証明書が発行され、災害によってどの建物がどの程度被災したかを証明するという話があります。

 つまり、現行の支援のあり方というのが、各種の被災者への支援メニューの活用範囲を定めるのが、住家の被害認定となっているわけです。その点が実際に現実とかみ合っていないんじゃないのか。例えば、長期の避難のような場合については、住家に損壊がなくても実際には困難な生活を強いられるわけですし、あるいは、首都圏などは、液状化の被害は大きいんですが、家屋はそのまま残っていて、しかし地盤が被害を受けて傾いてしまうというものについて、現行の認定というのがなかなか困難という問題もあります。

 そういう点でも、私、今回の大震災を契機に被害認定のあり方そのものを見直す必要があるんじゃないのかと考えているんですが、その点について、泉田参考人、井ノ口参考人にお尋ねいたします。

泉田参考人 今委員御指摘のとおりだと思います。物に着目をしても生活は立ち直りません。そこには、日々のなりわいをどうしていくかという観点も必要です。地域全体で復興させるにはどうしたらいいのかという観点も必要です。縦割りで、物の壊れ方による資金使途の総量を抑えるための制度が今、パッチワーク的に戦後積み上げられてきて、問題点を噴出しているという状況だと思いますので、ぜひ、人の生活をどう立て直すのかという観点での特別立法を今回していただければとお願い申し上げます。

井ノ口参考人 御指摘のとおりだと思います。今の罹災証明書はこうあるべきだということが明文化も基本的にはきっちりとされていなくて、結果的に、支援法だとかが適用される際に全壊だからこうというのが出てくるので、それで被害認定というのがされているのが現状かというふうに思います。

 ただ、建物被害だけではなくて、先ほど来お話も出ていますが、医職住との関連性だとか、もともといたところから離されることによってその後の生活が不安定になる、それが結局は災害に対しての被災だというふうなことを考えていきますと、必ずしも、おうちがつぶれるから生活が困難になり、それが被災者だというふうな枠組みでは今はとらえられにくくなってきているところです。

 今回の災害で一番最初に私どもが気にしていたことは、ではだれが被災者なのか、被災者とは一体何なのかという定義そのものの見直しをしていかないと、地震だから被災者、津波だから被災者というふうな枠組みだけではいかないのではないか。そういうふうなところも検討しなければいけませんし、その被災者定義をきちっとしなければ、皆さん自身が被災者なのかという判断あるいは認識というものがないと、その後の支援にもつながらないのではないかと考えているところです。

塩川委員 ありがとうございます。

 最後に一問、長期避難を経験されました三宅村の平野参考人の御意見を伺いたいと思っています。

 実際、避難をされる際には、すぐ戻れるつもりで皆さん移ってこられた。ですから、本当に当座のものしか持ってこられなかった。そういう生活が実際には四年五カ月も続いてしまったわけで、その際に、やはり地域で支え合うコミュニティーの維持というのは本当に重要だったということだと思います。

 その際に、そうはいっても、都営住宅であれ、広域での避難となった中で、コミュニティーを維持した、村民の方々一人一人をしっかりと支えるような、そういった体制づくりということで、居住場所の確保のあり方とかコミュニティー単位の避難のあり方の問題とか、その点について、今教訓とすべきものがあればお聞かせいただけないでしょうか。

平野参考人 当時、精神的な支援ということで我々が住民を支えてきたのは、二、三点、簡単にかいつまんで申し上げますが、まず、高齢者の支援センターの運営ということで、避難しております団地の中の一角の集会室を借りて、そこに高齢者を集めて情報提供をしていく。それから、看護師の訪問ということで、保母もそうですが、その人たちを中心に避難先を戸別訪問して、いろいろな情報提供、それからケアをしていくというような形。

 それから、まず一番最初にやったのが、情報連絡員制度ということをやりました。二十三区を含めて三多摩の方に、かなり広範囲の中で各団地に島民が避難しておりました。その中から、団地ごとに、A号棟のだれだれ、Aさんを情報連絡員と指名しまして、その人と行政とが太いパイプを結んで、情報をスピードを持って流していくというようなことで精神的なケアをした覚えがございます。

塩川委員 ありがとうございました。

原口委員長 次に、重野安正君。

重野委員 社会民主党の重野安正です。

 きょうは、参考人の皆さんにおかれましては、公私ともに何かとお忙しい中にもかかわらず本委員会に御出席をいただき、貴重な御意見を開陳される機会を得ましたこと、大変ありがたく、心から感謝申し上げます。

 時間が限られておりますので、早速それぞれ質問していきたいと思います。

 まず、泉田参考人にお伺いいたします。

 今回の震災は、過去に例を見ない大規模なものでした。復旧復興に向けた取り組みはまだ緒についたばかりです。どういう形で復興していくのかという枠組みすらまだ描けていない。今その段階に入っているということです。

 こうした状況の中で、知事会として緊急要請をまとめられました。その中で特に私が関心を持ったというか気になった点は、復興について、特別交付税措置ではなく普通交付税措置とすべきという内容の提言が行われています。

 そこで、どのような理由から特別交付税ではなく普通交付税を要請されているのか、そこのところの経過と、そして方向性を教えていただきたいと思います。

泉田参考人 知事会でまとめました交付税措置についてでありますけれども、現在、国の地方財政計画は、国の予算、これは補助金それから交付金といってもほとんど一緒なんですけれども、それが決まると、それぞれの自治体の裏補助が充てられまして、事実上、自主財源というのはほとんどない状況であります。すなわち、国の予算ができると地方の予算もほぼ決まってしまうという状況になっています。

 これと違って、まちづくりをしようとすると、これは一年で終われば特交でもいいのかもしれませんが、長い期間、数年から十年以上のものがかかるだろうという中で、それも被災地プラス長期間避難者ということを国全体でサポートするためには、通常の行政需要にプラスとして発生してくるものを自治体に入れていただけないかということです。

 震災関連に限って別枠で交付税率を引き上げていただかないと、例えば高齢の方を引き受ける、それから病気の人を引き受けるということになると、一時で終わらなくて、その後ずっと、今度は引き受けの自治体で行政需要が発生してまいります。また、場合によっては、仮設住宅をつくる、新たな復興住宅をつくるということになると、これも行政需要が発生してくるということですので、通常業務の一部に被災者支援というものが入ってくる可能性がありますので、そこを別枠で措置していただけないかと、交付税率の引き上げをお願いしたところでございます。

重野委員 今知事の申されましたことというのは、国と地方の関係、税財政の関係等々全般にかかわる問題ですね。特に、このような想像を絶する大事故といいますか大事件といいますか、それが起こったときに、それに対する地方としての対応の仕方というもの、そういう意味での自由度というのをやはり高めていく、そういう点は私もそうだなというふうに考えるんですが、これは、今後の国と地方の税財政関係の大きな変更というか組みかえが当然行われてくるんだろう。そのときに、今回のような、また新潟もかつては大きな地震を受けた県でもありますので、やはり現場の生々しい声というものを反映することは大変大事だろうと思うので、そういう意味でひとつ頑張ってほしいと思います。

 次に、野田市長さんにお伺いいたします。

 現在の釜石市の自治体機能の状況はどうなっているんだろうかということが一つ。そういう状況の中で、現在最も緊急に取り組むべき課題は何なんだというふうに野田市長さんは考えておられるか、お聞かせください。

野田参考人 先ほど申し上げましたとおり、職員は大体四百名ほどおりますけれども、そのうち百名の家屋が流失しております。四名の職員が亡くなっております。もちろん、百名の家屋が流れておりますから、その家族の皆さんも、まだ行方のわからない方、あるいは亡くなられた方がおられます。そういう中で、いまだ落ちつかない状況の中におられますし、職員の皆さんも、先ほど申し上げましたとおり、まだ市役所が使えませんので、別な場所を活用して今業務を、災害対策本部を設置して、コンクリートの上で段ボールを敷きながら毎日頑張っております。

 そういう状況でございますので、いわゆる通常業務というものが成り立ちませんでした。四月一日でございましたが、市役所とは別な場所にございますところで、住民票あるいは印鑑証明書等の一部の業務を再開することができました。これからさらにそうした枠を広げながら、四月二十日前後になろうかと思いますが、窓口業務を拡大できるよう、今全力を尽くしているところでございます。

 ただ、我々の今の最大の業務は、やはり何といっても被災された方々が安心して生活できる場を提供するということが最大のテーマでございますので、まずは避難場所の確保、そしてまた衣食住をきちんと提供する仕組みをつくっているところでございます。

 したがって、避難場所におられる方々の一番の最大の希望が、先ほども申し上げましたとおり、仮設住宅でございます。

 先ほど一時避難の話もございましたが、当初、釜石市では九千人ほどの避難者がございました。今、三千五百人ほどに避難場所での避難者数が減少しております。と申しますのは、五千人ぐらいの方々が、親戚のうちとか、あるいは知人、友人のうちに移動しております。あるいはまた、先ほど申し上げました内陸への一時避難ということで、温泉地だとか保養所にも五百名ほど移動しております。

 そういう状況でございますが、避難場所におられる方々の最大のテーマは、早く仮設住宅をつくっていただきたいということでございまして、我々としても、何としても、一刻も早く避難されている方々が安心できる場を提供するということが一番のテーマになっております。そのことが同時に行政機能の復活にもつながっていきますし、他の県あるいは他の市町村からも大勢の職員の応援をいただきながら、いわゆる通常業務をこなしながら、そうした被災者の皆さんの支援態勢を構築していかなければならない、このように思っているところでございます。

重野委員 市役所の職員も不眠不休の努力を求められるわけですね。こういうときに、往々にして、市役所の職員は私を捨ててみたいな言い方がされるんですね。自分の身内の中にも行方不明あるいは死んだという方もおられるわけですよね。ですから、やはりトップとして、市長、町村長さん、トップの方は、そこ辺のところを、職員のそういう思いというものを、多分口には出さないと思うんですけれども、しっかり受けとめて配慮することが復興に向けてのエネルギーにつながっていくという点はぜひひとつ受けとめて、頑張ってほしいなと思います。

 次に、平野村長さん、三宅島の経験を語っていただきました。まあ二、三週間で帰れるだろうと思ったところが、気がついたらもう四年にもなる、こういうことですね。そういう中で、村長さんとして、村民の団結といいますか、つながりといいますか、そういうものを維持しようというところに心を配ることが大変大事なことだと思うし、そういうことをやられたんだろうと思いますけれども、結果として、三千八百人の島民が二千八百人に減った、こういう報告もございます。

 そこで、地域の連帯とかつながりとか、そんなものを維持するためにどういうふうな御苦労をされたのか、村長さんとして、また村の職員として、それぞれがどういう行動あるいは動きをやられたのか、お聞かせいただければありがたいと思います。

平野参考人 まず、私もこの歳で噴火の経験を三回ほどしておりまして、中学三年生のときに一度、これは千葉県の方に学生で避難もしました。それから、五十八年の噴火、阿古地区という地域がございますけれども、そこが、三百四十棟が一瞬のうちに溶岩で埋まったという覚えもありまして、そのときは役場の職員でございました。それから、今回の二〇〇〇年の噴火でございます。

 つながりということで、一口で言えば、やはりふるさとを思う強い気持ちを住民の方々にどのように植えつけていくかということが行政に宿された大きな使命だな、このように思っているところでございます。

 いずれにしても、我々が非常に苦労したのは、情報提供が少なくてということで、かなりの数が各団地に散らばっておりますから、住民説明会ということもやったりしたわけですが、なかなかそれだけでは避難生活もうまくいかないということで、当時、職員を三宅島の方に派遣してビデオを撮ってきて、ビデオレターというのですか、そういうものを見せて、Aさんのうちは現状はこうなっていますよ、Bさんのうちはこうなっていますよと。そういうような仕組みでいつまでも三宅島と避難先とのつながりを持たせていくということで、同じ被災者でありながら職員にも非常に苦労をかけたな、このように思っているところでございます。

 いずれにしても、我々は、そのレター作戦は、ふるさとを思うつながりとしては成功したな、このように考えております。

重野委員 今度の地震と三宅島、ボリュームの点において横並びで比較することはなかなか難しいと思うんですが、今村長さんが申されましたそういうふうな経験と、こうしたらいいよというふうな話というのは、やはり私は、今度の被災地域の首長さんと積極的に意見交換をする場に出ていただいて、そういう役割を担って奮闘していただきたいな、このように思います。

 最後に、井ノ口先生にお伺いいたします。

 先生は、災害時の情報システム、被災者台帳システムについて研究されている、こういうふうに聞いております。

 今回の震災は、大規模な津波による被害が顕著でした。この津波で役場の例えば住民基本台帳などの大事な宝が消失をするわけですね。そういう基盤台帳が毀損をした、そういう自治体もたくさんあるわけです。

 参考人が研究されております被災者台帳システムの構築に当たって、こうした基盤台帳の毀損がどのような影響を与えると見ているか、お話しいただければありがたいです。

井ノ口参考人 私の方のシステムで提案していた情報の取り込みとして住民基本台帳というのを位置づけていたんですけれども、それは、あくまで被災者の多くは住民であるだろうという仮定のもとで、その方々の情報をある程度手元に置いておくと対応が早くできるだろうということでやらせていただきました。

 ただ、では、それを裏返して、住民基本台帳がない場合があるというふうに思います。ない場合にも二種類ありまして、一つはバックアップを持っている場合というのがありまして、大体、行政に入られているいろいろな企業さんは、大きな企業が入っているとバックアップを持っているんですが、それがどうしてもないというケースがあります。

 バックアップがあればそれを取り込めば結構だと思いますが、バックアップがない場合については、さまざまな公共事業体と連携をし、この方々が、例えば電気を使われていたというのもそうですし、あるいは水道がどうだ、ガスがどうだということも含めて、郵便局の情報でも結構だと思うんですが、そういう方々がお持ちの情報をうまく組み合わせて、ここにはこういう方がおられたはずだというふうなもので、ある種補完するような形ですね、住民基本台帳のかわりの台帳というのをつくっていかなきゃいけない。そのときには、どうしても公平性を守らなきゃいけない、厳格な審査というか、きちっとした基準というのをつくらなければいけませんが、そういうもので補完することは可能かというふうに思います。

重野委員 そういういろいろなデータを持っている企業体であるとか団体がこの被災、災害をどう克服するか、そのために我々がどういうことを協力できるのか、こういう共通の土俵をつくっていくことが大事だな、このように思います。

 示唆に富むお話をいただきまして、ありがとうございました。以上で終わります。

原口委員長 次に、柿澤未途君。

柿澤委員 みんなの党の柿澤未途でございます。

 きょうは、四人の参考人の皆さん、お忙しい中、お疲れさまでございます。特に釜石市長の野田市長さんには、今回、本当に震災対応の大変な中、お越しをいただきました。

 実は、きょうの十二日の参考人質疑が最初に議論をされたときは、被災地からは一人もお招きをしないという方向性で議論をされていたと思います。私は、それではやはりいけないんじゃないかというふうに思いまして、いろいろと黄川田先生にも御相談をさせていただいて、岩手県の釜石市長がちょうど十三被災市町村の復興期成同盟の会長をお務めになられているということで、黄川田先生から釜石市長に御連絡をとっていただいて、きょう御出席が実現をした、こういう経過でございました。

 私自身が、四月二日、三日と、宮城県の石巻市から岩手県の大槌町に車で四十五号線を北上して、石巻と大槌両方で炊き出しの支援活動を行わせていただいたんですけれども、四十五号線沿いの沿岸部の大変な甚大というか壊滅的な被害の状況をこの目で目の当たりにしまして、言葉を失うような思いでありましたし、また大槌町では東梅副町長ともお会いさせていただいて被災地の実情をお聞かせいただきましたので、そういう意味で、今回何としても、大変な中ではありましょうけれども、被災地からどなたかお越しをいただいて、今の現状をみずからの言葉で語っていただきたい、こういうふうに思ったところであります。

 先ほど陳述をいただきましたけれども、野田市長は、ある意味では思いを大変抑制しながらお話をされていたと思いますし、また行政の長として、行政上の必要に応じたお話をされたように思います。

 私は、この東京で、今、各党・政府震災対策合同会議の実務者会合に、今行われていますからきょうは代出ですけれども、連日出席をさせていただいておりまして痛切に感じるのは、被災地の現地と、東京で議論をしている私たち政治家や官僚との温度差なんです。被災地の惨状と、また被災に遭われた方々のつらく苦しい状況、一カ月たってもまだ続いていると思います、こうした状況を、私たちが本当に受けとめて、わかっているのかな、こういうふうにも感じております。

 そういう意味で、冒頭に野田市長から、今回の震災と津波被害、そしてその後の状況を一人の人間としてどう見て、そして何を思っておられるかということを改めてお聞きしたいというふうに思います。お願いします。

野田参考人 まず、本日、このような席にお招きをいただきました。まことに感謝を申し上げたいと思います。

 先ほど先生がおっしゃったとおり、我々の現場ではいまだに、亡くなった親族、家族を捜し回っている姿があります。住民の皆さんの気持ちは、まだまだ落ちつきを取り戻している状況にはございません。皆、それぞれの思いを持ちながら、表には、涙を流すこともなく、淡々としているように思いますが、その心の中は本当に涙でいっぱいだと思います。声になりません。現場を見ない方には、多分この気持ちがわからないと思います。

 先ほど黄川田先生のお名前が出されましたけれども、衆議院議員黄川田先生の御家族も亡くなられております。大勢の方々が亡くなりました。非常に残念でなりません。町の中枢が失われ、大勢の家が流され、たくさんの人が亡くなりました。

 今ここで復興という言葉を使える状況にはありません。先の話ができない状況にあります。したがって、私たちは、被災された方々が安心できる場を提供することがまずは一番重要だということ、きょうはぜひそのことを申し上げたいと思って参りました。そしてまた、次の世代の皆さんが、この被災された土地でこれからも生活ができるんだ、この地で生きていくことができるんだという希望をぜひ国の方からお示ししていただきたい、そのことを訴えに参りました。

 まだまだ復興という言葉を使う時期ではありません。我々の現場ではまだ使えない状況です。しかし、復興という言葉を使わなければ前に進めません。国においては、どうぞ、専門的な知識のある方々、経験のある方々が英知を絞って、この被災した地域の復興のために、そしてまた亡くなられた方々の思いを次の世代に教訓として残しながら、この地がさらに一層発展されますことを心からお願い申し上げたい、このように思っております。よろしくお願いいたします。

柿澤委員 大変胸に迫る言葉をいただいたと思います。

 私が被災地の現場でお伺いをした話、また、実際に私たちのみんなの党の仲間で、本来、四月の統一地方選挙、県会議員選挙に向けて活動していた方、まさに街宣中の宣伝カーで地震に遭って、そのまま高台に逃げて免れた気仙沼の境さんという県会議員候補がいます。今、現地でいろいろな情報収集をして私のところに寄せてくださっていますけれども、とにかく必要なのは仮設住宅であり、また当座の生活資金としての現金が欲しいんだ、こういうことを聞いております。

 きのうもいわゆる実務者会合で、義援金の配分について話がありました。義援金の配分基準がようやく配分委員会で決定をした。しかし、家屋の全半壊の被害認定調査を前提にすることによって、今、家屋被害四十五万戸と言われている中で、認定調査を行って全半壊という認定を得たのはまだ五万戸程度だというふうに言われておりますから、そういう意味では、自治体の機能も喪失をして職員が認定調査に行くこともできない、そして敷地から家が流されて家族も大半が失われて、こういう形で認定調査がままならない、こういうところに一番最後に義援金が行くことになってしまう、このやり方ではだめなんだということを私は申し上げているんです。

 一律に現金を今避難生活を送っている方々に当座の生活資金として、公平性とか難しい問題は抜きにして、いわばえいやと配ることが今必要だと思いますけれども、釜石市長、どのように思っておられるでしょうか。

野田参考人 まず、安心して生活できる場としての仮設住宅の話を先ほど申し上げました。そしてまた同時に、そこで生活する上では、どうしてもやはり生活資金がなければ生活できません。そういう意味では、先生がおっしゃっているとおり、当座の生活資金としての義援金の配分は、被災された皆さんが一様に望んでおられることだと思います。

 被災から既に一カ月たちました。着のみ着のままで逃げて、下着もそのままだと思います。着ている服もそのままの方がたくさんおられます。そうした方々にやはりきちんとした形で、一つ一つ国の思いが伝わるような政策が必要だと思います。

 今、仮設住宅が必要だと被災者が思っているのであれば、きちんとそれにこたえられるような、実現できるような工夫が必要だと思います。今、生活資金で困っているというのであれば、直ちに資金を提供していただきたい。そういうことが必要なときに、必要な手だてがスピーディーに行われるということが今必要だと思います。ぜひ御協力をお願いしたいと思います。

柿澤委員 家屋全半壊認定を前提とする義援金の支給であるとすると、その認定がおりているということは、被災者生活再建支援金も百万、三百万出せる。こういう状況になって義援金が出ても、プラスアルファにはなりますけれども、それではなくて、今すぐだということを私は申し上げているんです。五月の連休前には支給をしたいとか悠長な議論をしているのが今の実務者会合の状況だということを、本当に残念なことだと思っております。

 国道四十五号線を北上して、釜石市で一つの光景を目にしました。両石町の地区で、防波堤が津波でやられて、あれは六、七メートルぐらい厚さがありましたでしょうか、本当にさいころのように転がっているというか、海の中で傾いた状態で、コンクリートの塊が用をなさない形で突き出している、そして、その防波堤に守られていたはずの両石地区は津波で完全にさらわれて壊滅している、こういう状況を見ました。

 防波堤は津波が押し寄せるのを時間的におくらせる効果は大変あったと思いますし、こうした備えが不必要だというふうに私は申し上げませんが、しかし、本当にこうした工学的な考え方で津波の被害、一部には三十メーターに及ぶこの津波を食いとめることができるだろうか、こういうふうにも思います。

 宮古市の姉吉漁港の話がよく出てまいりますが、昭和八年の三陸大津波で被害に遭って、六十メーターの高台に集落ごと移転をした。石碑を立てて、高き住まいは児孫の幸せでしたか、ここより下に家を建てるな、こういう石碑を立てて、今回津波が押し寄せてきて、その五十メーター手前でとまった。五十メーター手前までは津波にのまれたけれども、三陸大津波で集落移転した姉吉の地区は生き残った、こういうことが言われています。

 菅総理が先日記者会見で、高台居住という考え方をお示しされました。皆さんには高台に住んでもらって漁港に通うなりしてもらって、そして新しい町をつくるんだ、これが復興の考え方だと総理はおっしゃられています。一方で、沿岸部のもともと住んでいた場所に地元の皆さんは愛着も持っていらっしゃると思うんです。津波がまた来たらどうしようという思いを抱えながらも、しかし、そこの地域で、高台ではなくて、こういう思いもあると思います。

 こうしたことをさまざまに比較考量しながら、地元の意見を大切にこれから復興を考えなければならないと思いますが、この菅総理がお示しになられた、またさまざまな専門家もおっしゃっている、高台にみんなで移転して集落をつくるという考え方について現時点でどういうふうにお考えになられているか、市長にお伺いしたいと思います。

野田参考人 先ほどから申し上げておりますとおり、それぞれの地形があり、またそれぞれの地域の皆さんの考え方もあるわけでございますから、今回被害を受けた地域がみんなそろって高台に移住するというふうなことは考えられません。

 今、菅総理がおっしゃっているとおり、高台に集落をつくるということも一つの方法だと思いますし、またそれが適切な場所もあると思います。すべてがそうしなければならないというのは非常に難しい考え方だと思います。考えとしては非常にわかりやすいし、現実的にはそうだと思いますが、ただ、海で生活をしてきた方々、海とともに生活をしてきた方々がどのぐらい離れた距離の高台に住むのかということも考えていかなければなりません。また、高台を造成できるような、そういう地形がある場所ならそれも可能だと思いますが、必ずしも三陸沿岸は皆そうだとは思えないところがございます。

 こうしたことは、やはり専門的な見識のある方々が地形あるいはそういった状況をよくお調べになりながら、そういうふうな、高台に住居を集合した方がいいんだという場所があるのであれば、それは大いに結構だと思います。あるいは、そうでないやり方もあるのではないかというふうなことを、やはり地域の皆さんの声をよくお聞きになりながら、ぜひ、そういった地域の自主的な、主体的な取り組みということも尊重しながら、先ほど冒頭に話がございましたけれども、国の方でどういう形がいいのかということを何種類かパターンをお示しになって、それぞれの自治体がそれに合わせたこれからの復興計画をつくっていくべきではないか、このように考えております。

柿澤委員 御答弁をいただいている間に時間が来てしまいました。本当は泉田知事にちょっとお伺いをしたかったことがあって、現地のニーズに合わせて制度を柔軟に運用する、そして使途を定めない基金のようなものを活用して、現場のニーズに即してお金が使えるようにする、これは全部、考えてみると、道州制につながるような考え方なんじゃないかなというふうに思うんです。

 現場で分権をして、そして広域政府が地域のニーズを踏まえて自主財源で施策を行っていく、実は今回、そうしたことがやはり必要なんじゃないか、こういうことを考え方として提示している、示唆しているものではないかというふうにも思います。

 御答弁をいただきたいですけれども、これ以上委員会の審議をおくらせるわけにもいきませんので、私の意見だけ申し上げて、終わらせていただきます。ありがとうございました。

原口委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。

 この際、参考人各位に一言御礼を申し上げます。

 参考人の皆様におかれましては、貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表して厚く御礼を申し上げます。本当にありがとうございました。(拍手)

 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。

    午前十一時五十三分散会


このページのトップに戻る
衆議院
〒100-0014 東京都千代田区永田町1-7-1
電話(代表)03-3581-5111
案内図

Copyright © Shugiin All Rights Reserved.