衆議院

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第5号 平成13年3月9日(金曜日)

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平成十三年三月九日(金曜日)

    午前九時三十三分開議

 出席委員

   委員長 高市 早苗君

   理事 岩永 峯一君 理事 鈴木 恒夫君

   理事 田野瀬良太郎君 理事 渡辺 博道君

   理事 平野 博文君 理事 藤村  修君

   理事 西  博義君 理事 都築  譲君

      青山  丘君    小渕 優子君

      岡下 信子君    嘉数 知賢君

      杉山 憲夫君    谷垣 禎一君

      谷田 武彦君    谷本 龍哉君

      馳   浩君    林 省之介君

      水野 賢一君    宮澤 洋一君

      森岡 正宏君    森山 眞弓君

      大石 尚子君    鎌田さゆり君

      葉山  峻君    肥田美代子君

      牧  義夫君    松沢 成文君

      山口  壯君    山谷えり子君

      山元  勉君    池坊 保子君

      斉藤 鉄夫君    武山百合子君

      石井 郁子君    矢島 恒夫君

      中西 績介君    山内 惠子君

    …………………………………

   議員           山元  勉君

   議員           藤村  修君

   議員           山口  壯君

   議員           石井 郁子君

   議員           山内 惠子君

   文部科学大臣       町村 信孝君

   文部科学副大臣      河村 建夫君

   文部科学大臣政務官    池坊 保子君

   政府参考人

   (文部科学省生涯学習政策

   局長)          近藤 信司君

   政府参考人

   (文部科学省初等中等教育

   局長)          矢野 重典君

   文部科学委員会専門員   高橋 徳光君

    ―――――――――――――

委員の異動

三月九日

 辞任         補欠選任

  児玉 健次君     矢島 恒夫君

同日

 辞任         補欠選任

  矢島 恒夫君     児玉 健次君

    ―――――――――――――

三月八日

 公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律等の一部を改正する法律案(山元勉君外四名提出、衆法第五号)

 公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律等の一部を改正する法律案(内閣提出第二〇号)

同月九日

 私立専修学校の教育・研究条件の改善と父母負担軽減に関する請願(石井紘基君紹介)

 (第四七七号)

 同(海江田万里君紹介)(第四七八号)

 同(城島正光君紹介)(第四七九号)

 同(中津川博郷君紹介)(第四八〇号)

 同(不破哲三君紹介)(第四八一号)

 同(山口富男君紹介)(第四八二号)

 同(川田悦子君紹介)(第五二五号)

 同(保坂展人君紹介)(第五九一号)

 すべての子供たちに行き届いた教育に関する請願(石井紘基君紹介)(第四八三号)

 同(海江田万里君紹介)(第四八四号)

 同(城島正光君紹介)(第四八五号)

 同(中津川博郷君紹介)(第四八六号)

 同(不破哲三君紹介)(第四八七号)

 同(山口富男君紹介)(第四八八号)

 同(川田悦子君紹介)(第五二六号)

 同(山口富男君紹介)(第五二七号)

 同(保坂展人君紹介)(第五九二号)

 行き届いた教育を進めるための私学助成の大幅増額等に関する請願(玉置一弥君紹介)

 (第四八九号)

 すべての子供に行き届いた教育等に関する請願(塩川鉄也君紹介)(第四九〇号)

 同(矢島恒夫君紹介)(第四九一号)

 同(塩川鉄也君紹介)(第五一五号)

 同(矢島恒夫君紹介)(第五一六号)

 同(大島敦君紹介)(第五五一号)

 同(松本善明君紹介)(第五五二号)

 私学助成の大幅増額など教育関係予算の拡充に関する請願(達増拓也君紹介)(第四九二号)

 同(菅原喜重郎君紹介)(第五一八号)

 同(松本善明君紹介)(第五一九号)

 私学助成の増額、すべての子供に行き届いた教育に関する請願(春名直章君紹介)(第五〇三号)

 小・中・高三十人学級実現、私学助成の抜本的改善、障害児教育の充実に関する請願(山口わか子君紹介)(第五〇四号)

 すべての子供に行き届いた教育の実現に関する請願(中林よし子君紹介)(第五〇五号)

 行き届いた教育、私学助成の大幅増額等に関する請願(大幡基夫君紹介)(第五〇六号)

 教育費の父母負担軽減、教育予算の大幅増額に関する請願(石井郁子君紹介)(第五〇七号)

 同(吉井英勝君紹介)(第五〇八号)

 私学助成の拡充と三十人学級の実現に関する請願(佐々木憲昭君紹介)(第五〇九号)

 すべての子供たちに行き届いた教育、心の通う学校に関する請願(赤嶺政賢君紹介)(第五一〇号)

 同(大森猛君紹介)(第五一一号)

 同(木島日出夫君紹介)(第五一二号)

 すべての子供に行き届いた教育、私学助成増額に関する請願(不破哲三君紹介)(第五一三号)

 小中高三十人学級実現、行き届いた教育に関する請願(瀬古由起子君紹介)(第五一四号)

 文教予算の増額、行き届いた教育実現に関する請願(藤木洋子君紹介)(第五一七号)

 国立大学病院の看護婦の増員に関する請願(川田悦子君紹介)(第五二〇号)

 私学助成の抜本的な拡充と三十人学級の早期実現に関する請願(穀田恵二君紹介)(第五二一号)

 教職員をふやし、小中高三十人学級の早期実現等に関する請願(児玉健次君紹介)(第五二二号)

 すべての子供に行き届いた教育、私学助成大幅増額に関する請願(志位和夫君紹介)(第五二三号)

 私学助成大幅増額と三十人学級の早期実現に関する請願(小沢和秋君紹介)(第五二四号)

 行き届いた教育の充実に関する請願(肥田美代子君紹介)(第六一三号)

は本委員会に付託された。

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 政府参考人出頭要求に関する件

 参考人出頭要求に関する件

 公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律等の一部を改正する法律案(内閣提出第二〇号)

 公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律等の一部を改正する法律案(山元勉君外四名提出、衆法第五号)




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     ――――◇―――――

高市委員長 これより会議を開きます。

 内閣提出、公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律等の一部を改正する法律案及び山元勉君外四名提出、公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律等の一部を改正する法律案の両案を一括して議題といたします。

 両案について順次趣旨の説明を聴取いたします。町村文部科学大臣。

    ―――――――――――――

 公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律等の一部を改正する法律案

    〔本号末尾に掲載〕

    ―――――――――――――

町村国務大臣 このたび、政府から提出いたしました公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律等の一部を改正する法律案について、その提案理由及び内容の概要を御説明申し上げます。

 社会経済や科学技術の急速な発展が予想される二十一世紀を迎え、豊かな人間性と創造性に富み、みずからの能力・適性、興味・関心等に応じて主体的に行動できる人材を育成していくためには、学校教育において、基礎学力の定着の上に児童生徒一人一人の可能性を余すところなく発揮できるよう、個に応じたきめ細かな指導を推進することが不可欠であります。

 この法律案は、児童生徒の基礎学力の向上ときめ細かな学習指導の充実を図るため、平成十三年度から平成十七年度までの五年間で、少人数指導の実施のための教員配置等を主な内容とする教職員定数の改善を図ることとするとともに、教育の地方分権を推進し児童生徒の実態に応じた学校教育の充実を図るため、都道府県教育委員会の判断により、学級編制の基準の弾力的な設定等を特例的に可能とし、また、常勤の教職員定数を活用して非常勤の講師等を配置できるようにするものであります。

 次に、法律案の内容について御説明いたします。

 まず第一は、公立の義務教育諸学校及び公立の高等学校等の教職員定数の改善であります。公立の小中学校の教職員定数の標準について、学級とは異なる学習集団により少人数指導が行われる場合には教職員の数を加算できることとするとともに、公立の高等学校の教職員定数の標準についても、少人数指導を充実するための教職員の数の改善等を行うこととし、あわせて公立学校の教頭及び養護教諭の複数配置基準、公立の小中学校の学校栄養職員の配置基準、公立の特殊教育諸学校の教職員の配置基準の改善等を行うこととしております。

 第二に、公立の義務教育諸学校の学級編制の基準について、都道府県教育委員会の判断により、児童生徒の実態を考慮して特に必要があると認める場合には、国の定める学級編制の標準により定められる数を下回る数を、その場合の基準として特例的に設定できることとするとともに、公立の高等学校等の学級編制については、設置者の判断により、生徒の実態を考慮して特に必要があると認める場合には、国の定める学級編制の標準を下回る数により学級編制を特例的に行うことができるようにすることとしております。

 第三に、公立の義務教育諸学校に非常勤の講師を置く場合には教員の定数を活用できることとし、その報酬等は都道府県が全額を負担し、国がその二分の一を負担することとするとともに、公立学校に再任用短時間勤務職員を置く場合にも教職員の定数を活用できることとする規定を整備することとしております。

 このほか、公立の高等学校の設置主体を都道府県及び一定の基準に該当する市町村に限定する規定を削除するなど、所要の改正を行うこととしております。

 最後に、この法律案は、平成十三年四月一日から施行することとしておりますが、その実施については、改正後のこの法律の標準に漸次近づけることを旨として、必要な経過措置を設けることとしております。

 以上が、この法律案の提案理由及びその内容の概要であります。

 何とぞ、十分御審議の上、速やかに御賛成くださいますようお願いを申し上げます。どうぞよろしくお願いをいたします。

高市委員長 山元勉君。

    ―――――――――――――

 公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律等の一部を改正する法律案

    〔本号末尾に掲載〕

    ―――――――――――――

山元議員 民主党の山元勉でございます。

 私は、民主党・無所属クラブ、日本共産党及び社会民主党・市民連合の提出者を代表して、ただいま議題となりました公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律等の一部を改正する法律案について、その趣旨及び主な内容について御説明申し上げます。

 現下の我が国の社会構造は、グローバル化や科学技術の高度化、複雑化等に伴う価値観の多様化など、大きな変革の中にあります。この社会の変革の波は、当然のように学校教育にも押し寄せてきており、新たな時代に適合した今後の教育のあり方が模索されてきているところであります。

 これまで、我が国の学校教育は、画一的に知識を教え込むことに重点が置かれ、知識の量を競う受験競争がこれを一層助長してきました。そのため、子供たちがみずから学び、思考力や判断力、創造力を養う教育、豊かな人間性をはぐくむことへの取り組みが見失われてきました。

 また、このようなことを背景に、校内暴力やいじめなどが頻発し、不登校の子供の数が急増するとともに、近年ではいわゆるキレる子供による暴力行為や、授業が成立しない学級崩壊などの現象も発生し、学校教育が深刻の度合いを深めていることは御存じのとおりであります。

 このような状況にどのように対応していくのか。このことに我が国の将来がかかっていると申し上げても過言ではありません。

 中央教育審議会の答申では、今後における学校教育のあり方を、ゆとりの中で子供たちに生きる力をはぐくむことであるとし、みずから学びみずから考える教育への転換を掲げるとともに、学校が子供たち一人一人を大切にし、子供たちが自分のよさを見出し、それを伸ばし、存在感や自己実現の喜びを実感できることが重要であると指摘しております。

 学校が教育効果を高め、子供たちが学校生活を通して喜びや楽しさを実感するには、教職員と子供たちとの全人格的な触れ合い、きめ細かな生活指導、生徒指導、丁寧でわかりやすい授業などが不可欠であります。

 そのためには、現行の四十人学級を見直し、その規模の縮小を図ることが先決であり、あわせて教員の専門的力量を高めるための人的確保とその適正配置を図ることが喫緊の課題であります。

 また、それとともに、地方自治体の自主性、教育現場の要請を十分反映させた学校運営、学級編制等が行われるよう、地域に根差した教育環境の整備を進め、教育の地方分権を図る必要があります。教育は未来への先行投資であります。現在を将来につなぐ営みであり、未来への希望と期待の具体化であります。

 二十一世紀を迎え、我が国は今一大転換点に立っております。このようなときであればこそなお、未来を担う子供たちのために教育の問題を最優先課題として、適切な諸施策を早急に講じていかなければならないのであります。

 ここで、政府から提案されました部分的な二十人授業への改革案について一言申し述べておきたいと思います。今や、先進諸国の中では見ることのできない四十人という大規模学級をそのままに、特定教科だけは学級の子供を分割して授業を行うという小手先の改善は、子供たちと学校を混乱に陥れるだけの方策であります。

 森総理がこの国会の冒頭の施政方針演説で、「子供一人一人、国民一人一人が、学校がよくなる、教育が変わるという実感が持てるような本格的な教育改革に取り組んでまいります。」と胸を張って述べられたこととはほど遠いものであり、二十一世紀の日本の学校教育のありようを指し示すものでは全くないというように申し上げておきたいと存じます。

 以上のような認識に立って、公立の小学校、中学校及び高等学校等に関し、三十人以下学級の実現と教職員の配置の適正化を図るために本案を提出した次第であります。

 次に、本案の主な内容について御説明申し上げます。

 第一は、公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律の一部改正であります。

 まず、公立義務教育諸学校の学級編制の標準に関して、小中学校の同学年の児童または生徒で編制する一学級の児童または生徒数の標準を四十人から三十人に引き下げることとするなどの改善を図ることといたしております。

 次に、各都道府県教育委員会は、公立の義務教育諸学校の学級編制について、児童または生徒の実態を考慮して必要があると認める場合については、標準により定めた数を下回る数を学級の児童または生徒の数の基準として定めることができるものといたしております。

 また、都道府県教育委員会は、公立義務教育諸学校を設置する地方公共団体が弾力的な学級編制を行うことができるよう配慮しなければならないものといたしております。

 さらに、複数指導、多様な選択教科等に係る加配に加え、通常の学級に障害を持つ児童または生徒が在籍する場合の加配など、教諭等の配置基準の改善を図ることといたしております。

 また、教職員定数を新たに導入される高齢者再任用制度による短時間勤務教職員の数に換算することができるものといたしております。

 第二に、公立高等学校の設置、適正配置及び教職員定数の標準等に関する法律の一部改正であります。

 まず、公立高等学校において、現在四十人とされている学級編制の標準を、全日制については三十人に、定時制については二十人にそれぞれ引き下げるとともに、設置者が、生徒の実態を考慮して必要があると認める場合には、標準として定める数によらない学級編制をすることができるものとすることといたしております。

 次に、公立高等学校の設置主体を、都道府県及び政令において基準に該当する市町村に限定している規定を削除するとともに、本校の学校規模について、生徒の収容定員を二百四十人以上から百八十人以上に引き下げることといたしております。

 さらに、通信制の課程及び生徒指導担当の教諭等の配置基準の改善に加え、通常の学級に障害を持つ生徒が在籍する場合などの加配を行うものといたしております。

 また、教職員定数を新たに導入される高齢者再任用制度による短時間勤務教職員の数に換算することができるものといたしております。

 本法案の施行期日は平成十三年四月一日とし、施行のための経過措置を定め、今後十年間の年次計画で実施することといたしております。

 現今の財政状況はまことに厳しいものがあります。だからこそ、公共事業のばらまきや、官房機密費にも見られた不適切、不透明な予算は大幅に削減することを私どもは強く求めているところであります。しかし、子供たちの教育費は、あすの日本への先行投資であり、より積極的な確保が必要不可欠だと考えます。そして、これは圧倒的多数の国民の理解するところであります。

 何とぞ、慎重御審議の上、速やかに御可決くださいますようお願い申し上げます。

 終わります。

高市委員長 これにて両案の趣旨の説明は終わりました。

    ―――――――――――――

高市委員長 この際、参考人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。

 両案審査のため、来る十四日水曜日午前九時から、参考人の出席を求め、意見を聴取することとし、人選等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

高市委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

 引き続き、お諮りいたします。

 両案審査のため、本日、政府参考人として文部科学省生涯学習政策局長近藤信司君及び初等中等教育局長矢野重典君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

高市委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

高市委員長 これより質疑に入ります。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。岩永峯一君。

岩永委員 おはようございます。

 山元先生、先生は滋賀県の県教組の委員長で、私が滋賀県議会の文教を主にやっておりました仲で、若い世代からずっと議論をしてまいりました。きょう、ここで、国会の場で先生と渡り合うというのは大変不思議な御縁だと思うわけでございますが、どうぞよろしくお願いしたいと思います。そして、質問項目が大変多うございますので、ひとつ簡単に御答弁を賜りたい、このように思います。

 民主党案を拝見させていただきました。そして、今も御説明いただいたわけでございますが、三十人学級の実施や教頭、宿舎や官舎担当教員、実習助手、養護教諭、そして学校栄養職員、事務職員等の配置基準の大幅な改善をその内容とされておるわけでございます。法案に基づく教職員定数の増員は相当な規模になるんではないか、このように私は思います。

 最初に、具体的に何人規模の教職員定数の増加となり、また、国及び地方の経費負担増はそれぞれどの程度になると試算しておられるのか、お伺いしたいと思います。

山元議員 私も同じような感慨を持っております、岩永先生とここでお話をしようとは思いませんでした。

 今お尋ねの中身についてですが、三十人学級のための教職員、そして事務職員、養護教員等の職員というふうに分かれますけれども、主な三十人学級のための教員の数は小学校で六万八千人、中学校で五万一千人、事務職員あるいは栄養職員、教頭の加配などを含めて十年間で十九万二千人でございます。これは義務制です。高等学校も同じように計算をいたしまして、およそ八万四千人になります。これも十年計画でございます。

 経費の問題ですが、御案内のように、義務教育諸学校の職員の場合は二分の一が国庫、二分の一が自治体になりますから、総額で一兆五千九百四十八億円、その二分の一が国庫となります。ですから、国庫の負担は七千九百七十四億円、一年間で七百九十七億円になります。高等学校の場合は、交付税によるわけですけれども、総額で十年間七千三十一億円、一年平均にするとおよそ七百億円となります。

 以上です。

岩永委員 今御答弁をいただきましたように、大変な金額になります。これは、平成十三年度の概算要求額の六兆五千億の一割以上の大きな負担になるわけでございます。

 そして、三十人学級にしますと、単に教職員の増員のみならず、学級数がふえることによる校舎新増築が当然必要になってくるわけでございます。現下の厳しい財政状況の中で、これらの増員を行うために経費をどのように捻出されようとしているのか、具体的にお伺いしたいと思います。

山元議員 先ほど趣旨説明でも申し上げましたけれども、財政状況はまことに厳しい。国、地方合わせて六百六十六兆円の借金を、我々の代ではなしに、子供や孫に押しつけなければならぬような厳しい状況になっています。しかし、その六百六十六兆円の借金等の罪は子供や孫にはないわけです。何としても、やはり苦しい中でも教育予算をつくり上げる責任が私どもにある、後世代の者に対しての責任だというふうに思います。

 先般、私どもは、そういう立場にも立って、三月の二日に予算委員会で採決はされましたけれども、今予算は審議されていますけれども、予算の組み替え動議というのを出しました。例えば、今問題になっております官房機密費あるいは外務省の報償費等を組み替えて大幅に減額すること、あるいは公共事業の削減、これは金額を出しておりますけれども、八千八百億円公共事業を削ること、あるいは児童手当の所得制限を緩和することによって支出追加されますけれども、これは大きな矛盾を呼びますから、これも削減をすること、ODAのあり方についても二百八十億、こういうふうにしますと、私どもの組み替え動議の減額総額は九千三百億円です、単年度で。

 先ほど申し上げましたように、単年度で義務教育、七百九十七億円です。単年度の、私どもが減らしてもらいたい、減らすべきだというのが九千三百億円。そして、教育や福祉や環境など、今どうしても必要なものについては今の予算よりも増額すべきだ、こういう組み替え動議。増額は、教育費を含めて四千二百億円。そこのところで十分財源が出てくるというふうに考えております。

岩永委員 国民負担率が、六百六十六兆円の借金も含めて、これは当然これからふえていかなきゃならぬ状況の中で、我々はもっと真剣に今後の財政に対する検討をしていくべきだ、そして少ない財源でもって多くの効果を上げるためにどうしていくべきだと。この厳しい状況の中で、単に教員増員を二十万人以上もしながらやっていくということについての疑問を私は覚えるわけでございます。

 それはそれといたしまして、三十人学級の導入理由として、個々の個性に応じたきめ細かな教育、学級崩壊への対応等を挙げておられるわけでございますが、なぜ四十人から三十人にした方が改善されるとお考えですか。私は、いま一はっきりしない、このように思っております。四十人学級よりも三十人学級の方がすぐれているというデータや文献について、文部科学省として掌握されているのかどうか、政府にお伺いしたいと思います。

矢野政府参考人 学級規模と教育上の効果に関する学術的研究につきましては、これまで欧米や我が国におきまして幾つかなされているところでございまして、これらの研究結果を見ますと、学級規模が一定数以下になると学習効果が上がるという研究もあるわけでありますけれども、他方、両者の関係においては統計上有意な差がないという研究もございまして、学級規模と教育効果の関連については必ずしも明確にはなっていないという状況にあるわけでございます。

 また、第六次の公立義務教育諸学校教職員配置改善計画において導入されましたチームティーチングにつきましては、平成九年と十年度に国立教育研究所が行いましたチームティーチングによる指導の効果に関する研究におきまして、学力テスト等の結果、一人の教師による学級一斉授業よりも成績向上に効果があること、しかも、学級の枠を超えて、例えば二クラスを三グールプに分けて授業を行う学年チームティーチングの方が効果がある、そういうふうな研究結果も報告されているところでございます。

岩永委員 衆法提案者に対しても、昨年の参議院で提出されたような意識調査、そういうものではなしに、教育上の効果についての客観的なデータや研究成果はあるのかどうか、お聞きしたいと思います。

山元議員 文部省が今まで何回も、学級規模を小さくすることで教育効果が上がるというデータはないということを、数年にわたって私どもは聞いてまいりました。けれども、去年出されました全国の連合小学校長会の調査で、これは現場の管理職の方たちの意見として、四分の三の校長が、学級規模によって児童の学習等の違いが顕著に見られる、例えば、よさとして、一人一人の児童の能力、特性に応じてきめ細かな指導ができる、お互いにかかわり合いながら自己を高め、生活態度が落ちつき問題行動が少ない、基礎、基本の定着がよく学習効果が上がる、そしてその校長さんたちは、適正規模については、三十人がいいというのが四五・九%、二十五人が二九・七%、二十人が六・七%、八二%以上の校長さんが、やはり三十人以下にしなければいけない、そういうデータを出しております。

 そして、去年の四月、御承知のように、日本でG8の教育サミットがございました。そのときにも、アメリカの文部大臣、教育長官ですけれども、大規模クラスと比べて小規模クラス、生徒と先生のきずな、生徒同士の友情、学校と親のつながりがより親密になると強調した。今までアシスタント教員政策は随分やったけれども、専任教員をふやし、少人数学級の方に政策の重点を移した、小学校の一年生、二年生、三年生は十八人学級で今努力をしているんだと明言をしているわけです。

 そういう日本の校長会の皆さんの意見やアメリカの文部大臣、いわゆる教育長官のこの実態を踏まえた意見というのは、私は、数字でこうだこうだということ、これは文部省はないと言うのですが、これは調べなきゃいかぬ。調べたデータもありますけれども、余り長くなるとなんですけれども、これを調べないのは、文部省の、今の文部科学省の怠慢だというふうに私は思っています。必ず顕著に数字としてそういう学習効果というのはあらわれてくるはずです。それが校長さんたちの実感でもあるわけです。以上です。

岩永委員 十年間でございますが、一兆五千九百四十八億、これだけ多くの財源を投入し、二十万人も先生をふやす、こういう状況の中で、現場の校長が、多いより少ない方がいいとか、またアメリカのデータを出してこられたわけですが、やはりきちっとした研究成果、そしてその背景にあるものを踏まえながら提案されなきゃならぬ、私はこのように思っております。教育効果というのは、現場の教員の労力を少なくするということのみの考えから出されたら大変な迷惑だ、私はこのように思っております。

 法律で一クラス三十人を標準と定めた場合、すべての都道府県はその標準を実現するように各方面から迫られてくることは事実だろう、このように思います。

 多人数には多人数のよいところがある。体育や音楽の合奏などもそうでございますし、また、多人数のクラスで互いに切磋琢磨し合ってお互いに成長していくということも無視はできないと考えるわけでございます。

 このように、各教育現場にさまざま事情がございまして、多人数授業がより効果的なところもあれば、少人数授業がより効果的なところもある。教育方法は、子供たちの実情や教える内容に合わせて、設置者である都道府県が柔軟に切りかえていく必要がある、私はこのように考えております。

 結局、民主党案では、三十人学級を標準とすることで、かえって教育方法の柔軟性を奪うことになるのではないかと私は思いますし、また行政の地方分権の流れに反するとも考えるわけでございます。民主党の提案者はこのことをどのようにお考えいただいているか、恐縮ですが、ちょっと簡単に御答弁をいただきたいと思います。

山元議員 簡単に申し上げたいと思いますけれども、ここのところは一番大事なところでございまして、十分おわかりをいただきたいというふうに思っています。

 私どもは、三十人を基準として教員を配置すること、そして、それぞれの教育委員会、都道府県教育委員会あるいは市町村教育委員会が弾力的に運用する工夫をするということ。例えば、三十人以上になったときに二学級になる。そういうときには、野球ができぬとか合唱ができぬとかいろいろありますが、複数担任で一緒に勉強したら、なお行き届いたいい授業ができるというふうに思っています。

 ですから、それは配置の基準でありまして、それぞれの地域で工夫をしていける、そういう柔軟性をかえって持てるわけです。岩永委員がおっしゃるように、柔軟性を失うという、これは全く逆のことでございまして、いろいろな工夫ができるということで大きな特徴を持っているし、教育の充実が図れるのだというふうに思っています。ですから、私どもは全く逆の考え方をしております。

 それから、地方分権について合致しているかどうかということですが、これは今申し上げましたことで十分御理解をいただけるだろうというふうに思っています。私どもは、民主党だけではなしに、提案している党それぞれ地方分権を叫んでいます。そういう中で、これが逆行するなんということは全く考えないわけです。それぞれの学校が、あるいはそれぞれの教育委員会が地域の皆さんと力を合わせて特色のある学校ができる、つくれる、時には四十人で、時には二十人でということができるわけです。

 校舎の問題がございましたけれども、確かに財政的に大変しんどいです。けれども、私は、この法案をつくる過程の中で、現場の小学校、中学校へ行って、突然ですけれども、飛び込みで行って見てまいりました。いろいろ意見を聞いてまいりました、やりたいことが山ほどあると。それは、地方分権の中で実現できるのですけれども、とてもじゃないができません、教室についても困ります、けれども、それは二十人授業をする場合でも同じこと。中学校へ行って聞きました。十五学級の学校でしたら、英語、数学、理科のときには倍教室が要るわけです。とてもじゃないが、そんなものができるわけないと。昔、私も経験をしましたけれども、プレハブの校舎で授業をしたことがございますけれども、今度の場合、英、数、理だけは教室が倍になるわけですね。

 ですから、三十人学級にして教室が要るということよりも、それぞれの地域で、地域の皆さんと一緒になって、公民館とかあるいは学校とか、そういう交流も深めながらやっていける、そういう地方分権の実が上がると私たちは考えております。

岩永委員 民主党は、平成十二年四月二十五日に石田美栄先生が、この標準が非常に硬直的に運用されていることが問題である、学級編制をもっと弾力的に運用せい、こういうような発言もしておられるわけでございます。

 文部大臣にお聞きしたいのですが、今回、事実上二十人学級と言われる少人数指導加配制度ができるわけでございますが、私は、先般も我が党の文教部会で、現実に二十人学級を実施するのではないか、これをなぜ二十人学級と呼べないのか、こういうように言ったわけでございますが、簡単にお答えをいただきたいと思います。

町村国務大臣 きめ細やかな指導等のために、教職員定数の改善など、この教育指導体制の充実を図る、その重要性は今委員御指摘のとおりでございます。

 このために、今回の改善計画では、教科の特性に応じて二十人程度の少人数指導ができるようにするということでございまして、要するに、学習集団として二十人とか三十人ということで、それは四十人ということでありますが、いわゆる三十人学級と同じ意味で二十人学級と呼ぶとかえって実は誤解が生じるので、私どもは、その全部を二十人学級にするというような表現はとっていないところでございます。

岩永委員 我が国の教育には、今までのように教師が教壇に立って一斉授業を行うだけではなく、多様化する社会の価値観に対応した幅の広い人材の養成につながるきめの細かい教育が求められる、私はこのように思っております。要するに、教師が教壇に立って一斉授業を行うだけの教え方そのものが改善を迫られている、このように思うわけでございます。

 ところが、民主党案のように学級編制を四十人から三十人に変更しても、学級の中に教員が一人しかいないということには変わりはないわけでございます。これでは、特に小学校では、一人の教員が学級を担任することには変わりはなく、いわゆる学級王国をなくすることができないのではないか、このように思います。

 私、大変簡単に質問しておりますし、私の主観を交えないで、できるだけ皆さんに聞こうと思っておりますので、答弁は簡単にしてください。

山口(壯)議員 今岩永議員が御指摘になった点ですけれども、閣法の方では、チームティーチング、少人数学習集団、それから多様な選択教科の開設というふうに限られておるわけですけれども、我々の提案した法案の七条の二項、「児童又は生徒の心身の発達に配慮し個性に応じた教育を行う」、これをさらに徹底させるために、政令で定める場合には、「授業の方法の改善又は特色ある教育課程の編成が行われる場合」というふうにさせていただいて、要するに、その他の場合についても柔軟に対応できる、加配の対象とできるというふうにしておるわけです。

 したがって、例えば少人数の学習集団による授業も我々の案でもできますし、それから異学年による共同授業、場合によっては小学校での教科担任制、またまた教科を横断するような合科の授業、そして読書指導の充実、いろいろなことについて我々は柔軟に対応できるというふうに考えていますので、岩永議員の御指摘は当たらないと思います。

岩永委員 今の四十人学級の状況の中で三十人に減るというような形の中を考えた場合に、では三十人に減ったからどうかということで、我々は今御答弁をいただいたような想定が全くできないわけでございます。むしろ、生徒数を減らすよりも、チームティーチングをさらに増進したり、多くの教員による多面的な指導や評価によって個人の資質を最大限に引き出していく、先生同士の連携を促進して、学級全体で教育へ取り組む体制をつくったり、習熟度別やテーマごとにクラスを一時的に分割して授業を行う、こういうような教え方そのものを改善していくことの方が、より行き届いたきめ細かな指導ができるのではないか、私はこのように思っております。

 そこで、この点について政府案ではどのように対応しているのか、お聞きをしたいと思います。

町村国務大臣 委員御指摘のように、その教え方の工夫、大変大切なところだ、こう思っております。今回の私どもの案の中でも、一律に学級編制の引き下げを行うというよりは、教科等に応じて、学級とは異なる少人数の集団による授業を行ったり、複数の教員による多面的できめ細やかなTTなどによって指導、評価を行うということが適当であろう、こう思っております。

 また、集団の中で人間関係の形成とか切磋琢磨ということを考えたときに、一学級当たりの人数はある程度の規模が必要であろう、こう思っているわけであります。

 こうしたことを踏まえて、基礎学力の向上ときめ細やかな指導のため、小学校では国語、算数、理科、中学校では英語、数学、理科、こうしたものについては、どうしても習熟度に差がつきやすい科目でございますから、こうした教科について二十人程度の学習集団でやっていくとか、あるいは小学校の低学年、特に一年生、二年生などはなかなか集団としての生活にまだなじめない部分があるだろうから、そういうところについては二十人程度の少人数の指導を行う。こういったような多面的な取り組みをしていくということが、岩永委員の今の御指摘に合う方法ではないのかな、かように思っております。

岩永委員 現在のところ二万二千五百人の増員、こういうことでございますが、むしろ、私は、三十人学級を実現する財源があるならば、教え方そのものの改善につながる少人数指導加配の数を、今政府が提案しているよりももっと多く求めていく、それの方が教育効果が上がると考えるわけでございますが、簡単にこの点についてひとつお答えいただきたいと思います。一分ほどでよろしくお願いします。

山口(壯)議員 そもそも閣法で言っておられるような少人数の問題が、先生の数の上でこれは困難じゃないのかという気もするわけです。二万二千五百人しかいない、全国の学校の数をそれで割れば、極めて難しいことをやられようとしている。

 しかも、教育の意味からいきますと、学習集団であると同時に生活集団の意味もある。したがって、この基本教科だけについて小集団と言われますけれども、そもそもそれが困難ではないかというポイントと同時に、生活集団というものから考えますと、やはり四十人という学級の枠組みが壊れない、それを置いたままやられようとしているのは、いかにもそれは言葉の遊びではないかというふうに考えます。

岩永委員 まだまだたくさんあるんですが、政府案では非常勤教員を活用できるような規定が含まれているが、民主党案にはそれが含まれていないのはなぜかということ。それから、社会の各方面で活躍する方々を積極的に教育現場に呼び込むために非常勤教員制度を大いに活用したいというようなことを私は思っているわけでございますが、ちょっと時間がありませんので、もう一つ、今重要なほかの問題を聞きたいと思いますので、一応この標準法についてはこれぐらいにしておきます。

 大臣、最近、教科書の検定に対する批判が新聞や海外から行われております。また、検定の公平性を維持する目的から、検定中の教科書の内容が公開されているということはあり得ないはずであるのに、実際は、三月五日付の東京新聞などを見てもわかるように、かなり詳細にわたって検定中教科書の内容、さらにはどのような場所に検定がついたかということまで表に出ているということがわかるわけでございます。

 きのう、私ども文教部会の部会長以下役員が、総理にそれの要請書を持っていきました。総理も、この白表紙本が表に出て、漏えいしていることに対しては、大変深刻に受けとめていただいていたわけでございます。

 文部科学省の白表紙本の管理体制は一体どうなっているのかを伺いたいし、また、今回その内容が各方面に漏れたということでございますが、原因及びルートについて省内で調査を行っているのかどうかということもあわせて伺いたいと思います。場合によっては立法措置も必要と考えますが、そのあたりについての大臣の見解をお伺いしたいと思います。

矢野政府参考人 御指摘のように、検定途中の申請図書、いわゆる白表紙でございますが、その内容が公になりますことは、検定に予断を与え、不適切な影響を及ぼすおそれがあると考えるものでございます。

 このため、白表紙の取り扱いにつきましては、文部科学省職員や教科用図書検定調査審議会委員に対しまして、日ごろから、国家公務員として守秘義務を遵守するよう徹底しているところでございまして、白表紙を外に漏らすことは考えられないところでございます。また、検定申請者に対しましても、白表紙を適切に管理するよう再三指導をいたしてきたところでございまして、特に新規の検定申請者に対しましては、白表紙の管理の徹底を促してきたところでございます。

 文部科学省としては、今回の事実を重く受けとめまして、検定関係者に対しまして、白表紙の管理体制の再確認を促すなど、さらに厳重に対処してまいりたいと考えております。

 あわせて、白表紙の管理体制について検定関係者に対し報告を求め、その実態を把握するなど、必要な措置を講じてまいりたいと考えておりますし、また、教科用図書検定のための情報管理についての法的措置でございますけれども、これは法制的にはなかなか難しい問題もあるわけでございますけれども、今後検討をしてまいりたいと考えているところでございます。

岩永委員 この問題は教育の根幹にかかわる問題でございますので、漏えいした、それによって海外から、国内から批判に遭う。そして、そのことが教科書の本質を曲げてしまうという大変重要なことでございますので、ひとつ大臣、このことについては毅然とお答えをいただいて、そして今回の措置もお願いしたい、このように思います。

 それから、最後になりましたけれども、私は、親学といいますか、おなかの中に赤ちゃんが宿ったときから教育をされるべきだ、親がどういう子供を育てるか、子供を育てるビジョンをきちっと持つべきだ、こういうことで、今産婦人科の先生にお願いして、文部省でつくったビデオを産婦人科の先生がその親に渡していただく、こういうようなことをしていただいているんですが、これをもっと大々的にきちっと、産婦人科学会と協力し合いながらやってほしい、私はこのように思っておりますし、このことのために、親がきちっと自覚をする体制ができないか。

 そうすると、少々予算が要るわけでございますし、今子育て手帳だとかビデオを配布している、この提案も私はさせていただきました。しかし、それを、五週、六週にわたって、おなかに子供を宿した親が、子育てそして人間に対する哲学をどう持つかというようなことの対応をいただきたいと思いますが、最後にそのことだけ簡単に答えていただいて、私終わります。

高市委員長 済みません、質疑時間が終了しておりますので、短目にお願いいたします。

近藤政府参考人 お答えいたします。

 家庭教育の重要性につきましては委員御指摘のとおりでありまして、文部科学省では従来から、家庭教育手帳、家庭教育ノートを作成し、配布をしてきているところでございます。さらに、今月末には、家庭教育のあり方についてわかりやすく解説をした家庭教育ビデオを約二万三千セット作成をいたしまして、全国の産婦人科医院等の医療機関に配布をし、妊娠、出産期にある方々が、視聴したり借りたりできるようにすることといたしております。

 委員御指摘のような、そういった一つの仕組みを設けるということにつきましては、今後、産婦人科医の団体でありますとか厚生労働省と十分協議をしながら検討してまいりたい、かように考えているところでございます。

岩永委員 どうもありがとうございました。これで質問を終わります。

高市委員長 西博義君。

西委員 公明党の西博義でございます。

 今回提出されました法律案の審議に入るわけでございますが、その前に、今までの過去五年間の教職員の定数改善計画についての評価について、まずお伺いをしたいと思います。

 前回の計画は、第六次義務諸学校定数配置改善計画、それから高等学校については第五次の公立高等学校教職員定数改善計画、この二つに沿って定数の配置が行われてまいりました。この義務諸学校の教員定数の算定根拠は、義務標準法に規定されているわけでございますが、その割合を調べてみますと、多い方から、一番多いのがチームティーチング、特殊諸学校の配置、選択履修の拡大、養護教諭それから通級指導、こういうふうに配置されているわけでございます。そのほかにも、複式学級の改善とか研修の要員とか小学校の専科など幾つかの改善項目があるわけでございます。

 さらに、この第六次の配置改善計画を詳細に眺めてみますと、全体では三万四百人の増加を見ております。栄養職員、事務職員等を除きまして、実質の教員の増加人数を調べますと、二万七千八百四十一人、こういうことになっております。先ほど申しました多い方からのそれぞれの内訳を申しますと、二万七千八百人ほどの増加の中で、チームティーチングには一万四千二百九十七人、四七%がTTに用いられているということになります。それから、特殊諸学校には二千三百六十九人、八・五%、選択履修の拡大に千六百三十四人、五・八%、養護教諭の拡大に千百八十四人、四・二%ということになっております。

 このように眺めてまいりますと、この過去五年間の配置改善計画の先生の配置のポイントは、いわゆるチームティーチングにあったと言って過言ではない、約半数に近い数がそこに配置されているわけでございますから、そう思うわけでございます。

 文部科学省は、この前回の第六次の義務諸学校の定数配置改善計画、それから第五次の高等学校の改善計画で行われましたマネジメントについて、それぞれよかった点、悪かった点、評価をされていると思いますが、そのことについて、どういう結果であったのか、どう見ておられるのかということをまずお伺いしたいと思います。

町村国務大臣 ただいま委員、第六次の計画についてお触れをいただきました。おっしゃるとおり、個に応じた多様な教育を展開するためのチームティーチングというのが主眼であったことは委員御指摘のとおりでございます。

 これにつきましては、各学校の実情というものをいろいろ研究者が調査したりした結果なんでありますけれども、第一点としては、やはり児童生徒が主体的に学習に取り組むようになって、理解が進んだり、学習のつまずきを早い段階で解消できるようになったこと。教職員の側から見たときに、事前の準備に時間がとられるといったような負担増となる面もございましたけれども、一人一人に目が行き届いて、学習・生徒指導の両面でより適切な対応が可能になるとともに、教員間の協力によって、指導能力の向上とか教材研究の深まりがあったというようなことがあったようであります。さらに、今度は学校全体としても、教員の共同作業を通じて学校内の一致協力体制が確立され、活気が出てきた。このようなことから、チームティーチング、総じてプラスの評価をできるのであろう、こう思っております。

 私も、学校現場等へ伺いまして、TTがどういうふうに行われているかというのをしばしば現場で見ているわけでございますけれども、一人の先生が一人一人の生徒のノートを見ながら、ああ、ここはこうなっているんだというところを実に懇切丁寧に一人一人に教える、一人の先生は教壇の方にいるということで、この二人の呼吸がうまくいっていると非常に成果が上がるんだという話を現場の先生方から、あるいは校長先生方からも伺っております。そういう意味で、チームティーチング、これからも大いに進めていくべきであろう、かように考えております。

西委員 チームティーチングが重点ですからそれでよろしいんですけれども、このことについてもう少し考えなければいけないというか、悪かったというのはなかなか出しにくいのかもしれませんが、マイナス面の評価は全くなかったのかということを少し補足してお伺いしたいと思います。

町村国務大臣 先ほどもちょっと申し上げましたけれども、TTの点について言いますと、今までだってそうなんですが、より個別に見るというような意味から、先生の方から見ると、少し負担がふえるといったようなTTに関する問題点もあったようでございます。

西委員 続きまして、結局、具体的な配置は各都道府県に任せられていると思うんですが、文部省の方で増員をしました教職員の定数、これが都道府県に回ってまいります。都道府県に配分した際に、文部省で人数を決めるプロセス、その決めたものを都道府県でまた各市町村に配分する、それからそれをまた各学校に具体的に配分していく、このプロセスはどういうふうな基準で行われたのかということをお尋ねしたい、こう思います。

池坊大臣政務官 チームティーチングのための定数措置については、二十一世紀において大変重要と考えます個性に応じた多様な教育を展開する観点から、現行改善計画の大きな柱として実施しているところでございます。

 今委員がおっしゃいましたように、具体的な加配に当たっては、各都道府県ごとの学校数や学校の規模などの客観的なデータを換算し、各学校における実施方法を都道府県から十分聴取した上で決定しているところでございます。また、各都道府県におきましては、具体的にチームティーチングの加配を希望いたします学校の状況を教育委員会が視察したり、また計画書を提出させたりして、その必要性を判断して決定いたしております。

西委員 平成十三年度から十七年度までのこれからの五カ年にわたって、今回のこの法律に基づいて、それぞれ公立義務教育諸学校、さらには高等学校の教職員の配置改善計画が実施されていくわけですが、今回、少子化で教職員が減少していく、こんな中でむしろ現状維持をすることができる、こういうことは実質的には増員というふうになるわけでございまして、財政が大変厳しい折に私は十分評価できるんではないか、こういうふうに考えております。

 また、この中で、教員が長期社会体験研修を行いやすいようにしていただいている、こういう定数の改善も入れていただいております。実は、平成六年に私、このことについて文教委員会で質問をさせていただいて、教員がもっと幅広い社会的な経験を持つべきではないか、こういうことを提言いたしました。その後、文部省が長期派遣に関する調査研究も実施をしていただいて、そして平成八年度の予算に長期派遣研修の充実に関する調査研究が計上されました。そのような経緯の後に、今回ようやく長期研修として二百十二人、まだ十分ではないというふうには思いますが、定数計画に盛り込んでいただきました。先生方の中には、これを一つのチャンスととらえて積極的に活用していただければ、このように思っております。

 ところで、今回の計画は、少人数教育ができるように配慮した改善が中心の課題というふうに認識をしております。義務標準法案の第七条の二項に、これまでのチームティーチング、選択履修拡大に加えて、少人数指導という項目が教職員定数の計算の根拠に加わっております。

 先ほど述べましたとおり、以前の計画ではチームティーチングが四七%に当たっておりました。今回のこの第七次の定数改善計画では、全体の改善数が二万六千九百人、その中で栄養職員、事務職員等を除いた実質の教員の数は二万五千二百十二人というふうになります。そのうちの八九%に当たる二万二千五百人を今回、少人数などとはなっておりますが、少人数指導に充てるというふうに聞いておりますが、このことについての御見解をまず確認させていただきたい、このように思います。

 また、養護教諭と特殊諸学校の教員の定数改善に関しまして、今回、学級児童生徒の人数に応じた算定基準が初めて計算の基準として導入されております。これまでは学級をあくまでも中心に人数を配分していたわけですが、今回はこのようにして児童生徒数を算定基準としてプラスしたということについて、この意図についてもあわせて質問を申し上げたいと思います。

池坊大臣政務官 二万二千五百人の配置に関しましては、教科等に応じた少人数指導を行うなどの学校の具体的な取り組みを支援する観点から行われたものでございまして、これは都道府県の判断によって、教科に応じて、小学生で、小学校の低学年で学力がなかなかついていけない子供たちとか、あるいは小学校の算数、国語、理科、今理科離れと言っておりますので、そういう理科の実験、あるいはまた、中学校の受験などを抱えまして、重要な科目に関して二十人並びに少人数の指導が可能になるように積算したものでございます。

 これは必ずしも二十人とは限定されておりませんで、それぞれの学校に応じたきめ細やかな指導が行われていった方がいいと思っておりますので、時には、実験は十五人であった方がいいかもしれませんし、また二十五人が妥当ということもあると思います。いずれにいたしましても、個性に応じた、きめ細やかな、一人一人を大切にする授業が行われるような加配でございます。

 また、その後に御質問がございました養護教諭のことに関してでございますけれども、このごろは不登校の前段階と言われております保健室登校の子供がふえてきております。子供たちの健康だけでなくて、心身の悩みを抱えた子供たちの数もふえてきておりますので、やはり養護教諭の必要性が高まってきておりますので、そのような児童生徒数に応じた加配措置というふうになっております。

 そしてまた、特殊教育諸学校においても、同じような観点から同じような措置がとられております。また同時に、教育相談担当教員においても、一人一人の、悩みを抱えたあるいは障害を抱えたお子様方のきめ細やかな指導を行うということで、児童数に合わせまして加配措置をいたしております。

西委員 今までのクラスだけの算定基準からそういうことが少しでも加わったということは、まだ基準の数が多いものですから十分活用できるところまではいかない部分もあるかというふうに私自身は思いますが、非常にいい視点だというふうに評価をさせていただきたいと思います。

 続きまして、今回の法改正に関して、学校が少人数教育を行えるケースとしましては、一つは理数系の教科指導、それから小学校一年生など指導が難しい学年について、それから特定の地域等に関して少人数指導ができる、こういう報道がございました。

 この点につきましては、改正案の第三条二項ただし書きの文章で、児童生徒の実態を考慮して特に必要があると認める場合、こういう規定を置いております。内容が必ずしも明確ではない、ある意味では幅広く考えられるというふうになっていると思うんですが、この必要と認定する権限というのは、文部科学省ではなくて都道府県の教育委員会の裁量にあるのかどうかということについて一つは確認をしておきたいと思います。

 私たちは、各都道府県がきちっとポリシーを持って、私のところの都道府県はこれを重点にという考え方を持って配置を行っていただきたいというふうに思います。例えばアメリカでは、先ほどもちょっと議論がありましたけれども、小学校の低学年クラスで少人数指導を実施して、そして学習態度をしっかりとまず身につけさせる、そういう一つの考え方をもとにして少人数の指導を行う、こうなっております。

 実際に配置を決める場合にはどこにどうつけるのかということは、それぞれ多様な要望があって難しいと思うんですが、だからどうしても平均的になってしまう。児童の数、クラスの数に比例して配置をするという傾向がなきにしもあらずでございます。そんなことを心配しているわけでございまして、できれば、やはりそれぞれがきちっとした議論の上でその方向性をきちっと定めて、もちろんその結果についてはまた報告をし、また国民の皆さんに判断をしていただく、こういうことになろうかと思います。このことについてお考えを伺いたいと思います。

 また、この点については、もちろん、都道府県だけではなくて、文部省も、配分をする限りはこういう方針でということがやはりあっていいのではないかというふうに私は考えておりまして、このことにつきましても御答弁をお願いしたいと思います。

池坊大臣政務官 今議員の御指摘にございましたように、議員も御承知のように、今までは国の標準において都道府県の基準を定めるというふうになっておりました。でも、今度は、都道府県の判断によって、もし特例がある場合にはそれを認めるということでございます。

 確かに、「児童又は生徒の実態を考慮して特に必要があると認める場合」、これは何かあいまいで、どんなふうな規定なのだとおっしゃられるのも確かでございますけれども、私は、教育はそれぞれの地方によって異なりますし、また、それぞれの学校が抱えている問題も、あらゆる問題を抱えていて、多種多様なのではないかと思います。ですから、この「実態を考慮して」というのは、その学校が必要とするということではないかと思います。

 例えば、ある学校にとっては、不登校とかいじめとか学級崩壊などを起こす問題の児童がいる、そういう子供たちなどの状況を踏まえて二十人学級がいいという学校もあると思いますし、また、小学校の低学年においては、習得度が余り思わしくないのでこれは少ない方がいいというような判断は各学校がいたしていいのではないかと私は思います。

 そして、それを支えますのが都道府県の教育委員会であり、そしてまた同時に、文部科学省も、どのような状況でどのようになされているかというきっちりとした実情の把握も必要と思っておりますので、それを推進し、そしてまた把握をしていきたいと思っております。

西委員 今回の改善のもう一つの特徴は、常勤の教職員の定数を取り崩してというのは言い方が適当かどうかわかりませんが、非常勤講師それから短時間勤務職員を雇うことができる、こういう多様な採用が可能となっているということが特徴だと思います。

 この制度を導入することによって、こうした非常勤の方々を活用して機動的にいろいろな問題に対処できるようになる反面、不安定な立場の人が多くなるという側面も忘れてはならない側面だと思います。新規の教員の採用が非常に限られている、多くの希望者が五年を超えて何回も何回もチャレンジしているという姿が実態です。そういう現在において、こうしたパート的な職に若い人が採用されて頑張っていくというケースもこれからはふえていくのではないかというふうに思います。

 先日、小学校の特殊学級の補助教員をしている人からメールをいただきました。こう書いておりました。現在の収入は日給七千九百円で、毎日勤務してもひとり暮らしでは厳しく、他に塾でアルバイトもして生計を立てています、また、校長の判断で簡単に首になることもあり、毎日が緊張の連続です、こういうメールが届きました。

 そこで、非常勤講師また補助教員などの待遇について質問をしたいと思いますが、こうした方々の給与というのは大体どの辺の相場なのか教えていただきたいと思います。また、労災等、それに付随する諸経費の保険料とかは国費で負担されるというふうに伺っておりますが、社会保険については通常どういうふうに措置をされているのか、実態について説明をしていただきたい、こう思います。

 ところで、短期労働者が今社会で大変ふえておりまして、そのことに関しまして厚生労働省から、事業主が講ずべき短時間労働者の雇用管理の改善のための措置に関する指針、これは短時間労働者が適正な労働条件を確保するためにということで、雇用に当たっての労働条件の明示であるとか、通常の教員と同じ所定労働の場合には雇用保険を適用するとか、最低限の労働関係の基準を示しているものだというふうに私は思うわけです。

 この根拠になっている短時間労働者の雇用管理改善法というのは、公務員は確かに適用除外となっております。しかし、同じような雇用形態の方々を採用して同じ職場で働いていくわけですから、指針で示されるような労働条件はもう関係ないというわけにはいかないと思います。もちろんその配慮もされていると思いますが、そういう意味におきましても、教育委員会においてこうした指針の趣旨に沿った内容が周知徹底されるということは大変重要なことでもあると思います。

 今、大変雇用条件が厳しい中で、悪い環境の中での短期間の雇用という意味で、実態をしっかり知っていただきたいと思います。もし不十分な場合には、また文部科学省の方からも十分指導等を行っていただくということを要請しておきたいと思います。

 前半の部分で御質問申し上げました件につきまして、御説明をお願いしたいと思います。

池坊大臣政務官 公立学校の非常勤講師の報酬はどうなっているかという御質問に対しましては、地方交付税単価は平成十二年度で一時間当たり二千八百九十円となっております。公立義務教育諸学校の初任者研修や小学校専科充実などの非常勤講師の補助単価もこれに準じた額になっております。

 また、年金等はどうなっているかという御質問でございますけれども、非常勤講師の社会保険のうち、医療保険については再任用短時間勤務職員と同様の取り扱いとなっており、また、年金については国民年金に加入することとなっております。

 それから、地方公務員である非常勤職員については、地方自治法によりその報酬や費用弁済の額及び支給方法を各地方公共団体の条例で定めているところでございます。今回の法律改正により可能となる県費負担教職員である非常勤講師についても、報酬や費用弁済の額及び支給方法を都道府県の条例で定めるとともに、勤務条件等の身分扱いについても都道府県の定めが適用されることとしておりますので、この中で適切に処理されております。

西委員 時間が迫ってまいりましたが、あと一問だけお願いしたいと思います。

 これもさきの予算委員会でも申し上げたことですが、私、和歌山県の小さな学校の出身という立場で、地方の学校のことについて何回か申し上げているんですが、学校選択の多様化がなかなかできないという条件、教育環境がございます。その観点を、何とかもう少し選択の余地をつくりたい、こういう思いで質問申し上げているわけですが、今回、高校の標準法の設置規定が削除されました。そういうことで、地方の過疎地域でも高等学校を設置することができる可能性が出てきたわけでございます。

 過疎地で高校がないという町村に住んでいる子供たちは、高校に進学するために、もう既に家庭を離れて、いわば町に出ていって、そこで下宿しながら学校に通う、こういうことになっているわけでございますが、この高校の設置規定が削除されることによって、可能性としてそういう小さな町でも、おらが高校をつくるという可能性が出てきたわけでございます。

 高校単独ではなかなか存続することが難しいかもしれませんが、中高一貫教育校とあわせてうまく子供を育てられればという期待が大変各地で高まっている面があります。

 特に財政的な面から見ましても、中高一貫教育の三つのタイプのうち併設型の学校には、学校の校舎、体育館、寄宿舎等の施設の新増築また大規模改造に対しても、国から補助を三分の一出していただけるようになりました。非常に財政的な手厚い補助をいただいているようになっております。

 そのほか連携型、比較的実施しやすいタイプだと思うんですが、この型に対しましても財政的な援助をぜひともお願いして、そして各地方地方が、自分の子供の教育を、できるだけ特色のある教育を現地でできるという方策に御協力をいただきたいということに関しまして、最後に大臣の御答弁をお願いしたいと思います。

町村国務大臣 西委員、かねてより、中高一貫を含め、児童生徒の選択肢をより拡大すべきということで積極的な御提言をいただいておりますことに感謝をしております。

 ただいま御指摘の中高一貫、併設型については国の助成が確かにございます。連携型についてもということでございますが、基本的には連携型というのは、既存の中学校と高等学校でカリキュラム等々で一緒にやっていこうということですから、さほど大きな施設整備をするとかいうようなことでは多分ないんだろうな。

 現実に、連携型の希望といいましょうか予定も、平成十三年度は二十二校計画があるようでございますが、そういうところから、特にこういう大きなお金がかかるので国からの助成をというお話が今のところ来ていないと私どもは理解をしておりますが、今後さらに、具体的な御要望を踏まえながら、しっかりと対処できるようにはしていきたいと思っております。

西委員 どうもありがとうございました。終わります。

高市委員長 山谷えり子君。

山谷委員 民主党・無所属クラブ、山谷えり子でございます。

 これまで、我が国の学校教育というのは、画一的に知識を教えることに重点が置かれてまいりました。それは、欧米先進国にキャッチアップすること、また工業社会という中でそうした教育が求められていたわけでもございますし、その方が社会の経済生産性などの面でも効率的だったわけでございます。

 しかしながら、今、社会は大きな変革期にございまして、多様な価値観、とりわけ独創性とかあるいは問題をつくっていく力、自分の持ち味を知ってそれを生かして社会貢献し、また自分自身も充実感のある人生を送っていく、そのような人間づくりのための教育が求められているというふうに考えております。

 教育は学校だけのものではございませんけれども、学校の持つ力というのは大変大きいわけでございまして、日本の学校システムは、今、根本から、その制度、その他の対応など変えていかなければならないというふうに考えます。

 三十人学級について、野党共同提案の提出者にお伺いしたいんですけれども、先ほど、公聴会のデータとかあるいはアメリカの教育長官のコメントなどもございましたけれども、繰り返さない部分で、さらにどのように教育効果をお考えになっていらっしゃいますでしょうか。

藤村議員 民主党の教育科学部門の責任者の山谷えり子委員からの御質問にお答えをさせていただきます。

 その前に、まず、私ども三会派でのこの三十人学級法案、待ちに待った法案をこうして審議いただきましたことに、委員長そして委員の皆さんに感謝を申し上げます。ありがとうございました。

 さて、今の山谷えり子委員の、多分、三十人学級にしたらどういう効果が出るかというお尋ねであったと思います。

 三十人学級の効果は、先ほど御紹介したような、本当に全国の教育現場を長年勤めて校長をされている皆さんの四分の三が絶対三十人がいいのだというふうな調査ももちろんございました。少人数学級のよさとしては、一人一人の児童の能力、特性に応じてきめ細かな指導ができる、今回閣法で出てきた法案の趣旨もやはり同じでありますが、我々はより具体的にそれを実現できると考えております。お互いにかかわり合いながら自己を高め、生活態度が落ちつき問題行動が少ない、基礎、基本の定着がよく学習効果が上がる、事務処理が能率よくできゆとりが生まれるなどの先生方の御意見がまとまっております。そして、これらのいずれもが、今日の小学校の深刻化する不登校や問題行動への対応あるいは新教育課程への展開に向けた重要な問題であり、具体的な解決策が急がれると結論づけているわけであります。

 数字はもう申しませんが、欧米諸国でも、多様な子供に行き届いた教育を行うためには学級定員の削減が不可欠であるという認識が高まっており、学級定員は三十人が限度であるという立場に立って、学級定員削減の努力が重ねられています。これはよく紹介されますが、九九年、米国クリントン大統領が一般教書で、今後七年間に第一学年から第三学年の学級定員を十八人に縮小するということを明らかにし、あるいは英国でも、小学校の三十人を超す学級の解消をしていくということが具体的に進められております。

 四十人学級を含めた現在の第五次定数改善計画が開始されたのは昭和五十五年のことで、四十人学級というのがもう二十年たっているわけですね。その間、今皆様が常に御指摘になるように、家庭や社会そして子供たちも大きく変化をしており、多様化しています。そのような子供たち一人一人に学校が適切に対応していくためには学級編制の縮小が不可欠であり、現下の学校の状況を考える最大の契機ではないでしょうか。

 お金が大変要るというお話も一部ありましたが、しかし、まさに教育は未来への先行投資、現在を将来につなぐ営みであり、未来への希望と期待の具体化であります。二十一世紀を迎えて、今我が国は一番大きな転換点に立っています。このようなときであればこそなお、未来を担う子供たちのために教育の問題を最優先課題として大きく投資もし、適切な諸施策を早急に講じていく、それが政治の決断ではないかなと私どもは考えております。

山谷委員 ありがとうございました。

 文部科学大臣にお伺いしたいと思います。

 今の四十人学級というのが二十年前に決まった。この二十年の変化というのは大変大きゅうございまして、それをさらにいまだに変えようとしていない。私は、欧米がいいとは思いませんけれども、欧米はそれなりに教育のいろいろな評価、分析をしてきたわけでございまして、そして、三十人学級あるいは少人数の学習集団が効果が上がるというような結論をもって、そのような方向に動いているわけでございます。

 生きる力、文部省が盛んに言うようになりましたが、みずから課題を発見し、みずから解決する能力、余りに抽象的で私のような者にはよくわからないのです。ヨーロッパでは生きる力の定義がいろいろ細かくございまして、例えば企画力、実行力、判断力、創造力、あるいはシンパシー能力、共感する力、コミュニケーション能力、それもインフォーマルなコミュニケーション能力そしてフォーマルなコミュニケーション能力、それから他人の間違いを許す力とかユーモアのセンスとか起業家になる力、アントレプレナーになる力、そのようなものも生きる力として定義しているわけでございます。このような力は、基礎、基本をしっかりし、さらに、何か人格的な触れ合いというものの中で、少人数の中でそれぞれの個性をお互いにとうとぶ日常的な体験があってこそ育つものだというふうに考えております。

 クラーク博士、ボーイズ・ビー・アンビシャスという、あの札幌農学校のクラーク博士はたくさんの種を青年たちにまいていったわけでございますけれども、一期生は何と二十四人でございました。教育改革国民会議の座長の江崎玲於奈さんも一クラス二十四人ぐらいがいいのではないかと言われておりましたし、また、元文部大臣の有馬さんも三十人ぐらいがいいのではないかというふうに言われておりました。

 ちなみに、町村文部科学大臣のおじい様の町村金弥さんは札幌農学校の二期生、新渡戸稲造さんとか内村鑑三さんと同期であったというふうに伺っております。

 今、野党共同提出者の藤村議員からのお話、校長会のデータ、そのようなものをお聞きになられまして、いかがお考えでございましょうか。

町村国務大臣 山谷委員から私の祖父のことにまでお触れをいただきまして、大変に恐縮をしております。

 三十人学級の実施についてでございますが、先ほど初等中等局長からもちょっと申し上げましたけれども、三十人であれ四十人であれ、一つの大きな問題というのは、いわゆる学級王国と言われる閉鎖的な状況ですね。これは、教員の意識あるいは学校長の意識、学校全体の意識ともかかわる問題ではございましょうが、やはりそうした閉鎖的な状況が変わらないということは一つの大きな問題なんだろう、こう思っておりまして、一律の学級編制の引き下げを行うよりも、教科等に応じて、先ほど申し上げました教科とか学年、低学年ですね、そういう場合には学級と異なる少人数の集団による授業を行って、複数の教員による多面的できめ細やかな指導、評価を行うことが効果的であろうということで、文部省の協力者会議等々の結果もそういうことで出ているわけでございます。

 また、三十人ということになりますと、例えば三十一人になると、十六人と十五人の学級に分けるということになってしまいます。さあ、その人数が本当にいいのだろうか。やはり集団の中である程度切磋琢磨をする、人間関係をつくっていくという面から考えたときに、やはりある程度の規模というのは必要なのではないだろうか、こう思ったりしております。

 さらに、現下の厳しい財政状況のもとで、先ほどいろいろな試算も出されておりましたけれども、ちょっと金額的に、財政改革、財政健全化を大変強く主張しておられる民主党を初めとする皆さん方のお立場からもここはちょっときついのではなかろうかなと思ったりもしておりまして、そんなようなことから私どもの今回の提案に立ち至ったわけでございます。

 なお、教員一人当たりの児童生徒数が、今回の措置によりまして、平成十二年度の十九・二人、これが小学校の平均でございますが、これが平成十七年に十八・六人に、中学校は、平成十二年十六・四人が平成十七年には十四・六人ということで、十分にこれは欧米並みの水準ということが言えようかと思っております。それは、国によっていろいろな考え方が違うのはわかりますが、少なくとも教員一人当たりの児童生徒数はこれで十分欧米並みの水準に到達をするということが言えるわけであります。

山谷委員 財政問題にも言及なさいましたけれども、GNPに対する公財政支出における学校教育費の割合、日本は三・六%、アメリカ五%、イギリス四・六%、フランス五・六%、ドイツ四・六%ということで、日本はまだ低うございます。

 それから、日本の公共投資額は対GDP比で六%、他の先進国は二から四%という形で、公共事業に従事しておられる方、今六百数十万人いると記憶しておりますけれども、その人数に比べて、その方たちのために仕事を回すという意味でも、むだな公共事業がなかなかなくならないということもございます。

 一年間に七百九十四億円、そして十年間で十九万人の先生増というのは、子供たちへの本当に人づくりの投資、人あっての日本でございますから、私は、大きな視野で、次の時代に何が必要か、そしてお金と人材を配分していく構造改革が必要だというふうに考えております。

 いずれにしましても、四十人学級としつつ、二十人の学習集団を可能とするというのが政府案でございまして、この方が財政的な支出を伴わなくて効率的に学習効果が上がるというふうな御答弁が続いておりましたけれども、これは文部省の方ともお話しいたしましたし、また報道にもございました、完全週五日制になっても教員が受け持つ授業時間数を減らさないこと、児童生徒が出席する授業のこま数は週換算で二こま減るが、教員は土曜日の分だけ平日の授業時間をふやす、担任を持たない教員も担任と同程度の授業を受け持つ、特に小学校では担任を持つ教員と専科教員などでは授業時間の差が大きいのでこれを平均化する、教務主任や生徒指導主任など授業時間の少ない教員の授業時間数をふやすこと、このようなやりくりによって学習集団二十人を可能にするということでございます。

 今本当に学校がいろいろな問題を抱えておりまして、教務主任、生徒指導主任というのは大変重要な役割を持っております。その方たちの仕事というものをやはりもう少し見ていただきたいということと、現実に、例えば小学校、音楽の専科の先生とか美術とか理科とかいろいろいらっしゃるわけですけれども、十二学級に対して先生が十五、六人。そういう学習集団を二つずつつくっていくととても先生の人数が足りませんし、中学校では十二学級に対して先生の数が十八から十九人というこの数と、つくるつくると言っている少人数学習集団の数というのが全く理解できない、ごまかしではないかというふうに考えております。

 全国の小中学校、例えば、一年間に先生の加配分が、小学校で千七百二十、中学校で二千七百八十、全国小中学校三万四千校というこの全体の数から見ると、少人数学習集団というのが現実に小中学校で機能していくとは思えない数なのでございますけれども、その辺はどうお考えなのでございましょうか、町村文部科学大臣、お願いします。

町村国務大臣 少人数指導につきましては、現在進行中の六次改善計画の改善分というのがまずあるわけでございまして、それを一つ見落としていただきたくない。それに、今回の改善を加えた定数約四万人を含めた教員組織を柔軟に活用していくということによりまして、基本教科について二十人程度の少人数による指導が可能になる。これは、かなり事務当局が緻密な計算をしてやった結果でございますので、ぜひ信頼をしていただきたいし、例えば二学級を三つのグループに分ける、三学級を五グループに分けるといったようなそんな形態やら、いろいろその辺は現実に応じて弾力的に対応していけば十分可能だと思っております。

山谷委員 現場の先生方に聞くと、そのような対応が可能というよりも、むしろ混乱を起こすというふうに聞いております。

 先ほどの、西議員でしたか、弾力化の問題についてのやりとりがあったと思いますけれども、野党共同提案では、都道府県教育委員会が必要があると認める場合弾力化ができる、都道府県教育委員会が基準を定めるに当たっては、市町村教育委員会が「弾力的な学級編制を行うことができるよう配慮しなければならない。」と規定して、より分権化を進めるとともに、設置者の意向が生かせるように規定しているところがございますけれども、閣法では、都道府県教育委員会が「特に必要があると認める場合」というような形で、その「特に」というのが、現場におりていった場合、どのような形になっていくのか。池坊政務官は弾力的にというような御発言でございましたけれども、財政的な措置、裏づけのない中で、これは現実問題として弾力的に運用されていくとは思えないわけでございます。

 これまで、市町村が学級編制をするに当たっては、都道府県と事前協議、合意しなければならないなどということがございまして、市町村がお金があっても都道府県がなかなか認めなかったということがございました。

 例えば、一九九八年四月、信濃毎日新聞、長野県の小海町の出来事でございます。町長に就任したばかりの黒澤町長が、教育の充実を公約に掲げて当選したということで、少人数で行き届いた教育をしたいということで三十五人学級をつくりたいというふうに言いましたところ、県の教育委員会は全国的な公平性を維持しなければいけないということでこれを拒否して、結局、チームティーチングというような形の妥協をさせられたわけでございます。小海町の教育委員会は、子供たちのためを思って基準をつくった、県の教育委員はチームティーチングに形式を整えてほしいと言っているが、表向きだけ変えて何のためになるのか、県の教育委員会は形式にこだわり過ぎではというふうに話しておられますけれども、今回の改正でこのようなことはなくなるというふうに考えてよろしいのでございましょうか、町村文部科学大臣。

町村国務大臣 基本的に、どういう学級編制にするかということについては都道府県教育委員会が判断をするということになるわけでありまして、児童生徒の実態を考慮して、先ほど来御説明しておりますように、特に必要があると都道府県教育委員会が認める場合には、国の標準を下回る数を基準として編制を定めることを可能とするというのが今回の法律改正の趣旨でございます。

 したがいまして、都道府県教育委員会は、そうした特例基準を定める場合には、市町村教育委員会、今のケースで言えば小海町の教育委員会の意向でありますとか、なぜそれが必要なのかなということについて、そうした事情を踏まえて、そうした学級編制がこれから行えるような基準とすることが可能になったというふうに御理解をいただければと思います。

山谷委員 そうしますと、例えば、企業を誘致してお金持ちの市が、我が市は十五人学級をすると言った場合に、県は、もうこれからは口出しはしない。閣法の規定を読みますと、県と市町村の関係が何か従来と余り変わっていないように考えられますので、やはり相変わらず口出しするとか、あるいは弾力化が進まないとかいうことが考えられますけれども、これはそうではなくて、口出しをしない、もう県の方は県内の公平性の維持などということは言わないということでございましょうか。

町村国務大臣 これは県費負担の教職員ということでございますから、そこはやはり県としても県の財政ということもあるでしょうから、市町村でどうしてもともし御要望がある場合には、それは、例えば非常勤講師等々のいろいろな形で、市町村の負担でやっていただく。市町村立の小中学校であっても、人件費は要するに県費負担でございますから、そこは何でもどうぞというわけに、やはり都道府県としてはいかないということですね。

山谷委員 県費負担でございますから、結局、財政的裏打ちがない。ですから、そのような弾力化は現実には進んでいかないのではないかというふうに考えますけれども、その辺はいかがでしょう。

町村国務大臣 これは県の財政、あるいは場合によったら市町村の財政、うちの県は豊かだからやる、貧しいからやらないとかいう話ではないんだろうと思います。それぞれの知事さんが、我が県は教育最重点でいくということで県の財政の中からより多くのものを支出する、あるいは、うちの県はまだまだ公共事業中心でいくんだからということでそちらの方に重点を置いて、県の財政でそちらを配分する、それはまさに地方自治の、地方分権の趣旨にのっとって、それぞれの県知事の考え方に基づいて、ばらつきが出るというか、違いが出てくるということは、私は、今の地方分権という本来の趣旨からすると、それは違いがあってある意味では当然であって、もう既に一定の基準というものは国である程度確保できているわけですから、それを超えて、さらにそれぞれの地域ごとに、教育に特色を出そう、公共事業に特色を出そう、あるいは文化的な面で特色を出そう、そこまで、逆に国が一律に三十人なら三十人で切るということまでやらなくてもいいんじゃないのでしょうか。それが地方自治というものだと私は理解をしております。

山谷委員 地方分権の時代でございますから、それぞれで特色が違ってきていいというふうには考えるのでございますけれども、しかし、実際問題として財政的裏打ちがないと、なかなか弾力的な運用並びに個性のある教育のシステムづくりというのはできないわけでございます。

 野党共同提案の提出者にお伺いしたいのですけれども、地方分権、それから子供たちの実態などを考慮して、国の標準そして都道府県の基準、その辺の関係というのはどういうふうに考えていらっしゃいますでしょうか。

藤村議員 結論的に言いますと、政府案ではやはり小海町事件は起こる、こういうことだろうと思います。

 私どもはそこを大きく踏み込みました。つまり、第三条第五項に「都道府県の教育委員会は、第三項ただし書又は前項ただし書の規定により基準を定めるに当たつては、公立の義務教育諸学校を設置する地方公共団体の教育委員会が弾力的な学級編制を行うことができるよう配慮しなければならない。」

 これは、ちょっと解説いたしますと、地方公共団体という言葉をここに持ってきました。先ほど来の文部科学大臣のお答えは、あくまで都道府県教育委員会というところに国から移管したという、まだ分権途中、半ばだと思います。私どもは、さらに市町村、つまり地方公共団体が弾力的な学級編制を行うことができるように配慮しなければならないという新項目を入れたところに、大きく地方分権、特に学校教育の問題というのは、その教育の現場、市町村が設置者でありますから、そこが本当に、ある意味で独自にいろいろなことを考えてやれるということであろうと思います。

 そして、標準が、我々は三十人、県はさらに基準を設けることができる。これは閣法でもございます。例えばどんな基準を設けるかというと、都道府県の教育委員会でいえば、我が県は二十六人から二十八人の学級というふうに基準を設ける、こういうことができる。あるいは具体的に、小学校の低学年には二十人の学級を設ける、あるいは不登校や学校の荒れなどに配慮した学級編制を行うことができるなど、こういう基準を都道府県は設ける。そして、その基準のもとに、今度は市町村、まさに設置者、一番現場に近いところがさらに弾力的に行えるように配慮するというのが、閣法とは大きく違う第五項を入れた経緯でございます。

山谷委員 もう最後の質問になるでしょうか、野党共同提案の提出者の方に養護教諭のあり方についてお伺いしたいと思います。

 私も子供が三人おりますし、PTAの会長もしておりましたので、いかに保健室登校の子供たちが多いか、そして、そこで子供たちが心、体、いやされていくかということ、十分その重要性はわかっているつもりでございます。

 平成八年度に文部省が実施した保健室利用状況に関する調査によりますと、小中高における一校一日当たり保健室平均利用者数は三十六・三人、これが増加傾向にある。また、保健室登校をしている児童生徒がいる学校の割合は、小学校で一二%、中学校で三七%、高校で一九%ということでございます。

 つまり、スクールカウンセラーも大事なんですけれども、養護教諭というのは本当に大事で、いじめとか不登校になりそうな子供が、先生が、とにかくクラスに来なくていいから保健室にだけでも行ってちょうだいと言って、毎日毎日何カ月も保健室登校をしているというような実態がございまして、この養護教諭の重みというのはこれからますます重要になってくるというふうに考えております。

 もちろん、健康管理とか、保健学習指導など、教える、校務分担、いろいろそのほかにもあるわけでございますけれども、閣法では、養護教諭複数配置の拡充等で、十三年度要求が百九十五人、全国小中学校三万四千校以上ある中で百九十五人というような数、五年計画でも九百七十四人でございます。それに対して野党共同提案では、十年計画ではございますが、一万一千四百人という数を考えていらっしゃるわけでございますけれども、この養護教諭の配置改善の理由といいますか、その辺はいかがお考えでございましょうか。

山内(惠)議員 山谷議員の御質問、養護教諭の配置と改善の理由について答弁させていただきます。

 学校では、本当に教室に入れない子供が保健室登校という形をとっていますが、実は私も過去に、小学校の三年生の担任になったときのことですけれども、この子の担任になると春休みの段階でわかったその子が、一年生の最初の段階で不登校で、保健室登校をしていたという例があります。この子は、学校に行かなかったけれども、途中で保健室に顔を出して以来、二年生の終わった春休みにも保健室に登校しておりましたので、私が担任となった段階で、保健室に私も通って、三者で毎日交流をしていたという経験を持っています。この子が、四月になって、最初の段階では少しまだ保健室にこだわっていましたけれども、早い段階で私の教室に入ってくれるようになりました。この子が、保健室登校という経験がなければ、教室に来るのにはもっと時間がかかったのではないかと思います。

 その意味で、養護教諭が、その子だけにかかわるのではなく、そのほかに病院に行く子供に付き添ったり、または今回は授業ができるようになったりということがありますので、不在のときのほかの方の存在が必要だということを考えると、養護教諭の複数配置ということも重要だということで、拡充を図ったところでございます。

山谷委員 どうもありがとうございました。

 今のお答えを聞かれまして、町村文部科学大臣、養護教諭についてはどのようにお考えでございましょうか。

町村国務大臣 私も、養護教諭の方々とお目にかかって、保健室登校の実態等のお話をよく聞いたこともございます。また、学校を訪問した折、必ず保健室も訪れてみて、どんなぐあいかなというようなことも伺っております。したがって、養護教諭の重要性というのは、私なりに理解をしているつもりでございます。

 今回の複数配置基準というもの、三十学級以上に複数配置をするという基準を、小学校は二十四から二十七学級に相当する八百五十一人以上に、中学校は二十二から二十五学級に相当する八百一人以上にそれぞれ改善をするということにしておりまして、一応今必要なものだけはこれで確保できたのかな、こう思っております。

 なお、先ほど委員御指摘のように、特に中学校で保健室登校の比率が高いという現象もあるわけでございまして、そんな実態を踏まえて、私は前回、文部大臣を務めさせていただいたときに、中学校に心の教室というものをつくり、心の教室相談員というものを配置いたしまして、必ずしも養護教諭だけが対応しなければならない問題でもないケースもあるようでございますから、そういう場合には心の教室相談員を大いに活用してもらいたいということで、かなりこれは現場も、どんなぐあいに教室相談員の方々が生徒と接しているかという姿も私は見てまいりましたけれども、それはそれなりの成果をおさめているのかな。

 いずれにしても、養護教諭の重要性は、山谷委員御指摘のとおり、私も深く認識はしているつもりであります。

山谷委員 やはり現状分析と、それから教育関係、いろいろな問題はこれ一つで解決ということはないわけでございますけれども、それにしても、教育関係者の充実と、それから財政的裏打ちを抜きにしては解決しないと思います。

 私の質問は、これで終わらせていただきます。ありがとうございました。

高市委員長 山口壯君。

山口(壯)委員 民主党・無所属クラブの山口壯です。きょうは、三十人以下学級の法案について、政府案についてお伺いしたいと思います。よろしくお願いします。

 これまで、三十人以下学級、いろいろな形で議論されてきたとは思いますけれども、今回、閣法と我々のつくった衆法、この最大の違いというのは、四十人学級からスタートするのかあるいは三十人学級からスタートするのか、ここにかなり尽きるんじゃないかと思うんです。というのは、少人数の学習集団を認めるとかあるいはチームティーチングの云々の話というのは我々の法案の中にも入っている。そういう意味では、今回、この四十人学級にどうしてもこだわるということの背景、これはいかがお考えでしょうか。

    〔委員長退席、鈴木(恒)委員長代理着席〕

町村国務大臣 今回の改正におきまして、現行の四十人という学級編制の標準については、私どもはこれを維持するということでございます。

 その理由につきましては、先ほど来からもう既にるる各委員からの御質問にお答えをしたとおりでございますけれども、集団の中での人間関係の形成あるいは切磋琢磨という面から、学級についてはある程度の規模が必要であろう。仮に三十人学級にした場合に、三十一人ということになると十五人、十六人という二学級になってしまうということで、そうしたことができるんだろうかなという思いもあります。あるいは教科等に応じた少人数による指導の方が、複数の教員による、TT等によりますきめ細やかな指導あるいは評価ということができる。

 こうしたことを考えたときに、三十人学級というのが必ずしも有効な手段ではないのではなかろうか、こう考えているわけでございます。

山口(壯)委員 今、例えば集団の方が一定の効果があるとか、あるいは複数の、チームティーチングという話も出てきましたけれども、それが本当の理由なんでしょうか。

町村国務大臣 理由は幾つか先ほども申し上げましたが、主たる理由は私どもはそういうことだと。委員は財政至上主義でいったんではないのかということをきっとおっしゃりたいようなニュアンスを今お言葉から受け取りましたけれども、もちろん財政も一つの考慮要素であることは間違いがございません。

山口(壯)委員 特に、我々の出させていただいた法案、これは三十人以下学級からスタートしていろいろな柔軟な対応が可能になるという法案です。したがって、例えば十五人、十六人になってもクラスを合わせていろいろな活動もできる。そういう意味では、今、町村文部科学大臣の言われた一定の規模の集団であることが望ましいとかあるいはチームティーチング云々というものは、私たちの出した法案でも十分可能なわけです。どうしてこの四十人学級にこだわるのかという説得力に私は欠けると思うんです。

 もちろん財政の観点からの議論もあるでしょう。だけれども、我々がどれだけこの教育の問題に政治家として真剣にかかわっていくかというバロメーターだと思うんです。要するに、例えば投資の問題、これは、効果の上がらない整備新幹線を地元に敷くという予算を認めるのか、あるいは未来に対する先行投資としてのこの教育に我々が真剣に取り組むのか、そういう姿勢のあわわれだと思います。これについて、町村文部大臣、いかがでしょうか。

町村国務大臣 お言葉を返すようで恐縮でございますが、山口委員のみが一生懸命教育のことを考え、私どもが教育のことを考えていない、あたかもそうとれるような御発言はひとつ控えていただきたい、こう思っております。

 もちろん整備新幹線その他のお話もございます。それは今ここで論ずる場ではないかもしれませんが、社会的なインフラの整備の度合いというものは国によって違いがあるわけでございますから、それを一概に、外国と比べてどうかというようなこと、あるいは国内的に見てどうかということについて単純な比較はいかがかな、かように思っております。

 いずれにいたしましても、私どもとしては、現在出しております四十人の中でも十分子供たちのニーズにこたえられる教育が可能である、こう判断をしたからこそ今回の法案を出させていただいているということでございます。

山口(壯)委員 三十人以下が果たして望ましいのかどうか。例えばイギリスだと一対一でのチューターという制度もあって、それが非常に人格の面でもあるいは本当の学習の面でも大きな効果を上げているというのは、我々もかいま聞くところです。そういう意味では、いろいろな方が小さい方がいいだろうということを言っている。

 だけれども、三十人以下学級にどうしてもできないという中で、三十人以下学級に果たしてできるんだろうかという議論を文部科学省の中でされたことがあるのかどうか、この点、いかがでしょうか。

町村国務大臣 そうしますと、逆に、これは余りこちらから質問しちゃいけないのかもしれませんが、それじゃ、三十人より二十五人がいいんですか、二十人がいいんですか、十人がいいんですか、最後はチューターのような一人がいいんですかということになれば、それは一人がいいということになるのかもしれません。

 しかし、そこは、やはり学校という一つの集団の中で、私はお互いが、たった一人で、もっとチューターどころか、これだけのITの進歩があれば、極端なことを言えば、全部インターネットで、知識の伝授だけならばそれは可能になるかもしれません。現に一定程度そういうことも進んでいるのもまた事実だろうと思います。しかし、学校という場は、じゃ、全部インターネットで済むかというと、決してそれはそうではない。やはり、集団の中でお互いが議論をしたり、スポーツをしたり、クラブ活動をしたり、あるいは集団でのお互いのやりとりの中で、知識の面あるいはそれを取り巻くさまざまな条件というものができてくるわけでありますから、一概に何人ならばよくて何人なら悪いということには必ずしもならないだろうと思います。

 例えば、私は昭和十九年生まれでございますが、昭和二十六年、小学校に入ったわけですが、そのころは大体五十人から五十五人学級でした。では、そのころの五十五人学級あるいは五十人学級で教育成果が著しく上がらなかったかといえば、自分のことを言うのはなんでありますけれども、我々の世代の人間の教育というものが人数が多かったから非常にパフォーマンスが、成果が上がらなかったかといえば、必ずしもそうではない。

 もちろん、我々の時代と今の子供たちではいろいろな意味での条件が変わっておりますから、それもまた単純な比較をすることも難しいかもしれませんが、人数が多いから少ないからという、一つの要素ではあるかもしれませんが、それだけでよりよい教育ができるかどうかということは一義的には決まってこないんだろう、私はそう思うわけであります。

山口(壯)委員 政治家というのは、やはり、十年先、二十年先あるいは五十年先を見なければいけないと思うんです。そういう意味では、今、町村大臣が将来にわたって四十人学級の方がいいような印象を私は受けるんですけれども、この点はいかがでしょうか。

町村国務大臣 五十年先のことまで、私、今申し上げておりません。今回の定数改善計画は五年間でありますから、五年近くなった時点で、これまでやってきたこと、また今回の計画がどんな成果をもたらしているか、あるいはどういう問題点があるかというあたりは、また今回の計画が始まった三、四年ぐらいたったところでしょうか、やはりそこは冷静に評価をして、その次どうするのかなということを考えていく、今までもそうやってまいりました。

 ですから、私は、未来永劫三十人がだめだとか、そういうことを別に言うつもりもありませんけれども、そこはやはり、それぞれの改善計画ができてある程度進行したところで、改めて振り返って評価をしていくということが求められているんだろうと考えております。

山口(壯)委員 ということは、将来においては、この四十人でなくても三十人ということもあり得べしという御答弁でしょうか。

町村国務大臣 今三十人ということを私は言うつもりはありません。なぜならば、それを実証するだけのデータもございませんし、今四十人でやってみて、ここで何年かたって、五年なら五年のうち、三年あるいは四年たったところで、そこで評価をして結論を出せばいい話で、三十人が、例えば次の定数改善でやるかとかあるいはその後十年後にやるかとか、今からそんなことを私の立場で言えるはずがないわけであります。

山口(壯)委員 三年か四年後に評価をされるということは、四十人学級のデータしかないわけですね。したがって、三十人学級がいいかどうかというデータ、これはその時点でもわからないわけです。だから、そういう意味では、今三十人学級の実証データがないからそれをしないという議論というのは私は成り立たないと思うのです。その点についてはいかがでしょうか。

町村国務大臣 それはおっしゃるとおりです。ただ、三、四年たってみたところで、やはり四十人学級の問題点ありやなしやという角度で検討をして、その際に、やはりそれは問題だということにもしなれば、そこでクラスのサイズというものを改めて議論することはあるのだろうと思います。

山口(壯)委員 今、将来においては前向きの検討もあり得べしという答弁をいただいたように私は思いますので、それはぜひともそういう気持ちを大事にしていただければと思います。

 この閣法の中で、七条の二項、いわゆるチームティーチングの話ですね。このチームティーチングですけども、これによる加配、これは何人今お考えでしょうか。

町村国務大臣 小中学校合計で二万五千七百七十四人、そのうち、小中学校の少人数による授業などきめ細やかな指導を行う学校の具体的な取り組み支援ということで二万二千五百人ということであります。だから、これは必ずしも全部がTTというわけではございませんね。

山口(壯)委員 学校の先生の数というものは、児童生徒の数によって確かに増減するものだと思うのです。したがって、これから、少人数の傾向が強まるに従って、学校の先生もひょっとしたら要らなくなるのではないかという議論も起こるべしだと思うのですけれども、少人数のこれからの傾向に伴って、学校の先生の数が一体何人このままだと減るということになるのでしょうか。

町村国務大臣 子供は五年間で六十万人減ります。

山口(壯)委員 この二万二千五百人という加配の性質、あるいは、全体では二万五千七百七十四人、義務教育の中での性質、この数字がどこから出てきたのか。一つの考え方というのは、子供の数が少なくなるに従って先生の数も、普通なら減るところを今の現状の維持にする、そういうたぐいの数字じゃないのですか、この数字は。

河村副大臣 今大臣御答弁なさいましたように、この第七次の計画の中では、子供の数が六十万人ぐらい減るということでございます。これを、財政当局の、子供の数が減るんだから当然公務員たる先生の数も四十人学級の規定でいけば減るはずだ、こういう理論がありまして、そのままでいきますと、大体今、二万二千五百、全体で二万六千九百を確保しようとしておりますが、そのぐらいの数は本来減るわけであります。だから、いわば定年でおやめになる先生方をそのまま採らなければその数に見合うものであろうという理論が財政当局から基本的にありました。

 実は、私が前の総括政務次官のときにこの問題に取り組んだものでありますから、今ここへ立っておるわけであります。

 そこで、中教審の方からも、小中学校の先生一人当たりの数を欧米並みにしなさいと、日本の場合は十八、十九、それを十六、十五、その辺までという指摘もあったわけでございます。これに近づける努力もしていかなければいかぬ。そういう試算をいたしますと、平たい言葉で言いますと、少なくとも先生の数は減らさないようにしたらどうだ、やめていかれる先生を全部確保したらどうだ、そうすれば、当然数字の上では先生の数は減らない、現状維持できる、生徒の数は減るのですから、それによって相対的にこういうことも成り立つわけであります。

 結果的にそのような形のものを積み上げていきながらこの数字をはじき出した、こういうことでありまして、今回のこの定数改善によって、少なくとも、一人当たりの数、先生、教員が受け持つ子供の数は欧米並みにこれで落ちついていくということが言える、こういうことであります。

山口(壯)委員 今、河村副大臣から非常にわかりやすい御答弁をいただいて、私も背景がのみ込めたような気がするのです。

 要するに、先生の数はこのままだと減る。減らしたくない。他方、財政当局との兼ね合いで抑えられている。じゃ、その妥協点をどこに見つけるのか。欧米並みの学校の先生一人当たりの生徒の数が、二万五千人なりの数を置いておければとりあえず近づくじゃないか、こういう発想であることが、今、副大臣の説明で非常によくわかったのです。だけれども、それとこの衆法との違いは非常に明らかだと思うのですね。

 要するに、これは町村文部科学大臣に私はお聞きしたいのですけれども、今の維持をするという形で果たして本当に教育国会と呼べるのかどうか、非常に私は疑問だと思うのです。この点はいかがでしょうか。

町村国務大臣 教育改革の中でこれが一つの柱であることは論をまちません。しかし、教育改革は、クラスの四十人か三十人か、それだけで教育改革すべてが律せられるものではないのは委員よくおわかりのとおりであろうと思います。

山口(壯)委員 何か私、しかられているような気がしますけれども。

 だけれども、この三十人学級についての前向きの姿勢、このことは、私、多分この議論を聞いている国民の多くは非常に感じると思うのです。

 今、文部科学大臣の言われているのは、まるで財政当局が物を言っておられるような気がするのです。教育を担当される町村大臣としては、ぜひとも財務省に対しても強く物を言っていただきたい、それが我々一緒に教育という大事な仕事にかかわっている者の気持ちだと思うのです。そこら辺はぜひとももう少し強く頑張っていただきたいなと私思うのですけれども、いかがでしょうか。

町村国務大臣 先ほど委員から、例えば三十人の実験がないじゃないか、こういうお話がありました。しかし、現実に、小学校のクラスの一学級の平均人数は二十七人なのですね。ですから、その三十人の実験がないといったって、一学級当たりの平均人数はもう二十七人で、三十人を現実に割っているのです。

 したがいまして、三十人なら三十人というものの成果がどうかということは、現実に今平均が二十七人ですから、あるいはもうちょっと少ないところもあるのでしょう、そういうあたりと、四十人ぎりぎりのところでどれだけのパフォーマンス、成果の差があるかというあたりを、少しくこれは専門家に検討してもらうということは十分あっていいことだろう、私はこう思っております。

 いずれにいたしましても、財政当局としっかり交渉してこなかったのではないかというお話もございますが、本件につきましては、昨年の年末、予算の折衝の始まる前に、私は、大蔵大臣と個別に折衝いたしまして、政府全体で数項目の重要な折衝事項がございましたが、事前閣僚折衝という形で今回の定数改善を決めさせていただいたというようなことから、最大限の努力をして今回の定数改善のものが出てきた、現下の厳しい財政状況の中では、私どもとしては最大限のものがとりあえず確保できたのではないのかな、こう思っております。

 それは、もし財政がゆとりがあればさらにもう少しやる余地はあったのかもしれませんが、現下の状況で、私どもとして一応要求したものが満額回答が来た、こう私どもは思っているわけであります。

    〔鈴木(恒)委員長代理退席、委員長着席〕

山口(壯)委員 今の大臣の御答弁でさらにわかりやすくなってきたのですけれども、財政状況さえ許せば、将来は今の四十人、さらに三十人の実態を見てそれを検討することもあり得べしというふうに今お答えいただいたと思います。

 この二万二千五百人の少人数学習集団等に加配のために割く人数、他方で、全国の小中学校の数は幾つあるのでしょうか。

河村副大臣 小中で三万四千というふうに聞いております。

山口(壯)委員 三万四千であれば、この二万二千五百となれば一校に一人にもならない、五年かけてふやしても、一校に一人の加配もない。これで、どうして少人数学習集団が可能なんでしょうか。

河村副大臣 御案内と思いますが、四十人学級で運営されているクラス、これは大体、中学校で全体の半分ぐらいが四十人学級になっているという数字。小学校は、四十人の学級、クラスが全体の三割ぐらいでしょう。そういうところへ集中的にどうしても配分されるわけです。一校一つという計算でいきますとそうなりますけれども、既に御案内のように、地方へ参りますと、もう三十人学級以下はたくさんあるわけです。私の選挙区なんかは、一生懸命三十人学級はどうですかという話を聞きますが、現実にもうどのクラスもみんな三十人になっているのですね。だから、この議論は、私の方で言ったって、PTAの皆さんはぴんとこない。もっと先生の質を上げてくれとか、そっちの方へ行っているような感じを私は受けとめております。

 そういうことで、この加配というのはそういうところへ集中的にすれば可能である、このように思っています。

山口(壯)委員 今副大臣から、本当に苦肉の策の御答弁をいただいたと思うのですけれども、私の選挙区というのは兵庫十二区というところで、確かに、もう谷に沿って村があるというところなので、私自身も、三十人以下の学校がほとんどだということはよくわかるのです。

 そうなると、もう一回ちょっと、またもとの議論に戻るのですけれども、なぜ三十人学級が法案として認められないのかという話になると思うのです。これについて、いかがですか。

河村副大臣 私はこう思うのですよ。今民主党が三十人でこれをお出しになっていますが、これがベストだと思ってお出しになっているかどうか。私も、これも段階的なものではないか。本当に、一クラスは何人であったら一番理想的な教育ができるという、まだ確たるものは何もないのですね。だから、そういう意味で、一般的な議論としては、少しでも少ない方がうまくいくのではないか、こう言われております。しかし、先生によっては、四十人でも十分やれるのだとおっしゃる先生もいる、しかし二十人がいいとおっしゃる先生もいる。この辺ははっきりしません。

 そういう意味でも、それに応じて、それぞれの地域によって対応できるようにしよう。しかし、四十人学級の方が、現状を見ていると、確かに学級崩壊の問題等々を抱えている面もある、確率からいうと多い。そういうことであれば、そういうところへ加配をする。それから、中学校なんかで、習熟度といいますか、かなり教科によっては差がつきやすい、もっときめ細かい教育をできないだろうかということであれば、そういうところへもやる。

 そういうふうなことで、今回、野党の皆さんが一致してお出しになっておりますから、三十人学級対少人数学級というふうな形になりました。さあ、どれが効果的なのかということは、これからやっていく上でこのことをきちっと確立していくことによって、少人数学級の成果というものが、必ず私は少人数授業というものが成果を上げ得ると。これが私もベストとは決して思っておりません。ベターな政策として、また世界の標準に、さっき申し上げたような教員一人当たりの、ここまで来たのだというものを誇り得るべき日本の教育としての一つの段階だ、このように考えています。

山口(壯)委員 河村副大臣とは、本当にだんだん議論が私ども収れんしているような気がするのです。我々も、三十人学級がベストだとは思っていません。とりあえず、三十人は少なくともしようじゃないか。もっともっと小さい学級、例えばクリントンさんは十八人と言っているわけですね。こういうことが可能であれば、そこまで持っていきたいという気持ちは持ちつつも、少なくとも三十人学級は、今の実態であれば持っていってもいいじゃないかという気持ち、本当に河村副大臣と私、同じような気持ちです。

 それで今、図柄を少し誤解されていると思うのです。三十人学級対少人数学習集団じゃないのです。この対立の図柄じゃないのです。私は何度も申し上げていますけれども、我々の衆法においても、この少人数学習集団とかいろいろなものに可能なように、例えば我々の法案でいけば七条の二項というところに、「その他政令で定める授業の方法の改善又は特色ある教育課程の編成が行われる場合」ということで、その前には「複数の教頭及び教諭等の協力による指導が行われる場合」ということで、我々の場合でも少人数学習集団のことは法案には既に出ているわけなんです。ですから、三十人学級対少人数学習集団の対立の図柄じゃないということはよく御理解いただければと思います。

 それから、この少人数学習集団ですけれども、基本の三教科とした、それに限った理由というのは何でしょうか。

河村副大臣 これでなければいけないという決め方ではないと思うのですね。例えば中学校あたりでは、やはりどうしても理科とか、新しく入ってくる英語とか、そして算数というのは、確かに格差も現実につきやすい現状がありますから、例えばそういう科目はどうでしょう、こういうことだというふうに私は思っております。

山口(壯)委員 ということは、この基本教科云々の議論というのは、あくまでも参考例であるということでしょうか。

河村副大臣 そのとおりでございまして、この三教科に限定をされておるものではありません。それぞれの地域によっては、我々の方はこっちだ、こうおっしゃればそれも可能だし、しかし加配の限度がありますから、全部がというわけにはいかないだろうと思います。

山口(壯)委員 そうですね。例えば、教科でいえば社会ですね。この社会の教科であれば、討議とかいうことは非常に大事になると思うのです。そういう意味では、その三教科に限らずに、例えば社会についても柔軟に見ていただける、そういうような御配慮をぜひとも考えていただければと思います。

 それから、この七条二項の加配の話、ここは閣法の中では三つ掲げられていると思うのです。すなわち、「複数の」云々ということで、TTの話。それから二つ目には、「少数の児童若しくは生徒により構成される集団を単位として指導が行われる場合」、すなわち少人数学習集団。そしてもう一つは、「多様な選択教科が開設される場合」。この三つが言及されているわけなんですけれども、この加配というのはこの三つの場合に限定されるのかどうか、それはいかがでしょうか。

河村副大臣 これは、学校とか実態に応じてということでありますから、それについてされるということにはならないと思います。

山口(壯)委員 この三つの場合に限定されずに、例えば各学校の工夫、そういうような取り組みについてもこの七条二項の加配が認められる、今の御答弁はそういうふうに解釈してよろしいですか。

河村副大臣 これは、恐らく各県の教育委員会とかそういうところの実態だろう、広く適用されるものだ、こう思っておりますし、大臣も言っておられるのでありますが、何も中学校に限ったことではなくて、小学校の低学年はやはりもっとそういうふうな方向が要るのじゃないかという指摘もございますから、その辺は各教育委員会の裁量に任せたらどうであろうか、こう思います。

山口(壯)委員 ぜひとも、今河村副大臣から御答弁いただいたように、各学校による工夫が生かされるような対応をお願いします。

 それから、この少人数学習集団云々の二万二千五百人、非常に大きな数字だと思うのです。これをあえて加配という措置によって行おうとした、その考え方はいかがでしょうか。

河村副大臣 第六次計画で、先ほど大臣の答弁にもあったと思うのでありますが、第六次のときにチームティーチングとして約一万六千人の改善を行っておるわけでございまして、その時点でも少人数指導、加配という形で進めてきたわけでございます。

 そういうことで、二学級以上ある学年が、既に二十人程度になっていれば別でございますが、例えば二学級を合わせて三グループにするとか、あるいは三学級を五グループに分けるとか、こういうことも、学習集団というものの指導が可能になるようにという考え方でありますから、そういう点でいけば、一律に配分というのじゃなくて、やはりそれに応じた加配方式ということが学校における具体的な取り組みを支援する意味から有効ではないか、私はこのように感じておるわけでございます。

 そういうことですから、各都道府県で少人数指導の実施の形態、チームティーチングなんかも既に入れてやっておられるところもございます。そういうところとか、学校数とか、教員一人当たりの児童生徒、そうした客観的なデータもありますから、そういうものを勘案して、加配で弾力的にやるというふうに考えております。

山口(壯)委員 今河村副大臣からお答えいただいたのは、今までの第六次からの延長として、この少人数学習集団云々の二万二千五百があるという御答弁ですね。ということは、いかにも何も変わらない、今までの延長だというように私には思えるのですけれども、この点、いかがでしょうか。

河村副大臣 チームティーチングというものが有効であるということはお認めになると思うのですね。それだけではなくて、チームティーチングが有効な授業もあると思うのです、学科によっては。もう一人加わった加配の先生がずっと見て歩く、例えば家庭科みたいなものは実習をやっているところを見て歩く、そういう先生が必要ですから、クラスを分けるよりその方が有効だという話もありますが、しかし、一方ではクラスを分けた方がいいのだということもあります。

 そういう意味で、これによって実態に必要なことができるということでありますから、何も変わらないということではなくて、これまでですとクラスを小さく分けてやるということは非常に困難であってできなかった、少なくともそれが変わるわけでありますから、実態は大きく変わっていくということではないでしょうか。

山口(壯)委員 確かにその方向というのは私はいい方向だと思うのです。他方、私と河村副大臣とぜひとも認識を共有させておいていただきたいのは、今回は財政の問題もあった、したがって、このままであれば減っていく先生も何とか工夫してとどめておいて、それが実質増になるようにという、今回はそれでしようがないじゃないか、だけれども、未来に対しては、我々は道を閉ざさずに、状況を見ながら切り開いていくというそこら辺の御認識というのは、ぜひとも共有させておいていただきたいのです。

 一番最後に、また四十人学級云々の話に戻っていきますけれども、非常勤講師の話です。

 この非常勤講師というのは、例えば閣法で今回認められて、そして、あるいは衆法ではそれが入っていないから云々という話では必ずしもないのですけれども、この非常勤講師を安易にどんどん採用してしまうことによって、一つの今までのつながりというものが変わっていく。それがいい方向に変わるのか、果たしてそうじゃない方向に変わるのかわからないわけですね。

 特に、これは教員免許というものを持っておられない方がどんどん入ってこられる。しかも、一人の定員を例えば二人分、三人分として使っていくということであれば、果たしてどの辺までふえていくのだろう、あるいはそこに何らかの枠があるのだろうか、そういう点についていかがでしょうか。

河村副大臣 非常勤講師の活用についてどう考えていくかということだろうと思いますが、御案内のように、新しい教育指導要領等々によりましても、総合的な学習の時間等々、いろいろな指導スタッフを幅広く集めていかなきゃいかぬ、こういう状況になってまいりましたから、そういう意味でできるだけ非常勤講師も活用したい、大きく活用したいということであります。

 ただ、非常勤講師の中には、特定教科を担当されますから、自分の持つ授業時間が限られておるという先生方もいらっしゃいます。そういう先生方を定数として見たときに、時間数で考えれば、一人分が二人、三人と活用できるではないかというような考え方もあって、この定数という考え方、これは先ほど話もありましたが、財政当局との間で一番問題は定数をどうとるかということになってくるわけでありますが、文部科学省としては、やはり財政は限られておりますから、その中でやりくりもあるわけでございます。

 そういうことを考えますと、教員の定数を活用した非常勤講師の任用を可能にしていかなきゃならぬということからでございまして、ただ、制限をするという考え方は決してないわけで、その枠の中でやりくり、適当な表現かわかりませんが、非常勤講師も活用しながらやっていくということでありますから、定数の枠の中のものであれば、それぞれの都道府県の教育委員会の判断でおやりをいただくということであって、非常勤講師をこれ以上ふやすなとか減らせとか、そういうことを文部科学省として言うべきことではない、このように思っています。

山口(壯)委員 この非常勤講師の制度というのは、財務当局の観点からすれば、定数として認めてしまえと。要するに、制限というか、言ってみれば、非常勤講師で定数を食ってしまうということが起こり得ると私は思うのです。

 この文部科学委員会というのは、我々は利益共同体だと思うのです。教育を大事に考えるという者の集まりですから、そういう意味では、この非常勤講師の問題についてもやはり同じ視点が出てきて、この非常勤講師の制度は経費の面では非常に有効かもしれない、定数をとってしまうという観点からすれば。しかし、それは財務当局の観点からの話だと思うのです。むしろ、学校の実態からいけば常勤の先生の方が望ましいに決まっている。そういう意味で、妥協の産物として私は使っていただきたくないのです。

 というのは、いろいろな見識を持った人を学校で先生として頑張ってもらおうということであれば、既に制度がありますよね。例えば特別非常勤講師制度ですか、これは補助事業だと思いますけれども、これによって対応が可能だと思うのです。その点、いかがでしょうか。

河村副大臣 特別非常勤講師制度というのはまさに特別でありまして、総合学習の時間等でスポット的に来ていただく、常時特別非常勤講師でおられるかどうかという、もちろん講師の状態もありますが。もちろんその制度も活用すればいいわけでありまして、これは活用できるものはともかくあらゆる角度から活用していくということであります。

 さっき申し上げましたように、教員の特定教科を担当するがゆえにその授業時数が極めて少ない場合に、やはり非常勤講師に置きかえることによって定数を有効に活用するという考え方でございますから、これは妥協というか、知恵の産物ではないか、こう私は思っているのです。

山口(壯)委員 今河村副大臣も非常に苦しい答弁をされたと思うのですけれども、この特別非常勤講師制度と今回の閣法に言及されている非常勤講師とは違うのでしょうか。

河村副大臣 それは違うと思いますが。

山口(壯)委員 どこが違いますか。

町村国務大臣 教員免許の有無によって、非常勤講師は教員免許がある人、特別非常勤講師は教員免許がなくてもいい、こういうことになっているわけであります。

山口(壯)委員 今回の閣法に言う非常勤講師制度というのは、教員免許を持っておられる方に限るのでしょうか、今の大臣の答弁はそういうふうに私は解釈したのですけれども。

町村国務大臣 今回は両方いいのです。

山口(壯)委員 失礼、今の答弁、私はよく理解できていないのですけれども、最初の答弁は間違いだったということですか。

町村国務大臣 非常勤講師であれ特別非常勤講師であれ、今回の定数の中でそれは活用できるということであります。ただし、特別非常勤講師の場合には別途の制度がありますので、多分非常勤講師という形でこれが進むのだろう、こう思っております。

山口(壯)委員 申しわけありません、町村大臣、今のはお間違えの答弁だと思うのです。特別非常勤講師制度というのは定数とは別途の話じゃないのでしょうか。

町村国務大臣 もう一度申し上げますが、特別非常勤講師というのは、教員免許がなくても教壇に立てるという仕組みをつくったわけですね。そういう意味で、資格の問題なんです、非常勤講師か特別非常勤講師かというのは。

 今回の非常勤講師と書いてある部分は、特別非常勤であっても非常勤講師であっても、どちらでもその中でカウントすることができるということなんです。

山口(壯)委員 申しわけないのですけれども、今の答弁、私、正確じゃないと思うのです。どうですか、河村副大臣、今の御答弁のままでしょうか。よろしいんですか。

河村副大臣 大臣答弁されたとおりだと思いますが。

山口(壯)委員 私、別にこれは責め立てるつもりで質問しているんじゃないのです。我々、閣法にも理解を深めたいと思って質問しているわけですから、補佐されている方、しっかりと補佐していただきたいのですけれども、特別非常勤講師制度というのは定数の枠外、そして今回の非常勤講師の制度というのは定数を食う、こういう理解だと私は思いますけれども、これで正しいかどうか、御答弁をお願いします。

町村国務大臣 こういう、ある意味ではちょっとテクニカルな問題は、ぜひ山口委員、お願いでございますが、政府参考人にも答弁をさせるような機会をつくっていただきたい、こう思いますが、しかし、今私の答弁に関して言えば、私の答弁で全く間違っておりませんので、ぜひ正確に法律を読んでいただきたい。

山口(壯)委員 いや、この三十人以下学級を、我々は対案を出しているわけですね。そして、言ってみれば閣法と対決させていただいているわけです。そういう意味では、これはテクニカルだからおれ答える必要がないという話は通らないと私思うのです。

 しかも、この特別非常勤講師制度とこの非常勤講師制度というのは、これから学校の先生の多様化を求めていくという意味で非常に大事な話だと思うのです。それに対してしっかりした御理解がいただけてないのであれば、私はむしろそっちの方が問題だと思うのですけれども、もう一度答弁、お願いします。

河村副大臣 おっしゃるように、特別非常勤講師というのは、教員免許を持たなくても教壇に立てるということでありますから、それはいわゆる免許を持っている非常勤講師とは違う、これはもうはっきりしているわけですね。

 ただ、最初のスタートの話が、非常勤講師よりも常勤講師の方がもともといいではないか、その方向へ話をとおっしゃるから、いやこの非常勤講師配置というのは、やはりそれはこのこともずっと研究をしてきて、その結果今回こういう制度を、いわゆる非常勤講師配置調査研究ということでずっと続けてきて、それで、さっき申し上げたように、特に中学校の免許外教科担任、こういう問題もありましたので、そういうものを解消してもらいたいとか、それから小学校も専科教育ということをもっと充実してもらいたいというようなことがいわゆる非常勤講師の配置に関する調査研究事業の中で生まれてまいりましたものでありますから、非常勤講師をどのように活用するかということで来たわけでございます。

 ただ、定員の枠かどうかということになりますと、これは非常勤講師制度も、特別非常勤講師制度も予算の枠の中でやっておるわけで、ボランティアでやっておるわけではありませんから、そういう広い意味で全体の枠の中に私は入っている、こう思うわけであります。

山口(壯)委員 河村副大臣、申しわけないです。今、お間違いの答弁だと思うのです。特別非常勤講師制度というのは、定数を食わないんだと思うのです。これはいかがでしょうか。

河村副大臣 今回お出ししております法案では、その特別非常勤講師も含めた形で入っているということであります。

山口(壯)委員 もう一度ちょっと整理させてもらいます。

 特別非常勤講師制度、今までにあった従来の補助制度によるものですね、これは定数外。今回、非常勤講師制度を定数を食う形で閣法が入れようとしている。ということは、これは別に今までの特別非常勤の先生でももちろん対象に入り得るわけですから、それはそれで、もちろん同じ先生が今回の閣法のものによって対象になり得るということはあり得ると思うのです。そういうことを多分副大臣言っておられると思うのです。だけれども、その場合には定数を食ってしまう、そういう違いがあると思うのです。そこを確認いただけますか。

河村副大臣 今回の法案では、特別非常勤講師も定数の中に入れていくということで出ておるわけであります。

山口(壯)委員 私、この問題を余り永遠に議論していてもどうも余り意味のないような、大事な話なんですけれども、ちょっとすれ違ったままだと思うのです。

 私思うのですけれども、しっかりちょっと補佐をしていただきたいのです。というのは、私あえてこれは細かい問題で困らそうとしているわけじゃ全くないんですよ。諸先輩に失礼ですけれども、衆議院規則の四十五条の三には、政府参考人の説明の聴取という格好で、「委員会は、前条の規定にかかわらず、行政に関する細目的又は技術的事項について審査又は調査を行う場合において、必要があると認めるときは、政府参考人の出頭を求め、その説明を聴く。」原則は政府参考人なしで我々政治家同士の議論をしようという国会の定めがあるはずなんですね。

 ですから、私が聞いていることを、テクニカルだからといって余りそれは排除しないでいただきたいのです。非常に大事な問題を私は聞いているつもりなんですよ。もう一度答弁をお願いします。

河村副大臣 これはテクニカルだとは思いますが、しかし、今おっしゃることをもう一回誤解のないようにしていただきたいのですが、特別非常勤講師制度が全部この定数の中に入っちゃったということじゃなくて、今までの補助事業である特別非常勤講師制度もあるんです。しかし、今度の、非常勤講師を活用する中には、特別非常勤講師もこっちにも入れられるようにしたんだ、こういうことなんです。だから、その場合は定数を食いますよ、こういうことなんです。

山口(壯)委員 やっと議論が整理されたので、要するに、今回の非常勤講師制度というのは定数を食ってしまう。したがって、財務当局とのある意味では兼ね合いの中から出てきた工夫だと思うのですけれども、そういう非常勤講師でもって実際上の、言ってみれば常勤でない、フルタイムじゃない先生がどんどんふえてしまうのであれば、それは私は、どちらかというと、果たしていいのかどうかという疑問を投げかけていたわけです。

 さて、それでは、時間も非常に少ないので、本当はもっともっと大事な問題で、いわゆる私はテクニカルじゃないと思いますけれども、先に進めさせてもらいます。

 今回、教頭の複数配置の問題も取り上げられておられますね。閣法でいけば、教頭の複数配置として六百十二人。我々のいわゆる衆法、対案では、もっともっと多い数を予定していたわけですけれども、この教頭の複数配置基準が改定されようとしているわけですけれども、どういう理由からこれは改定されようとしているのでしょうか、お聞かせいただきます。

河村副大臣 教頭を増員するこのねらいでございますが、これからやはり校長のリーダーシップというものが非常に問われるわけでございます。各学校、地域、学校評議員制度も新しく設けたわけでありますが、そうしたものも含めて特色ある教育課程をつくり上げていく、自主的、自律的に学校運営をしていただくということから、平成十四年から全面実施される新しい学習指導要領、これにも各学校は創意工夫を高めてもらいたい、そして特色ある学校づくりを求めていきたい、そういう面で、校長を補佐する教頭というものを、これから校長を補佐する意味で教頭の役割は非常に高まってくるということで、特に学級数の大きい学校等でありますが、教頭の複数配置基準、これを改善するということになったわけであります。

山口(壯)委員 教頭先生も、それではこれからは授業をもっともっと担当していただく、こういう話になりますか。

河村副大臣 教頭の職務というものは、校長を助けて校務を整理する重要な役割があるわけでございますが、必要に応じて児童生徒の教育にもつかさどる、こうなっておりますから、今回増員される教頭についても、その職務内容を特に限定するわけではありませんので、当然授業も担当していただくことがあり得る、このように思います。

山口(壯)委員 次に、高校の話に移りたいと思うのですけれども、高校について、今後五年の中で、いわゆる生徒の自然減による学校の先生の減ということも見通しがあると思うのですけれども、どれくらいの見通しを持っておられるでしょうか。

河村副大臣 高校の場合も、平成十三年から十七年度で約四十万人減少と予想されておるわけでございまして、このままいきますと、教職員の定数、現行法のままでいきますと、平成十三年以降、十七年度までには、二万三千二百人の先生の自然減が見込まれる、こういう状況になっております。

山口(壯)委員 二万三千二百人の減が見込まれる中で、今回、閣法によれば、五年間で七千八人の増を考えておられるということですね。要するに、言ってみれば、二万三千には差が相当ありますね。他方、義務教育の小中学校の場合には、言ってみれば、先生の減に見合うだけの増を、加配という形を中心に考えておられた。今回、高校の場合には、二万三千二百人減るけれども七千八人しか手当てされない。その趣旨はどういうところにありますか。

河村副大臣 先ほど打ち明けた話、財政当局を突破するために何か理論構成が必要だということで、欧米並みにという話をいたしましたが、高等学校の場合には、その理屈でいきますと、教員一人当たりの数といいますか、欧米は中等学校ということになるのでありますが、日本は、二〇〇〇年現在ですが、中学が一人当たり十六・四、高等学校が十四・五ということになっておりまして、アメリカの十四・二、イギリスの十六・五、フランスはちょっと高いのでありますが、ドイツの十五・〇。既に、高等学校の場合にはこの域に一応達しておるものでありますから、そういう意味で、全体の改善計画の中で、この七千八人、これがベストとは言いませんが、いろいろ試算していった上で、これで対応ができるということになったわけであります。

山口(壯)委員 よくわかる御説明だと思うのです。要するに、これはすべて財務当局の観点というものが非常に立ってしまっているということだと思うのですね。この七千八人も、本当を言えば二万三千二百人まで持っていきたいわけです。だけれども、どうしてもお金が足りないということですね。それは、多分そういう考えだろうなと思います。繰り返しますけれども、ぜひともそういうところは我々と意識を共通していただいて、教育というものの大事さ、これは我々みんなが利益共同体なのですから、ぜひともそういう気持ちでやっていただければと思います。

 ちなみに、高校については、教職員の定数の算出基準というのを、前は学級でもってされていましたね。今回は生徒数に改められるということですけれども、ひょっとして、これをまさか義務教育の方にも持っていかれる、導入されるつもりということなのでしょうか。

河村副大臣 これを義務教育に持っていくという考え方で今回の高校を考えたわけではございません。

 ただ、最近の高校といいますか、これからの基本的な高等学校のあり方の認識としても、非常に特色ある学科、コースを設置していって、生徒の選択をふやしていく、いろいろな総合学科であるとか体育科であるとか、こういうふうな形で選択肢をどんどんふやしていく方向に進んでおるわけでございますので、そうした学習集団の形で、いわゆる学級という考え方ではなくて、それぞれの選択がございますから、そこへ何人の生徒が集まっていくかということを考えていくと、実態に合ったものからいけば、これは教職員定数の算定に当たっても、そのような形で定数というものを考えていった方が現状にマッチしたものになるというふうな考え方で、このように改めていっておるわけであります。

山口(壯)委員 今まで、学級中心に高校の先生の数を算出していくのを、人数にしているということは、要するに、ドロップアウトとか、いろいろな形で生徒の数が減れば、学校の先生の数も減ってしまうわけですね。それは、要するに、義務教育ではまだそこまでいっていませんけれども、その辺が高校の中で、では、ドロップアウトした人間がどんどんふえれば学校の先生が減ってしまうということが果たしていいのかどうか。私は若干疑問に思うのですけれども、いかがでしょうか。実態に合うという今の御答弁でしたけれども、むしろ私は実態に合わないんじゃないかと思います。

町村国務大臣 ドロップアウトを前提にして、これは計算しているわけではございません。

 新しい学習指導要領をごらんいただければよくおわかりだと思いますが、従前の高校のカリキュラムというのでしょうか、それと比べて非常に選択肢がふえてきております。選択肢がふえるということは、今までの学級で高校一年、高校二年、高校三年、全部四十人ずつでやっていくという形ではなくて、もう高校二年あるいは三年になると、同じ数学でも分かれてきたりとか、英語でも分かれてきたり、当然クラス単位が小さくなります。

 したがいまして、私は、人数、高校生の数に応じた形でやっていった方が、むしろその実態に合うんだろうな、そういうことで今回の提案がなされているわけであります。

山口(壯)委員 ドロップアウトを前提に考えられたのではない。もちろんそうなんです。ドロップアウトは勘案されていないのです。ドロップアウトが起こるだろうけれども、むしろドロップアウトのことが学校の先生の数に影響してしまうという議論です、私の質問をちょっと正確に言いますとね。

 ですから、そういうことが起こった場合に、そんないろいろ荒れていくという場合に、学校の先生の数が減ってしまうのであれば、むしろ対応に落ち度が出てきてしまわないかという心配を述べているわけなんです。もう一度御答弁いただけますか。

河村副大臣 さっきの御答弁でも申し上げましたように、基本的には、私は、生徒の数が減れば、それに応じて先生の数を減らせばいいという簡単な、そんな短絡的な考え方で教育は成り立たない、こう思っておりますから、御指摘のことはわかるわけであります。

 今回の場合は、子供の数というよりも定数で編制をしていきますから、そういう意味では、私は、クラスという考え方よりもそれぞれの学科といいますか、そういうものの定数によって先生を配置していくという考え方に立っております。定数といいますか、正確に言えば、収容定員ということであろうと思いますが、それに応じて先生を配置する、こういうことであります。

山口(壯)委員 この定数云々と、それから学級編制の話といろいろ込めて、最後にお聞きしますけれども、教育振興基本計画、これは先ほどのレインボープラン、その中の一番最後の項目にも触れられているわけですけれども、こういう中で、今回の財政状況だけではない、むしろ教育に対する思いの熱さから、前向きにこれからの、例えば教職員の配置率の引き上げとかあるいはさらにクラスの人数を小さくしていくことの可能性の探求とかいうことについて、ぜひともお触れいただきたいのですけれども、その点についてはいかがでしょうか。

町村国務大臣 教育改革国民会議の御提言の中に教育振興基本計画というものが出され、そうしたものを含めた教育基本法の改正を考えるべきではないか、こういう御提言になっているわけであります。

 この教育振興基本計画にどういう内容を盛り込んでいったらいいかということについては、率直に言って、まだ十分な議論ができておりません。一応国民会議からの御報告はいただいておりますが、これからその辺を少しく今我が省内で詰めておりまして、そう遠くないうちに、この基本計画のことも含めて、私どもとしては教育基本法の見直し、改正ということを中央教育審議会に諮問をしていきたい、こう思っているわけであります。

 したがいまして、今委員が触れられた公立学校の教職員の配置、こういったことも最終報告の一項目には書いてございますので、一つの課題として受けとめて、今後さらに検討していきたいと思っております。

山口(壯)委員 きょうは、我々の出させていただいている法案、そして今閣法で考えられている法案、この二つをお比べいただいているわけで、私自身は、少人数対三十人ではないのだ、少人数というのは我々も入れている、したがって、四十人からスタートするのか三十人からスタートするのかということを言ってみれば議論させていただいたわけなんです。

 今回どっちの法案が通るか、それはこれから採決になるわけですけれども、いずれどういう政権の交代になるのかどうかわかりませんけれども、ぜひともこれから、我々は少人数の学習集団のみならず、クラス自体の言ってみれば人数を小さくしていくということについて引き続き頑張っていきたいと思います。

 きょうは、どうもありがとうございます。

高市委員長 この際、暫時休憩いたします。

    午後零時二十一分休憩

     ――――◇―――――

    午後一時三十九分開議

高市委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。

 質疑を続行いたします。平野博文君。

平野委員 民主党の平野博文でございます。

 悪性の風邪にかかっておりまして、聞こえにくければ大変失礼に当たりますが、何分にもよろしくお願いをしたいと思います。

 今回提出されました公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律等の一部を改正する法律案につきまして、閣法並びに衆法の双方が提出されているわけでございます。朝からの各議員の御質問等々いろいろな議論を聞いている中で、私はやはり、四十人学級であるとか三十人学級であるとか、こんなことが先行する議論ではなくて、教育問題は基本的には、子供に対する教育をどういうふうにしていくかということが非常に大事であります。子供にとって何が必要なのか、あるいは、子供を抱えておる御両親が現実に今どんな不安にさらされているのか、将来の懸念に対する問題点にどう的確にこたえていくかが大事な視点ではないでしょうか。我が党が野党共同で出しております衆法につきましても、学級編制については三十人学級というふうにしておりますが、結果として三十人学級になることでありまして、本来の趣旨は、そういうところから衆法を出したものだと私は思っているわけであります。

 そういう中で、三点ほどの観点から御質問をさせていただきたいと思います。

 まず一つは、生活集団としての学級の重視と、学級編制の弾力化が必要なんだ、こういう視点から政府にお聞きをしたいと思います。

 総理が所信の中で、基礎学力の向上ときめ細かな指導のために少人数授業を導入すると述べられたように、主要な政府の改正点は少人数の授業を実現するための定数改善である、これは教育改革国民会議の報告、さらには二十一世紀新生プランにも沿われているものと私は理解をいたしております。

 理系大学の入学者が基礎的な数学の能力を欠くなど、基礎学力の低下が言われております。大学入試センターの国立大学学部長アンケートの調査でも、過半数が低下をしているというふうに答えているわけでありますが、国際教育到達度評価学会というのがあるそうでございますが、その調査においては余り落ちていないということが政府の方の答えとして出ているわけであります。しかし、私は、これらの経過を見てみますと、確実に基礎学力は落ちているのかな、こういうふうに思うわけであります。

 いずれにいたしましても、日本の将来を考えていくときには、基礎学力の向上は一つの大きな喫緊の課題でもあると認識をしているわけであります。

 文部省は、ゆとり教育によっても基礎学力の低下はない、こういう発言をいたしておりますが、今法案につきましては、そうは言っておるけれども、基礎学力の低下を認めた上での法案提出なのかどうか、まず、お聞きしたいと思います。

町村国務大臣 基礎学力が低下したかどうか、それを前提にしての法案かというお尋ねではございました。

 先ほど委員がお触れいただきましたIEA、国際教育到達度評価学会、これによる経年による調査があるわけでございますが、それを見ると、確かに、一番二番が三番になったりとかいうぐらいの低下、少し順位は下がっておりますけれども、おおむね良好な状況にあるのかなとは思っております。

 ただ、私が見ていて、むしろ問題だと思いますのは、数学とか理科とか、こういう大切な、ある意味でまた大変おもしろい科目について、それに関する職業につきたくないとか、あるいはおもしろみが感じられないとか嫌いだとか、そういう人たちが国際的に見て一番多いというあたりの方がむしろ問題だな、こう思っております。

 それは、例えば数学にしても理科にしても、これは、暗記科目といいましょうか、暗記すべきことではなくて、理科で実験をやったり、生物で球根から花を咲かせたり、これはとても神秘的であり、かつおもしろいことだと思うのですけれども、そういう実験や何かをできるだけ減らしてしまって、減らしているというわけでもないのでしょうが、余りやらないで、専ら座学で、教科書だけでそれを記憶しようとするということになると、やはりこれはおもしろくないということになるのだろうと思います。

 したがって、私どもは今回、新しい学習指導要領の中で、思い切って学習指導要領の中身を精選いたしまして、そして基礎、基本をまず固めて、それはしっかりと徹底をするという意味で、今回の二十人学級その他の御提案をさせていただいているわけでございます。

 ゆとりがあるということと緩みがあるということは大きな違いがあると思っておりまして、私ども、緩みを認めるつもりはございません。ただ、余り細々とした瑣末な知識をやわらかい頭脳にひたすら記憶させる、暗記させるというような、そういう意味での学力低下をもし問題にされるのであれば、私はあえてちょっと誤解を恐れずに言うならば、そういう細々したことを暗記する能力が落ちたとしても、それは学力低下ということには当たらないだろうと思います。

 それからもう一つ。大学の先生たちが大学に進む子供たちの学力を云々されるケースがしばしばあります。よく聞いてみると、人による違いがあるのかもしれませんが、比較している対象が、かつて大学進学率がまだ一けた台だったころとか一〇%台だったころと、今のように五割をやや超えるか超えないかという状況のその学生とを比べると、五%のときと五〇%の進学率では、それは平均値が下がるのはある意味ではやむを得ないというか、当然なことなんだろうと思います。

 私はむしろ、それだけ大衆化した、数多くの学生が行くということを前提にした大学教育というものを、また大学の教官側も一生懸命考えてもらわなければいけない。現に、高校の授業をもう一回大学一年でやるというようなことをいろいろなさっておられるところもあるようですから、それはそれで御努力をいただかなければならないのだろう、こう思っております。

平野委員 大臣の答弁を聞いていますと、非常に能弁な方ですから、私の質問が二分で、答弁を四分ぐらいされると、私は時間がないですから、もう少し簡潔にお答えをいただけたらありがたいのです。

 私は、そういう中で、やはり基礎学力の向上ときめ細かい指導の充実のためには定数を改善していく、これは当然だというふうに思うわけであります。読み書きそろばんといった昔の言葉がございますが、基礎学力は教育の基本とはいえ、現在の教育問題というのは、その部分だけにとどまるものではありません。

 そこで、衆法の提出者にお聞きをしたいわけであります。

 衆法では、少人数授業の導入ではなく、学級編制基準の見直しによる少人数学級を主張されておるわけであります。そこで、衆法提案者に、基礎学力の向上は当然だと思いますが、それ以外に、少人数学級を特に今回取り入れようとしておられる大きな目的があれば、お伺いをしたいと思います。

山口(壯)議員 日本教育学会の学校・学級の編制に関する研究委員会を基礎とする研究組織による、学校・学級の編制に関する総合的研究というのがあるのですけれども、そこでは、基礎学力のほかにも、例えば、少人数になることによって、学級が小さくなることによって、コミュニケーションが活発化される、あるいは帰属感が高まるというようなことを挙げておられます。

 また、寺脇研さんという方は、今文部科学省におられると思うのですけれども、「動き始めた教育改革」という中で、一クラスの定員を三十人、つまり三十人学級にしただけでも、先生たちはもっとゆとりを持って、今よりきめ細かな充実した教育ができるはずです、いじめも必ず減らせますというふうに言っておられます。私たちも、そういうことを目的にしています。

平野委員 したがって、少人数の授業形態をとることがいいのか、いわゆる学級という一つのコアを小さくすることによるメリットか、こういうところが一つの違いとして出てきているわけですが、それを一緒にしたら、非常に両方の部分としてよくなるのではないでしょうか。我が民主党を中心として、社民党さん、共産党さんの協力を得て出しました法案というのは、私は、そういう部分を両方兼ね備えて出しているような気がしてなりません。

 そこで、もう一つ別の意味合いから御質問したいと思うのです。

 教職員配置の在り方等に関する調査研究協力者会議という会議がございます。そこの会議の報告によりますと、多数の教職員が指導評価にかかわることできめ細かな指導が可能になるから、さまざまな学習集団をつくって子供と多数の教職員が接する機会をふやすべきであり、生徒指導上の効果も期待できるとしております。したがって、政府案はこの方向に従って、四十人の学級編制を維持した上で、学科により、学級とは別に二十人か二十数人の学習集団を設けていこう、こういうふうに私は理解をしているわけであります。

 しかし、学習集団としての担当教科の授業のみ担当する教員で、どれほど個々の生徒の状況を掌握できるのか。ここについては、私は、客観的に見ましても極めて疑問を抱かざるを得ない。ある特定の知識云々については確かにできるかもわかりませんが、いわゆる学習集団として本当に個々の生徒まで見ていけるのか、そこには疑問を呈さざるを得ないと思っております。教師の目が細切れになるだけでかえって行き届かない、こういうふうになるのではないでしょうか。特に、低学年の学童生徒にとっては、教師一人一人が愛情を込めてじっくりと相手することが必要だと思っておりますが、いかがなものでしょうか。簡単にお願いします。

町村国務大臣 先ほどはちょっと長い話をして失礼をいたしました。

 先ほど、協力者会議の御報告にお触れをいただきました。それに基づいた形で今回の定数改善等の提案をさせていただいているわけでございます。

 私どもが数多くの先生がかかわった方がいいと言うのは、今まではややもすると、さっき学級王国という表現をいたしましたけれども、一人の先生が、それは確かにじっと一つのクラスを見ているというのも一つの方法かもしれませんけれども、どうしてもそこで固定的になってしまうという嫌いがある。中には、校長先生も教頭先生も一切自分の教室には立ち入らせない、そういう極端なケースすらあるのですね。それは教師の権利だから、ほかの人、保護者もそう、あるいは学校の周りの先生たちにも一切見せない。そういう姿になってしまったのではやはりまずかろうというようなこともあり、先ほど申し上げましたような、多数の教員がかかわることのメリットあるいはチームティーチングのメリットというのがあるのだろう、こう思っているわけであります。

平野委員 だけれども、大臣、それはそういうところもあるのかもしれません。しかし、それは極論であって、やはり子供を愛情を持って育てようというのは、親だって同じでありましょう。まして学校の先生というのは、私のおふくろは学校の教員なものですから、それで言っておるわけではありませんよ、ないのですが、やはり、ずっと日常茶飯にその子供の行動を見ながら教育をしていく、育てていく、このことが非常に大事じゃないでしょうか。朝一時間だけはこの人、それからは別の人、こんなことで本当にその子供の全体像を十分に掌握して教えられるのかなと、これには私は非常に疑問を感ずるわけであります。

 そこで、衆法提案者にお伺いしたい。

 学級規模そのものを是正するという衆法の立場からは、個々の児童生徒にとって多数の教員にかかわることが、きめ細かい指導といい、一人一人の児童生徒の個性をはぐくんでいくという上で極めて効果的である、こういう見解があるわけでありますが、その点についてはどのようにお考えでございますか。

石井(郁)議員 お答えいたします。

 政府案は、主要三教科、小学校では国語、算数、理科、中学校では英語、数学、理科について、二十人の学習集団をつくることを目玉としているわけでございます。しかし、文部科学省の担当者のコメントによりますと、一つには、完全週五日制になっても教員が受け持つ授業時数を減らさない。児童生徒が出席する授業のこま数は週換算で二こま減るが、教員は土曜日の分だけ平日の授業時間をふやす。二つ目には、担任を持たない教員も担任と同程度の授業を受け持つこと。特に小学校では、担任を持つ教員と教科専任などでは授業時間の差が大きい、これを平均化する。三つ目に、教務主任や生徒指導主任など授業時間の少ない教員の授業時数をふやすこと。これは東京新聞の昨年十二月二十六日の報道でございますけれども、こういうことによって可能だと言われているわけですね。

 これでは、生活指導、生徒指導というのはますます手薄になる。教員の持ち時間増によって、ますます授業の準備のための時間がとれなくなります。児童生徒と教師が触れ合う時間がますます少なくなる等々の問題が生ずるわけでございます。また、免許外教科担任をふやさなければならないと思われるなど、これは、机上の計算では可能だとしても、実際に学校現場で行うには相当の無理がある。現実と逆行する二十人の学習集団のかけ声というのは、教員をますます追い詰める可能性があります。

 生活指導の充実と学力の向上というのはやはりバランスよく実現させていかなければいけない、そういう観点からしますと、学級規模自体の縮小、三十人学級の実現というのは不可欠であるというふうに考えております。

平野委員 衆法提案者にもお願いします。短くお答えをいただきたいなと思います、時間内に質問が終わらなくなる可能性がありますので。

 そこで、もう一度、衆法提案者にお聞きをしたいと思うのです。

 提案者がおっしゃるように、現在の四十人学級では教師の目が本当に子供に行き届かない、きめ細かな生活指導のためには学級規模の改善が必要であると。しかし、別の見方をすれば、大人数の学級の方が集団の自律性が発揮され、多様な人間構成で子供にとってもよいという言い方もあるわけであります。このように、学級を児童生徒の社会性を育成する場と考えたとき、むしろ大人数の学級の方が好ましいという見方もあることは事実であります。この点について、衆法提案者、それはそうではないのかどうか、見解をお願いしたいと思います。

石井(郁)議員 短く御答弁をいたします。

 学校教育の基本単位をどう考えるかという問題で、やはり生活集団、学習集団としての学級というふうに考えますと、四十人では、本当に一人一人の子供たち、多様な子供たちには行き届いた指導を行えないということがあると思うのですね。

 先ほど来のいろいろな御質疑の中にも出ていましたけれども、全国連合小学校長会の調査というのがございまして、この調査では、やはり学校の実態を踏まえて、少人数学級がいいということをいろいろと言っておられます。今小学校は、本当に深刻化している不登校、いじめ問題等々があります。それから、教育課程、学力をつけるという問題にかんがみますと、やはり具体的な解決策が急がれる。学級の適正規模についても、八割は三十人以下学級がよいというふうに言っているわけであります。

 私は、本当に現場の実態からして、大人数学級の方が望ましいというのは決して言えないというふうに御答弁差し上げます。

平野委員 学級を生活集団として見るときに、教師によるきめ細かな指導を重視すれば、衆法提案者の言われるとおり、担当する生徒数は少なくあるべきだと私は思います。しかしながら、それぞれの教育現場、学校によっては、それぞれの事情は異なる。これも、過疎地域とかいろいろなところの地域事情によって異なります。これらの判断は、教育現場の実情をよく知る地域、学校ごとにその判断を下していけばいいと私は思うのであります。

 この点、政府案は、学級編制基準を一部弾力化して、都道府県教育委員の判断で四十人以下の編制も特例として認めておられるようでございますが、この特例とはどういう場合をいうのか、地域ごと、学校ごとの細やかな自主的編制を本来可能にする特例なのかどうか、簡潔にお願いをします。

河村副大臣 今回の義務標準法の改正におきましては、学級編制基準の設定について、国の標準に従って各都道府県において基準を定めるという制度は基本的に変えずに、都道府県のそれぞれの教育委員会の判断によって、児童生徒の実態を考慮していただいて特に必要があると認める場合に、国の標準の四十人を下回る数を特例的に基準として定めることを可能にするということとしておるわけでございます。

 その際、児童または生徒の実態を考慮して特に必要があると認める場合にどのような特例的な基準を設けるかということについては、具体的には各都道府県の教育委員会の判断によるということにいたしておりますが、一つとしては、児童生徒の発達段階を踏まえて、学校生活への適応を円滑に行う観点から行われる小学校低学年に係る学級編制基準の引き下げ、また第二点としては、いじめ、不登校あるいは学級崩壊等の児童生徒間の問題行動等の状況を踏まえて、これらが多発している学校、学級編制基準の引き下げについてはこういう場合が考えられるのではないか、このように思います。

平野委員 実態はそういうことなんでしょうけれども、特例ということは、現実は特別な理由がない限り認めない、こういうことにもなるわけですよ。

 そこで、衆法提案者にお聞きします。

 衆法では、学級編制基準は原則として地方自治体の判断に任されることになります。これによって、生徒への目配りを重視して二十人程度の学級編制を行ったり、あるいは少人数学級を導入しつつ、クラス間の壁を取っ払い、生徒の交流を促し、社会性の知識をいろいろ吸収するための配慮をするなど、三十人学級の基準で十分に配分された、十分とは言えませんね、三十人学級の基準で配分された定数を活用しながら、地域や学校が最も適する形での多様な学級編制が行われるようになります。この点、私は大変評価をするところでございます。

 衆法のよさは、大幅な定数改善により学校に人員の裏づけを確保するだけでなく、自由な学級編制の権限について学校の運営の裁量を広げるということにあると私は思っておりますが、提案者の見解はどうでしょうか。

山口(壯)議員 今平野議員御指摘のように、閣法の規定は、三条二項を見ていただくと、都道府県教育委員会が「特に必要があると認める場合」というふうになっているわけですけれども、我々の案の中では、三条三項において、都道府県教育委員会が「必要があると認める場合」となっています。「特に」という言葉を抜いています。

 それからさらに、三条の五項において、都道府県教育委員会が基準を定めるに当たっては、市町村教育委員会が弾力的な学級編制を行うことができるように配慮しなければならないという項目を特に設けて、これからのより分権的な、さらに設置者の意向が生かせるような工夫をしております。

平野委員 もう時間が五分しかなくなりましたので、通告している部分でまだ十分に質問していないのですが、少し飛ばします。

 いろいろ御議論をいただいて御回答いただいて恐縮ですが、私は、新しい世紀に入ったわけですから、小手先の改革じゃなくて、二十一世紀の日本を担ってもらう新しい人材、これからの将来ある子供さんでありますから、次の世代を担う子供さんですから、やはりそういう意味では抜本的な、あるいは財政的にも予算的にも先行投資をやっていくということの視点が非常に大事であろうと思います。

 午前中の議論もありますが、財政上の事情というのは第一義ではない、しかしそれも十分考えていかなければならない、政府のお立場では当然そういう御回答が出てくることはよくわかります。しかし、今日本の国は何を最優先してやらなければならないか、こういう視点に立ちましたら、将来の子供さんに対してやはりきちっとしたものを今与えておく、与えてあげる、環境整備をしてあげる、このことが一番大事であろうというふうに思うわけであります。

 そういう中で、二十一世紀プランの示すところによれば、今国会提出の教育関連法案は、中でも特に緊急に対応すべき事項とされておるわけであります。総理も、所信表明において、「この国会において、まず、子供一人一人、国民一人一人が、学校がよくなる、教育が変わるという実感が持てるような本格的な教育改革に取り組んでまいります。」こういうことを言われているわけであります。

 しかし、今回出されておりますこの定数改善の法律案でいきますと、義務教育第七次、高校第六次の定数改善計画として、従来の改善計画の延長線上でしかない。国民一人一人が、本当に変わった、教育改革をした、二十一世紀にふさわしいものをやったという割には、今までの延長線上での改善策しか私は感じられないわけでございます。そういう意味では、本当に従来の予算の範囲内での措置であり、実際に教員数がふえていくわけでもありません。このような、まず財政均衡ありきの改革では、本当に国民の皆さんが実感でき得る本格的な教育改革というふうにこのものが私にはとらえられないわけでございますが、いかがなものでしょうか。

町村国務大臣 一つの学級が三十人になると何かもうすべての問題が全部わあっと解決するような、やはりそういうものではないのだろうと私は思います。

 ですから、今回の私どもの少人数教育を可能にするような定数改善も、学校をよくする一つの手段である、こう思っておりまして、ほかにも、学校をもっと開かれたものにするための努力でありますとか、あるいは学校の先生方へのいろいろな指導力を高めるための対応でありますとか、いろいろなことが今回盛り込まれて、トータルで、なるほど、学校は変わったな、こう言えるようなものにしていきたいということであります。

 人数の要素を私は一切除外して考えているわけではございません。それも一つの要素であることは認めますけれども、しかし、やはりトータルで、学校が変わって教育がよくなった、こう言えるような状態をつくっていきたいというのが二十一世紀教育新生プランの考え方であるという点を御理解賜ればと思います。

平野委員 もう時間が参りました。

 ただ、大臣、私は、先ほど言いましたように、三十人がどうだとか四十人がどうだということを申し上げているわけではありません。結果としてその姿になって、国民の皆さん、生徒自身が、変わったなということになればいいわけであります。しかし、今政府の出している、四十人学級を維持しながらという部分でいきますと、実態的には現場サイドで何が変わっていくのか。特例として認めているところだけが変わった、それだけで終わってしまうのではないでしょうか。この点を危惧するわけでございます。

 まだまだ質問したいわけでございますが、通告をしておる皆様方、衆法提出者の皆様方に質問できないことをおわびいたしまして、私の質問を終えたいと思います。ありがとうございました。

高市委員長 武山百合子君。

武山委員 自由党の武山百合子でございます。

 政治の世界に入りまして七年たつわけですけれども、七年前、文教部会で何度か質問したことがありました。あの当時、私が質問しましたら、日本の教育は一番いいんだと、当時やはり大臣が答えられまして、私はとても今の状態では意見がかみ合わないなと思いまして、むだな議論をしたくなかったものですから、実は遠ざけて、別な分野から切り込んで今までまいりました。久しぶりに文教委員会で質問できるということで、きょうはわくわくして参りました。

 まず、意識改革ということで、教育も意識改革だということを先日お話しになられたと思いますけれども、実はきょう私が質問するに当たって一言お話ししておかなきゃいけないなと思うのは、まず、文部科学省が質問取りに来られるときに、ぜひ政府参考人に質問をしていただきたい、それから副大臣にも質問していただきたい、まずそういうふうに文部省がおっしゃるわけですね。私たちはあくまでも政治主導ということで、政治家が政治家同士で議論をして、そして国民の代表である政治家が議論して決めていく、そういう本来の政治に戻したいと私は思いまして、今まで改革のために日夜奮闘してまいりました。その中で、この文部科学委員会できょうは町村文部大臣と議論を闘わせたいと思います。

 それでは、まず町村文部大臣にお聞きしたいと思いますけれども、まず、このたびのこの法律によって、教育界が過去とこれからとどう変わるのかということをお聞きしたいと思います。

町村国務大臣 文部科学大臣の町村でございます。この法律によってどう教育が変わるかというお尋ねでございましたでしょうか。(武山委員「はい」と呼ぶ)

 先ほどの平野委員の御質問にもお答えいたしましたが、私ども、一月二十五日に二十一世紀教育新生プランというものを発表いたしました。それは、かなりの部分は昨年の十二月に教育改革国民会議で出されたその御提言をいただきながら、我が省としてさらに必要なものを加えたりなんかして、このプランをまとめたわけであります。

 具体的な内容は、かなり細部にわたった、十七項目にわたって、またその細分もあるわけでありますけれども、私が申し上げたかったことは、まず基本的な考え方からやはり、別の表現をすると、教育に関する意識を変えてからでないと余り、制度を少しずつ変えていってもしようがないのだろうな、こう思っているわけであります。

 そこの話をまた長くすると大変先生にも失礼かと思いますからあれいたしますけれども、今回のこの法律について申し上げるならば、やはり少人数教育を実施する、さらに習熟度別の学習もできるようにする。一律にやるというよりはむしろ一人一人の特色を伸ばせるような、個性を伸ばせるような教育システムを入れていくのだという考え方、もうちょっとさらにそれを敷衍すると、画一的な悪平等ではなくてやはり真の意味の平等を実現できるような、そういう基本的な考え方に立って今回の法案というものが構成されているというふうに私どもは考えております。

武山委員 そうしますと、もう一つ突っ込んでお聞きしたいと思いますけれども、では、将来、子供たちをどんな日本人に育てたいんでしょうか。

町村国務大臣 これは先生、大変すばらしいことを聞いていただいたと思っております。

 どういう日本人が望ましいのか、かつて、昭和二十年代後半に天野文部大臣がそのことを提起したことがあります。さらには、昭和四十年代前半に、中央教育審議会だったと思いますけれども、「期待される人間像」というものを出したことがあります。ところが、いずれも、上からの押しつけだというさまざまな方々からの御批判で、今日本の中に、こういう日本人が望ましいとか、あるいはこういう教育をやってこういう日本人を育ててもらいたいという、そういう意味の広いコンセンサスが我が国にはない。私はそのことが、今の教育界の中の教育の混乱をもたらしている一つの大きな、ある意味では根本的な、根源的な要素だと実は思っているのです。

 では、今回それをあなたやればよかったじゃないかとおっしゃるけれども、また三回目、文部科学大臣なり文部科学省がこれが望ましい日本人だとやったら、また三度目の同じ失敗になると思うのです、上からの押しつけ云々と。むしろそれはそれで、私は、しかるべき日本の中にいるすぐれた有識者、賢人がそういうものをつくっていただく、そして、それをみんながなるほどなと思えば、それが日本国内のコンセンサスになっていくのが望ましいと思います。

 私個人がどう考えるかとおっしゃられれば、それはそれで考えはありますけれども、きょうは、今この国会という場で余り私の個人の望ましい人間像をしゃべることは、あえて差し控えさせていただきたいと思います。

武山委員 個人の考えもぜひ聞きたいと思いますので、ぜひお話ししていただきたいと思います。

 そうしますと、文部科学大臣は、自分の考えは大臣としての考えとは違うというわけですから、押しつけととるのはそれはとる人たちの部分であって、いわゆる教育の行政をつかさどっているところが、やはり大臣として青写真を、日本人というのはこういう子供たちを、日本人をつくりたいと言うのは当たり前のことだと思うんですよ。それを自然とした発議として言えないとしたら、それはもうリーダーシップという部分では欠けると思います。まず、個人的な意見を聞きたいと思います。

町村国務大臣 それはリーダーシップと私は違うと思います、次元が。

 望ましい人間、それは人さまざまあると思います。だって、過去二回、文部大臣なりあるいは中央教育審議会等の場で出して、物の見事に失敗したんですよ、武山先生。それをまた私に繰り返せとおっしゃるんでしょうか。それはリーダーシップでも何でもない、私はそれはむしろ自制すべきことである、こう思って、私はあえて自分の考えは、少なくとも文部科学省はこうですという形で言うのは差し控えております。

 ただ、せっかく、あなた自身はどういう考えかという、個人の考えでもいいという御指摘があったので、ちょっと、急のお尋ねですからきちんと体系的に今お話しできるかどうかわかりませんが……。

 一つの表現をすれば、体、徳、知という言葉があります。体、徳、知、人間が持つべきはやはりまず体(からだ)、健康というものが人間の基礎だろうと思っておりますし、さらにそれに徳というものがある。人間として持つべき優しい心であるとか思い、いたわりを持つ心とか、そういう人間として自然な感情といいましょうか、そういう徳性を持つということ。最後に私は知が来ると思います。それは知識であるかもしれないし、さまざまな人間として過去の歴史から受け継いできた知識の伝承もあるだろうし、つくり上げる知もあると思います。そういったものがさらにあればもっといいだろうと思います。

 しかし、これはしばしば森総理もおっしゃいますけれども、もし順序を強いてつけるならば体、徳、知、こういう順序で、それぞれが備わっている人間をしっかりと学校教育の場で、あるいは家庭教育の場で、社会教育の場で育て上げていくこと、これが教育の目的ではないだろうかな、そういう人間が一人でも多く育っていけばいいのではなかろうかな、私個人はそう思っております。

武山委員 個人の御見解をありがとうございます。

 しかし、大臣としては、失敗したので言えないという以前の議論から言いましたけれども、では、国民が大臣に何を期待していると思いますか。

町村国務大臣 何を期待しているかと言われてもなかなかこれは難しい御質問ですが、私は今、森内閣を挙げて教育改革をやろう、また、文部科学省も教育改革をやろう、現在の教育の現状は、さまざまな方が御指摘されるように、非常に危機的な状況にある。いじめ等々の学校の現象ばかりでなくて、いろいろな面に問題があります。その辺を私どもは、二十一世紀教育新生プランの序文として私の名前で書かせていただきました、その問題意識そのままでございますけれども。

 いずれにいたしましても、家庭そして学校、あるいは社会、そうしたさまざまな分野での教育、広い意味の教育をよりよい方向に持っていく、その教育改革に全力を挙げることが私の仕事だ、こう思っております。

武山委員 そのよりよい教育の中身をもう少し説明してください。

町村国務大臣 お時間をいただいて、もしお許しをいただけるならば、この二十一世紀教育新生プランの中身を申し上げさせていただきます。

 一つは、「人間性豊かな日本人を育成する」ということでありまして、これは私が先ほど申し上げた徳というのにやや近い部分かもしれません。そのための家庭教育の重要性でございますとか、あるいは学校における道徳教育の重要性でありますとか、あるいは奉仕活動によってそうした心豊かな人間を育てる、こういったことなどは大変重要なことだ、こう思っております。

 二本目の教育新生プランの柱は「一人ひとりの才能を伸ばし、創造性に富む人間を育成する」ということでございまして、これは戦後の日本の社会で余りにも蔓延してしまった、あるいは戦後の日本の教育界で蔓延しております機会の平等から結果の平等へ、そして悪平等ともいうべき弊害が今日本の教育界を覆っている。これでは個性あふれる創造性に富んだ人間は育たないだろうという現状認識から、例えば一律主義を改めて、個性を伸ばす教育システムを導入する。その中に、きょう御議論をいただいております少人数教育、わかる授業の実現、こうしたものなどが含まれてくるわけであります。

 あるいは、記憶力偏重を改めた大学入試の実現をすること。あるいは、リーダーを養成するような大学教育、大学院教育といったようなこと。その中で、例えば大学三年から大学院に進めるようにすることなどを含めて考えているところであります。さらに、大学にふさわしい学習を促すようなシステム、学生が一生懸命勉強しなければ卒業できないのだよというようなことに変えていくこと。

 あるいは、職業観、勤労観がどうも根づいていないという大きな問題があります。フリーターを一概に言うつもりもありませんけれども、しかし、正しい職業観を持たずしてだんだんだんだん大学生になってしまったという学生もいると思います。その辺をどう改めていくかという問題。

 それから、三番目の大きな柱が、「新しい時代に新しい学校づくりを」ということで、その前提として、教師の意欲や努力が報われる、そうした評価体制、そして表彰等々をやっていこうではないか。あるいは、地域の信頼にこたえる学校づくり、地域から孤立化した学校ではだめだということで、地域に開かれた学校づくり、学校評議員制度等を進めていくこと。そして、学校とか教育委員会に組織マネジメントの発想を取り入れようではないか。校長にもっとリーダーシップがとれるようにする。あるいは、教育委員会も公開をし、さらには教育委員の中に若い保護者の代表も入れるようにしていくというようなことなどが必要なのだろう、こう思っております。

 そして最後に、トータルでひっくるめて言えば、新しい世紀にふさわしい学校、そして家庭、そして社会教育の理念を確立するための教育基本法の改正の議論をしなければなりませんし、その中で教育振興基本計画を策定するといったようなことを考えているわけでございまして、大変はしょった言い方で、かつ時間をとって失礼をいたしましたが、それが、私どもが今皆様方にお諮りをしております二十一世紀教育新生プランの中身でございます。

武山委員 そうしますと、それを何年ぐらいで完了させるのでしょうか。

町村国務大臣 この教育新生プランをごらんいただきますとおわかりのとおり、いついつまでにそれを実現するということをできる限り具体的にあらわしております。例えば、この国会で御審議をいただいております予算の中で既に措置するものもございます。あるいは、きょうの御審議をいただいております法律を含め、六本の法律をこの国会でぜひ成立をさせていただきたい、こう思っております。

 ただ、もう少し時間をかけてやや専門的な、集中的な御議論をいただきたいテーマも幾つかございます。教育基本法の問題しかり、あるいは教員免許の更新制といったようなテーマも出てこようかと思います。あるいは、十八歳後の青年の奉仕活動のあり方といったようなものを、具体的なプラン、メニューをつくってもらうといったようなこと、これらについては若干の時間で御議論をいただかなければならないテーマかなと思います。

 さらに、もうちょっと先を考えると、例えば大学の独立行政法人化、独立学校法人という名称になるかもしれませんけれども、これらについては今鋭意検討を進めておりますが、平成十四年、十五年にかかってくるかもしれませんが、そういう先に行かないと達成しないものもあるし、例えばきょう御議論いただいている教員定数等の問題は、これは五年計画でございますから、それが完成するのは平成十七年といったように、テーマによってすぐできるもの、時間のかかるもの、さまざまございます。

武山委員 そうしますと、その話の中で、例えば一つお聞きしたいと思います。

 大学の入試、入りやすく、きちっと勉強をして、しっかりと勉強をした後、卒業しにくいという欧米風な入学試験制度というのはいつごろの目安で、スパンでいうと、時期でいうといつごろそれは完成させるつもりでしょうか。

町村国務大臣 これも、二十一世紀教育新生プランをごらんいただきますと、各関係する大学等の取り組みにゆだねるというか、大いに促進をするという項目もありますし、あるいは、有害情報対策といったようなものなどは、各民間の放送関係者の、あるいは出版関係者のより一層高い倫理観に基づいた自主的な取り組みに期待するという形で、すべてが文部科学省がいついつまでにこうやりますということになじまないテーマも、それは中にはあるわけでございます。それは継続的に働きかけをしていくテーマだ、こう思っております。

 今お尋ねの大学入試の改善、あるいは大学の中での厳しい成績評価といったような問題は、これは残念ながら文部科学省がいついつまでに全部そうしなさいということを命令する権限もございませんし、また、ある意味では、それをやり過ぎますと、かなり限定されたものになってきているとはいえ、やはり大学の自治ということもございます。したがって、そこはそれぞれの大学に大いに、今までのただ点数だけで見るということではなくて、面接試験を入れたり、実技を入れたり、あるいは推薦を入れた合格の仕組みであるとか、あるいはAO、アドミッションズオフィスによる選考でありますとか、さまざまな多様化が今進んできておりますが、そうした大学入試の多様化、これは大いにもっと進めていってもらいたいなと思います。

 それからさらに、成績の評価ということになりますと、今度は個々の教授の意識の話になってまいります。私は、一人の先生だけが厳しくやると、多分その先生の講座はみんなだれも受けなくなって、みんな、安易に優をくれる、いい成績をくれる教授のところに流れていってしまうだろう。ですから、そこはやはり学内の意識をしっかり皆さんで統一していただいて、一斉にやっていただかないとならない。そうしたら、いつになるかわからぬじゃないかというおしかりがあるかもしれませんが、そこはやはり世の中全体が、あるいは文部科学省が一生懸命努力をして、そういう前向きの取り組みを促していくということになろうかと思います。

武山委員 やはりお話を聞いていますと、まだいつになるかわからないなという状態でございます。今政治に欠けているのはスピードだと思うのですよ。それが、まさに一番後追いするような今のお話なんです。やはり国民が期待している部分では、ああ、また期待できない部分が大いにあるなという印象でございます。

 それから、教育の地方分権を図るということ、これからしていくわけですけれども、その財源と権限はどのように今後移行していくのでしょうか。

町村国務大臣 では、逆に武山委員に伺いますが、どうやったらば各大学に厳しい成績評価というものを実現させ得ると、その具体的方法があるならば、ぜひお知恵をお与えいただきたい。私ども、それに沿ってしっかりやっていきたいと思っております。

 それから、地方分権についてのお尋ねがございました。財源その他をどうするか。これは今、政府全体で、財政の構造改革といいましょうか、これをやらなければいけないということで、国会での議論を聞いておりますと、宮澤財務大臣からは、新しい経済モデルをつくって、その中で福祉とか社会保障とか交付税のあり方とか、そういったものをトータルで一括して、新しい時代にふさわしい歳入歳出のあり方、税制のあり方というものを議論していこう、こういうことでございますから、その中で教育問題についても議論をされてしかるべきだろうと思います。

 ただ、教育の面での地方分権というのは、これは二年前でしたでしょうか、地方分権一括法という形の中で私どもとしてはかなり地方分権を進めてきたつもりでございますが、まだまだやるべき課題もあろうかな、こう思っておりますので、私どもとしては、さらに教育の地方分権は前向きに進めていこう、こう考えております。

武山委員 大学の方はぜひお話しさせていただきたいと思います。

 それから、地方分権です。先ほどの定数の話で、各都道府県の教育委員会が学級編制を決めるということでございますけれども、地方の、市町村の実態というのはなかなかわかっていただけない部分もあるわけなんです。それで、中身の問題ですけれども、先ほど、都道府県がまず学級編制を特例的に行う。それでは、もし、よい意味で特例的に行うという実態を、いや、これはだめだと言った場合、各市町村の教育委員会、その下の小中学校、高校で特例的に行いたいと言った場合、しかし、県がこれを拒否した場合はどうなるんでしょうか。

町村国務大臣 それは、各学校がやりたいと、例えば十人学級にしたいとある学校が言ったとします。それは最終的に市町村教育委員会と都道府県教育委員会の議論の中でお決めをいただくことでありましょうが、しかし、都道府県教育委員会がそこの権限は最終的に持っているというのが現在の法制になっているわけであります。

武山委員 もう一回確認しますけれども、では都道府県に権限があって、実態を知っているその個々の市町村の、いわゆる学校の現場のことは都道府県が決めるということになりますね。

町村国務大臣 義務標準法におきましては、義務教育の諸学校における教育水準の維持確保を図るために、都道府県教育委員会が、国が定める一学級の児童生徒の数を標準として学級編制基準を定めており、各市町村教育委員会は、その基準に従って、都道府県教育委員会の同意を得て学級編制を行う、こういう仕組みになっているわけであります。

武山委員 よい意味でそれが下の実態を、いわゆる小中学校、公立の学校での実態を各市町村の教育委員会に持っていって、それで、それがうまくいった場合、都道府県の方もオーケーですよと言った場合は問題ないと思うんですよ。

 私が聞いているのは、例外の場合はどうするんですかと。今のお話ですと、例外も都道府県が決めて、それはノーですよ、それはだめですよと言った場合は、もうだめだという意味ですねと聞いているわけなんです。

町村国務大臣 それは、結論を言えばだめであります。

 ただ、先ほど申し上げました制度の基本は変えずに、今回の改正案の中では、都道府県教育委員会の判断によって、児童生徒の実態を考慮して特に必要があると認める場合、これは先ほど来るる河村副大臣等も御説明しておりますが、特例的に国の標準を下回る数を基準として定めることを可能としているわけであります。この基準を定める場合には、市町村の教育委員会の意向とかあるいは特別な事情を踏まえてそうした学級編制を行えるような基準とすることも可能であると考えられておりますので、各学校等の状況を踏まえた学級編制がこれまで以上に可能になってくる。

 この特例的な基準というのは、これも先ほど来から申し上げておりますけれども、例えば、児童生徒の発達段階を踏まえ、学校生活への適応を円滑に行う観点から小学校の低学年に係る学級編制を二十人でやっていくとかいうようなケース、あるいは、いじめ、不登校等のいろいろな問題行動が多発している学校についてはやはりもうちょっと学級編制を引き下げようというようなケースなどもあろうかと思います。

武山委員 それも、将来は都道府県から市町村に権限を委譲するというのがベストだと思います、実態を一番よくわかっているのは各市町村ですので。例えば埼玉県、私は埼玉選出なものですから、九十二市町村あるわけです。それで約六百七十万人も人口がいるわけなんです。そこを一カ所で全部扱っているというところにも問題があるわけなんです。

 もうこれは議論しても、そちらとこちらの特例ということで、今のお話は、今回の法律の中身はわかりましたので、次の質問。

 まず、定数改善のことですけれども、実態は、学習指導よりも生徒指導が本当に大変だと言っているのが地元の校長先生たちのお話なんですよ。いわゆる中央教育審議会のメンバーには現場の教員は一人だけということで、実態は意外と見ていないということなんですよ。国会議員も地方議員もなかなか現場に足を踏み入れてこない、だから実態がよくわかっていないんじゃないかということです。

 今回の定数の問題の中で、いわゆる生活指導を必要とする学習障害児、それからいわゆる多動性症候群ですか、授業が成立しない状況が一部の子供にあるということで、担任の先生の精神的、肉体的な苦痛が大変だというような実態も実は私は聞いているわけなんです。こういう場合は、今回の定数の中でいいますと、閣法だと、養護教員それから教頭先生、事務職員、特殊教育諸学校、研修とかということで、ここの中にはカウンセラーというものは入っていないわけですね。カウンセリングのことはどこに入れるんでしょうか。

町村国務大臣 スクールカウンセラーは、学校の定員、定数とは関係がございません。そういう形ではなくて、何校に一校というような形で、今、限られた臨床心理士を学校に、実際には巡回するような形で回って相談に応じてもらっている。できるだけ、本当は将来的には一校に一人ずつスクールカウンセラーが置ければいいな、こう思っておりますけれども、何しろ養成が絶対的に間に合いません。それでも人数がふえて、今は毎年数百名が臨床心理士の資格を取れるような状態にまでなってまいりましたが、ちょっと前までははるかに少のうございました。

 そんなこともあるものですから、臨床心理士、スクールカウンセラーへの要望が大変強いものですから、それにかわるものとして、例えば一つは、すべての先生たちがカウンセリングマインドを持つというようなことで、教員免許を取る大学での養成段階からそういったカウンセリングのコースを勉強するということがあります。あるいは、現職教員も、いろいろな研修等を通じてカウンセリングに関するいろいろな知識あるいは体験というものを持ってもらって、そして子供たちに接するというような工夫はやっております。

 さらに、中学校には心の教室相談員というものを置き、心の教室というものをつくって、そこで子供たちのいろいろな悩み、あるいは先生方の悩み、あるいは場合によっては保護者の悩みにも対応できるようにしよう、さまざまなそうした対応策をとっているところであります。

武山委員 学級指導も大事ですけれども、学級指導と同時に、実際は現場は生徒指導が大変だという、生活指導というか、それはもう本当に家庭の教育、社会の教育、そして学校教育、三位一体にならないと効果は上がらないと思うんですけれども、現場はそういう悩みがあるということで、現実的には定数を教職員の定数改善計画ということでふやすわけです。

 教頭先生の複数配置ということで、実際に教頭先生が、私がちょっと聞いたところによりますと、朝七時から夜八時まで、十二時間どころか十三時間勤務している、校長先生は大変だから今回定数がふえるということで大変助かっておる、大いにこれはやっていただきたいという方も中におりました。定数がふえるという部分では私も賛成なんですけれども、その定数がふえる部分で、数字だけが、定数がふえていくだけで、中身の議論が、本当にこれでいいのかなという部分があるんです。

 まず、私が問題にしたいのが衆法の方、衆法と閣法を交互に質問をしたいものですから、ちょっと衆法の方で、栄養士をふやすというところがありますね。それについて、まず、給食というものは食糧がなかった時代に始まって、それがずっと延々と続いているわけですけれども、今、食事というものは、三食のうちの一食が学校給食として、ほとんどの地域で給食が行われているわけです。この中で、たしか栄養士さんがふえますね。これの根拠をぜひ聞きたいと思います。衆法の方です。

石井(郁)議員 武山委員にお答えいたします。

 学校栄養職員の配置基準の改善についてのお尋ねでございますけれども、政府案は五年間で九百六十二人の増員を図ることになっておりますが、これでは全然足りません。私ども三野党案は、ミルク給食を除く学校給食を実施する単独実施校について、十五学級以上の小中学校に一名、十四学級以下の小中学校二校に一名配置するなど、十年間で五千名の増員を図るというふうにしております。

 学校栄養職員の職務は、学校給食法におきまして「学校給食の栄養に関する専門的事項をつかさどる」とされていますが、具体的には、献立作成、食品の選定や発注、衛生管理などの給食の管理運営と食に関する指導などが職務とされているわけですが、事務処理が大変多いと、なかなか指導に当たる余裕がないのが現状であります。

 学校給食は教育の一環です。今、食生活の乱れから、学校給食を通して食の知識を身につけさせることが求められていると思います。一人一人の子供たちの相談にも乗れるように、子供たちの食生活を豊かにするために増員を図ることとしています。

 ぜひよろしくお願い申し上げます。

武山委員 三食のうち一食を全部学校で見なきゃいけない、すなわち、給食も学校で見るということになりますと、本当に膨大な財源がかかるわけですね。

 私は埼玉県の三万八千という人口の町の出身なんですけれども、首都圏で三万八千といいますと、決して大きな町ではないんですね。それで、町立の小学校は一年間で約三億かかるというわけなんです、財源を見ますと。

 実は、もう九年ぐらい、十年近くたつんですけれども、私の生まれた町でいつか、給食廃止と言った町長さんがいるんですね。その方は亡くなってしまったんです、給食廃止と言いまして、お母さんたちが大反対しまして、がんが悪化しまして急死してしまったという経過があるんですけれども。それは別にして、その町長さんは、三億という財源があったら子供たちのコンピューター教育や英語教育に使いたいというようなことをそのとき言ったわけなんですね。

 私も、教育の興味づけ、そういう知的な部分は学校が当然負うべきだと思っております。と同時に、今、生活指導から、しつけから、食生活の部分まで学校が負うというような、そういう状態にあるわけですね。それはやはり大きな負担なわけです。それはもう財政的にも大きな負担。それから、財政を支える前に人が要るわけですから、人も大きな負担。

 行革の中で、すべてが行革と画一的にやることはないと思いますけれども、私は、二十一世紀というのは日本は国家の像としてはやはり小さな政府を、大きな政府であらゆることを国におんぶにだっこから、自立した、規律ある自己責任の社会にやはり行くであろうと私自身は描いているわけです。そういう中で、家庭の役割、やはり食も家庭の役割じゃなかろうかと思うんです。

 それから、学校の役割、地域の役割から見ますと、今の閣法も衆法も、どちらかというとやはり財源的にもっとかかる、それから人数ももちろんふえていく。ということは、相反するものですよね、行革という部分で。しかし、前もって言いましたように、行革自体もすべて画一的ではだめだと思います、必要なところにはやはりお金も出さなきゃ。そういう意味で、衆法の十七万人という数、これを十年計画でということですけれども、では、衆法の方は財源はどうするんでしょうか。

藤村議員 武山百合子委員にお答えを申し上げます。

 今、財源はどうするかという質問でよろしゅうございますか。(武山委員「はい」と呼ぶ)

 既に御承知のとおりであります、武山百合子委員も御参加で、先般、例えば野党四党では予算組み替え要求を出しました。これはすなわち、むだな部分は削れ、しかし必要なところには出そうという野党四党合意のもとに、小沢一郎党首も賛意をいただいた。

 この中身について簡単に申しますと、八千三百億円ぐらいむだな部分は削減せよと。その大きな部分は公共事業でありまして、三千億円ぐらいでありました。一方で、こういう教育、特に三十人学級を実現しようという問題などを含んだ部分では、ちょっと数字が間違っていたら後で訂正いたしますが、約四千億円ぐらいですか、これはふやす方ですね。

 つまり、予算の組み替えというのも、我々は、単にこれを切れあれを切れと言うのではなしに、あるいは、これをふやせあれをふやせと言うだけではなしに、やはり将来のプライマリーバランスを考える、そういう方向で、全体の予算は五千百億円の削減を求めたわけであります。しかし、そんな中でも、この三十人学級の実現のためにはむしろ増額の方で手当てをした、こういう経緯がございました。

 そんな中で、今回の三十人学級法案というのは、先ほど委員御案内のとおりでありますが、十年がかりで、一年ごとに約七百九十八億円の予算をこの三十人学級につけていくということで我々は十分に手当てができる、そして、かつ、膨らんだ予算をある意味では将来のプライマリーバランスを考えて削減もしていく、そういう法案になっております。

武山委員 衆法にもう一つお聞きしたいと思いますけれども、教員の数を、衆法の方も臨時雇用をするのでしたでしょうか。閣法の方は臨時雇用と聞いておるんですけれども、そこをちょっとお願いいたします。

藤村議員 午前中に、非常勤講師を定数枠に入れる、入れないの話が大分議論がございました。実は私ども閣法に対して若干の考え違いをしていた部分がありまして、閣法では、これは政府の方が答えるべきでしょうが、今回、非常勤の講師を定数一の中で例えば二名、三名入れてもいい、そういうことになっておりますが、我々は、やはりその策はまだとるべきではないという判断から、基本的には定数、それは四十人から三十人にしたということで十分にこれはふやせるわけですから、その部分で補っております。

 ただ、一つだけ、定年が延長されるというか、再任用、六十歳を過ぎた方々の再任用の方については、時間で、例えば普通の常勤の方の半分ぐらいで、二人働いたときに定数一に加える、こういうことのみはこの法案でも検討して入れております。

武山委員 そうしますと、いわゆる小中学校の教員の数は臨時雇用をしないということですね。それで、ある部分は再任用ということで、退職した人で補うという部分ですね。

 それでは、閣法の方は臨時雇用というのは年度で何人ぐらい考えておるんでしょうか。

河村副大臣 細部の問題でもあり、私からもお答えさせていただきますが、非常勤講師を何人かということでございますけれども、現時点では、今何人ということを確定いたしておりません。

 これから教員定数が決まってくるわけですね。そして、その中でそれぞれの教育委員会が、特定教科を担当する教員の授業日数が極めて少ない場合に、これを非常勤講師に置きかえようということで、これまで、研究会を持ちまして、どういう形で置きかえていったらいいか、効果的にやったらいいかということで、今各教育委員会で試算をいたしております。どの程度置きかえられるか、これによって、これは当然全体の定数の枠の中でやりますから、それぞれの教育委員会がこういう形でやりたいという方向が出れば、それに従って非常勤講師の数が決まってくるであろう、このように考えております。

武山委員 この十三年度改善数によりますと、小中学校の方は五千三百八十人、そして高校の方が千四百二人となっておるんですけれども、はっきりした臨時雇用は全くわからないというふうに判断していいわけですね。

 そうしますと、閣法の方で、この再任用短時間勤務職員というのは、どんなふうにどう活用しようと思っておるのでしょうか。――ちょっと時間がもったいないので、後で答えてください。

 衆法の方をちょっとお聞きいたします。

 衆法の方は、私は質の問題が心配なんです。それで、対症療法として、今ある人材をどのように意識改革していくかというと同時に、一番国民は今期待しているわけですね、教育改革に。人材の再育成というのですか、それを現在いる教職員にすることと同時に、また大勢の教職員を採用するわけですね。そこにいい人材をどのように採るか、そこの部分が数字だけ歩いてしまっているので、そこを私は非常に心配しております。どういうふうにして人材を確保するんでしょうか。

藤村議員 お答えいたします。

 私も何度かこの委員会でも、本当にいい先生をどれだけ確保できるかということが重要な問題だと指摘しました。まず、教員養成の課程の問題があります。それから、免許は大抵取れるわけですが、その次にいわゆる採用の問題があります。だから、大きなチェックが、チェックというよりも、教員養成の課程というのは、これは四年がかりでやはりその中身を充実させていく、あるいはいかに今の時代に合った先生方を養成するかという、これは常なる見直しが必要だと思います。

 さらに、今度は採用の段階であります。

 武山先生、御承知でしょうか、このところ先生になるのは大変難しい。今日の教員採用試験の競争率というのは、小学校から高等学校まで、おおむね、いわゆる競争倍率十倍ということ、あるいは十倍を大きく超えているということでございます。

 ところが、十年前の時点で見ますと、平成二年における競争率を見ますと、小学校教員では三・一倍ぐらい、中学校で四・八倍、高校で五・六倍、こんな倍率で、先生は優秀な方がある意味では採用されたわけであります。

 そういう意味で、平成十二年度ベースで、私どもの法案の改正に基づく将来の競争率を換算しますと、小学校で三・八倍ぐらい、中学校で五・一倍ぐらい、高校で四・二倍ぐらいとなって、ちょうど十年ぐらい前の教員採用の倍率になってくる。

 これは教員だけではなく人材採用すべてについて言えることですが、競争率が高いからいい、あるいはいい人材が集まるということではございません。問題は、やはり受験者数、そのすそ野の広さであります。採用がふえれば必然的に受験者数がふえることは当然考えられますし、このことが人材確保のために非常に重要であると思います。

 また、年齢的に何か一気に若い先生が入ってくるというふうには我々は考えません。教員採用試験における年齢制限の上限を延ばす動きが既に自治体などにもありますので、意欲のある教員志望者をバランスよく採用していく工夫、これをやはり都道府県にお願いしていく、こういうことでこの法案は成り立っております。

武山委員 その中には、中途採用という部分もありますでしょうか。

 固定的な先生が非常に多いわけです、ワンパターンの。教育学部を出て、そして学校の先生になるという人がほとんど。ワンパターンだと思うのですよ。その中で今までの子供たちが育ってきたわけですから、私は、中途採用でユニークな人たちを、今は個性化教育、能力、個人のどういう資質を持っているかというその部分を伸ばそう、個人を中心にこれからやっていこうという方向に向かっているわけですから、それには、今の先生方では対応が相当できないと思うのです。意識をまず変えるのに物すごい時間がかかると思いますね。

 と同時に、やはり中途採用で、例えばアメリカなんかでは、本当にびっくりしたんですけれども、ニューヨークでミュージカルをつくっている方が途中で学校の先生になったりしまして、小学校、中学校でミュージカルをつくって子供たちとともに上演するわけですよ。音楽専門のワンパターンの、いわゆる教育課程の中の音楽を取ってくる先生が今まで多かったと思うのですね。音楽大学を出た方は学校の先生になる人が少なくて音楽専門に行く人が多いという今までの過程の中から見ますと、いわゆる質の問題、やはり多種多様な、質を高めるためのきちっとした何かプランがそこにないと、人の数字だけが走ってしまう。これは国が国民の税金を使って先生を採用していくわけですから、そこには国民に対する説得力というのが非常に要ると思うのですよ。

 そこで、中途採用などはどういうふうに考えておりますでしょうか、衆法の方でお答えいただきたいと思います。

山元議員 今の教員の質を高める、いい先生を確保する、こういう御質問、先ほどもありました。採用の問題は大事な問題ですし、今、武山委員がおっしゃるように、他の職を経験してきた人たち、あるいはすぐれた知識や技能を持つ人を教育の場に来ていただくことは大事なことだというふうに思います。

 けれども、各学校に一人あるかないか、それを一つの大きな手がかりにするわけにはいかないというふうに思っております。小中学校の二十三万という学校数に一人ずつと、そういういい人材がいるとは思えない。

 大事なのは、今、現に学校にいていただいている教職員の皆さんの力量を高めていく、研修をしていただく、勉強していただくということが大事なので、その条件をつくることが大事だ。

 今、学校の教職員の皆さんは、本当にわき目も振らずという感じで仕事をしています。私も孫が二人学校に行っていますけれども、本当に先生は忙しくて、なかなか答案を返してくれない、先生を訪ねていっても職員室にいらっしゃらない、こういう状況になっています。ですから、一生懸命になって授業をすることと、そしてそのための研修、準備をする時間を、ゆとりを教師に持たせることが一番大事なんだろうというふうに思っています。日々、やはり能力を高めていく、あるいは人間的な力を高めていく教職員の環境ということが大事な要素だというふうに思っております。

 以上です。

武山委員 先生のお話はお話でわかりますけれども、そこの意識改革というのは非常に時間のかかることだと思うのですよ。今まで、ほとんどそういうパターンで頭が来たわけですから。それを変えるということは、私の母なんかを見ていましても、学校の先生をずっとしてきた自分の親を見ていましても、変わるなんということはまずないですね。ですから、自分の親さえも変わることはないということですから、それを意識改革するなんといったら物すごいエネルギーだと思うのですよ。

 それで、今先生のおっしゃったように、先生方の仕事というのは膨大にあるわけですよ。朝から晩まで物すごい仕事。ですから、そこにやはりすべて、家庭のしつけから生活指導から、ましてや教育の基礎的知識から、あらゆることを先生一人が負担しているという部分も大いに議論をして、ゆとりももちろん大事ですけれども、本当に先生一人の仕事は何なのかという、本当に現場の声というんでしょうかね、それも一々精査しないと。

 と同時に、私は、もう今までのワンパターンの発想は、やはり物すごい時間がかかりますので、人心を刷新していくには、そこに新しいフレッシュな意欲のある先生を、新しく全く違った風を入れていくということが大事じゃないかということで、中途採用ということを言ったわけなんですけれども、ぜひそれを。

 私は、皆さん、そこにかかわっている方々は学校の先生が多いですね、現実問題としてそうだと思うのですよ。そういう方々の意見が恐らく中心になっているんじゃないかなと思っているんですけれども、私は、全く部外者から見て、国民の一人として見て、それと同時に、あの手この手も入れないと、今までのところを変えていくというのは大変な物すごいエネルギーだと思うのですよ。やはりそこの覚悟が非常に大事だということをちょっとつけ加えておきます。

 それから、先ほどの閣法の部分で、いわゆる公立学校における再任用短時間勤務職員をどのように活用するかという質問を先ほどしたんですけれども、なかなかお答えいただけなかったので、時間がもったいなかったので衆法の方に振ったんですけれども、先ほどの中途半端になっている答えをお聞きしたいと思います。

町村国務大臣 委員御理解をいただけると思いますが、あらかじめ何人ということをここで今申し上げることはできないんです。なぜかというと、それは都道府県の方で、定員の中で一体どういう形で、例えば新規の人を入れるのか短時間再任用を入れるのかと……

高市委員長 大臣、お待ちください。ちょっと質問を取り違えられているようですので。

 武山百合子君。

武山委員 では、もう一回。

 公立学校における再任用短時間勤務職員ということで、町村大臣、退職される先生がいますね、その先生を再雇用するということですね、短時間の勤務で。その活用の中身は何ですかという質問だったんです。

町村国務大臣 失礼しました。数のことをさっきお問い合わせだったから、数はあらかじめわからないということを申し上げたわけです。

 どういう場面でということでございますけれども、例えば、新しい学習指導要領の実施で、総合的な学習の時間を初めとするいろいろな多様な教育活動がこれから展開をされていく、これに対応して、専門分野とか得意分野を異にします幅広い指導スタッフを整備することが求められてくるわけでございます。したがいまして、特定教科を担当する教員の授業時間数が極めて少ない場合に非常勤講師に置きかえていって定数を有効に活用するというようなケースが、一番わかりやすいケースとして、効果的なのではないだろうか、こう思っております。

武山委員 そうしますと、これから新しく始める、習熟度別ということを想定しているんでしょうか。それだけじゃなく、中学校の場合は教科別になりますね。小学校の場合は、体育、音楽、家庭科など以外は、ほとんど一人の担任が他の教科を全部見ますよね。その中での習熟度別という意味を想定してこの再任用を、すなわち、退職した先生をまた雇用する、その働いてもらうときにどんな活用をするんですかということなんです。国民にわかりやすく説明していただきたいと思います。

町村国務大臣 あらかじめどこにということを文部省が想定したり決めているわけではございませんので、そこは、まさにそれぞれの学校の事情、地域の事情によって、この分野で退職した方を短時間使いたいということを考えていくということになるわけであります。

武山委員 そうしますと、現場の校長先生の権限になるかと思うんですね。職員の先生と話し合って、最終的には校長先生の権限で、現場対応で多種多様なことが、あらゆることが考えられて対応できるという解釈でよろしいわけですね。

町村国務大臣 これは採用でございますから、校長先生がこの人を採用するというわけにはまいらないので、採用権限は都道府県教育委員会になります。

 ただ、校長先生のそうした希望、現場の希望というのが市町村教育委員会に行き、そして都道府県教育委員会に行くという形で、当然のことですが、校長先生の意向というのは十二分に反映されるものと考えております。

武山委員 活用の中身をお話しにならなかったわけですので、それは現場の状況によって何も言えないということで、そうしますと、あらゆるという言葉そのもののあらゆるでよろしいわけですね。

町村国務大臣 さようでございます。

武山委員 はい、わかりました。

 それでは、ここの部分は、あらゆるという意味は、衆法の方はどうなりますでしょうか。

藤村議員 閣法と衆法の違い、ここは割に大きいところであります。

 我々は、基本的に、いわゆる定数枠を使って非常勤講師を採用することは認めていないし想定していない、ただし、六十歳を超える再任用の部分についてのみ道を今回開いたということで、我々の本旨は、基本的に、やはりきっちりと定数一名で一人の先生ということを想定しておりますので、あらゆるとかどういう場面とかいうことをほとんど想定しないで、それは四十人から三十人にすることでいろいろな場面に学校ごとに対応いただける、こういう期待を持っております。

武山委員 わかりました。

 もうほとんど時間はないんですけれども、最後に、そうしましたら、いわゆる都道府県の権限がほとんどなんですけれども、ここの部分は相変わらず変わらないなと思ったんです。ほとんど都道府県の権限で決めているわけですから、それはもう今までどおりでほとんど変わらないという印象です。言葉では、現場の声を各市町村の教育委員会がきちっと聞いて、そして都道府県に上がって、最終的には都道府県で決めるということですけれども、それで現場の声は確実に上がるとお思いでしょうか、町村文部大臣。

町村国務大臣 現場の、特に校長先生の役割は非常に重要なものだ、私はこう思っております。それぞれの公立の小学校、中学校、もちろん高等学校もそうでありますけれども、やはり校長先生の学校の経営方針といいましょうか、どういう学校をつくっていくのかということが非常にこれからは問われてくる時代だ、こう思っております。

 そのために、例えば市町村の教育委員会から都道府県の教育委員会に人事異動の意見を言う際に校長の意見もあわせて言うことができるようにするというような形で、人事の面での校長の権限をより強化する。あるいは予算面でも、一定の枠であれば校長の独自の判断で、もちろん一定のルールにのっとってでありましょうが、使えるようにするというようなこと。あるいは学習の中身につきましても、もちろん指導要領というものによって立っていただく必要がございますけれども、それでもその中で相当いろいろな学校ごとの工夫が、現在でも行われております。

 私も、そう多くではございませんが、幾つかの学校へ行って、明らかに校長先生のその学校経営に対する、あるいは学校教育に対する考え方で随分学校の雰囲気なりあるいは教える中身も変わってくる、やり方も変わってくるということが可能でございますから、そういう意味で、私どもとしては、校長先生のまず立場といいましょうか、学校経営のあり方について最大限サポートしていく、それを市町村教育委員会もサポートし、都道府県教育委員会もサポートし、そして最後の一線として文部科学省もそれをサポートしていく、こういう関係で私どもはこれからも臨んでいきたいし、そういう意味でのできる限りの地方分権というものは、やはり進めていく必要がある。

 ただ、それじゃ、市町村ごとで全部決められるだろうかというと、例えば人事の異動などをやる際に、市町村の範囲の中だけでやっていくというわけにはいかないケースもありますから、そこは都道府県で人事は広域的に最適な配置を考えていくというようなことを考えたときに、やはりすべてを学校現場に、あるいはすべてを市町村におろすというわけにはまいらないのだろうな、こうは考えております。

武山委員 大学関係の件は、町村文部科学大臣と議論したいと思いますので、またこの続きは以後時間をかけてしたいと思います。

 ありがとうございました。

高市委員長 石井郁子君。

石井(郁)委員 日本共産党の石井郁子でございます。私は、きょうは政府案についてお尋ねをいたします。

 まず、子供たちの現状でございますけれども、いらつくとかムカつくとか、動き回る多動化現象など、本当に大変な状況が今あります。もう既にいろいろ質問もありましたように、やはり今必要なのは、生活集団としての学級、また学習集団としての学級、そういう学級集団の縮小だというふうに思うのですね。もう既にこの点では大臣がいろいろ御答弁されておりますので、重ねてということになるかと思うのですけれども、私としてはやはりどうしてもそこから伺っておかなくちゃいけないという思いであります。今回の政府案では三十人学級を見送ったということでありますので、なぜ、学級集団の縮小、学級規模の縮小ということに踏み出さなかったのか、子供と学校の現状に照らして、まずその基本的な認識を伺っておきたい。学級集団、学級規模の縮小ではなくて、一部の授業だけにこれを絞ったということについての基本的な考え方ということを最初に伺いたいと思います。

町村国務大臣 公立小中学校の学級編制につきまして、現在は四十人を上限として編制するということになっているわけでございますが、しかし、実際の学級の規模というのは、二十人以下というところから四十人まで非常にさまざまでございまして、全国平均の一学級あたりの児童生徒数は、先ほど申し上げましたが、小学校で二十七・〇人、中学校では三十二・一人ということで、現実には実は三十人学級という姿がもう生まれているという点を御理解いただければと思います。

 考え方としてそれではどうかということでございますが、全国一律に三十人学級を実施することにつきましては、一学級あたりの人数を少なくしても、やはり教員一人が学級を担任するということに変わりがないわけでございますので、先ほど来同じことを申しておりますが、学級王国と言われるそういう問題、先ほどある方が、それはごく一部の現象ではないかというお話がありましたが、私の知り得る限りでは、ある県では、校長先生なり教頭先生なりがそれぞれの学級でどういう授業が行われているかということについての立ち入りを、教師は拒否する権利を持っているというようなところまで、労働組合との間で話し合いができてしまっているというようなことも現実にあるわけでありまして、それは決してごくまれなケースではないということから、私どもは、できるだけ数多くの先生たちが多面的にきめ細やかな指導、評価が行えるような、そういう形で学級編制をしていったらいいのではないだろうか、こう考えているわけでございます。

 要するに、教科等の特色に応じてさまざまな人が指導に入るということのメリットというのが一つあります。それからもう一つは、三十人学級とした場合には、三十一人だと、十六人と十五人というクラス編制になってしまいますので、集団の中で人間関係をつくっていったり、切磋琢磨をするという面から考えますと、それはちょっと、十数名というのはいかがなのかなということでございます。さらに、これは全国一律に三十人学級をやるということになりますと、これまた先ほどお話があったとおり、大変な膨大な経費がかかるということで、やはり私どもは財政というものを全く無視して政策は考えられませんので、現在の限られた財源の中でより効果的な手段を選択するという観点もまた必要なんだろう、こう思っております。

 このため、今回の改正では、学級編制については四十人を標準にするという制度の基本は変えずに、教科等に応じた二十人程度の少人数による指導を実施するための定数改善でありますとか、あるいは、児童生徒の実態を考慮して、特に必要があると都道府県が判断をする場合において特例的に学級編制の引き下げを行う。低学年でございますとか、あるいはいじめ等々があるようなケース、こんな場合には特例的に学級編制の引き下げを行うことができるようにする、これが今回の制度改正の趣旨でございます。

石井(郁)委員 学級規模を縮小してほしいという願いというか、そういう意見は本当に国民的な意見、声だというふうに私は考えておりますが、ことしも今、国会に千九百万筆の請願署名が提出されております。これまで文教委員会、今文部科学委員会ですけれども、毎年この請願の採択を、否決ではないけれども保留しなくちゃいけないということで大変つらい思いをしてきたわけですけれども、この請願署名というのは、もう十年以上にわたって、全国的には三千万署名と言われる形で、教職員や父母の皆さん、生徒自身も高校生などが取り組むという形で取り組まれているわけですね。自治体でも、いわゆる三十人学級、学級規模の縮小という意見はもう千六百近い数に上っております。ですから、学級規模を縮小してほしいという意見書、決議というのは相当な形で広がりを見せているわけであります。

 一方、こういう運動がありながら、今回の政府案はそれを見送ったということなんですが、では、今大臣が御説明のように、特定の教科で二十人、二十人というのは固定ではないと思いますけれども、いわばそういう少人数授業を実施してほしいというような要望は、そういう国民的なというか、下からの声としては、文部省は何か伺っているのでしょうか。

町村国務大臣 三十人学級を求めるいろいろな御意見があることは私もよく承知をしております。私もかつて文教委員会の理事をやっておりまして、その請願のことについて皆さん方と御議論したこともございました。

 三十人学級を求める地方公共団体の意見について、都道府県段階で明確にこれを実施したいという意見を平成十二年度の時点で表明しているところはほとんどないと承知をしております。また、市町村につきましては、これはちょっと古いので恐縮ですが、平成十年度の段階でございますけれども、約一七%の市町村が実施したいという意向を持っているというふうに承知をいたしております。いろいろな教育関係団体からも御要望も出されていることも承知をしております。

石井(郁)委員 私の質問の特定の教科で少人数という声は、今の答弁では触れていなかったように思うのですが、地方自治体や、あるいはそのほかの団体から御要望はあったのでしょうかというお尋ねです。

矢野政府参考人 私ども、この計画を策定するに当たりましては、教育関係団体からヒアリング等を行ってきたわけでございまして、その中で、主に次のような意見が述べられているところでございます。

 御案内のように、新しい指導要領で総合的な学習の時間が導入されるわけでございますけれども、そうした総合的な学習の導入等に伴う教科、科目に応じて、少人数指導等の多様な指導方法を実施するための教職員配置を要望するものが多かったということがございますし、これは今の直接的なお答えになりませんけれども、教頭、養護教諭、学校栄養職員、事務職員等の配置の充実等の要望が多かった、こういうことでございます。

 今回の計画を策定するに当たりましては、特に教育関係団体からのヒアリングを十分行いまして、それを踏まえてこの計画を策定したものでございます。

石井(郁)委員 もう少し、どういう団体でどういうところから声が上がっているのかということをお聞きしたかったのですが、これ以上はもう申しません。

 それでは、少人数学習か学級規模の縮小かという点で見ますと、これももう既に少し触れられておりますけれども、それぞれ実験的にあるいは調査的にどういう取り組みをされたのか、どういう結果に基づいて今回のような政府案になったのかということをお尋ねしたいと思います、どうも余りにも机上のプランではないかというふうに思われてなりませんので。いかがですか、これは政府参考人に。

矢野政府参考人 少人数指導についてでございますが、この具体的なあり方につきましては、これはこれまで推進してまいっております第六次改善計画によるチームティーチングを含めまして、習熟度に差がつきやすい科目、例えば小学校の国語、算数、理科、あるいは中学校の英語、数学、理科などの教科について、二十人程度の少人数による指導が行われるものと私ども考えているところでございます。

 現在、具体的な方法といたしましては、これまで行われてきました一学級に複数の教員を導入いたしますいわゆるチームティーチング、これも含めまして、例えばでございますけれども、二学級を三つのグループ、三学級を五つのグループに展開し少人数指導を行うなど、さまざまなパターンが考えられるところでございます。これも、この計画を策定するプロセスにおきまして、各自治体等からのヒアリングなどを踏まえまして、恐らくこういう形で展開されるのではないかというふうに私どもは考えているところでございます。

石井(郁)委員 少人数学習にするのか、学級規模の縮小にするのかということがやはり今問われるわけですから、どちらにするかということをちゃんと研究の結果として政府案は出されているのか、何か研究されたのかということを伺っているんですよ。されていないわけでしょう。ですから、答えられないというふうにちょっと思います。

 次に進みますけれども、これまで、定数改善でいいますと第五次計画から第七次計画の間、ずっと四十人学級が続いてきたわけですよ。新たな計画でも四十人学級のままだということになりますね。そうしますと、四十人学級が実施されてから二十年で、四十人学級が完成してから十年間です。だから、この間、学級規模の縮小について、あるいは授業集団のあり方について、やはり研究されてしかるべきだったと思うんですね。研究指定校なども文部科学省は持っておられるわけですし、研究しようと思えばいろいろなやり方があるわけですから、そういう学級規模のあり方についての文部科学省としての研究調査というのは何があったのか。していなかったということになると、これは怠慢だと言わざるを得ませんし、これは私から申しますと、やはり文部科学省としては学級規模の縮小に取り組みたくない、そういう姿勢のあらわれではないかとまで言わざるを得ないわけですが、いかがですか。

矢野政府参考人 午前中の御質問でも学級規模と教育効果の関係についてのどのような研究があるかという御質問がございました。

 そこで、一方において、学級の規模と教育効果の間に大変有意性があるという研究もあるし、他方、その辺の有意性については必ずしもそうでないといったような研究があるということを御紹介申し上げましたが、私どもも、そこで申し上げましたように、特に第六次の定数改善計画におきまして新たにチームティーチングを導入したわけでございまして、その成果を、平成九年度、十年度、私どもの直轄の研究所でございます国立研究所において、その辺の研究を行ったわけでございます。

 その研究の成果を申し上げますと、学力テスト等の結果、一人の教師による学級一斉授業よりも成績向上に効果があること、しかも学級の枠を超えて、例えば二クラスを三グループに分けて授業を行う学年チームティーチングの方が効果がある、そういった研究成果も報告されているところでございます。

 なお、国立教育研究所におきましては、現在、これは平成十一年度から十二年度にかけてでございますけれども、学級編制及び教職員配置等に関する調査研究を行っている最中でございますけれども、その中間的な取りまとめにおきましても、先ほど申し上げましたのと同様の点が指摘されているところでございます。

石井(郁)委員 国立教育研究所が調査中だ、その一定のデータも出されているということは私も承知しておりますけれども、やはり四十人学級が完成してから十年たっている、これからどうするかということが今問われているときに、やはり学級規模の、このままでいいのか、縮小するのかということについて、きちんとした科学的な根拠を持とうとしないという点は大変重大だというふうに思うのです。

 もう何度も言われますように、世界の流れは少人数学級でしょう。この点では、九九年十一月のクラスサイズについての報告書によるアメリカの大統領コメントというのが有名ですけれども、やはりクラスサイズの縮小が効果があることは証明されている。百七十万人の生徒がクラスサイズ縮小政策の恩恵を直接受けているというふうに述べて、アメリカのテネシー州では、スタープロジェクト計画が出され、取り組まれて、実際十年にわたってずっと研究追跡された。十五人のクラスと二十五人のクラスと補助教員がついた二十五人のクラスの三つに分けて、国語、算数の教育効果について調査をしている。

 だから、そういう姿勢のことを私は今尋ねているんです。この調査の結果で、やはり十五人のクラスでは学力は上がる、やはり少人数の学級集団の方が学習効果が上がるということで、特定の地域では十五人学級にしているということでしょう。だから、日本の場合は、本当に文部科学省としてそういう姿勢が見られないということを大変問題だというふうに私は思うのです。

 この点で、民間レベルではいろいろもう取り組んでおります。九九年には、日本教育学会が取り組んだ報告書で、学級規模の標準はやはり二十人程度とすべきだという報告書もまとめているわけです。

 重ねて伺いますが、大臣にこれはぜひ伺います。なぜ学級規模の縮小ということに向かわないのかという問題です。先ほど述べられましたけれども、今後のことも含めて伺っておきたいと思います。

町村国務大臣 これも先ほど午前中のこの委員会での御議論の中にもございましたけれども、私どもはとにかく、今回の新しい定数改善でTTを中心としてきめ細やかな指導ができるように、少人数を、英語とか数学とかそういう分野でできるようにしようということで考えているわけでございます。

 これで、五年間ということが一つの計画によって進行するわけでございますけれども、そのある途中のところで、この五年の計画で本当にどれだけの効果が上がったか、あるいは、この直前でやってきたのはやはりTTをやってきておりますから、そうしたこともきちんと調べるべきではないかというような委員の御指摘もありましたし、私どももそう考えておりますので、その辺はまたしっかりとした調査をやっていこう、こうは思っております。

 そうしただんだん進化していく積み重ねの中で、何も私ども、未来永劫三十人をやりませんと断言しているわけでもございませんから、とりあえずは私どもの今回の考え方で進めさせていただければ、途中で必ず検証してみたい、こう思っているわけであります。

石井(郁)委員 これまで文部省の側から、少人数にしても学習効果が上がるかどうかというのは明確でないというようなことをたびたびおっしゃっておられました。しかし、今回特定の教科だけでも少人数授業というふうに一応踏み切ったという点でいうと、やはり少人数の教育効果を認めたということになりませんか。私はそういうふうに理解するわけですが、この点ではいかがでしょうか。

矢野政府参考人 今回の改善計画におきましては、学級規模を一律に引き下げるのでなくて、教科等に応じた少人数指導を行うことにより、私どもとしては以下申し上げるような効果が期待できるものと考えているところでございます。

 一つは、いわゆる学級王国と言われるような閉鎖的な状況を打破し、教員の連携協力を推進することができるということ。さらには、固定的な学級にとらわれずに、個々の児童生徒に複数の、多数の教員がかかわることによりまして、きめ細かな指導を行って、一人一人の児童生徒の個性をはぐくんでいくことができること。また、きめ細かな指導を通じて児童生徒に基礎、基本を定着させて基礎学力の向上を図ることなど、そういった効果が期待できるものと考えているところでございます。

石井(郁)委員 端的に一言で御答弁いただきたかったのですけれども、要するに、やはり少人数授業にすると教育の効果は上がるということですよね。それをはっきり答弁していただきたいと思います。

矢野政府参考人 教科の特性に応じた少人数指導というのは、私ども、教育効果という意味で大変高いものというふうに考えているところでございます。

石井(郁)委員 少し慎重に考えなきゃいけないんですけれども、文部省の方は少人数指導というふうに言って、そこに教師を配置するという形態だけを考えているというところがあるわけです。私は、そういう少人数指導というところにすりかえることは許されないというふうに思うのです。要するに、クラスを小さくする、クラスサイズを小さくするということがやはり教育に効果があるということだと思うのです。だから、事実上そういうことにもう向かっているというふうに考えなければならないと思うのです。

 さて、問題は、今矢野局長からのお話がありましたが、今度閣法でやろうとしている少人数授業とか少人数指導というものがどういうものになっていくのかということなんです。これは、現場の方からすると大変な関心事になるわけですよ。子供たちにも、親たちにもそうです。

 それでは、少し具体的に伺っていきたいと思うのですが、少人数授業にするときに、どういうクラス分け、どういうグループ分けをするのか。今はつまり四十人でしょう。それを二十、二十にするのか。大体二十人、二十人と言われているんですが、四十人というのは一律ではありませんから、学年で分けるといろいろですよね。例えば、三十人という今の実態があって、二クラスあれば六十人だ、学年でいうとそれを三つのグループに分けるというような話にもなるわけです。

 だから、グループ分けとかクラス分けというのはどうもいろいろなことが考えられるというふうに伺っているんですね。この点でも、実際どういうことが起こり得るのか、現場はどうなっているのかということが十分研究された上での計画なのかということが大変心もとないわけです。

 これは、少し具体的に大臣にもお尋ねしたいんですけれども、例えば、小学校一年生が入ります。あるいは、小学校低学年と考えてもいいです。本当にまだ学校に来たばかりでしょう。その一年生で、国語の場合にはこの集団に入りますよと、クラスが分かれるわけですね。国語の授業ではあなたはこっちの集団です、算数の授業ではこっちの集団ですというようなことになっていくのかどうか。もしそうなったら、小学校一年生なんて大混乱が起こりますよ。まず自分の属するクラスがどこかさえなかなか確定できないという年齢段階だと思うのです。

 そういう点でいうと、何か本当に混乱するんじゃないかということが一つあるわけですが、その辺はどのようにお考えになっていらっしゃるんでしょうか。

    〔委員長退席、鈴木(恒)委員長代理着席〕

矢野政府参考人 少人数指導の実際の方法についてのお尋ねでございますけれども、私どもが少人数授業、少人数指導を計画として盛り込んでおる考え方は、先ほど来申し上げておりますように、例えば、小学校では算数、国語、理科、中学校では数学、英語、理科の三教科について少人数指導が可能となるような積算をして定数改善計画に盛り込んでいるところでございます。

 実際の少人数指導の具体的な展開に当たりましては、あくまでもこれは積算でございますので、その積算にこだわる必要はないわけでございまして、どういう教科をどういう形のグループとして展開するかというのは、これは基本的には各公共団体、各自治体がそれぞれの地域の子供の実態等を踏まえて、主体的に御判断されるべき事柄でございます。

石井(郁)委員 これは、実際に昨年末、京都で一方的に少人数授業というのが施行されたんですね。そうしますと、今度はこういう結果がいろいろ言われているわけです。

 学級を無理にグループ分けしますと、今不登校ぎみの子供とか大変問題を持っている子供たちを抱えていますから、そういう生活上の課題がやはりおろそかになっていく。それから、授業の進度を合わせることなどに追われまして、授業の工夫ということに限界を感じる。評価というのも大変難しい、学年全体でつき合わせなきゃいけない。担任の仕事がふえる。進度を合わせるために出張も休暇もとれない。だから、先生方は、言ってみれば、楽になるといったらおかしいのですけれども、つまり授業のために準備ができる時間というのが先生にとったら一番大事なわけでしょう、それがかえってとられてしまうという問題が出ているわけですね。

 だから、既にあちこちでもうこういう実施状況があるのじゃないか、そういう状況は文部科学省として把握されているんでしょうか。

矢野政府参考人 この少人数指導というのは、現行の第六次改善計画の中のチームティーチングにおいてもできる授業形態でございますので、少人数指導の実態等についても、トータルな把握ではございませんけれども、私どもなりの把握はしているところでございます。

 これは、今先生がおっしゃったような、一人の先生が学級王国という形で単独で授業をするわけではございません。ある教科を教えるについて、複数の先生の共同の、例えば事前の準備でございますとか、あるいは事後の検討であるとか、共同での授業計画なり授業指導を行わなきゃならない、そういうことがございます。協力連携ということが必要になります。さらには、それを学校全体として実施するためには、まさに学校全体としての一致協力の体制ということも必要になるわけでございます。一人の先生が単独で授業をするのに比べますれば、そういう意味での負担は一人の先生について出てくるわけでございますが、そういう負担を通じて、私どもは、先生方の協力連携、そして学校全体の一致協力といったものを通じて、より教育指導の高い効果が期待できるというふうに思っておるところでございます。

石井(郁)委員 ずっと問題にしていますように、やはり生活集団と学習集団の乖離ということが現場の大変大きな問題で、指導上の系統性がとれない、図れないということで問題が生まれているわけであります。ある子にとっては、国語はよくわかるけれども算数はよくわからないということもあるでしょうし、そういう子供をどのようにグループ分けするのかというのは、現場からすると本当に大きな問題だ。最初に申しましたように、一学年三クラス、それを六つのグループに分けるという場合もある。それがまたもとの学級に戻ってくる。そして先生は、一人一人の授業をつかんで指導するということが大変難しいというようなことが起こるわけですね。

 もう少し具体例を申しますけれども、六年生の場合は矛盾がもっと拡大するというふうに聞いています。子供たちに書かせたら、こういうグループ分けというのは三分の二が反対だというふうに言っているというのです。やめてほしいと言っている。

 この学校の六年生は、三クラスを四つに分けて国語、算数、理科の授業を行っているが、やはり三教科とも学習集団が違う。他のクラスとの混合授業で、子供たちが、移動で混乱をする、学習中も落ちつかないということが出てくる。また、子供の名前がわからないということで三角柱を持って移動する、こういうことまで起きてしまうわけですね。そうすると、手を挙げる子供も減って、しいんとした授業になる。算数の新しい単元を少人数で行って市販テストを行ったが、惨たんたる結果だ。

 だから、やはり生活集団と学習集団を切り離して、この授業だけを少人数にしたよ、それでこれをやろうというやり方をしても、子供たちはついていっていないじゃないかということです。新たな混乱が今学校現場で生まれているというふうに言わなければならないわけです。

 大臣、こういう実態をお聞きになっていかがでしょうか。

町村国務大臣 申しわけありませんが、今石井委員が言ったことが教育現場のすべてではないと私は思っております。

 私も、国会が始まる前に、十二月、一月、幾つかの学校を見てまいりました。そして、むしろ学年で一つの集団をつくってやっているケースとか、あるいは先ほど来お話しのように、二つのクラスを三つに分けてやっているケースとか、いろいろなケースを見ながら、まあ私が行ったからとてもうまくいっているところだけを見せていただいたのかもしれませんけれども、私は、それはそれでなかなかうまくやっているなというふうに思ったところもしばしばございました。

 そして、どういうふうに分けるのか。いろいろな分け方があるだろう。とにかく少ない方が場合によったらゆっくり教えられるというケースもあるかもしれないし、場合によっては、小学校一、二年のときは多分もともと二十人ぐらいがいいのだろうなとは思いますけれども、例えば小学校の高学年あるいは中学校ぐらいになってくると、まして高校はそうでしょうけれども、やはり理解の程度に相当差がある。それを一つの学級の中で授業を進めることの方が、むしろある意味では無理だ。

 先生は、多分真ん中ら辺よりちょっと上あたりに照準を合わせて授業をいたします。そうすると、上の方の何人かは、もうこんなところはとっくの昔にわかっているといって授業に身が入らない、下の三分の一ぐらいの方はとてもついていけないというような事態が現実にあるわけですね。それで、わからない、わからないでどんどん行くと、上の学校に行くほどますますわからなくなる。

 今までの学校の中では、そういった習熟度別のクラス編成は差別だという一言で切り捨てられてきたと私は思うのです。そうではなくて、その子供に合った、その理解の度合いに合った形で、一番わかりやすい、しっかりと一歩一歩進める、例えばそういう学習集団をつくった方が、私は、その子供に合った教育ができていいと思うのです。ゆっくりやった方が着実にわかるという子供だっているわけですから。そういう意味で、私は、習熟度別が唯一の少人数の基準だと言っているわけではございません。一つの基準かな、一つのやり方かな、こう思いますけれども。

 例えば、習熟度別ということについて、今まではとにかく平等ということで、先ほど私がちょっと教育改革の理念で申し上げました、一つの学級集団で、四十人なら四十人の中で一斉に授業をやらなければならない、これはまさに悪平等の最たるものになるおそれがあるので、そこは子供の理解度に応じた形の学習集団をつくった方が、はるかにその子供にとって幸せな集団づくりになるのではないのかな、こう私は考えているわけであります。

石井(郁)委員 本当に確かに現場は多様ですから、少人数学習でもそれはいろいろな取り組み方があるでしょう。ただ、今出ていますように、子供も親も少人数でよかったと言っているけれども、教師からすると大変だという実態は否めない。

 つまり、父母からすると、あそこは進んでいるのにあのグループは進んでいない、親はこういう目で見るわけでしょう。そういうことが父母の話題になる。そうすると、進度を合わせよう、こういうふうに働くわけですよ。これでは、大臣はおっしゃいますけれども、逆に、きめ細かい指導ではなくて画一的になってしまうのですよ。親は、あのグループとこのグループはどうしてこう違うのかと。違ったら困るというのは、親の方ではないですか。そういう意味で、画一的になるのですよ。進度に合わせようということで逆に詰め込みにもなるということが起こっているということを、私は実態としてまず申し上げます。

 ですから、今大事なことは、どういうグループ分けをするのか、この少人数指導や少人数学習というものも、そこにどういう教員の加配をするのか、それをどう生かすかということについては、もう学校現場の判断で進める以外にないということだと思うのです。地域も違うし、それぞれの子供たちの実態も違うしということでしょう。

 だから、このことについて、文部科学省はやはりきっぱりとそういうことを言明してほしい。それから、教育委員会の判断ですることだというふうによく言われますけれども、教育委員会の判断で、やはり教育委員会がグループ分けやクラス分けをこうしろああしろと言ってくることもあるわけですから、そういうこともやらない、やってはならないのだというぐらいのきちんとした態度を表明してほしい。いかがですか。

町村国務大臣 それは、石井委員御指摘のとおり、学校の現場を知っているのは各学校でしょうから、その各学校の意向をきっちりと教育委員会に伝え、そしてそれを教育委員会が判断をして決めるということで、学校の意向を全く無視した形で教育委員会が、こうしなさい、ああしなさいと言うことは、それは余り適切な話ではないなと思います。

 ただ、私は別に、その習熟度別が唯一だとは申しませんが、さっきおっしゃった、親が、自分の子供がAというクラスなのかBというクラスなのかと。確かにそうでしょう、今までそうでしたから。しかし、もうそういうのをやめましょうと。自分の子供がどういうクラスにいるかとか、常に他人との比較において生きていく、そういう日本人の生き方を変えるきっかけを、私は学校の現場からつくっていきたいのです。

 常に隣の芝生の色ばかり見て、自分はもしかしてこっちのクラス分けなのではないか、こっちのクラス分けなのではないかという形で、もうそういうのはだめだというふうになる。そうすると、今までの悪平等にまた戻ってしまうわけですね。そんな悪平等をやっていたらば、伸びる子供も伸びない、二十一世紀の日本に必要な人材は私は育たないと思うのです。

 でありますから、私は別に習熟度別が唯一の基準ではないと申し上げましたし、実際、各学校の工夫、努力にゆだねる部分が大きいわけでございますけれども、これは例示でございます、例えば習熟度別学習というのが不公平だというような従来の感覚は、もうぜひ学校現場から、それは親御さんも含めて、あるいは生徒本人も含めて、そういう古い観念は捨て去ってもらうようにお互いに心がけていかなければならないのではないかなと思うので、あえて申し上げさせていただきます。

石井(郁)委員 この点に関しましては、町村文部科学大臣と大論戦をしなければいけないという課題で、いよいよそこら辺に入ってきたなという思いもしているのです。

 やはり現場からしますと、習熟度別学習に名をかりて能力的に子供を分ける、こういうグループ分けというのはもう大混乱を起こすだろうと。後で申し上げますけれども、過去にもあったのです。そして、それはもうやめてしまっているということもあるわけで、そういう声はたくさんございます。今大臣は、そういう習熟度別はおかしいというのは古い考えだというふうに言われましたけれども、私は、その考えはやはり子供の立場に立っていないと思うのです。

 例えば、私は何でこのグループなんだ、あなたは勉強ができるからこのグループだよ、あなたはこの能力だからこっちのグループだよ。子供からしたら、そうなってしまうわけですよ。私は、こういうことは子供に絶対やってはいけないと思っているのです。

 つまり、子供というのは差別されることに物すごく敏感ですよ。本当に差別を嫌います。そしてまた、子供というのは可能性があるわけでしょう。教育というのは、まさにそのプロセスでしょう。一人一人の人間の成長と発達を保障していくというのが教育の仕事ではないですか。初めから自分はもう捨てられた人間なんだというレッテルを張られるというのが習熟度別学級、学習なんですよ。そういうことは教育の名において絶対にしてはいけない、これは私の教育論です。だから、それはもう文部大臣と全く違うところなのです。

 少人数授業を文部科学大臣は習熟度別にするというのも一つだというふうにおっしゃったけれども、いろいろな到達度別に、本当におくれた子の手だてをするという意味での、そういう理解度に応じた指導ということはあり得ると私たちも思っていますけれども、やはり固定化したグループ編成にするべきではないと思うのです。

 この点で、私は文部科学省に伺います。今回の少人数指導とか少人数授業というのは、そういう習熟度別の名による能力主義的な学級編制に固定化するという考えはあるのかないのか、はっきりおっしゃっていただきたいと思います。

矢野政府参考人 実際に少人数指導を行う際に、どのような教科や学年を対象として行うか、また、習熟度別のグループを編成するかどうかについては、最終的には各教育委員会あるいは学校の判断でございますけれども、先ほど来御議論ございます習熟度別の指導につきましては、現在学習指導要領に示す、基礎的、基本的な内容の確実な定着を図り、そして個性を生かす教育を充実するためには、学習内容の習熟度の程度などに応じ、個に応じた指導を推進することが極めて大切であるわけでございます。このため、文部科学省といたしましては、少人数授業の実施に当たりましては、教科等の特性を踏まえながら、習熟度の程度に応じた指導を初めとした、個に応じた指導の充実に努めてまいりたいと考えているところでございます。

石井(郁)委員 いや、もう少しはっきり言っていただきたいのですよ。その個に応じた指導とか、それから、ちゃんと基礎、基本の定着のためにとか、それはもういろいろな手だてが必要なことは言うまでもありません。要するに、この少人数分けということを能力主義的に固定化するような学級編制につなげさせていくことは考えていないということをはっきりおっしゃっていただかなくては困ります。お答えは、文部科学省で結構です。

矢野政府参考人 大変僣越でございますが、私から。

 先ほど来申し上げましたように、最終的にこれをどういう形でやるかというのは各教育委員会の判断でございますということは申し上げてございます。

 ただ、私どもとしては、こうした少人数授業を行うについては、先ほど来申し上げておりますように、教科等の特性を踏まえながら、習熟度別授業を初めとした、個に応じた授業の指導の充実に努めてまいりたいし、またそういう形で各県を指導してまいりたいと考えているところでございます。

石井(郁)委員 またちょっと前の答弁と違うのです。教育委員会の判断もそうですけれども、私たちがはっきりさせたいのは、やはり学校の判断というのが大変大事ですよ。教育委員会は学校の現場を知っているという前提に立っているかもしれませんけれども、必ずしもそうではありませんので、やはり学校の判断を第一義的に考えるという点は、先ほどそういうふうに答弁をされたというふうに思っていますけれども、重ねて伺っておきたいと思います。

矢野政府参考人 私が最終的には各教育委員会や学校の判断であると申し上げましたのは、それは、こういう学習指導のあり方について、教育委員会と学校との関係が各自治体においてさまざまであるわけでございます。基本的には、これは学校の管理運営の責任者である教育委員会であるわけでございますが、自治体によっては、これは教育委員会から各学校に権限委譲されているケースもあるわけでございますので、そういう意味で最終的には教育委員会やあるいは学校の判断であると申し上げたわけでございまして、制度論で申し上げますなら、これは基本的には教育委員会の判断でございます。

石井(郁)委員 私がなぜ習熟度別学習ということにこだわるかということについてですが、これまで文部省はそういうことを随分やってきましたね。一九八二年ですけれども、進路指導別学級編成という名前で習熟度別学級編成が行われたことがあるのです。父母に対しては、まさに今のあなたの答弁のように、一人一人の子供を伸ばすとか個々の子供の実態に照らして必要な指導を実現するんだとかというふうに、いろいろ校長先生から説明されるわけですね。そういう言葉どおりだとそれはなかなか反対はしにくいわけで、むしろ父母の方は拍手で歓迎をするということまで生まれたわけですね。期待を持って受けとめたということがあります。

 しかし、この習熟度別学級編成がどうなったかという問題なんです。この学校では、生徒を前年度の成績の上位の者から、ランク五からランク一に分けて教室の座席を決めた。そして、一番窓側はランク一と二の生徒、中側はランク三の生徒、廊下側がランク四と五の生徒で、宿題も教材も別々のものを与えて指導するわけですね。

 どうでしょう。こういうことを実施していきますと、窓際の席はばか席と呼ぶ生徒が出てくるわけです。その席に座った子供は、もう恥ずかしさに耐えられない。泣き出してしまう。当然学校になんか行きたくないでしょう。授業参観のあったときに、学級懇談会で親は子供たちと同じ席に座るということまである。だから、ランク一とか二の父母がもう耐えられなくなって帰ってしまう。

 本当にこういうことがあるのかと思われるでしょう。今、進学塾などはある意味ではこういうことがあるのです。公教育でこういうことにまでなったら、私は本当に恐ろしい事態だというふうに思います。PTAでも問題となって、二カ月で取りやめになったということですね。

 大臣、改めて、これは文部科学省もそうですけれども、あなた方がどうも歯切れよい答弁をされないので、私がこういうことまで言わなくてはならないのですけれども、こういう、塾と同じようなことを公教育の場に持ち込むというようなことがあっていいのでしょうか。習熟度別、習熟度別という名で、こうした能力主義的な学級編制の固定化ということが行われていいのでしょうかということを、一九八二年のことで私は申しました。今現実に、そういうことがまだ日本のどこかにあるかもしれない。こういうことの復活みたいなことを考えているのでしょうか。ちょっとはっきりさせていただきたいと思います。

    〔鈴木(恒)委員長代理退席、委員長着席〕

町村国務大臣 一つの私のささやかな個人的な経験をお話しさせていただきます。

 今から二十年ぐらい前に、私はニューヨークの郊外で勤務をしておりまして、うちの娘たちは二人とも、普通の公立の小学校二年、三年に通っておりました。二年、三年から三年、四年に上がるときに、そのクラスの子供が二人、二十数名のうち二人がもう一回二年生をやることになったと娘が言うのですね。小学校二年ですから、大変びっくりしました。

 それはどういうことかなと思って、保護者の会みたいな学校参観日のときに、学校の先生に、随分勇気あることをなさいますね、日本でそんなことをやったらきっと先生はつるし上げられてしまって大変なことになりますよという話をしたら、大変びっくりした顔をされまして、それはあなた、違う、その子供にとって最もよい学習形態は何かということを考えたときに、その二人の子供の場合は、もう一度二年生をやることがその子にとって一番幸せなんだ。だんだんたっていくうちに、小学校三年から五年にまた上がる子もいる。これはクラス編制というよりは、今私は飛び級とか留年という話をしておりますけれども、要は、そこまで一遍に行かないまでも、その子供にとって一番いい教育というのは一体何なんだろうかということをやはり虚心坦懐に考える必要があるのだろうと私は思うのであります。

 だから、見えであるとかそういうことではなくて、その子供にとって何がいいのだろうか。わかったような顔をしてどんどんクラスが進んでいく、そのことが本当に、例えば理解が遅い子供にとって幸せなんでしょうか。私は、決して幸せだとは思わない。しかも、ちゃんと理解が進めばまた別のクラス編制だってあるだろうし、常にそのクラス編制が固定化されているわけでもないでしょう。英語は英語のクラス分けというのがあるかもしれない。逆に、体育の時間のクラス分けというのはちょっとないかもしれませんが、やはり体育の時間では足の速い子が光り輝くというようなことだってあるでしょう。音楽の場合もまたしかり。英語の場合に輝く子もあれば、数学の時間に輝く子もある。さまざまだと思うのですよ。

 そういう意味で、私は、その子供にとって最も光り輝けるような時間が学校の中にあった方がいいし、そして、その子供に最も合った形での学習グループというものが学校にあった方がむしろいいのではなかろうかな、こう心底考えているわけであります。

石井(郁)委員 大臣のそのお話はいろいろなところでお書きになっていらっしゃって、私もよく存じておりますけれども、今話されたことで言うと、その子供に何が合っているのか。本当にその子供に合ったことが大事だというのは、だれも否定しません。問題はどういう形で、あるいは制度的な仕組みを含めてそれができるのかということなんでしょう。

 今のお話を伺いますと、一人一人の子供に合ったことを実現するためにも、学級規模の縮小が大事なんですよ。そういうふうにも言えるでしょう。私たちはそう考えているわけです。

 ただ、今の例としては、進度の遅い子には、いや、落第ということだってあり得ますよというアメリカの例を出されましたけれども、それは一つのやり方の問題としてはあるかもしれませんけれども、今その子供に合ったことをということからいえば、学級規模の縮小ということが本当に今大事だということなんですね。

 今問題になっているのは、閣法で出されているのは、要するに少人数のグループ分けをする、しかもこれは、大体二つに分けてあったり三通りに分けたりするという中の分け方の問題を言っているのですね、これを固定化してしまおうと。能力別に固定化をしてしまうということは、今の子供たちの実態からしても本当に合っているのか。まさに合っているのかという問題を私は申し上げているのですよ。

 私は、こういう小学校教育で今思い浮かぶことがあるのです。子供はエジソンの話が大好きですね。夢があるのです。あのエジソンは小学校で、あなたはもう合いません、ついていけませんと言われて、能力がないと言われて、学校からほうり出されました。しかし、発明王になったわけでしょう。子供たちが何でエジソンに共鳴するかというと、やはりそういうところがあると思うのです。

 本当に能力というのは、簡単に小学校、中学校でも振り分けできないというのがあるでしょう。だから、教育はまさに多様であっていいし、本当にそれぞれの現場の実情で、あるいは子供たちの思いも含めて、親の思いも含めていろいろなことが考えられていい。問題は、そういう学校の判断、子供の声も教師の声も親の声も含めて、やはりそういう判断をグループ分けに際してちゃんと保証するのかどうか、重視するのかどうか。

 私は、こんなことを聞くのも本当に情けないと思うのです。もう当たり前の話なんだと思うのです。しかし、文部省も教育委員会も、足かせというか枠をはめるものですから、あえて申し上げているわけですよ。教育委員会や文部省が、ああせよ、こうせよというふうに言わない、教員の加配、少人数の指導、学級づくり、編制については現場の判断をまず重視するでいいと思いますけれども、本当に現場の判断を尊重するということをきちっと言っていただきたい。

町村国務大臣 現場の声を大切にするということは、これはもう当然のことだろうと私も思っております。

 ただ、ちょっとこだわるようで、石井委員、大変恐縮でございますが、能力別に固定化するとさっきからおっしゃる。何も、能力別に固定化して、あなたはもう未来永劫劣等生グループですよ、そんなことを言っているわけでは全然ないんですね。その子供が、たまたま今例えば数学の理解が人よりも遅いという場合に、小さいクラスでインテンシブにそこを学べばまた別のクラスに変わってというようなことをやっていけばいいのでありますし、それから、早いばかりがいいわけでもありません。エジソンはきっと遠回りをして一番高いところに行ったんでしょう。そういうことはすばらしいことだと僕も思います。

 ただ、その子にとって、置き去りにされて、クラスはどんどん進んでいく、よしんば三十人のクラスでも、多分先生は真ん中ら辺、十五番から十番あたりのところに照準を置いていくと、数学なら数学の下から二十五番から三十番ぐらいの子供はやはりついていけなくて非常に困惑をする、学校が嫌いになる、そういう事態だって起きないとは限らないわけですね。むしろそのおそれが大きいわけで、そんなことをするならば、三十人学級でそうした学校嫌いが解消するかと言われれば、やはりそこには無理があるわけですよ。

 私は、いろいろな教科によってクラス分けがどんどん変わっていいと思いますし、時間とともに変わったっていいと思いますし、どうして固定化ということを盛んに言われるのか私にはよくわからないわけでありまして、その子供の理解の度合い、進みぐあいに応じたいろいろな学習グループがあっていいということだけを言っているわけであります。

石井(郁)委員 ちょっと重ねてというか、しつこく尋ねているわけですけれども、やはりこの問題は、少人数の授業、少人数の指導に当たって教員を加配するという問題になっているわけでしょう。それをあなた方は、教育委員会がそれはお決めになることですというふうに言われますから、そのときに、こういうところは認めるけれどもこっちは認めない、そういう権限を持っているんですよ。そうでしょう。その意味で、本当に、二十人の授業、現場が苦労していろいろな工夫をして、あるいは子供の実情に応じていろいろな分け方をしたいと言うのは現場ですから、そういう各学校の判断にやはりゆだねる、当然だと思うのですけれども、そのことをなぜはっきり言えないんですか、それを私は尋ねているわけです。

町村国務大臣 学校現場、校長先生の意見が教育委員会において尊重されるということは、私は当たり前だと思います。ただ、すべて校長先生にゆだねるということは、それは現実の、トータルの予算の制約、定員の制約があるんですから、各学校がそれぞれ、私の学校は何十人要ります、何十人要りますと言ったら、それは全体が成り立たなくなりますよね。そういう意味で、どこかでその調整をしなければならないのが、それが教育委員会の機能なんじゃないんでしょうかということですから、すべてを学校にゆだねるということは、それは幾ら何でも無理なんじゃないでしょうか。ただ、学校現場の意見を尊重する、それはまた当然のことだろうと思います。

石井(郁)委員 大変これで時間をとってしまいましたけれども、私はやはり、事は、子供と向き合っている、どんな教育をしたいかという教育観にもかかわることでありますし、子供観にもかかわることでありますし、すべて教職員の皆さんは、子供たちの成長発達、そのために何がいいのか、本当にそこから出発しているわけですから、そういう現場の皆さんの教育を本当に励ます、本当にやりやすいようにするというのが教育行政の仕事だというふうに思いますから、そういう点で、あれをしちゃだめだ、これをしちゃだめだ、こうしろというような足かせはやはりやめていただきたい、すべきじゃないということを強く申し上げているわけです。

 残りの時間で、先ほど来も問題になっていますが、非常勤講師の問題ですね。これは、常勤の教職員定数を取り崩して非常勤講師を置くということは、やはり教職員の身分や労働条件が不安定になるということで、子供と教職員の触れ合いを希薄にもしますし、私たちは認めるわけにいかない問題であります。

 非常勤講師は、常勤講師一人分で三、四人雇えるという可能性があるわけです。既に行われている群馬県のさくらプランというのがあるんだそうです。九九年度は一講師当たり一日四時間で年間百四十日、時給が二千四百四十円で年収は百四十万円、二〇〇〇年度は労働条件は倍になっているのに一日一万円で通勤手当もないということで、非常勤講師の目の前で、きょうもさくらを貸してほしい、さくらの講師の先生を貸してほしいと言うという、何か物扱いになっている。子供たちもそういうことはやはり察知をしますから、高学年の生徒などは、先生、バイトでしょうというふうに言ってしまう。だから、子供を育てる教育現場で、本当に人間と人間の触れ合いというんじゃなくて、何か安上がりの、物を見るような思想で教育が行われているということは、私は大変問題ではないかと思うのです。

 だから、もう既にこういうことが起こっている、これがさらに促進されるような事態というのは私は本当にいかがかというふうに思うのですが、そういう認識はございますでしょうか。

矢野政府参考人 非常勤講師を活用することでございますけれども、今回、定数を活用して非常勤を採用することができるようにしたいという趣旨は、これは具体的には、例えば総合的な学習の時間等において、定数の教員だけではなくて多彩な、多様な人材を必要とするようなケースもこれから多々出てまいるわけでございますし、あるいは非常に少ない持ち時間の教員がいるといったようなこともあるわけでございます。そういう実態も踏まえて、定数を配置するよりもむしろ非常勤を活用した方がより効果的な教育活動ができる、そういうことがあるわけでございますので、そういう場合に、今までできませんでしたけれども、定数を活用して非常勤講師を任用できるような、そういう制度として今回新たに設けたわけでございます。

 そして、定数を崩して非常勤講師をどの程度活用するかというのは、これは各都道府県がそれぞれの県の実情や実態を踏まえて適切に判断をしていただくべき事柄でございます。

石井(郁)委員 こういう非常勤講師を定数内に取り込めば、やはり正規の教職員が減るわけでしょう。四時間やって帰ってしまって相談もできない、複数の指導者で仕事をするのであれば、指導方針、子供の見方などについて対等な立場でいろいろ話し合い、意思疎通を図ることもできるということがあります。そういう必要があるのに、そういう非常勤は、さくらの講師と言うそうですけれども、ささいなことでも自分で判断することができないというような嘆きさえ聞こえてくるということがあります。

 また、非常勤という立場からすると、思ったことを口にするのも難しいということがある。上から言われたこと、決まったことに従うだけだということにもなってくる。だから、やはり教職員集団としての教育論議ということが大変やりにくいという新たな困難が生まれていると言われているわけですね。

 私どもは、やはり非常勤講師はやむを得ない場合のみにして、定数外にするというふうにすべきだということを申し上げたいと思いますが、それはいかがですか。

矢野政府参考人 繰り返しになるわけでございますけれども、先ほど来申し上げましたように、定数を採用するよりも非常勤講師を活用する、非常勤講師を採用した方がより効果的、有効な教育活動ができる、そういう場合もあるわけでございますので、そういうことができるような道を今回制度改正として行ったものでございますので、この点、御理解をいただきたいと思います。

石井(郁)委員 政府は提案者ですから、やはりいいこともあるというふうに言われるんでしょうけれども、私の方は、もう既に現実に現場の中でいろいろな混乱が生まれている、これでは必ずしも、それこそ学校が変わる、教育が変わるということと違う方向に行きかねないという問題で指摘をしているわけであります。

 だから、やはり閣法ではだめでありまして、私ども野党提案の三十人学級法案は、何としても成立させたいというふうに思っております。

 以上で終わります。

高市委員長 山内惠子君。

山内(惠)委員 社民党の山内惠子でございます。

 今回の国会が始まるときの首相の施政方針の中でも、教育改革に力を入れる国会であるというふうにおっしゃっていました。先ほど大臣がおっしゃられたように、現在は文部科学省ですけれども、過去にさかのぼれば、文部省はほぼ十年ごとに教育改革を語ってきたというふうに思います。人的資源論、期待される人間像、教育の現代化、そしてゆとりと生きる力というふうに教育改革を実践しようとしていらっしゃった。

 このことに対して大臣は、物の見事に失敗した、そのようにおっしゃられたのですが、実は私もそのように思います。現場では、子供たちがいじめとか不登校とか中途退学、そして学級崩壊などという言葉も出てきている状況にある中で、社会では十七歳少年問題と言われるような問題、本当に次々と深刻な状況が出てきています。

 先ほどのお答えを聞いている中で、戦後の画一的な教育だとか、学級王国の問題だとか、悪平等がというふうに言われていますので、その部分につきましては後で反論もしたいと思っていますが、教育改革として打ち出したどの政策が間違いだったと大臣は思っていらっしゃいますか。

町村国務大臣 私はさっき間違いだったと言ったかどうか、余りあれですが、例えば、昭和四十年代前半の「期待される人間像」というのは、いろいろな方々の反発があって、上からの押しつけだということで、中身を読むととてもいいことが書いてあるのですけれども、残念ながら国民の中にあれは定着しなかった、そういう意味で失敗だったということを先ほどは申し上げたつもりです。

山内(惠)委員 私が何度も主張していることに、教育にお金をかけない改革はもう限界に来ているということを、この間発言し続けてきましたし、そのことをたくさんの方もおっしゃっています。

 先日、文部科学省の方にお聞きしましたら、今回の改革、改善五年計画ですか、特に今回は文部科学省の概算要求が変更なく策定された、そうおっしゃっていましたので、そのことは関係者の御努力だったと思います。

 一歩前進ということかもしれませんけれども、それにしても、教育改革国会だと銘打つのであれば、今回の予算にかかわっては、小手先と言われても仕方のない予算の状況だったのではないかなというふうに思います。

 この二〇〇二年から、百二十年間続いた週六日制の学校登校日が、隔週にはもう既にやっておりますけれども、週五日になります。二十一世紀ですから、このときをチャンスに教育改革を抜本的に、私は三十人以下学級を実現していただきたかった。そして、仲間のいる学校、ゆとりと真の学力を伸ばすという点で学校ルネサンスを行うんだと言っていただきたかったなと。その意味で、予算はもっとかかるんだけれども、本当に二十一世紀に子供が輝くために予算をと言っていただけたら、概算要求でもう少し大きく要求していただければそのようになったんじゃないかと思うのです。すごくそのことは残念に思うのです。

 ところで、今回出されている教育改革、今回の法案も含めてですけれども、これをやっていくことで学校は仲間のいる楽しい学校になると思われますか、大臣。

町村国務大臣 仲間のいる学校とおっしゃる意味が必ずしも私はよくわからないのでありますけれども、ごくその文字どおりを解釈すれば、そうだと私は思います。

山内(惠)委員 学校というところは、先ほどもおっしゃったように、極端に子供が少なければ本当にそれは難しいという部分では、極端に少ない例のときではそうですけれども、子供たちがたくさん集まれるいい場所のはずですから、お勉強も楽しくて、でも仲間と会えることが楽しいということがなければ人間関係は育たないと思うのです。

 その意味で、大臣が今そうなるだろうと言ったのは、どの政策のところでそれが実現できるとお考えですか。今、子供たちは本当に人間関係をつくれないでいるというふうに思います。

町村国務大臣 子供たちが確かに人間関係をつくるのが下手になってきたといいましょうか、そういうコミュニケーション能力が落ちてきたという事実は事実としてやはりあるんだろうと思います。

 かつて私どもの時代にはなかったファミコンとかゲーム機とか、こういうものは確かに自分の部屋で一人でやれるものであります。我々の時代は、テレビも小さいころはありませんでしたから、したがって、ラジオを大きな音で何か庭で聞いていたような気がいたします。家の中にいても何も遊ぶことがありませんから、外で周りの子供たちと遊ぶ、学校で遊ぶ、いやが応でもコミュニケーション能力がついてくる。

 また、個人の部屋なんというのはもとよりありませんでした。今は、小さな部屋でも子供の部屋というのを皆さん個室をつくり、かぎをかけ、ある意味では国民が豊かになったからそういうことができるようになってきた。そうした環境一つとってみても、確かに子供のコミュニケーション能力が落ちてきてしまっている。

 かてて加えて、これもいい悪いは別かもしれませんけれども、かぎっ子という形で、お父さんは働きに出ている、お母さんもまた働きに出ている。家に帰ってもだれもいないから、かぎをかけて、一人でぼつぼつとテレビを見ながら食事をする、それも電子レンジでぽんと温めるだけ。こういう生活パターンというのは、確かに子供にとっていい姿ではないんだろうなと私も思います。

 さりとて、昭和二十年代の生活に皆さん戻りましょう、それはできるはずもありません。一遍にテレビゲームを廃棄するわけにもまいりません。

 そんなことを考えたときに、やはり学校という場で、できるだけみんなが仲よくする、コミュニケーション能力を高めるさまざまな努力をしていく。その対応の一つが、例えば二十人学級ということも一つの方法だろうと思いますし、あるいは、部活をもっと活発にするために、部外の指導者を、運動であれ文化活動であれ呼んできて、もっとそこで楽しい部活ができるようにするとか、さまざまな施策が今回の教育新生プランの中には盛り込まれている。このように私は理解をして、そういう努力をこれからもしていきたいと思います。

山内(惠)委員 本当に学校が仲間のいる楽しい学校になるようにという意味で、今後の教育改革を私たちは考えなければならないと思います。この少人数指導というのを初めて打ち出されたという意味では、回答の部分とニュアンスが私は違いますけれども、よりきめ細かな指導ができるということをもし思っていらっしゃるとしたら、私は、これは基本三教科というのはあくまでも一例だ、それから習熟度別というのもあくまでも一例だと何度もおっしゃっていらっしゃいますので、これは基本三教科とは限らない、ほかのこともいいのかということで、グループ分けについてもう一度、具体的にちょっと例を挙げていただきたいと思います。

矢野政府参考人 先ほども申し上げましたけれども、私どもの計画では、小学校では国語、算数、理科、中学校では英語、数学、理科の三教科について、少人数指導が可能となるような、そういう定数を盛り込んでいるわけでございますが、それはあくまでも計画の積算として盛り込んでいるわけでございます。

 したがいまして、各自治体において、実際の少人数指導の展開に当たりましては、今申し上げました三教科に必ずしも限定する必要はないわけでございます。各自治体の判断で、また、各自治体の事情等を踏まえて適切に対応していただくということで一向に差し支えないわけでございます。

山内(惠)委員 そのことが本当にわかるように、いろいろな自治体がいろいろなやり方をできるようにということをぜひ書いていただきたいし、伝えていただきたいと思います。

 ゆうべテレビで、NHKテレビだったんですけれども、今回の教育改革を解説していたんです。この少人数指導というのは習熟度別をあらわすんだというふうに解説していらしたので、これはやはりそのことがひとり歩きすることは大変問題だというふうに思いました。この習熟度別も、あくまでも一例だとおっしゃるわけですから、ではその一例と考えて、マイナス面をしっかりと把握しておく必要があると思いますが、マイナス面にかかわってのみ、短くお答えいただきたいと思います。想定していただきたいと思います。

矢野政府参考人 この習熟度別指導につきましては、これはもう既に学習指導要領上の歴史があるわけでございまして、中学校では、既に平成元年に、学習指導要領上、指導方法のあり方として示されているわけでございます。

 改めて御説明申し上げますと、「各教科等の指導に当たっては、学習内容を確実に身に付けることができるよう、生徒の実態等に応じ、学習内容の習熟の程度に応じた指導など個に応じた指導方法の工夫改善に努めること。」ということで、平成元年以来の一つの指導のあり方としてお示ししているところでございまして、この問題点については、それはさまざまな教育現場の実態を踏まえて、仮に問題点があるとするならば、それはまたそれぞれの学校現場において工夫改善をなされるべきことだと思います。

山内(惠)委員 本当は問題点のみ答えていただきたかったんです、時間が本当にないものですから。

 私は、やはり先ほど石井委員がおっしゃっていたように、マイナス面をしっかりと判断した上で進めるか進めないか検討されたいというふうに、私は進めないでもらいたいということを言いたいところです。目に見える競争原理の導入になってしまうということを私は危惧しています。

 先ほど河村副大臣がおっしゃった中に、例えば一年生が、本当にいろいろな保育園、いろいろな幼稚園、さまざまな形でいた子供たちが学校へ来るわけですから、低学年、特に一年生のときは本当に座っていることさえも難しいというクラスもいっぱいあると聞いているだけに、そういうクラスをも少人数にできるんですよとおっしゃった例などはぜひPRしていただきたいというふうに思いますし、もしそうならば、全国どこの小学校も必要だとおっしゃると私は思います。しかし、問題行動が起これば、この配置される数が少ないということになれば――本当に政府案の方は配置される人数が少ないなということを大変残念に思っているところです。きめ細かにできるんだ、それで一年生が、どんな子供たちが来ても対応できるんだというクラスが実現できるとしたら、いろいろな意味で、生活面でも、こういうクラスができることがいいというふうに思います。

 もう一つ、私としては、目に見える競争原理ということを導入されるきっかけになる心配をしているんですが、四十人学級という大きなクラスを基本に残したままにするということは本当に中途半端な発想で、四十人のいる学校に配置される数が何人来るものやら、そこのところがわからないんです。三十人学級が実現できていれば、人数が多い方がいいというのであれば、二クラス一緒でもいいし、三クラスをどのような形でするなり、でも、基本が三十人であるということの方が公教育は大変やりやすいんですね、はっきり言って。

 私が新卒のころ聞いた言葉ですけれども、教育は柄の長いフォークという言い方を聞いたことがあります。いろいろな意味で、人生がいろいろな形で分かれていくのは後の方が判断ができるのであって、最初のところは基礎学力ですから、私は前にもこの委員会でお話しさせていただきましたけれども、低学年のときはたっぷり遊ぶ時間が欲しい、それがないのに詰め込みで、そしてそこでつまずいたが最後ずっと行ってしまう、つまずいた子だけ集めてするという発想ではなくて、そこにもっと遊びを入れて、学習内容をふやすのならもっと後でもいいではないかということを私は言っていたんです。

 ところで、例えば四十人のクラスが二つあるとしたら、どんなふうにお分けするんですかということをここに来る前にお聞きしましたら、二つのクラスを三つに分けるという方法もありますよということをおっしゃっていらした。そうなると、例えば国語の時間、三つに分ける、それから習熟度別がまじると、今度は算数の時間は別なやり方をする、理科の時間になると実験室が今までよりも一つ多く要る、そうやって考える。そして、そういう状況の中で担任は基本の四十人を持っているとしたら、私は、今回の改革が何のために必要だったのかと。

 全国に十三万人もいると言われる不登校の子供たちが本当に学校に目が向くのかなということを心配しているだけに、大臣が、いじめられる子供がいるなら、いじめる子の問題行動を、出席停止もあり得るんだという形でお話しされて、しかしその中で、でも出席停止の前はきめ細かな対応をするとおっしゃっていたのを思い出しましたので、今回のような改革案の中で、出席停止にする前に、問題行動を起こした子にどのような手厚い対応をされるとお考えになるのか、お聞かせいただきたいと思います。

町村国務大臣 出席停止のお話の方は、この後で局長の方からお答えをさせていただきますが、ちょっと一点だけ。

 競争原理というお話がありました。これは、私どもが考えております教育改革の基本と、申しわけありませんが、委員の言っておられることとは、私どもは、全く相入れないといいましょうか、違う方向を向いているというような気がするのです。

 いたずらに競争をあおることは、それはよくないかもしれません。しかし、よく漫画的に言われているように、運動会で、徒競走でゴール前三メートルでみんな手をつないで一斉にゴールインする。なぜか。子供に一等賞で喜びを与えてもいけないし、六番目になって負けたという屈辱感を与えてもいけない、みんな等しい方がいいんだという、まさに結果の平等までを求めた、僕は最悪の学校における行動だと思うのですよ。そういう目で見ていくと、そういう結果の平等までを追い求めることが余りにも学校現場で多過ぎるんです。

 私は、個々の学校もそうだと思うのです。今までは、公立学校というのは、どこの公立学校に行っても金太郎あめのように同じでなければならないということをやってきた。これからは、私は公立学校のむしろ私学化という言葉を誤解を恐れずに申し上げているのでありますが、それぞれの校長先生が、自分の学校はこういう特色を持たせたい、その特色に応じて子供たちは学校を、小学校の段階から、中学校はもとより、高校、大学はもちろんそうですが、選べる。教育委員会が、どこに住んでいるからあなたはここに行きなさいというのは、私はまさにあしき割り当て主義だ、こう思っております。

 ですから、いろいろな意味で、もっといい意味の競争というものが学校現場に取り入れられなければ公教育はますますだめになっていきます。結果として、みんな私立へ私立へと足を運び、塾が繁栄する、そういうことになるのじゃないでしょうか。

 私は、委員がおっしゃるように、小さいうちは遊びも大切、それはそのとおりだと思います。そういう意味で、少しでもゆとりを持たせたいということで、新しい学習指導要領をかなり減らしました。そういう意味で、ゆとりを持って学校に臨めるようにしたいという意味で言うならば、私も委員の言われることに同感でありますが、どうも競争原理は一切学校の中にあってはならないというようなことを前提にお話しされたので、それでは学校はますます悪くなるのではないかということを私は考えます。

高市委員長 山内委員、矢野局長の答弁は要りませんか。

山内(惠)委員 よろしいです。時間が三十分しかない中ですので、恐れ入ります、また後でお話をお聞かせいただきたいと思います。

 例えば、先ほど言いましたように、国語の時間は三つに分かれて、今度は算数の時間、また別な形の三つに分かれて、理科の時間はまた実験室へ行くということになると、私は、いじめが起こっているのがただでさえ見えない、それが、そういう形になると、一貫して担任の目からまた見えなくなっていくという意味で、いじめの問題も解決するのは難しくなるし、それから問題行動を起こしている子供の問題も、一歩学校の外に出た後の時間の対応もどうするのかということもすごく心配ですので、この部分のケアにつきましては、また改めてお聞かせいただきたいと思います。

 この間、悪平等について何度も何度も言われていますので、例えばグラウンドで走るということ一つをとっても、年がら年じゅういつも一等賞からびりまで決めるという運動会であってもいいというふうに私は思っていません。運動会というのもやめてマラソンにしたり、いろいろな形で学校現場は工夫しています。

 徒競走というものがずっとあり続けるとしたら、例えば小学校で、今少子化の時代ですから、あの運動会の日は、お父さん、お母さんのいらっしゃらない方もいますからあれですけれども、典型的に言えば、お父さん、お母さん、お父さんとお母さんのおじいちゃん、おばあちゃんも来ますから、六人か七人が一家でばっと来るんですね。そういう中で、毎年、来る年来る年、徒競走は一回しかないんですね、一年生のときもびり、二年生のときもびり、そういうことを全地域の皆さんに見られる状況というのは、決してその子供にとってうれしいことではありません。待ちに待った運動会という言葉はとても恒例的に使われる言葉ですけれども、私は待ちに待たなかったと、子供が卒業のときの文集に残していくような状況になりかねないというので、いろいろなあり方を工夫した一例だと思います。

 もう一つあります。

 学芸会というのが、これまたやる学校、やらない学校、この間、シンデレラの例を言われていましたので、あれももしかしたら三十人以下学級になるとあの例にはならないかもしれないのですけれども、今四十人学級ですね。それが学年でいえば三クラスもあって、そしてなぜか子供たちは、劇がしたいというのがすごく希望なんですね。それで、劇ばかりやると延々とかかりますから、ことしはあなたの学年は劇、次の学年は音楽とかというふうに工夫したり、さまざまなことをしているのです。でも、例えば四十人で一つの劇をするとして、主役は一人で、あとは全部その他大勢でということがまた毎年毎年繰り返されるとしたらと、担任は工夫したのですよ。この間のことも、私は自分がシンデレラをしたわけじゃないですけれども、どうやってたくさんの人が輝けるようにするか、考えるのですよ。

 なぜかというと、最近の学芸会は、あの父母席のところにビデオ席まであるのですよ。そして、三脚を立てて、ビデオをこうやって、そしてほかのところには本当に、おじいちゃん、おばあちゃん、おじちゃん、おばちゃんまで来られるような今は時代です、たった一人の子に。

 その子が例えば六年生であれば、照明係をしたとか、それからバックミュージックを演奏したとか、皆さんの前に出て照明係のだれだれです、このようなごあいさつをするような登場の仕方も考えます。

 でも、一年生だったり二年生だったりでは、そういう作業もないわけですから、だからこそ、担任は考えるのです。一場面、二場面、三場面、四場面で主役が一人ずつ出てくるんだから、では、この人は顔が変わっても主役で見えるように、お着物だけでも、シンデレラの場合はお洋服ですね、例えば何かここにつけるとか、顔は違っても主役の体験もさせてあげるというのも私はある一つの例だと思います。

 そのような意味の努力にもかかわらず、この結果を悪平等と一言で言われるのは、現場の先生の努力を踏みにじるものだということを私は伝えておきたいというふうに思います。

 時間がありませんので、また、この面でもしお話があればお話をさせていただきたいと思います。

 ちょっと急いでこれは確認だけさせてください。

 教頭を複数配置にするというときに、先ほど授業が持てるという確認をなさったので、私はこの確認は全国に伝えてもらえるような努力をしていただきたいと思うのは、私のいた現場もそうですけれども、管理職の席にいて忙しいですから、複数になっても忙しいですから、授業を持ちたくないという管理職の教頭がたくさんいます。実は私もこの世界に来て八カ月になりますけれども、私の部屋にも、要請行動を起こしている全国教頭会の方が来られまして、今度の法律で、教頭が授業をできなくていい、しなくていいようにしてくださいという要請までありましたということをちょっと報告しておきたいと思います。

 焦っていっぱい言いたいことがありますが、ちょっとこの返事だけいただけないでしょうか。人手が少ないだけに、学級担任が事情があって休まざるを得ないときには授業ができるんだというのが教頭であるということの確認をぜひしていただきたいと思います。

河村副大臣 先ほど私も山口先生にそのような答弁をしたと思います。教頭先生も授業を担当することがあり得るということであります。

山内(惠)委員 ありがとうございました。

 焦ったので、時間がまだ少しありそうですので、先ほどの問題行動の子供については、ぜひ切り捨てることにならないように、そして問題行動を起こす子供が、ある意味では、きのうも説明をしましたけれども、キレるとかムカつくとかいう状況にあるのはやはり自分の言い分を聞いてもらえなかったからだと私は思います。言い分をしっかり担任が聞いてくれたり友人が聞いてくれるような状況になれば、これはムカつくとか、そんな状況ではない状況をつくることができるのではないかと思います。その意味では、少人数学級が有効だと私は思っています。

 少人数指導でいくか、少人数学級でいくかはこの後決められていくことになると思いますけれども、一応閣案の方に質問をしているわけですので、閣案として、あくまでも一例だとおっしゃった、あの一例の中には、生活指導の問題があるときにはそこのところを教科にかかわらず少人数でできるのだということを、しっかりと全国の皆さんがわかるような指導もしていただきたいと思います。先ほども言いましたけれども、テレビの解説では、大臣のお言葉を受けとめたのか、習熟度別グループだということを力説していましたので、ここのことにかかわって、もう一度お聞きしたいと思います。

矢野政府参考人 今回の少人数指導のための加配措置でございますが、先ほど御説明申し上げましたのは、どのような教科について、またどのような形で行うかということは、これは基本的には各都道府県の判断であるということは申し上げましたけれども、先ほど先生が御指摘のような生徒指導といったようなことまでも対象にして考えているわけではございません。あくまでもこれは基礎学力の向上とそのためのきめ細かな指導を行うための定数改善措置でございますので、その対象としては生徒指導といったものは考えておりません。

山内(惠)委員 何か、今のお答えはいただかなかった方がよかったようですね。

 先ほど副大臣は、一年生の学級には本当にいろいろな子供たちが来るので、そういう低学年の子供は二十人というふうにしてもいいということをおっしゃっていますね。そのことで言えば、学級崩壊的な状況は一年生だとは限らないですね。その意味で、そういうこともできるんだということを確認したかったのです。

矢野政府参考人 失礼しました、先ほどの私への御質問が少人数指導についてのことでございましたから。

 ただ、特例的な基準を今回は設けることができるわけでございますので、その特例的な基準のあり方として、県の判断で、例えば小学校の低学年について二十人程度の学級の基準をつくるということは当然あり得ることでございます。

山内(惠)委員 副大臣、それでは、そういう例は特例の基準がなければできないという意味ですか。先ほどのは、そういうことでおっしゃられたのですか。副大臣にちょっとそこのところだけ。時間がありませんので、済みません、急いで。

河村副大臣 今回そういう基準をつくりましたから、それに従って可能になった、こういう答弁をしたと思いますが。

山内(惠)委員 ちょっとそこの部分ですけれども、少人数指導による授業の一つとしてその例もやれるということではないのですか。それぞれの都道府県で基準をつくらないとそれができないとおっしゃるのですか。

河村副大臣 各都道府県の教育委員会でそのことが必要だと認める場合ということになっておりますから、一律に、それではその一年生は全部そうするかということになりますと、御案内のように、やはり定員の枠の中でやっていかなきゃなりませんから、そういう問題は一律というわけにはいかないだろう、こういうことであります。

山内(惠)委員 わかりました。今回の人数配置からいっても一律は無理だという意味ではわかりました。でも、教育委員会と学校との話し合いの中でやれるということだと受けとめて、その件は終わりにします。

 もう最後の時間になりましたので、大臣、いろいろお答えをいただきましたが、きのうおっしゃったお言葉の中に、教育改革には予算を十分かけたいということでは、御自分もそうだとおっしゃいましたので、今回はそれなりに決定の方向に来ていますので、次の予算要求のときには、GDP二・八%なんという状況を大幅に変えて予算を獲得されますようにということを、ぜひ一言お聞かせいただいて、終わりたいと思います。

町村国務大臣 本当に、財政制約なかりせば、やりたいことはいっぱいあります。そういう意味で、教育関係の予算を少しでも獲得する努力をする、それは、文部科学大臣の務めとして当然のことであろう、かように考えております。

山内(惠)委員 ぜひ、全力を挙げて頑張っていただけますよう御期待いたします。

 これで終わります。ありがとうございました。

高市委員長 中西績介君。

中西委員 文部科学委員会に久しぶりに帰ってまいりましたので、いろいろまた御教示いただきたいと思っています。

 きょうは、野党三党で共同提案しておる衆法について質問を申し上げようと思っておりましたけれども、その前に、大変残念ですが、二月二十三日の文部科学大臣所信表明の中における御決意と、それから三月八日、きのうですけれども、民主党、牧義夫君の質問に対する答弁、これを見まして、大変私は、町村大臣ともあろうものがと思うような内容がありますので、この点を御指摘し、そして、もう一度本心をお聞かせいただければと思っています。

 それは、所信表明の中におきましては、「その中で我が国が目指すべき方向は、主体性を持って国際社会に貢献し、世界から尊敬される、心の豊かな美しい国家の実現であります。」心の豊かな美しい国家。また、「人間性豊かな日本人を育成するため、社会奉仕体験活動や自然体験活動」云々から始まりまして、「心のノートを全児童に配付するなど、道徳教育の充実を図ってまいります。」こうあります。

 ところが、昨日の答弁の中におきまして私が非常に奇異な感を持ちましたのは、大臣が答弁なさった中に、「国民の意識変革なくして真の意味の教育改革はあり得ない、」こういう文言があります。これはそのとおりであると私は是認をするわけですね。「そういう意味から、私は意識ということを申し上げたわけであります。」と。そして、その後に続けて出てまいりましたのが、「教育改革関連予算を盛り込んだ平成十三年度予算案の成立に、今、参議院」云々とありまして、「成立に向けて全力を尽くしてまいりたいと考えております。KSD、その他の議論よりはもっともっと教育改革を御議論いただきたいと心からお願いをする次第でございます。」と。大変な拍手をいただいた、これを私は覚えています。

 そうしますと、私は少なくとも、第一に平成十三年度予算案成立ということを考えれば、早く早くと言いますけれども、我々国会対策委員会は、一月の十一日に、野党四党そろいまして、与党に対しまして、中旬から開くべきだということを要求したんですね。ところが、月末三十一日に延ばして開いたわけです。そして今や、時間がないから日切れだ、それ景気回復のためにと言って、国会の一番の論議そのものを軽視するような傾向が極めて顕著になってきています。そういうことをお気づきであられるかどうかが一つ。

 「KSD、その他の議論よりはもっともっと」、こう言われておりますように、KSDその他の、例えば機密費にいたしましてもあるいは危機管理の問題にいたしましても、そのことを指しておるのではないことを私は推察をいたしますけれども、こういうことが本当にまじめに論議されて明らかにされなくて、隠し隠し、引き延ばし、こういうことをやっておる、その皆さん方は仲間であり、そして大臣も今その内閣におるわけであります。

 今言うように、こういうようなことが解明されないで、我々は我々で政治倫理だとか規範だとかいろいろな行為、自分から決めたものをちゃんと持っていますね、これを守りさえすれば何でもないのに、近ごろの傾向というのは、中曽根さん以来ずっと出てきた全体的な構造を見ますと、本当に、僕らから見るとむちゃくちゃだと言いたくなるようなことばかりじゃないですか。

 ところが、それなのに、心豊かな美しい国家を実現するとか、いろいろな言葉を使っていますけれども、その一番基盤になるものは何でしょう。教育ですね。ですから、こういうことをやるためには、今あなたが言われたように、教育改革を御議論いただきたいと言う前に、こうした問題をみずからがやはり徹底究明をする、そうした状況をつくり出した中で言わないと、あなたの真実の声が伝わってこないんですよ、我々には。この点、どうお考えなんですか。

町村国務大臣 長らく教育問題ではこの文教委員会で、今文部科学委員会になりましたが、中西委員には大変御指導いただいておりましたことを心からまず御礼申し上げます。

 まず、国会審議のあり方でございます。

 私は、国会審議というのは大変重要なものだ、こう思っておりまして、国会審議の軽視の傾向があるのではないかという御指摘が中西委員からございましたけれども、私は、そういうことはないのではないかなと。しかし、もしそういう傾向があるというのであるならば、それは大変ゆゆしき問題だろうと思います。

 ただ、例えば予算委員会のあり方、あるいは最近始まった党首討論のあり方等々につきましては、与野党の国会対策委員長同士で、すべての政党とは私はあえて申し上げませんけれども、合意ができたルールに基づいて今進められている。もちろん、そのルールが不適切であるというのならば、また話し合いの結果、変えることもあるのかもしれませんが、少なくとも、与党三党と民主党の国会対策委員長の間では、合意されたルールに基づいて、今予算委員会の質疑、そして党首討論の質疑が行われているということであります。

 その結果かどうかわかりませんけれども、確かに、予算が上程されてから衆議院の段階で可決されるまでの期間が、ここ一、二年、従前と比べれば短くなってきたというのは事実かもしれませんが、それは、余り国会の空転ということがなかったりするということでもあろうと思いますので、一概にこれで今、国会の審議をみんなで軽視しているということではないのではなかろうかと思っております。

 現に、この委員会の場で、私も、皆様方からの御意見をいただきながら、誠心誠意お答えをし、全知全能を尽くして皆様方の御議論に私なりに考えていることを申し上げているということをまず言わせていただきます。

 それから、KSD云々ということを言いましたけれども、もし私の意見の趣旨が国会審議のあり方を批判しているというふうに受け取られたのであれば、それは大変、国会審議のあり方を閣僚の立場からあれこれ申し上げるのは筋ではないということでございますから、決してそういう意味で申し上げたのではないわけであります。

 私は現に、ずっと予算委員会に出ておりまして、KSD問題を初めとする不祥事がありますし、本当に政治倫理に照らして大問題だと私も思っております。したがって、それらについては解明の努力をするということはこれまた当然のことなんだろうと思います。

 ただ、文部科学大臣の立場からいたしますと、もちろんそういう御議論をなさることを私はもとより否定するものではございませんけれども、願わくば、文部科学大臣の答弁回数が予算委員会でもうちょっと多くてもいいのではなかろうかというような思いで、また、国家の五年、十年、場合によったら、長い将来のことを見据えながら議論をする教育問題でございますから、予算委員会であろうとあるいはこの文部科学委員会であろうと、できる限りの御議論をしていただきたい、そういう思いで申し上げたわけでありまして、政治倫理が重要でないとか、政治倫理はどうでもいい、もしそんなような趣旨でまた委員がお受けとめになったのなら、決してそういうことを意味したのではないというふうに御理解を賜れればと思います。

中西委員 国会のことはここで私は余り論議をしたくはありませんけれども、一言だけ言いますならば、改革をしようと提起をし、あなたがおられるときにつくられたこの協議会、ここでの結論は全部ゼロ、拒否ですね。全く受け入れられておりませんから、拒否をされておるのは与党側なんですよ。ですから、あなたが今言われるような状況にはなっていないということを一言だけ申し添えておきます。

 それともう一つ、私が一番心配するのは、本当に教育を論議するときに、お互いに信頼関係のない中で幾ら論議したって、これはもう物にならぬと私は思うんです。

 ですから、その信頼を取り返すためには、KSDの問題だとかこういうふうなものを、むしろあなたたちの方で出ているわけですから、そこをまず先に片づけて、そしていち早い論議ができるように、どうするかということを決意を言った上で、もっともっと論議を深めてくれと言うならいいですよ。しかし、それは抜きにして、あなたが言われているように、議論よりももっともっと教育改革云々と言うから、そうであるならば、こちらを幾ら論議したとしても、一番中心になる、心の問題だとかなんとかいうけれども、こうした点が全く確立されていない中で、そしてお互いに不信感を持ちながら論議したって、何もそこには成果はない、私はこう断ぜざるを得ないものですから、このことを指摘したんです。

 ですから、今あなたがお答えになったこのKSD問題だとかその他の問題等については、依然として、要求しても全部拒否、拒否、拒否じゃないですか。これは何なのかということがあれされていかないと、今度は、まともに考えておる子供たちから見ると、国会というのは何なのかということになり、政治に対する信頼というのはますます下落してしまう、こういう結果になってしまうのじゃないかということを私は恐れるものですから、あえて、本来ならここで言うべきではないと私は思いながらも、あなたがたまたまこういうことを申されていたので、このことを指摘し、むしろそこに力点を置いていただければ、こう私は思っています。

 そうしないと、幾らあなたが「心の豊かな美しい国家」などと言ったって、空虚なものとしか私たちは受け取れませんね。あるいは、道徳教育といっても、道徳教育とは何なのかということになってくるんですよ。

 ですから、そのことを私は指摘をし、そして、これから後のあり方というもの、この文部科学委員会のあり方の問題だって、私たちがやはり本格的にやったときには、一人持ち時間一時間半、全員が持ってやったんですね。そういう徹底した論議をしてやってきましたよ。私たちはそういう経験を持っているだけに、本当に今の国会が、あなたが言われるように自信に満ちたものであるかどうかということを私は疑問視するわけなんです。

 ですから、そうしたことを考え合わせてまいりますと、もう少し本格的な論議ができるような時間と、そして、それがためには二週間も引き延ばすんでなしに、要求をしておるのにわざわざ中旬を下旬に引き延ばしていくなどというようなことをやるようなことがあると、なおこうしたことができなくなってしまいますから、こうした点をあえて私は申し上げた次第です。

 大変勝手で高圧的に聞こえたかもわかりませんけれども、この点だけは、大臣、これからやはり大臣主導型と言われますから、その主導をする大臣がそこを間違ってやったときには、私はこれからの日本の文部科学行政は大変な誤りを犯すんじゃないか、リーダーシップ、よろしいけれども、リーダーシップの方向が違っておったらこれは大変なことになります。その点だけは一つ苦言を呈しながら、勝手なことを申し上げたことをお許しいただきたいと思います。

 そこで、本論に入ります。

 一つは、きょうも提案理由がございましたけれども、議員立法されております中身で、「これまで我が国の学校教育は、画一的に知識を教え込むことに重点が置かれ、知識の量を競う受験競争がこれを一層助長してきました。そのため、子どもたちが自ら学び、思考力や判断力、創造力を養う教育、豊かな人間性を育むことへの取り組みが見失われてきました。」と。ところが、きょうお話を聞いておると、大臣の言う画一的というのは、平等を指して画一的、悪平等的なものだというのに画一というのが使われたりなんかしているんですよ。

 ですから、私たちはそうじゃないと思っているんですが、提案者の方から、なぜこのようになったか、今までの経験もおありでございますので、お答えいただければと思います。

山元議員 提案の理由の中でも申し上げましたけれども、今の日本の状況というのは本当に日進月歩、科学技術もあるいは価値観もどんどん変わってきている。そういう中で、教育は、例えば学級規模でいいますと二十年間変えられないで、教科がどんどんふえていった。今、例えば小学校でも、よく言いますように、国、算、社、理、図、音、家、体、それに道徳だとか総合、あるいは特活がある。小学校六年生でしたら十一ほどございます。そういうものをこなしていくには、四十人持ったらどうしても画一的にならざるを得ない。

 私たちが望んでいる教育というのは、一人一人の個性をしっかりと把握して伸ばしていく、あるいは、勉強する喜びをしっかりと味わって子供たちに生き生きとしてもらう、そういうことが必要なんですけれども、特にこの四十人学級ができてから二十年間ですけれども、大変な勢いで知識の量もあるいは教育の量もふえてきているわけですから、そういう点でいうと、学校が、中西委員が今おっしゃるような、画一的な教育しかできない、きめ細かな教育ができない、そういう学校の教育条件がつくられてきたんだろうというふうに思っています。

中西委員 私、その画一的にちょっとこだわるんですけれども、私はやはりこの点が、管理と統制の中で戦後教育が大きく変わってきたのじゃないかと思っているのです。

 私も教員の経験がございますので、小学区から中学区、大学区へ、そして三十数校の学区が一つの学区になったのです。そうすると、今のような進学体制の中でやられますと、いい言葉じゃありませんけれども、輪切りで選別されて高等学校に進学をする。そうすると、学力の一番低いところが来る学校というのは、学校の形態をなさないわけですよ。そういうようなところで、これではだめだからといって、一つのクラス、その当時は入学する生徒が四十人に満たないクラスであっても、二つのクラスに分けて基本学科についてはやったのです。そうすると、今まで隣の学校と比べてみたときにうんと学力の差があったものが、一年たつと逆転をした経験を私は持っているのです。そして、私たちの後輩もまたそのことをやり続けています。

 ところが、県教委の指導はそうじゃないのですね。指導要領に違反をしているとか、それを変えろとか、こういうことが次々に発せられてきたのです。それはなぜかというと、文部省が指導要領というものを非常に重視をしたのです。その歴史的経過があるのです。ですから、結局画一化しなくちゃならない、学力のない人たちに高等学校程度の授業をということになってくるわけです。

 そうした問題等について、小中学校でもやはり私は同じだろうと思いますが、今一番問題なのは、後の方にありますように、小手先の問題です。そして、この提案の中にございますように、「先進諸国の中では見ることのできない四十人という大規模学級をそのままに、特定教科だけは学級の子どもを分割して授業を行うという小手先の改善は、子どもたちと学校を混乱に陥れるだけの方策であります。」こういうふうに断じております。

 しかし、先ほどから聞いておると、小集団の学級というものについてはいろいろ理由をつけて否定するような言葉すらもあります。ところが、特定教科についてはそのように少人数授業をやることが効果があるように言うけれども、しかも、そういう実験なりいろいろな内容があるかというと、それはないと言う。だから、私は、答弁を聞いておると、全く矛盾だらけのことを言っておるような感じがしてなりません。ですから、ここで言う「小手先の改善」と指摘をされておるような事柄について、お答えをいただければと思っています。

山元議員 小手先という言葉を趣旨説明で私は使って、先ほどから大分何回も出てくるのですけれども、言葉は悪いようですけれども、本当にそういう気持ちでございます。

 それは文部科学省が、その当時文部省ですけれども、四十人学級ということを出したときの新聞の社説を私は大事に残している。五月でしたけれども、「二十一世紀も四十人で持つのか」という見出し、毎日新聞の社説ですけれども、その中に、二十一世紀、これでいいのかということが書いてあって、大変うなずくところが多い社説でございました。

 その中にも、例えば、四十人相手の画一的な授業は知識詰め込みの発展途上国型教育に適応したスタイルだ、多様な個性を認めて生かしていく社会の構築が求められるこれからの時代は、子供一人一人の個性と能力を引き出し開花させる教育へ転換が必要だ、少人数学級への改革は大事なんだということが出ていました。それにもかかわらず、やはりこの半年余り検討されて、二十人授業というのが出てきました。

 例えば、私は地元の小学校へ行ってきましたけれども、行った学校は、一学年三学級、三十九、三十八、三十八という学級編制でした。百十五人です。四十人学級ですから三学級です、三十人学級でしたら見事に四学級になるわけです。

 そこでどういうことが起こるんですかといったら、三十九人、三十八人の学級、小学校六年生の子が、理科の時間と算数の時間と国語の時間だけは別の先生のところに分かれて行くわけですね。学校の中を子供たちが大変右往左往しますよ。あの組の国語の時間や、あの組の理科の時間や、こう言って、子供たちが二つに分かれて別の教室へ右往左往するわけです。それだけの教師が本当に確保できるのかどうか。

 実際の数でいっても、先ほどもありましたように、全国の小中学校は三万四千校ある、そして二十人授業のために二万二千人ですか、ふやそうと。一学校に一人も行かないようなことで子供たちが右往左往するという状況、十分できないかもしれぬけれどもこれがどんどん五年計画で進められてきたら、これは学校の中は混乱するだけです。子供たちの心がばらばらになってしまいます。

 ちなみに、そこの百十五人の子供たち、一年生もそうでしたが、出てきたところは、あの幼稚園、この幼稚園、この保育園、あの保育園、あの市外の幼稚園からと、十五通りの入学前の経歴があるそうです。その子らが本当に生活集団としての三十人学級できちっと勉強ができる、心のつながりができるのと、四十人で右往左往するのとでは、大変な違いがある。

 ですから、やはり子供同士が、子供と教師が、心のつながりがあって、私たちは一緒に勉強しているんやという実感ができるような学校をつくろうとすると、これはやはり二十人で分けて右往左往させるのは小手先だというふうに思ったわけです。

中西委員 ほかにも幾つか言いたいことはあるのですけれども、ただ一つ、私が落としてはならないと思いましたのは、教師の授業の関係、直接授業をしている時間と、それから、一言で雑務と言って片づけられておる問題が物すごく僕はあるという感じがするわけです。

 一つの例を挙げますなら、私は高等学校ですから、高等学校の場合ならば、三十三の大学区になってきますと、そういう学校だと問題児がたくさん出てきます。そうすると、福岡県下は四分の一の学区になっているのですよ。それを全部今、国民会議でもあるいは中教審でも論議されておりますが、地域と家庭と子供たちと、どうするかということを考えたときに、大変な時間と労力が要るわけですね。

 さらにまた、授業時間で考えてみても、教師の授業時間というのは、例えば小学校二十四時間、中学校十八時間、高校が十八時間あるいは十六時間と言われておりますけれども、これに対して本格的にやれる体制というのは、やはり一時間の、一こまの授業をするとすれば、それだけの時間勉強してやっておかないと、今はなかなかだと思いますね。

 ですから、ただ単に、授業時間がそれだから教師が楽をするだろうとかそういうようなことでいろいろ指摘をされますけれども、その他の多くの問題があるということを、私たちは知っていただきたいと思うのです。

 きょうはもう時間がありませんから、時間が参りますから、これを深くは申し上げませんけれども、これらについてはどのようにお考えですか。

山元議員 私ども、この法案をつくるのに、今、中西委員御指摘のように、週の先生の持ち時間というのを減らさなければゆとりはとてもじゃないけれども出てこない。例えば小学校の高学年でいいますと、週二十七時間授業ぐらいになっていると思いますが、そのうち、平均して小学校の教師は二十一時間強授業をしています。子供たちがいる間はべったりと教師は授業しなきゃならぬわけですね。そういう点でいうと、やはり教師が準備をし、授業をし、後始末をし、処理をする、そういう時間というのは全く保障されていないわけです。ですから、どうしても画一的な授業をしてどんどこ進めていく、こういうことになってしまうのだろうというふうに思います。

 ですから、何としても授業時間数を減らす。これは、教師を楽にするとかなんとかじゃなしに、本当に行き届いた授業をする、しっかり準備をして授業をしっかりやってということのために人数を少なくすることだし、そして、定員をふやして持ち時間を少なくすることだ。

 けれども、ちょっと短くしようと思ったら、およそ三時間ずつぐらい教師の持ち時間を少なくしようと思ったら、四十万人ほど教師をふやさなければならないわけですね。これはだめだということで遠慮をしました。その部分については、後に回して、何年か後には計画を立てて、この持ち時間数を減らしていくことについて検討しようということでこの案からは抜いて、三十人学級として行き届いた教育をしようと思うと、これだけ、十九万人要るということですから、その上にということでは、よう私どもも計画を立て得ませんでした。

 けれども、大事なことはそこのところであるというふうに思います。子供たちが本当に、僕らの先生とか、私らの先生ということで、触れ合えるようなゆとりを先生に持たせることが大事なんだろうというふうに思っています。

中西委員 以上で、時間が参りましたので終わりますけれども、今たまたま四十万という数が出ましたけれども、この前、予算委員会でも、自民党の要請された公述人が、生活型産業構造をどう展開するかということを盛んに言われておりました。こうした点からいたしましても、雇用という面から見ましても、しかも十年間で四十数万人ですから、そうしたことを、やはり教育改革国会というならば、そういう目覚ましい、我々が本当に賛同できるようなものを提示していただいたらと私は思っておりました。

 感想だけ申し上げて、終わります。

高市委員長 次回は、来る十四日水曜日午前八時五十分理事会、午前九時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後五時十三分散会




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