衆議院

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第15号 平成13年6月5日(火曜日)

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平成十三年六月五日(火曜日)

    午前十時開議

 出席委員

   委員長 高市 早苗君

   理事 斉藤斗志二君 理事 鈴木 恒夫君

   理事 田野瀬良太郎君 理事 高橋 一郎君

   理事 平野 博文君 理事 藤村  修君

   理事 西  博義君 理事 都築  譲君

      小渕 優子君    岡下 信子君

      河村 建夫君    杉山 憲夫君

      砂田 圭佑君    谷垣 禎一君

      谷田 武彦君    谷本 龍哉君

      馳   浩君    林 省之介君

      菱田 嘉明君    増田 敏男君

      松野 博一君    水野 賢一君

      森岡 正宏君    大石 尚子君

      鎌田さゆり君    今野  東君

      手塚 仁雄君    葉山  峻君

      肥田美代子君    牧  義夫君

      松沢 成文君    山口  壯君

      山谷えり子君    山元  勉君

      池坊 保子君    斉藤 鉄夫君

      武山百合子君    石井 郁子君

      児玉 健次君    中西 績介君

      山内 惠子君    松浪健四郎君

    …………………………………

   文部科学大臣       遠山 敦子君

   文部科学副大臣      岸田 文雄君

   文部科学大臣政務官    池坊 保子君

   政府参考人

   (文部科学省生涯学習政策

   局長)          近藤 信司君

   政府参考人

   (文部科学省初等中等教育

   局長)          矢野 重典君

   政府参考人

   (文部科学省高等教育局長

   )            工藤 智規君

   文部科学委員会専門員   高橋 徳光君

    ―――――――――――――

委員の異動

六月五日

 辞任         補欠選任

  砂田 圭佑君     菱田 嘉明君

  鎌田さゆり君     手塚 仁雄君

同日

 辞任         補欠選任

  菱田 嘉明君     砂田 圭佑君

  手塚 仁雄君     今野  東君

同日

 辞任         補欠選任

  今野  東君     鎌田さゆり君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 政府参考人出頭要求に関する件

 地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案(内閣提出第四三号)

 学校教育法の一部を改正する法律案(内閣提出第七一号)

 社会教育法の一部を改正する法律案(内閣提出第七二号)




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     ――――◇―――――

高市委員長 これより会議を開きます。

 内閣提出、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案、学校教育法の一部を改正する法律案及び社会教育法の一部を改正する法律案の各案を一括して議題といたします。

 この際、お諮りいたします。

 各案審査のため、本日、政府参考人として文部科学省生涯学習政策局長近藤信司君、初等中等教育局長矢野重典君、高等教育局長工藤智規君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

高市委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

高市委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。谷本龍哉君。

谷本委員 自由民主党の谷本龍哉でございます。二十分という短い時間でありますが、風邪ぎみで少し聞き苦しいかもしれませんが、お許しいただいて、質問させていただきます。

 質問に先立ちまして、一点、遠山文部科学大臣に確認したいことがございます。大臣、憲法第六十八条を御存じですか。

遠山国務大臣 第六十八条、「内閣総理大臣は、国務大臣を任命する。」総理大臣の任命権についての規定でございます。

谷本委員 その先を読んでほしかったのですけれども、繰り返しますが、第六十八条、「内閣総理大臣は、国務大臣を任命する。但し、その過半数は、国会議員の中から選ばれなければならない。 内閣総理大臣は、任意に国務大臣を罷免することができる。」過半数は国会議員ということでありますから、半分より少ない数は民間でいいという規定でございます。当然の、当たり前過ぎる話であります。

 また、我が国は間接民主主義でありますから、国民が国会議員を選び、国会議員が総理大臣を選ぶ、そしてその総理が国務大臣を選ぶという流れになっております。国会議員は、当然、民意を受けて選挙で選ばれます。そして、その国会議員が総理を選ぶことで、これは民意を継続するという基本になっております。そしてさらに、その総理が自分の全責任のもとに大臣を選ぶということは、各大臣にも民意が及ぶということであります。これが間接民主主義の基本であります。皆さん御存じのとおりでございます。

 大臣は、民間の御出身でありますけれども、日本国憲法の規定と間接民主主義の理念にのっとって選ばれた以上は、日本国民の民意を受けた大臣であり、総理大臣同様にそれだけ重い責任があるということをもう一度再確認していただいて、決意のほどをお伺いしたいと思います。大きな声でしっかりと自信を持って言ってください。お願いします。

遠山国務大臣 内閣総理大臣の任命権の行使によりまして、私は文部科学大臣の職を務めることになりました。お話のように、民意を十分に受けて、そして閣僚の一人として、国民に対し責任を十分に果たしてまいりたいと考えておりますので、御指導方よろしくお願いいたします。

谷本委員 どうもありがとうございます。その決意を受けまして、質問に入らせていただきたいと思います。

 教育関連三法案に対して、私のもとに非常に多くのはがき、電報、意見書が届いております。恐らく、これは文部科学委員全員のところへ届いているのだろうと思います。しかしながら、ある特定の団体からのものがほとんどであります。

 それに対して、私も毎週末、土日は地元に帰りまして、各地区でミニ集会を極力たくさん開くようにしております。そういう中で、小さなお子さんを持つお母さん、お父さんからも、この教育改革についていろいろなお話を、こちらからも説明させていただき、また皆さんからもいろいろな意見を伺っております。その中で、私の周りでは、今回のいろいろな改革案に対しまして反対という声はほとんど聞いておりません。逆に、もっと厳しい法律をつくってほしい、そういう声さえかなり多くあるぐらいでございます。

 ですから、たくさん届くこの反対のメッセージというものが、必ずしも国民全体の民意をあらわしているとは私は思いませんけれども、ただ、これだけ熱意を持って反対されますと、その反対意見も念頭に入れた上で質問させていただきたいな、そういうふうに思います。

 まず、教育における競争というものについてお考えを伺いたいと思います。

 いろいろな意見書の中で、過度の競争が教育荒廃の根源である、こういう意見をたくさん書かれております。だから、今回の三法案に対しても、競争を助長する、そういう側面があるから反対だという意見が寄せられております。確かに、受験戦争というものには一部行き過ぎもあるとは思います。ただ、そこに教育荒廃のすべての原因があるというのは少し無理があるのではないかと私は考えております。

 それでは逆に、教育における競争というものをすべて排除すべきなのか、私はこれに対しては反対の意見を持っております。四文字熟語に切磋琢磨という言葉がございます。お互いに磨き合い、競い合い、高め合うことによって人間性を向上させる、これは教育に限らず、人間として成長する上で重要な要素ではないかと私は考えております。

 教育において重要なのは、順位を全くなくして、つけなくしてしまったり、あるいは結果というものをあいまいにすることではなくて、順位や結果というものが出たときに、その意味を正確に教える、あるいはその結果とのつき合い方をきちんと教えることが一番重要だと私は思っております。その結果が、例えばいい結果であれば褒めてあげるのもいいでしょう、また悪ければ励ますのも大事だと思います。ただ、その結果一つをとって人間というものの価値がすべて決まるんじゃないんだよ、そういうことをきっちり教えていくことが教育において重要ではないかというふうに私は考えております。

 例えば、徒競走で順位をつけないというような事項がございました。これに対して、これは、私から見れば教育ではなくて教育からの逃避ではないかと思います。たとえ徒競走などで順位があったとしても、その意味をきちんと教える。つまり、一番の子には例えば褒めてやる、一番になれなかった子には励ます。そして同時に、足が速いから人間として一番じゃないんだよ、足が遅いから人生が終わるわけでもない、そういうことをきっちり教えていくことが重要だと私は考えております。

 さらに、学芸会の演劇で、主役とわき役があるのはかわいそうだという御意見も伺いました。しかし、これは私は少し意見を異にします。この考え方の前提には、主役はいいものであってわき役はだめだ、そういう発想があるように私には感じられるんです。本来、主役であってもわき役であっても、あるいは大道具係でも小道具係でも、ひとしく大事な役割なんだ、そういうふうに教えるのが教育ではないかと考えます。

 お互いにいろいろな面で競い合いながら、失敗というものも何度も経験しながら、一番になってもおごることなく、また失敗してもくじけない、そういう人間を育てることが重要だと考えます。

 最近の青少年の、若者の犯罪、こういうもののニュースを見ていますと、若い、あるいは子供のときに、こういう体験、失敗する体験とか、そういうものがかなり不足している。そのために、一回でも失敗をするとキレてしまったり自暴自棄になってしまう、そういう人がふえているんではないかと私は危惧をしております。

 教育における切磋琢磨のあり方について、大臣、副大臣の見解をお願いいたします。

遠山国務大臣 今御指摘のお話は、私は大賛成でございます。

 教育にとって、児童生徒が、画一的な教育あるいは機会均等ということで結果的な平等だけを求めるのではなくて、一人一人がその個性を発揮して、その能力を発揮して、十分に伸び伸びと生きていく、そういう力を与えるというのが教育ではなかろうかと思います。したがいまして、例に出ました徒競走の話あるいは学芸会における役の話、そういうそれぞれの人が持っている特色を発揮させて、その結果についてよいものは褒め、しかしそれがすべてではないよという今の御指摘、私はそのとおりだと思います。

 歴史的に見ますと、日本は戦後の教育、やはり追いつけ、追い越せということで、画一的な教育というものがいろいろな問題をはらんできたとも指摘されております。そんな中で、これからは、本当に一人一人がその能力ないし意欲というものを発揮させて、十分にその特色を伸ばしていく。個に応じたきめ細かな指導を行っていくということで、いろいろな価値を人間は持っているのだということを互いに認め合う、そのことが今の学校に課せられた大きな課題ではなかろうかと思います。

岸田副大臣 私も、よい意味での競争、大変重要だというふうに思っています。子供たちが意欲を持って学ぶ、あるいは人類の進歩そのものにとりましても、よい競争というもの、大変重要だと考えております。

 子供たちがそれぞれ、自分たちが認められたいという願望の中で、よい競争を活用することの意義を感じるときに、こうした物差しをたくさんつくる等、よい競争が多様な個性や能力を伸ばす結果につながるようなシステムをつくっていくことの重要性を強く感じているところでございます。

谷本委員 済みません、通告では大臣、副大臣でしたが、政務官、もしお考えがあればお願いします。

池坊大臣政務官 私はお花をしておりましたけれども、人の心を打つお花というのは、そのものが持っているすばらしさを引き出し、それを最大限に活用したときに、人の心を打つ花を生けることができます。お花でもそうなんですから、人間もまさしくそうではないかと思っております。差異があればこそすばらしいのであって、そのそれぞれが持っているすばらしさを見つけ、それを引き伸ばすことが大切だと思っております。

谷本委員 それぞれの御答弁、どうもありがとうございました。

 私自身、確かに、勉強ばかりに偏って競争していく、それだけで価値を決めていくということに対しては反対でありますけれども、だからといって、逆に極端から極端に走って、すべて順位づけをしない、結果を隠してしまう、そういう形では真の教育というのは成り立たないと私も考えております。今いただいた答弁のとおりに、行政の方をしっかりとやっていっていただきたいと思います。

 次に、教育を受ける権利と出席停止について質問をさせていただきます。

 当たり前のことでありますけれども、学校というのは勉強をするところであります。たまにこれを勘違いしている人もいるらしくて、これは私は聞いた話でありますけれども、ある日小学校に、児童の母親が職員室へやってまいりまして、非常に怒っている。何を怒っているのかなと思って、学校側が対応に出て聞いてみたところ、うちの子は家でとんでもなく行儀が悪い、一体おたくの学校ではどんなしつけをしているのだというふうにお母さんが怒って来られたという話を地元で伺ったことがあります。

 しつけのことまで学校ですべてというのは、これは逆に学校側にとって酷な話だと思いますけれども、そういう部分は除いたとしても、最低限学校というところは、やはり勉強という部分は、きっちりと教育というのは教える場所であるというふうに思います。だから、すべての児童生徒が教育を受ける権利を持っている、これは当然のことであります。

 そこで、この法案の中でも問題になっております、問題行動を起こす生徒に対して出席停止という措置をとる、要件を明確にするという中で、当然この問題行動を起こす生徒にも教育を受ける権利があるわけです。

 ただ、そこで忘れてはいけないのは、同時にそれ以外の生徒たちにもひとしく教育を受ける権利があるということだと思います。これは、学校に来て教室の中で座っているという権利ではありません。きちんとした授業をその場で受けるという権利がすべての児童生徒にあるということだと思います。

 日本においては、刑法や刑事訴訟法で犯罪被害者の問題というのがございます。今まで犯罪者の方の権利というのは、非常に人権というのは重要視され、当然重要視しなければいけないのですけれども、きっちりと法律の中にも書き込まれてきた。しかしながら、犯罪被害者という方たちの権利がおろそかになっていた。最近それは改善されつつありますけれども、このように一方だけに、片方だけにスポットを当てて考え過ぎると、もう片方のことがおろそかになるということは多々あることだと思います。

 そういう意味で、問題行動を起こす生徒、その権利、あるいはどういうふうに処遇するか、これも非常に重要です。このこともきっちりと議論をし、決めていかないといけないと思います。ただ同時に、それ以外の生徒の教育を受ける権利というのをどういうふうに守るかという部分、このバランスを決して忘れてはいけないと私は考えております。

 そういう意味では、今回の出席停止制度の改善というのは、あるべき方向であると私は思っておりますけれども、先ほども言いましたように、それだけ権利を制限する内容ですから、要件、どういう場合にその出席停止があるのかというのをきっちりと明確に示していただきたいということと、それと同時に、その問題行動を起こした生徒に対して、やはりこれも教育の一環ですから、他人の権利というものを侵害する自由はないのだということを、しっかりその機会に教えるような形をとっていただきたいということ。

 それともう一点、出席停止期間においては、当然学校で指導するわけではありませんから、家庭にいる生徒を指導するわけですから、従来の先生方の数で十分対応できるのかどうかという問題は残ると思います。そういう意味での、手厚くそういう出席停止の生徒の対応をするという意味では、人的な要素、人的な充実というものも必要だと思うのですが、その点についてどのようにお考えか、伺いたいと思います。

岸田副大臣 今先生から御指摘がありましたように、この制度の趣旨、要は問題のある生徒を適切に指導するとともに、それ以外の生徒の学ぶ権利を確保する、このバランスをしっかり考えていかなければいけないという認識でおります。

 その上で、今、人員等適切な対応ができるのかどうか、そういった御指摘がありました。出席停止に係る児童生徒につきましては、出席停止期間中、当該保護者や児童生徒の状況等を踏まえて、一つは学級担任等の教職員が家庭を訪問し、学習課題を与えて指導したり教育相談を行う。また、さらには関係機関と連携して、その専門職員の協力を得て指導を行う等の取り組みを行うわけです。こうした取り組みによって、当該児童生徒の悩みや不安を受けとめる一方で、規範意識を持たせるよう努める、こういったことをやるわけであります。

 その際に、やはり人的な部分で十分かという問題が出てくるわけですが、従来から学校において行っております生徒指導担当教員等の加配に加えまして、平成十三年度から各県二名程度の教員定数の上乗せをするということになっております。こうした上乗せをすることによりまして、今申し上げましたような対応において人材の確保がされるというふうに考えておりますので、こういった面からもしっかりとした指導が行われるように努めていきたいと思っております。

谷本委員 児童生徒の権利を制限する内容ですので、その対応においては十分に検討、議論をいただいて、決して学校からの排除というような形にならないような取り扱いをきっちりしていただきたいというふうに思います。

 最後に、反対意見書の中で言うところの強制的奉仕活動という部分についての、これは強制的かどうかというのは非常に難しい問題だ、私は強制的というのはおかしいとは思いますけれども、反対意見書にはそのように書かれておりますので、この部分についての質問をさせていただきたいと思います。

 義務教育というのは、憲法の二十六条に定められているとおりであります。これは決して自由ではありません。義務規定であります。日本国民として最低限の教育をすべての人が受けられるようにということで、義務規定となっておりますから、そういう意味では、強制的な部分というのは、当然、義務教育自体にある部分は否めないと思います。

 その教育の中で、昨今の子供たちに何が一番欠けているのかというものを考えましたときに、私は、これは一般にも言われていることですが、生活環境や社会環境というものが激変したために、失われてしまった生活上のいろいろな体験というもの、これが一番欠けているのではないかというふうに考えております。

 先日、三名の中学校の先生方、これはそれぞれ異なる中学校の先生方から教育現場の実情を聞く機会を得ることができました。その中で、三人の先生が口をそろえておっしゃっていたのは、今の中学生は実体験が乏し過ぎると。クラスの大半の子がマッチをうまくすれないとか、あるいはスズムシやコオロギを見てもゴキブリだと言う。こういう現状を聞くに当たって、教育の中で、ただ机上の授業だけではなく、さまざまな現場へ出ての体験というものが非常に重要だというのを改めて痛感いたしました。

 一部意見書では、奉仕体験活動は国家に奉仕する国民の育成につながる、そういう極端な意見もありまして、それにより反対という意見がございますが、生まれながらにして、聖人君子で、向上心があって、公共心にあふれて、そういうすばらしい人間、生まれながらにすばらしい方ばかりならいいのですけれども、人間というのは、私も含めて、大抵はいろいろな経験を積みながら成長していくものだと私は思います。そういう意味で、今まで知らなかったものを肌身で体験する、あるいは実際の現場に触れることではぐくまれる心というものがきっとあるのだと私は思います。

 この奉仕体験活動の導入に対して私は大賛成ですが、その具体的な推進の方法、受け入れ先等はどうするのか、あるいは先生によって大きな差が出てこないのか。そういう部分についての具体的な推進方法をお伺いしたいと思います。

池坊大臣政務官 委員がおっしゃるように、社会奉仕体験活動というのは、子供にとって大変重要なことではないかと思います。そのためには、学校教育、社会教育の関係者だけではなくて、円満に行うために、地域社会とかいろいろな方々の協力が私は必要なのではないかと思います。

 具体的にはどうするかというお話でございますが、文部科学省では、学校、PTA、教育委員会、青少年団体とが連携し、協力し、社会奉仕体験活動に取り組むモデル事業として、学校と地域を通じた奉仕体験活動推進事業というのを実施いたしております。これは、十三年度に九千二百万の予算もつけておりますし、全国で七十二地域、年間七日間ぐらい子供たちをというふうに思っております。

 また、民間の力といたしましては、この間皆様方に法案を通していただきましたゆめ基金で、民間の方々への助成、それによって意識を高めていけたらというふうに思っております。

 また、情報が集まりませんと何にもなりませんので、子どもセンターの整備、これは千カ所を考えております。これによって、いろいろな子供の体験活動の情報を集める。また、百九十二校で今実施することにいたしておりますのは、高校生の介護、保健体験等を推進するための学校教育における体験活動等総合推進事業を実施することといたしております。

 また、四月十一日の中教審では、総合的に社会奉仕活動をするにはどのような方策があるかどうかを検討していただくこととしております。

谷本委員 時間ですので、以上で質問を終わります。

高市委員長 藤村修君。

藤村委員 おはようございます。民主党の藤村修でございます。

 三つの法律案を一緒にということで、短い時間ではそれぞれについて詳しく聞くということがなかなかできないものですから、私は、きょうは地教行法を中心に、ちょっと時間が残れば学校教育法ということで、ほんの一部の質疑をさせていただきたいと存じます。

 実は、質問項目も出しておりますが、その前に、一番最後の項目になりますが、これは飛び級、そして大学という関係で関係があると思うのですが、つい先日、五月十一日の参議院本会議において、小泉首相が質問に答えて、国立大学でも民営化できるところは民営化する視点が大事という答弁をされました。これは大変大きなインパクトがあった答弁でございます。

 私も、実は小泉首相とは一緒に、郵政民営化研究会のメンバーでもございまして、そういう意味で、官業から民業へ、官から民へという考え方に賛成であり、あるいは、我が民主党の方でも、将来の国立大学の民営化を一応視野に置いて、現在の独立行政法人化については今検討中でございます。

 そういう意味では、将来の方向として、国立大学をいわゆる民営化するというふうに、そのことが大事と答えられたのかどうか。

 ただ、その後の報道や調査によりますと、この発言を受けて文部科学省は検討案をまとめたということで、この中身というのは、国立大学そのものを民営化するという発想は全くなくて、国立大学附属病院であるとか附属研究機関であるとか、一部の機能を、そういうところは民営化して会社にするとかなどできるのではないかという検討をされているという話でありまして、どうも小泉首相の意気込みとは大分違ったところで今動き出しているようにも思います。

 そこで、文部科学大臣にこの点だけ、冒頭文部科学大臣としてのお考えを示していただきたいのですが、将来、国立大学そのものを民営化するという発想は全くなくて、その機能の一部を民営化するという御発想なのかどうかということと、しかし、今省内で検討して幾つかの項目を出されていますが、いや、その前に独立行政法人化のことは、まだ結論も何も出ていないわけでありますから、それをどうするのかということなしに、その先の話ができないのではないかと思うので、その辺を整理してお答え願いたいと思います。

遠山国務大臣 まず、総理が、先日の質疑におきまして、国立大学について、民営化というような用語をお使いになったことは確かでございますが、これはすべてを民営化するということではなくて、できるものについては民営化を考え、あるいは地方に移管することができるものはという趣旨であったと思います。

 これは、現在、御存じのように、国立大学につきましては、昨年と一昨年の閣議決定を踏まえまして、その法人化について、大学改革の一環として具体的な制度のあり方を検討中でございます。

 その際に、国立大学を法人化する場合であっても、国立大学が担っている諸機能のうち、民間にゆだねられるものがあれば、これをゆだねた上で法人化するとの視点は当然であります。しかも、今次内閣の聖域なき改革ということから言えば、その検討に際して、民営化というような趣旨も踏まえながら、機能のうち民営化すべきものをどのように考えていくかというのは、私は当然の視点であろうと思います。

 将来、どのようなふうにというお尋ねでございますが、今検討しておりますのは、法人化に向けてどうするか、また、そのときにどのように民営化の角度も踏まえながら考えるかということで検討しておりまして、今そういう段階でございます。

藤村委員 それでは、大臣にもう一度確認したいのですが、今のお言葉の中には、国立大学の法人化は当然でありますとお答えになったのですが、私は前の町村大臣のときにはこういう提案をしたのです。国立大学九十八ですか、何かいわゆる護送船団で全部を法人化という話ではないでしょうという質問に対しては、そういうことに割に同意しながら、一部は民営化であったり、場合によっては、国立大学を残してもいいのでしょうかという、私はそういう提案もしているのですが、今のお話は九十八すべての国立大学についてもう法人化は当然である、そうお答えになったと理解してよろしいのですね。

遠山国務大臣 当然ながら、すべての国立大学がそのまま法人化というようなことが結果的に出てくるかどうかというのは、私は今断言できないと思いますし、また、そういう方向でやりますよりは、やはり大学改革の一環として、本当に国立大学が担っている諸機能を十分に発揮していくにはどうしたらいいのか、その際に法人化との関係でどうあったらいいのかということが根本的に議論されて、そして結果的なものが出てまいると思います。

 今、検討中でございますので、今の段階で、では数を少なくするかとか、どの部分をどうするかというようなことはもちろん申し上げられない段階でございますけれども、そういった諸般のいろいろな状況の中で、どのように最善の解決策を見出していくかという非常に大事な時期であるということを自覚いたしております。

藤村委員 この件はこのぐらいにしておきますが、高等教育局長も経験されて、高等教育に大変造詣の深い遠山大臣のことでありますので、その発言は非常に重いわけで、にわかに民営化であるとかあるいは法人化であるとかということでなしに、今、独立行政法人化のことも、まさに調査検討チームですか、何かつくって、非常に精力的にやっていらっしゃるというところをよく見ていっていただきたいなということを申し上げたいと思います。

 そこで、きょうの地教行法に関して、まず教育委員会の問題は一点だけであります。この改正というのは、活性化するということで大変我々も賛同するいい中身であります。

 ただ、やや法律的に、理念的に書かれていて、男女の比率がどうしても男性優位になっているとか、これは都道府県教育委員会の数字を見ますと、おおむね三・三人と一人、女性は。しかし、都道府県が採用をする教員というのは今や女性の方が小中学校、多いわけですから、これは男三・三、女性一というこの比率をやはり変えるべきだということ、今回の法律はそういうことに触れているわけです。

 それから、特にまた、都道府県教育委員会の委員の皆さんの平均年齢が六十四・八歳であります。これは世間的にいっても、ある意味では、六十五歳からは一線を退くというふうな一つの観念の中で、平均年齢がほぼ六十五歳という教育委員の年齢は高過ぎるのではないか、今回の法律はそういうことに触れているわけであります。

 ですから、私は、今回せっかくそこまで触れていただいた、男性、女性の比あるいは平均年齢、これは大臣の方から、ぜひここを強調して、強力にこの法律ができれば進めるんだという決意をまずいただきたいなと思っております。

遠山国務大臣 教育委員会の活動を活性化させ、そして機能を十分に発揮してもらうには、やはり教育委員の構成というのが非常に重要であろうかと思います。

 今御指摘のように、今回の法案では、年齢、性別、職業等に著しい隔たりが生じないように配慮してもらうと同時に、その委員の中に保護者が含まれるようにも努めてもらうというようなことも規定いたしておりまして、いわば教育委員の構成をきちんとした形で任命し直すということによって、真に活性化が図られるように、私どもとしても都道府県等への指導を今後十分に行ってまいりたいと考えております。

藤村委員 余り国から押しつけるんじゃなしに、この法律によって、これを都道府県がよく理解し、その趣旨に沿ってやるということであろうと思いますし、今、最後おっしゃった保護者等というところは、小中高校の親の世代であれば四十代でありますから、とにかく一人その方を入れるだけで平均年齢は多分二、三歳から三、四歳必ず下がると思うので、この点はもう本当に、各都道府県教育委員会にこの法ができればこれに沿ってやっていただきたいなというのが希望でございます。

 さて、この点は一点でありますが、先週も相当長時間にわたり、指導が不適切な教員の転職の問題ということで取り上げられてまいりました。

 私、聞いておりまして、さまざまな議論があったとは思いますが、どうも観点が、転職の対象とされる教職員の側からの声ばかりのような気がいたしまして、やはり少し生徒あるいはその父母、保護者という立場からも議論をしないといけないと思っております。

 私どももいろいろな方の意見、ヒアリングしてきたんですが、具体的に余り申しませんが、とにかく、一つの学校というか、ある学校には、本当にコミュニケーションがとれなくて、もう無気力、無表情でという先生がいて、それは学校の中でも有名で、三月になると、ぜひあの先生には担任してもらいたくないという、父母や子供たちも含めた声があちこちにあるということをいっぱい聞きました。

 やはり、そんな先生が、あるいは父母や生徒からもそういうふうに思われる先生が、本当に先生としてやっていけるんだろうかということは大いに疑問がある。だから、そういう先生をきちんと、ある意味では、一つは、研修してもらったり改善してもらう、あるいは資質を向上してもらう、そういうことが必要であろうし、それでもなおまだまだ同じようなことであるならば、当然先生をやめてもらう、こういうことであろうと思うんですね。だから、父母や子供たちの側からいえば、当然そういうことがあっていいと。

 ところが、きょうまでそれができなかったのはなぜなんでしょうね。本来、これは地方公務員法上でも分限免職とか分限休職とかありますよね。それはその職の適性に合っていないということで処理できなかったのか、あるいは、そこに至らない人たちが今非常に問題であるという視点なのか。その辺、ちょっと基本の考え方を教えていただきたいと思います。

岸田副大臣 まず分限免職、従来の分限処分に該当する案件につきましては、従来の制度でしっかりやっていかなければいけない、これは従来どおりであります。ですから、新しい仕組みがスタートしましても、その部分は従来どおりしっかりと処分を行っていかなければいけないと思っております。

 そして、今回の対応は、そこに至らない者につきまして、こうした適切な対応が行える、こういった道を開くというふうに考え方を整理していただければと思います。

藤村委員 そこで、分限免職なり分限休職なりという措置は、処分とおっしゃいましたし、処分と言われると何か非常に後ろ向きな、懲戒的な意味を感じてしまうんですが、そもそも、分限免職、分限休職などというものは、これは懲戒なんでしょうか。

岸田副大臣 従来の分限処分につきまして、これは懲戒ではないと思っております。

藤村委員 そうだと思います。だから、生徒や父母の側からいっても、やはりあの先生は困るという先生は、むしろ適性のあるところへかわっていただくことが生徒や父母にとっても必要なことだし、その先生にとってもそういう意味では必要なことというとらえ方で、何か懲戒的な意味を非常に強調されると、今回の法改正というのが大変なことだ、とんでもないという話にもなるんです。

 一方で、そういう今までの措置の中からははみ出る、今までの措置というのは多分、地方公務員、いわば全体の公務員としての立場で非常に問題がある場合ということでしょうが、その公務員としての立場の中のまた教員、教諭というのは、子供たちを教える、指導するというその部分になかなか適性が届かなかったりすれば、それは別なところに行ってもらうという話は、割に普通に受けとめられると私は思っております。

 ただ、今度はまた教員の側に立ちますと、いや、それはしかし簡単にされては困りますね、あるいは恣意的であったり、何か校長が気に入らないから、そういう処分、そういう措置をとられては困るなということであります。

 そこで、そもそも、ではそういう先生は一体どのように発見されるのか。それは校長がこの人云々と言うのか、あるいはさっきの父母や生徒の話だけでやるのか、多分総合的にやるんだと思いますが、そもそも、そういう対象者というのはどういうふうに、発見されるというと言葉は悪いですが、浮かび上がるんでしょうか。

岸田副大臣 指導が不適切との疑いがある教員の状況については、これは他の教員の指導の状況と同じでありますが、まず、校長が日々の授業状況等から把握しており、市町村の教育委員会も、校長の報告に基づきまして必要に応じて指導主事等を把握し、みずからも状況を把握していく、これが通常の形だとは思います。しかし、保護者等から直接苦情が寄せられることなどにより、市町村教育委員会が校長と連携を図りつつ状況を調査する、そういったケースも考えられるというふうに思います。

 そして、都道府県教育委員会の方は、こうした市町村教育委員会の報告に基づきまして判断をするという形になると思います。

藤村委員 しかし、実際問題は一番学校現場がよくわかるわけですね。教育委員会の皆様方は日常その学校にいるわけではないし、ある意味では相当遠いところにいるわけですから。やはり学校現場、だからこれは校長も入ります、教員も入ります、それから生徒、生徒の父母などが入ると思うのですが、この辺のところでそれなりに話し合いができる、あるいは学校評議員の制度が今あるわけですから、その評議員にも入ってもらう。その辺が、最初の段階で少し、私は、今回の法律には想定されていないようですが、やはり学校現場で、この先生はという人たちについては話し合いが持たれないといけないのかなというふうに思いますので、これは一つ提案をしておきます。

 そこで、その先生を発見するというか、その動機というのは、一体どんなことがあったら、あるいはどんなケースなのかということであります。これは先週も答えていただいていますので、簡単に今の考えだけ答えていただいたらいいのですが、つまり指導が不適切な教員として対象となる人たちというのは、さまざまなケースがあると思うのですが、今一つ例示的にお考えの点をちょっときちんと整理しておっしゃっていただきたいと思います。

岸田副大臣 例といたしましては、例えば教科に関する専門的知識、技術等が不足しているため学習指導を適切に行うことができない場合、指導方法が不適切であるために学習指導を適切に行うことができない場合、あるいは児童生徒の心を理解する能力や意欲に欠け、学級経営や生徒指導を適切に行うことができない場合等を考えております。

 こうした知識、技術あるいは指導方法、能力や意欲、こういった点が考えられるのではないかと思っております。

藤村委員 これは、例示でありますから、非常に基本のところだと思いますが、余り詰めて、こういうケースはとか、この場合はとかと言っていくと、また非常に束縛的な、先生方の活発な指導活動を萎縮させるようなことにもなりかねないので、私はこの程度に考え方をとどめておくことが必要かなとは思っております。

 そこで、どうしても今言ったような例の中にはまってきて、学校現場でも、校長や先生方や生徒や父母の中で、あるいは評議員も入れて話し合って、やはりあの先生は今こういうことに当たるのではないだろうかというときに、まずどういう措置をするのですか。「研修等」ということに今回の法律ではなっていますが、この中身ですね。

岸田副大臣 想定しておりますのは、「研修等必要な措置」として、校長あるいは市町村教育委員会または都道府県教育委員会によりまして、学校内における校長や教頭等による指導、学級担任を外すなどの校務分掌の変更、都道府県教育委員会または市町村教育委員会による研修、あるいは他の学校への転任、こうした措置を想定しております。

 ただ、具体的には、その教員の状況、さまざまであると思いますので、種々工夫がされ、そして適切に対応すべきものであるというふうに考えております。

藤村委員 それで、今は学校の内部ということでありましたが、さらに学校から、いわば教育現場から外して研修する、こういうことも考えられるのですか。

岸田副大臣 具体的にはそれぞれの対応があると思いますが、そういったケースも想定されると思います。

藤村委員 それで、法律上は、さらにそういうことを経て、それで一たんもとの職場、教育現場に戻る、しかし、まだ同じ状況、同じ状態が、改善されていない、続いているというときにのみこの法律が適用される、こういうことだと思うのですね。次の一、二ということですね。

 そこで、その際に、では、いよいよこの法が適用される、その職を免じ、次に教育委員会等の別な職場に採用するという話になるときに、一体だれがどのように決めていくのでしょうか。これも、先週もそれぞれ説明はありましたが、もう一度ちょっと確認したいと思います。

岸田副大臣 指導が不適切であるかどうか等を判断するための手続を教育委員会規則で定めるということでありますが、その手続、もし法律を通していただきましたら、施行通知等で示すことを今検討しているわけであります。

 その手続としまして、教育委員会内に判定委員会等を設けて判断すること、指導が不適切である原因が精神疾患等の病気に起因するおそれがある場合には精神科医等の意見を聞くこと、必要に応じ校長等から授業状況等の様子を報告させること、あるいは必要に応じて当該教員に意見を述べさせる機会を与えること、こういったあたりを手続の中に盛り込み、こういった手続に基づいて判断をしていくということを考えております。

藤村委員 それで、今岸田副大臣が御説明いただいた、これは国の考え方として、規則を決めるのは都道府県の教育委員会である。しかし、今ここで考え方が示されるということは、それが一つのモデルになろうと思いますね。

 今、一、二、三、四という四つの視点からおっしゃったのですが、三番目に、必要に応じて校長等から授業状況等の様子を報告させる。しかし、これはさっき冒頭申しましたように、一番わかるのは現場でありますから、必要に応じてどころじゃないのじゃないですか。必ず校長等から授業等の様子を、つまり、一遍研修して出ていった方がまた戻って、また指導力を回復してうまくやっているかどうか知るのに、校長等から意見を聞かないと、そんなの判断できるわけがないじゃないですか。何で必要に応じてなんでしょうか。必要に応じてという言い方は法律的な言い方なのか知りませんが、当然これはやるべきだということ。

 それから、四番目の、これも必要に応じて当該教員に意見を述べる機会を与える。研修してそれなりに意欲を持ってまた復帰した、でもまだ周りの人になかなか認めてもらえない、だから自分とは遠い教育委員会の方で何か勝手に議論をしているという話では、これはえらい困る話ですね。やはりこれも必要に応じてではなしに、その先生の話をちゃんと聞いてやらないといけないというのは当然のことではないですか。

岸田副大臣 先生御指摘のように、状況を把握している校長等に授業状況等を報告させること、あるいは当該教員の意見を述べる機会を確保すること、この重要性はおっしゃるとおりであります。

 ここで、必要に応じてと書いてある、これはどういうことかということでありますが、要は、市町村の教育委員会からの申請に校長からの詳細な報告書が添付されている場合、さらに別途校長から報告される必要がない場合もあり得るのではないか。あるいは、教員の意見を述べる機会にしましても、当該市町村の教育委員会があらかじめ教員から事情を聴取して、それを報告書に添付しているような場合、こういった場合にさらにその教員からの意見をダブって聞く必要があるかどうか。その辺の判断のもとで、必要に応じてという部分が生きてくるのではないかというふうに思います。

 ですから、そういった必要に応じてというのは、今申し上げましたような状況も想定してこの法文の中に盛り込んであるというふうに御理解いただければと思います。

藤村委員 今おっしゃったのは、法文じゃありませんので、多分施行通知か何かになるんでしょうね。ですから、これは今から考えをつくるわけですから、こういう審議があったことを必ず踏まえて考えていただきたい。

 常識的に考えてそうでしょう。相当問題があったとして、中で研修を受け、外で研修を受け、それなりに多分本人も、よし、やってやると帰ってきたときに、まだおまえはだめだと言われると、やはり弁明というか、本人の弁も聞かないと、まさに次の処分というか措置になるわけですから、そこへ至らないと思うんですね、これは必要に応じてではなしに必ずということが基本的にはなければ。

 最初の方で、これは懲戒的な処分ではないということはそうなんですが、しかし、世間、通念からしたら、あるいは生徒や父母や他の同僚教員からすれば、あの人はちょっと指導力不足だから転職したというのは、ややマイナーなイメージがありますから、その意味では、やはり本人の弁明というか、本人の意見をちゃんと聞いてあげるということは、もうこれは必要に応じてではなしに必ずやるというぐらいのことを考えていただかないと、今からこれは施行通知を出されるわけですから、法律ができた後に。それを十分に踏まえて考えていただきたいと思います。

 そこで、今の一連の過程を経て、そして教員という職を免じ、それで都道府県教育委員会等のその他の分野に採用するということに多分なると思いますが、私、もう一回ちょっと戻って、そこで、今の判定委員会などというのが都道府県教育委員会にできるということであろうと思いますが、そもそも最初のきっかけ、この先生、非常に指導力が不足しているんじゃないか、だから研修を受けてもらおうとかいう、そのときは、判定委員会は全然関係ないんですか。最初に、今回の法律の一と二がありまして、その一の方になるときにはだれが判断するんですか。やはり教育委員会ですね、あくまで。ということは、そのときは教育委員会の判定委員会も当然絡んでいるんですかね。

 つまり、指導力が不足ではないか、だから研修も受けさせないといけない、その最初の段階ですね。最初の段階にも都道府県教育委員会の判定委員会というのは関与するんでしょうか。あるいは、判断するのはやはり都道府県教育委員会だと思うんですよ。その判定委員会の役割はどうなりますか。この法律ではちょっとわからないんですけれどもね。

岸田副大臣 先生がおっしゃる最初の段階においては、校長の判断プラス市町村教育委員会の判断ということになると存じます。

藤村委員 そこで、私、やはり最初の判断も大事だと思うんですね。法的に次の職へというときには、これはまさに法的な判断になりますが、その前段である、そもそも研修を受けてもらわないといけないとかいう判断は割に大事だと思うんですね。

 例えば、これは、昨年文部省の予算がついて、都道府県でいわゆる指導力不足の問題、幾つかの県で調べて、私大阪でありますので、大阪のこともいろいろ聞いてきているんですが、やはり最初の段階で対象教員の把握というときに、校内で、精神科医や弁護士らでつくる指導力向上委員会で判定して、それで校内外での研修をさせたらどうかという提案をしているんです。最初のときも、単に校長と教育委員会の判断というよりは、さっき申しましたように、父母や生徒、同僚教員、校長、それから学外の学校評議員なんかも今制度があるわけですから、そこで判断するような、これは、大阪府の場合は指導力向上委員会という仮称で提案をしているんですが、こういうものをつくるべきではないかと思うんです。

 これはお考え方を聞きたいので、大臣、いかがですか。つまり、判定委員会はまさに法的な、免職し採用するというところには絡むので、これは本当にきちんとした教育委員会の中でできるということはそれでいいんですが、その前段、そこに至る手前の、最初の、そもそもの指導力不足ではないかと疑われるその判断をするところも、これはむしろ現場に近いところで、大阪府の場合は指導力向上委員会なる仮称で言っているんですが、こういうものが必要ではないでしょうかということをお伺いしているんです。

遠山国務大臣 委員、大変緻密にいろいろお考えいただきまして、御指摘いただいている点は大変参考になる点が多うございます。

 今の点は、やはりそれぞれの学校のケースによりまして、あるいはその教員の持っているいろいろな問題性のケースによって、随分対応も違うのではないかと思います。研修も、県のレベルとか外のレベルへ出す前にも校内でもやるということもございますし、私も、判定委員会をつくって、そしてきちんとした形で不適切な教員としての判定をする場合には組織が要ると思いますけれども、その前段階にまでいろいろな組織を設けてといいますよりは、そこのところはケースに応じてやっていった方が、むしろ弾力的に、しかも正確に事柄がつかめるいうことになるのではないかと思います。

 むしろ、やり方によって、そういうものをつくってやるやり方もあろうかと思いますけれども、しかし、そういうふうに重層構造的に幾つも幾つもということになりますと、この制度の趣旨が本当に生きるのかなということもございます。私は今そんなふうに考えております。

藤村委員 今の大臣答弁は、やや消極的にも受けとめますが、ただ、都道府県教育委員会の範囲でこの法の趣旨に沿ってやるということによって、大阪なんかは、今例示しましたように、指導力向上委員会で判定して、この先生はやはり校外研修してもらおうとかということを提案しているのですから、これは大事にしてあげたらどうですか。さまざまなケースによってということで、それはそれでいいんじゃないかということかもしれませんが。

 それとともに、さっきの、いわば法的にまさに免職し採用するという措置に至るときには、都道府県教育委員会の判定委員会が行うわけですが、そこへ至る最初のそもそものところというのは、一番、やはり周りの先生方、校長さんあるいは父母、児童生徒、この辺がやはり最初の動機づけになるわけでしょう。その人たちがやはりそれなりに絡んでおかないと、まさに今やっているように、いや、校長と教育委員会で決めるんですといったら、非常に校長の恣意的な判断がそこに介入するおそれもある。

 やはりもう少し、指導力不足ではないかとある程度レッテルを張られるわけですから、研修に行かないといけない、そうなれば、場合によってはその先の、教諭としては不適格で、だから他の職へ移るという、その助走に入るわけですから、もちろん大半の人はちゃんとまたもとへ復するのでしょうけれども、そういう意味では、各都道府県の教育委員会は、今の大阪の一つの例ではありますが、こういうものを考えていっていただいていいんじゃないか。

 特にまた、学校評議員という、これは制度化されてできているわけですから、評議員というのは学校外の方が、それなりにしかるべき見識を持った方がそこへ入ってきて御意見を言っていただくということも必要ではないかなと思うので、これは提案としておきます。

 そこで、今回、いわば研修をしてもやはりもとへ戻っていないな、こういうことから今の判定委員会が判断をしたときに、免職し採用するという形をとることから、これは地方公務員法四十九条二によるいわゆる不服申し立てを行うことが可能だと聞いているのですね。そうすると、これは法形式上なのか。そうなると、これは何か非常に懲戒的処分というイメージが強くなりませんか。むしろ不服申し立てができないようにしておいた方がいいのかなと思うぐらいではありますが、これはちょっと確認したいと思います。不服申し立てを実際問題するんですかね、可能だと聞いておりますが。

岸田副大臣 不服申し立てができると考えております。

藤村委員 そうすると、先ほどの判定委員会で判定するときの教育委員会の規則に、さっき、必要に応じて当該教員に意見を述べる機会を与えることということと、不服申し立てというのは、その結果に対してということになりますよね。だから、私は、やはり不服申し立てに至る手前の段階で、繰り返しになりますが、判定委員会の方へきちんと当該教員が意見を述べる機会をちゃんと与えるということがやはり重要だということをもう一回繰り返して申し上げます。

 そこで、今度はちょっと法律上の問題で、私もよくわからないんですが、今改正では、そういうことに至った場合に、最終的には免職して、それで都道府県の多分教育委員会が最初の対象になると思うのですが、「採用することができる。」という法文ですよね。すなわち、それは採用しないこともできるということなのかどうか。何遍説明を聞いても、いや、免職し採用というのは一体不可分に実施されるということだという説明を聞いているのですが、しかし、「採用することができる。」とあるのは、これは採用しないことができるというふうにも受けとめるんですが、そうではないんでしょうか。

岸田副大臣 今先生がおっしゃったように、法律上、一体不可分に実施されるものであり、免職のみが行われて採用がされないということはあり得ないと考えております。

藤村委員 ざっくばらんに申しますと、そうすると、都道府県ですから、それなりに大きい容量はありますけれども、そういう例が数々出てきた場合は、そんなこと都道府県で受けられるのかという、今度は受け皿の方の問題があります。

 これは、先ほどの大阪のケースでは、文部科学省も御承知のとおり、新聞でこういう非常に衝撃的な、見出しじゃない、リードなんですけれども、約一万二千人いる府立高校と養護学校の教員のうち、指導力や適格性に著しく欠ける教員は四百二十一人、これは三・五%であります。東京都で調査をしたときには五十人程度という非常に少ない数であったのですね。これだと〇・三%ぐらいです。

 だから、実態として、〇・三%から上は三・五%ぐらい、このぐらいの幅で全国的には出てくると見れば、この数の方々を、教育職、教員以外の他の県職、最初は教育委員会事務局になるんでしょう、あるいは教育委員会管轄の博物館や何かになるんでしょう、そこで本当に採用できるんですか。その辺、心配はないんでしょうか。

岸田副大臣 その措置の趣旨は、新たにつく職に必要な能力を有すると認められる場合に限り適用できるという形になっております。ですから、単なる数合わせということにはならないというふうに思っております。

藤村委員 そうすると、さっきの、免職し採用は一体不可分だということと、それから適用の問題とあると、やはり適用できないと別途試験を受けてもらうとか、そういうことになるんですか。

岸田副大臣 免職と採用を分離して、その途中の段階でさまざまな措置や判断が入るというのではなくして、あらかじめ措置を行うかどうか判断した上で免職と採用を一体として行うということでございます。

藤村委員 要は、実際的な数の問題も考えぬといかぬですよね。数合わせではないとおっしゃるけれども、しかし数合わせも考えないといけないと思います。

 一方で、都道府県教育委員会の事務職員などの団体からはこんな声が寄せられているんです。一般競争試験によって事務遂行の能力を判定されて行政事務を取り扱っている事務職員の側の心情としては、不適格教員の教育委員会事務職への配置転換を基本的に認めるというのは何となくおかしいんじゃないですかと。つまり、自分たちは競争試験でちゃんと入ってきているわけです。教員は教員試験で入ってきているんだけれども、その教員を外されたら、今度はもう一遍試験を受けてもらって入ってくるべきではないかという筋論をおっしゃるのですが、そういうことにはならないんですか。

岸田副大臣 先ほども申しましたように、本措置は、新たにつく職に必要な能力を有すると認められる場合に限り適用するものであり、指導が不適切である等の要件に該当すれば直ちに適用されるものではございません。

 ですから、文部科学省としましては、各都道府県教育委員会に対しまして、この趣旨を周知し、対象となる教員の新たにつく職についての知識、適性等を十分考慮して適切な選考がされるように指導していきたいと思っております。ですから、その判断に当たって、任用がえの試験等は想定しておりません。

藤村委員 だから、法律で解釈するしか今副大臣の立場ではないんでしょうけれども、実際問題を考えると、さっきの、下は〇・三%ぐらいから、しかし大阪府のケースでいうと三・五%という数、全国六十万人とすれば、もし三%を掛け算しますと一万八千人ぐらいですよね。これは大変大きな数の転職活動になるわけですね。

 また、受け入れ側の、それぞれ競争試験を受けて入った人たちの心情はやはりそれなりにおもんぱかってあげないといけないし、彼らの方からはこんな提案があるんです。つまり、配置がえに伴い、適性、知識の確保のためには任用がえ試験などを実施するべきではないだろうか、あるいは、新しい職場での適格性を見るためにも、インターンシップというのか、いわば新しい職場での研修ということなどを一つ提案したいという御提案があるんですけれども、これに対しては何かコメントはありますか。

岸田副大臣 この措置につきましては、まず、基本的に本人の意に反して行われるものでありますから、判断に当たって、本人の自発的な意思によることを前提とする任用がえ試験だとか、それからインターンシップですとか、これはなじまないのではないかなというふうに思っております。そういった理由から、任用がえ試験やインターンシップは想定していないところでございます。

藤村委員 だから、法律にやや無理があると思うのは、父母や生徒の側からいうと、実は、そういうとうちの学校にもこんな先生がいるというのが多分だあっと出てくる。しかし、そうしたときに、その父母や生徒の側の声はそんなに受けとめられないんじゃないか、法律を今回つくっても。つまり、許容量というか、さっきの、もし三%になってしまったらえらいことですよ。

 先週の質問でどなたかありましたけれども、これは神奈川県のケースでしたか、五百人ぐらいそういう先生がいるんじゃないかという話もあって、しかし、同じ県で五百人を新たに別の県職にというのは非常に難しい話になりますよ。そうすると、この対象というのはうんと絞られてくる。となれば今までの、いわゆる分限免職なりで、分限処分でやっていたものと、今回はそことは違う、もうちょっとこっちに広げたぐらいの、せいぜいそのぐらいのイメージしか持てないわけであります。

 だから、本当に教員としてだめな人はまず教員から外れてもらうということは、これは一方の側の本当に大きな声だと思いますので、そこをうまく適用できるようにしていただきたい。かつ、先ほどの、教員の側からいえば、異動させられる側にとっては本当に意に反してというか、本人のあれに反してでしょう。本人はやりたいと言っても、いや、君はこう、いわば配置がえとなるわけですから、そういう意味では、この法をせっかくつくっても余り動かないんじゃないかなという気がするんですが、副大臣は、いや、ちゃんと動かしてみせるという決意を述べておいていただきたいと思います。

    〔委員長退席、鈴木(恒)委員長代理着席〕

岸田副大臣 従来の対応に加えて新たにこうした措置を行う、道を開くことによってその措置の適切な運用をしっかりとした結果に結びつけるべく努力をしなければいけないというふうに思っています。

 最初からこれは数字を想定した措置ではありませんので、こうした措置の本旨にのっとってしっかりとした運用を行い、その結果等も、状況を把握しながらその後の運用を考えていきたいというふうに思っております。

藤村委員 繰り返しになりますが、本人の意思に反して、いわば転職ですから、ここのところは、また本人の側に、教員の側に立って申しておきますと、教育委員会規則で行われる手続について、先ほど四つの点で幾つも注文しておりますが、本当にきちんとまずされることと、それから新たな提案としては、そもそも、不適格ではないか、あるいは研修に行ってもらった方がいいかというときの判断にも、場合によっては判定委員会がそれなりに関与するとか、あるいは、一番現場で、学校評議員なども入れた、その先生、校長、父母などでやはり話し合う機会を設けられることが私は現場の皆さんの声に一番即していると思うんで、その辺も一つ提案として申し上げて、この件は一応区切りをつけておきたいと思います。まだ大分聞き足りないような気がしております。

 そこで、もう残りが五分です。もう一つ、今度は学校教育法の、それも一つだけについてしか聞けないと思います。

 私は、自分の公約でもボランティア社会をつくりたいということでこの世界にも出てきた一人であります。

 やや個人的なことで恐縮でありますが、一つの事業で、ブラジルに日本の学生を民間の団体で送り出しておりますが、その送り出す手前、一年間の事前の研修というプログラムの中に、実はボランティア活動を義務づけてやらせております。

 私は、ボランティア活動というもの、あるいは社会奉仕体験活動というんでしょうか、そういうものは、特に子供の時代にそういうものに接しなければ、知らないまま大人になって、そうすると、そういう活動があるんだとか、そういうことが大事なんだということも余りわからないままに今なってきているという意味では、今回の、いわばそういうボランタリーな精神の涵養のための教育の一つのプログラムというのは、それなりに評価をしたいと思うんです。

 ただ、法律で書くときには相当注意をしないといけない。まず、言葉の問題ですが、私、なぜ今回、社会奉仕体験活動と使ったのかよくわからないんです。来年度から実施される新学習指導要領では、もう小学校も中学校も高校も、ほとんどがボランティア活動、ボランティア体験という使い方をしています。むしろ一般的には、あるいは今の若い人たちにはそちらの方がわかりやすいんですね。社会奉仕体験活動と言われると、何をするのかなと。何をするかは先週も大分答えてもらっていますからそれはいいんですけれども、この言葉の使い方、社会奉仕という用語を使ったのには相当な意味を持って多分使われているんだと思うんです、法律用語ですから。その意味をちょっと教えていただきたいと思います。

岸田副大臣 ボランティア活動と社会奉仕体験活動との関係、そして、こういった言葉を使った意味についての御質問でありました。

 まず、一般的に、ボランティア活動というのは、自発的な意思に基づき労働の対価を目的とせず技能や時間等を提供し、他人の社会公共のために役に立つことをすることの意味があるというふうに思っております。一方、社会奉仕という用語は、従来から学習指導要領で用いておりますが、ボランティア活動を含むより広い概念だと思っております。ですから、ボランティア活動という用語は、社会奉仕体験活動の例示として用いているところでございます。

 そして、社会奉仕という言葉を使った意味についてでありますが、従来から学習指導要領において、社会奉仕精神を涵養する体験を得られるような活動の用語を使用しており、学校現場においては社会奉仕が定着している用語であることや、あるいは他の法律におけるこれまでの用例等を踏まえて、社会奉仕という用語を用いたということでございます。

 そうした社会奉仕の例示として、先ほど申しましたように、ボランティア活動という用語を使った、これが両者の関係であり、社会奉仕という言葉を使った意味でございます。

藤村委員 教育改革国民会議で何か社会奉仕とか奉仕活動というのを一生懸命言ったから使ったという方がわかりやすいんですけれども、そうではなしにいろいろ説明をいただいたんです。

 ただ、来年から施行される学習指導要領でもボランティア活動をたくさん使っています。あるいは、実はこの文部科学の関係以外の厚生労働の関係の法律なんかでも、最近ボランティアという言葉は法律用語として出てきております。片仮名用語が法律にいけないということは全然ないようでありますし、この際、ボランティア体験活動と言ってみた方がいいんじゃないですか。

 実は、奉仕というのは、おっしゃるとおり、確かにボランティアを含むそのもうちょっと大きい概念というのはわかります。奉仕というのはサービスという意味もあります。あるいは、公務員が全体の奉仕者という、これは憲法上の言葉であります。それはわかるんです。

 ただし、学校教育の現場で、公務員の全体の奉仕者的な奉仕というものを持ち込もうということにまだちゅうちょするところがあるんです。だから、学習指導要領でも、今までは社会奉仕と過去使っていたのに、来年からはボランティアに言いかえているわけでしょう。この際、この法律もボランティア体験活動としたらどうですか。

 これは別に法律では義務づけていないんでしょう。ボランティアは実は義務づけられないんです。さっき副大臣がおっしゃったとおり、自発性、無償性、社会性、三つそうなると思うんですけれども、自発性のものを法律で義務づけるというのはこれは不可能なんです。だから、体験活動になるわけです。その自発性の活動、ボランティアというものを一度体験してください、疑似、いわばバーチャルなわけです、でも、体験したときにその中身がわかって、その次から自分が自発性の活動に入れるということ、これがまさに教育ではないかと思うんです。

 だから、私は、教育の現場ではちょっと古めかしい、学習指導要領でも過去使っていたけれども、今度から変える、社会奉仕という言葉からボランティア体験活動に言葉を変えたらどうかと思うんですが、いかがですか。

    〔鈴木(恒)委員長代理退席、委員長着席〕

岸田副大臣 今回の法改正におきまして、体験活動の重要性を指摘し、その体験活動のその一つの例示として社会奉仕体験活動というものを挙げ、そしてその中のまたさらにその例示としてボランティア活動というものを挙げているわけでございます。ですから、それぞれ、先ほど申しましたように違いを感じております。

 そして、その中で社会奉仕体験活動、こうした用語を使いましたのは、他の法律の用例あるいは学習指導要領における使用、こういったあたりを勘案して使ったということでございます。

藤村委員 済みません、時間が過ぎました。政務官に質問する予定を外して、失礼しました。

 以上で終わります。

高市委員長 山元勉君。

山元委員 民主党の山元勉でございます。

 審議が重ねられているんですが、私は、きょうは、大事な問題について少し確かめる質問をしていきたいと思います。

 教育改革の重要法案だと本会議でも位置づけられたのですけれども、どうも論議を聞いていると、重要法案たり得たるのか、何が重要なのかということがだんだんわからぬようになってきている。大臣もおっしゃった、今、教育は危機的な状況にあります。その危機に対応するそういう重要なものが含まれているのか、それに的確に対応でき得るそういう内容なのか。

 例えば、少しきつく言いますと、対症療法的だし、改正しなくても実行できるような項目はあるし、あるいは議論が不足をしていて将来に禍根を残すのではないか、こういうような中身がいかにも多い審議の状況だというふうに私は受けとめています。

 特に、きょうは、飛び入学についてお尋ねをしたいわけですけれども、これは我が国の学校制度の根幹そのものにかかわるものです。ですから、今私が申し上げた例でいいますと、いかにも論議不十分で、場当たり的なそういう方策だと言わなきゃならぬというふうに思っています。

 そこで、時間が少のうございますから、今までの論議で明らかになってきたポイントについて確かめたいんですけれども、これは、法改正になって、平成十年度から千葉大学で始められた。わずかにまだ四年、卒業生は一人も出ていないわけです。そういう中で、今度のこの法案で、一つは分野の制限を撤廃する、二つは学力要件を削除する、三つ目は実施機関の制限を撤廃して高等教育全体に拡大する、簡単に言うとこういうことですね。確認したいと思います。

遠山国務大臣 まず冒頭のお話でございますけれども、私は、今回の三法の改正は、日本の教育をよくするという方向に向けて非常に大事な幾つかの制度を確実にしようとしている目的を持っておりまして、まさに教育改革を推進するのに極めて重要な法案だと思っておりますので、その点はよろしくお願いをいたします。

 それで、今の飛び入学関係の点でございますが、幾つかの改正を今回図っております。やはり今の教育の持っている、ある種閉塞的なそういう状況を打破していくというときに、幾つかの方法が今回提案されているわけでございますけれども、飛び入学という用語はもちろん使っておりませんけれども、そういう制度をより広く開くことによって一人一人の個性が輝く、そういう教育の場にしていきたいということが背後にあって今回の提案になっている次第でございます。

山元委員 まあ、お聞きをしておきます。

 そうすると、実施機関というのは、実施機関の制限の撤廃ですけれども、前は大学院研究科の博士課程を有する大学というふうになっていました。今度はさらに、四年制大学、短期大学あるいは専修学校の専門課程、そこまで拡大をしていく。分野については、希有な才能を持つ者のというふうに前はありましたけれども、そこのところが取っ払われたような感じがしますが、高等学校、障害児学校高等部あるいは専修学校の高等課程、それらの在学二年以上の者、そして十七歳で大検を合格している者、あるいは国際的な大学入学資格を持った者、こういう者がどっと行ける。

 このように機関は広く、そして対象は、可能な学生というのですか、生徒は、今申し上げましたような範囲に拡大をされた、こういうふうに確認してよろしいですか。

遠山国務大臣 飛び入学制度に関します今回の改正では、まずは対象分野につきまして、現在、数学また物理学の分野に限定している制限を撤廃して、各大学ごとに、その自主的な責任のもとに、対象分野を自主的に判断できるような仕組みとすることといたしております。

 また、飛び入学の実施機関につきましては、今お話しのように、当該分野にかかわる博士課程のある大学という制限を撤廃することによりまして、四年制大学のほかに短期大学でも可能になることとしております。

 なお、専門学校につきましては、高等教育機関ということでは同じでありますけれども、法律上の規定の違いから、改正の成立後、省令改正によって所要の措置を講ずる予定でございます。

 対象者につきましても、高校生に限らず、盲聾養護学校の高等部の生徒や、あるいは外国において学校教育で一定の課程に在学した者も対象としておりまして、この点では改正後も同様でございます。

 これらを通じまして、能力、適性に応じたより柔軟な教育を展開できるようにしようということでございまして、一人一人の資質の伸長が一層図られるようになるということを希望いたしております。

山元委員 大臣、私が申し上げた、ずっと具体的に申し上げたことは間違いないわけですね、範囲としては。そう考えてよろしいですね。

 そうすると、文部大臣は、省令で定めている中央教育審議会にいろいろなことを諮問して、答申を受けてそして具体化していくという責任がおありなんだろうというふうに思います。そういう大臣が、今までに出ている答申を尊重する立場に立たれるのかどうか。

 今度新たに諮問されるのですが、今までの答申というのは、ずっと重ねて十四期まで中教審が置かれて答申が出てきている、そして教育改革の努力がされましたけれども、今度の法案を見てみると、総理の私的諮問機関である国民会議の報告がいかにも尊重されて、過去の、わずかに四年ほど前の中央教育審議会の答申が軽んじられている、無視されている、こういうふうに思うのですけれども、大臣、御見解はどうですか。

遠山国務大臣 今の飛び入学の件につきましても、平成九年の中教審答申におきまして、「将来的には、対象分野の拡大も考えられるところであり、本答申に基づく実施状況を踏まえつつ、この点について検討を行っていく必要がある。」ということでございます。さらに、十一年の答申におきましても同じ趣旨の提言をいただいております。

 したがいまして、対象分野の拡大については一定の方向性をお示しいただいたと承知いたしておりまして、今回の制度改正はその延長線上にあるものと思っております。

山元委員 いや、私はそうは思わぬです。平成九年の中教審の答申では、希有な才能を有するごく少数の者については、現在の制度内の取り組みだけでは不十分だ、さらに進んで、能力、適性に応じて才能を一層伸長し、個性を最大限引き出す観点から、教育上の例外措置として、十八歳未満であっても、特定の分野について希有な才能を有する者については大学入学資格を認めるよう制度改革をすることが適当だ、これが中央教育審議会の答申です。

 今大臣は、次にお尋ねしようと思ったのですが、将来的には検討して拡大していくことはあり得るのだ、確かにそう書いてあります。将来的には、答申の実施状況を踏まえつつ、対象分野の拡大について検討することが必要だ。あるいは年齢の問題でも、制限を十六歳以上の者とすることなどについて、答申の実施状況を踏まえつつ検討することが必要だ、これが答申です。希有な才能を持っている者を入れる、その道を開く、物理、数学について、その物理、数学になぜ限定するのかということもあの答申では書いてありました。三点について書いてありました。そしてそれをやってみて、将来、実施状況を踏まえて拡大することについて検討すべきだ、これが中央教育審議会の答申です。

 尊重する立場だったら、これは先ほど言いましたように、まだ四年しかたっていない。私、後で申し上げますけれども、千葉大学の総括を私たちは聞いたことがない。この委員会で、あの方策はよかったのかどうかということは論議していないですよ。

 そこで、大臣にもう一遍、本当に中央教育審議会の答申、私的諮問機関でないその答申をどう受けとめるのだ、これでいいのかと、重ねてお尋ねをします。

遠山国務大臣 今回、特にすぐれた資質ということに着目して、新たな対象分野の拡大をお願いしているわけでございます。それは、平成九年の中教審にいいます希有な才能、それとの関係が今問題になっているわけでございますが、いずれも、現在の学校教育制度の枠内における取り扱いでは、その個性や才能を十分に発揮できないほどの者であるというふうに考えておりまして、そのために、大学等において高度で専門的な指導を受けることによって、その才能を一層伸ばすことができるというふうに考えます。したがいまして、私としては同趣旨のものというふうに考えることができると思います。

山元委員 いや、それはいかにも軽く、あるいは現場の実態をしっかり踏まえて改革をしていこうという立場ではないというふうに私は思うんですよ。

 簡単に言うと、この中央教育審議会の答申は、高度の研究者を養成することを目的とする教育上の特例措置だというふうに書いているわけですね。けれども、今度のでは、大学などの入学年齢の緩和を目的とし、範囲の無制限を目的とする法案だ。これはやはり変質していますよ。中央教育審議会が願った、才能を持っている子供たちを育てようという、この答申には書いてある、十七、八歳で希有な才能が開花していく、そういうことからいってというふうに限定をしているわけです。その趣旨から逸脱をしている、そのことが尊重されていないというふうに私は思います。これは一遍、この委員会でもぜひ論議をまたしていただきたい、続けていただきたいというふうに思います。

 私は、岸田副大臣の、この間、私どもの松沢委員がお尋ねをしたときの答弁については少しひどいというふうに思いましたよ。

 例えば、これはなぜ広げるのかということを松沢委員が尋ねたときに、岸田副大臣は、短大まで広げたその思いは、要は、情報ですとか芸術の分野におきましては、研究のみが目的ではない、やはり実学という面でもこういった才能を伸ばすということは考える必要があるのではないかと思って、短大までと。

 中央教育審議会はそういうことは言っていないでしょう。本当に例外措置として、希有な才能を持つ、そして早くそういう次の学校へ上げることがその子の能力を開花させることだという答申の趣旨からいうと、岸田副大臣のこのお答えはいかにも、あやふやと言うたら失礼ですけれども、そういう思いがしてならぬ思いで聞いていました。

 そこで、大臣も今おっしゃった、確かに実施状況を踏まえてですが、先ほども言いました、千葉大学の実態、名城大学の実態について一体どういうふうに踏まえていらっしゃるのか、実施状況を踏まえてということですが。実施状況についてまとまったものがあるんですか。

 この委員会で、前の文教委員会ではあの制度をつくった、そしてそれは検証すべきだということになっていたんですが、私たちはそれを聞いていない。私たちは私的に千葉大学から今の状況についてはお聞きしました。一体、文部科学省として、この制度がどういう長所があって、どういう短所があってといいますか、問題があるんだ、そういう総括をしていらっしゃるんだろうというふうに思いますが、それを私どもには出していただけませんか。

岸田副大臣 平成九年度に飛び入学制度を導入して以来、これまで、平成十年度から千葉大学において物理学の分野で四年間、十二名が入学しております。また、平成十三年度から名城大学において数学の分野で四名が入学しております。

 そして、この千葉大学における四年間の実績を見ますと、受験競争への影響あるいは大学の青田買いなどの問題は生じていないと我々文部科学省は受けとめておりますし、また、千葉大学からの報告によれば、飛び入学により入学した学生は、物理学関連の科目の成績が優秀であるばかりでなく、他の分野の成績も良好であり、当該学生が強い意欲を持っていることが他の学生や教員にもよい影響を与えているということであります。こうした結果、良好な結果だと文部科学省としては受けとめております。

山元委員 例えば希有な才能、そういう今の制度と、短大、専修学校まで広げた場合とは全然違うわけでしょう。千葉大学で四年目、ことしですよ、今年度の受験生は八名です。博士課程がある、大学院がある、そういう大学へ飛び入学するというのは非常に難しい。極めて限定した才能なり条件がある子供です。けれども、専修学校、短大までというと、ぐっとふえることは事実だと思うんです。

 そういうことでいうと、私は、文部科学省がこれを提案するに当たっては、千葉大学ではこうであるけれども、こういうふうに広げたらどういうことが起こる、学生についてどういうことが起こる、高等学校教育でどういうことが起こる、恐らくシミュレーションされたと思うんですよ。大丈夫だということがあってのことだと思うんですが、そのシミュレーションの結果はどうなんです、どういうテーマがありましたか。

岸田副大臣 今先生の方から学生本人への影響あるいは高校教育への影響について御質問いただきましたが、まず学生本人への影響でありますけれども、千葉大学からは、飛び入学により入学した学生は、物理学関連の科目の成績が優秀であるばかりでなく他の分野の成績も良好であるという話、あるいは当該学生が強い意欲を持っていることが他の学生や教員にもよい影響を与えているというふうに聞いておりますし、また、通常の学生も飛び入学した学生と屈託なく接しており、飛び入学したことによって学生間の人間関係に問題が生じていることはないというふうに考えております。これが学生本人の影響であります。

 また、高等学校教育への影響ということでありますが、今回の飛び入学制度、さまざまな分野ですぐれた資質を有する者に早期に大学進学の機会を与えようとするものであり、多くの学生が受験対策をしたり一般の競争で競ったりというものではなく、また大学側の都合による学生集めに利するものではないというふうに文部科学省としても考えております。千葉大学における経験からしましても、大学側のしっかりした受け入れ体制と高校側との密接な連携が確保されれば問題はないというふうに考えております。

 そして、その飛び入学を実施する大学については、制度の適切な運用、学生のすぐれた資質を十二分に伸長する観点から、教育上適切な指導体制を整えること、あるいは、二年間にわたり資質を見出し得る立場にある高校側の推薦を求めるなど、特にすぐれた資質の判定の上で適切な配慮を行うこと、あるいは飛び入学に関し自己点検、評価を行いその結果を公表すること、こんなことを省令の中に規定することによって、より適切な運用を図るように考えていかなければいけないと思っておりますし、また、こうした結果をしっかりと公表していくこと、こういったことも考えながら、従来の高校教育に対する影響が悪い方向に向かわないように配慮していかなければいけない、そのように考えておるところでございます。

山元委員 私が言っていることにはお答えをいただいていないというふうに思うんです。

 ことし、名城大学が始めました。こういう改革のときには影の部分と光の部分が出ることはあります。だから、影の部分についてだけおびえていてはいかぬとは思いますけれども、例えば、名城大学のホームページに、名城に飛んでくるなら東大でも受けたらいいじゃないかと。意味わかりますね。名城へ飛んでくる、飛びで入ってくるくらいだったら東大を受けたらいいじゃないかという、やゆするような書き込みが少なからずあった。学生がきちっと、素直にすっと受けとめているということにはなっていないという部分があるわけです。

 あるいは、拡大をしていったら今の高等学校の教育がどういうことになっていくのかということについては、副大臣は十分お答えになっていらっしゃらない。

 大学、四年制、短大、専修学校、そうあって、そこの学校の校長が、学校がやれるんやからやりますと、千葉大学や名城が手を挙げたように、短大やあるいはその他の学校で手を挙げたら、そういう制度が導入できるわけでしょう。そういうときに、一つの高校の子供の間でどういうざわめきが起こるか。博士コースがある大学へ飛ぶ子供と、これは初めから差をつけて考えたらいかぬですけれども、子供たちはいろいろと、それは高校二年で卒業したいよ、できるんやったらあそこあそこと、こういうふうになる。そのときに、本当に子供たちが落ちついて、人間関係も保ちながら高校教育をしっかりと受けるかという、ざわめきというものですか。

 残念ながら、今の社会というのは学歴社会、もう一つは学校歴社会です。だから、今の状況の中でそういう混乱が起こるということを、文部科学省としてはしっかりと予測というんですか、恐れなければならぬというふうに私は思うんですけれども、大臣、そういう論議は役所の中であったんですか。

遠山国務大臣 今回の法案をつくるに際しまして、私は法が出てから担当いたしましたけれども、恐らくそこはきっちりとした判断があって今回の法案になっていると思います。

 といいますのは、先生もいみじくも仰せになりましたように、今回改革をすることによっての光と影の部分もあるかもしれないというお話でございますが、私は、今求められているのはその光の部分を拡大することだと思いますね。今回の飛び入学の制度について柔軟に対応するということによって、今の閉塞的な教育のいろいろな問題を乗り越える一つのエネルギーになると思いますし、今回の教育改革の法案及び二十一世紀教育新生プランに盛り込まれた、その大きな勢いをつけていくのに、非常に重要な部分であろうというふうに思っております。もちろん、新しい今回の飛び入学の導入によりまして高校教育が何か揺らぐようなことになってはいけません。

 ただ、私も思いますに、どの国でも、諸外国でも、それほど入学年齢にこだわっておりません。それは、一人一人の伸びる力というものをもっと伸ばしていくということが、本人自身にとっても、生涯その才能を伸ばすということに非常に資するだけではなくて、社会にとっても、そういう生き生きした能力を伸ばしてくれる人の存在自体がその社会に活力を与えていくということが背後にあるのだと思います。

 そんなことで、今回の飛び入学の制度というのは、もちろん混乱がないように、しかし、本当に光り輝く才能がきちんとした形で伸びていくように、そういうことを助ける制度であるということを十分に認識して、それぞれの高校なり大学なりその他の実施機関において対応されるということを私は期待しているところでございます。

山元委員 光の部分をたくさんとおっしゃいますけれども、どう考えても、私は現場の経験があります、小学校ですけれども。本当に子供が、保護者が、地域が、どういうふうに学歴なりあるいはそういう個々の子供たちの性格や成績について考えるか、肌身で知っています。

 今、例えば高校進学率が九七%になっています。九七%、高校へ進学した子供たちが、短大だ、専修学校だ、四年制だ、博士コースがあるところだ、さまざまなことを考えながらというのは、決して光の部分に私はならぬというふうに思うのですよ。

 だから、そこのところは、私は、端的に言うと限定をする。限定をして、分野については、中教審答申が言ったようなところに近い限定の修正をしなければ、やはり禍根を残すという気がしてならない。中教審は具体的に言っているわけです。例えば、芸術やスポーツの分野は、学校外の活動においてもその才能を伸ばすことができることを重視して、特別な措置をとらないことが妥当だ、こう書いている。

 最初にお聞きしたように、大臣は中教審を大事にするのかということについて戻るわけですけれども、やはりそこの精神がだめなんだと、ほんまにこれは、四年前に中教審からおっしゃっていただいたけれども、光の部分を広げるためにこれをするんだということについて、きっちりとした、私どもが納得できるような説明をしていただきたい。

 先ほど、実施状況の総括というのですか、実施状況についてどういうふうに踏まえられたかという、そういう資料も、今の予測のシミュレーションも、大丈夫だというシミュレーションも、ぜひこの委員会で論議をするように、委員長、これは将来、日本の学校教育制度のあり方にかかわって、禍根を残すのか、あのときによかったというのか、この飛び入学というのは大変大事な問題だ、六・三・三・四制の制度のあり方の根幹にもかかわるというふうに、この委員会として責任を持った方がいいというふうに思うのですが、委員長、努力していただけますか。

高市委員長 文部科学省に申し上げたいのですが、先ほど来、山元委員からの御質問、岸田副大臣、大臣から御答弁ございましたが、対象を広げた場合のむしろ負の部分について、高校教育に及ぼす影響についてのシミュレーションをしたかしないか、またそれがどういう形になっているかという御質問に対する回答がきちっと得られないということでの今、御発言だったと思うのですが、追加的に御発言ありますか。

岸田副大臣 先ほど答弁の中で申し上げましたような結果、そして評価をしていることでありますが、今先生がお話しになりましたように、将来、新しい措置を行った上でどんな結果につながるかというのは、シミュレーションということは持っておりません。

山元委員 それでは、しっかりとした合意が、こうなるからといって、先ほども言いましたように、しつこく言いますけれども、学校制度の根幹にかかわることだということを認識したら、これはやはりきちっと、これはやっても大丈夫なんだという責任を文部科学省は持たないかぬだろうというふうに思うんです。

 僕は、時間がありませんから次の問題に入りますけれども、ぜひこれからそういうものを委員会の場へ出していただいて、これで大丈夫なんだ、こういうふうに改革をしましょうということの提起を、資料を添えてお出しをいただきたいと要請を申し上げておきたいと思います。

 次の項へ行きます。二つ目ですが、これも学校教育法です。児童生徒の出席停止の問題です。

 この出席停止というのは、今までもございました。今まで出席停止の全国的な状況をどういうふうに把握していらっしゃるのか、資料がありましたら、お示しをいただきたい。

池坊大臣政務官 出席停止の件数は平成十一年度において八十四件でございます。大体は五十件程度になっております。

 対象は、暴力行為、教師への暴力あるいは生徒間の暴力、あるいは机とか教室のものを壊す等々のことでございます。

山元委員 一年で八十四件というのは、今の学校が荒れている状況、子供たちが大変な状況になっていることからいうと、語弊がありますけれども、少ないというふうな感じがしますね。

 これは、今までそういう法的なことがきちっとなってなかったからやるんだ、こういうことなんだろうというふうに思いますが、時間がありませんから、新たにこういう法的にきちっと書き込んで出席停止を命じる措置をとる、そのことで、先ほども少し出ましたけれども、学校がその子供たちへの対応なりあるいは指導を放棄して安易に出席停止ということに持ち込んでいったのではいけない。

 ですから、教育的措置として出席停止をする、先ほどちょっと御質問ありましたけれども、他の子供たちの教育を受ける権利もあるとおっしゃいました。確かにそうですけれども、しかし、教職員、学校と子供の信頼関係を損なわないで、教育的効果を期待しての措置でなかったらいかぬと思うのですね。

 教育的効果を期待しての措置、それが八十四件だ。今までその八十四件の中で、措置をして、これは措置が適当であったと、この間神戸の中学校の例を、文芸春秋でしたか、私も読ませてもらいましたけれども、効果的であったのか、あるいは問題点は何だった、どういうふうに文部科学省としてはお考えになっているのか、今までの経緯をどう考えていらっしゃるのか。

池坊大臣政務官 今まで学校現場におきましてもいろいろな措置を講じてきたと思います。ですけれども、今回出席停止をいたしますことは、幾つかの問題点がございますが、二つの大きないい影響があるのではないかと私は思っております。

 一つには、私も児童虐待防止法をつくりましたときに勉強いたしましたけれども、いじめとか暴力というのは連鎖してまいります。一人の子供がいじめや暴力をいたしますと、ほかの子供たちも連鎖いたしまして、ほかの子供たちが落ちついて勉強できないということがあると思います。ほかの子供たち、まじめに誠実に一生懸命勉強しようとしている子供を守る義務が私たちはあるのではないかと思っております。

 それからもう一点は、出席停止を受けるような子供は、子供自身もまたさまざまな問題を抱えております。ですから、そういう子供たちを私は放置してはいけないと思います。出席停止をすることによって、お母様、保護者の方々と子供が抱えている問題を語り合う、あるいは教育委員会も入り、再度また登校できるような措置をする、さまざまな手当てをすることがその子供にとってもいいことであるというふうに私は考えております。

山元委員 今までも学校の中でそういう問題を起こす子についての指導が行われてきました。努力が行われてきました。けれども、この際、幾つかの分類をして登校を停止させる。

 私は、それは、その子供に対する懲罰的なもの、あるいは周りの子の教育を受ける権利を保障するためのものだけではいけない、その子が教育的に変わっていくという指導のあり方の一つとして、自信を持ってやらなきゃならぬというふうに思うんですが、大臣、文部科学省として、隔離するだけで、登校を停止するだけでそのことが解決する、それは一つの処置としてやむを得ぬのだという立場にお立ちなんではないでしょうね。

遠山国務大臣 そういう立場では全くございません。

 やはり今回の出席停止は、今答弁もありましたように、多くの子供たちが、たった一人ないし少数の児童生徒の行動によって授業が受けられない、そういうふうな状況をきちんと正常に戻すということが一点。と同時に、その問題行動を起こしている児童生徒にとっても、十分な配慮を学校なりあるいは教育委員会なりが行うことによって、みずからの行動について反省をし、そして本格的な、本来あるべき学校における学習活動に専念できるようにしていく、そういうことをねらいといたしておりまして、決して排除をするものではございません。

山元委員 そういう措置をとらなければならないということを論じられる子供というのは、さまざまな理由を持っている。自分も持っているし、家庭も持っているし、地域社会の大人たちも持っている。そういうさまざまな原因があって、そういう事態になっているわけです。ですから、そこのところを解きほぐして、その子を生き返らせることが大事なんです。

 そこで、先ほどの質問にもありましたけれども、そういうことをしようと思うと、あなたは一月間あるいは二十日間出席停止という措置だけでは、今大臣がおっしゃるように、だめなんですね。そうすると、人的支援、子供が学校に来れない、来る権利は奪うけれども、ちゃんと教育しますよということが大事なんだろうというふうに思うんですね、おまえは教育を受ける権利はこの二十日間はないよというのではなしに。

 そうすると、人的支援が必要なんですけれども、先ほど副大臣、人的には従来各県二名程度上乗せしてきた、こうおっしゃったんです。けたが違うのと違うかという、聞き違いじゃないかなと。各県二名ずつ上乗せをしてきて、そういう事態に陥ることを防いだり、あるいは、そうなった子に、昼、家に行っても子供だけしかいないかもしれない、親はいないかもしれない、どこに行っているかわからぬ。だから、そういう指導員というのは本当に朝駆け夜討ちをせないかぬのですよ。そういうような人的配置というのは、各学校あるいは自治体単位で置かなきゃならぬ。各県二名というのは聞き損ないかどうかわからぬですが、今までそういう人的支援というのはどうだったんですか、そしてこれからどうされるんですか。

岸田副大臣 先ほど申し上げましたのは、従来の生徒指導担当教員の加配に加えて、平成十三年度から各県二名の上乗せをするということでございます。ですから、平成十三年度から上乗せする部分だけを今二名と申し上げたわけでございます。

 第七次義務教育諸学校教職員定数改善計画におきましても、引き続きこうした措置を講じることによりまして、その人的な確保をしっかり行っていかなければいけない、そのように考えております。

山元委員 これは、大臣、自治体頑張れよと言うだけではだめですね。例えば私の地元でも、ことし、短時間の講師を配置したり、県担で努力をしていますよ、難しいところには。けれども、それを、自治体頑張れよと言うのではなしに、こういう事態が法的に定めなければならないような事態に入っていることを考えると、今副大臣がおっしゃった、ことし二名やったら、来年は十何人にする、あるいは三十人にするという努力を中央としてもしなきゃ、各地域での努力が大変だというふうに思いますから、これは御要請申し上げておきたいと思います。

 それから、その手続の問題ですけれども、各学校で起こって、校長が判断をしてやるのですけれども、校長の判断というのが非常に重いわけです、学校で、職員会議で、校長の最終決断で、あの子は出席停止処分にしようというのは。ですから、そこのところは、私は、地域の中にある学校として、地域に根差した学校として、教育委員会が積極的に責任を分担するような形で、そういう事態については、校長の権限というのではなしに、校長及び地教委が十分協議をして事態を解決しなさい、そういう指導が文部科学省として必要だというふうに思うのですが、大臣、いかがですか。

岸田副大臣 出席停止の措置は、国民の就学義務ともかかわる重要な措置であることにかんがみまして、市町村教育委員会の権限と責任において行われるものとされております。

 こうした責任、市町村教育委員会が適切に果たすことができるように、出席停止に至るまでの指導の過程において、まず、学校は、当該市町村教育委員会に対し、学校や児童生徒の状況を随時報告する等連絡体制を十分にとり、必要な措置や指導を受けながら対処しているところであり、また一方、市町村の教育委員会は、校長の判断を踏まえて、出席停止を含め、児童生徒の問題行動にどのように対応すべきか、適切に判断を行っているところでございます。

 今後とも、各市町村教育委員会におきまして、こうした学校との連携のもとに適切な運用がされることは大変重要だと思っておりますし、そのように指導していかなければいけないと考えております。

山元委員 この問題、最後ですが、校長が決して恣意的にやるということはないとは思いますけれども、先ほどから繰り返し言っていますように、教育的な措置とすれば、保護者の方としっかりと、こうしような、この子のためになということがないといけないと思うんですね。学校の一方的な判断というのはおかしいけれども、保護者との関係でいうと、一方的ではなしに、保護者の方と繰り返し十分協議をして措置をしなきゃならぬというふうに思うのです。その協議を、保護者と十分話しなさいよという指導を文部科学省としてしてほしいということが一つ。

 もう一つは、もしそれでなしに、保護者がどうしても、うちの子はこんな子ではないと言ったときには、不服申し立てができますということを明示しておく方が、私は、そういう恣意にわたらないし、そして教育委員会ときちっと協議をするということが担保されるだろうと思うのです。ですから、不服申し立ては受けますよということをきちっと明示をすべきだと思うのですが、その保護者との関係についてお尋ねします。

岸田副大臣 まず、事前に児童生徒あるいは保護者の意見を聞き、処分に慎重を期することが重要であるということ、そして実際に、一連の指導の過程を通じてその意向を把握し、措置について理解を得るための対応をとらなければいけないということ、先生のおっしゃるとおりだというふうに認識しております。

 その上で、不服申し立てができるかということでありますが、学校等において教育等の目的で児童生徒に対して行われる処分については、教育の性質にかんがみ、一般的な不服審査になじまないことから、出席停止に関しては行政不服審査法に基づく事後の不服申し立ての適用が除外されているところであります。

 これは、行政不服審査法におきましては、学校だけではなくして、講習所や研修所等においても、その目的を達するために講習生や研修生等において行われる処分はすべて適用除外とされており、これに該当する機関については、いずれにおいても事後に不服申し立てを可能とするような法的な仕組みは設けられておりません。ですから、行政不服審査法の体系から、不服審査の対象に学校の出席停止をするということ、これは困難だというふうに思っております。

 また一方、この出席停止の特質ということを考えましても、先ほど申しました、しっかりと事前に保護者の意見等も聞かなければいけない、この手続を事前に行う。そして、この出席停止そのものが期間的に、例えば三日とか四日とか、短いケースも考えられるわけであります。そうすると、救済できる時間的余裕がない、こういったことも考えられる。こうした特質を考えますと、事前手続によって対応するのがより適切だという判断に立っております。そういったことから、この不服申し立ての対象とすることは困難だというふうに考えておるところでございます。

山元委員 法的な、行政不服審査会へ申し立てるということは無理かもしれぬし、子供の将来にわたっての名誉にもかかわる問題だというふうにも思います。ですから、そういう不幸な事態が起こらないような、先ほど申し上げましたような保護者との協議というのは十分やって、この子のためにということが尽くされるように御指導いただきたいというふうに思います。

 あと七分しかありませんから、次に地教行法について少しだけ申し上げておきたいのですが、高等学校の通学区域の拡大の問題です。

 地方分権一括法の成立で、この学区のあり方については九九年に改正されたばかりですね。そして、今の都道府県教育委員会が学区を決めるということに何が問題なのか、その削除、改正は何を目的としているのかわからないのですが、この文部科学省のチラシを見たら、「規制緩和の一層の推進」、通学区域の設定を、こういうふうに書いてあるのですが、これは規制緩和ですか。地方分権と規制緩和のかかわりにおいて、文部科学省がどういうふうに判断をされたのか、九九年に改正をして、都道府県教育委員会が決めるというその条文を何の目的で削除されるのか、端的にわかるように教えてください。

岸田副大臣 平成十一年のいわゆる地方分権一括法においては、公立高等学校の通学区域の規定について改正をされております。その内容は、都道府県教育委員会が、市町村立高等学校を含め、都道府県内のすべての公立高等学校の通学区域の設定を行っていた制度を改めて、市町村教育委員会が設置者の立場でみずから市町村立の高等学校の通学区域を定めることとするとともに、その際には都道府県教育委員会と協議するとしたものであります。

 この点につきましては、平成十年の中央教育審議会の答申でも、「都道府県教育委員会による調整の必要性に配慮しつつ、高等学校を設置する市町村の主体的判断を尊重する観点から見直すこと。」とされておりまして、この答申を受けまして、地方分権の推進を図るために、都道府県、市町村の関係を見直す観点から行ったものであります。

 そして、その後、政府の規制改革委員会の方から、「通学区域の設定等を設置者である都道府県等の自主的な判断に委ねるべき」、こうした指摘がなされました。今回の改正は、この指摘を受けまして、さらに地方分権を進めるという観点から、規定そのものを削除し、通学区域の設定について、これを設置者の判断にゆだねることとしたものでございます。

山元委員 規制緩和やら地方分権やら、行ったり来たりしたら困るんですよ。実際に地域の学校をつくるという地方分権、これはパンフレットを出されたんですけれども、「私たちは議論を恐れません。」と、開き直って国民に提起しているような、このパンフが出たんです。今やらなければならない計画、七つの重点、二十一世紀教育新生プラン、これも文部科学省から出た資料。表紙に何が書いてあるか。「私たちは議論を恐れません。」開き直って国民に提起するようなパンフというのはいかがなものかと思うけれども、それはいいんですが、その中に、四番目に、「父母や地域に信頼される学校づくりを行います」これは地方分権の教育の推進だというふうに、そういうことで、「公立高校の通学区域を弾力的に設置できるようにします。」こう書いてある。弾力化が書いてある。それで、今度出てきた法案については、説明書きには、一層の規制緩和だと、こうだったりね。

 地方分権を確かに目指した教育をつくらなきゃならぬときに、規制緩和で、この条文で見ると、定めなければならないというのを全面削除してしまうんですから、この間聞いたら、決めなくてもいいんだ、隣の県から来ても、おれがいいというんだったらそれでいいんだとか、学校長が言ったら。そういうような乱暴な規制緩和をやって、地域分権の気持ちで、心構えで、学校をつくっていく、教育をつくり上げていくということにならぬというふうに私は思うんです。極めてあいまいな、ずさんな改革の仕方だというふうに思うんです。

 そこで、大臣、もう時間が来ましたから、この改正で懸念される、例えば今申し上げましたように、都道府県教育委員会が決めなきゃならぬというのを全面削除するんですが、例えば全県一区のように広げたり、より、むさんこに、これは関西弁ですが、無原則に学区を広げて、競争の激化だとかあるいは学校間の格差、一流校から十何流校まで、二十何流校までつくるような学校間格差をつくる、しようがない、そういうことを意図していらっしゃるのではないでしょうね。そこのところ、大臣の見解を。

遠山国務大臣 今回の改正は、そのように何かおっしゃっていただくようなことではなくて、五十条の規定がありますと、都道府県ないし市町村は複数の学区をつくらなくちゃいけないのですね、学区を定めろとあるものですから。それを、そういうふうにしなくても、一学区でもよろしいですよと。ですから、一学区にしたいところは一学区にすればいいし、複数にして細かくしたいところは、余りないとは思いますけれども、そういうところはそれぞれ定めればいいということなんでございます。

 ですから、そのことを通じて、それぞれの都道府県の教育委員会がその地域の実情に合わせて通学区域を定めるようにしてくださいということでございます。

山元委員 来ましたから終わりますけれども、大臣、それは違うですよ。前の法文で、教育委員会は高等学校の教育の普及及びその機会均等を図るために通学区域を定めると書いてあるわけですね。今大臣がおっしゃられた気持ちなんですよ。これは、大きいとか小さいとか、一学区でいくとか、そういうことを教育委員会が決めるとかになってあったのを、決めても決めなくてもいいんですよと。ここのところは全面削除だ。これは、教育委員会は実際困っていますよ。何が一番いいのかわからぬと。

 そして、これから、地方分権ですからそれはいいんですけれども、責任を持って、例えば全県一学区というような、あるいは無制限な、そういう受験競争やあるいは格差拡大につながっていくようなのはだめですよということをやはり専門の役所が指導する、あるいは研究する必要があるんだろうというふうに思うんです。そこのところはお願いをしておきたいといいますか、きちっとしていただきたい。隣の山越えて向こうの県から来てもいいんだというようなことに受け取られるような法改正であってはならぬというふうに、そうでないということだけは明確にして、よりよい地域分権の中での学校の育て方というのを都道府県教育委員会は責任を持つべし、こういう指導をしていただきたいと思うんですが、いかがですか、一言。

遠山国務大臣 今回の改正は、地方分権を一層進めるという観点に立ちまして、通学区域の設定については、地域の実情等を踏まえた各教育委員会の判断にゆだねるということをしたものでありまして、通学区域の廃止でありますとか、あるいは通学区域はどうあるべきかということを示す、そういう意図を持っているものではございません。

 そういうことでございますので、各都道府県の教育委員会が十分に判断されて適正な通学区域を定めるということをむしろサポートする、そういう削除の条文でございます。

山元委員 ありがとうございました。

 終わります。

高市委員長 この際、暫時休憩いたします。

    午後零時九分休憩

     ――――◇―――――

    午後一時五十二分開議

高市委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。

 質疑を続行いたします。肥田美代子君。

肥田委員 民主党の肥田美代子でございます。大臣、どうぞよろしくお願いいたします。

 大臣とは同世代に子供時代を送った、そういう年齢でございますし、ましてや子育てをした母親という経験も多分共通であると思います。どうぞ、親しく、よろしくお願いを申し上げます。

 国会で私は仕事をさせていただきまして十二年になります。その間、二十一世紀を子供の世紀にしたい、そういう思いで愚直にそのことを追求し続けてきましたけれども、今考えてみましても、やはり子供たちのことには大変大きな問題が山積している、そして、その山積みになっている問題について、解決がどうしても後回しにされていくという感想を私は実はこの十二年間の中で持っております。

 もっともっと、子供のことがさっさと解決され、そしていい方向に進めばいいなというふうに思っておりますけれども、多くの子供たちを抱えていらっしゃる省庁のトップであります大臣は、子供たちへ今どのようなメッセージを発せられるおつもりでしょうか、お尋ねいたします。

遠山国務大臣 私の方こそよろしくお願いをいたします。

 大変大きな問いかけをいただきまして、どういうふうに私の方からメッセージを出したらいいか、まだ余り考えもまとまりませんけれども、私は、子供というのはもう大変可能性を持っている存在だと思います。しかも、それぞれの子供たちが、またその可能性の中身も違っているんですね。そういう輝けるいろいろな価値を持っている子供たちが伸び伸びと伸びていくように、そういう社会であるというのが、恐らく、先生が二十一世紀は子供の世紀にとおっしゃった、そういうことではないかと思うんですね。

 しかし、子供は生まれながらにしてすべてを自分でコントロールできるわけでございませんので、やはり、幼いときには家庭なり保護者なりというのがしっかりとしつけるべきことはしつけながら、その子の特色をきちんと見てやって、そして十分な信頼関係をつくってくれる。その上に立って、学校においても、教師と子供たちとの間に本当の信頼関係を持った、そうした学習活動なりあるいはいろいろな活動なりをしてもらって、その中で、子供たちが自分で何か学んだり、自分で考えたり、自分で行動したりということに自信を持って取り組める、そういうふうな社会ないし学校、家庭にしていかなくてはならないと思うんですね。

 ですから、それぞれが豊かに宝を持って生まれてきているそういう子供たちが、本当にみずからの力をきちんと自覚し、そして自信を持つのと同時に、自分の隣の子供も同じような価値を持っているんだ、それが、同一の中身ではないけれども、違った分野であっても価値を持っているということで、きちんと思いやりを持つ。そして同時に、一人一人の子供たちが一つの社会を形成している大事な存在だということも認識してもらう。

 数え上げればいろいろございますけれども、今突然お尋ねをいただきまして、私は、そのような一人一人の子供の持つ可能性が伸びていく、そういうような状況というのを我々としても目指していくべきではないかと思っております。

肥田委員 どうもありがとうございます。子供たちが可能性いっぱいで、本当にヒマワリのような存在であるという今の大臣の御発言、ぜひたくさんの子供たちに伝えたいなというふうに思いながら聞かせていただきました。

 それでは、学校教育法の一部改正案に関連しまして質問させていただきたいと思います。

 今回の法改正で、奉仕体験活動の充実に努めることが盛り込まれておりますけれども、この奉仕活動は義務や強制ではないと再三にわたってお答えになっていらっしゃいます。この義務や強制でないということは、世論も大変強制ということに異論があったものですから、恐らくこういうふうに義務や強制ではないという御答弁になり、またそういう法律になっていると思います。

 ただ、これは、教育現場とか、それから都道府県、市町村の教育委員会にどのような方法で周知徹底していかれるのか。この法律ということじゃなくて、義務や強制ではありませんよということをどういうふうに周知徹底されるのかを伺いたいと思います。

高市委員長 肥田委員にお伺いいたします。

 事前に、すべて大臣にという御通告でしたが、副大臣答弁、よろしゅうございますか。

 岸田副大臣。

岸田副大臣 先生おっしゃるとおりに、これは義務づけるものではないわけであります。

 具体的にどのような形で徹底するのかという御質問でございますが、これは、法律が改正されましたならば、通知によりまして法改正の趣旨を徹底してまいる、こういった形で徹底していきたいというふうに思っております。

肥田委員 法改正の趣旨とおっしゃいましたが、私が今伺いましたのは、義務や強制でないということをどのように周知徹底されるのか。もう一度お答えください。

岸田副大臣 義務づけるものでないということ、そして、この奉仕活動というのは、発達段階とか自発性に配慮し、地域の事情等に応じて多様な形で行われることが大切だという趣旨を、通知を通して徹底していきたいというふうに思っております。

肥田委員 ちょっとしつこいようですが、義務や強制でないということを、その周知徹底していく文書にお書きになるんですか、書かないんですか。

岸田副大臣 通知の中に盛り込む内容は今申し上げたとおりでありますが、表現としてどのような表現をとるのか、これは検討してみたいと思います。

肥田委員 私がこだわりますのは、ここのところが一番大事なんですよね。恐らく、現場が義務なのか強制なのかと混乱するんですよ。だから、ここのところが問題だから恐らく皆様は強制になさらなかったわけですから、そこをもう少しはっきりなさらないと、本当に末端に行ったら混乱が生じますから伺っております。もう一度お願いします。

岸田副大臣 先生御指摘のように、混乱を生じないように、義務づけるものではないということがわかりやすい表現にしたいと思っております。

肥田委員 よろしくお願いします。

 それから、この法律を素直に読みますと、学校現場で奉仕活動の充実に努めないという自由も担保されておりますでしょうか。奉仕活動の充実に努めたくないという学校があったとしても、それは許されるという、そこまでは担保されておりますか。

岸田副大臣 理屈といたしましては、努力義務でありますから、そういったケースが法令違反になるということはないと思います。

肥田委員 法令違反でないということは、例えば、通達義務違反ということはあるわけですか。

遠山国務大臣 今回の奉仕活動、これは、制度の趣旨、もう御説明するまでもないと思いますけれども、先ほど申し上げた、一人一人の人間が輝くためには、社会の一員として守るべきルールでありますとか、あるいは社会のために自分も何か役立つということを実感してほしいというようなことから、今回、このように大がかりに法律も改正をし、そしていろいろな改革項目を総合的にプランに盛り込んだ中に重点として置いたわけでございます。

 したがいまして、義務でないことも確かですし、強制してやるようなことでないということも確かでございますが、私としては、本当に教育に携わる、そしていい教育をしたいという人たちが、それをやらないようにしようとか、あるいは法令、法律違反ではないからやめておこうとか、そういうことになるとは考えられないのでございます。

 したがいまして、ぎりぎり詰めていって、法律違反かとか通知違反かという御議論ももちろんあり得ると思いますけれども、私としては、今回の改正の趣旨をそれぞれのところで十分酌み取っていただいて、むしろ、最もいい方法で、このねらいとしている奉仕活動なりあるいは体験活動なりといったようなものが子供たちの実感として残るように、そういうふうにしていくのが学校の教育の現場ではないかと思っております。

肥田委員 私も、法律とか通知違反でありますか、ないですかということをぎりぎり詰めたくはないのですよ。ただ、現場で混乱が起きないようにだけはしたいと思うのです。ですから、先ほど、担保されますかというふうに伺いましたけれども、もし、どうしてもそういうことはしたくなくて、自然体験だけをしたいという学校があったとしたら、それは自由ですね。

岸田副大臣 それは学校のそれぞれの自主的な判断によるものだと考えます。

肥田委員 それでは次に、出席停止について伺いたいと思うのです。

 午前中も同僚議員が質問をされておりました。さらに念押しをしたいと思うのですけれども、子供に自己責任のとり方を学ばせるチャンスでないかと私は考えているわけです。ほかの子供を守るためにあなたは出席停止をするのですよ、そう言われたら、その子は、ああ、僕は見捨てられたのじゃないかというふうに、恐らく不安が先に立つと思うのですね。だから、私は、あなたは自分の学習する権利をみずから放棄して壊しちゃったんですよ、だからほかの子供の学習の妨げになっているんですという、そういうきちんとした説明をして、自己責任をきちっととらせる、そういう方向で再起を促していきたいとは思っておりますが、大臣、それは共通観念でよろしいですね。

遠山国務大臣 出席停止の趣旨は、午前中の議論にもございましたように、一つは、多くの子供たちが安全なあるいは平穏な環境のうちに内容ある学校教育活動を受けられるようにしていくということが一番の目的でございます。

 同時に、問題の子供、その一人ないし少数の人の存在によって学校の秩序が揺るいでしまう、ゆがんでしまう、そのようなことについて放置しておくというのは学校の現場のとるべき態度ではないということで、いろいろなプロセスを経た上でその子を出席停止にしていくということでございますから、その機会をちゃんととらえて、先生がおっしゃったような趣旨もそうですし、私としては、むしろ、心の中に善悪の判断基準というものをきっちり植えつける、自分の思うとおりにやっていいこともあるけれども、そうでないこともあるんですよということをきちんと身につけさせる、そういうチャンスにするのが今回の出席停止の趣旨ではないかと思います。

 ですから、ただその子を学校に来させないということで放置するのではなくて、そういうことをきちんと自覚させるためのいろいろな手だて、そういうものも同時に考えているというのが今回の制度だと思います。

肥田委員 大臣のこの御答弁の趣旨をぜひ徹底していただきたく思っております。

 それで、出席停止措置をとる場合でございますけれども、校長や担任教師の判断だけではなくて、また保護者に対する説明だけでもなく、被害を受けた子供、もちろんその本人の子供もそうですが、それから広くほかの先生方の意見も聞いて、慎重に結論が出せる仕組み、システムをつくってほしいなと思うのです。

 例えば、暴力を受けた教師が腹立ち紛れに場当たり的にするというようなことではなくて、きちっとしたシステムをつくってほしいなと思うのですけれども、いかがでございましょうか。

遠山国務大臣 一人の子供が、学校に来ていたのに来てはいけないという決定がされるわけでございますから、当然ながら、それは学校としてあるいは担任として、教師の中でも、そのことについて十分観察をし、そして何が原因であったかということもきちんと調べて、同時に、被害を受けた子供たちの実態についてもきちんと調べた上で、今回提示しようとしている幾つかの条件にきちんと合うかどうかというのが判断された上で、私は、今回の出席停止というのは用いられるべきだと思っております。

 したがって、何か恣意的に、あるいはたった一回のことでとか、そういうことではないと思います。むしろ問題としては、継続的にどのように努力をしても、その子供の存在によって学校の平穏が保てないというような場合ではないかと思います。

 私は、たまたま初等中等教育局の中学校課長をやっておりましたときに、あの校内暴力が一番盛んなときの担当課長でございました。校内暴力をいかにおさめるかということで、いろいろな手を尽くして、英知を結集して、いろいろな手を打ってやった最後に、それでも学校が、問題を起こす子供に十分に対応ができないときに一体どうしたらいいかということで、最終的に頭を悩ませて、この出席停止の問題について十分に検討し、そしてそのときに通知を出したのが、昭和五十八年の通知でございます。

 今回の改正は、その通知の内容を受けて、法文化できるものは法文化して、通知であるよりは、より明確に要件も定め、それから、出席停止になった人に対するその他の教育活動というのも考えながらやっていくということを明示することによって、この問題がより適正に運用されるようにということでの改正でございますので、私は、先生のそういう御懸念も当然かと思いますけれども、この制度の趣旨はそういうことでございますので、その趣旨をきちんと徹底していくというのが私どもの役目かと思っております。

肥田委員 この措置は、相当教育効果が上がるというふうに文部省の方々もお考えのようでございます。ですから、使い方によってはかなり劇薬にもなりますので、法律作成の意義はわかりましたけれども、実際これを行使するときのシステムが必要だということをぜひお考えいただきたいのですが、そういう具体的にシステムづくりをされるお考えはございますか。

遠山国務大臣 今回の改正案の中に盛り込まれておりますのは、五十八年に、これはかなりきちっと制度の趣旨とか、この制度自体は非常に古いのでございますね、制度の趣旨というのをきちんと解釈をし、分析をし、そして何を出すべきかということを明確にしていった、その通知でございますが、それを十分に踏まえた上で、今回の法律上の規定になっております。

 したがいまして、市町村教育委員会や学校が出席停止をより一層適正に運用し、出席停止にかかわる児童生徒の権利の保護が図られるようにするために、法律上、市町村教育委員会においては、あらかじめ保護者の意見を聴取すること、あるいはその理由、期間を付した文書を交付すること、同時に、これらの事項を含めて、教育委員会規則で必要な手続をきっちりと定めて、そして運用していただくということになっておりますので、そこのところは、教育委員会の規則の定め方ももちろんございますけれども、私としては、五十八年のあの通知で望んだことよりもさらにきっちりした形で運用されるということを期待しておりますし、そうなると考えております。

肥田委員 五十八年の通知には、本人の弁明についても明記されておりましたね。そういう理解でいいですね。

 それでは次に、当委員会に付託されました三法案の根拠になります教育改革国民会議の最終報告についてお尋ねしたいのですが、その前に、教育改革国民会議の第一回のごあいさつで、小渕元総理が、個人が輝き個人の力がみなぎる社会に転換するとお述べになったのですね。その後、森総理にかわられてからは、全くそれとは対照的に、奉仕の精神、道徳心を強調されております。

 お二人の元総理が、その是非は別として、教育理念をはっきりと示しておられますけれども、小泉内閣はどのような教育理念を挙げて教育改革をお進めになるつもりか、お答えいただきたいと思います。

遠山国務大臣 小泉内閣の教育理念は何ぞやということでございますが、実は、内閣の中で教育理念は何ぞやということについて論じたことはないわけでございます。ですから、本当にそういうことが言えるかどうかはあれでございますけれども、お尋ねでございますので、私自身がどのように内閣の一員として考え、それが内閣の方針になっているであろうと思われるところをお話し申し上げたいと思います。

 まず、小泉総理は、五月二十九日の衆議院本会議におきまして、幕末の陽明学者佐藤一斎の、少にして学べばすなわち壮にしてなすことあり、壮にして学べばすなわち老いて衰えず、老いて学べばすなわち死して朽ちずという言葉を引いて教育の重要性を示されました。

 また同時に、その前に所信表明の中で米百俵の逸話を引かれて、そして一番大事なのが教育だ、人づくりが日本の新しい世紀の基盤として大事だということを鮮明にされた上で今のお話があり、かつ、そのときに同時に、自分が楽しむのと同時に公のために尽くすことが大事だということで、公私相半ばできる人間を育成していくことが大事であるというふうにお話があったわけでございます。

 このような教育についての考え方というのは、新たな国づくりを担う人材の育成に向けて、人間性豊かで個性や創造性に富む日本人を育成していくというためには、非常に重要な要素が盛り込まれていると思っております。

 私としましては、やはり子供たち一人一人が日本人としての誇りと自信を持って生きていけるように、そのための真の力を子供たちに与えることを目指して教育改革を進めてまいりたいと思っております。

肥田委員 ありがとうございました。短い時間におまとめくださいましてありがとうございます。

 それで、この教育改革国民会議の報告を読ませていただきまして、実は愕然といたしました。この冒頭で、今なぜ教育改革かというくだりにこういうことが書いてあるのですね。子供はひ弱で欲望を抑え切れない、自分自身で考え創造する力や苦しみに耐える力はない、他人への思いやりもなければバランス感覚もない。これでもか、これでもかというふうに子供否定を強調していらっしゃるわけですね。

 これは子供の一面ではあります。私も否定はしません。しかし、これは全体像ではないと思うのですね。落ち込んだ子供たちをお互いに励まし合っている子供たちの姿を見ておりますし、これは、私たちの考える子供観とは随分遠いな、そういう方々がこの報告をつくられたとしたら、会議をされたとしたら、そしてこれがこの法律になったとしたら、これは大変なことだなというふうに実は正直思ったわけです。

 このように、子供に対する抜きがたい不信感、そういうものがありありと表記されているわけですから、だれが読んでもそうなんですが、このくだりをお読みになって、大臣はどういうふうに感じられましたでしょうか。率直な御感想をどうぞ。

遠山国務大臣 今の子供たちに目を向けますと、非常に明るく健康で活発で、そして、単に学習だけではなくて、学校の内外で文化活動、スポーツ活動に興じている、そういう子供たちもいるわけでして、そういう子供たちの活発な姿、あるいは生き生きとしている姿というのも現実であろうかと思います。

 しかし、そういう子供たちがほとんど、あるいはそういう子供たちだけであれば今回の大きな教育改革の波というのは必ずしも必要ではなかったのかもしれません、それをさらに助長していくという必要はあったかもしれませんけれども。しかしながら、今毎日のように起きているいろいろな事件、それらを分析いたしますと、これは本当に心が寒くなるようなことが相次いでいるわけでございますね。

 そのようなことから、私は、教育行政というのは、やはり問題があるところをどのように解決していくかというのも教育行政の非常に大きな課題でございまして、そこの部分に着目して、「子どもはひ弱で欲望を抑えられず、」ここの部分も、それはある側面といいますか、かなり影響力の大きい部分で見られるところでございまして、そういうことに対して一体何ができるかということから考えられたのが今日の教育改革についての改正法であり、二十一世紀教育新生プランであろうかと思います。

 ですから、いい面だけを強調するのも、そうではないと思います。しかし、そういういい面を持った子供たちがいるわけですから、できるだけ多くの子供が、あるいはすべての子供がそういうものを目指して伸び伸びと生きていってもらうようにするにはどうしたらいいか。

 そして、今の日本の国民の皆さんが教育改革をしっかりやってほしいといって大きな声になっている背景には、その問題になるような子供たちの存在の危うさと、それをそのまま放置することの問題を大きく認識しておられて、その声になっていると思います。

 そのようなことから、「ひ弱で欲望を抑えられず、」という表現は一面的ではないかという御趣旨というのももちろん当たりますけれども、しかしながら、何をしたいかというところにおいて、私としては、恐らく肥田先生と同じような考え方ではないかなと思うところでございます。

肥田委員 これを書いた本人じゃない大臣にそういう弁護をさせるのは大変酷だなと思いながら伺っておりました。

 それで、大臣がどこかの新聞で、「学校と私」というインタビュー記事を出しておられたのですが、その中で大臣が、私は内気だった、しかし高校時代に弁論大会に出た。あなたならできると大変褒められて私は育ってきて、大きく成長したというふうなことがあったと思います。

 私は、やはり子供たちはまず褒めること、それから信じることから始めなきゃいけないと思うのですね。ですから、今大臣がどれほどこの教育改革国民会議の報告を弁護されようと、これはもっともっと子供たちへの大きな信頼から始まらないと教育改革はできないというふうに私は思います。

 これ以上大臣に弁護を求めたくはないと思いますので。

 それで、このように教育改革、教育改革ということで、長年、臨教審それから中教審で、十五年間いろいろな答申が出てまいりました。しかし、今見回してみますと、子供たちの状況というのは、いじめがございますし、不登校それから暴力、いろいろな病巣がまだまだいえずにいるわけですね。

 その中で、どうしてここまで教育改革の実が上がらないのだろうと私は考えるわけです。恐らく大臣も歴代の大臣も、教育改革とおっしゃりながら、その辺の矛盾を背中で感じられていると思うわけですね。

 私は、教育の主人公、それは子供だと思うのですね。子供たちが一番教育のありようについては皮膚感覚で敏感に感じ取るいろいろなものがあると思いますので、ぜひ御提案申し上げたいのは、国会では、過去二回子ども国会も開かれておりますが、子供たちの意見を十分に聞かれる、そういうシステムを教育改革の中につくり上げていただきたいこと。

 それからもう一つ。文部省がこうこうこうしましょうという改革案を出されて、それを地域に持っておりられて、さあどうぞと押し出される、その後で現場で創意工夫をお任せしますと言われても、現場は困ってしまうわけですね。学校の個性化、画一的な教育を打破するためにはあなた方が頑張らなければとおっしゃっても、文部省がつくってしまったその枠の中でしかどういう発想もできないわけですから、これはやはり変革のエネルギー、地域のエネルギーをそいでいるということになっていると私は思うのです。

 ですから、現場の工夫、創意をもっともっと引き出すために、やはり住民参加の教育改革市民会議のようなものをつくって、そこでそれぞれ地域で立案させて、むしろ中央教育審議会が全国的な視野から調整するという、逆の方向をとられたらどうかというふうに提案したいのですが、大臣、どうお考えになりますか。

遠山国務大臣 子供たちの意見を聞くということに焦点を当てられた御提案でございますが、教育改革を着実に進めていくためには、確かに教育改革について国民の御意見を伺って、また御理解あるいは協力を求めていくことが大切であるということはおっしゃるとおりだと思います。

 私どももできるだけ子供たちの意見を聞くということにも意を用いておりまして、毎年夏に実施しております子ども霞が関見学デーというのもございますが、そういう場所等において子供たちから直接意見を聞く、あるいはさまざまな機会を通して子供たちの意見を聞いてまいっておりますが、今後ともそれは続けていきたいと思います。当然ながら、インターネット上におけるいろいろな意見も私どもは参考にしながら施策を進めているところでございます。

 同時に、地域におきましても、地域住民の方の意見を聞きながらそれぞれの地域の具体的な教育施策を進めていただくというのは当然だと思っております。

 ただ、子供たちの意見だけを聞いてすべての施策を考えるというのは、いささか、これは、子供たちというのはやはり教え導かれて、みずからを磨きながら成長していく存在でありますので、その意見というのは尊重される必要はありますけれども、それはどれをとるか、あるいは全体として何が重要かということを判断するときの参考にはできますけれども、それを下から積み上げていって、調整だけでということではないのではないかと思っております。それよりは、むしろ、何のためにどういう改革をしようとしているか、その内容自体の検討というのが非常に大事ではないかと考えます。

肥田委員 質問は終わりになるのですが、ちょっと今大臣の方で誤解がありましたので。地域教育改革市民会議というのは子供だけではなくて大人の会議です。

 終わります。

高市委員長 西博義君。

西委員 公明党の西博義でございます。

 本来の教育関連三法案の審議が進んでおりますが、その前に若干、二点ほど奨学金の問題に関して御質問申し上げたいと思います。

 去る五月二十一日、参議院の予算委員会で、塩川財務大臣が奨学金制度について答弁をなさっておられます。内容は、「無償のそういう奨学資金が、無償返済の奨学資金が、そういうようなものができたらいいんじゃないかなと思うておりまして、」関西弁でございますね。「小泉内閣の一つの目玉にこれ考えてみたいなと思うたりしております。」と、給与方式の奨学金の創設について答弁されておられます。

 私ども、これまで日本育英会の奨学金制度の充実に向けて努力をしてまいりましたが、さらに、塩川大臣がおっしゃる給与方式の奨学金創設というのは一つの大きな課題だと思っておりました。そのためにもまた力を尽くしていきたいと思っているのですが、無償還の奨学金の創設のことにつきまして、文部科学大臣のお考えをお伺いしたいと思います。

 続いて、返還の必要のない給与方式の奨学金の創設に当たりまして若干申し上げたいのですが、これまでの奨学金制度、これは優秀で経済的に困難な学生生徒に学資を与える、こういう目的でしたが、給与方式の奨学金によって行うということにこの内容を変えればいいのではないか、こう考えます。そして、これまでの貸与の方式の奨学金については、経済的に困難な学生生徒に対して支援をしていく、こういうふうに目的を立て分けたらいいのではないか、こうこの議論のついでに御提案を申し上げたいと思いますが、あわせて文部大臣の御答弁をお願いしたいと思います。

遠山国務大臣 五月二十一日の衆議院予算委員会におきます塩川財務大臣……(西委員「参議院の予算委員会」と呼ぶ)失礼いたしました。参議院予算委員会における塩川財務大臣の御発言は、私としても大変心強いお言葉であると認識しております。

 今後どのようにその方向、心強いお言葉でどのように対応していくかということがこれからの課題でございますけれども、既に大学院では、無利子奨学金につきまして、教育研究職についた場合に返還を免除する制度がありますし、これは実質上の給費制度になっております。また、若手研究者養成のため、日本学術振興会により、すぐれた博士課程の学生には特別研究員制度が実施されているというようなことで、有為な人材確保のための支援を行ってきております。このような背景も踏まえながら、給費制の問題も含めて、厳しい財政状況の中でどのようなことが可能なのか、来年度の概算要求の取りまとめに当たって、いろいろ検討してまいりたいと思います。

 そしてもう一つの、これまでの貸与方式の奨学金について、経済的に困難な学生生徒を支援するという目的とすべきではないかという御提案でございます。

 これまでの長い、昭和十八年以来の歴史で、日本育英会の奨学金は、人材の育成と教育の機会均等を目的としてきましたので、学業成績がすぐれていることと、それから経済的な理由によって修学が困難であることの二つを要件としてまいったところでございますが、御指摘のような成績要件の廃止につきましては、私としましても、これまでの国会審議等を通じて、要望が強いことは十分認識しております。

 ただ、そのことについてですが、育英奨学事業の目的、あるいは、有利子といえども、在学中の負担軽減等のため一般会計予算が使われていることもありまして、限られた資金の中で事業を実施していることを考えますと、直ちに、直ちに成績要件をすべて廃止するということはなかなか難しいと言わざるを得ないということを御理解いただきたいと存じます。

西委員 続いてもう一点だけお伺いしたいのですが、奨学金の制度の拡充のことでございます。

 これも、財布を握っていらっしゃるといいますか、塩川財務大臣のお言葉なのですが、現行の奨学金はどうですかということに対して、「もう少し貸し出ししてもいいんじゃないかなという感じ。」という御答弁があったようにお伺いしております。

 最近の厳しい財政事情も反映して、奨学金の希望者が急増しております。今年度も多くの方々がまだ採用漏れという事態にもなっておりますが、ある調査によると、昨年度、私立学校で経済的な理由から、学費が払えずに退学した生徒が、一校平均一・二七人であったという調査結果がございます。

 文部科学省では、ここ数年、何人の高校生が経済的理由で退学を余儀なくされたか、実態を掌握しておられたら報告をいただきたいと思います。

 有利子奨学金きぼう21プランでは、勉学の意欲がある者というふうにして、成績要件を大幅に緩和しております。しかし、このきぼう21プランの対象は大学生、専修学校生に限られておりまして、この事実上高校全入時代にあって、奨学金制度は、経済的理由による就学困難という問題の解消には高校レベルではなっておりません。

 経済的に厳しい人たちや地域に、一刻も早く貸与するために、来年度には無利子奨学金を中心に採用枠の拡大を図る、それから入学金のための貸与制度をつくっていただく、高校進学者への有利子奨学金制度を導入する、また海外で学ぶ日本人留学生へ奨学金を提供するなど、現行の奨学金制度の拡充にも努めていくべきではないかと思いますが、これもあわせて御答弁をお願いしたいと思います。

矢野政府参考人 まず、私からは中退者の数だけ御報告申し上げます。

 高等学校の中途退学者数の状況調査では、経済的理由により中途退学した私立高校生の数、これを過去五年間で見ますと、平成七年度千二百二十三人、平成八年度千四百八十一人、平成九年度千六百三十三人、平成十年度千九百七十七人、そして平成十一年度二千三十人となっているところでございまして、中退者数に占めます割合を平成十一年度で見てみますと五・六%、そういう状況になってございます。

岸田副大臣 先生から御指摘がありました奨学金制度の拡充の問題ですが、まず、基本的に、限られた財源の中でどのような充実策を講じるべきなのか、こうした検討の観点というのは大変重要だと思っております。

 充実に最大限努めていきたいという姿勢でおりますが、今先生の方から御指摘がありました、高校進学者への有利子奨学金の話、あるいは入学金のための貸与制度創設の話、また海外で学ぶ日本人留学生への奨学金の話、この諸点につきましては、例えば高校進学者への有利子奨学金制度の導入につきましては、高校生を対象とする場合、全部の高校生を対象にするということになりますと巨額の財政負担が予想されること、あるいは日本育英会の高校奨学金は都道府県事業に移行する方向が平成七年二月の閣議決定で示されていること、あるいは特殊法人改革の議論が今も進んでいるわけですが、この中でも高校奨学金の都道府県移管が論点となっていること、このあたりの論点を踏まえて、何ができるのか考えていかなければいけないと思っております。

 また、入学金のための貸与制度創設につきましては、公的機関では国民生活金融公庫の、いわゆる国の教育ローンが既に整備されているほか、広く民間金融機関においても実施されているところでありまして、こうした制度との兼ね合いも考えなければいけないと思っております。

 また、海外で学ぶ日本人留学生の奨学金につきましては、まずはアジア諸国等派遣留学生制度、あるいは短期留学推進制度、これをまず充実した上で、さらにどこまで充実していくのか、こういった視点で考えるべき問題だというふうに思っております。

 しかし、いずれにしましても最大限充実に努力しなければいけない、この姿勢は間違いないところだと考えております。

西委員 ありがとうございました。充実のために、私どもも私どもの立場で頑張っていきたいと思っております。

 時間が二十分しかありませんので、本題に行きたいと思います。

 先ほどからも議論がありましたけれども、出席停止について、若干の質問を申し上げたいと思います。

 出席停止に関しては、先ほどからもお話がありますように、法律上、市町村の教育委員会が命ずるということにされておりますけれども、現在は、緊急の必要がある場合などには校長が命じているという例が見られます。しかし今回、出席停止の手続を明確化し、そして緊急の場合でも、保護者からの意見聴取、それから文書の交付等、慎重な手続を踏むことによって初めて出席停止、こういうふうになるということがはっきりしましたので、今後、緊急の必要がある場合でも校長が命じることは認めるべきではない、つまり教育委員会が出席停止をするというふうに私は考えておりますが、その御見解をお願いしたいと思います。

岸田副大臣 出席停止の措置は市町村教育委員会の権限と責任において行われるものとされておりますが、今回の法改正によりましてその事前手続について規定を整備して、一層適切な運営を期するということになっております。

 今先生から御指摘がありましたように、出席停止を緊急に命ずる必要がある場合に、校長がこれを命ずる事例があったことは承知しております。しかし、今後は、この法改正によりまして、緊急の場合であっても保護者からの意見聴取や文書交付を行うこととなり、適切かつ慎重な手続を踏むとしたところでございます。ですから、緊急の必要があるような場合であっても、校長が出席停止を命ずるのではなくして、市町村教育委員会が命ずることが望ましいと考えております。

西委員 今後また、具体的な通達等でそういうことは文書で各都道府県を通じてお話があると思いますが、今の意向も十分勘案して、よろしくお願いをしたいと思います。

 次に、これも若干議論がありましたが、出席停止に至るまで、また出席停止が終わった後も若干そうだと思うのですが、その問題の児童生徒のサポートをどうするかという課題でございます。

 私たちは、今回の学校教育法一部改正案の提出に当たって、去る三月七日にこの問題に対する基本的な考え方を示すとともに、問題行動を起こす児童生徒への具体的対応策、また出席停止措置の手続に関する緊急提言を行い、また文部科学省とも協議もさせていただきました。

 繰り返しになりますけれども、我が党の出席停止問題に関する基本的な考え方は、まず何よりも、学校が一人一人の児童生徒に対してできる限り事前の予防的な指導を徹底していただく、そして出席停止措置を講ずる事態にならないように最大限の努力をすることがまず重要だということでございます。そして、第一に取り組むべきことは、暴力、いじめ、授業妨害などの問題行動を起こす児童生徒への対応に懸命に取り組んでいる学校に対してどういう支援策が講じられるか、ここを提言させていただきました。この提言に沿って、先日も本会議で文部科学大臣から、地域サポート体制の推進に積極的に取り組むという答弁をちょうだいいたしました。

 そこで、市町村もしくは中学校単位ごとに、教育委員会、それから児童相談所、警察署、保護司の方、PTAの皆さん、保健所、自治会、いろいろなところが考えられるわけですが、関連のそれぞれの機関で構成する地域サポート体制をいつまでに整えようとされているのか。具体的な目標を定めてこれから取り組んでいくべきだ、この法の成立と同時にやはりそういうことが大事だ、こう思っております。具体的な目標を定めるつもりかどうか、また具体的な目標についてもしございましたら、御答弁をお願いしたいと思います。

岸田副大臣 文部科学省におきましても、サポートチームを組織して指導援助に当たることは大切だと認識しております。

 具体的にどんなスケジュールでという御質問でございますが、平成十三年度は、サポートチームを初め、問題行動を起こす児童生徒に対する地域における支援体制のあり方について、その実態や課題の分析などの理論的、実験的な調査研究を行うということになっております。そして平成十四年度に、学校、教育委員会、児童相談所、警察等の関係者から成るサポートチームの取り組みが多くの市町村で行われていくように、具体的に、サポートチームづくりを含めその地域における支援システムづくりについて、支援事業の実施を検討していきたいと思っております。

西委員 もう三分ほどですか、あと一点だけ御質問申し上げます。

 今回の出席停止のポイントは、先ほども言いましたように、問題行動を起こす児童生徒に対してどう指導するか、こういう観点からでございますが、これまでも児童生徒の問題行動に対処するためさまざまな施策を行ってこられたことは、先ほどの大臣の、昭和五十八年までの御自身の経験からもお伺いいたしました。

 岡山大学の石田美清教授の研究によると、児童生徒に関する施策は、資料の配付、教員研修といった間接的なそういう対応から、最近では、適応指導教室を開いたり教育相談の担当者の配置をしたりという、より直接的な、具体的な施策に変わってきているというふうな評価をしているようでございます。

 これまで行ってきた児童生徒に対する施策について、文部科学省は今どのような問題認識をお持ちなのか、またその効果を発揮させるために今後どう改善すべきなのかというお考えがありましたら、お伺いしたいと思います。

岸田副大臣 児童生徒の問題行動につきまして、従来も、例えば、わかりやすい授業を行いその子供たちに達成感を味わわせる楽しい学校を実現するとか、あるいは規範意識の徹底、それから心の教育の充実、生徒指導に関する研修の実施によって教員の指導力向上とか、あるいはスクールカウンセラーや教育相談体制の充実、さらには不登校の児童生徒の学校復帰を支援する適応指導教室の整備、こういった措置を講じてきたところでありますが、やはり今日、こうした児童生徒の悩みや不安を受けとめること、こういったことがますます重要だと考えております。

 ですから、今後は、学校の教職員だけではなくして、外部の専門家などの協力を得ながらこうした対応を考えていかなければいけないとか、あるいは、早期からの心のサインを見逃さないためにも、学校、家庭、関係機関等が地域ネットワークを組んで共同して対応することが大切だというふうに認識しております。

 今後とも、スクールカウンセラー等の人員の配置の充実を図るとともに、先ほどもありましたサポートチームづくりを積極的に支援する、こういったあたりに力点を置きながら、今申し上げましたような中身を充実していきたいと考えております。

西委員 時間ですので終わりたいと思うのですが、地域が支える学校づくりという大きなテーマを掲げて、私どもも今政策づくりをやっているところでございます。文部科学省としても全力で頑張っていただけるようにお願い申し上げまして、質問を終わります。

 ありがとうございました。

高市委員長 都築譲君。

都築委員 御苦労さまです。前回に引き続いてまた、今回の教育関連三法について質問していきたいと思います。

 今回の改正案の論点は、社会奉仕や自然体験活動、それから出席停止、飛び級、教育委員会の活性化、あるいはまた不適切教員に対する対応、高校の通学区域など、さまざまございます。本当に一人でも子供たちが救える、あるいはまた社会全体がよくなる、そういう政策だったらどんどんやっていくべきだろう、こんなふうに私は思っておりますが、ただ、今までの自分の職業的な経験から、どうも、ああでもないこうでもないと言って、実は足を引っ張ったり、ネガティブな問題を指摘したりしてしまう癖もありますので、そうならないように努めていきたい、こう思っております。

 まず、各論に入る前に、実は私は、前回に引き続いて総論をもう一度繰り返しやってみたい、こんなふうに思っております。

 文部科学省が発表されました二十一世紀教育新生プランがございます。教育改革国民会議の提言を踏まえて、「人間性豊かな日本人を育成する」とか「一人ひとりの才能を伸ばし、創造性に富む人間を育成する」とか、そういう項目ごとに具体的な政策課題、そしてまたその施策及びタイムスケジュールを整理されたものでございます。その中では、今回国会に法案が出ている政策内容もございますし、また平成十三年度の予算案で既に措置をした、こういったものもございます。しかし、それ以外の項目が幾つかあるわけでありまして、むしろ私は、そこの中にこそ本当に重要な点が、施策が隠されているのではないか、そんなふうに思うものでございまして、その点について幾つかお聞きをしていきたいと思うのであります。

 まず、恐縮ですがその前に、今こうして国会で審議が始まっておりますが、教育改革国民会議は、昨年のたしか三月に設置をされまして、そして昨年の十二月に報告をまとめたわけでございます。一年近い時間をかけて、関係各層さまざまな国民会議の委員の先生方、そしてまた、さまざまな団体やあるいはグループからの意見表明、そういったものも求めて議論をしてきたわけでありまして、今回の教育改革三法案、これはそういった国民会議の議論を踏まえて、結晶というか上澄みとして国会に出てきているのかな、そんな思いもいたします。

 ただ、その上澄みを議論するにいたしましても、この国会でも、教育改革国民会議と同じように十分な時間をかけ、またいろいろな意見を聞く機会を設けて審議をしていくべきではないのかな、それが本当に国民の皆さんの期待する教育改革といったものにこたえることになるのではないか、そんな思いがするわけでございまして、大臣がどうお考えになっておられるか、まずお伺いしたいと思います。

遠山国務大臣 法案審議の具体的な進め方につきましては、国会でお決めいただく事柄でありまして、特に意見を申し上げる立場にはございませんけれども、現在御審議をいただいております教育改革三法案は、学校がよくなる、教育が変わるということを目指した教育改革をできるだけ早急に実現したいということで、これは多くの国民の声だと思いますが、そのために不可欠な法案でございます。私は、その成立を心より念願しておりまして、よろしくお願いを申し上げたいと思います。

都築委員 ぜひ、本当に十分な時間をかけて議論するということで、委員長を初め委員会の理事の皆さんにもお願いを申し上げたい。余分なことかもしれませんが、一言つけ加えさせていただきます。

 では、各論に入る前の総論部分として、二十一世紀教育新生プランの中で私が気づきました幾つかの項目、それぞれお取り組みがどんな状況になっているのか、それについてお伺いをしていきたいと思います。

 まず最初に、「人間性豊かな日本人を育成する」ということで「教育の原点は家庭であることを自覚する」という大項目がございます。この、教育の原点は家庭だ、こういう話について、例えば「家庭教育支援のための機能の充実」ということで、今回、社会教育法の改正が上がってきております。それから、「各家庭における「しつけ三原則」の作成」ということで、これは平成十三年度予算案で家庭教育手帳あるいは家庭教育ノートの作成、配付だ、こういう形で行われておりますが、次の項目として、例えば「教育休暇制度の導入」、こういったものが提言をされております。そして、タイムスケジュールとしては「経済団体等への働きかけ」、こういうふうになっております。

 私も、本当に教育の原点は家庭である、こういう思いで実は考えて、いろいろな施策を講じていかなければいけない、こんなふうに思う一人でございますが、今のところ、この「経済団体等への働きかけ」、こういったものはどんな状況になっているのか、そこら辺のところをお聞かせいただけますでしょうか。

岸田副大臣 教育休暇制度導入の促進に向けて、経済団体への働きかけがどうなっているかという御質問でございますが、具体的には、本年三月に、経済団体連合会、経済同友会、日本青年会議所等の経済団体との教育改革に関する懇談会等の場におきまして、我が省より教育休暇制度の積極的な導入について要請をしたところであります。

 こうした機会を皮切りに、これからも積極的に働きかけていきたいと考えております。

都築委員 ちょっと応用問題になって恐縮ですが、教育休暇制度といったものは、教育現場がお休みになるような時期に、会社を休んで、お父さん、お母さん、子供と一緒に休暇をとったらどうか、こういう内容でよろしいんですか。

 それからもう一つは、経済団体にそういう大きな場で要請をされておられるということですが、要請をするだけで今の経済界の皆さん方が動いていくとお思いになられますか。そしてまた、経済界の皆さん方は、教育現場からの要請に対して、本当に大変な問題だ、そういう認識で受けとめておられるのかどうか。そこら辺のところはいかがでしょうか。

遠山国務大臣 教育休暇制度というのが実際どういう中身かということでそんなにブレークダウンした議論があったかどうか、私は承知していないのでございますけれども、私自体の認識では、親がPTAや学校、地域の教育活動に積極的に参加していくということも非常に大事ではないかと思います。そういうふうな積極的な参加の機会に、企業も、年次有給休暇とは別に教育休暇制度を導入するということが大事ではなかろうかと思っております。夏休みなどに一緒に、それも講習会に一緒に出るとか、そういうことであれば、私は教育休暇制度の目的にも合致すると思います。

 ただ、きっちりと、こういうことが教育休暇制度に当たるから、したがってそれをというような要請までは行っておりませんが、私はそういうことではないかと思います。

 それから、経済団体の理解の程度はどうだということでありますけれども、私は、今の経済団体あるいは企業関係者の教育に対する理解度といいますか、あるいはもっとよくしてほしいという意欲の点かもしれませんけれども、これは大変深いものがあるというふうに、いろいろな場面で実感をいたしております。

 私も企業の方々とお会いする機会が多いのでございますが、とにかくよく、頑張ってくれという言葉を通じて今の学校教育というのをもっとよくしてほしいということの理解が深まっておりまして、教育休暇制度についても、その一連のものとして、一連の大事なことであるということで理解は得られやすいのではないかと思っております。

 それと、企業の関係者の中でも、実際にそれぞれの学校に足を運んで、いかに日本の学校が、社会で起きていること、企業でどんなことをやっているかということについて知らないかというようなことを実感として持っておられる方もおられまして、企業の方が日本の学校について、今このままでは日本の将来が危ないということで、非常に危機感を持っておられるということも現実でございます。

 それらを総合的に考えますと、教育休暇制度だけではなくて、今回進めようとしているいろいろな問題について、経済団体なり企業人たちの理解というのは深めていただかなくてはならないし、そういうことについての認識も高まりつつあるというふうに考えます。

都築委員 大臣の御説明、企業のあるいは経済界の皆さん方の理解は深まっているということですが、私は正直申し上げて、大変失礼な言い方になるかもしれませんが、総論賛成、各論反対というのが日本の一つの風潮として、大変嘆かわしいことだとは思いますが、それは現実であります。

 例えば、労働基準法というのが戦後制定をされて、たしか労働基準法の七条だったと思いますが、公民権の行使ということで、国民が公民としての行使、例えば選挙権の行使とかさまざまなそういった役割を果たすときは、企業は十分な時間的な配慮をせよ、こういうふうな規定がたしかあったと記憶をいたしておりますが、それだって、本当に十分やれるのか。

 結局、戦後の本当に大変な苦しい時期に経済活動優先、働くこと優先、そういった風潮、それはわかるわけでありますが、そういったものがないがしろにされてきたのが今日の状況ではなかったかということを考えますと、総論として確かに、大変だ大変だ、経済界の皆さん方も、特に教育改革国民会議の中に入っていろいろな活発な発言をされた方々もたくさんおられるわけでありまして、そういった方たちの御意見も本当に聞かなきゃいけないけれども、では、こういう教育休暇制度を導入するからあなたの会社でやってくださいと言ったときに、では、就業規則を変更して、本人からの申請があったら直ちにその休暇を認めますというところまでいくようにする努力を続けていくことが何よりも大事であって、ただ経済団体にこうやって会合を、集まって働きかけました、要請をいたしました、私は、それで済むことのないようにぜひお願いを申し上げておきたい、こんなふうに思います。

 それでは、次のテーマは、今度は幼稚園と保育所における教育的機能の充実ということでございます。これも、文部科学省、厚生労働省間で協力しつつ推進をしていく、こういうことでございます。

 今、聞くところによりますと、幼稚園の箇所数と保育園の箇所数、ほぼ似たような状況になってきているのかな、こんな状況があろうと思いますが、もともと、幼稚園という初等教育前の、就学前の教育を担当する部分と、お父さん、お母さんが仕事に出てその間だれも子供を構ってやれないから保育をする、そういうことで保育所というのが設けられてまいりましたが、だんだん核家族化が進んで、そしてまた女性の社会参加、労働力参加、こういったものが進展をする中で、保育所が非常にふえてまいりました。

 ただ、私が最近地元の方でも気づく問題は、保育所がもうほとんど幼稚園と代替をするような状況に地域によってはなってきておりまして、有権者の皆さんからの要望というのは、毎年毎年、保育所に自分の孫を入れるために、息子も女房も仕事に出ていて、そしておじいちゃん、おばあちゃんも忙しくて子供を構う人がだれもいない、そういううその証明を役場に出さないといけないんだ、こんなのをなくしてくれないか、こういう発想です。そうすると、ちゃんと見守るお母さんもいる、おじいちゃん、おばあちゃんもいるけれども、保育所にとにかく入れるしかないんだ、こういう形になっているということは、それはもう保育所じゃなくて幼稚園の機能を果たしていることになるのじゃないか。

 保育所の方には、それなりの資格を持った保母さんという方がいるかもしれませんけれども、では、本当に就学前のそういったしつけといったもの、あるいはまた幼児の発達段階に応じた心理的な兆候とか、そういったものをとらえて適切な指導が与えられる訓練とか教育を受けているかというと、どうもそうではないんじゃないのかなというふうな気もいたします。

 三つ子の魂百までもではありませんけれども、三歳の幼児が野放しにされることによって、オオカミ少年みたいなのがいずれ十五歳、十六歳になると出てくるということはあるだろうというふうに思うわけでありまして、だからこそ本当に、幼児教育、ここら辺のところをしっかりとやるために、今これからどういうふうに協力してその中身を充実させていくのか。

 私は後でまた議論をいたしたいと思いますけれども、今回の社会奉仕体験活動、さまざまな予算や人員が予定されておるようでありますけれども、むしろこういった面に重点的に配分していくということの方がより重要ではないかという考え方を基本的に持っておりますので、それは後ほどまたお伺いをいたしたいと思いますが、ちょっとそこら辺の、幼稚園、保育所の連携についてどう進めていかれるのか、お伺いをしたいと思います。

岸田副大臣 幼稚園と保育所、異なる目的、役割を持つ施設であり、それぞれの制度の中で整備充実に努められてきているわけですが、両施設とも就学前の幼児を対象にしているということから、類似した機能を求められる面があるのも事実であり、文部科学省としましても厚生労働省と、両施設の連携を強化するよう努力をしているところでございます。

 そして、今先生の方から問題点の指摘がございましたが、そういった問題点に対応するために、この連携の具体的な中身といたしまして、施設の共用化の促進ですとか、教育内容そして保育内容の整合性を確保するというようなこと、あるいは幼稚園教諭と保育士の合同研修を行うというようなこと、さらには子育て支援事業の連携実施など、取り組みとして行っているところでございます。

 こうした具体的な取り組みに加えまして、今後とも両省の連携を一層緊密にして、具体的にこの現実の社会の中でいろいろ問題になっている点にしっかりと取り組んでいきたいと考えております。

都築委員 今の、施設の共用とか研修の合同化、あるいはまたその整合性の確保、さまざまな取り組みでございますが、それは現実に、例えば一万八千ぐらいそれぞれある施設の中で本当にそういう取り組みが行われて、全部同じようにやる、そんなことはそれこそ全体主義になってしまいますから、そんな必要はありませんが、本当に基本的な認識を持ってやっていくことになっているのかどうか、そこら辺のところはいかがですか。副大臣で結構です。

岸田副大臣 今ちょっと資料を出してまいりましたが、幼稚園、保育所の施設の共用化でありますが、合築、併設、同一敷地内での共用、こういったものを合わせまして百六十一例がその実績として上がっております。

 それから、教育内容、保育内容の整合性の確保というようなことにつきましては、幼稚園教育要領の改善に関する調査研究協力者会合とか、あるいは保育所保育指針検討委員会、こういった会合を積み重ねております。

 あるいは、幼稚園教諭と保育士の合同研修ということにつきましては、都道府県説明会としまして、全国計で三万四千五百八十四人の参加が実績として上がっております。

 それから、子育て支援事業の連携実施につきましても、事業の推進連絡会に保育所長、県福祉担当職員の参加や、幼稚園と保育所の合同による子育て相談会の実施などの子育て支援に係る事業の連携、こういったものを実施している等、それぞれで実績を上げておりますが、より一層このあたりも充実していかなければいけないと考えております。

都築委員 まだまだ細々とした数字のようにしか聞こえないのですが、ぜひ、そういった取り組みを本当に進めていってもらいたいと思います。

 私自身は正直申し上げて、幼児体験の時期から、実は大人がうそをついて自分を保育所に入れてくれるんだ、こういう話はまあ気がつくわけはないですけれども、そういったこと自体が、建前と本音を使い分ける今の世の中が本当にどうなのか、こういう問題をはらんでいると思うのです。大人が平然とうそをついて、判こをついて役場に届けて、それで自分が保育所に入るなんということが本当にあっていいのか。単純に言ってしまうと、ここは文部科学委員会ですから、どちらかというと、全部幼稚園にしてしまえばいいじゃないか、こういう議論だってあるのかもしれません、厚生労働委員会に行ったら全部保育所にしろ、こういう話になっていってしまうのかもしれませんが。そこら辺のところは本当に、建前と本音がずれないような取り組みをぜひお願いしたい、こんなふうに思っております。

 それから次の点は、教育の日の制定などによる、地域における教育への取り組みの推進ということでございます。

 この教育の日というのは、我が党は道徳の日ということを主張しておりまして、家族あるいはまた地域で土曜日を、子供を含めて一緒に取り組んで、体験から社会の規範、道徳的なものを学んでいこう、こういう取り組みをしてはどうか、こういうことでございます。先般の本会議代表質問でも、我が党の樋高議員から質問をさせていただきましたが、一律なものはまずいのではないか、こういう御答弁であったと思います。

 もう一度、この教育の日について、具体的にどんなことをお考えになって、そしてまた、この制定への取り組みについてどうされようとしておられるのか、そこら辺について見解を伺いたいと思います。

岸田副大臣 教育改革国民会議で提案されました教育の日の制定は、地域における教育への関心と支援を高めるための取り組みであると理解しております。そして一方、自由党が御提案の道徳の日は、家庭や道徳や集団生活のルールを学ぶ日であるというふうに理解しております。

 まず、教育の日の制定につきましては、国で一律に定めるのではなくして、地域の事情に応じて、地方公共団体において取り組みが行われることが適当であると考えておりまして、既に、特定の県や市の単位で教育の日が定められている例が見られるところであります。文部科学省としましては、地方自治体においてこうした取り組みが促進されるよう、さまざまな機会を通じ働きかけを行っていきたいというふうに思っております。こういった形で教育の日の推進を図っていく所存でございます。

 また、自由党の道徳の日の御提案でありますが、これは大変重要な指摘であり、趣旨は大いに賛同できるところかと思います。ただ、当面は、家庭教育の支援の中でこうした考え方も支援していかなければいけないのではないかというのが文部科学省の考え方でございます。

都築委員 そこら辺のところが、またすぐけちをつけるような発言ばかりで大変恐縮なんですが、百の提言よりも一つの実行というところもあるわけであります。

 大変いい趣旨なんですが、私が今回の法案審査に当たって、物事を見る視点として自分が持っていますのは、先ほどの、一人でも本当に救われる、学校が少しでもよくなる、こういったものだったら大いにやればいいじゃないか、こういう考え方をとにかく真正面に据えなければいけないだろう。それからもう一つは、逆に、ばさっと網をかけて、いいことだからやろうやろう、こういうふうに頭の中で言っていたって、実は、本当に救われなければいけない子供、恵まれない子供はますます恵まれなくなって取り残されていってしまう、そういった状況を直していかなければいけないのじゃないか、こんな思いであります。

 いいことを提案して、みんながいいことだ、いいことだ、こう言って、それで満足して何も変わらないというよりは、ちょっとこれはきついけれども、一つでも本当に前進するのだったらそういったところに予算を回そうか、こういう発想が大事ではないのかなという思いがしておるわけでありまして、ぜひ、そこら辺のところもまたお考えをいただきたい、こんなふうに思っております。

 それから次の課題は、満十八歳後の青年が一定期間、奉仕活動を行えるような社会的な仕組みづくり、これは十三年度中を目途に中央教育審議会で検討を行う、こういうことでこの間も言及をさせていただきました。

 もう一つは、今度は有害情報などから子供を守るための取り組みということでございまして、有害情報を含む番組のスポンサー企業への働きかけ、あるいは子供を有害情報等から守るための法整備ということで、これはそれぞれ、放送、出版等の関係業界への働きかけ、それから同時に、関係府省などと協力しつつ政府全体の取り組みを検討していく、こういうことでございます。

 これについて大臣は実際には、それぞれ外の面、そしてまた文部科学省を代表する立場で閣内において、どういうふうに取り組んでいかれるのか、そこら辺のところをちょっとお聞かせをいただけますでしょうか。

遠山国務大臣 メディアの上で、性でありますとかあるいは暴力などの有害情報が報じられますと、子供に与える影響は極めて大きいものでございます。単に子供だけでなくて、大人たちの中にも影響を受ける人もいるわけなのでございますが、少なくとも青少年を取り巻く有害環境についてしっかりした対応策を打っていかなければならないというのは、もう異論のないところであります。

 心身の発達途上にあって、判断力、責任感が未熟な青少年に対する悪影響が懸念される状況については、従来から、内閣府を初め政府全体でさまざまな取り組みを行っているところであります。さきの教育改革国民会議報告におきましてもこのことの重要性が提言されておりまして、二十一世紀教育新生プランにおいて、有害情報等から子供を守ることを政策目標として掲げたところであります。

 では、何をやっているかということでございますけれども、我が省では、これまで関係業界に対し一層の自主規制を要請してきたところであります。

 最近では、昨年十二月に、当時の町村文部大臣から放送業界、映画業界等の各団体に対して自主規制の徹底を要請いたしました。また、PTAが実施するテレビ番組の全国モニタリング調査に対して支援を行ってきたところであります。昨年には、このモニタリング調査の結果に基づいてPTAがスポンサー企業へ要請を行った後、番組内容に一部改善が見られたというようなケースもあったようであります。さらに本年度からは、学識経験者等の協力を得まして、青少年を取り巻く有害環境対策に資するために、海外におきますNPOなどの先進的な取り組みの調査を実施することといたしております。

 いずれにしても、今後とも、この問題については十分関係省庁と連携しながら施策の充実を図ってまいりたいと考えます。

都築委員 今の大臣の御答弁を聞いておりまして、行政府のトップとしてはそういうお話になってしまうのかなと思うんですが、現実には、確かに有害情報といえども、それこそ表現の自由とか、あるいはまた知る権利とか、そういった国民の権利にかかわってくる、自由にかかわってくる大変基本的な問題を含んでいるからこそ、その取り組みが難しいのかもしれない。

 そしてまた、同時に、ヨーロッパやアメリカというところでは、過激な性描写やあるいはまた暴力シーンといったものは、厳重にコントロールされて大人向けということに、Xレートとかそういった形でやられておりまして、子供の目には触れない、こういう状況になっておりまして、大人向けだったらもう完全に野放しの状況になっているのに対して、日本は大人だろうが子供だろうが何か野放し、こういう状況があるのは、それこそ日本の古来からの文化の、あるいはまた伝統のなせる状況なのかもしれないなという思いがいたします。

 これはちょっと話がずれてしまうかもしれませんが、明治の学制発布以来、それぞれの町や村で一番尊敬される人はそこのお坊さんとか、あるいはまた学校の先生であった、私はこんなふうに思うわけであります。それはやはり、最高学府へ行って教育を学んで、そして、無学文盲と言ってはあれでありますけれども、子供たちにいろいろな知識を、あるいは子供たちだけでなく大人に対してもいろいろな助言や相談に乗ることができる、そういったものを持っておられる方が先生として赴任をされてこられる、そういう状況であっただろうと思うわけであります。知識は、あるいはまた上善は、上から下へ水が流れるごとく流れる、だからこそ尊敬を集める、こういうところがあったのかなと思うんです。

 今や、逆に子供の方が、テレビだ、ビデオだ、インターネットだ、さまざまな情報ルートを使って、学校の先生が教育に一生懸命やっている間に、いろいろな情報をどんどん勝手に手に入れてしまって、しかも、親も野放し、一人っ子という世の中になっちゃうとお兄さん、お姉さんもだれもいないのかもしれない。

 今の社会を取り巻くこんな状況の中で、全く直接に過激な表現とかそういった情報に生のまま触れてしまう。何の選別も、そしてまたスクリーニングも、そしてまた指導も受けないまま触れてしまうことで混乱が起こっているし、そして、生の情報を持っているということだけで実は先生を侮るような状況も起こってきているのではないのか。ただ、情報化というものをとめることはできない、またとめてはいけないものだろうと思いますけれども、そこのところを本当に工夫して、継続的にやっていく必要があると思うのであります。

 先ほどからお話を聞いておりますと、経済団体に働きかけをする、あるいはまた出版界、放送界に働きかけをする、そういったものも大変結構でございますけれども、私はむしろ本当にメディア、情報関連の継続的な取り組みといったものをつくっていく仕組み、継続的に考えていく仕組みをつくっていくべきではないのかな、実はこんなふうに思うわけであります。ちょっとそこのところは私の質問項目の中には入っておりませんけれども、ぜひまたそういった点もお考えをいただきたい、こんなふうに思うのであります。

 次のテーマは、これまた、「大学九月入学の推進」という項目が「記憶力偏重を改め、大学入試を多様化する」という項目の中に入っております。

 大学入試だけではなくて、実は日本の教育制度は、四月、桜の咲くころに入学式を迎えるという、昔を思い起こせば大変懐かしい情景が浮かんでくるようないい思い出としてあるのであります。ただ、始まってしばらくすると、今もう梅雨が始まっておりますが、暑い夏がやってくるということで、一カ月半ぐらいお休みになってしまうという状況が、教育界の担当の先生方の間では大変な御苦労の種でもあったのではないのかな、こんな気がするわけでありまして、いっそのこと、むしろ本当に効果をあらしめるためには、九月学校年度制といったものも考えてみるべきではないのかな、単に大学だけではなくて、そういうことの方がむしろより有効ではないのか、こんなふうに思っておりますが、この点についてのお考えや取り組みはいかがでございましょうか。

岸田副大臣 九月入学につきまして、大学のみならず小中高についてもどうだろうかという御質問でございます。

 まず、大学の九月入学ということにつきましては、従来四月入学が原則だったところ、各大学の判断により、学期の区分により、つまり秋期からでも入学できるようになっております。これにより、秋期入学を実施している大学も年々増加しまして、平成十一年度で国公私全体で三十七大学、五千四百三人という実績が残っております。

 一律に秋期入学に限ることについては、メリット、デメリットもあることから、国民の理解を得ながら対応する必要があるというふうに考えております。

 そして、ましてや小中高ということまで考えますと、これは国民生活全体に大きな影響を与えるものでありますから、まずは国民の理解そして協力、これが不可欠であるというふうに考えておりますので、国民世論の動向を踏まえつつ、教育上あるいは行財政上の諸問題について検討する必要があるというように考えております。

 なお、高等学校について言いますと、特別な必要があり、かつ教育上支障がない場合には、学年の途中においても学期の区分に従い生徒を入学及び卒業させることが制度上可能に現在でもなっております。帰国子女や外国人生徒、留学生の円滑な受け入れ等の観点から、一部高等学校においては、九月入学及び卒業が現在も認められているところでございます。

都築委員 特例的に九月入学が認められるとかそういうものではなくて、やはり仕組みとして本当に、これほど大きな国民会議といったものを開催して議論するのであれば、先ほど副大臣が答弁の中で言っておられたように、国民的な世論、そういったものを一度喚起して、本当にどっちがいいんだろうかというところを、また子供たちの負担のことを考えても、私はそうじゃないかと思うんです。

 やはり夏休み、自分の小さいころ、小学校のころ、中学校のころを思い起こしますと、宿題があって本当にうんざりしながら、でもやはり外に出て遊んで、海に行って遊んで、山に登って、そんなことをやっておったことを思い起こしますと、そういった宿題というのがないまま遊べたらどれだけよかっただろうかと。そういった、本当に心のひっかかりがないような状況をつくっていくということが伸び伸びとした子育てにつながっていくのではないのか、そんなふうにも思うわけであります。

 そしてまた、同時に、その間の人的な資源や、あるいはまた施設、財源、こういった問題の合理的な活用の面も大いにあるのではないのかな、私はこんなふうに思っておりますが、これはまたいずれの機会ということでいたしたいと思います。

 そして次に、受験偏重教育というものが指摘をされて久しいわけでありますが、これ全体が、その受験偏重教育を改めるための、子供たちが社会性を備え、豊かな心を備え、そしてまた能力を開花させるための方策として訴えられているのだ、こういうふうにくくることもできるかと思います。

 ただ、では、本当にそれでいいのだろうか、受験の現場、そういったものは変わっていくのか、そういったところを考えると、相変わらず、塾通いを夜中にする子供、そしてまた重いかばんをしょって電車の中を歩く子供たち、こういった姿をよく見かけるわけでありまして、本当に子供たちは何のために今の人生を生きているのだろうか、こんな思いがするわけであります。

 受験偏重教育、こういったものについてどう改めていくのか。そのことは、先ほどから経済界のお話や関係団体のお話が出てきておりますけれども、やはり社会全体として取り組んでいかなければいけない、企業の雇用慣行の問題、そういったところまで実は踏み込んでいくことになるのではないのかな、こんなふうな思いがいたしております。この点について、遠山大臣はどういうふうにお考えになっておられるのか、総論の一つの締めくくりとしてぜひお聞かせをいただきたい。

 教育の問題を考えるときに、前回も指摘をしましたように、企業の雇用慣行の問題あるいはまた住宅の問題、都市の生活の問題、環境の問題、さまざまな課題があろうかと思いますけれども、そういった取り組みを文部科学省も、この学校教育の現場あるいは社会教育の現場、そういったところでただとらえるだけではなくて、そういった人たちを継続的に巻き込んでいくような改革の動きをしていかなければ、結局実現ができないのではないかな、こんな思いがするわけでありまして、御見解を伺いたいと思います。

遠山国務大臣 委員御自身も御指摘のように、この問題の大きさというのは、単に一つの省だけでは十分対応できない問題もはらんでおりますけれども、やはり子供の教育について責任を持つという観点から考えますと、私は、過度の受験競争、あるいはそれにまつわるさまざまな問題が子供たちの生き方に大きな影響を与えているということについては、十分認識をしているところでございます。

 そういう問題に対して一体どうして対応していったらいいのかということでございますが、私は、今回の改革のねらいでもありますように、やはり学校自体からまず大きなエネルギーを発して、そして子供たちが、みずからの力に自信を持って、自分の力で考えたり、あるいは判断したりというような、そういう力を与えていくのと同時に、周辺のいろいろな問題にも対応していくということが大事ではないかと思われます。

 今のいろいろな問題の背景には、都市化の問題あるいは少子化の問題、人間関係の希薄さの問題、そして、人間が働くという場においてどのような労働のあり方が現実に行われているかというようなことでありますとか、さまざまにかかわり合っているところであります。

 しかし、さはさりながら、大きな問題があるといって手をこまねいているということではなくて、まずは学校を基点として、学校における教育内容を充実するということを今回の大きな教育改革の流れの中で実現していく、そのことを中心にいろいろな問題に対して対応していく必要があろうかと思います。

 ちょっと大きな課題でございますので、十分答えられたかどうかあれでございますが、そのように考えております。

都築委員 確かに大きな課題でございますので、それぞれの個別の取り組みの中からそういったものが浮かび上がって、そして前進をするようにということが何よりも大切なのかな、そんなふうに思います。

 その一つとして今回政府が提案してきたのが社会奉仕体験活動あるいは自然体験活動といったもの、学校教育法に新しく第十八条の二という条文を起こして、その充実に努める、こういうことになっておるわけでありますが、既にこの委員会でも何度も議論をされております。

 社会奉仕体験活動、こういったものを私自身も大変大切なことだと思います。ただ、聞くところによればというか、新聞の紙面の上で曽野綾子さんとか上坂冬子さんが真反対の理論を展開しておられた、こういう話も実はあったわけでありまして、今の教育の現状、社会の現状、青少年の現状について、それぞれの国民の皆さんが思っておられる考え方は本当に多種多様にわたるのかなと。ただ、多種多様にわたるから、では、手をこまねいて何もしないでおくというわけにはいかないわけであります。一つの選択として、この社会奉仕体験活動といったものを学校教育の中で社会教育諸機関と連携をとりながら充実をさせていくという方策が出てきたのかな、こんなふうに思います。

 ただ、私は、それで本当に効果が上がるのだろうかというところ、そしてまた本当に子供の社会性を増すようなことができるのだろうか、逆にまた一律の価値観といったものを押しつけていくようなことになるのではないか、そんな思いがするわけであります。

 まず冒頭、三つの質問をまとめて、ぜひこれは大臣にお伺いをしたい、こんなふうに思っております。

岸田副大臣 先生の方から、社会奉仕体験活動につきまして三つ御質問をいただきました。

 まず、学校でこの教育をやる意味があるのかという御指摘でございますが、現在、少子化あるいは都市化、こうした現象の中で人間関係の希薄化が進む中で、まずもって児童生徒が社会の構成員として、規範意識や社会性、命を大切にし他人を思いやるなどの心を身につけ、豊かな人間性をはぐくんでいくこと、このことは大変重要だというふうに思っております。

 そして、そうした重要な目的のために、こうした社会奉仕体験活動は重要だと思っておりますが、現在、残念ながら、家庭や地域の教育力の低下が言われている中でありますので、学校においてこうしたことを身につけさせるということは大変意味があるものだというように考えております。そういった意識から、社会奉仕体験活動を学校教育の中でやる意味を感じているところでございます。

 二つ目、この社会奉仕体験活動によって子供の社会性が増すのかということでありますが、これは、現在までもさまざまな形で社会奉仕体験活動は、特に地方自治体において行われております。

 その中で、例えば兵庫県では平成十年度より、トライやる・ウイークという事業を進めているわけでありますが、実施した成果としまして、指導ボランティアや地域の人たちと触れ合いができた、道をすれ違って互いにあいさつするようになった等々、学校や家庭や地域から、子供に社会性が身についたという好意的な感想が寄せられております。こういったあたり、生徒たちの社会性が確実にはぐくまれているというように文部科学省も評価しておるところでございます。

 ですから、こういった実績等を踏まえて、これから、こうした社会奉仕体験活動をしっかりと支援することによって、より大きな成果につなげていきたいと考えているところでございます。

 そして最後に、一律の価値観を押しつけることにならないかという御質問でございますが、こうした体験活動のチャンスを児童生徒に与える、こうした環境を支援していくというのが今回の法改正の趣旨であります。具体的にどんな体験活動をやってもらうかは、その地域の実情ですとかさまざまな状況を勘案して、それぞれ工夫して、多様な形で行われることが大切だというふうに思っておりますので、決して一律な価値観の押しつけということにはならない、そして、あってはならないというふうに思っております。

都築委員 今、お答えを聞いておりまして、一面ではそうかなという気もしますが、ちょっとやはりどうなのかなというふうな気もいたします。

 例えば、その兵庫県のトライやる・ウイークということで社会性が身について、すれ違ったらあいさつをするようになった。あいさつの問題も大変大切なことであります。しかし、それこそ地域の取り組みとしては、例えば学校が、PTAとか、あるいはまたその地域のそれこそ総代さんとか町内会とか、いろいろなところと相談をして、いつも交通安全のために通学路を守ってくれる人たちが出たり、同時にまた、子供たちが通学する集団登校の場面で大人と会ったらおはようと言いなさいとか、そういう指導もやっておるわけでありまして、その程度の問題であればそういったもので十分やれるのではないのかなというふうな気がするし、それから、どんな体験活動をするかは地域の実情に応じてということも、それは当然のことだろうと思います。

 ただ、その前提となる考え方が、例えば、あいさつをしない子よりはあいさつをする子の方がいいのじゃないかという価値観がある、あるいはまた一生懸命勉強する子の方が勉強しない子よりもいいのじゃないかという考え方もあるかもしれない。では、本当にそうなんですかといったことを考えたときに、この文部科学委員会で以前議論が出ましたけれども、例えばアインシュタインとかエジソンといったのは、もともと学校のときはほとんど落第に近いような状況だったということを思い出しますと、そんな学校の勉強の枠の中にはまらない子の方に実はきらっと光るものがあったりする。

 みんな一律に、同じように型にはめていこうという発想自体、具体的な取り組みはいろいろ違うかもしれないけれども、一つの価値観で、あいさつしない子よりもあいさつする子の方がいいのだというふうな価値観、勉強しない子よりも勉強する子の方がいいのだという価値観、そういったもので輪切りにしていってしまうことの方がむしろ私は問題が多いのではないかと。そして、そのことは逆に、教育改革国民会議が提言をした、本当に社会性豊かな子供を育てる、心の豊かな子供を育てるということと反する結果になるのではないのか、私はそんな思いがするわけであります。

 具体的にこういった社会奉仕体験活動を学校教育法の一つの条文として挿入をするということは、全児童を対象にしてやれということを言っているわけですね、正直言って。前条の目標を達成するために充実をする。前条の目標というのは、大変立派なことが学校教育法の十八条には書いてあります。

 「小学校における教育については、」「次の各号に掲げる目標の達成に努めなければならない。」第一号「学校内外の社会生活の経験に基き、人間相互の関係について、正しい理解と協同、自主及び自律の精神を養うこと。」第二号「郷土及び国家の現状と伝統について、正しい理解に導き、進んで国際協調の精神を養うこと。」第三号「日常生活に必要な衣、食、住、産業等について、基礎的な理解と技能を養うこと。」などなど、大変立派なことが書いてあるわけでありまして、こういったことを小学校はやることになっている。そして、十八条の二で、この目標をさらに達成するために充実に努める、社会奉仕体験活動などをやる。こういうことになったら、みんなやらざるを得ない。

 ただ、今の児童生徒が本当にすべて問題児になるのでしょうかということを考えたときに、私は、ほとんどの子供たちはまともに育っていっている。それは、学校の先生がいい、家庭がいい、あるいは地域の皆さんの取り組みがいい、そういった子供もいるかもしれないけれども、そういった環境に恵まれない子供でもすくすくと育っている子供もいるのではないのかな、そんなふうに思うわけであります。

 自由とか自律とかあるいはまた協同の精神、こういったものをしっかりとわきまえた子供が育っている。そういった人全部に網をかけてしまうということは、すべての子供をやはり問題を含んでいるのだというふうにお考えになっているのか。そこら辺のところをちょっとお伺いをしたいと思います。

岸田副大臣 決して、すべての子供が問題があるという認識のもとに、すべての子供にこうした体験活動を経験してもらおうというのではございません。やはり、こうした体験活動を通じてさまざまな経験をする、その中でさまざまなものを吸収する、さまざまなものを感じる、これは問題があろうがなかろうが大切なことだというふうに思っております。

 ですから、問題のない子供にとってもこうした体験活動をしっかりと経験してもらい、そのよさ、すばらしさを体験してもらい、そして将来それをまた自分の人生の中で生かしてもらうということ、これは大切な経験ではないかなというふうに考えております。

都築委員 質問の順番がちょっと前後してしまうのかもしれませんが、問題のない子供にとっても、体験をしてもらう、体験をしてもらうことで逆に協同あるいは協調の精神、こういったものも十分はぐくんでいくことができることになるかもしれません。それは事実だと思うのです。

 ただ、現実に、今だってもうやっているのじゃないですか。例えば赤い羽根募金をやるとき、緑の羽根募金をやるとき、さまざまいろいろな慈善事業とかそういった活動が行われるときに、街角に子供が出て活動をしている。あるいはまた、現在の学習指導要領の中でもどういうふうな位置づけになっているかわからないけれども、例えば学校で掃除をするとか、みんなで動物係を決めて動物の飼育をする、あるいは花壇の手入れをする、さまざまな取り組みがある。あるいはまた、川の堤防の清掃に行って草を刈ってくるとか、いろいろなことを既にやっておるわけでありますね。

 だから、社会奉仕体験ということで、先ほども議論がありましたけれども、本当に一体何を意味されるのかということはわかりませんけれども、私はそこら辺の、既に現在の学校教育の中でも取り扱われているものに、さらに加えて新しいものを社会奉仕体験ということで充実してやるんだということは、今までやっている子供に余計な負荷を与えていくことになるのではないのかと。余分なね。また、既にやっているけれどももう一つ、これも社会奉仕体験ですよ、こういうふうに法律で決まっちゃったからみんなでやりましょう、こういう話で加わっていくのじゃないか。

 そういう問題と、もう一つは、逆に、今までも学校教育の指導の中で実はそういったものに十分取り組んでいない、教室の掃除とか、あるいはまたみんなで共同して作業する給食の配ぜんとか、そういったものをサボっている子供がいたら、その子供たちは結局、社会奉仕体験活動を充実しましょうといって文部省が音頭をとって号令をかけたって、やはりするりとその手の中から抜け落ちていってしまって、結局、問題がないと言われている子供たちに余分な負担がかかって、本当に救わなければいけない、本当に社会性をはぐくんでもらわなければいけない人たちに実はその施策の効果というものが及んでいかないのではないのか、そんな気がするわけであります。

 そこら辺について、御見解はいかがでしょうか。

岸田副大臣 今先生からお話があったように、今までも実際にこうした体験活動をやっているところは、地方自治体レベルでも幾つかあるわけでありますし、やっているところはあるわけであります。しかし、全体を見た場合、みんながこうした体験活動等を経験できているかということを考えますと、まだまだ大変寂しい部分があるのではないか。やはりこうした体験活動のよさを多くの子供たちにしっかりと経験してもらう、そしてそれを人生に生かしてもらう、こうしたチャンスを与えるためにこれを支援していくということは、全体として大切なことではないかと考えております。

 問題のない子であっても、先ほど申しましたように、こうした体験活動をより充実して経験するということは大変意味があると思っておりますし、問題行動が見られる子供にとっては、なおさら貴重な経験になるのではないかというふうに考えております。

 例えば、先ほど御紹介しました兵庫県のトライやる・ウイークの中では、この事業に、不登校傾向にある生徒約一千百名のうちその半数が全日参加をし、そのうち約四割が登校率が上昇したというような報告もあります。

 等々、さまざまな形で問題のある子供たちにもいい影響があるのではないか、そういったことを期待して、こうした制度をしっかりと支援していきたいと考えております。

都築委員 ちょっと議論がかみ合っていないのかなという感じがしますが。

 まず社会奉仕体験、もう一度、具体的にどういうあれをイメージしておられるのか。そうすると、すぐ、地域の実情に合わせて具体的な取り組みをということで消えていってしまってわけがわからなくなってしまうので、もう一度、社会奉仕体験といったものを具体的にどういうイメージでお考えになっておられるのか。例えば介護の問題とかいろいろな例がありますけれども、そういったものをもう一度ちょっと教えていただきたいということ。

 それから、先ほど、強制でも義務でもない、こういう答弁を大臣がされておられました。強制でも義務でもないものをどうやってやっていくのだろうというふうな思いがするわけでありまして、そういったものをどうやって学校の教育課程の中に取り入れて、そしてそれを実現していくのだろうかというところが私はよくわかりませんので、その点についてもちょっと御明確にお答えをいただきたいと思います。

岸田副大臣 まず具体的な例につきましては、児童生徒の発育段階ですとか、それから地域の事情によりまして、いろいろな実例をそれぞれの地域におきまして工夫をしていくということになると思いますが、例えばリサイクル活動でしたらアルミ缶やペットボトルの回収とか使用済みテレホンカードの回収とか、あるいは清掃作業でしたら海岸の清掃作業、駅周辺の清掃作業、あるいは環境美化活動でしたら学校で育てた花の苗などを近隣の国道に植えるですとか、あるいは老人ホーム等で地域の老人会と交流するとか、ひとり暮らしの老人の方を学校行事へ招待するですとか、あるいは看護、介護活動においてホームヘルパーと同行してひとり暮らしのお年寄りの買い物の介助などを実施するとか、さらには、さまざまな募金活動、あるいは文化祭でのチャリティーバザー等々、いろいろな例が考えられるのではないかなというふうに思っております。

 それから、済みません、先生の二つ目の質問の趣旨をちょっと十分把握していないのですけれども、もうちょっと御説明いただけますか。

都築委員 四十四分までということで、時間が間もなく切れてしまいますが、強制でも義務でもないのだよ、こういう御答弁が先ほどあったと思うのですが、そういうことでどうしてやっていけるのかと。以前、子供たちすべてに社会奉仕体験をやってもらうのだ、ただ、義務でも強制でもない、こういうふうなお話もあったと思うので、それはちょっと矛盾しているのではないのかなというふうな思いがしたので、そのことを聞きたかったということであります。ただ、これは、またあしたも私は五十分時間をいただくことになりますので、大変御苦労ですが、よろしくお願いしたいと思います。

 そして、今の具体例として挙げられたリサイクル活動、缶、ペットボトルの回収作業とか清掃作業とか環境美化活動とか、いろいろあるのですが、今までだってこんなものはあるわけだから、これはまたあした質問いたしたいと思いますが、本当にあえてまた人員や予算をつけるような施策なのかな、今の既存の施策をもっと実効あるものとしていく必要があるのであって、法律の条文を一つつくる必要がどこにあるのだろうかということを、もう一度あした確認をいたしたいと思います。

 きょうはこれで終わります。ありがとうございました。

高市委員長 児玉健次君。

児玉委員 日本共産党の児玉健次です。

 法案の審議に入る前に、一つ取り上げておきたいことがあります。

 教科書は、その採択に当たり、公正な競争を阻害するおそれがあるものとして、私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律、いわゆる独禁法第二条九項で特殊指定の対象になっています。採択が決められるのは八月十五日。今、各地で真剣な議論が進んでいる。その八月十五日に向けて、現在、全国七百数十カ所の教科書センターで各種教科書の展示が行われています。

 きのう、私は驚いたのだけれども、六月四日の新聞広告、こういうふうに一ページのすべてを使って「こんな教科書がかつてあったでしょうか。」と。そして「新しい歴史教科書 新しい公民教科書 本日発売」、こういう大々的な新聞による宣伝が行われている。そして、それではというので行ってみたら、この扶桑社「新しい歴史教科書」、九百八十円、書店で販売をしています。

 そこで大臣に伺いたいのだけれども、中学の歴史教科書は八社だ、公民の教科書はやはり八つの出版社で出していると聞いています。八月十五日を前にして、このようにして書店で販売をしている出版社が扶桑社のほかにありますか。お答えください。

遠山国務大臣 今のところ、聞いておりません。

児玉委員 聞いていないだけでなくて、ありません。

 それで、これまで、その地域で採択された後には、子供たちが例えば教科書を紛失してしまう、そういう場合に補充のために教科書センターや出版社が契約した書店に行けば教科書は購入することができます。ただし、これは採択が終わった後、もっと言えば、学校で現実に使用が開始されてからです。しかし、採択が決定される八月十五日の前に、このような形で大規模な広告を出し、一斉に市販するようなことがこれまで、かつてあったでしょうか。大臣、お答えください。

遠山国務大臣 これまでの例をすべて私がしっかりと知っているかどうかというのはちょっとあれでございますけれども、これまではそのような形で出版される例はなかったと聞いております。

児玉委員 私が調べてみても、そのとおりですね。

 そこで、この三月前後だと思いますが、これを出している扶桑社が、「市販本」と右肩に小さく書いてあるだけで中身は展示場で使われている教科書と同一のものですが、文部科学省に対して、八月十五日の前にこれを市販することについて文部科学省の意見を求めたと私は承知しております。教科書の今までの取り決めでは、小中学校は一万部までと、見本本はそうなっていますね。これは、市販ですから幾らでも売れるので、量に限りがない。それを第三者が買い上げて、採択関係者に送付することも可能です。こんなことを許しておいたのでは公正さが損なわれます。文部科学省は、扶桑社から八月十五日前に市販することについて問い合わせがあったとき、どのようにお答えになったでしょうか。

遠山国務大臣 実際にどのような文言で要請したかということについて必要であれば、担当からお答えいたしますが、私の聞いておりますところでは、採択が終了するまでの間に市販することについては、市販することは望ましくないということで、そのようなことをしないように要請したと聞いております。

児玉委員 採択が行われるまでは、市販、そのようなことをするのは望ましくない、そう文部科学省はおっしゃった。

 そこで、にもかかわらず市販されました。そして、この市販されているものにはわざわざ、「市販本まえがき」というところがあって、ここで編者があれこれのことを書いていますけれども、その中でずばりこう言っている。さっき言ったように、歴史教科書は八社です。「われわれ以外の七社の教科書も、ぜひ市販本を出していただきたい。」

 これは語るに落ちたと言うべきだと私は思いますね。教科書出版協会は、こういうことはやめてほしいと意思表示をされていますよ。そして、文部科学省の考えは今のお答えのとおり。それらを公然と無視して、残り七社も同じように市販をしてほしい、こういう態度は私は許せないと思う。

 ドイツの無条件降伏の十五年後に、御存じのワイツゼッカー元ドイツ大統領が連邦議会で有名な演説をした。その中で、彼は、過去に目を閉ざす者は現在においても盲目になりますと。それを意図しているのがこの教科書です。そして、中身がそういった内容であるだけでなく、八月十五日前に市販を強行するといういまだかつてない挑発的なやり方をしている。そこにも、この教科書の本性がよく示されていますね。

 文部科学省はこの事態を放置すべきでないと考えます。大臣、どうですか。

遠山国務大臣 この問題は、教科書の内容を市販することを制限する法令等は存在しないわけでありますけれども、採択の公正さを損なうようなことがあれば好ましくないものでありまして、扶桑社の相談に対しては、我が省としては、市販するとすれば採択終了後が望ましい旨伝えてきたというのは、先ほど申し上げたとおりであります。

 今、どうかということでございますが、これまで指導してまいりましたとおり、教育委員会等の採択関係者が、各見本本について十分な調査研究を行って、みずからの判断と責任で公正かつ適正に教科書を採択することを期待したい、そういうことでございます。

児玉委員 この議論は続けますが、期待するだけでなくて、実際に公正さが失われるような異常な事態、かつてなかった事態が今現に起きているわけですから、文部科学省として責任のある対処をしていただきたい。強く要望します。

 そこで、法案の中身に入ります。

 正確な法案の審査をするために、若干の確認をしておきたいと思います。

 学校教育法第十八条の二、今同僚議員が議論なさった社会奉仕体験活動についてです。学校教育法第十八条には、小学校において達成に努めるべき教育の目標が列挙されています。例えばその第一項目、「学校内外の社会生活の経験に基き、人間相互の関係について、正しい理解と協同、自主及び自律の精神を養うこと。」こうありますね。まずお聞きしたいのは、そのことを冒頭に項目として掲げて、以下、教科に即しても教育の目標が列挙されている。そのことで私は十分だと思うのに、なぜ今回第十八条の二を新たに設けたのか。これが第一の質問です。

 二つ目は、十八条の一号「社会生活の経験に基き、」と書いていますよ。「人間相互の関係について、正しい理解と協同、自主及び自律の精神を養う」。教科の領域とは別のところでこのことを述べている。まさしく好ましい意味での体験活動を包含しているんじゃありませんか。そのことが明記されているにもかかわらず、なぜ事新しく社会奉仕体験活動を十八条の二に新設したのか。十八条の一号、今の「学校内外の社会生活」云々と、今度あなたたちがつくろうとしている第十八条の二は、教育の観点から別の次元に属するものなのかどうなのか。大臣、お答えいただきたいと思います。

遠山国務大臣 今回の学校教育法の改正は、学校教育法第十八条に掲げる目標を達成する上で、社会奉仕体験活動などの体験活動という教育指導の方法が有効であることから、新たに十八条の二を設けて、各学校が教育指導を行うに当たって体験活動の充実に努める旨を規定するものであります。

児玉委員 二つ目の、もともとあった十八条の一ですね、そこで「社会生活の経験」という言葉がある。それと今度の第十八条の二の社会奉仕体験活動、私は重なり合って同じものだと思うんだけれども、わざわざ別にするのは教育的に見て別の次元に属することなのか。この点、お答えください。

遠山国務大臣 一方は教育の目標でありまして、今回新たに十八条の二で規定しようとしておりますのは指導の方法についてということでありまして、私はそれは、同じことが書かれているといいますよりは、そのねらいが、新たに条文を設けるというねらいが違っているということだと考えます。

児玉委員 そのことは承っておきましょう。

 遠山大臣は、先日の衆議院本会議での私の代表質問に対して、この奉仕体験活動は各学校の教育活動として体験させるものでありますと、そうお答えになった。

 それでは、社会奉仕体験活動は教育活動において評価の対象になるのかどうか、どのような評価がなされようとしているのか、お答えいただきたいと思います。

遠山国務大臣 学校教育法改正案に規定します体験活動は教育指導の方法に着目した概念でありまして、条文上も例示しておりますけれども、社会奉仕体験活動や自然体験活動のほかに、これ以外に、勤労生産体験活動、職業体験活動、芸術文化体験活動など、さまざまなものが考えられるところであります。一方、学校行事、これは学習指導要領に位置づけられている特別活動の内容の一つでありまして、いろいろな行事が組まれるわけでございます。

 体験活動は、こうした学校行事の中で一定のまとまりのあるものとして行われることが多いわけですが、今の御質問の趣旨は、各教科との関連でございますか。今の御質問はそれでよろしいですか。

児玉委員 例えば、総合所見の対象になりますか。

遠山国務大臣 大変失礼をいたしました。

 教育課程内で実施される体験活動につきましては、他の教育活動と同様、評価を行うことになるわけであります。ただ、どのような評価方法をとるかなどにつきましては、各学校における計画に沿って判断されることになるわけであります。

児玉委員 では、評価の対象になるということを確認しておきましょう。

 次に、これまで、各学校で体験活動の人間形成に果たす役割の有用性というのは、もうこれは議論の余地はありません。私なども子供のころを振り返ってみて、私の意思で参加したさまざまな活動が、どうということはない人間ですけれども、私自身の人間形成にとっては必要だったと思っています。

 それで、現在、各学校で創意を凝らして展開されてきた活動、例えば林間学校、臨海学校、それから宿泊研修、修学旅行、子供と父母がよく話し合ってそれぞれの地域で非常に創意的に展開されている各種多様な学校行事、これは十八条の二が設けられる、設けられないにかかわらず、現に日本各地の学校で非常に熱心に展開されているものですね。そのことと今度の十八条の二はどのような関係になるのでしょうか。お答えください。

遠山国務大臣 学校活動は、学習指導要領に位置づけられている特別活動の内容の一つでありまして、今お話しのように、修学旅行あるいは林間学校などの遠足でありますとか旅行でありますとか、集団宿泊的な行事など、さまざまなものが含まれるわけであります。

 体験活動というのは、教育の指導の方法について語っておりますので、これらの活動のうち一定のまとまりのあるもの、体験をしようとする一定のまとまりのあるものについて体験活動が行われていることが多いと思います。

児玉委員 大臣、率直に言って、今の私たちの共通の大きな課題として、学校論をどのように構築していくかという問題があると思います。今のお話は、十八条に一号からずっと列挙されているものは教育目標そのものだ、ところが十八条の二は主として教育の方法論に属する、こういうお話ですね。これは、私は後から真剣に議論したいと思うのですけれども、その説明からは、さっきの林間学校や臨海学校や修学旅行と十八条の二の関係は出てきませんね。どうでしょう。――速記をとめてください、委員長。

高市委員長 時間がかかりますか。

 速記をとめてください。

    〔速記中止〕

高市委員長 速記を起こしてください。

 遠山大臣。

遠山国務大臣 体験活動は、先ほど申しましたような意味づけを持っておりますので、いろいろな学習の場面で使える、あるいは指導の方法として用いられるものだと思います。したがいまして、総合学習の中でありますとか、あるいは特別活動の中でありますとか、あるいはそれぞれの教科の中でもそういうものを用いる。それは、程度の差はございましょうけれども、そういう形で用いられていく、そういう指導の方法として用いられる形態であるというふうに考えております。

児玉委員 同じお答えで、私には理解も納得もできませんね。次回この議論をするときまでに、今の点は文部科学省としてさらに検討しておいていただきたい。

 そこで、若干かみ合わせた議論に入りたいと思います。

 教育改革国民会議の中間報告、九月二十二日、「日本人へ」という大変なタイトルをつけた文章がありますね。国民より一段高みにいて、そして日本人に言い聞かせるという、そんな種類のタイトルにしか私には読めない。かつてフィヒテが「ドイツ国民に告ぐ」というのを書いたけれども、何かフィヒテ気取りじゃないかなと。私はそう思う。その冒頭のところに、こう書いていますね。「子どもはひ弱で欲望を抑えきれず」。文部科学省や遠山大臣も、日本の子供に対する見方という点でこれと同じですか。いかがですか。

遠山国務大臣 先ほど御質問に対してお答えした中にも既に申し述べましたように、これも一面であろうと思います。一面の真理はかくあろうと思います。ただ、すべてがということではないと思いますし、ここに書かれた内容自体も、見過ごせないものがある。その部分としてはこういうことだというふうにとらえられておりまして、私は、すべてがそうだということを決めつけたといいますか、そういう文章ではないというふうにとっております。

児玉委員 重要なお答えだと思います。私もそう思います。中にはそういう子供がいるでしょう。しかし、日本の子供全体に対する子供観がこういう言い方でもし総括されるとすれば、これは日本の教育をこの後考えていく場合に、非常に狭い、いびつな子供観ですね。そこのところをまずはっきりさせておかなければならない。

 ところが、この「日本人へ」という文章は、もしかしたらある委員の身近にいるかもしれない、少数のひ弱で欲望を抑え切れない子供、その子供をもって全体を類推していく、そしてそういう子供をどうするかということを基本にして社会奉仕体験活動を考える、こういう傾向が極めて強いと思いますね。自分の個人的な狭い体験を一般化し、それを出発点にして、自分の主張をあたかも全体をとらえているかのように考え、正当化する性癖の人が、どうも教育改革国民会議には多かったと思います。

 そこで、教育改革国民会議の議論の中に、子供を飼いならし、訓練し、たたき直す、こういうふうに、戦前の学校教育を想起しながら述べた委員がいます。そして、その委員は、戦前の学校教育を想起しながら現在の学校教育の問題に触れて、強制することが学校教育の基本的機能だと主張しました。私は、この主張を重視しています。子供は強制の対象では絶対にありません。子どもの権利条約は、子供が年齢及び成熟に従い権利を行使することを保障しています。そして、子供を権利の主体として尊重してこそ、学校教育の豊かな発展もあるし、そして人間形成を高める体験活動の有意義さもそこから出てくるのではないか、私はそう考えますが、大臣の答弁を求めます。

    〔委員長退席、鈴木(恒)委員長代理着席〕

遠山国務大臣 現在の教育の荒廃の面に目を向けると、その子供たちは先ほど表現があったような状態であって、それを解決するにはどうしたらいいかということでの論議が進められたというふうに考えておりまして、その意味で私は、その問題意識あるいは問題の提起のあり方というものは、それは今日のいろいろな状況、子供をめぐるいろいろな状況、あるいは教育をめぐるいろいろな状況を伝えていると思っております。

 したがいまして、その子供たち、今おっしゃったような言葉がどんなふうに表現されているか、私にはちょっと今のところよくわかりませんけれども、子供にとってやはりあるべき、あるいは社会の中で生きていく基本的なルールというようなものは、教え導かれて知り得るという面があると思います。すべて子供たちはその欲するままに活動して、そこですべて社会人として要求されるいろいろなルールなどをうまく体得する、そういう子供もおりましょうけれども、やはり教え導かれて、本当に自分の心の中に善悪の判断力も持ち、また社会の中で生きていくルールというものも身につけていくということは、これは私は言えると思いますし、学校というのはそういうことを教える機会も与える、そういう場であるというふうに考えております。

児玉委員 例えば算数の授業、国語の授業でもいいのですけれども、人類の最良の知識をその子供の発達段階に応じて適切に教えていく、その場合に指導の要素があるということを私は否定しません。学校教育というのはそういう側面を持っています。今議論しているのは体験活動です。

 体験活動について日本ペンクラブは、「もともと奉仕活動はボランティア、すなわち自発的意思にもとづいて行われるべきことであり、法により義務づけられるべきものではない。」と。ここに私は体験活動の本質が見事に指摘されていると思います。

 時間が来たようですから、最後に私はお聞きしたいけれども、強制による奉仕活動は、結果として子供にとって苦役に転じていきますね。参加したい、やりたいと、好奇心の塊であり善意の塊である濶達な子供たちは、適切に展開される体験活動への参加を望みます。その望もうとする要素を押し殺してしまって、評価の対象だ、全員が参加しなければならない、そういう形で奉仕活動を押しつけられたら、結局それは苦役となって、人間の人格形成にとって非常に有意義な体験活動から結果として子供を引き離すことになりはしないか、そのことを私は最も恐れるものです。

 この点についての答弁をお聞きして、終わりたいと思います。

遠山国務大臣 今回の奉仕活動に関する法改正の趣旨といいますのは、やはりそういう体験活動を通じて、子供たちが本当に自分自身で物事を考え、判断をし、自分の足できちんと立っていける、そういう力を養うのと同時に、現実にいろいろな体験をする中で、奉仕のことであれ、自然のことであれ、実際にいろいろな体験をすることによって、その知識だけではなくてみずからの本当の知恵として体得していく、そのことの大事さを私はねらいとしていると思うのでございます。

 したがいまして、そういう目的のために学校教育活動で展開されようとしている奉仕活動なりいろいろな体験活動が、何か苦役を与えたり、何か自由を失わせたりというようなことでは全くないと私は考えております。

児玉委員 終わります。

鈴木(恒)委員長代理 中西績介君。

中西委員 私は、学区制についてこの前まだ残っておったのでやろうと思ったのですけれども、与えられた時間が大変少のうございますので、きょうは、学校教育法一部改正の中で飛び入学問題についてお聞きをしたいと思います。また後日、今までお答えいただいたこと等を含めて、時間をいただければ詰めていきたいと思っております。

 そこで、大学への飛び入学によって高校教育にいかなる影響が出てくるかということをお聞きしたいと思うのです。少なくとも、これをやる場合には、種々検討した結果と私は思いますけれども、この点はいかになっておるのか。さらに、先ほどちょっと出かかって十分ではなかったのですけれども、拡大などによって何人くらいを想定しているのか。そしてさらに、どの程度が適正と考えておられるのか。この点をお聞かせください。

岸田副大臣 今回の飛び入学制度ですが、さまざまな分野ですぐれた資質を有する者に早期に大学進学の機会を与えようとするものであり、多くの生徒が受験対策をしたりあるいは一般の試験で競い合ったりというものではなく、また大学の都合により学生集めに利するものではないというふうに考えております。ですから、大学側のしっかりした受け入れ体制と高校側との密接な連携が重要であり、そして逆に、それが確保されれば問題はないというふうに思っております。

 そして、どれぐらいの規模が想定されるのか、どのぐらいの数を想定しているのかという御質問でありますが、この問題は、要は各大学の自主的な判断に基づいてこの制度を行われるわけですから、具体的な規模の予想というのは難しいと考えております。

 午前中の質問でもそのシミュレーションの話があったと思いますが、もともと、これだけのニーズがあるからこうした制度をつくるというのではなくして、こうした可能性を開くというのがこの趣旨でありますから、具体的にどのぐらいの数字が結果として発生するのか、これは今の段階では予想はできないというふうに考えております。

中西委員 午前中もそうした点での討論はある程度ありました。午前中も指摘がございましたように、中教審のそうした答申を経て、調査研究協力者会議が九四年に提言をまとめ、そしてパイロット事業が始まったわけですね。この点はおわかりだと思うのです。その結果、事業等についてまとめて、九七年、中教審がこれを受けて答申をする、こういう経過があったと思うのです。その際に、例外措置研究協力者会議だとかいろいろなところで具体的に実証しながらこうしたものをつくり上げてきたと思うのですね。

 ところが、朝も答弁があっておりましたけれども、千葉大学の結果はよかったなどと言っておりますけれども、では、私たちがここで討論するような千葉大学の学内評価、こういうものは全くありません。また、見たこともありません。恐らく公表していないのではないかと思うわけであります。したがって、こうした問題等について私たちが討論できるようにしていく必要があるのではないか。そうしないと、今まで長い間の経過というのはみんな、審議会なりあるいはいろいろな研究者によるそうした積み重ねがあり、実証性があったんですね。今回の場合にはそうしたものが見当たらぬのではないかと思うのです。この点はどうなっていますか。

岸田副大臣 資料として千葉大学の例がどうなっているかということでありますが、平成九年度に飛び入学制度を導入したわけですが、平成十年度から、千葉大学においては、物理学の分野で四年間に十二名が入学しております。また、平成十三年度から、今度は名城大学におきまして、数学の分野で四名が入学している、こうした実績がございます。

 そして、その上で、この四年間の千葉大学の実績を見る限り、受験競争への影響や大学の青田買いなどの問題は生じていないというふうに文部科学省は受けとめておりますし、また、千葉大学からの報告によるならば、飛び入学により入学した学生は、物理学関連の科目の成績が優秀であるばかりでなく、他の分野の成績も良好であり、当該学生が強い意欲を持っていることが他の学生や教員にもよい影響を与えているという報告が寄せられており、こうした報告も良好な結果だと文部科学省としては受けとめております。

    〔鈴木(恒)委員長代理退席、委員長着席〕

中西委員 いや、私が言っているのは、千葉大学の例を午前中に言いましたけれどもということを言ったのです。

 それはなぜかといいますと、先ほどから再三にわたって私申し上げておりますように、調査研究協力者会議だとかこういうところで提言をまとめましたね。そして起こしたのは、パイロット事業である。それが今度は、三年間経て事業の取りまとめをし、そうした経過を経ながら中教審の答申等がなされていく、こういう経過でやったわけです。その結果が、限定分野でスタートしたわけですね。それが千葉大学であった、たまたま千葉大学であった。これが九八年の四月になっておるわけですね。しかもそれは、限定されて、数学と物理ということになっています。

 このようにして、それが今度一挙に拡大して制限なしになるわけですから、私は、こことの関連を言っているんですよ。少なくとも、やはりこういう制度を取り入れる際には、よほどこれらについては慎重にやらないと、事後、やった結果が悪かったからやめるなどというような簡単なものじゃないと私は思っています。なぜかというと、後で私は聞きますけれども、高等学校における進路指導とかいうところに大きな影響が出てくると思うのですね。

 そうした責任も全く持たずにこういうことを簡単にやっていくということになってまいりますと問題ではないだろうかということを、この前から、この経過なりなんなりの中で、二十一世紀云々というこれを出して法令化していくことについても私は指摘をしてきたのですけれども、特に早期英才教育などということによって引き回されたのでは、教育の体系そのもの、制度そのものが大変なことになるのではないかと私は思っています。

 ですから、その実証したものをちゃんと出してくださいと言うのです。我々がここで討論して納得できる体制、そうしたものがあるのだったら出していただきたいし、今国会中にも、この討論がいつまであるか知りませんけれども、そうしたものについてほかにあれば提出をするようにしてください。その点を、ひとつ委員長、お願いをしたいと思うのですけれども。

高市委員長 文部科学省に伺いますが、本日の質疑の中で同じ御質問があったと思います。いろいろシミュレーション云々という話と似通った話だと存じます。先ほど、ないとの答弁がございましたけれども、出せますか。

岸田副大臣 ですから、実証する資料としましては、この飛び入学制度は、数学、物理学という分野を限定してスタートして、今日までの実績、これがその資料のすべてであります。

 今後については、要は、現状の学問における学際化ですとかあるいは複合化、こういった現状の中で、この間口を広げることによってこれからより可能性を広げようということを考えているわけですので、その過程の中でどのぐらいの数字が挙がるかというのは、可能性を与えるということがこの制度改革の趣旨でありますから、数字として挙げるのは大変難しいと考えております。ですから、シミュレーションという形で資料を出すというのはなかなか難しいのではないかと認識しております。

高市委員長 中西委員、今ありましたような、今日までのものについて書かれたもののお届けということでよろしいでしょうか。

中西委員 今日まで、そういうものがあるんだったら、ちゃんと出して討論をしてくださいと言っているのです。少なくとも、そういうものがないから私は今言っているのでね。ただ、言っているのは、岸田副大臣が今まで何回かそのことを繰り返して言っておりますけれども、それは、文部科学省がそういうことをあると言って認定をしているだけであって、我々がそれを資料として本当に活用できるものかどうか、このことを言っておるわけですね。

 ですから、私たちは少なくとも、こうした調査研究がなされたということを、これがまだそういう経過的な措置の中でやるというのならいいですよ、限定されたものだとか、いろいろなことをやった結果がこうですというものが出てくればいいのだけれども、それが全く出ずに、今度は全部に拡大するわけですから。そうでしょう。全部に拡大するのですか、どうですか。その点、簡単に答えてください。

遠山国務大臣 委員が、この制度の導入によって高校教育が影響され過ぎたりというようなことを懸念されて、いろいろな御質問がある、そのお考えは私としてももちろん理解できるところでありますけれども、今の問題に直接お答えするのではありませんけれども、私は、今回の飛び入学制度の導入によって、高校教育が余りにも大きく影響されてしまったり、あるいは多くの生徒が受験対策をしてしまったり、あるいは必要以上に競ったりというものではないと思うのです。そこのところの御理解がやや十分ではないから、次々に、資料であり、データであり、調査研究ということのお話だと思いますけれども。

 私としては、今回の措置も、やはり他にぬきんでてすぐれた資質を持つ生徒に、三年間高校にいるのではなくて、十七歳から上位の学校へ行く道を開くということでございますので、数が膨大になってしまったり、あるいはそのことで高校教育が影響を受けたりということは、これはないというふうに理解しておりますし、また、そのことを導かないように今いろいろ手だてを考えているところでございますので、その点は御理解をいただきたいと思います。

中西委員 影響がないということをあなたはおっしゃるけれども、そういうことが実証できますかと言うのです、さっきから盛んに言っているのは。そしてしかも、可能性を求めていくと言うのだけれども、こういうことを、例えば高校の進路指導がどうなるかということを我々心配しているのに、その際に、あなたたちのように、可能性を持ってこれを引き出していくのだというようなことをやられたのでは、実験をするのだったら、こんなところでやるべきでないですよ。しかも、法律で決めてすべてをやらせるなどということは、到底これは考えられぬ。全くあなたたちは勝手なことをやっていますよ。これはちょっと聞き捨てならぬですね。ちょっとひどいですよ、可能性を求めるなどということを言われたのではね。

 あと、ちょっと時間がありませんから聞きますけれども、教育環境、社会条件が整備されない現状のままで学歴社会解消がされていない中、受験中心の現状の中では、競争激化を招くことは必至であろうと私は思っています。その結果は、公教育ではなくて私企業的に、小中学校から早期英才教育のための特別講座設置、そのため今度は部活動、補習授業激化、こういうことによって高校の進路指導は大変混乱するのではないかと私は思っています。

 では、そういうことが起こらないという、あなたたちはちゃんとした確信を持って言っておられるのですか。そういう対策というのをちゃんと持っておられるのか。この点、どうなんですか。そうしなければ、可能性をということで追求されたのでは、あなたたち、だれが決めたか知らぬけれども、これはむちゃくちゃですよ。

岸田副大臣 先ほど実績につきまして、千葉大十二名あるいは名城大学四名というお話をさせていただきました。現在、十八歳人口百三十万の中にあって、短大、大学進学希望者は五十八万人であります。この大きな全体像の中で、飛び入学制度がどれだけ活用されるのかという議論になってくるかと思います。

 この活用の中にあって、高校と大学との連携の確保に加えて、例えば教育上の適切な指導体制の整備、あるいはその資質の判定の上の適正な配慮、あるいは自己点検、評価等を行い、その結果を公表する。こういったことを徹底し、なおかつ文部科学省におきましても、状況をしっかりと把握して結果を公表していく。こういったことを組み合わせていけば、このことによりまして大きく高等学校教育が混乱するとか、形骸化するというようなことは考えられないと我々は考えております。

中西委員 先ほど私が言ったことに対して、今どういう対策を持っていますかと言っているのです。答えていない。これは大事なところですよ。全然答えていないじゃないですか。時間だけ過ごせばいい問題じゃありませんよ。――副大臣が答えたのだから、責任を持って答えろよ。あなたに私は聞いているんじゃないんだよ。

工藤政府参考人 補足させていただきます。

 これまでの実績は、御承知のように千葉大学の四年間なわけでございまして、そこの実績を踏まえながら私ども考えたわけでございます。

 今先生からも御指摘のように、いろいろな影響を懸念する声もあるわけでございまして、私ども、それを踏まえながら、「文部科学大臣の定めるところ」というその定め方の中で、高校側と大学側との適切な連携などを含めて、今進路指導のお話がございましたが、やはり二年間指導に当たった高校側の観察あるいは意見というのは貴重なものがございますから、それも受けながら各大学が適切に受け入れる、そういう仕組みを考えているところでございます。

中西委員 それじゃ答弁になっていない。私が言ったことに対する答弁になっていない。ちょっととめてください。委員長、時間をとめてください。

岸田副大臣 先生の御指摘について先ほど三点申し上げたことが、それに対する対策だと我々は考えております。

中西委員 そういう簡単なものでないということ。教育の荒廃はどうして起こってきたかというのを、だから私は、この前から聞いておるわけですよ。これまでそれに対する回答は何もなしに、そしてまた、こういうことを平気でやっていくというところに問題がある。

 しかも、町村大臣が、これは文芸春秋の三月号に掲載されておるように、文部科学省の皆さんとの間に確執があったというようなことまで書いてあるんですから。押し切ったわけでしょう。こういうふうなことで教育を論断し、そして強引に引っ張っていくということになりますと、日本の教育なんというものはもう大変なことになるということを私は指摘したいんです。

 先ほど申し上げたことに対してあなたがおっしゃった三点で対応できますか。私はできないと思うんです。私は、そんな答弁ですべてを、時間が来るから終わりだなんということにさせられたんでは、時間を本格的にとってもらって一つずつ指摘をし、あなたがおっしゃったことを我々が論破するような体制というのを、時間をくれなきゃできません、ここでは。だから、こういうようなやり方は、先ほど言いましたように、理事会で審議するというなら、こういうことも含めて審議をしてください。

 いずれにしましても、この点はまだ後に問題を残します。

 それからもう一つ。

 今回、専修学校専門課程も実施機関と考えておるようでありますけれども、十七歳で飛び入学したことによって職業資格を得られなくなるものにどのようなものがあるのか、今度はこの点を正確に資料提出をしてください。国が法律なりによって定めるものなど、多岐の職業資格があるけれども、そうした全容、これを示していただきたいと思います。

 これはなぜかというと、国が認定する職業資格に関しては、法改正前に閣議決定で、各省庁と調整を行って方向性を明らかにしていくということが今までのあり方であったんですね。ですから、こうした問題等についても明らかにすべきだと私は思います。ですから、この点を明確にしていただきたいと思います。

岸田副大臣 高卒を要件としており、その附則等で措置ができなかったものとしましては、電波法におきます無線従事者の免許取得要件、消防法におきます消防設備士試験の受験資格、作業環境測定法におきます作業環境測定士試験の受験資格、そして保健婦助産婦看護婦法における看護婦国家試験の受験資格等がございます。

中西委員 そんなもんじゃないんですよ。大学入学資格が学校教育法第五十六条、養成施設入所要件となっているものについて、十七歳で専門学校に入学できない者が出てくるわけです。そういうふうな人たちの場合、今度は、専門学校に入ったとしましても、栄養士を初めとする省令等で決められた幾つかの、たくさんの問題等があるわけでしょう。さらに受験資格の関連も考えますと、さらにまだ出てくるでしょう。

 だから、そういうものを全部、一切我々の前に示して、出されるものはちゃんと出した上で討論をしていかないと、これは必ず後日問題になってくるわけですね。少なくとも、やはりこういうことを決めていく際には、このような内容というものを全部つまびらかにした上で、みんなでこの委員会で責任を持って討論したと。ただ単に多数で決定すればいいという中身ではないんですね、これらの問題は。事実、起こってくる問題としてあるわけですから。ですから、私たちはこのことをやかましく今言っておるわけです。

 いずれにしても、正確なものを全部出してください。

 時間が来たようでありますけれども、これともう一つ私が言いたかったのは、一芸入学で大学へ進んだ者でドロップアウトした学生が今出てき始めています。高等専門学校へ進んだものの合わなくなって帰ってくる者などがふえつつあるということで、本当に今、深く敗北感に浸って帰ってくるような人たちがおるといたします、実際におるわけですから。こういう者に対する対応等についてもお聞きをしたかったんですけれども、時間が参りましたので、この点はきょうはおきます。

 いずれにしても、先ほど申し上げた資料については全面的に出していただいて、我々がそれに沿って本当に責任を持った討論になったというように保障していただかないと、こういうことこそ理事会で十分御検討いただければと思います。

 以上です。

高市委員長 松浪健四郎君。

松浪委員 松浪健四郎でございます。

 今回の学校教育法等の三法案につきましては、現下の教育、学校や児童生徒の状況を踏まえ、今関係者が力を一つに合わせて、また国民に広く呼びかけて、国として強力に推進すべき課題を明確にした点で大いに意義がある、こういうふうに考えるものであります。

 北から南まで、特定のある団体からたくさんの郵便物、そしてファクスが私のところに届けられてきております。そんなに暇はございませんけれども、逐一全部読ませていただきました。そして、この人たちに学校教育を任せて大丈夫だろうか、大変不安になってまいりました。そして、一様にこの人たちは、この三法に反対であります。そして、その反対は、強制だの義務だの、それに集中しておりまして、もっといろいろな面から子供たちのことについて考えてくれないだろうか、私は残念に思うものであります。

 そこで、社会奉仕体験活動等の体験活動の推進についてでありますけれども、ことしの初め、岩手県の釜石市のある中学校の校長先生から突然手紙をいただきました。

 その内容は、本校では三泊四日の東京での修学旅行を行っておる、そのうちの一日を生徒たちに希望する体験をさせるというふうにしております、つきましては、松浪代議士の秘書をやりたいという女生徒が二人いる、何とか受け入れていただけないでしょうかという内容でありました。

 水をまいて国民のひんしゅくを買って、謹慎も解けて間のない私からすれば、私に興味を持っていただいた中学生に感謝をしたわけでありますけれども、とにかく国会で秘書として体験をしたいという子供の希望に私はこたえなければならない、そういう思いですぐに返事を書かせていただきました。喜んで受け入れさせていただきますと。

 ちょうど一カ月半くらい前だったでしょうか、びっくりしたんです、その女子生徒二人はほおが真っ赤なんですね。これを朴訥というのだな、そういう思いをいたしましたけれども、注意事項の紙を持ってこられました。一つは、昼食は九百円以内で自分たちでさせてくれ、そして事務所でその負担をすることのないようにお願いしたい、帰りは地下鉄で来た道を帰らせる、寄り道をしないように厳しく注意をしていただきたい、そういうような内容でございました。

 私は、新聞の切り抜きから、各事務所への連絡であるとか、いろいろな簡単な秘書業務を一日していただいたわけであります。私も、興味がありましたから、ずっとウオッチングしておりましたけれども、これはいい体験だな、そして政治にも興味を持ってもらえるだろう、こういう思いをしたわけであります。

 そして、今回のこの法律であります。何でもっと早くやらなかったのだろうか、こういう思いをしております。

 とにかく、今の児童生徒を取り巻く環境そのものが、社会の大きな変化の中で、私たちの時代とは大きく異なってきております。例えば、児童生徒は、物質的には豊かさや便利さの中で恵まれた生活をしているように見えるのですけれども、意外に生活にゆとりがなくて、年齢の違う友達や地域の大人と触れ合ったり、日常的に自然の中で遊ぶことが大変難しくなってきております。また、人や社会、自然などとかかわる体験の不足が、増加する問題行動や少年非行に影響を及ぼしていると私も思います。

 このような中で、児童生徒の豊かな人間形成を図り、将来の国家社会を担う力を身につけさせるためには、早急に、児童生徒の学習や生活の中に意図的に体験の機会を取り入れていくことが極めて重要であります。体験活動の促進を目指すこの法律案は大変結構だと私は思います。

 そこで、体験活動にはいろいろなものがあるわけですけれども、とりわけ社会奉仕体験活動が私は重要だと考えています。

 中学生を対象としたある民間の調査では、他人の体育館履きを無断で使用することを悪いと思うかというアンケートをしたらば、十年前は、悪いと答える中学生が七六%ありました。ところが、現在では五四%なんです。他人のものを勝手に使ってもいいと思っている生徒が半数近くいるということに我々は驚かされるわけでありますが、これは、明らかに規範意識が低下してきておる、このように読み取ることが正しいのではないのか、こう思います。

 人間関係が希薄になったり、児童生徒が人との触れ合いの中でその痛みや悲しみを想像できなくなっているのではないか。自分さえよければいいという風潮が余りにも強くなってきているのではないのか。学校等において社会奉仕体験活動を推進して、思いやりや公徳心、公共に役立とうとする態度などをしっかりと培う必要があると私は考えますが、その見解についてお尋ねしたいと思います。

池坊大臣政務官 私も、全く松浪委員の考えと同じでございます。

 今の子供たちは、比較的、社会のために役立つとか人のために役立つことが喜びであるというような気持ちが希薄なのではないかと思っております。そういうものを培う教育というのは、ぜひ必要だと思います。

 体験活動というのは、今おっしゃいましたように、私は極めて重要だと思っております。私も京都の体験活動を見にいってまいりましたけれども、例えば花屋さんで一日店員をする、お花というのはきれいだけれども働いてみると水が冷たくて大変なんだ、あるいは着物の地場産業に参りますと、着物はきれいだけれども反物を巻くのは本当は大変なのだということを知ることは大変いいことだと思いますし、また、お父さんというのは私たちのために一生懸命頑張っているんだなということを知ることもできると思うのですね。その延長線上に社会奉仕活動があるのではないかと私は思っております。

 自分の体験活動はどちらかといえば自分だけのためというふうなことになりますけれども、それをもっともっときわめて、今度は、少しでも社会のために、少しでも人のために、何か公園をきれいにするとか老人ホームで人の役に立つとか、そういうことをすることによって得られる喜びというのは、私は、ぜひ学ぶべきだというふうに思っております。

松浪委員 社会奉仕体験活動などの体験活動を行うに当たっては、活動を通じて児童生徒が、自分や他人の安全に十分配慮しながらみずから行動できる力を身につけるようにすることも、体験活動の大切な、大きなねらいの一つだ、こう思いますけれども、そういう意味で、私は、ある程度のリスクを背負うことになるのではないのか、こういうふうに思っております。

 例えば、兵庫県で行っているトライやる・ウイーク事業については、参加するすべての者を対象とした独自の補償制度を設けております。

 かつて予算委員会で、私は、えひめ丸の事故が起こったときに質問をさせていただいたわけでありますけれども、例えば水産高校では、実習に出るときには、日本体育・学校健康センターの保険だけでは十分ではない、そこで各県が中心になって共済会をつくり、そこの掛金でいろいろな形で運用しながら補償していく、こういうシステムになっているということを知りました。

 体験学習をしてもらう、社会奉仕活動をしてもらう、リスクを背負うことになる。そこで、これを推進しやすいというふうにするためには、やはり事故が生じた場合の保険などの対応を工夫していくことが大切だ、こう考えますけれども、これらについてどのように考えているのか、またどのように配慮されようとされているのか、お尋ねしたいと思います。

岸田副大臣 今先生御指摘ありましたように、学校において教育活動を実施するに当たり、児童生徒の安全に十分配慮することが必要だということ、これは当然のことであります。

 しかしながら、不幸にして事故が起こった場合に、保護者の負担を軽減し、学校教育の円滑な実施に資するために、日本体育・学校健康センターが保護者の負担する治療費等について給付を行うなどの災害共済給付制度を実施しております。一般的には、この災害給付制度、これによりまして十分対応が可能だというふうに思っております。この災害給付制度、死亡見舞金二千五百万、それから障害見舞金、最高で三千三百七十万ということになっております。

 一部には、死亡や障害が残るなど重大な事故が起こった場合などを対象としまして、この災害共済給付に加えて、PTA等において独自に、他の障害見舞金の給付制度等に加入している場合もあるということは承知しております。ですから、これはそれぞれの判断で、こうした災害共済給付制度に加えていろいろな制度を組み合わせていくというようなことは考えていくべきだというふうに思っております。

松浪委員 ぜひ工夫していただいて、そして円滑に体験活動を各学校でも思い切ってできるような工夫をお願いしたい、こういうふうに思います。

 次に、出席停止についてお尋ねしたいわけですけれども、議論を聞いておりますと、出席停止の対象となる児童生徒の権利の問題ばかりが強調されております。ほかの児童生徒の権利の問題についてはほとんど触れられないのですね。言いかえれば、いじめや暴力行為について、加害者の人権だけが尊重され、被害者の人権がどうもないがしろにされている、そういう印象を受けます。これでは本末転倒でありまして、人権尊重の精神からしてもおかしなことである、こう思わざるを得ません。

 さきの臨時国会では、少年法の一部を改正する法律案が成立いたしました。この法案の提出者の一人でもございますけれども、焦点は、やはり被害者、御遺族をどのような形で考えるかということが大きくクローズアップされました。我々は少年法の改正に当たり、これらを十分に踏まえて改正させていただいたつもりでありますけれども、我々はどうも加害者の人権、こればかり意識し過ぎていたのではないのか、こういうふうに思うものであります。

 行政処分の手続が公正でなければならない、これは当たり前のことでありますけれども、現在の学校は、出席停止をためらう余り、多くの児童生徒の教育を受ける権利を守らずに、事態を放置しているのではないのか、こういう疑念もあります。今回の法改正を契機に、必要な場合には毅然として出席停止を講ずるべきだ、こう考えますが、その見解についてお尋ねしたいと思います。

遠山国務大臣 御指摘のとおりだと思います。

 いじめ、校内暴力、不登校などといった児童生徒の問題行動が憂慮すべき状況にある中、学校の秩序を維持し、児童生徒の教育を受ける権利を保障して、安心して学校に通うことができるようにすることは極めて重要な課題と認識しております。そして、問題を起こす子供への対応をあいまいにしない、そのことがかえってその子供にとって、その将来にとっても非常に大事なことであろうかと思います。

 そのようなことから、そういう子供に対しての十分な配慮も行いながら、しかし、学校の秩序を維持し、他の児童生徒の義務教育を受ける権利を保障するという基本的な観点に立って、深刻な問題行動に対しては毅然とした対応をとって、出席停止措置が適切に講じられるよう指導してまいりたいと考えます。

松浪委員 私も、大学を卒業して、そして高校の教師を務めさせていただいたことがあります。一番苦痛であったのは、職員会議でありました。こんなに非生産的な会議を長々とよくやるなと感心させていただいたこともありますけれども、結局は、その生徒を救いたい、そしていい方向に導きたいと、いろいろな議論が出てまいります。それで、どういうふうな処分にするのか、時間をかけてもなかなか結論が出なかった。こんなことを経験したことも私はあります。

 日弁連の会長声明などを見ますと、出席停止の対象となる児童生徒について、事後の不服審査に関する規定を法律に明記すべきという議論がございますけれども、ほかの児童生徒の教育を受ける権利を侵害している者について、学校とあたかも対等であるかのようにみなして取り扱うのはおかしい、こう私は思います。一般の行政手続を教育の世界にそのまま持ち込むという発想には賛成できないのです。

 むしろ大切なのは、出席停止に至る事前の段階で、丁寧に説明して、出席停止を講ずることへの理解を得るよう努めることであると思います。その意味で、今回の法改正で事前手続に関する規定が設けられることは意義のあることだと思いますけれども、これで十分なのかなというふうにも思います。改めて、不服審査をめぐる問題に関する見解をお伺いしたいと思います。

岸田副大臣 学校等において、教育等の目的で児童生徒に対して行われる処分については、教育の性質にかんがみ、一般的な不服審査にはなじまないことから、出席停止に関しては、行政不服審査法に基づく事後の不服申し立ての適用が除外されているところであります。学校の出席停止についてのみ不服審査の対象とすること、これは行政不服審査法全体の体系から困難であるというふうに考えております。

 そして一方、今先生から御指摘がありましたように、この出席停止制度の特質としまして、事前に児童生徒や保護者の意見を聞く、あるいはその措置について理解を得るための対応をするということが大切だというようなこと、さらには出席停止期間が短期間である場合が多くて救済できる時間的余裕がない、こうした出席停止制度の特質を考えますときに、不服審査によるよりも、事前手続による方がふさわしいというふうに考えております。

 そういったことで、行政不服審査法におきます不服審査の対象とすることは難しいと考えております。

松浪委員 飛び入学等についても御質問させていただく予定で通告をさせていただいておりましたが、時間がやってまいりましたので、おわびを申し上げて、これで終わらせていただきたいと思います。

 どうもありがとうございました。

高市委員長 次回は、明六日水曜日午前九時五十分理事会、午前十時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後四時五十七分散会




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