衆議院

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第2号 平成13年10月31日(水曜日)

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平成十三年十月三十一日(水曜日)

    午前十時二分開議

 出席委員

   委員長 高市 早苗君

   理事 斉藤斗志二君 理事 鈴木 恒夫君

   理事 田野瀬良太郎君 理事 高橋 一郎君

   理事 平野 博文君 理事 山谷えり子君

   理事 都築  譲君

      岩倉 博文君    小渕 優子君

      河村 建夫君    倉田 雅年君

      杉山 憲夫君    砂田 圭佑君

      谷垣 禎一君    谷田 武彦君

      谷本 龍哉君    中本 太衛君

      馳   浩君    林 省之介君

      増田 敏男君    松野 博一君

      水野 賢一君    森岡 正宏君

      大石 尚子君    鎌田さゆり君

      今野  東君    中野 寛成君

      葉山  峻君    藤村  修君

      牧  義夫君    松野 頼久君

      山口  壯君    山元  勉君

      池坊 保子君    斉藤 鉄夫君

      武山百合子君    石井 郁子君

      児玉 健次君    中西 績介君

      山内 惠子君

    …………………………………

   文部科学大臣       遠山 敦子君

   文部科学副大臣      青山  丘君

   文部科学副大臣      岸田 文雄君

   厚生労働副大臣      南野知惠子君

   文部科学大臣政務官    池坊 保子君

   政府参考人

   (文部科学省大臣官房長) 結城 章夫君

   政府参考人

   (文部科学省生涯学習政策

   局長)          近藤 信司君

   政府参考人

   (文部科学省初等中等教育

   局長)          矢野 重典君

   政府参考人

   (文部科学省高等教育局長

   )            工藤 智規君

   政府参考人

   (文部科学省高等教育局私

   学部長)         石川  明君

   政府参考人

   (文部科学省科学技術・学

   術政策局長)       山元 孝二君

   政府参考人

   (文部科学省研究振興局長

   )            遠藤 昭雄君

   政府参考人

   (文部科学省研究開発局長

   )            今村  努君

   政府参考人

   (文部科学省スポーツ・青

   少年局長)        遠藤純一郎君

   文部科学委員会専門員   高橋 徳光君

    ―――――――――――――

委員の異動

十月三十一日

 辞任         補欠選任

  小渕 優子君     中本 太衛君

  岡下 信子君     倉田 雅年君

  鎌田さゆり君     今野  東君

同日

 辞任         補欠選任

  倉田 雅年君     岩倉 博文君

  中本 太衛君     小渕 優子君

  今野  東君     鎌田さゆり君

同日

 辞任         補欠選任

  岩倉 博文君     岡下 信子君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 政府参考人出頭要求に関する件

 文部科学行政の基本施策に関する件




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     ――――◇―――――

高市委員長 これより会議を開きます。

 文部科学行政の基本施策に関する件について調査を進めます。

 この際、お諮りいたします。

 本件調査のため、本日、政府参考人として文部科学省大臣官房長結城章夫君、生涯学習政策局長近藤信司君、初等中等教育局長矢野重典君、高等教育局長工藤智規君、高等教育局私学部長石川明君、科学技術・学術政策局長山元孝二君、研究振興局長遠藤昭雄君、研究開発局長今村努君、スポーツ・青少年局長遠藤純一郎君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ございませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

高市委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

高市委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。森岡正宏君。

森岡委員 おはようございます。私は、自由民主党の森岡正宏でございます。

 きょうは、大臣、副大臣、そして政務官に辛口の質問をさせていただきたいと思います。お役人の答弁は要りませんので、政治判断を加えた答弁をお願いしたいと思います。

 まず第一は、教育改革についての認識でございます。

 第百五十一通常国会は教育改革国会と呼ばれ、皆さん方の御努力によりまして教育改革三法が成立いたしました。私は、教育改革というのはまだ緒についたばかりだと思っておりますけれども、今国会では政府提出の法案がまだ一本も出ておりません。教育改革国民会議は十七の提言を示してくれているわけでございまして、取り組むべき教育改革のテーマはいっぱいあります。それなのに、文部科学省からは小泉改革の激しい息遣いというものが見えてこない。私は、もう息切れしてしまったのかなと思っておるわけでございます。

 法律だけではなく、予算措置、また運用でできること、いろいろあるでしょうが、私はただいまの状態に多少不満でございます。今問題になっている特殊法人改革だって、文部科学省は及び腰ではないかと思えるような感じがしてならないわけでございまして、文部科学大臣は今何合目あたりを歩いている認識でおられるか、まずお伺いしたいと思います。

遠山国務大臣 久しぶりにこの委員会に出させていただきまして、状況だけでも大変な熱気を感じるところでございますが、大変厳しい口調での御質問を賜りました。

 私、振り返ってみますと、さきの通常国会におきまして、御指摘のとおり教育改革六法をここで成立させていただきまして、改めて委員各位の御協力に対して感謝を申し上げたいと思います。

 私は、小泉内閣の中でいろいろな構造改革が言われておりますけれども、教育改革は最も先頭を走っている改革であると考えております。それは時期的にも、さきの通常国会が、教育改革国会と申しますか、教育改革の六法を掲げて走り、そしてまた、特に教育改革三法の成立に関しまして、私自身、力を込めてこの成立に努力をしてまいったと思っております。その中身は、先生御指摘のように、教育改革国民会議が掲げましたたくさんな課題の中で重要なものをほとんど拾い上げて、法律になじむようなものについてはそこで解決、一つの枠組みとしては前進したと思っております。

 私は、教育改革については、もちろん法改正も大事だと思っておりますけれども、本当にやるべきことというのは、各地域において、学校が、教員が、教育委員会がどのように取り組むかということだと思っております。その意味で、あの各種の法律でお認めいただきました枠組みの中で本当に日本の教育をよくするということで、今全力を挙げて取り組んでいるというのが実態でございます。

 例えばあの改革法の中で、さまざまな法律でいろいろな課題を解決すべく枠組みをお決めいただいたわけでございますけれども、その中で、何を目的として、どういうことをねらってやっていけばいいか。学校がよくなる、教育が変わるというのはわかりやすいわけでございますけれども、それだけでは、それぞれの教員ないしそれぞれの学級、そして個々の保護者などに訴える力が少ないのではないかということで、私自身はこれをもう少し明快な言葉に置きかえまして、真の学力あるいは確かな学力と心の教育を強力に推進するということで、今いろいろな形で各地でのその方向に向けての努力を促しているところでございます。

 もちろんメールマガジンでも申しましたし、タウンミーティングでも申しましたし、いろいろな学校を訪問し、あるいは教育長、あるいはいろいろな地方公共団体の首長に対しまして、今回の目的というのは、本当に日本をよくしていく、そのためには、子供一人一人がみずから考え、そして自分で発想し、本当に自分の力を持って、将来に夢を持つ、そういう子供たちを育てていかなくてはならない、それについてはどうしたらいいかということで、今申し上げたような、少なくとも確かな学力を身につける、片々たる知識の量ではなくて確かな学力を身につけ、本当の心の豊かさというものを持った子供たちを育てようではないかということで、今、大キャンペーンを始めているところでございます。

 それから、大学につきましても構造改革の必要性ということをつくづく感じておりまして、構造改革の方針を出させていただいたりということで、確かに法律案そのものは今国会は出しておりませんけれども、将来に向けていろいろ考えるところもございます。

 そんなことで、私自身は今、担当者ともども非常に精力的に取り組んでいるところでありまして、特殊法人につきましてもまた折を見て御説明したいと思いますが、各省の中で最も積極的にやっている省でございます。

森岡委員 遠山大臣のお気持ちを伺って、ちょっと安心したところでございます。

 しかし、それならば、教育改革国民会議の報告の一つに、「新しい時代にふさわしい教育基本法の改正を」という提言がございます。聞くところによりますと、文部科学省は中教審にこの問題を諮問しようとされていると聞いております。私は、正直、またかというがっかりした気持ちを持っているわけでございます。

 教育基本法の改正については、私が知っているだけでも、昭和三十年でございましたか、鳩山内閣あたりのころから議論されてきた問題でございます。精神論、また組織論、制度論、いろいろ出ておりますし、もう機は熟してきているのじゃないかなと。わざわざ中教審の答申に頼るということはもう必要ないのじゃないか、中教審の答申を得たとしても出てくるものは大したものが出てこないのじゃないか、今までの枠の中にはめられたものしか出てこないのじゃないかと。

 けさも新聞を見ておりますと、中教審の教員養成部会が教員免許の更新制度の導入を見送ったという報道がございました。私は、教育のビッグバンをやろうとしているこういうときに、こういう姿勢ではだめなのじゃないか、文部省はもっと主体性を発揮してもらいたい、何でもかんでも中教審に頼ってその答申が出てこないと実行できないという姿勢では困るなというふうに思っているわけでございます。

 私は、この教育基本法の改正についても、今や遠山大臣の私案なるものをここへ提示してもらいたい。そして、国民的な議論を大いに深めたらいいじゃないか。

 今どうしてできないのですか、それをお伺いしたいと思います。

遠山国務大臣 御指摘のように、教育基本法については長い間のいろいろな議論の積み重ねがあったことは確かでございます。

 今やもう私案を出してやれというお励ましをいただいたわけでございますけれども、教育基本法といいますものは、我が国の教育の基本理念、そして基本原則について定めるものでございます。この見直しに当たりましては、私はやはり、教育に関する基本的な重要施策を審議する中央教育審議会にそのことを正式にかけることなくやるような問題ではないのではないかと思っております。

 そこでの審議を通じて国民的な議論を深めていく。最近は審議会も傍聴可能でございまして、議論のプロセスも国民が追うことができるようになってございますし、そういう、国民も参加しながら、いろいろな意見を集約しながらやはりこれはコンセンサスを得て法改正に臨んでいく、あるいはそういうことについて議論をしていくということでありませんと、改正をするということについて、仮に成立した段階でも、国民の中に深く浸透し、そしてその精神が生きていくということについては、私はどうなのかなと思っているわけでございます。

 これは既にお聞き及びと思いますけれども、我が内閣の発足に当たりまして、小泉総理の所信表明演説がございまして、その中にも、「日本人としての誇りと自覚を持ち、新たなる国づくりを担う人材を育てるための教育改革」に取り組む、「教育基本法の見直しについては、幅広く国民的な議論を深めてまいります。」というふうに明確に言われております。やはり私どもとしては、今進めております省内での精査ないしいろいろな検討を踏まえた上で中央教育審議会に諮るということは、これは内閣の姿勢として決まっているところでございまして、しかし、着実に、方向性を踏まえながら進めていく問題ではないかと思っております。

 ただ、先生の御意欲については大いに承ったところでございます。

森岡委員 今の御答弁では多少私は不満でございますけれども、話題をかえたいと思います。

 歴史教育と修学旅行について伺います。

 小泉総理は先日、国会の合間を縫って訪中、訪韓されました。その折、中国では中国人民抗日戦争記念館、そして韓国では西大門独立公園を視察されました。それぞれ感想を述べ、おわびを言われたのは御承知のとおりでございます。中国では日本兵が中国人の生体解剖を行っているところ、また韓国では日本兵によって朝鮮人が拷問を受けているところを人形展示されているようでございました。随行されました安倍官房副長官のお話では、それはそれはグロテスクなものでしたよとおっしゃっていました。

 今、日本の高校の海外への修学旅行が年々増加しており、五千五百校あるうち、大体千校ぐらいが海外へ行っていると思います。そのうち韓国が一番、大体二百五十校、中国が二番目、大体二百校、こういうふうに、韓国、中国が多いようでございます。

 私が問題にしたいのは、この日本の高校生の修学旅行のスケジュールの中に、小泉総理がごらんになったような施設が組み込まれているということでございます。

 私の手元に、中国行きの修学旅行を一番多く手がけているという旅行社の行程表がございます。北京滞在三泊四日の旅行で、三日目に「蘆溝橋 抗日戦争記念館 日中戦争の歴史を知る」、こう書いてあります。旅行社に聞くと、どの学校にもこの行程表を当てはめているんだということでございました。

 一方、国内の修学旅行を見ておりますと、奈良、京都などは年々減ってきております。私の郷里奈良市のことを持ち出して恐縮でございますが、十年前に比べますと半分以下になっております。十年前は百九十八万人、去年は九十五万人、大変な減りようでございます。逆に、ディズニーランドとかプロ野球のドーム球場の見学、こういうものが多くなってきていると聞いております。

 私が問題意識を持ちますのは、学習指導要領の中に、「歴史に対する愛情を深め、」こう書いてあります。にもかかわらず、修学旅行は、自国の歴史、伝統、文化というものを知ることから遠ざかっていって、そして外国へ行って自虐的な体験をさせる。これでは修学旅行の教育的意義はどこにあるんだと私は言いたいわけでございまして、文部科学省としてこういう実態をどうとらえておられるのか、まず遠山文部大臣の御感想から伺って、お答えをいただきたいと思います。

遠山国務大臣 修学旅行というのは子供たちの学校生活の中で最も楽しみなチャンスでもありますけれども、それを単なる楽しみの場にするのでは教育の意味がないのではないかと私は思います。その意味で、歴史についての認識を深めたり、いろいろな体験をしてみたり、私は、単に名所旧跡をたどるというだけでない方向も現代では必要ではないかと思いますけれども、単に楽しむ、あるいはいろんな、何と申しますか、今おっしゃったような例で時間を費やすというようなことでは本来の修学旅行の目的とするところと合わないのではないかという感想を持っております。

 ただ、まだ私、修学旅行の行き先等について余り詳しく存じておりませんので、十分なことは申せませんが、感想としてはそのように思います。

森岡委員 いずれにいたしましても、今の遠山大臣の御答弁、このままじゃいかぬという認識を持っていただいたと思いますから、私は、このまま放置してもらったら困ると思うわけでございます。最近起こった出来事さえ私たちはすぐ忘れがちでございますけれども、修学旅行の印象というのは非常に強いわけでございまして、一生忘れられない。その思い出を、そういう自虐的な体験をさせることによって、日本人としての誇りを持たせない、持たせられないような子供を育てる、そんな修学旅行になっては困るわけでございまして、このことをお願いしておきたいと思います。

 次に、歴史教科書の問題について触れたいと思います。

 小泉総理が韓国の金大統領との間で、両国政府が歴史専門家の共同研究会を立ち上げることで一致したと報道されました。その後、文部科学大臣には総理からどのような指示があったでしょうか。

 歴史はそれぞれの国によって見方が異なるものでございます。お互いそれを受け入れることが大事だと思うわけでございまして、あのハルピン駅頭で伊藤博文公が安重根という人物に暗殺されました。日本側から見たら彼はテロリストでございます。しかし、韓国側から見たら彼は英雄でございます。歴史を共同研究することによって、日本の子供たちにテロリストを英雄だと教えるようなことにしてもらっては困るわけでございまして、研究会を発足させようとするならば、どういう人選をして、何を目的でおやりになるのか、それを伺いたいと思います。

岸田副大臣 先生御指摘の日韓首脳会談におきます合意の件ですけれども、ちょっと確認させていただきますならば、小泉総理と金大統領との間で、日韓の歴史に関し、この歴史に関しという部分がちょっとポイントでありまして、歴史に関しまして専門家による共同研究を行うことについて大まかな合意がなされるとともに、今後、両国政府が共同研究会を早期に立ち上げるために協力し、その運営が円滑に行われるよう支援していく、こうした一致が行われたというふうに承知しております。こうした結果を踏まえて、その共同研究について、どのように行っていくのか、そして政府としてそれをどう支援していくのかがこれからのポイントだと考えております。

 歴史を共同研究するわけでありますから、従来の流れからいいまして、外務省が中心になって、どう対応していくか、今言ったようなポイントについて検討していくわけですが、文部科学省としましても、所管からいいましてこれは大いにかかわるわけでありますから、外務省としっかり連携をして、今申しました、具体的などういった形にしていくのか、そして政府としてそれをどう支援していくのか、このポイントにつきましてしっかりと協議していきたいと今考えておるところでございます。

森岡委員 今岸田副大臣からお答えいただきましたように、この問題は慎重に扱っていただきたいと思います。

 時間が参りましたので、最後に一つ申し上げます。

 扶桑社が出した「新しい歴史教科書」が七十万部を超えるベストセラーになりました。ところが、実際教育現場で採択されたのはたったの五百二十一冊でございました。〇・〇三九%にしかすぎませんでした。文部科学省はこのミスマッチをどう見ておりますか。国民は、今使われている歴史教科書はどうも信用できない、扶桑社の出した教科書にこそ真実があるのではないかと思い始めたのじゃないか、私はそういう気がしてならないわけでございまして、御感想をお答えいただきたいと思います。

岸田副大臣 今回の教科書採択につきましては、一部の地域で、教育委員会等の採択関係者に対して外部から組織的な働きかけが行われたとか、あるいは公正な採択に影響を与えかねないような事態が生じているという報告を受けているところであります。

 そういった報告を受けて、毎年この採択に関して公正の確保を徹底するために一般的な通知は行っているわけでありますが、それに加えて七月に、各都道府県教育委員会に対しまして、この公正確保の徹底を特に指導したところであります。しかし、結果としまして今申し上げましたような報告がされている、一部の地域とはいえこうした事態が生じていること、これはこの採択のあり方から見て遺憾であるというふうに感じております。

 そして今後どうするかということですが、文部科学省としては、採択に関して混乱があった地域、あるいは今申し上げましたような問題点があった点、こんなところにつきまして、今、分析、整理を行っているところであります。

 例えば、一つの例としまして、採択地区協議会と教育委員会の結果が一致しなかったということで混乱を生じたというような事例もありました。こういったあたりは、やはり明確なルールがないためにこうした混乱が起こったというふうに考えておりますので、こうした明確なルールを各地域においてしっかりとつくってもらうよう指導していかなければいけないというふうに思っておりますし、こういったルールづくりを通して、こうした事態が公明正大に行われるということを確保していかなければいけないのではないか、そんなことを考えているところであります。

森岡委員 ありがとうございました。時間が参りましたので終わります。

高市委員長 砂田圭佑君。

砂田委員 自由民主党の砂田圭佑でございます。

 まず冒頭に、六月八日、大阪で起こりました池田小学校の殺傷事件、今もってその後遺症があらゆるところに見かけられるわけでございます。しかし、世間では既に忘れ去られんとしている状況であります。改めて、御遺族の方々あるいはけがをされた方々にお見舞いを申し上げたいと思います。そして、当時も大臣も大変な御心労であったとお察し申し上げますとともに、大変御苦労であったというふうに考える次第でございます。

 なぜ今そのことを申し上げるか。やはり世の中のテンポが極めて速い状況で進んでいるだけに、たった五カ月もまだたっていないことをもう既に世間の人は忘れ始めているという事情もあるのではないか。それだけに、子供たちの安全、命を守る、そういうことについての我々の思いをしっかりとこれからも持ち続けていかなければならない、そんな思いもあって、冒頭にそのことを申し上げた次第でございます。ぜひとも、大臣におかれましても、これからいろいろ御配慮をいただいて、教育の安全のためにも御努力をいただきたいとお願い申し上げる次第でございます。

 さて、私は、きょうは私学教育のことをお伺いいたしたいと思います。

 我が国の教育は、この五十年間、すぐれた多くの人材を輩出してまいりました。そして、この国の発展のために大変な御努力をいただいてきたわけでありますが、最近どうもその辺が怪しくなってまいりました。今日の青少年の諸問題を考えるときに、果たしてこのままで教育の問題はいいのかという思いを強く持つわけでございます。そういう点で、やはり現在の教育というものが少し行き詰まってきたのではないかという思いを強く持つものでございます。

 そういう中で、この教育問題、大枠の中ではいろいろな改革の仕方があろうかと思いますが、私は、日本の教育機関の中で私学が持っている能力、教育的な面で私学の果たす役割というのはやはり非常に大きなものがあるのじゃないかな、そういう思いがいたします。ぜひとも、この私学の振興ということについて、もう少ししっかり我々は見詰めながら果たしていかなければならないのではないかという思いがいたします。

 そこで、大臣におかれては、この私学教育の重要性ということについてどのようにお考えになっていらっしゃるか、そしてまた、どんなふうにこれから私学を応援していこうというふうにお考えでありますか、そこを伺いたいと思います。

遠山国務大臣 私立学校の重要性はもう申すまでもないわけでございまして、日本の各学校段階におきます学校数あるいは在学者数において大変大きな比重を占めておりまして、国民の教育に対する幅広いニーズを受けとめて、私学の関係者は非常に努力をしていただいていると私は思っております。

 私学のよさは、やはりそれぞれの建学の精神をきちんと持っていること、そして特色ある教育研究活動を積極的に展開していただいていること、そして社会の多様なニーズにこたえる柔軟な体制をとりやすいこと、そういうふうなことを通じて教育改革を、場面によってはリードしてもらうようなこともあるわけでございます。そのようなことから、文部科学省としましては、私学教育の重要性ということはもう従来から十分に認識をしてまいっております。

 そのようなことから、これまでも、国ができますこととしては、国の大きな教育の枠組みの中で自由濶達にやっていただくということをいろいろな意味で指導助言させていただくのもありますけれども、主として、私学助成を充実して私学振興を図るということに力を注いでまいっているわけでございます。この点については、今後ともさらに力を入れて振興していくべき事柄であると私は考えております。

砂田委員 ありがとうございます。

 やはり、私学の充実は、それぞれ個性ある子供たちを育てていくという意味からも大変重要ではないかという気がいたします。そういう意味で、ぜひとも文部科学省も私学教育には力点を置いてこれからもあらゆる施策を行っていただきたい、御要望をする次第でございます。

 どうぞ大臣、もうお休みください、あとは副大臣と政務官にお願いしていますので。

 次に、私立学校への国民の期待は、今大臣も申されたとおり大変なものがあるわけでございますが、今、私立学校は、幼稚園で約八割が私立の担当でありますし、高校生の三割がこれまた私学、大学生の八割、専修学校に至っては九割が私学の担当でございます。そういう意味で、私学が占める日本の教育界というのは大変な問題があろうという気がいたします。

 我が国の国及び地方公共団体の財政支援の現状、その辺はどんなふうな状況になっているか、岸田副大臣、お願いをいたします。

岸田副大臣 私立学校に対する重要性の認識は、今大臣の方から申し上げたとおりであります。こうした認識のもとに私立助成の充実に努力をしてきたところでありますが、まず、国の財政支援につきましては、平成十三年度予算におきまして、私立大学等経常費補助金としまして三千百四十二億五千万円を、そして私立高等学校等経常費助成費補助金としまして九百二十二億五千万円を計上しております。さらに私立学校の教育研究設備等の整備に対する補助を加えまして、全体で約四千四百億、国として支援をしているところであります。

 一方、地方、各都道府県の財政支援でありますが、私立高等学校等の経常経費に対する補助として、十二年度で六千二百六十一億円を支出しております。それに、独自の補助制度により設備の整備等に対する支援を行っておりまして、これら全体でおよそ六千九百億円となっております。

 国で四千四百億、地方で六千九百億、これが現状でございます。

砂田委員 かなりそういう意味では私立の助成についてもいろいろ御配慮をいただいているところでありますけれども、やはり私立の教育成果ということを考えれば、そして私立学校振興助成法の理念に基づけば、私立学校に対する経常費の補助金の割合は二分の一までは認められているという規定がございます。まだまだそれには遠く及ばないところでございます。

 学校のもたらす教育効果、そして学校の個性を発揮してもらうという意味でも、いろいろなやり方もあるでしょうけれども、お金だけでなくて、あいている学校の校舎を貸すとか、いろいろな方法もあると思いますけれども、やはり予算が最大の問題でありますから、限りなく、決められた二分の一の助成、そういうところへ近づくような御努力を願いたいと思いますけれども、その先行きはどんなふうにお考えでしょうか。

岸田副大臣 今先生御指摘のように、私立学校振興助成法第四条で、国は、私立大学等を設置する学校法人に対し、当該大学等における教育、研究に係る経常的経費について、その二分の一以内を補助することができるとされております。加えて、同法の成立時の附帯決議において、「できるだけ速やかに二分の一とするよう努めること。」とされているところであります。

 こうした中、私立大学の経常経費に対する私立大学等経常費補助金の割合でありますが、これは国の財政状況等もあり、昭和五十五年の二九・五%をピークとしまして年々低下しております。そして、平成十年度で一一・八%まで低下したという状況にあります。その後わずかに増加して、平成十二年度で一二・二%と、何とか踏みとどまったという現状にあるわけであります。

 かくのごとく二分の一にはほど遠い状況でありまして、しかし、先ほど大臣が申し上げましたような認識のもとに、引き続き努力をしなければいけないということで、平成十四年度の概算要求では、前年度比較で七十八億円増の三千二百二十億五千万円を要求しております。

 厳しい財政状況でもあり、また構造改革等いろいろ政治の大きな動きの中ではありますが、引き続きまして、私立学校の重要性にかんがみて努力していきたいと思っておりますので、また先生を初め関係の皆様方の御支援をよろしくお願い申し上げたいと存じます。

砂田委員 ありがとうございます。

 ただ、やはり私学の振興も、何といってもお金が一番ということに相なるわけでございまして、この厳しい予算の中でございますから、総じて予算が減額されていくという流れにあるのはわかりますけれども、やはりそういうときだけに、優先順位といいますか、何に本当に国のお金を注ぎ込むべきかということが日本の将来も決めることにもなりかねないと思います。そういう意味では、ぜひとも文部科学省とされても格段の御努力をいただいて予算獲得に励んでいただきたい、そんな思いでございます。

 この私学助成に関する経常費の補助金でありますけれども、それは今のお話にありますようなことでございますけれども、研究の高度化等への助成などについてもぜひとも充実を図っていただきたい。そういう補助金と別な形の中で、別の項目の中でもう少し研究費等に助成をしていただくというようなことをぜひとも強く希望するものでありますけれども、池坊政務官はその辺のことをどんなふうにお考えでありましょうか。お願いをいたします。

池坊大臣政務官 我が国の高等教育機関の約八割を私立大学が占めておりますから、その私立大学における研究の高度化を図ることは、我が国の学術研究にとって大変に重要なことだというふうに考えております。ですから、今までの経常補助費のほかに、研究装置、設備などに対する補助も実施しているところでございます。

 平成十四年度の概算要求におきましては、二百六十五億三百万円を要求しております。これは前年度比の十三億二千五百万円増でございます。ですから、この財政が大変厳しい中にありましても、文部科学省といたしましては、これはもう本当に大幅な増ではないかと思っております。

 特に、平成八年度からは、科学技術基本計画等を踏まえ、私立大学における研究基盤及び研究機能の強化を図るため、先端的な研究プロジェクトを実施する私立大学について、研究施設、装置、設備及び研究費に対する一体的な支援を行う私立大学学術研究高度化推進事業を実施しております。

 平成十四年度の概算要求におきましては、新たに産学連携による共同研究に対する支援事業を創設するなど、事業全体で百九十五億八千万円を要求いたしております。これは前年度比の二十一億三千五百万円増でございますから、今お話がございましたように、この財政が大変厳しい中にあっても大幅な増を今見込んでいるところでございます。

砂田委員 そういう意味では、私学の発展はやはり日本の将来に大きな影響を及ぼすものと確信をいたしております。私学教育の充実について、文部科学省のこれからの御努力をぜひともお願いを申し上げたいところであります。

 時間がありませんから最後の質問になりますが、少し唐突でありますけれども、去る八月の二十九日に、日本のロケットH2Aの打ち上げが大成功いたしました。やればできるじゃないかという思いでありましたし、その前に二回続けて失敗をしたのは何だったんだという気もするわけでございます。

 しかし、当然、成功のためには失敗は当たり前のことでありますから、我々としてはもろ手を挙げて大歓迎でありますし、そしてまた、日本の独自のロケット、そして衛星がだんだん消耗してなくなりつつある中で、新しい衛星を生むことができる可能性が生まれたということは非常に喜ばしいし、御関係の方々の御努力に敬意を表するものでございます。それだけに、これからも失敗のない衛星をぜひとも打ち上げていただきたい。

 我々は、世界に伍していくためにも、こういう最先端の技術をもう日常茶飯事のように使いこなせることが、やはり日本の科学水準を高めることになっていくであろうという気がいたします。

 そこで、青山副大臣に、この衛星の今後のスケジュールあるいはこれまでの経過について、ぜひとも国民の皆さんにお話しをいただきたい。そして、日本の衛星が世界に冠たるものであると、日本の科学というものをぜひとも誇示していただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

青山副大臣 御指摘のとおり、H2Aロケット試験機一号機の成功は、本当に我々にとっては大きな励みになりました。成功のために、関係者がそれは大変な努力をさせていただきました。

 お話しをいただいておりますが、我が国の宇宙開発は、人類のフロンティアを開拓するもので非常に重要なものだと考えております。

 特に、一つは、新しい知見の獲得を目指していくもの、それから国の安全の確保や質の高い国民生活を実現していくためにどうしても必要である、あるいはまた非常に幅の広い技術が必要になってまいりますから、国の産業全体の大きな技術革新につながるものであって産業の活性化に大きく貢献することができる、そういう意味で、例えば衛星の分野では、情報収集であるとか災害監視であるとか通信・放送、それから地球環境観測、その他の衛星を、ぜひ安定した形で打ち上げていくことが非常に大事であろうと思います。

 また、そういう意味で、今回成功いたしましたが、やはり我々がこれから取り組まなければならないことは、一つはもっと高い信頼性を確実にしていくことであろうと思いますし、世界の最先端の技術をしっかり日本で確立していきたい、自前で確立していきたいと考えております。

 人工衛星についてでありますが、地球観測や高度情報通信社会の構築に貢献できるように、これから取り組んでいきたいと思います。

 今、宇宙三機関の統合に取り組んでおりますが、これは基礎的な学術研究から応用可能な開発研究まで、日本の宇宙に関係する研究開発の基盤を強固にしていきたいと考えております。

 そこで、これからの計画でございますが、今回、試験機一号機を成功することができましたが、冬期には二機打ち上げたいと考えております。一機は試験機二号機でございます。これはミッション実証衛星。もう一つは環境観測技術衛星を今年度、平成十三年度冬期に、来年になるかと思いますが、打ち上げていきたいと考えております。

 それから、平成十四年にはデータ中継技術衛星を、できれば来年のできるだけ早い段階、夏期には打ち上げたいと思いますし、二つ目を、情報収集衛星になるのか運輸多目的衛星になるのか、運輸多目的衛星は第一号機を打ち上げますが、これはどちらが先になるかまだ考えておりませんが、二機、来年の夏期以降、冬期には打ち上げたいと考えております。

 それから、平成十五年には二つ情報収集衛星を打ち上げて、これで四機、情報収集衛星を平成十五年には打ち上げていきたい。

 平成十六年には二機、陸域観測技術衛星と増強型の試験機一号機を打ち上げていきたいと考えております。

 それから、平成十三年度には四機打ち上げていきたい。

 その技術を、高い技術水準で安定的に、確実に打ち上げられますような技術をしっかり、その基盤を強固にしていきたいと考えております。

 以上です。

砂田委員 ぜひ頑張っていただきたいと思います。

 時間になりましたので、終わります。ありがとうございました。

高市委員長 午前十一時三十分から委員会を再開することとし、この際、休憩いたします。

    午前十時四十七分休憩

     ――――◇―――――

    午前十一時三十分開議

高市委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。

 質疑を続行いたします。中野寛成君。

中野(寛)委員 民主党の中野寛成でございます。

 何かこの委員会へ久しぶりに戻ってきたような感がいたしまして、大臣と質疑をするというのも本当に久しぶりでございます。久しぶりに帰ってきましたら、文部科学委員会ということで科学が入っておりますし、私の苦手な分野だなと思ったりもいたしておりますが、同時にまた、とてもすばらしいことに、委員長初め大臣、政務官、そして理事の皆さん、女性の進出が大変顕著ですので、この委員会らしいなという感じがして心強く思っております。これで大変バランスのとれたというか、いい審議ができるのではないかと思います。我が同期生だった旧友が副大臣の席に座っているのだけがちょっと、うれしいような、何といいますか余り、それ以上言うと個人的感情が入り過ぎるので省略いたしますが……。

 さて、教育というのは、一億人いれば一億人の教育評論家が存在すると言われるぐらいに、みんながいろいろな形で関与しやすいテーマでもあるわけですが、最近、見ておりますと、世相が本当に混沌として、そしてまた殺伐としてきたなと。これは、政治や経済、また国際平和、そして一般の社会、家庭、教育の現場、いろいろなところが急激な変化の中で、緩やかな崩壊という言葉が使われるかと思いますが、やはりそういう状況にある。急激な崩壊は慌てて手を打つということがあるんですが、緩やかな崩壊というのは、気がつかないうちに崩壊をしている、また対策を講ずることも場合によっては後回しになりかねないという現象があると思うんです。

 そういう中で、私は、ある意味では教育というのは被害者でもあると思いますが、と同時に、このような状況のときに、これを立て直す、人々の心を活性化させる、また青少年や後継者たちに夢や希望を持たせるという意味では、教育は社会の立て直しの柱にならなければいけない使命も持っている。よって、教育がその役割をもし果たさない、もしくは果たし得ないとすれば、それは我々が、教育に携わる者が、今度は加害者になるということをも意味するというふうに思うわけで、そういう意味でも、文部科学省の使命というのは極めて重大だというふうに思います。

 後ほど質問の中でも触れたいと思いますが、よく小泉改革と言われるけれども、その改革の中身について今ここでとやかく言おうとは思いません。しかし、経済構造の改革、それは、社会構造の改革とある意味では同義語でもあると思います。その主役を演じるのもやはり教育だろうというふうに思いますので、ぜひその御認識の中でお尋ねをさせていただきたいと思います。

 教育という言葉は、教え育てる、または、それを受ける方は学び育つということにもなるのだろうと思います。特によく使われる言葉、英語のエデュケーションというのはエデュケートする、いわゆる引き出すという意味だというのは、この委員会でもたびたび使われていることではないかと思いますが、そのようなことを本当に正しくみんなが自覚しているかというところが今問題になっていると思うのです。教える、または、もっと悪い言葉で言うと強制することは、たやすいかもしれません。しかし、引き出すこと、本当の意味で育てることというのは大変難しいことだと思います。努力と忍耐と継続、いろいろなものが要求をされるというふうに思うんです。

 その中で我々が一番育てなければいけないのは、知識だけではなくて、自立と自律、私はちょっと発音がおかしいかもしれませんが、自分で立つ心、自立心と、みずからを律する自律心、この二つが大変重要だと思うんです。

 これまで日本は、明治維新以来と言ってもいいでしょうし、または戦後という言い方もあるかもしれません、教育論というのは、いろいろな形で論じられてまいりました。森と何とか論争とかですね。しかし、その論争は、時に時代の動きの中で大きく揺れ動く。例えば、今も教科書問題をめぐっていろいろな論争がある。

 しかし、文部科学省は日本の役所の中でも一番古い役所、また時に、悪いうわさをする人は、古くて、かたくて、そして力が弱い、こう言われる。しかしながら、本当は、古くて、新しくて、創造的で、そして一番世の中をリードする力を持っていることでなければいけないと思うので、ぜひ遠山大臣にその基本的な御決意をまずお聞きしたいと思います。

遠山国務大臣 今、教育についてのお考えをるるお述べいただきました。私も、二十一世紀の初めに当たって、この世紀がどういうふうになっていくかということは本当に見えにくい時代に入りましたけれども、しかし一番の基本は、人間が社会をつくっていく、その社会自体を希望あるもの、夢のあるものにしていかなくてはならない、そういうふうにしていくにはやはり教育だということで、御指摘のように、教育の重要性というのはひしひしと感じておりまして、大変責任を感じているところでございます。

 では、子供一人一人が夢を持って、未来に希望を持って生きていくにはどうしたらいいか。そのことのためには一人一人が、今、自立する心とみずから律する心といみじくもおっしゃいましたけれども、私は、おっしゃいますように、その二つは大変大事だと思っております。

 そのようなことを学校、本当は親も絡んで教育をしないといけないわけでございますが、学校において考えるといたしますと、私はやはり、本当の意味で、自分で考えたり、判断をしたり、興味を持ったり、集中したり、そういうふうなことの基礎を学んでいく、そういうのが学校であって、まさに確かな学力というものを身につけさせていく。それと同時に、みずから律し得ると申しましょうか、豊かな心を持ちながら社会の一員としてどのように自分は役立っていくかというふうなことも考えられる、そういう心根を持った子供たちを教育していくのがまさに大事な時期であろうかと思っております。

 その意味で、先国会で成立させていただいたいろいろな法改正、これは、新しい教育のあり方に向けて条件整備をしていただいたと思っております。私どもの今の役割は、それを本当に根づかせていく、しかも、それについて、個別の具体的な枠組みがどうなったか、仕組みはどうなったかということを徹底するだけではなくて、教育というのはこういうふうにあってほしいというふうなことをはっきりと申し上げて、もちろんその実践は個々の学校であり、親でありということではございますけれども、そういうふうにやっていくべき時期でございますし、条件は整ったし、まさにこれから実践のときであろうかと思っているところでございます。

 小泉内閣の中でも、教育改革は先行して進んでおりますし、また、一番日本の基盤を整えるところでありますし、国民に希望を持たせ得る唯一の省ではないかと私は思っております。ロケットの打ち上げであり、ノーベル賞の受賞であり、スポーツ選手の活躍であり、芸術の豊かさであり、これらすべて所管しているのは我が省でございまして、決して弱い省でもなく、また、古いだけの省ではありませんで、先頭を走りながらしっかりと、国民の生活の基盤、そして精神的な意味でも基盤を築いていく、そのようなことについて責任を感じながら、一歩一歩、しかし確かに前進してまいりたいと思っております。

中野(寛)委員 ぜひ強い文部科学省になっていただきたいと思います、私は強いアメリカというのは余り表現が好きではないんですが。美しい日本をつくりたいというふうに思います。本当に直面する課題が大きいと思います。大臣のお名前をもじって恐縮ですが、遠い山ではなくて当面する当山ではないかと思っているので、御健闘を祈りたいと思っております。

 さて、その小泉改革なんですが、ことし六月に打ち出しました構造改革に関する基本方針というのがございますね。「グローバル化した時代における経済成長の源泉は、労働力人口ではなく、「知識/知恵」である。」こういうふうに述べられているのでありますが、その知識、知恵を持つ人材を育成するというのは大変重要だ、こう思います。ただ、だからといって知育優先という意味を言っているのではないだろうと思います。

 私流に解釈しますと、十八世紀の産業革命までは人間の能力を体力ではかったと思うんです。そして、産業革命、これはエジソンやワットやいろいろな発明が、言うなれば新しい文明を築き、我々の今日の生活の基礎になっているわけですが、そこから、ある意味ではこの人間の能力を知力ではかるようになったかなと。これが十九世紀だとすれば、二十世紀はどういう時代だったかというと、よく教育の三項目で知育、徳育、体育といいますが、それでいくと、体育から知育に来て、次は徳育かということになりますが、二十世紀から二十一世紀にかけてはまさに心の働き、徳によってその人のバロメーターとするという時代を迎えていると思うんですね。

 産業的にはそれが、体力を中心とした第一次産業、それから知育を中心にした第二次産業、そして今、サービス、心の働きを加えた第三次産業、次にはこれを総合力として発展をさせていく、また、産業でいえばテクノ産業の時代を迎えたということかと思うんです。ですから、労働力人口ではなく、知識、知恵であるとすると、この表現を皮肉な目で見ると、十八世紀から十九世紀になった表現かなという意識さえ持たざるを得ないんです。

 しかし、私は、知識詰め込み教育ではなくて、本当に心の底から意欲として発露した中での教育というのが構築されなければいけないんだろうというふうに思うものですから、ぜひ、創造性をいかに発揮するかということに主眼を置いた教育を構築してほしいと思いますし、そして、この小泉改革の構造改革の中に占める、これはある意味で、産業的にいうと重厚長大型の産業の中で歴史的な使命が終わった部分が、労働力としては、いわゆるソフト型の産業、サービスですとか環境ですとか、または観光ですとか健康ですとか教育ですとか、そういう産業へシフトしていく、そして新しい労働市場を生み出す、雇用を生み出すというのが本当の産業構造改革だろうと思いますが、その中で果たす教育の役割というのは、これまた重大なんですね。重かつ大であると思うんですね。小泉改革の中で教育改革をどのように位置づけておられるのかということについてもお聞きしたいと思います。

遠山国務大臣 内閣の構造改革は、今国民の目がいっておりますのは主として経済関係の諸構造改革のようでございます。当然ながら、生活の安定がなければ存立の基盤がないわけでございますので、そこのところはそういう勢いで進んではおりますけれども、総理自身が米百俵の話をされましたように、やはり十年、百年というものを見渡すと教育であるということであろうかと思います。

 その構造改革の中で、知識、知恵ということでやや古い時代の目標ではないかというふうなお話でもございますけれども、やはり二十一世紀、そういう全体的な人間の、知力も体力も、そして心の面も充実した人間ということを目指すというのは当然でございますけれども、経済的に日本が世界でのトップクラスを維持していくということから、創造性に富んだ人間をつくりたいということにおいて、知能再構築といいますか、そういうことをねらってそこに書かれたのだと思います。

 私は、創造性は本当に大事なことだと思いますが、学校の現場におきまして、創造性を持て創造性を持てと言っても、決してそんなものは実現できるわけではないわけでございます。それこそ、まさに真の学力、確かな学力を身につけてこそ新たな創造に向かっていくわけですね。これまでのいろいろな研究、すばらしい独創的な研究をされた方々に聞きましても、小さいときには野山を駆け回って、そして体験をしながら学んだ。あるいは、基礎、基本はしっかりしながら、その上で自分の興味を持つものをしっかり見つけて、それを伸ばしていった。そういう、本当に自分で考え、自分で体験し、そして自分で興味を持ったことに集中し、そこに継続をして努力していく、そのことがなければ創造につながらないのだと思います。

 これまでの日本の教育、申すまでもなく二十世紀型の日本の教育というものは大変な成果を上げてまいりました。日本の経済発展の基礎を築いたのは、私は学校教育のしっかりした背景があったからだと思っておりますが、それが、二十世紀の終末に至りまして、八〇年代の終わりから九〇年代にかけて、どうももうそれだけではだめだ、欧米を目標として追いつけ追い越せということで、これだけは必要だということで教え込んできた、そういうスタイルだけではだめだということに気づいて、今の大きな教育改革の流れができ上がってまいっていると思います。そういうマクロの大きな流れというものを注視しながら、一人一人の能力というものを十分に発揮させていく。

 ただ、でもそれは、本当に自分で考えなさいといっても、中身がなくて考えられるものではない。そこを間違えないで、基礎、基本はしっかり教えながら、いろいろなチャンスを体験させて、その中で、何らかすぐれたときには間髪を入れずきちっとそれを評価していく、単なる相対評価で見るのではなくて、絶対評価と申しましょうか、本当にその子の持っている力というものを伸ばしていく、そのようなことが私は大変大事だと思っております。

 そういったさまざまな今の当面する教育のあり方を背景にして、今日の、これからの学校教育というものをしっかりしてもらうために、わかりやすい指導の方法なりあるいはテキストでありますとか、いろいろな手段を考えながらそういうことへ取り組むことを促していくというのが我々の役割だと思っているわけでございまして、今御披瀝いただきましたようなことは、大変私どもとしても参考にさせていただけるものだと考えております。

中野(寛)委員 そこで思うんですが、この前、名古屋大学の野依良治教授のノーベル賞が決定を見ました。相前後して、文部科学省としては、五十年でノーベル賞三十人というキャッチフレーズが表に出ましたね。これは見ようによっては、皮肉な見方をすると、何かノーベル賞が目的か、こんな感じになってしまいかねない。これはきっと深い意味があるんだろうと。

 それは、今の創造性の話もあれば、野依教授が言われたという、科学技術創造立国のために理科を勉強しろというのはおかしい、理科は国のために学ぶのではなく、自然や宇宙の仕組みに興味を持ち、それを知ることで人間が幸せに生きるために学ぶものだと野依教授が言われたと。まさに、その趣旨を含めながら、その結果として五十年でノーベル賞三十人ということもあり得るのかというふうに思うわけですね。そこを、目的と手段を履き違えないことは大変大事なことだと思いますし、これらのキャッチフレーズをおつくりになるときにも、ちょっと、誤解されないキャッチフレーズにされた方がいいかなというふうに思います。

 さて、先ほど教育基本法の話が質問の中で出ておったように思いますが、私は思うんですね、教育基本法をなぜ変えようという声が出てきたのかなと。時々頭を持ち出すんですね。

 この前聞いたら、東京都の高校の校長先生方で、教育基本法をまずめったに読むことがない、また読んだことがないという人が九五%だという話を聞きました。だれも読まない教育基本法を一生懸命変えても、まあ読むように関心を呼ぼうと思って話題にしているのかもしれないけれども、しかし、教育基本法を変えても、余り世の中変わらぬと思うんですね。

 ただ、この前、文教関係の法律の一覧というのをつくってもらって、憲法があって、教育基本法があって、こうずらずらずらっとあるんだけれども、この教育法体系、一回考え直して、洗い直してみたらどうですかね。何か重なっていたり、パッチワークみたいになっていたり、または古い旅館を継ぎ足しだらけで迷路をつくったような感じの、そういう体系になっていないかなというふうに思うんですね。むしろ、そっちの方が先ではないか。

 今、各党の皆さんと協力をして、芸術文化基本法というか振興基本法というか、これを我々は何とか議員立法でやって、できれば、その結果として国の文化予算がふえるといいなと。それを余り前面に出すとまた手段と目的が逆になってしまうので言えませんが、これも、言うならば文部科学省の応援団みたいなことをやっているわけです。

 教育改革国民会議が去年の最終報告で、新しい時代を生きる日本人の育成、伝統、文化などを尊重し発展させる、教育振興基本計画の規定を設ける、この三つの観点を踏まえた見直しの議論の見解を示されたわけですね。その二番目の、伝統、文化などを尊重し、発展させるということの中に、例えば宗教的な情操をはぐくむという視点から宗教教育についても議論すべきだ、また、そういうところが現在の教育基本法に欠けているのではないかという話があるわけですね。

 私は、宗教教育という心にかかわることを政治の中で果たして論ずるべきかどうかということに疑問を持っているんです。まあ、正しい宗教と間違った宗教と分けることができるかどうかわかりませんが、少なくとも、テロ集団になるような宗教の皮をかぶったにせ宗教というのは、これはまかり間違っても許されないと思います。このようなことに視点を置いて宗教を論じたり文化を論じたりするよりも、今、我々が各党でやっている芸術文化基本法をつくった方がよっぽど有効的だというふうに思うんですけれども、これはやはり、中央教育審議会に諮問してやっていくんですかね。私は、その辺はもう少し慎重にお考えになった方がいいなと思います。

 実はきのう日教組の役員の方とお会いしたんだけれども、十五年前にこの委員会で私が質問したころは、日教組を敵として質問しておりました。最近は、日教組とも仲よくしつつ質問しておりますが。いわゆる文部省対日教組という対立の構図みたいな昔の姿なんというようなものは、もはやなくなっている。むしろなくした方がいいし、形骸化したものだと私は思っている。今は、国民みんなが、そういう政争の具に教育をしたり、または感情的な論争の中に教育を置いたりということを避けて、みんなで教育を立て直したいなという気持ちを持っているときだと思うので、その国民感情を大事にした方がいいかなというふうに思うんですが、どうお考えですか。

遠山国務大臣 幾つかのお話がございました。

 ちょっと一つだけ御説明しておきたいのは、国として五十年でノーベル賞三十人というのは、実は、ことし三月に閣議決定された第二期の科学技術基本計画の中にメンションされていることでございまして、私どもが何か、キャッチフレーズでやったものではございません。

 先生おっしゃいますように、ノーベル賞というのは結果論であります。非常に大事なのは、すぐれた研究者がみずからの発想に基づいてたゆみなく研究をして、そして世界に冠たる研究をした後に認められて受けるのがノーベル賞であって、それを目指してというのは、私個人としてはそういうような立て方についてはいささか疑問を感じておりますが、しかし、基本計画において明示されたということでありまして、一つのメルクマールといいますか、そういうことであろうかと考えております。

 その関連で言えば、基礎研究の大事さというのをこれは絶対に忘れてはいけない。これは野依先生も、それから白川博士も、このことについては強くいつもお話しでございまして、その精神を忘れないでいくというのが我が省の基本的な態度でございます。

 それから、教育基本法につきましては、これは長い議論の経緯がございまして、そしていろいろなお考えがあろうかと思います。しかしながら、教育改革国民会議での御指摘もあったり、あるいは、そこで言っておられる、まさに先生がおっしゃいましたような三点の問題、あるいは、それらを実現するために教育振興基本計画というものをきちっとつくって、より力強く教育を充実改善していく、あるいは改革していくということが大変大事だと考えておりまして、このことについては、やはり広く国民の議論を起こしていただいて、そしてその方向について考え、検討し、やっていくというのが私どもに課せられた使命であろうかと思っております。

 たくさんの法律がございます。ただ、そういう法体系を変えるということを目指すといいますよりは、何のためにということが大変大事でございまして、教育基本法についても、何のためにということをしっかりと見きわめた上で、御議論を広く伺いながら対処してまいりたいと思っております。

中野(寛)委員 大臣、最後にいみじくもおっしゃってくださいましたが、もう少しやはり目的意識を持って、そしてこの法体系なども一回洗い直して、そして国民にわかりやすく、日本の教育体系というのはこうなっているんだ、そして地方分権はその中でこう進めていくんだということがわからないと、教育論議が空回りするんですね。そういう意味でも、教育基本法論争は、そういう議論をするきっかけとすることはいいと思うんですが、しかし、教育基本法について拙速に、しかも何か特定の意図を持ってやるようなものではないだろうというふうに思うわけで、時間の関係もありますから深くあれしません、またの機会にそれはいたしますけれども、ぜひ大臣にもそのことを御認識いただいて、お取り組みをいただきたいと思います。

 さて、統合教育について一、二お尋ねをいたします。

 学校教育法施行令を改訂されると聞いておりますが、国連の障害者の機会均等化に関する基準規則とか特別なニーズ教育に関する世界会議のサラマンカ宣言などを見ますと、世界的な流れの中では、治療を重視した分離教育ではなくて、社会的な関係を重視する統合教育に向かうべきだとされているわけであります。

 一方、日本では、施行令の改定に関して、普通学校へ通えない子を法令で規定することになるのではないかという危惧の念を持つ方々が多くいらっしゃいます。現在、一定の障害を持った子供の普通学校への通学は原則的に認められていない。しかし、実際には柔軟な対応を地方自治体でおやりになって、重度の障害を持った子供でも普通学校に通っている。私の子供が通った地元の学校も、そのモデル校としてやってまいりました。最近、ちょっと団地人口が減って、子供の人口が減ったものだから、それだけのキャパシティーがなくなってしまったのが残念なんですが。

 これは厚生労働省との関係もあると思うんですね。この前、あるお母さんが、私はこの子よりも長生きしたいとおっしゃったんです。それは、何も自分が長生きしたいというのではなくて、この子のために、この子よりも先に私が死んだらこの子は後どうなるのだろうという心配の中で、この子よりも長生きしたいとおっしゃったお母さんの言葉を私は忘れられません。

 いわゆる治療といっても、治療は治療として当然必要なことなんですが、それ以上に、社会的な環境の中で障害を持っておられる子供たちもやがて大人になっていく。やはり、家庭の中で守られてではなくて、社会のシステムの中で守られて生涯を全うできるようにするということが大事、その訓練の場でもあると思うのです、普通学校へ通うということは。そしてまた、同時に、障害を持たれた子供たちと一緒に学ぶいわゆる健常児の皆さんにとっても、これはすごくすばらしい教育、体験学習の場でもあるわけですね。

 私は、自分の子供が二人、そこの学校で育って、障害を持っている人たちに対する理解と思いやりが大変よく育ってくれたと思っています。ざっくばらんに言うと、運動会で競走するときに、あの子たちと一緒では競走にならぬわと言って、子供のころ、うちの娘がぼやいたこともありましたが、でもねと、ちゃんと先生の教え方がよかったのだろうと僕は思うんですけれども、しかし、あの子たちと一緒に勉強しているということは楽しいし、有意義だしということを正しく理解して育ってくれました。

 私は、そのことのみずからのささやかな体験からいっても、この施行令の問題というのは逆行していないかなと。現在だとむしろ、結局普通学校へ通学することは違法の存在ということに今のままだとなるのでしょうね。その違法状態をますます固定化してしまう、違法状態でない状態にということで固定化してしまうということかなと、むしろ私は心配をしておって、普通学校へ通うことが違法ではなくて合法、むしろ望ましいのだ、それが原則なのだ、そして、特に当人たちや保護者の皆さんの希望があればそれを受け入れる施設や仕組みがあるというふうに、発想を逆転させる方が正しいのではないかというふうに思うんですね。どうお考えでしょうか。

遠山国務大臣 文部科学省といたしましては、社会のノーマライゼーションの進展あるいは特殊教育をめぐる状況の変化などを踏まえまして、二十一世紀の特殊教育のあり方に関する調査研究を行いました。そして、ことし一月に最終報告を取りまとめたものでございます。

 今回の提言の趣旨といいますのは、御指摘のように、社会のノーマライゼーションの進展あるいは教育の地方分権という観点から、一人一人の教育的ニーズに応じた教育的支援の充実が図られますように、市町村の教育委員会が行います就学事務に関して弾力化を図ろうとするものでございます。したがいまして、これまで市町村教育委員会が行ってきた就学についての措置を違法としたり、あるいは、現在小中学校に在籍している児童生徒の就学状況を変更するものではないということを明確にお答えしておきたいと思っております。

 このことは、詳しいことについては、お許しいただければ、担当の局長の方からもお答えさせていただいた方がむしろわかりやすいかと思いますけれども、そういう気持ちでございます。

 したがいまして、原則をどちらに置くかというのはさておきまして、やはり障害ある子供たちが本当に自立できる、そういう力を持つには、専門的な、手厚い、きめ細かな条件を備えているところで学びながら、治療というのでしょうか、むしろそこで学びながら、自分で点字ができるようになるとか、特別につくられた学校では、それは大変な物的、人的な条件を整えているわけでございますので、そこである程度のいろいろな、自分で自立できる力を備えた上で、しかし、おっしゃいましたように、通常の学級での交流でありますとか、そういう健常者との交歓をするということは、その当人の人たちにとってもいいわけですし、それからまさに、障害のない子供たちにとっても、これからの社会というのはいろいろな人たちが共存していくのだ、共生していくのだ、そしてそのあり方について、思いやりを持ったり、あるいは一緒に生きていくということの大事さを学んでくれるという意味で大変大事ではないか、そのような思想ででき上がっておりますので、決して御心配いただくようなことをやろうとしているのではございません。

中野(寛)委員 具体的には、また同僚議員が折を見て御質問することになると思います。

 ただ、今大臣御答弁でございましたが、ぜひ、違法だということにしてしまわないように、そして、あくまでも弾力的な運用によって選択の幅が広がる。と同時に、やはり正しい理解ができるように保護者の皆さんとの話し合いというものも大事にしていただきたいという基本的な姿勢だけ申し上げておきたいと思います。

 最後に、家庭教育についてお尋ねをしたいと思います。

 最近、地域社会のコミュニティーというのが崩壊をしてくる。一方では、新しく生まれているコミュニティーもあるのですが、そのコミュニティーが必ずしも正しく機能していない。また、核家族化も進んできた。昔言った、向こう三軒両隣結束をかたくというわけにはなかなかいかない状況が出てきた。こういう中で結局子育てに困っている若い親の困惑状態というのを、本当にたびたび見るわけですね。これは児童虐待の問題だとか、いろいろなところにあらわれていると思います。

 私も、今娘が孫を出産して育てているんですが、たまたま幼稚園の先生の経験があるものだから、それを伝え聞いた同じマンションに住んでいる若いお母さんたちが、私の娘のところに子育ての相談に来るんですね。ところが、幼稚園の先生をしていたって、育児はわからないわけです。だから、そういう仕組みというのをたくさんつくっていく必要があると思います。保育所などで地域の育児相談センターにしている自治体もありますが、そういうことをより一層進めていくことが必要だと思います。余り正しくない表現かもしれませんが、子供を教育する前に親が学習するというか、親の教育というか、そのことが今とても大事だと思うのです。

 笑えない、信じられない話があります。

 ある小児科のお医者さんのところへお母さんが赤ちゃんを連れて駆け込んできて、先生、どうしましょう、うちの子のおしっこは青くないんですけどと聞いたという。これは笑い話だと思って聞いていたんです、僕は最初は。吉本興業の漫才の人たちが言っている話だと思っていた。

 ところが、この前小児科の先生に聞いたら、本当なんですね。なぜかというと、テレビのコマーシャルで、わかりやすいようにおしっこの色を青く色をつけた形でコマーシャルをやっているでしょう。うちの子のおしっこは青くないのですけれどもと言って相談に駆け込んできた方がいらっしゃる。これは実話だったんですね。私は、この前確認しました。ですから、そういう状況もあるということを我々はやはり知らなければいけないなと思います。

 文部科学省としては、家庭教育力活性化事業ということで、思春期の子供を持つ親向けの子育て講座の拡充だとか、それから妊娠期子育て講座、この妊娠期子育て講座というのは、大臣も御記憶があるかもしらぬが、もう二十年ぐらい前から私はずっと言い続けているのだけれども、やっと実現するのかなと。

 自治体でいろいろやっているところはあるのですが、スウェーデンなんかは、ある意味では半義務化ですよね、それこそ二十年前から。その間は、保護者については、有給休暇制度があったり交通費負担があったり、自動車で来る人はガソリン代持ちますよとまでやって、妊娠期の子育て講座を両親に対してきちっとやっている。そして、どういう親になるかと、親になる人同士でまたディスカッションもさせる。それを三日とか一週間とかという期間をかけて丁寧にやっているわけですね。

 残念ながら、それが必要でない社会の方が当然健全なんですが、今の日本の現状というのはそれが必要な社会になってしまっているのではないかと思うので、せっかく妊娠期子育て講座などをやるとすれば、これをぜひ、私が申し上げたぐらいの徹底したものにこの際してもらえないものかというふうに思うのです。

 時間が来ましたので、奨学金制度については平野議員が予定をされているようですから私は省略いたしますが、家庭教育、親教育、教育と言って失礼ならば親の学習の機会、これをぜひ徹底してもらいたい。本来は厚生労働省の仕事かもしれないけれども、文部科学省としても取り組まれるということで大変心強く思いますが、御決意をお聞きしたいと思います。

遠山国務大臣 家庭教育というのはすべての教育の出発点であると思います。それが、おっしゃいましたように、今、親自身が、子供の育て方はもとより生き方自体に自信がなさ過ぎる。これが大問題だと思います。

 かつては、親に対して教育をするとか親に学習をしてもらうという姿勢については、それだけで大変批判されたものでございますけれども、もう今やそんなことを言っていられません。そういうようなことから、私どもとしても、いろいろな角度で親の、特に育児については、きょうは細々と説明いたしませんけれども、方策を練っておりますし、親自体が子供の教育についてきちんとした方法論及び精神、そういったものを持ってもらうべく、いろいろな形で努力しているということをお答えしておきたいと思います。

中野(寛)委員 映画評論家で有名な淀川長治さんが、晩年、誕生日になると、お友達からのバースデーパーティーのお誘いも断って、必ず一人で家にお帰りになった。そして、御両親の遺影を飾って、そして一年間の自分の行動に悔いるところはなかったか、御両親の遺影に向かってざんげをするというか、語りかけたというエピソードが実は残っているのですが、そう思われるような親に、そして子供になりたいものだなというふうに思います。

 せっかくの御努力をお願いして、質問を終わります。ありがとうございました。

高市委員長 午後一時から委員会を再開することとし、この際、休憩いたします。

    午後零時十四分休憩

     ――――◇―――――

    午後一時開議

高市委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。

 質疑を続行いたします。山谷えり子君。

山谷委員 九月十一日の米国中枢同時テロ事件は、物の考え方、物の見方が変わってしまったという方が多くいらっしゃる、それくらいの大きな衝撃でございました。

 サンケイリビング新聞が五百人のアンケートを集計いたしましたところ、事件について家族で何を話したかというアンケートなんですけれども、一番が宗教、民族問題について、続きまして、テロ、戦争について、それから、いつどこで何が起こるかわからない世の中、人命のとうとさについてというような集計になりました。

 今回の事件はキリスト教対イスラム教の宗教戦争としてとらえるべきではありませんし、そのような構図にすることはいけないことでございますけれども、だからこそ、宗教的な教養教育といいますか、そのようなものは必要ではないかというふうに私は考えております。

 折しも、中教審は、教養教育の在り方に関する最終報告骨子案をまとめました。今回の米国同時多発テロ事件に象徴されるように、国際化時代を生きる現代人に求められる教養として宗教に関する理解が不可欠と明記しまして、世界の宗教に関する解説資料などをつくり、小中高校段階から異文化理解を促す教育を求めたのが特徴でございます。

 先ほど中野議員も質問の中にお入れになられましたけれども、宗教教育というのは確かに難しゅうございまして、いかにやるか、また伝える人というのもいろいろでございましょうし、大変難しい。

 けれども、現在、キリスト教徒が世界で十五億人、イスラム教徒が十一億人、ヒンズー教徒が七・五億人、儒教、これを宗教に入れていいかどうかあれですけれども、三・七億人、それから仏教、三・五億人。日本でいえば、文化庁の統計によれば、神道系が一億一千八百万人、仏教系が八千九百万人、キリスト教系、百五十万人、これを足すと物すごい数になってしまうんですけれども、統計ではそのようになっております。

 宗教一般について客観知識がないというのが、今の子供たちの現状ではないかというふうに思います。超越せるもの、目に見えない、目に見えるものの背後にある何かとうといもの、そういうものを推しはかる教育というのが今教育現場で失われているわけでございますけれども、宗教的情操心、心をはぐくむ教育というのを国公立の小学校、中学校、高校段階で腰が引け過ぎているのではないか、というか、何かちょっと違った形でとらえられ始めているのではないかというふうに思います。

 教育基本法第九条第二項は「国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。」とあります。私もそのとおりだと思います。特定の宗教教育をしてはいけないし、特定の宗派的な活動というのは公立の学校ではしてはいけないと思っておりますし、また、特定の信仰を強要することがあってはならないというふうに思いますけれども、一般的な広い意味での宗教的な教養教育、あるいは宗教心を育てるような教育というものについて、遠山大臣は、この教育基本法の九条二項の絡みもございますし、どのようにお考えになっていらっしゃいますでしょうか。

遠山国務大臣 宗教的な情操をはぐくまなくてはいけないというのは、まさにそうだと思っております。今日世界で起きている、かの同時多発テロを起因とするいろいろな問題についても、宗教に関するある程度の知識がない限り、非常に間違った理解をしてしまうのではないかと思われます。ただ、本当の意味の宗教を理解するということは大変な時間もかかり、そして、よほどよく見きわめた目を持たないとわからないと思います。

 私もたまたま三年間大使としてトルコにおりましたことから、イスラム教のあり方、あるいはそれが人々の生活にどのようになじんでいるか、また、それをもとに人々がどのように生きているかということをつぶさに見ることができました。しかし、それも本当に理解しようとする心がなければ見逃してしまうようなことであったかもしれませんし、それくらい時間をかけてやっと、何かその辺のものがおぼろげながらわかるというようなものかと思っております。

 その意味で、宗教について表面的なことを学ぶということについては、私もやや、本当に難しいことだなとは思っております。しかしながら、では、できないといって学校教育で全くやらないかということは、これまた子供たちの人生にとって大変大事なものを教えられないまま過ごすということになろうかと思います。

 そのようなことで、ちょっと現状の学校での取り組みの基本だけお答えしたいと思います。

 学習指導要領におきまして、小中学校の道徳において、人間の力を超えたものに対する畏敬の念を深めたり、あるいは高等学校の倫理におきまして、人生における宗教の持つ意義を理解し、人間としてのあり方、生き方について考えを深めたりする、このような形で宗教的な情操を培うということをねらいといたしております。

 また、高等学校の地理、歴史科になりますと、宗教だけを取り上げるということではなくて、宗教などに着目させながら世界のいろいろな文化に対する理解を深めさせるというようなことがねらいとされております。

 学校現場においては、それをいかに子供たちに伝えていくかというのはなかなか難しいことだと思いますけれども、私は、ここでねらいとしている精神を十分酌み取っていただいて、それぞれの教員が十分に勉強されて、この問題に取り組んでもらいたいものだと思っているところでございます。

山谷委員 おっしゃることはよくわかるんですけれども、それにしては、今の教職員養成の課程でそういうような視点でのカリキュラムというのは圧倒的に足りないというふうに思いますし、それから、百科事典で読むように宗教を読んで理解するというものではございませんので、例えば神社、仏教関係のお寺あるいはキリスト教会、いろいろな場所に行ってお話を聞いてみるとか、そういうような体験的なものも含めて教職員の養成のあり方を見直していただきたいというふうに考えております。

 それから、イギリスでは、週に二時間から三時間、公立学校での宗教教育を義務づけております。ドイツも、二時間から四時間、カトリック、プロテスタント、それぞれの宗派を自由意思で選んで、もちろん選びたくない子は選ばなくてというような形でやっているわけでございますけれども、日本でどのような形が現実的であり、また実り多いものかということをこれから考えていったらいいというふうに思うのです。

 私が公立の小学校のPTAの会長をやっておりましたときに、図書館に行きまして、その町の一番大きな神社がいかに町の人々によって明治時代から支えられてきたか、あそこの家のひいじいちゃんがこうやったとか、屋根をふいたとか、そんな話をお母様方にしてさしあげましたところ、お祭りのみこしの動きが非常によくわかるようになったとか、子供に説明してあげることができてよかったとか、あるいは、これも自由活動でございますけれども、放課後近くのお寺に子供たちが落ち葉掃きに行って、そしてそこの御住職に御法話を聞くというような活動も計画したりいたしました。自由参加のそういうようなプログラムを地元の方たちと協力してやっていく可能性というものを教育委員会も含めてつくっていくということによって、やはりもう少し推進できていくのではないかというふうに考えております。

 学校の行事なんかは、例えば花祭りとか、七夕、お盆、七五三、クリスマス、あるいは給食のメニューとかでいろいろな行事の意味を、そのときにその由来を教えるとか、何かそういうものを加えて学校行事というものをやっていくのもいいのではないかというふうに考えております。

 芸術活動でも、ダンスとか音楽とか美術とか、もちろん文学もそうです、やはり宗教がベースになっているものも非常に多うございますので、これからは、そのような視点というものを教えるような――国際社会というのはそういうところでございますので、トルコも、神殿が真ん中にあって、それから競技場があって、図書館があって、文化施設があってという、そういう町の構成になっているわけですよね。そういう世界のあり方を国際人として理解するためにも、そういった視点というものを伝えるという努力をしていかなければ、非常に洞察力のない子供たちに育つのではないかなというふうに考えております。

 私がなぜこんなことを言ったかといいますと、学校現場でいろいろなことが行われております。先ほど森岡議員より、修学旅行先で、海外は多くなったけれども京都、奈良はこの十年で半分になったというお話がありましたけれども、例えば伊勢神宮の修学旅行、昭和五十年に五十四万人、六十年に三十五万人、平成九年に七万人と、こちらももう激減しております。大阪市立の小学校に聞きましたところ、さっと見学して、中には鳥居の手前でもう解散というようなところもあるということでございます。とにかく、神宮の細かい説明はできない、それは宗教活動になってしまうからと。

 そこまで考えるのはどうなのかなというふうに思うんですが、例えばほかに、富山の小学校、浄土真宗王国でございますので、給食の前にいただきますと手を合わせていた、ところがPTAのある方が、それは宗教的行為ではないかということでクレームを出しまして、いや、そうかもしれないということで、数十校で、給食の前に手を合わせていただきますと言うことをやめた。心の中で言いましょうというふうに先生は御指導なさったらしいんですけれども、それからは、給食の前がぐざぐざぐざっというような形で非常に、食べ物に対する感謝の気持ちとか、いろいろな方の御苦労で私たちが生かされているというような、何か静かな、清らかな雰囲気でいただき始めるというような雰囲気が全くなくなったというようなこともございます。

 あるいはまた、千葉で、やはり問題になりまして武道場から神棚が外されていったとか、あるいは、小学校でおみこしをつくってそれを運動会などでやろうと思ったらやはりクレームが来たとか、ちょっと何か過敏過ぎるのではないかなと。九条二項の解釈をめぐってちょっと過敏になっている。やはり人間の存在、それから日本人の存在というのは、伝統、歴史、文化、さまざまなものがつながって生きているわけでございますから、それを徹底的に排除してしまったら、日本人、人間の存在としても何か偏ったものになっていくのではないかというふうに考えておりますが、そのような現状についてはどう思われますでしょうか。

 ちなみに、昭和二十四年文部事務次官通達では、公立校でも宗教的施設の訪問は許される、強要はしないけれども許されるというふうになっておりますけれども、その辺はいかがでございましょうか、遠山大臣。

遠山国務大臣 今いろいろな例をお聞きしながら、そこまでに至っているのかと私も愕然といたしました。特に、食事の前に手を合わせていただきますと言うのは、これは人間として当然の振る舞いでございまして、それが、宗教をバックにしているとかそういうふうな解釈でやめてしまうというのは、いかにも見識がないと私は思います。

 特に、歴史、文化を通じながら、宗教的な感覚といいますか、宗教的なものに触れながら、何らか人間を超えるすぐれたもの、畏敬すべきものについて考えさせる、そういったことはまことに大事でございまして、まさにそういうことが心の豊かさをはぐくむ非常に有効な方途として、学習指導要領上もそうでございますし、それより前に、教育というのは本当に子供たちの心の豊かさというのを目指すべきでありまして、いろいろな方法があると思います。それを、あれをやってはだめ、これをやってはだめとみずからそういう形で律するというのは、本当の自律ではないと思いますね。

 私はそんなような学校が多いとは思いませんけれども、そこのところを、例えばあいさつをするというのと同じレベルで考えたとしても、いただきますと、感謝を込めてやるのは当然でありますし、私は、今のようなお話というのは、まことにそういうことであれば非常に、私どもとして考え直さなくてはいけないのではないかと思っております。

 いろいろな趣旨のことをお話しいただきましたし、宗教教育のあり方についてお互いに論じ合うにはちょっと時間が足りないかとは思いますけれども、しかし児童生徒が、郷土の生活文化あるいは日本の伝統文化についての理解を深めて、地域の一員としての自覚でありますとか、それを通じて国際社会に生きる日本人としての自覚を養うということは極めて重要でございます。そういう中には人々の信仰に由来するものもございますけれども、学校においては、憲法、教育基本法の趣旨を踏まえながら、宗教や信仰に着目させながら、日本人の生活様式や伝統文化の特質を理解させる指導が適切に行われることが必要であろうと思います。

 本当の意味の宗教の大事さ、あるいはその真髄については、もっと、このような程度ではないとは思いますけれども、学校では最低限このようなことは指導していくべきではないかと思います。

山谷委員 いろいろな現場の実態調査などもしていただきながら、どのような可能性が日本においてはあるのかというのを積極的に探っていただきたいというふうに思います。

 さて、痛ましい事件が起きるたびに命の大切さという言葉が繰り返されるわけでございますけれども、九月八日、大阪の中学一年の女子生徒が手錠をかけられ車から転落死した事件がございましたが、犯人は兵庫県の中学の教師。テレクラで援助交際を持ちかけて誘い出した。生徒からは既に以前から、セクハラ行為があるとか、あの先生は援助交際していたらしいという相談もあったけれども、相談を持ちかけられた先生はそれを聞かなかったということでございます。

 遠山大臣は、九月十三日、都道府県と政令市の教育長が集まる会議の中で、服務規律の徹底や、問題教員に懲戒処分や転職措置などを適用するというふうに求められましたし、また矢野初等中等教育局長は、特に児童生徒へのわいせつ行為は原則として懲戒免職というふうに要請なさいました。

 しかしながら、わいせつ行為で処分を受けた公立学校の教師は九九年度百十五人。前年度の一・五倍。しかし、懲戒免職は約半数の五十六人ということでございました。

 要請してもなかなか、これはどの段階まで行けば懲戒なのか。あるいは先生のプライバシーという問題もございますし、調査委員会に権限がなかったりなんかいたしまして、非常に――私が問題教師の配置転換の問題を教育三法の議論のときにさまざまヒアリングをいたしましたところ、セクハラ・わいせつ教師というのは大変多うございます。それからまた、別の学校へ行ってもまた同じことを繰り返しているという例を見まして、これはもう少しきちんとした何か、ガイドライン、マニュアル、それから委員会の権限、あるいは、校長は聞いたらきちんと教育委員会に上げなければいけない、そういう怠慢で次の事件がまた巻き起こった場合にはきちんと先生の管理職責任を問うとか、教育委員会は、その上がってきたものを、しかるべきところから問い合わせがあればきちんと伝えなければいけないとか、何か具体的な形をつくっていかないと、要請しただけでは全く無力だというふうに思いますけれども、その辺はいかがでございましょうか。

岸田副大臣 今の御指摘の点なんですが、兵庫県の中学校教諭の事件等を踏まえまして、さきの都道府県・指定都市教育委員会委員長・教育長会議において、児童生徒に対するわいせつ行為等を行った教員は原則として懲戒免職にする旨指導した次第であります。

 この原則としてという部分でありますけれども、これは、児童生徒に対するわいせつ行為等は、児童生徒を守るべき立場にあり高い倫理性が求められる教員として絶対許されないということ、これはもう当然のことであります。

 その中で、原則として懲戒免職としましたその内容でありますが、要は例外的な場合を除きということでありますが、例えば具体的な事件、先生も数を挙げられましたけれども、本当にいろいろな事件があります。いろいろなパターン、ケースがあるわけですが、そのいろいろ問題になったケースを見ますと、例えば、中学校の女子バレーボール部の顧問をしている男子教諭が、わいせつの目的ではなく実技指導の一環として腰を触れたことについて、当該女子生徒が不快感を得て、そして騒ぎになったというようなケースもあります。こうしたさまざまなケースがありますので、一応、原則としてということをつけた上で懲戒免職にすべきであるということを打ち出した次第であります。

 しかし、これは申すまでもなく、こういったことはあってはならないわけでありますから、この運用におきまして、厳正な運用を図らなければいけないというふうに思っております。その厳正な運用につきましては、これから具体的な事例については詰めていかなければいけないというふうに思っていますし、また、こうした処分だけではなくして、教員のカリキュラムあるいはその採用等におきましても、この部分につきまして、ぜひしっかりとした認識を持ってもらう努力を積み重ねていかなければいけないというふうに思っています。

 こうしたカリキュラムあるいは採用、そして処分、この辺をあわせて、こうしたわいせつ行為を根絶する努力を積み重ねていかなければいけないと考えております。

山谷委員 確かに過剰反応というのはありまして、うちの子供も高校生ですけれども、体育の授業で先生がもう体をさわれない、お友達同士でこういうふうに形を直したりと、それは行き過ぎではないかというふうに思いますけれども、あくまでも常識の範囲で、生徒から声を聞く、先生の言い分も聞く、同僚たちの言い分も聞く、管理職の言い分も聞く、そして第三者あるいはプロの意見を聞くというような、何か委員会の枠組みで、それからある程度のレベルで、どの段階からもう懲戒免職かというような、やはりきちんとしたものをつくって対処するよという毅然とした態度をこの辺で見せていただきたいと考えております。

 それから、テレクラやツーショットダイヤルに電話したことがある中高校生は今六人に一人。これは旧総務庁の統計でございます。電話するのは本人の自由あるいは構わないと答えた子が八割、いけないとしたのは二割でございます。見知らぬ男性とデートしてプレゼントをもらう、いわゆる援助交際のようなことをいいか悪いかというふうな調査では、高校生の女子、テレクラの電話経験がない子で、本人の自由だ、構わないと言った子が七二%、テレクラの電話の経験がある子では、本人の自由、構わないと言った子が八五%という結果になっております。

 それでというわけではないんですけれども、ちょっと教科書で、例えば青年期の性というのをどういうふうに扱っているのかと調べてみました。これは、シェア二六・八%、高校の家庭科の教科書でございます。

 「青年期の性」「人間にとっての性行動は、単に生殖につながるだけのものではなく、男女のコミュニケーションとして愛情を育て、確かめあい、互いに充足感を求めようとする行動である。」「私たち人間は、長い歴史の過程で、」「愛と性の文化をつくりあげてきた。」というような一文がございます。

 これは雑誌に書いてあればどうってことないのかもしれませんし、また、こういう社会情勢の中でなければ、あるいは高校生に教えるのでなければ、このような書き方はあり得るというふうには思うんですけれども、「人間にとっての性行動は、」「男女のコミュニケーションとして愛情を育て、」なんというふうに書かれると、ああ、性行動がないと愛情が育たないのかしらというふうに思ってしまうかもしれないですね。

 検定基準には、誤解されるおそれのある表現のないこと、健全な情操の育成について必要な配慮があることというふうに書いてあるんですけれども、これはどうでございましょうか。大臣、感想で結構でございます。

池坊大臣政務官 子供たちに正しい性教育をすることは大変必要なことだと思います。

 確かに、今の箇所だけを見ますと何なんだろうかとお思いかもしれませんけれども、私が申し上げるまでもございませんけれども、この教科書の中には、「青年期の性」ということの中で、

 私たち人間は、長い歴史の過程で、性衝動を自らコントロールできる性行動の自律化と避妊技術を習得し、愛と性の文化をつくりあげてきた。

  私たちは、男女が互いにいつくしみあい尊重しあうためにも、性の意義、性交・避妊についての知識を深める必要がある。

  愛と性は、本来、人間の生活と切り離せない男女の全人格的な営みであるはずなのに、

と、性を商品化しちゃいけないのだということなどを述べてございます。

 ですから、これだけをとりますと、男女のコミュニケーションが性なのかと思うんじゃないかという山谷委員の御指摘でございますが、これは全体の中のこういう文章でございまして、愛というのは文化である、性交はただ生殖だけでなくて、それは人間だけが持てる自制の精神も必要としているのだというようなことも書いてございますので、これは個々の先生方の指導のあり方にもかかわってくると思いますけれども、全部を通して読んでいただければ、子供たちもしっかりと性を、愛における性交とはどういうものかということを理解していくと思っております。

山谷委員 本当に、私も先ほど言いましたけれども、雑誌ならこういう書き方はあり得るかもしれないけれども、教科書ではいかがなものかということを言いたかったわけでございます。

 それから、命へのまなざしについて、この五十年で我が国では中絶手術が七千万件、実はもっともっと、ひょっとしたら倍あるんじゃないかというふうにも言われております。さきの大戦で亡くなられた方が三百万人でございます。十代の中絶数が平成十二年で四万四千四百七十七件、十五から十九歳の中絶実施率はこの五年間で二倍になっております。

 胎児の命についてどのように書いているかといいますと、「やむをえずうめない場合には母体保護法において、人工妊娠中絶という方法を選択することもあるだろう。こうした選択肢は、女性の基本的人権の一つとしてとらえることができる。」というふうに書いてあったりとか、これがシェア三七・三%の高校の家庭科ですね。それから、中絶が必要になった場合にはできるだけ早期、十一週までに行う方が母体への負担は少ないというような書き方もございます。

 もちろん、そうでない表現というのも教科書にはあるわけでございますけれども、やはり一つの命、神秘に対する周囲の人々の大きな愛のまなざしというものが余り感じられない一方的な書き方になっているのではないかというふうに私は感じたわけでございます。

 三人の子を私は授かりましたけれども、遠い昔から伝わってきた命を次の時代に伝える意味とか、畏れとか感謝とか、非常に深く味わいました。けれども、教科書によっては、「子供は天からの授かり物と考えられていたが」と、こう何か過去形みたいに書いてある教科書もございました。

 現在の教科書の記述には、命に対する畏敬の念、命の流れの神秘、それから相手のパートナーだけではなくて生まれてくる子を取り巻く温かい人々の思い、そして胎児への愛と責任、倫理的な視点が欠けている。十何年前の教科書を見ましたら、それは倫理的な問題があるというふうに書いてあるんですが、今の教科書はそうではなくて、心身の負担が女性にとって多いというような書き方に変わってきております。

 現代社会の風潮の中では、命をつないでいく重さよりも自己決定権が大事と強調されているように読み取ってしまう子もいるのではないかというふうに感じておりますが、大臣、その辺はいかがでございましょうか。

岸田副大臣 今、先生御指摘の、まず教科書についてでありますけれども、教科書は、いろいろな読み方はできると思います。

 御指摘の箇所の人工妊娠中絶の記述ですが、これは教科書の中で、母性の健康と生命の誕生についての記述の中で、要は、経済的、精神的、健康的な理由などから妊娠しないことも親の責任であり、子供の生命や親の人生設計上重要であるというようなことやら、あるいは、望まない妊娠についてパートナーと十分に話し合う必要があるということ、そして、やむを得ない場合としてそうした御指摘の記述があるわけです。

 そして、それに加えて、一九九四年にカイロで開かれた世界人口・開発会議において、主体的に選択できる自己決定権を持つことが女性の基本的な人権であるとして、その中で人工妊娠中絶も選択肢の一つであるという考え方が盛り込まれているというふうに述べられており、さらにそれに加えて、コラムにおいて、宗教上の問題から世界的な一致を見るに至っていないという記述もある。

 そして、これら全体でどう読み取るかということであります。これは、先生の御指摘のようにいろいろな読み方があるのかもしれませんが、この辺の全体を判断した上で、専門家から成る教科用図書検定調査審議会の審議を経て、こうした検定で許容されたということであります。

 しかし、これは、具体的な個別な箇所はともかくといたしまして、先生の御指摘のように、命のとうとさということについては、これは大切なことであるということ、これは誰も異存がないと思っております。この大切な部分において、しっかりと認識されるよう、あるいは誤解がないようにしっかりとした努力をしていかなければいけないというふうに考えております。

山谷委員 カイロ会議の文章を英語で読みましたけれども、基本的人権としての選択肢の一つであるというようなことが確認されたというような文章では、私の読解力ではそういうふうに読み取れなかったということをお伝えしたいというふうに思います。

 それから、家庭についてではこのように書かれております。これもシェア三七・三%の家庭科、高校生です。

 「専業主婦として、日中家で子どもと過ごす母親は、生きがいは子どもだけになり、いっぽうで孤立感やいらだちを募らせる。子どもは友だちとの関係がきずけなくなる。」と、切っています。「日本は欧米先進国と比較しても、離婚率はあまり高くはない。では日本の夫婦関係は良好かといえば、そうともいえない。離婚後の経済事情を考えれば、結婚生活をつづけざるをえないケースなどもあるからである。」というふうに書いてありますけれども、最後に、遠山大臣、青少年の性、それから胎児のこと、それから家族のあり方、いろいろ教科書を私は読みましたけれども、一言御感想をお願いできればと思います。

遠山国務大臣 いろいろな学ぶべきことございますと思いますけれども、一番大事なのは、人間にとって命の大切さ、それは自分自身だけではなくて、他者の、胎児も含むのかもしれませんけれども、命の大切さというものをきちんと学んでいく、そのことが基本にあるのではないかと思います。

 その意味で、個別のいろいろな知識を持たせるということも大事でございますが、私は、先生がずっとこの質問で追求し続けられたことは、その中を通る精神といいますか、そういうものの大切さというものを、私はそれぞれの教師が自分の信念でもってやっていいと思うんですね。そういうものをしっかりと伝えてもらいたい。本来ならば、それらは親が子供に対して伝えるものであります。しかし、それだけを期待していては十分でない今の時代に、教員の皆さんがそういうことについて、何のためにということをしっかりとお考えいただいた上で、方法論も十分研究されて教育していただきたいものだと思います。

山谷委員 こういった教科書が今使われていることを知らない方も多いというふうに思いますし、違和感を感じる方もいらっしゃるだろうし、そうでない方もいらっしゃるだろうというふうに思います。

 もっと教科書を地域の図書館などに置いて、いろいろな国民各層の意見を聞いていくという努力が必要なのではないかと思います。限られた専門家の執筆者、そして検定を通ったとはいえ、やはりいろいろな社会情勢の中で、国民各層の意見を聞いていく、市民オンブズマン的なものをつくってみるというようなことを考えていくことも必要ではないかというふうに考えております。

 戦前戦後の国語の教科書をちょっとこの夏に子供と読み合わせをしましたら、子供がぼろぼろ泣いて読んでいる教科書がございました。

 「心に太陽を」という、これはイギリスのお話なんですが、昭和二十二年、六年の国語の教科書。イギリスのお話で、難破船が出た。少女が丸太につかまって朗々と、難破した人々を励ますために歌を歌うんですね。「他人のために言葉持て、唇に歌を持て、勇気を失うな、心に太陽を持て、」こんな文章なんか、涙を流しながらうちの子なんか読んでいるわけでございます。

 それから「稲むらの火」。これは昭和十二年、五年、国語の教科書。江戸時代、和歌山の五兵衛さんという庄屋さんが、津波が来ることに気がついた。自分の高台の刈り入れたばっかりの稲を全部燃やして、下に住んでいる村人たちに注意を喚起して、避難させたというお話でございます。

 それから「ハンタカ」という昭和二十二年、二年の国語。物覚えの悪いハンタカという弟子に、お釈迦様が、汚い言葉は使っちゃいけないよ、これだけを繰り返し繰り返し教える。みんながばかにしていたハンタカだけれども、これを守ってきれいな心になって高い精神の境地に至ったというような話。

 国語の教科書も、もうちょっと自己犠牲とか宗教的情操心をテーマにした、今は多分、九条の二項でひっかかっているのかもしれませんけれども、もう一回見直してみるということも必要ではないかというふうに思います。

 抑圧された人生を過ごしてきた方が多い中で、自己解放とか自己決定権の重要さを主張するというのも非常に大事ですけれども、やはりそのバランスの中で、自己犠牲の美しさというような献身、それから上に立つ者のやせ我慢みたいなものを伝えていくというような教材の選び方があってもいいのではないかというふうに思います。

 最後に、この十月十九日、青少年育成推進会議、これは内閣府でございますけれども、青少年を取り巻く環境の整備に関する指針というのが申し合わされまして、国、地方公共団体の責務、関係業界への要請なども含めて、今後この指針に沿って内閣府が関係業界などに対して要請文書などを送付するというものでございますけれども、平成十二年、町村文部大臣が、放送、映画、ビデオ、コンビニの各業界に、自主規制の徹底を要請いたしました。

 私、民間におりましたときに、放送と青少年に関する委員会というところに属しておりまして、性や暴力のひどい番組をチェックするというようなことをやっておりましたし、月に二回、性的な表現のひどい漫画や雑誌をチェックして指定図書にするというようなこともやっておりまして、大変な作業だったんですけれども、指定しても売り逃げとか売り得とかが現実です。

 それから、今コンビニは全国で五万店ぐらいございますけれども、東京都でいえば、九六・四%のコンビニに有害図書が置かれているというような現実もございます。これは、要請文書を送付するぐらいじゃ全然だめで、町村大臣があれだけ頑張っても、今は全く、むしろ後退したというような状況でございますけれども、遠山文部大臣は、これをきちんとフォローアップする、あるいは状況を公表する、委員会の中に保護者を入れていく、それから、具体的に現場を見ていただきたいというふうに思いますけれども、この青少年の健全育成に関してどのようにお考えか、お聞かせいただきたい。大臣と政務官と、済みません。

遠山国務大臣 この問題は、もちろん自主規制に絡む問題でして、一概に、簡単に済むような話ではないと思いますが、御指摘のような趣旨は我が省のこれまでとってきた態度でございまして、その徹底に向けて力を尽くしたいと思います。

 では、ちょっと補足をしていただきます。

池坊大臣政務官 私も今まで、山谷委員と同じように、青少年をどのように有害環境から守るかということに心を砕いてまいりました。有害環境から子供を守るためのプロジェクトをもう立ち上げまして、今おっしゃいましたように、コンビニでどのように本が売られているのか、あるいはビデオテープはどんな種類でどうなっているのか。例えば、御存じのように青少年が見てはいけないのはちゃんとシールが張ってございます、シールが張ってあるからこそ子供たちは見たいのかもしれませんが。それから、血が多く流れるのは、血が多く流れますというようなことも書いてございます。関係者には具体的に、いろいろな配慮をしてほしい、コンビニだったらばよく売れる商品の隣にそのような有害図書は置かないでほしいというような要請も今までもしてまいりました。

 私は、何よりも大切なことは、やはりPTAの保護者の方々のお力をおかりしながら、PTAの方々と各省庁とそれから私たちが力を合わせながら、二十一世紀の宝である子供たちを有害から守っていくことだろうと思っております。PTAは、御存じのようにテレビのモニタリング調査などでいろいろな力、これはよくないからやめてほしいとか、それはテレビ局だけでございませんで、コマーシャル、スポンサーになっている会社にもそのようなお願い等をしてくださっていることがございますので、これからもそれを連携しながらやっていきたいというふうに思っております。

 ちなみに、今のお話でございますが、有害から子供たちを守るとともにいい環境に導いていくことも必要だと思っておりますので、私は全国で読書推進プロジェクトチームの座長として、いい本にめぐり会いましょうという運動を大変地味ながら展開いたしております。本を読むことによって、先ほどもございましたように自己犠牲だとかあるいは宗教心、宗教的な精神を醸成したり、正義感とか公平さとかいうことを学んでいくと思います。ですから、子供たちを有害から守るとともに、そういうことへの規制と、それからいい方向に結びつけていく、そういうことの連携がやはり必要なのではないかと私は思っております。

 これからも、PTAの方々とともに、テレビのモニタリング等々で力を合わせながら、そのような、出版界、テレビ局、またテレビゲームをつくっている業者等々へ連携を図りながら要請し、強く働きかけていきたいと思っております。

山谷委員 自主規制のいろいろな実態というのをもう一度調査し直して、健全育成に頑張っている団体の支援などを含めながらきちんと継続的にフォローしていっていただきたい、実効性の上がる活動をしていっていただきたいと思います。

 時間が参りましたので、どうもありがとうございました。

高市委員長 平野博文君。

平野委員 民主党の平野博文でございます。

 きょう三人目の質問でございまして、少し具体的なところに入っていきたいと思っておりますが、その前に、私どもの中野寛成議員の方から、残った質問を継続してやるようにという指示が出ましたので、一、二点しておきたいと思います。通告は中野先生の方からされておりますので、私しておりませんが、御理解をいただいて御答弁をちょうだいしたい、このように思うわけでございます。

 まず一点目は、奨学金制度のことでございますが、今回も文部省は、来年度に向けて、奨学金の対象者を四万五千人ぐらいふやしてやりたい、こういう予算要求をされているわけでございますが、私は、育英の奨学金事業というのはやはり教育の機会均等を図っていく上においては非常に大事な仕組みであると思いますし、特に苦学生を守っていくための大きな方法だ、あるいは支援方法だと考えているわけでございます。

 そういう中で、今回、同和対策の地対財特法も年度末に失効をするわけでございまして、同和対策の面におきましても奨学金をやって対応してきた、このことに対することも役割として非常に大きなものでございます。したがって、これが失効することに伴いまして同和対策の奨学金も一般の施策に移行する、こういう運びになると私は認識をしておりますが、そこで大臣にお聞かせいただきたいのですが、同和対策の奨学金が果たしてきた役割というのはどのように評価をされておるのか、まずここからお聞きしたいと思います。

岸田副大臣 済みません、大臣からお答えする前に、ちょっと事実関係だけ確認の上で申し上げさせていただきますが、先生御指摘のように、まず、育英事業というもの、人材育成そして教育の機会均等という意味から大変重要な意義があるわけであります。

 その中で、御指摘の地対財特法が失効する、そして一般施策に移行されるということが予定されているわけであります。本事業、昭和四十一年度から実施しており、大変大きな役割を果たしてきたという認識でおります。そして、平成十三年度末をもって終了し、一般対策によって平成十四年度以降は対応するということになっております。

 そして、今後は、高等学校においては都道府県が行う一般奨励事業の拡充によって対応し、大学は日本育英会の奨励制度で対応し、予算の拡充等で充実に努める、こうした二本立てを予定しているところであります。

 いずれにしましても、この育英事業の重要性、そして平成十三年度まで地対財特法が対象地域の教育水準の向上に大きな役割を果たしていったという認識を大切にしながら、今後の対応の充実に努めていきたいと思っておりますのが文部科学省の状況であります。

 あと、いいですか。

平野委員 大臣にかわって副大臣が御答弁されましたから、結構でございます。

 そこで、これから私本質的な質問は、そういう実態にある、これは承知しました。ただ、これは各都道府県によって相当地域の格差があると思うのですね。

 たまたま大阪が昨年行った実態調査を見ますと、同和地区の高校進学率は、大阪府の平均に比べて三、四%の格差がやはりまだ残っているというのも実態なんですね。大学の進学率を見ますと、なお相当の開きを残しているというのが大阪府が行った実態調査の結果としても出ておるわけであります。

 また、同和対策事業の奨学金がなくなった場合、高校生や短大、大学生の子供を持つ同和対策の奨学金の利用者の方々を見ますと、半数以上の方が、もしなくなった場合に相当の影響が出てくる、こういうふうにも認識をしておられる、これも事実でございます。したがって、制度が廃止されるということになれば、当然進学率は落ちてくるわけですし、教育を受ける権利を損なってくる、こういう側面もあるというふうに述べておられるわけであります。

 したがって、今岸田副大臣がおっしゃられましたけれども、法の失効に伴って文部省としての措置は、都道府県に半額は助成をいたしますよ、大学については育英会への予算充当で対応する、こういうことでございますが、これは一般論として、それで言葉としてはいいのですが、当該の地域によって相当の開きがあるときに、この対応で実態に十分対応しているかということの問題点が地域によって出てくると私思うのですね。特に大阪は、私の出身でございますから、大阪の地にあっては不十分である、こういう認識に立っているのですが、文部省はどういうふうに考えておられるのか、お聞きしたいと思います。

岸田副大臣 先ほど御説明させていただきましたように、この地対財特法の失効によりまして、従来の特別対策ではなくして一般対策に移行するわけであります。

 その移行に伴いまして、今先生が御指摘されましたような点が心配されるということでありますが、こうした先ほど申し上げましたような移行に向けて、文部科学省としては、平成十四年度概算要求において、各都道府県に対する国庫補助の基準として、採用の要件や貸与額に関しまして、まずは経済的理由により修学困難な低所得者の者であって勉学意欲があれば特に成績を問わないということ、さらには貸与月額は日本育英会の高校奨学金と同額とするということ、こうしたことをポイントとして要求を行っているところであります。

 こうした概算要求を行い、そして文部科学省としても、現実、現場において後退がないように、最大限努力をしていかなければというふうに思っております。しかし、現実問題、個別の対応において不都合がないかどうか、その点については、今後関心を持って見守っていかなければいけないと思っております。

平野委員 ぜひ私は、やはり学ぶ学生が経済的な理由によって学べないということは極力なくさなくちゃならないし、それを支援する方法として奨学金制度、こういうものがあるわけであります。一方、同和事業の対策として、それにかわってその地域の部分を担ってきたわけですから、これがなくなって、トータルの部分でいくと、そういう対応が一方でなくなるわけですから、それを補う措置として、今、注意深くじゃなくて、ぜひそのことによって低下をしないようにやっていただきたい、このことだけを申しておきたいと思うわけであります。

 さて、私の質問に入っていきたいと思うわけでありますが、実は私、この質問に立ちました一番大きな背景というのは、我が国のこれからの二十一世紀の社会というのは、どんな社会を目標として、どんな日本の国にしていくのか、こういうことを二十一世紀の初頭に、やはり本来国のあり方としては考えておかなきゃならないことであります。

 そういう流れの中で、平成五年には障害者の基本法を制定しまして、長期計画や障害者のプランを策定して、教育初めあらゆる分野にノーマライゼーションという感覚、発想でもって、その理念の実現を今日まで目指してきたわけであります。

 障害者の施策につきましては、障害者が生涯のあらゆる段階においても能力が最大限に発揮でき、また自立した生活を目指していくための仕組みとか、さらには物理的な障害を取り除いていこう、こういう考え方であるとか、あるいは障害を持つ人と持たない人がともに共生をし活動する社会を目指していくべきだ、こういう考え方がノーマライゼーションの基本的な考え方だと私は理解をいたしておるわけであります。

 そういう中で、きょう質問に立った最大の理由は、今度文部省が、年度内に学校教育法の施行令の改正を目指しておる、こういうふうにもお聞きをいたしました。その背景に、二十一世紀の特殊教育の在り方に関する調査研究協力者会議の報告に基づいてあり方を見直しておるんだ、こういうことを仄聞いたしまして、その点で少しお聞きしたいわけであります。

 この二十一世紀の特殊教育の、この言葉も、私、先ほど申し上げました考え方からいくと、全くわかっていないなと。この言葉もあるんですが、それはさておきまして、この報告を受けまして、文部省としては、今現在固まっている、どういう状況にあるかということをまず聞かせていただけるでしょうか。

岸田副大臣 今の先生御指摘されましたこの調査研究協力者会議、この最終報告、ことしの一月に提言されたわけであります。

 文部科学省としては、この最終報告の提言を踏まえて、現在、教育委員会ですとか、学校関係者ですとか、さまざまな関係団体、こうした意見を聞きながらその具体的な制度改正の案を今検討しているところであります。今後、その案が固まった段階で、パブリックコメント等により、広く国民の意見をお伺いした上で、平成十三年度内には制度を見直したいと思っております。そして、平成十五年四月入学者から、新制度を適用することを予定しておるところであります。

 これが今現状でございます。

平野委員 まだ固まっていない状況であれば、ぜひ固める前に、私これから少し御質問させていただきたいし、また御意見も申し上げたいものですから、そのことを踏まえて検討していただきたい、このように思うのですね。

 そこで、協力者会議の報告に基づいて、まず基本的な考え方についてでありますが、障害のある者と障害のない者が同じ社会に生きる人間としてお互いを正しく理解、認識し、ともに助け合い、支え合っていくことが大事である、こういうことをこの報告書には書いているんですね。これは、もう非常に立派なことだと思っておりますし、先ほど言いましたノーマライゼーション社会の実現に向けての重要性を私は説いておると思っています。

 そこで、まだ固まっていない検討段階ですが、この報告書を受けた部分で、今回の施行改正でどのように生かそうとされておるのか。固まっていなかったら、私の案を言いますけれども、この基本の報告書は非常にいいことを書いているんですよ。いいことを書いているにもかかわらず違う方向に改正しようとしているならば、私としては許しがたいことだと思っていますから、このすばらしい報告書、ともに助け合う、ともに支え合う、こういうことをうたっていますから、今回の改正をするときには、この報告書の大事な訴えているところはどういうふうに理解をし、やろうとしているのでしょうか。

岸田副大臣 先生御指摘のように、最終報告で、今後、障害のある者と障害のない者が同じ社会に生きる人間としてともに助け合って生きることが大切であり、このような考え方のもとに、障害のある児童生徒が地域社会の一員として人々と交流し、主体的に社会参加するために、生涯にわたり自立を支援していく体制整備が必要であるという部分を中心に、このノーマライゼーション進展に対応するために提言がされているわけであります。

 そして、これをどう理解し、どういうことをしようとしているのかという御質問でありますが、この提言を踏まえまして、平成十三年度から都道府県に委嘱して、医療、福祉関係機関と連携した相談支援体制の整備、こうしたことも一つ重要なポイントだと思っておりますし、また、地域の同世代の子供と地域の人々の交流を促進すること、こうした調査研究を開始したわけですが、こうした部分も重要なポイントだというふうに思っております。

 こうした連携した相談支援体制あるいはその交流の促進、こういったあたりにおいて具体的な成果につなげていきたいというふうに思っております。

平野委員 そういう視点で見たときに、私は、今度は教育という側面でこれを見たときに、その児童生徒が持つ能力を最大限に伸ばしてあげる、将来、社会的に自立するように、また社会参加ができるように、その基盤となる生きる力をはぐくんであげる、こういうことが大事だと思うのですね。生徒、児童を含めて、教育の充実に努める必要がある、こういうことも一方では述べておるんですよ。

 だから、そのとおりやってくれたら私は非常にいいと思うのでありますが、現実的にどうも、私は、それ以下の質問に入っていきますけれども、そうでないようなところが危惧されるものですから、文部省自身が生きる力をどういうふうに認識をしているかということも聞きたいわけであります。

 そこで、このことをぜひ頭の中に置いていただいて、次に、就学手続の見直しについてまずお伺いをしたいのであります。

 現在の手続では、施行令二十二条の三に該当する障害児は、一律に、盲、聾、養護学校に就学しなければならないとなっているわけであります。協力者会議の報告では、医学や技術の進歩を踏まえて、盲、聾、養護学校に就学すべき児童生徒の基準を定めた施行令二十二条の三を見直すとともに、例外的に、ここが非常に私、気になるところですが、例外的に市町村教育委員会の判断で小中学校への入学も容認をする、このように報告書では入っているんですね。

 これは文部省が検討しているということではありませんから、報告書がそういうふうに書いておりますから、まだ何とも言えないと思いますけれども、例外的にという、こういう発想は、今まさに、先ほどいい報告書の定義ですねと言ったけれども、実態的には全く違う、逆なことを言っておるのではないか。ともに助け合う、だから当然、これは就学する生徒の生活時間帯でいきますと、大多数は普通校で就学しているわけですよね。ところが、障害がある人は、先ほどの基準にのっとって一律にそういうところに、盲学校、聾学校、養護学校に就学しなきゃならない、こういうのが二十二条の三になっているんです、就学手続は。

 私が言いたいことは、二十一世紀に入ったら、すべて普通校で就学をしていくんだという発想に変えていくことこそ、ノーマライゼーションの考え方に一番遵守した考え方だろうと私は思うんです。まして、そういう社会をつくろうということに、日本の国民全体、日本国もそういう方向に行こうということを教える学校教育機関が、より分離を進めていくような発想に持っていくということは言語道断である。まず、教育機関からそういう考え方を改めて、普通学校に全部入ってもらう。

 ただ、例外的には私はあると思うんです、医学的に治療を要する人がいると。ところが、医学、技術の進歩によって、普通校でも十分にでき得る医学、技術の進歩になっていると思う。したがって、今日まで養護学校、特殊学校に行っている人でも普通学級で十分に学べる環境が、医学、科学技術の進歩によってなり得ているんだ。したがって、二十一世紀は、この二十二条の三は削除する、ただし例外的に、治療が必要な人についてはという。今は違うんですよ、例外が普通校ですよ。そこのところの認識は、まだ検討中だと思いますが、文部省としての見解をまず聞かせていただきたい。

岸田副大臣 近年、ノーマライゼーションの理念の普及によって、世界各国で障害者の自立と社会参加を目指す取り組みが進められております。障害のある子供に対する教育について、国連とかあるいはユネスコとか、こういった場において統合教育の考え方が提唱されていること、このことは十分承知しております。

 しかし、一口に統合教育といいましても、その理念や内容、国や地域によってさまざまなようであります。欧米を中心に行われている統合教育一つ見ましても、障害のある子供について、可能な限り通常の学級で教育を受けることができるようにすると同時に、児童生徒の障害の状態に応じて、特別な学校、学級における指導を行うことというふうにこの統合教育をとらえているというふうに私は理解しております。

 そこで、そういった中にあって、我が国としてどうあるべきなのかという議論を進めていくわけですが、障害のある児童生徒がその可能性を最大限に伸ばし、自立し、あるいは社会参加をするために必要な力を養うため、今先生生きる力という表現をされました、こうした力を養うために、障害の種類や程度に応じて、手厚くきめ細かな教育を行うことが必要であるというのが、基本的な文部科学省としての認識であります。

 今回、見直し、検討をしているわけでありますが、今、政令で定められている基準につきまして、近年、さまざまな補装具等の性能の向上により、基準に該当する程度の障害であっても通常の学校で教育を受けることが可能な場合があるとか、あるいはエレベーターやスロープ等の学校施設のバリアフリー化が進んで通常の学校に行くことが可能な場合があるとか、そういった現実があるわけであります。こうした現実を踏まえて、先ほどの最終報告においても、実態に合致するようこの就学基準を見直す、さらには、市町村教育委員会において総合的に判断した上で、小中学校に就学できるように就学手続を見直す、こういったことが提言されたわけであります。

 基本的な考え方は先ほど申し上げたとおりでありますが、現実の社会、今大きくそして大変なスピードで変化しております。この変化にやはり基準、制度はしっかりと追いついていかなければいけない、これが今回の大きなポイントだというふうに思っております。

平野委員 その基本的なところは、どうもかみ合っているのか、少しぼやかされたように思うんですが、私、この夏、ちょっと変わった例を申し上げたらもっとわかりやすいかもわかりません、委員長のもとにアフリカに行かせていただいたんですが、傷ついたライオンを長い間隔離して、えさをやって飼っていますと、隔離をしていると、今度は、元気になって野生に放って、本来の自然の社会に戻したときに、そのライオンは生きられない。これはよくあるんです、けがをしちゃうと。だから、早く社会に戻してあげないと。

 これは例えは悪いですよ。障害者をライオンと言っておるわけじゃないんですが、要は隔離教育、分離教育をすると、その中で、子供が一般の健常者とこの社会を構成しようとしているときに、十八歳まで隔離されて、分離されて教育を受けちゃうと、一般地域社会の中で、その方々の自立する姿、生きている姿が一般の社会に見えないんですよ。だから言っているんですよ。そういう子供にとっては、生活する上において、大部分が学校なんですよ。その子供が一部の特殊の学校に入っている、分離教育を受けている、こうなりますと、あと、卒業してから一般社会で自立して云々ということを言ったって、生きられないですよ。

 だから、小さいときから、障害を持ちたくて持ったわけじゃないんですよ。通常の子供も、子供の意識も、障害を持った方と一緒に住まなきゃならないんだ、ともに助け合うんだという社会教育をしていくためには、お互いに足らざる点を補う、こんな心を持たせるために、普通校に入れてやるべきですよ。それで多少問題があれば、それを支援してやるのが文部省ですよ。文部省が基準を決めて、分離しなさい、こんなことではないですよ。ノーマライゼーションで一緒に学んでいくという中で、ああ、多少障害があるな、ではそれを一緒にやっていくためにどう支援するかということを考えるのが文部省ですよ。基本的なところ、理念が違いますよ。もう一度、どうですか。

岸田副大臣 基本的な考え方は、先ほど申し上げたとおりであります。

 やはり障害を持っておられる方、具体的なケースは本当にさまざまだと思います。皆さんそれぞれいろいろなケースを抱えておられるというふうに思います。そうした教育的なニーズを、それぞれ皆さん、いろいろなニーズを持っておられるというふうに思っています。ですから、こうした一人一人のニーズに合わせてきめ細かく、そしてできる限り手厚く対応していく、これが大切だという認識のもとに、先ほど申し上げましたような基本的な考え方を持っているわけであります。

 しかし、その一方で、今先生がおっしゃったように、やはり現実の社会で生きていかなければいけない、この重みはしっかりと感じます。そのために、先ほど申しましたように、さまざまな交流ですとか、あるいは連携した取り組みですとか、こうした決して一カ所に閉じこもるというようなことがなく、社会の中で生きておられる、そういったことをしっかりと理解し、そして学んでいただけるような体制をつくっていかなければいけないというふうに思っているところであります。そういったことから、一番最初の質問でお答えしたような提言の理解のもとに施策を進めようとしているところであります。

平野委員 まだ十分に議論がかみ合っておりませんけれども、ただ、私申し上げましたのは、やはりノーマライズしていく社会をつくるんだ、ましてそのことを教えていく教育機関が分離学級をつくっているということは改めてもらいたい。例外的な措置としてやむを得ずということは、基本は、原則は普通学級で学んでいくんだ、しかし、どうしても医学的な立場から治療を要するという極めて例外的な部分としてそういう特別な学級があるんだという。今は違うんです。ある基準に合わなければそちらに行ってください、こういうことですよ。

 そうしたときに、そこにおられる子供さんが、将来自立しよう、社会に参画しよう、地域社会でいこうとしたときに、学校は全然別で、同級生がおったら楽しいな、こんな感覚で地域社会で生きられないですよ。したがって、障害があっても、あそこの学校卒業して同級生がたくさんいるな、あの人障害があるけれども元気に生きているな、助けてあげよう、こんな心の醸成をはぐくむ地域社会こそまさにこれからの社会なんです。それを一生懸命教えていくのが学校なんですよ。

 だから、そこの視点が余りにも今回の改正法では抜けている、ノーマライゼーションという考え方が抜けている。ここを強く反省を、反省というより、結果そうなったらようやってくれたということになるんですが、今の岸田副大臣の話では、理屈は理屈としてとか、こういうことでやろうとしておるので、非常に私は問題かなと思っております。ぜひそうならないようにしていただきたいと思います。

 それで、今現状、じゃどうなんだということで振り返ってみると、今は、そういう二十二条の三に該当する障害児の方でも、地域の自治体のあるいは教育委員会の御判断で、現実的には相当普通校へ行っておられる姿が各自治体によっては実態としてございます。これらの措置が厳密には違法というふうにとらまえておられるのか。それはそれで地域社会の中でそうやっておられるのだから黙認をしておられるのか。今回の改正は、違法だからそれを合法的にしようというふうの改正なのか、追認をしようということなのか、さらには、私が求めておる普通学級への進学をより認めていく方向への改正なのかというこの三つの方向があると思うんですが、今言えるとしたらどちらですか。

岸田副大臣 盲、聾、養護学校に本来の基準に基づくならば就学すべき障害の程度に該当すると考えられる障害のある児童生徒が、市町村教育委員会の判断でその小中学校に受け入れられている事例があるということ、これは当然のことながら承知しております。

 今回の制度改正、ノーマライゼーションやあるいは地方分権、こうした観点や、今申し上げましたような現状を踏まえまして、一人一人の教育ニーズに応じた教育的支援が充実するために、市町村教育委員会が行う就学事務に関して弾力化を図ろうとするわけであります。

 したがって、まず一つ言えることは、これまで市町村教育委員会が行ってきた就学について、措置を是正するとか、それから現在、小学校、中学校に在籍している児童生徒の就学の状況を変更するものではないということ、これは間違いないところだと思います。

 基本的に、先ほど先生も御指摘のように、今案を検討しているわけであります。そして、これからパブリックコメント等にもかけるわけであります。その辺はしっかりとまた御意見も踏まえた上で、平成十三年度中の結論に持っていきたいというふうに思っております。

平野委員 もう一つはっきり言ってもらいたいんだけどな。それを言ってもらわないとこれは終わらないんだよね。基本的なことをもう一度確認しますよ。

 今現状、副大臣おっしゃったように、地域の自治体においては当然この二十二条の三に該当する人でも普通校で学んでおられるという現実の実態は理解をしている、こういうことですね。

 医学、技術の進歩によって基準を見直すということは、もっとさらに普通校で学べるんじゃないか、締め出すということじゃなくて、もっと普通校で学べるように基準を見直そうじゃないか。三十何年か二十何年前の古いこれは施行令ですから、それから技術の進歩だ、器具についても十分進歩した、したがって、今までだったら専門学校で学ばなきゃならなかったけれども、普通校でも十分に学べるからこの法改正をして基準をもっと緩和をしよう、要は、結論としては、普通校にどんどん入ってもらうための施策改正をしようということなのか。

 いやいや、そんなことはまだ言えない、ルールだけを変えます、まだ決めていないから言えないけれども、考え方としては、できる限り普通校へ入れていくための基準づくりをしよう。さらには、地方分権だ、地方自治体がその地方の、地域の特徴に応じて、判断は任せるんだという、このこともあわせて法改正の中に十分組み込もうとして検討していくという思想にあるのか、考え方にあるのか。その点、ちょっともう時間がないので、そこを答えてくれますか。

岸田副大臣 二段階であります。

 まず、国においては、医学、科学技術等の進展を踏まえながら現実をしっかり見据えて、障害のある児童生徒が最も適切な教育を受けることができるように、その能力を最大限に伸ばし、自立できるように政令で就学基準を規定する。

 そして、各教育委員会においては、その就学基準に基づいて、具体的に、小学校、中学校において適切な教育を受けるためにどう判断したらいいのか、その部分について弾力的に対応していただく。

 こういったことによって、より多くの方々に能力を発揮していく場を与え、そして自立していただく、結果につなげていくということだと思っています。

平野委員 さすれば、よもや例外的措置なんということを書きなさんなや、今の御答弁でいったら。例外的な措置として普通学級に入れられるなんという言葉を絶対入れてもらったら困りますよ、今言われたことを。

 時間がありませんから、最後に、もう一つは就学先の選択権であります。

 行政が分類をして、はい、あなたのお子さんはこちらです云々ということじゃなくて、本来、その子供が適切に云々というのは、私は、御本人の希望もさることながら、保護者が一番よく知っているわけであります。保護者がやはり一番心配しているのは、その子供の将来のことであります。この地域で自立していかそうと思ったら、その地域社会でやはりはぐくまなきゃならないんだ。

 そんな中で、やはり選択肢というのは、最終決定権をなぜ行政に持たせているのか。私は、もっと保護者並びにその対象児童の声を、最終選択権としてその権利を保護者なり子供に与えていくべきだ、このように考えていますが、どうでしょうか。

岸田副大臣 障害のある児童生徒の就学すべき学校の決定に当たっては、法令に定める基準に従い、教育委員会が行うということになっているわけであります。

 文部科学省としては、これまでも、保護者の皆さんの意見もそして考えもしっかり聞いた上で、その適切な指導を行うようにということを考えてきたわけでありますが、今回、一月のその最終報告において、教育、福祉、医療、労働等が一体となって、障害のある児童生徒及びその保護者に対する相談支援体制を整備するとか、あるいは保護者の意見を表明する機会を設ける、あるいは体験入学などにより情報を提供する、そうした内容が最終報告の中に盛り込まれているわけでありますが、このあたりをしっかりとした対応によって具体化できるように努力をしなければいけないと思っています。

平野委員 時間が参りましたが、遠山大臣、副大臣が答えていますが、究極の責任は大臣ですからね。

 何回も言いますが、やはり二十一世紀の時代というのは、障害を持っている人も持っていない人も、持っておられたらその部分を助けるんだ、障害者も心のハンディを持たずに一緒に参加をして生きていくんだ、このことをはぐくむ社会が二十一世紀の社会だと私は思っています。

 そういう中で、今、この二十二条の三の分類を変えるということなんですが、変えるのは、今の時代の変化に対応できないから変えるということは結構ですが、やはり現実の姿、実態論としては、この基準がなくても、地域社会の中であるいは地方自治体の判断で十分にやれているわけですから、そのことも踏まえて、国がそういうルールを決めた、地方分権だと言いながらもまた相変わらず国が決めていくということではなくて、地方分権で地域が一生懸命やろうとしているところにふぐあいがあったときに、国がそのふぐあいに対して支援をするという発想でなければならぬと私は思っています。

 したがって、最後にもう一回言います。選択権は、一番よくわかっている保護者とその対象児童の意見を聞く、結果は行政が判断するじゃなくて、その選択権はやはりぜひ保護者に、あるいはその判断できる児童に持たせてあげてほしい、原則は普通校に、普通学級に就学でき得る環境をどうつくってもらうかということを切に願い、じっとそのことを私注視しながらおりますので、どうぞよろしくお願いします。

 時間が来ましたので終わります。ありがとうございました。

高市委員長 斉藤鉄夫君。

斉藤(鉄)委員 公明党の斉藤鉄夫でございます。

 私は、今年度始まりました科学技術基本計画二期目の状況について質問をいたします。

 平成七年に科学技術基本法が成立をいたしました。平成八年度から五カ年、これが科学技術基本計画第一期だったわけでございます。そして、その反省を踏まえて今年度から二期が始まり、今ちょうど半年を過ぎたところでございます。このあたりで、この基本計画の二期の進みぐあいについて国会としてきちんとチェックをし議論をしておくということは大切なことだと思い、質問をさせていただきます。

 まず最初に、科学技術基本計画、五カ年の一期、この反省と、それからその反省を踏まえて二期目のポイントは何かということについて質問をさせていただきます。

 私の理解は、一期目は、とにかくお金、科学技術にお金を費やすということでポイントがあった。実際お金はついた、現場はお金じゃぶじゃぶ状態になったけれども、なかなかそれがうまく使われなかった、その反省を踏まえて二期目は評価ということを取り入れた、私はこのように理解しておりますが、このことについて政府の考え方をお聞きします。

山元政府参考人 事実関係でございますので、私の方からポイントを御説明させていただきます。

 第一期の基本計画、平成八年から十二年までの五年間の計画ということで、本年三月に終了したところでございます。

 それで、この第二期の基本計画を策定する際に、まさにこの五年間の評価がなされました。その中での成果といたしましては、今先生おっしゃいました、まさに計画期間中における必要経費としての目標の十七兆円の達成、これがあったかと思います。

 そのほかに、ポストドク一万人支援計画はほぼ達成されたとか、あるいは論文数、引用度数が増加傾向を示したとか、あるいは評価についても、平成九年度に評価の大綱的指針がつくられて、導入が始まったわけでございます。

 しかし一方で、反省点が多々ございました。例えば人材の流動性の向上がまだ不十分だとか、あるいは評価につきましても、評価結果の資源配分とか処遇への反映、あるいは評価プロセスの透明性、こういうものが不十分であったとか、あるいはいろいろな研究施設についての改善も余りなされてなかったとか、あるいは、これは計画そのものの立案にかかわるところではございますけれども、第一期の基本計画を策定するときに時間的な制約もございました、そういう中で、国として重点的に取り組むべき科学技術の目標、これが計画としてつくれなかったとか、こういうところが反省点としてあったかと思います。

 このようなことを踏まえまして、この第二期の基本計画のポイントとしては大きく二つあろうかと思います。一つは、科学技術の戦略的な重点化を図っていこうということでございます。それから二つ目は、すぐれた成果の創出、活用のための科学技術システムを改革していこうじゃないか、大きくこの二点があるのではなかろうかと思います。

 前者の重点化につきましては、大きく二つ言わせていただきますと、一つは、やはり何といっても基礎研究を大いに推進していくということ、それから、国家的、社会的課題に対応いたしました研究開発の重点化を図っていこう、この二つになるのではなかろうかと思います。その重点化としては、ライフサイエンスとか情報通信、環境、ナノテクノロジー・材料、特にこういう四分野の重点化が示されておるところでございます。

 二つ目の科学技術システムの改革の方でございますけれども、これも幾つかございますが、例示といたしましては、研究開発システムの改革として競争的資金、これをできるだけふやしていこうじゃないかという話、あるいは産学官連携の仕組みをさらに改善していこうじゃないかとか、あるいはいろいろな人材の養成、このあたりについてもさらに力を入れていこうとか、多々あろうかと思いますが、御説明はこのあたりでとどめさせていただきます。

 以上でございます。

斉藤(鉄)委員 一期目の反省点として、評価がなかった、それから科学技術戦略というべき目標がなかった、それを踏まえて二期目は戦略的重点化を行った、こういうことかと思います。

 それでは、その一つ一つについて現状をお伺いします。

 まず、基礎研究が大事だ、私も本当にそのとおりだと思います。その基礎研究に対して、公正で透明性の高い評価による研究水準の向上というのが二期目の重要政策の一番初めに来てございます、基礎研究を大事にすると。その基礎研究を進めるということで大事なのは公正で透明性の高い評価なんだということですが、これは具体的にはどのように進んでいるのでしょうか。

遠山国務大臣 新しい第二期の科学技術基本計画の中でも、基礎研究の重要性というのが非常にウエートを重くうたわれているところですし、今斉藤委員がおっしゃいましたように、まさに基礎研究が伸び伸びとした研究者の発想に起因して、そこで未知の分野を切り開いていく、そのことが人類の発展にもつながるような独創的な研究成果をもたらすということは、揺るぎないことだと思います。

 先般の野依先生のノーベル賞受賞の弁におきましても、自分がここまで来たのは科学研究費補助金による基礎的な研究をずうっと支えてくれたからだということを何度も何度も明言していただきました。そのように、野依先生の研究の成果は、単なる独創的な研究ということでノーベル賞をもらったというだけではなくて、幅広くその成果が産業にも裨益したということでございますが、やはり基礎は基礎研究ということでございます。

 その際に、研究の活性化やすぐれた研究成果の創出、あるいは効果的な資源配分、国民に対する説明責任などの観点から、公正で透明性の高い評価が重要というふうにしているわけでございますが、例えば、そのことについて、代表的な基礎研究費であります科学研究費補助金を例にとりますと、研究費規模の大きな種目の場合は、事前、中間、事後の評価を実施し、そして審査結果は、理由を付して文書によって開示しておりまして、また、申請件数の多い研究種目の場合にも、合議による事前評価を実施して、審査結果について、不採択者に対してはおおよその順位を通知しておくというようにするなど、まさに公正でかつ透明な評価というものを実施しているところでございます。

 このように、今後とも、基礎研究の推進に当たりましては、ピアレビュー等による厳正な評価の実施と評価結果の開示、これによって研究がきちんと評価されて、しかもそれが客観性を持って評価されているということが、恐らく、いろいろな力を持った研究者にとって、その後の意欲ある取り組みを促すのではないか、そのような考えに基づいてそうした取り組みというものを進めていく考えでございます。

斉藤(鉄)委員 この基礎研究の重要性、推進するための評価、これは本当に大事でございまして、これは後でまた、次のテーマを議論した後、それを踏まえて、またちょっとここに返らせていただきます。

 第二期の重要政策、私は、二番目に重要なのは、ここに書いてございますけれども、重要政策として挙げられておりますけれども、研究開発システムの改革ということで、具体的には、例えば競争的資金の倍増と間接経費三〇%の導入というのが重要政策の柱として書かれております。

 競争的資金、つまりファンドを設けて、そのファンドに対してある意味では公募をして、それに対して評価をして、いいと評価の高いものについて重点的に研究開発投資をしていくというシステム。そして、それに間接経費、いわゆるオーバーヘッドを認めるということ、これも私非常に重要なことだと思います。そして、一期の反省として出てきた、戦略重点化がないということに対する一つの答えだと私は思っておりますが、この競争的資金の倍増とオーバーヘッドの導入、これについては現在どのように進展しておりますでしょうか。

山元政府参考人 御説明いたします。

 競争的資金、今先生おっしゃられました、まさに、研究開発課題を公募して、事前審査を経て配分される資金、それでございますが、今現在、政府全体で約三千億円ございます。この三千億円を第二期の科学技術基本計画の期間中五年間で倍増しようという目標が立てられているわけでございます。

 この競争的資金は、研究者にとっても研究費の選択の幅を与えてくれるわけでございますし、また結果的には、競争的な研究開発環境、これの形成に貢献するものということで、この倍増をぜひ私ども努力してまいりたい、こう思っておるわけでございます。

 また、間接経費、これは、競争的資金になりますと、その機関にとって、結果として、その競争的資金を獲得した研究者が所属する研究機関そのものにとっては負担になり得るところがあるわけでございます。したがいまして、その研究機関の管理等に必要な経費を間接経費という形で配分したらどうかという考え方がとられておりまして、当面三〇%を目安とした経費の導入ということが考えられているわけでございます。具体的には、既に平成十三年度予算におきまして間接経費の導入ということはスタートをさせていただいてございます。

 また、競争的資金につきましても、政府全体で各省いろいろな政策目的に応じた競争的資金がございますけれども、私ども文部科学省におきましては、科学研究費の補助金、これは、まさに研究者の自由な発想に基づく研究ということで、いわゆるボトムアップの研究でございますが、さらには、戦略性を持ったトップダウン型の研究といたしまして、科学技術振興事業団で進めてございます戦略的な創造研究推進事業、さらには科学技術振興調整費、これにつきましても競争的資金として運用されてございますが、これ自身は、総合科学技術会議の方針に沿いまして、科学技術システムの改革を促進するための使い方をしようじゃないかというふうなことで、現在、平成十三年度から運用が始まっておるところでございます。

 さらには、大学とか民間のいろいろな独創的なシーズを実用的な技術に育成していこうということで、産学官の連携イノベーション事業として競争的資金の考え方でやっていこうとか、こういうことで、平成十四年度の概算要求に当たりましても、非常に厳しい財政事情の中ではございますが、文部科学省といたしましては、重点的な増額要求ということをさせていただいておるところでございます。

 私ども、この競争的資金につきまして、まさに倍増ということを目指しまして、拡充を図るのは当然でございますが、あわせまして、運用も含めた改善の努力、これも必要かと思っておりまして、その両面について引き続き努力してまいりたい、こう思っております。

斉藤(鉄)委員 この競争的資金と、前の質問で質問いたしました基礎研究に投ずるお金、この関係についてはまた後でもう一度質問させていただきますが、その前に、重要政策の中で挙げられております産業技術力の強化と産官学連携の仕組みの改革、それから地域における科学技術振興のための環境整備。

 これは、地域における科学技術振興のための環境整備というのは、景気回復という意味でも非常に大事だと思います。地域地域にいろいろな特徴ある技術がございます。その技術と大学の知識を結集して、新しい技術、新しい産業を興していこう、その先端に文部科学省のこの事業を置いていこうということで非常に重要な柱だと思いますが、この産官学連携と地域の科学技術振興、これについて現状をお伺いします。

青山副大臣 まず、産官学連携を、第二期科学技術基本計画の中では進めていくということで強く位置づけられておるわけですが、その意義は当然、斉藤委員の方がよく御存じかもしれませんが、あえて言わせていただいてよろしいでしょうか。

 研究者や研究機関みずからが、その成果を社会に還元していこうという意識をまず持ってもらうこと、そして産官学の連携によって大学等の研究成果を社会に活用していく、こういうことが重要でございまして、例えば、人材交流、技術移転、事業化というのが強く位置づけられておるんですが、産学官連携強化のための人材交流を進めていかなければいけない、それから公的研究機関の研究成果を産業へ技術移転していく、それからそれを生かした事業化を進めていく。

 そういう意味で、文部科学省としては、企業との共同研究の拡充、それから大学の共同研究センターの整備を進めていく、それから技術移転機関、例えばTLO、これによる大学の研究成果を特許化していく、さらには国立大学の教官の兼業を緩和していくというような取り組みを行ってきておるところであります。

 大学を起点とする日本経済活性化のための構造改革プランというのが発表されておりまして、遠山プランとして出ておりますが、産学官連携の重点項目の中の一つに位置づけておりまして、科学技術・学術審議会のもとに産学官連携推進にかかわる専門の委員会を設置いたしまして、新技術、新産業の創出につながる産学官連携のあり方について、ことしの七月に中間取りまとめを公表いたしました。そういうようなことで、大学を起点とした我が国の経済の活性化をこれからさらに進めていきたいと考えております。

 今、大学を起点としたと申し上げましたが、地域の科学技術振興についても新たな地域科学技術振興システムを構築していくことが必要だと考えております。

 そのためには、大学を核とした産学官連携強化が非常に重要な課題となっておりまして、地域結集型共同研究事業を進めていくこと、それから知的クラスターの形成を目指した全国三十カ所における調査事業を既に進めておりますこと、研究成果の活用拠点、いわゆる研究成果活用プラザというものを全国で七カ所設置して、これを運営して活用のめどを立てていきたいと考えておりまして、改革先行プログラムを踏まえまして、新産業創出につながるすぐれた研究成果を生み出すところの大学の施設の整備が少しおくれておりますから、これを重点的に整備していきたいと考えております。それから、産学官連携拠点となる大学の研究成果に基づいて、地域の特性を踏まえた企業化のシーズの開発を今検討していくところであります。

 今後も、地域の主体性や地域が持っておる個性を発揮していけるように、研究成果の集積を持つ地域を創造的にシステムを構築して、地域科学技術の振興を図っていきたいと考えております。

斉藤(鉄)委員 地域の産官学連携、新しい科学技術で新しい産業を興していく、その事業にぜひ力を入れていただきたいと思います。

 残り少なくなりましたが、ちょっと最初の問題に戻りまして、基礎研究に投資するという問題、それから二番目に、競争的資金を倍増する。現実に今いろいろな第一線の研究者から声が上がってきておりまして、私のところのEメールにもたくさん研究者から声が上がってきております。

 第一の最大の心配は、競争的資金を拡充する、これはいいんだけれども、競争的資金の拡充の場合、成果がはっきりわかっている、研究すればこれだけの成果が上がりますということがわかっている研究にどうしても行きやすい。ところが、基礎研究というのは、本来、研究しても成果が出るかどうかわからない、そのような、ある意味では未知に挑戦する、これが本当の基礎研究。したがって、基礎研究に力を入れるとはいいながら、現実問題として、競争的資金の方に重点が移って、基礎研究が軽くなっていくのではないか。

 ましてや、日本学術振興会、これまで大学の基礎的なところに本当に目配りしながらやってきたところが、いわゆる競争的資金の牙城である科学技術振興事業団、この方に統合という話もございます。そうなると、いよいよ基礎研究、本来、これから世界の中で知の発信の中心として頑張っていかなきゃいけないこの日本が、基礎研究がおろそかになってくるのではないかという思いが、この二期の基本計画を遂行していく中で沸き上がってきているのですが、これに対してはどのようなお考えでしょうか。

遠山国務大臣 今御指摘の点は本当に大事なことでございます。えてして、科学技術振興、科学技術創造立国という場合に、応用的なこと、あるいは目的が明確にされて、そして重点化された問題だけに絞るのではないかという危惧があると思います。

 しかし、私どもはもともと、文部科学省、大学における自由な研究、そして研究者の発想というものを大事にしてまいった仕事の歴史がございます。特に科学研究費補助金は、長い歴史を持って、そして研究者の発想を大事にしていくボトムアップ型の代表的な研究費でございます。これを倍増しようという気持ちこそあれ、これを少なくしていくとか、あるいはトップダウンのものだけを拡充していくというようなことは、これはあってはいけないと思いますし、私どもの責任において、そこはしっかりと守っていきたいと思っております。

 ただ、私が申し上げたいのは、それは守りますけれども、しかし、大学の研究が内にこもって、そして中にこもったあるいは外とのつながりを考慮しないような、そういうことだけにとらわれるのではなくて、やはり社会の中の存在としての大学、そしてその中での研究ということも視野に入れながら、しかし、基礎的な研究、特にピュアな研究、直接には利益、産業に結びつかないようなことについても、例えば宇宙の真理とか、そういったことについても大変大事なわけでございますね。そこのところを、これまでの考え方から一歩出て、社会を見渡しながら、しかし大事なものは守っていくという、そこのところの視野の広さというものを持ちながら、私は、研究というものを、私どもがそれをバックアップし、研究者もそういう視点を持ちながら、自信を持って取り組んでいただきたいと思っております。

斉藤(鉄)委員 終わります。

高市委員長 都築譲君。

都築委員 自由党の都築譲です。

 久しぶりの委員会でございますから、たくさんお聞きをしたい、こう思っておりましたが、きのうの発表になりました雇用失業統計を見ますと、失業率が五・三%、完全失業者三百五十七万人ということで過去最悪を更新したということで、連日、アフガニスタンの爆撃と申しますか、そういった報道が多かった中で、久しぶりに夕刊の一面が雇用失業情勢の問題で彩られたわけでございます。

 これは、本当に失業者の皆さん方、あるいはまた現に働いている皆さん方も大変深刻な問題であろう、こう思いますが、気になりますのは、来年の三月の学卒の時期をやがてまた迎えるわけでございまして、できるだけ早くから対応をとっていく必要があるだろう。こういうことで、当面の対策をどうしていくのかということと、もう一つ、実は今の学校教育のあり方についても改めていく必要もあるのではないか、長期的な観点から改革をしていく必要もあるのではないか、こんなことで見解を伺ってまいりたい、こんなふうに思っております。

 それで、失業率五・三%ということできのう総務省の方から発表になりました。全体として五・三%ですが、ただ、細かく見ていくと大変気になるところが、一つはやはり若年失業者が非常にふえているということでございまして、十五歳から二十四歳層の失業率は、男女計で一一・〇%、そして男性は一二・四%ということで、これはもう飛び抜けて実は高いわけでありまして、かつての金の卵と呼ばれたような、高度成長期とは本当にさま変わり、隔世の感があるのではないか、こんなふうに思います。就職の問題というのは万能薬といったものはないのかもしれませんが、そういった中で、しかししっかりとした対応をやっていかないといけない、こんなふうに思うわけであります。

 全体として、今のこの厳しい雇用失業情勢は、特にIT関連の需要が大変停滞をしてきているということで、電機産業関係、きのうもテレビのニュースでやっておりましたし、新聞でも報じられておりますが、例えば日立のグループですと、今年度中に一万四千七百人の削減の計画が、さらに一千二百人上乗せして一万五千九百人削減をしなきゃいけないとか、あるいはまた松下グループでいきますと、七千人の今年度中早期退職の予定が、さらに千人上乗せして八千人の早期退職とか、東芝だと、二〇〇三年度までに国内外合わせて一万八千八百人削減、こういう削減計画、人員縮小計画が続々と打ち出されておるわけであります。

 そういったことを見ますと、実際に、来年の三月卒業する学生の皆さん方、もう既に求人求職の関係の統計がとられ始めているわけでありますけれども、実際のところ本当に大丈夫なのか、こんな思いがするわけであります。

 そして、文部省からもそしてまた厚生労働省からも資料をちょっともらってまいりましたけれども、ことしの七月末現在での来年三月の例えば高校新卒者の求人求職の動向を見ますと、求人倍率が〇・六一倍ということで、前年を〇・〇三ポイントこの時点で下回っているわけでありまして、ただ、実態は少しはよくなるんではないか、こんな動きがあったようでございますが、しかし、九月にはアメリカのテロ事件が起こりました。そしてまた、狂牛病の問題も起こっている。さまざまな面でいろいろな影響が出て、そして先ほど申し上げたような人員縮小計画の拡大といったものにつながっていることを思うと、来年の三月卒業予定者についても、これは高卒に限らず、大学も高等学校も大変厳しい状況になるんではないのか、こんなふうに思うわけであります。

 現在、まだ最新時点のものについては集計中というような状況でありますけれども、実際のところ、今のこの状況を、学校関係の就職をよくよくウオッチされておられる文部科学省として、どういうふうに認識され、またどういうふうに対応されていこうとしておられるのか、まずその点についてお聞きしたいと思います。

池坊大臣政務官 今、都築委員の方から、大学並びに高校卒業者に対しての就職について御質問がございましたので、大学並びに高校、それから専門学校、あわせてお答えしたいと思っております。

 大学生は、今、十月一日現在では、文部科学省、厚生労働省、両省で調査をしております。昨年よりは若干改善されているのではないかというふうに思っております。ただ、今、大変に経済状況の厳しい中でございますので、今後とも推移を見守っていく必要があるかと思っております。

 文部科学省といたしましては、経済関係団体に対して、新規学卒者の雇用対策の拡大について格別の配慮をお願いしたい旨のお願いをいたしておりますし、また、学生一人一人に対して、就職指導の実施や就職相談体制の充実をきめ細かにやっております。今後とも、厚生労働省と十分な連携をとりながら、一人でも多くの学生が就職できるように支援してまいりたいというふうに考えております。

 それから、高校生の来年三月卒業見込みの状況でございますが、今お話がございましたように、七月の時点で求人倍率は〇・六一倍、これは前年度同期では〇・〇三ポイント減となっておりまして、高校新卒者に対しては大変厳しい状況が続いております。

 これも、今後とも調査をしてまいりますけれども、九月五日に、文部科学省は厚生労働省と共同で、各都道府県の教育委員会等に対して、職業安定機関と教育機関との連携による積極的な求人開拓など、高校新卒者の就職支援について一層の取り組みを依頼したところでございます。またあわせて、主要経済団体に対しても、高校新卒者の求人枠の確保、拡大について格段の御配慮をいただきたいということをお願いしているところでございます。

 またさらに、十月二日には、文部科学省、厚生労働省、全国高等学校長協会、主要経済団体で構成されております新規高卒者就職問題懇談会というのを開催いたしまして、情報交換を行うとともに、それぞれが求人の確保に努めてまいりましょうということを確認したところでございます。

 私たちは、事あるたびに主要の経済団体、さまざまな機関を通じて、高校生の新卒者の就職に対して力を注いでまいりたいと思っております。

 また、続けて、専修学校、これはよろしゅうございますか。(都築委員「はい、どうぞ」と呼ぶ)専修学校は、御存じのように、社会の変化に適応した実践的な職業教育、専門的な技術教育を行う教育機関でございますので、高校よりも就職ができやすいということがございます。

 専修学校に対する職業支援といたしましては、専修学校教育振興会の主催により、専修学校の就職指導担当者が就職希望の学生に対して適切な指導が行われるように、例年、東京及び大阪において専修学校就職指導担当者研修協議会を実施しております。

 先ほども申し上げましたように、専修学校は、資格を取ったり、あるいはすぐに職業人として働くことができるというような状況にございますので、厳しい雇用状態が続きます中にあっても、前年度より〇・九ポイント増の八四・一%と、これは多少改善されているのが現状でございます。

 私たちも、今後とも、特に高卒者に対しては一生懸命頑張って支援をしていきたいと思っております。

都築委員 やはり子供を持つ親として、本当に心配な問題でありましょうし、実際に各議員の先生方も、後援会の人たちの息子さんや娘さんの就職の世話を依頼されることが多々あるんじゃないか、こんなふうに思うわけでありまして、それだけ、一般の方たち、自分たちの子供たちが一人前にちゃんとひとり立ちしてもらう、それが本当に大切なことで、心配の種になっている、こう思うわけであります。

 今お話しをいただきましたが、特に今いろいろな対策をとられておりますが、ちょっとここで、通告を具体的にはいたしておりませんが、今政務官がおっしゃられたように、就職問題の懇談会を開いたとか、あるいは専修学校の関係で協議会を開いたとか、あるいはまた主要経済団体に対して求人を拡大するように要望を出したとか、こういうことをやっておられるんですけれども、それは、一方的に出ているだけじゃなくて、多分、経済団体とか企業側とか、あるいはまた学校側の方からもいろいろな反応が、校長先生やなんかからも出てくるんではないか、こう思うんですが、実際に、本当に子供たちの就職のことを考えたときに、どういうことを学校の立場で、ただお願いします、お願いします、もっと人を雇ってくださいと言われたって、企業も景気が悪かったら雇えない。ただ、中には、景気が悪くても、こういう子が来てくれたらうちの企業はもっと立ち直っていく、元気が出てくる、こう思う子がいたら、やはり無理してでも採りたいと思うのが僕は人情だ、こう思うんです。

 だから、採ってもらう側に対して、どういう御意見がありますかというふうなことで、実際にそういった学校側で、今まで、高度成長期のときは金の卵ですから、とにかく猫もしゃくしも人手だったらいいんだ、こういう発想だったかもしれません、そしてまた企業の中で訓練をやるということもあったかもしれませんが、そういった要望みたいなものは何か具体的に出ておられるのかどうか、お聞かせいただければと思います。

池坊大臣政務官 各経済団体から、どのような学生が欲しいんだというような要望が出ているわけではございませんけれども、まだ現段階ではそれは把握いたしておりませんけれども、ただ、委員も御承知のように、高校生とか大学生にインターンシップを取り入れております。ですから、インターンシップを入れることによって、学生たちは、その企業がどういう企業であるのか、そしてその企業内容がどういうものであるかを把握することができます。そして、それをまた持ち帰りまして、勉学にそれを、社会とか企業の実態を把握いたしまして、それに即した勉強をしていくことができますので、そういうことを通して、私は、企業との連帯がふえるのではないかと思っております。

 インターンシップを申し上げるならば、大学生は、長いときには三カ月ぐらいインターンシップで企業の体験活動というのか、そういうことをいたしております。平成八年度は百四大学で、全大学の一七・七%でございましたのが、平成十二年度では二百十八大学、三三・五%と約二倍に増加いたしております。

 インターンシップのお話をちょっとさせていただくならば、全国フォーラムの開催とか、ガイドブックの作成、配布、インターンシップを実施する大学等に対する財政的支援などをいたしております。これは、私は、企業と大学生を結びつける大変にいいきずなになっていくのではないかと思います。そこで醸成されまして、企業が、こういう学生を欲しいのだということがございます。

 高校に関しましても、これはまだ、高校二年生が二日から三日やるだけでございますけれども、中学でございますと、職場見学というただ単に見学だけなんですけれども、高校の場合は就業体験ということになりますので、職業意識の育成とか、あるいは主体的に職業を選択する等々のことがございます。これが私は就職をするときにも役に立っていくのではないかというふうに思っております。特に職業に対する理解や学習意欲が高まってまいります。

 それからまた、今の子供というのは職業観がございませんけれども、望ましい職業観を醸成することもできますし、また、核家族において、保護者と学校の先生しか知らないという子供たちが社会人とコミュニケーションをするいい機会になっております。

 文部科学省といたしましても、こういうことを積極的に働きかけることによって、企業と結びついて、より企業が積極的に高校生の就職を受け入れるような態勢に持っていきたいというふうに願っております。

都築委員 いいことはどんどんやっていただいて、本当に子供たちのひとり立ちが進むようにお願いしたいと思います。

 そのインターンシップも、最近、だからいろいろ施策として取り入れていくということで普及が進んできておりますが、もともとは、私の認識するところ、かねてからやっている企業も実はあったんですが、一般に、新規学卒者が割と離職をする傾向が近年になってふえてきた。

 昔は、もうそれこそ若くして就職をしてすぐに離職、転職というのは、大体、下方転職ということで、特に私の地元の愛知県の方の一宮などは、全国から織布工場に女性の方たちが中学を卒業してどんどん来て、転職をしていくとなると、どんどん条件の悪いところに行って、最後は水商売に行ってしまうとか、そういったことで、人生の転落を防ぐために一生懸命就職指導をやらなきゃいけなかった、こういう問題もあったと思うんですね。

 ただ、最近は、余りにも気軽に転職をしてしまう、そういう傾向が多いんではないか。だからさっきの、若い男性の、二十四歳以下の失業率が一二・四%なんというのを見ると、本当はどうなのかな。実際にその離職の原因が、解雇されたという非自発的失業か、自分から好んでやめたのか、自発的失業かと言われたら、その年齢層は割と自分でやめていくという人たちが多いわけなんですね。

 学卒から三年以内の離職の状況を厚生労働省が調査した資料だと、大卒だと大体三割ぐらいが離職しているとか、短大卒だと四割ぐらいが離職をしているとか、そんな非常に高い、実はなっている。それは、最初からもう職業についての意識が一致をしていない。自分のイメージしていた仕事とはちょっと違う、会社とは違う、働き方とは違う。会社の方は逆に、そんなことわかり切って入ってきたんじゃないのか、こう思って、離職という大変残念な事態になってしまうケースが多い。

 また一方では、フリーターと言われる人たちが十五歳から三十四歳層で百五十一万人もいるとか、そんなことを言われると、若い層が、本当は若いうちこそ、だから鉄は熱いうちに打てではないんですけれども、知識を吸収し、経験を吸収し、技能を集積していく。これはまた四十、五十になってから新しい仕事をやれと言われたって、そんなのなかなか、私自身も最近本を読むのが大変おっくうになってしまいまして、新しい知識がだんだん入ってこなくなってしまったんですけれども、そういったことを思うと、本当に若いうちにいろいろな経験を、現実の仕事に接しながら、いろいろな人と接しながら、人間関係や言葉遣いや働き方や、こういったものを覚えていくことが大切じゃないか、こう思うんですね。

 だから、そういった意味で、最近の学卒就職者の離職の動向、大変厳しいものがあるんじゃないかと思うんですが、労働副大臣にお越しをいただいていますので、ちょっと御説明いただけますでしょうか。

南野副大臣 先生は労働界のベテランでおられますし、もうそこら辺のことは全部御存じの上での御質問ではないかなというふうには思います。本当に、先生の御心配のとおり、今私も心を痛めております。失業率の増加というところについても大変つらい思いをいたしております。

 この前、高校生の就職面接会がございました。そこにも行ってまいりました。そこで、今先生のおっしゃっておられるようなミスマッチがないように、何年ぐらい勤めてもらえるのかな、いいところがあるのかなというようなところも、心を痛めながら視察をしてまいりました。

 その中身は別といたしまして、今先生お尋ねの離職の動向でございます。

 表がございませんのでちょっとわかりやすく申し上げますが、昔はといいますか、よく七五三というふうに離職の問題を言われていたものでございますが、平成九年の三月に卒業された新規学卒就職者の就職後三年間の離職率、それを見てみますと、高卒者で四七・五%、大卒者で三二・五%となっております。平成八年三月の卒業者に比べますと、両者ともわずかながら減少はしているのでございますが、前年度と比べてみますと、高卒〇・六ポイントの減、大卒一・一ポイントの減、それも高い水準にあると認識いたしております。

 さらに、先生おっしゃっておられました三年間の離職率ということと比べてみろということでございますので、それにつきましては、三年間の離職率、五年前を比べてみますと、高卒者では七・八ポイント、それから大卒者では八・八ポイントの増加となっておりますので、上がり下がりはございますものの、やはり中期的に見ますと、上昇傾向にあるということを正直に申さなければならないと思っております。

 以上です。

都築委員 今のその状況について、きょうは文部科学委員会ですから、学校サイドの対策をまたお願いする議論としてお出しをいただいたんですが、厚生労働行政の観点から、そういったものについての対策と申しますか、対応といいますか、そういったものについて、ちょっと御説明いただけますか。

南野副大臣 対策でございます。

 これも先生るるお考えのとおりだと思いますが、若年者の就職後三年間の離職率が高くなっている、これは、採用時に企業が資質を十分に見抜けなかったこと、またこれは若年者の就職意識というものの形成が不十分であったのかな、いわゆるミスマッチというようなことで表現されるのかなと思いますが、両方がまだ見きわめが不十分であったということに起因するものが強いのではないかなと思われます。

 さらに、厚生労働省といたしましては、従来からインターンシップ、今既にもう御説明がございましたが、そのような所要の施策を講じてきたところでございます。今後とも、早期離職防止という観点から、先般、産業構造改革・雇用対策本部が取りまとめられました総合雇用対策の一環としまして、経済団体を通じたインターンシップの機会というものを拡大し、取り組んでまいりたいと思っております。

 厚生労働省だけでなく、あらゆる省庁あわせて力を出していき、この危機を乗り越えていきたいものと思います。先生の専門の分野でもございますので、どうぞお力をおかしいただきたいと思っております。

 以上です。

都築委員 ありがとうございました。

 今のお話を聞いておりまして、先ほどのインターンシップの実施の状況、もっともっと実は広めていっていただくことが必要だ、こう思うわけでありまして、実際に、本当に、通常国会のときの教育関連三法の改正のときも、受験偏重教育といったものについての根本的なあり方、そういったものが問われたし、あるいはまた、子供たちが、いじめとか不登校とか、そういった問題の中でしっかりと自分たちの個性を伸ばしていくようにするにはどうするかとか、いろいろな議論がありました。

 私自身がかねてから訴えておりますのは、やはり世の中というのは、男もいれば女もいるし、そしてお年寄りもいれば赤ちゃんもいるという非常に多様な中でありますし、また、ノーベル賞を二年続けて日本人が受賞するという大変名誉なこともあるわけでありますが、ノーベル賞をもらうような人から、実は本当に普通の我々みたいな人間までたくさんいるわけでありまして、圧倒的に普通の人が多いわけでありまして、その普通の人が、今世界の国々と比べて、あるいはまた人間の歴史を比べても、これほど豊かに、そしてまたぜいたくに暮らせるような世の中、一億二千七百万人の人が豊かに暮らせる、今よくテレビで映っておりますアフガンのあの土煙と砂漠、そういった瓦れきの状況を思うと、いかに我々の先人たちが本当に苦労して今日のこの社会を築き上げてくれたかということに感謝をしなきゃいかぬのですが、ただ、正直言って、今の若い方たちは、それはもう当たり前のことだと言って実はやっている。一時間どこかのお店でアルバイトをすればすぐ千円とか千二百円の時給で雇ってもらえるとか、そんな発想が実はフリーターみたいなものにつながっているのかなというようなところもあります。

 それから、自分自身の長期的な人生設計、いつまでも二十代であるわけじゃなくて、やがて六十代、七十代になっていくときのことを考えて真剣に物事を考えて言っているのか。そうなったときのことを、もしそのままいったら、今は親のすねがかじれるかもしれないけれども、いずれ三十、四十になったら親がいなくなっちゃうというようなことを考えて自立ができるのか。ではそのときに技能や経験やそういったものはあるのかといったことまで考えが及ばずに、せつな的に何か、このお金で海外旅行に行けばいいやとか、この金でブランド品を買えばいいやとか、そういうことを言っちゃうといけないんですが、若い方たちもそれなりにしっかりとした考え方を持っている方も多いと思うんですが、ただ、数字として上がってくるものを見ると、ちょっと今までとはさま変わりしているんじゃないのかということを思うわけであります。

 もう時間があと五分だということでございますので、本当は補助教員についてもぜひお聞きして、もっと、まあ失業者を雇うという厚生労働省の地域対策特別交付金といったものができました。そんな中で、いろいろな実例が挙がっておりますし、大いにこれもやっていただきたい。

 ただ、これについては、失業対策だから、就職口が見つかったら、半年の期間といいながら本人の都合を優先してやめていってしまうから、教育の現場では混乱が起こってしまうとか、そういった問題も指摘をされているから、できるんだったらそれを一年ぐらいに延ばして、もっとちゃんとやってもらって、人生経験豊富なところでその専門的な知識を子供たちに伝えてもらうという必要もあるだろうと思います。

 もう一つは、当面の長期的な問題として、職業意識とか勤労倫理といったものが今の学校教育の中ではどういうふうに育てられていくのか。

 先ほど専修学校のお話がありました。専修学校はもともと技術、技能を身につけるための学校ですから、当然就職することを前提として、そして、自分も高い月謝を払って行っているから、必死でみんな勉強するでしょう。

 ただ、高校教育がほとんど全入に近いような状況になってくると、職業教育学校であれば、それはそれなりの教育をするでしょう。ただ、問題は、やはり普通科高校の方が、実際には一般の英数国、理科、社会というふうな教育をやりながら、そのまま進学する人は進学だけれども、就職する人は、じゃ職業意識とか勤労倫理とか、そういった問題はどこで育てられてくるのか。もっとそこら辺の就職関係のもの、あるいはまた産業関係のもの、そういったものを正課として取り入れたらどうかというふうに私は前から思っていたんです、大変生意気な言い方で恐縮ですが。

 十月二十四日の東京新聞の夕刊に、元の雇用審議会会長の高梨先生がやはりそういうふうに、高校教育、とりわけフリーター供給源である普通高校に産業・職業教科を正課として取り入れるとか、あるいは、就職指導といったものを、進学指導のほかに、専門家を担当者として受け入れたらどうか、こういう提言をされておられるわけでありまして、そういった点についての御見解をお伺いいたしたい、こう思います。

遠山国務大臣 今お話しのように、私は、すべての人間が、働くことの意味、そしてきちっとした職業倫理、そういうものを持っていくことでないと、いろいろな意味で、しっかりした人生を歩めないばかりではなく、社会としても大きな問題ではないかと思っております。その意味で、これまでの学校教育では、職業意識を持たせるあるいは職業体験を持たせるという意味で、必ずしも十分でなかったと思っております。

 高校において何か必須のカリキュラムを組むようにというのも一つの御提言でございますが、最近、非常にいい動きが少しずつ生まれてまいっておりまして、小中学校におきましても、地域のいろいろな職業の場に出かけていって体験をする、そのことが、自分は何の職業につくかというのはわからないでも、でも働くことの意味とか、働くことを通じて人を喜ばせる、あるいは自分で体を動かしてみることによって実感する働くことの大切さというようなものを学んでくれるような時代になってまいりました。

 したがいまして、私は、これから特にいろいろな工夫が来年度から可能になってくる中で、キャリア教育と申しますか、そういったことにもう少し重点を置いてやってもらいたいと思いますし、ここでは例を申し上げる時間がございませんけれども、そういったことで成功している例が各地で生まれてまいっております。これには学校が、中学、高校段階になれば特にいろいろな体験をさせていく、そんな中で自分が何に向いているかということも考えさせていく、単なる座学ではなくて、いろいろなことを体験しながら、そういうことの重要性を身につけさせる教育というのが大事ではないかと私も思っております。

都築委員 ありがとうございました。終わります。

    〔委員長退席、鈴木(恒)委員長代理着席〕

鈴木(恒)委員長代理 石井郁子さん。

石井(郁)委員 日本共産党の石井郁子です。

 私、きょうは大学問題について質問をさせていただきます。

 学術の中心としての大学のあり方をめぐって重要な局面を迎えています。一つは、大学の構造改革の名のもとに進められている国公私トップ三十育成構想による大学のスクラップ・アンド・ビルドの問題。もう一つは、国立大学の独立行政法人化方針に基づく法人化構想の推進であります。これは、国の知的基盤をなす大学の自主的、創造的発展にとって極めて重大な問題だということでありまして、私は拙速は許されないというふうに思っています。

 そこで、本題に入る前に、科学史についての基本認識をちょっと大臣にお聞きをさせていただきたいのでございます。

 今、リニアモーターカーなどの交通機関、そしてMRIなど、医療機器に画期的転換をもたらしつつあるのが高温超電導ですけれども、この高温超電導物質の発見が各国の研究グループによってしのぎを削って行われているわけですが、その基礎を築いたのは低温超電導。この低温超電導というのはどのように発見されたのでしょうか。

遠山国務大臣 にわか勉強でございますけれども、超電導現象といいますのは、オランダ、ライデン大学のカメリン・オンネス教授が、十九世紀後半に、極低温における気体の液化に関するレースが起きたわけでございますが、そのレースの中で、独自の工夫を重ねて、一九〇八年にヘリウムの液化に成功して、その後、一九一一年に、マイナス二百六十九度、摂氏でございますが、その液体ヘリウムに種々の金属をつけて電気抵抗を測定したところ、水銀の電気抵抗が突然ゼロになることが発見されたというふうに承知いたしております。

 このオンネス教授は、水銀超電導発見等の業績で一九一三年にノーベル物理学賞を受賞したわけでありまして、長い間のいろいろな努力の結果、そうしたすばらしい発見が行われたというふうに認識しております。

石井(郁)委員 十九世紀の終わりから二十世紀の初めにかけて、当時といえば、相対性理論とか原子核の研究、原子論、そして量子力学、こういう分野が華やかなりし時代だったかと思うんですが、そういうところで、超低温化の物性の研究というのは、なかなか日が当たらない、見向きもされないという、つまり物を冷やしたらどうなるかという、そういう研究ですから、本当に相手にされないほどの研究をされたということだと思うんですね。それが今日のこういう発展につながっているということが非常に大事かというふうに思うんです。

 もう一点なんですけれども、ノーベル賞を受賞された白川教授、たびたび出ておりますが、この導電性高分子の発見というのはどのようになされたんでしょうか。

遠山国務大臣 この研究も、まさにそれまでは考えられなかったような、プラスチックが電気を通すというふうなことは、それまでの間はだれも予想しなかったし、この研究者が取り組むまでは、そのことが実験によって明確に出てこなかったわけであります。

 導電性高分子の研究は、一九六七年に白川博士のもとで研究していた研究者が、粉末状ポリアセチレンの合成の際に、誤って通常より一千倍濃い触媒を用いてしまったことによって、薄膜状のポリアセチレンが生成したことがきっかけになっていると聞いております。

 大事なのは、白川博士が、このとき、誤って生成した薄膜状のポリアセチレンがアルミ箔のように光るのを見て、これは電気を通すのだろうと直観して、このポリアセチレンに微量の物質を加えて、電導性が飛躍的に、一千倍でございますけれども、高まることを解明して、一九七七年に論文を発表された、その成果が昨年のノーベル賞受賞につながっていると思います。

 そういういろいろな要素を含んでおりますけれども、人に追随するのではなくて、みずから考えていく独創性、そして長い間の努力、そういった新鮮な着想と地道な取り組みということが重要な要素になっていると考えております。

石井(郁)委員 大臣がお述べになったとおりでございますけれども、もう一つ加えれば、白川博士が東京工業大学の助手時代、これは学生が行った実験だと言われているんですね。その後、そういういろいろな、アメリカの学者などとの出会いなどを含めましてこの研究につながったということですが、白川先生自身がこう述べておられるわけです。偶然と失敗の結果生まれたとはいえ、とてもプラスチックとは思えない銀色に輝くポリアセチレン薄膜の合成や、それに続くドーピングによる金属化は、現在の錬金術とも言っていいだろうというふうに言われています。

 私は、ここでこういう科学史を振り返ってみても、その時代ではだれもが振り向かないような研究であったとか、非常に地道な研究であったとか、偶然の発見の積み重ねによってその研究を続けたことでつながるという部分があるわけですね。そう考えますと、学問の自由というのをしっかり保障して、そうした研究を支えるということがやはり国の責務だというふうに思いますが、その基本的見解、いかがでございましょうか。

遠山国務大臣 これまでの御質疑でも再三申しておりますように、人間のすぐれた発想あるいは独創的な研究というものを大事にしていく、これが特に大学の研究者たちの基本でありまして、そういった取り組みを十分にサポートしていく、これも大変大事なことだと思っております。

 殊に大学というのは、学術研究と教育といずれも大事でございまして、同時に、社会の中の存在ということも視野に入れながら、それぞれの研究者が伸び伸びとすぐれた研究をし、またそれを教育に反映し、そして社会にも貢献していく、そのような形での大学のあり方というものを私どもとしてはサポートしていきたいと考えておりまして、一言で言えば、基礎研究の重要性というのは、申すまでもなく大事であるわけでございます。

石井(郁)委員 ところが、文部科学省が実際に今施策として行おうとしているということは、私は、今の大臣の御答弁に反するような方向ではないかと言わざるを得ないわけでございます。

 ことし六月に出された大学の構造改革の方針によりまして、筑波大学と図書館情報大学との統合、また山梨大学と山梨医科大学の統合など、国立大学の再編統合が急ピッチで進められているという状況ですね。これは、国立大学のスクラップ・アンド・ビルドとともに、国公私トップ三十育成、この構想なるものも打ち出していることと絡まっています。

 このトップ三十育成構想で、早くも来年度から実施するということで概算要求にものせているわけですね。まず、この来年の概算要求のトップ三十構想というのはどういうものでしょうか。これも一応基本的な構想ですので、大臣から御答弁をいただければと思います。

遠山国務大臣 大学の構造改革の方針においては、非常に端的な表現でありながら、これからの歩むべき道について方針を示したわけでございますけれども、トップ三十という言い方は、私はシンボリックなものだと考えております。何も日本の大学の中から三十を選んで、それに重点化していくというような意味ではありません。

 巻き返し繰り返しいろいろなところで関係者からも説明しておりますし、私もあらゆるチャンネルを通じて説明いたしておりますけれども、第三者の評価によってすぐれた取り組みを行っているようなところについては重点的にこれをサポートしていく。それは特定の、あるいは決めた三十の大学だけということではなくて、分野別に選んで、しかもそれは客観的な評価のもとに、取り組みがすぐれているというところに着目をしながら重点投資をしていく。

 それは、これまでのようにどちらかと言えば護送船団的な行き方ではなくて、あるいは結果の平等のみを求めるような資源配分ではなくて、今日の限られた資源を十分に活用しながら、これからの日本のあり方に貢献していただくような大学にしていく、そのようなことをねらいにしていっているわけでございまして、そこのところは、どの大学でもトップ三十になり得る、これは常に評価をもってトップの中に入れることができるというのが一点、客観的な評価によるものが一点、特定の大学ということではなくて、より細かい分野について見るということなど、さまざまな条件を考えているところでございます。

石井(郁)委員 高等教育局の平成十四年度の概算要求主要事項の説明でもその点では私どもも伺っているんですけれども、トップ三十に、これは三十は固定しないという話でもありますけれども、思い切った重点投資をする、平たく言えばそういうことですね。それのために評価機関、評価も行いながらするということですけれども、私は、これは国が特定の研究分野を育成するという、あるいは選定し育成する、その分野のみの育成を図るということになりますので、一方で、やはりスクラップと研究分野の切り捨てということを伴わざるを得ないのではないかということが心配であります。

 それで、少し具体的にお聞きしますけれども、評価なんですが、その選定機関を文部省内に設置するということを打ち出されているんですね。これは、来年度の概算要求には、国がその選定の仕組みとして、文部科学省に有識者、専門家で構成される審査委員会を設置するというふうに言われています。第三者機関ではないんじゃないですか。文部科学省直轄の審査委員会ということではありませんか。

 だから、なぜ国による審査委員会なのか、どういう委員会で、これはどのように評価されるのか、この構想もぜひお聞かせいただきたいと思います。これも大臣にお願いします。

    〔鈴木(恒)委員長代理退席、委員長着席〕

岸田副大臣 済みません、内容ですので、私の方から御説明させていただきます。

 具体的な仕組みの詳細については、目下関係の審議会等の有識者により検討中でありますが、例えば、この教育研究活動実績の具体的な評価の視点として、論文の被引用数あるいはインパクトの度合い、競争的資金等の獲得状況あるいは学会賞等々の受賞状況等、こんなものが今挙げられてはおります。

 そして、今御指摘の審査委員会の公平性、公正性、こういった点についてでありますが、これはあくまでも学問分野別に専門家や有識者で構成するものであります。ですから、文部科学省が行政ベースで配分対象を決めるのではないということがポイントであります。文部科学省が行政ベースで配分対象を決めるのではなくて、専門家や有識者で構成される審査委員会、こうした審査委員会において公正、公平が図られるよう意を用いてまいりたいと思っております。

石井(郁)委員 有識者と専門家でつくられたらそれが公平だ、公正だという保障にはならないですよ。だってこれ、どういう選定されるんですか。まず文部省が選定されるでしょう。そして委嘱もされるんでしょう。そこをはっきりさせてください。全然第三者じゃないじゃないですか。文部省の中にそういう審査委員会を設けるということでしょう。それを伺っているんですよ。それをはっきりしてください。

岸田副大臣 この審査委員会の公正性、公平性については、もちろんその人選も重要なポイントでありますが、やはりこの審査あるいは評価の基準、さらには審査結果を公表する、こういった面での透明性も大変重要なポイントだと思っております。

 その各要素が相まって、社会から、そして国民から認められるような公平性、公正性は確保されるものだと考えておりますので、それぞれの分野でその公平性、公正性が保てるように、しっかりとこれから検討していきたいと思っております。

石井(郁)委員 私はとてもその御説明では納得できませんね。これは全然第三者の評価機関じゃないですよ。国による審査委員会、文部科学省のもとにつくる審査委員会、そういうものですよ、今の御説明だと。

 それは、私、大変本当に重大な問題だというふうに思うんですね。こういうことを文部科学省が、このトップ三十構想のもとで、重点配分をするというもとでつくり出すというのは、これは今までなかったことですから、私はこの点で本当に重大な問題をはらんでいるというふうに考えているわけです。

 それで、この問題はやはり、「学問の自由は、これを保障する。」というふうにうたっている憲法二十三条とも関係する極めて大きな問題だというふうに私は思うんですね。

 改めて、この二十三条について、憲法制定時の議会はどんな議論だったのかということをちょっと御紹介させていただくんですが、「「學問の自由」ト申シマスルノハ、学問ヲスル方法又学問ノ内容、又学問ニ依ツテ得タル所ノ結論ト云フ面ニ亘リマシテ、国家ヨリ干渉ヲ受ケ、其ノ研究者ノナサント欲シ、定メント欲スル所ヲ妨ゲラルルコトガナイト云フ意味デアリマス」と。「保障する。」というのは、「公ノ権力ヲ以テ其ノ伸ビテ行ク本人ノ働キヲ妨ゲナイト云フコトデアリマス」という説明がされています。「一ツノ政治的ナル権力ガ、自分達ノ行動ヲ思フヤウニ発展セシメヨウト致シマスルト、各人ガ其ノ心ノ自然ノ伸ビ方トシテ学問ヲ研究致シマスル所ニ、大イナル妨ゲヲ生ズル訳デアリマス」と。これは当時の金森徳次郎国務大臣の御答弁ですよね。

 私は、やはり今これを考えましても、本当にこれに反する事態が進もうとしているんじゃないかというふうに言わざるを得ません。まさに学問の自由というのがなくて、国家に枢要なる学術というのを研究、教授したというのは戦前ですから、それと同じようなことになるのではないかと。大臣、御答弁ください。

遠山国務大臣 先ほど来何人かの委員にお答えしておりますことをお聞きいただけていなかったのではないかと思うわけでございます。

 科学研究費補助金、長い歴史を持ちながら、それぞれの研究者の発想を大事にしてボトムアップでやってきた、これは倍増しようと言っております。そして、学問の自由を基礎として、そして現実に評価をして、そしてすぐれた研究を行っていこう、バックアップしていこうということでございます。

 私は、先ほどの副大臣の答弁において、これからその評価のあり方については検討するということでございます。構造改革内閣でございますから、すべての改革をできるだけ速いテンポで行うということを前提にしておりますので、来年度予算要求で、トップ三十といいますか、そういう重点化をしていくことについて要求をしております以上、来年度から走るわけでございますけれども、私は、国がそういう評価をするということは、私はあるべき方向ではない、できれば、第三者機関というものはきっちりできて、そして先ほど副大臣が申し上げましたような視点も考慮しながら、それぞれの大学の発想というものを大事にしていくべきではないかと思っております。

 しかし、初年度からそれを達成するわけにまいりませんので、これを初年度においては、分野も限られておりますし、先ほど説明しましたような形で選んで重点投資をしていくということでございますが、将来的なことについては十分な検討、これは中央教育審議会のところで御議論をいただいておりますけれども、そういう組織というものをきちんと考えて、そして自由な発想というのを原点にしながら、すぐれた研究あるいはその研究体制というものをバックアップしていくということにおいて、誤りなきを期していきたいと考えております。

石井(郁)委員 ちょっと何か委員会中ざわめいたようですけれども、やはり大臣の御答弁で、先ほど来聞いていなかったんじゃないかと言われたのは、私は取り消していただきたいというふうに思います。

 もちろん私はずっとおりましたから聞いております。学問の自由との関係で質問したのは私が初めてだと思います。それは今まで質疑がなかったわけですよ。それから、国の審査機関のあり方の問題を私は問いかけているわけです。決してそれは、ただ評価の基準をどうするかとか、そのメンバーをどうするかという、そういう問題だけじゃないんですね。文部科学省内に評価機関を置くということなんですよ、これは第三者機関じゃないんですよ。そのことを問題にしているんですよ。これは今初めて質疑しているんじゃないですか。これはおかしいですよ。それは私取り消していただきたいというふうに思います。そして……(発言する者あり)ということです。

 重ねて、私、やはり憲法にこだわっていますが、「註解日本国憲法」には、より具体的に書いているんですよね。五つの項目がありますけれども、二つぐらい御紹介しますが、学者、研究者はその領域における専門家です、その領域において指導的立場にあるいわば選ばれたる人であるから、通常の人を対象とし、通常の人の平均的な水準に立脚する政治や行政が、その判断に基づいてみだりに干渉すべきではなく、国家も社会も独立性を尊重すべきだとあるでしょう。それから、学問上の進歩及び新発見は一般の常識的な世界観から見れば奇異に感じられることが多い、常に世間の常識的な見方から反対され、場合によっては迫害されるのであるが、やがて真理の力によって説得せずにはいなかったということが人類の歴史的な経験である以上、この歴史的な経験を謙虚に尊重すべきであることというふうに述べています。

 私は、やはりこういう立場に立っても、御答弁でも、今文部科学省がやろうとしているのは、これを本当に逸脱する問題だ、この憲法に明記されている学問の自由に反することをやはりやろうとしているという点で、これは大変重大な問題だというふうに考えているわけでございます。

 もう一度、御答弁ください。

遠山国務大臣 先ほどの冒頭の発言は、私は、基礎研究ないし学問の重要性についてるるお話をしてきましたという意味で申し上げました。(石井(郁)委員「取り消すんですか、どうです、基礎研究のことだけ言っていませんよ、私は」と呼ぶ)

 ですから、その後半のことにつきましては、それぞれの答弁の段階でお答えをしたとおりでございます。もし失礼に当たるのであれば、お許しをいただきたいとは思いますが……(発言する者あり)しかし、学問の重要性については、私は信念を持ってこれまでもお答えをしてきたということを申し上げてまいりました。

石井(郁)委員 やはりすれ違っているわけですよ。基礎研究については、午前中の審議、その他で他の議員にいろいろ御答弁されたと思いますけれども、私、基礎研究のことだけ述べていませんよ。やはり私の質問をまともに受けとめていただきたいですね。その上で御答弁いただかないと、これは困るわけです。だから、そこは重ねて、最初の冒頭の発言部分は取り消していただきたいというふうに私は思います。委員長にお願いをいたします。

高市委員長 速記をとめてください。

    〔速記中止〕

高市委員長 速記を起こしてください。

 石井委員及び遠山大臣に申し上げます。

 現在、今ほど理事の皆様もお話し合いになられましたけれども、別の議員に、自由党の別の議員に、別の議員の質問に対して答弁があったとしても、ここは、それぞれ各党の国会議員が自由に質疑をする場でございますので、以前に答弁があったとしても、これは丁寧にお答えをいただきたいと思います。大臣には、委員長としてその点、申し上げます。

 そして、議事を、議事録をもう一度精査しつつ、先ほどの大臣の発言、取り消していただく、いただかないということについても、理事会の扱いにさせていただきたいと思います。石井委員、よろしいですか。

 それでは、質疑を続行させていただきます。石井郁子君。

石井(郁)委員 よろしくお願いします。

 私、申し上げているのは、やはり国が学問研究に介入してはならないというその原則をしっかり踏まえていただきたいということであります。

 その点では、この委員会でも名前がたびたび出ておりますけれども、ノーベル化学賞を受賞された野依名大教授はいろいろなことをおっしゃっていますよ。選考機関がどの分野を重要と認めるかは極めて主観的なことだと。先ほどノーベル賞三十人という問題がいろいろありましたけれども、そういう批判もあります。白川氏も、日本の科学分野の学術研究水準は世界に引けをとらない、他の分野でも能力のある人はいる、よい論文を書いたからといって世界に評価されるわけでもないというふうに述べていらっしゃるわけです。

 だから、重ねて、国が評価をするということは本当に慎重でなければいけないし、そういう意味での、評価して学術研究を統制するというようなことはやはり絶対やってはいけないことだということを強調したいわけであります。

 そこで、今研究者の間からいろいろ声が出ていると思います。その点で伺うのですが、七月十一日には国立遺伝研究所、国立極地研究所など十四の大学共同利用機関の長の皆さんが総理大臣あてに要望書を出されていますね。「わが国の最近の科学技術政策について 基礎的科学研究の推進の必要性」ということで出されています。

 こういうふうになると、基礎研究なんですけれども、基礎的科学諸分野や基礎研究の強化を怠って我が国の科学と文化及び科学と技術の土壌を損なうことは何としても避けなければなりません、さもなければ創造的科学技術立国の種は芽を出したとしても大きく育つことはできない、このことを懸念するとおっしゃっていらっしゃいます。そして、今の状況を憂慮して、理系、文系などの分野を超えて平成十四年度予算等当面の施策において基礎的研究の推進に十分な配慮をされることを望むとしています。

 こういう声にやはり文部科学省がまずこたえるべきだというふうに思いますが、御見解、いかがでしょうか。それは大臣にお願いします。

遠山国務大臣 今御指摘のペーパーで述べられております基礎研究の重要性、これはもう言うまでもないと思いますし、この拡充については私どもは力を十分注いでまいりたいと思います。

石井(郁)委員 同じように国立大学協会からも声が上がっておりまして、大学の構造改革の方針についてですが、この内容については、本協会などとは何らの相談もなく文部科学省が一方的に発表したものである、大学の現場では無用の混乱を生じている、こういう指摘がされています。

 私は、今までも、大学行政というか、学術行政が現場の大学の人たちの声をいわば十分聞くことなく、本当に上から一方的に行われたというのも、ちょっとかつてないと思うのですね。だから、こういう一方的な、権力的なやり方というのは、本当に大学行政、学術行政になじみませんし、避けるべきだと思います。

 この意味で、トップ三十構想、来年度の予算をもう要求していらっしゃるわけですけれども、私はストップをして考え直すべきだというふうに思いますが、御答弁、いかがですか。

岸田副大臣 先ほど来御議論いただいております大学構造改革、そしてトップ三十の議論がありますが、先ほど大臣から申し上げましたように、限られた資源を最大限どう活用していくかという発想のもとに再編統合の議論があったり、またトップ三十もある面ではそういった発想も大きなポイントだというふうに思っております。

 しかし、大学の構造改革、大学の改革ということを考えますならば、これはトップ三十、研究だけが大学のすべてではないと思っております。大学には研究という重要な役割もあるわけですが、一方で教育という部分もありますし、また組織運営という面でも重要な仕事があるわけであります。

 ですから、個性輝く大学をつくっていくということの中で、そのトップ三十というのは一つの要素だとは思っていますが、教育面で大いに大学の特色を出していく、そういった面で生きていく大学もあること、これは大いに期待されるところでありますし、いろいろな見方そしてポイントで大学というものを見ていき、その中でトータルとして大学全体が活性化していく、こういった考え方が大切だというふうに思っております。

 トップ三十というのは大切なポイントでありますが、大学改革のすべてではないということ、このことはもう一度確認しておきたいと思います。

石井(郁)委員 この問題は、国立大学だけではなくて、実は私学にも大きくかかわってくる問題がありまして、来年度の概算要求の中には、私学の予算で私立大学の教育研究高度化推進の特別補助ということで、これも文部省内に審査委員会を設けて国からの特別補助ということで行う重点化なんですね。

 私学については、今までサポート・ノーコントロールということで議論があったりして、直接補助ではなくていわば間接補助ということを原則にして進められてきたと思うのですが、今回それがまた非常に大きく変わったのじゃないでしょうか。

 私は、私学の補助の問題も、私学振興助成法第十一条でも事業団を通じた間接補助という規定があるのですけれども、それも今回踏み破ってというか踏み越えてというか、直接補助に国として、文部科学省として乗り出そうとしているというのは非常に重大だというふうに思うのですが、私立大学の特定分野の育成にも乗り出そうとしているという問題についてもう一点伺って、もう時間が参りました、質問を終わります。

岸田副大臣 先生からの御指摘、私立大学教育研究高度化推進特別補助という名称で今平成十四年度の概算要求において要求している部分の御指摘だと存じます。

 この部分、三百九十三億円の金額を、すぐれた教育研究を実践する卓越した大学院への支援ですとか、あるいは先端的、先導的研究を初めとする科学技術、学術研究の推進、あるいは学部における教育の質の向上や教育システムの改善、こういった点に重点的な支援を行うということで要求をしているわけです。

 そして、今御指摘がありましたように、これを間接補助ではなくして直接交付にしている、この点についてでありますけれども、私立大学等経常費補助金の交付は、もう先生御案内のとおり日本私立学校振興・共済事業団を通じた間接補助として実施しております。その理由として、私学の自主性の尊重や私学事業団における私学振興施策を総合的、効率的に実施すること等を政策的に判断した結果だということであります。

 このことは大変重要なことだと思っておりますし、これからも尊重していかなければいけないと思っておりますが、今冒頭に申し上げました私立大学教育研究高度化推進特別補助、これは先ほど申し上げましたような目的、ねらいを持って予算要求をしているわけですが、この補助の性格上、例えば研究設備等と一体化した配分が必要になってきます。これは、研究設備等は従来も直接に補助を行っているわけでありまして、こうした予算と一体的に配分をするというようなことを考えた場合に、この直接補助という形をお願いしたということでございます。

 私立学校振興助成法第十一条においては、日本私立学校振興・共済事業団を通じて行うことができると規定されておりまして、国が直接交付を行うことも予想されているわけであります。こういったあたりも勘案し、なおかつこの予算の中身、この研究設備との一体化というポイントを考えまして、こういった形で直接交付にさせていただいたということでございます。

石井(郁)委員 終わります。

高市委員長 山内惠子君。

山内(惠)委員 社民党の山内惠子です。

 九月の十一日に起こりましたテロ事件、あの事件で、数千人の方々が犠牲になりました。この方たちに哀悼の意を表し、このような事件が二度とあってはならないという観点で、大臣が、十月十六日、パリで開催されました第三十一回ユネスコ総会に出席され、首席代表として演説をされた内容についてお聞きしたいと思います。

 限られた三十分の時間の中で、大きく分けると、このユネスコの問題と障害児の教育の問題もお聞きしたいと思っていますので、短時間でお答えいただきますようよろしくお願いいたします。

 大臣は、このユネスコの総会の発言の中で、テロ事件に対して、ユネスコが強く抗議することを求めていました。そして、「テロ組織を力によって排除するだけでなく」とありますが、当面テロを力で排除することはやむを得ないというお考えなのでしょうか。この考え方は、ユネスコ憲章の、戦争は人の心の中で生まれるものだから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならないという理念に反するものではないかと思いますが、いかがでしょうか。

遠山国務大臣 第三十一回のユネスコ総会に参りまして、各国の代表者たちが、今回のテロ事件に対して大変な憤りを感ずる、これについては強く抗議するというのは、我が方だけではなくて、すべての参加国が、そういうことを表明したり、あるいは冒頭で全員で黙祷をささげながら、そのことについて確信し合ったわけでございます。

 このような事件を二度と生じさせないように抜本的な解決を図るというためには、ユネスコ憲章のねらいとしております教育、学術、文化を通じて、平和と人類の福祉を追求するというユネスコの役割が極めて重要であるということでございます。(山内(惠)委員「恐れ入ります、質問はテロに対して」と呼ぶ)

 そのユネスコの使命は今申したようなところでございまして、演説の趣旨は、ユネスコが力を用いてテロ組織を排除すべきということを意図したものではございません。安保理等の決議において、あらゆるテロリストの攻撃に対処するすべての必要な手段をとること及びあらゆる形式のテロリズムと闘うことを表明しとございますが、そのような各種の議論を踏まえた上で、ユネスコの本来の精神に基づいてこの問題に対してユネスコとしては対応すべしという趣旨で申し上げたところでございます。

山内(惠)委員 テロリストというのは、やはり戦争ではありませんので、国際法で裁くべきだと私は思っていますので、大臣のお答えの最初のところだけお聞きしたかったんです。

 次に行きたいと思います。

 それで、国際法廷で裁くべきだというふうに考えているだけに、民間人が巻き込まれて亡くなることもやむを得ないというようなことは私は許してはならないと考えているんですが、大臣は、今回のテロがなぜアメリカで起こったのかということについて、どうお考えなのか、どうか短い言葉でお願いいたします。

遠山国務大臣 あのような行為は、アメリカのみならず人類全体に対する極めて卑劣な行為でありまして、世界のいかなる場所で起ころうとも、決して許されるべきものではないわけでございます。

 したがいまして、なぜアメリカがというようなことについてお答えをすることについては、私は差し控えたいと思います。

山内(惠)委員 イスラム教に改宗した元フォークロック歌手のキャット・スティーブンズさんは、ハイジャックテロの根源は空中で生まれたのではなく、貧困と不正義がその環境をつくり出している側面があるというふうにおっしゃっています。そして、イスラム教徒はなぜ、イスラムの名のもとであれほど残忍なテロが行われたのかを内省する必要があると。また一方で、西洋社会は世界各地の貧しい人々がなぜ自分たちの政策と態度をあれほどまで嫌っているのか、その理由を考えなければならないと言っています。

 今お答えをされませんでしたが、アメリカは人種差別撤廃会議のときにも席を立っている状況がありましたし、大臣が最後のところで訴えられましたように、アメリカはユネスコから脱退をしていますね。そのことにつきましては、一日も早くという意味で、平和と非暴力を理念としているこのユネスコに復帰されることを、私も期待をしているところです。

 この二十九日、テロ特措法が参議院を通過、成立しましたが、自衛隊を戦時に海外へ派遣をするという方向転換が今回決まってしまいました。日本がアメリカの戦争に支援をする必要があるのかということを私は問う必要があると思っています。このことは、ユネスコ精神にも反しますし、憲法の精神にも反すると考えています。

 その意味で、大臣、アメリカの後方支援のために日本の自衛隊が海外に出かけることについて、子供たちにどのように教えられるとお考えでしょうか。テロには、まずは武力で対応し、その次に平和と非暴力の理念で人の心の中に平和のとりでを築くという教育をしていくという順番なのか。そこのところ、しっかり、短い文でお聞かせいただきたいと思います。

岸田副大臣 具体的な、済みません……

山内(惠)委員 ちょっと、私は今大臣に、きのう言ってありますが、副大臣にお答えは私は要求していなかったのに丸がついていたのですよ。大臣にお聞きしたい。

岸田副大臣 教育現場でどのように教えるかという御質問だったので、ちょっと基本的な考え方だけ申し上げて、後ほど足りなければ大臣でお願いしたいと存じます。

 申し上げたかったのは、基本的な考え方として、社会的な事象をどのように児童生徒に指導するかということについては、やはり各学校において適正に判断することだということであります。もちろんそのときに、発達段階ですとか、多面的、多角的に見なければいけない、公正的な見方がされなければいけないというようなこと、そして公正な判断力が養われなければいけない、このことは大切でありますが、基本的に、どのような社会的事象を取り上げて、どのように教えるかは、学校において適切に判断すべきものだと考えております。

高市委員長 山内委員に申し上げます。

 済みません、まずは委員長の許可を得てから発言していただきたいことと、それから、確認したいのですが、きのうの段階で、山内委員の方から岸田副大臣及び矢野局長への答弁、御了解いただいているかと思うのですが、間違っていますでしょうか。

山内(惠)委員 私は、大臣に基本的にお聞きしたいということで、強く要請してあったはずです。そのことは、それでは、今の結構です。

 学校に任されているという。でも、文部科学省が教育をするに当たって、今ユネスコの総会に行かれた大臣のお答え、私はしたかったのです。時間がありませんので、急ぎます。

 昨年、二〇〇〇年は国連が平和の文化国際年と決めて、一年が過ぎました。ちなみに、ことし、二〇〇一年は国連文明間の対話年だそうですね。このPRもなかなか行き届いていないと思います。国連文明間の対話年ということだそうです。二十世紀は戦争と暴力の百年だったわけですから、二十一世紀こそ平和と非暴力の世紀にしなければならない。そのために、二〇〇一年から世界の子供たちのために平和と非暴力の文化十年としてスタートをした、ことしがそのスタートをした年です。文科省では、国内で、この十年のスタートについてどんな取り組みをしているのか。これも短くお聞かせください。

遠山国務大臣 御指摘のように、一九九八年の国連総会におきまして、二〇〇一年から二〇一〇年までを世界の子供のための平和の文化・非暴力の国際十年とすることが決議されております。また、これの先駆けとしまして、一九九七年の国連総会では、二〇〇〇年を平和の文化国際年とすることが宣言されました。

 我が国としましては、この平和の文化国際年に対して、政府として啓発活動などを行いますほか、民間のユネスコ関係団体による平和の文化を広めるためのキャンペーン等に対して支援を行ったところでございます。

 文部科学省としましては、世界の子供のための平和の文化・非暴力の国際十年への取り組みにつきましても、平和の文化国際年の精神を継承するべく、引き続き支援してまいりたいと考えております。

山内(惠)委員 日本のユネスコ協会では、六つのテーマを盛り込んだピースパックというのを、日本版をつくって学校に無料配付をしたと聞いています。

 この六つのテーマの中の一つ、相互理解をもし子供たちに教えるとしたら、アメリカでは今回のテロの事件で、数千人と言っていますけれども、六千人の方々が犠牲になりました。しかし、今回のアメリカの空爆、これをこのまま続けていくなら、もう既に二十日を超えていますよね、そういう中で、既に何の罪もない市民が多数死傷しています。このまま続けていけば、あるとき、百万人という死者が出ていたということになりかねない。けさの新聞でも、米軍の空爆続く、カブールでは三人、カンダハルでは四人、民間人が死亡した。どれだけの多くの子供たちがこの戦争で傷ついているのか、胸が痛む状況があります。

 その意味で、ドイツでは、これはテレビでごらんになった方がいるかと思いますけれども、国際平和村というのがあって、この国際平和村のチャーター機は、戦争で傷ついた子供たち、重傷もしくは重病の子供たちをドイツの病院に運んで治療をしているそうです。この飛行機に乗ってヨーロッパへとやってくる子供たちは、病気を治す最後のチャンスとして来られているようです。

 戦争や危機的状況にある母国では、彼らは必要な緊急治療を受けることができない。大臣も御存じと思いますけれども、アフガニスタンでは、この何十年もひどい戦争が続いていた。この三年間はひどい干ばつ状況にある。そういう中で、ユニセフの支援も滞っている中で、間もなく冬を迎えます。マイナス二十五度にも下がるという状況も聞いています。その中で、餓死をする人も百万人とか五百万人とか、数字がわかりませんけれども、亡くなっていく心配をしているというふうに聞いています。

 このドイツの平和村では、子供たちは、病院で治療した後、ドイツのオーバーハウゼン市にあるドイツ国際平和村へやってきてリハビリを受けています。そして、治って帰るときには、アリアナ航空の飛行機で、数トンの援助物資と一緒に母国へ飛び立つ予定だそうです。

 相互理解一つを子供たちに教えるとしたら、この今の状況を私たちは知った上で、何ができるかということを問わなければならないと思います。その意味で、ユネスコでは、平和ということを子供たちにわかるように、大変短く説明をしています。平和というのを単に戦争がない状態ととらえることを消極的な平和、それから人間に対するあらゆる暴力が取り除かれることを積極的な平和と言っているというそうです。

 平和の大切さはいろいろなところで語られますが、平和のためにという名目で武力を使ったり、暴力的な行動に出ることも多くあるだけに、この今回の平和の文化国際年としての位置づけと、十年の取り組みがあったのではないかと思います。

 その意味で、私は大臣にぜひここのところをしっかりお聞きしたいです。

 教育に携わる文科大臣として発揮される力、その部分でいえば、今私たちは、世界に誇る平和憲法を持っています。そして、ユネスコ総会に出られた大臣だからこそ、私は、このアフガンの子供たちのことを思い、アメリカの空爆、地上戦は即刻中止するために頑張っていただきたい、自衛隊を海外に派兵させないように取り組んでいただきたいです。

 その意味で、一つ目の質問に対してですけれども、大臣が、平和と非暴力の文化実現に向けての御決意をお聞かせいただきたいと思います。ここはゆっくりでも結構です。お願いいたします。

遠山国務大臣 ユネスコが目的としている、あるいは特に平和の文化国際年ということを提唱して、そしてねらっている平和の文化の実践、そのようなパンフレットを見ましても、すべての人の生命を大切にします、どんな暴力も許しません、思いやりの心を持ち、助け合います、かけがえのない地球環境を守るし等のように書かれております。

 ただ、今日の事態は、私は、あのようにだれも許すことのできないテロが起きた、そのことに対してどう対処していくかということでございまして、その根本のところを忘れて、単なる平和、暴力ということのみでの答弁といいますよりは、今回のような事件を再び生じさせないようにするために、テロ組織を排除することに加えて、より根本的な解決として、さまざまな形の対話を重視する姿勢、態度が求められているのでございます。

 私は、このような姿勢、態度というものが、特に将来の担い手である子供たちの中に培われなければならなくて、そのために教育の果たす役割というのは極めて大きい、そういう決意をユネスコにおいても表明し、多くの賛同を得てきているところでございます。

山内(惠)委員 ユネスコの総会で発言されたことの多くは、識字率を高めようとか、科学の問題とか宗教の問題とか、世界の国々に向けての発言が多かったと思います。私は、今質問したのは、私たちのこの国での子供たちに向けて、どんな決意で臨まれるのかということを中心にお答えいただきたかったんです。

 実は、学校現場には、いじめ、不登校、さまざまな問題を抱えている状況があります。子供たちの中にも保護者の中にも残念な考え方があって、やられたらやり返せみたいな発想があるだけに、今回のアメリカの空爆はその方向を子供たちにさらに、現実のテレビの中で見るあの状況の回答として空爆や地上作戦があることを私は大変残念に思うので、きょうの質問でした。

 私たちは、この大変なテロの状況に対して、やはり国際法廷で裁くべきだということが一つです。そして、やはり子供たちには、やられたらやり返せという方向ではない、その意味での平和の文化年を実現するための決意が欲しいと思います。

 それで、次の問題、時間がありませんので、急いで行きます。

 大臣は、障害を持つ子供に対して、ほかの子供たち、障害があるなしというのは決めるところは大変難しいと思います、地域の子供たちと普通学級で学び、地域で遊ぶことをどのように評価されていますか。

 後の問題をもう少し丁寧に質問したいと思います。一言、よろしくお願いします。

遠山国務大臣 これからの社会、障害を持つ人、持たない人、これがお互いに助け合い、理解し合い、そして共生していく、そういう社会というのはまことに望ましいし、またその実現のためにそれぞれの立場において努力していくべきときだと思います。

山内(惠)委員 その意味で、今回、四十年ぶりに就学基準を見直すということで、ことしの一月に出された二十一世紀の特殊教育のあり方についての調査協力者会議の最終報告、そしてこれに基づく学校教育法の改正問題については、相当たくさんの方たちの期待があったということをお伝えしたいと思います。

 きょうも傍聴者の方たちが最初から最後まで座れないくらい入れかわり立ちかわり傍聴に来ているのも、その期待が多くあったにもかかわらず、次のところでがっかりをしたというのがあるんではないでしょうか。

 期待をした一つは、きょうは中野議員も平野議員も質問していることと同じような内容なんですけれども、既に国連は障害者の機会均等化に関する基準規則というのを作成し、統合教育を進めるようにということを言っているわけですけれども、我が国はそのことを実施しないできた、その意味で受け入れなかったと言った方がいいですね。

 そのため、国連の子どもの権利委員会は、このことにつきましてこのように言っています。一つ目は、規則のところでは、普通学校の体系が障害を持つ子供たちすべてのニーズを依然として適切に満たさない場合には特殊教育の考慮も可能だというふうに言っているんですが、それは次の統合教育への準備期間としてだというのがこの基準規則の内容です。

 そして、子どもの権利委員会では、障害を持った子供に関して、一九九三年の障害者基本法に掲げられた原則があるにもかかわらず、こうした子供たちが教育に効果的にアクセスすることを確保し、かつその社会へ全面的インクルージョンを促進するために締約国がとった措置が不十分であることに懸念をするということを言っています。そして、この子どもの権利委員会では、特別教育サービスをメーンストリーム教育に段階的に統合することを目指すべきだと言って、ここのところの日本の状況を批判していたからです。

 その意味で、今回、一月に出されたこの最終報告がその方向に行ってくれるのではないか。新聞でも、障害児の就学を厳しく限定してきた現行の基準やそれに伴う手続を抜本的に見直すように最終報告が書いてある、その意味で期待をしたと思います。

 ところで、私は、皆さんにお配りして届いているかと思いますが、これは五月の二十二日、特別支援教育課が初等中等教育局各課の担当官にあてて、盲者等の就学基準の見直しに伴う学校規則の施行令及び学校教育の、失礼しました、ちょっと間違いましたね。正式名称をちょっと間違ってごめんなさい。学校教育法施行規則の一部分なんですが、この文書の中に一番目に現況が書いてありますが、これは先ほどから言われていますように、二十二条の三のところです。

 そして、この後、変えていこうとしている言葉の中に三十二条があります。この三十二条の参考の例のところが私は大変大きなショックを受けたところです。車いすの子供をバリアフリーの整備された学校に受け入れすることは適当だ。中度の知的障害の子供を小学校に受け入れるのは不適当だが違法ではない。それから、介助員を配置して肢体不自由の子供を受け入れることも不適当だが違法ではない。そして、日常的に医療的ケアが必要な子供の受け入れは違法である。行動障害で対人間関係の形成上問題がある子供の受け入れは違法である。

 この後にもいろいろ問題点があるんですけれども、この文言について大臣はどのようにお考えでしょうか。先ほど中野議員に対しては心配することはないとおっしゃいましたので、ここの文言は、後々の法令化のところでは、そのことはそのようにはならないというお答えをいただきたいものだと思います。

矢野政府参考人 委員の御指摘の就学指導のあり方についての見直しでございますけれども、本年一月の調査研究協力者会議の報告を受けて、現在その提言を受けて見直しをしている最中でございます。現在、教育委員会、学校関係者や関係団体の意見を聞きながら制度改正の案を検討しているところでございまして、現時点ではまだ具体的な案をお示しできるような段階にはございません。

 そこで、今御指摘のございました資料は、これは、委員もみずからお話しになりましたけれども、私どもの省の内部における、全く検討段階における全く内部の資料でございまして、そういう意味で、文部科学省として、それをもって対外的にどうこうする、そういう性格のものではないということを、この点はまず十分御理解をいただきたいと思うわけでございます。

 そういう意味で、したがって、今御指摘のあった資料の中の文言について、私どもとして、現段階で何かコメントをしたりあるいは何か申し上げるということは差し控えさせていただきたいと存じます。

山内(惠)委員 外部に出るものではないのになぜか相当たくさんの人たちがこのものを持っている状況を私は知っています。地方議会でも取り上げた方がいるように聞いていますが、お答えは今のようなお答えだったそうです。

 その意味で、外部に出るものではない、ましてきょう議員の皆さんに心配する必要はないとおっしゃったということでいえば、いずれ出てくるときには、この不適当だが違法ではないだとか違法だという言葉は決して出てこないということをお約束いただけますか。その意味では、この三十二条の案は削除されるということを受けとめていただけますか。

矢野政府参考人 私の申し上げたのはそういう趣旨ではございません。全く検討の途中の全く事務的な作業の一つの資料でございますから、それについて今の段階ではどうこう申し上げる状況にないということを申し上げているわけでございます。

 そこで、せっかくのお尋ねでございますから、現段階での私どもの考え方を申し上げますと、今回の見直しは、社会のノーマライゼーションの進展や教育の地方分権、そういう観点から、一人一人の教育的ニーズに応じた教育的支援の充実が図られるように、市町村が行います就学事務に関しまして弾力化を図ろうとするものでございまして、したがって、現段階で申し上げますれば、これまで市町村が行ってまいりました就学についての措置を違法としたり、あるいは現在小中学校に在籍している児童生徒の就学状況を変更するものではない、このことは現段階で申し上げることができようかと思うわけでございます。

 いずれにいたしましても、我が省といたしましては、こうした考え方に沿いまして、具体的な制度改正の案の検討を行いまして、考えが固まった段階で、パブリックコメントなり国民の意見を求めた上で平成十三年度内に制度の見直しを行うこととしてまいりたいと考えているところでございます。

山内(惠)委員 皆さんが心配しているのは、やはりこの違法ということや不適切だが違法ではないということが現状で起こり得る心配をしているということだと思います。もしここで不適切だが違法ではないと言われても、じゃ、不適切だと言われたら、受け入れる学校だって大変じゃないかというふうに思います。入れることに相当の決断をしなければ入れられなくなるという意味では、現状は変えるものではないとしても、未来にはもっと広げていくんだという方向での御検討を私も強く望むところです。

 私も在籍していた学校で、小学校の一年生、親の介護を必要とした車いすの子供が入ってきました。受け入れるときは、教職員の皆さんも、ほかの保護者の皆さんも、子供たちも、助けてあげようという発想があったようですが、実は、その子に元気をもらい、教えられたのは周りの子供であり、保護者であり、教職員の方だった。そして、六年間この学校で学び、運動会にも自分のできること、友人が支えながらやって、たくさんの教訓を残して卒業していってくれました。

 その意味で、環境条件が整っている学校、整っていない学校、やはりあるんですね。その意味では、環境条件が整えば特例を認めるという発想はやめていただきたいと私は思うんです。この地域で入りたい子がいれば、その子に合わせて施設を少しずつ少しずつ直していくという方向で、統合教育の方に広げていただきたい。

 私は、もう十年も前ですけれども、友人たちと編成をして、スウェーデンとデンマークの学校を見てきたことがあります。車いすの子供は、三台の車、学校に来るときの車、それから学校の中で使う車、障害があるのでどうしても大変なとき使う車を持っていました。この子が一人でずっと動いている姿を見て、この子はあのドアをどうやってあけるんだろうと見に行った私たちは突然目が点になりましたら、何とその子は、腕でスイッチを一つ押した途端にドアが開きました。このことができれば、この子は保護者も何もなくてもこの学校に入ることができるわけです。その意味では、私は、今、日本の学校は余りにも施設的に貧しい状況にあると思います。

 しかし、子供たちが地域の学校で隔離されることなく学ぶ状況があることによって、子供たちも学び、その子も自分の人生を楽しく過ごすということを考えたとき、この方向に向けて頑張られるという決意を最後にいただいて、質問を終わりたいと思います。

矢野政府参考人 先ほど申し上げましたように、現在、その就学手続については検討中でございますけれども、私どもの今後の検討の基本的な方針といたしましては、障害を持った子供にとっての、これまでも何度もいろいろな形で申し上げております私どもの教育のあり方、その教育のあり方を踏まえながら、しかし同時に、この就学の事務が、平成十二年度から国の機関委任事務から地方の自治事務にということで事務の性格が変わってまいりました。そういうことを踏まえながらその制度のあり方を検討してまいりたいと思っているところでございます。

山内(惠)委員 どうもありがとうございました。

高市委員長 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後四時二十二分散会




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