衆議院

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第8号 平成16年3月31日(水曜日)

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平成十六年三月三十一日(水曜日)

    午前九時開議

 出席委員

   委員長 池坊 保子君

   理事 青山  丘君 理事 伊藤信太郎君

   理事 遠藤 利明君 理事 渡海紀三朗君

   理事 川内 博史君 理事 平野 博文君

   理事 牧  義夫君 理事 斉藤 鉄夫君

      今津  寛君    宇野  治君

      江崎 鐵磨君    江藤  拓君

      小渕 優子君    奥野 信亮君

      加藤 紘一君    上川 陽子君

      岸田 文雄君    近藤 基彦君

      鈴木 恒夫君    田村 憲久君

      谷本 龍哉君    西村 明宏君

      馳   浩君    古川 禎久君

      山際大志郎君    加藤 尚彦君

      城井  崇君    小林千代美君

      古賀 一成君    須藤  浩君

      高井 美穂君    寺田  学君

      土肥 隆一君    鳩山由紀夫君

      肥田美代子君    牧野 聖修君

      松木 謙公君    笠  浩史君

      富田 茂之君    石井 郁子君

      横光 克彦君

    …………………………………

   文部科学大臣       河村 建夫君

   文部科学副大臣      原田 義昭君

   文部科学大臣政務官    田村 憲久君

   文部科学大臣政務官    馳   浩君

   政府参考人

   (文部科学省生涯学習政策局長)   銭谷 眞美君

   政府参考人

   (文部科学省初等中等教育局長)   近藤 信司君

   政府参考人

   (文部科学省高等教育局長)   遠藤純一郎君

   政府参考人

   (文部科学省高等教育局私学部長)   加茂川幸夫君

   政府参考人

   (文部科学省スポーツ・青少年局長)   田中壮一郎君

   文部科学委員会専門員   崎谷 康文君

    ―――――――――――――

委員の異動

三月三十一日

 辞任         補欠選任

  城内  実君     江藤  拓君

  近藤 基彦君     谷本 龍哉君

  松本 大輔君     松木 謙公君

同日

 辞任         補欠選任

  江藤  拓君     城内  実君

  谷本 龍哉君     近藤 基彦君

  松木 謙公君     寺田  学君

同日

 辞任         補欠選任

  寺田  学君     松本 大輔君

    ―――――――――――――

三月三十日

 私立学校法の一部を改正する法律案(内閣提出第五九号)

同月二十四日

 国による三十人学級実現、私学助成大幅増額に関する請願(楠田大蔵君紹介)(第一一五四号)

 父母負担の軽減、私学助成の拡充に関する請願(河村たかし君紹介)(第一一五五号)

 三十人学級の早期実現、私学助成の大幅増額に関する請願(谷畑孝君紹介)(第一一七九号)

 教職員をふやし小中高三十人以下学級の早期実現等に関する請願(金田誠一君紹介)(第一二五五号)

 国庫補助の堅持・拡大、父母負担の軽減、教育条件の改善、私学助成制度の大幅な拡充に関する請願(葉梨康弘君紹介)(第一二五六号)

 助産の高度専門職大学院での質の高い助産師教育実現に関する請願(金田誠一君紹介)(第一二五七号)

 すべての子供たちへの行き届いた教育に関する請願(山口富男君紹介)(第一二五八号)

は本委員会に付託された。

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 政府参考人出頭要求に関する件

 私立学校法の一部を改正する法律案(内閣提出第五九号)

 文部科学行政の基本施策に関する件


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     ――――◇―――――

池坊委員長 これより会議を開きます。

 文部科学行政の基本施策に関する件について調査を進めます。

 この際、お諮りいたします。

 本件調査のため、本日、政府参考人として文部科学省生涯学習政策局長銭谷眞美君、初等中等教育局長近藤信司君、高等教育局長遠藤純一郎君、高等教育局私学部長加茂川幸夫君及びスポーツ・青少年局長田中壮一郎君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ございませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

池坊委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

池坊委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。古賀一成君。

古賀(一)委員 民主党の古賀一成でございます。

 きょうは、かねてより教育行政については、やはり一般質疑といいますか、法案にとらわれない深いところをぜひ議論したい、とりわけ文部行政についてはそれが求められている、こう思って、理事の皆さん方にもお願いをしておりましたら、早速にこうして一般質疑ということで開催されまして、チャンスを与えていただいてうれしく思います。

 やはり文部行政は深いところで、大きいところで、いろいろな問題がございます。委員長にもお願い申し上げますけれども、こういう一般質疑というものを通じて、文部あるいは科学行政の大きい、深い問題を今後審議を進めていきたいと要望を申し上げたいと思います。

 それで、まず第一点でございますけれども、これは通告をしておりませんけれども、文部大臣にちょっと、最近の話題になっております重大事件につきまして、ひとつ御所見をお伺いしたいと思います。

 それは何かといいますと、総理も行かれたそうでありますけれども、六本木ヒルズでの六歳の幼児のいわゆる回転ドアによる死亡事故という事件がありました。新聞、マスコミを見ておりますと、すべていわゆる回転ドアの設置者の責任あるいは製作者の責任というものが問われておりますけれども、私はあの事件を見たときに、本当に正直申し上げまして、あの現場で一番必要だったのは、ああいう巨大な回転ドアが回っているときに、子供がそこに近づこうとしたときに、やはり母親の手が一番必要だったんじゃないかと思ったわけです。地下鉄で大勢の雑踏の中を子供が歩いているときに、母親がその子供の手を放すはずがないと私は思うし、それにほぼ匹敵する状況だったんだと思います。

 私は、そういう面で、若い母親の方も、本当はあそこで、子供はこういうところでは危ないと思って手をつなぐべき、ちゃんと手をとっておくべきだったというところが本当の問題の核心じゃないかと思い、それが一切今触れられていないところに奇異な感じを私は受けておりますけれども、大臣、この点、どう感想をお持ちでございましょうか。

河村国務大臣 まことに痛ましい事故でありまして、これはおっしゃるとおり、私も、もちろん母親がしっかり手を握っておけばそういうことは起きなかっただろうと思います。ただ、どういうはずみでどうなったのか、その辺は私も承知いたしておりませんが、一義的にはそういうことだろうと思います。

 それから、あそこの場というのは、いわゆる大人だけが行くところではありませんで、お店もあればいろいろなところもあって、子供連れでも行く。そういうことになると、やはり設置者も細心の注意が必要であったと思いますし、かねてからあそこは、私の大学生の子供なんか行っていても、あれは回転が急に速くなって何か大人でも危ないところだというイメージがあったそうであります。

 そういう配慮も必要であって、両方相まってああなったと思いますし、現実に今いろいろ明らかになってくると、もう既にそういうことが起きていて対応できなかったということもだんだん明らかになってきて、やはり人が死なないとできないのかという、いつも言われていることでありますが、そういうことが私は非常に残念だな、こう思いました。

古賀(一)委員 私ももちろん、六本木ヒルズの設置者の責任も極めて重大だと思っておりますけれども、要は、きょう今から述べます教育の問題、やはりこれの本質的な部分、一番重要な部分というのが何か文部行政の方からも国からも発信されずに、表向きのところだけが議論されて、そして制度なり政策が揺れ動いていく、こういう構造が私は文部行政には特にあるんじゃないかとかねてより危惧をいたしておりまして、そういう視点から本論に入っていきたいと思います。

 きょうの朝刊を見ましたら、早速、ゆとり教育見直しといいますか、小学校五年生の教科書に発展的内容ということで台形の面積計算も入るとか、こういうのが載っておりました。別の新聞では、発展的記述としておった新聞もございますけれども、発展的内容か発展的記述かはさておきまして、この発展的内容については、いわゆる本文の外、つまり欄外に記述していい、しかしそれは入試には使ってはならない、しかし、これまで学習指導要領から削除しておった部分は追加して書くことは許す、こういう感じなんですね。これも、要するにどうしてほしいのか、教育現場、子供、とりわけ先生は非常に悩むところであろうと思うんです。

 私がここで問いたいのは、いわゆる教育の根本といいますか、幼児教育、小学校教育、中学校教育、高等学校教育、大学そして大学院教育とつながっていくんですけれども、それについて文部行政は、幼児教育についてはこれが教育のいわゆる核心である、こういうことを小学校教育では教えるんだという、そこら辺の理念というか基本的な教育の戦略というか、そういうものが見えてこない。したがって、ゆとり教育に走る、あるいはそれが問題になるとまた揺れ動いてくる、そして今度、きょうの新聞のように、ゆとり教育の緩和なのかどうなのか、ちょっと中途半端に見える政策が打たれていく。大変私は、そういう面で、教育の基本理念というか戦略というものが定まっていないのではないか、そこに今の教育の混乱の大もとがあるのではないか、かような気がしてなりません。

 私は、大変抽象的な話ではありますけれども、教育の現状、問題点、それを幼児から大学院教育に至るまでどういうふうに認識され、そもそも各段階で何を理念として教育を行おうとしているのか、その根本的な部分について、文部大臣の一つのはっきりとした方針というか理念をお聞かせ願いたいと思います。

河村国務大臣 きょうの新聞は、一斉に新しい教科書のことが出ておりました。それだけ、教科書を初めとして教育に非常に国民的関心が高い、教育的課題というのは非常にセンシティブな問題であるということを私も改めて感じておるわけでございます。

 と同時に、日本の今の教育の現状、これまでの教育、しかし、言われるように、日本の教育は義務教育を中心にしてきちっとした仕組みを持って、そして高いレベルを保ってきた、そのことが今日の日本の発展につながっている、少なくともこのことは皆さんお認めになっていただいておると思いますし、そのことはやはり世界からも評価されている部分であると思っております。

 しかし同時に、現実にいろんな社会問題がある。昨年の三月の中央教育審議会においても、子供たちがなかなか今夢を持ちにくくなっている、それから目標をなかなか立てにくくなっている、こういう現状の中で、どうも規範意識が薄れてきたのではないか。あるいは、いじめとか不登校とか、そういうことをずっと言われ続けて、現実にそういうことが起きておる、あるいは学級崩壊、高校生あたりの中途退学、こういう問題が社会現象的に起きている。このことにやはり我々は襟を正して立ち向かっていって、そして子供たちが学びながら、同時に、人間として、日本人としてきちっとした生きる力をつけていく、やはりそういうことをもう一度しっかり考えるときだという指摘をいただいておるわけでございます。

 特に、家庭とか地域社会の教育力も落ちているという指摘もございますし、また一番問題なのは、そうした目標を持ちにくい、夢を持ちにくいという中で、学ぶ意欲といいますか、もっと勉強したいと思う、これで十分だと思う、余りしたくない、こういうアンケートをとってみると、だんだん年を追って、もう学びたくないとか、これで十分だと思っている人たちがふえている現状、こういうことが指摘されております。これを、もう一回どういうふうに学ぶ意欲を高めていくか、これは難しい問題だけれども、こういう点がこれからの文部科学行政の中で問われておるという認識、私はこれはやはり真摯に受けとめなきゃならぬと思っております。

 そういう意味で、教育はまさに国民一人一人が受けるものだし、教育現場があって、そしてその人たちがどういう思いで教育をしておられるか、教育を受けているか。やはり、文部科学省は教育センターにあって、その責任あるセンターとしての役割を果たすときに、ただ上から見ておいて、ああしろ、こうしろと言うのじゃなくて、つとに改革すべきことは改革していかなければいけません。

 今回のああいう見直しということも、やはりあのときに、土曜日が少なくなる、この時間をどういうふうにうまく活用しようか、効率性を上げようか、ダブりの授業を外していく、厳選をする、そうした中でああいうことが起きていった。しかし一方で、国民には、それでは本当に学ぶ意欲を持った人たちの学ぶ意欲を失うんじゃないか、教えたい人にはどんどん教えられるようにしたらいいということを言われたものですから、これに応じたやり方を加えて、皆さんの要望が強いというふうに感じたからもう一回それをやったわけでありまして、そのことによって現場がもっとやりやすくなればいい、こう思っておるわけであります。

 そういう意味でありますから、我々はそのことをしっかり受けとめながら、私も所信で申し上げましたように、やはりそうは言っても、教育は人格の陶冶だと言われている、そういう意味では、人間力向上教育といいますか、そういうものを目指していこう。その中で、今の総合学習の時間をどういうふうにすればいいかとか、その効果をどういうふうに上げていくかとか、総合的に考えていって、単なる学力といいますか、点数だけ高ければいいという教育ではない方向、やはりこれが求めていく方向であろう。

 これは、まさに小学校段階、幼稚園から含めて、基礎力をしっかりつけながら、だんだん中高、中等教育、いわゆる高等教育、これにおいてきちっとしたそのそれぞれの年齢に応じた学力といいますか学問、人間力、そういうものを高める教育をさらに高めていく、このことがこれから求められておると思いますし、その方針は私は基本的に一つも揺らいでおるものではない、こう思っております。

 しかし、もちろん、今の大学のあり方、いろいろ言われております。大学の活性化、そういうことも求められております。入りやすく出にくい大学をつくれといろいろ言われております。その方向へ向けてさらに文部科学省が教育のセンターとしての役割をしっかり果たしていかなきゃいかぬ、私はこのように思っております。

古賀(一)委員 私は、今の大臣の答弁、そういうことになるのかもしれませんけれども、もっと国民の方から見て、教育現場から見て、こういうふうに教育すればいいんだというところが本当にわかりません。

 例えば、幼児教育について見れば、何が一番要諦なのかということを教育行政の方から若いお母さんたちに発信したことがないと私は思うんです。

 私自身は、人間というものは、この前も申し上げましたけれども、いわゆるアメーバから始まって、人類、ホモサピエンスになっていくまで、十カ月の懐妊期間の中でいわゆる人間の進化の歴史を母の胎内でやっているわけですね。それで、十カ月で子供が生まれる。それは、人類として言葉を覚え、社会的動物として発展していく可能性を秘めた形で生まれるんですけれども、幼児のときはまだ生物なんですね。そこで、私は、幼児教育から英語を教えるとか、いろんな議論があります、ところが、やはり幼児教育の基本というものは、生物、動物としての感性というものを呼び起こしていく一番重要な時期だと思うんですね。

 ところが、きのうの朝日新聞ですけれども、こういうのが載っておりました。「TV見過ぎる子 言葉発達に遅れ」と。予想とは逆の調査結果が出ているんです。テレビを見ておけば子供は言葉を覚えるだろう、ところが、そうじゃないんですね。やはり、そういう大切な幼児のときに親との会話がない。子供が、一歳半ですよ、一歳半の子供が四時間毎日テレビを見ている、八時間以上家でテレビをつけっ放しのところの子供は、言葉の発達が、いわゆるテレビを余り見ない子よりも二倍未発達といいますか、そういう結果が出ているんです。

 そういう意味で、今例えば幼児教育の例を出しました。幼児教育のときには、本当に自然に触れ、母との会話をし、親との会話をし、母に抱かれという、そこがやはり人格形成のいわば土台だと思うんですね。ところが、英語を教えよう、何をしようと。

 小学校というのは、恐らく、日本語という言葉、そして読み書きそろばんのいわゆる基礎、そしてやはり社会性、クラスではこういうふうに友達と仲よくするんだ、そういうところをしっかりと身につけさせるのが私は小学校の教育だろうと思うんです。そういうところが非常にはっきりしていない。

 だから、極端に言えば、受験産業あるいは大学の都合、あるいは国家予算の都合等々で揺れ動いているんですね。だから、力学を学んだことがない工学部生が誕生するし、本当にいろんな意味で、各段階における教育の理念、戦略というのがはっきりしないから、いつも教育が揺れ動いている、そこに私は混乱があり、子供たちの迷いもある、親の迷いもある、こう思います。

 私は、今審議会というお話がありましたけれども、審議会ではなくて、まさに文部行政そのもの、文部科学省そのものが、しっかりとそうした教育の理念、戦略というものを、まさに大臣今おっしゃったように、きちんと深く分析して再構築をするときだろうと思います。それをぜひしっかりと自覚して、今後、文部行政の再構築に当たっていただきたい、かように要望を申し上げたいと思います。

 では、きょうは、大まかな、大きな教育のあしき現象につきまして皆さんの認識を聞きたいわけでございますが、第二問は学力低下でございます。

 いろんなところで学力低下が言われておりますけれども、文部科学省の方としてはさほど問題はないという認識も、いろんな本等でも散見をいたします。学力低下についての現状認識、大臣、どう認識でございましょうか。

河村国務大臣 私は、学力低下、学力低下、こう言われるんですけれども、その学力というものをどういうふうに定義づけるかということだと思いますね。テストをやって点数がいいことが学力なのかどうかという問題だと思います。記憶力のいいことが学力なのかということ。もちろん、いろんな知識をたくさん持っていて、それがいかに応用できるか、社会へ出て活用できるか、そういうことが私は非常に大事なんだろうと思います。今の教育のあり方からいえば、単なるペーパーテストをやってみる限り、現時点で、PISAの結果等を見ても、子供たちの学力検査が世界のレベルから低いところにあるとは言えない現状があります。

 しかし、さきの平成十四年までの古い学習指導要領でやった調査によると、テストをやってみると大体想定を上回る結果が出ておるわけでありますが、ただ、中学一年の理科とかあるいは中学三年の英語でちょっと想定を下回ったという例がある。それからまた、高校生でやってみると、国語、英語の二教科は想定を上回ったけれども、理科、数学は落ちたということは、これはやはり、理数離れとか言われておる、そういうことが現実に出ておるという指摘が出ておりますから、これにどう対応していくかということで、これから継続的にそうした学力調査というのがやれますので、そういうものをずっとやりながら、どのレベルに持っていったらいいかということをもっときちっと打ち出して、学力状況を把握しながらやっていかなきゃならぬ。

 もちろん、私は、学校教育においてやはり学力低下と言われるものがあってはならぬ。しかし、個人には、数学とか理科になりますと、能力差といいますか、随分差がつくんですね。もう小学校六年の段階で相当差がつく。そういうことに対しても、やはりきめの細かい、うんと伸ばせる人はどんどん伸ばしてやらなきゃいけない、しかし、これから人生を送る上で最低このぐらいはやっておかなきゃいけないということはきちっと教えて次に送り出していく、そういうきめ細かい教育というものが必要でしょうから、そういう意味で、学力を設定してそれをつかんでいきながら、基礎力を高めながら、その能力に応じて教育を進めていくということがやはりこれから必要になってくるだろう、こう思っております。

 総論からいいますと、私は、学力が下敷きにあること、基礎力をきちっとつけることは当然大事です。しかし、それをもとにして、みずから考えみずから物事に向かって解決する能力、そういうものをもっとつけていく。また、そのさらに下敷きになるものは、その人が持つ感性とかそういうものを磨きながら人間力を高める、やはりそういう教育と相まって学力を考えていくべきだろう、このように思います。

古賀(一)委員 学力とは何かという議論がございましたけれども、もちろん、学力というのは、もっと広いいろいろなファクターがあります。しかし、文部科学行政として責任を負うべき学力というのははっきりとあるんだろうと私は思うんですね。本人の決断力とかそういった、いろいろな資質とはかかわりのない分野で行政が責任を負う学力というのは、やはりはっきりと分析をされて、もっと危機意識を持ってこの学力低下の問題に立ち向かわなきゃならぬ、かように私は思います。

 もう大分前になりますけれども、二十年前、レーガン大統領が誕生したときに、委員会がつくられ、いわゆる「危機に立つ国家」という報告書がまとめられました。あのときは、日本に学べ、そういう認識とともに、このままではアメリカの社会、アメリカの経済がおかしくなる、弱くなる、こういう発想で、本当に「危機に立つ国家」というタイトルのごとく、相当の危機感を持ってアメリカは教育改革に取り組みました。

 ブレアのエデュケーション、エデュケーション、エデュケーションというあの改革もまさにそうであります。私も各外国に行きまして、とりわけ、三年前には中国に教育問題で行きました。中国の文部大臣、教育部長と徹底した論議もしました。そのときに、やはり彼我の差といいますか、教育にかけるあっちの自信と、そして打っている施策とやる気というものに圧倒されました。

 やはり私は、今の学力の低下の問題は、学力の低下だけじゃなしに、まず勉強する意味を見出していないという現状もあるんですね、そういう意味からして、もっと文部科学省そのものが危機感を持ってこの問題に立ち上がるべきだと思います。

 分数ができない大学生とよく言われる。私の、英語を教えている大学の先生がおります。古賀さん、英和辞典の辞書の引き方がわからない子がたくさんいると言うんですね。A、B、Cから並んで、AAから引いていく、どうやってその単語を探していけばいいかわからない、これはまさに、私は教育の現場あるいは教育の仕方の責任だと思うんですよ。こういう現象はあまたございます。

 私は、そういう面で、学力低下という一つの現象で今お話をしましたけれども、そこに潜む教育のあらゆる問題、学校の先生の資質の問題もあるでしょう、あるいは指導要領の問題もあるでしょう、いろいろな問題、それを一回洗い直してこの問題に立ち向かわない限り、やはり人の問題だと思うんですよ。七百二十兆の国家の借金がある、長期債務がある、これも大変です。大変だけれども、それを今の若い人たちに、我慢できる、このくらいのことは大したことない、挑戦してみよう、その心があれば、日本の危機というのは乗り越えられると思うんだけれども、今のような調子では、私は本当に日本の社会は極めて厳しい状況に立ち至ると思います。教育は本当に国のもとでございまして、私は、もっと危機意識を持って文部行政を再構築していただきたいと注文をつけたいと思います。

 では、その関連で、今度、ゆとり教育、きょうの新聞ではございませんけれども、そういうことで、早速、修正といいますか方針の一部転換があったわけでありますけれども、二〇〇二年にこれが本格的に施行されまして、まだ日は浅うございますけれども、文部科学大臣として、このゆとり教育についてのこの一、二年の結果を見ての反省、教訓、目的達成の状況をどういうふうにお考えでしょうか。

河村国務大臣 ゆとり教育、ゆとり教育、こう言われます。ゆとり教育という言葉をきちっと文部科学省が定義づけたことは一度もないのでありますが、今まさにとろうとしている、土曜日を休みにしながら、そして学ぶ上において心にゆとりを持って、意欲をもっと増すような教育をしようという、かつての詰め込み教育と言われたものの一つの反省からこういう言葉が生まれ、またこういう仕組みといいますか、そういうふうな方向になってきたと思います。

 しかし、あくまでも、あの新しい学習指導要領の中で言っていることは、基礎的、基本的なといいますか、そういうものをしっかり徹底しながら、その上に、学ぶ意欲とか考える力、判断力、そういうものを増すように、確かな学力という言い方をしておりますが、身についた力、学力、そういうものを求めて、その育成を目的とした、こういうことであります。

 それは当然、土曜日を休みにする、これはこれに至るまでにはいろいろな経過があることは御承知のとおりでありますが、そうなると、その時間をどうやって、もっと効率を上げるためには、ダブって学ぶところを一つに集約していくとか、それから共通に学ばなきゃいけないところをきちっと引っ張り出すとか、こういうことを厳選して、そこに時間的な余裕をつくる、精神的な余裕もつくる、そうした中で、考えるゆとりといいますか、やはりちょっと考えながら進むということが必要ではないか。どんどん詰め込みだけではいかぬ、こう言われてきたわけであります。

 ただ、もちろん、子供の脳のやわらかいときにしっかりたたき込んで覚えることは覚えなきゃいかぬ。どうしても必要なことはあります。昔から言われたいわゆる読み書きそろばん的なもの、これはやはりきちっとやるということであって、それをないがしろにして次へ進んだって、うまくいきません。さっきちょっと御指摘があったように、イロハのイの字、辞書の引き方がわからないとか分数ができないとか、これはやはりスタート時点の教え方のところに一つの問題がある。またそういうことも考えながらきちっとやらなきゃいけない。そういうことが教育現場で行われているかどうかということは、これはやはり反省材料にしなきゃいかぬことであります。

 しかし、それはきちっとやりながら、その上にどうやって乗っけていくかということだろうと思います。そのためには、当然、個々に応じた習熟度別少人数学級というのも必要です。

 しかし、人間力、考える力、あるいは対人関係とか、そういうものをつけようとすれば、やはりゆとりを持って、机上、単なる机の上での読み書きだけじゃなくて、社会現象に応じた、いわゆる総合学習というんですが、外に出ながら、また現実の事象を見て、そしてみずからそれを体験する、そういう学習もやはりどうしても必要になってきますから、そういう意味での体験的な、問題解決的な学習もその中に入れている。そういうものを総じて言うならば、それがゆとり教育と言われるものであろうかなと思います。

 だからといって、そのゆとりが緩みになって、学ばなくていいんだということにとられたらこれは大変ですから、途中で遠山大臣の当時に「学びのすすめ」というようなアピールをされた。これがまた、何かもとへ戻ると言われましたけれども、そういう意味ではなくて、基礎、基本のことはきっかりやってくださいよ、それがやはり根底ですよということを強調してそういうものが出てきたと私は思っております。

 しかし、現実に、兵庫県のトライやる・ウイークとか、ああいう体験学習をやっていると不登校の子供たちもその中に参加してくるとか、そういう意味がありますし、学ぶ方法とか、そういうものを見出して勉強が好きになったとか、こういう報告もあるわけでありますから、やはりそういう学習というのはそれなりに効果を上げておる、私はこう思っております。

 みずから学びみずから考える力を養うということが、社会へ出てみてそういうことがやはり必要なわけですから、そういう力をどうやってつけさせようか、それは単なる読み書きそろばんだけではないもの、プラスアルファが要るんだ、これだけの複雑な社会の中でそういうものをつけさせようということ。そういうことで、思考力、判断力、表現力、こういうことを身につけさせる意味で今やっておる教育というものは効果があるものだ、私はこう思っております。

 そのことと、だからといって、学力低下がそれによって起きるということを言われないように、これは教育現場も努力して頑張ってもらわなければいかぬと思いますよ。学校現場で、それがために学力低下と言われないように、基礎をきちっとつけていかなければなりません。そういう意味で、学校もなかなか大変だ、こう言われることも、私もわからないことはありませんけれども、それはやはりきちっと教育現場も受けて立ってもらってやっていただくということが必要だろうと思います。

 そういう意味で、やはりつとに、あらゆる、今の学習指導要領についても教科書の問題についても絶えず改革思考で見ていく、それは私は必要であろう、こう思っております。私は、今のゆとり教育という言葉が、ややもするとすぐそれが緩み教育にとられるような感じがするので、余りゆとり教育、ゆとり教育と言うと、何かもう学ばなくていいんじゃないかというようなイメージがありますから、こういうふうにとられると困るわけでありますが、総合的に考えたときに、やはり心に余裕を持って、学ぶ余裕を持って、意欲を持たせるような教育が今は求められているんだ、そういう方向で今やっているんだということですね。

 これは、おっしゃるように、もっと文部科学省も自信を持ってきちっとやるべきことはやっていかなきゃいかぬし、私は、その方向は間違いないと思っておりますから、教育現場もその方向でさらに努力をしてもらわなきゃいかぬ、こう思っております。

古賀(一)委員 私も、今までいろいろな委員会でいろいろな法案なり政策について議論してきましたけれども、どうも文部行政については質問がしにくいというか、国の政策を問うと、これは現場の問題というのもあるし、一方で、国の政策になると、中央教育審議会どうだということで、何か、だれが責任を負って主体的にやっておられるのか、それからどういう理念でやっておるのか、本当によくわからないので、大変質問しにくいところもあるんですけれども、時間がございませんから、次の質問に入りたいと思います。

 教育の問題で、一つ問題になっております英語教育ですね。これもいろいろな揺れ動いた教育論がございます。先ほど言いましたように、幼児から教えた方がいいとか、学校での英語教育は不十分だから、駅前留学、大はやりでございまして、テレビもしょっちゅうコマーシャルが出ております。

 そういう中で、私は、これだけ国際化した時代、これだけ英語がメディアでもあふれておる時代、英語を勉強するツールは昔とは比較にならないぐらい、今いろいろなツールがあります。にもかかわらず、いわゆる英語会話能力というのは、日本はアジア諸国の中で一番びりではないかと私は危惧をしております。大臣は英会話ぺらぺらですか。原田副大臣はいかがでございましょうか。――まあまあ。

 私自身も英語は苦手なんです。中学から英語を勉強して何だと、今でも自分自身に言い聞かせて、今、私は夜寝る前にCDを聞いております。ザ・レーテスト・ニュース・イン・イングリッシュというんですけれども、英語による最新ニュースというものですね。最初は全然わからなかったですね、アイもセッドもあの速いスピードで言われると、いわゆる聞き分けができませんでした。でも、聞いているとどんどんわかってきますね。

 かつて、この英語の下手な私が二十六歳のときに外務省に出向を命ぜられたんです。国連局というところで、英語なら私が一番下手なのに何で出向させられたのかなと思いましたけれども、元気者だったから行かされたんでしょう。そんなときに、ざっと三十年前ですよ、私は国連局でしたから、国連の会議に、バンコクのエカフェだったんですけれども、よく行きました。

 当時、英語がからっきし下手な国が三つございました。日本、タイ、韓国ですよ。それからもう一つあえて入れるなら台湾。いわゆる外交官はもちろん各国ともしゃべれます。しかし、各国から来たお役所の人、ほかの代表団の方は本当に英語が下手でありまして、ああ、タイも韓国も英語圏の人に占領されたことがないからこんなものかと思っておりました。

 ところが、今、韓国あるいはタイ、台湾もそうですよ、日本以外は、ビジネスマン、お役所、政治家、ほとんど英語ができます。私は、日本というこの教育大国、さかのぼれば、江戸時代は日本は世界一だったと言われるこの優秀な国民が、事英語に関しては何でいつまでももたもたしているんだ、こういうふうに感じてなりません。自分自身の英語能力も含めてこう思うんです。

 これも、英語教育というのはいかにあるべきかという本当に詰めた議論を文部科学省は研究していないんだと私は思うんですよ。私なりに言えば、やはり文法半分、会話半分、その会話をどうおもしろく勉強させるかというのはいろいろな方法がありますけれども、そういうところについて、私は、意を砕いて、文部省が教育学の見地から、英語学の見地から、いろいろな研究をして、これぞというものを自信を持って提示していないんじゃないかという気がしてなりません。この点について、私は英語教育の今のあり方は大変問題があると思いますけれども、担当としてどのように認識しておられますでしょうか。

河村国務大臣 私も、みずからの努力を棚に置いて余り言うのはあれですが、私自身が今まで受けてきた英語教育では意思の疎通が十分できないということを痛いほど承知しておりますから、コミュニケーション能力というのを高める英語教育をやらなきゃいかぬとかねがねずっと思ってきておりました。それについては、正直言って、文部科学省はおくれをとったと思いますよ、韓国、中国に比べても。

 しかし、教育現場は、文部科学省が考えている以上にその必要性を感じて、もう既に、総合学習の時間で、小学校においても半分以上の学校が何らかの形で英語の時間を取り入れている、こういうことをやっております。また、塾とかなんとかについてもどんどんそういうことが進んでおる。したがって、我々の時代に比べて、今の子供たちはもっと英語に対する能力が高い、こう思っております。

 一番の問題は、やはり入学試験が文法中心の試験であった、それに応ずる教育をやってきたということだろう。だから、これは入学試験も今どんどん変わって、ヒアリング、スピーキングを含めることになってまいりましたから、それをやらなければということにもなってきておる、一方では。したがって、それに応じたというよりも、必要性に応じてスキルとしての英語のコミュニケーション能力を高めるということ。

 これは、ヒアリングや何かは、やはりできるだけ早いときからやる必要があるということが言われておりますので、私は、小学校にもそういうことを導入する必要があるというので、今から中央教育審議会においても具体的にその検討に入っていただくようにいたしております。そういう意味で、日本の子供たちのといいますか、これから社会に生きていく上で、これだけの国際化時代ですから。

 それを言うと、すぐ一方では、いや、そんな時間があったら、もっと日本の歴史、伝統、文化をしっかり学ばせて国語力をつけろ、こうおっしゃる。それも大事ですから、当然そういうことも必要になってきますので、それもやりながら同時にやったらいい、こう現実に私は思っております。ある人が、そのことについて、文部大臣は随分そういうことに熱心だけれども、大体そういうことを言うのは自分の英語能力がないやつが言うんだと書いてあって、ずばりだと思いながらも、しかし、やはり必要だと私は思います。

 それから、私自身の子供が、小学校から英語をやっている私学へ行った子と、そうでない普通の公立学校へ行った子供、四人を二人ずつ比較してみても、では、英語を小学校からやっている子供が国語ができなかった、そんなことはないのでありまして、今の子供たちの能力というのは、与えればというか、受ければどんどん伸びていきますので、私はその点心配しておりませんので、英語教育、特にコミュニケーション能力を高める英語を進めるようにやっていきたい、このように思っています。

古賀(一)委員 もう時間が来たようですから終わらざるを得ませんけれども、最後にちょっと申し上げておきます。

 私は、逆に、文部省そのものが英語教育の方法論について揺れ動いているんだと思うんですよ。私は、平成十二年の文部省が概算要求を出した記事を見て、当時予算委員会で追及というか厳しい質問をしたことがあるんですけれども、地域で進める子供外国語学習ということで、平成十二年に、いわば公民館に英語教育をちょっと担ってもらおう、予算をつけるぞ、補助金をつけるぞという政策をやったんです。私は、何を考えているかと予算委員会で質問したことがあります。その後どうなったかときのう聞きましたら、一年度限りでしたと。今年度は、外国語長期体験活動推進事業という予算が計上されております。

 そして、今度、次の機会に聞きたいと思いますけれども、いわゆるJET計画、外国人の先生を日本に六千人ばかり招聘をして、国費において全国の自治体、地方に行ってもらって英語を教えてもらおう、英語教育はかなわぬから、イギリス人やアメリカ人に来てもらって、地方に行ってもらって教えてもらおうじゃないか。

 これも、ある面では英語教育の方法論、重要性、そういうものを本当に文部省みずからがしっかりと分析して、確立して、こういう教育をやりなさい、こういう教育もあり得るというのを堂々と確信を持ってやるべきなんですよ。一年度限りの、あるいは補正予算でちょっととったものを一年限りやっておしまいとか、私は、そういう面について、これは別に英語教育だけじゃなしに、何か文部行政全体に通ずる体質だと思います。

 そこら辺、私は、今後またいろいろな機会にもっと深く質問させていただきますけれども、そういう点、ひとつしっかりと、過渡期だ、今こそそういう教育の本質論、理念、そして基本的な方法論をしっかり分析して、堂々と提示し、教育現場あるいは国民に選択をしてもらう、そういうような堂々たる文部行政の確立に向かって、河村大臣、今後一層御奮闘されることを期待いたしまして、質問を終わります。

 以上です。

池坊委員長 高井美穂君。

高井委員 おはようございます。民主党の高井美穂です。

 代表質問に続いて、きょうは一般質疑ということで、大臣初め皆さん、どうぞよろしくお願いいたします。

 古賀議員からもいろいろな御質問がございましたけれども、私も、実はゆとり教育の件できょうのニュースを拝見して、少しお伺いしたいことが二、三点ございます。まず、不登校の問題並びにゆとり教育、そして文部科学行政について、いろいろな質問を率直にお聞きしたいと思いますので、どうぞよろしくお願いをいたします。

 私も、実は一歳八カ月になる子供がおりまして、多分、恐らく、きょうお集まりの皆さんそれぞれが、子供を持っている方、持っておられない方含めて、子育て並びに子供と直接かかわったいろいろな経験がある方だと思います。そういう中で、子供を子供として一つのカテゴリーでとらえるのではなくて、自分の身近な体験に照らし合わせて、自分の子供が、身近な子供がどういうふうに育ってほしいか、直接その感覚を行政に生かしながら政策を進めていただきたいなというふうに考えていまして、やはり、国の中で考えるのではなくて、現場と常にやりとりをしながら文部科学行政を進めていただきたいというのが私の強い希望であります。

 私自身、自分の子供に対して一番望むことは、やはり元気で強い子に、それだけでいいと思っています。自分の力で社会に立ち向かって生き抜いて、自立して生きていく、そういう子供に育ってほしいなという希望がありまして、失敗を恐れない、何か問題点に対しても、一回だめであっても、また立ち上がって、強く立ち向かっていける子になってほしいというのが本当の希望なんです。多分、多くの皆さんもそうであろうと思います。

 そうした中で、不登校の子供が今多いという話を聞いております。実際に、不登校児童生徒の数と実態、また原因をどういうふうに分析しておられるのか、まずはお聞きしたいと思います。

近藤政府参考人 お答えをいたします。

 不登校の児童生徒数の実態でございますが、平成十四年度の国公私立の小中学校におきます不登校児童生徒数は、約十三万一千人でございました。これまで、不登校児童生徒数、伸びてきたといいますか、数がふえてきたわけでございますが、平成三年度以来初めてこの十四年度減少したところではございますが、なお相当の数に上っており、その解決は教育上の大きな課題であると認識をいたしております。

 不登校の原因につきましても、いろいろあるわけでございますが、友人関係をめぐる問題など学校生活に起因するもの、あるいは本人の問題に起因するもの、親子関係をめぐる問題など家庭生活に起因するもの等、さまざまな要因が複雑に絡み合ってこういった不登校の原因につながっているのではないんだろうか、このように認識をいたしております。

高井委員 ということは、つまり、文部科学省としては、子供の側に問題があるという御認識でおられるんでしょうか。学校が問題なのか、子供が問題なのか、そういう観点からで、今の御意見だと、家庭の問題であるとか、やはり子供自身の精神的な葛藤の問題であるとかいうふうに御認識のようでございますけれども、学校の側の問題としてはどういうふうにとらえておられるでしょうか。

近藤政府参考人 私の今申し上げましたのは、例えば、学校生活に起因する場合、学校内でのいろいろな友人関係でのトラブルでありますとか教師との関係でやはりいろいろな問題が生ずる、あるいは学業の不振、クラブ活動、部活動等への不適応あるいは学校の決まり等をめぐる問題等々、学校生活に起因をするという点も現実にあるわけでございますし、また、家庭生活、家庭内での親子関係の不和の問題あるいは家庭の生活環境の急激な変化でありますとか、あるいは本人が病気がちでありますとか、本人のそういういろいろな問題、こういった問題が複雑に絡み合っているんだろう。どれかだけ、学校が責任がないというようなことを申し上げているつもりはございませんけれども、そういったいろいろな要因が複雑に絡み合っているのではないか、こういうふうに承知をいたしております。

高井委員 私は、学校に問題があると学校だけに責任を押しつけるつもりは毛頭ございませんで、ただ、どういう御認識でおられて、それに対して例えばどういうふうに対応してこられたか、具体的な取り組みがあれば教えていただきたいというふうに考えています。

 さっきおっしゃったように、データでは不登校児童の数が少し最近で減少しておるとお聞きしておりますが、その理由等も、何か気がつく点があれば教えていただきたいんですけれども。

原田副大臣 不登校の問題、これは本当に深刻でございます。

 ただいま局長からも、原因ないし原因らしきものをお話しさせていただいたところであります。また、数字の上では、御指摘のように、平成三年度以来初めて平成十四年度の数字でこれがちょっと下がった、これは非常に喜ばしいことでありますが、そのためにもいろいろ私どもも工夫をしてきた、努力をしてきたのも事実でございます。そういうものも相まって多分こういう数字になったんだろうと思いますが、これは決して安心できるものではないわけでございます。

 先ほどの理由の裏返しでありますけれども、私どもが特に学校現場に対する指導として、児童生徒が楽しく安心して通えるような、そういう学校づくりに努力したとか、スクールカウンセラーの配置等によって教育相談体制の充実をしてきた、また地域の不登校施策の中核的役割を担う教育支援センターの整備充実に努めてきた、こういうものも相まちまして少しは効果が出ている、しかし決して気は許せない、こういうところだと思っています。

 それで、実は半月ほど前でありますけれども、私、板橋区立の志村四中というところにちょっと見学に行ってきたところであります。この中学校は、東京都でも不登校改善のモデル校として大変有名といいますか、よくなってきたところでございまして、そこでいろいろ勉強させていただいたんです。かつては、ここには二十名を超える、三十名近くの不登校の生徒がおったんですけれども、現在は五人というぐらいに改善されたところであります。今申し上げましたように、不登校生徒への対応、学習内容の工夫、また、いわゆる特殊学級もございますが、そこの生徒との交流というようなことを通じまして、しかし、何といっても、校長先生を頂点として、東京一面倒見のよい学校をつくるんだということで教職員が一致してこの問題に取り組んでおる、その成果がこういう形であらわれているんだろうと思っております。

 そういう意味では、いろいろ悩みながらも、その原因の究明、さらには改善策、私どももしっかりとっていきたい、こう考えております。

高井委員 ありがとうございます。

 いろいろな取り組みが、やはり各自治体の側の取り組み並びに各学校法人の関係者の取り組みが本当に功を奏してきてだんだん不登校が少なくなってきたというふうに私自身も認識しておりまして、いろいろな本、例えば先日送ってくださった本、不登校児童を飯が食えるプロにする本とかいろいろな、日生学園とか、これは東京自由学園というところらしいんですけれども、私もいろいろなこうした取り組みを読む中で、現場の先生方が本当に子供と向き合って、子供を甘やかすのではなくて、個性を伸ばしてやろうと本当に向かい合って授業を進めていったときに、子供が反応してどんどん学校に来るようになる、不登校どころか不下校の子供になってきたというような事例を紹介されておりまして、ここ十年ぐらいで不登校ということが社会の現象としてとらえられる中で、現場の方が一生懸命早く対応して進んでいるのではないかというのが私のこの間の印象なんです。

 それで、不登校にかかわってきた先生方の御発言の中に大体共通して見られるのは、不登校というのは問題ではないんだ、むしろ不登校児童というのは個性がすごく強くて、みんなとただ自分を押し殺して学校に座っていることができない、とても自分が人と違うことに対する負い目があって、それを自分に対する嫌悪感、そして引きこもってしまうという現象になる子供が多い、それを、あなたはそれでいいんだよと認めてあげること、引っ張り上げてあげること、それによって、立ち直るというか、個性がどんどん伸びてきて、すばらしい子供に育つ可能性が大いにある、日本の宝になる可能性がある子供たちだというふうなことを書いている現場の方が多くおられて、大変それは私も賛同というか、そのとおりだなというのをしみじみと感じていた次第であります。

 そうした中で、例えば芥川賞作家で、芥川賞をとられた金原ひとみさん、みずから不登校であったことを表明しておられて、むしろ彼女なんかはすごく今の時代の新しいタイプのスターだなと私も感じております。不登校を問題というふうにとらえるんじゃなくて、やはり各学校の多様な取り組みがこういうふうに子供たちをどんどん伸ばす、その多様なやり方、自由に子供を育てたいという意思表示のあらわれがどんどん地方で起こってきているのではないかなと思っています。

 そういう中で、最近、特区での取り組みがいろいろなされているというお話を聞いておりまして、もちろん不登校児童に対する新しい取り組み、特区の分野でも多くなされているとお聞きしました。実のところ、特区で文部科学省が今までやってきた教育じゃない枠でやりたいという声が多いというのは、ある意味で今までの文部科学行政、管理行政に対する学校現場からの悲鳴の声、ここから外してくれという声であるのではないかとさえ私は感じているんですが、どのように御認識でおられますでしょうか。

河村国務大臣 今の教育、これまでの教育、それが成果を上げてきて今日の日本の繁栄をつくり上げてきた。しかし、現実に社会に起きている社会現象とも言えるようないろいろな課題、問題、子供たちをめぐる事件も含めて、今さっき御指摘のあった不登校のような問題、それから中途退学の問題、あるいはいじめ、学級崩壊、こういう問題が起きております。

 そうした中で、やはり、少子化現象も起きている、こうした社会現象の大きな変化の中で、学校教育がこれに十分対応してきたかどうか、またそれに応じられたかどうか。少し学校教育のあり方というのが硬直的ではないかとか、今本当にこういう御指摘がありますし、またそういうふうに思っておられる方々は、もっと変化に応じた教育をしたい、受けさせたい、そういう思いを持っておられる方が現実におられると思いますね、かなりの数になってきた。そういうものがNPO等々で新しい教育のあり方を求めて今いろいろ模索をされております。そのことを私もよく承知しておりまして、先般もNPOの皆さん方に随分集まっていただいて、いろいろな御意見を聞きました。学習指導要領を全然外した教育ができないでしょうかというようなこともございました。

 日本はこれまで、学校というのは、教育というのは公的な部分が非常に高いものだから、一つの基準にのっとって、やはり一定レベルの、一定水準以上の教育をみんなに受けさせたい、教育の機会均等、教育のレベルの維持、こういうことに非常に力を入れてまいりましたから、それと全く違うところで、それが検証できない状況の中で教育を進められるということについては、正直言って文部科学省的には一抹の不安があるわけです。

 しかし、皆さんのそういう要請が現実に子供たちにとっていい面がたくさん出てくるということ、これはやはり特区でやってみていただこう。そういう熱意がある方にはやっていただきながら、そして本当にそれがあるのであれば、これは全国に広めていかなきゃいけない課題ですから、そういう意味で、今特区という方法でそういう取り組みをしておりますし、また地方分権の時代でありますから、地方の取り組みをしっかり重視してやりたい。

 教育は中央集権だ、何かそういうような不満があるのではないかというような御指摘もありましたが、むしろ、教育こそ本当に地方の現場が現実にやっておられることでありまして、逆に、さっきの御意見のように、文部科学省がもっとしっかりして、ちゃんと上からきちっと方針を出してやるべきじゃないかという声も実はあるぐらいです、そういう声もあるんです。

 しかし、私は、やはり教育こそ現場でやっておられることでありますから、それをしっかり我々としては連携をとりながら、そして全体のレベルをいかに維持するか、できるだけ高い教育をいい先生を確保しながらやってもらえるか、そういうことに、その条件整備はやはり国がちゃんとやらなければいけない、こう思いながら、例の問題になっている義務教育費国庫負担制度を守れ、根幹を守れという大合唱がありますが、そういうことに起因するんだろう、私はこう思っておりまして、しかし、やはり変えていかなきゃいけないところは変えなきゃなりません。

 NPOで学校をという声、それから、文部科学省の方も政策的に、最近はコミュニティースクールができるように、地域で発意していただいて、地域の運営協議会が、新しいタイプの学校をつくっていこう、また今の学校をそういうふうに変えていこう、地域の要請に開かれた、また、学校は皆さんがつくり上げて、皆さんの力で信頼できる学校をつくろうという声が非常に高まってきておりますから、これにも応じられるような改革も今進めておるわけであります。

 そういう意味で、御指摘の点、確かに、今のややもすると硬直的な学校教育、公立学校の教育、こういうものをもっと改革しろという声には私は謙虚に耳を傾けて、我々も努力をしなきゃいかぬ、こう思っております。

高井委員 私は、文部科学省がしゃんとしろと言いたいんですよ。方針を出すだけでいいと思うんです。現場に任せてほしいんです。さっきの古賀議員の問題、決して、もっと管理しろ、もっと抑えつけろというんじゃないと思うんです。私は、文部科学省がどうしたいのか、この間の議論の中で本当にわからないのです。

 例えば、今河村大臣もおっしゃっていただきましたけれども、やはり現場に合わせて変えていく姿勢も大事だし、ちゃんと方針を出すのも大事だというふうにおっしゃっていただきました。だからこそ、この間の取り組みで、何か外部からの圧力に負けてずるずると後退しているような印象がとても私はぬぐえないのです。

 例えば、私が代表質問させていただいた国庫負担の制度でもそうだろうと思うんですが、毎年、共済給付削減と退職手当削減とどんどん、ここの部分だけ守るんだと言いながらも、ずるずる削減している。

 そういう体制が、今回のゆとり教育のこの新聞報道でも見られるように、二年で変えてしまった、学校の時間はそのまま減らしたままで、また項目をふやしたと。現場が混乱するのはある意味で当然であろうと考えておりまして、なぜ文部科学省は、こういう方針でやるんだというのをぱんと出して、あと現場に任そうというふうにできないのか。

 私は、決して今までの教育が失敗したとは思っていないんです。私も七〇年代に生まれて義務教育を受けてきた世代ですけれども、本当に基礎的な学力を、田舎の小さい町でも学校に行けて、よく学びよく遊べという生活で、私は大変いい学校時代が送れたというふうに感じていまして、高度成長期であった七〇年代なんかはすごく、七〇年代より前の教育というのはそういう時代にそれが合っていてよかったんだろうと思っています。それで、教育自体が悪くなったのではなくて、それが時代に合わなくなったんだろうと思っているんですね。だから、それに対応して変えていかなければならないんじゃないか。その一つの試みが、現場から声が上がってきた特区であって、自由にさせてほしいという声がある。

 そうした中で、文部科学省としても一つの枠を飛び越えて、乗り越えて、試行錯誤をしていただきたいと思うんです。子供たちが現場に立ち向かって試行錯誤を繰り返しているように、文部科学省としても、国が公教育というのは管理しなきゃいけないんだという枠の中でありながらも、一つ飛び越えて、成功例をどんどん取り入れてほしい、もっと地方に任せるところは任せてほしいというのが私の気持ちであります。

 この間の特区の取り組みの中で、例えば二〇〇二年の八月の第一次提案では、株式会社とかNPOなどの非営利団体の学校設置主体への参入などは最初は認めなかった。それが、だんだん政府からの圧力に負けて少しずつ認めるようになって、最後には第二次、第三次提案では認めるようになったというふうにお聞きしているんですが、こういう姿勢自体も、先ほどの義務教育の国庫負担の話と同じで、外からの圧力によって少しずつ後退しているのではないかという印象がぬぐえないんですけれども、例えばこの特区の件でも、こういうふうに方針が変わっていった理由というのは何なんでしょうか。

加茂川政府参考人 いわゆる特区の第一次及び第二次提案についての対応、その経緯についてお答えをいたします。

 第一次提案の時点におきましては、私ども、株式会社あるいはNPO法人は、学校法人に比べますと、その公共性、継続性、安定性などについて大きな懸念があると考えておりまして、これらによる学校設置につきましては困難であると考えたところでございます。

 しかし、特区の趣旨をこの第一次提案の時点でも踏まえまして、私立の学校の設置主体は学校法人というのが大原則でございますけれども、この学校法人の設立要件を緩和いたしまして、提案の趣旨に実質的にこたえるような対応をまずいたしたところでございます。具体的には、基本財産の自己保有、学校法人が求められる大原則でございますが、この特例を認めて、第一次提案には実質的におこたえをしたというのがまず第一の対応でございました。

 その後、関係する会議等におきましてさまざまな御議論がございました。学校法人という設立形態ではなくて、株式会社あるいはNPO法人そのものによる学校設置についても、一定の条件のもとで可能ではないか、検討し得るのではないかという指摘があったわけでございまして、私どもはその条件整備あるいは新たな制度設計が求められたわけでございます。

 そこで、このような議論でありますとか、第二次提案で株式会社等によって学校を設置したいという具体の提案がございましたので、私ども、つぶさに一つ一つの提案を検討させていただきました。その結果、あくまでも特区制度の趣旨にかんがみまして、特別なニーズがある場合において、特区申請の自治体によって、先ほど申しました公共性、継続性、安定性が確保される場合には特例を認めていいのではないか、そういうことにいたしたわけでございます。

 具体には、必要な財産あるいは学校経営の知識、経験、社会的信望を有することに加えまして、情報公開、第三者評価とその公表、さらには、万一破綻した場合の学生、生徒のセーフティーネットの構築、こういった条件のもとで、学校教育を活性化するために、例えば株式会社による学校の設置、あるいは、先生先ほど来御指摘いただいておりますように、不登校児童生徒等、特別な配慮を要する教育を行うもので一定の実績を有するNPO法人による学校の設置を認めることといたした、こういう経緯がございます。

高井委員 そういう経過のもとで、例えば今、特区、もう既に行われているところもあると思いますし、まだこれからのところもあると思います。これからこういうところの事例を検証して、もしうまくいっているのであればどんどんほかにも広げていこうというような方針はあるんでしょうか。

河村国務大臣 そもそも特区というのは、そこだけやってそれでおしまいというものではないですね。特区の精神は、そういうものにチャレンジしてみて、それが国民にとって、あるいは学校でいえば児童生徒にとって、広く進めるべきものだ、こうなれば、全国的に展開をしていったらいいし、これまで特区で提案されてきて、見てみたら、これは特区でなくてもすぐ全国的にやったらいいというのも中にはありまして、そういうことも現実にやっております。

 そういう意味で、私は、広めていくべきでしょうが、やはり検証もしなきゃなりません。いよいよ株式会社で大学もつくるわけですね。これはやはり検証してみなきゃいけませんので、ある程度きちっとした検証をした上で広めていくという考え方になっていくだろう、こう思います。

 特に特区で大事なのは、特区はそれぞれのNPO法人とかなんとかの申請じゃなくて、NPO法人があるそこの地方自治体が申請をしていただくことになっておりますので、どうしても、地方自治体としっかり意思の疎通をして、そして理解を求めて申請をしていただくということが必要になってまいりますので、この点では、ある程度一つの、壁ではありませんけれども、公共性を持たせるという意味が含まれて、特に教育についてはそういう思いがございますので。

 そういう点で、いろいろやってみると壁がまだあるんだ、こうおっしゃいますが、そこの点は地方自治体としっかり話し合って、もちろん我々も、特区の申請についてはできるだけ協力をする、応援します、そういう形で進めておりますので、こういうものが認められてスタートしたならば、きちっと検証して、いいものについては、効果のあるものについては全国で展開をしていただこう、こういう気持ちで今取り組んでおります。

高井委員 そうした場合、今まで掲げてきた文部科学省としての国庫負担制度、義務教育をどうするかという根本的な問題に恐らく突き当たってくるようになるだろうと思います。私自身も、この間ずっと、義務教育、国がどこまで関与するべきか、どこまでちゃんと保障するべきかというのを考えてきましたけれども、実のところ、答えはまだ出ていません。

 そういう取り組みの中で特区という新しい取り組みができて、もしいいものは採用するという御意見でございました。そういうふうにしていけばしていくほど、文部科学省が今まで掲げてきた方針を本当の意味で転換せざるを得ないときが来るだろうと感じるところなんですけれども、そういう意味で、逆に、だからこそ文部科学省は大きな方針を、きちっと枠をつくっておいて、あとはできるだけ現場に任せていく、そういう中できちんと対応していくというふうな方針はどうなんだろうというのをずっと知りたいんですが、それが、今まで何か明確な回答がなく、とりあえず義務教育は国庫負担金で国が保障すると言いながらずるずる後退してきた。そういうところが、私の文部省に対する頼りなさというか心配があります。

 そうした中で、五年、十年という単位で、今の世の中、どんどん変わっていくわけでありまして、本当に文部科学省の分野が一番特区の申請が多いと聞いておりますので、いいものはぜひともどんどん採用していっていただいて、現場の声を直接聞きながら、どんどん対応していただきたいなというのが私の感じるところであります。

 特に、教育とかは、経済政策などと違って、やはりなかなかすぐに答えが出にくい、成果が出にくい、検証しにくいというところがあると思うので、その場その場、その時代に応じてやはり要請も違ってくるんだろうというふうに思っています。

 一つ参考になるのは、例えば過去のデータの検証であるとか、今までの諸外国の教育における成功例、失敗例などを分析したりして方針を固めていくというのが、文部科学省の方針としてもあっていいのではないかと思うんですけれども、いろいろとそういう検証はなされておられるのでしょうか。

近藤政府参考人 お答えをいたします。

 教育政策の企画立案に当たりまして、諸外国の取り組み事例の分析でありますとか、過去の具体的なデータの検証を行うということは大変重要なことであると考えてきております。

 例えば、学習指導要領等の改訂に当たりましては、従来から、諸外国の例えば数学や理科のカリキュラムの状況でありますとか、それから文部科学省自身、教育課程実施状況調査、これはいわば学力調査でございますけれども、こういったものも実施をしたり、あるいは研究開発学校、今回の学習指導要領の改訂で総合的な学習の時間というものを導入したわけでございますけれども、これもまた、研究開発学校におきますこういった実践の事例等を集めまして、検証を踏まえてそういったことを行った、こういうところでもございます。

 また、中央教育審議会で学校の管理運営のあり方についていろいろな御審議をいただいたわけでございますけれども、それに先立って委員等をアメリカに派遣いたしまして、アメリカにおけるチャータースクールなどのさまざまな形態の公立学校の管理運営手法をめぐる成果と課題を収集いたしまして、そういったものもまた審議に反映させていただいた、こういうことはこれまでもやってきたわけでございますけれども、今後いろいろな教育政策を企画立案するときには、さらにそういったデータの分析でありますとか、さまざまな情報を収集していくということがやはり大事である、こういうふうに考えております。

高井委員 さまざまな取り組みをなさっておられる、検証なり研究なりをなさっておられるというお話だったんですけれども、それがすごく審議に反映されている、文部科学省がそこまでいろいろ研究なさっているというのは、私自身は今まで政策提言の中で感じられるところが本当に少なかったもので、そういう意味で、これからもどんどん研究、検証をやっていただきたいなというふうに思っています。

 つまり、例えばゆとり教育というか、二年で見直しになったときょうの新聞で出ている件も、文部科学省として今までそういう検証をしながらこういうふうに揺らいできたのはなぜなんだろうと思うんです。今回、こういうふうに変更をしたというのは、要するに、どこからの声、何の声が一番強くてこういうふうにどんどん揺れ動いていくのか、文部省自体の中で本当にしっかりした研究がなされて、しっかりした方針がなされているのであれば、こうやって現場が混乱するようにどんどん目先のことで変わっていかないのではないかというふうに思うんです。

 例えば、文部科学行政において一番発言力があるというのは、中教審なんでしょうか。どういう判断で文部科学省が一番政策決定をされているのか、少しお聞きしたいと思っているんです。

河村国務大臣 文部科学省といいますか、いわゆる教育行政、文部行政、極めて国民に関心があって、そして、これは国民全部、あまねく影響を及ぼすものであります。一部では、さっきの古賀先生じゃありませんけれども、やはり文部科学省がぴしゃっと方針を出してさっとやればいい、もう中教審なんかすっ飛ばしてもいいじゃないか、そういう声もあることも聞いておりますが、ただ、教育というのは不偏不党なものでありまして、やはり広くいろいろな意見を聞かなきゃなりません。

 そういう意味で、スピード感がないという声もありますので、私は、中央教育審議会の先生方は大変だろうけれども、もっとスピード感を持って審議に当たってもらいたいということもお願いしておりますが、やはりそういう有識者の皆さん方の声を踏まえて対応していく。そして、やはりこれは世に問うわけであります。

 しかし、こうあった方がいいという声があれば、そういう声に謙虚に耳を傾けて、変えるべきところはやはり変えていかなきゃいかぬと思うんです。そのためによって、それは確かにぐるぐる変わるじゃないかというイメージがあったって、それをずっと引っ張っていってそのままずるずるいくよりも、やはりこれはもっと直した方がいいということがあればやるべきだ。特に、ゆとり教育が緩み教育というふうなとられ方をしたことについては、これはいいことじゃないというので、学校というのは学ぶところですよというのが「学びのすすめ」だったと思います。その方向で、やはり個々の能力には差がありますから、もっと学びたい人にはどんどん学ばす方法も要る、しかし、基礎、基本はしっかりやろう。

 だから、学問、勉強にここまででいいんだというのはありませんから、ちょっと私はそういう点では、これでいいんだという感じ、ここまででいいんだという垣根をつくるような形というのは、これは正直言って、文部大臣がそういうふうに言ったというとまた問題かもしれませんが、やはり訂正しなきゃいけないことだったろうと。つとに改革といいますか変えるべきことは変えていかなきゃいかぬ、もとへ戻すのが正しいと思ったら、思い切って戻さなきゃなりません。今回はそういう結果で、また揺らいでいるという批判はあえてそれは受けなきゃならぬと思いますが、しかし、子供たちにとってどうあったらいいかということを考えたら、やはりこうだということであればそうしたいと思います。

 一時は、とにかく詰め込み教育はだめなのでもっとゆとりを持たせろというのが大合唱でしたよ。私も、今、もう一度あのころの新聞をちゃんと取り出してみて比較しろ、こう言っているんですが、新聞の、世論がそこへ出てきます、皆さんの意見も随分あそこへ出てきますから、そういうものを我々も無視はできないと思います。やはりこうあるべきだという声には謙虚に耳を傾けながら、よりよき方向を目指していくという形になっております。しかし、つとにそういうことは検証していかなきゃなりません。絶えず改革の心を持ってやっていくということが必要であろうと思います。

 おしかりはちゃんと受けなきゃなりませんが、しかし、本当に子供たちにとってどうあったらいいかということを絶えず文部科学省も考えながら進めておるわけでありまして、さらにそれに対していろいろ御意見があることについては、変えるべきところはどんどん変えながら、やはり二十一世紀を担う子供たちにとっていかにあるべきか、学校が信頼されるにはどうあったらいいかということを絶えず考え、そっちの方を向いて文部科学行政をやるべきだ、こう思って、今私自身も、みずからと同時に官僚の皆さんも叱咤激励をいたしておるわけであります。

高井委員 大変悩んでおられるお気持ちもよくわかるし、私自身も、スピード感も大事だし、しかしながら、子供たちのことなのでじっくりと腰を据えてやるというのも当然大事だというふうには思います。

 ただ、一つ大きく疑問に思うのは、やはりこれだけ社会が多様化した中で、国という単位で子供というカテゴリーで大きく枠をつくって、すべての学校に全国的に同じことを当てはめるというのがもう無理なんじゃないかというふうに思うんです。そうした中で、現場の声の方がどんどん早くて、現場の対応の方が早くて、むしろ中央で変えることが現場で変えることの邪魔になってしまうようなことが、本当に子供たちのことを思う余りに、逆に乖離が起きてしまうのではないかという懸念を持っているものでありまして、だからこそ、国が統制するところから地方に任せていくという一つの方針も文部科学省として考えてもいいんじゃないかと私は思っているもので、こういう質問をさせていただいた次第なんです。

 もう時間がなくなってきたんですが、最近やはり、私自身も子育て中ではございますが、社会の中での子育ての力の低下ということがよく言われます。だからこそ、逆に、学校への負担というか、学校に対して地域が過大な期待をしたり、親が過大な期待をしたりするところもあるだろうと思います。学校の現場も、そういうストレスもあったり、いろいろなしがらみの中で頑張っておられる方も多いと思うんです。

 そういう中で、例えば幼児教育、今、保育所と幼稚園を一体化してもっと子供が、今待機児童も多いですし、家にこもって一人でいる乳幼児よりも、ずっと保育所に行って社会性を身につけた方がまだいいんじゃないかといういろいろな声もありますし、私自身が働きながら育児をしているもので、保育所なり幼稚園なりにすごく助けられています。だからこそ、現場の声に対応して、幼稚園と保育所、今ほとんど役割が似たようになっておりますから、一体化してもいいんじゃないかと考えておりますが、幼児教育に対して、例えば文部科学大臣や文部省としての方針並びにこれから先々この一体化の声についてどうこたえていくのか、お聞きしたいと思います。

原田副大臣 幼児教育の重要性、これは本当にどんなに声を大にしても言い過ぎはないわけでございまして、そういう観点から、文科省として、また政府全体としても真剣に取り組んでおるところでございます。

 平成十三年三月に文科省で策定されました幼児教育振興プログラム、これに基づきまして、特に幼稚園を中心に、教育活動並びに教育環境の充実、子育て支援の充実、さらには幼児、学校前と小学校との連携などに取り組んでおるわけでございますが、あわせて、去年の十月から中央教育審議会に幼児教育部会というものを設置しまして、今後の幼児教育のあり方について幅広い審議を行っているところでございます。

 しかし、何と言っても、御指摘いただきましたように、幼保一元化の問題をやはりしっかり議論しなければならないわけであります。

 御承知のように、幼稚園と保育園が併存しておる。実際にはそれほど感じていない方もおりますし、また逆に、自分の周りに両方ある、どっちに行ったらいいんだろうかという方と、自分の地域には幼稚園しかない、隣の地区の保育園に行くのと随分待遇が違うみたいだ、いろいろな意味で、この幼保一元化の議論というのはやはり真剣に取り組まなきゃならないところに来ておるわけであります。現在、文科省と厚生労働省がしっかりと連携をしながら、この両方のシステムのあり方について検討しておるところでございます。

 しかし、幼稚園と保育所というのは、そもそも歴史的な成り立ち、幼稚園の方はプレスクールということで教育を少し前倒しするということ、保育所は親御さんが働きに出かけられる間子供を保育する、こういうことで、実際には非常に似てはきておりますけれども、歴史的な成り立ちが大分違うのも事実であります。

 そういう観点から、両省しっかり連携をとりながら、例えば、施設の共用化指針の策定、教育内容、保育内容の整合性の確保、幼稚園教諭と保育士の合同研修の実施、資格の併有というような問題について今検討を進めておるところでありますし、また総合施設という問題もこれから真剣に取り上げよう、こう考えておるところであります。

高井委員 時代が変わって、やはり歴史的な幼稚園と保育所ができた前提というのが崩れてきていると思うんです。だからこそ、本当にそういう意味では現場により近い対応をしていただきたいなというのが私の希望なんです。

 個人的な見解を言わせていただければ、私は、幼児にはいわゆる教育ということは必要ないと考えておりまして、むしろ社会性を身につけるというか、社会の中で子供たちと一緒に楽しむということを重視して、何か幼少のころから早く教育を施すというような価値観ではなくて、それこそ乳幼児こそ自由に子供たちと一緒にじゃれ合って遊ぶというような観点から、ぜひ幼稚園、保育所の一元化というのを進めていただきたいなというふうに思います。

 省の壁を取っ払って、これこそ子供のために、乳幼児のためにできる本当に目の前にあることですから、ぜひとも今後一丸となって進めていただきたいなというのが私の気持ちでありまして、この点だけ最後に申し上げて、質問を終わらせていただきます。ありがとうございました。

池坊委員長 川内博史君。

川内委員 民主党の川内でございます。

 急に人がいなくなって寂しくなったところでありますけれども、質問をさせていただきたいというふうに思います。

 私は、まず、平成十年の七月二十九日付教育課程審議会の答申についてお尋ねをさせていただきます。

 この答申を拝見いたしますと、まず、「教育課程の基準の改善の方針」という大項目の中に「教育課程の基準の改善の基本的考え方」という項目があり、その中の二項目めに「教育課程の基準の改善のねらい」と題しまして、「豊かな人間性や社会性、国際社会に生きる日本人としての自覚を育成すること」というふうに書いてございまして、その中の一文に「我が国や郷土の歴史や文化・伝統に対する理解を深め、これらを愛する心を育成する」というふうに書いてございます。

 この文章の中の「これら」とは何を指すのかということを教えていただきたいと思います。

近藤政府参考人 お答えをいたします。

 平成十年の教育課程審議会の答申では、国際社会の中で日本人としての自覚を持ち主体的に生きていく上で必要な資質や能力を育成することが極めて重要なことから、今先生が読み上げていただきましたこういった記述があるわけでございまして、この「これら」とは、直接には、我が国の歴史や文化・伝統、郷土の歴史や文化・伝統を指すものと承知をいたしております。

川内委員 今何とおっしゃいましたか。郷土の歴史や伝統、文化ですか。

近藤政府参考人 ここは、「我が国や郷土の歴史や文化・伝統に対する理解を深め、これらを愛する心」ということでございますから、先生御指摘の「これら」とは、我が国の歴史や文化・伝統、郷土の歴史や文化・伝統、これを愛する、そういうふうに理解をいたしております。

川内委員 それでは、「これら」とは、我が国や郷土の歴史、伝統、文化ということを指すわけですから、この文章は「我が国や郷土の歴史や文化・伝統」というふうになっているので、「我が国や郷土の」の後ろに句読点をつけるべきである、点を入れるべきであるということを御指摘をしておきたい、それが正しい文章だということをまず指摘をさせていただきたいというふうに思います。

 さらに、「これらを愛する心」の「愛する」とはどういう心の動きをいうのかということを教えていただきたいと思います。

近藤政府参考人 お答えをいたします。

 ここで言う「これらを愛する心」とは、我が国や郷土の歴史や文化・伝統に対する理解を深め、大切に思うとともに、それらを継承したり、そのような歴史や文化・伝統が根差す郷土や我が国の発展を願う気持ちである、このように私どもは理解をいたしております。

川内委員 そういう発展を願う気持ちであると。であるならば、そういう発展を願う気持ちであると書くべきであって、愛するという気持ちと郷土の発展あるいは国の発展を願う気持ちというのはイコールではない。愛するという気持ちと願うという気持ちはイコールかということをお尋ねします。

近藤政府参考人 イコールかどうか、そこはいろいろ御議論があるんだろうと思いますが、そういったことを含みながら、教育課程審議会では、先ほど申し上げましたように、理解を深め、大切に思うとともに、それらを継承したり、そのような歴史や文化・伝統が根差す郷土や我が国の発展を願う気持ち、そういうものを含んだものとしてこういう記述をされたのではないか、このように承知をいたしております。

川内委員 そういう抽象的な議論をしているのではなくて、大臣所信の中には、国語力を重視するという文言が入っています。国語力を重視するということは、言葉の使い方を正確にするということをも意味するというふうに私は考えますが、きょう広辞苑を持ってまいりました。この中で、願うという言葉と愛するという言葉が同じ意味があるかということを確認しましたら、愛するという気持ちと願うという気持ちの中には同じ趣旨の解釈は出ておりませんから、この文章も訂正をされた方がよろしいということを御指摘申し上げます。

 さらに続けて、この教育課程審議会の答申の中の「教育課程の基準の改善の方針」、さらに「小学校、中学校及び高等学校」の「社会、地理歴史、公民」の欄でございますが、この中に「我が国の国土や歴史に対する理解と愛情」という言葉がございます。

 この「我が国の国土や歴史に対する理解と愛情」というのは、国土は理解に係るのか、愛情に係るのか、歴史は理解に係るのか、愛情に係るのか、さらに、国土も歴史も理解、愛情双方に係るのか、お答えをいただきたいと思います。

近藤政府参考人 御指摘のこの教育課程審議会答申におきます社会科の「改善の基本方針」の「我が国の国土や歴史に対する理解と愛情」につきましては、我が国の国土に対する理解と愛情、これが一つでございますが、我が国の歴史に対する理解と愛情、この二つを指すものと承知をいたしております。

川内委員 それでは、国土に対する理解と愛情とはいかなることを意味するのか、歴史に対する理解と愛情とはいかなることを意味するのかということをお答えいただきたいと思います。

近藤政府参考人 私どもは、そこは素直に、我が国の国土や歴史に対する理解を深め、それらを大切に思うとともに発展を願う気持ちである、このように理解をいたしております。

川内委員 だから、先ほども言ったように、そういうお気持ちと、愛情という言葉を使うこととは、全く意味が違うということを御指摘申し上げさせていただいております。

 これは後でしっかりと、学校教育を統括されるお役所にいらっしゃる皆さん方ですから、言葉の使い方というのは正確にしていただきたいんですね。だから、国語辞典で理解なり愛情なりという言葉をしっかりとその意味を引いて、愛という、あるいは愛情という言葉の意味をしっかり引いて、ああ、そうか、これは違うんだな、川内さんが言ったとおりだなということで、この文言についてはしっかりと御訂正をいただけるようにお願いをしておきたいというふうに思います。

 さらにもう一つ、「改善の具体的事項」として、小学校のこれは社会でありますが、「児童が地域社会や我が国の産業、国土、歴史などに対する理解と愛情を一層深め、」という記述がございますが、これは一体いかなる意味であるかということをお尋ねいたします。

近藤政府参考人 お答えいたします。

 この部分の意味内容でございますが、この記述は、地域社会に対する理解と愛情と、それから我が国の産業、国土、歴史などに対する理解と愛情、この二つを一層深めることを指すものと承知をいたしております。

川内委員 それでは、先ほどと同様に、地域社会に対する理解と愛情とはどういうことか、我が国の産業、国土、歴史に対する理解と愛情とはいかなる意味かということをお尋ねいたします。

近藤政府参考人 子供たちが、その地域社会の中で生活をし、いろいろな活動をしておるわけでございまして、その地域社会に対する理解を深めるとともに愛情を持っていく、同じことが我が国の産業、国土、歴史に対しても言えるんだろう、こういうふうに考えております。

川内委員 先ほどと若干答弁が違ってきましたけれども、子供たちが地域社会のことを理解をし、そして愛情を持つとは一体どういうことですか。

近藤政府参考人 現実に今、小学校の子供たちは、それぞれの地域社会の中でいろいろな体験をし、学習をし、育っていくんだろうと思っております。身近な、自分が生まれ育った地域社会のいろいろな、そこには自然も含めいろいろなものがあるわけでございまして、そういったものを理解を深めるとともに、そういったものを大切にしていく、そういうことをこの社会科の「改善の具体的事項」として記述をさせていただいているものでございます。

川内委員 教育課程審議会の議論の中にもございます。興味と関心を持ち勉強をした結果として、地域社会に対する愛情を持てるようになるということがあるかもしれないし、それはそういうことが望ましいというような教育課程審議会の中の議論がございますが、ということは、理解と愛情というのは同列に並べる言葉ではなく、理解をした結果として愛情を持っていただければいいなというのが正確な記述であるべきであります。理解と愛情という言葉を同列に並べているのは間違いだということを御指摘申し上げさせていただきたいというふうに思います。

 これはしっかりと、国語力の向上ですからね、大臣所信は。大事ですよ。しっかりとした、きちんとした、みんながなるほど、そうだなと思える文章にしなければ、お互いが演説し合って結局何も共通点を見出せないという中で話をしてもしようがないですから、それはしっかりと、文言の具体的な意味について、あるいは意味するところについて、しっかりとした文章をおつくりいただきたいというふうにお願いを申し上げます。

 さらに、今まで私が御指摘を申し上げてきた点、平成十年の七月二十九日付の教育課程審議会の答申、「教育課程の基準の改善の方針」あるいは「教育課程の基準の改善の基本的考え方」、さらに地理、公民、歴史に係る部分等について、平成元年にやはり教育課程審議会のこの十年の前の答申が出ていると思いますが、どのような記述であったか、書きぶりであったかということを教えていただきたいというふうに思います。

近藤政府参考人 お答えいたします。

 平成元年改訂の学習指導要領の改善につきましては、昭和六十二年に教育課程審議会が答申を出しているわけでございまして……(川内委員「いや、学習指導要領じゃなくて教育課程審議会の――昭和六十二年の答申ですね」と呼ぶ)教育課程審議会の答申を受けまして、平成元年に学習指導要領を改訂したという経緯がございますが、その審議会の答申では、「教育課程の基準の改善のねらい」の一つとして、「国際理解を深め、我が国の文化と伝統を尊重する態度の育成を重視すること」、これを掲げておるわけでございますし、「各教科・科目等の共通的な改善方針」では、「国際社会の中に生きていくために必要な資質を養う観点から、我が国の文化と伝統に対する関心と理解を深めるとともに、世界の歴史や文化に対する理解を深めることを重視する。」あるいは、社会科の改善の基本方針といたしましては、「我が国の文化と伝統及び世界と日本とのかかわりについて理解を深め、世界の中の日本人としての自覚と責任感を涵養するよう配慮する。」こういった記述があるところでございます。

川内委員 今読み上げられた昭和六十二年の教育課程審議会の答申、これは読んで、なるほど、ああそういうことかと。それは、意見はいろいろあると思います、評価はいろいろあると思いますが、当時文部省でしょうから文部省として、ああそういうことをねらっているのか、そういうことが目的であるのかということがすんなりと、すっきりとわかります。私が申し上げているのは、こういう文章にすべきであるということを申し上げさせていただいているわけでございます。

 さらに続けて聞かせていただきますが、今いろいろ教えていただいた教育課程審議会の答申、これを踏まえて平成十年の十二月に学習指導要領というものがつくられております。その中に、第六学年の社会の目標として、「国家・社会の発展に大きな働きをした先人の業績や優れた文化遺産について興味・関心と理解を深めるようにするとともに、我が国の歴史や伝統を大切にし、国を愛する心情を育てるようにする。」という記述がございます。

 先ほどの局長の、教育課程審議会の答申を踏まえた意味合いでは、私は、正確な記述としては、「国家・社会の発展に大きな働きをした先人の業績や優れた文化遺産について興味・関心と理解を深めるようにするとともに、我が国の歴史や伝統を大切にし、国の発展を願う気持ちを育てるようにする。」というのが正しい言葉遣いであるというふうに思いますが、なぜ国を愛する気持ちを育てるようにするというふうにされたのか。国を愛するの国とは何か、愛する心情とは何か、どういう心根をいうのか、お答えをいただきたいというふうに思います。

近藤政府参考人 ここで言う国とは、日本の国土や国民などの全体を指すものと考えておるわけでございますし、「国を愛する心情」とは、我が国の国土、歴史、文化や伝統等を大切に思い、発展を願う気持ちであると考えております。

 我が国の歴史や伝統、文化を大切にし、国を愛する心情を育てることは、ほかの国の人々が我が国と同様にその国の歴史や伝統、文化を大切にし、国を愛する心情を持っているということを理解し、それを尊重することができるという、将来子供たちが国際社会の中で生きていくために必要とされる基礎的、基本的な資質や能力である、このように私どもとしては考えておるところでございます。

川内委員 国のところの言葉が一つはっきりしなかったので、国とは何かということについて、もう一度御答弁をいただきたいというふうに思います。

近藤政府参考人 国とは、日本の国土や国民などの全体を指すもの、そういうふうに考えております。

川内委員 日本の国土や国民など全体を指すものと。全体というものの中に統治機構も含まれますか。

近藤政府参考人 教育基本法の議論の際に、国の中に国土、国民、統治機構も含めて議論がなされているということを私も承知しておりますが、国を愛する心とは、その時々の特定の政権でありますとか統治機構を愛する、そういうことではなく、みずからの国の国土や国民、伝統、文化などの全体について、これらを愛し大切に思い、その発展を願う心を指す、こういうふうに私としては理解をいたしております。

川内委員 子供たちを教育する、その取りまとめの大もとの人が、そんなわかりにくいことを言ってはだめですよ。これは小学校六年生の社会ですよ。小学校六年の子供たちが今の局長の答弁を聞いてわかりますかね。統治機構を含むのか、含まないのかということについて答えてください。

原田副大臣 当然に統治機構を含みます。

 今までの川内議員とのやりとりを聞かせていただいて、私なりのお話をさせていただきたいと思いますが……(川内委員「いや、もういいです。そんなこと聞いていないですよ。副大臣の解釈なんか聞いていないんです。時間がないんだからいいよ」と呼ぶ)いや、それは大事なことなんだ、大事なことだから。いいですか。

 あなたはまず、国土さらには地域社会の歴史、伝統等を、理解と愛情と願い、こういう三つの概念で分けてきました。私は……(川内委員「分けたのはそっちですよ、何を言っているんですか」と呼ぶ)そうじゃないんですよ、いいですか、よく聞いてくださいよ。

 この文章の中には愛情という言葉が何回か出てきます。私は、愛情というのは、その国土、国を含めてそれをしっかりと理解をする、その上で愛情を持つ、そういう心情を持つということであって、このことは決して強制できないわけであります。しかし、理解は、これは客観的なものを理解するんですから。ですから、理解は客観的な話であるけれども、愛情は、私たちの教育を通じてしっかりそういう心情を育てなければならない。

 しかし、その上で積極的にそれを願う、ないしは働きかけるというのはまた別の話でありますから、あなたは、この教育課程審議会の答申が文章として間違いだというような表現を、もし私が聞き間違いでなければそういう表現をされましたけれども、私は、そこはしっかりとそういうことを踏まえた表現になっておるのではないか、こう思うわけであります。

川内委員 全然私が聞いていないことにお答えになられていますけれども、では、今の副大臣のお話をまず確認させていただきます。

 「国を愛する心情」の国の中に統治機構が当然に含まれるということをおっしゃいました。これは確認しておきます。指導要領の文言の中に、「国を愛する」の国には統治機構が含まれるということを明確におっしゃった。これはひとつ確認しておきます。

 さらに、理解と愛情と願いというのは、願いという言葉を使われたのは、私は全部自分の解釈を言っていないですからね。私は解釈を一言も言っていないですよ。局長が言われた解釈で、そういう解釈をするんですということであれば、そういうふうに素直に書かれた方がいいんじゃないですかということを御指摘を申し上げただけだ。だから、副大臣が、私が言っていることは違うと言うのは、局長が言っていることとは違うと言っているのと同じことですよ。

 もういいです。議論にならないことを議論してもしようがない。だから、言葉の共通理解が大事だということを私はさっきから言っているんですよ。そうでしょう。

原田副大臣 愛情は、そういうことで、心情、心理的な状況を言うわけであります。

 先ほどの統治機構については、これは国の中にはしっかりここは含まれている、こういうことを申し上げたところであります。

 それから、私が、願いを当然に含むものかどうかにつきましては、これは愛情が進めば、当然そういうことにもなるのではないか、こういうことを申し上げたわけであります。

川内委員 いやいや、何かよくわからなくなりましたけれども、私は、副大臣は、小学校六年の社会の学習指導要領、この中の「国を愛する心情を育てるようにする。」という文言の「国を愛する心情」の中の国という言葉の中に統治機構は含まれますねと聞いたら、含まれると言ったんです。

 今は、抽象的な概念として国の中に統治機構が含まれるとおっしゃったのか、この学習指導要領の中にある「国を愛する心情」という一文の中の国という言葉の中に統治機構が含まれるというふうにおっしゃったのか、どっちですか。

原田副大臣 私が申し上げましたのは、ここで言う国というのは、まず日本の国土や国民などの全体を指すものであります。国を愛する心とは、その時々の特定の政権や統治機能を愛するというようなものではこれはありません。みずからの国の国土や国民、伝統や文化などの全体について、これらを愛し、大切に思い、その発展を願う、これ全体を言うものだと考えております。

川内委員 いや、副大臣、やっぱりちょっと慎重な言いぶりにお変わりになられましたよね。私も、恐らく副大臣と同じ気持ちなんです。

 私は、超右翼ですからね、西郷南洲の墓に毎月、月命日にお参りをし、手を合わせ、お国のために頑張りますと誓う男ですよ。知覧の特攻平和祈念館にもしょっちゅう行って涙をします。今、この国難の時期にしっかりしなきゃいかぬということをいつも思っています。

 しかし、そういう私だからこそ、国を愛する気持ちとか大事にする気持ちとかを子供たちに教えるというときには物すごく慎重にならなければいかぬのだと、過去の歴史を振り返ったときに思うんですよ。

 広辞苑に、「国」という言葉を引くと、国土、国家のことと書いてあるんです。「国家」という欄を引くと、「国家」というところには「一定の領土とその住民を治める排他的な権力組織と統治権とをもつ政治社会。近代以降では通常、領土・人民・主権がその概念の三要素とされる。」というふうに書いてございます。

 だから、国とか国家とかいう言葉を使う場合は、私は慎重であるべきだというふうに思います。実際に、教育課程審議会の議事録を見ると、国を愛する心情とか、あるいは愛するとか愛情とかいう言葉を使うのは慎重であるべきだという意見も結構出ているんですよ。この教育課程審議会の議事録、ずうっと読ませていただきましたけれども。

 だから、そういうことをしっかりと踏まえてお言葉をおつくりになられたらいいんじゃないかと私は御提案を申し上げているわけで、ぜひぜひそのことについての御検討をいただきたいというふうに思うんです。(発言する者あり)いや、もういいです。私は副大臣のことを好きなので。同じ九州ですし。

 私がきょうのこの一般質疑の中で申し上げたいことというのは、言葉の意味とか、少なくとも教育ですから、これは子供たちに教育するわけですから、大人たちが後で、いや、それは、これこれこうでこうでこういう意味なんですと、何か長たらしい解釈をつけて理解をしていただくのではなくて、わかりやすい、すっきりとした、なるほどという文章で、この学習指導要領なりあるいは教育課程審議会の答申なりというものは書かれなければおかしいですよ、副大臣が一回答弁をして、後で役所の人が後ろでごちょごちょしゃべった後、ちょっと答弁を交代させるというような答申とか指導要領ではいけませんと……(原田副大臣「いやいや」と呼ぶ)いや、ここは僕の演説の場ですから、いいです。ということを申し上げさせていただいているんです。

 だから、副大臣、それに対して御意見はあろうかと思いますが、それはまた次の機会に。あと質問がいっぱいあるんです。次の質問に答えてください。

 それで、この学習指導要領、これを受けて、ある一部の学校などでは通知表に国を愛する心とか、あるいはそのものずばり、愛国心という言葉を使っている通知表もあるやに聞いております。それを点数つけるというか評価するというか、五段階で評価しているのか、二重丸、丸、三角で評価しているのかはわかりませんけれども、とにかくそういう通知表も、通知表というのはそれぞれの学校で自由に、独自におつくりになられるということですから、文部科学省の関知するところではないということかもしれませんが、しかし、一連のこういう動きの中でそういう通知表が出てきているということに関して、私は自分の愛国心を人に評価されたくはない、だれよりも私は国を愛しているというふうに思います。しかし、違う人から見れば、あいつの愛国心はねじ曲がった愛国心だ、間違った愛国心だと言われるかもしれない。

 そういう評価が出てきている、通知表にそういうものが出てきているということに関して、どのようにお考えになられているかということをお尋ねさせていただきたいと思います。これは、せっかくですから、副大臣も答弁する気満々ですから、大臣、副大臣、それぞれに御答弁をいただきたいというふうに思います。

原田副大臣 川内議員に誤解をいただいているような気がします。

 私が国の中に統治機構が入るとはっきり言いましたのは、私は、統治機構というのは、狭義、広義あると思うんですね。国というのは、物理的な領土だけじゃありません。私たち一億二千七百万の国民がこの日本に住んでおるわけです。いわゆる狭義の統治機構のみならず、広義の統治機構がなくして私たちはこの日本に安んじて住むわけにいかぬわけであります。そういう意味では、いいですか、それは愛国心と言う人もおろう。ないしは、子供たちに国という基礎的な概念を教え込もう、そのプロセスに置こうと。私たちは領土やら自然があるだけでこの国に住んでいるのではないということを、私は川内議員にしっかり言っておきたい、こういうふうに思っておるところであります。皆さんにもぜひその辺は理解いただきたい、こう思います。

河村国務大臣 参議院の本会議の関係で中座をいたしまして、大変失礼いたしました。お許しをいただきたいと思います。

 今、国を愛する心の問題、特に、学校でどのように教えるか、またそれをどう評価するか。これは、確かにおっしゃるように、子供の思想や信条を評価するということは現実に不可能だと思いますし、またすべきことではない、私もそう思っております。

 ただ、学習指導要領の中にもうたっておりますが、ふるさとを愛し、また日本の伝統とか文化とかそういうものの理解を深めながら、そういうものを深めていく中で自然にそういうものが育っていく、その事象をどういうふうに見ていくかということだろうと思いますね。

 何か来たから日の丸を掲げて迎えなさいと言って、それを掲げておった、掲げてなかったというような単なるそういうことじゃなくて、自分で、教育方針といいますか、そういう形で、できるだけふるさとのこととかいろいろなことを勉強する、そういうことに対する理解を深めようとしている、努力をしているかとか、私はそういうもので見ていくことだろうと思いますね。

 ふるさとの大事な遺産、文化遺産なんかに一緒に連れていく。そういうものに対して関心度はどうか。低ければやっぱりそういうものをもっと、こういうふうな大事なものだとか、先祖が大事にしてきたものだとか、そういうことで高めてあげるとか、そういうようなことの中で評価が行われるべきだろう、こう思っております。

 歴史的な人物に対する、あるいは郷土の偉人に対する評価とか考え方とか、いろいろあろうと思いますね。そういうものを評価していけばいい、私はそう思っておりますので、学習指導要領の趣旨を踏まえて、そうした適切な国を愛する心をはぐくむ教育がなされるように、こういう思いで努めてまいりたい。指導という言葉はあれかもしれませんが、そういうことが適切に行われるように文部科学省としても努めてまいりたい、このように考えます。

川内委員 私の持ち時間はもう終わりでございますが、副大臣、私が先ほどこの広辞苑を読み上げましたように、国という言葉の概念の中には統治機構は当然に含まれるわけですよ。国の意味として、排他的な政治権力というふうに広辞苑には出ているわけですから。だから、「国を愛する心情」という場合に、その国という言葉の中には当然統治機構は含まれるわけで、そういう言葉を使うのは、統治機構の側にいる方が使うのは私は注意をされた方がいいですということを申し上げている。

 河村大臣が今御答弁の中で図らずもおっしゃられた、国を理解すると。国を理解するというのは私も大賛成です。統治機構を理解する、その理解した結果としてそれぞれの人がどのような思想、心情を持つかということに関しては、その自由を担保しなければならない。それが私は民主主義であり自由だ、真の自由だということを申し上げさせていただいて、私の質疑を終了させていただきたいというふうに思います。終わります。

池坊委員長 質疑者は挙手をして質問をしていただきたいと思います。

 須藤浩君。

須藤委員 民主党の須藤浩でございます。

 先般の義務教育の国庫負担補助の議案質疑をさせていただきましたが、今回は一般質疑ということで、二回目の質問をさせていただきたいと思います。

 文科省の所管の中で、先ほど来からもいろいろ出ておりますように、将来の日本を背負って立つ青少年あるいは子供たちをいかに育てていくかということに関してはだれもが心を砕きながら、しかしながら、なかなか難しいこともあり、今日の社会ではさまざまな事件や、そういったものが起こることを私たちは目にして心を痛めることもありますけれども、やはりこれからの日本というものをしっかり背負っていただく子供たちの育成には、私たち大人がよほどの覚悟を持ち、そして、そういう環境をしっかりとつくっていくことがまず大事だというふうに私は思います。

 平成十六年度の、本年度の新しい事業の中に、子供の居場所づくりということで新しい事業が、予算七十億ですかを盛ってありますけれども、きょうはこの問題について、さまざまな角度から、私自身もこの事業の中身をいろいろな文書で読んでみるんですが、いま一つどうもはっきりしないところがありますので、この辺を質問させていただきたいと思います。

 まず最初に、この子供の居場所づくりということを新しいプランとして策定をした経緯からお伺いしたいと思います。

    〔委員長退席、斉藤(鉄)委員長代理着席〕

銭谷政府参考人 御説明をさせていただきます。

 子どもの居場所づくり新プランは、平成十六年度から文部科学省の新規事業として実施をすることといたしております。

 直接的なこのプランを策定した経緯でございますけれども、昨年の夏に少年がかかわる大変痛ましい事件が頻発をいたしました。全国の保護者の方や教育関係者に大変大きな衝撃と不安を与えたわけでございます。こういう事件に限りませんが、最近の子供たちをめぐる状況というものを考えたときに、一般論として申し上げれば、都市化や核家族化、少子化の進展などを背景にいたしまして、家庭でのしつけ、あるいは異年齢の子供同士、大人と子供の交流の機会が減っているのではないか、さらには子供たち自身のさまざまな体験活動の機会も減っているのではないか、こういったことが言われているわけでございます。せんじ詰めれば、家庭や地域の教育力、これをどうしても我々は考えていかなければいけないということがございました。

 こうした課題に対応して、次代を担う子供たちを社会全体ではぐくむ、そういう運動を起こそうではないかということで、一つの具体的な提案として、地域の大人の方々の力を結集して子供たちがスポーツや文化活動などに親しむ機会、あるいは異年齢の交流の機会、大人の方との交流の機会、さまざまな体験活動ができる機会、さらには子供たち自身が遊びを楽しんだりできる、そういう機会をつくっていこうということで、子どもの居場所づくり新プランというものを策定したわけでございます。

 具体的には、この子ども居場所づくり新プランの中核事業といたしまして、地域子ども教室推進事業というものを新たに実施することといたしまして、全国で学校の校庭や余裕教室などを活用していただきまして、子供たちが安全、安心に活動できる拠点を設けまして、そこに地域の大人の方々が指導員、安全管理員として御協力をいただきまして、多様な活動ができる環境を整備していこう、こういうことでこのプランを策定した次第でございます。

    〔斉藤(鉄)委員長代理退席、委員長着席〕

池坊委員長 委員の数が足りませんので、このまま委員会は継続したいとは思いますが、理事の方はほかの委員の出席を要請していただきたいと思います。

須藤委員 今御説明いただきましたけれども、従来、この種の子供の育成、育成の事業というものは行われていたと思うんですが、その従来の事業と今回新たな居場所づくりという事業との、何といいましょうか、つながりというか整合性というか関係というのはどのようなものでしょうか。

銭谷政府参考人 私ども、この子どもの居場所づくり新プランを計画し、実行に移すに当たりまして、ただいま先生からお話がございました全国の状況というものについても調べさせていただきました。全国各地で、放課後あるいは休日に、地域の方たちが自発的にいろいろ子供のための活動の機会を提供しているという事例がございました。私ども、そういう事例を十分に参考にさせていただきながらこの事業を始めよう、こういうふうに思ったわけでございます。

 この事業自体は、文部科学省の方から、各地で実行していただく方々に委託事業という形でお願いをするわけでございますけれども、先行事例も含めまして、全国で、ぜひやってみたいという地域にこの事業を委託していきたいというふうに思っております。

須藤委員 例えば、各地域で、大人が子供たちを集めて、特にそれは地域の子供会とかそういうことでなくても、いわゆる青少年、子供たちが非行に走らないようにというようなことも含めて、スポーツを教えたり、遊びもあるんでしょうね、そういった一緒に遊んだりとかということは、各地で行われていると思うんですね。

 そのこと自体は、総じて言えば、恐らく地域の教育力とまでは言わなくても、地域で人材、子供たちを育てていく環境をみんなが一生懸命考えているんだというあかしといいますか、実態だと私は思うんですが、先ほど説明の中に、青少年が事件に巻き込まれて、あるいは非行を誘発するような社会環境がある、そういったところから子供たちを守るためにというような経緯を話されましたけれども、今回のこの子供の居場所づくりというのは、それだけが新しい事業としてつくる動機というか、考えのもとになっているんでしょうか。

銭谷政府参考人 先ほども御説明をさせていただいたわけでございますけれども、この事業の直接的な一つの契機としては、昨年夏の子供たちをめぐる大変痛ましい事件があったというのは事実でございます。

 ただ、先ほど申し上げましたように、そのことも含めて、最近の子供の状況を考えたときに、子供たちにもっともっと遊び場を提供したり、体験活動の機会を提供したりするということが必要ではないかということが、かねてあったわけでございます。また一方では、これも先ほど申し上げたことと同じくなって恐縮でございますけれども、各地域で、大人の方々がさまざまな活動によって子供たちとかかわりを持ち出しているという動きもあるわけでございます。

 そこで、私ども思いましたのは、そういう子供たちを取り巻く状況と大人の方々の動きというものを全国的な一つのムーブメントにしたいということで、そのことはまた、地域のコミュニティーの再生ということにもつながるのではないかということで、広く各種の団体あるいは教育委員会等に呼びかけをいたしまして、それぞれの地域地域で、地域に合ったやり方で、こういう放課後や休日を活用した子供たちの活動拠点づくりというものをぜひやってもらおうということで、この事業を考えたわけでございます。

須藤委員 そうしますと、全国の各地でこういった趣旨といいますか実態、既にもうやっているところといいますか、そういったものの事例というのはどの程度あるんでしょうか。

銭谷政府参考人 全国すべて悉皆で調査をしたわけではございませんけれども、私どもが把握している中で代表的なものを幾つかお話をさせていただきたいと存じます。

 例えば、横浜市では、はまっ子ふれあいスクールという形で、すべての希望する子供たちを対象にこのような事業を行っております。同様に、名古屋市ではトワイライトスクール、大阪市では児童いきいき放課後事業という名称で事業を行っております。また、都内では、例えば品川区ですまいるスクール、世田谷区でのびのび世田谷新BOPという名前の、希望する子供たちを対象にしたこういう遊び場、活動拠点、居場所づくりの活動を行っております。

 また、私も実際お伺いをして拝見させていただいたわけでございますが、東京都の葛飾区では、最近になりまして、わくわくチャレンジ広場ということで、関係者皆さんお集まりになって実行委員会をつくって、こういう事業を始めております。

 なお、このほか若干、市町村名だけになりますけれども、岩手県の水沢市、東京の江戸川区、板橋区、武蔵野市、新潟県の新潟市とか、長野県の茅野市、兵庫県の尼崎市等々でこういった事業を実施いたしております。

須藤委員 実は、私自身も、この平成十六年度の事業、こういった資料を見させていただいて率直に感じたことは、いいことなんだろうと思いつつも、どうもいま一つ方法論であるとかコンセプトができ上がっていないのかなと。何かごった煮のような感じで、一つ一つ見ていくと、既にさまざまな組織が現にある。それを一つのところに集めて機能させる、機能するようにこれからつくっていくんだというようなことを考えるんですけれども、この辺はどうなんでしょうかね。

 先ほどのいろいろ説明されている話を聞いていますと、多分、国民運動というようなものぐらいに持っていって、それで、今出ているさまざまな諸課題、問題に対応していこうということなんでしょうけれども、それにしてはちょっとまだイメージといいますか、具体的な中身といいますか、そういったものがはっきりしていないのではないかというように感じられてしようがないのですけれども、もう少しその辺は説明をいただけますでしょうか。

河村国務大臣 須藤委員御指摘のように、私も、このアイデアを全国的にどういうふうに広めていったらいいかということ、せっかくのこうした機運が各地区にあるわけですね。子供たちのためにボランティアでもいいから役に立ちたいと思われる方もたくさんいらっしゃる。そういう方々を少しネットワーク化するといいますか、市町村レベルはどう対応するのか、あるいは都道府県レベルではどういう対応をしたらいいのか、国はどうしたらいいかということを少し考えていこうということで、特に市町村レベルでは、社会教育団体、現場ですから、NPOとか、退職の先生方やら、高齢者の皆さんとか、そういう方がたくさんいらっしゃる。あるいは、近くに大学があれば、その大学生がそういう子供たちと触れ合う機会を求めているとか、あるいはスポーツクラブの指導員とか、そういう方々がいらっしゃいますから、そういう方々で実行委員会をつくっていただいたらどうだろうかと。そして、それぞれの取り組みを、全体をお互いに見ながら、役割分担をしていただきながらやっていただく、そういうことが大事だというふうに考えております。

 それから、都道府県レベルにおいても、それが実際に行われやすくなるようにということで、県全体の運営協議会をつくっていただいて、これが十分、参加していただける方々がそれぞれうまくいっているかどうか、意向が反映されるかどうか、これを弾力的にやっていただける、こういうものをつくっていったらどうだろうか、こう思っております。

 それから、文部科学省におきましても、既に、関係する役所、府省、あるいは子供の体験活動、地域活動に携わっているNPOの全国組織的なものがございます、あるいは社会教育団体がございます、そういうところにこの趣旨の徹底を図るように、子どもの居場所づくり推進連絡会議というものを持ちまして協力をお願いしたところでございます。

 さらに、これはしっかりこういう制度の取り組みを、やはり大人が参加していただくことでありますから、ホームページをつくったりして、先ほど説明もしたかと思いますが、いろいろな著名人にも応援団になってもらって、そういう意味で今須藤先生御指摘あったように、やはり全国的な規模でやる、全国運動に仕上げていく。そういうことで、著名人の方にも応援団になっていただいて、それを公開して、我々は今こういうことを応援していますよということもやろうというようなことで、できるだけ多くの方々に関心を持っていただくし、また、それぞれの地域には地域の取り組みがあるでしょうから、そういうものを大事にしながらやっていただこうということであります。

 いかに幅広く大人の皆さんにかかわっていただいて、この居場所、子供たちがうまくこの中にいて、そしてスポーツや文化、いろいろなところに参加しながら、まさに青少年健全育成運動じゃありませんが、その一環を文部科学省が、何か片棒を担ぐような感じがしないこともありませんが、広くそういうことで、やはり地域全体の教育力も高めながら、教育的見地からこれを進めてまいろう、こういうことであります。

須藤委員 今大臣の御説明の中に、各市町村あるいは教育委員会の方に文書を流したということですが、その反応というのは出ていますでしょうか。

銭谷政府参考人 私ども、昨年の夏に概算要求をいたしましてから、この事業の趣旨をできるだけ多くの方々に知っていただきたいということで、都道府県や市町村の教育委員会に御説明をしたり、それから全国的なNPOの方々とか社会教育関係の団体の方に随分説明をし、御理解を得るように努力をしてまいりました。

 先ほど大臣からもお答え申し上げましたけれども、そういう代表の方々にお集まりをいただきまして、先般、子どもの居場所づくり推進連絡会議というのを開催させていただきましたところ、御案内をしたほとんどの団体の方、あるいは教育委員会の方にお集まりをいただきました。私どもの方から再度御説明を申し上げたところ、大変積極的な反応が返ってまいりました。

 現在、文部科学省の方で各都道府県の教育委員会を通じまして、この子どもの居場所づくり新プランの中の地域子ども教室推進事業に参加をしたい、あるいはこういう事業をやってみたい、そういう市町村あるいは学校がどのぐらいあるのかという意向の調査もいたしておりますけれども、既にやってみたいという四千近い数が出てきております。私どもとしては、これまでそういうボランティアの方々の大変な御努力ということもあったと思いますけれども、全国的に、こういう子供たちのために地域の大人の方たちがさまざまな形で、指導員になったり安全管理員になったり、あるいはそれらを実行する実行委員会のメンバーになったりしたい、そういう機運は大変盛り上がってきているのではないかというふうに思っております。

須藤委員 今の御説明ですと大変喜ばしいことだと思うのですけれども、国民運動というとらえ方ですよね。

 私も青少年育成活動をもう二十年ぐらいやっているのですけれども、まさに仕事ではなくてボランティアで、そういう意気込みのある人が集まってやるわけですね。そこで別に何かを得ようだとか得をするからというような、そういう感覚よりも、することによって喜びが生まれるとか相手に喜んでいただけるとか、そういう思いでボランティアというのは広がっていく。ですから、思いもよらない大きな力を生むことが結構あるのですけれども、こういった事業を展開するときに、私は少し心配するのは、例えば文科省が都道府県の教育委員会へ、そしてそこから市町村の教育委員会へ、そして地域に集まっている青少年相談員や民生委員やNPOやさまざまな社会教育団体やというような流れの中で物事が進められていくと、それは皆さんそれぞれの立場がありますから、集まれと言えば多分集まるんでしょう。

 ただ、そうしたときに、本当にそういう意欲あるいは考え方、気持ちを持って継続をされるのかなというと、これはなかなか難しいな。特に、異動がつきものの公務員の世界であるとか、あるいは諸団体の長、そういったところというのは時間とともに変化していってしまう。結局、形はあるけれども魂がなかなか入らないで動かないというのがえてしてある状況だと思うのですけれども、今回のこの事業に関しましては、その辺についてはどうお考えでしょうか。

銭谷政府参考人 私どもも、ただいま先生が御指摘になった懸念というものを持っております。

 私がお伺いをいたしました、先ほど申し上げた葛飾区の例でございますけれども、いろいろお話を伺っておりますと、皆で実行委員会をつくったわけでございます。その実行委員会をつくって何遍も話し合いを重ねた。教育委員会がコーディネートをしながら、地域の自治会の方、PTAの方、あるいは社会教育、青少年スポーツ団体の関係者の方、NPOの関係者の方、退職した校長先生あるいは教員、大学生の方、こういった人たちが集まって実行委員会をつくったわけでございますけれども、きちんと実行委員会の間で十分話し合いをして、準備期間をかけて、それで実際の各学校の空き教室や体育館、校庭を使った放課後の事業を始めたということでございました。

 事業を始めてみますと、例えば、大学生の方がボランティアで子供たちの指導、あるいは子供たちの活動を見守っているわけでございますが、大学生の方がまた友達を集めて輪が広がって、現在は指導が行われているということでございました。

 やはりこの事業というのは、地域の方々のそういう気持ちあるいは行動というものがぜひとも必要なわけでございますので、国から県、県から市町村、そういう押しつけというやり方ではなくて、それぞれの地域が本当にその気になっていただく、あるいは、地域でいろいろ活動していらっしゃる方々が集まって一つの事業をやるということが十分できるように、事業を進めるに当たって私ども配慮していかなければいけないことだと思っております。

 ただ、先ほど申し上げましたように、各地域でそういう動きが今出てきているわけでございますので、私ども行政の立場としては、そういう活動を支援したり、あるいは、大臣からお答え申し上げましたように、そういうネットワークの形成のための情報提供とか、そういうことはしっかりやっていきたいというふうに思っております。

須藤委員 大臣に一つお伺いしたいのですが、この手のものは、特に私は人だと思うのですね。

 結局、現場でどういう人がどの程度の熱意を持ってやるかにまさにかかっている。行政がここに立ち入っていくというのであれば、それは、金は出すけれども文句は言わない、環境整備をしっかりつくっていくからどんどん活動を広げてくださいというような確信を持って、そして、大臣であれば肝いりでこれをやっていくぐらいの力強さがないと、恐らく時間とともに、形は残ったけれども中身が空洞化してしまうということになりかねないですね。

 私のところにも、実は、この居場所づくりの新プランについて、青少年相談員や民生委員をやっているんですけれども、一体何をやるんですか、また変なものを押しつけられるんじゃないですかというような相談といいますか、話が既にあるわけですね。結局、具体的なイメージといいますか、やはり国から何かがおりてくるのかな、そういう感覚がするんですね。ですから、その意味では、かなり最初のスタートのところで、上から下への、あるいは行政主導のというようなことを消すといいますか、ないような形でスタートするのが私は望ましいと思いますけれども、大臣、いかがでしょうか。

河村国務大臣 私も全く同感であります。

 これはやはりこの居場所づくりが必要だ、ああいう事件も起きたし。そして、地方の声を聞いてみても、もっと大人がそういうことに参加をしてやる必要があるし、またそういう意欲を持った方々もいらっしゃる。それをどういうふうにうまく我々としては方々が参加しやすいようにできるだろうか。ボランティアが集まったって、全然交通費も出ない、またちょっとしたところを借りようといったってお金もないという状況ではだめだろうから、やはり少し何かそういうこともできるようなことを、十分ではないにしても、国がそういうことを考えることによってやりやすくなるんではないかという思いで今回予算要求もしたわけでございます。

 そして、これはおっしゃるとおりで、やはり全体的には地域の盛り上がりといいますか、それぞれやる気のある方々が集まっていただいて盛り上がってこないと、これはうまくいきません。先ほど局長も答弁申し上げておりましたが、やはりそのことに十分思いをしませんと、上からやれやれと、これはそういうものの性格ではないだろうと私も思っております。地域のNPOの皆さん、あるいはPTAの皆さんとか、あるいは町内会とか、いろいろな組織が全国にあるわけであります。その中で、まさに居場所づくりにふさわしい方々が集っていただく。そういう意味で、方針といいますか、出ましたから、まず何といってもこの趣旨を十分御理解いただくことが大事だろうなと思います。

 そういう意味で、応援団をつくり、著名な方々もやっている、そしておっしゃったように肝入りでやる。私もそれは先頭に立って、そういうことについてはしっかりやろうと呼びかけさせていただく。そういうことによって、皆さんがまさにその気になっていただくことが大事だろうというふうに思います。

 当然、地方の行政の皆さん方も、やはりこの問題について御理解いただいて、側面から、指図するとかなんとかでなくて、温かい目で支援をしていただく、そういうことが大事だろうな、こう思っております。そういう意味を込めて、地方の教育委員会等々に対しても私どもの方からもそういう思いでお願いをし、これがうまくいくように、我々もそういう思いで取り組むから、それぞれの教育委員会もそういう思いで取り組んでもらいたいということを徹底いたしたい、こういうふうに思います。

須藤委員 では、少し技術的な問題なのかもしれませんけれども、実際にこの事業を進めていったときに、おおむね学校の校庭あるいは施設、公民館等も予定されているんでしょうけれども、学校の校庭ということがかなり多くなるんじゃないかなと思うんです。

 例えば、小学校で学童保育をしているところでは、施設が存在するところもあって、だれでもいいから都合のいいときに来て集まってやってくださいよというような何かコンセプトのようなんですけれども、実際に進めていくと、だれでもいいからどうぞ来てくださいと言っても、だれも来ないかもしれないし、そのときに指導者、そういった人たちがだれもいないところでぽつんと待っているのか、実際にやるとなったときには、準備というか考えることがかなりたくさんあると思うんです。例えば、小学校の体育館の学校開放、現在、施設を開放していますね。そういった問題であるとか、今の学童保育の問題であるとかいったことは今どういうように考えられているんでしょうか。

銭谷政府参考人 この地域子ども教室推進事業を実際に行う場合には、やはり指導員の方、それから安全管理の方、こういう方はきちんといつもいるという状態が必要だと思っております。

 私ども、予算的にも、そういう指導員の方を配置する経費あるいは安全管理員を配置する経費というのはわずかではありますけれども積算をいたして、やはり複数以上の大人の目で子供たちを見守る、あるいは、それぞれの方の特技といいましょうか、経験を生かして子供たちにいろいろな指導ができるという体制をつくる必要があると思っております。

 実際これまでやっておられる地域では、実行委員会が中心となりまして当番表をつくったりして、必ず大人の目が子供たちに行き届くように留意をしております。

 それから、学童保育の関係でございますけれども、現在行われている学童保育については、学校の校舎の空き教室などを使っている例も多いわけでございます。これも、これまでの先行事例を見ますと、学童保育は一年生から三年生までで、昼に保護者の方が家にいらっしゃらないといったような子供が中心でございますけれども、今回の事業は、例えば小学校の場合でいいますと、一年生から六年生まですべての学年を対象に、希望すればすべての子供が参加できるというものでございますので、学童保育と一緒にやったり、あるいは学童保育が学校以外の場で行われている場合には学校で独自に行ったり、やり方はそれぞれの地域地域でよく相談をしながらやっていただいているというふうに承知をいたしております。

 文部科学省も、厚生労働省とその点はお互いによく連携協力しながらやりましょうということで話し合いをいたしているところでございます。

 また、学校開放等につきましても、これは施設の管理という点から、日程調整、場所の調整等々はそれぞれの実施場所で的確にやはりやってもらう必要があると思っておりますので、その点も私ども、一律にこうだということではなくて、それぞれの実情に合わせたやり方で結構ではないかというふうに思っているところでございます。

須藤委員 時間が来ましたので、あと一点だけ少しお話しさせていただきたいんです。

 今の御説明の中で、学童保育であるとか学校開放で施設を使うとか、そういったところではかなり実情に即した対応をすることが必要だろうなというふうに思います。

 私もいろいろなところでそういうお話を伺ってみると、結構、学校の施設開放、何か地域のボスがいて、このチームには貸してあげるけれどもこっちには貸さないだとか、そういう実態もあるようで、意外と現場というのは非常に複雑に絡み合っている。それが下手をすると、学校の教頭先生あたりとぐるになって悪さをしているとか、そういう事例もあったりして、結構、学校の先生たちの考え方、あるいはこの事業に参加する姿勢であるとか、そういったところも重要なポイントになると私は見ているんですけれども、さまざまな問題といいますかハードルが結構ありそうなので、その意味では十分用意周到な準備をして、そして国民運動としての位置づけといいますか、子供を守り育てるというような形で推進していただけるようにお願いをいたしまして、これで質問を終わりにします。

池坊委員長 石井郁子君。

石井(郁)委員 日本共産党の石井郁子でございます。

 あす四月一日から国立大学は国立大学法人に移行いたします。きょうは、この問題にかかわって質問をいたします。

 法人には理事、監事が置かれ、教育研究評議会とともに経営協議会が設置されるわけですね。これまで幾つかの大学法人では、理事、監事、経営協議会メンバーが内定し、公表もされております。

 そこで、文部科学省のつかんでいる理事、監事及び経営協議会のうちで文部官僚出身者はどれだけいますか。

遠藤政府参考人 まず、理事でございますけれども、国立大学の理事は、法人の経営戦略を確立し、責任ある大学運営を行うために置かれたものでございまして、学長みずからの人事戦略に基づいて幅広い分野から学長が任命する、こうされているわけでございます。

 理事は学長が任命するものでございますから、文部科学省としては、現段階では公表されていないものもあるため全体は把握をしておりませんけれども、四月以降に理事が任命された後、文部科学大臣に届け出がなされるとともに、公表されるということになるというふうに理解をしております。

 三月十九日までに、三十五大学で公表してございますけれども、この中で、現事務局長あるいは副学長などの文部科学省の関係者は、理事百八十五人中二十六名、こう理解をしてございます。

 それから、監事でございますけれども、法人の業務の適正な執行を担保するために運営状況の監査を行うという職務の性格を踏まえまして、文部科学大臣が任命するとされているわけでございます。

 これも、三月十九日付で国立大学法人の監事となるべき者の指名をしたわけでございますけれども、任命に当たりましては、大学の意向を反映するよう配慮をすべし、こういう参議院の文教科学委員会附帯決議もございまして、そのような配慮をして、企業関係者、公認会計士、弁護士、大学関係者等、幅広い分野から適切な人を選任させていただいたということでございます。

 この中で、文部科学省のOBでございますけれども、百七十八名中一人でございます。これは大学事務局長経験者でございますけれども、一人を指名しているということでございます。

 それから、経営協議会の委員でございますけれども、これは、国立大学法人におきまして、経営面での裁量の拡大を生かしながら適切な運営を確保するということが求められているということで、この構成員は、学外者を半数以上、こういうことになっておるわけでございます。

 この経営協議会の学外委員の任命でございますけれども、法人化された後に、教育研究評議会の意見を聞いて学長が任命する、こういうものでございます。

 私ども、現段階では公表されていないものもございますので、全体は把握していない状況でございますけれども、三月十九日までに、こういう予定であるということで公表している二十五大学の状況でございますけれども、学外委員全体が二百八人いる中で、文部科学省のOBが就任する予定の大学は十三大学、その中で実人員にして九名、こうなっておる次第でございます。

石井(郁)委員 理事には既に三十五大学で二十六名、そのほか、経営協議会にも今お話しのような人数で文科省はつかんでいらっしゃると。ですから、もう天下りということが明らかになりつつあるわけですね。

 私は、そういう天下り問題も本当に看過できないわけですけれども、きょう問題にしたいのは、やはり経営協議会の学外委員予定者のうちの文科省関係者のことでございます。

 それで、次に、東北大学の経営協議会の学外委員のうち、文科省の出身官僚はどなたですか。

遠藤政府参考人 私ども、今承知しておりますところ、一人おりまして、前文部科学大臣というふうに聞いております。

石井(郁)委員 前文部科学大臣は、もうおわかりのように、この法律制定にかかわった大臣でございます。

 それでは、東京工業大学及び岡山大学の経営協議会学外委員のうちの文部省出身官僚はどなたでいらっしゃいますか。

遠藤政府参考人 岡山大学でございますけれども、前文部科学事務次官、東京工業大学につきましては、前文部科学審議官というふうに理解しております。

石井(郁)委員 名前はおっしゃらなかったんですけれども、東京工大は工藤智規氏ですよね、高等教育局長、そして文部科学審議官。この方も法律制定に大きな役割を担った方です。それから、小野元之氏は前事務次官、これは岡山大学に行かれる予定となっているということです。

 そこで、私、きょう資料を用意いたしましたので、お配りをお願いしたいと思います。配付してください。

 それで、今少し名前を挙げましたけれども、この資料を見ますと、元高等教育局長とか事務次官経験者がずらり挙がっています。井内慶次郎氏、井上孝美氏、佐野文一郎氏など、名うての文部事務次官でいらっしゃるわけですね。これは私が調査したものですけれども、ここでは二十三大学に上って、まあ兼ねていらっしゃる方もあるわけですけれども、このようになっています。

 これでは、本当に、大学法人に対して文部科学省が監視役となっている、あるいは、文部科学省との太いパイプ役を置くようなものではないのかということなんですね。私は、これは文部省主導の大学づくりの典型をつくろうとしているのではないかと言わざるを得ないわけであります。

 法人化に当たっては、官からの独立あるいは自立ということを盛んに言われました。しかし、こうして見ますと、こんな形で文部省出身の官僚がいらっしゃる、配置されるということになりますと、大学の自主性、自律性というのは本当に確保されるのだろうかという問題なんですね。

 私はこのような任用はやめるべきだと思いますが、大臣のお考えはいかがでございますか。

河村国務大臣 国立大学法人化に当たりまして、先ほど局長の方から説明申し上げましたように、附帯決議もあって、今石井委員御指摘のような点を配慮しなければいかぬ。しかし一方では、大学側の意向というものも十分踏まえなければいかぬ。そして、特に政府等からの役員の選任については、その必要性を十分勘案して、大学の自主性、自律性を阻害すると批判されることのないように、節度を持って対応しろ、こういうことでございました。

 こういう点から考えますと、国立大学法人の理事については、法人経営を担う非常に重要な役割を果たしていくということですから、学長が、みずからの人事戦略といいますか、そういうものをきちんと果たしていただいて任命をされていくべきものだろう、こう思っておりますし、事務局長等の文部科学省出身者を選任した場合でも、学長はこれらの附帯決議の趣旨も踏まえながら、みずからの判断でやっていただくということでございます。

 今の経営協議会の委員の問題でございます。これは、法人化後に教育研究評議会の意見を聞いて学長がみずから判断をしていただくという法の建前になっておりまして、これなんかも、まさに適材を任命しなければならぬ。これは大学にとっては大きな課題でありますから、そして附帯決議の意向も踏まえるということで、選任をいただくということになっております。

 今、一、二の具体的な方の名前もありました。これは各大学で経営協議会を運営する段階においてどのように判断されるかということであろうと思いますが、これも経営協議会の場合には、やはり大学によって大体十名から十五名の方々でございます。その中の一人をそういう方をお選びいただいたということ、これは、いずれもこの法人化の意義といいますか、また附帯決議のあり方、そういうものを十分承知の上でお受けになったわけでございまして、まさにその点については、節度を持って対応していただける、こう思っております。

 例えば、岡山大学に前小野次官が行かれたのでありますが、あの小野次官が岡山の御出身であるということ等もあって、恐らく岡山大学としては、地域の大学としてこれからやっていく、そして全体の意見も聞きたいという思いがあったのかなと、これは私が個人的に推察するわけでございます。そういう意味では、いわゆる協議会でありますから、世間でよく言われるような天下り的なものとはまた意味が違うのではないか、こう私は思っております。

 そういう点について、大学側がやはりこの点を十分お考えいただいてお選びいただいたことについて、この附帯決議があるということ、これを十分承知の上でお選びをいただくということであろう、このように理解をいたしております。

 特に監事については、これは大臣の指名でございますから、大臣の任命でございますから、この点についても、附帯決議で、意向を十分反映するようにということでございました。これについては、文部科学省出身者は一人もいないということであります。

 この点も、一人、事務局長経験者がおられることはおられるのでありますが、そういう点では、この任命、特に監事でありますから、これは数が二名ですか、非常に数が限定されております、影響力も大きいわけでありますから、そういう点は十分配慮されたものだ、私はそう思っておりまして、今御指摘をいただきました点は、まさに節度を持って対応していただく、この趣旨を生かしてこれからの運営協議に当たってもらいたい、こういうふうに思っております。

石井(郁)委員 いろいろお述べになりましたけれども、大臣が触れた附帯決議、この附帯決議は、「政府や他法人からの役員の選任については、」「大学の自主性・自律性を阻害すると批判されることのないよう、節度を持って対応すること。」とあるわけですね。私は、今わかっただけでも、この二十三大学にこれほど元事務次官とか元文科関係者がいらっしゃるという問題なんですね。これは一体節度があるというふうに判断されるでしょうか。

 大臣は、大学関係者が節度を持って対応すると期待するのか、節度を持って対応するだろうとお述べになりましたけれども、附帯決議というのは、これは政府も配慮すべきことじゃありませんか。政府がこういう配慮をするということが附帯決議ですよ。だから私は、大臣に伺っている、文科省に伺っているわけですよ。こんなことがあっていいのか、こういうことが容認されるのか、その判断をお聞きしているわけです。いかがですか。

河村国務大臣 附帯決議の中には、やはり大学の意向も十分尊重しなければいかぬということでありますから、文部科学省の方から、こちらにしろ、あちらにしろと言えるものでもないわけでありまして、そこは大学側もいろいろお考えいただいて、特にスタート時点でありますから、いろいろな識見、いろいろなことも欲しい、こう思われるんじゃないかと思います。そして、やはり適材適所をお選びになっているなと思うこともございまして、例えば、一人の人が幾つかお受けになるような方もある。やはりその人の知見も欲しい。

 しかし、これは、経営協議会あたりは、さっき申し上げましたように、十人から十五人の中のお一人でありますから、監事のようにかなり大きな影響力を持つとか、そういうものと違いますので、大学側もそこのところはいろいろお考えをいただいたのではないだろうか、私はこう思っておりまして、我々としては、おっしゃるように、どんどん天下りがおりていって自主性を阻害するとか、そういうことにはならないと私は思います。文部科学省関係者が過半数を占めてというようなことでも起きれば、それは言われるかもしれませんが、そういうものではないのではないかと思っております。

石井(郁)委員 ちょっと読み上げたいと思うんですね。「大学に渡す運営費交付金の微妙なさじ加減は役所が握るのではないかとみる人は多い。膨大な天下り先を確保した官僚の独り勝ちとも……。」というのは、一昨日の日経新聞の「春秋」欄でございます。

 法人化の審議のときも、本当にこの問題はいろいろな角度から各委員が、各党からの方々が衆参で議論をいたしました。私は、結果として、やはりこういうことになりつつあるということを大変問題視しているわけです。これは、官と学のまさに一体化あるいは癒着の構造、こういうことにつながっていく、だから大学としてはこれは認められないという問題で、大臣は、大学が判断して、学長からの要請だ、最終的には学長だと盛んにおっしゃるわけですけれども、それはやはり責任逃れですよ、そういう言い方をされるのは。

 大臣、この法案にかかわった大臣が、この法人化で最も厳しくそういうことを律しなければいけないところに、そのポストについていく。文科省として、それはやはりやめておこうと文科省が判断したらいい話じゃないですか。何で大学にそれが求められているから受けたんだというふうになるんですか。私は、文科省の見識が問われている、今そこが問題だというふうに思うんですね。大学に責任を転嫁する必要はないと思うんです。どうですか。

河村国務大臣 石井委員もこの法律をつくるときにいろいろ御意見をいただいたから御存じだと思うのでありますが、この経営協議会のあり方そのものを、文部科学省がどういう人物をどうしろとか言える立場にないことは御承知だと思います。もちろん、そういうことでありますから、経営協議会について、どういうメンバーをどうしましょうというようなことをこちらに相談をされるわけでもない。これは大学の自主性によっていただかなければなりません。

 しかし、社会通念からして、さっきはちょっと極端な例を申し上げましたが、これは文部科学省の関係者だけが協議会にいるとかなんとか、こういう状況になれば、それは問題視せざるを得ないと思いますけれども、それは大学側が、自分のそれぞれの大学の活性化、発展を考えながら経営協議会というものをおつくりになっていくわけでありますから、こちらにそのことについて御相談があって、それをいいとか悪いとか、こういうことをむしろやることがそれは問題になるのであって、我々はそういう立場にありませんので、そういう意味での大学側の判断というもの、これを尊重する、そういうふうに申し上げたわけであります。

石井(郁)委員 私は、そういう要請があったかもしれないけれども、その場合には断ると。断るのが筋ではないのかという意味で申し上げているんですよ。それはあなた方の判断でできるわけでしょう。あなた方というか、それこそ断らなかったのは前の肩書の方でいらっしゃって、今の河村大臣ではありませんけれども、私はそういう文科省の、もう大臣をおりたりあるいは役職をおりたらどんどんとそういうところにやはり天下っていく、それが今問題じゃありませんかということで申し上げているんです。明らかに附帯決議の「自主性・自律性を阻害すると批判されることのないよう、節度を持って対応する」という、その節度を超えているんじゃないかということを私は言わざるを得ないわけです。

 この表が物語っているじゃありませんか。これはまだ一部ですよ。もっともっとこれは出てくる。元事務次官、そうそうたる方々が各大学に、法人にかかわっていくという問題で、一体これでどうして本当に大学の自主的な発展ということになるのか。やはり文科省のバック、文科省との太いパイプとしてこういう役割を果たすということになるんじゃないかと考えるのは当然じゃありませんか。その意味で、私は、きちんと文科省としては、やはり辞任されるとか、そういう態度をとるべきだ、判断をするべきだということを申し上げているわけです。

 きょうはこれだけでやるわけにいきませんけれども、理事というのは明らかに天下りポストですから、大変な報酬をもらっている天下りポストですよ。その理事についても、既に三十五大学で、これは文科省にいただいた資料によりますと、今二十六人ですよ、みんな各大学にいらした方が座る。だから、こういうものだったのかということが今出てきているわけでして、私は、こうした天下り、官学の癒着、一体化、こういう問題では、全容が明らかになったときには、さらに引き続き追及をしたいということを申し上げておきます。

 次の問題なんですけれども、運営費交付金の算定ルールでございます。運営費交付金についても、衆参の附帯決議でございました。「法人化前の公費投入額を踏まえ、従来以上に各国立大学における教育研究が確実に実施されるに必要な所要額を確保するよう努めること。」とありました。つまり、従来以上に大学の教育研究が確実に実施されるということが大きな前提となって議論したわけですね。

 このことは、私も質問主意書も出しまして、昨年の暮れ、非常に大幅にカットされるということが起こりましたので、主意書を出しましたところ、その答弁でも、附帯決議にのっとって、国立大学法人の業務が確実に実施されるよう措置していくことが必要だということを答弁いただきました。

 そこで、質問ですけれども、十六年度及び十七年度以降の算定ルールはどうなったでしょうか。

遠藤政府参考人 平成十六年度の予算につきましては、国立大学の教育研究が確実に実施できるという水準で予算を組ませていただいたところでございます。

 十七年度以降の予算につきましては、六年間の国立大学法人の中期目標期間を通じて、各大学が見通しを持って着実に教育研究を展開し得るよう、必要な運営費交付金を措置できる算定ルールを作成し、これにのっとって、また概算要求もございますけれども、そういう形で必要なものを措置していくということでございます。

 それで、具体的には、算定ルールの中身でございますけれども、一つは、新たな教育研究ニーズに対応し、各大学の努力に応じ増額できる仕組みとしての特別教育研究経費を設けたということが一つございます。

 もう一つは、国民の理解を得ながら引き続き国費を投入していくというためにも経営改善努力をしていただく、それを求めながら、教育研究の特性に配慮する観点で、効率化対象額の計算上、効率化係数の対象となる教育研究経費から、大学設置基準等による必要最小限の教員の給与費相当額を除外したというようなルールにしてございます。

 また、三つ目でございますが、受託研究などの外部資金の増があっても、交付金は減額せずに自己努力の増収努力が報われる仕組みといたしておるということでございまして、教育研究の特性に配慮するとともに、教育研究科の活性につながるようなルールにしたというふうに考えておる次第でございます。

石井(郁)委員 いろいろ言われますけれども、結局のところ、教員の人件費を除いた分に一%係数を掛けた。効率化係数を掛けるわけでしょう。だから、これは削減なんですよ。

 では、聞きますけれども、この効率化係数を掛けるとどのくらいの額が減額になりますか。

遠藤政府参考人 申しましたように、この算定ルール、十七年度予算から適用されるということでございますので、十七年度の予算につきましてはこれからということで、効率化係数の対象となります運営費交付金もこれからということで、数字は出てきませんけれども、仮に十六年度、今年度の予算で効率化係数、そういうルールに基づいた計算をいたしますと、影響額は九十二億円というふうに試算できるわけでございます。

 ただ、これも、どういう水準の数字かということを申し上げますと、これまでも教職員の定員削減といったような形でいわば効率化が求められてきたわけでございますけれども、例えば平成十五年度で定員削減の数字を申し上げますと、削減数が千百人分でございますから、金額に直しますと百五億円相当、こういう数字になっておりまして、いわばそういう水準での九十二億円ということでございます。

石井(郁)委員 九十二億円という数字が明らかになりました。五年間で見ますとこれで四百六十億円になるわけですけれども、各大学、ちょっと小さい大学で見てみますと、十六年度予定で、運営費交付金なんですけれども、例えば北海道教育大学は一大学で七十五億円です。室蘭工業大学三十三億円、小樽商大で十五億円、北見工業大学で二十八億円、一橋で六十一億円、富山大学で六十七億円、福島大学三十五億円、奈良女子大三十九億円、福岡教育大三十九億円、名古屋工業大学五十五億円。これらを足しても四百四十七億円なんですよ。だから、五年間で四百六十億円が削られるということは、十校分が消える、こういう計算になりませんか。私は、やはり小さい大学がこれでは軒並みつぶれていく、こういう額になっていくわけです。断じてこういう減額というのを認めることはできないんです。

 それで、聞きますが、では、特別教育研究費と言われましたけれども、一体この予算規模は幾らですか。もう簡単にお答えください。

遠藤政府参考人 平成十六年度で、この特別教育研究経費に当たるものを全国の大学合わせますと、三百六十八億円という形になっております。

石井(郁)委員 病院収入にも二%の効率化係数が掛けられますけれども、これも大変な問題なんですね。だから、局長は盛んに、法人化で経営努力、経営改善を図ると言われますけれども、これは東大病院の場合で見ますと、毎年五億円減る。病院長自身がこう言っておられます。今の診療体制ではさらなる増収の余力は残されていない、毎年五億円の交付金削減はいかに厳しいかとおっしゃっているんですね。だから、附属病院のあり方も、もう抜本的に変えるということになっていくわけです。変えてしまわざるを得ないということですね。

 それで、もう時間がないんですけれども、十七年度以降の算定ルール、来年度概算要求時に新たなシーリングというのはかかるんですか。もう一言で。

遠藤政府参考人 十七年度の概算要求でのシーリングはその時点で決まる話で、まだ決まっていないというふうに理解しております。

石井(郁)委員 ここで大臣にちょっと一点、別の話にもなるんですが、でもないんですけれども、今月十九日に閣議決定、規制改革の民間開放推進三カ年計画が出されておりますけれども、国立大学法人についてはこのように述べられています。「十分な機能・役割を果たしていない場合の組織の見直しについて、改廃・統合等を含め、大学改革の一環として、速やかに検討を開始し、結論を得る。」と。

 だから、結局行き着くところは廃止、統合ということではないんですか。法人化が始まる前に、もう結論ありきだということですね。いかがでしょう。

河村国務大臣 国立大学法人、この法人というのは独立行政法人とは違って、まさに行政改革を目的とするものではなくて、大学改革の一環でやるんだということは、これはもう閣議でもきちっとうたっておるところでございます。

 そういう視点からいくと、この開放三カ年計画にうたってあることというのは、これは我らの方ももちろん、所要の措置ということですから慎重にやりますけれども、この中期目標期間終了時にいろいろ廃止、統合、どうするのか、こういう点、指摘をされているところであります。

 しかし、今日の大学の持っている役割、特に国立大学の役割、特に地方の大学における地方の役割、学術研究の中核をなしている役割、そういうものを考えますと、いわゆる再編統合ということは、それは大学がもう機能しなくなっているということがあればそういうことは検討の課題にはなると思いますが、再編統合以外で廃止ということは、どう考えてみても私の考えの及びつくところではありませんので、これは、よっぽどその大学を閉鎖しなきゃいけない特別な事由が起きれば別でありましょうが、今の現況の大学の努力ぶり、法人化に向けての取り組み、そういうものを見たときに、そういうことはあり得ない、こういうふうに考えております。

石井(郁)委員 私は先日、京都大学の総長とお会いをしてまいりまして、やはり現場に行きますと、本当に重大な事実ということを知って、本当に驚いてきたところなんです。

 京都大学の場合で、来年度予算で三十億円がもう減額だと。驚く話ですよ、一大学で三十億円。それで、各大学関係者の間では、先ほど私は附帯決議を申し上げましたけれども、従来以上に教育研究は確保する、充実のために努めるということがあったわけですから、これはもう国会答弁に対する詐欺行為だということまで厳しい指摘をされる方もいらっしゃるということなんです。

 それで、これは当然、学費の値上げなどに反映せざるを得ないという問題がありますが、私も時間が参りましたけれども、その中で、例えば非常勤講師、これはもうゼロ査定になっているんですね。京都大学だけで、この分で三億円減っているというんです。だから、非常勤講師というのは学生の教育のための授業を開講している部分ですから、学生の教育にも支障が来る。もちろん、非常勤講師で生計を立て、研究活動をしていらっしゃる研究者もたくさんいらっしゃるという問題でいくと、本当にこんなことを許していいのかという問題がございまして、私は、文科省としてもきちんとやはり実態の調査をし、必要な予算の手当てをやっていただきたいということを申し上げて、きょうの質問を終わります。

     ――――◇―――――

池坊委員長 内閣提出、私立学校法の一部を改正する法律案を議題といたします。

 趣旨の説明を聴取いたします。河村文部科学大臣。

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 私立学校法の一部を改正する法律案

    〔本号末尾に掲載〕

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河村国務大臣 このたび、政府から提出いたしました私立学校法の一部を改正する法律案について、その提案理由及び内容の概要を御説明申し上げます。

 学校法人が、少子化等社会経済情勢の変化を初め、法人諸制度の改革、規制緩和の進展など学校法人をめぐる近年の状況等に適切に対応し、さまざまな課題に対して主体的かつ機動的に対処できるようにすることが重要になってきております。このため、私立学校の自主性を最大限尊重する現行制度の基本に立ちつつ、各学校法人における管理運営制度の改善を図るとともに、財務情報等の公開を一層推進する必要があります。また、各都道府県における私学行政の一層適切な執行に資するため、その実情に即して私立学校審議会を構成することができるようにする必要があります。

 今回御審議をお願いする私立学校法の一部を改正する法律案は、以上の観点から、学校法人制度及び私学行政の改善を図るものであります。

 次に、この法律案の内容の概要について御説明申し上げます。

 第一に、学校法人の理事会制度に関する規定を整備するなど、理事、監事及び評議員会の制度について、それぞれの権限や役割分担を明確にして、学校法人の管理運営の改善を図るものであります。

 第二に、学校法人みずからが財務情報等を公開し、説明責任を果たすため、財産目録、貸借対照表等の財務書類や事業報告書及び監査報告書を利害関係人からの請求に応じて閲覧に供することを義務づけるものであります。

 第三に、各都道府県に置かれている私立学校審議会の委員について、その構成、推薦手続等に関する規定を削除し、教育に関し学識経験を有する者のうちから都道府県知事が任命することとして各都道府県の判断にゆだねるものであります。

 このほか、所要の規定の整備を行うことといたしております。

 以上が、この法律案の提案理由及びその内容の概要であります。

 何とぞ、十分御審議の上、速やかに御賛成くださいますようにお願い申し上げます。

 以上であります。

池坊委員長 これにて趣旨の説明は終わりました。

 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後零時十一分散会


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