衆議院

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第20号 平成16年5月19日(水曜日)

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平成十六年五月十九日(水曜日)

    午前九時二分開議

 出席委員

   委員長 池坊 保子君

   理事 青山  丘君 理事 伊藤信太郎君

   理事 遠藤 利明君 理事 渡海紀三朗君

   理事 川内 博史君 理事 平野 博文君

   理事 牧  義夫君 理事 斉藤 鉄夫君

      今津  寛君    宇野  治君

      小渕 優子君    奥野 信亮君

      加藤 紘一君    上川 陽子君

      城内  実君    岸田 文雄君

      北村 誠吾君    近藤 基彦君

      鈴木 恒夫君    田村 憲久君

      西田  猛君    西村 明宏君

      馳   浩君    古川 禎久君

      山際大志郎君    加藤 尚彦君

      城井  崇君    小林千代美君

      古賀 一成君    須藤  浩君

      田島 一成君    高井 美穂君

      鳩山由紀夫君    肥田美代子君

      堀込 征雄君    牧野 聖修君

      松本 大輔君    笠  浩史君

      富田 茂之君    石井 郁子君

      横光 克彦君

    …………………………………

   文部科学大臣       河村 建夫君

   文部科学大臣政務官    田村 憲久君

   文部科学大臣政務官    馳   浩君

   政府参考人

   (文部科学省生涯学習政策局長)   銭谷 眞美君

   政府参考人

   (文部科学省初等中等教育局長)   近藤 信司君

   政府参考人

   (文部科学省高等教育局私学部長)   加茂川幸夫君

   政府参考人

   (文部科学省スポーツ・青少年局長)   田中壮一郎君

   文部科学委員会専門員   崎谷 康文君

    ―――――――――――――

委員の異動

五月十九日

 辞任         補欠選任

  江崎 鐵磨君     西田  猛君

  上川 陽子君     北村 誠吾君

  土肥 隆一君     田島 一成君

同日

 辞任         補欠選任

  北村 誠吾君     上川 陽子君

  西田  猛君     江崎 鐵磨君

  田島 一成君     堀込 征雄君

同日

 辞任         補欠選任

  堀込 征雄君     土肥 隆一君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 政府参考人出頭要求に関する件

 地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案(内閣提出第一二六号)

 放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律の一部を改正する法律案(内閣提出第九〇号)(参議院送付)


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     ――――◇―――――

池坊委員長 これより会議を開きます。

 内閣提出、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案を議題といたします。

 この際、お諮りいたします。

 本案審査のため、本日、政府参考人として文部科学省生涯学習政策局長銭谷眞美君、初等中等教育局長近藤信司君、高等教育局私学部長加茂川幸夫君及びスポーツ・青少年局長田中壮一郎君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ございませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

池坊委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

池坊委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。牧義夫君。

牧委員 おはようございます。昨日に続いて質問させていただきます。

 今、委員長より地教行法についての審議というお話がございましたけれども、ちょっと、朝、三十分だけお時間をいただいて、せんだってより同僚議員から、数名から質問がなされております例の東北文化学園大学設置に関する問題、架空の寄附についての問題について若干の質問をさせていただきます。

 というのも、前回、同僚議員よりの質問、事実関係を一つ一つ確認させていただきました。その間、新聞、テレビ等でも報道がなされてまいったわけですけれども、文部科学省の答弁、聞いておりますと、書類上瑕疵がなかった、したがって、これは後になってわかったことで残念だけれども、あくまでも、これは書類上の瑕疵がなかったということですから、ここで、やはり私ども国会の責務としては、書類上瑕疵がなければこういうものが通ってしまうということであれば、その手続そのものを見直す必要もあるんじゃないか、そんな観点から、一般論としての質問をきょうはさせていただきたいと思います。

 まず、事実確認ですけれども、平成九年九月にこの設置認可申請の書類が提出されたわけです。このときの現金寄附、四十八億一千万のうち約四十億円、現物寄附、十五億一千万のうち約十三億円が架空であった、こういう報道がされております。その報道からいよいよ調査が始まったわけですけれども、この調査の方法、学校法人における調査、それから文科省としての調査があったと聞いております。学校法人における調査が、たしか報道によると、五月十七日までに文科省に報告がなされるということでございました。

 まず、五月十七日に文科省に出されたであろうその報告を受けて、これまでマスコミで報道されていた以上の何か新しい事実、あるいはこれまで報道されていた事実の変更があるかないか、その辺のところをお聞かせいただきたいと思います。

加茂川政府参考人 お答えをいたします。

 学校法人東北文化学園大学をめぐる問題につきましては、事件発生以来、報道があって以来でございますが、学校法人に対して、私どもとしましては徹底した調査と報告を求めるとともに、私どもとしましても、現地調査を含め、直接調査をこれまでも行ってきておるところでございます。

 委員御指摘の、学校法人としても緊急調査委員会を立ち上げて調査を行ってございます。この調査委員会には、外部の方、弁護士、公認会計士が含まれておりますが、ここから一昨日報告がございました。

 この調査委員会に設けられております第一委員会、外部の弁護士、公認会計士のみで構成される委員会でございますが、ここからの中間報告が出されたわけでございまして、この報告を精査した結果、新たに確認された、または新たに事実が明らかになったという点が何点かございます。

 御報告を申し上げますと、一点目には、大学設置認可申請時の現金寄附及び現物寄附についてでございますが、実際に寄附があったもの以外、合計しますと約五十四億一千万円が寄附の事実が確認できない架空なものであったと判断せざるを得ないことでございます。確認と明らかになった部分が含まれてございます。

 二点目は、大学の設置認可申請時点、平成九年九月でございますが、この時点で多額の債務があったものを、これを秘匿、隠して、大学の設置認可要件となる負債率、これは二五%以下である必要があるわけでございますが、この要件を全く満たしていないことを秘匿しておったということが明らかになってまいりました。学校法人の調査によりますと、法人の負債率はこの時点で少なくとも七四%程度あったということがわかっておりまして、先ほどの審査基準、負債率二五%以下の要件から見ますと、著しくこれに反しておったということがわかっております。

 また三点目は、架空の寄附についてでございますが、この架空の寄附の仕組みにつきましては、学校法人の借入金及び手持ち資金を見せかけたものだということがわかっておりまして、また、書類上寄附者として記載されている当人が名義の使用、寄附者としての名義の使用を承認していた例が、当時の理事を含めて相当数あったことも判明をいたしました。

 さらに四点目でございますが、いわゆる二重帳簿の会計処理が明らかになっておりますが、この二重帳簿の会計処理、あってはならない会計処理でございますけれども、大学の設置認可申請時以前から既に存在したのではないか。

 こういった事実が確認でき、または判明しておるところでございます。

牧委員 学校法人における調査と、それから文部科学省としての職員を派遣しての調査というお話ですけれども、念のためにちょっと確認をいたします。

 文科省からの現地派遣における調査、これは、学校法人の役員ですとか前理事長、会計担当職員、設置認可申請の書類の作成に携わった職員、公認会計士、書類上寄附者とされている者、今の私学部長のお話のとおりだと思いますけれども、私、ちょっと一つつけ加えてお聞きしたいのは、文科省の、当時文部省ですか、この設置の認可に直接携わった職員に対するヒアリングなり聞き取りというのはされなかったんでしょうか。

加茂川政府参考人 お答えをいたします。

 私どもとしては、四月二十七日に現地調査を行って、大学関係者等から直接事情聴取を行ったわけでございますが、あわせまして、平成九年、十年にかけて内部での事務処理に当たった者につきましても、当時の事情について事情聴取を行っておるところでございます。

牧委員 そこら辺のところがちょっと説明が足りないと私思うんですよ。今の御報告を聞いていると、いかにもしっかりと調べている、この事態に対して極めて常識的な対応をしているようにも一見見えるんですけれども、やはりここで、今後の再発防止やらあるいは制度上の問題、きちっと我々として考えていく上で頭の中を整理する必要があると私は思います。

 今回のこの事件の被害者、これはまず第一義的には、現在二千五百人在校している生徒だと思います。二番目は、補助金が不正な手段によって支払われてきてしまったという事実にかんがみれば、やはり納税者である国民も二番目の被害者ではないかと思います。それからまた、設置に当たっては、仙台市からもたしか九億数千万ですかの補助が出ているわけですから、これは文部省が設置認可をした、その結果として仙台市という自治体がそういう判断をしたわけですから、三番目には仙台市と、それからいわば仙台市民、この人たちも被害者ではないかと思います。

 そういった観点から、文科省は今後、この助成金の適正化法に基づいて刑事告発も検討されているということでありますけれども、そのグループで分けると、文科省もあたかも被害者の一人のようなふうにどうも皆さん思っているんじゃないかと疑問を抱かざるを得ないわけで、私は、大きな範疇で、被害者のグループ、加害者のグループ、こういうふうに分けたときに、その前理事長やら不正な経理を行った人間等に準ずる形で文科省も一つ加害者の範疇に入れてもいいんじゃないか、その辺からこの問題を考えていくべきじゃないかと思うわけですけれども、大臣、いかがでしょうか。

河村国務大臣 私学振興の立場から、文部科学省といたしましてはこれまでも指導もし、また、それぞれの大学が私学に対する期待にこたえるようにという思いでこれまでも私学振興助成法に基づいてやってきておりますし、また、設置基準、設置におきましても、その認可につきましては十分な検討を重ねてきたつもりでございました。

 しかし、このような残念な結果が出ておりまして、文部科学省に、認可した以上その責任がまるでないかと言われて、いや一切ありませんと言い切れるだけの問題かどうか、御指摘の点も踏まえなきゃいかぬと思っておりますが、今回のこの問題については、まさに想定を超えたものといいますか、そういうものが現実にあったようでございます。現実にあったということが判明しておるわけでございますから、これについては、私学助成という立場で国民の税金がここに投入されたという現実がございます。これに対してやはり厳正に対処していく、ある意味では国民にかわってこれをやらなきゃいけない立場である、そういう思いで今この問題に取り組んでおるわけでございます。

牧委員 今いみじくも、想定を超えた問題であるという御発言がございました。ですから私はここであえて申し上げたいわけで、この設置の申請に当たっての書類に何ら瑕疵がなかったからといって、本当に想定を超えるような、こんな途方もない話が通ってしまった、私はその事実を重く見なければならないと思うわけです。

 先ほどもお聞きをしましたけれども、この設置の認可を、もちろんこれは当時の文部大臣の認可ということになるんでしょうけれども、直接この書類の考査に当たった、そしてやはり判断を下した文部省なりの担当者がいると思います。固有名詞まで挙げる必要はないと思うんですけれども、それはどなたですか。私学部長なんでしょうか。

加茂川政府参考人 具体の設置認可申請、寄附行為の変更申請がございました場合には、審議会に付議する書類を精査いたします。その担当は私学部の設置を担当する者でございまして、ベテラン、私学行政、高等教育行政に経験のある者が当たっております。私どもの職員が具体的に書類を精査いたします。

牧委員 職員が精査をするということですけれども、その際、その文科省の職員の方には一体どの程度の裁量権があるのか、明確に教えていただきたいと思います。

加茂川政府参考人 認可申請があった際に判断をする、法令が根拠になるわけでございます。例えば、提出していただく必要な書類はどこまでか、それから審査基準に当たっているかどうか法令に基づいて判断をするわけでございまして、その判断を審議会でしていただくための書類を精査するのが、先ほど申しました私ども私学部の担当職員になるわけでございます。

 必要書類について申し上げますと、寄附行為変更の認可申請書類については、文部科学省告示によりまして、法令によって定められております。例えば、設置する大学等の概要を記載した書類でありますとか、設置経費等の支払い計画、特に、法人経営の場合に問題になります財源の調達方法を記載した書類、財産目録、決算書類、こういった書類が必要書類として定められておりまして、職員としては裁量の余地が働くことなく、これは出してもらうという書類でございます。

 ただ、ケースによりましては、こういった書類に補強してもらう証拠書類を任意書類として提出してもらう場合、またその必要がある場合がございますので、これは担当職員が判断として求めるということがございます。

 それから、認可に係る審査につきましては、これも文部科学省の告示でございますが、審査基準がございまして、これに適合しているかどうかを判断するわけでございます。校舎、校地の自己所有要件が満たされているかどうか、あるいは必要な経費、標準設置経費、標準経常経費等が確保できているかどうか、それが全額自己資金であるかどうか、負債率、負債償還率、そういった事柄について審査基準が法定されておりますけれども、その法令に従って判断をしていただくための書類も私ども職員が用意をいたしますけれども、いずれも基準が法定されておりますので、これに基づいて客観的に判断をしていただく。それで、審議会の答申を踏まえて、これを尊重して、文部科学大臣が最終的には認可または認可に当たるかどうかの判断をするわけでございます。

 申し上げましたのは、それぞれ提出すべき必要書類につきましても、審査基準につきましても、法令の根拠がございまして、担当事務職員が裁量余地を働かせてこの書類を整理する、あるいは判断を追加するといった分については、ごく限られた余地しかないというのが現行の制度だということを申し上げたいわけでございます。

牧委員 今のお話を聞いていると、ほとんど裁量の余地がない、これは書類さえ出せば、まるで届け出制で学校がどんどんできてしまうかのような御答弁でありますけれども、本当にそれでいいのかどうなのか。

 また、実際私は、なるべく行政の裁量権というのは一般的には狭い方がいいとは思うんですけれども、事こういう問題に関しては、実際にこの二千五百人の学生が今ひょっとしたら路頭に迷うかどうか、こういう問題に直面させられているわけで、やはり私は、そこである一定の裁量権を逆に文科省は発揮していただかなければ、こういう問題がまた起こってもおかしくない。

 今の部長の答弁だと、またきちっとした書類が出てくればこういうケースは起こりますよと言っているのと同じだと私思うんですね。だから、そういった意味で、実際私は、本当はそんな、ただ書類だけのことで事が進んでいないと思いますけれども、この事例に関してだけは恐らくそういう答弁をされているんだろうと思います。

 例えばの話、学校法人、この設置をするに当たって、学校の用地というのは、これは学校法人の所有地じゃないとできないわけですよね。はい。それで、この設置の認可申請が、これは今一つの例えばの話ですけれども、設置の認可申請が平成九年九月。ここに領収書のコピーが一枚ございますけれども、九億円、これが、雙葉産業株式会社、これは「土地売買契約書第一条による売買代金全額として。」となっております。これが平成八年八月二十二日のものでありますけれども、大体、こういう土壇場になって用地取得したもの、これは登記簿は見ていませんから何日に登記されたのかわかりませんけれども、そういったケースでも、とにかく間に合わせのような書類でもそろっていれば要件を満たすということになるんですか。そのとき、ある一定の担当官の判断というか、ちょっとこれはおかしいなと思うものはもう一回確かめるとか、もう一回差し戻すとか、そういうことがあってしかるべきだと思います。

 あるいはまた、前理事長も事前にいろいろ相談に来ていると思うんですけれども、その人物、人となりについての主観的な判断だとか、そういったものも当然いろいろあろうかと思います。これは、ただ会社を設立するというのと違って、やはり学校ですから、学校経営者にふさわしい人物なのかどうなのか、そこら辺もやはり担当者の判断というのがあってしかるべきだと思うんですけれども、そう思いませんか。

加茂川政府参考人 御指摘のようなケースがございました場合に、もちろん、担当職員といたしましては必要な説明を求めるわけでございます。基本財産の自己保有、委員は土地の例をお示しになりましたけれども、直前に用意されている土地であれば、用意されておれば直前でも過去から保有していた土地でも審査上は構わないわけでございますが、書類上何か疑義があるという場合には当然説明を求めますし、説明を求めるだけではなくて、先方の説明に不十分さがあれば、任意的な書類の提出、契約書でありますとか、必要な書類の提出を求めるわけでございまして、ケース・バイ・ケースに応じて必要な説明を求めるというのはこれまでも行ってきておりますし、十分対応をその場ではしてきておると私どもは考えておるわけでございます。

牧委員 ケース・バイ・ケースで再度呼んで話を聞くというお話ですけれども、そうすると、例えばの話、今回一番問題になっている寄附の名義貸しですね。これは、例えば個人で一番たくさん寄附した方、名前までは言えないでしょうけれども、幾ら寄附をしているんでしょうか。

加茂川政府参考人 現金寄附の最多額ケースは、二十三億円というのが一件ございます。

牧委員 その二十三億円寄附された方の背景について、何らかのヒアリングをされていますか。

加茂川政府参考人 私どもとしましては、寄附者一覧リストの一番多額な例が今の二十三億円でございますが、その寄附者に直接審査段階でヒアリングをしたという事実はございません。この寄附につきまして、必要な寄附申し入れでありますとか、一般的に寄附に必要な意思決定のための書類、もしくは寄附が確かに収納されている、財産目録上それに相当するものがあるかといったことをチェックはいたしますけれども、寄附者個人に直接審査段階で当たっていることはございません。

牧委員 だから、私はそれがおかしいと思うんですよ。では、文科省、いつもそういうふうにやっているのならそれで納得もしますけれども、恐らく違うと思うんですよ。それは、学校を設置するというときは、やはりいろいろな観点から、疑問があるところは根掘り葉掘り聞くと思います。二十三億円もの個人献金をするという、それは社会通念上余りない話だと思います。たまたま多額の遺産を相続したとか、そういうときには税金対策かもしれませんけれども、そういった背景についてはやはり調べてしかるべきだと思いますけれども、何の疑念も挟むことなく、書類上、二十三億寄附する人がいるんだ、ああそうですかと、それで済ませたんでしょうか。いつでもそういうふうに済ませるんでしょうか。

加茂川政府参考人 今の二十三億の寄附の例で申しますと、これは個人情報でもございますから、ここで答えていいのかどうか少し疑念も残りますが、個人寄附ではございませんで、法人の寄附でございました。したがいまして、その法人寄附についての必要な書類、機関決定、意思決定でありますとか、きちんとした寄附申し入れがなされているかといった、書類上整っておりますと、そういうことを前提に私どもは判断をするわけでございまして、その時点で疑義があれば、例えば機関決定についての議事録が備わっていないとか、疑義があれば、再度説明を求めて調査をするということはあり得たかもしれませんけれども、大変結果論的に申し上げて恐縮ですが、書類がそろっておったがために欠陥を見抜けなかった、結果として欠陥を見抜けなかった遺憾な事態になったということでございます。

牧委員 その書類というのは、寄附の申し込みの書類だけですよね。例えば、普通、通常考えられるのは、本当に寄附をすれば、税務署に確定申告して、これは寄附金の税制上の優遇措置もあるわけですから、確定申告で還付請求するなり、そういった手続も当然、本当に寄附をした人であればあると思うんですけれども、そういうことも確認した上でこの設置の認可をするということはできないんでしょうか。

加茂川政府参考人 委員おっしゃいました確定申告等の寄附についての控除扱いについては個人の寄附の場合だと思いますが、本件の場合に二十三億は法人でございましたので、私ども、法人としての意思決定がきちんとなされているかどうかがそのチェックのポイントになるわけでございまして、法人の意思決定といいますのは、役員会、通常ですと理事会での意思決定、議事録があるかどうかというのがポイントになってまいります。本件についてはそれが確認できておりましたので、それを前提に判断を進めた、作業を進めたということでございます。

 ただ、結果としてそれが十分なチェックになっていたかどうかということを言いますと、欠陥が見抜けなかったという事実が残ったということは大変残念に思うわけでございます。

牧委員 この問題だけ詰めてもしようがないので、また次へ進みます。

 補助金について返還請求を多分していかれるんだと思いますけれども、これまで、当学園に補助金はどれぐらい出ているんでしょうか。

加茂川政府参考人 国からの補助金について御説明をいたします。

 東北文化学園大学に対するいわゆる経常費補助、私立大学等経常費補助金が交付されておりますけれども、これは平成十一年度から平成十五年度まで、十五年度は見込み額ということでお許しをいただきたいと思いますが、合計しますと、五億七千四百九十二万円余が経常費補助金として支出されております。このほかの施設設備の整備に関する補助金は、交付の実績はございません。

 十一年度からと申しましたのは、この東北文化学園大学は短大の定員を振りかえて設置をされておりますために、十一年度から経常費補助が交付されておるという背景がございます。

牧委員 ついでに伺っておきます。この経常費補助の交付額というのはどうやって算定するんでしょうか。

加茂川政府参考人 一般に申しまして、経常費補助金でございますが、その大学法人に対して必要な経常的経費を補助するものでございまして、算定方法につきましては、大きく分けて一般補助と特別補助がございます。

 一般補助について申し上げますと、基本になりますものは教職員の人件費あるいは基盤的な教育研究経費でございまして、これに対して補助をいたします。具体に配分をいたします際には、教職員数、学生数に応じた補助基準額をもとに算定をいたしますし、学生定員の管理状況あるいは教育研究条件の整備状況に応じた傾斜配分、プラスにしたりマイナスに働くことがございますが、原則は教職員数、学生数でございますが、傾斜配分を行って調整をしているというのが、一般補助の考え方、実行方法でございます。

牧委員 ある一定の裁量の幅みたいな、学校の経営がどれぐらい前向きなのか、どれぐらい健全なのか、そういった行政の側での判断の余地というか裁量の余地というのも多少あるわけですね、という御説明ですよね。

 これは、例えば、毎年毎年、受験生がいると思います。その受験倍率だとか受験生の数だとか、定員を割っているようなところというのはやはり余りいい学校じゃない、たくさん受験生が殺到する学校はやはりそれなりの価値のあるところだ、そういった判断もあるんでしょうか。

加茂川政府参考人 先ほど傾斜配分について申し上げましたが、一番ひどいケースの場合には、不交付になる事由が定められております。学生数のことを委員お尋ねになりましたので、そのケースで申し上げますと、在学している学生数が学則定員に比べて過大である場合、過小である場合については、不交付ということになります。過小の例で申しますと、半分、五〇%以下になった場合、定員未充足の場合には交付対象にならないというのが原則でございます。また、過大に学生を確保している場合にも、当然、不交付になる例があるわけでございます。

牧委員 済みません。私の質問は、受験生の数。

加茂川政府参考人 申しましたように、経常費の一般補助の基本的な考えは、教職員数と在籍している学生数でございますし、今申し上げました不交付のケースについても、在籍している学生数が基本になっておりまして、受験生はまだ学生としての学籍、身分を有しておりませんので、この傾斜配分、不交付対象の考え方の基礎にはなっておりません。

牧委員 ただ、例えば受験生の数が定数を割っているとか、そういう場合は、やはりそれは考え方に入ってくるわけでしょう。

加茂川政府参考人 繰り返しになりますが、在籍している学生数が、この経常費助成を積算する際の基礎になりまして、受験生が定員を割っていたかどうかというのは、直接影響しない事柄でございます。

牧委員 ちょっとこれはあえてお聞きしたのは、これは現地の報道でもありますけれども、ある高校が集団的にこの学校に受験をさせて、受験料も肩がわりをしているという実態がありました。これはまとまった数の受験でありますから、組織的な行動であることは間違いないわけで、その受験料というのを本当に高校が払ったのか、あるいはひょっとしたら東北文化学園がその高校にまとめて預けた可能性もあるわけで、どっちみち受験料で返ってくるわけですから、そういった水増し受験という実態も、これは既に明るみに出ております。

 その他いろいろ問題があるわけですけれども、時間が来ましたので、きょうは入り口の部分にとどめさせていただいて、また具体にいろいろお聞きをしていきたいと思います。

 お時間をいただいて、ありがとうございました。

池坊委員長 田島一成君。

田島(一)委員 民主党の田島一成でございます。

 差しかえで質問の機会をちょうだいいたしました。議題となっております地行法の一部改正の学校運営協議会につきまして、大臣以下、関係の皆様に質問をさせていただきます。

 まず、指定の基準につきましてであります。

 議論も大分出尽くしたというふうに思いますが、改めて確認の意味で、お答えをお願いしたいと思います。

 本法案の中では、教育委員会が学校を指定して学校運営協議会を置くことができるというふうになっておりまして、平成十二年の四月から施行されております学校評議員制度と同様、任意設置となっております。

 指定できる基準というのを考えると、もう一つ明確ではないなというふうに思うわけでありますが、この指定を申請する主体、これが地域なのか、それとも学校なのか、それとも教育委員会が一方的に指定した学校に学校運営協議会の設置を決定するのかどうか、まず、このあたりの御見解からお願いできますか。

近藤政府参考人 お答えをいたします。

 今回導入をしようとしておりますこの学校運営協議会でございますが、地域に信頼される学校づくりの実現に向けまして、学校運営のあり方の選択肢を拡大するための手段の一つとして新たに制度化をしよう、こういうものでございまして、私どもは、その導入はすべての公立学校に一律に求められるものではなく、地域の特色でありますとか学校の実態、あるいは保護者、地域住民の意向などを十分に踏まえて、教育委員会の適切な判断によってこの指定という行為が行われる必要があると考えておるわけでございます。

 なお、その際、各教育委員会におきましては、教育委員会規則により指定の手続を定めることになるわけでありますが、指定に当たりましては、地域住民でありますとか保護者の意向をあらかじめ聞くとかアンケート調査をするとか、そういういろいろな地域の要望を踏まえる、こういう工夫、こういったことがやはり大事なんじゃないんだろうか、そういうふうに考えております。

田島(一)委員 ありがとうございます。

 非常に耳ざわりのいいお答えをいただきましたが、それでは随分時間がかかりそうだなというふうに感じました。

 教育委員会が、今御答弁もいただきました適切な判断によって学校を指定して学校運営協議会を設置するということになるのでしたら、その設置の指定要件、これをもう少し明らかにする必要があるのではないでしょうか。

 指定要件というものは、教育委員会が教育委員会規則等で定めることになっておりますから、教育委員会によっても異なることが予想されると思います。地方の自主性というものを尊重するのであるならば、教育委員会規則で定める事項、それはやはりすべて教育委員会の判断にゆだねることになり、ひいては地方間格差をさらに生じさせる、そんな可能性も高くなるかというふうに思います。

 協議会を設置する学校というものが、その基準として、問題のある学校だからなのか、それとも他の学校の模範となるべき学校だからなのか、もしくは地域のコミュニティーであるとかPTAが成熟しているからといったいろいろな要件が考えられるかというふうに思いますが、この設置の要件、もう少し具体的にお答えいただけますでしょうか。

近藤政府参考人 お答えをいたします。

 学校運営協議会の設置が想定される場合でございますが、今先生がおっしゃいましたように、例えば、従来から保護者や地域住民が例えば学校評議員制度などを通じまして熱心に学校運営に参画していらっしゃる、そういったことから、今後学校運営協議会の場を設けてさらにそれを発展していきたい、こういったような場合もあるでございましょうし、あるいは、何らかの事由で学校運営が停滞をしている、むしろ外部の方々が学校運営に参画することによって学校運営の改善が見込まれる場合とか、いろいろなことがあるんだろうと思っております。

 いずれにいたしましても、教育委員会が学校を指定していく、そういった形によって、その地域や学校の状況を踏まえながら、本来の学校運営協議会の目的というものが達成できるように、そういったことで判断をしていくことだろうと思っておるわけでございます。私どもは、必ずしもこの学校運営協議会を置く学校と置かれない学校とで格差が生ずるというふうには考えていないわけでございますけれども、各教育委員会がそれぞれの学校に適した形で運営の改善に努めていただきたい、そういうふうに考えておるところでございます。

田島(一)委員 そもそも格差とは何なのかという議論をしなければならないかもしれませんが、ひとまずこの設置指定基準につきましての質問はとどめさせていただいて、次に、人事行政に関して質問したいと思います。

 そもそも教職員の採用その他の任用に関する事項についてなんですが、学校運営協議会は教職員の任命権者に対して意見を述べることができ、さらに、任命権者はその意見を尊重することができるとなっております。まず冒頭、この本法案で言います任用の概念につきまして具体的にお示しをいただきたいと思います。

近藤政府参考人 お答えをいたします。

 今回の改正案では、学校運営協議会が指定学校の職員の採用その他の任用に関する意見を述べることができるとしているわけでございますが、これは主に、学校運営の基本的な方針を踏まえて実現しようとする教育目標、内容等にかなった教職員の配置を求めることができるんだ、こういう趣旨でございまして、いわゆる地方公務員法上の採用、昇任、転任について意見を述べることができる、こういう意味でございます。

田島(一)委員 済みません。昇任についてはどうですか。これは入っていないんでしょうか。いわゆる学校の職員の昇任、降任についてですが。

近藤政府参考人 任用という用語の中に採用、昇任、転任が入るわけでございますが、今先生おっしゃいました降任というものでございますが、本人の意向に反する降任につきましては、法律で定める場合でなければ行うことができない分限処分でございまして、今回の法律第四十七条の五第五項の任用には含まれない、こういうふうに考えております。

田島(一)委員 はい、わかりました。

 では、昇任についてちょっとお尋ねしたいんですけれども、一般的に、例えば学校の事務職員の任用のうちの昇任については、第三者機関であります人事委員会の承認事項というふうになっておりますね。ところが、教職員の身分、そして給与にかかわる昇任等の個別の人事案件については学校運営協議会が関与できるというふうな規定になっていると理解をしております。運用によっては、学校運営協議会からの意見次第で教職員が、恣意的な人事であったりとか、また不利な扱いを受けることがあるのではないか、そんなふうに考えられます。これは地方公務員の人事制度への介入というふうにもとれますし、果たしてこれが、公正な人事、また人事の公平性というものが保てるのかどうか、非常に疑問に思うのですが、いかがでしょうか。

近藤政府参考人 お答えをいたします。

 教員の採用等は、教育公務員特例法第十一条の規定によりまして選考によるとされているわけでございまして、その選考は教育長が行うこととされているのでありますが、教員以外の事務職員等につきましては、こういった規定がないものですから、その採用等に係る選考等は、先生御指摘のように、人事委員会が行うということでございまして、具体的には各地方公共団体の人事委員会規則によるわけでありますが、一般的には、任命権者であります教育委員会の申請により、昇任させようとする事務職員につきまして人事委員会が選考を行い、これを承認するということになるわけでございます。

 今回の法改正におきましては、指定学校の職員の昇任を含む任用につきまして、現行の地方公務員法に基づく制度は維持をしているわけでございまして、学校運営協議会が意見を述べる述べないにかかわらず、任命権者や人事委員会の権限に変更はないわけでございまして、そういう意味で、公正な人事が確保されるとともに、現行地方公務員制度との整合性が図られている、こういうふうに考えております。

田島(一)委員 はい、わかりました。ぜひ、その変更ないというところを確認させていただいた上で進めていきたいと思います。

 地域の皆さん等につきましては、とりわけ、どんな人がこの運営協議会の委員になられるのか、随分関心が高いのではないかというふうに思いますが、私が考えますに、まず、何よりも政治的な中立が保てるのかどうか、このあたりが前提条件になってくるのではないかと思います。しかしながら、なかなかこれを担保するものが読み取れない、酌み取ることができない法改正でありますが、学校運営に政治的介入の余地を与えないということについてどのように解釈されていらっしゃるか、御説明をお願いします。

近藤政府参考人 お答えをいたします。

 この学校運営協議会の委員の構成や選任方法等につきましては、各教育委員会の規則で定められることになるわけでございますが、さらに個別の委員の具体的な任命に当たりましては、当然のことでございますが、公立学校としての運営の公正性、公平性あるいは中立性を確保していく、それから、運営に積極的に参画していただきまして学校の運営や教育活動の改善に貢献してもらえるか、こういった点を判断いたしまして、教育委員会が責任を持って任命するものでございます。

 さらに、今回の法律の中で、教育委員会が指定を取り消すとか、そういったいろいろな規定もあるわけでございまして、学校運営協議会の運営状況を把握、評価し、仮に、特定の委員の影響によりまして適正な運営が損なわれる、こういったような場合には、もちろんまずは必要な指導助言を教育委員会が行うわけでありますけれども、最終的には当該委員を罷免する、こういった措置もとれる、そういう規定になっているわけでございます。

田島(一)委員 わかりました。場合によっては、地域の意向というものの名をかりて政治勢力が人事を操ったり、またその運営に対して過大な発言権を行使する、そういったことも考えられます。ぜひ、そういったことがくれぐれもないように、しっかりとチェックをしていただく、このことだけをお約束いただきたいと思いますが、いかがでしょうか。

近藤政府参考人 政治的中立ということは極めて大事なことでございますし、教育基本法の中にも、学校における政治的な中立という趣旨の規定もあるわけでございます。いずれにいたしましても、私どもは、そういった恣意的な取り扱いでありますとか、あるいは政治的な中立が侵される、こういうことはあってはならないわけでございますので、制度の趣旨、内容につきまして、この法案がお認めをいただきましたときには、施行通知も出すことにいたしておりますけれども、必要な留意事項を含めまして、この制度の趣旨、内容について十分各県の教育委員会で御理解をいただき、適切な運営がなされるように指導をしてまいりたいと考えております。

田島(一)委員 ありがとうございます。

 続いて、権限の明確化という点についてお尋ねをしたいと思います。

 去る四月二十三日の本会議で、隣にいます城井崇議員が、学校運営協議会と校長の権限をある程度明確にしておく必要があるというふうに指摘されました。そのときの答弁、たしか、地域事情に任せたいというようなお答えであったかというふうに思います。

 しかし、大枠として、例えば定員とか選出方法、また任期といった一定の幅でルール化しておかないと、運営だとか活用が非常にしにくくなり、下手をすると名ばかりの学校運営協議会にならないか、また、公教育における国の責任を果たすことにはならないのではないかというふうに心配をしております。

 さきの学校評議員制度導入とは違いまして、この法案改正は、校長が意見を聞くだけの評議員制度ではなく、校長であるとかまた学校運営協議会に強い権限というものを与えようとされているわけですから、わけが随分違うかというふうに思います。各自治体や教育委員会に対して、何らかのガイドラインとか通知というものを示すつもりがあるのか、お答えいただけますか。

近藤政府参考人 お答えいたします。

 まず、指定の要件、これは、先ほども少し想定をされる場合のことを申し上げましたけれども、地域の実態あるいは学校の実情等、さまざまであろうかと思いますので、余り具体の細かな基準というものを示すということは考えていないわけでございますが、新しい制度の創設でございますので、各教育委員会に対しまして、この学校運営協議会制度が円滑に導入されるように、必要な留意事項、こういったものを施行通知などでお示しをするなど、こういった助言あるいは指導に努力をしてまいりたいと考えております。

田島(一)委員 細かいことかどうかという判断は非常に難しいところでありますが、何しろ初めてのことで、とにかく設置はできると非常に幅を持たせたような形で進めるわけですから、非常にややこしい、難しい、なかなかそれがうちでなじむかどうかわからないという、困難を来したときには、それこそ、当分様子を見ようか、他の市町村の動きを見てからやろうかということで、即効性というものはなかなか見当たらないのではないかというふうに心配もいたします。ある意味では、必要な留意事項ということをお伝えすると御答弁いただきましたけれども、スピーディーに、かつ適切な留意事項といいますかアドバイスを進めていただくことをぜひお願いしたいと思います。

 次に、学校の指定につきましての質問に移りたいと思います。

 そもそも、中教審の答申ででも、この学校運営協議会の設置について、「その導入は、すべての公立学校に一律に求められるものではなく、」と、限られた一部の学校を指定するようなまとめ方をされているわけですが、法律の解釈からは、教育委員会は所管する学校のすべてを指定することが可能だというふうに私は理解しております。設置者が一部の学校のみを指定するということは、教育委員会がみずから公立学校の学校間格差を助長することになったり、また学校長や熱意のある地域の皆さんの出ばなをくじくといったようなことが危惧されます。

 今日の学校教育を取り巻く状況を踏まえて、私ども民主党でも、かつてから、民主党の目指すコミュニティ・スクールという提言の中に、すべての学校の裁量権を拡大し、柔軟なカリキュラム編成が可能で、また、学校の自主性を、そして自律性を確立するべきだということをずっと訴えてまいりました。

 そう考えますと、教育委員会は所管する学校のすべてにこの学校運営協議会を設置されるべきであるというふうに考えますが、このあたり、強制力といいますか、一気に進めようとしなかったあたり、再度、お考えをもう一度整理してお示しいただけませんでしょうか。

近藤政府参考人 二点御指摘をいただいたかと思います。

 一つは、教育委員会がその域内のすべての学校に学校運営協議会を置けるかどうかということでございますが、これは、設置者としての教育委員会が、その地域の実情等に応じまして、それが当該学校の管理運営の改善に資すると判断される場合には、域内のすべての学校を指定する、それは可能であるということでございます。

 さらに、学校運営協議会を必置にするべきかどうかということでございますが、私ども、今回は任意設置という考え方をとっているわけでございます。学校運営協議会は、公立学校の運営に関与する一定の権限を法律上有するわけでございまして、どの学校を指定するかについては、やはり学校の管理運営の最終的な責任を有する教育委員会の責任において判断される必要があるのではないか。やはり地域住民、保護者の間のそういったニーズの高まりでありますとか、学校のそういう条件でありましょうとか、いろいろなことがあるわけでございまして、私どもといたしましては、今回、そういうことから任意設置という形にさせていただいておるところでございます。

田島(一)委員 わかりました。

 そもそも、今回、ある意味の実験的な形で、平成十四年度から、九校の実践研究校といいますかモデル校を指定され、この新しいタイプの学校運営のあり方に関する実践研究を実施してこられました。そもそもこのモデル校というのはどういった要件で指定されたのか、お示しいただけますでしょうか。

近藤政府参考人 お答えをいたします。

 文部科学省では、平成十四年度より、全国七地域九校を指定いたしまして、新しいタイプの学校運営のあり方に関する実践研究を行ってきているわけでございますが、実は、全国から三十件の応募をいただいたわけでございまして、その指定に当たりましては、地域や保護者のニーズを的確かつ迅速に反映するための協議会組織の設置の要件、考え方でありますとか、あるいは学校裁量経費の支出、校長公募、教職員配置といった人事などに関する学校の裁量権の拡大、こういった新しいタイプの学校運営のあり方に焦点を置いた研究をどこまで計画を充実して立てているのかとか、もう一つは、やはり地域的なバランス、こういったことも踏まえまして、総合的に勘案をし、この七地域九校を指定した、こういう経緯でございます。

田島(一)委員 地域的なバランスとおっしゃると、どうして岡山で三校も一気に偏ったのかな、そんなふうに思ったりもするわけなんですけれども、何かあったんでしょう、そんなふうには思います。理解いたします。

 それよりも、去る五月十日に、河村大臣の方が、このモデル校の一つであります足立区立の五反野小学校、こちらの方を訪問されて、理事長であるとかまた理事会の方々と意見交換会等をされたように新聞で拝見をいたしました。この学校理事会の構成がどうあるべきだとか、どんな成果が上がってきたのか、また新たに見えてきた課題、そういったものも、行って意見交換の中で承知されているかというふうに思いますけれども、一体どのようなお話が出てきたのか、とりわけ課題について聞かれたことについてちょっとお示しをいただけませんでしょうか。

河村国務大臣 今回、この議論をいただくに当たりまして、私も実践校を視察して、どういう点が問題があるか、またどういう成果があったか、知る必要があると思って参りました。

 課題をということでありますが、まず、やはり理事会の皆さんが、いかに学校をよくするかということに非常に熱心に取り組んでおられまして、まずやはり基礎学力をちゃんと定着したいということで、この指導実施に対する要請があって、それに学校がきちっとこたえようとしている。それから、地域全体を巻き込んであいさつ運動をやろう、授業が始まるとき、終わるときも、きちっと生徒がみんな立ってあいさつをして始める、また終わる、こういうこともちゃんとやろうというのが、地域の提言に応じて学校がそれを取り入れるというようなことがございました。それから、地域住民のボランティアが学校に入ってこられて、土曜日のパソコン教室とか囲碁教室をやろう、こういう取り組み、こういうことで地域との連携が非常に高まって成果が上がっているという報告を実際に私も見聞きしたわけでございます。

 さらに、五反野学校が指定校ということでこういうことをやっているということで、あそこは学校選択制もしいておるものでありますから、ほかの学校も、生徒が皆そこへ集中するのではないか、うちもしかし頑張らなきゃいかぬというようなことで、周りの学校も、やはり開かれた学校、皆さんから信頼を置ける学校をつくろうということで、実際に運営協議会的なものはないけれども、PTAの方々を中心にしながら学校とそういう取り組みを始めた、こういう話も聞いておるわけであります。

 これから具体的な問題としては、やはり学校とそれから教育委員会とのあり方をどういうふうにこれからやっていけばいいのか、特に、人事等々についても意見を言い、それを尊重していただける、こういうことでありますから、このあたりがきちっとうまく機能するのかどうか、こういうこともこれからの問題であろうというふうに私は思ったわけでございます。

 おおむねこの問題について、やはり地域の皆さんが真剣にこの問題に取り組んでおられるということが非常に大事でありまして、そのためには、この運営協議会を持った学校のあり方、こういうものをやはりきちっとよく理解をして参加をしていただく、こういうことがこれから必要になってまいりますので、このことの趣旨の徹底をしながらやっていく。

 それから、どういう学校を指定するかというのは、やはりこれは一義的に教育委員会が考える、しかし、地域の要望と相まって考える。その辺を、ある意味では御指摘のようにスピーディーに、かつこの意義をちゃんと理解していただいて取り組んでいただく、それがうまくいくどうか、これからのポイントだろう、こういうふうに思いました。

田島(一)委員 全くおっしゃるとおりですね。そう考えると、地域、地方の教育委員会に裁量権をかなり与えて、任意でやっていいですよと言っているけれども、果たして本当に大臣が御心配されているようなスピーディーな動きとしてこれが具体的に地域に根差した学校運営協議会として機能するのかと考えたとき、まだまだちょっと十分とはなかなか言えないなと私は考えるんですね。

 例えば、先ほど御報告いただいた中で、学校選択に拍車がかかるかもしれないからというので、周りの学校も随分危機感を持ってきた。また、自分たちも頑張らなきゃという、多分そういう気持ちになられたんだというふうにも思うんですけれども、周りの学校の校長先生であるとか地域の皆さん、そういった方々は、どんなふうに五反野小学校がモデル校として指定されたことによって影響されたのか、聞き及んでいらっしゃいますでしょうか。

河村国務大臣 周辺だけではなくて、東京も含めて、また周辺の各県からも随分視察に見えているそうですね。どのように学校が変わっていくのか、あるいは授業の形態が変わっていくのか実際に見ようということでありますから、やはり皆さんもかなり関心を持っておられることは事実であります。それがいい結果になればいいと私は思っておりますし、そして、それを踏まえて全国にこれから展開をしていく。

 今後、これを実施するに当たりましては、こういう事例を、報告書を全部回しますから、各県においてはこういう取り組みをされている。例えば、事前にまた校長先生方にも集まっていただいて聞きましたが、校長先生が使える裁量権といいますか、例えば学校運営費のお金を今までは五十万しか使えなかったのが百万までは校長が使えるようになったとか、こういうようなこともあって、裁量権が増したというような報告もございました。

 それぞれ九つのモデル校がいろいろな取り組みをされております。そういうものをオープンにして、大いに参考にしていただいて取り組んでいただいたらどうであろうか、このように思っています。

田島(一)委員 時間も迫ってまいりましたので、最後、全体的な所見としてお伺いをしたいんですけれども、今回の地行法の一部改正、これは一部改正にとどまらず、地行法そのものを解体させる、そんな要素も含んでいるなというふうに私は認識をしております。ある意味では、まだまだ問題もたくさんあり、なかなか簡単に評価をすることは非常に難しいなと思う反面、今日までの日本の公教育のあり方全体を改革しようという、そんな可能性も秘めたものという評価もしております。

 それだけに、この先、諮問をされました教育委員会のあり方のことについて、今後あるべき教育の姿であるとか、また日本の公教育のあり方、そして国が地方のそういった教育に対してどのようにかかわっていくべきか、そういったものを全体的に展望していかなければならないと思いますが、今回の法改正に伴って、これからの日本の教育のあり方について、大臣、どのようにお考えか、お願いいたします。

河村国務大臣 時間もないようでございますから簡潔に申し上げますが、教育が今日の日本をつくってきた、資源小国の日本が経済大国と言われるようになった、ここまで来たというのは、やはり教育、特に基礎的な教育であります義務教育に対して力を入れてきた成果だ。だから、これからのことを考えてみても、まさに国家百年の大計ということを考えてみても、この教育振興が不可欠でありますから、また、憲法の精神、教育の機会均等、また教育水準の維持向上、こういうことを踏まえて、これからの公教育に対しては、まず国が一義的に大きな責任があると思います。

 しかし、現場であります地方、特に、教育においても地方分権と言われておりますけれども、まさに、現場を持っている地方がいかに教育に主体的に取り組んでいくかということが極めて重要でございます。一番身近なところにある地方公共団体がその役割分担をきちっとやっていただく、まさに国と地方がその責任を果たしながら教育を推進していくということ、これが非常にこれから大事になってきた、こう思っております。

 また、これまで、ややもすると、教育ということはすべて学校に任せておけばいいんだというような風潮で、とにかく日本は豊かになろうということに取り組んできた。しかし、ここまで来て一定の目標を達成してみると、改めて足元を見たときに、しかし、教育は、これは学校だけじゃない、地域も家庭もみんな一体となって取り組まなきゃいけないんだという意識が高まってきた、こう思いますね。その第一歩としてこういう取り組みもスタートした。

 まさに信頼される学校づくりといいますか、まさに学校が皆さんの期待にこたえるかどうか、これがかかってきておりますから、それは、地方公共団体初め地域の皆さんの創意工夫と一体となってやっていこうという機運にこたえるまさに教育改革の一環でございますし、私は、こういう視点は絶えずこれからも持ち続けていかなければいけないのではないか、このように思っておるわけであります。

田島(一)委員 ありがとうございました。

 国でやるべき役割とそして地方でやるべき役割が、今本当に問われているときだと思います。とりわけ、今し方も御答弁の中でおっしゃってくださったとおり、現場の生の実態、これが本当に政策立案の段階で反映されているのかどうか、さまざまな点で疑問に思うことがございます。

 それだけに、今回、五反野小学校をごらんになられたのにとどまらず、ぜひ数多くの現場の実態を大臣、把握していただきまして、この先の公教育のあり方、地方分権のあり方について、ますます議論を進めながらいい形の日本の教育をつくっていきたいというふうに私も思っておりますので、これからの御精進をぜひお願い申し上げて質問を終わらせていただきます。

 ありがとうございました。

池坊委員長 加藤尚彦君。

加藤(尚)委員 長時間の中での審議でありますけれども、きのう我が党の須藤議員が近藤局長に、長い文部職員としての思い出というか、いわば長く職員をやってきて幹部になって、そしてというお話の中で、その部分だけ結構和やかな顔で、今のような顔で答弁していらっしゃいましたけれども、質疑に対しては非常に真摯に答弁されているという評価をします。

 この際、大臣は、文部省そして文科省の生え抜きといいますか、政治家としてエキスパートという評価があるわけですけれども、文部、文科と続いて、委員とかあるいは政務次官とか副大臣とか大臣とか、大変な経歴なんですけれども、その中で、長くやっていらっしゃって、きのうのお話の中でも、議員立法で先生になる条件として一週間ぐらい介護の研修をしてこいという、議員立法で決めたことが今でも続いているということなんですけれども、いろいろあると思います。その中で、須藤議員が質問したように、私、大臣にも質問させてもらいたいと思います。

河村国務大臣 私、地方議会も十四年、それで国会に出させていただいて十四年と、ちょうど今半々のところに来ておりますが、地方議会におきましても文教委員長等も歴任をさせていただいて、そういう問題に取り組んでまいりました。

 そういうことで、国会に出ましても教育関係を中心に取り組んできた、これは事実でございますし、そういう思いで来たわけでございます。今改めて大臣の職についてみて、この教育問題の難しさ、責任の重さをかみしめておるようなわけでございます。

 そこで、私も具体的に政策を実行する立場に入ってまいりましたのが、平成十一年の十月に総括政務次官を、小渕内閣のもとでございました、中曽根弘文大臣のもとでございました。

 そのときに取り組んだのは、やはりこれからの教育で、教員の質を上げなければいかぬし、教員を確保しなければいかぬという問題がございました。財務当局がその当時、子供の数がだんだん減ってきたんだから当然先生の数も減るのが当たり前だ、公務員だ、こういう意見を強く言ってまいりましたものでありますから、いや、文部科学省は、当時文部省でありますが、これに絶対負けてはならぬ、とにかく教員の先生を減少するようなことを、我々がそれに応じたら、今の教育、特にこれは一義的に文部省にも大きな責任があることかもしらぬけれども、不登校の問題はいじめが大きい、これに対応しようとすれば、これは相当先生を確保しなければいかぬ、それからさらに先生の質を高めようとすれば研修にも出さなければいかぬ、そうすると、先生の余裕を持っていなければとても対応できないという思いがございました。そういうことで、これはとにかく頑張らなければいかぬということで、時の小渕総理にもそのことも強く申し上げました。

 一方では、民主党からも三十人学級、こういうような強い要請もあって、これにこたえるだけの、与党としてどう対応するんだという問題もあったわけであります。そこで、加配制度とかそういうものを大いに活用して少人数教育をやろうということになりまして、少なくともやめていかれた先生の分だけはきちっと確保するということによって、結果的に増員ということをとった。

 これは私は、もっと本当は、次にすぐ森総理になりましたから、森総理もずっと文部大臣経験者でありますから、教員の数を三十人、もっとがんとふやすのかと思ったらそこまでいきませんでしたが、少なくとも教員数を減らさないという方向を打ち出してもらった。これは私、非常に印象に残っておったことでございます。

 また、その当時から食育という問題は、言葉にはなりませんでしたが、学校栄養教諭の制度の問題がありまして、総括政務次官当時に、内部でもこの問題に前向きに取り組もうということを当時の局長が決断をいたしまして、本格的に学校栄養教諭を入れるにはどういう点を協議したらいいかということをずっと検討してきて、今日ついに、私が大臣のときにこの制度ができたということも非常に印象に残っておりますし、喜んでおります。

 と同時に、大学をもっと変えなければいかぬ。このままではまさに象牙の塔になっていて、まさに学校間の切磋琢磨もないし、国家公務員としての身分に安住している部分があるのではないか。

 また、地域との連携、特に、これからの科学技術の振興等を考えたときに、地方との連携、産官学の連携、こういうものをもっと自由にやらなければいけませんし、また、せっかく大学が持っている知的所有権、そういうものが社会に転換できない、こういう問題をもっとやろうということで、国立大学の法人化という大きな問題、これも実現ができたということでございまして、これも私にとっては非常に印象的なことでございました。これは遠山大臣のもとでございましたが、この答弁は確かになかなか厳しいものがありまして、成立までかなり苦労した思い出がございます。

 いずれにしても、これからの課題もこれから大きいわけでございますが、今いろいろな方々の意見を聞いていても、日本の国民といいますか次の時代を担う子供たちを、表現は悪いんでありますが、劣化させてはいけない、日本全体を、そういう意味でやはり教育をしっかりしなさいという声がもうちまたに満ちていると思いますね。これにどうこたえていくか。やはり国の役割、義務教育に対する憲法の精神の役割をきちっと守りながら、そして今回のこの法案にあるように、やはり地方、現場の声、とにかく現場の声が生きるような学校、そして教育の現場、そういうものをどんどんつくっていくということがこれから大事になってきております。

 一方では、経済財政諮問会議等々から、日本の財政のことを考えたときに、あるいは地方分権を考えたときに、もっと教育の効率を上げろ、教育に財政的な色合いというものが非常に深く入ってきつつある、これにどう向かっていくかということもやはり大きな課題でございます。

 特に、義務教育費国庫負担制度の堅持の問題等々についても、かなり厳しい圧力があります。現実にある。それはやはり教育の効率化であり、地方分権だと言われるけれども、これはややもすると経済論が優先している嫌いがある。これに教育論をどうやってきちっと位置づけていくか。やはり教育の大事さというもの、いま一度そのことをもっと強調しながら、国民的なコンセンサスも得なければいけない。

 一方では、教育の根幹を考えるときには、やはり、教育の根幹と言われる教育基本法という大きな課題がございます。そこまで踏み込んで教育改革をやっていくという大きな使命、課題があるということも意識をいたしておりまして、ちょうど戦後のあらゆる改革の中で一番根幹になる教育改革というこのときに、これまでの体験を生かさなければいかぬと思っておるわけでございます。

 まさにこれは議会の皆さんの御協力や、あるいはいろいろな御指導、そういうものを受けて、まさにそれぞれの地域を代表して出ておられる皆さん方が教育に、特にこの委員会には真剣に取り組む方が希望して委員会に入っておられますから、皆さんのそういう思いといいますか、それをしっかり受けとめて、国の施策の中でそれをいかに生かすかということが私の使命であろう、このように思っておるところであります。

加藤(尚)委員 時間が一時間ということですから。とはいえ、やはり僕はこういう委員会で、担当の者とかあるいは大臣、副大臣に、この委員会での最高リーダーとして常に意見をこれからもお尋ねしていきたいというふうに思います。

 大臣、戦後の改革は、すべて日本の子供たちが幸せにすくすくと、それで、将来社会人として国家を担うという大変な大きな期待をするわけですけれども、その上での改革の中で、一方では、小中高の暴力行為が、例えば平成十四年、十五年を見ても一向に減る傾向にない。若干減ったりふえたりというのはありますけれども、暴力行為は全国で三万八千件、恐らくもっとあると思います。あるいは出席停止の命令を受けた子供が三十七件とか、あるいは校内でのいじめが四万件近いとか、あるいは自殺についても減る傾向だけれどもまだなくならないとか、不登校についても十三万件とか、中途退学とか、いろいろあります。

 いずれにしても、この思い、大臣ほか担当局の皆さんの思い、あるいは文科委員の人たちの思いとは別に、青少年の不良行為というか青少年犯罪というものが一向に減らないという現実もあるわけです。そのことを踏まえて今度の法案が、一つ重要な法案が生まれてきたというふうに私は理解しております。

 そして、その上でですけれども、僕は、チャータースクールとかプライベートスクールとか、いろいろな外国の、イギリスもそうですけれども学校理事会ですね、いろいろなことを学ぶ、世界に学ぶことはたくさんあると思います。とはいえ、日本のコミュニティー、今回出された法案で拡大解釈するといわゆるコミュニティ・スクールですけれども、これはもう江戸時代からさかのぼって物すごい歴史があると思っているんですよ。

 例えば、江戸八百八町じゃないけれども、南町奉行、北町奉行があって、そしておかっぴきが、つまり警察官ですね、それぞれ南町奉行所あるいは北町奉行所に十数名しかいないんです。それで百万人の治安、防犯をやってきたわけですね。

 なぜそんなことができたかということですね。もちろん凶悪犯罪もあったし、いろいろな犯罪も江戸時代にもあったと思います。でも、子供の犯罪というのはもう比べ物にならないぐらい少ないというデータもあるんですけれども、それはなぜかということですね。それはやはり地域の中で子供を大切にしたということがあるし、あるいは家庭では、父親、母親がけんかしても、最後は父親が母親に謝るとかね。

 僕なども、三十五年の結婚生活の中で、大ざっぱに計算すると、三十五年だからもう一万数千日だけれども、その間で一週間に一遍けんかしても千八百ぐらいけんかしているんだけれども、僕は千八百回、全部女房に謝っているんですよ。ああ、僕が全部悪かったということでね。そうすると、家庭円満で、子供も結構、一人娘だけれども、僕には厳しく、母親に愛情があってということでね。

 やはり、いずれにしても、家庭そして地域、それが江戸時代は意外に定着していたというんです。八つぁん、熊さん、あるいは近所の御隠居さんとか、あるいはお寺さんのお坊様とか、いわば寺子屋とか、あるいは地域学校とか、そんなのがあった中で、意外に、百万人の人口で、おかっぴきが十数人で江戸の治安を守ってきた、防犯してきたということを見ても、今は異常事態だというふうに思います。ですから、法案審議の中で日本のよさというものをやはり懸命に文科省は伝えなければいけないと思っている、日本はいいところなんだと。

 でも、こういう子供の犯罪が、不良が減ることはなくてふえているということはどういうことかというと、やはり社会がちょっと悪いんです。地域はほとんどいい。例えば、自治会、町内会でも、ここに資料があるけれども、一つきのうも発言がありましたけれども、結構、町内会長以下役員さんたちがボランティアで一年じゅう働いているんですよ、地域のために。ですから、地域は、自治会、町内会を中心に、学校を中心に、結構歴史があるんです。後ほどちょっと触れてもいいんですけれども、秋津小学校の例もそうなんだけれども、地域はしっかりしている。でも、社会が悪いんです。社会が悪いということは政治が悪いということになってしまう。だから、物すごい重大な責任があるというふうに思いますよ。

 例えば、子供が一歩出れば、家庭の中、家庭でも悪い家庭はたくさん最近出たようでありますけれども、地域の中には、少なくとも自分たちの子供ということで、ボランティアの人たちが交通整理をしたり、あるいはあいさつをかけ合ったり、元気で行ってこいよとか、あるいは帰ってきたらお帰りとか、そういうことを地域でやっているのをたくさん僕は目にしているんですよ。そういう意味で、地域はまあまあだ。

 ところが一方、その先へ出ると、結構いろいろな問題がある。前回も指摘したように、子供がたばことか飲酒とか、あるいは麻薬とか、そういう誘惑だらけの社会なんです。これを退治しなきゃいけない。これを退治するのは、地域だけではとてもじゃないけれども守り切れないけれども、実は守れると思っているんです。それはよい子供を育てるということだというふうに思います。

 その意味で、大臣、大臣のこの法案に対する、どういう思いで出して、そしてこれがどういう成果、結果を生むか、改めて、手短にお話をしていただければと思います。

河村国務大臣 先ほど五反野の視察の体験の話もちょっとさせていただきましたが、今の教育でいろいろな問題点があること、御指摘のとおりでございます。

 これにどう立ち向かっていくか、当面の、今の不登校状態、そういうものを課題に取り組むと同時に、国家百年の大計である、まさに心の豊かさをどう取り戻すかという、それはさっきおっしゃったように、日本の歴史をずっと考えてみたときに、江戸時代のようなあの勧善懲悪の考え方というものが非常にあって、社会がそれをちゃんと守っており、見ていた。もちろんその中には泥棒もおったし悪いのもいたけれども、非常に厳しい罰則もあったんですね。そういうこともきちっとやりながら社会を構成してきた。

 そういうものが、だんだん規範意識が薄れてきたというところに大きな問題、これはやはり戦後の教育、戦前の教育と戦後の教育、いろいろ言われますけれども、ある意味では、それの反動的なものもそこへ出てきた。自由平等、それには義務、責任が伴うんだということがきちっと位置づけがされておったかどうか。そういうことが今の現実のいろいろな社会の緩み、規範意識の崩れ、やはりいろいろな意味で教育に及ぼしておるんではないか、私もそう思っております。

 一方では、こういうふうにマスコミも発展してまいりまして、マスコミの影響というのも非常に大きいわけですね。バーチャルな世界が入ってきた、そのことについて、むしろ国民の意識の方がそれについていけない。よしあしの善悪がそういうものだけで判断されるようになってしまった。

 家庭の中の教育力も落ちている。加藤先生のような御家庭でしたら、子供さんはやはりそれを見ていますから、ちゃんと親子の関係、夫婦の関係、どうあったらいいかということを知らず知らず学んでいくわけですね。私も、幸い四人の子供がおったものでありますから、逆に子供から教えられることも非常に大きいわけでありますが、一方では、やはりこの夫婦関係が次の世代、それがまた次の世代に及ぶんだということも考えながら、時々反省することが多い。私も、どっちかというと謝る方が多いので、ほとんど謝っていると言ってもいいかもわかりません。

 そういう思いを感じながら、今回、まさにアメリカ型のチャータースクール、いろいろな意見もありますが、やはり日本型のものを求めていこうということで、今回のコミュニティ・スクール、名前もコミュニティ・スクールという横文字を使うのがいいかどうか、これはもうそれぞれの地域にお任せするけれども、地域が中心になって運営をしていただく。

 しかし、教育の中立性とかいろいろな問題もありますし、これまでの制度からいって、教育委員会がやはりちゃんと中に入ってその運営を一緒にやっていく、それによって地域のよさを引き出す。日本のこれまで培ってきたよさがそこへ生きていかなきゃいかぬ。まさに地縁血縁を大事にしてきた日本の社会、そういうものがやはりそういう教育の現場にも生かされてもらいたいし、そういう思いも今回あるわけでございます。

 今回の法案の一番大きなねらいは、やはり地域の声といいますか、そういうものがこの学校運営に反映できるかどうか、これに私はかかっている。そのことによって、地域あるいは家庭も含めての教育力を高めることができるかどうか、その使命がやはりこの新しい試みの中にあると思います。さっき申し上げましたように、指定校的なものはわずかでありますが、今後これが全体的にふえていくことによって、そういうことをやらない学校もそれに見習おうという動きが出てくるであろう、こういう期待感もここにある、こういうことでございます。

加藤(尚)委員 長所をさらに生かしていく。確かに、きのうの参考人の二人の先生も、お一人は七十五点の法案だ、お一人は六十点と。多分、結構甘い部分もあるんですよ。でも、少なくとも、第一歩を記したということは物すごく大きな評価があっていいと思っています。

 要は、この法案をいかに多くの人たちに理解してもらって、それを地域の中でしっかりと根づいた、要するに、学校というのは地域があっての学校だ、学校は地域があってから、こういうお互いさまという考え方を定着していくといいな。それは、短所はいっぱいあるんですよ、法案を見てもいろいろ言えることはあるんだけれども、そんなことは後でいいんです。今は、スタートしたことを中心に、これをよりいい法案にしていこうという考え方で進めていくんです。

 学校評議員制度は、三万五千校のうちの六〇%というから、二万数千校が緒についたばかり。例えば、神奈川県の例で言うと、県立高校も、あるいは神奈川県下の市町村も一〇〇%、平成十六年度で一〇〇%、評議員制度、名前はいろいろですけれども、スタートしたばかり。この上の法案ということで、若干リサーチしたんですけれども、戸惑いもあるんです。弱ったなと。去年から始めたところ、ことしから始めるところ、これからだと。そういう矢先の法案だから、まず評議員制度をしっかりやらせてくれればよかったのにという、そういう陰の声もあるということはぜひ知っておいてもらいたいんです。

 その上で、一つだけ質問したいのは、六〇%というんですけれども、上位三県、下位三県、もしわかっていたら、局長、お願いいたします。

近藤政府参考人 お答えをいたします。

 学校評議員につきまして、平成十五年七月現在では、全国平均では六二%の公立学校に設置をされているわけでございますが、県立学校あるいは指定都市立の学校では、上位は、岐阜県、島根県、広島県など三十の県市で一〇〇%設置をされているわけでございます。一方、導入が進んでいない県市、固有名詞を挙げますと、千葉県、福井県が〇%、福岡県が一・四%ということでございます。

 小中学校などの市町村立学校でございますが、設置率の高い市町村では、佐賀県内九五・七%、高知県九四・七%、神奈川県、これは十五年七月の数字でございますので九〇・三%ということです。設置率の少ない市町村でございますが、富山県内が六・〇、山梨県内で一三・五、岩手県内の市町村では一七・三%、こういう状況でございます。

加藤(尚)委員 神奈川県は平成十六年で一〇〇%というふうに答えを聞いているんですけれども、若干ずれがあるかもしれない。

 でも、ゼロ%もあるということだし、物すごく設置率が悪いところについて、別にこの評議員制度はないけれども、ほかのことで間に合わせているということもあるかもしれない。そういう意味で、ゼロはちょっと異常かもしれないけれども、あるいは一〇%、二〇%は異常だと思いますけれども、その原因、要因について把握していらっしゃいますか。

近藤政府参考人 お答えをいたします。

 私ども、平成十二年の制度導入以降でありますけれども、都道府県の教育委員会の関係者からヒアリング等を行っているわけでございまして、理由といたしまして、導入が進んでいない都道府県からは、今先生御指摘になりましたように、以前から、学校評議員とは異なる方法でありますけれども、住民の意向を把握する取り組みがあって、あえて学校評議員制度を導入する必要性を感じていない、こういったようなお答えでありますとか、これは少し私はいかがかと思っていますが、他の地域の状況を見きわめた上で導入したい、こういうような事情がある、こういったお答えをお聞きしているところでございます。

加藤(尚)委員 了解しました。

 これからいよいよコミュニティ・スクールですから、今までとは違った取り組みも、やはり地方の教育委員会にゆだねるといっても、ばらつきがあったり、受けとめ方があったり、プライドがあったり、いろいろなんです。やはり国の指針として、方針として、法案ですから、周知徹底する努力をあらゆる方法でしてもらいたいと思います。

 次に、先行事例、先ほどから論議されていますけれども、この法案に当たって、七地域九校ということなんですけれども、三十件の応募があったということなんです。先ほども、田島委員の質問に対して、バランスを考えてということで九校に絞ったということなんですけれども、でき得るならば、三十校全部やってもらった方がよかったんですよ。たとえ地域に偏ったっていいんです。少なくとも、三万五千校のうちの九校でしょう。そうすると、この法案をつくるためには余りにも事例が少ないような気がします。算数でいえば〇・〇二ちょっとぐらいだろうと思うんですけれども、ちょっと事例が少ない。

 少ない中で、九校については、後で聞きますけれども、予算措置もしたわけですけれども、先行事例という意識についても、だから、先行事例の中で手を挙げて実際に実験校になってやったところについては、大臣のお話もあったように、結構一生懸命やったと思うんです。いい結果が出ていたと思うんです。それを、だからこの法案を出したということに直接的にならないかもしれない。むしろ課題の中で少なくとも実験校、でも、その実験校は余りにも少ないなというふうに思いますけれども、局長、どうでしょうか。

近藤政府参考人 お答えをいたします。

 私ども、このいわゆるコミュニティ・スクールの検討に当たりまして、こういう実践的なモデル校での成果というものをもちろん大切にしたわけでございますし、それから、中央教育審議会でも大変な御議論をいただきました。あるいは、アメリカのチャータースクールにつきましては、委員の方々にも御視察もいただき、その問題点等も調べてきたわけでございます。また、イギリスの学校理事会制度につきましてもいろいろと研究をさせていただきました。

 そういったいろいろな研究とこの九校の実践研究校の成果をあわせまして、こういった制度設計をしたわけでございまして、私は、これは実験研究開発学校でございますから、必ずしも数が少ないということではないというふうに考えておるところでございます。

加藤(尚)委員 その九校ですけれども、質問通告していませんけれども、評議員制度をすべて導入している学校ですか、あるいは導入していない学校があるかどうか、お答えください。

近藤政府参考人 お答えいたします。

 ちょっと今事前に調べていなかったものでありますからあれですが、学校評議員制度を従来から持っていて研究開発を行った学校、それから、従来からは学校評議員を置いていたわけでございますけれども、国からの研究開発学校に指定をされたということで、名称はともかくとしてそういう学校協議会と申しましょうか、運営協議会と申しましょうか、そういった形で合議制の機関として、校長との関係でありますとかいろいろなことについて研究をしてみよう、それを置きかえた、こういう研究開発学校もあったかと記憶をいたしております。

加藤(尚)委員 ちょっと予算のことについても聞きたいんです。平成十四年からですけれども、二千五百万とも二千二百万とも聞いているんですけれども、この七件九校での実験校としての予算は幾らだったんですか。

近藤政府参考人 平成十五年度の予算額で申し上げますと、二千六百四十二万一千円ということでございまして、七地域九校でございますから、大体三百万円余りの予算措置をなしたわけでございます。

 この金額が高いか低いかといろいろ御議論はあろうかと思っておりますが、私どもは、新しいタイプの学校運営のあり方に関しまして、その制度化も視野に入れた実践研究を行う、こういうことを目的として措置をした、こういうことでございます。したがいまして、これらの研究開発学校では、いろいろな会議を行ったり、あるいは資料を作成したり、そういう意味では若干の経費がかかったのではないのかな、こんな印象を持っております。

加藤(尚)委員 一校当たり三百万程度ということなんですけれども、これはそれぞれの手を挙げた学校は、実験校として指定された学校は、恐らく学校自体が予算化したのか、あるいは地域の教育委員会がこれだけの予算でやりなさいよと言ったのか、どうでしょうか。

近藤政府参考人 これは、国がお願いをしてこういう実践研究をしてくださいということでございますから、当然、お金を支出委任という形でお願いをしておるわけでございます。

 例えば、運営会議のそこでの出席謝金あるいはいろいろな公開研究のまとめ、報告書、こういったようなものは国から、今申し上げましたように一件当たり三百万円ぐらいでございますけれども、お願いをしておるわけでございます。実際、これらの学校がございます県と、私ども、これを指定し、実際に授業を展開するときには都道府県とよく御相談をさせていただきながら、どういった形で研究していくのかということを話し合いをした、こういう経緯がございます。

加藤(尚)委員 言いにくければお答えしなくてもいいかもしれないけれども、それぞれの実験校、九校あるわけですけれども、この法案の協議会を前提とした委員は、各学校平均して大体何名ぐらいですか。

近藤政府参考人 ちょっと今手元に資料を持ち合わせておりませんが、私の記憶では、各学校、名前は学校理事会とか協議会とかいろいろあったかと思いますが、その理事は十五名前後、十五から二十人ぐらいじゃなかったかなと記憶をいたしております。

加藤(尚)委員 一校当たり三百万で、これも通告をしていないから、もしわかったらでいいんですけれども、十五人から二十人ということなんですけれども、手当ては出されたんですか。

近藤政府参考人 新しいタイプの学校運営の実践研究ということでございまして、例えば謝金ということで、学校運営協議会委員への謝金、あるいは外部から先生に来ていただきましていろいろお話を聞く、そういったときの外部講師の謝金、こんなようなものも支出をさせていただいておるところでございます。

加藤(尚)委員 実験校ですから、テストですから、文科省も力を入れた、地域の教育委員会も力を入れた、そして指定された学校も力を入れた、その成果はたくさんあると思うんです。その中で、共通して、例えば秋津小学校のことがよく例に出されます。

 それで、秋津小学校については、千葉県の習志野でしたか、新しい団地の中で新しく生まれた学校ということですね。最初は、殺風景だし、地域の中でなじんでいないし、子供も不安の中で学校へ通っていたということですけれども、その中で見聞きした話として、その秋津小学校の学区内のおじいちゃん、おばあちゃん、おじいちゃんは久我喜代次さん、そしておばあちゃんは近藤ヒサ子さん、もう既に二人とも他界されていますけれども、おじいちゃんはじゃんけんおじいちゃん、お掃除おじいちゃんとかいって、おばあちゃんは種まきおばあちゃんと言われて、その学校の中でこつこつ毎日、雨の日も風の日もとは言わないけれども、子供たちの通学のときに立ちどまって、おいおい、何とかちゃんと言って、じゃんけんぽんとやりながら親しんでいった。

 そういうのを見ながら、保護者、PTAが、ああ、あのお二人の遺志を継いでいこうということで、いわゆるPTAが本物になってしまった。PTAがそのおじいちゃま、おばあちゃまの姿を見ながら、いわゆるボランティアの姿を見ながら、自分たちの学校だ、自分たちの子供だということで、どんどんいろいろなことをし始めた。結果的に、テレビとか雑誌とか新聞とか、いろいろなところに取り上げられるようになった。今度の新しい学校運営のあり方についてもモデル校になった。やはりすばらしい学校ということなんです。

 その中で、秋津小学校のことは私もよくわかったわけですけれども、局長、他の八校で、例えば際立った、秋津小学校に相当する、匹敵する、あるいはそれ以上の、今度の実験校として何か生まれ出た成果があったら教えてください。

近藤政府参考人 一つは、やはり先ほど来大臣から御答弁をさせていただいています東京都の足立区立五反野小学校、ここは、民間人校長も公募で採用しておりますし、それから、イギリスの学校理事会をモデルにいたしまして、この学校理事会にかなりの権限を与えている、そういったことでも、この九校の中ではやはりかなり先導的な試行をされたのではないかと思っております。

 そのほかにも、三重県の津の南が丘小学校、ここも民間人校長を採用すると同時に、地域による学校の経済的な支援のあり方の研究もなされております。

 それから、岡山県の岡山市の場合は、これは中学校と小学校二校の三校がいわばセットになりまして、小学校と中学校との、あるいは幼稚園との連携、先ほど来先生御指摘になっておりますような不登校問題等への取り組みでありますとか、小学校と中学校との連携、これもなかなか難しい課題があるわけでございますけれども、そういったいろいろな取り組みをされている。

 こんなところが頭にちょっと思い浮かんだところでございます。

加藤(尚)委員 取り組みについても、僕は、指定校になったから急に新しいものをどんどん出したということではないと思います。常日ごろそれぞれの学校で、手を挙げるぐらいだから、指定されるぐらいだから、自信を持って私は指定校になったというふうに、実験校になったというふうに思っています。

 その中で、指定されたことによって新しく生まれた一番大きな成果というのは、今おっしゃったように足立区の例じゃありませんけれども、校長の公募制ですね。これは九つのうちで幾つか出されているようだし、また中には、その学校でボランティアというものを一つテーマにしようという意見もあちこちの学校であったように聞いているんですけれども、どうでしょうか。

近藤政府参考人 おっしゃるように、ボランティアに学校にもっともっと来ていただく、これはまさしく地域と学校との連携という趣旨にも合致をするわけでございまして、和歌山県の新宮市立光洋中学校なども、地域のボランティアの方々に授業に参加をしてもらう、また逆に生徒が地域の清掃に出かけていっていろいろと相互交流を行う、こんなようなお話を和歌山県からもお聞きをしたところでございます。

 先ほどの先生御指摘になりました千葉県習志野の秋津小学校、これはもう従前からボランティア活動は大変熱心でございましたし、この研究開発学校の成果でもそういったことを発表していただいた、こんな状況でございます。

加藤(尚)委員 校長の公募制も、私はこれからも期待する一人なんですけれども、そればかりじゃないんです。今いらっしゃる校長先生、それなりに一生懸命みんな子供のために働いていらっしゃる、私はそういうふうに思い切りたい。

 むしろ、教員にしても校長にしても、後で質問するつもりだったんですけれども、関連で申し上げてしまうと、例えば教員の先生だったら、先ほどの介護の経験もそうですけれども、あの教員試験というのがあります。結構難しい試験なんです。それで、学校の先生になりたくてもなれない人はたくさんいる。その中から勝ち抜いてきた、学科試験は。

 面接もそうです。その面接の中身を詳しくは知りませんけれども、何人かの校長先生に聞くと、新任の先生希望の人は、もう若々しくて、使命感に燃えて、そして情熱を振りかざして、自分こそ先生にふさわしいということをだれもが言うそうです。そのことをきちっと吟味して、そして面接試験を落としたり受からせたりしているんだそうです。

 その最初の気持ち、そういう気持ちをみんな持ち続けられるかどうかという問題があって、これはきょうは質問しませんけれども、校長先生が非常に重要になってきた、この法案では。校長先生は公募でもいいんだけれども、校長もいい校長先生のとりっこじゃなくて、今いらっしゃる校長先生を学校で、あるいは地域で守り立てていくという逆の仕事もしなくてはいけない。それがコミュニティ・スクールの法案のいいところだと私は思っているんです、思いたいんです。

 近藤局長、その意味で校長先生について、知っている範囲内でいいんですけれども、どういう任用の仕方をしているか、あるいは昇格をしているか、知っていたらお願いします。

    〔委員長退席、青山委員長代理着席〕

近藤政府参考人 お答えをいたします。

 一般的に、今校長の選任は、昇任の場合には管理職登用試験、試験を行ったり、それから今先生から御指摘がございましたように、民間人校長を含めて有資格者の中から公募をする、いろいろな方法が考えられるんだろうと思っておりますが、いずれにいたしましても、結果を踏まえまして、任命権者の判断で校長としてふさわしい方々を選任していくということが大事だろうかと思っております。

 特に、今後、学校運営協議会制度というようなものが導入をされますと、学校の校長の役割は当然高まっていくんだろうと思っておりまして、やはりそういった研修、特にこういった組織の管理運営能力の研修、資質の向上、こういうことが大切だろうと思っておりまして、都道府県の教育委員会等で、そういった校長先生も含めた方々の、教員の研修をしっかりとやっていただきたい、これはまた私どももお願いをしてまいりたいと思っております。

加藤(尚)委員 校長の資質というのは、言えば切りがないんです。だれでもそうですね。ですから、表現は悪いけれども、やはり褒めることが、豚も木に登るとか悪い言葉があるけれども、褒めることが大事なんですよ。それは、欠点を探して、この先生は悪いとか、この校長は指導力がないとか、そこから入っちゃいけないと私は思うんです。やはり地域は先生が大事ですから、校長先生が大事ですから、むしろ、みんなでいい校長に育ってもらう、いい先生に育ってもらう、そういう考え方がコミュニティ・スクールの重要なところの一つだというふうに思っています。

 先ほど秋津小学校の例を出しましたけれども、やはり近藤ヒサ子さん、久我喜代次さん、もう亡くなられましたけれども、この二人の献身的なボランティア、そのボランティアをしている姿というのが何よりも教育なんですね、学校にとっても、子供たちにとっても。子供たちも、秋津小学校では、どんどんおじいちゃんとおばあちゃんと一緒になって参加したという話もあるようなんです。

 横浜で、時間がないからちょっとだけ簡単に例をとると、不良学校があったんです、物すごい不良学校。その区域の小学校の親たちは、いや応なくその学校に行かなくちゃいかぬ、行かせたくないと。だから、その区域ではどんどん私立に行っちゃうんです。だから、中学校の子供たちがどんどん減少傾向にあった。

 それをとめた人がいるんです。それは一サラリーマンですけれども、これはとんでもない、自分の子供も、中学校、私立に上げられるだけの資力がないから、財力がないからその学校に上げなくちゃいかぬということで、小学生を対象に自分自身がボランティア、つまり、会社の仕事が終われば、日曜、土曜日はもちろんだけれども、夜も含めて、小学校の子供たちをすばらしい子供に育てようということで、例えば、ハイキングに一緒に行こうと誘ったり、あるいは竹とんぼを見よう見まねでつくって教えたり、いろいろなボランティアをやったんです。あるいは、当然朝の間は交通整理をやったり、休みの日は、当時土曜日も学校があったわけですから、土曜日は必ず朝夕子供たちと声をかけ合ったりということで、わずか三年、五年で、横浜で最も悪い評判の中学が、最もよくはならないけれども、安心して自分の子供たちをその中学校へ上げられるようになったわけですよ。これも一人の献身的な地域のサラリーマンの人の努力だというふうに思います。

 ですから、言わんとするところは、いわゆるボランティアというのがすべてに通じる、地域のボランティアというのが、先ほど申し上げました町会、自治会もそうですけれども、地域のボランティアというのが学校を生まれ変わらせる。子供たちも参加するようなボランティア、これが先ほど御説明あったように、モデル校、実験校の九校の中で、校長先生の公募とかあるいはボランティアというのが大きなテーマで、それぞれが、おっしゃっていることにまさにずばりなんです。

 ボランティアということについて、これは大臣にお聞きするんですけれども、私は持論として、ボランティアを初等中等あるいは高校でもいいんですけれども、正課にすべきだと。これは、ただでさえ土曜日が休みで少ない時間だけれども、もう土日、特に土曜日は親も困っているんです、要するに子供の監視ができないから、親も働いているから。その意味で、このボランティアということについてあちこちで触れると、もうだれもかれもみんな賛成なんです。それは、地域と子供たちが一緒になって、やることはいっぱいあるんです。

 ですから、そういう意味で、ボランティアを正課ということを私はテーマにしている一人なんです。文科委員を特に希望した理由としては、ボランティアを正課にというのが一つございます。もう一つは、後で申し上げますけれども、読み書きそろばんをテーマにいたしております。

 その意味で、このボランティアを正課ということは、私立でも取り入れているところがあるんです。そして公立でも、正課にはしていないでも、少なくともボランティアを取り入れようとしている学校がたくさん出始めたと思っていますけれども、その辺の把握と、それからボランティアを正課にということについて御感想なり所感をお伺いしたいと思います。

    〔青山委員長代理退席、委員長着席〕

河村国務大臣 最近、子供たちに対する、ボランティア活動といいますか、そういうものを積極的に進めようということ、これは阪神大震災のときにかなり全国からボランティアが集まっていって奉仕した、あれが一つのいい刺激にもなったと思うんですが、そういうことが大事なんだと。ですから、兵庫県は積極的にそういうものをかなり取り入れていただいております。

 これは子供たち自身も教育としてとおっしゃる。私も、福祉教育あるいはボランティア教育も含めて、そういうものをきちっと正課にすべきだ、かねがねこう言ってきておるんです。なかなかまだ正課というところまでいっていませんが、私も数字を、学校で何%やっているかということについて把握をいたしておりませんが、私は相当数の学校がこのことについては何らかの形でやっていると思います。と同時に、大人ですね、大人がやはりボランティアとして率先垂範して一緒にやっていく姿勢が非常に必要だろうと思いますね。

 実は、学校自体にももっと社会人が、周辺の社会人が学校に入るべきだということで、実は、例の緊急雇用対策のお金を使って民間の方にも随分学校に入っていただいております。あるいは特別非常勤講師制度で入っていただいておりますが、それ以外にボランティア、特に最近言われるのは、子供の読み聞かせ運動等には、保護者の皆さんがボランティアとして入ってきて、授業の始まる前に一緒にやっていただくとか、私もそれがどのぐらい広がっているかということをもうちょっと確保したいと思いますが、もう既に読み聞かせ運動等は、三万五千のうち一万校以上の学校がそういうことをやり始めたということでありますから、その中に相当ボランティアが入ってやっておられることは間違いないと思っております。

 そういう意味で、いわゆる体験活動ボランティア活動支援センターあるいは地域教育力・体験活動推進協議会、こういう推進体制を国と地方自治体が一体となって今整備を進めておりますので、平成十六年度の予算にもそうしたものに対し予算措置もいたしておりますので、おっしゃるように、本来、教育の中できちっと位置づけるということが望ましいのではないかと私も感じておりますので、今後どういう形でそれを取り組んでいくかということをさらに課題として進めてまいりたい、こう思っております。

 それから、地域の方々のボランティアを大いに進めたい、こういうふうに思っております。

加藤(尚)委員 ついでに、一つの提案ですけれども、今、ポイントばやりじゃないけれども、子供たちに、まあパスポートカードと言う人もいるかもしれないけれども、ボランティアパスポートカードとか言っている人もいるかもしれないけれども、一番最上級はいわゆるプラチナカードとかいって、一番下はオリンピックじゃないけれども銅ですね、Cuカードとか、そういうことでボランティアを、正課にすれば問題ないんですけれども、正課の前の段階で、区別をするのはよくないかもしれないけれども、少なくとも子供は喜ぶんです。

 例えば、隣のおじいちゃん、おばあちゃんにお手伝いする、近所のおじいちゃん、おばあちゃんにお手伝いする、介護のお手伝いをする、そういう場合はそのおじいちゃんから判こをもらってとかいう、思いつきの話だからまともに聞かなくてもいいんですけれども、少なくとも何か、子供たちがボランティアが楽しくて積極的に取り組んで、しかもそれを評価してくれる人がいる、こういったことも、提案ですけれども、考えていただければというふうに思います。

 引き続き質問させてもらいますけれども、先ほどの例にちょっと戻ると、ちょっと不安なのは、この七地域九校なんですけれども、予算もかかっていると。この予算どおりということになると、例えば横浜市などは、小中で五百校ありますから、そうすると一校三百万ということになると十五億円ということになってしまう。だから、実験校だからということで、それは周知徹底しなくてはいけない。でも、少なくとも非常勤職員も入れなくてはならぬ。理事とか委員とかということで、若干の手当も考えなくてはいけないだろうということをもう想定しているんです。今、ただでさえ厳しい中で、教育予算まで削り始めているというそれぞれの自治体の予算の中で、このコミュニティ・スクールで非常勤職員ということで手当を伴うということに対して、ある意味で恐怖心を持っている教育委員会もいるぐらいなんです。

 だから、それは当然、国家予算で補って、三位一体改革じゃないけれども、地方分権といいながら、せめてこれだけは、ちゃんと実験校並みな予算あるいはそれに近い予算が出るかどうかということを不安がっていますので、答えられたらお願いします。

近藤政府参考人 お答えをいたします。

 先ほどの予算は、これはあくまで新しいタイプの学校運営の制度化に向けての実践研究を行うということで国からお願いをして研究をしていただいた、それに要する謝金でありますとか、その他の資料の作成費等についてお金をお支払いしたわけでございますが、今回の法案にあります学校運営協議会制度は、いわゆる任意設置でもございますし、国として特に財源措置を講ずるということは考えていないわけでございまして、設置する教育委員会の適切な対応をお願いしたいと考えております。

加藤(尚)委員 時間がないですから、質問通告した八〇%ぐらい質問させてもらいましたけれども、最後の質問に入りたいと思うんです。

 それは、さっきもちょっと触れさせてもらいましたけれども、読み書きそろばんですね。これは江戸時代にさかのぼるだけじゃなくて、一千年の歴史があると思っていますけれども、本の書き写しとか、印刷技術がないときですから。あるいは、知識のある人が子供たちを集めたり大人を集めたりして私塾をやるとか、三百藩では藩校があってそれぞれということになりますけれども、いずれにしても、その中で我が国はもう大変な歴史があって、それは特に江戸時代から明治という一大革命的改革があったときに、それを容易に受けとめて、容易に欧米に追いつけ追い越せになっていった最大の力は、私はこの国には読み書きそろばんという歴史があったからだというふうに思っているんです。その意味で、この読み書きそろばん、つまり計算、この辺についてずっと興味を持っていますので、あれこれ、いろいろな機会を求めてまいります。

 その中で、最近、川島隆太先生という東北大学の医学部の教授ですけれども、脳育ということを大変研究されていて、世界的にも著名になってきました。もう御存じだと思うんですけれども。この川島先生から私あてにファクスをいただきました。私は文科省の中で脳育ということについて今後取り上げていきたいということを申し上げてありますから、そういう意味でファクスが来たわけです。

 時間がないからはしょりますけれども、今の子供たちは切れる、あるいは引きこもる、これが青少年不良化の原因になっている、暴力につながっているんですけれども、この脳育、特におでこの後ろの前頭葉、この前頭葉の開発というのは一人でもできるし、地域でも学校でもどこでもできるんだけれども、そんなにたくさん要らない。例えば一日の時間でいうと、せいぜい一、二分、三分ぐらいで、この脳育というのは、特に前頭葉の発達というのはきわめられる、こう言っています。

 これは、読み書きそろばんのうちの、読み書き計算と川島先生は言っています、まさにそろばんなんですけれども、つまり、そろばん力というものが、私たちの日本では、だんだん教科の中で減らされている。あるいは、三年からということなんですけれども、時間もほとんどありゃしない。ところが、アジアの学校では、日本のそろばんというのはすばらしいということでウナギ登りなんです、アジアの、特にASEANでは。そういうふうに逆比例しています。

 その逆比例している中で、言いにくい話ですけれども、日本でトップクラスの大学の学力、そういういわば審査をしている団体がありますけれども、日本のトップレベルの大学、もう百番以内に入っていないというんだから、我々、一生懸命に戦後からずっと教育改革をやってきたけれども、結局、徐々に日本の子供たちの学力が下がっているというふうに言わざるを得ない。それはどういうことかというと、基本的な読み書きそろばんをおろそかにしたということだというふうに私は認識しているんです。

 ですから大臣、この読み書きそろばん論、そして川島隆太という脳育の博士が、いかに前頭葉を大事にして、それを開発して、育脳して、そして、それは難しいことじゃないんだ。簡単な算数を、昔のアチーブメントテストですよ、ずっと足していくという作業だけで子供の脳開発は物すごいと。同時に、今問題になっているいわゆるぼけの方々、ぼけという言葉は今使ってはいけないんだけれども、痴呆症の人たちもこの簡単な計算で治っちゃっているという事例もたくさんあるそうです。

 そういう意味で、読み書きそろばん論について、大臣の所感をお伺いしたいと思います。

河村国務大臣 東北大学の川島隆太先生のお話から脳育、さらに読み書きそろばん、計算の重要性、私も、これは非常に大事なことだろうというふうに思います。

 川島先生のことを最近聞くようになりまして、私、地元からも、川島先生の今進めておられるそういうものを地域に持ち込んで、地域のNPOや何かが地域おこしにできないだろうか、川島先生を紹介してくれと言ってきておりますので、また先生に御相談申し上げますが、まさに「脳科学と教育」の研究につきましては、文部科学省も検討会を設置しておりまして、その推進方策が昨年七月にも取りまとめがございました。この報告書によりましても、反復練習とかさまざまな学習活動というのが脳機能の発達にどのような影響を与えるかという問題、これはまだまだ正確なことを解明する部分があると言われておりますが、これを受けて、ことしに入りまして独立行政法人科学技術振興機構というところで、心身や言葉の健やかな発達と脳の成長に関する研究に着手するというのを始めております。「脳科学と教育」の研究の推進を図る、こういうことで今進めたところでございます。

 また、いわゆる読み書きそろばんと言われる読み書き計算についても、新学習指導要領によっては、小学校においてそのことをやはり繰り返し繰り返しやる、これはやはり基本的に必要であるという考え方に立っておりまして、特に国語と算数については、低学年、中学年あたりは他教科と比べて多く時間を配しておりますし、特にチームティーチングとか加配、教室もそのときは二つに分けるぐらいにして集中的にやらせるとか、そういうことで今取り組んでおる学校が非常にふえておりまして、そういう方向で今進んでおるということでございます。

 そういう意味ですから、学習指導要領は不断の見直しをしていかなきゃなりませんが、特に「脳科学と教育」、この成果を踏まえた教育というものをこれからさらに取り入れるということは非常に大事なことだと、私は受けとめさせていただいております。

加藤(尚)委員 宇宙開発でも、ミサイルは失敗ばかりしてしまっている。科学立国、教育立国というのを目指している国ですから、その割にはということで、それはなぜだろうということは、やはりしょっちゅう疑問に思っていなくちゃいけないと思うんです。

 それは、基礎中の基礎のことをしっかりやっていれば、だから知育、体育、徳育に食育が加わって、そして五番目が脳育ということになるだろうと期待しているんですけれども、それに加えてボランティア、これが加われば少子高齢化も怖くないし、いい社会になります、いい日本になるというふうに私は思っている一人であります。

 その意味で、今後、脳育ということについて、脳育なんて言うと、ちょっと何となくロボットかみたいでいけないんだけれども、そうじゃなくて、そんなに難しく考えなくていいと思います。ただ単に、計算に強い子供たちを育てようというだけで片づけられるというふうに思います。

 これは知っていらっしゃるだろうと思うんですけれども、和算の館というのは、これはホームページで抜いたんですけれども、近藤局長、和算の館というんです。これは江戸時代に、読み書きそろばんの中でもそろばんを各地域で競うわけですよ。今でいうと、そろばんで微分積分を解決しちゃおう、そういう努力をした歴史があるんです。

 それで、何で和算の館かというと、算額といって、自分が難しい問題を解いた、そうすると神社仏閣に奉納するわけです。それが掲げられるわけです。それをみんなが見るんです。ほう、あの隠居さんは大したものだとか、あの人は大したものだということになる。それで、どうしても自分で解けない場合はやはり神社仏閣に額を出すんです。この問題を解ける人がいたらぜひ解いてくれ、賞金は出さないけれども、お礼は言うぐらいのことを言って出すんです。そうすると、みんなが競ってその計算に努力するという歴史があるんです。つまり、計算に強い。今の大学生は、消費税をプラスされると計算もできない人がいっぱいいたという、前回の委員会でも申し上げましたけれども、それではとても教育立国、科学立国にほど遠いということになってしまいます。

 そんな意味で、江戸時代に学ぶということもありますけれども、読み書きそろばん、脳育ということを最後に申し上げて、時間ですので、私の質問を終わります。ありがとうございました。

池坊委員長 石井郁子君。

石井(郁)委員 日本共産党の石井郁子です。法案に関して質問をいたします。

 ただいまの加藤委員の質疑にもございましたけれども、まず、学校評議員制度との関係について伺いたいと思います。

 ことしで四年目に入っているのでしょうか、学校評議員制度が制度化されました。この学校評議員制度も、地域住民の学校運営の参画の仕組みとして初めて位置づけられたものと言われてきたわけですが、学校運営協議会制度が今後実施されていくという場合に、この評議員制度とこれは併存するというふうに考えていいのかどうかという問題なんですね。

 それで、併存するという場合には、一体どっちをとるか。評議員制度をとるのか、運営協議会の方でやっていくのかというような問題は、どこの判断によるのでしょうか。それを端的にお答えください。

近藤政府参考人 お答えをいたします。

 学校評議員制度、学校運営協議会制度、それぞれ位置づけとか期待される役割が若干違っているわけでございまして、こういった二つの制度が併存されながら、基本的には各教育委員会が学校の状況や地域の実情に応じて、どちらの制度を採用するか、そこは各教育委員会の御判断になろうかと思っております。

 私どもは、保護者、地域住民の経験の積み重ねですとか、地域の成熟によって学校運営協議会の設置が促進をされていくのではないか、このように考えているところでございます。

石井(郁)委員 確かに性格は違いまして、一方は個々の委員に諮問をするということであり、運営協議会の方は協議体というか合議体となるわけでして、権限もまた違うということがあるかと思います。

 そこで、今、学校運営協議会の方が強まっていくのではないかというような御答弁かと思いますけれども、大臣に、将来的にこの二つの制度がどのようにそれぞれ機能していくのか、あるいはどういう関係になっていくのか、ちょっと将来的な展望をお答えいただけないでしょうか。

河村国務大臣 先ほど来からの御質問、お答えの中にもありましたように、既に学校評議員制度というのは全国の六〇%以上の学校が取り入れている現状でございます。一部ほとんど進んでいないところもありますが、進んでいるところはもう一〇〇%進んでいるところがございます。ということは、これから学校運営協議会制度を入れていくということは、必ずこの問題とぶつかるであろうと思っております。

 先ほど局長の答弁にありましたように、基本的には、この学校運営協議会制度がきちっと機能すれば、学校評議員制度というのはそこの中に含まれていく性格のものであろうと私は思います。両方これを維持していくということは、これはまた校長先生にとってもなかなか大変なことであろうというふうに思われますので、この学校運営協議会に持っていくのが基本だろうと思います。

 しかし、そこは、教育委員会とこれから導入しようとするそこの校長先生との間の御協議も必要でありましょうから、一方的になくすというふうに固定的に考えなくても、その方へ移動していく性格のものであろうというふうに位置づけております。

 そういう形で今取り組んでおりますが、今後、学校運営協議会は、ましてこれは合議制の機関でもございますので、その中で学校運営協議会が校長を一方的に拘束するというものでもございません。校長の意向というものも当然踏まえていかなきゃなりませんし、校長の意向、意見としてまとめ上げていくことも必要になってくるであろう、教育委員会に対しては、学校運営協議会が校長を中心にして意見をまとめて、そして教育委員会に対してきちんと意見具申をするというような形のものもできてくるであろう、こう思っております。

 これからの将来像を考えてみましたときに、もちろん両制度の位置づけ、それと期待というものは、ちょっと制度上違うものでありますから、あくまでも個人的な機関として、校長先生の個人的な諮問機関的な存在としての評議員会があった、こっちは合議制であって、地域全体のものとしてこれから取り入れようとするものでありますから、もともと性格は違うものであります。

 したがって、校長先生がそれをどう受けとめるかということが大きいと思いますが、我々の考えているところ、想像するといいますか、これからの流れの中では、この学校運営協議会制度がきちっと機能すれば、学校評議員制度というものがその中に吸収される性格のものであろうということでありまして、これもまさに保護者、地域住民あるいは地域、この成熟度によって学校運営協議会の設置がこれからずっと進んでいくことによって、この両方の関係というものは明らかにといいますか、方向づけというのはだんだんできてくるのではないか、このように考えます。

石井(郁)委員 学校評議員制度の制度化と今回の学校運営協議会との関係等々について、私もいろいろ考えることはございますけれども、一応、大臣の御答弁で、お聞きしたということできょうは終えておきたいというふうに思います。

 次に、この学校運営協議会の委員に教職員、校長を加えていないわけですね、法文上は加えていない。この問題でお聞きをしたいと思います。

 委員については、指定学校の所在する地域の住民、生徒、児童、幼児の保護者その他教育委員会が必要と認める者について、教育委員会が任命するということになっております。すなわち、地域の住民と保護者と教育委員会が必要と認める者、いわばそういう三者で構成することになるということですね。

 なぜ、学校の当事者、教育を担う教職員を含めていないのでしょうか。

近藤政府参考人 お答えをいたします。

 校長や教員につきましては、今回の学校運営協議会が、地域の住民や保護者等の、従来学校運営の仕組みの外にいた方々の意見を反映させていこう、それによって公立学校の管理運営の改善を図ろう、こういう事柄が制度の趣旨でございまして、そういった趣旨に照らしまして、法律上は、必要的な委員としては校長、教員について位置づけていなかった、こういう考え方でございます。

石井(郁)委員 それでは、教育委員会が必要と認める者という中にはどういう方が入るんでしょうか。

近藤政府参考人 これはそれぞれの教育委員会が判断をする事柄でございますけれども、例えば、今もちろん考えられることとしては、校長や教員、それから、社会教育の関係者でありますとか大学の先生などのいわゆる学識経験者、あるいは地元の商工会の関係者とか、いろいろな方々が想定をされるところでございます。

石井(郁)委員 冒頭、局長の方は、今回の制度、運営協議会は外にいる方の意見の反映だ、このように言われたんですね。私、これはとても納得できないんですよ。

 学校のことを議論するときに、学校の中の人たちと外にいる人たちが初めから対立構造になっているんですね、初めから対立関係になっている。これで果たして、学校が改善とかうまくいくということにつながるのかどうかということが私は第一点です。

 それで、少し立ち入って伺うんですけれども、では、学校運営の、教育課程の編成あるいは教育委員会規則で定める事項について協議する機関に当事者である教員とか校長を加えない、そういう運営協議会というのはどういうものなんだ、どういう意味を持つんだろうか、私は本当に極めて重大な問題だというふうに考えておりまして、これはきのうの参考人質疑でもいろいろ出されたことでありました。

 そこで、ちょっと立ち入って伺うのは、諸外国の場合、こういう運営協議会、名称はいろいろなものがありますけれども、それと比較をしますと違いが歴然とするんですね。局長はしきりとイギリスの学校理事会制度の例をお挙げになるようですけれども、では、イギリスの学校理事会の構成員はどうなっていますか。

近藤政府参考人 お答えをいたします。

 私どもも、すべての制度について詳細に実態を把握しているわけではございませんけれども、今先生御指摘になりましたイギリスの学校理事会の構成といたしましては、保護者の代表、これは理事全体の三分の一以上ということのようでございます。それから地方教育当局の代表、これは全体の五分の一以上、それから校長を含む教職員の代表、二名以上で全体の三分の一以下、それから地域の代表、これは全体の五分の一以上、こんなような構成になっているというふうに認識をいたしております。

石井(郁)委員 今のお話のように、やはり校長を含む教員の代表がはっきり入っているわけでしょう。これは小学校でもそうですけれども、中学校でもそうです。だから、教員代表、職員代表、そして住民代表というふうに加わっています。

 この制度は、アメリカの学校協議会、ドイツの学校会議、フランスの学校管理委員会・評議会、それから韓国の学校管理委員会制度も挙げられますけれども、やはり保護者代表、地域代表とともに教職員代表を加えているんじゃありませんか。その点、いかがでしょう。

近藤政府参考人 フランスの例で申し上げますと、フランスの中学校に相当するコレージュの管理評議会の構成としては、保護者及び生徒の代表、大規模校の場合では十名ということのようでございます。それから教職員の代表、これも十名、それから校長、副校長等の管理職の代表、地方自治体の代表、有識者、これも大規模校では十名、こういうふうになっているようでございます。

 また、韓国の学校の学校運営委員会の構成でございますが、これもまた保護者の代表、それから校長及び教員の代表、地域の代表、こういった方々から成っているというふうに承知をいたしております。

石井(郁)委員 本当に各国でやはり、いろいろな形態があれ、教職員代表というのは加えられていると思います。

 アメリカのシカゴの学校協議会制度を見ますと、校長、父母代表、住民代表とともに教員代表が加えられている。高校の場合は生徒代表も加わっています。フランスの学校委員会では、小学校の場合、校長は議長役、そして当該学校の教員全員が参加をする。中学校の場合は教職員を代表して十名が参加をする。そのうち教員の選出代表が七名、職員の選出代表が三名というふうですね。ドイツでも各州に学校会議がございますけれども、必ず校長とともに教員代表が加えられております。今ちょっと御説明になかったと思うんですが、韓国でも父母が四〇から五〇%、教員は三〇から四〇%、地域住民一〇から三〇%という構成になっていると思うんですね。だから、諸外国の制度には必ず教職員の代表が加わっているという問題なんですよ。

 今回の法律で、学校運営協議会には教職員を法文上加えていないということで、私は余りにも奇異に思うんですね。この点では、大臣の御所見として、こういう法律になっているという問題について御所見を伺います。

河村国務大臣 私も、この前の五反野は校長先生は入っておりましたし、校長は委員の中には入ってくる可能性が非常に高いのではないかと思います。ただ、これをどう判断するかという問題で、人数、構成、それから学校の実態等、これはやはり教育委員会が判断することが望ましい。でありますから、法律では定めないけれども、各教育委員会の規則で必ず定めていくという方向をとっておるわけでございます。

 法律において地域住民、保護者、これは必ず入るということであるし、ほかに有識者、社会教育関係、先ほど局長が説明いたしました。校長や教員ということになると、これは教育委員会の傘下にあるという形をとっておりますから、そこで委員として任命をされていくという形、これをとったということでございます。

 今回の学校運営協議会制度そのものを、学校をもっとオープンにして、ある意味では地域の皆さんの協力をいただく今回の制度のあり方が、対立ということじゃないんですけれども、やはり外部の意見をしっかり取り入れようというのが非常に大きな趣旨としてあった。その外部の皆さんの意見が、教育委員会が尊重するような形をとろうというところに力点が、今回の法律の一番要点に入っておるものでありますから、最初から委員の中に校長がいるんだよということが前提となったときに、人事の問題等々、どれだけの意見が集約できるのかというようなこともいろいろな議論の中であったと思います。

 したがって、学校運営協議会の中に委員を入れたとしても、当然そういう校長や教諭のあり方についても議論してもらわなきゃならぬ。そうすると、教育委員会規則によって、この場合には校長、教員はこの議事から外すというような規則も当然つくってもらわなきゃいかぬ、こういう問題も出てくるであろう、こう思います。そういう視点の置き方がそうなっている。

 しかし、モデル校のケースを見てもほとんど校長先生は入っております、教員が入っているケースもございますので、形の上としてはそういう形をとっていくであろう。それは、まさにその地域の成熟度の問題との兼ね合いもあるだろう、こう考えておりまして、今回の法律では法律の規定事項にはなっていないけれども、教育委員会の方向としては、当然それは視野に入れてやっていく、こういうことになるであろう、こう思っております。

石井(郁)委員 学校運営協議会が何をするかといえば、その学校の教育方針だとか教育課程の編成、それから教員の任用等々についても意見を述べる、意見を出すということにもありますし、それ以上に、教育課程については、まず校長、教職員で学校が方針を決める、それを承認する機関なんですね、運営協議会が。承認を求められるわけですよ。そして、それを執行するのがまた学校の教職員だ、こういう関係になっているんですね。そうすると、運営協議会が教育課程について賛成しない場合が出てくる。そうしたら、学校と運営協議会はまさに対立するじゃありませんか。そういう問題は今後どう処理されていくのかという心配は当然出てくるわけですね。

 そのことが一つと、それ以上に、運営協議会は、承認をするという権限を持ちますから、学校のいわば上に立つというか、上下関係にもなる。決して横の、対等の関係ではないということが機構上あると思います。承認を受けるんですから、学校の上に立つ機関になるわけですよ。

 私が申し上げた現場、こういうことによって外部の意見を反映する、外部の意見を聞くというのが、今、開かれた学校づくりということで、どの学校も努力をされていると思います。しかし、こういう仕組みというのはむしろ非常に現場に混乱を持ち込むものになりませんかということなんです。

 これは、調査室がお示しになった論点の中にも「学校運営協議会と校長との関係」で書かれていました。だから、これは予定される、想定される問題だと思います。こういうふうにありますね。「学校運営協議会が校長の提案する教育課程編成の基本方針の承認を行わない場合、教育課程の実施が妨げられ、児童生徒の教育が適正に行われないおそれがある」、これを「どのように解消されるのか確認する必要がある。」ここまで調査室の資料にちゃんと書いてあるわけですから、私はこれをぜひお尋ねをしたいと思っております。いかがでしょう。

河村国務大臣 学校における日常の教育活動が校長のもとにあることはもう当然でございます。校長の指導監督のもとになければなりませんし、また、実際の運営は、教育そのものは教員によって実施されておる、この状況ですね。これは、学校運営協議会が絶えずそれを監督したり指示したりする、そういう関係ではないわけでありますから、今おっしゃるように、そういう意味での対立関係ということはあり得ない、こう思っております。

 しかし、学校運営の基本的な方向とか、特に人事に関する意見、これを協議する、この場合は、やはり当然、委員であろうとなかろうと、学校の運営責任者である校長とは十分意見交換できません、前に進めないことでありますから、当然それはあり得る、また、そうでなければいかぬということであります。

 しかし、今回この法案をお願いし、これを導入して今からやろうとすることは、学校運営協議会を通じて学校の教育活動等、これは地域の住民や保護者等の外部の目にある意味ではさらされる、こういうことになるわけですね。これによって学校はやはり活性化していかなきゃいかぬ。学校が密室であってはいかぬ、開かれたものである。それはもう、これを通じて学校を開いていく。当然、保護者の代表が入っておりますから、いろいろな問題が出たときには保護者会を開いて意見を聞くということもしなきゃいけなくなる。今までは全然保護者が知らなかったようなことが、こういうことがあり得るということが保護者全体にわかるということも起きてくる。こういうことによって、学校が活性化するというねらいがあるわけでございます。

 この学校運営協議会のねらいといいますか、あるいはその趣旨、これはやはり教職員それから学校運営協議会に参加する委員、この両方の理解の上にきちっと成り立っていくことが非常に大事でございますから、そういう意味で単なる、もちろん場合によっては、事によっては、これはやるかやらないか、対立関係があるかもわかりません。五反野では、朝、授業が始まるときに起立して、お願いしますとやる。終わったときに、ありがとうございましたとやる。これだけでも二年かかった、こう言っておられましたから、それは十分な話し合いの中でそういうことが進んでいくわけであります。

 当然、学校運営協議会のねらいは、学校を管理したり、監視したり、そういうものではないのでありまして、子供にとってよりよき学校はどうなのかということを考えていこうとすれば、当然学校の教員、校長先生との間の十分な協議をしなければなりません。しかし、五反野では、それにいくまでに校長先生を二人、理事会の意向でかえてもらった、こう言っておりましたから、かなりそういう話し合いの中でいろいろな問題点がそこで明らかになっていくことは間違いない。しかし、最終的には、子供にとってよりよき学校になろうという努力の成果といいますか、そういうものが高まっていくことを期待されておりますので、そういう意味で、最初から対立構図としてこれを持ち込もうということでないということは御理解をいただきたいと思います。

石井(郁)委員 私は、大臣の御答弁を伺って、大変やはりむしろ危険を感じてきているんですけれども。

 と申しますのは、やはり教職員を入れずに持つ運営協議会がなぜ必要かという中に、非常に人事のことを言われましたね。今も校長がかわっているという話ですが、何か結局やはり、人事の問題で物申すには、教職員と一緒にはやれないという形から出ているということになるとしますと、非常にやはりいびつな運営協議会にならざるを得ないと想定しているというふうに私は考えざるを得ないんですね。

 言いたいのは、強調されるように、本当に学校のことが地域にわかるとか、保護者が当然参画するとかというのは、もう今や合意的なことですよ。これはだれでも認める、必要だと考えている。それぞれ学校も努力するし、保護者の側も、地域の側も努力している。

 そのときに、この学校をいい学校にしていこうというのは、教職員と地域の住民、保護者が一体となってやらなくてはできないでしょう。それこそ、対立を起こしていくようなことではできないでしょう。教育方針、教育活動に関することなんですから、その点では、いろいろ考え方もつくり上げていく、一致点をつくり上げていくという努力が要る。しかし、一体となってやらなかったらできない話でしょう。

 例えば、教育方針というのは、やはり押しつけられてできるものじゃありませんから、主体的にやりたいと思って皆さん取り組んでいる。しかし、それがいいか悪いかを含めて、開かれたところで議論をして進めていくという関係だと思うのですね。だから、そのときに、なぜ、住民と保護者と教育委員会が認めて、教職員は別のところにいてという関係は、それはやはりちょっとおかしいですよ。

 私は、そういう点で言うと、大臣は、もちろん教職員の役割はわかっているというお話でしたけれども、あえて、これはユネスコの特別政府間会議の教員の地位に関する勧告、一九六六年に採択されておりますけれども、改めてその教員の地位とか教員の役割、これは教育の目的、目標に照らして、教員というのは、正当な地位、教育職に対する正当な社会的尊厳が大きな重要性を持っているということが出されておりまして、結論として、教育政策とその目標を決定するためには、権限ある当局、教員、使用者及び父母などの各団体との緊密な協力が行われなければならないというのが、やはり世界的な常識ですね。

 ということで考えますと、私は、わざわざ、何か混乱と対立を生み出すような仕組みをなぜ今しなきゃいけないのかというのはどうしても解せないという意味で、私は、教育委員会が認める者の中に校長、教職員も入り得るということだとしたら、法文上にもきちんとそれをやはり書き込むべきだ、教職員を加えるということを書き込むべきだと主張したいと思いますが、大臣、もう一度御答弁ください。

河村国務大臣 先ほど、教員の地位勧告のお話もなさいました。法的拘束力はないわけでありまして、まさに、各国、努力目標だ、その運用に当たっては弾力性を有するというふうに、私ども理解をいたしておるわけでございます。

 そういう意味で考えてみて、今回の運営協議会の構成で、学校運営協議会の組織に教員が必ず含まれなければいけないというものではないというふうに考えておるわけでございます。

 しかし、その地域や学校の実情を考えたときに、やはりこれは地域住民との関係から考えてみて教育委員会がどう判断するかということでありまして、教育委員会の全体的な人事権の中にある校長、教員でございますから、教育委員会が必要と考えれば、この中に、委員に含めるということにできるわけでございますので、私は、そういう意味で、今回の運営協議会というものが運営されていけば、モデル校のケース等々を見ても、まさに自然体でいける。それを、もう最初から対立構図だというふうにとらえていく、そのことそのものが、私は、むしろそういうことを惹起することになりかねないと思います。

 これは、地域と学校と教育委員会のあり方等々との関連もあるのではないか、こう思います。この問題はこの問題として、今、別途協議もいただいておりますが、教育委員会がその点を十分、地域の全体成熟度、それから、そこにおられる地域の保護者の皆さん等々の状況も踏まえながら、あるいは校長との関係、そういうものを踏まえながら適切に委員を決めていく、これが今回のこの法律の基本的な認識になっておるわけであります。

石井(郁)委員 大臣の御答弁にもありましたけれども、やはり校長、教職員、必ず含まれるものではないという、その考え方というか御認識というか、私はそれ自身が、ずっと今、前半、質問で申し上げました世界の流れ、世界のこういう運営協議会、理事会のあり方からしても、極めて奇異だ、異質だということを指摘してきましたし、また、教員の地位に関する勧告にも反しているということであり、私は、法案としては極めて欠陥を持っているということを強調したいと思います。

 次の問題ですけれども、委員の任命の問題なんですね。

 これもきのうの参考人質問でも出された、問題になったところでもございますけれども、これは、学校運営協議会の委員は教育委員会が任命するということですが、この委員は、教育委員会が直接選び、任命するということですか。

近藤政府参考人 お答えをいたします。

 学校運営協議会は、学校運営及び任命権者の任命権の行使の手続に一定の関与をする権限が付与されておる機関でございまして、委員につきましては、設置者である教育委員会の責任において人選が行われ、その身分上の取り扱い等につきましても明確にした上で任命されるということが必要であろうかと思っております。

 ただ、具体の委員の任命でございますけれども、地域住民、保護者はもとより、その他適切な人材を幅広く求めて任命することが重要であるわけでございまして、その際、教育委員会としては、指定学校の校長の意見を聞いたり、あるいはPTAの推薦によったり、あるいは委員の公募制を採用するとか、いろいろな多様な方法で委員の任命、人選をしていく、これはもちろんできるわけでございます。

石井(郁)委員 お隣の韓国の場合ですけれども、選挙が基本なんですね。父母全体会議で選出されて、教職員についても、教職員全体会議で選出される。地域住民の場合、選出された父母委員と教員委員によって選出すると。

 イギリスの場合もそうですけれども、保護者代表理事の場合は、すべての保護者が選挙権及び被選挙権を有して、保護者から立候補者を募る、ニュースレターなどで立候補者名、立候補者の公約が通知される、郵送形式で投票が行われるというふうに聞いております。共同選出理事というのは、保護者の代表理事、教員及び職員代表理事、地方教育当局理事によって選出されている。

 そのほかの国を見ましても、大方、選挙で選ぶ代表制をとっているんじゃないでしょうか。だから、私は、今の局長の御答弁を見ますと、本当にこの教育委員会による選出、指名、そして任命、極めて変わっているというふうに思います。なぜ、選挙による代表制をとらなかったのでしょうか。

近藤政府参考人 それぞれ任命の方法は、その国の歴史なり伝統なりあるんだろうと思っております。

 イギリスにつきましても、この学校理事会は一九四四年の教育法によって法律的に位置づけられたわけでありますが、当初は、学校理事会の理事は地方教育当局が任命をしていた、その後の試行錯誤等の中でそういった制度が変わってきたんだろうと思っております。

 先ほど申し上げましたように、この学校運営協議会は、学校運営及び任命権者の任命権の行使の手続に関与する一定の権限が付与されているわけでございまして、やはり委員につきましては、設置者の責任において人選を行い、明確化した形で任命していくということが適切であろう、こういうふうに考えておるわけであります。

石井(郁)委員 問題は、やはり教育のあり方、学校のあり方ということを議論するという運営協議会ですから、本当に教育についていろいろな考え方がある、これはもう言うまでもないことなんですね。だからこそ、どういう意見の方々が委員になられるのかというのが、大変やはり手続においても、いろいろな民主的な手続がとられなければいけないということになろうかと思うのですね。

 そういう意味で、私は、教育委員会による直接選任、こういう制度はほかにないわけですから、なぜ、今、日本だけがこの教育委員会の人選というやり方をとらなきゃいけないのか。あなたは、今、これが教育委員会、任命権者の責任の明確化だと言われましたが、まさにそういう形で、やはり教育委員会が、つまり行政側が非常に強い権限を持つということにやはりつながりかねないんですね、この問題は。私は、そういう意味で、大変重大だと。

 そして、教育委員会の恣意的選考という問題も出てくるでしょうし、また、結局、教育委員会の非常に監視のもとにというか、運営協議会自身が縛りがかかってしまう。そのうち教育委員会の下請機関になりかねない、ちょっと強い言い方をしますと。だから、制度的にそういうことを残してしまったらまずいんじゃないかということを私は申し上げているわけですけれども、その点、いかがでしょうか。

近藤政府参考人 先ほど来申し上げておりますように、学校運営協議会のそういった法的性格からすれば、やはり設置者である教育委員会の責任において任命をしていただく、これが基本的な考え方でございますけれども、当然、その際にいろいろな方々の意見を聞くということは大事なことでございますから、例えば指定学校の校長の意見を聞いたり、あるいは委員の公募制を採用していただく、幅広いところから指定学校の委員を選んでいく、いろいろやり方はあるわけでございます。例えば保護者の代表について、PTAで互選をしていただくということだってあろうかと思っています。しかし、最終的には教育委員会が責任を持って任命をしていくんだ、こういう制度設計にさせていただいているわけでございます。

石井(郁)委員 もう一点、質問にきちんと答えてください。

 教育委員会の任命責任というようなことを大変強調されますが、今回のそういう制度で教育委員会の恣意的選考になりませんか、あるいは教育委員会の下請機関的になる可能性はありませんか、この点でははっきり御答弁ください。

近藤政府参考人 この制度の目的は、あくまでも、公立学校の管理運営の改善を図るための選択肢を一つでも多く拡大していこうということでございまして、そういうことから、具体的な委員の任命に当たりましては、学校の管理運営を改善し、学校の活性化や教育活動の充実を図る、そういう趣旨を十分に理解して担っていただく人物を教育委員会が責任を持って人選していただく。そしてまた、そういった委員の活動あるいは学校運営協議会の活動というものをできるだけ情報公開もしていろいろな方々のまた目にさらしていく。そういうことを全体として運用してまいりますならば、私どもは決して、これが教育委員会の恣意的なものであるとか下請的なものになる、こういうことは意図していないわけでございます。

石井(郁)委員 フランスの例で申しますと、一つの学校の中でも教育についていろいろな主義や立場が違うということがあるわけですから、そういう違ういろいろな団体が複数存在している。そういった団体が競い合って、いろいろ議論して学校運営に参加する、そういうことをちゃんと残すわけですね。

 だから、私は、学校のあり方、本当にこれはいろいろな意見があるわけですから、そういう余地は残さなきゃいけないという意味で、外国で実施しているような代表制というものはやはりとられてしかるべきじゃないかと思いますが、代表制をとるお考えはいかがですか。これはこの時点で大臣の御判断をいただければと思います。

河村国務大臣 今回のこの法案においては、そういう形のものは想定をしておりません。

 教育委員会の責任において選んでいただく形、もちろんそれまでの過程については、当然、そうしたそれぞれの所属において代表を選んでいく過程、そういうものはあるだろう、私はこういうふうに思います。特にPTA等々においてはそういうものがあるだろう、こう思っておりますが、法律の基本的な認識の中にはそれは想定していないということであります。

石井(郁)委員 次に、児童生徒の参加の問題でお聞きをします。

 この学校運営協議会には、生徒の参加ということは想定していますか。

近藤政府参考人 お答えをいたします。

 児童生徒につきましては、今回の学校運営協議会は、教職員の人事も含めまして、学校の管理運営に一定の権限を持って関与する機関でありますから、その委員として当該学校の児童生徒を参画させるということは想定をしていないところでございます。

石井(郁)委員 何か驚くような話なんですね。結局あなた方は、教員の人事のことをやるのがこの運営協議会の主たる任務だということのようですね。だけれども、教員の人事といっても、やはり教員はそれなりに教諭、教育方針、教育活動をしたいということがあっての人事ということになるわけで、学校をどのようにするかという問題なんですから、そういうところに教職員も排除する、生徒も入れないということです。

 だから、人事だけと言うんだったら、人事だけのような機関を考える。考えたらいいかどうかは、それはまた別の問題ですけれども、だから、運営協議会というのは極めて狭いことを議論する場だというふうになりますよ。

近藤政府参考人 人事につきましては、特に今回法律で、この運営協議会が都道府県の教育委員会に意見を述べることができる、しかもそれを尊重するというような規定を置いたわけでございますから、これは大変重要な事柄でございますが、何も、この学校運営協議会は人事のことだけを議論するわけではないわけでございます。

 御案内のように、四項で、「当該指定学校の運営に関する事項について、教育委員会又は校長に対して、意見を述べることができる。」と。これは特にあらかじめ定めた項目でもございませんし、それから、教育課程の編成その他教育委員会規則で定める事項について校長が定める基本方針を承認していくと。そういうことからすれば、人事、予算、カリキュラムあるいはそのほかの学校の管理運営、いろいろなことについていろいろな立場から御意見をいただくということもあるわけでございますので、そういう意味では非常に幅広く御審議を、あるいは御参加をいただける、そういうものとして私どもは考えておるところでございます。

石井(郁)委員 だから、おかしいですよ。幅広くカリキュラムについても議論するような場だと。学校の運営全般に議論する場だと言うんだったら、なぜ教職員や生徒参加を考えないのかと私は聞いているんです。

 考えないという理由には人事があるからだ、こう言うんです。だから、人事の議案のときだけは、それはやはり人事だから生徒は入れないでやるということだってあり得るでしょう。おかしいですよ。本当におかしい。それはいいです、もう答弁は。いいですというんじゃなくて、何度も言いますけれども、本当に今、生徒参加というのは世界的な流れでもありますよ。

 アメリカのシカゴの学校協議会は、私たびたび申し上げますけれども、生徒代表をきちっと加えています。アメリカでは投票権はありませんけれども、フランス、ドイツでは投票権を持たせているんですよ。

 フランスの場合は、十一歳から十四歳に当たるコレージュの学校管理委員会では、生徒代表を三名加えている。十五歳から十七歳に当たるリセでは、生徒代表を五名、投票権を与えています。

 ドイツのザクセン州の学校会議では、第七学年以上で生徒代表を三名参加させて、投票権を与えています。ドイツでは、こうした生徒参加をすべての州で法定しているんじゃありませんか。

 だから、外国のこういう動きと本当に学校運営協議会、何かあなたは盛んに、世界的な水準で今開かれたこの協議会をつくるんだと言っているけれども、中身は全く、極めて日本的というか、文科省的というか、私は日本的というのは言いたくありませんけれども、これは文科省一流のやり方ですよ。本当になぜ生徒を参加させないんですか。もっとはっきり御答弁ください。

近藤政府参考人 誤解があるとあれでございますので、少し事実関係も説明させていただきます。

 イギリスの学校理事会のお話がございましたが、イギリスでは、一九八六年の教育法の改正によりまして、十八歳以下の者を理事に任命しないこととしたわけでございます。

 これにつきましては、学校理事会の権限、責任が拡大する中で、やはりきちんと責任を持てる大人が理事となるべきとの社会的な認識でありますとか、そのほかに、生徒議会のように、別途、児童生徒の意見を吸い上げることができる仕組みが広まっていた、こういうことが背景にあるんだろうと思っております。

 私どもも、児童生徒を学校運営協議会の委員として参画させるということは想定をしておりませんけれども、事柄によりましては、学校運営協議会の場に児童生徒に来てもらってその意見を聞くということは、当然、あってもいいことだろうとは思っております。

石井(郁)委員 局長はイギリスの例だけを申されましたけれども、私が指摘したアメリカ・シカゴ、フランス、ドイツの例については触れませんでした。

 私は、生徒の参加の問題というのをなぜ強調するかといいますと、やはり、子どもの権利条約を批准している国です。そして、ことしの一月には、二回目の国連での審査委員会もございました。日本の実施状況についての国連からの厳しい審査があるわけですね。

 そこで、お聞きします。子どもの権利条約の十二条の意見表明権、もう言うまでもないと思います。「締約国は、自己の意見を形成する能力のある児童がその児童に影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権利を確保する。」云々とございます。

 それで、ことしの一月に、この二回目の国連の権利委員会からの最終所見が出されていますけれども、この意見表明権について、どのような懸念、そして勧告がなされていますか。

近藤政府参考人 お答えをいたします。

 今先生御指摘のは、本年の二月に児童の権利委員会の最終見解を指していらっしゃるんだろうと思っていますが、今回の第二回政府報告書審査の最終見解につきましては、外務省作成の仮訳はまだ作成をされていないのでございますが、文部科学省に該当する項目といたしましては、幾つかございまして、条約の広報、条約に関する教育の一層の推進でありますとか、障害児等への各種措置の実施、教師等に対し、児童の意見を尊重するための研修など、各種措置の実施などなどがございまして、教育システムの競争的性格を軽減するような現行カリキュラムの見直し、校内暴力、いじめなどへの対策の実施、こういったことがその中身でございます。

 特に、児童の意見の尊重に関しましては、日本政府の改善努力に留意した上で、家庭、学校その他の施設及び社会全体において制限をされている点があるんだ、そういったことについての懸念、こういったことが表明をされたというふうに承知をいたしております。

石井(郁)委員 そのとおりなんですよ。非常に強い懸念が示されています。

 それで、懸念だけじゃない、勧告があるでしょう。勧告を本当は言っていただきたかったわけですが、このようにありますね。教育、余暇及びその他の活動を子供に提供している学校その他の施設において、方針を決定する会議、委員会その他の会合に子供が継続的かつ全面的に参加することを確保することと。これが勧告なんですよ。

 だから、国際的に見ても、日本は子供の参加が少ないじゃないか、制限しているじゃないかというふうに言われているわけです。こういう点からしても、勧告を受けた後に法案を提出してきて、こういう勧告が何にも生かされていない。私は極めて異常だと思いますね。これは子どもの権利委員会の勧告を無視して出されている法案だ、そのように言わざるを得ませんけれども、いかがでしょう。これは局長、お願いします。

近藤政府参考人 お答えをいたします。

 この児童の権利委員会の勧告中の御指摘の部分につきましては、そもそも、児童の権利条約第十二条において規定をされております児童の意見表明権に関するものと承知をしておるわけでありまして、児童の権利条約第十二条の意見表明権につきましては、その児童個人に関するすべての事項についてみずからの意見を述べることが認められるべきであり、その意見は年齢等に応じ相応に考慮されるべきとの理念を一般的に規定いたしておるものでございます。

 今回のこの学校運営協議会の権限であります、学校の運営に関する基本的な方針でありますとか教職員の人事に関する事項につきましては、児童個人に関する事項とは言えないんだろうと思っております。

 そういうことから、権利条約第十二条の意見表明権の対象に考えるというのは少し事柄が違うのではないんだろうか、こんなふうに理解をいたしております。

石井(郁)委員 局長は本当に困ってくると、困ってくるとという言い方は私は少し言い過ぎかもしれませんけれども、子供が参加できないのは人事権があるからだ、人事の問題を議論するからだと、もう人事ばかり持ち出すんですね。

 だけれども、言うまでもなく、あなたもおっしゃっているように、学校のあり方全般を議論する運営協議会でしょう。学校にいる子供たちがどう思っているのか、どうしたいのか、そのことをきちんと踏まえなくて、どうして学校がよくなるのか、これは基本的な話として言わなきゃいけないんですけれども。

 それで、今の御答弁もおかしいんですね。意見表明権のことだけじゃないです。権利条約でこの審査委員会が出されているのは、日本の教育改革、例えば青少年の大綱なども出されていたりしますけれども、やはりそういう政策の策定、実施に際して、子供及び市民参加、市民社会の参加が不十分だと。だから、日本の行政には子供、市民の参加が不十分だというのが、この権利委員会の中から強く言われていることなんですよ。

 だから、そういう目で見てください。人事、人事ということだけ出して制限をしようというのも、また極めておかしな話であります。

 私は、この点でも大臣の御所見をやはり伺っておかなければなりません。本当に子どもの権利条約、権利委員会の勧告を真剣にやはり受けとめるということで考えますと、生徒参加あるいは子供の意見表明の機会をきちんと確保することというのは極めて重要だ、これも本来法案に盛り込むべきではなかったのかというふうに思いますが、大臣の御所見、いかがでしょう。

河村国務大臣 先ほど近藤局長が御答弁申し上げましたように、私も、権利条約第十二条の考え方、規定、これは児童の意見表明権に関するものだ、こう承知をいたしております。

 これは、その表明権については、児童個人に関するすべての事項、こうなっておるわけでございまして、この学校運営協議会の権限であります、学校運営に関する基本的な方針あるいは教職員の人事に関する事項、やはりこれは児童個人に関する事項とは言いがたい、また、十二条が言う意見表明権、この対象ではない、こう私は考えておるわけでございます。

 しかし、今、児童の個人的な事項に関する問題等々に当たりましては、こういう事項が出た場合には、当然、学校運営協議会は児童代表の意見を聞くという機会、これはあってしかるべきことだろう、このように私は考えております。

石井(郁)委員 私は、今回の法案、そしてきょうの質疑を見ても、本当に改めて感じるんですけれども、文科省はやはり子供抜きの教育改革をやろうとしている、本当に子供を信頼していないんじゃないかということを思わざるを得ないわけです。

 それで、今子供たちは、やはり聞いてほしいという声を上げています。実際、子供が参加したいろいろなことが進んでいます。そういうところでは、本当に学校が変わり、教職員も変わり、また地域も変わりつつあるということで、いい、いろいろな実例が生まれているはずなんですね。

 それで、私は、きょう最後に、その事例として、長野県の辰野高校を申し上げたいと思います。ここでは、一九九七年から、生徒、父母、教職員が定期的に協議する場として、「辰野高等学校のより良い学校づくりをめざす生徒・父母・教職員の三者協議会」というものが設置されています。

 ちょっと長くなりますけれども、そこで、本当に親と生徒が参加すると変わっていくんですね。

 親の方はこう言っている。これまで家で子供と話し合う機会などなかった、協議会ができて子供が何を考えているかがわかるようになってきた、親同士で子供について具体的な話ができるようになった、子供の姿が見えてきた。生徒はどう言っているかといえば、学校に要求することなんかむだなことだと思っていた、親と話すこともほとんどなかった、話しても返ってくる言葉は決まり切った文句だ、古臭い考えでしかないと思った。しかし、三者協議会ができて、生徒会から要求した改善がすぐ実現して驚いた、本当にうれしかった、親の代表も僕たち生徒の言うことをきちんと聞いてくれ見直しています。こういう形で、親に対する信頼が生まれるんですよ。

 私は、本当に今、日本の教育の危機的な状況ということをいろいろ言われたりしますけれども、お互いの信頼関係が本当に失われている、そこに非常に大きな問題があるというふうに思っています。アルバイトのこと、制服のこと、授業改善など取り組んで、学校を変えるとともに、今や地域を変えようとしているということなんですね。

 そこで、一つ申し上げたいんですけれども、ふるさとは遠きにありて思うものという有名な歌がございますけれども、このことを今若者が現代風にアレンジしているんですね。大臣、お聞きになったことございますか。

河村国務大臣 それは、私は聞いておりませんが、もしよろしければ、どうぞ。

石井(郁)委員 それは、ふるさとは近くにありてつくるものだということを合い言葉にしているようです。これは、若者が集まる町づくりのために商店街と協力してフリーマーケットなどを行った。小さくても輝く町、村づくりを行おうとしている。町の人たち、大人は、若者から元気をもらったということで喜ぶ。児童生徒を学校づくり、町づくりの主役に据えたら、学校が変わるし、町が変わるんだ。

 この辰野高校でも、実はこの本はことし一月に出たこういう本なんですけれども、ずっと取り組みがございましたけれども、最初はやはり地域の代表、保護者、教師たちでやっていた、生徒が入っていなかったというんですよ。そうしたら、その懇談会というかはうまくいかなかった。そういう失敗したという経験がありまして、生徒たちをきちんと位置づけ、参加させてきた、そういう中でここまで変わってきている。

 今、この三者協議会のこうしたやり方、やはり生徒たちが入って協議会をつくられる、そういう運動というか、取り組みというのはかなり広がりを見せています、実際広がりを見せています、見せつつあります。だからこそ私は、今回の法案でそこを本当にちゃんと位置づけてほしいということを申し上げたわけであります。

 こういう取り組みにやはり学んで、積極的に生徒を学校運営、それこそ学校運営に参加させるんですよ、そういうことがこれから求められているのではないかというふうに思いますが、これも大臣の御所見を伺いたいと思います。

河村国務大臣 ふるさとは近くにあってつくると、これはまさに、今の地方分権、地方自治の精神、そこにあるわけでありまして、身近な行政をできるだけ身近なところでやっていただく、この基本的認識は、今回の法案といいますか、学校運営協議会にも生かされるべきだろうというふうに私は思います。

 今、長野県の辰野高校のお話をなさいました。これは、法令に基づくものでなくて、皆さんが任意でおやりになっている。私は、その地域のやはり成熟度の問題で、それでそれがうまくいくということは、そのことは私は結構なことだ、こう思っております。そういう形のもの。

 しかし、教育現場としての学校がどうあったらいいかということをもっと地域が考えてもらいたい、一緒になって考えてもらいたいという今回のこの法案の趣旨もぜひ生かしていただいて、この学校運営協議会のこれからの取り組みがなされるようにということも期待をいたしておるところでございます。

石井(郁)委員 私は、せっかく地域の住民、保護者が参加をする、本当に対等に参加をしていく、そして意見も述べられる、その関係は大事だと思っているんですよ。でも、それは教職員や校長と対立する関係ではないはずですから、本当に一体となって進めるものだ。そういう仕組みをなぜつくれないのかということですね。

 だから、法案としてできることというのは、やはり法案ですから縛られるわけですね。そこに教職員を外したり生徒代表をわざわざ外したりする、そういう法案というのは、私は骨格としてまずい、今日の時代に合わないということを強調しているわけです。

 住民参加といいながら、本当にその法案の骨格が古い枠組みのままであるし、世界の流れにも、そしてまた多くの人たちの実践や動きのことからしても、私は逆行しているということを申し上げまして、質問を終わります。

池坊委員長 午後一時三十分から委員会を再開することとし、この際、休憩いたします。

    午後零時五分休憩

     ――――◇―――――

    午後一時三十六分開議

池坊委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。

 質疑を続行いたします。横光克彦君。

横光委員 社会民主党の横光克彦でございます。質問をさせていただきます。

 かなりこの法案につきましては大体の問題点は集中しておりまして、いろいろ御説明がございましたが、なお納得のいかない部分、あるいはなかなか理解しかねる部分がございますので、重ねてそういった分も質問させていただきます。

 教育や福祉など国民生活に関係する分野、これらは公共サービスと言われておりまして、いわゆる財政的にも公共財として国の責任において措置されてきたわけでございます。引き続き、これら教育、福祉のいわゆる公共的なサービスというのは充実させることが必要であることは申すまでもないわけです。

 ところが、現実に、小泉内閣になりますと、こういった公共的な分野に、いわゆる競争原理による市場主義の考え方が蔓延し始めていると思うんですね。総合規制改革会議あるいは構造改革特区による株式会社の学校設置、そして、戦後の教育行政の民主的なシンボルと言われております教育委員会無用論なども出されている。皮肉にも、元文部官僚であった首長も先頭に立ってこの旗振り役をしている。これは名前は申しませんが、どこの市長さんかおわかりかと思いますが。

 こういった一連の動きに対して、文科省はどうかというと、文科省は、やはり教育の継続性、公共性、安定性、そしてまた政治的中立、これを確保して、そして公教育を充実させようとする姿勢を見せていると私は思っております。

 ですから、このことは非常に評価できるわけでございますが、その一方、先ほど言いました一連の動き、こういったことも現実にあるわけでございまして、こういった一連の動向について文科省はどのように思われているのか、本音のところをお聞かせいただきたいと思います。

河村国務大臣 教育改革につきましては、これはいつの時代にも言われてきておるわけでございますし、教育改革によって国を再生する、特に日本においては教育力によってここまで来たと言われる。そのことをこれからも引き継いでいかなければならぬと思っておるわけでございます。

 小泉内閣におきましては、私就任以来、知、徳、体育、さらに食育、それも重視しながら、人間力向上のための教育改革、そして教育の構造改革、これに今取り組んできておるわけでございます。

 この改革を進めていく上においては、やはり何といったって、子供をどういうふうに人間形成をしていくか。教育基本法においては人格の完成ということで集約されておりますが、これにとって何が重要であるかということを常に考えながら、そして、やはり教育論というものを真ん中に置いて進めていかなければいかぬ、こう思っております。そういう点で、教育のあり方については絶えず中央教育審議会においてもいろいろな議論をしていただいて、政策も決定し進めておるところでございます。

 ただ、今横光先生も御指摘いただきました、最近の教育に対するいろいろな要請がございます。事実、教育現場においても非常に難しい問題も抱えておることもありまして、やはりもっと学校を信頼できるものにしろ、開いたものにしろという要請もございます。あるいは、多様な教育のあり方、学校のあり方、そういう要請にもやはりこたえていかなければならぬ。そういう観点から、特区の問題、特区への取り組みをしていったりとか、今回のこの法案において、開かれた学校づくり、いわゆるコミュニティ・スクールのあり方、これもまさに世に問おうといたしておるわけでございます。

 しかし、何といっても、教育は個々人の、いわゆる教育を受ける子供たちの個性をいかに伸ばすかということが大事でございますし、また、その延長線上にはやはり生涯教育という課題もある。そういう点を考えますと、これはやはり教育は学校教育だけじゃなくて家庭教育、そして地域の教育力、そういうものが三位一体となってまさに教育に多様な取り組みをしながら国のもとであります教育力を高めていく、このことが大事だろう、こう考えておるわけでございます。そういう意味で、教育の地方分権も行われ、あるいは規制緩和も行っている、このように御理解をいただきたい、こう思っておるわけでございます。

 そういう意味で、これからもつとに教育の地方分権あるいは規制緩和はやりますけれども、しかし、それはまさに二十一世紀の子供たちにとってプラスになるんだという教育論に立った結果でなければならぬ、私ども、そう感じております。

 小泉総理は、就任早々に、例の米百俵の精神を言われた。これはつまるところ、米百俵の精神というのはやはり教育論でなければなりませんから、まさに、それがややもすると、その入り口論でとどまっているところに今の風潮を何か示しているような感じがいたしまして、小泉改革の究極のところはまさに教育論である米百俵の精神を全うすることだ、こういう思いでこれからも取り組んでいかなければならぬと思います。

 立法府の皆さんの、特にこの委員会を中心とした皆さんの御理解と御協力と叱咤激励によってこれが可能になってくる、こう思って張り切ってまいりますので、よろしくお願いしたいと思います。

横光委員 私は、先ほど言いましたように、教育の公共性、継続性、安定性、そして政治的中立、これを確保するために文科省が頑張っているということを言いました。その一方で、いわゆる経済財政諮問会議とかあるいは総合規制改革会議とか、こういった流れに逆に押されているのではないか、そのことについてどう思われるかということをお聞きしたんですが、後でこのことをまたちょっと触れたいと思いますので、次に参ります。

 そもそも公立学校は、地域とともに、地域住民あるいは保護者のバックアップがあって成り立っているわけでございます。そのために、地域全体が子供の成長を支えていくことができるように、学習する場も、単に教室だけでなく、公園や図書館あるいはいろいろな文化施設等、地域全体が学習空間として今広がりを見せてきているわけでございます。

 つまり、学校教育は、学校だけではなく、子供の生活を重視する視点から、家庭、地域を含めた社会全体で取り組むことが必要、今大臣が言われたように、このことの必要性はよくわかります。その意味で、学校そのものは現在既に地域コミュニティーの拠点であり、そしてまたコミュニティ・スクールそのものと現在でも言えると私は思っております。

 ただ、現実は、家庭サイズの縮小、つまり核家族の増加とか、あるいは少子化の進行とか、さらには地域コミュニティー機能の喪失とか、また、自然の崩壊と人の排除が進む生活空間の状況が広がりつつある。こういったことにより子供たちの生活あるいは学習環境が悪化しているというのも現実なんですね。

 ですから、既にコミュニティ・スクールと言えるような形ではあるけれども、さらにこれをちゃんとしたものにしなきゃならない。こういった生活あるいは学習環境の悪化に何とか歯どめをかけなければならない。さらに、これを克服していかなければならない。そういった意味で、本来のこうしたコミュニティ・スクール、あるいは開かれた学校の実現がやはり課題になっていると思うわけでございます。これは恐らく同じ認識だと思いますが、それでよろしいでしょうか。

河村国務大臣 全く横光先生と同じ認識を持っております。

 学校をもっと信頼できる開かれたものにしようという動き、既に、学校評議員制度もそうでございますし、それから特別非常勤講師制度等も、かなり地域の人材を学校に入っていただくということも進んでおりますし、今、例の緊急雇用対策特別交付金、そういうものを活用して、それだけで今学校現場に三万三千人の一般の社会の方々が入っておられますし、さらに、特別非常勤講師制度の活用等も入れれば、五万人を超える一般の方々が学校に協力をいただいております。

 そういう意味で、そういうことが進んでいるわけでございますが、さらに家庭、地域、そして学校の連携、その上に立って地域づくりや教育をつくっていく、このことがまさに期待をされておる、このように思っておるわけであります。

横光委員 学校は、今言われましたように、地域や家庭とのかかわりが重要であるとともに、やはり何といっても教育の専門機関なんですね。ところが、最近、必ずしもこうした機能が発揮されていないという指摘もあるわけでございます。

 中教審のことしの三月四日の答申の中でも、これらのことが厳しく指摘されております。例えば、保護者等への説明責任あるいは開かれた学校の実現が求められている、そういった現状の中で、保護者等からの学校運営あるいは教職員に対する批判が強まっているとか、あるいは、教育委員会や学校の画一的な対応や官僚制に基づく教育委員会事務局主導による指導行政や学校運営に対する批判とか、さらには、学校の教育活動が専門性の名のもとに保護者や地域から切り離されてしまって閉鎖的な傾向を強めている現状に対する不満とか、いろいろな不満が現実に今増大していると思うんですね。

 こうした現象が、学校選択や公立小学校を避けて、結局は公立学校離れの増大にもつながっている原因であるということも指摘されているわけでございます。

 子供を取り巻く状況が大きく変化しておるわけで、学校運営は、これまでのような校長を中心とした教職員集団だけで対応するにはもはや限界がある。これは文科省も恐らく同じ認識ではなかろうかと思っております。

 本来、学校は、地域住民の日常生活圏にある公的施設の中で最も身近な存在ですよ、郵便局と同じように、生涯学習の拠点でもある。そういった中で、少子高齢化も進むとなりますと、地域全体の交流の場にもなっているわけですね。したがって、学校づくりは、学校あるいは教育行政の関係者ばかりでなく、保護者や地域の人たちの協力、支援がこれからますます必要になってくるわけでございます。さらに、子どもの権利条約を踏まえ、学校の当事者である子供の意思が反映されるようにしなければならない。

 つまり、これからの学校は、教育課程あるいは学習活動などの取り組みを地域の人々と話し合い、そして教育に関する情報、課題を共有し合い、そして相互理解を深めた信頼関係を確立する必要がある。そのための仕組みが、私は今回の改革であるこの学校運営協議会の導入という第一歩ではなかろうかと思っているわけでございます。

 今回、そういった運営協議会が導入されるという法案を今審議しているわけですが、まず、保護者や地域住民が公立学校の運営に参加するという趣旨でございますが、保護者や地域住民のニーズをどのように把握していくのか。素朴な質問ですが、例えば、小学校、中学校の狭い学区のニーズと比べて、公立高等学校になりますと、学校の個性化あるいは特色化の進展に伴って学区の広域化が進んでおりますね。東京なんかも、どこにいても二十三区どこの学校でも選べる。そうしますと、保護者や地域住民のニーズといいましても、まず把握することが可能かどうか。非常に素朴な質問でございますが、まず、このあたりをお聞かせいただきたいと思います。

近藤政府参考人 お答えをいたします。

 おっしゃるように、高等学校の場合は、小中学校と比較をいたしますと通学区域が広いわけでございまして、高等学校の保護者の、あるいはその関係する住民のニーズをどうやって把握をしていくか、なかなか難しい課題があるんだろうと思っております。

 逆に言えば、また高等学校の場合でも、こういった地域住民や保護者が学校運営協議会を通じまして学校運営に参画することによって、従来よりも幅広い観点からのニーズの把握をしていくということが逆にできていくんではないんだろうか。

 例えば、地元の企業が高等学校の授業に協力をしていく、そういうことを通じて高校生に伝統工芸や地場産業の魅力を伝え、振興を図っていく。あるいは、その他、学校の方も地域の企業の中に入ってまいりまして、いわばインターンシップを実施していくとか、そういった交流を通ずることによって、高等学校における教育の充実、あるいは地域がその高等学校に何を求めていくのか、こういったことが従前にも増して把握ができるようになるんではないだろうか、そういった一つのきっかけにもしていきたいな、そんなことも考えているわけでございます。

横光委員 今御説明がございましたが、小学校、中学校、あるいは幼稚園、このあたりは十分地域ニーズを把握して学校運営にプラスに持っていくことは可能でしょう。

 しかし、現実に、今言われたような二十三区どこでも行けるような地域でどうやってその地域のニーズというものを集約するのか、把握するのか、私は相当難しい問題であろうかと思っておりますが、これからの努力次第だというお答えでございます。

 また、こういった学校運営協議会制度を導入するに当たっては、いわゆるこれまで、現在各学校で積極的にいろいろな形で進めている取り組みなどについて十分な評価と、そしてまた検証を行った上でなければならないと思うんですね。

 例えば、学校運営への支援、協力を行うものとしてはPTAというものがございます。現在、全国の小中学校、高校におけるPTAは、これは学校や家庭における教育の理解と振興、あるいは児童生徒の校外における生活の指導、さらには地域における教育環境の改善等の活動を行っているわけでございます。

 そのPTAが今日まで学校において果たしてきた役割、こういったものを十分検証、評価してきて、さらにこの協議会が必要なんだということになったのかどうか、そのあたりをお聞かせいただきたいと思います。

近藤政府参考人 お答えをいたします。

 先生御指摘のように、PTAは、今おっしゃったような社会教育活動団体として大変大きな役割を果たしてきたと思っておるわけでございます。

 今回導入をしようというこの学校運営協議会は、公立学校の管理運営の改善を図るために地域の住民や保護者の意見を直接学校運営に反映をしていこうということで、管理運営の一部に関与する機関として地方教育行政の制度上に新たに位置づけようと。

 したがいまして、学校運営協議会とPTAとは役割や機能が異なるわけでありますけれども、やはり互いに補完し合いながらさまざまな形で学校、家庭、地域の連携をより一層密にする、これがまた学校管理運営の観点からも期待をされていることであろう、こんなふうに考えておるわけであります。

横光委員 確かに役割は違うわけですが、それでも、現在のPTAの役員はなかなか引き受け手がいないというのも現実でもあるんですよ。学校参観日に行くとPTAの役を押しつけられるので、なかなか学校参観日にも行かないとか、あるいは、名前だけ貸したら仕事が来てびっくりしたとか、いろいろな話を実は聞くわけですね。そういった現状であるということもしっかり認識していただきたいということでございます。

 また、こういったPTAにかてて加えて、平成十二年四月から学校評議員制度というものが存在しているわけでございます。ある意味では、地域、保護者が学校にかかわる姿としては、PTA、学校評議員制度、そして今回の協議会。こうなりますと、何か保護者や地域住民あるいは教職員にとりまして、屋上屋が重ねられるような感じがして非常に戸惑いを生じると思うんですが、これからどのようにこのことを説明されていかれるんでしょうか。

近藤政府参考人 学校評議員制度の機能、位置づけにつきましても、これはもう先生御案内のとおりでございます。

 既に学校評議員を置いている学校に今後学校運営協議会を置くような場合には、これは教育委員会の判断でございますが、基本的には、学校評議員は学校運営協議会に変わっていくものと考えているわけでございます。

 いずれにいたしましても、学校運営協議会、学校評議員、あるいはこういったPTA、それぞれ役割、機能が違うわけでございます。しかし、それぞれの活動を果たすわけでございますから、私どもは、教育委員会を通じまして保護者、地域住民、教職員の方々に、それぞれの役割分担あるいはその機能のあり方につきまして適切に説明もしてまいりたい、周知徹底を図ってまいりたいと考えております。

横光委員 学校評議員制度につきましては、午前中、同僚の議員が事細かく質問をされました。ゼロのところもある、非常に設置状況が悪いところもある、あるいは九〇%を超えるところもある、もうばらばらであると。トータルをすると六〇%ぐらいですか。しかし、こういった制度がなぜ六〇%どまりになっているか。やはりこの評議員制度というものをちゃんと総括しなきゃいけないと思うんですね。やはり制度上の欠陥とかあるいは不十分な点もあったと思うんです。ですから、私は、広がりにくかったんじゃなかろうかと。

 そういったことを踏まえて今度の協議会ということになったとか、いろいろな形で、やはり取り組んだことに対する評価とか、そしてまた残された課題とか、こういったものをしっかりとつかんだ上で新たな次のステップに行くべきではないかと思うんですね。

 そういった意味で、この評議員制度、私は、言いっ放し、聞きっ放しという形に実は終わってしまっているんじゃないかと。評議員制度は役割は終えたわけですか。今後、協議会が導入されると、評議員制度というのはなくなるんですね。

近藤政府参考人 学校評議員制度の成果といたしまして、やはり学校の教育活動に一定の保護者、地域住民の意向を反映することができたと思っておりますし、あるいは社会体験学習ですとか総合学習への地域住民の協力が得られやすくなった、こういう一つの成果があったことは事実だろうと思っておるわけであります。

 一方、今先生御指摘になりましたように、学校評議員というものは、校長の求めに応じて意見を述べるものでありまして、その意見はある意味では校長の参考にとどまる、こういったことでございまして、より積極的に学校運営にかかわることができるような新たな仕組みを検討すべきではないか、こういった意見もあったわけでございます。

 そういう中で、学校評議員をさらに発展させたものとして、校長の学校運営について一定の権限を有する学校運営協議会を制度化することにしたわけでございまして、私どもといたしましては、学校評議員制度を廃止するということは考えていないわけでございまして、いずれの制度を採用するかは、学校の状況、地域の実情に応じて教育委員会が選択をしていく、こういう事柄であろうかと思っております。

横光委員 それでは、教育委員会の判断によって、ここは学校協議会を指定する、そして学校評議員制度があるところはそのまま残す、あるいは何もない学校もある、こういうことになるわけですね。

 学校評議員制度、先ほど言いましたように、それなりの効果があったと言いますが、私は、この学校評議員制度を含め、一九九八年の中教審答申、ここに指摘されていることがすべての地方公共団体で実行されていれば、あるいは運営上の問題や教訓などが集約されていれば、私は、今回のような法案は必ずしも必要ではなかったのではないかと思いますよ。あらゆる意味で学校評議員制度も中途半端になってしまった。ですから、今度こういった制度、もうちょっと権限のあるところを導入しようとするんでしょう。

 であるならば、これまでのところは全く意味がなかったということで、そうでなければ混乱しますよ、各地区は。同じ教育委員会の中で、評議員制度はあるわ、協議会は導入されるわ、何もない学校はあるわと、こんなことで一律公平的な教育ができますか。いかがですか。

近藤政府参考人 平成十年の中教審答申におきまして、先生御指摘になりましたように、学校が地域住民の信頼にこたえながら開かれた学校づくりを進めるため、地域住民の学校運営への参画を促す学校評議員制度でありますとか学校評価制度についての提言がなされたわけでございまして、それを受けて、学校評議員制度の設置を進めてきたわけでございます。私どもは、それなりに一定の成果が見られたと思っておるわけでございまして、そういった学校評議員制度の実施状況も踏まえながら、学校評議員をさらに発展させたものとして、今回、学校運営協議会を制度化することにしたわけでございます。

 ただ、この学校運営協議会につきましても、これもまた今回、任意設置という形にしたわけでございますが、それはやはり、それぞれ学校の置かれた事情、あるいはその地域の実態が違うわけでございますから、すべて一律にこの学校運営協議会の設置を義務づける、これもまたいかがかと。したがいまして、両制度の位置づけ、期待される役割は異なっているわけですから、制度上は二つの制度を併存させながら、今申し上げましたように、各教育委員会が学校の状況、地域の実情に応じて、いずれかの制度を採用していく。

 ただ、学校評議員が置かれており、さらにその同じ学校に学校運営協議会が置かれるということになりますならば、それもまたいろいろと難しい問題が生じるわけでありますから、学校運営協議会が置かれるということになりますならば、そちらの方に当然変わっていくであろう、こういうことを考えているわけでございます。

横光委員 非常に混乱しますね。第一、役割が違うんですから。評議員制度は校長先生に意見を申し上げることができる、協議会は全然違うわけでしょう。そういったのが同じ教育委員会の所管の中で、そういったものさえない学校さえある。いろいろなことで、私はこれから問題になってくるんじゃないかと心配しておるんですよ。

 そもそも今回の法案は、二〇〇四年三月四日の中教審の答申、「今後の学校の管理運営の在り方について」を踏まえて出されたと思うわけでございますが、印象としては、先ほどから指摘している、学校のあり方に関する文科省の思いというか魂というか、そういうものは私には見えてこないんですね。すべて地方に任せている。

 なぜそうなったのか。私は、この間の小泉内閣の手法に問題があるんじゃないかと。つまり、それは冒頭申し上げましたように、教育政策に関しても、主管省庁である文科省の前に経済財政諮問会議や総合規制改革会議が立ちはだかっている、そして枠組みを決め、つくってしまう、それを中教審で論議する、それを文科省が法律づくりをする、そして地方に投げる。こういった仕組みが、今の私が言ったような、何か文科省の思いというか、そういったものが見えてこない原因ではなかろうかという気がするんです。

 結局、財政諮問会議や総合規制改革会議、こういったところの意見を中教審で論議しているのも、これも根本的な論議になっているかというと、これもはっきりわからない。こういった状況にあるということは、大臣、文科省はどのように認識されていますか。

河村国務大臣 この問題、先ほどの御議論の続きと受けとめさせていただきます。

 経済財政諮問会議がいろいろな枠組みをつくって提言をしてくる、これに乗っかって我々が動いているのではないか、こうおっしゃいますが、しかし、例えば義務教育費国庫負担制度の問題等についても、三大臣合意、いろいろなことがありますが、私は、やはりこれは教育論に引き戻さなきゃいかぬという観点からあの合意をずっと見ていっても、中央教育審議会の論議も踏まえてということも歯どめにかけてある。

 そういうことを踏まえながら、やはり教育論をしっかりやった上でこれはやりましょうという形に、その舞台にのせるように、我々も今最大努力をしておるところでございまして、またそれに対しては皆さん方の非常な支援もあって、いろいろな国民運動的な動きも出てきておる。

 教育の問題については、もちろん経済にも大きな関心がありますけれども、やはり国の根本にかかわる問題でありますし、国民にとって非常にセンシティブな問題であります。皆さん、いろいろな御意見をお持ちでございますから、やはりいろいろな幅広い意見を聞くことは必要であろうと思いますし、総理からも、教育の問題というのはいろいろな見方がある、まず聞いた上でいろいろな角度から対応するようにという御指摘もいただいております。

 そういうことも踏まえながら、しかし、横光委員も御指摘のように、人間をつくっていく教育でありますから、やはり教育の根幹は文部科学省に大きな責任があるんだ、我々、このことは特に考え方の中心に置いておきませんと、本当にそれは経済論理に流されてしまう。皆さんが心配していただく、そういう懸念があるからこそ、やはり教育的観点を重視した、教育論を根底に持った教育改革を進めていかなければいけないと思います。

 私も、そういう意味で幅広い意見も聞かなければなりませんので、先般、経済人あるいは地方の立場を代表する方々あるいは文化人、そういう方々にも参加していただきまして、これからの教育を考える懇談会、これは文部科学大臣の諮問的機関でありますけれども、そこへ持ち込んで、経済財政諮問会議にいらっしゃるようなメンバーにも入っていただいて、そこで議論もしていただいて、これからの教育論としての教育改革を進めていきたい、このように思っておるわけでございます。

 御指摘の点、十分私どもも受けとめながら、まさに教育論を大切にしながら広い観点から教育改革を進めていきたい、このように思っております。

横光委員 今の大臣のお言葉、本当に教育論から文科省の所管の学校問題というのは進めていかなければならない。経済だけで流されてしまうと、今例に出されましたが、義務教育費国庫負担制度、これもまさに私は、もちろん財政が伴うわけですが、財政の問題だけでこの制度を、変なことになってしまったら大変なことになる。

 先ほど、午前中も大臣は、私たちの国は資源がないんだ、人材育成が唯一の資源なんだ、その根幹は教育なんだということなんですよ。そこのところを、財政がないからと教育論を抜きにしてなし崩しになってしまったら、私は、必ず後世に日本の国は活力のない国になっていくと。絶対に、これは教育論的にもまたこれから大きな課題になるわけですが、大臣を初め先頭に立って頑張っていただきたい。我々も全力で、みんなでサポートして守っていかなければならない義教費制度だと思っております。

 ちょっと話はそれましたが、それでは、法案の中身についてお尋ねをいたします。

 先ほどから意見が出ておりますが、学校運営協議会の設置、これは置くことができると。いわゆる評議員制度と同様、任意設置になっておりますね。しかし、中教審の答申では、設置については、「その導入は、すべての公立学校に一律に求められるものではなく」と、つまり、特定の学校のみの導入であると限定しているわけです。

 しかし、私は先ほど言いましたように、もう既に公立学校は地域コミュニティーの拠点になっておるんだ、つまり、公立の場合は地域が人々をはぐくむんだ、そういった状況にあるわけですから、設置者である市町村が教育委員会所管の学校すべてを指定することが可能である、このように認識しておりますが、法的には問題はないですね。

近藤政府参考人 お答えをいたします。

 置くことができるということで任意設置にしたわけでございますが、先生御指摘になりましたように、当該市町村教育委員会がその域内の学校について、この協議会を置いた方がむしろその学校の管理運営の改善に資すると御判断される場合には、域内のすべての学校に教育委員会が運営協議会を置くこと、それは可能でございます。

横光委員 わかりました。

 それと同時に、今度は逆の形で、教育委員会が指定するということになっておりますが、例えば、校長を中心にして学校の判断でこういった制度ができたのなら、やはり地域の声、保護者の声をより吸収したい、より学校運営にプラスにさせたい、そういった思いで学校の方が手を挙げて指定を求めるということもできるんですか。

近藤政府参考人 学校の方で、やはりこういう指定学校になりたい、そして地域の住民の意見を学校の管理運営に反映をしたい、そういうことを市町村教育委員会に申し出る、これは当然あり得ることだろうと思っております。

 いずれにいたしましても、最終的には設置者であります教育委員会の判断で、当該学校を指定するかどうか、そこは教育委員会の判断になるわけでございます。

横光委員 それは、すべて最後は判断、判断ということで先ほどから答弁していますが、教育委員会規則で定めることとなっております。しかし、この教育委員会規則というのは独自で決められるわけでしょう。となりますと、各教育委員会ごとに異なることも予想されるわけですよ。

 ですから、教育委員会規則で定める事項というのは、教育委員会の判断だけにすべてゆだねるのではなくて、やはり文科省が教育委員会に対していわゆる共通のガイドラインや通知等を出して、ある意味での最低限の統一性をとらないと、そういった意味で、その通知の中に、希望する学校は、望んだ場合は、教育委員会は当然のように指定していくべきであるというぐらいのことを書かないと。

 ここは、ただただ判断に任せる、全く地方任せで、文科省の意向が全然見えないんですが、どうですか、今のガイドラインとかあるいは通知等というものはこれからやられていくつもりなのか。

近藤政府参考人 この法案をお認めいただきましたならば、当然私ども、この学校運営協議会制度を円滑に導入していくための準備もしていかなければならないわけでございますから、施行通知を出すことを考えておるわけでございます。

 その中に、まだどこまで書き込むかという具体の作業はもちろんしていないわけでございますけれども、この円滑な導入に向けて必要な留意事項、これはぜひ盛り込みたい。この学校運営協議会制度の趣旨をしっかりと各県教育委員会で御理解をいただけるような通知にしてまいりたいと考えております。

横光委員 よろしくお願いを申し上げます。

 次に、学校協議会の構成員である委員についてお聞きしたいんですが、中教審の審議過程では、構成員の例として、校長、教職員代表、保護者代表、地域住民代表、行政関係者、その他有識者が提示されております。また、中間報告でも、学校運営協議会は合議制の機関であり、その委員としては、校長、教職員、保護者、地域住民、教育委員会関係者などが考えられるとなっていたんです。ところが、答申では、校長、教職員が削除されている。法案でももちろんそのことが触れられていない。なぜそうなったんですか。

近藤政府参考人 学校運営協議会の委員につきまして、法律において、今、地域住民、保護者について必ず委員として含まれるようにしておるわけでございますが、中央教育審議会でもいろいろな議論があったんだろうと思っております。

 今回導入を考えております学校運営協議会、これはイギリスの学校理事会のような格好の管理運営機関という性格ではないわけでございまして、あくまでも地域住民あるいは保護者、そういった外部の方々を中心にして運営に関与していただくんだ、そういった声を反映していく。そういったことから、ミニマムの構成要素として、そういった方々に限定をしておいて、あと、それぞれの判断で教育委員会が認める方々を適宜適切に加えていく、こういうことがいいのではないんだろうか。こんなような議論ではなかったのかな。

 ちょっと正確に私も記憶をいたしておりませんけれども、そういうようないろいろな議論がなされた結果としてああいった答申になったのではないか、このように理解をいたしております。

横光委員 やはり地域住民や保護者の意見を聞く、学校側は聞く立場ですね。しかし、学校側の意見も地域住民や保護者の方々にはやはり申し上げなきゃならない。それぞれの学校の状況があるわけですが、そういった申し上げる立場としては、やはり校長であり、学校教職員なんですね。

 ですから、メンバーの中にそういった者がいなければ、やはり言われっ放しで物事が進んでしまう。いろいろ言われるけれども、いや、今のうちの学校ではこれはできませんよ、こういう状況なんですよときちっと意見を言えるような立場の人がやはりメンバーに必要である。それはもう教職員しかないんですね。

 今、そういったことをメンバーにすることは各教育委員会の判断にゆだねるということでございますが、やはりゆだねるだけじゃなくて、判断に任せるだけじゃなくて、ここも通達でしっかりと、教職員も学校運営協議会のメンバーに入ることができるぐらいの通達を出さないと、これはなかなか、私は、学校側の立場の意見を言う人がいないとやはりこの協議会がスムーズに運営できないのではないかという気がいたしておりますので、そこのあたりの通達の件はいかがですか。

近藤政府参考人 この国会での御審議も私ども十分に念頭に入れながら、通達の中身についてはまた検討してまいりたいと思っております。

横光委員 次に、先ほど午前中、厳しく質問がされておりましたが、今回の学校運営協議会には子供が参画はできないということになっております。イギリスでは参加できてない、あるいは参加できている国もある、いろいろな状況でもあろうかと思います。

 文科省が教育を所管する省庁として、最も子供の立場あるいは子供の視点で政策を考えていかなければならないと思っております。文科省の子供観あるいは子供に対する認識、これはどのように大臣は思われているんですか。

河村国務大臣 法律においてこのことは想定をいたしておらないわけでありますが、いわゆる子供の個人的な課題といいますか、そういうことに対する意見表明権、これについてやはり配慮しなければなりませんから、そういう問題が学校運営協議会等々で議論しなきゃいけないテーマになったときには、当然子供の代表と一緒に、それこそ学校給食でも食べながら、しっかり意見を聞いて、意見交換をする、そういうことが大事だろう、こういうふうに私は考えます。

横光委員 教育改革というものの大事さ、ずっと言われております。確かに大事でしょう。しかし、その一番の主役は子供なんですよね。

 実は、これは国会で一回披露されたことがあると聞いておりますが、スウェーデンの中学校の教科書に載っている詩、もう関係者の皆さん方は十分御承知かと思いますが、ドロシー・ロー・ノルトという方の「子ども」という詩がございます。これは非常に教育の原点だなということを、簡単な、きれいな詩であらわされていますので、ちょっと読んでみます。

  批判ばかりされた子どもは 非難することをおぼえる

  殴られて大きくなった子どもは 力によることをおぼえる

  笑いものにされた子どもは ものを言わずにいることをおぼえる

  皮肉にさらされた子どもは 鈍い良心のもちぬしとなる

  しかし、激励をうけた子どもは自信をおぼえる

  寛容に出会った子どもは 忍耐をおぼえる

  賞賛をうけた子どもは 評価することをおぼえる

  フェアプレーを経験した子どもは 公正をおぼえる

  友情を知る子どもは 親切をおぼえる

  安心を経験した子どもは 信頼をおぼえる

  可愛がられ抱きしめられた子どもは 世界中の愛情を感じることをおぼえる

スウェーデンの中学校の教科書に載っている有名な詩ですが、まさに、教育の原点ここにありというような、非常に集約されたわかりやすい詩だと私は思うんです。

 つまり、子供は未熟な存在としてとらえるのではなく、いずれはやはり、未熟の中から限りない可能性を持っているんだということですね。そういった意味で、子供の意見が、今回のような協議会の中でも、参加できなくても意見を言える場というものがいかに重要であるかということを申し上げているんです。

 先ほど答弁で、協議会の場で意見を聞くことがあってもいいだろうという御答弁がございました。これも私から言わせると、非常にあいまいでございます。意見を聞くことがあってもいいだろう、そうではなくて、協議会の場で、やはり適宜適切に子供の意見を聞く場があるべきだというようなことを、これまた通達でしっかりと協議会ができたときには連絡をするようにお願いしたいと思いますが、いかがでしょうか。

近藤政府参考人 学校運営協議会の議事のあり方等は、これは市町村の教育委員会が教育委員会規則で定めることになっておるわけでございますから、これまたおしかりを受けるかもしれませんが、基本的には市町村教育委員会の判断でお任せをするということであろうかと思っております。

横光委員 各教育委員会の判断、こればかりじゃないですか。これは一番大事なことなんですよ。参画ができれば一番いい。だけれども、参画できないですよね、この法案では。できないならば、できるに値するぐらいのことを指導しなきゃいけないでしょう。それを判断で任せる、まるで丸投げじゃないですか。これではやはりいかぬ。もうちょっと厳しく、文科省としては、せめて子供の意見を、協議会を設置されたところはちゃんと定期的に子供の意見を聞く場をつくるぐらいのことを通達しなければ、恐らく子供の意見はほとんどこれでは反映されませんよ。そこのところをしっかりよろしくお願いを申し上げたいと思っております。

 任命と選挙というお話もございましたが、私は、この委員の任命ということの、任命するまでのプロセス、これを大事にしなきゃならない。いわゆる民主的な選出方法の理念をこれまた教育委員会に示すことが必要ではないかと思っておりますが、これをお聞きしますと各教育委員会の判断にゆだねるというお答えになりますので、もうお聞きしません。

 しかし、やはりただ任命するんじゃなくて、いろいろな形で、学校からの推薦だとか、あるいは公募するとか、イギリスのように選挙で選ぶとか、いろいろな手法があるんだということを事例を示して、民主的な選出方法を教育委員会に示す必要があるということをまずお願いしておきたいと思います。

 次に、校長の提案する教育課程編成の基本方針について学校運営協議会の承認が得られない場合、あるいは学校運営上の問題で学校運営協議会と校長の例えば対立が生じた場合、これはあり得ると思うんです。その場合、その調整役はどこが担い、どういった調整をするおつもりなんですか。

近藤政府参考人 お答えをいたします。

 学校運営協議会を置く学校の管理運営に何らかの支障が生じた場合、先生おっしゃいますように校長が基本方針を作成するわけでございまして、当然、今回私どもが考えておりますのは、この学校運営協議会と十分に御相談になっていただきたいわけでございますけれども、どうしてもそういった形で調整がつかないというようなことがあり得るんだろうと思っております。そういったときは、やはり設置者である教育委員会が十分に実情を把握し、場合によっては指導助言を行う、そういったことを通じて調整を行っていただきたいと考えております。

横光委員 学校運営協議会が、校長の提案する教育課程編成の基本方針の承認が得られなかった場合、また、学校運営協議会を設置している学校と設置していない学校の学校間格差につながりますいわゆる校長の権限の公平性を欠くことになります。片や学校運営協議会が設置されて、そこに対しての校長の権限と、片や学校運営協議会も何もないところの校長の権限と、おのずと差が出てくるわけですね、こういうところで。こういった校長の権限の公平性、もしこういうことが欠くようなことになれば、この解消はどのようにしていくおつもりなんですか。

近藤政府参考人 学校運営協議会を設けた場合に、確かに校長についていろいろな運営協議会から意見が述べられる。一見それは制約でもあるかもしれませんが、そういった形で、学校運営協議会が校長と一緒になって、共同して学校をつくっていくんだ、特色ある学校をつくっていくんだ、校長をバックアップしていくんだ、当然そういうメリットもあるわけでございまして、一概に、運営協議会が置かれるから制約をされる、置かれないから制約がない、そういった格差が生じるということではないんだろうと思うんですね。

 いずれにいたしましても、そういった学校の運営協議会の趣旨が生かされまして、それぞれの学校が特色ある教育、あるいは学校づくり、学校の先生方とこの運営協議会が協力し合ってやっていただきたい。それがこの制度のねらいでもあるわけでございます。

横光委員 今、格差は生じないというお話がございましたが、そんなことはないですよ。やはり出てきます。とにかく、そういう協議会があるところ、ないところでまず格差があるわけですから、おのずとその中での権限というのは格差が生じるのは当たり前じゃないですか。

 ですから、私は、ここでちょっとお聞きしたいのは、学校の管理運営に関する教育委員会、そして校長、そして今度の学校運営協議会、この三者のいわゆる位置づけ、これをやはり明確にする必要がある。学校運営協議会というものの位置づけ、このあたりをお知らせいただきたい。

 最終的な決定機関なのか、あるいは教育委員会や学校の校長の諮問機関なのか、単なる協議機関なのか、そのあたりはっきりしなければ、協議会と校長と教育委員会、この関係が明確でなくなるといろいろな問題が生じます。お答えください。

近藤政府参考人 学校を設置しておるのは、例えば市町村立学校では市町村の教育委員会でございますから、最終的な責任者は市町村の教育委員会であり、学校の運営の責任者は、これは校長が校務を所掌するわけでありますから校長が行う、そして、この学校運営協議会は学校の管理運営に参画をする、そういう意味では協議機関としての役割を担っている、そういう役割分担があるわけでございます。

横光委員 つまり、決定機関ではないということですね。そこのところをはっきりしないと校長は非常に難しいと思うんですね。

 例えば、文科大臣、十日に足立区の五反野小学校を訪問されましたね、実践研究校を指定されている学校。ここで、報道なんですが、この小学校の場合、学校理事会の意向を踏まえて昨年四月に就任した校長が学校理事会と教育方針で対立し、わずか一年で退任しているという報道がございました。前任の校長は、いわゆる退任した校長は、生徒の意欲、態度を重視する教育方針、ところが学校理事会は、読み書き計算を重視する教育方針、ここで対立した。結局、校長が退任しておるんですね。

 今と違うじゃないですか。これは理事会ですよ。これは単なる実践研究校なんでしょう。今度は、学校運営協議会はもっともっと強い権限を持つところなんでしょう。しかし、今局長の答弁は、校長の方が最終権限を持っているんだと。理事会と学校運営協議会は違いますが、学校運営協議会になるともっと力が強くなるわけですが、理事会でさえ校長の方が去っておるんですよ。どういうことなんですか。

近藤政府参考人 この五反野小学校の場合でございますけれども、これはあくまでも実践研究ということで、制度的な検討を行う上で参考となるよう、新しいタイプの学校運営のあり方についてできるだけ多様な取り組みを実施していただいておるわけでございまして、確かに、足立区のこの五反野小学校は、学校理事会を試行的に最高意思決定機関と位置づけて、その意向を最大限に学校運営には反映させるような形での運営がなされた、こういうふうに承知をいたしております。

 今回、私どもが御提案をいたしております学校運営協議会は、これはイギリスの学校理事会などとは違って、最高意思決定機関ではなく、あくまでも学校の管理運営に参画をする、そういう機関である、そういう位置づけでございます。

横光委員 では、この五反野小学校の例は、これはまだ、今後の協議会に向けてのいわゆる研修という形での学校という、特異な例だということでよろしいですね。結局、学校運営協議会が導入されても、校長の権限は学校運営協議会の力に抑えつけられるものではないんだということは確認させていただきたいと思います。

 学校運営協議会が、学校の運営に関する事項について教育委員会や校長に対して意見を述べることができることになっておりますが、これは、教育委員会や校長はその意見に拘束されるんですか、どうですか。聞きおくだけでもいいんですか。そのあたり、はっきりしてください。

近藤政府参考人 人事に関する学校運営協議会の意見については尊重する、こう書いてあるわけでございます。そのほか学校の管理運営についていろいろな、日常的にもいろいろなことがあり得るわけでございますが、そういったものについてもこの学校運営協議会は意見を述べることができるわけでございます。これにつきましては、法律上の拘束をされる、こういうことはございません。

横光委員 次に、これも先ほど質問が出ましたが、学校運営協議会は、教職員の採用その他の任用に関する事項について、教職員の任命権者に対して意見を述べることができる、任命権者はその意見を尊重することとなっている。これは、運用の仕方によっては、学校運営協議会の任命権者に対する特定の意見により、教職員が、恣意的な人事あるいは不利な扱いを受けることが心配されるわけですね。また、学校運営協議会が人事に関与することにより、教職員への悪い意味でのプレッシャーにつながることも心配されます。

 ですから、学校運営協議会を設置している学校と設置していない学校の、これまた学校間格差につながります。教職員人事の公平性を欠くことになると思います。つまり、人事に関与できる学校運営協議会がある学校と、人事なんか全然、そういった協議会が関与しない学校もあるわけですから、こういったところでは、おのずと学校間格差が生じますね。このあたりの公平性をどのように担保できますか。

近藤政府参考人 一つは、学校運営協議会は、これは合議体として意見を述べるわけでございまして、一部の委員の意見に左右をされるというものではないわけでございます。当然、また任命権者である教育委員会は、学校運営協議会の委員を任命する場合にも、幅広い方々から、そういった公平性、中立性、いろいろなことを考慮して任命していく必要があるわけでございます。

 そしてまた、現在のこの学校運営協議会制度につきましても、現行の教育委員会、任命権者としての制度、市町村の教育委員会が内申を行い、都道府県の教育委員会が最終的に、広域的な人事、バランスのとれた人事を行う、こういう制度は変わっていないわけでございますから、そういう中で、できるだけこういった学校運営協議会の意見を尊重していこうということでございますから、私どもはそういう意味での担保はなされているものと考えております。

横光委員 すべての学校に学校運営協議会が設置されていれば、人事に関与できるなら、すべて平等ですよ。ところが、学校運営協議会のところは人事に関与できる、学校運営協議会のないところは、そんなの全然関係ないわけですから、安心して、そういうところから人事に影響されないわけですから、先生たちは安心できる。こちらは関与できるんですから安心できない部分ができる。そういったことでの格差を私は言っているので、こういったことのないように、公平性が担保されているというお話でございましたので、しっかりこのあたりは、あくまでも政治的にも中立的に、また公平性を担保していただきたいと思っております。

 最後に大臣にお聞きしたいんですが、中教審の答申では、人事に関連して、校長の裁量権の拡大について次のように指摘しております。「教職員人事については、学校運営協議会の関与の下、学校の裁量権の拡大を図ることも必要であるが、これに加えて、例えば、地域運営学校の校長に係る裁量経費を増額することや、学校の判断に基づき非常勤講師の採用を可能にすることなど」と書かれている。

 ところが、学校予算等については、首長との関係があるのか、権限移譲については今回法案化されておりません。いわゆる校長の裁量権の拡大とか裁量経費の増額とか、こういうことは法案化されておりません。この部分でも私は、文部科学省のこの法案に対する消極的な姿勢がちょっと見える気がするんですね。今後、校長にかかわるこれらの裁量経費、こういったことも含めて、今後の課題について具体的にどのような措置を講じようとされているか、頑張っていただきたいんですが、御見解をお聞きいたします。

河村国務大臣 御指摘の点でございます。

 地方自治制度の建前が、地方公共団体の予算に関する権限が、基本的に地方公共団体の首長の権限、こういう形にもなっております。首長の判断によって、教育委員会あるいは学校に予算執行の権限が委任できることになっておるわけでございますから、この運営協議会を設置した学校においては、首長さんもあるいは教育委員会も、地方の実情に応じてその権限の委任ということも考えていただけるのではないか、こう思いますし、やはり学校運営協議会を設置する学校においては、この予算についても学校の裁量が拡大されることが望ましいわけでございます。

 こういう指摘を受けて、この学校運営協議会をつくっていくわけでありますから、今後、学校裁量経費の導入あるいは拡充、学校の裁量権の拡大については積極的に、運営協議会を設置したその自治体あるいは教育委員会、この問題について前向きに取り組むように、まず教育委員会に督励をしてまいりたい、このように考えております。

横光委員 総務省が相手でございますので、頑張っていただきたいと思います。

 終わります。

池坊委員長 牧野聖修君。

牧野委員 民主党の牧野聖修です。

 ただいま議題となっております地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案につきまして大臣に質問をさせていただきたいと思います。

 数年前、ノーベル経済学賞を受賞されましたアマルティア・センさんの書かれました「自由と経済開発」という論文を読んでおりましたら、その中に、政策とか施策というものを実行すれば、必ずそこには光と影の部分ができる、でも、これからは政策とか施策を実行段階に移す場合には、すべからく影の部分が出ないように準備し配慮しながら施策を実行する、このことが何よりも肝要ではないかという一節がありまして、私は、今迎えているこの時代には、政策を実行していく段階には、いろいろなことがあろうとも、影の部分が出ないように配慮しながらやらなければいけない、そのことを自分も政治にかかわる一人として肝に銘じながら、いろいろな審議に応じてこよう、そういうふうに思ってきたわけであります。

 したがいまして、そのような立場から、法案の行く末は大体見えてきたような感じもいたしますけれども、もう一度、そもそも論から始めさせていただきたい、そう思っているわけであります。

 それから、この地域コミュニティ・スクール、このことが議題になってきまして、最近の新聞とかあるいは発表されました論調とかを目にいたしますと、今は、この問題については既に神学論争をしているときではない、やるのかやらないのか、そんなことを決めて、どちらかというと、具体的にどのようにするか、このことを論議すべきときではないかというふうな、そういう論調が非常に声高に聞こえてくるような感じがするんです。

 それは、中教審とか関係者の皆さんは既に長い間議論をしてきたかもしれませんが、この委員会に付託されたのは、趣旨説明を受けたのは一週間前なんですよ。ですから、私は、もう一度そもそも論に戻って、大変恐縮でございますが、大臣に数点について質問をさせていただきたいと思います。

 まず最初に、大臣も大勢の委員の皆さんの鋭い質問、高い次元の質問にお答えをされ、あるいは参考人の皆様方からも御答弁をいただいている。その中に、先ほど来質問の中にもありましたけれども、大臣みずからも、ある程度新しい時代に向かっての教育の実験という気持ちもある、あるいは政府参考人は、七十五点から六十点だ、そういうお話もあったわけであります。

 大臣、これは文科省が百点満点だと自信を持ってこの委員会に上程をして、日本の教育をこれから新しいステージに向かって、確信を持ってよくするんだ、そういう気持ちで出されたのか、それとも途中で失敗したり、まずい、そういったところがあればいつでも直せばいいじゃないか、そういう実験段階的なような気持ちでこの法案を出されておるのか、一番最初にぶしつけな質問でまことに恐縮でございますが、そのことについてお答えをいただきたいと思います。

河村国務大臣 法案を提出いたします場合には、必ず百点満点をとる、百点満点の思いで法案は出しておるわけであります。しかし、採点をしていただきますと、そのときこちらは百点のつもりでおっても、いや七十点だ、八十点だ、六十点だ、いろいろ評価はいただきますし、問題点を指摘される面もあります。それは十分配慮しなければなりませんし、また、今後附帯決議等においても懸念される点を指摘される、そういうことをしっかり配慮しながら、また、我々は神様じゃありません、人間のやることでありますから、絶えず改革はしていかなければいけません。時代に合ったものにしていかなければいかぬ。こういうことは当然配慮をしながら、しかし、行政が行う、国として責任を持って国民のために行う、これはやはり百点満点を目指していかなければならぬ、こう私は思っております。

 牧野先生おっしゃったように、光と影の部分、影の部分をなくすということが大事だ、こうおっしゃいます。確かに、その御意見を伺いながら、日本の経済方針、いろいろなあり方、日本のあり方というのはやはりそういうところにかなり配慮してきたつもりであるし、勝者の論理だけの方式といいますか、そういうものだけでやはりやっていけない、経済論理だけで教育もできない、そんなことも感じながら聞いたわけでございます。

 答えをもう一度最初に戻しますけれども、あくまでも影をつくらないように、百点満点を目指して法案を提出している、こういうことであります。

牧野委員 大臣のその言を信じて、次の質問に移りたいと思います。

 先ほど来、別の委員からも御指摘があったわけでございますけれども、最近の文科省が提案してくる法案、いろいろな政策等々を一つ一つ検証しておりますと、かつては国家百年の大計をつかさどる文科省、そういう認識で私は教育問題をとらえていたんですけれども、降ってわいたような話がすぐに法案として上程されてくる、そんな感じがしないわけではない。

 食育の問題についても、それは詳しい人は長い間研究をしていたかもしれませんが、うわさになったら突然法案になって出てくるだろうし、あるいは栄養教諭の制度創設、このことについても、関係者は五十年来、私は四十五年、あるいは食の危機、公害等々を迎えて、この問題を国民的に克服しなければならないと真剣に議論されてもう三十年たっている。そんなことを政府は全く考えていないかなと思っておりましたら、たしか一昨年だったか、小泉総理が、臨時国会のときの答弁か何かの中に突然食育という言葉が出てきまして、私はびっくりした。そうしたら、それが今度は法案として提出されてくる。そういう感じを受けたわけですね。

 それから、このコミュニティ・スクール、これは識者の中では長い間ずっと勉強されてきた。でも、これが本当に実際に法案として日の目を見てくるにはまだまだかかるのかなと思っておりましたら、これもさっと出てきまして、最近、スピード感あふれる文科省の行政ということで、高く評価するところもありますけれども、その裏はやはり官邸主導、内閣主導によるスピードアップ、本当に文科省が自信を持って、満を持してやってきたというふうな感じがしない。何か非常に、言葉汚く言うと、私は、状況に流されながら引っ張られているという感じがするんですよ。

 大臣、もう一度、確信を持ってお答えください。これは、文科省の内部から自発的に発案として出てきたものですね。

河村国務大臣 今、食育の問題、コミュニティ・スクールの問題をおっしゃいました。これは当然、外から来たからやるというそういうものではなくて、もちろん文部科学省だけ考えていて、机上の空論でやれるものでもございません。実際の今の教育の現状、これをどういうふうに改革していくか、学校を変えていくか、よくしていくか、そういう視点が絶えず必要なわけでありまして、そういう視点で見たときにどうかということを考えていかなければならぬ。

 食育でいうならば、これは食育というのも、もっと広い視点が必要だと思いますが、学校給食を導入したときから、また学校栄養士の方々が実際に現場にタッチされてみて、やはり学校において教諭としてもっと発言力を持って、自信を持ってこの仕事を進めていきたいという強い願い、そういうものがもう早くからあったわけでありまして、そのことは文部科学省も承知をしていた。しかし、それがなかなか、実際にそれを法律としてやるについてはやはり時期というものがあったろうと思います。それが、たまたま食育という流れの中で、大きな流れの中になってきたということが一つの決断をするきっかけになったことは私は否定はいたしませんけれども、しかし、それはやはり文部科学省としてずっと考えてきて、この時代にまさにとらえているときだということで決断をしたということでもございます。もちろん、いろいろな議員連盟等々のバックアップもあったことも事実でありますけれども、時期を得たというふうに思います。

 コミュニティ・スクールの問題については、早くから、アメリカのチャータースクール等々を見ながら、あらゆる多様な学校のあり方、教育のあり方ということが求められている。そのことも文部科学省は十分承知をしながら検討を重ねてきて、そして、識者の皆さん方のいろいろな御意見を体してこの法案にしていったというものでございます。

 まさに地域の要請、また地方分権の大きな流れ、そういうものにきちっとタイアップしながら、そして結果的に、子供にとって学校がよくなる、学校が変わっていく、そして地域の教育力も上がる、あわせて家庭教育に対してもこれは影響を及ぼす、そういうことを考えながら今回取り組んでおるわけであります。そういう意味で、先ほど百点を目指して、こう言ったわけでありますが、文部科学省としては、そういう点の確信を持っておるわけであります。しかし、これはいろいろな選択肢をふやしていくという方向でありますから、これを一律に全部導入するという段階でない。いろいろな形があっていいだろうということで、今日、こういう形をとって提案をさせていただいております。

 いずれの問題についても、十分いろいろな角度から御意見を聞き、既に実験校的なものもつくりながら、よし、これならいけるという自信を持って、いろいろ御指摘はいただいております、それは配慮いたしますが、自信を持って今回の法案を出している、こういうことであります。

牧野委員 文部大臣のその真摯な決意は非常に評価させてもらいたい、こういうふうに思っています。

 さらに、耳ざわりの悪い言い方で恐縮ですけれども、最近の文科省の改革、それはどちらかというと、本来国がやるべき仕事を、地方自治体に分権して仕事を回してやってもらっている。あるいは、規制緩和とか地方分権とか特区構想の中で、企業にその一部をお手伝いしてもらっている状況になってきている。そして、今度は地域の住民にその一翼を担わせるという感じになってきましたね。

 それはコインの表裏の、表現の仕方はどちらが先か、どちらが正しいのかというのはあるかもしれませんが、今の文部科学省の行政の改革というその流れは、文科省が持っていた仕事の権限をほかに譲るということが改革の主流になっているような気がするんですよ。非常に悪い言い方をすると、そういうふうに目に映る。

 大臣として、こういう批判に対してはどのようにお答えになりますか。

河村国務大臣 これは、非常に象徴的なことは、義務教育費国庫負担制度のあり方についての、私もこれまで述べてきたことでありましょうが、特に義務教育については国は責任がある、その根幹はきちっと守っていくということでなければなりません。しかし、一方では、さはさりながら、やはり教育の現場はそれぞれの学校であり、地方自治体であり、そういう仕組みをこれまでつくって、それをきちっと運営してきた。そのことが、やはりもっと地方がそのことに取り組めるようにと。

 どっちかというと、これまで文部科学省ははしの上げおろしまで一々言うのかと言われながらも、いや、国の教育基本方針はこうであるということで貫いてきたと思います。しかし、やはり今の時代は、実際に地方がそれぞれの特色を生かしながらやっていただくということが非常に大事ですから、私は地方議会の出身でもありますし、地方の取り組みをしっかり支援していくのがやはり文部科学省の仕事である。

 しかし、日本の国全体の教育レベル、その標準を落とさないようにずっと見ていく、あるいは教育の情報センターとしての役割を果たしていく、またそういう意味での司令塔の役割は果たしていかなければならぬけれども、実際にやっているのは教育現場であり、また教員であり、校長である。そのいろいろな取り組みがありますので、そのことをやはりきちっと見て、それをしっかり支援していく、そして、その方々が教育に打ち込めるような教育環境をつくっていく、これが国の責任だ。そのために文部科学省があるんだ。それができないんだったら文部科学省は要らなくなる。こういう思いで今取り組むように、文部科学省の諸君には絶えずそのことを言いながら仕事をしておるのが現状でございます。

 決して地方へ任せておけば安心だ、もちろん本当は、全部任せて心配なければ一番いいわけでありますが、そのとおりやってきておると、現実にああいう不登校の問題、いじめの問題、いろいろな問題が出てきている。これにどう対応するかということも迫られている。もっと地方もしっかりしてもらわなければいけない、学校現場もしっかりしてもらわなければいけない、先生方はもっと頑張ってもらわなければいけない、どういう先生の採り方をしたのか、やはりそういうことは我々絶えず注意をしていかなければならぬことでありますから、そういう意味において、すべて地方へ任せて安心しておる、そんなことでは決してないわけで、逆に、そのことははね返って文部科学省の責任としてかかってくるんだ、そういう思いで取り組んでおるわけであります。

牧野委員 日々これ新たなり、日々改革にやはり取り組んでいく、これが教育に携わる者の基本的な姿勢だと思います。ですから、これからも文科省、いろいろな改革案を進めていかれると思いますけれども、最終的な責任はやはり国がすべてあるということだけは決して忘れることのないようにこれから進めていただきたい、そのことをまずお願いしながら、次の質問の方に移っていきたいと思っております。

 大臣、なぜ今地域のコミュニティーなんですか。これがまだ私にはわからぬ。今、日本のコミュニティーは衰退しているのか、それとも発展、育成されて、いい状況になっているのか。私は非常に、どちらかというと、両手を挙げて万歳というような状況ではないと思っているんですよ。大臣、なぜ今なんですか。

河村国務大臣 今なぜか、こう言われますが、現実に、今の教育の現場を見ているときに、やはり学校がきちっと地域の皆さんの要請にこたえて、開かれて、その信頼にこたえる教育が全部できているか、こういう課題が現場に地方においてあることも事実でありますね。実際、学校が何をやっているかわからない、地方の方にとっては、そういう学校もあらわれ始めたということも事実であります。

 これは、今言われる、まさに教育現場、これは教育政策にすべて責任がないとは言いませんが、やはり大きな社会の変革の中で、そして、隣の人は何するものぞというような感覚、特に都会においてはそういうものが出てきた、そうした中で、やはり学校が地域によって守られ、育てられているという感覚が失われつつあるのではないか。やはり地域のコミュニティーをもっと発揮して学校づくりをやる必要がある、これは私は理解いただけるのではないかと思うんですね。

 そういう意味で、今、コミュニティ・スクールだ。これはもちろん選択肢の一つでありますから、いろいろな多様な学校があります。そんなことしなくなっても、地域がきちっと活性化していて、そしてPTAの方々、先生の方々一体となっていろいろな問題に取り組んでおられる、そういう例が幾つもうたわれておりますから、それはそれでいい。しかし、そうでない地域もたくさんあって、もっと地域の教育力を高める必要がある、このことが今盛んに言われている現状があるわけでございまして、やはりこれにもちゃんとこたえていかなければならぬわけでございます。

 そういう意味で、公立学校教育がやはり国民の信頼にこたえていく、地域住民、保護者、こうした方々のニーズというものを、ちゃんと学校運営においてこれがきちっと反映される、そういうことがやはり必要である、このように考えておるわけでございます。そういう意味で、このことによって一体的に学校運営が、責任を分かち合いながら、学校の教育目標の達成にお互いに責任を果たしてやる、そういう仕組みがあればいいといういろいろな御指摘、私は、今回その一つにこたえようとしているわけでありまして、まさにコミュニティ・スクールの登場というものは、それによって学校が必ず活性化する一つの方途になり得る、このように思っておるわけであります。

牧野委員 先般の栄養教諭の制度創設のとき、私は質問のとき自分の意見を述べさせていただいたんですけれども、食に対する危機、それを乗り越えていく、これは非常に私は国家的な事業だと思っているんですよ。だから、それを一番末端の学校の中の、しかも教諭制度でもってそれをすべて解決していこうというのはちょっと無理がある。それを誇大宣伝するには、余りにもアリバイ政策としてはそれは行き過ぎじゃないか。本来もっと真剣にやるべきことはあるだろう。僕はあのときここで意見として述べた。それと同じような心配を若干感じているから、あえて言っているんですよ。

 大臣、地域のコミュニティーが非常に育っていて、その中に豊富な人材があって、その皆さんの活力、力をかしてもらうと既存の学校が活性化してよくなりますよというのと、コミュニティ・スクールをつくることによって地域のコミュニティーが発展をしていい地域になりますよ、この二つをこの法案の中でひっくるめている。僕は、両方ともそれは無理があると思っているんですよ。両方ともそれには私は無理があると思っているんです。その点についてはどうですか、大臣。

河村国務大臣 やはり口で、しっかり地域、取り組んでください、PTAも頑張ってください、保護者も頑張ってください、これは言うことはこれまでも言い続けてきたし、みんなも言っていますが、では、具体的に何をやればいいんだという問題になったときに、やはり一つの方法として、こういう学校づくりがありますよという選択肢を出す。それに乗っていただける地域、それで一緒にやろうという地域、そういうものがあればそれでやっていただく。いや、うちの方はこういうことでやるんだ。だから、あの学校評議員制度の場合も、こういう仕組みでやればもっと校長のリーダーシップが発揮しやすい、こういう思いでこの学校評議員制度というものを、これは省令といいますか法律ではございませんが、こういう仕組みでやりましょう、そういうことで、さあやろうといって、一〇〇%やっていただける県があると思うと、まるでやらない県もある。それはやはり県の独自性で、うちはこういう方法でやるんだという自信があるから、そうであろうと思いつつも、そういうところもある。

 だから、おっしゃるように、確かに、これを入れたから、今の状態の中で一体どのぐらい取り組んでいっていただけるのかということは、私はあると思いますよ。あると思います。

 しかし、じゃ具体的にどうするんだと言われたときに、こういう方法、この選択肢でひとつやりましょうということ、これは、広範ないろいろな皆さんの御意見も聞きながら、さっき申し上げましたように、モデル校もつくりながら、実験もしながらやってきている、この手法は一つの方法としてあり得る、可能性のあることだという確信を持ってやっておるわけでございますので、そういう意味で、今回のこのコミュニティ・スクールのあり方についての御理解をいただきたい、こう思うわけであります。

牧野委員 私は娘がいるんですね。下のは今学生なんですけれども、上のは社会人になっているんです。娘ともずっと幾晩かこのことについて話をしました。今学校へ行っている子供たちがどういうふうにこの問題を考えているのかと。それから、娘の友達とも会いましたし、渋谷の方でボランティア活動をやっている若者の皆さんとも話をしました。

 大勢の皆さんと話して私が投げかけた質問は、あなたの人格形成にとって一番影響を与えたのから順番に挙げてみてくれ、何が自分の人格形成とか教育にとって一番重要なファクターなのか順番に挙げてみてくれと。若者に、かなりの大勢の人に話をして、聞きましたよ。両親というのが圧倒的に多かったね。それから、家庭というのがあった。それは兄弟も入っているだろうし、おじいさん、おばあさんも入っているだろうね。その次に学校ですよ。あとはクラブの先輩、塾の先生、それから中には、好きなアーティストの書いた論文、そういうのから強い感銘を受けている。どこをずっと探してきても、地域という言葉は一つも出てこなかったんですよ。地域という言葉は一つも出てこなかった。

 だから、私は、非常に極端な言い方をして恐縮ですが、今、教育の現場、子供たちをしっかりとこれから育てていく、そのためには家庭と学校と地域が連携をしてしっかりやっていかなければいけない、その言い分はよくわかるんですが、大臣、もしかすると、だれが言い出した言葉かよく知らないんだけれども、家庭と学校というのは実体感があるんですね。地域というのは、もしかしたらこれは幻想ですね。

 言葉ではきれいなんですよ、家庭と学校と地域。地域にはコミュニティーが醸成されて、しかも教育の一端を担って責任を果たすだけの、日本社会には、コミュニティーというものはそこまでいっていないと私は思っているんですよ。少なくとも、青年あるいは若者たちの感覚の中には、自分の人格形成、教育の中で受けてきたものの中に地域というのは全くない。全くない。それで、これからもその感覚はないんだと。このことを大臣によく認識してもらいたい。

 それから、各地域では、そういう地域についてのいろいろな活動は盛り上がっていますよ。都会の中でも、若者を中心とした地域の活動は盛り上がっている。それは、エコマネーをやろうとか川の掃除をやろうとか、いろいろなボランティア活動。

 では、渋谷で一カ所やっていると、渋谷の皆さんが地域の住民としてそれをやっているかというと、そうじゃない。埼玉から来たり静岡から来たり、大勢の人が一つのテーマのためにその地域に集まって、そこを拠点としてやっている。ほかのときは全部帰る。そのときはもうみんな分散してしまって、そのテーマだけその地域に集まって活動しているというのが圧倒的に多いです。それをもってして、地域のコミュニティーが発展している、醸成されていると思うのは、私はいささか問題だ、こういうふうに思っています。

 それから、先ほども、先生方の御質問の中で、地域の実態を申し上げましたけれども、私も、選挙に出る者というのは、地域とのいろいろな関係があるから、地域の実情がよくわかりますね。地域のことを調べてみると、隣組ですね。町内会、連合町内会、学区の集まりですね。それで、防犯協会、防火協会、地震対策の協議会、それから老人会、婦人会、子供会、体育振興会ですよ。大臣も苦労されているから、いろいろわかるでしょう。

 ほとんどは一部の人が全部やっている。そうじゃないですか。ほとんどは同じ人が全部をやっているじゃないですか。時間的余裕のある人ばかりですよ。PTAのことについても、みんなやりたくない。もう当番制でやろうとかと言う。余り一生懸命やっている人がいると、みんなに嫌われる。あそこのおじさんは暇だもんだからPTAの活動ばかりやっているなんていうのは、よくある話。

 そういうのをずっと見ていくと、地域の既存の組織形態、人間関係の中に、教育の責任の一端を持ってやる、活性化のために地域の知恵と力をそれに乗せていくという状況とは余りにもかけ離れている実態じゃないかなという感じがしていますので、そのことは大臣も御理解だと思いますが、どのように考えておられるのか、お伺いしたいと思います。

 それから、相変わらず日本の政治そのものはコミュニティーを育てようという政治じゃないと私は思っているんです。そういうことをちょっと言わせてもらいたいと思うんですね。

 交通体系は、相変わらず地域のコミュニティーを崩壊させていますよ。わずか十メートルの道路を挟んで行き来ができないんだから。その地域がわずか一本の道路のためにずっとコミュニティーが分断されているんですよ、本当に。やっとこ二十年かけてバイパスができて、初めてその地域に昔のコミュニティーが取り戻されたというような実感ですね。

 町中でも交通体系を、地域のコミュニティーを取り戻すためにLRTの、そういう風潮というのはヨーロッパを中心に物すごく盛んに進んでいる。でも、日本ではそういうのはまだ受け入れないじゃないですか、これだけ盛り上がってきても。古い自動車の社会、そういうものをどんどん推し進めていって、政府そのものの政策の中で、地域のコミュニティーを取り戻すという動きはないと私は思うんです。

 それから、買い物ですね。これは私は八百屋をやっていたからあえて声を大にして言うんだけれども、それは流通近代化政策というのを昔の通産省がやって、商店街をみんなずたずたにつぶしたじゃないですか。そして、それにかわって、地域郊外型の車で買い物に行く大型店にかえて、しかも、今、残っている商店街をコンビニエンスストアでつぶしにかかっているわけでしょう。

 昔、商店街というのは地域のコミュニティーの情報交換の場だったんですよ。それを政府が主導して、流通近代化政策というものを推し進めて、長年、地域の文化とコミュニティーをつかさどってきた商店街をずたずたにつぶしておいて、いまだに、さらにコンビニエンスストアの全国展開によって、何といいますか、地域のコミュニティーが商店街とかそういうものを中心にして芽生えてこないような政策を一生懸命進めているじゃないですか。

 それから、この前も言いましたけれども、雇用の形態が、家庭崩壊までさせるような雇用の形態になってきている。一家の働き手の御主人さんは、うちにはめったに帰ってこない、帰ってくるときは寝るときだけですよ。家庭のコミュニティーなんというのはもうそれで崩壊しちゃって、それで何で地域まで今の経済の雇用形態で進んでいくかですよ。僕は、国の進めている政策は、コミュニティーを、まあつぶしているとは言わないけれども、少なくとも育てている状況では、全くありません。

 それからもう一つ、最近はインターネットと携帯電話、これが普及していますね。これは非常に便利でいいものだと私も思います。携帯電話、この前、寝たきりの皆さんが、この電話があることによって、家族とか重要な人とコミュニケーションがこれでもって初めて維持できると言っていましたね。それから、最近では耳の御不自由な皆さんも、新しい携帯電話によっていつも、何といいますか、電話に重要な人からメールが入ってきて、それでもって生活は非常に便利になったということで、僕は、ああ、すごいことだなと思ったんですよ。

 そういう非常に光の部分がありますけれども、人と人が会わなくても、電話一本でどこからでも連絡がとれ合って、しかも、ルールを守らなければいけない人たちが、約束した時間におくれるときにメールを入れておけばそれで事が済んだような状況に今なってきている。

 そういうことを一つ一つ考えてみますと、これは、インターネットとか携帯電話の普及は地域コミュニティーとかいろいろなテーマコミュニティーを克服する新しい動きだから、私はそれはそれでいいと思っているんですが、今までの日本の政府のあらゆる政策の中心は、コミュニティーをどちらかというと育てない、そういう方向に私は来ていると思うんです。その中で、何で地域コミュニティーによって教育の活性化なのか、私は理解に苦しむ。その点をぜひ御答弁ください。

河村国務大臣 牧野先生の御指摘、かなりパラドックス的な点もあって、それを逆にとれば、だからこそ、コミュニティーを取り戻すためにまず教育からという考え方もできるんではないか、私はこうは思うのでありますが、現実に、おっしゃるように確かにコミュニティーが崩れつつある。それは、お互いに選挙をやる身でありますから、後援会づくりをやってみたらすぐわかる。どの地域が非常にコミュニティーがうまくいっているかいっていないか。例えば団地なんかで後援会をつくるなんて、それはとても至難のわざでありまして、そこにはコミュニティーがありません。そういうことを考えますと、それはそれでまたこっちも作戦を考えないかぬわけでありますけれども。

 しかし、そうはいいながらも、やはり皆で社会をつくり上げていくわけであります、そしてお互いに助け合っていく、公のためにといいますか、みんなのために汗を流すことのとうとさとか、そういうことというのがだんだん薄れてきたというのは、やはり一つの戦後の教育そのものの欠陥ではないでしょうか。自分さえよければいいと。

 だから、町内会には、どんどんごみは出すが、町内会費を払わないという人がいっぱい出てきた。こういう人たちがいるわけですね。そのことをどういうふうに持っていくかということは、やはり絶えず警鐘を乱打していかないと、注意していかないとそういうことはできない。まあごみの出し方によってその人の、その家の文化がわかる、教養の程度がわかると言われる時代でありますから、そういうことを逆にとって、やはりそういうことを進めていくことが大事ではないかと私は思っております。

 確かに、利便さを求めていきますから、どんどんその方向へ進んでいくことは間違いない。携帯電話が進んできたこと、メールもできた、それによって人は手紙を書かなくなったということもあります。これはやはり読み書きということからいうと、これが余り進むことが本当にいいことなのかどうか。

 漢字を書かなくなってきておりますから、メールを打てばすぐ出てきますから、本当に漢字を覚えなくなったというようなこともあります。いろいろな、それによって失うものがある。やはりそういうものに絶えず注意をしながら、私は、これからのまさに社会づくりをしていかなきゃならぬ。日本の古きよき伝統というものを守れというのも、そういうところにあると私は思います。戦後、ここまで来て、もう一度そういうことをきちっと思い直しながら、やれることはどんどんやっていくということが必要になってきておるんじゃないでしょうか。

 やはり心が通い合うような社会づくりというのが必要でありますから、学校教育の現場においてそれを取り戻したいという意味が、今回のこのコミュニティ・スクールをつくるための地域運営学校づくりの中にあるということも、まあ牧野先生のこれまでのお話からいえば十分御理解をいただけるんではないか、こう思うわけであります。

 そういう意味で、確かにこのコミュニティ・スクールをうまく運営していく上では、地域の皆さんが、いや、おれはそんなことはもういいんだと言われたら、これは宙に浮いてしまう問題ですね。それをどういうふうにして地域を盛り上げていくかという課題、これは教育委員会も中に入って一苦労する地域もあるんではないかと思いますけれども、そういうことをやることによって学校は変わり、子供たちは生き生きとしてくるという、この具体的な例が出てくれば、取り組まなければいかぬ、これにまた準ずるものをつくっていこうという動きは必ず出てくるであろう、こう私は思っておるわけでございます。

 そういう意味で今回のこのコミュニティ・スクールは、まさにコミュニティーを取り戻す、トータルとしてはそういう大きな役割をも実は持っておるんだということを、この法案の裏側といいますか、むしろ正面かもわかりませんが、眼光紙背に徹していただいて御理解をいただきたい、こう思うわけであります。

牧野委員 大臣、この法案の趣旨、重要性というのは私も理解しているつもりで、その上で質問をさせてもらっていますから、大臣が御指摘のとおり逆説的に質問をしていることは、当たりですよ。

 だから、私がここで一番言いたかったのは、学校教育、この一番大切なものが地域との接点ぐらいの範囲内で解決してよくなっていくということではない。あくまでも、先ほどから申し上げていますように、これは国全体、総合的にやっていかなければどれ一つ解決できない問題だと思っているんです。

 先ほど、交通体系とか生活様式とか、あるいは雇用体系の例を言いましたけれども、もっともっといっぱい事例があって、そういうものが総合的に絡んだ中で初めて子供の教育というものができるものだ、私はこういうふうに思っておりますので、大臣、釈迦に説法で大変恐縮でございますが、その点のことを心に銘記いただきまして、ぜひ政策を進めていただければと内心思っております。

 そこで、家庭と地域というものを、私はそれは虚構で、まだ幻想だと先ほどは言い切りましたけれども、仮に大臣が説明するように地域というものがあって、それが教育の改革の一翼を担うべきものであるという前提に立って質問をすれば、両親、家庭と地域というものが、それなりの責任を持てるだけの教育力というものがなければならないんですね。それはもう大勢の皆さんから質問されていて、私も今さらとも思いますが、確認の意味を込めて質問させてもらいたいんです。

 今、社会に出て、子育てをしながら仕事をしたりしている、この両親の再教育、指導をだれがどのようにこれから行うんですか。それから、地域をいろいろお手伝いしている地域コミュニティーの人たちがいる。その人たちが教育の一翼を担って責任を果たしてくれることができるような地域の文化をつくって維持していくためには、もう一度再教育をしたり、指導しなければいけないだろうとは私は思いますけれども、地域の教育力を高めるために、だれがどのように教育されるか、その点についてお答えください。

    〔委員長退席、渡海委員長代理着席〕

河村国務大臣 私も、教育問題に携わりながら、地域の皆さんと懇談する、PTAの皆さんと懇談いたしますと、私が一番印象に残っているのは、親学問というものをきちっとつくり上げてくれ、こう言われた。これはPTAの役員の皆さんがまじめな顔で言われて、私もびっくりすると同時に、現実にそうなっている。まさに親の再教育というのが非常に必要になってくる。それができないと家庭教育ができない、ひいては地域の教育力も高まらないということも感じたわけでございます。

 そういう意味で、御指摘いただいた点、これは、少子化であり、核家族化であり、都市化であり、そういうようなことでやはり人間関係が非常に希薄になっておるという点であろうと思いますし、今の若い青年たち、結婚適齢期の皆さん方も、何か人間関係をうまくやっていけない人たちがたくさんあらわれている。その最たるものは引きこもりになったりなんかするんでしょうけれども、そういう方々をどうして引っ張り出して、そしてやはり家庭教育の充実という問題に取り組んでいただけるかということ、これは文部科学省だけでどうにもなるものでなくて、社会全体で取り組まなければならぬ。少子化対策もその一つであります。

 その一環として、そうかといって文部科学省も、学校現場が子供を預かり、そしてPTAを通じてまた親との接触も十分やらなければいかぬということになると、やはり家庭教育に対しても関心を持たざるを得ない。また、その一助としなければいかぬということから、ああいう手帳をつくってそれを配付したり、あるいは子育て支援講座をつくるなり、そういうことをやりながら努めておるわけでございますし、地域と学校とが連携して奉仕活動をやる、その中に体験的な活動をやる。総合学習の時間なんかにも地域の方々にも入っていただいて一緒に取り組んでいただく、こんなこともやっておるわけでございます。

 また、関係省庁との連携で、新子どもプランというのをつくって、体験活動や何かには関係省庁にも加わっていただいて一緒にやっていく。こういうことにも今取り組んでおりますし、今回の新しい予算で子供の居場所づくりについてもお認めいただいたのでありますが、これなんかはまさに子供だけではどうにもなりません。まさに大人が一緒になっていただいて、あるいは高校生や大学生、そういう人たちが子供たちと一緒になって遊んでいただいたり、勉強したり、あるいは文化活動、スポーツ活動に携わっていただく、そのことによって初めて効果が出てくるわけであります。

 そういうコミュニティーづくりをそこで一体となってやっていかない限りはうまくいかないということでありますから、そういう面で、具体的な方策をとりながら、家庭と地域の教育力を高めるために今や文部科学省も一役買わなければいかぬ、こういう状況になってきておりますので、その役割をやはり果たしていきたい、こう思っておるわけでございます。そのためにはやはり、さっき申し上げましたように、大人社会の十分な御理解が必要でございますので、そういう方々と一体となってやっていく仕組みというものをやはりつくっていかなければなりません。

 教員にもそういう一つの要請がかかってきておりますので、なかなかこれは大変だろうと思いますけれども、そういうことを認識した上で、そのことによって教育がよくなるんだという意味において、文部科学省、学校現場も一体となって努力していくことは必要ではないか、このように思っておるわけであります。

牧野委員 大臣、今のところが一番重要なポイントなんですよ。地域の力を使って教育の現場を活性化させて子供たちをいい方向に育てていく、そのためには、これはもう親の再教育と地域の教育力を高めるための再教育ですね、指導、この具体案がともに出てこなければ、この今出されている法案は仏つくって魂入れずになってしまうんです。

 どっちが後先といえば、私は親の教育をまず、それで地域の教育力を高める、その上でこの法案です、本当は。流れからいけば私はそうだと思うんですけれども、もう一度大臣、今大臣の決意は、私、伺いました。具体的にどういうふうに取り組まれるのか、もう一度、簡単でいいですから御答弁ください。

河村国務大臣 これにはいろいろなプランがございますが、子どもプラン等をつくって、大人たちが一体となって子供を育て上げる機能をつくっていくということが大事でございますし、先般、私も、タウンミーティングの時間を利用して、地域の子供の居場所づくりの現場に行ってみました。

 そこでは、お手玉を大人の皆さんが子供たちと一緒につくってその子供さん方と一緒に遊んでいただいて、昔大人たちがやったことを今もう一度再現したり、あるいは、囲碁教室を開いて、囲碁のその地域の名人の方が集まって子供を指導していただいている、子供と一生懸命それに取り組んでおる姿を見たりとか、あるいは、風船づくりといいますか、そういうものをつくったりとか、これは私が行くからやったということじゃなくて、居場所づくりのその中で、予算的な裏づけもあっておやりになっております。

 やはりそういう意味では、確かにおっしゃるように、地域のコミュニティーが動かないとこれはうまくいきませんですね。だから、そういう意味で、地域のコミュニティーづくりということにいま一度思いをなしていかなければなりませんから、文部科学省もいろいろプログラムを持っていますが、これは各省庁との連携のもとでそういうものを動かしていかなければなりません。

 都市と農村との交流計画というのもありましたね。あるいは、環境省にも御協力をいただいて、森林なんかにも入っていく、公園なんかにも協力をいただいてそういうところへ一緒に入っていただくとか、森林公園等を活用するとか、具体的にやはり体験学習に大人が一緒に入っていくとかそういうことで、地域の皆さんが一体となって子供を守り育てる機能、これをもう一度起こしていきませんと、私は、机上で幾ら言っていても、なかなか今の現状からいうと、子供たちにとって、あるいは大人たちが一緒になっていく仕組みというのはできないのではないか、こう思っております。何としても、今回のこの法律は、ある意味では、大人も一緒になって学校づくりをやるんですよということを一つ日本の社会に示すことになっていく、国も、文部科学省もそこまで考えたか、こう言われる現状はあるわけでありますが、私はその一つの例だ、こういうふうに思っています。

    〔渡海委員長代理退席、委員長着席〕

牧野委員 とにかく大臣に期待をしておりますので、一生懸命頑張っていただきたいと心からお願いをさせてもらいます。

 次元の低い話で恐縮ですが、私は、今文部省の進めている施策、あるいは今度出てきたのも、それは評価すべきところはいっぱいあると思いますけれども、時代の流れからすると、若干合っていないなといつも思っているんです。

 前にも委員会で質問したとき、大臣が副大臣のときですね、今、世の中変わってきて、昔の日本の文化と違う。農業型で定住型の社会だったのが、どちらかというと移動型で狩猟民族化している。だから、一つのところに箱物をつくって、そこに集まってもらって教育をしていくという時代ではなくなってきた。インターネットや携帯電話等があって、若者たちや子供たちは目的に直截的に行動するような、そういう文化になってきている。人と物とお金と楽しみのあるところに行ってしまう。そして次のところに流れていく。その中でいろいろなことを考えながら生活しているわけでありますから、そういう時代になってくると、従来のような定住民族、農耕民族型の教育システムではもう成り立たない、私はそう思っている。

 だから、一つのところに集まって教育を受けるのと、それとあわせて、狩猟民族は現場に次から次に動く中でみんな教育を受けていくわけです。そのときの教師はだれかというと、親であり、親族であり、部落の偉い人。そして、思春期になってくると、みんな一堂に集められて社会の規範を受けていく。その現場現場でずっと動いていく中で教育を受けるというのが狩猟民族の特徴なんです。

 ですから、私は、どちらかというと、テーマごとに、学校と学校の枠を乗り越えて、やはり現場へみんなで集まったり離れたり、次の現場へ行ったり、あるいは別の人が別の現場へ行って、テーマごとに次から次に動いていく、そして時には教室に戻ってくる、その比率はどちらが多いかわからないけれども、そういう新しい時代に動いていくような、だから、地域コミュニティーも大切ですけれども、テーマ別のコミュニティーというのはあるわけですから、それは生きているわけです。

 どちらかというと、若者でも宗教的な集まりの方に非常に価値観を持ったり、あるいはボランティアの仲間とか、スポーツだとか趣味だとか、そういう人たちとのいろいろなおつき合いの方に価値を持っている若者は非常に多いわけです。ですから、そういうことを考えると、もっともっと、地域とかそういうものに限定しないで、大きく動いていく中で教育をされるというシステムを、これはもう考えてつくり出すべきだ、こう思っておりますので、そのことを一言申し添えさせていただきます。ぜひ御検討いただきたいと思います。

 最後に、大臣、私は、直接この課題から離れるんですけれども、大臣が萩の出身の大臣だからあえて一つだけ聞きたい。ぜひ答弁してもらいたい。

 「ラストサムライ」という映画、私も見た。びっくりした。日本人の武士道というのをこんなに美しく外国から評価されて映し出されているということを、僕は日本の男としてうれしく思ったね。

 いろいろなことを言う人もいるだろうけれども、歴代、萩は、武道あるいは武士道、そういうものを培ってきた地域ですね。高杉晋作、久坂玄瑞、前原一誠等々、いろいろな人が新しい時代をつくるためにも武士道を生かして頑張った。そういう伝統、風土のあるところでありますので、大臣、個人的な見解で結構です、武士道というものをどう思っておられるのか。そういうものを私は振興させたらいいと思っているんですよ。私は大切だと思っているんですよ。

 それから、先般、武道議員連盟というのがあって、私は大臣とあそこで会いましたね。そのとき、私は提案させてもらったんです。日本の青年男女、道とつくもの、武道、剣道、柔道、空手、何でもいいです、道とつくもの、一つ一つ武道を素養として身につけていただくような運動を起こしたらどうかな。それから、文武両道といいますから、男子でもお茶、お花、民謡、詩吟、日本舞踊、何でもやはり素養としてそういうものを身につけていくという運動、言うならば一道一芸運動といいますか、そういうものを日本社会に広めていくということも必要ではないかなと思っております。

 大臣は萩の出身でございますから、あえて質問させていただきますが、お答えください。

河村国務大臣 武士道とは死ぬことと見つけたり、こういうことを私も聞かされておりますが、萩、吉田松陰の業績といいますか、そういうものを見ても、やはり命をかけてという思いが非常に強い。

 実は、文部省の初代文部大臣でありました森有礼初代文部大臣の「自警」というのがありますが、あれを読んでみますと、最後のところに、死ぬ覚悟で文部行政に取り組め、こう書いてあるんですね。やはりそういう精神、それは命の大事さとかなんとか言えばまた別な議論になってしまいますけれども、やはりそういう思いというのがこれまで日本の武士道の中に流れておった。名誉あるいは恥を知れというような言い方をしますけれども、やはりそういう内面的なものを非常に大事にした、そういうものが武士道であったと思いますね。

 だから、最近、柔道が国際化して、勝ったらガッツポーズする、あれは本当はおかしいのであって、こういうことを聞きました、剣道をオリンピックにと言われているけれども、剣道連盟は今それを逡巡しているんだ。実は、それによって本来の剣道のよさが死ぬんではないか。だから、剣道では、勝ったときにガッツポーズをやったらその場で勝ちを取り消されるんだと。この前、世界選手権でそういうことがあったそうで、それが生きている、こういう話を聞いたわけですね。

 相手に対するいたわりとか、やはり武士道というのはそういうものがあるんだと。淡々と自己の信念に基づいてやるんだということ、そういうことを言われましたが、まさにそういうものが今の社会に生きているのかどうかということになると、非常に心配な点がある。逆に、日本人が外国から指摘をされて気がつくことがある。「ラストサムライ」がその一つでございます。

 萩の地は、明治維新のときにいろいろな方々が胎動したわけでありますが、坂本竜馬もわざわざ萩までやってまいりまして、有備館という武道場がありますが、そこをちゃんとのぞいております。そういう交流があった地でありますが、今の時代に大事なこと、物が豊かになってきたけれども、心の豊かさを失わないようにするということ、そういうことをやはり教育の中にきちっと位置づけながら、そういう意味で武道を奨励していくということは私は大事ではないかと思っております。まさに、礼に始まり礼に終わると言われる武道でありますから。

 最近は高等学校あたりも武道館をつくる整備率が非常に高まってきておりまして、高等学校においては九二・四%が武道館を持っておる、こういう現状でございます。中学校では五割を切っておりますけれども、私は、そういうものは大いに奨励していったらいいと思っておりますし、道とつくもの、もちろん武道も大事でございますけれども、茶道とかそうした伝統文化、そういうものも大事にしなきゃならぬでしょうし、華道、日本舞踊、そうした日本の伝統文化、そういうものも大事にしながら日本の教育の心を取り戻す。

 そういう意味で、今御指摘をいただいた点、非常に大事な指摘でございまして、あえてと、こう言われまして、私も大変光栄に思うわけでございますが、そういう観点を忘れないで、これからも武道を中心とした、日本人としてこれまでずっと長く伝えてきた大切なもの、そういうものを教育の中でも失わないようにしていく、そういう思いで教育行政にも取り組んでまいりたい、こういうふうに思います。

牧野委員 やはり萩出身の政治家の答弁だなと思いましたので、ぜひ今のお考えを世に広めていただくような、そういう立場でまた頑張っていただければと思っております。

 人生というのは本当に不思議な縁だなと私はしみじみ思っているんですが、かく質問している私は静岡市の出身なんです。私どもは、徳川幕府の本拠地の駿府なんです。それであなた方は、あなた方はと言って申しわけない、それは萩ですね。薩長連合で倒幕の先頭に立ってきた皆様方、その皆様方には脈々と武士道が培われてきておりますので、それは非常に評価して尊敬をさせてもらっております。

 ただ一言。戦いを挑んで、もしかしたら徳川幕府が勝ったかもしれないという状況は何度かあったわけですね。それでも十五代将軍は、この日本を戦火にさらさない、戦争によって苦しむ人をつくらない、ここは身を引いて大政奉還をさせて、一君万民の世の中を、自分が身を辞することによって天下を救おうということで大政奉還に踏み切ったわけです。武士道の中には、動としての動きもあるかもしれませんが、静としての武士道もあるわけであります。ぜひその点を萩の河村先生に御理解を賜りまして、静岡、駿府の代表の武士道に対する気持ちを込めて質問を終わりたいと思います。

 ありがとうございました。

池坊委員長 平野博文君。

平野委員 いよいよ最後のバッターになりました。(発言する者あり)いやいや、まだ真打ちにもいきません、まだぞうきんがけでありますが、大臣、大変お疲れでしょうから、少し頭の体操の質問をまず冒頭したいと思います。

 今、同僚議員の牧野さんが高邁な歴史にかかわるところから質疑をされましたが、私、最後でございますので、少し確認を含めての細かい話に入るかもわかりませんが、お許しをいただきながら、最後の時間、おつき合いをいただきたいと思います。

 かなり長い時間、この地教法についての改正法案について審議をしてまいりましたが、多くの議員の皆さんが言っておりますことは大体何点かに集約されておって、幾ら役所が、あるいは大臣が答弁をされても、なかなかそこにわかりましたという帰結点が見出せていないというのが、私、ずっと聞いておりまして感じたところであります。

 そういう中で、大臣、お疲れでしょうから、頭の体操の質問を一つだけさせていただきます。これは頭の体操ですから、通告はしておりません。

 るる考えますに、地方分権、教育分権、それぞれの地域の教育委員会、学校に自由裁量を与えていこう、こういうことでありますが、そのことを考えてみますと、文科省の役割というのは終わったのではないか。そういう考え方に立つと、初等中等局というのは今まで日本の公教育の中心的役割を担ってきた、このことは非常に大事な役割だったと思うんですが、今、文科省の初等中等局をなくしたときに、何が問題として残るのでしょうか。

河村国務大臣 各学校が今、日本の教育を担っておりますから、これがきちっとそのまま立派にやっていただければ、そう問題はないのではないかと思います。

 しかし、現実に、日本の教育のレベルといいますか、そういうものをきちっと維持しながら、つとにいろいろな要請にこたえていかなきゃならぬ、そういうことを考えますと、やはり教育のセンターというものがあって、そして日本の教育レベルの全体を俯瞰しながら、そのレベルが下がらないように注意をしながら教育環境をつくっていくということ、これは大事なことで、地域性を持たせるということももちろん大事でありますが、やはり一番心配されるのは、世界の情勢を見ていて、地方分権の進んだところが中央集権的に今なりつつあるというのは、この教育のアンバランスといいますか、そういうものがほっておくとできてしまう、この懸念が一つ大きな課題としてあると思いますね。

 それから、国としてこれからどういう日本人、その国の国民を教育していくかという基本的なところ、これはやはり地域だけではできない問題であります。そういうことをやはり国がきちっと持っていく。特に、その始まりである初等中等教育のあたりできちっと植えつけていく。どういう方向で子供をつくっていくか、子供たちを教育していくか、その基本的なものはやはり国が責任を持つ、そしてその教育環境を整備する、そのことがやはり教育にも義務教育についてうたってある点ではないか、このように思いますから、その一番の担い手は初等中等教育にあるということであります。

平野委員 ということは、まだ、やはり初等中等局を残して日本の公教育を管理運営していく、中央集権をしていく、こういうところがまだあると。

 今、大臣にお伺いしましたから、局長、しゃべりにくいかもわかりませんが、自分の職域がなくなるということではなくて、どうでしょうか、今、同じ質問を現場の局長に。

近藤政府参考人 個人的なことにもなるかもしれませんが、お答えをいたします。

 諸外国の学校の実態等も見たときに、私はやはり我が国の初等中等教育のレベルは高いんだろうと思っております。

 これはいろいろな原因があるかと思っておりますが、一つは、昭和三十三年に今のような形で学習指導要領をつくって、全国、これもまたいろいろ批判はあるかとは思いますけれども、ナショナルスタンダードをつくってきた。これは世界に誇っていいんだろうと私は思っております。

 もちろん、学習指導要領を見直すべき点はあるかと思っておりますが、例えばこれを、各都道府県、各市町村で国としてのナショナルスタンダードをつくれるだろうか。これはやはり国としてやるべきことはやる。もちろん地方の裁量の余地を広げていくという努力はしていかなければなりませんから、学習指導要領も今のままでいいとは私も思っておりません。大綱化、弾力化を進めていかなきゃいかぬ、そういう点での見直しをする必要はあるかと思っております。

 例えば、これは一つの例でございますけれども、やはりそういうことは引き続き文部科学省でやっていくべきことなんじゃないんだろうか、一例でございますけれども、そういうふうに私は思っております。

平野委員 それは現職局長ですし、現職大臣ですから、要りませんとは当然言わないと私は思っておりますけれども。

 この今回の法案というのは、一つ新しいタイプの学校設立をしていくんだ、こういう考え方に立って中教審が少なくとも答申をされて、これを具体的に起こしてきた、こういう経過だと思うんですね。

 そういう中で、先日の委員会で参考人の方がいみじくも言った言葉が私非常に頭に残っていますが、ルビコン川を渡ったと。この言葉が非常に私、印象に残っています。

 参考人の人はルビコン川を渡ったと言っておりますけれども、私は、今ずっと御議論を聞いて、答弁を聞いておりますと、ルビコン川に橋をかけただけで、まだ橋をたたいて渡ろうとしていないのが今の実態ではないかと思えてならないのであります。向こうへ渡ろうとなかなかしない、だけれども、中教審を含めて答申があったから、新しいタイプの橋はかけましたと。では、文科省の初等中等局がその橋を越えて渡っていっているか。まだ渡っていない。まだ法案通っていないから渡っていないということなんでしょうけれども、通ったとしてもこの内容では渡れない。私、このギャップはずっとこの議論を聞いておって非常に物すごく感じているんですね。

 今回の本法に伴う指定校というのは、もともと中教審が言ってきた地域運営学校になっているのでしょうか。まずその点お聞きしたいと思います。

河村国務大臣 これは、中央教育審議会がいろいろな提言をいただいたこと、これにこたえて今回法案化したわけであります。平野先生がおっしゃらんとする点がどの辺にありか、私も思いをめぐらすわけでありますけれども、これはしかし、個々については、文部科学省がそのとおりにできない、やらないことも当然あり得るわけであります。また、それをさらに発展させて法案化する場合もあるわけでございますが。

 しかし、今回の公立学校教育に対する地域運営学校、新しいタイプの学校をつくっていこう、このねらいを外してはいないと思うんですね、ねらいは。国民の信頼にこたえていくためにきちっとこれを反映させる仕組みが必要だということ、これで今回の法案になっておるわけでございますので。法律まで変えてやる。学校評議員制度については省令でやったということ、そういうことから見れば、そういう意味で、ルビコン川だ、こう言われたのかもしれませんが、この法案が通れば、幾ら恐ろしくてもこれは渡らざるを得ないのであります。

 ただ、強いて言えば、教育委員会のあり方がどうかという指摘も、私は当然あるのではないかと思うんですね。教育委員会がいつまでたっても尾を引いているじゃないか、もっと引かせたらどうだと。これは私も、この法案をずっとつくる過程を見てみてどの程度その辺が薄まっていくのかということは注視をしたのでありますが、やはりそういう点では、例えば校長が最初から入っていないというような点、これは教育委員会の傘下にあるんだからという考え方の方が強かったということ、この点は確かにそういう指摘を受ける部分があると思います。

 しかし、総論として、この法の精神といいますか、新しいタイプをつくっていくことによって学校が変わっていく、まさに新しいタイプの学校ができる、その波及効果というものがほかの学校にも及ぼしていくだろう、こういう思い、そういう点ではこの中教審の精神というものが生かされておる、このように認識しております。

平野委員 いや大臣、そこは私、一番大事なところが、この法案の提案の理由の中に、「公立学校の管理運営の改善を図るため、」こういう前振りなんですね。ところが中教審は、地域が参画する新しいタイプの学校運営をすると。この前提が抜けているんですよ。要は、「公立学校の管理運営の改善を図るため、」これだけになっちゃって、本来中教審が、ぜひ地域が参画する新しいタイプの学校、そういう運営を可能とする、この前提が中教審ではあったんですが、今回ないのは何なんですか。

河村国務大臣 私は、この管理運営の改善という考え方をどうとらえるかだろうと思いますが、モデル校の実態等を見ていても、やはり地域が参加して一緒に学校を運営していくという仕組み、これが私はできておると思うんです。そういう意味でこれは管理運営の改善になっていることは間違いない、こう思っております。

 地域が参画するところだけが強調されているということでありますが、ましてや人事の問題についてもこれを尊重するということ、これはやはり大きな、このあたりはまさに私は、ルビコン川を渡ろうとしている、渡ったと言われる視点ではないかと思いますから、そういう意味においても大きな変革でありまして、その第一歩を築いた、私はこう思っております。

 もちろん百点を目指しているわけでありますけれども、いろいろな御指摘もある。実際にこういう形を導入してみて、さらに改善しなきゃいけない点は、当然、改善することについてはこれはやぶさかであってはいかぬ、こう思いつつ、今回のこの法案を出しておるわけであります。

平野委員 そういう中で裁量権の拡大の必要性、こういうことも、非常に運営を変えていくわけですから、権利権限を含めて現場に裁量を持たせるということが非常に必要だと思いますし、それがセットでこれが実効されていくものだと私は思うんですね。そういう中に学校の裁量権を拡大する仕組みの制度確立が本来ワンセットとして求められる、これはまた中教審が言っているんです。それをまたセットにして学校運営の選択肢として提供するんだ、こういう答申があるわけであります。

 今回の改正法の部分でいきますと、裁量権のところというのはほとんど書かれていなくて、学校運営協議会の設置だけに今回の法案が終わっている。こういうことですから、私は、学校ないし学校長に与えられる権限の範囲を拡大しない中でこの法律が、スキームができても本当に実効していくのか、こういうところが気になるものですから、学校ないし学校長に与えられる権限の範囲というのは、結果的には、この法律によって大きく拡大をしているんでしょうか。

近藤政府参考人 学校の裁量権を拡大するということは重要なことだと思っております。

 私どもは、この法律以前から、例えば教育委員会に対しましても学校管理規則を見直しをするようにと。例えば、今まででありますと教育委員会の承認事項に係らしめていたものを届け出に改めるとか、あるいは学校の予算の裁量の拡大、校長裁量経費を予算化するとか、そういった取り組みも、少しずつではあるけれども広がってきているわけでございます。あるいは、教職員人事に校長の意見を反映するというような形での法改正を三年ほど前に行ったことがございます。

 確かに、今回の法案そのものは、教育委員会あるいは学校の権限を大幅に変えるというものではございませんけれども、これを運用していく中で、例えばそういう指定学校の学校運営協議会がいろいろな事柄を教育委員会にも意見を述べることができる、あるいは、いろいろな中で学校の裁量を高めていく一つのまたきっかけになれば、そういうことは期待をいたしておるところでございます。

平野委員 そこで、私もこれは調べていませんが、現職の局長ですからおわかりだと思いますが、初等中等局長名あるいは文科省が、各都道府県、市町村、教育委員会、学校に対する指導、通達、政省令含めて、何本かかわっているんですか。これは通告していませんが。ほとんどかかわっていませんか。

近藤政府参考人 文部科学省の行政は余り権力的な行政ではございませんので、いわゆる指導行政。特に、私ども初等中等教育局の一つの柱は、先ほど申し上げましたように、学習指導要領、こういうものを設けまして、この学習指導要領、これは文部科学省の告示でございますけれども、これにのっとって各学校現場で教育活動を展開していただく、そういったことから、そういった学習指導要領の解説等をつくったりして、それを現場に徹底していく。あるいは法律を改正する、省令を改正する、そういったときには当然施行通知を流すわけでございます。

 ちょっと通達の数は今手元に持っておりませんが、それも、できるだけ余り煩瑣にならないような、これは私ども心にとめて、いわゆる通達行政にならないような努力はしていかなきゃならぬかと思っておりますが、大体私どもの行政の仕組みとしてはそういった流れでございます。

平野委員 一番の指導要領でありますとか、結構縛りをかけていることは事実であるわけです。

 私は、行政官庁の一番いかぬのは、通達をしたら、あるいはこういうルールを決めたら、そのとおりに従うべしという発想が今日まで余りにも多いんです。ところが、現場的にいくと、あらゆるところから来るものですから、どうやっていいかわからぬ。そうすると、現場はその地域の教育委員会に、ヒラメのように目が教育委員会にだけ向いちゃって、一番大事な生徒、保護者、地域社会に目の向かない教育のヒエラルキーになってきてしまった。

 そこで、改めて今回コミュニティ・スクール、いわゆる地域運営学校をつくってもっと地域の人の参画を得ようという制度設計なんですが、そういう大義名分のためにやっておる割には縛りが余りにもきついし、あるいは、逆に言うと、権限が本当にあってないような制度設計になってしまっている、こういうことなんですね。

 したがって、私は、こんなことをしなくても、通常の学校でもこれらのことは幾らでもやれるんじゃないでしょうか。先ほど大臣からのお答えもありましたが、評議会制度、学校評議会ですか、あるわけですね。これは大体六〇%近くやっているというデータもありますが、これの部分と、今回の指定校にした運営学校との違いは何なんでしょうか。比較対照を見たら、権限がない、意見を言うことができる、こういうことは言っておりますけれども、あれは、学校長がお願いした人を教育委員会が委嘱をする、こんな制度設定で評議員を決めている、こんなスキームであります。今回は違いますと。

 私、一番言いたいことは、こういう発想でするのであれば、やはり公教育というのは、学校というのは地域の拠点でありますから、全体的にこういう考え方でしていくんですよ、しかし初年度は各自治体において一校だけを指定していきます、こういうのが本来そうなんだろうと思うんです。

 私、この基本の一番間違いだと思うのは、設置者の選択によるんですよ。いかにも自由裁量のように言っているけれども、設置者の選択ですよ。ということは、余りレベルの高くない教育委員会があれば、私のところはやめておこうと言ったら、幾ら大臣が高邁な考え方でこういう地域運営学校をつくりましょうと言ったって、これはできないスキームになるんですね。だけれども、流れの趨勢、いろいろな御意見を踏まえてくると、ルビコン川を渡ったと言うけれども、その一番現場の設置者が私のところはいいよと言っちゃったら、幾らいいものでもできなくなる。ここに私、一番大きな問題を今回の法律ははらんでいる。

 公教育はやはりこうあるべし、したがって、全体をしようとしたら大変だから、まずは各都道府県あるいは市町村一校だけは、一つは必ずやってもらいたい、これから段階的に進めていきます、やはりこういう目標プランがないんですね。何かどこかから言われたから、免罪符のように何かつくっておいたら、言われたことに対して、答申を受けたからこれはつくりました、こういう逃げの法律に私は思えてならない。

 先般の食育のときの問題でも同じであります。やはり高邁な思想で、教育はこれからこうあるべし、したがって、全部やるのは財政的に厳しいから、少なくともまず手始めに、都道府県なら都道府県、市町村なら市町村に一校ずつやはり各教育委員会下に置く、順次進めていきますという計画性がないんですよ、これは。やるかやらぬかはあんたらの勝手だわみたいな法律なんですよ。

 そうすると、その地域におる子供にとって一番悲しいことじゃないですか。そこにおる教育委員会がぼんくらであれば、悲しいじゃないですか。だから、設置者の選択じゃなくて、保護者、子供の立場に立った選択もあってしかるべきではないですか、このことを言いたいわけですが、大臣、どうでしょうか。

河村国務大臣 平野先生のお言葉でございますが、ぼんくらな教育委員会があったとして、聡明な地域があったら、それは、地域から声が上がってきて、委員会はもちません。そういう点では、委員会が、法律の設計上はそうなっていますが、当然地域の声を聞かなきゃなりません。

 今回のモデル校をつくる場合も、さっき御指摘あったように、三十上がってきたのをわずか九つしかしなかった。もっといろいろやって、本当に三十やればよかったのに、私もそう思いますが、地域と教育委員会と相まってこれはできるわけでありまして、幾ら聡明な教育委員会が高邁な理論で説き伏せたって、その地域は、うちはいいわと言われたら、もうどうにもなりません。PTAが立ち上がらなかったらどうにもなりません。それはまさに相まっていかなきゃなりません。

 そのいい例が評議員制度だと思うんですね。これこそ校長にとっては非常に大きな味方だし、力強いリーダーシップを発揮する上で担保することになるのではないかと思っても、まるでゼロという県もあるわけですね。しかし、それはそれの考え方があるんでしょうから、やはりそういうものは大事にしなきゃいかぬというのが地方分権の考え方であって、文部省は押しつけるな、こう言われておりますから、そういう考え方で取り組んでおります。

平野委員 したがって、今大臣言われましたけれども、地域がうっと上がってきたときにはやらなきゃいけない。ということは、やはり、設置者の選択じゃなくて、地域にも、設置をしてもらう、していただきたい、その地域の声が受けられる制度設計になっているんですか。

河村国務大臣 指定する場合に地域の声を聞かなきゃいかぬということになっているわけでありますから――これは、聞かなきゃいかぬ、私は、聞かなきゃいかぬとは明確にしていませんが、地方の意見を聞いてやるということになっておるわけでありますから、一方的なということではないので、これは、各県教育委員会、一番身近なところにおられる地域は、ここでやればそれがきちっとうまく成り立つかどうか、今までのモデル校の実験例も見ながら判断いただけるものだ、私はこう思っております。

平野委員 そこで、言葉は違いますが、この法律、こんな三枚しかないんですけれども、だれか同僚議員が言っていました、こんな重要なものがこの三枚で集約されていると。私、役所に聞きましたら、たったこれは三枚かと。三枚というより、これだけしかないんですね、この改正する法律。いや、これがいいんです、厚さを言っておるわけじゃない、これだけ少ないということはいかに自由度を高めているかと言うわけですよ。書き込むと制限する、これがいいんですと。その割に分厚いものからいっぱい出てくるけれども。

 私は、これだけ薄くなると何をするかようわからぬ、こう思うんですね。自由度を高めるという意味では、わからぬから何をしてもいいということになるのかもわかりませんが、僕はそこはちょっと違っていて、大臣ほんまに、言いますように、設置者の選択ではなくて、設置者が地域の声を聞かなくてはなりませんということじゃなくて、地域の人がぜひお願いをしたいと言ったときに、設置者の有無云々は別にして、同じ対等の関係でこのことができ得るかということを聞きたいのであります。

河村国務大臣 この法律上からは、どのような手続で学校を指定するかという問題、これは各教育委員会の規則になっておるわけでございますが、所管下の各学校のPTAとか校長さん方、いろいろ事前のヒアリングをやって広く意見を聞いて、その結果を踏まえて指定を行うということ。それから、各県においてもやはり地域的なバランスを考えるでしょう。すぐ真隣の市の二つが上げてきた場合に、やはり、ここじゃなくて向こう、県のバランスをとるとか、いろいろなことがあろうと思いますから、その辺の調整は教育委員会にやっていただきますが、やはり熱意の高いところ、成熟度の高いところ、そういうところから指定をしていきながら全体に及ぼしていく、そういうことは考えるであろう、こう思いますね。

平野委員 地域の声が上がれば、そのことをしっかり受けてあげる度量を教育委員会が持っておれば、こんなことをつくらなくてももっといい学校になっているんだろうと私は思いますけれども、今の法律から見るとやはり設置者の選択となっていますから、それだけに固執せずに、もっと地域の声を踏まえて設置できるようにぜひ努力はしていただきたい、このように思います。

 さて、意見がいっぱい出ましたので、多少ダブって恐縮ですけれども、学校運営協議会の構成というところなんですが、どうなんでしょうか、この協議会を構成する委員というのは教育委員会が任命をする、形式上は教育委員会が任命権者になっている、これはまあまあやむを得ないと思うんですが、実質的な選考ということになりますと、実際は教育委員会が選定するんだろう、こう思うんですね。

 そこで、私、やはり多くの地域の方を任命していくわけですから、この選び方というのは非常に重要なんだろうというふうに思うんですね。したがって、ある方々の推薦であるとか公募であるとか、そういう意味では、民主的な選考をぜひやっていただきたいと思いますが、今、具体的にはどんな選考を考えていますかと言うと、教育委員会に丸投げで、教育委員会がお決めになることです、こういう答えしか返ってこないと思いますのであえて答えを求めませんが、ぜひ文科省からは、より民主的な選考方法でやっていただくように、通達をやめろと言ったので口頭でもいいですけれども、そういう民主的な選考方法でお考えをいただきたい。でないと、現在の学校評議会、これは学校長が決めるわけですから、それで教育委員会が委嘱する。極端に言うと、学校と教育委員会の翼賛機関になりかねぬ。ここが一番気になるところでありますから、やはり民主的に選んでいただく。

 いろいろな方の声を反映でき得るような制度設計、特に構成する委員についてはぜひお願いをしたいと思いますが、努力いたしますというお答えをいただけますか。

近藤政府参考人 学校運営協議会の委員の任命、これは教育委員会にあるわけでございますが、今先生御指摘になったそういう方向でいろいろ検討してまいりたいと思います。

平野委員 検討するというのは政治用語ではやらないという、努力しますというふうに変えてくれますか。(発言する者あり)

近藤政府参考人 努力いたします。

平野委員 それもやらないといったら、約束しますという答えをもらいたいんですが、ぜひお願いをしたいと思います。

 それと、これも石井先生の方から出ましたけれども、構成員の中に教職員、学校長を入れていない。これは私、共産党さんとは余り合わないんですが、これだけは、どうもやはりそれは現場の教員が外れておって本当にこの協議会というのは成り立つのかなと。これを石井先生言われたのは、初めて私、呼吸が合ったんですが、やはり構成員の中には現場の教員、校長が入っていないというのはおかしいと思うんですね。だから、入っていないということも、文章上には入っていませんけれども、やはり一番構成している構成メンバーですから、これは、法律上は入れていないけれども、当然入ってくるものだから入れていないというふうにお答えはなりますか。

河村国務大臣 私も、この問題、指摘を受けて、先ほど石井委員から受けました、今また平野委員から改めて受けて、つらつら考えてみますに、むしろモデル校のケースを見ても、校長は皆入っておる現状がございます。そういう面で、今回、法律には書き込んでおりませんが、各教育委員会の規則で定めることになっておりますから、私は、教員も含めて、校長、教育委員会の判断による委員会で、そして委員とすることが可能に形をとっておりますが、特に校長については、学校運営協議会の意見や方針を学校運営の責任者として教育活動として具体化する立場にありますから、そういう意味でも、基本的には委員となることが望ましい、そういうふうに思います。

 教員についても、一般的には、教務主任とか生徒指導主任の中から校長の推薦を受けて選ばれる、任命される、そういう形が学校の実態等を的確に学校運営協議会の議論に反映できるのではないか、こう考えますので、今、平野委員の御指摘も受けて、今後の教育委員会の規則の中でそういうことを示唆していったらどうだろうか、こういうふうに思います。

平野委員 ありがとうございます。特に私、協議会というのは対立関係に置くことではないと思うんですね。より地域も一緒に考えていただいて、あるいは意見をいただいて、それを踏まえて、やはり学校運営をいかによくしていくかということに立つわけですから、運営をする一番の責任者の学校長、さらには中核を担う職員の方が入っていないというのはやはりおかしな構図になると思いますから、今、私は本来、法制上の中に必須構成員として書くべきだとは思いますが、そんな思いを含めた教育委員会の中の部分で明示をしていただいたらありがたいと思っています。

 それと、何だかんだ言っても、学校の中心はやはり生徒だと思います。学校の先生は中心にあるとは私は思いませんが、先生も必要な人物だと思いますけれども、一番学校の中での中心はやはり生徒であります。

 したがって、やはり開かれた学校の運営という意味で、先ほど来の議論はありますが、人事とかそういうところは、生徒が絡んでまいりますと、先生が逆に生徒に迎合するようになりますから当然これはよろしくないし、正確な、公正なことにはなかなかならないと僕は思いますけれども、もっと学校の中で、遊ぶ場面とかいろいろな先生と生徒の関係の中で、生徒の声を聞くというような局面、場面というのはやはりつくっていく必要があるだろうと思います。

 私、学校のころは生徒会とかそういうところがあって、生徒会の声を学校へ伝えるとか、こんなこともあったわけでありますから、そういう意味では、ぜひ構成組織、非常に低年層の小学生とか、そういう方の声をということではありませんが、ある意味で、公教育でそういうことが意識のできる世代におきましては、そういう声を聞く工夫をぜひお考えいただきたいと思いますが、いかがでしょうか。

近藤政府参考人 お答えをいたします。

 学校運営協議会の委員として児童生徒を参加させるということにつきましては、学校の管理運営にこの協議会は一定の法律上の権限を持って関与する、こういうことから、想定はしていないわけでございますが、委員御指摘のように、学校運営協議会の運営方法の一つとして、子供たちの発達段階ということは当然考えなければいけませんけれども、そういう生徒の意見を聞く場を設ける、機会を設ける、これは一つの考え方であろうかと思っております。

平野委員 時間がたっていきますから、少し逐条的にチェックしていきますので、余りくどくど説明は要りません。もうたくさん説明されていますから、確認ですから、よろしくお願いします。

 運営協議会の委員の報酬については、私は基本的には無報酬だと思いますが、どうなんでしょうか。

近藤政府参考人 これは、地方公務員法に定める特別職の地方公務員と位置づけられるものと考えておりますものですから、地方自治法の規定によりまして、「報酬を支給しなければならない。」こんな規定もあるものですから、そういった形で任命された場合には支給をするということでございます。

平野委員 私は、報酬を受けるとやはり委員の意思決定にゆがみが起こる。したがって、審議会のように実費弁償的な費用の部分はあってもいいと思いますが、やはり報酬は基本的に無報酬とするのが私は妥当な判断だと思いますが、そういう判断にはなりませんか。

近藤政府参考人 これは地方自治法等の規定があるものですからなかなか難しいかと思っておりますが、いずれにいたしましても、その実際の金額は、これは学校評議員の場合もそうでございますけれども、謝金程度の本当に少ない経費しか支給されないというようなこと、実態としてはそういうことになるんじゃないかと思っております。

平野委員 金額が多い少ないのことを言っているのではありません。やはりこの委員というのは非常に公正さを担保しなきゃならない、そういう立場から、やはり報酬を受けると、受ける側にどうしても目が行くわけでありますから、無報酬で大いに公正さの中で議論をしてもらう、こういうことが大事であると思いますから、私は、ぜひ無報酬、当然実費弁償ですから、交通費とかそういうところはお支払いをしてしかるべきだと思いますが、そういう御判断でぜひお願いをしておきたい、このように思います。

 それと、次に参りますけれども、先ほど構成員に学校長というのは当然入れていくべきだということでありますから、私ももう質問はいいんですが、学校長が基本方針を示さなきゃならない、こういうことになって運営協議会で承認を得る、こういう制度設計になっているんですが、これが運営協議会で基本方針を否決されたときには、この学校はどうなるんでしょうか。否決されないように何回も何回も努力するんですか。

近藤政府参考人 おっしゃるように、学校長が学校運営協議会の承認を得るべく努力をするということがまずは第一歩であろうかと思っておりますし、また、そういった学校運営協議会の委員を任命した市町村の教育委員会にも責任があるわけでございますから、当然その間に入って調整を行っていく、そういった形で円満にこれが調整がなされるということがよろしいかと思っておるわけでございます。

 ただ、もう一つは、なぜ承認が得られなかったのかということにもなってくるわけでございまして、例えば、学校運営協議会の方にやはり少し無理があってどうしてもその承認が得られないということになりますならば、これは学校の基本方針が承認されないわけでございますから、そのときには、学校の校長がその校務の責任者としてそれを実行していくということもあり得るでしょう。

 それから、どうしても間に立った市町村の教育委員会の調整にもよらないということになりますと、これはその学校の本来のねらいであります特色ある学校づくり、そういったものもできないわけでありますから、場合によっては、市町村教育委員会としては、その中の委員にやめていただく、あるいは最終的には指定の取り消し、そういった形での解決を図らざるを得ない、こういったこともあり得るかと思っております。

平野委員 それはよくわかりました。

 ただ、そういうことが起こらないために、例えば、学校長は知恵を絞って、総論的なことであるとか一般的なことだけを羅列して基本方針にしてしまう可能性もある。

 この運営協議会というのはどれぐらいの頻度で開催をするんですか。それも教育委員会に任せるんですか。

近藤政府参考人 これは、学校評議員の場合もその頻度はそれぞれ違っているわけでございまして、私どもが、例えば一年に何回でなければならぬということを示すつもりはございませんけれども、それぞれのそういった事柄、重要な議案が発生するということであれば、当然その頻度はふえてくるんだろうと思っております。

 それから、この基本的な方針でございますが、校長が作成をした原案についてぱんとこの賛否を問う、こういうだけではなくて、むしろ、その原案をもとに、その段階で協議会と一緒になって活発な議論を行って調整をして成案を得ていく、そういう相互の努力で基本的な方針をつくっていく、そういうような努力も必要なんだろうと思っております。

平野委員 したがって、これは学校側は専門家でありますから、より専門的に詳しく書いても、委員に任命される人が全く地域の保護者でありますとか、見識はあるけれども学校のそういう専門領域に詳しくない人が来ますと、僕は、議論がかみ合わないんじゃないかなという気はするんですね。

 したがって、これは本当に難しい議論だと思いますが、やはり土壌がしっかりしておるところでないといいものができないごとく、その地域の風土、意識が高まっているところはそれなりに議論がかみ合っていくと私は思うんですが、全くその地域が教育にかかわりのない、かかわりたくない、そんなところというのはこれは本当に、そんなところこそ必要なんだろうというふうに思うんですが、いいところの土壌はこういうものができ上がっていくでしょうけれども、本来しなきゃならないというところがこういう協議会が地域が参画してできないんじゃないか、物すごく、いいところと悪いところの格差が広がっていくんじゃないかという懸念をいたしますが、その点はどうなんでしょうか。

近藤政府参考人 どういった学校を指定するかという、まさしく根本的な問題になっていくんだろうと思っております。地域の住民の協力が得やすくて、指定をすれば本当にうまくいく、これもまた一つの判断でございましょうし、むしろ、学校の管理運営にいろいろ問題がある、ですからむしろそういったところで地域の方、保護者の方、いろいろな方々に入っていただいて校長をバックアップしていただく、校長と共同して学校づくりをしていく、そのときには確かにおっしゃるようないろいろな難しい課題が出るんだろうと思っております。

 それから、学校運営に関する基本方針でございますから、私どもも、この基本方針というのはまさしくその学校の大綱的な、大もとになるような方針、余り細かな方針になりますと、それはおっしゃるようにいろいろ意見が集約されないんだろうと思っています。うちの学校はこういう方針でとにかく学校をやっていくんだ、そういう大まかなところはきっちりと皆さんが共通理解を持って、うちの学校はこうしていくんだ、そういったところでの基本方針の承認、こういうふうに私どもは理解をいたしております。

平野委員 次に、任用に関するところについてお聞きをしたいと思いますが、協議会で、人事についても、任用についても、採用及び云々ということで、意見を言う、それを尊重しなければならないということでありますが、この任用というのはどこまでの範囲を言っておられるのでしょうか。

近藤政府参考人 採用その他の任用でございますが、地方公務員法上に言う採用、昇任、転任ということについて意見が述べられる、こういうことでございます。

 先ほど来の御質問で、降任が入るのかという御質問がございました。本人の意向に反する降任につきましては、これは法律で定める場合でなければ行うことができない分限処分でございますから、この法律第四十七条の五第五項に言う任用には含まれないものといたしております。

平野委員 今いみじくもおっしゃいましたけれども、その分限にかかわるところ、すなわち降任というものは含まれないということは、もう明確に、これは法律で担保されるんですか。

近藤政府参考人 同じ地教行法の中で、市町村立学校職員の、所属の県費負担教職員の任免その他の進退に関する意見を申し出ることができる、こういう用語を使っている部分がございますが、分限、懲戒を含めてあらわす場合には、任免その他の進退、こういう用語を用いておるわけでございますが、この用語をあえて使わず、任用という表現にしたところは、そういった降任を含まない、こういう前提で使わさせていただいております。

平野委員 またあいまいな言葉があるんですが、尊重という、これも同僚議員からいろいろ御質問がございました。尊重という中には、その御意見に従う、尊重するけれども従わない、この尊重という言葉というのはどういうふうに解釈したらいいんでしょうか、どのようにでもとれる言葉でありますが、任命権者は第五項の規定による協議会の意見を尊重するものとすると。この尊重するというのは、はっきり言ってほしいと思います。

近藤政府参考人 運営協議会がこの人事について言う場合には、例えば、うちは若い先生が欲しいとかそういう一般的な意見の場合もあれば、固有名詞を挙げて具体の要求をするということもあるわけでございます。いずれにいたしましても、そういった意見が述べられた場合には、できる限り意見の内容を任命権者としては実現するように努めていく必要があるわけでございます。

 ただ、教育委員会は、今、いわゆる広域人事を行っているわけでございまして、各学校の実情あるいは域内全体のバランス等を総合的に判断しながら、学校運営協議会の意見と仮に異なる人事を行うという合理的な理由がない限りは、基本的には運営協議会の意見に沿った人事を行う、こういうことでございます。

平野委員 いや、今の言葉、ちょっとわかりにくい。合理的であるとかなかろうが、それはだれが判断するかわかりませんが、協議会で出した意見を尊重する、例えば河村先生が、私にとっては、この学校にとっては必要ないからどこか行ってちょうよ、こう言ったときに、それが意見具申として協議会から上がったと。合理的な理由がないというのはだれが判断をし、だれがそのことに対して尊重するか、だれがどう行為を起こすかというのは、この尊重するでは読み切れないんですが、この点はどうなんですか。

近藤政府参考人 これは当然、任命権者、県費負担教職員の場合には都道府県教育委員会が総合的に判断を行うわけでございます。

平野委員 そうしたら、意見を言うでいいじゃないですか。尊重するという言葉というのは、結構重くはないんですか。

近藤政府参考人 意見を述べるだけであれば、教育委員会の側からすれば、聞きおくだけでいいわけでございますから、これはあくまで、基本的には最大限その意見を実現するように努める必要があるわけでございます。そういう意味では、大変重たいものである、こういうことでございます。

平野委員 義務を課すんですか、努力義務を課すんですか、この尊重というのは。

近藤政府参考人 都道府県教育委員会にそういう意味での努力義務を課すものである、こういうことでございます。

平野委員 次に移ります。

 人事権でございますが、学校協議会が教育委員会に直接人事を意見することができるというツールが今回の図式にあります。こうしますと、本当に正しい意思決定がされたときにはいいと思いますが、先ほど言うように、尊重する、こんなことでいきますと、本当は私、学校協議会が教育委員会に直接人事を介入するというのはよろしくないと思っています。少なくとも、私は、学校協議会はその学校長の人事について教育委員会に言うということはあっても、その学校の個々の先生のことを教育委員会に言うということは、学校長としての職務権限、本来運営を任されている学校長の権限というのは一体どうなるのか、ここが非常に疑問に思うんですね。

 したがって、直接、人事を意見するというツールがこの中にありました。学校長にも言えるようになっています。学校長に言うのは学校職員のことを言えばいい、教育委員会にはその学校の学校長のことに対して意見を言えばいい、こう思うんですが、どうなんでしょうか。

近藤政府参考人 学校のいろいろな特色ある教育を行っていくとき、当然校長は重要な人間でございますけれども、やはりそれ以外の一般教員についても、運営協議会は、こういった方々が来てほしい、そういったことで、特色ある教育、学校づくりをしていきたいという場合もあろうかと思いますので、校長のみならず教員についても意見を言うことはあり得ることだし、よろしいと思っております。

平野委員 いやいや、でないと、学校長というのはお飾りになっちゃって、やはり私は、学校長、現場に責任と権限を与えていくということが非常に大事なんですね。それを地域の方々が、お互いにチェックしていい学校にしていきましょう、校長先生しっかりしてくださいよと。

 今、何か言えば教育委員会から指導されるものですから、みんなヒラメになっている。教育委員会の方ばかり見ている、教育委員会にいい顔をしない学校長は飛ばされる、こんな構図になってしまったら、本来、一番その地域の中でしっかりと皆さんと一緒に学校運営をしようという学校がなくなるんですよ。全部、教育委員会の目を見る。今度は逆に、この協議会ができたら、協議会の方ばかり目を見る。こんなことで本当にしっかりした運営ができるのでしょうか。

 したがって、私は、協議会は、学校の先生のことに対して、現場でどうだこうだということは学校長に意見を言う、学校長がだめだということは教育委員会に言う、このルールにしておかないと、どっちに行っても、パラレルに言われたら、だれがどう判断するんですか。非常に運営上難しい、こう思いますが、どうですか。

近藤政府参考人 これはやはり、校長は学校運営協議会と十分な連携を図るということが大事でございまして、基本的には、学校運営協議会の意見に沿った意見を校長は市町村教育委員会に申し出ていく、こういうことになるんだろうと思っております。

 ただ、学校運営協議会の意見と校長の意見が異なるということは通常は想定はされないわけでありますけれども、確かに、意見が対立をしたりして例外的にそこの部分が異なる意見が出てくる、あるいは学校運営協議会の意見が偏ったものであるとか恣意的なものである、こういったことがないわけではないかと思っておりますけれども、そういった場合には、校長として異なる内容の意見具申を行うことを排除されるものではないわけでございまして、現在も校長は、市町村の教育委員会に意見具申をする権能があるわけでございますし、市町村の教育委員会の内申を待って、任命権者である教育委員会がその権限と責任において適切と判断した人事を行うわけでございますから、私は、そういう中でこの問題は十分に調整ができるものと思っております。

平野委員 時間がもう残り少なくなりました。

 いずれにしましても、今回の議論、いろいろあると思います。それだけ新しい試みだということだと思います。新しい試みだから恐れて何もしないということは、これからの時代、よろしくないと思っています。

 したがって、私はルビコン川を渡っていないと思っていますけれども、大臣は渡ったと言ったんだから、渡った以上は、適当に選択的にということを言わずに、大きく踏み出したわけですから、やはりその中に、しっかりと地域の中核となる、コミュニティーの中核となる学校運営が、公教育の中の全体のものとしてなっていくように目標プログラムをしっかり掲げていただいて、推進をしていただきたいと思いますし、この法案の中身はほとんどが地域の運用にゆだねている、これはいい言葉でありますが、逆に言うと、みんな丸投げしているということであります。

 したがって、私は、ある意味では、きちっとしたルールをつくりながら、実際の中は、その地域の事情に合わせてやったらいいと思いますけれども、権限の拡大と予算ということもしっかり担保しないと、予算はあげないよ、地域でそれも予算は勝手につくりなさい、こういうことでは、なかなかいいプランでも、実行しなければ絵にかいたもちであります。

 したがって、絵にかいたもちじゃなくて、食えるもちにしていただくためにも、私は、ぜひ、プログラムを、明確に目標を上げていただいて、運用が恣意的にならないような、こんな制度設計に確立をしていただきますことを心よりお願い申し上げまして、ちょうど時間で、持ってこなくてもわかりました、終わります。ありがとうございました。

池坊委員長 これにて本案に対する質疑は終局いたしました。

    ―――――――――――――

池坊委員長 これより討論に入ります。

 討論の申し出がありますので、これを許します。石井郁子君。

石井(郁)委員 私は、日本共産党を代表し、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案に対し、反対の討論を行います。

 本法案は、総合規制改革会議答申と中教審答申を踏まえ、教育委員会の指定する学校に学校運営協議会を設置するものであります。

 しかし、学校運営協議会の委員は、選挙などによる代表制ではなく、教育委員会が直接任命するもので、教育委員会の進める教育行政の推進役、監視役となる危険性を持っています。

 致命的欠陥として、学校運営に責任を持つ校長や教職員を法文上加えていません。しかも、児童生徒参加については全く考慮されておらず、子どもの権利条約の精神を真っ向から踏みにじるものとなっています。諸外国のこうした制度では、必ず校長や教職員を加えており、フランスやドイツの学校管理委員会や学校会議には、教職員代表はもとより、生徒代表も加えています。今回の学校運営協議会制度は、世界の流れにも逆行する欠陥法案と言わなくてはなりません。

 今日の学校に求められていることは、教職員、父母、地域住民とともに子供も参加して、一体となって進める学校づくり、地域づくりであります。既に諸外国では、学校運営についての大きな権限が与えられて、そうした制度が実施されています。我が国でも、生徒代表、父母代表、教職員代表による三者協議会など、学校づくりと地域づくりで大きな成果を上げているところもあります。

 今こそ、そうした経験と子どもの権利条約を生かし、児童生徒も加えた、文字どおり開かれた学校づくりを大きく前進させるべきです。そのような制度の確立を求め、私の反対討論とします。(拍手)

池坊委員長 これにて討論は終局いたしました。

    ―――――――――――――

池坊委員長 これより採決に入ります。

 内閣提出、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案について採決いたします。

 本案に賛成の諸君の起立を求めます。

    〔賛成者起立〕

池坊委員長 起立多数。よって、本案は原案のとおり可決すべきものと決しました。

    ―――――――――――――

池坊委員長 ただいま議決いたしました本案に対し、遠藤利明君外三名から、自由民主党、民主党・無所属クラブ、公明党及び社会民主党・市民連合の四派共同提案による附帯決議を付すべしとの動議が提出されております。

 提出者から趣旨の説明を求めます。平野博文君。

平野委員 私は、提出者を代表いたしまして、本動議について御説明を申し上げます。

 案文を朗読して説明にかえさせていただきます。句読点は省きます。

    地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案に対する附帯決議(案)

  政府及び関係者は、本法の施行に当たり、次の事項について特段の配慮をすべきである。

 一 学校運営協議会制度の意義について、全国的な周知徹底に努めること。その際には、保護者や地域住民等に対し、PTA、学校評議員制度との相違点やそれぞれの役割等について十分な説明を行い、理解を得るよう努めること。

 二 学校運営協議会を導入するに当たっては、学校は地域コミュニティの拠点であることを踏まえ、保護者や地域住民の主体的な意欲と要望を尊重すること。

 三 保護者や地域住民等が一定の権限と責任を持って、より主体的に学校運営に参画することを可能とするという目的を踏まえ、教育委員会は、地域の実情に応じた個性や特色ある教育活動を展開するため、学校運営協議会の委員について、委員構成の適切な均衡にも配慮し、公募制、推薦制などの手続きにより、幅広い分野から任命すること。

 四 指定学校とそれ以外の学校の教育水準に格差が生じたりすることのないよう、教育の機会均等の確保に配慮すること。

 五 指定学校の指定要件等の教育委員会規則で定める学校運営協議会に関する事項については、各地方公共団体間で大幅な相違が生じないよう通知等による適切な指導、助言を行うこと。

 六 指定学校の運営に当たっては、教育委員会、校長及び学校運営協議会の学校運営に関する責任の所在をあらかじめ明確にするとともに、関係者間の意思疎通が十分に図られるよう配慮すること。

 七 指定学校における校長の裁量の充実と必要な予算の確保が図られるよう、適切な指導、助言を行うこと。

 八 学校運営協議会が任命権者に対して指定学校の職員の採用その他の任用に関する事項について意見を述べるに当たっては、恣意的なものとならないよう、教育委員会に対して適切な指導、助言を行うこと。

   また、教育委員会は、引き続き教職員の人事制度の公正・公平性の維持に努めること。

 九 学校運営協議会制度の実施状況について、継続的な評価を行い、その成果と問題点を明確にすることにより、この制度の在り方も含め、学校運営のさらなる改善に努めること。

 十 学校運営協議会制度の実施状況を見極めつつ、教育委員会と学校との関係など教育委員会制度の在り方について検討を進めること。

 十一 指定学校とそれ以外の学校の運営に当たっては、地域社会や家庭との連携と協力を一層進め、地域と家庭の教育力を高めるよう努めるとともに、必要に応じて、児童生徒の発達段階に配慮しつつ、児童生徒が意見を述べる機会を得られるよう適切な配慮に努めること。

以上であります。

 何とぞ御賛同いただきますよう、よろしくお願いを申し上げます。終わります。(拍手)

池坊委員長 これにて趣旨の説明は終わりました。

 採決いたします。

 本動議に賛成の諸君の起立を求めます。

    〔賛成者起立〕

池坊委員長 起立多数。よって、本案に対して附帯決議を付することに決しました。

 この際、ただいまの附帯決議につきまして、河村文部科学大臣から発言を求められておりますので、これを許します。河村文部科学大臣。

河村国務大臣 ただいまの御決議につきましては、その御趣旨に十分留意をいたしまして対処してまいります。

    ―――――――――――――

池坊委員長 お諮りいたします。

 ただいま議決いたしました法律案に関する委員会報告書の作成につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

池坊委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

    〔報告書は附録に掲載〕

     ――――◇―――――

池坊委員長 内閣提出、参議院送付、放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律の一部を改正する法律案を議題といたします。

 趣旨の説明を聴取いたします。河村文部科学大臣。

    ―――――――――――――

 放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律の一部を改正する法律案

    〔本号末尾に掲載〕

    ―――――――――――――

河村国務大臣 このたび、政府から提出いたしました放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律の一部を改正する法律案について、その提案理由及び内容の概要を御説明申し上げます。

 国際原子力機関、世界保健機関等の国際機関が科学的見地から提唱した放射性同位元素の核種ごとの規制下限値の国際標準について、その国際的な導入の状況等を踏まえ、我が国においてもこれを導入するため、放射性同位元素の規制を見直すことが必要になっております。また、放射性同位元素の利用の進展及び安全規制に関する実績等を踏まえつつ、安全規制をより合理化していくことが求められております。

 この法律案は、このような観点から、放射性同位元素等の使用、販売、賃貸及び廃棄についてより科学的かつ合理的な規制体系を構築するために必要となる改正を行うものであります。

 次に、この法律案の内容の概要について御説明を申し上げます。

 第一に、放射性同位元素を装備した機器のうち設計の認証を受けたものについては使用の許可等の規制を合理化するものであります。

 第二に、放射性同位元素の販売及び賃貸の業の許可制を届け出制に改めるものであります。

 第三に、廃棄物埋設をしようとする許可廃棄業者は、文部科学大臣または登録機関の確認を受けなければならないこととするものであります。

 第四に、施設検査や定期検査を合理化するとともに、放射線測定記録等の定期確認制度、講習の修了のみで交付される第三種放射線取扱主任者免状及び放射線取扱主任者の定期講習制度を創設するものであります。

 このほか、所要の規定の整備を行うこととしております。

 以上が、この法律案の提案理由及びその内容の概要であります。

 何とぞ、十分御審議の上、速やかに御賛成くださいますようにお願いいたします。

池坊委員長 これにて趣旨の説明は終わりました。

 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後四時四十五分散会


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