衆議院

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第6号 平成18年3月14日(火曜日)

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平成十八年三月十四日(火曜日)

    午前九時開議

 出席委員

   委員長 遠藤 乙彦君

   理事 小渕 優子君 理事 大前 繁雄君

   理事 小島 敏男君 理事 西村 明宏君

   理事 松浪健四郎君 理事 藤村  修君

   理事 牧  義夫君 理事 池坊 保子君

      阿部 俊子君    秋葉 賢也君

      井脇ノブ子君    飯島 夕雁君

      浮島 敏男君    小川 友一君

      越智 隆雄君    岡下 信子君

      加藤 紘一君    亀岡 偉民君

      川条 志嘉君    近藤 基彦君

      佐藤  錬君    鈴木 恒夫君

      田中 良生君    永岡 桂子君

      西本 勝子君    福田 峰之君

      藤田 幹雄君    馬渡 龍治君

      三ッ矢憲生君   山本ともひろ君

      吉野 正芳君    奥村 展三君

      北橋 健治君    末松 義規君

      田中眞紀子君    松本 大輔君

      山口  壯君    横山 北斗君

      笠  浩史君    西  博義君

      石井 郁子君    保坂 展人君

    …………………………………

   文部科学大臣政務官    吉野 正芳君

   参考人

   (兵庫教育大学学長)

   (中央教育審議会委員)  梶田 叡一君

   参考人

   (青森大学教授)

   (エッセイスト)     見城美枝子君

   参考人

   (慶應義塾大学経済学部助教授)          土居 丈朗君

   参考人

   (元福島県原町市教育長)

   (元日本教育新聞社取締役編集局長)        渡邉 光雄君

   文部科学委員会専門員   井上 茂男君

    ―――――――――――――

委員の異動

三月十四日

 辞任         補欠選任

  飯島 夕雁君     越智 隆雄君

  坂本 剛二君     亀岡 偉民君

  鈴木 俊一君     三ッ矢憲生君

同日

 辞任         補欠選任

  越智 隆雄君     田中 良生君

  亀岡 偉民君     浮島 敏男君

  三ッ矢憲生君     鈴木 俊一君

同日

 辞任         補欠選任

  浮島 敏男君     坂本 剛二君

  田中 良生君     飯島 夕雁君

    ―――――――――――――

三月十三日

 独立行政法人に係る改革を推進するための文部科学省関係法律の整備に関する法律案(内閣提出第一五号)

同日

 私学助成大幅増額、三十人以下学級実現に関する請願(菅野哲雄君紹介)(第六七六号)

 同(秋葉賢也君紹介)(第七〇〇号)

 同(菅野哲雄君紹介)(第七〇一号)

 教育基本法の改悪に反対し、教育基本法を生かすことに関する請願(赤嶺政賢君紹介)(第六九〇号)

 同(石井郁子君紹介)(第六九一号)

 同(笠井亮君紹介)(第六九二号)

 同(穀田恵二君紹介)(第六九三号)

 同(佐々木憲昭君紹介)(第六九四号)

 行き届いた教育を進めるための私学助成の大幅増額等に関する請願(泉健太君紹介)(第六九五号)

 同(穀田恵二君紹介)(第七六四号)

 同(北神圭朗君紹介)(第八〇〇号)

 同(山井和則君紹介)(第八〇一号)

 国による三十人学級実現、私学助成大幅増額に関する請願(赤嶺政賢君紹介)(第六九六号)

 同(原田義昭君紹介)(第六九七号)

 同(北橋健治君紹介)(第七九八号)

 私学助成の大幅拡充、三十人学級の早期実現、教育費の父母負担軽減に関する請願(赤嶺政賢君紹介)(第六九八号)

 同(赤嶺政賢君紹介)(第七五八号)

 行き届いた教育の実現に関する請願(西村智奈美君紹介)(第六九九号)

 同(西村智奈美君紹介)(第七九九号)

 すべての子供たちに行き届いた教育を進め、心通う学校をつくることに関する請願(高橋千鶴子君紹介)(第七〇二号)

 同(志位和夫君紹介)(第七六二号)

 同(高橋千鶴子君紹介)(第七六三号)

 視覚障害教育・職業教育を守ることに関する請願(北橋健治君紹介)(第七四三号)

 同(山口壯君紹介)(第七四四号)

 同(小渕優子君紹介)(第八〇二号)

 同(馬渡龍治君紹介)(第八〇三号)

 同(奥村展三君紹介)(第八四六号)

 私学助成の大幅増額、教育費の保護者負担軽減、教育条件の改善に関する請願(赤嶺政賢君紹介)(第七四五号)

 小・中・高三十人学級実現、私学助成の抜本的改善、障害児教育の充実、義務教育費国庫負担制度堅持を求めることに関する請願(後藤茂之君紹介)(第七四六号)

 同(下条みつ君紹介)(第七四七号)

 同(羽田孜君紹介)(第七八〇号)

 同(篠原孝君紹介)(第八一三号)

 すべての子どもたちに行き届いた教育を進め、心の通う学校に関する請願(吉井英勝君紹介)(第七四八号)

 すべての子どもに行き届いた教育等を進めることに関する請願(石井郁子君紹介)(第七四九号)

 国による三十人学級の早期実現、私学助成の大幅増額に関する請願(吉井英勝君紹介)(第七五〇号)

 すべての子どもに行き届いた教育に関する請願(石井郁子君紹介)(第七五一号)

 同(笠井亮君紹介)(第七五二号)

 同外一件(佐々木憲昭君紹介)(第七五三号)

 同(志位和夫君紹介)(第七五四号)

 同(塩川鉄也君紹介)(第七五五号)

 同(高橋千鶴子君紹介)(第七五六号)

 すべての子どもに行き届いた教育を進めることに関する請願(穀田恵二君紹介)(第七五七号)

 行き届いた教育を進めることに関する請願(笠井亮君紹介)(第七五九号)

 すべての子供たちの豊かな発達保障につながる障害児教育関連法制度の充実に関する請願(大串博志君紹介)(第七六〇号)

 同(石井郁子君紹介)(第八四五号)

 国庫補助の堅持・拡大、父母負担の軽減、教育条件の改善、私学助成制度の大幅な拡充に関する請願(塩川鉄也君紹介)(第七六一号)

 義務教育費国庫負担堅持と教育諸条件整備の拡充に関する請願(横光克彦君紹介)(第八四四号)

は本委員会に付託された。

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 国の補助金等の整理及び合理化等に伴う義務教育費国庫負担法等の一部を改正する等の法律案(内閣提出第一六号)


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     ――――◇―――――

遠藤委員長 これより会議を開きます。

 内閣提出、国の補助金等の整理及び合理化等に伴う義務教育費国庫負担法等の一部を改正する等の法律案を議題といたします。

 本日は、本案審査のため、参考人として、兵庫教育大学学長・中央教育審議会委員梶田叡一君、青森大学教授・エッセイスト見城美枝子さん、慶應義塾大学経済学部助教授土居丈朗君及び元福島県原町市教育長・元日本教育新聞社取締役編集局長渡邉光雄君、以上四名の方々に御出席をいただいております。

 この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。

 本日は、御多用のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人各位におかれましては、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたく、よろしくお願いを申し上げます。

 次に、議事の順序について申し上げます。

 まず、参考人各位からお一人十五分以内で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑に対してお答え願いたいと存じます。

 なお、御発言の際はその都度委員長の許可を得て御発言くださいますようお願いいたします。また、参考人から委員に対して質疑をすることはできないことになっておりますので、あらかじめ御了承願います。

 それでは、まず梶田参考人にお願いいたします。

梶田参考人 おはようございます。

 義務教育の問題につきまして、一言私の考え方を申し上げさせていただきます。

 改めて申し上げることもありませんが、義務教育というのは国の根幹にかかわる問題であります。今、小学校に通っている子供、中学校に通っている子供、これが十年後、二十年後、三十年後、この日本の社会をつくっていくわけです。

 例えば今、小学校であいさつを全然指導しない、そういうところもまだ若干残っていますね。十年前はひどかったんです。大阪なんかとってもひどかったんですけれどもね。

 例えば、あいさつができない、あるいはけじめがつかない、そういう子供たちがそのまま、よしよしよし、そのままでいいよということで大きくなって、二十年後、三十年後、これで社会をつくったらどういう社会になっているか。事実、今、若い人の姿に一部それはあらわれているわけですよ。

 二〇〇一年以降、文部科学省を中心としましてと言うとこれは語弊があるかもしれませんが、やはり教育の引き締めということを、きちっとした教育をやろうということでやっております。

 私も、ずっと二〇〇一年二月から中央教育審議会の委員をさせていただきまして、いろいろな場面で、どうやったら子供たちの育ちに責任のある教育ができるか。つまり、教育というのはきれいごとを言い出したら切りがないんですよ。だけれども、具体的に子供たちが学校でどうしているか、家庭でどうしているか、地域でどうしているか、この姿で勝負しなきゃいけない。これをきちっとしたものにするためにどういう手を打たなきゃいけないのかということを、中央教育審議会を中心として随分議論させていただきました。同時に、やれるところから手を打っていただこうということで、文部科学省にお願いして、いろいろと手を打っていただいたと思っております。

 例えば、皆さんにも御苦労いただきまして、二〇〇一年六月には、指導力のない先生、教師として資格がないような人が教壇に立っているということが一部ないわけではない、それを、一年間研修に出ていただいて、それでもだめだったらほかの仕事についていただこう、こういうようなことも、法律を改正していただいたわけですね。そのほか、指導要領の問題あるいは教員養成の問題等々、随分やらせていただきました。今もやっております。

 そういう中で、これも言わずもがなのことでありますけれども、義務教育ということを考えていくときに、二つの大きな原則がございます。ナショナルミニマムということとローカルオプティマムということ。

 これは簡単な話ですけれども、例えば、東京の子供も大阪の子供も、あるいは那覇の子供も札幌の子供も、日本の子供として、日本の社会の構成員として、やはり小学校を出たらそれだけのことがある、中学を出たらそれだけのことがあるという、これが保障されなきゃいけない。大阪の子はすごいけれども東京の子はどうでもいいというわけにいかぬわけですね。やはり、ナショナルミニマム、国としての最低限の保障というものがなきゃいけない、これはナショナルミニマムという原則であります。これは改めて言うまでもありません。

 しかし、同時に、東京の子供、大阪の子供、那覇の子供、札幌の子供、やはり少しずつ状況が違うわけです、環境が違うわけです。親の期待も少しずつ違います。あるいは、大きくなったらどういうことで世の中で頑張っていこうか、そういう将来ビジョンもやはり少しずつ違います。そうすると、それぞれの町で、うちの町の教育はこうやろう、御縁があってうちの町で大きくなっていく子供たち、これにはこういう教育機会を準備してあげようという、これはなきゃいけない。これはローカルオプティマムですね。この二つの原則をどう調和するかということが一番大きな問題になると私は思うんです。

 例えば、私ども、中央教育審議会で議論しながらどういうことを考えてきたかといいますと、やはり、最小限、最低限の基準は国が示さなきゃいけない。無条件の地方分権、無条件のローカルオプティマム、こんな絵にかいたもちみたいなことをやっちゃだめだと、これは一つ私らも言ってきました。

 どういうことかといいますと、例えばアメリカでもイギリスでも、もともとは草の根の学校教育ですね。イギリスは、よく言われました、スクール・ベースド・カリキュラム・ディベロップメントといいまして、学校ごとにカリキュラムをつくろうと。あるいは、アメリカでは、カウンティーが違えば、つまり町が違えばカリキュラムも違う。制度も六・三制があったり四・四制だとか、全部違うわけですね。カウンティーというのは郡と訳されますけれども、大きな町とか、町の連合が違えばね。もちろん教育費も違う。これが大体八〇年前後ぐらいまで続きました。

 ところが、八〇年代から、御存じだと思いますけれども、やはり国策だということで、アメリカでもイギリスでも、どういうことが起こったか。国が口も出す、金も出す、こういうことをやっていこうと。つまり、ナショナルスタンダードをつくりまして、最低限、最小限、そういうものは国がきちっと示して、そしてそれのために必要な財政的支援をやって、そしてそれがうまくいっているかどうかを国がチェックして、で、また必要な手の打ち方を考える、そういう枠の中でそれぞれの町が独自の教育をやっていこう、安心してやっていこう、こういうことになってまいりました。

 つまり、ナショナルミニマムということは、私は、ほかの国の状況、今アメリカの例あるいはイギリスの例を挙げましたけれども、やはり本当に考えたら、国の関与を抜きにしてはやれません。何が何でも地方分権というふうにはいかない領域だろうと私は思っております。国防を地方分権でやろうなんという人はいないでしょう。外交を地方分権でやろうという人はいないでしょう。それぞれ、国防にも外交にも、地方の何か考え方とか取り組み方があってしかるべきでしょうけれども、やはりこれは国が責任を持ってということであります。義務教育もやはりそういうものだろうと思います。

 ただし、ちょっとほかのところと違うのは、もう一度申し上げますが、それぞれの町に生い育った子供たちにはそれぞれの町ごとのやはり事情があるわけですね。だから、ナショナルミニマムを大事にしながらも、どういうふうにローカルオプティマムを実現していこうかということも同時に考えていかなきゃいけない。

 ですから、中央教育審議会では、ずっと議論してきましたのは、基準をきちっと立てる、学習指導要領という形で、例えばきちっと何を身につけさせるか考える。だけれども、それを標準にしちゃいけない、これだけをやればいいとか、これをやらなきゃいけないというのじゃなくて、学習指導要領というのは、最低限、最小限の問題。プラスアルファは各町で考えてください、各学校で考えてください、各教室で先生方一人ずつが考えてください、こういう自由度をどうやって確保するか。

 簡単に言ってしまえば、明治維新以降の日本の学校教育はすごかったわけですけれども、すごい成果を上げてきたわけですけれども、ちょっと中央統制が強過ぎたと私は思っております。ですから、ナショナルミニマムをきちっと大事にしながらも、やはり、それぞれの先生が、それぞれの学校が、あるいはそれぞれの町が自由にやれるような、そういう制度的な枠組みをつくっていかなきゃいけないということで、二〇〇三年の十月に中教審答申を出しまして、そして同じ二〇〇三年十二月の二十六日には学習指導要領の一部改正の告示をやっていただきまして、そして指導要領の性格づけを改めました。最低限、最小限ということを明確に総則のところに書き込む。で、そのプラスアルファをやるのが本当なんですよ、学校やら先生方はそういうふうにしなきゃいけませんよ、プラスアルファを考えなきゃいけませんよというふうにしてあります。

 また、皆さん御存じのように、教員の張りつけ等々も、標準法はございますが、それを地方で、その標準法をいわば最低限のものにしながら、プラスアルファが積み上げられるような措置をどういうふうにしたらいいか。こういうことで、本当に皆さんの御尽力で、例えばこれからは町でも、町の費用で先生を雇って、標準法以上のそういう少人数教育、これもできるようになったわけですね。これなんかも私はローカルオプティマムということだろうと思っております。こういうことを進めていくというのがこれからの義務教育の方向ではないかな。

 つまり、ナショナルミニマムという土台をつくりながら、その上に、うちの町に本当にふさわしい教育を工夫して持っていく、つくっていく。あるいは、うちの学校の独自のこういう教育をつくり上げていく。あるいは、うちの学級の、御縁があって私のクラスに来てくれた、この子供たちには、やはり私の教育者としてのすべてをぶつけて、ほかの教室とは一味違う教育をやっていこう、こういうふうになっていかなきゃいけないだろうと思っております。

 そういう中で、繰り返しますが、ナショナルミニマムという土台の中でローカルオプティマムを実現していくためには、先ほどちょっと触れましたけれども、一つは、ナショナルスタンダード、国の基準というのを明確に示さなきゃいけない。そして、これを実現するということについては、地方に、あるいは学校に、教師に自由度をできるだけ与えなきゃいけない。しかし、それを支える財政的な基盤、これは国の責任でやはりきちっとやらなきゃいけない。お金がないままで自由にやってくださいよといったって、そんなものやれるわけないんですよ。

 例えば、私の大学にも今全国から二百二、三十人の現職の先生、小中高の先生方がマスターコースに二年間来ておられます、二年間ということで。このためには、国が研修定数という、二千人の研修定数というのを設定しておられまして、そこから各都道府県が申請してやるわけですけれども、今、御存じのように、都道府県、財政的にでこぼこですから、出せるところと出せないところがあります。私のところにも、兵庫県は百人も出してくださっておりますけれども、大阪府はゼロ、そういうことが起こっております。

 つまり、一つの研修の場として、新構想大学ということで、二十七年前に兵庫教育大学と上越教育大学と鳴門教育大学をつくっていただきましたけれども、これで学べるための財政的な支援、これがなかなか地方では大変ということになっているわけですね。研修一つとってもそうです。もちろん、先ほど申し上げました、教師の張りつけ、何人を張りつけることができるか、これも財政的な問題がございます。

 あるいは、今、皆さん学校を回られれば、教材のあるところとない学校とあります。あるいは、図書費が来ているところと来ていないところがあります。非常に大きな差があります。今これは義務教育費国庫負担法から教材費や図書費が外れて、そして、それぞれの自治体で工夫してくれと、こうなっているからそうなっているんですよ。

 もう時間が来ましたからやめますけれども、やはり本当の意味で国の将来を担うための義務教育をやろうと思えば、やはりナショナルミニマムとして、もう一度申し上げますけれども、基準をきっちり出すことと同時に、財政的な支援をしなきゃいけない。もう一つですが、先ほど言いました、今全国学力調査の準備もしておりますけれども、そういうことでチェックもしなきゃいけない。

 そういう枠をつくった上で、どうやってそれぞれの町が、あるいは学校が、教師が、自由に生き生きと、能動的に自分たちの教育をつくっていけるかという、こういう仕組みづくりをしていかなきゃいけない、そういうふうに思います。

 では、終わります。(拍手)

遠藤委員長 ありがとうございました。

 次に、見城参考人にお願いいたします。

見城参考人 おはようございます。本日はお招きありがとうございます。見城美枝子です。

 私も中央教育審議会の義務教育特別部会を担当させていただきまして、日本の子供たちにとってどういう義務教育がよろしいのか、いろいろと審議に参加させていただきました。そういう中から、きょうは短い時間ですけれども、私の感じたこと、それから、信念として、教育に対する思いといったことをお話しさせていただきます。

 まず、私が教育というのは大事であると本当に思いましたのは、いろいろな場面で思ったんですけれども、アフリカのタンザニアに取材に行きましたときに、マサイ族の少女のきらきらと輝くひとみを見たときなんです。衝撃を受けました。

 それは、国が大変疲弊して、貧しくて、そして、マサイ族というのは遊牧民で、動いていきます。ところが、国の方針として、これからは定住策をとるということで、マサイの集落を定住させるということで、住宅をつくり、そこでの生活を始めたわけです。そのときに真っ先に国が始めましたのが学校です、学校をつくりました。

 それまでの子供たちは、長老にすべてを教えてもらう。気候がどうだ、草の状況がどうだ、そういうことで生活していける力を長老から受けておりましたけれども、学校をつくって一から勉強してもらいたいと。

 最初は、学校に子供を送らなかったんです、働き手がなくなるということで。そこへ一週間ほど滞在したんですけれども、その中でわかりましたことは、給食を出すといったら、その途端に子供を学校に送ろうと。一日一食分が助かるというようなこともあって、子供たちが学校に来るようになりました。

 そうしたら、子供たちが一生懸命学ぶようになりまして、もちろん教材などはございませんので、こういった板を見つけて、穴をあけて、ひもをどこかから見つけて、どこかに落ちていた鉛筆を縛りつけて、何としてもこれだけは確保するというようなことで、教材がない中で、みんな一生懸命勉強していましたが、何に私が衝撃を受けたかといいますと、マサイの長老が、自分が一番かわいいと、この子は本当によくできる、勉強もできる、学校も楽しくやっている子なんで紹介したいと言って、一人の少女を紹介してくれました。

 その少女が私に、アルファベットで自分の名前が書けると言ったんです。さっと英語で名前を書きました。それは、マサイの人たちはマサイ語で情報交換しています。ところが、学校に行くことで、スワヒリ語というアフリカ共通語を学びます。続いて、今度は英語を学び始めたわけです。

 そういうことで、マサイの長老は、今まで自分が情報発信だったんですが、これからはアフリカ全土のこと、情報、それから世界はどうなっているかというのは、教育を受けたその子供たちから聞くことになると思います。ということは、その教育を受けた子供たちが情報発信をするということで、マサイの長老にかわる立場になっていくわけです。

 ですから、それまでヒエラルキーが長老を頂点としてできていて、福祉なども特別に制度をつくらなくても、高齢になったらみんな子供たちや若い人が世話をする、こういうヒエラルキーができていましたけれども、これは社会学的にいっても多分崩れるかもしれない、情報を握った者が世界を握るということで、国を変えていくかもしれないという衝撃を受けました。

 そのときの少女が、私に、書けると言って私を見たときのそのひとみがきらきらと輝いて、私はぞくぞくっとしたんですね、教育は重要だと。

 日本にいますと、当然のように義務教育を受けて、当然大学を目指すとか、苦労とか、つまらない、苦しいということが、しなければならないというような、楽しいイメージの前に、何かそういったことが出てきますが、国が今から動き出すというときに、教育ありきで始まったときに学校に入った少女、この少女が与えてくれたそのひとみの輝きというのは、教育の原点であり、日本の教育を考える上でも大変重要だと思います。というのは、日本の子供たちにそういった目の輝きがあるかどうかということが問われているからです。

 学習意欲が低下していると言われておりまして、では、学校の制度をどうしたらいいかというのが今回の中央教育審議会でも第一の問題でした。子供たちが本当に勉強したい、学ぶ楽しさというものをどうしたらわかってくれるんだろうか、そして、どうしたら先生が、教師が、教える立場として生きがいを持って教えられるのか、こういったことを審議していこうという気持ちで私は審議会に出席いたしました。ところが、最初に出てきたのが国庫負担金をどうするかということで、三位一体改革が大きく先に出まして、なかなか内容まで到達できない状況で、百時間余りを財源問題に費やすということになりました。

 皆さんのお手元に、少しデータも入れさせていただいて、私のレジュメをお配りさせていただきましたが、中教審の議論と結論ということで申しますと、まず、データを出す、検証して審議していくということを第一に考えました。つまり、憶測とか感情論でこういったことを審議してはならないということで、エビデンスベースドということで、何もかも、疑問があったら、それはデータをとって検証していこうという形で審議会は進められました。世界、そしてアジアの中で日本はどうあるべきかということがまず語られまして、それで、ナショナルスタンダードとしての義務教育の必要性ということを全員で確認いたしました。

 国にとって教育とは何かということでは、答申の中に「教育を巡る様々な課題を克服し、国家戦略として世界最高水準の義務教育の実現に取り組むことは、我々の社会全体に課せられた次世代への責任である。」という文言になりましたが、これは全員が、日本の子供たちの教育として、何としてもナショナルスタンダードを確立したい、そして最高水準を保つようにやるべきだということで一致いたしました。

 このときに、ではどうしたらそういった最高水準がとれるのかということで、教育の財源保障の制度の仕組み、これが問われたわけです。丸の三つ目ですけれども、義務教育の法整備をどう考えるかということでは、全額を一般財源化すればよろしいのではないかという、地方分権としてこれはこうあるべきだという意見から、実際には、では、四十都道府県の財源不足というのはどうなのかということでデータをとりましたのが一と書いてあるこのデータでございます。

 このように、東京、それから大阪、愛知、こういったところの、数少ないところを除いては、地方がやはり財源的にかなり苦しい、みんなマイナスになってしまう、こういう中できちんとした義務教育の財源を確保することができるのか。そうしますと、交付税で埋めるということが総務省の方から出ている、そういう御意見が出ましたけれども、二番目のデータに載せさせていただきましたが、では、その交付税というのはどれだけ保障されているのかという検証をいたしました。

 その結果として、ごらんのように、簡単に言いますと、六年で五兆円が消えていく、これは減る一方である。やはりこのデータを見て、そういう中で子供たちの教育をどう確保できるのか、質の確保ができるのか、教師の質の確保ができるのか、こういったことを任せることはできない、国がきちんと義務教育を保障すべきではないか。それと、三番目に、六割の市区町村が国庫負担堅持の意見書というのを出してきまして、結果として、やはり財源は国が保障してほしいと六割の市町村からも出ております。

 それから、では、地方分権をこれで戻してしまうのか、改革は戻ってしまうのかということなんですが、すべて総額裁量性でそれぞれの地方の独自の教育をしていくべきではないか。文部科学省は、発信すべきことはナショナルスタンダードとしての教育のあるべき姿で、そのプロセスは各市町村の学校がやっていくべきだ、担うべきだ。それをまた文部科学省の方は受けて検証して、日本の教育が間違っていないか、そういう検証をして、また新たなるよりよい方向に持っていくべきだ、こういうふうに私は考えております。

 私は、地方に教育のやり方を任せても、必要な予算が確保されなければそれはできないだろう、少なくとも二分の一の国庫負担というのは堅持すべきだというのが私の考えです。それで、私は、実はもう全額国庫が負担すべきだと思っております。国の子供たちを育てる義務教育ですので、本来はそうあるべきだと思っております。

 そして、二分の一で堅持というところで、鳥居会長も、これはせめてもの良識であるというお考えを出されました。これは本当に審議会の良識でここにとどまることができたと思います。それが三分の一に負担率を下げられてしまったということは、教育の質をどう保証するのか。

 これは非常に問題ではないかと思って、四、五、六の資料の方に、これは県立を見てくれという御意見がある委員から出ました。県立高校は県がきちんと運営している、だから、県に任せてくれれば小中学校は義務教育できるということだったんですが、四と五の比較でわかりますように、四の方に、これだけたくさん義務教育の小中学校が分布されておりますが、県立の方はわずかです。そういった少ない県立高校、そして授業料を徴収している、そういうことでの違いを踏まえずにこういった議論は成り立たないと私は思って、これは資料を出して検証していただきました。

 そして、主要国の中でも大変少ない教育投資であるということは、その次の方のデータを見ていただくとわかるんですが、六番目のデータに「初等中等教育への公財政支出 対GDP比」というのが出ております。これはもう皆さんも何度もごらんになっていると思いますけれども、OECDの平均が三・五%というときに日本は二・七%と、低いということで、このあたりの低さをもう少し国がしっかりと保障すべきではないか、教育費にかけるべきだ。そして、イギリス等はこの四月から全額国庫負担ということになっていきます。こういったことも参考にしていただければと思います。

 官から民へという動きは大変すばらしい。そして、今後の少子で高齢のこういった縮む社会を国が支えていくときに、官から民へ、できることは民へというのは大変いいお考えである。これは国民としても賛成ですが、公ということはどうなのか。官から民だけれども、公、そして国が担うべきことは国が担ってほしい、その一つは教育であると私は信念を持っております。

 それで、教師の問題等いろいろ出ておりますけれども、レジュメの二枚目ですが、義務教育の質に大事なのはすぐれた教員であるということで、教員の質が悪ければ、被害を受けるのは声なき声の子供たちです。そして、教員をいろいろな形で教職員の大学院を設けて新たに養成していくとか、いろいろな策が今出ておりますけれども、私は自分が大学で教えておりまして、その教える立場で申し上げますと、自分が学んだ、自分が教えられたことまでしか教えられないんです。ですから、教員がより学ぶ、教員の養成ということは重要だと思います。どう逆立ちしても自分が学んだところまでしか教えられません。そこから先は憶測であり、危ういことであると思います。ですから、教員になる方々は、本当に学んで学んで学び続けていただいて、学んだものを生徒たちに教えていく。自分が教えられたことが多ければ多いほど、子供たちに教えることができると思います。そのことを一つ。

 それから、よりよい教師としての人材を生み出すためにはエントリーが大切だと思いますので、これからは、人柄がわかるような就職のあり方、募集のあり方も、エントリーのやり方にも一つ工夫が要るんではないか。

 それから最後に、私の願いは朝食です。

 ここに、朝食をとらない子供たちの成績が悪いという、少し成績が落ちてしまうというのを八番目につけさせていただきましたが、このデータでわかりますように、子供たちはやはり朝食を食べてくると落ちつきます。そういうことで、五%の子供がほとんど朝食を食べない、わずかだとこれはいえない問題で、きょう食べない子供のために、その子をほうっておきますと、すぐ六年生になって、六年間食べずに中学へ行くということになります。ですから、私は学校で、おむすび一個でもいいんですが、朝の十時に例えばちょっとした、大人なら小腹がすいたということになりますが、子供にとっては生きる力です。そういった朝食を出してほしい。そうしたら、どこがお金を出すんだと早速審議会でも意見が出ました。

 そのように、すべて、子供のためを思ってこうしてほしいと言いますと、財源ということになります。この朝食一つとっても、いかに国が保障した財源が必要かということを実感いたしますので、私たちは、子供たちのやる気を起こす、そういった学校づくりのためにも、財源をしっかり国が保障して、子供たちの目が輝く教育を行ってほしい、そう願っております。

 どうもありがとうございました。(拍手)

遠藤委員長 ありがとうございました。

 次に、土居参考人にお願いいたします。

土居参考人 皆さん、おはようございます。

 私は大学で地方財政の研究をしておりまして、その見地から、それから一人の教育者としての立場から、お話をさせていただきたいというふうに思っております。

 今、義務教育費の国庫負担金の一般財源化という話が出ておりますけれども、この一般財源化というものはどういうことを意味しているのかということについて、もう少し深くお話をさせていただきたいというふうに思っております。

 そもそも、地方分権ということは、当然地方に自由を与えるということで、方向性としてはいいわけですけれども、先ほど来話がありますように、必ずしも地方に任せていいとばかりは言えないようなものもあるだろうというふうに私は思っております。

 そこで、一般財源化ということで今話題になっているわけですけれども、この一般財源というのは、大まかに言えば、地方税と地方交付税というこの二つの財源から成るというわけであります。要は、自治体にとって自由に使い道を決めてよいという財源であるというわけです。ところが、大半の自治体では地方税を十分に上げることができませんので、当然のことながら足らない分は地方交付税で面倒を見てもらう、国から地方交付税という形でいわゆる補助金が配られるということになります。

 ただ、ここでは、義務教育費国庫負担金はいわゆる義務教育のために配る補助金ということに対して、地方交付税というのはひもつきではない、つまり自由に使ってよいという形で配られる補助金だということになります。

 そうすると、一つ懸念が出てくるのは、地方交付税で、一般財源で義務教育のお金を賄うことにしようということは、確かに一見すると地方の自由がふえているようには見えるのかもしれません。しかし、裏を返せば、義務教育のために使わなくてもいいお金が自由に来るということにもなるわけです。ですから、一見すると、地方交付税できちんと義務教育の財源は確保しますという言葉があるわけですけれども、果たして本当にその文字どおりそういう形でお金が使われるのかどうかということについては、必ずしも自明ではないというふうに思います。

 それから、きょうお手元に資料を配らせていただいておりますけれども、今後の地方交付税というのは大きな負債を抱えてこれから未来へと向かっていくという状況にあるということをお伝えいたしたいと思い、つくりました。

 まず、私の資料の一ページ目、スライドの一には、先ほどもグラフが出ましたけれども、地方交付税がこの数年減少傾向にあるということを示しております。

 ただ、この地方交付税は、釈迦に説法ですが、そもそも国税の五つの税目の一定割合を財源とするということに基本的にはなっているわけですが、九〇年代、地方も財源不足に悩んだということもありまして、国が借金をして交付税を配るという形で、いわば身の丈を超えて上増ししていったということがあります。このスライドの一には、例えば、二〇〇〇年のころには国税で賄われていた地方交付税というのは十数兆円だったのに対して、さらにその上に地方交付税のために特別会計で借金をしたという部分が上乗せされて二十兆円を超える交付税を配っていた。そのツケが、二ページ目のスライドの三ですけれども、五十三兆円にも及ぶ地方交付税の借金の残高になって今日に至っているということであります。

 この五十三兆円の借金は、いずれ返済しなければなりません。そうすると、この借金の返済のために、例えば今後、五年後、二〇一〇年ごろにはどのぐらいのお金を費やさなければならないかというと、今これは既に総務省、財務省との間で取り決められているようでありますけれども、一年度で三兆円の借金返済をこの五十三兆円のためにしなければならない。さらには、これには利払い費が乗っていません。もし、その当時の残高で利払い費を計算すると、五千億円とか一兆円という利払い費も、この地方交付税のために負った借金のために今後払わなければならないということが決まっております。

 そうすると、当然のことながら、ただでさえ縮減傾向にある地方交付税に、その上にさらにこれからは借金の返済までやっていかなければならないという状態が今後の地方交付税の状態であるというふうに私は思います。そして、それだけの財源を、極端に言えば借金返済にも回さなければならないような事情に陥っている地方交付税に、果たして義務教育の財源を心配なく任せていいと言えるのかどうかということについては、私は大変不安に思っております。

 当然のことながら、きちんと、こういうお金を義務教育のために使ってくださいという形で、いわゆる特定財源という形で義務教育の財源を保障していくということが私は必要だろうというふうに考えております。

 その上に、義務教育の一般財源化ということで、地方交付税のお金で義務教育の負担をしていこうという話は、確かにそういう性質としてあるのですけれども、果たして本当に今の地方交付税の仕組みで義務教育費をきちんと賄えるというような形になっているのかどうかということについて、私は疑問を持っております。

 簡単に御紹介いたしますと、地方交付税というのは、二ページのスライドの四ですが、まず、地方自治体が支出の見込み額である基準財政需要額を計算し、さらに税収の見積もりである基準財政収入額というものを計算し、その差額が地方交付税で配られるということになります。

 こういう形で配られる地方交付税が、どういう形で義務教育の一般財源化でこの財源を保障していると言えるのかというと、次の三ページのスライドの五ですけれども、基準財政需要額の計算方法、字が小さくて恐縮ですが、基本的には、この支出の見込み額とおぼしき基準財政需要額の中で、教育費というものが計上されております。この基準財政需要額の中の教育費で、ここに計算されているからその分で面倒を見ているのだ、そういう形になっているわけであります。

 ところが、この基準財政需要額、つまり自治体にとっての支出の見込み額の中に、果たしてどういう形で教育費が計算されるかというと、例えば教員一人当たりの費用、それから教員の数という形で、いわば教員の給与の総額を計算するかのように計算されるというわけなんですが、実は、それだけで終わっていなくて、そこのさらに右に、補正係数という係数が加わっているということであります。

 つまり、単純に教員の人件費の総額を計算していると思いきや、実はさらにそこに、例えば〇・九五とか一とかそういうような係数が掛けられて、実際の配分になっている。

 実額とは必ずしも言えないような形で配られているという点もさることながら、その補正係数が年々によって予測できないような形で動いてしまっているということであります。その姿は三ページのスライドの六にあるわけですけれども、平成四年、平成八年、十四年、十六年という形で過去の経緯を見ておるわけですけれども、どんどんその数字が移り変わっている。

 こういう形で、自治体によっても数字が違うんですけれども、一体我が自治体に幾ら教員人件費のために基準財政需要額の中で面倒を見てくれたんだということになると、その数字が果たして幾ら来るのかということが正確には予測できないような形で入っているというわけであります。もちろんこの補正係数は、いろいろ理由をつけて、こういう形で動かしましたとかという説明はそれなりにあるのですけれども、果たしてそういう形で義務教育の費用が財源保障できているのかというと、私はそれだけではどうも不安な状態であろうというふうに思います。

 さらに、四ページのところで、基準財政需要額という、交付税をもらうときに計算される自治体の支出の見込み額の中で、教育費がどういう推移をしているかということを見たものです。

 これは、平成四年から平成十六年までの数字をとっているわけですけれども、年々下がっていく方向に行っている。つまり、この十年間で、地方交付税を配るために計上されている教育費が割合としてはどんどん減る方向に行っているということがこれで見てとれるわけです。

 さらには、実際に自治体が支出している金額と、地方交付税を配るために計算される基準財政需要額の中にある教育費とを比較したときに、実額と、ある種バーチャルリアリティーといいましょうか、地方交付税を配るためだけに計算される教育費と比較したときに、どういう形でその大きさがなっているかというのを見たのが四ページのスライドの八であります。これをごらんいただくと、基本的には一〇〇%、つまり実際の額と同じ額だけ支出してほしいということになるのかもしれませんけれども、実際のところは平均で見ても七五%強という状況で、教材費が、措置の率としてこういう形になっているというわけであります。結局のところ、地方交付税で教育費を面倒見ていますよと言いながら、必ずしも十分な財源は手当てされていないというのが実情だというふうに私は思います。

 そういう形で、地方交付税に、まあ地方交付税だけに身をゆだねるわけではありませんけれども、税収の少ない自治体にとっては、義務教育費国庫負担金を一般財源化するということは、地方交付税に義務教育の費用の身をゆだねるということになるわけですけれども、果たしてそれで十分かどうかとなりますと、私は非常に心もとないというふうに思っております。

 では、どういうふうな形で今後地方財政と国の関係を見詰めていけばいいかということについて、最後にお話をして終わりたいと思います。

 今御審議されている法案を若干超越するような話題ということになるかもしれませんが、私が考えているようなところは次のようなことです。

 基本的には、先ほど来も議論がありますように、国が義務教育として最低限やるべきだというナショナルミニマム、この部分については金も出すし口も出すという形で、きちんと国の責任で財源を保障していくということが必要だろうというふうに思っております。今般、国庫負担金の割合は三分の一ということになるようでありますけれども、私は基本的に、このナショナルミニマムとおぼしき部分については全額国が持ってもいいというふうに思います。

 ただ、もちろん、国の財政も非常に苦しい状況、債務が多い状況ということになっているわけで、何でもかんでも国がお金を出すというわけにはいかないというところもあります。ですから、私が思うには、義務教育への国費の投入も選択と集中というところが必要だろう。上乗せ部分とおぼしき各自治体が自由に決めていいだろうという部分については、当然、自由な裁量を自治体に与えるとともに、そこからお金も引いていく。そのかわり、そもそも不十分にしか賄っていない部分である今のところの国のナショナルミニマムの部分については、きちんとその財源を責任を持って投入していくということが必要になってくるだろうというふうに思います。

 当然のことながら、そんなお金はどこにあるんだというような言葉があれば、それは地方交付税の財源というのも一つの選択肢としてあるわけでありまして、教育費を国の中で、予算の中でどう確保していくのかということになりますと、私が思うには、地方交付税のような形でお金を配るということもある程度ほどほどにしつつ、義務教育のために特定財源で地方にお金を配るという形にすれば、どの自治体でも最低限の義務教育ができる。その上で、自治体が自分たちの地方税で自由にさらに上乗せ部分を決めていくということができるようになるだろうというふうに思っております。

 どうもありがとうございました。(拍手)

遠藤委員長 ありがとうございました。

 次に、渡邉参考人にお願いいたします。

渡邉参考人 福島県原町市の渡邉です。

 本日は、重要な義務教育費国庫負担法改正の審議の場に発言の機会をいただきまして、本当に心から感謝を申し上げます。

 実は、私ごとになりますけれども、日本教育新聞に二十五年ほど在籍しておりましたが、かつて向こうの傍聴席から取材する側で、大変国会の皆さんにはお世話になったこと、またその中で、十年ほど前になりますけれども、与野党を超えて、教育は未来への先行投資ということで、座談会に出席していただけませんかということで、各党の文教の責任者の方に御出席いただいて、教育だけは与野党一致して子供たちの未来のために頑張っていこうという合意をつくってきたということ、それが教育新聞をやってよかったなということを今改めて思い出しております。

 しかし、この間の、特に義務教育国庫負担の見直しについては、私、日本の教育を考える十人委員会の一員としても、ホームページでも昨年、一昨年と提言を公開させていただいておりますけれども、大変憂慮すべき事態が進行しているなという考えを改めて痛感しております。

 福島県原町市は、現在、この一月一日から一市二町の市町村合併によって南相馬市ということになっております。その中の旧原町市に籍を置いたという中でのお話を前提にこれから話させていただきたいと思います。

 福島県の原町市と申しましても御存じのない方がございますかと思いますけれども、福島県は大きく三つの地方に分かれます。その中で太平洋に面しているのが浜通りと申しまして、その北部に位置しまして東西南北ほぼ十キロぐらいの距離で、車では十分ほど走れば、大体主な目的地にたどり着ける。ただ、市の面積の半分強を山地が占めるということで、それだけに、福島県内では福島県のチベットとも言われる、交通の極めて不便なところでございます。この東京に出てくるのも特急で三時間半かかる土地で、今ですと、新幹線、東北本線ですと、同じ時間行けば八戸までたどり着ける、そういう交通の便の不便なところですけれども、そのために、高校を卒業すると大半の子供たちが市内を離れたり、また県を離れて、東京へ働きに出てしまう。それが戻ってくればいいんですけれども、そうはならない現実が大きくのしかかっております。

 それが教育の面でも、将来を担っていく人材育成ということが大きく課せられてきたわけですけれども、いざ原町市の教育長に、平成十四年の九月からですけれども、着任してみますと、なかなか、教育長と教育委員長との違いもわからないほど、に象徴されますように、教育委員会制度そのものがまだまだ知れ渡っていない、どうしても、教育というと学校教育のみ語られている。

 しかし、先ほど申しましたように、人口の流出、経済の停滞という中で、やはり、人材を育てるということが何よりも求められている。しかも、そのために、今でこそ生涯学習の時代と言われますけれども、その重要な基礎をなす学校教育をもう一度基礎固めしていく、先ほど来、梶田先生初め考える力等々の大事さを言われていますけれども、どうしても学校教育イコール教育で、しかも、教科書だけを教えればいいという教育観が原町市でも多くありました。

 そうではなくて、学校を卒業してのいずれの機会でも、どこでも学べる学習環境をつくっていくということが大事だということで、そういう意味で、学校教育のみならず、文化活動、スポーツ活動、もちろん生涯学習についても、それぞれが連携を図る形で、またそれをトータルする形で、地元の大学ということで、福島大学のサテライト機能を、浜通りはいわき市を除いて高等教育機関がない地域でありまして、南会津地方とこの地域、相馬双葉地方と言いますけれども、は高等教育機関が一つもない土地柄です。そういうことで、せめて、一教育長としてできることということで、福島大学の分校的な機能を当面原町市に置いて生涯学習の核にしようということで、この間努めてきたわけです。

 原町市の人口、今、南相馬市になって約七万三千弱ほどですけれども、原町市時代は四万八千です。それも、十年ほど前の五万をピークに年々減っています。現在のところ、多分四万六千台に減少していると思います。同じように、旧原町市内の小学校八校、それから中学校四校ございますけれども、御多分に漏れず、町中の学校は大規模ですけれども周辺の学校は小規模という、そういう中で、それぞれの学校に特色があります、伝統もあります。しかし、教育環境についていえば、義務教育国庫負担の見直しに限らずに、既に市内の学校間においての教育条件の環境、設備状況等々、本当に違いが多過ぎることを多々痛感して、できるだけその中で、特性は特性として残しながら、なお、教育行政として補完また支援できるものをやっていこうということで、幾つか課題がありましたけれども、特に頭を悩ませたのが、ADHD、注意欠陥多動性障害と言われる子供たち、あるいはLD児と言われる、学習障害児と言われる子供たちの出現が、学校によっても差がありますけれども、学年が下がるごとに出現率が高い。もちろん、専門家がいるわけじゃありませんけれども、ある程度、校長、教頭初め県の研修を受けたりして、また担任もそうですが、一応見きわめる力は備わっているんですけれども、学年が下がるごと、特に幼稚園、保育所にいくともっとこの子供たちが多い。一度、その子たちがパニックを起こすとそのクラスの授業が成り立たないということに直面いたしまして、何とかできないのかということで、スクールサポートということで市独自の職員の配置をしました。しかし、たった二名です。

 これは、もちろん、財政的な制約もありますけれども、まず、ただの肢体不自由児に対する介助員と違いまして、ある程度のカウンセリング的な教養も身につけていかないとそういった子供たちに対応できないということで、一定の専門性も求めました。ということになりますと、相馬地方合わせても十万にも満たない人口の地域ですと、なかなか人材がいない、限られてくるということで、どうしてもその二名が限界という側面もあります。

 そういう中で、学校からの希望は、小学校八校のうち六校、中学校四校のうち三校からそのスクールサポートの指導員の配置要望が上がってきましたけれども、実際はそのうちの二人だけということで、教育行政の責任者として本当に情けない思いをしてきました。

 もちろん、それだけに限らず、義務教国庫負担見直しの中で、総額裁量制という新たな制度が打ち出されて、都道府県の判断で教職員配置が自由に行えるようになった結果、福島県においても、従来の小学校一、二年の三十人学級、それから中学校一年の三十人学級に加えて、残りの学年についても、福島県の場合三十人程度ということで、実質三十三人のクラス編制を全学年でできていますけれども、実はこの切りかえのときに大変な混乱をしております。

 この義務教国庫負担の見直しについて、全国知事会初め地方自治体とそれから教育界の団体との意見の相違は皆様御承知かと思いますけれども、特に福島県の知事はその知事会の中でも見直しの推進論ということで、一月一日の年頭の記者会見で、突如、この三十人程度学級の構想をぶち上げまして、実際その中身が、各市町村、どういう中身なのか、県の教育委員会へ問い合わせてもさっぱりわからないということで、わざわざ県庁まで足を運んで、教育長等と直談判しながらわかったことは、やはり教育委員会もよく状況をわかっていないということで、今、財政の方で調整してどれぐらい財源があるか試算中です、見通しがつきましたら原町市さんにも改めて御連絡いたしますということで、その結果、大きな混乱はなく実施にはこぎつけたわけですけれども、三十三人学級をとるか少人数指導の教員配置を選択するかと、まず二者択一を迫られました。

 その中で、年度途中ということで、クラス担任をかえるのがいいのかどうなのか、また、年度がわりのときの学年を、そのまま持ち上がるのが望ましい学年もありますけれども、学級がふえるために、教員としての能力はあっても学級担任としての力量に不足している教員もいるわけです。そういう実態の中で、やむを得ず三十三人は見送る学校があらわれたり、まあ、原町市はありませんでしたけれども、プレハブ教室の増設とか黒板の増設とか、さまざまな予想外の事態に追われた自治体もあったようですけれども。

 今回の義務教育国庫負担について、なぜ中教審の答申と違って二分の一が三分の一になったのか極めて疑問ですし、国庫負担の見直しの中でなぜ教育だけがこれほど優先的に扱われるのか、なかなか、教育は未来への先行投資ということで確認は得ながらも、実は、その内実の思いは教育以外の方たちには伝わっていないのかなという思いを持って遠く原町から見ているわけですけれども、少なくとも、じゃ、三分の一で義務教育国庫負担の精神、理念が守られていますけれども、本当にこのまま維持されていくのかということには大変懸念を覚えるものです。

 全国知事会等の見解を見させていただきますと、差額の分については交付税で措置して補てんするので現状の水準は確保されるという見解を出されているようですけれども、だけれども、実質、地方交付税そのものが総額抑制の時代に入っている中で、本当に三分の一が維持されるのかと、都道府県の三分の二は大変憂慮しているものです。

 時間が参りましたので、以上で私からの発言とさせていただきます。

 どうもありがとうございました。(拍手)

遠藤委員長 ありがとうございました。

 以上で参考人の方々からの意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

遠藤委員長 これより参考人に対する質疑を行います。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。鈴木恒夫君。

鈴木(恒)委員 自由民主党の鈴木恒夫でございます。

 私は、こういう朝の会合、例えば子供のスポーツ大会とかに行きましたときに、子供たちに必ずお願いをして、君たち、もうこれ以上大きい声出せないくらいな声で朝のあいさつをしよう、おはようございますのあいさつですよ、いいですねと言ってあいさつをいたします。きょうもやりたいと思います。おはようございます。(発言する者あり)ありがとうございます。少し元気がないですね。

 参考人の皆様には、御苦労さまでございます。いいお話をたくさん伺いまして、きょう、この文部科学委員会の委員の方々は、新人の方は別でございますけれども、ここ数年間、この義務教育国庫負担の問題について、時には小泉さんの御出席もいただいて議論をしてまいりましたから、もう問題点はすべて出尽くしていると思います。九割を超える方々が、恐らく、国庫負担二分の一はもちろんのこと、できることなら全額をという思想を持って臨んでいるように私は拝聴してまいりました。

 したがって、二分の一を三分の一にするこの法律、私も極めて不満でございまして、文部省の政務次官を二回やったり、文教委員長もやったりしてまいりましたので、甚だ不本意でありますが、しかし、内閣が決めたことであり、与党はこれを党議決定してございますから、この国会で可決成立することはもう火を見るよりも明らかでございまして、まことに残念なことでございますが、この義務教に関することについては、これまでの議論とこれからの議論に任せたいと思いまして、私は、四人の参考人の方々にもう少し総論的なことをお伺いして、お一言ずつ御見解をいただければと思います。

 私は、最近、とりわけ痛感いたしますのは、テレビを見ておりまして、あるいは新聞を見ておりまして、ニュースは犯罪のニュースと謝罪のニュースしかない、こう思うくらいに世の中がすさんできてしまっております。社会の劣化現象。犯罪はもちろんのこと、謝罪、テレビの画面でどのくらい我々は頭を深々と下げる人たちの姿を見せられたか。あれは私は決して謝罪しているとは思いません。頭を下げる格好をすることで、恥を知れ、このそしりを免れようとしているポーズにしかすぎないとさえ私は時々思います。恥知らずという言葉を逃げるための、頭を下げるだけのことのように思えてなりません。

 御主張があるかわかりませんが、梶田先生、二十年、三十年後の子供たちのことを考えると本当に心配だとおっしゃいましたが、私は、学力低下も含めて今日の子供たちの問題あるいは社会の問題を考えますときに、子供たちに責任はない、我々に責任がある、我々の行状あるいは我々の自律心のなさ、日本の美風を失ってしまったこと、これらが社会の劣化を招いて子供たちに反映している、こう私は思うんです。そこのところの御見解もぜひ伺いたいんですが、ここから先は、御主張があるかわかりませんが、お許しをいただいて発言をいたします。

 私は、永田寿康君は議員辞職すべきだと思います。あれだけのことをやって政治や政治家に不信を招いて、恥を知らずに、みずからの出処進退を決められない。議員どころか人間としての資質の問題だ、きつい言葉でございますが、私はそう申し上げたい。

 あわせてもう一つ申し上げれば、ホリエモンのことでございますが、私は、一年半前に、堀江社長が朝日新聞のインタビューに答えて、お金で買えないものなんかあるはずがない、こういう発言をしたのを記事で見て、日本の美風の衰えはこの一言に尽きる、象徴される、ここに問題があるなとつくづく思いました。それをエッセーにしました。案の定でした。金で買えないものなんかあるはずがないという価値観を、経済の分野のみならず、社会全般に広めてしまって、日本の規範が保たれるか、私は本当にそう思うんです。

 そういうホリエモンを、私は自民党の執行部を批判するつもりはありません、私も含めて、やはりそうした価値観に真っ向から反論する、そういう気風を私たちは持つべきであった。ホリエモン君はきょう拘置期限が切れますからあえて申し上げるわけではないんですけれども、そういう反省も含めて申し上げている。

 随分教育改革については私どもも努力をしてきたつもりです。学校五日制の導入、指導力不足教員の問題、十年研修、あるいは議員立法で、環境教育法、文字・活字文化振興法、さまざまな努力を我々はしてきたし、これから教育基本法の改正にも、戦前回帰をねらうのではありません、何とかして教育を立て直さなきゃいかぬ。

 私は、ここに小林虎三郎の米百俵のせりふを、最後のところを書き抜いてきました。我々は、新政府に何度嘆願書を出したかわからない、東京へも人を出した。途中略しますが、しかし、新政府にしても目下はそういう余裕がないというのだ、今はのう、どこもかしこも苦しいのだ、けれども、こういうときこそ、こういうときに踏みこらえてこそ本当の日本人だ、このせりふを私は、やはりみんながかみしめるべきだと思うんですね。

 そういう意味で、恥を知るあるいは足るを知る、やはりそうした日本の美風をよみがえらせる必要がある。このことについて、義務教育国庫負担と密接に関連があるように私は思うんです。国が責任を持って子供たちの教育を進める、こうした考え方について、ぜひお一方ずつ、時間が余りありませんけれども、御発言をいただければと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

梶田参考人 今のお話に非常に賛同するといいますか、同感するところが多いわけですが、一言申し上げます。

 私は、やはり明治維新からの流れで、日本の大事な、千何百年積み重ねてきた価値意識、あるいは自分自身をコントロールするということ、これが薄れてしまった、こういうことが一つあったと思います。そして、それをもう一段加速させたのが敗戦ショック、敗戦によって、すべてそれまでのものは捨てればいいという。そして、その後何が起こったかというと、好きなことを好きなときに好きなようにやるのが幸せなんだという、そういう、本当に自由であるということと野方図であるということをいわば峻別しない。これは全く違う話なんですね。自由になるということは、外からの束縛から自由になるだけじゃありません。自分自身の欲望とか欲求とか、それからも自由にならなきゃいけないんです。自律するというのはそういうことなんですね。これができない。

 申し上げますと、私は、やはり自分自身をコントロールする、ただ我慢する、コントロールするということ、そして、我慢した中で何を実現するかという価値感覚、秩序感覚をきちっと持つということ、人間として美しい姿は何なのかということを持つということ、これを私たちは、今大人として、みんながそれぞれの立場で考えなきゃいけない、そういう時代だと思っております。

 そういう意味でいうと、地方分権の話も、それぞれに任せれば何とかなるだろう、好きなことを好きなときに好きなようにやらせればすべてがうまくいく、そういう何か、戦後ある時期はやったレッセフェール、すべてが予定調和的にうまくいくという、そういうことになってきたように思います。

 先ほど言いました、義務教育ということは国の根幹にかかわります、将来にかかわります。そういうことからいうと、それぞれの立場で、どこできちっと責任を持って、どこで自省自戒して、どこでやはり一つの方向感覚、価値の感覚を持ってやっていくか。私は、この義務教育費国庫負担法の問題でも、ぜひ、理想ということと、どこで国は口も出す、あるいはそれぞれの実施者が、つまり教師や学校が自分自身を自省自戒しながらやっていただくか、そういう精神がいわば込められたものにしていただきたいと思っております。

 一言だけ最後につけ加えますが、私も三分の一はだめだと思っております。本当は全額。あるいは、教員の給料だけでいいというものじゃないんです。これは非常に、義務教育費国庫負担法、これまで私は改悪されてきたと思っております。これを一つだけつけ加えさせていただきます。

見城参考人 二点あります。

 一つは、日本の戦後の経済発展のあり方が大きく影響していると思いまして、例えば戦後十年、昭和三十一年のころですか、あのころに既に消費は美徳、使い捨て時代というキャッチフレーズが出ました。それから、昭和五十二年ころだと思いますけれども、一億総中流化と言われたのが一九七八年ころです。そのころに生まれた人たちがもう三十歳近くになってくるということで、今の子供たちがどういうふうに育ってきたのかというときに、こういった日本の経済発展のよい側面と、間違った価値観を与えてしまったのではないかという側面も、これは一度検証してみるべきではないか、これが一点目です。

 それからもう一点は、ユビキタス社会ということで、これからますます、最終的には携帯端末ですべての情報が入ってくる、テレビ等も全部そこに出てくるという形になりますので、いつでもどこでも、それから、自分でホームページを簡単につくるような、昔でいえばキットのようなものがネット上に出てくるわけですので、ホームページをつくる低年齢化というものがこれからもっと進むと思います。

 そこで、私は、教育で至急必要なのはソーシャルネットワーキングという感覚ではないか。つまり、ホームページはプライベートであるという、すべて私という、個という、個人に始まってしまうと、あらゆる社会性というものが損なわれていきますので、インターネットのこの時代に、ソーシャルネットワーキングの感覚を子供たちに教育としてやはり教えていくべきではないか。そういう意味では、従来の教育として必要な部分と、また新たなネット社会で子供たちに教えなければならないことというのはふえていると思います。

 そういうことでも非常に財源というのは重要で、私は、やはり三分の一になぜなってしまったのか。あれほど討議して、審議した結果、二分の一堅持で来たのに、なぜ政治決着であっという間に三分の一になって、このままでは先細りになるのか。これは、文部大臣がここで打ちどめというような発言をされまして、非常に一安心ついたところなんですが、ここからさらに再出発をして、日本の国の子供を新しい時代に向けて育てるということでは、やはり財源を確保ということで、全部全額国庫負担に向けて、国の子供は国が育てるという方向で、もう一度、経済状況が変わった中でどう親の価値観が変わったのか、こういったことも検証しながら、ぜひ早急に子供たちの学習というところにこれを結びつけていただけたらと思います。

 ありがとうございました。

土居参考人 御質問にお答えしたいと思います。

 私は経済学部に所属しておりまして、経済学を学生に教えているわけですけれども、市場による競争というものが非常によくなるんだということを強調している反面、市場による失敗というものがあるから気をつけなさいということも教えております。

 昨今の荒廃という話は、ある種、一つに、現象として、市場でルールを破っていろいろな不祥事を起こすというようなことが例に挙げられたと思いますけれども、やはり他者の目を気にしない、そういう風潮が社会的にも蔓延しているのではないかというような印象を受けています。

 経済学で競争がなぜよいかというのは、他者との間の自分を律する一つの糧になるものなのだという意味で望ましいとは言っているわけですけれども、ほかの人をけ落としてでもいいから、はい上がればいいなどということを教えているわけではないわけです。ただ、どうも最近は、そういう履き違えといいましょうか、他者から自分はどう見られているかということについて余り気にしなさ過ぎるような振る舞いが多いような印象があります。

 最近の学生を見ていると、私の年齢で最近の学生はと愚痴を垂れるのはまだまだ若造だろうというような気もしないでもないですが、どちらかというと、私より十歳上の方の方がシンパシーを抱けるんですが、私よりも十歳下の人にはまだ微妙にジェネレーションギャップといいましょうか、を感じる。そこは一つどういうところがあるかと思いますと、いい意味でも悪い意味でも、個人主義的であるというような印象があります。悪い側面でそれが出てくると、どうも、他者を気にしないというか、ほかの人の目を気にせずに、自分だけよければいいというふうに思う嫌いがあるような気がします。もちろん彼らのいい面はあるんですけれども、少なくともそういうところが、ある意味で、今の現象としてあらわれているような部分もあるのかなというような印象を持っております。

渡邉参考人 お答えします。

 教育の大事さは、先生、米百俵の話を持ち出すまでもなく、私もそのとおりだと思います。

 原町に即していえば、子供たちを取り巻く環境は極めて悪くなっているのかな。先ほどADHDの子供たちを例に挙げましたけれども、一方で、こういう場で申し上げていいのかどうかちょっと判断に迷うところですけれども、両親がいない家庭の子供たちも一方で進行している。そのことが決して子供の育ちに悪い影響を与えるということにはならないわけですけれども、ややもすると、いわゆる問題行動を起こしている子供たちの保護者を探ってみると、共通して言える部分の一つに当たるということで、だからこそ、大人の市民も行政依存、学校依存のようなところが多々見られる中で、もう一度学校教育の充実強化というのを図っていかないといけない。

 そのためには、まず子供たちと日常的に多くの時間を接している教職員が安心して仕事に打ち込める、これまでの義務教育費国庫負担の中で教員の資質向上に欠かせない旅費、教材費がカットされるようなこともあわせて、もう一回、この義務教育費国庫負担、三分の一でいいのかということが問われてしかるべきだろうと思っております。

鈴木(恒)委員 各参考人の方々ありがとうございました。

 時間が二十分しかないものですから、最後に、見城参考人にぜひ御発言をいただきたいんですけれども、やはり今、我々はなすべきことがたくさんあり過ぎるんですけれども、教育に政治のウエートが薄過ぎる。かつて教育改革国民会議をきっかけに、教育基本法の改正問題もここまでやってまいりましたが、ほかに解決すべきテーマが多過ぎるのかもわかりませんが、私は内閣の中に、例えば経済財政諮問会議と同じように、教育を進める、全般的な教育を充実させていくための施策を考えるそういう機関などを置いて、やはり教育重点主義に大転換すべき時期に来ているように思うんですけれども、最後に見城参考人の御意見をお伺いして質問を終わります。

見城参考人 私もそれは大賛成です。

 やはり、どうしても、経済優先ということはわかるんですけれども、経済を担う子供たち、国を担う、原点は子供に帰ってくると思います。

 それから、先ほども家庭の崩壊の話が一部出ましたが、やはり、どうしても女性が離婚をしていく率も上がっております。それから、地域というものが、実は近所が崩壊して久しいということもありまして、学校教育の重要性ということがまた新たに浮上しておりますので、そういうことでも、ぜひ政治の世界でひとつこれはバックアップしていただければと思います。

 ありがとうございました。

鈴木(恒)委員 きょうは時間がありませんで、私は、もう少し家庭というものを、政治が関与すべきものではないんですけれども、やはりもう少し、家庭教育というものが我々全体が取り組むべきテーマになってきているなと。離婚の問題も、お話がございましたが、二十万以上、三十万組の子供たち、離婚家庭でどれほど子供たちが被害を受けるかということも考えて、きょうはここまでにいたしますが、参考人の皆様には貴重な御意見をいただきまして感謝をいたします。

 終わります。

遠藤委員長 牧義夫君。

牧委員 おはようございます。民主党の牧義夫と申します。

 参考人の先生方におかれましては、それぞれ重要なお仕事を抱える中わざわざお出ましをいただきまして、本当に心から感謝を申し上げたいと思います。また、先ほど来貴重な御意見をお聞かせいただきまして、本当にありがとうございます。

 今、私、鈴木委員の冒頭、大演説を聞かせていただいて、おおむね意見は一緒なんでありますけれども、一つだけ違うところを申し上げれば、この法案はまだ決まったわけではございません。参考人の皆様方の御意見をお聞かせいただく中で、あるいは与党の皆さんもここで大きく心が動くんじゃないかなと期待を込めながら、先生方に質問をさせていただきたいと思うわけでございます。

 先ほど、見城先生の方からも、「中教審の議論と結論」ということで、資料も出していただいてお話をお聞かせいただきました。まさに、世界、そしてアジアの中で日本はどうあるべきか、国にとって教育とは何か、こういったところから議論が始まっているわけで、私たちも、やはりこの委員会において、そういった議論からしっかり積み上げていかなければならないなと思いながらここに参っているわけでありますけれども、残念ながら財政論が常に先行をして、今回もとにかく三兆円の税源移譲初めにありきで、この数字を合わせることにとにかく議論が終始したという、残念ながらそんな感がございます。

 そういう中で、この法案についての議論がこれで二日行われて、きょうが三日目でございます。また、あした最終的な審議があるわけでありますけれども、冒頭、私も大臣に、今回の法改正、国庫負担率の引き下げについて、まず積極的な意義というものがどこにあるのか、まずその辺からお聞かせいただきたいという質問をしたところ、これはとにかく苦渋の選択でしたということが一つと、そしてもう一つは、強いて言えば、地方に対する一つのメッセージ性もあるのかなというようなお話を伺ったわけであります。

 そこで、先生方にお聞かせをいただきたいのは、地方の自治体ですとか、あるいは地域、あるいは学校そのもの、あるいはまた父兄ですとか、あるいは生徒さん本人たちの、そういう人たちに対するメッセージ性というか、今回の負担率の引き下げによって、そういった地域の学校の意識というのはどのように変わると思われますか。あるいは全く変わらないと思われるのか。それぞれ御意見をお聞かせいただきたいと思います。

梶田参考人 それでは私の考え方を少し申し上げますが、地方へのメッセージ性は全くないと思います。

 都道府県が負担率を上げたとしても、都道府県が小中学校を設置しているわけではないんですね。設置しているのは市町村なんですよ。そして、やはり今考えなきゃいけないのは、市町村が責任を持ってきちっと、学校を設置したからには子供がちゃんと育つようにどうやるかということを言う、そういうことが大事なんですね。

 同時に、設置された学校それぞれが、校長を中心として、うちに来た子供たちに対してどういうふうに責任をとっていくか、これを考えなきゃいけないわけですね。そして、一人一人の先生が、自分に与えられた責務あるいは使命にこたえて、どういうふうに子供の教育の実を上げていくか。教育をやっておりますと、信条を語ってもしようがないので、実を上げていくか、これが大事なところだと思うんです。そういう面でいきますと、設置者、あるいは学校当局、あるいは一人一人の先生に対するメッセージもないし、保護者にとっては全く皆無でしょうね。

 むしろ、国と都道府県ということの違いが、一般の人には見えてきません、設置者でもありませんから。結局は、財政論でお金のつじつま合わせをして何かやっているんだな、教育ということに対して政治というものが本気で取り組んではいないんだなという、そういう逆のメッセージを与えるんじゃないかというおそれを持ちます。

見城参考人 私、資料の七番目に「就学援助四年で四割増」という新聞の記事ですが、つけさせていただきました。各地域での現状は、例えばノートとかそういった筆記用具すら出せないための援助を出す、そういう例がふえてきておりまして、就学援助百三十三万七千人という数字が出ております。

 こういう家庭環境が逼迫してきているという中で、では小学校や中学校、どういう現状かといいますと、私、区立小学校の評議員をボランティアでやらせていただいているんですが、校長先生は子供を集めるので大変なんです。自分の学校にとにかく生徒を集めなければならないということで、営業マンのように駆けずり回って、幼稚園を回ってやっております。そういう中で、財政のことなど本当に考えている暇はないと思います。

 それから、私は渋谷区立という、本当に東京の真ん中の小学校なんですが、去年入学者が十四人か十五人、それも近くの大使館に、子供をお願いします、こちらでお引き受けしますというふうに言って、そういう子供たちも集めてやっと十四、五人が集まるという状況です。

 そういう中で、校長先生と評議会などでお話ししますが、とてもそんなことを考えていられないと、ただ与えられた中で、どう子供たちにいい教育ができるか、必死ですというふうにおっしゃっています。そして、子供数が減るということは、学校の先生が閑散としているということです。ですから、一担任が六人ということになりますね、最低。プラス二人か三人で、閑散とした学校に閑散とした子供たちが、東京の真ん真ん中にも、区立としてある。そんな現状も考えますと、これから統廃合も進んでいきます。そういう中で、きちんとした財源が確保されなければ、子供たちの教育というのは、地方の疲弊のみならず、東京という首都圏でもこれは起きておりますし、今後も起きることとして、大変ゆゆしき問題だと思います。

 そういった意味でも、国がきちんと国庫でこれは保障する、こういったことが重要だと思います。

土居参考人 私が思うには、私は地方財政を研究しておりますので、自治体がどう思うかということに関して考えますのは、やはり一般財源化という言葉に惑わされたなということを実感されるんじゃないかというふうに思います。

 つまり、地方交付税で義務教育の費用を賄ってやりなさいと言ったんだけれども、果たしてそんなにちゃんと交付税が来るんだかという、そういうことで、やはりきちんとひもつきで義務教育のために費用をもらうということの方がより確実だったということを、今回の改正がもし成ったならば、そういうふうに思うんじゃないのかなというふうに思います。

渡邉参考人 市町村への影響、これもまた市町村によってかなり異なってくるかと思います。それは、先ほど申しましたように、市町村独自でやっている事業等々ありますけれども、原町についていえば、実は交付税不交付団体、四町あります。この四町は原子力発電所立地町村と、それを除いて、原町市は財政力指数で県内トップの財政力を持っているんですけれども、約百八十億のうち四五%前後は毎年市税の方です、歳入の。その中で、先ほど申しましたように、ごく限られた独自事業しかできないというのが実態で、毎年シーリングをかけられて、財政とけんかなんですけれども、幸い首長が教育に理解があるということでドンパチまではなりませんけれども、実は、財政現場同士ではかなりシビアなやりとりが行われています。

 三分の一あるいはということになると、これは先ほど申しましたような、ADHDのような当面緊急に迫られている子供たちへの対応ということにまだ県の方は後手後手になっています。国の方でようやく研究に着手したようですけれども、その措置等々合わせますと、あるいは学校図書館の司書教諭がかえって今学校現場の足手まといになっているという実態等々、これから改善、改革の課題を考えますと、今の三分の二の県負担が本当に維持できるのか。その結果、市町村にもたらす影響が、それぞれの市町村独自の事業内容によって違ってくるかと思いますけれども、影響は避けられないと思っています。

牧委員 ありがとうございました。

 一番最初の梶田先生のお話をかりると、ナショナルミニマムそれからローカルオプティマム、そのミックスで教育現場が成り立つということは、私も同感でございます。国がナショナルスタンダードをしっかりと示して財源を保障するというお話であります。私も全く意見は同じなんですけれども、今この法改正の積極的な意味は余りないという、それぞれお話を伺ってよくわかったんですけれども、今度この法改正によって懸念される部分というのが、まさにそのナショナルミニマムが本当にこれで担保されるのかどうなのかということだと思うんです。

 そこで、今懸念される部分として、先ほど土居先生のお話で、地方財政論からして、これは財源が確保されるかどうかということと、もう一つ、本当に予算の支出が行われるかどうなのか、この二点の懸念があるというふうに土居先生のお話からは、私、感じ取ったわけであります。

 そこで、梶田先生、見城先生、渡邉先生、それぞれ本当にそういったことが約束されるのか。まず、財政的に担保されるのか。そして、それぞれの各自治体あるいは各設置者任せっきりで本当にそれが実行されるのかどうなのか。そこら辺のところをちょっとお聞かせいただきたいと思います。

梶田参考人 私は最悪の想定される事態は免れたと思っております。

 昨年一年間、義務教育特別部会、私も見城先生と一緒にメンバーをやりまして、やはり非常に心配しましたのは、教育財政がきちっと安定した形で、見通しのきく形で保障されるか、こういうことだったわけです。

 一三%、一〇%、五%の地方税の増税、これを一〇%フラット税制にして、結果としては、全国的にはまあまあとんとんになるかもしれませんが、例えば、私の住んでおります大阪府箕面市、これは下がるわけですよ、一三%では人多いから。私は貧乏ですけれどもね。あるいは芦屋でもそうです、武蔵野でもそうです、等々下がる町もあります。そんなことで、やはり町によって事情が違うということが一つあります、地方税の増税では。

 もう一つは交付税、これは単年度予算でこの国会で審議されていくわけですから、財政状況でどうなるかわからない。少なくともどんどん減っていく。そういう中で、地方交付税であとは面倒を見ますよと言われたら、これは空手形になるかもしれません、これから十年小泉総理が続くんだったら知りませんけれども。というようなことがございまして、非常に心配をいたしました。

 そういう中では、義務教育費国庫負担法という枠組みが堅持されたこと自体、私は高く評価いたします。これでパーフェクトという意味じゃないですよ、最低、最悪の事態をこれで免れることができたと思います。

 しかし、これは、二分の一から三分の一になったことによって、地方には何が起こってくるか。すぐ考えられるのは、加配、まず今御承知のように標準法で一応先生が配置されておりますけれども、都道府県から申請して、うちに何人欲しいということで加配を求めて、実際にはそれによって少人数教育やらいろいろなことをやっているわけですよね。これが貧乏な県はやれなくなります。今までは半分の給与を都道府県で準備すればよかったわけですよ。ところが、三分の二の給与を準備するということになったら、貧乏な県は、破産に瀕しているような府県はほとんどだめですね。とすると、今度の改正によって、加配のやれる都道府県とやれないところとの差が大きくなります。

 もう一つは、研修定数の活用です。先ほど兵庫教育大の例を挙げましたけれども、一年間とか二年間とか、それぞれの大学院に行ってやっていただく、勉強していただく、これも今までは半分のお金を都道府県が準備すればよかったわけですけれども、これから三分の二のお金を都道府県は準備しなきゃいけない。これも貧乏なところは全然研修に出すことができないということになります。

 したがって、私は、地方の教育を活性化する、地方の教育に力をつけていく、そういう面からいうと、最悪の事態は免れましたけれども、やはり悪い方に行くということは否めないんじゃないかと思っております。

見城参考人 中央教育審議会でエビデンスベースドで検証していく、とにかく出す意見に関しては検証して確実な方法で審議していこうということで、ずっと百時間余りこの財政論をやってまいりましたが、市町村長会等から出されます意見は、確実にこれで自分たちがこういう画期的な教育ができるというような話は一度も出ませんで、何が出てきたかといいますと、地方交付税で賄えるから、一般財源でそれは賄えるから教育の質は大丈夫というその意見しか出なかったということは、これは大変なことだと思います。

 そして、現在でも総額裁量制で、私、ここに九番目のデータとして日本農業新聞の「弾む「地産地消」食生活改善も 朝ごはん条例施行から一年」という記事を載せさせていただきましたが、既に各地で独自のことというのはできる状況なんですね。意欲があって、資金が調達できれば、さまざまな独自の地方色を生かした教育というものが、楽しい学校であり、学べる学校というのはできるはずなんですので、こういったことを幾ら問いかけてもそういうお答えがいただけなかったんです。唯一、とにかく改革はよし、三位一体の改革ありき、それから一般財源で全部を賄える。では、それは削減されていくけれども、どうなんだということに対しては、意見が出てこないというまま審議が終わっていったという状況です。

 それから、こういう意見もありました。全国津々浦々、統一されたナショナルミニマムということがありましたが、義務教育はナショナルスタンダードであるべきだ、そういう話でいきますとどうなのかという問いかけに対して、選挙のときに教育のことを言わなければ選挙に落ちるんだから、市町村長の、そういった首長の選挙のときには、必ず教育を一に上げて選挙に当選してくるので、学校教育をおろそかにするわけがないというような、非常にデータにはならないような御意見の反論しかなかった。

 それから、現実に、私もいろいろな各地を仕事で回っておりますが、市町村長さん、首長さんがかわるたびに、例えば、町民や市民の合意のもとに、例えばある文化施設を建てるということで進んでいたのに、市長選でかわった途端に全く変わってしまうとか、そういった現実を見ておりまして、こういったことでやはりナショナルスタンダードを保てるのか。選挙がどうあろうと、国の子供たちは同じ学力、同じ教育を受けるということを、これは確保していただきたいと思います。

渡邉参考人 お答えいたします。

 先ほど来申し上げていますけれども、例えば県の独自の三十人程度学級も、実態は、増員分は非常勤講師です。そのために、かえって常勤教員との溝が、非常勤講師を抱えるとなかなか意思疎通が全体に伝わらない。授業そのものは支障はなくても、学校の運営、経営にどうしてもひずみが生じがちということで、原町市も多少そういった波紋というものは見かけられます。そういう中で、なおかつ、そういうハンディを背負いながらも学校をうまく軌道に乗せていくのが校長、教頭の役割ということで、また教育委員会の役割だということで、そういう責務、責任感を求める声だけが一層集まっているんです。

 それを裏づける財政的な支援となると、私どもは、学校教育支援センターも設けてスタッフの増員とかもやってきましたけれども、これも財政にゆとりある自治体ができることで、そうでない町村は指導主事もいない状況です。これは、学校教育の教育内容あるいは経営について専門的な知識を持っていろいろアドバイスできる専門職ですけれども、市以外はそれはないというところで、それこそ地域間の格差がある。

 では、どこで教育のナショナルミニマムが守られるどころか、既にもうそういう格差が広がっているという現実をやはりしっかりと押さえて、財源の確保というのも、巷間言われていますように、特別会計の問題とか、もう一回教育以外のところにメスを入れる部分も多々あるのではないか。もちろん教育税的なことも、独自財源の考え方も検討に値するかと思っておりますけれども、少なくとも横断的に物を見ていくような形での対応が欲しいなと思っております。

牧委員 時間が来たので終わります。

 本当に貴重な御意見、ありがとうございました。

遠藤委員長 池坊保子さん。

池坊委員 公明党の池坊保子でございます。

 本日は、四人の参考人の方には、大変お忙しい中御出席いただき、また有意義なお話を伺うことができましたこと、心よりお礼申し上げます。ありがとうございます。

 この問題が起こりましてから、私はずっとかかわってまいりました。そういう意味では、今回二分の一から三分の一になりますことは、大変残念ではございますが、国がかかわるということでほっと安堵し、納得しているのが現状でございます。そういう意味では、ここにいらっしゃる皆様方と同じように、私も複雑な心境ではございます。

 私の教育に対します理念はさまざまな場で申してまいりましたので、きょうは四人の参考人のお話を伺いたいので割愛し、早速質問に入らせていただきます。

 梶田参考人に伺いたいと思います。

 先ほどおっしゃいましたように、私も地方の時代というのは賛成でございます。でも、地方の時代にあっても、国が守らなければならないことは幾つかあると思います。防衛、外交、教育、福祉等々だと思っておりますけれども。財源確保とともに、教育内容として国が関与すべきことというのはあると思うんですね。現場の学生と向かい合いながら、今学生たちは何が一番欠けているのか。欠けているものはたくさんあるとは思いますけれども、それは学力低下なのか、あるいは先ほどお話がありました、あいさつを初めとする規範、使命とか責任感なのか。

 例えば、土居参考人が個人主義とおっしゃいましたね。個人主義の中には、基本に利他の心とか思いやりの心というのがあるべきであって、欧米では個人主義のルールというのがきちんと確立しております。日本はそういうのがなくて導入されたのでいろいろな問題が生じているのだと思いますが、今の学生を見ていると何が一番教育において欠けているとお思いか。そしてそれを、国はどう対処していくべきとお考えかを伺いたいと存じます。

梶田参考人 それでは、私の考え方を申し上げます。

 やはり国としてきちっとビジョンを持って教育ということを考えなきゃいけないなということをつくづく思います。今、池坊先生からお話がありましたように、人間としてきちっと育てるということはどういうことなのか。私は、二つの面があると思うんですね。

 一つは、義務教育だけでなくて学校教育全般にかかわることですけれども、大きくなって、よき社会人になる、よき市民になる、よき職業人になる、そういう面での土台づくりが必要だろう。その中には、基礎的な学力もきちっとつけなきゃいけない。好きだったら漢字を覚えてもいいよ、好きだったら計算ができるようになってもいいよというわけでなくて、世の中でやっていくためには基礎学力は不可欠です。しかし同時に、あいさつができなきゃ世の中でやっていけません。あるいは、人に対する心配りとか思いやりとか、これも不可欠です。

 というようなことで、一つは、世の中できちっとやっていく。この中には、私は政治教育も必要だと思っております。有権者になるということはどういうことなのか、あるいは民主主義ということはどういうことなのか、こういうことも含めてやらなきゃいけない。私は、世の中できちっとやっていくための教育、土台づくりの教育というのを、我々の世界を生きる力、こういうふうに呼んでおります。

 もう一つ、私は、明治以来忘れがちになっているのが、自分自身の人生というものをどういうふうにやっていくのかという、その土台づくり。皆さんも、お若い方が多いですからいいですけれども、七十、八十になれば、やはり引退いたします。引退して、自分の人生は終わりじゃないんですよ。それはステージというだけで、いろいろなステージがあって、小学校へ行っている小学生のステージもある、中学生のステージもある、大学生のステージもある。駆け出しで職業人をやっているステージもある。リーダーになっていくステージもある。しかし、引退してというステージもあります。それぞれのステージが全部大事なんですよね、人生というのは。それぞれのステージを自分なりに生き切っていくためにどうしたらいいかということを考えさせる教育が不可欠だろうと思います。これを私どもは、我の世界を生きる力というふうに申してきました。

 これは、江戸時代の終わりまで、日本は飛鳥時代から体系的な公教育があるわけですけれども、天智天皇の時代から。やはり、人生というものを考えさせる、人間というものとして生きていくということを考えさせることがありました。残念ながら、和魂洋才といいながら、明治以降、和魂の部分がどんどんすっ飛んでしまいまして、何か具体的な知識、理解、技能を身につければいい、あるいは具体的な何々力をつければいいだけになってしまったような気がいたします。

 ということで、私は、世の中でやっていく基礎の力と自分の人生をやっていく基礎の力を学校教育でやっていくにはどうしたらいいかということを、ぜひ皆さん、義務教育について議論をなさるときに、こんなことを私が言うまでもなくお考えだとは思いますけれども、土台にしていただきたい。それをきちっと責任を持って国がやっていかなければ、日本の国に生まれたということをみんな感謝して、喜んでやっていくというような、そういう国民は育ちませんよ。

 と同時に、日本の社会の未来ということも、つまり、つまらない人間ばかり集まって、先ほどからありましたように自分勝手な、欧米の個人主義というのは、キリスト教がありますから、神様と私といういわばバックボーンがあるわけですよ。そうではなくて、日本の個人主義はただ単なる私利私欲主義なんです。自分がいいと思ったらそれでいいだろうという話なんですよ。これは個人主義とは本当は言わないんです。

 こういうバックボーンの全くない、日本の昔だったら、世間様がどう言うだろうかとか、人間としてやはり許されないことがあるのではないかとか、私はこういうことは美しくないと思うからやりませんとか、これは江戸時代まであったわけですよ。

 こういうことを抜きにしてやはり教育は語れないと思いますので、ぜひ、内容の問題も含めて義務教育のことを本当に大事にしていただきたいな、こういうふうに思っております。

池坊委員 藤原正彦さんの「国家の品格」というのがベストセラーになりましたのは、やはり国民一人一人の胸の中に、何か失われているのじゃないか、何かを取り戻さなければいけないのじゃないか、そういう思いがあるのではないか、それをやはり酌み取って、きちんとした体系にして、また国民のもとに返すのも政治家の役目ではないかというふうに思っております。

 渡邉参考人に伺いたいと思うのですが、教育に関しての政治家の思いが希薄なのではないかとおっしゃいました。それは、私も同感で、もっともっと政治家は、教育は国の根幹にかかわるのだということを認識すべきだというふうに思っております。

 国と地方とのかかわり方について、幾つか質問させていただきたいと思います。

 都道府県の地方六団体の代表は、これは地方の一般財源化としてほしいと言っておりますけれども、市町村の代表たちは、もう今地方の財源は大変苦しいので、教育費を確保することが困難だから、この義務的経費は堅持してほしいと言っております。

 言うまでもなく、市町村が学校を設置しておりますね。地方分権というのは、国と都道府県とありますけれども、やはり市町村を忘れてはならないと思うんですね。県と市とのかかわりというのはどういうふうになっているのか。つまり、うまくいっているのか、ぎくしゃくすることもあるのか、その辺を一点伺いたいのと、三点ございまして、それから二つ目には、先ほど、少人数学級と三十人学級の選択ですというふうにおっしゃいました。これはどういうことを意味しているのかということを伺いたいと思います。それから、設置は市がやるけれども、人事の異動は都道府県がやるわけですね。もし、特色ある教育をするならば、その地域にふさわしい先生というのもいらっしゃるのではないか。市が人事権を持ってもいいのではないかと私は思いますけれども、この点に関してどうお考えか。

 先ほどのお話を伺っておりますと、発達障害者やADHDなどもいて、教師というのは大変である。そうすると、そういう人間を確保できないからやはり県に頼るしかないのかなというようなニュアンスが感じられました。その辺も含めて、ちょっと伺いたいと思います。

渡邉参考人 三点ほど御質問いただきましたけれども、まず、県と市町村の関係ですが、地方分権一括法の制定以来、県の方は殊さら、市町村さんとは対等の関係ですのでよろしくお願いいたしますということはございますけれども、そういう姿勢に転換しつつはなっていますが、緊急のこととかありますと、どうしても私どもを飛び越えた形で学校現場に事が進められたりという事態があります。具体的に申しますと、ちょっと差しさわりがありますけれども、何件かそういう体験もいたしまして、その都度苦情を申し入れたこともございます。

 ただ、実態として、県内七カ所に教育事務所初め県の出先機関があるんですけれども、これが単なるトンネル機関、通過機関になっていて、こういった点ももはや無駄かなということも今考えられるかなと思います。

 それから、少人数学級と三十人学級、少人数指導ということでチームティーチング等々、これは少人数指導ですけれども、これは従来、加配ということで行われてきました。

 今回福島県は、三十人学級に加えて、三十三人学級というのを、小学校三年以上から中学校二年、三年ということで、全学年新たに実施したわけですけれども、これをどちらにするかは各市町村の判断ですよということで、期間も限られた中で、翌年度の体制も見通しながら、学校現場も教育委員会もどちらを選択するのかというところで、本当は両方を選択できるのであればいいんですけれども、片方しか選べないという中で、結果的には硬直した形で、白が黒に変わった程度かなという実態もあったりして、なかなか校長としてはそういう悩みを声に出しにくいものですから、私がかわりに申し上げている面もありますけれども、やはりこれは人事、人にかかわることですから、教育について早急な施策変更というのは、これもまた、考え方、理念としては大変教育委員会としてもありがたいことなんですけれども、善意があだとなるということも一方ではあるということも、これから地方への配慮というのをお考えいただくのなら、そういうケースもあるんだということも理解いただければと思います。

 それから、教職員の人事異動ですけれども、市町村立学校の教職員は県費負担教職員と市町村費の教職員とに分かれます。大半のところは県費負担の教員で占められると思いますけれども、人事異動に当たっては、私ども市町村の教育委員会は、各学校の校長からの意見具申を受けて県に内申をするという手続をとって、この中で直接校長等々から面談をしたりして意見を酌んだり、それから教育事務所所長との面談を通じて、それは原町市に限らず、相馬地方全体の教育振興をどう図っていくのかということも念頭に置きながらやっています。もちろん、原町市独自の抱える課題を解決するときに、欲しい人材は自分たちの裁量でやっていきたいなという気持ちはありますけれども、事人事について、県内のどこにこれだけの力量を持った教員がいるのか、そういう情報収集を初めとして、そういうことを恒常的にやっていくには、やはり専門スタッフ、管理主事のようなスタッフを抱えないとやっていけないのが現実です。

 そういう意味で、八万弱の市ではとても維持できません。国が、中教審では中核市まで人事権をということで、またそれに準じた自治体にということで考えた答申を出されていますけれども、本音は市町村にも欲しいな、でも現実はそこにはいけないということで、教育事務所単位で自由に県の本庁の意向を抜きにやっていけるような、そういう人事異動も考えられるかなと思っているところでございます。

池坊委員 この法案が出されましたのは、ただ単に数合わせではありますけれども、その背景にはやはり保護者と教育委員会とのあり方、あるいは教職員の資質の問題等々などが含まれていると思いますので、これからはぜひ地方の意見も聞きながら教育行政を進めていきたいというふうに思っております。

 次に、土居参考人にお伺いしたいんですけれども、国と地方の役割分担の明確化ということですと、今、総額裁量制を取り入れておりますね。これは私はベストではないかと思うのですが、この総額裁量制導入に、使い勝手で何か問題があるというようなことを聞いていらっしゃるかどうかということと、それから、先ほどの六ページですか、を背景にいたしまして、ナショナルミニマムがどのぐらいとお考えでしょうか。つまり、今までは二分の一国が持って、あと県と市が持っていたわけですね。きちんとした基礎はどれぐらいが必要だというふうにお考えかを伺いたいと存じます。

土居参考人 まずお答えしたいことは、総額裁量制に関連する部分につきましては、範囲を広げてほしいということすらあれ、むしろ使い勝手が悪いという意味では、範囲がまだまだ狭いというか、試行的に行われているという部分もあると思いますけれども、そういう話は聞いたことがありますが、基本的には、方向性としては非常に大きな賛同を得ているというふうに私は理解しております。

 むしろ、これからはさらに、もちろん一般財源化というのはもっと幅広いんですが、これは幅広過ぎてよくないわけで、義務教育なら義務教育の範囲の中でいろいろと使い勝手がいい形で、かつ、例えばうまく節約した経費があったとして、それをまた別の義務教育のものの中にさらに多く投入できるようにするという形で、総額裁量制が有効に活用されることを私は期待しております。

 それから、ナショナルミニマムに関連する点についての御質問なんですけれども、まず金額ありきということではないと私は思っておりまして、まず教育内容、これをどのレベルまでを国が必要とみなすかということをきちんと固めていく。例えば、いい例かはちょっとわかりませんが、小学校一年生からどの自治体でも英語を教えるということに仮にしたならば、その部分を国が決めたならば、当然その部分をきちんと国がお金をつけてやる。つまり、小学校で英語の先生を雇うための人件費は国が出すということになるでしょう。ただ、実際小学校一年生から英語を教えるか教えないかは別ですので、当然そのあたりを、教育内容と整合的な金額を決めていくということになろうかと思います。

池坊委員 私は、お話を伺いながら、もちろん全部賛成でございましたが、特定財源としての確保ということは、イコール今の国庫負担制度の維持で、堅持でいいんじゃないか。それから、おっしゃるように、悪化している地方交付税、悪化しているわけですよね。ですから、教育の方にしわ寄せが来るのは必至でございます。今十七兆で、五年間で二割削減しているわけですから、これはどんどん削減されるのは当然だというふうに思っておりますし、学校図書費、教材費は本当に圧縮されて、地方交付税として与えられていても使わないというのが現状であることを見ますと、私は本当に憂えている一人でございます。

 最後に、時間ももう押し迫ってまいりました。見城参考人に。

 私は政務官を一年間いたしておりましたときに、今後の家庭教育支援の充実という懇談会を持って、国は家庭教育に関与すべきではないよとおっしゃる方がございますが、今はそんなことを言っている場合ではないと思うんですね。それから、ある意味で核家族になってまいりましたから、子供たちは、地域が、国が、すべての人たちが手を携えて育てていきましょうという風潮にしていかなければいけないと思います。

 それがある意味では少子化対策の一つでもあると思いますけれども、簡潔に、家庭教育というのは、国、私たち、これからどうあったらいいとお思いか。四人のお子様でいらっしゃいますか、お育てになりながら、お仕事をなさりながら、ちょっとございましたら、もう終了時間が来てしまいましたけれども、一言お答えいただけたらと思います。

見城参考人 ありがとうございます。

 私は、子育てというのは社会へ送り出すプロセスだと思っております。ですから、学校教育も子供というものが社会へ出ていくためのプロセスなので、子育てとそこはダブって、非常に同じことなんですね。

 ですから、家庭教育も学校教育も、かつてのように近所というものが、たくさんいろいろな人が入りまじって、自分の子がどこかで育てられているというようなことがある時代だったらよろしいんですが、本当に孤立化しております。家庭が孤立化しているということを基本に置きまして、どうしても、社会のサポートそれから国のサポート、そういった意味での政治がしっかりした視点を持って、家庭そして学校というものをサポートしていくということが私は重要だと思っておりますので、それをぜひお願いしたいところです。

 ありがとうございました。

池坊委員 皆様方、ありがとうございました。

遠藤委員長 石井郁子さん。

石井(郁)委員 日本共産党の石井郁子でございます。

 義務教育の国庫負担制度の根幹を守るかどうか、また日本の義務教育の将来をどうするのかにかかわる重要な法案の審議に当たりまして、きょうは、参考人の皆様、本当に御多忙だと思いますけれども、こうしてお出ましいただきまして、また貴重な御意見もいただきました。本当にありがとうございます。

 私は、初めに見城参考人と梶田参考人に、中教審とのかかわりでお伺いさせていただこうと思うんですね。

 もう随分いろいろと出ておりますけれども、中教審の議論、相当突っ込んで、しかも、データに基づいてされたということですね。にもかかわらず、地方代表の意見と平行線をたどったというか、対立が埋まらなかったという報道になっていると思うんですね。

 そのあたりのことにつきまして、特に見城参考人との議論を、私も中教審の議事録、その部分を読ませていただきまして、これはある委員の方が、苅谷委員だったと思いますけれども、見城委員と石井委員、同じ名前なんですが、これは石井岡山県知事さんですけれども、との議論は、今日の、あるいは今後の議論の一番の分水嶺だと思いますということで、大変興味ある論争をされたということをうかがい知ることができるんですね。にもかかわらず、地方代表はいわば納得されない。議論が、どうもその部分は残ってしまうということなんですね。

 しかし、きょうもお話しのように、地方財政が大変厳しいし、今後もよくなるということは見られない中で、なぜ地方代表の、石井岡山県知事ら地方代表と言われる方々の主張が中教審の議論の中でも覆ることがなかったのか。この点について、なぜそういう議論であるか、その対立が埋まらなかったのかというあたりのことについて、率直な何か御感想というか、感じていらっしゃることをお聞かせいただければと思います。

見城参考人 ありがとうございます。

 確かに、議論が常に議論で終わってしまうという日々でした。それは、三位一体の改革というのが最初にございまして、教育論争にならなかった。日本の子供たちにどういう教育をしていくかという形にはならずに、常に知事を初め各地の代表の、市町村長会代表の方々は、三位一体の改革によって地方分権になる、その地方分権を推進するためには、国の補助金ということからの脱却が第一であるということまではおっしゃるんですが、では、どれだけ財源を確保できるのかという論争になりますと、単に、総務省からきちんとそれは一般財源で確保できる、そこで本当に終わってしまいます。

 それで、財源が確保されない場合には、ナショナルミニマム、ナショナルスタンダードの教育ができないのではないかという質問をいたしましても、それに対するお答えは一度もいただけませんでした。ですから、そのまま最後の答申を出すに当たって、多数決という形にまで発展いたしました。

 そこの最後のところでもおっしゃっていることは変わらなくて、結局、教育の内容、どういったことが地方でできるのか、自由裁量制の中でできるのではないかということに対するお答えもないまま終わりました。ですから、非常に残念であったのは、もっと実りのある、地方分権ということがどう生きていくのか、その点をもっと具体的なお答えをいただければ、審議はもっと違った形になったかもしれません。

 それから、私は、今回審議委員をさせていただいて逆に最初に驚きましたのは、私のこれは不勉強でしたが、どうして文部科学省は二分の一まで譲歩してきたんだろう、子供たちを育てるということでは全額国庫負担でいくべきだということをなぜ最初に堅持できなかったのかということに、むしろ文部科学省に対しての憤りを覚えました。その気持ちは今も変わっておりません。(発言する者あり)そうです。そうです。もちろん、そうです。

 ですから、そういうことに対して、議会が決めたことですけれども、文部科学省としてはただただそれ以降、後退していくしかなかったということが、やはり今後、これ以上後退されたら困るという私の基本になっております。

 ありがとうございます。

梶田参考人 私の理解するところでは、私は中教審ではいろいろな部会、分科会に出させていただいておりますけれども、唯一この義務教育特別部会だけは議論がかみ合わなかったというか、初めからかみ合わせる気持ちがなかったんじゃないかなということを感じております。

 これは、結局、おととしの十一月でしょうか、政府・与党合意に基づいて、どうするかということを中教審に投げかけたという、この発端がありまして、その政府・与党合意の中に、地方案を尊重し、そういう言葉が入っているわけですね。ということで、初めから岡山県知事、高松市長それから九州の方の町長さんは、どんなに論議として打ち破られても、それはもう知らぬという。ですから、記録をごらんになってください。もう完全にあらゆる論点で三人の方がおっしゃったことは打ち破られていると思います。それも一度や二度でなくて、何度も何度も繰り返し。ただ、それはもう知らない、そういうことであった。

 ですから、ああいう会議に出たのは、私からいうと初めてです。やはり普通は、お互いそれは初めは意見が違っていても、それぞれの考え方、特に教育ですからね、出し合って、すり合わせをしていって、どこかで着地点を見つけるというのが普通ですが、どうにもならなかった。

 そして、最後は、今、地方側と言われる三人の方々から出てきたのは、これも記録を見てください、内閣の総理大臣がそういうふうに決めておられるんだから、中教審もそういう結論を出したらいいじゃないかという御発言までありまして、私どもは、審議会というのは一応、行政そのほかからも独立した形で、この義務教育特別部会の委員の名簿をごらんになりますと、それは知事さんも岡山県知事だけじゃなくて鳥取県知事も入っているし、高松市長だけじゃなくて武蔵野市長も入っているしとか、そういういろいろな方が入っている。組合の代表もいろいろな形で何人か入っておられる。教育長さんとか、あるいは首長さんも入っている。あるいは、校長先生も入っている。あるいはいろいろな分野の、学識経験者も入っている。いろいろな人たちが話をして、そこで妥当という着地点を見つけているんですが、地方側から出たのは、総理大臣がおっしゃっているからいいじゃないか、そういうことでありました。

 これは、私ども審議会というものの機能をやはり失念しておられる御発言じゃないか。もしこれでいくとすれば、これは一つのファシズムである、そういう発言をさせていただいて、私の発言も某新聞にも引用されたりいたしておりますが、私は率直に言いまして、後味の悪い義務教育特別部会だった、こういうふうに思っております。

石井(郁)委員 本当に率直にいろいろと、こういうところでしか聞けないようなお話をきょうは伺わせていただきまして、本当にありがとうございます。

 鳥居会長も書いていらっしゃいましたけれども、一言で言えば、教育論がなかった、そういうことを大変残念に思うということがございました。本当に教育を論ずる中教審、そしてこの委員会もそうでなきゃいけないと私は思っておりますけれども、改めて感じているところでございます。

 それで、今のお話も出てまいりましたけれども、結局、この義務教育費国庫負担の削減ということが形で出ているわけですから、この削減というのは国の三位一体改革の中で進んできたことなんですよね。この三位一体改革が内閣の方針だということで来ているわけで、それが先ほどの中教審での地方代表の話になっているかというふうに思うんです。

 そこで、渡邉参考人に伺いたいと思います。

 福島県の原町市の教育長として大変いろいろ御苦労されたお話を先ほど伺いましたけれども、「季刊教育法」に渡邉さんが書いていらっしゃるんですけれども、「国の財政改革がもたらしたもの」ということの中で三位一体改革に触れていらっしゃいまして、地方分権というのは聞こえはいいが、実態はそんなに単純ではない、事務事業などの移管、委任にかかわらず、人的、財政的な移管、移譲がなされなければ市町村が執行する業務は増大するばかりだ、業務の停滞か質的深化を図れないことになる、事態は最悪のケースで進行しようとしている、これに追い打ちをかけているのが三位一体改革だ。これは三位一体というけれども、実態は三位ばらばら改革だということもおっしゃっていらっしゃったと思うんです。

 この三位一体改革、これは結局二〇〇四年から始まって今年度で政府として一応の終わりなんですよね。これの影響はこれから地方財政、地方自治体にさらに出てくるんだろうというふうに思うんですけれども、渡邉参考人のかかわった教育行政の面から、現場で感じられたこと、今後についてのいろいろ御懸念等々お話しいただければと思います。

渡邉参考人 最初の御質問ですけれども、地方分権は単純にはいかないという趣旨は、確かに理念的には、地方、市町村の、あるいは都道府県の裁量が幅広くなっていくことで、独自の、また創意工夫のある施策展開ができる余地は出てきているわけですけれども、一方で、行政手続的なものが、例えば指定統計みたいな調査、報告に加えて、新たな調査統計の要請が国あるいは県からおりてきて、しかし、それに回答する職員は一方で減らされている。学校現場も同じように、なるべく県費の事務職員に加えていた市費の事務職員を、複数校で一人とかという形で変わっている中で、事務量はふえている、人は減っているという中で、分権は単純ではありませんよという趣旨の内容です。

 それから、財政というか三位一体のもたらしたものという御質問かと思いますけれども、先ほど、今まで約百八十億から、一般会計の当初予算ですけれども、百八十億から年々減っているんですけれども、特に平成十六年度、いわゆる三位一体の影響をもろに受けました。財政課の分析になりますけれども、一兆円を目標とした国庫補助負担金の廃止、それから財源不足の圧縮を通じた地方交付税総額の抑制、国庫補助負担金の一般財源化に伴う所要財源について、税源移譲対象額として精査した額の所得譲与税による税源移譲などの影響で、原町市は前年比で百八十億から八億減の百七十二億に減少しました。そのために、補てん策として財政調整基金を取り崩しております。これが平成十六年度の予算編成です。

 今年度の予算編成に際して、ちょっと今数字を持ち合わせていないんですけれども、さらに減少幅がふえています。財調からの取り崩しも大きいということで、当然その結果、市の財政全般のシーリングだけでは間に合いませんので、新規事業の抑制から多々影響を受けています。辛うじて教育費については、二四%程度の水準ですけれども、前年度よりアップする中で、これは首長との関係ですね。そういう中で、ある程度、教育委員会の意向を反映して、新しい新規施策に着手しているような、やりくりしながらやっている状況です。よろしいでしょうか。

石井(郁)委員 ありがとうございました。

 土居参考人に伺いたいと思いますけれども、先ほど、地方交付税が今どうなっていて、今後の見通し等々を数字も挙げていろいろ教えていただきました。

 それで、義務教育費の国庫負担が一般財源化されたら四十道府県で財源不足というのは見城参考人の資料にもございましたけれども、今回、私ども、文科省の試算でも出していただいたんですけれども、三分の一国庫負担になった場合で、国庫負担額と所得譲与税による配分見込みによると、不足分が出る県は三十九道府県なんですね。そして、北海道などは五十七億円不足とか、鹿児島三十七億五千万円不足等々の不足がずっと出る。一方で、プラスになる県もあるわけですよ。こうして見ると、やはり地方自治体から見ると、本当に交付税に頼っていくと、今後大きな格差が出てくるんじゃないかという心配が一つあるわけですね。

 その点で、一つは、不足分というのは本当に交付税で見ると言っているけれども、果たして保障されるのかどうかという問題と、こういう地方における格差の広がりということについてどのようにお考えになっていらっしゃるか、お聞かせください。

土居参考人 今お示しになられた税源移譲と国庫補助負担金の削減に伴う影響ということは、まさにおっしゃるとおりで、税源がない自治体には、そもそも税源移譲をするよと言ったって、収入がふえるわけはないわけであります。そのかわり国庫補助負担金は削減される一方であるということですから、当然、そういった格差が出てくることになる。当然のことながら、そういう格差は、恐らく地方六団体も欲していたとは私は思えないんですけれども、どうも税源移譲三兆円という、目の前にぶら下がったえさにどうして食いついてしまったのかなというようなところがあって、とにかく税源移譲が、この後、このチャンスを逃すとまたの機会はないかもしれないということで、先走って、こういう形になったのではないか。

 私が思うには、できるだけその格差をならすような方法というのは、地方交付税という配り方でなくても、ほかの方法でもあるだろう。例えば、ナショナルミニマムを保障するということで、国庫補助負担金として義務教育費国庫負担をもっときちんと配るということで収入の格差を埋めるということもできますでしょうし、ほかにも方法があるとは思いますけれども、できるだけそういう税源移譲で収入の多寡がはっきりした状況をならすような方法をまた別途考えていくべきではないかというふうに思っております。

石井(郁)委員 私も、義務教育というのは、やはり憲法にもあるように、教育基本法にもあるように、機会均等、そして教育水準の維持という、全国あまねくすべての子供たちが同じ程度の水準の教育を受けることができるということがあると思いますし、無償制という原則でやらなければいけないというふうに思うんですね。

 そういうふうに考えますと、今の子供たちの状況、また親の状況、そして日本の社会全体のことを考えますと、本当にそういう原則で教育をしなければいけないということが今ますます求められているときに、こういう国の予算削減というのは絶対逆行するというふうに思うんですね。

 最後になりましたけれども、その点で、見城委員が、こういうときこそなぜ国が全額持つということを文科省は言わないのかということを言われまして、さすがに鋭い御指摘だなと思ったんですが、私は、やはり財政が厳しい、厳しい、だからだからといってどんどんどんどん削れ削れという話じゃなくて、このときに教育を大切にする国民的な合意、そして内容もみんなでつくり上げていくということが必要だと思うんですね。

 最後に、そういう日本の教育の将来について、見城参考人から一言いただければと思います。

見城参考人 ありがとうございます。

 国民にとっては、税金を払います、その大事な税金がどう使われるかという、この一つですね。ですから、名前を変えて、結局は税金から予算は立てられていくものですから、そういうことでは間違いなく、子供たちを育てるという、その一番最初に受ける義務教育に資金として財源が確保されるということが重要だと思いますので、ここはぜひ皆様にその点を踏まえてお願いしたいと思います。ありがとうございます。

石井(郁)委員 どうもいろいろと貴重な御意見、ありがとうございました。

 終わります。

遠藤委員長 保坂展人君。

保坂(展)委員 社民党の保坂展人です。

 まず、土居参考人に伺いたいんですけれども、総務省の一般財源化、これは改革であって、もし文科省が特定財源化にしがみつくと守旧派であるという議論はそもそも違うのではないかということを御指摘されたと思います。先ほどの話で、今後、地方交付税は大きな負債を膨らませていく、特に二〇一〇年から一五年、そのあたりが利子も含めれば三・五兆円とか四兆円、こういういわば借金を返していくピークと、同時に、この委員会で少し議論をしてきましたのは、教員の四十五歳中心の年齢層が退職していくという退職手当のピークにもまたつながるということでございます。

 ここらあたりについて、財政の議論からも、教育にはこれだけのしっかりした財が必要なんだという数値を示して、しっかり三位一体の議論もすべきだったというふうに思うんですが、この点についての参考人の意見をお願いします。

土居参考人 私は、かねがね先生がおっしゃったような形で主張を展開してまいりまして、基本的には、やはり特に二〇一〇年から一五年というあたり、団塊の世代が退職して、さらに自治体の公務員の方々にもそういう形で退職給与を払っていかなければいけない、そういう局面として支出が膨らんでいくということになっているわけです。私が思うには、やはりそこでできるだけきちんとした財源を確保できるような仕組みを、今からでも遅くはないのできちんと組み立てていく、そういうことが必要になってくるだろうというふうに思います。

 やはり三位一体改革は、基本的に地方分権を目指すというスピリットはよかったんですけれども、中身のパーツが、特に三位一体と言いながら、税源移譲と国庫補助負担金の削減というこの二つのパーツに余りにも注目をし過ぎてしまっていて、その二つをバーター取引する、国庫補助負担金を削減するならばその分だけ税源移譲をするという形で行ってきていて、地方交付税が一つ独立してしまった形になってしまったがゆえに、こういうことが起こってしまったというふうに思います。

 私が思うには、地方交付税は、そういう負債を抱えているという状況ですから、私は、清算してしまった方がいいんじゃないか、新たな仕組みを組み立てて、もう一度地方の税収格差をきちんと納得いく形で埋めながら、それでいて義務教育などのナショナルミニマムに相当するような部分はきちんと国が財源を確保するという形で組み立てていくということがあればいいなというふうに思っておるんですけれども、そういう方向が、いきなり革命的なことでもしないと、なかなかなし遂げられないような現状でありますので、私も、外野から国民の一人としてそういうことが実現できるように日々研究をしているというところです。

保坂(展)委員 今回、三分の一になったことによって、地方によっては、これから返していくというよりは、またさらにここで借り増していくということも十分考えられるわけですね。

 土居参考人の資料の中で、地方財政計画のバーチャルな部分、いわば地方財政計画として示されたものと、実態には実はかなりの差があるんだ、その差に、過大計上分というんですかね、これが標準的な歳出を超えるいろいろな地方の事業に回っていると。こういうことを、計画と実態の乖離などについても、交付税そのものが本当に教育に向けて絞られて使われていくかどうかということを考える上で参考になると思うので、その点も触れていただきたいと思うんです。

土居参考人 私が、地方財政計画、きょうお配りした資料で申しますと、一ページの二というスライドですけれども、この中で、実は地方財政計画というのは地方交付税を配るために計算されているものなわけですけれども、私が大学で地方財政のことを教えるときに、これは今後の一年間の自治体の収入と支出を見積もった、そういう絵姿を示したものですということを申し上げるんですけれども、実は、これは厳密に言えば、微妙にうそがまじっている。

 つまり、どういうことかというと、この地方財政計画として立てられるものは、必ずしも自治体の予算を積み上げて計算して見積もっているものではなくて、まさに地方交付税を幾らにするかということを計算するためだけに、いわばそれなりに計算して積み上げたものにすぎない、だからこそ私がバーチャルリアリティーだというような言い方をしているんですけれども、地に足がついていないという形で、地方がどのぐらい、ことしお金を使うかというのを見積もっている。

 そうすると、当然ながら、地方交付税を計算する段階で教育費としてこのぐらいお金がかかるだろうというふうに計算していた額と、実際、自治体が教育費で使ったお金の額というが乖離するということが起こってくるというわけです。これは、乖離するのがいけないということを強く言うと、そもそも、では、計画自体おかしいじゃないかという話にもなりますので、私が思うには、できるだけ実態に合ったように予算を決めるときには計算してください、もし次の年度でその狂いが出たということであれば、きちんと修正した上で、幾ら義務教育のためにお金がかかっているかというのを計算する必要があるのではないかというふうに申し上げたいと思います。

保坂(展)委員 次に、見城参考人にお願いします。

 お示しになった新聞記事、「就学援助四年で四割増」ということで、中には学用品なども持ってこれない子も出てきていると。

 私は、実は、一昨年六月に長崎県佐世保で起こった事件を取材に行って、関係する親や、あるいは教員や教育行政の方に何回かお会いして、改めて、事件そのものとは離れるんですが、あの事件は給食の時間に起きたんですね。給食の時間に起きたということから、翌日の給食をどうするかということで相当議論があったそうです。給食をまた出すなんということは無神経だ、やめた方がいい、こういう意見も相当あって、ただ、そこで、私も納得したのは、結局、ほとんど給食でしか栄養をとっていない、ろくに食事をしていない子がいるんだというようなことから、給食がいきなりなくなってしまうと困るのでということで、給食自体は予定どおり実施したということを聞いて、やはり格差というものが随分広がっているなということを感じました。

 子供がアフリカで学ぶということで、生き生きと目をきらきらさせるという感動のお話もいただきましたけれども、まさに学校で温かい給食を食べる、その瞬間目を輝かすという子供たちも出てきているというあたりのことと、先ほど、朝御飯の話を、どこから財源なんだとありましたけれども、家庭がしっかりしなきゃということはよく言われるんですが、子供は家庭、親を選べないわけですね。親が非常に病気がちで、子供はみんなコンビニ弁当、温かいものは学校しか食べられない、こういう子もいるわけで、その点について、お考えをもう少し述べていただきたいと思います。

見城参考人 ありがとうございます。

 今、所得格差の広がりというのは大変なものでして、例えば、給食費も払えないというお子さんも多く、ある市に行きましたときには、市役所の職員の方が、結局は、同情せざるを得なくて、立てかえている、しかし、それもいつまでもできないというような話、実際のさまざまな格差の現状というものを私も各地で伺っております。これは現実としてとらえなければならないところにもう来ていると思うんですね。

 ですから、先ほどのお話にも出させていただきましたけれども、日本が、ある時期に、経済成長を遂げて、あっという間に六十年、戦後来てしまったんですが、その間に、バブルがあってバブルも完全にはじけたのに、まだその辺の現実を受けとめられない部分があるのではないか。でも、現実には、子供たちが、朝食はもちろん、やっと給食、しかし、その給食費も出せない、こういう現状があるというのは現実ですので、このあたりから、まず学校というものはどうあるべきかということを考え直すときが来ていると思います。

 アフリカの、本当にこれから国をつくり直すというところは、まず学校を建設して給食を出すというところでスタートしたわけですが、それでもう長年来た日本が、ここに来て、新たな二十一世紀、どういう学校というものをつくるかということでは重要なポイントだと思います。

 それから、もう一つ言いますと、施設費ということが、ここでは出ていなかったんですが、耐震構造に直さなければならないのになかなか施設費が回ってこないという現状があります。こういうことでは、私の意見としては、文部科学省の財源ばかりではなくて、国土交通省等に、やはり、公共施設としての、公共の避難場所としての学校という役割もありますので、そこを巻き込んだ上での学校の再建ということが重要ではないか。皆さんにも、ぜひその辺を心にとめていただいて、お考えいただければと思います。よろしくお願いいたします。

保坂(展)委員 それでは、梶田参考人、そして渡邉参考人に伺いたいと思います。

 この委員会で議論している、二分の一が三分の一になった、そして、昨年来の決着というのがいわば恒久的な決着なのか、それとも、一時的な小休止にすぎないのかというところで、これは大事な点だと思うんですけれども、総務省に何度か来ていただきましてこの委員会の場で聞きますと、一つの区切りという言い方をされるんですね。国と地方の財政負担のあり方についてはこれからも議論をしていきたいということなので、今回の、昨年の三分の一ということが、その三分の一すら危なくなるというさらに悪いシナリオも、少しは心配をしなければならないと私は考えております。

 その点について、どういう認識をお持ちなのか、お二人にそれぞれ伺っておきたいと思います。

梶田参考人 私は、これを区切りにしてはだめだ、これで終わりにしてはだめだ、これは非常に不十分な今回の措置だと思います。今ここで御審議いただいております法律案にしても、現状では私もやむを得ないと思っておりますが、いろいろな経過から、あるいは国の財政事情からやむを得ないとは思っておりますけれども、まだまだ工夫の余地があり、やはり、再来年度予算、一年して次の予算の国家予算をおつくりいただくときには、また抜本的にお考えいただきたいと思っております。

 我々、いろいろと出た考え方でいいますと、一つは、都道府県と国が義務教育のお金を出すというのではなくて、むしろ、都道府県でなくて市町村にいろいろな税源を回していって、小中学校の場合には市町村が設置者ですから、むしろ、設置者と国が財政負担をするような道も一つあるんじゃないか、これが一つ、随分出てまいりました。

 もう一つは、教育の目的税というようなものを創設して、まあ、国家財政は大変な時期ですけれども、これは増税の話になってまことに恐縮ですけれども、しかし、教育の大事さからいったら、これはいろいろと議論の中で出てきた話なんです。消費税を上げるとすれば、その何%分は教育にしてしまうとか、あるいは、アメリカの教育税のように、これは住民全体の不動産に、子供がいようがいまいが、ここに教育のための税金を不動産税として取るとか、まあ、増税の話ですから、快い話では全然ないんです。ただ、国家財政が危機だからといって、教育のことを財政的に締めつけていくというのは、これはもう日本の国の将来を誤ることであるからということを我々も随分議論してまいりました。

 というようなことで、いろいろとまだ工夫の余地もあり、また、本当に考えていただかなきゃいけませんので、これを区切りにしていただいては困る、今のところはこれでいいとは思いますけれども。

渡邉参考人 総務省の、これで一区切りという意味がどういう意味合いを持つのかわからないところがございますけれども、先般、昨年の新聞報道だったかと思いますけれども、教員給与の全面的見直しというのを財務省の審議会で検討することで固まったみたいな報道がありました。このときに、校長先生の年金が事務次官の年金を上回る、そういった理屈を持ち出してこの見直し論の一端をつくろうとしている、そういうことがどうもアンフェアだなと思います。

 それで、今回、二分の一が三分の一になったこと、やむを得ない面もあります。また、国庫負担制度の理念は守られたというところで、評価されるところはあるかもしれません。しかし、学校を含めて教育現場を預かる行政機関にいた者としては、理念だけでは施策は守れません。どこかで削るものは削る、そうすると、やはり教育でいえば子供たちに影響を与える、そういう事態を繰り返していいのかと思います。

 三分の一がどこまで維持できるのかということでどうしても思い出すのは、戦後、昭和二十四年のシャウプ勧告を受けての、地方財政平衡交付金に組み込まれて一般財源化された。その結果は、市町村の格差と大変な混乱、保護者の負担増という事態で、四年後にもう一回今の国庫負担制度になった。やはりその愚を繰り返してはならないと思います。これで結論ではなくて、今から検証すべきはもっと検証していただければと思っております。よろしくお願いしたいと思います。

保坂(展)委員 先ほど申し上げた総務省の一区切りというのは、これで終わりではなくて、さらに一般財源化に向けて一歩一歩進めるという気配ですね、これは考え過ぎかもしれませんが、話を聞いている限りはそういう脈があるな、こう感じたわけです。

 私は、教育論としてこの問題に対抗していくという文科省、原則としては正しかったと思うんですけれども、やはり財政論として、これだけの財政が必要であると。そういう意味では、土居さんの議論などもぜひもっともっと出していただいて、文科省としてこの問題について、言われて何か対応するのではなくて、あと十年、二十年、これだけ必要だ、さあどうする、そういう議論をぜひしていくべきだなというふうに思って、お聞きをいたしました。

 これで終わります。どうもありがとうございます。

遠藤委員長 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。

 この際、参考人各位に一言御礼を申し上げます。

 参考人の皆様には、貴重な、また率直な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。(拍手)

 次回は、明十五日水曜日午前九時五十分理事会、午前十時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午前十一時四十四分散会


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