衆議院

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第12号 平成19年6月8日(金曜日)

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平成十九年六月八日(金曜日)

    午前九時四十分開議

 出席委員

   委員長 桝屋 敬悟君

   理事 鈴木 恒夫君 理事 田野瀬良太郎君

   理事 西村 明宏君 理事 平田 耕一君

   理事 松浪健四郎君 理事 藤村  修君

   理事 笠  浩史君 理事 伊藤  渉君

      安次富 修君    阿部 俊子君

      秋葉 賢也君    井脇ノブ子君

      飯島 夕雁君    浮島 敏男君

      江崎 鐵磨君    小川 友一君

      小渕 優子君    加藤 紘一君

      小島 敏男君    佐藤  錬君

      柴山 昌彦君    鈴木 俊一君

      西本 勝子君    馳   浩君

      平口  洋君    福田 峰之君

      藤井 勇治君    藤田 幹雄君

      二田 孝治君   山本ともひろ君

      奥村 展三君    田島 一成君

      高井 美穂君    津村 啓介君

      野田 佳彦君    牧  義夫君

      松本 大輔君    横山 北斗君

      西  博義君    石井 郁子君

      保坂 展人君

    …………………………………

   文部科学大臣       伊吹 文明君

   文部科学大臣政務官    小渕 優子君

   政府参考人

   (内閣官房内閣審議官)  山中 伸一君

   政府参考人

   (財務省主計局次長)   真砂  靖君

   政府参考人

   (文部科学省初等中等教育局長)          銭谷 眞美君

   政府参考人

   (文部科学省高等教育局長)            清水  潔君

   政府参考人

   (文部科学省研究振興局長)            徳永  保君

   文部科学委員会専門員   井上 茂男君

    ―――――――――――――

委員の異動

六月八日

 辞任         補欠選任

  福田 峰之君     浮島 敏男君

  二田 孝治君     藤井 勇治君

  馬渡 龍治君     安次富 修君

  松本 剛明君     津村 啓介君

同日

 辞任         補欠選任

  安次富 修君     馬渡 龍治君

  浮島 敏男君     福田 峰之君

  藤井 勇治君     二田 孝治君

  津村 啓介君     松本 剛明君

    ―――――――――――――

六月七日

 教育費の無償化実現・父母負担軽減を求めることに関する請願(石井郁子君紹介)(第一五一一号)

 同(穀田恵二君紹介)(第一五一二号)

 同(志位和夫君紹介)(第一五一三号)

 同(塩川鉄也君紹介)(第一五一四号)

は本委員会に付託された。

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 政府参考人出頭要求に関する件

 国立大学法人法の一部を改正する法律案(内閣提出第五二号)(参議院送付)


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     ――――◇―――――

桝屋委員長 これより会議を開きます。

 内閣提出、参議院送付、国立大学法人法の一部を改正する法律案を議題といたします。

 この際、お諮りいたします。

 本案審査のため、本日、政府参考人として内閣官房内閣審議官山中伸一君、財務省主計局次長真砂靖君、文部科学省初等中等教育局長銭谷眞美君、高等教育局長清水潔君及び研究振興局長徳永保君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

桝屋委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

桝屋委員長 これより質疑に入ります。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。田島一成君。

田島(一)委員 民主党の田島一成でございます。

 教育再生特別委員会が開かれていたことから、この文部科学委員会は随分久しぶりでございます。ある意味、最後の閣法となりました国立大学法人法の一部改正法、一時間十分という大変長い時間をいただきましたので、しっかり、じっくりと問いただしていきたいと思っております。

 今回のこの国立大学法人法、ちょっと言い方はとげがあるかもしれませんけれども、言ってみれば、大学側及び政府側の事情、また財政上の問題からの改革であったのではないか、そんなふうに私は受けとめております。

 今後も、中教審であるとか教育再生会議、それから経済財政諮問会議など、また財政制度等審議会、それからイノベーション25戦略会議などいろいろな方面で、教育改革それから大学、大学院改革について議論が行われ、方向性が示されてきたかのように報道がされていくであろうかと思います。大学や大学院のあり方、そして改革について、どこかの位置づけも定かではない会議の議論や、公表されるのを待つだけではなく、国会として、またこの文部科学委員会の中で、質疑という形にこだわらず、私はぜひ、大臣を含めてメンバー間で、自由にさまざまなテーマで意見交換がしていければいいなというふうに思っておりますので、文部科学委員長、御配慮を今後ぜひいただけたらというふうに思っておる次第であります。

 質問に入りますが、私、今回のこの法改正、率直に申し上げて、大阪大学と大阪外国語大学が既に統合を決めているわけでありまして、それについて、我々がこの統合を認めるとか認めないとか言える立場にあるのか、そしてまた、この法改正を審議するに当たって、我々が一体何のために審議をしているのだろうかということを実は考えるわけです。審議するからには、本来ならば、この両校の学長に御出席をいただいて、統合の経緯、そして、今回私がやはり問題がある部分として考えております、大阪外国語大学にありました夜間主コースを廃止すると決定した理由を、直接説明を伺いたいとさえ思っているところであります。

 冒頭、大臣の方から、今回のこの大阪大学と大阪外国語大学の統合についてはいかなる理由でなされるものなのか、そしてまた、学生たちからも随分要望や切実な声が我々国会議員の方にも届けられている、この夜間主コースの廃止はどうしてなのか、この点について御説明をいただきたいと思います。

伊吹国務大臣 まずはっきりしておかなければならないことは、特に国立大学については、その運営に、やはり結果の平等というか結果の悪平等のようなものがあって、国民の税金が必ずしも効率的に使われていないという国会の御判断があったから、法律をお出しになって、国立大学法人にされた。そして、その前提については、いろいろな審議会でもいろいろな御意見がありました。

 しかし、ある審議会、ある会議では、先般、私に、試験の日を複数回設けるようにしろとかどうだとかということを委員の方がおっしゃったので、あなた方がおっしゃったから、自己責任と自助努力とで、国立大学じゃなくて国立大学法人にされたのではないですか、自分の都合のいいときだけ政府に介入を要請されるというのはまことにおかしなことじゃないかということを私申し上げたんですよ。

 つまり、このことについては、大阪府域にある二つの特色ある大学が、お互いの将来を考えて、補完し合い、またいいところを伸ばそうとして、大学の経営を預かる理事会、評議会が決定をして行われたわけですね。ただ、国立大学法人のあり方というのは法律で決まっていますから、それを受けて今国会にお諮りをしているわけで、法制的に言えば、国会がそれを認めない、この法律を認めないということは、私は憲法上可能だと思います。しかし、国会が国立大学法人というものを認めた限りは、今先生がおっしゃったように、なぜ自分たちはという議論が出てくるのは、私は気持ちの上では理解しますけれども、法制的にはそういう流れになっている。

 それで、学生の諸君や関係者にもいろいろな思いがあると思います。企業においても、企業の事業所の統合あるいはあり方をどう決めるかというのは、最終的には商法の規定によって、会社法の規定によって、最終的に株主総会の議決を得ますが、ほとんどは取締役会にゆだねられている。その中で、私の事業所をなくしてもらっては困るとか、こういう仕事は残したいとか、おのおのの会社の従業員の方、構成しておられる方には意見があっても、最終的にはやはりそれは従ってもらわねばならない。

 ただ、余りにも理不尽なことはしてはいけません。それはおっしゃるとおり。ですから、現在この大阪外語大学の夜間に通っておられる方々については、その方々が卒業されるまではきちっと授業を行うという前提で、評議会、理事会の決定をされて、今回のような運びになったというふうに報告を受けております。

田島(一)委員 私、今改正法の審議を決して拒否しているわけでも全くありません。ある意味、この法改正を通じて、今の大学教育のあり方、それから財政上の問題、運営交付金のあり方等について、幅広く目を向け議論を重ねていく貴重な機会だというふうに受けとめておりますので、どうぞその点は誤解のないようにしていただきたいと思っております。

 今、夜間主コースの廃止についての、現在在籍している学生に対する配慮については、御答弁いただいたとおり、卒業するまではしっかりと面倒見ていくというお話をいただきました。今一年生が一番若い、若いといいますか、長くいる学生なわけでありまして、大学は最長で八年間いられるわけですから、向こう八年間はこの夜間主コースが、学生がいる限りは残るんだというふうに受けとめさせていただきました。

 さて、この大阪外国語大学は外国語学部の単科大学であります。一方、大阪大学は、旧帝国大学でもある総合大学として、言ってみれば、大学の規模としては比較にならないほどの大きさがあります。見方によっては、といいますよりも事実関係として、言葉は、多分抵抗を大臣は感じられるかもしれませんけれども、大阪外国語大学が大阪大学に吸収されるというような印象をどうしても持たざるを得ません。

 そうは言いながら、国立大学法人では、東京外国語大学と大阪外国語大学、唯一、二校しかないこの外国語大学が、そのうち一校が総合大学になると考えると、いずれ東京外国語大学もそういうふうになっていくんじゃないかというような心配の声も事実上がっております。

 逆に、この大阪外国語大学を学びやとして巣立たれた方々からも、独自の学風がなくなっていくことを危惧される声、また、これまで単科大学として、この地方、大阪という町にあって一定の大きな役割を果たしてきたであろう大阪外国語大学が、果たして、吸収される大阪大学の外国語学部としてこれから先、今までの特色というものを十分に発揮し、また継続していくことが可能なのかどうか、随分懸念する点があろうかと思います。

 そういった点で、これまでの大阪外国語大学はどのような評価をされていたのか。また、今回この大阪大に吸収されるように、総合大学が単科大学を吸収することで、文部科学省としてはどのような効果を期待しているのか。ちょっと次の質問と二つ一緒になってしまいましたけれども、あわせてお答えをいただけたらと思います。

伊吹国務大臣 まず、お言葉でございますが、吸収されるわけではございません。御一緒になられるわけでございます。

 そこで、まず、これは、私たちというか、国会の皆さんも考えていただかなくちゃいけないことなんですが、外国語大学だとか、特に社会科学系の単科大学の果たす役割というものを国としてどのように考えるか。これは、先生が一番最初におっしゃった、国会の場で、やはり国民の代表として広く議論をしていただきたいことなんですね。とかく、産業化に直接結びつくような理科系の、しかも応用の研究開発みたいなものだけが立派なもので、それ以外のものは非効率だという風潮は、私は困ったものだと思っております。

 この大阪外国語大学は、東京外国語大学というのも立派な学校なんですけれども、それと違った、日本としては極めて大切な特色を持っております。それは何かというと、世界の中で少数の人たちが話している言語について、例えば蒙古語、モンゴル語とか、司馬遼太郎さんはここの卒業生ですよね、そういう語学の分野を網羅した学校なんですよ。これは、大阪大学と御一緒になられた後、大阪大学もそれを十分使いながら、国際化、アジアの中の日本というものが今言われている中で、あるいは開発途上国との関係等で、やはり特色のある大学に育ってもらいたい。

 大学法人は、民間からの寄附と学生の授業料以外は、国民の血税である運営交付金によって賄われているわけですから、これの配分、予算のあり方等について、私を含めて、あるいはここに、文部行政に、文部科学行政と言ってもいいのかもわかりませんが、携わっている人が、よほどそのあたりのことを考えて対応しなければならないということなんですよ。だから、先生のおっしゃっている意味は、私はよく理解しておりますし、それを軽んじるような風潮に対しては、私は、私の責任において、私の意見を申し上げたいと思っております。

田島(一)委員 大変心強く思う答弁でもありました。

 おっしゃっていただくとおり、今は本当に大学のあり方が岐路に立っている時代であります。そういう意味では、野党の議員だけが今回質問に立っていること自体も、何か非常に残念なところが正直あります。

 具体的な問題点の部分でどういうような経緯があったのか、参考人で結構ですからぜひお答えいただきたいんですが、高等教育を受ける側である学生たちが一番やはり、将来どうなっていくんだろうかというような不安を抱えていたと思います。夜間主コースの学生などはとりわけ、廃止されるというような経緯から随分心配をされて、実は私の事務所の方にも学生たちが何度か訪ねてまいりました。本当に切実な思いを随分聞かせていただいたわけでありますけれども、これまで学生に対して、統合に対する不安を払拭するためにどのような説明をなされてきたのか。

 それから、教える側の教授陣に対しても、言ってみれば、例えば大阪外大の先生方にしてみれば、今度大阪大学に大きくなるわけですから、もちろん選択外国語の幅も広がるというような、学生にとってはメリットがある一方、先生方にとってはいわゆる負担が大きくなるという見方も一方ではあろうかと思います。

 この二点、学生側から、また教授陣側からのこうした不安、不満に、不満と言っては失礼ですね、不安に対してどのように払拭の説明会等々をやってこられたのか、経緯を御説明ください。

清水政府参考人 お答え申し上げます。

 今回の統合に当たりまして、御指摘のように、夜間主コースは平成二十年度から学生募集を停止し、現に在学する学生が全員卒業した後に廃止する、こういうふうなことでございます。

 それで、学生に対してということでございますが、大学側としては、統合の協議の進捗に応じて、それぞれ学生について、その都度説明を行ってきておりまして、平成十八年の二月からこれまで十一回開催し、うち夜間主コースの学生を特に対象としては三回開催し、特に、夜間主コースに在学する学生の現行の履修を卒業まで保証することなどに関する学生の不安はおおむね解消してきている、こういうふうに聞いております。

 ただ、統合協議の場合には、具体的な事項はどんどんさらに具体化していくということでございますので、例えば時間割り、カリキュラム等についてはまた、具体化はこの秋を目途に作業を進めているということでございますので、その時点でも学生に説明し、不安の解消に努めたいということでございます。

 それから、教員についてのお尋ねでございました。

 二十年以降の具体的な授業科目の時間割り、個々の教員の担当授業科目、担当時間数は、先ほどお答え申し上げましたように本年の秋ごろ決定される、こういうふうな見込みと聞いております。そういう意味で、学生の選択肢というものがふえることに伴って、御指摘のように、授業科目当たりのクラス数等が増加する、あるいは人数が増加するということは、それは考えられることでもあろうとは思っておりますが、大学の方といたしましては、今後の検討の中で、一部の教員が過度な負担増とならないような方策を配慮したい、このように聞いております。

田島(一)委員 夜間主コースですけれども、だんだんとその夜間主、いわゆる昼間仕事をしながら夜学ぶという学生が減ってきたという動向を受けてのこの廃止なのか。でも一方では、やはり今なお、昼間仕事をしながら、昔で言う苦学生という言われ方かもしれませんけれども、夜間のコースでしっかり学び、学士を取るといった学生たちもいるわけであります。

 現段階の学生たちについてはそのように御説明をいただいた、今御答弁いただきましたが、これから先この夜間主コースに入って、働きながら学んで学士を取っていこうとする学生たちにとっては、いわゆる選択肢が一つ大きく閉ざされてしまったことになります。この問題について、今後夜間主コースはこのようにどんどんどんどん廃止されていく傾向にあるのか、これは非常にゆゆしき問題だなと私は考えるわけであります。

 実は、私も、修了いたしました大学院は夜間主コースでありました。社会人がほとんどであり、私も、地方議員をやりながら大学院へ通い、夜の十一時ぐらいに家へ帰ってくるというような、そんな日々を過ごしてまいりました。夜間のコースがあったからこそ、社会人である私も大学院を修了することができたと振り返らせてもらっております。

 今や、大学の形態はどんどんどんどんさま変わりをしてまいりました。インターネットやテレビ、放送を通じての大学の形態も随分進んでまいりましたし、私学においては、夜間主コースをどんどん幅を広げて、社会人や、学び直しの機会、選択を広げていこうという傾向にあります。そのような中で、どちらかといえば時代に逆行しているかのように受けとめられる夜間主コースの廃止、これはいかがなものかなと私には思えてなりません。その点について、この廃止を決められたことについては時代の流れと逆行しているのではないかと私は考えるんですが、いかがお考えか、お答えいただけないでしょうか。

清水政府参考人 夜間主コースの、御指摘の大阪大学、大阪外国語大学の統合協議の中で廃止されることになった理由は、一つは、大学側として、例えば、夜間主コースの学生の在学中の有職状況が、過去五年間で八・三%で一割にも満たなくなっていること、あるいは、社会人の特別選抜を設けているわけですけれども、その志願状況が、平成六年度は百九十五人の志願者、二・七倍であったものが、十八年度には志願者が三十九人、〇・五倍になっている、こういうふうな状況があり、夜間主コースの、社会人への教育機会の提供という観点から、そういうニーズが一方で低下する、他方では大学院レベルに社会人のさまざまな学習ニーズが生じている、こういうことを勘案いたしまして、夜間主コースを廃止するというふうにしたと聞いております。

 統合後の大阪大学でございますけれども、学生が働きながら学ぶ機会としては、例えば放送大学との連携によって、学士レベルでの外国語教育を中之島センターで提供することでありますとか、箕面キャンパスにおいて外国語科目の授業科目の一部を夜間に開講することでありますとか、あるいは、中之島センターに、統合を機にグローバルコラボレーションセンターというものを新設いたしますが、そこで司法通訳とか医療通訳者の養成プログラム、あるいはJICAと連携した国際協力に関するプログラムを開設するとか、あるいはインターネット等を活用しながら、企業の社員、家族、海外に派遣される社員を対象に、語学、あるいは当該地域に関する言語あるいは歴史等に関する学習機会を提供するというような、多彩な形での、いろいろニーズの変化に対応したような、そういう教育の機会を設けたい、このように承知しておるところでございます。

田島(一)委員 中之島センターを初めさまざまな機関で、いわゆる夜間主コース廃止を補う教育プログラムを提供していくという御説明だったかと思います。

 それぞれのセンター等で提供される教育プログラムを受講することで、学士という資格は取れるのかどうか。どうですか。

清水政府参考人 例えば、放送大学との連携によって外国語教育を提供する場合には学士号の取得が可能なわけでございますが、例えば、グローバルコラボレーションセンターにおいて司法通訳等の養成プログラム、あるいは国際協力に関するJICAと連携したプログラムは、いずれも学士号とは結びつかない、そういうプログラムでございます。

田島(一)委員 このように、だんだんとニーズが低下してきている、一〇%を切って有職率が八・三%だと先ほど御説明いただきました。

 時代の流れがそうだから、ニーズがなくなってきたからということでこのようにコースがカットされていく、これは私学であればいたし方ないのかなとさえ私は思いますが、国立大学法人までもが、ニーズが低下してきたから、有職率が低下をしてきたからということでカットをしていくと、例えば今でも八・三%という有職の方々が、学生たちがいるわけですが、学ぶ機会が本当に切られてしまう。このことは、私、果たして国立大学法人たる格を持つ組織がやっていいことなのかな。

 私立ならいざ知らず、国立大学法人までもがそのように、ニーズの変化にこたえていくことで学習機会を取り上げていく。学士は放送大学で取れ。大阪外国語大学卒業という学士は取れないわけであります。果たしてそういう乱暴なやり方で、これから先、夜間で学びながら働くという人たちの希望の芽を摘んでいくことになりはしないか。ある意味、私は非常に残念でなりません。

 多分、この話を何度も繰り返したとしても明るい展望の答えは返ってこないと思いますから、もう一点、夜間主コース以外の部分での問題点を指摘したいと思います。

 この統合で廃止されるのは、夜間主コースだけではなく、学科が解体されるのが一つありますね、国際文化学科。統合に伴って学科が解体される、これは過去の統合の事例を見ても非常にまれな例だというふうに私は思っております。

 前に富山医科歯科大学と富山大学が統合をしたとき、これは、統合後大学名が富山大学となっただけでありました。富山医科歯科大学の学生や教員は、富山大学医学部、薬学部の所属となっただけであります。しかし、今回の、統合されてできる新しい大阪大学には、国際文化学科がなくなり、新大学における受け皿もなくなるわけであります。

 では、この学科で教えていた教員たちはどうなるのか。新しい配属先に分けられていくということであり、国際文化学科に所属する学生を受け持つ教員組織というものが存在しなくなるわけであります。この新しい大学、大阪大学の中で、だれがこれら取り残された学生たちの責任を持つことになるのか、お答えいただけますか。

清水政府参考人 お答え申し上げるためには、ある意味で、両大学がなぜ統合を企図したのかということとかかわる先生の問いであろうかと思っております。

 すなわち、今回の統合は、両大学は、いわゆる多岐にわたる分野を対象として専門的な教育研究を行う大阪大学、そして、世界の諸言語、基幹言語で言えば二十五言語でございますけれども、諸言語と、その言語を基底とする文化について教育研究を行う大阪外語大学、それがおのおのの特徴を生かしながら、さらにそれを発展させて一層多彩な教育研究を展開する、そういう意味で、まさに国際社会の中における日本というものを担う人材を育成したい、こういうふうな期待というかねらいがあったというふうに承知しております。

 具体的に申し上げますなら、例えば、大阪外語大学で申し上げますと、教員数百七十五人ですけれども、言語を専門、担当する教員は合わせて約百三十人ということでございます。大阪外語大学の教員の方々とお話ししますと、これからは言語だけではない、言語と、いわゆるその地域における政治、経済、歴史あるいは文化人類学等の知見を総合して、まさに新しい形の教育研究の発展というものを企図したいということがあるわけでございます。つまり、そういう意味で、そういう大阪外語大学のある意味での限界というものを、いろいろな諸専門を持つ大阪大学と統合することによって、新しい教育研究の体制、あるいはそういう基盤というものをつくっていきたい、このような期待があったというふうなことでございます。

 そういう意味で、今、外語大学についていろいろな形で新しく、学科等は、新大阪大学では、例えば法学部に国際公共政策の学科を設ける、あるいは大学院では、それぞれ、文化動態論専攻であるとかグローバル人間学専攻でありますとか言語社会専攻でありますとか、いろいろな異分野理解、あるいは地域言語を擁しながら貧困あるいは環境問題などの国際的な課題について理解する、実践的に行動できる人間の育成でありますとか、あるいは諸地域の言語文化についての幅広い知識と理解をいろいろな観点から身につける、こういう形の、さまざまな、学部レベル、大学院レベルで新しい教育研究の基盤をつくっていきたい。

 そういう中で、こういうふうな、例えば今までの外語大学の外国語学部における学科の見直しも行う、こういうふうに承知しております。

田島(一)委員 私、国際文化学科に所属している学生たちがこれから先宙に浮いちゃうということを言っているんですよ。何か、新しいこと新しいことと今局長は前向きなことをおっしゃっていますけれども、新しいことばかりやっていって、後ろにどんどんどんどん宙に浮いていく学生たちのことについて何も心配していないんだみたいな、そんな答弁は無責任過ぎませんか。取り残された学生の責任は一体だれが持つんですかということを聞いているんですよ。

 教員の組織が存在しなくなるわけですね。新しい課程と古い課程を兼任しなきゃならない。そうなると、国際文化学科に入ってきている学生たち、まだこれから先存続はするわけですけれども、学生たちがいる限りは、それをきちっと卒業させるまでの教育をしなきゃいけないんですが、それの受け皿はどうしていくんですかということを聞いているわけです。先生方も随分、新課程と、新しい配属先と旧課程授業とをかけ持ちして、しっかりとした教育の質というものを担保することができなくなるんじゃないかと私は心配するわけですが、それに対して答えていただけませんか。

清水政府参考人 失礼いたしました。

 国際文化学科については、先ほど御説明申し上げましたように、いろいろな学科の中で、それぞれ幅広い広がりのもとに新しく学生を受け入れていくわけでございますけれども、今在学している学生については、確かに、今までの教育課程を基本的には卒業するまで実施し、保証していくということでございます。

 そういう意味で、この間教員の方々は、御苦労はおありかと思いますけれども、いろいろな意味で御努力をしていただけるものというふうに期待しております。

田島(一)委員 自分らで頑張れということですね。これはちょっと無責任過ぎますよ。

 きょうの質問のターゲットは実は文科省ではないつもりだったんですけれども、余りそういう冷たい、突き放すような答弁をされていたら、学生はおろか、教員たちだってみんな怒りますよ。

 卒業するまで、新しい配属先と旧課程の授業とのまた裂きで、先生方も負担がふえます。先生方の負担のふえることを心配しているんじゃない、そのことによって学生たちに対する教育や指導がおろそかになってしまって、結局は高等教育の受益者である学生たちがそのしわ寄せを食らうんじゃないかということを私は心配しているんですよ。卒論の指導であるとか院生への指導に結果的に手が回らなくなってしまって、学生たちの不満がこの先どんどんふえていくんじゃないか、私はそういう心配をしているんですね。それにきちっと答えていただかないと、学生たちに対して申し開きができない、私はそんな気がします。

 どのような形で授業の質や内容を担保していくのか。教員をふやすんですか。ふやさないんでしょう。ふやさないんだったら、どういうふうにして担保していくのか、お答えください。

伊吹国務大臣 田島先生、詳細は参考人から御説明させますけれども、今の御質問をずっと伺っていて、やはり国立大学という感覚で御質問になっているように私は思いますよ。つまり、今回の統合をして、授業内容をどうしていくのかは、文部科学省が口出しをできる内容じゃないんですよ、率直に言えば。だから国立大学法人になっているんです。

 ただ、御心配のところはよくわかります。ですから、国立大学法人において、従来の授業以外に新しい分野の授業を担当する時間数を、そんなに指導ができないほど大きくとるのかどうなのか。今先生が御心配になっていたように、従来の学生が大学の卒業生として必要な指導を受けられないほど、大学の先生をほかの分野で使ってしまわないかどうか。これは、私どもから、そういう御質問、御心配も国会でもたくさんあった、私どももそういうことを心配している、そこで何か統合に伴う費用的なことがあれば、交付金の中で助けてあげられることがあるか、そういうことは伺ってみましょう、それは。

 しかし、どういう運営でやっていくのか、教師をどう動かすのか、この一つ一つに文部科学省の高等教育局長が口を出すというのなら、もはやそれは、国立大学法人ではなくて国立大学ですよね。そこのところは、お互いに、現行制度の上で質問をしてやっていただきたいと思います。

田島(一)委員 私が申し上げていることは、国立大学としてではもちろんありません。国立大学法人だけに限らず、私学でも多分同じことが言えると思うんですね。もちろん、文部科学省の方は、私学についてもいわゆる許認可の権限をお持ちであります。ですから、統合であるとか廃校されたりだとかいうようなケースに遭ったときには、当然、そこで学んでいる学生たちや教員のことを一番に心配されるべきだと私は思うんですね。

 ですから、今回の統合について出てきた、廃止される学科について、そこの先生たち、またそこで学ぶ学生たちについては何も心配をせずに、現場に任せたまま、ルールに従って運営交付金を出し続けていく、これは文部科学省としておかしいでしょうという提案をしているんですよ。

 決して国立大学法人を国立大学のつもりでなんて、全く質問していません。学ぶ学生たちや教えている先生方のことを思えばこそ私は質問をし、文部科学省もそこまでしっかりと目を光らせて今回の統廃合についてチェックをされるべきじゃないのかなと考えるんですが、おかしいでしょうか。

伊吹国務大臣 同じことを言っていても、言葉の使い方によって随分ニュアンスは違ってきますね。

 ですから、私が先ほど申し上げているように、従来の学部にいた学生の教育に手を抜かなければならないほど統合後の新しい職務がふえるようなことは、心配しておられる向きもたくさんあるよ、そして、文部科学省としても、御一緒になられたわけですから、運営交付金の配分等でお手伝いをすることがあればお手伝いをしなければならないと。

 だから、政府参考人が言ったのが、新しいことがこうで、新しいことがこうでという答弁をし過ぎたから、先生は、両方の仕事は大変だ大変だ、しっかり直させろ直させろとおっしゃるから、答弁がちょっと不適当であったかもわかりませんけれども、直させる権限はございませんよ、心配して、促す権限はございますということを申し上げているわけです。

田島(一)委員 文部科学省はいい大臣をお持ちになられたなと私は本当に思いますよ。

 どうぞ、このような廃止に伴っての問題、これはやはり現場任せではなく、学生たちや教員が本来の教育、研究という目的を阻害されるような事態にならないような配慮、これは運営交付金ももちろんそうですし、教員の増員等々の配慮もこれから現場ではしていかなければならないこともあり得ると思います。どうぞ、その点についてはしっかりと見届けていただきたいし、その部分についての対策、手はしっかりと打っていただきたい、そのことをぜひお願いしておきたいと思いますが。(伊吹国務大臣「担当局長が」と呼ぶ)

 はい、では、そこまでおっしゃるのでしたら、どうぞお答えください。

清水政府参考人 先生御懸念の点につきまして、大学側の今後の対応というものを十分伺いながら必要な支援をしてまいりたい、このように考えております。

田島(一)委員 では、大学の形態という点について、ちょっと視点を変えてみたいと思います。

 先ほども私申し上げましたとおり、今や大学は、オンデマンドももちろんそうですし、放送大学や通信等々でさまざまな形態がやはりふえてまいりました。この国立大学法人制度によって大幅な裁量をそれぞれ学校側が、大学側が持つことになったわけですけれども、運営費の交付金や大学設置基準など、まだまだ制約であるとか縛りも大変私は多いように思います。

 大学がそれこそ生き残りをかけて新たな展開をしていこうとした場合、また、個性ある大学への変革に向けて、例えば夜間部中心の、それから通信教育主体で運営をしたいとするような、そういうさまざまな形態の大学がこれから出てくるのではないかと私は思うわけであります。そういう状況も文部科学省としては認めていこうと考えるのか。一定の、校舎等の施設を有しないと大学と言えないとするのか。ある意味では、時代の変化というふうに、局長なんかは前を前を向いていらっしゃる答弁でしたけれども、大学の形態自体についても本当はもっと柔軟に取り組んでいかなきゃいけないんだろうな。

 しかしながら、いわゆるさまざまな設置基準というものまで今つけられてきました。校舎のあり方、グラウンドはどうだ、学生一人当たりの面積はどうだ、このような部分が、新しい大学の形態をつくり出そうとすることにブレーキをかけているのではないかとさえ私は思うわけであります。これは何も大学に限ったことではありません。高校や中学校、小学校、幼稚園、ありとあらゆる学校自体の形態が非常に多様化を求めていこうとする中に、それにこたえていくのもまた文部科学省の責任でもあり、またその一方で、学生たちの学ぶ権利をきちんと保障し、担保を義務づけていくのも文部科学省の責任だというふうに私は思っています。

 さて、これから先、このような教育の場のあり方をまだまだ議論していかなければならない、とりわけ今回の法に関しては、大学の形態についてどこまで許そうというふうに考えていくか。このような機会を私はどんどんつくっていくべきだというふうに思うんですけれども、その方向について、お考えがあったらぜひ聞かせていただきたいと思います。

伊吹国務大臣 やはりこれはバランス論だと思いますね。新しい、特に通信手段、IT等の発達によっていろいろなことが可能になってきていると思います。しかし同時に、教育というものを考えれば、やはり人と人との間で伝えられていくべきものもたくさんございます。ですから、新しい時代の風潮にすべて合わせていくということではなくて、教育の本質というものを見きわめてやはり議論していくということです。

 私の個人の見解を聞かれますと、どうも、何か画面に映っているものを見て授業を受けるということだけで、それも一部あっても構わないと思いますが、だけで授業を修了したというのは、少し、教育の本質から見て、私は、保守的な考え方かもわかりませんが、どうかなと思うこともあります。

 そして、時代の流れの中から、規制緩和やいろいろなことが言われますけれども、例えば御党からもいろいろ御指摘を受け、御批判を受けているような株式会社立の学校、幸いここにはまだ国民の税金の運営交付金は入れていなかったからよかったんですよ。しかし、今話題になっているような介護の問題については、これは国民から強制徴収をした保険料あるいはそこへ入っている補助金を対象として、売り上げを計上しているところ、民間企業を参入させているわけでしょう。もしそこで利潤が上がっているとしたら保険料が高過ぎるということになるはずなので、これを入れるときに、もう与党の中で大変な議論が実はありました。

 ですから、新しい流れの中でいいものをとっていくということは、先生がおっしゃるとおり、やらねばなりませんが、どこまで取り入れるかということは、いろいろな方々の御意見を伺って、おっしゃるように、そういう場をつくって、それは中教審であってもいいと思いますし、国会の、一番最初御提案になったような御議論でもいいと思いますし、そして相手の意見もなるほどと聞き、しかし自分の意見もなるほどと聞いてもらえるような雰囲気の中で、お互いに将来の大学のあり方を模索していくべきだと考えております。

田島(一)委員 私どもも、考え方の一方的な押しつけは決して望むものではありませんし、逆に政府側、与党側も同じような姿勢で臨んでいただきたい。このことは全く異論がございません。

 ここのところ、この国会終盤に入って、強行採決であるとか数の力が見え隠れしている委員会がほかに随分あります。そういったことは、この教育にかかわる文部科学委員会では絶対あってはならないと私は本当に思っております。その点についてはぜひ、大臣のその紳士的なお考えに私も賛同するところでもありますので、もちろん、もう閣法が今回これ限りでありますから、この先どのような形になっていくのかわかりませんので、大臣としてもその点については深い御理解をいただいているものというふうに認識をしながらこれからの国会運営に私も当たっていきたい、そんなふうに思っております。

 さて、今申し上げたとおり、国立大学法人制度になって裁量は随分大幅に与えられるようになったものの、依然、それぞれの大学法人のトップリーダーたちが口々にこぼす問題点は、運営費交付金の減少傾向であります。今、大学経営に対する意志が、それぞれの主体にゆだねられる、尊重されるように随分なってまいりました。しかしながら、この財政支援のあり方について、なかなかこれは、厳しい行財政改革の延長線で年々目減りをしている状況にあります。

 国立大学の財源保障として現在の多くの資金を配分するというやり方ではなく、奨学金としての配分を強化して、例えば国公立、私立を問わずに、国の求める教育研究を行っている大学へ資金配分をするとか、現在の機関補助の考えで大学に資金を配分するのではなく、個人保証の考え方、バウチャーと呼びますけれども、学生が選択する大学に学生を通じて予算を入れていくというような考え方ももちろん検討をされていると思いますが、やはり抜本的な改革案というものをどんどんお示ししていただかないと、なかなか厳しいこの運営交付金の状況、大学の財政事情を考えると、この先あと何年もつんだろうかとさえ思うことも正直ございます。

 また後ほど、きょうは財務省の方からも来ていただいておりますので具体的にお伺いをしたいと思っておりますけれども、今それぞれの大学が法人として独立をし、自主性に基づいてスタートを切ってきたところでありますが、本当に苦労をしている現状を受けとめていただいていると私は思います。

 大臣として、それぞれの大学の取り組み状況、また、この運営交付金が年々減少しているという傾向を受けて、果たして本当にこれで今の国立大学法人はやっていけるとお考えなのかどうか、その点についての御見解からまずお聞かせいただき、その後に財務省の方に聞きたいと思います。

伊吹国務大臣 国立、私立を問わず、これは両方で日本の高等教育を担っているわけですから、まず国民の意思として、大学はどうあるべきかということは、国会が決めた法律がまさに国民の意思なんですね。

 この中には三つのことが書かれています。改正教育基本法では、まず教育ですね。つまり、時流に流されることなく、しっかりとしたリベラルアーツの厚みを持って物事を判断できる教養人というか知識人を社会に送り出すこと、これが第一番目ですね。それから、研究開発機能、つまり日本がイノベーションを果たしながら、少子長寿化という、お金が要るけれども成長力が落ちていく時代において、それを支える成長の種をつくり出してもらいたい。これは民間の研究機関にももちろんありますが。それから三番目は、生涯教育その他、先生がまさに議員等でありながら大学に通われたような、社会への還元。この三つを教育基本法は定めているわけですね。

 今の流れは、二つ、私は憂慮すべきことがあると思います。

 一つは、リベラルアーツの厚みを持ったしっかりとした教養人、国際人を育てていくものを軽視して、とかく、即座に産業化できるもの、経済にプラスになるもの、嫌な言葉で言えば、もうけ仕事に直結するものに予算を配分しろという流れが一つあります。

 これは、私はキリギリス的発想だと申し上げているのは、研究開発は、やはり初等、中等から大学の基礎教育までを経た人がいて初めて応用の能力を持って対応できるわけですから、当面、人材があるからといってそこにだけ予算を投入するということになると、将来の研究開発の人たち、人材を枯渇させるおそれがある。これが私がまず非常に心配している点です。

 もう一つは、それはわかった、だからそこは競争的資金でやっていこう、しかし、大学の運営交付金は相変わらず減らすんだ、しかもその配分のやり方について、大学の実績に合わせて配分するんだという二番目の考え方があるわけです。

 ところが、実績というのは一体何なんだということになると、教育における実績というのは、損益計算書の利益のように金額で表示されるものではありませんので、私は、これはいろいろな、例えば教員養成大学の人たちは論文はほとんど書かないと思いますよ。しかし、立派な教員を養成して、日本の将来に貢献している。そういう判断は、やはり損益計算書を預かっている人とトップの大学でエリートの人たちだけが、四人集まって提案されるようなことではないと私は思いますね。

田島(一)委員 拍手をしたくなりました。

 そこで、財務省にぜひお伺いをしたいと思います。

 五月二十二日付の各紙朝刊で出てきた、国立大学の交付金は成果主義で七十四校が減額をされ、配分がふえるのはわずか十三校のみというこの結果。全大学の八五%に当たる七十四大学で減額され、最低と位置づけられている兵庫教育大学では九〇%の減額になるという検討が行われていると新聞で拝見をいたしました。

 財政審でこの検討がなされているようでありますけれども、財政審で一体どのような議論がされたのか、中で、先ほど伊吹大臣がおっしゃったような異を唱えるような話は出てこなかったのか、また、この配分の実施時期についてはどのように考えているのか、あわせてお答えをいただきたいと思います。

真砂政府参考人 お答え申し上げます。

 国立大学法人運営費交付金の配分のあり方につきましては、教育再生会議を初めいろいろな場で議論がされておりまして、現在の一律的な配分から、成果や評価に基づく効率的な配分へシフトすべきという議論がなされておるところでございます。財務省といたしましても、今後の議論の一つの材料として、今先生がおっしゃったようなシミュレーションを財政審議会に提示したところでございまして、文科大臣からは先ほど、キリギリス的発想だというような御批判も賜ったわけでございます。

 財政制度審議会の場での議論でございますが、いろいろな意見がございましたけれども、例えば運営費交付金の配分については、大学間で競争原理を働かせること自身はいいけれども、これが行き過ぎると、教育、あるいはその中でも特に地道な教育研究がおろそかになる可能性があるので、その点は留意すべきだという意見もございました。それから、運営費交付金の、この我々が示しましたシミュレーションは興味深いけれども、そのシミュレーションの一つに科研費をベースにしたものもございましたけれども、やはり教育と研究というのは峻別すべきであって、研究費のみで運営費を配分していくことには問題があるのではないかというような議論もあったところでございます。

 私どもとしては、これは一つのシミュレーションということで、教育と研究は機能を区分して、その機能に応じて、国からの交付金、学生からの授業料あるいは奨学金といったものをどのように組み合わせていくのか、そういう全体としての改革の姿を考えていく必要があるというような御説明をさせていただいたところでございます。

 二〇一〇年以降の中期計画に向けまして、財政制度審議会からは、大学の成果や実績、それから競争原理に基づく配分へと大胆に見直す必要があるという提言を今週の水曜日にいただいておりまして、財務省としても、この提言を踏まえて、今後関係者とよく議論をしてまいりたい、このように思っております。

田島(一)委員 次長、先ほど、私の質問に対する大臣の答えを聞いていらっしゃいましたか。それについてどうお考えか、大臣の答弁に対して評価してください。評価を聞かせてください。

真砂政府参考人 突然の御質問で、かつ伊吹大臣の御発言を評価するというのは、私、財務省の役人としてできるものではないわけでございますが、よく大臣の御発言も踏まえて、今後文教予算について編成をしてまいりたい、このように考えております。

田島(一)委員 食い下がろうと思えばまだ時間がありますから食い下がりますよ。どのように踏まえるのか聞きたいですね。

 もちろん、主計局というお立場でありますから、いろいろなお悩みも板挟みもあるでしょう。しかしながら、先ほどもおっしゃった、科研費も含めて、今出てきている財務省のこの試算を見ますと、上位に挙がっているのは、工業技術系、科学系の大学もしくは旧帝国大学と言われている大学が上位を占め、そして、下位で、いわゆる配分がどんどん減っていくというところは、地方の大学と教員養成課程の大学、そして日本の芸術のトップであります東京芸術大学までもが入っているわけであります。東京芸術大学でもマイナス八六・二%、私の地元の滋賀県にあります滋賀大学もマイナス八一・四%と、ある意味では、地方をどんどんどんどん切り捨てていこう、技術系、科学系、理科系の大学以外は切り捨てていこうという思惑に私は読めてしまいます。

 余りにこれは、先ほど大臣もおっしゃった、厚みのある教養人を社会へ送り出していこうという文部科学省の主義主張と逆行するような成果主義を取り入れること自体がもうナンセンスとしか言いようがないと私は考えるわけでありますが、その点について、単科大学や地方の大学がどんどんこうして切り捨てられていこうとする、これについて一体どう考えていくのか。

 これは、財務省という、財布を握っている、権限を持ったあなた方の完全な兵糧攻めでしかないと私は思うんですね。こうやって地方の国立大学また教員養成課程そして芸術系を統合、廃止にどんどん追い込んでいこうとしているその姿勢、私は、どう考えても、地方における教育の機会を奪っていくことにもつながりかねないと大変危惧しているわけでありますが、どのようにお考えですか。

真砂政府参考人 財政制度審議会の建議が出ましたものですから、少しその議論の要約といいますか提言を紹介させていただきますと、今、国立大学法人につきましては、在学生一人当たり約百八十万円の国費が投入されているわけでございます。したがいまして、この国立大学法人が高等教育の中でどのような役割を果たすべきか、これの再検証というのは重要だろうというふうに考えているところでございます。

 その際、今八十七ある国立大学でございますが、各機能、分野ごとに、大学の特徴を見きわめつつ、教育研究資源をどのように活用し、集約化していくか、そういう青写真を描くことが検討されるべきだというのが財政制度審議会の考え方でございまして、運営費交付金についてもそういったものに資するように大胆に見直していくというのが審議会の答申でございます。

 いずれにしましても、これから、教育再生会議、それから経済財政諮問会議、それから中央教育審議会の場において今後具体的な検討が進められていくということで、二〇一〇年度から新しい中期計画が始まりますので、それに向けて見直し作業を進めていくということで、財務省としても関係者と建設的な議論を積み重ねていきたい、このように思っております。

田島(一)委員 四月十七日の経済財政諮問会議の財務大臣の資料の中に、大学の教育コストは今後授業料で賄うこととする、六月六日の財政審の建議では、大学の授業料を学部ごとに差をつけることも検討しているというふうに私聞いております。

 この事実関係について明らかにしていただくとともに、これを裏返すと、理工系であるとか医歯薬系の学部の授業料を大幅に値上げしていかなければならないということになるんでしょうか。こうなると、いわゆる教育の格差の拡大にますます拍車がかかるんじゃないかと私は心配をしています。その点について明らかにしていただきたいと思います。

真砂政府参考人 大学の授業料の件でございますが、先生御案内のとおり、文科省の省令でもちまして標準額が定められております。その標準額の一二〇%、これを上限額として、その範囲内で各大学法人の判断によって設定する、こういう仕組みになっております。

 一方、現状はどうかと申しますと、八十七の大学法人の中で標準額と異なる授業料を定めている大学が六大学ございまして、これはいずれも引き下げでございますが、それ以外のすべての大学は、学部を問わず同一の授業料になっているというのが現状でございます。一方、私学の方は、大学ごと、あるいは学部ごとに異なる授業料を設定しているところでございます。

 財政制度審議会におきましては、教育、研究内容の質に応じて授業料というのはやはり設定されるべきで、今のような全大学、全学部の一律横並びという授業料は見直しが必要であるというふうに提言をいただいているところでございます。

 いずれにしましても、この授業料の問題は、今やもう国立大学法人ということになっておりますので、そこの判断により設定されるということになると理解しております。

田島(一)委員 今、運営費交付金の大部分は、前年度の予算に連動した形で一律配分をされてきたわけでありますが、一部は、大学独自の取り組みを支援する特別教育研究経費として競争的に配分をされているところでもあります。

 財務省は、特別教育研究経費の大幅増を提案していらっしゃいますけれども、運営費交付金の全体のパイが削減傾向にある中で、特別教育研究経費の割合をどこまで増加させて、基盤的な予算の割合をどこまで削減することが適当だというふうにお考えなのか、この点について説明をしてください。

真砂政府参考人 御指摘の特別教育研究経費でございますが、これは、運営費交付金の中で比較的一律ではなくて配分ができるということで、これまでもふやしてまいりました。

 今後も、よく文科省と相談しながらでございますが、方向としては、一律配分から競争的な部分の色彩を強めるという意味では、これまでの方向を引き続き続けていくということではないかというふうに考えております。いずれにしても、よく文科省の方と相談しながら当たっていきたいというふうに考えております。

田島(一)委員 財務省としてこの国立大学法人をどのようにとらえていらっしゃるのか、やはり基本的なところがまだまだばくっと私はしているんですね。

 現在のような形で維持していく必要があるのかというふうに資料の中にも随分疑問を投げかけられていらっしゃるわけですけれども、今回のこの法改正もそうなんですが、国立大学の再編と集約について、それから国立大学がこれから先どのような役割を果たしていくべきだと財務省は考えているのか。予算のことばかりを先行して、私、最初聞いてしまいましたけれども、やはり一番肝心な部分、財務省としての考え方を先に本当は聞くべきでした。その点についてもう一度きちっとお答えをいただけますでしょうか。

真砂政府参考人 たびたび財政制度審議会の建議を引かせていただいて恐縮でございますが、財政制度審議会での議論では、国立大学に対する国費の投入量、先ほど申し上げた、一人百八十万円も投入しているという現状を考えれば、やはり国家として、国立大学が高等教育あるいは研究の面でどのような役割を果たしていったらいいのかという観点からすべて考えていかなきゃいかぬ、そういう意味では、例えば研究に関して言うと、国際的に競争力のあるナショナルセンターとして国立大学を位置づける必要もありますし、そういう意味では、国からの助成も、集中と選択をより徹底する必要があるのではないかという建議を今週水曜日に財政制度審議会からいただいたところでございます。

田島(一)委員 大臣ないし副大臣にお越しいただけたら、もう少し具体的な部分がやはり聞かせていただけたのかもしれませんし、これ以上私が次長にお尋ねしても大したものは出てこないだろうというふうにも思いますが、どうか、文部科学省との連携ということをおっしゃっていただきました、その点について、現場の現状というものをしっかりと踏まえていただいて、短絡的なカット、そしてリベラルアーツの厚みという点についてのあり方も含めて、今後、地方大学が兵糧攻めに遭って切り捨てられるというようなことのないような配慮だけはぜひ忘れずにしていただきたいと思います。

 それでは、大臣、これから先、国立大学法人の自主性を高めていくといいながらも、兵糧攻めで財務省からはどんどんどんどん圧力がかかってまいります。こういう中で、地方の大学に元気を取り戻すには、それに見合っただけの兵糧をきちっと用意していくことがやはり私は大事だというふうに思います。これから先、財務省とのやりとりでまだまだ大臣にも頑張っていただかなければならないと思いますけれども、今後、それこそ地方の大学に対してのエールも含めて、国立大学のあり方、そしてこの現状で、成果主義が進もうとしている中での文部科学省としての姿勢だけ、決意としてぜひお聞かせいただきたいと思います。

伊吹国務大臣 田島先生が教育のことを御心配いただいて、いろいろ、私どもからいうとありがたい御質問を財務省にしていただいたことには感謝をしたいと思います。

 ただ、予算というのは内閣が決めるんです。国務大臣が共同して責任を持って国会へ出すわけでして、財務省の主計局の次長が一々口出しするようなことでもないし、また、その人を余りお責めになっても無理というものなんですよ。だから、最後は、今の御意見や何かも踏まえて、私は私の主張をします。

 しかし、同時に、国家財政の再建というものもあるし、国民がどこまで税源を負担してくださるかという観点もまた内閣としては考えなければなりません。しかし、今度は、決まった中で、内閣として、教育なのか社会保障なのか、どの分野に最優先のプライオリティーを置いて予算を配分していくか、これがまさに政治なんですよ。今度は、教育科学費の中でどこに限られた財源を配分していくのか、これがまた政治なんですね。

 ですから、今先生がおっしゃっていただいたようなこともしっかり受けとめて私は予算編成に臨ませていただきたいと思いますし、同時に、大学人もまた、なぜ大学が国立大学法人にせざるを得なかったのかということを考えて、リベラルアーツの厚みと言ってもらったから国民の税金を非効率に使ってもいいなどという、あるいはまた合併して負担が多くなったからおれは嫌だなどという意識を持たずに、税金を最大限効率的に使っていただくという意識を持ってやっていただく。そこに国民の合意が得られる財政的基盤が生ずると思いますから、大いに頑張ってやりたいと思います。

田島(一)委員 時間が参りましたので終わりますが、大臣、最後に一言だけ。

 ついせんだっての松岡農林大臣の自殺については、私も大きなショックを受けました。大臣も、同じ派閥の中で、それこそ親しくされていた方でもあります。そしてその一方では、あのいじめによる自殺問題のときには、大臣みずからが、ホームページ等を通じて全国の子供たちに自殺はしてはいけないとお呼びかけをいただきました。何か、せっかく大臣が子供たちに訴えかけていたにもかかわらず、信じられない閣僚の自殺。これでは、大臣のその思いも全く通じなくなってしまったな、値打ちが下がってしまったなと私は残念でなりません。

 もし許されるならば、ほんのわずかで結構ですから、大臣の考え方をぜひ聞かせてください。

伊吹国務大臣 特に未成年の児童生徒については、まだみずからの判断でやれるほど、いろいろな面での成熟ができていない中で、自殺という道を選ばれるというようなことがあってはならないという思いで実は私はあの呼びかけをしたんです。

 松岡さんは、私が会長を務めております政策集団の一員で、同じ内閣のメンバーでしたから、私は大変、ああいう道をおとりになったことを残念だと思っております。

 政策的に彼は非常な実績を上げましたよ、米の中国への輸出だとかWTOだとか牛肉の輸入その他について。ですから、私があのとき申し上げたのは、死人に口なしと言うけれども、彼はいろいろ言いたいこともあったんだろうから、彼の思いをしっかりと、国民から選ばれた者である限りは申し上げるということがあってよかったんじゃないかということを私は申し上げました。

 非常に、あれだけ政策面では有能な方であっただけに、心から御冥福をお祈りしたいと思っております。

田島(一)委員 終わります。ありがとうございました。

桝屋委員長 次に、石井郁子君。

石井(郁)委員 日本共産党の石井郁子です。

 大阪大学と大阪外語大学の統合につきましては、両大学の間での合意に基づくものと理解をしておりまして、賛成するところでございます。

 そこで、きょうは、今も話題になっておりますが、国立大学の運営交付金の問題について質問をさせていただきます。

 国立大学法人法審議の際に、この運営交付金につきましては本当に議論が深くなされました。政府、文科省担当者からは、基本的には、移行前に必要とされた公費投入額を十分に踏まえてそれぞれの事務事業が確実に実施されるように配慮したい、これは私の質問に対する答弁でございますが、ございました。また、当委員会では附帯決議も採択されまして、「運営費交付金等の算定に当たっては、」途中省略しますけれども、「法人化前の公費投入額を十分に確保し、必要な運営費交付金等を措置するよう努める」ということがございます。

 ところが、この法人法成立後に、運営費交付金には毎年一%の効率化係数が掛かることになった、また病院の経営改善係数二%が掛かることになった。これは本当に驚いたことなんですよね。審議のときにはそういうことは出されませんでしたから。こういうやり方もいかがかということはあるんですが。

 法人化して四年目になりますけれども、二〇〇四年度一兆二千四百十五億円ありました運営交付金が、二〇〇七年度には一兆二千四十四億円。だから三百七十一億円が削減でございます。四年目にして、例えば年間九十億円を中堅大学の運営交付金としますと、もう四校分減らされた、四校分が消えていっているということも言えるような額の減額になっているわけですね。

 まず伺いたいと思いますが、こういう事態になっているということについて、文科省としてどのような見解をお持ちでいらっしゃいますか。

清水政府参考人 お答え申し上げます。

 法人化に当たりましては、法人化前の公費投入額を踏まえ、教育研究活動が着実に実施されるようということで、平成十六年度運営費交付金予算は法人化前と同水準の額を措置したところでございます。

 算定ルールに基づきまして、法人化に当たりましては、一定の率で減額し、業務の効率化を求める一方で、各大学の取り組みに対する増額支援として特別教育研究経費の仕組みを設けて、目標期間を通じて着実に展開し得るような必要額を措置することとしたわけでございますが、全体といたしまして、先生御指摘のように、交付金総額としては、十六年、十九年も、あわせましてそういうふうな実態になっているところであります。

 ただ、私どもとしては、すぐれた教育研究を重点的に支援するための国公私立大学を通じた大学教育の改革支援経費あるいは科学研究費補助金等、競争的経費のさらなる充実もあわせて図ってきているところでございます。

石井(郁)委員 運営費交付金というのは、やはり大学の教育研究の根幹なんですね。ここが減らされているということが本当に重大問題なんです。この結果、各大学でどのような教育研究の実態があるのか、私はそこを今見るべきだというふうに思うんです。

 これは、ある大学の組合の調査によりますと、法人化前の二〇〇三年と法人化後の二〇〇四年の教育研究費の実態というのが出ておりますけれども、教育系学部の実験系教員の予算ですが、院生や学部生の指導のための費用も含めると、二〇〇三年度では年間八十五万七千円あった、二〇〇四年にはそれが四十九万六千円。だから前年度比五八%に落ち込んでいる。非実験系になりますと、二〇〇三年度は三十六万九千円、それが二〇〇四年度には二十三万一千円、前年度比は六三%減ですよ。こんなにも落ち込むのかということにも驚くんです。

 法人化前は積算校費と言っておりましたけれども、そもそも公費の投入が少ないというのはもうずっと大学関係者から指摘されてきたことなんですけれども、国大協の第六常置委員会の調査では、これは、一九九〇年、理科の実験系で見ると、研究費として用いたのは百万円だというんですね。その当時の必要額は二百五十万だと。そのぐらいはなければ、本当にやりたい研究はできないということを言われておりました。それが、法人化によって、ある大学では実験系でもう五十万程度だと。法人化の二年後には、それが三十万円に減額だということですね。こうなりますと、電話代とかコピー代など必要経費を差し引くと、院生や学部生の指導のための費用も出ないというようなことになっています。

 私は、それからさらに驚いたんですが、私のもとに寄せられた声によりますと、地方の国立大学の法学系の教員がどのぐらい教育研究費を自分一人当たりで使うかというと、何と五万円程度しかないというんですよ。だから、本当に、本も買えない、もちろん学会の出張にも行けないというような、恐るべき事態になっているわけですね。

 さらに、この運営交付金のほかに、昨年、二〇〇六年の骨太方針で、〇七年度から五年間、総人件費年間一%削減ということが決められております。そうしますと、大学はどのようなことをするかと申しますと、退職した教員とか職員の不補充、もう穴埋めはしまいということにならざるを得ないわけですね。

 教員養成系大学では特に大変でありまして、退職教員の不補充で、もう開講数を減らさざるを得ない。必修科目によっては受講できない生徒も出てくる、教員免許状の取得、卒業に支障が出ているということまで起きているということですね。こういうのを挙げればいろいろあると思いますけれども、本当にこれは、どこの大学でもほぼ共通した事態になっております。

 それで、再度伺いますが、文科省として、こういう法人化後の各法人大学の教育研究実態は一体どうなっているんだと、それをどのようにつかんでいらっしゃるのか、報告していただきたいと思います。

清水政府参考人 法人化いたしまして、法人化全体として、渡し切りの交付金という形の整理をしたわけでございます。

 そこで、私ども、十八年度、各国立大学における研究室等の基本的な教育研究経費の状況について、これはサンプリング、サンプル調査という形で実施したわけでございます。その結果として、申し上げますと、学部等に配分された教育研究経費の大部分は、基本的な、例えば共通経費、図書費とか実験施設等の、そういう関係共通経費に充てられており、各研究室等に配分されて、学生の教育や研究指導の直接的な経費に充てられる金額は、大学院生、ポストドクの人数で割りますと、大体一人当たり月額一万から二万円台以下というのが八割というふうな状況が一つでございます。

 もう一つ、法人化以降の研究室等配分経費の変化について言えば、削減されたあるいは削減される見込みと回答した研究室が約八割を超えている、こういうふうな状況でございます。

 この調査から、第一に、各研究室等に配分される教育研究経費の大部分は、基盤的な共通経費として使用されているという実態。第二に、法人化の趣旨を生かして、それぞれの判断により、大学全体や学部、研究科単位での重点的、戦略的な配分が行われつつあるようになってきている、そういう実態にあると認識しております。

石井(郁)委員 私、「国立大学への誤解」というこのペーパー、文科省がつくっていらっしゃいますけれども、それを見ますと、本当に驚くような数字が出ているんですね。これは、工学系の研究科、工学部で、院生など一人当たりの研究経費、教育費は月に三万円程度だと。文科系に行くと月に一万円程度だというようなことが出ていると思いますけれども。

 私はぜひ、このサンプリングだけじゃなくて、本当に運営交付金が減額のもとで研究費がどのようになっているのか、これは文科省としてつかむ責任があると思うんですね。つかんでいただきたいと思うんですよ。そうしないと、いろいろな別なところから数字が出てきて、非常に国費の投入が多過ぎるという話になってしまうわけですから、やはりこの実態はつかまなきゃいけないと思うのです。

 その場合、教員の本当に教育研究の費用が法人化前と後とでどのぐらいになっているのか、この数字はやはりぜひつかんでほしい。それは、全国平均というのが難しかったら、サンプリングを少し減らしていただいて、幾つかの事例でもいいと思うんですけれども、それはぜひやっていただきたいと思うんですね。これはいかがでしょうか。

清水政府参考人 先ほど若干お答え申し上げましたように、法人化を契機として、教育研究経費、例えば国立学校特別会計自体は、いわゆる積算校費という形で、かなりその基準単価とかそういうものが設定されて、それに準拠した形の配分が実態としてかなり行われたという実態がございますけれども、法人化を契機として、学内配分のあり方自体が変わってきております。

 そういう意味で、そういうことを勘案しますと、単純になかなか比較というのは必ずしも適当かどうかというふうな感もいたしますので、今の時点で調査を行うというのは、考えておりません。

石井(郁)委員 私は、やはりそういう文科省の姿勢では、財務省に本当に太刀打ちできるんだろうかというふうに思うんですね。

 なかなか調査が難しいこともあると思います。しかし、厳密な調査ではなくても、私は、当面サンプリングでもいいと思います、その点では。実態はどうなっているのか、実態をきちんと見ていただく、このことは必要じゃないんでしょうか。それはやはり文科省の責任としてやっていただきたい。それぞれ教育研究費、どのような額になっているのかということですね。

 大学全体とか国全体として見たら、やはり大きな数字になってきますから、なかなかその実態がつかみにくいということがありますから、私はそれは、あなた方は今はそういう答弁しかできないというのは大変残念ですけれども、私はきちっとやるべきだということを申し上げておきたいというふうに思います。

 それは、本当に大学関係者は大変な声を今上げていらっしゃいます。これは九州大学学長の梶山学長ですけれども、こう言っていますね。一%削減はもうやめてほしい、いつまで続くのか早くはっきりさせてほしい、決まらないと二〇一〇年度から始まる次の中期計画が立てられない、ここまでおっしゃっているんですよ。

 そして、文科省自身も、これは先日結城文部科学事務次官が五月二十八日の記者会見で、国立大学の運営費交付金問題でこのように述べていらっしゃるわけですね。各大学による経営効率化などの努力も限界に近づきつつある、いずれどこかでこの削減を食いとめたいと。私は、これはなかなかよく言っていただいたというふうに思うんですけれども。

 ですから、もう国立大学の努力というのは限界に来ているし、限界を超えている。効率化係数を掛けるやり方、さらに総人件費の一%削減、これをやはりやめるべきときに来ているというふうに思うんですね。そして増額の方向に踏み出すということだと思うんですが、この点で、文科大臣の御見解を伺いたいと思います。

伊吹国務大臣 大学運営交付金をどうするかというのは、先ほど来、田島先生からもお話があり、今先生からも御指摘がありますように、非常に大切な問題だと認識しております。

 これはやはり二つ観点があると思うんですよ。

 従来、大学でどういう予算配分が行われて、大学の先生や教職員の方が一般の納税者の目から見てどのように映っていたか。それを、きちっと納税者を納得させるように、あらゆることが変わってくるということが、私はやはりひとつ大切。それから、それに便乗してというと恐縮ですけれども、そういう風潮をとって、どんどんどんどん、将来の国家の基盤投資になるべき大学運営交付金を減らしていくということは、私は非常に問題があると思っております。

 ですから、その両方のバランス論でして、予算をふやせばまた悪平等、結果の平等だけの大学運営に戻るというようなことはあってはならないと思いますし、両方のバランスをとりながら、年末の予算編成の中に、一%ずつ減らしていくというのは別に法律で決まっているわけじゃありませんので、これはやりようもいろいろあると思います。

 ただ、事務次官なら、いろいろなことを自由闊達にまだ言えるかもわかりませんが、大臣になりますと、しかも、国会の場で御答弁をして、そのとおりにならないということについては責任問題が生じますから。まあ、一生懸命努力を私は私なりにしてみたいと思います。

石井(郁)委員 責任問題ということでおっしゃいましたので、あえてなんですが、そういう点でいうと、本当に、法人化の審議のときの大臣の御発言、御答弁こそ、責任をとっていただきたいということが大きくございます。

 それで、次に。

 さらに問題なことは、今出ておりますように、運営費交付金の配分の仕方、この見直しという問題なんですよ。それで、競争的原理を導入する、あるいは成果主義に基づくものにしていくという問題なんですが、これは主に経済財政諮問会議、規制改革会議などから強く出ている方向かなというふうに思うんですが。

 それで、先ほどもあったように、財務省も、国立大学運営交付金に関するシミュレーションを出したと。文科省もお出しになったわけですね。それは、競争原理が導入された場合は、つまりどれだけ大学が生き残れるだろうかということだったと思うんですけれども、その結果について、財務省の分と文科省がされた分と、あわせて、簡単にちょっと御報告いただきたいと思います。

清水政府参考人 先生御指摘のシミュレーションといいますか、私ども計算の一担当者でございますけれども、私ども、そのシミュレーション自体には、試算には基本的に問題があると思っています。

 と申しますのは、御案内のように、大学の基本的な機能は、まさに教育、それが本来の役割であろうというふうに思っております。そういう意味で、まさに基本法改正も、教育そして研究、社会貢献と、教育を本来の向きに置きながら改正されたわけでございますので、そういう意味で、いわゆるさまざまな形の試算、シミュレーションができるわけでありますけれども、教育や社会貢献の役割というものを大学の機能から捨象することには問題がある、こういうふうに思っております。

石井(郁)委員 数字としてちょっとお示しいただけませんか。文科省の数字だと、交付金のそういう配分の方法を変えることで一体どれだけの大学が生き残れるのか、地方大学がどうなるのかというような問題について。

清水政府参考人 御指摘ございましたように、地域における高等教育の機会あるいは人材育成という観点、あるいは産業界との共同研究、地域医療への貢献といった、そういう観点というのは、大学の役割のあり方として非常に重要な要素であろうというふうに思っております。したがいまして、私どもはこれから、中期目標期間におきます運営費交付金の算定に当たりましては、法人評価委員会が、これまでの目標、計画を踏まえながらその評価というものを行うわけでございますけれども、それを運営費交付金の算定に適切に反映させるということは当然考えているわけでございますが、今申し上げましたような大学の基本的役割というものを踏まえ、また各大学の目標、計画の達成状況、あるいはそういう意味での各大学の努力というものを十分踏まえたものになるような運営費交付金の算定について検討してまいりたいというふうに考えております。

石井(郁)委員 私も、運営費交付金を科研費で配分していくとどういうふうになるか、そういう計算自身が非常に一面的というか、大学全体を見ていないということになりますから、そういう試算自身がいかがかというのはそのとおりだと思うんですよね。ぜひ大学を全体として見ていただきたいというふうに思うんです。

 これからどうなるかということでもありますが、こういう成果主義だとか競争原理ということだけで運営交付金の配分ということを考えていきますと、悲惨な結果を招くんじゃないかということを言わざるを得ないわけでして、それは、文科省自身も試算をされたら、四十七大学がつぶれるんじゃないかということであったわけであります。

 私が大変危惧するのは、そのほとんどが地方大学や教員養成系大学だということになっていて、今、教員免許法、十年での問題、講習問題もありますけれども、一方で、ちょっと話は外れますけれども、それを、本当に受け皿というのが今度出てくるんだろうか、こういう状況を進めていったら。あの法律自身も本当にどうなんだろうかということを言わざるを得ないんですけれども、まあそれはちょっとおきましても、競争的な資金、あるいは成果主義という配分というのはやはり大学の存続自身を危うくするということで、これは厳しく見ていただきたいというふうに思います。

 それで、こういう問題が浮上しましたので、この運営費交付金の配分について、各大学、学長さんなどから非常に危惧の声が上がっていると思います。文科省にはどのように届いていますか。今、緊急声明を出した学長というのは何人に上っておられますか。

清水政府参考人 今、私どもとして具体的な、どのぐらいの、何人の学長の方々からということはちょっと申し上げる状況にはございませんが、私どものところにお見えになる学長先生、あるいは各ブロック等の会議でいろいろ考え方を取りまとめられた、そういう声、あるいは懸念の声等については、十分承っているところでございます。

石井(郁)委員 私ちょっと訂正します。先ほど、教員の免許更新で、十年で更新をするということのために、何か教員養成大学を充実しなきゃいけないみたいにとられては困りますので。私は、言うまでもなく、この免許更新そのものに反対ですから。それとは別個な意味で、教員養成系大学というのは、充実をもちろん図るということで申し上げておりますので、ちょっと誤解のないようにつけ足しておきます。

 私がつかんだことで言いますと、日本教育大学協会長の鷲山先生、東京学芸大学の学長さんは、五月、読売新聞に投稿されておりましたし、一昨日、これは要望書という形でも出されているんじゃないでしょうか。それを見ますと、運営費交付金は国立大学の根幹となる財源である、単に成果主義のみをもって配分すべきではないということや、それから、教員養成系大学・学部にとっては、運営費交付金の削減が即、教員の大幅削減につながってしまう、教員の大幅削減は、教育力の高い教員の養成や研修機能を低下させる、国の教育力低下を招くことになるということで、ぜひ御配慮をという要望を出されております。

 私が読売新聞を見ましたときには、もっと強い口調で書かれておりまして、東京学芸大学の場合、五年間で四億円削減だという目標値を達成するためには、大学教員の一割以上を削減せざるを得ない、教員養成系大学・学部はどこも似たような状況だ、行財政改革の意義は十分理解しているつもりでも、これでいいのかという疑問は消えない、こうした状況が続けば、教育や研究は壊滅的打撃を受ける、教育力の高い教師の養成や、教員の研修機能なども低下するということを述べていらっしゃいます。

 三重大学の学長さんが地元新聞の取材に答えて、財務省試算に対して、言語道断だ、そこまで減らされるともたない、中小企業は要らないという主張と同じだ、工夫して頑張ってやってきたし、評価制度も積み上げてきた、その努力を一瞬に瓦解させる案だという言い方。

 また、島根大学の学長さんは緊急声明の中で、昨今の財政当局を中心にした議論は一方的で偏っていると言わざるを得ません、競争原理のみに偏った配分が実施された場合、島根大学は存亡の危機に直面することを深く危惧していますと、大体このような声を上げていらっしゃるんですね。

 そして、これは教育再生会議あてに、京都工芸繊維大学長とか岐阜大学長、お茶の水女子大学長、総合研究大学院大学長、七人の大学学長さんがそろって要望書というか、提言に対する緊急声明を出されましたけれども、そこにも、世界的な研究拠点となる大型大学は確かに必要ですが、その他の大学を切り捨ててよいということにはなりません、それは人体から手足等を切り取って頭脳と心臓だけを残すに等しい愚行ですという表現です。国立大学には旧帝大とそれに続く少数の大学があればそれで十分だという意見は暴論ですというふうに述べていらっしゃいました。

 こうした国立大学のそれぞれの立場からの学長の声をどう受けとめるのかということについて、最後に大臣の御見解を伺いたいというふうに思いますし、大臣には、このように、運営費交付金削減が続けば、もう日本の大学は壊滅的打撃を受けるという状況をおっしゃっていられるわけですし、さらに競争的配分を続けるともう大学はつぶれるという認識に立っていらっしゃるわけですね。これはもう深刻な危機感を表明していらっしゃるというふうに思います。ですから、八十七国立大学の体制をやはり発展させる、先ほど出ている兵糧攻めによる統廃合、再編はもう絶対許さないという決意をぜひお聞かせいただければと思います。

伊吹国務大臣 先ほど田島先生にも、先生にも御答弁を申し上げているように、これはバランス論なんですね。

 ですから、私は、今るるおっしゃった各大学の先生方も、成果主義で運営交付金は配分してほしいと堂々とおっしゃればいいんですよ。ただし、その成果というのが、何か産業化と結びつくようなものをやっているのが成果だという考えはおかしいのであって、芸術で立派な人を輩出している私どもの成果も見てほしいし、将来のしっかりした教師を養成している私たちの成果を評価しないような国であってもらっては困るということだと私は思うんです。

 ですから、成果はやはり上げてもらわないといけないんです。しかし、それが産業化だとか、何か論文の数だとかということで成果の判断基準にするような国であってはならない、そういう気持ちで私はやりたいと思います。

石井(郁)委員 時間が参りました。終わります。

桝屋委員長 次に、保坂展人君。

保坂(展)委員 社民党の保坂展人です。

 私も、大阪大学と大阪外国語大学の統合に当たって、特に夜間部の学生たちが極めてこれからを危惧するという声を上げておられたということを聞きました。同僚の田島委員が先ほどやりとりを十分しておりますので、そこのところはしっかりやってほしいということを一言要請をして、きょうは、ぜひ聞きたかった教育再生会議第二次報告について、大臣も含めていろいろ御見解を問うていきたいというふうに思うんです。

 いろいろ言いたいことはあるんですけれども、非常に隔靴掻痒といいますか、教育再生会議でやっている議論が、この国会という場にはなぜか来ないですね。例えばきょうは、下村官房副長官はサミットに御同行ということで、これはしようがないですね。では、山谷補佐官はと要求しようと思いましたが、これは与党が強く反対されるというパターンで、これも呼べない。そうすると、いわゆる政府参考人で、それ以外にだれもいないのかと、こういう形になってしまいます。

 その政府参考人に仕方なく伺いますが、親学ということをめぐって、教育三法の特別委員会でも議論になりましたが、端的に短くお答えいただきたいんですが、第二次報告を見ても、親学という二文字は、私の見落としがなければ入っていないように思います。これはなぜですか。

山中政府参考人 お答え申し上げます。

 親学という言葉でございますけれども、今回の第二次報告、六月一日に出されたものでございますけれども、この中で、「心と体―調和の取れた人間形成を目指す」という中で、「親の学びと子育てを応援する社会へ」という提言がございます。こういう中で、親としての学びとか保護者を支援する政策といったことについて触れられているところでございます。そういう中で、親としての学び、子育てを応援する社会への具体的な提言というものを行っているところであります。

保坂(展)委員 委員長、時間も短いですし、貴重な税金を使って国会審議をやっているわけですから、だから政治家に来てほしいんです、本当は。

 親学が消えた理由は何なのかと聞いているんじゃないですか。今言ったのは、親学という、その文字がありますか。一応、これは何回も読んで質問に立つんですよ。なぜないんですかと聞いているんですよ。

 では、緊急アピールを見送ったのはなぜなんですか。

山中政府参考人 教育再生会議の中で、子育ての重要性、そういう中で、親の子育てについてのいろいろな学びというものを支えていくという観点から、親学についてのヒアリングと申しますか、そういう方にも来ていただいてヒアリングをしたところでございます。

 また、アピールと申しますか、いろいろな検討が行われたところですけれども、報告の中に、今申し上げましたように、「心と体―調和の取れた人間形成を目指す」というところで「親の学びと子育てを応援する社会へ」、こういう中に、そこでの検討というものを反映させていただいているというところでございます。

保坂(展)委員 これは美しい日本語も何もないですよね。もう基礎的な日本語が通じないという世界であります。

 伊吹大臣は御承知ですか、この経過。伊吹大臣の御発言や御意見も大きかったというふうに報道はされておりますけれども、いかがでしょう。

伊吹国務大臣 私も再生会議のメンバーなんですが、私は特にいろいろ考えがあって、個別の会議には出ないようにしております。総会にだけ出席をいたしておりますので、その経緯は、報道あるいは説明に来られた方々から聞いているだけですが。

 一つは、あそこで御提言になったことは、私は、私の価値観からすると、みんないいことだと思います。しかし、政府というのは政策を論ずる場所ですから、いいことだけれどもやろうと思ってやれない人たちにどうするかということを提言するのであって、やれない人に、高みにいてお説教をするというのは政府の役割ではないということを私は申し上げたわけで、そのこともよく御理解いただいたんだと思っております。

保坂(展)委員 それは正論だと思うんですね。

 私は、五月十一日に発表予定だった親学緊急アピール、ぜひ見たいんですよね。つまり、それだけ税金を使って教育再生会議をやっているわけですよね、議論しているわけです。恐らく委員の方は、よかれと思って、親の心得や、あるいは、こうしましょうというようなことを、こういうアピールを出そうという原案は恐らくあったものと思うんですね。そういうものを示すということを再三求めても、やりませんということで、私どものところには何も来ません。

 議論するのも非常にやりにくいということを言いつつ、高橋史朗さんという、これは埼玉師範塾理事長、親学会副会長、親学推進協会理事長の方ですが、教育再生会議の分科会に来て御意見を述べた。この中に、脳科学に基づく親学が時代の要請であるということを言われているんですね、脳科学。

 それで、親学は消えているんですけれども、脳科学はあったんですよ、これ。

 再生会議の提言の一には、「国は、脳科学や社会科学など関連諸科学と教育との関係について基礎的研究を更に進めるとともに、それらの知見も踏まえ、子供の年齢や発達段階に応じて教える徳目の内容と方法について検討、整理し、学校教育に活用することについて検討する。」これも、非常に日本語としてこなれていない文章だと思いますけれども、脳科学ということを位置づけています。提言三にも、「国は、脳科学や社会科学などの科学的知見と教育に関する調査研究などを推進し、そこで得られた知見の積極的な普及啓発を図り、今後の子育て支援に活用する。」ということなんですね。

 ここで、文部科学省の研究部門の局長さんに率直に聞きますけれども、この脳科学というものは、確かに近年発達をしてきている、飛躍的だとも言われている。しかし、その中で、要するに、子供はどうやって感情を獲得するのか、あるいは、基盤の、心と脳の関係なんというのはまだまだなかなかわかってないんじゃないかなという議論もございます。

 例えば、脳科学と言われるものの水準の中で、三歳まではこうとか、五歳まではこうなるということでの知見が、ここでほぼ固まったという段階にあるのかどうかということについて伺いたいと思います。

徳永政府参考人 お答え申し上げます。

 脳科学と申しますのは、一般的に定義はございませんが、私どもは、遺伝子解析等の分子生物学、あるいは分子イメージング、あるいは機能性核磁気共鳴画像法、こういった手段を使いまして、脳機能の解明をするという学問だと思っております。

 近年、御指摘のように急速に発達をしているわけでございます。例えば、そういう中で、ネズミ等を使いまして、視覚がいつまでに形成されるというようなことは最近出てまいりました。正直申しまして、そういう臨界期というようなことの、いわば脳の変化ということがいつ起こりやすいのか、あるいは、この時期を過ぎて変化は生じにくくなるけれども、その生じにくさとか時期は、脳の部位、いろいろなところが関与しているということがわかってまいりましたが、ただ、今までに明らかになっているのは、動物実験を使った視覚、あるいは人のこれまでの経験を使いました視覚野というようなところだけでございます。

 一方で、よく三歳までにとか五歳までにということが言われますが、そういうことにつきましては、多くの場合、そういったものは発達心理学等の知見からもたらされたものでございますが、例えば乳幼児期につきまして、発達心理学においては、感覚、知覚、認知、行動、睡眠、リズム、こういったものが学習される時期であるというようなことが述べられておりますが、脳科学研究の立場からは、そういったことが先ほど申しましたような分子生物学でありますとか分子イメージング、そういったようなことでは、まだ必ずしも解明されておりません。これからこの分野では、解明されるべき事柄、研究を進めるべき事柄がまだまだ大変多いのではないかと思っております。

保坂(展)委員 私どもは、昨年でしたか、理化学研究所に行きました。そして、そこで脳科学総合研究センターというところにも行って、いろいろ、昨今のいわゆる脳の機能の研究の水準ということについて聞きました。ゲーム脳というのはどうなんですかという議論がございまして、これは神経神話という話ですねと。

 ゲーム脳というのは、一般には相当信じられているんです。ゲームばかりしていると脳がゲーム脳になっちゃう、PTAの研修会とかでそういう議論がありますけれども、これは全然実証的ではないし、いわば俗論の話だ、そういうことを理化学研究所で私も聞いていたので、今の答弁は納得できるんですが。

 もう一つ伺いますが、脳科学の発達によって、乳幼児期における神経回路の形成は母親からの刺激によって形成されるということが定説化しているのかという点。もう一つ、保育施設などで育つ子どもが心と脳の発達が阻害されるというおそれが脳科学上あるのか。これは聞かなくてもわかるような気もしますが、一応、念のため。

徳永政府参考人 お答え申し上げます。

 神経回路が遺伝的なプログラムと外界からの刺激によって形成される、そういうことはわかっておりますが、その詳細な仕組みはまだ未解明でございまして、研究を進める必要があると思っております。

 母親からの刺激というものは外界からの刺激の一つであると当然考えられておりますし、また、ラットの研究では、子をよく育てるラットとそうでないラットの子を比較しますと、海馬の神経回路の構造に差が出るというような研究成果もございますが、ヒトの脳に関しては、そういったことはまだ定説化されているわけではございません。

 また、今おっしゃいました、施設で育った子供云々ということについては、一般的に、最近ではさまざまな実験方法が発達をしてまいりまして、イメージングということを使いますと、例えば、友達や親とコミュニケーションをとると大脳の前頭連合野が活発に活動するというようなことは確認されておりますが、ただ、それは、ある一定程度大きくなったお子さんにつきまして、母親や友達とコミュニケーションをとったときは活発に脳が動いているということでございますが、乳幼児の段階、あるいはそうでないときでも、いわば施設で育った子供が心や脳の発達を阻害されるというようなことは、脳科学の場では検証されておりません。

保坂(展)委員 ちょっとこれは重要なので、政府の答弁でとんでもないことを言ったということになるとまずいので。

 施設で育った子供の議論はあるんです、脳科学の中で。今私が言ったのは、保育所ですよ、保育所。それを聞いて今の答弁でいいんですか。

徳永政府参考人 基本的に、保育所であるから、あるいは母親のもとで育たなければいけないとかいうことに関して、そのことが心や脳の発達に影響を与える、あるいは阻害をするというようなことについては、脳科学の分野では、科学的な検証はいまだなされておりません。

保坂(展)委員 そういうことです。

 もう一点だけ聞きますけれども、OECDのウエブサイトを見ると、神経神話について説明するページがございまして、いわゆる神経神話と言われることを取り上げているんですね。世界じゅうでの議論なんだろうと思います。

 一番目に、脳は、ある種の情報については臨界期と呼ばれる特定の期間に限り可塑性を示すんだ、その結果、生後三年間がその後の成長と人生の成功に決定的な役割を果たすという説。二番目に、豊かな環境が脳の学習能力を高めるなどのカテゴリーが紹介されているんですが、今挙げた二点について、どうでしょうか、見解は。

徳永政府参考人 お答え申し上げます。

 先ほど言いましたように、臨界期ということがだんだん研究が進んでまいりました。しかしながら、まだそれは、視覚野ということについてはかなり研究が進んでおりますが、そのほかの機能については、いまだ解明されていないところが多いのでございます。したがいまして、例えば、生後三年間の人生が決定的に大事だというようなことを結びつけるところまでは進んでおりませんから、決めつけは適切ではないと思っております。

 あるいはまた、豊かな環境ということにつきましても、ラットの実験の結果、先ほど言いましたように、子をよく育てる親とそうでないラットを比べて云々という実験結果はありますが、そういったことをヒトに対し安易に一般化するということは適切ではないと思っております。

保坂(展)委員 私は、十二年前に、公文塾という全国チェーンの会長さん、創設者、亡くなりましたが、公文公さんという方が、晩年、早期教育に非常に凝られて、「二歳で本が読める」という本を出版されて、帯に三歳からでは遅過ぎるというふうに書いてあって、大変なブームというか、反響を呼んだんですね。

 また、胎教という、赤ちゃんがおなかにいるお母さんの教室、こういうところにも、どうなっているのか、いろいろ、当時、十二年前、調べたところ、音楽をかけて、おなかの大きなお母さんがおなかに手を当てて、日本地図を見て火山帯の歌を聞くんですね。「千島火山帯、那須火山帯」と。火山帯だと、胎教にね。(発言する者あり)いやいや、それを大まじめにやっていました。それから、おなかに手を当てて、砂で書かれたアとかイという文字にさわってください、赤ちゃんにアだよと語りかけてくださいねとかというのを十二年前やっていました。

 結局、脳科学の問題というのは、結構そういう商売というか、早期教育産業にも、あるいは生まれていない、胎教産業にも、かつて使われてきたわけでございます。

 そこで、初中局長に伺いますが、教育再生会議がこうやって、脳科学の知見を学校教育に使えと提言をされているわけですが、どういうふうに考えますか。

銭谷政府参考人 文部科学省初中局におきましても、キレる子供というのが非常に問題になったときに、その原因や背景にいろいろな説がございましたので、研究会を組織いたしまして、いろいろな学者の方々のお話を伺ったりしたことがございます。

 そのときも、結局、例えば、子供の成長にとっては愛着形成の重要性ということが言われたわけでございますけれども、そういったことも、結局、今大体わかっているのは、発達心理学の分野において知見が積み重ねられているということが明らかになっておりまして、いわゆる脳科学の見地からの検証というのはこれからの課題であるというふうに承知をいたしております。

保坂(展)委員 伊吹大臣、一応私も、少ない資料の中で、報道されたものの中から、一生懸命、教育再生会議の議論、議事録ももらいまして、読んで、バックグラウンドの著作なども読ませていただいて、大変いいことも提言の中にあるんですが、今回、親学はないけれども、脳科学というものが入ってきて、この使い方を誤れば、今局長が答弁されたように、まだわかってないですよね、ネズミの実験、ラットの実験では幾らかわかったこともある程度の状態であって。

 一番まずいのは、三歳までとか五歳までと、こういうふうにやると、ああ手おくれなんですかと、親たちが非常にこういう焦りに追い込まれていくということがあるんですね。私も早期教育の本を書いたところ、うちの娘は二歳半で、学業には不向きとあきらめていたところ、私の本を読んで励まされたとか、そういうお母さんからの手紙が十数年前でも相当来ました。要するに、育児不安というのがあるわけですね。

 というところで、何歳と切ったり、脳科学という、まだ定立していないもののゲージを余り乱暴に当てはめて、こうしなさい、ああしなさいというふうなことは、まあ、始まらないだろうとは思うんですけれども、やはり注意を払っておいた方がいいだろうというふうに思って、今質問を、やりとりをさせていただきました。御感想を。

伊吹国務大臣 まず、昔天才今凡人という言葉もあるわけですから。

 私は、確かにお母さんが安らかな気持ちでいると胎児がすくすく育つとか、母乳を飲むと、母乳からそのお母さんの免疫が子供に伝わるとか、わかっていることはやればいいと思いますが、そうじゃないことについては、いろいろ、思い込みだけでやることは慎重であるべきでしょうし。

 再生会議は、私が伺っていて、ほとんどはいいことを言っておられると思いますよ、ほとんどは。しかし、それを現実の法律や予算の制約の中でどういうふうにやるのか、そして、憲法による日本の統治の仕組みの中で、どう実現していくかというのは最終的には私なり内閣が判断をして、国会の御判断を仰ぐということですから、先生も、再生会議がどう言ったからということを余りやり過ぎると、再生会議が大きく見えちゃうんじゃないんですか。

保坂(展)委員 いや、そんなことはないんですよ。

 銭谷局長に伺いますが、再生会議の議論、例えば授業時間の一〇%増というのも出しているでしょう。これだって、一〇%ふやせば学力がどうなるのかなんという実証的な研究というのはないわけですよ。しかし、それが本当に立法過程に入ってきたら、初中局だって大変でしょう。

 教科書が薄くなった。確かに薄くなっているんですよ。昔は厚かったですね。厚いのも、これは結構重くて困ったんですよ。それで、私が思うには、教科書を厚くしろという提言と全教室にITを導入しろという提言は矛盾しているんじゃないか。ITを子供たちに全部配付するのであれば、教科書はむしろもっと薄くなるという感じもするわけですね。

 どうも、文部科学省を別に褒めるわけじゃありませんが、私ども、役所が整理してそれなりに秩序立って書かれていた提言を見なれているんですが、あちこち弾は撃っているけれども、非常に系統性というものを感じられない。例えば今の一〇%増と、教科書を薄くする、ITを入れるというのとどういう関連があるんですか。初中局はどう受けとめて、その政策化をするんですか。

銭谷政府参考人 先ほど大臣からも御答弁がございましたけれども、私ども、閣議決定に基づきまして設置をされました教育再生会議の提言は、これは真摯に受けとめて、具体の政策形成に当たってよく検討していかなければならないと思っております。

 こういう再生会議の提言を含めまして、国会における御議論も十分踏まえまして、これから学習指導要領の改訂の作業に入っていくわけでございますけれども、その際には、今申し上げましたような観点を踏まえまして、中央教育審議会で十分御議論をいただき、最終的には、先ほど大臣がお話し申し上げましたように、文部科学大臣のもと、文部省として責任を持って判断をしていきたいと思っております。

保坂(展)委員 もう一つ、大学、大学院改革でも、競争的資金をどかんと入れて効率的にシャッフルするんだということを書いてありますね、第二次報告。先ほど、石井委員の質問に対して伊吹大臣が言ったことは大事だと思います。産業界の要請みたいなところだけががんがん進んでということではいけないだろうということでしたが、これはどういうふうに受けとめて政策化する予定なんでしょうか。

伊吹国務大臣 先生、再生会議の議論をいろいろお取り上げになっていますから、第二次報告を詳細に読んでやっていただきたいと思うんですが。私学助成それから大学運営交付金のような基盤的経費を十分確保した上と書いてございますよ。まずこれを十分確保した上ということを再生会議は言っておられるわけです。その上に競争的資金と言っておられるんだから、私はそれで結構だと思っております。

保坂(展)委員 とにかく隔靴掻痒なので、ぜひ委員長にお願いしますけれども、今国会中に、少し、再生会議の論者も呼んで、話題になったことを議論しましょうよ、せっかく教育を議論しているわけですから。そして、再生会議を気にするなと言われるんですけれども、国会が閉じているうちに法律になって、また何か連日の審議なんというふうになったらたまりませんので、ぜひ与野党を超えて、お願いします、委員長。

 では、終わります。

桝屋委員長 ただいまの御提言については、理事会で協議したいと思います。

 これにて本案に対する質疑は終局いたしました。

    ―――――――――――――

桝屋委員長 これより討論に入るのでありますが、その申し出がありませんので、直ちに採決に入ります。

 内閣提出、参議院送付、国立大学法人法の一部を改正する法律案について採決いたします。

 本案に賛成の諸君の起立を求めます。

    〔賛成者起立〕

桝屋委員長 起立総員。よって、本案は原案のとおり可決すべきものと決しました。(拍手)

 お諮りいたします。

 ただいま議決いたしました法律案に関する委員会報告書の作成につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

桝屋委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

    〔報告書は附録に掲載〕

    ―――――――――――――

桝屋委員長 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。

    午前十一時四十七分散会


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