衆議院

メインへスキップ



第3号 平成20年3月19日(水曜日)

会議録本文へ
平成二十年三月十九日(水曜日)

    午前九時開議

 出席委員

   委員長 佐藤 茂樹君

   理事 伊藤信太郎君 理事 塩谷  立君

   理事 鈴木 淳司君 理事 渡辺 具能君

   理事 小宮山洋子君 理事 牧  義夫君

   理事 富田 茂之君

      阿部 俊子君    井脇ノブ子君

      飯島 夕雁君    浮島 敏男君

      小川 友一君    小渕 優子君

      岡下 信子君    加藤 紘一君

      近藤 基彦君    佐藤  錬君

      篠田 陽介君    鈴木 恒夫君

      寺田  稔君    中森ふくよ君

      原田 令嗣君    平口  洋君

      藤田 幹雄君    二田 孝治君

      保坂  武君    馬渡 龍治君

      松野 博一君    盛山 正仁君

      山本ともひろ君    石川 知裕君

      楠田 大蔵君    田島 一成君

      田名部匡代君    高井 美穂君

      土肥 隆一君    藤村  修君

      松本 大輔君    山口  壯君

      笠  浩史君    鷲尾英一郎君

      西  博義君    石井 郁子君

      日森 文尋君    保坂 展人君

    …………………………………

   文部科学大臣       渡海紀三朗君

   文部科学大臣政務官    原田 令嗣君

   文部科学大臣政務官    保坂  武君

   政府参考人

   (文部科学省大臣官房長) 坂田 東一君

   政府参考人

   (文部科学省大臣官房総括審議官)         合田 隆史君

   政府参考人

   (文部科学省大臣官房文教施設企画部長)      舌津 一良君

   政府参考人

   (文部科学省生涯学習政策局長)          加茂川幸夫君

   政府参考人

   (文部科学省初等中等教育局長)          金森 越哉君

   政府参考人

   (文部科学省高等教育局長)            清水  潔君

   政府参考人

   (文部科学省研究開発局長)            藤田 明博君

   政府参考人

   (文部科学省スポーツ・青少年局長)        樋口 修資君

   政府参考人

   (文化庁次長)      高塩  至君

   文部科学委員会専門員   佐久間和夫君

    ―――――――――――――

委員の異動

三月十九日

 辞任         補欠選任

  飯島 夕雁君     篠田 陽介君

  近藤 基彦君     寺田  稔君

  福田 峰之君     浮島 敏男君

  田島 一成君     田名部匡代君

  笠  浩史君     石川 知裕君

  日森 文尋君     保坂 展人君

同日

 辞任         補欠選任

  浮島 敏男君     福田 峰之君

  篠田 陽介君     飯島 夕雁君

  寺田  稔君     盛山 正仁君

  石川 知裕君     鷲尾英一郎君

  田名部匡代君     田島 一成君

  保坂 展人君     日森 文尋君

同日

 辞任         補欠選任

  盛山 正仁君     近藤 基彦君

  鷲尾英一郎君     笠  浩史君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 政府参考人出頭要求に関する件

 公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律の一部を改正する法律案(内閣提出第一九号)

 文部科学行政の基本施策に関する件


このページのトップに戻る

     ――――◇―――――

佐藤委員長 これより会議を開きます。

 文部科学行政の基本施策に関する件について調査を進めます。

 この際、お諮りいたします。

 本件調査のため、本日、政府参考人として文部科学省大臣官房長坂田東一君、大臣官房総括審議官合田隆史君、大臣官房文教施設企画部長舌津一良君、生涯学習政策局長加茂川幸夫君、初等中等教育局長金森越哉君、高等教育局長清水潔君、研究開発局長藤田明博君、スポーツ・青少年局長樋口修資君及び文化庁次長高塩至君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

佐藤委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

佐藤委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。小宮山洋子さん。

小宮山(洋)委員 大臣所信を受けての冒頭の質問でございますので、主に大臣と、学校で子供たちがどういう力をつけるというふうに文部科学省では考えて今取り組んでいるのかという、少し基本的なお話を中心にさせていただきたいというふうに思います。

 昨日も富田委員の質疑の中で、いろいろ今度の新しい学習指導要領の中でこういうことをというお話はございましたが、大臣は、そもそも学校で子供たちにどういう力をつけることが必要なんだとお考えなのかを冒頭伺いたいと思います。

渡海国務大臣 久しぶりに小宮山委員と質疑をさせていただくわけでございます。

 子供たちにどういう力をつけるかということでございますが、基本的に、やはり一言で言いますと、今回の理念でもあります生きる力。要は、学習をして基本的な知識、技能を身につけて、そして、これはまずそういう基本的な知識を身につけていただくということが大事だろうと思っております。ただ、知識というのは社会にそのまま生きるわけではありませんで、現在、非常に多様な社会でございまして時代の変化も激しいということを考えますと、やはりその知識を使ってといいますか、知識をもとに社会でそれを活用していく、いろいろな判断をする。また、人間社会でございますから、いろいろコミュニケーションを図ったり表現をしたりして、そういったところで生きていく、生活をしていくという力をつける。加えて、あえて言うならば、健やかな体力といいますか、精神力といいますか、知徳体とよく言われますが、そういった子供たちの力というものをつくるのが私は学校の使命であろうというふうに思っておるところでございまして、今回の学習指導要領の中でもそういったことを配慮して、さまざまな工夫をさせていただいているというふうにお考えをいただきたいと思います。

小宮山(洋)委員 今回、学習指導要領が改訂されようとしているわけですけれども、どうも国としての方針が揺れているのではないかというふうに、一般的にといいましょうか、町の中では言われている部分がございます。

 昭和五十二年の改訂で、ゆとりある充実した学校生活の実現と言われまして、平成十年の改訂で、みずから学び、みずから考える力などの生きる力の育成と、ここで生きる力という言葉が出てきているわけですけれども、その中で総合的な学習の時間が新設されたわけですね。ところが、今回の改訂では、後ほど議論させていただきますが、学力が下がったという批判を考慮してか、総合的学習の時間が削られまして、授業時間がふやされている。

 それで、こちらに、「生きる力」「「理念」は変わりません 「学習指導要領」が変わります」というQアンドAが一月に出されておりまして、これを拝見したんですけれども、なかなかよくわからない部分がありまして、現場でも大変困っている、混乱しているという声もあるんですけれども、そのあたりはいかがでしょうか。この「生きる力」「「理念」は変わりません 「学習指導要領」が変わります」というのはどういうことなんでしょうか。

渡海国務大臣 まさに、さっき御質問をいただきましたように、生きる力というのは、私は、幾ら勉強しても、知識があっても、それを社会において活用することができなければ、これは単なる机上の空論になるわけでございますから、それをきっちりと社会に応用していくというか、社会で生活をしていく、こういう力をつけるということを生きる力と理解いたしております。

 そういった意味では、今回の学習指導要領の改訂においても、目的とする理念、これに変化はない。ただ、前回の学習で、ややもすれば実はそういった趣旨がうまく現場に伝わらなくて、これは先生が悪いとか、伝えた方が悪いとか、そういうことを言う以前に、やはりうまく伝わっていなかったという反省はしっかりとしなきゃいけない。

 そのことを考えた上で、何が足りなかったかということを考えますと、先生、質問の数が多いですからできるだけ簡単に申し上げますが、総合学習というのが非常に、現場でいろいろな形がありまして、うまくいっているところは大変うまくいっていると思います。しかしながら、なかなかうまく活用されなかった。

 そういう反省も踏まえて、具体的に、時間数においても足りなかった部分はふやし、そして中身においても、今言いましたような理念がより生きるような、そういった形で今回の学習指導要領を改訂したというふうに御理解をいただきたい。具体的なことについては、委員よく御存じだと思いますから申し上げませんが、そのようにお考えをいただいたらいいかと思います。

小宮山(洋)委員 多分これは、先生方に向けて、一般の方にも配られているんでしょうか、このQアンドAを読むとかえってわからなくなってしまうようなところがありまして、大臣のお話はよく理解できる部分はあるんですけれども、ゆとりから詰め込みじゃないかというQに対しては、「「詰め込み教育」への転換ではありません。」授業時数の増加は必要ですけれども、指導内容をふやすことを主な目的とするものではありませんというようなことがございましたり、きのうからも議論になっていますけれども、文部科学省による生きる力の意味や必要性についての周知徹底が必ずしも十分でなかった、学校関係者や保護者、社会との間に十分な共通理解がなされなかったというようなことが課題だったと言われているんです。

 それでは、この課題に対して、今回新しい学習指導要領はどのようにこたえていこうとしているのか、そこの具体像が見えないので、何となく頭の部分の理念だけで言葉が行き来しているように感じてしまうんです。では、具体的にどうやって理解が十分でなかったところを、授業時間はふやすんだけれども中身をふやすわけじゃない、その辺のハウツーがよく見えないというあたりが混乱のもとかなと思うんですけれども。

渡海国務大臣 委員が御指摘になったようなことが起こらないように、十分にこれから一年かけて徹底をしてまいりたいと思っておりますが、その趣旨は、中身はふやさないんだと言ってしまえば、これは誤解が生じると思います。事実、ふやしている部分もございます。特に理数系におきましては、前回かなり大胆に、中身を三割ぐらい減らしたというふうに言われております。三割というとらえ方は非常に難しいわけでありますけれども、そういうことも含めて、今回、やはりふやすべきところはふやさなきゃいけないということも考えております。

 ただ、時間数に関して言えば、ふやした部分をすべて内容をふやすという部分に使っているわけではありませんで、例えば、これは数学でいいますと、約三割弱時間をふやして、その中で内容をふやしている部分は、その三割ふやした部分を十としますと七割ぐらいは内容はふえています。あとの三割は、反復といいますか、繰り返して学習をすることによって効果を上げるといったような、子供の負担が過度にふえないようにということも配慮いたしております。

 なお、順序が少し逆になりましたけれども、全体として、やはり活用力といいますか、そういうものを身につけさせるためには、言語力といいますか、全体を通して言葉の力をもっと持つようにというふうなこと、また、主に授業の仕方として、単に覚える、そして教えるというだけではなくて、見るとか体験する、それから実験してよくわかるようにするとか、こういったことをより具体的に指導していく。これをこれからの一年間を通じて、そういうことなんだということをきっちりと現場に伝えていきたいというふうに思っておるところでございます。

小宮山(洋)委員 大臣のお話を伺うと、私もそのとおりだというふうに思うんですけれども、せっかくQアンドAをつくっているのに、QアンドAの中で、内容をふやすわけじゃないとか、何か弁解めいた、ゆとりから急にかじを切ったと思われないような言葉が並んでいるので、かえって誤解を受けるのではないか。もうちょっと具体的に現場に対してイメージがわくようなものをつくられる必要があるんじゃないかなと思うんですね。

 もう一点だけ伺いたいんですけれども、五つの課題がこれまであったと。その課題の五のところに、「豊かな心や健やかな体の育成について、家庭や地域の教育力が低下したことを踏まえた対応が十分ではなかった」というふうに書かれているんですけれども、これは、家庭や地域の教育力が低下したと一般には言われておりますけれども、何を根拠にこういうようなことを言われて、それを文科省としてはどうしようとされているのかというのをちょっと教えていただきたいと思います。

渡海国務大臣 家庭の教育力というのは大変難しい問題だと思います。

 国によっていろいろな制度というのは違いますが、私はいつも、これは全く個人の私見でございますが、アメリカなんかは結構乱暴なことをやるんですね。あそこの家がどうも親のできが悪いというような社会の声がありましたら、親から親権を剥奪して、そういうこともやる場合があるんですね。ただ、やはり家庭というのはなかなかいろいろな意味で踏み込んでいくというのは難しいわけでございますから、そういったことを考えたときに、家庭教育というものをどうやって考えていくかというのは、大変これは大きな課題だと思っております。

 ただ、委員御指摘の、数は数えていただいて結構ですから、どういうことを根拠にというのは、ちょうど平成十三年度に調査を実施しておりまして、家庭の教育力再生に関する調査研究、これは、アンケート、きのう詰めました。要するに、子供を持っている親と書いてありますから、では親は自分の敗北を認めているのか、そういうことではなくて、一般的に家庭の教育力が落ちていると言われているけれども、あなたはどう思いますかというアンケートに対しては、七割の御家庭が実は教育力が低下していると実感している、こういう回答が寄せられているわけでございます。

 平成十七年に、地域の教育力、こういう調査もやっておりますが、これも過半数の保護者が、地域の教育力が自身の子供の時代と比較をして低下している、こういう一般国民のアンケートがあるわけでございまして、これは、そういうふうに多くの国民が見られているということはやはり事実なんだろうなと受けとめなきゃいけない。根拠と言われますと、こういうことが根拠になっている。

 私自身も、大臣どう思われますかと言われれば、最近の家庭を見ているといろいろ考えさせられるところがあるなというのが実感でございます。

小宮山(洋)委員 そうですね。何をもって家庭の教育力、地域の教育力が低下をしていて、そこに国というか文部科学省がどうそのことに対して対応するかというのは、おっしゃるように大変難しい問題だと思います。

 今、大体家族の平均の人数が二・五人に減ってしまっていて、なかなか上の世代から家庭の中で教わるということもないし、今、地域の再生とかコミュニティーの再生というようなことも言われていますけれども、やはり地域の中で子育てをしたり高齢な方を見たりということも必要になってくると思うんです。それとやはり、学校が子供に対してすべきことと、親がやること、地域がやること、その辺の役割分担をきちんとするということと、連携をとっていくということがいろいろ必要になってくると思いますので、そのあたりは、かなりプライバシーの部分等いろいろ難しいと思いますけれども、子供を中心に置いて、子供にとって何が必要でどうしたらいいかということで、ぜひそのあたりを具体的にイメージがわくような提示の仕方をしていただければいいなというふうに思っています。

 学習指導要領についてもう一点だけ伺いたいのは、スケジュールで、三月十六日ですから、三日前までパブリックコメントをとっておられました。それで、三月下旬にはもうこの改訂が告示されるということなので、いつも、パブリックコメントを最近いろいろなものでとりますけれども、それがどのようにきちんと反映されるのかというふうに思うんですが、その点はきちんとやはり、とったパブリックコメントは聞きっ放しではなくて、今度告示されるものに反映されるんでしょうか。

渡海国務大臣 当然そうならなきゃいけないと思っておりますし、そうするつもりでございます。

 今までの経緯から申し上げますと、これは中間報告の段階でも実はパブリックコメントをとらせていただいております。その段階では、審議のまとめということで、パブコメを十一月八日から十二月七日まで募集をいたしておりますが、意見募集では千百四十件の意見が寄せられております。

 例えば、生きる力という理念が実現しなかった原因について、文部科学省の周知が不十分である、こういう御指摘がございました。こういうのを受けて、文部科学省による趣旨の周知徹底が必ずしも十分ではなかったというような記述を指導要領の中に正直な反省として書いていただいたところでありますし、授業時間数の増については、単に授業時間数を増加するだけではなくて条件整備が必要、こういうこともございましたので、教育条件の整備等を含めた新学習指導要領の円滑な実施というふうな記述も実は入れさせていただいたところでございます。

 予算においても、こういうことを反映してというか、教育三法もあったわけでございますが、千人の定員増ということも我々なりには努力をさせていただいたつもりでございます。

 そういうことを含めて、パブリックコメントというのは反映をしているつもりでございますが、なお、今回の告示に対しても、今集計中でございますが、それらの意見をしっかりと反映させるつもりでございますので、そのように御理解をいただきたい。

 一点だけ。先ほどの御質問で、地域、家庭、学校の連携の話がございました。この問題は非常にやはり我々も重要に考えておりまして、実は省内で検討チームを立ち上げております。そして、家庭、学校、地域、社会におけるさまざまな教育の充実のために、いろいろな有識者の意見を聞き、検討する。この中で実は、家庭教育というのを再度見直してみよう、地域との関係を再度見直してみよう、こういうことも今やろうとしているということも御報告をさせていただきたいというふうに思います。

小宮山(洋)委員 学力が下がったと言われるのは、これも余り、国内の学力調査で、これをもとに下がったということではないのではないかと思いまして、一番今言われているのが、PISAの調査で下がっているということがあるのかと思うんですね。

 このPISAは、OECDが十五歳を対象に実施する国際的な学習到達度調査ですけれども、二〇〇〇年から三年ごとに行われていまして、二〇〇〇年は読解力、二〇〇三年は数学的リテラシー、そして二〇〇六年に科学的リテラシーが中心分野として行われているわけです。

 二〇〇六年には五十七カ国・地域の約四十万人が参加して、日本からは約六千人の高校一年生が受けたということですが、日本は、三年ごとですけれども、読解力が八位、十四位、十五位と下がっている、そして数学的リテラシーは一位、六位、十位と下がってきている、そして科学的リテラシーは二位、二位、六位と下がっている。

 これはなぜなんでしょうか。あるごとに、教育の方針のこれは一つの結果というか、一つの調査結果をもとにして見直してきているというふうには聞いているんですが、これだけ下がっていると、その見直しがうまくいっていないのかなと思うんですが、その点はいかがでしょうか。

渡海国務大臣 PISAの結果につきましては、今委員おっしゃったとおりでございます。

 実は、昨年の発表のときに事務総長が私のところへ来られまして、今回東京で発表されたわけでございますが、いろいろなお話をしていただきました。この見方はいろいろあると思いますが、実は、PISAのテストの一番ちょっと我々としては読みにくいところは、テストの分析の内容というものについて順位が示されたり、それから集計をした点数が、五百点を一つの標準にして、そういうやり方だそうでございますが、具体的中身はどうなっているかということは公表しないということでありまして、一概に読むというのはなかなか難しいなと私も正直感じておりますけれども、しかしそうやって順位が下がっている。

 ただ、元文部大臣をやられた有馬先生なんかにお話を聞いておりますと、実は参加国も随分ふえてきて、二〇〇三年と二〇〇六年ということで一概に簡単には比較もできないから、そんなに悲観したことないよというような話もされます。それから、定点調査といいますか、四十年代とそしてその真ん中あたりと今と比べて、別に点数が下がっているわけじゃないじゃないかと。

 ただ、懸念すべきは、やはりそうはいいながら、読解力というものについて、ほかの国に比べると、知識の習得率に比べると順位が低い、この傾向が非常に出ている、また全国学力テストでも出ているわけでありますから、このことはやはり反省をしなければいけないだろう。今までお話をいたしました学習指導要領の中でも、目的というお話がありました、どういうことで力をつけるのかというお話もございましたけれども、その分析も同じ方向であるということでありますから、それはやはりそういうふうに見てしっかりとやっていかなきゃいけない。

 そして、今どういうふうに生かされているかというお話があったわけでありますけれども、実際、二〇〇六年の前に、二〇〇三年の結果を受けまして、そのことをしっかりとやはり考えなきゃいけないということで、平成十七年に読解力向上プログラムというのを策定いたしまして、いろいろ学校現場で実施するようにいたしております。平成十七年というと、これは二〇〇五年でございますから、その結果が二〇〇六年にまだ反映していないのかな、そのような見方もできると思います。

 いずれにいたしましても、我々としては、こういった結果をやはり真摯に受けとめて、反省すべきところは反省し、そして改善すべきところは改善をするという努力をしていくことが大変重要であろうと思います。

 一点だけ言わせてください。私が一番心配しているのは、これは事務総長からも実は指摘をされたことでありますが、科学に対する関心が低いんですね、調査で。これはやはり、我が国の成り立ち、またこれからのことを考えますと非常に懸念される部分でございまして、ぜひ、理科の教育とか科学者を育成していくといった点については、より今後とも重点的にいろいろな政策を私は考えていきたいな、そんな感想を持たせていただいております。

小宮山(洋)委員 私も、必ずしもこれで一喜一憂する必要があるとは思わないんですけれども、せっかく新しい学習指導要領をつくるときに、こうしたことをしっかり生かしていく。先ほどからおっしゃっている、生きる力を使えるようにしていくというところがやはり足りないんだというふうに思うんですね。今もおっしゃったように、やはりPISAの調査では、思考プロセスの習得とか概念の理解とか、さまざまな状況でそれらを生かす力というものを重視している。知識、技能を実生活に応用できるかどうかを主眼としている。その点が足りないという。多分こういうことが、生きる力を使える力にしていくという、今回一番重点を置かなきゃいけない部分ではないかというふうに思うんですね。

 例えば、PISAの調査の具体的なものをちょっととりましたら、次の課題を読んで以下の問いに答えてくださいというので、温室効果、今の温暖化の問題ですが、これが事実かフィクションかということとか、それから落書きが、これはいけないものか、それも芸術の一種かとか、結構、日本の学校で教えていることとは全く違う、本当に思考とか応用力とかが試されるようなものが出ているわけですね。ですから、こういうような力を今の教育ではどちらかというとつけていないのではないかというように思います。

 それでまた、今理科のお話もございましたけれども、この調査では生徒自身に関する情報を集めるために質問も実施をしている。その中で、日本の生徒は、対話を重視した理科の授業とか、モデルの使用や応用を重視した理科の授業、こうしたことは余り活発に行われていないと認識をしている。また、私の学校の理科の授業では、多くの異なる職業につくための基礎的な技能や知識を生徒に教えているという質問項目に肯定的に回答した日本の生徒の割合は非常に少ない。こういうことがやはり問題で、こうしたことに対応する必要があるんじゃないかと思うんですが、重ねていかがでしょうか。

渡海国務大臣 全く先生の認識で、それが正しいんだというふうに言わせていただきたいと思います。私もそんなふうに思っておりまして、ある種の危機感を正直その分野では持っておるわけでございますが、やはりこれは教え方にも問題があったんじゃないか。低学年では割といいんですよね。それがだんだんだんだん興味がなくなっていく傾向にあるということは、それはやはり教え方に問題があると見るべきだろうと思います。

 今回の指導要領の改訂ではその辺に配慮いたしまして、実験とか体験をふやし、やはり子供が興味を持って、おもしろいと思わないと勉強も進まないですから、そういう授業をできるだけするように現場の教師にも指導していきたいと思いますし、また、ただ単にやるということだけではだめなわけでございまして、やはりいろいろな機会に先生方の方も研修をしていただくなり、そういった機会をできるだけふやしていくということが大事であろうというふうに思っております。

 いずれにいたしましても、日本は知識は持っているけれどもとにかく読解力とか応用力とかディベート力がないというのは、これはもう長年言われている、我々の子供のころからひょっとしたら言われていたかもしれません。そういうことも含めて今後の教育の大きな課題として取り組みますし、今回も、そういうことも念頭に置きながらこの指導要領をつくらせていただいたというふうに御理解をいただきたいと思います。

小宮山(洋)委員 やはり子供が興味を持って理科の授業とかを受けるためには、先生自身が興味を持ってというかおもしろがってやらないといけない。それにはやはり先生の数とかゆとりのなさということが影響してくると思いますので、先ほど千人増員というお話があって、これはまた後ほど法案審議でも質疑があると思いますけれども、まだまだやはり突破しなければいけない壁があると思いますので、そうした体制整備もしないと、なかなかお題目だけではいかないかな。ぜひもっと力を入れていただきたいと思います。

 それで、一つヒントとしては、このPISAの調査で一番成績のいいのがフィンランドで、科学的リテラシーが一位、読解力と数学的リテラシーは二位ということですね。

 私も、おととしですか、ちょっと見に行かせていただきましたけれども、フィンランドでは、一つは、就学前の六歳から徹底して問題解決力を養っている。自分だったらどのように解決するか、国語教育などで常に考えさせているというふうに言われています。また、集団での問題解決というのを重視して、そのために必要な力がコミュニケーション能力、言語能力と、きのうからもお話ありますけれども。日本の場合はどちらかというと単一的民族というふうに言われていますけれども、大陸の中ではやはり民族もいろいろいるということもあって、文化とか言語、伝統が違ってもちゃんと意思疎通ができるようにということもあって、日本などよりずっと言語能力ということに力を入れた授業がされていて、その具体例として演劇にすごく力を入れているということがあります。

 ただ、日本の中でも、子供たちが今、携帯メールとかいろいろあることもあるでしょうけれども、会話をしなくなっている。何か話しても、別にと一言で終わっちゃうというようなことがあるわけですね。だから、そうすると、余り話すことの必然性を子供たちが感じていないのかもしれないんです。そういうことに対しては、やはり演劇などを取り入れて、いろいろそういう中からコミュニケーション能力をつける、そういうことを一つの試みとしてやってみる。今の枠内では幾ら頑張ってもそう目覚ましい成果は出ないかもしれない、そうだとしたら、文化も日本は違いますけれども、うまくいっているところから取り入れる、学ぶということもあっていいのではないか。

 それで、欧米の多くの国では、演劇専門の教師が日本の音楽や美術の教員と同じように初等中等教育の学校に配置されているということがあるんです。こういうことから学ぼうということはいかがでしょうか。

渡海国務大臣 それぞれの国でそれぞれの取り組み、工夫というのがあるんだろうなという思いで聞かせていただきました。

 ただ、委員がおっしゃいますように、演劇を取り入れて、児童生徒がコミュニケーション能力を身につけていく、創造性とか、そして協調性とか、豊かな感性といいますか情緒といいますか、そういったものを養う上では、そういった授業は非常に有意義だというふうに考えます。

 現在でも、総合学習などでやられているという例も見られるわけでありますけれども、今回の学習指導要領の改訂案においては、児童生徒のコミュニケーション能力等を一層養うといった観点から、まず小学校の国語で、物語を演じたりすることという項目の新設をいたしております。また、中学校の音楽では、演劇などの他の芸術と関連づけて鑑賞することの指導の充実、また、小中学校の特別活動の文化的行事では、演劇などの文化や芸術に親しんだりするような活動の推進、こういったことを図って改善をするようにということを盛り込んでおりまして、今後ともそういった試みが学校現場で推進されるように取り組んでまいりたいというふうに考えております。

小宮山(洋)委員 日本の中でも、劇団の方などがいろいろな授業で、あるいは課外授業とかでワークショップという形でこういうものをやったりされているというふうにも聞いていますので、ぜひ、そういう新たなといいましょうか、今まで日本では取り組みが余りなされなかったことをしていくことが、国際国家の日本としてもいろいろな意味で、コミュニケーション力をつけていくということは、結果としてPISAなどの応用力、生きる力をつけていくということにつながると思いますので、せっかくの学習指導要領改訂ですから、文字面だけの改訂ではなくて、新たなものにチャレンジをするということがぜひ必要だと私は思いますので、ぜひよろしくお願いいたします。

 あと残り十五分弱ですけれども、個別の問題を幾つか伺いたいと思います。

 昨年十月の質疑で、フリースクールの高等部の生徒に通学定期をという質疑をいたしました結果、大臣が前向きに取り組んでくださるというので、子供たち大変喜んでおりまして、実現するかなと思っていたら、結構やはりJR東日本さんとの交渉がうまくいかなくて、結局、今のところまだ前進をしていない。いろいろ何度も、特に主な、六割が高等部の生徒になっている東京シューレの皆さんや文部科学省の担当の皆さんと私もいろいろ協議をさせていただいたんですが、結局、そこで一たん取り入れると私鉄とかみんなに影響していくので、文部科学省としての、言い方は悪いかもしれませんが、お墨つきというか、ここは通学定期を出していいんだよという何か外形的な基準が必要だということに鉄道会社の方はかなりこだわっているんですね。

 ところが、何か、今ある形の外形的基準をいうと、今のものにマッチしないフリースクールというものに行っている子供たちの、そのもともとを揺るがせちゃうような形の規定はできないというようなこともあって、ぜひそこを工夫をということを言っているんですが、今のところ前進しておりません。

 せっかく意欲的にお答えいただいたので、そこのところの、何か文科省としての工夫を再度お願いしたいと思うんですが、いかがでしょう。

渡海国務大臣 この問題につきましては、JRまたフリースクール側、また小宮山委員も汗をかいていただきまして、考え得るいろいろな方向性を模索させていただいたつもりでございます。

 ただ、残念ながら、まだ解答が見つかっておりません。ぜひ委員の方から、例えばこういうことができないかとか、こういう取り決めならどうかというようなお知恵もあればお聞きをしたいというふうに思っております。

 なお、我々も、調子のいいことを言っても、できなきゃまたもう一回やらなきゃいけないわけですから、そういうことではなくて、本当にどうすればうまくこれが解けるのか。よく、やれない理由を出すのは簡単なんですね。そうじゃなくて、こうすればやれるという案を何とかつくりたいと思って今努力をさせていただいておるところでございますので、また御相談をさせていただきながら、この問題に取り組んでいきたいというふうに思います。

小宮山(洋)委員 ぜひ知恵を出し合っていきたいと思いますので、よろしくお願いします。

 それで、今回やっている中で、やはりフリースクールの子供たちが学校へ通っていると認められないことの背景として、フリースクール高等部の子供たちが身分証明書を持っているんですけれども、映画館など学割が本来はきくところ、それから博物館など無料になるところで、正規の大人の料金を払っているということがあるんですよ。こういうように社会全体としてフリースクールの子供たちを通学していると認めることも、一つやはり鉄道会社が認めることにつながるのかな、そういう話も当事者としておりまして、例えば国立博物館とか国立科学博物館、これは高校生以下無料なのに、一般料金の六百円を払っている。こうした点は文部科学省で改めていけるのではないかと思うんですが、いかがでしょう。

渡海国務大臣 これは国立文化財機構、独立行政法人が所管をしておりますから、一義的にはここの判断ということになろうかと思います。

 ただ、我々の方から……(発言する者あり)いや、そういうことじゃなくて、独立行政法人というのはそういう趣旨ですからね。しかし、我々の方から要請をするということは可能でございますし、いろいろ調べましたら、確かに料金体系はそういうふうになっているわけでありますけれども、現実にはかなり弾力的な運用をしているようでございますから、より一層、我々が声をかけられるところについては、そういう扱いがなされるようにということを要請してまいりたいというふうに思っております。

小宮山(洋)委員 やはり国立の状況を見ましても、場所によるんですけれども、六割が無料にしているけれども、四割は取っている。それから、高校生とフリースクール在学生を別料金に設定している国立のところが四館あるとか、まだ文科省として、それは独立行政法人はわかりますけれども、やはりしっかりとそういうふうな方向でやってほしいということの要請はできると思いますので、ぜひそこのところを、まずそういうできるところからやることで、鉄道会社ともやはり交渉をしていただきたいと思いますので、これは強くお願いをいたします。

 それからあと、学校給食につきまして一言伺いたいんですが、中国製のギョーザの中毒事件、食の安全について心配されておりまして、給食についても、いろいろ聞きましたら、やはりかなり外国製のもの、冷凍食品を多く使っているので、ちょっとびっくりしたんですね。

 確かに価格の問題は大事だとはわかりますけれども、特に子供の食の安全については、これは保護者の方も強い関心を持っていらっしゃると思うんです。大臣も会見で、衛生管理基準の改正を検討すると話されておりますけれども、そのあたりの、学校給食の安全について伺いたいと思います。

渡海国務大臣 これは大変大事な問題でございまして、これまでも都道府県教育委員会を通じて、食の安全、特に給食の安全について細心の注意を払うようにという指導をしてまいりました。

 ただ、現場の方において、やはり直接食材を購入したりするときに十分確認できる、そこまでの陣容もなかなかそろっていないというようなこともあります。そういうことを含めて、今回こういうことが起こったからということでもないわけでありますけれども、さらに我々はやはり情報提供なり指導なりをきっちりとしていくということで、今委員がおっしゃった、同基準の改正というものを行う作業をいたしております。

 六月をめどにこれをまとめ、教育委員会や学校に対して通達を出したいというふうに思っておるところでございますが、いずれにいたしましても、やはり食品に対する情報というものを速やかに、我々が得られた情報を速やかに現場に伝えていくということが今一番大事なことでございまして、今後とも、細心の注意を払ってそういった情報提供に努めてまいりたいというふうに考えております。

小宮山(洋)委員 大事な問題ですので、ぜひよろしくお願いしたいと思います。

 あともう一点、学校の耐震化について伺いたいと思うんですけれども、四月に最新データが発表ということで、昨年四月のデータですけれども、耐震性ありというのが五八・六%、耐震性なしと未診断、まだ診断していないが四一・四%ということで、平成二十年度予算案でおおむね一万校ふやして、耐震性ありが六七%になるということなんですが、あとの三三%には何年ぐらいかかるんでしょうか。これは、子供の安全と、ここは避難場所になるということもあって、早急にやる必要があると思うんですが、いかがでしょう。

舌津政府参考人 お答えいたします。

 昨年の春の段階で、御指摘のとおり約六割弱にとどまっているわけでございますけれども、ただいま御指摘の六七%の推計値というのは、来年の春の段階の値を推計したものでございまして、これは当然、予算案が成立して、それの執行が終わった段階ということで、比較的近い段階の推計でございます。これはあくまでも、統廃合等の問題がございますので、変動はするというふうに思っております。

 なお、今後の推計値でございますけれども、これは基本的には若干時間を要する話でございまして、それがどのように進むかというのは、一番大きな問題は、地方、市町村がどのような対応をするかというところが非常に大きいわけでございます。また、統廃合が最近進んでいるわけでございまして、そういうようなことで、明確に理論的にいつごろ終わるかということを出すのは大変難しいというふうに考えております。

小宮山(洋)委員 おっしゃったように、地方にばらつきがありまして、長崎、徳島、山口、北海道、茨城、広島、こういうところで非常に低くなっているんですね。これはやはり地方の財政事情もありますので、私たち民主党では臨時措置法というものを提出しているんですけれども、現行制度ですと改築は三分の一、それを二分の一ぐらいにしてはどうか、それから補強は三分の一を三分の二ぐらいにしてはどうかという法案を既に提出させていただいているんです。

 補助率を上げることも含めて、これは早急にやる必要があるかと思うんですが、大臣はどのようにお考えでしょうか。

渡海国務大臣 耐震化の問題というのは急がなければならないということは、これは言うまでもないことでございます。私も、急ぐためには何をしたらいいかということを、いろいろな作業を実は今させております。私のアイデアも出しております、私は一応一級建築士でございますから。

 そういう中で、ただ、補助率をどう考えるかとかいった問題は、これは簡単に、高ければいいに決まっているんですが、やはりこれは財源の問題もございますし、今ここで即座にお答えをすることは差し控えたいというふうに思っておりますけれども、いろいろな工夫をすることによって促すことができるのではないか、また、これはやはり国の責任として促す政策をとっていかなきゃいけないんじゃないかというのが、私の現在の率直な気持ちでございます。

 そのために一番肝要なことは、一番大事なことは、今施設部長が答えましたけれども、実は地方が、そうはいいながら、要するにお金がないからというだけではなく、執行体制も含めて、なかなか複雑な問題がありまして、今全国の調査を新たにかけております。そして、やはりどういう問題を解決しなければいけないかということをしっかりと把握した上で、私は、やはりできるだけ早く、これはいつかと言われるより、とにかくやれる限り、可能な限り早くやるというのが我々が果たさなければいけない役割であるというふうにお答えをさせていただきたいというふうに思います。

小宮山(洋)委員 ぜひよろしくお願いします。

 ちょっと時間がなくなったんですけれども、最後に一言だけ伺いたいんです。

 DV防止法、これは超党派でつくり、二回の改正を行ってきました。ところが、どうもおかしなジェンダーバッシング、性教育バッシングに、今度はDVバッシングというのが出てきまして、DVが家庭を壊すと私たちは思っていますけれども、DV防止法でDVをした人を処罰していくことが家庭を壊すみたいな本末転倒の議論がちょっと一部で行われていまして、つくばみらい市で、抗議の人の声を聞いて市が講演を中止した、それにあおりを受けてというのか、茨城県の県立茎崎高校というのが、やはり一月に予定していた出前授業を中止してしまったというようなことがあるんですね。

 これはやはりとんでもないことだと思いますので、人権教育という意味からしても、これはしっかり力を入れてやっていただきたいと思うんです。担当の方に来ていただいていますけれども、ちょっと時間がないので、またこれは改めて担当の方から伺いますが、こうしたことをしっかりやはりやっていく必要があるということを大臣から一言お答えいただいて、質問を終わりたいと思います。

渡海国務大臣 つくばの件について、申しわけありません、詳細については承知をしていないわけでございますが、一般論として、やはりこのようなことが今起こってはいけないと思います。人権の問題というものに対して、我が国もグローバルな視点に立って、しっかりとやるべきことをやっていくということは必要であるというふうに思っております。

小宮山(洋)委員 ありがとうございます。

 今回のDV防止法の改正で、地方自治体がもっと主体的に取り組むことになりましたので、やはり自治体の責任者、あるいは学校の中でも、これは一般的な必要な知識としてしっかり力を入れていただけるようにお願いを申し上げまして、質問を終わらせていただきます。

 ありがとうございました。

佐藤委員長 以上で小宮山洋子さんの質疑は終了いたしました。

 次に、藤村修君。

藤村委員 大臣、おはようございます。ごぶさたをしておりました。

 きょうは、文部科学省の所管でもありますが、スポーツというテーマで、これだけに絞って、与えられた時間で、今後のまさにスポーツ政策のあり方という視点から幾つかの議論をさせていただきたい、こういう姿勢で臨みますので、余り細かい話はしないで、ぜひとも渡海大臣の御所見なりお考えをお伺いしたい、こういうことでございます。

 スポーツ政策全般について聞く前に、スポーツといえば、もうみんながそれぞれ何らか関係しているんですが、私的なことをお伺いして恐縮ですが、渡海大臣は、例えば過去のスポーツ歴といいますか、どんなスポーツをやったとか、その辺、何かソフトテニスというのを、どこかに書いてあったのをちょっと見たことがあるので、どういう御経歴か、ちょっとだけお聞かせください。

渡海国務大臣 藤村先生とは、先生が日本新党のときに私は新党さきがけで御一緒をさせていただいて。

 ソフトテニス、どこかに書いてありましたか。硬式テニスは、高校の必修の体育で、あれが一番おもしろそうだといってやったことがありますが。

 自分でスポーツをやったなという実感がありますのは、小学、中学ぐらいに私は水泳をやっておりました。そのころは結構速かったです。兵庫県の姫路市でしたが、市内で三位ぐらいになったことがあります。ただ、高校、大学を通じて、いわゆる部活とか一般的な趣味としてまじめにスポーツをやったというよりも、むしろそのころはスポーツ以外のことが多かったような気がいたします。社会に出ましてからゴルフは少しやりました。ハンディキャップもかなりいいところまでいきましたが、途中で挫折をいたしまして、もうやめたということで、ほとんど実はやっておりません。

 最近やっているスポーツというのは、具体的にはほとんどありませんが、やはり健康のためにできるだけ歩くようにというふうにやっておりましたが、今は警護官がつく身になりましたので、簡単に歩くわけにいかないということで、最近はほとんどスポーツをやっていないという状態でございまして、やはり健康のためにももう少し動いた方がいいなというのが今の実感でございます。

藤村委員 これは、ウィキペディアで渡海紀三朗と引きましたら、幾つか書いてあって、「趣味はソフトテニス。」と書いてあるので、これは明らかに間違いですね。何かこの前、国土交通省の外郭団体がウィキペディアだけで孫引きして報告書をつくって一億何千万取っていたと。本当に僕も、今聞いて初めて、これは間違いなんだなと思いまして、ひどいといえばひどいですね。今お聞きしたら、趣味はソフトテニスと書いてあるから多分そうなんだろうと思っていたら、全然違ったということでありました。

 渡海大臣のお話も聞いたので、私自身は中学あたりは剣道をちょっとやりました。それから、大学は体育会の、体育会といっても、すごく運動するように聞こえますが、体育会自動車部といいまして、つまり、モータースポーツという範疇ですね。しかし、これも一年生は自動車に乗せてもらえなくて走ってばかりいるんですけれども、あるいは車の後を押したりですね。それは体育会でございました。そんなことでございます。

 スポーツといえば、すなわち、本当に日本国民というか、あるいは世界人類といいますか、非常にこれは密接な、みんな何かそれぞれ関係があるわけですね。そのスポーツを文部科学省が今所管をする。きょう、スポーツ・青少年局長という職の人も来ていただいています。

 ただ、スポーツという言葉自体は、これは文科省の皆さんだからよく御存じのとおりですが、戦前はスポーツという言い方は全然していなくて体育ですから、文部省も体育局がありました。それで、戦争が終わった時期にその体育局が廃止された。これは僕は知らなかったんですが、何か、要は占領軍が軍国主義復活を恐れたためとも言われるというふうにあるものには書いてありました。何か体育局で、つまり軍事教練というか、そういうものをイメージされたんでしょう。

 ただ、いわゆる国民生活の向上とともに、スポーツやレクリエーションの普及発達、こういうことがございまして、昭和三十三年に体育局が復活をしたということですね。それから、その後に、これは議員立法でありましたが、スポーツ振興法という法律を昭和三十六年に我々の先輩がつくっていただいた。そのときにはスポーツ振興法と、法律の名前に片仮名スポーツが出てきた。それに伴って文部省設置法も改定をして、初めてスポーツという言葉が登場したそうです。

 このときは、おもしろいんです、スポーツの書き方が、今までの文部省設置法で「体育」と書いてあって、「スポーツを含む。」と書いてあるんです。これは僕はちょっと逆転しているんじゃないかと思うんですけれども、文部省設置法はそのときにそういうことにしたわけですね。

 だから、当時というか、かつてはスポーツというのは体育という大きなものの中の一つというとらえ方をしたんですが、ここへ来て現在、文部科学省におけるスポーツの定義というか意味というのはどういうふうにとらえているか、お尋ねいたします。

渡海国務大臣 我が省における定義というお尋ねでございましたが、かたい話になって恐縮でございますが、設置法には、第三条においてスポーツの振興を文部科学省の任務として規定しているということでございます。ここで言うスポーツについては、スポーツ振興法第二条において定義をされているスポーツと同意義で使われているというふうに解釈をされておりまして、「運動競技及び身体運動(キャンプ活動その他の野外活動を含む。)であつて、心身の健全な発達を図るためにされるもの」、こういうのが一般的な定義になっております。

 ただ、最近は、例えば今先生御指摘になりましたモータースポーツというようなことも言うわけですね。きのう、実はちょっといろいろとレクを受けていますときに、そもそもスポーツというのは一体どこから来たんだと。何かラテン語の楽しむというのが、スポーツとは言わないんでしょうが……(藤村委員「解放」と呼ぶ)語源ですね、解放とかですね。ですから、そういう趣旨のあるものは基本的にそうすればいいんだろうと。

 余分なことを言って恐縮であります。先日UFOの話が出まして、これはどこの所管だろうということで、少しおしかりを官房長官からいただいたわけでありますけれども、こう新しいジャンルが出てまいりますと、確かに、これはどこが所管するのかとかどこのカテゴリーに入るのかとかいうことはあると思いますが、現時点では、非常に幅広い範囲を我々はやはりカバーしていかなければいけないんだろうというのが私の認識でございます。

藤村委員 今お答えの中では、多分、所掌事務の件をお答えになったんですが、その前の第三条に「任務」ということで、「文部科学省は、」という主語で、「学術、スポーツ及び文化の振興」ということがあります。すなわち、スポーツというのは、学術あるいは文化と横並びで、その振興というふうにあるわけですね。

 今回の所信表明をお伺いして、大臣所信、これだけ相当数ある中で六行でございました。六行だからいけないとかいいとか言っているわけじゃない。その中を見ますと、すなわち「トップレベル競技者の育成強化」、これはオリンピックも入っていますよね。それから「生涯スポーツ社会の実現」、そして学校体育や部活動を通じた子供の体力向上。これが今、多分、文科省設置法の任務に基づく、そして今の第四条に基づく施策、政策であろうと思います。

 ですから、その政策に基づいて予算措置をしているわけです。今回、予算の措置でスポーツ関連予算というのは総額で百九十億円ぐらい。これは、先ほどの文化とか学術と比して私はうんと低いレベルだと思います。それで、一つ、トップレベル競技者の育成強化、ドーピング防止なども含む、八十七億円。それから二番目に、子供の体力向上、十五億円余。その他にまだ学校体育とかそれは別ですね、初中局とかそっちの方になる。それから、生涯スポーツ関係十六億円余。その他ということで、百九十億円ぐらいの予算であります。

 ですから、整理して言いますと、おおむね、スポーツ振興というときには今の一、二、三、言いかえると、競技スポーツ、それから学校体育という体づくり、体力づくり、それからもう一つは生涯スポーツ、この三分野に分けて考えるのがどうも文科省の政策の柱と思います。

 そこで、やはり今後の日本のスポーツ政策を考えるときに、これら三分野だけでよいのかどうかということを少し議論したいと思いますが、まず、この三分野、確認の上で、まだこんなのを考えているよというのがあれば、教えてください。

渡海国務大臣 基本的には、今、藤村委員が御指摘をいただいたような分類でいいんだろうと思いますね。

 予算の組み立て方でございますから、それはそれだけでいいのかといえば、例えば全体をカバーするような問題というのもあるわけですね。切り口として縦ぐしと横ぐしがあるとするなら、この横ぐし的な問題をではどうするかとか、例えば計上の仕方を見ますと、我が省の計上の仕方にしても、例えばドーピングの問題とか、そういった問題は別項目で立てて実際今要求をさせていただいておるわけでございますし、最近議論していますのは、例えば、するという視点と見るという視点を考えた場合に、これは全部この三つの中に盛り込ませてやるのがいいのか、それとも、見るスポーツという、楽しむという意味から、広義に解釈すればそういった物の見方もできるんじゃないか。

 この辺のところはまだちょっと議論があるところでありますが、基本的には、軸としてはその三つの分類の中で考えていけばいいんじゃないかというふうに考えております。

藤村委員 そこで、少しかたい考え方のようですから、やはりここは、今後のスポーツ政策を考えるときに、もう少し、今、広義に考えるということは、きょうまでは非常にスポーツを狭義に考えていたということの裏返しだと思うんです。

 つまり、実はスポーツ振興基本計画においてもこういう記述があります。「なお、人間とスポーツとのかかわりについては、スポーツを自ら行うことのほかに、スポーツをみて楽しむことや」「スポーツの支援については、例えば、ボランティアとしてスポーツの振興に積極的にかかわりながら、自己開発、自己実現を図ることを可能とする。」と。ちょっと中を飛ばしまして、「スポーツへの多様なかかわりについても、その意義を踏まえ、促進を図っていくことが重要」とありますね。少し広がってきたというか、いい方向であると思うんです。

 一つの例でいいますと、スペシャルオリンピックスという、これはオリンピックという言葉を使える三つ目の、オリンピック、パラリンピック、そしてスペシャルオリンピックス。先般、長野で世界大会が行われて、いわゆるアスリート、する人たちはそれほどの数じゃない、二千人、全国、世界から。でも、ボランティアスタッフは一万人集まるんですね。実は、そのボランティアスタッフたちが最も勉強するというか、まさにここの自己開発、自己実現を図ることになっていたということがございます。

 そういう意味では、スポーツを支援する人たち、これは一般的に言うと応援団というのもそうですね。もう一つは、さっきおっしゃった、見る。きょうまでの文科省の施策においては、その見るスポーツという観点はほぼなかったと思うんです。私は、だから、見る観点と、それからスポーツを周りから応援する、この二つは新しい視点としてとらえ、今後のスポーツ政策に反映していくべきだと思うんですが、いかがでしょうか。

渡海国務大臣 ぜひ参考にさせていただきたい、そのように思います。

藤村委員 きょう私がスポーツ政策を取り上げましたのは、スポーツ振興法という法律が昭和三十六年にできて、約半世紀近く、四十数年たってきました。このメンバーの中にもたくさんいらっしゃいますが、いわゆる議員連盟で、スポーツ振興法の、約半世紀もたってきたものの大きな見直しをする、これを今非常に精力的に、私もメンバーで参加しており、河村建夫元文部科学大臣が座長で進めております。

 ですから、これは議員立法で、今、形としてはやろうという考え方ではありますが、ここに文科省も積極的に、やはり新しい視点というか新しい観点というか、あるいはきょうまでできていなかったこんなことをしたいなということを取り入れていただいて、つくっていきたいなと思っておりますので、その点、きょうの質問は実はそういう前振りであります。

 私は、むしろ今、世の中でというか、スポーツをする、特に、非常にトップレベルに行く人たちは本当に一握りというか、それもわずかな人たちです。でも、それを応援する人たち、あるいはそれをテレビで見る人たちというのは物すごい数ですね。多分、サッカーというのがスポーツ人口が一番多いと言われるのは、これは、するのも多いんですが、見る方が、世界の多分十七、八億人とか二十億人ぐらいとか言われます。つまり、十七、八億人、二十億人が全部やるわけじゃなし、やはり応援する側なんですね。

 だから、スポーツというものをそういうとらえ方で、今までの、競技スポーツ、それから学校体育、そして生涯スポーツという非常に型どおりの分け方でない、新たな視点というのが必要だということ、このことをきょうはちょっと積極的に渡海大臣に刷り込みたいと思いまして、お話をいたしております。

 それからもう一つは、しかし、日本の政府、国でやる場合に、文科省だけなのかと考えるんですね。そうすると、スポーツはいろいろなところにかかわりがあります。

 確かに、文科省にスポーツ・青少年局というのがあって、そこに、先ほど、三つ柱で予算措置がされているけれども、それ以外に、かつてあのラジオ体操というのは郵政省がやっていた、ラジオ放送だからということで。今は民営化されてあっちに行ったそうですけれども。今でも、例えば障害者のスポーツの振興という意味では、これは厚生労働省関係ですよね、身体障害者も含め、知的障害者も含めですね。それから、児童厚生施設の関係も、これは運動をやっていますけれども、これも厚生労働省関係ですね。それから、予算的に大きいのは、自転車専用道をつくるとか、それから都市の公園をつくっていく、これは国土交通省。これは、直接的にとなかなか言いにくいんですが、相当大きな額を投資しているということですから、やはりスポーツ予算というのは、いろいろなところからいろいろなふうに出ている。

 やはりそれらを、スポーツ・青少年局というからには、そこが一元的に把握しながら、もちろん出すのはそれぞれで、今の行政組織ではなかなか難しいんでしょうけれども、将来的には、私はスポーツ省とか言っているんですけれども、きょうはその話はいたしません。そういうものを把握しながら、文科省に聞くと、うちではこうですけれどもほかはわかりませんみたいな、やや縦割りの役所の弊害がどうもあるように感じますので、これをぜひなくしてほしい。スポーツ・青少年局は日本じゅうのまさにスポーツに関することを全部一応把握するんだぐらいの心意気をちょっと示していただきたい。

渡海国務大臣 今話をお聞きしておりまして、私は、実は陸上競技場を設計したことがあるんですね。これは、運動公園ということで、実は国土交通省の補助金ということになるわけですね。こういった点は、かなり広範囲にこの分野は広がっているという気がいたします。委員がおっしゃるように、しっかりとその辺を把握した上で、全体の政策の整合性をしっかりと持つためには、やはり我が省の担当部局がしっかりしなきゃいけないのかなと。ただ、縦割りということを今よく議論されておりますが、これをまさに縦割りじゃなくしていくのが、私のこれは個人の私見でありますけれども、政治の役割だと思うんですね。だから、そういう意味で、議員立法で今そういう法律をつくっておられるということは、大変私は有意義なことだというふうに思っております。

 ぜひ、超党派でこれはおやりになっておるわけでございますから、政治主導で日本のスポーツ行政が、一元化とは言いませんが、束ねられるように、委員もお力添えをいただきたいというふうに感じました。

藤村委員 そこで、改めてスポーツとは何かという本論に入りたいと思います。

 私は、ですから、国の政策として考えるにおいては、やはり憲法にかかわるところから発してくるのが政策として整合性があると思いますが、憲法二十五条の例の健康で文化的な生活の権利ですね。それから、十三条に幸福追求に対する権利もありますよね。ですから、この十三条、二十五条、この辺からスポーツというものをとらえ、そしてそれを政策に反映していくというか、さっき渡海大臣がちょっとおっしゃったように、どうもスポーツは、定義づけすると、詰めて詰めていくと、やはり遊びなんですね。仕事ではない。では、プロスポーツはどうかというのは、それはちょっと後ほど議論しますが、やはり突き詰めていくと遊びなんですね。

 そうすると、日本人はどうも、国が遊びに金を出すのはおかしいとか、そんな議論が出てきそうなので、私は、やはりこの憲法の十三条そして二十五条、この辺から連なる思想が必要だと思うんですが、いかがでしょうか。

渡海国務大臣 憲法というのは上位法でありますから、すべての国民が憲法に規定された権利も持っておりますし、また義務も果たさなければいけないということであろうと思います。また、その中で行われる法律にしましても政策にしましても、しっかりとそれに基づいたものでなければいけないというのが基本だと思いますが、これに基づいてやられるから、だからどうだということにダイレクトにつながるのかどうか、ここは、今私はちょっと、それを藤村先生のお考えとして聞かせていただくということであろうというふうに思います。

 いずれにしましても、先ほどちょっと、もともと何だったんだろうねというお話をさせていただきました。語源は楽しむ、解放するということでありますから、そういった趣旨が憲法でうたわれている、そういった国民生活の趣旨と一致するじゃないかという点については大いに賛同できる部分だと思いますし、また、そういったスポーツの目的について、我々は、より政策の中でそういった趣旨に合致するような政策を展開していくということについては、先生と意見を異にするものではございません。

藤村委員 国が行政としても行う場合に、何か一つの柱というか原点というか、やはり憲法に求めるというのがごく普通だと思いますし、今のスポーツ政策においても、きょうまで余り多分言われてこなかったものですから言っているんですが、やはり健康で文化的な生活あるいは幸福を追求するという、本当に人間にとって基本的な人権の一つを実現するスポーツというとらえ方をすれば、そこからまたスポーツ政策というのは新たな視点、考え方が出てくると思うんですね。

 といいますのも、きょうまでのスポーツの考え方は、実は骨がなかった、思想がなかったと思います。明治時代には、スポーツというのは明治時代から入ってきた言葉でもあり、これは欧米、特に中心的にはイギリス、そこから近代スポーツが入ってきまして、だから、スポーツとは何かとか、あるいはスポーツの価値はということは余り問われないままに日本は、オリンピックがありましたので、オリンピックメダルの獲得というのは、これは国威発揚ということも非常に貢献しますよね。それから、企業などでの販売促進とか広告宣伝、こういう分野でもとらえられてきた。それから、ある時期、これは強兵政策、兵隊を強くする、そういう意味では軍事教練と身体鍛錬にも活用、利用された。それが、戦後は体育として、主に学校において運動に親しむ、体力や健康増進に主眼を置いている。

 私は、もう一つ本来の価値というか、やはり一般国民、一般大衆の娯楽として、労働の余暇を利用する楽しみとしてのとらえ方、きょうまでこれもしてきたんですけれども、ここに少しシフトして重点を置くべきではないかと思うんですね。

 今、過去の流れだけを申し上げました。今後の話としては、やはり今の四番目、労働の余暇を利用し、まさに人生を豊かにする、そういう価値というものを認めねばならないと思いますが、いかがでございましょうか。

渡海国務大臣 委員の御意見には全く同感でございます。

 やはりどういった国民生活を実現していくかというのは政治の目的でもあるわけでございますし、きょうはスポーツということで委員はお話しでございますけれども、これは、それをスポーツに求めるか求めないかということはありますが、国民が、やはりこの日本の国に生まれ、そして学び、また仕事をして社会的責任も果たし、そしてまた人生を楽しむ、そういった人生の姿というものを実現するために国としてどういう政策をとっていくかということを考えることは非常に重要なことでございますし、その中でスポーツも位置づけられるということについては、委員がおっしゃっているように私は非常に有効な政策であるというふうに考えております。

藤村委員 先ほどのスポーツ振興法に基づいてスポーツ振興基本計画というのが、平成十三年から十年間の計画、今ちょうど真ん中ぐらいですね。この基本計画の中でもスポーツの意義について、人間の身体的、精神的な欲求にこたえる世界共通の人類の文化の一つというふうにうたっていまして、私、この考え方を積極的に今後取り入れていく必要があると思うんですね。すなわち、スポーツというのが体育に含まれる一スポーツではなしに、スポーツというのは文化全体の中の、それも大きな地位を占めると思われませんか。

 すなわち、今、テレビ、報道を見ていても、ニュースがあり、必ずスポーツ。新聞でもスポーツ紙は幾つもあります。日常の会話も、きのうはどこが勝った負けたという、本当にスポーツというものが、これは日本の中でも、そして世界人類共通の文化であるというとらえ方が必要で、私はそういう観点から、今後のスポーツ政策を策定するに当たっては、新しいスポーツの定義、そういうものを考えていくべきだ、こう考えております。これに協力いただけますでしょうか。

渡海国務大臣 特に異論はございません。

 ただ、やはり大きな変化ということを考えたときに、私はメディアの果たしてきた役割というのは非常に大きいのではないかなと思っております。

 藤村委員が先ほど、私からも申し上げましたけれども、見るという視点ということも言われました、楽しむという視点を言われました。これが大きく変わったのは、やはりメディアの変化が非常に大きかったんだろうな。我々の子供のころは、野球を見たいと思っても、放送は、実は全国ネットでなかなか放送はされていなかった、こういう時代でありますから、今とはもう全然違います。やはりサッカーが広がったのも非常にメディアが果たした役割も大きい。今、リアルタイムで非常に鮮明な映像が海外からも届くわけでありますから、例えば大リーグの野球というものも、本当にこの場にいて臨場感をもって見られるという時代でありますから、そういったことにおいてスポーツというものが非常に文化的な広がりを持ったというふうに私は考えてもいいんじゃないかなと思っております。

藤村委員 必ずしも近年のメディアの発達によってではないんです。明治時代の話から江戸時代にさかのぼりますと、実は日本も今で言うスポーツ文化を非常に享受していたんですね。相撲ですよ。

 相撲というのはなかなか、みずから力士になってというのは、これはもう少数者です、トップアスリートですよね。しかし、相撲というのは、あの江戸時代、神社の境内等でやって、まさにお祭りなどの関連で、そこで相撲甚句が流れて、みんなでごちそうを持ち寄って会話しながら楽しんだわけですね。だから、日本にそれはあったんですよね。だから、そういう日本の相撲というのは、まさにそういう日本の文化として、まさにスポーツというのは文化の中の大きな地位を占めるという意味で、私は必ずしも今のメディアの社会、近年だけではないと思いますので、そういう歴史があったことだけちょっと申し上げたいと思います。

 それで、先ほどちょっと飛ばしましたが、だから、文科省は、スポーツ振興法には、いわゆるスポーツで営利、利益を得る者に対しては応援しないというか促進しないという、ややそこでもうばしっと切られてしまっているんですが、プロスポーツとアマチュアスポーツの違いというのはどういうことなのかなと考えるんです。

 かつてオリンピックはアマチュアスポーツの祭典と言われていましたけれども、これは、ちょっと調べてみますと、戦後から一九七四年ぐらいまでのオリンピックの参加者は、次のような趣旨の宣誓書に署名した。ちょっと読み上げます。

 これはそちらに出していませんけれども、「私は名誉にかけて誓います。私は所属している国際競技連盟の規則に従っているアマチュアであり、ただ楽しみのためだけにスポーツに参加し、そこから身体的・精神的・社会的効果を得ます。私にとってスポーツは、直接・間接に得るすべての精神的なものを除いては、レクレーション以外の何物でもありません。したがって私は、オリンピックに参加するすべての資格を有しています。」という文書に署名したんですって。七四年からこれが、いわばアマチュア規定のようなものが取っ払われて、今はもう全然流動的ですよね。

 そこで、だから今、文科省にとっては、このプロ、アマというのはどういうふうにとらえているのかなということをお尋ねしたいと思います。

渡海国務大臣 これも近年大きく変わったわけですよね。

 明確な定義があるというふうにはなかなか言えないと思うんですが、一般的には選手に着目をして、スポーツの対価として報酬を得ている者がプロ選手、そうでない者がアマチュア選手と呼ばれるのではないかなというふうに思っております。

 ただ、オリンピックにおいても時代とともに大きく変化をいたしまして、例えばコマーシャルの問題一つにしましても大きく変わったわけでありますし、報奨金のような制度を各国が導入するなり、いろいろな変化がございます。ですから、プロとアマの境というのは今限りなく不明快になっているというふうに思いますが、基本的には、先ほど言いましたような、一般論で物事をとらえるということであろうかというふうに思っております。

 ただ、アマとプロの連携というものはどんどん進んでおりますから、そういうことに対しては、プロとかアマとかいうことの垣根を外してスポーツの振興というものは行っていかなきゃいけない。これは、見るスポーツということもあるわけでございますから、そういうふうに考えておるところでございます。

藤村委員 そういうことなんですが、それをさらに踏み込んで、スポーツ振興法では非常にかしっと書いてあるので、プロスポーツを振興するということには国はそれほど手を出せないんですが、ただ、さっきのスポーツ観というものを変えてきたときには、おおむね、これはメディアの発達によってですけれども、テレビで見るスポーツというのは、もちろん自分もやれるものは一部ありますが、大半は、やはりあのプロ世界でやっているものを見、そして応援するわけですね。

 それを文化としてとらえるときに、この文化の振興ということはできると思うんですけれども、プロスポーツそのものに対して振興するわけじゃないんです。ただ、それを取り囲む、まさに見る人たち、応援する人たち、ボランティアでやる人たち、そういう非常に広い範囲で、これは文部科学省がやっておかしくないと僕は思うんですね。大人の生きる力をつけるんですよ、スポーツというのは。そういう意味で、少しそこは広く考えられないのかなと思っております。

 今のスポーツ振興法では割にきちっと書いてありまして、でも、あれは四十数年前ですから、相当大きく価値観が変わってきているはずですし、だから、スポーツというのは、しょせんはという言葉は失礼ですけれども、やはり遊びなんです。でも、大切なのは、遊びであり、ゆとりであり、だからまた働くという、これは大人あるいは人間の生きる力をつけるための大きな文化的要素を持つもの、価値のあるもの、こういうとらえ方ができませんでしょうか。

渡海国務大臣 そのような観点でスポーツを見ることは可能だというふうに私は思います。

藤村委員 ですから、私は、この際にまず、スポーツとは文化であるというか、これは多分、今の時代、大半の方々にお認めいただけると思うんですね。かつ、その文化という意味でも、相当大きな人間社会に占める比率、比重、価値というものがあると思えるんですね。

 ですから、そうなると、ちょっとここから一つだけ具体的な質問をするんですが、文化勲章というのがありますね。それで、これは大変権威のある勲章であります。聞いてみましたら、この文化勲章は、勲章ですから、勲記と勲章が授与される。それ以外一切何もない。

 ただ、私、ちょっと勘違いしていたのは、文化勲章だけは何か年金がついているんじゃないかと思っていたら、そうではなくて、その手前に文化功労者という顕彰があるんですね。これは文科大臣の方で出されるんですが、文化功労者という人たちには、文化功労者年金法とかいう法律がありまして、受けた後、亡くなるまでなんでしょう、毎年のようにそれなりに資金が提供されるんですね。

 一方、それに近いのが、スポーツ功労者顕彰というのがありますね。これは、文部大臣裁定で昭和四十三年からスタートしていると聞いております。

 さっきの話、文化勲章に戻りますと、文化勲章の受章対象者は、それまでに文化功労者としてまさに年金をもらっている立派な人たちのようであります。文化勲章の対象としてそこに、スポーツ功労者として顕彰を受けた人たちも対象にすることは何もそんな難しいことじゃないですね、これ自体にお金がかかるとも思えないし。多分、それは、文化勲章が非常に狭き門ですから、その他の分野の人たちから相当やっかみは出るけれども、しかし、スポーツというのは文化の中の非常に大きな地位を占め、重要な価値を持つものという認識が広まれば、文化の勲章の中にスポーツの功労者が入ってきておかしくないという思想は出てくると思うんですね。

 現に、かつて、大分前なんですが、文化勲章をスポーツ分野から一人だけ受けられました。それから、文化勲章を受けるための前段の文化功労者には、かつてから、スポーツ分野では七人ぐらい登録されている。一番最近では、平成十七年、長嶋茂雄さんが入っています。

 ですから、私は、スポーツの価値や地位を高めるという意味で、この文化勲章にきちっとつながるルートを開いてあげる。それは、今既に行われているスポーツ功労者顕彰でスポーツ功労者として毎年相当数が認定されるわけですけれども、その方たちも文化勲章の対象とするということはそんなに難しい話ではないと思いますが、大臣、いかがですか。

渡海国務大臣 今委員がおっしゃっている意味ですが、文化勲章は、文化功労者、功労賞をもらった方が対象になっている、スポーツ功労者、功労賞をもらった人で文化勲章をもらったということにはならない、ただし、文化勲章をスポーツの関係者でもらった人がいるということであろうと思いますから、対象として、その範囲を文化としてとらえて、過去にも受章者はいらっしゃるわけでございますから、これは可能だというふうに判断をいたします。

 これは、過去になかった事例を広げろということでは必ずしもないんじゃないか。ただ、推薦をしていく過程において、どういう方々がどういう経緯で範囲に入っているかという意味で、従来は、余り狭義に解釈をして、狭義と言うとちょっと語弊を与えるかもしれませんが、スポーツ関係者の人が入ってこなかったんだというふうに私は理解をしております。

 ですから、時代とともに、勲章制度、褒章制度というものも時に変えていかなきゃいけないということは、勲章制度の見直しもやったわけですから、そういった意見があることも承知をいたしておりますし、現時点においても、そのことは可能である、我々も、スポーツの関係者の中からより多くの方々がそういった賞を受けられるような、そういった考慮もこれからしていきたいというふうに考えております。

藤村委員 非常に積極的にお答えいただいて。そうすると、もうすぐこれをちょっと当たっていただかないといけないんです。

 文化勲章は、「文部科学大臣は文化勲章受章候補者を文化功労者のうちから選考し」というのがあるんですね。これを変えて、文化功労者及びスポーツ功労者のうちから選考しとすれば、選考対象にまず入りますね。選考するかしないかは、またその先の非常に難しい、文化審議会がありますので、非常に厳しいチェックをされるんですが、まず対象に入れるという、これはそんなに難しいことじゃないと思います。これは多分法改正ではないと思いますので、ぜひやっていただけますか。

渡海国務大臣 この顕彰制度は、非常に国民の中でも注目を集める、ある意味、重い制度でございますから、今先生が御指摘になったような点も含めて、現行制度でどういうことが可能なのか、少し検討させていただきたいというふうに思います。

藤村委員 先ほどやれるとおっしゃったので、期待しながら、余り時間がかからないうちに結論を出していただいて。

 それと並行すると、我々が今議員連盟で行っている、スポーツ振興基本法になるのかスポーツ法になるのか、これは仮称でありますが、やはりスポーツというものが、人間社会、世界人類と言ってもいい、生活の上で大変重要な文化であるという認識を、改めて今回、法改正に当たって我々は高々とうたい、そしてそれに基づく、つまりスポーツの功労者の顕彰も含めてスポーツの地位を高め、そしてそれを、国は国の施策としてきちんと応援する。単にするスポーツだけでなしに、見るスポーツあるいは応援するスポーツ、こういう広い層を応援していくことが、まさに、子供の生きる力でなしに人間の、大人も含めた生きる力につながってくる、このことを確信しておりますので、ぜひ積極的に取り組んでいただくことをお願い申し上げまして、終わりとさせていただきます。

 ありがとうございました。

佐藤委員長 以上で藤村修君の質疑は終了いたしました。

 次に、土肥隆一君。

土肥委員 土肥隆一と申します。

 私は、国会に当選しましたのは平成二年でございまして、その当時、文教委員会ということで、まず二年ほど文教委員にさせていただきまして、いろいろな質問をしてまいりました。十五年ぶりに文科省に帰ってまいりまして、もう役所の皆さんはほとんど顔を知らないということでございまして、また、渡海大臣とこういうところで会うとは思ってもおりませんで、同じ兵庫県人として一緒に仕事をさせていただきたい、このように思います。

 私は、もう三十三、四年になりますか、地元で、神戸や兵庫県下で福祉事業をいろいろとやっております。そして、その責任を今日も負っているわけでございます。

 その福祉事業の中で、特に知的障害者がおよそ八百名、私どもの施設にいろいろなところに分散しておられます。そのほか、身体障害者療護施設二つ、特養も持っておりますが、今度新しく、幼児から学齢期に至るまで、養護学校に入るまでの療育事業を豊岡で開始することにいたしました。言ってみれば、この三十数年は障害者と一緒に歩んできたというふうに思うのでございます。

 そうしたときにいつも疑問に思っておりましたのは、私どもは大人の施設でございますから、突然、知的障害者が十七、八歳で来るわけですね。身体障害者もそうでございます。その前の教育、子育てはどうだったのかということが皆目わからないというよりは、いろいろな疑問がございました。それは、養護学校の教育のあり方、盲人の皆さんであれ、知的障害者であれ、身体障害者であれ、どういう子育てをしてきたのだろうかということが大変問題になっておりまして、そういう意味で、新しく今度は、障害児として生まれてきた赤ちゃんからお世話する療育施設を始めましたので、これで、子育てのまずスタートから、障害児のスタートから始めて大人に至るまで。

 そして、皆さんも御存じのように、障害者自立支援法というのができまして、これは、障害者を地元に帰す、収容施設に置いておくのではなくて、地元に帰す。地元に帰すといったってどう帰すのかというのが問題になるわけでありますけれども、それはまだ自立支援法では解決しておりませんが、とりあえず、グループホームとかケアホームをつくって、小規模の、地域における生活をさせなさい。同時に、自立ですから、自立ということは職業人になるということですね。障害者をどう職業的に、経済的に自立させるかということでございまして、障害者が生まれたときから、その障害者が歩むであろう人生のライフステージの中で、将来は就労もし、自分で独立した生活もでき、どのような人生を送っていくかということを全部で考えなきゃいけない、国民全体で考えなきゃいけないわけです。

 問題はやはり教育の部門でございまして、一体文科省がやっている障害者の教育というのはどうなっているのかということに大変私は疑問を持っておりました。

 そして、文科委員会に入りまして、やはり何といっても、今までの盲学校、聾学校それから障害者の養護学校がなくなって、特別支援教育をするんだ、特別支援学校になるんだ、そしてしかも、三障害、知的、身体あるいは精神も含めて総合的な学校体制をつくるんだと。大変結構な話でございます。

 従来の盲・聾学校そして身体障害者の養護学校を見ておりまして、盲児、聾児そして身障児と分断された学校教育をやっていたわけでございますけれども、それでいいのかということは確かに疑問があると思います。

 ちょっと最近の動きを見ますと、平成十九年に、障害児の教育のあり方について、学校教育法を変えてまで、今までの障害児の療育制度、教育制度を特別支援教育学校にして、総合的な、しかも今までのようにそれぞれ学校に閉じこもった状態ではなくて総合的な教育をする、そういう趣旨でございます。これは大変革だというふうに思っておりまして、果たしてこれでうまくやっていけるのかどうかというのを心配するくらいの気持ちでございます。

 それと同時に、今度の特別支援教育の中で初めて出てまいりますLD児、学習障害児、それから障害の重度化をうたっておりますね、重度化、複雑化。そして、ADHD、注意欠陥多動性障害というのですけれども、そういう子供たちも入ってくるし、既にいるし、自閉症の子供も行動障害の子供も、極端に言えば人格障害の子供も入ってくるということでございまして、そういう総合的な障害者、障害児教育をやろうというのは大変結構だと思いますが、大変荷が重い学校になるわけであります。私ども福祉施設の側も、身体障害者と知的障害者まではいいけれども、では、精神障害者を混合して預かって適切な指導ができるかどうかということでございます。

 実は、私、平成二年に当選して、文教委員会で、LD児がいるんじゃないのか、日本の文科省はLD児教育についてどういうふうに取り組んでいるんだという質問をいたしまして、四回ほど、分科会でも質問しました。そのときに担当部局の答えは、いや、通級学級というのを始めたばかりで、調査研究はここから始まるんだ、通級学級をどうするかというところから始まるんだと、まあ随分昔の話になってまいりました。

 それで、LD児をどうするかということも考えてくれというふうに申し上げまして、通級学級の中にLD児の教育も含めて通級の一環とするということでございましたけれども、その通級学級の調査費は、何と年間六百万円でございました。六百万円で通級学級を研究し、同時にLD児の迎え入れ方、指導の仕方を研究するのかな、こう思っておりましたが、今日やっと、平成十九年になりまして、LD児だとかADHDの子供たちもやるんだということでございまして、それはそれで大変結構なことで、私も喜んでおります。

 だけれども、私が平成二年に質問してから十七年間かかっているんですね。十七年間かかってやっとLD児が表面に出てきて、学校教育法の中で取り扱うというのでありますから、まあ今昔の感がしきりにするわけでございます。

 まず申し上げたいのは、行政が取り組む障害児教育が、特にLDを取り上げますけれども、十七年間かかったということは、これは何なんですか、何をしていたんですかということでございまして、その当時六百万円で出発したこのLD関係の歩みを、ごく簡単に、どういうことをやって、どれくらいの予算をふやしてきたか、御説明いただきたいと思います。

金森政府参考人 お答えを申し上げます。

 学習障害児、LDに対する文部科学省のこれまでの取り組みでございますけれども、ただいま御指摘がございましたように、学習障害について初めて言及がございましたのは、通級学級に関する調査研究協力者会議が平成四年に取りまとめました「通級による指導に関する充実方策について」という審議のまとめでございます。それ以来、私どもでは、例えば、調査研究協力校における実践研究でございますとか、指導資料や理解啓発資料の作成、配付、また専門家による巡回指導などの措置を講じまして、通常の学級における担任の配慮を促してきたところでございます。

 また、近年では、平成十五年度から小中学校における教育支援体制の整備を進めますとともに、平成十八年度から通級による指導の対象として位置づけ、平成十九年度からは小中学校なども含めた特別支援教育を推進することを学校教育法の改正により法律上も明確にするなど、学校全体としての体制整備を図ってきたところでございます。

 こういったLD、ADHDを対象とした予算についてのお尋ねでございますけれども、こういった児童生徒だけを対象とするものではございませんが、LD、ADHDを含む発達障害支援、特別支援教育の充実ということで申し上げますと、例えば、発達障害等支援・特別支援教育総合推進事業でございますとか、特別支援学校がセンター的機能を果たすことによる指導の充実、また発達障害早期総合支援モデル事業、また高等学校における発達障害支援モデル事業、こういったさまざまな、LD、ADHDを含む事業の予算、平成十九年度は三・四億円でございましたけれども、二十年度の予算案におきましては二・四倍の八億円を盛り込んでいるところでございまして、予算面の充実につきましても力を入れてまいりたいと考えているところでございます。

土肥委員 大臣、役所がする仕事というのは物すごい時間がかかるわけですね。体制ができるとどんと八億出すというような話になるわけでして、無理もないかなと思うけれども、何でこんなにおくれるんですかね。大臣の感想をお聞きしたいと思うんです。

渡海国務大臣 役所の仕事が遅いというのは、私も率直な感想として同じ感じを持っておりまして、私は少しせっかちなものですから、とにかくこれからの皆さんの仕事はやはりスピード感を持ってやっていただきたい、とにかく遅いというふうなことをしょっちゅう実は省内では言っております。

 ただ、委員も今やむを得ないかなと言われたところがございますが、やはり政府の仕事というのは、ぎりぎり法律の枠の中で具体的な行政が行われているわけでありますから、他省庁との関係とかさまざまな調整があって時間がかかる。また、先ほども申し上げた縦割りの弊害というようなことがよく言われております。今公務員改革でもこれについていろいろな意見があるところでございますが、そういうところは、これは党派を超えて、やるべきことはやはり政治が解決をしていかなきゃいけないんじゃないかというのは、率直な私の感想でございます。

 ただ、今件に関しましては、委員からの指摘をいただきまして、私も随分同じことを言ったんです、何でこんな遅いんだと。ところが、LDという学習障害につきましては、やはりなかなか研究とかそういうものが進んでいなかった経緯があるようでございまして、そのところを、そうであっても踏み込んでやれるかどうかというのは、その時々の判断というものがあったと思いますが、そんなことでこれだけ時間がかかってしまったということであろうと思います。

 ただ、我々は、国民の要望にこたえて敏感に反応して、そしてやるべきことをしっかりとやっていくということを常に心がけて、これは与党であろうと野党であろうと政治がやっていかなきゃいけないということを、私の感想として申し上げたいというふうに思います。

土肥委員 なぜそんなにおくれるのかという話でございますが、平成四年から始まった、私も平成二年に質問しているんですけれども。子供はどんどん育つんですよね。調査研究、調査研究でやっている間に十五年もたっちゃって、その当時、私はまだそのころ政治をやっておりませんでしたけれども、福祉の世界でどうもそういう子供がいるということに気がついておりまして、親御さんたちともよく話をしておりました。そのころ十歳か十一歳ぐらいの子、男の子でしたけれども、今やもう立派なというか、成人、二十六歳、七歳になっているわけですよ。子供はあっという間に育つわけですね。それで、文科省は後ろから追っかけて追っかけて追っかけている間に子供はどんどんどんどん逃げていくような形になるわけです。逃げるというよりは、その親御さんたちの苦労は並大抵じゃないんです。

 やっと中学校を卒業した、まだLDだとわかっていませんから、学級では迷惑な子供になっているわけですね。そして、辛うじて高校に入りまして、どうやっているかというと、試験があります、必ずおっこちるわけです、追試があります。だから、試験の前から追試に向かってずっと勉強を続けて、追試がやっと通ったと思ったら次の試験が待っているわけですね。だから、もう一年じゅう、子供を何とかしてその追試に通るように、試験に通るようにということを親御さんは苦労しているわけでございまして、しかも、学習障害児だという意識を親も子も持っていませんから、何でこんなにできないのといって教育をするわけですね。だから、子供はどんどん育っているわけです。

 私はせんだって三十五、六歳の女性の方にお会いしまして、この方は三十五歳にして初めて医者から、あなたはLDだと言われたんですね。三十五歳になって初めてLDだとわかった奥さんのその体験と告白は、我々障害福祉をやっている者にとっても、あるいは教育者にとっても、実に貴重な体験を話してくれるんです。LDだからといって言語機能がないわけじゃない。これまでどうもおかしいと自分で悩んできたその悩みを告白してくれるわけです。

 ちょっとだけ紹介すると、まず、三十五歳のときに、あなたはLDだと言われたときに、お医者さんが、あなたつらかったね、こう言ってくれたというんです。つまり、自分の症状が何かわからないでいるということは非常に苦しいことなんですね。私は、それを聞いて、自分のやっている福祉の仕事が何か原点に戻ったような気がします。つまり、対象者の体験や告白を聞かないで本当の教育はできないということなんです。

 勉強の苦労、例えば、この奥さんは国語は抜群の能力を持っているわけです。今でも私は一次試験を通りますというぐらいの国語力を持っているんですね。ところが、数字がさっぱりだめなんです。十分後に集まりなさいと言われたときに、その十分がわからないわけですね。もうそれで振り回されているんです、その奥さんは。

 三十五歳にしてわかったんですけれども、既にお子さんが二人いる、もちろんだんなさんもいるわけですね。その診断結果を受けたときに、徐々に、だんなさんもその奥さんがちょっと変わっているねと気づき始めるわけですね。何が何なのかわからない。例えば、ぬれたものをさわるのが嫌なんですね。だから、ぞうきんとかふきんだとかというぬれたものはさわれない。だから、いつもからぶきをしていらっしゃるわけですね。何でそういうふうにするのと言われても、それができないというわけですよ。

 それから、この御主人が「ゴルゴ13」という雑誌を持ってきた。それで、あなたも読みなさいと言って、読みながら、字は読めるんですが、なぜこの人がこの人を殺さなきゃならないかという脈絡が全然わからないというわけです。何がおもしろいかというと、ピストルのデザインとか着ている服の絵柄だとかいうのは克明に覚えて、それは非常に興味があるわけですけれども、筋書きが全然わからないわけです。

 そういう話を聞いておりますと、いろいろなことがあるわけです。例えば対人関係で、我々は距離感をはかって、大臣ともこの距離感は微妙な距離感ですね。すぐ殴りかかるにはちょっと距離があり過ぎるんですね。そういう距離感がわからないから、下手するとべたっとくっついていくんですね。学校の先生にいろいろ教えてもらうときに、べたっとくっつくから、おい君、ちょっと離れろと何度も言われたくらいでございますけれども、そういう物理的な距離感もわからないし、したがって、人間的な距離感というのはほとんどわからないとおっしゃるわけです。はあ、そうかと。そのときに、学校で勉強をするとか成績だとか試験だとかというのは一体何だったんだと。これは本当に申しわけないというか、気の毒に思った次第でございます。

 そういう報告がどんどん出てきておりますから、LD教育に関しては、人口がどれくらい、子供の数が三十万とも言われておりますけれども、かなりの数がいるわけでございまして、そういう子供の対応というのを早くマスターしていただく。学校の教師の皆さんも早く理解をしていただく。のけものにしない、できの悪い子にしないでどうやって育てていくかということですね。

 ADHDにしましても、大変難しいんです。学校を卒業して私どもの施設に参りまして、それはもうどう指導していいか、わけわからぬくらいです。結局、個別支援になりますので、例えば五十人の知的障害者の施設に入っていらっしゃるんですけれども、一人、二人ぐらいに分離して、そして昼の生活は別のところでそういう施設を用意しなきゃいけないんです。例えばカラオケボックスがつぶれた、では、それを借りようといったことで、その中に入って一日じゅう職員が一人でついて世話をしなきゃいけない。これを学校教育に持ち込んだら大変だろうなと思いますけれども、我々障害福祉をやっている者たちも、人件費の問題から何から計算すれば、とても負えるものじゃありませんけれども、できるだけやってみようということでやっているわけでございます。

 その上に、今度は、三障害一緒に障害施設で面倒を見るようにというのが今回できました自立支援法でございまして、そういう意味で、学校教育でこうした障害を持つ子供たちをどう見ていくかということは、極めて緊急的な、ぐずぐずしていられない。やれることはどんどんやって、失敗してもいいじゃないですか。やはり経験しか役に立たないというふうに思うわけでございます。

 それでも、親御さんに会いますと、ああ、国がここまで認めてくれたのかと喜んでいらっしゃるんですよ。本当に申しわけないと思いながらも、よかった、うれしい、自分たちの後輩たちに、こういう国の取り組みについて、特に学校の先生方の理解が深まったことはありがたい、こうおっしゃっているわけです。

 そうした一種の精神障害でございますけれども、実は、学習指導要領をずっとさかのぼってみますと、特に精神障害にかかわる指導要領の中身は恐るべきものがあって、保健体育というのはマイナーな科目かもしれませんけれども、私は、やはり学級運営にしましても、子供の教育にいたしましても、こうした障害を担っている子供たちをよく教えて、こういう子もいるんだ、私どももこういうふうになる可能性があるんだというようなことも含めて、障害者を普通学級でも、今度は特別支援学校でもやっていただきたいと思うのであります。

 精神障害の歴史を見ますと、さかのぼること昭和三十三年、四十四年の中学校の指導要領、それから、昭和三十五年、四十五年の高校における指導要領を見ますと、精神障害についての理解をするという項目のもとに、それはもう、これは遺伝病である、だから優生保護法的な対処をしなきゃならないということが書いてあるんですね。ですから、教育の中に、いわば精神衛生とかあるいは優生保護というような、今では考えられないことがうたわれておりまして、それに基づいて教科書もできているんですね。私はその教科書を読みました。

 ところが、その後、ぱたっととまるわけです。ずっと時がたちまして、昭和五十二年以降、精神障害という言葉が削除されます。完全に削除されるわけです。そして、今日まで保健体育の指導要領には書かれていないんです。なぜ精神障害を切り離したんですか、お答えいただきたいと思います。

樋口政府参考人 お答え申し上げます。

 委員御指摘のように、五十二年の学習指導要領の改訂以前におきましては、私ども、精神障害についての大要を知ること等を中学校学習指導要領等に明記をしていたところでございますが、五十二年の指導要領の改訂に伴いまして、指導内容の精選あるいはゆとりある学校生活等を基本方針といたしまして、ここの中で学習指導要領の改訂を行わせていただきまして、具体的に、中学校の保健体育科では、生活における健康問題を正しく理解させるために必要な基本的事項、例えば精神や身体の機能は年齢とともに発達することの理解に必要な内容を十分理解させるための指導に重点を置くこととなりまして、精神障害についての記述は削除され、今日に至っているところでございます。

 今回の改訂におきましても、中学校の保健体育分野の授業時数が増加しなかった中で、生活における健康問題を正しく理解させるために必要な基本的事項を十分理解させるために、指導内容の改善を図っているところでございます。

土肥委員 精神障害というのは、だれでもかかる病気です。病気というよりは症状ですね。早く周りの方が理解すれば治る病気でございます。うつ病とか日常的にある精神障害もあるわけですけれども、私の経験、私の言い方からすれば、精神を病んでいる患者さんは、薬とかなんとかでコントロールできるのは三割程度だと思っております。これは精神科の先生に聞いても、大体そんなものだろうとあえておっしゃる先生がいらっしゃいます。精神科の診療報酬の問題がございまして、余り精神科の先生ははっきりとしたことをおっしゃらないわけですけれども。あと七割はどうかというと、ケアなんですね。つまり、周りが支え、見守っていく。それが大事なわけでありまして、精神障害というと、どうも日本の文化、歴史の中で、いわばさげすまれ、排除されている。大体、大型の精神病院というのは田舎しかありませんね、山の中しかありません。

 ところが、おととい、豊岡病院というのに行ってみたんです。新しく建てられた立派な病院です。ここは、外来側を入ってきまして、すうっと行くと精神科に通じるようになっておりまして、だれでも入っていけるようになっているんですね。一階は社会復帰型の機能訓練をやっているようですけれども、二階が病棟になっていまして、これは私、豊岡病院の設計と病院自体の取り組みに対して大変深い敬意を表する次第であります。

 実は、この病院では、もうおやめになりましたが、朝日さんという参議院議員はそこの病院の精神科のお医者さんだったわけですね。そして、豊岡病院を改革するんだということで大いに頑張られたということを聞いております。その精神が生きているんだということをまた朝日先生に報告しなきゃいけないと思っておりますけれども。特別な病室や病棟じゃないわけです。

 そういうことからいうと、精神障害者が受けている社会的な差別、これを何というかというと、スティグマというんです。ギリシャ語でスティグマというのは傷という意味なんです。傷を負わされている。もっと言えば、キリストが十字架刑にかかった傷、くぎで手足をとめられるわけですけれども、そこから来ているわけです。スティグマというんですね。単なる差別じゃないんです。深い傷としてくぎ跡のように突き刺さっているこの障害をどう日本から除くかということは、日本の医学界のみならず、教育界においても極めて重要なことだ。

 学校で、もう全く、時間数が減ったとかなんとかおっしゃいますけれども、LDを始め、そしてADHDを始めたということであれば、精神障害、何も精神障害とまともに言わなくても、ただ、メンタルヘルスと言ったらだめなんです、私に言わせれば。心の病というものをきっちりと教えなきゃいけない。実は、クラスの中にもそういう子はいっぱいいるわけですよ。だけれども、何か今度は、教育の時間数をふやしてもっと教えるんだ、勉強するんだというような体制になってきたんですけれども、保健体育というのはますますマイナーになって、実は、学級を成り立たしめるのは生徒間のいわば相互理解のはずですよね、LDも含めて。それを邪魔扱いにするような学校では、これはもう学校教育としては成り立たない。そういう意味からすると、精神障害をやはり教えるべきだというふうに思うんです。

 この点は、今役所に言っても無理ですから、感想だけでいいですから、大臣、お答えいただきたいと思います。

渡海国務大臣 実は過日、神奈川県のある地域の懇談会というのに私呼ばれまして、出かけました。その中に実は障害を持った方のお母さんがいらっしゃいまして、地域支援本部と同じような支援体制のいろいろなグループの方が集まっておられて懇談会をやらせていただいたんですが、やはり、すごく喜んでおられたのは、障害を持っておられるお子さん、それから障害児と接しているお子さん双方にとって教育的効果があるというふうなお話をされておられました。やはりいたわりの心が生まれるとか、また、障害児の方も初めてお友達ができたとか、そういう話がありました。

 いずれにいたしましても、今の先生のお尋ねでございますが、これはやはり、社会的な弱者に対して子供にどういう教育を与えていくかということにもつながると思いますから、学校でさまざまな授業の中で、そういったいたわりの心とか、そして、社会においてそういう人たちに対してどういうふうに接すればいいかということはきっちり教えていくべきだというふうに思います。

土肥委員 重い課題ですけれども、日常的に我々はそういう社会に生きていて、年間三万人も自殺者が出るなんという社会ですから、これはもうやはり教育問題なんですよ。大人になった途端に心強くあれなんて言ったって、それはできないわけで、弱さを共有しながら自分の生き方をどう決めていくかという大変大事な問題だと思いますので、恐れないで精神病の教育を入れていただきたいというふうに思います。

 もう時間が五、六分しか残っておりませんので、もう一つ、いきなり飛びますけれども、高校の通信制教育についてお答えいただきたいと思います。あとの問題はもう飛ばします。

 今、通信制教育、高校教育の通信制というのはどういう状況になっているのかということでございまして、かなりの子供が通っておりまして、通信制教育とその協力校と言っている、その協力校とは何なのか。協力校というのを必然的に持たざるを得ない通信制高校で、協力校というのは何をしていて、どういう機能を持っていて、そして、それに対する国の予算というようなものが付与されているのかどうか、そういう設置要綱なども含めて、今の通信制高校教育の協力校の実情を簡単にお話しいただきたいと思います。

金森政府参考人 お答えを申し上げます。

 通信制高校の協力校でございますけれども、通信制高校の協力校と申しますのは、通信制教育実施校から遠距離にある生徒の面接指導などの便宜を図りますために、当該通信制高等学校の設置者がほかの高等学校を協力校として位置づけるものでございまして、高等学校通信教育規程の第三条に規定をされているものでございます。

 協力校は、高等学校でございますため、設置基準につきましては高等学校設置基準が適用され、また、協力校として行う教育内容は、当該高等学校を協力校として位置づけております通信制高等学校の面接指導や試験等でございます。

 協力校を置くことによりまして、遠隔地の生徒にとりましては、通学距離や時間の短縮、また経費の軽減などが図られるわけでございまして、面接指導への出席がより一層可能となるとともに、きめ細かい指導も受けることができるようになり、通信制高校を充実させる上で重要な役割を果たしているというふうに考えているところでございます。

土肥委員 もう相当歴史は長いわけですけれども、今どういう子供たちが通信制高校に通い、かつ協力校に通っているか、質問したと思いますが、お答えいただけますか。

金森政府参考人 お答えを申し上げます。

 高等学校の通信制教育は、働きながら学ぶ青少年に高等学校教育を受ける機会を保障するため、昭和二十三年に発足したものでございます。

 制度発足から約六十年が経過をいたしまして、社会が変化していく中、通信制高等学校に入学を希望する者は、従来からの勤労青少年だけではなく、さまざまな入学動機や学習歴を持つ者が多くなるなど、制度発足当初とは状況が大きく異なっております。

 具体的には、働きながら学ぶ勤労青少年のほかに、全日制課程に進学しなかった者や、全日制課程を中退した者、さらに、過去に高等学校教育を受ける機会がなかったけれども高等学校教育を希望する者など、多様な生徒が学んでいるというのが実情でございます。

土肥委員 これを公立でやるということ、私立が多いんですけれども、公立でやることの意味は何なんでしょうか。

金森政府参考人 お答え申し上げます。

 通信制高校に在籍する生徒は約十八万人でございますが、そのうち、公立と私立に通う生徒はおよそ半数ずつとなってございまして、公立、私立がともに通信制教育を支えているというのが実情でございます。

 また、在籍生徒の内容を見ますと、私立学校は十五歳から十九歳までの生徒が約九割を占めておりまして、二十歳以上の生徒は約一割となってございますが、公立学校の場合は、十五歳から十九歳までと二十歳以上が半々となっているところでございます。さらに、私立通信制高校の授業料に比べますと、公立の通信制高校の授業料は相当安くなってございます。

 こうしたことから、公立の通信制高校は、高等学校相当年齢を超過した者も含めて、さまざまなニーズを有する生徒に対して、多様な履修形態による教育機会を安価で確保することに意義を有していると考えているところでございます。

土肥委員 私は、民間の協力校、私立の協力校を幾つか知っておりまして、そこの入学式とか卒業式に出かけるんです。これはもう実にさまざまな子供が集まっております。何か飲み屋のおねえちゃんのような人から、ちゃんと制服を着た子まで種々雑多というか、四月の入学期はもうめちゃくちゃですね。だけれども、数年たつといい卒業生になっていくわけでございます。

 この私立のサポート校の子供たちの親はかなりの財政負担をしている。だから私、あいさつさせられたときに言うんです。子供も育ち方はいろいろだから今の間はちょっと金かかるけれども、面倒見てやってよと大人に言うわけです。親は泣いているんです。何でうちの子がこんなところに来なきゃいけないの、何で公立に比べて余分な月謝をこれだけ払わなきゃいけないの、そういう気持ちでいるんですけれども、徐々に親も変わってまいります。そういう親教育をサポート校の責任者がやっているわけですね、なぜこういう事態になったのかということを親も納得しなければやっていけないわけですから。

 そういう意味で、私は、サポート校あるいは通信制高校というのは民間がやった方がいい、半分ぐらい公立でとおっしゃるんですけれども。要するに、種々雑多なアルバイトをしながら、居場所がない子供たちです。だから、サポート校に集まってきて、音楽をやったり、絵をかいたり、だべったりなんだりする、そういう集いの場所になっているわけです。学校というような感じは余りしないんですね。勉強もしております。パソコンも、コンピューターの技術も教えているんですけれども、その下でギターを弾きながら寝っ転がって歌っている子もいるわけです。これは構わないわけです。俗に言う不登校であるとか落ちこぼれであるとか、学校に居場所が見つけられない、学校不信だ、そういう子がたくさん集まっているんですね。それで、勉強は余りしませんから、通信制のレポートを書いたり、試験のとき、スクーリングのためにそのサポート校のスタッフは一生懸命また教えるわけです。だけれども、何か日本の教育の縮図を見たような思いがいたします。

 ですから、サポート校に通うような子供が非常にふえている、この皆さんの文書の中にも出てまいりますけれども、どうかそういう意味で、サポート校のダイナミックな姿、真実の姿を見てもらいたい、このように思います。

 ただし、そのときに注意していただかなきゃならないのは、設置基準に合っているかどうかとか、やや行き過ぎじゃないかとかいうこともありますから、そこは、見ていただくのもいいんだけれども、見ない方がいいのかな、見せない方がいいのかなと思ったりもするんですけれども、実にダイナミックな、そして、今後は、設置基準に合わないからどうしようもないということで、特区を取得して通信制の高校を始めたところもあるんですね。岡山にあります。そういう特区であるとか自由な学校経営を許しながら、やはり十五、六歳から二十四、五歳までの、行き場のない、もう七転八倒しているような子供たちを受け入れているというところにこの通信制高校のサポート校としての意味があると思うんです。

 もう回答はいいですから、大臣、一言感想をおっしゃってください。

渡海国務大臣 今の先生のお話を聞かせていただいて、ああ、そういうこともあるのかというふうに、ちょっと申しわけありません、私は勉強不足なものですから、このことについてそれほど知っているわけじゃないんですけれども、しかし、やはりいろいろな生徒がいて、いろいろな環境でいろいろな学びの場があるんだろうなというのが率直な感想でございます。

 我々は教育という観点から所管をいたしておるわけでございますから、硬直的な考えには別に陥らないようにして、さまざまな児童生徒の、また、これは児童生徒だけじゃないですね、通信高校になりますと、かなり高齢者、高齢者と言うと怒られますが、いらっしゃいますけれども、そういった環境を整えるために我々が何ができるかということをしっかり考えていきたいというふうに考えます。

土肥委員 私、大変価値のある学校システムの一つだと思っておりますので、どうか文科省の皆さんもよく考えていただきたい、このように思います。

 終わります。ありがとうございました。

佐藤委員長 以上で土肥隆一君の質疑は終了いたしました。

 次に、山口壯君。

山口(壯)委員 民主党の山口壯です。

 きょうは、GXロケットプロジェクトとそれから国立大学法人への役員出向の問題について取り上げさせてもらいたいと思います。

 今、資料をお配りいただいているのは、GXロケットプロジェクトの資料です。資料を今配られているから、先に国立大学法人の話を行きましょう。

 この国立大学法人について、私は、平成十八年の三月十日に、当時は小坂大臣でした、同じことを聞いたんですね。要するに、理事がわたりでいろいろな大学を回っている、文部科学省の幹部職員がまるでローテーション出向のように回っている、これはやめるべきではないか、こういうふうに言いました。そのときに小坂大臣の答弁が、「わたりのように行ったり来たり、その人事が文部科学省の采配によって行われるようなことを今後とも継続することはないようにしろ、こういう趣旨じゃないでしょうか。そうであれば、私は、全くそのとおり、そう思っております。」こういうふうに答えてもらいました。

 あれから二年たって、私ももう一回調べ直しました。全部の大学を調べ直しました。

 まず、渡海大臣、この小坂大臣の答弁を私が読み上げましたけれども、国立大学への文科省幹部職員のローテーション出向、これはやめるべきではないか、どういうふうにお考えでしょうか。

渡海国務大臣 山口委員が小坂大臣に対して質疑されたことを私も読ませていただきました。先ほど読み上げられた文章がございます。「わたりのように行ったり来たり、その人事が文部科学省の采配によって行われるようなことを今後とも継続することはないようにしろ」という趣旨であろうと思います。そのことと、それから、いわゆる独立行政法人になった後に、大学の意向を無視して文部科学省が人事において介入をして押しつけるというようなこと、こういうことがあってはいけないというようなことをおっしゃっておられます。

 やりとり全般を私もちょっと読ませていただいたんですが、山口議員がこのやりとりの中で懸念をされていることが、大きく言って二つあるというふうに理解をしております。これは私の理解でございますから、もし間違っていたら御指摘をいただいて結構かと思います。

 一つは、文部科学省が采配をしてやっている、要するに、文部科学省の意向でやっているということが問題ではないかということ。それからもう一つは、そういう采配がされることによって、要するに、出向先で、いわゆる出向先の利益じゃなくて、文部科学省の方を見ながら仕事をするということが起こるんじゃないかということが一番大きな御懸念であるというふうに思っております。

 そういう観点も含めて、現状、ではどういうことが行われる、こういうことでございますが、大学側からの要請がありまして、そのことに応じて、こういう人がいたらぜひ我が大学としても人材が欲しいと言われることに対して御紹介をさせていただき、そういう形で出向が行われているという事実が続いております。このことは事実でございますから、はっきりと申し上げなきゃいけないというふうに思っております。

 やめるべきじゃないかというのが御質問の趣旨であったと思いますけれども、私は、先方からの要請に基づいてそういう人材を例えばお世話することそのものがいけないから、やめるべきじゃないか、やめるというふうには考えておりません。やめるべきだと言われれば、ただ単にやめるべきだというふうにはならないと考えております。

 ただ、先ほど言いました二つの懸念、こういったものが起こるということは、やはり厳に避けなければいけないというふうに考えております。

山口(壯)委員 大学からの要請がある、もうそういうことになっているわけですね。しかし、例えば、自主性、自律性をこの独立行政法人化というので高めることになっていましたけれども、そこには偽装があるんですね。どういう偽装か。

 国立大学法人法の十六条というところに、「政府又は地方公共団体の職員は、役員となることができない。」こうはっきり書いてあるんです。だけれども、その部分を超えるために、一回文部科学省をやめてという形をとって行くんです、役員出向。こういうのを偽装と言うんですよ。実際にはやめていないのに、文部科学省の枠の中でずっとローテーションで動いているんですよ。だけれども、一回やめたことにして行く。

 今、大学の要請があるということを言われました。私はあのときも挙げましたけれども、奈良教育大学の金田さんの例ですよ。これはもう一回挙げなきゃいけない、そういうことであれば。あのときは、議長が役員会で説明をするわけですね。こういうことを言っておられるんです。それは大臣が読まれた議事録にも出ていたことですけれども、「議長から、二月一日付け文部科学省の人事異動により、金田総務担当理事・事務局長が一橋大学事務局長に異動、」「後任には国立乗鞍青年の家所長の堀江克則氏が事務局長として着任する予定である」と。要するに、文部科学省の人事異動を受けて、この大学は、ちょっと後任、あと時間がかかるけれども、いずれ来るみたいだから待っていてね、こう言っているわけですね。大学からの要請というものとは、大臣、少し違いがあるんですよ。

 このことをちょっと順番に見ていきますけれども、あれから二年たっていますから。北海道大学、遠藤さん、内閣府の審議官ですか、今はどちらにおられますか。

渡海国務大臣 申しわけございません。具体例につきましては担当の合田に答えさせてよろしいですか。(山口(壯)委員「どうぞ」と呼ぶ)

合田政府参考人 お答えを申し上げます。

 ただいま御指摘にありました遠藤につきましては、今現在は独立行政法人国立文化財機構の理事をしておるというふうに承知をしてございます。

山口(壯)委員 文部科学省の管轄の部署に行っているわけですね。そして、その後任に嶋貫和男さん、文科省の初等中等教育局の参事官の方が行かれた。

 東北大学、これは理事じゃないですけれども、副学長さんですけれども、萩原久和さんが文部科学省の大臣官房文教施設企画部長から行かれている。

 筑波大学の泉紳一郎さん、文部科学省大臣官房審議官で高等教育局担当の方が〇六年の四月から行かれている。

 千葉大学、山根徹夫さんが文科省のスポーツ・青少年局企画・体育課長から行かれて、今、福島健郎さんが、今度は三重大学の理事だった人がわたり大学、理事わたりでやっているわけですよ。

 東京大学、辰野裕一さん、文部科学省の大臣官房審議官で高等教育局担当の方が去年から行っておられる。

 東京芸術大学、太田和良幸さん、これは私が中国大使館で一緒だった方ですけれども、今は神戸大学に、これも渡っておられるんですね。そしてその後、堀江振一郎さんが宮内庁の東宮侍従から行っている。これは私が外務省のときに机を並べた人です。

 もう文科省のローテーション出向ですよ、全部。まだまだあるんです。大臣に知っておいてもらいたいから、一応言いますね。

 そして、信州大学の竹本廣文さん、国際交流基金の人物交流部長から行かれた。今この方はどこですか。もしもわかったらでいいです。

合田政府参考人 大変恐縮でございます。今ちょっと手元で直ちにわかりかねます。

山口(壯)委員 竹本さんは〇四年から〇六年まで二年間いて、役人のローテーションと同じ二年あるいは三年単位の人事異動があるわけです。その後は、須田秀志さんが文部科学省研究開発局参事官から信州大学に行っておられるんです。

 岐阜大学の山本さん、〇六年の四月から文部科学省医学教育課の大学病院支援室長から行っておられる。

 名古屋大学の豊田三郎さん、大臣の秘書官としてそこでよく私も見かけましたけれども、この方が名古屋大学にいたんですけれども、今どこですか。

合田政府参考人 お答えいたします。

 現在、公立学校共済組合の理事をしております。

山口(壯)委員 大学の要請に基づいてその国立大学法人に人材として受け取ったんであれば、二年、三年でかわるわけがないんです。ずっとその大学でその大学のために頑張る、それが大学の要請に基づいて行った場合の本当の姿じゃないですか。あるいは、別に、文部科学省をやめてそういう国立大学法人にずっと行くというのも私は理解できます。文部科学省の人間がそこへ行っちゃいけないと言っていない。だけれども、二年、三年で渡るというのがおかしいんだと言っているんですよ。

 大臣はそれをやめる気がないというふうに、小坂大臣よりずっと後退された答弁を先ほどされましたが、私は現実をもう少し受け取っていただきたいなと思うんです。

 もう少し聞きますよ。

 名古屋工業大学の呉茂さん、文部科学省の研究振興局ライフサイエンス課ゲノム研究企画調整官から行っておられますね。

 三重大学の三浦春政さん、文部科学省生涯学習政策局の社会教育課長から行っておられる。去年からです。

 京都大学の木谷雅人さんは、文部科学省の大臣官房審議官から行っておられる。

 京都工芸繊維大学の木下眞さんは、文部科学省の研究振興局の学術研究助成課の企画室長から行っておられる。

 まだまだあるんですよ。こういうのがずっと続いているんですから。

 二〇〇四年に国立大学法人になって、私が質問したのは二〇〇六年、二年しかたっていませんでしたから、いやいや、それはずっといたんですけれども、その二年だけ見たら二年に見えるかもしれませんけれども、そういう答弁でした。しかし、今、四年たった。四年たって見てみたら、やはり同じことが起こっている。二年あるいは長くても三年、場合によっては一年半でくるくるかわっているんです。

 大阪教育大学の中岡司さんは、文部科学省スポーツ・青少年局学校健康教育課長から行かれている。そして今、椎広行さんが、生涯学習政策局の生涯学習推進課民間教育事業振興室長から行っておられる。

 高知大学の河本朝光さん、文部科学省の大臣官房会計課の予算企画調整官から行っておられる。

 鹿屋体育大学の工藤さんの例は、これもわたりの例ですね、弘前大学から来られてまた移っておられるんです。その後を高橋誠記さんが行かれて、この方は、国立美術館の国立西洋美術館副館長から行っておられるんです。〇五年に工藤さんが移られて、その後、高橋さんになる。

 富山医科薬科大学の本間実さんは、高等教育局の専門教育課の教育大学室長から移っておられる。

 大臣、おかしいですよ、これは。どうもおかしい。日銀の総裁とは全然質は違いますけれども、独立しているんですから、独立。国立大学法人と呼ばれていますけれども、私、一瞬勘ぐってしまったんですよ。ほかのところを独立行政法人と言って、この国立大学法人に独立の名前が抜けているのは、ひょっとして意図的だったんじゃないかなと勘ぐってしまったんですよ。そうであってはいけないわけでしょう。

 自主性、自律性を重んじてというふうに附帯決議とかいろいろなところにも書いてある。これを踏まえて、渡海大臣として、こういうことはやめた方がいいんじゃないか、そういうふうに持っていく、答弁をいただきたいと思います。

渡海国務大臣 小坂大臣とのやりとりは、私も重々承知をいたしております。きのうも深夜に、もう一度よく読ませていただきました。

 そこで、最初の二点を、実は、私は山口委員にあえてお話をしたわけでございます。現実に今そういうことが続いているということも昨夜も確認をいたしました。これを受けて、これが続いているということに対してそういう御疑問が生まれるだろうということについても、あえて否定はいたしません。

 ただ、一つ御理解をいただきたいのは、私は、大学の先生とも実は話したんですね、学長とも。そのときに、やはり、いろいろな意味で、こういった感じの職員が欲しいというふうな要望があるというのも、これは事実でございます。そこにおいて、今山口委員がおっしゃったのは、文部科学省のローテーションとしてそれが行われているというような現状があればということであれば、文部科学省の都合で押しつけるような、回していくような、渡らせるような、そういうことはやはり、これは小坂大臣もおっしゃったことでありますが、やめなければいけないというふうに私も思います。

 独立行政法人ということで、独立性を保つという意味においては、このことが弊害になるということであれば、それもやめなければいけないというふうにも思いますが、国立大学法人の運営というのは、学長が基本的にそのことを運営する、学長を決めるのはちゃんと決まったシステムの中で決めていくということで、ファイアウオールとしての独立性は保たれておるということでございます。

 ただ、実態として本当に保たれているのか、この疑問は生まれると思います、正直そういうふうに思いますけれども、そのことをしっかりとやはり担保した上で、要請があればそのことについておこたえをするということは私はあってもいいんじゃないかな、そういうふうに思います。

山口(壯)委員 今、要望があればと言われたんですけれども、予算で縛っているんですから、大学としたら、文部科学省から人を一人持ってきて予算で面倒を見てもらいたいわけですよ。だから要望という格好をしているんです。大臣、政治家ですから、役人じゃないんですから、そういうところをしっかり見抜いて、やはり、本当の意味での、日本の大学が世界に雄飛できるようにするにはどうしたらいいか、もっともっと真剣に考えるべきです。

 最初の、この国立大学法人をつくるときに、私も本会議で、もうあれは二〇〇三年ごろだったかな、させていただいたときに、私が申し上げたのは、残念ながら、今までのノーベル賞、もらった人は全部国立大学だったんですね。

 要するに、独立行政法人的になり過ぎると、もうかるものしか研究しない。要するに、高い山ほどすそ野が広いのに、そのすそ野が広いサンスクリット語とかそういうものをもうからないからということで全部切ってしまうんですね。切ってしまって、もうかるものしかやらないという傾向が出てきてしまっているわけです。しかも、文部科学省のおめがねにかなったいろいろな予算プログラム、これが欲しいわけですよ。COEとかいろいろな名前をつけてやっておられるじゃないですか。

 そういう意味で、大学の要望があるという一事でもって判断されずに、やはり、日本の大学をどういうふうに世界の大学たらしめるかという観点から議論していただきたいと思うんです。

 私は、例えば、文部科学省の幹部職員の人がその専門的見識に基づいて教授として行かれることに対しては何ら反対はしません。しかし、経営陣の一角の理事とか、そういう形で行かれる必要はないじゃないか。理事で行かれるんだったらずっと行ってください。二年、三年でかわるというのがおかしいんです。

 そして、もう一つだけ指摘しますけれども、それぞれの方々が大学を順番に移られるときに、その大学の移り方というのがおもしろいんですね。これは昔の文部科学省あるいは文部省にあった分類ですけれども、例えば旧帝大、北大とか東北大学、東京大学とか名古屋とか京都とか大阪、九州、筑波とかありますよね、あるいは旧官立大学、千葉とか東京工大とか一橋とか、あるいは新七大学とか、あるいは部制大学とか、その他大学とか、いろいろな一般的な呼び方がある。別にランクづけじゃないだろうけれども、呼び方がある。

 ところが、学長の給料と連動させてちょっと見てみますと、千葉大学の福島さんは、三重大学から千葉大学にかわっているんですけれども、学長の給料でいくと九十二万二千円から百十四万二千円にちょっと上がっているんですね。ということは、やはり格付的には、三重大学から千葉大ということは部制大学から旧官立大学にちょっと上がっているのかな、一般的な感覚で。

 東京医科歯科大学の入江さんは、大分大学から来られているんですけれども、大分大学の学長さんが九十九万四千円で、医科歯科大学は百六万六千円だと。ちょっとずつ上がっているんですよ。要するにローテーション出向なんですよ。

 だから、そういうことを見て、大学の要望があるからという一事でもって片づけないように、そこに文部科学省の役人のローテー出向ということが現実にあるんですから、それについてもう少し深く考えてください。答弁をお願いします。

渡海国務大臣 私も少し言わせていただいていいですか。

 山口委員の御指摘は真摯に受けとめたいというふうに思います。

 ただ、私は今、いわゆる大学の運営費交付金に非常に疑問を持っておりまして、まだ完成はしておりませんが、これは中期計画が再来年度で終わりますね。そのときに新たな運営費交付金の算定基準をつくらなきゃいけないんです。それが本当に公平に外形的に見てもちゃんとやられているか。今委員がまさにおっしゃったように、格付をしないでやれるのかやれないのか、その問題も含めてきっちりやらなきゃいけないというふうに思っております。

 それからもう一点は、全然ないとは言いませんが、今のお金の配り方というのは、ほとんど、例えば文部科学省が自分の意向で配分をするとかいうふうにできていません。これはかなり、一部残っていますよ、正直。正直残っていますが、例えばCOEにつきましても、それから、競争的資金はもちろんですね、これはちゃんとした学審とかいろいろなところでやる。この中である不正な選び方が行われていたら、私はそこまでは保証できませんけれども、そういったちゃんと外部機関を入れた上ででないと実は配分ができないというシステムにずっと変えてきたわけですよね。

 そのことによって、要は人を出したからお金がとれるという、人が欲しいとおっしゃっている側はそういう発想をとられているかもしれませんが、そういうことは極力なくなってきているし、また、ないように今の制度設計というのはなりつつある、また、しなければいけないというふうに私は考えておりまして、そういった視点もぜひ考慮していただきたい。

 それから、現況としてそういうことがローテーションとして行われているということをより検証しまして、もしそういったことがあるようであれば、それは厳に慎まなければいけないことでありますから、私は、そのことについては、委員の意も体して、今後のことをきっちりと私のいる間はしっかりとやっていきたいということでお答えとさせていただきたいと思います。

山口(壯)委員 大臣、私のいる間だけに限らず、前の人からちゃんと受け継がれて、そしてローテーション出向がないかどうか、きちっとチェックされて、それがないようにしてください。

 GXロケットに行きましょう。

 GXロケットというものがありますね。今、配付資料でお配りしていただいた資料二つ、GXロケットの位置づけについてという、基本的には二つ同じようなものですけれども、最初の平成十八年十二月二十六日の総合科学技術会議有識者議員というふうに書いてある資料、これはどういう性格の資料でしょうか。

藤田政府参考人 御説明を申し上げます。

 この平成十八年十二月の総合科学技術会議の資料につきましては、GXロケットを第三期の科学技術基本計画におきます戦略重点科学技術に位置づけるというふうなことで、総合科学技術会議で御審議をいただいた結果として有識者議員が取りまとめたものでございます。

山口(壯)委員 この紙の二に、今藤田局長が言われたように、GXロケットを「戦略重点科学技術の施策の一つに位置付ける。」とはっきり書いていますね。

 次の資料の、明けて十九年一月十二日の「GXロケットの位置付け」という資料、これはどういう性格の資料ですか。

藤田政府参考人 御説明を申し上げます。

 この二枚目の「GXロケットの位置付け」、十九年一月十二日の資料につきましては、先ほど御説明を申し上げました総合科学技術会議で戦略重点科学技術に指定をされました後に、文部科学省と経済産業省で、宇宙開発委員会の、当時、宇宙開発に関する長期的な計画案を策定中でございましたが、その中での部会の小委員会に提出した資料でございまして、総合科学技術会議の方針を踏まえて、文部科学省、経済産業省が協力をして、中型ロケットとしてGXロケットの推進を図る、政府として着実に支援を行っていくんだということをお示ししたものでございます。

山口(壯)委員 その資料の一番最後に、「GXロケットについては、我が国の宇宙輸送系における「中型ロケット」として明確に位置づけ、政府として着実にその開発を支援する。」と書いています。

 この二つの文章の考え方は、大臣、今も変わっていないですね。

渡海国務大臣 基本的な部分について変化があるとは思っておりません。

山口(壯)委員 そういう背景はあるものの、一部の新聞等で開発計画が存続の危機にあるのではないかということが言われています。一説には文部科学省が引こうとしているんじゃないかという心配もあるやに聞きます。この点はいかがでしょうか。

渡海国務大臣 戦略重点分野、これに位置づける段階から、私は実は党の立場でございましたが、携わっておりまして、いろいろな経緯がございました。その経緯の中で、先ほど委員がお示しになりましたような取り決めが行われて、現在に至っております。

 その後の一つの変化としては、民間側のかかわり方が少し変わってきた。今申し上げたような経緯で進めてきたわけでございますが、民間側から、同ロケットの開発途上における官民の役割というものを、従来の民主導から、開発段階においては官の役割をふやしてほしいという要望が寄せられまして、そのことを受けまして、そうなってきますと、この開発をどういうふうにやっていくかということについてやはり再度検討しなければいけないということで、宇宙開発委員会において、その進め方においても評価を行っておるところでございます。

 これは、宇宙開発委員会はすべてオープンにしてマスコミにも公表してやっておりますから、どういう点が論点になっているかということは多分委員のことですから御承知かと思いますが、例えば射場を変えるといったような提案、日本からアメリカに開発段階では変えるといったような提案とか、それから一段ロケットの種類を変えるとか、その後の状況の変化が起こっておりますから、やはりこれは宇宙開発委員会にもう一度きっちりと評価をしていただいて、そして官民の負担の割合を変えるということについても俎上にのせて、最終的にどのようにするかということを委員会で判断をしていただきたい。

 でありますから、あきらめていたら別に委員会を開くわけはないわけでございますから、あきらめているわけではありません。

山口(壯)委員 渡海大臣から非常に前向きな答弁をいただいて、私は心強く思います。あきらめてはいない、続ける、官民の割合、すなわち官がもう少し頑張ろうかということも念頭に置いて今評価をしているところだ、こういう答弁だと承りました。

 他方、H2Aと比べると非常に予算の使い方が違うように私には見受けられます。二〇〇三年に大型のロケットH2Aの打ち上げに失敗して以降、宇宙航空研究開発機構はGXの開発よりもH2Aの復活に主力を置いているように私には見受けられます。

 きのう文部科学省の方に私は資料をお願いして、今配っていただいた三つ目の数字の資料、私はきょうの朝見て、やはりそうかと思ったことが一つあるんですね。これは、上の段は予算です、下の段は決算です。たまたま比べられるところでいくと、下の段に平成十六、十七、十八とあるものだから、上の段の平成十六、十七、十八を見てみますと、H2Aについては、平成十六年に予算で八十一億だったものが決算では百六十五億、倍使っているんですね。十七年には五十六億の予算が九十四億円の決算になっている。あるいは、平成十八年の四十四億円が八十三億円、倍の決算になっている。逆に、GXロケットは、平成十六年に二十億予定したものが決算では七億しか使っていない。十七年には二十五億の予定が十八億しか使っていない。あるいは、十八年に二十五億の予定が十二億しか、半分しか使っていない。

 明らかに、H2Aには予定よりもたくさん使い、GXには予定した額の半分ぐらいしか使っていないということが出てきてしまっていますね。この辺が心配をかき立てる大きな原因になっていると思うんです。これを見てみますと、平成十六、十七、十八で七の十八の十二だから、三十七億円しかGXには使っていないわけですね。

 ちなみに、平成二十年度、今審議している二十年度の予算、これはどういう形になりそうですか、GXロケットについては。

藤田政府参考人 御説明申し上げます。

 平成二十年度のGX関係の予算につきましては、宇宙航空研究開発機構の運営費交付金の中に含まれておるわけでございますが、その中で五十六億円を予定しているところでございます。

山口(壯)委員 五十六億円ですけれども、夏の段階では百五十億円を考えておられたんじゃなかったでしたっけ。

藤田政府参考人 夏の要求の段階では百五十億円を要求いたしておりましたところでございますが、国の非常に厳しい財政事情の中で、私どもとしてできるだけ予算を積むということで、五十六億円、何とか計上させていただいたということでございます。

山口(壯)委員 五十六億円で大丈夫ですか。

藤田政府参考人 大臣からもお答えを申し上げましたけれども、現在宇宙開発委員会で評価を行っておりますけれども、評価を踏まえてその推進を図るということになれば、きちっと二十年度に使っていける額ということで五十六億円を計上しているところでございます。

山口(壯)委員 開発の継続は大丈夫だということでしょうか、局長。

藤田政府参考人 開発を進めていくぎりぎりの額ということで計上させていただいているところでございます。

山口(壯)委員 今これから、このGXロケットが技術的にクリアしたかどうか、その後には、実証機というんですか、実験するようなそういうのをつくって、あるいはどこで打ち上げるか。種子島につくるのであれば、また新しいのをつくらなきゃいけない。それだと二百五十億もかかりそうだ。せっかく一段ロケット、ロッキード・マーチンのアトラス、今3が5に変わったといえ、提携しているんだったらアメリカの射場も使えるんだから、こっちだったら五十億ぐらいで終わりそうだなということもあるんでしょう。

 今藤田局長の方から、ぎりぎり五十六億だったら首の皮一枚つながっているなという答えもありましたから、それはそれで、私も一つ心強い思いはしています。

 他方、アメリカの射場のことを民間の方は考えて、いかにそのコストを落とすかということで考えているわけですけれども、大臣、この可能性についてはいかがお考えでしょうか。

渡海国務大臣 この件については、実は随分いろいろな議論があるところでございます。宇宙開発委員会においても、例えばアメリカの射場で打つということは、そのノウハウといいますか、我が方の技術を全面的に公開しなければいけない、宇宙開発ということにおいて、そういうことが実際可能なのかどうかといったような議論とか、さまざまな議論が出ております。

 具体的にアメリカとそのことについて交渉しているという段階でもありませんから、そういったいろいろな問題をどうやってクリアするかということも含めて、これから、コストも含めて、実は宇宙開発委員会の方に御審議をいただく。そのために、次回、割と早い時期に、JAXAそれから民間企業の方からコストの考え方も含めて提示をしていただくということになっておるところでございます。

山口(壯)委員 技術的に、この第一段と第二段のロケットのうち、第一段はロッキード・マーチンのアトラスです。昔は3だったのが今5に変わったとしても、そこはアトラス。それから、第二段をいわゆる官側で今開発してきたわけですね。そこに民間の会社がいろいろ、開発請負というんですか、そういう形でかかわってきている。第二段のこの液化LNG型のエンジンについて、もう技術的にはオーケー、クリアしたということでよろしいわけですね。

藤田政府参考人 御説明申し上げます。

 一昨年、宇宙開発委員会で中間的な、GXロケットの第二段のLNG推進系についての技術的な評価を行いました。その中で、いろいろな技術的な問題についてはこういう方向で解決をしていくんだというふうな宇宙航空研究開発機構からの説明を宇宙開発委員会として評価をして、その方向できちっとやりなさいと。それで、その結果について、まさに今、宇宙開発委員会の評価の中で、その方向が誤っていなかったか、きちっと対技術的課題が解決されているのかということを評価いただいているところでございます。

 私どもとしては、宇宙航空研究開発機構としては、問題点は解決がされ、次の段階に技術的には行けるというふうな見通しが立ったというふうに判断をしているところでございます。

山口(壯)委員 今藤田局長が言われたとおり、技術的な問題はすべてクリアされた、去年の十月にロケット噴射実験も成功したし、オーケーだと。

 昔、二つ問題があったみたいですね。

 一つは、燃料タンクを複合材でやるかどうか。要するに、アルミの金属だけじゃなく、ファイバープラスチックみたいなものも使ってやるかどうか。でも、これが世の中では初めてだったみたいで、うまくいかなかった。これは全部いわゆる官側からの要求で、えっ、そこまでやるのというふうに民が思ったにもかかわらず、それをやって、結局はもとの形に戻っているんですね、もとの形に。官が言っていた、こうやろうやという話じゃなくて、ポンプをつけてうまくやっていこうということになったみたいです。それで、すごく時間もおくれているみたいですね。

 それから、燃焼圧変動、時々燃えかすがあって、それがたまるとぼんと一気になってしまう、だから、もう少し安定させた方がいいんじゃないかという官側からの示唆があって、これも、そんなものは実験を進める間でも十分片づけられるんだから大丈夫ですという民の思いもあったようですけれども、いや、まずこれを解決してからだというので、その解決にも相当時間がかかった。

 こういう二つの理由によって、思ったよりずっと今予定がおくれていると思うんですが、その辺は、大臣、民間の責任というよりも、私は、官側にも大分これは責任的なものもあるんじゃないかなというふうに思うんですが、いかがでしょうか。

渡海国務大臣 共同で開発しているわけでございますから、それは双方に責任はあるんだろうと思います。

 ただ、LNGエンジンについては、これはJAXAの方で主に開発をしておりましたから、そういった意味では、おくれたある意味の責任というのは、第一義的にはあるというふうに言っていいと思います。

 ただ、これは共同開発の中で、常に、そういったことが起こった時点時点で確認をしながら、しかも、必要なときには適宜宇宙開発委員会の判断をいただきながら進めてきたわけでありますから、どちらに責任があって、どちらがということを、今、そのおくれたということに関して、LNGについては確かにJAXAにも責任があったんだろうと私は思います。

 ただ、これも相談をしてやってきたことでございますから、そのことをもって、では、おまえのところが悪かったんじゃないかとかいうようなことになるのかならないのか、このことも含めて、実は宇宙開発委員会で、今最終的に、どういう役割分担をこれからしていくのかということが御議論をされているというふうに私は理解をしております。

山口(壯)委員 今大臣から、JAXAにも責任はもちろんあったと。要するに、民間も四、五百億使っているわけですから、急に、もうこれからはおれたちはやめたというふうに言われると困るんだと思うんです。したがって、これまでそういう責任感をしっかり持っていただきながらやっていただいているわけですから、ここは続けていただきたいと思うんです。

 その際、宇宙開発委員会にお聞きになるときに、多分一つの大きなネックというものは事業性という言葉だと思うんですね。宇宙開発で事業性と言われても、場合によっては、これは非常につらいものがあるんじゃないでしょうか。アメリカの宇宙産業だって、もうかっているところはないということも聞きます。というのは、国からどんとお金が行っているから一瞬もうかっているように見えるけれども、国からの巨大なバックアップがなければほとんどやっていけていないわけですよ。アメリカの国からのバックアップというのは我々の想定をはるかに超えていますから。そういう意味では、このGXに対する国のバックアップというのは、私は正直まだまだかわいいものだと思います。

 H2A、大型ロケットですから、これは大きなお金が今まで国から行っているんでしょうけれども、概算でいいです、今までずっと、この歴史の中でH2Aにはどれぐらいお金を使ったんでしょうか。

藤田政府参考人 御説明申し上げます。

 H2Aロケットの開発経費についてでございますけれども、先生がお配りになられました資料では平成十年度からの予算額が出ておりますが、H2Aロケットは平成七年度から開発をスタートさせておりますので、そこからの分を総合計いたしますと、予算としては千三百九十八億円、それから執行額としては、十五年度にH2Aロケットの六号機打ち上げ失敗をしましたので、それへの対応ということで、執行額は予算よりも膨らんでおりまして、千五百三十二億円を費やしているというところで、これは平成十八年度までのことでございます。

山口(壯)委員 H2Aという項目だけで見ると今藤田局長の言われたとおりですけれども、その前にはH1があり、その前にはNがあり、ずっと歴史の中でH2Aが成り立っているわけですから、それを全部合わせると八千億という数字も新聞等には見えます。

 藤田局長、この八千億という数字、H2Aだけに限らなくても、そこに至る国のいろいろなお金、H2A関連で、至るまでの八千億、この数字についてはいかが認識されておられますか。

藤田政府参考人 御説明申し上げます。

 申しわけございません、ただいま資料として持ち合わせておりませんけれども、今申し上げましたH2Aが千五百億、H1ロケットが千六百億、それからH2ロケットが二千七百億円というふうなことでございますので、それ以前のN1、N2等を含めますと、ざくっという感覚では八千億ぐらいというのは、そういうことなのかなというふうに感じております。

山口(壯)委員 このH2Aというのは国産ロケットとして成り立っているわけですから、それは国もどんとお金を出して、民間の方からはほとんど出ていない。これはそういうコンセプトでやってきているわけですから。

 他方、GXロケットというのは、官民協力ということで、一つここでポイントは、一段ロケットにロッキード・マーチンのものを使うということですから、私は最近こういう言葉は余り使いたくないんですけれども、日米協力という面があるんだと思うんですね。

 そういう意味では、今大臣は技術を公開しなきゃいけないという部分を御心配になっておられましたけれども、場合によっては双方向の可能性があるわけですから、日本のロケット部門における技術レベルを上げていくためには、このH2A、純国産のH2Aでは得られなかったものが得られる可能性もありますので、そこは、今までこのH2Aに約八千億とも言われる歴史の中で使ってきたものに比べて非常にかわいい、過去三年間で約三十七億という数字も先ほどありました。

 こういうことから見まして、意義にもかんがみて、ぜひ大臣、続けていくし、場合によっては、その意義をきちっと踏まえて自分として対応していくんだというお気持ちをお聞かせください。

渡海国務大臣 細かい技術的な話をするつもりはありませんが、やはりこれは、今後、例えば官主導に切りかえて新たな税をつぎ込んでいくということに対する国民への説明責任が私はあると思っております。ですから、きっちりと宇宙開発委員会で、要は、技術を開放しなきゃいけないというのは、これはそういう議論が出ているということを言ったので、私は大いに、別に構わないと思います。

 ただ、一つだけ言わせていただきたいのは、やはりアメリカと日本というのは宇宙産業の背景が全然違うんですね。これは安全保障の問題ですよ。これはもう委員もよく御存じだと思いますけれども、そういった背景もあるということも考えなきゃいけない。

 ただ、私は一点、やはり自分自身として責任を果たさなきゃいけないと思っておりますのは、この意義というものをきっちりと位置づけていただいて、そして、官主導、今議論されているのは、国の負担を大体四百億ぐらいふやすというような話なんですね。そのことが本当にちゃんと説明ができるのかどうか。しかも、できたものが、当初目指したように、いわゆる中型、要するに簡単に衛星を打ち上げられるという、一々H2で重いものをやらなくてもいいというところがあるわけですね。

 そういうものの需要とあわせて、さっきビジネスが成り立たないとおっしゃったけれども、かといって、では全部政府が使うのかといえば、そういう見通しをどうするのか。こういった総合的な判断をやった上で宇宙開発委員会としてどういう結論を出されるのかということを見て、やはり判断をしなきゃいけない。

 私が当初あきらめておりませんと言ったのは、当初の開発目的、これがきっちりと果たせるのかどうか。しかも、そのことにおいて技術的な問題が、今大体クリアされていると思っておりますが、されたというふうに判断をしていただけるのかどうか。こういったことも委員会で議論していただきたい、そういうふうに思っておるところでございます。

山口(壯)委員 大臣、ぜひこのGXロケットの話は、アメリカと違って我々は、情報というのは大事で、情報衛星を打ち上げるにはこのGXロケットが一番いいと言われているんですから、そこは前向きに、逆噴射せずに頑張ってください。お願いします。

 終わります。

佐藤委員長 以上で山口壯君の質疑は終了いたしました。

 午後一時から委員会を再開することとし、この際、休憩いたします。

    午後零時五分休憩

     ――――◇―――――

    午後一時開議

佐藤委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。

 質疑を続行いたします。石井郁子さん。

石井(郁)委員 日本共産党の石井郁子です。

 新学習指導要領が今月中にも告示されようとしているわけです。十年に一度の改訂でありまして、これから十年の日本の教育を左右するというものであります。大変重要な中身を持っているというふうに思います。その意味で国民的議論が必要でありまして、幾つかの点をただしておきたいというふうに思うわけです。

 現行指導要領というのは、九八年、平成十年に告示されました。それまでの学習指導要領、これは八九年、平成の元年改訂ですけれども、詰め込み教育という強い批判を受けてのものでした。

 そこで、では、現行指導要領というのはどのような趣旨で変えられたのでしょうか。まずお伺いをいたします。

渡海国務大臣 現行の学習指導要領でございますが、平成八年七月の中教審の答申を踏まえて、一つには、基礎、基本を確実に身につけ、いかに社会が変化しようと、みずから学び、みずから考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力、また、みずからを律し、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心などの豊かな人間性、加えて、たくましく生きる力のための、健康や体力などのいわゆる生きる力を学校教育においてはぐくむことをねらいとしておるというふうに承知をいたしております。

石井(郁)委員 その改訂についてですけれども、平成十一年度の教育白書、きょうはここに持ってまいりましたけれども、文科省がいつもこういう立派なものを載せておりますけれども、このように述べていたんですね。

 「現在の小学生の約三割、中学生では約五割が学校の授業を半分以上理解できていないという現状があります。 これは、これまでの知識を一方的に教え込む教育になりがちで、子どもたちが十分その内容を自分のものとして身に付けないまま、授業が先に進んでいくというようなことが大きな原因と考えられます。」と述べて、それで、「新しい学習指導要領では、教育内容を基礎・基本に厳選し、子どもたちがゆとりを持って学習し、その内容を確実に身に付けられるようにしました。小・中学校の教育内容については、例えば、算数・数学、理科などは、現行と比べて三割程度減らしています。」これは教育白書からの抜粋、資料として入れていますけれども、こんなふうに述べていたと思うんですね。

 そこで、具体的に算数の場合を見たいと思うんですけれども、これは資料の二としてお示しをしています。

 それによりますと、「厳選の考え方」として、「高度になりがちな内容は、上の学年や学校段階に移行統合、又は削除すること」「例えば小学校で複雑な加減乗除の計算を軽減するなど、」等々と書いていまして、小学校で削除したのは「不等号の式(第二学年)」など、これは十項目ございます。移行統合したのは、「時刻のよみ方」「かさの単位」等々、二十三項目に及んでいる。それから中学校へ統合、これは「図形の合同」、五年生で学んだものですが中学校数学へ上げている。ほか、九項目に及んでいます。

 この点は間違いありませんか。確認をさせていただきます。

金森政府参考人 お答えを申し上げます。

 前回、平成十年の学習指導要領の改訂におきましては、基礎的、基本的な知識、技能の確実な定着を図る観点から、一部の指導内容について、上の学年や上の学校に移行統合したり削除したりするなどの教育内容の厳選を図ったところでございます。

 上の学年や上の学校に移行した指導内容といたしましては、小学校の算数では、例えば、第一学年の時刻の読み方を第二学年に移行いたしましたり、第二学年のミリリットル、デシリットルなどの体積の単位を第三学年へ移行いたしましたり、第五学年の図形の合同を中学校数学へ統合いたしましたり、第六学年の比例の式と反比例を中学校数学へ統合したものなどがございます。

 また、削除した指導内容といたしましては、小学校算数では、例えば、第五学年の台形の面積、第五学年の正多角形、第六学年の度数分布などがございます。

石井(郁)委員 今、資料でお示しした内容は間違いないということが確認されたわけですけれども、それでは、前回、このように削除、上の学年へ移行あるいは統合、こういう内容が今回の学習指導要領案ではどうなったんでしょうか。これは小学校の算数の場合で示してください。

金森政府参考人 お答えを申し上げます。

 小学校算数の指導事項につきまして、先ほど御説明申し上げました事柄について、今回の改訂案でどういうふうになっているかということでございます。

 ミリリットル、デシリットルなど体積の単位につきましては、今回の改訂案では第三学年から第二学年に移行することといたしております。時刻の読み方につきましては、今回の改訂案では第二学年から第一学年に移行することといたしております。図形の合同につきましては、今回の改訂案では中学校から小学校第五学年に移行することといたしております。それから、比例の式と反比例につきましては、今回の改訂案では中学校から小学校の第六学年に移行をすることといたしているところでございます。

石井(郁)委員 この点も、私は資料三としてきょうはペーパーを用意いたしました。今御答弁のとおりなんですね。だから、前回、削除、移行した内容が、ほとんどというか、全く復活しているということなんですね。

 小学校、例えば「かさの単位」にリットルとかミリリットルがありますけれども、現在、この十年間は三年生で教えていた。それがこれからは二年生で教えることになるということですけれども、もともとリットル、デシリットルなどというのは、子供はなかなか理解しにくい。だからずっと前は六年生で教えていた。それが、二十年前に二年生に来てこれが大問題になりまして、それで三年に戻ったという経過もちょっとあったと思うんです。

 今回、小学校の低学年がやはり大変理解困難ですから、その例で申し上げますと、「時刻のよみ方」、これは、二年生で教えていたものを一年生でやらなくちゃいけない。今お話しのミリリットルなどが、三年生で教えていたのを今度は二年生でやらなくちゃいけないということになるわけですね。だから、前回は、子供たちにこれはやはりなかなか身につかないということから外したんじゃなかったんでしょうか。それが今回の改訂で再び戻るというのはどういうことなのか、その理由をちょっと大臣に、なぜ復活したのか、これをぜひ御説明いただきたいと思います。

渡海国務大臣 中教審において専門的な御議論がいろいろとなされたということもあります。教育内容というのは、絶対的なものというのはなかなか私はないんだろうと思っておりますが、この間、大きな時代の変化というものがあり、そういった点で、やはり直すところは直していかなきゃいけないという判断があったんだろうと思います。

 その中でも一番議論をされておりますのが理数系の教育ですね。時代の変化に、一番速く変化をしている要素というのは科学技術だというふうに私は理解をいたしておりますが、そのことによって社会の状況も大変大きく変わり、例えば、子供たちの身の回りに起こるいろいろな現象、また入ってくる情報、こういったものも大きく変化していくんだというふうに思っております。

 そういうことも踏まえて、やはり我が国が持続的に発展していくためにも、次代を担う科学技術系の人材の育成ということが大切だ、こういう観点から、今回の改訂で理数系の教育ということが、充実する必要があるという提言がなされたというふうに理解をいたしております。

 こういった中教審の答申を受けまして、ただ単に内容をふやすということではやはり負担がかかるわけでございますから、時間もふやす、それも、単に時間をふやすだけではなくて、中身は一定割合、そしてふやした部分の中身が少し残った部分、そこは基礎知識の繰り返し、反復練習等によって、より確かな学力をつくるというふうなことを考えております。

 同時に、この指導内容については、国際的なさまざまな通用性や水準というものもございますから、そういうものによっていろいろと精査をされた結果として今回の指導内容というものが最終的に決定をされたというふうに私は考えておるところでございます。

石井(郁)委員 確かに、教える内容というのは絶対的なものを決めるのは難しいかと思うんですが、しかし、何学年で何を学ぶかということは長い間蓄積された経験というのがありますでしょうし、一定の科学的な根拠があると思うんですね。子供の発達段階もあります。

 だから、なぜここで学ばなくちゃいけないのかについての合理的な説明が必要だというふうに思うんですよ。とにかく、二十年前は二年生、今度は三年生、また二年生、こういうことを繰り返すというのはいかにも定見のなさを示していることにもなるわけで、今、大臣の御答弁では時代の要請と言われましたけれども、それだけでは説明がつかないというふうに思うんですよ。余りにも漠としている話でありまして、理数科を重視するというのはわかりますけれども、それはもっといろいろな角度からの取り組みが要るかというふうに思うんです。

 なぜ子供たちにとって難しいと言われていたリットル、ミリリットルというかさの単位を二年生で教えなくちゃいけないか。これはどこで検討されたんでしょうか。教育課程部会で検討されたというふうに理解していいんでしょうか。

渡海国務大臣 当然そのような御議論も含めて検討されたと思います。

 ただ、今、私は二つのことを申し上げました。一つは、社会の状況が変化する中で、子供たちに伝わる情報の伝わり方も変わっているというふうに理解しております。そういったことによって、やはり時代の要請に応じていくという中で、ただ単に内容をふやすということではなくて、少し時間をかけて、しかも反復、繰り返し教えるということもすることによって学力を上げていく、そういうことを議論の結果、理数科教育の充実という中で実現をしていこうという結論になったというふうに私は考えております。

石井(郁)委員 私は、一つ一つ内容を決めるということは重大な問題ですから、検討をどういうふうにされたのか、どこでどういう根拠で検討されたのかということを知りたいと思ったんですが、その教育課程の部会、あるいは算数、数学の専門部会ではそういう検討をされた経過というのは見ることができないんですよね。ひし形と台形の復活ということを議論されたということはちょっと伺うんですけれども、低学年、一年生に時刻を教える、二年生でリットル、ミリリットルを教えるというようなことが復活した、この復活が必要だということを論拠を持って検討されたというのを見ることができないんですね。

 今、大臣は、中教審から大まかな答申を受けてこういうふうにしたと。それで大臣のお考えもお述べになりました。内容をそれほどふやしていないとおっしゃいますけれども、これを見たらわかるように、資料三で、だから、前回三割削減した、相当な、先ほど申し上げた内容なんですよ。それがほとんど復活したんですよ。内容をふやしていないどころか、ふやしているじゃないですか。事実としてありますよね。

 だから、それはどういう根拠でしているのかということなんですけれども、私は結局、指導要領を作成するというのは文科省が行っているわけですから、最終的に決めているのは、その主体というのは教科調査官ではないかなというふうに思いますし、本当に科学的な検討をした形跡がなくて、その検討抜きに文科省が決めたんではないのかと。いかがですか。

渡海国務大臣 もちろん手続上は最終的に我々が責任を持って検討して、しかも大臣告示という形で出させていただくわけでございますから、そういった検討をさせていただいております。ただ、その検討の過程において、専門家の意見、中教審における部会の意見、そういったものを聞く、またパブリックコメントをとることによって一般の方々がどう感じておられるか、一般の方々というのは、国民の中には広く教育に対して知見をお持ちの方がいらっしゃるわけでございますから、そういった中で行われている。

 それと、一つ、私の言葉が足りなかったかもしれませんが、内容はふえております。ただ、内容のふえた分、時間もふやしております。ただし、ふやした時間全部を内容をふやした分に充てているということではなくて、その残りの部分で、実は、学習を繰り返す等のことをやることによって、より基礎知識また応用力が身につくというふうに今回の場合は、学習指導要領では指導させていただいているという意味でございます。内容はふえております。

石井(郁)委員 内容がふえた分、時間もふやしているというふうにおっしゃいましたけれども、これは結局二十年前にすっぽり戻っているだけなんですよ。私は時間をふやした分を見てみましたけれども、小学校算数、中学校数学で見ますと、八九年の指導要領のときと全く同じ時間数に今度はなった。時間をふやしたふやしたと言われますけれども、小学校で千十一時間、中学校で三百八十五時間なんです。これは二十年前と同じなんです。一つはそれを確認させていただきます。

 さて、そのふやした内容の問題が、つまり八九年に戻っているということが重大だと私は考えておりまして、改めて、八九年のときの指導要領がどうだったのか、どういう議論があったのか。だから現行に変わったわけでしょう。

 大臣は覚えていらっしゃらないかどうか知りませんけれども、八九年の指導要領というのは戦後最悪の指導要領と国民の間で随分言われたものでした。みんなわかるまで教えようとすれば教育内容を積み残してしまう、積み残すまいとすれば落ちこぼす、よく日本の教育で落ちこぼしという言葉がありますけれども、本当に現場からは悲鳴が上がりました。新幹線授業という超スピードの授業がなされました。子供たちもついていけないと悲鳴が上がったものでして、私も多くの母親の皆さんから聞いたことは、小学校二年生が泣きながら帰ってくる、宿題をどっさり抱えて帰ってくる、そうすると、母親が、もういいから寝なさい、もう宿題を忘れていきなさい、そう言わざるを得なかった。

 きょうは算数の例ですけれども、国語なんかも本当に毎日漢字の練習練習でいっぱいになったという話もあったぐらいでして、こういう話があちこちに本当にあったんですよ。だからこそ、現行の指導要領に文科省は変えたんじゃないですか。

 私は、それを振り返りますと、先ほど申し上げたように内容的にはそのときに戻すんですから、それで時間も全く同じだということになりますと、こうした事態が再び起こるんじゃありませんか。その御見解を伺います。

渡海国務大臣 指導要領というのは、学校教育においてしっかりとこういう内容について教えるということの指針を示したものであります。ある意味、最低のガイドラインということでありまして、当時でもそれを超えたさまざまな、いろいろな工夫というものが実は現場ではなされていたというふうに承知をいたしております。

 そういったこと全体を考えて、そして前回の改訂の、私はあえて言わせていただいておりますが、反省も踏まえ、その後の学力なり、子供たちの成長のさまざまな要素を考えた上で今回の議論というのはなされているというふうに承知をいたしております。その中で、当然これからの時代を担っていく子供たちが将来どういう人間になってほしいか、また、ならないと日本の国にとって、危ないと言うとおかしいですが、先ほど言いましたように、例えば知の競争と言われている時代に勝ち残っていけないか、こういった総合的な配慮をした上で指導要領というのはつくられるというふうに思っております。

 先生は、また戻ったんですか、外形的に見ればそう見えるというふうにおっしゃいますが、一概に、またそのままもとへ戻しますということではないというふうに御理解をいただきたいと思います。

石井(郁)委員 文科省なりにいろいろな願望というか、お持ちなことはそれはそれでわかりますけれども、事は、目の前にいる子供たちに本当に力をつけてやれるのかどうかという問題ですから、私は、やはりきちんとした説明がいくものじゃなきゃいけないというふうに思っているんです。

 もう一つの問題は、三割削った内容が戻るというのに加えて、新しい指導要領では新たな内容もさらに加わっているんですよ。

 これは資料四で私なりに、今度の新しいものと平成元年の学習指導要領と比較したものですけれども、「目標」のところで見ますと、(一)、(二)、(三)までは全く同じで、(四)というのが新たに加わる。つまり、子供たちは、数量やその関係を言葉、数、式、図、表、グラフであらわしたり読み取ったりすることができる、こういう力をつけなきゃいけないというふうに言われている。それから、次のページ、二分の一とか四分の一とか簡単な分数について知ること、これも新たに加わっているんですよ。それから、場合について、これは下の方にありますけれども、乗法の計算の仕方を考えること。いろいろ、知ること、考えること、活動すること等々、これは今までにないもの。だから、二十年前以上のものが加わっている。

 大臣は、それは新しい時代だからやるのは当然だというお考えなのかもしれませんけれども、これは明らかに、子供たちはどうなんでしょう、時代とともに子供もそんなに変わるものかどうかということが一つありますけれども、一つは加わっているという部分があります。

 先ほど大臣は、指導要領はガイドライン、最低のガイドラインだというふうにおっしゃったんですけれども、これはその最低基準というふうに理解してよろしいんでしょうか。

渡海国務大臣 それで結構でございます。

 それと、今委員が新たに加わった部分というふうに表現をされましたが、今回の指導要領の中で具体的にそういったことを例示している部分について言うならば、従来も現場で行われていた、そういったことが非常に多いわけでございまして、確かに指導要領上は書いていなかったわけでありますが、十年の期間を経ておりますので、そういった意味では、その間に、一たんできたら十年間まず固定をされているということはないわけでありますから、そういった教育の現場からの実情等々も反映をさせて、より具体的に書き込んだというものも数多くあるというふうに御理解をいただきたいと思います。

石井(郁)委員 加わったものはほかにもまだあるんですよ。

 もう一つは、算数的活動とか、いろいろな的活動と称して、五項目にわたって、各教科に全部、こういう活動が必要だというようなことで書かれているのがあるんですね。

 だから、現場からすると、時間数は変わらなくて、内容がふえて、そして新たな項目も加わって、それからいろいろな、活用力と称して、算数的活動、国語的活動等々が加わるというようなことになると、やはり非常に大きな、詰め込み的なというか、内容が盛りだくさんになっているということは事実じゃないでしょうか。

 私は、きょうは算数の例だけ申し上げましたけれども、これは国語でもそうなんです、理科でもそうなんです、あるいは全部の教科で内容が詰め込まれている。これは本当に、わからない子、ついていけない子をつくらないというふうに言えるんでしょうか。文科省、その辺は、責任はどうお考えでしょうか。

渡海国務大臣 今先生御指摘いただきましたものも、実は私が先ほどお答えをいたしました、具体例をより明確にしたということでありまして、従来から学校現場では行われていたというふうに私は承知をいたしております。

 そして、落ちこぼれの問題というものも今御指摘がございました。当然、教育のレベルをどこに合わせていくかというのは、大変これは難しい問題でございますけれども、そういった児童生徒が出ないように工夫をしていかなきゃいけないということは、これは事実でございます。

 そのために、例えば習熟度別授業をするとか、また補習授業をやっておられる学校もございますし、地域においてこれをカバーしていただいているところもございます。そういったことをやはり総合的に判断した上で、学校教育のある意味の最低のガイドラインということを書いていくのが学習指導要領であるというふうに理解していただきたいと思います。

石井(郁)委員 具体例を明確に、現場はいろいろな形でやっていますから、やっていることをただ書いたんだという御説明のように聞いたんですけれども、しかし、具体例だったら本当にたくさんあるわけですから、なぜそれを五つの項目にするのか。

 しかも、この学習指導要領というのは、最低基準と言われましたように、これは私、見ましたけれども、「すべての児童に対して指導するものとする内容の範囲や程度等を示した」と。これはすべての児童なんですよ。すべての児童がこれを身につけなきゃいけないという拘束性を持ったものなんですよ。しかも、活動というのは本当に多様ですよね。それを、それこそ告示という形で現場を拘束するということは非常に問題を持っているというふうに思いますし、今おっしゃったように、算数的活動とは「例えば、」ということになっていますから、だったら、こういう指導要領に書くべきものではないんじゃないのでしょうか。

 指導要領は大綱的基準ですよね。本来は大綱的基準だという範囲にとどめるべきだというふうに思いますので、ぜひ、こういう活動の部分、「例えば、」というような部分というのは、本当に教師の創造性や自主性に任せるべきだ、本来書くべきではないと私は思いますけれども、創造性、自主性に任せるべきだというようなことについては、文科大臣としてきちんとやはり見解をおっしゃっていただきたいと思いますが、いかがですか。

渡海国務大臣 今まさに先生がおっしゃったように、例示でございますから、いろいろな意味で、現場で工夫されることはむしろ積極的にやっていただきたいというふうに考えます。

 同時に、紙に書いて、こういうものだけではなかなか趣旨が伝わりにくいわけでありますから、そういったことをきっちりと現場に伝えていくという作業をやはりしっかりすることが重要なんだろう。

 これは、前回の指導要領の改訂の大きな反省でございまして、そのことは今回の指導要領の中にも反省点として書いております。要するに、趣旨を理解していただく努力というものをやらなきゃいけないわけでございますから、既に中間取りまとめのときに、一度パブコメもいただいておりますし、パンフレットもお渡しをしておりますが、来年度一年かけまして、きっちりと現場に伝わるように努力をして、今先生が問題意識を持っておられた、そういったことについてもきちっと説明を現場にしてまいりたいというふうに考えておるところでございます。

石井(郁)委員 私は、ただ、この学習指導要領という、しかも告示ですよ、こういう形で、具体的な活動が五項目あります、これをやりなさいと結局文科省が言うことになるんですよ、押しつけることになるんです。こういうやり方がいかがかということを言っているんです。説明をすることの機会は、いろいろな内容があってそれはいいと思いますよ。いいけれども、指導要領という性格からして、そういうことがなじむのかということを申し上げているんです。

 もう時間ですけれども、もう一点。

 実は、昨年の規制改革会議でこういうことを見ました。第二次答申ですけれども、学習指導要領について必要以上にささいとすることは、学習者のニーズとのミスマッチを起こして、各学校の創意工夫を生かした特色ある教育を損なうことになりかねないと。こういう声というのは本当に広くあると思うんですよ。私たちは規制改革会議は決して全部肯定しませんけれども、この限りではなかなかというふうに思うんですね。

 学力世界一のフィンランドがよく出されますけれども、その学習指導要領をちょっと私も調べてみました。これはちょっと借り出して持ってきたんですけれども、こういうふうに書いているんですよね。ナショナル・コア・カリキュラムは、地方のカリキュラム策定の基礎となる枠組みである、教育提供者によって定められるときは、カリキュラムにおいて自治体特有の部分、地域または学校の特有の部分を含むことができると。ですから、中央がやるのはコアカリキュラムですよ。必ず自治体、地域、学校特有の部分をやはり含まなきゃむしろいけないんだということを書いていますよ。

 さらに、私はびっくりしたんですけれども、そのときに、親や保護者、生徒もカリキュラム策定に関与し得る。ここまで書いてあるんですよ。文科省だけがいろいろつくるのと違うんですよ。

 ですから、やはり、日本の文部科学省の学習指導要領の作成と大きく違っているし、内容も違っていると言わなければいけません。とりわけ教育内容とか指導の方法というのは、本当に現場の実態に合ったものでなければいけないというふうに思うんですよね。

 ですから、私は、学習指導要領は本来の大綱的基準とする、学校の創意工夫というのは、本当に尊重するというか、学校の創意工夫に任せるべきだというふうに思いますが、最後に、大臣に改めてきちんと、学校の自主性について伺いたい。

渡海国務大臣 教育につきましては、各国の事情、各国の歴史というものがあります。フィンランドで特徴的なことは、私が思っておりますのは、教員になるのが非常に難しいということですね。このこともやはり考慮に入れなきゃいけない。

 例えば、学校の運営に対して参加をするというのはいろいろな道が開かれておりますね、コミュニティースクール等も今どんどんとでき上がっているところでありますけれども。確かに、教育内容というのはそういった考え方もあろうかとは思います。

 ただ、我が国においては、こういう形で今お示しをさせていただいておるところでございまして、その中で、先ほど来議論がありましたようなさまざまな工夫、また、せっかくつくっても意図がちゃんと生きなきゃいけませんから、何も画一的なことをやろうということではありません。歯どめ規定は今回は外しました。今までは、実は、これはやってはいけない、あれはやってはいけないということが書いてあったわけでありますが、そういうことは今回の学習要領では外して、創意工夫をしていただくというふうなこともやっていただけるようにしたわけでありますし、各学校でいろいろな努力がされる、そういうことをこれからも我々は見守っていきたいというふうに思っております。

佐藤委員長 石井さん、時間が来ておりますので、簡潔にお願いします。

石井(郁)委員 歯どめ規定と言われますけれども、最低基準ですから、逆に言うと、すべての子供がここに到達しなきゃいけないというのは大変きつい内容だ、拘束力を持っていると言わなきゃいけない。だから、ついていけない子供、わからない子供は必ず出てきます、勉強嫌いも出てくるでしょう。私はそれを心配していますし、文科省としては、ぜひ結果責任を負っていただきたいということを申し上げて、質問を終わります。

佐藤委員長 以上で石井郁子さんの質疑は終了いたしました。

 次に、保坂展人君。

保坂(展)委員 社民党の保坂展人です。

 まず、二年前の春に、当時二十だった宮嶋武広さん、日本体育大学の水泳部の選手でしたが、中国の昆明で練習中に亡くなってしまうという大変痛ましいことが起きました。さらに残念なのは、そのことがいまだに教訓化されないというか、未解決のまま、御両親は大学側への不信感を深めていると聞いています。

 まず冒頭、スポーツ・青少年局長に、この宮嶋選手の実績、そしてオリンピック出場も待望されていたと聞いていますが、どのような選手だったんでしょうか。

樋口政府参考人 お答え申し上げます。

 御指摘の死亡事故は、日本体育大学の水泳部が平成十八年の三月二日から三月三十一日にかけて行いました中国・昆明での高地トレーニングの合宿におきまして、三月の二十五日に、水泳部二年の宮嶋武広君、当時二十歳が、潜水練習中に死亡したものであると承知しております。

 宮嶋君につきましては、平成十五年度の全国高校総体、インターハイの千五百メートルで優勝されておられます。また、大学におきましても、日本選手権水泳競技大会千五百メートル自由形で二位という立派な成績を残されるなど、将来の北京五輪出場が期待されておりまして、水泳界、スポーツ界にとってもまことに残念なことでございます。

 亡くなられました宮嶋君には、心から御冥福をお祈り申し上げます。

保坂(展)委員 練習中に、プールの中で潜水をしている中で浮き上がってこなかった。

 渡海大臣に伺いますが、この問題、ちょっと引き続きやっていきたいと思うんですけれども、遺体搬送費用や葬儀代も一千万円かかった。大学から出していただいたというふうに御両親は思っていたら、これは保護者会の積立金から出ていたということで、大学としては本当に責任を負ってくれるんだろうかと。さまざま細かい問題は、きょうは言いませんけれども、ございます。

 やはり、こういった特別な、エース級の選手の練習ということについてはより万全の配慮が必要ですし、大臣、どういうふうに受けとめていらっしゃいますか。

渡海国務大臣 まず、大変有望な選手が亡くなられたということ、心よりお悔やみを申し上げますし、大変残念に思っておるところでございます。

 運動部の活動について、これは、やはりしっかりと指導者が責任を持って管理をするということが第一義的には大事なことであって、そのことをやはりしっかりやっていただきたいと思います。私が就任してからまだ半年でございますが、運動部にまつわる不祥事等がたびたび起こっておりまして、そういうことを考えても、とにかく大学もそれからいわゆる指導者もしっかりしていただきたいなという思いでございます。

 この件につきましては、今係争中と聞いておりますので、コメントは差し控えたいというふうに思っておりますが、いずれにいたしましても、そういったことで、争いがまだ続いているという状況でございますから、一日も早く解決されるというふうに願っておるところでございます。

保坂(展)委員 この件に関して、実は、いわゆる運動部の練習の責任の所管がどこにあるのか、ここをめぐって、大学の授業そのものではないというところで、なおいろいろ詰めなければいけない問題があると思います。

 ちょっと時間の関係で、きょう高等局長も来ていただいているんですが、近々急いでしなければいけない議論に移りたいと思います。

 まさに今のシーズンは卒業式、もう終わったというところもありますし、これからだというところもあると思います。卒業式というのは、とても晴れがましい、また、私たちの経験を振り返ってみても、非常に記憶に残る一日だと思います。

 大臣御存じのように、東京都においては、日の丸・君が代問題、とりわけ、起立をするかどうかという教職員の行動、これについて、処分が突出して出ております。

 そこで、きょうは、渡海大臣と主にこの問題をじっくり考えてみたいと思います。

 これは、一九九九年、国旗・国歌法、非常に簡単な条文だったと記憶しています。国歌は君が代、国旗は日の丸、この二つだったように思いますけれども、この立法当時、当時の与野党ともに、教育現場には影響を与えないんだ、こういう答弁がされてきたように思うんですね。

 とりわけ私の印象に残っているのは野中広務官房長官の答弁でありまして、これは我が党の委員に対する答弁で、内心の自由について触れながら、式典においてこれを、起立する自由もあれば、起立しない自由もあろうと思うわけでございますし、斉唱する自由もあれば斉唱しない自由もあろうかと思うわけでございまして、この法制化は画一的にこれを推し進めようというわけではありませんと。そしてまた最近、昨年の十二月の「自由と正義」という雑誌ですが、野中さんがインタビューに答えられています。

  私自身は、個人的には、やはり、自国の国旗に誇りを持ち、自国の国歌を自分たちのものとして歌うのが望ましいと思っております。

  けれども、それは強要する性質のものではない。自然発生的にそのようになっていけばいいと。

  ですから、教育委員会と教職員組合との間で、立つ、立たん、歌う、歌わんで処分までやっていくというのは、制定に尽力した私の気持ちとしては不本意で、このような争いを残念に思っています。

というふうにインタビューで答えられています。

 渡海大臣、この立法当時の議論、国会にいらっしゃった、いらっしゃらなかったですか。どういうふうに、これを今、春の卒業式にも、国旗・国歌法制定以後のことなんですね、この処分がいろいろ出てくる。どうとらえていらっしゃいますか。

渡海国務大臣 ちょうど落選中でございまして、随分簡単な文案の法律だなという印象を持たせていただいたと思っておりますが、今、保坂委員おっしゃいましたように、野中官房長官が当時そういうことをお答えになったということは後に承知をいたしております。官房長官の考えが今も変わらないということについても、恐らくそうだろうなというふうに思っております。決して心の内面を縛るものではないというこの見解については、私もそのとおりだと思っております。

 ただ一方、よくこの問題で私が考えておりますのは、グローバルスタンダードといいますか、国旗・国歌というものが世界においてどういうふうに取り扱われているかということも考えてみなきゃいけないだろう。例えば、日本の子供たちが何かに参加をする、そのときに海外の子供たちが、自国の国旗が掲揚されたときに、普通、大概、みんな起立をし敬意を表す、こういう事態があったとしたら、我が国の子供たちだけが敬意を表さなくて本当にいいのかな、こんな疑問は常日ごろから持っておるところでございます。

 そういった点で、例えば国旗の意味とか国歌の意味、その役割といいますか、そういったものについて教育現場で指導していくことについては、やはり私はやっていくべきであろうというふうに考えておるところでございます。

 また、学校におけるこの問題につきましては、国旗・国歌法の成立以前から、児童生徒に我が国の国旗と国歌の意義を理解させて、これを尊重する態度を育てるために行っているということでありまして、何も法律ができたからそれを強要するとかやるとかいう性格のものでもなかったというふうに理解をしております。

 ただ、これは、御党のと言うと失礼になるんですが、なぜだめなんですかということを私は随分以前に聞いたことがあるんですね。普通じゃないですか、別にそんなに深く考えなくていいじゃないですか、こう言ったら、いや、実は法的根拠がないと言われたんですね。だから、法的根拠ができたのならいいのかなと思っていたら、いや、まだそうではないという議論がされていること自身が非常に残念だなというふうに思います。

 野中さんが言われたように、こういうことでいろいろなことが行われているということは余り好ましくないなというのが率直な私の感想でございますけれども、教育上の指導として学校現場で行われるということまで否定しているものではない。ただ、そのことによって現実に内心まで縛るということは基本的にはできないものであるし、例えば校長の職務命令と教員の問題、こういった問題については、これは別の法律によって職務命令というものに従わなければいけないというのもあるわけでございますから、そういったところはやはりしっかり従っていただきたいなというのが率直な私の感想でございます。

 時間がないとおっしゃったのは、多分裁判のことだと思うんですけれども、これは判決がいろいろありますから……(保坂(展)委員「違うんですよ。裁判じゃないんです」と呼ぶ)ないんですか。わかりました。

 それでは、とりあえず、それが率直な感想でございます。

保坂(展)委員 時間がないと申し上げたのは、確かに、国旗の掲揚率というんですか、あるいは国歌を歌う比率というのは格段と上がって、東京都などでも一〇〇%ということになっている。ただ、問題は、私が一番議論したいのは、では、それに対するペナルティー、つまりは、かつての戦争を振り返って、やはりこの国旗・国歌の問題については十分考えていきたい、自分の父親の戦争に行った体験、こういうことを振り返ると自分としては起立できないという信念を持っていらっしゃる根津さんという先生がいらっしゃって、彼女は、私もお会いしたことがありますけれども、この間何度も処分を受けているんですね。不起立で一回目は戒告、二回、三回と減給がだんだん多くなっていって、そして四回目で停職一カ月、五回目で停職三カ月、六回で停職六カ月。次は免職になるおそれがあるんじゃないかと心配をしているわけです。時間がないと言ったのはそういう意味なんですね。

 ここで文部科学省に伺いたいんですが、国旗・国歌法、日本全国対象にして施行されたと思いますけれども、不起立を理由にして教職員に対する懲戒処分を行っている教育委員会は幾つあるのか、そして、不起立を理由に今御紹介したような停職処分をしている教育委員会というのは東京都以外にあるのか、あるいは過去にこういったことで免職になった例があるのか、国旗・国歌法制定以降ですね。お答えください。

金森政府参考人 お答え申し上げます。

 平成十一年の国旗及び国歌に関する法律制定後、国旗・国歌の取り扱いに係る懲戒処分等を行っているのは十七教育委員会でございます。具体的に申し上げますと、北海道、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、石川県、滋賀県、大阪府、奈良県、和歌山県、鳥取県、広島県、高知県、それから大阪市、広島市、北九州市、福岡市、以上十七の都道府県・指定都市の教育委員会におきまして、国旗・国歌の取り扱いに係る懲戒処分を行ってございます。

 それから、平成十一年の国旗及び国歌に関する法律制定後、国旗・国歌の取り扱いに係る懲戒処分に関しまして停職処分を行いましたのは、東京都教育委員会以外では、大阪府と広島市の教育委員会が停職処分を行っております。

 また、国旗・国歌の取り扱いに関しまして、懲戒免職処分を行った事例はございません。

保坂(展)委員 それで、東京都の例なんですが、もう一問、東京都で、国旗・国歌の問題にかかわって、教育委員会と裁判あるいは人事委員会等で係争中の原告ないし請求人という教職員の人数は何人いるんでしょうか。それは全国で一番多いんだろうと思いますけれども、そのことを確認したい。

金森政府参考人 お答え申し上げます。

 東京都教育委員会によりますと、卒業式などにおける国歌斉唱時の職務命令違反に伴う懲戒処分等に関しまして、行政事件として裁判に訴えておりますのは、十四件、六百三十三人となっております。また、人事委員会への不服申し立てを行っておりますのは、四十件、四十人となっているとのことでございます。

保坂(展)委員 ことしも卒業式が今行われているシーズンなので、渡海大臣にちょっと見解を求めたいと思うんですけれども、東京都の教育委員会で、実は国旗・国歌法を受けて二〇〇三年に一〇・二三通達というのが出されて、それ以降やはり非常に処分が多くなっているということなんですね。

 そして、この教育委員会の議事録が公表されているんですけれども、これを見ると、教育長が、そもそも国旗・国歌については強制しないという政府答弁から始まっている混乱なんですねと。委員の方が、政府答弁が間違っているんですよ、だから文科省はきちっとやりなさいと、こう言っているわけですというようなやりとりもあって、これは、石原知事も含めて、東京都の教育委員会。

 これは基礎的なことをちょっと大臣に伺いたいので、要するに、立法時の内閣を代表した答弁、これは、法の運用や効果、現場にもたらす影響などを規定するものと私は思っています。これを、政府答弁が違うというような議論が自治体で行われて、政府答弁が間違っているから処分するよなんということがあり得るんでしょうか。

渡海国務大臣 そのようなことが発言されたということについては承知をいたしておりますが、その発言の真意までは私、承知をいたしておりませんので、そのことについて私の所見を述べるということについては、今差し控えさせていただきたいと思います。

 いずれにしましても、文部科学省は従来から、この国旗・国歌法ができるできない以前から教育現場においてこのことを指導してきたわけでございます。先ほど私が言いましたのはあくまで私の私見でございますけれども、子供たちにとっても国旗の意味とか意義とかそういうものを理解するということは必要だというふうに考えておりますから、そういった指導はしてきたわけでございます。

 文部科学省として、こういうことをやらなくてもいいとか自由にしろとか言ったこともありませんし、ですから、そういう意味では趣旨がよくわからないなと。やるなと言ったこともないわけでありますから。

保坂(展)委員 今、東京都教育委員会の議事録をいきなり紹介したわけで、それについては承知していないと。

 では、仮に東京都ではなくて一都道府県のどこかの自治体の教育委員会が、野中官房長官の答弁は間違いなんだ、政府の答弁は間違いです、これは、自由にしなさいということじゃなくて明らかに強制力を伴うものだ、教員に対しても、あるいは児童生徒に対しても、そもそもそれが趣旨なんだ、政府答弁は間違いですというふうに言っていたとしたら、これはどう考えますか。

渡海国務大臣 政府としての見解は、別にその時点において間違いだという議論はしておりませんから、そのことについて、今ある種の想定を加えてお答えをするということは差し控えさせていただきたいと思います。

保坂(展)委員 立法府において、内閣を代表して官房長官、しかも野中さんは当時、国家公務員倫理法とか、当時の与党の中で一緒に議論しながらつくったという経験も私は個人的に持っていまして、歴史観、世界観が相当違うなという部分はありますけれども、やはり根底にはあの戦争を二度とやってはいけないという深い哲学というか信念がおありになった方だと思います。その野中さん自身が、当時小渕総理が、これは法的な、いわば立法化ということはしませんよと言っていたにもかかわらず、野中さん自身が発案をして、これは自分の政治家としての仕事で、法制化しようといって走ったわけですよ。いわば立法者なわけですね。言い出しっぺというか中心人物なんですね。ですから、その官房長官の答弁というのは、私は大変重いと思っているわけです。

 渡海大臣にお聞きしたいのは、ここで官房長官が答弁をした、人によってそれぞれの形がある、自分としてはそれは歌って起立した方がいいと思っているけれどもというのは当時から変わらないわけですが、しかし、それは何ら強制をするものではありませんということを言われたということは、つまり、それは児童生徒だけを指しているのではなくて、教職員の行動も、野中さんがインタビューで言っているように、やれ立たなかったから処分だ、停職だ、あるいは免職だというような事態は想定していなかったと言えるんじゃないですか。どうですか。

渡海国務大臣 野中さんは大変よく知っておりますから、野中さんのお考え、なるほど、野中さんがそうおっしゃっているということについてはよく理解できます。

 どういう想定をしておられたかというのはちょっとわかりませんが、一方、法律によって教員は職務命令に従わなければいけないという部分もあるわけでございますから、そこの部分で校長が例えば指導されるとかいうことは当然やられることであります。

 それで、ピアノを弾かなかったという事件がございます。最高裁まで行って、この職務命令を出したことはというこの文言、これは保坂委員もよく御存じだと思います。ただし、処分までするのはおかしい、こういう判決が出ているわけですね。ですから、非常に一元的にこうだああだと言うのはなかなか難しいのかなというのが正直な実感でございます。

 ただ、例えば地方の自治体なり地方の教育委員会なりが何らかの発言をしたからといって、例えば、政府がこういうことを言った、あの政府の言っているのはおかしいと地方自治体が言ったとしたら、それについて我々は、それの一つ一つに、いや、あの地方はあんなことを言っているからけしからぬとか、そこを強制することもできませんし、また強制はしてもいけないというふうに考えておりますから、彼らの見解というものをもっとよく聞いてみなきゃわからないですが、だけれども、そのことによって政府答弁が否定をされるということにはならないというふうに思っております。

保坂(展)委員 地方の教育委員会が独立性を持って、文科省の下部機関ではなくて自由闊達に教育に当たってもらうというのは、原則そうだと思います。ただ、国旗・国歌法の立法趣旨の官房長官が言っているのは間違いなんですということを、つまりそういう認識のもとに処分をしているのであれば、その認識はやはり変えてもらわなければ困るというふうに申し上げているんです。

 初中局長に伺いますけれども、未履修問題というのがありましたね。この未履修問題でやはり処分が出たと思います。これは虚偽記載ですね。履修をしていなかった科目を履修していたかのように変えてしまったということで、かなり学校教育法施行規則などに違反をする内容かと思いますが、何人に対してどのような処分が出ましたか。簡潔に言ってください。

金森政府参考人 お答えを申し上げます。

 平成十八年度におきましていわゆる未履修問題で減給処分を受けた者は十二名、それから戒告処分を受けた者は三十名となっているところでございます。

保坂(展)委員 大臣、今お聞きになったように、停職はないんですね。まして免職もないわけです。みずからを責めて亡くなった校長先生はいました。

 ですから、文部科学省として、国旗・国歌法以降、あるいはそれ以前もそういうふうにしていたんだという立場は聞きました。ただ、未履修問題というのは、そういう意味でいえば原理原則のところでかなり踏み外したという行為であっても、今お聞きになったような処分なんですよ。ですから、この立たなかったということだけで免職というようなことが起こったら、これは野中官房長官の答弁と全く違う現実を立法によってつくり出したということになりませんか。このバランスを見てどう感じますか。

金森政府参考人 お答えを申し上げます。

 公務員の懲戒処分につきましては、昭和五十二年十二月二十日の最高裁判所の判決によりますと、懲戒権者は、懲戒事由に該当すると認められる行為の原因、動機、性質、態様、結果、影響等のほか、当該公務員の当該行為の前後における態度、懲戒処分等の処分歴、選択する処分が他の公務員及び社会に与える影響等、諸般の事情を考慮して、懲戒処分をすべきかどうか、また、懲戒処分をする場合にいかなる処分を選択すべきかを決定することができるものとされております。

 したがいまして、処分の量定は必ずしも行為の内容だけで一律に決まるとは限らないものでございまして、個々の被処分者の事情に応じて、任命権者がその責任と権限において適切に判断すべきものと考えているところでございます。

保坂(展)委員 別にそういうことを聞いたわけではなくて、これは国旗・国歌法、そして今の日本の学校現場、全国同一の基準で、しかも教職員の身分にかかわる、免職というのは首ということですよね、という現実をつくり出していいのかということなんですね。私は、これは明らかに行き過ぎだろうと思いますよ。

 今局長は読みましたけれども、未履修で校長らも処分を受けています。受けているけれども、停職とかあるいは免職なんという処分はない。一方において、東京都に関して非常に突出しているということについて、バランス上、どう文科大臣は考えますか。

渡海国務大臣 今局長がお答えしましたように、どういう処分をするかというのは、これは任命権者の判断ですよ、基本的には。今回起こっている事象というのは、実は何度も繰り返されているわけですよね。ですから、ただ単に、一つの一回の行為ということと比較をして、これで判断をしろというのは、私はなかなか難しいというふうに率直に思いますね。

保坂(展)委員 大臣、未履修は一年でしたか。かなり長いんですよ、未履修というのは。継続反復してだまし続けてきたわけですよ。それに対する処分と、確かに、何回もやられてどんどん加速度的に処分が重くなっていく。私は、東京都が今行おうとしてきたいわば強制というのは、やはり立法の趣旨からも余りにも逸脱をしているというふうに思いますし、やはり慎重な扱いをしっかりしてほしいと思っているわけです。

 文部科学大臣として、地方の教育行政が、これは国会でつくられた法律ですから、国会で成立した法律、政府が答弁している内容ですから、それと明らかに違う、あるいはそこから大きくはみ出すことをしたら、やはりそれは行き過ぎであるというふうに私は言うべきだと思います。いかがですか。

渡海国務大臣 これは、何も逃げるわけじゃありませんが、基本的にやはり任命権者がしっかりと自分の判断をしなきゃいけないと思います。

 それと、もう一つは、たとえ政府の答弁であっても、例えば、地方が、地方自治体や個人が、あれは違うということを言われることは自由でありますし、また……(保坂(展)委員「えっ、そうなんですか」と呼ぶ)それは自由でありますよ。(保坂(展)委員「それはおかしい」と呼ぶ)いや、それを根拠にされているわけじゃないですから、向こうは。処分の根拠は違うわけですから。処分の根拠として国のこういう判断を使っているということであれば、それが違った判断であれば言わなきゃいけないと思いますが、国会ではこう言っているけれどもということでありますからね。ですから、それを法的根拠というふうに向こうは使っておられるわけではないんですから。今、法制によってと言われましたからね。

 ですから、これはあくまで法制ということであれば、いわゆる職務命令という、学校教育法という法律、それからまた地方公務員法という法律、そういった法律に従って、起こっている事態をどう解釈し、どう運用するかという問題でございますから、保坂委員とはよくいろいろな件ではお話をするんですが、先ほどからお話を聞いていて、政府の見解といいますか当時の官房長官の見解と違っているから、東京都にそれはおかしいんじゃないかというふうに我々が言うということは、地方の判断に対して見解を求められれば、我々は、もちろん、その見解は違いますよということは言えるかもしれませんけれども、それはやはり地方が判断をしていただくことであるというふうに私は思いますよ。

佐藤委員長 保坂君、質疑時間が終了していますので、簡潔にお願いします。

保坂(展)委員 はい、簡潔に。渡海大臣の今の答弁が正解か誤解か、確認して終わりますね。

 今のお話をちょっと聞いていると、東京都教育委員会が政府の答弁を間違っていると言うのは自由だというふうに聞こえるんですね。だから、問われればそれは違いますよと言うけれどもということなんですが、これは、政府の答弁は立法の内容を規定し、そして運用を、実際そこまで効果を照らして国会で審議しているわけですね。そこはやはり現場におりていく法律である。ですから、その趣旨をやはり地方は理解してもらわなきゃ困るんじゃないですか。それだけ。

佐藤委員長 では、最後に、渡海文部科学大臣。

渡海国務大臣 だから、申し上げているように、これは職務命令違反という行為に対して学校現場で処分をしようということでありますから、内容がどうであれ、職務命令違反そのものがそれはそうじゃないというのであれば、それは立法趣旨と絡んでまいりますけれども、その命令を出すということは、例えば最高裁でも、それは職務上仕方がないというふうに認めているわけですからね。

 ですから、そのことに対して我々がこの立法にさかのぼって見解を述べるということは適当でないというふうに思っております。

保坂(展)委員 もう時間になりましたので終わります。

 この問題は非常に重要な問題なのでまた議論をさせていただきたいし、免職なんということが起きないようにぜひ見守りたいと思います。

佐藤委員長 以上で保坂展人君の質疑は終了いたしました。

     ――――◇―――――

佐藤委員長 次に、内閣提出、公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律の一部を改正する法律案を議題といたします。

 趣旨の説明を聴取いたします。渡海文部科学大臣。

    ―――――――――――――

 公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律の一部を改正する法律案

    〔本号末尾に掲載〕

    ―――――――――――――

渡海国務大臣 このたび政府から提出いたしました公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律の一部を改正する法律案について、その提案理由及び内容の概要を御説明申し上げます。

 昨年、学校教育法が改正され、学校の組織運営体制の充実を図るため、主幹教諭を学校に置くことができることとされました。

 この主幹教諭を置く小学校、中学校または中等教育学校の前期課程のうち、当該学校が抱える課題が大きく、主幹教諭が担う業務の量が特に多い学校においては、教職員の数を加算することにより、その負担を軽減し、主幹教諭が学校の運営上期待されている役割を十分果たすことができるようにする必要があります。

 この法律案は、このような観点から、公立の小学校等における教職員の配置の適正化を図るため、主幹教諭を置くこれらの学校に関する教職員定数の算定について特例を定めることとするものであります。

 次に、この法律案の内容の概要について御説明申し上げますと、主幹教諭を置く小学校等の運営体制の整備について特別の配慮を必要とする事情として政令で定めるものがある場合に、教職員の数を加算できることを規定するものであります。

 以上が、この法律案の提案理由及びその内容の概要であります。

 何とぞ、十分御審議の上、速やかに御賛成くださいますようお願いいたします。

佐藤委員長 これにて趣旨の説明は終わりました。

 次回は、来る二十一日金曜日午前八時五十分理事会、午前九時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後二時七分散会


このページのトップに戻る
衆議院
〒100-0014 東京都千代田区永田町1-7-1
電話(代表)03-3581-5111
案内図

Copyright © Shugiin All Rights Reserved.