衆議院

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第14号 平成26年4月25日(金曜日)

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平成二十六年四月二十五日(金曜日)

    午前九時開議

 出席委員

   委員長 小渕 優子君

   理事 中根 一幸君 理事 丹羽 秀樹君

   理事 萩生田光一君 理事 山本ともひろ君

   理事 義家 弘介君 理事 笠  浩史君

   理事 鈴木  望君 理事 稲津  久君

      青山 周平君    井野 俊郎君

      池田 佳隆君    小此木八郎君

      神山 佐市君    菅野さちこ君

      木内  均君    工藤 彰三君

      熊田 裕通君    小林 茂樹君

      桜井  宏君    新開 裕司君

      冨岡  勉君    永岡 桂子君

      根本 幸典君    野中  厚君

      馳   浩君    福山  守君

      宮内 秀樹君    宮川 典子君

      泉  健太君    郡  和子君

      細野 豪志君    吉田  泉君

      遠藤  敬君    椎木  保君

      田沼 隆志君    三木 圭恵君

      中野 洋昌君    柏倉 祐司君

      井出 庸生君    宮本 岳志君

      青木  愛君    吉川  元君

      山口  壯君

    …………………………………

   議員           吉田  泉君

   議員           笠  浩史君

   議員           鈴木  望君

   議員           中田  宏君

   文部科学大臣       下村 博文君

   文部科学副大臣      西川 京子君

   文部科学大臣政務官    冨岡  勉君

   政府参考人

   (文部科学省生涯学習政策局長)          清木 孝悦君

   政府参考人

   (文部科学省初等中等教育局長)          前川 喜平君

    ―――――――――――――

委員の異動

四月二十三日

 辞任         補欠選任

  柏倉 祐司君     山内 康一君

同日

 辞任         補欠選任

  山内 康一君     柏倉 祐司君

同月二十五日

 辞任         補欠選任

  菅野さちこ君     根本 幸典君

  小林 茂樹君     井野 俊郎君

  比嘉奈津美君     福山  守君

  菊田真紀子君     郡  和子君

  遠藤  敬君     田沼 隆志君

  三宅  博君     三木 圭恵君

同日

 辞任         補欠選任

  井野 俊郎君     小林 茂樹君

  根本 幸典君     菅野さちこ君

  福山  守君     比嘉奈津美君

  郡  和子君     泉  健太君

  田沼 隆志君     遠藤  敬君

  三木 圭恵君     三宅  博君

同日

 辞任         補欠選任

  泉  健太君     菊田真紀子君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 政府参考人出頭要求に関する件

 参考人出頭要求に関する件

 地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案(内閣提出第七六号)

 地方教育行政の組織の改革による地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案(笠浩史君外三名提出、衆法第一六号)

 派遣委員からの報告聴取


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     ――――◇―――――

小渕委員長 これより会議を開きます。

 内閣提出、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案及び笠浩史君外三名提出、地方教育行政の組織の改革による地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案の両案を一括して議題といたします。

 この際、両案審査のため、去る二十三日、第一班福岡県、第二班宮城県に委員を派遣いたしましたので、派遣委員からそれぞれ報告を聴取いたします。

 まず、第一班の福岡県に派遣された委員を代表いたしまして、私からその概要を御報告いたします。

 派遣委員は、私、小渕優子を団長として、理事義家弘介君、山本ともひろ君、笠浩史君、稲津久君、委員神山佐市君、宮川典子君、菊田真紀子君、椎木保君、山内康一君、吉川元君の十一名であります。

 去る二十三日、現地において、春日市立日の出小学校を視察した後、福岡市のANAクラウンプラザホテル福岡において会議を開催いたしました。

 まず、現地視察におきましては、学校関係者と意見交換を行った後、授業を参観し、コミュニティースクールとしての特色ある教育活動についての御努力とその取り組みを直接見聞することができました。

 次に、会議におきましては、私から派遣委員及び意見陳述者の紹介並びに挨拶等を行った後、小郡市長平安正知君、嘉麻市教育委員会委員長豊福眸子君、九州大学大学院教授元兼正浩君の三名から意見を聴取いたしました。

 その内容につきまして簡単に御報告申し上げますと、

 まず、平安君からは、市長の教育方針を教育委員会と連携し具体化を図るなど、小郡市では現行の制度でも十分機能しており、教育委員会制度を継続する必要があると考えていること、

 次に、豊福君からは、子供たちの健全な育成のためには、行政、学校現場、保護者及び地域が一体となってその責務を果たす必要があること、

 最後に、元兼君からは、都道府県と町村の教育委員会とではその課題は異なる中、今般の制度改革が実態を踏まえた内容か懸念があること

などの意見が述べられました。

 次いで、各委員から、陳述者に対して、民意をより反映する仕組みとしての総合教育会議に対する評価、教育委員長と教育長の一体化に対する評価、首長に教育行政の権限と責任を一元化することに対する見解、町村教育委員会事務局の人材確保と育成策、コミュニティースクールの評価と今後の取り組みなどについて質疑が行われました。

 以上が会議の概要でありますが、議事の内容は速記により記録いたしましたので、詳細はそれによって御承知願いたいと存じます。

 今回の会議の開催につきましては、多数の関係者の御協力により極めて円滑に行うことができ、深く感謝の意を表する次第であります。

 以上、御報告申し上げます。

 次に、第二班萩生田光一君。

萩生田委員 宮城県に派遣された委員を代表いたしまして、その概要を御報告申し上げます。

 派遣委員は、私、萩生田光一を団長として、理事丹羽秀樹君、中根一幸君、鈴木望君、委員池田佳隆君、小林茂樹君、吉田泉君、遠藤敬君、中野洋昌君、井出庸生君、宮本岳志君、青木愛君の十二名であります。

 去る二十三日、現地において、名取市立閖上中学校を視察した後、仙台市の江陽グランドホテルにおいて会議を開催いたしました。

 まず、現地視察におきましては、学校関係者と意見交換を行った後、授業を参観し、学校現場の生の声に触れることができました。

 次に、会議におきましては、私から派遣委員及び意見陳述者の紹介並びに挨拶などを行った後、仙台市長奥山恵美子君、東北大学大学院教育学研究科准教授青木栄一君、前宮城県中学校長会会長、前塩竈市立第一中学校校長、石巻専修大学特任教授有見正敏君の三名から意見を聴取いたしました。

 その内容について簡単に申し上げます。

 まず、奥山君からは、政令指定都市の教育長と首長の両者を務められた経験から、教育行政の最終的な責任は首長が持つべきであり、自治体の規模に応じた運用が課題であるとの意見が述べられました。

 次に、青木君からは、教育行政学の研究者として、今般の地方教育行政制度の改革について、その制度設計と運用の仕方という観点から、客観的な御指摘をいただきました。

 最後に、有見君からは、教育現場における長年の経験から、首長、教育委員会とその事務局が常に前向きに連携する重要性について意見が述べられました。

 次いで、各委員から陳述者に対して、地方教育行政の権限と責任の明確化が図れる閣法に対する評価、形骸化している教育委員会制度について、政治的中立性を担保した上でその廃止を図る衆法に対する評価、教育委員会外部の意見を反映させること等によるコミュニティースクールの今後の活用のあり方、地方教育行政制度における国と地方、首長と教育委員会、教育委員会と学校、それぞれのあるべき関係などについて質疑が行われました。

 以上が会議の概要でありますが、議事の内容は速記により記録いたしましたので、詳細はそれによって御承知願いたいと存じます。

 今回の会議の開催につきましては、多数の関係者の御協力により極めて円滑に行うことができ、深く感謝の意を表する次第であります。

 以上、御報告申し上げます。

小渕委員長 以上で派遣委員からの報告は終わりました。

 お諮りいたします。

 ただいま報告のありました第一班及び第二班の現地における会議の記録は、本日の会議録に参照掲載することに御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

小渕委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

    〔会議の記録は本号(その二)に掲載〕

    ―――――――――――――

小渕委員長 引き続き、お諮りいたします。

 両案審査のため、本日、政府参考人として文部科学省生涯学習政策局長清木孝悦君及び初等中等教育局長前川喜平君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

小渕委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

小渕委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。細野豪志君。

細野委員 おはようございます。

 早速、法案の審議に入りたいと思います。

 先週も私質問させていただいておりまして、総合教育会議で危機管理をするということについて、率直に申し上げてやや不安があるのではないか、そういう趣旨で発言をさせていただきました。そこをもう少し具体的に聞いていきたいと思います。

 まず、確認を込めて局長にお伺いします。

 総合教育会議が行うものの中で、第一条の四の二のところで「児童、生徒等の生命又は身体に現に被害が生じ、又はまさに被害が生ずるおそれがあると見込まれる場合等の緊急の場合に講ずべき措置」とされていますが、ここで言う生徒の身体または生命、そうしたことにかかわることというのは具体的にどういったことを想定をしているのか、まず御答弁をお願いします。

前川政府参考人 本法案の第一条の四第一項第二号に規定されております、「児童、生徒等の生命又は身体に現に被害が生じ、」もしくは「まさに被害が生ずるおそれがあると見込まれる場合」でございますが、例えば、いじめ問題により児童生徒の自殺事案が発生した場合でありますとか、通学路で交通事故死が発生した場合の再発防止を行う必要があるというような場合、こういった場合を想定しているものでございます。

 また、この文言に引き続く「等の緊急の場合」ということでございますけれども、この等という場合としては、児童生徒等の生命または身体の保護に類するような緊急事態というものを想定しているわけでございまして、例えば、災害の発生によりまして、生命または身体の被害は発生していないけれども、校舎の倒壊などの被害が生じている場合でありますとか、災害発生時の避難先での児童生徒等の授業を受ける態勢でありますとか、生活支援態勢について緊急にこれを構築する必要がある場合、あるいは、犯罪が多発するというようなことがございまして、図書館等の社会教育施設でも、職員でありますとか一般利用者の生命または身体に被害が生ずるおそれがあるというような場合、こういった場合が考えられるところでございます。

細野委員 今、局長が御答弁されたように、犯罪が発生をした場合であるとか、さらには、それこそいじめにより死傷者が出るという深刻な事態に陥った場合に、この総合教育会議がそれを協議するということになるわけですね。

 もう一つ確認ですが、この総合教育会議というのは、物事を決定する会議ではない、つまり協議をする会議にとどまるということです。ということは、ここで協議はして、最終的に判断をする場合のその責任の所在というのは、これは誰になるんですか。

 例えばいじめの問題、具体的に想定をし得る難しい判断としては、例えば、いじめなどで加害者側を登校させるかどうかとか、そういう微妙な判断というのがありますよね。その場合の最終決定権は誰になりますか。局長に質問します。大臣でも結構です。

下村国務大臣 おはようございます。

 総合教育会議は、首長と教育委員会が重点的に講ずべき施策等について協議、調整を行う場であり、両者が教育政策の方向性を共有し、一致して執行に当たることが期待をされます。

 この場合において、どちらかが決定権者というものではなく、あくまで調整を尽くすことを目指すものでありますが、権限のある両者が公開の場で議論を尽くすことには大きな意義があり、これにより、一層民意を反映した教育行政が行えることとなるというふうに思います。

 この内容についてでありますが、地教行法第二十一条に規定する教育に関する事務の管理、執行については教育委員会が最終責任者であり、教育に関する予算の編成、執行については首長が最終責任者であるということから、いじめの問題等については最終責任は教育長がするわけでありますが、しかし、いじめにおける緊急事態として総合教育会議を開催するわけでありますから、当然、これは首長とそれから教育長等が一緒に判断をして、自治体として適切な対応、しかし最終責任者は教育長、そういうことであります。

細野委員 大臣から非常に明確に御答弁いただいたと思います。協議はするけれども、最終の判断権者は教育委員会、すなわち、その責任者である教育長であるということですね。

 危機管理が非常に悩ましいのは、ちゃんと協議をして一致できるまで判断を先延ばしできるのであれば、しっかり協議すればいいんです。ただ、厳しいけれども、先延ばしできずにその場で判断をしなければならない場面というのがあるのが危機管理の難しいところなんですね。

 いろいろな判断があるんですが、例えば、さっき申し上げたようないじめの加害者を登校させるかどうかというような問題。もしくは、例えば凶悪犯罪が発生をした場合に、当然その学校は休みにしますよね。しかし、その周辺の学校も、それこそ登校をやめるか、もしくは、それはできるだけ平穏で学校に通えた方がいいわけだから、登校を続けるかというような判断は、これは状況に応じて非常に微妙な問題になるわけです。その場合に、判断を先延ばしはできません。

 例えば、ある時刻に発生をして、すぐ帰らせるかどうか、もしくは次の日登校させるかどうかという意味では、極めて限定した数時間とか、場合によっては一時間で判断しなければならない場合に、教育長と首長の判断が分かれた場合、これはどちらの判断が優先されるんですか、大臣。

下村国務大臣 結論から申し上げますと、最終責任者は教育長ですから、教育長の判断になります。

 ただ、今回この総合教育会議が設けられた理由というのは、まさに大津のようないじめ問題に対して、今の教育委員会制度では対処できないという部分からこの制度設計にもなっているわけでございます。

 ですから、これは、最終決定、判断は教育長ではありますが、しかし、緊急においては、首長が主宰をして総合教育会議を開いて、そしてそこで協議、調整をし、そして最終的な判断ということですから、当然、そこには首長の意向等も十分勘案した中で、行政的には教育長が判断するということであります。

細野委員 法案提出者にお伺いしますが、民主党と維新が共同提出をしている案では、こういった事態における判断の最終責任は誰にありますか。

笠議員 首長にございます。

細野委員 大臣、私も、この総合教育会議というのができることによって、今の制度よりは危機管理において前進したことは認めます。今の制度よりはいいです、明確にこれは。しかし、こういう問題について、最終的な判断権者として教育長がいいか、首長、例えば市長がいいかといえば、明らかに市長の方がいいですね。

 例えば、大臣、ちょっと想定をしたくない例ですけれども、頭の体操というか一つの想定としてやはり考えておいた方がいいのは、その判断が誤ったことによって被害が拡大する可能性があります。例えばさっき言ったような、凶悪犯罪が発生をして登校させた場合に違う学校でも被害が生じたような場合、こういった場合に、教育長とそれこそ首長との間で判断が分かれていて、教育長の方の判断が尊重された場合に、この教育長、教育委員長兼務ということですが、この人がそういう政治的な部分も含めて責任をとれますか。

 やはりそこは、最終的には、危機管理においては、首長がしっかりと判断できるというところだけは担保しておいた方がいいんじゃないですか。

 要するに、大津の例がきっかけでこういう仕組みをつくられるわけでしょう。教育長がなかなかそういう判断ができなかったから、やはり一定の政治的な判断がなされた方がいいだろうという形で導入されたんだけれども、率直に言ってこの部分については、総合教育会議という、危機管理としてはやや中途半端なものにとどまったと思います。政治的な介入を控えるというのは、私も一定の制約が必要だと思うので、そこは与野党ともにいろいろな議論が必要でしょう。

 ただ、危機管理に関しては、最後はやはり選挙で選ばれている政治家がきちっと判断するというのは、本当にさまざまな場面で、地方自治体もそうだし、政府も経験してきているわけですよ。私は、そこにこれはやはり一定のすきがまだ残っているというふうに考えます。いかがですか。

下村国務大臣 それは一概に言えないというふうに私は思います。

 細野委員も原発の担当大臣もされていたわけであります。最終的には総理が判断されるにしても、やはり、現場における感覚というのは必要なときがあるというふうに私は思うんです。

 特に、いじめ等において、学校現場の状況とかそういういろいろな経緯については、一番掌握をしている、あるいはしなければならない、その部署が教育長だというふうに思います。

 今までの教育委員会は、それが形骸化、形式化という意味で、今回は、教育委員長それから教育長も一本化して、そして、その教育長に権限をより明確化させるという法律改正案でありますから、そういう責任者たる教育長が判断をする。

 ただ、判断するについては、当然、独断でということではなく、これは総合教育会議ができるわけですから、総合教育会議の主宰は首長ですから、今まで以上に首長の意向というのはそれは教育長は十分勘案をするでしょうけれども、しかし、そういう現場状況において適切な判断が本当に首長ができるのかということを考えれば、私は、教育長の方が適切な判断を、このいじめとかそういう場合の危機管理について対応できるということの方が組織的には適切であるというふうに思います。

細野委員 これは大臣もわかった上でおっしゃっているんだと思うんですけれども、総理でも閣僚でも市長でもそうなんですけれども、その人間が現場のことについて物すごく詳しいなんということはあり得ないんですよ。当然、それは担当者なり責任者からしっかり話を聞いて、その上で判断をするわけです。

 私が申し上げているのは、その判断が重ければ重いほど、結果に対する責任も含めて政治的にとれる人がやっていかないと、これは危機管理の体制としては無責任になるんじゃないかということを聞いているわけです。

 ですから、この文言、「事務の調整」という言葉になっていて「協議」となっている。こういう危機管理の分野において、こういう文言が出てきている会議に最終的に負わすことについては、私は今でもやはりやや不安を持ちます。

 なぜそれを首長という形にしたのかということも含めて、ここはもう見解に開きがあるようですから、これ以上大臣とこのテーマでは議論しませんが、答弁者の方から、どういう意図で首長にという形にしたのか、ちょっと最後に一言、御見解を伺いたいと思います。

笠議員 今、委員の方から御指摘がございましたように、平時は、やはり現場を一番知っている教育長のもとでいろいろな判断をしていくということが適切であり、必要だと思います。

 ただ、重大な事案、先ほどはいじめの案件であったり、あるいは、学校で大きな犯罪が起こって周辺校をどうするのかというようなときに、やはり瞬時に判断を下さなければならない。これは大変大きな判断になると思います。

 これはやはり、選挙で選ばれる首長が政治的にしっかりとした責任を踏まえて決断をするというところに一元化をしておかなければ、本当に時間だけが要したり、あるいはその判断がおくれてしまったりということになるので、私どもは今回、こういった事案に含めても、最終的な権限はしっかりと首長に持たせるということで私どもの法案の責任体制を明確にさせていただきました。

細野委員 今、笠さんがおっしゃったことがかなり的を得ていると私は思うんです。

 つまり、この二人が実質的に議論することになるわけです。その場合に、見解が分かれた場合に、判断を先延ばしする可能性は非常に高いです。最終的に教育長の判断が優先されるにしても、首長が明確に反対した場合は、教育長だって簡単には権限を行使できないかもしれない。それで、判断の先延ばしが一番最悪の結果を招くということもあるんですよ。

 そこで、判断をするその政治的な立場も含めて相当シビアな判断が迫られる可能性があるということだけは、大臣、ちょっと頭に置いて、私は法案を変えた方がいいと思います。それについては、ぜひ御検討いただきたいと思います。

 次に、いわゆる第三者的なチェックのあり方について議論をしてまいりたいと思います。

 先週、四月十八日に、大臣が鈴木望委員の質問に対して、議会がチェックできるかどうか、政治的な中立性を全て担保できるような議会かどうかはやはり構成によって違うから、できる議会もあれば、できない議会もある、余り議会は頼りにならないというようなそういう発言をされていて、ちょっと私はおっと思ったんですが、今回の政府案の構成だと、教育長、教育委員長が非常に強い権限を持ちますよね。それを議会がチェックすることは余り期待できないというそういう話ですか。改めてそこをちょっと御答弁いただけますか。

下村国務大臣 意図的かどうかわかりませんが、細野委員は意識されているのかされていないのかわかりませんが、ちょっと質問の趣旨が違うんじゃないかと思うんです。

 前回の質問というのは、政治的中立性というのが議会によって担保されるのではないかということに対して私は、政治的中立性というのは、必ずしも議会によって担保されるかどうかは、その議会における構成によっていろいろなケースがあるので、議会が政治的中立性を担保されるとは必ずしも言えない、そういうふうに申し上げたわけでございます。

 ただ、今回の改正案で、議会が教育委員会に対するチェックをどう行うかということについてはちょっと申し上げたいと思うんですが、現行の教育委員長と教育長を一本化した新教育長の任命に当たって議会の同意を必要としているということと、それから、任期について教育委員より一年短縮し三年としている。これは、議会において、従来以上に職責が重くなる新教育長の資質能力をより丁寧にチェックすることができるということであります。

 また、既に現行法においても、教育委員の任命における議会の同意や、教育委員会みずからが行う事務の管理及び執行状況に関する点検・評価報告書の議会への提出が規定をされております。さらに、議会の本会議や文教委員会等において、教育委員会の事務執行について質疑が行われております。

 これらの機会を通じて、議会が教育委員会をチェックし、教育行政に住民の意向を反映させる、そういう機能は十分にあるというふうに思いますし、それを生かしていくことは当然必要なことだと思います。

細野委員 大臣がおっしゃりたいことは、政治的な中立性が担保できるかどうかは、これは議会によってさまざまでわからないけれども、教育長なり教育委員長なりをチェックする役割は、議会がしっかりできるような仕組みになっているということですね。

 ただ、大臣、議会のその仕組みはもともとあったわけですよ。今でもあるわけです。答弁も求められるし、報告義務もある。その中で大津の事件が起こったわけです。後から出ているあの報告書を見ますと、教育長以下の事務局の独走をチェックすることが重要なんだけれども、それができていなかったというような趣旨が書かれている。

 これは、事務局の暴走をチェックする仕組みという意味では、これがまさに大津の反省なわけだから、今回の政府案ではどこの仕組みに大臣は期待されているんですか。議会の役割という意味では従来と同じですね。この新しい仕組みによってどう変わるんですか。

下村国務大臣 それは、制度改善で全て解決できるという問題でも必ずしもないというふうに思います。

 ただ、一つは、教育長の任期を三年にすることによって、今まで以上に、議会がこれについての同意をするということにおける新教育長の職責についてはよりその資質や能力を丁寧にチェックするという意味での機能。それからやはり、教育委員会そのものが、その大津の問題等、事務局も含めて機能していなかった。それは制度的な問題と人的な問題がやはり両方あったのではないかと思うんです。

 ですから、新しい制度設計をすれば全てがうまくいくということではなくて、やはりそこにおける人の問題もあるわけでありまして、これは、改正された後でいえば、今までのといいますか、旧制度においても、それから新制度においても同様のことが求められることだと思いますから、制度設計をして全て今の問題がクリアするということよりは、同時に、人の問題、体制の問題、そういうところも要因としてあったのではないかと思います。

細野委員 大臣、ちょっとお言葉なんですけれども、今は法律を議論していて、制度をどうするかという議論をしているわけですよ。大津の問題というのは深刻にあった。それがきっかけになっているのに、いや、それは制度の問題ではなくて人の問題ですなんて言い出したら、ここで議論をしている中身は意味ないですよね。

 私が聞いているのは、こういう事務局の暴走をとめるために、では、制度も重要だ、制度も必要だとおっしゃるならば、どこの制度でチェックをすることを考えてこの案が提案されているのですかと聞いているので、人のことはそれは当たり前の話で、この話については結構ですから、制度のどこで事務局の暴走をチェックするようなことになっているのか、ここを御答弁ください。

下村国務大臣 それは先ほどあの答弁の前半で申し上げたとおりでありますが、一つは、教育長の任期を三年にすることによって議会がよりチェックすべき仕組みをつくったということと、そもそも、制度上は教育委員は今まで互選によって教育委員長や教育長を選ぶ、そういう仕組みになっていたわけですが、それを一本化して、つまり、教育委員長をなくして教育長に一本化して、そしてその教育長も、教育委員の互選によって選ぶのではなく、首長が任命をする、そういう仕組みにすることによって、責任、権限体制をより明確化をすることによる、その暴走体制の仕組みを改善するという制度であります。

細野委員 大臣、むしろそれは逆に機能する形もありますよ。

 今度は教育委員長さんは教育長でもあるわけです。事務局の責任者ですよね。これまでは、事務局の責任者たる教育長とは別に教育委員長がいて、教育委員がほかにもいましたから、ここは言うならばアウトサイダーで、確かに執行機関であるんだけれども、一方でチェック機関としての役割を期待をされていた面があるわけです。

 大津の事件においては教育委員会はほとんどらち外に置かれていて、全くチェック機能を果たさなかった。今度は、事務局のトップたる教育長が教育委員長も兼ねるわけだから、さらに権限が強くなるわけですよ。どうやってチェックするんですか。その権限が強くなるというのは、むしろチェック機能を果たさないということになりませんか。

下村国務大臣 何のチェック機能かというのは具体的にちょっと事例を挙げていただきたいとは思いますが、しかし、そういうことでいえば、それはまさに人によってやはり違ってくるわけです。

 ですから、例えば民主党案における首長がどんな人かによって、それは同じような危惧というのは当然あるわけでありまして、そういうことでなく、首長の権限、それから教育長の最終的な権限、これは教育においても執行機関として分けることによって、そういう意味での政治的な中立性と継続性とか安定性を図りながら、しかし、機敏に対応できるような仕組みという制度上の設計をしているわけであります。

細野委員 事例というのはあらゆるものが言えると思いますよ。

 首長と教育長というのは、当然これまで、総理もそうですが、任命もするわけですから非常に近い関係にもあるわけですから、政治的な中立性が侵されたような場合に、チェックをしなければならないようなケースはあり得ますよ。

 さらには、それこそ大津のような事例で、本当は教育長としてきちっと迅速に対応しなければならないときに判断を先延ばししてしなかった場合に、チェックをするような機能も必要ですよ。これまでの教育委員会ではそういうことができなかったということが一つ言われているわけです。

 今二つ挙げましたが、そういう政治的な中立性、さらには、いじめへの対応などについて事務方が暴走した場合に、チェックをする仕組みとしてはこの制度はどうすぐれているんですか。

下村国務大臣 それは、今までにおいても教育委員会によって相当な差異はあったかもしれませんが、今回は、まずは、例えばそういういじめとか緊急事態においては総合教育会議を開くことができる、それは首長が主宰する。ですから、自分の自治体においてそういう事例が生じた場合、これは、首長が即主宰をするということによって総合教育会議等でその対応については議論をする。

 その結果、調整がつけばすぐ対応できるし、調整がつかないことについて先延ばしをするのではないか、教育長によって判断しないままずるずるといくことによって対処できないのではないか、そういう御趣旨の質問かというふうに思いますが、それは、緊急事態において首長がそのための総合教育会議を主宰して開いているにもかかわらず、決めないで、首長が責任を回避して先延ばしということは、そもそもそれは構造上許されないことであると思いますから、当然、それは首長との相談の上で教育長が適切な判断をするというのは当たり前の話であって、それを無視して、結果的に緊急対応については何も結論を出さないということはあり得ないということが、今回の新しい仕組みの中でさらに制度上明確になったというふうに私は思います。

細野委員 危機管理の問題については先ほど前段の部分で大分議論しましたので、総合教育会議ができることは半歩前進だと思います。ただし、そこで危機管理をきちっとやり切れるかということについては、私は疑問を持っています。

 では、政治的中立性はどうですか。教育長が首長の意向をそんたくして政治的な中立性を侵すような運営をした場合に、議会は期待できないとおっしゃいましたね。明確に答弁をされている。期待できない議会があると少なくとも答弁をされた。教育委員会は、教育長、トップがこれは非常に強い権限を増しますから、チェック機能は弱まりますよね。これはいかがですか。

下村国務大臣 チェック機能が弱まるとは、それは言えないというふうに思います。

 教育長に対する権限を強化するという意味では、つまり教育委員長と教育長を一本化するという意味でありますが、教育委員会そのものは、これは執行機関として今までの権限はそのまま続くわけであります。ですから、今までの教育委員会が、政治的中立性、それから安定性、公平性等を担保する意味での制度設計として今までもあったわけですから、それについては、今までと同じようなことをするということが、まさに政治的中立性や継続性や安定性を担保するということが法の趣旨として言えるというふうに思います。

細野委員 教育長というのは、従来事務方のトップですから、それはやはり首長の意向をより強く受けやすい立場ですよ。それと離れたところに教育委員長がいて、教育委員の互選で選ばれていて、これは第三者的な機能を果たしているからチェック機能を果たせたのであって、今回その二つが一緒になるので、それは政治的な中立性をチェックする機能が高まるという理屈は、とても私には理解できないですね。

 そこで法案提出者にお伺いしたいんですが、大臣が同じく先日の鈴木委員の質問に対する答弁で、民主党案というのは政治的な中立性についてやや問題があるのではないかという趣旨の答弁をされていますが、その部分の懸念に我々はきちっと応える責任もあると思うんです。どういう仕組みでその問題を克服するのか、そこを御答弁ください。

笠議員 私どもは、首長にこの権限を一元化したことによって、この委員会でも、そのときに政治的な中立性あるいは安定性、継続性をどうするのかということで、我々は教育監査委員会というものを別途設置をして、これによって、常設機関として、首長の行う教育が適正にきちんと運営をされているかどうかをチェックしていく。

 なお、是正あるいは改善を求める場合には、勧告というものを行い、それは、公表されるあるいは議会に報告をするということによって、この監査委員会、さらには議会、そしてさらには学校運営協議会等々、現場からのこうしたチェック機能というものもトータルで発揮をしていくということを想定をしております。

細野委員 今回の政府案なんですけれども、私も、今の制度からすると前進だと思います。ただし、私が今指摘したような危機管理の面での対応が本当にできるのかどうか、さらには、第三者的なきちっとしたチェックを果たせるのかどうか、こういった幾つかの点において、正直に言いますと、やや中途半端な面があって、そこについてはもう一度考え直していただいた方がいいのではないか、そんなふうに私は思っています。

 しばらくまたいろいろな議論の機会があるというふうに思いますので、ぜひ前向きにそういったことを捉えて考えていただきたいと思います。

 以上で終わります。

小渕委員長 次に、丹羽秀樹君。

丹羽(秀)委員 自由民主党の丹羽秀樹でございます。

 今回は、地方教育行政の法律の一部を改正する法律案につきまして、大臣並びに皆さん方にお尋ねしたいと思います。

 今国会の、教育再生の大きな目玉の法案改正だと思っております。今、グローバル化の進展などにより世界全体が急速に変化する中、資源の乏しい我が日本の国において、人材こそがこの国力の切り札となる資源だと思っております。また、子供たちには無限の可能性が眠っており、まさにその可能性を引き出す鍵は教育の再生だと思っております。

 今、安倍内閣では、教育再生と経済再生、大きな柱のもとで、さまざまな課題について取り組まれておりますが、今回のこの法改正、約六十年ぶりの教育委員会制度の抜本的な見直しでございます。

 改正案の提出におきまして、さまざまなきっかけがあったと思います。例えば、大津のいじめ事件の問題、教科書の問題とかさまざまな問題があったと思いますが、私は、まず第一に大臣にお尋ねしたいのは、今般の改正は、抜本的な改正の中身が、大津のいじめ事件のためだけの改正ではなくて、教育委員会の抜本的な見直しという面が非常に大きいというふうに考えております。その辺につきまして、大臣のお考えをお尋ねしたいと思います。

下村国務大臣 まず、丹羽委員におかれましては、自民党などの文部科学部会長として、今国会、大変重要な法案が次から次へ出る中で、さらに、きょうは大学ガバナンス改革法案が閣議決定をされました。この教育委員会制度改革の後、大学ガバナンスについても国会でぜひ議論していただきたいというふうに思いますし、そういう重要なところで部会長として活動していただいていることに対して、敬意と感謝を申し上げたいと思います。

 そして、この教育委員会制度は、当然これは大津のいじめの事件がきっかけではありますが、戦後における地方教育行政の根幹となるものでありまして、これを六十年ぶりに改正する。そのためには、私は、大方の教育委員会は結構うまくいっているというのを地方自治体から聞きますし、そのとおりのところもあるというふうに思います。しかし、制度的には、相当形骸化していたり、あるいは危機管理対応能力がなかったり、あるいは責任体制が不明確であるということから、よく言われる教育村のあしき事例の典型のような、何も決められない、つまり、現状維持についても対処もできないまま来てしまったという、無責任体制システムの代表のような象徴として言われている部分があるわけであります。

 その部分について的確に、子供の視点に立った地方教育行政改革の根本がこの教育委員会制度改革だというふうに思いますし、まさに抜本的な、六十年ぶりの、地方行政そのものを改革するということがこの教育委員会制度だというふうに位置づけております。

丹羽(秀)委員 ありがとうございます。

 これまでの国会審議におきましても、教育における政治的中立性、継続性、安定性の確保というのが大きな論点になっているというふうに思いますが、私は、この政府案に対しても、また民主、維新案の、先ほど細野先生からも御質問がございましたが、それぞれの案に対しても、教育における政治的中立性、継続性、安定性の確保というのは、これは同じ共通認識であるというふうに思っております。

 そこで、この審議の中で、この中立性、継続性、安定性の手段がそれぞれ違う手法になっていると思いますが、そもそも教育委員会制度においてどのような仕組みで政治的中立性、継続性、安定性というのが保たれていらっしゃるのでしょうか。西川副大臣、よろしくお願いします。

西川副大臣 先生おっしゃるように、今回の制度改正においても、この政治的中立性というのは随分議論の一番大きな、中心的なところを占めていたと思いますが、実は現行制度におきましても、もちろん戦後の大きな改革の中で、レーマンコントロールという思想が入った中での政治的中立性というのは非常に大きな、中心的な議論だったろうと思います。

 現行制度においてもこのことに関してはきちっと、かなり配慮されておりまして、例えば、教育委員さんは同一政党所属委員が委員会の二分の一以上を構成しないようにすること、あるいは服務等、これは第十一条の規定の中で政治的行為が制限されていること、そして、罷免要件を限定することによって身分保障が講じられていること、非常に罷免の要件が限定されております、そしてさらに、教育委員は毎年一、二名ずつ交代していくことで、委員が一斉に交代して一種の教育委員の風土が変わらないようにする、そういうような仕組みを構築いたしまして教育の政治的中立性、継続性、安定性を今の制度でも十分に担保しておりまして、これは今後の改正後も変わらないところでございます。

丹羽(秀)委員 今おっしゃるように、今の制度の中でも、運用の仕方によって、やはり随分長年苦労された中で各自治体が非常に一生懸命工夫されてきたように感じます。

 今のこの政府案で、教育委員会制度を維持することによって教育における政治的中立性や継続性、安定性の確保を図っていることになっておりますが、では、議会の役割について文部科学省の方にちょっとお尋ねしたいと思います。

 教育長の任命に当たって議会同意を必要とする理由はなぜか、また、その政治的中立性、安定性、継続性のためではないかという理解でよろしいのでしょうか。

前川政府参考人 新教育長は、教育委員と並んで教育委員会の構成員となるわけでございますが、それのみならず、教育委員会を代表し、その権限に属する全ての事務をつかさどるという重要な職責を担うものでございます。このことから、その人選につきましてはこれを慎重に行い、その職責にふさわしい資質能力を担保し適材を確保する、そういう観点から、その任命に当たっては議会同意を必要としているものでございます。

 議会の議員の所属政党は構成がさまざまでございまして、議会は必ずしも政治的に中立というわけではございませんので、議会同意は教育の政治的中立性の担保のための手段であるわけではございません。

丹羽(秀)委員 ありがとうございます。

 やはり議会というのは、それぞれの議員の先生方によって、地方議会も政党性が違いますので、それによって確実に中立性が担保されるというふうには私もなかなか言えないかもしれませんが、やはりそういった面でしっかり文部科学省の方も頑張って、またこちらの方はチェックをしていただきたいというふうに思っています。

 今度は、総合教育会議の設置の件につきましてお尋ねしたいと思います。

 総合教育会議の設置でございますが、各地方公共団体における教育の重要事項について首長と教育委員会が協議し、調整することにより、首長と教育委員会が一層連携した教育行政を推進していこうとしているはずでございます。逆に、心配している点が、教育委員会での審議事項が少なくなってしまって形骸化するのではないかという指摘もあるというふうに思います。

 そこで、文部科学省にお尋ねしたいと思います。

 教育委員会会議で議案となるような重要事項について、全て総合教育会議で取り扱うこととなるのでしょうか。それともまた、必要と認めた事項についてのみ総合教育会議で議題とするのでしょうか。いかがでしょうか。

西川副大臣 先生御指摘のように、今回、この総合教育会議というのが首長の主宰で開かれるということになりまして、教育委員会と首長との協議を図ったり意見の調整をしたりという場でございますが、これは、あくまで首長あるいは教育委員会が協議、調整の必要があると判断した事項について行うものでありまして、教育委員会が所管する重要事項全てを総合教育会議で協議したり調整したりする必要はありません。

丹羽(秀)委員 つまり、総合教育会議を非常に有効的に使えば、教育委員会の活性化にもつながっていくものだというふうに思いますが、西川副大臣、そういう見解でよろしゅうございますでしょうか。

西川副大臣 おっしゃるとおり、全国の教育委員会、非常に充実してやっているところもありますが、非常に形骸化して、いわば追認の場になっているようなことがありますので、これによって非常に活性化する、おっしゃるとおりだと思います。

丹羽(秀)委員 それでは、総合教育会議の招集の件についてお尋ねしたいと思います。

 総合教育会議は、教育委員会側から首長に対して招集を求めることができるという規定がございますが、これは、例えばどんな場合を想定してこの文言が入っているのでしょうか、お尋ねしたいと思います。

前川政府参考人 改正案におきましては、教育委員会は、その権限に属する事務に関して協議する必要があると考える場合には、首長に対し、協議すべき事項を示して、総合教育会議の招集を求めることができるとしております。

 総合教育会議は、首長の側からだけでなく、教育委員の側からも、教職員定数の確保でありますとか、教材費や学校図書費の充実でありますとか、こういった政策の実現に、予算等の権限を有する首長との調整が特に必要と考える場合におきましては、積極的に会議の招集を求めることができるということにしてあるものでございます。

丹羽(秀)委員 そこで、今回の政府案で、権限が強くなる教育長に対するチェック機能の強化のため、教育委員も、教育委員会議の招集を教育長に対して求めることができるという規定が盛り込まれてまいりました。しかしながら、教育委員会の定数は自治体によって本当にさまざまな人数で構成されているということで、例えばどうなるんだといろいろな心配も思っております。

 教育委員会会議は、教育委員から定数の三分の一以上の請求があれば教育長に対して招集を求めることができるという規定がございますが、委員の定数が二人や三人の教育委員会では委員一名の要求で招集されることになり、場合によっては頻繁にこの招集の請求が行われて、逆に混乱してしまうんじゃないかというおそれがあると思いますが、この見解につきまして、文部科学省、お願いいたします。

前川政府参考人 今回の改正におきましては、新たな教育長が他の委員と比較して強い権限を有することになりますため、教育委員が教育長の事務執行をチェックできる仕組みが一方で重要になってくるわけでございます。このチェック機能といたしまして、委員の側から会議の招集の請求を行えることとしたわけでございます。

 その際、他の合議体執行機関の例でございますと、三分の一以上の構成員の請求を要件としているものが一般的であるということから、同様の要件としたところでございます。

 委員の定数が四人の場合ですと二人、委員の定数が二人の場合には一人ということになるわけでございますけれども、この委員の定数が二人というケースは、極めて小さい町村というようなケースを想定しているものでございまして、例外的なケースであると考えておりますが、委員の定数につきましては四人以上が望ましいと考えておりますので、その方向で指導してまいりたいというふうに考えております。

 その請求があった場合には、教育長は遅滞なく招集しなければならないわけでございますけれども、この遅滞なくというのは、一般的には、次の定例会よりも前の合理的な期間内に招集するということでございまして、請求があれば即座に開催するという意味の言葉ではございません。

 混乱が生じないよう、教育長において、その開催時期につきましては遅滞なく適切に判断すべきものであると考えております。

丹羽(秀)委員 この法文をそのまま読みますと、例えば悪用しようと思うと本当に混乱させることもできるような内容かもしれませんけれども、やはりその運用をしっかりチェックすることが非常に大事なことだと思っておりますので、こちらの方、本当に、地方の首長初め、やはりしっかりとした意識を持って教育に取り組む地方の役割というのが、また非常に大事になってくると思っています。

 そこで、これほどの抜本改革を行う中で、抜本改革であるがゆえに、現行制度から新制度へスムーズに移行することが必要だと思います。この法案が成立したとき、来年四月一日という法の施行日が書いてありますが、首長が一斉に新教育長を任命できるとなると、教育の継続性、安定性が損なわれるんじゃないかという不安も覚えております。そのような場合、どのような経過措置が設けられているのでしょうか、お尋ねしたいと思います。西川副大臣。

西川副大臣 平成二十七年四月一日を施行日としておりますが、今回、新しい制度になるに当たって、現場の混乱ということに配慮する、そういうことの中で、附則の第二条の規定に基づきまして、在任中の教育長については、その教育委員としての任期が満了するまで、現行制度の教育長として在職するものとしております。旧制度から新制度への移行における教育の継続性、安定性、これを確保しているところでございます。ですから、その間、教育委員会の中には、結局、従来の教育長さんと非常勤の委員長さんとが併存する、それが任期が終わるまでは続くということでございます。

 ただし、その場合でも、大綱の策定や総合教育会議の設置につきましては、これは首長と執行機関としての教育委員会の関係で行うものでありますから、速やかに、四月一日から施行していただいて、教育の民意の反映ということに努めていただきたいと思っております。

丹羽(秀)委員 現行の教育長にあわせて制度移行していくということで、現行制度から新制度への継続性を図っていく中で、教育長が急に欠けるような場合はどうなっていくのか。

 そこで文部科学省にお尋ねしたいと思いますが、施行日の際に現行の教育長の任期が残っている場合は、その任期が満了するまでの間、現行の教育長と委員長が併存するという話でございますが、現行の教育長が、任期を残して一身上の都合で辞職したり、例えば御不幸があったり、亡くなったりした場合はどうなるのでしょうか、お尋ねしたいと思います。

前川政府参考人 先ほど西川副大臣からお答えがありましたとおり、附則第二条は、施行の際在任中の教育長につきましては、その教育委員としての任期が満了するまで現行制度の教育長として在職するものとしているところでございます。

 先生が御指摘の、その教育長が急に辞職したりあるいは亡くなったりした場合でございますけれども、この場合は任期満了と同じことになるということでございまして、その時点で、新制度における教育長を新たに首長が任命し、新制度に移行するということになります。

丹羽(秀)委員 ありがとうございます。

 ちょっと論点を変えさせていただいて、総合教育会議の設置とあわせて、大綱の策定を通じて教育行政における首長の関与の強化が図られているところも今回の改正案のポイントだと思っています。また、大綱と類似するものとして、既に教育基本法における地方教育振興基本計画も存在しております。

 そこで、西川副大臣にお尋ねしますが、教育基本法で策定が地方自治体の努力義務とされています教育振興基本計画と大綱との関係は、どのような関係になってくるのでしょうか、お尋ねします。

西川副大臣 先生御指摘のように、教育基本法の第十七条第一項で、政府は、基本的方針と講ずべき施策、これを必要な事項として定めることにされておりますが、これにのっとって地方公共団体が基本的な計画を策定するように努力義務が規定されているところでございます。ですから、今回の総合教育会議で策定することと重ならないか、そういう御懸念、御疑問もあると思うんです。

 そういう中で、地方公共団体において教育振興基本計画を定める場合には、その中の施策や目標や根本となる方針部分が大綱に該当すると位置づけることができるものでありますので、首長が総合教育会議において教育委員会と協議いたしまして、当該計画をもって大綱にかえることと判断した場合には、別に大綱を策定する必要はない、そういう、ある意味では融通のある制度になっております。

丹羽(秀)委員 それでは、大綱は国の教育振興基本計画の基本的な方針を参酌して定めるものとされていますが、文部科学省の方に改めてお尋ねしますが、大綱には具体的にどのような内容を定めるのでしょうか、お尋ねしたいと思います。

前川政府参考人 本法案におけます大綱とは、当該地方公共団体の教育の振興に関する総合的な施策につきまして、その目標や施策の根本となる方針を定めるものでございます。

 この大綱は、教育基本法に基づき策定された国の教育振興基本計画の基本的な方針を参酌して策定するものでございまして、詳細な施策の策定までを求めているものではございません。

 大綱に定める具体的な事項といたしましては、例えばでございますが、一定の目標年度までに全学校の耐震化を完了することというような内容でありますとか、学校の統廃合を推進することというようなことでございますとか、あるいは少人数教育を推進すること、そういったことが考えられるところでございます。

丹羽(秀)委員 今回の改正案というのは、教育長と教育委員長の一本化による責任の明確化というのは、これも大きな改正案の中身だと思います。また他方、新たな教育長というのは権限が強くなることから、そのチェックのやり方というものも大事になってまいります。

 先ほど、チェック機能の強化の観点から盛り込まれた、委員による教育委員会会議の招集の請求権について質問したところでございますが、この新教育長については、やはり権限が強くなることもありますので、罷免要件を拡大すべきではないかという意見もありましたが、文部科学省にお尋ねいたします。新教育長の罷免の基準はどのようになっているのでしょうか、お尋ねいたします。

前川政府参考人 地方公共団体に置かれております行政委員会の委員の罷免要件につきましては、首長から独立した合議体委員会としての執行機関を設置しているという趣旨に鑑みまして、その構成員の身分保障という観点から、要件が限定されているわけでございます。

 このため、教育委員会の構成員となります新教育長の罷免要件につきましても、現行の教育委員や他の行政委員会の構成員と同様に、心身の故障の場合、あるいは、職務上の義務違反その他教育長たるにふさわしくない非行がある場合に限定することとしているわけでございます。

丹羽(秀)委員 教育長は、やはりこれまで以上にその職責にふさわしい人物が任命されるというようなことが非常に大事なことだと思っています。今回の改正案で、教育長の資格要件を教育委員と分けて、教育行政に識見を有するものとしておりますが、教育長は常勤の教育委員会の実務を執行することから、必要な資質と考えていますが、例えば、中身を知っている人ばかり選ぶことになると、行政経験者ばかりになるんじゃないかという指摘も、地方公聴会の中でもございました。

 そこで、文部科学省の方にお尋ねいたします。

 新教育長の資格要件として、教育行政に識見を有するものと規定されていますが、教育長が行政職員経験者ばかりになってしまうのではないかという思いがございますが、その点についていかがお考えでしょうか。

前川政府参考人 現行法におきましては、教育委員としての要件として、教育、学術、文化に関し識見を有するものという要件が法定されているわけでございますけれども、一般職としての教育長については何らの要件は定められていないわけでございます。

 改正案におきましては、教育行政の責任体制を明確化するという趣旨から、現行の教育委員長と事務局を統括する教育長を一本化した新たな教育長を設けるということになっているわけでございまして、そういった趣旨から、この教育長につきましては、教育委員とは別の要件を設けることとし、教育行政に識見があるものという要件を求めることとしたものでございます。

 この場合におきまして、教育行政に識見があるものとは、教育委員会事務局や教職員の出身者に限るという趣旨ではございませんでして、教育行政を行うに当たり必要な資質を備えていれば幅広く該当するものでございます。

丹羽(秀)委員 ちょっと話題を変えまして、今回の改正案と、最近の教育関係のトピックスについてお尋ねしたいと思います。全国学力テストでございます。

 先般行われましたことしの全国学力・学習状況調査ですが、その調査の結果の公表について、自治体によってそれぞればらつきがあるというふうに聞いております。

 そこで、文部科学省の方にお尋ねしたいと思いますが、この全国学力テストの結果の公表について、自治体の対応に差があるということにつきまして、文部科学省としてどのように考えていらっしゃいますでしょうか。

前川政府参考人 全国学力・学習状況調査は、保護者や地域住民の関心の高い学校教育の改善のために実施しているわけでございます。そのため、適切に説明責任を果たすということが重要でございます。一方、序列化や過度な競争による弊害が生じないようにするなど、教育上の効果や影響等に十分配慮することも一方で重要でございます。

 従来の全国学力・学習状況調査の結果の公表につきましては、文部科学省といたしまして、学校の結果を全て公表するということを禁ずるという措置をとっていたわけでございますけれども、二十六年度の実施要領におきましては、さきに述べました、この説明責任を果たすことが重要であるという観点、また、さまざまな効果、弊害、影響等についても配慮することが必要であるというこの二つの観点を踏まえまして、学校の結果の公表につきましては、学校の設置管理者であり、かつ調査の参加主体である、また、学校の結果に最終的な責任と域内の教育の状況に関する説明責任を有している市町村教育委員会、この市町村教育委員会が、地域の実情に応じて、基本的に判断するということに改めたものでございます。

 したがいまして、その判断が異なってくるということでばらつきが出るというのは、これは必然のことでございますが、文部科学省といたしましては、各教育委員会におきまして、教育上の効果や影響等を踏まえ、地域の実情に応じて、適切に説明責任を果たす方法を判断していただきたいと考えているところでございます。

丹羽(秀)委員 私の地元の選挙区のとある自治体が、かつて全国学力テストに参加しないということがございまして、首長と教育長の考えがそのときは一致してそういう方向になって、それで被害をこうむったというか、受けることができなかった子供たちもいるわけで、政治的な課題にすりかえられてしまうと、教育というものが子供たちにとって大きな政治の材料にされてしまって、被害を受ける子供たちがとても迷惑をこうむるということもございます。

 この学力テストの結果の公表について、首長からもその是非についてさまざまな御意見があるというふうに思っていますが、西川副大臣にお尋ねしたいと思います。

 今回の総合教育会議では、例えば学力テストについて申し上げますが、議論するように想定されているのでしょうか、また、結果の公表について、新制度では誰が判断するのか、お尋ねしたいと思います。

西川副大臣 先生おっしゃるように、本当に学力テストの問題に関しては、静岡県の例とか、いろいろな各地域で混乱を招いている現実があります。その中で、しっかりとこの辺は整理していかなければいけない問題だと思っておりますが、今回、改正後の地教行法第二十一条第十七号においては、「教育に係る調査及び基幹統計その他の統計に関すること。」の規定に基づきまして、教育委員会が行う職務であり、文部科学省が定める実施要領により教育委員会が結果の公表を行うものとしております。

 ただし、今回の調査結果の公表については、いわば総合教育会議で、予算を伴わない事項ではございますので、調整の対象にはなりませんが、自由な意見交換をする協議の対象にはなるということで、この総合教育会議において、民意の反映をした首長が自由に御自分の意見を述べるという場は設けられております。

 ただし、最終的な判断権限はやはり教育委員会に留保されておりまして、法改正後においても、全国学力・学習状況調査の事務が教育委員会の職務権限に属することは変わっておりません。

丹羽(秀)委員 ぜひ、責任の所在というのは、いじめ問題とかそればかりじゃなくて、さまざまな諸課題についてもどこが所管するというか責任があるのかというのは、文部科学省の方でもまたしっかりチェックをしていっていただきたいというふうに思っております。

 今度は、子ども・子育て支援制度についての質問に入らせていただきますが、早ければ、平成二十七年度から子ども・子育て支援制度がスタートいたします。

 子ども・子育て支援制度では、市町村や都道府県は、地域の実情に応じて、幼児期の学校教育、保育の一体的提供に関する体制や、その推進方法にかかわる事項を内容とする子ども・子育て支援事業計画を策定し、質の高い幼児教育、保育、地域子育て支援に計画的に取り組むという内容になっておりますが、この子ども・子育て支援制度につきまして、幼保連携型認定こども園は首長の所管となってまいります。教育の質の担保の観点から、教育委員会も積極的に関与すべきではないかと私は思いますが、いかがお考えでしょうか。

西川副大臣 御承知のように、今回、幼稚園と保育園を一緒にするという大変悩ましい大きな改革が始まったわけでございまして、早ければ、二十七年度から新子ども・子育て支援制度がスタートするわけでございます。

 その中で、幼保連携型認定こども園、これは学校教育及び保育を一体的に提供する施設でございますので、当然、首長が設置認可、指導監督を一体的に所管するということで、今回、教育委員会の関与というのは当然必要になってくると思っております。

 教育課程に関する基本的事項など、教育委員会の権限に属する事務と密接な関連を有するものでございまして、教育委員会の意見を聞かなければならないとされておりまして、学校教育の観点から、教育委員会が積極的に関与していくことが求められております。

 今回、学校教育を所管し、専門性を有する教育委員会が、この幼保連携型認定こども園における積極的関与ということで、教育の質の担保、今いろいろ、幼児教育の義務教育の議論なども行われておりますので、その中でしっかりと教育委員会がこの認定こども園に対しても関与していくべきだと思っております。

丹羽(秀)委員 大臣にぜひお尋ねしたいと思いますが、今回の法改正の中の総合教育会議に幼児教育、児童福祉、子育て支援の分野の有識者の方々にも参画していただいて、幼児期の教育、保育、子育て支援政策についても一体的にやはり議論することが大事だというふうに考えております。また、この議論の結果を市町村や都道府県の幼児教育、保育、子育て支援施策に反映させなきゃいけないというふうに思っておりますが、この辺は大臣のお考えはいかがでしょうか。

下村国務大臣 総合教育会議におきまして、地域の実情に応じた教育の振興を図るための重点的に講ずべき施策について、首長と教育委員会の連携、調整が必要なものについて協議、調整をするということとなっているわけであります。また、丹羽委員御指摘のとおり、平成二十七年度から施行される子ども・子育て支援新制度においては、幼児期の教育、保育、子育て支援について総合的に取り組むこととされており、首長と教育委員会とが積極的に連携することが求められております。

 このため、首長と教育委員会がともに参画する総合教育会議の場を活用して、有識者の御意見も取り入れながら、教育、保育、子育て支援の総合的な施策の方向性について御議論いただくことにより、子ども・子育て支援新制度の実施に際しての首長と教育委員会の連携がより一層進むものと期待をしております。

 文科省としては、こうした取り組みを通じて、地域の教育、保育、子育て支援、一体的な質の向上が図れるよう、都道府県、市町村の幼児教育に関する事務分担の特性に応じて、それぞれ取り組みに対して促してまいりたいと思います。

丹羽(秀)委員 ぜひ文部科学省が率先して取り組んでいただきたいというふうに思っております。

 ちょっと最後は質問にはなりませんけれども、先般、地方公聴会で宮城県の方にお伺いさせていただきまして、さまざまな有識者の方々から御意見を拝聴したところでございますが、今回のこの教育委員会制度改革について、今、文部科学省、下村大臣は特に土曜授業というのを非常に率先的に進めておられまして、地方自治体の教育の方々に対しては非常に勇気づけられるという話も聞いております。

 ぜひ、今回のこの法が変わることによって、この土曜授業がさらに前に行くように、また大臣の率先力を心からお願いいたしまして、時間も参りましたので、私の質疑を終了させていただきたいと思います。

 ありがとうございました。

小渕委員長 次に、中野洋昌君。

中野委員 公明党の中野洋昌でございます。

 この地教行法の改正につきましては二回目の質問でございますけれども、通告に従いまして質問をさせていただきます。一部重複する部分もあるかと思いますが、どうかよろしくお願い申し上げます。

 さて、地方公聴会に今週行ってまいりました。私は仙台の方に行ってまいりましたけれども、意見陳述人の皆様からさまざまな現場からの声ということでお伺いをいたしまして、本日はそれも踏まえながら質問をさせていただきたい、このように思いますので、よろしくお願いいたします。

 私が地方公聴会で一つ非常に大事な視点だなというふうに思いました論点が、一つは、教育委員会の改革というのは、制度の部分もあるけれども運用の部分もある、制度と運用、この二つの観点がある、こういうお話が出まして、これは東北大学の青木准教授がおっしゃられておられましたけれども、確かにそうだなというふうに思いました。

 教育委員会の議論が形骸化をずっとしているという論点は、長らくいろいろな指摘をされてきまして、これは制度上の問題ももちろんあるというふうに思いますけれども、運用面で改善できる部分ももちろんある、こういうことだというふうに思います。

 今回、新しい制度、これから制度設計して、今、法案審議をしておりますので、この制度をどうつくり込んでいくかというのが非常に肝ではあるとは思うんですけれども、つくった制度を、では、どのように、どういう方向性で運用していくかという観点もあわせて審議をしていく、この視点がなければ、やはり、箱というか形はつくったけれども実際に使う人の魂がこもらないというか、こういう部分で運用の議論をするというのも私は非常に大事だというふうに思いました。

 今回、総合教育会議が新設をされるということになりまして、首長の部局と教育委員会の意見交換が非常にスムーズにいく、これが非常にいい効果を生むんじゃないか、こういう指摘もるる出ておりましたけれども、他方、運用の仕方を間違えるとやはり弊害も出てきてしまうんじゃないか、こういう御指摘もございました。

 例えば、仙台市長、奥山市長からも、基本的には、そういう総合教育会議で何でもかんでも自分の意見を押しつけてしまうような、そういう首長さんというのは余りいらっしゃらないとは思うけれどもという前置きでしたけれども、やはり制度上はそういうことも可能になってくるんじゃないか、そういう話題も出まして、総合教育会議、どのように議論をするのか、こういう話し合いのルールをあらかじめある程度決めておかないとやはり混乱する場合もあるんじゃないかな、こういう意見もございました。

 では、具体的にどういうことなんですか、こういう質問を私はしましたけれども、例えば、個別の人事の問題であるとか、あるいは具体的な教育の内容に踏み込む部分であるとか、政治的中立性に特に配慮しないといけない点、こういう点は総合教育会議では取り上げないとか、そういうことをおっしゃられておられましたけれども、会議の運用のある程度のアウトラインというか、こういうものをしっかりと示しておく、これがやはり大事だなと改めて痛感をいたしました。

 私は前回、総合教育会議をどのように運用するのかということを、質問を今までしてまいりました。例えば、総合教育会議で話し合う大綱というのはどういうイメージのものなのか、あるいはここで協議をする対象としてはどういうことが想定されていて、どういうものについては協議対象としては適切でないのかですとか、あるいは協議が調わなかった場合にどのように対応するのかですとか。

 要は、総合教育会議というのは首長が教育の中身に過度の介入をするものじゃないんだ、何でもしていいわけじゃないんだよ、こういうことだと思うんですけれども、今まで私が質問してきたようなこういう総合教育会議の運用に当たっての一定の考え方、これは、施行に当たって、やはり施行通知ですとかさまざまな形で示していくべきではないか、このように考えますけれども、文部科学省の御意見を伺います。

前川政府参考人 新制度におきます大綱のイメージでありますとか、総合教育会議における協議の対象として適切ではないと考えられる事項でありますとか、また協議、調整が整わなかった場合の考え方など、改正案の内容やその運用のあり方につきましては、この国会の審議の中で慎重に議論され、私どもの答弁の中でも確認が行われてきたところでございます。

 こうした重要な事項につきましては、法案が成立した場合には、施行通知でありますとか各種説明会等を通じまして、丁寧に周知してまいりたいと考えているところでございます。

中野委員 しっかりと周知をお願いしていただきたいというふうに思います。

 続きまして、先ほど議論にも出た教育委員会の活性化、これについても質問をさせていただきたいというふうに思います。

 この教育委員会の活性化は、制度をどう変えていくかという議論もありますけれども、教育長や委員をどのように人選するのか、どういう人を選ぶのかというところがやはり大事になってくるというふうに思います。

 今回、教育長の権限も大変に大きくなるものでございまして、この任命が非常に重要であります。具体的にどういう人を任命するのかというのは、条文の第四条第一項に、「人格が高潔で、教育行政に関し識見を有するもの」、こういう条文はございますけれども、地方公聴会でも、具体的にどういう人が、どういう素質を持った人がいいのかというのはやはり話題には上ったわけでございます。これは、国として具体的にどのような人を想定しているのかというのをお示しいただきたいと思います。

 また、教育委員について、今回、教育長はかなり大きな力になりますので、教育委員の方でも、教育長の議論を中でしっかりとチェックしていく、こういうことも大変大事だというふうに思いますけれども、委員については、特に今回、条文は変更はありません。「人格が高潔で、教育、学術及び文化に関し識見を有する」、こういうもので、特に法律上は変更はないですけれども、今回、新しい制度を行うに当たって、教育委員についてもどういう方を任命することが望まれるのか、こういうことについても御意見をいただきたいというふうに思います。

前川政府参考人 改正案におきましては、教育行政の責任体制を明確化する趣旨から、現行の教育委員長と事務局を統括する教育長を一本化した新たな教育長を設けるわけでございますが、その職責に鑑みまして、教育委員の任命の要件とは別に、教育行政に識見があるものという内容の要件を立てたものでございます。

 この場合におきまして、教育行政に識見があるものとは、教育委員会事務局でありますとか、あるいは教職員の出身者だけではなくて、教育行政を行うに当たりまして必要な資質を備えていれば幅広く該当するものと考えております。

 また、教育委員につきましては、その資格要件は本法案では変更していないわけでございますけれども、単に一般的な識見があるというだけではなく、教育に対する深い関心や熱意が求められるところでございまして、例えばでございますが、コミュニティースクール等の関係者を選任したり、教育に関する高度な知見を有する研究者を含めるなど、幅広い人材を得ることが必要であるというふうに考えております。

中野委員 やはり、具体的に、教育委員会制度がうまく機能するためには人選というのが非常に大事だというふうに思います。ここの運用をしっかりやっていっていただきたい、このようにお願いを申し上げます。

 公聴会でまた出た意見として、先ほども少し丹羽先生の御議論でも出ましたけれども、教育委員会の制度を活性化するときに、大きな自治体と小さな自治体、要は現場の実情が全然違うんだ、こういうお話もございました。

 例えば、これは教育委員会の事務局の体制もそうですし、あるいは教育委員の数もそうです。先ほどもお話が出ましたけれども、原則としては、委員の数というのは、教育長及び委員四名。五名以上という場合ももちろんあります。ただ、例外としては、教育長及び委員二名という三名体制でやっているところもございまして、やはり、教育委員会の中で教育長の力が非常に強くなる、ここをしっかりチェックしていく、こういう議論もある中で、委員が二名しかいない自治体というのは、教育委員会の全体の制度として議論を活性化するという意味でも、委員の数というのは原則の教育長プラス四人、こういう形が望ましいのではないかな、私は今回このように思います。なるべくそのようになるようにしっかりと運用していっていただきたい、こう思いますけれども、文部科学省の見解を伺います。

前川政府参考人 現行制度におきましても、小さい町村の場合、教育委員は三人以上でよいということになっているわけでございますが、平成二十三年度の地方教育行政調査によりますと、現行制度におきまして、委員の定数が三人の町村の数、これが全体千八百三十一市町村のうち二十五、また、四人の町村の数が二十一となっているわけでございます。

 町村につきましては、例外的に、教育長を含め三人以上で構成するということができるという形で改正案においても位置づけておるわけでございますけれども、原則は五人であるということでございます。

 また、当該市町村の条例におきまして、五人を超える数の教育委員を置くということも可能でございます。現在、現に、七人以上の教育委員による教育委員会の構成になっているものが八市町村ございます。

 多様な地域の民意を反映するとともに、新教育長のチェック機能を果たすという観点からも、教育委員会はなるべく五人以上で構成されるということが望ましいと考えておりまして、各地方公共団体においてそのような運用を目指して努力していただくように指導してまいりたいと考えております。

中野委員 しっかりと対応していっていただければというふうに思います。

 同様に、教育委員会の事務局の体制というのも同じ議論がございまして、やはり全体の職員の数が少ないので、非常に事務局の体制も少ない。教育委員会を活性化させる議論をしていく下準備というのもなかなか大変だ、こういうことでございますけれども、小規模な地方自治体を中心に、新しい教育委員会制度がしっかりと機能するように応援をしていくべきだ、私はこのように思いますけれども、いかがでございましょうか。

前川政府参考人 平成二十三年度の地方教育行政調査によりますと、平成二十三年五月一日時点で、教育委員会事務局の職員の数が十人以下という市町村が四百九十三ございます。また、指導主事が置かれていない市町村は六百二十五あるという数字でございます。このような市町村では、事務体制が脆弱であるために、学校指導などが十分行き届いていないということが課題になっております。

 今年度の地方財政措置におきましては、都道府県教育委員会における指導主事の地方交付税措置といたしまして、六名分の増員を行う、十五人から二十一人にするということといたしまして、都道府県教育委員会による市町村教育委員会に対する支援の強化を通じて、市町村教育委員会の学校指導体制の充実を図ろうとしているところでございます。

 文部科学省といたしましては、地方財政措置の活用の促進でありますとか、市町村教育委員会に対する必要な助言や情報提供等を通じまして、小規模な市町村における体制の強化を引き続き図ってまいりたいと考えております。

中野委員 ここは、非常に大きな自治体もございますが、小さなところも非常に大事でございますので、しっかりと支援していただきたいと思います。

 これも先ほど出た議論ではございますけれども、今回、教育委員会制度活性化ということで、委員の方からも開催を請求ができる、こういう条文を、新たに十四条第二項を入れさせていただきました。ただ、他方、実際の運用がこれも少し心配なこともございまして、例えば大津のいじめの事例などでございますと、実際にいろいろなことがあって教育委員会で議論をしようとしても、委員に全く情報が行っていない、大変に対応ができない、こういうこともあるわけでございます。

 この条文の中では、請求があれば遅滞なく開催をする、こういうことではございますけれども、やはり緊急時の対応をしっかりやっていく等々、こういう観点から見ても、ここの部分の運用が、速やかに開催ができるようにしっかりと対応していただきたいというふうに思いますけれども、いかがでございましょうか。

前川政府参考人 御指摘のとおり、改正案第十四条第二項におきましては、「教育長は、委員の定数の三分の一以上の委員から会議に付議すべき事件を示して会議の招集を請求された場合には、遅滞なく、これを招集しなければならない。」と規定されているところでございます。

 この場合、教育長は遅滞なく会議を招集しなければならないわけでございますけれども、この遅滞なくというのは、時間的即時性が要求されるということでございまして、直ちにという表現とはちょっと異なりまして、一切の遅延が許されないというわけではなく、正当または合理的な理由による遅延というものはあり得るということでございます。

 一般的に、遅滞なく招集するという場合、私どもが考えておりますのは、少なくとも次の定例の会議の開催日よりも早い時期に開催するということを想定しているところでございます。法案が成立した場合には、こうした趣旨が徹底されるよう、施行通知や説明会等において周知してまいりたいと考えております。

中野委員 最後に、大臣にお伺いをしたいと思いますけれども、今回の地方公聴会でも、各学校の現場の声が教育委員会に行って、そして首長の部局としっかり連携を図ることでいろいろな課題が解決をできる、こういうお声がございました。しかし、実際にいじめの現場で対応をされていた、例えば有見石巻専修大教授が来られておられましたけれども、常日ごろから教育委員会は校長会などを開かれておられて、こういう事例がある、こういうことが今課題だということを教育委員会と常にやりとりをされていて、首長部局とも連携をとって、これが非常にいろいろな課題の未然防止に役立った、このようなお話をされておられました。

 今回、教育委員会制度改革の議論の中でも、いじめ問題への対応、こういう議論もあったわけでございますけれども、やはり私は、課題は現場で起きているし、それを解決する知恵も現場にある、常に意思疎通がしっかり図られている体制をつくっていくことが何よりも未然防止につながる、このように思います。

 今回、総合教育会議で首長と教育委員会の連携が図られるわけですけれども、学校現場と教育委員会もしっかり連携をとっていくような、こういう徹底というのをやはり改めてやっていただいて、そうして現場の課題が、いつも教育委員会また関係の部局とスムーズに連携がとれて、いろいろな課題が未然に解決をできるような、そういう制度を目指してこれから運用していっていただきたい、こう思いますけれども、最後に大臣の御見解を伺いたいというふうに思います。

下村国務大臣 おっしゃるとおりだというふうに思います。

 教育行政を適切に進めていくためには、教育委員会で決定される方針が学校現場に適切に伝わると同時に、学校現場の声が適切に教育委員会に伝わることが重要であるというふうに思います。そのためには、この制度設計が国会で成立をさせていただいたら、教育委員会の委員の方々は、できるだけ学校現場に積極的に足を運んで生の声を把握するということを、ぜひこれをきっかけにやっていただきたいというふうに思います。

 また、さらに、緊急時には迅速に会議を開いて方針を共有するなどの方策も今度は考えられる、総合教育会議等で行われるということでありますので、学校現場と教育委員会との間でより一層緊密な連携が図れるように、文部科学省としても指導してまいりたいと思います。

 また、今回の改正で、総合教育会議においても関係者または学識経験を有する者から意見を聞くことができるということになっておりますので、現場の関係者からの意見も総合教育会議等で聞くような機会もぜひ自治体としては考えていただきたいと思います。

中野委員 以上で終わります。ありがとうございました。

小渕委員長 次に、吉田泉君。

吉田委員 民主党の吉田泉です。

 私からも、地方教育行政法の改正案に関連して質問をいたします。

 この法律は、平成に入って既に四回改正がなされました。今回は、大津市のいじめ事件をきっかけとして、さらに抜本的な改正をしよう、こういう趣旨だと思いますが、これは本当に抜本的な改正になるのかどうか、そういう視点から質問をしたいと思います。

 まず、責任、権限の所在の一本化の問題です。

 現行制度では、教育委員会が教育行政を担う、一方で首長が予算の編成権を持つ、こういう構造になっているわけですよね。首長の方から見ると、予算の権限はあるんですが、教育行政の執行権はないわけですから、学校でどういう問題が起こっているのかという情報が日常的に首長のサイドに来るという仕組みにはなっていないということだと思います。要するに、教育行政における権限と責任が、首長、教育委員会、この二者の間に分散しているというふうに言わざるを得ないと思います。

 当事者であった大津市長さんも、中教審の場だったと思いますが、大津市の中で教育委員会と市長の権限が分かれているというところが一番の問題であったという発言がなされたと聞いております。

 そこでまずお伺いしますが、この二つ、両者に権限と責任が分散されているという状態は、今回の改正でどのように改善されるんでしょうか。

下村国務大臣 改正案では、教育委員長と教育長を一本化した新教育長を置くことにより、教育委員会における責任の所在が不明確であるという従来の課題が解消し、教育行政の第一義的な責任者が新教育長であることが明確になると考えております。

 一方、新教育長の任命責任については首長が直接負うこととすることによりまして、首長が任命した教育委員の中から教育委員会が教育長を任命するという従来の制度における任命責任の曖昧さが解消されるということにもなってまいります。

 また、教育行政における首長の役割については、総合教育会議を通じて連帯して教育行政に責任を負う仕組みが整うということになりますので、その役割が明確になるものと考えます。

吉田委員 大臣、ちょっと確認ですが、今、総合教育会議というお話がございましたが、これからも、教育行政の執行権は変わらずに教育委員会にあり続けるわけですよね。一方で、総合教育会議というのができて、教育の大綱というものを首長が主導的に関与してつくっていく。つまり、教育に対する首長の関与が強まってくるということだと思うんですが、片一方で、執行権は相変わらず教育委員会にあり続ける。要するに、どちらが責任者なのか、どちらかに一本化するのではないのかという問題が一番重要だと思うんですが、かえって、総合教育会議等を首長が主導することによって、何か、本来一本化すべき責任の所在がさらに分散、不明確、中途半端というような感じも感じるんですが、いかがでしょうか。

下村国務大臣 改正案の地教行法第二十一条に規定する教育に関する事務については教育委員会の権限であり、教育に関する予算の執行等については首長の権限である。法律上、首長と教育委員会の権限と責任は、そういうふうに明確に分かれているわけであります。

 その上で、教育行政に民意を反映するとともに、首長が連帯して責任を果たせる体制を構築するために、首長が大綱を策定するとしたものでありまして、権限を明確化するということで一本化ということであれば、民主党、維新の会の案の方がより権限が一本化してわかりやすいのではないかということでありますが、それはそのとおりでありますが、しかし、その場合には、政治的中立性や継続性、安定性がどう担保されるのかという、そういうリスクの問題があるわけでありまして、そういう意味で、トータル的なバランスをとりながら、しかし、それぞれの責任と権限の所在については明確化しているということであります。

吉田委員 トータルのバランスをとりながらという今御発言ですが、結果として、何か一番大事なポイントがややぼけてしまったのではないかというふうに感じたところでございますが、ちょっと見解の相違だと思います。

 先ほど大臣も触れられましたけれども、今回の改正案の目玉の一つが、教育長と教育委員長を一本化する、こういうことであります。

 現行の教育委員会ですと、委員長初め教育委員は非常勤ですよね。教育長が常勤だということですから、これはどうしても必然的に、この実質的な権限は教育長の方に今までもあったということです。今回、教育委員長という人をなくす、教育長に一本化するということは、その今までの現実をいわば法律上追認するというふうな言い方もできるんじゃないかというふうに思います。

 今までの仕組みだと、どうしても教育委員の形骸化というのがある、これは私もそう思います。それは確かにそのとおりだと思いますが、だからといって、それによって教育行政の執行に何か実質的な支障が生じていたのか。私は、それほどじゃないと思うんです。つまり、教育長が実質的に仕切ってきたわけですからね。

 と思うんですが、今回、一本化されるということで、教育委員会の機能が今まで以上に何か改善されるのかというところをちょっとお伺いしたいと思います。

西川副大臣 先生がおっしゃったように、今までの中でも機能しているじゃないかという面がなくはないと思います。その中で、やはり、教育長さんと、非常勤の教育委員長さんが主宰権も持っているということで、その最終責任体制が不明瞭だったということは明らかになってきたと思っておりますので、今回、改正案で、現行の教育長と教育委員長を一本化した新教育長が教育委員会を主宰するということで、責任体制を明確化しております。

 そして、やはり、非常勤ということで、どうしても情報がなかなか集まらない、そういうこともあったわけでございますから、新教育長が第一義的な会議も主宰し、第一義的な責任者であるということを明確にしたということは大きな改革だと私は思っております。

 そして、常勤の新教育長が会議を招集すべき時期あるいは議題など、例えばいじめ問題その他で適宜適切に素早く対応できる、そういうこともありまして、教育委員さんへの情報の提供その他も素早く適切に行う、そういうことが可能になると思っております。

吉田委員 結局、政府案ですと、教育委員会が合議制の執行機関として存続し続けるということになるわけですが、なぜそうするのかというときに、先ほど大臣もお触れになったと思いますが、政治的中立性を担保せねばならないと。教育という部門を首長の直轄にしちゃうと政治的中立性に危惧がある、こういう議論なんだろうと思います。

 確かに、戦後長い間、例えば学校における日の丸・君が代の問題等、右の人、左の人、両方から非常に強い意見が出されて、教育の中立性というのが一体大丈夫なのかという問題はあったと思いますが、これも、十年ほど前に法律ができて、最高裁の判決も出て、私は大分全国的に正常化されたというふうに思います。

 それから、教科書という問題もいろいろありますが、一応、検定という制度が機能しているわけですから、検定済みの教科書ならどれを採用しても政治的中立性が心配だということはない、中立性は保障されているというふうに思います。

 そんなことを考えると、政治的中立性ということが非常に問題だとされておりますが、今後、一体この問題でどういう事態が危惧されるのか、そして、そのような事態が起こったときに、例えば首長ですと選挙の洗礼というのもありますし議会のチェックというのもあるわけですが、そういうことで乗り越えられないのか、どうしても教育委員会という制度にこだわらなくちゃいかぬのかというあたりを、御見解を伺いたいと思います。

下村国務大臣 非常に重要なことだというふうに思います。

 教育の政治的中立性とは、教育基本法第十四条第二項が、「法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。」と規定しているなど、多数の者に対して強い影響力を持ち得る教育に、一党一派に偏した政治的主義主張が持ち込まれてはならないことを意味するものであるというふうに理解をしております。

 具体的には、一つは教育内容に関する政治的な中立性、それから、二つ目には人事における政治的中立性、そして、三つ目には日々の教育活動に関する政治的中立性がやはり求められるというふうに思います。

 議会の議員の所属政党が、構成、それぞれさまざまであるわけでありまして、議会が必ずしもそういう観点からの政治的中立性とは言えないということで、議会によって政治的中立性を確保するということにはならないというふうに考えます。

 また、教育は、人格形成の途上にある児童生徒に対して重大な影響を与えるものでありまして、もし誤った教育が行われるということであれば、これは取り返しがつかないことになることから、例えば、首長がもしそういう政治的中立性を侵すようなことがあったとしたら、その後、選挙によって事後チェックすればいいじゃないかとか、それから、野党の方で提案されている教育監査委員会でありますけれども、これもやはり事後的な評価、監視、勧告になってしまいますので、いずれもこれでは適切な対応はできないのではないかというふうに考えます。

吉田委員 もし大変偏った教育内容が首長の指示でなされるというようなことですと、これは今大臣もおっしゃいましたけれども、やはり次の選挙で手痛い目に遭うと。ちょっと今そこの見解が分かれるところですが、そういうことでいけるんじゃないかなと思います。

 いずれにしても、この政治的中立性という言葉が実は思考停止を招くマジックワードになっているという指摘もあって、私もそこをちょっと危惧しているところでございます。

 それから次ですけれども、教育委員会については、長年やってきたわけですが、制度疲労がある、建前と現実がもう乖離している、こういう批判があるわけです。

 それで、中教審の答申でも、教育委員会は執行機関をやめて附属機関に切りかえるという案がA案として出されたりしました。全国市長会は、選択制にしたらどうだという提言もされました。我々の民主、維新案では、これはもうやめて、教育監査委員会として監査に徹したらどうだ、こういうことになっているわけです。

 仙台の地方公聴会では、三人の陳述人の方、どちらかというと、皆さん、今の教育委員会の存続、政府案に賛成だという方ばかりでした。ただ、その理由として、余り急激な変更は望ましくない、継続性が大事だ、漸進主義といいますか、ゆっくり一歩一歩行くんだ、そういう配慮も必要なんだというような指摘もありました。

 それはそれとして、ここでお尋ねしたいのは将来です。長期的に、日本の地方の教育行政というのは、やはり独立委員会方式でやるべきなのか、いやいや、長期的には首長の方に、何らかの歯どめは必要ですが、だんだん、他の行政分野と同じく、一般の首長部局に教育も移していくべきなのか、長い目で見た見解をお伺いしたいと思います。

下村国務大臣 まず、今回の改正案は、教育の政治的中立性、継続性、安定性の確保に留意し、教育委員会を引き続き執行機関としつつ、総合教育会議の設置や大綱の策定を通じて、首長が教育行政に連帯して責任を負う体制を構築するものであり、政府としては、バランスのとれたベストな案を考えて国会に提出をさせていただいているというふうに思っております。

 ただ、吉田委員がおっしゃるとおり、今後、教育委員会制度についても、必ずしも、これは制度ですから、制度においてはやはり、この制度にすることによって全てがうまくいくということはないわけで、いろいろとプラス面も出てくれば課題も出てくるかというふうに思います。

 また、すぐれた首長が選ばれるようなシステムがさらに地方住民の方々によって意識されればされるほど、やはりすぐれたリーダーを選ぶということが、教育改革を促進させるという意味ではプラスにさらに働くということは十分考えられるわけでありますから、そういう場合に教育委員会制度が逆に足かせになるということであれば、これは、教育委員会制度のあり方そのものを廃止するとか見直すということは将来的にはあり得る話かもしれませんが、ただ、そのときには、やはり政治的中立性とか継続性とか安定性も担保しながら、首長の権限を、よりリーダーシップをとれるような形とはどうなのかという課題は残ると思います。

 まずは今国会においてはこの政府案についてぜひ成立をお願いしたいと思いますが、その先については、いろいろな状況の中、的確に、それぞれその時々判断すべきものでもあるのではないかというふうには思います。

吉田委員 政府案について何点かお聞きしましたが、私は、この政府案というのは、いろいろな議論を積み重ねているうちにだんだん複雑になって、そもそも一番の問題であった責任体制の明確化という課題から少しずれてしまった、そんな危惧を持っておるところでございます。

 ちょっと一問飛ばして、次に、私立の学校の問題をお願いしたいと思います。

 今回は大津市立中学校の事件がきっかけ、そしてそれに対する教育委員会の対応という問題がスタートだったわけですが、私立の小学校、中学校、これは大都会を中心にたくさんあると思うんですが、これは市町村の教育委員会が管轄するところではないわけですよね。県の知事部局の方で管轄しているということであります。

 そこで、文科省として、私立の小学校、中学校等においていじめの実態をどのように捉えていて、公立と並んで私立にどのような対応を今しているのか、それをお伺いします。

前川政府参考人 私立の小中学校におけるいじめの実態についてでございますが、平成二十四年度のいじめの認知件数を見ますと、公立の小学校十一万六千二百五十八件に対しまして私立の小学校六百十八件、公立の中学校六万九百三十一件に対しまして私立の中学校が二千三百十六件となっております。

 しかしながら、総学校数が異なることを踏まえまして、いじめを認知した学校の割合で見ますと、公立小学校では五二・二%に対しまして私立小学校が四七・七%、公立の中学校ですと七一・八%、これに対しまして私立の中学校は五九・八%となっております。

 また、一校当たりの認知件数を見ますと、公立小学校五・五件に対しまして私立小学校二・八件、公立中学校六・二件に対しまして私立中学校三・〇件となっているわけでございます。一校当たりの認知件数の差につきましては、学校規模などとも関連するデータでございますので、公立、私立を一概に比較することは難しいと考えております。

 私立小中学校におけるいじめ事案の対応につきましては、事案のあった私立学校及びその設置者である学校法人が第一義的な責任を持つものでございます。その私立の小中高等学校につきましては、行政機関といたしましては都道府県知事がこれを所轄していることから、文部科学省が発出いたしますいじめに関する調査あるいは指導の通知などにつきましても、知事部局から所管の私立学校に対し連絡や周知を行っているわけでございます。

 先般国会で成立していただきましたいじめ防止対策推進法におきましては、私立学校は、公立学校と同様に、学校いじめ防止基本方針を策定し、いじめ防止等の対策のための組織を設置することが義務づけられております。

 また、重大事態が発生した場合におきましては、学校または学校法人は、所管の都道府県知事に報告するとともに、組織を設置してその調査を行わなければならないこととされております。また、都道府県知事は、必要があると認めるときは、この調査について改めて再調査をすることができるという規定が設けられているわけでございます。

 なお、都道府県知事は、必ずしも学校教育についての指導について専門性を持っているわけではございませんので、私立学校に関する事務を管理、執行するに当たり、必要に応じ、教育委員会に対し、学校教育に関する専門的事項について助言または援助を求めることができるという規定、これは平成十九年の改正で設けられた規定でございますが、こういった規定もございます。

 財政支援につきましては、私学助成において、基盤的経費に対する支援の一部として、教育相談体制を整備する組織に対しまして、取り組みに対しまして、特別補助の支援を行っております。

 引き続き、公立、私立を通じまして、全ての学校でいじめの問題への対応が適切に行われるように努めてまいりたいと考えております。

吉田委員 もう時間ですので最後の質問にしたいと思いますが、私、渡部昇一教授の「国民の教育」という本を愛読しているものでございます。その本で渡部先生が言っているのは、今、非常に公立学校全盛だと。その中で、逃げ場がないというのが学校のいじめを深刻化させているんだ、さっさと転校できるような仕組みにした方がいい、そのためには、例えば塾を正式な教育機関として公認したらどうだ、こういう提案をされているわけでございます。

 確かに、昔は「窓ぎわのトットちゃん」のような学校も実は学校として認められていたということでございます。そういった学校、私立のいろいろなタイプの学校がふえると、教育委員会のあり方も必然的に変わらざるを得ないということもありますが、私は、公の学校、私立の学校、非常に多様化するという方向に何かこれからの大きな可能性を感じるわけでございますが、それについての大臣の見解をお伺いします。

下村国務大臣 私も渡部昇一先生の「国民の教育」、相当分厚い本ですけれども、読ませていただいて、相当共感する部分が、ほとんど共感する部分がありました。

 今、吉田委員の御指摘の点も、私もそのとおりだというふうに思っております。今までの学校の役割が、近代工業化社会を支えるための画一、均一的な教育に、やはり今の時代から考えると偏しているという部分があると思いますから、時代状況に応じて柔軟に対応することによって、そういう視点からの子供の発達状況やいろいろな、今発達障害児もふえている中、それぞれの子供に合った教育のあり方、そのための柔軟な学校教育のあり方、もちろん学習指導要領を守るとか国の一定基準は確保するということが前提でありますが、いろいろな柔軟な対応を考えるべき時代に来ているというふうに思います。

吉田委員 ありがとうございました。終わります。

小渕委員長 次に、田沼隆志君。

田沼委員 日本維新の会の田沼隆志でございます。

 大臣、また、どうぞきょうもよろしくお願いします。

 私、先週の四月十五日に代表質問でいろいろ質疑をさせていただきましたけれども、政府案それから野党案、両案についていろいろな論点が積み残っていると思いますので、私、一番初めに質問したときに信頼する大臣と申し上げましたけれども、その思い、尊敬の念を持ちつつも、ぜひいい議論をしていきたいというふうに思います。

 やはり私が先週のときの議論でも非常にこだわったのが、教育長の解職についてであります。

 まず政府案ですけれども、現行の地教行法と同じく、特別の変更というのは、解職に関して、罷免に関しては変更はございません。条文で言うと七条かと思うんですけれども、心身の故障のため職務遂行にたえない場合ですとか職務上の義務違反ですとか、あるいは委員たるに適しない非行があると認められる場合というときに、議会の同意を得て罷免することができるという規定になっておりますけれども、これはこのままなわけですね。

 となると、今回の政府案では非常に教育長の役割が大きくなるわけでありますけれども、教育委員長ともとの教育長が統合してということでございますけれども、この新教育長が実績を上げられない場合ということもあろうと思います。評価という仕組みがきちんとなされてあるわけでもありませんので、実績が上げられなかった場合に、評価なり、本来的には罷免も最終的にはあると思うんですが、そういう規定が見当たりませんし、実績が上げられなかった場合の対応というのがわかりません。

 これに関して大臣の御見解をお尋ねします。

下村国務大臣 地方公共団体に置かれているさまざまな行政委員会の委員の罷免要件については、首長から独立した委員会を設置した趣旨に鑑み、身分保障という観点から、要件がこれは限定されております。

 このため、教育委員会の構成員となった新教育長の罷免要件についても、現行の教育委員や他の行政委員会と同様、心身の故障の場合や職務上の義務違反その他教育長たるにふさわしくない非行がある場合に限定しているということであります。

 なお、今回の改正によりまして教育長は、首長が議会同意を得て直接任命するというふうに変えたということから、首長においてはその任命責任を果たす必要があるとともに、議会においても、教育長の資質能力をより丁寧にチェックすることが期待されるところであります。

田沼委員 大臣はよく御存じの方なので。直接任命できるようになったとはいえ、今までも、実態的には、教育委員さんの中でこの人こそが教育長だというのはもう当て込んで選任をされていたわけで、それは、直接首長が任命するという意味では前進かもしれませんけれども、実態としては余り変わりはないと思います。

 あと、独立した行政委員会の趣旨に鑑みて、身分保障をしている。そのことは後でお聞きしたいんですけれども、やはりちょっとそれだとわからないのは、大綱への尊重義務が今回の与党案だとあります。これも、尊重をするものだとあるんですけれども、尊重をしなかった場合はまずどうなるのか。そもそも、尊重をしなかったと誰が判断をして、それは首長なんだと思うんですけれども、尊重をしなかった場合にはやはり、罷免あるいは解職、最低限でも処分、何らかの尊重をしなかった場合への対応というのが同時にセットされないと、尊重をするものとするとあっても実態的に変わらない可能性が非常に高いと感じるんですが、大臣、御見解をお尋ねします。

下村国務大臣 今回の改正案は、総合教育会議を設けたということも一つのポイントなわけです。その中で、首長もそれから教育委員会も執行委員会として、そして教育委員会は、今までの執行委員会と同じ形を存続するということであります。その教育委員会における第一義責任者は教育長であるという位置づけでありまして、つまり、今までの教育委員会の執行機関としての機能は変わらないわけであります。

 その中で、総合教育会議を開いて、それは首長の主宰によって総合教育会議を開くわけでありますが、そこで協議をして、調整が整った部分についてはこれは行う。しかし、調整が整わなかった場合の尊重義務ということでの御質問でありますが、これは執行機関が二つに分かれているわけですから、これは、教育委員会の代表たる教育長がその執行委員会の責任者として判断するということであります。

 しかし、総合教育会議を設けたというのは、当然、首長と今後のそこの自治体における教育行政については、やはり一体となってやっていくということが前提の中での総合教育会議ですから尊重するということでありますが、権限としては、法律上は、これは執行機関である教育長がその分野における第一義的責任はあるということですが、それはやはり、全く無視するということにはもちろんならないというふうに思います。

田沼委員 御丁寧に御答弁いただきましたけれども、やはりちょっとわからないんです。

 最後に、全く無視することにはならないと思いますという御答弁にお聞きしましたけれども、思いますじゃやはりいけないと思うんです。それはやはり、尊重されなかったときの何らかの対処策、対応規定というのがきちんとないと、それは性善説に聞こえるんです。

 大臣の御答弁の中で一番の核心は、恐らく、総理も言われていましたが、首長と教育行政が、教育委員会ですね、連帯して責任を果たす、執行機関が二つあるのがそれぞれが一体として立っていることが前提だと。これも、願望としてはそうです。一体でありたい、あってほしい。けれども、そうじゃないことも十分考えられるわけで、今回の地教行法の改正も、大津の事件なども一つのきっかけですけれども、あのときはやはり越市長はちゃんと対応したかったけれども、教育委員会がちゃんと対応してくれなかったという問題意識があったから、今回、地教行法の改正に一つなっていると思うんです。

 つまり、一体が必ずしも前提になるとは私は思えないんです。だから、一体が前提ですという御答弁をいただいても、いや、だから一体が前提じゃないでしょうというのが私の問いかけであって、そこの部分がどうしてもちょっとわからないんです。

 首長が暴走をすることも、もちろんないことも多いと思いますけれども、祈りますけれども、残念ながら可能性はやはりあるわけで、そのときに、首長と教育長、どっちが上なんだ、総合教育会議できちんと協議、調整して連帯して責任を果たすというのはいいんですけれども、最終的にどうなんだというのがやはりないと、それはやはり人事権に帰結すると私は思います。

 ですので、その規定がないというのはちょっと性善説に過ぎるのではないかというふうにどうしても思えるわけですけれども、大臣、御見解。

下村国務大臣 これは規定はあるんです。先ほどの思いますというのは、私の個人的な思いを申し上げたわけじゃなくて、尊重するというのはそういう意味だということで申し上げたわけです。

 それから、今御指摘のような、いじめ等における緊急事態における総合教育会議等において、これは、首長と教育長が意見を異にするということは基本的にはあり得ない事項だと思います。

 ただ、その尊重という中では、特に政治的な中立性、そういう分野においては、これは、首長の暴走かもしれないということについて教育長が適切な判断をするという意味で、執行機関としては、それはそれぞれ二つに役割分担が明確化されているわけですから、教育委員会における執行機関としての権限については、最終的には教育長が判断するということは、これは、その尊重するという意味では、やはり政治的な中立性とかそういう視点におけるところであって、基本的に、いじめ問題とかそういう問題については、これは当然、首長や教育長が一緒になって対処するということが前提の話だと思います。

田沼委員 いや、政治的中立性の議論は今はしていないつもりでして、というのは、政治的中立性を鑑みて大綱を策定して、その大綱を策定した後は教育行政は教育長がなさるということですから、政治的中立性を担保するために解職規定はない、罷免規定は今までどおりというのは、やはりちょっとおかしいと思うんです。

 今回の与党案で、大綱はもう政治的中立を担保されているものなわけですから、それを守れなかったら、やはりこれは、むしろ政治的中立性云々よりも、言葉がちょっと適切かわかりませんけれども、職務上の義務をきちんと果たしていないとか、そういう意味合いのものになると思います。

 ですので、やはり罷免に関して、今ありますよ、第七条でありますけれども、それは今までと同じであって、今まではほとんど罷免というのはないわけじゃないですか、実態を大臣御存じのとおり。ですので、どうしても十分ではないと思うんです。

 もう一度御見解をいただければ。

下村国務大臣 いや、それは論理構成の問題で、今委員がおっしゃったのは大津のいじめの問題をおっしゃったので、これについては、緊急として総合教育会議を開いて、そして首長、教育長が協議をした結果、判断するという意味で、相違性が出てくるような案件ではないのではないか。

 ただ、大綱については、それはまた別の問題としてありますけれども、今の御質問については、大津のいじめのような緊急事態についての事例という質問だというふうに受けとめましたので、そういうところについて尊重義務云々ということで問題が出てくるということは基本的にはあり得ないのではないかということで申し上げたわけです。

田沼委員 私は、例えばいじめだったので、別にそれ以外でも、それこそ教員人事でも教科書採択でも何でも結構なんですが、とにかく規定がないということの構造的な問題点をどうしても看過できないわけで御指摘したんですけれども、ちょっと角度を変えて、野党案の方の議論も触れたいんです。

 野党案ですと、同じく第七条だったですか、野党案の場合は、自由に解職可能ということで非常にシンプルな仕組みになっておりますけれども、これは、首長としては教育長に対する権限というか影響力が非常に高い構造に見えますけれども、もちろん乱発もしてはいけないわけでもありまして、物すごく自由であるからこそちょっとお尋ねしたいんですが、具体的に、どんな場合にこの解職ということが起きるかということに関して何か想定しているものがあればお答えいただければ。これは法案提出者にお聞きしたいと思います。

中田議員 答弁申し上げます。

 この法律案において、我々の案に関しましては、教育長は首長の補助機関というふうにいたしているわけでありまして、その意味で、首長の指揮監督のもとで教育に関する事務をつかさどるということで、首長がこれを任命するというふうになります。

 その中で、今御質問にありましたように、首長は任期中であっても教育長を解職できるというふうにしているわけでありますけれども、その想定というのは、先ほどから出ていますように、例えば大綱といいますか方針、我が法案では方針、これに反するようなこうしたことを教育長が行っているというケースなどはある意味では一番わかりやすいかもしれませんが、それ以上に、例えば成果を出せない教育長がいる場合とか、さらには、教育長が恣意的な事務をやっているというような悪質なケースもこれはあり得るかもしれません。こういう場合も想定されます。それから、先ほどからいじめの話も出ていますけれども、例えばサボタージュといいますか、いわば教育長の動きが鈍い、こういう場合もこれはあり得ると思うんです。

 ただ、田沼議員が今質問の中でもおっしゃったように、乱発できるわけではありません。しかし、考え方としましては、我々は、この教育行政も他の地方行政と同じ、そういう考え方をしているわけです。しかし、教育であることの重要性を考えたときに、さまざまチェック機能であるとか、それから議会に対する説明責任であるとか、こういったものを他の行政分野以上に設けていることはありますけれども、基本的には、他の行政分野と同じに考えているわけです。

 ということは、他の行政分野における例えば部長あるいは課長、これが全然成果を出せないとかあるいはサボタージュしているとか、こういう場合は首長はどうするかといえば、当然これは、手続を当然経なければいけませんけれども、解職を求めていくということになるわけでありまして、これを教育においても同じように考えるということになっているということであります。

田沼委員 やはり画期的に感じるのは、ちょっと自画自賛に聞こえるかもしれませんが、成果が出せないときに解職を検討するというのは、これは政府案ではない規定だと思います。ほかの、教育部局以外の局でも、例えば私も千葉市議会議員でしたけれども、保健福祉局とか財政局とかいろいろ局があるんですけれども、それぞれの局、部で想定どおりの成果を出してもらえない場合には、最後の大なたとしての解職規定というのは、絶対的に組織として重要なものだとどうしても思うものですからこの解職規定にどうしてもこだわってしまうんですけれども、了解いたしました。

 それでちょっと関連なんですが、大臣は常々、教育振興基本計画、今回は大綱でも重なるのかもしれませんが、教育振興基本計画に数値目標を入れるべきだというふうに、昨年来のあの質疑でも言われておられたと思います。私も賛成でございますけれども、それこそ、この数値目標を入れて、それがきちんと達成できなかった、できたがわかるわけですけれども、できないのが余りに多いということは、まさに成果が上がっていない、実績が出ていないケースになると思うんです。ですので、そういったときにはやはり解職を検討するのが、本来の首長としての、上司としての役割だとどうしても思うんです。

 つまり、数値目標を導入するなら、それがうまくいかなかったときの規定も同時に必要になる、目標管理システム、評価システムとして機能させるということが一体的に必要になると思うんですけれども、今の政府案にはそれが見当たらないと思います。大臣、それに関して御見解があれば、お尋ねします。

下村国務大臣 田沼委員のおっしゃっている理屈はそのとおりだとは思うんです。つまり、首長が期待に応えられないような教育長をいつまでも在任させていいのか、それが地域住民にとってプラスなのかという視点においては、それは問題だというふうに思います。そういう意味では、これは、同時にやはり首長の任命責任そのものがそもそも問われることではあるというふうに思うんです。

 そして、私は、教育振興基本計画も含めて数値目標を明確にすることは、これは、第三者から見て、どの程度達成しているのか、していないのか判断する上においても重要なことだと思いますが、ただ、そのときに、教育長一人に責任を持たせることでいいのかどうかということは、同時にやはり問われることだというふうには思います。

 その辺で、首長と教育長が、任命するに当たってどういうふうな職務命令を教育長に対して通達しているかどうかということも問われると思いますし、同時に、首長が任命されたことについての議会の同意についても、議会サイドにおいても、教育長に対してどういう課題、テーマを設定し、それをクリアさせるかどうかということについて、議会の存在も重要だと思いますが、これはしかし教育長だけの数値目標についての責任論というよりは、これは、その自治体全体における、例えばほかの部課長を含めた同様のことも同時に考えなければならないのではないかというふうには思います。

 それで、なかなか教育長に対する罷免要求がハードルが高いというのは、先ほど申し上げたような、やはり、行政委員会として教育委員会を位置づけられるという課題はあるわけでございます。

 今回の改正案において、教育長は他の教育委員と比較して強い権限を持つことになるということはまさにそのとおりであるわけでありますが、現行と同様に、合議体の意思決定に基づき事務を執行する立場であるということは変わりないわけでありまして、合議体の意思決定に反する事務執行を行うことはできないということであります。

 また、総合教育会議は、首長と教育委員会が相互の連携を図りつつ、より一層民意を反映した教育行政を推進していくため、首長と教育委員会の協議及び調整の場として設置するものでありますから、行政委員会としての教育委員会の位置づけを変更するものではありません。

 したがって、教育長の罷免事由については、他の行政委員会と異なる取り扱いをするということについては、これは、制度上相当の課題があるということであります。

田沼委員 いや、真っ向から反対になっちゃうかもしれないんですけれども、大臣がまさに言われるとおり、今回の教育委員会の新しい姿は、ほかの行政委員会と同様とはちょっと思えません。

 私は市議会議員出身でございますので、例えば、選挙管理委員会、農業委員会、監査委員会、人事委員会ともおつき合いしてきましたけれども、圧倒的にばかでかい、教育委員会は。千葉市なんかはもう半分ぐらい教職員の方がやられて、そのトップは、当時は教育委員長でございまして、ほかの委員会と同様というのはそもそもまず難しいと感じておりました。

 今回、御説明のあったように、合議制の独立行政委員会ですから、合議制であって、だからこそ身分保障をしているというのも、建前はそうですけれども、実態としては教育委員長を兼任なわけですよ。となると、やはりトップとして教育長がさらに合議制の教育委員会のトップでもあり、事務方の教育部局のトップでもあり、大幅な権限強化であって、これはほかの行政委員会にはないことです。だからこそ画期的なのかもしれませんが、強大な権限をやはり持つわけですから、それに対する歯どめとしては、そんなに身分保障をしていていいのかとどうしても思うわけです。

 もう一点、総合教育会議で連帯責任と言われましたけれども、これは逆に責任が曖昧に見えるんです。首長さんと教育委員会で、両方とも執行機関という言葉自体がまずちょっと疑問ですけれども、完全なほかの行政委員会とは違って、一部独立性が緩和されているわけです。そうすると、全く違う行政委員会になったと私は捉えております。

 ですので、御答弁の、ほかの行政委員会と同様に扱わなくちゃいけないんだ、独立した行政委員会の趣旨に鑑みて身分保障を、罷免しにくくしているということですけれども、これは合理的な理由があるとはちょっと私には思えないわけでありまして、前提がちょっと違うと感じます。それについて何か御答弁あれば。

下村国務大臣 法律的な合理的理由というのが、つまり、教育委員会が行政委員会であるから、だからそういうふうな教育長に対する罷免はできないというのが、それは法律上のたてつけであります。

 ただ、田沼委員がおっしゃったようなことは、つまり、ほかの行政委員会と位置づけが同じ行政委員会といっても相当違うじゃないかということから、与党議論の中でもこの罷免についてはいろいろな議論があった中で、入れないということが結果的に決まったということを承知しております。

 つまり、それだけこのことについてはやはりいろいろな議論があるということは、そのとおりだというふうに私も認識しております。

田沼委員 ぜひその与党議論をまた復活させてほしいんですけれども、私たちもそういった協議もぜひ応じたいと思うんです。やはりこの肝だと思うんです、どうしても。なので、解職規定のあり方というのは、ぜひ議論の上で改めていただけるとうれしいなと思います。

 関連して、義家委員が十六日だったですか、質問されていて、同じようなことでの御懸念を質問されていました。私も、この法案に思いが強いものですから全部議事録を読みましたけれども、特定思想を持った首長が出ると歪曲されてしまうんじゃないかということを義家委員が言われておりました。そういった懸念は確かに強いと思います、野党案に対して。野党案に対して、首長の権限が非常に強過ぎる、それで自由に解職もできてしまうということだと、特定の思想を持った首長さんが出てきて、俺の言うことを聞かないと首だぞ、そういう形になってしまうと歪曲されるんじゃないかという御懸念です。

 それに対して確かにそういう御懸念を持たれる方も多いと思いますので、野党案提出者に対して、どう応えるか、お聞きしたいと思います。

中田議員 まず前提ですけれども、首という言葉が今ありましたけれども、罷免するということは、これは簡単にできることではそもそもありません。

 先ほども御説明申し上げたように、教育委員会以外の他の部局においても、首長、市長や知事が、俺の言うことを聞かぬからやめさせるなどというのは、聞いたことがないです。そんなことをやったら、これは当然ですけれども、裁判沙汰になるでありましょうし、これに首長の側の勝ち目はないというふうに言えます。

 そういう意味では、我々は、先ほど来田沼議員が大臣に対する質問の中でおっしゃっているように、責任をしっかりと果たしてもらう、そのために最後の最後はということでこれは可能にしているということでありまして、もともと乱発できる話ではない。他のところでも聞いたことがないというふうに言えるわけであります。

 その上で、首長が権限を行使し、そして独善的なやり方で教育現場を混乱させるということがないようにするために、私どもの法律案においては、首長の職務の執行を監視する新たな機関として教育監査委員会を設置をするというふうにして、しっかりとチェックをしようじゃないかというふうにして、事前のそうした独善性というものもないようにまずしているわけであります。

 さらに、首長が、教育の振興に関する総合的な施策の方針、これを議会に対して提出するということになっておりますけれども、その際には、必要に応じて、専門家等のさまざまな人の意見を聞いてこれを策定をしていくこと、また、原則的には毎年度議会の議決を経て策定をするということ、さらに、原則的には毎年度進捗状況を議会に報告することという、こうした運用がなされることを通じて、首長に対するチェックというものが重層的に行われるように私どもの案ではなっております。

 さらに一言つけ加えますと、最後は選挙があるんですね。そんな独善的なそうした教育行政をやった首長というのが選挙にたえ得るかということも、ここにいらっしゃる議員の皆さんには考えていただきたいというふうに思うわけです。

 よく議論になる中立性、あるいは継続性、こういったものは誰が望んでいるのかといったら、これは国民です、市民です。その国民や市民が選挙して選ぶのは誰なのかということが、最後の最後は民主主義の中において私たちは意識をすべきことだというふうに思います。

田沼委員 非常に説得力を感じましたけれども、特に、最後に選挙があるというのは、今の政府案の最大のポイントは、教育長が民意を受けていないという、あるということかもしれませんけれども、非常に首長の関与が弱過ぎるということに私たちはあると思いますので、そういった、逆に言えば、最後で選挙があるんだ、だから独善性は排除できるんだという言葉と理解いたしました。

 まだまだお聞きしたいんですけれども、ちょっと時間もあれなので、次のテーマに移りたいと思います。

 与党案に関してちょっと現実的な疑問があるのが、任期に関してです。新しい首長が就任されたときに、その前のときから新教育長が始まったら、三年たっているわけです。また次の教育長が、同じ教育長かもしれませんが、再就任して、そのときに首長が今度変わったとします。そうするとあと二年あるわけです、前の首長さんが任命した教育長さんが。これは、四年間の任期しかないかもしれない首長さんのうち半分の二年間が前の教育長が残っている、自分が任命した教育長じゃない人が強大な権限を持っているということは、これで本当に首長権限が強化できるんでしょうか。

 ちょっと素朴な疑問なんですけれども、お答えいただければと思います。

下村国務大臣 教育委員については、現行制度におきましても、教育行政の安定性、継続性を確保するという趣旨から、任期を四年とし、委員の交代の時期が重ならない仕組みとなっており、この仕組みは今回の改正案においても維持することとしております。

 その上で、改正案においては、首長が現行の教育長と教育委員長を一本化した新教育長を直接任命、罷免することとし、首長の任期中、少なくとも一回はみずからが任命できるよう、新教育長の任期を三年とする、また、首長が招集する総合教育会議を設置する、さらに、首長による大綱の策定を義務化するとしたところでありまして、これにより、首長が教育行政に連帯して責任を果たせる体制が構築できると考えております。

田沼委員 次、三木先生ですけれども、ちょっと時間をいただいているので、もう少しやりたいと思うんです。

 重ならない仕組みということなんですけれども、そうやって継続性、安定性を保つとずっと言われてきたわけです。その継続性、安定性を言うからこそ首長が関与できなかったんじゃないでしょうか。

 これまで、首長の影響をやはり余り受け過ぎてはいけないということで、激変緩和ということで、教育委員さんもそうです、少しずつかわっていく。今回の教育長に関しても、大臣御答弁のとおり、少なくとも一回は自分で任命できるということですけれども、でも、少なくとも一回が四年間のうちの二年後に来るんだったら、それは余りに首長にとってやりにくい。短い、時期として二年間しか自分の任命した教育長がいないわけですから、それはちょっと余りに首長を制限しているんじゃないかと。

 だから、三年という年数がやはりどうしてもわからない。二年とか四年ならまだわかるんですが、三年という中途半端さで、二年間が自分の任命していないという教育長が残る可能性が極めて高いわけです。これはどうしても首長としては絶対やりにくいと思うんですけれども、中田議員、では御答弁いただければと思います。

中田議員 この中に市長や知事を経験された方がいらっしゃるのかどうか私はわかりませんけれども、本当にやりにくさを感じます。

 現行の教育委員会制度においては、戦後の今の制度で一年置きに新しい教育委員を任命するという状態になっていて、しかも教育委員は、五人か、政令市などの場合は六人います。ということは、一期やっても教育委員は自分で全部を指名できないというやりにくさなどは、これはもうやった人しかわからない議論だと思います。

 そういう意味では、今の田沼議員の御質問を聞いていても、まさにこの教育委員会制度というものを残し、さらに任期を今度は教育長は三年にしたというような政府案のこの件に関しては、全くもって机上の話であって、現実に即していないというふうに言わざるを得ません。

 田沼議員の御質問にもあったように、例えば二年残っている教育長がいて、新しい首長が着任をした場合に、それは、私は任期の途中までは教育に関しては公約は実行できません、任期の途中からしか公約は果たせないのでもう一期やらせてください、こういうふうに言わざるを得なくなってくるわけです。さらに、教育委員は任期が四年なわけですから、何だったら、最初に出る選挙の演説から私には二期やらせてくださいと言わない限りは、教育に関しては責任を持てないという首長を出してしまう。

 こういう現実を全く知らない形の任期の設定というのは、私たちは極めて不合理だと考えますし、私どもの案ではそういうふうにはなっていないのは御承知のとおりであります。

    〔委員長退席、萩生田委員長代理着席〕

田沼委員 非常に現実的な説得力がありましたけれども、おっしゃるとおりと思います。

 やはり、継続性、安定性というのは美名に聞こえるんです。それに余りにこだわったら、もうそれこそ現行制度のままの方がいいと思います。ですので、やはり途中でしかかえられないという状態を、本当にこのままでいいのかということに対してどうしても疑問がございます。

 ちょっと時間もあれなので、最後に大臣、この件に関して継続性、安定性にこだわり過ぎると、首長の権限強化、影響力強化というのは原理的には不可能なわけです。なので、そこに関しての今回の政府案は少し改めるべきではないかと思うんですけれども、御見解をいただければと思います。

下村国務大臣 今の中田議員の答弁を聞いていて、説得力がありそうですけれども、本当にそうなのかということについては、やはり私は考えるべきだと思うんです。

 つまり、地方の首長というのは、これはある意味では大統領制ですから、相当権限を行使できるわけであります。そのときに、本当に全ての、これは教育長だけではありませんが、例えば政権交代と同じように、行政部の幹部を全部かえようと思ったらかえられるかもしれませんが、そこまでしている首長が本当にいるんでしょうか。

 やはり、地方における行政の継続性という意味では、首長がかわっても、それをいろいろな部分で執行することはできるぐらいの大統領的な権限は既に首長は持っているわけでありまして、それに対してどうしても従わないということであれば、みずから辞表を出すということはあり得る話でしょうけれども、しかし、罷免をさせてまで何が何でもというような地方自治体が実際に本当にあるのかどうかということを考えたときに、これは、絶大な、大統領制に近いような形での権限を持った首長が、選挙公約等、十分それは一期四年の中でもやり遂げるだけの制度設計というのはあり得るわけでありまして、ただ、一方で今のようなプラスマイナスの部分がある中で、特に教育においては、これはやはり継続性というのは、継続性というのは政策の継続性ではありません、この場合は人事の継続性ですけれども、中身についてはそれは新たな首長の判断で、教育における今回の新たな制度設計において、相当これは、総合教育会議を設けることによって、選挙のときに公約したことが十分なされるというふうに思います。

 人としての継続性と教育行政における継続性というのは全部が全部重なっているということではないわけで、首長の権限が強化することによって、相当、今回の改正案においても、教育行政における抜本改革というのは十分なされるというふうに私は思っております。

田沼委員 いろいろ反論もありますけれども、ちょっと時間もあれなのでまた次の機会に議論をさせていただきたいと思います。

 大統領制という力があると大臣は言われますが、それはやはり、罷免の権限があるけれども振るわないわけです。千葉市長も、例えば市長がかわったら全部署をかえられるけれども、全局長をかえられるけれども、でも、一部は残して一部はかえるわけです。やはり、権限があるけれどもそれを行使するかは別の問題ですから、権限が制度設計としては絶対必要だと私は思います。

 これはちょっと答弁を求めているとあれになっちゃうので、また次の機会にさせていただきたいと思います。

 以上で質問を終わります。ありがとうございます。

萩生田委員長代理 次に、三木圭恵君。日本維新の会の質疑の時間内で発言を許します。

三木委員 日本維新の会の三木圭恵でございます。

 文科委員会に来させていただくのは初めてで、下村大臣には予算委員会の方で質疑をさせていただきました。きょうもどうぞよろしくお願いを申し上げます。

 田沼委員から引き継いで質問をさせていただくのですけれども、この大綱の策定について私もちょっとお伺いをしたいんです。

 総合教育会議において協議した上で定めるものとされているんですけれども、この大綱の策定は何年に一度定めるものなのか、この見直しなどをされるとすれば頻度はどれぐらいなのかということを、まず初めにお伺いしたいと思います。

下村国務大臣 大綱が対象とする期間については、首長の任期が四年であることや国の教育振興基本計画の対象期間が五年であることに鑑みまして、四、五年程度のものとして定められることを想定をしております。

 新たな首長が就任した場合には、前の首長が策定した大綱を見直すかどうかについて、あるいは新たな大綱を策定するかどうかについては、これは、新たな首長がそのときに判断をして、つくるか、つくらないか決めていただくということが可能であるという制度設計でございます。

三木委員 新たな首長が当選されたら、そのときに大綱をつくり直すかどうかはその首長の判断ということなんでしょうけれども、四、五年に一度つくる、その四、五年の間に見直すべきとなれば、それは見直せるということでよろしいんでしょうか。

下村国務大臣 そのとおりです。

三木委員 では、総合教育会議の場で決めるということなんですけれども、この大綱の策定は、最終的には、もしも意見が割れた場合には、これは首長が決定するということでよろしいんでしょうか。

    〔萩生田委員長代理退席、委員長着席〕

下村国務大臣 大綱は首長が定めるものとされておりますが、教育委員会と十分に協議し、調整を尽くした上で策定することが肝要であるというふうに思います。

 教育委員会と調整がつかない事項を首長が大綱に記載した場合は、権限を持つ教育委員会が執行しない事項を記載するということに結果的になる場合もその場合はあるわけですね。そのような記載は意味がないということでありますので、こうしたことのないよう、十分な協議、調整が必要と考えます。

三木委員 総理の答弁もそのような答弁だったと思うんです。最終的には首長だけれども、教育長と協議して決めると。

 でも、最終最終、もし教育長と首長の意見が合わなかったら、それは本当にどうするんですかね。ずっと話し合いを何十時間もしてもやはり決まらないとかというような事態というのはあると思うんですけれども、それは最終的には首長が決めるというふうに考えてよろしいんでしょうか。

下村国務大臣 大綱は首長が定めるということは、そのとおりであります。ただ、定めたものについては調整をきちっとしてもらわないと、教育長は、その権限の範囲内で認められないということであったらそれは執行しないこともあり得るということですが、しかし、大綱については首長が定めるというものであります。

三木委員 何かだんだんよくわからなくなってきたんですけれども。大綱は首長が決めるけれども、その内容について教育長が執行できないことがあったら困るから、やはり最後は調整して最後までちゃんとやりなさいということのように大臣のお答えは聞こえたんですけれども、だから、最終的には首長が決めて、教育長が執行するということでよろしいんですよね。

下村国務大臣 教育における執行機関というのは二つあるわけです。首長は例えば予算権限に係る部分、それから、教育委員会においては例えば人事とか教科書選定とか、そういう部分における執行機関としてそもそも執行機関の役割分担が違うわけです。首長の部局のその役割分担の執行機関としての大綱は、それは首長が定めているわけですから、当然それは行うことができます。

 一方で、教育長の分野における執行分野においては、大綱に書かれてあったとしても、教育長が了解しなければそれは執行できないこともある。ですから、事前に総合教育会議等でしっかり首長と教育長で調整、協議をして記載をする必要があるというふうに申し上げているわけです。

三木委員 というと、教育の分野というのは、首長が権限を持っている部分と教育長が権限を持っている部分と二つに役割が分かれて、総合教育会議の中で話し合いはするけれども、結局、その役割分担をしている分野で、首長が役割分担をしている部分では首長が権限を発揮し、教育長が権限を役割分担として持っているところは教育長が権限を発揮するというような御答弁に聞こえるんですが、これは、法律案の中に大綱の策定は首長がするとはっきりと書かれておりますので、ここの大綱を首長が策定した場合、教育長がこれに従わなければ、これは法律としてちょっとおかしなたてつけになるんじゃないかと思うんですが、いかがでしょうか。

下村国務大臣 いや、それは全然おかしな話ではなくて、先ほどから申し上げているように、大綱は、これは首長が定めるというのはそのとおりであります。しかし、地方における教育行政において、これは、予算分野においては首長が執行機関としての責任を負っている、それから、教育委員会が執行機関として責任を負っている分野があるわけです。

 それについては、役割分担として首長部局と教育委員会部局が分かれているわけでありまして、大綱そのものは、全ての分野におけるまさに大綱ですから、教育について書き込むことはできるわけでありますけれども、当然全ての分野において書き込むわけですから、これは、総合教育会議で事前に首長と教育長でよく相談して、そして協議、調整の上大綱をつくってもらいたいというのは当然のことですけれども、つくっても、執行機関が二つに分かれていますから、それぞれの執行機関で判断が分かれることはあり得ます、法律上は。しかし、そうならないような大綱をつくってもらいたいということでございます。

三木委員 済みません。では、具体的に、教育長が役割分担をする、執行権限を持っている部分というのはどの部分になるんですか。

 首長は、予算とか、例えば学校施設のこととかそういうことだと思うんですけれども、そこら辺の役割分担についてもはっきりと法律案に書かれていないと、これは、首長がやはり大綱を策定して、首長の思いで教育をその市においてやっていくというふうになると思うんですけれども、何か今の下村大臣の御答弁であると、大綱の中にも、話し合って決めるのはもちろんそうなんですけれども、教育に対する方針が教育長と首長で違う場合は、やはり教育長の方が優先なんだというような御答弁に聞こえるんですけれども、それは、どの部分を教育長が役割分担としてお持ちだというふうに考えているんでしょうか。

下村国務大臣 これは法律に明確に当然書かれております。地教行法第二十一条に規定する教育に関する事務の管理、執行については教育委員会が最終責任者である、そして、第一義的には教育長がもちろんですから責任者であるわけですけれども、第二十二条に規定する教育に関する予算の編成、執行等については、これは首長が最終責任者であるということであります。

三木委員 済みません、ちょっとしつこいようなんですけれども、私、地方議会も経験をしております。その中で、やはり予算の執行というのは、事業があって、事業に予算がつけられて、それを執行するというものだと思うんですけれども、今の御答弁だと、予算と事務の執行は首長だということであるのであれば、予算と教育長の教育方針とリンクしていないと予算を執行できないと思うんです。

 そのところにおいて、やはり大綱の策定は最終的には首長が決定をするということは、それに教育長が従うということにならないと、総合教育会議の意味もなくなってしまうと思うんですけれども、いかがでしょうか。

下村国務大臣 今までも、首長とそれから教育長は存在しているわけです。教育委員会もあるわけです。ただ、それが形骸化、形式化して一体化になっていないという部分の中で、地方教育行政をさらに一体的に進めるという意味で、今回、総合教育会議を新たにつくったわけでございます。

 その総合教育会議の主宰は、これは首長がするわけですから、その中の構成メンバーは首長と教育長ですから、当然、その自治体における教育のこれからのあり方については、協議をすることによって、調整することによって、一体となった大綱をつくることは当然望ましいことであります。

 ただ、執行機関がそれぞれ二つに分かれているという法律のたてつけがあるから、それは、法律上は教育長がその分野においては最終責任は負っていますけれども、しかし、大綱については、当然、協議、調整するわけですから、一体的なものとして行われるということは、ある意味では当然のことでもあるというふうに考えます。

三木委員 それは新しく法律に書いたということだと思うんですけれども、今までももちろん教育委員会と首長部局との間で話し合いはなされていて、当然、それがないと予算の執行ができませんから、だから、では今までと何が違うんだということになってしまうと思うんです。大綱は策定するよと言いつつも、首長の権限がそこで発揮されないと、何が変わるんだろうというふうに私なんかは感じますし、今までの教育委員会の形骸化というのも、それではやはり教育の再生にはつながらないんじゃないかなというふうに感じるんです。

 大綱の策定だけではなくて、教育条件の整備等重点的に講ずべき施策、緊急の場合に講ずべき措置もこの総合教育会議の場で話し合う、協議、調整を行うというふうになっているんですけれども、これは、先ほど私が述べました前提でもしも会議が紛糾したり意見が割れたりとかしたような場合というのは、最後、どのように誰が決めるんですかね。

下村国務大臣 それは総合教育会議の件ですか。まず、今までも、それは一つの自治体ですから、事実上は教育長も首長が任命をするわけですから、法律上は違っていましたけれども、それは一体性があるのは当たり前の話だと思うんです、本来。ですから、全国の地方自治体であっても、今までの教育委員会でも、かなりのところはうまくいっていた部分というのは実際はあったというふうに思います。ただ、それを制度上法律によって明文化するという意味で、つまり、首長が教育長を任命するということも今回は決めるわけです。

 さらに、今までも話し合って決めていたでしょうけれども、法律上も、総合教育会議、そういうたてつけをすることによって、今まで以上に首長と教育長が、その地方自治体における教育については、一緒に協議、調整することによって大綱をつくるということを法律の中で明文化したということであります。

三木委員 いや、今の下村大臣の御答弁ですと、今までもうまくやっているところもあったんだ、うまくやっているところもあったんだけれども、やはりそれはちゃんと法律として明文化しなきゃだめでしょうということで今回法律を出されたというような御答弁に聞こえるんですが、この法案は、政府案も野党案も、やはり教育には今抜本的な改革が必要なんだという思いのもとで出されたものだと思うんです。

 きょうはちょっと時間が少なくなりました。例えばいじめの問題がありますよね。大津市の問題があって、それがもとになってこの法案、与党も野党も出して、やはり教育をよくしていこう、子供たちのために私たちも頑張って法改正していって、制度を変えていって、遺族の方にもちゃんと説明のできるような教育にしていこうという意味で法案を出していったと思うんです。

 いじめの被害者がみずから死を選ぶという最悪の事態になった場合を想定して、先ほど下村大臣は、田沼委員の質問への御答弁の中で、首長と教育長の見解がこういう場合に基本的に違うということはあり得ない、一緒になって対処するのが当たり前だというふうにおっしゃったんですけれども、今までの報道を見ていますと、遺族は我が子の死に至った原因を知りたいと思うのが当然だと思うんです。

 これまで多く問題となってきたのは、教育委員会の隠蔽体質だと私は思っております。遺族は、我が子を失った悲しみの上に、教育委員会にその事実を隠されて、原因も究明されないで、一度ならず二度も三度も傷ついて、怒りを持って今まで来たというのが実情で、そういった実情を何とか変えていかないといけないということで、国会の方でも与党案、野党案が出てきて、そういうことを議論しているんだというふうに私は思うんです。

 報道の一部を述べさせていただきますと、大津市です。男子が自殺したのは昨年十月、学校は全校生徒にアンケート調査を実施し、男子は自殺の練習をさせられていたといった回答を得て市教委に報告した。ところが、市教委は調査を早々に打ち切り、いじめと自殺との因果関係は判断できないと説明、アンケート内容も明らかにしてこなかった。

 これだけじゃないですよね。今までも、ほかにもあります。小学校六年生の女の子が自殺したら、市教委が遺書のいじめの記述を隠したとか、いじめは認められないと学校側はしていた。教育委員会もそうしていたけれども、最終的に警察に子供が逮捕される。この事件は神戸ですけれども、御記憶に新しいかもしれませんけれども、四万円でブレスレットを売買するようなことがあった。兵庫県教育委員会は学校報告で、ブレスレットの件は出ていたが、売買で恐喝ではないと聞いていた。今回逮捕されたのは同じグループ以外の生徒ということで、よりいじめが広がっていたように感じるとして、三十一日にも学校側に報告するように求めた。学校側は当初県にいじめは認められないと説明していた。同級生三人が相次いで逮捕された。携帯メールで金銭を要求し、一回うそをついたら一人当たり一万円払うというゲームを行うなど、金品の要求が明らかになり、学校側もいじめが自殺の原因の一つと認め、謝罪した。

 要するに、学校側から教育委員会、そして首長、そして文部科学省、適切な報告とかそういうものが今まで行われていなかったことに一番大きな問題があって、教育改革をしていかなければならない、教育委員会というのはやはり隠蔽体質があるから、それをしっかりと首長の下に置いてこういった問題に対処していかないといけないというふうな思いで私たちはこの法案をつくっております。

 ですので、今回の我が党案で、首長の下に教育機関を置くというのは、学校の現場の問題が解決できるかどうかという入り口なんです。だから、いじめ問題をこれで解決しようとかということではなくて、やはり、教育委員会が問題を伏せることで現段階の問題をあぶり出すことができないということが私は一番の問題だと思っていて、この入り口のところが解決できないといじめの問題というのは抜本的に根本的に解決しないというふうに私は思っているんです。

 そこで、こういったことをなくしていくために、野党案と政府案、二つに分かれて今議論をさせていただいておりますけれども、やはりここは、先ほど下村大臣のお答えで、総合教育会議において首長と教育長は一体となってそういったいじめの問題には取り組んでいくのが大前提だというふうにおっしゃったんですけれども、今までの報道ではそうじゃなかったんですよ。(下村国務大臣「いや、そうじゃない」と呼ぶ)そうじゃなかったんですよ。

 だからこそ、やはり首長の権限を強化して、そういうふうに子供たちの教育、子供たちを守っていかなきゃいけない。文科省の指導にも結局教育委員会は従ってこなかったじゃないですか。

 だから、こういうふうな、首長がちゃんとやはり、教育現場の人たちだけじゃなくて、言えば、普通の行政から見た目で教育現場を指揮監督する必要があるというふうに考えているんですけれども、下村大臣、お考えいかがでしょうか。

下村国務大臣 いや、だからこそ、今回、教育委員会改正案を政府案で出しているわけです、当然。

 今までの大津のような問題は今までの制度で解決できるということであれば、これは教育委員会制度抜本改革案を今国会へ出す意味がないわけですから、今国会へ出しているというのは、当然、そういう問題を構造的な問題として捉え、解決するためにそもそも法案を出しているという前提があるということについては、ぜひこれは御承知おきいただきたいと思います。

 そして、教育長と、それから教育委員会とでもいいんですが、首長とそういう連携がとれていないという大津における問題等もあったわけでありますし、これは大津だけじゃない、ほかの自治体でも同じような事例はたくさんあります。今のいじめの事例も出されました。

 ですから、そういうようなときについては、総合教育会議の中で首長が緊急に開いて、教育長と、あるいは教育委員会のメンバーと対処策についても議論するということの制度設計をすることによって、そういうような子供の不幸を少しでもなくしていくという意味での教育委員会制度改革案であります。

三木委員 ですので、その最終的な総合教育会議でもしも首長と教育長の意見が割れた場合は、どちらに主導権があるのかということをはっきりとお聞かせください。

下村国務大臣 まず、いじめ問題等で緊急に総合教育会議を開いたときには、それでも意見が相違するということが本当に想定できるんでしょうか。それだけの危機感を持ってやっているわけですから、当然、対処策でもありますし、これは首長と教育長が一緒になって対処しようということについて決めていくための会議ですから、それにもかかわらず、首長が指示しているにもかかわらず教育長がずるずると結論を先延ばし、つまり、何の対処もしないでいじめ問題について対応しないということはないことだというふうに思うんです。

 それから、法律のたてつけとして、これは首長の執行機関とそれから教育委員会としての執行機関があるということは、先ほど、地方行政法の法律上のたてつけということで申し上げました。その中の調整として総合教育会議があるわけでありまして、その中でぜひ大綱等についてもこれは決めていただきたいということが尊重規定でもあります。

三木委員 質疑時間が終了いたしましたのでもうこれで終わらせていただきたいと思いますが、先ほどから下村大臣は、首長と教育長が総合教育会議を持つに至って、そこで一体となって取り組めないようなことが前提としてあるのかということをおっしゃいましたけれども、大津市の場合でも、総合教育会議という名前こそなかったと思いますけれども、やはり、市長と教育長と教育委員会とみんなで話はしていたと私は思っています。それは当たり前の対処だと思うし、市長もそのようにおっしゃっていたし、だからこそこの教育改革案が必要なんだし、だからそこでは、残念ながら、下村大臣がおっしゃったような、一緒になって対処するのが当たり前という前提ではなかったということだと私は思いますので、済みません、与党案ではまだ少し不十分なところがあるんじゃないかなというふうに感じております。

 以上でございます。ありがとうございます。

小渕委員長 この際、暫時休憩いたします。

    正午休憩

     ――――◇―――――

    午後二時三十九分開議

小渕委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。

 質疑を続行いたします。柏倉祐司君。

柏倉委員 みんなの党の柏倉でございます。よろしくお願いをいたします。

 きょうは、いじめの問題をまず質問させていただきたいと思います。

 大津いじめ事件を契機として、昨年、いじめ防止対策推進法が策定をされました。そこには、いじめにより当該学校に在籍する児童等の生命、心身または財産に重大な被害が生じた疑いがあると認めるとき、学校は、地方公共団体の長等に対する重大事態が発生した旨の報告をすることという取り決めがございます。

 学校が報告をする、この報告に基づいて、今度の総合教育会議でいじめの緊急対策の議論をするのかどうか、そこをまずお聞かせください。

前川政府参考人 御指摘のとおり、いじめ防止対策推進法におきまして、いじめにより児童等の生命、心身または財産に重大な被害が生じた疑いがあると認める場合、こういった重大事態が発生した場合におきましては、まず、学校は、重大事態が発生した旨を教育委員会を通じて首長に報告するという義務が課されているわけでございますが、その際に、首長が総合教育会議を開くかどうか、これは首長の判断であると考えております。

柏倉委員 総合教育会議で議論をするとき、ここの報告を当然ベースに議論をするんでしょうか。それとも、独自の調査に基づいた議論をするんでしょうか。

前川政府参考人 いじめ防止対策推進法におきましては、このような重大事態が生じた場合、学校は、まず、教育委員会を通じて首長に報告すると同時に、学校または教育委員会におきましては組織を設けて調査を行う、また、その調査の結果を首長に報告するという義務が課されているわけでございます。

 首長としては、その報告を待つという方法もあると考えますので、直ちに総合教育会議を開くという判断をするかどうかは、これは首長に委ねられているところであると考えております。

柏倉委員 としますと、必ずしもいじめ防止対策推進法で定められている学内調査、それと連結しているものではない、ただ、それを否定するものではないという位置づけ、要は、現在まだしっかりそこの連結はされてはいない、その運用に関しては、その地方自治体の学校関係者そして首長が連携をして、その学内調査を情報として使うなら使う、それはもうその地域地域の判断に任されているという認識でよろしいんでしょうか。

前川政府参考人 いじめ問題への対処につきましては、教育委員会において責任を負って職務を遂行しております教育長がまずは第一義的な責任者として対処すべきものでございますけれども、先ほど申し上げましたような重大事案が発生した旨の報告あるいはその調査結果についての報告を受けた首長におきまして、必要があると認めるときには再調査を行うこともできますし、また、この重大事態について報告を受けた首長がみずからの判断で再調査を行うかどうかを判断するに当たりましても、総合教育会議を活用して教育委員会と十分情報の共有を図った上で行う、こういった使い方もできるということでございます。

柏倉委員 総合教育会議は首長が招集するわけですけれども、いじめそのもの、学校内の調査等々というのは、これはやはり教育委員会、教育長がつかさどるというようなことになるのかなとイメージ的には思います。

 そこのところの一貫性といいますか、指揮系統、命令系統、その辺の微妙なすり合わせというものも、今後恐らく実践を通して明らかになっていくんだとは思うんですけれども、それがどうなっていくのか、現状はまだしっくりこないなという印象があります。

 きょう問題にさせていただきたいのは、いじめの調査を行う場合、これは内部調査というのを基本にするのか、それとも、第三者調査を基本にするのかということをちょっとお伺いしたいんです。

 なぜなら、昨年、奈良県の橿原市で女子中学生のいじめが起こりました。これは、原因を市の教育委員が究明したところ、親に叱られて刹那的に命を絶ってしまったという報告だったそうです。ただ、その後いろいろなネット、LINEというものを調べたりすると、かなり仲間内でやはり誹謗中傷、孤立化をしていたという事実もあったような報道もございます。親としては、客観的な状況把握、どうして命を絶ってしまったのか、そういうのを知りたいというのは当然のことだと思うんですね。

 しかも、なおかつ、いじめの防止対策推進法には、これは懲罰も盛り込まれている法律です。そういった罰則もある法律ですから、しっかりとした客観的な調査、これは、学校の中でそういったものが立ち上がるというのは重々承知しております。しかし、やはり学校も組織です。組織隠蔽体質も当然一〇〇%は否定できない。先ほどの橿原市の例でいうと、いじめはなかったという報告が出ているわけですね、市の教育委員会では。ところが、実際はやはりネット上でのいじめというのは実在した。

 やはりこの辺のところ、いじめの徹底的な調査をする上で、いじめGメンと言ったらちょっとおどろおどろしいですけれども、ちゃんと客観的に捜査をする機関というものを今後国はどういうふうに考えていくのか、そこのところの見解を聞かせてください。

前川政府参考人 いじめによる重大事案が生じたような場合につきましては、いじめ防止対策推進法におきましても、その考え方の基本といたしましては、まず学校またその学校の設置者がその責任を果たし、調査をするということが基本であるということでございますが、一方、いじめにつきましては、学校の現場あるいは教育界において隠蔽体質があるという批判もあるわけでございまして、そういった御指摘を踏まえまして、いじめ防止対策推進法及びその基本的な方針におきましては、学校を評価したり教員を評価したりする、その留意点といたしまして、いじめの有無やその多寡のみを評価するのではなく、問題を隠さず、その実態把握や対応が促されるよう、取り組み状況や達成状況を評価するということとされております。

 加えまして、いじめ防止対策推進法の第十四条第三項でございますが、ここに、教育委員会に設置することができる附属機関についての規定がございます。この附属機関には、当該地方公共団体が設置する公立学校におけるいじめに対する通報や相談を受け、第三者機関として、当事者間の関係を調整するなどして問題の解決を図るという機能も想定されているところでございます。

 また、いじめ問題等の解決に向けて幅広い外部専門家を活用する観点から、オンブズパーソンなどの第三者的立場の専門家チームでありますとか、また、学校を支援するためのいじめ問題等解決支援チームなどの自治体の取り組みにつきまして、文部科学省としても、予算事業によりまして支援しているところでございます。

 このような取り組みを通じまして、いじめの早期発見、早期対応に取り組んでいるところでございます。

柏倉委員 刑事捜査に至る、刑事捜査に至れば当然警察が出てくるわけですけれども、それ以前のその判断を仰ぐような、つまびらかにするということ、調査、これを学校関係者にやってもらうということになると、やはり私はこれはどうしても限界が出てくると思います。それはいたし方のない部分であるというふうにも考えないといけないんじゃないでしょうか。

 そういうところで、ぜひ客観的な、相談や通報の窓口というのはもう設けられているということですが、客観的な証拠を集積する、そういったワーキンググループをちゃんと常設して、地方地方にワークさせていただきたいというふうに私は思っております。当然、自殺があってからでは遅いわけで、とにかく早期発見をしてそれを予防していく、そういったことが一番大事なわけです。

 そこで、今前川局長から出ました、早期発見のための窓口相談をもう既に設けているということなんですが、やはり取り組みも学校ごとに濃淡が出ると思うんです。やはり人間のやることですし、当然、そういった取り組みのしっかりできているところ、残念ながら至らないところができていると思います。当然、できていないところでは事後的対応にもなるわけでして、こういうことになりますと、やはり個別個別で私は差が出てくると思うんですね、学校学校で。

 そこで、地域でいじめそのものを撲滅していこうという取り組み、これはもう既にされているかと思いますが、私は、それこそ今回できる総合教育会議、これがやはり主導的な立場に立ってやっていく、個別の事後的対応だけをやるというよりも、やはり総合政策的な、特にいじめに関しては、今回きっちりと立場を明らかにして、新教育長がやる。行政責任は、実務的なところは、現場的なところは新教育長、そして法律的、賠償責任は首長ということで明確になるわけですから、しっかりとこの総合教育会議が、その地域のいじめ撲滅、これに積極的な予防策、その議論の場になるべきだと思います。

 総合教育会議の果たす地域のいじめ撲滅に係る役割をどのように政府は考えているのか、答弁をお願いします。

下村国務大臣 今回の改正案において設けられる総合教育会議におきましては、いじめの事案のように緊急の場合にも首長と教育委員会が協議、調整を行うことができることとしており、例えば、学校や教育委員会の対応の検証、事件発生後の対応方針、その他当該学校及び自治体全体としての再発防止策の検討、立案について議論をすることが考えられます。

 また、いじめ防止対策推進法では、いじめによる重大事態が発生した場合、教育委員会または学校が行う調査の結果について、首長は、必要があると認めるときは再調査を行うことができることになっておりますが、この再調査の必要性を判断することに当たって、総合教育会議を活用することも考えられるというふうに思います。

 さらに、いじめの防止のための教育委員会と首長部局との連携も含め、いじめ問題への対応については、今回の改正案による総合教育会議を設置することで、今委員が御指摘のように、首長と教育委員会が連携を図って、より一層迅速かつ適切な対応を行うことが可能になるものであるというふうに考えます。

柏倉委員 ぜひこれは、迅速というのがやはり一番だと思うんです、子供の命ですから。やはり命は絶対に、失ってからはもう元に戻りませんから、とにかく早い対応、機動性をしっかり身につけてもらえるような総合教育会議にしていただきたいと思います。

 次なんですが、先ほど申し上げました橿原市のいじめの問題、これはネットを介してかなり追い詰められていったというような報道もあります。

 今はスマホに無料通信アプリでLINEというのがありまして、私も余り最近まで使ったことがなかったんですが、使ってみますと非常に便利で、しかも無料で電話もできるしメールもできるということで、これは多分一回使ってしまうともうやめられないなというぐらい非常に便利なんですね。

 それで、通告にはなかったんですが、大臣、LINEをお使いになったこと、ありますでしょうか。

下村国務大臣 結構言われるんですけれども、使ったことはありません。

 一方で、このLINEについては保護者からは相談をかなり、複数受けておりまして、特に中学生を持っている保護者から、子供が部屋に例えば二時間ぐらい入りっ切りで、家族と一緒に食事もしなくなっている、LINEのせいだと。これは、例えば二時間後にLINEに返事をしたりすると、その時点で仲間外れにされる、すぐ返事をしないと仲間外れにするので、常にLINEを意識しているということで、これでは余りにも、子供にとってもよくないし、結果的にいじめの温床になっているので、何とか、例えば時間帯とかあるいはそのものを対象年齢によって規制するとかいうことができないかというような保護者からの相談が何件もあります。

 これについては、今、文部科学省の中でPTをつくりまして、LINEについて、特に子供たちが使っているLINEですね、どんな対応が考えられるかどうか、検討しているところであります。

柏倉委員 スマホにはほとんどLINEがついていて、高校生は六割ぐらいスマホを持っていて、中学生も三割ぐらいスマホを持っているということなんです。

 今おっしゃった、無視するとLINEを外される、これは既読無視というらしいんですが、これで友達から外れてしまうとなかなか復帰できないという、非常に世知辛いウエブ上のシステムみたいです。LINEが完全にいじめの温床に実はなっちゃっている、便利だけれども。既読というのが、やはり、これは災害対策として生まれた機能らしいんですが、既読にするとわかる、読んでいなければそれもわかるということなんです。このアプリ、だんだんだんだんこれが中学、高校生の生活をむしばんでいる現状を、非常に私は個人的にも憂えております。

 そこで、戻りますと、橿原市の女子中学生の自殺の原因となっているであろうLINE、インターネットいじめ、これの撲滅に向けて国が全力でしっかりと取り組んでいかなければいけないと私は思っております。

 先ほどのいじめの防止対策推進法でも、インターネット上に発信された内容の削除を求めたり、発信者の情報の開示を求めたりする場合、法務当局の協力を求めることができるというふうにされておりますし、国や自治体がインターネットのいじめを監視する機関や団体を支援することも入っているということですが、これはまだキックオフされたばかりだと思うんですが、では、現状、サイバーパトロールというんでしょうか、こういったものをやっているのかどうか。あくまでも通知を受けてやっているのか。定期的なパトロールをやっているのかどうか。そして、サイバー対策、やはりもっと積極的にいじめに関してはやっていくべきじゃないのか。そこのところの政府の見解を聞かせていただければと思います。

前川政府参考人 御指摘のとおり、近年、携帯電話やパソコンを通じまして、インターネット上のウエブサイトの掲示板などに特定の子供の悪口や誹謗中傷を書き込んだり、メールを送ったりするなどの方法によりいじめを行う、ネット上のいじめが深刻な問題となっております。

 このようなネット上のいじめの問題に対応するため、各地域において、掲示板やブログ等のインターネットの状況で、誹謗中傷の書き込み等がないかなどをパトロールする学校ネットパトロールの取り組みが広がっているところでございます。

 平成二十二年十二月時点の調査がございますが、この調査によりますと、約七〇%の都道府県、指定都市、また約一〇%の市町村が何らかの形で学校ネットパトロールを実施しているという調査結果がございます。これらによって、問題のある書き込み等に対する抑止力とトラブルの早期発見の効果が見込まれるところでございます。

 文部科学省では、学校ネットパトロールの取り組みをなお一層推進するために、平成二十六年度予算により、いじめ対策等総合推進事業の中で、学校ネットパトロールを新たに実施する都道府県等の取り組みを財政的に支援しているところでございます。

 ただし、先生の御指摘のとおり、これらは第三者からのアクセスが可能なインターネット上のサイト等の対策でございまして、メール等の個人同士のやりとり、LINEも含めますが、こういったやりとりまでを監視するものではございません。

 このため、情報モラル教育の推進や家庭に対する普及啓発など、さまざまな取り組みを並行して進める必要があると考えておりまして、そのような方向で取り組んでいるところでございます。

柏倉委員 やはり、例えば裏掲示板みたいなのがあって、そこでかなり個人的な誹謗中傷を書き込む、こういうのは確かに削除要請をしたり対応できると思うんですが、LINEのところはクローズドなサークルになっていますから、そこにいかに立ち入るか、これは現実的にはかなり厳しいわけです。そこのところをいかにアクセスをできるようになるか。これはプライバシーの侵害の問題も出てきますからそう簡単な問題ではないんですが、ただ、今、LINEが完全にいじめの温床になっていますので、これはぜひ、先ほど大臣もおっしゃいましたけれども、子供の生活をむしばんでいる、勉強できない、気にしちゃって食事も喉を通らないというようなことが実際にあるということですから、このLINE対策、いじめに係ることだけではなくて、しっかりと行っていただきたいと思います。

 それでは、いつも三十分なんですがきょうは二十五分なので、ちょっと時間があれなので。せっかくですから、済みません、ちょっと本件に余り関係ないんですが、国際学習到達度調査、PISAについてお伺いしたいと思います。

 昨年の十二月、国際学習到達度調査、PISAが、これは二〇一二年のものですけれども、発表されました。そこでは、落ち込んでいた日本の子供の読解力、数学的応用力、科学応用力、全てにおいて成績が向上した結果になっておりますが、この件に関する大臣の御所見を賜りたいと思います。

下村国務大臣 御指摘のように、PISA二〇一二の我が国の結果は、読解力、科学的リテラシーの二分野において、調査開始以来初めてOECD諸国中トップ、数学的リテラシーについてOECD諸国中二位と、全分野において下位層の割合が減少し上位層の割合が増加するなど、過去最高の結果でありました。

 その要因としては、文部科学省、各教育委員会、学校等が一体となってこれまで進めてきた、一つには習熟度別指導など少人数教育の推進によるきめ細やかな指導体制の整備、あるいは、いわゆるゆとり教育から脱却をし、学習指導要領に基づく基礎的、基本的な知識、技能と、思考力、判断力、表現力など確かな学力を育成するための取り組み、また、全国学力・学習状況調査の実施による教育施策や教育指導の改善の取り組みなど、着実な成果を上げてきているものと考えております。

 今後とも、世界トップレベルの学力と規範意識を備えた人材を育成するため、一層の取り組みを進めてまいりたいと考えております。

柏倉委員 まことに喜ばしい結果なんですけれども、その一方で、ちょっと私が気になったのはほかのところです。数学に関して言いますと、例えば、数学を勉強しているのは楽しいからであるというような、興味、関心、楽しみというカテゴリーがあるんですが、これに関して言うと下から六番目だったんです。動機づけ、これは数学を将来仕事に役立てたいというような動機づけ、これが下から二番目。自己効力感、数学に自信があるかどうか、これは下から三番目。自己概念ですか、数学が得意科目だと思う、これは最下位になっているわけです。

 成績はよかったかもしれないけれども、動機づけ、自己効力、自己概念、こういったものが低いというのが一体何を意味するのかなと考えたときに、私は、これはやはり、自分に対する自信というものが、これはかなり言われるんですが、いつでも、自信がどうしてもやはりついてこないのかな。これからはやはり創造力というところ、クリエーティビティーで日本というのは世界に伍していかなきゃいけない。この創造力に一番大切なものは、自分の創造力に対する自信だというようなことをおっしゃる方もいらっしゃいます。私も確かに一理あるなと思うわけでございます。

 そこで、どうやって子供の創造力を育てていくのか、どうやって自分の創造力に対する自信を涵養していくのか、これを最後に大臣に聞いて、質問を終わらせていただきたいと思います。

下村国務大臣 御指摘のように、PISA二〇一二の調査結果において、数学に対する不安を感じている生徒の割合、OECD平均と比べて高い水準にある、また、数学を有用と感じている生徒の割合、OECD平均と比べて低い水準にある、こういう結果が出ているわけであります。

 数学的リテラシーが中心分野だった二〇〇三年調査と比べると、数学を有用と感じている割合について、有意に上昇はしておりますが、改善が見られるとはいえ、全体としては引き続き大きな課題であると思いますし、柏倉委員が御指摘のように、今教育で本質的に問題なのは、我が国の子供たちにどう自分に対する自信、また意欲を持たせるような教育をするかということがやはり問われているのではないかと思います。

 子供たちの学習に対する自信を深めるために、具体的には、学習への有用感を高めつつ、子供たちの創造力や問題解決能力を育んでいくような教育をどうしていくか。そのために、例えば観察や実験、体験的な学習などを取り入れ、児童生徒の興味、関心を高め、達成感や成就感などを味わわせる授業の充実をしていくとか、また、補充的な学習や発展的な学習、習熟度別指導など、個に応じたきめ細やかな指導の充実を図っていくとか、さらに、全ての教育活動における説明、論述、討論などの児童生徒の主体的な言語活動を通じた思考力、判断力、表現力等や学習意欲の育成などに取り組んでいくことが必要だと思います。

 私は、試しに、これは高校一年生レベルではあったんですが、土曜授業の一環で、みずから、隗から、文部科学省職員に、ぜひ土曜授業、全員に講義に行けと言っている立場から、先頭に立って昨年の十二月に小学校に行って、小学校五年生の子供たちにこのPISAの問題を一問出したんですが、実際はほとんどの子が解けました。

 その中で、興味、関心をどう持たせるかということによって、自分たちの生活感に沿った身近な問題等で関心を持たせるようなやり方をすれば、これは子供たちのマインドを変えていくような工夫が学校教育の中でも相当できるのではないか、そんな感想を持ちました。

柏倉委員 どうもありがとうございました。

 時間ですので終わります。ありがとうございました。

小渕委員長 次に、井出庸生君。

井出委員 結いの党、信州長野の井出庸生です。きょうもよろしくお願いをいたします。

 きょうも、これまでも伺ってきました政府案における新教育長の資質、求められる新教育長の像についてもう少し伺っていきたいと思います。

 現行の中で、教育長が、教職員出身者がどれぐらいいるか、そういったことはこれまで議論にありまして、例えば、都道府県の教育長は約三四%が教職員経験者であって、市町村の教育長を見れば、教職員経験者が七割近くになる、そういった話もこれまで出てきたかと思います。

 きょう私の方からお伺いをしたいのは、都道府県の教育長のうち行政経験のある人、これは、県庁の職員ですとか、教職員から一旦県庁の教育部局に入ったりですとか、また、文部科学省からも出向されているケースもあるように伺っておりますが、そうした行政経験のある人が都道府県の教育長においてどのくらいいるのか。また、その一方で、今私がお話しさせていただいたケースと全く関係ない、行政経験の全くない方を教育長としている都道府県というのが実際あるのかないのか、まずそこを伺いたいと思います。

前川政府参考人 私ども、二年に一度、教育長に関する調査をしておるわけでございますけれども、直近のものが平成二十三年五月一日の時点のものでございます。この五月一日時点で四十七都道府県について調べますと、全く行政経験のないという教育長はおりませんでした。教育行政を経験している者、これが三十六人、また、一般行政を経験している者が二十九人、これは重複がございます、両方経験しているという者もございますので。そういう形で、行政経験は全ての教育長が持っている。

 これは平成二十三年五月一日現在のものでございますけれども、二年に一度の調査でございますので、二十五年五月一日の時点のものが今ございませんけれども、現時点でどうなっているかということは、全体像をつかんでおりませんけれども、大阪府の中原教育長は行政経験はお持ちでないだろうと考えております。

井出委員 ありがとうございます。ことしの、最新の状況はまだないということですが、直近の調査を見れば、都道府県の教育長でいえば全ての教育長が行政経験がある、そういう数字だったと受けとめております。

 これまで御質問させていただいた中で、これからの新教育長、必ずしもそうした行政経験がなくても、首長の最も信頼できる人を幅広く任用していけばいいのではないか、そういうお話を先日大臣からもいただいていると思うのですが、こうした直近の数字を見ますと、私は、外部から人を呼んでくるということが実態としてはかなり難しいというか不可能ではないかなと思うんですが、大臣の見解を伺いたいと思います。

下村国務大臣 今の報告は都道府県の教育長ということでありましたが、これは、都道府県知事の人脈、ネットワークにもよるのではないかというふうに思います。

 その中で、既存の教育行政経験者ということではなくて、民間の中でも教育長にふさわしい人はいるのではないかと思いますが、そういうネットワークがないと、余りリスクを負ってまで、教育長というのは、やはり何かあったときは知事の責任にもなりますから、その辺で、結果的には無難な線ということで選ばれていることもあるかもしれません。

 これは、今後、その自治体における教育行政、そして、それぞれの地域の子供たちにとってよりよい教育を目指すというところから、ぜひベストチョイスするような形で教育長の任命についても考えていただきたいと思います。

前川政府参考人 申しわけございません。先ほどの答弁に誤りがございましたので、訂正させていただきます。

 二十三年五月一日時点で、いかなる行政経験も持っていないという方が一人いらっしゃいました。これは岐阜県の松川教育長でございますが、この方は、大学の教授から教育長に任命されたという方でございます。

井出委員 この問題、きょうの冒頭に概要報告があったかと思うんですけれども、二十三日の地方公聴会で、私、仙台に行きましたときに、仙台市の奥山市長、奥山市長は教育長も御経験されて仙台市長をされているんですが、奥山市長の御発言の中で、奥山さん御自身は市長になられてから教職員出身者と行政経験者をどちらも任用しました、できれば交互に任用をしたいというお話があって、教職員しか知らないというのでも困りますし、教育現場を知らない役人というのも困るんですが、ただ、そうした事務に通用していないと、詳しくなければ、やはり今大臣がおっしゃったようなリスクがあるというようなお話をされていたんです。

 私は、教育委員会を政府案で残した、そのときに、教育委員長が残って、教育委員長が首長に対してしっかりと物を言えるのであれば、教育長というのは、その事務に精通して、そこの部分が一番能力として問われると思うんですが、政府案が始まったときの新教育長という、教育委員長の役も一本化する新教育長は、教育の中立性の部分をしっかり担っていかなければいけないと思っております。

 ただ、現在の仙台市長のお考えを伺っていても、また先ほどの数字を伺っていても、法律が改正されて、そこの教育長に対する首長さんの考え方ががらっと変わるのかなというところはやはりどうしても疑問と言わざるを得ないんですが、もし御見解があれば、例えば法律の趣旨を御説明する機会とかがこれからあるのかないのかわかりませんが、そこの解決策というものを、もしお考えがあればいただきたいんですが。

下村国務大臣 質問の趣旨がいま一つちょっと理解できない部分があるんですが、教育委員長がいたときの方が、では、本当に首長に対して識見を持ったいろいろな意見をスタンスとして持って言えていたのかどうかということを考えると、それはやはり人物次第のところもあると思うんですね。

 今回の改正案は、教育委員長と教育長を一本化したことによって、よりなかなかそれが難しくなるんじゃないかという御質問かなと受けとめましたが、これはやはり、どんな人が教育長になるか、それから、教育委員会そのものは、これは存続するわけでありますから、その教育委員がどんな人が選考されるかということであるわけでありまして、新たな教育委員会制度の中では、特に総合教育会議が設けられる、この総合教育会議の中には、首長が主宰をしますけれども、教育長だけでなく他の教育委員の方々も参加をするということもできるわけでありますし、また、そういう形態が一般的になってくるのではないかと思います。さらにそこに有識者も入るということでありますから、よりそこの自治体におけるこれからのあるべき教育について、こういう総合教育会議等を通じて、より住民の声を反映しながら、また対応が柔軟にできるような、そういう教育行政が今まで以上に行われるというふうに期待をしております。

井出委員 私は、これまでのように教育長が首長の事務方、言い方は悪いですけれども、イエスマンの人がみんななってしまったら困るのではないかということは前にも申し上げてきたんですが、それは実際、たしか十八日に参考人で来ていただいた三鷹の教育委員長、教育長経験の貝ノ瀬参考人も、現行の制度の中で教育長が首長に盾突くというようなことは、自分も何人も教育長と会ってきたけれども、盾突くということはないんだ、そういうお話もあったんです。

 だから、私は、もしこの政府案をやっていく、新教育長を各地で選任していくのであれば、やはり大臣が先ほどおっしゃったような発想で人物選考を考えていただきたいなと思いますし、今の都道府県を見ても、もうほとんどが行政経験出身者という事態は、これは大きく変えていくべきではないかと思うんですが、端的に伺いまして、新しい法律が始まった後に役人がいっぱい教育長になる、ならないの是非についてはどのようにお考えでしょうか。

下村国務大臣 現在でも、教育長には民間人や国からの出向者が外部人材として登用される事例というのはあるし、実際できるわけですね。

 改正案における教育行政に識見があるものについては、教育委員会事務局や教職員の出身者だけでなく、教育行政を行うに当たり必要な資質を備えていれば幅広く該当するものであるわけでありますから、引き続き外部人材を登用されるということは可能ですし、逆に、ぜひそういうふうにしていただきたいと思います。

 また、新教育長は、首長から独立した教育委員会を代表し、その権限に属する全ての事務をつかさどる重要な職責を担うものでありますから、これにふさわしい資質能力を備え、首長ともしっかり議論できる人材が任命されることが必要だというふうに思います。

 その盾突くという言葉が適切かどうかというのは、ちょっといかがなものかというふうには思いますが、そういうふうに対等に教育について議論をしながら、そして責任を持って進めていく、そういう識見のある人が教育長としてなることは、これは大変望ましいことだと思います。

井出委員 実際、始まってみてからの人の任用、運用のところにかかわってくる問題ですので、なかなか議論は難しいところではあると思うんです。大臣の御趣旨はしっかりと受けとめさせていただきました。

 次に、市町村の規模に応じた教育行政のあり方ということでちょっとお話をさせていただきたいんです。

 これも二十三日の地方公聴会で仙台市の奥山市長の御発言の中にあったんですが、仙台市は政令市なので特に問題はないんですけれども、町村などを見た場合に、人員の厳しい自治体があって、規模に応じてどのように運用していくのかが課題だと。その運用は何の運用のことを指していたのか、奥山市長も御発言の中では具体的にはおっしゃられていなかったんですが、その後の発言の中では、小規模の自治体はどうしても人が少なくて、むしろちょっと気の毒に思うようなところもありますというような御発言もありました。

 私が伺いたいのは、今回、政府案で総合教育会議を設置する、大綱を策定していく、この二つを全ての市町村がやる必要性、これは全ての市町村に本当に必要なものなのかどうかというところを伺いたいと思います。

下村国務大臣 まず、教育委員会そのものが、小さな町村においては実際事務職員も余りいないというところの中で、今までも議論になっている議事録の公開等相当大変な教育委員会もあるということは、率直に言ってそのとおりだというふうに思います。

 ただ、全国どこでも責任ある地方教育行政を築くという観点から、統一的な教育行政の仕組みであるということが必要であり、総合教育会議の設置及び大綱の策定は、都道府県それから市町村、全ての地方公共団体において実施するということにしております。

 この点、総合教育会議は、首長と教育委員会を構成員とするものでありまして、既に全ての地方公共団体に設置されている執行機関同士で会議を行うものであるため、地域の実情に応じて過度の負担とならないよう適切に運用することが、これはもう可能であるというふうに考えます。

 また、大綱の策定についても、大綱は、地方公共団体における教育の目標や施策の根本となる方針を定めるものであり、詳細な施策の策定まで求めるものではないということから、小規模市町村においても特に負担が大きくなるというふうには考えておりません。

 また、この改正案について先日全国町村会の会議において担当局より説明をしたところでありますが、特段懸念の声は聞かれなかったということであります。

井出委員 特に大きな負担ではなく、全国統一のものをやっていくことが必要だというお話だったんですが、きょうはちょっと時間がないので聞きませんが、これまでの議論の中で、よく日本維新の会の中田議員などは、横浜市はうんと学校が多い、教育委員会が一つで本当にいいのかというような議論もありましたし、そういったところをもう少し長期的な課題として見ていくべきなのかなと私は思っております。

 最後に、民主、維新案の提出者に伺いたいのですが、民主、維新案は、端的に責任は首長にあると。その責任の明確さと、しかし一方で、本当に大丈夫なのかというところがあると思うんですが、私は、民主、維新案というのは、教育行政におけるそうした地域の主体性や裁量を首長の責任でやっていける。首長の暴走というのが、例えば教育の中身ですとか、そういったところに皆さん懸念はあるかと思うんですが、教育の中立性を保っていくような、制度設計も含めて、首長の責任で、自治体の規模に応じたいろいろな運用が、教育行政というものができるのではないかなと思うんですが、そのあたりのお考えを伺いたいと思います。

鈴木(望)議員 済みません、ちょっと風邪で声がかれていまして、申しわけありません。

 民主、維新の法律案は、今御指摘の点について申し上げますと、特に地域の主体性とか裁量を増すためにこういう制度設計をしたというものでは、直接的にはそういうことではございませんで、地方教育行政における執行機関を変更するもの、つまり、執行機関である教育委員会を廃止し、首長を教育行政の最終責任者とするものでありまして、教育行政に関する国と地方の役割分担について変更を加えるものではないというふうに承知をしております。

 もっとも、本来地方の自主性が発揮されるべき分野について、子供たちのためになる可能性が高い施策についても、従前は、前例がないということで、今まで教育委員会が行われなかったことが多々あるのではないかというふうに思っております。

 そのような点について、地方教育行政の責任主体である首長が民意を酌み取り教育行政を運営していくことにより、俗に言われております、文科省からの上意下達の現行の教育委員会による教育行政よりも地域の主体性があらわれ、抜本的な教育改革となるというふうには考えているところでございます。

 また、つけ加えますと、将来的には全国各地において地域住民の意向が学校運営に反映されていくべきとの考えから、この法律の施行後できるだけ速やかに、原則として地方公共団体の設置する全ての小学校及び中学校に学校運営協議会が置かれるようにすることに向けて検討を加え、必要な措置を講じる旨の規定を置くこととしたところでございます。

井出委員 時間になりましたので、また引き続き、後日よろしくお願いいたします。

 ありがとうございました。

小渕委員長 次に、宮本岳志君。

宮本委員 日本共産党の宮本岳志です。

 政府の教育委員会制度を変える動きには、多くの国民、教育関係者が危惧を持っております。その中心は、教育の独立と民主主義が壊され、戦前のような暗い時代に向かわないかという強い懸念だと思うんです。

 ところが、下村文科大臣は四月八日の大臣会見で、戦前、戦時下の教育の根本を定めた教育勅語を、そのものの中身は至極真っ当なことが書かれていると思う、こういう発言をいたしました。これは重大な発言だと私は思うんです。

 これまで、教育勅語には悪い中身もあるがよいことも言っていると発言した大臣は何人もおりましたけれども、中身が至極真っ当だと発言したのはあなたが初めてだと私は言わざるを得ないです。

 教育勅語の中身で、悪い中身、否定すべき中身はないという認識ですか。

下村国務大臣 私が申し上げた中身というのは、その徳目的な部分です。この徳目は、至極真っ当な、今でも十分通用するというか、これは戦後とか戦前関係なく、あるいは国を関係なく、この教育勅語の十二の徳目でありますが、中身そのものについては普遍性があるというふうに思います。

 ただ、言葉の文言、例えば皇民とか、そういう言葉については、それは適切でない言葉はあるというふうに思います。

宮本委員 真っ当なことも書いてあると。その中身はおっしゃるとおり十二の徳目という話でありますけれども、教育勅語というものは十二の徳目だけを書いているわけではないです。

 では大臣、教育勅語の中で、真っ当でない中身、否定すべき中身は一体どういうものであるか、お答えいただけますか。

下村国務大臣 例えば、教育勅語の「我カ臣民、克ク忠ニ克ク孝ニ、億兆心ヲ一ニシテ、世々厥ノ美ヲ済セルハ、此レ我カ国体ノ精華ニシテ、教育ノ淵源、」云々とありますが、例えば「我カ臣民」、こういう言葉は、これは現代的に言うと我が国民という言葉で、臣民も我がということも適切ではない。

 そういう意味では、現憲法下における国民主権ということを考えれば、「我カ臣民」という言葉は、これは適切ではないと思います。

宮本委員 いやいや、臣民という言葉は、この時代の国民を明治憲法のもとで呼んだ言葉であって、それだけですか。

 では、具体的に中身そのものに入っていくんですけれども、臣民というこの言葉は横に置くとして、「克ク忠ニ克ク孝ニ、億兆心ヲ一ニシテ、世々厥ノ美ヲ済セルハ、此レ我カ国体ノ精華ニシテ、教育ノ淵源、亦実ニ此ニ存ス。」この部分は否定すべき中身ではありませんか。

下村国務大臣 昔の言葉でそのまま言うと誤解される部分があると思いますが、「教育に関する勅語の全文通釈」という、これは文部省の図書局が発行している現代語訳、これがあります。この中でそこのところを例えば読み上げると、「わが臣民はよく忠にはげみよく孝をつくし、国中のすべての者が皆心を一つにして代々美風をつくりあげて来た。これはわが国柄の精髄であって、教育の基づくところもまた実にこゝにある。」ということであります。

 この中で「わが臣民は」ということは適切でないと思いますが、中身そのものについては、まさに日本の国柄をあらわしていると思いますし、これは別に否定することではないと思います。

宮本委員 いやいや、それはそういう訳にならないと思うんです。

 私はここに、これは戦前の文部省が教育勅語についてつくったまさに公式の解説書ですよ、井上哲次郎氏の「勅語衍義」というものを改めて持ってまいりました。「勅語衍義」はこの部分についてどう述べているか。「天皇陛下ノ命令ニ従フコト、恰モ四支ノ忽チ精神ノ向フ所ニ従ヒテ動キ、毫モ渋滞スル所ナキガ如クナルニアリ、」つまり、教育の基本というのは、臣民、国民が天皇に忠孝を尽くし、心を一つにすることにあるというのが、教育勅語のここの部分のまさに中身なんですね。

 これは、まさにここを否定しなければ、戦後の教育の出発点すら間違ってしまうと言わざるを得ませんが、そう受けとめておられませんか。

下村国務大臣 私が今引いたのも、これは文部省の図書局の「教育に関する勅語の全文通釈」でありまして、今私が申し上げたようなことの中で、臣民という言葉はこれは適切でないというふうには思いますが、先ほどの、日本人としての国柄あるいは日本国としての国柄そのものは否定すべきことではないのではないかというふうに申し上げているわけであります。

宮本委員 では、国柄ということだけで見ても、「此レ我カ国体ノ精華ニシテ、教育ノ淵源、亦実ニ此ニ存ス。」ここで言われている「国体」、これは今でも別に通用するものだ、こうお感じになりますか。

下村国務大臣 もう一度申し上げますが、「忠にはげみよく孝をつくし、国中のすべての者が皆心を一つにして代々美風をつくりあげて来た。これはわが国柄の精髄であって、教育の基づくところもまた実にこゝにある。」この言葉自体は何ら否定すべき言葉ではないと思います。

宮本委員 では、もう一つ聞きましょう。

 あなたが、「父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ、朋友相信シ、」云々、こういうところに並ぶ徳目が真っ当だと思っておられることはわかっているんです。

 ただ、これも「勅語衍義」でいいますと、例えば「夫婦相和シ」というのはどういう意味かといいますと、国家の安定のために夫婦の相愛を求め、「妻タルモノハ、夫ニ柔順ニシテ、妄ニ其意志ニ戻ラザランコトヲ務ムベシ、」男女平等とはほど遠い解説になっております。

 さて、このいわゆる十二の徳目のうちの最後のもの、「一旦緩急アレハ、義勇公ニ奉シ、以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ。」これは真っ当な中身ですか、否定すべき部分ですか。

下村国務大臣 相当解釈が違っているのではないかと思いますが、教育勅語の十二の徳目、これも、現代語訳としての教育勅語の十二の徳目というのが一般的に流布されているものとして、これは例えば孝行というのは、親に孝養を尽くしましょうとか、それから友愛というのは、兄弟姉妹は仲よくしましょうとか、それから夫婦の和というのは、夫婦はいつも仲むつまじくしましょうとか、それから朋友の信というのは、友達はお互いに信じ合ってつき合いましょうとか、そういう、先ほどから申し上げているように、これは、戦前戦後、あるいは国を超えて、ある意味では普遍的な徳目ではないかというふうに思いますし、こういう徳目について何ら否定するべきことではないのではないかと思います。

 それから、今御指摘のあった点でありますが、これも文部省の図書局の「教育に関する勅語の全文通釈」の中で現代語訳をいたしますと、「万一危急の大事が起ったならば、大儀に基づいて勇気をふるひ一身を捧げて皇室国家の為につくせ。」こういう言葉なわけです。

 この中で「皇室国家」という言葉は、これは現代において当てはまらないというふうに思いますが、しかし、何か我が国が危機に遭ったときにみんなでこの国を守っていこう、そういう姿勢そのものは、これはある意味では当たり前の話だと思います。

宮本委員 これも驚くべき答弁ですよ。あなたの訳でも一身をなげうって尽くせという話について、至極真っ当だと。そんな話を言ったら、それこそ戦前の反省というのはどうなるのかということを言わざるを得ません。

 「勅語衍義」でこの「一旦緩急アレハ、義勇公ニ奉シ、」というのはどういう説明になっているか。これは当時文部省が公式の解説書としてつくったものですけれども、この中を見ますと、「世ニ愉快ナルコト多キモ、真正ノ男子ニアリテハ、国家ノ為メニ死スルヨリ愉快ナルコトナカルベキナリ、」とまとめているんですね。まさにそう解説していますよ。

 皇運というのは、先ほど大臣が述べられたとおり、天皇、皇室の命運です。要するに、天皇のために死ぬことが最も愉快なことだと、まさにその時代、教育勅語を使って子供たちに教えたわけです。こんなものが適切でないのは当たり前じゃありませんか。いかがですか。

下村国務大臣 答弁を正確にお聞きになっていただきたいと思うんですが、私も、皇室、国家のために尽くせということは適切でない。しかし、何かがあったときには国のために守ろうということは、国民にとって当たり前の話です。その守るものが皇室とか国家ということじゃなくて、自分の、ある意味では共同体ですね、これを守ろうという姿勢を持つことは、それは当たり前の話だと思います。

宮本委員 何かがあったときには一身をなげうって、皇室とは言わないが、国家その他のものを守るべきであるということをこれから子供たちに教える、それは適切だと。そんなことを言ったんじゃ文部科学大臣は務まらないと。私は、これは引き続きはっきりさせなければならない問題だと思っております。

 実は、教育勅語は現にそのようなものとして子供たちに教え込まれ、そしてその結果、戦前の教育は多くの若者を戦場に送り出したのが歴史の真実でありました。だからこそ、その反省に立って、戦後直後の国会では、この勅語の排除あるいは失効確認が衆参両院で全会一致で可決をされております。

 一九四八年六月十九日、衆議院本会議で教育勅語等排除に関する決議が全会一致で可決をされました。決議では、「思うに、これらの詔勅の根本理念が主権在君並びに神話的国体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ国際信義に対して疑点を残すもととなる。よつて憲法第九十八条の本旨に従い、ここに衆議院は院議を以て、これらの詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言する。政府は直ちにこれらの詔勅の謄本を回収し、排除の措置を完了すべきである。」と述べております。

 大臣、この決議は今日でも有効である、お認めになりますね。

下村国務大臣 もちろん有効です。

 ただ、私が申し上げているのは、主権在民の観点から見て、この教育勅語の文言については適切でない、それはそのとおりだというふうに思いますが、何回も申し上げていますが、その中の徳目的な中身については普遍的なものがあるのではないかというふうに申し上げておりますけれども、前回もほかの委員から質問がありましたが、戦前の教育勅語をそのまま復活しようとか、そういう考え方は全く持っていないということであります。

宮本委員 この国会決議は、あなたが言うように、至極真っ当なことが書かれているとは一言も言っていないわけです。根本理念が主権在君並びに神話的国体観に基づいている事実は、明らかに基本的人権を損ない、かつ国際信義に疑点を残す、こう述べております。

 当時、この中に一部、徳目など通用するものがあるんじゃないか、そういう議論もあったけれども、いやいや、それも含めてこういう形で失効を確認する、排除するということを国会の議をもって決議したわけです。

 この決議を受けて、当時の森戸辰男文部大臣は教育勅語の思想的背景について何と述べているか、局長、お答えいただけますか。

清木政府参考人 御質問の昭和二十三年六月十九日衆議院本会議におけます当時の森戸辰男文部大臣の発言でございますが、「思想的に見まして、教育勅語は明治憲法を思想的背景といたしておるものでありますから、その基調において新憲法の精神に合致しがたいものであることは明らかであります。教育勅語は明治憲法と運命をともにいたすべきものであります。」という内容でございます。

宮本委員 同じ文部大臣でも、あなたと大違いだと言わなければなりません。

 さらに、二〇〇〇年、当時の森喜朗首相のいわゆる神の国発言が大問題になったとき、五月二十二日衆議院決算行政監視委員会で、我が党の志位和夫議員が森首相と教育勅語をめぐって議論をいたしております。

 このときも、当時の森首相は、「夫婦でありますとか、兄弟でありますとか、あるいは父母にというところは、私は永遠のやはり大事な真理ではないか」などと述べつつも、教育勅語には当然否定すべきものもあると答弁しております。

 局長、それは何でありましたか。

清木政府参考人 御質問の、平成十二年五月二十二日の衆議院決算行政監視委員会におけます当時の森内閣総理大臣の答弁でございますが、「いわゆる超国家的主義、あるいは国の命令で何をしてもいいんだとか、そういう考え方は当然否定すべきものだというのは当然じゃないですか。」という内容でございます。

宮本委員 当時の森喜朗首相も、教育勅語そのものの中身は至極真っ当なことが書かれているなどとは言っておりませんね。皇国史観的なことは認めるわけにいかない、超国家的な思想はよくないとはっきり答弁をいたしました。

 続いて、二〇〇六年六月二日、第一次安倍内閣における教育基本法改悪に向かう教育基本法に関する特別委員会で、民主党のある議員が教育勅語の現代訳を配付して、「一体、歴史的に、教育勅語というものの中身で何が悪かったのか、」と当時の自民党政府に迫ったんです。

 このとき、当時まだ内閣官房長官だった安倍晋三現総理は、教育勅語の中身のどこに問題があると答弁しておりますか、局長。

清木政府参考人 御質問の、平成十八年六月二日の教育基本法に関する特別委員会におけます当時の安倍内閣官房長官の答弁でございますが、そのまま読ませていただきます。

 「この原文につきましては、いわば皇運という言葉がされていたり、いわば新憲法の理念、教育基本法が制定されたときにはまだ旧憲法でありますが、既に新憲法はつくられていたわけでありますが、その中で新たな教育の理念を定めたものが教育基本法である、このように思うわけでありまして、戦後の諸改革の中で、教育勅語を我が国教育の唯一の根本とする考え方を改めるとともに、これを神格化して取り扱うことなどが禁止され、これにかわり、我が国の教育の根本理念を定めるものとして昭和二十二年三月に教育基本法が成立されたものである、このように理解をいたしております。」という内容でございます。

宮本委員 まさに、当時の安倍晋三官房長官でさえ、これは、父母に孝、兄弟に友、夫婦相和しなどは大変すばらしい理念と言いつつも、皇運という言葉を挙げ、教育勅語には真っ当でない中身がある、そして、これが否定されて戦後の教育基本法が成立されたものであるという答弁をしておられるわけです。

 大臣、それをあなたは、ことし四月八日、参議院文教科学委員会の質疑でみんなの党の議員に問われて、「その内容そのもの、教育勅語の中身そのものについては今日でも通用する普遍的なものがあるわけでございまして、この点に着目して学校で教材として使う、教育勅語そのものではなくて、その中の中身ですね、それは差し支えないことであるというふうに思います。」と答弁をいたしました。

 教育勅語を学校で教材として使うことが差し支えないと答弁したのは、文科大臣としてあなたが初めてだと私は思うんですが、こんなことが許されるんですか。

下村国務大臣 宮本先生、正確に私の言葉についてやはり言っていただきたいと思うんです、議事録においても。教育勅語をそのまま使っていいと思うとは一言も申し上げていないと思います、そもそも。

 今いろいろと局長等から答弁されましたが、森戸辰男文部大臣の答弁、それから当時の森総理大臣の答弁、また安倍官房長官の答弁、この答弁と中身的に、言葉としては言い方は違いますが、その姿勢、考え方というのは全くこれは私も違っていないと思いますよ。

 先ほどから申し上げていますように、教育勅語そのものを復活させるとかまた使うということについてはこれは適切ではない、ただ、その中身の徳目については現代でも通用する部分があって、その中身の部分について今の子供たちに、例えば孝行とか、友愛とか、夫婦の和とか、朋友の信とか、博愛とか、そういう徳目的なものを教えるということについては問題ないということを申し上げているわけであって、教育勅語をまた復活させるべきだなんということは一言も申し上げていないということについて、これははっきり申し上げたいと思います。

宮本委員 その十二の徳目というものも一つ一つ私は随分研究しましたよ。当時のどういうふうに語られたかということを調べてみれば、例えば忠孝一体。親孝行の孝というのも、実は、忠という、国や天皇に対する忠誠と一体のものであるということが語られていますし、「一旦緩急アレハ、義勇公ニ奉シ、以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ。」というものに全てが係っていって、いざというときに全てをなげうっていけるように、日ごろから夫婦は仲よく、友達とも関係をきちっと努めておけという文脈になっているわけです。

 それで、今大臣は、教育勅語そのものを副教材でと言ったわけではないと。なるほど、そういうふうにおっしゃっております、この答弁は。先ほど私も正確に引用しましたよ。

 ところが、この同じ質問に対して、大臣の前に答弁に立った前川初等中等教育局長は、「教育勅語の中には今日でも通用するような内容も含まれており」、「これらの点に着目して学校で活用するということは考えられる」などと答弁をいたしました。大臣でさえ教育勅語そのものではないと条件をつけているものを、前川局長は、無条件に教育勅語を「学校で活用するということは考えられる」という答弁をしたんです。

 局長、これは重大な答弁ではありませんか。

前川政府参考人 教育勅語そのものを、その扱いも含めて戦前のような形で学校教育に取り入れることは、否定されるべきものと考えております。したがいまして、教育勅語そのものを教材として使うということは考えられないところでございます。

 一方で、教育勅語に列挙された徳目の中には今日でも通用するような内容も含まれており、その内容に着目して活用するということについてはあり得るのではないかということでございまして、大臣と同じ趣旨を申し上げたつもりでございます。

宮本委員 政治家がさまざまな政治的立場で述べるということはあっても、初中局長たるものが教育勅語の中に今日でも通用するものがあるというふうに答弁するというのは驚くべきことですよ。私は、そんなことは断じて認められないと言わなければなりません。

 少なくとも、無条件に教材として活用できるかのように答弁したこの答弁は訂正をしていただかなければならないと思います。

 同時に、大臣、教育勅語の文言には真っ当でないところもある、つまり、全てが真っ当だと言ったわけではないとおっしゃるわけだけれども、しかし、あなたが大臣会見で述べたことは、「教育勅語そのものの中身は、至極全うなことが書かれている」、こういうふうに、まるで中身は全部真っ当だと言わんばかりの表現になっているんですよ。ホームページにはその文言が載っているじゃありませんか。

 大臣、これは少なくとも訂正すべきだと思いますが、いかがですか。

下村国務大臣 それはまさに宮本先生の拡大解釈ですね。私が申し上げているのは……(宮本委員「いやいや、そう言っているじゃない」と呼ぶ)いやいや、さらに詳細に申し上げれば、徳目の点で、「夫婦相和シ」「朋友相信シ」、ただ、そのことも、宮本先生のその解釈でいったら、それはまさに皇国史観的な中での「夫婦相和シ」であったり「朋友相信シ」であったりということを言われましたが、私は、戦前でそういう言葉の使い方をされていたということがあったとしても、ただ、現在における「夫婦相和シ」とか「朋友相信シ」というのは、そういう意味でみんなが使っているわけじゃないわけですから、言葉の定義は言葉の定義として純真にそのまま受けとめるべきだというふうに思います。

宮本委員 教育勅語は十二の徳目だけを書いているわけじゃないと言っているじゃないですか。

 だから、中身が真っ当だというのは、真っ当なものもあるとおっしゃるならまだしも、中身は至極真っ当だと。全くおっしゃっていることとも違うので、撤回すべきだと私は申し上げているんです。

 撤回さえできないとしたら、まさに私の指摘どおり、安倍政権が本法案で教育委員会の独立を奪ってまで狙っているのは、侵略戦争を美化する安倍流愛国心教育の押しつけにほかならない、このことの何よりの証左だと言わなければなりません。

 戦前の軍国主義教育の中心に置かれてきた教育勅語を至極真っ当と公言してはばからないようなゆがんだ教育を子供たちに押しつけることは断じて許されないということを指摘して、私の質問を終わります。終わります。

下村国務大臣 まさに拡大解釈でありまして、私は、全ての内容が真っ当だとは一言も申し上げていません。真っ当な内容もあるということを申し上げているわけであります。

宮本委員 「も」とは言っていないんですよ。もう一度読んでください。

 終わります。

小渕委員長 次に、青木愛君。

青木委員 生活の党の青木愛でございます。

 本日は、先日、仙台の公聴会に参加をいたしまして、その際に伺った御意見を中心に質問をさせていただきます。

 まず、奥山仙台市長から伺った御意見の中に、仙台市は政令指定都市でありますので、政令指定都市の教育委員会が持っている事情とほかの基礎自治体とは全く違うということの指摘がございました。

 仙台市の教育委員会は、教員の人事権を持ち、また、各学校の校長はもちろん、各職員の人事異動も仙台市教育委員会として行っていることでございます。また、事務局体制も充実に努めており、各部局も整備をされていて、長年にわたって、指導主事等、直接学校運営にかかわれる、携われる能力を持った教職員の育成に努めてきたということの御報告を伺いました。

 一方で、これら人事権もしくは指導主事等の充実を図ることが困難な基礎自治体の教育委員会もあるということの指摘があり、この教育委員会制度の運用は、都道府県、政令市、中核市、市町村、各自治体の権限と財政力によって大きく異なるということの指摘がございました。

 役場の組織そのものが百人以下の規模の中では、教育行政も他の行政も何もかもが混然一体となって行わなければならず、余りその理論的な整合性であるとかそういうことにとらわれ過ぎず、むしろ、小さい中でそのメリットをどう生かして子供たちによりよい環境を与えていくかということを考えることが必要だという御指摘があり、青木陳述人からも、やはり制度と運用を区別して、運用状況の把握と検証が何より大事だという指摘をいただいてまいりました。

 これから新制度を導入するに当たって、この運用状況の把握あるいは検証、現時点でどのように行ってこの法制度の整備に向けて取り組みを行っているのか、お伺いをさせていただきます。

前川政府参考人 今回の法案の作成に当たりましては、現行の教育委員会制度がどのように動いているかということにつきましては、各種データによりまして検証したところでございます。

 市町村の教育委員会におきましては、教育委員会の開催頻度が月一回程度であるというようなことでありますとか、都道府県におきましてもこれが月二、三回という、そういった開催頻度の問題でありますとか、あるいは、教育委員会が会議を持つ場合の会議の持ち方でありますとか、また、教育委員会と教育長との関係、教育長と首長との関係などにつきましても、現状の分析を踏まえまして今回の法案を作成したところでございます。

青木委員 今後、こうした人手不足の町村あるいは離島、こういう地域に対して国としてどのような対応を行っていくのか、お伺いをしたいのですが、生活の党といたしますと、地方公共団体または国が設置する学校において義務教育に従事する教員は、全国的な見地からその人材が確保されるよう、国家公務員の身分を有するものとするという基本方針を定め、現在もその考えを持っているものでございます。

 こうした生活の党の考え方について、下村大臣の現時点での率直な感想でよろしいんですけれども、ぜひ御所見をいただければ大変ありがたいのと、今後、こうした人手不足の地域に対してどのように対応されていくのか。地域の多様性に鑑みてその裁量を残しておくとか、あるいは人材の手当てを国としてしていくのか、あるいは、人事と財源ともに地方に移譲していくそうした考えもあるのか。地域によって異なる事情の解決をどのように図っていこうとこの運用の中で考えておられるのか。その二点についてぜひお聞かせをいただければというふうに思います。

下村国務大臣 生活の党の教員に対する考え方については、共有できる部分がこれはあります。これは自民党でも、今三分の一の国庫負担補助ということでありますが、これを全額にすべきだという議論は、文部科学部会等で既に提起をされているところでもございます。

 つまり、義務教育でありまして、義務教育については国が責任を持つ、その責任の部分については財源を持つ、責任を持つという究極のあらわれとして一〇〇%国庫負担にすべきではないか、こういう議論はありますが、一方で、今は地方分権の流れの中で、教育については、設置主体も地方自治体が設置主体ということでありまして、この整合性をどうするかという意味で、国家公務員まで引き上げるということについては、行財政改革の観点からこれはいろいろな議論がありますが、ただ、財源的には、国がもっときちっと責任を担保することによって、そして過疎地とか離島とか、そういうところについても十分な人材確保が行われるようなことを国が考えるべきではないかということは、根底の考え方としてはそのとおりだというふうに思います。

 ただ一方で、それでは既存の小中学校を全部国立の小中学校にすればいいというふうにはやはりならないわけでありまして、そういう、国立の小中学校でないのに教員だけ国家公務員ということは、やはり形態的には整合性が合わないというふうに思うんです。

 ですから、その辺、一〇〇%の義務教育国庫負担ということを図りながら、それぞれの地方自治体における柔軟な判断が適切にできるようなそういう財源のあり方ということの考え方としては、それは共有できる部分がありますが、今の状況の中では、とても理解が全体的には得られにくいことでも一方であるというふうに思います。

青木委員 大変率直な御意見、ありがとうございます。

 そうですね、一朝一夕にはなかなか難しいとは思いますが、生活の党といたしましても、身分保障と地方分権は矛盾するものではないという考えのもとで取り組んでいきたいという考えを持ち合わせておりまして、また今後の議論にぜひ期待をさせていただきたいというふうに思います。ありがとうございます。

 それでは次の質問に入らせていただきまして、これも奥山仙台市長からいただいた御意見でございます。

 大綱についてでございますが、各地方自治体は、既に、教育の振興のための施策に関する基本的な計画として教育振興基本計画を策定をしております。そして仙台市では、奥山市長とそして教育委員会が十分に意見交換を図りながら、共通の認識を持って策定をしているところであるとのことでございます。

 総合教育会議において新たに策定することになります教育の振興に関する施策の大綱がどのような位置づけになるのか、既に策定している教育振興基本計画との関係が不明瞭であり、どちらが優位なのか、どちらかが追認しなければならないのかということで、大綱のレベルや内容によっては重複することもあり得るということで、国として、この大綱に盛り込むべき事項などについては、その策定に当たっての具体的な内容を示す必要があるのではないかという御意見をいただきました。

 既に委員会等でこれについても審議なされておりますけれども、再度、生活の党といたしまして、またこの点についてぜひ御確認をさせていただきたいというふうに思います。

前川政府参考人 教育基本法第十七条第一項におきましては、政府は、教育の振興に関する施策についての基本的な方針及び講ずべき施策その他必要な事項について基本的な計画を定めることとされ、第二項におきまして、地方公共団体は、国の計画を参酌し、その実情に応じ、地方公共団体における教育の振興のための施策に関する基本的な計画を定める努力義務が規定されているということでございます。

 今回の法案における大綱につきましては、国の教育振興基本計画の中の基本的な方針を参酌して、施策の目標や施策の根本となる方針についての策定を義務づけるものでございまして、詳細な講ずべき施策の策定までを義務づけるものではございません。

 地方公共団体におきまして教育振興基本計画を定める場合には、その中の施策の目標や施策の根本となる方針の部分がこの改正法における大綱に該当すると位置づけることができるものでございまして、首長が、総合教育会議において教育委員会と協議し、当該計画をもって大綱にかえることと判断した場合には、別途大綱を策定する必要はございません。

 なお、大綱に定める具体的な事項といたしましては、例えば、一定の目標年度までに全学校の耐震化を完了することでありますとか、学校の統廃合を推進することでありますとか、また、少人数教育を推進することでありますとか、そのような内容が考えられるわけでございますが、大綱に盛り込むべき事項につきましては、各地方公共団体の判断に委ねることが適当であると考えております。

青木委員 ありがとうございます。地元の主体性をしっかりと担保していただけるという御答弁だったというふうに認識をいたします。

 続いて、衆法の方の質問に入らせていただきます。よろしくお願いいたします。

 衆法の基本理念でございますが、「地方公共団体における教育行政は、教育基本法の趣旨にのっとり、教育の機会均等、教育水準の維持向上及び地域の実情に応じた教育の振興が図られるよう、国との適切な役割分担及び相互の協力の下、その責任体制を明確にした上で教育の中立性を確保しつつ、公正かつ適正に行われなければならないこと。」とございます。

 この民主、維新案の理念の中のこの「教育の中立性」というのは、一般的に言われている政治的中立性と何か違うのかどうかというところの確認をまずさせていただきたいと思います。

吉田議員 結論を申し上げると、いわゆる政治的中立性と同義でございます。

 この中立性ということにつきましては、まず、教育基本法の十四条二項で、「法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。」というふうに定められております。

 これは、学校が一党一派に偏した立場に利用されたり、あるいは、学校の教育活動自体が一党一派に偏したものであってはならないという趣旨だと理解しております。大変これは大事な概念であるということから、民主、維新の法案の第三条に基本理念として教育の中立性の確保と明記したところでありますが、いわゆる政治的中立性と理解していただいて結構でございます。

青木委員 そうしましたら、教育の政治的中立性というふうに一般に言われているので、政治的中立性と言い切れない何か事情があってあえてこう書いていらっしゃるのかなといううがった見方をしてしまったんですけれども、これは、「教育の中立性」というのは教育の政治的中立性ということでよろしいんですね。はい、わかりました。

 そうしましたら、この教育の政治的中立性、また継続性、安定性という部分、また、住民自治というこれまでの教育行政の理念、趣旨がございますけれども、それは変えないということであるとすれば、教育監査委員会、このチェック機関というものがよほどしっかりしたものでないと中立性あるいは継続性、安定性というのは保たれないだろうというふうに思うんですが、これをなぜ事後のチェックにしたのかも含めて、この教育監査委員会の果たす役割、具体的なところをぜひ教えていただきたいのですけれども、どういう体制にしていくのか。

吉田議員 この民主、維新の骨格は、要するに、地方教育行政における権限と責任の所在を明確にしよう、こういうことで、今まで首長と教育委員会に分散していたその二つを首長に一元化する、その首長の指揮監督のもとで教育長が教育に関する事務をつかさどる、こういうことにしてあるわけでございます。

 そうしますと、首長が余りに思いのままに権限を行使して、独善的なやり方をされて混乱しては困るということで、新たな機関として教育監査委員会を設置しようということでございます。

 そして、この教育監査委員会は、首長が処理する学校教育等に関する事務の実施状況に関して必要な評価及び監視を行い、そして、その結果に基づいて、首長に対して、事務の改善のために必要な勧告をする、そして、この勧告は議会にも報告するということであって、新しい教育監査委員会と議会、この二つで適切に監視が行われるようにしたいということでございます。

 また、首長によって、教育の振興に関する総合的な施策の方針、我々は大綱と言うんじゃなく方針と呼んでいますが、これが策定されるわけですが、これは、専門家のさまざまな人の意見を聞きながら、原則的には毎年度議会の議決を経て策定される、原則的には毎年度進捗状況を議会に報告するというような運用が想定されているところでございます。

 こういう制度も相まって、御指摘の、チェックが重層的になされる仕組みをつくっていこうということであります。

青木委員 御答弁ありがとうございます。

 議会との二重チェックということなんですが、議会というものもその政治的中立性を果たして確実に担保できるものかどうかということと、やはり教育監査委員会そのものの現実的な動きがまだちょっと見えてこない部分があって、ぜひ、説得性のある御説明を今後の議論の中でまた重ねてお願い申し上げたいというふうに思います。

 このチェック機能については、閣法についてもお伺いをしたいというふうに思います。

 教育委員が教育長をチェックする工夫も見られるんですけれども、これは、教育委員が民間の保護者であったりさまざまな職業の方々に入っていただいたりということの中で、執行機関の中にそのチェック機能も含んでいるという御認識であられるのか、この教育委員自身も執行側でありますので、きちんとしたチェックができるのかどうかという懸念もございます。議会の役割という指摘もあるんですけれども、議会の役割だけでそのチェック機能が果たして本当に働くのかどうかというところの懸念があるのでございます。

 閣法におけるチェック機能というのはどのような仕組みの中で考えられているのか。民主、維新案のような、今後、外部の監査機関によるチェック機能という必要性について大臣としてお考えにはなっていないかどうか。この点についてお聞かせいただきたいと思います。

前川政府参考人 まず、改正法案におけるチェック機能についての中身につきましてお答え申し上げます。

 今回の改正案におきましては、教育長の権限が強いものとなるため、教育長に対する首長や議会のチェック機能を強化するという観点から、教育長の任期を首長よりも一年短い三年としているほか、教育委員のチェック機能を強化するという観点から、教育委員の三分の一以上の委員から会議の招集を請求された場合には、教育長が遅滞なく会議を招集しなければならないこと、教育長が、教育委員会から委任された事務の管理、執行状況について報告しなければならない義務を課していることなどの規定がございます。

 また、教育委員会の会議の透明性の向上を図りまして、教育委員会に対する住民によるチェック機能を強化するという観点から、従来の教育委員会会議の原則公開という規定に加えまして、新たに、教育委員会会議の議事録を作成し、公表するよう努めなければならないということを新たに規定したものでございます。

 さらに、首長及び教育委員会に対する住民によるチェック機能を強化するという観点から、総合教育会議につきましても、会議を原則公開とするとともに、議事録を作成し、公表するよう努めなければならないこととしております。

青木委員 下村大臣の御所見はいただけますでしょうか、そのチェック機能について。

下村国務大臣 教育委員会に対するチェック機能ということで御質問を受けたのでしょうか。それについては、今後の新しい制度設計が国会で認められれば、その施行の中でまた適切に判断してまいりたいと思います。

青木委員 ありがとうございます。

 質問を、仙台の有見陳述人から土曜授業のことも言及がありました。そのことや、また、縦の行政系列の弊害等々についてもお伺いをしたかったのですが、ちょっと時間が中途半端ですので、最後に大臣の御所見を伺って質問を終わりたいと思います。

 やはり、この制度の改革のみではいじめがなくなるとは思えないわけでございまして、今日的いじめは、陰湿であったり、かつ、かげんを知らないという特徴があろうかと思います。そして、最近のITの普及によりまして、人間関係の希薄化も加速をしております。

 対策といたしまして、学校教育の中での合宿ですとか集団生活、あるいはボランティア活動などを取り入れて、対人関係を培う機会を積極的にふやしていくですとか、あるいは、週休二日の土曜日を活用して子供と地域の大人が一緒になって活動をしていくですとか、学校の閉鎖性を打破するために、社会経験を積んだリタイア組の方々を低給与で講師に招いたり、そうした形で社会に開かれた学校にしていくとか、少人数学級を進めて教師が生徒一人一人に目が届くようにするとか、こうした一つ一つの積み重ねも大切かというふうに思いますが、制度改革とともに、こうした取り組みについての大臣の御所見を最後に伺わせていただきたいと思います。

下村国務大臣 今、青木委員が取り上げられた事例は、まさにそのとおりだというふうに思います。

 制度をつくり、あるいはそのための法律案をつくって、それでいじめがなくなるわけではやはりないわけでありまして、社会全体の人間関係が希薄化し、特に子供たち、若い世代にとって、人間関係、コミュニケーション能力が希薄化する中、人間は社会的動物でもあるわけでありますから、あらゆる形で、今御指摘のような点を踏まえて、いろいろな形を取り組みながら、みんなで一緒に、しかし時には我慢し合いながら、認め合いながら共生し合うということを、体験、経験の中で、そして地域ぐるみ、あるいは家庭教育も大切だというふうに思いますし、あらゆる部分で子供たちを育むことによって、いじめを傍観もしない、加害者にも被害者にもさせない、そういう視点で教育を考えていくことは大変重要なことだと思いますし、そういうトータル的な取り組みをぜひしてまいりたいと思います。

青木委員 御丁寧な御答弁、ありがとうございました。

 質問を終わらせていただきます。

小渕委員長 次に、吉川元君。

吉川(元)委員 社会民主党の吉川元です。

 本日最後の質問者ということになります。大変お疲れのところ、もうしばらくお願いをいたします。

 私も、先日の地方公聴会、福岡の方に行ってまいりました。三人の陳述人の方、それぞれ本当に内容豊かな、示唆に富むお話を伺い、私自身も非常に勉強になったところでございます。

 恐らく、行かれた委員のそれぞれの皆様の受けとめはまたそれぞれ受けとめがあったのかなというふうに思いますけれども、私自身の受けとめから言いますと、率直に言わせていただいて、今回、政府案あるいは議法ということで出ておりますけれども、どちらに対してもやや不安を感じていらっしゃるというような受けとめをさせていただきました。

 例えば、現行の教育委員会と丁寧な意思疎通をしながら教育行政は行われている、そういうことでいうと今の状態でも十分機能しているというお話でありますだとか、あるいは、どちらの案になるにしろ、恐らく首長の言うことを聞いていかなきゃいけなくなるのかなというようなそういう不安でありますだとか、あるいはまた、首長の権限が強まると、やはりその首長によって教育の振れ幅に差が出るのではないかというようなそういう声も聞かれましたので、そういうことも含めまして少しきょうは、恐らくもう既に、きょうもそうですし、以前の委員会の質問の中でも重複していることがあるかと思いますけれども、一つ一つ確認をさせていただく意味で質問をさせていただきたいというふうに思います。

 まず最初に確認させていただきたいのは、総合教育会議における首長と教育委員会の立場ということであります。

 政府案でいいますと、教育委員会の職務権限、第二十一条は現行と全く同じであります。同様に、首長の職務権限、第二十二条は、大綱の策定に関する事務を新たに加えた以外は現行と同じということになっております。

 ということは、総合教育会議、これは以前私も質問させていただきましたが、首長が設置し、基本的に首長が招集する会議ではあるけれども、異なった職務権限を持つ執行機関同士の話し合いの場、このように理解するわけですけれども、これでよろしいでしょうか。

下村国務大臣 御指摘のとおりであります。

 今回の改正案では、教育委員会を執行機関として残し、教育委員会の職務権限も変更しないということになっており、総合教育会議は、執行機関同士が教育に関する事務について協議、調整を行うため設けられるものであります。

吉川(元)委員 基本的には首長が招集はするけれども、どちらかが従属的あるいは補助的な立場に置かれるわけではない、形式的には二つの執行機関が対等、平等な立場で話し合う場であるというふうに認識をさせていただきます。

 さて、総合教育会議を定めた法案の第一条の四の第一項では、以下の項に掲げる事項についての協議並びに構成員の事務の調整を行うものとされております。

 そこで、協議と調整という言葉が書かれておりますけれども、当然これは別の概念だと思いますが、この区分けについて簡単に説明をお願いいたします。

前川政府参考人 調整という用語でございますが、これは、教育委員会の権限に属する事務につきまして、予算の編成、執行や条例提案などの首長の権限と調和を図ることが必要な場合に用いている用語でございます。

 一方、協議という用語でございますが、これは、調整を要しない場合も含め、自由な意見交換として幅広く行えるものとして整理しているところでございます。

吉川(元)委員 今のお話でありますと、調整ということについては、あくまで、教育委員会の持つ職務権限のうち、予算の調製や執行あるいは条例提案など、首長の持つ職務権限に関係する事項に限定されるというふうに理解をいたします。

 それで、少し具体的にお聞きをしますけれども、これも既に何度か出ておりますが、教科書の具体的な採択、あるいは学校の教育課程の編成、さらには個別の教職員人事という教育委員会の職務権限は、そもそも総合教育会議での協議、調整の対象とならないと考えてよろしいのでしょうか。

前川政府参考人 教科書採択でありますとか個別の教職員人事、あるいは学校の教育課程の編成、これらはそもそもが執行機関である教育委員会の職務権限でございますので、予算にかかわる問題が生じない限り、通常、首長との調整の問題にはならないと考えております。

 協議の関係でございますけれども、教科書採択、個別の教職員人事などの特に政治的中立性の要請が高い事項につきましては、教育委員会制度を設けた趣旨からいたしまして、総合教育会議の協議題として取り上げるべきではないと考えております。

 一方、学校の教育課程の編成につきましては、さまざまな議論が考えられるため、ケース・バイ・ケースで判断が必要であると考えておりまして、例えば土曜授業の実施につきましては、ゲストスピーカーへの謝金でありますとか、地域での体験活動などの予算事業とセットで実施するということも十分考えられるところでございますので、こういった場合には調整の対象にもなり得ると考えております。

 あるいはまた、高等学校における日本史の必修化というような問題がございますけれども、こういう問題であれば、必ずしも予算等の首長の権限にかかわらない事項でありますことから調整の対象にはなりませんけれども、自由な意見交換という意味で、協議ということは考えられるところでございます。

吉川(元)委員 一遍にまとめて答弁をしていただいたんですが、つまり、個別の教職員人事や教科書採択など特に政治的中立性の要請が高い事項については、これは協議議題ではないというふうに認識をしてよろしいんでしょうか。もう一度答弁をよろしくお願いします。

前川政府参考人 教科書採択でありますとか個別の教職員人事など特に政治的中立性の要請が高い事項につきましては、教育委員会制度を設けた趣旨から、協議題として取り上げるべきではないという考え方でございます。

吉川(元)委員 取り上げるべきではないということは、協議議題ではないというふうに認識をしたいと思います。

 それでは続きまして、今、個別の教科書採択あるいは個別の教職員の人事等々については協議事項には当たらないということでわかりましたが、それでは、個別の教科書採択そのものではなくて、教科書採択の基本的な方針あるいは教職員の人事異動の基準といったようなこと、これも予算の執行や条例制定などの首長の権限と直接関係する事項ではありませんから、これらについては調整する事項ではないというふうに解釈してよろしいのでしょうか。

前川政府参考人 教科書採択の方針でありますとかその考え方、あるいは教職員の人事異動の基準のあり方について、こういったことにつきましては、予算等の首長の権限にかかわらない事項でございますので、自由な意見交換という意味での協議をするということは考えられますが、調整の対象にはならず、あくまでも、最終的な決定権限は教育委員会に留保されていると考えております。

吉川(元)委員 つまり、いろいろと意見交換なりはできたとしても、教科書採択の基準あるいは教職員の人事異動の基準というのは、これは、基準とはいいましても、やはり個別具体的な採択あるいは異動に直結するということでありますから、最終的な決定権あるいは執行権というのは教育委員会にあるということで理解をしたいというふうに思います。

 先ほど少し土曜授業のお話が出ましたので、その点についてお聞きをしたいと思います。

 今年度から教育委員会の判断で市町村別、学校別の成績公表が可能となる全国学力テスト、先日行われましたが、あるいは土曜授業、これは余り例はないかと思いますけれども、二学期制の実施等々についての議論も一方であるかと思います。

 これもまた、先ほど、土曜授業で新たに外部から講師を呼んだりして予算措置が必要な場合はというようなことがありましたけれども、そういうものでない場合については、別段、予算執行が新たに発生しない場合については、首長の権限に基本的にかかわる事項とはこれは思えないわけで、したがって、総合教育会議で調整する事項にはならないというふうに考えてよろしいのでしょうか。

前川政府参考人 全国学力テストの市町村別、学校別の成績の公表でありますとか、土曜授業の実施、二学期制の実施、こういった課題につきましては、必ずしも予算等の首長の権限にかかわらない事項でございますので、その限りでは調整の対象にはなりませんが、協議をするということは考えられるというところでございます。

吉川(元)委員 そうしましたら、同じような質問が繰り返しになるんですが、なぜ今言ったようなお話をしたかといいますと、昨今、幾つかの県あるいは市において、学校別の成績公表、あるいは、学校の順位は特定できないものの、全国平均点以下の校長名の公表だとか、あるいは逆の場合だとか、そういうことを教育委員会側にかなり強引に求めていく首長さんがいらっしゃる、そういったことが起こっております。

 土曜授業の実施についても、生徒はもちろんですけれども、保護者や教職員にも大きな負担をかけますから、教育行政に直接携わっていない首長の強い意向で調整を図ることというのは、これはやはりなじまないだろうと。

 ただ、協議はしたとしても、全国学力テストの市町村別、学校別の成績公表、あるいは土曜授業や二学期制の実施、これは間違いなく教育委員会の職務権限、専権事項ですから、これももう一度改めて聞きますけれども、決定権、執行権は教育委員会に委ねられているということでよろしいんでしょうか。

前川政府参考人 今先生の御指摘のあった課題、それぞれその決定権は、あくまでも、執行機関である教育委員会に留保されているものでございます。

吉川(元)委員 かなり細かな、具体的なお話でそれぞれのことについてお聞きをしたわけですけれども、何度も繰り返しになりますが、教育行政の職務権限、執行権については教育委員会に委ねられていると。この間の質疑でも、教育の政治的中立性については、これはもう大臣以下文科省も、重要だというふうにおっしゃられておられます。

 それにしては、総合教育会議の場で、教育委員会の職務権限に対し、調整ということにはならないにしても、協議ということになるとかなり広範にもなるのかなと。果たしてこれで政治的な中立性が担保できるのかというようなところも少し不安を感じているわけです。

 とりわけ、予算執行権にかかわるものということでありますけれども、少しでも首長の予算執行権に関係する、あるいは首長がそう判断した場合に、協議の対象やあるいは調整の対象というふうになってしまうのではないかと。最初に、総合教育会議における首長と教育委員会の立場、執行機関同士の話し合いということ、対等な関係であるということを尋ねましたが、その意味合いでは、対等、平等な関係だというふうに先ほど確認をさせていただきました。

 ところが実際には、会議を主宰する首長の意向で、協議議題、とりわけ協議事項は、ある意味でいうと、いろいろな設定が容易になるのではないかと。学校運営や教育内容に首長が細かく口を挟める、言葉は悪いですけれども、介入だとか、あるいは圧力をかけやすくなっているようにも思います。

 こうした点を防ぐ方策というのは必要ではないかというふうに思いますけれども、この点についてはいかがでしょう。

前川政府参考人 総合教育会議におきましては幅広く協議ができるということでございますけれども、首長が予算執行権を持っているという事実を踏まえたといたしましても、予算を使うから何でもかんでも意見が言える、あるいは協議題にすべきであるということではないと考えております。学校で一つ一つの教材をつくるのに紙代を使うからそれについては意見を言わせろというのは、これは極端な話であると考えます。

 必要に応じて協議をし調整する対象としておりますのは、例えば、少しでも光熱費等を出していれば、日常の学校運営に関するささいなことまで総合教育会議において協議、調整できる、そのような趣旨ではございませんでして、当該予算措置を講ずるかどうかが政策判断を要するような事項か否かということによって判断されるべきものだと考えております。

吉川(元)委員 もう一つ具体的なことをお聞きしたいと思います。

 前の参考人の際にも少しお話をさせていただきましたけれども、私、国会議員になって初めての質問というのが、大阪の桜宮高校の部活動で起きた、体罰を原因とする自殺の問題です。この事案、入試が間近に迫った時期で発生をしたということでありますけれども、その際に、市長が予算の執行権を持ち出して、スポーツ関係学科の入試中止あるいは運動部顧問の人事異動というものを強く教育委員会に迫ったというようなことを記憶しております。教育行政の執行権に抵触するのではないかというような質問もさせていただきました。

 そこで、総合教育会議ができた場合、この大阪市のようなケース、入試の中止あるいは教職員の人事異動を調整事項にするというような、そういうことというのは可能なのかどうかということをお答えください。

前川政府参考人 御指摘の件につきましては、市長が桜宮高校のスポーツ関係学科の入試の中止や運動部顧問の人事異動を教育委員会に要請し、認められない場合には体育教師の人件費の予算を執行しないと発言したケースであるというふうに承知しております。

 今回、総合教育会議におきまして調整を行うのは、例えば、学校の施設整備という教育委員会の権限に属する事務を行う際に、予算の編成、執行という首長の権限と重なり合うことから、こういった問題につきましては調整が必要であるということになるわけでございます。

 したがって、首長が一般的に予算の権限を有しているという理由で教育委員会の権限に属する事務について何でも総合教育会議で調整できるということではございませんでして、御指摘の場合、当該予算措置を講ずるかどうかが政策判断を要しないものであり、調整すべき事項には該当しないものと考えます。

 ただし、総合教育会議は広く意見交換という意味での協議は行うことができることでございますので、入試の中止というようなことにつきましても、意見交換という意味での協議の対象になり得る場合はあると考えております。

吉川(元)委員 済みません、ちょっと聞き漏らしてしまったんですけれども、結局、今のお話ですと、桜宮高校の入試の中止あるいは運動部顧問の人事異動というようなものについては、意見交換をすることはあっても、調整するものではないということでよろしいでしょうか。

前川政府参考人 そのとおりでございます。調整事項ではなく、最終的な決定権は教育委員会に留保されているということでございます。

吉川(元)委員 以前、西川副大臣に質問した際に、大阪市の具体的な名前というのは挙げられませんでしたけれども、そういうことをなくすことも大きな目的だというようなことも答弁をされております。

 恐らく、総合教育会議で首長と教育委員会の意思疎通をしてもらうんだという意味だというふうに思うんですが、そうはいっても、実際には、恐らくあの時点でもそういうことはできないはずだったんですけれども、予算措置をしないだとかいうようなことを盾に、協議はもちろんですけれども、調整というようなことを強制されるようなことがあってはならないと思いますし、介入や圧力が実際に起こってはならないというふうにも思います。

 そういう意味でいいますと、あくまでも対等な執行機関同士の話し合いですから、今ほど言いましたとおり、政策目的ということでの予算執行については調整の対象になると言いますけれども、きちんとやはり、予算執行権を盾に教育内容や人事でそのようなことがあってはならないということ、それを防ぐような手だてというのは何かお考えなんでしょうか。

前川政府参考人 総合教育会議における協議というのは双方向性のあるものでございますので、何を協議題にするかということにつきましても、その総合教育会議の構成員でございます首長と教育委員会との間で了解のもとで行うべきものであるというふうに考えておりますので、首長が何でもかんでも協議題にしようというわけにはいかないというふうに考えております。

吉川(元)委員 では次に、大綱について幾つかお聞きをしたいと思います。

 これも既にほかの委員の方から聞かれた内容に関係するかと思いますけれども、教育基本法第十七条の二項、政府が定める教育振興基本計画を参酌して県や自治体でも計画を定めるということが努力義務として規定をされております。この規定に基づいて、全部ではありませんけれども、特に県はかなりつくられているようですが、自治体でも教育振興基本計画が定められております。

 今回の改正案では、同じ政府の教育振興基本計画を参酌して総合教育会議が大綱を定める。こちらは義務ということになっております。同じものを参酌して計画と大綱という二種類のものができる。一方は努力義務で、もう一方は義務。

 過日の委員会での審議の中でも、前川局長の方から、首長が総合教育会議で教育委員会と協議をして、きょうもそうでしたけれども、教育振興計画の地方版をもって大綱にすると判断すれば大綱をつくる必要はないということを答弁されています。

 その場合には、いわゆる振興計画、これが大綱になるということでまず認識してよろしいんでしょうか。それとも、大綱はないけれども基本計画があるということになるんでしょうか。

前川政府参考人 そのような場合、首長が総合教育会議において教育委員会と協議いたしまして、教育振興基本計画をもって大綱にかえると判断した場合に大綱を策定する必要はないということでございますが、その場合、大綱はあるのかないのかという話でございますが、大綱はあるということになると考えておりまして、それは教育振興基本計画の中に含まれている、そういう考え方になるものと考えております。

吉川(元)委員 続きまして、これも少し当委員会の中で議論があったかと思いますけれども、大綱は首長が定めることになっている、他方で、政府の提出法案の中では、第一条の三の四項では、それをもって教育委員会の事務の管理や執行権限を首長に与えるものではないと規定をしております。

 このことは、大綱が教育行政権を侵すものであってはならないと受けとめてよろしいのでしょうか。

前川政府参考人 大綱は首長が定めるものとされておりますが、この首長の大綱策定権限は教育委員会の権限に属する事務の管理、執行権を首長に与えたものではないということでございまして、法案の第一条の三第四項は、この旨を確認する規定でございます。

吉川(元)委員 次に、教育内容の方針、採択の方針、あるいは人事異動の基準と大綱の関係について少し伺いたいと思います。

 首長の権限である予算執行権や条例と関係のない教育内容、教科書採択の方針、あるいは人事異動の基準、これは調整の事項には当たらないということですが、これらを仮に大綱に記載できるとすれば、基本的に職務権限を持つ教育委員会みずからが、主体的に大綱に盛り込むべきだとして首長と合意したその結果であるという判断でよろしいのでしょうか。

前川政府参考人 大綱は、当該地方公共団体の教育の振興に関する総合的な施策につきまして、地域の実情に応じて、その目標や施策の根本となる方針を定めるものでありますが、教育委員会が適切と判断した場合におきましては、教育内容の方針や教科書採択の方針、教職員の人事異動の基準について記載することが妨げられるものではないと考えております。

吉川(元)委員 そうしましたら、きょうも少し早く終わらせていただきますが、最後に質問をさせていただきます。

 大綱の記述をめぐって調整が行われ、その結果、首長と教育委員会の間で合意がされない、つまり調整がつかない場合が当然想定をされるんだろう。調整がつかなかったにもかかわらず、これはもうこの委員会でも何度か議論されましたけれども、策定者の首長が大綱に盛り込んでしまった場合について、過日の委員会で前川局長は、権限を持つ教育委員会が執行する意図のない事項を記載する場合、「そのような記載は結局意味がない」というふうに答弁をされております。大臣も同じような答弁をされていると思います。

 意味のない大綱を策定しても本当に意味がないわけでして、そういう面でいいますと、そもそも調整のつかない事項については大綱には盛り込まないというふうに規定をした方が、よりすっきりといいますか、書いてあるけれども調整がついていないから教育委員会はやりませんというふうな話になると、これは保護者の方、地域の方から見てもちょっと不思議な感じがするので、そういう意味でいうと、調整がつかない事項についてはそもそも大綱には盛り込まないというふうにした方がいいのではないかと考えますが、この点についてはいかがでしょうか。

前川政府参考人 具体的に大綱というものを策定する、つくるという事務が首長に委ねられているわけでございまして、その意味で、首長が大綱を定めるわけでございますけれども、これは教育委員会と十分に協議し調整を尽くした上で策定することが肝要でございまして、調整がつかない事項を首長が仮に記載した場合にそれが意味がないものになるということは、先般来、御答弁を申し上げているとおりでございますので、そのようなことがないように、十分協議、調整をしていただく必要があると考えております。

吉川(元)委員 これで終わりますけれども、調整がつかなくても書き込まれた場合に、保護者の方も含めて、何で書いてあるのにやらない、いや、実はそれは調整がついていなくて、それについてはやる必要はないんですというこの説明というのは、やはり非常にわかりにくいんじゃないか、あるいは誤解を生むんじゃないか、教育委員会はサボっているんだというふうに見られかねないんじゃないか、そういう危惧があった上での質問でございます。

 きょうはこれで質問を終わります。また次回、よろしくお願いいたします。

    ―――――――――――――

小渕委員長 この際、参考人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。

 両案審査のため、来る五月七日水曜日午後一時、参考人として奈良学園大学学長、学校法人奈良学園理事、学校法人聖ウルスラ学院理事長梶田叡一君、NPO法人地方自立政策研究所理事長、元埼玉県志木市長穂坂邦夫君及び名古屋大学大学院教授中嶋哲彦君の出席を求め、意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

小渕委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

 次回は、来る五月七日水曜日午後零時五十分理事会、午後一時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後四時四十八分散会

     ――――◇―――――

  〔本号(その一)参照〕

    ―――――――――――――

   派遣委員の福岡県における意見聴取に関する記録

一、期日

   平成二十六年四月二十三日(水)

二、場所

   ANAクラウンプラザホテル福岡

三、意見を聴取した問題

   地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案(内閣提出)及び地方教育行政の組織の改革による地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案(笠浩史君外三名提出)について

四、出席者

 (1) 派遣委員

    座長 小渕 優子君

       神山 佐市君   宮川 典子君

       山本ともひろ君   義家 弘介君

       菊田真紀子君   笠  浩史君

       椎木  保君   稲津  久君

       山内 康一君   吉川  元君

 (2) 意見陳述者

    小郡市長        平安 正知君

    嘉麻市教育委員会委員長 豊福 眸子君

    九州大学大学院教授   元兼 正浩君

 (3) その他の出席者

    文部科学省大臣官房審議官           義本 博司君

    文部科学省大臣官房総務課長          芦立  訓君

     ――――◇―――――

    午後一時開議

小渕座長 これより会議を開きます。

 私は、衆議院文部科学委員会派遣委員団団長の小渕優子でございます。

 私がこの会議の座長を務めさせていただきますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 この際、派遣委員団を代表いたしまして一言御挨拶を申し上げます。

 皆様御承知のとおり、当委員会では、内閣提出、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案及び笠浩史君外三名提出、地方教育行政の組織の改革による地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案の審査を行っているところでございます。

 本日は、両案の審査に当たり、国民各界各層の皆様方から御意見を賜るため、当福岡県におきましてこのような会議を催しているところでございます。

 御意見をお述べいただく皆様方におかれましては、御多用中のところ御出席をいただきまして、まことにありがとうございました。どうか忌憚のない御意見をお述べいただきますように、どうぞよろしくお願いを申し上げます。

 それでは、まず、この会議の運営につきまして御説明申し上げます。

 会議の議事は、全て衆議院における委員会議事規則及び手続に準拠して行い、議事の整理、秩序の保持等は、座長であります私が行うことといたします。発言される方は、その都度座長の許可を得て発言していただきますようお願いいたします。

 なお、御意見をお述べいただく皆様方から委員に対しての質疑はできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願います。

 次に、議事の順序について申し上げます。

 最初に、意見陳述者の皆様方からお一人十分程度で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑に対してお答え願いたいと存じます。

 なお、御発言は着席のままで結構でございます。

 それでは、本日御出席の方々を御紹介いたします。

 まず、派遣委員は、自由民主党の義家弘介君、山本ともひろ君、神山佐市君、宮川典子君、民主党・無所属クラブの笠浩史君、菊田真紀子君、日本維新の会の椎木保君、公明党の稲津久君、みんなの党の山内康一君、社会民主党・市民連合の吉川元君、以上でございます。

 次に、本日御意見をお述べいただく方々を御紹介いたします。

 小郡市長平安正知君、嘉麻市教育委員会委員長豊福眸子君、九州大学大学院教授元兼正浩君、以上三名の方々でございます。

 それでは、まず平安正知君に御意見をお述べいただきたいと存じます。

平安正知君 こんにちは。小郡市長の平安でございます。市長として、五月から十年目に突入するところでございます。

 最初に、本市の状況について説明申し上げます。

 本市は、筑後地区の北部に位置しまして、面積四十五・五平方キロメートル、福岡市と久留米市のほぼ中間にあり、西鉄天神大牟田線など交通の利便性に恵まれ、両都市のベッドタウンとして成長し、人口も今も増加をいたしております。現在の人口は約六万人でございます。本市の基幹産業は農業で、緑豊かな緑園都市でございます。

 学校関係については、公立の幼稚園が二園、園児数百四十六名、小学校八校で児童数三千五百六十九名、中学校が五校で生徒数二千十七名でございます。

 次に、今回の教育委員会制度の改正案について意見を述べる前に、本市教育委員会の状況についてお話をさせていただきたいと思います。

 一つ目は、私と教育委員会との連携についてでございます。

 まず、私の方針の教育行政への反映についてでありますが、市長として選挙を行うときに、市政公約をそのたびにつくらせていただいております。これが一年前の三期目の市政公約、そしてこれが二期目の市政公約であります。

 三つのビジョン、十の政策、四十九の項目で前回つくらせていただきまして、その十の政策の中の一つが、学校教育について挙げております。

 その中には、知育、徳育、体育のバランスのとれた教育、また小学校からの英語教育やIT教育の充実等も入れて、それも施策に反映されております。

 食育とおいしい自校式給食の推進ということで、我が市はセンターで学校給食をやっておりますが、自校給食推進をうたわせていただいて、今それを進めております。

 また、耐震化工事が二十三年度に終わりまして、その後毎年、大規模改造事業、小学校一校ずつ、二億円ずつぐらいかけて、「新築そっくりさん」というPRもございますが、そのように、教室がきれいに、またトイレも洋式化をしております。

 二期目のときも、小学校低学年の三十五人学級をうたわせていただいて、国に先んじて三十五人学級を実現させております。

 また、地域との連携による学校支援体制の充実等もうたって、学校支援ボランティア制度など、いろいろ取り組みをさせていただいておるところであります。

 また、市長として、第五次小郡市総合振興計画の中で十年先を見据えた基本構想を示すとともに、五年ごとの基本計画で具体化を図りながら、教育分野、幼稚園教育や小中学校の教育等の推進に力を入れています。

 当市の教育委員会では、こうした私の方針や重点を受けまして、毎年作成しております小郡市教育委員会施策要綱の中に具体化を図っております。この中にも、私の政策にのっとったものがかなり取り入れられております。

 次に、連携の方法ですが、私と副市長そして教育長の三役会を毎月実施する中で、私の方針の具体化、実施状況及び評価と改善について継続的に協議を行っております。

 また、毎年、私と教育委員の懇談会を持ちまして、市政公約の内容、市の財政状況について、私への提言について、また学校及び社会教育についての現状と課題等について協議を深め、私と教育委員が共通理解を持って教育行政を進めることができるように努力をしております。

 二つ目は、教育委員会の取り組みについてでございます。

 小郡市でも、五人の教育委員がおり、教育委員長が委員会を主宰し、教育長が、教育委員会の決議を受けて、教育に関する事務を執行しております。

 教育委員は、市長の方針の理解のための懇談会に全員毎年参加するとともに、教育に関するさまざまな人々の意見を聴取する機会を設けております。例えば、学校教育に関する園長や校長による提言の会への出席、また小中学校PTA代表者との交流会の実施、社会教育関係者との交流会の実施、毎年の全幼稚園、小中学校の訪問等を実施し、関係者のニーズの把握に努めております。

 また、事務局では、三年ごとに、児童生徒、保護者、教職員、地域住民を対象にアンケート、意識調査を実施しながら、教育行政の改善に生かしております。

 このような取り組みを受けて、小郡市の教育委員会では、独自に、通学区域の弾力化、また学校支援ボランティア制度、学校統一公開日の設定、土曜授業の実施、中堅教職員のための塾の実施、ALT、スクールソーシャルワーカーの配置拡大、また厳しい家庭の子供たちのための学び場支援事業の実施、「小郡の子ども共育十の実践」の作成など、本市独自の事業を展開いたしております。

 また、緊急事態に対しましても、危機管理の手順により、教育長を中心に、事務局が迅速に学校現場に出向き、課題解決に向けて関係機関と連携して支援を行うとともに、私や教育委員とも連絡をとりながら、早急な解決に努めております。

 このような取り組みを行っておりますので、現在、幼稚園、小中学校とも、大変落ちついた中、充実した教育活動が進められております。学力の面においても、本市は、小中ともに、国語、算数・数学で国や県の平均を超える成果を上げ、県別でランキングがいつもなされておりますが、大体、いいときは二位ぐらい、昨年の取り組みでは中学校で三位とか小学校で五位とか、そういった形であります。体力の向上についても力を入れ、年々向上しておるところです。

 そうしたことで、学校教育への保護者の満足度、とてもよい、まあよい、余りよくない、全くよくないの四段階で、よいと答えた人の割合は、幼稚園で一〇〇%、小学校で九六%、中学校で九〇%となっております。

 また、子供たちに対して、小郡が好きかというアンケートについて、前回は二十五年の七月に行いました。その前は二十二年の九月に行ったんですが、小学校では八七%から九一%と伸びておりまして、中学校の子供たちは七四%から八五%と一一ポイント伸びております。

 このように、小郡市では、私の方針を受けて、教育委員会が主体的に、関係者のニーズを把握しながら教育行政を進めておりまして、現行の教育委員会制度でも十分に機能しているというふうに考えています。

 この意味で、私は、教育委員会制度を継続することは必要であると考えております。

 以上とさせていただきます。ありがとうございました。

小渕座長 ありがとうございました。

 次に、豊福眸子君にお願いいたします。

豊福眸子君 こんにちは。先ほど御紹介を受けました嘉麻市教育委員長の豊福と申します。よろしくお願いいたします。

 このたびの、教育の政治的中立性、継続性、安定性を確保しつつ、地方教育行政における責任の明確化、迅速な危機管理体制の構築、首長との連携の強化を図るとともに、地方に対する国の関与の見直しを図るため地方教育行政の改革を行うという趣旨のもとに、今回の文科の公聴会が開かれたわけでございますが、このような会に私が意見を陳述できるという場を設けていただきましたことに、まずお礼を申し上げたいと思います。

 ただ、両方にお座りの先生方とは随分私は違うなと思いながら、何となく、意見を言うことをはばかられると思いますが、今まで思ってきておりましたことをそのままお話ししたいと思います。

 ただ、私は、過去の私の経験、言うならば、中学校の最後は管理職で終わり、そして現在は嘉麻市の教育委員長である、そういう経験に基づいて意見を述べさせていただきます。

 私の教育における信条は、常に、目の前にいる子供たちのために何をなすべきか、何をどうすべきなのか、子供たちの夢と希望の実現のために常に考え、行動し、教育に対する意欲と情熱と愛情を持って子供たちに接していくという、これは私が教師になったときから今も変わらない信条でございます。そういう信条で、将来を担う子供たちのために、今も教育委員長という立場から頑張らせていただいております。

 まず、教育行政の責任の明確化という点について意見を述べさせていただきます。

 十八年でしたか、八年前に一市三町が合併して嘉麻市が誕生したわけですが、私は、その時点で、市長から教育委員長にどうかというお話があり、他の四名の皆様とともに議会の承認を得て、教育委員会の皆さんの互選のもとに教育委員長に就任いたしました。

 管理職のときには教育委員会との接点はかなりあったのですが、教育委員長になったときに、私は嘉麻市の子供たちのために頑張ろうと思っていたのですが、常勤であり、教育委員会の事実上の事務執行責任者である教育長との関係にやはり少し戸惑いを感じました。何かのときは委員長が出ていろいろお話をしたりしますが、他の教育委員もそうなんですが、非常勤であり、月に一、二回開かれます定例の教育委員会の会務を進行したり、それから、そのときに一カ月間の教育の、嘉麻市の各学校の状況であるとか条例の制定であるとか、そういうふうなことの様子を聞いたり承認をしたりするという中で、果たして、私は教育委員長としての責務は果たせているのだろうかと疑問に思ったことが何回かありました。

 しかし、教育委員長として、事務局員や教育長を支援したり指導することは多々あったと思っております。

 そういう点で、私は、今回の地方教育行政の明確化には賛成でございます。教育長と教育委員長という立場ではなくて、教育行政の責任者として教育長を据え、そして残りの四人の教育委員が支えていくということは、私は、今の私の経験からいったら正解ではないか、そうすることが教育行政をスムーズに運営していけるのではないかと感じております。

 ただし、そうなってくると、しかもこれは、教育長を首長が任免するという権限を与えられました。そこで、教育長の人格といいますか、教育行政の責任者として、市の教育に責任を持ってやるという大きな課題が残ります。政治の中立性を特に保ちつつ、やっていかなくてはならない。しかし、現在も嘉麻市は中立性を保ちながら、もちろんやっていくわけですが。

 そして、残りの教育委員会の皆さんが教育長の事務執行に対してチェックをしていくということになっていますが、そうなると、教育委員会の責任も私は重大になってくると思います。教育委員がいかに教育長を支え、教育行政がうまくいくかどうかは、今までより以上に重くなってくるのではなかろうかと私は思います。

 次に、総合教育会議の設置、大綱の策定についてでございますが、総合教育会議は、首長が招集し、首長と教育委員の五名から成る会議であるなら、今の定例の教育委員会の中に首長が参加するだけという形になってくると思います。

 もちろん、首長が参加しますので、今までのとは大きく違って、いろいろな政治的なもの、それから教育に対する首長の意見がかなり入ってくるのではなかろうかと思います。しかし、教育長は首長が任免しておりますので、進退にもかかわってきます。そういう意味で、首長が言うことはやっぱり聞かざるを得ないのかなという気もいたしております。

 しかし、教育委員としては、常に、市民の立場に立った教育行政が行われているか、学校で子供たちが安心、安全な環境の中で楽しく学ぶことができているかを見守らなければなりません。今の嘉麻市の教育委員は全てそういう立場に立って、学校運営がうまくいっていると私は自負いたしております。

 首長が定める教育の大綱的な方針の審議も、あくまでも中立的な立場で審議し、首長、教育長とともに、今まで以上に地域の教育の課題を見つけ、そしてその課題解決のために一緒になって頑張っていかなくてはならないだろうと思っております。

 最後に、私がぜひ話しておきたかったことは、教育は教師に尽きるという言葉があります。

 大津市で起こりましたいじめ対策問題についても、国が最終的には関与したいというふうになっていっておりますが、私は、教育委員会がしっかりとした責任を持って、いじめに対する指導を各学校で常日ごろからやっていれば、その必要はないのではないか。あくまでも、地方の教育行政の責任としてやっていかなければならないと思います。そのためには、いじめが起こらない、不登校をつくらない学級経営、学校経営が重大になってくると思います。そういう意味で、特に教師の養成につきまして、今後も教育再生会議で検討されると思いますが、御配慮願えればと思います。

 最後に、私は、教育委員会制度がどう変わろうとも、未来に明るい夢と希望を持つ子供たちに対して、子供は日々成長しております、未来を背負う子供たちの健全な育成のために、行政、学校現場、保護者、地域が一つになって、その責務をしっかりと果たしていかなければならないということをこの機会にまた改めて強く感じました。

 そういうことを述べさせていただいて、私の意見を終わらせていただきます。ありがとうございました。

小渕座長 ありがとうございました。

 次に、元兼正浩君にお願いいたします。

元兼正浩君 本日は、貴重な時間をいただきまして、ありがとうございます。

 私は、地方の一大学教員でございますので、こうした場はふなれでありますし、時間も限られておりますので、用意した原稿を読み上げる形で、提出法案に対する私見を述べさせていただきたいと存じます。

 お手元に陳述の骨子を用意しておりますので、そちらの方をあわせてごらんいただけたらと思います。

 まず、今回の法改正の大前提となります教育委員会制度をめぐる理念と委員会制度に対する現状認識についてでございますが、やはり、政治的中立性、継続性、安定性、そして専門性の確保は地方教育行政にとって重要な概念だと認識いたしております。

 それを教育委員会制度が十分に体現しているかについては、これまでもさまざまな議論があるところですが、少なくとも、戦後、八プラス五十八年間にわたり、一定の役割を果たしてきたのではないかというふうに評価しております。

 今次の契機となりました教育委員会の不適切な対応をもって、教育委員会の形骸化が指弾され、制度の存廃や抜本的な教育委員会改革が声高に叫ばれるようになりました。私自身、教育制度研究者の端くれですので、自己否定するようですが、当然のことながら、制度をいじるだけでは教育問題が解決するものではないことをここであえて申し上げたいと思います。

 まずは、全国千八百七十八ある教育委員会制度には、その数だけ、それぞれの課題を抱えている中で、今回の改正法案がその処方箋となっているだろうかという疑問です。見立てを誤ると、副作用もあるのではないかという不安です。

 千八百七十八ある教育委員会のうち九百三十三、すなわち半数以上が町村の教育委員会です。県や政令市の教育委員会と町村の教育委員会を比較した場合、狭義の合議制教育委員会につきましては、委員長、教育長を含め六名か五名か程度の違いにすぎませんが、教育委員会事務局を比較した場合に、多くの事務局スタッフや指導主事を擁する都道府県教育庁に対し、嘱託の指導主事が配置できれば御の字という程度の町村教育委員会事務局とでは、随分と課題は異なっております。

 現行制度内で教育委員会の活性化を果たしたとして注目され、本日も午前中に御訪問された福岡県春日市教育委員会の改革の中心は、事務局改革でございました。

 今回の改革論議におきまして、その数にして教育委員会の半数を占める町村の状況、そして教育委員会事務局の実態は、どの程度、視野におさめられての制度改革なのだろうかという素朴な疑問でございます。

 さて、政府案の最大のポイントは、新教育長の創設だと受けとめております。現行の教育委員長と教育長との関係を整理し、責任の明確化を果たすことがその目的と認識しております。

 これに対し、現状の追認にすぎないとか、教育長の権限がさらに強まるなどの意見がございますが、これまで指摘されていない視点といたしまして、教育委員長の喪失という問題を挙げておきたいと思います。

 とりわけスタッフの乏しい町村の教育委員会におきまして、教育委員長の役割はかなり大きなものがございます。資料にもありますように、町村の教育委員の平均報酬は月額二万八千六百六十一円、委員長は三万六千六百四十三円です。わずか八千円ですが、その役割負担は一般の委員とかなりの差がございます。

 例えば、校長人事や教科書採択などの重要事項を審議する地方教育委員会連絡協議会、いわゆる地教連という市郡単位の組織にも、各自治体からは委員長と教育長の二名が出席しております。その意味では、新教育長はこの委員長の役割負担をも負うことになりますし、これまで両輪としてその意見を交換しながら教育行政を執行してきた教育委員会においてキーパーソンを失うことになるのではないかと懸念いたします。

 教育委員会の会務を総理し、教育委員会を代表することになる新教育長の資質、力量、その専門職性がさらに問われることになると思います。その意味で、教育行政に関し識見を有するものは果たしてどこにいるのか、それまでの教育経験や行政経験だけで十分なのか、プロフェッショナルとしての専門職基準や任用資格、さらには養成、研修体系をどう構築するかが今まで以上に課題になるかと存じます。

 冒頭で、地方教育行政にとって重要な概念として、政治的中立性、継続性、安定性とともに、専門性を挙げさせていただきました。これまで以上に強くなる新教育長と情報の非対称性となる非常勤教育委員との関係を考えるとき、教育長のプロフェッショナルリーダーシップと教育委員のレーマンコントロールという牽制関係にあった戦後の教育委員会制度の理念を改めて見詰め直す必要があると思います。

 さて、もう一つのポイントが、首長との関係でございます。

 教育及び教育行政の継続性、安定性、政治的中立性、そして専門性という観点からすれば、やはり一定の距離と申しますか、牽制の仕組みを用意しておくことが必要だと考えます。現行制度におきましても、人事や予算によって十分に首長の意向を反映させることができていると思いますし、反対に、予算を握っている首長部局や議会に納得してもらわない限り、教育委員会は新たな教育行政施策は展開できません。

 与党案の総合教育会議が一体どのようなものとして運営されるのかについては未知数ですが、総合行政の名をもって教育や教育行政の専門性、特殊性が考慮されなかったり、次の選挙を意識したパフォーマンスのために学校現場が振り回されたりすることのないような、一定の歯どめが必要ではないかと考えております。

 したがって、民主、維新提出案のように、首長が執行機関で、教育長がその補助機関と位置づけた場合には、権限と責任の所在は明確化されるとはいえ、教育行政の根幹にかかわる部分が大きく揺らいでしまうのではないかと受けとめております。

 民意の反映はもちろん重要ですが、教育問題だけが首長選挙の争点ではございませんし、選挙で教育長が選ばれる韓国の教育監制度でも、学校給食など一つのイシューで当落が左右されているように思います。民意の反映のあり方は、先ほどのレーマン教育委員の選出方法など、別の手だてもあるのではないかと思います。

 この野党提出案の場合の問題の一つは、先ほどの教育委員長の喪失のみならず、教育長以外の教育委員全員を喪失してしまうことです。非常勤教育委員の仕事は、月に一、二回の定例会議に出席するだけではありません。学校の儀式的行事、公開授業、運動会や文化祭、公民館行事、青少年育成活動、町内のイベント、人権啓発活動、町内の諸会議への参加など、多くの職務を担っております。特に町村の教育委員さんたちは、こうした諸活動を通じて、地域の声なき声、サイレントステークホルダーの意見を拾い集め、そうした民意を反映させる役割を担っているわけで、こうしたルートを喪失することを指摘しておきたいと思います。

 なお、民主、維新提出案のポイントとなる教育監査委員会ですが、これもまた、どのような運用がなされるのか未知数で、想像の域を超えられませんが、現行の教育委員会に対し、平成二十年度より地教行法二十七条で義務づけられております事務の管理及び執行の状況についての点検、評価のレベルをどれほど超えられるものなのか、それこそ迅速な対応ができる機関なのか、制度設計が不明であります。

 これは、民主党政権時代の教育改革の第三フェーズでありました教育ガバナンスの問題として、附則で求められております学校運営協議会の原則全面設置とセットで捉えるべきものなのかもしれません。ただ、その場合、結局、学校や地域における教育のありようをどの範囲で誰がどのように統治するのかの議論はますます複雑なものとなるような気がいたします。

 最後に、任命権者の問題についても触れておきます。

 県費負担教職員の身分は市町村の職員でありますので、本来的には市町村レベルに任命権を委ねることは合理的であると考えます。ここでも政治的中立性に配慮すれば、首長でない役職や機関を任命権者とする必要はもちろんですが、少なくとも、基礎自治体レベルに人事や予算を移していくことは市町村合併や分権化の流れに沿うものだと考えます。

 問題は、特定自治体の部分最適がそのエリアの全体最適にどのように結びつくかの見通しをつけることだと思います。研修や人事システムと連動させ、パイロット的な取り組みが地域全体の底上げを生んでいくような仕組みをつくらないと、単なる人的資源のとり合いになってしまいます。

 制度改革が必ずしも教育改革など本質的な改革につながらない理由は、そこに関係者の意識転換が十分に伴わないからです。例えば、学校運営協議会を強制的に設置したとしても、十分な理解と手応えが伴わない限り、総論反対はしなくとも、現場はなし崩しにしていきます。同様に、教育委員会制度も、制度改革、制度いじりだけで活性化するものではありません。

 今回の法改正をめぐる議論が教育や教育行政のありようを根本的に問い直すような熟議の場となりますことを期待して、私の意見陳述を閉じさせていただきます。

 以上です。

小渕座長 ありがとうございました。

 以上で意見陳述者からの御意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

小渕座長 これより委員からの質疑を行います。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。神山佐市君。

神山委員 自由民主党の神山佐市でございます。どうぞよろしくお願いいたします。

 本日の文部科学委員会地方公聴会におきまして、意見陳述人の皆さん方に、大変お忙しい中、時間を割いていただきましたことに、心より感謝申し上げる次第であります。

 まず、平安正知小郡市長にお伺いいたします。

 今回の改正案につきましては、政治的中立性、継続性、安定性を確保しつつ、選挙により選ばれた、各地域の民意を代表する首長と教育委員会が連帯して責任を負い、迅速な危機管理体制の構築が図られる非常にバランスのとれたものとなっていると考えておりますが、この点の評価につきまして、平安市長にお伺いいたします。

平安正知君 おっしゃるとおり、今回の改正案につきましては、現在でも教育委員会が私の意向を受けて施策に反映しておりますけれども、より直接、大綱の作成など、そこに入ってもっとダイレクトに伝えることによって反映できる、そして、緊急事態に対しましても、速やかに、責任の所在を新教育長が持つことによって、より緊急的に対応できるのではないかというふうにも思っております。

 以上です。

神山委員 ありがとうございます。

 続きまして、総合教育会議、大綱について、平安市長にお伺いします。

 今回の政府の改正案では、首長が大綱を定めるとともに、総合教育会議という新たな仕組みを設けることにより、首長が教育に積極的に関与することとなっており、民意をより教育行政に反映することができる仕組みになっていると考えますが、市長の御所見をお伺いいたします。

平安正知君 先ほど答えた内容と少しかぶるかと思いますが、現時点でも私の政策をうたい上げることによって教育行政に反映されていますが、大まかな方向性、大きなポイントだけで反映されております。それが、総合教育会議を持って、定期的にそうした会議の中に私が入っていくことによって、民意として選出された私の意向がより反映されていくというふうに思います。

 ただ、首長もいろいろおりまして、教育関係に詳しい首長と、細かな点までそう詳しくないといった首長がおると思いますので、そういった点についてはケース・バイ・ケースもあり得るのではないかというふうに考えるところです。

神山委員 また続きまして、平安市長にお伺いします。

 責任体制の明確化、議会の手続についてお伺いしますが、政府の改正案では、新たに首長が議会の同意を得て任命する新教育長に責任者が一本化されることにより、今まで曖昧であった地方教育行政の責任関係が明確になると考えられますが、議会としても、従来以上に、職責が重くなる新教育長の資質、能力を丁寧にチェックすることが期待され、議会における所信表明演説の実施などを通じて適性を見きわめることが重要になると思いますが、市長の御見解をお伺いいたします。

平安正知君 現状も、実際は、小郡市の場合でいえば、各教育委員さんを選出する際はもちろん議会の同意を得て上げていくわけでありますけれども、その中で、教育長の選出については、この人を教育長含みという形で選んでいるといったところがあります。

 ただ、今回の改正によって、より、この人が教育長だといったことで議会に諮るということによって、責任の明確化になると思います。また、現時点では、教育委員会をつかさどる長である教育委員長、そこで得た決議をもって執行権のある教育長が行うといった形になって、どちらが責任の所在が重いのかといったところが周りからはわからないといったところが実際あると思います。実質は常勤である教育長がやっているんでしょうけれども、それが実態に即した形で、教育長がより責任を持って、またそうした人物を選んでいくということにおいて、今回の改正については私は賛成であります。

神山委員 ありがとうございました。

 豊福眸子嘉麻市教育委員会委員長にお伺いします。

 従来、教育委員会と首長部局の連携が課題として指摘されてまいりましたが、今回、総合教育会議ができることによって、予算面での意思疎通が図られるなど施策の充実が図られることになると考えますが、豊福教育委員長の御見解をお伺いいたします。

豊福眸子君 今回に限らず、嘉麻市では、首長と教育委員会の意思疎通が十分に生かされて、予算措置にしても、学校現場のことを十分に考慮されて、教育長が、教育委員会で打ち合わせたこと、それを必ず市長にお願いして、教育委員会の意思の方向に動いていったという実績がございます。

 ですから、今度のこれが制定されたからといって特別のことはなく、スムーズに教育行政は運営していかれるのではないかと思いますが、先ほども述べましたように、今回は首長が任命した教育長の力量によってまた変わってくる可能性があるかなという気もいたしております。

 以上です。

神山委員 続きまして、元兼正浩教授にお伺いしますが、野党提出法案に関しまして、方針に議会の議決を得ること、教育監査委員会による事後の評価、監視のみで、教育の政治的中立性、継続性、安定性が確保できるとお考えになられておりますか。御見解をお伺いいたします。

元兼正浩君 私は、先ほど申し上げましたように、いずれの法案に対しても不安といいますか懸念を覚えておるところでございまして、まず、教育長の任命におきまして議会を経ないというところにつきましては、やはり一つ課題があるのではないかというふうに思っておりますし、監査委員会のあり方につきましても、迅速なという今の課題にはやはりちょっと対応できないのではないかということを先ほど述べた次第です。

神山委員 ありがとうございます。

 今、教育監査委員会によって、どうしても後処理になってしまうということで、この辺について懸念があるというふうなことだと思うんですけれども、この辺についてもう一度お話をいただければと思うんですけれども、よろしくお願いします。

元兼正浩君 恐らく、学校運営協議会等の議論とのセットで捉えないといけないというふうに思っております。

 つまり、単純に教育委員会制度を廃止してしまって、全てを監査委員会に委ねるということではなくて、むしろ、先ほどのガバナンスという、教育のありようを決める場をできるだけ現場に近いところに置いてという意味では、恐らく、学校運営協議会が大きなその役割を担うようになれば、迅速なそういう対応もできるのではないかと思います。

 ただ、この両者がどういうタイミングで、またはどういうふうな形でかかわっていくかということについては、少しまだ整理ができていないのではないかというふうに思っております。

神山委員 ありがとうございました。

 元兼教授に引き続いてお伺いします。

 専門的な人材の育成について、今回の改正案では引き続き教育委員会が執行機関として残されることになっておりますが、教育委員会の事務職員の専門性、資質、能力の向上の方策としてどのような取り組みが考えられるか、御所見をお伺いいたします。

元兼正浩君 ありがとうございます。

 教育委員会事務局の専門性といったときに、二通りありまして、一つは教育長自身の専門性の問題、そして事務局員、スタッフの専門性の問題かと思います。

 私は九大教育学部というところに所属しておるんですけれども、教員養成をしない教育学部がなぜあるかというのは、御承知のとおり、もともと、戦後、教育長免許状、または校長免許状、指導主事の免許状を発行する機関として九大に教育学部が設置されたという経緯がございます。今後、新教育長を考える上では、やはりそうした意味で、その教育長に、どれだけアカデミックな裏づけを持った専門職としての資質、力量を養成していくかというのは大きな課題になってくるかと思います。

 片や、事務局員に関しては、これは人事の問題もございますので、つまり、教育委員会事務局採用で一生涯その教育委員会事務局にいるわけではなくて、多くの事務局スタッフは、それこそ首長部局を異動しながら、そういう意味では、ゼネラリストとしての専門職というのも一つ重要な概念で、必ずしも専門職だからといって、プロフェッショナルとは違う専門職のあり方というのも一方で考えていく必要があるんじゃないかというふうに思っております。

神山委員 ありがとうございました。

 また教授にお伺いしますけれども、今回の法改正によって、いじめ等の重大事案への対応はどのように変わることになるのか。非常事態において、一元的には学校がまず対応をとることになりますが、総合教育会議を用いて首長と連携が強化されることにより、迅速な対応が可能になると考えますが、御意見をよろしくお願いいたします。

元兼正浩君 ただいまの御質問は、教育問題に対して、そういう制度の改革が、即、問題の発生を予防するという話ではなくて、その発生時にどれだけスピーディーに対応するかということというふうに受けとめました。

 そのときに、基本的には、今でも恐らく、いじめの事案が発生したときには、その学校から委員会には一報は早く入りますし、委員会も、事案によっては、首長部局の方に重大な案件であれば上げていくように思いますので、この制度ができたからといって、急に何かが大きく変わるものではないのではないかというふうに思っております。

神山委員 最後に、平安市長に、今の、総合教育会議ができることによって、いじめの問題とかその辺に対応するということについて、市長の御所見がありましたら、よろしくお願いいたします。

平安正知君 いじめについては、小郡市は幸い大きないじめはございませんけれども、聞いたところによると、年間、小学校で十件弱、中学校で三件から十件程度というような、いじめという報告があるようです。

 これについては、一般的には、私の耳には大きな案件でないので入ってきていないというのが現状でした。そうした会議を設けることによって、当然、教育関係の分野、細かく私もその場で聞いて、私の意見を述べることができますので、より迅速に対応できるのではないかというふうに思います。

神山委員 ありがとうございました。

 終わります。

小渕座長 次に、笠浩史君。

笠委員 民主党の笠浩史でございます。

 きょうは、まず、お三方の皆様方には、この公聴会に、お忙しい中お時間をいただいたことに、心から感謝を申し上げたいと思います。

 それでは、早速質問に入らせていただきたいと思いますが、まず平安市長の方に。

 私ども、先ほど元兼陳述者からもお話ありましたように、今、維新の会さんと共同で、首長さんにしっかりと権限、責任をまずは一元化しようと。

 今の地方教育行政の体制では、当然ながら、うまくいっているところはしっかり機能しているというふうに思います。ただ、大津のときの案件を含めて、ここに始まったわけではございませんけれども、やはり何か重大事案が発生したときに、最終的な責任がどこにあるのかということを明確にしていないがゆえの、今の首長さんと教育委員会との二元制、そういったものをまずは解消するんだというところからスタートをして、選挙で選ばれる首長さんに最終的な責任と権限をきちっと一元化し、それに加えて、議会と教育監査委員会、さらには学校現場と教育監査委員会の連携ということもございますけれども、チェック機能を果たしていこうというような法案を提出させていただきました。

 それで、この私どもの案に対する平安市長の御見解、評価というものを聞かせていただければというふうに思います。

平安正知君 緊急事態への対応については、民主党さん、維新さんが出された案について、よりダイレクトに対応できると思いますし、首長が責任者という形はいいかというふうに思います。

 ただ、市長もいろいろなタイプがいまして、本当に教育関係に詳しい市長と、そうでない、一般的な方針、こういった方向へ持っていきたいといった人が、いろいろいると思います。その中で、首長が教育行政に対する方針を決定して、それを執行させるのに教育長を任命するという形では、先ほどより出ています中立性、安定性、継続性について、甚だ疑問があるのではないかというふうに思っています。

 それと、市長が出す方針決定について議会がそのたび議決をする、いろいろなことについて。議会もいろいろなタイプの議員がいて、ちょっと偏った方向に、その議会の勢力によって常にチェックを入れられるという形も、ちょっとその辺を不安視するところがあります。

 あわせて、教育監査委員会も議会の意向がどうも強くなりそうだというところで、まだ未知数なんですけれども、若干不安を覚えているところです。

笠委員 平安市長にもう一問、引き続きお伺いをしたいんです。

 今度の政府案の中で、首長さんの権限は確かに強まるとは思いますけれども、仮に、首長と新教育長が意見が対立をするというようなことになったときには、権限としては、これは新教育長の方に、教育委員会に、予算は別ですけれども、引き続き執行機関として位置づけられておりまして、その責任者でございますので。こういったことが、小郡市で発生するかどうかはわかりませんけれども、起こったときに、どういう解決をしていくべきだというふうに考えておられるかということを、ちょっと、今の市長という立場でお聞かせをいただければと思います。

平安正知君 仮に、権限が一元化された新教育長と私の教育に関する方針が余りにも違うんじゃないかといったことが出た場合は、その間、教育行政についてはなかなか、私の意向を酌んでいない新教育長が、途中で心変わりとかをしてなった場合は、難しい点が確かにあると思います。ただ、それについては、予算等はこちらが握っておりますので、そういったことで抵抗というか対応するしかないのかな。

 ただ、任期は、こちらが決めた新教育長を議会に提案いたしますので、そのときはもうその人は提案しないといった形になるかというふうに思います。

笠委員 その点に関連して、今回任期が三年ということが定められておる点と、私は、首長さんに本当に権限を明確にしていくのであれば、やはり解職もできるような規定を明確にすべきではないかというふうに個人的には考えておりますが、その点についての御見解をお願いしたいと思います。

平安正知君 新教育長については、市長が任命をして、それで議会が決定していくという形なんですが、途中で余りにもかけ離れた場合、これでは小郡市の教育行政はおかしくなるよと感じた場合は、罷免もやむなしというような制度をしっかりとれたらいいなというふうに思います。

笠委員 ありがとうございました。

 それでは、豊福陳述人の方にお伺いをしたいんですが、この政府案でいくと、ある意味、新しい教育長というのが、現在の教育委員長も兼ねて、相当な力を持つわけですね。そのときに、やはり教育委員会のあり方というもの、先ほど、残りの教育委員がそこをしっかりとチェックしていけるのかどうかというようなお話、そこがポイントじゃないかというようなことを開陳されましたけれども、そういう意味において、新しい教育長というものは、どういう見識を持ち、あるいは経験を持った人が望ましいのか。

 さらには、教育委員会というものは、総合教育会議ができますから、ますます今よりも形骸化していく可能性があるんじゃないかというふうに思うんですが、そうしたところに引き続き執行機関としては権限が残るわけですね。そういった点のお考えをもう少し聞かせていただければと思います。

豊福眸子君 新教育長が首長の任免で決まる、どういう教育長を決めるかということは首長の大きな一つの仕事だと思うんです。

 一番大事なことは、やはり教育行政に精通していること。それから、教育という専門職ですので、学校現場もよく知っていなければならないし、その地域の保護者の子供に対する思いであるとか、もちろん、新教育長も父親、母親であるはずですから、そういうところは十分踏まえて行政を運営していかれると思うのですけれども。

 ただそういう専門職としてのいろいろなことにたけているということよりも、私は、最終的にはその人の持つ人格と思うんです。教育をやっている中で、幾ら教育技術がうまくても、指導技術があっても、何となく、うまく子供がついていかない、保護者の批判を浴びるというのは、その人の持つ人格といいますか、過去に経験したいろいろなものが重なってその人の人格を形成していく、そういう人格の面も大切な役目を果たしているのではなかろうかと思います。ただ専門のことに詳しいというだけでは、うまく運営できない面があると思います。人間としてどうかということだと思いますね。

 それから、先ほど、各教育委員会のチェック機能といいますか、それが大事になってくるということを言いましたけれども、新教育長が決まったら教育委員会が形骸化していくのではないかという懸念があるということなんですが、そこを、教育委員さん、残り四人の教育委員がいるわけですから、しっかりと教育長を支えて、嘉麻市の教育はどうあるべきかということを常に、首長もしかりなんですが、教育長としっかり合い議しながらやっていくべきだと思います、形骸化しないためには。

 そして、教育長が教育委員会に全てをさらけ出して、困っていること、よかったこと、悪かったこと、全てをさらけ出して、教育長といえども、教育委員会の意見を尊重しながら教育行政を進めていくということが私はますます大事になってくるのではないかと思っております。

 以上です。

笠委員 もう一問お伺いをしたいんですけれども、確かに私どもは、先ほど申し上げたように、首長に権限をまずは一元化していこうということで明確にしていくと。しかし、それは、新たな教育監査委員会を含めたチェックもきちっとしながら、継続性、安定性を求めるというような考え方に立っているんですが、教育委員長をこれまでやられてきた御経験、あるいは学校現場で長く教壇に立たれ、また校長まで務められた経験から、選挙で選ばれる首長に権限を一元化していくということについてはどのようにお考えかということを聞かせていただければと思います。

豊福眸子君 教育に対する市長の意見が強く反映されていくとは思っております。ですから、教育長だけではなくて市長さんも、教育に対するいろいろなことを学んでほしいと思います。

 嘉麻市は、きのう今までの市長が退任されて、きょう新しい市長さんになられたんですが、ここに来る前に、敬意を表して御挨拶してまいりました。そうしたら、新しい市長さんは、教育のことには疎いからどうぞお願いしますと言われたんですが、どうぞしっかり勉強してください、嘉麻市の子供たちの先陣を切っていただけるんですからよろしくお願いしますと言ってはきたのですけれども。

 そういう意味で、市長さんの教育に対する力が入りやすくなるといえば、総合会議に出席されるから、自分の意見を十分に、今までのように教育長を通して私たちに来るのではなくて、直接意見を述べられて、こうだからこうということは言われると思います。しかし、そこら辺も、教育委員会としてはしっかりと市長の意思を見きわめながら教育行政を進めていくことが、教育委員としての責任であるとも思っております。

笠委員 元兼教授の方にお伺いをしたいんですけれども、先ほどの意見陳述の中で、今の質問にもちょっと関連をするんですけれども、政府案の場合の今度の教育委員の選び方等々、あるいは、今もお話ありましたように、教育委員が新教育長をチェックしていく、そういう役割も含めて、どういうことをこれから考えていかないといけないのかという点をお話しいただければと思います。

元兼正浩君 先ほど、教育委員と教育長さんの情報の非対称性というお話をしましたが、やはりそういう意味で、常勤の教育長に対してどういう角度から物を言っていくかというのは、すごく、これは今でも難しい部分はあります。

 一つは、やはり選ばれ方というのが非常に重要でして、教育委員さんがどういう単位を代表してその場にいるのか。先ほど委員長さんも、不安だというお話をされた。多くの教育委員は、やはり、自分でいいんだろうか、自分は本当に教育委員として仕事をこなせているんだろうかと不安感を持っているわけですね。

 そういう意味では、委員自身がみずから、自己啓発で、町内を回って意見を吸い上げていくという自助努力ももちろんそうなんですけれども、ただ、制度としてそれを保障する場合に、例えば、学校運営協議会とか、ああいうふうな新たな学校区単位の組織と連動というのも一つのアイデアかというふうにも考えております。

笠委員 もう一問、元兼教授の方にお伺いをしたいんですけれども、先ほどちょっと平安市長にもお伺いしたんですが、首長とこの絶大な力を持つ新教育長が、うまくいく場合はいいんですけれども、私どもは、やはりそこが対立をしたときに対する懸念。さらには、この新しい形の教育委員会の中で、新教育長さんと通常のほかの四人の教育委員さんの権限の差というのが、これは現行に比べるとすごく開いてくるんですね。そういったところをどのように解決していくか、あるいは、何か法改正を含めたお考えがもしあれば、最後に聞かせていただければと思います。

元兼正浩君 いわゆる総合教育会議において調整がうまくいかないときというのですかね、調整というのは一つ重要な概念で、ですから、両論が出たときに、そこがやはりこの中でまだちょっとうまくつかみ切れない部分であります。

 基本的には、やはり、首長さんが教育行政の専門家であるかどうかという問題ともかかわって、どこまで委任できるか、そこにかかわってくる問題だと思っております。

笠委員 ありがとうございました。

小渕座長 次に、椎木保君。

椎木委員 日本維新の会の椎木保でございます。

 冒頭、三名の意見陳述者の皆様、本当に貴重な御意見をありがとうございました。

 私も、国会議員になる前は、二十年以上も前ですけれども、小学校、中学校、高校で教員をやっておりまして、直近は、最後は市役所に勤めておりましたので、十八年間の市役所の中で十三年間、教育委員会に勤めておりました。

 そういう過去の経験等を踏まえまして、私も国会議員になってこの法案にかかわった中で、いつも悲痛な思いで感じていましたのが、やはり大津のいじめ自殺問題。御遺族の方からも、下村文部科学大臣初め、我々国会議員に手紙が届きました。一言で言いますと、社会一般的に批判されただけではなく、司法からも批判された大きな大きな事件だと。これを機に、今回の政府案では一体何が変わるんだろう。その対応のおくれ、隠蔽体質、責任の明確化、これらをやはりはっきりと、今後ああいう悲惨なことが二度と起きないために、五十八年ぶりの法律改正をするのであれば、まずはここなんだ、そういう思いが本当につづられた手紙でした。

 国会でのいろいろな議論の中でも、ほとんどの国会議員の認識も、参考人で来ていただいた方々も、やはりあの大津のいじめ自殺問題が大きな引き金という認識は、皆さん共有したと思います。

 そこで、三人の陳述者の皆さんにお聞きしたいんですけれども、この大津のいじめ自殺問題が本当に大きな契機で今回の法律改正という御認識があるのかというのが一つです。

 もう一つは、現在の政府案と、我々日本維新の会、民主党の共同提案の法案と、どちらが本当に最終的な現場での子供たちの、責任ある法改正、制度改正になるのか、それぞれの御所見を伺えればと思います。お願いします。

平安正知君 いじめ自殺とか、そのような重篤な、重大な事件が発生した場合、どちらがというか、やはりそれはもう首長が、もちろんそれは教育長も一緒、誰が、どちらが責任とかいうよりも、本当に素早く動いて、隠蔽体質とか、過去のそうした事例みたいなことが起こらないように、速やかに公開し、そして行動していくことが必要だというふうに思っています。

 どちらの案についても、やはり首長の責任はしっかりと明確化されているというふうに思っておりますので、それについては、どちらがどうと言うのは差し控えたいというふうに思います。

豊福眸子君 先ほどもちょっと触れましたけれども、いじめを起こさせないというのは、学校現場での教職員の、一人一人の生徒に対する思い、それから学級経営等の力にかかっていると思います。

 最終的には、起こったときはやはり迅速な対応が一番大事なものだと思っておりますが、嘉麻市でも、いじめではないけれども、それに似たことが起こりました。そのときに、教育委員さん全員、学校全員、土日を乗り越えて、学校に詰めかけて対応していったという事例もございます。

 どちらがどうかということなんですけれども、私は、そういうことを踏まえたら、学校現場での対応のあり方、最初の、初期の、それが一番大事になってきますので、笠浩史君外提出の十九ページの「地方教育行政について指摘されている課題」に「迅速さ、機動性に欠ける」とありますが、それは地域や学校のあり方によって変わってくると思います。

 だから、そういうところは常日ごろから、子供の命にかかわる、生命にかかわることについては特に迅速性がかかわりますので、どちらがどうかと言われたら、どちらともの意見のいい方をぜひ取り上げていってほしい、現場にもっと周知してほしい。先ほどから、教師の経験もおありのようですから、そこら辺を踏まえられたら私はいいのではなかろうかと思います。

 失礼いたします。

元兼正浩君 質疑に入りまして、ちょっとやはりかみ合わないというか、なかなか私がうまく答えられない理由は、恐らく、この教育委員会制度の改正の論議とか活性化論議というのはもう以前からずっとくすぶってきた問題でございまして、今回、大津のいじめというのは一つのきっかけにはなりましたけれども、そこのところが多分一つあるのかなと思います。

 もう一つのずれといいますのは、いじめ問題とは何かといったときに、やはり我々教育サイドで考えるときには、もちろん重篤ないじめ問題への対応というのもありますが、日常的にいじめを起こさせないという、危機管理でいえばリスクマネジメント、そういう部分が非常に重要でありまして、そのことと幾つかのこの制度の話がどうしてもやはりうまく結びつかないということでございます。

 もちろん、クライシスが起きたとき、危機対応になりますと、責任の一元化とか、そういうふうなスピーディーな対応ということが求められるわけですが、ただ、そのときも、果たしてトップマネジメントで、クライシスが起きたときに、やはりトップが賢明な判断をするというのが大前提になりますので、そのときに首長がどれだけ教育的な、または教育行政的な指揮権を果たし得るか、そういうところでやはり難しい問題を抱えているんじゃないかというふうに思っているわけです。

 そして、いじめ問題だけが教育問題ではないということと、そのいじめ問題自体が、もはや今、学校の教室で起きているというよりは、ほとんどはスマホの中で起きている、こういう中で、どれだけいじめの対応の仕方が非常に今現場を悩ましくしているか、そういうこととこの制度の問題が必ずしも結びつかないものですから、なかなかちょっと、私自身うまく答えられなかったなと反省しております。

椎木委員 それでは、豊福委員長さんにお聞きしたいんですけれども、私も、十三年の教育委員会で、教育委員会の方を中心にやらせていただきまして、やはり、常勤の教育長はまだしもなんですが、それ以外の教育委員長初め教育委員さんは、月一回、二時間弱。議案、報告とありますけれども、ただ現場の様子を聞くだけなんですね。

 ですから、先ほど豊福先生がお話しした、冒頭ありましたように、学校長上がりで、市のために頑張るぞと来たにもかかわらず、ただその会議に一時間ないし二時間いるだけで、自分の学校長としての現場の経験をもって市の子供たちのためにという思いが非常に反映しづらい、非常に苦しいといいますか、そういう思いで教育委員長初め教育委員は、私が経験した中ではほぼ全員でした。

 先生から見て、やはり教育委員長であれば、本来、教育委員会の中のトップなわけですから、もっと責任と権限を自分の裁量の中で、市の子供たちのためにという思いはあったかと思うんですけれども、その思いが今回の政府案で今までと変わらないのか、あるいは大きく前進できるのか、その点について先生の御所見を聞かせていただければと思います。

豊福眸子君 大きく変わるのか変わらないのかという御質問なんですが、私は、確かに教育委員長として、もっとこの学校に入り込んでいって、こうしてはと思ったときは、遠慮なしに学校に行って校長と話をしたりしています。今もそうなんですが。

 ただ、教育長がそういう教育委員長の任務も担うわけですね。非常に膨大な仕事になると思います、今度は。文化、スポーツ、全てのことを教育長が責任を果たして担っていくわけですから。そのときに教育長が、そういう歯がゆい思いをして、学校現場に果たしてよく足を運べるかどうか。

 先ほども言いましたけれども、私は、教育は学校の中でやっていっているものですから、しっかりと教育現場に足を運んで、校長の管理の問題、それから教職員の動き、教科の運営等についてより詳しく知っておく必要があると思いますが、そこまで教育長に求めるのは大変だと思いますので、新教育長になっても、一元化されても、そこの基本的なことはやはり忘れることなく、自分だけじゃなくて事務局員も、指導主事であるとか学校教育課の課長であるとかおりますので、そういう人材を生かしてやっていくべきだと思います。

 ですから、うまくいくのかいかないかは、新教育長の力量にかかっているのではないかと私は思います。ですから、それによって、うまくいく市町村とうまくいかない市町村が出てくるのかなという気がいたしております。

 以上です。

椎木委員 では、時間も限られてきたので、元兼先生にちょっとお聞きしたいんですけれども、保護者、市民の皆様は、市の教育行政に関して、責任者はやはり市長という認識が強いというのが私の経験上なんですよね。

 例えば、その一例を挙げますと、学校で起きた問題に対して、保護者の皆さんはまず教育長にお問い合わせをします。教育委員長というのは存在すら知らないというのがほとんどだと思います。その教育長は、自身の判断ではきちっとした説明責任が果たせないのが現行の制度なんですよね。最終的には、問題が大きくなればなるほど、市長はどう考えているんですか、市長はこの問題に対してどう対応してくれるんですかと。

 そういう意味では、やはり民主と維新案というのは市民の感覚に適した大きな改正だと私は思うんですけれども、先生のこれまでの御経験からいった、大学教授という立場で御見解をいただければと思うんです。

元兼正浩君 私の感覚では、残念ながら、むしろ市民は、教育委員会なるものをまず理解していないのではないか、まず、何かあったら教育長には電話はしないんじゃないかという、教育委員会なるものがあっても、これはほとんど事務局だと思っていると思うんですけれども。ですから、合議制の、狭義の教育委員会自体がやはり認知されていないというのは非常に大きな問題だと思います。

 ただ、その先にどこに持っていくかといったら、次には県の方に持っていくことが多くて、必ずしも首長に対してその種の期待をしているのだろうか。むしろ、こういう事案が起きたときに、賠償責任とか、責任にもいろいろなありようがあって、そういうふうなところで市町村長が視野に入ってくるのではないかなというふうに思っております。

椎木委員 では、残された時間で、最後は平安市長にお伺いしたいんですけれども、今回の政府案の法案の中身で、我が党と民主党で一番異を唱えているところが、会議録については努力義務だということなんですよね。ただ、お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、市民の皆様は、どういうことを議論したかというのはやはり知りたいわけですよね、開示していただきたいわけですよ。それを努力義務とすると、開示する市町村と開示しない市町村と出てくると思うんですけれども、これはやはり開示すべきだというところはどうしても私は曲げられないところなんですけれども、本当に個人的な見解で結構ですので、平安市長のお考えを最後に聞かせていただければと思います。

平安正知君 それは、教育会議というか、新しい教育会議なのか、教育委員会なのかわかりませんけれども、そうした中で、個人情報の関係もあるので、そういったところはおいておいて、ただ、その中で、教育行政に関する、しっかり方向性を議論しているということに対しての、公開するというのは私はいいことだというふうに思っています。

 教育委員会でさまざまなことが話し合われて、そしてそれが機能しているといったことは、先ほどから出ているように、市民の皆さんはほとんどわからないという状況でもございますので、そういったことについては公開していくべきだというふうにも思っています。

椎木委員 以上で終わります。どうもありがとうございました。

小渕座長 次に、稲津久君。

稲津委員 公明党の稲津久でございます。

 きょうは、三人の陳述人の皆様に、大変お忙しい中こうしてお越しをいただき、先ほど来、意見陳述並びに私どもの質問に答えていただきまして、大変感謝を申し上げます。

 私の方からも、持ち時間の中で、各陳述人の皆様に質問、また御意見を賜りたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いを申し上げます。

 初めに、今回の閣法について、既に経緯は御存じだと思うんですけれども、私どもは自由民主党の皆さんと、教育委員会の改革について、法改正を視野に入れて十数回議論を重ねてまいりまして、ある意味、その一つの結果を得た上でこれは閣法という形で出ておりますけれども、実は、与党の協議の中で、さまざまな課題について意見が交換された中で、最も大事なものの一つとして、教育のいわゆる公平、継続、安定、ここのところがやはり一番それぞれ気にとめて議論してきたという経緯がございます。

 この教育の中立性、安定性、継続性をいかに担保していくのかということが、ある意味、教育行政においても大事なことだというふうに思っておりますが、どのようにして中立性、そして安定性、継続性を担保していったらいいのか。これは教育に係る基本的な考えということで、何に留意をすることが一番大事なのかということを、それぞれ、各陳述人の皆様にお話をいただきたいと思っております。よろしくお願いします。

平安正知君 議員がおっしゃるように、中立性、安定性、継続性は大変大事なことだというふうに思っておりますし、そうした機能を果たすためにも教育委員会は必要だというふうに思っております。

 そうした中で、レーマンコントロールもきかせていただけるでしょうし、本当に教育の専門の方がその中には当然入っておられますので、そうした中で首長を、中には変わった首長というか、そうした方がなられて、選挙目当ての極端な政策を打ち出されたりする可能性もございますので、そうしたときには教育委員会がしっかりと機能するということが必要だというふうに思います。

豊福眸子君 私も、これに関しては、一つ先ほど述べましたけれども、やはり教育委員がしっかりと見きわめながら、確かに、教育の中で中立性、安定性、継続性は必要なことです。そこで一番大事なことは、子供たちの教育を自分のこととして、教育委員、首長もそうです、教育長もそうです、今後そうなったときに、自分のこととしてしっかりと見きわめていきながら、何が中立性なのか、どうなのかということをちゃんと確認しながらやっていってほしいと思います。

 以上です。

元兼正浩君 教育の問題というのは非常に難しゅうございまして、個性とか平等とか、この間ではゆとりと学力とか、幾らの方向もあり得る選択肢になっていきますので、その意味で、そのベクトルがこの間でも随分やはり動いてきたなというのが教育現場の印象であるのではないかというふうに思っております。ですから、その意味では、これ以上振れ幅が大きくなっていくというのは、非常に、やはり現場としてはちょっと難しい問題を生むんじゃないか。

 ただ、その一方で、私自身は、今、マネジメントという考え方をどう現場の方にうまく入れていくか。やはり、不易と流行で、どうしても不易の部分というのが重視されやすいわけですけれども、時代がこれだけ変わってきて、二十二世紀までどう見渡してという、そういうふうな長期の展望というのは一方で必要ではありますけれども、ただ、政治的、宗教的、または行政的な中立性をどう確保していくか、そのときの一つのキーポイントが、先ほど言ったように、専門性ということをそこにつけ加えたいというふうに考えております。

稲津委員 それでは、もう一問、三名の陳述人の方々にお答えをいただきたいと思うんですが、それは議会の関与のことでございます。

 地方の行政については、選挙で首長が選ばれ、そして議会の議員も選ばれる、いわゆる二元代表制。今の現行法でも、議会のかかわりというのは、もう御案内のように、教育委員を選ぶに当たって議会の同意を得るということになっていますから、そこは一つ議会の役割としてあるんですけれども、もう一方で、議会はやはり行政に対する監視機能というかチェック機能を持つ。加えて、地方の議会は、条例制定なども含めて、立法機能も持っている。しかし、教育の問題について議会はどうかかわっていくべきなのか、これもまた一つのテーマだと思っています。

 一つ、我々が閣法の中で出てくるものを見てみますと、御案内のとおりかと思いますけれども、特に、首長が教育長を任命するに当たって議会の同意を得ることになっておりますけれども、それ以外にも、議会はある意味どういうふうにかかわっていくことが必要なのか、この点について、それぞれお三方から意見をいただきたいと思います。

平安正知君 首長をやっていますと議会との関係は大変重要なことで、国会議員の方々が悪いのかどうかわかりませんけれども、議院内閣制でない地方行政を行っていく中で、何か首長にやたらみそをつけたがるという傾向に走る議員、時にあります。

 そうした中に、方針の決定についても一々議会、一々というか、議会の議決を得ていく、それで、教育監査委員の選挙についてもなっていくという、常に教育行政に議会がかかわり過ぎると、滞る可能性が出てきます。

 例えば、私の政策に挙げていた、先ほど自校式給食の推進というふうに挙げてきましたけれども、それについても、実は、もう二年ぐらい、一年は確実におくらされて、それについてはもちろん予算の入り口論で通してもらえなくて、ずっと滞ってきて、途中で中断をしていました。二十六年度当初予算でやっと通ったわけですが、それも、議員の選挙がこの四月に行われましたので、そういったところで、それどころではなかったといったところがあったものです。それはおいておきまして。

 そういった形で、教育長を議会で議決をいただいて、ある種、そうした教育行政の中身、施策について細かく議員が関与するというのは、ちょっと勘弁してほしいなというのが首長の率直な意見です。

豊福眸子君 議員として、議会として、どのように教育問題にかかわってほしいかということですね。

 これは、議会の中で、教育長とか首長が、教育方針をこうしたいと。例えば、嘉麻市の例を言いましたら、嘉麻市は合併したときに教育のあり方を見直したんですね、一市三町が合併したときに。そして、一番大事だったのは、そのときに嘉麻市全体として教育のあり方を見直したんです。そして、一番大事だったのは、各地区で学力にも差があった、それから給食費等の徴収にも差があった、その差をなくすために一番にやったことは、教育のあり方を見直したときに、一番やはり、市長がいつも言っていました、町づくりは人づくり、人づくりは町づくりということで、子供の教育のために三十人学級をお願いしたんです、少人数学級。恐らく三十人学級をやっているところは少ないんじゃなかろうかと思いますが、小学校一年生から中学三年生まで、三十人学級を今実施しております。そういうときに、予算が伴うわけですよね。その予算の提言をしたときに、こんなに予算を教育につけていっているのか、やはり出てきました。しかし、結果を見てくださいと。

 確かに、財政の少ない中でそういうことを議会で通すことは大変ですけれども、子供たちのためにこうありたいと教育長なり首長が提言したことについては、私は、ぜひ、議会としてそれを承認する方向でかかわってほしい、結果を見てほしい。結果がうまくいかなかったときに、ではどうするかということをまたそのときにみんなで検討していきながら、あり方をもう一遍考え直していくという方法があると思うので、そういうふうにかかわってもらうと、教育行政としては大変助かると思います。

 以上です。

元兼正浩君 私は、今、小さな町の教育委員もさせてもらっているんですけれども、最初にその委員になるときに町長に呼ばれて、もしかすると議会で反対されるかもしれない、でも、そのときは、それは自分に対する批判、不満票だということで、心配しないでくれ、こういうふうなことを言われたんですね。

 ただ、実際に入ってみますと、先ほど言いましたように、町の教育委員の仕事というのは、定例会に出るだけではなくて、町のイベントとかいろいろな学校行事等に出ますと、そこには議員さんが確実に来てくださっていて、非常に教育への思いが強い方も多いし、それから、首長以上に多様な民意を反映しているというのがやはり議会の強みではないかというふうに考えておりますので、その意味では、教育の論理でない形でというのはちょっと困るんですけれども、しかし、やはり拒否権プレーヤーとしての議員さんの存在というのは非常に重要じゃないかというふうに思っております。

稲津委員 ありがとうございました。

 それでは次に、個別にお伺いしたいと思うんですけれども、時間に限りがありますので、各陳述人の方々にそれぞれお聞きすることは難しいかもしれませんが、お許しいただきたいと思います。

 最初に、元兼教授にお伺いしたいと思うんですけれども、それは、先ほどの意見陳述にもありました、町村の教育委員会の事務局のあり方についてなんです。

 それで、例えば、教育行政の専門性ですとか、あるいはスキルアップですとか、そういったものは非常に大事で、事務局の体制がきちんとされているところは、やはり相当いい教育行政をやっているというのは事実だと思うんです。

 例えば、都道府県の教育委員会においては、そもそも採用が、そういうプロパーを育成していく採用であったりしているんですけれども、あるいは、一定程度の人口規模のある自治体においても、そういったことを、あらかじめ採用枠をつくって、あるいはスキルアップの機能をしっかり持っている。

 ところが、残念ながら、町村になると、そういうことはなかなか難しい。ところが、中にはすばらしいそういう教育行政をやっているところもあるというふうに承知しています。

 恐らく、先生、さまざまな御講演や、あるいは書籍なんかも、私も全部は見ておりませんけれども、私が見させていただく中でも、そこに対しては先生は大変な思いがあって、具体的な提案もいただいています。

 先ほどの意見陳述の中では十分お聞きできなかったものですから、この点について、再度、先生の所見を伺いたいと思います。

元兼正浩君 ありがとうございます。

 地方といいましても、やはり、市の教育委員会事務局のレベルと町村のレベルとで随分差がございます。特に、やはり指導主事という教育の専門家の方が一名でも入ってくださると随分違うわけで、これは、法律上、努力義務のように求められていますが、現実には、予算的な問題もありまして、なかなか実現できていないという状況でございます。

 そういう中で、事務局の職員の資質、能力をどう開発していくかという意味では、一つは、春日市の場合は、事務局改革から、今度は教育委員さんの資質向上というふうに動いていったんですけれども、逆に、教育委員が事務局の職員を鍛えていくというような発想もあろうかと思います。つまり、かなり、資料を求めていったりとか、いろいろな形で教育委員会事務局に投げかけていく、そういうふうなありようはあるかと思います。

 ただ、もう一方で、先ほど少し触れましたが、今は、教育の問題の多くは、子供行政なる形で総合行政化している部分がどうしてもありますので、やはり福祉や厚生労働系の、子供の貧困問題等もありますので、そういうふうな首長畑を経験した事務局職員の存在というのも非常に重要ですので、そういうところも、一つ人事のあり方として、少し考えていくことができればというふうに思っております。

稲津委員 時間が参りましたので、以上で終わらせていただきます。どうもありがとうございました。

小渕座長 次に、山内康一君。

山内委員 みんなの党の山内康一と申します。

 きょうは、貴重な御意見をお述べいただきまして、ありがとうございます。

 最初に、お三方に質問をさせていただきます。

 今、お三方の御意見を承って、実は、現行制度でも十分に工夫をすれば問題ないんじゃないかという気がいたしました。

 小郡市の平安市長のお話を伺うと、市長がビジョンとリーダーシップを持ってやっていけば、十分、教育をよくしていくことも、現行制度のもとでも可能だということはよくわかりました。

 それから、豊福委員長のお話を伺っていると、現場をちゃんと見てやっていけば、嘉麻市の学校はうまくいっているというお話がありました。そういう意味でも、現行法のもとでもちゃんと学校がうまくいっているということだと思います。

 それから、元兼教授からは、制度をいじるという言葉がありましたけれども、現行制度でも一定の評価をできるし、今の法案でも、先ほど視察に行った春日市の小学校を見ても、現行制度のもとでちゃんとやればうまく機能する、まさによい例だと思います。

 そういった意味では、私は、内閣提出法案であろうと議員立法の法案であろうと、別に変えなくてもいいじゃないかという気がしてきたんですけれども、それについてお三方の御意見を承りたいと思います。

平安正知君 現行では、言われておりますとおり、教育長と教育委員長の権限の違いがはっきりしていないということで、誰が教育行政の責任をとるのかということがよくわからないというところで、地方教育行政の責任体制の明確化が求められているということ。そして、定例の教育委員会を月一回、小郡市はやっておりますけれども、緊急課題等への迅速な対応がとれないということで、迅速な危機管理体制をより構築していく必要があるということ。また、首長の方針、うちの場合はたまたまうまくいっているんですが、地方行政等にうまく反映されていない自治体があるといったようなことから、市長と教育委員会との連携強化を図る上では変えるところがあるのではないかというふうに思っております。

豊福眸子君 私は、先ほど述べましたように、教育委員長として非常にやりづらいところがありましたので、教育委員長というのはなくして、教育長一本でもいいと思います。しかし、首長が教育長を任命するのではなくて、今までどおり、教育長も互選されて、選ばれて議会で承認を受けた五人の中から教育長を選んでもいいのではないかと私は思っております。それの方がうまくいくのかなという気が今もいたしております。

 以上です。

元兼正浩君 ありがとうございます。

 教育委員会制度は、現状に課題がないわけではもちろんございません。ただ、その課題が、随分、都市部というか、県、政令市の問題と町村レベルでは違うのではないかということで、やはり一つの課題の大きい部分は、町村の事務局のところで、今回は全然、事務局の論議に結局なっていないというところですね。教育委員会レベルの問題というのも、もちろん、形骸化とか活性化ということは大きな課題で、ただ、そのときに、例えば教育委員長を常勤化するなり、何か別の手だてもあったのではないか。ちょっと一時議論にあったと思いますけれども。

 または、民意の反映の仕方だって、私は指導教授とか書いていますが、小川正人先生は中教審の先生ですけれども、神田先生というのは、当時、中野区の準公選制度をやっていた先生ですが、そういうふうな私の出自もありますので、やはりそういうふうな教育委員会の教育委員自身の選び方を工夫するなり、もっと別の手だてもあるのでないかというふうに感じた次第です。

山内委員 今、元兼教授から、もっと別の手だてもあったんじゃないかということを最後におっしゃいましたが、もう少しぜひ具体的に、理想の教育行政のあり方、今出ている法案のことはまず配慮しなくて結構ですので、もし理想的なものをデザインするならばどういったものが望ましいとお考えでしょうか。

元兼正浩君 研究者というのは余り理想を大きく掲げないようにやっておるんですが、現状の改善ということでいうと、やはり、非常勤教育委員自体の専門性をどう担保するかとか、それからその責任体制をどう担保するかというのは非常に大きな課題ですので、その意味では、例えば町村でいえば待遇改善、特に教育委員長さんの待遇改善というのが一つ大きな問題ですし、それから選出の方法につきましても、それが選挙のような形が本当に望ましいかというのはちょっとまた難しいところがあります。

 うちの町の教育委員会も、教育委員のうち三人が外の人間でありまして、そういう意味で、選び方によっては教育委員選び自体が政治化するという問題もありますので、ですから、すぐに理想のというのはなかなか難しいんですけれども、アイデアというのはほかにもあったのではないかなというふうに考えております。

山内委員 私は元兼先生のお話を非常に共感を持って聞いていたんですけれども、これまでの教育改革の歴史を振り返ると、政治の意図で、こっちに行ったり、向こうに行ったり、あっちに行ったりという振れ幅がすごく大きかったんじゃないかなと。ある時期、受験戦争だと言われると、今度はゆとり教育になって、ゆとり教育じゃだめだとなるとまたもとに戻るみたいに、そういう政治が教育改革と称する制度いじりをやるたびに現場が翻弄されてきた、そういう歴史があるのかなというふうに常々思っております。

 そういった意味では、制度いじりだけではだめだということは全くそのとおりだと思いますし、現行制度をうまくやっていくことで相当成果を上げているこの春日市の例、まさに元兼先生がかかわられている例のようなことをちゃんとやっていけば、今回の法改正のようなことがなくてもいいんじゃないかなというふうに今考えているところなんですね。

 例えば、ある時期、「心のノート」が事業仕分けで廃止になったと思ったらまた復活しているとか、いいか悪いかの判断は申し上げませんが、そのたびに学校の現場で、中央の方針が変わったり、あるいはどんどんペーパーワークがふえていったり、そういう教育改革の進め方自体に問題があるんじゃないかなという問題意識を前から持っていまして、どうやって教育改革を進めていったらいいのか。

 元兼先生の論文を読むと、少しずつ進めていくということ、何という表現だったか、ちょっと今覚えていませんが、一気にガラガラポンで大改革をやるというよりは、現場の実態を踏まえながら、地道に、研究者の知見などを踏まえて進めていくことが大事だということを言われていたと思います。先生の論文からいうと、「ささやかな取り組みでも真摯に議論を重ねながら着実にすすめること。」これが大事だということをおっしゃっていますが、そういう教育改革の進め方、教育改革の議論の仕方について御意見を承りたいと思います。

元兼正浩君 ありがとうございます。

 教育問題なるものをどのように捉えるかということが一番重要で、かつ難しい問題だと、先ほどいじめのことを例に挙げましたが、今、教育問題の中でいじめだけが問題ではないけれども、でも、いじめは非常に深刻な問題がある。そのいじめというのが一体どこのどのレベルで問題なのか、そこのところの捉え方をどう的確に捉えていくか。そのために本当は全国学力調査も行われ始めたはずだし、エビデンスを持って、どれだけ事実としての教育事象を捉えていくか。

 ただ、このことが非常に難しいわけです。やはり保護者、学校関係者はまなざしが違いますので、同じことを見ても、問題の捉え方が、受けとめ方が違ってきます。

 ですから、そういう意味で、やはり、より現場に近いところでの議論から進めていかないと、結局、おりてくる制度改革の中では、その対応に追われて副作用の方が大きくなってしまうんじゃないかというふうに思っておる次第です。

山内委員 今、エビデンスベースの議論ということをおっしゃいました。私も、前から国会の議論などを聞いていると、余りエビデンスに基づかない議論が非常に多いなということを常々思っておりまして、そういった意味では、きちんとエビデンスベースの議論ができる人を、教育委員会の事務局のスタッフであったり、あるいは学校マネジメントの立場に立たせなきゃいけないと思うんです。

 そういった意味では、先生は、教育委員会の事務局の人材を養成するといったことも提言の中でおっしゃっていますが、では、具体的にどういうやり方をすれば、そういう教育委員会の事務局あるいは教育長の専門性、資質の問題、専門家としての要件を満たす人材を育てられるかということについてお聞きをしたいと思います。

 実は、私が通っていた大学院では大学マネジメントのMBAというコースがありまして、要するに、大学の教授とか事務長になる人のための修士号というのがあって、そういう人材育成のやり方というのも海外ではやっていたりするんですけれども、日本に合った、そういう教育行政に立つ人間の専門性を高めるためのトレーニングのあり方、人材育成のあり方について詳しくお聞きできますでしょうか。

元兼正浩君 ありがとうございます。

 私は、プロフィールの方にちょっと触れましたが、日本教育経営学会の実践推進委員会というところで、今、校長の専門職の基準をどうつくっていくかということで、プロとしての校長にはどういう資質、力量が求められるか、そのためにはその能力を一体いつ開発するか。これから、多分、管理職の候補者が減っていく時代に入りますので、教頭、教務主任等を十分経験しないままに校長になっていく、そのときにトップとしての判断というのがやはりなかなかすぐにはできないので、それこそMBAのように、ケースメソッドのような手法で、校長になったつもりで、判断、意思決定のトレーニングをするというのを今やっておるわけです。

 そのように、多分、教育長のレベルでのプロフェッショナルのスタンダード、または教育行政専門職員としてのプロフェッショナルのスタンダードをやはり早く開発していくことが、これからもしこういうふうな形で制度改革が行われるのであれば、より必要になってくると思っています。

山内委員 そのような人材を育てた上で、今考えてみると、恐らく政令市とか県ならそういう人を雇えるかもしれないし育てられるかもしれませんが、先ほど以来議題になっている町村レベルの小さな自治体においては、そういう人材を育てるのも採用するのも難しいかなと思うんですけれども、それをどのように乗り越えて工夫していけばよいとお考えでしょうか。

元兼正浩君 町村レベル、教育長の研修は、今、兵庫教育大学等でかなり始まっております。問題は、事務局の方も、例えば大学院等で対応できないことはないんですが、ただ、難しいのは、やはり人事のローテーションの問題です。つまり、教育委員会事務局に入って二、三年でまた首長部局に戻っていくような人事を繰り返すようでは、なかなか育ててもということになりますので、そのあたりを、一方で人事の問題を絡めていかないとなかなか、あとは、オフJTだけじゃなくてOJTをどうつくっていくかというのも一つの課題だと思っております。

山内委員 貴重な御意見をありがとうございました。

 以上で質問を終わります。

小渕座長 次に、吉川元君。

吉川(元)委員 社会民主党の吉川元です。

 きょうは、お忙しい中、三人の陳述人の皆様、大変貴重な御意見をありがとうございました。長い公聴会ですが、私で最後でありますので、もうしばらくおつき合いをいただければと思います。

 まず初めに、元兼陳述人にお聞きをしたいというふうに思います。

 まさに、この法案について審議をする際、常に問題になってくるのは、政治的中立性であるとか継続性等々がありますし、あわせて、民意というものをどう捉えていくのかということが大きな論点の一つにもなっているのかなというふうにも思います。

 先ほど平安市長の方からもお話がありましたけれども、首長の興味、関心によっては、その市あるいは町村の教育のあり方というものがかなり変わってくるというのも、これも今の実態ではあろうかというふうには思っております。特に、かなり思い切ったことをやられる方について言いますと、もう既に、予算権を盾にしまして、本来、教育委員会の専権事項であるような人事の問題について直接に圧力をかけたりとか、そういうことも見られます。

 そういうことでいいますと、継続性ということを含めて考えた際に、現在、現行制度、政府案、それから野党の方からも議員立法ということで出されておりますが、できる限り振れ幅というものを小さく、私も全く同じ意見であります。振れ幅というものはできる限り小さくしなければいけないというふうにも思っておりますけれども、現行制度も含めた三つの中で、やはり振れ幅について、たとえ、教育に物すごく関心のある首長さん、あるいはほとんど関心のない首長さんが入ってきたとしても、一定レベルの中におさまるとすれば、この三つの中でいうとどれが一番適しているというふうにお考えでしょうか、教えてください。

元兼正浩君 ありがとうございます。

 まず最初に、民意とは何かということが非常に大きな問題ではありますが、民意は非常に、やはり今、市民の価値観なり教育観なり、いろいろなものが多様化している。この多様性を誰が反映でき得るのか。一人の首長というのが、どれだけ多様性を、民意を反映できるのか。先ほど議会の問題もありました。

 その民意とは別に、やはりもう一方で、専門性ということを考えておかないといけないのではないかというふうに思っています。

 つまり、これはアメリカである進化論論争のように、民意としては、ダーウィンを教えてほしくないという民意がある地域、では、教えなくていいのかという。やはり教育としては、市場に任せるのではなくて、教えるべき価値というのを教育専門的な観点で、むしろ、ディマンドサイドばかりではなくて、サプライ側から、供給サイドからきちんと専門家として示していくということもありますので、民意万能主義じゃなくて、やはり専門性との兼ね合いで考えていく必要があるんじゃないかというふうに思っています。

 その意味で、ちょっとお答えになりませんが、まず首長に民意の代表だからといって全てを委ねていくのは、やはりちょっとまずいように思っております。

吉川(元)委員 ありがとうございました。

 続きまして、豊福陳述人にお聞きをしたいというふうに思います。

 先ほど、最初の冒頭のところでもおっしゃられておりましたが、教育とは教師に尽きるということでお話がございました。教師の養成ということが非常に重要だというふうなお話も伺いました。

 そういうことでいいますと、これは全国市町村教育委員会連合会の方の意見書でも、教育現場の士気を高める方策についての意見として、教職員の特殊性や多忙な現状を考慮すべし、そういう指摘も行われております。実際、私も教員の皆さんとお話をすると、本当に忙しい、忙しいといいますか、ある意味でいうと、子供に向き合う時間以上に、デスクワークであるとか報告であるとか研修であるとか、そういうことで非常に多忙をきわめているという印象を持ちます。

 それからあわせて、今、全国平均でいいますと、一六%ぐらいの方が、いわゆる正規ではない、臨時、非常勤だ、そういう現状もございます。

 こうした点について、どのように御認識をされているのか。それから、もっと先生方が、本来の仕事といいますか、子供たちと向き合うような環境整備をしていくためにどういった点が必要であり、また、嘉麻市におかれましてはこういった取り組みはどういうふうなものが行われているかについて、ぜひ教えていただければと思います。

豊福眸子君 大きな課題だと思います。教育は教師なり、確かにそうだと先ほど言いましたけれども。

 今、本当に先生方は忙しいんです。というのは、ずっと前よりも、保護者のあり方が変わってきた。そんなことを何で学校に言ってくるのというようなことまで学校で訴える。それから、幼稚園でもそうみたいですけれども、その対応がまずかったら、それがもっともっと広がっていく。そういうことで、担任だけではなくて、学年主任も校長も頭を悩ますということが非常に多くなってきているという現状があります。

 それから、いろいろな意味でやはり研修も大事。先ほどから言った、教育のプロとして、研修もぜひやってください、教育論文もぜひ取っかかってくださいと、いろいろな要求も教育委員会からしているわけですよね。しかし、そうすることによってやはり教師が育っています。教育論文を書かない教師よりも、やはり、大変だけれどもそれに取り組んだ教師の方が伸びていっているし、学校でも、重鎮としてみんなを引っ張っていっているというような立場に立たされます。

 そこで、そういう教職員から研修を除いていくと大変ですので、日々の研修をやっていきながら、では多忙化をどう排除していくか。私は、やはり教師の定数をふやしていってもらうほかにはないと思います。

 定数をふやすことによって、例えば、問題の保護者にずっと丁寧に当たっていくとか、問題生徒に対応していくとか、日ごろ担任教師と話していない教師、そういう教師たちと話し合わせて、心を落ちつかせて非行化に走らないようにするとか、いろいろなことが、教師の定数をふやしてもらうことで、学校独自の、教師の任務の仕方がいろいろ変わってくることで、私は、多忙化から解放されていくのではなかろうかと思います。過去の経験からも、それは言えると思います。

吉川(元)委員 ありがとうございました。

 続きまして、平安市長にお伺いしたいと思います。

 今まさに、定数の問題等々が言われております。今、第四次の分権一括法案の中で、県費負担の教員について、指定都市にはおろしていくというふうな話が国会の中で審議をされております。

 そういう中で、身分は市町村の公務員でありながら給与は県費負担という教員の方もいらっしゃると思いますけれども、この点について、人事権あるいは給与負担、もちろんこれは財政措置をした上でではありますけれども、より広く市町村に移譲すべきではないか、そういう議論も一方であり、他方で、小さい市町村にとってみると、なかなかそれをやり切るだけの、マンパワーも含めて難しいというような困難さも、一部ではそういう実情も耳にすることもございます。

 そういう面でいいますと、県費負担教職員の人事権あるいは給与負担のあり方について、小郡市あるいは市長としてどのようにお考えになられているのか、御意見をお聞かせいただければと思います。

平安正知君 確かに、学校の先生の中には、自分は県職員だと。小郡市でも、もちろん、県の中じゅう、うちでは北筑後で結構異動する先生が多いんですけれども、そういったところで、自分たちの子供という思いを持って教育に当たってくれる先生を確保するためには権限移譲等はいい方向であるのかもしれませんけれども、そうなってきたらやはり人材が固定化するという意見もある。

 我々地方自治体が大変危惧するのは、権限移譲と銘打って、財源は渡さなくて、結局それの負担も一部見なければいけないようになるとかといった傾向にどうしてもなってくる、その辺がちょっと嫌だなというふうに思います。

 それと、人事権につきましては、現時点では、もちろん、いろいろ面接をしながら、県の方にそうした人事についてのいろいろな提案を上げていっているというところであると思います。その辺になると、私もちょっと詳しくはわかりませんけれども、メリット、デメリットが出てくるのかなというふうな感じで、まだ、私の今の段階ではちょっと答えにくいというところがあります。

吉川(元)委員 ありがとうございました。

 そうしましたら、続いて豊福陳述人の方にお伺いをしたいというふうに思います。

 先ほど、教員の多忙化の一つの原因として、保護者のあり方の変化ということがあるんだというお話がございました。

 そういう面でいいますと、先ほど、ほかの委員からもお話がありました、きょう午前中、春日市の日の出小学校の方にも、実際に見せていただいて、実情等々もお話を伺いました。このコミュニティースクールについての豊福陳述人の評価といいますか、あるいはまた嘉麻市においてどういった取り組みが行われているのか、少し御紹介いただければと思います。

豊福眸子君 はっきりとしたコミュニティースクールという取り組みは、やっておりません。

 しかし、教育委員会を中心に、各地域の保護者、それからいろいろな役職を持っている皆さんたちとの連携を深める。それが如実にあらわれましたのが、嘉麻市はことし、五校を一校に編成するという統廃合を行いました。そのとき私が非常に感動したのは、閉校式のときの各学校における地域のあり方、地域の皆さんの学校に対する思い入れ。こんなにすばらしい、学校経営の中に地域が、保護者が入り込んで、どの学校もうまくいっていたんだなと。

 では、今度の新しい学校でも、そういう、皆さんたちが学校に入り込んで地域と学校、教育委員会が一体となった運営ができれば、すばらしい学校にまた育っていくであろうと感じたことです。

 だから、コミュニティースクールは、いろいろな階層の人が一緒になりながら学校を支えているわけですよね。そういう意味で、嘉麻市もそういう取り組みをやって、コミュニティースクールという名目は出さなくても、内容的にはそういうことをやっているということが言えると思います。

 以上です。

吉川(元)委員 ありがとうございました。

 そうしましたら、元兼陳述人の方にお聞きをしたいと思います。

 今まさにコミュニティースクールということで、先生の論文等、論文といいますか文書を読ませていただきました。午前中の視察は大変有意義だったというふうに思います。

 ただ一方で、まさに豊福陳述人の方からもおっしゃられました、なかなかこれが全国的に広がっていかぬ、まだまだ、制度がスタートして多くの時間がかかっているわけではありませんが、ただ、なかなか広がっていないというのも実情なのかなというふうにも思います。

 学校の運営や教育の内容を協議したり決定できるような徹底的な分権というのはやはり必要だろうと思いますし、コミュニティースクールの制度というのがその中で果たす役割というのは大きいのだろう。

 ただ一方で、今言ったように、なかなか、十分、全国に広がっていないということ、あるいはその権限といいますか、学校運営について意見具申をできるにとどまるような権限の問題であるだとか、あるいは設置する学校をどのように決めていくのかということも含めて、今後もいろいろな、よりコミュニティースクールを発展させていくための制度の改正というのは必要なのかなというふうにも思います。

 この点について、元兼陳述人の方はどのようにお考えか、お聞かせください。

元兼正浩君 春日市が九州で一番初めに手を挙げて始めたとき、きょう行かれた日の出には今の福岡教育大の学長が入って、もう一方の小学校に私が入って、そこからスタートしたわけですけれども、最初は、地域運営学校とかコミュニティースクールとか、そういう言葉が先行して、地域ボスが人事を牛耳るんじゃないか、やはりそういうふうな不安感とか誤解、偏見というのはかなり広がっておりました。

 そういう中で、まず最初にやったことは、委員たちに、委員として何をすべきか、その存在理由というんですか、そのあたりを確認する作業をずっと一緒にやっていきました。

 最初は、やはり頭でっかちで、どうしても、アンケートをとってみて、まず等身大の学校を把握するということから始めないといけない。そうすると、先生たちも意外だった。例えば、保護者は、先生たちが思うほど、学力をどうこうではなくて、やはり子供が学校に楽しく行ってもらいたいということを願っているとか、そういうふうに、まず複眼的な、学校サイドだけじゃなくて保護者、地域代表が入っていますので、そういう中で、学校の正確な状況を捉えるというのが、非常に重要な作業が最初でした。

 そうすると、次に必要になってくるのは手足なんですね。実際には、やはり実動部隊がないということで、それでだんだん、いろいろなコミュニティーという形でその実動組織ができていきました。

 その次にやはり必要になってくるのは、今度は感覚神経なんですね。先ほど陳述のときに、やはり現場の声を拾い上げるという意味で、声なき声を拾うと。

 だから、頭でっかちから始まったんですけれども、その動きが、運動神経そして感覚神経、そこまでになるのにやはり三年から四年かかりました。

 そういうふうなところを、春日市の視察に来て、三年目、四年目、今八年目とかを見ても、なかなかそこをまねしても、できないんですね。八年目を突然やっても、制度だけまねしても、やはりうまく定着しない。

 ですから、やはりそういう意味では、地道にプロセスを踏んでいかないとなかなか広がっていかないもので、既に、先ほど嘉麻もそうですけれども、コミュニティースクール的に活動している学校、おらが学校は幾らでもあるわけですね。だから、そういう意味では、まず、この制度をきちんと理解して翻訳できる人をどう育てていくかとか、私も幾つかの学校の立ち上げに全部入ったんですけれども、やはりその学校その学校の進め方がありますので、そのあたりを上手にやっていかないと、強制的におろしていってもなかなか定着しないんじゃないかというふうに思っております。

吉川(元)委員 時間が来ましたので、終わります。ありがとうございました。

小渕座長 以上で委員からの質疑は終了いたしました。

 この際、一言御挨拶を申し上げます。

 意見陳述者の皆様におかれましては、長時間にわたりまして貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。

 本日拝聴させていただいた御意見は、当委員会の審査に資するところ極めて大なるものがあると存じます。ここに厚く御礼を申し上げたいと思います。

 また、この会議開催に当たりまして格段の御協力をいただきました関係各位に対しまして、心から感謝を申し上げます。ありがとうございました。

 これにて散会いたします。

    午後三時散会

    ―――――――――――――

   派遣委員の宮城県における意見聴取に関する記録

一、期日

   平成二十六年四月二十三日(水)

二、場所

   江陽グランドホテル

三、意見を聴取した問題

   地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案(内閣提出)及び地方教育行政の組織の改革による地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案(笠浩史君外三名提出)について

四、出席者

 (1) 派遣委員

    座長 萩生田光一君

       池田 佳隆君   小林 茂樹君

       中根 一幸君   丹羽 秀樹君

       吉田  泉君   遠藤  敬君

       鈴木  望君   中野 洋昌君

       井出 庸生君   宮本 岳志君

       青木  愛君

 (2) 意見陳述者

    仙台市長        奥山恵美子君

    東北大学大学院教育学研究科准教授       青木 栄一君

    前宮城県中学校長会会長

    前塩竈市立第一中学校校長

    石巻専修大学特任教授  有見 正敏君

 (3) その他の出席者

    文部科学省大臣官房審議官           藤原  誠君

    文部科学省大臣官房総務課総務調整官      先崎 卓歩君

     ――――◇―――――

    午後一時開議

萩生田座長 これより会議を開きます。

 私は、衆議院文部科学委員会派遣委員団団長の萩生田光一でございます。

 私がこの会議の座長を務めさせていただきますので、よろしくお願い申し上げます。

 この際、派遣委員団を代表いたしまして一言御挨拶を申し上げます。

 皆様御承知のとおり、当委員会では、内閣提出、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案及び笠浩史君外三名提出、地方教育行政の組織の改革による地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案の審査を行っているところでございます。

 本日は、両案の審査に当たり、国民各界各層の皆様方から御意見を賜るため、当仙台市におきましてこのような会議を催しているところでございます。

 御意見をお述べいただく皆様方におかれましては、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。どうか忌憚のない御意見をお述べいただきますように、よろしくお願い申し上げます。

 それでは、まず、この会議の運営につきまして御説明申し上げます。

 会議の議事は、全て衆議院における委員会議事規則及び手続に準拠して行い、議事の整理、秩序の保持等は、座長であります私が行うことといたします。発言される方は、その都度座長の許可を得て発言していただきますようお願いいたします。

 なお、御意見をお述べいただく皆様方から委員に対しての質疑はできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願います。

 次に、議事の順序について申し上げます。

 最初に、意見陳述者の皆様方からお一人十分程度で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑に対してお答え願いたいと存じます。

 なお、御発言は着席のままで結構でございます。

 それでは、本日御出席の方々を御紹介いたします。

 まず、派遣委員は、自由民主党の丹羽秀樹君、中根一幸君、池田佳隆君、小林茂樹君、民主党・無所属クラブの吉田泉君、日本維新の会の鈴木望君、遠藤敬君、公明党の中野洋昌君、結いの党の井出庸生君、日本共産党の宮本岳志君、生活の党の青木愛君、以上でございます。

 次に、本日御意見をお述べいただく方々を御紹介させていただきます。

 仙台市長奥山恵美子君、東北大学大学院教育学研究科准教授青木栄一君、前宮城県中学校長会会長、前塩竈市立第一中学校校長、石巻専修大学特任教授有見正敏君、以上三名の方々でございます。

 それでは、まず奥山恵美子君から御意見をお述べいただきたいと存じます。

奥山恵美子君 御紹介をいただきました、仙台市で市長を務めております奥山と申します。

 きょうは、このような発言の機会をいただいたことを大変うれしく思っているところでございます。

 先に私の職歴を若干述べさせていただきますと、仙台市の職員として三十数年勤務をいたしまして、その中で、教育委員会では生涯学習課長、また教育長を務めさせていただいたということがございます。現在は市長として、政令指定都市という形での基礎自治体の業務を預かっているところでございます。

 それでは、まず、今回の政府案について思うところを述べさせていただきたいと思います。

 昨年度の中教審の議論、答申、また政府案の与党合意によります修正等を経た上で、現行の教育委員会制度におきます問題点を踏まえて策定されたものと私は認識をしておりまして、教育行政におきます責任の明確化、また迅速な危機管理体制の構築を図る、そうしたことの一方で、教育の中立性、継続性、また安定性を確保できるようにということで、教育委員会を執行機関として存続させる案となったことにつきましては、評価をいたしたいと考えてございます。

 大宗、そのような前提のもとに、三点について私の意見を申し上げさせていただきたいと存じます。

 まず一点目は、新教育長についてでございます。

 法案によりますと、教育委員長と教育長を一本化し、教育委員会の最高責任者を新教育長に統一したということでありますけれども、これは、責任の所在の明確化や緊急の事態に迅速に対応する観点から、評価できるものと考えてございます。改めて、新教育長の任命責任を私ども首長もしっかりと認識しなくてはならない、そのように考えているところでございます。

 現行制度を振り返ってみますと、教育行政の最終的な責任の所在がどこにあるのだということになりましたときに、いささか不明瞭な点があると私自身はこれまで考えておりました。現在におきましても、教育予算の措置権は首長にございます。また、教育行政の事務を実質的に取り仕切っております教育長を選任して議会に提案するのも首長でございます。こうしたことを考えますと、最終的な責任は首長が持つべきと考えてまいりました。

 このことは、改正案におきまして、教育行政の最終責任者となる新教育長を首長が直接任免するということで、これまで以上に明確になったものと私は受けとめ、今後の制度の運用の中で新しい力を発揮することを期待しているものでございます。

 その中で、教育の中立性を確保し、教育行政を適切に進めていくためには、教育委員会は、改めて首長との間でしっかりと情報を共有し、緊密な連携を図っていくことが極めて重要と考えております。

 私ども政令指定都市は、御承知のとおり、教員の人事権を持っております。この教員の人事権を持つかどうかということは、教育委員会行政の中で非常に大きなことであると私は考えております。なぜなら、自分たち自身で決定した人事を行うことによって、学校の教職員のしかるべき体制を確保し、また、そこで何か問題が起こったにしても、自分たちの人事の結果であることについてきちんと責任をとる、こういう一貫性が図られると思うからでございます。

 そういうことで、政令指定都市におきましては、人事権を持つとともに、指導主事を初めとして事務局の体制もこの間充実を図ってきておりまして、こうした首長と教育委員会の適切な関係を構築するという意味では、双方がこの力を持っているものと考えているところでありますけれども、基礎自治体の中には、御承知のとおり、町村など、事務局の体制を堅固なものにするには人員的にも大変厳しい規模の自治体というのもございまして、そういう意味では、今回の制度がそれぞれの基礎自治体の規模に応じてどのように運用されていくかということについては、なお課題があると考えているところでございます。

 次に、二点目として、総合教育会議について述べさせていただきたいと思います。

 法案によりますと、教育施策全般に係る重要事項や緊急事項を首長と教育委員会が協議する、このようなことでございます。首長と教育委員会が、お互いの考えを知ることとともに、情報を共有しながら教育施策を真摯に話し合うということには、大きな意義があると考えております。

 本法案は、従来から、例えばマスコミ紙上などでも、この間の法改正をめぐってさまざまに取り上げられてまいりましたけれども、首長と教育委員会のそごを少しでも埋めていくという意味で、この総合教育会議が一定の役割を果たすことが可能である、また、そうあるべきであろうと私自身は思っております。

 しかしながら、主宰いたしますのが首長でありますことから、会議において取り上げる重要事項を首長の裁量によってのみ決定したり、これは余りあってはならないですし、そうそうあるとは思いませんけれども、万が一にも、首長が、強引に事を進め、調整を独自に行ったりすることにより、実質的に教育委員会の意思が無にされたり、もしくは教育委員会の機能が形骸化するようなことがあってはなりませんので、こうした教育の中立性が担保されるように、この運用につきましては、国において今後一定の方向性を示す、もしくは、総合教育会議がスタートします前に、それぞれの自治体において、規模や地域の実情等を踏まえながら、議論をする事項や会議の運営方法について、それぞれの自治体の議会などであらかじめ議論を深めることが必要ではないかと思っているところでございます。

 また、それぞれの自治体におきまして議会に提案する議案や予算案につきましては、議会との関係から、提案前に決定したかのような協議が総合教育会議で行われることは、まことにふさわしくないと考えるところでございまして、それらを考えますと、会議のテーマとその開催の時期、また具体の項目等についても配慮をしていく必要があろうというふうに受けとめております。

 一方、教育委員会側にとって、この会議は新たな試みということになろうかと思いますけれども、これを自分たちへの制約と捉えるのではなく、首長への、また、広くは有権者、市民の皆様への教育施策のアピールの場として、高い問題意識を持ち、この会議を上手に活用することが求められるというふうに考えております。首長と教育委員会の両者間の活発な意見や考えのすり合わせの場となって、広く市民、国民の方にとっても教育に関する知見の啓発の場となることを期待したいと思っているところでございます。

 続いて、大綱について述べさせていただきたいと思います。

 各自治体は、教育の振興のための施策に関する基本的な計画として教育振興基本計画を策定しているところでありますが、本市におきましては、私と教育委員会が、さまざまな意見交換を行いながら調整を図り、共通の認識を持ってこの策定に当たっているところでございます。

 総合教育会議において新たに策定することになります教育の振興に関する施策の大綱がどのような位置づけになるのか、既に策定しております教育振興基本計画との関係がどのようになるのか、私はいささかまだ不明瞭だと考えておりまして、大綱のレベルや内容によりましては、教育振興基本計画と重複することになりかねないと思っております。

 国におかれましては、教育振興基本計画との関係を整理された上で、大綱に盛り込むべき事項など、策定に当たっての具体的な内容を例示的に示す必要があるのではないかと現時点で考えてございます。

 以上、政府御提出の案について三点申し述べさせていただきましたが、引き続き、民主党、日本維新の会の方から御提出いただいている法案につきまして、若干の私の考えを述べさせていただきたいと存じます。

 この法案は、首長が教育行政の責任者であるということでありますし、また、教育長は首長の指揮監督のもとに教育に関する事務をつかさどるとしているわけでございますが、首長の補助機関である教育長は、首長が直接任命をし、任期中においても解職できることになっておりますようで、さらに、任免については議会の同意を必要としていないということでございます。

 こうしたことにより、責任の明確化や迅速な事務の執行等が期待されることが大きくございますけれども、一方で、首長の意向が教育行政にダイレクトに強く反映されるようになり、制度の運用次第によりましては、首長が教育行政を一方的に進めることにつながりかねない危険性はあるものというふうに受けとめております。

 選挙で選ばれました首長、私もその一人でありますけれども、これが民意を反映した教育行政を推進するという狙いそのものは間違ってはいない面があると思いますが、選挙の争点は、御承知のとおり、えてしてその時々におきまして市民の関心が最も高いテーマによって戦われることが多く、必ずしも教育が争点となるものでもないわけでございます。

 教育というものは長期的な視点に立って行われるべき営みであることを考えますと、この制度については、私は、やはりさまざまな危惧の念が払拭できないでいるところでございます。

 また、法案におきましては、執行機関である教育委員会を廃止するということでありまして、教育行政のチェック機関として、首長の処理する事務の実施状況を評価、監視し、勧告を行う教育監査委員会を設置することとしておられます。

 そういう教育監査委員会でございますけれども、これは、首長の教育行政に対するチェック機関としての機能を持つという点で、首長と議会、また、首長と監査委員との関係に、若干、屋上屋を置く感がするというふうに私は受けとめているところでございます。

 なお、この法案におきまして、県費負担教職員の任命権を市町村に移すことについて検討を加え、必要な措置を講じるという点が触れられているわけでございますが、先ほど申し述べさせていただきましたように、県費負担教職員制度に関しましては私自身問題意識を持っておりまして、私の問題意識と共通する課題を取り上げておられるという点で、私として評価をするものでございます。

 今後、県費負担教職員制度の問題と教育行政のあり方については、国会におかれましてもなお検討を進めていただきたいと願っているものでございます。

 以上、私からの意見を申し述べさせていただきました。

 ありがとうございます。

萩生田座長 ありがとうございました。

 次に、青木栄一君にお願いいたします。

青木栄一君 こんにちは。青木と申します。どうぞよろしくお願いいたします。

 本日は、委員の先生方を前にしまして私の見解の一端を申し述べる機会をお与えいただきまして、まことにありがとうございます。

 私は、現在、東北大学准教授で、教育学研究科において教育行政学分野を担当しております。専門は教育行政学で、主要な研究テーマとして、教育行政における国と地方の関係、地方分権による教育行政の変化といったようなテーマに取り組んでおりまして、これらのテーマに関して書籍を刊行しております。

 本日は、地方教育行政の主要な論点について、限られた経験と知見からではありますが、私の見解を申し述べます。

 今般の地方教育行政制度に関する改革論議の発端となりましたのは、大津市における痛ましい出来事であったと認識しております。私も今般の改革論議を注意深く見守っておりましたが、そこで感じましたのは、制度とその運用の区別をすることの必要性です。

 地方教育行政を批判する際に、行政委員会としての教育委員会制度の存在を挙げることがよく見受けられます。

 しかし、教員という一定の専門性を必要とする職業集団を地方公務員として雇用する以上、その巨大な集団の人事管理を行う部門が一定の自律性を委ねられるということは、根拠のないことではないと思います。

 もちろん、教育委員会制度が存在することで、教育行政がより総合行政から分立していく可能性はないわけではありません。

 また、教育委員会の会議の形骸化という批判も重立った批判の一つです。

 しかし、教育委員による会議が停滞しているとすれば、教育委員の人選という運用面に問題がある場合が多いと思います。

 例えば、昨年私が出版した「地方分権と教育行政」という本では、少人数学級編制を具体例として、各地域独自の教育施策の展開を明らかにしました。そのような地域では、地域における教育論議や教育委員の会議が活発となりました。さらに、首長の積極的な教育施策への関与あるいは支援が展開しました。

 また、教育行政の隠蔽体質という批判も今般の事案を受けて強まっています。これについては、まず一定の留保が必要であると申し上げておきます。

 学校を、いわば現業部門に近い、出先機関としての性質を持つ機関だと考えますと、この問題に迫りやすくなるのではないかと思います。

 このような機関を数多く管理する行政領域では、情報の伝達経路が長くなりますので、どうしても情報のやりとりに支障が生じやすいことを指摘したいと思います。特に、教育行政という領域では、数多くの学校を管理するという特徴を備えています。これが教育行政の隠蔽体質として批判される背景にあると思います。

 しかし、この原因を教育委員会制度そのものに求めるのはいささか難しいのではないかとも考えます。

 もちろん、学校の管理が教育委員会の主要な職務の一つであり、その管理する主体と管理される主体が、教員免許を持つ者同士、さらに言えば、同窓生同士、元同僚同士という、いわば同質性の高い共同体の一員であることは確かです。

 ただし、指導主事には教員籍と言われる教職経験者が登用されますが、地教行法の規定上は、教職経験者以外の登用を阻んではいません。このように考えれば、教育行政の隠蔽体質が存在するとしても、教育委員会制度に直接の原因を求められるものではなく、むしろ、教育行政組織の人事という、いわば運用の次元にこそ問題が潜んでいる可能性があるのではと思います。

 さて、今般の論議で重点的に論じられているのが教育行政の責任主体の明確化ということですが、私は、単一の責任主体にあらゆる役割を期待することには慎重であるべきと考えます。

 むしろ、現代行政では、責任の一部を別の主体に委任することが前提となっており、その委任の構造をどう明確にし、どう適切に制御するかが重要問題と思います。ここにこそ制度改革の意味があると思います。

 このことは、次の二つの論点に分けて考えることができます。

 第一に、学校管理主体である教育行政内部の権限関係です。第二に、教育行政に対する、首長、地方議会、住民による、いわば外部からのコントロール、制御です。これらのいずれもが今回の改革論議で取り上げられている論点でありまして、これらを一括して、教育行政のガバナンスの制度設計と呼ぶことにします。

 まず、全体的な所見を述べます。

 地方教育行政制度に関しても、社会の要請や実情を踏まえて法律を改正することは必要なことと考えます。ただし、今回の法改正も絶対視することなく、その前後の運用面を検証しつつ、今後も必要に応じて法改正も含めた議論が必要だと思います。

 さて、教育行政の外部からのコントロールについてですが、政府案、対案ともに、そのコントロール主体としては首長に期待するものとして理解できます。

 ただし、外部コントロール主体が首長だけでよいかは議論のあるところであり、地方議会、住民あるいは国が地方教育行政にどのようにかかわるかという視点を踏まえた議論が求められると思います。

 なお、地方自治の観点をいかに制度設計に盛り込むかも議論する必要があると思います。ここで言う地方自治とは、地方公共団体がそれぞれの地域の実情に応じた教育のガバナンス形態を選択するという意味です。

 現行制度は、いわゆる教育委員会の必置規制がとられており、地方教育行政制度は全国単一のものとなっています。

 これに対して、政府案については、後に述べるように、特に首長と教育行政の関係は、首長の意向に応じて多様なものとなると考えます。対案については、教育委員会制度の全廃と教育監査委員会の必置を予定しているという意味では、運用上も全国単一の地方教育行政制度となることが推測できます。

 さて、政府案については、確かに現行制度に大きな変更をもたらす法案であると考えられますが、その一方で、行政委員会としての教育委員会は廃止されないことから見れば、穏当な内容と考えられます。対案については、現行制度に根本的な変更をもたらすものであると考えます。

 ただし、政府案についても、教育長が、法制度上、明確に強い権限を持つことになります。このことについては、教育長を教育行政機構の中でどのようにコントロールするかの内部コントロールの議論も必要と考えます。

 ここから少し具体的に論じたいと思います。

 政府案、対案ともに、教育長を教育行政のトップとして明確に位置づけますので、教育行政の内外における教育長のコントロールが大きな論点です。

 まず、外部コントロールについて申し上げます。

 教育長の任命、解職あるいは罷免という任免権をどう設計するかが重要な論点です。

 また、これに関連して、政府案にある教育長の三年という任期ですが、二年、一年という任期にする考えもあると思いますが、首長以外のコントロール主体が余り想定されていない法案ですので、それを考えますと、責任の明確化と教育行政の継続性の両立を図ったものとみなせます。

 次に、教育行政の基本方針の立案に教育行政の外部主体がどのようにかかわるかという事柄です。

 政府案では、それを総合教育会議に委ねます。私が見るところでは、総合教育会議の運用次第によっては、首長が現行制度以上に教育行政に影響力を行使する余地が拡大すると思います。

 その意味で、ごく一部の首長のもとでは、この総合教育会議によって、教育委員会の任意設置とかなり近い効果をもたらす可能性があると考えられます。これは、地方教育行政の多様性を担保することになると思います。

 しかし、いずれにしても、教育行政の外部からのコントロール主体として、首長以外にも目を向けてはどうかというのが私の考えです。

 次に、教育行政の内部コントロールについて申し上げます。

 政府案について申し上げますと、教育委員会と教育長との間にどのような緊張関係を構築するかの議論が必要と思われます。例えば、会議のあり方や会議録の作成上の工夫などが詰められる必要があるかと思います。

 最後に、必ずしも法律で書き切れる論点ではありませんが、今後の制度運用に当たっては留意すべきと思われる点を申し上げます。

 第一に、教育行政の専門性です。

 与党合意にもありますように、教育行政の専門性に関して留意が必要です。一点目として、教育長の要件である教育行政に関する識見については、任命後も教育長自身がその専門性を高める努力が必要です。二点目として、教育行政職員についても、いわゆるプロパー職員の育成や、教員出身者とそれ以外の職員のバランスのとれた配置が必要と思われます。

 第二に、教育行政の効率性です。

 教育行政については、民主性と専門性及び両者の調和が議論されますが、行政の一部である点を考慮するならば、その効率性あるいは能率についても議論する必要があります。特に、教育行政に関する事務の事後評価をより重視する必要があります。

 第三に、地方教育行政制度の運用状況の検証です。

 どのような地方教育行政制度を選択するとしても、その運用状況の把握と検証がより一層重要だと思います。特に、ウエブサイトを活用して、政策過程全般に関する情報公開の推進が必要だと思います。

 以上で、私からの陳述を終えます。

 御清聴いただきまして、まことにありがとうございました。

萩生田座長 ありがとうございました。

 次に、有見正敏君にお願いいたします。

有見正敏君 こんにちは。有見正敏と申します。

 私は、三十八年間の教職生活を終えて、この三月に退職した者でございます。教諭として二十一年、管理職として十年、行政に数年ほど勤務した立場から、そして現場の立場から意見を述べさせていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いしたいと思います。

 それでは、大きく三点にわたってお話をさせていただきます。

 初めに、教育委員会制度そのものについてでございます。

 現在の教育委員会制度は、首長からの独立、合議制、レーマンコントロールによって、教育の政治的中立性の確保、継続性、安定性の確保、地域住民の意向の反映を図るものとして導入され、地方教育行政の基本的な制度として定着してきたところでございます。私は、今後もこの制度をしっかりと堅持していくべきであると思ってございます。

 その理由の一つを述べたいと思います。

 平成二十五年度の全国学力・学習状況調査における学校別調査結果の開示義務化ということで、ある市の教育委員会が、市内の小中学校に対して、自校の平均正答率の開示を義務づける決定をいたしました。この決定は、文科省が定めた実施要領を大きく逸脱したものでありまして、極めて遺憾であると受けとめているところでございます。

 その実施要領ですが、かいつまんでお話ししますと、市町村教育委員会が結果を公表することについてそれぞれの判断に委ねる、ただし、個々の学校名を明らかにした公表は行わない、学校が自校の結果を公表することについてはそれぞれの判断に委ねる、調査結果の公表に当たっては序列化につながらない取り組みが必要であるとあります。

 また、校長が公表を拒んだ場合には処分の対象となるとの報道もありました。このことは、各学校の状況を踏まえ、自校の学校改善を図ろうと努力している校長の学校経営意欲を著しく失わせるものでありました。

 学力については、学校の指導力による要素が大きな比重を占めていることは事実でありますが、このほかにも、社会環境等による要素も大きく影響していることは否めない事実であります。したがいまして、学力調査の結果を全て学校の責任というような誤解を招く措置は、同じ校長職にある者として憤りを覚えましたし、現場に大きな混乱をもたらしたものと推察しております。

 現場が、校長のリーダーシップのもと、生き生きとし、教育活動が展開できるためには、教育の政治的中立性の確保は今後も不可欠であると考えます。

 一方、見直すべき点もあると考えます。

 平成二十三年、二十四年に起こった滋賀県大津市のいじめ事件であります。中学二年生がいじめを苦に自殺した事案の報道を契機といたしまして、教育委員会の対応が批判されることになりました。そこでは、教育委員長、教育長の責任の所在の一本化が問われることになりました。非常勤である教育委員長が緊急事態に対して権限と責任を持って対応することが実際上困難であることを物語っていると言えます。

 そういう意味におきまして、教育長を一本化することで責任の明確化を図ることは大切であると考えます。

 二つ目は、政府案の総合教育会議の設置についてであります。

 学校現場は、いじめや不登校、暴力行為、震災の影響、学力の向上等、課題が山積みであります。特に、いじめや不登校の問題は、学校だけでは望ましい解決は期待できません。これまで以上に教育委員会との連携が必要と考えております。

 これまで、私も実際、町の教育委員会に勤務した折に、教育委員会と首長の間におきまして事務的な協議は行われておりました。しかしながら、教育を行うための諸条件の整備その他教育や学術、文化の振興を図るため重点的に講ずべき施策、また、児童生徒等の生命、身体の保護等緊急の場合に講ずべき措置などについての法律上の規定はございませんでした。

 今回、政府案で、総合教育会議を設け、これらが協議事項として示されたことは、現場としては力強い限りであります。緊急の場合における素早い対応、素早い解決、そして信頼性が担保できると考えるからであります。現場では、特に、いじめ防止等のための対策を総合的かつ効果的に推進できるものと思います。

 宮城県におきましては、ことし三月、全ての小中学校におきまして、学校いじめ防止基本方針を策定したところであります。これまで以上に、いじめの未然防止、早期発見、早期対応等に努めているところでございます。

 最後、三つ目でございます。首長、教育長、教育委員、事務局の連携ということであります。

 例えばでございますが、町づくりと人づくりのテーマで定期的に意見交換する場を必ずつくってほしい。そういう体制で行政がいれば、学校は安心して子供の教育に取り組んでいけるのではないかと思ってございます。

 今回のPISA調査、日本がまた国際舞台に返り咲いたといいましょうか、よい結果が出されました。日本の学力が非常に危機的な状況だったのでありますが、その後、学習指導要領を変え、中学校でいえば授業時数もふやし、そして、自治体によっては少人数学級をつくり、いろいろな改革をやってきました。国、行政、学校が一体となって取り組んだからこそ、あのような好結果になったのだというふうに思います。

 もう一つ具体的な例をお話しします。教職の最後、塩竈市の中学校で退職したのでありますが、そこでの例を話させていただきます。

 塩竈市もこの震災で被災した町でございます。首長は、何よりも震災復興のため、さまざまな政策を講じているわけですが、防災教育の充実もその一つでありまして、急務となってございます。

 塩竈市では、従来から、日曜日に市民を対象に防災訓練が行われておりました。しかし、そこでは、小学生が数名親と一緒に参加するものの、中学生はほとんどといって、参加は見られませんでした。

 そこで、市の校長会としまして、子供たちも市民である、ぜひ、小中学校、日曜日を出校日にして実施したい旨を教育長に提案しました。実施上の課題はありましたが、結果として、地域、学校、行政が一体となった防災訓練を実施することができました。今年度も六月八日日曜日に実施の運びとなってございます。

 二つの例を話しました。

 首長の権限、教育長の権限はどうあればいいかという議論もございますが、三者が常に教育について前向きに情報交換しながらやっていけば、きっといいものが出ると確信するものでございます。

 以上、現場での経験をもとに述べさせていただきました。

 今回の教育委員会制度改革の、教育の政治的中立性、継続性、安定性を確保すること、地方教育行政における責任の明確化、迅速な危機管理体制の構築、首長との連携の強化を図ることについては、いずれも極めて重要な観点であると思います。

 以上で私からの意見を終わらせていただきます。

 御清聴ありがとうございました。

萩生田座長 ありがとうございました。

 以上で意見陳述者からの御意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

萩生田座長 これより委員からの質疑を行います。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。小林茂樹君。

小林(茂)委員 私も着席のままでよろしいでしょうか。失礼いたします。

 本日は、貴重な機会をいただきました。また、公聴会の開催に先立って宮城県入りをいたしまして、県内の中学校を視察させていただきました。そして、その後、こうしてお三方から意見陳述をいただいたわけですが、本日こうして宮城県に参りました意味合いというのは非常に大きいなと改めて思いました。

 一つには、この場所が大きな被災に遭遇をした地であるということであります。現在は、遠く離れた地域の人々と現地との意識の差、風化あるいは風評といったものに悩まれている地域であります。そういったことをここに参りまして実感をいたしました。やはり実際にこの目で見ないとわからないことは多いなということの一つであります。

 あと一つは、中学校の授業の風景を拝見いたしまして、この中学生もいずれはその場所を卒業するわけですが、私たちは、教育に関して余り短期的な物の見方ではいけない、いずれ高校に進学をする、また社会に就職する、そのときに、現在私たちが議論をしている教育委員会制度が子供たちのためにどのように役に立っているのかということに思いをはせなければいけない。

 そういった意味において、現地に来て、中学生の姿を見たり、また、大きな被災地であった場所に実際に足を運びながらこのような議論をすることは、大変意義深いと思います。一日も早い正常な教育環境の回復に取り組んでいきたいなと思っております。

 先生方の御苦労は、ひときわ大きいと思います。ハード面の整備、あるいは生徒たち、子供たちの心のケア、あるいは日々の生活の部分にまで気を使いながら、教育の現場に、皆様方、御苦労されているなということを実感いたしました。

 質問に入らせていただきますが、お三方のお話を聞かせていただきながら、政府案についてはおおむね御理解をいただき、御評価をいただいているなというふうに実感をいたしました。

 もともとの問題意識としては、責任と権限が曖昧であった。したがって、大きな課題、問題に直面したとき、それに対してどのように対処するのか、窓口が一つにならない、意思統一をすることができない、また迅速に対応できないという課題が過去には多々あった、それらがこの法改正によって解決されるであろう、そのような予測をされていたわけであります。

 私は、地方議会に約六年間おりまして、教育に対する課題に取り組んで、委員会や本会議などでも教育についてよく質問をいたしましたが、首長が回答することよりも、むしろ教育委員会、教育長が地方議会においてはほぼ回答するわけで、隔靴掻痒といいますか、求める回答がなかなか返ってこないという実感をいたしました。どうしてそういう構造になるのかということについても、青木准教授からも解説のあったところでありまして、そういう歴史的経緯があるなと思います。

 奥山仙台市長がおっしゃった、責任と権限。責任しかない、権限しかないということはないわけで、責任と権限が両方ある首長そして教育長がこれから新しい制度のもとで地方教育行政において役割を果たしていくであろう、こういうふうにお述べになったわけでありますが、問題提起もなさっておられました。

 どんな課題を議論するのかということをあらかじめ明確にしておいた方がいいだろう、そういうお話をなさっていました。また、そういう人材が実際にあらわれるのか、うまく意思疎通ができるのかということも心配なさっていたところなんですが、まず仙台市長にそのことをお尋ねして、そして青木陳述人には、教育委員会のあり方、新しく制度が変わった上で、教育委員会制度は、教育委員会の役割あるいは存在意義というものは変わるのか、あるいはこのままなのかということについて、御意見をお聞かせいただきたいと思います。

 もう一度戻りますが、奥山市長に対しては、教育長でおられた、そして今現在は首長になられているということで、過去にこういった、意思疎通ができない、あるいは責任と権限が明確でないといったことを御自身御経験されていると思いますので、そういったことを踏まえて、今回の政府案に対する、責任と権限の明確化についての評価をいま一度いただきたいと思います。

 以上です。

奥山恵美子君 まず、これまでの制度におきます責任の所在ということにつきましては、私、先ほど意見の中で、いささか曖昧な部分が多かったという私の考えを述べさせていただきました。教育長と教育委員長という、まさに単語としても非常に似たところのある二つの職の間がどういう関係になっているのか、これは、我々行政を担当する職員でさえ、もし市役所に入って二、三年であれば、よく説明できないかもしれないようなところであります。

 教育委員会制度そのものの有効性については、私は、歴史的に見て、日本の戦後社会の中で教育委員会が果たしてきた役割は非常に大きいというふうに評価をするものですが、その中でも、委員長と教育長の、ある種、非常勤の委員長が常勤の教育長より決定権としては上にある部分があったわけですが、非常勤の方が常勤の方以上に具体的な説明責任を負うというのは、実際なかなか難しいわけでございます。

 それは、私が教育長を務めておりましたときも、もちろん、委員長の識見でありますとか判断のお力というようなものは、これは議会の選任も経て、そしてまた教育委員が互選してお願いしているものでありますので、十分認めるというか評価させていただくものでありましたけれども、そういう意味では、一本化されるという今回の決定は、一般国民の方にとっても明快であり、説明責任を果たすという意味でもふさわしい改正になっているのではないかと私自身は思ったところでございます。

 また、もう一点ございました。多分これは、さまざまな会議等で今後調整していく中での、教育にとって必要な人材というお話があったかと思います。

 先ほど青木先生のお話にもございましたように、実際の制度ができた中でも、それを適切に運用していく、実績を積み重ねるという中で、必要な人材の求められる機能というのが、よく一般市民の、保護者の方などは、先生に対して教育のスーパーマンであることを求めることがあると思うんですが、教育の制度の運用に当たっても、スーパーマンを求めては問題が大きいだろう。逆に、どんな専門性で、限定的な職分に対していかにパフォーマンスが高いかということを求めていくべきではないかと感じております。

 そのようなことで、相互に調整が図られ、そのことが明示的に議論されていけば、人材はおのずと一定の年数の後に育っていくというふうに、私は前向きに受けとめております。

青木栄一君 御質問ありがとうございます。

 まず、こういう場ではありますが、小林委員おっしゃっていただいたように、お忙しい中、委員の先生方に被災地にお越しいただいて、本当にありがとうございます。改めてお礼申し上げます。

 お答えいたします。

 まず、改正後、仮に与党案がこのまま成立し法律として動き始めたときに、教育委員会がどのようになるのかということですが、行政委員会としての姿は変わらないと思います。つまり、行政委員会としての要件は満たしていますので、根底から覆るということはないと思います。

 具体的に申しますと、委員長と事務局長を同一人物とする案ではありますが、こういうものも行政委員会の制度選択の選択肢としてはあり得るものですので、そのように言えると思います。

 もう一つ、首長との関係で申しましても、選択肢としては、首長が行政委員会や会議体の委員となるということも考えられないことではありませんので、このような形で首長が教育行政にかかわるという選択もあり得ることになります。

 ただし、教育委員会としての性質は幾分変化をするのではないかなというのが現時点での私の見立てであります。行政委員会は多様な性質を持っていろいろな分野であるわけですが、その中でも、教育委員会については、現状はレーマンコントロールの性質が強いというふうに整理されておりますし、私もそのように思っております。

 今後、与党案が成立した場合ということですが、ポイントになるのは、任用と会議のあり方がますます重要になってくるかなと思います。

 やはり、新教育長という存在が、これまでよりは権限あるいは責任が強くなりますし、そして首長との関係も密接になりますので、教育委員会を構成する新教育長以外の教育委員の方々を任用されるときの人選、あるいは任用された後の会議のあり方というものが非常に重要で、そこが運用上のポイントになってくるかなと思います。

 以上でございます。

小林(茂)委員 青木准教授、そうすると、現行の教育委員会の組織については、新たに首長の任命する教育長が任命をされて、教育委員が従来どおり任命をされて、会議を行いつつ総合教育会議を運営していくことになるわけですが、引き続き、教育委員会としても存在意義を発揮する、運用に工夫をした上で存在意義を発揮していく、こういうお考えでいらっしゃいますか。

青木栄一君 小林委員おっしゃるとおりで、まさに任命された後の教育委員の方々の役割は重要ですし、任命する主体である首長さんの役割もやはり重要であると考えます。

小林(茂)委員 ありがとうございました。

 きょうは前校長先生もお越しでいらっしゃいますが、時間の関係でお尋ねできないことを大変申しわけないと思っております。

 最後に一言つけ加えたいのですが、教育委員会制度について考えるときに、もちろん学校は学校の先生によって運営されていくわけですが、片や、生徒、学童、これは小学校そして中学校も両方思い浮かべないといけないのですが、あわせて、公立の学校、私立の学校、これも同じように考えなきゃいけません。

 私立は、創立者、また運営している母体の教育理念というものが色濃く、しっかりと安定的に反映されるわけですが、公立の場合はそこが難しい、それが今回のこの議論の始まりであったのかもしれないな。

 支店の多い、例えば百、二百、支店のある企業であれば、定年によって一人が欠ければ、それを埋めるために多くの人事異動を行う必要がある。学校においてもそれに近い状態じゃないかな。余人をもってかえがたい校長の人格、知識経験、これらを人事異動で行うことはなかなか高度なものであります。教頭や先生方の人事異動についても同様のことである。ですから、数多くの、支店ではないのですが、同様の、市内や都道府県内にある学校の人事異動というものが最も難しいのではないかな。

 そういうことが今回の議論をする中で浮き彫りになっているなと私自身、実感をしておりまして、教育の人事に関しては慎重に行わなければならない、どこで考えるべきか、どの場所で考えられるべきかといった仙台市長の御示唆、御意見というものを非常に重く受けとめなければならないなということを申し上げて、私の質問を終わります。

 ありがとうございました。

萩生田座長 次に、吉田泉君。

吉田委員 私は、民主党の吉田泉といいます。

 三人の陳述者の方、きょうは御参加ありがとうございました。

 私は、地元がお隣の福島県の浜通りでございまして、私のところの児童生徒がたくさんこちらでお世話になっていることに対して、まずお礼を申し上げたいと思います。

 三人の方それぞれにお伺いしたいと思います。

 まず奥山市長にお願いしたいと思いますが、政治的中立性に関してでございます。

 教育行政において政治的な中立性を担保することが極めて重要だということで、戦後、教育委員会が合議制の執行機関として中心の役割を担ってきたわけでございます。

 確かに、戦後、六十年間、政治的な中立性が危惧される事態がいろいろあったと思います。

 例えば、日の丸・君が代。これは、右派的な人、左派的な人、いろいろ強烈な意見があって、どうやって中立性を保つのかということがございました。ただ、これも、十年ほど前ですか、法制化されまして、最高裁の判決も出たりして、私は大分正常化されてきたなというふうに思います。

 それから、教科書の問題もございました。ただ、これも、検定制度が機能しまして、どの責任者が選ぼうと、検定済みの教科書であれば、政治的な中立性が侵害されるということを余り心配しなくてもいい状態にあるのではないかと思います。

 それから、人事介入という問題もございますが、これも、政令市は別格として、普通の市町村については、そもそも人事権がないわけですから、もともとその心配がない。

 結局、お尋ねしたいのは、そういう状況を踏まえて、今後、全国の市町村レベルで、政治的な中立性が危惧されるような事態がもし起こるとすれば、どういうことが考えられるか。そして、例えば、首長は選挙の洗礼を受けたりします、それから議会のチェックもあります、そういうことで政治的中立性が担保できないものなのか。その辺をお聞かせ願いたいと思います。

    〔座長退席、丹羽(秀)座長代理着席〕

奥山恵美子君 政治的中立性の問題はなかなか難しい面があると思っておりますけれども、まず一つは、今、吉田委員から御指摘をいただきましたような、日の丸・君が代、教科書のような、まず、国政のレベルにおいてもさまざまなお立場で、国会の中でも議論が進められている中で、それを地方自治体の教育現場に落とすと、そこではどういう判断になるのだというような問題があると思います。

 そういうふうに考えますと、君が代・日の丸、また教科書なども、国のレベルでさまざまな議論があった上で、一定の法整備なり、また制度化の担保がされることによって、流動的なものが一定の落ちつきどころを得たといいますか、そういう形になっていく。

 今後どういうテーマがということは、私は、軽々には、まだ先のことはちょっとわからないのですが、政治問題化されてしまったときに、教育の場にそれが踏み絵のように投げかけられるということがあり得ると思うのですね。

 例えば、学力テストの公開の是非ですね。例えば、自治体におけるランキングをして発表すべきというお考えの首長さんが、県レベルもしくは市町村レベルで現にいらっしゃいます。また一方、保護者と、子供たちの今後の学力のために、各学校単位のことまでは是とする、ただ、全県的なランキングとかはいささかではあるまいかというようなお考えもある。

 こういうふうに幾つかの考えがある中で、では、おたくの教育委員会はどうなのかとか、この教育長さんはどう考えるのか。また、首長がそういう一つの考えを持ったときに、教育長がその首長と違う考えを持ったときに、教育行政の最終責任者として、首長なのか、それこそ教育長なのかというときに、どうなるのか。さまざまな多様な意見がある中で、そのシングルイシューが取り上げられて、是非が踏み絵的に教育現場に投げかけられることは、どのようなテーマであっても問題のつくり方によってはあり得るかもしれない。それが、日の丸のようなまさしく政治的だと言えるものから、学力テストの公開などというのは、政治というよりは、むしろ、いかに学力を上げるかの方法論だと言ってしまえば、政治とは関係ないという話もできるわけですが、しかし、踏み絵的になってしまうと、そこに政治というニュアンスがやや出てくる。

 そういうことでありますと、先ほど有見先生がおっしゃられたように、現場の校長先生は、その時々に、では、自治体の首長の方を見るべきか、教育長を見るべきか、教育委員の御発言を見るべきかというふうに惑われる、もしくは、その中に、校長はどうなんだと聞かれたときの難しさが出てくるとか、いろいろなことがあるのではないかと考えます。

 したがいまして、私は、学校現場に踏み絵的なものが入ってきたときに、それによって、学校が行うことが短期間の間に揺れ動かないよう配慮する義務が、周辺の、首長と新教育委員、また教育委員になられる方とかにはあるのだと思っております。

 これは、制度的にそのことを不可能にすることは物事の進め方として難しいと思っていますので、青木先生がおっしゃるように、それは制度の責任ではなくて、むしろ運用の中で関係者が自覚的に進めるべきことかなと今の時点で思っております。

吉田委員 ありがとうございました。

 青木先生にお願いいたします。教育委員会の将来性に関してでございます。

 今回の政府案の方は、教育委員会を執行機関として存続させることになっておりますが、一方で、形骸化、制度疲労、二十世紀の遺物、建前と現実の乖離、こういった批判もあるわけであります。

 野党の方は、そういう声を踏まえて、これを廃止して教育監査委員会としてバトンタッチすることになっておりますし、中教審のA案も、執行機関をやめて附属機関にするという案でございました。

 それで、長期的に見て、地方の教育行政を今のような独立行政委員会方式でずうっとこれからもやっていくべきなのか、もしくは、首長の権限などにいろいろたがをはめながら、よその一般部局と同じような格好でやっていく方向に移していくべきなのか。全国市長会などは、とりあえず教育委員会をつくるかつくらないかの選択制にしたらどうか、こういう御意見も出ているようなんですが、その将来性、将来のあり方について先生の御意見を頂戴したいと思います。

青木栄一君 お答え申し上げます。

 まず、将来性ということをお尋ねいただきました。

 教育行政の管理主体である現行でいうと教育委員会、そういう教育行政機構が行政委員会でなければならないというふうには私は思っておりません。これは、理論上考えた場合に、多様であるはずです。それは、中教審等の議論を見ましても、他国における教育行政の状況、行政委員会を置いていない国もある、また、他の行政委員会制度を参照して、審議もされているということです。

 ですので、本来的に言いますと、行政機構の制度選択というのは多様な選択肢から選んでいくということですので、私自身も、教育行政が教育委員会でなければ進まないというふうには理論的には思っていないのです。

 ただし、現実の状況と、過去の経緯や現時点での政治状況を踏まえると、行政委員会というものを選択するという現時点での選択が妥当ではないか、穏当ではないかということで、先ほど陳述をいたしました。

 つまり、まず、地方公共団体において教育行政を担う主体を、行政委員会としての教育委員会ということで選択しているわけですが、地教行法成立時のことを思い浮かべますと、言ってみれば、教員人事ですとかそういったものに首長が今以上に踏み込んだこともあるわけです。公選制の教育委員会ができたころにさかのぼりますと、ますますそういう状況があった。

 つまり、当時の社会としては、教育行政というのは教育行政の内側から守るべきだという声もあったかもしれませんが、教育行政というのは政治からやや遠ざけた方が社会全体としてはむしろ安定するんだろうという判断があったんだと思います。歴史的に見ますとそういう経緯があり、現状もそうだと思います。

 さらに言いますと、現時点での地方政治の状況は、言ってみれば、地教行法ができたときと似ている。つまり、流動化が進んでいると思います。首長さんが一期でおやめになる場合も、あるいは任期途中でおやめになる場合もある。

 そういったことを考えますと、流動化しているということは、党派的な対立が出てくるということで、制度の選択としては、政治的な問題とかかわりやすい行政領域である教育行政については、ある程度政治からの距離をとった方がいいのではないかという判断が妥当だと思いますし、現行制度からの距離感ということでいっても、そういうような判断がなされやすいのではないかなと思います。

 以上でございます。

    〔丹羽(秀)座長代理退席、座長着席〕

吉田委員 ありがとうございました。

 もう時間も余りありませんが、最後に有見先生に一問お願いします。先ほど小林委員がちょっとお触れになったと思いますが、私立小学校、中学校に関連してでございます。

 先ほど大津のいじめ事件のお話もされました。そして、それをきっかけに教育長に権限を集中する案が出されてきたわけです。公立中学校のいじめ事件に対しては、そうやっていろいろな対応が今なされようとしておりますけれども、片一方で、私立小学校、中学校というのは全く市町村の教育委員会の管轄ではない。

 県の方の私学助成に対する財政的なチェックは入るが、いじめ事件とかそういうことが起こったときに、私立に対する対応というのが、現行制度では何か極めてアンバランスなような気が私はするんですが、公立中学校長会の会長さんをされた立場として、その辺を、何か御意見があればいただきたいと思います。

有見正敏君 いじめに対する取り組みということでございます。

 今、私立と公立学校との差というお話をされましたけれども、その辺の中身はちょっとわからないのですが、現時点で、公立学校におきましては、まず第一に、いじめ未然防止というようなことで、どの学校でも取り組んでいるところであります。

 具体には、月ごとにアンケートなるものを児童生徒に配りながら、現時点での子供の状況、悩みなどを書いてもらう形で、月一回アンケートをとっているところでございます。その結果につきましては、必ず教育委員会に報告をいたします。

 いじめについては定義が幅広くなったわけでありまして、その子供がいじめと思った場合はいじめであるということで、そういう意味ではいじめの報告もかなり多くなってございます。

 対策としては、教育委員会に報告しながら、そして、問題のある子供については、教育委員会からの指導や、もちろん学校からも指導しますけれども、そういった形で大きくならないように、毎月そういった報告も兼ねながらやっている現状が公立学校にはございます。

 以上でございます。

吉田委員 終わります。

萩生田座長 次に、鈴木望君。

鈴木(望)委員 日本維新の会の鈴木望と申します。

 きょうは、お三名の陳述人の皆様方には貴重な意見をいただきまして、ありがとうございます。

 それでは、座ってやらせていただきます。

 今、吉田委員からも同趣旨のことが言われたんじゃないのかなと思いますが、まずお三名の方にお尋ねをさせてもらいたいなと思います。

 現在の教育委員会が、形骸化が非常に甚だしいということが言われているわけでして、もう制度疲労も極限まで行き着いたんじゃないのか、戦後、制度ができてから六十年たった中で、もはや制度の修復は不可能ではないかというようなことも一方で言われているわけでございます。

 私も、人口十七万五千ぐらいの地方都市の首長をしていまして、そのことを痛感いたしました。

 文科委員会でも言わせてもらったんですが、人口二十万に足りない市でも、さまざま、学級崩壊を起こした先生の自殺だとか、教育関係のいろいろな問題がいっぱい起こりまして、この際、教育委員会が教育行政をつかさどっているわけですので、その責任者である教育委員会のトップの教育委員長を議会に呼んで、打開策なりそういうことをいろいろ聞こうじゃないか、恒常的に聞こうじゃないかという声が議会の中で高まってきました。

 そういう動きがいろいろ進捗する中で、教育委員長は立派な方なんですけれども、ちょっと話が違うから私はやめさせてもらう、そもそも常勤でない非常勤の私にいろいろ聞かれても答えられるはずがないと。それは、教育委員会の今置かれている矛盾を非常に象徴するような言葉だなと私は思ったんですね。

 要するに、実態は、教育委員長にいろいろなことを聞いても、たかだか月二回とか、多くても三、四回、一回当たりの時間が二時間程度の教育委員会の会議で、日々動いている教育のさまざまな問題に適切に対処できて、適切に答弁ができるはずがないわけであります。

 だけれども、教育委員会が最終責任を持っているというのは、私は、虚構以外の何物でもないんじゃないのかなと思っておりまして、もはや制度の修復不可能な教育委員会に、政治的中立性、安定性、継続性を担保させるのは無理なんじゃないのかなと思っているものでございます。

 それなら、政治的中立性、安定性、継続性というのはどこで担保するのか。これは非常に重要な話でありますので、私ども民主・維新案では、議会と地域住民、その双方に政治的中立性、安定性、継続性の担保をさせたらどうかと。

 奥山陳述人が御指摘されましたように、教育監査委員会、これは住民の意見を入れて、一つ担保させる。と同時に、首長は、毎年、教育の振興の総合的な方針というものを議会にかけて、議会の議決を経て、その方針のもとで教育行政を運営する。そういった二重のチェックをかけて首長の独走を防ごう。そういう仕組みで今後六十年間の教育行政の枠組みをやっていこうというふうに考えまして法案を提出したものでありますけれども、もう一度お三方に、それについての御意見をいただければと思います。よろしくお願いいたします。

奥山恵美子君 教育委員会の形骸化というのは、あらゆるところでいろいろと言われていることでありますし、また、それが的を射ている場合もあろうかとは思います。

 例えば、教育委員会に諮られるさまざまな議案の中には、社会教育施設への補助費であるとか、数字だけが非常に膨大に並ぶ資料が出てきて、しかしながら、それはほとんど承認する以外にどうしようもないものであるというようなことも、現実に私も経験をいたしました。

 しかしながら、私自身は、これを一〇〇%虚構だと言ってしまうのは、やや諦めが早いかなという立場で考えております。

 それは、一つは、そういう決まった項目の中で、形骸化しやすいもの、教育委員さんの日ごろ持っていらっしゃる識見を生かしにくい議題を、こぞって新年度の冒頭あたりに上げてしまうという、過去の経緯を余りにも守り過ぎているところが教育委員会の運営の中には若干あるような気がしております。

 そういう点を除いて、例えば、実際に不登校の問題が、仙台市の学校でこれだけ対策をやっているのになぜ減らないかなどということについて議論をしていきますと、PTA代表の方もいらっしゃれば、学校の先生の御出身の方もいらっしゃれば、学識経験者の方もいらっしゃる、それこそ市民としての多様性を持つ方が委員として入っていらっしゃるわけですので、やはり聞くべき御意見が多々出てくる。

 ですから、教育委員会を活性化するためには、事務局がそのためにきちんとしたテーマを選ぶということ。そして、そのテーマを継続的に議論していくということ。そしてまた、教育委員会のそうした議論をきちんと傍聴して評価してくださる市民の方がいらっしゃるということ。などなど、幾つかの条件を踏まえて運営をしていくと、そのよさを逆に出すことが可能ではないかなというふうに私は思っております。

 ですから、私自身は、私が務めておりましたときも、また現在も、教育委員会制度を虚構だというふうに思ってはおらないところでございます。工夫によって、その実質を生かしていく道はまだまだ運用上であるのではないか。いささか楽観主義かもしれませんが、そのように思っているところでございます。

青木栄一君 お答え申し上げます。

 まず、形骸化という点ですけれども、先ほどの私の陳述を繰り返しますと、制度自体の問題と運用の問題があるかなというふうに思います。

 それで、議論が低調だということが形骸化の理由の一つによく挙げられますが、その点について、もう一度繰り返しになるんですが、地方分権一括法以降の地方公共団体の状況を見ますと、文部科学省が定めていたさまざまな教育に関する基準、標準というものが緩和されてきましたので、地方公共団体で、よし、うちはこういうふうに教育をやっていこうというような機運が高まってきまして、最近は、特に教育委員会における議論も活発になる素地ができてきているのではないかなと感じております。

 それから、先ほど鈴木委員の御経験を拝聴しましたが、その件については私は詳しく承知しておりませんので、一般論として、あるいは制度論としてのお答えで御勘弁いただきたいのですけれども、例えば、教育委員を任命する際に、今回の中教審あるいは与野党での議論でもあるんですが、教育委員の候補者の所信表明を導入したらどうかとか、そういうことが言われております。

 実際、そういうことをやっている自治体は一部ではあるんですが、そういうような、地方議会における、教育委員というものの緊張感というんでしょうか、自分が教育委員に選任されたという意味をお感じいただく機会を、ますます議会という場においても入れていけばいいのではないかなと思います。

 それで、制度論に絡めて一つ申し上げますと、議会の常任委員会も当然文教関係で設置されているわけでして、そういったところで教育委員を全員招聘して会議録として残る形で協議をするような地方公共団体もあるやに聞いておりますので、そういった議会からのアクションもあっていいかなと思います。

 対案についての考えということですけれども、住民と地方議会に期待するという意味においては、制度選択の選択肢としては十分あり得ると思います。その意味で、政府案と対案が全く違う世界で議論を展開しているわけではないと思います。

 ただ、教育監査委員会について申し上げますと、議会の常任委員会とのすり合わせ、あるいは教育施策の実行後だけにかかわるということで、立案が違うところで行われるということについて現行制度と大きく違いますので、現行制度からの次のステップということで、どういう御判断がなされるのかということは、私自身、研究者の立場としてはなかなか推測ができない状況でございます。

 もう一点申し上げると、教育というのは、ともすれば政治対立が起きやすい分野だと考えておりますので、むしろ、紛争が起きやすいということは、そういう紛争の場を複数置いておく。あるところに一元化するんではなくて、複数に置いておく方が社会として安定するかなというふうにも思っております。

 以上です。

有見正敏君 では、考えを述べたいと思います。

 一つは、教育委員会制度の形骸化ということでありますけれども、ある一面を捉えてそういった意見を持っている方もいるのではないか、そんなふうに思ってございます。執行機関としての独立性について十分機能してきたのではないかなと私は思っておりますし、また、教育委員会に付与されている権限につきましては、適切に執行されていることが大部分なのではないかと認識しているところでございます。

 また、レーマンコントロールというようなことでは、広く地域の方の意見を聞くことは非常に大事だというふうに私は思います。

 今後、課題としてあるならば、そういった教育委員会の中を公開していく。私も教育委員会におって、地域住民の方が傍聴するなんというところは、うちの、前に勤めたところはあるかもしれませんが、ほとんどなかったような状況があります。こういうことを積極的に公開していくことによって教育委員会のあり方も変わってくるのではないか、私はそんなふうに思っております。

 それから、監査委員会ということでありますので、監査という事後的なチェック機能でどこまで対応可能かということはちょっと懸念されるところでございます。その間、児童生徒は日々成長しているわけで、その与える影響については深慮する必要があるのではないかな、そんなふうな感想を持ちました。

 以上でございます。

鈴木(望)委員 ちょっと時間がなくなってきて、もう一つ私が尋ねたかったのは、現行制度で、いじめに対して教育委員会が無力である、これは大津事件だけではなくて、ほとんど全国の教育委員会で共通の一つの問題点として指摘をされているわけであります。

 それは、教育委員会制度が、レーマンコントロールということを言われましたけれども、レーマンコントロールなるがゆえに、教育委員長が地域の名士であったりというようなことになってまいりますと、教育委員会の会議が、どうしても、ほかに職を持っていることもありまして、月に三、四回しかできない。実際は教育長と教育委員会事務局が実権を握っている。ここは、ありていに言うと、教員一家。

 教員一家の人たちが、自分の身にかかわる不祥事、ある意味では不祥事になる、仲間の昇進が塞がれるかもわからないような事柄について、まずはそういう仲間の先生のことを考える、また、みずからの保身に走ることになりがちなのは、私は人間のさがとして当たり前じゃないのかなと思っているわけであります。

 現在の教育委員会制度を続けていったら、今後もいじめ問題に一向にうまく対応できないのじゃないかというふうに私は思っておりますが、それについての三人の御意見を伺おうと思いましたけれども、時間がなくなりましたので、これでやめさせていただきます。

 以上です。ありがとうございました。

萩生田座長 次に、中野洋昌君。

中野委員 公明党の中野洋昌と申します。

 奥山市長、また青木先生、有見先生、本日は、大変にお忙しいところ、貴重な御意見を聞かせていただきまして、ありがとうございます。

 私がちょうど真ん中ということで、折り返しでございますので、どうか引き続きよろしくお願いいたします。

 ちょっと座って失礼させていただきます。

 まず、奥山市長にお伺いをしたいのです。

 先ほど市長から、教育長もやられて、そしてまた市長の立場も御経験をされて、今回の議論、首長の権限あるいは教育委員会の権限、そのどちらの立場もされたということで、恐らく大変によく現場がおわかりではないかなというふうに思うんです。

 お話のあった点で、総合教育会議の実際の運営のやり方というか、ある意味、やり方によっては首長の方が権限を濫用することもできないことはない、あらかじめある程度いろいろなルールを決めておいた方がいいんじゃないか、こういう御発言だったというふうに思いますけれども、私もまさにそのとおりだと思います。

 総合教育会議の場で建設的な議論が進んでいけばいいなとは思うんですけれども、一方の意見を押しつけ合うような場になってはいけないなというふうにも思っておりまして、そういう意味で、奥山市長がお考えに、あるいは感じられる、ある程度こういう運用、事前にこういう部分は取り決めをしておかないと混乱をするんじゃないかという、そのルール化のもう少し具体的な中身、例えばこういうことを決めておけば混乱しないんじゃないかとかいうことをぜひ御意見いただければと思うんです。

奥山恵美子君 ありがとうございます。

 例えば、端的に言えば人事に関することを、この議題にはなじまないのではないかとか、そういったことは、あるいは老婆心というふうに、そんなおそれは全くないんだ、お互い信頼し合ってというお話が出るかもしれないのですけれども、そのあたり。また、例えば、学校教育の具体的な内容に踏み込んで、この場で首長が議論を持ち出すというようなことは避けるべきではないかとか、幾つかの点を若干懸念して、私は先ほどお話を申し上げたところであります。

 この総合教育会議の場があること自体は大変よいことではないかと思いますし、また、それが公開されるものであるということも、一方の論が偏ったものになったときに、参加者だけではなくて、第三者が見てそれを指摘でき得るということも、この会議の性格として私は評価をさせていただいたものです。

 ですから、ここは避けるべきというようなことをまず議論しておく必要があるだろうということと、例えば、総合教育会議をそれぞれの自治体の中でよりよい運営に持っていくためにどうあるべきかというようなことをあらかじめ議会の場などで議論していただくことも、意味のあることではないか。

 例えば、首長が会議を主宰するということも可能になっているようですけれども、首長がこうやりたいからこうだというのがぼおんと出てくるというよりは、アウトラインが議会などで決められている中で、実質的な実りのある議論を行うというようなことが、それぞれの自治体の実情を反映した形になるのではないかと思っているところであります。

中野委員 ありがとうございます。大変に貴重な御意見であるというふうに思います。

 恐らく、運用をしっかり詰めていくということがこれから非常に大事だなと思いますので、参考にさせていただきたいなと思います。

 続きまして、青木先生にお伺いをしたいのです。

 先ほど、制度と運用の二つを分けて考えるべきだという話は、非常にそうだなと思いました。そしてまた、例えば、教育委員会の中でも教育長が強い権限を持つのを内部的にどうコントロールするかという話や、あるいは外からの意見をどう取り入れるか、外部的なコントロールのような御議論もされていたというふうに思います。

 私は、今回、総合教育会議の中で、もちろん、首長と教育委員会が話し合うという意味での民意を教育の場に入れていくという制度は今考えているとは思うんですけれども、個人的には、さらにいろいろな形で外の意見を取り入れることは可能ではないかなと思ってはおりまして、例えばコミュニティースクールのような、多様な形態というか、いろいろなものが、外からのコントロールというか、外からの意見を入れていくという意味ではあり得るのではないかなと思っておるんです。

 この点、青木先生はどのようにお考えか、お伺いできればと思うんです。

青木栄一君 お答えいたします。

 コミュニティースクールのことが例示されましたので、そこからお話し申し上げますと、教育委員会という制度があって、あるいは教育行政というものがあって、そこに民意をどう反映するかということで、現行制度では、教育委員の任命に当たっては二元代表制のそれぞれの代表である首長と地方議会がかかわるということで、基本的にはそれに尽きると思うんですけれども、コミュニティースクールというのは非常に可能性がある仕組みだと思っております。

 コミュニティースクールで、現行の国の制度、学校運営協議会としてのコミュニティースクールについては、教員の人事に関して意見を表明することができるということですので、やはりそういった、身近に教育を考えている地域住民や保護者が教員人事に対して何らかの意見を申し述べるということは非常にいいことだと思います。

 といいますのも、先ほど来やはり論点として挙げられています、教員というものの集団性といいますか共同体性というものは、実際なきにしもあらずと私は考えていますので、それをある意味、社会全体の中でうまくバランスをとらせるという意味でも重要かなと思っております。

 もちろん、委員がおっしゃるように、その他、教育委員会の会議を傍聴するですとか、住民からのもろもろの努力というのも必要になってくるかなと思います。

 以上です。

中野委員 ありがとうございます。しっかりと参考にさせていただければというふうに思います。

 続きまして、有見先生にもぜひお伺いをしたいと思います。

 校長として、現場で非常に長い間御経験を積まれてきたということで、恐らく最近は、いじめにしても不登校にしても、大変な課題がいろいろある中で御奮闘されてきたのではないかというふうに考えます。

 一つは、先ほどおっしゃられていた、要は、首長の部局と教育委員会の連携をしっかりと図っていく、お互いが協力していろいろなものを実現していくということが非常に大事だという御指摘は、まさにおっしゃるとおりだなというふうに思うんです。

 他方で、ずっと現場の、学校の方でやっておられたという御経験も踏まえてぜひ教えていただければと思うんですけれども、学校現場で、いろいろな御苦労であるとか、あるいは、こうやったら改善していけるんじゃないかとか、恐らく非常にいろいろな知恵が現場に眠っているのではないかなと私は思っておりまして、これをボトムアップというか、現場の創意工夫というのがどんどん上に上がって実現していくような仕組みになっていけばいいんじゃないかなと思ってはいるんです。

 そういう意味では、さっき先生のお話を伺うと、教育委員会と学校現場の連携というのは割ととれていたように思いますけれども、教育委員会、そしてそれぞれの学校で、現場という中で連携をとっていくというのは、現状、うまくいっているのかどうか、あるいは、改善をしていくとすればどういうことを改善していけばいいのかというのをぜひ教えていただければと思います。

有見正敏君 お答えいたしたいと思います。

 私は、幸いにして、最後の教育委員会が、非常に理想的な教育委員会に勤めて、よかったなというふうに思っているわけでございますが、冒頭にお話ししましたけれども、月一回、これはどこの教育委員会もあるんですが、教育委員会主催の校長会というものがございます。

 その中では、教育長から指示伝達というものがございます。世の中の動きでありますとか、県からの話を伝えるとか、そういうことがあります。その後に、必ず校長からの意見を聞くというようなことがございます。それは、全てではなくて、今その学校の、緊急を要するといいますか、課題なるものを一人一人お話をするということがございます。それは、あらかじめその会の前には教育委員会にお話をしておくという形で、そういうことが毎月行われているわけでございます。

 そういう意味では、当然、不登校の問題、それからいじめの問題とか、幸いにしてうちの、最後の教育委員会ではいじめという深刻な問題はありませんでしたけれども、特に、不登校というのは非常に、震災絡みで宮城県は不登校の出現率が多うございまして、そういった不登校の問題についてどうするかというようなことで、どうしてもならないときは、やはり行政の力をぜひ貸してくださいというような形でのお願いも、その場で議論をやります。そうすると、教育委員会はもちろん、関係行政機関ということは、県とかいろいろな、あらゆることを可能な限りやってくれます。

 私は、非常に、そういったことが毎月行われているという関係が、いじめや不登校の未然防止とか、それから早期発見、早期対応につながるものだというふうに思ってございます。

 以上でございます。

中野委員 ありがとうございます。

 そういう定期的なやりとりというのが非常に未然防止に役に立っているということは参考にさせていただければなというふうに思います。

 まだ少し時間がありますので、また奥山市長の方にお伺いをしたいと思うんです。

 今回、制度を新しく変える案をつくっております。いろいろなところで話題になりましたけれども、やはり実際の運用をどうするかということが大事だと思います。

 そういう意味では、今回、教育長が、非常に大きな権限を持つ教育長になるわけですから、どういう方を選ぶのか。あるいは、教育委員もそうですね、教育長も大変大きな力がありますし、どのようにそれを、教育委員がしっかりと中で議論をするというか、そういう体制が必要だというふうに思います。

 他方で、現場で見ると、どういう方が教育長さんになるかというと、基本的には役人、市役所の方がそのままなられたりであるとか、必ずしも教育をやっていない方が教育長に人事でなられるような場合、あるいは首長の方が任命されたりとか、いろいろなケースがあると思うんです。

 うまく進めていくに当たって、どういう教育長を選ぶことが望ましいというか、どういう資質を持った方を選ぶことが大事だというふうに思われているか、最後に奥山市長にお伺いをしたいと思います。

奥山恵美子君 教育長像、なかなか難しいことだというふうに思います。

 私が教育長をやらせていただいておりましたときに、学校の先生には三つの要素が必要だと思っておりました。

 それは、具体的には、一つは、当然のことながら、子供たちの学力を伸ばすという学習指導能力ですね。もう一つは、さまざまな課題を抱えた子供たちがおりますので、生徒指導もしくは今でいえば特別支援教育のような、課題を抱えた子供たちに対して、時には福祉分野とも連携したり、場合によっては警察の生活指導などとも連携しながら課題を解決していける力を持つ教員が一つですね。もう一つは、やはり、先ほど来のお話にありますが、地域と学校の連携というのがとても大事だと思います。子供の生きる力などというのは学校だけで育むことはできませんので、地域がこれに協力していただくことは不可欠ですが、そういう地域とかかわりを持つ社会教育面での力、教員の中にこの三つの力が必要だと思っておりました。

 それで、教員一人がこれをある程度兼ね備えることは理想ですけれども、なかなかそれも難しいとなれば、やはり学校という集団の中に、学校ごとにこの三つの要素を持つ教員が適正に配置されているということが、どうしても人事上配慮していかなければいけないだろう。

 ですから、教育長像としては、学校におけるこの三つの必要性の要素についてしっかりと把握している人間を選ばなくてはいけないというふうに思っておりました。

 それで、教員出身者と一般行政職員と、仙台市の教育長は両方がこれに当たっているときがございます。私自身は、そのどちらも任命したことがあるのですが、おおむね教員出身者と一般事務職を交代させるような形で任用したいというふうに思っておりました。

 と申しますのは、一般職員には一般職員ならではの制度理解力とか、また教育の部外者であるから、滞っているところを発見する力というのがあります。ただ、一方で、そういうところばかり、ピンポイントでできないところを探していくと、教育機関の中でやる気が出てこなくなりますので、教員出身者がむしろプラス面を評価するというような形で入っていって、学校の現場を回って、よくやっているところを褒めていくというようなことも必要だと思っています。

 それらについて配慮しながら、長期的な視点も踏まえて新教育長を選任していくというのが、ますます我々首長の力量が問われるところだなと自戒をしているところでございます。

中野委員 以上で終わります。ありがとうございました。

萩生田座長 次に、井出庸生君。

井出委員 結いの党の井出庸生と申します。

 参考人の皆様、本日はまことにありがとうございます。よろしくお願いをいたします。

 まず、きょう、私も名取市の方に学校の視察をさせていただきまして、震災から三年と少しですが、これまでの間、復興に向けた取り組みをさまざまなお立場からされてきた皆様に、心から敬意を表させていただきますとともに、私も微力ではありますがお手伝いをさせていただきたいと思います。

 私、実は平成二十年まで報道の記者をしておりまして、ですから、きょう、お世話になった方もこの場にいらっしゃるんですが、そうした第二のふるさとというようなところでこういう機会をいただけることを大変ありがたく思っております。本日はよろしくお願いいたします。

 それでは、座って失礼をいたします。

 最初に、有見参考人にお伺いをしたいのです。

 冒頭のお話の最後に、防災教育のお話がありました。私も、きょう午前中の視察の中で、名取の下増田小学校のお話、取り組みを聞かせていただきまして、こういったことは、恐らくずっとこの学校は続けて、特に、被災された学校は、授業として続けていかれるのだろうなと感じたのです。

 今回、教育委員会制度改革と、首長、自治体の長と教育委員会のあり方が問われているんですが、一つ、民主党と日本維新の会さんの提出されている法案で、学校運営協議会、コミュニティースクールの位置づけをきちっと、もう少しこれから、今までやってきたものを活用していこうという内容を記載されております。

 私は、この防災教育ですとか、こういったところは、まさに、国や県といったところ以上に、現場の、学校の裁量が、取り組みが非常に大きいときょうの視察でも改めて感じたんですが、有見参考人に、このコミュニティースクールの重要性、これからの必要性について一言いただければと思います。

有見正敏君 では、お答えしたいと思います。

 冒頭で、防災教育について、行政と学校と地域が一体となった取り組みということで紹介させていただきました。

 今先生がおっしゃったように、やはりコミュニティースクールの必要性というのは、これからますます必要になってくるのだと私は思います。

 その一つに防災教育、先ほどあたかも成功したようなお話をしましたけれども、実は、そこまで持っていくのに、学校と地域との話し合いをする機会がなかなか、いろいろな日程が合わなくて、非常に混乱したということがあります。それでは土曜日とか、担当の教員が土曜日ですとかなんというようなこともなきにしもあらずで、指定された日まで、実施の運びになったわけですが。

 今後、コミュニティースクールの場での協議とか、そういうことがスムーズに行われるのであれば、もっと防災教育なりいろいろな学校教育の課題に対して、スムーズに行われるのではないかなと私は期待しておるところでありまして、今後とも、ますますコミュニティースクールの重要性といいますか、それは必要だな、そんなふうに思ってございます。

 以上でございます。

井出委員 ありがとうございます。

 私も全く同じ思いを持っておりまして、学校の独自の取り組みというのがこれからますます重要になるのかなと思っております。

 次に、奥山市長にお伺いをしたいのです。

 奥山市長は、今までのお話にも出ておりますが、かつて教育長を務められて、私もホームページとかいろいろ拝見させていただいたんですが、教育長のときにスクールガードリーダー、地域学校安全指導員をスタートされたですとか、学校評価システムについても構築の事業をされたと伺っております。

 その後、仙台市長になられてから、教育の施策としてこういうことに力を入れて取り組まれてきたというのがあれば、お聞かせをいただきたいのです。

奥山恵美子君 お答え申し上げます。

 私は、先ほどもちょっと申し上げさせていただきましたが、学校を育てるのは地域だ、地域の皆様が学校に関心を持ち、積極的にかかわってくださることが学校を育てる、教員だけが学校に責任を持つという体制はやはりいびつなものであるというふうに考えておりまして、スクールガードリーダーは防犯面ですけれども、そういった制度も行ったりいたしました。

 現時点で、今私が力を入れておりますのは、例えば東京の杉並区などで大変先進的に取り組まれて有名になりましたが、文部科学省でも学校支援地域本部というような事業が、補助金をいただいて実施をすることが可能になっております。例えば、三年間の立ち上がり期間に助成金が出るというようなことですが、これを全ての中学校、小学校で創設したいと思っております。

 現時点ではまだまだスタートしたばかりですけれども、毎年一定の数の新しい学校の取り組みをふやしながら、いずれは仙台市の六十四中学校、百二十四小学校全てに学校支援地域本部というのができて、その趣旨というのは、学校が先生と保護者と子供の三つだけで完結するのではなくて、地域の方もそこに入る。つまり、子供が学校を卒業しても、それから後も学校にかかわりたいという地域の人材はまさに学校として活用させていただけるような、そういう仕組みをつくりたいということで今進めております。

 これが、さまざまな問題が起きたときに、地域の方々自身が我が事であるということで取り組んでいただける一つの大きな要素になっているかなというふうに思っております。

井出委員 ありがとうございます。積極的なお取り組みをされていると受けとめました。

 冒頭のお話の中で、奥山市長、最終責任は首長にという思いでいらっしゃった、そういう御発言があったんですが、ざっくばらんにお聞きしたいのですけれども、仙台市長をされているときと教育長をされているときと、教育行政はどちらがやりやすいですか。

奥山恵美子君 個別の学校の個別の事案にどう対応するかという意味では、これはもちろん現場に近い教育長である方が、直接、学校の具体の事例、この学校であるからこそこういう問題にはこういう対応が必要だろうということを、人事や何かも含めて考えることができると思います。ですから、個別の学校が困っていらっしゃる何かについて解決できるのは、教育長の方がはるかに力が振るいやすいというふうに思いました。

 ただ、一方で、全体として改革の実を上げていくためには、制度化しなくてはならないという問題もあります。例えば、具体的には、特別支援教育を充実していくことは大きな課題だというふうに私は受けとめていますけれども、そのためには、各学校に配置する補助員の人件費の予算化であるとか、そういうこともしていかなければいけません。

 それを考えると、そういう制度化ができるのは市長という立場でありますので、やはり大きな制度化は市長の方がやりやすい、決断でできる。一方、個別事案の解決や学校の具体の改善ということになると教育長の腕の振るいどころだったというふうに個人的には思っております。

井出委員 ありがとうございます。

 お話を伺っていますと、日々の細かい課題については教育長、そして、大きな制度面に関しては自治体の長と、まさに一体でやっていかれる取り組みなのかなと受けとめているんです。

 ただ、一方で、これまでの教育委員会というのは、教育委員長がいまして教育の中立性、安定性、継続性というものを担保してきたと私は考えているんですけれども、教育委員長がいなくなってしまって、教育委員会がこれから残ったとしても、本当にただの御意見番になっちゃうと言うと熱心にされている方に語弊があるんですけれども、教育委員長がなくなってしまうことで、教育委員会がこれまで行政に対して距離を持ってきた、独立して教育行政を担ってきたという役割が少し弱くなるのではないかという心配を私はしているんですが、そのあたり、奥山市長の見解を伺います。

奥山恵美子君 まず一つは、教育委員長が今まで果たしてこられた役割を教育委員の皆様が全体として自覚的に担われるということに関する、教育委員の皆さんのさらなる自覚というのは必要だろうと思います。

 一方で、教育長という立場の方、新教育長ですけれども、もちろん今回の案、また私が賛同を示させていただいたところでは首長が選任してまいりますが、選任されたからといって首長に唯々諾々として従う直近の部下であるという性質のものではないということを、やはりしっかりと新教育長自身も自覚をすべきだと思います。

 ですから、そこはやはり、確かに御懸念のような部分は、新しく制度を運用していくに当たって、全く御懸念がないということではなく、むしろ、その趣旨を、どうあるべきかということを踏まえて、それぞれの者がきちっと趣旨を生かすような振る舞いをしていかないといけないということかなと受けとめています。

井出委員 ありがとうございます。

 今、新教育長の任命のお話が出たんですが、先ほどのお話の中で、これまでの教育長を、教職員出身と行政職員、行政職の方と、両方交互に選んでこられたというようなお話もあったかと思うんです。

 新教育長になったときに、今度、新教育長は、その人物のところに、教育行政に見識の深いというようなことも法律の中に書き込まれているんですが、やはり教職員の経験ですとか行政職員の方を軸に選ばれていこうというようなお考えですか。

奥山恵美子君 教職員出身者も、行政職員も、またはそれ以外の第三者も、いずれも理論的にはあり得るというふうには思いますけれども、仙台市の現状からすれば、行政職員と教職員のどちらかという形になるかなと。

 ただ、重要なことは、行政職員であっても、全く教育行政の経験なしにいきなり新教育長につくということは甚だリスキーであると私自身は思っております。例えば部長職として、あるいはもうちょっと上の局長クラスの理事職として、一定程度教育の委員会行政の中に身を置き、そして、教育行政の困難性であるとか、また使命であるとか、現時点での社会における教育行政に期待されることであるとか、そういうことをしっかり把握した上で、つまり、実務に遺漏のない能力を求めた上でそれの統括的な責任者とならないと、責任者の判断が、社会から求められているものを知らないままにこれまでの経験だけで下されては、やはり教育行政は、非常に影響が大きいと思います。

 教員の方も、学校現場だけしか知らないでいきなり新教育長になった場合には、やはり同じように難しい課題はありましょうから、ある程度教育委員会事務局の御経験を経てとか、いろいろな形の事前の育成というか、そういったものは必要だろうというふうに思っております。

井出委員 ありがとうございます。

 もう一点伺いたいのですが、そうすると、外部の方、行政経験はない、教職員の経験もない、だけれども著名な方ですとか、そういう外部の方の抜てきというのは、現実的にはなかなかリスクが高いですか。

奥山恵美子君 何を期待するかだと思います。

 教育委員会に対して、例えば、過去の習慣にとらわれて、工夫はしたんだけれどもなかなか議論が活性化しないとか、やはりどうしてもそういったものがあるときに、大きく議論を活性化したいとかいったようなことがあれば、外部の方を登用することもあり得ると思います。

 しかし、その場合には、実務にたけた補佐役をしっかりと配置しませんと、実務にそごを来したり滞ったりする可能性があると思いますので、何を最優先に判断するかかなというふうには思います。

井出委員 時間になりましたので、終わります。

 きょうは、三人の先生方、本当にありがとうございました。

萩生田座長 次に、宮本岳志君。

宮本委員 日本共産党の宮本岳志です。

 きょうは、三人の意見陳述者の皆様方、大変貴重な御意見、ありがとうございました。私の方から、これから質問をさせていただきたいと思います。

 座って質問させていただきます。

 まず最初に、奥山市長にお伺いしたいのです。

 奥山さんは、教育長も経験をされた、そして、最初のお話の中でも、首長と教育長との連携が大事だというお話もございました。

 それで、実は、昨年の八月の中教審教育制度分科会に、青木先生と同じ学問分野、教育行政学の東大大学院の先生であります村上祐介准教授が調査結果を報告しているんです。

 全国千百二十の市区町村の首長と教育長にアンケートをとったところ、教育委員会の独立が首長にとって制約になっているかという問いに対して、首長の五一%、教育長の五九%がノー、制約には感じていない、それから、合議制の教育委員会があるために事務執行が停滞しがちかと聞いたら、これも首長の六二%、教育長の七六%がノー、そんなことは感じていない、それから、教育委員会を廃止して首長が教育行政を行うべきかと問いましたら、首長の五八%、教育長の八五%がノー、そんなことは別に望んでいない、こういう答えが出たんだというのが報告されております。

 それで、恐らく奥山市長であれば、現状でもそういう連携をしておられるんだろうと思うので、別に何も不都合はないんだろうと思うんですけれども、こういう結果について、市長としてどうお感じになるか。あわせて青木先生にも、この調査結果についてどういうふうにお感じになるか、お聞かせいただきたいと思います。

奥山恵美子君 申しわけございません。私は、その調査結果、詳細について把握していないので、今お伺いしたお話をもとにお答えをさせていただくところであります。

 まず、教育委員会側に長く勤務する職員にとっては、やはり教育委員会の今の運用、運用というか制度がある程度所与のものとして身についておる部分もございますので、そういう意味で、差しさわりがないというような答えが大勢になってくるというのも、現状というのは人間の認識に対して肯定的に働く場合が多いのではないかと思いますので、私も、そういう数字の結果そのものは、そんなところも加味されているだろうなというふうに思います。

 ただ、私自身も、教育委員会制度は一定の役割を果たしてきつつあるし、また、今、必ずしも、完全に形骸化しているといって一〇〇%否定すべきものだとは思っていないということは、先ほど来お答えをさせていただいたとおりでございます。

 しかしながら、全く問題がないかというと、もうさすがにそこまで、全く非でもないけれども全く是でもないというところはあろうかと思いまして、その大きなものが、やはり最終的な責任の不分明さというところにあったというふうには思います。

 今回さまざまな、きっかけはありましたけれども、教育委員会制度について改めて広範な議論が行われて、ただいまのような法改正という具体のところまで議論が深められてきたということについては、教育委員会が長らく戦後同一の形態の中でやってきたものに対する問題意識という意味での、一石を投じるという意味合いは大きくあったのかなと思っております。

 あと、では、現状がどうなるかということについては、先ほど青木先生がおっしゃいましたように、私は、どのような制度であれ、この制度であれば現実が一〇〇%うまくいくという一対一対応ではなく、その中に運用という、これをどう使いこなしていくかという現場の動きなり知恵が必要だと思っておりまして、その知恵と具体の形をつくっていくのが我々基礎自治体に課せられているこれからの役割だろうとも思っていますので、しっかりと目的に合致した運用にするようにという自覚が、むしろ我々運営者側の方に求められているというふうに思っています。

青木栄一君 お答えいたします。

 まず、学術的な精査というのは、恐らく別途必要な作業になると思いますので、そこは御容赦いただきたいと思います。奥山市長がおっしゃったように、現行制度の当事者に聞く意識調査というのはそういった結果になりやすいという傾向がある、これは学術的にも種々の調査の再検証で言われているところでして、やはりそういうことも踏まえての議論が必要かなと思います。

 私自身のことで申しますと、意識調査よりは実際の行動について関心がありまして、例えば、先ほどの意見陳述でも申しましたように、今般の改革で、今後の課題として、やはり教育行政の専門性について、大事だろうと申し上げました。そのことについて、まさに今、昨年度末来、教育行政の組織の専門性について、各教育委員会の皆様に御協力いただいて調査をしているところです。

 ただ、先ほど申し上げましたように、現行制度の当事者は現行制度についてなじみがあるので肯定的な評価をしやすいということは、それを踏まえて、だからこそ、もう少し違った目から少しずつでも改革をしていく、それも一つ重要なことかなと思っております。

 以上でございます。

宮本委員 ありがとうございます。

 市長からも、責任の所在ということについてはいささか不明確さがあるという話がありました。

 私は、教育委員会ということを論じるときに、基本五名の方々から成る合議制の執行機関としての教育委員会というものと、教育長以下の教育委員会事務局というものとは分けて考える必要があろうかと思っているんですね。

 青木先生からも、そして有見先生からも、大津のいじめ事件について触れられました。

 実は、大津のいじめ事件では、その後、第三者調査委員会が設置をされまして、詳細な調査報告書が出されております。

 つぶさに読みましたけれども、実は、教育委員さんたちは、いじめの隠蔽というような事態について全く何も知らされていなかった、あれは教育長をトップとする教育委員会事務局のところでやられたことであった、教育委員はそれを全くチェックできなかったと。ですから、この調査委員会の結論は、教育委員に存在意義がないのかと問えば、否だ、存在意義がある、チェックするという役割をむしろ果たせていなかったんだ、そしてその役割は小さくはないと。これが報告書の結論なんです。

 だから、私は、形骸化という事実があるとすれば、その本来の役割を本当に果たせるようにすることこそ改革の方向だ、こう思うわけですけれども、このあたりについて、青木先生、そして今度は有見先生の御意見をお伺いしたいと思います。

青木栄一君 お答えいたします。

 まず、教育委員会制度の形骸化と大津の事案との関連ということです。

 よく制度疲労ということが教育委員会批判で言われるわけですが、動いていないという現象をどう考えるかというときに、使い続けて壊れてしまったので動かないという場合もあるとは思うんですが、事教育委員会制度に関して言えば、余り使われなかった、あるいは使う必要がなかったということなのかなと思っております。

 教育委員会制度で、制度上、特にこうした現場レベルの情報が教育委員のレベルに上がってこないということについては、先ほど教員集団という文化的な背景から申し上げましたが、教育委員会制度固有の問題として申し上げますと、やはり教育長の教育委員の兼任制というものが影響していた可能性があると思います。もう一つは、運用レベルでいいますと、教育委員会の教育長に対する指揮監督権というものが運用上幾分制約されてきたということが言えると思います。

 ひとまず、以上で閉じたいと思います。

有見正敏君 今委員がおっしゃったように、知らされていなかったということ自体、私はちょっと不思議な感じがするんです。

 やはり、今までの制度、教育委員長と教育長が、教育委員長は非常勤である、教育長は教育の専門家であるというようなことで、立場上、教育長から見れば教育委員長は上司なわけでありまして、ただ、教育委員長にしてみれば、教育長に物申すというような、立場といいますか、その辺のニュアンスもありますけれども、そういったこともあるのではないかというふうに思うんですね。

 そういう意味では、やはりどちらかに責任を一本化するということの方が、今後そういったことを踏まえたときに大事なのではないかなと私は思っているわけであります。

 今後、政府案などの、今度の教育長に権限を与えるということになれば、先ほどもありましたけれども、教育委員会の中そのものが、人選から始まって、そういうあり方が問われることになろうか、そんなふうに思ってございます。

 以上でございます。

宮本委員 ありがとうございます。

 あの報告書を読みますと、本当に、新聞報道やテレビで見て、電話で連絡をとり合って、これは、どんなことが起こっているんだ、教育委員たちがそういうありさまだった、正式に教育委員会の会議で報告を受けたのは随分後だったということになっていまして、やはり事務局のところでそういうことがずっと行われていたということが明らかなんですよね。

 だから、形骸化ということがよく言われますけれども、それは、本当に教育委員会の本来の役割を発揮できていないという現状をどう改善するかという問題だと私たちは捉えているんです。

 ここでちょっと話をかえまして、有見先生にお伺いしたいのです。

 先ほど私も名取市の閖上中学校を視察させていただきました。学校で生徒さんの死亡が、十四名のとうとい命が奪われた。今でも仮設でありますし、それから七台のバスで登下校をしているという状況をつぶさに見てきたわけです。

 被災地での今後の学校現場の再建やあるいは復興ということを考えたときに、有見さんの方から、こういうことをもっと国として援助してほしい、お願いしたいということがございましたら、ぜひお聞かせいただきたいと思うんです。

有見正敏君 お答えしたいと思います。

 私は、昨年まで県の中学校長会の会長をしておりまして、被災現場を何度か回らせていただきました。全日本の中学校長会からも何度か視察にお見えになって、全国からは多大なる御支援それから義援金等を頂戴いたしました。校長会としては、その義援金を被災の各学校に配分したり、そんなお仕事をさせていただいたところでございます。

 今、三年と一カ月たったわけですが、震災を受けた学校での一番の課題は、心のケアというものが一つあります。

 それから、あの震災で、現場の先生方が、先頭を切って一番献身的な働きをしたわけでございます。私も、ちょうどそのころ、石巻の事務所におりました。先生方の献身的な姿に、本当に頭の下がる思いでおったところでございます。

 今、先ほどのを続けますと、心のケア、そしてもう一つ、先生方の精神的な、そういったところが、あの阪神・淡路の教訓でも、三年後に出てくると。先生方も、健康面で阻害されているのが現状でございます。

 そういう意味では、県の方も、いわゆる加配教員というようなことで、いろいろな御配慮をいただいております。スクールカウンセラーの日数をふやして、ふだん、今は中学校では、スクールカウンセラーが一人、一週間に一回来る割合になっているわけですが、その日数をふやすということは、スクールカウンセラーの人数をふやすとか、そういった行政からのあれをいただいているところでございます。

 現場としては、やはりその加配教員をもっともっと現場に多く、震災に対応できる加配教員ということになるとまだ少し足りないのかなというふうに思っておりますので、経済面での条件整備といいますか、そういった御配慮もいただければありがたい、そんなふうに思っておるところでございます。

 以上でございます。

宮本委員 ありがとうございます。お聞かせいただいた御意見をしっかり受けとめて頑張りたいと思います。

 政治が教育に金も出さずに教育内容に口を出すというのは一番やってはならないことだ、私はそう思っておりますので、どうぞ今後とも、ぜひよろしくお願いいたします。

 ありがとうございました。

萩生田座長 次に、青木愛君。

青木委員 生活の党の青木愛と申します。

 本日は、三名の意見陳述者からの大変貴重な御意見をいただきまして、ありがとうございます。十五分間でございますが、質問させていただきます。どうぞよろしくお願い申し上げます。

 まず、本日、三名の先生方からお話を伺って、教育長と教育委員長を一本化して、そして首長が任命責任を負う、持つということによって責任の明確化が図れる、そして、教育委員会も、政治的中立性、教育の安定性、継続性という意味から執行機関として残すという、この二点について、三名の先生方、それぞれ前向きな評価をされているというふうに受けとめさせていただきました。

 その上で、まず、奥山市長さんにお伺いをさせていただきます。

 政令指定都市の教育委員会と、中核市あるいは市区町村とは事情が異なるということでございまして、今まだ審査中ではございますけれども、この教育委員会、それぞれ新しい制度のよさを生かさなければ、どんな制度をつくっても混乱をするだけだというふうに市長がおっしゃっておられます。

 政令指定都市を担っていらっしゃる奥山市長のもとでは、人事権等権限もあり、しっかりと行っているということなんですが、離島ですとか中山間地域ですとか、いわゆる地方の教育行政を担う教育委員会、首長さんは、この運用についてどのように取り組んでいったらいいか、どのような課題、問題を市長さんとして今想定されているのか、その辺の具体的なお話をより伺えると助かります。

 よろしくお願いいたします。

奥山恵美子君 御承知のとおり、政令指定都市は、今まだ最終的な財源移譲はこれからでございますけれども、最終的には、県費負担教職員制度という極めて特徴的な運用の制度を一元的に政令指定都市でやっていくようになるということで、やはり権限を持ったところでなくては責任の問題が出てこないと先ほども繰り返しお話をさせていただきましたが、いじめ事件などの対応が、人事権と離れたところである事象が起こり、その結果だけがまた権限と離れたところで議論されるというのは、私はちょっと議論としては難しいというふうに思っています。

 やはり、あくまでも、財源と権限、そして結果に対する責任というのは三位一体であるべきではないか。これは、教育行政と限らず、原則としてそうであるべきだろうと考えているというのが一点でございます。

 そういう意味では、例えば中核市レベルの県庁所在地などで考えてみますと、基本的に、子供たちの上に起こる問題は、都市化の中で、頻度の問題とか絶対数の問題は別とすれば、政令指定都市と同じように起こるんだろうと思います。ただしかし、人事権がない中で結果だけが問われるという意味では一番、中核市とか一般市は教育委員会としてはお気の毒な部分があるなと私は思っております。かといって、独自の教員採用をするとかいうことは非常に難しいでしょうけれども、長期的な課題としては、そうした一般市ぐらいのレベルまで、何とか人事権を教育委員会としてマネジメントできる領域を少しずつでもふやしていけるような実際の改革の取り組みがこれから必要だろうというふうに思っているわけです。

 一方、町村、特に離島とかということになりますと、これは、教育委員会と首長の独立性とか、お互いにそれを侵し合わないとかという、我々が真剣に議論している中立性とかといっても、ふだんの役場組織そのものが、百人以下の規模の中で、もう何もかもが混然一体となってやられていたりしますので、教育行政の専門性も何もあったものではなかったりする場合も、不幸ながらあったりするわけですね。

 ですから、そういうところは余り、理論的な整合性であるとか、そういうことにとらわれ過ぎるよりも、むしろ小さい中での生かせるメリットをどう生かして子供たちによい環境を与えていくかという、もう一度原点に返ったような、大都市でこそ、制度論がしっかりとしていて、権限がはっきりした中でお互いに侵し合わないことが大事だったりしますけれども、むしろ、自治体規模が小さくなると、支え合わないとすき間ができるということが懸念されるような気もしますので、地方自治の原点である、それぞれ個別の、地域の状況に応じた多様性もやはりどこかで残しておく。

 そういう意味では、全部に対して義務づけを行うことがよいかどうかといったあたりをまた議論していくということも、国全体のいろいろなありようを見た中では、国会で果たしていただけると私どももよろしいのかなというふうに思う場面もあります。

青木委員 ありがとうございます。

 今おっしゃっていただいた件とまた関係をするのですけれども、今度は三名の先生方にお伺いしたいと思います。

 地方の教育行政の改革を行う上で、今、運営者側の課題を持つ関係性として三つあると思うんです。

 一つが、国と地方の役割であり、関係の曖昧さによる責任の押しつけ合いだとか、国からのコントロールの強化等々が指摘をされています。もう一つが、首長と教育委員会との関係で、今回の主たる改革の柱でありますけれども、やはり、責任の明確化ということで権限を首長に集中させますと、首長は政治家であるゆえに、どうしても政治的な中立性という課題にぶち当たってしまうということがあろうかと思います。三つ目が、教育委員会と学校、校長との関係。今後の議論の必要性も、有識者からの指摘がございます。

 今、市長さんからもお話がありまして、やはり、教育行政の地方への分権あるいは学校単位への分権という議論もある中で、先ほど有見さんもおっしゃっておられました、校長先生がリーダーシップを発揮できる、みずからの学校をマネジメントできるような制度設計、それも今後の議論として必要なのではないかなという問題意識を持っているのですけれども、県費負担教員制度とも絡んでまいります。

 それぞれの関係性の中で、青木先生も、国と地方の役割が御自身のテーマであるというふうにおっしゃっておりましたので、それぞれの関係性の課題でも結構ですし、全体を俯瞰して、今後どういう方向性で、国も、そして学校も、どういうふうな形で取り組んでいったらいいか、よりよい全体像というものはどういうものなのかというのを、一朝一夕にすぐばっさりと変革できるものではないというふうには思うんですけれども、向かうべき方向性みたいなものがもしあれば、現在の課題意識の中で、それぞれのお立場でお教えいただければというふうに思います。

 よろしくお願いいたします。

青木栄一君 お答えいたします。

 まず、国と地方の関係につきましては、制度改革の時代になってきたということもありますので、制度改革が一定の結論を見た後のことをお話しします。

 やはり、実務面での国の役割というのが非常に強くなってくると思います。先ほど私が意見陳述で申し上げました、教育行政の専門性をいかに向上させるかという点も重要です。それに国がどうかかわるかという課題があると思います。

 より実務的な面で申しますと、政府案でいいますと、教育委員会という会議体、あるいは総合教育会議という会議が重要になってきます。対案でも、そういった会議体というもの、あるいは合議体の教育監査委員会というものが重要になってきますので、やはり、奥山市長もおっしゃったように、会議のあり方ややり方についてガイドラインを示すですとか、あるいは会議に伴う実務上の課題などの情報収集をして行政実例を蓄積し、地方公共団体にフィードバックしていくことが必要かなと思っております。

 また、教育委員会と学校の関係につきましては、既に学校に対する権限移譲というのはかなり進んでいるということも確かですので、まず、校長先生がその権限をいかに行使し切れるかという運用面の課題があるかなと認識しております。

 もう一点申し上げますと、学校を経営体と考えた場合に、学校の組織というのはどうしても教員籍、教員が多い組織でありますので、その中にどうやって経営という部分を入れていくかということで、学校の事務職員ですとか、あるいは教育委員会からの支援というものが必要になっていくかなと思っております。

 以上でございます。

有見正敏君 お話ししたいと思います。

 私は、これまで以上に、学校が果たすべき役割でありますとか教育委員会の果たすべき役割、そして首長さんが果たすべき役割というものをしっかり保っていくことが一つ大事だと思います。

 その中では、先ほど例を話しましたけれども、いわゆる信頼関係に尽きるんだというふうに私は思っております。そして、学校現場の立場からすると、やはり、今後ますます校長のマネジメントといいますか、リーダーシップが非常に問われることになるだろうと思います。

 今、話題の一つに土曜授業というものがございます。宮城県の中でもそういった動きが、少しずつですが、極めて少ないのですが、話題になってきております。

 そういったところでは、まず、学校の校長の考えとか、そういうことをはっきり持って教育委員会と議論をする、学校が、問われていることに対して、きちっと責任を持って市民なりいろいろな方々に公開していく、説明責任を果たしていく、そういったことが私は大事なのかなと。

 土曜授業についての話題をちょっとしましたけれども、今後、そういったところが来たときに、やはり学校としての考えというようなものをしっかり持つことが、教育委員会もしっかり持つことにつながるんだろうし、そして首長さんもそれに応えてくるだろうと思いますので、私は、信頼関係だというふうに思ってございます。

 以上でございます。

奥山恵美子君 国と地方、首長と教育委員会、教育委員会と学校というふうに立てますと、より情報が集中して財源もある国に対して、限定的であって情報も限られている地方というふうなこととか、より予算権を持っている首長と、予算を与えられるしかない教育委員会とかというような、割と強大なるものと、それに対してやや限定的なものという構造が両方に見えるような気がするんですが、やはりこの両者は本質的には対等であるべきものというのが一つ、私は、地方自治体の長としては、理念として持っているわけであります。

 そういう意味では、理想ではありますけれども、やはり国と地方がイーブンになるような制度的な仕組みとか、そういったものをこれからも我々は求めていきたいし、それに向けていろいろと発言もしていきたい。当然、首長と教育委員会においても、やはり教育委員会の自己決定力というのも首長も尊重しなければいけないだろうというようなことをこれからも自覚していかなきゃいけないんだと思います。

 そういう中で、教育委員会と学校もそうなんですが、ただ、学校というのは、先ほど幾つかお話がありましたように、管理職が甚だしく少ない特殊な職場というか、ピラミッド型組織で動いている一般行政体や会社などから考えますと、よく鍋ぶたと言われますが、校長と教頭が管理職であって、あと一般教員の方々は全員その下に鍋のふたのように一律についていらっしゃるという、なかなかマネジメントしにくい組織でもあると思います。

 そうした学校がどうやって、マネジメントで、より情報が集中している教育委員会としっかり話し合っていけるかというようなことは、これはまた今回の法改正とは別な場面になるかと思いますけれども、いろいろと知恵を出し合って、その地域ならではの知恵を出し合っていかないと、まだ私の中では十分に、これさえすればというほどの成案は得ていないところであります。

青木委員 時間ですので、終わらせていただきます。

 大変貴重な御意見をありがとうございました。

萩生田座長 以上で委員からの質疑は終了いたしました。

 この際、一言御挨拶を申し上げます。

 意見陳述人の皆様方におかれましては、御多忙の中、長時間にわたりまして貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。

 本日拝聴させていただいた御意見は、当委員会の審査に資するところ極めて大なるものがあると存じます。ここに厚く御礼を申し上げます。

 また、この会議開催のため特段の御協力をいただきました関係各位に対しましても心から感謝を申し上げ、御礼の御挨拶とさせていただきます。

 これにて散会いたします。

    午後三時二十三分散会


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