衆議院

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第2号 平成17年10月6日(木曜日)

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平成十七年十月六日(木曜日)

    午前九時開議

 出席委員

   委員長 中山 太郎君

   理事 愛知 和男君 理事 近藤 基彦君

   理事 福田 康夫君 理事 三原 朝彦君

   理事 保岡 興治君 理事 枝野 幸男君

   理事 古川 元久君 理事 赤松 正雄君

      井上 喜一君    伊藤 公介君

      石破  茂君    遠藤 武彦君

      大村 秀章君    加藤 勝信君

      佐藤  錬君    坂本 剛二君

      柴山 昌彦君    高市 早苗君

      渡海紀三朗君    中谷  元君

      野田  毅君    葉梨 康弘君

      早川 忠孝君    平井たくや君

      二田 孝治君    船田  元君

      牧原 秀樹君    松野 博一君

      森山 眞弓君    山崎  拓君

      吉田六左エ門君    渡辺 博道君

      岩國 哲人君    小川 淳也君

      逢坂 誠二君    北神 圭朗君

      鈴木 克昌君    仙谷 由人君

      園田 康博君    田中眞紀子君

      筒井 信隆君    平岡 秀夫君

      伊藤  渉君    太田 昭宏君

      高木 陽介君    笠井  亮君

      辻元 清美君    滝   実君

    …………………………………

   衆議院憲法調査特別委員会及び憲法調査会事務局長  内田 正文君

    ―――――――――――――

委員の異動

十月六日

 辞任         補欠選任

  林   潤君     牧原 秀樹君

  福島  豊君     伊藤  渉君

  亀井 久興君     滝   実君

同日

 辞任         補欠選任

  牧原 秀樹君     林   潤君

  伊藤  渉君     福島  豊君

  滝   実君     亀井 久興君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 参考人出頭要求に関する件

 日本国憲法改正国民投票制度及び日本国憲法に関する件


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     ――――◇―――――

中山委員長 これより会議を開きます。

 日本国憲法改正国民投票制度及び日本国憲法に関する件について調査を進めます。

 この際、参考人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。

 本件調査のため、参考人の出席を求め、意見を聴取することとし、その人選等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

中山委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

中山委員長 本日は、特に国民投票制度について、これまでの憲法調査会における議論を踏まえて自由討議を行います。

 この際、理事会の申し合わせに基づきまして、冒頭、一言ごあいさつ申し上げたいと思います。

 平成十二年一月に設置されました憲法調査会において、五年余りの期間にわたって、委員各位の精力的かつ熱心な調査が行われ、その集大成ともいうべき報告書が去る四月十五日に河野議長に提出されました。

 憲法調査会の報告書が取りまとめられたことによって、我が国の憲法論議は、調査のための調査から、いよいよ現行憲法の改正に関する具体的な手続について検討する新たな段階に入っていくことになったわけでございます。

 憲法調査会における重要な論議の一つに、憲法九十六条に基づく憲法改正国民投票制度の整備に関する議論がございました。すなわち、憲法九十六条においては、まず第一項において、「この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。」と規定し、さらにその第二項において、「憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。」と規定しているところでありますが、この国民投票のための実施法が、憲法施行後約六十年間にわたって制定されてこなかったという問題があります。

 この点について、さきの報告書において、憲法改正手続法については早急に整備すべきであるとする意見が多く述べられたとされ、憲法調査会の基本的な枠組みを維持しつつ、これに憲法九十六条一項に定める国民投票等の手続に関する法律案の起草、審査権限を付与することが望ましいとする意見が多く述べられましたと記されております。

 さらに、この報告書の取りまとめに至る議論の過程について、若干詳しく御報告を申し上げれば、まず、本年の二月十七日の自由討議において、当時の会長代理でいらっしゃった枝野理事から、政権を担う意思のある政党は、どちらが政権についても、今後、国政運営の共通のルールを憲法で定める合意形成を進める必要がある、憲法改正国民投票法についても、幅広い国会の意思で早期に制定することが望ましいとする旨の、実に歴史的な重みのある発言があり、翌週二十四日の調査会においては、自民党の保岡、船田両幹事、公明党の太田委員から、これに呼応する趣旨の御発言がありました。

 このような経緯を経て、今般、党派を超えたさまざまな方々の御尽力によりまして、本院に、日本国憲法の広範かつ総合的な調査とともに、日本国憲法改正国民投票制度に係る議案の審査等を行うための組織として本特別委員会が設置されたのであります。

 このような経緯にかんがみますれば、本特別委員会は、憲法調査会における膨大な議論の蓄積を踏まえて、さらに前に進むための器であると言うことができようかと存じます。

 ここで、理事会での申し合わせに従いまして、憲法調査会の会長を務めさせていただきました立場から、憲法調査会において日本国憲法改正国民投票制度に関しましてどのような議論が行われてきたのか、その主な内容について簡単に御説明をさせていただき、委員各位の議論の素材を提供したいと存じます。

 お手元に、事務局に取りまとめさせました衆憲資第六十九号と題する資料集を配付させていただいておりますので、あわせて御参照いただければ幸いです。国民投票制度に関する主な論点ごとに分類した発言要旨は、五ページ以降に掲載してございます。

 まず、国民投票における投票権者の範囲についてですが、これについては、公民権停止中の者の取り扱いや、二十歳か十八歳かといった年齢要件等について議論が行われました。

 ここでは、この国の形を決める投票であるから、軽微な公職選挙法違反で公民権を停止されている者にも投票権を認めるべきであるとする意見と、国民投票の投票権者についても、実務的な観点等から、国政選挙の選挙権者と範囲を同じくすべきであるとする意見などが述べられました。また、国政選挙の選挙権も含めて、年齢要件の引き下げについての意見も述べられました。

 次に、国民に賛否を問う方法として、改正条項を一括して改正全体について賛否を問うのか、各条項あるいは各項目ごとに賛否を問うのかという問題がございました。

 これについて、複数の改正事項が一括して投票に付されると賛否の判断が困難になるおそれがございますので、個別に判断することができるようにすべきであるという意見が多く述べられたように記憶してございます。

 三番目に、発議後の周知期間や憲法改正案の周知、広報活動については、改正案の条文をそのまま国民に提示するだけでなく、その要旨などを平易に取りまとめたパンフレット等を作成するなど、できるだけ国民にわかりやすい形で情報提供をする必要があるとの意見が述べられました。

 第四に、国民投票運動の規制に関する議論がございました。

 これは、恐らく、本特別委員会における今後の調査の中でも最も多くの議論があり得る論点の一つかと存じますが、これについては理念的に二つの方向から意見が述べられました。すなわち、組織的な運動によって投票の公正さが害されないように、公平性を担保するような運動規制を講ずるべきであるとの意見と、国民的な議論は多様な立場からの多様な声によってつくり上げられなければならないものであるから、国民投票についての運動の自由は選挙の場合以上に広範に確保される必要があるとする意見でございます。

 多くの意見は後者の意見であったように思いますが、そのような見解に立った場合でも、投票の公正さを担保するための必要最小限度の規制は必要であるとすることには異論はなかったように存じます。ただ、問題は、その必要最小限度の規制の具体的な内容でございます。この具体的な議論こそが、本委員会における議論に引き継がれていると言えるのではないかと存じます。

 資料七ページの投票用紙への憲法改正案の記載の論点は省略させていただきまして、次に、六番目の論点、すなわち、憲法九十六条が要件とする国民投票における過半数の意味に関する議論がございました。

 これについては、投票所に行かなかった者も含めた有権者総数の過半数とするのか、白票、無効票を含めた投票者総数の過半数とするのか、あるいは、通常選挙の場合と同様に、有効投票総数の過半数とするのかという論点であります。

 このうちのどれに解するかは、憲法改正国民投票の性質をどのようなものと理解するかという理論的な問題であると同時に、国民投票の成否に直接影響する政治的、実務的な論点でもあり、今後、議論を詰めていく必要があると存じます。

 七番目の論点として、国民投票と国政選挙とを同時に実施することの是非という論点がございました。冒頭朗読いたしましたように、憲法改正の国民投票について憲法九十六条は、「特別の国民投票」か「国会の定める選挙の際行はれる投票」のいずれかによって行うとしているからでございます。

 しかし、この論点については、ほとんどの委員の意見は、主要与野党間での合意が期待される憲法改正の国民投票と政党間で政権を争う国政選挙とでは性格が異なるものであるから、別個に実施することが適当であるとする意見であったように記憶しております。

 最後に、国民投票の無効訴訟に関する論点がございました。すなわち、国民投票の無効を主張する訴訟はどこの裁判所に訴えることができるものとするのか、また、無効訴訟が提起された場合に、国民投票の結果が確定するまでの間、国民投票の結果は停止されるものとするのかどうかといった論点であります。

 これについては、乱訴を防ぐ一方、迅速な裁判が行われるようにするとともに、訴訟が長引くことによる影響を最小限度のものにするような制度設計をしておく必要があるとの問題意識から意見が述べられております。

 以上が、憲法調査会における日本国憲法改正国民投票制度に関する議論の概要でございます。

 ところで、今年前半、ヨーロッパの幾つかの国において欧州憲法条約の批准をめぐる国民投票が相次いで実施されましたが、私は、フランス及びオランダの国民投票について自民党の保岡理事と、またルクセンブルクの国民投票については民主党議員でいらっしゃった山花郁夫先生と、それぞれ実地に視察する機会を得ましたので、ここでその感想を付言し、あわせて委員各位の御参考に供したいと存じます。

 フランス及びオランダの投票結果は、御承知のとおり、否決という衝撃的なものでありました。両国の国民の判断が欧州憲法条約の批准過程に及ぼした影響を考えるに、国のあり方を直接決する国民投票の大きな意味を感じざるを得ませんでした。

 それとともに、町の中で接した風景についても申し上げると、町じゅうの身近な場所で国民投票に関する情報が提供され、国民の議論を活発化する環境づくりがなされていたことは印象的でございました。特に、ある大学のカフェのような場所では、学生主催の討論会にヨーロッパ議会の与野党議員が駆けつけて熱気あふれる議論が繰り広げられておりましたが、国家のありようについて老若男女が議論している情景は今もまぶたの裏に深く焼きついております。

 また、これらの国々では、国民投票の年齢要件が十八歳以上となっておりました。単純な比較はできないにいたしましても、いずれにしても、これらは我が国の国民投票制度の構築に当たって参考になるものと存じます。

 最後に、憲法改正国民投票制度を整備する意義、すなわち本特別委員会の職責の重要性について、改めて一言申し上げたいと存じます。

 すなわち、憲法改正国民投票制度を整備するということは、憲法制定権力の担い手である国民みずからが憲法論議に直接かつ終局的に参加できる制度を整えるということであり、これは日本国憲法の基本原理である国民主権原理を具体化するということであります。六十年の長きにわたって凍結されてきました憲法制定、改正に対する国民の主権を、国民を代表する国会が回復する作業と言っても過言ではありません。

 このことによって、国民みずからが憲法論議への参加をより身近に自覚し、国民的な憲法論議へと広がっていくことが期待できるものと存じます。

 以上、本調査に当たっての発言とさせていただきます。(拍手)

    ―――――――――――――

中山委員長 議事の進め方でありますが、まず、各会派を代表して一名ずつ大会派順に十五分以内で発言していただき、その後、順序を定めず自由討議を行いたいと存じます。

 発言時間の経過につきましては、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたします。

 それでは、まず、保岡興治君。

保岡委員 自由民主党の保岡興治でございます。

 いよいよ本日から本委員会での憲法改正国民投票制度の実質的な調査がスタートいたしましたが、感無量でございます。私は、ただいま中山委員長からの基調発言を踏まえて、この調査を始めるに当たって三つのことを申したいと存じます。

 まず、憲法改正国民投票法の必要性についてであります。

 現行の日本国憲法自体が、九十六条において憲法改正の手続を定め、その実施法の制定を予定しているにもかかわらず、現在まで憲法改正国民投票制度は整備されておりませんでした。日本国憲法において唯一の立法機関とされ、国政全般にわたって必要とされる法律を制定すべき崇高な義務を負っている国会が、憲法施行後約六十年間の長きにわたって、憲法制定権力を有する国民の権限行使という最も基本的かつ重要な法制度の整備を怠ってきたことは、最大の立法不作為と評されてもいたし方がない状態にあったと言わざるを得ません。

 憲法改正国民投票法の制定は、まさしく国民主権の具体化そのものと言っても過言ではないと存じます。国民の負託を受けて国会に籍を置く者として、私どもはまずこのことを深く自覚する必要があると存じます。

 この点については、先ほどの中山委員長の御発言にもありましたように、本年の四月に議長に提出した憲法調査会の最終報告書の中でも、明確に、憲法改正手続法について早急に整備すべきであるとする意見が多数であったと述べられ、かつ、憲法調査会の基本的な枠組みを維持しつつ、これに憲法九十六条一項に定める国民投票等の手続に関する法律案の起草、審査の権限を付与することが望ましいとする意見が多数であったと述べられたところでもありました。

 本委員会はそのような中で設置されたものであることを、この議論のスタートに当たって各委員各位とともに改めて確認したいと存ずる次第でございます。

 次に、このような経緯を経て、そしてさまざまな方々の御努力によって設置されました本委員会の調査のあるべき姿について、一言申し上げたいと存じます。

 言うまでもなく、憲法九十六条第一項では、憲法改正案は「各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議」するとあります。この意味するところは、国家の基本ルールである憲法の改正については、与党とか野党とかの垣根を越えてできるだけ多数で合意して行うべきであるということを憲法自身が要請しているものと思うわけであります。もちろん、与党だけで国会の両院、衆参とも三分の二の多数を超える政治状況はあり得ないわけではないのでございますが、しかし、現在では、それはごくまれな特別な場合に思えますし、また、個別政策については意見が違う政党同士であっても、憲法については特により多数の合意形成を大切に努力をしなさいという趣旨が少なくとも現憲法には盛り込まれているのだと存じます。

 そして、憲法改正国民投票法は、このような憲法改正それ自体とは違って、形式的には法律の一つでございますけれども、憲法改正の手続を定める基本的な憲法附属法典ともいうべき法律でありますから、私は、国民投票法案についても、憲法改正案本体と同様に三分の二以上の圧倒的な多数で合意された内容が、例えば委員長提案のような形でまとまれば、国家国民のためにすばらしいものだと考えております。

 そのためにも、そこにたどり着く過程においては、与党案とか野党案とかそれぞれの主張にいたずらに固執することなく、国会議員同士、徹底した調査と論議を行いながら合意形成を図っていくべきものであると思う次第でございます。

 ところで、これまで国民投票法案についてはさまざまな方々からさまざまな提案があったことを承知しております。私どもも、昨年十二月に与党の実務者会議において、憲法改正国民投票法案の骨子案を取りまとめております。しかし、本委員会での調査、議論に臨むに当たって、この骨子案にはこだわるつもりはございません。貴重な努力の結果ではありますけれども、よりよい案を求めるために、あくまでも参考資料の一つとして議論の俎上にのせていただければ幸いだと思う次第でございます。

 すなわち、本委員会における議論に当たっては、ゼロベースから始めて、お互いがアイデアを出し合いながら制度をつくり上げていくというのがよいと考えております。

 さて、最後に、今後の本委員会での議論の参考に資するために、私が考えている具体的な憲法改正国民投票法案の主な論点のうち幾つかについて意見を申し述べたいと存じます。

 第一は、国民投票の期日でございます。

 憲法九十六条第一項後段では、憲法改正の承認は、「特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票」によるとされています。後者は国政選挙の際に国民投票を行うということを意味しているものと解されますが、そもそも、与野党が政権の維持、獲得を目指して相争う国政選挙と超党派で合意した憲法改正案に対する賛否を争点とする国民投票との性格の相違にかんがみれば、国民投票と国政選挙とは別個に行うことが適当であると考えます。両者を同時に行うと、各政党は、国政選挙では対立しながらも、国民投票運動では連携しなければならないという場合が生ずるなど、運動をする側も国民の側も混乱してしまうおそれがあり、なお、ルールそのもの自体を決めることが非常に難しくなってくると考えるからであります。

 第二に、国民投票の投票権者の範囲をどうするかという問題でございます。

 これについては、国家の基本ルールの改正なのだからできるだけ多くの国民に投票権を認めるべきであり、その結果として、国政選挙の選挙権者とは別になってもいいのではないかという御意見があることも承知しておりますが、いずれも国民の国政への参加の権利として同等あるいはそれ以上の基本的なものではないかと思いますので、それになぜ差をつけるのかという疑問がどうしても払拭し切れません。

 この点は、選挙における選挙人名簿に対応する投票人名簿を別につくるとするか否かという実質的な問題とも非常にリンクしてまいります。選挙権者と投票権者の範囲が異なれば、当然名簿も別にするということになりますが、先般、違憲判決が出された在外投票などを考えると、国民投票に関して別の名簿を調製することは、実務的にもかなり難しいのではないかと考えております。

 以上の点を考慮すると、やはり国民投票の投票権者は国政選挙の選挙権者と一致させるべきではないかと考えます。

 その上で、投票権者の年齢をどうするかという論点もあります。現行の二十歳のままでよいのかどうかですが、これについては、諸外国の制度を参照しながら今後議論してまいるのが適当かと存ずる次第でございます。

 第三は、投票の方式についてであります。すなわち、同一の国民投票において賛否を問う憲法改正案に複数の項目が含まれる場合に、その複数の改正項目について一括して賛否を問うこととするか、それとも個別の各項目ごとに賛否を問うことにするかという問題でございます。

 国民投票制度は、国民の意思を憲法にできるだけ忠実に反映させるためのものであるという趣旨にかんがみれば、個別投票を原則とするのが適当であるとの考え方も強くあると存じます。

 もちろん、複数の項目といっても、お互いに関連する規定の改正案で、一方につき賛成、他方につき反対となった場合には、論理的あるいは政策的に不整合が生ずるような場合や、あるいは全面改正というような場合には、例外的に一括して投票に付することが適当なケースも考えられるところでございます。

 要するに、論理的、政策的に何が可分で何が不可分か、どこまで関連する項目かといったことをだれがどういう基準で決めるのかということに帰着する問題だと存じます。したがって、この基準をあらかじめ一括投票とか個別投票とか形式的に決めてしまうということは困難だと思います。改正の内容それ自体によってさまざまであるからでございます。だからこそ、憲法九十六条は、それを国会が発議するという形で国会の発議の仕方それ自体にゆだねているのだと存じます。

 したがって、国会は、憲法制定権力者である国民の意思を正確に問うという国民投票制度の趣旨を尊重し、基本的な原則を明確にしながら、その都度、改正の内容や趣旨に沿ってどのような投票方式で賛否を問うのが適切かを決めて、憲法改正案を発議するとするのが妥当なところだと考えております。

 最後に、国民投票運動の規制についてでございます。これについては、基本的に次のように考えています。

 私は、人を選ぶ選挙運動と憲法といういわば政策を選ぶ国民投票運動とではその規制のあり方は全く違うという視点からこの問題にアプローチすべきであると考えているものでございます。つまり、全国津々浦々にまで行われる投票という行動を公正に行うためのシステムを構築している現行の公職選挙法を参考にしながらも、人を選ぶ行為に関連する公職選挙法の規制はすべて削除して、国民投票運動はだれがどういうことを行っても基本的には自由であるという発想で制度設計を考えるべきだと考えております。したがって、そこで許容される規制は、あくまでも投票が公正に行われるための必要最小限度の規制だけであるということが大原則になるのではないかと思います。

 さて、問題はここからでございますが、具体的に何をもってこの必要最小限度の規制と考えるかということです。これについては、私は、不正な投票や投票箱を毀損するなどというようなだれが考えても規制すべき行為は当然として、それ以外のしっかり論議、検討すべき規制の主な基準というのは二つぐらいではないかと思っています。すなわち、一つは、マスコミという公器は国民にうそを言ってはいけない。すなわち、虚偽であることを知りながら、投票結果を左右する意図を持ってそれを垂れ流すというようなことはやはりしてはいけないことだということは明確だと思います。そして、何人も投票を金で買うようなことをしてはいけないということも、これも当然のことのように思います。基本的にはこの二つをよく検討する必要があると存じます。

 これに関連して、先ほど触れた昨年十二月に与党で憲法改正国民投票法案の骨子案を取りまとめたときに、これを聞いていただいた特にマスコミの方々から、国民投票運動の規制が厳し過ぎるのではないかという御意見を随分ちょうだいいたしたのでございますが、その御意見の中には、一部に条文の意味、内容を正確に理解されないまま誤解をして発言されている方も見受けられましたけれども、また一方で貴重な御意見もあり、今私が申し述べました私の基準に照らしても、具体的にもっと条文を詰める際には検討し直した方がいいなと思う部分も少なからずあったのでございます。

 したがって、冒頭に申し上げましたように、あくまでもゼロベースで投票の公正を確保するための必要最小限度の規制とは一体何であるか、どこまでかという観点から、今後、委員の皆様の真摯な御議論に耳を傾け、私もそれに参加してまいりたいと思っております。

 以上、本委員会における議論が活発で実り多いものになることを願いつつ、初回の意見表明はこれで終わりたいと存じます。

 ありがとうございました。(拍手)

中山委員長 次に、枝野幸男君。

枝野委員 民主党・無所属クラブの枝野幸男でございます。

 まず、冒頭に当たり、本特別委員会の位置づけについて意見を申し述べます。

 四月にまとめられた衆議院憲法調査会報告書では、「現在の衆議院憲法調査会の基本的な枠組みを維持しつつ、これに憲法改正手続法(日本国憲法九十六条一項に定める国民投票等の手続に関する法律案)の起草及び審査権限を付与することが望ましいとする意見が多く述べられた。」とされています。

 本特別委員会を形式的、手続的に見れば、衆議院憲法調査会とは別個に新たに設置されており、五年間の議論を踏まえた調査会報告書と食い違った形となっています。このことは、与野党の立場を超え、衆議院憲法調査会の議論とその報告書の取りまとめに真摯に取り組んだ立場として、甚だ遺憾であると申し上げざるを得ません。

 憲法は、私たち国会を含めた公権力に対して、主権者である国民の皆さんがその権力を付与し、その行使のルールを規定した法です。国会において、各党、各議員が議論し、その立法権限を行使しているのも、憲法によって国民からその権限を付託されているからにほかなりません。このように、憲法が各党、各議員が活動する土俵に関するルールである以上、その議論も、各党派や議員の主観的意見を超えて、主権者の視点に立った共通の認識に基づいて進められるべき本質を持っています。だからこそ、憲法改正には、まないたの上のコイである国会のみの議決では足りず、国民投票を不可欠の要件としており、また、国会においても、単純多数ではなく、両院のそれぞれ三分の二以上という厳格な要件を課しているのです。

 近視眼的あるいは政局的判断に基づいて、従前の積み重ねや合意を尊重することなく議論が進められるならば、認識を共有する前提となるべき相互の信頼関係は構築できるはずがなく、憲法に関する議論の進展をおくらせる結果となりかねません。今回の特別委員会の設置は、従来の憲法調査会における議論の積み重ねと食い違うものであり、こうしたやり方は憲法に関する議論を遠回りさせるものであり、これを推進した皆さんは結果的に究極の護憲派であると指摘をしておきたいと思います。

 もっとも、本特別委員会は、従前の憲法調査会における中山太郎会長が委員長となり、その指導力によって、実質的には衆議院憲法調査会の枠組みを維持できる見通しとなりました。中山委員長の御尽力に敬意を表するとともに、引き続き、その指導力を発揮され、各党、各議員間の信頼関係に基づく共通認識の醸成に御尽力いただきますよう強く期待いたします。

 さて、民主党は、憲法改正国民投票法制に関して、その未整備が直ちに立法不作為に当たるか否かは別としても、本来、日本国憲法制定時に整備されていてしかるべき法制度であり、一刻も早く幅広い合意に基づいて制定されることが望ましいと考えています。

 この五年間、衆参両院の憲法調査会において日本国憲法に関する広範かつ総合的な調査を進めてきた結果、幾つかの論点について現行憲法典の問題点が明らかになっており、近い将来の憲法改正も視野に入りつつある状況にあります。言うまでもなく、憲法改正を具体的に進めようとした場合には、衆参両院でそれぞれ三分の二以上の賛成が必要です。憲法典そのものの中身について、もし本当に両院のそれぞれ三分の二以上の勢力が相互の信頼関係に基づく合意を形成しようとするならば、その手続についての合意は、より容易に可能なはずであります。逆に言えば、手続についてすら合意形成ができずに、内容についての合意など望むべくもありません。憲法改正国民投票法制について、両院でそれぞれ三分の二を超える勢力がきちんと合意形成できるかどうかは、まさに近い将来において憲法典そのものの改正が具体的な議論となり得るか否かのテストケースあるいはモデルケースです。

 こうした認識をそれぞれがきちんと確認し合いながら、拙速に陥ることなく、同時に、できる限り急いで憲法改正国民投票法制に関する広範な合意が形成されるよう、民主党としても努力する決意です。各党各会派が同じような認識に立ち、真摯な議論が展開されることを心から期待いたします。

 では、国民投票法制を議論するに当たって、特に検討を要する論点について、現時点での認識をお示ししたいと思います。

 まず基本的に押さえておく必要があることは、憲法改正国民投票と公職選挙とは、その意味づけにおいて似て非なるものだということであります。

 選挙によって選ばれる議員や首長などは、憲法によって規定されているからこそ一定の公権力行使の権限が付与されています。そして、どんな議員や首長が選ばれたとしても、その行使できる権力は憲法の範囲内に限定されています。まさに憲法こそが土俵でありフィールドでありルールなのであって、選挙で選ばれる議員や首長はその上でプレーする選手です。土俵やフィールドやあるいはルールがしっかりしているからこそ、選手はその範囲内で自由にプレーができ、競技が成り立ちます。土俵がいいかげんで恣意的に広さが変化したり、選手によってルールがころころ変わったりしたのでは競技自体が成り立たなくなるように、憲法という基盤が国民の信頼を失ってしまったら、民主主義社会は崩壊します。

 公職選挙の重要性を決して軽く見るものではありませんが、民主主義という観点から、この土俵を設定するための憲法改正国民投票は、その重要性を決して軽く見るものではない公職選挙と比べても、さらに比べ物にならないほど重要であるということを常に意識する必要があります。

 具体的にまず重要なことは、国民投票運動のあり方についてです。

 人を選ぶ公職選挙と異なり、憲法改正国民投票に関する運動は、主権者である国民の政治的意思の表明そのものであります。憲法を変えるべき、あるいは変えるべきでないという政治的意思表明と、それぞれの立場に基づく政治活動は、現行憲法制定以来一貫して常に行われ続けています。そして、その政治活動の自由は、現行憲法典に保障されているだけでなく、民主主義が機能する上で不可欠な人権として最大限の保障がなされる必要があります。軽々に公職選挙と同じように国民投票運動の規制を行うと、政治活動の自由という民主主義の基盤となる自由が侵害され、大変な混乱が生じます。

 現在でも、大手メディアからミニコミ誌のレベルまで、憲法に関する意見表明は常に自由に、そして活発に行われております。これが、国民投票が公示された途端に規制に服するというのは明らかに不自然であります。

 また、公職選挙においては、例えば、飲み屋の席などで投票依頼の発言があり、その発言者が割り勘の端数であったとしてもそれを負担した場合、買収に問われる可能性があります。どの程度多いかは別としても、仕事帰りの例えば新橋の飲み屋などで憲法談義が展開されることは皆無ではありません。そのときに、例えば、会社の上司が一定の見解を主張し、さらに上司として飲み代をごちそうしたら買収に問われかねないのでしょうか。常識の範囲内で判断するという言い分もあるかもしれませんが、場合によっては刑事罰に問われかねない問題です。

 公職選挙においては、選挙の関係者でもどこまでが合法でどこからが違法であるのかなかなか判断ができないケースがあります。国民投票においては、すべての国民が運動の働きかけの主体となり得ます。こうした人々に対して、警察当局や司法当局の裁量によって刑罰に問われかねない可能性があるというのでは、強い萎縮効果が生じるでしょう。

 さらに言えば、公職選挙においては、候補者たる個人等の固有名詞を出すか出さないかで選挙運動と言えるかどうかの大方の判断基準となり得ます。しかし、憲法改正に関しては、条文としての改正案の是非については全く示さなくても、例えば、環境権を認めようとか、環境権なんて変だよねとか、一定の政治的意思表明をすること自体が賛成または反対の投票行動を誘引する働きかけとなり得ます。どこからが国民投票運動で、どこまでが一般的政治的意思表明なのか、どう区別をしてもその境界はあいまいにならざるを得ないでしょう。

 二つ目に重要なのは、投票権者の範囲です。

 公職選挙の場合、選ばれる議員等の任期は最大でも六年です。しかし、憲法改正の場合、戦後六十年にわたって一条たりとも改正がなかったことは特別だとしても、個々の条文単位で見れば、一度決まったものが数十年にわたって改正されないこともごく普通のことであります。

 こうした視点から、本当に投票権者を二十歳以上としていいのか。むしろ、改正後の憲法とより長い期間にわたってつき合っていく若い世代に、可能な限り最大、投票権を認めるべきではないのか。単に事務作業の便宜というだけで判断できる問題ではありません。

 また、公職選挙に関する在外投票について先日違憲判決がありましたが、より重要な憲法改正については、日本国民である以上、海外に在住している場合でも、すべての人にきちんと投票できる余地を設ける必要があると思います。さらには、たまたま直近の公職選挙において公民権を停止されている者についても、公職選挙とは質的に異なる国民投票についての投票権を剥奪してよいのか、慎重な議論が必要です。

 三番目に、複数の論点について改正が発議された場合に、テーマごとに投票するのか、それとも一括して投票するのかという問題があります。

 憲法制定権力である国民のより自由な選択を可能にするという意味から、可能な限り論点ごとに分けて投票できるようにすることが必要だと思います。Aという論点については改正に賛成だけれども、Bという論点については反対だという意見を、無理やり一つの票で対応させるというのは、国民にとって余りにも不親切です。

 また、複数の論点について一括して投票を求めた場合、国民の多数が望んでいる憲法改正についても、結果的に投票で否決されることになる可能性が高くなることを指摘しておきたいと思います。

 例えば、A、B、Cと三つの論点が一括して投票にかけられる場合、A、Bに賛成だからCに反対だけれども賛成票を投じるという投票行動になるでしょうか。A、B、Cの三つのうちどれか一つの論点についてでも反対であれば、他の二つの論点について賛成であったとしても反対票を投じるという人の方が多いのではないでしょうか。そうだとすると、複数の論点を同時に重ねれば重ねるほど、反対意見が累積されて投票行動に反映し、個別に問えば賛成が多い論点についても一括して否決される結果となる可能性が高いと思います。もちろん、それで憲法が変わらないならその方がよいという見方もあるでしょうが、国民の意思に忠実に対応するという観点からは望ましいこととは思えません。

 そのほかにも、周知期間や過半数の意義、投票の書式など、技術的に詰めなければならない論点は多々あります。また、法律上の規定になじむかどうかは議論の余地がありますが、周知、広報のあり方についてもきちんとした検討が必要であります。

 さらには、そもそも国会が両院でそれぞれ三分の二以上の合意を形成し、国民に発議するためには、通常の法律案審議の形式とは異なった工夫が必要であります。憲法のような重要問題について、一つの政党などが原案を示し、他の政党が部分修正を求め、その結果として一つの結論に至るという方式が、政治的に考えて現実に実現可能であるとは思えません。また、衆参で意見が異なった場合にも、重要であればあるこそ、一方が他方に妥協するというのも考えにくいだろうと思います。

 もし本当に憲法改正の発議を現実的に考えるならば、最終的には、衆参両院の合同起草委員会のようなものを設け、参加する各党でゼロベースから共同起草した案を衆参両院に持ち帰って議論する、こういう形が必要ではないかと思います。こうしたこともこの機会に同時に検討を進めておく必要があると思います。

 いずれにしても、全国規模で国民投票制度を設けること、あるいは憲法改正について具体的にリアリティーを持ってその手続を考えること、我が国にとって初めての経験であります。机の上であるいは頭の中で幾らいろいろと考えても、想像の及ばないことは多々あると思います。諸外国においては、定常的に国民投票を実施している国もあり、また、我が国と同様に憲法改正に関して国民投票制度を設け、これを実施してきた国もあります。こうした諸外国の先例をしっかりと学び、現実的な制度を組み立てていく必要性が高いことを強く指摘しておきたいと思います。

 最後に、どのような議論が進み、どのような国民投票制度を設けるにしても、国民の皆さんに対する十分な周知、広報が必要であります。

 現在、残念ながら、かなり多くの国民の皆さんが、憲法改正に国民投票が必要であること自体を御存じありません。このまま国会内での議論だけが先行した場合、本来の憲法制定権力である国民の皆さんが、当事者としての意識を十分に醸成しないまま取り残されていく心配があります。最悪の場合、国民投票が実施されても、投票率が異常に低くなって、その正当性に大いなる疑問を生じさせる結果となりかねません。

 この国民投票法制に関する国会における議論自体が、多くの国民の皆さんに憲法改正手続に関する理解を深め、当事者としての意識を醸成していただくための絶好の機会であります。これからの本特別委員会における議論が、こうした視点をしっかりと踏まえ、国民に開かれた形で進んでいくことを期待して、意見表明といたします。

 ありがとうございました。(拍手)

中山委員長 次に、赤松正雄君。

赤松(正)委員 公明党の赤松正雄でございます。

 五年間の憲法調査会でのさまざまな調査を踏まえまして、このたびの特別国会において憲法改正のための手続法たる国民投票法を審議するこの特別委員会が設けられたことは、時宜にかなったことであると思います。

 さきの憲法調査会における調査は、あらかじめ憲法改正を意図するものではなく、現行憲法の実施状況を広範かつ総合的に調査するというものでありました。しかし、実際には、最終報告書にありますように、幾つかの項目において憲法を変えた方が望ましいという意見が多数を占めたことは、また疑い得ない事実であると言えると思います。ただ、そうはいいましても、もともとのねらいが改正を目的にしておらず、調査研究の域を出ていないわけでありますから、何をどう変えるかあるいは変えないかについて、改めて議論をする場を設ける必要があるわけであります。

 私は、さきの五年間の調査会を第一段階とするならば、第二段階としては、具体的にどう憲法改正を進めるのかの議論を集約する場をつくるべきだと考えてまいりました。つまり、仮に将来において憲法改正の発議をする場としての常任委員会的なるものが設けられなければならないのならば、それは第三段階に位置すると考えるわけであります。すなわち、具体的に憲法改正の作業が完成するには三つの段階を経なければならないというものであります。そして、第二段階におきましては、現行憲法が制定以来用意してこなかった、改正のための手続としての国会法改正やらあるいは改正手続法としての国民投票法についての具体的な取り決めがなされなければならないというわけであります。

 以上のような意味で、今、私たちは第二段階に入っており、その冒頭の作業として、今申し上げましたように、これまで放置され続けてきた手続法を整えようとしている、こんなふうに言えると思います。

 こう申し上げますと、ちょっと認識が違うとの御意見が出てくるかもしれません。特別委員会という場はあくまでも手続法をつくるためのものであって、これが終わると直ちに憲法改正の発議権を持った常任委員会を設置すべきだという考えなどがそれに当たります。しかし、それはいささか早とちりというものではないかと思います。

 さきの憲法調査会の目的は、さきにも申し上げましたように、あくまで広範囲に調査をするためのものだったわけですから、くどいようですけれども、改めてここで、どこをどう変えるかあるいは変えないかの議論をする場が必要になってまいります。ただ、その場はこの特別委員会でなくてもいいかもしれません。憲法改正のための調査会といったように、改正を射程におさめた第二局面のものであればいいのではないかと思います。

 ところで、この国会においては、きょうからそうした手続をめぐっての法案をつくり出すための広範な調査研究がなされるわけでありますけれども、じっくりと落ちついた作業を行い、可能な限り各党間の合意を得た上でのものが生み出されることが望まれます。

 これまで憲法九十六条の規定を実際に移すための手続法がつくられてこなかったことにつきまして、国会の怠慢だとかあるいは立法府の不作為であるとのような批判が長くなされてきたことは周知のとおりであります。そうした見方については、現在の時点からすれば、なぜ憲法制定時に用意されなかったのか、あるいは何ゆえにその後につくられなかったのか、よほど立法府が怠慢ではなかったのかなどとの疑問がつきまとうわけでありますけれども、それは、常に現在から過去の歴史を見る際に陥りがちな誤りというべきものの一つにすぎないと思います。

 戦後の日本が憲法をみずからの手でつくり、そしてみずからの手で変えるという仕組みの可能性について、それなりに落ちついた環境の中で議論をするには、少なくとも六十年の歳月が必要であったということに尽きるのではないかと思います。

 我が党にありましても、どこをどう変えるかあるいは変えないかについての方向性が定まってからでも、改正の手続法をつくるのは待っても遅くはないとの意見がありました。つまり、第二段階において、私が先ほど申し上げました第二段階において憲法改正の具体的方向性を詰めた上で手続法はつくればいいのではないかという主張であります。これには、手続法ができると一気に改正の機運が高まり、今までとは逆の意味で落ちつきがなくなるとの危惧があるやにうかがえるわけであります。しかし、それもまたいささか早とちりと言うべきかもしれません。ルールができたからといって試合の結果が決まるというわけではないのと同様に、手続と実際に事が進む経緯とは当然ながら全く別のものだからであります。

 ところで、これまで議員連盟や与党の間であるいはまた野党の中で、手続法をめぐっての議論を続け、それなりの結論めいたものがまとまるに至っております。私もそうした作業の一環に携わらせていただいたわけでありますけれども、細かい点は後に譲るといたしまして、私として気になる最大の課題は、国民投票にかけるに当たっての発問単位のことであります。

 先ほどもお二人の委員からございましたけれども、一括方式にするのか、それとも個別にするのかという点であります。仮に、現行憲法を例にとって言えば、補則も含め百三条すべてについて一括で賛否を聞かれても、部分的にいい悪いがあって、まとめて聞かれても困るということが多いと思われます。だからといって、個別に聞くとなると、今度は、膨大な量を前に一つ一つの是非を明記するという作業はとてつもなく大変なものになると言え、通常の衆参両院の選挙を初めとする投票行為を想定した場合、こういったことになじむのかどうか極めて疑問だと言わざるを得ません。このあたりをどうすればいいのか、これから調査研究をしていく上での最大の問題点であるというような気がいたします。

 国民、有権者全体に対して最初から全面改正を問いかけるというのは不可能に近いのではないかという気がいたします。先ほども申し上げましたように、現在の衆参両院を初めとする投票風景を思い浮かべるにつけ、膨大な投票用紙に掲げられた文案を一つ一つ見ながら、それに例えば丸やペケをつけていくなどという行為は至難のわざであります。憲法に関心がある人にとってさえもたやすいわけではなく、まして、例えば高齢の方々などにおいて、想像を絶したものになるのではないかと言えると思います。仮にそうした方式を選択すれば、投票率は極めて低くならざるを得ないということが十分に予測をされます。

 したがって、どうしても国民に直接問いかけるという場合、数点に絞り込んでの重点方式にならざるを得ないといった気がいたします。しかし、全面的な改正をするということが仮に決定した上で絞り込むといっても、どうそれを行うかは、またそれはそれでさまざまな問題を引き起こしかねません。その点、例えば私たちが主張をしているように、当初から今の憲法に加憲をしていくということなら、おのずから限定的になるわけで、比較的容易に事は運ぶということが目に見えてまいります。

 手続についての問題を論じる場面でありながらつい中身に入ってしまい、我が田に水を引いてしまいましたけれども、事ほどさように、密接不可分に関係しているということでお許しを願いたいと存じます。

 また、国会が発議した憲法改正案については、当然ながら、国民に徹底して知らされることが望まれます。とりわけ、改正されたらどうなるのかと同時に、改正されなかったらどうなるのかについての詳細な解説が、事前にすべての国民のもとにそうした説明が配布されることなども大事になってくるのではないかと思われます。改正されない場合、現行の明文の規定に戻るのが筋だろうとは思いますけれども、現行憲法の規定自体に解釈をめぐってさまざまな異なる立場があるケースなど、なかなか一筋縄ではいかない事態が起きてくる可能性があります。そうした点も含めて、国民投票のルールづくりとともに、あらゆる観点から起こり得る事態を想定しての説明書的なるものも必要になってくるのではないかと思われます。

 以上の点が、憲法改正を進めていくための手続としての国民投票法案を考える上での、私が考えます極めて重要なポイントだと思います。

 それ以外のものにつきましては、そう深刻な問題はないのではないかと思います。

 選択の余地が余りないように思われるものは、一つは、国民投票の実施を単独で行うか、あるいはほかの国政選挙と同時にするかといった点があります。これは、事の重大性にかんがみて単独が望ましいと思われます。

 もう一つは、投票の成立要件であります。これも、素直に改正賛成票が有効投票の過半数を制したら改正が成立すると見るべきではないかと思います。投票率が例えば五〇%に達しないというときは無効にすべきじゃないかといったふうな主張がありますけれども、これは余計なハードルをつくるものだというふうな思いがいたします。

 一方、選択の余地があると思われるものとしましては、一つは、国会発議から投票までの期間についてであります。これは、例えば六十日以上、百二十日以内とするとか、あるいはまた三十日以上、九十日以内とするかなどといった選択であります。

 いま一つは、投票権者の年齢についてであります。これも、例えば現行の選挙と同様に二十歳以上とするか、それとも例えば十八歳以上にするべきかなどといった選択があります。

 また、先ほどもお話に出ておりましたけれども、見逃せない大事な課題としては、賛否両陣営のキャンペーン活動や、あるいは情報媒体を使っての宣伝活動についてであります。これは、原則、基本的に自由とすべきことは言うまでもないと思います。脅迫だとか買収による投票強制やら、あるいは事実に基づかない虚偽の主張や、公序良俗に反するものは認められないということはまた当然であります。ただ、新しい時代状況に応じて、新手のPRなどが登場する、そういう手法が登場する可能性があるだけに、慎重かつ念入りな検討を要する分野であることもまた言うまでもないと思います。

 冒頭に述べましたように、私は、三段階を経て憲法改正の議論は進められていくということが望ましいと考えておりますけれども、この手続法についての結論が得られた時点で、引き続きこの特別委員会の場か、あるいはまた装いを新たにした、例えば憲法改正のための調査会といったふうなものの場において、どこをどう変えるかあるいは変えないのかの個別的、逐条的議論が行われるべきではないかと思います。いわば、憲法草案の形をめぐって本格的に詰めていく議論であります。常任委員会をつくって早く結論を得るべしという動きもあるやに感ぜられますけれども、そうではなくて、まずは草案の合意が得られるまでの作業が必要であるとの考えであります。

 改めて申し上げますけれども、公明党は、現行憲法については、すぐれた中身を持っているものだけに、変える必要がある条目というのはそう多くないとの認識に立っております。ごくわずかのものについて新たにつけ加える必要があり、それを加える、つまり加憲をしていけばいいとの立場であります。

 ともあれ、タブーを設けない議論を活発に展開してきたこの五年の歴史を持つ憲法調査会の伝統の上に立って、この特別委員会が新たな第二段階のとば口として、まず最初に憲法改正の国民投票手続法のルールづくりに向けての本格的な議論を開始することになりました。そのことを十分に評価したいと改めて申し上げまして、私の発言とさせていただきます。

 ありがとうございました。(拍手)

中山委員長 次に、笠井亮君。

笠井委員 日本共産党の笠井亮です。

 初めに、本特別委員会が日本国憲法改正国民投票に係る議案の審査をその目的の一つとして設置されたことについて、一言しておきたいと思います。

 今日、自民党が、自衛軍の保持、集団的自衛権の行使、海外での武力行使などを可能とする憲法九条の全面的な書きかえを中心とした独自の改憲案の策定を進め、民主党も九条改憲の方向を進めようとしています。そのもとでの本特別委員会の設置は、まさに憲法九条の改定に向けた条件づくりが目的であることは明白であり、我が党はその設置に反対をいたしました。しかし、設置されたからには、九条改憲を許さずに、憲法の平和的、民主的な諸原則を日本の政治、経済、社会の各分野に生かす上で、本特別委員会の設置に参加していくという立場であります。

 さて、日本国憲法改正国民投票制度に関してですが、先ほど来の意見表明を伺いながら、そうした制度の整備を急ぐことに道理はないという確信をますます私は深めました。三点にわたって私の意見を述べたいと思います。

 まず第一は、憲法改定の国民投票制度に係る議案の審査等を本委員会の設置目的の一つとした根拠を、憲法調査会でその未整備を指摘する意見が多くあったからとする主張についてであります。

 かつて私が参議院にいたころに、衆議院でも大きな議論になって設置された憲法調査会は、日本国憲法について広範かつ総合的に調査することを目的としたもので、国民投票制度を審査する機関を設けることを結論づける場ではありませんでした。また、そうした結論も出しておりません。五年に及ぶ調査の後、最終報告書を議長に提出してその任務を終了しており、報告書のいわゆる多数意見だったということは、特別委員会を設置して制度を整備するなどという根拠にはなり得ないと思います。

 第二に、憲法改定の国民投票制度が約六十年にわたって整備されていないことを立法不作為であることとする議論はどうか。

 このことについて、憲法調査会で高見勝利参考人が次のように意見を述べられたことに私、注目いたしました。意見表明の陳述の中で、「未整備の状態にあるということはそのとおりでございます。ただ、それが不作為という状態にあるから、だから整備しなければというか、立法をつくらなければ違憲状態、違法状態が解消されないということになるかというと、そこのところは理論的にはちょっと問題というか、議論のあるところじゃないかというふうに考えております。」こう述べられました。

 その発言の中でも言われたように、もともと、立法の不作為というのは、国家賠償請求訴訟で国民が権利主張するために、例えば憲法に基づく根拠法が不整備で権利侵害があるときに問題にされることであります。

 憲法九十六条については、現に主権者国民に憲法改定の具体的な内容についての合意があるのに、国民投票法がなくて、国民の憲法改正権が侵害されているというわけではありませんから、いわゆる立法の不作為には当たらないというのが憲法学者のほぼ一致した見解となっております。

 第三に、憲法改正の国民投票制度が未整備であることは、国民主権を制限するものだという意見ですけれども、国民が主権者であるというのは、選挙や憲法改正という憲法上制度化された権利を行使するそのときだけに限られるものではありません。

 日々、新聞やテレビなどから情報を得て、あるいは雑誌などから情報を得て政治の状況を見て考え、不当なことが行われないように監視をして、またあるときには、請願権、表現の自由あるいは集会の自由、結社の自由などを行使して、権力機関による政治をコントロールしていくこと、きょうも多くの方々が本委員会に傍聴に来られておりますけれども、このような場面でも国民はれっきとして主権者であると考えます。

 したがって、国民投票制度が未整備であることをもって国民主権が制限されているというふうな主張については、国民主権の内容をいわば矮小化するものと言わざるを得ません。しかも、九条改憲を目的とした憲法改正を国民の多数が望んでいるわけではありませんから、国民の主権を制限するものという意見は当たらないというふうに思います。

 歴史的に見ても、かつて一九五三年に、当時の自治庁が日本国憲法改正国民投票法案を準備したことがありました。改憲を政治日程にのせようという動きの中でつくられたものでした。しかし、国民が改憲を拒否するもとで、国民投票法案も提出することすらできなかったのであります。その後も、改憲問題が幾度も出てきましたけれども、国民の批判や反対で国民投票法案の提出まで至りませんでした。このことは、国会の怠慢などというのではなくて、国民がその制定の必要性を認めなかったということにほかなりません。

 こうした経過は、国民投票法案が改憲そのものと密接不可分であることを示しております。今の動きも、九条改憲の動きと一体のものであります。改憲するかどうかにかかわりなく、ともかく国民投票法を制定するなどというのは、私は無意味な議論というふうに率直に申し上げなければならないと思います。

 次に、実際の焦点となっている憲法九条をめぐる問題について述べたいと思います。

 戦後の日本政治では、憲法九条をめぐって激しいせめぎ合いが続いてきました。一九五〇年代に占領が終結したもとで、日本国憲法とその平和主義は最高法規としての力を発揮するはずでした。ところが、講和条約とともに結ばれた日米安保条約によって、憲法の平和主義とは別建ての一連の法体系と実態が生まれました。日本全土に広がる米軍基地、駐留米軍への特権とその拡大、再軍備と自衛隊の創設と増強、さらには新ガイドラインとそれに基づく周辺事態法、有事法制など、米軍支援、日米共同作戦態勢の強化、自衛隊の海外派兵など、憲法九条に反する日米安保優先の現実がつくり出されてきました。憲法の平和主義と現実との乖離の中心点はまさにここにあると考えております。

 今、自民党は、憲法九条、中でも戦力不保持と交戦権否認を規定した二項を改変して、自衛軍の保持を明記する改憲によって、この乖離を突破しようとしています。しかし、この方向で改憲されれば、自衛隊の現状を憲法で追認するだけにとどまりません。歴代自民党政府は、ともかくも、戦力不保持と交戦権否認という規定が歯どめになって、海外での武力行使はできないという建前までは崩せませんでした。九条二項を改変し自衛軍を明記することは、この歯どめを取り払い、日本を海外で戦争する国に変質させることです。それは、戦争放棄を規定した九条一項を含めた九条全体を放棄することになります。

 こうした動きの根本には、アメリカの先制攻撃の戦争に日本を参加させようという日米同盟の変質があると言わなければなりません。日本政府が無法なイラク戦争を支持し、世界の流れに逆らって自衛隊派兵を続けていること、世界的な米軍再編の動きの中で米軍と自衛隊の一体化が推進され、基地の共同使用の拡大が図られていること、沖縄を初めとした日本全土の基地が地球規模の出撃、補給拠点として一層強化されようとしていること、そして、自衛隊の本来任務に国際活動を位置づけ、本格的な海外派兵隊にしようとする自衛隊法改悪のたくらみなど、枚挙にいとまがありません。九条改憲の目的が、アメリカの戦争に無条件に協力する仕組みをつくり、日本を海外で戦争する国につくり変えるものであることは明らかであります。

 戦後六十年のことし、アジアや世界から、この憲法九条に対して、とりわけ熱い思いが寄せられております。私自身、母親の広島での原爆体験を胸にしながら、これまで世界四十の国々を訪ねて、平和と核兵器廃絶を訴えて、各国首脳とも野党外交の中で話し合ってきた経験からも、このことを痛感しております。

 今、世界はイラク戦争の深刻な体験を経て、改めて、国連憲章に盛り込まれた平和のルール、その内容は、国際紛争を平和的手段によって解決すること、個別国家の武力による威嚇、武力の行使を禁止すること、これを守らせることを切実に求めています。地球五大陸の至るところで、戦争のない世界、平和な世界を一日も早く実現しようと真剣な努力が行われているときであります。それだけに、海外からの日本への期待は、単にアジアの一国ということにとどまらない、特別の意味があると、各国の政府関係者からも口々に言われます。

 共通しているのは、こういう言葉です。あなた方日本には、平和の憲法九条がある、広島、長崎の体験がある。そして、勤勉で技術力が高く経済大国だった日本が、アジアの一員として世界と力を合わせたらすごいことができる。もっと二十一世紀が速いテンポで前進して、戦争のない世界に向かって近づいていくことができるじゃないか。同時に、この言葉に込められているのは、こうした世界の流れと期待に逆行して憲法九条を投げ捨てようとする動きに対するいら立ちと批判であります。

 言うまでもなく、憲法九条は、日本の侵略戦争によるおびただしい内外の犠牲とともに、広島、長崎の惨禍の上につくられ、日本が二度と戦争をする国にはならないと誓った国際的な公約であります。そこには、戦争のない新しい世界を展望し、その先駆けになるという決意が込められております。

 私は、日本国憲法制定に向けた提案説明で、当時の幣原首相が次のように述べたことを会議録で印象深く読みました。原子爆弾といい、また、さらに将来、より以上の武器も発明されるかもしれない。今日は残念ながら各国を武力政策が横行しているけれども、ここ二十年、三十年将来には必ず列強は戦争の放棄をしみじみと考えるに違いないと思う。そのときは私は既に墓場の中にいるであろうが、私は墓場の陰から後ろを振り返って、列国がこの大道につき従ってくる姿を眺めて喜びとしたい。

 まさに憲法九条は、国連憲章に実った平和のルールを受け継いで、戦力の不保持と交戦権の否認という形でさらに一歩を進めたものであります。この理想と精神は、日本だけでなく、日本軍国主義の侵略を受けたアジア共有の財産と言えます。これを投げ捨てることは、アジアと世界に対する不戦の誓い、国際公約を破り捨てることであり、日本の国際的信頼のはかり知れない失墜とならざるを得ません。

 今日、憲法九条を守り、これを生かした世界への平和の貢献は、日本の恒久平和の進路を確保する上で重要であるだけでなく、国連憲章に基づく平和の国際秩序の確立と不可分に結びついた国際的意義を持っていることを重ねて強調いたしまして、私の発言を終わります。

 ありがとうございました。(拍手)

中山委員長 次に、辻元清美君。

辻元委員 社会民主党の辻元清美です。

 私は、五年前に憲法調査会が衆議院に設置されたとき、最初の委員の一人となり、中山委員長ともヨーロッパへの調査にも同行させていただきました。その後、社民党では土井たか子前議員を中心として議論してまいりましたけれども、当特別委員会が設置されるに当たり、再び私が担当させていただくことになりました。

 本日は、その委員会での初めての発言ですので、まず最初に日本国憲法についての私の見解と立場を明らかにさせていただき、次いで国民投票制度に対する意見を述べたいと考えております。

 まず、憲法とは何かということから確認をしたいと思います。

 これは調査会でも随分議論された点ですけれども、十八世紀後半のアメリカの独立革命、そしてフランス革命以来、憲法とは、国家権力の恣意的な発動を制限するため、国家は何ができるのかという限界を定め、さらに権力の行使の手続を定めるものだということが常識になっている点は多数の方が指摘されたとおりだと思います。このように、憲法とは国民から国家に突きつけられたルールであるという根本原則を常に踏まえながら本委員会も運営されることを強くまず申し上げておきたいと思っております。

 その認識に立ちまして、私の立場は、今早急に憲法を変える必要はないという立場です。したがって、国民投票制度制定を急ぐという必要性も感じておりません。

 その理由について、もう一度、今までの調査会での議論を振り返りながら、何点か焦点になった点についてまず私の意見を述べさせていただき、その後、国民投票制度についての意見を述べたいと思います。

 一つ目は、環境権や知る権利やプライバシーなど、時代が変わったことで新しく出てきた概念について憲法に入れた方がよいという議論についてです。

 私は、これらの権利を認めることは大切だと思っております。しかし、国会議員として私たちが今すぐしなければならないことは、まず、今の法律や施策を点検し、これらの権利を実現するに当たってふぐあいがあるのならそれを改め、それによってこれらの権利を実行していくということだ、私は今もこの意見を変えておりません。

 例えば、環境問題で温暖化が深刻になっております。私は、京都議定書作成のときは自社さ政権の与党におりました。京都に行って随分多くの議員たちとも、各国の人たちと議論をしました。そのとき日本は、九〇年を基準に六%削減する、温室効果ガスを六%削減すると公約しました。しかし、昨年を見てみますと七・六%ふえているというありさまなんです。私たち社民党初め多くの人たちが環境税の導入についても強く主張してきましたけれども、政府・与党はなかなか踏み切ろうとしておりません。また、環境アセスメント法などの規制ももっと厳しくしなければならないと私は考えますが、なかなか実現しません。これらは憲法に環境権を入れるという以前に、今すぐ取り組める政策であるはずなんですね。

 もう一つ、情報公開法についても申し上げたいと思うのです。

 知る権利という議論も憲法調査会で出てきたと聞いております。一九九九年に情報公開法ができたとき、この議論も自社さ政権で行いました。私は担当者でした。そのときに、情報公開法に知る権利というこの権利を入れるべきだと私たちは最後まで主張いたしました。しかし、一貫として反対したのは残念ながら自民党の皆さんだったんです。この知る権利などを憲法の中に入れるべきだと今強く主張されている方の中にも、当時、いざ法律の中に知る権利を入れるということになれば、大きく反対されたという方もお見受けいたします。私は、情報公開法には知る権利という言葉を入れることは魂だと思っておりましたので、このときは涙をのんで、法律を成立させなきゃいけないということで削った苦い経験があります。

 さて、そういう中で、もしも私たちが新しい憲法に知る権利を入れることが非常に重要だと考えるのであるならば、この情報公開法に即座に、今、皆で改正をしようということに向けて大きく進むべきだと思うんですけれども、その情報公開法にいまだ知る権利という言葉は入っておりません。私は、これらのきちっと政策的になされなければならないことを後回しにして、憲法論議のときだけ新しい人権であったり、それから環境権ということを声高に叫ぶというのは、これは順序が違うというふうに強く申し上げたいと思います。この点は調査会でも指摘された点だと思いますけれども、改めて強調したいと思います。

 次に、憲法九条についても意見を述べさせていただき、変える必要がないという立場で国民投票制度についての意見をその後に申し述べたいと思います。

 今、残念ながら現在の世界では紛争はたくさん起こっております。しかし、そのような現実であるということを前提にしながらも、日本という国が国際紛争にどのようにかかわるのか、紛争を予防し、和解のプロセスをつくっていけるのか、平和構築に向けてどのようなアクションプログラムを持てるのか、その中で憲法九条を使っていけるのかどうか、その点をまずきっちり私たちはもう一度、こういう時代だからこそ検証すべきだと考えております。

 私は、かつてNGO活動で紛争地と言われる地域を訪問し、目の前で発砲されたという経験もあります。また、パレスチナとかイスラエルなどの紛争当事国同士の民間対話などのコーディネートなども行ってきました。そんな経験から、紛争地の人たちが一番望んでいることは何かを常に考え続けてきました。実は、紛争地の人たちが最も望んでいること、それは、だれか早く来てこの紛争を終わらせてほしいということだと思います。ですから、現在のように紛争が多発する時代だからこそ、紛争の調停や和解のプロセスづくり、そして紛争予防の役割というのがますます重要になってきています。

 そういう中で、日本は憲法で、「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」と宣言し、他国で戦争することを認めていません。私は、だからこそ、紛争の調停や解決や和解のプロセスづくりなどにおいては他国より日本が力を発揮できるのではないかと考えております。これは、単に憲法九条を宝の持ちぐされにするのではなく、憲法九条を武器にして紛争解決に乗り出すという積極的な立場です。私は、憲法九条を守ってさえいれば世界に平和が訪れるとは考えていません。そのような消極的な態度ではなく、憲法九条を持っているという日本の特徴を生かして平和構築に具体的にコミットしていくという非常に厳しい立場の選択として、今のような意見を申し上げたんです。

 なぜこういうことを先に申し上げるかといいますと、私は、やはり手続法という議論に絞って議論されるというときに必ず、憲法を変えるべきなのかどうかというところに立ち返って、私たち委員が毎回検証しながら手続法の議論を進めていくということは非常に重要だと思っております。これは切り離して手続法なんだ、いや、ここまでは憲法を変えるか変えないかの議論なんだというように、実務的には切り離せる問題と言われるかもしれませんけれども、常に私たちがそこに立ち返るということは非常に重要な点だと考えますので、一番最初に、憲法とは何かということ、そして、それぞれの立場を明らかにするという意味において発言をさせていただきました。

 特に、今の国際情勢を考えても、イラク戦争の行方など混沌としている中、そしてアジアとの関係が非常にぎくしゃくしている中で、憲法を変えようという方向性を持った議論を日本が進めていくということは、私たちのとるべき道としてどういう国際的な意味を持つかということも常に考えながらなされるべきだというように思っております。無邪気にと言うと変ですけれども、いや、これは改正の手続についての議論なんだから切り離して考えられるというのは、今の国際情勢の中での日本の立場を見たときに非常に甘い考えではないかと思いますので、あえてここを一番最初に、政治状況、そして国際情勢の中での議論であるということを指摘させていただきたいというふうに思っております。

 次に、こういう観点から、私は、憲法を今変える必要はないという立場ですが、国民投票法についての意見を申し上げたいと思います。

 先ほどから主役は国民であるということを申し上げてまいりましたけれども、憲法改正をするためには、政府や国会の側ではなく、国民の側から今の憲法は変えなければならないというかなり強い要望ががんがん出てきて初めて、政府や国会がその声に従って改正に踏み切るという性質のものであると考えております。私には、現在の流れというのは、これとは逆に、政府とか国会が何か国民に憲法改正を迫っているというか、そういう姿にも見受けられて仕方がないんです。

 さてそこで、立法不作為という意見が先ほどから出ております。そういう立場に立って見るならば、果たして立法不作為でしょうか。立法不作為とは、ある権利を行使させるために必要な法律を制定しないことが違法となるという解釈は、調査会でも指摘されたとおりです。その典型は、先月最高裁の大法廷判決で取り上げられた、海外に住む日本人が選挙権を行使できるようにしてこなかったという事例などです。ここでは、憲法で保障された選挙権を行使するための法律が制定されなかったことが立法の不作為として違憲とされました。

 これに対し、国民投票法についてはそのような事態は生じておりません。国民の側からも、また国会でも、憲法を改正すべきであるという具体的な声が今まで高まってこなかった。そして、国民投票法が制定されなかったことによって不利益をこうむったという人は実際なかなか見受けることができません。したがって、国民投票法が制定されてこなかったことを、すなわち立法の不作為であるというような議論をすることについては、多くの疑問が前調査会でも投げかけられたとおりで、私もそのとおりだと思います。これはおかしいと思います。そして、今申し上げたような立場で、すぐに制定しなければならないというように私は考えておりません。

 しかし、この委員会において国民投票法の内容を議論するに当たり、幾つかの点を、一番最初の委員会ですので、指摘させていただきたいと思います。

 まず、憲法改正は、主権者である国民が行う最も重要な政治的選択です。ですから、その意思が正確に反映されなければなりません。したがって、改正案についての賛否を一括して問うのではなく、それぞれの論点ごとに投票できるようにすべきであると考えます。これは多くの人たちが指摘しているとおりです。また、有権者については、義務教育を終了した年齢でもいいのではないかという意見も出ておりますが、考慮に値すると考えております。

 次に、憲法改正の適否は、あらゆる角度から自由な討議を経て決定されなければならないと思います。公職選挙法のような、選挙運動を原則的に禁止し、特定の行為だけを許すというやり方ではなく、国民投票法は憲法改正案の是非について自由濶達な議論を保障するというものでなければならないと考えます。また、国民が積極的にそれを望む場合にだけ行われるものであることを保障するために、投票方法や可決の要件についても慎重な考慮が必要になると考えます。例えば最高裁の国民審査に見られるような、バツをつけるという投票制度だけではだめだと思います。

 立法府が制定する法律とは異なり、憲法は国民が国家に対して命じるものであるから、この国民投票のやり方については、国民の意向が正確に反映される制度を制定されるべきであるということを最後に申し上げて、私の発言を終わります。

 以上です。(拍手)

中山委員長 滝実君。

滝委員 国民新党・日本・無所属の会の滝実でございます。

 きょうは、本来であれば亀井議員が正式メンバーでございますけれども、私からかわって意見を申し述べさせていただきますことをお許しいただきたいと存じます。

 まず、国民投票に関連する手続法の位置づけにつきまして最初に申し上げさせていただきたいと存じます。

 日本国憲法は、御案内のとおり、改正規定については世界でも類のない大変難しい仕組みを強要している。そしてまた、例の明治憲法も不磨の大典と言われたわけでございますけれども、改正規定は日本国憲法、現行憲法の方がはるかに難しい、そういう位置づけになるんだろうと思います。

 そういう中で、この国民投票制に関連する法案を仮に用意したところで、世界の各国あるいは明治憲法に比べてもその改正の難しさは少しも変わらない、そういうように私は理解をさせていただいております。そういう国民投票制に関連する手続法の制定をもって、日本国憲法が簡単に改正できるというようなことは必ずしも当たらないだろうというふうに実は考えております。したがって、この特別委員会におきまして手続法につきまして議論をされ、そしてそれがめでたく法案になるということは、その改正について、難しさというものをどれだけいわば緩和するかということについては、なかなか今の段階では一概に申しにくいところがあるんだろうと思います。

 ただ、今までの国会における憲法論議は、具体的な改正の手続なしの論議でございますから、何となく抽象的に終わる。そして、その論議は、具体的な法制度に結びつくかというと、なお隔靴掻痒の感がある。そういう憲法論議が国会で繰り返されてきた。しかし、この手続法の制定を見た暁には、国民の皆さん方に憲法について改めて具体的に国民の問題だということのアピールをすることができるようになるのではなかろうか。そういう意味では、国会だけでいわば論議していた憲法に関連する問題が、国会の独占じゃなくて、改めて主権者たる国民の皆さん方に具体的にアピールできる、そういうような時代に入ってくるんだろうというふうに考えております。

 そこで、私どもは、この国民投票制に関連する法案づくり、これが一日も早くでき上がる、そして、具体的に主権者たる国民の皆さん方が、自分の問題としてそれに対して一票を投ずることができるという決定権を具体的にお持ちになる、そういう角度から憲法問題を受けとめていただくということは、今の状況からすれば一番必要なことではないかというふうに考えているわけでございます。

 そこで、具体的な問題につきましては、先ほど来、自民党あるいは民主党の皆さん方からも御提案がございました。私は、その一つ一つについてまことにもっともだという感じを受けながら聞かせていただきました。そこで、何点かにわたって意見を申し述べさせていただきたいと思います。

 一つは、法案の骨子ということになるわけでございますけれども、当然のことながら、国民投票の期日、これは単純に言えば、やはり国会選挙と一緒にやるというのは、これはとても無理な話でございますし、当然、議論がとんでもないところへ行くし、それから国民の皆さん方も議論の論点を十分に理解していただく機会が少ない、そういうことを考えたら、国民投票は国民投票として別に、憲法でいえば特別に定めるべきだというふうに思っております。

 二番目の問題といたしましては、複数項目の扱い、論点が多岐にわたる場合の扱いでございますけれども、これは当然のことながら、一つ一つの論点ごとにマル・バツをつけるということがやはり原則だろうと思います。原則だろうと思いますけれども、この項目が多い、いわば全面改正に近いような場合には、一人の投票者が投票所でマル・バツを一つ一つ丁寧にやっていくというのは、なかなか現実問題として難しいんだろう。したがって、全面改正に近いような場合には、これは一括してやらざるを得ないんだろうと思うんです。

 そして、その判定の仕方は、国会が提案するときに、これは一括投票にかけるとか、あるいは、これは個別にマル・バツをつけてもらうとか、それは国会が国民に提示や提案する際にお決めになった方がいい。その基準は、あるいは国民投票法の基準として設ける必要があるかもしれませんけれども、そこまでいかなくても、これは国会でどういう格好で提案をするかはお決めになればいい問題だろうというふうに考えるのがいいんじゃないだろうかな、こういうふうに思っております。

 そして、三番目の問題でございますけれども、運動、国民投票に関連して賛否両方の運動があり得るわけでございますけれども、これはもう当然、原則規制なしということにしなければいけないというふうに思います。そして、保岡先生の方から、行き過ぎた場合の規制について二点ほどの御提案がございました。私は、その二点はいずれももっともでございますけれども、基本的に、しかしその規制に違反した場合の罰則とかなんかになってまいりますと、これは穏やかではないという問題がこの種の問題では出てくるんだろうと思います。

 そこで、賛否両論ある場合には、いずれにいたしましても、私は、国会の中でつくるのか、監視委員会みたいなものをつくって、そこでいわば警告をするとか注意を喚起するとか、その程度のことは必要じゃないのかな。どういう格好でやるかは議論をしていただく必要がございますけれども、いきなり罰則とか取り調べの対象になるとかそういうようなことは、これは好ましくないので、仮に、虚偽の報道が、あるいは虚偽の宣伝が行われる、事実に反したことが行われるとすれば、それは何らかの組織をつくって注意をするとか、そういうようなことはやりとりとしてあっていいんだろうという感じがいたします。これは選挙運動全般について言えることでございますけれども、少なくてもこの国民投票については、いきなり刑事罰の対象になるというようなものはやめた方がいい、そういうふうに感じております。

 以上が、法案に関連する骨子の主なものを申し上げました。

 そのほかに、枝野先生から御提案のございました、例えば原案作成については合同委員会を設置しておつくりいただくとか、あるいは保岡先生から御提案のように、できれば委員長提案でというようなことがございました。なかなか委員長提案までいくのは難しいだろうと思いますけれども、私は、むしろ起草委員会みたいなものをつくってやっていきませんと、これは単純に議員提案の法案だという格好で処理できるものではありませんから、具体的に国民投票法をおつくりになる場合には、この国会の中に合同委員会なり起草委員会なりを少なくとも事実上のにするのか、あるいは法的な格好でおやりになるのか別として、そういうものは当然なければ話が進まないだろうというふうに感じております。

 それから、もう一つ最後に申し上げたいのは、国民への広報ですね。これがやはり一番大切なことだろうと思います。その中には当然、中身の問題に、どうするんだという問題は必ずついて回る話であろうかと思うのでございますけれども、当然、国民投票制というものについての国民への理解を求めるということは、これは不可欠なことだろうと思います。

 ただし、抽象的に手続法で国民の理解を求めるといっても、なかなかこれはぴんとこない国民がほとんどだろうと思いますので、ここのところはむしろ具体的な海外の例をお出しいただいて、ヨーロッパの場合はこうだった、そういうような例示をもとにしてPRをしていただく。そういうようなこともあえて準備をしながら国民への広報ということを考えていきませんと、ただ単純に、憲法九条を離れて手続法でどうだといっても、これはなかなかしっくりいかないところがございますので、そこのところは、これからの当委員会における議論というものをどれだけ国民にアピールしていくかということではないだろうかな、こういうふうに思っております。

 以上、重複するところがたくさんございますので、皆さん方の御意見を多少踏まえた上で、以上のことだけをこの際は申し上げさせていただきたいと存じます。

 ありがとうございました。(拍手)

中山委員長 これにて各会派一名ずつの発言は終わりました。

    ―――――――――――――

中山委員長 次に、委員各位からの発言に入ります。

 一回の御発言は、五分以内におまとめいただくこととし、委員長の指名に基づいて、所属会派及び氏名をあらかじめお述べいただいてからお願いいたします。

 御発言を希望される方は、お手元のネームプレートをお立てください。御発言が終わりましたら、戻していただくようお願いいたします。

 それでは、ただいまから御発言をお願いしたいと存じます。御発言を希望される方は、お手元のネームプレートをお立て願います。

吉田(六)委員 私は自由民主党の吉田六左エ門でございます。発言の機会をいただきまして、大変ありがとうございます。

 最初に、衆参両院に憲法調査会が設置された、あの時点に思いをいたします。

 私は、国会議員として、衆議院議員として働きたい、この思いを強くいたしましたのは、幾つかの問題に遭遇して、国会は法律をつくるところだ、あるいはまた時代に即応しなくなった法律の手入れをするところだ、であれば、そのときの問題でありました古い縦書きの漢字の、そして送り仮名が仮名の法律に出会ったときに、これらもいっときも早く今の国民の安全と豊かさと幸せのために手入れをしなければならない、そのためには、国会、そして先議権のある衆議院議員に籍を置こう、これが私が国政に向かったときの思いの多くであります。そして、憲法に特化するわけではありませんけれども、時代に即応しなくなった法律の手入れ、このことが、国民からは大変強い要望がある、このことも意識してであります。

 そして、憲法に係りましては、これを改正したい、改めたいという声が余りないという御発言もありましたけれども、拉致の問題を例に挙げますと、横田めぐみさんの問題が発覚するまでの間、拉致などは我が国には存在しないんだ、こういう立場で物を言われていたグループもあります。ですけれども、実際に現在は、総理がわざわざお出かけになられて解決をしなければならないほど大きな問題となっています。立場、立場によって国民の声の聞き方も違っているものだろうと考えます。

 私は、今の時代に即応した憲法をスムーズに、速やかに改定する方向に論を進める、これが、国民から負託を受けた、国会に籍を授かった者の使命であろうと考えています。

 国民投票につきましては、我々衆議院議員の選挙と一緒に行われます裁判官の認証などでもおわかりのとおり、ほとんど埋もれてしまいまして、そして、印をつけない者はそのまま認証、こういう結果であります。でありますから、これだけ重大な、憲法をどうするかということでありますので、独立した選挙を行うことが大切かな、そのように考えています。

 最後に、ここまでこの議論が進められたのは、委員長のそれこそ命を賭してというような強い熱い思いがそうさせたものと思い、委員長に心から敬意を表させていただきたい。

 以上でございます。ありがとうございました。

岩國委員 発言の機会をいただきまして、ありがとうございます。民主党の岩國哲人でございます。

 私は、外国にも長くおりましたので、外国の学校あるいは青年、社会のあり方等を見て、それをこの委員会でも発言させていただきたいと思っておりますけれども、時間の制限がありますので。

 年齢については、我が国はまだ十八歳は早過ぎる、いろいろな地ならしをしてから二十歳に持っていくべきだという意見を持っております。

 投票率は五〇%以上、理由はまた別の機会に申し上げます。

 国民投票はテーマ別にすべきであるという意見を私は持っております。

 国民運動のあり方については、選挙違反すれすれの、限りなく自由化をすべきではないかという意見を私は持っております。

 さて、最近行われました総選挙、これは、憲法改正やあるいは国民投票のあり方にもいろいろないい教訓を与えてくれた総選挙だったと思います。郵政民営化を掲げて、これは国民投票とまで言い切った選挙でありましたけれども、その結果は、四九%しか賛成を得られなかった。ある意味では国民投票に敗北したという総選挙でありました。

 もともとこの総選挙というのは、解散しなくてもいい理由で解散をし、そしてその結果として、解散しなくてはならない理由ができたのに、今度は解散ができない、総辞職もできないという意味で、この国のあり方について非常に多くの疑問を投げかけたのが今回の総選挙だったのではないか、私はそのように思います。

 先ほど保岡委員の方から、国民投票を含めて憲法改正の手続の整備を一刻も早く進めるべきだ、私は大賛成であります。私は、従来からもそういう意見でありましたし、その思いをさらに強くしておりますのは、特に、アジアの近隣諸国に対していつまでも不安の種を残してはならない。

 したがって、憲法改正をしっかりとやって、憲法改正には、右寄りの憲法改正もあれば左寄りの憲法改正もある。九条に加えることによって、公明党の委員はなぜか三人とも御退席でありますけれども、憲法に条項を加えるという形によって、自衛隊を憲法の中にしっかりと書き込んで、自衛隊を憲法というおりの中に入れ、そして憲法という鎖をつけて、自衛隊は外には出さない、自衛隊は言葉のとおり自分の国を守るために存在するんだということを中学校の社会科の先生が黒板にはっきりと書いて、そういう教育を受けた人が将来の日本を形成する、それが本当の意味の平和な国を守ることであり、つくることである。そのためには、憲法にしっかりと自衛隊を書き込む。

 現在、日本には、憲法に書かれていない、しかしそういう戦闘能力を持った組織が二つあります。一つは山口組で、一つは自衛隊であります。山口組も憲法に書かれていない、自衛隊もまた憲法に書かれていない。

 自衛隊は山口組とは違うんだという、そのことをはっきりさせるためには、自衛隊は憲法の中に書かれている組織だ、そして自分の国を守るんだと。そのことを小さな子供にもわかりやすく、一般の国民にもわかりやすくするためには、私は憲法改正を一刻も急いで、そして、憲法というおりの中に自衛隊を入れ、憲法という鎖を自民党に、自衛隊にくっつけることによって、自民党にはもう既にしっかりとついておりますけれども、自衛隊に憲法という鎖をしっかりとつけることによって、これは平和を守る組織であり、平和を守るための武力組織であるということを国の内外にしっかりと宣言する、そういうもう一つの選択肢があるということを、憲法改正という手続を通じて、私は、国民にも、そして国の外にも知らせるべきではないか、そのように思います。

 以上です。

伊藤(公)委員 自由民主党の伊藤公介です。ありがとうございます。

 私は、日本国憲法改正のための手続法を一日も早く成立すべきだという立場から発言をさせていただきたいと思います。

 かいつまんで二点申し上げたいと思いますが、まず、投票権者の範囲であります。

 今、岩國先生も少しお触れになられようとしたところだと思いますが、国民投票の投票人の名簿をいわゆる国政選挙の選挙人名簿と一緒にするのか、あるいは別にするのかという議論があるわけですけれども、私はやはり、現実的には国政選挙と同じ名簿を利用するということがいいのではないかというふうに思います。

 ただ、問題は、世界の国々を見たときに、投票権は、圧倒的に十八歳以上の人たちが投票権を得ています。主要な国、もう言うまでもなく、アメリカ、イタリア、イギリス、カナダ、スイス、ドイツ、フランス、いずれも十八歳。それだけではなくて、ほとんどのところが十八歳。むしろ十八歳でない、二十以上としているのは本当にまれです。台湾とカメルーンと韓国と日本、それだけと申し上げてもいいくらいです。十六歳、十七歳という国もありますけれども。

 私は、この機会に、もちろん憲法の投票権だけでというわけにはいかないかもしれませんが、少年法であるとかあるいは民法の成年制度であるとかいうことを総合的に、特にこの憲法に関しては、これから若い世代の人たちが何十年間も日本の主役になっていくわけですから、そういう憲法の全体を見直そうというときでありますから、私は、この機会にもう一つ若い世代の人たちが参加できる道を開くべきだというふうに思います。

 もう一点は、国民投票の方式であります。

 これは公述人もいろいろな立場から意見を述べられたようでありますけれども、これは確かに、同時にいろいろな違ったテーマを一括してということの難しさがあることも若干私は理解ができますけれども、憲法全体を見直すという今度のようなケースでは、国会が少なくとも三分の二の賛成を得なければできないわけですから、非常にそのハードルは高いわけですね。そういう意味で、国会が三分の二の賛成を得たという前提でこうした大きな全体的な見直しをするというときには、一括方式で賛否を問う以外にないのではないかというふうに私は思います。

 ただし、そうではない、部分的に、言ってみれば国民投票、住民投票的なそういう手直しをするという場合には、国会でその個別の問題で国民投票をするというケースも将来的にあっていいと私は思いますけれども、少なくとも、今回のこの全面憲法改正という我々の立場からすれば、一括で国民の賛否を問うという方法がいいのではないかというふうに思います。

 以上です。

平岡委員 民主党の平岡秀夫でございます。発言の機会をいただきましてありがとうございます。

 時間が限られているので、二点に絞って発言をさせていただきたいと思います。

 まず、憲法第九条の改正問題でございますけれども、この点については、現在、私は、現憲法下において我々の努力が行われていない部分があるのではないかというふうに思っています。

 憲法についてはいろいろな考え方があろうかと思いますけれども、いろいろな理想を掲げている部分もあれば、そうでない部分もあろうかと思いますけれども、やはり、理想と現実が違っているときに、それを現実に引き戻していくことが憲法の改正であるというふうには私は考えていません。むしろ、理想は理想として高く掲げ、それに近づけていくための努力ということをしていくことがやはり大切であるというふうに思っています。

 そういう点からいえば、この憲法九条の問題について言えば、現在、憲法九条のもとで、一体どこまでが日本の国を守るためにできることなのか、あるいは世界の平和のために貢献することができるのか、こうしたことが必ずしも明確でない。明確でなければ何をするのか。すぐに憲法改正ということではなくて、私は、安全保障基本法といったようなものをしっかりつくって、国民的合意の中で日本の国の防衛のあり方、こうしたことを考えていくのがまず我々立法府にある者としての努力の方向ではないかということを考えています。

 そういう意味で、この日本国憲法に関する調査特別委員会というものがそういう役割を果たすところではないのかもしれませんけれども、そうした点についてもしっかりと、どの部分について、憲法と今、現実との乖離があるのか、あるいは今の憲法の考えていることに近づけていくためにはどうあるべきなのかということをこの場でもしっかりと議論をしていっていただきたい、このように思っております。

 それから次に、第二点は国民投票法案についてでありますけれども、憲法が改正規定を持っている以上は、この改正規定に対応した具体的な手続法があること、このことは私も否定するものではありませんけれども、例えば、今回の報告書の中にありますように、国民投票の方法であるとか、あるいは投票用紙への憲法改正案の記載といったような事項について言えば、むしろこういうことを定めることによってしっぽが本体の考え方を左右してしまうというような問題が逆にあるのではないかというふうに思います。むしろ、改正が必要というのであれば、その改正の中身をしっかりと議論し、その改正の内容に応じた国民投票のあり方ということを考えていくべきである、このように思っています。

 そういう意味では、国民投票法の手続の中でも普遍的な部分については今議論することもいいのかもしれませんけれども、改正の内容に応じた国民投票をしていく部分においては、改正の中身が決まってからしっかりと議論するということが本来あるべき姿ではないか、そのことが、しっぽが本体を振るということでなくて、本体のあり方に従って手続が定められるということであるべきだというふうに考えています。

 以上、二点申し上げまして、私の意見とさせていただきます。

早川委員 自民党の早川忠孝でございます。

 まず、本特別委員会の審議に当たって、憲法調査会における審議結果を尊重していただきたい。さらに、本委員会の、これは実質的に憲法調査会の審議を継承するものとして位置づけていただき、委員の差しかえ等はなるべく御遠慮をいただきたいというふうに思っております。

 それから、憲法改正手続法の検討に当たっては、ゼロベースからの議論が重要であるという保岡委員に賛成をいたします。政党の枠組みを超えた憲法改正手続法の検討の場として、本委員会をぜひ活用願いたい。草案の策定においては、特に党派を超えた実務家レベルでの協議をしていただきたいというふうに思っております。

 個別のテーマでありますけれども、国政選挙と憲法改正のための国民投票とは、本来別物であるとの共通認識を持って議論を進めていただきたいということであります。

 さらに、国民投票制度でありますけれども、あくまでも憲法の改正の提案に対して国民の承認を求めるための手続である。国会が国権の最高機関として位置づけられているところ、衆議院、参議院の両院において三分の二以上の多数によって可決された憲法改正案について国民の投票にゆだねるということでありますので、そういう意味では信任投票的な、要するに最高裁判所裁判官の国民審査と同様の性質を有している、いわば国民に国会の審議結果に対しての拒否権を付与したようなものだというふうに考えることができると思います。そういう意味では、この投票結果については、無効票は除外して、有効票のみでその過半数を決するのが相当ではないかというふうに考えております。それから、この投票の成立要件ですけれども、私は、一定の投票率というのを課することも検討しておかなければならないのではないだろうかと思っております。

 それから、憲法改正に係る国民投票運動に関する制限でありますけれども、これは必要最小限で、かつ、制限につき合理的理由がある場合でなければならないという原則をぜひ確認いただきたいと思っております。その意味では、滝委員から御提言がありましたけれども、国民投票運動監視委員会等を設置して、罰則による是正ではなく、差しとめあるいは勧告等の方法を導入することが有効ではないだろうかというふうに思っております。

 それから、憲法改正の発議でありますけれども、憲法改正案の承認である以上、私は、原則として一体的なものとして行うのが原則であるというふうに考えております。全体的な整合性の確保といったことを考えれば、手続でもそうならざるを得ないのではないだろうかと思います。

 ただし、国会が発議をするわけでありますから、国会の発議の状況の中で、例えば条件つきで順位をつける。例えば、全文にわたる改正案、あるいはその第一案が否決された場合に第二順位として、前文あるいは多数の条章にわたる改正案、第三順位として、A案、B案がともに否決された場合には、前文あるいは特定の条項のみの改正案、こういったような選択の順序をあらかじめ明示した上、複数案を併記して行われることも、弊害が比較的少ないので、これは立法府である国会の方の発議の状況の中で決めていけばよろしいのではないかというふうに思っております。

 いずれにしましても、国民の論議の場を提供しながら、国民の議論をしっかりと国会の審議の中で反映していくことが極めて重要であるというふうに考えております。

 以上であります。

    〔委員長退席、保岡委員長代理着席〕

葉梨委員 自民党の葉梨康弘でございます。

 先般、二月十七日の憲法調査会において、私は、本気で政権を担おうとする党はしっかり憲法についての考え方を明らかにすべきであるという旨意見を表明し、また、二十四日の意見表明では、安定的な政権交代を実現するためにも、憲法のあいまいさを脱却する意味での改正が必要であるという旨発言をいたしました。

 ただ、今回、国民投票の問題について議論するときに、改正の問題とは別に、技術的な問題として国民投票を切り離して議論することは十分に可能であるという考えを持っております。

 そこで、以下三点申し上げたいと思います。

 第一は、憲法の改正、国民投票の手続を定めておかないことが立法不作為に当たるか否かという議論でございます。

 先般来、確かに、制度が整備されていないということで、国民が現実の被害を受けていないから立法不作為に当たらない、そういうような議論が参考人も含めて出されていたということが紹介されております。このような議論は、確かに、法律論としては十分にあり得る議論であろうというふうに思います。いわゆる訴えの利益がないから違憲判断をしない。ただし、この手の議論というのは、非常に個別的な違憲審査権、いわゆる個別的違憲審査権にちょっと拘泥しているんじゃないかなというような感じを持っております。

 我々は、法律家ではなくて、国会議員でございます。また、ここは立法府でございます。憲法調査会あるいは憲法調査特別委員会の議論においては、むしろ、抽象的な違憲審査権的な立場をとって、国民の主権を実現するためにはどういう方法がいいんだということをしっかりと議論していくことが、やはり我々国会議員の責任としては必要なんじゃないかということを申し上げたいと思います。

 第二は、その国民的な議論を深めるために、国民投票に参加できる者の範囲を確定しておくことが必要だということです。

 実は、現行憲法においては、公務員の選挙については成人による普通選挙ということで、成人という要件、これは法律によって決められるわけですけれども、さらに、普通選挙という方法、これについては定めてあるんですけれども、憲法改正の国民投票については一切、裸で、書かれていないということになります。

 私は、個人的には、いろいろな実務の関係上、成人という範囲を、二十歳じゃなくて、先ほど話もありましたが、十八歳ぐらいにして、そして普通投票の制度というのを法律で定めておくということが必要だと思いますが、これから国民的な議論を、憲法改正あるいは憲法の護憲の論議も含めて議論を深めていくためにも、どの範囲の人間で投票を行っていくんだということを確定するという作業はまことに重要だと思います。これは、なぜ護憲なのかということを国民に対して訴えていくためにも、やはり一つは非常に重要なことじゃないかなというふうに私は思っております。

 第三は、国民投票の運動の規制のあり方について、これは、やはり発議の際にあわせて制定するということではなくて、あらかじめしっかり議論しておくことが必要ということです。

 大体、おぼろげながらのイメージとしては、国民投票運動は基本的に自由で買収は禁止というのがその内容かとは思われますけれども、実は、私も四年間ほど県警本部の捜査二課長という立場におって買収の取り締まりというのをやっておりましたけれども、その買収の取り締まりの仕方においても、先ほども議論がありましたが、いろいろと千差万別の議論があります。

 特に、運動買収のとらえ方いかんによっては、有料の新聞広告であってもこれが買収に当たるという解釈も出てきてしまう。そういうことで、相当限定的に考えていくことが必要だと思います。このような技術的な問題については、憲法改正の発議とは別に、あらかじめやはり我々で慎重に議論を進めていくことが必要だと思います。

 もちろん、憲法改正の発議がどのような内容になるかによって、国民投票の手続も変わってくる部分もあろうかと思います。全面改正の場合、部分改正、さらに部分改正であっても、ある条項と別の条項を切り離して判断を仰ぐことができる場合、またそうでない場合もあります。

 ただ、しっかりと切り離せる部分があるということは今申し上げたとおりです。切り離せる部分については、我々が、国会議員の使命として、あらかじめそういう制度をしっかりと議論しておくことはぜひとも必要なことであるということを申し上げて、私の意見といたします。

 以上でございます。

高市委員 自民党の高市早苗でございます。

 具体的な論点に関しまして、幾つか申し上げたいと思います。

 一つは、憲法改正手続において国民投票を行う有権者の範囲ということですが、私は国政選挙の有権者と一致させるべきだと考えております。過去のこの衆議院憲法調査会の議論では、公民権の停止者ですとか、未成年者にも投票させるべきというような意見があったと承知いたしておりますけれども、これは、すべての法律に影響を及ぼす最高法規だからこそ、国民として十分に責任も、義務も負う主体によって判断されるべきだと考えます。

 成人とされる年齢を十八歳に引き下げる云々という議論は、これはまた別個でございます。それは一考の余地がありますが、あくまでも成人として社会的責任を負う主体であること、それから、公民権停止などによってほかの選挙で判断する機会すら与えられない、こういった主体は省くべきだと私は考えております。

 次に、投票の機会ということですが、将来的には九十六条の一項を改正すべきだと私は考えています。

 特別の国民投票または国会の定める選挙の際に行われる投票と現行憲法では規定されておりますけれども、総選挙などと同時では、政党のイメージや、ほかの争点の判断に左右される可能性もあり、十分な吟味ができませんので、特別の国民投票のみにする、これが妥当だと考えております。

 次に、投票方式でございますけれども、これは、私は、発議の折に、章ごともしくは条文ごとといった投票方法についても国会が決めるべきだと考えております。

 憲法全文一括というのは非現実的でございますし、また条文ごとに関連しているものも多うございますので、一条ずつ判断するというのも、これは場合によっては非現実的です。章ごとというくくり、これも一つの方法ではございます。それからまた、新憲法施行後に、一条のみの改正というのも将来的に出てくるかと思いますので、こういった可能性も考えますと、発議の折に、国会の側が、そのくくり、対象の範囲ということを定めた上で公示すべきだと考えております。

 それから、国民投票の過半数の意義でございますが、私は、有効投票総数の過半数であるべき、こう考えております。

 過去の議論では、棄権によって反対の意思を表明する、こういう国民もいるという発言をされた委員がいるようですが、私はこういう理屈は通用しないと考えております。真剣に改正案を読んで、そして判断に参加する国民の意思、これを大切にすべきであろうと思います。

 それから、国民投票行動の規制でございますけれども、私は個別法で規制すべきだと考えています。もちろん、罰則規定も必要だと思います。例えば、全く規制をかけずにやってしまいますと、長期間の騒音被害に国民が悩まされる、もしくは、非常に悪質な、組織的な運動による立法者、国民双方の被害というものも想定されると思います。これは中傷であるかもしれませんし。

 それから、私たち、総選挙のときの公職選挙法では、ファクスですとか、お手紙ですとか、メールをたくさんいただいたとしても、これに一定の選挙期間の間はこちらは文書を出せませんので、すべて回答する必要はないんですけれども、莫大な数のこういった問いかけに関して、その判断をする期間の間、どれだけ立法者が答えられるか、この辺も難しゅうございますので、一定の法律、規制をかけるべきだと考えております。

 それから、発議後の周知期間、広報ということですが、私は、周知期間というのは条文数に応じて変えていくのが現実的じゃないか。例えば、一条文、一条について二週間であれば、五条文だったら十週間ぐらいの周知期間というのは当然必要になるのかもしれないと思っております。

 それから、改正案の理念、改正する意義、つまり、なぜ変えるのか、何を変えるのか、変えるとどうなるのか。これは、衆参両院議長名で公示をした上で、全世帯に配布される選挙公報のような、広報物できちっと周知徹底をしていただく、こういったことを御提案申し上げます。

 以上です。

柴山委員 自由民主党の柴山昌彦でございます。

 時間がありませんので、個別の論点について触れたいと思います。

 まず、投票権者の範囲についてですけれども、私は、国民投票の投票権者の範囲と公職選挙の投票権者の範囲は区別して論じるべきだと思います。

 国民投票に参加する権利というのは、国民主権の究極的な発現形態であり、強く保障されるべきであると考えております。これと、公正な代表を選ぶためにさまざまな制約が課されている公職選挙の権利というものは、おのずから区別して論じられるべきではないかというように考えております。個人的には、年齢要件の違い、あるいは、公職選挙法違反で公民権が停止されている者にも国民投票に限っては認めるべきだという考えであります。

 事務のさまざまな問題ということが反対意見に述べられますが、こうした重要な権利についての制約につき、実務上の困難性を理由にするということは説得力を欠くと考えておりますし、仮に実務上の問題を考えた場合においても、国民投票と国政選挙を同時実施しない、別々の機会に実施するということであれば、その実務の困難性ということもさほどではない。また、今パソコンが十分発達しているわけですから、ソートという機能を使えばそれほど困難なく実務上も処理することができるのではないかというように考えております。

 二番目に、投票の形態でありますけれども、私も、多くの先生方が指摘されるように、個別に国民の信を問うということが望ましい、またそれが現実的であるというように考えておりますけれども、ただ、論理的に一体性をなすもの、政策的に不可分であるもの、例えば内閣に関する条項を一条一条分けて国民投票に付するということは、私は非現実的であるというように考えておりますので、そうした関連性のあるものに関しては、一括した投票を認めるべきだというように考えております。

 次の点でありますけれども、運動の自由について申し上げたいと思います。

 私は、先ほど申し上げたとおり、公職選挙の場合における、例えばインターネットの運動を一定期間禁止するというようなナンセンスな規制をするべきではない、基本的には自由であるという考えでありますけれども、先ほど来お話にあるような、組織的な大規模な買収、供応というようなものを自由にしてしまってはいけないというように考えております。ですから、おのずと、保岡理事が先ほど御指摘になったような、一定の報道規制、あるいは金で投票を買ってはいけないというような規制、これはやむを得ず付するべきではないかと思っております。

 ただ、そこも恣意的にならないために、やはり一定の機関による警告制度というものを前置するということで、罰則の適用については慎重であるべきだというように考えております。

 続きまして、国民投票の過半数の定義について最後に申し上げたいと思います。

 基本的に有効投票の過半数でよいのではないかという意見も説得力があるんですけれども、仮に、先ほど申し上げたように、逐条ごとにマル・バツで判断をするとした場合に、すべてに白票を投ずることと条文ごとに白票を投ずるということ、これを本当に区別できるのかなというような部分があります。やはり投票総数の過半数ということで、白票を投じた人は主体的にこの国民主権の行使の機会に参加したのだ、その人の中から過半数を選ぶのだということを考えても、私は十分理屈としては成り立ち得るのではないかなというような気がしております。

 以上でございます。

古川(元)委員 民主党の古川元久でございます。発言の機会をいただきまして、ありがとうございます。

 私からは、憲法改正の国民投票法の議論をするに当たりましては、憲法改正のみならず、広く一般的な国民投票制度そのもののあり方についても検討する必要があるのではないかということを申し上げたいと思います。

 先ほど岩國委員からもお話ございましたが、さきの総選挙は、ある種、郵政民営化の賛否を問う国民投票だと小泉総理は言われたわけでありますけれども、そのことによってかどうかわかりませんが、投票率が非常に上がったということを勘案しましても、国民が明示的に何らかの重要な課題について意思表示をしたいという気持ちは、多くの国民の皆さんが持っているということは推測できるのではないかと思います。

 そういう意味では、直接民主制を補完するものとして、一定の範囲内で、国民の重大な関心事や政策テーマについても国民投票が何らかの形でできるような、そういう仕組みというものを広く考えていく、そういうことが必要ではないかというふうに思っています。その中で、またこの憲法改正の国民投票のあり方というものも考えていくということの考え方があるのではないかなというふうに思っております。

 また、そうした国民投票というあり方を広く一般に考えてまいりますと、今回の選挙でもそうであったわけでありますけれども、広報のあり方。ともしますと、今回の選挙などは郵政民営化という言葉だけで、その具体的な中身については多くの国民の皆さん方の中でそれぞれ感覚といいますか認識がずれていたのではないかなという気がいたしますけれども、憲法改正のようなこれは極めて大事な話になりますと、やはり内容についてどれくらいしっかりと国民の皆さん方が理解、そして認識をした上で投票するかということが大変に大きな問題になってくると思います。

 そういう意味では、この憲法改正の国民投票の制度を論ずるに当たりましても、その広報のあり方、単に、先ほど来から憲法九条の話も出ていますけれども、九条改正がいいか悪いかというだけのそこのところになってしまうと、中身のところの議論に入っていかなくなってしまう。やはり先ほど岩國委員も言われたように、要は、改正するにしても、中身の問題で全く方向も違ってくるわけでありますから、そういう意味での、中身についてしっかりと国民の皆さん方が理解をできるような、そういう議論が健全に、憲法改正の発議が行われてから実際の投票までの間に、そういう議論そして認識が広まるような、そのための広報体制、そういうものがどうなのかということも、これからのこの国民投票制度のあり方を議論する中ではしっかり論じていかなければいけないのではないか。

 そしてまた、それが単に憲法改正だけでなく、もう少しほかの重要なテーマについても幅広く、ある一定の限界は当然設けるべきとは思いますけれども、一定の範囲内で、国民投票というものも直接民主制を補完するものとして取り入れていく、そういうことも考えていく。そういう幅広い議論をぜひこの憲法改正に関する国民投票制度のあり方を議論する中で議論していきたいということを申し上げて、私の意見とさせていただきます。

船田委員 自民党の船田元でございます。

 私どもは、これまで五年間、衆議院憲法調査会、さまざまな議論を行いまして、この四月にその報告書を衆議院議長に提出いたしました。これは、今後の憲法議論におきましても、その道しるべとなる大変意義ある文書だと私たちは自負をしております。結果として、発議要件は三分の二以上、そういうものにたえる多数意見という内容でございますので、ぜひこれを活用していただくように各員にお願いをしたいと思っております。

 現在、特別委員会が設置をされました。これは、憲法のこれからの議論における第一歩であると思います。近い将来、常任委員会ということになっていくのだと理解をしておりますけれども、まずは、国民投票法案を各党の合意のもとでつくっていくということが必要であります。一般法でありますから、過半数でよいという意見もありますが、やはりこれは先ほど保岡理事のお話にありましたように、あるいは枝野理事もお話ありましたように、三分の二以上ということを十分に意識した、この国民投票法案の調整をするべきであるというふうに思います。

 それでは、投票法案の中身でございますが、これは今までも議論に出ておりますが、国民投票と国政選挙とは別個に行われるべきであるという意見に私も賛成であります。与野党の相当の部分で合意をした憲法草案とそれから政権を争う選挙が一緒であるというのは、余りにもこれは不合理であるというふうに思っているからでございます。

 それから、投票人につきましては、公選法に規定する選挙人名簿、在外選挙人名簿を使うというのが常識的とは思いますけれども、やはり国の重要な方向を決める投票でございますので、できるだけその対象者は多い方がいいと思っております。

 二十以上というものは、できれば十八歳以上ということにする、これは検討に値すると思っております。

 投票の方法について、一括か個別かということでございますが、いずれも一長一短があると思っています。

 一括で問いかける場合には、賛否の意思表示が極めて難しい。二つ賛成で一つ反対であるという場合に、一括の場合にはどうすべきか。これは個人の有権者の意思表示を縛るものであるというふうに思います。しかし一方で、個別になりますと、今度は虫食い状態が出てくる可能性がございます。相互に関連をする改正の項目について、ある部分においては賛成、ある部分においては反対、こうなった場合に、果たして賛成のところだけを改正して、反対のところは改正をしなくていいのか、こういった問題も生じてきます。

 したがって、今後の発議内容に応じた投票の方法、一括か個別かということは議論すべき問題であると思っております。

 それから、過半数の定義でございます。分母が何であるか。有権者数というのか、あるいは総投票数であるのか、あるいは有効投票数であるか。私は、結論から言えば、有効投票の過半数であるというのが妥当であると思っております。なぜならば、国のあり方を問う重要な投票において、棄権あるいは無効という行為を積極的に認めるという理由は余りないのではないかと思うからであります。

 最後に、国民投票運動につきましてですが、基本的に自由であるべきだと思っております。ただし、公平公正を期すためには、必要最小限度、公選法に掲げる投票事務関係者の運動や公務員の地位利用による運動、外国人の運動、そういったものの禁止、それから、公選法では人気投票となっておりますが、国民投票法では予想投票という部分、あるいは虚偽報道、あるいはマスコミの不法利用、こういった点については公選法を準用するということが必要であると思っております。

 ただし、公選法は人を選ぶ選挙であるのに対し、国民投票法はまさに政策の根幹を選ぶということでありますので、おのずから、公選法よりもやや緩やかに対応することが重要であると思います。

 最後に、枝野理事からお話のあった、発議のときには衆参合同で起草委員会をつくり、そしてそれぞれ衆参に分かれて審議をする、このような将来の方法の提案がございました。これは私も大賛成でございます。

 なお、現在、特別委員会が衆議院に置かれ、参議院に置かれていないという状況でありますが、私は、各院の判断でありますが、望むらくは、やはり参議院におきましても特別委員会を設置して、同様な審議が行われることを心から望んでおります。

 以上でございます。

    〔保岡委員長代理退席、委員長着席〕

大村委員 自由民主党の大村秀章でございます。

 きょうは、この日本国憲法に関する調査特別委員会初会合ということで、発言をさせていただく機会をいただきましたことに厚く御礼を申し上げます。

 私は、前回の憲法調査会も参加をさせていただきまして、たびたびと御意見を申し上げさせていただきました。ことしの春、中山憲法調査会長を初め多くの先生方の御努力によりまして、憲法改正といいますか、憲法の議論が深まった、そしてまた、憲法を改正すべきだということを、いろいろな各テーマに基づいて、そういった意見が多数であるという取りまとめをいただきましたことを心から評価したいというふうに思っております。

 その上で、今回、この国会からこの調査特別委員会、調査会から調査特別委員会という形でさらに一歩進化をしたということも評価をしたいと思います。ぜひ、これまでやってきた五年の憲法調査会の中で深まってきた議論を踏まえて、さらにそれを具体的な形にし、そして方向性を打ち出していく、そういう実りの多いこの委員会であってほしい。そして、議論をどんどんそういう方向で進めていっていただきたいということをお願い申し上げたい。もちろん、私もそこに参加をして御意見を申し上げていきたいというふうに思っております。

 その中で、きょう特に、冒頭でありますが、テーマになっておりますのが国民投票制度ということでございます。憲法改正の手続の規定がありながら、そこに至るいわゆる国民投票という具体的な手続の制度が整備をされていないということ、確かにこれは立法不作為と私も思いますが、まさにその制度の不備であったということは間違いないというふうに思います。ただ、現実問題として、憲法の議論がそこまで現実的に深まっていなかったということのあかしでもあったのかなというふうに思います。

 ただ、そういう状況の中で、憲法調査会の五年の議論を通じて憲法についての議論が深まった、国民的な議論が深まった。そして、ことしの春にまとめられた取りまとめの中で、憲法改正を是とする意見が多数であったというお取りまとめをいただいたのもまさに事実でありますから、そういう状況を踏まえれば、私は、これまでのことはこれまでのことといたしまして、できるだけ早急にこの手続を整備していくということが、私どもに課せられたまさに使命ではないのかなというふうに思うわけでございます。

 そういう意味で、ぜひ、この国民投票制度を整備するということを、まずこの委員会の最初の具体的な仕事、成果として進めていただきたいということをお願い申し上げたいというふうに思っております。そして、この具体的な手続を整備することがさらに憲法の議論を深めていく、国民的な議論を深めていくということにつながっていくのではないか、こういうふうに思います。ぜひ、そういう方向での議論の深まりを期待し、そしてまたお願いを申し上げたいと思います。

 具体的には、何点か申し上げたいと思います。

 投票権者について、いろいろな御意見があろうかと思いますが、私は、現在の国政選挙の選挙人名簿と同じもので、実務的に言えばそれと同じということにならざるを得ないのかなという気がいたします。いろいろな議論を排除するものではありませんが、やはり実務、具体的なことを考えれば、そういったことで私は国民の御理解はいただけるのではないかというふうに思います。

 国民投票の方式は、個別の論点は多岐にわたりますので、個別の方式でいいのではないかというふうに私は思います。

 それから、周知徹底の期間は、ある程度これは用意をしなければいけない。そして、これに対する働きかけ、運動については、できるだけ自由に、現行の選挙に関する規制にとらわれないと言うとちょっと言い過ぎでありますが、できるだけ自由に、広く、まさに国民投票でありますから、国民運動的に広く広く自由にやっていただく、そういったことをお願い申し上げたいというふうに思っております。

 あと、過半数につきましては、有効投票の過半数ということでいいのではないかというふうに思います。

 私からの意見は以上でございます。ありがとうございました。

渡辺(博)委員 発言の機会をいただきましてありがとうございます。自由民主党の渡辺博道でございます。

 今回、日本国憲法に関する調査特別委員会ということで設置がされました。平成十二年から憲法調査会という形で審議をし、調査をしてまいりまして、ことしその成果が上がったわけであります。その間、過去五年間の間、国民に対して憲法調査会の役割というのは極めて重要であったなというふうに私は思っております。

 かつては、憲法に関する議論というのはほとんど民間の方でされておりませんでしたが、憲法調査会が始まって以来、各民間の団体においても憲法の試案というものが出されてきております。それだけ国民が憲法をより身近なものとして考えてきたということは一つの事実でございます。

 そういった過去の経過を踏まえながら、今回新たに特別委員会ということで設置されたことでございますので、私はより具体的にこの憲法についてどのように進めていくのかということが大変重要であるというふうに思っております。

 その中で、第九十六条の国民投票についての手続、これがいまだにされていないということは、やはり国民にとっても大変不満ではないかというふうに思うわけであります。

 すなわち、私ども日本国民が、憲法改正というものが本当に必要なときにどういうふうに手続をしていったらいいのか、これが現実にまだなされていないわけですから、国民にとっての一つの手続が、今進めていくこの委員会で具体的な方向性を示していくことが大変重要だというふうに思います。

 とりわけこの憲法改正の問題については、大変難しい憲法改正条項であります。国会の中で、衆参で三分の二以上が賛同をしなければならない、こういった中で考えていきますと、まずは与野党それぞれ、お互いに合意していくことが大変重要な事項だというふうに思っております。自民党だけ、または公明党だけで進める問題でもありません。そういった中で、与野党がともに、これからの二十一世紀の日本の姿としてどのような形で憲法を発議していくか、これは大変重要な役割を担っているというふうに私自身も感じております。

 そこで、具体的に国民投票制度についてのお話をさせていただきますが、この国民投票制度は、私ども、例えば議員を選ぶときの公職選挙法とは基本的に私は違うべきだというふうに思っております。それはとりもなおさず、二十一世紀の国の形を決める大変重要な憲法に対する国民の意思表示であるという点であります。したがって、投票者の範囲については、従前のような二十以上という形から、できるだけ多くの国民の意見を聞く必要があるということで十八歳にすべきではないかというふうに感じております。

 また、国民投票の方式につきましては、それぞれ一括方式、個別方式というような形で議論がされておりますけれども、やはり成案を得てみないとこれも難しいと思います。したがって、この成案を得た段階で、これは国会でどういう方式にすべきかということを具体的に議論すべきではないかな、そのように思います。

 また、この国民投票についての運動、投票運動の規制については、原則自由、そのような形で国民に自由な議論をさせていくことが大変重要だというふうに思っておりますので、必要最小限の規制だけにとどめるべきだというふうに思います。また、その必要最小限についてもそれぞれの議論がございます。これはやはりこの委員会でしっかりと議論をしていっていただきたいな、そのように思っておりますので、まさにこの調査特別委員会の役割は本当に重要な役割を担っているというふうに認識しておりますので、積極的に参加させていただきたい、そのように思っております。

 以上でございます。

加藤(勝)委員 自由民主党の加藤勝信でございます。

 まず、この手続法について、先ほど憲法改正の議論と非常に結びついているというお話もございましたけれども、私はむしろ手続法は手続法として切り離して十分議論をすることができるという内容だと思いますし、また、そういう意味からも早期な成立を図っていくよう、ぜひ努力をしていただければというふうに思っております。

 具体的な中身について、二、三申し上げたいと思います。

 一つは、有権者の範囲でございます。先ほどからも御議論がありますけれども、私は、基本的に成人というもの自体を十八歳と引き下げながら、その範囲までを有権者の範囲にしていくべきだというふうに思っております。

 今でも、二十になったからといって必ずしも社会的な意味での責任を十分に認識しているかどうか、あるいは自立化されているかどうかという議論はいろいろあるというふうに思うわけでありますけれども、逆に、こういう機会をとらえて、十八歳という水準を超えた人間に関しては社会的責任も有するんだ、あるいは社会的に見て自立しているんだ、こういう認識を国民全体が確認をしていく、あるいは認識をしていく、こういうことも含めて、この国民投票、まさに国家のあり方を決めていく、それに参加をしていく、その機会が与えられるということを通じて、そういうムードといいましょうか、認識を醸し出していくということが私は必要ではないか、そういう意味からも、ひとつ二十という水準を十八まで引き下げていくということをこの際考えていくべきではないかというふうに思います。

 それから、投票方式につきましても先ほどからるる議論がありましたが、大事なことは、国民に問えばいいというものではなくて、やはり国民が判断し得るような形で提案をしていくということが非常に重要だというふうに思うわけでありまして、先ほどからありますように、一括した全面的な改正のケース、あるいは一条だけの改正のケース、あるいは幾つか考え方をパッケージにしたものとか、いろいろなケースが考えられるわけでありますから、この段階でそこまで一括にするか否かということを決めるのは私はやや無理があるんではないか、むしろ発議の際にそうしたことも含めて決めていけばそれで足りるんではないか、いや、むしろその方が適切ではないかという思いがいたしております。

 それから三点目、国民投票運動という部分にありますけれども、これは基本的に現行の選挙のもとでも感じるわけでありますけれども、さまざまな意見の表明等はより自由になされていくべきでありますし、逆に、さまざまな規制があることによって、運動そのものに対して国民の方が参加するということを抑制してしまう、こういうことにつながってはいいことにはならない。そういう意味では、基本的には自由であるというふうに思うわけであります。

 ただ、そういう際に、国会が発議をするわけでありますから、発議者として中身を周知していくという責任は当然国会にあるというふうに思いますけれども、その範囲が一体どこまでになっていくのか、あるいは発案者の議論もいろいろありますけれども、発案者としても当然運動を展開していくということも想定される、場合によっては政府が発案者になるということも必ずしも、これは議論の中身でありますけれども、否定されないという場合に、それぞれがどこまで運動を展開し得るのかどうか、特に公の機関についてはある程度の議論をしっかりしておく方がいいんではないかというふうに思っております。

 以上です。

中谷委員 自由民主党の中谷でございます。

 国民投票に際しては、今の国政選挙で足りないところを配慮していただきたい。

 まず第一点は、海外の在留邦人ですね。これは不在者投票がしっかりできるようにやっていただきたい。

 それから、日本国民の国籍を持ちながら、日本語が読めない人がおります。例えば中国の残留孤児の帰国者。彼らは、投票制度がわからないので一度もまだ投票したことがないという人も多くて、日本語を読むことができないんですね。そういった方とか、日本に住んでいる外国人、結婚した外国人など、やはりもうこれだけ国際化しておりますので、投票に際しては、日本語のみならず英語と中国語、このようなことで、日本国憲法の内容について、しっかり説明して、理解して投票させるということをぜひ配慮していただきたいと思います。

 それから、寝たっきりとか痴呆症とか目や耳に障害を持つ人への配慮ということで、この投票に一体だれが説明をして、どう投票させるのかといった問題があります。そこで重要になってくるのは憲法の改正の中身をいかに適切に伝えるかということで、やはり発議をする国会が、国民がしっかり理解できるように、広報や憲法に対する考え方、その論点整理、統一見解、これは非常に重要になってまいりますので、特別委員会になりましたので、ぜひスタッフの数をふやすとか、やはり国会としてのこういった能力向上のためにそういった整備が必要ではないかと思います。

 そして、心配するところはマスメディア、テレビ、新聞、インターネット、携帯、メール、こういったものに対する規制をどうするのか。例えば、国政選挙の場合は各党ごとの時間配分ということにしておりますけれども、では、憲法の改正については果たして改正派と反対派が同じ時間割り振るのか。それから、メディアとして、うちの社は賛成です、うちの社は反対ですといったぐあいに、もう社説で毎日毎日そういった意見を発表することができるのか。こういったテレビ、新聞、ネットの規制をどうするかということが必要ではないかと思っております。

 それから、国民から、私はこういう憲法を持っているという意見がたくさんあると思うんですけれども、そういった人たちがたくさん数集まってこの国会に声を届けることができるのか。基本的には国会議員が発議しているというふうになっておりますが、そういった国民の大きな声をどのように国会として集約をして、こういった国民案として提案できるのか。そういった国民側の権利ということもぜひ今後議論をしていただきたいというふうに思っております。

仙谷委員 発言の機会をお与えいただきまして、感謝をいたします。

 きょうの議論も伺いましたが、この間憲法調査会の議論に参加して、今国民投票法制が議論をされる段階に至っての感想、意見を申し上げます。

 憲法制定後五十八年が過ぎたわけでございます。そういたしますと、この現憲法の制定に意思表示を、つまりイエスかノーか、直接的か間接的かはともかくとして意思表示をし得た人は、最も若い人で七十八歳か七十九歳ぐらいにおなりになっているわけであります。多分その約八十以上の方々は、日本の現在の人口分布からいえば、多くても一〇%台ということになるのではないでしょうか。そうしますと、日本人は、有史以来というふうに言えば大げさでありますが、少なくとも明治維新、近代国家をつくろうとして以来、この憲法、つまり国の形を法規範で定める、この憲法制定に意思表示をしたことのある国民はほとんどいない、あと二十年たてば全くいなくなってしまう、こういうことになるわけでございます。

 憲法というのは、確かに私も、辻元さんがおっしゃられた、憲法は国民の権力に対する猜疑の体系である、権力に勝手なことをやらせないためのルールを定めるんだ、この立憲主義の考え方に立つものでございますけれども、その憲法をとっくに死んでしまった人たちが、民主的であれ、民主的に決めた、そういうふうに仮定いたしましても、それに生きている我々あるいは次の世代、さらにもっと次の世代が縛られるということが果たして民主的と言えるんだろうか、そのことを肯定する論理は何なのだろうかというふうに考えます。現に、立憲主義の権化であるアメリカ第三代大統領トーマス・ジェファーソン、トーマス・ジェファーソンはアメリカ合衆国憲法の起草者の一人でもありますが、死者は生者をとらえるべき理由はない、各世代はそれぞれみずからの憲法を選ぶべきだというふうにも述べているわけであります。

 一方では憲法が、憲法というのはまさにそのルールに基づいて権力が乱用されないように、そういうルールを決めたものだという立場を強く持ちながら、一方では後世代の方々が今我々が決めた憲法にどうして縛られなければならないのか。それは民主主義の原則と立憲主義がどのように衝突し、どこでどのように調整をするのか。これは重大な問題を原理的にも含んでいると私は思っております。しかし、だからこそ日本国民の国民主権の行使として、憲法の、部分であれ全体であれ、その意思表示を聞くといいましょうか、その意思表示を権利として行使できる、そういう法制は当然必要であります。

 そしてまた、皆様方もう御承知のように、これは民主主義の中でも直接民主制と言われるものの一部でありますから、いわゆる国民投票、小泉さんがおっしゃるようないいかげんな話ではなくて、シングルイシューの政策課題についても国民投票をどのようにすればできるのかということを改めて考えるべきだと思います。そして、国民投票法制というものを考えるに当たっては、できる限り年齢が若い方々にも投票権を与えるという論理的帰結になるというふうに私は考えているところでございます。

 以上でございます。

小川(淳)委員 民主党の小川淳也でございます。

 何分にも一年生でございまして、この五年間の議論の積み上げと少し相入れない部分があるかもわかりません。ただ、そこにこそ私たち新人のもたらすべき価値があると思っておりますので、どうか先輩諸氏にはお許しをいただきたいと思います。

 まず、日本国憲法につきましては、成文憲法でありまして、大変高いハードルを改正規定に課した硬性憲法であります。世界にはもちろん法律並みの規定で改正できるところ、あるいは慣習憲法、いろいろなところがありますが、日本国憲法は成文憲法であり硬性憲法である。あたかも安易な改正は許さないぞという意思を示しているかのような厳格さを私自身は感じております。その意味で、一市民としてこの国会の外からこの憲法の改正の論議あるいは国民投票法案を見ているにつけ、やや国民的論議よりも国会の議論の方が先行しているな、そんな感想を持ってまいりました。

 その意味では、辻元委員の持たれた感想に非常に近いんですが、私はこの日本国憲法というのは最後の保守の、健全保守のとりでであり、この世界というのは積極的に変化をしかけるべき世界ではないという気がいたしております。その意味で、やむにやまれぬ社会の情勢なり事情、これを受けて必要最小限の改正を加えていくというのが国民生活の安定にとって、価値観の安定にとって非常に大事な足場の置き方ではないかという気がいたしております。

 その意味で、今、国民投票法案、この手続法案を議論しているわけでありますが、もちろん憲法に改正規定がある以上、この手続、改正規定をどう具体的に詰めていくか、これは手続規定として独立してあり得る議論だと思います。しかし、私たちは五十八年間、今憲法を制定するのなら別です、五十八年間この手続規定を持たずに来て、今五十八年ぶりにこの手続規定を議論するということの重みをもう少し厳格に考えるべきだと思っています。つまり、何のために具体的な手続、道筋をつけようと今するのか、どこへ向かおうとするのか、その実体的な中身の議論を抜きにして手続規定のみを語るべきではないような気がいたしております。

 その意味で、もちろん自民党さん、そして私ども民主党も憲法改正についてのいろいろな具体的な中身を議論するわけですが、少なくとも、院として最終集約には至らないまでもあらかたの発議案のイメージを、先行までしなくとも並行してこの具体的な手続規定の意見表明として取りまとめていくべきではないかと。でなければ、先ほど来議論にございますように、国民投票において一括して承認すべきか、あるいは個別に承認すべきか、その判断すらもつかない。やはり実体的な議論があっての手続規定。国民に対してどこへ向かわせようとするかわからないのにはしごがかけられようとしている、道がつけられようとしている、そういった不安を間違っても抱かせるべきではないという気がいたしております。

 ありがとうございます。

三原委員 自民党の三原です。

 簡単に二つだけ申し上げたいと思うんです。

 私もさきの国会から調査会に入らせていただいて、今度委員会になりましたが、今回は特に改正の手続についての議論を深める委員会でもあるわけですが、私は思うんです、やるやらないというのは国民が決めることなんであって、できるできないというのは初めからできるようにしていないといけない。できるようにしておいてやるやらないというのならいいんですけれども、当初からできないことがさも当然であるかのようなシステムはおかしいと思うんですね。だから、憲法の改正だって、できるんだけれども、国民の意思でそれを改正するかしないか、ここが問われるべきです。ですからこそ手続というのも明確に定めておくことが大切である。それをしなかったことが立法の不作為であるとかないとかいう以前に、国民に選択の権利を与えておくということは、当然我々はやるべきことだと思います。

 その次、二つ目は、さきの国会のときにヨーロッパに憲法改正について視察に行かれた方々の報告の中で、最終的にはヨーロッパのEU憲法なんかつくるときの責任者をされた方が、国民にわかるように、理解できるように周知徹底することが実は一番大切、なぜならそれは国民が責任を持って決めることなんですからという言葉、すごく印象的な、当然ですけれども、印象的であったなと、私は今も脳裏に深く刻まれているんです。

 ですから、その意味では、今、より具体的なことをいろいろ委員の方々話されましたけれども、国民が一条一句理解できる、そのような方法をこれから先も大いに求めるべきで、それは、マスメディアに対する呼びかけでもあろうし、また、我々国会議員、国民の代弁者である一人一人の責務でもあると思いますけれども、わかりやすいPRの方法。それと、最初に申し上げた、やるやらないは国民の意思で、できるというその結論を早く出して、そして手続の方法を早急に決めること、このことが大切だと思っています。

牧原委員 発言の機会を与えていただき、ありがとうございます。

 私は、日本とアメリカの双方で弁護士をしてまいりました。そのような弁護士として、この憲法という課題、国のあり方を決める非常に崇高な課題でございます。この課題につきまして、これまで五年間憲法調査会を通じまして、また今回このような特別委員会で議論をされますこと、中山委員長を初め、これまで御努力をされてきた方にまず敬意を表したいと思います。

 私は、今申し上げたとおり、この憲法というもの、まさに国民が国のあり方を決める根幹のことであると思っております。非常に大切なことです。このこと、不必要に高いハードルを課してしまって議論を萎縮させてしまうのは、私は反対です。むしろ、先ほど以来話が出ていますように、改正の道というものがきちんと示され、そして活発な議論を行っていくこと、これは国全体で行っていくこと、国民全体で行っていくことが非常に大切であると思っております。

 その意味で、今回私自身初めての選挙でしたが、このことを通じまして、必ずしも投票権を今持っている二十以上の人だけではなく、若い、それ以下の年齢の人も、非常に強い大きなエネルギーを持って、自分の意見を持って参加していることに私自身は非常に感動を覚えました。ですので、確かに実務的な問題はあるかもしれませんが、この憲法というもの、国のあり方を決めるということで、もう少し年齢制限というものは考えていってもいいんではないか、そのように思っております。

 また、運動の制限についても同様です。公職選挙法とやはりこの憲法改正国民投票とは、若干趣旨も意義も異なるだろうと思います。やはり憲法改正の方は、より自由な活発な議論が広く国民レベルで不必要な制限を受けることなくできるような、そういう制度が必要ではないかと思っております。

辻元委員 二回目の発言の機会を与えていただいて、ありがとうございます。二回目ですから短目にします。

 きょう、中身と手続法は切り離せるのかというところが一つの大きな論点になったのではないかと思います。この点についてはしっかりと議論をしていくべきだと思うんです。その中で、発議内容に応じて一括か個別かを後回しにして決めるというような意見も出ておりましたけれども、手続法においては、一括か個別かということは肝になると思っております。非常に重要なポイントであると思いますので、この点を後回しにしてこの手続について議論を進めていくということは、この改正法というものそのものの意味をなさなくなってくるのではないかというふうに思っております。

 この点については、また次回、議論を深めさせていただきたいと思います。

 もう一つだけ申し上げたいと思うんです。

 今の御発言の中にも、この憲法の議論というのは国民の意思である、そして国の根幹である、自由で活発な国民の議論が必要であるという大変重要な発言を自民党の議員の方からいただきました。

 しかし、今この委員会を見ますと、半分以上いてはらへんわけです。二十二名なんですね。ですから、次回からはやはり最後まで、その国民を代表してここで議論を進めておりますので、きちんと各党派最後まで出席して、活発な議論をこの委員会でできるように強く要望したいと思うんです。

 といいますのは、私、社民党の議員なんです。社民党、人数少ないといって一人なんですね。先ほどから憲法九条の議論や改正の議論が出ております。憲法変えぬでええんちゃうかという立場で議論しているわけですが、九条も含めて、やはり国民には半数その声があると思うんです。ですから一人でも、頑張ってその立場を代表してしっかり議論していこうという決意でこの席に臨んでおります。しかし、理事会でも、数が少ないということで、オブザーバーで、陪席ということで、中山委員長は優しいですから発言の機会も与えていただけそうなんですけれども、なかなか発言の機会もないんです。しかし、やはり頑張っていきたい、議論していきたいと思っております。

 ですから、先ほどから出ております、国民の意思を大切にする、国の根幹の議論である、自由で活発な議論を国民に求めるというのであるならば、この委員会の運営、最初に当たりまして、各会派きちんと、少なくとも最後まで参加していくという姿勢で、ぜひ委員長のこの委員会運営をお願いしたいと思います。

 ありがとうございました。

中山委員長 他に御発言はございませんか。

 それでは、発言も尽きたようでございますので、これにて自由討議を終わりますが、辻元委員の御指摘のように、各党の方々には積極的に御参加をいただくように要請をいたしたいと思います。

 次回は、来る十三日木曜日午前八時五十分理事会、午前九時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午前十一時五十七分散会


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