衆議院

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第5号 平成17年10月27日(木曜日)

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平成十七年十月二十七日(木曜日)

    午前九時開議

 出席委員

   委員長 中山 太郎君

   理事 愛知 和男君 理事 近藤 基彦君

   理事 福田 康夫君 理事 三原 朝彦君

   理事 保岡 興治君 理事 枝野 幸男君

   理事 古川 元久君 理事 赤松 正雄君

      井上 喜一君    伊藤 公介君

      石破  茂君    大村 秀章君

      加藤 勝信君    河野 太郎君

      佐藤  錬君    柴山 昌彦君

      鈴木 淳司君    高市 早苗君

      渡海紀三朗君    中谷  元君

      野田  毅君    葉梨 康弘君

      早川 忠孝君    林   潤君

      平井たくや君    藤田 幹雄君

      二田 孝治君    船田  元君

      松野 博一君    宮下 一郎君

      森山 眞弓君    山崎  拓君

      吉田六左エ門君    岩國 哲人君

      小川 淳也君    逢坂 誠二君

      岡本 充功君    北神 圭朗君

      佐々木隆博君    仙谷 由人君

      園田 康博君    田中眞紀子君

      平岡 秀夫君    三谷 光男君

      太田 昭宏君    高木 陽介君

      福島  豊君    笠井  亮君

      辻元 清美君    滝   実君

    …………………………………

   参考人

   (成蹊大学法学部講師)  福井 康佐君

   衆議院憲法調査特別委員会及び憲法調査会事務局長  内田 正文君

    ―――――――――――――

委員の異動

十月二十七日

 辞任         補欠選任

  坂本 剛二君     宮下 一郎君

  渡辺 博道君     藤田 幹雄君

  北神 圭朗君     佐々木隆博君

  鈴木 克昌君     岡本 充功君

同日

 辞任         補欠選任

  藤田 幹雄君     渡辺 博道君

  宮下 一郎君     鈴木 淳司君

  岡本 充功君     鈴木 克昌君

  佐々木隆博君     三谷 光男君

同日

 辞任         補欠選任

  鈴木 淳司君     坂本 剛二君

  三谷 光男君     北神 圭朗君

    ―――――――――――――

十月二十五日

 憲法改正国民投票法案反対に関する請願(赤嶺政賢君紹介)(第一五七号)

は本委員会に付託された。

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 日本国憲法改正国民投票制度及び日本国憲法に関する件


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     ――――◇―――――

中山委員長 これより会議を開きます。

 日本国憲法改正国民投票制度及び日本国憲法に関する件について調査を進めます。

 本日は、本件調査のため、参考人として成蹊大学法学部講師福井康佐君に御出席をいただいております。

 この際、参考人に一言ごあいさつを申し上げます。

 本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人のお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じます。

 本日の議事の順序について申し上げます。

 まず、福井参考人から四十分以内で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑に対しお答え願いたいと存じます。

 なお、発言する際はその都度委員長の許可を得ることとなっております。また、参考人は委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。

 御発言は着席のままでお願いいたします。

 それでは、福井参考人、お願いいたします。

福井参考人 本日は、お招きくださいまして、まことにありがとうございました。福井康佐と申します。

 私は、国民投票及び直接民主制の諸制度を研究している者でございます。本日は、憲法改正国民投票につきまして、国民投票という視点から、その制度の運用のあり方、問題等をお話しさせていただきます。よろしくお願い申し上げます。

 本日お話しさせていただきます内容は、お手元のレジュメにございますように、次の二点でございます。

 一つ目は、日本の憲法改正国民投票の性質と運用の指針でございます。ここでは、憲法改正国民投票を、世界じゅうの、特に私が研究対象としておりますところのアメリカ、西ヨーロッパの国民投票を分析する枠組みの中に位置づけて分析したいと存じます。そして、その中で運用上の指針を申し上げる予定でございます。二つ目としましては、諸外国の国民投票の運用実態に照らしまして、憲法改正国民投票の運用上の問題点とその解決策を示していきたいと思います。

 それでは、最初に、憲法改正国民投票と運用の指針のうち、1の国民投票の分類を簡単に御説明したいと思います。

 国民投票は、大きく二つに分類することができます。

 一つは、発議なしで行われます義務的レファレンダムというものでございます。ここで私が申しました義務的といいますのは、特定の問題の決定に当たっては必ず国民の承認を受けなければならないという意味でございます。例えば、スイスでは、NATOのような集団的安全保障機構、あるいはEUのような超国家的な国家機関への加盟に当たっては、国民投票が必要的に実施されることになっております。また、日本の憲法九十五条、一つの地方特別法の承認についての住民投票も、これも義務的レファレンダムの一種と位置づけることができると思われます。

 ただいま発議なしで行われる義務的レファレンダムについて申し上げましたが、もう一つの大きなカテゴリーとしては、発議によって行われるいわゆる任意的レファレンダムというものがございます。これは、三つに分けることができます。

 一つは、国民が発議するもの。二つ目は、大統領が発議するもの。これはフランス型でございます。三つ目は、議会が発議するタイプでございます。以上のような三つに大きく分けることができます。

 もう少し詳しく説明申し上げますと、1の国民が発議するタイプの国民投票でございますが、さらに三つに細かく分けることができます。

 住民が立法を行います、法律、憲法を起草し制定いたしますアメリカ型、あるいは議会が立法いたしましたものを成立直後に国民投票にかけまして国民が拒否するスイス型、三つ目としましては、既存の法体系にある法律の廃止を求めるイタリア型がございます。

 先ほども申しましたように、二番目はフランス型でございまして、三番目としましては、議会が発議するタイプの国民投票でございます。

 これも幾つかに分けられるのでございますが、簡単に申しますと、その中でも、議会の特別多数が発議する場合。例えば、日本も含めまして、三分の二でありますとか、デンマークの国民投票の中には、EUなどに加盟する場合には六分の五、そういう発議要件がございます。それから、通常の単純多数決を発議要件とするもの。そしてもう一つ、議会の三分の一というような、議会の少数派が発議する国民投票がございます。

 以上の三つでございます。

 続きまして、このような分類から見てみますと、日本の憲法改正国民投票は、発議権が議会多数派にある、特に特別多数にある、三分の二でございますから、議会多数派が主導する、私はこれを議会多数派主導型国民投票と申し上げておりますが、それに該当するということができます。

 これを、国民の意見を反映する民意反映という点から見ますと、このプロセスは三段階に分かれております。

 一番目のプロセスとしましては、憲法改正を論点として、あるいは公約として各政党が問う形の国政選挙を実施します。もちろん、これに対しましては、両院の選挙を指すのか片方を指すのかという議論がございますが、とりあえず、憲法改正を論点とした国政選挙を行うこと。二番目のプロセスとしましては、国会の議論による、合意形成による発議という形でございます。三番目といたしましては、ここで国民投票が行われます。

 ここで、最初のプロセスの、国民に憲法改正を問う形の国政選挙のプロセスが欠けておりますと、仮に二番目のプロセスで国会で合意が形成されたとしても、諸外国の運用を見ますと、三番目の国民投票のレベルで否決されてしまうことが少なからずございます。例えばデンマークとか北欧といった例では、議会でなされた合意が国民投票で否決されてしまうということがございます。つまり、政党、政治家あるいは労働組合、財界といった上部の政治階層だけでなされた合意が国民に結局最終的には支持されなかった、実はそういう事態も発生し得るわけでございます。

 また、発議要件の、衆議院、参議院の両院の三分の二という要件は、逆に言いますと、実質的には、三分の一の残りの議員に拒否権を与えているということを意味します。恐らく、予想されますところ、実際の国民投票の発議は、場合分けとしたのでございますが、Aの、両院の三分の二を超える大きな与党の誕生あるいは与党連合の誕生か、Bの、与野党の、もしくは政党の枠を超えた合意が形成された場合に発議がなされるのではないかと私は予想しております。

 御承知のとおり、現状はAに近いのでございますが、Aではございません。したがって、Bの場合のとおり、全国会的なコンセンサス形成が求められるのではないかと思われます。

 また、御承知のとおり、憲法というのは最高法規でございますから、特段の国会における討論と慎重な御議論が求められるのではないかと思われる次第でございます。

 三番目に、今このように、日本の憲法改正国民投票につきまして、性質を申し上げてきたわけでございますが、それでは、このような憲法改正国民投票の運用上の指針について申し上げたいと思います。これは、私が考えるという点でございますが。

 仮に、近い将来、憲法改正が行われると考えますと、選挙による民意の反映というプロセスが私は欠けているのではないかと考えます。そうすると、改正案づくりには、できる限り国民の意見を反映する機会をつくり、そして、国民投票実施に当たっては、慎重な手続の制定と運用が望ましいのではないかと思われます。

 ここで、私の国民投票の運用のあり方についての考え方を申し上げたいと思います。

 国民投票を実施するに当たっては、諸外国の運用を十分に観察し、できる限り国民投票の乱用、問題点を減らす方向で制度形成を、そして運用をしていくべきではないかと思われます。つまり、乱用の抑制、問題点の抑制というのがポイントであると思われます。

 そこで、国民投票の乱用あるいは問題点とは何かということが焦点になるのでございますが、私は、きょうのレジュメには書いてございませんが、国民投票の問題点というのを四点指摘させていただきたいと思います。

 まず第一点は、国民投票の結果が国民の多数の意思をあらわさないこと、これが問題点その一でございます。国民投票の結果が国民の多数意思をあらわしていないこと。これは欧米の学者が、フォールスマジョリティー、不真正な多数である、そういう言い方をしております。具体的に申し上げますと、投票率が低いために少数の国民によって重要な事項が決定してしまう。これは本当の国民の意思をあらわしていないのではないかという批判でございます。

 二番目の問題点としましては、特にアメリカの住民投票等で指摘されていることでございますが、国民投票、住民投票が社会の中の少数者、いわゆるマイノリティーの人権が侵害されるきっかけになっている、そういう指摘がございます。確かにアメリカでは、住民投票が黒人等、あるいはゲイと言われる同性愛者の方々のマイノリティーに対する差別の手段となっていることが指摘されております。

 ここで問題なのは、アメリカの運用を見ておりますと、特に法律の形で立法化されまして差別されたのでございますと、裁判所がいわゆる最後のとりでになりまして違憲審査権を行使して憲法違反にする、そういうことは可能なのでございますが、なかなか想定しにくいことではございますが、仮に憲法に、マイノリティーの方々の人権を実質的に侵害するような形になって、それが規定されますと、憲法ではそれはなかなか救済することが難しい。最高法規になってしまうと裁判所による救済がなかなか難しいということがございます。これが指摘されております。

 三番目の問題点としましては、民意が正確に反映されない。こちらの委員会でも随分御議論されているということでございますが、改正案や投票案件が一括で投票に付されるために、個々の争点についての民意が細かく反映されない、そういうような指摘がされております。これについては後ほど詳しく説明申し上げたいと思います。

 四番目の問題点として、国民投票の投票結果が、提案する側の政治家、特に総理大臣あるいは大統領といった政治家の人気と非常に直結してしまう、そういうことが指摘されております。

 つまり、ヨーロッパの運用を見ておりますと、人気のある政治家、首相、総理大臣が国民投票を実施しますと、非常に賛成率が高くなって通りやすくなってしまう。これをリーダーシップ効果と申し上げております。ちょうど逆の場合もあるんですが、長期政権になるような場合、あるいはさほど人気のない政治家が中心となって国民投票を実施する場合は否決されやすい。これはブーメラン効果と呼んでおるのでございますが、逆のパターンもあるわけでございます。

 つまり、一つの問題点として、国民投票が信任投票あるいは不信任投票になってしまう、そういう事態が指摘されているのでございます。

 以上のように、国民投票の問題点を指摘してまいったわけでございますが、このような問題点を抑制するような制度設計が我が国の憲法改正国民投票を実施する場合にも望ましいのではないかと私は考えます。

 そのためには、国民投票の通常言われますところの四つの段階。これは、このような形で四つの段階になるのでございますが、一番目としては、改正案の起草の段階。二番目の段階としましては、発議の段階。つまり、議会における合意形成、発議の段階。三番目としましては、選挙運動の段階。四番目としては、投票及び成立要件の問題。起草、発議、選挙運動、投票、成立要件といった四つの段階におきまして乱用を抑制するような装置を置くべきではないかと思われます。

 これは、私は国民投票の乱用を抑制するフィルターと呼んでおりまして、日本においてもこのフィルターをできる限り、先ほど来申し上げました四つの段階に、四つのプロセスにつけるべきではないかと私は考えております。

 続きまして、二番目の憲法改正国民投票における実施上の諸問題について御説明申し上げます。

 まず、1の改正案の起草における問題点というところでございますが、ここでの一つの目標は、先ほど申し上げましたように、民意をいかに正確に反映させるかという目標がございます。

 まず、内容上の問題点でございますが、こちらの委員会の方でも御議論されておりますように、一つは、大幅な改正及び一括投票という問題点がございます。その前には全面改正の議論がございますが、既に議論されていらっしゃるようですので省略させていただきまして、全面改正ではないけれども、憲法を大幅に改正する場合が想定されます。第三章の人権の規定全体を修正、削除、増補することによりまして一つの改正案とする場合、あるいは、統治機構で新しい制度を導入する場合、憲法裁判所でありますとかあるいは総理大臣の公選制とか、そういうような新しい制度を導入する場合が想定されると思われます。

 前者の人権規定の場合は、人権は御承知のとおり一つ一つ違いますから、できる限り個別に投票案件、改正案件とすべきだと思われますが、後者の統治機構については、むしろ一括して投票すべきではないかということでございます。性質によって、案件の性質も変えていくべきではないかと思われます。

 続きまして、シングルサブジェクトルールというルールが、幾つかの国で、これは国民投票上のルール、準則として導入されております。そこにも書いておりますように、一つの投票案件、改正案件には、一つの内容を盛り込むべし、そういう準則でございます。アメリカ等多くの国でこの遵守が求められてございます。

 シングルサブジェクトルールの趣旨は、まず三つあるのでございますが、第一の趣旨は、無関係な争点を組み合わせて一つの投票案件、改正案件にすることの防止でございます。第一の趣旨につきましては、例えば、人権規定と統治機構の改正案を二つ組み合わせて国民投票にするようなことはしてはならないということでございます。

 第二の趣旨としましては、議員間あるいは政党間のなれ合い投票、これは政治学上ログローリングと言われておりますが、それを防止することでございます。これは例えば、Aという政党の主張する論点PとBという政党が主張する論点Qを、議会で話し合いがついて、本来は別々にすべきところを、お互いの支持者が投票するであろうということで、P足すQということで二つの論点を一つの改正案にしてしまう、そういうことはやめた方がいいのではないか、そういうルールでございます。

 第三は、憲法改正に当たっては、急激で大幅な変化を抑制する、そういうルールでございます。例えば、これは大幅な改正に近いことでございますが、改正案件X、Y、Z、Wと四つを組み合わせて一つの改正案件にしてしまいますと、これは大幅な改正ということになってしまいます。そうしますと、憲法保障という観点からしますと、このような事態はできる限り避けた方がいいのではないかということでございます。

 また、このシングルサブジェクトルールは、もう一つの意味としましては、投票案件、改正案件をできる限り明瞭で、わかりやすいものにすべきではないか、そういう投票案件の作成を求めているわけでございます。

 諸外国の例について触れてみますと、アメリカの州にございますし、またアイルランド憲法は、国民投票に付される憲法改正案にはほかの改正案を含んではならないと規定されております。同じくスイスでは、連邦議会が、投票案件は、形式の統一性、それからテーマの統一性、形とテーマの統一性をルール化しております。またイタリアでは、裁判所が判例上、同じような原則をルール化しております。

 このように、シングルサブジェクトルールとほぼ同一の規定が幾つかの国で置かれているということでございます。

 本日、参考資料として提出申し上げましたイギリスの選挙委員会の、これは国民投票等選挙を管理する委員会でございますが、ここにおきまして、シングルサブジェクトルールに近い、レファレンダムの明瞭性についてのガイドラインというものを発行しております。

 ちょっと読ませていただきます。レファレンダムの明瞭性についてのガイドライン。イギリスの選挙委員会は、以下の十項目にわたるガイドラインを示して、国民投票において、投票者が投票する問題の文言が、明瞭で、理解しやすく、賛否両論に対して中立的であるように求めております。明瞭で、理解しやすく、賛否両論に対して中立的である、このような三つの原則と十のルールをつくっているわけでございます。

 すべて御紹介できないんですが、例えば、一番目の、投票案件は投票者の即答を促すものでなければならない、投票案件は明瞭でなければならず、投票者の解釈の余地を残してはならないとか、三番目の、投票案件の文言は投票者を故意に特定の結果へと導くものであってはならないとか、あるいは四番目の、投票者に予断を抱かせてはならない、賛否両論に配慮したバランスのとれたものでなければならないというようなガイドラインは、日本の国民投票の質問の仕方を考えるに当たっては非常に参考になるのではないかと思われます。

 またもとに戻りまして、私としましては、日本の国民投票法制定に当たりましても、このようなシングルサブジェクトルールを国民投票法に明記すべきではないかと思われます。

 一つは、憲法にない限りはできないのではないかという御議論もあるかと思われますが、憲法になくとも、法律条項として規定するのは、明確な、そして正確な民意の反映、ひいては国民主権という原則に資するものではないかと私は考えます。

 以上、大幅な改正及び一括投票、それからシングルサブジェクトルールということを御説明申し上げたんですが、この問題は、実は、投票案件、改正案件の数と国民の対応という問題に関係がございます。

 今申し上げた二つの原則から申し上げますと、できる限り細かく投票案件を作成すべきではないかということになります。これは、正確な民意反映という点では大変望ましいことでございますが、しかし、諸外国の国民投票、住民投票の運用を見ますと、投票案件、改正案件が一定数を超えますと、特に二けたを超えてしまいますと、逆に、国民の情報収集が難しくなりまして、理解が困難となりまして、投票率の低下あるいは棄権の増加、棄権率が増加する、そういう可能性が指摘されております。つまり、自分に興味のあるもの、自分に利害関係のあるものについては真剣に考えて投票し、あとはよくわからないのでノーとする、そういうことが、特にアメリカの住民投票などにおいては詳しい研究が提出されております。

 したがって、この問題は非常にバランスが難しいということになります。細かくすると民意反映という点はよろしいのでございますが、多くしてしまうと逆に十分な反映がしにくくなる、そういうジレンマが発生するわけでございます。

 一つの解決策としましては、イギリスの最近の国民投票では、国民投票の投票案件あるいは改正案件に最初に説明文がつくのでございますが、国民投票、住民投票におきまして、住民の理解を助けるために最初に説明文を多少つけるという方法もあるかと思います。例えば、憲法裁判所を設置するということでございましたら、通常の裁判所と憲法裁判所はどこが違うという点を三行ほど細かく説明申し上げた上で賛否を問う、そういう形もあり得るのではないかと思われます。

 続きまして、国民投票におきまして申し上げました一括投票禁止、シングルサブジェクトルールに違反した場合はどうしたらいいか、そういう手続上の問題がございます。

 これは、一つは事前に審査する場合、もう一つは事後に審査する場合という二つの場合がございます。それぞれ説明申し上げたいと思います。

 まず、事前に審査する場合でございますが、この方法としては、裁判所で審査する場合がございます。これはアメリカあるいはイタリア等で行っている方法でございますが、もし仮に日本でこのようなシングルサブジェクトルール等に対する審査を事前にしますと、恐らく投票前にすることになります。そうすると、投票前でございますと投票者の具体的な権利がまだ侵害されてございませんので、これはいわゆる現行の選挙訴訟のような客観訴訟あるいは民衆訴訟の形をとることになるのではないかと思われます。

 ただし、このような訴訟は、アメリカの運用例を見ますと、かなり高い確率で事前に訴訟が提起されまして、アメリカでは、シングルサブジェクトルールに対する訴訟が国民投票、住民投票実施を遅延させる原因の一つとなっております。そういう問題点が指摘されております。また、裁判所にこれはいろいろな意味で過剰な負担が、多くの負担がかかることも指摘されております。

 簡単に申し上げますと、シングルサブジェクトルールと申しますのはなかなか判断が難しゅうございます。例えば、かつて沖縄で行われました住民投票が、投票の案件としまして、米軍基地の縮小と日米地位協定の見直しを両方問うものでございました。これはシングルサブジェクトルールという点からしますと、米軍基地の縮小と日米地位協定の見直しと申しますのは、ちょっと関係するような、微妙に違うようなものでございまして、この判断というのは大変微妙で、政治的なものを含まざるを得ないのではないかということは指摘されると思います。例えば、憲法改正におきましても、自衛軍の明記と国民の協力義務というものを一つの案件にしますと、これが果たしてシングルサブジェクトルール上、反しているのか、それとも反していないかという判断は、大変微妙なものになるのではないかということは考えられます。

 続きまして、裁判所以外の第三者が審査する場合がございます。これは、先ほど申し上げましたイギリスの選挙委員会が審査する形でございます。これは、第三者機関に対して諮問し、それを答申するという形でございます。議会はそれを尊重してという形でございます。イギリスでは、実際に二〇〇三年の北部イングランドの議会設置の国民投票、住民投票に対して、イギリスの選挙委員会の答申に応じて修正しております。そういう第三者機関による修正という形もあるのかと思われます。

 続きまして、事後の審査ということでございますが、シングルサブジェクトルール及びその他の手続的な瑕疵、問題点を国民投票が終わってしまってから審査するというのは、いろいろな意味で困難でございます。最高法規に国民の意見が反映されてしまい、例えば七割以上の投票率で八割の賛成、つまり五六%以上の国民が賛成したということでございますと、シングルサブジェクトルールに違反したとか手続的な瑕疵があったということを指摘するのは、事後では大変困難であるかと思われます。

 現に、アメリカでも、成立してしまったイニシアチブに対して、シングルサブジェクトルール違反の審査というのは、あるいは事後的な救済というのは大変少のうございます。また、フランスでも、御承知のとおり、ドゴール大統領が実施しました一九六二年の国民投票は、大統領直接公選を問題としたのでございますが、これは実は手続的に問題であったのでございますが、圧倒的な多数で可決してしまった後に憲法院に持ち込まれましたところ、実質的に憲法院は審査していない、そういう事態がございました。

 ですから、事後的な審査は非常に難しいのではないかというふうに御指摘できるかと思われます。私の意見としましては、このような投票案件、改正案件に対する審査は、議会外の第三者機関による、裁判所以外の第三者機関による諮問という形が望ましいのではないかというふうに考えます。

 あと幾つかの問題を御指摘させていただきたいと思います。

 続きまして、投票日の設定という点でございますが、投票案件、改正案件の周知徹底と国民の情報獲得のためには、発議から投票まで、ある程度長い期間が必要かと思われます、情報収集という点では。ただし、一般に、投票までの期間が長くなりますと反対票が多くなる、そういう傾向が指摘されております。これは後で申し上げますが、長いキャンペーンをする間に国民の間に不安が醸成されまして、次第に現状維持的傾向が出てきて、それで否決に導かれていく、そういうデータもございます。

 三番目と申しまして、選挙運動期間における情報の流通という点を御指摘させていただきます。

 一般に、国民投票、住民投票におきましては、投票者はどちらかといいますと改革よりも現状維持志向の投票行動をとると指摘されております。アメリカにおきましては、大量のテレビコマーシャル、ラジオのコマーシャル等で、投票案件、改正案件に対するネガティブキャンペーンと申しまして、反対、ノーであるというキャンペーンを大量に行っております。そのために、投票者の不安があおられて否決に持ち込まれる、そういうような選挙戦術が有効であると報告されております。この点、アメリカでは、お金のある方が住民投票に勝ってしまうことが非常に問題ではないかということを指摘されています。少なくとも、住民投票を否決するという点においては、資金力のある方が勝ってしまう、有効であるということが指摘されております。

 これに対しましては、政府発行の国民投票、住民投票に対するパンフレットを利用しますとか、あるいはお金は一体だれが出しているんだ、そういうことを指摘することが国民のあるいは住民の投票のかぎになることが指摘されておりますので、国民投票の場合においてもそういう情報公開が一つの方法になるのではないかと思われます。

 そして、幾つかの問題点としましては、国民投票を現在制定されない事態について簡単に申し上げますと、果たしてこのような国民投票法を制定されていないという現状が異常な事態なのかどうかという点が御議論されているかと思われます。

 実は、世界じゅうの国民投票をちょっと調べてみますと、国民投票を憲法に規定されてあっても、憲法制定後、しばらくその執行法が制定されていない国も幾つかございます。例えば、アイルランドという国はしばらく実施されてもおらず、イタリアにおかれましても二十年以上国民投票法が制定されておりませんでした。

 また、実は、国民投票が制度化されておりましても、ほとんど事実上機能していない国民投票もたくさんございます。これはなぜ機能しないかと申しますと、日本の国民投票もその一種なのかもしれませんが、発議要件のハードルが高過ぎまして、これが原因となって機能していない場合、同じ理由なんですが、政党の配置状況、与野党の対立状況がこれを許さないというような国民投票がございます。そのため、制度化されておりましてもほとんど実施されていない国民投票が少なからずございます。

 ただし、国民投票法を制定されてしまいますと、実際には国民投票の運用がふえていくということはございます。例えばイタリアは、国民投票を制定しましてから少しずつふえていきまして、現在イタリアは、世界的に見ますと国民投票がむしろ多い国と分類することができるかと思います。

 最後になりますが、結びといたしまして、私の意見としましては、日本国憲法は硬性憲法であるということ、その硬性憲法であるということの趣旨は、憲法の改革を、急速な改革ではなく、いわゆるゆっくりとした、漸進主義的な改革を求めているのではないかと思われます。したがって、その精神を手続法の制定あるいは運用においても反映させるべきではないかと存じます。

 続きまして、先ほど来申し上げましたように、議会主導型の国民投票でございますから、十分な国会内でのコンセンサス形成を図り、時間をかけた十分な議論をなされるべきではないかと思われます。

 三番目と申しましては、先ほどフォールスマジョリティー、不真正な多数決ということを申しましたように、まず議論を高めて、国民の間にその議論を喚起した上で、そして国民の参加を促す制度づくり、あるいは議論の持っていき方を図るべきではないかというふうに考えております。

 そして、最後になりますが、私がちょっと危惧しますのは、まず日本は国民投票の経験が有史以来一度もないという点を指摘したいと思います。乱用を抑制するために、国民投票を一度も体験したことがございませんので、諸外国の運用例を参考にした上で、慎重な運用が求められるのではないかと思われます。

 どうもありがとうございました。以上で終わらせていただきます。(拍手)

中山委員長 以上で参考人の御意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

中山委員長 これより参考人に対する質疑を行います。

 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。加藤勝信君。

加藤(勝)委員 おはようございます。自由民主党の加藤勝信でございます。

 きょうは、福井参考人には、諸外国についていろいろ御研究されている、そういうことをベースにお話を聞かせていただきまして、ありがとうございます。

 まず最初に、現在この委員会では、含めて国民投票法といっても、憲法改正に関する国民投票法ということでいろいろ議論をさせていただいているわけでありますけれども、この議論をずっとこれまでさせていただきながら、これは私の所感でありますけれども、やはり議論の背景には憲法改正そのものに対する意見が色濃く出ているのではないかな、そんな思いをしながらこれまで聞かせていただきました。また、今のお話あるいは事前にいただいた参考人のお書きになられたものを読ませていただくと、国会には、自制的な発議、提案と重要案件についての真剣な討論は当面期待できないと、なかなか手厳しい御指摘もいただいているわけでありますし、また、確かに国民投票の経験が欠けている、これは事実でありますけれども、こういった御認識もあります。

 こういう中で、まさに憲法第九十六条そのものに改正規定がありながら、憲法改正の国民投票制度が整備をされていない。私はそのこと自体が、あるいはまたこの委員会の多数の意見においても、いわば国民のそうした改正するという権限、これを制限してしまっている。中には国会の立法不作為ではないかなどという御意見もあるわけでありますけれども。他方で、そういう議論も基本的に憲法改正そのものと並行して議論すべきだ。確かにこういう御意見もあるのは事実でありますが、参考人御自身として、現状、この憲法改正国民投票制度といいますか投票法律というものを早期に成立すべきかどうか、その点に対する御意見をまずお聞かせいただきたいと思います。

福井参考人 申し上げます。

 私としましては、国民投票と申しますのは、基本的には、最終的に国民がするものでございますから、代理人としての国会が御議論いただいているということですので、それが必要かどうかは国民が決める、あるいは議会が決めるということでございますので、私自身としては特に意見がございません。

加藤(勝)委員 それと、最初に申し上げました、国民投票といっても、まさにここで議論する憲法改正に関する国民投票と、いわゆるいろいろなイシューといいましょうか事項を取り上げてくる国民投票と、私は差異がある、扱いが異なってしかるべきではないか、こういうふうに認識をしているんでありますけれども、諸外国において、今のずっと一連のお話を聞いていく中で、国民投票法制度という一般的な制度と、それから特に憲法改正に係る国民投票という分とが、具体的にどういうふうに整理されているのか。基本的にはほぼ同じような制度の中にのっとって行われているのか、それとも全く別なものとして、ある部分は重複する部分があったとしても、基本的には別のものとして運用されているのか、その辺ちょっと教えていただければと思うんです。

福井参考人 多くの国々におきまして、憲法改正手続の中に国民投票というシステムがございます。それと、多くの場合は別個の形で国民投票、むしろ国民の意思を反映する制度という形で制度化されていると認識しております。

加藤(勝)委員 ということになりますと、憲法改正に対する国民投票制度と、それからさまざまな案件に対して直接国民の意思を聞く意味での国民投票制度というのが別に存在しているというふうな認識でよろしいんでしょうか。

福井参考人 そういうことでございますし、また、例えばスイスなどは国民の側から立法をこういう形でしてほしいという形で憲法改正のイニシアチブというのがございますので、そういう形で、法律の制定あるいは憲法改正を願う国民の意思が発現される制度として国民投票、レファレンダムという制度があると認識しております。

加藤(勝)委員 そういうことを含めて、これから憲法改正あるいはそれに向けての国民投票、初めての経験だということもありますから、相当イマジネーションを豊かにしながらいろいろなケースを考えてやっていかなければいけない。

 そういう意味で、きょうのお話の中に乱用という話が出てきたわけでありますが、まだ一回もやっていないからすぐ乱用の話になるのかなという、若干そういうものも持ちながら、しかし、そういう乱用ということも当然想定しながら制度はつくっていかなければならないな、そんな思いをさせていただいたわけであります。

 そういう中で、国民投票の方式というんでしょうか、一括か個別かという議論がなされたわけであります。いただいた御執筆の内容には、憲法の解釈論としては、改正規定は投票案件や一括投票の問題について一義的な解答を有していない。要するに、憲法解釈上こうでなければいけないというわけではないという御認識の中で、しかし、今も御説明があった中で、個別方式が望ましい、こういう御意見だったというふうに私はお聞きしたんです。

 ただ、今の憲法そのもの、ベースになる現行憲法そのものを考えたときに、この憲法は、もちろんこの間、憲法制定以来すっかり国民に定着しているということはそのとおりだと私は認識をしておりますけれども、一方で、いわゆる押しつけ憲法論等々の議論があるわけでありまして、必ずしもその正統性というものに対して国民すべからく、そうだ、こう言い切る状況なのかな、こういう思いもするわけであります。いわんや、憲法総体においてはそうでありますし、さらには、各条文について言えばなおさらそういう思いがするわけであります。

 そういうことをベースにした中で、改正する条文だけ、改正する部分だけが個々、個別方式という印象で、私が見ても、個々の例えば条文立てあるいは権利ごとということになりますと、ベースについて今申し上げたような国民の認識に対して、改正部分だけ非常に厳しいある意味では条件が付されているんじゃないかな。そういう意味で、国民の認識というんでしょうか、あるいはそのレベルによってちょっとバランスが欠けてしまっていくんじゃないか。

 要するに、改正部分だけ個別に、個々に国民の意思を問うていくというと、改正部分は確かに国民の意思がはっきりあらわれている、しかしベースのところがまだそこまで至っていない、ややアンバランスなものを感じるわけでありまして、最初のスタート段階において、ここの中でのいろいろな委員からもお話がありましたけれども、現行のものも含めて一回確認をしてみる、こういう作業も必要ではないか、こういう意見も出されたわけでありますけれども、今の現行憲法をベースにした改正ということを考えたときでも、やはり個別であることが不可欠だ、こういうふうにお考えでしょうか。

福井参考人 御質問の趣旨でございますが、国会等である条文を改正すべきだということが仮に盛り上がったということであれば、私の認識では、特定の権利に対するほかの人権よりも強い意識があらわれているという点でございますので、その意識がむしろその部分だけ特段強いということであって、周りの人権に対する認識が低いということを意味しないのではないかと私は考えます。

加藤(勝)委員 次に行かせていただきたいと思うんです。

 そうすると次に、国民投票が個別方式であるということになれば、当然国会での発議に係る採決というんでしょうか議論も個別に行っていかないと、国会では一括で議論されて国民投票は個別ということになると、これまた話が複雑になる。当然発議の内容に合わせた形で一つ、ユニットというんでしょうかね、個別に国会でも議論をしていく、あるいはコンセンサスをつくっていく、こういうことになるんだろうというふうに思うんです、仮に個別方式ということになると。

 ただ、なかなか一党が今回のお話がありましたように三分の二、これを選挙によって克服するということは、私は余り想定できない。また、そうではなくて、むしろ幾つかの多数の党がコンセンサスをつくっていく、このことが憲法の安定性という意味からも必要ではないかというふうに思うわけであります。そうすると、コンセンサスづくりの中身が、ある事項についてコンセンサスをつくっていくということももちろんありましょうけれども、それぞれ各政党、党によって関心事項がかなり違う場合がある。そうすると、この事項については絶対通したい、この事項についてはこれだったら許容できる、こういう部分の組み合わせによってコンセンサスがつくられていくということが、私はむしろ一般的じゃないかなという思いはするわけであります。

 それに対する先ほどのお話の中で、議員間のなれ合い投票、ログローリングのお話がちょっと出てきたものですから、その辺のコンセンサスづくりと、ここでおっしゃるなれ合いというこのバランスというものをどう考えていけばいいのかなという思いがするわけでありますし、また、余り個別個別ということになると、非常に、より憲法改正というもの自体のハードルがどんどんどんどん高くなってしまう、こういうことにもつながるんじゃないかと思いますが、その辺、どのようにお考えでしょうか。

福井参考人 ログローリングとコンセンサスというのは表と裏、国民から見るとそう見えるのではないかというような気がしますが、北欧の国民投票の運用を見ておりますと、例えば、一つの問題、原子力発電所の賛否を問うことに対して国会のコンセンサスとして選択肢を三つつくろう、そういうような形で国民投票をするような例もございますので、問い方を細かくするというのも一つの方策ではないかと考えます。ただし、三つすると意見がばらばらになり過ぎてうまくいかないということもまた報告されております。

加藤(勝)委員 憲法改正のときに、AがいいかBがいいかCがいいか、そういう発議の仕方というのはどうなのかなという思いもするのでありますけれども。

 そうすると、ちょっと今度は具体的な話として、個別方式といった場合に、その個別というものの判断基準というのは非常にまた難しくなってくるのではないかな。あるいは先ほどお話がありました全面改正のときにどうするか。あるいはいわゆる前文を改正したときに、当然、前文を改正すると、前文との関係からいえば、すべての条文が関連するといえば関連するという可能性が出てくるわけでありますけれども、そういうケースも含めてどのように考えていくのかなと。

 いただいた論説の中で、たしかスイスの事例ということで、「最初に全面改正の有無を問う国民投票が実施され、」云々、こういう記述があったのでありますけれども、そのスイスの事例、しかも、全面改正の有無を問うというのも非常に漠たる国民投票のような気がしますけれども、具体的にどういうプロセスを踏んでいっているのか、ちょっとその辺を御承知であれば教えていただければと思うのであります。

福井参考人 具体的な案を国会でコンセンサス形成としてやってきた上で、一応、比較的、抽象的な一歩手前ぐらいの案をつくって、こういう形で改正していく、例えば、大きな形であれば首相制をやめて大統領にするとか、そういう形で全体を問うた上で、また議会で審議して、さらにもう一度国民投票を問う、そういう形と認識しております。

加藤(勝)委員 それから、先ほど事前審査の話が少し出ておりまして、イギリスの事例が出ていたんですが、こちらで、最初の国民投票の類型では、イギリスの場合はいわゆる議会発議型である、こういう分類であったと思いますけれども、これは、要するに議会で発議された中身についてまた別途第三者の審査機関がチェックをする、こういう形で国民投票が行われているんですか。

福井参考人 イギリスの場合は、助言型の国民投票でございまして、最終判断はあくまでも国会がするという形になっております。その中で、一つ一つの国民投票については国民投票法案というのを一つ一つつくってまいります。そのときに、その法案の中に投票案件というのが具体的に書かれるわけでございます。そのでき上がった改正案について諮問して回答をいただく、そういう形でのシステムをとっております。

加藤(勝)委員 そうすると、その法案について国会が議決する前に、そういう方向でいいかというか、いわば日本でいえば法制局みたいな、そんなイメージと考えてよろしいんですか。

福井参考人 でき上がった法案に対して諮問をし、それに応じて事後にまた改正案をつくるという形と認識しております。

加藤(勝)委員 今いろいろなお話を聞かせていただいたのでありますけれども、結果的に、やはりいろいろ考えると、憲法改正そのものの中身によって、発議の形態あるいは国会での議論、これも随分いろいろなパターンがあり得るんだろうなというふうに思いますし、この改正も、最初の場合と二回目、三回目、四回目、そういうふうになってくれば、またその段階でも状況は変わってくるんじゃないか。

 そういうことを考えると、少なくともどういう投票方式にするかということ自体も、今お話がありましたように、国民投票をするときの、ある意味では発議の中に入れるのかどうか、ちょっとその辺はあれですけれども、その中に合わせて決めていけば、私はそれが一番現実的な対応ではないかなと。

 逆に、今回、国民投票法制度を決めるとしても、そこには個別か云々ということを規定せずに、むしろ一回一回の中で書き込んでいくといいますか、むしろ発議の形式そのものによって問うていくということが現実的な対応ではないかというふうに思うのでありますけれども、最初に国民投票制度を決めるときに個別か一括かというところまで決める必要があるかないか、その辺、どのようにお考えでしょうか。

福井参考人 私が申し上げた筋としましては、必ずしも個別にこだわっているということではなくて、どのような形にすると混乱なく正確な民意が反映できるかということだと思われます。そうしますと、一括して、常に個別であるとかあるいはまとめてであるとかという議論よりも、今おっしゃられましたように、その都度するというのも一つの方法ではないか。正確な民意をどのように図るかという点ではそれも一つの方法ではないかと思われます。

加藤(勝)委員 それとあと、いざ投票をするときに、最終的にはもちろん国民の判断にゆだねるということがこのポイントにあるわけでありますから、国民に的確な判断をしていただかなければならない。

 その中で、いただいたメモの中にもありますけれども、例えばアメリカの実例においては、資金量に応じて、特に否決という投票結果に対して大変大きく左右されるというような検証結果といいますか事例も指摘をされているわけでありますけれども、こうした国民投票運動に対する規制、例えば特に今言った資金面とかを含めて、どういうふうに考えていったらいいんだろうか。あるいは、テレビ報道を初めとしたマスコミに対する規制も、これはほかの国の事例を見ても、かなり規制をしているところ、していないところ、テレビは規制があるけれども新聞はそうでもないところとか、それぞれいろいろあるようであります。

 要するに、ある意味では国民が冷静に判断できる状況をつくる、こういう意味から見たときに、特にマスコミ、報道といったものに対する規制というか対応というものがどうあるべきなのか。その辺、ほかの国の事例、あるいはほかの国のうまくいかなかった事例、うまくいっている事例を含めて、何か示唆していただければと思うんです。

福井参考人 結果において国民が否定的な結果を導くことになるとしましても、いろいろな形で報道がなされているということは、それは表現の自由というか情報の流通が盛んになされているということでございますので、私は、アメリカの判例で主流でありますように、できる限り情報の流通については制限をしない。最終的に否決の方向に行く可能性が高いというのも、これも一つの憲法保障であり、国民の判断の形態なのかなというふうに考えます。

加藤(勝)委員 もう一つは、通常の政治的な意思の発現と国民投票運動というのは、特に、例えば憲法改正とかいうことになると、区分けをするのは非常に難しいという気もするわけでありまして、そういう意味で、私自身も別にマスコミに対する規制を強化しろとかと言うつもりはないわけでありますけれども、ただ、非常にショートなメッセージがどんどんどんどん広告的な形で打たれていくと、やはり、マインドコントロールというんでありましょうか、一つの方向へ方向へと流されていく、それが資金を持ったある種の団体によって誘導されていく、そのことの危険性というのもどこかで認識をしておかなければならないんじゃないかな、そういうふうな思いから御質問させていただいたんです。そうすると、やはり情報の提供というか、あるいは意見の発信を抑制するというよりも、いい情報がより提供される、こういう状況をつくっていくことが一番大事なことだろうというふうに思うのであります。

 そうした場合に、日本の憲法の場合には、国会が発議し提案するという形になるわけでありますが、提案者としての国会として、どういう形で国民に情報を提供していく、国会で、ある意味では、この法案に対して、賛成意見がこういうのがありました、反対意見がこういうのがありましたという形でバランスをとって、非常にニュートラルな形でいくのか、あるいは、当然発議をしているわけでありますから、こういうことでいいんだよということを中心に説明をしていくのか、その辺、国会というのはどういう機能を、どういう役割を果たしていくのかな。その後ろには、それぞれ発議の成立に向けて動いた政党というのが当然あるわけだと思いますから、もちろん政党はそれぞれの立場の中で発言をしていくわけでありましょうけれども、それとは別に、国会という機関として、どういう形で情報提供していくというものが望ましいのか、あるいはほかの国において、発議をしているものが国会であるとするならば、国会がどういう形でそういう情報提供を行っているのか、その辺を教えていただけたらと思うのであります。

福井参考人 国会が三分の二で発議するということは、国会の大多数の意思である、そうすると、国会が中心にもし進めるのであれば、賛成意見が中心になる、そういう方向も一つ考えられると思うのですが、例えばアメリカの例あるいはスイスの例などを見ますと、賛否両論のパンフレットを発行し、それでなるべく国民の間に最低限の情報を流通するような形にする、そういう方向もあるかと思われます。

加藤(勝)委員 いずれにしても、十分な情報が提供されて、そして、ある意味では非常にクールな、冷静な形で判断をしてもらうという形で国民投票を実施していくということになると思うんです。

 ちょっと話が前後するのでありますけれども、ここでの議論も、基本的に憲法改正の国民投票の時期と国政投票の時期とはなるべくダブらない方がいい、その方がクールな議論ができるというような認識が一般的に強いんじゃないかと私は思っているのでありますけれども、それとは別に、先ほど、予想される経緯の中では、先に国政選挙ありきというような想定のされ方もしていたのであります。私は、もちろん国政選挙の争点の一つとしては当然憲法のことを議論すべきだとは思いますけれども、そのことと、憲法改正そのものが、余りそういう国政選挙における大きな争点というような形でしていくような環境ではなくて、むしろ、改正に向けてを考えれば、いろいろコンセンサスを得ていくということからいっても、なるべく冷静な判断ができる状況が望ましいのではないかというふうに思うのであります。国政選挙と国民投票の関係、この辺はどういうふうにお考えなのか教えていただければと思うんです。

福井参考人 国民投票と総選挙、選挙、国政選挙を同時にやることも少なからずあるわけでございますが、その場合、どうも解散権限のある総理大臣の責任が直結する場合が多くございまして、そうすると、最近の傾向としては、できる限りそれを避けたい、論点は国民投票でしますという形で行われることが多くございます。

加藤(勝)委員 ありがとうございました。

中山委員長 次に、逢坂誠二君。

逢坂委員 民主党の逢坂誠二と申します。

 きょうはお世話になります。福井参考人、よろしくお願いいたします。

 私は、昭和四十年代に小学生、中学生の時期を過ごした年齢なんですが、そのころ学校では、日本の憲法、随分いい憲法だなというようなことで教えられたという記憶がございます。しかし、それから三十年余りの時間が経過しまして、今こうやって憲法改正の議論が行われているというのは、随分時代が変化したんだな、憲法の規定と社会の実態というのは随分乖離してきたんだなということで、この問題、憲法の内容も社会のあり方も含めて、がっちりと議論する時期に来ているなという認識を持っているわけです。

 そこで、まず、一般的な直接民主主義ということについてお聞きをしたいんですけれども、先生、直接民主主義の研究をされているということで、日本の中において、国民の皆さんにこの直接民主制というものについてどのような理解がされているかというあたりで、何か先生の御認識ございますでしょうか。

福井参考人 直接民主制については私、幾つか研究しているのでございますが、なかなかイメージがとらえにくい部分があると思うんですね。

 一番身近なのは最高裁の国民審査だと思われるのですが、これはアメリカの制度をある種直輸入したわけなんですが、その真の制度の意味が誤解されているうらみがございまして、私はそれについて大変残念だなというふうに考えております。

逢坂委員 真の制度の意味が誤解されているということですけれども、それは具体的にはどのようなことでしょうか。

福井参考人 もともと日本での議論では、そもそもだれも今まで罷免していないのはおかしいんだ、そういう議論なんですが、実際、アメリカでこれと同じ制度は、リテンションイレクションという、継続審査というのがあるのでございますが、この罷免率は実は〇・二%ぐらいしかないんでして、それは、非常に不行跡と申しますか、素行に問題のある人だけを罷免するということで、向こうは任命制と選挙のちょうど中間の形でこのリテンションイレクションというのをつくっているものですから、よほどとんでもない人以外は基本的には継続させる、そういう形でつくっているということが、何か余り認識されていないのではないかなというふうに考えております。

逢坂委員 はい、わかりました。ありがとうございます。

 それでは、次でありますけれども、私の地元は北海道のニセコというところなんですが、地元の皆さんにいろいろ話を聞く、私が積極的に聞くわけではなくて、有権者の方から憲法について言われる意見は、九条を改正しないでねという声が非常に強く寄せられるのが、私の、例えば周辺部の実態であります。

 ただし、これは、この憲法の問題について私は個人的にも公式にも余り見解を発表していないにもかかわらず、そういう声だけが大きく寄せられている。しかし、片や永田町、国会周辺ではこの憲法改正について非常に多くの議論が沸き起こっているわけです。国民投票法制度についてでも結構なんですけれども、この永田町周辺での議論と国民一般の認識というものの温度差みたいなものについて、どのようにお考えでしょうか。

福井参考人 私が国民一般かどうかというのはちょっと自信がないのでございますが、問い方の問題として、憲法を改正した方がいいですか、そういうような抽象的なアンケートをされますと、恐らく多くの人は、した方がいいんじゃないかということだと思うのでございます。例えば、税金、低い方がいいかと聞くと、そうだという形でございまして、長い間やっていればどこかまずいところがあるからやめましょうというレベルなのであって、アンケートの結果ということをそのままストレートに、ではみんな憲法を改正したがっているかどうかということに直結しないのではないかというふうに私は認識しております。

逢坂委員 数年前のことになりますけれども、四国徳島の吉野川の可動堰について住民投票が行われました。あの結果について、ちょっとどなただったか忘れましたけれども、国の閣僚だったかと思いますが、あれは民主主義の誤作動だというような発言があったかというふうに思います。すなわち、投票結果が民意を反映していないというような認識だったのかなというふうに思うわけですね。

 きょうの福井参考人の話の中にも、いろいろな国民投票の問題点というものが指摘をされたわけですが、先ほどはシングルサブジェクトに関していろいろ事前審査、事後の審査という話がございましたけれども、もし仮に、国民投票をやった場合にその誤作動のようなことが起こった、終わってみた結果は実は国民の総意とは違ったのではないかというようなことがあった場合に、救済措置みたいな、どんな手当てができるのかということについては御意見をお持ちでしょうか。

福井参考人 先ほどのマイノリティーの権利侵害というところで申し上げたんですが、まさに憲法は最高法規になってしまいますので、だれかの権利を結果的には侵害するとか不利益になるとかというような条項ができた場合は、現実にはそれを救済する方法はないと考えます。

 ただし、スイスでは外国人の排斥に対する国民投票がよく行われるのですが、ほとんど否決されております。ですから、最終的には、国民の賢慮と申しますか賢さが反映されるのではないかと考えます。

逢坂委員 きょうのお話の中では出なかったかと思うんですが、投票結果に正当性を持たせるために、投票率の議論、あるいは、投票できる人の対象者のどの程度がその結果に賛成したか反対したかということがよく議論になるわけですが、この点について何か御意見ございますでしょうか。

福井参考人 例えば、イギリスにおきましては、イギリスは助言型国民投票でございますが、四〇%ルールというのを付しております。国民投票は何回かしたことがあるんですが、有権者の四〇%が賛成しない限りはそれは承認されたとはみなさない、そういう規定があるのでございます。

 日本においても、この点については憲法は沈黙しておりますので、考え方としては、先ほど来申し上げておりますフォールスマジョリティーというのを回避するためであるならばむしろ可能であろう、そういう考え方が一つできると思います。もう一つの考え方としては、明文がない以上、また、ただでさえ硬性化している憲法をこれ以上するということは、漸進主義的憲法改正といってもこれはやり過ぎではないかと一方の議論があると思われます。

 私は、この問題についてはちょっと今考えている最中でございまして、ちょっと確答できないと思われます。

逢坂委員 次に、きょうも話題が参考人の方から出ませんでしたが、投票できる人の範囲ですね。これは、要するに選挙人名簿と同一にすべきか、あるいは縮小すべきか、あるいは年齢を下げるべきかという議論があるわけですが、この点についてはどのようにお考えでしょうか。

福井参考人 憲法改正というのは、文字どおり、国の最高法規を改正し国民の意見を反映するということでございますから、そうしますと、できる限りの人を参加させた方がよいと。そういう考え方からしますと、できる限り下げた方がいいのではないかという考え方もできますが、もしそういう考え方をとりますと、そのコロラリーとしまして、普通の選挙も十八歳まで下げた方がいいのではないかと。

 私、個人的な意見としては、むしろ両方十八まで下げた方がいいのではないかというふうに考えます。

逢坂委員 この点に関連しまして、私のところに若い方たちからメールなどで意見が寄せられる中で、十八歳まで下げるということについては割と賛成の声が多く寄せられているんですが、その際に、日本の今の現実を見ると、十八歳にしてしまうと、例えば進学率の問題で高校生が結構多いわけですね。ただし、誕生日が来ている来ないによって高校生の中で投票できるできないがあるから、学齢にしたらどうかという意見があるんですが、このあたりについてどう考えますか。

福井参考人 どこで線を切っても恐らく不公平という話は必ず出てくると思いますので、私は、十八という年齢の方が妥当ではないか、ある意味、説得力があるのではないかと考えます。

逢坂委員 それでは、次の論点に行きたいと思います。

 先ほど、シングルサブジェクトルールについていろいろ説明をしていただきました。その中でも特に、十項目を超えるようになると投票率が下がるというような話もございまして、数多くの論点を盛り込むと、やはり制度設計上もなかなか難しいのかなという印象を持ったわけですが、これまでの国会での議論、例えばこの委員会の以前の憲法調査会などの議論を見ますと、憲法改正の論点について、非常に幅広で多数の項目について議論がされているわけですね。

 こうした現実を思うと、シングルサブジェクトルールの観点からいうと、実際に今の日本で憲法改正の国民投票というのは本当にできるのかという気がしてくるわけですが、そのあたりはいかがでしょうか。

福井参考人 多くの国において、憲法改正を行う場合、特に国民投票の場合を想定しますと、基本的には手直しをするという形でございまして、ただし、全面改正の場合は、もちろんどの国におきましても一大イベントということで随分時間をかけて、場合によっては十年とか二十年をかけて否決されたり賛成されたりという形でしております。

 ですから、日本での議論というのは、現状において、細かい方を改正しようとするのか、それとも全面的に改正しようというふうに議論しているのかというのが私はちょっとわかりかねますので、それについては国会にお任せするしかないかなというふうに考えます。

逢坂委員 わかりました。

 それで、福井参考人から結びの方で、国民の議論を喚起する必要があるんだという話がございました。私も全くそのとおりだというふうに思いますけれども、具体的に、直接民主主義の手法で議論を喚起するというのはどんな手法があるというふうにお考えでしょうか。あるいは、諸外国の例なども含めて御紹介いただければと思います。

福井参考人 むしろ逆の、喚起されない例から説明された方がいいかと思うんですが、国民投票の例の中には、恐らく二〇%とか三〇%しか参加しない例があるわけで、それは、たった一つの案件についてもなんですが、多くの場合は、例えば大統領が提案する形であろうと、それから首相が提案する形であろうとそうなんでございますが、余り盛り上がらない例を取り上げて、あるいは自分の政治的地位を高めるために行うとか、そういう意図でやって結局盛り上がらなかったという例は幾つかございます。

 今の御質問なんでございますが、盛り上がるべきだというちょうど反対に、むしろ盛り上がったものを取り上げるべきだ、そういうことではないのかというふうに考えます。

逢坂委員 ということは、喚起をあえてさせるというよりも、盛り上がった事項を国民投票に付すというようなイメージでしょうか。そういうことでよろしいんでしょうか。

福井参考人 それと同時に、例えば憲法裁判所というような話を先ほども申し上げたと思うんですが、一般の国民にとっては、通常裁判所と憲法裁判所というのはどこが違うのかというようなことを言ってもなかなか説明がつかない、そういう場合は恐らく余り盛り上がらないのではないかと。つまり、私はちょっと説明不足だったんですが、下から上がってくる部分と上から十分説明する部分というこの両方を考えていくべきではないかという意味でございます。

逢坂委員 了解いたしました。

 それでは、これで時間的に最後になろうかと思うんですけれども、今、憲法改正の議論がされ、国民投票法制度についてもここでいろいろと議論をしているわけですが、特にこの国民投票法制度についての日本での議論の熟度、簡単に言うのはなかなか難しいことかもしれませんけれども、福井参考人が御研究されている中で、今の日本のこの議論の熟度はどの程度だというふうに大ざっぱにお考えでしょうか。この時点で、随分議論が高いとか、あるいは低いとか、まだまだ解決すべき課題が多いとか、そのあたりの御認識をお知らせください。

福井参考人 改正の盛り上がりは結構あるのではないかと思われますが、三分の二というハードルのためにはかなりの合意がなされなければならない。そのための合意に至るほど、例えば国民の合意と、それから国会の合意と両段必要なところでございますが、まだそこまでは至っていないのかなというような認識でございます。

逢坂委員 国民投票法制度に対する議論はいかがでしょう。

福井参考人 国民投票制度に対する議論は、先ほど申し上げました、程度に合わせた形で、それほどは盛り上がっていないのかなというような認識を持っております。

逢坂委員 どうもありがとうございます。

中山委員長 次に、赤松正雄君。

赤松(正)委員 公明党の赤松正雄でございます。

 福井参考人、きょうは大変にありがとうございます。すぐ隣から質問をさせていただきます。

 まず第一点目は、助言型国民投票の位置づけということでございます。

 福井先生が書かれたこの「憲法改正国民投票における運用上の諸問題」を読ませていただいたんですが、「通説は、助言型国民投票は、憲法上実施可能である」、こういうふうなお話から始まりまして幾つかのことが書いてあるんですが、まず、助言型国民投票の今の位置づけというものについて簡単にお話を願いたいと思います。

    〔委員長退席、保岡委員長代理着席〕

福井参考人 助言型といいますのは、国民が助言する、あるいは国会が重要事項を決定するに当たって助言を求めるという形でございまして、先ほど来申し上げております憲法改正とは違いまして非常に柔軟なものである。つまり、例えば五十一対四十九であるというような場合でありますとか、あるいは実質的には国民の二割しか賛成していなかったような場合は、これは助言として採用しないとか、そういうような柔軟な対応ができる形ではないかと認識しております。

赤松(正)委員 私は、助言型国民投票としてのいわゆる今の憲法改正を日本国はやるのかどうか。要するに、大ざっぱな、憲法改正に向けての言ってみれば号砲のような、スタートにおける位置、そういうものとして助言型国民投票というのは非常に大事なことだな、こう思っておるんです。

 先ほどお話しの中で、憲法改正の国民投票の特徴というところでお話をされた三段階、まず第一段階に憲法改正を争点とした選挙、そして国会の合意による発議、そして国民投票、この三段階の民意反映が予定される、こうおっしゃっておりましたが、私は、憲法改正を争点とした選挙というよりも、この助言型国民投票というものが一番最初に来るべきじゃないのかと。選挙よりもむしろそれの方が、今もおっしゃったような形で、大枠の方向性というものをとる上においてもより明確なような気がするんですが、その辺はどうでしょうか。

福井参考人 重要な事項を決定するに当たっては、最初に国民に抽象的な形で聞いて、それを国会で具体化して、また国民投票をする。これに近い形はスイスでやっておりまして、最初の国民投票、これは先行投票と呼んでおるんでございますが、それも一つの民意を吸収するすぐれた方法の一つではないかと思われます。ただし、この論文にも書いておりますが、三分の二のハードルを突破するための一つの手段として用いられる、そういうような側面もあるかと思われます。

赤松(正)委員 ありがとうございました。

 次に、先ほどの憲法改正国民投票の運用の指針のお話の中で、改正案作成に当たっては国民の意見を反映する機会をつくって云々、こうあるんですが、この国民の意見を反映するというのはなかなか、大事なことであるし、かつ具体的にどうするのかなということを考えたときに、非常に私も悩んでいるんです。

 例えば、公聴会というのが憲法調査会を五年やってくる流れの中でも行われてきましたけれども、そういう形をイメージしておられるのか、あるいは、私なんかは、この憲法改正手続のための国民投票法ができた後は、今度は、国会の中で何をどう変えるか変えないかという議論を一方でするとともに、同時に、国会が諮問するような機関としての学者とか憲法にまつわる見識を持った方々、一般民間の代表の方々のようなものの憲法起草の国民委員会みたいなものをつくって、そこでの意見をフィードバックさせながらというようなことを考えているんですが、福井参考人が考えておられる国民の意見を反映する機会というのは、どういうイメージで思っておられるんでしょうか。

福井参考人 私のイメージとしましては、比較的アメリカのイニシアチブというものをややイメージしておるところがございまして、起草あるいはタイトルをつけたりとかそういうようなレベルから、比較的早い段階から議会に利害関係人あるいは反対する人たち、そういう者を参加させ、さまざまな意見を反映しながらだんだん論点を煮詰めていく、問題点を絞っていくという形がよろしいのではないかというふうに考えております。

 そういうイニシアチブ型の、議会主導で国民の意見を反映させるという方法が望ましいと思っているのでございますが、ただし、それは、小規模な地域では可能かと思われますが、大規模な、このような大きな社会になったときに果たしてどのような形で機能できるかという点については、今後研究してまいりたいと考えております。

赤松(正)委員 ありがとうございました。

 それから、「日本の有権者は有史以来、国民投票の経験が全くないことを考慮すれば、実施に当たっては、」ということで、福井参考人の論文の中で三つの提起をしておられる点が非常に私には印象深く読めたんです。とりわけ一つ目の「一回の投票案件がせいぜい五個以下、できれば初回は一ないし二個が望ましいと思われる。」これは際立って私どもが主張している加憲にぴったりの御指摘だなと思うんですけれども。二つ目は「発議・提案から実際の投票までの期間は、半年程度を置いて、議論の熟成と民意のクールダウンを図ることが望ましい」。三つ目が「国民の経験不足をカバーする意味では、四〇パーセントルールを付加する」。さっき御質問に答えておられましたけれども。

 つまり、発議の形態としては一回目は一ないし二個が望ましい、二つ目は大体発議から投票までを半年、三つ目が四〇%ルール。この三つについても、最後、時間がありませんので、まとめてお答え願いたいと思います。

 一個目については、全く私も同感というか、先ほど申し上げましたように同じ立場でございます。さっき、二けたになるとなかなか難しいという外国の例を引いてお話をされていましたけれども、日本が初めてこの憲法改正に関する国民投票をやる場合は、一回目はあとう限り少ない方がいい、そんなふうに思います。その点についてさらにコメントしていただくことがあればお願いしたいということと、二つ目は、具体的に、国民投票をする場合に、六十日から九十日とか、あるいは三十日から六十日か、こういうふうな期間設定についての意見が今分かれているところがありますが、それについてはどう考えられるのかということと、あと、四〇%ルールは、ちょっと低くないのかなという気もしたりするんですが、例えば五〇%ルールなんというのはどういうふうな考え方で思われているのか。

 以上、三つについてお願いをいたします。

福井参考人 申し上げます。

 多くの国民投票というのは、大抵一つのことについて改正するというパターンが、ほとんどがそうなんでございまして、五つ、六つ、七つ、八つという形で国民投票をしているのは、先進国ではまさに数えるほどしかないわけでございまして、そういう意味でも、特にイタリアなんか見ておりますと、だんだん投票率が低下してまいっているわけですから、そういうことを考えますと、初回においては一、二が妥当ではないかと。もっともこれが、諮って決めるわけでもございませんので、私の意見としてはその程度ではないかというふうに考えております。

 それから、運動期間ということでございますが、イギリスにおきましては、毎回、国民投票施行法を細かくつくっておりまして、その際にも運動期間を自在に変えているという部分がございますので、重要案件に応じて多少変えたり短くする、そういうフレキシビリティーというのが必要なのかなと思われます。

 最後の四〇%ルールでございますが、私は、この問題、先ほど申しましたように、ちょっと今悩んでいるところなんでございますけれども、明文がないままにする国というのは現状においてございませんものですから、少し無理があるのかなという感じにちょっと傾きつつあります。ただ、いきなり一番最初にやる国民投票が、最近の知事選挙なんかのように、三割でその八割の賛成とかというのも何やらぐあいが悪いかなというような感じもしております。

 以上でございます。

赤松(正)委員 ありがとうございました。

保岡委員長代理 次に、笠井亮君。

笠井委員 日本共産党の笠井亮です。

 本日は、貴重な御意見をありがとうございました。

 特に、福井参考人が正確な民意の反映ということを一番重視されているというのを私は大事な点として受けとめました。

 そして、国民投票の問題点ということで四点挙げられましたけれども、なるほどというふうに思いながら拝聴したところです。

 また、国民投票制度の問題で、これが制定されていないことが必ずしも異常な事態ではないという点も注目させていただきました。

 乱用を抑制するために慎重な運用と時間をかけた議論、国民の意思でということを指摘されたことを興味深く伺ったところであります。

 そこで、私、民意の反映ということとの関連で幾つか伺っていきたいと思うんです。

 参考人が、日本の憲法改正の場合に、議会多数派主導型レファレンダムということで、三段階ということで提起されました。第一段階を憲法改正を争点とした選挙というふうにされているわけですけれども、それはなぜなのかといいますか、憲法が定める基本原則等のどういう要請に基づいているとお考えなのか、伺いたいと思うんですが、いかがでしょうか。

福井参考人 選挙が具体的にどういう争点によって決定されているかといいますのは、むしろ、それは政治学であり、それは解釈の問題の次元でございますから、たとえ私がこのように仮に書いたとしても、それは、そうかどうかというのはなかなか難しい問題だと思うわけでございます。

 例えば、ある党が勝ったことは、すべての政策にすべて国民が納得しているかというと、そういうわけでは恐らくないわけでございまして、ただし、その逆で、憲法改正という話がまるっきり話題にのらないにもかかわらず、いきなり不意打ちの形で急に大きな論点が取りざたされて憲法を改正するような事態はいかがなものか、そういうような意味で申し上げたのでございます。

笠井委員 私もその点が大事かなと思っているんです。

 さらにちょっと伺いたいんですが、憲法改正を争点とした選挙に民意の反映が求められるというのは、当然、国会の議席の上でも民意が反映した議席になるべきだということで理解してよろしいんでしょうか。

福井参考人 私が先ほど申し上げました理屈から見ますと、ある政党が勝ったということは、その政党の政策が全部一〇〇%支持されたということを国民は必ずしも認識しているわけではない。そうすると、憲法改正に大変好意的な政党が大勝ちしたということイコール憲法改正というふうに国民の多くが直結してそう思っているかどうかというのは疑問を感じるところでございます。

笠井委員 まさにその点だと私は思うんです。

 もう少し具体的に伺いたいんですが、例えばさきの総選挙でいきますと、郵政民営化の是非を問う国民投票ということで小泉総理が言われて選挙がやられた。結果は、与党が小選挙区で四九%で比例代表でも五一%の得票率ということで、いわばフィフティー・フィフティーという状況だったわけです。国民の圧倒的多数が郵政民営化という問題でも支持したわけではない。ところが、議席の上では与党が三分の二ということで、衆参でわずか一週間程度で成立をするということになったというのが事実だと思うんです。

 まさに、憲法改正を争点とした選挙において民意の反映ということを言われたわけでありますけれども、国会が発議する改憲案にも民意が反映されるべきだということになるとすれば、現行の選挙制度や、それから先ほど人気投票ということのお話もありましたけれども、いわば今度、劇場型選挙というようなことが言われましたけれども、そういうことによってきちっと担保されるのかどうかということについてはどういうふうにお考えでしょうか。

福井参考人 間接民主制と直接民主制という関係を、ちょっと大上段の話なんですが、とらえてみますと、私の考えます直接民主制といいますのは、議会選挙で十分に反映されない国民の意見を直接民主制という形で担保というか補完する方法はないのかというのが私の実はテーマでございまして、もちろん、その前の段階としていかに代議士制民主制で正確な民意の反映をするかという方法があるかと思われます。

 今申し上げたその部分については、私は研究者としては研究の対象範囲外ですのでちょっと何とも申し上げられませんが、ただ私は、憲法改正国民投票も含めて、直接民主制で何らかの形で補完していくべきではないかとは考えております。

笠井委員 参考人は、憲法改正国民投票の運用指針というところで、現状は選挙による民意反映が欠けている、こういうふうに指摘されているんですけれども、これはどういう意味で言われているのか、少しお話しいただければと思うんですが、どうでしょうか。

福井参考人 ちょっと実はこれは書き過ぎなんじゃないかと今思ったんですが、先ほど来申し上げましたように、要するに、このたびの選挙においては、あるいはその前の参議院選挙においても、憲法改正という話が、国民が投票するに際して、少なくとも割と上位に置いて意識する争点だと考えていないのではないか、そういう書き方をすべきだったんではないかと思いますので、訂正させていただきます。

笠井委員 そうしますと、こういうことで考えたらいいんでしょうか。憲法制定後の選挙で改憲を公約あるいはマニフェストの一つに掲げるようになったのは日本ではここ四、五年のことだと思うんですね。しかし、改憲よりも国民の方は、むしろ、選挙になりますと、年金とか景気とか雇用とか、こういう問題での他の争点を選挙で重視して、改憲が主要な争点になったことは一度もなかったというふうに思うんです。

 例えば、今度の総選挙においても、新聞の世論調査なんかでも、総選挙後の内閣への期待として、年金、医療などの社会保障政策が四割、景気対策二割、財政再建やはり二割近くということで、憲法改正が一・九%という調査もありました。

 つまり、当面の国民の期待が改憲でないという世論状況のもとで、たとえ、改憲も掲げた選挙もやって、そういう勢力が国会の三分の二を占めるということになっても、いわゆる特別多数を占めるということになっても、果たして改憲の段階を先に進めることができるかどうかという点でいうと、参考人はそうは必ずしもならないんじゃないかというふうにお考えなのか、そういうことで理解していいんでしょうか。

福井参考人 諸外国の運用実態を見ますと、必ずしも選挙では絶対に上位にならないような争点が国民投票で問われていることはございます。例えばイギリスにおきまして、スコットランドとウェールズの権限移譲という問題が国民投票を二度にわたって二十年間の間にしているわけでございますが、これは、イギリス国民にとってはそれほど大きな論点ではございません。総選挙において掲げた、勝った政党と実際に国民投票の結果がそごの出ていることもございます。

 ですから、このように、ある政党が勝ったということと、それからその政策が違うということは、国民投票ということで実際にほとんど検証されていることが多いことでございまして、これは、何といいますか、一種の補完じゃないかと思うわけでございます。

 ここで一つの問題点としましては、上からアジェンダ、議題が降ってくるのであって下から吸い上げる方向ではない、そこに一つの問題点があるんじゃないかなというふうに考えます。

笠井委員 ありがとうございました。

保岡委員長代理 次に、辻元清美君。

辻元委員 社民党の辻元清美です。

 きょうはどうもありがとうございました。

 きょうのお話は非常に興味深く伺いまして、特に、主権者の立場に立って、先ほどから話が出ております民意の反映をどのような形で国民投票制度の中に反映するのがいいのかということを、多分、研究だけではなくいろいろな住民投票などの現場の活動にも携わってこられて、その中からの御意見だったので、非常に厚みを持った御意見だったなというふうに考えました。

 特に、問題点から、その問題点を克服するためにどうすればいいのか、そして、その問題点を突き詰めて考えていくことによってそこからよりよい制度やよりよい仕組みを提起していこうというような御発想というのは、非常に参考になったと思います。

 そこで、四つ、問題の抑制という観点から、そして乱用を抑制するフィルターというような御発言もありましたけれども、その部分について、もう少し詳しくまたは深く説明していただきたいところを質問させていただきたいと思います。

 まず、不真正な多数という御発言がありまして、先ほどから投票率の問題は出ております。もう一つ、過半数の定義についてどのようにお考えなのかということをお聞きしたいと思います。

福井参考人 憲法における過半数の定義ということだと解釈いたしますが、国民投票の諸外国の運用という観点から見ますと、現実には、例えば憲法改正であるとかあるいはアメリカのイニシアチブとかというのは、投票率にかかわらず実際に効力を持つことになってしまいます。それは非常に問題点になっているわけなんですが、逆に、一つの考え方としては、棄権してしまうのも、それも一つの表現の仕方かなというような評価もあるのかなとは思います。

 私は、それは必ずしもそうだとは思いませんが、例えばイタリアの運用などは五〇%ルールをつけておりますので、どちらかというと政府が逆に五〇%を切るように切るようにというような動かし方をしている部分もございます。例えば祝日に国民投票をやったりとかバカンスの近くにやったりとかということをしていますので、そういうこともあるのかなというふうに考えます。

辻元委員 ありがとうございます。

 次に二つ目に、マイノリティーの人権侵害について、裁判との関係などで御発言があったんですけれども、具体的にどういうことが問題になった、そのような事例があれば御紹介ください。

福井参考人 アメリカの州の例なんでございますが、これは有名な判決に、コロラド州で、同性愛者の方たちの基本的な社会保障でありますとかそういう権原を実質的に否定してしまうような住民投票が成立したことがございました。もちろんそれについては、いろいろ議論があったんですが、最終的にはアメリカ最高裁において、これはもう幾ら何でも憲法違反であるという形でなったわけでございます。住民投票が、結局、住民の総意であるということで最終的に差別してしまうという例が、例えば黒人に対する差別であるとかという例も幾つか見られております。

辻元委員 そしてもう一点、問題の抑制というところで、先ほどからも出ておりますけれども、提案する側の人気と直結するというような御指摘がありました。これを回避するという御指摘なんですけれども、回避する方法というのはあるんですかね。具体的にそういう仕組みを国民投票の中に組み入れているというような事例はあるんでしょうか。

福井参考人 シングルサブジェクトルールが一つの回避する方法にはなっているわけです。例えばフランスの場合は、ドゴール大統領が行った国民投票は、多くはこの観点からすると非常に問題のある国民投票だったわけで、彼が幾つかの論点を組み合わせて人気を背景に国民投票で勝ってしまうという例がありますので、これが一つのまさにフィルターになるのではないかなと思います。

 逆に、諸外国の運用を見ますと、人気のある政治家が国民投票を行っても、実は失敗してしまう例も多々ございます。ですから、むしろ、ある意味では非常にギャンブル化している部分がございまして、実際に為政者、総理大臣として行う場合は、ある種のかけになって、そこまでしてできるかどうかというのは随分大胆な行動なのではないかというふうに考えております。

辻元委員 もう一つ後半の部分で、情報の流通というところで、大量のテレビコマーシャルで投票案件に影響が出てくるというような御発言の中で、情報公開が大事だ、例えばだれがお金を出しているのかとか、幾つかの観点で、きちっと情報公開していくことが大切だというようなお話があったんですけれども、これは諸外国の事例で、例えばNPOとか、そういう市民の側というか国民の側が積極的に情報公開をするというような事例で御紹介をされたのか、それとも、コマーシャルするときには必ず情報公開、だれがスポンサーでということをきちっと提示しなければいけないというような、そういう方法がとられているのか、その辺を少し詳しくお聞かせください。

福井参考人 私はアメリカの住民投票が専門ですのでこの例で説明させていただきますと、住民投票が例えば十件や二十件になったり、いろいろな、非常に文章、文言が長いものですから、そうすると、どれをイエスでノーかというのがわからなくなります。そのときの投票のかぎとして幾つか用いるわけですが、例えば政党が支持しているとか自分の好きな候補者が書いてあるとか、あるいはボランティアグループが支持する、反対するというようなかぎもございますが、比較的有力な投票のかぎとしましては、だれがどの程度お金を出しているかというようなのが有効なのでございます。

 例えば、洗剤についての環境保護のイニシアチブでございますと、それに反対する陣営は実は大企業連合が大量のお金を出してネガティブキャンペーンを出しているとかということがわかると、実はそういうのが影響するわけでございまして、特に企業が提案するというタイプ、環境保護に対して逆行するようなイニシアチブに対しては、だれがどんな金を出しているかということが住民にとっては非常に有効な投票のかぎとなっているというデータが示されております。

辻元委員 それは、結局、市民サイドの自発的な情報公開というか、告発といったらおかしいですけれども、調査し、そういう活動がアメリカなどではとられていたということですか。

福井参考人 これは、基本的には州というか政府の側でそういう法律をつくって情報公開をしていくと。

 ただ、問題なのは、これはなるべく事前にした方がいいわけなんですが、お金の収支というのは御承知のように大抵事後に出てくるわけなので、最近の試みとしては途中に、中間報告であるとかそういう形を州の選挙管理委員会のホームページに載せるとか、そういう形で、投票のかぎとして使おう、そういう動きが出ていると思われます。

辻元委員 それは公的な機関が行っているという確認でよろしいですか。

福井参考人 そのように御理解していただきたいと思います。

辻元委員 それは非常に参考になりました。

 最後にもう一点だけ、ルール侵害に対する是正方法のメカニズムをあらかじめ組み込んでおくというのがいいんじゃないかというようなことを後半に御指摘いただいたかと思います。

 私もこれは、幾らここで盛り上がってと言ったら変ですけれども、つくっても、やはりどうしても、変えたいと思う人が多数を占めた場合に引っ張られる可能性があるわけですよ。そうなってくると、先ほどの、ちらっと最後の方に第三者機関の諮問ということを考えてはどうかという御発言があったと思うんですが、最後に、この点についてもう少し詳しくお聞きしたいと思います。

保岡委員長代理 質問時間が終了しておりますので、お答えを簡潔にお願いします。

福井参考人 できる限り政党色を排した有識者による第三者機関が望ましいのではないかと考えます。

辻元委員 ありがとうございました。

保岡委員長代理 次に、滝実君。

滝委員 国民新党・日本・無所属の会の滝実でございます。

 きょうは、あらかじめ拝見しましたペーパー等ではなかなか理解しにくいところを、直接伺いまして、福井参考人の考え方が相当程度、ペーパーでは得られない理解をさせていただいたように思いますので、そういうことを踏まえて、さらに疑問なところをお教えいただきたいと思います。

 まず第一に、アメリカじゃなくてイギリスの例で恐縮なんでございますけれども、イギリスは、国民投票の都度というか、具体的に一つ一つの事例に先だって、法律で国民投票の中身あるいは手続、そういうものをお決めになっていく、こういうふうに理解をしているわけでございますけれども、その際に、四〇%ルールというのをきょう初めてお伺いしたわけでございます。先生の論文でも四〇%ルールということを強調されておりますけれども、イギリスでその四〇%ルールを現実におやりになっているということを考えますと、日本の場合には、全く現実的には理解できない数字なんですよね。仮に日本の場合に四〇%ルールでやりますと、憲法は過半数でございますから、そうすると、要するに少なくても八割の投票率がないと日本の場合には四〇%ルールをクリアできない。

 そういうことを考えますと、どうなんでしょうか、国民投票の場合は国政選挙とはまた違った投票率が期待できる、そういうような状況があるのか。例えばイギリスの場合には、国政選挙と比べて国民投票の場合には盛り上がりということを前提にして、通常からそういうものが一般的に期待できるような情勢なのかどうか、その辺のところを教えていただきたいと思うんです。

福井参考人 イギリスの国民投票につきましては、最近、一応、今までは余りにもばらばらにし過ぎたということで、一括して国民投票あるいは選挙その他を扱う法律ができまして、とりあえず一般法はできております。ただし、その上で個別の法律をつくって毎回行うという形にしております。

 それで、今のお話でございますが、私はアメリカとヨーロッパの国民投票を研究しているわけでございますが、一般に、国民投票は総選挙に比べて数%低いという数字が出ております、投票結果におきましては。

滝委員 そういう中で、イギリスの場合には四〇%ルールというのがあるというのは大変な、日本の場合であったら考えられないようなハンディになるということで、福井参考人は大変疑問というか悩んでいるということをおっしゃっているんだろうと思うんでございますけれども、むしろ、イギリスの場合に、盛り上がりをしていくということの中で、一体全体、どういう状況の中で国民投票にすべきだというテーマが選ばれ、そしてどういう格好で議会で起草されていくのか、その辺のところを少し御説明いただければありがたいと思います。

福井参考人 現在のブレア首相になりましてからまた多く国民投票を実施しているわけなんでございますが、ブレア首相は最初のうち、幾つかの形で国民投票を実施しているうちは、結構盛り上がるというか、結構投票率も高く、賛成率も高かったのでございます。

 例えば、スコットランド、ウェールズの権限移譲でありますとか、あるいは北アイルランド、アイルランドの和平交渉の承認という形の投票案件については高かったのでございますが、その後、例えばロンドン市庁の創設とか、そういうようなことになりますと二〇%、三〇%台の国民投票になっておりまして、考えようによっては、首相の人気の陰りと同時に投票率も下がってきたのかなと。あるいは、最近の北イングランドの議会の設置の国民投票については、これは否決されておりまして、今後予定されるところのEUの通貨統合についてはしばらく延期しよう、そういう話になっているわけでございます。

滝委員 引き続き、イギリスの場合についてお尋ねしたいと思います。

 イギリスの国政選挙は、基本的には、まず候補者が市役所へ行って、選挙人名簿のコピーを買ってくる、それに基づいて戸別訪問をするのが基本ですよね。そういうところから見ると、国民投票の場合にはそれとは違った運動ということになるんだろうと思うんでございますけれども、だれが運動の主体になっていくのか、その辺のところはどうなんでしょうか。

福井参考人 先ほど申し上げました、最近、国民投票を一括する手続法ができたわけでございますが、その法律の中には、一応団体を届けることになっておりまして、それぞれの賛成の団体、反対の団体を一応届け出をして、その下にいわゆる傘下団体、そういう形で登録する形にしております。それで、それぞれが収支報告をする、そういう形と理解しております。

滝委員 大変ありがとうございました。

 日本の場合にも、そういうようなイギリスとか何かの具体的なものをぜひ踏まえた上で、国民投票法、あるいはこの憲法改正についての物事を考えていく必要があるだろう、こういうような立場から、もう少しお尋ねしたいと思うんです。

 イギリスの場合の国民投票の、まず運動期間と申しますか、議会が発議してから実際の投票まで、個別の法律でもって決めるということでございますけれども、大体どんな期間を置いているのか、その辺のところもお教えをいただきたいと思うんです。

福井参考人 今正確にはちょっと思い出せない部分もあるんでございますが、たしか最低が七週間から、最大半年程度だというふうに理解をしております。かつて行われたEUの国民投票は半年ほど期間があったというふうに理解しております。

滝委員 ありがとうございます。

 日本の場合には、いろいろ案で、国民投票の運動期間の案が出されておりますけれども、大体拝見しますと三十日から九十日ぐらい、こういうようなことでございますから、イギリスの場合はややそれよりも長いように思うんですけれども、今日本で議論されているよりは長いということで考えられているんでしょうかね。

福井参考人 これについても個別の法規で決めておりますので、長い場合もあれば短い場合もあるというふうに御理解いただきたいと思います。

滝委員 それからもう一つ、イギリスの場合にはやはり海外に在留している人たちにも投票権を与えていると思うんでございますけれども、そういうようなことはどういう格好でおやりになっているのか、御承知であればちょっと教えていただきたいと思います。

福井参考人 申しわけございません。ちょっとその点は存じておりません。失礼しました。

滝委員 大変細かい話で恐縮でございます。

 以上、時間が参りましたので、これで終わりたいと思います。大変ありがとうございました。

保岡委員長代理 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。

 この際、一言ごあいさつを申し上げます。

 福井参考人におかれましては、貴重な御意見をお述べいただき、ありがとうございました。委員会を代表して、心から御礼を申し上げます。(拍手)

    ―――――――――――――

保岡委員長代理 次に、今国会における調査の締めくくりとして、各会派を代表して一名ずつ大会派順に十分以内で発言していただきます。

 発言時間の経過については、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたします。

 それでは、まず、愛知和男君。

愛知委員 自民党の愛知和男でございます。

 このたび、五年ぶりに国会に帰ってまいったわけでございますが、この憲法特別委員会の委員として審議に参加をすることができるということに、大変大きな感慨を感じております。

 と申しますのも、この前身であります調査会を国会に設置するとき、これは国会で、公式の場で憲法を取り上げる場というのが従来なかったわけで、大変歴史的なことだったんですが、そのことに中山委員長と御一緒に努力をさせていただいたという経緯がございまして、そんなこともございますので、大変感慨無量な思いがいたします。その後、中山委員長が大変なすばらしいリーダーシップを発揮されまして、今日こうして憲法の議論がだんだん進んでいるということに、大変うれしく思いますと同時に、中山委員長のリーダーシップに改めて敬意を表したいと思う次第でございます。

 ところで、基本的に憲法の議論というのは、党派性というものを超えた議論というのが大変大事なのではないか。つまり、憲法をめぐって政党間での激しい対立というようなことは、やはり憲法の性格からいいまして好ましくないのではないか、こういうふうに思うのでございます。

 この委員会の運営、今国会では新しく委員会という形で新しい委員会が始まりましたけれども、その運営に当たりまして、自由討議という時間があります。この自由討議の各委員の御発言を聞いておりますと、党派の枠にとらわれないで大変自由な発言をしておられる、こういうことでございまして、これは非常にいいことだと思うのでございます。それぞれ政治家が、お一人お一人の国家観なり、あるいは政治信条というものに基づいて憲法の議論をするということは大変大事なことでございまして、このことは、ぜひ今後ともそういう取り組み方、進め方がなされるべきだ、また我々委員一人一人も、党派ということの枠を超えた立場でこの委員会の審議に参加することが大変大事だということを痛感いたしております。

 私は、かねてから、日本の国は一応民主主義の国だということになっております。確かに制度上は民主主義になっておりますけれども、果たしてこの民主主義というものが国民の間に本当に根づいているかというと、まだまだそうではないんじゃないかと思えてなりません。例えば、各種の選挙で投票率が非常に低いというのもそのあらわれではないかと思うのであります。

 私も、前のこの二十数年にわたる国会議員としての活動を振り返ってみますと、その活動の相当な部分が役人に対する陳情だったということを思うのでございまして、じくじたる思いがするのでございますが、日本の社会というのは、民主主義とはいうものの、官僚制度、官僚が支配をした国家体制だと言ってもいいんじゃないか。これを脱してどうやって早く本当の民主主義にするかというのが、国の抱えた大きな、最大の課題の一つじゃなかろうかと思えてなりません。

 どうしてこんな官僚支配が依然として続いているか。私は、今の憲法にその大きな原因の一つがあるんじゃないかと。具体的には、例えば、今の憲法の八十六条でございますが、これは予算のことに関して規定した条項ですけれども、国家予算の提案権というのを内閣だけに認めている。そうなりますと、予算を伴う法律を例えば議員立法でつくりましても、その予算を内閣が出す予算案の中に盛り込んでもらいませんと、その法律は予算が伴わない、こういうことになりまして、絵にかいたもちになってしまう。

 こういうようなことがあるがために、どうしても、国会議員の役割も、役人に対して陳情といいますか、時には圧力をかけたり、いろいろなことをやるんですけれども、いずれにしても、最終的な決定権は役人が持っている、こういうことがありますので、なかなか日本の民主主義が成熟していかないんじゃないか、こんなふうに思えてならないわけでありまして、いずれ、憲法の中身の議論になったときに、この点をぜひ指摘していきたいと思っているわけでございますが、それはそれとして、日本の民主主義を成熟させるという大きな目標に向かって、この国民投票法というのは大変大きな第一歩になる、こういうことで、非常に重要な意義を持つものである、このように認識をいたしております。

 この国民投票の中身につきましては、いろいろと論点が出てまいりまして、まだ議論が収れんするような形にはなっておりませんけれども、日本の民主主義というものを一歩というか大きく進めるという意味で、これは大変大事な法律なんだという認識をみんなで持ちまして、一日も早くこの国民投票法を成立させるという方向に向かって努力をすべきではなかろうかと思います。

 この法律は、いわゆる内閣提出の法律ではなくて、議員立法という形で提案をされ、法律とするというのが最も国民投票法にふさわしいプロセスではなかろうかと思います。その際、委員長提案にするのか共同提案にするのかというような、多少技術的な面はあろうかと思いますが、私は、委員長提案でございますと、委員長のもとで提案されたものがこの場で議論されるということがありませんで、そのまま、可決をされればすぐ参議院に行ってしまいますから、共同提案という形でこの国民投票法の中身が提案をされ、その中身の議論をして、そして可決をされて参議院に送るというプロセスが一番この法律の中身にふさわしい形ではなかろうか、こんなことを感じております。

 ところで、少し先走った話になるかもしれませんけれども、憲法の改正を国会が発議をして国民投票に付された段階で初めて国民を巻き込むというのは、これは遅いというか、そうではなくて、国会としての案をつくる段階で、なるべく早い段階で少しでも多くの国民を巻き込んでいくという発想が非常に大事なのではなかろうか。したがって、国民投票ということになったときに初めて国民に中身が知らされるというのではなくて、三分の二の議決で国会の案ができるわけですが、そのなるべく早い段階で国民を巻き込んでいくという方法を、それぞれの立場で、いろいろな形でそういう方法を考えることが大事なのではなかろうか、このように思います。

 いよいよ今国会はこれで終わるわけですが、また通常国会で本格的な議論に入るわけでございますけれども、ぜひ一日も早く国民投票法が成立をして、日本の民主主義というものが成熟するための大きな第一歩になるように願っておりますと同時に、私も、微力ながらその中で頑張っていきたい、このように思っております。

 以上で私のコメントにいたします。ありがとうございました。

    〔保岡委員長代理退席、委員長着席〕

中山委員長 次に、仙谷由人君。

仙谷委員 民主党の仙谷由人でございます。

 今国会におきます憲法調査特別委員会での国民投票法制についての皆さん方の審議、議論、大いに意義があったというふうに評価をしたいと思います。この議論を多角的な観点から保障し、展開をされた中山太郎委員長のリーダーシップと、理事、委員各位の御努力に敬意を表したいと思います。

 委員各位の議論を拝聴し、これに若干関与したところから私の見解を申し上げますと、憲法九十六条、憲法改正のための国民投票なるものは、考えてみますと、単なる改正手続法であるにとどまらない、国の形に対する国民の主権行使にほかならないものである。換言すれば、憲法改正なるものを決定する主体、その主体はあくまでも国民であって、私ども代議制の担い手たる国会議員は発議をなすにとどまるものであることが再確認されたと考えます。

 今、愛知委員の方から、国民を巻き込むという御意見、御発言がございました。しかし、もう少し考えてみますと、憲法改正案の原案の発案というものについて、国民の発案権をどう位置づけるのかという問題があるのではないかと考えております。しかし、その発案の要件や方法についてはまだ何も検討もされてはおりませんし、主権者たる国民の提案権に係る問題でありますだけに、何よりもこの点を明確にする必要があるのではないだろうかと考えるところでございます。

 また、衆参各院の議員の改正原案に係る発案権についても、一体いかなる条件が求められるのか。例えば、その議案の提出は、通常の法案提出の場合と同様のもので果たしてよいのかどうなのか。つまり、今愛知委員の方から、通常の法案と同じように、あるいは通常の場合のように衆議院先議で参議院に送るというふうなお話があったわけでありますけれども、そのようなやり方で果たしていいのだろうかということも考えなくてはならないと思います。

 そしてまた、この委員会でも立法不作為論というのが唱えられました。私は立法不作為論、それなりの妥当性がないわけではないと思いますけれども、国民に対して、いわば運動論として、国会議員に立法を行うようにけしかけるという政治的な意味があるといたしましても、これを国会議員が声高に叫ぶことにどのような意味があるのか。つまり、国民からすれば、なぜ国会は今までこの問題について懈怠をしていたのかとの反問をするでありましょう。このことに国会議員が十二分の回答をすることができないで、ただ怠けていただけだというような話になってはならないのではないかと思います。つまり、この立法不作為論は、政治的な意味合いのもとにおいても、天につばするたぐいの行為になってしまうのではないかと思います。

 私どもは今、日本国憲法公布から十一月三日でちょうど五十九年になります、施行から五十八年半という時点に差しかかっているわけであります。つまり還暦を迎える。中国では華甲という言い方もあるようでありますが、つまり、新たに一から始まるということが意味されるかもわかりません。そういう時点で、国の形、その法形式としての憲法体系を改めて深く考えるべきときを迎えております。

 近代主権国家、その中で私どもは生活をしておるわけでありますけれども、グローバリゼーションと情報化の波にこの近代主権国家が洗われているわけでありまして、今や国家は小さ過ぎる。他面、人々は、生活とみずからの尊厳、つまり人権がよりよく守られ、もっと自由で自立した生を生きるために、生活により近いところでのガバナンス、統治が求められているわけでございまして、この点からいいますと、今や国家は大き過ぎるのであります。

 まさに、こういう言い方をすると批判を受けるかもわかりませんが、それを覚悟で申し上げますと、今、たかが国家、されど国家と。つまり、そういう新しい主権国家の主権のありようを国民が国民の政治的な意思を集約して決めていくべきときを迎えていると私は考えております。

 現時点で、国民投票法制を、そして憲法改正手続としての国民投票法制を議論し、これを法律で定めていくということは、私どもの国民主権の深化、それと民主主義の民主化への不断の努力であるとの意義づけをすべきだというふうに考えております。その政治的な意思の集約の方法が国民投票であり、成文憲法の持つ一定期間の拘束力や継続性の要請というものは、国民投票を行う主体は新しい憲法条項あるいは憲法によって拘束を受け得る可能性がある人々、つまり、でき得る限り若い世代に開かれたものでなければならないというふうに考えているものでございます。

 したがいまして、この委員会の議論を踏まえて、私は、国民投票権者は最低限十八歳に達した者に、あるいは投票時点で日本の施政権の外に居住している日本国民に対してもその投票権が与えられるべきである、この認識をこの委員会で共有できたのではないかと考えているところでございます。

 さらに、国民投票における運動は、代議制のもとでの議員を選ぶこととは決定的に異なるということでございます。したがいまして、その運動は、原則として自由であることが要請をされます。つまり、国民投票の手続関係者や事務関係者の運動は例外的に制限される部分があっても、その余は最小限の規制で十分でありまして、さらにマスコミの報道の自由は特に保障をされなければならないと考えております。

 さらに加えて、憲法改正にかかわる方法上の問題として、次のような論点が残されていると考えております。

 本日の福井参考人の御意見でも指摘されましたシングルサブジェクトルール、これを導入するかどうかは極めて重要な視点であると思います。加えて、憲法条項のうち、例えば、簡易な文面の追加や手直しに係るものと重大な統治機構の改正に係るものとを区分する必要があるのではないか。前者については、国会の特定多数、例えば五分の三というふうなことも考えられますけれども、これによる改正を可能にし、後者に、後者というのは統治機構の改正等々ということでございましょうけれども、国民投票を要件とするなどの工夫が必要だと考えております。

 これと関係いたしまして、フランスやスペインのケースのように、憲法に準ずる重大な法律、すなわち憲法附属法に係る特別多数決制度の検討も行う必要があると思います。例えば、二院制の基本原則の変更に及ぶ議院規則の改正や、国と地方の関係に関する重大な変更に及ぶものについては特別多数決を義務づけるということも検討をすべきだと思っております。

 この間の議論から、私たちは、国政における重要な問題に関しては、国会がその旨議決した場合に、憲法改正国民投票とは別途に、そういうテーマについて国民投票に付することができる法制をあわせてつくることが望ましいとの認識に到達いたしております。例えば、今マスコミ紙上をにぎわせている女性天皇、皇室典範の改正、こういう課題については、憲法改正そのものではないわけでありますけれども、象徴天皇制が国民の総意に基づき支持を得ていることの確認のためにも、国民投票に付すべきテーマであると考えているところでございます。

 以上であります。

中山委員長 次に、赤松正雄君。

赤松(正)委員 公明党の赤松正雄でございます。

 基本的な、私の私見も踏まえての公明党の物の考え方は、前回というか、一番最初の六日の日に述べたとおりでございますが、その後、十三日、二十日、きょう二十七日と、三回の参考人の皆さんとのやりとりを踏まえました上で、若干の補足といいますか、つけ加える点について申し上げたいと思います。

 その前に、今、愛知理事とまた仙谷委員の方から、この憲法調査会、そして憲法特別委員会に至る流れの中で、中山委員長のリーダーシップに対する敬意の表明がございました。私も本当にそのとおりであると思う次第でございますが、ただ一点、惜しむらくというか、これは中山委員長に対することではございませんけれども、私も五年、ほぼ大半ここに籍を置かせていただいて思いますことは、さっき国民を巻き込むという話がありましたけれども、若干ちょっと、我々レベルとまた国民全般の皆さんの憲法に対する思いというものは少し違うかなという感じがいたします。

 そこで、この間の総務委員会で、NHKの十三、十四、十五、三年の決算を議論する場で私、申し上げたんですけれども、今、テレビと政治というものは、結構、特に民放における政治家のかかわりというか取り上げ方という部分で、いい点もあるんですけれども、かなり誤解を呼ぶような、そういう取り上げ方が多いのではないかという感じもいたしますので、NHKはもう少し、余り各政党との距離を意識し過ぎて、無味乾燥というのは言い過ぎかもしれませんが、政治に関する話、おもしろくも何ともない番組が多過ぎるのではないかということを申し上げて、予算委員会等のテレビ放映もいいけれども、ぜひ憲法特別委員会のテレビ放映をするべきだという提案をいたしました。

 それは、さっき愛知理事がおっしゃったんですが、私も、過去のこの調査会におけるおもしろさというか、通常の国会の委員会が政府に対して一方的に与野党の議員が質問をするという形ではなくて、いろいろな人がいろいろな角度から自由に発言をする、時には政党間の交錯したやりとりがある、こういうことを一般のお茶の間に見せるということは非常に大事なことじゃないか。

 そうすると、残念ながら若干空席がありますが、そういう空席もなくなって、我こそこの憲法委員会で発言したいという人が入れかわり立ちかわり出てきて、いろいろな発言が、私なんかは何か不本意にも何回も発言していますけれども、我が党でもいろいろな人が出てきて発言をするというふうな形に流れていくのではないのか。

 ぜひ、委員長におかれましては、そういう角度の提案といいますか、そういうものも考えていただきたいと思う次第でございます。

 それから、きょう参考人とのやりとりの中でも申し上げたんですが、私は、この憲法改正にまつわる手続法の問題も議論するという流れの中で、第一回目に申し上げましたように、しっかりとお互いに議論をし合ってこのルールをまずつくるということがあって、その後に来るべきものは、先ほどのお話では憲法を争点にした総選挙というお話がありましたが、私は、いわゆる助言型国民投票というか、一番最初に、ルールはルールとしてつくった後、果たして、憲法改正というものをするということについて国民の皆さんに、助言型国民投票的スタイルで改正していいのか悪いのか、どうなんだ、こういうことをまず号砲一発で、スタートラインで、そういう行為に挑むということについての是非を問うという場面がないといけないのではないか。

 そういうことをしないで、五年間の憲法調査会の議論は、必ずしもそれは改正に至っていないという立場を持っておられる政党の皆さんもいらっしゃるし、国民的にも、そういう改正に向けて国会が何かの議論をするというのをオーケーした覚えはないよ、こういうふうなことを言う向きもあるかもしれない。そういう意味では、一つのやり方、提案としては、いわゆる拘束力を強く持つという意味じゃなくて、助言型の国民投票としての全体の国民の皆さんの気分をつかむという意味で、国民投票がまず最初に来る必要があるんじゃないか。

 その際に、できれば全面的な改正なのか、あるいは部分、私どもたびたび申し上げております加憲という格好で、現行の日本国憲法というものの大筋を認めた上で順次それに加えていくという形をとるのか、あるいは今のままで一切手を加えない、むしろやるべきことはほかにある、こういう格好でやるのか、その辺の言ってみれば粗ごなしの作業を、先ほど申し上げた助言型国民投票的スタイルでもってやる必要があるのではないか。それを受けて国会での議論という形になるというのが望ましいのかなという気がいたしております。

 先般、三段階論を申し上げました。一段階が、憲法調査会。二段階が、どこをどう変えるか、また変えないのかという議論を国会の、私は憲法改正のための調査会、そういう名称がふさわしいと思っておりますけれども、そういう場を設けて議論をする。そして三段階目に、具体的に発議の形に入っていく。こういう格好なんですが、その場合の二段階における一番最初に、先ほど申し上げたようなそういう国民に直接問いかけるという部分が来るべきではないのか。

 もしそれがない場合はどうするかな。例えば考えられるのは、衆参両院で国会における本会議議決というふうな格好で、国会議員が憲法に向けての、改正をするというのではなくて改正をするかしないか、そういう作業に取り組む、そういう議決というか決議というか、そういうものが代替物として必要になってくるのではないのかな、そんなふうな感じがいたしております。

 二点目に、国民の意見をどう反映するか、国民の意見を聞くやり方、そういう点でございます。

 先ほど参考人の方にも質問をいたしましたけれども、具体的にどこをどうするかということを議論する場合に、もちろん先ほど申し上げましたように、そういう場面では、いわゆるテレビ等を通じての、国民の皆さんのお茶の間に直接いろいろな物の考え方が提示されるというのは非常に大事なことだと思いますけれども、同時に、そういう場だけではなくて、どう国民の意見を集約するかというか、そういうものをどうつかまえていくかという部分の工夫が必要ではないか。

 その点では、一つは、先ほども申し上げましたけれども、私の申し上げます憲法改正のための調査会というものの附属機関として、いわゆる学者、評論家等を踏まえた識者のそういう協議の場、そういう憲法改正に向けての議論をする場というものも同時に並行的に設置して議論する場面が必要ではないか、そんなふうに思います。

 中身的には、現行憲法の解釈、そして、現行憲法を施行している状況と現実との乖離ということがよく言われますけれども、そういう議論をぜひともじっくりやる方がいい。これは、そういう議論をしっかりすることによって整理をして、現行憲法をもし変える必要があるんだったら、どこをなぜ変えなければならないのかという整理をしっかりとする必要がある。そういう意味で、先ほど申し上げました国民の代表としての学者、文化人のそういう協議する場というものも同時に並行的にやりながら、私たちもそういう議論を一方でしっかりする、こういうことが必要ではないかと思います。

 時間が来て恐縮ですが、あと具体的な部分では、発議の仕方については、先ほど申し上げましたように、一つ二つのテーマで最初スタートするということが非常に適切であるということを改めて痛感をいたしました。

 年齢につきましては私、前回冒頭で、選択が分かれるものという位置づけで挙げておきましたけれども、この四回の議論を聞いておりまして、私も、十八歳、そしてできれば高校卒業という、年齢ではなくて、高等学校卒業という格好で区切るというのが望ましい、そんなふうな感じを持つに至った次第でございます。

 以上、ありがとうございました。

中山委員長 次に、笠井亮君。

笠井委員 日本共産党の笠井亮です。締めくくりに当たっての発言を行います。

 私は、本特別委員会で、今日の国民投票制度の整備の問題が九条改憲と一体のものであるというふうに述べてきましたけれども、まさに委員会の審議とともに進んでいる現実の政治そのものがそうした方向で動いているということを痛感いたしております。

 自民党は、あすにも結党五十年で発表する新憲法草案をまとめるとのことであります。その内容は、自衛軍の保持を明記して、海外での武力行使を可能とする九条の改憲を中心としたものとされています。本委員会でも自民党委員から九条の理念は守ると繰り返し発言がありましたが、一切の戦力と交戦権を禁じた二項を変えることは、九条そのものの理念を壊す重大な改憲案と言わなければなりません。民主党も憲法提言を出すとされています。こうした改憲案づくりと並行して、一体となって進められてきたのが本委員会の審議であります。

 この間の自由討議の中でも、国民投票制度の整備が具体的な改憲と一体であることを裏づける発言がありました。国民投票制度の投票方式を個別にするか一括にするかという議論の中で、今回のこの全面憲法改正という我々の立場からすれば、一括で国民の賛否を問うという方法がいいのではないかという意見や、少なくとも今後予定をされているであろう憲法改正の国民投票に当たっては、全面改正的な、あるいは一括投票的な国民投票手続を志向する方が妥当ではないか、こういう意見が出されました。これらが具体的な改憲案を念頭に置いたものであることは明らかだと思います。

 国民投票制度は、改憲とはかかわりなく整備すべきだという主張はもはや成り立たないと私は思います。今や国民投票制度の整備は、紛れもなく、九条を中心とした改憲の実現に向けた、いわば条件づくりとして現実の政治が動いているのであります。こうした動きは、二十一世紀の世界が目指す平和の流れに逆行すると言わなければなりません。

 今、憲法九条、この問題、いろいろ議論がありましたけれども、やはり日本に対する世界からの信頼の源というだけでなくて、やはり国連憲章に基づく平和の国際秩序、世界秩序をつくっていく上での重要な指針の一つとして評価されてきております。

 国連のアナン事務総長の呼びかけにこたえて、ことし七月にニューヨークの国連本部で開かれた武力紛争防止のためのグローバルパートナーシップの国際会議で、平和を築く人々、武力紛争予防のための世界行動提言が採択されましたけれども、この中でも、日本の憲法の戦争放棄と戦力不保持の条項がアジア太平洋地域全体の集団安全保障の土台となってきたと明記されました。国際的にも評価が高まっている憲法九条を、投げ捨てるのではなく、日本とアジア、世界の平和のために生かすことこそ私たちの役割ではないでしょうか。

 なお、九条にかかわる本委員会での議論をめぐって、幾つか意見を述べておきます。

 一つは、自衛隊を認めないという立場なら、なぜその旨の九条の書きかえを提案しないのかと不思議で仕方がないという議論についてであります。そもそも、憲法九条は一切の戦力の保持を禁止しており、今や世界で有数の軍隊となっている自衛隊は明らかに憲法違反の存在であります。自衛隊の解消という課題は、九条の趣旨に立って、政治と国民の運動によって実現をしていくということが何よりも憲法の立場だと考えます。自衛隊を合憲の所与のものとしてその否定を条文に書くというのは、それこそ不思議な話になってしまうと思います。

 もう一つは、自衛隊の行動に規制を加えるための九条改憲という議論でありますけれども、問題は、そのような九条改憲によって現実に自衛隊の行動に規制がかかるかといえば、何の保証もないというのが著名な憲法学者の指摘でもあります。歴代自民党政権は、一切の戦力を認めていない九条のもとで、日米安保条約を結び、自衛隊をつくって、戦場であるイラクにまで派兵を強行してきました。その政治の現実を見るならば、自衛隊の行動を規制する条文を加えたからといって、憲法をないがしろにする政府のもとで現実に自衛隊を規制できるかというと極めて疑問であります。問題は、憲法にあるのではなくて、憲法を守らない政治にあるのであって、その政治を変えることこそ国民にとって必要な課題だと考えます。

 最後に、今国民投票制度を整備すべしとして挙げられた理由が、私は、この審議の中でいずれも説得力のないものであったということを二つの点で述べたいと思います。

 一つは、改憲のための国民投票制度が未整備であることを立法不作為とする議論が成り立たないということが本委員会でも明らかにされたと思います。参考人からも、立法の不作為状態にあるから国民投票法を整備しなければならないというロジックに対して、不作為ということで法整備ということが裁判所等の目から出てくるわけではないという形で、憲法調査会での発言の趣旨が改めて紹介されました。国民多数は九条を初めとする改憲を望んでおらず、国民の憲法改正権は侵害されておりません。したがって、立法不作為は成り立たないことは明らかであります。

 国会が抽象的違憲審査権の立場で、こういう発言もありましたけれども、国会は立法府であり、日本国憲法のどこを読んでも違憲審査権などは付与されておりません。それでも不作為状態という話にはならないという参考人の意見は当然であります。

 なお、政治的意味で、こういう御主張もありましたけれども、これは結局、今進めようとしている改憲のための国民投票制度の整備の理屈づけに、不作為という言葉を、それこそ政治的に使っておられるというふうに言わざるを得ません。

 もう一つは、改憲のための国民投票制度の整備は国民主権の具体化などというふうに言われた議論であります。

 本日の参考人質疑では、正確な民意の反映ということが強調されました。さきの総選挙では、小泉総理が、郵政民営化の是非を問う国民投票だ、いわばそういうものだとして行いましたけれども、与党は小選挙区で四九%、比例代表でも五一%の得票率で、国民の圧倒的多数が郵政民営化を支持するという結果を出したわけではありません。ところが、議席の上では与党が三分の二を超える議席を得ることとなって、国民の民意と国会の議席との大きな乖離を生み出したわけであります。

 そもそも、小選挙区制は改憲の発議を容易にすることもその目的の一つとして導入されたものであります。民意をゆがめる小選挙区制によって多数を得て、民意を反映しないあるいは民意に反する改憲案を国会が発議することは、国民主権の立場からも許されるものではありません。まして、本委員会の議論の中で出された、国民の運動やメディアの報道に対して厳罰をもって厳しく規制すべきだという主張は、およそ国民主権と相入れないと言わなければなりません。現実には国民主権を抑制するような政治を進めながら、九条を中心として憲法を変えようという勢力から出されている国民主権の具体化などというのは、国民投票制度整備の理由にはなり得ません。

 今必要なことは、九条改憲のための国民投票制度ではなく、日本国憲法に基づいて国民主権を全面的に発揮して、憲法の平和的、民主的諸原則を日本の政治、経済、社会の隅々に生かしていくという立場から、現実の政治を改めることであります。

 このことを重ねて強調して、締めくくりの発言といたします。ありがとうございました。

中山委員長 次に、辻元清美君。

辻元委員 社会民主党の辻元清美です。

 本日は、締めくくりの発言ということで、私は、憲法とその発議や国民投票のルールを決める立法府、私たちとの関係などについて意見を述べたいと思っております。

 憲法を変える手続法である国民投票法は、国の基本法にかかわる大変重要な手続を決めるものですから、ほかの法案よりはるかに慎重で、あらゆる方面から十分な議論が必要であるということは皆さん御主張なさったというふうに理解しております。特に、きょうの参考人の御意見の中で、日本国憲法というのは硬性憲法であること、議会主導型であること、国民投票の経験がないことから慎重な運用が求められるというような御発言もありましたけれども、これは、今の持っている憲法の特徴として、共通の認識があるのではないかというふうに思います。

 さて、そういう中で皆が、ああ、この方法やったら公平やな、中立やな、そういう方法で選んだんだから結果についても皆で責任が持てるなということが果たしてどういうことで担保されるのか。その点について、私は最後に、先ほどから議論にもなっておりました投票率や過半数という定義が非常に重要になるのではないかと思いますので、締めくくりにも指摘をさせていただきたいと思います。

 これは、例えば、この間の神奈川県の補欠選挙の投票率は三二・七四%でした。仮にこれが国民投票であったとするならば、その過半数で改正案が可決されるということになりますので、約六人に一人ということでの可決になってしまいます。これは、例えば現憲法が選ばれたとした場合、改正が必要だと思っている人からは、ちょっと少ないんと違うん、それで正当性があるのだろうかという疑義が呈される可能性もあるし、それから、改正案が可決された場合にもその正当性について疑義が出る、意見が出るという可能性も否定できないわけです。

 私は、この投票率ということを考えますと、やはり皆が納得できるというところで高いハードルを設けても、それをクリアしたからこそ、皆で決めたじゃないかと、どちらが選ばれても納得できる一つの大きな課題になるのではないかというふうに考えております。そういう意味では、一定の投票率の規定を必要としているのではないか、ここは重要なポイントであると思います。きょうは四〇とか五〇という意見も出ておりましたけれども、検討に値する点だというように思うんです。

 過半数についても、参考人の中では、有権者すべての過半数がいいのではないかというぐらいのハードルをかけた方がいいんじゃないか、それは後の納得性の問題と直結してくるというような御意見も出ておりまして、私は、これは検討に値するというように思います。

 というのは、何回も憲法とは一体何かと考えた際に、国民が、主権者が政府をコントロールしていくということであり、多数による専制を防止するための最高法規というような側面もあります。ですから、これを変更するのであれば、どのような立場の人から見ても国民の意思が明確にあらわれたということが納得できるというようなハードルをしっかり私たちで議論していくべきだと思います。

 これは、どちらが選ばれても、それに賛成しなかった者から、その選ばれた憲法に対して疑義が出る。例えば議会で考えてみましても、反対した政党や議員が多数をとって政権交代が起こる場合だってあるわけです。かつ、反対した議員が大臣になる場合もあるわけです。そのときに、自分たちが反対したからまた変えてしまおうとか、あんなに投票率が低かったのでこの憲法についての正当性が問われるんじゃないかというようなことが政治の場で議論されるようになっては、混乱が混乱を招いてしまうということになりかねないと思いますので、この投票率や過半数ということはしっかりと議論されるべき問題だということを強調しておきたいというように思うんです。

 さて、そういう中で、それでは、選ばれた憲法について、私たちまたは現憲法についての私たちの立場というものの中に、国務大臣や国会議員には憲法尊重擁護の義務が今の憲法でも課せられていて、これはどのような憲法であっても変わることはない点ではないかと思います。

 そういうことになりますと、これは将来の憲法についてだけではなくて、憲法の議論をする際に、もしも委員の皆さんや議員、議論する側が自分の気に入らないところがあったとしても現憲法を尊重し擁護するという立場でないと、もっとすばらしい憲法をつくるんだと意気込んでみたところで、憲法というものと真摯につき合っていないということになるのではないかと思います。たとえ新しい憲法ができたとしても、現憲法に対してお粗末に扱っているということであるならば、新しい憲法ができたからそれを守るんだということを言う資格がなくなってしまうというぐらい厳密に現憲法に対しての厳格な運用ということと私たちは向き合わなきゃいけないと思うんです。

 さて、そういう中で、私は、この委員会で、現憲法による規定を無視というかちょっとないがしろにしているんじゃないかという発言も出たということが非常に残念な点でした。それは、例えば、ある委員の方が自衛隊などのことを言及されたときに、自衛隊の代表者や特に自衛官にも本会に出席してもらって、部隊の運用や必要な装備について意見を聞いてやる必要があるんじゃないかというような発言も飛び出しました。

 私は、現憲法のもとで日本はシビリアンコントロールの国ということが徹底されて、これは日本のいい点ではないかというように思っております。そのような憲法のもとで、そしてその憲法にまつわることを議論しようという本委員会での発言で制服組を呼ぼうというような議論まで飛び出すということは、私たちが今まさしくどうすればいいかという憲法をないがしろにしてしまう、それはどういう立場であっても同じではないかというように私は思いました。

 さて、そういう中で、もう一点。先日、委員の中からも指摘がありました、小泉総理の靖国参拝についても、これは賛成、反対についてここで議論や意見を申し上げるのではなく、憲法との関係で一言意見を申し上げたいと思います。

 幾つかの裁判所で違憲判決が出た。これは、裁判所の判断も国民の判断も分かれているところです。そうなりますと、どんな憲法であっても憲法擁護尊重の義務があるという立場で憲法を変えよう、または憲法の内容を議論しようという者は、やはり、この擁護尊重の義務をきちんと認識した行動が必要だと思うんです。特に一国の総理大臣となりますと、それは重要な意味を持ってくると思います。

 先日の党首討論の中でも、一国民の思想、信条の自由ということを総理が主張されたことは、非常にこれも残念でした。やはり、政教分離ということが問題にされていたわけです。私は、新しい憲法をつくった方がいいんじゃないか、またはその方法、ルールをきちんと議論しようという人であればあるほど、一国の総理大臣が疑義を呈されるという行為に対しては厳しく、そういう人であればあるほど、警告を発していくというぐらいの厳しさを持って憲法と私たちが向き合うということが大事ではないかというように思っております。

 ですから、最後になりますけれども、どのような憲法を選択するかを決める手続法では、一国の憲法としてしっかりとした正当性が持てるだけの支持を得るための規定の設定ということが重要になると考えますし、その上で選ばれた憲法を尊重し擁護する責務が現在もそれから将来も公的な立場の者にあるということを踏まえて、国民投票法を含む憲法をめぐる議論がなされなければならないということを最後に強調して、締めくくりの発言とさせていただきます。

 ありがとうございました。

中山委員長 次に、滝実君。

滝委員 国民新党・日本・無所属の会の滝実でございます。

 国民投票制度の問題につきましては、当委員会設立の最初からその都度意見を申し上げてまいりましたけれども、総括して少しばかりお話をさせていただきたいと思っております。

 先ほど来、各委員の皆さん方から国民投票をめぐるいろいろな御意見がございました。私は、その中でやはり一番重視しなければいけないのは、国民投票制度、これは、国民主権をどうやって実現するか、国の基本をどういう格好で国民が参加する、主体性を持って意思決定をするか、そういうことを取り決める法律、そういう意味では大変重大な法案だろうというふうに思います。

 そういう意味で、仙谷委員がお述べになりました、通常の法案の手続でいいのかどうかということについても、改めてそういう角度から、これは特別な法律だという意味で、衆議院、参議院を通じての意思交流、そしてまた、その中での国民のおおよその意見をどういう格好でこの手続法についても入れ込んでいくかということも改めて考えてみなければいけない問題だろうというふうに思っております。

 そういう意味で、改めて、この国民投票制度の持つ重要性、そういうものを国会における審議を通じて国民に理解をしてもらう、そういうことが一番大事だと思っておりますし、そしてまた、この法案が直接憲法九条の問題につながるものでもない、それは憲法の改正案の中身の問題と不即不離の関係にあるのかもしれませんけれども、これは別の問題だということも国民の皆さん方に理解をしていただく、そういう必要があるんだろうと思います。

 そういう意味で、本日の参考人からもお述べいただきましたように、憲法で要求されております改正に要する過半数の数字とは別の角度からも改めて議論をしていただくということも一つの方法だろうと思います。

 ただし、きょうの福井参考人がお述べになったように、憲法で要求されている承認の基準としての過半数のほかに、例えば四〇%条項を入れるとかいうことになりますと、それはなかなか賛否両論ある意見だろうとは思いますけれども、そういうようなことを踏まえて、この手続法をどうやって規定していくかということを常々考えなければいけない、そういう問題だろうと思います。

 そういう意味で、福井参考人がおっしゃったように、憲法改正をする際には、やはり国民からの理解、それから国民からの盛り上がり、そういうものがなければ、これがたとえ改正ということになっても、なかなか国民の大方の信任が得られない、そういう問題を後に残すことになるだろうと思いますので、ぜひとも、この国民投票法においては、どうやったら国民の民意が反映されるか、そのための手続としての運動はどうあるべきかということを、もう少し具体的に各国の例を参考にしながら十分に議論していく、そういうような方向づけがこの委員会を通じても出てきたように思いますし、次の委員会に継続していく、そういうようなきっかけになっているんではなかろうかな、そういうふうに思いますので、その辺のところを改めて私は強調すべきだろうと思っております。

 そして、その際に、やはり問題点として意識しなければならない点は幾つかございます。例えば、年齢の問題あるいは発問方式の問題、運動期間の問題、そういうような重要な問題が幾つかございますから、そういう問題についても、具体的ないい悪いの検討をすべきだろうと思っております。

 例えば、この委員会でも出されましたように、国民投票だけは十八歳まで年齢を引き下げるということが具体的な提案としてなされているわけでございますけれども、そういう問題が本当に可能なのかどうか、そして、その場合には国政選挙の方はどうするのかとか、そういった問題まで掘り下げた議論をしていきませんと、なかなか国民投票の運用の問題に今度はネックになってくる、こういうことだろうと思います。今までの考え方からすれば、国民投票の運用は国政選挙にそのまま乗っかっていくということでイメージがあるわけでございますけれども、それとは別の制度あるいは仕組みを考えるとなると、全く違ったことを具体的に詰めていく必要がある、そういう問題がございます。

 そういう意味で、例えば運動期間の問題も、今まで出されているいろいろな試案の中では、運動期間は三十日から九十日ぐらい、こういうようなことがおおよその検討として議論されてきているように思いますけれども、それにつきましても、発問方式あるいは年齢の問題から国政選挙とは違ったとり方をするならば、単純に三十日から九十日ということだけで設定できない問題が実務上の問題として出てくると思いますので、そういった点についても具体的に詰めていく、こういうことがどうしても必要だろうというふうに思っております。

 そういう意味では、この特別委員会ができ上がってからこれまでの議論というものは、それなりに大変真摯な議論がこの中で展開されたわけでございますから、それに基づいてさらに掘り下げた議論、そして私どもは、もう少し国民に国民投票そのものを理解してもらうだけのアピールというものを国会としてやっていく、そういうような機会をできるだけおつくりいただきますように希望を申し上げまして、意見とさせていただきたいと存じます。

 ありがとうございました。

中山委員長 これにて各会派一名ずつの発言は終わりました。

    ―――――――――――――

中山委員長 この際、一言申し上げます。

 去る九月二十一日、特別国会が召集され、翌二十二日、本委員会は、日本国憲法改正国民投票制度に係る議案の審査等及び日本国憲法の広範かつ総合的な調査を行うための組織として設置されました。同日、委員長及び理事の互選をし、その後、本日を含め四回にわたって憲法改正国民投票制度を中心として調査を行ってまいりました。

 ここで、理事会の申し合わせに基づきまして、委員長として、この国会で日本国憲法改正国民投票制度に関してどのような議論が行われてきたのか等について、一言申し上げたいと思います。

 最初に、国民投票における投票権者の範囲について申し上げますと、年齢要件や、受刑中の者や選挙犯罪によって公民権停止中の者の取り扱いについて議論が行われました。

 年齢要件については、国民投票権の年齢要件を十八歳以上とすることの是非及び選挙権の年齢要件と国民投票権のそれを同じにすべきかどうか等が議論され、また、受刑中の者等についても国民投票権者に含めるかどうかが議論されました。

 いずれについても両論が述べられたわけでございますが、年齢要件、受刑中の者等の扱いに関し、国民投票権者の範囲を選挙権の場合よりも広いものとすべきであるとする意見は、国民投票は国の形を決めるものであるから、できる限り多くの国民にこれを付与すべきであるという考え方を基礎とするものでございます。

 いずれにいたしましても、制度の根幹にかかわるものでございますから、さらに議論を深める必要があるものと存じます。

 投票権の要件に関連して、海外在住の日本国民に対しても国民投票権の行使が保障されるべきことは、委員の間に御異論はないものと存じます。

 去る九月十四日、在外邦人選挙権訴訟について、最高裁判所は、憲法は、国民主権の原理に基づき、両議院の議員の選挙において投票をすることによって国の政治に参加することができる権利を国民に対して固有の権利として保障し、その趣旨を確たるものとするため、国民に対して投票をする機会を平等に保障している。このことからすれば、国民の選挙権またはその行使を制限することは原則として許されず、国民の選挙権またはその行使を制限するためには、そのような制限をすることがやむを得ないと認められる事由がなければならないとする趣旨の判決を出しました。

 この判決の趣旨からすれば、選挙権以上に主権者国民にとって重要な意味を持つ国民投票権の行使を制限することは原則として許されないことは、言うに及ばないところでございましょう。

 在外投票に関しては、この趣旨にのっとって、在外投票人名簿への登録手続の簡素化や、郵便投票などの投票方法の多様化、効率化、あるいは現地への情報の提供のあり方等、全般についてなお議論する余地があるものと存じます。

 次に、国民に賛否を問う方法として、改正条項を一括して改正全体について賛否を問うのか、各条項あるいは各項目ごとに賛否を問うのかという問題についてでございます。

 この点については、関連性のない複数の改正事項が一括して投票に付されると賛否の判断が困難であるから個別に判断することができるようにすべきであるが、ただ、論理的に不可分一体の改正事項については例外的にそれを単位として賛否を問うべきであるというのが、議論のおおむねの方向と言えるのではないでしょうか。

 なお、全面改正の場合は、この例外的に一括投票によるべきケースになるという御意見もございました。

 残る問題は、複数の改正事項がある場合に、それらに関連性があるのか、それとも不可分一体であるのかをどのように適切に決定するかということではないでしょうか。

 次に、発議後の周知期間についてであります。

 十分な期間を確保することが必要という点では異論のないところでありましょう。この点、参考人から、さまざまな意見が淘汰されていく過程を持つためにも、周知期間を十分にとるべきであるという意見が述べられました。また、委員からも、憲法のあり方について国民的な議論を尽くすべく、この期間を相当長期なものとすべきであるとする御意見もございました。

 このような観点を含め、今後、周知期間の具体的な定め方についての検討が必要と存じます。

 改正案の周知、広報活動についてでありますが、衆参両院議長名で改正案の案文及びその要約や解説を付した公報を出すという案も述べられたところでございますが、参考人質疑を契機として重要な論点が浮かび上がってまいりました。

 すなわち、参考人から、公金を用いて行う政府の広報活動は、改正案の賛否に関して、例えば両論併記のパンフレットの発行といった中立的な特定の活動に限定されるべきであるとの見解が開陳されたところ、このような見解に賛成する意見が複数の委員から述べられたところであります。

 この点、政府の中立性を定めている諸外国におきましても、それを担保する具体的な方法につきましてはさまざまな試行錯誤を続けているということでございますので、諸外国の制度につき、さらに調査を深めていく必要を感じた次第であります。

 次に、国民投票運動の規制に関する議論でございますが、特に、運動の主体の問題として外国人の投票運動に対する規制の是非が、運動の中身の問題として買収やマスコミの虚偽報道の禁止について議論が行われました。

 外国人について、投票権が認められないことは国民主権の原理からして当然のこととして、その運動まで規制すべきかどうかについては、特にその組織的な活動について一定の制限が必要であるとする意見も述べられましたが、規制に反対の意見もございました。

 運動の中身について、国民投票の公正の確保を重視して、虚偽報道や買収など必要最小限度の規制を要するとする意見と、他方、国民投票に係る運動と一般の政治活動との区別は困難である、規制を設けることによって憲法議論を萎縮させるべきでない、あるいは虚偽の言論は言論の自由市場における淘汰にゆだねるべきであるなどとする意見とがございました。

 国民投票運動に対する規制の是非の問題については、個別の行為類型ごとに、国民投票の特徴を踏まえた上で、国民投票の公正と運動の自由という二つの価値を調和させるべく議論を深めていく必要があると感じた次第であります。

 次に、憲法九十六条が要件とする国民投票における過半数要件の意味についてでありますが、委員の御意見としては、一、白票、無効票を含めた投票者総数の過半数とするもの、二、有効投票総数の過半数とするものが述べられました。これは、投票の記載方法をどのようにするかといった論点につながる問題でございますが、さらに議論を要する問題であります。なお、参考人からの御意見として、有権者総数の過半数という意見もあったことを申し添えておきます。

 次に、国民投票と国政選挙とを同時に実施することの是非という点については、同時に実施することも差し支えないとする委員はおられず、この点について述べられた委員の意見は、別個に実施すべきであるとするものであり、主要与野党間での合意が期待される憲法改正の国民投票と政党間で政権を争う国政選挙とでは性格が異なるということを理由としておりました。この問題は、既に決着済みと言えるほどに共通の認識が形成されているものと存じます。

 最後に、国民投票による承認の効力の発生時期と国民投票の無効訴訟との関係に関する論点がございました。

 承認の効力の発生時期について、無効訴訟が終結、確定して、投票の結果が最終的に確定したときとする考え方と、投票の結果、賛成投票が過半数に達すれば、国民の意思が明確に示されたものであるから、直ちに公布、施行すべきという考え方とが述べられました。また、より精緻な議論として、基本的には直ちに公布、施行すべきという後者の考え方に立ちながら、国民投票の手続にきずがあるとする原告の主張に疎明がされた場合に承認の効力の発生を一時停止するという構想についても議論が行われました。

 これらの点については、何をもって国民投票の無効原因とするかについての議論も踏まえ、なお検討を要する問題でございますが、いずれにしても、国民投票で示された民意を迅速に実現することの必要性と改正憲法の安定性という二つの要請を踏まえて制度設計をする必要があるものと存じます。

 終わりに、国民投票制度の意義について触れたいと存じます。

 前回、十月二十日の委員会において、意見が違っても議論をし、国民が国づくりへの参加意識を持つこと、それが国民の統合に大変に寄与するものであるとする参考人や委員の発言がございました。まさにそのとおりであります。国民投票は、憲法制定権力の担い手である国民みずからが憲法論議に直接かつ終局的に参加する制度であります。この制度を整備することは、日本国憲法の基本原理である国民主権原理を具体化するということであり、つまりは憲法制定、改正に対する国民の主権を、国民を代表する国会が回復する作業というべきものであります。

 以上をもちまして、私の発言といたします。(拍手)

 次回は、来る十一月一日火曜日委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後零時八分散会


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