衆議院

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第6号 平成18年3月30日(木曜日)

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平成十八年三月三十日(木曜日)

    午前十時開議

 出席委員

   委員長 中山 太郎君

   理事 愛知 和男君 理事 近藤 基彦君

   理事 福田 康夫君 理事 船田  元君

   理事 保岡 興治君 理事 枝野 幸男君

   理事 古川 元久君 理事 斉藤 鉄夫君

      井上 喜一君    伊藤 公介君

      石破  茂君    小野寺五典君

      越智 隆雄君    大村 秀章君

      加藤 勝信君    河村 建夫君

      柴山 昌彦君    高市 早苗君

      棚橋 泰文君    渡海紀三朗君

      中野 正志君    葉梨 康弘君

      早川 忠孝君    林   潤君

      平田 耕一君    二田 孝治君

      松野 博一君    森山 眞弓君

      安井潤一郎君    山崎  拓君

      吉田六左エ門君    小川 淳也君

      北神 圭朗君    鈴木 克昌君

      園田 康博君    田中眞紀子君

      筒井 信隆君    平岡 秀夫君

      福田 昭夫君    森本 哲生君

      谷口 和史君    桝屋 敬悟君

      笠井  亮君    辻元 清美君

      滝   実君

    …………………………………

   衆議院憲法調査特別委員会及び憲法調査会事務局長  内田 正文君

    ―――――――――――――

委員の異動

三月三十日

 辞任         補欠選任

  岩國 哲人君     森本 哲生君

  逢坂 誠二君     福田 昭夫君

  太田 昭宏君     谷口 和史君

同日

 辞任         補欠選任

  福田 昭夫君     逢坂 誠二君

  森本 哲生君     岩國 哲人君

  谷口 和史君     太田 昭宏君

    ―――――――――――――

三月二十九日

 憲法九条改悪のための国民投票法案反対に関する請願(郡和子君紹介)(第八八〇号)

 同(郡和子君紹介)(第九一六号)

 同(篠原孝君紹介)(第九一七号)

 同(郡和子君紹介)(第九二四号)

 同(鉢呂吉雄君紹介)(第九二五号)

 同(郡和子君紹介)(第九四一号)

 同(篠原孝君紹介)(第九四二号)

 同(保坂展人君紹介)(第九六三号)

 同(鉢呂吉雄君紹介)(第九八三号)

 同(篠原孝君紹介)(第九九九号)

 同(篠原孝君紹介)(第一〇〇九号)

 国民投票法案反対に関する請願(辻元清美君紹介)(第九六四号)

は本委員会に付託された。

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 日本国憲法改正国民投票制度及び日本国憲法に関する件


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     ――――◇―――――

中山委員長 これより会議を開きます。

 日本国憲法改正国民投票制度及び日本国憲法に関する件について調査を進めます。

 本日は、今国会における日本国憲法改正国民投票制度についての各会派の御議論を踏まえて自由討議を行います。

 議事の進め方でありますが、まず、各会派を代表して一名ずつ大会派順に五分以内で発言していただき、その後、順序を定めず自由討議を行いたいと存じます。

 発言時間の経過につきましては、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたします。

 それでは、まず、近藤基彦君。

近藤(基)委員 自由民主党の近藤基彦です。

 本委員会での憲法改正国民投票法制に関する議論は、各党の基調発言を終え、本日から自由討議が始まるわけでありますが、私は、その最初の発言者といたしまして、今後の議論をより深めるために、私なりに整理を行ってみたいと思います。

 まず最初に、基本的な事項を確認したいと思います。

 それは、憲法改正の国民投票と一般的な国民投票との関係です。

 両者は、確かに国民投票という点では同じかもしれませんが、その本質は全く異なるものだと思います。一方は、三分の二以上の賛成でほとんどの政党が賛成をして国民に賛否を問うものであり、しかも、その国民投票の結果は法的拘束力を有することになります。他方、一般的な国民投票は、政策的に与野党が激しく対立するような論点について民意を問うてみるというもので、しかも、現行憲法下においては拘束力のない諮問的な法律上の制度とならざるを得ないわけであります。このように性質の異なる一般的な国民投票については本委員会での議論から外しておいた方が、制度設計上の建設的な議論ができると思います。

 次に、これまでの議論の中で指摘された論点のうちで、憲法改正国民投票制度の構築上、基本的な論点でありながら、各党の意見がかなり食い違っている二つの論点について私見を述べたいと思います。

 第一点は、投票権者の年齢です。

 これについて、私は、国政選挙の選挙権者の年齢と一緒にするということを前提に考えるべきだと思います。国政に参画するという広い意味での参政権という点で両者を区別する合理性は見られないからです。ただ、選挙権年齢や民法の成人年齢等も含めて引き下げるべきであるとの主張であれば、それは世界各国の制度にかんがみても十分に理解できます。そうしますと、我が党の船田理事が三月九日の本委員会で発言されましたように、本則上は現行のまま二十とした上で、附則や附帯決議等において早期の年齢引き下げについて言及する、そして、その言及の仕方について具体的な議論をするのが生産的ではないでしょうか。

 もう一つは、投票用紙への賛否の記載方法と過半数の意義です。

 これは一見テクニカルな論点のように思われるかもしれませんが、国民投票における民意をどのように見るかという基本的な論点であり、しかも、賛否の記載方法と過半数の意義とは実はリンクした論議だと思います。すなわち、国会の発議した憲法改正に賛成票を投じた国民が過半数であったというときの分子については、賛成票、つまり明確にマル印をつけた票と理解することに異論はないはずです。問題は、その分母をどのように考えるかということです。この分母を明確に意思表示をしたマルの票とバツの票の合計と考えるのか、それともマルとバツの票だけでなく投票所に足を運んで棄権の意思表示をした、いわば消極的な反対票という意味で白票も加えた合計と考えるのか、さらには白票だけではなく他事記載などの無効票もすべて分母に加えるのかということです。

 私は、他事記載などの無効票はもちろんのこと、白票についてもそれらを一律に反対票とみなすことには疑問を感じざるを得ません。あくまでも、発議された憲法改正案の内容を理解した上で明確に意思表示をしたマルとバツのみを分母として過半数を算定するべきではないでしょうか。そして、国会や各政党は、国民への周知、広報を積極的に行って、できるだけ白票を減らすことにこそ精力を傾けるべきであると私は考えます。

 以上、私見を交えながら、基本的な論点を拾ってみました。そのほかにもまだまだ議論を深めなければならない問題が多々あります。今後の本委員会での議論が、相互に真摯で、かつ建設的なものとなるよう各党の努力を期待して、発言を終わります。

中山委員長 次に、筒井信隆君。

筒井委員 民主党の筒井信隆でございます。

 もちろん、今度の憲法改正の国民投票は憲法九十六条に基づいて考えているわけでございますが、憲法九十六条の規定を見てみますと、もう御存じのとおり、特別の国民投票あるいは国政選挙の際の投票のいずれかで行うというふうに規定がされているわけでございまして、特別の国民投票にかわるものとして国政選挙の際の投票を考えている。そのいずれも、国政選挙の際の投票も広い意味で言えば国民投票の中に入るわけでございまして、今ここでは国民投票制度をどうするかという議論をしているわけでございますから、国民投票法案をつくる際には、憲法改正についての国民投票と、そうじゃない一般の諮問的な国民投票と一緒につくってもいいわけで、それは別に構わないだろうというふうに思っております。

 ただ、はっきり言えることは、憲法は特別の国民投票にかわるものとしての国政選挙の際の投票ということを考えておりますから、国政選挙の際の投票においては、考えてみますと、例えば投票権者の年齢とか何か、これを国政選挙の際の投票権者と憲法の投票の際の投票権者と違うというふうには憲法は考えていない、やはり同一にするということを考えているということが言えるんだろうと思うんです。国政選挙の際の投票所に行った場合に、国政選挙の投票する人と憲法の方の投票する人と投票権者が違うなんということは極めて考えにくいことでございますから、年齢の問題、投票権者の問題等共通した問題に関してはやはり同じに扱うべきだというふうに憲法は考えているんだというふうなことが言えるんだろうと思うんです。

 私は、やはり十八歳に年齢を下げるべきだというふうに考えておりますが、それはやはり憲法の投票についても、それからほかの国政選挙における投票についても、共通して十八歳に下げる、こういう方向で考えていくべきだろうというふうに思っております。

 ただ、憲法の投票に独自の問題があるわけでございまして、個別投票か一括投票かとか、あるいは国民の過半数をどう考えるかというのは、憲法に関する投票の独自の問題でございます。これももちろんもう個別投票しか私は考えられないというふうに思っておりますし、一括投票というのは間違いであるというふうに考えております。それは、ここで議論しているのは憲法の改正である、新憲法の制定は一切議論の対象になっていないという点をもう一度振り返る必要があるだろうというふうに思います。

 憲法の改正は、憲法の定める手続と制約のもとに現在の憲法に変更を加えるものでございまして、憲法の制定とすると全く新しい憲法をつくるわけでございます。この憲法改正されたものを現在の憲法と一体のものとして公布するわけでございますから、新憲法の制定ではない、そういう意味の憲法の改正である。

 これは、全面改正というのを予定していないんじゃないかというふうに思います。部分改正か、あるいは加憲といいますか増補といいますか修正条項のプラスといいますか、私はそっちの方しか基本的には予定をしていないんだということも言えるのではないかというふうに考えておりますから、なおさら個別投票であり、一括投票というのは賛成できないというふうに思っております。

 それら根本的なところから今度の国民投票法案の中身をやはり決めていくべきだろうというふうな意見を申し上げたいと思います。

 以上です。

中山委員長 次に、斉藤鉄夫君。

斉藤(鉄)委員 公明党の斉藤鉄夫でございます。

 憲法改正のための国民投票法に関する基本的な考え方につきましては、先々週の委員会で申し上げたとおりでございます。そのときに紹介し切れなかった党内のいろいろな意見について、きょうは二、三、御報告をさせていただきたいと思います。

 一つは、憲法の硬性性でございます。

 この憲法の硬性性につきましては、衆議院、参議院それぞれ三分の二以上の議員の発議による、この三分の二というところで担保をされているというのが基本的な考え方でございます。そして、この硬性性については、これは当分といいましょうか、かなり長期間、我々はこれを守っていくということを憲法改正のための諸手続が整う前に国会で確認しておく必要があるのではないかという強い意見がございました。つまり、当然この三分の二というところも憲法改正の対象になり得るわけでございまして、真っ先にここが改正されて憲法が軟性化するということであれば、この憲法改正に対しての国民の姿勢もかなり疑義を持ったものになってくる、このように思います。

 したがいまして、この憲法の硬性性、衆参三分の二以上の議員の発議によるということについては当分は改正の対象にしないということを、これはどういう形でやるのかいろいろな議論があろうかと思いますけれども、国会の間で確認をしていくということも必要ではないか、このように考えられます。

 その件に関しまして、私、前回の発言で、この国民投票のイメージとして、五―七年ごとに二、三項目についての国民投票を行うというふうに申し上げましたが、党内で議論をいたしまして、考えてみると、例えば教育基本法についてはこの六十年間改正されていない、また長期間改正されていない重たい法律もたくさんございます。そういう中にあって憲法が五―七年ごとに改正されるというのは、いかにもその硬性さからいってそぐわないのではないかという議論も強くございました。確かにその面があろうかと思います。そういう意味では、おおむね十年ごとに二、三項目ということなのかなというふうな議論に今落ちつきつつあるところでございます。

 その際にありましても、常に憲法について議論をしていく常設の特別な機関、これを前回、憲法調査審査会、このような仮称で呼ばせていただきましたけれども、そういう審査会については必要であろう、そのように考えております。

 また、憲法の硬性性、衆参それぞれの三分の二以上の議員の発議ということに関して、次のような議論が出たことも御紹介したいと思います。

 つまり、例えば一院制にするというふうなことにつきましては、なかなか国会からこれが発議されるということは想像しにくいわけでございまして、硬性性を保つということを考えれば衆参三分の二というのは堅持しなくてはなりませんけれども、しかし国会でなかなか発議できないであろうテーマについて何らかの道を、これは今後の課題ですけれども考えておくべきではないか、こういう議論もございました。

 それから、教育基本法の議論がこれから行われようとしておりますけれども、この教育基本法の前文に「憲法の精神に則り、」という文章がございます。この憲法の精神とは何かということについては憲法の現在の三原則であるという確認がされておりまして、この憲法の三原則については憲法改正があっても守っていくべき、このように考えております。

 以上です。

中山委員長 次に、笠井亮君。

笠井委員 日本共産党の笠井亮です。

 この間の委員会の議論を踏まえて、三つのことを感じているので述べたいと思います。

 第一に、この間の状況は、改憲のための国民投票法案が九条改憲の条件づくりであることをいよいよ明確にしていると思います。

 これまでの議論で、国民投票制度は九条改憲を前提としているわけではないという御意見がありました。しかし、現実に自民党の中から、憲法改正に向けて、通常国会で国民投票法を成立させた上で、政党間協議の入り口までことし後半にはたどり着き、来年本格的な協議に入りたいという言明がなされております。憲法制定から六十年間つくられてこなかった法律をにわかにつくろうという動きが、自民党などが改憲案を準備し、改憲を政治日程にのせようとするそういう動きと軌を一にしたものであることはいよいよ明白になってきていると思います。

 しかも、その改憲案は九条改憲を中心としてまとめられていること、さらに、九条改憲を待たずに現在進められようとしている在日米軍基地の再編強化、自衛隊との一体化の動きとも歩調を合わせている事実を見れば、幾ら九条改憲を前提としていないと否定しようとしても、九条こそ最大の焦点であることは明らかだと思います。

 第二に、今、国民投票法案をつくる必要性について、国民主権原理を援軍にしたり、改憲とは切り離してルールづくりをという御意見もありましたが、これももはや成り立たなくなっているというふうに私は思います。この間の議論では、今国民投票制度を整備することは国民主権原理からも当然とする御意見があったわけでありますが、国民が主権を行使するあり方は改憲案に対する国民投票だけに限られるものではありません。改憲を望まない国民が、国会に改憲案を発議させないこと、改憲の条件づくりとなるような国民投票法案をつくらせないことも、国民が主権を行使する重要な内容の一つだと思います。

 そうした国民の意思の表明は既に始まっております。昨日も国民投票法案反対の要請行動が本委員会委員に対してもありましたけれども、憲法改悪反対や九条改悪のための国民投票法案反対に関する請願が多数寄せられております。全国で四千五百を超える九条の会を初め、国民の中に草の根で今日の改憲の動きに反対する運動が広がっています。こうした現実に行われている国民の主権行使の取り組みこそ、国会は正面から受けとめるべきだと思うんです。

 また、国民投票制度は改憲とは切り離して議論すべきという御意見がありましたが、むしろ改憲と切り離して議論できない状況をつくってきたのが、改憲を目指し、そのための国民投票制度をつくろうとしている政党や議員の方々であることを指摘せざるを得ません。

 第三に、国民は九条改憲のための国民投票法を望んでいないということを改めて指摘しておきたいと思います。

 あの悲惨な沖縄戦を体験し、今また米軍再編強化の大きな焦点となっている沖縄で、琉球新報が三月二十日付の社説で「国民投票法案・問題の本質を見失うな」、こういうタイトルを掲げております。

 その中から若干引用しますと、「憲法改正論議は、いつから投票権年齢の話にすり替わったのだろうか。現行憲法は「戦争放棄」と「戦力不保持」をうたい、比類なき平和憲法として位置付ける国民は少なくない。見直す理由が見当たらないとの指摘もある中で、論議を深めることなく、改正に向けた準備だけが着々と進んでいる。そんな印象が否めない。これでは何のための国会か、ということになる。」「憲法改正への機運が国民に熟したとはとても思えない状況下で、国会論議を深めることもなく、改正への手続きを急ぐことは許されない。投票権年齢の問題などに目を向けさせる手法も姑息と言わざるを得ず、そんなことで国家の将来が決まってしまっていいのかと思う。」こう厳しく警告しております。こうした声にこそ真剣に耳を傾けるべきだということを私は指摘して、発言を終わります。

中山委員長 次に、辻元清美君。

辻元委員 社会民主党・市民連合の辻元清美です。

 本日は、憲法がしっかり社会に根づくために重要なことは何かということについて意見を述べたいと思います。

 先週も指摘をいたしましたけれども、憲法は、一つの勢力が選挙で過半数をとってもやってはいけないことを決めています。これが共通認識だと思います。このように、規範としての憲法による縛りがあるので、その時々の議会の数の力や政権の一方的な方針によって政治が振り回されることを防いでいるという枠が憲法だと思うんです。ですから、憲法というものは、政権や状況が変わったからといってころころと変えられるというものであっては困ると思います。

 また、自分たちの憲法だという主権者の認知度ないし受容度が高くならなければその憲法が認められないということになりますので、それがないと大きな政治の混乱につながってしまうような性質を持っている非常に重いものだと思います。

 ですから、憲法を変える手続法としての国民投票制度について、主権者の間での十分な議論がないままに決められることはあってはならないと私は本委員会で繰り返し警鐘を鳴らしているんですけれども、万一ここで慎重な対応を私たちが怠ってしまったら、今後、憲法をめぐって政治的な混乱、これは国政の場だけではなくて、認知度の問題など主権者の間でも混乱を招きかねないと考えるので、繰り返しこの場で意見を述べております。

 社民党は現行憲法を変える必要はないという立場ですけれども、現行憲法を変えたいと考えている立場の人であればあるほど、できるだけ多くの主権者と一緒に手続法についても慎重な議論を展開するという姿勢が求められると思います。

 国民投票は主権者のものである憲法をどのようにするかを決めるものですから、どのような手続にするかは主権者がしっかりと納得するものでなければならないのは言うまでもないと思います。自分が大事な選択をしなければならないときに、その方法はいつの間にか決められていて、さあ、この方法で選びなさいと押しつけられるというような印象を持つようでは、納得できないということになりかねないと思うんです。

 憲法をどうするかを選ぶということは、主権者一人一人にとって自分たちがどのような生き方ができる社会を選び取るかということにつながると思います。だからこそ、その選択のすべてのプロセスに主権者みずからが関与したいと考えるのは自然なことだと思います。また、十分な関与が確保されたプロセス、手続が不可欠だと思うんです。ですから、この手続についてもきっちりプロセスを踏まないと、たとえ憲法を変えたいという人たちの思いどおり国民投票が実行されるという事態になったとしても、国民投票に参加しようという主権者のインセンティブが高まらないということが考えられると思います。

 国民の民意が高まらないと国民投票の実施は難しいと、国民投票を既に行っているヨーロッパの調査でも繰り返し多くの人たちから指摘がありました。このような民意というものは、自分たちのことを自分たちの納得した方法で自分たちで決めるという参加意識からしか生まれてこないと思います。その入り口の方法のところから主権者不在では話にならないということになります。多くの人の参加がないまま低い投票率で選択された憲法では、その正当性が弱いために、政治や社会の混乱につながることも考えられます。

 最後にもう一度申し上げたいと思います。ですから、憲法の場合は、通常の事柄のように、手続法だから実務的にさっさと決めればいいというわけにはいかないとてつもなく重要な案件であるので、しっかりと時間をかけて、主権者を巻き込んだ議論を展開することにこそ力が注がれるべきだということを、きょうもしっかり指摘したいと思います。

 以上です。

中山委員長 次に、滝実君。

滝委員 国民新党・日本・無所属の会の滝実でございます。

 今回は、前回の発言に一つだけ補足をさせていただきたいと思います。

 一番最初に、近藤委員あるいは笠井委員からも一般的な国民投票に触れる発言がございましたので、それに関して申し上げたいと思います。

 前回も申し上げましたように、当然、国民投票は改憲ということを前提にしているはずでございますけれども、昨年の衆議院選挙に見られますように、やはり法案をめぐって国民の判断を仰ぎたい、そういう衝動に駆られる部分があることも実際あったわけでございますから、私はそういう意味で、むしろ自民党の方から、一般的な、諮問的な国民投票制度をこの際組み込むということをすべきだということを申し上げたわけでございます。

 しかし、それ以外に実はグレーゾーンの問題も前回申しましたようにあると思いますね。憲法九条の問題だけではなく、例えば道州制の問題も、今議論をしている道州制は、これは北海道に普通の県並みの権限を与えようという動きでございますから当面は憲法の問題には触れない話でございますけれども、もう少し進んで国に準ずるような権能を道州制に与えるということであれば、当然それは憲法事項ということになるんだろうと思います。そういう意味でも、この分権の問題をこれだけ議論しているさなかでございますから、私はこの際、国民投票制度を早目にきちんとすべきだろう、こういうふうに考えております。

 そして、最初にこの憲法調査特別委員会が設置されたときの報告にもございましたように、ヨーロッパでは国民投票制度というものは議会制民主主義との関係で多少問題になっているというようなことが報告されました。その一環として、一般的な、諮問的な国民投票制度はいかがだろうか、こういうことになってきたような雰囲気があるわけでございますけれども、そのもとをたどりますと、やはり八年前のオランダにおける国民投票制度を私どもは思い出しておく必要があるように思います。

 オランダの憲法改正は、これは国民投票という形をとらずに、下院、上院の解散ということを憲法改正の条件としてきたわけでございますけれども、それに加えて、八年前にオランダでは一般的な法案につきましての国民投票制度を導入しようということで議論がございまして、その際にオランダで起きたのは、もともとこの国民投票制度は法案の可否をめぐる国民投票について拘束的な国民投票制度を導入したところが、与党の一議員が一晩で反対に変わったものですから、三分の二の多数決が得られずに拘束的な国民投票制度がしぼんでしまったという事実があるわけでございます。その四年後、今から四年前に、非拘束的な、一般諮問的な国民投票制度を重要法律について導入するということをオランダではあえてやっております。

 そういうようなことを考えるにつきましても、やはり私は、この国民投票制度をせっかく議論するならば、憲法に関連する以外の諮問的な投票制度であれば、議会制民主主義の問題とは、オランダの例が示すように、それほど大きな問題とはなり得ない。

 そういう意味で、国民投票制度を、一般的な、諮問的なものもこの際あわせて考えるべきだということを改めて提案させていただきたいと思います。

 ありがとうございました。終わります。

中山委員長 これにて各会派一名ずつの発言は終わりました。

    ―――――――――――――

中山委員長 次に、委員各位からの発言に入ります。

 一回の御発言は、五分以内におまとめいただくこととし、委員長の指名に基づいて、所属会派及び氏名をあらかじめお述べいただいてからお願いいたします。

 御発言を希望される方は、お手元のネームプレートをお立てください。御発言が終わりましたら、戻していただくようお願いいたします。

 それでは、ただいまから御発言を願いたいと存じます。御発言を希望される方は、お手元のネームプレートをお立てください。

早川委員 自由民主党の早川忠孝でございます。ようやく発言の機会をちょうだいできたというふうに思っております。

 まず、今回の国民投票法についての議論でありますけれども、私は、この議論のあり方については、中立的であり、かつ公正でなければならない、いわゆる党派性というのはなるべく薄くしておかなければならないのではないかと思います。政権が変わったことによって、この国民投票、要するに憲法改正のための手続法であります国民投票法のあり方は決して変わってはいけないというふうに思っております。そういう意味では、国民から選ばれております国会議員の大方の意見を取りまとめるということがいかに重要であるか。少数意見も尊重しなければいけませんけれども、一定の限度があるであろうというふうに思っております。

 さて、私は、国政参加の形態の一つとしての国民投票ということについて指摘をしたいと思います。

 すなわち、国政選挙に参加する選挙権の行使と、さらには最高裁判所裁判官の国民審査、さらには憲法改正手続の一環であります国民投票、それから平成二十二年に導入されます、刑事裁判に国民が参加するいわゆる裁判員制度、さらには、将来的には、行政の不作為あるいは行政の違法をチェックするための国民訴訟制度等を検討する際に、こういったことに国民が参加する、その場合の参加年齢というのはどうあるべきか、これはほとんど共通に考えなければならないのではないかというふうに考えています。

 現在、十八歳までこの国民投票の投票権者の年齢を下げるべきである、こういう考え方も出ておりますけれども、私は、国政参加における一つの形態としての国民投票権の行使であるというふうに考えれば、公職選挙法による選挙権の行使と同じ年齢である二十歳以上でなければならないのではないだろうかと思っております。

 ただし、将来的に諸外国の例に合わせて十八歳程度まで下げるべきであるということが一般化する場合には、選挙権の行使と同じように国民投票の投票権者の年齢も十八歳程度と考えることもできるかもしれない。そういう意味では、現時点では二十歳ということを前提として検討すべきではないかというふうに思っております。

 さらに、多様な意見がこれまで出されました。私は、そろそろ論点の取りまとめをしていただくべき時期に来ているのではないだろうかというふうに思っております。

 さらに、海外調査をされました。私は、日本の場合の国民投票法というのは、やはり諸外国における先例というのを十分に尊重して導入を考えなければならないのではないだろうかと思います。

 現憲法が施行されて六十年をそろそろ迎えるという時期になっております。この憲法改正の手続条項であります国民投票法がいまだに制定をされてこなかったということは、やはり国会における一定の不作為という評価は免れないところであると思います。そういう意味では、憲法改正の内容そのものについての議論はこれからさらに詰めていかなきゃいけませんけれども、手続法としての国民投票は速やかにこれを整備すべきであるというふうに考えております。

 さらに私がもう一点申し上げたいのは、憲法についてさまざまな議論をする場合に、これまでは内閣の法制局が憲法についての解釈を専ら専有している、これが有権解釈のようになっております。私は、立法府であります国会こそが、法律、政省令あるいは通達等が憲法に適合するか、これを審査するような権限を有する、常設委員会としての機能を持つべきであるというふうに考えております。これをぜひとも今後の課題にしていただきたいというふうに願っている次第であります。

 以上であります。

高市委員 自民党の高市早苗でございます。

 まず、投票率要件ということについて意見を申し上げます。

 投票結果の正当性に疑問が残ってしまうといった理由から、過半数の意味につきまして有権者の過半数と解すべきであるという意見をおっしゃる委員もおいでなんですけれども、私は、あくまでも有効投票の過半数にすべきだと考えるものでございます。

 例えば、投票結果の正当性ということでいいますと、私たちの衆議院の小選挙区選挙の当選者などにつきましても、投票率が仮に六〇%で四〇%の得票率で当選いたしました議員は、有権者の二四%にしか支持されていない、それでも一選挙区でたった一つの議席を獲得することになる。さらに、中選挙区制度でしたら一二%ぐらいの得票率で議席を得ることもできたわけでございますが、この場合は、投票率が六〇%の選挙区でしたら全有権者の七・二%にしか支持されていなくても議席を得ることができる。有権者の代表として国会に送る人の議席、こういったものについても正当性に疑問が残るというような理屈につながりかねないわけでございます。

 仮に、全有権者の過半数ということで有効だというような要件で憲法改正の国民投票をした場合に、このときにもしも投票率が六〇%だったとしましょう。それで全有権者の五一%ということになると、この六〇%の投票された方全体の八五%が賛成しなければこの投票は成り立たない、憲法改正をできない。非常に高いハードルとなってしまいます。

 有権者の過半数という考え方では、棄権することで賛否を表明しなかった方の数まで反対同様の効果を生じさせることになるわけです。私は、棄権をされた人というのが必ずしも、強い問題意識を持って反対している、こう限定することはなかなか難しいんじゃないかと。大ざっぱに賛成だけれども、たまたま行かなかったという人もいるかもしれないし、全く問題意識を持っておられないかもしれない。これは公正ではないと考えます。やはり真剣に改正案を読まれ、判断に参加される国民の意思を尊重すべきだと考えておりますので、過半数の意味を有効投票の過半数としていただきたい、このように考えております。

 それから、一括投票にするか一条ずつにするか、このような議論もこれまでございました。確かに、安全保障の条文と環境権の関係の条文を一括投票してしまうというようなことでは、環境権の新設には賛成だけれども九条は今のままでいいと考えられる方の意思を反映できませんから、関連のない条文の一括投票というものには私も反対でございます。

 しかし一方で、例えば自民党が昨年発表いたしました新憲法草案では、天皇について規定いたしました第一章の一条から八条までの条文について数カ所の修正がなされております。その多くは、天皇制度そのものの意義を大きく変えるようなものではなくて、この一条から八条については、割と、現代仮名遣いへの修正ですとか、条文の書き方を現代の用語にわかりやすく直すようなものが多いわけでございます。この場合はやはり一条から八条までを一括して投票に付すのが現実的でありまして、一条ずつ別々に、莫大な広報コストそれから人件費をかけて賛否を問うようなものではないと私は考えます。

 ですから、独立した内容については一条ずつ、関連する条文については複数条文一括または章一括といった形にするのが現実的だと考えております。

 以上です。ありがとうございました。

柴山委員 柴山昌彦でございます。

 先ほど早川議員から、国民及び議員の多数の意見をしっかりと聞きながらこの国民投票制度の議論を進めていくべきだという御指摘があり、私も全面的に賛成でございますし、また、今それが可能な雰囲気が醸し出されているというように考えております。

 笠井委員からは、望まない国民投票法案を求めない運動、この運動も国民主権の一つの発言形態ではないかという御指摘がありました。それは確かにそのとおりなんでしょうけれども、国民主権の観点からすれば、この国民投票制度こそがまさしく国民が最高法規である憲法につき判断する機会を保障するものでございますから、この制度をつくることは喫緊の課題であると考えております。最高法規である憲法も、制定後六十年を経過した中で、変えるにせよ変えないにせよ見直しをするための手続法が一切できていないというのは非常に異常な事態だと思っております。

 私個人は、私学助成を認めるにせよあるいは裁判官の報酬を減額するにせよ、大変無理な解釈を憲法上しなければならないという現状に照らせば、やはり一定の見直しを早急にしていくべきであると考えております。ぜひ御検討いただきたいと思います。

 辻元委員から、憲法改正に関して民意がまだ高まっていないのではないかという御指摘がございました。その一方で、中身については大変詳細な御検討をされ、御発言をされているわけでございます。ぜひ、委員御指摘の諸点につき、党派の壁を超えて国民的議論を一緒に盛り上げていっていただけたらというように切に希望するものでございます。

 もろもろの論点について若干コメントをさせていただきたいと思います。

 まず、全般的な国民投票制度、憲法改正と離れたそうした制度についての議論についてでございますけれども、こうした制度について議論をすることはもとより結構なんですけれども、以前古川理事が御指摘だったかと思いますが、この国民投票制度の持つ大きな影響、一度やってつぶれたら、例えばEU憲法の問題に見られるように大変大きな影響をもたらすものであります。それは、これを諮問制度と解することによってもやはり言えることであろうと思います。私は、一般的な国民投票制度の検討ということは、喫緊の課題である憲法改正のための国民投票制度よりも、より慎重な検討を重ねていかなければいけない課題ではないかというように考えております。

 続きまして、近藤理事から白票の取り扱いについて大変詳細な御分析がありました。まさしくこれもおっしゃるとおりでございまして、白票を反対とするのかあるいは棄権とするのかということと、過半数を算定するための分母をどうするかという議論は密接にリンクしているわけでございます。

 私個人の意見を申し上げると、賛成はマル、反対は白票とすれば、積極的に棄権をしたいという方は投票所に行かないわけですから、仮に私が以前から申し上げているような投票総数の過半数をもって決すべきだとする立場をとったとしても、事実上有効投票の過半数という結果がもたらされるのだというように思っております。

 時間になりましたが、公務員の国民投票運動について一言申し上げます。

 私は、一般公職選挙法と区別して、これについて規制を設けることは必要であると思っております。何となれば、憲法九十九条、ここには憲法尊重擁護義務が明定されているわけでございまして、これに明示的に反対する活動を容認するのは問題である。また、それとのバランス感覚でいえば、現行憲法を維持することの積極的な運動ということも問題と考えるわけでございまして、やはりこの法律をもって具体的に特別の規定を設けるべきだと考えております。

 虚偽報道の問題については、私は、フランスの機関であるオーディオビジュアル高等評議会のような第三者機関を設けて、最終的にはそれについて公的機関がチェックするというあり方が一番妥当ではないかと思っております。

 以上でございます。

吉田(六)委員 私は、先ほど近藤理事御発言の折に、つい同感で拍手をさせていただいたわけでありますが、これは御発言の中の一々について大変バランスのある考え方だなと感じたからです。

 我が国の憲法は、明治の憲法、昭和の現憲法、そして、今まさに六十年を要して憲法改定の入り口の国民投票について議論がなされているわけで、私個人としましては、そうした重大な議論の場に議員として加わっていることに大きな意義を感じています。そうした思いから、国民投票についてはやはり憲法に限って行われるという意味を持たせたい。もちろん、方法といたしましては国政選挙と同時にやる。なぜか。多くの方の参加しやすい場面、これは国政選挙に合わせて行うということだと思います。

 英国は憲法を持ちません。アメリカは独立宣言を、国民挙げて、合衆国が立ち上がるときの精神を常に大事にしていこうということで守り、今にあります。私たちもこの機会をよき機会として、真に、国民すべてから、これは大事にし守っていかなければならない、こう感じていただけるような憲法に改定していくべきだ、こう考えています。

 学識経験者の参考人も招致していただきました。それから、委員長初め理事の皆さんには外国まで視察をされて調査をいただきました。そして、この会に出席するに当たっては、多くの前向きな意見が吐露されたと感じています。まず、憲法改定の入り口であります国民投票、これについて速やかに意見の集約を見る方向でお取り扱いがいただけるようにし、そしてステップを上げていきたい、こんな思いを一言申し上げさせていただきたいと思います。

中野(正)委員 自民党の中野正志でございます。

 言うまでもなく、日本国憲法は第九章で「改正」という見出しを掲げ、九十六条で憲法改正については国民投票ということをうたっております。憲法改正の手続法が今日まで立法行為の不作為によって仕上がっていないということに、私は国政に携わる一人として大変恥ずかしい思いをいたしております。しかも、いまだもってその是非についての議論が行われている、そのことの現実が嘆かわしいと思います。

 そもそも憲法改正に反対だという方々もおり、政党もありますけれども、それは自由ではありますけれども、護憲政党だからこそ憲法の原理を生かすことが大事だ、この国民投票の制度そのものは国民主権原理を具体化するものだと私は率直に思います。言っていることとやっていることが全く違うとはどういうことなのか、社民党、共産党の主張には真っ向から疑問があります。

 あえて刺激的な発言もさせていただきますけれども、ついぞこの間、民主党の知恵袋と言われる平野貞夫前参議院議員の話を聞く機会がありました。民主党はその成り立ちからいってももともと熱心ではないのだ、今ここでできなければ二十年ぐらいできない、民主党は成立に努力すべきだ、こういう平野氏の考え方を聞いてうなずくのは私だけではないと思います。

 もうこの議論は大分煮詰まってきているなという印象を持っておりますし、あとは技術的な要件だけである。

 まず一つには、国政選挙との同時実施によるかどうか、これがあります。私自身は、政権を選ぶ選挙と一緒にやるべきではないと考えます。

 二つ目には、先ほど来お話がありますように、投票権者の範囲の問題でありますけれども、二十歳か十八歳か、これは、二十歳の若い世代、各種の投票率を見ましても、まだまだ十八歳にするということについては時期尚早であるなと率直に思います。

 また、先ほどもお話がありました、一括投票か個別投票かという問題もあります。私は、百人百様の憲法論がありますから、最大限の考え方のまとまり方ということで一括投票でいいと思います。

 また、運動の規制についてどうするかということもありますけれども、原則自由であった方がいいなどなど、まさに技術的な要件だけであります。

 今日までの長い議論を踏まえて、委員長には、ぜひ近々に中山委員長私案を御提示いただいて、与野党間の理事協議で大いにもんでいただき、この平場の議論でも大いに議論し、最終結論を近々には出さなければならないときではないかと思っております。同時に、この調査特別委員会は所期の目的を一日も早く終了させて、委員会の名称を初めとして、次なる目的、いわば本丸に向けての議論に進むべきときだと思います。議論のための議論はもういい。そういう意味で、中山委員長私案を心からお待ちをさせていただければ幸いでございます。

 以上です。

平岡委員 この国民投票法案については、よく与党の議員の方々から立法不作為だというような発言があるので、ちょっと気になるので発言をさせていただきたいというふうに思います。

 そもそも立法不作為というものがどういうものであるかということについては、いろいろ議論がありますので省略させていただきますけれども、一つ指摘したいのは、憲法九十五条のところにこういうくだりがあります、既に皆さんも御存じだとは思いますけれども読み上げておきます。「一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない。」こういうふうになっているわけでございます。

 この特別立法をする場合の法律というものができていないということであると、国会はそもそもこういう特別法をつくることができないということになっているわけでありますよね。一つの地方公共団体のみに適用される特別法というのは、場合によっては非常にたくさんあり得るわけですよね。こういうことを見逃しておいてというか言及しないでおいて、国民投票の部分だけについて立法不作為だというふうに言われるのは、私はむしろ何か意図的なものを感じます。

 そういう意味では、立法不作為だと言っておられる方々は、まず、この最もあり得るべき九十五条の特別立法のための、住民投票のための法律というものをしっかりとつくる、この提案をあわせてやっていただきたいということを私の方からはお願い申し上げたいと思います。

大村委員 自民党の大村秀章でございます。私も一言発言をさせていただければと思います。

 今回のテーマは、きょうのテーマは、ここのところずっと御議論をいただいております国民投票法の制定についてということが中心だろうというふうに思います。

 これは、私は前からこの会でも申し上げましたけれども、憲法調査会を五年やり、そして特別委員会になって、これで六年ということになるわけでございますけれども、その中で、昨年は憲法改正に向けての意見集約といいますか意見の取りまとめもされました。そしてまた、それに向けての特別委員会もつくって、少しずつ少しずつ、そういう意味で一歩一歩前進をして幅広い合意形成をされておられるということで、本当に、理事の先生方を初め各先生方、中山委員長ももちろんでありますが、その御努力に敬意を表したいと思います。

 その際に、中身の議論は別といたしまして、この改正をすることについて手続はどうしても必要なわけでありますから、その手続について、今、平岡委員が立法の不作為についてはこうだということもお話をされましたが、その点とはまた別にして、憲法改正ということを考えれば、これだけ議論を進めてきて、しかし一方でその手続が整備をされていないということは、私は立法の不作為とまでは言う気はありませんけれども、事実上それについての努力が足らないと言われても仕方ないのではないのかなという気がいたします。

 ですから、この点については、我々自民党だけではなくて、民主党の各委員の先生方からも幅広い合意形成という御意見をよく聞かれます。そのとおりだというふうに思っております。衆参考えれば、我々自民党、公明党、与党だけでこの改正の発議ができるわけではありませんので、幅広い合意形成が必要だと思いますけれども、その際の手続はできるだけ速やかに整備をしていくというのが我々の本来あるべき責務ではないかなというふうに思います。ただ、中身については、それはまたしっかりと、じっくりと議論をしていけばいいんだろうというふうに思います。

 その際に、何点か、すべての点について申し上げるつもりはありませんが、この国民投票をするときにおいて何点か申し上げたいと思います。

 一点は投票権者の範囲。これは、十八歳以上という御意見もありますけれども、実務の点などなどを考えた場合は、今の選挙人名簿と別のものをつくるというのはなかなか難しいのではないのかなという気もいたします。そういう意味で、速やかに手続を整備するという意味等々も考えれば、私は、現行の国政選挙の選挙権者ということでいいのではないのかなというふうに思います。

 それから、特に私がこの国民投票について重視したいのは、国民投票の運動でございます。この国民投票運動については、できるだけ自由に幅広くやれるようにすべきではないのかなというふうに思いますけれども、一方で何でもいいというわけにはいきませんので、そういう場合は、例えば運動権者について、公務員の方々はやはり少し制限をかける必要もあるのかな。また、地位利用については、当然これもやめていただくということだろうというふうに思っております。

 ただ、運動について、もちろん買収とか飲食とかそういうようなものは論外でございますけれども、例えば戸別訪問の点について、今の公職選挙法においてもこれをいつまでも禁止しているのはどうかなというふうに私も思いますし、そういった御意見も結構たくさんあるわけでございますが、そういった、本来、公選法もこうあった方がいいのかな、インターネットの利用も含めて公選法はここまで緩めたらいいんじゃないか、自由にしたらいいんじゃないかという点は、ぜひこの国民投票の運動のところで先取りをして、それを緩めてやっていくことも必要ではないかな。

 もちろん、マスコミに対する規制というのは、私は、これはまさに自主的な規制にお任せをし、自由な報道をしていただければいいのかな、そういうふうに思います。

 ですから、できるだけ広く広く自由に運動をして、周知徹底をしながらこの国民投票を盛り上げていく必要があるというふうに思っております。

 以上でございます。

森本委員 民主党の無所属、森本哲生であります。

 本日は、岩國哲人先生と交代というようなことで特別委員会へ出席をさせていただいております。先生の方からなかなか発言できない委員会なのでしっかりと務めを果たすようにというような御指示もございまして、大変僣越でございますが、私見を少し述べさせていただきます。

 まず、中山委員長初め各党各派の皆さんにおかれましては、昨年の特別国会以来、憲法改正国民投票法制に関する真摯でかつまた網羅的な議論を積み重ねていただいておりますことに、心より敬意を表する次第でございます。

 報道によりますと、この法制に関する論点整理が実質的にきょうからスタートするようなことでございますが、よく国民の皆さんに見える立場で丁寧に議論をしていただいて、実を結んでいただければということを願っておるわけでございます。

 それでは本題に入ります。

 現在、国民投票法制の論点についてどのように意見のすり合わせをするかということが問題になっておりますが、一部では、法律の制定そのものに反対する意見があるというふうに聞いておるわけでございます。

 手続法だから憲法改正の中身とは関係がないという議論に関しては、手続とは一定の目的を実現するための手段、手続法が中立であるかのような議論はまやかしというような批判もあるわけでございます。この発言については、そうしたたぐいの批判はちまたでも散見をされておるわけでございます。しかし、これは批判として当を得ていないというふうに感じさせていただいておりまして、憲法改正が目的だからけしからぬという主張だと思うのですが、正しくは、国会が憲法改正の発議をした後、国民の承認を得られるかどうかを国民投票で決することが国民投票法制の究極の目的であろうかと思いますし、まやかしであるとは言えないというふうに私は解釈をさせていただいております。

 例えば、刑事訴訟法という法律がありますが、実体的な真実発見のために当事者が相対峙して裁判所が公平な第三者として罪となるべき事実を認定していくという法律構造でございますが、これが常識的なことだと理解をいたしております。しかし、刑事手続法が中立であるかはまやかしで、国家が刑罰権を濫用して個人の人権侵害を合法化するための法律だという論理をとれば、憲法三十一条が適正手続として定める法律ですら制定することは反対だという話になっていくのではないでしょうか。国民が主権者として有する憲法改正権の発動につながる国民投票法制について反対だとしたら、刑罰という人権侵害の最たるものが個人に科せられる可能性を含む刑事手続法について、手続の動機が最も不純だということにもなりかねないと思っています。訴訟手続だから別な話ということかもしれませんが、説明が非常に困難ではないかというふうに思っておる次第であります。

 国民投票法制の議論から憲法典本体に対する個人的、政治的価値観を排除する思考訓練が必要だと思いますが、このことを常に肝に銘じておくべきだというふうに私は考えております。

 今回、この特別委員会でも、新聞の世論調査結果などを引き合いに出されて、国民が憲法改正手続の法制化を望んでいない、何%しか賛成していないというような、そういった意見もありますが、これも論理的な批判ではないというふうに思っております。

 憲法附属法と位置づけられている国民投票法は、憲法施行当初から整備が予定されている共通認識で私たちは議論されていると思いますので、附属法としての国民投票法制のフレームワーク、内容をどう制度設計するかという質的な議論を積み重ねていただいておると思いますので、そうしたことを大事に議論をしていただくことを切にお願い申し上げる次第でございます。

 五月三日が近づいてまいりますので、私自身も国会議員としていろいろな意見を求められることになりますので、当面は、その手続、ルールがどのようなものか、主権者である国民の皆さんにわかりやすく正確にお伝えする努力が必要だと感じておるわけでございます。

 以上、御意見を述べさせていただきました。ありがとうございました。

古川(元)委員 民主党の古川元久でございます。

 本当は柴山委員にちょっと聞きたいと思ったんですが、柴山委員が離席されてしまいましたので、ちょっと意見を述べさせていただきたいと思います。

 一般的な国民投票について、この委員会で憲法改正のための国民投票を議論する際に、そこまで含めて考えるかどうかということが一つの大きな論点になっているわけでありますけれども、自民党の委員の皆さんは、だれもが、憲法改正と一般的な国民投票とは分離して考えるべきだという話がございました。

 ただ、昨年来のこの委員会の議論でも、また、先週、そして今週の滝委員からの御指摘でもありましたように、昨年の総選挙は、ある意味で国民投票的な位置づけを総理自身がされた選挙であったという認識は、多分ここにいる委員の皆様は皆共通に持っているんだと思います。ああいうものを今後どう位置づけていくのか。

 せっかく総選挙というのが、前々回から政権を争う政党がマニフェストという形で包括的な政策を提示して、内政、外交、全体的な政策を提示して、その選択を国民の皆様方にお願いする、そういう選挙がスタートしたところが、昨年の選挙はワンイシュー選挙の形になった。このことで今後の総選挙のあり方も含めてどうすべきかということは、これはきちんと一度総括をしなければいけない話じゃないのかなと思います。ワンイシューについて、大きな意見の相違もあり、また、国民の意見も聞いてみたいというような場合に、昨年のような形で、常に衆議院を解散して総選挙をしなければいけないというような形でいいのか。

 それとも、諮問的な国民投票というものをつくって、その中で国民の意見を聞く、これが間接民主制を補完する形では有力な考える手であるのではないか。このことは、私ども、昨年のヨーロッパの国民投票法制を調査してくる団の中でも、調査してきたどこの国でも憲法改正にかかわらない一般的な国民投票というものも制度としては存在をしていて、その中の一類型として憲法改正のための国民投票という手続も規定されていた、それが訪問した国の大体共通的な認識ではなかったかというふうに私は認識をしております。

 そういう意味では、我が国における憲法改正のための国民投票法制の議論をするに当たっても、そうした諸外国の例も踏まえるということであれば、まして我が国はこれまでそうした本当の意味での国民投票というものを行ったことがないわけでありますから、先ほど柴山委員は拘束力のない諮問的な国民投票、一般的な国民投票をやるよりも喫緊の課題であるのが憲法改正のための国民投票法制だというふうに言われましたけれども、一度も今まで国民投票をしたことがないという日本のこれまでの経緯にかんがみれば、むしろ、明確な拘束力のある憲法改正の国民投票というものよりも、拘束力のない諮問的な国民投票というものも含めて規定して諮問的な国民投票をやってみるということの方が、その効果が、憲法改正に結びつく憲法改正の国民投票を行う以前にやっていく、その結果をより正当性とか誤った判断が後からされたというようなことがないようにするためにも必要ではないか、そのように思います。

笠井委員 先ほど来、自民党委員の方々から、何人かから、国民投票制度が未整備であることが立法不作為だ、恥ずかしいことだ、異常な事態という御意見がありました。そして、賛否とは別に見直しの機会をつくるべきだという御意見もあって、同時にその一方で、六十年たって憲法改定の入り口の議論で、早く本丸の議論をという話も出ました。私は、そういう御発言の中に、何のために今こういうことで急いで整備をするかということの本音が出ているのかなと改めて感じたところでありますが、幾つか私が思っていることを申し上げたいと思うんです。

 憲法改正の問題でいうと、発議があって国民投票ができる。発議というのは憲法改正案を決めて国民に提案することであります、これは言うまでもない。発議に賛成するということは国民投票の実施を求めることでありますから、発議に賛成でない人は国民投票を求める立場にない、これは当然のことだと思います。

 今現実の問題とすれば、改憲の議論の中で焦点になっているのは、例えば九条ですけれども、九条を守れ、改憲反対という国民は、そういうことを思っている国民は、今国民投票を求める立場にないというのも明白だと思います。憲法を擁護する人々の立場から見れば、改憲の発議には反対だ。それでも押し切って投票ということになれば、もちろん反対の投票をするでしょう。しかし、今国民投票法案に反対するということは、少なくとも政治的にはそれと同じことを考えている、そういう立場だということは言えるんじゃないかと思うんです。

 先ほど申し上げましたけれども、現実に改憲が政治日程に上がっている中で、改憲に反対しながら発議に賛成するとか国民投票の実施や国民投票の整備に賛成するというのは、これはそういう点からいうといわば二枚舌の奇妙な行動だということになる。これは憲法学者の方もそういう指摘をされております。

 私は、そういう点をよく整理して、この憲法九十六条の問題、改正の問題、発議の問題、そして国民投票という問題を考えていくということが大事だと思っておりまして、そういう点からいうと、私がこの委員会でもいろいろな機会に申し上げていることというのは、そういう理屈からすれば非常に整合性のあることだと私は自信を持って申し上げたいと思うんです。民主党の委員の方からも御意見がありましたが、私はそのことを強調したいと思います。

 それから、立法不作為の問題では、先ほども御議論ありましたが、これはもう何度もやってきたので改めて言うこともないんですが、もともと立法不作為というのは国家賠償請求訴訟に関して使われてきた、使われている法律用語で、意味するのは、ハンセン病訴訟のように国民の権利侵害の訴えがあるにもかかわらず、国会が過失によって少数者の人権救済に必要な立法あるいは法改正をしなかったような場合であって、今日、主権者国民の間に改憲の具体的な内容についての合意があるわけじゃありません、国民投票制度がないことで国民の憲法改正権が侵害されているわけじゃないので、これは不作為は成り立たないということは明らかだと思います。

 それで、私、関連してぜひとも申し上げたいのは、六十年間、国民の側から国民投票法がないということでそしりの声があったのか、国会に対してつくれという、そういう国民の側からの要求、請願があってこういうことになったのか、ぜひ具体的な例があれば伺いたいと思うんですけれども、そうではなくて、今改憲をしようという方々、勢力、政党や議員の方々からこの問題が出ているというところが非常に大きな問題、ポイントだと思うんです。私はそういう点をぜひとも申し上げたいし、逆に、憲法制定後、国民投票法がつくられてこなかったわけですが、この間国民は主権行使してこなかったというふうに思っているかというと、してこなかったんだというふうに思っている人はいないと思うんですよ。そういう問題もあわせて考える必要があると思います。

 最後になりますが、私、いろいろな立場の違いがある中でも、ここでも憲法問題ということで真剣に議論させていただいております。そして、国民もそういう中でこの議論の行方というのをいろいろ注目し、憂慮しながら、あるいはいろいろな意味で見ていると思うんですけれども、そういう真剣に議論しているのに対して、議論のための議論だ、早く結論を出せみたいなことで急がれていくのはいかがなものかと。私は、憲法の問題ですから、落ちついて、真剣な、立場は違っても、やはりこれは本当に時間をかけて議論をするというのが必要だということを改めて強調したいと思います。

 終わります。

愛知委員 自民党の愛知和男でございます。

 一つ御参考のために御報告をしておきたいことがありますので、発言させていただきます。

 御承知の方も非常に多くおられると思いますが、アメリカのハーバード大学にライシャワー・インスティテュート・オブ・ジャパニーズ・スタディーズという研究所があるわけですが、その研究所で、最近、日本国憲法改正に関する研究会というのが発足いたしまして、そこの研究会でいろいろと日本の憲法改正の問題について議論をしている。そこから三月の初めに私に、そこへ来て日本の状況を話してくれ、こういう依頼がございましたので、国会のお許しをいただいて出かけてまいりました。

 状況をいろいろ説明いたしましたが、その後いろいろと質疑など活発にございまして、大変応答に苦労したのでございますが。その中で、幾つもいろいろなことがありましたけれども、一つ物すごく大きく印象に残りましたのは、日本は一体法治国家なのかというようなことを言われてしまった。憲法を変えずに限りなく解釈を広げていって対応している、これで一体法治国家なのか、時には超法規的措置みたいなことを平気でやったりする、こういうようなことを指摘されまして、何と答えていいかよくわからなかったのでございますが、とにかく、そういう印象を非常に強く持っている人が、特にハーバードというような知性の集まっているところ、しかも、集まっている人はアメリカ人だけじゃなくていろいろな国の人がおりましたけれども、そういうところからの指摘ということは、やはり私どもとしてもきちっと心に置いておく必要があるのではないか、こういうことを強く感じたのでございます。

 また、国民投票法についても、なぜこれがそんなに議論になってなかなかできないのかということが不思議でしようがないと。法治国家ということからいうと、これは信じられないことで、憲法改正を阻止するために国民投票法を成立させないんだなんというのは、どう考えたって理解ができないということを言われた。まあ、それは確かにそのとおりで、答えようがありませんでした。

 憲法改正に反対するために、あるいは改正を阻止するために国民投票法を成立させないんだというのは、どういう理屈をつけるんでしょうか。私は、こういう人たちがそういうことに対してどう答えるのかということを聞いてみたいと思うのであります。

 いずれにいたしましても、日本の憲法の改正の話というのは、アメリカを初めとして先進国でも大変関心を呼んでいるわけでありまして、今のような状態のままにしておくということは、これはやはり国際社会で恥をさらしていることになるんだろうと私は思うのでありまして、法治国家として一刻も早くまともな姿になるということが大事ではないかということを非常に印象強く持って帰ったのでございます。

 以上、御報告をさせていただきました。

辻元委員 社民党の辻元清美です。

 きょうの論点、幾つか出ていると思うんですけれども、私は、共通認識をどう持つかというところの議論を深めてこそ、その土台がないと散漫になってしまうのではないかという問題提起をずっとしてきました。

 きょうも、立法不作為論をめぐってもいろいろな意見が出ています。これは法的には、専門家の方をお招きしていろいろ聞いた中で、憲法にかかわる手続法がないことがいわゆる法的な解釈での立法不作為に当たるとは言えないという意見の方が多かったことは、もう皆さん御承知のとおりだと思うんです。素人から見たら、立法不作為という言葉で、何となくそうなんじゃないかと思うかもしれませんけれども、きちっと法的にこの意味を解釈するならば、権利の侵害との関係で、法的にはそれには当たらないんじゃないかという意見が多かったと思います。この立法不作為について反論があるのであれば、それは徹底的にこの場で議論をした上で、それぞれの個別の議論に入った方がいいというふうに私は考えております。

 もう一つは、つくってこなかったことは政治の怠慢だという御意見も出ました。しかし、これは政治の選択だったのではないかと私はこの前申し上げました。これは、きょう、護憲政党の人たちが今まで阻んできたというような趣旨の御発言もありましたけれども、そうではないと思います。歴代政権をとってきたのは自民党中心です。私は、賢明な御判断を、今まで、戦後六十年間されてきたんじゃないかと思います。その重みをきちっと私たちは受けとめた上で、非常に、ひょっとしたら時代の大きな曲がり角になるかもしれない議論をしているということの認識が必要だと思うんです。ですから、怠慢と言うよりも、与野党を超えた大きな政治の選択として制度をつくってこなかったと言う方が、今までの政治状況を見たら正しい表現ではないかというように私は思っております。

 ですから、私自身はその政治の選択を今直ちに変える時期にはないというような判断ですけれども、それぞれ認識があると思いますので、そのような根本的なことについても、議論は深めた上で話をした方がいいと思うんですね。例えば、怠慢だとか不作為だというような言葉というのは走ります。一見説得力がありそうに見えて、それを根拠に、憲法についてどうするかという、手続法も含めて議論をするということこそ政治の怠慢ではないかというように思います。

 最後にもう一つ。前回も提起しましたが、硬性憲法である日本国憲法の意味を私たちはどう受けとめるか、そこの共通の認識も必要だと思うんです。

 斉藤委員の方から十年に一回ぐらい二、三点という話があったんですが、私はあれには賛成できないんですね、硬性憲法という意味で。といいますのも、憲法というのは、憲法のこの部分を変えないと本当に政策的にもにっちもさっちもいかないという部分があって初めて変えるものである。ですから、例えば環境権の問題を根拠にした場合に、環境権がなかったら政策的に弊害がたくさん出てくるというのであれば、環境権を入れましょう、変えましょうという議論は成り立つわけですが、これがないと本当に困る、変えなきゃ困るということがあって、初めてどうしようかという議論をしないと、憲法というものの持つ規範が崩れると思います。皆さんの中にも、環境権だけを入れたいから大々的に国民投票をやって変えるべきだという議論をされる方はいらっしゃらないと思うんです。

 そこで、今、愛知委員から御指摘があったアメリカでの話ですけれども、一つの争点はやはり九条なんですよ、九条自体を変えないと……。今いみじくもアメリカでの意見とおっしゃいましたけれども、アジアに行ったらまた違う意見が出てくるわけです。ですから、九条を変えないと困るとアメリカも思っているのかもしれないし、そう思っている人たちが主導している、そこの部分だけが、変えないと困るんだという強い意思を持っている人がいる部分じゃないでしょうか。

 ですから、環境権その他は、そうであるならばついでに入れておきましょうか、よりよいものにしましょうかという議論が先行していっているというふうに私は懸念をしております。立場としては、九条は変える必要はないということに立脚して、そして、硬性憲法であるという、そういう立場で一言発言いたしました。

 終わります。

葉梨委員 自民党の葉梨康弘でございます。

 冒頭、立法不作為の議論に関連いたしまして、先ほど平岡議員の御発言で、憲法九十五条に基づく手続法が制定されていないという御指摘がございましたけれども、地方自治法二百六十一条、さらには二百六十二条において規定されておるということ、特に二百六十二条においては、政令で定めるものを除いて、その手続について公職選挙法が準用されているということを指摘させていただきたいというふうに思います。

 そして次に、幾つか私も今まで発言もしてまいりましたけれども、まず総論の部分と、それから、制度設計に当たって理事懇談会においていろいろと御参考に供していただきたい点について御意見を申し上げたいと思います。

 前回、辻元議員から、私の前々回の発言を引かれまして、民主主義の中で国民に丹念に丹念に声を聞いていかなければいけない、そういうような発言を引かれましたけれども、もちろん憲法の論議は国民の声をしっかり丹念に聞いていかなければならないというふうに思います。ただし、今回の国民投票制度というものの検討は、まさに国民の声を丹念に聞くための制度である、そのことを、やはり我々は国会の責任においてしっかりと構築をしていく必要があろうかと思います。

 社民党あるいは共産党の委員の方々から、国民投票法案について認知度が低いというような世論調査を引かれるということがございました。私は個人的には、そこまで精査したわけではありませんけれども、多くの国民が、あるいは既にこういった国民投票制度があるんではないかというような誤解も一部にあるのかなというような印象も率直に持っております。そしてまた、今現在、マスコミにおいて、国民投票法案の中身の議論ではなくて、今回の国会における政局あるいは与野党の駆け引きの問題としてとらえられることが多いということ自体が、もしもこの国民投票制度というものが何らか憲法の改正案と密接に関連しているものであれば、もう少しその扱いの仕方というのは変わってくるんじゃないかなと。むしろ国民投票法案というものの中身が余りに技術的な中身だから、マスコミの取り上げ方も、政局あるいは与野党の駆け引き、そういったものとしてとらえられているんじゃないのかなというような印象を持っています。

 いずれにしても、私は、この国民投票法案については、あるいは国民投票制度については、国会の責任において、国民の声を聞く制度をしっかりと準備していくべきであるというふうに思っています。

 今後、理事懇談会等の場において具体的な論点整理というのを私も期待するわけですけれども、今までこの委員会で述べましたこと以外の点について幾つか述べてみたいと思います。

 一つは、投票権年齢の問題です。

 実は、視察報告の中でも申し上げましたけれども、フランスで、二十というのはまだ成熟度が低いんじゃないかと言われたことを紹介いたしました。私もその考え方は持っております。残念ながら、今の若者、日本の若者の成熟度がそれほど高くない。しかしながら、その法制度の中においても、私は、成人年齢を将来にわたっては多少引き下げるというような方向で今は整理をしなければいけないし、また、その意思というのをこの制度を構築するに当たって私たちは国民に対して示していくことが必要ではないかというふうに思っています。

 次に、三カ月ルールの問題です。

 ここについてぜひとも検討していただきたいのは、国民投票の周知期間というのは非常に長うございます。今現在、九十日とか百八十日とか百二十日とか、そんな案が検討されています。ですから、その三カ月ルールについては、国民投票の発議日、それから投票権の確定日というのをたがえて考える。つまり、投票日から例えば二週間前を投票権の確定日として、三カ月ルール、発議日から三カ月の間ということであれば、これは当然投票がその三カ月の間に行われるわけですから、ここで二回異動した者はアウトというのは、それは自己の意思であるというような形で整理できるんじゃないかというふうに私は思います。

 それから、白票の取り扱いについて申し上げます。

 各条項を個別に投票するといたしますと、基本的人権については賛成、九条については反対、統治機構についてはわからないというような態度をどのように投票に反映するかというような問題があろうかと思います。ですから、マル、バツ、白にするのか、あるいは、賛成、反対、わからない、どちらでもいいという形にするのか、そういった形での棄権というような条項を設けておきませんと、幾つかのものを個別のいろいろな論点について投票をかけるときに、ちょっとおかしくなってしまうんじゃないかというような感じを持っています。

 最後に、政治活動といわゆる各般選挙との関係ですけれども、公職選挙法上、知事選挙等が行われる、あるいは国政選挙の補選が行われるときは、ある一定の地域においては政治活動は禁止されます。こういったものとの調整規定を置いて、憲法改正のいわゆる政治活動については、そういった期間中も自由であるというような調整規定を、これは公選法の世界の中で置いておく必要があるんではないかということを指摘させていただきたいと思います。

 以上でございます。

伊藤(公)委員 自由民主党の伊藤公介です。

 自由討議になりましたので、少し論点について報告をさせていただきたいと思いますが、最近の世論調査を見ますと、いずれの世論調査の結果も、憲法改正をすべきだという声が調査をするたびにふえています。六〇%をすべて超え、中には七〇%に迫るような憲法改正をすべきだという調査の結果も出ています。

 そういう中で、今どういう形で実際の改正をしていくかという国民投票制について議論が行われているわけでありますが、今私たちが町で憲法問題がいろいろ国会で議論をされているという話をしますと、今かかっているのは何ですかと。国民投票法だ。一体国民投票法というのは何ですか。手続法だと。みんなで選んだ国会議員の皆さんが憲法をつくって、その憲法をどのような手続にして変えていくかという、そのことすらないんですかという大変な驚きをもって、むしろ一般の方々も、この話をするとそういう受けとめ方をしているわけであります。

 どんなに小さな組織でも、組織ができれば必ず規約があって、そして、規約はどういう形で改正するかということが必ず規約にうたわれているわけであります。日本にとって最も大事な憲法を改正するその手続、どういう形でやるかということは議論を深めなければなりませんけれども、そろそろ結論を急がなければならない時期に来ているというふうに私は思います。

 きょうは憲法改正の中身についてではありませんけれども、国家にとって最も大事な国民とこの領土を守るという、安全と平和という問題について、特に憲法九条、これは最もこれからの論点になっていくと思いますが、私はこの議論をしっかりと深めていかなければならないと思います。それは、これまでのいろいろな調査の中でも、憲法九条についての考え方は、まだ国民の皆さんが十分理解をしているとは言えない部分があるように思います。非常に大事な部分であります。

 特に具体的な論点について一、二点申し上げたいと思いますが、先ほど来、投票権者の年齢の問題についても議論がありましたが、私は、二十か十八歳かという数字だけではなくて、その中身は非常に重要な意味を持っているように思います。

 例えばアメリカは合衆国でありますし多民族が生活を同時に、隣り合わせで住んでいる国ですから日本とは若干違うかもしれませんけれども、憲法とか納税の義務というのを教科書でかなりのスペースを割いて小学校から彼らは学んでいるわけであります。そのことを考えますと、私たちのこの国における小学校、中学の教科書、私も改めて見せていただきましたが、もちろんページは若干ありますけれども、憲法とは何なのか、そして納税の義務というものはどういうことなのかということを、日本の学校教育では十分教えているとは思えないわけであります。

 そういう中で、最近の、少年法とか刑法とか民法とかいろいろなことを総合的に考えていかなければならないと思いますが、十八歳というのが、今日本のこの国の社会の中では、ある意味では、最近の犯罪の問題も含めてでありますけれども非常に重要な年齢の方々だ。この方々がこれからさまざまな選挙の有権者にもなっていく必要もあると思いますし、また、最も大事な憲法改正に参加をする道を私は開くべきだと思います。

 憲法調査会の、これは調査会としてなのか、あるいは事務局が調査をした結果だと思いますが、世界の国々に調査をしたアンケートがございます。回答されたのは百七十九カ国。そのうち、二十以上の方々が投票する、これは一般の選挙ですけれども、わずか十七カ国しかありません。百七十九カ国の中で、百六十二カ国はいずれも十八歳未満であります。世界は世界、日本は日本ということでありますけれども、先ほど来申し上げたように、日本の社会の今日を考えたときに、十八歳の方々に投票権を、そしてこの憲法改正にも参加をする道を開くべきだと私は思います。

 時間が来たようでありますので、もう一点だけ。論点になっております投票成立の要件についてであります。

 これは世界の国々のアンケートでも、総投票数の過半数にするのか、あるいは有効投票の過半数にするかというのは拮抗しているようでありますが、先ほど来御意見もありましたけれども、白票や無効票を分母にすることには私はくみしないものであります。むしろ正規に投票した方々によって最終結論を出すべきでありますし、また、最低得票率を設けるべきかどうかという御議論もあるようでありますが、私は最低得票率を設けるべきではないと思います。それは、ボイコットするという運動によって非常に結果が変わるからであります。

 以上、大事な論点も含めて意見を述べさせていただきました。

加藤(勝)委員 自由民主党の加藤勝信でございます。

 今までの議論を聞かせていただいても、そろそろ論点を収れんしていく、こういう方向で取り運んでいただきたいというふうに思います。

 その前に、先ほど国民投票制度について、憲法改正に関する国民投票制度といわゆる一般的な国民投票制度の議論がなされたわけでありますけれども、ここでは基本的に、私は憲法改正に関する国民投票制度に限定して議論をしていくべきではないかというふうに思うわけであります。それは、他方で一般的国民投票制度の必要性を云々ということではなくて、この憲法改正に関する国民投票制度を考えるときに、一般的な国民投票制度がどういうものであるかということが関連するかどうか、逆に一般的国民投票制度がこうだから憲法改正に関する国民投票制度はこうでなければならないということにはならないのではないかというふうに思うからであります。

 また、なれる、なれないという議論は確かにあろうかと思います。しかし、その議論をすると、逆に言えば、一般的国民投票制度が行われなければ憲法改正に関する国民投票制度を行うのはいかがかということにもつながるわけでありまして、事はどちらの必要性が発生するかどうかで判断されるべきでありますから、私は、その二つの国民投票制度というのはむしろ独立したものとしてそれぞれ議論していく、こういう態度で進めていくべきではないかと思います。また、それぞれ内容も当然異なってくるわけでありますから、むしろ別のイシューとして考えていくべきではないか、そういうふうに思うわけであります。

 それから、国民投票において一括か別々かという議論がありますけれども、これは、いただいております資料等にもありますように、国民投票の段階での議論というよりはむしろ国会での改正案の提出の仕方あるいは発議の仕方に絡んでくるわけでありまして、国会で一括して投票されたものが国民投票で別々に議論される、投票されるというのは到底想定されないわけでありますので、むしろ国会での発議をどうしていくのかということにかかわってくるというふうに思うわけであります。

 そうすると、そのときに国会での発議というものに対してどこまで拘束をかけていくのかという問題になってくると思います。確かに、できる限りわかりやすいという点からいえば、個々の固まりごとに議論をしていくということが当然必要になってくると思いますが、その判断そのものもやはり国会の発議、また、そのことはすこぶる、先ほどありましたように、憲法そのものの解釈が国会で行われるということを前提とするならば、むしろその発議のあり方の段階で議論をされていくべき問題ではないか、具体的に議論されていく問題ではないかというふうに思っております。

 それから、選挙権の年齢でありますけれども、私も、できる限り十八歳ということでいくべきではないかと。確かに、状況と制度の問題があって、状況が整ってから制度をつくるということもあろうかと思いますが、逆に言えば、一つの制度、仕組みをつくることによって状況が変わっていくということも考えられるわけでありまして、そういう意味からも、憲法に関する国民投票の年齢を十八歳に引き下げるということによって我が国の成人あるいは社会的責任を有する年齢といったものをどこに置いていくのか、こういう議論も逆に喚起をしていく、こういうことにもつなげていけるのではないかというふうに思っております。

 それから、有効投票における棄権の見方でありますけれども、この問題については、棄権について余り解釈をするのは適当ではない。やはり一般的には、棄権という行為そのものは、その他の方の賛否を明確にしたその投票にある意味ではゆだねるというふうに私は解釈すべきだというふうに思いますので、有効投票という意味においては、当然こうした棄権を含めた無効投票を除いたものを分母として過半数というものを考えていくべきではないかというふうに思っております。

 以上です。

枝野委員 民主党の枝野でございます。

 まず、先ほどの葉梨先生の御意見、いつも葉梨先生の御意見は、意見が違うことはあってもなかなか見識のある御意見をいただいていてありがたいなと思っているのですが、一点だけちょっと気になりました。

 三カ月居住ルールの件について、途中で引っ越しちゃったら自己責任ということを言うと、逆に、引っ越しても住民票を出すなということになりかねないのじゃないかと思います。三カ月以内に二度引っ越すというのは、本人の意思以外の事情で二度引っ越さなきゃならないということはあり得るわけですから、そのときに国民投票で投票したければ住民票の異動を出すなということになりかねませんので、そこはちょっと考えなきゃいけないんじゃないかなというふうに思います。

 それから、先ほど笠井先生から、なぜ法律をつくること自体に反対をされるのかということの御説明があって、初めてなるほどと理解をいたしました。理解をいたしましたが、ただ笠井先生の御意見でちょっと異論があるのは、共産党さんのように全く憲法に指を触れなくていいんだというお立場からは国民投票法は要らないということの立場、それは理解をいたします、自分とは意見が違いますが。しかし、それ以外の立場が、具体的に憲法を変えたいから国民投票法をつくるんだということに全部十把一からげにされてしまっているということは、少し区別をしていただきたい。つまり、これは立場は三つある。

 確かに、先ほど来の話を伺っていますと、具体的に憲法を変えるための準備行為として国民投票法をつくりたいという方もいらっしゃるのは聞いていてわかります。しかし、我々は違います。我々は、今現時点で党として憲法を変えるべきであるということの結論を出してはおりません。憲法について広範に議論をして、もしかするとよく変わるなら変えた方がいいかなと思う幾つかの論点はピックアップしていますが、それが具体的に条文を変えるという形で実を結ぶ方向で政治日程にのせていくなどということについては、全く決めておりません。

 共産党さんが特に意識をされている憲法九条については、昨年、自民党の案が出てきました。国会、衆参で三分の二を得ようと思ったら自民党と合意をしなければできないわけですが、我が党の目指している方向とは百八十度違いますので九条について当面合意ができるという可能性はないと思いますので、九条については我が党が単独で三分の二をとるまでは変わらないんだろうなという理解をしております。したがって、我々は、現時点で憲法を変えるということについて政治日程にのっけるという立場ではありません。

 しかし、まさに将来、我々は一切変えてはいけないとも思わないし、ここはこういうことですぐに変えなきゃいけないということも結論を出していないけれども、まさに制度として変えるということの制度がある以上は、そういった場合に備えてあらかじめ中立的なものをつくっておこうという立場に立っているわけでありまして、そういう意味では、笠井先生が御指摘をされた二つの意見ではなくて、ここには三つの立場があるということをぜひ御理解いただきたいというふうに思っております。

 そして、先ほど来の議論の中で、笠井先生が御疑義を述べられた意味もよくわかります。憲法についてはまさに広範な、国会の、あるいは国民のコンセンサスを形成するということが重要なわけでありますから、立場が違っても相手の立場というものをまずは認めて、その上で意見の違いについてどうしたら合意形成できるのかということをやっていく場がこの場であるというふうに私は思いますので、初めから特定の政党や特定の考え方を排除するような議論の仕方ということでは何年議論をしていても話はまとまらないだろうということを厳しく指摘を、一部の委員の方に申し上げて、私の発言を終わりたいと思います。

平岡委員 先ほど、私の発言について葉梨委員の方から御指摘がありました。ちょっと私の勘違いというところもあったというふうに思いますのでその辺はちょっとチェックをしてみたいと思いますけれども、ただ、御指摘いただいた地方自治法の二百六十一条、二百六十二条を見ますと、この住民による投票というのが公職選挙法を準用するという仕組みになっているということについては、やはり非常に大きな検討を要するときに来ているのではないかという気がします。

 というのは、この住民による投票も今回の国民投票法も、いわゆる憲法で直接規定があって、それに基づいてつくられる法律ということでありますけれども、公職選挙法のような形で投票するよりは、むしろ国民投票法のような形で投票されるというのが地方公共団体における特別の立法に対する投票であるというふうに、性格的にはそっちの方が似ているのではないかということだと思います。

 そうすると、これは六法を見ますと、昭和二十二年ぐらいの戦後間もないころにできた考え方というものが果たして国民投票法をつくろうとする今の時点においても妥当するものなのかどうかということについては、やはりしっかりと検証していかなければいけないんじゃないか。むしろ国民投票法に近い形でのいわゆる住民投票法というものがつくられていかなければならないんじゃないか。そのことの作業を怠って国民投票法だけをやるというのは、やはり私は作業としては不十分ではないかという点を指摘させていただきまして、最初に私が発言した部分については十分にチェックをさせていただいた上で、また発言をさせていただきたいというふうに思います。

笠井委員 幾つか私の発言や我が党にかかわる問題について御意見をいただきましたので、発言したいと思います。

 先ほど愛知委員から、先進国の注目ということでアメリカのことが挙げられました。私は、この憲法をめぐっては、戦後の歴史の中でも憲法九条を変えろと言ってきたのがアメリカですし、最近のアーミテージ発言に至るまでそういうことがありましたから、まさにそういう立場で、そういう目から見れば、九条を守れというのが異常に映るのはある意味当然だと思うんです。そういうことを異常というふうに紹介される立場も、どういう立場で言われているかがよくわかりました。

 それから、今、国際社会の中で恥ずべき日本という話もあったんですが、私は率直に言って、今、日本外交を見たときに国際社会で恥ずべき問題といえば、やはり侵略戦争の反省なしに首相が靖国参拝にこだわり続けている。これは本当に恥ずべき日本として、中国、韓国だけじゃなくて、アジアやアメリカも含めてこれはおかしいという声が上がっているわけで、そういう意味では世界の中で九条という点ではむしろ注目が集まっていて、最近も国際組織やいろいろなところの中で、九条をめぐって国際会議をやろうじゃないか、こうして大いにこの意義についても評価しようじゃないかということで動きがあると聞いております。むしろ私はそういう問題としてとらえているということを申し上げたいと思います。

 それから、法治国家なのかという点ですが、先ほど愛知委員自身もそう言われて困ってしまったと言われましたが、私は、何が法治国家なのかということで一番問題は、やはり憲法を変えずに解釈改憲で、それこそ自衛隊をつくって、そして海外に行く、イラクの戦地まで行くということをやってきたことこそ、これが法治国家なのかということが問われる根本問題だというふうに感じております。

 国民投票法案をめぐる反対の理屈についていかがなものかとおっしゃいましたが、まさに、先ほど愛知委員の直前に私発言させていただきまして、その理屈を枝野委員からもわかる部分があると今おっしゃっていただきましたが、ぜひその辺をよく吟味していただきたいというふうに思います。

 それから、関連して枝野委員からお話がありまして、私も別に自民党と民主党と一緒くたに全部一からげに話をしているつもりはないので、海外派遣のときも含めていろいろな意見交換をさせてもらいながら、民主党の立場も私なりに理解をして、いろいろ御苦労されているのもわかっているつもりですが、やはり憲法改正というのは、これは国民が変える必要があるという大きな機運と意思ということがある中でやはり国会が発議する、私、前もそういうことを言いましたけれども。

 やはりそういう中で、我々だって、将来、国民が大きくこの憲法を、例えば天皇制の問題だってこのままでいいのかということになったときには、当然それはそういう意思に基づいて国会が発議をし、そしてそれに基づいて手続があって、九十六条でやるということはあるわけで、その点はぜひ改めて御理解いただければと思います。

 それから、枝野委員もよく言われますが、とにかく公正中立に、今のうちだ、ぎりぎりのところだというふうに手続、ルールの話をされるんですが、私はもう既にぎりぎりどころか、先ほどもありましたけれども、これを入り口にして早く本丸にという話なので、まさに政権与党の側から、特に自民党の側からそういう状況をつくっている。そして、いかにこのハードルを下げるのかということを私は率直に言って受けとめざるを得ないようなルールの中身の議論がされているし、国民の運動に対してどう規制するかという話もそういう点から出ているというふうに思わざるを得ないような話になっているので、そこのところはやはりしっかり見る必要があるんじゃないかなと思います。

 最後になりますが、何人かの自民党委員の方から、国民の認識不足だというふうな問題とか、あるいは理解不足だということで、九条や国民投票法案の問題に対する国民の意識状況についてあったんですけれども、私はそれは当たらないというふうに思います。

 時間ですので、またそのことは次の機会があればやらせていただきます。

中山委員長 この際、一言申し上げておきます。

 予定の時間もございますので、御発言は、現在プレートをお立ていただいている吉田委員、石破委員、愛知委員お三人で終わらせていただきたいと思います。

石破委員 自由民主党の石破であります。

 いろいろと驚くことがありまして、民主党と我が党が百八十度違うとは知りませんでした。私は百二十度ぐらいかなと思っていたら百八十度と言われましたので、そうすると、日本共産党と何度違うかぜひ教えていただきたいと思っておるわけでございます。

 あるいは、まだ国民投票法というものの必要性についての議論があるということにつきましてもやや感慨を覚えるものでありまして、感慨を覚えるというのは変な言い方かもしれません、驚いているのであります。

 以前、もうお亡くなりになりましたが竹下登先生のお話を承っておりましたときに、改正条項まで含めて護憲だわなと言われたことを私はよく覚えているのであります。改正条項まで含めて護憲なのだ。そして、改正は衆参両院の三分の二の発議、そして国民投票の二分の一ということになっているわけで、憲法を改正するというのは、それは主権者たる国民の権利である。あるいは、そこにおいて、衆参三分の二の発議によっても否決されるということも国民の権利のはずなのであります。それが国民投票法がない以上はできない。

 仮に、我が党並びに民主党でもどこでもいいのですが、三分の二の発議をしたといたします。社民、共産は絶対だめだとおっしゃって、国民的に説得されたとなさいます。そこで二分の一とれなかったということになれば、それはそれで国民の権利が行使されたことになるのでありまして、それも含めてだめだとおっしゃるのがなぜ護憲なのか、私にはよくわからない。なぜ国民の権利を保障したことになるのか、私にはさっぱりわからない。それは主権者をないがしろにすると言われて、どのように反論をされるのか、私にはよくわからない。学者の大勢がそうだと言われますが、それは学者が間違っているのだと私は思っておるところでございます。

 憲法というのは、それはあくまで、国家の繁栄、国民の幸せ、それを実現するための手段なのであって、それ自体が目的のはずはございません。憲法はあくまで手段であるということをよく認識すべきであり、それを改正するという国民の権利はきちんと担保をされねばならないと思っておるところでございます。

 なぜ変えねばならないのか、そのことがわからない、必要性があるならばやるべきであるというお話でございますが、例えば、国連中心主義ということをお唱えになる方が、国連というのは、集団安全保障、そしてそれを補完する意味での集団的自衛権、地域的取り決め、それを中核とするものでありまして、集団的自衛権は保有しているが行使できないということを変えようとすると、憲法を変えねばならない、解釈を変えねばならない。むしろ憲法を変えるべきであるという議論もあります。国連中心主義の外交をやっていこう、そして我が国が地域の平和と安全に責任を持とうとするならば、今の憲法を変えなければだめだと思っております。

 それは本当に必要に迫られたものでありますし、私どもとしては、戦闘地域とか非戦闘地域とかいう概念をつくりまして、どうやって憲法九条、現行九条に抵触しないかということで慎重に慎重にやってきておるわけであります。結果として、実際の我が国の行動というものがほかの国の行動と異なるということが起こっておるわけでございまして、そうしますと国連のミッションとして本当にどうなのだ、あるいは多国籍軍のミッションとしてどうなのだという問題は実際にあるわけでございます。

 そのことが国民一人一人の日々の生活に関係があるわけではございません。現行憲法も旧明治憲法の改正という手続はとっております。草案が出た段階で総選挙も行われております、国民投票にかけたわけではありませんが。そのときに憲法というのはほとんど争点にならなかった。なぜならば、憲法よりも飯だという話があったからですね。しかし、それをどうやって国民に問いかけていくのかという仕組み、国民がきちんとそれにこたえる仕組み、それをつくっていかなければ、それはできるものではない。

 国民世論の高まりもございますが、同時に、それを可能にする仕組みということをつくることが肝要であると考えております。

 以上であります。

吉田(六)委員 自由民主党の吉田六左エ門です。

 私は、なぜに憲法改定なのか、このことについて一言だけ申し上げたいと思うんです。

 時代、時代に即応していきたい。辻元委員から、責任政党自民党は長きにわたってその任にあって、そして良識を持って憲法を改定する、そのために必要な手続の九十六条、ここには、表現が違ったら失礼しますけれども、さわらないで来たじゃないかという、お褒めというか、意見もありました。

 ところが、その裏返しに、今石破委員からもあったとおり、いろいろなことをトライし、やりくりし、そして国際貢献は日本の国の利益そして国の平和と国民の幸せを国際間で維持していくために必要なことだと判断をし、責任ある立場でそれを推し進めてくるのに、今までの経験の中から、まさに憲法九条、インド洋に船も浮かべなければならない、そしてイラクへも復興のためにお手伝いに行かなければならない、こうしたことがこの違いの大きな部分だと私は思うんです。

 結局、国民のアンケートの方向も、まさにここのところの変化をよく理解して、そして、ああした憲法を変えるべきだ、変えなければならない時期がそろそろ来ているよという数字が明確にあらわれているんだろう、そのように私は理解をしています。そして、時代に即応した憲法を与わり、今まで以上にスムーズに国際貢献をしながら日本国の利益と国民の安全と幸せを確保していきたい、この一念だと思っています。

 先ほど愛知委員からライシャワーという言葉がありましたけれども、あの言葉をわざと発表された意味は、あのアメリカの中にあっても大変親日的な、そして日本の立場をよく理解し、もっと言えば日本のためにはというような立場で物を考えたり議論したりしてくれる人たちですよということをアピールされたかったのではないかな、言い過ぎであれば勘弁してもらいたいのでありますが、そのように思います。

 スムーズに手続を進めていただきたい、再度このことを強調したいと思います。

 終わります。

愛知委員 私の発言に触れられた委員の方がおられましたので、若干補足をさせていただきます。

 私が出ました会は、先ほどもちょっと申しましたけれども、外国からの留学生もいっぱいおりましたし、アジアからの人もいっぱいおりましたし、アメリカの意見ということではないのであります。

 いろいろな意見がございました。自衛隊というのはそもそも違憲ではないかという意見だって、大分そういう意見を言った人もおりました。しかし、いずれにしても一致したことは、法律を変えるということにどうしてそんなに抵抗するのか、無理して無理して解釈解釈とやるというのは法治国家のあり方ではないんじゃないか、また、それを許していたら法律があっても一体どこまで行っちゃうのか、それこそ制限がないじゃないか、かえって危険ではないかという意見が多かったということを御披露したわけでございまして、アメリカの意見をここで御披露したということではございませんので、念のためそのことをつけ加えさせていただきます。

 終わります。

中山委員長 これにて自由討議を終了いたします。

 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。

    午前十一時五十八分散会


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