衆議院

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第7号 平成18年4月6日(木曜日)

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平成十八年四月六日(木曜日)

    午前十時一分開議

 出席委員

   委員長 中山 太郎君

   理事 愛知 和男君 理事 近藤 基彦君

   理事 船田  元君 理事 保岡 興治君

   理事 枝野 幸男君 理事 斉藤 鉄夫君

      井上 喜一君    伊藤 公介君

      石破  茂君    遠藤 武彦君

      小野寺五典君    越智 隆雄君

      大村 秀章君    加藤 勝信君

      河村 建夫君    柴山 昌彦君

      高市 早苗君    棚橋 泰文君

      渡海紀三朗君    中野 正志君

      野田  毅君    葉梨 康弘君

      早川 忠孝君    林   潤君

      平田 耕一君    二田 孝治君

      森山 眞弓君    安井潤一郎君

      山崎  拓君    山本 明彦君

      吉田六左エ門君    岩國 哲人君

      小川 淳也君    逢坂 誠二君

      北神 圭朗君    鈴木 克昌君

      仙谷 由人君    園田 康博君

      田中眞紀子君    平岡 秀夫君

      石井 啓一君    太田 昭宏君

      笠井  亮君    辻元 清美君

      滝   実君

    …………………………………

   衆議院憲法調査特別委員会及び憲法調査会事務局長  内田 正文君

    ―――――――――――――

委員の異動

四月六日

 辞任         補欠選任

  松野 博一君     山本 明彦君

同日

 辞任         補欠選任

  山本 明彦君     松野 博一君

    ―――――――――――――

四月四日

 憲法九条改悪のための国民投票法案反対に関する請願(篠原孝君紹介)(第一一〇一号)

 同(鉢呂吉雄君紹介)(第一一〇二号)

 同(菅野哲雄君紹介)(第一一八〇号)

 同(辻元清美君紹介)(第一一八一号)

 同(鉢呂吉雄君紹介)(第一一八二号)

 同(菅野哲雄君紹介)(第一二七三号)

 同(重野安正君紹介)(第一二七四号)

 同(篠原孝君紹介)(第一二七五号)

 同(日森文尋君紹介)(第一二七六号)

は本委員会に付託された。

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 参考人出頭要求に関する件

 日本国憲法改正国民投票制度及び日本国憲法に関する件


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     ――――◇―――――

中山委員長 これより会議を開きます。

 日本国憲法改正国民投票制度及び日本国憲法に関する件について調査を進めます。

 この際、参考人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。

 本件調査のため、来る十三日木曜日午前九時、参考人の出席を求め、意見を聴取することとし、その人選等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

中山委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

中山委員長 本日は、前回同様、今国会における日本国憲法改正国民投票制度についての各会派の御議論を踏まえて自由討議を行います。

 議事の進め方でありますが、まず、各会派を代表して一名ずつ大会派順に五分以内で発言していただき、その後、順序を定めず自由討議を行いたいと存じます。

 発言時間の経過につきましては、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたします。

 それでは、まず、安井潤一郎君。

安井委員 自由民主党の安井潤一郎であります。

 私は、昨年九月の選挙で初めて代議士にさせていただいた新人議員であります。私の地元、東京都新宿区西早稲田の商店会、いわゆる零細小売業者の集まり、商店会の会長を今も務めております。

 本日、このような場で発言させていただくことを誇りに思い、地元のお仲間の皆さんの意見を十分聞き、その皆さんの思いを持ってやってまいりました。各党委員の先生方には稚拙な意見と思われるかもしれませんが、平均年齢五十代、地域の安全と安心を支えているのは自分たちだという自負を持つ自営業者たちの一番新しい世論調査としてお聞きいただければ幸いであります。

 第二次大戦後の約六十年間、我が国国民はただの一人も戦死しておりません。殉職はあっても、戦場で日本軍兵士として亡くなった方はいらっしゃらないのだと聞かされました。同じく戦後六十年、日本国兵士として戦場において人をあやめた者もおりません。

 日本国憲法草案作成に参画し、男女平等の文言を加えた女性、ベアテ・シロタ・ゴードン女史の自伝「一九四五年のクリスマス」にも、日本国憲法はGHQ民政局が書き、日本政府がこの憲法を受け入れないときは、言葉でおどすだけでなく力を用いてもよいという権限をホイットニー准将はマッカーサー元帥から与えられていたと明確に書かれていますが、たとえマッカーサーからの押しつけ憲法であったとしても、六十年もの間、我が国国民の生命と安全が現行憲法のもとで守られたという事実は正確に評価しなければならないと思います。

 国民の生命と財産を守るという、我々国会議員がまず第一義としなければならないことを、この六十年間、その行動指針であった現行憲法を毛ほども動かしてはならないという意味の発言にはある一面では評価せざるを得ないと思いますが、日本国憲法の基本原理は、国民主権、基本的人権、永久平和主義の三点であります。この三大基本原理に反する改正は許されないとされております。

 また、憲法の本来の意味とは、国民の権利、自由を保障する目的で統治者の権力を抑制する手段となるものであるならば、現状と乖離した状況を拡大解釈して推し進めることがどのように恐ろしいことなのか、この点に関しては議論をまつ必要はないと思います。

 本調査特別委員会委員として今まで各党先生方の御意見を拝聴してきましたが、三大原則の一つ、主権在民の原則によるならば、憲法には記載されていながら未整備という認識では一致されていると思われる国民の民意を問う国民投票法の制定は、早急に行わなければならないと強く感じました。

 主要な論点についての町場での意見を申し述べるならば、投票者の年齢要件は選挙人名簿と同年齢、マスコミに対する規制は過度になってはならない、しかしインターネット社会の匿名性の怖さもよく理解し対応すべきだ、投票方式は個別、投票用紙への記載はあくまでも賛成と反対のみ、過半数は有効投票の過半数、最低投票率は導入すべきでない等であります。

 議員になって六カ月、耐震強度偽装事件等を見ても、倫理観の欠如と道徳心の希薄さが色濃く感じ取れるようになったこの国を、次の世代に胸を張ってバトンタッチできる、国際社会にも誇れる国にするためにも、本調査特別委員会で法律案として国民投票法を審議する、そのような時期に来たのではないかと思います。

 この六十年間の平和を実現された先達の方々に最大の敬意を払い、そして変革することへの勇気を持ち、重ねて、機は熟した、時は来たれりと申し上げて、発言を終わらせていただきます。

 ありがとうございました。

中山委員長 次に、岩國哲人君。

岩國委員 民主党の岩國哲人でございます。

 私は、この憲法が改正か護憲か、こういった議論がずっと続けてこられた中で中学、高校、大学を過ごしてまいりました。また、その間二十年間、アメリカ、ヨーロッパで日本という国を外から見てまいりました。その中で考えてきたことを率直に申し上げたいと思います。

 憲法改正は必要かどうかという議論がいまだに繰り返されてはおりますけれども、憲法改正が必要と考える人が既に六割を超えております。憲法を改正するかしないかも含めて、私は国民投票を一日も早く実施すべきだと思います。今こそ国会がみずからの無気力、無責任を反省し、封印を解いて憲法の改正手続を国民のために早急に整備すべきと考えます。

 そもそも、自国の憲法がだれによってつくられたかについての疑惑や経緯がいまだに繰り返されているような先進国が世界のどこにあるでしょうか。昨晩NHKで放送された白洲次郎さん、憲法制定に携わってこられました、その白洲さんが、この憲法は私たちの憲法だという実感を国民が持ったとき初めて戦後は終わるんだと。その言葉に私は感銘を受けました。

 この国会が怠惰を繰り返し、時間をかけていればかけているほど、あの戦争の経験、戦後の苦しい経験、そしてその後の平和な日本、その三つの顔を見てきた世代の人たちが毎日毎日二千人ずつ亡くなられていっているんです。戦争を経験した七千二百万人は、今三千四百万人しか残っておりません。この人たちに、それぞれの思いを込めて、戦争への思い、平和への思い、そしてこういう憲法を残していきたいという次の日本への思いを発言する機会を与えていない国会は、私は恥ずかしいとさえ思っております。一日おくれれば二千人の方が亡くなります。十日おくれたら二万人が亡くなります。毎年毎年、七十万を超える。国会はこういう人たちの声を封ずることによって、一年一年を過ごしてきているんです。国会が議論を重ねることも結構ですけれども、一日も早く、決断と行動が今必要ではないかと思います。

 私は世界のいろいろな国を見てきたと申しましたけれども、私たちの国の憲法に賛成した人がどこにいますか、反対した人がどこにいますか。だれも賛成していない、だれも反対していない。日本の憲法は世界で一番寂しい憲法じゃないでしょうか。憲法が泣いています。私は、一日も早くそういう人たちの思いを込めて、たとえ全く一字一句変えないことであっても、自分たちの時代に次の日本のための憲法をつくったんだ、そういう思いを込めて私は私の人生を終わりたいと思います。

 この国会の中では、戦争を知った人、知らない人、たくさんいらっしゃいます。しかし、最近のように続いている、一見平和に見える、そういう一見平和に見える日本の中に安住し過ぎていると思います。立憲民主主義という言葉がありますけれども、日本は一見民主主義じゃないでしょうか。自分たちの憲法を自分たちの一票でつくった経験のない日本人だけが残っている。私は、その実感を、一票を投ずることによって一人一人が持つべきだと思います。一見民主主義から本当の立憲民主主義へ返ろうじゃありませんか。

 日本の伝統や文化を守ってきた農本主義という言葉があります。今の日本は農本主義という言葉さえもなくなって、残っている言葉はのほほん主義しかありません。こんな恥ずかしい日本をいつまで続けるんですか。

 長野県のある高校では、ある高校とだけ言っておきます、学校の先生が社会科の時間、憲法を教えるときに一番最初にやることは、憲法の前文を自分で書いてみなさい、どういう日本をつくりたいのか。私は、すばらしい教育をこの高校はやっていると思います。

 以前にもお話ししましたように、アメリカの青年会議所、最近はJCと言っておりますけれども、アメリカのJCは何をやっているか。自分たちでお金を集めて、高校生を夏休みに合宿勉強させて、大統領と議会の関係はどうあるのか、自分たちの国の形を勉強させる、それがアメリカのJCの一番大切な役割になっています。

 イラクという国。私は先ほど日本人は賛成も反対もしていない、そのままで六十年過ぎたと。イラクの国民の投票を見てください。イラクの人たちは戦火の中で身の危険を冒しながら、賛成の一票を、反対の一票を投じているではありませんか。私は、イラクの国民をうらやましいと思います。自分たちの一票の思いを込めてできた憲法だからこそ大切にしようと。

 愛国心についての議論があります。愛国心を論ずるならば、まず憲法を愛する気持ちをつくるべきだ、そのことを申し上げまして、時間が参りましたので、ここで終わらせていただきます。

 御清聴ありがとうございました。

中山委員長 次に、石井啓一君。

石井(啓)委員 公明党の石井啓一でございます。

 私は、きょう、投票権年齢について申し上げたいと思います。

 公明党は十八歳投票権ということで提案をしておりますけれども、これは憲法の投票権年齢のみならず、公選法の選挙権年齢も含めて十八歳選挙権を実現すべきであるという主張でございますけれども、成人年齢の引き下げあるいは少年法との関係があるというのはよく承知をしているところでありますが、そういった関係法令も含めて、この際、やはり十八歳に整理をしていくべきではないかというふうに考えております。

 その理由でございますが、まず一つは、世界各国の選挙権年齢を見ると、十八歳が主流になっているということでございます。中でも、いわゆる先進国と言われる国の中で二十歳の選挙権をいまだに持っているのは日本と韓国だけであるというふうに承知をしております。それを世界の潮流に合わせるべきであるということが一つの理由であります。

 二つ目には、少子高齢化、今も進行中でございますけれども、これからますます進行するにつれて有権者の人口の構成が、おのずから高齢者の人口構成が非常に多くなっていく、一方で若年者の有権者というのが少なくなっていくということであります。これはもうやむを得ないところでありますが、しかし、よくよく考えてみますと、少子高齢化の問題というのは、高齢者における問題というよりも、社会を支える若者の方により大きな問題がかかるということを考えますと、やはり若い世代により多く政治に声を反映させる機会を与えるべきである、こういうふうに考えておりまして、十八歳選挙権の実現の二つ目の理由として、少子高齢化の進捗に伴い、より若者の声を聞くべきであるということを申し上げたいと思います。

 こういうお話をいたしますと、いや、若い人は投票率が低いから選挙権年齢を引き下げる意味はないんではないか、こういう御主張をする方もいらっしゃいますが、私は投票率が低いという問題と声を反映させる機会を提供するという問題とは別問題であるというふうに考えておりますし、むしろ選挙権年齢を引き下げることが若い方に政治への関心を高める大きな機会になるんではないか、こういうふうに考えているところでございます。

 また、この選挙権年齢、とかくそれぞれの政党にとって有利か不利かという観点から議論をするといいますか、そういうことが根っこにあるというようなところもありますけれども、そういった党利党略を離れて、この際、選挙権年齢の引き下げを真剣に考えるべきではないかというふうに考えております。

 以上でございます。

中山委員長 次に、笠井亮君。

笠井委員 日本共産党の笠井亮です。

 前回の委員会での議論も踏まえて、三つの点について述べたいと思います。

 第一に、国民投票制度の整備こそ国民主権の具体化だとする議論でありますけれども、日本国憲法制定後、国民は憲法が定めた権利を活用して、さまざまな創意や工夫を凝らしてその主権を行使してきました。いわば国民はいつも主権者であるということであります。むしろ、今問題にすべきは、今日の国民の主権行使の実態がどうなっているかということであり、その調査こそもっとすべきだと考えます。

 これまでも東京の立川市や葛飾区でのビラ配布事件などに触れてきましたけれども、最近の民放番組でも取り上げられているように、社会保険庁職員や厚生労働省職員が、休日であり、公務とは無関係なのに、ビラ配布で不当に逮捕、起訴されております。これらは、明らかに思想、良心の自由、表現の自由、政治活動の自由への侵害であります。

 こうした現状を放置するならば、国民投票法上は格別の規制を設けなくても、ほかの法律によって幾らでも国民の運動を規制できるということになりかねません。国民の主権行使が抑圧されている傾向を放置しておいて、これこそ国民主権の具体化だ、国民投票運動は原則自由だなどと言っても説得力がないと思います。結局、都合のいいときだけ国民主権を持ち出しているというそしりは免れないと思います。

 第二に、我が党などが国民投票法案に反対することがなぜ護憲なのか、なぜ国民の権利を保障したことになるかという趣旨の発言が石破委員からありましたが、その後、時間の関係で討議が打ち切られましたので、この際、一言しておきたいと思います。

 私たちが、憲法九条はもとより、現憲法の全条項を擁護する立場であることは改めて言うまでもありません。天皇問題も含めて、将来、国民の多数がみずからの主体的意思として憲法改正を望むなら、国民投票が必要となるのであり、そのときに手続法をつくればよいわけであります。今、国民の側からそういう改憲の要求が出ているわけではありません。そういう中で、政権与党である自民党の新憲法草案などが出されている改憲の動きは、憲法の平和原則の上でも、国民の諸権利の上でも、世紀を越えて時代を逆戻りさせるものであると私は見ています。そのことが明らかである以上、そのための条件づくりである国民投票法案に反対することこそ憲法擁護の立場であり、平和と自由、国民の権利を保障するものなんだということを強調したいと思います。

 第三に、これも石破委員からでしたが、国連中心主義の外交をやっていこう、地域の平和と安全に責任を持とうというなら改憲だ、こういう御議論についてであります。

 国連中心主義なら集団的自衛権の行使ができるように憲法を変えよというのは、私は全く筋違いだと思います。国連憲章第二条は、国際紛争の平和的手段による解決を求め、すべての加盟国はその国際関係において武力による威嚇または武力の行使を慎まなければならないとしております。五十一条による個別的・集団的自衛権は、安保理決定に基づく措置がとられるまでの例外的暫定的権利であり、国連の集団安全保障の哲学から見れば異質のものであります。集団的自衛権行使の実態を見ても、かつてのアメリカのベトナム侵略戦争や旧ソ連のアフガニスタン侵略など、他国への侵略の口実として使われてきたわけであります。

 今、アジアでも世界でも多くの国々が、非核、非同盟の立場から、紛争の話し合いによる平和的解決、軍事同盟によらない平和を構築しようとの努力が力強く進められ、それが国連においても大きな流れとなっております。こうしたことからも、集団的自衛権の行使を可能とする改憲など、本来の国連中心主義の外交や地域の平和と安全への責任を果たすことへの逆行でしかないことを指摘しておきたいと思います。

 日本は、国連加盟に当たって、憲法九条を持つ国として国連軍を含めて国際的な軍事活動には参加できないという留保のもとで加わったのであり、むしろ、この立場を一層発展させて、外交による平和の実現という立場で国連や地域での活動に一層積極的にかかわるべきだ、このことを強調して、発言といたします。

中山委員長 次に、辻元清美君。

辻元委員 社会民主党・市民連合の辻元清美です。皆さん、おはようございます。

 本日は、憲法や国民投票制度と法治国家の関係について意見を述べさせていただきたいと思います。

 前回の三月三十日の本委員会で、自民党の委員の方の中から、日本の憲法と法治国家の関係についての問題提起がありました。これは、アメリカのハーバード大学の研究所で憲法改正の問題について議論されたときのこととしてこのようなことが報告されたことをもとに、ちょっと考えていきたいと思います。

 日本は一体法治国家なのかということを言われてしまった、憲法を変えずに限りなく解釈を広げていって対応している、これで一体法治国家なのか、時には超法規的措置みたいなことを平気でやったりする、このようなことを指摘されまして、何と答えていいのかわからなかったという。私は、この御報告は日本の憲法や国民投票制度をめぐる現在の議論の状況を考える上で大変興味深いと感じました。

 ここで言う、憲法を変えずに限りなく解釈を広げていって対応しているとか、時には超法規的な措置みたいなことを平気でやるという指摘は、一体何のことを指しているかというところから考えていきたいと思います。

 憲法をめぐる議論の中でこの指摘が最もよく当てはまるのは、やはり憲法九条についてではないかと考えられます。アメリカなど海外の研究者から見ると、憲法九条をめぐる状況は、憲法の解釈の枠を超えているのではないか、超法規的措置を時々とっているのではないかというように映るから、こういう発言が出たのではないでしょうか。

 さて、それではだれが主導してこのような状況をつくり出してきたのかを次に考えてみたいと思います。それは、紛れもなく、長年内閣を担当してきた政権ではないか、自民党を中心とした政権ではないかと思うのです。

 私たちの立場から見れば、自分たちで憲法の解釈を限りなく広げ、超法規的な措置を積み重ね、法治国家としての根幹を崩しているというような指摘をされる、そして、海外から日本は法治国家とは言えないのではないかと指摘されたと憂うというか、それを根拠にしてしっかりとした法治国家になるために憲法改正が必要だという主張につなげられているようにお見受けするんです。私は、この論理に大きな矛盾を感じました。

 憲法は国会議員や内閣を縛るためのものであることは何回も議論されております。それなのに、憲法解釈の枠を自由に拡大し、時として超法規的措置と思われるような措置をとるというのは、憲法による縛りを国会議員や内閣が無視してきたことです。法治国家では、何よりも国家機関が法に従わなければならない。それなのに、憲法による制約を認めないというのでは、法治国家ではないと思います。

 しかも、これまで法治国家であるかと海外から疑問を出されるような状況をつくり出してきた内閣や国会議員が、自分たちが積み重ねてきた超法規的と言われるような措置などに合わせた憲法につくりかえないと法治国家として認められないというような論理の方が、私は法治国家を軽視した乱暴な主張ではないかというふうに思うんです。このような論理はよくお見受けしますけれども、このような論理の立て方で法治国家の重要性や憲法改正の必要性を説くところに、現在までの憲法論議を健全なものにしてこなかった原因があるように思うんです。

 そして、憲法改正が必要だ、そのための手続法が必要だという議論の中にも、このような論理をベースにして主張を展開する方々を多数お見受けするように思います。そういうような状況で、どうしても懐疑的にならざるを得ない人たちが出てくるのは当然じゃないでしょうか。中立的な制度としての必要性を論じられている方々も多数いらっしゃることは、私も承知しております。しかし、最高法規をないがしろにして法治国家の意味を軽視してきたと思われている勢力が中心になって、憲法を変えるための手続法をとにかく早くつくらなければ法治国家として恥ずかしいと声高に訴えられても、主客転倒、まず隗より始めよという反応が出てくるのは当然だと思います。

 このような憲法議論をめぐる矛盾した背景を引きずったまま、そして、矛盾した論理を盾にとって、さあ、国民投票をつくろうと主導しようとしている人たちが混在する中で、そんな話にやすやす乗ることはちょっとできないとか、今なぜ急いでつくらなければならないのかと反対または慎重な立場をとる声が出るのは当然であるということを強調したいと思います。

 終わります。

中山委員長 次に、滝実君。

滝委員 滝実でございます。

 本日は、論点の整理というよりも、非常に基本的なことの発言が多いようでございますので、それに関連して申し上げたいと思うんです。

 前回の愛知委員の法治国家論の御発言、それに対するただいまの辻元委員の反論、それぞれ私はもっともなところをおっしゃっているというふうに思うんでございますけれども、やはり国民から判断すれば、これからも解釈だけで憲法体制を変更していくのか、こういうようなことへの意見というか思いはかなりあるんではないだろうかなという感じがいたします。したがって、過去の問題を清算せずに国民投票制度はおかしいという意見もあり得ると思うんでございますけれども、しかし、これからもそういう格好で、大事な問題を憲法改正という手続をとらずに解釈だけでやることの重みというものもこの際考えなければいけないんじゃないだろうかな、こういうふうに思っております。

 そういう意味では、最初に岩國委員がおっしゃったように、この際、六十年もたったんだから、憲法存続という判断もあるでしょうし、あるいは改正という判断もある、いずれにしても国民に存在する投票権というものを顕在化させるような仕組みはやはり早めにつくっておくということは私は必要だろうというふうに思います。そういう意味で、とにかく改正反対、賛成ということだけでも国民投票ではっきりさせるということの仕組みは必要じゃないだろうかな、私はこういうふうに思います。

 そういう中で、一つだけ論点の整理ということで申し上げたいと思うんでございますけれども、それは投票制度の争訟制度ですね、異議申し立て、これについてやはりそれなりの議論をしておく必要があるんだろうと思います。

 直観的に言えば、不服申し立ての点を細かに規定しても余り意味がない。要するに、国民投票というオール・ジャパンの投票でございますから、一つ一つの選挙の不服について議論しても大勢を覆すようなことには恐らくならぬだろうというような直観が働くものですから、余り不服申し立てについては議論がないと思うんでございますけれども、しかし、これは国民投票というのはやってみなければわからないわけでございますから、私は、そのために、どの程度までの不服申し立てがあったときに、その判断の手がかりを裁判所に、今の大体の考え方では東京高等裁判所に専属させるというような意見が大勢でございますけれども、裁判所に丸投げをしておくというのはいかがなものだろうか、やはりある程度判断の手がかりになるようなことは国民投票制度の中に入れておくということは必要じゃないだろうか、あるいは議論をしておく必要があるんじゃないだろうかな、こういうふうに思う次第でございます。

 私は、当初に中山委員長が御指摘になりました八項目の検討項目の一番最後のところにこの争訟の問題があったと思うのでございますけれども、それについて今まで余り議論をされていないようでございますけれども、改めてそういった問題についても論点整理の中でお取り上げいただいた方がいいんじゃないだろうかな、こう思いますので、そこの点だけを申し上げておきたいと思います。

 そして、やはりある程度論点整理を進めるということもこの委員会としては必要でございましょうから、そういうことで今後の見通しというものも理事会等で議論していただければありがたい、こういうふうに思いますので、よろしくお願い申し上げまして、意見の陳述を終わります。

中山委員長 これにて各会派一名ずつの発言は終わりました。

    ―――――――――――――

中山委員長 次に、委員各位からの御発言に入ります。

 一回の御発言は、五分以内におまとめをいただくこととし、委員長の指名に基づいて、所属会派及び氏名をあらかじめお述べいただいてからお願いをいたします。

 御発言を希望される方は、お手元のネームプレートをお立てください。御発言が終わりましたら、戻していただくようお願いいたします。

 それでは、ただいまから御発言を願いたいと存じます。御発言を希望される方は、お手元のネームプレートをお立てください。

渡海委員 発言をお許しいただきましてありがとうございます。

 この国民投票の議論、長年行われてきて、特に前年の臨時国会からは、特別委員会ですか、随分熱心に議論をされてきたと私は感じております。その中で、なぜ今やるのかという議論が随分出たわけでありますが、きょうの岩國委員の発言に全面的に私は賛成でございます。

 私も、以前、これはまだこの案件ということではない段階で、実は現行憲法を一度国民投票にかけたらどうかという提案をさせていただいたことがありました。国民の意思とよく言われるわけでありますけれども、これは単なる世論調査ではなくて、この憲法に対して国民がどういう意思を持っているかというのを国民投票にかけるというのは一つの方法であろうというふうに申し上げたわけであります。

 前回のこの議論の中で、これは間違っていたら御指摘をいただきたいと思うんですが、笠井委員は今やる必要がない、やるのはおかしいという指摘、辻元委員はやるとしてもとにかく慎重にやらなきゃいけないという御発言だったというふうに聞かせていただきました。私は、慎重にやるのは当然必要であろうというふうには思うんですが、今やる必要がないと言われている委員の意見はちょっと理解することができません。というのは、先ほどからも議論の中に出ておりました三原則の一つ、主権在民ということを考えれば、これは当然、我々が決めるんじゃないんですね、最終的に憲法というのは国民が決めるというのが今の憲法を守るという精神においても決まっておるわけでありますから。

 そういった意味においても、その手段であるこの国民投票制度というものをつくっておくというのは、これは立法府としても当然の責任であるし、これが六十年間実はつくられてこなかった、これはやはりおかしい、できるだけ早くつくるべきであるという岩國委員の本日の発言に全面的に賛成だと冒頭言わせていただいた次第であります。このことを我々は重く考えなきゃいけないと思いますし、そういった意味でも、前回の辻元委員の指摘は、中に大変いろいろな問題を含んでいる、だからこそ慎重にやる、これは傾聴に値すると思います。

 そして、いわゆるいろいろな項目の論点整理というのは既に終わっていると私は考えます。こういうことがあるじゃないか、ああいうことがあるじゃないか、随分多くの発言があったわけでありますから、それを一つ一つ最終的に整理をして、この整理が終われば、私はできるだけ早急に国民投票法案というものを当委員会でおまとめをいただいて、そして、理事間でしっかりと協議をしていただいて提案をして、今国会で成立を図るというのが今我々がとるべき態度であろうというふうに考えております。

 一点だけ、中身の議論の中で従来から疑問に感じておりますのは、実はこれは私は党内でもそれでいいんですかということを申し上げておりますけれども、投票率の問題であります。

 反対運動、ボイコット運動が起こるといけないからというそれなりの理由は聞かせていただいておるわけでありますけれども、しかし、これはボイコットされるような提案しかできないんじゃ大変問題でありまして、そういう意味からしても、例えば最低投票率がないということになると、投票率三割で過半数ということになると、少なくとも一五%の国民しかこれには信認を与えていない。行かない人は信認を与えたんだという解釈もできないことはないですけれども、果たしてそれでいいのかなと。

 私自身の意見としては、最低投票率というのは堂々と設けて、そして、しっかりと憲法を提案した段階で、皆さん御議論をいただいているような形での、どう言いますか、これは選挙運動とは言えませんね、国民投票に対する賛成反対運動というもののルールをつくって、お互いがある一定の決められた時間の中で国民に対して運動を展開していく、そういう制度をつくり上げるということが大事である、この一点だけは申し上げて、私の意見とさせていただきます。

柴山委員 自由民主党の柴山昌彦でございます。

 国民投票制度につきましてさまざまな議論があるわけですけれども、一部に、これを定めて改憲の動きが活発化するというような懸念が出されております。その議論の際にいつも話に出てくるのが、実態と理想とのずれが生じたときに、実態をむしろ理想である憲法に合わせるべきだという議論がなされております。

 しかしながら、この議論を聞くときにいつも思うのは、先進国の中で憲法の見直しを一切行っていない国が一体どれだけあるのかということです。そして、そうした見直しをしている先進国の憲法は、果たして理想を定めていないのかということをぜひ問い返したいと思います。

 憲法の見直しは、先ほど岩國委員が御指摘になったとおり、まさしく主権の行使の発露でございます。私も全面的に岩國委員の御意見に同意をするものでありまして、新しい民主党の新体制のもと、ぜひこの憲法の見直しに関する熱い委員の議論を全党的に広げていっていただきたいというように思っております。

 改憲の要求が国民から出ているわけではないのではないかという御意見もございます。しかしながら、改憲を急ぐべきかどうかはともかく、少なくとも改正に賛成する世論が多数であるということは無視できません。国民投票運動をしていく中で、国民の改憲に関する緊急性への認識、また関心というものが高まっていくのではないかというように感じておりますので、ぜひそうした運動を私は進めていっていただければと思います。そして、その結果、やはり改正する必要がないという世論が多数になれば、それはそれで、もちろんそれに従うべきであるというように考えております。

 個別の論点について若干申し上げます。

 投票方式は、個別投票か一括投票かということについてさまざまな御議論がありました。そして、これは、投票形式、マルかバツかあるいは白票か、そして白票をどう扱うかという議論、そして、先ほど渡海委員から御指摘のあった、投票率についてどう考えるかという議論ともさまざまな絡みが生じてまいります。

 私は、前回のこの席で、白票を反対票と同じように扱えば、結局、投票総数と有効投票数が同じような形で扱えるのではないかという問題提起をさせていただきました。恐らく、これに対しては投票所に行って積極的に棄権をする者の自由を奪うのではないかという反論が出てくると思います。これに対しては、以前、斉藤委員からだったかと思いますが、投票用紙を個別の論点ごとに別にするということが棄権の自由を確保する一つの有効な手だてになるのかなというように思っております。確かに、投票用紙を複数設けるということは大変な手間になるわけですけれども、場合によっては投票日を複数期日設けるということも視野に入れて考えるべきではないかと思っておりますし、それが投票率のアップにもつながるのではないかと私は考えております。

 最後に、滝委員から御指摘のあった国民投票無効の訴訟制度について一言申し上げます。

 枝野理事から執行停止についての議論があり、私は、これに関しては必ずしもその必要はないのではないかという個人的な意見を持っておりますが、しっかりと精緻な議論を行っていくべきだという意見には賛成でございます。

 ただ、これで無効判決が出た場合に、将来効判決ということをぜひ考慮していただきたいと思います。違憲判決の効力についても、その効力は遡及しない、将来効を有するという議論は、これは複数の最高裁判事がきちんとこれまでも判例の中で出しているところでもございますので、ぜひそうした議論も含めて精緻な議論を行ってほしいと思います。

 以上でございます。

愛知委員 自民党の愛知和男でございます。

 辻元委員から、私の名前は申されませんでしたけれども、前回の私の発言に基づいていろいろお話がございましたので、それを踏まえて若干また申し上げたいと思います。

 私は、率直に申し上げて、辻元議員は政治家としての自覚が足らないんじゃないか、そういうふうに思うのでございます。政治というのは、世の中の動きあるいは世界の動き、そういうものにどう対応して、その中でどういう政策を実行していくかということを考えるのが政治家の仕事でありまして、法律があるからそれに基づいてというのは、司法の役割はそうかもしれませんけれども、政治の役割はそうじゃないんでありまして、政治家としての役割がどういうところにあるかということをしっかり自覚をしていただきたい、私は率直にそのように思うのでございます。

 憲法というのは絶対変えない、それで、世の中の動き、世界の動き、その中で日本の国家をどうするかというのを解釈でやればいいというのは、これは全然筋が違うんでありまして、ぜひその辺のことを正しく理解していただくように、特にお若い辻元さんですから、将来があるわけですから、ぜひそのように、考えを少し柔軟にするというか考えるというか、政治家としての成長をしていただくようにお願いをしたい、このように私は思うのでございます。

 それから、先ほど渡海議員でしたか柴山議員からもちょっとお話ございましたが、笠井議員から国民がまだ憲法の改正を望んでいないから云々という発言がありましたけれども、これは世論調査等によっても明らかなんでありまして、先ほど、これもお話がたびたび出ているところかとは思いますが、世論調査等によれば六〇%の国民が憲法を新しくした方がいいということははっきり出ているわけでございますから、国民からそういう声が出ていないからやる必要がないんだというのは全然違うんでありまして、変えなくていいという人の意見だけを代表して言っているというふうにしか思えない、それを国民がというふうに言われるのはちょっと違うんではないか、このように率直に思うのでございます。

 最後に、岩國議員の話は本当にそのとおりで、非常に感銘を受けました。ぜひひとつ、民主党の中でもそういう御意見、御議論が少しでもふえていくようにお願いをしたい、こんな思いを強くいたしました。

 以上を申し上げて、私からのコメントといたします。ありがとうございました。

高市委員 自民党の高市早苗でございます。

 個別の論点につきましてはこれまでも発言の機会をいただきましたので、本日はもう少し大きな見地から申し上げたいと思います。

 現行憲法の九十六条は、これは憲法改正のための規定でございます。ところが、国民投票手続法、こういったものが備えられていない。この不備というものは、国民みずからが主体的に判断する権利を奪うものでございまして、何といっても国民主権の理念に反する、私はやはりそう思います。憲法の条文を変える変えないにかかわらず、この国民の権利、憲法改正に対して主体的に判断する力を持つという国民の権利は担保されるべきであると思います。

 次に、平成十二年から五年間、衆参両院の憲法調査会でさまざまな議論が展開されてまいりました。その際にも議論になったんですが、憲法制定過程、つまり、GHQによる関与、押しつけを改正の理由とするべきかそうでないかというのは大きく意見の分かれたところでございます。必ずしもGHQの関与があったから改正しなきゃいけないというふうには思わないというのが多数の意見でございましたが、それでも私は、日本人の心と言葉を持った、私たちの時代の私たちの憲法をみずからの手でつくっていく、これが主権国家の国民として当然の権利でもあり、また、次の世代、後世への責任でもあると強く考えるものであります。

 社民党の辻元委員から先ほどお話がございました、憲法は国会議員や政府を縛るためのものである、制限規範的な考え方でございますが、今の現状、解釈解釈で無理な運用をしているというのはこれは法治国家ではない、こういった御指摘であったと思います。

 しかし私は、法は、法そのものが目的ではないんだと考えます。この日本という国、それから国民が最も幸せになれる、その目的を達成するための手段であるべきであり、現実に合わなくなった憲法にいつまでも縛られてしまうということは現実的ではないと思っております。私は、これ以上解釈を広げて現実に対応しなければならないということになりますと、これは最高法規である憲法の法の安定性を大きく損なうものであると考えます。

 小さなことでもいろいろ変だなと思うことがございます。例えば、政府が国会に提出するのは、これは予算案だと私は思います、国会で審議されてこれでいいよということになって初めて予算になるんだと思いますが、現行憲法では「予算」。予算案とは書いておりません。内閣が提出するのは「予算」と書かれてあります。ほんの小さな事例でございますが、九条だけにこだわって、何かこれは変だなとか、文言的にもおかしいなと思うところまで改正する権利を奪うというのは決して現実的なことではないと思います。

 私は、重ねて申し上げますが、国民の権利を担保するためにも、この手続法をきちっと整備していくということが何より重要だと考えております。

 以上です。ありがとうございました。

平岡委員 前回のこの委員会で、憲法九十五条に規定される一つの地方公共団体に適用される特別法に関係する住民投票について私の方からちょっと発言をさせていただきまして、その際に、少し調べてまた発言したいことがあるということで申し上げました。この関連について発言させていただきたいというふうに思います。

 地方特別法の住民投票に関する立法というのは、前回も指摘がありましたように、地方自治法二百六十一条及び二百六十二条として昭和二十二年に立法されているということでございますけれども、この法令に基づいて昭和二十六年までの約五年間には十五の法律について住民投票が行われておりますけれども、その後は全く実施されていないという事実があります。前回の発言は、この事実関係と若干混同したところがありました。その点は訂正しておきたいというふうに思います。

 しかし、ちょっと現実を見てみますと、なぜ地方特別法の住民投票が実施されていないのかというその理由づけみたいなところを見てみますと、いろいろな理由づけがされていますけれども、どうも住民投票を避けようとするような思惑があるのではないかといったような感じもいたしました。

 例えば、普通地方公共団体の組織運営にかかわるものについては対象となるけれども、特定の地域にかかわる国の行政事務や事業については適用にならないんだとか、あるいは特定の地方公共団体に対して利益、便益を与えるようなものは対象にならないのであるとか、あるいは地方公共団体としての本質に触れるような重要な例外、特例でない場合には適用にならないのであるとか、例外、特例が合理的である場合には対象にならないんだ、こういったような理屈がいろいろとされているということであります。そうした結果、先ほど御紹介したように、憲法九十五条の規定が空洞化しているのではないかという疑念も私としては感じました。

 そういう意味では、この点について、この憲法調査特別委員会としてもう一つの役割である必要な調査というものを行っていただくという責務があるのではないか。憲法の空洞化が生じているのではないかというふうにも思うので、ぜひお願いを申し上げたいというふうに思います。

 他方、この住民投票について、今いろいろと皆さん方で議論しております国民投票制度との関係で指摘したいことがございます。

 先ほど言いましたように、地方自治法二百六十一条及び二百六十二条で住民投票の関係の立法がされているわけであります。基本的には公職選挙法の準用という仕組みで行われているわけでありますけれども、果たしてそれでいいんだろうかという問題意識であります。

 地方特別法の住民投票の性格というのは、ある意味では、直接民主主義的な意識さえも含めて考えれば、憲法改正手続としての国民投票制度といろいろな観点から類似しているのではないかというふうにも思います。そういう意味からいうと、国民投票制度と現在できている住民投票法制というものがどれだけ整合的なものであるのかというその整合性を考えながら、より現代的な住民投票法制というものとあわせて検討していくべきではないか、この国民投票制度については。そういう点から見ますと、公職選挙法の準用をしているような点で、我々が現在いろいろな国民投票制度の論点として挙げている点で、かなりいろいろな議論が整合的に行われなければならないと思われる部分があるように思います。

 例えば、投票権者について言いますと、投票権者の年齢要件とか、あるいは選挙権停止中の者についての投票権をどうするのかといったような問題。あるいは投票運動のあり方については、戸別訪問の禁止の問題とか、あるいは予想投票の禁止、あるいは買収罪とか、公務員などの特定の者の運動の禁止といったような点。それから、投票の要件あるいは国民投票の成立の要件といったような意味からいけば、過半数という言葉が同じように憲法九十五条、九十六条に書いてありますけれども、この過半数というものについては憲法上同じ表現がとられているけれども、それについてはどのように取り扱うのか。あるいは最低投票率というものについて住民投票についてはどう考えるのか。あるいは無効訴訟についてどのように考えるのか。

 これらの点については、先ほど申し上げましたように、国民投票制度と住民投票法制との整合性というものをしっかりと検討しなければいけないということを指摘させていただいて、ぜひその作業をこの憲法調査特別委員会でも行っていただきたいと思います。

岩國委員 まず最初に、辻元委員の日本は法治国家だろうかという疑問について、私も長年考えてきました。そして、私の論文にも書いておりますけれども、日本は立派な放置国家だと思います、六十年間この大切な問題を放置してきたという意味の放置国家なんです。世界のどこにこんな放置国家がありますか。国民に憲法に賛成するか反対するかという大切な、国民主権という言葉が先ほども委員からありましたけれども、一番大切な国民主権は自分たちの憲法を持つか持たないか、これにまさる国民主権はないと思います。その問題を避けて、すりかえて、放置してきた日本は、私は放置国家だと思います。議論ばかりして決断と行動に欠けている国会に何の意味があるのか。

 私は、政党が賛成する、政党ごとに反対するという議論がもともと間違っていると思います。これは、一人一人の議員が良心と、そして一人一人の議員が家族と国民への愛情を込めて判断すべき問題であって、私は、そういうことを放置してきたことを国会として謝罪する、五つの全国紙と北海道新聞に全政党の名前で謝罪状を出すべきだと思うんです。そして、私の提案ですけれども、その広告、謝罪状の費用は、国会議員がそれぞれの在籍年数に応じて負担することを提案いたします。

 葉梨委員から、改憲について、場合によっては一言一句変わらないものでもいいと。私は、それも有力な選択肢。あるいは、それを国民が選ぶかもしれません。しかし、それでもいいんです。この憲法に賛成するという思いをしっかりと一票に込めて、そして自分たちの憲法だという実感を持つということ、これこそ民主主義の根本ではないかと思います。それを与えないでいる国会は反省すべきです。

 先ほど申し上げました、今、三千四百万人が戦争の日本を知っています、戦後の日本を見ています、そして、平和な日本を味わってきました。この三つの日本を見てきた私を含めまして貴重な三千四百万人、この貴重な意見を捨てるのか、それとも日本の未来のために生かすのか。世界の平和のために、唯一の大量破壊兵器の犠牲となった日本らしい平和の理念をしっかりと取り込んだ新しい憲法、先進国の一つとして二十一世紀最初の憲法制定、誇りを持って、自信を持って私は今こそ制定すべきだと思います。制定のプロセスこそ国民投票ではありませんか。

 また、武器を持つことだけが国際貢献ではない。失礼かもしれませんけれども、自民党的な憲法改正だけが憲法改正ではないんだという選択肢もしっかりと国民に見せて、右へのハンドルだけじゃなくて左へのハンドルもある、それもしっかりと見ていただいて、平和のための改正もあれば世界貢献のための改正もある、そういう国民への啓蒙活動も一刻も早くやるべきだと思います。

 それをやらないで、民主主義といいながら、だれも賛成していない、だれも反対していない、これはある意味で、民主主義といいながら、最近はやりの言葉を使えば偽装国家ですよ、はっきり言って。自分たちのものをだれかがつくってくれた。私はいろいろ文献を調べました。国民主権は新憲法によって初めて法的な裏づけがなされた、しかし、その新憲法は国民主権が存在しないときに制定されているんです。それが、前文の中で「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」と書かれていますけれども、いわば、我々主権を持つ国民はだれかによって用意された憲法を追認させられているにすぎないんです。

 自分たちの一票で、これは私たちの時代につくったんだということに誇りに持って、私は国民投票を一日も早く、毎日毎日この世代の二千人の方が亡くなっているんですから、その人たちの声を無視しないことが大切ではないかと思います。

 終わります。

石破委員 自民党の石破であります。

 私は、世論調査がすべて正しいとは思っておりません。設問の仕方によっても答えは随分違います。ただ、一昨日の読売新聞の世論調査、憲法調査委員会の委員であればごらんになった方がほとんどだろうと思います。憲法を改正した方がよいという人が国民の五六%、改正しない方がよいというのが三二%であります。国民投票法を整備した方がよいという賛成が六九%であります。やはり、これは真摯に受けとめる要があるのではないかと考えております。

 私は、提案でありますが、ぜひ赤旗におきましても世論調査をやっていただけるとありがたいなと思っておりまして、それは、社会新報というのが今もあるかどうかは知りませんが、社会新報もそうでありましょう。我が党もそうでありましょう。公明党さんもそうでありましょう。そういうふうにして、きちんとした世論調査というものはやはりやる必要があるのではないかと思っております。

 この世論調査でまことに興味深いのは、憲法を改正しない方がよいと答えられた方が三二%ございますが、その方々に憲法九条を今後どうすべきかと聞いたならば、改正しない方がよいとおっしゃる方の五一・四%がこれまでどおり解釈や運用で対応するのがよい、こうおっしゃっておられるわけであって、一体これは何なのかねというふうな気がいたしますね。

 改正しない方がいいんだ、今のままがいいんだ、ではどうするんですかというと、これまでどおり解釈や運用で対応するのがよいというのが改正反対派の五一・四%であって、こちらの方がよほど危ないのではないですか。よほど危険なのではないですか。私は、きちんと改正をして、だれが読んでもこうしか読めないというふうにすることの方が、よほどきちんとした国家のあり方であり、まさしく法治国家、置いておくという方ではない、法で治めるという法治国家のあり方であろうというふうに考えております。

 岩國委員のお話で非常に感銘を深くしたのは、まさしく、私も昭和三十二年でありまして、戦争というものを存じません。本当に戦争で苦労をされた方、大変な辛酸をなめられた方、そういう方々の思いをきちんと憲法に生かすということがまさしく私どもの責任であろうと思っております。したがって、一刻も早くしなければいけないというのは、戦争を体験された方々が意思を表明されることができる期間に、それは岩國委員がおっしゃるとおり一日何千人も亡くなっておられるわけであります、戦争体験をされた方々がおられるうちにやらなければいけない、それが一刻も早くやるべきだという理由の大きなものだと私は考えております。

 国民からほうはいとして憲法改正の声が上がるかといえば、私はそんなことはないだろうと思っております。今の憲法におきましてもそうですが、改正草案というものは示されました。その後、一度総選挙が行われております。国民の前に改正草案というのは示されている。しかしながら、そのときの選挙において、憲法改正というのは全く争点にならなかった。国民の間でも大きな議論にはならなかった。時の新聞なぞ読んでみますと、結局、憲法よりも飯だ、憲法よりも飯の方が大事なんだということで、総選挙において国民の大きな争点にならなかったと言われております。その後も大きな争点にはなりませんでした。特に池田内閣以降は、憲法よりも高度経済成長だということであったのだろうと思います。そのことを私は悪いとは申しません。国民の皆様方は日々の暮らしに忙しいのです。日々の暮らしに満足をされることが大事なのであります。憲法改正だということが国民の方からほうはいとしてわき起こるということは、私は恐らくないだろうと思っております。

 しかし、私は、政治家というのはリーダーであってフォロワーではないと思っております。国民の皆様がそうであるならば私どももそうしましょうかというのであれば、それは政治家の意味をなしません。なぜ三分の二をもって発議するということになっているか。それは、国会の方からきちんと提案をしなさいということであり、国会の方からきちんと国民に向かって問題点を提起しなさいということなのだろうと思っております。

 私は、一点お尋ねをしたいのは、九十六条に定めておる国民投票の手続をやらなくてよいという考え方と国民主権ということはどのように両立をするのか御教示を賜りたいと思っております。この憲法においては三つの理念があります。それはもう安井委員御指摘のとおりでありますが、最も肝要な国民主権という考え方と九十六条の手続を整備しなくてもいいというのをどうやって両立して御説明になるのか、その点を承りたいものだと考えております。

 私どもは、国民主権である以上、国民の英知を信じることが大事でありますし、国会議員というのはそれを説得するためになっているのだと私は思っております。

 集団的自衛権につきましての笠井委員のお考えには、私は全面的に反対でございます。そのことは機会を得て話させていただきたいと思いますが、確かにソビエトのアフガンも、あるいはソビエトのチェコスロバキア侵攻も、それは集団的自衛権に名をかりたものであります。それをやってはならないということはもう既に明らかなのでありまして、そうであったから日本も使うべきではないというのは、議論として余り真っ当なものだとは思っておりません。

 以上であります。

園田(康)委員 民主党の園田康博でございます。

 きょうは、個別的な論点整理といいますよりは、どちらかというと憲法そのものに対する皆様方の議論というものがなされているかに伺っておりますけれども、私からもその点と個別的な論点を少しお話しさせていただきたいと思うわけであります。

 まず、国民主権という概念でございますが、もう御承知のとおりでございます、この国の最終決定権者、これは言わずと知れた国民でございます。したがって、主体的に国政に関するあるいは国の行く末を判断する最終決定権者、責任者は、国民であります。したがって、私たちは代弁者といいますか、その代表者としてこの場にいるものであるというふうに私は理解をしております。

 そういった観点から、幅広く国民の意見を問う、そういうことが当然私はなされてしかるべきであるわけでございますし、今議論になっておりました憲法改正あるいは国民投票法の是非を、公式な手続、そして公平性を持って国民の皆様方に一度問うてみたいというふうに私自身も思うわけであります。したがって、最終的に憲法改正否かどうかというものを判断するのは、やはり最終的なところにあるのは国民自身であるというふうに言わざるを得ないというふうに思っております。

 その中で、一つ年齢要件の話がございまして、民法、刑法あるいは少年法という形で、先ほど基調発言の中では公明党の方からも十八歳に年齢を引き下げるべきであるというふうな御意見をいただきました。やはり、国民主権の原理に基づくのであるならば、幅広く国民の意見を聞く機会を与えるというか、国民自身が持つべきではないかなというふうに思っております。したがって、他制度との整合性、あるいは現行の投票制度と整合性を持つということであるならば、二十ということになってしまうわけでありますけれども、しかし、その二十そのものの概念、これももう少しきちっと私は考えた方がいいのではないか。

 すなわち、時の政権あるいは時の政治判断において、これもいわば生物学的であるとかそういったことで二十という形になったものではないと私は理解をしておりまして、時に政治的な判断において年齢引き下げということを決断することが可能ではないかというふうに私は思っております。その大きな理由として幅広く国民の意見を聞く、そういう機会をやはり持って、これから考えていかなければいけないものではないかというふうに思うわけであります。

 そしてもう一つ、報道規制の観点から、余り議論になっておりませんで、私も一度議論を投げさせていただいたわけでありますけれども、スポットCMの関係で、規制をした方がいいという議論も一度ございました。しかしながら、これも、今まで我が国においてはこの経験をしていないわけでありますので、一度やってみたらいいのではないかというふうに思うわけであります。

 したがって、そこで何らかの形でこれが弊害をもたらす、あるいは公平性にこれが大変な影響を与えるということであるならば、そのときにさらに規制をかけるということを考えていけばいいのではないかなというふうに考えるわけでありまして、一度、これは規制ゼロからの観点から、報道規制も含めて、自由に闊達な議論、これもやはり国民主権の観点からいえば、幅広く国民の意見を幅広い形で問わせるという形からすれば、これも規制ゼロから考えていくということになれば、スポットCMもやはり私は認めていってもいいのではないかなというふうに思っております。不都合があれば、そのときにきちっとした議論を踏まえて、また改正、あるいは何らかの形で規制を考えるという形をとっていただきたいなというふうに思っております。

 以上でございます。

葉梨委員 自民党の葉梨康弘でございます。

 本日、基本的な事項についての発言が非常に多いんですけれども、今までも何回か基本的な立場については私も表明をさせていただきました。国民投票制度については早期の策定を図るべきである、また、先ほど石破委員の方から、読売新聞の世論調査を引かれましたけれども、非常に重要な御指摘であるというふうに思います。

 その上で、具体的な論点整理の中でみんなが知恵を出していく、そういう段階にあるんじゃないかということで、私は、本日は、二点、具体的制度設計について参考に供するために申し上げたいと思います。一つは年齢要件の話、それからもう一つは、ちょっと今席を外されてしまいましたけれども、先般、枝野委員の方から御指摘のありました三カ月ルールの話、この二点に絞って申し上げたいと思います。

 まず、年齢要件の話です。

 今も話がございましたが、二十を十八に下げるべきであるというような御議論、いろいろなところでなされるんですけれども、実は、我が国の法体系におきまして二十以下のいろいろな形での少年の年齢を規定する法律というのは、諸外国と比べても極めてばらばらでございます。

 これは実はちょっと昔話を申し上げるようなんですけれども、平成十一年に児童買春、児童ポルノ法を制定した当時、私は警察庁の少年課の理事官という席におりまして、ここにいらっしゃいます保岡先生、あるいは当時与党でありました辻元先生、あるいは、さきがけですと堂本先生、そこら辺をずっと御説明して回ったんですが、何でこんなに日本の年齢というのはばらばらなんですかということを、ちょっと記憶に基づいて申し上げます。

 まず十三歳ですと、刑法の、つまり、十三歳未満ですと同意であっても強姦罪、強制わいせつが成立いたします。十四歳ですと、よく知られているとおり刑法の刑事責任年齢、これが十四歳です。十五歳、労働基準法、これは労働基準法に言いますいわゆる年少者雇用、この規制が十五歳ということになります。そして、十六歳は、よく知られているように道路交通法においてオートバイの免許が取れるようになります。かつての少年法の逆送年齢、これも十六歳でございました。十七歳というのはなぜかないんですけれども、十八歳、これもやはりよく知られていますように児童福祉法による児童、あるいは児童買春児童ポルノ禁止法による児童、これが十八歳の規定ということで、児童の保護は十八歳から外れるということになります。十九歳もかつてはなかったんですけれども、サッカーくじの法律ができまして、十九歳以上になるとサッカーくじが買えるようになるというような形で十九歳というのができました。そして、二十になりますと、よく知られております成人年齢、さらには未成年者飲酒禁止法、未成年者喫煙禁止法ということで、毎年変わります。

 これは冗談めかして言うのですが、よく中学の卒業式とか高校の入学式でちょっとそこら辺を御披露しまして、皆さんは一年一年法的な立場が変わる、それで一年一年成長しているんだからしっかり勉強してくださいというようなことを申し上げているんですけれども、実は、これだけ日本の法律というのは整理されておりません。二十から下げるときに、果たしてすぐに十八なのか十六なのか、それについてさえ何となく漠然と十八じゃないかと言いますけれども、日本の法律というのは実は整理されていないというのが実態なんです。

 ただ、このように日本の法律が整理されていないからといって、国民投票制度をつくるべきじゃない、これはまさに本末転倒の議論。やはり国民主権を真っ当にする観点からも、国民投票制度というのはつくらなければいけない。その意味では、私は個人的には実務上はまずとりあえず二十なのかなというふうに思いますけれども、これらの諸制度について、年齢関係はそれぞれの特質というのがありますけれども、これを見きわめてどうするかというようなことはしっかりと国会の責任として発信していかなきゃいけないと思います。

 なぜこうなっているかというのを個人的に分析しますと、戦前と戦後で学制が変わりました。それでばらばらになっちゃったんじゃないかというのが一つです。

 それから次に、三カ月ルールについて、先般枝野委員から葉梨委員の発言とも思えないというようなことで御発言があったのですが、その後私もいろいろ考えまして、例えば、発議のときから三カ月ぐらいたって投票権を確定する日があって、それから例えば二週間か一月後に投票するというような形になるのか、あるいは発議から二月後ぐらいになるのか、ちょっとそこのところはこれからの制度設計ですけれども。ある程度このような、発議が行われる、それから大体投票までの間には、相当、一定期間はあるんだろうと思います。となりますと、二回住所を変わるという方はそれほどたくさんいるわけじゃありませんので、そういう方については、あらかじめわかっているわけですから、例えばもともとの住所地にこういうような手続で投票用紙の交付を申請すれば投票できますよという形の制度を設けていくことは、私も選挙の実務に多少携わりましたけれども、できないことではない。

 いずれにしても、そういう議論を重ねていくことによって知恵は出てくることだと思います。ですから、本当に真摯な議論を交わしながらお互いに知恵を出していく、そのための具体的論点整理に早期に入ることをお訴え申し上げまして、意見表明といたします。

 ありがとうございました。

早川委員 自民党の早川忠孝でございます。

 きょうは極めて熱い議論がなされたと思います。憲法がどちらかというと国民から遠い存在になってしまっていたというのが、ようやく自分たちの憲法を、やはり実感できる憲法をつくらなきゃいけない、こういうことになってきた、きょうの議論はまさにそうだと思います。

 国民主権との関係で国民投票法を整備することがいかに重要かということの指摘がなされましたが、私もそのように考えております。あわせて、現行憲法では、衆議院、参議院、両議院の三分の二以上の議員の賛成によってようやく発議ができるということであります。国民に国民投票をしていただくために、言ってみれば国会としての説明責任を十分に果たすべきであると私は考えております。そのための国民投票法でありますので、これは手続法の一つであるというふうに考えております。

 そこで、今さまざまに議論された中で、国民投票運動として国民投票法の中に一定の規制を導入しよう、そういったことが考えられてまいりました。私は、公職選挙法を類推してこのような規制を導入することにはやはり問題があるのではないだろうかなと思っております。むしろ、意見表明の自由あるいは政治活動の自由というのを尊重した上で、本当の意味で国民が自分たちの憲法として納得できるような憲法を獲得しなければならない。そういう意味では、憲法改正のための国民投票手続法として、いわゆる管理法としてこれを整備する必要があるのではないかと思います。

 結果的にどういう点が違うかといいますと、まず、マスコミ関係の報道についてであります。私は、マスコミについて、一定の憲法改正のための国民投票手続法の中で報道の自由の規制を考える必要はないのではないか。むしろそれぞれの、電波法、放送法、あるいは場合によっては新聞、雑誌等のマスコミの報道についての一般的な規制のあり方ということで、虚偽報道の禁止だけで足りるのではないかなと思っております。

 問題となるのは、公務員や教職員の地位を利用したいわゆる国民投票運動と言われることに対しての禁止であります。私も、基本的にはこれは個別法で対処すべきであり、今回の国民投票の中であえて特別の規制を入れる必要はないのではないかと思います。もちろん、それに対して、現場でどのようなことが行われるかわからないということの中で、罰則をもってこれを禁止しようという原案が与党の中で出されてまいりました。私は、これについては見直しをした方がよいのではないかと思っております。

 さらに、今回の国民投票をよく考えますと、二つの法律がどうしても必要になってくるのではないか。すなわち、憲法改正法案の発議を必要とするその発議のための法律の整備、さらには憲法改正のための国民投票の手続に関する法、この二つの法律の整備が必要になるのではないかと思います。

 いずれにしましても、実感を持って憲法を自分たちのものにしていくというその活動が今求められている。戦後六十年の間にこういったことが具体的には進展をしなかったということについては、本当に残念な思いがいたします。しかし、さきの憲法調査会、さらには今回の憲法調査特別委員会の審議の中で、ようやく自分たちの憲法をつくっていくためのその手続法の具体的な骨格が示されてきた、大変ありがたいことだと思っております。早急に論点整理をしていただきたいと思っております。

 以上であります。

辻元委員 先ほど愛知委員から先輩として私の将来を案じるアドバイスをいただきまして、本当にありがとうございます。私は、愛知委員の御主張と私がそれに対して反論というような形で申し上げた主張が、戦後の憲法論議の中で一つの中核をなしていたのではないかと思うんです。それをもって、私は先ほど健全ではない議論ではないかと感じるということを申し上げたんです。その意味をもう一度ちょっと深めたいと思います。

 そして、滝委員からは、先輩として、両方の意見がわかるというような意見もいただきました。これは、やはり戦後の議論の一つの中核であったかなということを裏づける御発言だったんじゃないかと思うんです。

 私は、政治家としての自覚、これは与党を担当していたということを先ほど葉梨委員からもおっしゃっていただきまして、愛知委員ともさまざまな政策を、こんなののんでええんやろかと思うようなことも、一緒に議論し思い悩んだ経験があります。ただ一方、やはり政治家としての自覚の中には、憲法の枠の範囲内で特に政権内閣、権力は政治を行うことに努めなければならないということも大きな基本だと思うんです。あらゆるテーマについてこれは言えると思います。

 先ほど、石破委員から三分の二の定義ということが出ましたけれども、私はちょっと石破委員とこの定義の解釈が違いまして、これは多数、過半数をとった時の政権でも、過半数でできないことを憲法で定めておくという、多数の専制を防ぐという立憲主義のもとでの考え方だと思います。

 ですから、政権がかわっても、それから時の多数が暴走しようとしても、政治の混乱を防ぐという歯どめを憲法がかけているんだという認識です。

 さて、そういう中で、私は、現実はこうだったから、解釈でやるのはおかしいから、だから改憲とか、いや、それをあんたたちがやったんだろう、これは余り健全じゃないと思っているんですね。先ほどあえて反論しましたけれども。私は、今、石破委員との間で一回徹底議論しようというテーマがありまして、石破委員は集団的自衛権を認めて海外での武力行使まで容認という立場にお見受けするんですね。しかし、私は、集団的自衛権は認めず海外では非武装で。この中身で憲法論議をする。どっちの将来のビジョンがいいだろうかということで、これに立脚したらこういう憲法だ、これに立脚したら現憲法だ、これが健全な議論だと思うんです。

 ですから、解釈を積み重ねることはもうおかしいから改憲しようという論理で改憲を主張しない方がいいと思っているんですね。そうすると、あんたたちがやったんじゃないかと。そういうのはすごい不幸だったと思うんです。ですから、私は、中身で、こういう憲法とこういう憲法はどうなんだ、こういうビジョンとこういうビジョンはどうなんだという、それが健全な憲法論議ではないかと思うんです。ですから、私は、あえて愛知委員に反論するときに、健全ではないという言葉を使った次第なんですね。

 さて、そういう中で、解釈改憲ということが一つのテーマになっておりますけれども、自民党は新憲法草案というのをお出しになっています。例えば、今九条をめぐるというところが一つの中核ですけれども、そこを見ますと、自衛軍の構成とか、どういうとき海外に出るかなど規定されているところは、全部法律によって定めるとなっているわけです、この案では。

 私は、ある自民党の議員の方に聞きました。イラクに今自衛隊の人が行ってはるけれども、サマワに辛うじているイギリス軍のようにアメリカと一緒に前線まで行かないのは、憲法九条がきいているからと違いますかと。今の自民党のお出しになっている新憲法草案だと、イギリス軍みたいな形で行くんでしょうかと。そうしたら、そのときになってみないとわからないとおっしゃったわけです。

 そのときどういう法律をつくるかによると書いてあるので、そのときの政権がどういう法律をつくるかだと解釈したら、いわゆる憲法九条の戦争放棄に基づいて日本は武力行使はしないという歯どめを外して、かつ、そのときの政権による解釈や法律という、さらにあいまいな、歯どめを外したところでのあいまいな判断による運営がなされる危険性をはらんでいるというようなことも、私は率直に申し上げて新憲法草案を拝見したときに非常に危惧を抱いた点なんです。

 ですから、先ほどの解釈によってというところの解釈をして、そして、それを根拠に改憲だ、それは現実に合わせていくんだということを容認してしまうと、私は、日本の政治にとって不幸な事態を招いたり、立憲主義に立つ国として、先進国の一員として海外からいつまでも日本は一体どうなっているんだと言われかねないなという危機を新憲法草案の中などにも読み取ったということもあり、先ほど発言をさせていただきました。本当に貴重なアドバイス、ありがとうございました。

 以上です。

棚橋委員 日本国憲法に関する調査特別委員会で大変熱心な討議が続けられておりますけれども、私は、ちょっと原点に返って、特に今中心的な議論となっております憲法改正国民投票制度のあり方について、大変失礼な言い方をするかもしれませんが、議論の論点がずれている側面もあるのではないかという気がいたします。

 私自身は個人的には、憲法の改正というのは当然のことながら大変慎重に考えるべきものだというふうに思っておりますけれども、一方で、憲法九十六条にそもそも改正規定というものがある。そして、その中で、各議院の三分の二以上の賛成による国会の発議、そして、何よりも国民投票という規定がある。そしてまた、そもそも憲法の根源というのは国民主権であり、あえて申し上げるまでもなく、例えば、日本国憲法においても前文で「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」というごく当然のことが書かれているわけでございまして、その憲法の改正規定に基づいて最終的には国民主権の発動たる国民投票がなされるというのは、これは私は当然のことだと思っておりましたので、大変熱心な議論がここでなされることはいいことだと思うんですが、むしろ憲法改正国民投票制度の具体的な制度設計の話を中心にするものかと思っておりましたところ、少しそこで議論の混同があるような気がいたします。

 特に、今改正する必要がないからとか、あるいは今改正をもくろんでいるから憲法改正に関する国民投票制度を設けるような動きがあるとか、こういうのは全く本末転倒な議論でございまして、個々の中身に関して、改正をするかしないか、あるいはどのようにするかという議論は当然また別の形でやるべきであって、そもそも国民投票制度というものが、九十六条、憲法の改正という、憲法の中にある改正規定に基づいて国民主権の発動としてなされる、そして、現実にはその実現する法が制定されていない。私は、これが一つの本質ではないかと思っております。

 ですから、大変御熱心な議論だとは思いますが、物事の議論の整理として、憲法改正国民投票制度というのは、特に岩國先生がおっしゃったように、私もそう思いますが、この憲法に基づいて国民主権のまさにあらわれたる意思を示していただくというものでありながら制定されていなかったという不作為の責任をやはり私どもは感じるべきであって、速やかにこの議論を進めていただきますよう私としてはお願いを申し上げる次第でございます。

 以上でございます。

中山委員長 きょうの審議につきまして、予定の時間も大分過ぎてきておりますので、御発言は、現在プレートをお立ていただいている中野君、林君、笠井君、越智君、逢坂君、斉藤君までとさせていただきます。

中野(正)委員 自民党の中野正志でございます。

 先ほど石破委員から、読売新聞の世論調査を一部御発表いただきました。また、岩國委員の二回の御発言を聞きながら、さもありなん、日ごろ敬服をいたしておりますけれども、改めて敬服をさせていただいたところでもあります。

 ちなみに、先ほど石破委員の御披瀝で、手続法整備賛成六九%とあります。その中で、なおかつ反対は七%にとどまっております。支持政党別では、すべての政党支持層で賛成は半数を超えている。自民、民主支持層では各七二%に上った。ちなみに、憲法改正派では賛成が八〇%に達した、憲法非改正派でも賛成は五九%で反対一三%を大幅に上回った、こうあるところであります。

 これまでの議論の中で、社民党、共産党から、世論調査の中では国民の皆さんはまだ時期尚早だと考えておりますよという意見が出されたと思いますけれども、この読売新聞の世論調査を見る限り、設問の仕方も多岐にわたって設問され、非常に妥当性のある世論調査かなと私は思っておりますけれども、社民、共産の考え方とは全く違う。

 ちなみに、「共産党と社民党は、「護憲共闘」を組み、憲法改正国民投票法案に反対の姿勢を明確にしている。このような姿勢は、国民の憲法に対する意思表示を阻止することであり、国民主権を基本原理としている憲法の趣旨に反するといえる。「憲法を活かそう」というのならば、立法府として、憲法九十六条の改憲手続きを法的に整備すべきである。」と駒沢大の西教授の発言で結んでおるところでありますけれども、先ほどの棚橋委員の発言にありますように、もう今日まで長い議論もされてまいりましたし、そろそろ取りまとめということで、この投票制度につきましては一つの成果を出すべきではないかと率直に申し上げたいと思います。

 以上です。

林(潤)委員 自由民主党の林潤でございます。

 まず、この国民投票法案は、これまで長い時間をかけて議論をしてきましたので、収れんの時期に来ているのではないかと考えます。

 まず、この法案が手続法であるということを確認すべきでありまして、改正案の内容そのものとは切り離して考えるべきです。

 今まで述べてこなかったので、個別の論点について述べさせていただきますけれども、投票権者におきましては、憲法が法律の中の法律であるという観点からいたしまして、その重要性から見て国政選挙と一致させるのが望ましい。そして、十八歳以上に引き下げるという議論もありますけれども、これは公選法の選挙年齢の引き下げとセットで考えるべきであります。当然、枝野委員からも御指摘がありましたとおり、高校生で誕生日の違いから投票権がある人、ない人がいる、こうした学齢の考慮ということも大いに検討すべきであると思います。

 投票運動に関しましては、特定の候補者個人を当選させたいという国政選挙と比べまして公共性が極めて大きい、こうした点から考えても、原則自由とすべきであると考えます。

 昨年は戦後六十年で、今国会で国民投票法案がこうして幅広く議論をされている、こうしたことについて私は大きく歴史的な転換期を感じるわけであります。冷戦時代だったら議論もはばかられた。しかしながら、時代は変わってきたわけです。各地の世論調査の結果を見るまでもなく、これまでの平和理念と基本的人権を大切にしながら日本が国際社会の中で真に名誉ある地位を占めるためには憲法をどうすればいいのか、本当の意味での国民主権を考える、こういう時期が来ていると思います。

 こうした中でも、岩國委員の意見につきましては大変に心強いことでありまして、国民の負託にこたえるためにも、一日も早く会派を超えて論点をまとめ、手続法について進められることをお願いいたしまして、終わらせていただきます。

笠井委員 私の発言に触れてたくさんの御意見をいただきまして、ありがとうございます。

 幾つかお答えしたいと思うんですが、一つは、愛知委員、渡海委員からの御意見のことに関連しますが、私は、この九十六条というのは、現在ある憲法を、ある時点で賛成か反対かということを問うような制度ではない、これははっきりさせなければいけないと思うんです。やはり国民の側がどうしても改憲をしなければいけない、そういう主体的で明確な意思があるときに、それに基づいて手続を踏んでやるということであります。

 先ほど、戦後の時代で食べるのでいっぱいで、それどころじゃなかったという御意見もありましたが、あの戦争が終わった時点というのは国民にとっては大きな画期でありまして、私も母親が被爆者ですけれども、そういう思いからやはり戦争は二度といけないという思いがあり、そして、主権在民というのも、共通してみんなそれを望んでいた中でのことであります。そういう中で、それ以外の問題もそうですが、憲法ができたときに、率直に言って自分たちの思いと合っている憲法だ、そう受けとめて、それを六十年間当然のこととして認めてきた、そしてそれを守る立場を多くの人たちが持ってきたということが大事な点だと思います。

 そして、六十年間なぜ国民投票法がつくられなかったかという話ですけれども、私は、むしろ、なぜつくられなかったのかということ自体よく検証する必要があると思うんです。国会の怠慢というお話もこの間よく出ましたが、それでは済まされない話だと思うんです。この戦後六十年、ほとんどの間政権与党だった自民党の皆さんこそ、そういう問題で今までどう思ってきたのかということで怠慢を問われるということになってしまいますし、一九五〇年代初め、これも議論が繰り返されましたが、自治庁が当時国民投票法案をつくったときに、それが結局出せなかった、取り下げることになった。その中では、それが九条改憲につながるのではないかということを思ってやめたということを政府も言っているわけでありまして、やはりそういう歴史的な経過を踏まえる必要があると思います。

 そして、先ほども申し上げましたが、国民主権の具体化ということを言っているだけじゃなくて、その国民主権という、主権者国民という問題についてのさまざまな問題、内実、実態を検証することこそ今大事になっているということを感じております。

 柴山委員から、先進国とのかかわりで意見がありました。

 私は、ほかのいわゆる先進国の改憲という問題は、その国の歴史的経過があり、そしてその国の国民が選択したということであって、だから日本でもということにならない。これは欧州の調査でも党派を超えて実感したことだと思います。そして同時に、それぞれの国で、基本原則を変える改憲ということを政権党が出してやったという国は私はないんじゃないかと。あるならば教えていただきたい。

 そして、その問題で関連しますと、先進国の中でも、こんなに憲法とかけ離れた政治の実態をつくっている国はほかにないんじゃないかと思います。憲法に合わせて現実を改めることこそやはり国民は求めているし、それは平和の問題だけじゃなくて、例えば医療の改悪の問題でもそうだと思います。投票運動をしていく中で改憲への関心を高めるというお話もありましたが、まさにその言葉の中に、無理やりやろうとしているという思いを聞いた気持ちがしました。

 石破委員ほかの皆さんから、世論調査の問題がありました。

 石破委員もおっしゃったように、これは注意して見なきゃいけないというのは私もそのとおりだと思います。そして、しんぶん赤旗のことにも触れていただきましたが、私もかつて記者をやっていましたが、赤旗は赤旗なりにしっかり民意を反映してその立場で報道しておりますし、この問題も扱っているということで一言申し上げたい。

 そして、憲法についてこれを見ますと、読売の話も先ほどありましたが、私もこれも一つの参考だと思って見ております。

 同時に、国民投票法を問題にする聞き方については、前も紹介がありましたが、NHKの場合と大きく結果が違っているということがありまして、私は率直に言って、読売の場合には、いろいろと質問をした上での聞き方という点でいうと、石破委員も聞き方によって結果が違ってくると言われましたけれども、あのような聞き方の流れの中では反対とはなかなか出ないんじゃないかという感想を持ちました。これはあくまでも世論調査のことであります。そういう点で、この世論調査の問題はよく見ていく必要がある点があります。

 最後になりますが、集団的自衛権ということでいいますと、先ほど石破委員が旧ソ連の問題を挙げられまして、あえてアメリカのベトナム戦争を挙げられなかったことに注目しましたが、いずれにしても、その問題を含めて、国民主権の問題、その立場から我々がなぜ反対するかということも含めて前回、今回と私発言させていただいておりますので、会議録をまたお読みいただければというふうに思っております。

越智委員 自由民主党の越智隆雄でございます。

 二月から当委員会に参加をさせていただいておりまして、本日、初めて発言をさせていただきます。

 まず、私の個人的な思い、考えでございますが、きょう、岩國先輩のお話を伺いながら意を強くしたところでございまして、やはり憲法というのは国民みずから決める、これが民主主義国家の基本であるというふうに思いますし、憲法の条項あるいは文字を一文字も変えなくても、国民投票に付すことに大きな意味があるというふうに常々思っておりましたので、まさにそのとおりだというふうに思わせていただいた次第でございます。

 それで、もう一つは、二月から三月、四月とこの議論に加わらせていただいて感じますことは、先ほど棚橋委員から御発言があったところでございますけれども、これは手続法でありまして、制度設計の話をしっかりやっていかなければならないということだというふうに思いました。

 そんな中で、今まで御議論いただいている論点についてはよく整理をされて私も納得するもの、あるいはお立場が違うものですから論点がはっきりしているもの等がほとんどでございましたが、一点だけどうしてもひっかかるところがございました。これは何かというと、投票の方式であります。

 個別方式と一括方式ということで議論がされておりますけれども、この委員会での議論を聞きながら、また、先日配付していただきました委員会のまとめの資料を拝見いたしておりますと、個別方式を原則とすべきではないか、ただ一方で、全面改正のような場合には一括も考えてもよろしかろうということで、個別方式が有力であるというような印象を持ったわけであります。

 この個別方式については、国民の意思をしっかり反映するということで、各条ごとに賛否を問うということが必要だということはそのとおりだというふうに思いますし、また、複数の事項が一括して投票に付されると賛否の判断が難しい、これも現実だというふうに思います。

 ただ、ここで立ちどまらなければならないというふうに思いましたのは、個別方式にした場合に、憲法改正の手続ではなくて憲法改正の内容に制約を加えてしまう可能性がなしではないんじゃないかというところであります。

 例えば、数十に及ぶ条項の改正、あるいは全面改正といったような憲法改正の内容が決まっていった場合に、これは個別方式ではなかなか難しいのではないかというふうに思うわけであります。もちろん、この点についても今まで議論は尽くされているのかもしれませんけれども、個別方式だけじゃなくて一括方式も必ず残すような形にしていかなきゃいけないということが私の申し上げたいところであります。

 この国民投票法を議論する過程で、憲法改正の内容を規定すべきじゃない。したがって、憲法改正国民投票制度を議論する中で、投票の方式については国会の発議の方法の中で決めるという形でゆだねることを基本とするべきじゃないかというふうに考えております。そして、もう一方で、一括方式をサポートする論拠というものを私なりに五つ考えてまいりました。

 一つ目でございますけれども、この国民投票に付す前に国会で発議されるわけであります、ですから、国会で議論されるときに国民的議論がそこで起こっているわけでありますから、その中で世論がかなりこなれてきている可能性があるし、逆にそこで世論集約をすることが民主主義国家としては正しいことじゃないか。そういう意味では、一括方式にした方がいいのではないかという考えもあり得るんじゃないかというふうに考えたわけであります。

 二つ目は、この国民投票制度というのは、一回ではなくて、これから長期間、複数回にわたって使われるということを前提と考えますと、さまざまな憲法の改正内容というのを想定すべきだということでございます。

 三つ目は、九十六条二項を論拠にして全面改正を認めないという御意見がございました。この意見に対しまして、私は、先日の保岡理事の、憲法改正という言葉には新憲法制定ということも一部改正も両方含む、この意見に賛成をするものであります。

 四点目は、それでは憲法改正について諸外国ではどうなっているのかというケーススタディーについてでございますけれども、私は個人的に調査を始めまして、まだ結論は出ておりませんけれども、複数の、あるいは多数の、数十に及ぶ条項について個別的に同時に憲法改正国民投票をした例があるかと言われると、まだ見つかっておりませんので、この辺についてもこれから調査を進めていきたいというふうに思っております。

 最後に、国民投票の場合には国民に修正権がないということでございますが、この点については事前に国会発議がなされているということで、そういった意味では、より深い修正権が国民に付されているんじゃないかというふうに考えております。

 以上でございます。ありがとうございました。

逢坂委員 民主党の逢坂誠二でございます。発言の機会をいただきまして、ありがとうございます。

 私の立場、この憲法改正の国民投票法制でございますけれども、憲法改正が是であるか否であるか、あるいはまた、憲法改正の中身がどうであるかとは別に中立的な立場でこの投票法制ができるべきであるという立場でございます。

 それからまた、先ほど石破委員の方から、政治家というものはフォロワーではないんだ、リーダーなんだという話がございましたが、これも全く同感でございます。

 そこで、私の事務所に、昨今非常に多くの、国民投票法制に関して賛成であるとか、あるいはまた強く反対であるとか、あるいは憲法改正についても賛否の声が多く寄せられるようになっております。これも一つ、この委員会、あるいはまたこの前の調査会のさまざまな議論があって、政治がまさにリーダーの役割を果たして、こうした意見が多く寄せられるようになったものだと思うわけであります。

 しかし、私は問題だと思っていることがございまして、この国民投票法制の議論が進めば進むほど、国民一般の中に憲法改正があたかも既定の事実であるかのような雰囲気をもたらしている、そういったことが非常に大きな問題ではないかと一つ思っております。

 もう一つは、それと同時に、全くこの問題に対して関心を持たない人も相当いるという事実を我々はやはりきちっと認識をすべきではないかというふうに思うわけです。確かに政治がリーダーシップを発揮することは重要ではありますけれども、国民全体から離れ過ぎること、それは真のリーダーとは言えないというふうに思うわけです。例えて言うならば、マラソンレースにペースメーカーという存在が最近ございますけれども、あのペースメーカーは、マラソンの集団から離れ過ぎるとペースメーカーの役割を果たしません。もちろん、先頭集団の後ろにいてもペースメーカーの役割を果たさないわけでありますので、国民との距離感というものをこの我々の国会の議論がしっかりとはかりながら進めていくことが大事ではないかな、そんなふうに思っています。

 したがいまして、我々は、ここでの議論が成熟したからといって、単に国民投票法制をつくればいいんだということではないのだろうと。国民の今の実態、実情というものをどうやって把握するかという、それなしに国民投票法制を制定するということでは問題が残るのではないかなというふうに思うわけです。

 無関心層に対してどうやってこの問題について関心を持ってもらうか、あるいは国民の議論の未成熟な部分をどう克服するかということをしっかり考える必要があろうかと思っています。これなしにこの法制度を整備したとしても、議論あるいは決定の正当性、レジティマシーというのでしょうか、それが担保できないことになる。結果、せっかくここで高度な議論をしてつくった法制度であっても、その法制度を用いて行った国民投票の結果が民主主義の誤作動であるというようなことを招きかねない懸念を持っているわけであります。

 したがいまして、ここでの議論をしっかりとすると同時に、国民の皆さん全体に対して、単なる意見聴取であるとか説明会を超えた、何かの手続あるいは作業というものをこれから私たちは考えていく必要がある、そんなふうに思っているところでございます。

 以上です。

斉藤(鉄)委員 公明党の斉藤鉄夫でございます。

 発言の機会を与えていただいて、ありがとうございます。

 私は、二点申し上げます。

 一点目は、国民投票における賛成、反対の意見表明の方法についてでございます。この方法については、これまでこの委員会の中でもたくさん議論が出まして、ある程度論点整理をされております。我が党でも、賛成マル、反対バツ、そして、白票についてはこれは棄権と考えるべきではないかという意見が主流であるということを先々週申し上げたところでございます。

 そういうことを報告した上で、我々党内で議論をしておりますが、これまでになかった新たな視点の意見が出ましたので、きょうはそれを紹介させていただきたいと思います。これが党の主流の意見であるとかそういうことではなくて、一つの視点ということでございます。

 それは、意見表明の仕方を反対のときだけバツにする、こういう意見でございます。その論拠は、国会で、国民の代表の三分の二以上の賛成で発議をされた、いわば大きな大多数の合意を国民に問うということであるから、これは、反対のときにその反対の意思表示をするということで十分なのではないかと。これは、最高裁判所の判事についての投票を毎衆議院選挙ごとにやっておりますが、これと基本的に同じ考え方である、こういう意見が出されてまいりまして、初めての意見だったものですから、こういう意見が存在するということをこの場で紹介させていただきたいと思います。

 二点目は、先週、私は憲法の硬性性ということを発言させていただきまして、それに対して辻元委員の方から御発言がございました。その発言に対して私これから発言しようと思うんですが、きょう私が最後の発言者ということが決まっておりまして、辻元さんに反論の時間を与えない形でこういう発言をすることをちょっとちゅうちょしたんですが、あえて発言させていただきます。

 それは、辻元さんから、憲法の硬性性ということから考えれば、憲法は他の法令との整合性において矛盾が出てくるぎりぎりのところまで変えるべきではないんだという趣旨の御発言があったかと思います。

 しかし、それは憲法の硬性性ということとは別の議論であろうと。やはり憲法というのは、法治国家日本の法体系のトップ、山頂に位置しているものでございまして、その法体系全体の整合性というのはある意味で美しくなくてはならない、こう思うわけでございます。富士山の山頂だけが現実のふもとの部分とかなりねじれた形で存在していれば、富士山は美しくない。やはり我々、法治国家、美しい法体系、整合性のとれた法体系のもとで暮らすことが国民の幸せにつながると思います。

 したがいまして、全体の整合性を、また現実との整合性を考えながら、この憲法改正を国民の意思として変えていくということは重要なのではないかということを発言させていただきますが、済みません、辻元さん、もし何かありましたら次回以降にまた御発言をいただきたいと思います。

 以上です。

中山委員長 これにて自由討議を終了いたします。

 次回は、来る十三日木曜日午前八時五十分理事会、午前九時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午前十一時五十一分散会


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