衆議院

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第4号 平成18年10月31日(火曜日)

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平成十八年十月三十一日(火曜日)

    午前十時二分開議

 出席委員

   委員長 森山 眞弓君

   理事 稲葉 大和君 理事 河村 建夫君

   理事 斉藤斗志二君 理事 鈴木 恒夫君

   理事 町村 信孝君 理事 中井  洽君

   理事 牧  義夫君 理事 西  博義君

      井脇ノブ子君    稲田 朋美君

      猪口 邦子君    岩永 峯一君

      上野賢一郎君    臼井日出男君

      小里 泰弘君    大島 理森君

      大塚 高司君    海部 俊樹君

      亀井善太郎君    北村 茂男君

      北村 誠吾君    佐藤 剛男君

      島村 宜伸君    平  将明君

      谷  公一君   戸井田とおる君

      土井  亨君    中山 成彬君

      西川 京子君    馳   浩君

      鳩山 邦夫君    原田 令嗣君

      広津 素子君    馬渡 龍治君

      松浪健四郎君  やまぎわ大志郎君

      若宮 健嗣君    北神 圭朗君

      田中眞紀子君    田村 謙治君

      寺田  学君    土肥 隆一君

      西村智奈美君    野田 佳彦君

      羽田  孜君    古本伸一郎君

      松本 大輔君    横山 北斗君

      斉藤 鉄夫君    坂口  力君

      石井 郁子君    高橋千鶴子君

      保坂 展人君    糸川 正晃君

      保利 耕輔君

    …………………………………

   議員           藤村  修君

   議員           武正 公一君

   議員           高井 美穂君

   議員           大串 博志君

   議員           笠  浩史君

   外務大臣         麻生 太郎君

   文部科学大臣       伊吹 文明君

   国務大臣

   (内閣官房長官)     塩崎 恭久君

   国務大臣

   (少子化・男女共同参画担当)           高市 早苗君

   内閣官房副長官      下村 博文君

   衆議院法制局第三部長   鈴木 正典君

   政府参考人

   (内閣官房内閣審議官)  山中 伸一君

   政府参考人

   (内閣府大臣官房審議官) 梅溪 健児君

   政府参考人

   (内閣府大臣官房タウンミーティング担当室長)   谷口 隆司君

   政府参考人

   (内閣府男女共同参画局長)            板東久美子君

   政府参考人

   (文部科学省大臣官房長) 玉井日出夫君

   政府参考人

   (文部科学省生涯学習政策局長)          田中壮一郎君

   政府参考人

   (文部科学省初等中等教育局長)          銭谷 眞美君

   政府参考人

   (文部科学省高等教育局長)            清水  潔君

   政府参考人

   (文部科学省高等教育局私学部長)         磯田 文雄君

   政府参考人

   (文部科学省研究振興局長)            徳永  保君

   衆議院調査局教育基本法に関する特別調査室長    清野 裕三君

    ―――――――――――――

委員の異動

十月三十一日

 辞任         補欠選任

  猪口 邦子君     原田 令嗣君

  上野賢一郎君     大塚 高司君

  臼井日出男君     亀井善太郎君

  佐藤 剛男君     平  将明君

  西川 京子君     谷  公一君

  森  喜朗君     土井  亨君

  渡部  篤君     小里 泰弘君

  野田 佳彦君     田村 謙治君

  石井 郁子君     高橋千鶴子君

同日

 辞任         補欠選任

  小里 泰弘君     北村 茂男君

  大塚 高司君     上野賢一郎君

  亀井善太郎君     臼井日出男君

  平  将明君     広津 素子君

  谷  公一君     西川 京子君

  土井  亨君     森  喜朗君

  原田 令嗣君     猪口 邦子君

  田村 謙治君     寺田  学君

  高橋千鶴子君     石井 郁子君

同日

 辞任         補欠選任

  北村 茂男君     馬渡 龍治君

  広津 素子君     佐藤 剛男君

  寺田  学君     野田 佳彦君

同日

 辞任         補欠選任

  馬渡 龍治君     渡部  篤君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 政府参考人出頭要求に関する件

 教育基本法案(内閣提出、第百六十四回国会閣法第八九号)

 日本国教育基本法案(鳩山由紀夫君外六名提出、第百六十四回国会衆法第二八号)


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     ――――◇―――――

森山委員長 これより会議を開きます。

 第百六十四回国会、内閣提出、教育基本法案及び第百六十四回国会、鳩山由紀夫君外六名提出、日本国教育基本法案の両案を一括して議題といたします。

 この際、お諮りいたします。

 両案審査のため、本日、政府参考人として内閣官房内閣審議官山中伸一君、内閣府大臣官房審議官梅溪健児君、大臣官房タウンミーティング担当室長谷口隆司君、男女共同参画局長板東久美子君、文部科学省大臣官房長玉井日出夫君、生涯学習政策局長田中壮一郎君、初等中等教育局長銭谷眞美君、高等教育局長清水潔君、高等教育局私学部長磯田文雄君、研究振興局長徳永保君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

森山委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

森山委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。稲田朋美君。

稲田委員 おはようございます。自由民主党の稲田朋美でございます。

 昨日の審議で、私が本当に尊敬し、また敬愛しております大島理森先生から、なぜ今教育基本法を改正するのかという点について、三点重要な点を御指摘いただきました。一つが改正当時と今との間の大きな変化、そして二つ目が現在の教育の憂うべき状況、そして三つ目がこの法律の制定過程、戦前に対する深い反省という御指摘がありました。中でも、私は、三番目のその制定過程というものについて、一言申し上げたいと思っております。

 教育基本法は、言うまでもなく、我が国が敗戦をし、六年八カ月の間占領下に置かれていた時代に制定されたものでございます。

 安倍総理も、総裁選におきまして、戦後レジームからの脱却ということをおっしゃっておられました。この戦後レジームからの脱却、戦後体制の是正というものの中核に、占領下において、占領政策、いわゆる日本弱体化政策の影響を受けて整備された憲法そしてまた教育基本法の是正ということがあるのではないかと思っております。

 我が自由民主党も、結党の精神に自主憲法の制定そしてまた教育改革ということを悲願としてきたわけでございます。

 そういった前提のもとで、私は、やはり法を学ぶ者また立法府に身を置く者といたしまして、憲法そして教育基本法、確かにすばらしい理念を盛り込んでいられる、しかしまた、よければいい、いいものであればそれでいいんだというのではなくて、やはりその制定過程にこだわっていかなければならない、それはまさしく法の正統性の問題であるからだというふうに認識しております。

 その前提に立ちまして、やはり、占領政策によって戦前のよき日本の伝統というものが失われた、それを六十年前に立ち戻って取り戻していく、日本らしさを取り戻していく、そういったもの、家族の価値、公の精神、昨日総理が言われたそういったものを取り戻していくというのが今回の改正の大きな役割だろうと思っております。

 そのような前提に立ちまして、現行の教育基本法十条の不当な支配についてお伺いをいたしたいと思います。

 戦後の教育行政は、この不当な支配をめぐる混乱であったと言っても過言ではないと思います。最高裁の判例でもこの不当な支配の主体に教育行政機関が行う教育行政も入るというのがその見解でありまして、その見解を前提として、教育行政を制約する条文としてこの十条が利用されてきたという実態もあるわけでございます。

 この条文については、戦前日本の教育及び教育制度に対する深い反省の上に成立したものであるというふうに解説書には記載されているところでございますが、この「不当な支配」という文言を含む現行十条の趣旨、さらにはこの文言が入った制定過程について、簡単に当局にお伺いいたします。

田中政府参考人 現行教育基本法第十条の不当な支配についてのお尋ねでございますけれども、この規定は、教育が国民全体の意思とは言えない一部の勢力に不当に介入されることを排除いたしまして、教育の中立性、不偏不党性を確保するという趣旨をあらわしているものでございまして、このような考え方は今後とも重要であるということから、引き続き規定したものでございます。

稲田委員 ありがとうございます。

 資料一に「高等学校学習指導要領解説 特別活動編」というのも用意しております。文部省のこの要領解説によりますと、国旗・国歌条項の説明として、「生徒が将来、国際社会において尊敬され、信頼される日本人として成長していくためには、国旗及び国歌に対して一層正しい認識をもたせ、それらを尊重する態度を育てることは重要なことである。」というふうに規定されておりまして、私は、これはもう至極当然のことで、法律以前のことであろうかと思っております。

 ところが、最近九月に東京地裁の判決が出まして、この学習指導要領を非常に詳細に具体的に決めた東京都の教育委員会が出した通達が余りにも詳細過ぎる、一義的に過ぎるということで、それが憲法の規定する思想、良心の自由に反している、また、教育基本法十条の不当な支配に当たる、教職員には、入学式、卒業式で国旗に向かって起立する義務もなければ、国歌を斉唱する義務もないのだというような判決が出たわけでございます。

 資料二で東京都の通達を御用意しておりますが、確かにこの通達を見ますと、例えば国旗の掲揚について、舞台の正面に掲揚せよとか、また国歌の斉唱について、式次第に国歌斉唱と書けとか、例えば入学式、卒業式で、先生方が入学式、卒業式にふさわしい服装をせよとか、私から見ても非常に詳細な取り決めが通達でなされているわけですけれども、このような詳細な通達を出さざるを得なかった東京都の実態があるのではないかと思い、その点について当局にお伺いいたします。

銭谷政府参考人 当時、東京都におきましては、一部の学校におきまして、入学式や卒業式等における国旗掲揚、国歌斉唱の際に、一部の教職員に社会的な通念を逸脱した行為が見られる状態であったと認識をいたしております。例えば、入学式や卒業式等におきまして、校長からの職務命令に従わず、国旗掲揚、国歌斉唱の際に起立をしなかったり、式の途中で退席をしたり、ピアノの伴奏を拒否するなどの行為が見られたと承知をいたしております。

 このため、東京都の教育委員会では、このような学校現場の状況を踏まえまして、通達で国旗掲揚、国歌斉唱に関する実施指針を示しまして、校長等の上司が、職務命令として、この指針に基づく国旗掲揚、国歌斉唱の実施について所属職員に命じてきているものと認識をいたしております。

稲田委員 今、局長の答弁では非常に遠慮がちに、抽象的におっしゃったと私は思います。

 私が調べているところによりますと、例えば、国旗を舞台のカーテンの裏に隠して見えないようにしたり、また国旗掲揚の時間を早朝の非常に早い、生徒が来ないような時間に掲揚したり、それから、先生方がジャージー姿や白衣で式場にあらわれて、起立もしなければ国歌を斉唱もしない。それに対して来賓やら保護者から、あの先生方は子供たちを卒業式で送り出すそういった気持ちが一体あるのかどうか、非常に奇異だというような抗議がたくさん寄せられていて、そういった非常識な行動をとるということを前提にしてこのような細かい通達が出たということで、私は、この通達は、非常にそういった意味で仕方のない、やむを得ない通達であったというふうに思うわけでございます。

 かつて、国旗・国歌法が制定されない時代がございました。私の父も京都府の洛北高校の校長をしておりまして、入学式、卒業式の国旗・国歌の取り扱いに非常に苦労している姿を見ておったわけですけれども、教職員の先生方が入学式、卒業式の前に校長室に大挙してあらわれて、日の丸が国旗である、君が代が国歌であることの法的な根拠を示せ、法的な根拠がないのであれば何でそんなものを掲揚するんだということを抗議して、そして大混乱になる。その大混乱の中で、例えば広島の校長先生が自殺をされるというような痛ましいことが起きて、そういった反省のもとで国旗・国歌法が制定されたというように私は理解をしているところでございます。

 今回、このような、憲法違反である、それから不当な支配に当たるというような判決が出たことによりまして、来春の例えば卒業式だとか入学式において、東京都で、また全国の学校で同じような混乱が起きるのではないかと私は危惧をしているわけでございます。

 資料三に新聞記事を用意しておりますけれども、一部のマスコミではこの判決を非常に高く評価して、日の丸・君が代の強制は違憲なんだというようなことを社説それから記事で書いているわけでございます。

 もちろん、東京都はこの判決についてすぐ控訴をして、そして、今までの指導は変えないということを校長先生を集めて指導されているわけですけれども、しかし、現場で、例えば入学式、卒業式で校長先生が、国旗に向かって起立し国歌を斉唱することを教職員の先生方に要求したときに、この判決を盾にとって、憲法違反なんだ、そして不当な支配に当たるんだ、判決を守れと言って迫る、また教育現場が大混乱になるということは私は十分予想ができると思うわけでございます。

 第一線でそういった勢力と孤独な闘いをされるであろう校長先生を守るということも、私は政治の重要な役割だというふうに思っております。

 それで、学習指導要領の国旗・国歌条項に法的な拘束力があるということは、この判決ですら認めているわけでございます。法的拘束力があるとしながら通達が違憲というのは、私は、本当は法的にも矛盾していると思っているわけですけれども、大臣にお伺いいたしますが、この国旗・国歌条項にのっとって、教職員には、入学式、卒業式において、国旗に向かって起立し国歌を斉唱する職務上の義務があるかどうか、この点についてお伺いいたしたいと思います。

伊吹国務大臣 先生御存じのように、国会で決めていただいた学校教育法という法律があります。そして、この学校教育法に基づいて政令があり、学習指導要領というのは、その法律の一部である。当時の文部大臣、今でいえば文部科学大臣の告示として発出されておりますから、これはもう法律の一部なんですね。ですから、これに従って学校現場の管理、指導をしていただくというのは、これは当然のことです。

稲田委員 では、ただいまの大臣の答弁で、職務上の義務があるというふうに理解をいたします。

 それでは、最大野党である民主党のこの点についての御意見を伺いたいと思います。

藤村議員 稲田委員に対しましてお答えを申し上げます。

 まず結論から申し上げます。公立の小学校、中学校、高等学校において、入学式、卒業式において、国旗掲揚、国歌斉唱について、当然のことながら、教職員がそれに従う必要があると思っております。

 理由の第一は、さまざまな議論を経て国旗・国歌法が既に制定され、国旗・国歌について法律で定められているということ、さらに、その後に、数年たっておりますが、ワールドカップやオリンピックなどを例に引くまでもなく、国民の中に日の丸・君が代が定着していること。

 第二に、今御指摘のございましたように、小中高それぞれの学習指導要領において、「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする。」とあることから、公立学校の教職員は、これら法律や告示等に従うことが要求されているものと理解しております。

稲田委員 ありがとうございます。

 民主党も、国旗に向かって起立し国歌を斉唱する職務上の義務があると明確にお答えいただきましたので、これで私は第一線の校長先生をお守りすることができると思っております。ありがとうございます。

 それでは文部科学省にお伺いいたしますが、改正法十六条でも「不当な支配」という言葉自体は残ったわけでございますけれども、十条を改正して十六条となったことによって、この不当な支配をめぐって混乱してきた教育現場を改善することになるのかどうか、その点についてお伺いいたします。

田中政府参考人 ただいま御答弁申し上げましたように、教育は、中立性、不偏不党性を確保して、国民全体の意思に基づいて行われる必要があるわけでございます。したがいまして、法案では、「不当な支配に服することなく、」を引き続き規定いたしますとともに、国民の代表で構成されます国会によって制定された「法律の定めるところにより行われるべき」と新たに規定したところでございます。

 今まで、一部の教職員団体等によりまして、教育行政が教育内容や方法にかかわることは不当な支配であるとの主張が展開されてきたところでございますけれども、今回の改正で、法律に基づいて行われる教育は、不当な支配に服するものではないことを明確にしたところでございます。

 これによりまして、法律に定めるところにより行われる教育委員会等の命令や指導などが不当な支配ではないということが明確になったものと考えておるところでございます。

稲田委員 ありがとうございます。この改正によって今までの混乱がおさまるということを期待申し上げております。

 次に、民主党案についてお伺いをいたします。

 民主党案の前文では、公共の精神を大切にする人間の育成、また、美しいものを美しいと感じる心をはぐくむ、日本を愛する心を涵養する、伝統、文化など、あすを担う日本人育成のための本当にすばらしい言葉が並んでいるというふうに私は思っております。論文などでは、この民主党の前文を、与党案以上に保守的、伝統的、そしてまた復古的であるというふうにも評されているところでございます。

 ところが、民主党案の本文を見ますと、この非常にすばらしい前文のものが一条の目的にどこにも書かれていない。日本を愛する心とか伝統とか文化とか、日本人を育てる、そういった目標が全く本文に書かれていない。非常にちぐはぐな本文になっているというふうに思うわけでございます。

 その理由は、マスコミでも指摘されていたように、前文には法的拘束力がなく本文には法的拘束力がある、そういう法的拘束力の違いによって前文と本文とを書き分けたのではないか、私もそのように感じるのですが、その点についてお伺いいたします。

藤村議員 日本を愛する心も、また公共の精神などの精神的なものも、人間にとって至極当然の心のありようであるというふうに考えております。また、ただし、国及び地方公共団体が心や精神を一方的に押しつけるというものではなく、あるいは強制してはぐくまれるということではないことは明白であると思います。

 民主党基本法案前文では、「人間の育成は、」という主語でありますが、教育の原点である家庭と、地域、学校、社会の、広義、広い意味の教育の力によって達成されるものであるとし、広い意味での教育の中において、これら心や精神が育成され、あるいは涵養されるということをうたっております。我々は、この前文にうたったまさに理念、理想の部分を、根本法でございますから、教育体系全体の法律の中で実現していけばいいのではないか。

 昨日、政府答弁で、伊吹大臣は立法者の意思あるいは立法政策という言い方をされましたが、我々は前文においてこのことをうたった上で、例えば、今、日本を愛する心につきましては、平成十年告示の、先ほどもお示しいただいた学習指導要領において、例えば、小学校六年の社会で「国を愛する心情を育てる」とあり、さらに、五年、六年の道徳においても「郷土や国を愛する心をもつ。」とあります。私どもは、具体的な指導においてはこれで十分であり、むしろ、心の問題は内面の問題であることから、基本法においては、まさに理念である前文にうたうことが適当であると判断をいたしました。

 なお、政府案の「態度を養う」ということが心が伴っているのかどうか、若干疑問が残るところでございます。態度は表にあらわれるものとの説明を聞くときに、それでは評価の対象にしているのではないかという疑問、疑念も生まれます。

 前国会で、小泉首相は評価は求めないという御答弁でございました。それは妥当な答弁だったと思います。

稲田委員 今の私の質問は、前文には法的拘束力がなく本文には法的拘束力があるのに、なぜ本文に書かれなかったのかという質問についてはお答えがなかったと思います。また、前文の精神をほかの法律で生かすと言うんだったら、まず基本法の本文で生かしていただいたらいいのではないかというふうに思います。

 この点については、衆議院法制局に、前文と本文の法的拘束力の違いについて御説明いただきたいと思います。

鈴木法制局参事 お答え申し上げます。

 国政の重要な分野における基本的な事項を定めるいわゆる基本法など重要な法令の中には、本則の各条項の前に、その法令の制定の趣旨や基本的な理念を述べる前文が置かれることがございます。

 この前文につきましては、前文それ自体が直接に国民や国等に対しまして法的効果を有するというものではございませんが、前文もその法令の一部を構成しているものでございますので、その法令の各条項の解釈の基準、指針としての意義と効果を有すると一般に解されているところでございます。

稲田委員 前回私が質問したのと一字一句違わない、まさに基本書に書いてあることを読み上げられただけだと思いますので、ちょっと私の理解を申しますと、前文には法的拘束力がなく本文に法的拘束力がある。これは最高裁判例でも認められておりまして、例えば憲法の前文の平和的生存権というのは、前文に書かれているだけなので、具体的な法規範性がなく、法的な権利とは言えないというのが最高裁の判例で、私の理解なんですけれども、それでよろしいでしょうか。はいかいいえで、法制局、お答えください。

鈴木法制局参事 お答え申し上げます。

 前文に規定するのと本則に規定するのとの違いにつきましては、前文は直接に国民等に対して法的効果を有するものではないのに対しまして、本則の各条項に規定した場合にどういう法的効果が生ずるかにつきましては、本則の各条項の規定の仕方、例えば、具体的な規範として規定するのか、あるいは抽象的な理念や原則として規定するのかといった規定の仕方によって異なってくるものと考えられます。

 ですから、具体的にどういう違いが生ずるかは、本則において具体的な条項を立案する段階において具体的な規定の仕方を踏まえて議論し、判断すべき事柄であるというように考えております。

稲田委員 何か、簡単なことを難しく説明する天才かなと思うんですけれども、先ほど私が言った理解でいいというふうに思います。

 そうしますと、前文には法的拘束力がないので、愛国心とか公共の精神といった文言を入れたとすれば、そうだとすれば、やはり民主党案というのは、与党案を揺さぶるために出されたのかなというふうに思うわけでございます。

 読売新聞の十月二十六日、我が国で最も部数の多い新聞でこういったことが書かれているわけです。民主党は「改正反対を唱え、本来相いれないはずの共産党や社民党と、今国会での採決阻止を確認している。 これでは、審議引き延ばしを目的に、形だけ対案を出したことになる。かつての社会党と何も変わらない。」このような批判がされているわけでございますけれども、私は、例えば、前文に書かれたことが本当に民主党の理念であるとすれば、本来、民主党と自民党というのは目指すものは変わらないと思います。

 そしてまた、私、法務委員会におりましたが、前回の国会で、共謀罪審議で民主党案をそのまま自民党が出した途端に民主党が審議に応じないというような信じられないような事態も起きたわけでございますので、こういった教育基本法という、まさに六十年ぶりの我が国の根幹にかかわる重大な審議でございますので、そういった政争の具にされることなく、自民党、民主党、真摯に審議してまいりたいというふうに思います。

 それでは、次、民主党案にさらにお伺いをいたしたいと思いますが、民主党案では、私、一体だれに教育内容を決める権限があるのか、また、教育行政の最終責任は一体だれがとるのかということが全くわからなくて、解釈しようによってはどうにでもとれて、今以上に教育現場が混乱する。民主党案は、「不当な支配」という言葉は抜いたけれども、そのかわりに入れた言葉が悪過ぎて、もう教育現場がぐちゃぐちゃになるんじゃないかというふうに思っているわけなんです。

 具体的に申しますと、民主党案の二条で、この読み方なんですが、「何人も、」「その内容を選択し、及び決定する権利を有する。」これは、何人も教育内容を決定する権利があるんだというふうに読めると思います。何人もという限りは、外国人も日本人も、大人も子供も、だれでもこれは教育内容を決めることができるということだろうと思うんですけれども、七条では国に教育について最終的な責任がある、このように決めていらっしゃるわけですから、一体、教育内容を決定するのは最終的にだれなのかという点をお伺いしたいと同時に、民主党では現行学習指導要領はそのまま効力があると思われるのか、その点も含めて御答弁いただきたいと思います。

武正議員 稲田委員の質問に答えます。

 まず冒頭、先ほどの質問の関係ですが、ぜひ、イラク自衛隊派遣の根拠に首相が憲法前文、国際協調を挙げたということを想起していただきたいということをまず言っておきたいと思います。

 さて、今の御質問でございますが、教育内容、これを決定するのは学校理事会ということで、一番生徒たちに近いところということでございます。その責任はというと、地方自治体の首長でございます。そして、その最終的な責任は国がとるということでございます。

 先ほどの「何人も、」ということでありますが、それは、条文に書いてありますが、教育の目的を達成するためということがその形容詞としてあることを指摘したいというふうに思っております。

 また、学習指導要領については、民主党は、教育水準の確保ということでこれを、先ほど触れました、国が最終的な責任を負うということで認めていくということでございます。

 以上です。

稲田委員 わかったようなわからないような答弁なんですけれども、今憲法の前文のことを出されましたけれども、憲法の前文の精神は本文できちんと具体的な権利として生かされているわけです。民主党の場合は前文のそういった日本的なものが全く本文に生かされていない、今、つくる段階で生かされていないのがおかしいという批判をしているわけで、ちょっと今の、憲法前文のことを持ち出されるのは筋違いかなと思います。

 次に、同じく国が教育の最終責任を持つという条文との関係でですが、十八条一項では、教育行政は、民主的な運営をする。民主的な運営、これがまた私はよくわからないんですけれども。それから二項で、教育行政は、首長が行う。今度は四項では、学校の主体的・自律的運営というのを規定されているわけです。そうしますと、教育行政というのは一体だれがやるのか。

 また、文科省と、首長ですから、選挙で選ばれる首長なわけで、いろいろな、共産党の方が選ばれることも十分あって、では、そうしますと、その首長のイデオロギーが教育行政に直接反映されてしまう。

 また、教育現場の自律的運営となりますと、先ほどの国旗・国歌の問題ですと、国旗・国歌を上げないんだというふうに学校現場で決めたらもうそのように従わざるを得ない、一体それが民主的な運営になるのかどうか。

 その民主的運営ということと、首長の教育行政、そして文科省との関係、それは一体どういうことになるのか、御説明いただきたいと思います。

武正議員 先ほどの前文の件に触れておきますが、それは国際協調ということでの理由でありますが、それが各項目にあるかということで提起をしたわけでございます。

 さて、今の御質問でありますが、民主的運営については、学校理事会、これがまず一つでございます。それから、首長の権限ということで、首長に権限と責任を負わせる、これが民主党の考えの基本でございます。

 では、それを、先ほど言いました政治的なイデオロギー等ということの御懸念でありますが、それについては、民主党は、教育委員会を廃止して、そのかわりに、仮称でありますが、教育監査委員会を置く、これが首長のある面の独走というか暴走をチェックする機関であるということでございます。

 それから、国旗・国歌について振られましたが、これもやはりきちっと国が最終的責任を負うということで、学習指導要領でそれをきちっと明記するということでございます。

稲田委員 ちょっと私もよくわからないし、余りにも首長に対する信頼が大きいのか、ただ、この条文がこれだけ民主的運営について学校でも首長でもというふうになりますと、その条文の解釈によっては今以上の混乱が起きるというふうに私は思います。

 民主党案は教育委員会制度を廃止するということでございますけれども、それも私は非常に問題であって、そうしますと、首長の政治理念が直接学校教育に反映されて、その政治的な中立性はやはり害されるというふうに思っているところでございます。

 次に、いじめの問題についてお伺いをいたしたいと思います。

 昨日の審議でも問題になっておりましたいじめの問題でございますが、私も中学二年生の娘を持つ母親でございますので、とても人ごととは思えないわけです。

 北海道で小学校六年生の女児が自殺をして、遺書があるにもかかわらず、それが一年間隠ぺいをされていて、自殺に至るまでに、修学旅行で何回も部屋割りでその子をめぐって混乱があったという事実があったのに自殺を防げなかった。

 また、最近では、中学二年生の女子が自殺をして、同じ部活の同級生の名前を遺書に書いていた。そのお母さんは、自殺の一週間前に学校に来て、いじめられているのではないかというような懸念も示していた。にもかかわらず、いじめがあったのかなかったのかについても学校の答弁が混乱をしている。また今度、福岡では、中学二年生の男子生徒が自殺をして、それに先生も関与したのではないかというようなこともあるわけでございます。

 こういった一連のいじめによる自殺の事例を見ますと、そもそも学校における指導力が低下してしまっているのではないか。いじめの定義について、文科省はかなり広くしているということですけれども、遺書を残して亡くなった、自殺したような場合には、それはもういじめ以外の何物でもないと思うわけでございます。

 そこで、官房長官にお伺いいたしますが、いじめの問題のように子供の生命にかかわるような事態について、それは文科省や教育委員会の力をもっと強めて文科省の指導を現場に浸透するようにすべきではないかというふうにも思うわけです。昨日の大臣答弁で、余り強くし過ぎると、それは国の介入になるしというような御懸念もあって、私もそのとおりだなと思ったのですが、ただ、こういういじめの問題については、やはりそういった力を強めて現場に浸透するようにすべきではないかというふうにも思うのですけれども、この点、教育再生会議ではどのように議論をされ、また、されるのでしょうか。

塩崎国務大臣 教育再生会議でのこのいじめの問題については、先般、義家委員と山谷補佐官が小渕政務官と一緒に現地に赴いて、御両親や学校関係者、教育委員会等々から意見を聴取してきたところでございますので、これから実際には議論を行うことになると思います。

 基本的には、今、稲田委員がおっしゃったように、そもそも、きちっとしたガバナンスがきいて、この教育委員会の使命が果たされていたのか、あるいは、学校現場でのガバナンスもちゃんときいていたのか、非常に心配なところがたくさんかいま見られるというところでございます。また、家庭の御両親の言い分も聞いて帰っておられますので、これからまた議論を深めてまいりたいと思いますが、いずれにしても、機能が十分果たされていないということは間違いないところだろうと私たちも思って、これからの議論に臨んでいきたいというふうに考えております。

    〔委員長退席、町村委員長代理着席〕

稲田委員 では最後に、大臣に教育バウチャー制についてお伺いをいたしたいと思うのです。

 私は、どちらかというと、義務教育の段階では余り市場原理だとか競争原理を入れるべきではないというふうに考えておりまして、手前みそになるんですけれども、地元の福井では、小学校区と公民館が全く一致して、敬老会で子供たちが太鼓をたたいたりとか、それからまた、放課後、公民館で子供たちを地域の人たちが教育をする。文科省の放課後子どもプランというのもそういった地域の教育力を目指した施策だろうと、私は大変すばらしいと思っているのですけれども、そういった意味からも、私は、地域の教育力というものを強めるためにも余り競争原理を働かすべきではないというふうに思うのですが、大臣の御意見をお伺いいたしたいと思います。

伊吹国務大臣 先生と私は大体政治理念を共有しているのじゃないかと思って今のお話を伺っておりましたが、現実がうまくいかない場合に、公的な部門が積極的に介入をして制度を変えていくという政治思想と、本来の人間の人間力に期待をしながら現実のおかしなことを正していくという政治思想と、両方の政治思想があると思います。

 そこで、義務教育段階では、総理も所信表明でお訴えをしたように、すべての児童にひとしく最低限の学力と規範意識を身につける機会を保障したいということを言っておられますので、この分野はできるだけ、競争原理という言葉が適当かどうかわかりませんが、全体を見ながら同じように扱えるやり方がいいと思います。

 しかし問題は、今先生がおっしゃったバウチャー、それから自己評価、外部評価、学校選択制、それから教員の免許のことにまでかかわってくるかもわかりませんが、これらすべては、学校の優劣をだれかに判断させて、そして、今おっしゃっていたようないい学校をつくっていきたいと。それがどうも現実はそうじゃないじゃないかと。

 そして、義務教育においては、国と地方合わせて十兆円の国民負担をお預かりしながら仕事をしているんだけれども、それに見合うような成果が上がっているのか。この成果が上がっていないと、本来、おっしゃったように競争原理を入れることによって失うマイナスよりも、そのマイナスがあるんだけれども競争原理を入れないといけない現実があるんじゃないかといういら立ちがあるということを教育に携わる者みんなが自覚して、人間力を高めて対応できれば、これが一番いいんです。

稲田委員 すばらしい答弁、ありがとうございます。

 本当に、総理が目指しておられる美しい国の中核に私はこの教育再生があると思います。

 また、単にこの教育基本法を改正したからといっていきなり教育再生ができるわけでもなくて、先生方も、また親である私たちも変わっていかなければならないし、また、六十年かけて失われたものを取り戻すにはやはりそれなりの長い年月がかかるのではないかと思っております。失われた共同体を取り戻して、家族、地域のきずなといった日本のよき伝統を取り戻して、それでまた品格ある日本、美しい日本を創造していく、これが教育再生ではないかと思っております。

 民主党案も、批判をいたしましたけれども、美しい前文の理念がその理念であるなら、自民党、民主党、本当に同じ理念だと思いますので、本当に同じくこの教育再生に頑張っていきたいと思っております。

 本日はどうもありがとうございました。

町村委員長代理 次に、斉藤鉄夫君。

斉藤(鉄)委員 公明党の斉藤鉄夫でございます。どうかよろしくお願いいたします。

 私は、まず初めに伊吹大臣に、質問通告をしておりませんが、未履修の問題についてお伺いさせていただきます。

 けさのニュースを見ておりますと、これは直接の原因かどうかは定かでないそうでございますが、高校の校長先生がお亡くなりになるという痛ましいお話もございました。また、ある大学については、過去にさかのぼって、内申書に虚偽の情報が載せられていればその合格を取り消すという大学も出てきたということで、大変大きな広がりを示しております。

 大臣、この問題の対処につきまして、鋭意御努力をされているそのお姿はよく見させていただいておりますが、ここは本当に大事なときだろうと思っております。間違いのない御判断をいただきたいと思います。

 新聞情報によりますと、いわゆる一科目、二単位足らない、授業時間数にすると、七十単位時間足りない生徒さんに対しては七十単位時間の補習。二科目以上、したがいまして四単位、三単位ということもあるんでしょうか、四単位以上足らない人については、マキシマム七十単位時間として、足らないそれ以上の時間に対してはレポート等で対応する、文科省はそのように考えている、そのような新聞情報がございましたけれども、大体そういう方向なんでしょうか。

    〔町村委員長代理退席、斉藤(斗)委員長代理着席〕

伊吹国務大臣 いろいろ御心配をかけ、まことに申しわけないことだと思っておりますが、不安を持っている高校三年生をまず不安な精神状態から一刻も早く解放するというのが私たちの使命だと思っております。

 そこで、不安な気持ちを持っておりますのは、実は未履修の生徒だけではないんですね。学習指導要領どおり履修をしているにもかかわらず、未履修の人と比べると、受験科目について深掘りをした授業を受けないまま受験に臨まなければいけない、全体の百十六万のうち九五%近くがそのような人たちなんです。ですから、このバランスを考えて救済策は考えないといけないと思っております。

 しかし同時に、今先生がおっしゃったように、二単位、七十時間を超えている人を、では、七十時間までですから、四単位とすると、二科目について三十五時間、三十五時間の授業の割り振りになって、残りをどうするんだという問題がございます。これはもっと進んでいくと、六単位だともっと授業時間が、七十時間を割り振りますと少なくなってまいりますね。その残りの時間を、どういうふうな法律の構成によって、どういうふうに日本の法治の中で救済していけるかというようなことも、もう少し法制的に詰めないといけません。

 それから、七十時間は、私たちは、三月の春休みも含めて受験にそう無理のないように受講していただけるんじゃないかと考えております。ここを余り、現実に起こっちゃったから気の毒だ気の毒だというと、九五%の正直者がばかを見る解決案になりますので、その辺、今もう少し詰めさせていただいて、いずれにしろ、与党の御審議にかけなければいけません。先生も公明党の政調会長でございますから、当然、その場で御意見を言っていただかなければいけませんし、教育のことについては、やはり野党の皆さんにもその内容をどこかでお示ししてやっていかねばなりませんので、具体案については、国会の場ではいま少しお待ちいただきたいと思います。

斉藤(鉄)委員 今の御説明はよく理解できますし、きのうから大臣、正直者がばかを見ないようにということもよく理解できるわけでございますが、他方、生徒には責任がないということも確かでございます。

 また、一科目足らない人と二科目以上足らない人とのバランスという問題もございます。また、一科目足らない人が七〇%以上、ほとんどを占めているという問題もございまして、そこのところはいろいろな配慮があっていいのではないか、このように思います。

 まじめにきちんと履修をしている学校とのバランスということ、これもよく理解できるんですが、こういう間違いが見つかったわけですから、その間違いを正す。これもできるだけ早い方がいいということで、この十一月から、一週間一時間なのか二時間なのかわかりませんが、きちんと履修をさせる、そういう高校がほとんどだと思います。

 そういうことを考えれば、ある程度、そのことによって同じスタート位置、イコールフッティングになるということも考えられますので、現実的な対応策も考えていかなくてはならないのではないか。私どもも知恵を絞って提案をさせていただきますので、どうかよろしくお願いをいたします。

 今の私の考え方について、いかがでしょうか。

伊吹国務大臣 これは、議院内閣制でございますから、与党内でいずれ、政策責任者間で我々の案について御協議をいただく場があると思いますが、現実に、既にもう補習授業を、間違ったことをしちゃったなと思って始めておられる学校がほとんどです。

 ですから、未修の人の七割以上が二単位ということであれば、その大部分の人が正規の履修時間をこなしていただくということになりますと、あと残りの方々は本当に、パーセントでいうと全高校生の一%以下でございますから、これは異事異例のこととしていろいろなことができるわけです。ところが、六%、七%の方々に、これを異事異例と認められるかどうかということになりますと、私はやはりかなり国民の反発を買うんじゃないかということを恐れておるんです。

 法治国家でございますので、法に反して何かやった会社があったとして、その会社の従業員には何のとがもないのとよく似たケースに今直面しておりますので、そこの非常に細い綱渡りをしておりますから、どうぞひとつ公明党の政調会長として、大所高所から国民の正義を守るために御指導いただきたいと思います。

斉藤(鉄)委員 それでは、教育基本法の質問をさせていただきます。

 政府提出案の第三条、生涯教育、民主党さん提出の第十二条、生涯教育及び社会教育というところをまず質問させていただきます。

 政府提出案は、まず第三条、ある意味では一番トップですね。基本理念を第二条で書きました、そのすぐ後に生涯学習ということを置いております。社会学習はずっと後に、また個別に出てまいります。

 それは、私は、生涯学習というのは学校教育に対する概念というふうにも言われておりますけれども、ある意味で、学校教育や社会教育や家庭教育も含めまして、すべての教育を含んだ概念が生涯学習、このように理解をしておりまして、したがって、政府案では第三条にまず出てきて、あらゆる場所において、あらゆる時間において、生涯のあらゆる局面において勉強できるように、学習できるようにということを規定しているわけでございます。

 したがいまして、生涯学習が一番大きな枠、その中に学校教育もある、家庭教育もある、こういうふうに理解しておりますが、民主党さんの案ですと、第十二条に生涯学習及び社会教育とありまして、「国及び地方公共団体は、国民が生涯を通じて、あらゆる機会に、あらゆる場所において、多様な学習機会を享受できるよう、社会教育の充実に努めなければならない。」こうあります。

 これだけ読んでおりますと、生涯学習と社会教育を混同されているのではないか、もしくは生涯学習イコール社会教育、このようにお考えになっているのではないか。全体の条文構成を見てもそのように感じるんですけれども、この点についてはいかがでしょうか。

高井議員 斉藤委員にお答え申し上げます。

 私どもも混同しているわけではございませんで、今おっしゃったような概念で、生涯学習という大きな枠組みの中に社会において行われる教育、社会教育ということで、こういう意味を包摂しているというふうに考えています。

 昭和二十二年に現行法が成立した当時は、学校教育と社会教育を車の両輪として位置づけていたというふうに理解しておりますが、その後、昭和四十年に、ユネスコの成人教育国際推進委員会というところで生涯学習の考え方が提唱されて、我が国でも昭和四十六年、社会教育審議会答申で生涯学習というのが構想されたというふうに理解しております。

 つまり、生涯学習という言葉自体が比較的新しい言葉であって、正式に法律に登場したのは平成二年の生涯学習の振興に関する法律というところで登場したというふうに理解しておりますが、この生涯学習という言葉の定義自体が、人間の一生にわたる教育の過程を整備統合し、家庭、学校、社会、それぞれにおける教育機能や役割を人間の成長発達段階に応じて有機的に組織化しようとする教育観を指す言葉ということでありまして、中教審の平成二年の答申においては、学習者の自発的意思に基づく、そして学習者個人のニーズに応じて生涯を通じて行う、それからスポーツ、文化、趣味、レクリエーション活動などにおいても行われるという基本的な視点が挙げられています。

 一方、社会教育という言葉は、昭和二十四年に制定された社会教育法によると、「学校教育法に基き、学校の教育課程として行われる教育活動を除き、主として青少年及び成人に対して行われる組織的な教育活動(体育及びレクリエーシヨンの活動を含む。)」というふうにされています。

 つまり、民主党案では、生涯学習とは人は生まれてから一生を通じて学ぶべきものという概念でとらえておりまして、第二条の学ぶ権利の保障という項目におきまして、「何人も、生涯にわたって、学問の自由と教育の目的の尊重のもとに、」中略しますが、「権利を有する。」というふうに理念を示しておりまして、これが憲法二十六条の教育を受ける権利を具現化したものであって、ここを基軸としているわけでございます。

 そして、第十二条において、「国及び地方公共団体は、」「あらゆる機会に、あらゆる場所において、多様な学習機会を享受できるよう、社会教育の充実に努めなければならない。」としておりまして、特に、国及び地方公共団体が行う社会教育の充実を盛り込んであります。

 以上、御説明いたしましたとおり、生涯学習は、社会教育を包み込む概念であるということを理解していただけたのではないかと思います。

斉藤(鉄)委員 それでは、政府にお聞きいたしますが、今、民主党さんの考え方は我々の生涯学習と社会教育の関係性と基本的に一致していると思いまして、であるならば、政府案のような項目の立て方の方がすっきりしている、このように思うんですが、政府案は、この生涯学習と社会教育の関係性、包含関係等々について、どのような構成を持っているんでしょうか。

伊吹国務大臣 一番最初に斉藤先生がおっしゃったことと全く同じ考えで政府提案はなされております。

 それは、生涯学習というのは、生涯を通じたすべての学習を包含している概念として、これは三条に書いておるわけですね。ですから、学校教育、それから社会教育を当然含んでいるだけではなくて、自己学習というか、みずから学ぶという学習も含んでいる。十二条に書いているのは、社会教育というのは、学校や家庭の教育、自己学習を除いて、広く社会で行われている地域社会の教育だとかそういうものをすべて、人生のすべての時代において、学校や家庭教育を除いたすべてのものが社会教育の中に含まれている。こういう構成に立っておると思いますから、先生の御示唆どおりだと思います。

斉藤(鉄)委員 もう時間が来ましたのでこれで終わりますが、民主党さんの生涯学習と社会教育、条文の文章や構成は違いますが、基本的に政府案と同じことを目指しているなということが今確認された、このように思っておりますので、我々公明党といたしましても、ぜひ、よりよいものをつくっていくということで、この特別委員会の審議が進んで、今国会で幅広い合意のもとに教育基本法が成立するということを強く望みまして、私の質問を終わります。

 ありがとうございました。

斉藤(斗)委員長代理 次に、北神圭朗君。

北神委員 おはようございます。民主党の北神圭朗でございます。

 本日、伊吹文部科学大臣そして塩崎官房長官に、教育基本法についてお尋ねしたいというふうに思います。

 伊吹大臣は、同じ京都選出の先輩議員でもありますし役所の先輩でもありますが、多少やりにくい部分もございますが、胸をかりるつもりで質問させていただきたいと思いますので、よろしくお願い申し上げます。

 きのう、この場で終日議論が行われまして、それを拝聴いたしまして、私も、お互い共通の認識としては、この日本の立て直しの方策の根幹にやはり教育というものがあるというふうに思います。

 京都の話になりますが、御存じだと思いますが、かまど金という話がありまして、要は、明治維新の際に天皇さんが江戸に行かれた。それで町衆の人口が非常に減った。商業もなかなかうまくいかないし、全体の町の活力というものがなくなっていった。京都の町衆が、そこでどうするのかということを考えたときに、やはり教育が一番大事だと。お国に頼るんじゃなくて、それぞれの町衆の家でかまどが一個あるのか二個あるのか、それに応じてお金を出し合って、日本最初の近代的な小学校というものができた。そういう伝統のある京都でありますが、日本全体においても、やはり教育というものがその再生の一番根幹にあるというふうに思います。

 ただ、戦後、占領の影響もあるでしょうが、日本国民自身が、さきの大戦に対する反動とかショックとかで、日本人の当然の感情としての自国の歴史や文化に対する愛着、あるいは信仰心、あるいはそれらに基づく道徳心、こういったものがなかなか教育の現場、教育論議ではタブーになってしまった嫌いがあるというふうに思います。そういう意味では、戦後の教育論議の中では空白が生じていた。

 この教育再生というのは、まさにその空白を正面切って埋めていくということだというふうに私も理解しますが、ただ、それは、我々にしてみれば当然の話かもしれないけれども、戦後の教育の議論の流れの中では、主流からは、大きな飛躍とまでは言わないかもしれませんが、やはり今までの戦後の日本の教育の論議からすれば、大きな変革であるということは間違いないことだというふうに思っております。

 したがって、その方向性については我々も非常に大事だというふうに思っておりますが、国民の皆さんの意識の浸透を図りつつも、これはやはり、時間をかけて慎重に議論していくべき話であるというふうに私は思っております。

 ところが、さきの通常国会の最後の方にいきなり教育基本法案が出てきた。小泉総理も余り関心をお示しにならなかったので継続審議になったわけでございますが、この臨時国会においても、何か拙速に事を運ぼうとしているのではないかというふうに見受けられる次第であります。というのも、教育改革の意思決定の問題について多少混乱があるのではないかというふうに思っております。

 それはどういうことかといいますと、安倍内閣が成立をした、教育基本法の議論がさきの通常国会からずっと来ている、そういった中で、安倍さんも非常に教育に力を入れるとお示しになりたい気持ちがある中で、教育再生会議というものを新たに設置したわけであります。

 私はそれについて多少驚いたわけでありますが、その一つとしては、文部科学大臣も御存じのように、大臣の諮問機関として中央教育審議会というものがあると思います。基本的に、教育の問題についてはここで議論するのが普通であるというふうに思いますが、その教育再生会議と中央教育審議会の関係についてどういうふうに整理されているのか、お尋ねしたいと思います。まず大臣から。

    〔斉藤(斗)委員長代理退席、委員長着席〕

伊吹国務大臣 胸は幾らでもおかししますが、大変勢いのいい、強い新弟子ですから、どうぞ、かした胸を吹き飛ばさないように、ひとつよろしくお願いします。

 まず、再生会議と中教審の関係ですが、中央教育審議会は、もう先生御承知のとおり、これは国家行政組織法に基づく組織でございます。再生会議は、閣議決定による安倍首相の諮問機関だと私は思います。

 中教審の所掌の範囲の中で、今直面している教育の問題を解決できないことが非常にたくさんあります。

 それは、先ほどおっしゃった、例えば、かまど金というようなものの出てきたゆえんの商人道であるとかなんというものは、どういう形で形成されてきたのかということを考えますと、これはやはり、学校で教えたから出てきたわけじゃないんですよ。これは、京都の商家に代々伝わる家憲、家訓のようなものの中から、金はもうけなくちゃいけないけれども、仕入れ先をいじめてもうけちゃいけない、お得意さんに不義理をしてもうけちゃいけない、もうけたお金で自分のぜいたくはしてはいけない、公のためにこのお金を使うべし、私のうちなんかにもそういう家憲がございます。こういう中から当時の京都の商家の人たちがお金を出し合って、十近くだったと思いますが、小学校を寄附したんですね。

 これは、ありていに言うと、家庭の再生を果たして、その中で、祖先が立派に守ってきた家憲、家訓に書かれているような、法律に強制されていないけれども、やらねばならないものを伝達させるということが一つ非常に大切なんですね、家庭のしつけ力という。

 今現実は、経済が大きくなっちゃって、そしてほとんどの働き場所が都会に集中しちゃっておりますよね。だから家族は分断されるわけですよ、田舎と家庭で。そうすると核家族になりますね。核家族では、とてもじいちゃん、ばあちゃんが持っていた規範意識を伝えられないですよ、離れているわけで。これを再生しようとすると、同じところへやはり定着させねばならない。サッチャーなんかも、そういうことを考えたから田舎へ工場誘致を税金を投入してやったと私は思うんですが、公共事業、工場誘致、そこまでかかってきますね。

 それから、共働きが非常に多くなっておりますから、お父さん、お母さんを早くうちへ帰して子供と対話をさせない限り、家族というものはそこで成り立たないんですよ。早く帰すというと労働法規の問題にかかってきますね。これは少子化の問題の裏返しでもあるわけですよ。

 ですから、そういう問題をやるために、例えば家庭、地域社会の復権の委員会というものを一つつくっているわけですね。それから同時に、率直に言って、今までの中教審や文部科学省だけの流れの中ではどうも従来の行政にとらわれてうまくいかないから、外部の人から少しヒントを与えようというので、教育行政のあり方とかなんかというところもつくっているわけです。

 だけれども、その中で学校教育、中教審の守備範囲に落ちてくる御意見があれば、それは私どもの方に引き取って、中教審の御意見を伺って、法律その他をつくる場合は、また国会へ持ってきて皆さんの御審議にゆだねる、当然そういう位置づけになっておりますから、文部科学省としては、再生会議ができたことで権限争いをする気持ちなんて全くなくて、これは、どうも無料でアドバイザーができて非常にうれしい、そういう思いでおるわけです。

北神委員 要は、省庁をまたがるようなことがある、文部科学省だけでは決められない部分があるということだというふうに思います。

 ただ、そういう省庁をまたがる横断的な教育に関する会議としては、つい五年前に、小渕、森内閣のもとで教育改革国民会議というものが設置をされておりました。実際これは、平成十二年の十二月に結論も出しております。要するに私が申し上げたいのは、たった五年前の話なんですよね。

 それで、官房長官にお聞きしたいと思いますが、今回の教育再生会議というものは、これまでの教育改革国民会議の方の取り組みとどこが異なってくるのか。つまり、これまでの取り組みにどのような問題があるというふうに認識をして、新たに教育再生会議というものを設置することにしたのかというものをお聞きしたいと思います。

塩崎国務大臣 御指摘のように、平成十二年に教育国民会議が開催されて、その年の十二月に報告が出されたことは間違いないことでありまして、その後、それを踏まえた教育改革というのが行われてきたわけですね。

 しかしながら、その後この五年間といえども、さまざまな問題が起こり続けているという実態をどう考えるのかということで、先ほど来、生涯学習から始まって、広い意味の教育というものについての議論が先生方の間になされておりましたけれども、いじめの問題、子供のモラルの低下、学ぶ意識の低下、それから、家庭や地域の教育力の低下というのは繰り返しこの教育基本法の議論の中でも出てまいりますし、こういうことを考えてみると、やはり、教育をめぐるさまざまな深刻な問題についてはまだまだ道半ばというか、そういうことで、この教育改革国民会議が提起した問題で改革が進みつつある中で、さらにまた幅広い観点から、教育再生会議で議論をしていこうということでございます。

 先ほど、伊吹大臣から中教審との関係のお話がありましたけれども、幅広い議論をする中で、今度は、逆に教育再生会議で出てきた提言を中教審の方に大臣から諮問してもらって、さらにまた中身を詰めていくというようなことも当然起きてくるわけでありまして、学校、それから地域、あるいは家庭、場合によっては産業、企業の中、そういうところも含めて幅広くもう一回考え直そうということが、今回の教育再生会議の大きな目的でございます。

北神委員 モラルの低下の話とかいじめの問題とかいろいろお話しされましたが、今報道でいろいろ取り上げられていますけれども、正直、それは大分前からあった話であって、前回の教育改革国民会議においても議論はなされているわけですね。資料の一ページとか二ページ、三ページにもありますが、かなり大幅に議論をしている。その集大成として、まさに教育改革国民会議において、教育基本法を改正すべきだというのが一つの結論として出されたわけであります。今、現時点でその教育基本法の改正案について政府が提出されて、議論している。

 したがって、この五年間の中で、いじめの問題とかモラルの低下とか、前になかったような問題が仮に発生しているのであれば、当然、政府としてはその教育基本法改正案にそういう部分についての対応というものも盛り込んでいるというふうに普通は思うと思うんですよ。だから、正直、何で新たにまた再生会議というものを設けるのかというのが非常に疑問だというふうに思っております。

 人によっては、別にいいじゃないか、教育について幾らでも議論を重ねるのは何も不都合じゃないというふうに言われる方もいるかもしれませんが、私があえてこういう質問をしているのは、これが教育再生会議の設置を知って驚いた一つの理由なんですが、教育再生会議でこれから行われる議論と、ただいま議論をしている教育基本法改正案との関係がいまいちはっきりしていないんじゃないかというふうに思っています。

 一言で言えば、これから教育再生会議において教育改革の根本的な議論を行うのであれば、まさにこれは教育基本法改正案にもかかってくる話ですから、普通に考えたら、再生会議の結論を待って、それで教育基本法の改正を行う、きのう鳩山幹事長も言っておられましたが、普通はそういう段取りになるのだというふうに思います。その関係について、教育再生会議での議論と、現時点国会で行われている、この教育基本法をめぐる議論の関係について、大臣にお尋ねしたいと思います。

伊吹国務大臣 教育基本法というのは、これはもう申すまでもなく、教育の基本を定める法律ですから、この基本を定めることと教育再生の議論を別途しているということは、私は何ら矛盾することではないと思っておりますし、また、今も中教審でもいろいろな議論が現実に行われております。

 それで、今回定めていく教育基本法の内容と今審議をしている内容が全く違うというようなものが万一あれば、そういうことを例えば私が中教審に諮問するということは、これは、法律を出しながら、御審議をお願いしながら中教審に諮問するなんということは、私が何か頭の構造がおかしくならない限りは、そんなことはないと思います。

北神委員 官房長官についても同じ質問をお願いします。

塩崎国務大臣 今、伊吹大臣からもお話がありましたように、教育基本法は、本当に基本的な理念を説く法律、六十年ぶりにつくり直すわけでありますから、まさに基本の理念そのものを指し示すものだというふうに思うわけで、そこから社会全体のこの教育改革をどうやっていくのかということが進んでいくんだろうと思います。

 それで、この教育再生会議は、このような理念のもとで、基礎学力の向上などの学校再生とか、あるいは、規範意識が落ちていることをどうやってもう一回戻していくのかとか、家庭、地域の教育力の再生、さらには、その他のもろもろの政策について実効ある方策というのは何があるのかということを考えようということであって、この理念のもとでやっていこう、こういうことで、言ってみれば、教育再生の大きな基盤となるのが教育基本法ではないのかなというふうに考えております。

北神委員 大臣と官房長官の答え、多少違うと思うんですね。大臣は、教育基本法というのは基本的に教育の基本事項について定める、教育再生会議ではそれ以外の話をするんだと。官房長官は、教育基本法において理念を定めるんだ、それで、それに基づいたいろいろな政策について教育再生会議で議論するということであると思います。

 いずれにせよ、皆さんは別々だというふうに言われますが、これは同じことについて議論しているわけですよ。資料の四ページの方を見ていただければわかりますが、これは、教育再生会議の第一分科会、第二分科会のテーマについて左側に列挙しております。下線を引いてありますが、教育基本法で我々が今議論していることと基本的に似通った、重なる部分があるわけですよね。四ページにおいては、左から下の方を見ると、「教育委員会など教育行政」、これは、ずっと議論になっている、教育の最終権限とか責任はどこにあるのかという話だと思います。五ページを見ると、「心の教育、伝統・文化の教育」、「規範意識、規律」、まさにこういったものが出てくるわけですよ。

 だから、官房長官が言われるように、教育基本法では理念を定める、その具体的な話は教育再生会議でやるというのは必ずしも当たらないんじゃないか。教育再生会議でもまさに理念について議論をしているし、仮に、具体的な話をしているんだ、教育基本法とは違って、もっと具体的な、詳細な政策について規定しているんだというにしても、これは国会の審議を軽視していることになるんじゃないかというふうに思うんですよ。

 というのは、もし、今議論している教育基本法改正案の理念に基づいて具体的な議論をある意味では先取りして教育再生会議で議論しているのであれば、これは、もうまさにこの改正案が当然通るものだという前提で進めてしまっているということだし、逆に、大臣が言われるように、教育再生会議と教育基本法について基本的に同じような議論をしている、何の問題もないというのであれば、例えば、教育再生会議が、心の教育とか伝統、文化についてここで教育基本法改正案と違う結論を出すことも理論的には十分あり得るわけですよね。

 そういった場合、教育再生会議でいつ結論が出るのか、来年の年度末ぐらいだというふうに言われておりますが、そこで結論が出て、仮にこの教育基本法改正案が通ったとしますよね、そうしたら、違う結論であれば、またその教育基本法を再改正するということもあり得るわけですよ。同じ「心の教育、伝統・文化の教育」、「規範意識」についてこれから教育再生会議の分科会で議論していくわけですから、そこの結論と教育基本法改正案の内容が異なる場合も理論的には十分考えられるわけですよね。その場合どうするのかということでありますが、その関係についてまた。

伊吹国務大臣 まず、北神先生が資料として配付していただいたのは、私も再生会議に出ておりますが、最初、すべての人たちに、今の教育について考えていることを自由に各委員に言ってくださいというような運営をしておりましたね。その言った意見を、三つの分科会をつくることになっておるわけですから、その分科会に分けて整理をして、自由に意見を言わせたのはこの三つの分科会をつくる前なんですよ。そして、では三つの分科会をつくろう、三つの分科会に分けてやってみればこういうことだなという仕分けをしたこれは資料なんですよ。だから、整理が悪いと私は思うんですが、初めから分科会をつくっておって、何か意見を言わせた資料じゃないんです。

 ですから、先生も財務省でお仕事をしておられたのでおわかりになると思いますが、大きな法律のもとで、理念法のもとでいろいろここに書いてあるようなことを動かしていくことは、これは、各法あるいは予算その他の肉づけにおいて現実の行政が行われていくわけです。ですから、ここで議論していただいているような基本法である理念法と違うような議論が起こるとすれば、基本法を直すんじゃなくて、それは議論から落ちてしまうということなんですよ。それは当然のことなんですよ。ここが国権の最高機関ですから、ここで決めるのが、日本国の最後の、国民との関係の権利義務を決めるわけですから。

 ですから、ここで決めた基本法と違うことが論じられたら基本法を直さなければいけないということを、立法府に身を置く者はそんな自信のないことじゃなくて、我々が最高なんだという意識でやはり議論をすべきで、であるからこそ、ここに入っている項目は、ここで今議論をしていただいている民主党さんの案あるいは自公の案、これは、違ってきても、教育基本法がどちらの案が通るにしろ、それは基本法を直すんじゃなくて、各法を直すことによって対応していくという方向性になるわけですよ。

 ですから、何かここで決まったことで逆に基本法を直すなんということは、私は本末転倒の議論だと思いますよ。

北神委員 それは私はちょっと違うと思うんですよ。

 というのは、各法の話が出ましたね、まず教育再生会議で議論して、もし教育基本法と違うような結論が出ると、それは各法とか予算で対応すべき話だと……。それは違うんですか。では、もう一度。

伊吹国務大臣 違う議論が出れば、それは各法で対応すべきじゃなくて、教育基本法と違う意見が出たら、それは実行できないんですよ。

北神委員 だから、同じような理念の話、同じ次元の議論を同じ項目について議論している、それで違う話が出てきたら、こっちの教育基本法の方が優先するということ、それは当然の話です。それは何ら私も疑いを持っておりません。ただ、それは国会の話でありまして、安倍総理、安倍内閣としては、教育再生会議というのはまさに諮問機関であるわけですから、そこで結論が出てきたものについて、それは参考にしないといけないわけですよね。

 ですから、私は、国会で審議したことが何も自動的に、強制的にひっくり返るということは申し上げておりません。申し上げているのは、安倍内閣の教育再生会議を設置した趣旨からすれば、当然そこで違う議論が出てきて、もう既に成立してしまった教育基本法と違っていたら、そこでは彼はどうするんですか。

伊吹国務大臣 これは後ほど官房長官がしっかりとお答えしていただければいいと思いますが、一般論として言えば、先ほど来申し上げているように、閣議決定において設置された安倍首相のアドバイザリーボードなんですよ、再生会議というのは。中教審というのは、国家行政組織法に基づく法的な機関なんですよ。だから、ここからいろいろな助言あるいは意見を安倍総理は当然聞かれるわけですよ。聞かれて、それは、安倍総理のお立場からいえば、国権の最高機関でつくられた教育基本法というものをにらみながら、自分の行政権を持っている、各法を提出できる内閣にいろいろ指示をされるわけです。

 賢明な首相が、国会が決めたものと違う指示をされるということは、それはありません。

北神委員 いや、まさにそこを私はついているわけでありまして、あり得ないんですよ。あり得ないのに、おかしいじゃないですか、その教育再生会議で今教育基本法改正案と同じ論点について議論しているのは。

 というのは、場合によっては安倍総理はそういう状態に追い込まれるわけですよ。つまり、彼がこの教育再生会議の議論や結論をコントロールできないわけですから。そこで委員の皆さんがいろいろ話して結論が出て、アドバイザリーボードとして意見が出てきて、それを参考にしてそこで判断をするわけですが、普通に考えたら、鳴り物入りで教育再生というもので教育再生会議を設置して、そこで結論が出てきて、いや、もう教育基本法が成立しちゃって、いろいろ理念は違うかもしれないけれども、これは申しわけないね、今回ちょっとその部分は取り上げられないよというような判断に追い込まれるからこそ、私は、教育再生会議の議論を待って、その結論を受けて、もう一度教育基本法について議論すべきではないかということを申し上げているわけでございます。

伊吹国務大臣 再生会議というものは、法律に基づいて行われている会議ではなく、先ほど申し上げているように、閣議決定においてつくられた安倍首相のアドバイザリーボードですから、それはいろいろな御意見をおっしゃるでしょう。しかし、それを取捨選択するのはアドバイスを受けた首相であって、首相は国会で決めていただいた法律の枠の中で当然やるのであって、再生会議の結論を待って基本法の審議を始めろというのは、これは逆なんじゃないんですか。

北神委員 いや、逆じゃないと思うんですよ。だって、教育再生会議で同じことについて議論しているんですよ。心の問題、伝統……(発言する者あり)いや、総理が選んだらいいんですよ。総理が選んだらいいんだけれども、総理が選ぶときに、彼が教育再生会議で出てくる結論をそんなにないがしろにはできないですよね。

 要するに申し上げたいのは、これは変なんですよ。大体、教育改革国民会議においてほとんど方向性が決まって、それに基づいて五年間かけて教育基本法の改正案を出された。そして、また教育再生会議というものを立ち上げて、そして、また同じ議論をやっているということは、百歩譲って、不自然だということは申し上げたいというふうに思います。(発言する者あり)いやいや、熱心だけで政治をやってもらっちゃ困るんですよ。これは意思決定というものがありますからね。

伊吹国務大臣 今、もう少し再生会議の中身をごらんいただくと、再生会議で心の問題だとかいろいろなことを言っておりますよ。しかしそれは、それを現実に履行していく場合に、基本法と全く違うこととかということをおっしゃるけれども、それを履行していく場合のほとんどは、教育基本法のもとにある教育関係諸法及び毎年の予算、それから行政執行のあり方、それによって対応できるものを議論しているわけですよ。

北神委員 いやいや、その前提の議論が違うんですよ。要するに、対応できるものを議論していると言われるけれども、そうじゃないじゃないですか。(伊吹国務大臣「どれなんですか」と呼ぶ)だから、資料の六ページ、「高等教育」もそうですし、その前の五ページ、「心の教育、伝統・文化の教育」、「規範意識、規律」、これはまさに教育基本法の理念的な話ですよ。

 それで、仮に、そんなことはないと思いますが、でも可能性としては、こんな心の教育はやはりだめだ、良心の自由に反するという結論を出す可能性もあるわけですよ、この教育再生会議で。そういった場合に、各法とか予算とかで対応できないんですよ。だってこれは理念の話ですから。基本法の話ですよね。そういった場合、理論的に言えば、教育基本法を改正しないといけないということになりますよね。

伊吹国務大臣 それは、例えば規範意識を現実にそれではやろうということになれば、これはどういう具体的なやり方でやるのか、家庭教育をどうするのか、地域社会の教育力をどうするのか、あるいは学校でどこまで教えるのか、そういうことは各法にゆだねられているわけですよ、各法律に。ですからそこで、いろいろ大きなテーマとしては、なるほど、教育基本法の中に書かれている大きな項目のように見えますよ。しかし、大きな項目を再生会議が議論しているんじゃなくて、それを現実に実施していくためには、今のままではだめじゃないかとかどうだろうとか、そういう話をしているわけですから、だから、そこはやはり先生、そして、万が一、教育基本法の決定と今おっしゃったことは現実に起こり得ないと思うけれども、規範意識を教えなくていいという決定を、教育再生会議が架空の問題としてあり得たとすれば、それは、現行の教育基本法は規範意識を大切にという方向性になっているわけですから、賢明な安倍首相はそんなアドバイスは受け入れないんですよ。

北神委員 おっしゃっているのは、この教育再生会議で行う議論というのは教育基本法に抵触しない議論だ、そういうふうに制限すると。でも、それはだれも言っていないですよ。出たら却下するということですよね。

伊吹国務大臣 却下する権限は私にはございません。それは首相のアドバイザリーボードですから、賢明な首相が、そんなアドバイスが、賢明な教育再生会議がそんなアドバイスをされるわけもありませんが、万一された場合には、それは総理は受け入れないんですよ。

北神委員 もう水かけ論になりますから次の内容の問題に移りたいと思いますが、本当にこれ、手順としてはやはり極めておかしいと思いますよ。おかしいよ。

 官房長官、最後に何かありますか。

塩崎国務大臣 安倍総理が総裁選の間も唱えてまいりましたし、所信表明でも言ったことは、教育基本法は教育基本法で早期に成立をさせる、しかし、教育にかかわる問題は余りにも大き過ぎるし、たくさんあり過ぎて、これを議論しないわけにはいかない、やはり日本の再生をするためには教育再生をせないかぬということで、今回教育再生会議というのをつくった。

 したがって、あらゆる議論はもちろんします。そしてまた具体策をつくるときには、理念なくして具体策があるわけがないわけであって、その理念は、やはりこの場で議論される教育基本法で決まってくることだろうと思いますけれども、それを、教育基本法ができてから教育再生の問題を議論してくださいというふうに言っておられるかのように聞こえるわけでありますが、もう待ったなしの問題が毎日いっぱいあるわけですね。自殺もあるしいじめもあるし、いろいろなことがある。そういうときに、やはりみんなで英知を出して、ひとり文科省の問題だけではなく、幅広く教育問題を議論して、具体的に何をやるべきなのかということを皆さんから知恵を出してもらおうというのが教育再生会議でありますので、順番とかいうことを待っていられるほどの余裕もないほど、教育というのは今再生が求められているということだろうと思います。

 それで、先ほど申し上げたように、この教育基本法はやはり理念法であって、この理念のもとで具体的に何ができるのかということを議論していくのが教育再生会議であるということは全く先ほど申し上げたとおりでありますので、御理解を賜りたいと思います。

北神委員 もう終わりにしますが、官房長官の言われたこともひっかかるところがあるんですよ。理念に基づいて教育再生会議で議論するというのは、今回、教育基本法改正案には新たな理念が盛り込まれているわけですよ。それが成立しないのに、それに基づいて議論するというのは多少おかしいと思いますが、次の中身の話に移りたいというふうに思っております。

 それは、具体的に、教育に対する財政支出の問題であります。

 格差の問題がよく言われておりますが、その一番根幹にあるのは、やはり教育の格差にあるんじゃないかというふうに思っております。先ほども戦後教育の問題点についても指摘をさせていただきましたが、一方で、諸外国と比較して立派な部分もあると。その一つが、公教育を通じて教育における機会の平等というものが非常に保障されてきたというところだというふうに思っております。

 ところが、ここ数十年間よく言われる話では、東大生の家庭の平均収入がほかの私立大学などよりも高いとか、あるいはデータを見ると、塾通いの子供が非常に多い。中学二年生で半分ぐらいが塾に通っている。これはお金が当然かかるわけであります。そういう意味では、機会の平等というものが失われつつある状況になってきているというふうに思っております。

 さらに、私の資料の七ページにもありますように、日本の高等教育に対する家計負担というものも、五六・九%となっていて、これも先進諸国の中でも断トツになっているわけであります。

 大臣にお尋ねしたいのは、こうした教育における機会の平等というものが確保されにくくなっている状況について、どう認識をされて、どうお考えになっておられるのかというものをお聞きしたいと思います。

伊吹国務大臣 先生がおっしゃったような傾向があるということは私も受けとめております。

 しかし同時に、いろいろな諸外国の統計を見ますと、実は、日本ほど親の所得、親の地位で教育のレベルが違わない国はないんですよ。これはやはり大切にしておかなければならない。だから、この傾向がどんどん外れていくということについて教育の責任者としてできるだけ歯どめをかけるというのは、これは当然のことなんですね。

 ただ、今おっしゃっている高等教育の部分になってきますと、義務教育の部分は割に議論がしやすいんですが、義務教育を終えて実社会に出られる方がおられるわけですよ。この方は、汗とあぶらにまみれて、源泉徴収された所得税を納めていますね。この方々の所得税で公教育の方々をどこまで援助するかということについては、やはり国民間の議論をかなり深めなければならない。

 私は少しやった方がいいんじゃないかという立場なんですけれども、これは、財源の問題と、いろいろなことがありますから、そこのところは先生もよく御認識をいただいていると思いますので、ひとつ御協力もいただいて、できるだけ国民の理解を得て、今先生がおっしゃったような傾向に歯どめをかけるようにお互いに協力したいと思っております。

北神委員 その点については私も同感であります。

 高等教育についても、民主主義のかがみと言われているアメリカなんかでも、ハーバード大学なんかは、自分の両親とかおじいちゃんとか代々通っている人たちが優遇されたり、大体三割ぐらいがそういう方たちが優遇されて入学を認められる。それはそれで必ずしも悪いことではないと一方で思うんですよ。いわゆる、単なる学力だけじゃなくて、教養とか、そういう環境に育った人たちの社交的なそういった部分とか、一種リーダーシップみたいなものも恐らくはぐくまれてくると思います。

 しかし、やはり日本というのは、基本的には機会の平等で、だれでも自分の能力に応じた大学に行けて、社会でも非常に流動的な、ダイナミックな社会だというのが強みであるというふうに思いますので、そういったところはやはり失っちゃいけないというふうに思っております。

 ところが、教育の機会の平等という問題は、親の所得に左右されずに、自分の望むような教育を受ける、そういう話だというふうに思いますので、やはり財政支出というものが重要になってくる。財源の問題というふうに先ほど大臣もおっしゃいましたが、それはそのとおりですが、実際よく知られている数字で、資料の八ページにありますが、教育機関に対する公的財政支出の対GDP比を見ると、先進諸国、OECDの加盟国の中で、平均が四・七%ある。我が国は三・一だという、著しく低い水準にとどまっているわけであります。

 また、機会の平等の問題だけではなくて、先ほど官房長官からも、安倍総理は教育というものを第一優先に考えておられる、そういう政策を強力に推進していくということであります。きのうも、審議の中で総理からはっきりと、教育というものは未来への投資をするんだということを言われております。投資というのは、やはりこれも財源が必要な話であるわけでございます。

 予算は、まさにそういう意味では政策を映し出す鏡であるというふうに思いますが、教育再生を内閣の重要課題として掲げるのであれば、政府として教育に対する財政的な手当てをしっかりやっていかないといけないというふうに思いますが、その点について大臣の見解を伺いたいと思います。

伊吹国務大臣 私は、文部科学大臣である前に実は国務大臣ですから、行政権を預かっている内閣の一員でございます。したがって、文部科学大臣の立場としては、もう先生のおっしゃっていることに一言の異議もございません。

 ただ、同時に、予算の提出権は内閣にあるわけですから、これは、負担と給付の関係を考えながらどこかでバランスをとっていかねばなりませんので、私は、今、先生の御意見に従って文部科学大臣としてできるだけ頑張ってやりたいと思いますが、ひとつ民主党も御支援いただくと同時に、官房長官から、なるほど、そのようなとおりだという御意見をひとついただければさらに心強いことだと思っております。

北神委員 行政大臣と国務大臣というのを見事に分けて答弁されたわけでございますが、財源というのは、最近、財務省のプロパガンダが本当に浸透してしまって、自民党の議員からも、財源はどうなっているんだとか、すぐそういう話が出るのに私なんかは非常に隔世の感があるわけでありますが、徳川時代、ちょっと古くなりますが、岡山の財政再建を果たした山田方谷という方がおられまして、この人が言うには、財の内に屈するな、財の外に立てと。要するに、財政が厳しいというのはわかっている、でも、そればかり考えて、財務省の主査のように歳出を減らしたり、主税局のように増税ばかりして、そんなので本当に財政が立ち直るかというと、立ち直らないし、国の活力というものももとより出てこないという言葉がありますが、私は実はそのとおりだというふうに思っております。

 それで、もう一つさらにその財源の問題について突っ込みますと、教育の議論とある意味では離れたところで、骨太の方針二〇〇六というものがことしの七月七日に閣議決定をされております。これは、御存じのように、今後五年間の国家予算の歳出改革の道筋を示したものだというふうに言われております。

 その中で、私の資料の九ページにあると思いますが、下の方ですね、囲んであるところです。その一番最初の丸ですが、こういう文言がございます。「文教予算については、子どもの数の減少及び教員の給与構造改革を反映しつつ、」「これまで以上の削減努力を行う。」これまで以上のということでありますから、果たして、ではこれまでの文教予算というのはどう扱われてきたのかというと、これは資料の十一ページの一番下の方にあります。右の方に下がっていくグラフですが、文教予算というものを相当削減しているという状況であります。それを、骨太の方針、閣議決定でありますが、今後さらに削減するということになっております。

 繰り返しになりますが、格差の根幹にある教育の機会の平等、これは非常に大事な話でありますし、教育を最重要課題としている安倍内閣としても、教育の格差以外の部分でもやはりこれは強力に力を入れていくべき話でありますが、実際には、骨太の方針二〇〇六というものが閣議決定をされて、全く逆の方向性を示しているわけであります。こういった消極的な姿勢では教育再生というものはなかなかできないというふうに私は思いますが、大臣のお考えはいかがでしょうか。

伊吹国務大臣 骨太の方針は、今先生おっしゃったとおりです。しかし、同時に、安倍内閣では、その方針の上に安倍内閣としてのやはり政策的色づけを予算面でつけていかねばなりませんから、再チャレンジの予算要求枠とか、御承知のようにいろいろな特枠をつくっておるわけですね。それを使って要求をいたしておりますので、現実には文教予算はマイナスの要求をしておりません。かなりふえた要求をしております。

 ただ、これを今度は財務大臣に削られちゃうと困りますので、ですから民主党も、今先生がおっしゃったようなお考えであれば、ぜひ御協力をいただいて、しっかりとやっていきたいと思います。

北神委員 では、官房長官に今の質問を答えていただけますでしょうか。教育というものを最重要課題として掲げているわけですから、この骨太の方針のようなこれまで以上の削減努力というのはやはりおかしいのではないか。それをはね返すぐらいのそういう気概で臨むべきではないか。さらに言えば、具体的には、骨太の方針を撤回することもあり得るのかということもお聞きしたいと思います。

塩崎国務大臣 骨太の方針は閣議決定をされているものでございますから、それをひっくり返すことはあり得ないというふうに考えます。

 先ほど御指摘いただいたように、安倍総理から昨日も、未来への投資、これこそまさに教育への考え方だということで御答弁申し上げたところでございます。本当に、日本の将来をつくるのは将来の子供たちで、そして、その将来の子供たちをつくるのはやはりこれからの教育だろうと思いますから、その点は間違いないことだと思います。

 今、骨太の方針の歳入歳出の一体改革のところを引用していただきました。これまで以上の削減ということで、けしからぬ、こういう話でありますが、御案内のように、予算というのは限られた資源をどこにどう配分するのか、まさに、これをどうやるのかによって政権はその政権の味を出すわけであって、それがだめなときには政権交代が起きるということであります。

 いろいろなアジェンダがある中で、財政再建、先生も財務省御出身であるだけにその重要性はよくわかっておられると思いますが、我々としては、その重要なものに重要な価値を置く。教育なら教育に対して、全体の財政再建の中で大きな方針を持ちつつも、どういうめり張りのきいた、また、効果のある予算というものの使い方というか、限られた資源の、つまり、税しかないわけです、それはきょうの税かあすの税かは別として、基本的にはない。社会保険であれば保険料がありますけれども、あるいは窓口負担もありますが、限られたこの資源をどう割り振っていくかということは、これはまさに腕の見せどころになってくるわけでありますから、その価値観と、数多くあるアジェンダの一つの大きな柱である財政再建とをどう組み合わせていくのかというところが問われるわけで、これはやはり、最終的には国会で皆でこの予算を議論するということになってまいりますから、そこでまたもう一回、先生を含めて御議論を賜るということになるんではないかというふうに思います。

北神委員 官房長官から、閣議決定だからもう変えられないということを踏まえれば、これまで以上の削減努力というものは、これは絶対的な方針となるわけですよね。伊吹大臣もそれは気の毒ですね。プラスの要求をしている中で、それはもう方針ということで受け付けられないということになるというふうに思いますが。

 私が申し上げたいのは、確かに財政再建というのは大事だ、私も財務省にいたからこそ、ただ、それを果たすために歳出歳入の改革だけでは無理だというふうに思っているわけですよ。レーガンの時代もサッチャーの時代も、それは当然財政再建というものをやってきた。小さな政府というものを実現しようとした。でもその一方で、言われた、将来への投資というものも非常にめり張りをきかせて強く推進しているわけですよ。産業戦略もそうですし、産業に非常にお金をつぎ込んで投資をしている。教育というものもその根幹として位置づけられていたわけでありますよね。

 ですから、そういうものがあって、要するに強力に推進するものがあったからこそ、歳出改革とかそういったものも生きてきたんだというふうに思いますし、ことしの一月だったと思いますが、内閣府の調査でアメリカの八〇年代、九〇年代の財政再建の要因分析をしております。一番大きな要因は、歳出削減でもない、増税でもない。やはり経済成長なんですね。その経済成長というのは、さっき申し上げた産業戦略も入りますし、教育というものもその一番根幹にあるというふうに思います。

 ですから、余り財務省の魔術にとらわれずに、やはりそれは大胆にやっていくべきだというふうに思うんですよ。それが私は小泉さんの五年間に一番欠けていた部分だというふうに思っております。ただただ大蔵省の主査のように歳出をどんどん減らして増税を図るというこれだけでは、仮に百歩譲って財政再建を果たしたとしても、国は滅んでいるというふうに思います。

 教育というのはそういう意味では一番根幹にある話でありますから、そういったところは、もちろん無駄遣いはだめですが、奨学金とか私学助成とか、あるいは、これもいろいろ議論はあると思いますが、教員の給与というものを優遇することもあり得ると思うんですよ。それは、一方で免許の条件というものをより厳格化してやはりいい人材を確保しなければ、幾ら文科省が決めた内容がよくても、それを実際に教える先生が、情熱を持った、使命感の高い、志の高い、そういった人材がそろわなければ、結局机上の空論になってしまう。そういう意味ではお金はかかると思うんですよ。だから、OECDのほかの先進諸国においては、かなり公的支出というものを行っているというふうに思います。

 ですから、最後の質問にさせてもらいますが、教育基本法、民主党の方ではしっかりこれを規定しているんです。幼児教育あるいは高等教育において無償化というものを漸進的に進めていくんだとはっきり規定しております。これはまた財務省の魔術にかかった人たちは、いや、そんな財源はどうするんだという話もありますから、ぜひ民主党の法案の提案者にお尋ねしたいのは、実際、財政が確かに厳しい中でどうやってその無償化というものを果たしていくのかをお尋ねしたいと思います。

大串議員 今、北神委員からお尋ねのありました教育の予算についてのお問い合わせですけれども、確かに、先ほど御指摘ありましたように、経済の問題から子供の教育に格差が生じてはいけない、経済の面からの格差が生じないように学ぶ権利の機会の保障をしっかりしていかなければならないという観点で、我々の日本国教育基本法の法案におきましては、公教育に対する財政支出を国民総生産との関係で比率を示して、しっかりと確保していくようなことも盛り込んでおりますし、今御指摘のありましたような、幼児教育そして高等教育における漸進的な無償化、これを進めていくということも法律に示しております。

 ただ、今御指摘のありましたように、厳しい財政状況と両立する形でこれらを責任のある形で保障していかなければならないんですけれども、それに関しては、個別補助金の全廃を通じた地方分権とか、あるいは、特別会計、独立行政法人の見直し等を通じた抜本的な無駄の廃止とともに、今おっしゃいました、まさに予算の重点配分、我々の民主党の予算案におきましては、これまでも、コンクリートから人へ、あるいは物から人へといった形で、予算を本当に未来に必要な部分に重点配分していくという考え方を示しておりまして、こういう考え方を透徹することによって、財政健全化とともに、教育に関するしっかりとした予算手当ても可能になるものというふうに考えております。

北神委員 ありがとうございます。

 方法はいろいろあると思うんですよ。ただ、教育という、百年の計、人づくりの最も重要な政策について、時の財政運営に余り左右されるというのはやはり問題である。やはり、こういう教育基本法みたいなものに明示的に規定するというのも一つの考えだというふうに思います。

 その点について、もう最後の質問になりますが、大臣と官房長官にお尋ねしたいというふうに思います。どういうふうにお考えかということですね。

伊吹国務大臣 財務省の魔術から抜け出して見事なチョウになられた先生の御質問です。

 骨太の案は、現時点の財政の状況を前提にして考えているんじゃないかと私は思うんですよ。政権によってそこにはいろいろな肉づけが行われますよね。ですから、従来の概算要求枠にプラスしてこういう枠をつける、あるいはこの特枠で要求の別をつくっていいと。それを使って文部科学省は今もちろんプラス要求をかなりしておるわけですね。ですから、その要求が実現できるように私は全力を尽くしたいと思います。

塩崎国務大臣 先ほど、よくぞ言っていただいたなという気分になったのは、安倍政権は何しろ成長を重視していこうということであって、財政再建ができた要因の中で一番は成長だというお話が先ほどありました。したがって、成長なくして財政再建なしというのがあの総裁選のときからのキャッチフレーズであり、また、成長なくして、多分主張する外交も、それから、言ってみれば日本の将来もないんだろう。教育も同じことであって、そこのところにまず一番の重きを置いていこうというのが安倍政権の基本であります。

 あとは、先ほど申し上げたように、限られた資源をどう割り振るのかというのが、まさに政治そのものであり、予算そのものであり、そしてまた、この国会での議論というのはそこが最も重要であるわけでありますので、我々としても、最大限努力をしながら、財政再建と、それから、重要である教育の政策にどれだけ重点配分ができるのかというのに挑戦をしていきたい、こう思っております。

北神委員 どうもありがとうございました。

 最後に、文部大臣、予算要求をする際にプラスの要求をされているというふうに伺いましたが、特に奨学金とか私学助成とか、要は、機会の平等というものをできるだけ実現できるようなそういったところに力を入れていただきたいというふうに思います。

 以上で質問を終わりたいと思います。ありがとうございました。

森山委員長 この際、暫時休憩いたします。

    午後零時一分休憩

     ――――◇―――――

    午後一時十二分開議

森山委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。

 質疑を続行いたします。西村智奈美君。

西村(智)委員 民主党の西村智奈美でございます。

 きょうは教育基本法に関する特別委員会での質疑ということで、前通常国会に引き続いて質問をさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。

 伊吹文科大臣、行革特別委員会の委員長在任当時は大変お世話になりまして、ありがとうございました。簡潔な答弁をせよと大臣に促してくださったのは当時の伊吹委員長でございまして、大変的確な委員長運営に、私は本当に頭の下がる思いがいたしました。きょうもぜひ簡潔な御答弁をいただけますようにお願いいたします。

 まず、今回また問題となっておりますいじめ、そして未履修の問題について、冒頭伺いたいと思います。

 やはり今回のいじめや未履修の問題は、私は、教育基本法の議論と切っても切り離せないところがあるのではないかというふうに考えております。教育全般を見直し、そして時代の態様に沿ったものにしていくために、理念法である今回の基本法の改正ということになっているわけでございますから、今回のいじめや未履修の問題を見ても、時代は本当に日々刻々と変化している、そういった意味では、この未履修の問題は看過できない。

 今まで私たちの同僚委員は、文科委員会で、常任委員会でしっかりとこれは議論すべきではないか、集中審議すべきではないかという御提案も申し上げております。議運でもこちらから提案をさせていただいているというふうに聞いておりますが、なかなか与党の方から、それについては取り合っていただけないというふうに聞いております。

 こういった問題をほっておいて基本法の議論を進めるということは、やはり私は問題があるのではないかと思っておりますけれども、まず大臣に御確認をしたいのは、この間、未履修の実態について早急に調査して、そして、きょうじゅうに報告をするということになっていたように思いますが、現状、どういうふうになっているのでしょうか。また、ことしの未履修だけではなくて、さかのぼって、何年前からこの未履修が行われていたのか。そこのところを明らかにしないことには、なぜこういう事態に陥ったかというその原因もまた究明できないと思いますが、今の状況について伺います。

伊吹国務大臣 行革特別委員会のことを思い出してまず冒頭お話がございまして、当時のことを私も大変懐かしく思い出しております。

 先生の御指摘のとおり簡潔に答弁をいたしますが、答弁漏れがあったり、あるいは答弁が不十分だというおしかりを受けてもいけません。答弁はおのずから質問との関連で長さが決まってまいりますから、できるだけ先生の御趣旨に沿うようにやらせていただきます。

 それで、昨日、当委員会でお約束をいたしました調査の件については、既に理事会に提出してございますので、民主党の理事からお手元に回っていると思いますが。

西村(智)委員 済みません、調査の状況についてと書いてあるんですね。大変失礼いたしました。

 いただいておりますのは、ことしの未履修の状況だけだと承知をしておりますけれども、さかのぼっての調査はどういうふうになっておりますか。

伊吹国務大臣 まず、過去において、長崎県の平成十一年、十四年、熊本県で平成十一年、広島県、兵庫県で平成十三年に今回と同じような事例があったということは把握しております。

 そして、今回のことを受けて全体の調査をというのが、昨日、野田先生からお話がございまして、その結果は、できるだけ迅速に調査いたしますが、委員会に、どのような扱いをするかは理事会の御協議にゆだねたいということを申し上げております。

 これは率直に言って、今回のことだけを見ても膨大な数になると思います。学校数で約五百校ぐらいですかね、それから、人数にして、私立の調査が若干残っておりますが、約八万近くに、八万前後になるんじゃないかと思います。

 これを過去にさかのぼって調査し、どうするかということは、昨日、野田先生の御質問にあったように非常に大切なことですが、当面、来年どうするかということをまずしっかりやりませんと、大学入試を控えている高校三年生の百十五万人の人が不安に駆られたまま時を過ごすことになりますから、まず、当面はこの百十五万人の人にかかわる問題に調査の全力を注いでいるというのが現状でございます。

西村(智)委員 学校数にいたしますと、五百校規模ではなくて五千校規模ということでございます。

伊吹国務大臣 いや、そうじゃないですよ。私は未履修の学校数を申し上げておりますので、簡潔に答弁し過ぎたのかもわかりませんが、どうぞよろしく御了解ください。

西村(智)委員 それで、当面、ことし未履修の学生、高校生をどうするか。これは確かに受験まで時間がないわけでありますので、ぜひいい結論を出していただきたいというふうに思います。

 やはり、私は、これは教育の今抱える問題の構造的なものがどうもこの未履修にかかわっているのではないか、関係しているのではないかという気がしています。なぜそもそも未履修が起きたのか、それは何年ごろから起きたのか、ここのところをしっかりと踏まえて見ませんと、再発をどうしたら防止できるのか、こういう対策も立っていかないというふうに思います。

 そこで、大臣は、今回の未履修の問題、原因というのは大体どういうところにあるというふうに認識しておられますか。

伊吹国務大臣 まず、未履修の学校は、現在調査をしているところで、五千四百八校の高等学校があるわけですが、うち、既に調査が完了しているのが五千百七十校ございます。このうち、未履修の学校数が四百六十一校です。だから、未履修の問題は、いろいろな要因があると思いますが、五千百七十校から四百六十一校を引いた残りの約四千七百余の学校は法律に決められたとおりきちっとやっておられるという事実をまず確認しなければなりません。

 その上で申し上げれば、これは御党の野田先生がおっしゃったことですが、そのとおりのことを私から繰り返しますと、やってはいけないことを目的のためにやるという、これは野田先生のを私はそのとおりだと思って聞いておりましたが、規範意識の低下というものが一番やはり私は大きいと思います。

 しかし同時に、その誘惑に駆られるゆえんのものは何だったかということを先生はお聞きになっているんだと思いますが、これは、大学の入試の際に、必修科目だけれども、入試のために必ず受けなくてもいい、入試の科目にはなっていないというものを、必修にもかかわらず高校で教えずに、そして大学入試に必要な科目について深堀りをして教えている。だから、結局、あえて言えば、高等学校の教育の成果を大学入試によって評価されるという現実が一番大きな原因だと私は思います。

西村(智)委員 直接的には恐らくそういうことなんだろう。つまり、規範意識が低下している、しかもそれが、大学入試の科目数から見て集中してやるべき科目に時間を集中的につぎ込むということであった。直接的にはそういうことだったんだろうと思うんですけれども、私はやはりここに、これから本当はもっと深い議論がしたいんですけれども、例えば高等学校の学校同士の競争ですとかあるいは子供たちの競争、こういったものが実は深くかかわっているのではないかというふうに考えています。

 最近、高校も校区がどんどん拡大をしてきています。それまで地域の進学校とされていたところも、校区が広がったことによって、今度はほかの地域の進学校と競争しなければいけない。それが、少子高齢化、子供が減少していくと、実際に、その進学率の高さ、あるいは、この学校からはこういった大学への進学がありますよということになると、もうそれだけで学校の優劣がついてしまう。つまり、そういったことの競争の中で何とか勝ち抜いていかなければいけない。そうしなければ学校が統廃合の対象になるなどという時代でありますから、そういったことが恐らく構造的には問題になっているんだろうと私は思うんですね。

 それはまた後でぜひ議論をさせていただきたいと思っておりますけれども、大臣、この未履修の解決の方法について、現状ではどんなふうにお考えになっておられるでしょうか。

 この特別委員会の議論を聞いておりますと、教育委員会をもっと見直していかなければいけない、それも、再生会議でメーンでは議論していくんだ、こういうような御発言だったかと思います。

 これはどうなのか。やはり、この基本法の委員会の中で、あるいは常任委員会の中でしっかり議論していく課題だというふうに考えておりますけれども、この未履修の問題の解決方法といいますか防止策について、大臣はどんなふうにお考えになっておられるでしょうか。

伊吹国務大臣 御質問の趣旨は、未履修の高等学校の高校生の方々をどう救っていくかということじゃなくて、構造的にという意味ですね。

 これは、もう先ほどのお答えですべてが尽きていると思いますが、基本的に、競争の結果こういうことが生ずるから、競争をやめ、競争原理というものを否定するというのは、私は本末転倒だと思います。競争には競争の欠陥がいろいろあることは、アダム・スミス以来、すべての経済学者、哲学者はよく理解しておるんです。

 これをどう是正していくかというのは、二つのやり方があります。一つは、間違えるものだから政府が積極的に介入してこれを直す、これはいわゆるリベラルという政治思想だと思いますが、もう一つの政治思想は、やはり人間の力に期待して、先ほど申し上げたように、規範意識をしっかり持った方々によって教育委員会が運営されていく、そしてまた学校が運営されていく。それがどうしてもうまくいかない場合には制度に手をつける、これが物の順序だと思います。

 制度を変えるということは、なるほど、当面問題になっていることに対して一応の解決方法に見えますけれども、その制度改正に伴う新たな欠陥というものは必ず出てくるものでございますから、私は、教育に携わり、そして、天職とは言いませんけれども、もう少しやはり自覚と自分の責任感を持ってやっていただくようにまず持っていくのが先決問題だと思います。

西村(智)委員 そういう今大臣のおっしゃった解決方法といいますか防止策が、では、今回の教育基本法の中には、どこにどういうふうに反映されているのでしょうか。

伊吹国務大臣 今回の教育基本法を通していただくことによって、今回の、と私が申し上げているのは政府提案のという意味ですが、それを通していただくことによって、国、地方が分担して教育の責任を負う中で、この教育基本法に基づく各法律というものがございますから、学校教育法あるいは教育委員会に関する法律、その他の法改正を行い、それを受けて、政令、あるいは大臣告示である指導要領、これを変えて現実にやっていくのが行政の執行の実態でございます。

西村(智)委員 行政の執行の実態ということで今御答弁はいただきました。

 しかし、どうなんでしょうか。これでは非常に時間がかかる。ことし未履修だった学生さんに対しては何らかの手だてを考えていく、そしてまた、未履修でなかった、ちゃんと学習指導要領に沿って指導を受けていた学生さんに対しても、平等なといいますか公平な手だてをとっていくということは、これは私も必要なことだと思いますが、ここのところ、多くの教育についての国民の皆さんの御意見は、やはり早急に教育のあり方を何とかしてほしい、こういうことだったんだろうと思います。基本法を変えて、それを受けて法改正して現実の施策に落とし込んでいく、これは、私たちの提案している民主党案でもそういう必要性は出てくるわけでございますけれども、いささか迂遠な感じを今大臣の御答弁を聞いていて受けました。

 民主党案の提出者にお伺いいたしたいんですけれども、今回の未履修の問題です。

 昨日、同僚議員の質問の中で、教育行政の責任と権限が不明確であることが今回の未履修の原因である、こういうような御指摘があったわけなんですけれども、今回の問題の原因、どういうところにあると提出者は分析をしておられますか。また、民主党案ではどういう改善策がとられることになるのでしょうか。

藤村議員 お答えいたします。

 現在調査中ということで、私学についてまだよくわかりませんし、原因がどこにあるかということについては、現時点で断定的に言うわけにはいかないとは思いますが、考えるところの一つ二つを申し上げますと、数年前から完全週五日制ということで、高校の授業の全体の枠は一つ減ったということであります。しかし、にもかかわらず幾つかの新しい項目も教科に加わっているということで、非常にたくさんやらないといけない。このことが一つの理由になるのかなとは思います。

 それから、適度な競争は必要とするも、しかし、大学に進学できるいい高校のような、これは私学とも競うという部分では、やや市場原理化しているんじゃないか。私は、教育の分野では、適度な競争は必要とするも市場原理化はいけないということは、鈴木委員もこの前、文科委員会で主張されましたが、やはりその部分が市場原理化しているんじゃないかな。これも憶測ではあります。

 それからもう一点、教育行政の問題として、昨日、野田委員も指摘されたように、教育の責任がどこにあるのかよくわからないという多重構造の部分にあるのではないかということで、まださらに分析を続けなければならないと思います。簡単に断定はできないと思っております。

 加えて、今もう一つの御質問が、民主党の基本法で、ではどうなんですかということでありますが、今、推測の中で申しました教育行政上の問題というのは、やはり基本法に大きくゆだねられていると思います。ずっとかつてから言われているように、学校の現場で本来大抵のことができるということが理想ではあるけれども、しかし、学校は市の教育委員会、市の教育委員会は県の教育委員会、県の教育委員会は文科省というふうに、それぞれお伺いを立てたり指導助言を受けたりという関係で、ややたらい回しになる部分も多い。実は、このことの指摘は大分前からあったと思います。

 かつ、加えて、教育委員会が本当にきちんと働いていただいているかどうかという点についても、それぞれの皆さんにそれぞれの御意見があると思うんですが、例えば、これは昭和五十二年、今から二十九年前でございますが、当時の福田赳夫総理大臣が当時新自由クラブの西岡武夫議員の質問に答えて、「教育委員会が形骸化している、こういう面を指摘しておりますが、そんな感じがしないわけでもありません」と、総理大臣答弁も二十九年前にあったんです。そのころから、教育委員会がちゃんと働いていないのではないかという思いはずっとあったわけでございます。

 ですから、我々は、この際、教育の行政という部分で基本法が果たせる役割というのは、何度も申しますが、最終責任は国にというところで、財政とか標準あるいは教育行政の体制とか、それから、できるだけ学校の現場に大抵のことは決めていただくということであろうと思います。

 今回、世界史未履修について、どこにどう責任があるのかと考えますと、今の法制上ではやはり校長の一義的責任が大きいと言えますが、ただ、実は、今の校長も都道府県の教育委員会のもとで指導監督がありまして、やはり都道府県教育委員会もその指導監督を怠っていたのではないかという責任も大きいし、どちらが重いとも言えないということでございます。

 そういうことから、責任体制をはっきりさせるというのが我々の基本法の考え方でございます。

伊吹国務大臣 先生、先ほど、教育基本法を直していろいろやっているのじゃ迂遠じゃないかという御指摘がありましたが、今、民主党の提案者も同じことを言っておられるんですよ。

 それは、民主党の、教育基本法を直さなかったら、今の基本である教育委員会を廃止して教育権を都道府県知事にゆだねて、教育の責任を地方自治体の長にやらせるという法律が通らなかったら何もできない。同じことなんですよ。今、藤村先生が言っておられるのは、やはり規範意識を持ってしっかりとやって、教育委員会に責任があってと、私の答弁と同じことを言っておられるわけです。

 だから、教育基本法を通さなければ現実に何もできないなんということはないわけですから、今の教育基本法、これからの教育基本法の理念の中で、先ほど申し上げたように、各法律、予算等を直しながら現実の困ったことの穴を埋めていくというのは、民主党の答弁者も同じことを言っておられるということを御理解ください。

西村(智)委員 いえ、教育委員会の形骸化ということを藤村委員は指摘されているんだと思います。民主党案の中では、教育委員会のあり方を含めて、教育行政、国と地方の責任分担のあり方、これを明確にしておりますので、私は、政府案の中でこういったことに実際のところ対応できるのかどうかということ、ここを問題にしたいわけなんでございます。

 私は、今回の未履修の問題一つとってみても、やはり時代というのは本当に何が出てくるかわからない。未履修などというのは、私が学生のときには想像もしなかった事態でありますが、こうやって、時代に沿って、時代の変遷に伴って新しい教育上の課題というのはたくさん出てまいります。これは未履修が時代の変化の一つであるとすれば、やはり未履修の問題はこの基本法の議論の中でしっかりと含めて考えるべきだ、こういうふうに考えておりますけれども、大臣、ここのところ、未履修の課題を克服する、まずそれが先だというふうにお考えにはなりませんか。

伊吹国務大臣 ですから、先ほどから何度も申し上げておりますが、現実に事は起こっているわけです。そして、今、不安に駆られている高校三年生が百十五万人いるわけです。この人たちの対応はまずやらねばならないんです。

 失礼ですが、民主党案の、教育委員会を廃止し地方の首長に教育権を渡すという、それを待っていたらどうなるんですか。教育基本法が通らなければ何もできないのは迂遠じゃないかとおっしゃったのは先生じゃないんですか。先生の言葉をなぞれば、それを待っていたら、現実の対応ができないといって、さっき私に御質問になった。ところが、今は、民主党の対案を通して教育委員会の改組をしなければ問題の解決にならないとおっしゃっている。

 私は、今の自民党案であれ、民主党案であれ、あるいは現行の教育基本法であれ、ともかく、今起こっていることに対する対応は、これは法律改正をしなくてもできますから、それで私はまず百十五万人の高校生を救いたいと思う。そして、その後、必要があれば、教育委員会に関する法律その他を国会の御同意を得て直せば、教育委員会の強化ということはそれでできます。それは別に、現在の教育基本法、あるいは政府が提出している法律とはそんなに、私は、その範囲内でできないことだとは思いません。

西村(智)委員 基本法の議論でないというふうにすれば、これはやはり常任委員会でやらないとならないんじゃないでしょうか、大臣。そこは重ねて指摘をしまして、これ以上やっていても水かけ論になってなかなか先に進みませんので、先にしたいというふうに思います。

 それでは、次に格差の問題について伺っていきたいと思っております。

 今回の基本法の問題、私は、この時代の教育のありようを考えると、格差というのは、教育格差、学力の格差、いろいろありますけれども、大変大きな論点なんだろうというふうに思います。

 さきの通常国会でも、私は、安倍総理が官房長官だった当時に、格差についての認識を伺いました。そのときに、格差というのは常に存在する、頑張った人とそうでない人に差ができるのは、これは当然のことだと思っている。しかし、その格差が許容できる範囲かどうか、また、その格差がフェアな競争の結果かどうか、ここを見なくちゃいけない。フェアでない競争、公正でない結果であるとすれば、それは当然問題であるというふうにおっしゃいました。

 ここは塩崎官房長官にお伺いしたいんですけれども、フェアな競争、安倍総理、当時官房長官のお言葉でありますけれども、このフェアな競争というのはどういうものであると理解したらよろしいんでしょうか。

塩崎国務大臣 これは言った御本人から聞かなければいけないことだろうと思いますが、推測であえて答えろというならば、当然のことながら、競争にはルールというのが必要だと思います。安倍総理は自由と規律と言っていますが、自由だけではだめで、規律がなければいけないわけで、ルールに基づいて、なおかつ倫理観に裏打ちされた競争のことを指しているのではないかなというふうに思います。

西村(智)委員 ルールにのっとって倫理観のあるということなんですけれども、私は、実は、ちょっとここ二、三日で感銘を受けている言葉があります。それは、ノーベル平和賞を受賞したユヌス氏の言葉なんでありますけれども、貧困を背負って生まれてくる人はいない、生まれた後に社会から貧困を押しつけられる、こういう言葉であります。

 アメリカの話で大変恐縮なんですけれども、ジョンソン大統領が、かつて、黒人の公民権取得の後に、ハワード大学で、機会の平等と結果の平等ということについて演説をされました。つまり、それは何かというと、機会の平等というのは、みんなが一斉に一つのルール、画一的なルールの上にのっとって競争のスタートラインに立つことができる。しかし、実際には、黒人には長い差別の歴史があったわけです。では、みんな同じスタートラインに立ちましたよといっても、それはおのずとスタートラインに立つところから差が出てきているわけですね。こういうことが歴史的にあった。恐らく今の日本でもあるのではないかというふうに私は思っております。

 そういった格差ということを考えたときに、では、本当に、機会の平等というのは、フェアな競争をもってしてだけでそれは機会の平等だと言っていいのかどうか。これは言葉の使い方ではありますけれども、結果の平等も含めて、私たちは、公正な競争、機会の平等と結果の平等、これを考えていく必要があるのではないかというふうに考えているんですけれども、大臣の御所見を伺いたいと思います。

伊吹国務大臣 これは先生、政治哲学、政治理念の中で永遠に語られてきた大変難しい問題ですが、やはりフェアな競争という限りは競争条件が一定でなければならないということは、私、そのとおりだと思います。

 結果の平等というのは、自由競争原理をとっている限りは、これはないわけですね。結果の平等というものをすべての人に保障すれば、人間の本性からしてだれも努力しなくなる。だから、結果の平等を追求してきた政治理念による国はすべて崩壊を始めてしまって、東西の対立は今なくなってきている。

 ですから、結果の不平等に対してどの程度手を差し伸べるのか、そして競争機会の平等ということに対してどの程度手を差し伸べるのか、これが重要な課題であるということは、私は決して否定はいたしません。

西村(智)委員 日本で結果の平等を語るときに、ややもすると、同じスタートラインに立っているかどうか、そこを検討もせずに結果の平等ということだけを言われていた嫌いがあるのではないか、私は実はこういうふうに考えております。

 ずっとこの委員会の中でも指摘がありますけれども、日本はとにかく、先進国の中でも、教育、公教育にかける財政の占める比率というのは非常に低い。各都道府県においても、教員の給与あるいはそれにかける財政、これも大変大きなばらつきがあるというふうに私は見ております。また、そういった地域間の格差の問題だけでなくて、どうも、例えば経済力の高い家庭の子供は長く勉強する傾向にあるとか、あるいは経済力の高い家庭が財政力の高い地域と重なっている傾向がある。こういったことから、やはりこの格差の問題というのは大変大きな問題であるというふうに思っております。

 結果の平等を語るときには、同じスタートラインに立っているかどうか、そこをまず第一に検討しなければいけない、そこをまずチェックしなければいけないというふうに思いますけれども、さて、文部科学省としては、これをどういうふうに担保していくのでしょうか。この基本法の改正によって、それがどこまで到達できるのでしょうか。

伊吹国務大臣 これは、まず、憲法を受けて内閣が提出した教育基本法というのがあるわけで、教育機会の平等ということを基本にして方向性は行われているわけですから、先ほどの議論に戻れば、それを受けて、例えば奨学金制度だとかあるいは義務教育の国庫負担金制度だとか、いろいろな予算上の措置を行い、また、すべての保護者は子供を教育する義務があるとか、あるいは、先ほど来、午前中に御党から御質問があったように、高等教育の人にはどれだけの財政的支えをしていくのか、これは、いろいろな、基本法を受けた各法律及び予算においてできる限りの担保がなされるということだと思います。

西村(智)委員 できる限りの担保がなされるということなんですけれども、本当になされるんでしょうか。これは、先ほど、午前中の北神委員の質問にもあったんですけれども、骨太の方針二〇〇六、ここでもう既に文科省はマイナスの方針である、マイナスになる、そういう方針が示されておりますけれども、これで本当に担保されるのでしょうか。

伊吹国務大臣 今先生の御質問は、最初は個々人のお話になっておりましたが、今はマクロの文教予算のお話になっておりますね。

 個々人に対してどういう施策がどの程度行われているかという、もう一度最初のお話に戻りますと、真空状態で行政というのは行われているわけじゃありませんから、その法律の精神にのっとって、最大限の制約の中で、予算を組み、税制の優遇措置を講じ、法律的な措置を講じているわけです。これが法律、憲法に違反するかどうかというのは、最後は、どこまでが許容されるかということで、司法の場でいろいろ争われているかつての例があるわけです。

 だから、行政の裁量権の範囲はどこまでかというので、一〇〇%先生のお考えのようにこうしろということが正しいのか。現状で努力をしているけれども、いろいろな制約の中でここまでしか現状は残念だけれどもできていないが、それが国家の努力義務に反するかどうかというのは、最後はこれは司法の判断にまたねばならないことです。

西村(智)委員 今回の基本法、私は、財政の保障というのが、実は言ってみれば隠れた目的なのではないかというふうに思っております。それはすなわち、第十七条の教育振興基本計画、これを策定するということになっておりますけれども、この振興計画の中身、つくり方、性格は今全く白紙だという、きのうのレクのときの御答弁をいただきました。全くわからないんですね。

 大臣は先ほど、最後は司法の判断にまつんだというふうにおっしゃいましたけれども、しかし、法律を制定する立法府としては、やはり立法府としての意思はきちんと示していかなければいけないだろうと思います。そうなったときに、これで財政保障がきちんとなされるのかどうか、また、この教育振興基本計画ですか、これで本当に財政保障がなされるのかどうか全くわからないということでは、これは立法府の意思を示すことができない、私はそう思っております。

 大臣、そこで伺いたいんですけれども、どういった内容の振興計画をお考えなのでしょうか。

伊吹国務大臣 まず、立法府の意思を示しておくべきだということなんですが、民主党案にもGNPその他の意思を表示されていると言ってもいいと思いますが、それが現実に各法と予算を通じて実現できなければ、これは全く意味のない規定になるわけですね。それと同じなんですよ。

 ですから、振興計画というのは、この法律に示されている理念を実行するために具体的にどうするのか。これは中教審に、どんなことを書けばいいでしょうかということは既にお尋ねしてあります。その内容について言えば、自己実現を目指す独立した人間の形成とか、豊かな心と健やかな体を鍛える人間の形成、知の世紀をリードする創造性に富んだ人間の育成とか、基本法、理念法であるだけに、極めて抽象的なことなんですよ。

 そして、それを書いて、先ほど来言っておりますように、予算その他の法律、法律も改正しなければならないところも出てくるし、そして、政令、通達でもってこの振興計画を肉づけしていく。しかし、大きな基本については、これは立法府として御不満があってはいけないから、振興計画をつくったときは必ず国会にそれを提示しなければならないという規定が入っているんですよ。ですから、立法府としてそのときに御意見があれば、当然、立法府の御意思をおっしゃっていただく機会はあると思います。

西村(智)委員 確かに振興基本計画の中には、「国会に報告するとともに、公表しなければならない。」これは報告なわけですね。基本計画の策定について報告をしますと。そこで、一般質疑などで議論する場というのは恐らくあるでしょう。しかし、その意見がしっかりと反映されるかどうかというのはわからない。

 また、先ほど大臣は、民主党案のGNP比の法条文への盛り込みについて、実現できなければ意味がないというふうにおっしゃいましたけれども、果たしてそうでしょうか。目標は目標で、私は必要なものだと思います。子供たちが勉強するとき、学習するときも目標というのは持つわけでありますし、これは私は意味のないことではないというふうに思います。

 また別のところに進んでいきたいので話は先に行きますけれども、この教育基本法の第十七条、振興基本計画というところまでは規定されていますが、財源保障については規定されていないわけであります。では、これは振興基本計画の策定の場で改めて議論する、こういうことになるのでしょうか。

伊吹国務大臣 今の御質問の趣旨は、振興計画を受けて毎年毎年の教育関係の予算的裏づけをどうするかという意味ですか。もしそれであれば、当然振興計画というものも国会にお示しし、もちろん、どういう議論をしていただくかは国会で決めていただくことですが、公表をする。そして、各法律がすべてあります、義務教育国庫負担金の法律その他の法律が、すべて国会の議決を経てあるんです。それを受けて、財政法の規定により、毎年毎年内閣が予算案を国会に御提出して国会の御審議を受けるわけですから、その際に国会としての御意見をおっしゃる場は、当然予算委員会だと思います。

西村(智)委員 私が承知しております限り、基本計画あるいは基本法を根拠にして予算、財政保障などがあるというのは科学技術基本法。科学技術基本法には、基本法そのものの中に財源保障という項目がありまして、それに沿って基本計画がつくられる、こういうことになっているわけです。

 そういうものから比較いたしますと、文部科学省がつくった科学技術基本法とこの教育基本法ではやはり余りに差があって、毎年毎年きちんと担保すると大臣は今おっしゃいましたけれども、私は、そこは多少不安があるというふうに思っております。議論するということですね。

 時間が迫ってまいりました。もう本当にたくさん質問を用意してきましたら、とても終わりません。ぜひ時間をまたとっていただきたい。お願いをいたします。

 昨日の伊吹大臣の発言でちょっとお伺いしたいことがございますので、一点お聞かせいただきたいと思います。

 昨日、これは笠委員への答弁だったかと思うんですけれども、抜粋で済みません、ちょっと読ませていただきますと、地方の首長といっても、私は先ほど御党の鳩山幹事長の答弁に一度たりとも民主党の議員がというようなことを申し上げなかったんだけれども、民主党が首長になったらそんなことはしません、こうおっしゃっているわけだけれども、特定のイズム、例えばジェンダーだとか何かを持っている首長がいるとか、あるいは大阪、私の地元にも、そういう特定の政党のイズムを持って云々というふうにおっしゃっておられました。

 もしかしたら、大臣はジェンダーという言葉を多少誤解されているのではないかなと思いまして、そこで高市男女共同参画担当大臣にお出ましをいただいたわけでございます。

 ジェンダーとは何を意味するのでしょうか。政府の公式見解を述べていただきたいと思います。

高市国務大臣 ジェンダーという言葉につきましては、第二次男女共同参画基本計画におきまして明確な定義をしております。「社会的性別」(ジェンダー)という表現なんですけれども、読み上げますと、「人間には生まれついての生物学的性別がある。一方、社会通念や慣習の中には、社会によって作り上げられた「男性像」、「女性像」があり、このような男性、女性の別を「社会的性別」(ジェンダー)という。」となっております。

西村(智)委員 基本計画にもそのように記載をされているようでございます。これは国際的にも幅広く使われている用語であるというふうに承知をいたしております。

 高市大臣に重ねてお伺いいたしますけれども、ジェンダーというのは、偏った思想といいますか、特定のイズムなのでしょうか。

高市国務大臣 基本計画に書いております「社会的性別」(ジェンダー)というのは、それ自体によいとか悪いとかいう価値を含むものではなくて、特定の思想を帯びた用語じゃありません。

 ただ、よく使い間違えられるのは、ジェンダー・フリーという用語をジェンダーと表現してしまったケースなのかなと、きのうの大臣の御発言を私はそう思って聞いていたんですがね。

 ジェンダー・フリーという用語に関しましては、男女共同参画基本計画の中にもこう書いております。「「ジェンダー・フリー」という用語を使用して、性差を否定したり、男らしさ、女らしさや男女の区別をなくして人間の中性化を目指すこと、また、家族やひな祭り等の伝統文化を否定することは、国民が求める男女共同参画社会とは異なる。」ということで、「例えば、」の例示で、「児童生徒の発達段階を踏まえない行き過ぎた性教育」ですとか「男女同室着替え」ですとか「男女同室宿泊」ですとか「男女混合騎馬戦等の事例は極めて非常識である。」と、ここまで書いておりますので、そういった意味では、このジェンダー・フリーという言葉を使用して行き過ぎがあったような場合というのは、偏った対応になるととられるんじゃないでしょうか。

西村(智)委員 ジェンダー・フリーというのも、私が記憶しておりますけれども、二年くらい前の細田官房長官時代に、正しい理解、正しい用語の理解があればそれは使ってもよろしい、こういう御答弁があったと思います。

 私は、本当はジェンダー・バイアス・フリーというふうに言いたいわけなんですけれども、短くジェンダー・フリーと言う人もいる。今、ジェンダー・フリーという用語を使用して、性教育ですとか男女同室着がえですとか、いろいろな事例を挙げられましたけれども、やっているかどうか、これは、私も実例には実は当たったことはありません。出会ったことというのはありませんけれども、ほんの一部だろうと思うんですね。

 今、例えば、性行為などの低年齢化、感染症などの若年層への爆発的な拡大、こういったものを考えますと、むしろ、正しい理解、年齢に応じた性教育などをやっていくということは必要なことだろうと思いますので、ぜひその点についても御配慮をいただきたいと思っております。

高市国務大臣 ジェンダー・フリーという用語につきましては前にそういった答弁があったのかもしれませんが、その後、余りにもジェンダー・フリーという用語の解釈によって極端な事例がふえましたことから、内閣府の方から各地方公共団体に、ジェンダー・フリーという用語について使用は控えられたいということで、文書で通達を出しております。

西村(智)委員 ふえたんですね、そういう事例が。そういう確認でよろしいですね。重要な発言だと思います。

 伊吹大臣、それでは、昨日の答弁の御趣旨、伺います。(発言する者あり)

伊吹国務大臣 民主党の中井筆頭理事から御答弁をいただいておりますが、私が申し上げたのは、フリーという言葉を確かにつけたらよかったと思います。それはまことに申しわけなかったと思いますが、今、高市大臣が申しましたように、政府としては、既に男女共同参画基本計画において、ジェンダー・フリーという用語を使用して男女の別を否定したり、男らしさ、女らしさや男女の区別をなくして人間の中性化を目指すことなどは、国民の求めている男女共同参画社会とは異なるものであるということを明確にしておりますので、そういうことを前提に教育を進めておられる地方自治体等があるとすれば、地方自治体に教育権を渡すのは非常に危険なことだということを申し上げたわけです。

西村(智)委員 ジェンダー・フリーという言葉は、私は、この言葉にすべての原因を押しつける、言葉が悪いんだというふうに聞こえるような説明の仕方、ぜひやめていただきたいなと思います。

 それを使って本当に極端な、おひな様はだめよと言っている人はもしかしたらいるかもしれませんけれども、それはその言葉の責任ではなくて、使う方の責任だということをぜひ分類していただきたいというふうに思っております。(発言する者あり)私は、ジェンダーという言葉には概念は問題はないというふうに思っておりますので、ぜひよろしくお願いをいたします。

 さて、ちょっと時間もなくなってまいりましたが、話が男女共同参画基本計画にのってまいりましたので、高市大臣に引き続きお伺いをいたしたいと思います。

 大変プライバシーに立ち入ったことをお伺いするようで恐縮ですが、大臣は結婚しておられますね。高市という姓は、夫様の姓でしょうか、それとも御自分の姓でしょうか。

高市国務大臣 私は、法律上、夫婦同姓であります。夫の山本拓と同じ山本が私の法律上の姓でございます。

西村(智)委員 この委員会の森山眞弓委員長も、法務大臣だった当時、民法の改正議論には大変大きな力で取り組んでこられたわけであります。

 民主党が選択的夫婦別姓の民法改正案を提出しておりますが、なかなかこれは与党の皆さんからは賛成していただいておりません。大臣は今も高市という旧姓を通称でお使いになっていらっしゃる。そうしますと、この民主党の選択的夫婦別姓法案に賛成してくださいますかね。どうでしょうか。

高市国務大臣 選択的夫婦別氏の問題については、別姓の問題でもさまざまな議論があると思います。自民党の中でも三つほど選択肢が出てまいりました。

 一つは、現在の法律のままでいい。つまり、私のように、法律上は夫婦同姓であります。今の法律でも通称、旧姓は使えますから、それを使い続けるというのでいいじゃないかという方法が一つ。

 それから二つ目は、私自身が自民党の政調に提出をいたしました法律案なんですけれども、それは、やはりファミリーネームは守る、法律上、戸籍上は、親子、夫婦同じ姓である。ただし、外で旧姓を使う場合にいろいろ不便も出てきております。例えば、私の同一姓を証明するときに、免許証を出しましても山本早苗としか書いていない。でも、きちっと戸籍に通称として旧姓を使用すると書き込んでおけば、免許証にも、例えば山本早苗(旧姓高市)、このような表記があってもいいんじゃないか。そういう通称使用をもっと便利に使えるようにしようというのが二つ目の案。

 三つ目の案は、民主党でも御検討いただいている選択的夫婦別姓、これに大変近い案だと承知をいたしております。この場合は、戸籍上も、夫婦、親子、同じ姓は残りません。ファミリーネームというのは人によってはなくなってしまいます。夫婦の姓は別々、子供の場合はどちらかの姓に合わせるというような形になるんだろうと思います。

 このほかにも、恐らく議論を深めていくともっとほかのアイデアというのも出てくるんじゃないかなと思いますので、ここで、私は男女共同参画を担当する大臣でございますので、あくまでも第二次男女共同参画基本計画において、この問題については国民の議論が深まるように引き続き努める、こういう記述がございます。直接の担当は法務省でございますけれども、国民がいろいろな案を自由に言って議論を深めていく、こういった形は応援していきたいと思いますので、民主党さんの案そのものを私が応援するしないというよりは、議論をしていただくことにエールを送りたいと思っております。

西村(智)委員 今も大臣の答弁にありましたとおり、姓を変えると例えば仕事上不便が生じるとか、そういうことが起こり得るということは、これは大臣も御理解くださっているわけですね。やはり、多くの女性だけではなくて、結婚して姓を変えた男性も同じように多くの方が不便を感じておられます。

 最近は大変に子供の数が少なくなってきている。一人っ子同士の結婚というようなものも出てきています。ここで、大変にレアなケースですけれども、姓を変えなければならない、結局、一人っ子同士なので、どちらかの姓に合わせなければならない。だけれども、それぞれの姓を変えることはできないので結婚をちゅうちょしている、こういうようなケースもあるわけでございます。(発言する者あり)

 愛があれば乗り越えられるわけでありますけれども、そういった多様な家族のあり方を保障する、政府としても、多様な選択が可能にできる、そういうことを示すためにも、私は選択的夫婦別姓の導入、これは家族を大切にすればこそ導入していきたい、こういうふうに強く考えております。ぜひ与党の皆さんからも御賛同いただきたい、このことを強く申し上げて、そろそろ時間になりますので、これで私の質問を終わらせていただきます。

 ありがとうございました。

森山委員長 次に、松本大輔君。

松本(大)委員 民主党の松本大輔です。

 さきの通常国会から引き続きこの教育基本法の特別委員会に所属をさせていただいているわけでございますけれども……(発言する者あり)五十時間ももう審議したのでというような意見もあるやに聞いておりますけれども、総理もかわりました、大臣もかわりました。まだまだ議論を深めていかなければならないテーマも山積をしております。

 午前中の質疑にもありましたけれども、格差の拡大の問題と教育の機会均等の問題。それから、今回のこの法律案が、政府案ですけれども、仮に成立をした暁には、学習指導要領をもう一度精査して、必要があれば改正を行うというふうにおっしゃっています。したがって、学習指導要領の見直しの問題も当然議論をしていかなければなりません。そしてその際には、当然、であるならば、これまで行ってきたゆとり教育というものの検証もやはりあわせて行っていかなければなりません。いじめの問題もございます。こういった問題を隠ぺいしてきた、あるいは未履修について虚偽報告をしていた、機能不全に陥っている教育委員会、これをどうやって立て直していくんだ、あるいはどういう形の方がより望ましいんだ、この議論についても、まだまだ議論は尽くされていないというふうに考えています。

 したがって、ぜひ大臣におかれましては、与党の一員でもいらっしゃいますので、もうそろそろというようないけずなことはくれぐれもおっしゃることなく、どうか長い長いおつき合いを今後ともよろしくお願い申し上げたいと思います。

 きょうは、その数あるテーマの中でも、私が取り上げたいのは、午前中にちょうど北神委員もお話をされていましたけれども、教育の機会均等の問題であります。

 法案の中身に関連する議論をという不規則発言もございましたので、政府案で言うところの四条、教育の機会均等ということでありますけれども、午前中の大臣答弁の中には、日本は諸外国に比べて教育の機会均等というものが図られている国なんだというような御答弁もありましたけれども、ちょっと私なりにいろいろと検証をさせていただきたいなというふうに思います。

 そこで、資料を配らせていただきました。つい先日、ニュースを見ておりましたら、あしなが募金というものを取り上げておりまして、ぜひ大臣におかれては、その外見にたがわぬ足長大臣ぶりを発揮していただきたいなという一縷の望みを託しつつ、御質問をさせていただきたいというふうに思います。

 要望書がこの資料の一ページ目であります。この募金活動には、教育再生会議の海老名委員も参加をされた。そして、十九日、先々週の木曜日ですか、総理官邸に基金の会長それから現役の学生さんが訪問をされてこの要望書をお渡しになられたということであります。

 議事録に残しておきたいので引用させていただきたいと思いますけれども、

  私たちのあしなが運動は過去四十年間、病気・自殺・災害、交通事故ほかあらゆる原因で親を亡くした「遺児」と、重度障害者の子弟等に、ボランティア学生の街頭募金と継続的支援者「あしながさん」のお力を借りて、高等学校や大学に進学するための奨学金を出し、約七万人の進学の夢を果たしました。下村副官房長官も高校奨学生、大学奨学生第一期生で、我がファミリーの誉れです。

  しかし、「格差社会」の出現で、遺児の母子家庭の勤労年収は一般家庭の三分の一を割り込み百三十万円まで落ち込みました。これでは食べるにも事欠き、高校進学もままならず、進学しても卒業まで学資が続きません。さらに就職難は、とくに地方の母子を悩ませています。高度な技術社会ではこの子らが生涯働いて食べていける職業に関する知識・技術も十分でなく、これがフリーター、ニートの予備軍になります。

  安倍総理におかれましては、四十万から五十万人いると推定される、遺児や重度障害者子弟のおかれている未曾有の窮状をご理解いただきまして、早急に対策を講じて頂くよう、よろしくご検討賜りますようお願い申しあげます。

とあります。

 要望の一でありますけれども、「公教育が崩壊しています。」というふうにあります。

 安倍内閣でも、総理の所信表明には公教育の再生がうたわれておりました。伊吹大臣の所信表明にも、やはり「公教育の再生に取り組みます。」とうたっていらっしゃいました。再生を広辞苑で引きますと、死にかかっているものを回復させるんだ、蘇生させることなんだというふうに書いてございます。つまり、公教育は今死にかかっているんだという認識を内閣では持っていらっしゃる、こういうことであろうかと思います。

 その認識というのは、このあしなが育英会の皆さんの「公教育が崩壊しています。」、既に崩壊しちゃったのか崩壊しつつあるのかという違いはあるかもしれませんけれども、おおむねその危機感というものは共有をされている、こういうことであろうと思います。

 そこで、まず大臣に現状認識からお伺いしたいんですけれども、公教育が死にかかっている、この原因は一体どこに、だれにあると思いますか。(発言する者あり)

伊吹国務大臣 まず、長く長くおつき合いをいただきたいということでございますが、国民、長く長くおつき合いをしている間に、公教育、まさにおっしゃった再生の機会を逸しないように、お互いに努力をしていきたいと思います。

 そこで、これは玉井さんの会ですよね。(松本(大)委員「はい」と呼ぶ)この要望は、官邸からいただいて、私も見ております。「公教育が崩壊しています。一日も早く、貧乏人の命綱である「公教育」を立て直し、お金がなくても」云々、後はこういうくだりですね、ここのところはお読みにならなかったけれども。ですから、安倍総理あるいは私が申し上げている公教育というか義務教育の再生と、ここでおっしゃっている「公教育が崩壊しています。」という公教育は、少し公教育の使い方が違うと思います。

 私たちが申し上げているのは、総じて、一般的な公教育たる義務教育の教育現場のあり方、そこで教えているものから最低限の基礎学力と規範意識が全般的につきにくくなっているという意味で言葉を使っております。

 ここでおっしゃっているのは、これも私は公教育の一つの大きな要素だと思いますが、憲法あるいは教育基本法によって、すべての人に平等に教育の機会を保障する、これは義務教育ですね、その部分について、必ずしも平等にすべての人に保障されていないじゃないかという意味でお使いになっているんじゃないんですか。

松本(大)委員 質問に対する直接的なお答えになっていないというふうにまず思います。

 それから、公教育という部分について、義務教育という使い方をするのか、それとも、例えば公立の高校も含めた公教育が崩壊していますという認識なのかという違いがあるというふうにおっしゃったと理解をしますけれども、さはさりながら、公教育、公立の高校を含む、含まないの問題はありますけれども、その中に義務教育も当然含まれているわけでありまして、内閣の方針として、公立の義務教育も崩壊しているんだ、だから再生をするんだということであれば、それはここでおっしゃっている「公教育が崩壊しています。」ということと違いはないというふうに思います。

伊吹国務大臣 この文章をこのまま正直に読み下していきますと、「公教育が崩壊しています。」といって、「一日も早く、貧乏人の命綱である「公教育」を立て直し、」、つまり「お金がなくても」云々、こう入っているわけですね。

 だから、所得のない方にも、このとおりの言葉を使えば、お金がない方にも平等に普通教育、高等学校まで入れて普通教育という法律用語を使いますが、普通教育の場がきっちり保障されるようにしてほしい、それができていないということをおっしゃっているんじゃないですかと私は理解しています。いや、その理解が間違っているよというのなら、玉井さんにちょっと聞かないといけないんですが。

 多分、このあしなが運動という運動の目的からいきまして、やはり高等学校までは、所得だとかどうだとかということに関係なくきっちりと教育が受けられるようにしてほしい、それが十分できていないんじゃないかという趣旨のことをおっしゃっていると理解しています、私の理解は。この文章を読むと。

 しかし、安倍総理や私が申し上げた公教育の再生というのは、もちろんそういう意味も含まなければいけないかもわかりませんが、一般論として、義務教育として既に国民が身につけてもらうべき最低限のことがいろいろな事情でできていないという現状を再生するということを申し上げているわけです。

松本(大)委員 では、質問を変えます。

 公教育の再生、つまり、あしなが育英会と安倍内閣の公教育再生、崩壊しているかどうかというのは微妙に違うんだ、それは、では百歩譲ってそうなのかもしれませんが、そこの議論はおいておいて、公教育を再生すると内閣としておっしゃっているわけですから、ではその再生というのは、先ほども申し上げたように、死にかかっているものを生き返らせるんだ、こういうことなわけですから、内閣として、再生をさせるとおっしゃるからには現在死にかかっているという認識を持っていらっしゃるのであって、その責任はだれにあるとお考えですかという質問に変えます。

伊吹国務大臣 死にかかっているという広辞林の言葉があったかどうかは、私はこれはあれですが、生命力が落ちているものに再び生命力を与えるというのが再生という意味じゃないでしょうか。

 であるとすれば、残念ながら、日本人の基礎学力はやや落ちてきて、OECDの調査などでも、特に自国語の読解力は残念だけれども世界で二けたになっています。それから、規範意識が非常に低下してきているから今のようないろいろな問題が社会的に起こっている。これを根本的に直していくためには、今回政府が提案していた教育基本法によって初めて、日本独自の規範、伝統、文化ということが入ってきているわけですから、そういうことを中心にして、教育基本法が国会でお認めをいただければ、その後に続いていく学校教育法、あるいはその他の諸法を改正し、これまた国会で御論議をいただかなきゃいけませんが、それに伴う政令、通達、通達というか告示というのは今言われている指導要領ですね、こういうものを直し、それに予算的な肉づけをすることによって教育を再生していきたい、こういうことじゃないでしょうか。

松本(大)委員 今大臣に御答弁をいただきましたのは、現状と、それからそれをどう変えていきたいのかということでありまして、私が御質問をしたのは原因の方であります。だれに責任があるんだ、どういうことが原因だと思っていらっしゃるのかという点であります。

伊吹国務大臣 現状は、これはもう複雑多岐であって、だれに責任があるということではないと私は思います。

 日本という国が、食べるだけで精いっぱいで、お互いに助け合っていかなければ生きていけない時代から、諸先輩の努力で世界第二の経済大国になって、我が党の大島議員が一番最初に質問をしたときに、我が党じゃないですね、自民党と言わなければいかぬですね、質問したときに言っておられたように、家族の中、自分で処理していくことが、外へみんな出ていく、お金さえあれば物が買える。税金と社会保険料を基本的に払っておけば、親を介護し、親を扶養し、親の病気を見ていたことも、みんな公的な援助にゆだねることができる。そういう社会の中で、いろいろな価値観ができて、いろいろな行動を日本人がとっていく。そういう極めて複合的な中で日本の現状というのは変わってきている。その一つのひずみが教育にあらわれてきているということじゃないでしょうか。

 その中に、もちろん労働組合の問題もあれば、かつての各政党の責任の問題もあるでしょう。だけれども、それは、みんな複合した中の要因として今の教育の現状があるんだと思います。

松本(大)委員 先ほど、不規則発言の中でイブキを吹き込むんだという非常にすばらしいお言葉がありまして、私も、まさに今崩壊しかかっているのであれば、生命力を失いかけているのであれば、大臣に、ぜひとも息吹を、お名前どおり、吹きかけるんだ、そういうエールを込めて質問をしているつもりであったんですけれども、今の御答弁は、外的な要因、つまり社会環境が変わったから、だからどうも教育がおかしくなってきたんじゃないかというような指摘はあったんですけれども、長らく政権政党にあった、教育行政に携わってきた、その与党としての、政治が担うべき結果責任ということについて、私は、もう少し謙虚に省みられる必要があるのではないかなというふうに、まず指摘をしておきたいと思います。

 大臣は、所信の中で、「人材こそが国家発展の基礎であり、」というふうにおっしゃっています。私も全く同感です。その後、「これまでも、累代の内閣のもとで、人間力向上を目指した教育の努力が続けられ、」というふうにあります。まさかこれは公教育が崩壊に向かうような努力をされたということでは、よもやないとは思うんですけれども、では、崩壊に向かうのを食いとめるような努力はされてきたのかという点について少し伺ってみたいと思うんです。

 例えば、小泉内閣で米百俵ということが言われました。いわゆる文教予算というのはどのように推移してきたんでしょうか。これは事務方で結構です。

伊吹国務大臣 教育行政を担ってきた政党の責任も、もちろん先ほど申し上げたように政治の責任ということ、各政党の責任ということを申し上げましたね。お聞きになったと思います。当然、そういうことはあります。

 しかし、同時に、国会という国権の最高機関に議席を占めておられる野党として、国民の負託をいただいて、そしてチェック機能を十分果たしていただくということも必要ですし、そんなに悪い政党で失敗があるのなら、議会制民主主義の常道にのっとって、国民の支持を得て政権交代を実現できなかったということも同時に考えていただかなければならないと思いますよ。

 ですから、予算について言えば、確かに、事務方から数字の推移は申し上げますが、これは三位一体の改革によって、本来国に計上されていた予算が、税とともに地方自治体に譲与されているから、例えば義務教育国庫負担金の部分がぽそっと抜けちゃっているとか、あるいは給与関係の諸法の中で、物価スライドで人事院勧告の結果抜けているということで、それを外しますと、減ってはおりませんし、まあ余り胸を張って偉そうなことは言えないと思いますが、若干だけれども私はふえているんじゃないかと思います。

松本(大)委員 私は、文教予算がどういうふうに推移したのかという、端的にその数字をお聞きしたのであって、ぜひ客観的な事実をお述べいただけますか。

玉井政府参考人 お答えを申し上げます。

 文部科学省所管の一般会計予算、項目がございますが、そのうちの文教及び科学振興費、そこから科学技術振興費を除いたのが、多分委員御指摘のいわゆる文教予算ということではないかと思いますので、それについて数字を申し上げますと、二〇〇二年度、平成十四年度でございますが、五兆五千九十一億、二〇〇三年度、平成十五年度は五兆二千二百三十八億、二〇〇四年度、平成十六年度は四兆八千三百六十五億、二〇〇五年度、平成十七年度は四兆三千九百五十九億、二〇〇六年度は、平成十八年度でございますけれども、三兆九千二百六十一億円でございまして、この五カ年における減額は一兆五千九百七十六億円でございますが、その主な理由は、先ほど大臣が申し上げたとおり、三位一体改革における補助金改革、それから人事院勧告の件などでございまして、その影響を除きますと、むしろ五百七十一億円の増ということになろうかと思います。

松本(大)委員 今の御答弁は、小泉さんが総理になられて最初の会計年度の予算編成は二〇〇二年度、五兆五千億、直近二〇〇六年度は三兆九千億ということでありますから、一兆六千億も国の文教予算はカットをされてきたわけですね。米百俵と言われたわけでありますけれども、実は教育予算というものに最も厳しい内閣であったのではないかなというふうに考えます。

 大臣は、この累代の内閣で努力が続けられてきたというふうに所信でおっしゃっていらっしゃるわけですけれども、小泉内閣も教育の努力を続けてきた、この内閣に小泉内閣も含むというふうにお考えですか。

伊吹国務大臣 先生は、もう民主党の若手のホープでありますし、銀行の御経験もおありと思いますから、計数的にはきちっとやはり押さえてお話をしたいと思います。

 つまり、今言っていたように、表向きの文教予算というのは先生が御指摘になったとおりですよ。しかし、三位一体の改革というものがあって、教育関係予算として地方にその予算が移譲されて、それに伴って財源が移っているんですよ。ですから、国と地方と合わせたトータルの教育予算は、特に児童の数も減っておりますから、一人当たりではむしろふえているんですよ。この点だけは、やはり銀行のようにきちっと経理をして議論していただきたいと思います。

 そして、小泉内閣も政策面でいえば、米百俵というのは小泉さん一流のプレゼンテーションとして私は言ったと思いますよ。だけれども、教育の中で、あの内閣で行われた大切なことが私は二つあると思うんです。学校の外部評価制度が導入されているということです、これは地域の。それからもう一つは、これは賛否両論あります、私も若干、必ずしも個人的には賛成じゃないんだけれども、大学の独立行政法人化が行われているということです。

松本(大)委員 国と地方合わせれば一人当たりの金額がふえているんだということについては、これはもう少しきちんとした数字をいただいて、その後、それは結局少子化が進んで、それで結果として一人当たりがふえているんじゃないのかなというような反論を、ぜひ、そうおっしゃるのであればデータを示していただいて、お答えをしたいなというふうに思います。

 国と地方を合わせれば変わっていないんだということでありますけれども、これは午前中の北神委員の質疑のときにもありましたけれども、国際比較というものがデータとしてはございます。

 お配りをしました資料の二ページ目でありまして、これは北神委員が作成された資料との違いは何かといいますと、つい先月、九月に発表されたばかりの直近二〇〇三年のデータが入っているということと、それから、これは国立国会図書館にお願いをしまして、経年変化というものを追っていただきました。かつ、GNPベースでかつては計算されていたものをGDPベースに引き直していただいて、経年での変化を追ったというものであります。

 これを見ますと、この二ページ目と三ページ目がそうなんですけれども、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、上下は、増減はありますけれども、トレンドとしてはふやしてきた、GDPに占める公教育財政投資の比率をふやしてきたわけでありますけれども、我が国はどうかといえば、一九八三年のデータから二〇〇三年、直近のデータまで、トレンドとしては減少を続けてきた。九八年と九九年で切れているのは、九八年までは文部省、文部科学省が作成をしてきたわけですが、その後作成をやめられてOECDがつくるようになったために、ここは点線にしてありますけれども、文部省がつくっていた時代ですら、日本はずっと一貫して下がってきた。

 対するアメリカ、イギリス、ドイツ、フランスというものはその比率を高めてきた。OECDが調査を始めるようになった九九年から二〇〇三年までを見ても、国と地方を合わせてという話がありましたけれども、これはまさに国と地方を合わせたものですが、三・五%という水準は変わりませんけれども、では諸外国はどうかというと、この同じ期間の間に、アメリカもイギリスもフランスもドイツもそれぞれ比率をふやしているんですね。

 つまりは、国と地方を合わせれば、この小泉内閣の期間変わっていないんだというお話もありましたけれども、まだまだ国際比較という意味では大きく見劣りをしている。この現状が一体どこに影響を及ぼしているのかということであろうかと思います。

 めくっていただいて、三ページ目と四ページ目なんですけれども、この日本の比率の三・五%というのは、OECD加盟国三十カ国中の最低です。北神委員との数字の若干の違いは、データが一年新しいのと、それから幼児教育などその他の教育というものをふやして、全教育段階で出しているということでありまして、トップのアイスランドの半分以下、OECD平均は五・二%だったと思いますけれども、その平均に比べても大きく見劣りをしている。ここがどこに対してツケを回しているかという話をこの要望書の中からぜひ拾い上げていきたいと思うんです。

 さらにめくって五ページ目なんですが、では公共事業費はどうかといえば、確かに近年、GDPに占める比率というのは減少傾向にはあるわけですけれども、依然として、これは上から日本、フランス、アメリカ、イギリス、ドイツの順番で経年変化をとったものですけれども、日本は三・七%。一番下のドイツ一・四%の二倍以上、イギリスも一・八%ですから、これもやはり二倍以上、アメリカは二・五%ですから、およそ一・五倍の比率を日本は誇っているわけですね。まだまだ人よりもコンクリートに対して投資を行ってきたというツケがやはりここにあらわれているのではないかなというふうに思います。

 これが私たちの、国民の生活のどこに影響を及ぼしているかということがこの要望書にまさにあらわれているわけでありまして、資料の一ページ目に戻ると、要望書ですね、「遺児の母子家庭の勤労年収は一般家庭の三分の一を割り込み百三十万円まで落ち込みました。これでは食べるにも事欠き、高校進学もままならず、進学しても卒業まで学資が続きません。」と。

 大臣は、日本は教育の機会均等というのは諸外国に比べて高い水準にあると午前中おっしゃっていましたけれども、しかしながら、現場からは、高校進学もままならずという生々しい、切実な訴えが出てきているわけですね。それはなぜこういうことになるのかといえば、ここ数年、国と地方を足して変わっていないんだというふうにおっしゃるけれども、諸外国に比べてやはりまだまだ公財政支出の比率というものは低い水準にあるんだ、その結果、こういう陳情というか要望が来ているわけであります。

 これが一体、具体的にデータで検証できるかという話でありますけれども、資料の六ページ目、これは厚生労働省の平成十五年度全国母子世帯等調査というものでありまして、表十六の(一)、平成十四年の年間収入状況、平均収入金額というものを見ますと、母子世帯の就労収入百六十二万円。この要望書では百三十万円を割り込みというふうにありますが、これは死別に多分限られていらっしゃるとか、あるいはデータをとられた時点が違うのかもしれません。

 そのほかに、生活保護、児童扶養手当、養育費、これを合わせましても平均収入金額が二百十二万円でありまして、その下の参考として書かれております表、平成十四年の母子世帯の収入は二百十二万円でありまして、一般世帯を一〇〇とした場合の母子世帯の平均収入は三六・〇と、おおむねこの要望書のとおりの非常に経済的に厳しい状況に置かれているということであります。

 一方で、では教育費はどのぐらいかかっているのかということでありますけれども、資料の七ページ目をめくっていただいて、表の一、「高等学校(全日制)」というところでありますが、公立の学校の学校教育費、表の上から二番目のところですけれども、これは要するに塾とか家庭教師なんかを含む補助費を、下の学校外活動費を除いた金額でありますが、三十四万二千百五十二円。ちょっと読みづらいかもしれません、ごめんなさい。一番右は私立ですから、右から二番目、上から二番目、公立の全日制の高等学校の学校教育費が幾らかといえば、三十四万二千百五十二円なわけですね。

 今、国が行っている奨学金の貸与の金額は、たしか、自宅から公立高校に通う場合、月一万八千円、つまり年間で二十一万六千円ということだと思いますから、この奨学金では学校教育費すら賄えないということでありますし、先ほどもあったように、母子世帯の平均年収が二百十二万円で一般世帯の三六%しかないということは、まさに育ち盛りの子供たちを食べさせるだけでもう手いっぱいという状況がこのデータからも裏づけられる。この要望書がいかに切実なものかということがわかっていただけるんじゃないかと思います。

 実際にここが、だからどういうふうにしわ寄せされているかというのが資料の八ページ目でありまして、これは母子世帯ではありませんけれども、同じように厳しい経済状況に置かれている家庭の進学率というものがどうなっているのかという意味でおつけをいたしました。

 平成十六年の厚生労働省の被保護者全国一斉調査というものをもとにちょっとつくってみたんですが、一番上をごらんください。表の上、「全国」というところでありまして、右から三番目、高等学校等進学率八〇・九%であります。その右側、これは文科省の調査の学校基本調査による進学率、これは全国の平均です、九六・三%。つまり、生活保護受給世帯の高校進学率は八〇・九%であるのに対して、全国平均では九六・三%、実に一五・四ポイントも高校の進学率に大きな差がついているということなんですね。

 大臣は、日本は教育の機会均等というものは諸外国に比べて図られているんだ、かなえられているんだというふうにおっしゃいましたけれども、別に、今諸外国に比べて高い水準にあるからといって、これでよしとするのではなく、さらに積み残しの課題は何なのか、もっと高くできるところがあればそれは当然やるべきですし、その課題の一端が、まさに家庭の経済格差が学習環境の格差となってあらわれている、教育機会の格差となってあらわれている、そのことの証左であるというふうに思います。

 そこで、この要望書にあります高校の進学もままならないんだという状況に対して、大臣、これは先ほどの話に戻りますけれども、やはり教育予算なんですね。公財政支出がGDPに占める比率、今三・五ポイントで、OECD三十カ国中最低な水準にあるわけですけれども、この家庭の経済格差が中等教育の機会の平等を阻害している状況を改めるために、やはりこれはしっかりと諸外国並みの予算を確保すべきだと私は考えますが、大臣、この要望書を受けてどのようにお考えになりますか。

伊吹国務大臣 先生が大変情熱を持ってこのことを語られて、私は感銘を受けて聞いておりました。

 銀行の経営もそうなんだろうと思いますが、国家を預かっている場合に、やはり、五十万ですか、四十万から五十万と言われる、数は確かに少ないですけれども、この少ない人たちに光を当てて物事を考えるという立場が非常に大切だと思いますから、それは奨学金の増額だとか何かは、財源の制約もあるでしょうけれども、今のお考えに沿って、私は私なりに考え、努力をしてみたいと思います。

 その上で、一つ申し上げておきたいのは、大きな組織、国家、あるいは銀行ということを預かる場合に、小さな、人数が少ないけれども大変な人に十分な配慮は行わなければならないけれども、人数が少ない人たちの現状がこうだから全体がこうだという議論はやはりやっちゃいけないと私は思いますね。

 それから、先ほどのGDPに占める公財政支出のお話ですが、これも、例えば日本人が一年間でつくり出したものをどの程度教育に充てているかということは、私は、この表で見ると日本はまことに残念な数字だなと思いますが、同時に、GDPの大きさ、それからその国の持っている就学の人口の比率、人口の大きさ、やはりこういうものも客観的に眺めながら、どこが一番少ないのか、どこがどうなのかという議論もあわせて、これはこれで私は反対じゃありません、お示しになったことは。しかし、もう少しきめ細かな議論もしてみたいなと思います。

松本(大)委員 きめ細かな議論をするからこそ、こういうふうに今九六%という高校進学率の残る三・数%が一体何に起因しているのかというところに思いをいたすべきでありまして、今の大臣答弁をお聞きになられて、きょうは官房副長官にもおいでいただいていますけれども、育英会の副会長としてどのように思われるかというのも後でちょっと、ぜひ聞いてみたいものだというふうに思います。

 まず、その前に、今、大臣答弁は今のような調子であったわけでありますけれども、民主党であれば、この「高校進学もままならず、進学しても卒業まで学資が続きません。」という要望に対してどのようにお答えになるのか、提案者に御見解を伺いたいと思います。

藤村議員 松本大輔委員があしなが育英会のことを質問されるというのは昨晩伺いまして、私も関係者の一人として、実は驚いた次第でございました。

 先々週でしたか、広島の地で、学生たちが一生懸命このあしながおじさんの募金を募っていたという運動、これは全国で、各都道府県、主要な都市で行っておりまして、私は学生時代から、実は、ことしのあしなが募金は秋で七十三回目でございます、春と秋と年二回やるんですけれども、三十六年目を迎えまして、全部参加しているその一人でございます。そういう関係者に、これは打ち合わせも何もなしで質問が出てきたことに大変驚きを禁じ得ませんでした。それでまた、この問題について大変深く調べ、そしてお聞きいただいたことに感謝を申し上げたいと思います。

 これは民主党だったらということにとどまらず、先ほど伊吹大臣がいい答弁をされたのは、一般的に、大きく言えば今九六%の高校進学率であっても、しかし本当にこの八〇%のところはある、この現実をきちっと見て、そういう部分にやはり光を当てるというのが政治の力であろう、そのように私は考えておりますが、教育基本法を今論ずるこの委員会でございますので、我々が提出した教育基本法ではどういう配慮をしているかということを御説明してお答えにしたいと思います。

 我々は、基本的に、さっきもお話が出ておりましたように、やはりいよいよ日本も本当に物から人へということは、これは今の安倍総理だって、同じようなことで、人を育てることが大事だと言っていらっしゃいますので、まさに国の財政支出についても、物やコンクリートではなくて、人への投資ということを我々は基本の理念として持っておりまして、そして、公立小学校への予算、あるいは高等教育における予算、さらには奨学金など、これらの検討、さらに増額が必要だと思っております。

 今回提出の日本国教育基本法におきまして、まず、第二条で、憲法二十六条からくる教育を受ける権利というものをやはりはっきりとさせる。それは、大半の人は余りそういうことを気にしなくていいんですが、本当にこうして困っている人たちについては、この権利を与えるというか、まさに学習、学ぶ権利の保障というのは非常に大事な理念であろうと思っております。

 また、三条で適切かつ最善な教育の機会及び環境の享受等ということで、これも「何人も、」ということでございます。

 さらに、七条で普通教育及び義務教育の第五項で、これは委員会の質疑できょうまでなかったものですから初めて御披露するんですが、実は第五項に、今まで述べませんでしたが、「義務教育については授業料は徴収せず、」と、これはきょうまでの基本法もそうでした、さらに我々は書き込みました、「その他義務教育に関する費用については、保護者の負担は、できる限り軽減されるものとする。」ということで、これは新しい我々の規定でございます。

 さらに、第八条で、現在日本国政府が留保している人権規約の高等教育無償化条項の留保を撤回すべく、高等教育の漸進的無償化をうたっておりますし、さらに、それらの、二十条で予算の確保、今大分議論をされておりましたGDP比という問題を指標にするということも新しい発想として基本法に入れたところでございます。

 私は、三十六年、三十七年目になりますこの運動、下村官房副長官は、私がそのときは先生役といいますか、彼が学生さんでありまして、そういう関係でもう二十数年来のまさに同志でもございますが、その下村さんが今安倍内閣で教育のことを一生懸命やっていただくということに大変期待をしたいと存じます。

 以上でございます。

松本(大)委員 民主党案は、まさに学ぶ権利の保障という点に私はある意味では最大の眼目があるというふうに考えていますけれども、今の政府答弁とそれから藤村委員の答弁をお聞きになられて、育英会の副会長として、下村先生、どのようにお感じになられたか、御答弁を願えますでしょうか。

下村内閣官房副長官 官房副長官としてお答えをさせていただきたいというふうに思います。

 私も副長官になる直前まであしなが育英会の副会長をしておりましたので、松本委員からこのあしなが育英会の要望書について質問をしていただき、また事細かく解説をし、また力説をして進めていただいていることに対して、本当に深く感謝を申し上げたいというふうに思います。

 今ありましたように、あしなが育英会の前身、別組織であります交通遺児育英会、私はその第一期生でございまして、当時、高校、大学に奨学金を借りて行ったとき、大学生のときに、民主党の提案者であります藤村修先生は当時の交通遺児育英会の事務局長をされておりましたので、不思議な縁できょうは答弁に立たせていただいております。

 そして、このあしなが育英会の要望は、この四年、五年の変化ということでなく、冒頭に書いてありますように、過去四十年間の積み重ねの中での要望でございます。そして、一つとしては、公教育を立て直してほしい、お金がない遺児でも大学に進学できるような、そういう夢をかなえるような教育改革をぜひやってほしいというのが一点ございますね。それから二点目としては、奨学金制度を拡充してほしい。そして三点目で、最貧層で長期に置かれると犯罪社会に落ち込むおそれもあるかもしれない、そういう意味で、教育セーフティーネットを一日も早く完備してほしい。そして四つ目として、大学生、高校生、特にボランティア体験で大学生にはアジア、アフリカの貧しい国での海外研修・ボランティアを義務づける制度を検討してほしい。こういう要望でございまして、まさにそのとおりだというふうに私も思っております。

 伊吹大臣の先ほどの答弁は、私は、的確な答弁をされておられるというふうに思いますし、このあしなが育英会の目指す方向について、同じ答弁だというふうに思います。

 しかし、さらに加速度をつけるという意味で、安倍政権になってから、安倍総理のもとで教育再生会議を立ち上げました。これはまさに、このような要望を含めて、しっかりと日本の教育が再生する、よみがえる、こういう視点から、加速度をつけた、日本における唯一の資源、人材ですから、人ですから、人を大切にしながら教育をもってこの日本を再興する、こういう考えのもとでございますので、私自身もぜひ官邸に入って、要望を受ける立場でありますが、加速度がつき、実現できるように努力をしていきたいというふうに思っております。

松本(大)委員 政府答弁についての評価はちょっと私はコメントを控えますけれども、後段の、副長官として、この要望の実現に向けて努力をされるという前向きな御答弁については、率直に評価をしたいと思います。

 今回の要望書は、まさに今副長官からもお話ありましたけれども、大学に進学できるようというところが要望の一項目めにもございます。

 母子家庭については、法改正が行われて、再来年の四月から、児童扶養手当の受給開始から五年経過した場合は、児童扶養手当、最大で五割まで減額をするというような法改正が行われていまして、大学にお子さんを通わせる場合、その下の弟さん、妹さんを抱えている場合はさらに経済状況が悪化していくということが容易に想像ができます。

 そして、高校進学率においてさえも、先ほど申し上げたように、全体で九六パー、生活保護世帯に限れば八〇パーということで、母子世帯と生活保護世帯、一致はしませんけれども、生活が苦しい世帯の高校進学率がそのような状況に置かれている中では、大学進学率に至ってはさらに厳しい状況が予想される、こういうことであろうかと思います。

 そこで、午前中の北神委員の質疑にもあったんですが、高等教育の無償化についてもやはりお話をさせていただきたいというふうに思います。

 資料の九ページと十ページでありますけれども、先ほども御紹介しましたとおり、つい先月、九月にOECDの最新のデータが発表をされました。ちょっと読みづらいのでめくっていただいた方がいいかもしれませんが、これによりますと、十ページ目ですね、「高等教育費の家計負担割合(二〇〇三年)」、日本はついに前年の韓国、ワーストワンだったわけですけれども、それを抜いてOECD加盟三十カ国中最悪になってしまった、六割を超えているのは我が国だけという惨たんたる状況であります。

 やはり家計の教育負担が高い。つまり、国や地方が教育に関する予算を惜しむから家計にツケが回る、したがって家計負担が高い、そこで、経済的な理由によって大学進学を思いとどまらなければならないケースが出てきてしまう、こういうことでありますけれども、この要望書を踏まえて、ぜひ大臣には、この高過ぎる日本の高等教育の家計負担割合を是正するためにしっかりと今の現状を改めていただきたいというふうに思うんですが、大臣の御答弁をお願いいたします。

伊吹国務大臣 高等教育、つまり、大学の国庫の負担をどうするかというのは、これはやはり国民的な合意の一番難しいところだと私は思います。先ほどもお答えしておりましたように、高等教育課程に進まずに実社会にお出になる方がおられるんですね。この実社会にお出になった方の源泉所得税が国庫の大きな税収になっております。

 ですから、その辺のことをやはり考えながら国民的合意を得ないといけないんですが、安倍内閣で再チャレンジ、再チャレンジと言っているわけでして、再チャレンジの予算枠というものを何か組み替えで別途要求してもいいというようなことを財務大臣が各省に通知しております。

 そういう中で、先ほどおっしゃった普通教育ですね、高等学校までのことも、高等教育の分も含めてできることがあるかどうか。ただし、高等教育の場合は、普通教育であるいは義務教育でおやめになった方とのバランスだけはひとつ考えてやっていかないといかぬ。

 それから、家庭の支出の中でこれだけの高等教育費が出てくるというのは、やはり六〇・三%というのは、本当にこれは異例ですよね、このとおりであれば。

 そして、日本は当然一人当たりの、一家族当たりの家庭の収入というものが、為替で換算したらかなり高いと思いますよ。諸外国よりは高いと思いますが、その中の三九・七しか高等教育以外に使えないという表ですね、これは。(松本(大)委員「いや、高等教育を受けようと思ったら、負担の三割を家計に回し、七割……」と呼ぶ)そうすると、家庭教師の費用とか塾の費用とかはみんな入っているということですか。(松本(大)委員「いえ、家庭教師と塾は……」と呼ぶ)入っていないということですと、つまり、大学に進学するために御家庭の収入の六〇・三を使うという表ですか、これは。(松本(大)委員「教育費の六〇・三%を家計が負担する、残りを公財政で出す」と呼ぶ)ああ、教育費の、そういう意味ですか。わかりました。

 そうすると、この六〇・三というのが御家庭の総収入の中のどれぐらいのパーセンテージになるかということをまず押さえないと、家計にどの程度負担があるということはなかなか難しいんじゃないですか。

松本(大)委員 これは、何のためにOECDで比べているかということなんですね。日本の家計の所得は高いじゃないかというような御議論だったんですけれども、同じような所得水準で比べてみるためにわざわざOECD加盟国間で、三十カ国間で比べているわけでありまして、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、フィンランド、デンマーク、スウェーデンという先進国を並べているわけでありますから、では実際の実費負担では日本の方が安いんじゃないかということは余りにも乱暴な議論ではないかなというふうに思います。

伊吹国務大臣 松本大輔事務所作成と書いてありますので、よほどこの表の根拠をしっかり示していただかないと、ちょっと、これだけ見たらえらい誤解を生んでしまいますよ。

松本(大)委員 ちょっと外務大臣にお越しいただいたので、御質問は必ずしますので、ちょっと待ってください。

 前のページの九ページに、これはまさにOECD、これは私がつくったわけじゃなくてOECDが作成した表ですから、私が調べて、私が表にしたものではありません。根拠はOECDのデータということであります。

 さっきの実社会に出た人とのバランスという議論は、麻生大臣に質問した後でぜひ大臣と闘わせたいと思いますので、先に外務大臣に伺います。

 国連も、この惨状を憂えてといいますか、日本に対して勧告を与えています。つまり、高等教育の無償化条項について、世界人権規約のこの条項を批准している百五十三カ国のうちで高等教育無償化条項を留保しているのは、マダガスカル、ルワンダ、日本だけなんですね。

 きのう、伊吹大臣からは、アメリカも批准していないじゃないかというような反論があったわけですが、アメリカはG8の中で唯一この条項に、この人権規約について批准をしていない国でありまして、しかも、OECDで批准していないのも、三十カ国のうちではアメリカだけなんです。その意味で、アメリカは非常に特殊なケース、何もアメリカに倣うことはないのではないかなというふうに私は思います。

 批准した百五十三カ国のうちこの条項を留保しているのは、マダガスカル、ルワンダ、日本だけ。これはさすがにまずいだろうということで、国連から勧告を受けていて、六月の末までに回答するように求められているわけでありますが、外務大臣に伺います。期限から四カ月を経過しましたけれども、何らかの回答をされたんでしょうか、御答弁をお願いします。

麻生国務大臣 今、これは前から松本先生御関心の強かったA規約の話を聞いておられるんだと思いますが、御指摘の報告は、二〇〇六年六月三十日までに出すことになっておるということは承知をいたしておりますが、今まだ作成は終わっておりません。

 この理由につきましていろいろお尋ねがあっておるところだと思いますが、これは今、この条約に関しては六条約全部あるのは御存じのとおりでして、例えば拷問の禁止条約、児童の権利条約、人種差別撤廃条約とずらっとありますでしょうが、この六つの条約のうちの中で、A規約の分に関して、まだできていないんです。これは簡単に言えば、膨大な作業量なんだということが非常に問題になっておりまして、実は百五十四カ国中提出していない国が百二カ国ということになっておりまして、実は出していない国の方が圧倒的に多い。

 理由は何かといいますと、膨大な作業量ということをみんな同じ理由にしておりまして、現在、この合理化については、この必要性はもう数年前から、これは外務省に限らず各国とも、どう考えてもこれだけの作業量を賄うために膨大な人を抱えねばなりませんから、そういった意味からいくと、ガイドラインをもう少しきちんとしろという話に関してずっと議論が行われているところでもあります。それが今、主なる、出していない大きなる背景であります。

 最後の御質問に関係するところで言わせていただきますと、これはアメリカの話がいろいろ出ていましたが、この中には高等教育の無料化というところが非常に大きなところになっていまして、日本の高等教育というのは大学教育になりますが、この高等教育を日本で無料化するということに関しましては非常に議論の分かれるところであろうと思って、アメリカに限らず各国いろいろこれについては意見の分かれているところでもあります。

松本(大)委員 膨大な作業である、百二カ国がまだ報告をしていないということでありましたけれども、大臣、これはいつまでにどのような回答を行われる予定ですか。

麻生国務大臣 この件に関しましては、六つあります。

 いわゆるB規約につきましては、これは今、ほとんど最終の作業中になっておると思います。(松本(大)委員「消化状況について」と呼ぶ)だから今消化状況を、五つ申し上げないと消化状況わかりませんでしょうが。だから、五つを申し上げるんです。

 女子差別の撤廃条約については、これは案文ができたところでして、御存じかと思いますが、これは外務省だけでやるのではありません。十五省、庁、院、局と、これだけ全部重なってきておりまして、人事院含めまして、これ全部、日本文を提出していただくところからスタートしなくちゃいかぬという膨大な作業になっておりますので、最終のところが調整中。人種差別撤廃条約については、これは案文が今作成中、日本語の文がまだ作成中のところであります。拷問禁止条約、これは終わっております。それから児童の権利条約も、同じく最終の詰めが日本語のところで行われているというのが今現状で、今申し上げましたA規約に関しましても同様の段階にあります。

松本(大)委員 結局、いつまでにということは御答弁いただけなかったんですけれども、ちょっと時間の関係がありますので、それはまた次の機会があればというふうに考えたいと思います。内閣の総力を挙げて少子化対策に取り組むという総理の所信もありましたので、実は外務大臣御本人にも、ではいつまでに報告するかという問題とは別に、どう思うかという点もお伺いしたかったんですが、それはちょっと時間の関係で次回に譲りたいと思います。

 先ほど申し上げたように、伊吹大臣とは、働くことを選んだ人とのバランスの話というのがあったので、ちょっとその議論に戻りたいと思うんですけれども、進学するチャンスも働くチャンスも与えられていて、選択権がある中でどちらを選ぶか自由ですということになれば、進学した方に対して、高等教育を漸進的に無償化していく、その人の、本人の負担を漸進的に和らげていくということは、私は必ずしも不公平ではない、納得ずくの選択だというふうに思います。

 問題は、働くことを余儀なくされるケースがあるということでありまして、今現在、働くことを余儀なくされるケースがある。つまりは、高等教育の機会の不平等があるから、今現在機会が不平等なんだから、これ以上不平等を広げないようにといいますか、つまり、進学のチャンスを得ている人に対してこれ以上財政投資を行うのはまずいんじゃないかという議論は、私はおかしいと思います。もしそれをおっしゃるのであれば、高等教育の機会の不平等を是正する方向にぜひとも大臣として取り組むべきではないかということを申し上げたわけであります。

 安倍内閣では、子育てフレンドリーな社会ということが所信表明で行われたわけでありますけれども、私も、当初の伊吹大臣のコメントの、やはり英語教育よりも国語教育をまずしっかりやるべきではないかとおっしゃっていたのが、あの所信表明を聞いておりますとふつふつと思い浮かんできまして、大臣の、英語よりまず国語だとおっしゃる御主張もむべなるかなというふうに思ったわけであります。この子育てフレンドリーな社会、ちょっと表現ぶりは別として、高等教育の家計負担が六割もあって、しかも留保を撤回しそうにないという状況では、私は、到底子育てフレンドリーな社会ではないというふうに思います。

 最後に一つお伺いしたいのは、提案理由説明に少子高齢化というのが教育を取り巻く状況の変化として挙げられていまして、「この法律案は、このような状況にかんがみ、」というふうにあります。つまりは、少子高齢化にも対応するためにこの法律案を出すんだということでありますけれども、四条で教育の機会均等ということをうたっていらっしゃって、少子高齢化にも対応するんだとおっしゃっているのに、その少子化の原因である経済的負担を和らげようとされていない、それを明示されていないというのは、提案理由説明と矛盾されているのではないでしょうか。最後にそれだけ聞かせてください。

伊吹国務大臣 少子化の原因が今先生がおっしゃった経済的な原因にあるのかどうかは、これは諸説私はあると思います。もちろん、経済的原因がないとは申しません。しかし、おもしろいデータがあるんですよ。それは、三家族一緒に住んでいる御家庭では、二人を超えるお子さんを若夫婦は持っております。しかし、都会で若夫婦二人だけでマンション暮らしをしている若夫婦は、一を割る子供さんしか持っていないんですよ。だから、経済、お金ですべて少子化の原因であるとは私は思いませんが、一つであるということは、おっしゃるとおりでしょう。

松本(大)委員 時間がないので次回に譲りますけれども、提案理由説明と矛盾するのではないかということは御答弁いただいていませんので、また胸をおかりします。

森山委員長 次に、横山北斗君。

横山委員 民主党、横山北斗です。

 私は、大学と私立学校について、きょうは、政府案の方の七条「大学」、八条「私立学校」、もし進めれば、九条「教員」、この三条について質問していきたいと考えております。それでは始めさせていただきます。

 まず、政府案では、第七条「大学」において、「大学は、学術の中心として、高い教養と専門的能力を培うとともに、深く真理を探究して新たな知見を創造し、これらの成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする。」こうなっております。

 現行の教育基本法の中には、大学について対応している条文というものは特にございません。かわりに、学校教育法の五十二条で、大学を学術の中心として、その目的を大きく三点、広く知識を授ける、広く専門の学芸を教授研究する、そして、知的、道徳的及び応用能力を展開させることとなっています。

 したがって、これまでの大学について規定してきた学校教育法と今回の教育基本法案で加えられましたこととの大きな違いとして、最後の「社会の発展に寄与する」という記述、これによって、大学の社会的貢献、これが明記されたことに大きな違いがあると思います。

 そこでまずお尋ねしたいことは、これまでは、どちらかといえば研究と教育を大学の主目的として、その結果として社会的貢献が図られるというように学校教育法五十二条においては解釈されていたと思いますけれども、この教育基本法の政府案にあっては、社会的貢献を図るために研究と教育があるという、まあ言葉の問題かもしれませんが、主目的がシフトしたものと理解してよろしいのでしょうか。お答えください。

    〔委員長退席、鈴木(恒)委員長代理着席〕

伊吹国務大臣 今先生のおっしゃったような理解のもとに我々はこの法律は提出しておりません。むしろ、教育を行い研究をしていただくことによって、結果的にそのことが社会に貢献をするということはもう当然のことでございますし、同時に、長寿社会になってもう一度学び直しをやりたいとか、いろいろ違う価値観に触れてみたいとか、あるいは、職業的な転職のために新しい教育課程をとってみたいとか、地域で、大学には入らないけれども、大学という場で何らかの催しに参画してもらいたいとか、やはり、社会的な貢献を大学がしていただく役割もふえてきております。

 ですから、何か今おっしゃったように、社会に貢献するために研究させるんだとかあるいは教育をさせるんだとか、そういう意図はこの今回の政府提案にはございません。

横山委員 お話はわかりました。しかし、「社会の発展に寄与する」というこの一文を見て神経をとがらせている大学の先生たちがいらっしゃることは事実です。

 ただ、私は、むしろこの社会的貢献ということにつきましては、恐らくほとんどの大学で掲げられていることではないかなと。つまり、例えば早稲田大学などを例にとりましても、その建学の理念を見ますと、次のように記されております。漢字を読み間違っていたら申しわけございません。

 早稲田大学は学問の活用を本旨と為すを以て学理を学理として研究すると共に之を実際に応用するの道を講し以て時世の進運に資せん事を期す

このように早稲田の場合でも、学問は現実に生かし得るものである、日本の近代化に貢献するものである、こう建学の理念の中で明記しています。

 ほかの大学を見てもそれは同じでして、例えば学生募集のための大学案内などを見ましても、建学の精神や目的の中に、知の財産を社会に還元することは本学の使命である、こういう趣旨のことが記されている学校というのは非常に多いわけです。ですから、今や大学に、産学連携、産学官連携のいろいろな研究推進センターも設置されている大学も多くなってきました。したがって、大学の方が社会に貢献するということをみずから宣言してやっている以上は、特にこの一語をむしろ問題にする方が私としてはどうかしているんじゃないかなという思いはあります。

 しかし、逆に言えば、既に大学がみずから発信し実践してきた社会的貢献を今ここで新たにこの教育基本法に文章として記すということに、やはり何か政治的な意図があるんじゃないか、何か別な意味があるんじゃないかと心配する人だっているわけです。

 この点、今、いささかも心配要らない、そういう趣旨の御発言だったと私は受けとめましたけれども、ある意味では、これは法律の方が各大学の取り組みにおくれていたから整備したというような解釈もできますし、あるいは単なる努力目標というような見方もできますし、いま一度、このあたりのお考えを大臣からお聞かせ願えればと思います。

伊吹国務大臣 大きな流れは先ほど私が御説明したとおりですが、どうなんでしょう、先生、人権を守れとか個人の権利というのは、みんなが当たり前のことのように言いますし、いろいろなものに書かれておりますが、しかし、やはり憲法にはきちっとそのことがうたわれているわけですね。

 ごく当然のことだけれども、大学なら大学にとって社会的に大切な役割というのを、学校教育法ではなくてやはり基本法に書くということの方が、私は、基本法に書かれたということで、大学がさらに広く立場も強くなるし認知もされるというふうに前向きにとらえていただけないかと思うんですが。

横山委員 わかりました。

 結局、もっと具体的に言えば、大学が社会の発展に寄与するというこの文章に神経をとがらせている方は、学問の自由が特定の国家目標に侵害されるとか、研究テーマが強制されるとか、恐らくこんな感じで不安を抱いているんだろうと思います。

 この点、では、社会の発展に寄与する研究を行っているかどうかということについては、既に国立大学法人になってから行われていることと思いますが、基本的には、研究者みずからが中長期的目標を設定し、そして発表していくというようなやり方、それは第七条二項の方で補われているのかなと。「大学については、自主性、自律性その他の大学における教育及び研究の特性が尊重されなければならない。」この第二項で補われているとするならば、社会的貢献ということに関しての研究は、いわば自己申請、申告というか、そういうタイプのものとして理解してよろしいのでしょうか。

伊吹国務大臣 国が研究に介入したり、研究に一定の制約を加えたり、方向に沿わないものをだめだと言ったり、そういうことはあってはならないことだと思います。

 ただ、なぜ大学が大学独立行政法人になったのかという原点だけは、私は余り個人的には率直に言って賛成じゃなかったんですが、なったのかということを少しやはり大学人も考えながら、学問の自由、研究の自由というものを大切にしていただきたいんですね。それは、私立であれ国公立であれ、国民の汗とあぶらの大きな結晶がそこへ入って大学は運営されていますから、学問の自由に介入することはあってはならないけれども、非効率な運営をするというか、管理の自由というものと学問の自由とはやはり違う。だから、その管理の自由のところに独立行政法人化によって一つの指針というか自己規律を求めている、こういうことでございますから、学問研究の部分について先生の御懸念のようなことはあってはなりませんし、文科省としてはそんなことは全く考えておりません。

横山委員 確かに、国立大学の側にさまざまな非効率があって、世間の批判にこたえてある程度競争というか、競争という言い方はおかしいですけれども、インセンティブを与えるための政策が必要であったという点は私も理解はいたしております。

 では、もう少し今度は専門的なことですので、御説明できる方で構いません。

 大学の教員が研究業績のリストをつくるときに、これは、各大学における情報公開用にも使われますし、あるいは、全国公募のときの履歴書なんかと同じような提出書類の中にも使われますが、十年前ですと、論文、著書、学会報告、スポーツならそのスポーツの大会の成績とか、そういうことを記すだけでよかったんですが、今では、業績リストの項目の中に、学内外でどういう委員会に入っているか、情報公開審議会とか土地収用認定何とかとか、そういう、社会で活躍しているというようなことも記す欄が設けられるようになりました。これは、いつごろどういう理由でそうなったのか、お聞かせください。

清水政府参考人 先生御指摘のように、各大学において、研究教育情報の公開資料とか公募の際の研究教育業績表について、それぞれの大学が必要な情報を記載するように定めているものでございます。したがいまして、私どもが特段の様式を示しているものではございません。

 ただ、大学の教員にさまざまな社会的貢献をしているかが求められるようになってきた、ちょうどそういうことについて、先ほど先生御指摘のように、それぞれ社会的な存在としての大学の役割ということを建学の理念としてうたっている大学もございますけれども、一般的に言えば、例えば昭和六十二年の臨時教育審議会答申で、「大学は、自らを広く社会に開放し、社会の要請を受けとめ、公共的な寄与を果たす責任を負う。」そういう開かれた教育機関である、そうあるべきではないかということが提言されたことがございますし、その後、同趣旨の提言はあちこちでもなされておるところでございます。

 そういう意味で、大学の教員の役割についても、研究実績のみならず、社会におけるさまざまな活動も含めてきちんと評価しよう、そしてそれは、大学とさまざまな実務の世界の交流が進めば進むほどそういうものをきちんと評価していきたい、そういうことで広く各大学で定着するようになってきたのではないか、このように考えております。

横山委員 申しわけありません、もう一回同じことをお尋ねしたいんですが、ということは、例えば学生による教員の評価なんかは、東海大学が最初に始めて、それをモデルとして全国に広まっていった、そういうことなんですか。どこかの大学が始めたから、それがいいことだといって、みんなが、いろいろな大学がまねするようになって広まっていったのですか。

清水政府参考人 学生による例えば授業評価を通して大学の教育機能というものをもっともっと活性化させていこう、高めていこうという考え方、問題意識は、私の記憶するところでは、やはり臨教審答申以降平成の代になって、痛切な問題意識として各大学、大学関係者の中に共有されるようになってきたということが言えようかと思います。恐らく、アメリカにおける大学の授業評価等をモデルにしながら、いろいろな大学で試行錯誤的な試みがされてきたということであろうというふうに理解しております。

横山委員 今私が質問したのは、社会的貢献の欄が設けられたのが、どこかの学校がやったからよそもまねするようになったんですかという趣旨の質問だったんです。

 これは、実際そういう欄ができれば、大学の先生というのはなかなかそこを空白で出すというのに抵抗があるわけですから、どうしても何か自分は社会的貢献をしないと大学におられなくなるんじゃないかなというような観念になることは、事実そういう人もいるわけですね。いろいろな政府の委員になる人も大勢いますけれども、アメリカなんかですと、そういうのは大変名誉なことであると昔から考えられておりましたが、申しわけない、日本では、そういうのは御用学者だといってなかなか引き受けない研究者が多かった時代もあります。だから、そのあたり、自然と大学の方で広がっていったものであればともかく、そうではなくして、やはり何らかの形で、文科省なりなんなりが奨励する形でこの研究業績リストの中に社会的貢献が加わっていたとすれば、それは少し考えていく余地があるのではないかな、これは私の個人的な意見としてお聞きくだされば結構です。

 それでは、次の質問に移らせていただきます。

 今、大学の関係者は、もう既に、さまざまな機関の行う外部評価というものを気にしております。例えば、週刊ダイヤモンドがしばしば行う大学ランキングなどもその一つでして、週刊誌の側はこの大学ランキングについて、これは専門的な評価ではなく、一般社会が大学に求める事項、いわゆる世間知という観点から項目を選定して評価したものである、こう説明しているんですけれども、評価される大学の関係者にしてみると、学生募集にもかかわる非常に重要な問題です。自分の卒業した大学は何位だろうかというのは、立ち読みとか、みんな関心を持って見るところなんですね。

 こうした評価は、先ほどの教員評価のところでも御答弁いただきましたけれども、大体、外国でやっているから取り入れようというのが多くて、その先進例としてどこがあるんでしょうか。例えば、イギリスならイギリスのこういう評価システムはどんな内容で、どういう方法をもって人々の知るところとなっているのかについて、これも、わかる方、御説明願えればと思います。

清水政府参考人 お尋ねの、イギリスの大学評価システムについてでございますが、イギリスにおけるシステムは、研究評価と教育評価に分かれております。

 教育評価につきましては、高等教育審査機構、QAAと申しますけれども、これが、大学の自己点検評価報告書をもとに、当該大学が適切な水準と質の教育課程を提供し、適切に学位、資格を授与しているかどうかを判断する機関評価でございます。それから、それ以外の、大学が提供する各分野の学位とかプログラムについて、その水準と教育成果を判断する分野別評価を、あわせて教育評価として実施しております。

 一方、研究評価でございますが、例えばイングランドでは、イングランド高等教育財政審議会により、教員の研究業績を最も基本としながら、研究環境でありますとか、研究組織でありますとか、組織の研究計画でありますとか、そういうものを踏まえながら評価が行われているということでございます。

 なお、公表につきましては、評価は、それぞれの実施機関において、例えばホームページ等で広く公表されておると承知しております。

横山委員 そうすると、公的な意味を持つ、権威ある意味を持つものとして国民の間に理解されている、そう理解してよろしいのでしょうか。もう一回お尋ねします。

清水政府参考人 イギリスにおいては、非営利法人としての公的な機関が大学評価を行っているということでございます。

 そのほか、さまざまなメディアあるいは研究者、あるいは機関等によりまして第三者評価はもちろん行われておりまして、これがいわゆるランキングという形でいろいろ公表されている、こういうものでございます。

横山委員 それでは、「社会の発展に寄与する」ということが教育基本法の中に明文化されることで、現在以上に、大学の運営から教育研究の状況を公開するための公的な評価システムがそうなると必要になってくるのではないかなという気もいたしますが、この点いかがでしようか。

清水政府参考人 現在、すべての大学において、その運営及び教育研究等について認証評価制度による評価というものを、学校教育法の改正によりまして、平成十六年度から導入いたしております。

 大学が、認証評価制度を適切に活用しながら、そういう意味で、みずからの教育研究の内容についての質を保証していこうというふうな考え方に基づくものでございまして、先生かねてから御指摘ございますように、そういう成果を当然社会にも還元していく、こういうことであろうと思っております。

横山委員 わかりました。大学の募集等々にも本当にかかわる非常に重要な問題ですので、この先、公的な調査がより権威づけられていくということであれば、慎重に実施されることをよろしくお願いいたします。

 それでは、次の質問に移らせていただきます。

 これは大臣でよろしいでしょうか。研究分野の中には、社会の発展に寄与といっても、それが見えにくい分野、基礎研究、これがたくさんございます。こうした分野についての保障、とりわけ、財政措置を含めていかがでしょうか。

伊吹国務大臣 私は、先生が危惧しておられるまさにその点がありますので、大学を独立行政法人にするのは、この立場になるまでは個人的に非常に反対だったわけです。ビジネスに結びつきやすい分野、これはなるほど非常にいいと思いますよ、独立行政法人。だから今は、文科系でも、法科大学院とか経営大学院とかございます。しかし、源氏物語から、永井荷風から瀬戸内寂聴まで、人生の哀歓を知らず、法律ばかり勉強して裁判官になった人に離婚の調停をされたらやはり困るというのが本当のところじゃないかと思うんですよ。

 だから、リベラルアーツというのか基礎研究というのか、こういうところが本当は一体となって、その教養に裏づけられた専門的な分野がやはりあるんだと思うんですね。私が文部科学大臣をやっている限りは、今先生がおっしゃったようなところにできるだけ手厚いことをむしろしたいなと思っております。

横山委員 大変すばらしい発言をしていただけたと思っております。

 独立行政法人の名前が出ましたとき、私は国立大学の教官でした。本当にどうなるのかなと思って政治家への道を選びました。今、大臣は伊吹先生ですので、何とぞ、残してきた先生方のために、大臣がリーダーシップをとってよろしくお願いしたい、そのように思います。

 では、第七条関連の最後に、政府案は、これは大学と特に規定してありますが、あくまで大学であって、高等専門学校は含まれないのでしょうか。ちょっとこのあたりをお聞かせ願えればと思います。

伊吹国務大臣 これはもう先生、基本的には含まれないという理解でよろしいと思います。

横山委員 わかりました、これは法律の文面のことですので。

 それでは次に、第八条関係について質問いたします。もちろん高等専門学校にも教授はおられますし、このあたりは民主党の方でも随分やっていることですので、私なりほかの人なり、また改めてこの点については御質問があろうかと思いますが、質問の方は第八条関係について移っていきたいと思います。

 大学進学の希望者が増大するに伴って、国民の高等教育への需要を満たしていくこと、その際、今、我が国の大学の約八割を占める私立大学の存在、これはますます重要な役割を担っていくものと考えますが、この私学について総合的にお尋ねいたします。

 政府は、私立大学の重要性を認め、振興に努めてきたとしていますが、私立大学への補助は、しばしば指摘されますとおり、近年、経常費全体の一二%前後で推移してきております。この私学補助の割合について、妥当なものと考えるか、また、この割合に何か根拠がございますのでしょうか。お聞かせ願えればと思います。

伊吹国務大臣 根拠というものはないと思いますが、私立大学の経常経費の補助金というのは、手元にございます資料でございますと、十年前と比べて約一五%ふえておりまして、三千三百十三億円ということになっております。一方、私立大学の経常経費が一五%を上回って、私立大学でお使いになっている経常経費の割合がむしろ財政援助をする割合よりも伸びてきているということでございます。

 これは、国民負担の枠の中でやっていることでございますので、なかなかこちらの思いどおりいきませんけれども、私立の大切さを考えて、私は、できる限りの努力は予算編成の中でさせていただきたいと思っております。

横山委員 今回、第八条関係では、国及び地方公共団体の役割として、「助成その他の適当な方法によって私立学校教育の振興に努めなければならない。」とあります。この私学助成を法律で宣言したということについては、多くの私学関係者たちの間で歓迎を持って受け入れられているという印象を私自身は持っております。

 ただ、幾つか不明確なのは、「その他の適当な方法」、これはどのようなものを考えておられるのでしょうか。お尋ねします。

伊吹国務大臣 そうですね、一番端的な例として言えば、寄附金その他に対する税制上の優遇とか、あるいは、共済事業団のようなものへの援助で教職員の生活の保障を考えていくとか、そういうことを念頭に置いていると思います。

横山委員 民主党は、この私学助成については、特に、私立学校に在籍する者への支援に努めると主張しております。これは、学費と寄附金という私学経営本来のあり方を取り戻させるために、また、助成金の存在をちらつかせながら、場合によっては政治が教育に介入するというような危険性をなくするためにも重要であると考え、こうした条文が民主党案にはあります。

 そこで私がお尋ねしたいことは、現在、学費を納められないけれども大学には在籍しているという学生が全国にどれくらいいるのかなと。これは文部科学省の方にお聞きしたいんですが、地域ごとの違いもあると予想されますが、もし私立学校についての資料がなければ、私学に限定しなくても、国公立大学あるいは公立の高等学校でも構いません、学費を払っていないのに在籍している人が、ある一地域でも構いませんが、そういうものに対してのそもそもデータをお持ちでしょうか。調査したことはおありでしょうか。

清水政府参考人 せっかくのお尋ねでございますけれども、在籍していながら学費を納めていない学生数に関するデータは、国公私立の大学あるいは高等学校いずれについても、私ども把握しておりません。

 ただ、在籍しているけれども学費を納められないということではなくて、経済的に修学困難であるということで授業料減免を大学等から受けた例ということでいえば、国立大学に在籍する学生で、平成十七年ですと四・六万人、公立の高校に在籍する生徒ですと、これは平成十六年の数字でございますが、二十二万人という数字がございます。

横山委員 ありがとうございます。

 私立学校の多くで、定員割れとか、また、その定員割れの危機があるということはもうさまざまに報道されて、今広く知られるようになっております。

 しかし、問題は、定員割れを起こすと助成金が削減されるという決まりといいますか制度があるがために、学費が払えないなら、ではやめてください、退学なさってくださいと言うわけにも、今、私立学校の立場としていかない状況にあります。このことは、もちろん私学の方が、学費が払えなくてもうちで学んでいきなさいよ、そういう気持ちを示してくださることがあれば、それはそれで大変結構なすばらしいことだと思います。学費が払えないならやめさすべきだということを申しているのではありません。

 しかし、学費は支払わないが、現実にその大学内のさまざまな施設は使うという学生がふえることで、場合によっては、給食費の支払いなどでも問題になっているケースですね、私学経営がそれによって、例えば彼が払っていない、うちは今払っているけれども、うちだって実は苦しいんだ、うちも両親に言って払わないようにしようとか、例えばそんなような悪い形の連鎖だって起こり得るかもしれない。そういう点で私学経営が今圧迫されている状況にあります。

 私は、まずこの点で、私立学校の中に、学費は払わないけれども、大学としてその子たちを学内に置いて勉強させている学校が、恐らくは今たくさんあるだろう、それは、文科省は調べていないけれども、しかし、先ほど言った減免措置を申し出る人、退学していく人、それから各種奨学金の申請がふえていることなどから容易に想像できることだと思います。そういった状況にあるということ、この調査、対策を大臣、関係各省にまず私はお願いしたいと思っております。

 その上で、私学助成が今回明文化されることですから、なおのことこうした点での救済を求めてくると思いますが、これにいかに対応されますか。

伊吹国務大臣 お話を伺っていて、二つの問題があると思います。一つは、学費を払わない学生が施設を使ってそのまま残っているという問題と、これを積極的に退学させた場合の私学助成の配賦のあり方、この二つのことを今御一緒におっしゃったと思うんです。

 まずこれは、先ほどの学問の自由と学校の自律性のようなことにもかかわってくると思うんですが、学則、その他内部規定を整備することによってやはりこれは学校が責任を持っておやりいただかないと、自分たちの責任を果たさずに、そのツケを文科省あるいは教育行政に持ってこられても困る。しかし、その学生を退学させちゃうと、今先生が私学助成費が減額されるということをおっしゃいましたが、そういう配分の仕方があるのかどうなのかですね。

 もし本当に、授業料を払わないけれども、私学助成をもらうためだけに学生を確保しているということであれば、そもそもその大学の定員をどうするかということにまでさかのぼってやはり議論をしないといけませんので、定員がきちっとなっていて、中で、学費を払わないけれども施設を占有している学生がいて困っちゃう、その人を大学の自律性を発揮して退学させて、新しい人が次入ってくるまで若干まだ時間があるというような場合の私学助成費の配分の仕方については、これは考慮する余地は私はあるんじゃないかと思って先生のお話を伺っておりました。

横山委員 そういう場合の例えば定員割れ、今のこの格差社会とかいろいろと言われる状況の中で学費が支払えなくなった、それでやめていただくことになった場合には、定員割れということが生じても、それはそれで何らかの配慮を考える、そういうことでよろしいのでしょうか。

伊吹国務大臣 それは、ある年度については先生がおっしゃったような配慮をしないといけませんが、次の年度は、その定員が正しいかどうかということをやはりもう一度やり直さないといけませんですね。その両方が相まってのお話だと思います。

横山委員 確かに、社会の変化に伴い、人気のある学部、人気のない学部というのがあって、そこで各大学は定員を減らすとか、そういう努力をしているわけですね。しかし、そういう社会の要請とはまた一つ違う意味で、学費が支払えない、退学だ、定員割れだという状況が出てきているわけですから、ただ、確かに、今大臣がおっしゃられたとおり、では、その年度はそれできちんと例えば対応してあげる、だけれども、それ以降は、やはり、定員を十分満たしている学校も学費をみんな払ってくれる学校もあるにはあるわけですから、それはそれなりの定員削減とかいうような方法をもって大学側もみずから努力をすべきだ、そうであるならばきちんと国として責任を持つよという御答弁であったと思いますので、それならば納得と思います。

 では、この第八条関係で最後にお伺いしたいのは、政府案のこの八条を改めて見ますと、「私立学校の有する公の性質及び学校教育において果たす重要な役割」とあります。この「公の性質」の公、例えば公益とかいったときに、その意味の説明は非常に難しいものではあります。ただ、ここで言う「公の性質」というのはいかなる意味で使っているのか。政府案の第六条「学校教育」について、「法律に定める学校は、公の性質を有するもの」とありまして、これは、現行の教育基本法の六条にも全く同じ文面がございます。この現行法の解釈を踏襲しているものと解釈してよろしいのでしょうか。お尋ねします。

伊吹国務大臣 その御解釈で、我々の考えていることと同じだと思います。つまり、教育というものそのものが、私立で行われようと国公立で行われようと、公の公共的性格を持っているという理解でよろしいんだと思います。

    〔鈴木(恒)委員長代理退席、委員長着席〕

横山委員 わかりました。

 それでは、今度は第九条「教員」、この部分についての質問をいたしたいと思います。

 教員につきましては、その身分の尊重、待遇の適正について引き続き規定されていますが、一方で、教員免許に期限を付して、免許状の取得後もその時々で求められる教員としての必要な資質、能力を保持していけるように、定期的に必要な刷新を図るための制度として、今、教員免許更新制の導入が検討されているわけです。教員の資質向上のための方策であろうともちろん思われますが、この九条の規定との関係はどのようにお考えになっておられるのでしょうか。

伊吹国務大臣 今おっしゃったのは、九条と教員免許の更新制ですね。

 これは、提案をいたしております九条をもう一度読み直してみますと、九条の二項に、「前項の教員については、その使命と職責の重要性にかんがみ、その身分は尊重され、待遇の適正が期せられるとともに、養成と研修の充実が図られなければならない。」という規定を置いております。したがって、これらの教員の待遇というものはあくまで納税者の負担によって行われているわけでございますので、それなりの納税者の負担に対する効果をやはりあらわさなければいけないわけでして、それに適切な資質があるかどうかということについて、中教審の提案では、今、十年ごとにということを我々は受け取っておるわけです、十年にするのか五年にするのかいろいろ意見もありますが。ですから、きちっとやっておられるというか、十年ごとの、資質のチェックという言葉がいいかどうかわかりませんが、免許の更新時期に当たって、九条第一項の目的に合う資質を持っておられる方には、当然第二項がきっちりと適用されると考えていただいてよろしいと思います。

横山委員 それでは、最後の質問をいたします。

 教員の再教育ということに関しまして、教職大学院というものをつくるということが前国会の文部委員会などでも話になりました。

 私、このときに、教員の再教育の場が設けられることはいいことである、それは、基本的に各大学の今教育学部が、もちろん、法科大学院みたいに全く新しいものとしてぽっとできてもそれはそれで構わないのかもしれませんが、現行の教育学部がそういうことを担う、教員の再教育を行う場としての教職大学院、その設置自体はいいことだと思いますが、問題は、すごくおかしなことを言うようですけれども、教職大学院をつくったときに、その教職大学院で教える教師たちが現場の先生たちを再教育するに足る能力を持っていないとだめだ、私はそのことを小坂文部大臣に質問しました。

 結局、何が問題であるかというと、今、例えば教育学部を見れば、国語にしても数学にしても社会にしても、基本的には、教えている先生の大半は、教育学部を出ているよりも、法学部とか経済学部とか理工学部とか国文学科とかそういう専門の学部を出た先生が、中学、高校の社会科、国語科、英語科などに対応して先生が各科目に配置されているんですが、とりわけその中で、教育実習とか、そういった教職科目、教科担当の先生もいらっしゃいます。この先生方というのは、昔校長先生をされていたとか、現場で三十年間生徒たちを教えてその学校の校内暴力をなくしたとか、そういうような実績を買われて大学の教壇に今立っている先生たちが多いんですね。その方々が今度中心となって教職大学院を運営していくというような答弁を私は文科省の方からもいただきました。それも結構だと思います。

 ただ、その先生方が五年、十年、十五年とずっと大学教授をしていれば、現場感覚というのが失われていくと思うんですね。そうしたとき、ではどうしたらよいのですかと尋ねたら、小坂先生は、今大学で任期制度というのをやり始めたろう、一定の任期、三年とか五年設けてまたかわっていただくみたいな、それを利用したらいいと申されました。私もそれはそれでいいと思うんですけれども、この点、最後に、今度の伊吹先生はどうお考えでしょうか。

伊吹国務大臣 まことにいいことだと思っております。

横山委員 ありがとうございました。

 それでは、この制度を導入する際にぜひこれを入れてください。よろしくお願いいたします。

 以上です。

森山委員長 次に、高橋千鶴子君。

高橋委員 日本共産党の高橋千鶴子です。

 富山県の県立高校に端を発した未履修問題は全国に広がりました。この問題は、教育基本法の問題とは切り離せない中身をはらんでいると私は思います。

 私ごとですが、息子も高校三年生で、辛うじて世界史は履修しておりました。しかし、今は、センター試験の願書も出し、最終調整に入る大変大事な時期に来ております。茨城の校長先生の自殺というショッキングな事件もありました。ただでさえ受験目前で精神的にもきついこの時期に大変な負担を生徒に押しつけることは絶対に避けるべきだと思います。

 まず、端的に伺いますが、今現在でわかっている実態、数字を教えていただきたい。そして、世界史のほかにも、必修でありながら履修していない科目があるかと思いますが、お伺いいたします。

銭谷政府参考人 高等学校の必履修科目の未履修の状況でございますけれども、けさの段階でわかっている状況をまず御報告いたします。

 まず国立の学校につきましては、校数は十五校でございますが、未履修の子供はおりません。

 続いて公立の学校でございますが、四千四十五校のうち二百八十九校で未履修の学校がございました。割合で七・一%でございます。生徒の数で申し上げますと、三年生の生徒数八十一万二千七百六十七人のうち、五・八%に当たる四万七千九十四人が公立学校では未履修でございました。

 私立の学校につきましては、今鋭意さらに調査中でございますが、千三百四十八校の私立の学校のうち千百十校について調査が終わっております。その千百十校のうち百七十二校、一五・五%の学校で未履修がございました。この調査済みの私立の生徒数は、全体が三十四万六千三百三十二人のうち二十八万六千三百六十六人が調査済みでございますが、未履修の生徒は二万五千四百二十二人、八・九%でございました。

 大変多くの子供が未履修という状況にあると認識をいたしております。

 それから、どういう必履修科目が未履修であるかということでございますけれども、世界史が多いわけでございますけれども、例えば、必履修教科でございます家庭、保健、情報を履修していない事例もございました。それから、理科や公民科で、学習指導要領に定める科目選択がなされていないという事例もございました。

 先ほど申し上げましたように、多くの事例は、地理歴史科におきまして、世界史を含んで二科目履修させるべきところを、世界史を履修していないという事例、それから、世界史、日本史、地理の中から一科目しか履修させていない事例、こういうものがほとんどでございました。

高橋委員 今わかっている数字だけでも七万二千人を超える生徒が未履修になっている。しかも、世界史だけではない。まだ私学が調査中ということですので、実態はさらに広がるんだということでは、本当に深刻なお話だなと思っております。

 資料の二枚目に、二十六日の時点で文科省が出されました数字を載せておきました。私がここで思うのは、不適切な事例が判明した学校が二百八十六校のうち、あらかじめ提出されていた教育課程と実際の履修が異なっていたのが二百八十四、つまり、虚偽の報告といいましょうか、それがほとんどだということになるわけですね。

 そうすると、これほど全体的にやられていたということは、単純にそれぞれの現場の判断というふうには言えない。構造的な問題とは言えないだろうかということなんですね。文部科学省は承知していたでしょうか。

銭谷政府参考人 ただいま先生からお話がございましたように、公立の高等学校の場合、教育委員会に届け出た教育課程表が実際に授業を行っているものと違っていたというケースがほとんどなわけでございます。ただ、文部科学省の方には公立学校の教育課程については届け出る仕組みにはなっておりませんで、公立学校の教育課程は、各学校が設置者である都道府県教育委員会に届け出るということになっておりますので、今回の問題につきましては、富山県の県立高校でこういうことが発端になりまして、私どもが報告を受けたのは、十月の二十四日でございました。

 なお、過去におきまして、長崎県で平成十一年と十四年、熊本県におきまして平成十一年、それから広島県と兵庫県におきまして平成十三年度において、高等学校学習指導要領に定める必履修科目を履修させていなかったという事例がございました。これにつきましてはそれぞれ当該県において措置をしているわけでございますが、文部科学省でも、指導主事連絡会におきまして、当該事例を紹介して、必履修科目の履修について適正を期すように指導した経緯はございます。

高橋委員 十月二十四日までは承知していなかった。しかし、今お話があったように、過去には事例があったということなんですね。過去に事例があったことを承知していながら、なぜこういうことがまた起きているのかということなんです。

 例えば〇二年の兵庫の場合は、県立高校の三分の一に当たる五十九校で、地理歴史の授業のうち、選択受験ではない科目の受講をしていなかったということがわかっている。

 三月十三日付の神戸新聞の記事にこんなことが載っております。高校を卒業したばかりの生徒のコメントですけれども、「二月中旬に理系の三クラスが体育館に集められ、一時間ほど世界史の授業を受けたという。教諭に教科書のコピーを渡され、小テストもあったといい、「間に合わせの授業をするくらいなら、もっと早く、きちんと教えてほしかった」と話している。」このように書いているので、私は本当にそうだと思うんです。

 生徒のためだと言いながら、公文書詐称までし、身につかない授業でお茶を濁す。もっときちんと教えてよというのは当然の声ではないでしょうか。この事件が教訓になっていないとすれば、文部科学省の責任ではないでしょうか。大臣に伺います。

伊吹国務大臣 ただいま政府参考人からお答えをいたしましたように、その事件があって、確かに指導したわけでございます。

 しかし、ここで再三議論が繰り返されているように、高等学校への管理権というものは、基本的には文部科学省にないわけなんですよ。ですから、靴の上から足をかくようなことなんですが、教育委員会を通じて、各学校に調査をし、助言している。しかし、その教育委員会そのものが、学校の管理者である校長先生以下の報告に全くだまされていたという状況でございますから、私たちが、だまされるな、だまされるな、おかしいぞ、おかしいぞと毎日注意をすべきであったのかなと、今から思えば、先生のおしかりを私も甘受しなければならないと思っております。

高橋委員 基本的に管理権はないとおっしゃいますが、現場では文部科学省の指導が教育委員会にいろいろな形で起こっているということは、やはり指摘をしておかなければならないと思うんです。

 さっき紹介した同日付の神戸新聞には、県教委の高校教育課は文部科学省からも書きかえるよう指導を受け、要するにその後の処置のことですけれども、未履修の場合は単位数、成績とも空欄にするよう指示をすると。春休みに補習をしたり、前年までさかのぼって校長処分という重大な事態に至っているわけですね。ですから、それを受けて、今後どうそれを徹底していくのかということが問われていたわけですが、いろいろ指示はするけれども、問題が起きると常に現場の責任よ、それで本当にいいのかと思うんですね。

 資料の一枚目に、この問題を受けて文科省が発出した通知がございます。「高等学校における必履修教科・科目の取扱いに関する実態把握について」というものですけれども、これは真ん中の段で、「不適切な事例が判明した場合には、当該校に対し学習指導要領に基づく適切な取扱いが行われるよう指導をお願いします。併せて、当該校の具体的な改善策についても同日までに別紙によりご報告くださるようお願いします。」これは、通知を発出した当日に、同日までに改善策を報告してほしいと。

 ですから、三けたの補習時間が必要な学校などもあるわけですが、一方的に、みずからが改善策を出しなさい、こういう指示をされると、生徒に無理を押しつけざるを得ないということが当然起こってくるわけですね。私、現場が問題ないとは言っていません、これはもちろんありますけれども。

 三枚目に宮城県の調査資料がございます。三年生が千四十八名、何々が足りないという具体的な資料が出ているんですが、この各校に送った資料を見ますと、まず、科目が、世界史だけではなくいろいろなものがあるだろうと、書くところがあって、そして、平成十五年からさかのぼって調査するということで表を出しています。私は、このころに問題の発端があったのかなということを、なぜここから始まっているのかなということを考えさせられました。

 それで伺いますけれども、こうした問題が繰り返される背景に何があると思うのか、お願いします。

銭谷政府参考人 私どもは、高等学校の教育課程は、校長が学習指導要領に基づきまして編成するものでございますので、校長においてきちんと指導要領を遵守して編成していただかなければならないと考えております。

 この点、各学校におきまして、やはり教育課程の編成に当たりまして、それぞれ事情はあろうかと思いますが、例えば受験に有利な教育課程の編成ということを考えたり、そういった意味で、ある意味では規律、規範意識に欠けていたということがあるのではないかと思っております。

 今、平成十五年度というお話を先生されました。近年、学校週五日制を始めているわけでございますが、そのことによって教育課程の編成が窮屈になったというようなところから受験に有利な科目をとったという見方もあるわけでございますが、実は、現在の学習指導要領は、必修科目の単位数につきましては、従来に比べまして三十八単位から三十一単位と総単位数は減をしているわけでございまして、この必修単位数をきちんと履修した上で、各学校が創意工夫を生かした、それぞれの学校の実態に合った教育課程が編成できるような仕組みになっているわけでございますので、私ども、そのことは直接には当たらないのではないかと思っております。

 いずれにいたしましても、きちんと法令を遵守して教育課程を編成するということをやはり教育委員会、学校は考えていただきたいというふうに思っているところでございます。

高橋委員 そのことは当たらないと、私、何もしゃべっていませんから。文科省がどう考えるかというのを聞きましたので、多分言いたいことがわかっておっしゃっているのかなと今聞いておりました。

 今お答えがありましたように、平成十五年度は新学習指導要領が実施された年で、いわゆるゆとり教育で完全週五日制が実施をされています。この十年間、文科省は大学入試の多様化と言い出して、入試の軽量化が進みました。英語と数学だけの入試という私学も珍しくなくなりました。同時に、授業時間数が減っても受験システムはそのままである、そういうことはあるわけです。

 ですから、文部科学行政の中でこうした問題が起こっているということは一定認めていただいて、その上で、やはり場当たり的な対応になってはならないということを思うんです。この点はまだ調査が進んでいますので、委員会ではぜひ集中審議をしていただきたいということを委員長に求めておきたいと思います。

 続けますが、資料の後に続けて書いております広島県の教育委員会の資料でございます。

 学校名を一々読みませんが、「学力向上対策の目標」ということで、広島大学の合格者数二十名以上を含めて国公立大学の合格率二五%以上を目標とするとか、次の学校は、十一名以上を含めて三五%以上を目標とするとか、その次の学校は、十五名以上を含めて国公立大学は九十名以上という形で、大学の合格者数何人そして何%ということで、すべての重点校に対して具体的な数値目標を掲げているわけですね。

 教育委員会の審議録を拝見しますと、難関校を受験する拠点校というのがあって、その次に重点校というのがある。それ以外のところは、では、学力が保証できるんだろうかという意見が教育委員会の中でほっと出ている。私は、その指摘にはっとさせられることがありました。

 総理が、この間、切磋琢磨という言葉をよくおっしゃいまして、学校間が競い合うということが大事だということを言いますけれども、私は、これが直接今の問題に関係するとは言いません、ただ、今言っている競争競争ということがここになっていくのではないのかなというおそれを感じるわけです。

 十月二十九日の朝日新聞の「声」の欄に、岩手県の主婦の投書がありました。高校三年の息子が世界史を受けていないことが判明した。その数カ月前、県立高校の入試制度がまた変わって、おれたちは実験材料じゃないんだぞ、普通な、暴動が起きてもおかしくないんだぞ、おれは怒りたいよと言っていたと。この主婦は、大学や社会が求める人材、競争力だけを重視することが問題ありではないだろうか。今回の問題、つまり未履修の問題、やっていなかったものをただやれではなく、なぜそのようなことが起こってしまったのか、十分な議論と今後の対応を望みたいとあります。

 くるくる変わる行政に翻弄されるのはいつも子供たちです。ここへの反省なしに、学校評価や学力テスト、選別の仕組み、上からの統制、これを強めても解決には至らないということを私は言っておきたいんですが、その点、一言感想をいただけますか。

伊吹国務大臣 やはり高校教育の目的というのは、高等学校から社会に出た場合、あるいは、いずれ大学から社会に出た場合に、基本的に大切な知識をつけ、人格を陶冶するために高校を出る。ところが、それが、今先生がおっしゃったように、予備校化しているというんですか、これは私は非常にゆゆしい問題だと思います。それは、先生の御指摘、当たっていると思います。

 しかし、先生の御指摘と私が意見を異にするところは、目標をつくって競争して切磋琢磨しなければ、効率化だとか努力だとかというのは人間社会には生じないということなんですよ。その目標の設定が、結局、妙なことを生むから目標を設定するのをやめた方がいいとか、競争原理がだめだということになると、ちょっと私は意見が違うんです。

高橋委員 少なくとも、今の予備校化の問題、ゆゆしいことだという御発言がありましたので、私は、それは、本当によくぞ言ってくださったと思います。

 競争の問題については、やはり行き過ぎた競争はいけないということなんです。ここまでやっていいのかということは、やはり考えるべきじゃないかということを指摘させていただきたい。

 さて、世論は教育基本法の改正を望んでいるでしょうか。

 昨日、NHKの世論調査がテレビで報道されておりました。数字は、三九%が賛成で、反対が一一%となっていますが、ただし、どちらとも言えないが四一%。改正案の成立時期についてどう思うか。これは賛成と答えた人だけれども、今の国会で成立させるべきだは三割で、今の国会にこだわらず時間をかけて審議をすべきだ、これが六九%に上っておりました。

 私は、これほど国民も、賛成も含めて十分時間をかけろと言っている。ここはしっかりと見ていただく必要があるのではないかと思います。(発言する者あり)それぞれの立場がございます。

 平成十五年から七回、教育改革をめぐってのタウンミーティングなどがやられておりますが、どういう目的でやられていますか。一言、内閣府、お願いします。

谷口政府参考人 お答えをいたします。

 タウンミーティングは、ただいま先生御指摘の課題もさようでございますが、閣僚等が内閣の重要課題につきまして国民と意見を交わし、国民に直接語りかけることで政策に対する国民の理解を深めて、さらに国民と内閣との対話を促進するということを目的として行われているところでございます。

 教育改革のタウンミーティングも複数回開催をされているところでございまして、教育改革にかかわるさまざまな問題につきまして、国民への説明と意見交換を行いまして、国民の理解を深めるということで、そういう目的のもとに開催をされてきているものでございます。

高橋委員 私の地元、青森県の八戸でも九月二日にタウンミーティングが開催されております。そこでちょっと気になることがございました。

 委員長のお許しを得て、大臣にこの資料を差し上げたいと思います。申しわけありません。実は公文書なものですから。これは、九月二日がタウンミーティングで、直前、八月三十日に、三八教育事務所からある中学校の校長あてに出された文書でございます。

 「タウンミーティングの質問のお願い」「当日に、2の質問をお願いします。」「質問者のお名前をお知らせくださいますよう、よろしくお願いいたします。」三つの質問項目案があるんですね。例えば、「時代に対応すべく、教育の根本となる教育基本法は見直すべきだと思います」とか「教育の原点はやはり家庭教育だと思います。」こんなふうに書かれております。

 次に、九月一日に、県教育庁の教育政策課から同じように校長先生あてに「「タウンミーティング」に係る依頼発言について」という文書が出されまして、「発言者を選んでいただき誠にありがとうございます。」とありまして、内閣府から以下のとおり注意がありましたとなって、棒読みは避けてくださいとか、お願いされてとかいうのは言わないでください、こんなことまで書かれてあるんですね、事細かに。

 そこで内閣府に伺いますが、発言の依頼と、それから、質問の中身を県に依頼したのかどうか、伺います。

森山委員長 ちょっと発言者、お待ちください。

 時間、とめてください。

    〔速記中止〕

森山委員長 速記を起こしてください。

 高橋先生、今お出しになった文書は、急でございましたし、理事も承知しておりませんでしたので、今、この質問をなさるのはちょっとおやめになっていただいて。

高橋委員 了解をしました。

 この資料については、委員会で調査して報告してほしいという趣旨で質問しようと思いましたので、理事会でいろいろ御相談しなかったのは、実はそういう理由であります。引き続いてそのことについてちゃんと内閣府と文科省からも委員会に御報告をいただきたいと思いますので、それが私の質問の趣旨でございますので、よろしくお願いいたします。

伊吹国務大臣 内閣府、文科省等から調査をいただきたいということですが、今委員長が制止をされなかったので、先生から資料をいただいて、私は委員長にそのままお渡しいたしました。

 ですから、理事会でこの書類の提出その他について御協議の上、理事会の御決定があれば、私たちは理事会の決定に従わせていただきます。

高橋委員 では、理事会の審議をお願いいたします。

 これで終わります。

森山委員長 理事会で相談いたします。

 次に、保坂展人君。

保坂(展)委員 社民党の保坂展人です。

 官房長官、来ていらっしゃると思いますが、実は、昨日、安倍総理に対して、この教育基本法案の基本的な構成について尋ねました。もう官房長官も御存じのとおり、この法案は、二条の教育の目標というところで、その五項で、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。」という文章が、これは与党の中で相当議論されたと聞いていますが、これが入っています。

 さて、この二条五項は、教育の場、学校教育を中心にこれが当てはめられていくのか、それとも、この法案全体の中には家庭教育というものも新設されているんですね、あるいは、これまであった社会教育というものもあります。これについて、再度、安倍総理は、きのう、私どもの基本法案においては、学校と地域、家庭が連携していくことの重要性を書いているわけでございます。教育は、義務教育だけでなく、人生を通じた教育という観点からとらえていますという答弁をされているんですね。まあ、直接には答えられていないんですけれども、ニュアンスとしては全体を包括すると。

 この二条五項はこの法案全体を包括するのかどうかという点について、基本を伺いたいと思います。

塩崎国務大臣 事前の通告がなかったものですから今ちょっと見ておりますが、第二条の教育の目標は条文全体に係るのかどうか、こういう質問でございますね。

 この教育の目標、第二条は、あらゆる教育主体、機関が教育を行うに当たって踏まえるべき目標として書かれているということでございますが、したがって、家庭教育とか社会教育にも適用があるけれども、あらゆる教育主体についてすべての目標を一律に取り扱うことまでも求める趣旨ではない。家庭教育や社会教育は、その実施主体の責任のもと、本来自主的に行われる教育であるわけであって、具体的にどのような教育を行うかについては、当該その教育を行う者にゆだねられている、現場にゆだねられている、こういうことだと思います。

保坂(展)委員 ちょっと後から文科大臣にもお聞きしますが、今の官房長官の答弁で、家庭教育の主体は、子供が生まれたらその親ということに一般的にはなりますね。あるいはおじいちゃん、おばあちゃんかもしれません。その家庭の教育の主体はその当事者にゆだねられている、それはそのとおりだと思います。社会教育もそういう主体がある。学校教育だってあると思うんです。

 そのあたりは、学校教育もその主体にゆだねられている、家庭教育もゆだねられている。つまり、この二条の五項は法案全体に係っている。そういう意味で、並列的に学校教育と家庭教育というふうに理解をしていいんでしょうか。

塩崎国務大臣 この基本法では、教育の目標の達成に中心的な役割を果たす学校教育について、教育の目標が達成されるよう教育を行うべき旨を特に六条二項で規定しているということかと思います。

保坂(展)委員 それでは文科大臣に伺いたいと思うんですが、きのうも同じことを、時間がなかったので再質問できなかったんですが、実は、六月八日のこの委員会で、小坂前大臣は、二条の教育の目標に掲げている以下の条文、今したのと同じ質問に対して、そう聞かれれば、これは包括をしたもの、含めたものと答弁されたんですね。それに対して私は、今の塩崎長官の答弁とちょっと違うんですけれども、では、二条五項は、家庭に、あるいは社会教育に、ここまで全部かちっと入るんですかというふうに確認を求めたところ、学校教育とか家庭教育、それによって濃淡の差があります、一律に取り扱うということではないと。その後言われたのは、家庭教育や社会教育については教育を行う者に具体的な教育内容がゆだねられているというふうなお答えなんですけれども、この二条の五項ということは、つまり、学校教育に課す、社会教育や家庭教育については直接は課さないということなんですか。

伊吹国務大臣 これはもう先生御承知のように、家庭教育や社会教育の内容を定めた法律はないんですよ。学校教育法という法律があるんです。この法律に従って、政令と、告示である学習指導要領があるわけです。

 ですから、今官房長官がお答えをいたしましたように、二条の教育の目標というのは、あらゆる教育主体が行う教育に当たって踏まえるべき目標ではあるけれども、行政の場において法律その他でこれを実施していくというのは学校教育だということを小坂さんは言ったんだと思います。

保坂(展)委員 この中には、十三条に「学校、家庭及び地域住民その他の関係者」という文言がございます。これも通常国会で、馳副大臣に、関係者というのは一体どういう方なのかというふうに聞いたところ、企業やNPO、関係行政機関、児童相談所や警察でありますという答弁が返ってきました。

 今の文科大臣の答弁だと、法案ですから、二条のところで目標と掲げているわけですから、これは全部に係ってくる、ただし、直接には学校だと。しかし、家庭や社会に係っていないことはないわけですね。そうすると、家庭と地域の連携ということで、例えば二条五項の「我が国と郷土を愛する」という部分について、家庭でしっかり指導していますかということを、何か調べたり、あるいは報告を求めたりというようなことは起きてこないんですか。

伊吹国務大臣 それは、社会教育あるいは家庭教育における各主体が自分たちの御判断でおやりになることであって、公的にそこへ介入するということはないと思います。しかし、そういう教育の目標はすべてに係っているので、それはその方が御判断になればよろしいんじゃないでしょうか。

保坂(展)委員 今の関連で官房長官に同じ点について伺いますが、安倍総理は「美しい国へ」の中で、イギリスの教育改革を大分お手本というか、その中に、問題行動を起こす家庭を二十四時間監視していくようなことも含めてイギリスではやっているということを紹介しているんです。

 今回の教育基本法案は、文科大臣の所管ではないいわば家庭という場にも、それぞれの御判断で、今文科大臣の答弁だと、御判断でというのはその当事者のということですね、いろいろなアプローチがあるんじゃないでしょうかということなんですが、それでは、やはりこれは憲法十九条に定める内心の自由ということに、地域の自主的な連携という形をとりながらも、では、あなたの家庭でこの二条五項をやっていますかというようなことをやり出す人が出てきたときに、それはちょっと過剰ですよというふうに言えなくなるんじゃないですか。

塩崎国務大臣 今、伊吹大臣がお答えしたことに尽きるんじゃないかと思いますけれども、先ほど私からも申し上げたように、やはり家庭教育や社会教育については、どう教育を行うかについてはその教育を担う者にゆだねられているということであって、今おっしゃったようなところまでやるということはないと思いますし、それは、この国会の議論の中で立法者の意思として、政府答弁としてあらわれてくるものであって、それは議事録に残って、今の伊吹大臣の答弁も残るわけでありますし、それが立法者の意図ということになるんではないでしょうか。

保坂(展)委員 国旗・国歌法のときも、当時の官房長官が教育現場に影響はないと言いつつも、かなりの影響が出ているということで、この点は、私、大変危惧しております。

 ですから、この二条五項が、もちろん学校教育に入ってくること自体の論戦もあるんですよ。しかし、よく条文を見ていくと、これは、家庭あるいは社会教育あるいは六十代、七十代、八十代の方の生涯教育、そういうところにも入っているので、そこは慎重に、一人一人の国民の生き方に対してああしろこうしろというようなことをする趣旨ではない、こう確認してよろしいですか、それだけ官房長官に。

塩崎国務大臣 この二条五項というか、二条そのものが教育の目標ということで、基本法の中のまたさらに理念として目標を大きく定めているわけで、先ほど来申し上げているとおり、そういうようなところまで行ってどうのこうのするということではないということで、教育者にゆだねられているということだと思います。

保坂(展)委員 続いて、教育再生会議について官房長官に伺いたいんですが、安倍総理は「美しい国へ」の中で、たくさんイギリスの事例など、例えば、ナショナルカリキュラムを導入してナショナルテストをつくった。それから、女王直属の外部評価機関をつくり、だめな学校には、つぶれていただくというか廃校になる。それだけではなくて、そういう学校に教師を送り込んでいた教育学部もつぶしてしまうぐらいの改革をやったんだと、いろいろ書かれている。

 今回の教育再生会議の冒頭の安倍総理のあいさつ文をいただきましたけれども、そこまで細かく逐一は書いていないんですが、安倍総理の著書の「美しい国へ」に出てくる教育改革の記述と教育再生会議の議題との関係、直結しているのか、あるいはどういう関係にあるんでしょうか。

塩崎国務大臣 著書の「美しい国へ」の中でいろいろな事例が出てくるのは、当然、教育改革、教育再生を考える際に、これまで安倍総理がいろいろ勉強してきたことをまとめて、言ってみれば、それぞれの改革者、サッチャーだったりいろいろな人だったりするわけですが、その意気込み、姿勢というものを書いているわけで、それを全くまねしようということを言っているわけではないと思うんですね。

 では、そういうことと今回の教育再生会議での最初のあいさつとどういうつながりなのかというと、やはりそれは、教育再生会議にいろいろなバックグラウンドの方々にお集まりをいただいて、恐らく保坂先生も、教育を再生しないといかぬということについてはほとんど同じ認識を持っておられると思います。同じような認識を持っていながらそれぞれのバックグラウンドが異なる方々にお集まりになってもらって自分の考えだけを言うのもいかがなものかということで、それを抽象化した上で御自分の思いというのを総理は述べたわけでございます。

 もう一々申し上げませんけれども、そういう関係であって、そこで広く先生方の議論を御自由にひとつ展開してもらって、いい提案を出してほしい、こういう意気込みだったと思います。

保坂(展)委員 私たちもそうですし、国民の中でも、学校バウチャー制というのは多く関心を呼んでいると思うんですね。官房長官とは長く法務委員会で御一緒しましたし、法務委員長もやられました。私、学校バウチャー制の危険な部分というのをあえて言いますと、やはり人気校と不人気校が出てくるんだろう。人気校は、学力水準、偏差値、高くなっていくだろう。現にイギリスでは、番付の上位の学校に希望者が殺到するんですね。そうすると、学校と住居の距離の制限をかける。そうすると、その地域の地価が二割上がったというようなこともあったやに聞いています。

 公立学校が日本社会に果たしている役割、これは、実は犯罪の発生なり抑止と非常に深い関係があると私は思っているわけなんです。つまり、どの地域でも、どんな階層の子も一緒に公立学校で学んで、そして顔見知りである、親同士もつき合うという、社会の一番きずなのへそみたいな、そういう役割を公立学校がしてきた、今、都市部では大分解体をされつつありますけれども。

 こういう中で学校バウチャー制ということが、今これだけ治安問題、体感治安みたいなことが言われて、犯罪の実数だけではなくて何か不安だという時代の中で、バウチャー制度のマイナス面というか危惧される点について、官房長官、どう考えますか。

塩崎国務大臣 公教育というのは、いかなる子供さんでも、それから、いかなる地域に行っても平等の機会を与えられて教育を受けられる、これが一番大事なことだと思うんですね。

 一方で、公教育が空洞化してきていることについて危惧をする考え方の方々が出てきて久しいわけであります。だからこそ、教育再生をやろう、こういうことになっているわけでありますが、そんな中で出てきた一つのアイデアがバウチャー制であり、あるいは、外国で行われているバウチャー制のいいところを見て、使えないだろうかということを考えている人がいたりするわけでありますが、一方で、バウチャー制といったときに何を指しているのかというのが実は余りよくわかっていないで、それぞれいろいろなバウチャー制度があり得ると思うんです。

 ですから、手段として、質をもう一回上げていこう、ある意味では、お互い切磋琢磨するための手段としてバウチャー制を使おうというようなことはあるのかもわかりませんが、一方で、今おっしゃったようにコミュニティー、地域社会、子供も大人もいる地域社会に対するインパクトがどうなのかということは、同時に我々は考えなきゃいけないことだろうと思うんです。

 ですから、今のところいろいろな意見が出ていますが、それはプラスマイナスいろいろなところがあって、ただ、その心を読み取るべきであって、制度だけを導入することを目的にするのではなく、目的は、さっきも冒頭申し上げたように、どの地域に行っても、どの子供さんでもひとしく教育を受ける権利がある、それが達成されるかどうかの問題で、教育の質がそれでは余り変わらないというところを達成するための手段として今議論されているので、当然マイナスもあると思います。そして、地域社会のことも考えなきゃいけない。

 そんな中でこれから議論していこうということで、再生会議に集まっている人たちが皆バウチャー制度に賛成の人かというと、決してそんなことはございません。

保坂(展)委員 同じ問題を文科大臣にもお尋ねしたいんです。

 ちょっと言葉が足りなかったかもしれないんですが、公立学校、小中学校に対するバウチャー制についてなんですけれども、いいとされる学校にたくさんの生徒が集まる。では、いいところがあるということは下位校もあるわけですね、下の方の順番の。不人気校。そういうところには子供は来なくなる。来なくなると、究極どういう形になるかというと、つぶれるわけです。つぶれるということは、学校のない地域というのが生まれてしまう。学校のない地域に生まれてしまえば、では、その子供たちが外の学校に行くのかというと、恐ろしいいわゆる地域社会の崩壊ということを加速させてしまうんじゃないかという心配を感じるんですね。

 バウチャーということを言うのなら、先ほど、高等教育の無償化の話がありました、あしなが育英会の話もありました。そういう経済的な苦境に立って、どうしても高等教育にアクセスしたいというその格差是正でバウチャーを出すというなら話は別だと思うんですけれども、文科大臣のお考えを伺いたいと思います。

伊吹国務大臣 私、再三ここで御答弁を申し上げておりますが、高等教育についてバウチャーを使うというのは、一つのやはり選択肢だと思いますね。義務教育についてこれを使うかどうかについては、先ほど官房長官が言ったように、利害得失いろいろあると思います。

 しかし、このバウチャー制度、あるいは東京で既に実施しておる学校の選択制、それからまた内部評価、外部評価、さらに、学校を形成している教員の免許の更新、なぜこういう話が出てくるのかということをまず学校関係者がみんな真摯に受けとめて、そしてしっかりとそこの対応をすれば、先生がおっしゃっているようなマイナス面をあえて冒してもバウチャーを入れるというような議論にはならないんですよ。

 そこの議論がないままに、バウチャーはけしからぬ、けしからぬと言うのは、私は決して納税者の理解を受けないと思います。

保坂(展)委員 基本的な認識は共有されているように思います。

 もう一つ、単位未履修問題に直接は触れないんですが、校長先生が責任を感じて亡くなっていたという、また痛ましいニュースが流れました。

 子供に対して命の大切さということを何としても伝えるという、教師集団に指針を示すべく頑張っているはずの校長先生もこういった苦境に立つというところでは、実は、イギリスが今どうなっているかという話なんですが、これは下村官房副長官にお答えいただきたいんです。

 スコットランドを除くイギリス連合王国の小中学校の校長三万人が、これは全英の校長会のような組織が、NAHTというんですか、イングランドでのテスト結果の公表を廃止しようという決議を全会一致で出したというふうに伝えられています。北アイルランドでは、数年前にナショナルテストの結果を発表することをやめ、二〇〇七年までにはそのテストを廃止。それから、イングランドと行政機構を同一にしてきたウェールズにおいては、〇一年にナショナルテストの結果公表をやめて、来年ですか、テストを廃止するということをナショナルテスト見直し委員会が一年間審議して決めているという、いわばイギリスの教育改革も見直しの時期に入ったのかなという情報があるんです。

 イギリスを手本に見てこられた、そして教育再生会議でも重要なヒントにされているというところから、この見直しもぜひきちっと踏まえて見ていただきたい。どうとらえられていますか。

下村内閣官房副長官 お答えいたします。

 イギリスにおきまして、特に御指摘がございましたウェールズ州におきまして、全国学力テストについて二〇〇四年から七年までに段階的に廃止するということを決定したということは承知しております。

 しかし、この理由というのは、今までテストのための指導が非常に各学校で悪影響を及ぼしていた。そのために、必ずしもテストを含めた教育成果の評価自体が否定されているわけではないけれども、それ自体の見直しということで、今後、廃止した後、新たな評価の枠組みとして、基礎的な力を見る新しいテスト、スキルテスト、こういうことや、あるいは教員による評価の重視を打ち出したということでございまして、学力テストと違う形でまたテストするということでございまして、イギリスにおいても今試行錯誤しているところだというふうに思います。

 そういう中で、我が国において、今先進国でも、イギリスでもアメリカでも、やはり国が教育について国家戦略として取り組んでいるということが多い中で、先進国の成功事例そして失敗した事例も含めて研究をしながら、いい部分について、そして我が国にとってふさわしい部分については積極的に参考にすべきだというふうに思います。

保坂(展)委員 この問題について文科大臣にお尋ねしますが、私は、ちょうどトニー・ブレアが政権をとった日に、チャイルドラインというのを見に行くために牟田悌三さんなどと一緒に滞在していたんです。あちらの選挙運動というのは日本と大分違う。そして、確かに、教育、教育と、教育しか言わないで政権を交代していった。サッチャー教育改革に対する一定の修正要求というものが有権者の中にあったのかなと思います。

 一方、現在の保守党では、医療、教育など公共事業全体の政策を見直す委員会が立ち上がっている。この委員会のポリーヌ・ペリー委員長は、最近、成績の悪い学校を名指しでさらしものにするような教育体制にピリオドを打つ、こういうふうに言われていて、最近のタイムズ系の週刊誌のインタビューだと、学力テストや成績到達目標を外部から学校に課するような制度を見直し、教師の評価に重点を置くシステムにしたい。教師を信頼し、やる気になってもらう。こういう形で変えていきたいというようなことをインタビューの中で言われている。いわば見直しの機運が高まっているということなんです。

 イギリスにおける教育改革の実情と問題点、そして見直しの今の機運、この辺は文科省としてもぜひきちっととらえてほしいと思うんですが、いかがでしょうか。

伊吹国務大臣 私は、大変申しわけないんですが、英国の教育改革の変遷についてそう詳しく知っているわけではありません。しかし、トニー・ブレアが出てきたときは、私は本当に、率直に言って驚きました。あの社民主義、リベラルの彼が、サッチャーの、むしろ市場、競争、自由主義の改革と同じようなことを言ってやってきたわけですから。

 そして、それを位置づけるために、いわゆるリベラルというのか、社民主義の人たちの生きる道として第三の道をギデンスが提案したというこの一連の流れの中で、やはり保守主義的なトーリーの政党も、基本的には、やはり公教育というのは同じように提供すべきだということは、全く私はそう思っていると思いますよ。ですから、少し行き過ぎがあるんなら見直す。

 しかし、今、日本は行き過ぎがあるから見直す前段階じゃないんですか、率直に言って。

保坂(展)委員 文科大臣に、この関連で言えば、ヨーロッパの中で、イギリスの教育なり教育改革のやり方というのはかなり独自なんですね。

 例えば、学力において高い評価を得ているフィンランドなどの教育は査察官というものをなくしちゃった。逆にイギリスはつくったわけなんですが。そして現場に大量の権限をゆだねて、少人数の、これはデンマークであれオランダ、さまざまな教育をやっていますので、バランスよく。

 教育を根本的に変えるというのであれば、イギリスだけを見るのはおかしい。やはり全体を見てほしいと思いますけれども、いかがですか。

伊吹国務大臣 もちろん、英国だけを見る必要はありませんし、サッチャー改革そのものをなぞっているわけでもございません。日本は日本の今までの積み上げの中から変えざるを得ないものを御提案しているわけです。

保坂(展)委員 安倍さんの本にはイギリスの例がわあっと出てくるものですからね、イギリス教育改革が成功例と。しかし、当のイギリスでは見直しが始まっているということに我々はもっと注目していいということを申し上げて、終わります。

森山委員長 次回は、明十一月一日水曜日午前九時四十五分理事会、午前十時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後五時散会


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