衆議院

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第2号 平成23年11月17日(木曜日)

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平成二十三年十一月十七日(木曜日)

    午前九時十一分開議

 出席委員

   会長 大畠 章宏君

   幹事 小沢 鋭仁君 幹事 大谷 信盛君

   幹事 三日月大造君 幹事 宮島 大典君

   幹事 山花 郁夫君 幹事 鷲尾英一郎君

   幹事 中谷  元君 幹事 保利 耕輔君

   幹事 赤松 正雄君

      阿知波吉信君    網屋 信介君

      稲見 哲男君    今井 雅人君

      緒方林太郎君    大泉ひろこ君

      大西 健介君    逢坂 誠二君

      岡本 充功君    加藤  学君

      川越 孝洋君    川村秀三郎君

      木内 孝胤君   木村たけつか君

      楠田 大蔵君    近藤 昭一君

      篠原  孝君    辻   惠君

      辻元 清美君    中川  治君

      中野 寛成君    鳩山由紀夫君

      浜本  宏君    樋高  剛君

      山尾志桜里君    山崎 摩耶君

      笠  浩史君    渡辺浩一郎君

      井上 信治君    石破  茂君

      木村 太郎君    近藤三津枝君

      柴山 昌彦君    棚橋 泰文君

      中川 秀直君    野田  毅君

      平沢 勝栄君    古屋 圭司君

      大口 善徳君    笠井  亮君

      照屋 寛徳君    柿澤 未途君

      中島 正純君

    …………………………………

   参考人

   (前衆議院憲法調査会会長)

   (元外務大臣)      中山 太郎君

   衆議院法制局法制企画調整部長           橘  幸信君

   衆議院憲法審査会事務局長 窪田 勝弘君

    ―――――――――――――

委員の異動

十一月十七日

 辞任         補欠選任

  網屋 信介君     木内 孝胤君

  岡本 充功君     大西 健介君

同日

 辞任         補欠選任

  大西 健介君     加藤  学君

  木内 孝胤君     網屋 信介君

同日

 辞任         補欠選任

  加藤  学君     岡本 充功君

    ―――――――――――――

十一月二日

 憲法第九十六条の改悪に反対し、国民投票法施行の凍結を求めることに関する請願(赤嶺政賢君紹介)(第一八四号)

 同(笠井亮君紹介)(第一八五号)

 同(穀田恵二君紹介)(第一八六号)

 同(佐々木憲昭君紹介)(第一八七号)

 同(志位和夫君紹介)(第一八八号)

 同(塩川鉄也君紹介)(第一八九号)

 同(高橋千鶴子君紹介)(第一九〇号)

 同(宮本岳志君紹介)(第一九一号)

 同(吉井英勝君紹介)(第一九二号)

は本憲法審査会に付託された。

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 参考人出頭要求に関する件

 日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する件


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     ――――◇―――――

大畠会長 これより会議を開きます。

 この際、御報告申し上げます。

 本日の幹事会におきまして、お手元に配付のとおり、「憲法審査会の運営に関する申合せ」を行いましたので、私から申し上げさせていただきます。

    憲法審査会の運営に関する申合せ

  憲法調査会以来の先例を踏まえ、次のように申し合わせる。

 一 会長が会長代理を指名し、野党第一党の幹事の中から選定する。

 二 幹事の割当てのない会派の委員についても、オブザーバーとして、幹事会等における出席及び発言について、幹事と同等の扱いとする。

以上でございます。

 この際、この申し合わせに基づき、会長は、会長代理に自由民主党・無所属の会所属幹事中谷元君を指名いたします。

     ――――◇―――――

大畠会長 日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する件について調査を進めます。

 この際、参考人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。

 本件調査のため、本日、参考人として前衆議院憲法調査会会長・元外務大臣中山太郎君の出席を求め、意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

大畠会長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

 この際、参考人に一言ごあいさつを申し上げます。

 本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただき、まことにありがとうございます。

 皆様よく御存じのとおり、中山参考人は、衆議院憲法調査会会長及び日本国憲法に関する調査特別委員長を一貫して務められ、本院における憲法論議を精力的にリードされました。また、その調査会、委員会運営は、与野党の別なく小会派にも十分配慮されたものであったと伺っております。

 憲法審査会がその活動を始めるに当たり、本日、中山先生からこれまでの経緯等の御報告を賜る機会をいただきました。

 本日は参考人としてお越しいただきましたので、先生のお話を今後の憲法審査会の調査の参考にさせていただきたいと存じます。

 どうぞよろしくお願いいたします。

 本日の議事の順序について申し上げます。

 まず、中山参考人から衆議院憲法調査会及び日本国憲法に関する調査特別委員会の経緯等について三十分程度で御報告いただきます。次に、衆議院法制局当局から二十分程度で説明を聴取いたします。次に、各委員からの意見表明等を含む自由討議を行います。

 なお、御発言の際はその都度会長の許可を得て御発言くださいますようお願いいたします。また、参考人から委員に対して質疑をすることはできないこととなっておりますので、あらかじめ御了承願います。

 御発言は着席のままで結構でございます。

 それでは、中山参考人、お願いいたします。

中山参考人 中山太郎でございます。

 本日は、大畠会長を初め憲法審査会の先生方の御要請を受ける形で、本院の憲法調査会及び日本国憲法に関する調査特別委員会の設置の経緯並びにその調査及び国民投票法制定の経緯につきまして、お話をさせていただくことになりました。大変に光栄なことであり、心から感謝を申し上げます。

 私は、二〇〇〇年から二〇〇七年まで約七年半にわたって、衆議院の憲法調査会会長及び憲法調査特別委員長を務めさせていただきました。本日は、そのような立場から、若干の所感を込めて御報告をさせていただきたいと思います。

 お手元に御報告のポイントを記した簡単なレジュメを配付させていただいておりますので、これに沿って、早速、内容に入らせていただきたいと思います。

 まず、憲法調査委員会設置推進議員連盟の立ち上げと、その活動について御紹介をしたいと思います。

 平成九年、日本国憲法の施行五十周年を迎えました一九九七年の五月、衆参の全国会議員に、憲法調査委員会設置推進議員連盟設立趣意書を配付することをいたしました。

 この文書は、第一に、日本国憲法施行後五十年間の我が国内外の大きな変貌、第二に、特に近年の冷戦構造の崩壊により国際関係の変化や、地球環境問題の深刻化、地方分権の進展など、憲法問題を内包する新たな問題の発生、第三に、昭和三十年代に内閣に設置されました憲法調査会以降、長い間、公的な憲法調査機関が存在しなかったことを指摘した上で、二十一世紀を目前にした今こそ、日本国憲法によって憲法改正の発議権を付与された国会にこそ、国民主権、人権尊重、平和主義といった現行憲法の三大原則を尊重しつつ、憲法全般について全面的な調査検討を加えるための憲法調査委員会を設置することの必要性を訴えたものでございました。

 この議員連盟設立を呼びかけたのが中山太郎でございました。

 私は、早速、同年十一月に憲政記念館で憲法五十周年記念フォーラムを開催し、GHQが作成をした日本国憲法草案の起草に携わったと言われるベアテ・シロタ・ゴードンさんやミルトン・エスマンさん、リチャード・プールさんなど五人の生存者の方々をお呼びして、この経緯についてお話をいただきました。

 当日は、中曽根元総理を初め多くの先生方が参加をされて、激しい議論が行われたことを記憶しております。ベアテ・シロタさんは、女性の権利の擁護と解放を訴えておられた方で、土井たか子先生とともに、日本の婦人の権利、こういうものについていろいろと御発言をしてきた方でございます。また、憲法二十四条の原案を起草された方であります。

 彼らの旅費をどうしたのか、国会が出したのかというような疑問もございますが、滞在費用はすべて議連のメンバーである国会議員が一人一人、三万円ずつ拠出をして賄いました。こうした行事に自腹を切るというようなことはかつて考えられなかったことでございました。

 これ以降、私の議会におけます人生も、大いに憲法とともに歩んでいくことになりました。

 もともと私は医学を学んだ医師でございます。小児麻痺の研究をずっとしておりましたが、そういう中で、人類が自然の猛威に抵抗するための新しい医療のあり方あるいは細菌学等の発展等について絶えず志を持って生活しておりました。

 この私がどういう形で政治に関与することになったのかといえば、私は当時、大阪の生野区という韓国人が八万人住んでおられる地域で開業医をやっておりまして、いろいろと在日韓国人の実態もよく存じておりましたので、この人たちを助けてやらなきゃいかぬ、こういうことで赤ひげ医者をやっておったわけであります。

 湾岸戦争の当時の苦い思い出から、私は次のことを申し上げたいと思います。

 私が現実政治の上で憲法問題に直面したのは、一九九一年一月に勃発した湾岸戦争のときでございました。私は、一九八九年八月から一九九一年十一月まで、海部内閣で三期にわたり外務大臣を務めましたが、その在任中に勃発した湾岸戦争が私の議員人生を大きく変えたように思います。

 当時、総理の名代として中東の緊張した地域に飛んでまいりました。空港に待っておったのはサウジアラビアの外務大臣、サウード外相でございまして、彼は、到着した早々の飛行場の玄関で、まず訴えたことは、我が国は今イラクの大軍に囲まれている、そしていつ戦端が開かれるかわからない、このサウジアラビアの危機を救うために、日本の自衛隊をぜひ派遣してほしいという要望がございました。

 私はその当時、明確に、日本国憲法の制約上、海外に自衛隊を派遣することはできません、ほかの方法で協力をさせていただきたい、そのような説明をいたし、また、深夜にわたって開かれたファハド国王との王宮における会談では、会談が始まったのが深夜の十一時半、会談が終了したのが午前一時半でございました。そういう中で、日本の憲法のあり方、またできる限りの協力の仕方、いろいろなことも議論をいたしました。

 そういう中で、絶えず官邸と連絡をしながら、中東の緊張状態について報告をしておりましたが、石油資源の七割を中東から輸入しておる我が国がペルシャ湾に自衛隊を派遣するとすれば、現行憲法下でどこまでできるのか、国会でも大いに議論され、外務大臣である私に質問が集中しておりました。

 もし自衛隊を派遣して、撃たれたらどうするのかという質問もございました。私は、憲法九条を守ろうとすれば、撃たれたら弾の来ないところに退却せざるを得ない、これが日本の憲法の具体的な姿であろう、日本は海外でそうした協力しかできない、当時そう答弁するしかございませんでした。

 しかし、アメリカのベーカー国務長官は、偵察衛星を通じてペルシャ湾を航行しているオイルタンカーを調べておりましたが、その中に、忘れられないのは、衛星写真で見ると、二十七隻、大型のタンカーがペルシャ湾に日本から来ている、油を運べるのにどうして我々の国を守ってもらえないのかという声がサウジアラビアからアメリカにも伝わっている、こういう電話も絶えず参りました。

 こういう中で、私は、日本のこれからのあり方についてどうするか。ただし、私は、戦争を体験してきた世代でございます。第二次世界大戦のさなかには、大阪でアメリカ空軍の大爆撃を受けて危うく死に損ないましたし、また通学途中の無蓋貨車の上でグラマンの艦載機の機銃掃射を受けながら、麦畑に飛び込んで辛うじて命を取りとめた戦争体験者でもあります。また、広島の原爆投下にも、毎日のようにこのような話を聞かされた経験者であります。

 そのためにも、日本国はどうあるべきなのか、憲法はどうあるべきなのか、少なくとも憲法改正の是非を国民の皆さんに決めていただく機会をつくりたい、これが私の議員人生の後半を憲法論議にささげることを決意させたものでございました。

 明治憲法が制定された当時の状況もいろいろと調べてみました。

 ちょうど同じ医者で、長州藩の青木周蔵という若い医師、藩の認可をいただいて、山口県から長崎に行き、そこでヨーロッパへ向かう船に乗っていった青木周蔵という人がおられます。この方は、ドイツに行ってプロイセンの憲法を勉強されたわけであります。そこで、このプロイセン憲法は、皇帝を中心に国を構成しておりました。こういう形の中で、多くの日本の当時の維新の指導者たちは、伊藤博文を初め多くの政治家、その人たちが遠くプロイセンあるいはオーストリアを訪問して、新しい日本の国の形というものは天皇を中心にした国家をつくることがいいのではないか、こういう意見をまとめていったような経緯がございました。

 こういう中で、議案提出権のない憲法調査会を設置しよう、こういう考え方が浮かんでまいりました。

 さて、憲法調査委員会設置推進議員連盟の活動に話を戻しますと、この議連には、超党派の多くの議員が参加をしていただきました。

 お手元に、当時の主要政党会派の変遷を図にした資料一をお配りしております。

 これをごらんいただければ、若い先生方もおわかりいただけるように、当時は激しい政党再編の過程でございました。同じ政党で一緒に政治活動を行っていた議員が、それぞれの政治理念を実現するために夢を求めてたもとを分かったことも決して珍しくありませんでした。そのため、同じ政党に属しておったかつての同志がいろいろな政党に分かれておられましたので、党派を超えて話し合い、そして御協力をいただくようなことになったわけであります。参加された衆議院は二百六十九名、参議院は百五名おられたわけでございます。

 この中で、特に森元総理は、当時、幹事長をやっておられました。各党各会派との人脈を通じてこの運動を進めるような御協力をいただきましたし、当時の議運委員長は、きょう御出席の中川秀直先生でございます。そして、森総理は私に、中川君がいればこの話は議運で話を進めてもらうことができる、こういうお話をされたことも心の中に極めて深くとどめております。当時、民主党の羽田孜先生、この方がお元気でいらっしゃいまして、そして各党との話し合いのときには、森元総理と羽田孜先生と絶えず相談をしながら話を進めていただいたわけでございます。

 私は、この議連の設立や活動について、小異を捨てて大同につくという大きな方針を掲げておりました。私の頭の中には、常に三分の二という数字があったからであります。

 憲法を改正するには、衆参両院で三分の二以上の多数を形成しなければなりません。その上で、国民投票で過半数の賛成をいただかなければならない。まず、この三分の二を得るためには、自分の、あるいは自分の政党の理想だけを追求していては、スタートラインにすらたどり着けなかったのであります。

 ちなみに、この小異を捨てて大同につくという発想は、その後の憲法調査会の海外調査におきましても、身にしみて痛感したことでありました。諸外国の憲法制定、改正に関与した政治家たちは、異口同音に、憲法は最も崇高な、そして最も偉大なる妥協によって生まれるものだという趣旨のことを述べられたからであります。

 憲法調査委員会に憲法改正原案の提出、審査権を与えるかどうかといった問題が大きな議論になったときに、私が議案提出権のない純粋な調査のための調査会という整理で意見の集約を図ったのも、この大胆な妥協が頭の中にあったからであります。

 その結果、憲法調査会は、最後まで国会設置に反対した共産、社民両党の委員を含め、すべての会派が参加する形で、二〇〇〇年、平成十二年でありますが、一月の通常国会から発足をすることができました。昭和三十年代の内閣憲法調査会は、当時の日本社会党や多くの学者の方々がボイコットされたまま発足したものでしたので、国会の憲法調査会が正常な形でスタートできたのは、まことに結構な、画期的なことでございました。

 こうして設置された衆議院の憲法調査会は、二〇〇〇年、平成十二年の一月二十日に発足し、委員各位の推挙によって、私が会長の重責を負うことになりました。

 この調査を開始するに当たって、私が会長として特に留意したことが二つあります。

 第一の原則として、憲法論議は国会で行うもの。

 一つは、憲法論議は国民代表たる国会でこそ行われるべきだということであります。このことは、例えば次のような運営の仕方にあらわれました。

 通常の委員会でありますと、理事会に関連省庁の政府職員が陪席するのが通例でございます。憲法は、ある意味で全省庁に関連するとも言えるもので、事務局の中には、内閣官房から審議官クラスを一人か二人常駐させて、政府代表としての連絡係を務めてもらおうという考えもありました。

 しかし、私はそのような考えを採用しませんでした。私は、総務庁長官や北海道・沖縄開発庁長官、あるいは外務大臣をやりました経験から、政府の官僚たちの動きはよく知っております。憲法調査会の幹事会に政府の役人を常駐させてしまえば、私の省庁に都合の悪い議論がなされそうになると、彼らは必ず先回りをして、御説明と称して、片っ端から議論をつぶしにかかる。役人とはいい意味でも悪い意味でもそういったものであることは、議員の先生方もよく御存じのとおりであります。

 これは普通の法律とは違う、憲法という基本法、国家の基本でございます。憲法論議だけは政府なんかに手を突っ込まれずに、国会議員が国民を代表する形で、政治家としての立場で議論しなくちゃいけない。ここでは、与野党や会派を問わずに、中立公平に国会議員を補佐する訓練をされた国会職員こそがすべての情報を握って、全力で私たちを補佐してほしいと、きょうはそばに陪席しております橘君に私はそのように申しました。

 私は、議会人としての思いをこんなふうに述べて、隣に座っている当時の憲法調査会事務局の橘君は、千葉大学から憲法議論のために国会に呼び戻されて、帰った人であります。

 こういう形で、もう一つの大きな問題がございましたが、それは憲法は国民のものということでございます。

 私が憲法調査会の発足に当たって心がけたことは、憲法は国民のものという大きな表題を絶えず掲げていました。改憲であろうと護憲であろうと論憲であろうと、どのような立場からであれ、憲法調査会は議員同士の自由で公平な議論の場にしなきゃならない、そして、その議論の過程を広く国民に提供する場にしなきゃならないと考えたからであります。

 私は、この時点で既に四十年以上にわたって議員生活を送っておりましたから、この間ずっと、今の議会のやり方は古い、国民代表である議員同士の本当の議論の場になっていないということを感じておりました。そこで、憲法調査会は、議員同士の自由な討議の場にして、これを国民にオープンなものにするために、幹事会で相談しながら幾つかの工夫をいたしました。

 まず、発言時間の割り当てについて協議しました。

 憲法調査会が採用したやり方は、特にユニークだと言われたのは、各議員の発言時間の割り当て方でした。通常の委員会では、委員の発言時間は議員数に応じて各会派に割り当てられております。しかし、これでは、小さな会派は自分の主張をまとまった形で述べることができず、また、批判に対する反論の機会すらございません。これは自由討議をするには実に厄介な制限であります。憲法とか立憲主義というものは、そもそも少数者の人権尊重から始まったものと言われています。憲法調査会でも、少数者の意見をこそじっくり聞かなければならない。

 そこで私は、一回当たりの発言時間を例えば五分以内と決めた上で、どの会派であっても何回でも発言してもいいという方法に踏み切りました。

 なお、自由討議には事前の質問通告はございませんから、指名されたならば自由に憲法に関する持論を述べることができます。しかも、言いっ放しでなく、いつ反論が飛んでくるかもわかりませんから緊張感もございます。憲法調査会はおもしろい、そんなことを言ってくれる委員がどんどんとふえていきました。

 ここで、土井たか子先生のお話を少しさせていただきたいと思います。

 護憲のシンボル的な存在だった社民党の土井たか子先生も、憲法に関する意見は私とは異なっておりましたが、憲法調査会を締めくくるに当たって、自由討議の中で次のように御発言になりました。

 国会の中で、ドント方式でない質問のあり方がある、ほかの委員会と違って機会均等を尊重してくれる、さすが憲法調査会だな、私はそう思うんですね、こういった趣旨のことを述べてくださいました。

 この方式は憲法調査特別委員会になっても踏襲され、この場におられる共産党の笠井亮先生や、当時社民党におられた辻元清美先生などは随分発言されました。また、お互いに礼節を持って議論すれば、良識ある国会議員の先生方でございますから、持論は持論として、一見水と油と思われるような意見でも、少なからず共通する部分があることにも気づかされたものでございます。日本国と日本国民を思う気持ちは、皆、議員には共通したものでございます。

 また、このやり方ができたのは私一人の力ではございません。憲法調査会時代には、野党第一党から会長代理を選任することとされ、五年間に、鹿野道彦先生、この場におられる中野寛成先生、仙谷由人先生、枝野幸男先生と、四人の先生方が会長代理に就任されておられます。皆さん、私の考えを御理解いただきまして、本当に助けていただきました。また、与党の筆頭幹事であった葉梨信行先生、保岡興治先生、船田元先生にも、根気よく支えていただきました。与野党の委員各位からも、御理解と御協力をいただきました。

 中野寛成先生がよく言われる、憲法論議においては、与党は度量を、野党は良識を示すべきだという御発言は、今も私の心の中に深く残っております。

 調査活動において特徴的な事柄としては、海外調査と地方公聴会でございました。

 憲法調査会の調査活動の中で、特に皆さん方に御披露しておきたいことが二つございます。

 一つは海外調査でございますが、まずそこからお話を深めていきたいと思います。

 広く世界に目を向けるような調査をしてきたということであります。憲法調査会の五年間、毎年、合計五回の海外調査をいたしました。日本には現在千八百本の法律がございますが、憲法は一つしかございません。他の憲法制度を参照するには、当然、諸外国の憲法を参照するほかはないわけです。

 文献調査はもちろん有用で、憲法調査会事務局の諸君の作成してくれた調査資料は実にすぐれたものでございましたが、しかし、国会議員として、実地に各国の憲法の実情調査をすることは不可欠であります。

 明治の初め、明治政府をつくるときにも、多くの先ほど申し上げました長州藩あるいは日本のほかの藩からも、すべて長崎を経由してヨーロッパに行って、プロイセンの憲法を勉強してきたわけであります。

 私どもは、海外調査の訪問国の一覧を掲載しておりますが、憲法調査会の五年間で、ヨーロッパ憲法を含めて二十八の国と機関の憲法の実情調査をいたしました。

 特に印象に残っておりますのは、二〇〇一年、平成十三年の海外調査でイスラエルを訪問したことでございます。これは、小泉純一郎先生が内閣総理大臣に就任したころ、首相公選制の導入について活発な議論をされておりましたので、唯一の首相公選制の実施国であったイスラエルの実情をつぶさに調査いたしたいと考えたからであります。

 イスラエルでは、首相公選制の導入に関与した多くの政治家、有識者からヒアリング及び意見の交換を行いました。その際、彼らが口をそろえて、首相公選制は失敗だった、首相公選制の導入なんてぜひおやめなさい、こう述べられたのは、一同深く考えさせられたものでありました。

 それは、首相に投票する一票のあり方、それは当然御本人の意思ですけれども、人名を書く、そういう中で、もう一つは国会議員の投票をするわけですが、同じ人が、首相には首相にふさわしい人、しかし、そのほかは自分に身近なところで自分に協力してくれる候補者、こういったことで、首相に投票した票と議員に投票した票が全く違った形で結果をあらわしてきた、こういうことが首相公選制を経験したイスラエルの私どもに対する大きな忠告でございました。

 海外憲法の実情調査では、このほかにも、女性天皇問題を念頭に置いた欧州各国の王位継承制度や、また、同じ敗戦国家であるドイツにおける基本法改正の動向や憲法裁判所制度の運用なども、超党派の議員団の関心を大いに刺激したものでした。

 ヨーロッパにおける女帝の問題、ヨーロッパにはヨーロッパ婚姻法という法律がございまして、各国が国籍を超えて他国にきさきを送る、こういったのがヨーロッパの特徴だったと思います。そういう王位継承の制度、特にスウェーデンでは非常にその点ははっきりしておりましたし、同じ敗戦国家であるドイツにおける基本法改正の動向や憲法裁判所制度の運用なども、超党派の議員団の関心を大いに刺激したテーマでございました。

 特に憲法裁判所の制度については、ドイツ、イタリアの憲法裁判所、フランスの憲法院のほかに、多くの欧州各国が採用しているほか、タイや隣の韓国でも立派な憲法裁判所が存在しておりまして、国政の中で重要な役割を担っている事実がある。

 また、二〇〇三年にアメリカを訪問いたしました。ワシントンには、アメリカ合衆国憲法の父、トーマス・ジェファーソンを記念したジェファーソン・メモリアルホールがございます。そこを訪れましたときも、印象深い文章を見つけました。四つの壁面にジェファーソンの言葉が書かれていたのでありますが、そのうちの一つに次のような趣旨の言葉を見つけました。

 私は、法律や憲法が頻繁に改正することを支持するものではない、しかし、法律や憲法は、人間の知性が発展するにつれて、また、環境の変化に応じて、それにおくれないように進化をしていかなければならない、文明化された社会においても古い時代の制度を存続させることは、大人になっても子供のころ着ていたコートをずっと着せておくようなものだ、こういう文章が石に刻まれていました。

 また、中国の全人代常務委員会の法制工作委員会におきまして、中国憲法の動向についてヒアリングができたのも実に貴重でございました。

 我が国は、憲法調査会の議論に先生方はこれからも大きな関心を持つだろうと思いますが、やはり当憲法審査会におきましても、ぜひ海外調査というもののお考えを堅持していただきたい。絶えず変わっております。特に、ロシアにおいても憲法裁判所が存在をしておりますし、ヨーロッパ各国にはすべて憲法裁判所が存在をしております。

 特に、次のことは記憶に新しいものがございます。

 先ほど憲法は国民のものと申しましたが、国民の中にある多様な憲法観や憲法に関する生の意見を反映した議論をするということであります。このような観点から、憲法調査会では、中央公聴会のほか、ブロックごとの地方公聴会を九回開催いたしました。特に沖縄で開催されました地方公聴会には強い思い入れがございました。

 沖縄は、国内唯一、地上戦闘に住民が巻き込まれ、十万を超える多数のとうとい命が失われた地域であります。しかも、一九五二年、サンフランシスコ講和条約が発効して我が国が独立を回復した後も、琉球政府を通じた間接統治の形で米国の施政権下に置かれたため、日本国憲法は昭和四十七年まで沖縄においては施行されませんでした。そして、今なお沖縄の人々は、米軍基地が集中するという特殊な状況の中で、大きな負担を強いられています。

 このような歴史にかんがみるときに、沖縄の地で憲法に関する地方公聴会を我が衆議院の憲法調査会が開催したことは、実に大きな意義があったと思います。名護市の万国津梁館で開催した地方公聴会において、傍聴人から退場者を出しながらも、粛々と憲法に関する沖縄県民の皆さん方の冷静な議論を拝聴しましたことは、感慨深く思い出されます。

 報告書の取りまとめに関して、御報告いたします。

 以上、五年三カ月に及んだ調査の経過は資料三のイメージ図にまとめてございます。日本国憲法の制定経過の調査から始まり、二十一世紀における日本のあるべき姿の大所高所からの調査、そして個別テーマごとの調査、現行憲法百三条の全体について調査を行った後に、二〇〇五年四月に最終報告書を取りまとめ、河野洋平衆議院議長に提出をいたしました。

 この最終報告書の編集方針と概要については橘君から報告させることにいたしておりますが、私からは、この中に盛り込んだ一つの提言についてお話をしたいと思います。

 五年間にわたって憲法改正を前提としない純粋な調査を行ってまいりましたので、次に、これが、そこで指摘いたしました論点を深掘りし、憲法改正の是非を含めた調査検討に進むはずでした。しかし、その前に一つ、やっておかなければならないことが出てきました。それは、憲法改正の際に必要となる国民投票制度が、憲法施行後六十年になろうとしているのに整備されていないということであります。

 憲法改正国民投票法のような憲法の基本的附属法典ともいうべき法律は、憲法改正の内容と切り離して、いわば平時において整備しておくものと存じます。

 そこで、最終報告書にその旨の提言を盛り込んだのでございました。この提言を実施したものが、次の第二ステージの憲法調査特別委員会の設置であったわけでございます。

 二〇〇五年の四月に最終報告書を提出しました後に、次の国会で衆議院に憲法調査特別委員会を設けられるまで、しばらく時間がございましたが、その間、次のテーマとなる国民投票制度の調査に着手すべく、私は、衆議院からの派遣という公的調査でなく、私の個人的な調査でありましたが、当時話題となっておりましたEU憲法条約に係るヨーロッパ各国の国民投票の実態を視察に参りました。

 また、ヨーロッパ各国の国民投票の実態を調査しに行かれることについては、自民党の保岡興治先生とフランス、オランダの国民投票を、また、続いて、ここにおられる民主党の山花郁夫先生とルクセンブルクでの国民投票を、御一緒につぶさに見てまいったこともございました。

 そのときに私は一番びっくりしたのは、国民投票の投票所に行ったときにルクセンブルク大公が皇太子を連れて投票に来ておられたことでございます。

 山花先生は、この経験を踏まえて、人を選ぶ選挙と政策を選ぶ国民投票との違いを認識されて、まず最初に規制ありきの公職選挙法をモデルとした国民投票法でなく、できるだけ自由な意見表明ができることとした現在の国民投票法の制度設計の骨格を提言されたと伺っております。

 このようなことで、海外調査というものは一見遊びに行っているような話もマスコミには書かれますけれども、決してそうではございません。憲法調査会に限っては、議事録をごらんいただければおわかりいただくように、本当に真剣に皆様方が日本の新しい国づくりのための勉強をされてきたわけでございますので、ぜひひとつ、この新しい審査会でも海外調査を行っていただければ、現実によくわかるようになると思います。

 隣の韓国の憲法裁判所を訪れたときに、驚きました。余りの立派さに驚いたわけであります。そこに国民の権利をあらわす象徴があったと私は思っております。

 この特別委員会でございますが、そもそも国民投票法制の制度設計に関してどのような法的、政治的論点があるのかという問題意識を共有するために、諸外国の国民投票法制も含めて国民投票法制全般の調査を行い、その論点整理を行いました。これを踏まえて、翌二〇〇六年五月末に、多くの論点についてほとんど内容的な違いのない自公案と民主案とが相次いで提出されたのでございます。

 あえて委員長提出の法案に一本化しなかったのは、委員長提出の法案ですと、委員会審査が省略となって、その立法者意思が会議録上に明確にならないことを避けるためでございました。また、残された幾つかの内容的な相違点についての修正協議も、小委員会を設けて、そこの審議、自由討議を通じての歩み寄りを図ることといたしました。

 これらはすべて、当時の野党筆頭理事でおられた枝野幸男先生の発案でした。枝野先生はこの国民投票法の制定手続を本番の憲法改正の発議手続の予行演習と位置づけて、できるだけ公開した論議の中で、かつ、できるだけ超党派での合意形成を目指して努力し、三分の二以上の圧倒的多数で成立させたいというお考えをお持ちでございました。私どもも全く同じ認識を共有しておりました。

 与野党の修正協議による大幅な歩み寄りというものを頭にして物を考えれば、国民投票法案の提出時点において両案に違いがあった主な論点については、時間に余裕があれば橘君に補足説明をさせますが、私から一点、投票権者の年齢要件について申し上げておきたいと思います。

 私は、憲法調査特別委員会での議論や海外調査を通じて、憲法改正にはぜひとも若い人たちの意見を反映させなければならないと思うようになりました。当時のデータでは、国際連合加盟国に百八十三カ国がございます。実に、百六十カ国が選挙権年齢を十八歳といたしておりました。

 我が国の若者が世界的に見て特段に幼いはずがございません。必要なのは、中学生、高校生に対する主権者としての公民教育が足らないということを私は認識いたしました。このような観点から、十八歳投票権に対しては批判が多かった自民党の説得にも努力をいたしました。

 ようやく世界の実態を御理解いただいて、自民党は、二十歳という年齢を十八歳に引き下げていただいたわけでございます。その結果、当初の投票権年齢を二十歳としたこの原案は、民主党との大きな違いがあった点についても、自民党が譲歩したため、両案の差異はますます小さなものとなっていきました。

 与野党の大幅な歩み寄りについては、私どもは非常に大きな期待を持っておりました。本委員会及び小委員会での濃密な議論を繰り広げた後、二〇〇六年の十二月十四日、その年最後の憲法調査特別委員会で、自公案の提出者を代表して船田先生が、民主党案の提出者を代表して枝野幸男先生が、総括発言として、それぞれの法案を修正する大胆な歩み寄りの発言をされました。

 しかも、枝野先生は、その発言を締めくくるに当たって次のように述べられております。

 来年は夏に参議院選挙がございます、そこに近い時期になればどうしてもこうした問題については議論もやりにくくなると思うので、可能であるならば、五月三日の憲法記念日には国民投票法制が国会で成立しているということを期待して、発言を終わりたいと思いますという御発言がございました。

 委員室には期せずして歓声が沸き起こりました。このような与野党協調ムードの中で、国民投票法制の整備は翌年の通常国会での成立に向けて大きな弾みがついたのでございます。

 年が明けて、政治情勢は急速に変化をいたしました。元旦の年頭所感で当時の安倍総理が、憲法改正国民投票法案について、本年の通常国会での成立を期すとお述べになり、さらに同月四日の年頭記者会見では、憲法改正をぜひ私の内閣で目指していきたい、参議院選挙でも訴えていきたいとお述べになるとともに、民主党の小沢代表は憲法を争点にしても構わないと応じられ、憲法問題、そして憲法改正国民投票法案の扱いは一気に政局になってしまったのでございます。

 私は、同月十日、永田町にある鳩山由紀夫先生の、きょう御出席でございますが、個人事務所をお訪ねいたしました。そして、これまで培われた与野党間の議論と信頼の集大成としての国民投票法案を、その結実の直前で政争の具としないよう協力をお願いいたしました。

 鳩山幹事長は、これまでの修正協議の経緯と概要を記した文書に目を通された後、この内容では民主党として全く反対する理由はない、大丈夫ですよ、中山さんと明言していただきました。鳩山先生は憲法調査委員会設置推進議連のときから一緒に憲法に打ち込んできた先生でおられますし、この言葉は、本当に心強い私へのメッセージでありました。

 また、憲法調査特別委員会の現場理事同士の信頼関係もしっかりしていたので、その後の周囲の政治状況が厳しさを増していく中でも、私は、国民投票法案の円満な採決を楽観視していました。現に、採決前の四月十一日の夕方、保岡、船田、枝野、園田各先生は、自由、民主両党の理事による修正協議を行っておられました。この時点で、この協議の結果については明朝の理事会で最終確認をした上で、あとは採決に進むだけでございました。

 しかし、翌四月十二日の採決当日、理事会の開会予定の時間になっても枝野先生たちは来られませんでした。しばらくして、船田先生の携帯に枝野先生から連絡が入り、上を説得できなかった、本当に申しわけない、責任をとって私と園田さんは理事を辞任する、ただ、民主党の修正案については、ちゃんと趣旨説明もするし、答弁にも立つ、委員会審議をとめるようなことはしない、採決時には少々混乱するかもしれないが、中山委員長に迷惑をかけるようなことはしないとのことでございました。言葉の端々に先生の悔しさもにじみ出ていると私は感じました。

 他方、私も、ぎりぎりまで採決に踏み切るべきかどうか迷いました。円満な解決策が少しでもあれば、それにかけたかった。これまで何度も、ぎりぎりまで打開策を模索し続けてきた与野党円満の今までの歴史がございます。

 いよいよ修正案について質疑を終局し、討論、採決を宣告すると、これまで一緒に議論してきた中川正春先生、辻元先生、笠井先生たちが、委員長席を取り囲んで、委員長、もう一回仕切り直しをしましょうよとお叫びになりました。この人垣のすき間から、委員室の入り口近くに、枝野先生が苦しそうな表情で寂しく立っておられたのがいまだに心に残っております。保岡先生の委員長採決をという悲壮な声に呼び戻されて、私はマイクを握り締めて一気に議事を進行いたしたのが実態でございます。

 このようなしこりが残る形での採決は、これまでの経緯からして本当に残念でございました。

 ただ、参議院では、附帯決議を付した上で、円満な形で衆議院送付案が可決されました。私は、当日、参議院に参りまして傍聴席に座っておりましたが、これには、民主党の簗瀬進先生と自民党の舛添要一先生が本当に尽力していただきましたし、簗瀬先生は、毎回傍聴に行った私に、中山先生、大丈夫ですよ、ちゃんと処理をしますからとおっしゃっていただきました。私は、これでしこりは解消されたと思いました。しかし、そうはいきませんでした。

 憲法審査会規程未制定という不作為の違法状態の放置が続きました。

 その年、二〇〇七年七月の参議院選挙の結果、衆参のねじれが生じ、与野党ともに、憲法審査会の始動は国政における最優先事項とは認識されない政治状況になってしまいました。その結果、憲法審査会の始動は、改正国会法によって手続細則を定めることとされている憲法審査会規程を制定しないという異常な事態、つまり、国会みずからが制定した法律の規定を遵守しないという不作為の違法状態のもとで、長い間放置されてまいりました。

 一瞬に、政治の潮目が変わってしまいました。五十年以上政治家をやってまいりましたが、私は、本当に政治とは難しい、しかし、あくまでも与野党間の信頼というものを中心に国会は運営をやるべきだという認識を強く持っております。

 終わりに当たりまして、この憲法改正国民投票法では、公明党の赤松先生のアイデアで、法律施行後三年間の準備期間を設けておりました。これは、国民投票法で完全には処理できなかった三つの宿題、これについてこの後橘君から報告をさせます、この宿題をこなすとともに、憲法調査会の最終報告書で指摘した論点を深掘りするために設定された期間でございます。

 いきなり憲法改正原案の審議に入るようなことのないように、賛否を超えて、まずは各党各会派ともに、取り上げるに値する論点に関する認識を十分に共有しようという赤松先生の主張に基づくものでございます。

 しかし、結果的には、この三年間の準備期間を一年以上も経過した今日まで、憲法審査会は始動できませんでした。そして、その原因の一つには、衆議院の憲法調査特別委員会での採決のしこりが挙げられてきました。

 そのたびに、私は、あのとき採決せずに、あと一週間採決を延ばしていたらどうなっていただろうかと絶えず考えてまいりました。一方では、一週間延期すれば、より円満な形で憲法審査会が始動でき、建設的な憲法論議ができたのか、できなかったのかという思いがいまだに心の中に残っておりますが、きょう、こうして円満な形で会が開催されました。会長の御苦労に心から敬意を表したいと思います。

 しかし、本日、すべての会派が参加する形で活動が再開されましたが、現在の日本の情勢は、内外ともに課題が山積し、国難ともいうべき難しい状況にあることは論をまちません。大震災への対応の一つとしての非常事態の条項などは、最も重要な、緊急な議論すべき論点であり、数多くの問題点がたくさんございます。

 大畠会長の議事整理のもと、小沢筆頭幹事、中谷会長代理を初め現役の先生方の皆さんの真摯な議論を切に期待いたします。

 私も年を重ねましたが、しばらく、憲法論議が国民的規模で盛り上がるように、微力を尽くしてまいる所存でございます。今後とも先生方の御指導を心からお願い申し上げまして、御報告を終わらせていただきたいと思います。

 ありがとうございました。(拍手)

大畠会長 中山参考人、大変懇切丁寧に御報告をいただきまして、ありがとうございました。

 以上で参考人からの報告等は終わりました。

    ―――――――――――――

大畠会長 次に、衆議院法制局当局から説明を聴取いたします。衆議院法制局法制企画調整部長橘幸信君。

橘法制局参事 衆議院法制局の橘でございます。

 二〇〇〇年一月の憲法調査会発足以来、衆議院の憲法調査会及び憲法調査特別委員会におきまして、中山会長初め各先生方の御指導をいただいてまいりました。そのような事務方の立場から、ただいま中山先生から御指示がございました事項につきまして、お手元配付のレジュメに従いまして、簡単に御説明をさせていただきます。時間が押しておりますので、一部説明を省略させていただきます。

 まず、最初に御指示がございましたのは、二〇〇五年四月に取りまとめられました衆議院憲法調査会の最終報告書の編集方針及びその概要でございます。

 まず、編集方針ですが、これにつきましては、会議録を抜粋する形で一切の加工をしないよう求める強い意見もございました。しかし、国民一般の方々にも読んでもらえるように、恣意的な評価を排しながらも、できるだけ簡潔な形で、衆議院憲法調査会の議論の縮図を示すような報告書にすべきものとされ、次の三つの編集方針が確認されました。

 すなわち、一つ、委員の多様な意見を偏ることなく公平に、かつ、類型化した上で、要約して記載する、二つ、多く述べられた意見についてはその旨を記載する、三つ、議論の全貌をわかりやすく提示するため、総論、総括的な部分を設ける、この三つの方針でございました。

 このうちの二番目の多く述べられた意見の明記、いわゆる多数意見の明記が衆議院憲法調査会報告書の最大の特徴であると言われております。

 この多数意見の判断基準につきましては、一つ、少なくとも二十人以上の先生方が発言したテーマであること、二つ、そのうち発言した委員の三分の二以上の先生方が賛成したテーマであることとされました。

 次に、このような編集方針でまとめられました意見の概要ですが、お手元に、最終報告書の「あらまし」と題された要約部分を資料四として抜粋してまいりました。

 この資料四、三十ページの「あらまし」こそが、総ページ六百八十三ページに及びます最終報告書のエッセンス中のエッセンスともいうべき部分であり、今ほど申し述べました編集方針の第三番目、総論、総括的な部分に該当するものであります。

 ただ、時間の関係もありますので、資料五として、この中からさらに、多く述べられた意見のみを抜粋した資料を作成してまいりました。これをごらんいただきながら、幾つかの論点について簡単に御紹介させていただきます。

 まず、前文につきましてでありますけれども、我が国固有の歴史、伝統、文化などを明記すべきとする意見が多数意見でございました。

 次に、憲法第一章「天皇」の章の象徴天皇制につきましては、全体として、現行憲法の規定を堅持すべきとの意見が多数意見でございました。

 次に、最も激しく議論されました憲法第二章、戦争放棄の章の九条に関する論点につきましては、まず第一に、自衛権、自衛隊に関する論点につきましては、これを法的に認知するために何らかの憲法上の措置をとることを否定しないとする意見が多数意見でございました。

 また、集団的自衛権行使の是非の論点につきましては、一つ、無限定にこれを認めるべき、二つ目、限定的に認めるべき、三つ、一切認めるべきではない、このような意見に三等分されました。

 この三等分されたという整理の仕方自体が、報告書取りまとめに当たって激しく議論された論点でもありましたが、これは一方では、一つ目と二つ目の意見をくくって、集団的自衛権容認の意見が多数意見であったとする読み方を可能とするものであると同時に、二つ目と三つ目をくくって、集団的自衛権全般は認めるべきではないとする意見が多数意見であったとする読み方も可能となる、デリケートな論点整理だったと認識されておりました。

 次に、第三章の国民の権利義務につきましては、環境権などのいわゆる新しい人権を憲法に明記するべきとする意見が多数意見でありました。

 なお、人口に膾炙されております環境権に関しましては、その具体的な規定の仕方について、権利として規定するのか、それとも環境保全の責務として規定するのか、両論ございました。

 次に、第四章、第五章の「国会」「内閣」の政治部門につきましては、二院制や首相のリーダーシップなどさまざまな論点が議論されましたが、特に特徴的であったと外部から評価されているのは、オンブズマン制度、特に議会オンブズマン制度の導入など国会の行政監視機能の強化が多数意見であったことだと言われております。

 次に、第六章「司法」に関しましては、最高裁判所による違憲審査権行使の現状に関しまして、多くの先生方からかなり批判的な意見が述べられていたように思われます。先ほどの中山先生の御報告でも海外調査に言及されておられましたが、諸外国のような憲法裁判所の制度、これを導入すべきとする意見が多数意見でございました。

 一つ飛ばして、第八章「地方自治」の章に関しましては、最近の地方分権の進展の現状にかんがみて、地方自治に関する規定をより充実させるべきとの意見が多数意見でありました。

 最後に、現行憲法に規定のない非常事態に関する何らかの規定を設けるべきとする意見も多数意見でございました。

 次に、第二点として、国民投票法案の主要論点に関する自民、公明、当時の与党案と、民主党から提出された法案との違いについて説明せよという御指示でございましたが、時間が押しておりますので、これについてはお許しをいただいて省略させていただきます。実は、その主要論点のエッセンスが、最後に中山先生から御指示いただきましたいわゆる三つの宿題につながってまいる論点でございますので、これに関する御報告でかえさせていただきます。

 これは、いずれも憲法改正国民投票法の附則に、検討項目として規定された三つの検討条項でございます。

 お手元配付の資料七をごらんいただければと存じます。

 一つは、附則三条に定められております十八歳選挙権実現等のための法整備であります。

 すなわち、憲法改正国民投票法の本則では、憲法改正国民投票の投票権者は十八歳以上とされました。しかし、同じ参政権であるのに、国民投票は十八歳以上、国政選挙などの選挙権は二十歳以上というのでは、立法政策としての整合性がとれていないのではないか、さらには、成年年齢一般を定める民法などもこれに合わせる必要があるのではないのかとの観点から、附則三条一項が設けられました。

 すなわち、国は、この法律が施行されるまで、この法律の施行というのは、公布後三年を過ぎる日とされましたから、時期的に言えば、平成二十二年五月十八日までということでありますけれども、この法律が施行されるまでの間に、十八歳選挙権が実現すること等となるよう、公選法や民法その他の法令の規定について検討を加え、必要な法制上の措置を講じなさいと法律をもって命ずるものであります。

 これらの関連法律の整備法は、附則三条一項の規定によって、国民投票法の本格施行までの三年間の準備期間内、先ほど中山先生の御発言にもございました、赤松先生が特に御主張されて設定された三年間の準備期間内に法整備を行わなければいけない、法律を制定しなければいけないとされていたものでございます。この点については、自公案も民主案も全く同じでございました。

 ただ、成立した自公案の附則三条には二項の規定が設けられ、前項の法制上の措置が講ぜられた後、それらの改正法律が実際に施行されるまでの間には、ある程度時間的余裕、周知期間が必要なことが当然に予想される、なぜならば公選法とか民法とかいったような重要な基本法案の年齢要件を改正するものだからだ。したがって、法律が、法制上の措置が講ぜられるのは当然として、施行までの間の経過的な期間において、万が一憲法改正国民投票法を実施することになった場合には、二十歳の投票権で実施する、これが附則三条二項の意味であります。

 なお、この法整備には多くの省庁の所管法律が関係すると想定されていたため、法案提出者の先生方におかれましては、この整備法は基本的に閣法で提出されるべきだということが想定されておられました。したがって、憲法改正国民投票法を所管される憲法審査会におかれましては、そのような内閣による法案提出を監視し、督促するもの、そのように理解しておられたことでございます。

 これをイメージ図にしたものを資料七の四枚目に添付しておりますので、御参照いただければ幸いでございます。

 二つ目の宿題は、附則十一条の公務員の政治的行為の制限に係る法整備でございます。

 現行の国家公務員法や地方公務員法、裁判所法など一般職、特別職のさまざまな公務員に関する法令の規定では、その政治的行為の制限に関する規定が幅広く設けられております。それぞれの法律によってややばらつきはありますけれども、一般には、公務員が政治的な事件に関して、みずからの意見表明をするような場合はよいけれども、それが他者に対する投票の勧誘などに至ってはならないというようなことが、ざっくりですが、そういうことが規定されております。

 しかし、そのような公務員制度の土台ともいうべき憲法論議の場面におきましては、公務員といえども一人の国民であり、もちろんその地位利用を伴うようなものは禁止しなければいけませんが、その地位利用を伴わないような、一人の国民として他者に対する勧誘をする、純粋な他人への賛否の勧誘行為まで、これを禁止する必要はないのではないのか、そのような方向で法整備を行うべきであるというのがこの附則十一条の規定であります。

 すなわち、国民投票に際して行う憲法改正に関する賛否の勧誘その他の意見表明が制限されることとならないようという一定の縛りをかけた上で、法整備をゆだねているわけであります。

 この条項による法整備は、一般的な国家公務員法制の改正というのではなくて、あくまでも憲法改正国民投票に限定したものですので、法制度設計論としては、憲法改正国民投票の一部改正法で立案されることが提出者の先生方においては念頭に置かれております。その意味では、さきの十八歳選挙権実現のための法整備が閣法で立案されることが想定されていたのとは異なり、この二つ目の宿題である改正法案の立案、審査は、この憲法審査会の所管事項となるものと考えられていたところであります。

 このイメージ図につきましても、資料七の四ページ目に添付しておきましたので御参照願います。

 以上の二つは、三年間の準備期間の間に結論を得て法整備まで済ませるべきとされた、いわば締め切りつきの宿題でございましたが、これに対して最後の三つ目の宿題、これは締め切りのない宿題でございます。

 すなわち、附則十二条に規定されております憲法改正以外の国民投票制度の導入の検討であります。これは、民主党案が憲法改正以外の一般的な国民投票の導入を最後まで主張しておられたことに配慮したものと解されておりますが、その検討範囲については少々異なっております。

 資料七の三ページの下のところに、民主党の最終的な修正案の一般的国民投票の範囲が書いてございますが、民主党の最終修正案では、当初案のように国政上の重要な問題一般を対象とするということはやめられたようでありますけれども、しかし、国政における重要な問題のうち、一つ、憲法改正の対象となり得る問題。例えば女性天皇問題などは、法律的には皇室典範の改正でも済むわけですが、憲法問題ともなり得るわけです、このような問題。二つ、統治機構に関する問題。これは、憲法改正が国会議員からの発議を契機として行われるわけですが、必ずしも国会議員の先生方からの発議が機能しない可能性があるものと想定されていたため、統治機構に関する問題というものが挙げられたものと推察されます。三つ目、生命倫理に関するような政党政治を超えた国会議員お一人お一人、国民お一人お一人の死生観に関するような問題。この三つを例示にされつつ、その詳細は、国民投票の対象とするにふさわしい問題として別に法律で定める、これが直近の民主党のお考えでございました。

 これに対して、成立した法律の附則十二条の検討の範囲は、一つ、憲法改正を要する問題。憲法改正を要する問題は当然に九十六条、憲法改正の対象となり得るわけですが、最終的には九十六条を発動するとしても、予備的にあるいは事前に民意の動向を探ろうとする場合、そのために国民投票を活用する場合があるのではないのか、こういう問題でございます。二つ目、民主党の最終修正案と同様に、憲法改正の対象となり得る問題。この二つのみを例示とし、憲法改正関連問題、関連事項、これに検討対象の範囲を限定されているわけであります。

 いずれにいたしましても、この国民投票の対象範囲の検討は、国会法におきまして憲法審査会の所管事項と解されているところでございます。

 以上、時間を超過してしまいましたが、中山太郎先生の御指示に従いまして、事務的な補足説明をさせていただきました。

 ありがとうございました。(拍手)

大畠会長 以上で衆議院法制局当局からの説明聴取は終わりました。

    ―――――――――――――

大畠会長 これより、参考人及び衆議院法制局当局からの報告等を踏まえ、各委員からの意見表明等を含む自由討議を行います。

 この自由討議につきましては、幹事会の協議に基づき、まず、各会派を代表する委員が順次発言を行い、その後、各委員が自由に発言を行うことといたします。

 なお、参考人及び発言者におかれましては、御発言の際は自席で着席のままで結構でございます。

 発言時間の経過につきましては、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたします。このような音でございます。

 発言の申し出がありますので、順次これを許します。山花郁夫君。

山花委員 民主党・無所属クラブの山花郁夫でございます。

 きょうは、中山参考人、橘参考人、ありがとうございました。また、先ほどルクセンブルクのお話も御紹介いただきましたことを感謝申し上げます。

 トップバッターでありますし、また各会派を代表してということですので、これまでの民主党のスタンス等々について若干お話をさせていただきます。

 これまで民主党は、結党以来、憲法について調査会を設け、議論を進め、また文書などもつくってまいりました。先ほど中山参考人から御紹介いただいた、委員会では会長代理を務めていた方がおおむね党でも会長を務めてこられまして、二〇〇一年には鹿野会長のもとで中間報告、二〇〇二年には中野会長のもとで調査会報告、また二〇〇四年には仙谷会長のもとで中間提言、そして二〇〇五年に枝野会長のもとで憲法提言というのをまとめてまいりました。

 先ほど中山参考人からお話があったことに関連いたしますけれども、現行憲法では、改正のためには衆参の国会議員の三分の二の賛成が必要ということになっております。これはどういうことを意味するかというと、主要な政党がほぼ一致をしていなければ、事実上、改正の提案が提起されるということはあり得ないということを意味しております。つまりは、単一の政党が衆参両院で三分の二を占めるということは、現実的にはなかなか想定ができないからということが言えます。

 そうであるとすると、各党が自分たちの憲法原案はこうだと条文まで書き下して、お互いまなじりを決してというような形には恐らく憲法議論はならないのであろうということで、中間的な形、大体の考え方をまとめて、二〇〇五年の憲法提言というものをまとめたときには、こうした形で国民的な議論をまず起こすべきではないかということを言ってまいりました。

 また、その前段階になります国民投票法ですけれども、先ほどルクセンブルクのお話を紹介していただきましたが、憲法改正のための国民投票法ということに限定することなく、党内では、直接民主制のあり方としてイニシアチブ、レファレンダム、リコールなどがございますが、そういった観点から、国民が国政に直接参加する方法についてという観点からの議論も行ってくる中で、先ほど橘部長からもお話がありました、例えば、一時期、女性の天皇を法律上容認するかどうかという議論がございました。

 法形式としては、皇室典範を変えれば国会だけで変えられることでありますが、本当にそれでいいんでしょうか、やはり天皇制にかかわることであるから国民投票なども本当は必要なんじゃないでしょうか、こんなような議論であるとか、あるいは、先ほど御紹介いただきましたように、政権を選ぶ、時の政府をどこにするかということを選ぶ投票ではなくて、憲法という国のあり方にかかわる投票制度でありますので、従来、国民投票法というのを想定したときに、選挙法を少しアレンジするということがイメージされていたかと思いますけれども、それとは全く違って、例えば憲法裁判所をつくるべきかどうかということが議題になったときに、現職の裁判官が、そんなのをつくるのはおかしいじゃないかと働きかけるということがあったとして、それが実質的に何か悪いことなんでしょうか、そういった観点からの議論も進めてまいりました。

 また、そういう中で、与野党の法案の中での歩み寄りができたことは非常に期待感が持たれたんですけれども、残念ながら、先ほど御紹介があったように、大変恐縮ですが、時の政府のトップの方が争点化をしてしまうという大変不幸なことがあったことが今日に至る大きなきっかけではなかったかと思います。

 今、政治の場では、震災に対する復興とか復旧とかそういったことが最優先で取り組まれている中で、この審査会がスタートしました。先ほど参考人から御指摘いただいたように、優先順位としては相対的には下がるのかなと思いますが、しかし、全く必要ないということにはならないと思います。憲法調査会がスタートした折に、現行憲法の制定経緯についての調査を進めました。いろいろな意見がありましたけれども、現行憲法が通用しているということは、これはやはり国民の法的確信があるからだということだと思っておりますし、そのためにも、しっかりとした議論というものを国会の場で行っていくことが必要であると、このスタートに当たりまして申し上げます。

 以上です。

大畠会長 次に、中谷元君。

中谷委員 自由民主党の中谷元であります。

 中山太郎先生には、これまで七年間にわたりまして、憲法調査会長と憲法調査特別委員長を務められまして、本院での憲法議論を、円満に、私心なく、精いっぱいの議会人の良心を発揮し、各党にも配慮され、誠心誠意深められまして、憲法改正国民投票法の成立及び憲法審査会の設置等に御尽力をいただきまして、まことにありがとうございます。

 憲法審査会の今後の進め方につきましては、まず、この審査会で、国会議員から憲法審査の申し出があれば、滞りなく審査が行われるようにしておくことが第一であります。

 憲法審査は可能となりましたが、憲法改正国民投票法の附則には、検討すべき課題として三つの宿題が規定されております。

 一つ目の十八歳の選挙権実現のための法整備と二つ目の公務員の政治的行為の制限に係る法整備は、本来、憲法改正国民投票法が全面施行されるまでの三年間の間に整備を終えておくべきものでありましたが、憲法審査会が設置から始動に至るまで約四年間の空白期間があり、いまだに整備をされておりません。三つ目の憲法改正以外の国民投票制度の導入は、期間が定められていないものでありますが、今後は、憲法審査と並行して検討、議論を開始し、早期に結論を得るべきものと考えております。

 また、憲法改正原案は、衆議院議員百人以上、参議院議員五十人以上で提出できることになっておりますが、提出するに当たっては、参議院の憲法審査会と連携し両院の合同審査会を設置し、合同審査会が両院の憲法審査会に憲法改正原案の起草を勧告することが適切な道筋であると考えます。衆参の合同審査会が機能する規定を定めるなどの体制整備も早急に行うべきものであります。

 次に、中山太郎先生のもとでまとめられました衆議院憲法調査会報告書に示されている論点について、さらに議論を深める必要があります。

 この報告書では、憲法前文、安全保障、いわゆる新しい人権、信教の自由、家族、家庭、首相公選制、憲法裁判所の設置、地方自治、統治機構など幅広く多岐にわたっておりますが、特に、非常事態に関する規定を憲法に設けるべきという点につきましては、ことし三月十一日に発生した東日本大震災を受けて、もっと迅速に国民の生命が守れなかったのかと、有識者等から、非常事態に関する規定を憲法に設けるべきとの意見も出ております。これらの項目につきましては、この審査会で、憲法の条文、さらに深掘りの調査、議論を行って、各党で協議をすることが必要だと考えております。

 次に、我が自由民主党の憲法に対する取り組みについて説明いたします。

 我が党は、昭和三十年の保守合同により誕生いたしましたが、その大義は自主独立の完成であり、まさに、占領下でつくられた憲法を改正し、我が国を豊かにするというものでありました。我が国は、経済大国については達成いたしましたが、憲法改正については道半ばです。

 我々は、平成十五年に総選挙に際して発表したマニフェストの中で、「立党五十年を迎える二〇〇五年に憲法草案をまとめ、国民的議論を展開する。」と宣言いたしました。平成十六年には新憲法制定推進本部を設置し、平成十七年、新憲法起草委員会を発足、十一月二十二日の立党五十年の党大会において自由民主党新憲法草案を発表いたしました。

 平成二十二年一月、我が党は新たに新綱領を作成し、憲法改正推進本部を設置、推進本部では、ここにおられる保利耕輔本部長のもと、既に三十回以上の議論を経まして、真剣かつ綿密な検討を行っておりますが、来年の四月二十八日、サンフランシスコ講和条約発効から六十年に当たるこの日を目標に、前文、安全保障と九条、地方分権、憲法改正要件、緊急事態条項などの条項につきまして、さきに発表した新憲法草案をバージョンアップし、新しい時代に対応できる我が国の憲法改正を実現したいと考えております。

 本日は、憲法改正の議論の場となる憲法審査会の第一歩の活動といたしまして、中山先生から御高説を賜る機会を得まして、まことに喜びにたえません。

 今後とも、鋭意活発に、真剣かつ建設的な議論を行っていくことを国民の皆様方にお約束いたしまして、意見表明とさせていただきます。

 どうもありがとうございました。

大畠会長 次に、赤松正雄君。

赤松(正)委員 公明党の赤松正雄でございます。

 先ほどは、中山太郎先生から本当に胸詰まる思いでのお話、私も本当に、この十年近い歳月の中での御苦労をしのばせていただいたところでございます。

 まず、もう御存じいただいていることであろうかとは思いますが、公明党の憲法に対する姿勢というものについて申し上げたいと思います。

 私どもは、国民主権、基本的人権、そして恒久平和主義という憲法の三原則、これを持った今の憲法、これは変える必要はない、基本的に変える必要はない、そういう意味で、紛れもなき護憲政党でございます。

 ただ、今の憲法がスタートして以来今日までの時代状況の変化というものは大変大きいものがあるということで、そういう時代状況の変化に応じてつけ加えるべき項目がないかどうか、そういうことをしっかりと党内の議論で確認してまいりまして、例えば環境権だとかあるいはプライバシー権といったふうなものが今の憲法につけ加えられるべき余地があるのではないか、そういった観点での主張を今日までしてまいってきております。

 そういう意味では、大枠で改憲か護憲かという枠組みの中では護憲でありますけれども、しかし、さらに詰めていけば加憲、今の憲法に加えるということがあっていいのではないか、そういうふうなスタンスをとってまいってきている政党でございます。

 先ほど中山先生の御報告の最後の部分で少し言っていただきましたけれども、私は、憲法調査会の五年、そして調査特別委員会における二年、ここまで非常にある種順調に、当初の五年間というのは憲法改正の提出権などのない、いわゆる調査のための調査会であったということで非常に大きい意義があったと思います。

 先ほど橘部長の方から、多く述べられたという意見についての若干の補足解説、説明がございましたけれども、そういう議論、非常にある種、今から四年前にさかのぼりますと、なかなかいろいろな角度で、憲法をめぐる議論、国民的な議論というのは盛り上がってきていたやに思われます。

 しかし、詳しい話は先ほど中山先生がおっしゃったので避けますけれども、本当に非常に不幸な出来事があって、空白の約四年というものが起きてしまいました。

 私は、当初、盛り上がったこの憲法論議というものをさらに一層盛り上げていくべきだ、つまり、国会における議席の差、私のところから始まって一、二、三、四、五人ですか、いわゆる野党は、正確に言うと違っているのかな、本当に非常に少ない数でありますけれども、要するに、広範囲な国民の……(発言する者あり)ごめんなさい。失礼しました。広範囲な国民の憲法に対する意見というのは、必ずしも国会における議席数を反映していない、そういう思いがございます。

 要するに、この特別委員会の議論が終わって以降いわゆる凍結期間、当初二年と言われたのを三年に延ばすということで、その三年間を使って、言ってみれば憲法のどこを変えるのか、あるいは変えなくて、法律等で対応できる、今の憲法をめぐっての対応が不十分であるから憲法改正という議論が起きてくるのであって、その対応がきちっとできるならばあえて改正しなくてもいいというふうな項目があるのかどうか、つぶさに研究する期間として三年間、審査する期間としての三年間、こういうことを言ったつもりでございましたけれども、残念ながら、その期間が完璧に無為に過ごされてしまった。非常に残念に思います。

 そこで、これから、きょうを皮切りに始まるこの憲法審査会をどう進めていくのか。余り時間がないので多くを申し上げられませんが、文字どおり、憲法調査会が憲法のための、憲法を調査するという機関であった、今度の憲法審査会は、別に言葉遊びじゃございませんが、憲法を審査するということですから、やはり現行憲法の展開のありようというものについて審査をする、そういう考え方で当初スタートされていくべきではないのか、そんなふうに思います。

 そして、先ほど同僚委員からもありましたけれども、三つの宿題等についても、並行的に宿題を早期に解決するということがあっていいのではないか、そんなふうに思う次第でございます。

 以上です。

大畠会長 次に、笠井亮君。

笠井委員 日本共産党の笠井亮です。

 我が党は、本日の憲法審査会の開催には反対であることを幹事懇談会の場でも表明してきました。国民は憲法改正を求めておらず、審査会を動かす必要は全くないのであります。私自身、中山太郎参考人ともいろいろと議論をさせていただきましたが、ここで改めて憲法審査会をめぐる経過について振り返っておきたいと思います。

 今日の憲法をめぐる動きは、九条改憲を目指す勢力が二〇〇〇年に国会に憲法調査会を設置したことに始まりました。改憲を目指す勢力は、調査会を足がかりとして国民の中に改憲の機運を盛り上げようとしました。しかし、国民世論は九条改憲反対が多数であり、九条を変えるべきであるとする意見は一貫して少数だったのであります。

 次に問題となったのは、憲法改正手続法の制定でした。二〇〇五年の総選挙後の国会で憲法調査特別委員会を設置し、自民、公明、民主の各党は、憲法に改正規定がありながら手続法がないのは立法不作為などと主張されまして、手続法づくりを進めました。しかし、国民は改憲を求めておらず、手続法がないことで国民の権利が侵害された事実もなく、立法不作為論は全く成り立たないものでした。

 ところが、二〇〇七年に小泉政権の後を引き継いだ安倍政権は、総理大臣任期中の改憲を目指すと公言して、先ほどありましたが、そのもとで、郵政選挙で得た三分の二の数の力で改憲手続法を強行採決させました。これは、慎重審議を求める国民多数の声を無視したものでした。私は、本会議でこの暴挙を憲政史上重大な汚点を残すものと指摘しました。こうした強引なやり方には民主党も反発をして手続法制定に反対したのです。改憲を選挙の公約に掲げた安倍政権は、その夏の参議院選挙で国民からノーの審判を突きつけられて退陣を余儀なくされました。

 こうした状況のもとで選挙後初の国会召集日に憲法審査会の設置を規定した改正国会法が施行されましたが、審査会規程を制定できず、憲法審査会は始動することができなかったわけであります。にもかかわらず、麻生政権末期の二〇〇九年の六月に、自民、公明の両党が再び強行採決によって憲法審査会規程を制定したのであります。審査会は、このようにたび重なる強行採決によってつくり上げたものであります。

 これに対して、公正中立な改憲手続法の制定を標榜していた民主党も、自民党、公明党のやり方に強く抗議して、手続法にも審査会規程にも反対し、安倍元首相らに自己批判と謝罪まで求めたのは記憶に新しいところです。その後、二〇〇九年九月の総選挙で「国民の生活が第一。」を公約に掲げて政権交代を果たした民主党政権のもとで、憲法審査会は始動させてこなかったのであります。

 ところが、民主党政権は、普天間問題、消費税など選挙の公約を投げ捨てて、昨年の参議院選挙で過半数を獲得することができず、いわゆるねじれ国会のもとで、国会対策のために自民党にさらなる妥協を重ねて、マニフェストに掲げた政策を次々と投げ捨ててきたというのが事実だと思います。野田政権になって、憲法審査会をもそうした国会対策の一つとして扱って、憲法審査会の委員の選任を強行したという経過だと思います。

 民主党が改憲手続法や憲法審査会規程の制定に際しての主張を一顧だにせずとあえて申し上げますが、何事もなかったかのように、自民党と一緒になって憲法審査会を動かそうとしているのが今日の実態だと思います。民主党と自民党が憲法にかかわる問題を、私に言わせれば、このように軽々しく扱っていることに国民の厳しい批判は免れないことを指摘せざるを得ません。

 最後に、本日、改憲手続法制定時の衆議院憲法調査特別委員長でもありました中山太郎参考人から、当時の経過についての御報告を拝聴いたしましたけれども、憲法審査会を動かさなければならないという説得的な話は私は伺うことができませんでした。憲法審査会を始動してこなかったこの四年余り、このことで国民が不利益をこうむった事実もありません。憲法審査会を動かす理由はどこにもありません。憲法審査会は今後動かすべきではない、このことをあえて強く主張して、意見表明を終わります。

大畠会長 次に、照屋寛徳君。

照屋委員 社会民主党の照屋寛徳です。

 第一回衆議院憲法審査会に当たり、意見を申し述べます。

 二〇一〇年五月十八日、日本国憲法の改正手続に関する法律、いわゆる改憲手続法が施行されました。社民党は、我が国の最高法規である憲法のあり方に照らし、いわゆる改憲手続法は、主権者たる国民の意思が正確に反映されるような手続法でなければならないのに、国会審議や国民的議論が不十分なまま、当時の安倍政権の暴挙で強行成立を図ったことに強く抗議し、法案成立に反対をいたしました。

 いわゆる改憲手続法は、参議院の日本国憲法改正に関する調査特別委員会で十八項目にわたる附帯決議が付されました。さらに、同法附則では、選挙権を有する者の年齢に関する公職選挙法、成年年齢を定める民法、公務員の政治行為の制限に関する国家公務員法、地方公務員法その他の法令について、同法施行までの間に必要な法制上の措置を講ずることと定めております。

 同時に、参議院における附帯決議では、最低投票率、テレビ、ラジオの有料広告規制等について、本法施行までに必要な検討を加えることとされております。

 にもかかわらず、いわゆる改憲手続法の附則や附帯決議に明記された必要な法制上の措置を講じず、必要な検討も加えないままに、今国会で憲法審査会が始動し、憲法改正の審議がなされることに強く反対の意を表明し、同法の抜本的見直しを求めます。

 いわゆる改憲手続法施行後の二〇〇九年八月、無血革命とも称される歴史的政権交代が実現しました。政権交代後に発足した民主党、社民党、国民新党による三党連立政権合意は、憲法について、「唯一の被爆国として、日本国憲法の「平和主義」をはじめ「国民主権」「基本的人権の尊重」の三原則の遵守を確認するとともに、憲法の保障する諸権利の実現を第一とし、国民の生活再建に全力を挙げる。」とうたっております。

 今、政治と国会が果たすべき使命は、国民の生活を再建し、憲法の理念を実現し、我が国が、これまでもこれからも平和国家として歩んでいく決意と道筋を内外に示すことであります。

 今、多くの国民は、三・一一大震災と大津波、福島第一原発事故の被災、被害に苦しみ、いまだに拡大する放射能汚染の恐怖におののいております。現下の状況は、憲法前文の「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」や、憲法十三条の幸福追求権、憲法二十五条の生存権が著しく侵害されている状態と言わざるを得ません。

 私の暮らす沖縄では、米軍基地の存在によって惹起される事件、事故や爆音被害によって、日常的に憲法法体系が安保法体系に侵食され、県民の基本的人権と尊厳が守られず、命の危険にさらされる反憲法的な生活を強いられております。そのことを強く訴えた上で、社民党は、護憲政党としていかなる改憲策動にも反対であることを申し上げ、意見表明を終わります。

大畠会長 次に、柿澤未途君。

柿澤委員 みんなの党の柿澤未途でございます。

 憲法改正に向けた改正案の審査の場となるべき憲法審査会の実質的なスタートに当たり、みんなの党の憲法に関する基本的な姿勢を申し上げます。

 みんなの党は、憲法改正には賛成の立場です。日本国憲法の公布から六十五年を経て、これまでの国の形を見直すべきときに来ていることは明らかであります。そして、往々にして論点になる憲法九条の規定以上に見直しが必要な条文があるものと考えております。

 憲法九条を改正しようがすまいが、日米安全保障条約を基盤として、極力軽武装で抑制的な実力組織を維持し、同時に、国連の平和維持活動等を通じて国際社会の平和と安定に寄与するという我が国の安全保障政策の基本が変わるものではありません。しかし、例えば道州制はどうでしょうか。補完性の原理に基づき、国がやるべき仕事以外のすべてを地方政府である道州が担う。国の形の大改革であります。道州制を導入しようとすれば、いわば連邦制に近い国家構造となり、憲法九十二条の「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。」この規定を議論の俎上にのせる必要が出てまいります。

 また、「地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。」という九十四条の規定は、本年の国会における総合特区、また震災復興における復興特区に関する議論で、いわゆる条例による法律の上書きの可否の問題と絡み、現に今も議論になっているところであります。

 衆参ねじれ国会が常態化する状況の中、徹底した行財政改革の観点からも、衆参統合による一院制国会の実現が議論の俎上に上りつつありますが、みんなの党は明確に、衆参統合による一院制実現を党の基本政策に掲げています。これも、国会は衆院と参院でこれを構成するとする四十二条の規定の改正が必要になります。

 総理のリーダーシップが発揮をされず、毎年のように総理の交代が延々と繰り返される不安定な政治状況が続くのは、限られた国会議員の投票により総理大臣が選ばれており、政権党の過半数をとる方が不特定多数の国民の信を得ることよりも優先してしまうからではないでしょうか。みんなの党では、現在、首相公選制の導入を基本政策に盛り込むことを党内で議論しておりますが、これも、内閣総理大臣の指名は国会の議決に基づくとする六十七条一項の規定の改正が必要となる事項です。

 日本国憲法をいわゆる不磨の大典とする考え方は、その制定の経過からしても、本来、その妥当性が再検証されなければなりません。そして、時代は移り変わり、憲法の一部の条文は、日本の国の形を大胆に変えていく上で桎梏となり得ます。憲法改正原案の発議要件を、現行の、衆参両院の三分の二以上の賛成とする、日本国憲法を極度の硬性憲法としている憲法九十六条の規定を過半数の賛成に改める、憲法九十六条の規定も見直しの対象となり得ると思います。

 以上の実務的観点から、みんなの党は、憲法改正の議論を前に進めるべきという立場であります。中山太郎先生を初め先人の皆様方の真剣な議論を経てこの憲法審査会が設置をされ、そして委員選任、会長も選ばれたんですから、もちろん、憲法のどの条文をどのように改正すべきか、あるいは改正すべきでないかを活発に議論し、早期に実現、実行の段階に移るべきと考えております。

 以上で終わります。

大畠会長 次に、中島正純君。

中島(正)委員 国民新党の中島正純です。

 国民新党の憲法に対する基本的立場を踏まえて発言をさせていただきます。

 まず、本日は、憲法審査会の調査活動の始まりに当たって、憲法調査会長及び憲法調査特別委員長として、国会の憲法論議の中、中心におられた中山先生からお話をお伺いできたことは、大変光栄に思うと同時に、中山会長には深く感謝を申し上げる次第でございます。

 同時に、これまでの憲法論議の蓄積についてお話を伺うにつけ、このたびの憲法審査会の始動に当たり新たに憲法論議に携わることとなった私としても、その責任を強く感じているところです。

 特に、日本国憲法施行後五十年超にわたり、国会において憲法を議論する場が設置されていなかった中、すべての会派が参加する形で憲法調査会がスタートするに至った経緯、加えて、その後の調査会の進め方についても、幹事やオブザーバーを含めた幹事会構成メンバー皆で論議をして決められたこと、さらには、少数者の意見をじっくり聞くとの基本的方針のもと、少数会派がまとまった形で意見を述べられるよう発言時間の割り当てなどに工夫がなされたことなど、憲法調査会のあり方については、今回、憲法審査会の立ち上げに携わることになった我々にとっても、大変示唆に富む点が多いものと考えております。

 憲法改正国民投票法の採決に至る過程で生じたしこりにより、国会における憲法論議には、残念ながら約四年間の空白期間が生ずることとなってしまいましたが、その間も、国民新党は、憲法論議の再開を促進すべきとの立場をとってまいりました。

 今後、憲法論議を積極的に進めていくに当たって、私自身の経験とも関連させながら、憲法についての所感を述べさせていただきたいと思います。

 我が国が現在直面する課題として、このたびの東日本大震災についてまず触れないわけにはまいりません。

 先日、私は、議院運営委員会の委員派遣で、震災発生以来三度目の被災地入りをしてまいりました。第一回の憲法審査会における大畠会長のごあいさつにもあったところですが、我が国は、戦後最大の国難とも言える事態に直面しているとの思いを強くしたところでございます。同時に、このたびの大震災は、国の根幹にかかわる重要な憲法問題をはらむものであり、とりわけ非常事態条項を憲法に設けることについて議論を進めることは、立法府に課せられた責務であると考えます。

 加えて、私自身、政治活動における信条といたしまして、安全、安心な地域をつくるという考え方のもと、子供たちの明るい未来のため、住みよい国づくりを目指してきたところでございます。憲法が人権保障などの国のあり方を定める根幹であると同様、安心、安全に暮らせることは国民生活の根本となるものであると考えております。

 現行憲法は、第二次世界大戦後、占領されていた時期に公布されて以来、六十年以上の長きにわたって改正されることはありませんでした。しかし、現行憲法については、九条に代表される国防上の問題点のみならず、時代変化に応じた人権、環境問題への対応上の問題や一票の価値、解散権等に代表される選挙、国会運営上の問題など、さまざまな問題が指摘されてきています。

 国民新党は、平成二十二年の参議院議員通常選挙に際しての政策集で、平成の自主憲法制定へ、憲法論議の再開促進という項目を立てて、憲法について言及しています。ここでは、私たちは、「我が国の伝統や文化を守ると共に、国際社会で期待される役割を我が国が凜として果たしてゆく為に平成の自主憲法制定を目指してゆきます。」と記しております。

 憲法審査会は、この国の形をあらわす憲法について議論することができる場です。国民新党は、この憲法審査会において積極的に憲法論議を行っていきたいと考えております。

大畠会長 これにて各会派を代表する委員の発言は終了いたしました。

    ―――――――――――――

大畠会長 次に、委員各位からの発言に入ります。

 この際、委員各位に申し上げます。

 発言を希望される委員は、お手元にあるネームプレートを立てていただきますようお願いいたします。そして、会長の指名を受けた後に発言をお願いいたします。発言が終わりましたら、ネームプレートは戻していただくようにお願いいたします。

 発言は自席から着席のままで結構でございます。また、発言の際には、所属会派及び氏名をお述べいただきますようお願いいたします。

 なお、幹事会の協議によりまして、意見表明等は一回につき五分以内といたしたく存じます。委員各位の御協力をお願いいたします。

 発言時間の経過につきましては、先ほどと同様に、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせをいたします。

 それでは、発言を希望される委員は、ネームプレートをお立てください。

古屋(圭)委員 自由民主党の古屋圭司でございます。

 中山先生、ありがとうございました。私も憲法調査会で幹事を務めた人間として、公正公平に運営をされて、そしてまた、憲法に対する中山先生の思いをひしひしと感じました。今の報告を聞きましても、その気持ちをひしひしと感じました。ありがとうございました。

 さて、今も議論に出ておりましたが、国民投票についての宿題、特に十八歳の問題と公務員の活動の制限の問題については、これはもう速やかに結論を出す必要があるというふうに思っております。この審査会の中でも積極的に御議論いただいて、しっかり小異を捨てて大同につく、この気持ちでぜひ結論を出していただきたいということをまず強くお願いを申し上げます。

 それからもう一点、国民投票についても、九十六条で規定をされている問題でございますけれども、九十六条のもう一つの問題について指摘をさせていただきたいと思います。

 今、柿澤委員の方からも、国会の衆参両院の三分の二の規定を過半数に緩和するべきである、こういう発言が出ましたけれども、私も、これについては賛成でございます。

 世界各国は、憲法改正、主要国を見ても何度も改正をしています。現実的に、かなり高いハードルでも改正をしている国があります。例えば、日本は、国民投票と国会議員の衆参三分の二といういわば硬性憲法の性質を持っておりますが、韓国でも、同じようなルールのもとで九回改正しているということがあります。

 これは私は、世界各国と日本と比べて、憲法の制定過程、そしてその後の歴史的な流れというのが、やはり世界各国と比べて違う。やはり憲法というのは、みずからの手でつくり上げたというのが世界の例でございます。残念ながら、歴史的事実として、日本は、国民がみずからの手でこの憲法をつくり上げたのではないということが厳然たる事実として存在をしているということがあります。

 憲法調査会で、佐々木毅先生、当時東大の総長だったと記憶をいたしておりますが、あの佐々木先生は極端な改憲論者でも極端な護憲論者でもありません。ニュートラルな立場からこんな発言をされました。憲法改正が非現実的な場合には、各政党が憲法改正の論議について無責任な立場で発言する機会が多い、結果として、政治のよどみを生んでしまう、しかし、憲法改正というものが現実的になってくれば、各政党が責任を持って、そのみずからの政党としてのスタンスを表明せざるを得なくなる、だから、憲法改正の条件の緩和というのは極めて意義があるんだ、こういう論旨明快な説明をされました。私は、大変な見識だなというふうに思います。

 かつてのトーマス・ジェファーソン、アメリカ三代大統領は、人間がつくったもので完全なものはないんだ、だからこそ、憲法改正という現実的手段も必要なんだ、こういうことをはっきり言っておられます。現に、アメリカは戦後でも六回改正をしています。ネルー初代インドの首相は、憲法を固定的なものにすれば、国や人々の成長もとめてしまうんだ、こんなことを言った。これは先人による立派な見識だと私は思います。

 そこで、やはり我々としては、今、実は御報告でございますが、超党派で議員連盟をつくって、たまたま民主党のカウンターパートは筆頭幹事を務めておられます小沢鋭仁先生でございますけれども、憲法九十六条の規定、国会議員の三分の二を過半数に緩和する。理由はただ一つ、主権者である国民が憲法改正の可否について参画する機会を増大していく、この一点であります。ですから、どこをどう改正するということではなくて、主体的に参画する機会を増大する、この一点、この理由によって、ぜひこの九十六条というものは、民主主義の大原則である三分の二から過半数に改める、なおかつ硬性憲法の性質は持ち続ける、こういうようなことを私どもは提案しておりますので、ぜひそういったことについてもしっかり御議論いただきたいということを私から提案申し上げます。

 以上です。

辻元委員 民主党・無所属クラブの辻元清美です。

 本日は、中山参考人、橘参考人、貴重な御意見、ありがとうございました。

 私は、最初に憲法調査会が立ち上がったときのメンバーで、そして憲法調査特別委員会の議論にも毎回すべて発言をしてまいりました。少数の立場にも非常に尊重した運営をしていただいたので、ぜひ踏襲していくべきだと思っております。

 その間の議論で、私たちが憲法を議論するに当たって共通認識を持った方がいいということがあると考えますので、最初に御提起させていただきたいと思います。

 この憲法の議論の中では、立憲主義という言葉が各党の議員から出てまいりました。日本は立憲主義の国である、この立憲主義という意味は何なのかという共通認識が必要だろう。

 一つはやはり、憲法の中の九十九条の意味、憲法擁護尊重の義務を私たちは負っている中での憲法論議である。

 憲法というのはよく、国民が守らなきゃいけない最大のルールであるというふうに勘違いをされている方もいらっしゃるわけなんですけれども、私たち国会議員が、または為政者が縛られているというか、為政者が守らなければいけないルールを国民の方から提示されているのが憲法であるという共通認識をまずしっかり認識した上で、私たちがどうするべきかということを議論していかないといけないという指摘がたくさんなされました。

 これは最後の議論の中で、混乱と言われましたけれども、政局だけではなかったと思います。当時の、時の総理大臣は安倍晋三総理大臣でしたが、総理みずからが改憲の旗を振ることに対する是非だったと思います。憲法を最も守らなければいけない義務がある行政の長が改憲を公約的に発言することに対して、これは当時の本会議でも枝野さんが大激論をいたしましたけれども、やはり問題視したというところもありますので、単に政局絡みの話ではなかったと思います。

 私たちの日本の立憲主義のあり方そのもの、意見は賛否あるかと思いますが、戦後ずっと続いてきた憲法と、政治、そして国民との関係の根本をどう見るかというところにかかわる議論が当時なされたと思いますので、立憲主義の意味をしっかりととらえたこの委員会になるべきではないかと思っております。

 それともう一つが、これも多く出た、先ほど中山前会長からも報告がございましたけれども、憲法は国民のものであるという論点です。

 ヨーロッパに私も何回も派遣をされて参りました。その中で、憲法改正をした国々も多数ございました。その中での御意見は、国論を二分するような問題は憲法改正にはなかなかなじまないという御意見もございました。

 憲法のここを変えてほしいとかあそこを変えてほしいというのは、国民から沸き起こって、さまざまな国民から、ここを変えてもらわな困るわというような意見が沸き起こった上で、立法府としてその国民の声にどうこたえるか、そういう姿勢でいかないと、先走って、特に微妙な問題を憲法改正に付すると失敗することが多いというような発言もございました。非常に政治が不安定になってしまう。

 最後になりますけれども、先ほどから、硬性憲法、九十六条の議論もございました。そういう中で、これは一つの論点でありますけれども、賛否あると思います。

 どういうことかといいますと、政権交代の時代になっておりますので、憲法を変えやすくするハードルを低くするということは、政権がかわるたびに、争点になった主張によって憲法がころころ変わるようでは、またこれは政治が安定しないというような議論も、一つの焦点として、かなりこの間さまざまな発言があったということを紹介いたしまして、この審査会は、世界じゅうから、さまざまな憲法論議の中でたえ得る立憲主義の国としての議論にしてまいりたいと思います。

 以上です。

近藤(三)委員 自由民主党の近藤三津枝です。

 本日は、先ほど御説明いただきました中山太郎先生、そして衆議院法制局からは橘部長に貴重な御説明、御報告をいただきまして、ありがとうございました。

 本日、初めての憲法審査会で発言の機会をお与えいただきまして、ありがとうございます。

 我が党の中谷委員からも発言がありました非常事態宣言について、私からも一言申し述べさせていただきます。

 三月十一日の東北地方太平洋沖地震、そして原子力発電所事故におきまして、被災地では、既に予定されていました地方公共団体の議会の議員そして首長の選挙を行うことができない状態になりました。このため、東日本大震災に伴う地方公共団体の議会の議員及び長の選挙期日等の臨時特例に関する法律が制定されました。これによりまして、一定の地方公共団体につきましては、議会の議員及び首長の選挙期日を延期し、その任期も延長する特例が設けられました。つまり、緊急避難的な措置が講じられたわけです。

 そこで、私は先般、政府に対しまして質問主意書で、同様の措置を衆議院選挙そして参議院選挙においても講じることができるのかとただしました。想定しておりましたとおり、政府からは、国会議員の任期について、そして衆議院が解散された場合は解散の日から四十日以内に総選挙を行うことについて憲法に定められている、そのため、選挙期日や任期の延長について、法律の制定によって措置することは現行憲法のもとでは許されない、このような答弁が返ってまいりました。

 いつ何どき、大地震、大震災、大災害が発生するかわからない我が日本国、日本列島でございます。こうした非常事態における国政選挙の実施の事例一つとりましても、非常事態に対する想定が現行憲法ではなされておりません。今回の東日本大震災を教訓として、早急に非常事態にも十分に対応できる日本国憲法としていかなければならないと考えております。

 以上、意見表明をさせていただきました。ありがとうございます。

柴山委員 自由民主党の柴山昌彦です。

 憲法調査会そして特別委員会でずっとお世話になってまいりました中山参考人、そして橘部長のお話を私も胸の詰まる思いで伺っておりました。

 あれから四年間の空白期間がありまして、私は、その間、国民投票法そして憲法を取り巻く環境は、大きくむしろ審議が必要な事態になっているというように考えております。

 この政権交代以後の、例えば普天間基地をめぐる問題等で、本当に日本がみずからの安全をみずから守れるようにしなくてよいのかという意見を私は地元で数多くの主婦の方からいただくようになりました。また、国民投票法の問題についても、原発立地の可否をどのように決めるか、あるいは先般のギリシャでのEU包括支援策を国民投票にかけることの是非等で、その対象について、これをどのように解するかということが、間接民主制をしく我が憲法との整合性から非常に大きく問題となってきていると思っております。

 先ほど、笠井議員や辻元議員からは、やはり国民の多くの意思を尊重すると、拙速に進めるべきではないというようなお話もありましたけれども、むしろ、その国民の意思をしっかりと確認するためにもこうした手続を進めるということが必要になってくると思いますし、政党色が憲法改正案にそれほど反映されてはならないというからこそ、国民投票がしっかりと硬性憲法の最終的な手続として定められていることも言うまでもございません。

 そういうことをもろもろ勘案すると、やはり私は、国民投票が一刻も早くしっかりと現実的な社会において機能するように、この投票法の三つの宿題をこの場で集中的に議論するとともに、今の憲法の緊急権制度を初めとしたさまざまな課題についても、それこそ並行して議論をすることを強く訴えさせていただきたいというように思っております。

 会長の精力的な審査会の開催を心よりお願い申し上げまして、私からの意見表明とさせていただきます。

大畠会長 ありがとうございました。

 まだ御発言の御希望のある方もおられるようでありますが、予定をしていました時間が過ぎておりますので、また次回も行いますのでよろしくお願いしたいと思います。

 それで、きょう中山参考人、橘部長からも御報告をいただきましたが、中谷会長代理の方から御発言がございますので、中谷会長代理、お願いします。

中谷委員 先ほど中山参考人の方から、海外等の視察を通じて得られたことについて御報告をいただきましたが、そのテーマ以外で、海外調査を通じてお感じになったことや特に印象になることがありましたら、お聞かせいただきたいと思います。

 また今後、憲法審査会を進めるに当たりまして、各党からいろいろと御協力をいただいていくために、我々自身も努力しなければなりませんが、参考人といたしまして各党の協力をいただくために御腐心をされた点や印象に残っている点がありましたら、お聞かせいただきたいと思います。

中山参考人 突然のお話でございますので的確にお答えできるかどうかわかりませんが、きょうの大畠会長の議事運営についても、私はすばらしい運営をしていただいていると思っております。小沢先生にはあらかじめいろいろとお話もちょうだいしました。

 やはり今一番問題になっているのは、私は、全体の問題というよりも、全体とひっかかりますけれども、結局、あの大地震による大災害、これはもうだれの手で修復するとかそんなことじゃなしに、国家として、このような事態が起こったときに何を国家はするべきかという言葉に尽きると思うんですね。

 これは政党でございますが、内閣総理大臣がどこの党の所属とかそういうようなことは全く別の話。被災者にとってみたら、一刻も早く助けてほしい、処理してほしい、この気持ちがいっぱいだと思うんです。それにこの審査会あるいは国会がどう対応していくかといえば、それはやはり、非常事態における国のあり方というものを一度先生方に御議論を徹底的にしていただきたい。それには、自然災害とかあるいはまた周辺国からのミサイルが飛んでくるとか、そういうことはあってはならないことですけれども、実際にノドンは我々の国の上を飛んでいった。こういうことを考えますと、決してこの地域には平和はまだ起こっておりません。また、尖閣列島を初めいろいろなところで領海侵犯が絶えず起こっている。そういうことを含めても、やはり国民にとっては関心の深いことです。

 しかし、何が一番関心が深いかというと、やはり自然災害とそれから外国の武器の攻撃による国民の殺傷、これをどうするか、その起こったときに内閣総理大臣はどのような態度をとるべきか、また、どのような法律に基づいて国民の生命と財産の安全を守るべきかというところの突っ込んだ話は、法律的にはできていないと思います。

 だから、そこをぜひひとつ、委員長を初め先生方には、今一番大きな問題は、私は非常事態に対する問題だと思っております。アジアは決して平和にはなっておりません。やはり、互いに国の力を示す各国の考え方が動いている。そういうことで、ぜひ先生方も、周辺国の政治家ともいろいろ話し合いをされて、その上で、日本としてのあるべきことを先方に率直にお話しになって、我々の国の安全と国民の生命を守るということにぜひひとつ大きな柱を立ててください。それが私の願いです。

大畠会長 これにて参考人及び衆議院法制局当局の報告等を踏まえた自由討議は終了いたしました。

 この際、一言ごあいさつを申し上げます。

 本日は、中山参考人、橘部長、大変率直な、これまでの経過を踏まえての御報告並びに御発言をいただきまして、まことにありがとうございました。これから、憲法審査会の運営に当たり、大変有意義な内容であったろうと私は受けとめております。まことにありがとうございました。憲法審査会を代表して、心から御礼を申し上げます。ありがとうございました。(拍手)

 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。

    午前十一時二十一分散会


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