衆議院

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第3号 平成25年3月21日(木曜日)

会議録本文へ
平成二十五年三月二十一日(木曜日)

    午前九時開議

 出席委員

   会長 保利 耕輔君

   幹事 伊藤 達也君 幹事 岸  信夫君

   幹事 中谷  元君 幹事 葉梨 康弘君

   幹事 平沢 勝栄君 幹事 船田  元君

   幹事 武正 公一君 幹事 馬場 伸幸君

   幹事 斉藤 鉄夫君

      青山 周平君    泉原 保二君

      今村 雅弘君    衛藤征士郎君

      大塚  拓君    河野 太郎君

      今野 智博君    鈴木 馨祐君

      高木 宏壽君    高鳥 修一君

      棚橋 泰文君    土屋 品子君

      土屋 正忠君    土井  亨君

      徳田  毅君    西川 京子君

      馳   浩君    鳩山 邦夫君

      原田 憲治君    松本 洋平君

      武藤 容治君    八木 哲也君

      保岡 興治君    山下 貴司君

      山本ともひろ君    大島  敦君

      篠原  孝君    古川 元久君

      三日月大造君    山口  壯君

      伊東 信久君    坂本祐之輔君

      新原 秀人君    西野 弘一君

      三木 圭恵君    大口 善徳君

      浜地 雅一君    小池 政就君

      畠中 光成君    笠井  亮君

      鈴木 克昌君

    …………………………………

   衆議院法制局法制企画調整部長           橘  幸信君

   衆議院憲法審査会事務局長 窪田 勝弘君

    ―――――――――――――

委員の異動

三月二十一日

 辞任         補欠選任

  西村 明宏君     八木 哲也君

  鳩山 邦夫君     今村 雅弘君

同日

 辞任         補欠選任

  今村 雅弘君     鳩山 邦夫君

  八木 哲也君     今野 智博君

同日

 辞任         補欠選任

  今野 智博君     青山 周平君

同日

 辞任         補欠選任

  青山 周平君     西村 明宏君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する件(日本国憲法の各条章のうち、第三章及び第四章の論点)


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     ――――◇―――――

保利会長 これより会議を開きます。

 日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する件、特に日本国憲法の各条章のうち、第三章及び第四章の論点について調査を進めます。

 本日の議事について申し上げます。

 まず、日本国憲法第三章の論点について衆議院法制局当局から説明を聴取し、自由討議を行った後、第四章の論点について同様の進め方とすることといたします。

 それでは、日本国憲法第三章の論点に入ります。

 衆議院法制局当局から説明を聴取いたします。衆議院法制局法制企画調整部長橘幸信君。

橘法制局参事 衆議院法制局の橘でございます。

 前回に引き続きまして、本日は、第三章国民の権利義務の章と第四章国会の章につきまして、お手元配付の資料に基づき、その主要論点及び昨年の憲法審査会での御議論の際の各会派の先生方から開陳された主な御発言の要旨について御報告させていただきます。よろしくお願い申し上げます。

 申し上げるまでもなく、人権保障規定は憲法の最も中核的な規定であります。このことを端的に示すものとしてよく引用されるのが、一七八九年のフランス人権宣言第十六条ですが、そこでは、権利の保障が確保されず、権力の分立が定められていない全ての社会は、憲法を持たないと定められており、近代立憲主義の憲法の核心が、この人権保障と権力分立による権力の抑制均衡にあることが端的に述べられているところでございます。

 我が日本国憲法におきましても、第三章の国民の権利及び義務に定められております第十条から第四十条までの三十一カ条の規定につきましては、膨大な判例の積み重ねもあるところであり、また、実に多くの論点が含まれている分野でもありますが、前回と同様に、これまでの国会における憲法論議等において特に取り上げられてきた条文を中心に、お手元配付のA3縦長の一枚紙、論点表に基づきまして、できるだけ簡潔に御報告をさせていただきたいと存じます。

 それでは、早速、中身に入らせていただきます。

 第一の論点は、公共の福祉及び国民の義務に関する論点であります。

 まず、公共の福祉でありますけれども、この概念については、学説の通説的な見解によれば、人権相互の矛盾、衝突を調整するための実質的な公平の原理を意味するものと理解されているところでございます。

 しかし、これに対しては、従来から次のような御批判があるところでございます。

 例えば、人権を制約する根拠となるのは必ず他の人権でなければならないとの前提は、人権という概念をよほど拡張的な意味で用いない限り理解が困難ではないか。例えば、表現の自由を規制する根拠として持ち出される町の美観や静穏、性道徳の維持、電波の混信の防止などは、いずれも個々人の人権には還元されないものであり、社会全体の利益としてしか観念し得ないといったような批判でございます。

 また、そもそも公共の福祉という表現そのものがパブリックウエルフェアの翻訳であり、人権制約の原理をあらわす日本語として、ややミスリードなのではないかとの御批判もあるようでございます。

 このような問題意識を背景にしつつ、公共の福祉について、人権制約の一般的原理としてふさわしい別の表現に改めるべきではないかとするのがAの欄の御見解です。

 これに対して、そのような改正は不要であり、必要かつ合理的な人権制約は、現在でも公共の福祉の概念のもとで国会が定める法律によって行われており、今後ともそのような方式でよいとするのがBの欄の御見解です。また、Cの欄の御見解は、法律による人権制約はあくまでも必要最小限度であるべきとする点を強調するものです。

 この論点に関する前回の御議論では、自由民主党の近藤三津枝先生から、公益及び公の秩序という表現に改正するべきとの御発言が、また、民主党の大谷信盛先生からは、共同の責務を果たす社会の実現を目指すという観点から公共の福祉の再定義が必要であるとの御発言がそれぞれなされております。

 他方、公明党の赤松正雄先生、きづなの渡辺浩一郎先生からは、公共の福祉の概念が国民に定着しているなどの観点から明文改憲などは一切不要であるとの御発言がなされております。また、共産党の笠井亮先生からは、公益及び公の秩序などというように、人権よりも上位にあるものを国家が勝手に設定し人権を不当に制限するのではなくて、むしろ公共の福祉を厳格に運用して人権尊重を最優先するべきである旨の御発言がなされております。

 次に、国民の義務に関する議論です。

 現行憲法には、教育の義務、勤労の義務、そして納税の義務といったいわゆる三つの国民の義務規定が定められております。

 これに関しては、まず、現行憲法は権利一辺倒で義務意識や規範意識が希薄であるとか、あるいは、権利の行使には義務の履行が伴うことを憲法において明確にするべきであるとして、新たな義務規定、例えば国防の義務や環境保全の義務などの創設を求める見解がございます。これがA1の見解です。これに対してA2は、義務という規範性の強い形ではなく、より緩やかな規範意識というような意味での責任あるいは責務という形で、例えば国民の環境保全の責務のようなものを規定するのが適切ではないかとの御見解でございます。

 これらの明文改憲の御主張に対しては、近代立憲主義における憲法の意義は、公権力に対する縛りという制限規範という点にこそあるのであって、憲法が権利一辺倒であるのはそもそも当然のことであるとして、国民の義務や責務のようなものは、それがもし必要なのであれば法律ベースで定めればよいとするのがBの欄の御見解です。さらに、明文改憲も特段の立法措置も必要ないとするCの欄の御見解もございます。

 この論点に関する前回の御議論では、自由民主党の近藤三津枝先生が、国民の義務をふやすのではなく国を守る責任のようなものを緩やかに規定するべきとの御発言を、また、民主党の大谷信盛先生が、人間の尊厳の考え方に基づき、人権や環境を守るためのコミュニティー実現に向けた共同の責務という考え方の提案をしておられます。

 他方、公明党の赤松正雄先生は、国民の義務に関しては明文改憲も新たな法律上の措置も必要ないと、また、みんなの党の柿沢未途先生は、憲法は国家権力のあり方を制限する規範であることは明らかであり、国民の義務規定は必要最小限度にとどめるべきであるとの御発言を、社民党の服部良一先生は、国民の義務規定をふやすことには反対だとの御発言をされております。

 次に、大きな二番目の論点、いわゆる新しい人権に関する御議論です。

 この論点につきましては、まず、憲法の人権保障の規定は、憲法第九十七条自体が人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であると述べていることなどを踏まえて、時代の変化に対応して、この人権のカタログを豊富化していくことが望ましいし、またそれこそが憲法の要請するところであるという認識を背景として、明文改憲を御主張するAの立場がございます。

 これに対して、我が日本国憲法は、人権保障に関する一般的、包括的規定として第十三条を定めており、新しい人権と言われるものは、この十三条の定める幸福追求権や二十五条の生存権などの具体化として解釈上導き出すことができるものであるから、このような解釈を前提として立法措置を講ずれば足りるとするBの立場、さらには、特段の措置を要しないとするCの立場もございます。

 なお、一般的に主張されることが多い新しい人権としては、環境権、知る権利あるいはアクセス権、プライバシー権あるいは自己情報のコントロール権、そして犯罪被害者の権利などがございますが、ここでは、最もよく議論の俎上に上る環境権につきまして簡単に議論の内容を御紹介申し上げさせていただきたいと存じます。

 まず、国民の良好な環境を享受する権利を憲法に明記するべきであるとするのがA1のお立場です。

 これに対して、同じ明文改憲の御主張でも、良好な環境というものについて、これを例えば大気や水といった自然的な環境に限定する考え方もあろうし、遺跡や寺院などのような文化的、社会的環境まで含める考え方もあり、人それぞれによって違うものであるから、現時点では少なくとも、これを個人の権利として規定することは適切ではないのではないか、ドイツ基本法二十a条のように、国家の環境保全の責務という国家目標規定として定めるのが適切ではないかとする見解がA2のお立場です。

 そして、このA2の立場において、国家の義務あるいは責務というだけではなく、国民の義務あるいは責務としても定めるべきであるとする見解もございまして、この場合には、第一の論点として先ほど言及いたしました国民の義務、責務論とも関係してくることになると存じます。

 この論点に関する前回の御議論では、自由民主党の近藤三津枝先生は、憲法に規定することにより、一般の法律改正では廃止できなくなるので、より手厚い国民の権利保障という観点から、環境権、知る権利、プライバシー権、犯罪被害者の権利など、いずれについても明文改憲で対応するべきとの御発言を、民主党の大谷信盛先生も、現行憲法の人権保障を新しい時代にふさわしいものへと進化させていく必要があるとして、これらの権利の明記を御主張されております。また、公明党の赤松正雄先生も、環境権については、これを明記することは必要である旨の御主張をされております。

 他方、社民党の服部良一先生は、これらの新しい人権と言われるものは日本国憲法十三条などで包括的に保障されており、それを妨げてきたのはむしろ法律や判例であるとの御発言を、また、共産党の笠井亮先生は、知る権利をじゅうりんして報道、取材の自由を制限するような秘密保全法をつくろうとする動きがあるが、こうした現実の検証や憲法に基づく人権保障という政策実行こそが必要であるとの御主張をされております。

 三番目は、これまでの国会論議において御議論が多かった、その他の人権条項に関する論点として、四点ほど論点表に掲げておりますが、お時間の関係で、特に御議論が多かった、生命倫理、政教分離、そして家族等の尊重に関する論点について、ごく簡単に御報告させていただきます。

 まず、生命倫理に関する御議論ですが、これは、遺伝子工学などの発達により、それらの学問、研究は、時として生命の尊厳や生命倫理と緊張関係を生ずる場合が出てまいります。そこで、スイス憲法などの規定に倣って、学問の自由といっても決して無制限なものではないこと、特に、生命の尊厳を侵害するような生命操作の禁止、遺伝情報へのアクセス規制などを憲法に明記するべきであるとする見解がAの欄のお立場であります。

 これに対して、そのようなことは公共の福祉による人権制約として、法律でもって規定すれば足りるとするのがBの欄のお立場です。

 この論点に関する前回の御議論では、民主党の大谷信盛先生が、人間の尊厳を尊重する考え方に基づき、生命倫理に関する規定を置くべきことを、また、公明党の赤松正雄先生が、科学技術の進歩によって人間の尊厳や生命の重要性が侵されるおそれがあり、生命軽視の風潮の中、個人の尊重を超えた生命の尊厳という概念を憲法に明記することは重要であるとの趣旨の御主張をされています。これに対して、自由民主党の近藤三津枝先生は、そのようなことは立法措置によって対応すれば足りるとの御発言をされております。

 次に、政教分離に関する御議論ですが、現行憲法は、二十条一項の後段で、「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」と規定するとともに、同条三項では、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」と定めて、いわゆる厳格な政教分離を定めていると言われます。

 しかし、国家と宗教の厳格な分離といっても、その一切のかかわりを排除するものではございません。最高裁判所においても、まず第一に、その行為が世俗的な目的のものであること、第二に、その行為の主要な効果が特定の宗教を助長したり、逆に圧迫したりするものでないこと、このような条件を満たす場合には、二十条三項で禁止される宗教的活動に該当しないと判示しているところです。いわゆる目的効果基準と言われる判断基準でございます。しかし、この基準によっても、具体的にどのような行為が許容され、あるいは禁止されるのかについては議論があるところであります。

 毎年八月になりますと、首相を初め国務大臣等の靖国神社の公式参拝の可否あるいは適否が政治的にも問題となってきたことは先生方御承知のとおりでございます。

 このような問題意識を背景として、明文改憲を主張する御見解としては、厳格な政教分離を前提として、これをこのまま憲法に明文化すべきとするA1の見解と、これとは逆に、一般的な習俗的行事や社会的儀礼に属する行為については、広く憲法上許容されるように明文の規定を設けるべきとするA2の見解がございます。

 もちろん、現在のままでよいとするCの見解もございます。

 この論点に関する前回の御議論では、民主党の大谷信盛先生が政教分離の厳格な維持を明記するA1のお立場から、他方、自由民主党の近藤三津枝先生が公費による玉串料支出などが可能となるような緩やかな政教分離の明文化を求めるA2の立場から、それぞれ明文改憲の御主張をされております。これに対して、社民党の服部良一先生は、現行憲法のもとでの厳格な政教分離原則の適用を求める御発言をされました。

 もう一つは、家族、家庭や共同体に関する御議論でございます。

 現行憲法は余りに個人主義に偏しているとして、社会の基礎としての家族や家庭の重要性を再認識し、家族間における相互扶助や家庭教育などの家族や家庭が果たしてきた機能を再構築するためにも、家族や家庭の尊重及び国家に対するその保護の規定を憲法に設けるべきであるとするAの欄の御主張がございます。

 これに対して、家族や家庭に関する事項は、近代憲法が峻別してきた公と私、公、パブリックと、私、プライベートのうち、後者に属するものであり、それは私人の自由な領域に任せておくべき事項であることや、また、家族や家庭の尊重のような道徳的な事項は憲法に書き込むべきではないことなどを理由として、現行のままでよいとするCの欄の御主張もございます。

 この論点に関する前回の御議論では、自由民主党の近藤三津枝先生がAの明文改憲を、他方、社民党の服部良一先生がCの不要論を述べておられました。

 最後に、以上、御報告申し上げました論点に係る条文以外にも第三章には幾つもの重要な条文が並んでおりますが、ここでは、前回の御議論において御発言があった条文のうち主要なもの、幾つかのものについて御紹介申し上げたいと存じます。

 まず、第十四条の法のもとの平等規定に関連して、最近の最高裁判決でも問題となっている一票の格差問題に関する議論がなされました。

 これについては、一方では、厳格な人口比例原則に基づく一人一票の平等を求めるみんなの党の柿沢未途先生の御発言や、選挙結果に民意が正確に反映され、投票価値の平等が保障される選挙制度への改正こそ憲法の要請である旨の共産党の笠井亮先生の御発言がございました。

 これに対して、法のもとの平等を考える際には人口のみならず地域間の格差をも考慮すべきであり、このような観点からは最高裁で違憲と判断された一人別枠方式のような基礎的配分方式もおかしいとは考えられないのではないかとの、当時民主党におられた小沢鋭仁先生の御発言もございました。

 次に、生存権に関する御議論ですが、共産党の笠井亮先生、社民党の服部良一先生は、経済的、社会的弱者を保護し、福祉国家の理想を実現することを国の責務としている二十五条に照らして、生活保護費削減などの制度改悪は問題であるとして、社会保障の充実と財政危機打開の道を探求すべきとの御主張をされております。

 また、勤労の権利に関しては、民主党の大谷信盛先生が、二十一世紀の新たな時代に対応して、勤労の権利の再定義を提言されております。また共産党の笠井亮先生は、労働者の権利が二十七条、二十八条で保障されているにもかかわらず、現実にはワーキングプアなどの問題があり、労働実態の徹底的検証と雇用と権利を守るルールづくりの必要性についての御発言を、また当時民主党におられた鈴木克昌先生も、勤労者の約三割を占める非正規労働者の勤労の権利が十分に保障されているのか、これをこそ検証する必要がある旨御主張されておりました。

 以上、憲法第三章国民の権利及び義務に関する主要な論点について御報告させていただきました。

 駆け足で大ざっぱな御報告になってしまいましたが、以上でございます。どうもありがとうございました。

保利会長 以上で衆議院法制局当局からの説明聴取は終わりました。

    ―――――――――――――

保利会長 これより自由討議に入ります。

 この自由討議につきましては、幹事会の協議に基づき、まず、各会派を代表する委員が順次発言を行い、その後、各委員が自由に発言を行うことといたします。

 発言の中には、事実確認等のため、衆議院法制局当局に対する質問を含んで結構です。

 それでは、まず、各会派を代表する委員の発言に入ります。

 発言時間は五分以内とし、その経過については、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたします。

 発言は自席から着席のままで結構です。

 発言の申し出がありますので、順次これを許します。平沢勝栄君。

平沢委員 自由民主党の平沢勝栄でございます。

 日本国憲法第三章国民の権利及び義務について、自民党草案を中心に見解を述べさせていただきます。

 日本国憲法が制定されてから六十五年がたちまして、時代が大きく変わったわけでございますけれども、その時代の変化に対応して国民の権利を一層充実していく必要が生じているわけで、そうした観点から、新しい人権に関する規定を幾つか設けることにしたところでございます。

 また、既存の人権規定につきましても、我が国の歴史、伝統、文化を踏まえたものに直すことが必要だということで、例えば基本的人権につきましても、現行の憲法は、「基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」とありますけれども、これを、「基本的人権は、侵すことのできない永久の権利である。」に改めたところでございます。

 次に、現行憲法には公共の福祉という表現が出てきますが、その意味が曖昧でわかりにくいと言われております。

 例えば、学説上は、公共の福祉は、人権相互の衝突の場合に限ってその権利行使を制約するもので、個々人の人権を超えた公益による直接的な権利制約を正当化するものではないなどという解釈が主張されているところであります。

 そこで、改正草案では、公共の福祉を公益及び公の秩序に変えまして、これによりまして、憲法によって保障される基本的人権の制約は人権相互の衝突の場合に限られるものではないことを明確にしたところでございます。

 次に、新しい人権として加えたものについて述べさせていただきます。

 まず、個人情報の不当取得の禁止等の規定を設けましたけれども、これは、いわゆるプライバシー権の保障に資するため、個人情報の不当取得等を禁止したものでございます。

 次に、国政上の行為に関する国による国民への説明の責務の規定を設けましたけれども、これは、国の情報を適切にわかりやすく国民に説明しなければならないという責務を国に負わせ、国民の知る権利の保障に資することとしたものでございます。

 次に、環境保全の責務につきましては、環境保全の重要性に鑑みまして、国は、国民と協力して、良好な環境の保全に努めなければならないという規定を新たに設けたところでございます。

 次に、犯罪被害者等への配慮の問題につきましては、現行の憲法には、犯罪を犯した疑いのある者あるいは刑事被告人につきましては十カ条にわたって人権を守る規定が置かれています。その一方で、犯罪被害者本人及びその家族の人権については一言一句出ていないわけでございます。その結果として、犯罪被害者の支援など、犯罪被害者の人権を守る取り組みが大きくおくれてきたことは否定できませんで、まさに現行憲法の大きな欠陥の一つであったわけで、これを改正しようとするものでございます。

 次に、現行憲法は、誰もが認めるように、余りに個人主義的に偏しておりまして、家族が社会の極めて重要な存在であるにもかかわらず、その規定がないわけでございます。そのことに鑑みまして、新たに家族に関する規定、すなわち、「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。」という規定を新設したところでございます。

 次に、自民党改正草案では教育環境の整備についての規定も設けたわけでございますけれども、これは、国民が充実した教育を受けられることを権利と考え、このことを国の義務として規定したものでございまして、具体的には、教育関係の施設整備や私学助成などについて国が積極的な施策を講じることを考えているところでございます。

 以上、新設の主な規定について述べたところでございますが、このほかに国民の権利義務に関して新たに置かれた規定について述べますと、まず、国などによる宗教的活動の禁止規定の明確化があります。

 現行憲法には、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」とありますけれども、これについては、一般教養としての宗教教育は禁止されているものではないということになっているわけでございまして、したがって、そのことを明確にするため、特定の宗教のための教育はしてはならないという文言に改めたところでございます。

 また、最高裁判例を参考にしまして、社会的儀礼または習俗的行為の範囲を超えないものについては国や地方自治体の宗教的活動の禁止の対象から除外したところでありまして、これにより、地鎮祭に当たって、公費から玉串料を支出するなどの問題が解決することになるわけでございます。

 そのほか、在外国民の保護についての規定も新たに設けました。そして、知的財産権についての規定も設けたわけでございます。

 最後に、改正草案では、選挙権について、「公務員の選定を選挙により行う場合は、日本国籍を有する成年者による普通選挙の方法による。」としまして、選挙においては日本国籍の要件を必須としたわけでございます。

 現行憲法でも、選挙権は、国、地方を問わず、日本国籍を有する者にのみ与えられていますけれども、地方参政権を外国人に与えることは現行憲法でも可能などという解釈が一部でなされています。そこで、改正草案では、選挙権は、国や地方を問わず、日本国籍を有する者に限るということを明文化し、この問題に決着をつけようとしたわけであります。

 以上で、自由民主党を代表しての意見表明を終わらせていただきます。ありがとうございました。

保利会長 次に、山口壯君。

山口(壯)委員 民主党の山口壯です。

 第三章国民の権利及び義務について、幾つかのポイントについて述べさせていただきます。

 私たち民主党は、ともに生きる社会を目指しています。それは、全ての人にチャンスが与えられる社会であり、誰も取り残されることがない社会です。今、現状を見るに、全ての人にチャンスが与えられているとは言いがたいし、誰も取り残されることがないとも言いがたいです。

 そのような新しい社会をつくるという大きな課題を未完のまま残していることにはじくじたる思いがありますが、本日は、これまで数年にわたって民主党内で重ねてきた議論の中から、国民の権利と義務に関する部分を少し整理してお伝えさせていただきます。

 全ての人にチャンスが与えられる社会を構築するという観点からは、例えば、勤労の権利を再定義するとともに、その保障に関して、国及び企業等の責務を明確にするなども必要と考えます。

 さらに、公共の福祉という曖昧な概念により、個々の人権が恣意的解釈により制約を受けないようにせねばならないと考えます。特に、内面的自由の確保を核とする自由権に関しては、公権力による恣意的な制約を一切排除する必要があります。このことは、憲法上、新たに明文で定める価値があると思います。

 また、憲法制定時に比べて、社会は大きく変化し、価値観も大いに変容していることから、環境権、知る権利等の新しい権利を確立し、憲法に明記すべきと考えます。

 特に、一昨年の福島第一原発の事故を踏まえるとき、日本から世界に対するメッセージとして環境国家への道を示すことはこれからの日本の役割として極めて重要であり、そのような観点からも、環境権あるいは知る権利等の新しい権利を憲法に新たに明記することについて、国民の間に拒否感は極めて少ないと思われますし、むしろ積極的な支持も多いだろうと考えます。

 誰も取り残されることがない社会という観点からは、例えば、子供を独立した人格と認め、子供の権利を明記してもよいと考えます。そのことにより、国及び地方公共団体並びに保護者、地域等の教育に関する責務を明確にすることも、あわせて行われるべきです。

 また、あらゆる差別をなくす規定を憲法上置くことについて議論があってしかるべきと考えます。

 以上の議論は、未来志向の憲法論議としては重要ですが、そのために憲法をどうしても改正せねばならないかどうかとなると、その実態は、憲法を明文上改正しなければ絶対に実現できないものは少なく、実は、法律のレベルで対処可能なものがほとんどであることも事実です。

 憲法を法律と同レベルで捉えてしまうことは、基本的人権の保障のレベルを下げることにつながりかねず、注意を要すると考えます。しかし、純粋な憲法論議そのものの観点から、新しい時代には新しい権利義務があってよく、それらがどのようなものであるかの議論はなされてしかるべきと考えます。

 以上です。

保利会長 次に、伊東信久君。

伊東(信)委員 日本維新の会、伊東信久です。

 日本国憲法第三章国民の権利及び義務について、日本維新の会は、自立する個人、自立する社会、自立する国家を実現する維新八策を掲げており、この理念を実現する観点から、現行憲法の国民の権利義務規定の見直しを進めていきたいと思っております。

 言いかえれば、国民の基本的人権は最大限尊重されるべきでありますが、その一方で、個人は他者との共生の上に成り立つ存在であります。よって、これまで保障されてきた権利の行使に際しては、権利に伴う義務、自由に伴う責任を自覚し、他者の権利、自由を尊重し、個人の権利と国家社会の利益との調整を図らなければなりません。

 そこで、国民の権利と義務については、以下のような方向性で憲法議論を進めていきます。

 一番目でありますが、現行憲法で認められた自由及び権利は引き続き保障する方向で議論していく。ただし、権利及び自由の行使に関連して、権利と義務、他者の権利との関係、人権制約原理などについて、より適切な表現を検討していきます。

 解説しますと、個人の権利行使は、他者の権利との関係においてのみならず、国家社会の利益との関係において調整を必要とします。そのための人権制約原理を、公共の福祉という曖昧な概念ではなく、国の安全、公の秩序、国民の健康または道徳その他の公共の利益などの、より具体的で明確な概念で規定するように検討していきます。

 二番目として、環境権、プライバシー権、国民の知る権利など、新しい権利義務を新設する方向で議論する。

 解説しますと、良好な自然環境を享受することは国民の権利であり、同時に、その保全は国家及び国民の義務であることを明記します。

 既に判例上確立されているプライバシー権、情報公開等の立法政策により具体化されている知る権利、さらに、国益に反しない限りにおいて公的な情報の開示や説明を行う国の責任を明記することを検討します。

 日本維新の会は、密室の談合を排した行政プロセスの可視化と称して、政策決定過程の見える化を実現する制度を整備することをうたっています。

 表現の自由は、個人の名誉やプライバシーの保護、青少年の保護育成のために一定の規制を受ける場合があることを検討します。

 政教分離原則は、あくまで個人の信教の自由を確保するための手段であるから、日本古来の多神教的風土、日本人の宗教意識の多重性などに鑑み、儀礼、習俗の範囲内であれば国や地方公共団体が宗教的なものにかかわることができるように検討します。

 グローバル社会の到来を踏まえ、基本的人権の保障は、参政権など、権利の性質上、日本国民のみを対象としていると解されるものを除き、日本に在留する外国人に対してもひとしく及ぶ旨を明記する方向で検討します。

 三番目に、自立する個人を支える基盤の一つである家族の価値と、それを保護すべき国の責任を新設することを検討する。

 解説しますと、個人の尊重及び男女同権に加え、自立する個人を支える基盤となる社会の自然かつ基礎的な単位である家族の価値と、それを保護すべき国の責任を人権の通則的原理として規定する方向で検討します。

 つまりは、社会政策として、維新の会は、仕事と家庭、日々の生活を両立させ、心身ともに健全な生活を送ることができるよう、環境整備を行うことをうたっています。そして、少子化対策にもつながるワーク・ライフ・バランスの実現のためには、その前提として、当然家族を重視する政策をとることになります。

 以上で、日本維新の会を代表しての意見表明を終わります。

保利会長 次に、斉藤鉄夫君。

斉藤(鉄)委員 公明党の斉藤鉄夫です。

 新しい人権は、十三条の個人の尊重、幸福追求権、二十一条の表現の自由、二十五条の生存権を初めとする憲法条文の解釈によって導き出されると一般的に考えられておりますが、憲法がこれからの日本の骨格をなすべきだと考えますと、より積極的に明示すべきと考えます。いわゆる加憲の考え方です。

 新しい人権を憲法上の権利として承認できるかどうかは、特定の行為が個人の人格的生存に不可欠であるばかりでなく、その行為を社会が認め、他の基本的人権を侵害するおそれがないかなど慎重に判断すべきであり、権利のインフレを招くべきではないとの強い主張、また、それらは立法においてなすべきだとの主張があり、新しい人権を考える場合、これらを踏まえる必要があるのは当然のことでございます。

 時代の変化は極めて激しいものがあり、迫られる課題も多いわけですけれども、二十一世紀の日本をいかに築くかという未来志向の憲法論議に立った場合、むしろ憲法に明記することによって事前の人権保障を可能とし、時代の変化に対応した積極的な立法措置を可能にすることが望ましいのではないかと考えております。

 個別に入りますが、環境権は、良好な環境を享受し、国家及び国民が環境保護に努めるといった趣旨の権利、責務でございます。十三条や二十五条によってそれが読めるという解釈もありますが、かつての人間中心主義ではない、自然との共生も含んだエコロジカルな視点に立った環境権を定めるべきであると考えます。

 また、IT社会の進展する中で、プライバシーの権利を守ることが必要になっております。私事に属する個人情報を保護するということは当然として、より積極的に自己情報をコントロールする権利として確保することが検討されることは意義があると思います。

 また、知る権利が二十一条の表現の自由から導かれるとの主張がございますが、自由権から発している表現の自由と政府などの情報開示を求める知る権利とは異なるとの意見もあり、今後の検討課題であると考えます。

 なお、権利と義務で書かれた憲法に、新しい責任の概念を入れて、環境の保護や国民への情報開示は国などの責任として考えるとの新しい視点での指摘もあり、注目されると考えます。

 十三条の個人の尊重、幸福追求権、公共の福祉の中でも、生殖医学、遺伝子技術の発展に伴う生命倫理のあり方については、現憲法には条文はありませんが、人間存在の本質にかかわる問題が内包されるだけに、どう考えるかは今後の重要な検討課題だと思います。

 二十六条に教育を受ける権利、受けさせる義務があります。敗戦直後と現在では、高校、大学の進学率を初めとして、大きく教育環境は変化しております。憲法学上、二十六条については論点となることはほとんどありませんが、生涯にわたって教育が大切となっていることを初めとして、より積極的な人間主義的教育観を主張するという声も党内にございます。

 三十二条に裁判を受ける権利がございます。資力に欠ける国民が民事法律扶助を受ける権利を追加することによって、この条項をさらに強化することが必要であると考えます。現憲法は、専ら刑事被告人の権利を保護しておりますが、犯罪被害者の人権については触れられておりません。犯罪被害者の精神面も含めた権利保障や刑事手続への参加、関与などを求める声が上がっております。犯罪被害者といっても、その態様は多岐に及ぶものであり、法整備も一定の前進は見られるが、憲法上どうするかは検討課題の、大きな課題の一つであると考えております。

 以上です。

保利会長 次に、畠中光成君。

畠中委員 みんなの党の畠中光成でございます。

 本日は、第三章の国民の権利と義務についてであります。

 そもそも、法治国家における憲法の性格は、国家権力のあり方を制限的に規定するものであります。よって、国家権力が侵すことのできない国民の基本的権利を定めたものと解しております。ホッブズの言うリバイアサンを引き出すまでもなく、憲法によって規定の対象となるのは国家権力だというのが基本であります。

 憲法改正論議の中で、日本国憲法が国民の権利を強調し過ぎており、義務が少ないのではないかという見方がありますが、近代立憲主義における憲法の考え方は、むしろ国民への義務は必要最小限にとどめるべきというものであります。

 もちろん、逆に、国家権力が国民のために積極的に保障する権利は、先ほど申し上げた憲法の持つ基本的性格を踏まえつつも、否定する立場ではありません。この現行憲法の第三章による人権保障規定は諸外国のそれと比べても遜色ないと考えます。

 そのようなことを鑑みれば、おおむね第三章の規定については憲法が改正されたとしても引き継がれるものであると考えます。みんなの党が昨年四月に発表いたしました憲法改正の基本的考え方においても、特段、第三章についての改正すべき点を掲げておりません。

 ただし、時代の流れとともに現実とのギャップや不都合が生じ、新しい人権の概念が求められる可能性も否定しません。これについては、立法措置で十分なのか、憲法に明記すべきものなのかは、今後、党内で議論を深めていきたいと考えます。

 そのほか、みんなの党が地域主権型道州制を主張している観点から申し上げますと、これにより地方自治体の役割が飛躍的に高まることになりますので、外国人の参政権には反対の立場ではありますが、これを憲法上の観点からも明確にする必要があるか否かなども議論の必要があるかと考えます。

 最後に、憲法第十四条、法のもとの平等において違憲と判断された一票の格差問題について申し上げます。

 一票の格差が最大二・四三倍だった昨年十二月の総選挙について、東京、札幌、仙台、名古屋など多くの裁判所が違憲と判断しました。これを早急に、しかも的確に解決するために、みんなの党は、全国集計の比例代表制を提案しております。全国ベースで政党別に議席配分されるため、一票の格差は生じず、正確な一人一票が実現します。人口流動による不均衡が生じない、人為的な恣意性が排除される、区割り変更の必要がないため、すぐにでも実行が可能であるなど、たくさんのメリットがございます。

 この一票の格差問題は、選挙制度のみならず、憲法そのものにかかわる問題でございます。また、選挙制度は選ぶ方の国民から見てわかりやすさが肝心です。選ばれる方の都合を重視するとどうしてもわかりにくくなってしまうのではないでしょうか。憲法審査会にお集いの先生方にも、この選挙制度の見直しについて、ぜひ憲法の観点からも御一考いただければとお願い申し上げます。

 以上、みんなの党の第三章についての意見表明とさせていただきます。

保利会長 次に、笠井亮君。

笠井委員 日本共産党の笠井亮です。

 日本国憲法第三章は、基本的人権の尊重を明記したことに中心的な意義があります。

 まず、第十一条で、基本的人権は侵すことのできない永久の権利と宣言し、十三条で、全て国民は個人として尊重され、生命、自由、幸福追求の権利は国政上最大の尊重を必要とするとの総則規定を設けた上で、精神的自由、経済的自由を定めています。そして、二十五条で、健康で文化的な生活を営む権利を定め、全ての生活面でその向上、増進に努めることを国の責務として明確にしていることが極めて重要な点と考えております。

 憲法前文で、恐怖と欠乏から免れて、平和のうちに生存する権利をうたっていることも、基本的人権の重要な内容をなしています。さらに、第十章最高法規の九十七条で重ねて基本的人権の永久不可侵性を規定したことは、憲法が人権保障を最も重視していることを示すものです。

 この憲法の原則に照らして、現実がどうなっているのか、具体的な問題で幾つか述べます。

 まず、東日本大震災、東京電力福島原発事故の問題です。

 あれから三年目に入った今日なお、約三十二万人もの方々が厳しい避難生活を強いられています。原発事故の被災者は、現在と将来への展望が持てず、自分たちは見捨てられたのではないかとの疑念さえ持っています。人間の尊厳と幸福追求権を定めた十三条、生存権を定めた二十五条がありながら、なぜ被災地の復興が進まないのか、これが被災者共通の怒りの声です。今こそ憲法の原則に立ち、被災者の生活となりわいの再建に政治が全力を尽くし、直ちに原発ゼロの決断を行うことが求められています。

 次に、労働者の雇用と権利はどうなっているかです。

 憲法二十七条は勤労の権利、義務を、二十八条は労働基本権を定め、これらの規定に基づき、労働基準法を初め、労働者の雇用と権利を守る一連の法整備がなされたのであります。

 ところが、これらの労働法制が、大企業の目先の利益を最優先にする方向で次々と改悪され、ワーキングプア、過労死、大量リストラ、不当解雇など、労働者にとって深刻な事態が起こっています。特に、派遣労働の原則自由化、製造業への拡大など、労働者派遣法の改悪が重ねられ、非正規労働者の大量解雇や雇いどめなど、重大な雇用破壊が進められてきました。

 加えて、安倍内閣の産業競争力会議では、解雇を原則自由にする法改正さえ検討されています。さらなる雇用破壊を広げるものであり、憲法の要請に逆行するものと言わなければなりません。

 デフレ不況脱却のためにも、憲法に基づき、労働者の雇用と権利を守る政治への転換こそ必要だと強調したい。

 最後に、社会保障をどう拡充させていくかの問題です。

 とりわけ憲法二十五条を根拠とする生活保護制度は、国が生活に困窮する全ての国民に対し必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障することを目的としています。最低限度の生活とは、国民が単に辛うじて生物として生存を維持できるという程度のものではなく、人間に値する生存を意味するものです。ところが、現実はどうか。一般低所得世帯との均衡や、自助、共助の名のもとに、生活保護を必要としている人が窓口で排除されたり、生活保護費を削減されているのであります。

 今、安倍内閣は、物価下落などを理由に、生活扶助費を三年間で最大一〇%も削減しようとしています。月額二万円も減らされる世帯もあり、貧困と格差を一層広げるものです。

 国民の生存権を破壊する生活保護制度の改悪、低所得者ほど負担の重い消費税増税の中止、社会保障の拡充こそ憲法の要請であることを強調し、意見表明とします。

 以上です。

保利会長 次に、鈴木克昌君。

鈴木(克)委員 生活の党の鈴木克昌であります。

 憲法第三章国民の権利及び義務について、生活の党の現時点での考え方を述べたいと思います。

 意見表明に当たり、最初に強調しておきたいのは、憲法論議に当たっては、憲法のどこが現在の世の中に適合していないのかといった、憲法の中身の議論をまず行う必要があるのではないかということであります。

 今回のテーマである国民の権利義務についても、議論すべき点は多々あると思います。しかし、そうした憲法の中身の議論を抜きにして、いきなり九十六条の憲法改正手続を改正しようというのは、順序が逆ではないかと考えています。

 まず、国民の義務に関する論点について申し上げます。

 この点については、例えば、国防の義務や投票の義務などを憲法に明記すべきという意見が見られます。しかし、国家権力を制限して国民の人権を守るというのが憲法の役割、近代立憲主義の考え方であります。そうした観点に立つと、憲法上、国民の義務をふやそうというのは議論の方向が違うのではないかと考えます。今申し上げた考え方からすれば、国防の義務や投票の義務など、国民の義務を新たに憲法に明記すべきではないと考えます。

 一方で、憲法に定められている権利、自由といっても、それは無制限のものではありません。自由には責任が伴うことは言うまでもないことです。憲法には、国民は権利や自由を濫用してはならないということは規定されていますが、自由には責任を伴うという観点は憲法の規定上には明らかではないように思います。今述べた観点から、憲法に、国民の義務の形で、自由には責任が伴うというような規定を設けるべきではないかと考えます。この点については、論点表ではA2の立場であります。

 次に、いわゆる新しい人権の論点について申し上げます。

 憲法が制定されてから現在に至るまでの間に社会情勢などが変化してきたことに伴って、憲法制定当時には想定されていなかったと考えられる人権が出てきたものと考えられます。今ここで論点表に挙げられているような環境権、知る権利、プライバシー権などについては、できる限り憲法に明記すべきであると考えます。時代の変化に応じて、憲法に定められる人権のカタログを豊かにするというのは、国民の権利、自由を守るという憲法の役割から考えて、妥当なものであろうと考えます。論点表ではAの立場です。

 次に、政教分離原則の論点について申し上げます。

 政教分離原則をめぐっては、例えば、地鎮祭などに公費から玉串料を支出することができるかどうかについて、裁判でもたびたび問題になったところであります。こうしたものは一般的な習俗的なものと見ることもできるものであり、こうした行事への参加に公費の支出が認められることが明確になるように、憲法に明記することも検討されていいのではないかと考えます。

 次に、家族、家庭や共同体の尊重の論点について申し上げます。

 家族は社会を構成する基礎的な単位であると考えますが、昨今、家族のきずな、結びつきが弱まってきているようにも思います。社会の基礎としての家族、家庭の重要性を再認識するためにも、家族、家庭や共同体の尊重について憲法に規定を設けることも検討すべきではないかと考えます。

 以上、私からの意見表明といたします。

保利会長 これにて各会派を代表する委員の発言は終了いたしました。

    ―――――――――――――

保利会長 次に、委員各位による自由討議に入ります。

 この際、委員各位に申し上げます。

 本日の自由討議におきましては、発言を希望される委員は、お手元にあるネームプレートをお立ていただき、会長の指名を受けた後、発言してください。発言が終わりましたら、ネームプレートは戻していただくようにお願いいたします。

 発言は自席から着席のままで結構です。また、発言の際には、所属会派及び氏名をお述べいただくようお願いいたします。

 なお、幹事会の協議によりまして、一回当たりの発言時間は三分以内といたしたく存じます。委員各位の御協力をお願い申し上げます。

 発言時間の経過につきましては、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたします。

 それでは、発言を希望される委員は、ネームプレートをお立てください。

西川(京)委員 自由民主党の西川京子でございます。

 二十条と二十四条について発言をさせていただきます。

 二十条の信教の自由についての第三項、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」この書きぶりがやはり非常に問題であって、この「宗教教育」の前に個別のという一言を入れたら非常に、これからの日本という国の将来に向けて大きく開けてくることになると思うんですね。

 いわば、宗教教育というのは人間の教育の根本であると私は思っています。宗教的、心の、精神の涵養、そういう意味での、広く大きな、人知を超える宗教的なものに対する恐れのような概念、そういうものを育てるのがいわば教育の原点である、私はそう思っておりますので、個別の宗教教育、宗教的活動は禁止して大いに結構ですが、そういう意味での幅広い宗教教育というのは必要だと思います。

 そういう意味でも、このAの2の、ごく一般的な習俗的行事への参加に公費の支出は認められる、この辺の緩やかな感覚というのも非常に大切だ、そういうふうに思っております。

 そして、次の二十四条の、家族、家庭や共同体の尊重という意味で、これは世界人権宣言にも規定してあることですが、社会の本当に自然発生的な婚姻制度のありよう、そういう中で、家族の規定というのは本当に大事なことで、今、個人の人権、権利の保障というのが非常に多く規定されている現憲法の中で、それとむしろ対極にあるということになるのかもしれませんが、社会の本当に基本的な、自然発生的な家族というものを大事にするということは大変大事だと思っております。

 これはある意味では、縦のつながり、自分だけではないという長い歴史的背景も自覚できる中で、次の世代を育てていくという人間の積極的な意識も育っていくことだろうと思いますので、ぜひこの家族条項、これは大切だと思っております。

 以上です。ありがとうございました。

船田委員 自民党の船田でございます。

 私は、この章におきましては、公共の福祉というものが非常に曖昧である、もう少し概念を整理して議論していく必要がある、常々そう思っておりました。

 英語のもともとの文章ではパブリックウエルフェアということで、これが日本語に訳されるときに公共の福祉となったわけですが、その際、余り具体的に議論がされていなかった、そういう印象も受けます。

 私は、公共の福祉というのは、二つの意味といいますか、二つの柱によって成り立っていると思っています。一つは、人権相互の調整原理、あるいは、もうちょっと言葉を砕きますと、個人個人が持っている自由がぶつかり合ったときにそれを調整する、そういう原理である。そしてもう一つが、社会的価値の実現、これはもう少し言葉を継ぎ足すと、社会の秩序を全体として守っていく、こういうことだと思っています。

 この二つの概念は区分して理解をすべきでありますし、もし可能であれば、公共の福祉という言葉は、憲法の中で、公益及び公の秩序というふうに変えるべきだと思います。公の秩序というのは人権相互の調整原理に当たる部分、公益というのは社会の秩序を守るという部分、こういうふうに解釈できるのではないかというふうに思っております。

 それから、義務と権利でございますが、権利は非常に多く規定をされておりますが、義務につきましては、国民の義務として三つしか定義をされておりません。したがって、このような状況が、全てではございませんけれども、戦後の社会の、権利を優先するという社会をつくってきた、そういう原因の一部ではないかと思っております。

 したがって、新しい義務を考えていくということも大事でありますし、さらに、私としては、権利の裏腹に義務がある、自由の裏腹に責任があるということを、憲法上どこかで明記することが必要ではないかと考えております。

 以上です。

古川(元)委員 民主党の古川元久でございます。

 私は、第三章の国民の権利及び義務の章を考えるに当たっては、将来世代の権利や利益をどう担保していくか、そうした視点というのが大事じゃないかということを申し上げたいと思います。

 例えば、公共の福祉の概念、これは私も、党で主張しておりますように、再定義が必要ではないかというふうに思っておりますけれども、人権制約原理のところの人権の相互の調整原理という場合に、将来世代の人権というものも検討に入れるのも一つの考えではないかと思いますし、あるいは、社会的価値の実現もしくは確保のための公共の福祉という場合に、その社会的価値の中には、将来世代の、例えば適切な環境の中で生活できる権利とか、そういうものも社会的な価値の実現もしくは確保として考える。

 どうしても民主主義の社会では、今の現役世代、特に今選挙権を持っている世代の利益が中心に反映されがちでありますけれども、やはり社会として、国家として、将来世代に引き継いでいくためには、将来世代の権利利益というものをどう確保していくか、そういう観点も、公共の福祉あるいは人権というものを考えるに当たっては大事なことではないか。また、国民の義務を考えるに当たっても、そうした将来世代の視点というものが非常に大事ではないかというふうに思っております。

 あと、もう一点だけ、新しい人権についてでございますけれども、一つつけ加えたいと思うんです。

 私は、新しい人権、これは、人類のこれまでの人権獲得の努力、この人権カタログを時代に合わせてふやしていくことは非常に重要だというふうに考えておりますけれども、同時に、最初の法制局からの説明にもありましたように、新しい人権、その権利の概念や内容についてまだ定着していない部分があるというのも事実であります。

 そういった意味では、ここの分け方で、明文改憲が必要、あるいは、改憲は必要でないが立法措置が必要、そういうAとBという分け方がきょうの整理でもされておりますが、こうした新しい人権については、まずはやはり立法を重ねていって、そこで概念や内容を具体化し、そして、社会の中で新しい人権の内容が定着したものについては憲法上にも規定していく、そうした段階を踏んでいって人権カタログを充実していくということが好ましいのではないか、そのように考えております。

 以上です。

土屋(品)委員 私は、自由民主党の土屋品子でございます。

 私は、かつて、外務大臣政務官として環境関係の国際会議に出席したり、また環境副大臣として国際会議の場で国際交渉に立ち会ったり、そういう経験をもとに、環境権についてお話をさせていただきたいと思います。

 日本の環境権論は、一九七〇年三月、公害国際会議に始まって、よい環境を享受し、環境を汚すものを排除できる基本的な権利として提唱されたのが初めでございます。

 環境権は、人格権、憲法十三条と、生存権、憲法二十五条説とが提案されていますが、こうした根拠規定の相違は、環境権の定義がいまだないということを物語っていると考えております。結果として、環境権は、よりよい住環境を請求する権利としか定義できないのではないでしょうか。

 環境権とは、新しい人権の一つとして、良好な環境の中で生活を営む権利を指していることは広く知られていることですが、憲法の幸福追求権を根拠に主張され、学説としての地位は確立されていると言えますが、地球温暖化や国際社会における日本の地位などを考えたときに、国民一人一人が、高度経済成長期の急激な工業化や開発によって河川や大気などの環境が急速に破壊された経験をもとに、同じように地球温暖化問題に取り組めるかどうか、今岐路に立っているのであろうと考えております。

 一九六〇年代から反公害運動が政治的課題であったように、一九六〇年に成立した公害対策基本法、一九九三年、それに引き続きつくられた環境基本法、そして今回、次の課題として、環境権の概念が盛り込まれた日本国憲法の条文の必要性を強く感じています。これを国民的な議論にしていくべきではないでしょうか。

 この改正論議の焦点は、憲法九条の問題と同じくらい重要であると考えております。ぜひ、この環境権の位置づけをしていくべきであろうと思います。

 以上です。

高鳥委員 自由民主党の高鳥修一でございます。

 まず、公共の福祉について申し上げます。

 人権相互の矛盾、衝突を調整する原理とは別に、公益という観点あるいは国家的利益という観点があると私は思います。例えば、先ほど説明がございました町の景観や静穏を維持するということがあり、また一方で、安全保障上の機密は、公益の観点から、国民の知る権利を制限することが可能であると考えます。これは、個人と個人の人権の衝突とは別の次元の公共の福祉の解釈であると思います。

 したがって、公共の福祉を公益及び公の秩序として規定すべきであると思います。

 次に、生命倫理について申し上げます。

 時の流れにより、憲法制定時には想定をしていなかった問題が出てくることはあり得ることであります。例えば、科学技術や医学の進歩により、母体の血液を調べることで、出生前に障害の有無、特に染色体異常を診断できるようになりました。

 我が子のことを申し上げて恐縮でありますが、私の長男はダウン症であり、知的障害がございます。天から障害のある子を授かるということは思いも寄らないことでありまして、当初、大きな戸惑いと不安がございました。次男が生まれる前に、羊水検査をいたしました。そして、次男が生まれた瞬間に、妻が、小指を見てと言いました。ダウン症の子供は、小指の関節が一つしかございませんので、その小指を見た瞬間に、私はあるよあるよと答えたのを記憶いたしております。

 自身の体験を踏まえた上で申し上げますが、障害があると人生の選択肢は限られます。それでも、周囲の人に愛されて、彼なりに幸福な人生を送っていると思います。障害があることを唯一の理由として生まれてくる権利を奪われるというのは、障害を理由にした差別であり、不均等待遇の最たるものではないでしょうか。障害がある人の人権が守られ幸福に人生を送れる社会は、障害のない人にとっても暮らしやすい、優しさとぬくもりのある社会であると思います。

 憲法にある人権尊重の精神に立てば、人権の基となる生命の尊重あるいは生命倫理を国の最高法規である憲法にぜひとも規定すべきであると私は思います。

 以上です。

三木委員 日本維新の会、三木圭恵でございます。

 党内の議論において、伊東委員の方から説明がございましたが、補足がございますので、ここで発言をさせていただきます。

 党内において、まず、犯罪被害者の権利というものを規定していくべきではないかという議論が今ございます。諸外国の中にもこういった規定を憲法に入れているところもたくさんございまして、党内においても、犯罪被害者の権利というものを憲法の中に規定していくべきではないかという意見が今ございます。

 それから、そもそもの国民の権利及び義務についての議論でございます。

 国民の権利、または国が保障する基本的人権というものは、そもそも国が存在することが大前提であって、国、つまり政府と国民が国を守る義務というものを有しなければ国の存続が危うくなるという場合もあり得ることを考えれば、国を守る義務というものも憲法上規定すべきであるという議論を今党内でしているということをつけ加えさせていただきます。

 以上です。

武正委員 民主党は、二〇〇五年、憲法提言の中で、この章につきましては、まずは人間の尊厳を尊重するという点では、生命倫理、また、あらゆる暴力からの保護、犯罪被害者の人権擁護、子供の権利の保障、外国人の人権保障、信教の自由の確保、政教分離原則の厳格維持、あらゆる差別をなくし、実質的な人権保障を実現する規定の検討、人権保障のための第三者機関の設置といった規定を置くこととしております。

 また、共同の責務については、人権、環境の維持向上のための共同の責務の明確化、公共のための財産権の制約の明確化。

 また、新しい人権ということについては、情報社会に対応するプライバシー権の確立、情報社会におけるリテラシーの確保、知的財産権の憲法上の明確化というような提言をしていることも補足をさせていただきます。

 また、国際人権保障の確立という点も強調しておりまして、これについては、昨年九月十一日、国際人権規約A規約、高等教育無償化条項留保の撤回、日本とルワンダがまだ留保しておりましたが、ようやく撤回をしたといったところにあらわれております。これは御承知のように、高校授業料無償化がその留保撤回の背景であることは論をまちません。ILO条約の批准などもまだまだ日本は道半ばといったところもありますので、こうした点も取り組むといったところが大事かというふうに思っております。

 また、二〇〇九年九月十六日の初閣議のときに、国民主権、これを内閣の基本方針として定めております。そういった意味では、知る権利、アクセス権、こういったものを重視して内閣運営をしてまいりましたので、日米密約の解明などにも努め、また、外交文書の三十年公表ルール、これも決めておりますのは、こうした点からの取り組みであったというふうに考えております。

 以上です。

保岡委員 自民党の保岡興治です。発言を許していただいてありがとうございます。

 先ほどから出てくる議論の中に、二十一世紀における現代憲法、これは国家と国民を対峙させた権力制限規範というような位置づけ、認識だと思いますが、こういったことにとどまらない、やはり国民の利益、ひいては国益を守り、増進させるために、公私の役割分担を定めて、国家と地域社会、国民とがそれぞれに共同しながら共生していく社会をつくっていくための透明性のあるルールの束として、国の最高の決まりとしての側面も有することを、私は時代の進化、変化の中に捉えるべきだと思います。

 人間は、確かにこの憲法が保障する個人の尊厳を究極、最高の価値とする、憲法の根本的価値というんでしょうか、そういうものをこの憲法も最高価値として規定しているところでありますけれども、やはり人間の本質は、もう一つ、社会性がある、みんなで支え合って、助け合って、共同して生きていく存在であるということがあると思います。自立し、共生する個人の尊厳を支える器であるという意味で、やはり家庭や共同体が公共の基本をなすものとしてこの憲法にもしっかり位置づけられるということが大事だと。

 これはやはり、例えば個人の尊厳、あるいは個人の基本的人権の価値を余りにもある意味で尊重する余り、今の日本の社会が、自分勝手、自分中心、いわば究極のある意味での個人主義というんでしょうか、利己主義、こういったものが非常に広がっている現象。長い歴史の中で国民の中に憲法の価値観は確実に定着するものである、そういうことを踏まえると、やはり今後の歴史を考え、日本の姿を考えたときに、私は、こういった側面をしっかりと議論していくことが大事だと思う次第でございます。

笠井委員 日本共産党の笠井亮です。

 幾つかの論点、意見を述べたいと思います。

 一つは、先ほど来の権利と義務をめぐる問題、公共の福祉のことにかかわってですが、やはり憲法というのは、国民の自由と権利を保障するために公権力を制限するということであって、国民に責務を課すものではないと思うんですね。

 それで、これは憲法調査会のときから繰り返し議論、指摘されてきたことですが、やはり立憲主義の立場から国民の自由と権利を最大限に保障することが今必要だと考えております。

 公共の福祉ということでいうと、そもそも、憲法に明記された公共の福祉というのは、人権と人権がぶつかり合った場合の調整原理であって、国家が国民の人権を制限するためのものではないというふうに思うんです。

 ところが、現実、見てみると、公共の福祉の名のもとに、原発の建設や乱開発、あるいは基地建設もそうですが、国民の人権をさまざまに侵害する政策が実行されてきて、その結果、深刻な環境破壊をもたらしたり、国民の生命と安全が危機にさらされることになったという現実があると思うんです。

 だから、そうした現実との関係でやはり今必要なのは、公共の福祉の具体化と称して、公益及び公の秩序というものに置きかえて、人権よりも上位にあるものを国家が勝手に設定して人権を不当に制限することじゃなくて、むしろ、憲法の立場で公共の福祉を厳格に運用して、基本的人権の尊重を最優先にすることだというふうに思います。

 それから、環境権、プライバシー権などの問題ですが、日本国憲法は、第十三条で包括的な幸福追求権を保障した上で、個々の詳細な人権カタログを定めるという、いわば懐の深い構造になっているというふうに思うんです。環境やプライバシーを本気で擁護しようとすれば、憲法の根拠に基づいて立法で具体化することが必要であるし、可能だと思うんですけれども、現に、これらは、憲法の民主的な解釈から当然導き出されるものとして裁判規範となったり、あるいは行政ののっとるべき重要な原則として定着してきている。だから、あえてこれは新しい人権に追加するという必要性は乏しいというふうに思います。

 最後に、家族の問題ですが、憲法二十四条は、もともと、婚姻における両性の平等を明記したことを初めとして、古い家制度を否定するものでした。前近代的な価値観を否定して、家族関係を個人の尊厳と両性の本質的平等に基づいて再建するというのが二十四条の意義だと思うんです。そこに、個人ではなくて、家族を社会の基礎的単位としてあえて位置づける、それをし直すということは、やはり戦前の古い価値観の復活の危険があるということをあえて指摘したいと思います。

 以上です。

鈴木(克)委員 生活の党の鈴木です。

 先ほど意見表明をさせていただいたんですが、そこの中で触れ切れていないところについて、少しお話をさせていただきたいと思います。

 これは、雇用の問題と憲法の問題ということであります。約一年前にも、私、やはり本会で同じ趣旨のことを申し上げているんですが、非正規雇用とそれからいわゆる憲法、そして平等原則、勤労の権利、そういったものについて、少しお話をさせていただきたいと思います。

 言うまでもありません。現在、非正規雇用の方々が千数百万人見える。その方々がいわゆる幸せな生活を送っていただいておればいいんですけれども、もっともその幸せとは何かという議論に入っていくとこれは際限がありませんけれども、いずれにしても、大変厳しい状況でお暮らしになっています。

 非正規労働というのは、正規労働の皆さんと比較をして、解雇とか雇いどめとか、例えば賃金が低いとか、それからいわゆる企業内での職業訓練を受ける機会が少ないとか、かなり問題があるというふうに私は思っています。

 これはまさに、非正規労働者の問題というのは、ある意味では憲法にかかわる問題だというふうに申し上げてもいいと思います。憲法二十七条でありますけれども、国民は勤労の権利を有するというふうに規定をされておるわけでありますが、しかし、非正規労働者がここまで増加をしている現状で、勤労の権利が十分保障されているかどうか、このことはやはり大きな問題ではないかなというふうに思っています。

 十四条の第一項で、いわゆる平等であると、平等の原則というのもあるわけでありますが、ここも、そういう観点から、やはり見直していく必要があるのではないのかなと思っています。

 最後に、憲法の保障する勤労やそして平等の原則といいますか理念等に立ち返って、国民の勤労の権利を確保するような、とりわけ非正規労働者の労働条件の確保等の問題で、憲法問題ということを考えていく必要があるのではないかな、このように御提起申し上げます。

斉藤(鉄)委員 私は、先ほどの高鳥委員の御発言と同様、生命倫理の条項を加える必要があるのではないか、それは第二十三条学問の自由との関係においてであるということについて、ちょっと述べさせていただきたいと思います。

 今から十三、四年前になりますが、一九九九年に、いわゆる受精卵を使った研究について、国がこれを規制するわけにはいきませんので、医学界で自主的にこれを規制する仕組みをつくってほしいという法律をつくりました。

 そのときの議論なんですけれども、再生医療はこれからの医療の非常に大きな柱と言われておりますが、当時は、再生医療の研究は、いわゆる万能細胞を受精卵を使ってしかできない、こういうことでしたので、受精卵を使った研究が非常にふえてきていたわけでございます。

 しかし、受精卵というのは、ある意味で生命の萌芽ともいうべきものであって、幾ら学問の自由があるからといって、これを濫用するということはやはり生命倫理上許されないのではないかという思いもありました。しかし、そう心では思ったとしても、それが第二十三条学問の自由と匹敵するだけの一つの命題というのは、法的にはどこにもないわけでございます。

 したがって、生命倫理というものを憲法の上にきちんと規定して、もちろん学問の自由もそれに匹敵するぐらい重要な権利でございますけれども、生命倫理規定を置くことによって、先ほど申し上げたような新たな、例えば医学界にそういう自主的な規制を設けてくださいという法律も、ある意味では論理的につくりやすくなるのではないか。

 そういう意味で、新しい研究がこれからどういう状況になるかわかりませんけれども、生命倫理の条項というのは、学問の自由との関係で今後憲法の中に規定されるべきではないかと考えた次第でございます。

 以上です。

中谷(元)委員 憲法の第二十一条一項で表現の自由がありますが、これは、集会、結社、言論、出版、表現の自由は保障するとしております。

 これは、自由の権利としては保障すべきですが、一方で、オウム真理教や差別に関する報道、また、今のネット社会で、非常に個人的な批判、中傷、個人の名誉を毀損することが放置されているような現状もありますし、また、集団いじめの問題もありますが、やはり、こういった社会的活動においては、何でも認められるというのではなくて、公益、公の秩序を害することを目的とした活動、それを目的とする結社とすることに一定の制限を受けるということも検討すべきではないか。

 このまま放置、容認すべきではない事項もありますので、この点もぜひこれから検討していただきたいと思います。

 以上です。

西野委員 先ほど、維新の会の党の議論の中で、犯罪被害者の権利を新たな権利の一つとして加えていくということを検討を始めていると申し上げましたが、私見ですが、当然、国民の生命と財産を守るのは国の最大の責務であります。その上で、犯罪を防ぐということも当然国の責務でありますが、その中で、不幸にして犯罪の被害に遭われた方、この被害者という概念の中に、当事者はもちろんでございますが、被害に遭われた方の家族であったりとかその関係の方も私は含まれているというふうに思っておりますが、この方々の権利をしっかりと尊重して擁護していくというのは当然国の責務だと思っております。

 当然、加害者にその多くの責任があることはもちろんでございますが、国に全く犯罪の被害に遭われた方々への責任がないということではないと思っておりますので、その意味において、憲法に明確に規定を設けるべきだと思っております。

 十三条等の解釈から犯罪被害者の権利というものは導き出せるという意見もありますが、であるならば、多くの規定の中で被告であったり被疑者の権利が規定されているわけでありまして、そのバランスの上からも私はおかしいと思っておりますので、犯罪被害者の権利をしっかりと憲法に規定するべきだと、私は私見として考えております。

武正委員 家族のことでございますが、先ほど触れました憲法提言では、民主党として明確なことは書いておりません。近代立憲主義の流れからすると、家族、家庭の尊重のような徳目的事項は憲法に書き込むべきでないという意見がある一方、やはり家族というものをしっかりと位置づけるべきだという意見もあります。

 ただ、ここに来て、司法の場で非嫡出子と嫡出子の権利をやはりイコールにすべきであろうというような見直しのそうした動きがあったり、あるいはまた選択的夫婦別姓、この点が議論されていたりという中で、家族の位置づけというものはやはり大事ではないかというふうに考えております。

 ただ、それが、憲法に規定をするのか、あるいはまた他の法律にそうしたものを譲っていくのか。そうしたことがありますが、そういう議論の紹介と私の考えを述べさせていただきます。

高鳥委員 自由民主党の高鳥修一でございます。

 生命倫理のことに関しましては、今ほど斉藤鉄夫先生から御意見をいただきましたが、私も全く賛同いたします。貴重な御意見をありがとうございます。

 政教分離原則について申し上げます。

 役所で門松を立てる、あるいはクリスマスツリーを飾るとしても、特定の宗教の布教、宣伝、助長をしているわけではございません。地鎮祭も社会的儀礼、習俗的行事として定着をいたしており、神道を助長しているわけではございません。

 すなわち、社会的、習俗的、文化的行事の範囲で、国や地方公共団体の参画、公費負担が認められるように憲法を改正するべきであると思います。

 家族、そして家庭や共同体の尊重について申し上げます。

 世界人権宣言に、「家庭は、社会の自然かつ基礎的な集団単位であって、社会及び国の保護を受ける権利を有する。」とあるように、家族は社会の基礎的単位であり、個人の幸福は家族円満、家庭愛和によるところが大きいと私は思います。

 個人を絶対視する戦後の風潮の中で、家族の価値を軽視する、あるいは家族のきずなが薄れつつある。先祖を敬い、夫婦、親子、兄弟がきずなを大切に、助け合い、幸福な家庭をつくり子孫に継承していくのは、我が国の美風であると思います。

 したがいまして、家族、家庭を尊重する規定を憲法に設けるべきであると私は思います。

 以上です。

保利会長 予定の時間もありますので、現在ネームプレートを立てておられる方までとさせていただきたいと思います。

大島(敦)委員 民主党の大島敦です。

 先ほど鈴木委員から御指摘をされました格差、特に非正規労働、恐らく就業人口の三割が非正規労働だと思います。結婚もできなくて、そして貧困の連鎖に陥るおそれがある。それは、憲法の観点から、私もちょっと気づいていませんでして、憲法二十七条の点と、あと十四条ですか、法のもとに平等であるという観点から、この御指摘は非常に示唆に富んでいる御指摘だと思っておりまして、今後、やはり我が国のあり方を考える場合に、鈴木委員の御指摘の論点というのも重要であると考えました。

 ありがとうございました。

保利会長 それでは、第三章の自由討議についてはこれで終了させていただきます。

    ―――――――――――――

保利会長 次に、日本国憲法第四章の論点に入ります。

 衆議院法制局当局から説明を聴取いたします。衆議院法制局法制企画調整部長橘幸信君。

橘法制局参事 引き続きまして、第四章国会の章の主要論点及び前回の主な御議論について御報告させていただきます。

 申し上げるまでもなく、日本国憲法は、その政治システムとして、いわゆる議院内閣制を採用しております。議院内閣制のもとにおきましては、国会、両院制の場合には特に下院となりますけれども、この下院の有する内閣不信任決議権と、これに対抗する内閣の下院解散権によるチェック・アンド・バランスに基づいて、立法府と行政府がいわば分離と融合する形で責任政治のシステムが構築されているところと一般に理解されております。

 したがいまして、第四章国会と次の第五章内閣の論点は相互にリンクしているところなのでございますけれども、本日は、時間の関係もございますので、基本的に国会に特化した論点についてのみ掲載してございまして、それ以外の例えば国会の行政監視機能や首相公選制などに関する論点につきましては、第五章内閣の章において取り上げることといたしております。冒頭、何とぞこの点、御了承、御容赦のほどお願い申し上げる次第でございます。

 それでは早速、お手元配付のA3縦長の論点表に基づきまして、簡潔に各論点の概要につきまして御報告させていただきます。

 まず最初は、第四十一条、国会の地位、立法権についてでございます。

 本条項は、「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。」という簡潔かつ格調高い条文でございます。この条文をめぐっては、例えば国権の最高機関の法的あるいは政治的意味など、学説上も実に多くの御議論があるところでございますけれども、衆議院憲法調査会などにおいて特に議論されてきた実務的な論点は、唯一の立法機関という文言に関する、法律案提出権の制限に関する議論でございました。

 すなわち、国会の構成メンバーでいらっしゃる国会議員の先生方が法律案提出権を有することは当然でございますけれども、現行法令上、国会とは別の権力機関である内閣にも法律案提出権が認められております。

 その一方で、本来的な権限者である国会議員の先生方の法律案提出権につきましては、逆に、国会法などによりまして、所定の賛成者を要する旨の制限が課されております。

 さらに、衆議院におきましては、会派所属議員が法律案その他の議案の提出者、賛成者になろうとするときは、その所属会派の党議を経た旨の国対委員長など所定の役員の承認印、いわゆる機関承認が必要との確立した先例もあるところでございます。

 このような現状に対して、Aの欄に掲げた明文改憲の御主張は、国会を真に唯一の立法機関にするために、法律案提出権を国会議員に限定する明文規定を置くべきであるとする御意見です。

 これに対して、現在のままの運用で何ら問題はないとするのがC1の御意見です。

 他方、Bは、議員立法の賛成者の員数要件、現在は、衆議院であれば、予算を伴う法律案は五十人以上、予算を伴わない法律案は二十人以上の賛成者が必要とされておりますけれども、これを、国会法等を改正して緩和すべきであるとの御意見です。

 また、C2は、先ほど申し上げました機関承認の先例を廃止すべきであるとする御意見です。

 この論点に関する前回の御議論におきましては、ここに掲げたA、B、Cいずれの見解についてもこれに直接に言及される御発言はございませんでしたが、間接的に、国会の立法権に関連して、共産党の笠井亮先生が、国会の役割である立法機能や行政監視機能、国政調査権等が実際に発揮されているのかを検証する必要があるとして、多くの国民が反対している重要法律案が徹底審議もなされないまま強行採決される現状は国会の立法機能を否定するものだとの趣旨の御発言をされておりました。

 次に、恐らく本日の最大の論点であると思われます二院制に関する論点について御報告いたします。

 まず第一の論点は、二院制、一院制の是非それ自体に関する御議論です。憲法改正をして一院制を導入すべきとするのがAの欄の御意見であり、現行の二院制を維持すべきとするのがCの欄の御意見です。

 前回の御議論において、一院制の導入を会派として御主張されていたのはみんなの党の柿沢未途先生であり、一院制を前提に憲法改正を目指すべきと明確に述べておられたのが国民新党の平山泰朗先生でいらっしゃいました。これに対して、民主党の鷲尾英一郎先生、自由民主党の柴山昌彦先生、公明党の大口善徳先生、生活の木村たけつか先生、そして社民党の照屋寛徳先生らはいずれも現行の二院制維持のお立場でございました。

 次に、二院制を維持するとしても、現行のままの二院制で全く問題はないとする御意見は、これまでの御議論においてはほとんどございませんでした。二院制を維持するべきとする見解の多くは、同時に、両院の役割分担やその構成メンバーの選出のあり方、いわゆる選挙制度について、二院制の趣旨がより生かされるようにするべくさまざまな改善策が必要であると唱えておられました。

 まず、両院の役割分担、権限関係に関する論点でありますけれども、ここでは、明文改憲を主張する御意見として、両院の性格の違いをより一層明らかにするため憲法改正をすべきであるとするAの欄の御意見がございます。

 具体的には、一つ、現在、五十九条二項によって、衆参の議決が異なった場合に衆議院が再議決する際の三分の二以上という特別多数決要件を過半数に引き下げるなどして、より衆議院の優越を強化するべきであるとする意見や、二つ目、予算については、現行憲法六十条二項の規定によって、衆参の議決が一致しないときや三十日経過による自然成立など衆議院の強度の優越規定が定められておりますが、しかし、この予算を担保するための歳入法案、例えば特例公債発行法案などは、一般の法律と同じように三分の二以上の特別多数決による再議決が必要となっているのは憲法自体の中で整合性を欠くものではないかとして、このような歳入法案についても、予算と同様に衆議院の強度の優越が働くようにするべきとする御意見などがございます。

 これらの明文改憲の御主張に対して、憲法の規定はそのままにして、立法措置でできる範囲内の改善策、例えば、国会同意人事に関する議決について従前あったような衆議院の優越規定を定めることとしたり、また、両院協議会における協議手続について、国会法あるいは両院協議会規程などを改正して、より両院間の実質的な協議ができるようにするべきとの御意見もございます。これがB1やB2の御意見でございます。

 これに対して、現行法令の枠内の運用改善で対処すれば足りるとするのがCの欄の御主張です。例えば、決められない国会の象徴でもあった参議院の問責決議などはより慎重で抑制的な運用をすべきとの提言などがその具体例でございます。

 以上御紹介した両院の役割分担に関する前回の御議論では、生活の畑浩治先生が両院協議会のあり方改善のための立法措置を講ずるべきとの御主張をされたほかは、いずれの会派の先生方も運用改善で対処するのが望ましいとの御発言をされておられました。その中では、参議院の問責決議の是非に関する御発言が多くの会派からなされ、政権安定のために問責決議の制限が検討されるべきとか、解散制度がない参議院の問責決議は抑制的運用がなされるべきとの御主張があった一方で、参議院の問責決議は行政への抑止機能を持つものであり、この効力を否定することは憲法の理念に反するものだとの御主張もございました。

 もう一つは、国会議員の選出方法に関する論点です。

 まず、いわゆる一票の格差に関して、明文改憲を行うべきとの御意見がございます。

 これに関しては、先ほどの第三章国民の権利及び義務でも議論された論点であり、一部重複いたしますが、方向性が異なる二つの見解が唱えられております。一つは、あくまでも厳格な人口比例に基づく平等を求めるA1の見解であり、もう一つは、これとは逆に、人口を基本としつつも、それ以外の要素をも勘案するべきであり、最近の最高裁判決や学説の多数説に見られるように、人口比例原則に過度に拘泥するのは適切ではないとするA2の見解です。

 以上の二つの見解は、衆参を特に区別した議論ではございませんが、論点表A3の御主張は、両院の選出方法自体に違いを持たせ、二院制の機能をより明確にしようというものです。例えば、第一院たる衆議院について全国民代表や直接選挙の原則を維持することは当然の前提とした上で、第二院たる参議院の選挙制度については、地域代表制や職能代表制、さらには推薦制の導入なども検討すべきとする見解です。

 これに対して、Bの欄の御主張は、あくまでも現行憲法の枠内で両院の選挙制度に違いを持たせ、異なる代表機能を発揮させることを目指すべきであるとする見解です。

 この論点に関する前回の御議論では、みんなの党の柿沢未途先生からは、人口比例に基づく厳格な平等原則を憲法に明記すべきとのA1の見解が、これに対して、自由民主党の柴山昌彦先生からは、人口以外の要素の考慮を憲法上明記すべきとのA2の見解が述べられました。また、生活の木村たけつか先生からは、参議院議員の選出方法については、衆議院議員とは異なる方法を憲法改正によって行うのが理想であるが、現実には、立法措置によって実現することもあり得るとのA3あるいはBの立場の見解が述べられました。また、民主党の鷲尾英一郎先生からは、選挙制度の基本的枠組みについて憲法上に規定を設けるべきとの御発言がありました。

 他方、共産党の笠井亮先生からは、多様な民意を正確、公正に反映できるような選挙制度を構築すべきであるとの見解、また、国民新党の平山泰朗先生からは、両院の権能の分離を前提として、選挙制度の明確な区分けを検討すべきだとして、それぞれ、適切な立法措置を講ずべき旨の御発言もございました。

 次は、議事手続などに関する諸論点でありますが、まず、いわゆる通年国会に関する議論がございました。

 現行憲法は、第五十二条において、「国会の常会は、毎年一回これを召集する。」と定めるとともに、第五十三条において臨時会の規定を設けるなど、一般に会期制を前提としているものと理解されております。

 そこで、憲法改正をして通年国会、例えば衆議院議員の総選挙から次の総選挙まで、これは立法期とか議会期などと一般に言われるものですけれども、これを一つの会期として、必要に応じて休会をすればいいではないかとするのがAの欄の御意見です。

 これに対して、国会審議がスケジュール闘争になっているのは、憲法の定める会期制それ自体に問題があるのではない、国会法の定める会期不継続の原則に問題はあるのであって、国会法を改正してこれを廃止すれば足りるとするのがBの欄の御意見です。

 もちろん、国会会期の長期化については、長期の延長や適時適切な臨時会の召集など、現行制度の運用で対処すれば足りるとするCの欄の御意見もございました。

 次に、議事手続に関する特徴的な見解の一つに、憲法五十六条一項に定める定足数に関する御議論がございます。

 現行憲法では、本会議を開会しその議事を進める際にも、そしてもちろん、最終的な議決をする際にも、総議員の三分の一以上の出席がなければならないとする定足数が定められております。

 しかし、議決の際の定足数は必要だとしても、開会して議事を進める段階での定足数は必ずしも必要ないのではないかとして、議事を開くことに関する定足数規定を削除すべきとする御主張がございます。これがAの欄に掲げた見解です。

 次に、国政調査権に関する議論がございます。

 現行憲法六十二条に規定されております国政調査権の主体は、あくまでも議院、ハウスであり、あるいは現行の国会法、議院規則のもとでこの議院、ハウスから権限行使について授権された常任委員会や特別委員会でありまして、議員の先生方、メンバーの先生方個々人が国政調査権を行使できるものとはされておりません。本会議や委員会が国政調査の行使主体であるということは、要するに、その発動の可否の判断は多数決、衆議院では与党会派の意向に委ねられるということになります。

 そこで、政府の行動を機動的かつ適切に監視するためには、野党、すなわち少数者による行政監視機能を充実させる必要があり、そのためには、まず憲法を改正して、より小さな単位の一定数以上の議員、あるいは究極的には個々の議員にも国政調査権を付与するべきではないかとするのがAの欄の見解です。同じ趣旨のことを、現行憲法の枠内で、国会法規の改正などの立法措置でもって実現できることをまず行うべきであるとするのがBの欄の見解です。

 議事手続に関する四番目の論点として、国務大臣の議院出席義務に関する御議論がございます。

 憲法は、六十三条におきまして、内閣総理大臣その他の国務大臣の議院出席の権利と義務について定めております。

 しかし、国会への出席義務につきましては、国会会期中における国務大臣の外交のための海外出張などが必要以上に制約されているとして、明文改憲によってこれを緩和するべきであるとするAの欄の御主張がございます。

 これに対して、そのようなことは、国権の最高機関である国会の役割、権威を低めるものであり、また、そもそも議院内閣制のもとでは、閣僚の国会出席義務こそが行政監視機能の重要な要素であって、出席義務の緩和などは認めるべきではないとするC1の見解もございます。他方、真に必要な海外出張についてはこれを認めるべきであるが、それは運用で対処すれば足りるとするC2の見解もございます。

 以上の議事手続に関する諸論点に関して、前回の御議論では、まず、通年国会の採用について、生活の木村たけつか先生、みんなの党の柿沢未途先生から、明文改憲によって実現すべきとの御主張が、公明党の大口善徳先生からは、立法措置あるいは運用によって実質的に対処すれば足りるとの御主張がなされました。

 また、議事の定足数の削除につきましては、自由民主党の柴山昌彦先生、生活の木村たけつか先生から、明文改憲に賛成する旨の御発言がなされております。

 閣僚の議院出席義務の緩和については、柴山先生、木村先生、両先生のほか、みんなの党の柿沢未途先生、国民新党の平山泰朗先生からも、明文改憲に賛成する旨の御発言がなされておりました。これに対して、社民党の照屋寛徳先生からは、閣僚の議院出席義務の緩和は問題であるとのC1の見解が、また、公明党の大口善徳先生からは、必要に応じて運用の改善を図れば足りるとのC2の御見解が表明されております。

 最後に、政党に関する条項を憲法に設けるべきかどうかという御議論について御紹介申し上げます。

 現代国家においては、外交や防衛、治安維持などにとどまらず、社会保障の分野など行政活動の役割が飛躍的に増大した、いわゆる行政国家、福祉国家の現象が顕著になってきており、そのような中において、国民と議会を媒介する組織として、かつ複数政党の存在を前提とした、政府・与党対野党という意味での実際的な権力分立の視点からも、政党の存在はますます重要になってきていると言われます。まさしく、政党なしには現代民主主義は機能し得ないと言っても過言ではないわけでございます。

 このような政党の公的性格に鑑みて、これを憲法に位置づけて、その政治活動の自由とともに、必要な規律について定めるべきであるとするのがAの欄の見解です。

 これに対して、現に、政党助成法その他の政党を対象とした法律もあるのだから、政党法といった立法措置で足りるとするのがBの欄の見解です。

 他方、そのような明文改憲の主張や政党法制定の主張は、公権力による政党の内部秩序に対する介入をもたらす危険性があるとして、あくまでも政党については現在のまま、自由な私的結社として位置づけておくことこそが民主主義の観点から望ましいとするCの欄の見解もございます。

 前回の御議論における政党に関する御発言では、民主党の鷲尾英一郎先生と自由民主党の柴山昌彦先生から、明文改憲によって対応すべきとのAの欄の御見解が、また、生活の木村たけつか先生、みんなの党の柿沢未途先生、国民新党の平山泰朗先生からは、政党法などの立法措置のレベルで対処すべきとのBの欄の御見解が述べられました。これに対して、公明党の大口善徳先生、共産党の笠井亮先生、社民党の照屋寛徳先生からは、理由づけはそれぞれ少し異なるものの、そのような措置は必要ないとの御見解が述べられております。

 以上、かなり駆け足になってしまいましたが、御報告は以上でございます。ありがとうございました。

保利会長 以上で衆議院法制局当局からの説明聴取は終わりました。

    ―――――――――――――

保利会長 これより自由討議に入ります。

 それでは、まず、各会派を代表する委員の発言に入ります。

 発言の申し出がありますので、順次これを許します。葉梨康弘君。

葉梨委員 自由民主党の葉梨康弘でございます。

 私からは、自由民主党が提案しております日本国憲法改正草案における自由民主党の立場と、それとあわせて、この国会の議論に関しましての私の考え方を申し上げさせていただきたいと思います。

 自由民主党の草案におきましては、二院制の部分、あるいは衆議院の優越の部分等については、基本的に現行憲法の立場を踏襲しております。その上で、今法制局からも説明がありましたが、選挙区について、人口を基本としつつ、行政区画あるいは地勢等を勘案すること、あるいは内閣総理大臣が解散を決定すること、今現在そのように行われていることを確認的に憲法で明文化すべきであると主張をしております。

 さらに、新しく憲法に明文で規定すべき内容といたしましては、先ほども御説明がありましたが、定足数は議決要件のみにかけるべきである、あるいは総理大臣その他の国務大臣についての国会出席の要件を多少は緩和すべきである、そして政党を明確に憲法上位置づけるべきである、そのような主張をさせていただいております。

 そして、残余の時間につきまして、いわゆる衆議院の優越の問題について議論を、参考に供したいと思います。

 平成十九年にいわゆる衆参ねじれ現象が出来いたしまして、その後、衆議院の優越の議論がいろいろと行われております。あるいは一院制の議論も行われております。ただ、これが果たして、憲法の問題なのか、政治の問題なのか、法律の問題なのか、よく分析をしてみる必要があるのではないか、私はそう考えています。

 憲法上、御案内のように、衆議院の優越が規定されておりますのは、五十九条の法律案の再議決三分の二要件、あるいは六十条の予算の衆議院の優越、さらには、条約についての六十一条の衆議院の優越でございます。四章以外につきましては、六十七条二項の内閣総理大臣の指名、さらには、内閣不信任案の議決が衆議院のみができるという形で衆議院が優越になっております。

 ただし、憲法上、衆議院と参議院を全く平等であるというふうに規定している条項がございます。これが九十六条一項の、各院三分の二以上の発議という意味での憲法改正でございます。

 その他の事項については、衆議院が優越しているもの、それから平等であるもの、その間のいろいろな事項につきましては、法律で今まで規定されていたということを我々もよく認識をして、この議論を行っていく必要があるのではないかというふうに考えています。

 例えば、国会の会期延長につきましては、衆議院が優越です。これは国会法のみの規定でございまして、国会法十三条でございます。さらには、御案内のように、衆参の同意人事、これについては、戦後すぐの段階では、ほとんど全ての同意人事が衆議院が優越されておったわけですけれども、これが、参議院の要求によって、一九九九年に会計検査官が衆参の同意が必要となるまで、徐々に徐々に参議院が衆議院と同列の権限を持つような形に改正をされてまいりました。

 なぜ、国会の会期延長、さらには同意人事で、当初衆議院の優越か。一つは、内閣の助言と承認によって国会を召集するという、内閣と密接不可分の権限である国会の会期、さらには、内閣の行政権の執行、これと密接不可分であるという同意人事については、当初衆議院が優越していたんだろうというふうに私は考えております。

 ただ、行政のあり方は大きく変わっておりまして、専門性、中立性、これに加えて外部性も求められております。

 例えば一つの考え方ですけれども、内閣の行政権の執行と密接不可分なもの、まあ、これは異論があるかもわかりませんが、国家公安委員ですとかそういったものについて、衆議院だけが議決をする、同意をする。さらにあるいは、内閣を外部的に監視する会計検査官等については、これは参議院に会計検査院を置くべきであるという議論も行われた経緯もあって、参議院のみが同意をする。このような機能の分担のあり方も今後は検討すべきではないかというふうに私は考えております。

 そして、このような議論を行う受け皿として、本来は憲法改正原案についてのみ設けられることとなっております、国会法百二条の八にあります衆参の憲法審査会の合同審査会、こういった場も今後は活用していくということも検討してもいいのではないか、私自身はそのような意見を持っております。

 以上でございます。

保利会長 次に、篠原孝君。

篠原委員 民主党の篠原でございます。

 民主党を代表いたしまして、第四章国会についての見解を述べさせていただきます。

 るる述べられておりますとおり、民主党の公式の憲法提言としては、二〇〇五年の十月三十一日のが唯一の公式のものでございます。

 民主党の二〇〇五年の提言というのは、多分政権与党になるときに備えましていろいろ書いてあるわけですけれども、総論的な未来志向の憲法というのを第一章にしておりますけれども、第二章に「国民主権が活きる新たな統治機構の創出のために」という章を設けまして、第一節で「首相(内閣総理大臣)主導の政府運営の実現」という節を設けましたけれども、第二節に国会にかかわることを書いております。議会の機能強化と政府・行政監視機能の拡充ということでございまして、国会の機能についてかなりのスペースを割いて提言しております。その一部は、お手元の参考資料のほとんどのところに例として示されております。

 内閣機能の強化については、三年三カ月の政権与党としていろいろ試行錯誤が続きまして実現できなかったことが多かったと思いますけれども、国会絡みのことにつきましては、この憲法提言を頭に入れながら、それなりにいろいろなことを改善できたのではないかと思っております。

 それから、我々は与党時代から、与党時代の中心、真ん中ぐらいからですけれども、党綱領について検討を始めておりまして、そのときに、国会の運営、党内統治と、それの延長線上で国会はどうあるべきかという検討も進めてまいりましたけれども、四項目ほどの綱領でございますけれども、最後の「国民とともに歩む」というところで、やはり党内統治の問題としていろいろ議論のあり方等に触れておりますけれども、国会のことについては触れておりません。

 ただ、我々、政権与党を経験した関係もありまして、国会のあり方についてはさまざまなことを考えております。しかし、基本的な考え方は二〇〇五年の提言に盛られておりますので、ちょっとおさらいも込めまして、重要なことについてだけ順次申し上げたいと思います。

 まず、一院制か二院制かということについてでございますけれども、二院制を維持すべきだということ、橘さんからも報告があったとおりでございます。この点については変わりありません。

 それから、二番目ですけれども、国会の役割、参議院と衆議院の役割分担ということについては、我々は非常に重要と考えておりまして、読みませんけれども、監視機能を強化していくべきだということを言っております。

 この点については、お気づきかと思いますけれども、我々は、これはC、運用の改善でやっていけばいいんだということで、予算審査は衆議院で、それから決算審査は参議院というのをもう実行しておりますけれども、そのほかに事業仕分け、事業仕分けというのは非常に大事なことで、これは行政監視機能の一つじゃなかったかと思います。内閣のところでやりました。しかし、その当時から、これは同じ内閣のところでやるのはおかしい、やはり国会の機能としてやるべきじゃないかという話が、我々、やりながらありました。これは、今後考えていかなければいけないことではないかと思います。

 ただ、一回目がそれなりに功を奏したのは、ほとんどの事業は前政権時代に行われたものでして、それは別途チェックしなけりゃならないというので、引き継いだ政権がチェックしたということでは内閣でよかったんでしょうけれども、政権与党同士の中でそれをやるというのはやはりおかしいので、こういった監視機能というのは国会の方でやるべきじゃないかと考えております。

 それから、選挙制度については、もう御報告があったとおりでございます。改めて申し述べることはないかと思います。

 それから、政党でございますが、政党のあり方については、二大政党制、二大政党とかいうよりも、政権交代ができたりしているのにもかかわらず、最大時は十五ですか、政党ができているというようなことがありました。ですから、我々の立場といたしましては、二〇〇五年のところにありますとおりでございまして、やはり憲法上明確に政党を位置づけるべきじゃないかということにしております。

 以上でございます。

保利会長 次に、西野弘一君。

西野委員 日本維新の会の西野弘一です。

 我が党の第四章国会についての意見を申し上げます。

 日本維新の会は、現在の日本を覆う閉塞状況を打破し、政治に力強いリーダーシップを生み出すため、首相公選制の導入を訴えており、将来の憲法改正に際しては、一院制へと国会を改革する方向で検討をしています。

 以下、五点について意見を申し上げます。

 首相公選制の導入を前提に、国会を一院制へと再編成することを検討しています。

 立憲君主国であることを明確にしつつ首相公選制を導入する場合、具体案としてさまざまな形態が考えられますが、大きく分ければ、国民が首相指名選挙を直接行う案と現行の議院内閣制を前提とした案の二つが考えられます。

 前者の場合、首相が属する政党が国会では少数派であるという分割政府状態が生じるおそれがあります。しかも、二院制のままだと衆参のいわゆるねじれが生じるおそれがあり、首相と国会、衆議院と参議院というねじれが生まれ、一層の政治的停滞を招きかねません。また、後者の場合、首相の選出について、各政党が総選挙に際して首相候補を明示するものとし、総選挙を事実上の首相選出選挙とするというものでありますが、こうすることで首相の地位の民主的正統性を高めようとするものであります。

 現行憲法上、参議院も国民による直接選挙であり、しかも参議院も首相指名権を有することから、首相、内閣の運命は、潜在的に参議院議員選挙の結果にも大きく左右されることになります。しかも、首相指名と総選挙を連動させる案には、総選挙から次の総選挙までの期間を安定した立法期間として確保し、首相のリーダーシップを強固にしようという狙いがありますが、総選挙から次の総選挙の間に参議院選挙が行われ、ねじれが起こったりすると、政府提出法案などが阻止され、国政運用に大きな混乱を招きます。

 よって、総選挙を首相選出と直結させ、安定した立法期間を確保する観点から、国会を一院制へと再編成し、新たな一院制に政府形成機能及び政府批判機能を付与していく方向で検討しています。

 二に、政党の規定を新設する方向で検討しています。

 日本維新の会は、政党のガバナンスの透明化、意思決定プロセスと責任の所在の明確化を目的として、政党法の制定を主張していますが、その政党法を担保する規定を憲法に盛り込む方向で議論を深めていきます。

 具体的には、政党の党員資格に国籍要件を課すものとすることであったり、政党の設立は自由であるが、その内部秩序は民主的でなければならないというような議論を深めていきたいと思っています。

 三、立法期制度の導入など、国会の意思決定プロセスを具体的に見直すべきと考えています。

 国会の常会の召集は、毎年一回、一月中に行われ、会期は百五十日と定められていますが、常会の会期は両議院の議決で一回だけ延長することができるにすぎません。このため、国会は、実質的な議論を行う場というより、手続や審議日程が最大の政治的駆け引きの対象となる、いわゆる日程国会とそれを支える国対政治と称されます。

 世界の主要先進国で例を見ない、ひどい状態が続いてきました。国会が本来の役割を果たすため、総選挙の時期を基準とする立法期制度の導入、会期不継続の原則の廃止や、常会の長期化による実質的な通年国会の導入を実現すべきであります。その観点から、五十二条、「国会の常会は、毎年一回これを召集する。」などの規定を見直すべきと検討しています。

 さらに、六十三条が問題となってきます。外交、安全保障や危機管理、マクロ経済政策などの面で、内閣総理大臣その他の国務大臣が海外に行くことができるよう、六十三条も改正することを検討しています。

 四、国会による政府監視機能を強化することも検討しています。

 五、地方自治体による条例の上書き権を認めることを検討しています。

 今は、国会が唯一の立法機関とされ、地方公共団体は法律の範囲内でのみ条例を制定することができると規定されていますが、国の法律よりも重い規制をする上乗せ条例や、国の法律事項よりも広い事項を規定する横出し条例が認められるかが問題となっています。

 これまでのところ、最高裁は曖昧な基準しか示していません。このため、自治体として本来有しているはずの自主立法権が結果的に制約されています。よって、地方の条例制定権の自立を促すため、基本法の範囲内で条例を制定できるよう、憲法四十一条及び九十五条を改正する方向で検討を進めています。

 以上です。

保利会長 次に、浜地雅一君。

浜地委員 公明党の浜地雅一でございます。新人でございます。どうぞよろしくお願い申し上げます。

 私、前職は弁護士でございましたけれども、法学としての憲法議論とは異なりまして、きょうは、国の方向性を示します本審査会で議論させていただきます機会をいただきましたこと、まことに皆様に感謝を申し上げます。

 まず二院制につきましては、我が党としては、二院制を維持すべきという意見でございます。

 参議院の廃止論、今もかなり盛り上がってはおりますけれども、やはり、憲法四十二条が二院制を定めた趣旨であります、二院制の方が議会の行動をより慎重に、抑制と均衡を果たすことができること、また、先議院の審議を補完し、再考を促すという点は依然重要でありますので、二院制を維持すべきという意見でございます。

 しかし、現実の運用としましては、このような二院制の趣旨が全うされていないことが問題であります。有権者の皆様の中には、衆議院と参議院の役割の違いを認識されていない方も多いように感じておりますし、実際、ねじれ国会のもとでは、参議院の良識の府としての本来の役割が、政争の場と化しているのも現実でございます。

 したがいまして、両院の役割分担をより明確にすべきであります。我が党の中でも、例えば、衆議院は予算審議に重点を置きまして、参議院は決算審査に重点を置くなどの改革案、また、やはりどうしても参議院は任期が長く、長期的な視野に立てるという観点から、いわゆる基本的な法案については参議院の先議とするような運用といった改革案が出されております。

 他方、現在のねじれ国会による議論の停滞を招くことは避けなければなりません。そのため、憲法五十九条二項のいわゆる再議決要件の緩和をすべきという意見もございます。しかし、ねじれ現象も一つの民意のあらわれでございますし、安易な再議決の要件の緩和は、参議院の影響力を弱めることにもなりますので、賛成しがたいというのが多数でございました。

 時の政権がしっかりと、誠実に参議院との対話に努めまして、円滑な政権運営に責任を持つべきであると考えております。

 次に、選挙制度改革におきましては、今回の、私が当選しました衆議院選挙におきましても、各裁判所で違憲状態との判断が相次いでおりまして、いわゆる事情判決の法理によりまして、辛うじて無効とはなっていない状況でございます。

 定数削減を含めました選挙制度改革は喫緊の課題ではございますが、私としましては、今後の選挙制度改革においては、いわゆる投票価値の平等、人口比例を基準にしながらも、各県、各地域の民意をしっかりと吸い上げるために、ある程度、選挙区の面積や地域性、または地理的事情を勘案すべきと考えております。

 私は福岡出身でございますが、九州比例ブロックの選出でございます。ですから、鹿児島や宮崎等のかなり面積の広い県にも訪問をしてまいりました。訪問する中で、同じ県内でも抱える問題や地域性がかなり異なるなということを候補の時代に実感をしております。

 人口割りのみを基準にしますと、県内の異なる問題を吸い上げる代表者がいなくなる、真の民意の吸い上げが不可能となってしまうのではないかという懸念を持っております。

 しかし、最近の判例は、衆議院選挙におきます一人別枠方式を違憲というふうに判断をしております。そうなりますと、この司法の判断も重いものでございます。一人別枠方式が採用されないとなりますと、極端に定数が削減される地域が生じる可能性があるわけでございまして、それを補完する意味でも、より広い民意を吸い上げることができる比例代表制が、地方の声を拾い上げる機能を果たすにはより重要性を増してくると考えております。

 定数削減を含めた選挙制度改革においては、比例代表制度の割合というものを今後も維持すべきと個人的には考えております。

 以上でございます。

保利会長 次に、小池政就君。

小池(政)委員 みんなの党の小池政就です。

 みんなの党は、現行憲法第四章に関しましては、以下三点を見直すべきとしています。

 一点目は、地域分権及び道州制を進める方針との関係で、国会の立法事項を限定することであります。

 地域分権を進め、各地域の自治権を確立するには、積極的に役割の移行、分担を進めるとともに、国の側からの恣意的な立法を防ぐためにも、国の立法事項そのものを制限する必要があります。

 これまでの中央集権体制により、画一的な地方への取り組みが地域の活力を失わせ、国への依存体質を助長する中、国、地方ともに財政は逼迫しています。個々の自治体が権限と財源を備え、住民ニーズに応じたより効率的な行政サービスの提供が求められています。

 一方で、来るべき国際的な地域間競争に向け、個性、多様性を生かした競争力ある地域を構築し、地域住民が自己選択、自己責任において地域経済を活性化させることも必要です。

 以上から、私たちは、地域主権型道州制の導入を掲げ、地方自治体へ権限、財源、人間の三ゲンを移譲し、地域のことは地域で決定すべしと訴えてきました。

 具体的には、国の直轄事業は段階的に縮小、廃止し、地方へと移管。地方の負担金は、維持管理費負担金を廃止し、本体部分を直轄事業の地方移管に伴い廃止する。また、地方自治体事務に対する国の義務づけ、枠づけを廃止し、自治立法権、道州、基礎自治体の課税自主権、住民参加等が保障された地域政府を確立すると主張しています。

 地域の自治権の確立に沿った国会の立法事項の見直しが必要と考えます。

 第二点目は、衆参両院統合による一院制の確立です。

 地域主権型道州制の導入を進める中で、国会の役割は、国内共通の施策や、防衛及び外交等の国外への取り組みに限定されていきます。その中で、行政改革と財政改善の一環としての観点のみならず、国としての意思決定の迅速化がより求められるとの観点から、衆参統合は重要な課題と言えます。

 現行では、両院における役割分担が明確でなく、同様の政党に所属する議員による審議の内容や手順は重複しております。一方で、国内外を問わず社会の変動が加速的に速くなっている中、一刻を争う国政上の課題が二度にわたる国会審議で遅滞し、国民の背負うコストは膨大なものになっています。

 地域分権後の限定された国会の役割と国内外への迅速な取り組みへの体制を鑑み、衆参両院統合による一院制を求めてまいります。

 最後に、三点目は、政党規定の新設です。

 現行憲法に明記されていない政党の規定を憲法に明確に位置づけるとともに、政党に関する資金の透明化、運営の適正化を図る法律を制定することによって、国民の政党への信頼を回復させるという取り組みが必須と考えます。

 なお、国会議員の選出方法に関しましては、先ほどの第三章の討議で畠中委員より説明のあったとおりであります。

 以上が、みんなの党の憲法第四章に関する基本的考え方です。

保利会長 次に、笠井亮君。

笠井委員 日本共産党の笠井亮です。

 日本国憲法第四章で重要なことは、国民主権原理のもとで代表民主制を採用し、議会制民主主義を実現するために国会の地位と組織、権能を明らかにしたことであります。この第四章の規定に照らして、現実の国会がどうなっているのかの検証が必要です。

 まず述べたいのは、選挙制度についてです。

 国会が憲法に定められた役割を十分に発揮するには、民意を正確、公正に反映した議員で構成されることが不可欠です。この点で、現在の選挙制度がどうなっているのかが問われます。

 昨年十二月の総選挙について違憲の判決が相次いでいますが、より根本的には、小選挙区制中心の選挙制度に大きな問題があることがいよいよ明らかになりました。小選挙区制は、大量の死票を生み、民意をゆがめる極めて非民主的な制度です。

 昨年の総選挙でも、自民党が小選挙区で、四割台の得票で八割の議席を占め、議席に結びつかない死票が過半数を超えました。小選挙区制を廃止し、多様な民意を議席に正確に反映できる比例代表制などへの抜本改革こそ必要であります。

 次に、国会の果たすべき役割、任務について二つ述べます。

 まず、立法機能についてですが、重要なことは、閣法、議員立法にかかわらず、徹底審議が尽くされなければならないということです。

 国会で必要な質疑が行われ、その内容が国民に知らされ、国民の声をフィードバックさせながら審議を深め、合意を形成していく、こうした徹底審議こそ求められています。

 ところが、昨年強行された消費税増税と社会保障の一体改革なる法律は、三党が密室で合意したことを国会に押しつけ、国民の多くの反対を押し切ってつくられました。その制定過程は、審議のあり方においても、国民の世論との関係でも、国会の立法機能を否定するものであると多くの強い批判が寄せられているのは当然であります。

 行政監視機能と両院の国政調査権では、今大きな焦点の一つである原発問題についても発揮されなければなりません。

 東京電力福島第一原発事故の調査委員会が憲政史上初めて全会一致で国会のもとに設置され、昨年七月に提出された報告書で、七つの提言が出されました。

 その第一は、規制当局を監視する目的で国会に常設の委員会を設置することであり、その中には、事故調査報告について、今後の政府による履行状況を監視し、定期的に報告を求めることも含まれています。この提言を受けて、この通常国会において衆議院に原子力問題調査特別委員会が新設されましたが、まだ一度も開催されていません。

 この間、原子力規制委員会事務局幹部の不祥事などもありました。とりわけ、東京電力による国会事故調への虚偽説明問題は、国会の権威を著しく傷つけるものでもあり、国政調査権を発動して、真相を解明すべきです。こうした問題を正すためにも、特別委員会の果たす役割は大きいと考えます。

 何より、去る三月十八日の、福島第一原発の電気系統が故障し、使用済み燃料プールの冷却などができなくなった事故は、原発事故が収束とほど遠い状況であることをさらけ出しました。いまだ明らかにされていない原発事故の原因究明を初め、今こそ国会の監視機能を強化し、遺憾なく発揮すべきです。

 さまざまな問題で国民が求める諸問題、諸課題が解決しないのは、この憲法があるからではなく、憲法に基づき、それを生かす政治が行われていないからだ、このことを重ねて強調し、意見表明を終わります。

 ありがとうございました。

保利会長 次に、鈴木克昌君。

鈴木(克)委員 生活の党の鈴木克昌でございます。

 憲法第四章国会について意見表明をいたします。

 まず最初に、二院制について述べさせていただきます。

 二院制の本来の趣旨は、他の議院の行き過ぎをチェックするとか、足らざるを補うといった点にあります。その機能をいかに発揮させるかが、日本国憲法の制定以来、常に議論になってまいりました。

 生活の党は、二院制は維持すべきと考えており、論点表ではCの立場であります。

 しかしながら、性質や権限が同じような議院が二つあるというのでは、その期待する機能は発揮できないため、二院制の中身をどうするかということが問題になります。

 そこで、まず、衆参の役割分担について、立法措置や運用改善を図るとともに、両院の意思の調整の仕組みである両院協議会のあり方を見直すべきだと考えます。

 現在の両院協議会は形骸化していると言わざるを得ず、その原因である両院協議会委員の選出やその意思決定の方法を改める必要があります。他方で、法律案の再議決要件である三分の二を憲法改正により緩和することまでは必要ないと考えます。したがって、論点表ではB及びCの立場になります。

 次に、選挙制度についてです。

 二院制のチェック機能や良識の府としての役割が十分に果たせるかどうかは、結局、選挙制度のあり方にかかってくると思います。両院が同じような性格のものにならないように、どのような選挙制度の形があり得るか、議論が必要ではありますが、両院の選挙制度に違いを持たせるような選挙制度の抜本改革を行う必要があります。論点表におけるBの立場です。

 議事手続については、柔軟かつ機動的な国会運営のため、現在三分の一以上となっている本会議開会のための定足数を削減し、議決の際のみの定足数とすべきです。また、国務大臣が国会に拘束されて重要な外交日程をキャンセルするような事態は国益を損なうことから、国務大臣の国会への出席義務を緩和すべきです。この二点について憲法改正を行うべきであり、論点表におけるAの立場であります。

 最後に、政党についてです。

 政党は、国の統治において重要な役割を果たすことから、公党にふさわしい運営を行い、党運営について有権者の信頼を得る必要があります。

 このような観点からは、党内の機関について、その役割と権限、選出方法、意思決定のルールの明確化が必要です。そのためには、政党の自律性の確保を前提に、政党法の制定によりルールを明確化していく必要があります。論点表におけるBの立場であります。

 以上、生活の党を代表して、国会の章についての意見とさせていただきます。

保利会長 これにて各会派を代表する委員の発言は終了いたしました。

    ―――――――――――――

保利会長 次に、委員各位による自由討議に入ります。

 委員各位による自由討議の進め方は、先ほどの第三章の自由討議と同様といたします。

 発言を希望される委員は、ネームプレートをお立てください。

中谷(元)委員 憲法四十七条に、「選挙区、投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は、法律でこれを定める。」となっておりますが、これに基づいて決めた衆議院の選挙のあり方、民意の酌み上げ方に対して、司法が、最高裁が違憲とか無効とかこれを判定する、決める権利が本当に三権分立上許されるものかどうか、私は疑問に思っております。

 この憲法四十七条というのは、国家の意思を決める際に、地域性も考えてバランスよく国政の判断を行うという意味で、ある程度政治的裁量を定めたものであると考えますし、国民の意見を集約する際に、行政区画、特に都道府県、この存在をもっていろいろな意見集約をする機能もあるのではないかなと考えております。

 法制局にお伺いしたいことは、諸外国でこのような議員の選挙を決める際に、このような地方の裁量、特に行政区画や交通、地理的条件などを勘案して決めているような国家があるのかどうか。

 そしてまた、立法府が決めたことに対して司法が違憲の判断をしたり無効の判断をすることは立法府への侵害だと考えますが、こういった事例等についていかがなものか。

 そして最後に、真の民意を吸い上げる立法の判断を違憲とした最高裁に対して、立法府はおかしいものとして、国会の中に、その判断が正しいかどうかを考える憲法の裁判所なり審判所を設けるべきだと思いますが、この点についての憲法上のあり方について、法制局の意見を聞かせていただければありがたいと思います。

橘法制局参事 中谷先生、御質問ありがとうございます。

 国会議員の選ばれ方というか、選挙区画を定めるに際して、その行政区画とか地勢などを定めるといったような規定が外国の憲法にあるかということについては、今ちょっと手持ちの資料ではわかりませんので、宿題とさせてください。

 恐らく、自由民主党の改正草案におきまして、単なる人口比例原則ではなくて、人口比例原則以外の、行政区画、地勢等を勘案するといった文言は、これは、現在の衆議院議員選挙区画定審議会、いわゆる区割り審設置法の文言を参照されたものと考えておりますけれども、これをどこまで憲法に規定した場合に解釈の幅が広がるかということについては、多分さまざまな御意見があるんだと存じます。

 あと、二点目でございます。国会の制定した法律について、司法府という別の権力機関が違憲判断をするということの是非については、先生御指摘のように、さまざまな御議論があるかと存じます。

 全国民の代表であり、直接に主権者国民から選ばれた先生方が合憲であると判断した法律について、選挙で選ばれていない裁判所において、それを違憲だ、そういうスキームをとることについては、さまざま御議論があるからであります。

 ただ、日本国憲法におきましては、先生には釈迦に説法でありますけれども、第八十一条におきまして、最高裁判所は、一切の法律などが憲法に適合するか否かを決定する権限を有する終審裁判所であるという形で、個別具体的な事件の存在を前提としてではありますが、先生方がつくられた法律に対する違憲立法審査権を憲法が司法府に与えているということでございます。

 もちろん、これは、アメリカ合衆国憲法の連邦最高裁判所を参照した制度であるというふうには一般的に言われていますけれども、このような、特に政治的な憲法判断を行う機関については、通常の司法裁判所に委ねるのではなくて、ドイツ流の憲法裁判所、つまり、政治的な憲法判断を行う憲法裁判所においてこそ行うべきではないのかという議論は、これまでもございましたし、恐らく、この憲法審査会においても、次の次になるんでしょうか、第六章、司法の章においては非常に大きな論点の一つとして先生方の御議論のテーマになるものだと拝察いたします。

 全てについて的確にお答え申し上げられませんでしたが、手持ちの資料で、以上でございます。

衛藤委員 自由民主党の衛藤征士郎であります。

 党の立場からちょっと離れるのでありますが、私の個人の意見を申し上げたいと思います。

 私どもは、超党派で、衆議院と参議院を対等に統合して一院制の国会をつくる、この議連を二〇〇三年五月十五日に立ち上げました。これを踏まえまして、昨年の四月二十七日に、衆議院議員四百八十名中百三十名の署名をもって、横路衆議院議長のもとに、憲法改正原案を提出いたしました。その憲法改正原案は、憲法第四十二条、国会を一院制とする、国会議員の定数は五百人以下とするというのが骨子でありました。

 しかし、百三十名の署名をもって提出したこの憲法改正原案も、いわゆる国会法五十六条の法律案の提出要件に縛られまして、実はたなざらしになっておるというのが現実の姿であります。

 この国会法第五十六条、予算関連法案については衆議院五十名、参議院二十名、非予算関連法律案については衆議院二十、参議院十名をもって法律案の要件は整い、そして各党の機関決定を経て、議長が議運に付託し、または憲法審査会に付託していく、こういう手順になっているわけです。

 ところが、今申し上げました予算関連法律案五十、こういう数字はクリアしておりましても、各党の機関決定がないためにこれが動かない、こういう状況になっております。

 五十名じゃなくて百三十名の衆議院議員の署名をもって提出した憲法改正原案が全く動かないという現実の姿は異常でありまして、ある意味ではこれは国会の不作為そのものだ、このように私は思うのでありまして、この改正が必要であるということであります。例えば、四百八十の三分の一以上の国会議員の署名をもって提出された憲法改正原案については速やかに憲法審査会に付託し、趣旨説明を行わなきゃならないとか、そういうような規定を設けるべきではないか。これが第一点であります。

 それから、G7、G8の国々が、確かに二院制ではあるが、それぞれ、フランスもかつて、フランス革命後、三回、一院制を経験しております。ドイツも、御案内のとおり、かつて、二院制を一院制にいたしました。このドイツにありましては、上院議員はわずか六十九人です。この六十九人の上院議員は、十六州の閣僚が上院議員を兼任している、これがドイツの両院制度であります。また、フランスは、御案内のとおり、フランスの上院議員の選挙権は国会議員と地方議員に限定されております。フランスの一般国民にはフランスの上院議員の投票権さえもないというのが実態でもあります。

 我が国は、御案内のとおり、完全な二院制でありまして、両院にほぼ同等の権限と権能を与えておりますが、結果として、国会のねじれ等がございまして、何も決まらない、決め切れない、こういう現状になっております。このことを踏まえまして、私は、速やかに二院を一院にすべきと考えております。

 なお、選挙制度についてでありますが、昭和二十一年四月十日、一九四六年四月十日、我が国は戦後第一回の衆議院選挙をやりましたが、これは都道府県単位の大選挙区制限連記制です。都道府県単位の一本の大選挙区の制限連記制、こういったことも考えていくべきではないか、私はこのように思っています。

 時間が来ましたので、またの機会にいたします。ありがとうございました。

高鳥委員 自由民主党の高鳥修一でございます。

 まず、国会議員の選出方法について申し上げます。

 私は、選挙制度について、人口以外の要素を憲法上認めるべきであると思います。一票の重さはできるだけ同じであるべきでありますが、行政区画や地勢とともに面積も考慮すべきではないかと思います。面積が広いということは、災害だけで申し上げましても、地震、豪雪、地すべり、河川の氾濫、海岸の高波対策など、それだけ守備範囲が広いことになります。私の場合で申し上げて申しわけないんですけれども、私の選挙区は東京都全体の約一・四倍の広さ、これを一人でカバーしなければなりません。

 人口割りだけで定数是正を繰り返した場合、都市部の代表はますますふえて、地方の代表はいなくなってしまいます。結果、地方は寂れて格差がますます拡大するというのは問題であると思います。水もエネルギーも、お米や食料、人材も地方が供給をして都市部の便利な生活が成り立っております。国土の均衡ある発展を目指す観点から、人口以外の要素を憲法上認めるべきであると思います。

 次に、閣僚の議院出席の権利と義務について申し上げます。

 総理大臣の国会への出席義務を私は緩和すべきであると考えます。

 アメリカ大統領は、議会に議席がないから答弁をしない。イギリスの首相は、週に一回、水曜日にクエスチョンタイムをやるだけだと聞いております。日本の総理大臣は過度に国会に縛られており、行政の長として、また外交上も、職務の停滞を招くのではないでしょうか。特に総理大臣に関しては、出席義務を緩和すべきであると思います。

 以上であります。

西川(京)委員 自由民主党の西川京子でございます。

 私も、四十三条の国会議員の選出方法、議員の定数、先ほどの高鳥議員の発言と重複するところがございます。面積比、ぜひ入れていただきたい。

 それと、もう一つつけ加えますと、実は、人口がどんどんふえている大都市部、この大都市部においての投票率が非常に低い。そういう中で、地方と言われているところの投票率と比べると、実は、裁判所で言われる格差はないんじゃないか、現状でもないんじゃないかと思うくらいに低い投票率で受かっている現実があります。

 そういうことも鑑みて、やはり地方においての、いわば環境を守る、あるいは自然を守る、そういう意味においても地方の議員定数というのは一定の配慮を持って維持するべきだと思います。

 以上です。

武正委員 この国会の議論がより活発に行われるように、特に、三権分立における立法府として、行政府のチェック機能を高めていくべきであるということで、さきに民主党同僚委員から御紹介があったように、少数会派による国政調査権の発動を可能にし、行政監視機能を充実すべきといったことも憲法提言でもまとめたところでございます。

 ねじれ下での国会運営については、この三年三カ月も、政権与党として大変苦労もあったわけですが、そうした中で、特例公債法についての合意がされたり、あるいはまた、問責決議案の提出についても何らかの改善が必要ではないのかといったことの理解が深まったりという中で、取り組むべきところを国会として前へ進めていくことが必要であろうかというふうに思っております。

 五十九条の改正については、議論が双方の観点からあろうかというふうに思っております。

 国会の権能ということでは、衆議院の予備的調査なども効果を上げておりますので、こうしたものをさらに、質問主意書なども含めて、強めていく必要があろうかというふうに思っております。

 閣僚の出席の件でちょっと触れたいと思いますが、ちょうど岡田外務大臣のころ、外交日程、金曜の夕方出発をして月曜の朝帰ってくる、ゼロ泊三日の出張ということをよく副大臣として目にしておりました。また、昨年は、野田総理が、ロンドンでオリンピックに関しての会合、出席を予定しましたが、これがかなわなかったといったこともございますので、特に外交関係、外務大臣など閣僚の国際会議への出席が国会の日程で阻まれないようにといったところは必要だなというふうに思うわけであります。

 ただ、これは、野党時代、我々も随分政権与党から求められました。外務委員会を一つ例にとれば、例えば、条約の逐条審査などを小委員会で可能にするようなやり方などの改善がやはり必要であるということを申し述べたことがございます。国会での議論をどうやって深めていくのかということと、この閣僚の出席義務との兼ね合いがあろうかというふうに思っております。

 民主主義を体現する国会においての少数意見の尊重、そしてなおかつ、議論を深めていく中で、決めるものは決めていくといったことでの与野党での建設的な取り組みが必要であろうかというふうに思っております。

保岡委員 自由民主党の保岡興治でございます。

 御承知のとおり、防衛、治安、災害の緊急事態、こういうことが生ずる、今度の東日本大震災のようなケースでございます。

 こういう場合には、状況によっては、国民の基本的権利なども、一時、事柄の性質上制約をしなきゃならない事態が生ずる。しかし、そういう場合ですら、憲法の基本的人権の保障、憲法保障というのはやはり一番基本に据えなきゃいけないということなど、憲法保障上からもむしろ緊急事態の基本的人権の制約に対する規定というものは整備しなければならないんじゃないかということや、また、国家緊急事態において国会の措置を待つ暇がないときは、内閣総理大臣が必要な措置を、あるいは法律で定めるべき事項を政令で制定することができるなどのあり方も検討する必要があるんじゃないか。また、国会を開会することが困難な場合には、国会の権能は、両院合同緊急委員会などの制度を設けてクリアしていくことが必要なのではないか。

 また、この間の東日本大震災、その前の関西で起こった淡路震災の場合も、地方議員の選挙ができない、したがって選挙を延ばす、そういう場合は、地方議員や首長の任期を法律で延ばしたんですね。これは法律でできる。

 しかし、もし国会議員の任期が満了するようなときに非常事態が起こったとか、解散後に起こったとか、そういう場合、任期は非常事態の終了まで延長されるような措置をとらなくていいか、国家緊急事態において衆議院は解散されないものとするような規定を置かなくていいか、こういったことは、法律ではできません。憲法に規定していなければできない。

 こういう改正点を考えると、社民党や共産党のような従来の護憲勢力も、こういう欠陥が憲法にあることは厳しく認識して、国民のために国家の制度としてこういうものの改正は例外的に認めるべきではないか。

 こういうことであれば全会一致して制度を構築することも難しくないということなどを考えると、こういった緊急事態における国会のあり方というものについても十二分に議論すべきであって、特に国会は、地方議会のように統一地方選挙の四年に一遍ではない。三年にほぼ一遍、衆参があるような、そういう状況ですから、確率からいえば国会が麻痺する可能性の方がはるかに高いということを考えて、この憲法審査会も、できるだけ早く、先送りせず、こういうことにはきちっと答えの出せる国会、憲法審査会でなければならないと思います。

 以上です。

笠井委員 日本共産党の笠井亮です。

 今、保岡委員からもあったのであれですけれども、ちょうど順番ですが。

 緊急事態の場合についていえば、五十四条で、参議院の緊急集会が開けると明確にいくのであって、衆議院が解散されたときには参議院は同時に閉会となる、ただし、内閣は、国に緊急の必要があるときには参議院の緊急集会を求めることができるということも含めて、それが改憲の理由にならないと私は思っております。

 関連して、二院制の問題ですけれども、先ほど来ありますが、日本国憲法は、四十二条、四十三条を初めとして、国民の代表機関である国会に主権者である国民の多様な意思を正しく反映させるように求めたものであって、そういう中で、今のことも含めてですが、憲法が採用している二院制の意義というのは、両院での審議、議決を慎重なものにして、異なる時期と方法で表明された国民の意思を代表することで政治決定の公正を図って、解散などで衆議院が機能できない状況のもとでも参議院の緊急集会で国民の代表による政治決定を確保する、まさにそういうことに意義があるんだと思います。

 今、ねじれ国会とかあるいは臨機応変の対応というようなことで一院制というような議論もありますけれども、私は、政治の不安定の根本原因というのは政治が民意を反映していないことにあるんだ、民意を正確に反映する選挙制度の改革とともに、政治の中身を国民本位に憲法に基づいて変えていくというのが急務だということを考えております。

 もう一点、政党法の問題が議論があります。

 結社の一種である政党を憲法上の存在に取り込む一方で、この問題でも、特殊な規制、介入をもたらすという動きや意思、あるいはそういうようなお考えも出されておりますけれども、もともと政党というのは、言うまでもなく、憲法二十一条で、結社の自由に基づいて、つまり、国家から監督や規制を受けずに活動するという自主的な組織であって、その活動というのは全面的に保障されなきゃいけない。それをやっていく上で、どういう活動をするか、政党がそれぞれ自主的に内部規律や活動のあり方を決めていくことになると思うので、それを憲法や法律でやるというような話じゃないというふうに思います。

 それから、そもそも、政党を含めて、二十一条の表現、結社の自由というのは民主主義の政治プロセスを支える最も中心的な人権でありますので、さっき、三章の議論でもあった中で、目的による結社の規制なんというのは極めて異常だし、現行法でも異例だと思うんです。

 目的に基づく結社行為を規制するとなれば、目的そのものを規制することと大きく違いがなくなります。また、適法な表現でも、目的を理由に規制することになって、目的そのものも規制になる。そういう規制をやっていけば、国家による内心の調査、思想調査が始まって、かつての特高警察のような、そういう特別な規制機関、捜査機関も合法化されることにつながりますので、まさに戦前の教訓でありますが、治安維持法に通じるような思想の自由への介入の危険を持つということで、そういうことから大変に危険なものだということを指摘したいと思います。

 以上です。

船田委員 自民党の船田でございます。

 私は、二院制の問題について限定してお話をいたしたいと思います。

 二院制のメリットというのは、今、笠井先生からも御指摘ありましたように、ダブルチェックをする、それによってその議決の正当性なりあるいは慎重な態度を示すことになる、これは当然だろうと思います。

 ただ、ダブルチェックが効力を発する、あるいは効果が出るというのは、それぞれ属性の違った人々、あるいは違った基準によってチェックをするから、実はその二院制のダブルチェックの意味はあるわけでありますが、現実に考えてみますと、どうも二院制のそれぞれの違いというのが非常に少なくなってきているというところに問題があると思います。

 一つは、参議院はかつて政党化されていませんでした。緑風会というのがありまして、これが、政党にこだわらずに、さまざまな観点から専門的な議論をする、そういう人々で構成をされている時期がありました。衆議院は当然政党化されておりますので、その違いは大きかったと思っています。

 それともう一つは、選挙制度の違いというのもあったと思います。現在では、多少の違いはありますけれども、大まかに言うと、小選挙区あるいは都道府県単位の一人選ぶ選挙区とそれから比例代表、その二つという制度で、かなり衆議院と参議院が似通ってきている。こういうことを考えますと、時期の違いはあるかもしれませんけれども、非常に衆議院と参議院の違いがなくなってきている、こういう状況であります。

 ですから、本当にダブルチェックを生かすためには、衆参で役割の分担、例えば、衆議院は予算審査中心、参議院は決算審査を中心にするとか、あるいはまた、参議院よりも衆議院がいろいろな面で議決の優越性をさらに強めるとか、そういうことによってその違いを際立たせる、そういう必要があると思っておりますが、もしそれがかなわないことであれば、やはり最終的には一院制を目指すべきであるというのが私の考えであります。

 以上です。

篠原委員 民主党の篠原です。

 一票の格差についてでございますが、高鳥委員それから西川委員から、面積等も加えるべきじゃないかというのがありました。私も、そういったことを考えていかなければいけないんじゃないかと思っております。

 公共の福祉がパブリックウエルフェアの直訳だという話がありました。環境とかそういった問題の延長線上にあるわけですけれども、ヨーロッパ世界では、アニマルウエルフェアというものがあります。それからアメリカでも、自然の権利というので、人間だけじゃなくて、自然も壊すのはよくないんだといって訴える権利があるぐらい、そういうふうに進んでいるところもあります。

 そういうことを考えると、一方では、私は、平等というのがあってもいいと思いますが、それだけで議員というのは選ばれていいのかということを常々疑問に思っております。

 なぜかといいますと、皆さん同じ気持ちだと思いますけれども、そんなことを言っていると、東京なり大阪なり名古屋なり、そこに住んでいる人たちのなすがままに日本じゅうを変えられてしまう、地方なんてどうだっていいんだというふうになってしまう、それでいいのかと。

 ヨーロッパは、そこは進んでいまして、農業の世界の話ですけれども、一年に一回しか訪れない山、中山間地がある。例えば南アルプスです。しかし、そこに生活している人たちがいるから、自分たちは何年に一回しか来ないけれどもこの景色を享受できるんだと。だから、この人たちには、ここにこの景色を維持してくれている、農業をやってくれている、酪農をやってくれている、だから、そこで生産されるものは高くたっていいんだということで、直接所得補償というのをやっているわけです。何倍もお金を出している。一物何価にかなって、お金を出している。それについて何もクレームはつかないわけです。日本では、すぐ農業の過保護だ過保護だというふうになっていったりするんですね。

 私は、考えてみますと、あちこち、学生時代からふるさとを離れて、五カ所か六カ所、住んでいます。投票には大体行っていましたけれども、一番最初の学生のころ、誰に投票したかは残っているんですが、あと、千葉、神奈川、東京都と住みましたけれども、誰に投票したか覚えておりません。一方で、ふるさと納税制度というのができました。ふるさとに納税してやらなくちゃというのがあったわけです。そういうことを考えていきますと、ほかの国にもあるわけです、登録してどこで投票するかというのを認めていいんじゃないかと思います。

 私なんか、とっくの昔から、私の投票権は長野にあって、私の両親なりがかわりにやってくれている、そういうふうに思っている。そっちの方がずっと関心がありました。だから国会議員になったというわけじゃありませんけれども。そういうことを考えますと、登録した場所に投票権を与えると。

 今どうなっているかというと、住民票万能主義です。今、長野のワンルームマンションに私がいます。長野支店長、長野営業所長と、わんわんいるわけです。この人たちは選挙が近づいてくるとこう言うわけです。篠原さん、済みません、私は住民票は東京ですし、神奈川ですし、千葉ですと。彼らは住民税も長野に納めておりません。住民票がある都市部なんです。これでは、ますます都市と地方の格差が拡大するばかりです。

 こういうことを考えますと、たくさんいるはずです、私のように東京に出てきて、都会に出てきて働いている人たち。地方のことを考えている、そちらの方で投票したいんだ、私は、これを認めていくというのも一つの考え方ではないかと思います。

 以上です。

保利会長 まだたくさんの方々が札を立てておられますので、現在ネームプレートを立てておられる方でおしまいにしたいと思います。よろしく御協力をお願いいたします。

泉原委員 自由民主党の泉原保二でございます。

 二期目でありますが、私は、麻生内閣の解散以前の二カ月、繰り上げ当選しまして、現実、比例で通ったわけですが、本当に初めてと一緒でございまして、それまでの有権者の目で考えたことを述べたいと思います。

 まず、先ほどの高鳥議員の面積比率のことでございます。

 私も全く賛成でありまして、北海道あたりに、テレビ報道でありましたように、中国、他国から過疎地を買い占めている。私は、これは国防上非常に恐ろしい問題が発生するんじゃないかと。本当にゆゆしき問題でございますので、やはり過疎地対策の問題にとりましても、人口比率ばかりじゃなしに、面積比率を採用していただきたい、かように思います。

 それから、ちょうど前々回の選挙でありましたけれども、二カ月間でしたが、そのときに感じたのは、もう一年前から解散、解散ということで解散の嵐が吹き荒れて、マスコミがそれについていつ解散だということで、いろいろやっておられました。その中で感じたことは、要するに、解散のできない方法はないやろうかということでございました。

 まして、それと、参議院の任期の六年。参議院の先生方は非常に立派な先生方もたくさんおられますが、中には、六年という長い任期の中で、五年間遊んでおりながら、一年の選挙が来ると一生懸命地元へ帰ってくるという先生がよく見られます。だから、私は、この制度は四年に切りかえて、半数は二年ごとの審判を受けたらいい、三年を二年にし、六年を四年にしたらいいんじゃないかと思います。

 それから、先ほどの参議院、衆議院の役割分担は、全くそのとおりでございます。私もそれには同意見でございます。

 ちょうど曙が横綱になったときですからきっちり覚えていますが、そのときに、中曽根総理が直接選挙を打ち出したんですよ。総理大臣を直接選ぶという方針を打ち出したことを記憶しております。それ以来、私は個人的にはファンです。

 だから、一院制に移行する方法も恐らくそういう形になるんじゃないか、かように思いますので、その点も報告と、また、意見として述べたいと思います。

 ありがとうございました。

大島(敦)委員 民主党の大島です。

 議員の定数、一票の格差について発言をさせていただきます。

 一票の格差については、衆議院と参議院の選出のあり方によって、多分、衆議院の一票の格差の考え方が異なってくるのかなと思っております。

 現状で考えますと、これまでは、都市部で稼いで地方に交付税等で財政的な措置をしていくということで日本の均衡ある発展が図られてきたと思います。

 個々の議員については、それぞれの選挙区を抱えているので、その選挙区に基づいての意見が強くなる傾向にあると思います。

 三大都市圏において、都市圏の中心部分とその周辺部分では大きく異なります。日本の成長が高度成長期のように高く望めない中で、どうやって都市近郊についてもその問題を解決するかという問題もございまして、面積、あるいは個々に抱えているそれぞれの地域の問題があるかと思いますので、私といたしましては、できるだけ一票の格差は近づける方向の中で、それぞれの地域の事情を勘案しながら、定数について一つの考え方、あるいは決めていくのがいいのかなと考えております。

 以上です。

山口(壯)委員 国会議員の選出方法ですけれども、これは、憲法に定められていることを変えなければいけないのかどうかという観点からいくと、我々国会議員の評価というのは、今、有権者の間で物すごく低くなっていると思うんです。

 では、どういう人材をきちっと選出できるようにするのか。

 この民主主義の中で、例えばイギリスのことを少し思ってみたんですけれども、イギリスは日本の面積の七割しかありませんけれども、小選挙区は六百二十五、要するに三百の倍以上あるわけです。したがって、〇・七しかない面積のところに倍以上の選挙区があれば、日本に比べて大体三分の一ぐらいの一つの選挙区、本当の意味での小選挙区だと思うんです。我々は小選挙区と言っていますけれども、私のところで十二万軒、その十二万軒が向こうでいけば大体三万軒から四万軒。

 例えば、地元で私が一番最初に通ったときというのは、四十九年間続いた方を相手に、徹底的に歩いたわけですけれども、例えばイギリスで、サッチャーさん、お父さんは乾物商だった、別に国会議員でもなかった、でも、一軒一軒歩いて、三回目の選挙でやっと通った。その後のメージャーさんも、サーカスの曲芸師の息子でお金がなかった、中学も中退した、だけれども、一軒一軒歩いて通っていった。

 そういう意味では、これは本当の意味での小選挙区というものが一つのあり方かもしれません。ただし、これは憲法にどう定めているかということとは全く関係ありません。だから、そういう意味では、我々が憲法をどういうふうに改正するかどうかという観点からは、我々自身がやはりみんなに尊敬してもらえるような国会議員であろうという気持ちの問題というのが非常に大事ではないかなという気がしています。

 それから、決められるかどうかについても、これは憲法にどう定めてあるかということも決して私は関係ないとは言いませんけれども、でも、リーダーの資質によるところが非常に大きいのではないか、憲法の問題とは少し次元が違うのではないかという気がしています。

 以上です。

山下委員 自民党の山下貴司でございます。会長、御指名ありがとうございます。

 時間も時間ですので、もう短く申し上げます。

 今、二院制、一院制の議論がございますが、やはり根底にあるのは、決められない国会に対する批判であると思います。そこで、決められる国会にするためにどうしていくのかという観点からも、この二院制の問題は考えていく必要があろうかと思います。

 二院制の問題はもう既に先生方が指摘されましたので、私は、その決められない国会に対する批判に対して、現行制度でうまくいっていないところについてもしっかりと憲法審査会で指摘して、それに対してどういう解決策をやっていくかということの指摘も必要であろうと思います。その意味で、予算関連法案であるとか国会同意人事、これについて、衆参の役割について、衆議院の優越をやっていくという方向性、これを打ち出すべきだと思っております。

 あともう一つ、どうしても言いたかったのは、閣僚の出席義務の改正の部分でございます。

 先ほど高鳥先生からも御指摘がありましたけれども、日本の首相は一年で百二十七日出ておりますが、イギリスは三十六日、独仏は十一日か十二日であります。財務大臣は、日本では二百七日、イギリスやドイツでは十数日、フランスでは三十日程度。外務大臣は、日本では百六十五日、イギリスやフランス、ドイツでは二十日前後であります。

 ここで何をやっているかというと、しっかりと外交をやっていたり、あるいは行政に集中したりしているわけですね。ですから、閣僚を国会に張りつけて、そして質問攻めにするということよりも、もっと大事なことがあるのではないかとここの国では思っておるようであります。そういったこともしっかりとやっていくべきだと思います。

 もう一つ、これは憲法の問題ではないかもしれませんが、国会質問の事前通告制度。実のある実質的な討議をするためには、前日の五時に質問通告をして、そして、翌朝、大臣にあんちょこを見せて答弁をさせるというこのやり方がもう限界に来ているのは明らかであります。自民党政権時代には四十八時間前に通告をするということを言っておりましたし、これはイギリスやドイツやフランスでも当然ある制度であります。この点をしっかり御議論いただきたいと思っております。

 以上です。ありがとうございました。

畠中委員 みんなの党の畠中光成です。

 国会議員の選出方法について一言述べさせていただきます。

 先ほども、人口以外の要素を憲法上明確に認めるべきという御意見が幾つか出ました。その理由といいますのが、地勢や面積、あるいは交通の利便性、こういったところで、まさに地方の実情、こういったところをおっしゃっておられたかと思います。先ほど大島委員からもお話がありましたように、各選挙区の実情等もあったのかもしれません。しかしながら、私どもみんなの党、従来から主張しておりますように、地方のことは地方で決める、そういった考え方からしますと、やはり若干の違和感を感じざるを得ません。

 そういった地方のことは地方で決めるという観点から考えまして、また、憲法の第四十三条で、「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。」と述べられております。すなわち、私ども国会議員は全国民の代表という性格を帯びるわけでございまして、よって、法のもとの平等、すなわち一人一票、こういったことを余り軽んじては、民主主義の根幹にかかわるのではないかというふうに思います。

 以上です。

大塚(拓)委員 自由民主党の大塚拓でございます。

 二点申し上げます。

 一点目は、先ほど保岡委員の指摘をされた緊急事態に関して、共産党の笠井委員から、五十四条があるから大丈夫なんだというような御発言があったわけでございますけれども、国家の緊急事態ということは、外国による侵略でありますとか東日本大震災を大きく上回るような大規模な災害といったものが想定をされるわけでございます。

 こうしたときに、そもそも国を挙げて選挙をやっている場合なのかということと同時に、物理的に選挙が実施できないということも十分に想定をされるわけでございます。あるいは、衆参同時選挙のさなかに起きるということもあるかもしれないわけでございます。こういうときに、果たして四十日以内に選挙が実施できるか、できない場合のことを想定されていない現行憲法にはやはり不備があるということを御指摘しておかなければならない、このように思います。

 それからもう一点は、維新の西野委員から、首相公選制について、導入すべきではないかという御発言があったわけでございますけれども、首相公選制というか、そもそも行政のトップを公選するという制度については、共和制のもとでの二元代表といううちの片方の代表を選ぶということが一般的ではないかと思っております。

 一方で、維新の党におかれましては、第一章のところで、天皇を元首として位置づけるということも主張されておられるわけでございます。我が国においては、天皇が現行憲法では元首と位置づけられておりませんけれども、天皇のもと議院内閣制という形で制度が設計をされている。この天皇を元首として位置づけるということと首相公選の間にはいささか不整合があるような気がしないでもないわけでございますけれども、ここについては検討が必要ではないかというふうに思います。

 以上でございます。

衛藤委員 船田委員も指摘をいたしましたように、戦後、参議院のいわゆる政党化、もう御案内のとおりでありまして、また、政党会派の数、これが十五あります。ですから、一つの法律案について十五の政党会派の立場から審議する、こういうことになります。いわゆる両院の独自性ということで、ダブルチェックという意味で、確かに衆議院、参議院、二つあるんですが、結局、十五の政党会派、そして二回やらなきゃいけない。そして、御案内のとおり、党議拘束というのがありまして、重要な法律案については政党があらかじめ賛成、反対を決めるのであります。その場合、両院の独自性はどこで担保されるのかという問題もあります。

 それから、両院を一院にするといわゆるチェック機能がという話がありますが、それは、一院制にして、そして問題は、審議時間をしっかり確保するということになると思いますし、また、決算行政監視委員会を衆議院の予算委員会と同等かそれ以上の強い権限、権能を持ったいわゆる決算行政監視委員会にすれば事足りると私は思っています。

 それから、もう一つ心配なのは、いわゆる国際化、国際競争化がどんどん進む中で、とりわけ、外国との租税条約あるいは納税の協定書等々、外交案件がどんどん積み残されていっています。ゆゆしき問題で、国益を著しく損なっています。WTO、また、これからのTPPあるいはRCEP、FTAAP、それぞれ、これからたくさんの外交案件、関係が出てきますよ。しかし、どんどん残っているんですよ。これは大変大きな問題です。

 これを解決するためには、今ある国会の会期を通年国会にするかどうか、三百六十五日通年国会にするかどうかという問題、それからもう一つは、審議時間が朝何時から始まって夕刻何時、これでいいのかということです。緊急的な法律案等については早朝であれ深夜であれやるというようなことをやって、本当に国民に対して最大の公益を提供する国会の仕組みにしなければならない、私はこのように思っています。

 最後に一言。岩倉具視団長一行が伊藤博文等々四十六名で、明治四年から明治七年にかけて、欧米のいわゆる国政の視察等に出ていきました。視察した国が全部二院制だったんです。そのときに、スウェーデンとデンマークは、確かにあのときは二院制だったんです。しかし、戦後、スウェーデン、デンマークは一院制にした。そして、すばらしい福祉国家、あるいはすばらしいデンマークという国をつくったということも、あえて考えておく必要もあると思います。

 以上であります。

西野委員 日本維新の会の西野弘一です。

 まず、大塚委員から御指摘のありました点でございますが、我々は、天皇を元首ということで議論を進めているところでありまして、また、首相公選制の首相という部分は、行政の長をどう選ぶかというところの今議論を進めているところでありますので、大塚委員の御指摘は当たらないのではないのかなというふうにも思っております。

 そして、これからはちょっと私の個人的な意見でございますが、国会議員の選出方法について、先ほどからいろいろな御議論がありました。私は、大阪という、いわゆる都市部から選出をいただいておりますが、だからといって、地方の今の疲弊している状況を看過できるということではありません。

 先ほどもありましたけれども、国会議員はあくまでも国民全体から選ばれたものでありますから、地域の選挙区が広いとか狭いとか、選挙区の人口密度が高いとか低いとかによって、国会議員がしっかりと国民全体を見て、国民全体の代表だという自覚を持って仕事をしていれば、そのことによって格差が生まれるということはあり得ないと思っております。ですから、人口比例に基づく平等原則を憲法にしっかりと具体的に明記すべきという立場をとっていきたいなというふうに思っております。

 また、人口密度の高い、低いで本当に格差が生まれるのかというところについても、議院内閣制において選ばれてきた首相の出身地域を見れば、別に、都市部に偏っているどころか、むしろ、いわゆる地方に偏っているというところを見れば、これによっても格差なんか生まれないというふうに思っておりますので、そういうところでもしっかりと、もともとの、本来のあるべき、個々の国民一人一人に与えられた権利を平等にしなければならないという観点にしっかりと立つべきだと思っております。

 以上です。

保利会長 先ほど立てていただいた方の発言はこれで終わりますが、衛藤委員から、発言に問題があったのでちょっと訂正をしたいということでございますので、ごく短く御発言をいただきます。

衛藤委員 先ほど、国会法五十六条の一般的な法律案の改正手続要件について述べましたが、憲法改正原案の発議は国会法第六十八条の二でありますので、改めて発言を訂正させていただきます。よろしくお願いします。

保利会長 それから、笠井委員は最初から札が立っていなかったわけなんですが、特別に発言を許したいと思います。短くお願いします。

笠井委員 いや、会長のおさばきはよく存じ上げているんですが、限定した上で名指しで言われたものですから、一言だけ。

 私、緊急集会のことだけをもって議論したわけではなくて、二院制との関連での議論の中でそう言ったのであって、緊急事態条項というのはそもそも憲法になぜ求めていないのかということも含めて、これは改めて、きちっと議論をすればありますので、時間の関係できょうは言いませんが、そのことについては留保して、また次の機会に述べたいと思います。

 以上です。

保利会長 それでは、発言も尽きたようですので、これにて日本国憲法第四章の論点に関する自由討議は終了いたしました。

 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後零時十四分散会


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