衆議院

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第8号 平成25年5月9日(木曜日)

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平成二十五年五月九日(木曜日)

    午前九時開議

 出席委員

   会長 保利 耕輔君

   幹事 伊藤 達也君 幹事 岸  信夫君

   幹事 中谷  元君 幹事 葉梨 康弘君

   幹事 平沢 勝栄君 幹事 船田  元君

   幹事 武正 公一君 幹事 馬場 伸幸君

   幹事 斉藤 鉄夫君

      秋本 真利君    泉原 保二君

      上杉 光弘君    衛藤征士郎君

      大塚  拓君    河野 太郎君

      佐々木 紀君    鈴木 馨祐君

      高木 宏壽君    高鳥 修一君

      棚橋 泰文君    土屋 品子君

      土屋 正忠君    土井  亨君

      徳田  毅君    西川 京子君

      西村 明宏君    野田  毅君

      馳   浩君    鳩山 邦夫君

      原田 憲治君    松本 洋平君

      宮川 典子君    武藤 容治君

      八木 哲也君    山下 貴司君

      山本ともひろ君    湯川 一行君

      大島  敦君    後藤 祐一君

      篠原  孝君    古川 元久君

      三日月大造君    伊東 信久君

      坂本祐之輔君    新原 秀人君

      西野 弘一君    三木 圭恵君

      大口 善徳君    浜地 雅一君

      小池 政就君    畠中 光成君

      笠井  亮君    鈴木 克昌君

    …………………………………

   衆議院法制局法制企画調整部長           橘  幸信君

   衆議院憲法審査会事務局長 窪田 勝弘君

    ―――――――――――――

委員の異動

五月九日

 辞任         補欠選任

  土屋 正忠君     秋本 真利君

  西川 京子君     宮川 典子君

  馳   浩君     佐々木 紀君

  保岡 興治君     湯川 一行君

  山口  壯君     後藤 祐一君

同日

 辞任         補欠選任

  秋本 真利君     土屋 正忠君

  佐々木 紀君     馳   浩君

  宮川 典子君     西川 京子君

  湯川 一行君     八木 哲也君

  後藤 祐一君     山口  壯君

同日

 辞任         補欠選任

  八木 哲也君     保岡 興治君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する件(日本国憲法の各条章のうち、第九章の論点)


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     ――――◇―――――

保利会長 これより会議を開きます。

 日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する件、特に日本国憲法の各条章のうち、第九章の論点について調査を進めます。

 本日の議事について申し上げます。

 まず、衆議院法制局当局から説明を聴取し、その後、各委員からの自由討議を行うことといたします。

 衆議院法制局当局から説明を聴取いたします。衆議院法制局法制企画調整部長橘幸信君。

橘法制局参事 衆議院法制局の橘でございます。

 本日は、憲法改正手続を定めます第九章の主要論点につきまして御報告をさせていただきます。よろしくお願い申し上げます。

 さて、成文の憲法典を定め、これを国家の基本法として位置づけている多くの国では、それを改正する手続につきまして、通常の立法手続よりも多かれ少なかれ厳格な手続、いわゆるかたい性質を与えるのが一般的であると言われております。これが硬性憲法と言われるものです。

 我が日本国憲法も、第九章として改正に関する一章を設け、第九十六条一カ条のみの簡潔な条文ではありますが、その中で二つのかたい手続を定めております。

 すなわち、この憲法を改正するには、まず、衆参両院それぞれにおいて、その総議員の三分の二以上の賛成によって可決されるべきこと、次に、これを国民投票に付して、その過半数の賛成による承認を経なければならないことの二つであります。

 この手続を別の観点から眺めれば、次のようにも言えるかと存じます。

 すなわち、日本国憲法は、一つ、憲法改正の国民への提案という最初のトリガーを引く権利を国会のみに与えていること。その上で、二つ、国民は、その国会による提案に対して、これを承認するか否かという形での関与のみが許されていること。こういう構造になっているということです。比喩的に言えば、憲法改正を国会と国民との共同行為として位置づけていると言えるかと存じます。

 このことは、旧明治憲法の改正手続と比較すればより明確になるものと存じます。

 旧明治憲法は、第七十三条第一項におきまして、「将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ」として、天皇のみが憲法改正の提案をすることができることとされておりました。これとの対比において、現行憲法における国会の発議の位置づけとその重要性が御理解できるかと存じます。

 なお、旧明治憲法改正に係る帝国議会の議決については、衆議院、貴族院で、それぞれ総議員の三分の二以上の出席のもとに、その出席議員の三分の二以上の賛成で成立するとされ、通常の法律の場合の三分の一という定足数及び過半数という議決要件がともに加重されておりました。

 また、旧明治憲法第五十六条の規定に基づいて定められておりました枢密院官制の規定により、憲法改正案は必ず天皇によって枢密院に諮詢する手続がとられておりましたので、旧明治憲法も典型的な硬性憲法であったと言うことができるかと存じます。

 以上の憲法改正の基本構造を前提に、お手元配付の論点表に基づきまして、主要論点の御報告に入らせていただきたいと存じます。

 まず、総論として、憲法改正の限界に関する論点がございます。九十六条の定める改正手続に従えばいかなる内容の憲法改正をも行うことができるのかという論点でございます。

 これについては限界説と無限界説との対立があるところですが、お手元配付の詳細資料、衆憲資八十四号の三十五ページから三十六ページにまとめておりますように、限界説が通説的な見解とされているようでございます。

 すなわち、憲法改正権というものは憲法制定権力によってつくられたものであり、憲法制定権力によって定められた憲法典を前提としているものであるから、その生みの親である憲法制定権力の所在の変更や、この憲法制定権力によって設定された基本原理の変更にまで及ぶことはできないと解するものです。

 そして、日本国憲法の改正の限界については、その三大原理とされる国民主権、基本的人権の尊重、そして平和主義の三つが挙げられるのが一般的ですが、四つ目として、後ほどの論点とも関連いたしますが、九十六条の憲法改正手続そのものの改正もその限界の一つとして掲げられることが一般的です。

 ただ、改正限界論といっても、それらの三大原理及び憲法改正手続規定に一切手を触れてはいけないと言っているわけではなく、その核心的な部分を変更してはならないと述べられるのが通例であり、具体的にどのような改正がこの核心的部分、限界を超えるのかについては解釈の余地があるようでございます。

 以上のことを前提に、諸外国の憲法規定などを参照しながら、改正の限界について解釈上の疑義がないように明文をもって明らかにしておくべきとするのがAの欄の見解であり、上記のような解釈に委ねておけばよいとするのがC1の見解です。他方、そもそも憲法改正に限界はないとする無限界説の立場に立つのがC2の見解でございます。

 次に、九十六条の定める改正手続要件の緩和の是非に関する論点でございます。

 この要件緩和については、まず、国会が国民に提案するための発議要件、すなわち各議院の総議員の三分の二以上という特別多数決の要件を、過半数、あるいは、そこまでいかなくても、五分の三程度にまで引き下げるべきだとするA1の御主張がございます。

 その理由としては、国会での発議手続を余りに厳格にするのは、主権者国民が憲法に対してその意思を表明する機会を狭めるものであるとか、発議のハードルを下げることにより、政治が緊張感を持って憲法論議ができるようにするべきである等といったことが挙げられております。

 これに関して、一律に引き下げるのではなくて、詳細資料、衆憲資八十四号の二十七ページに掲げております諸外国の憲法規定などを参照しながら、改正対象となる規定の性質に応じて、例えば国家の基本原則や基本的人権に関する規定、あるいは国王や憲法改正手続といった、その憲法の基本原理と言えるような重要事項についてはより厳格、ハードな改正手続を定める一方で、その他の統治機構に関する規定などについては比較的ソフトな改正手続を定めるといったように、改正対象項目によって異なる手続を設けるべきとするA2のような見解もございます。

 他方、一定の場合には、国民投票を廃止して、国会の議決だけで憲法改正をできるようにするべきとのA3のような御主張もございます。

 これらの緩和論に対しては、Cの欄の反対論がございます。例えば、憲法というものは、過半数を相争う日常的な政治過程の土俵となる基本原理を定めるものであり、このような政治的闘争の土俵、基本原理については、これを日常的な政治過程の手の届かないところに隔離するのが憲法の重要な役割であり、近代立憲主義の要請するところであるとするものです。

 また、九十六条が、冒頭申し上げましたように、憲法改正を国会と国民との共同行為として位置づけていることに着目して、単に国民投票に付するという手続だけではなく、その具体的な改正の内容について議論する国会での熟議のプロセスをこそ重視しているのが三分の二という要件の趣旨であり、まさに、選良、すなわち国民によって選ばれた国会議員の先生方のことでありますけれども、この選良たちの良識にこそ我が国の進むべき方向性の立案を託そうとしたものであるとか、三分の二という発議要件は、権力者のみならず国民自身も過ちを犯す可能性があることにも鑑みて、それをできるだけ少なくしようとした先人たちの知恵のあらわれであるといった主張もなされているところでございます。

 また、A3のような国民投票を廃止する主張に対しては、日本国憲法の基本原理の一つである国民主権の原理に照らして、これを廃止することは憲法改正の限界を超えるものであり、許されないなどといった主張もなされているところでございます。

 以上のような憲法改正手続の緩和の是非と関連しつつも、これと論理的に区別されるもう一つの論点として、九十六条のみを先行して改正することの是非という論点がございます。仮に九十六条の発議要件の緩和が妥当とした場合であっても、これだけを最初の憲法改正国民投票のテーマとすることは適当かという論点でございます。

 これに対しては、詳細資料、衆憲資八十四号の二十四ページにまとめておきましたように、先行改正を主張するAの欄の立場からは、この九十六条があるために、多くの人が真剣に憲法改正を論じようとしてこなかった、よりよい憲法を持つ上でこの九十六条が一番のガンであり、これを真っ先に摘出するべきだとの理由が述べられております。これに対して、九十六条の先行改正論は、何に使うかわからないけれど私にピストルをくれないかというようなものだとして、中身の問題をこそ議論するべきであり、真剣な説得力を持ってその必要性をこそ提示すべきなのであって、単に九十六条の改正のみを主張することは、そのような真摯な努力を放棄するものであり、邪道だなどとして、これに反対するのがCの欄の御主張です。

 次に、憲法改正の原案の発案権を有するのは誰かという論点がございます。

 まず、国会議員の先生方がこの原案の発案権を有することは当然ですが、問題は、内閣にも発案権はあるのかという点です。現行憲法には、どこにも内閣の憲法改正原案の発案権を積極的に容認する規定がないからであります。

 これについては、憲法改正という最も重要な場面での憲法条項の沈黙は、内閣の発案権を否定しているものと解するべきであるという否定説が有力に唱えられております。他方、憲法七十二条に定める内閣の議案提出権の議案の中に憲法改正原案を読み込んだ上で、これを肯定する見解もございます。

 このような対立を背景にして、A1は、明文で憲法改正原案の発案権を国会議員のみに限るべきとする見解です。A2は、逆に、内閣の発案権を明記すべきとする見解です。A3は、これらとは趣を変えて、国民等、例えば一定数以上の署名を集めた場合には国民にも憲法改正原案の発案権を認めようとする立場でございます。これらに関連して、内閣や国民の発案権を法律ベースで認めようとするB2やB3の見解、あるいは現行憲法の解釈として国会議員のみが発案権を有するとの立場を堅持するべきであるとするC1の見解も唱えられております。

 なお、この論点は、憲法改正国民投票法の制定の際にも議論されたものですが、その際には、憲法改正論議は専ら国民代表たる国会議員同士が行うべきであるとして、議員立法による発案のケースに関する規定のみを整備することとされ、もし将来内閣にも発案権を認めるのが適当だと判断する場合には、そのときに改めて憲法解釈を議論した上で、これに関する国会法改正などの法整備を行ってこれを認めればよいとされたところでございました。

 次に、国民投票の期日に関しては、現行憲法は、特別の国民投票か、あるいは国政選挙と一緒の投票、すなわち国会の定める選挙の際に行われる投票として行うものとされております。

 これについては、与野党が政権をかけて相争う国政選挙と、国会の三分の二以上が協調して国民に提案して憲法改正の是非を問う国民投票とはその性質を異にするから、できるだけ両者は別個に行うのが望ましいとの理由から、現行九十六条の定める「国会の定める選挙の際行はれる投票」という部分を削除するべきとするAの欄の見解がございます。他方、Cの欄の見解は、その趣旨は現行規定の運用で十分対応可能であるとするものです。

 次は、国民投票における最低投票率の是非に関する議論です。

 これに関しては、憲法改正国民投票が低い投票率のもとで行われた場合、仮にその過半数の賛成で憲法改正が成立したとしても、その正当性に疑義が生じかねないから、最低投票率あるいは絶対得票率などの要件を憲法に定めるべきであるとするのがAの欄の見解です。また、これを国民投票法という法律レベルで設けるべきとするのがBの欄の見解です。

 これらに対して、第一に、憲法改正の成否を決定づける最低投票率のような重大な要件は、諸外国の憲法においては、憲法自体の中に明文の規定をもって定めているのが一般的であり、この点について何らの規定を設けていない現行憲法九十六条のもとにおいては、法律レベルでこれを規定するのは適切ではないのではないか、さらに、最低投票率を定めるとボイコット運動のようなものを誘発しかねず、憲法改正自体に対する国民の賛否の意思を正確に反映できないおそれもあるのではないかなどといったことから、これを設けることに消極的なCの欄の見解もございます。

 なお、現行の憲法改正国民投票法は、このCの見解を踏まえて制定されたものでございます。

 最後の論点は、国民投票による承認のための要件である過半数の意味に関する論点です。

 現行憲法は、国民の承認について、国民に提案して、その過半数の賛成を必要とすると定めておりますけれども、何の過半数なのか、明確にしておりません。

 解釈上、これについては、まず、国民に提案して、その過半数と言っているのだから、国民の過半数、すなわち全有権者の過半数と解釈するのが条文に最も忠実であるとする見解。次に、それでは余りに非常識であるとして、少なくとも投票所に行った投票者総数、すなわち無効票も含めた投票総数のうちの過半数と解するべきであるとする見解。最後に、憲法改正について積極的に賛否の意見を表明した有効投票総数の過半数と解する見解などが唱えられてまいりました。

 憲法改正国民投票法においては、投票用紙への記載について、あらかじめ記入された賛成、反対をマルで囲むかバツで消すかなどをする形で単純化することなどにより、極力無効票を少なくする措置を講じた上で、他の国政選挙でも採用されている一般的な方式、すなわち有効投票総数の過半数として、これに立法的な解決を図ったところでございました。

 これに関して、憲法自体の中に有効投票の過半数と明記して疑問の余地をなくすべきとするのがAの欄の見解であり、現在のままでよいとするのがCの欄の見解でございます。

 大変に駆け足になってしまいましたが、以上、第九章に関する御報告を終わります。ありがとうございました。

保利会長 以上で衆議院法制局当局からの説明聴取は終わりました。

    ―――――――――――――

保利会長 これより自由討議に入ります。

 この自由討議につきましては、幹事会の協議に基づき、まず、各会派を代表する委員が順次発言を行い、その後、各委員が自由に発言を行うことといたします。

 発言の中には、事実確認のため、衆議院法制局当局に対する質問を含んで結構です。

 それでは、まず、各会派を代表する委員の発言に入ります。

 発言時間は七分以内とし、その経過については、終了時間一分前及び終了時にブザーを鳴らしてお知らせいたします。

 発言の申し出がありますので、順次これを許します。船田元君。

船田委員 自由民主党の船田でございます。

 第九章の改正につきまして、我が党の方針、若干私の私見も含まれると思いますけれども、意見として発表させていただきます。

 まず、憲法改正の限界についてでございますが、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義、こういった憲法の三原則を変えてはならないこと、あるいは現行憲法を全面破棄して新憲法を制定することができないなど、改正の限界というのは明らかに存在していると思います。しかし、この点は自明の理でありますので、あえて憲法に明記する必要はないと考えております。

 なお、九十六条の改正条項そのものにつきましては、改正限界ぎりぎりと考えておりますが、国民に憲法改正のチャンスを取り戻すためには、限界として切り捨てるべきものではない、このように思っております。

 次に、改正手続要件の緩和であります。

 憲法改正には、例えばアメリカ、ドイツ、スペイン、韓国、フランス、イタリアなど、幾つかの国々が議会の三分の二または五分の三の賛成を求めておりますが、そういう国々におきましては、国民投票まで要件としている国は、わずか韓国とスペイン程度であります。

 我が国の発議要件は、実はその両方を要求しているということで、ハードルとしては高過ぎるのではないかと考えております。

 さらに、国会の過半数で発議する国の多くは国民投票を課しているという現実もございます。

 また、国会のどちらかの院の三分の一以上の議員が反対することによって発議が行われず、国民の憲法関与が妨げられ、最高法規に対する国民の意思が反映されないという事態も発生すると私は思っております。

 したがって、発議要件を二分の一以上、過半数とすることは妥当であると考えております。

 なお、要件を過半数にすると一般の法律改正と同じレベルになってしまうとか、政権をとった勢力の考えによって憲法が簡単に変えられるという懸念も出されておりますけれども、国民投票を必ず経なければならない、国民のチェックを必ず受けなければいけないという条件を課することによって、その心配には及ばないと思っております。

 次に、九十六条の先行改正ということであります。

 今後の憲法改正の道筋を考えますと、変えるべき条項を一回で全て改正するということは不可能であり、改正手続を何度か繰り返す必要があると考えています。そのためにはあらかじめハードルを下げておく必要があり、先行改正の合理性はあると考えております。

 しかし、国民の多くは改正のための改正と受けとめる嫌いがあり、改正の方向性に対する懸念から、投票率が低くなったり、過半数をとれなくなったりする可能性も否定できないと思っております。

 理想を言えば、九十六条の改正要件の緩和と同時に、各党間で合意の得られやすい項目、例えば環境権を加えるなど、幾つかの改正項目をセットにして発議するということが望ましいと私個人は思っておりますが、それが無理であるならば、せめて、各政党が考える憲法改正の方向性を示す、あるいは改正しない方向を示して、国民の不安を払拭しておく、こういう努力をすることは私は必要であると思っております。

 次に、発案権の所在についてであります。

 憲法は権力から国民を守るためのものという立憲主義の立場に立てば、国会議員のみが発案権を有し、内閣には発案権がないというのが有力な説であると思います。現行の憲法改正国民投票法による国会法の改正、国会法六十八条の第二項、第五項並びに百二条の七項、ここにおいても明確にこのことは規定されております。憲法に明記する場合は、「衆議院又は参議院の議員の発議により、」という文言を加えるべきであると思っております。

 また、国民の発案権ということにつきましては、現在の代議制民主主義に反することになるので認められないのではないかと思っております。

 次に、国民投票の期日であります。

 憲法という最高の政策を選択する投票と議員を選ぶ投票、すなわち政権を選択する投票が同じ期日で実施されるということは望ましくないと考えております。

 また、現行の憲法改正国民投票法のもとで国民投票を国政選挙と同時に行うということは、結果的にあり得るとしても、最初からあらかじめ想定はしていないわけであります。よって、九十六条にある「国会の定める選挙の際行はれる投票」という文言は削除すべきであると思います。

 次に、最低投票率であります。

 憲法改正の是非を問う国民投票の投票率が低いということは望ましくございません。しかし、一たび最低投票率を設定しますと、投票結果を無効とする運動、いわゆるボイコット運動を誘発する可能性があり、より望ましくないと考えております。国会は、発議者として、国民投票の投票率がアップするように啓発のための広報活動に努力することの方がより重要であると考えております。

 最後に、国民投票の過半数についてであります。

 投票総数の過半数という解釈になりますと、無効投票を全て反対とみなすことになり、無効投票をした国民の意思を解釈し過ぎることになると思いますので、有効投票の過半数というのが妥当であると感じております。

 また、現行の憲法改正国民投票法百二十六条におきましては有効投票の過半数であるということを明記しておりますが、憲法上も九十六条の中でこれを明記すべきであると思っております。

 なお、現行国民投票法では、あらかじめ賛成、反対と印刷された用紙にマルまたはバツをつける平易な記載方法を採用しておりますので、無効投票の出る確率は低くなります。有効投票総数は投票総数に限りなく近づきますので、有効投票とすることにはより合理的な理由があると思っております。

 以上でございます。

保利会長 次に、武正公一君。

武正委員 民主党の武正公一でございます。

 憲法とは、公権力の行使を制限するために主権者が定める根本規範であるという近代立憲主義に立つということが、まず基本的な我が党の考え方であります。決して一時の内閣が、その目指すべき社会像やみずからの重視する伝統や価値をうたったり、国民に道徳や義務を課すための規範ではないと考えます。

 党綱領では、「憲法の基本精神を具現化する」と項目を立て、「私たちは、日本国憲法が掲げる「国民主権、基本的人権の尊重、平和主義」の基本精神を具現化する。象徴天皇制のもと、自由と民主主義に立脚した真の立憲主義を確立するため、国民とともに未来志向の憲法を構想していく。」と記しました。憲法改正の限界を認める立場であります。平和主義、国民主権、基本的人権の尊重などは他の規定と比べ優越した規範性を有していることに異論はないと考えるわけでございます。

 この憲法改正規定については両論があるということで、この後それについて触れたいと思います。

 九十六条のみの憲法改正には慎重な立場であります。憲法改正のハードルを下げることのみではなく、憲法のどこを変え、どこを変えないかの憲法の中身の議論が欠かせないからであります。とりわけ国民各位の理解が必要です。

 二〇〇五年憲法提言では九十六条については記載がなく、現行憲法九十六条を容認するものであります。

 ただし、〇二年では、硬性憲法の実質を維持しつつ、より柔軟な改正が可能となるよう、現憲法の改正手続そのものを改正、その際、あらかじめ憲法改正の限界を明記することも考慮。〇四年では、「硬性憲法の実質を維持しつつ、より柔軟な改正を可能とするために、現憲法の改正手続きそのものを改正」と記載をいたしました。

 党内にも引き続き緩和を求める意見はありましたが、二〇〇五年憲法提言の背景として、衆議院憲法調査会での、与野党の合意形成を旨として調査会運営が進められてきたこと、憲法調査特別委員会の議論を始めていたときであり、国民投票法案をまとめる前提は、九十六条の、両院の三分の二以上の発議であったからであります。

 しかし、第一次安倍政権での安倍総理の憲法改正発言により、合意形成を旨としてきた憲法調査特別委員会が混乱を来し、結果、強行採決により憲法改正国民投票法案が可決しました。

 おととしの秋から衆議院憲法審査会が始動し、現憲法の検証を進めるとともに、十八歳投票年齢への引き下げを含む、いわゆる三つの宿題についても、審査会、そして昨年からは幹事懇談会での協議を進めてきています。

 ここで、第二次安倍政権の発足で、また憲法改正の総理発言、特に九十六条という個別の条文改正発言がこの間何度も総理から出されてきているのは、第一次安倍政権時の憲法調査特別委員会の混乱をほうふつさせるもので、社会保障の中身の議論、財政再建などの先送りとともに、懸念を強く覚えます。

 我が党は、憲法は国民とともにあるという観点から、現行憲法に足らざる点があれば補い、改めるべき点があれば改めることを、既に論憲から創憲へ、そして憲法提言として国民の皆さんに提案していますが、これをベースにさらに深掘りをし、具体化をしてまいります。

 憲法提言で触れていない象徴天皇制の堅持や首相公選制についての慎重論などを明確にした上で、安全保障についても例外ではないと考えます。

 過去、党内で、安全保障基本法を見据え、国際協力分野での武器使用の緩和などについての議論を行ってきた経過もあり、集団安全保障や、抑制された自衛権などの項目の深掘りを進めます。

 憲法九条についても、三月十四日、当審査会で我が党の山口壯委員が、憲法解釈の変更により集団的自衛権を認めることはあり得るぎりぎりの選択肢との趣旨の発言をしております。九十六条そのものについての議論を深め、党としての考え方を明確にしたいと思います。

 あわせて、諸外国の事情をさらに検証する必要があります。例えば、衆議院に特有な項目、参議院に特有な項目については、それぞれの院は三分の二であっても、他院の発議要件を緩和することなどはその一例であります。二院制の議論などが対象となります。憲法五十九条の見直し議論も、そうした考えからあり得るとも言えます。

 小選挙区制度導入によって、民意のあらわれ方が、得票数を大きく超える議席を第一党がこの三回の衆議院選挙で得ております。小選挙区では、四割の獲得票で七割の議席を獲得しています。三分の二の発議要件が現実的であるゆえんであります。そうした衆議院の民意を参議院がどのように受けとめるかということも問われます。

 諸外国の例を検証すると、ドイツでは、法律レベルの話が基本法に記載されている点や連邦と州との権限を頻繁に見直している点が特徴で、第二次大戦後、六十回近い改正が行われております。そのドイツは、両院の三分の二以上の賛成を要件としております。主要国では、国民投票を経た改正は、フランスの三回、イタリアの一回、デンマークの一回、韓国の五回であります。これらの国は、両院の合意形成の高いハードルを何らかの形で設けております。

 九十六条の議論は、憲法提言同様、深掘りをしますが、三分の二の発議を前提に両院の合意形成を進める努力を惜しむべきではありません。憲法調査会、憲法調査特別委員会、そして憲法審査会の真摯な議論の積み重ね、そして憲法改正国民投票法案の施行と積み上げてきたことにより、国民の皆様への開かれた憲法論議が提供され、憲法に関する関心を高め、その改正すべき項目、改正すべきでない項目についての議論を惹起してまいりました。

 憲法論議が成熟しつつあります。国民投票で過半数を得る試みをしようとしているのに、国会議員の三分の二を説得、納得できないのでしょうか。九十六条を深め、憲法論議は丁寧な議論の進め方が不可欠であります。

 その他の論点について述べれば、憲法改正国民投票法制を議論するときに民主党として示した考えには、国民投票法案の国会による発議のほかに国民による発案も一定の条件下で認められないだろうかということは示した経緯があります。内閣の発議権は認めておりません。また、有効投票の過半数としております。また、最低投票率は設けるべきではないとの見解も示しております。

 以上でございます。

保利会長 次に、坂本祐之輔君。

坂本(祐)委員 日本維新の会の坂本祐之輔です。

 日本国憲法第九章の改正について、我が党の意見を申し上げます。

 日本維新の会では、第九十六条をまず改正し、統治機構を規定している憲法のゆがみを正していく方針であります。

 日本国憲法は国民を信じる憲法であり、改正手続の中でも一番の特徴は、発議要件ではなく、最後に国民投票にかけることであります。

 日本維新の会は、日本国憲法第九章改正について以下のように考えています。

 まず、発議要件については、現行憲法では国会の発議要件を各議院の総議員の三分の二以上の賛成と定めています。しかし、現行憲法の改正手続で最も重要なことは、最後に国民投票が必要であるという点にあると考えます。これは、この憲法を改正すべきか否かについて、国民を信じ、国民の判断に委ねているということを意味するのではないでしょうか。国会の発議要件が三分の二以上とされている現状では、発議される機会はほとんどなく、憲法について国民に判断を仰ぐことは困難であると考えます。日本維新の会では、国会の発議要件を三分の二から過半数に引き下げ、国民の皆さんに憲法をジャッジしていただく機会をつくりたいと考えています。

 次に、発案権の所在と国民投票の過半数についてですが、現行憲法では、憲法改正における発案権について、国会がこれを発議することとなっています。ここで大切なのは、国会にある発案権は国会議員のみが有するのか、もしくは内閣も発案権を有しているのかという議論があります。

 日本維新の会は、現行の憲法改正国民投票法による国会法改正により規定されているとおり、国会議員のみが発案権を有することを明記すべきだと考えていますが、内閣の発案権についても引き続き検討する必要があると考えています。

 また、国民投票の過半数の意味については、やはりさまざまな考え方があると思いますが、日本維新の会では、こちらも、現行の憲法改正国民投票法による国会法改正により規定されているとおり、有効投票の過半数であることを明記すべきだと考えています。

 最後に、憲法改正手続の制度設計についてですが、現行憲法は、条文の数こそ少ないものの、その根底にある今まで積み重ねられた憲法論は奥深いものがあります。憲法改正手続を進めていく上で、外国の憲法にも見られるような、この点だけは改正してはいけないという憲法改正の限界について規定すべきかどうかという議論もあります。

 これは、領土の一体性が侵害されているときや戦争中などは憲法の改正を行ってはならないという考え方と、日本の政体や、現行憲法に規定されている国民主権、基本的人権の尊重、平和主義といった事項の改正には限界があるという考え方の二つがあります。我が党としては、この件についてさらに議論を深めていくべきだと考えています。

 日本維新の会では、発議要件を過半数に改めることで、真剣な、国民の皆さんを巻き込んだ、新しい憲法の制度設計を議論したいと考えています。

 以上です。

保利会長 次に、斉藤鉄夫君。

斉藤(鉄)委員 憲法第九章改正、第九十六条について、公明党の見解及び議論の状況について申し述べます。

 まず初めに、憲法改正そのものについてでございます。

 現憲法の骨格をなす三原則、すなわち、人類の多年にわたる自由獲得の成果であり、侵すことのできない永久の権利である基本的人権の尊重、その人権の主体たる国民が主権を持つという国民主権、そして人権の最大の破壊者である戦争の放棄という恒久平和主義の三原則は、人類の英知ともいうべきすぐれた普遍の原理です。我が国が戦後の荒廃の中から立ち上がり、今日の発展を築く上で、この三原則を持つ憲法の果たしてきた役割は大きいと認識しております。また、憲法前文の「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」とした平和的生存権の思想は、核のない世界の実現に向けて、唯一の被爆国としての使命をあらわしていると評価しております。

 しかし、憲法施行後六十六年、我が国を取り巻く状況等も大きく変わってまいりました。また、この間に、人類、また我が国民の多くが認識するようになった新しい価値観、例えば、有限の地球の上で良好な環境の中で生きる権利や、その地球環境の保全を求める権利、すなわち環境権などが生み出されました。

 公明党は、憲法改正について、人権、民主、平和の三原則を堅持しつつ、環境権など、時代の進展に伴い提起されている新たな理念を加える加憲が最も現実的で妥当なものであると考えます。

 また、憲法改正手続に関する九十六条の中に、「憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。」とあります。「この憲法と一体を成すものとして、」の一節は、たとえ憲法を変えるとしても、骨格、すなわち三原則は変えてはならないということ、及び、時代状況の変化による修正や新たな価値観の付加など加憲的な方法での改正を示唆しているのではないでしょうか。

 次に、九十六条改正についての意見を申し述べます。

 九十六条以外の改正は九十六条によって可能であるが、九十六条そのものの改正は憲法制定権者と憲法改正権者の関係を論理的に考えれば不可能であるという説がありますが、九十六条で定められた手続に従って、改正権者たる国民の主権の発動である国民投票が行われるのであれば、九十六条の改正も可能であると考えます。

 その場合であっても、改正された新しい改正手続が国民投票を含まなければならないのは当然のことです。国民投票をなくすような改正手続の変更は、改正権者と制定権者の関係を考えれば許されません。また、先ほど申し述べましたように、この憲法と一体をなすものとしての改正である以上、三原則に反する改正についても改正の対象とならないのは明らかでございます。

 また、憲法を改正しやすくするため、まず九十六条の改正要件を緩和すべきだとする先行改正論に対しては慎重であるべきと考えます。憲法の内容をどう改正したいのか中身の議論が行われる前に、これに先行して憲法改正手続だけの改正をしようとするのは、国民からは、どこを変えるのか、なぜ変えるのか、どのように変えるのか不透明だからです。改正手続の変更は、改正の内容とともに議論すべきと考えます。

 次に、たとえ九十六条を改正することがあったとしても、現憲法のかたさ、硬性憲法としての性格は維持すべきです。憲法は、侵すことのできない永久の権利、自由を擁護するために権力を制限するという立憲主義に基づくものです。権力が簡単にこの権利を奪い去ることのないような仕組みが必要です。したがって、国民投票による承認が必要とはいうものの、普通の法律の各議院での過半数による議決に比べ、より加重した要件であるべきと考えます。

 また、政権交代があるごとに憲法が政治問題化し、先鋭的なイデオロギー論争、対立の焦点になるおそれもあります。

 ただし、発議要件としての各議院の総議員の三分の二以上の賛成を一定程度緩和することについては否定するものではないという意見もあり、議論の余地があります。例えば、憲法の三原則に係る条項以外の条項では三分の二の要件を緩和するとか、また、硬性を保ちつつ三分の二を緩和するなどであります。ただし、具体的にどの条項か、どのような形にすべきかについての具体的な論議はまだ行われていないと認識しております。

 憲法改正の議論とともに、憲法改正国民投票法について、国会としていわゆる三つの宿題の結論を得るべく努力する必要があります。

 また、発案権の所在、最低投票率要件、国民投票の過半数の意味などの論点がありますが、これらはいずれも国会での議論を経て国民投票法及び改正国会法で規定されており、現行のままでいいと考えておりますが、最低投票率については議論のあるところでございます。

 国民投票の期日については、投票人名簿と選挙人名簿が異なることを考えれば、混乱を防ぐ意味からも国政選挙と同時に行うべきではないと考えていますが、国民投票法のもとでの運用で十分対応可能と考えます。

 最後に、憲法は不磨の大典ではなく、改正要件の三分の二も含め、憲法条文のどこを変えるのか、なぜ変えるのか、どのように変えるのかという全体観に立った論議が必要であると考えます。

 憲法は国の形を規定する最高規範です。公明党は、憲法論議に当たっても、あるべき国の将来像を探る未来志向の視点に立って、真摯かつ丁寧に落ちついた議論を行ってまいります。

 以上です。

保利会長 次に、畠中光成君。

畠中委員 みんなの党の畠中光成です。

 憲法第九章改正に関して、みんなの党の意見を申し述べます。

 昨年四月に憲法改正の基本的考え方でお示ししたように、みんなの党は、憲法九十六条の改正による軟性憲法化を主張しています。具体的には、現在の各議院の総議員の三分の二以上の賛成が必要な国会の発議について要件を緩和するという改正手続の簡略化です。

 我が国の戦後民主主義の形成、発展において現行憲法が果たした役割は忘れてはなりません。一方、日本も世界もあらゆる構造が変転する中で、我が国を覆う閉塞感を取り払うためにも憲法の見直しは必要です。現行憲法下において一度も憲法改正の発議がなされなかったことを鑑みると、九十六条という高い壁によって、広く国民によって憲法に関する議論がなされなかったと言うこともできます。

 なお、国会による発議の後、投票によって国民の承認を得ることは、引き続き必要な規定であると考えます。これらの点では、歩みを同じくする党もあるかと思います。

 しかしながら、現時点では、みんなの党は、憲法改正の前にやるべきことがあると明確に申し上げます。五月三日の憲法記念日に安倍総理は、みんなの党も九十六条の改正には賛成しているという趣旨の御発言をされたようです。しかしながら、これは重大な事実誤認をされていると申し上げなければなりません。

 みんなの党は、終始一貫して、憲法改正の前にやるべきことがあると申し上げてきました。憲法改正の前にやるべきこと、それは、選挙制度や政党を含めた政治改革であり、官僚制度の改革です。国家という車のモデルチェンジをする前に、ハイブリッド車か燃料電池車か電気自動車かを決め、新しい車が実際に走れる中枢の機能を開発しておかなければなりません。

 規範や建前は、実態や本音のルールが確立していないと空回りしてしまいます。憲法改正の前にやるべきこと、すなわち統治機構の改革を同時に進めるという明確な意思と国民との約束がなければ、みんなの党として、安倍総理の言う九十六条改正においそれと賛同することはできかねます。

 夏の参院選においては九十六条改正が争点となるとの見方もあります。九十六条改正の後、真の目的が九条改正にあるのであれば、それを明確に国民に示すべきです。後出しじゃんけんで国民を欺くことは許されません。

 みんなの党は、九十六条以外の憲法改正においても、ほかの党とは立場が異なる部分が多くあります。

 みんなの党は、いわゆる護憲政党や、そうした勢力が懸念するような、戦時体制的な統治システムづくりを目指しているわけではありません。美しい国、強い日本といった見た目のよい衣の陰に国防軍などのやいばを隠した、戦時下の国家体制を賛美する勢力とは根本的に異なり、過去に理想郷を求める復古的改憲論とは一線を画してまいります。

 残念ながら、これまでの我が国の憲法改正にかかわる議論は、大局的な観点に立つことなく、政党政治の枠の中で、ともすれば九条改正にかかわる論点のみに矮小化されて議論されてきたと言わざるを得ません。みんなの党は、現行憲法の国民主権、永久平和主義、基本的人権の尊重という三つの基本原則を変えようというのではありません。これらの憲法原則をより実効あるものにすべく憲法を見直していこうと主張しています。

 そもそも、法治国家における憲法の性格は、国家権力のあり方を制限的に規定するものです。憲法によって規定の対象となるのは国家権力であり、その権力が侵すことのできない国民の基本的権利を定めたものです。近代立憲主義においては、国家の有する主権を制限し、個人の権利、自由を保護するのが基本的な考え方です。みんなの党は、この考え方に逆行する憲法改正は行いません。

 みんなの党の憲法改正の主眼は、時代の変遷、社会の変化に応じて憲法をバージョンアップしていくことでその趣旨をより徹底することにあります。民主化が進展し、個人の自立が進むと、それは地域主権の考えに発展していきます。この考えに形を与えるのが、みんなの党が主張している地域主権型道州制です。地域主権型道州制は、現行憲法下でも実現可能ですが、憲法改正によって国の形として明確に位置づけることも重要と考えます。

 また、道州制に伴い、国の権限、国会の権限の見直しも必要です。したがって、一院制の導入に向けた検討が必要となります。加えて、首相公選制や政党規定の新設などによる統治機構の改憲が、みんなの党の主張している改憲の主眼です。これらのバージョンアップで、民主主義が本来持っている力が最大限に発揮されることとなるでしょう。

 現行憲法は戦後GHQに押しつけられたから憲法改正が必要であると言う方々がいます。しかしながら、みんなの党の考える統治機構の改憲は、戦前からの国家体制を転換し、真に国民の手に政治を奪還するためのものです。官僚統制、中央集権は、いずれも戦前から存在し、戦時においてその体制を強化され、占領時代に温存されたものです。

 例えば、戦費の調達を目的として企業による源泉徴収や年金が開始され、その財源を満遍なく地方に配ったのが、地方交付税の原型である地方配付税です。統制経済の構築とともに、何百もあった電力会社は九つにまとめられ、国有化されました。戦後レジーム以前の戦時体制からの脱却も含めて国家戦略を構築しなければ、我が国は衰亡の一途をたどってしまいます。

 みんなの党は、行政の肥大化と非効率化、地方の衰退を招いた官僚統制、中央集権と決別することを主眼に憲法の改正を求めるのであって、押しつけ論に基づく情緒的な感情によって憲法改正を主張しているのではありません。

 みんなの党の考える憲法改正は、一言で言えば、真に国民の手に政治を奪還するための改正です。これを御理解いただき、以上をもって、みんなの党の憲法九章に関する意見表明とさせていただきます。

保利会長 次に、笠井亮君。

笠井委員 日本共産党の笠井亮です。

 日本国憲法第九章改正、九十六条は、「この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。」としています。近代の立憲主義は、主権者である国民が、その人権を保障するために、憲法によって国家権力を縛るという考え方に立っています。国民を縛るのが憲法ではありません。国民が権力を縛るのが憲法なのであります。そのために、憲法改定の要件も、時の権力者に都合のいいように憲法をころころと改変することが難しくされているのであります。

 この立場から、日本国憲法においても、改憲の発議に当たって、各議院の総議員の三分の二以上という通常の多数決以上の厳格な要件を課し、国会の単純な多数派ではなく圧倒的な賛成が得られて初めて国民に承認を問えることにしているのであります。

 憲法制定時の憲法担当大臣だった金森徳次郎は、厳格な改正手続について、これがよいのか、面倒に過ぎないかの疑があり得る、しかし、この面倒は我慢してよいだろう、いやしくも一国の憲法の改正にこれくらいのことはあってよいだろう、当たり前だろうと述べていますが、これも厳格な規定とした根拠を見る上で重要だと考えます。

 今、憲法改定の第一歩として、この九十六条を改定し、改憲の発議要件を各議院の総議員の過半数に引き下げようとする動きがありますが、これは単なる手続論や形式論ではありません。時の権力者が自由勝手にやれるように一般法律並みにハードルを下げるというのは、憲法の根本精神を否定するものです。憲法が憲法でなくなるという禁じ手であり、断じて許されません。まして、安倍首相のように時の政権がこれを求めるなど本末転倒だと言わなければなりません。

 なぜ今九十六条改定か。自民党の石破幹事長も、九十六条改正の是非を問う国民投票が行われる場合、国民は九条改正を念頭に置いて投票していただきたいと明言しているように、その狙いが九条改憲にあることは明白であります。それに向けてハードルを低くする、あるいは国民に改憲の体験を積ませることで改憲になれさせる、このようなこそくなやり方は国民を欺くものと言わなければなりません。

 日本国憲法は世界でも特別に変えづらいとか、諸外国と比較して厳し過ぎるという主張もありますが、事実に反します。衆憲資八十四号にもあるとおり、改正要件はそれぞれの国の歴史を反映してさまざまですが、多くの国で共通しているのが、一般の法律の制定、改正よりも厳しい規定が設けられているということです。これらは国民主権と立憲主義の要請によるもので、日本だけが特別に憲法改定が難しい国などというのは全く当たりません。改正要件の引き下げのみを先行させて改憲を行った国もないのであります。

 国会が過半数で発議したとしても国民投票の規定があるという主張もありますが、国民投票で判定できるのは国会が発議した改憲案に賛成か反対かだけであって、国民が憲法改定案の内容を変えられるわけではありません。だからこそ、国会の発議というのは、十二分にも熟議の結果、時の政権党だけではなく、野党も含めて国会の圧倒的多数が合意して行う必要があるという立憲主義の根本にかかわる問題なのです。

 最後に指摘したいことは、諸外国では改憲が頻繁に行われており、一度も改憲していない日本国憲法は時代に合わなくなっているなどという主張についてです。

 これまでの当審査会で述べてきたとおり、日本国憲法は、世界に先駆けて、戦争放棄とともに、戦力の不保持、交戦権の否認まで定めた九条を初め、基本的人権でも世界に誇れる先駆的な内容を持っています。このことは、昨年、百八十八カ国の憲法を分析した米国の法学者らが、日本国憲法は、世界で主流となった人権の上位十九項目までを全て満たしており、六十五年も前に画期的な人権を先取りしたと高く評価したことにも示されています。

 こうした先駆的で豊かな内容を持っている日本国憲法だからこそ国民は改憲してこなかったのであって、ハードルが高いからではなく、国民が変えたいと思ってこなかったのであります。

 今日、憲法問題で問われていることは、改正ではなく、九条を初めとする憲法の平和的、民主的条項の完全実施を図るとともに、憲法の全条項を守り抜き、どう生かすかであります。

 日本共産党は、九十六条改定には断固反対です。今、憲法九十六条改定を九条改定の突破口として押し出す動きは、逆に、九条改定の是非を超えて、多くの人々からの批判を広げております。

 日本弁護士連合会は、三月十四日、憲法九十六条の発議要件緩和に反対する意見書を発出し、九十六条改正提案には強く反対すると表明しています。

 また、九条改憲派で有名な小林節慶応大学教授も、本来、権力者を制限する、権力者を不自由にするのが憲法ですから、こんなことが許されたら憲法は要らないということになる。良心的な法律家、憲法学者は皆反対するでしょう。体を張って反対する。だって、憲法が憲法でなくなっちゃうんですから。裏口入学みたいな改憲は、やったらだめです。こう発言しております。

 我が党は、九十六条改定反対の一点で、一致する全ての政党、団体、個人が協力し、国民的共同を広げ、改定を許さないため、力を合わせるものです。

 以上、意見表明とします。

保利会長 次に、鈴木克昌君。

鈴木(克)委員 生活の党の鈴木克昌であります。

 憲法第九章について意見表明をいたします。

 昨今、憲法改正について、まず九十六条を改正して、国会の発議要件を各議院の総議員の過半数の賛成に引き下げるべきであるという意見が聞かれます。九十六条先行改正論とでも言えるかと思います。しかし、我が党はこうした意見には明確に反対であると最初に申し上げておきたいと思います。

 我が党は、国民の生活が第一との理念に基づき、命と暮らしと地域を守ることを政治の最優先課題としております。今求められているのは、こういった観点からの憲法のあり方や我が国の国家像の議論であると考えます。

 もちろん、我が党も、現行憲法にはいろいろな面で現在の実態に合わなくなってきている点があると考えており、国民の合意があれば憲法改正を行うことは当然のことと思っています。

 憲法を改正しようとする場合は、憲法の中身の改正について検討するというのが論理的に先行すべきであります。しかしながら、九十六条先行改正論は、改正手続を変えるというものでしかなく、一体どのような憲法にしたいのか、その憲法はどのような理念でつくられるものなのかという議論が伴っておりません。いわば、憲法を変えたいときに何でも変えられるようにしておきたいという発想に基づくものとしか考えられません。まず初めに憲法改正の手続的規定から改正しようというのは、余りにも乱暴な議論であると思います。

 九十六条先行改正論を主張しておられる方々は、九十六条を改正して一体何をしたいと考えてみえるんでしょうか。これに対する明確な答えを出すべきではないでしょうか。そのためにも、改正規定についてではなく、憲法の実体的な規定の改正の是非、そして憲法のあり方を論ずるべきであります。

 我が党は、この憲法審査会の場で、繰り返しこの九十六条先行改正論について言及してまいりました。そこでは、九十六条先行改正論のような政治的背景からの議論ではなく、将来の日本の国家像をしっかりと思い描いた上で冷静に、理性的に憲法論議を行ってまいりたいなどと申し上げてきました。

 そして現に、我が党は、党として憲法についての考え方をまとめるべく、党内で冷静に、理性的に憲法論議を行っているところであります。その際には、現行憲法の諸原理、すなわち国民主権、基本的人権の尊重、平和主義、国際協調の四つの理念を堅持すべきということを基本として議論を行っています。

 まず九十六条改正で広範な議論を呼び起こす、そのような主張は憲法の論議としてはいささか冷静さを欠くものであると言わざるを得ないと思います。

 そして、改正手続要件の緩和の論点に関しては、なぜ憲法九十六条は、国会の発議要件として、各議院の総員の三分の二以上の賛成という、通常の法律案の場合よりも重たい議決要件としているのか、この点に留意する必要があると思います。

 憲法は、国家のあり方や国法秩序の基本を定めるもので、国の最高法規であります。そのような国の基本を定める規範は、通常の法律のような容易に改めることのできる性質のものではないことは言うまでもなく、かつ最高法規としてその安定性が求められている性質のものであります。

 現行憲法は、先ほど少し触れましたように、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義、国際協調の原則の四つを基本理念、原理としております。九十六条の改正規定は両院の三分の二以上の賛成を発議要件としており、これは憲法の基本理念、原理を否定するような安易な改正は認めないという意義を持つものであります。

 また、改正手続要件を緩和すべきと主張しておられる方は、憲法と政治の間に緊張感を持たせることができるという点をその論拠の一つとして挙げられているようであります。しかし、国の基本を定める規範である憲法は、果たしてそのような緊張感が絶えず求められてよい性質のものなのでありましょうか。むしろ、最高法規として、憲法は容易に変わるものではないという安定感や安心感こそが望まれるはずだと考えます。

 国会の発議要件を三分の二以上の賛成から過半数の賛成に引き下げれば、政権交代が起こるたびに、さらには内閣がかわるたびに、その時々の多数派の意思で憲法改正が行われることにもつながってくるのではないでしょうか。そのような事態になれば、憲法の基本理念、原理を否定するような安易な改正、革命が行われやすく、憲法の最高法規としての安定性は害され、憲法の最高法規たる性質は失われてしまうことにもなるのではないかと考えます。

 以上、我が党は、憲法九十六条は現状のまま維持すべきと考えており、改正手続の緩和には反対であり、この点、論点表ではCの立場であります。また、九十六条の先行改正についてもCの立場であることを申し上げておきます。

 以上であります。

保利会長 これにて各会派を代表する委員の発言は終了いたしました。

    ―――――――――――――

保利会長 次に、委員各位による自由討議に入ります。

 この際、委員各位に申し上げます。

 本日の審査会におきましては、論点を、第一に、憲法改正の限界及び改正手続要件の緩和に関する論点、第二に、発案権の所在、国民投票の期日、最低投票率要件等及び国民投票の「過半数」の意味に関する論点並びに第一で議論の対象としていない論点、この二つに分類いたします。

 各委員におかれましては、おおむねこの二つの論点の分類ごとに意見表明をしていただきますよう、御協力をお願いいたします。

 なお、この二つの論点の分類はあくまで目安でありますので、各委員の発言がその他の論点に及ぶことは結構であります。

 発言を希望される委員は、お手元にあるネームプレートをお立ていただき、会長の指名を受けた後、御発言ください。発言が終わりましたら、ネームプレートはもとへ戻していただきますようにお願いいたします。

 発言は自席から着席のままで結構です。また、発言の際には、所属会派及び氏名を述べていただきますようにお願いいたします。

 なお、幹事会の協議によりまして、一回当たりの発言時間は五分以内といたしたく存じます。委員各位の御協力をお願いいたします。

 発言時間の経過につきましては、終了時間一分前及び終了時にブザーを鳴らしてお知らせいたします。

 それでは、まず、憲法改正の限界及び改正手続要件の緩和に関する論点について発言を希望される委員は、ネームプレートをお立てください。

中谷(元)委員 自由民主党の中谷元です。

 憲法改正規定の緩和について、自民党の見解を補足いたします。

 自民党は、結党以来、自主憲法制定を目標といたしておりまして、今の憲法を改正しなければならないと考えております。国民も、マスコミの調査で、五割、六割を超える人が憲法を改正すべきと考えるようになっており、六十六年間一度も改正されることなく現在に至っているのは、国会の三分の二の発議手続が厳格過ぎるからではないでしょうか。

 憲法改正は、国民投票に付して、主権者である国民の意思を直接問うものです。国民に提案される前に国会での手続を厳格にするのは、主権者である国民の憲法を改正する機会を実質的に奪うことになっており、安倍総理も、憲法改正について国民の過半数が賛成しているにもかかわらず、衆参いずれかで三分の一を超える国会議員が反対をすれば憲法改正案を国民投票にかけることがかなわないと指摘いたしましたが、国会の権力が国民の権利を縛ってしまっている実態は、早期に回避すべきことであります。

 確かに、憲法改正は、硬性憲法と言われ、国会で三分の二の議決を採用している国は多く、日本もその努力をすべきであるということは正論でありますが、この三分の二を温存すれば、多分、改憲は半永久的に実現しないでしょう。改革に慎重で、現状維持を好む日本人の特性でありますが、この隘路をくぐろうとすれば、現実論として、改正要件を緩めるしかありません。

 ルソーは、社会契約論で、熟議主義と個人の意見の集合知について、政治は国と国民の意見が一体化した民主主義でなければならないと述べていますが、情報化の進展により、インターネットでのツイッターのつぶやきなど、国民の意見は聞こえやすくなっており、現代社会での意思決定は、国会の熟慮だけではなく、個人の意見、集合知を重視することも大事だと考えます。

 先進国においても、戦後、ドイツは五十九回、カナダは十八回、憲法を改正しておりますが、日本は一度もありません。アメリカ、ドイツ、カナダ、中国は、国民投票は必要としておりません。

 国会の発議を過半数にすれば改正のハードルが低くなるという指摘ですが、我が国では国民投票にかけるという最大の手続があり、決して低いものとは言えません。

 自民党は、前文も含め、十一章百十条全文において改正草案を作成し、既に改正点を国民に提示しております。全ての条項においての改正が必要であると考えており、憲法は立憲主義で国民本位なものとするなら、国民の意思において、まず国会で各党で協議をして過半数の合意が得られる条文において発議し、国民投票で憲法改正を実現させるのが今回の九十六条先行の真意であります。

 憲法は権力を縛り、権力者を制限するために立憲主義において定められたものであるという御意見がよくありますが、我々はそれを否定するものではありません。

 ただ、憲法とは、権力を抑制させることのみを定めたものではなく、国家の大枠を維持し、国を守り、繁栄させていくことが憲法であります。そのため、納税、教育機会、労働などの義務規定や、他人に迷惑をかけてはいけないとの公共の福祉、すなわち公益及び公の秩序、平穏な社会生活を壊してはいけないという規定も、現在でも規定をされております。

 さらに、国民の生命財産を守るため、国家の安全保障や非常事態における国民の協力事項、また主権国家としての国の守り、領土や領空、領海を維持させるための共通の規則を定めるものが憲法である、そのための基本法であるという認識を持っております。

 日本は、有史以来、国民の意思において国の根幹を変えたという歴史はありません。明治維新も、日本国憲法制定も、現在の憲法制定も、一度たりとも国民に信を問うたことがありません。この結果、憲法は国民からかけ離れた存在になっており、その内容も条文も、十分に把握されたものとなっておりません。

 自分たちの国は自分たちの憲法がある、この国の基本を定めた憲法が自分たちのものであるために、一度その機会を国民に与えること。この憲法をどうするのか、自分で考え、決める、投票する、その機会を与えるべきです。それゆえ、改正の入り口は広く弾力的にあるべきであり、憲法改正は、まず九十六条の改正から取り組むべきであると考えております。

 以上です。

平沢委員 自由民主党の平沢勝栄でございます。

 憲法第九十六条の改正の項につきまして、国会の発議要件を三分の二以上から過半数に緩和すべき、こういう観点から意見を述べさせていただきます。

 憲法改正には限界があって、主権在民、基本的人権の尊重、平和主義、この三原則とあわせて、改正手続についても改正することはできない、これは憲法の基本的原理を変更することになるからできないという意見があります。憲法の三原則はそのとおりですけれども、憲法改正手続について、現行憲法の改正手続に従って改正することについては何ら問題がないと考えています。

 実際、諸外国の例を見てみましても、デンマークとかインドネシアのように、憲法の改正手続の項を緩和した例があるわけでございます。また、一九七四年、オーストラリアの場合には、改正手続を緩和しようとしましたけれども、そして国民投票に付しましたが、否決されてできなかったわけですけれども、改正手続について国民の審判を仰いで緩和しようとしたこと自体は何ら問題がなかったわけでございまして、こうした諸外国の例を見てみましても、改正手続の項を改正しようとすること自体は、何ら国際的に見ても問題がないと思います。

 次に、現行の日本国憲法の改正のハードルは、諸外国の憲法と比較して必ずしも高くないという意見があります。日弁連も、日本国憲法の改正要件は諸外国と比較してそれほど厳しいとは言えないということを言っていますけれども、これは事実に反しているのではないかと思います。

 日本国憲法の改正のハードルが高いことは明らかでございまして、今日まで、施行後六十六年間一回も改正できなかった一つの理由は、間違いなくこの改正要件のハードルの高さにあったのではないかと思います。

 具体的に申し上げてみますと、まず、国民投票にかけるというのはかなり厳しい要件ですけれども、憲法改正に国民投票を絶対的な要件として課している国はそれほど多くはありません。また、国民投票を要件としている国を見ましても、そういった国では、議会の過半数の賛成で国民投票にかけている国が多いわけでございまして、例えばフランスとかスイスとかアイルランドなどがそういった形になっています。

 日本より改正の要件が厳しいと言える国としてはスペインがあるわけでございまして、スペインでは、両議院で、総選挙を挟んだ二回ずつの議決でいずれも三分の二以上の賛成が必要で、その後、国民の投票にかけられることになっています。しかし、スペインの場合は、重要な改正、すなわち、全面改正とか、国の基本原則とか、基本的権利及び公的自由、あるいは国王に関する規定、こういったこと以外の場合は、国民投票にかけず、両議院の五分の三以上の賛成で改正することができることになっているわけでございまして、そういった例から見ましても、日本国憲法が極めてハードルが高い、いわゆる硬性憲法であることは間違いのない事実と言えると思います。

 両議院の過半数を要件にしてしまうと法律と同じになってしまうという意見がありますけれども、これは論外でございまして、その後に国民投票という厳しいハードルが待っているわけでございまして、だからこそ、今日まで、改正しなければならないと思われる多くの項目について改正できなかったわけでございまして、これは全く当たらないと考えております。

 いずれにしましても、戦後、これだけ社会や時代が大きく変わったにもかかわらず、一回も改正できなかった、そして柔軟な対応ができなかったというのは極めて異常としか言いようがなくて、その理由の一つには、間違いなく厳しい改正要件があったということが言えるのではないかなと思います。

 今後の進め方として参考になるのは外国の例でございまして、スペインとかロシアとかポーランド、カナダなどでは、改正の項目によって改正手続を別にしているわけでございますけれども、これらは、あるいは参考にはなるのかなという感じがしております。

 先ほど来、九十六条の先行改正について、何をその先改正しようとしているのかわからないという意見が何人かの方からございましたけれども、これはもう自民党は憲法改正草案というのを出しているわけでございまして、これを見ていただければ、どこを改正しようとしているのかは明らかでございまして、この指摘は当たらないと思います。

 いずれにしましても、国民投票にかけて主権者である国民の意見を聞くという大きなハードルが課せられている以上、国会の賛成要件は三分の二ではなく過半数でいいのではないかと考えております。

 以上です。

大口委員 公明党の大口善徳でございます。

 憲法は、国家権力を制約し、国民の権利、自由を守るものであります。これは立憲主義と言われておりまして、この点は、憲法を考えるに当たって基本とすべきものと私は考えます。

 憲法九十六条に定める憲法改正手続を緩和することは、それだけ憲法を改正しやすくする、すなわち、現行憲法に比べて硬性の度合いが低くなるということであります。そうすると、憲法の中身を改正しようとするとき、その時々の多数派の都合によって憲法改正がなされるおそれが現行憲法よりも大きくなるのではないか、ともすれば、国家権力に対する制約が緩くなり、国民の権利、自由が侵害される事態にもつながりかねないのではないか、そう考えるわけでございます。そしてまた、政権がかわるたびに、国民投票があるとはいえ、憲法が変わることになり、もろもろの混乱を招くのではないか、こう思うわけであります。

 諸外国におきましても、アメリカ、スペイン、韓国、ドイツ、フランス、スロバキア等、三分の二ないしは五分の三となっておる硬性憲法でございます。代議制民主主義ということを考えてみますと、やはり国会の発議要件というものが大切である、こう考えます。

 そこで、その発議要件を緩和すべきということでございますけれども、私が懸念を持っているのは、国会の発議要件を過半数に引き下げた場合、国会での議論が熟しないままに国会の発議がなされ、国民投票が行われることにならないか、そうすると、いざ国民投票ということになったときには、国民の間でも議論が十分行われないまま国民投票が行われてしまうのではないかということでございます。

 憲法改正は国家の基本にかかわる極めて重要な問題で、それゆえ、国会での合意形成に誠意を尽くすことは非常に重要です。国会において幅広いコンセンサスを得る、そのために国会でしっかりと議論を行うという観点からは、国会の発議要件が過半数より重いということは合理性があり、また、代議制民主主義ということからいっても大事であると考えます。

 国会でしっかりとした議論が行われ、国会での合意形成のプロセスが国民に示されることで、国民の間でも憲法改正に関する議論が十分に行われ、憲法改正案に対する国民の理解が深まることになるのではないかと考えます。そうすることで、憲法改正について国民のコンセンサスを得ることができるのではないでしょうか。

 要するに、九十六条が国会の発議要件を過半数より重くしていることは、熟議を介して合意が構築される、そのプロセスを要求することに重要な意義があると考えます。そのプロセスにおいて、熟議を介して異なる意見を持つ者を説得し、合意に到達する努力を行うこと、これを九十六条は要求しているのだと考えます。

 また、昨今、まず最初に改正すべきは九十六条であるという九十六条先行改正については、慎重であるべきというのが我が党の大勢でございます。

 これまで、衆議院の憲法調査会や憲法特別委員会での議論でも、まず九十六条から改正すべきという意見はほとんどなかったと思います。そしてまた、主要国の憲法改正を見ても、憲法改正手続だけを改正したという事例はなかったのではないかと思います。この二点については橘部長にお伺いしたいと思います。

 九十六条の改正手続規定を改めるにしても、単に各党の合意が得られやすいからというだけではなく、なぜそれが必要なのか、何のために手続規定を改正するのかについて十分に国会で議論し、国民に理解をいただく必要があると思います。

 最近の世論調査を見ましても、憲法改正手続の先行改正については、賛成と反対が大体拮抗します。やや反対の方が多いという状況でございます。また、最近のNHKの調査によりましても、賛成二六、反対二四で、どちらとも言えないが四七%でございます。

 これはやはり、憲法改正手続だけを改正するということについてはわかりにくい、中身を、どこを、なぜ、どのように改正するかということと一緒に議論しないと、なかなか理解は得られないのではないか。そのあらわれとして、四七%の方がどちらとも言えないという答えを出しているのではないかと思います。

 以上でございます。

 質問二点についてお願いしたいと思います。

橘法制局参事 大口先生、御質問ありがとうございました。二問、御質問を頂戴したかと存じます。

 まず第一は、衆議院憲法調査会での先生方の御議論の中で、九十六条先行改正論のような御主張がどの程度御議論されたのかということであったかと存じます。

 記憶で大変恐縮ですが、私の記憶ですと、憲法調査会発足当初の二〇〇〇年九月に、きょうも来ておられます中山太郎先生を団長として、超党派の先生方とともに欧州各国の憲法事情の調査に参った際、イタリアを訪問しまして、「ローマ人の物語」で有名な、イタリア在住の作家塩野七生先生と懇談したことを記憶に思い出します。塩野先生が、まずは憲法九十六条を変えてみてはどうですかとおっしゃったのが、恐らく衆議院憲法調査会での御議論の中でのこのような先行改正論の最初のものであったかと存じます。

 ただ、その後の憲法調査会での御議論では、改正要件の緩和やその具体的な方策につきまして、先ほど御紹介申し上げたAの1、2、3とか、あとは、武正先生の御発言にもございましたように、衆議院では三分の二、参議院では過半数といった、事項ごとに区別する変更の仕方を含めて、かなり詳細な議論がなされたと記憶しておりますけれども、ただ、当時は、九十六条のみの先行改正について特に議論されたということはなかったように記憶しております。九十六条先行改正論は、むしろ最近の憲法論議の一つの傾向なのではないかなと拝察いたしておるところです。

 あともう一つの御質問は、諸外国の憲法改正事例におきまして、改正手続のみを改正した例があるのかといったことでございます。

 先ほどの平沢勝栄先生の御発言と若干重複いたしますが、先生方の御議論に供するために、少し中身に立ち入って御紹介申し上げさせていただきたいと思います。

 諸外国の憲法改正において、憲法改正手続条項を改正した事例としては、例えば、平沢先生から先ほど御教示いただきましたように、一九五三年にデンマーク憲法が大規模改正されて現行憲法が生まれたわけですが、その際、有権者総数の四五%という最低投票率の要件が厳し過ぎるということでこれを四〇%に改正した事例とか、一九六一年の軍事クーデターで制定された韓国の第三共和制憲法において、それまで国会の三分の二以上の議決のみで行われてきた憲法改正について、国民投票を導入するといったような改正強化の方向での憲法改正手続の改正などが見られますし、また、同種の事例は、フランス、インドネシアなどの新憲法制定や大規模改正でも見られるところかと存じます。

 ただ、これは、大幅改正とか全面改正の際に改正手続の条項も改正されたという事例でありますので、先生の御下問とは少し違っているのかもしれません。

 先生の御下問に一番近いと思われるのが、これまた平沢先生に先ほど教えていただきましたように、一九七四年のオーストラリアの憲法改正です。

 そこでは、憲法改正手続の中に、過半数の州の賛成を得なければならないとされていたものが、六州でございますので、六州のうち四州では厳し過ぎるというので、これを二分の一、三つの州以上の賛成で足りるというふうに改正要件を緩和しようとした事例であったようです。

 ただ、これも、正確に言えば、これだけの改正ではなく、もう一つ、小さな改正条項と一緒に改正がなされた。ただ、主要な改正はこの改正手続の緩和であったようでありますけれども。これは、平沢先生御紹介のとおり、この改正案に賛成した州は一州のみで、この改正提案は否決されたという事例が、手元の資料で、網羅的な調査ではありませんが、ございましたので、御紹介申し上げました。

 以上です。

後藤(祐)委員 民主党の後藤祐一でございます。

 九十六条改正の是非というのは、あくまで主権者である国民の立場から考えるべきだというふうに私は考えます。もう少し言いますと、国民が求める憲法というものをどうやって実現するかという観点から、九十六条はどうあるべきかということを考えるべきだというふうに考えます。

 そういう観点からしますと、九十六条改正の後にどの条文をどういった方向で変えていくのかということについてやはり示していかないと、国民投票になったときに国民は大変当惑するものだというふうに考えます。

 また、各党ごとに、その後、こういったところをこう変えるんだという見解というのはある程度示されているとも思うんですけれども、できる限り、この九十六条を改正する場合は、その先にこういったところを改正するということについて各党間の合意を形成する努力をして、この九十六条改正の後、まず来るのはこういう改正なんだということについての合意形成を、できるだけ三分の二、図っていくということがやはり必要になってくるのではないのかなというふうに考えております。

 特に、三分の一の国会議員が反対しているだけで国民の多くが期待しているのに改正できないという論理だけでは、若干根拠が弱いのではないかなという気がいたします。

 ただ、一方で、経済社会初め時代が変化する中で、この時代変化を踏まえた改正をもう少し可能にすべきではないかということについても国民の期待というものはあるのではないかというふうに考えます。

 つまり、国民の立場から考えた場合には、安定性と柔軟性のバランスというものをどう図っていくかということが、この九十六条改正の際の大きな観点となるのではないかというふうに考えます。

 また、先ほど来皆様方から意見が出ておりますけれども、立憲主義、すなわち、憲法というものは国民が国家権力を制約するためにあるんだという立憲主義の考え方、また、基本的人権と国民主権、そして平和主義という憲法の三本柱が重要だということについては、意見の違いは恐らくないと思いますので、これも踏まえた対応が必要ではないかというふうに考えます。

 その上で、私は、配付されている厚い方の資料の六ページの下のところにも注で触れていただいておりますけれども、三月十一日の衆議院の予算委員会でこの発言をさせていただいたんですけれども、憲法九十六条については、三本柱である国民主権、平和主義、基本的人権の尊重、これに、この九十六条自体、改正に関する規定、そして最高法規性、もう少し具体的に言いますと、一章、二章、三章、九章、十章については、引き続き、衆議院と参議院の三分の二の賛成プラス国民投票での過半数という今の規定を残すべきだと考えます。

 一方で、統治機構について、先ほど意見もありましたけれども、四章から八章までの統治機構については、これはこういった憲法で求めている理念を実現するためのある意味手段を規定しているわけでありまして、これについてはもう少し時代背景を踏まえた柔軟な改正を可能にしていくというのも一案ではないか。具体的には、四章から八章までについては、衆議院、参議院の過半数プラス国民投票の過半数という形で、少し緩和するというのも一案ではないかというふうに考えております。

 これについての論拠を、三つ、四つ触れたいと思います。

 憲法の中で、価値を規定している部分と手段を規定している部分については、やはりやわらかさが違うという意味、すなわち、立憲主義を守るという観点から三本柱をしっかりと守っていく、この三分の二は残す一方で、統治機構については、国と地方の関係ですとか、特に九十二条の地方自治に関する規定というのは、本来、補完性の原理、地方に任せるべきことはできるだけ地方に任せるべきではないかというのが今や常識になりつつあると思いますし、あるいは、日本は世界で最大の借金国になってしまっているわけでありまして、財政規律についてもう少し定めるべきではないかとか、こういったところについては時代の変遷によって変わってくる要素がより強いのではないかというふうに考えます。

 二つ目の論拠といたしましては、さきに示された三本柱についてはやはり普遍的な価値を規定している部分が強くて、環境権ですとかプライバシー権ですとか、追加することはあると思うんですけれども、なくしていくような改正というのはやはり余りあってはならないということなんだと思います。

 三つ目の論拠といたしましては、国会に関する規定、特に五十九条二項の衆議院の再可決規定がイメージされますけれども、国民の過半数が仮に賛成していたとしても、参議院の方が特にこれを三分の二、賛成するというのは、形成するのは、確かにこの部分に関しては大変難しいんじゃないかというふうに考えます。特に国会に関する規定については過半数に下げるという実質的理由が大きいんじゃないかなというふうに考えております。

 また、諸外国でも、ロシア、スペインなど、この資料にもありますけれども、条項によって要件を変えているという例もございます。

 なお、この九十六条については、我が党内においても、一部報道ではもう意見が一致したというふうに報道されておりますけれども、引き続き検討中であることを申し添えたいと思います。

葉梨委員 自民党の葉梨康弘でございます。

 平成十七年、私、憲法調査会当時でございますけれども、九十六条の改正につきまして、両院三分の二という発議要件というのは必ずしも憲法改正の大きなハードルにはならないんじゃないかという発言をさせていただいたことを記憶しております。

 理由は二つでございます。

 一つは、やはり、当時でございますが、自民党が改憲、民主党が創憲、それから公明党が加憲というのを打ち出しまして、何らかの形で憲法を見直さなきゃいけないという勢力が衆参でそれぞれ九五%を占めておりました。そして、さらには、憲法調査会で、本日もいらっしゃっておりますけれども、中山太郎調査会長のもとで極めて円満で公平な運営が行われていたということもございます。ですから、ある意味で、憲法の改正というのを合意できるところから始めれば、必ずしも三分の二、三分の二という要件は大きなハードルにはならないのではないかという発言をしたことを記憶しております。

 そして、もう一つの理由は、やはり九十六条だけの改正ということではなくて、今も、先ほど来お話がありますけれども、具体的な中身を伴った改正ということが本来の筋かなというようなことも発言をした覚えがございます。

 そして今、九十六条の先行改正という議論が行われているわけですけれども、当時も実は調査会の中では、中山先生の運営のもとで、それほど、もちろん中身の議論がされておったんですけれども、自民党の中でも、九十六条の先行改正をすべきである、あるいは民主党でも、西岡武夫先生のように、強く九十六条の改正を主張される先生方もいらっしゃったということも記憶しております。

 そして今、以下の理由によって、私自身は九十六条の改正というのもあり得べしかなというような意見を持っております。

 二つ、理由を申し上げさせていただきたいと思います。

 一つは、平成十七年のお話を申し上げましたが、平成十九年以降、衆参のねじれ状況が常態化をしております。その中で、実は衆参それぞれ過半数というのは意外と高いハードルなんじゃないかという思いを持っています。

 そして、例えば、環境基本法をつくるとか、あるいは被害者対策基本法をつくる、これについては多分多くの国会議員が賛成するけれども、では被害者の権利を憲法に、環境権を憲法にということになりますと、大分多数を形成する力というのは少なくなってまいります。これはなぜかというと、憲法というのは法律よりも国の姿であって、政党のレゾンデートルにかかわるものですから、これだけ政党が多様化している中で、二分の一、二分の一という要件も実は結構高いハードルなんじゃないかということが一つです。

 もう一つは、憲法改正手続の国民投票法を私も提案させていただきました。その中で三つの宿題があります。一つは投票権年齢、一つは公務員の政治的行為、そして三つ目が諮問的国民投票でございます。そして、これは一般的国民投票を民主党の方々が強く主張されて、それでは、憲法に密接にかかわる、あるいは憲法の改正にかかわるようなものについては早急に結論を出しましょうということが宿題として残っています。

 当時想定されましたのは、例えば環境権を明記しますかというような国民投票をこちらから提案をいたします。そして、提案をして、賛成が多数になりました。では、それに基づいて発議を行っていきましょう。そのときの諮問的国民投票の発議要件は、多分両院の過半数ぐらいになるんだろうと思います。しかし、それで賛成が多いとなったときに、三分の二、三分の二の多数がとれないからといって国民の意見に応えられないということになってしまっては困る。ですから、その意味で、諮問的国民投票の結論を出す過程において、やはり発議要件というのは三分の二ではなくて二分の一なりにそろえていくことが必要なんじゃないか。

 ただ、問題点は、九十六条の先行改正を言う方々がそのような諮問的国民投票の検討には消極で、一般的国民投票を強く主張する方々が九十六条の三分の二の改正要件の緩和には消極である、このようなねじれは早急に解消すべきだし、憲法審査会において、この三つの宿題の三つ目についても真剣な議論をしていただきたいなというふうに思っています。

 そして、最後に二つ申し上げます。

 それぞれの党が、どのような憲法を目指すかということについてはやはりしっかりと提示をした上で、この九十六条の改正というのは行うべきであります。

 それからもう一つ、さらには、国民投票法、一応の法律はできていますけれども、宿題がまだ三つ残っているということを申し上げました。国民投票の中で、国民がしっかりと熟慮をできて、そして冷静な判断を下すことができるような手続法のブラッシュアップ、これについてもこの憲法審査会における検討をさらに加速すべきではないかということを申し上げまして、私の発言とさせていただきます。

 以上でございます。

古川(元)委員 民主党の古川元久でございます。

 私も、今の葉梨委員などと一緒にずっとこの憲法の議論、きょうも傍聴しておられる中山太郎先生のもとで参加をさせていただき、国民投票法の制定の議論、これは、改憲賛成の人、反対の人も含めて、ぎりぎり最後のところまでみんな一緒に丁寧に議論してきた者の一人として発言をさせていただきたいと思います。

 私自身、この改正手続要件の緩和そのものを否定するものではありませんし、時代に応じて憲法は必要な改正は行うべきだという考え方でおりますが、しかし、現在の、まず九十六条だけ先行して改正しようという動きには、これまで憲法議論に参加してきた者として大変違和感を感じております。

 と申し上げますのも、先ほど葉梨委員もお話しされましたけれども、この間、憲法に関する議論、憲法調査会や特別委員会あるいは審査会等で進んできて、もちろん各党によってかなり意見の異なる部分もありますが、しかし、例えば、新しい人権であるとか、あるいは地方自治の権限を強化するところであるとか、かなり大宗の人たちが、これは憲法に書き込んでいいんじゃないか、変えていいんじゃないか、そういうふうに思っている条項も、これは幾つもこの間の議論の中であるのではないかと私は思います。

 そういった意味では、三分の二という今の現行憲法の発議要件を十分満たすことのできる、そして国民投票に付せる項目も、この場で議論をしていけばこれは見出していけるのではないか。そういうことをやって、今の現行憲法の改正条項のもとで国民投票の発議のできること、そういうところからやっていくということが、憲法について丁寧な議論をし、国民の皆さん方の意見を聞き、そして時代に合った形で憲法を変えていく、そうした本来のあるべき姿ではないかと思います。

 それを、最初から、そもそもこの発議要件が下がらなければ一切憲法改正はできないんだというような考え方のもとかどうかわかりませんけれども、これだけまず最初に改正をしようと。

 そういうことには、これまでの国会の中での憲法の丁寧な議論、これは特に中山太郎先生が本当に、改憲を主張する人、そして護憲を主張する人、その両方に配慮された運営をされて、そうしたもとで熟議がなされてまいりました。やはり、そうしたこれまでの憲法に関する議論、こうしたものの過程といいますか経過というものを尊重する意味でも、まずは、現行憲法の改正の要件のもとで合意が得られる、そうした事項についてから発議をして国民投票を行っていく、その過程の中でこの九十六条についての議論も引き続き行っていくということが本来あるべき姿ではないかというふうに、私は、これまでずっと憲法論議に参加をさせていただいた者の一員として、そのように考えております。

 以上です。

衛藤委員 自民党の衛藤征士郎です。

 御案内のとおり、占領軍総司令部民政局の天皇・条約・授権規定に関する小委員会の第一次試案で、憲法は、制定後十年は改正禁止だと。十年後及びその後十年ごとに国会で改正について検討、こういう第一次試案があったわけであります。

 こういうことがしっかり刷り込まれた、こういう経緯もあるのではないかと私は思うんですが、とにかく、憲法改正すべきという世論は半分以上ある、しかし憲法改正はなかなか進まない。それは一つは、この改正の一つの基準が、手続の要件が三分の二、三分の二と高い。だから、諦めにも似たものがあって、皆さんが見守っておるというのが現状ではないかと思います。

 私はやはり、外国がどういうような取り扱いをしているかということについても参考にする必要があると思うんです。

 例えば、両議院の過半数、二分の一の要件を付しているのは、カナダ、イタリア、オーストラリア、スイス、アイルランド、また、スウェーデン、デンマーク、フランスなんですが、私は、特に注目したいのは、ニュージーランドあるいはデンマーク、スウェーデン。こういう国は、戦後、二つあった国会を一院制にした国であります。また、フランスは、御案内のとおり、フランス革命後三回一院制を導入しました。

 しかるに、私は、こういった、かつて一院制を導入した、している、スウェーデン、デンマーク、フランス、こういう国の憲法改正手続はどうだったのかということに注目をしているところであります。

 スウェーデンは、一九六九年、憲法改正手続ですが、これは過半数であります。デンマークは、一九五三年改正ですが、これも過半数でございまして、フランスは、一八四八年、憲法新規制定で、これまた過半数、こういうことでありまして、国会の衆参両院の過半数にするということが、日本だけ特異なことをするのではないんだということも我々は考えておく必要があるのではないか、このように思っておりまして、私は、改正要件、この過半数ということを支持したいと思っております。

 それから、問題は、憲法の改正もそうなんですが、当然、国会法の改正が同時に行われませんと、例えば憲法改正原案の発議に対する国会法の第六十八条の二でありますが、これは、議員が日本国憲法の改正の原案を発議するには、第五十六条第一項の規定にかかわらず、衆議院において議員百人以上、参議院において議員五十人以上の賛成を要する、ここまでの規定しかありません。

 どういうことが起こったかというと、昨年四月二十七日に、私どもが憲法改正原案を提出しました。そのときに、衆議院の先例上の要件とされてきた機関承認について、各会派の協議が調わなかったために、受理に至らなかったわけであります。

 今後、憲法改正原案が提出されたときは速やかに憲法審査会において議論を開始できるように国会法の改正をすべきではないか、このように考えております。

 憲法改正原案の発議に関しては、他の議案、一般の場合と異なって、賛成者が総議員のかなりの部分を占めることに鑑みまして、衆議院の先例上の要件とされてきた機関承認を要することなく、いわゆるつるしの先例、本会議趣旨説明要求議案の付託に関する先例によることなく、発議後直ちに受理、付託をして、全国民的な見地から憲法審査会の議論を開始する必要があると思います。その趣旨を明らかにするために国会法の改正が必要だ、このように考えております。

 では、どのような改正をすればいいのかということでありますが、現行の国会法、憲法改正原案の発議の第六十八条の二につけ足して、前項の規定により憲法改正原案が発議されたときであって、その発議者及び賛成者の合計が各議院の総議員の三分の一以上であるときは、議長は、これを受理し、直ちに憲法審査会に付託しなければならない、この場合においては、憲法審査会に付託した後、第五十六条の二の規定により、議院の会議において、その憲法改正原案の趣旨の説明を聴取することを妨げない、このような規定がありませんと、せっかく憲法改正原案が提出されましても滞ってしまう、こういうことになりますので、憲法第九十六条の改正とあわせて国会法改正を進めたい、このように、よろしくお願いいたしたいと思います。

 以上であります。

小池(政)委員 みんなの党の小池政就です。

 党方針に対して補足をさせていただきます。

 我が党は、時代の変化への対応として、憲法を少しやわらかくしていくということを主張しておりますが、軟性憲法というその名の定義どおりですと、憲法改正の手続が通常の法律どおりの取り扱いになってしまいまして、形式上このとおりなのは不文憲法であるイギリスぐらいということで、一方で我が国は成文憲法であり、かつ国民主権の原則を前提とした上で軟性化を検討するということを考えております。

 この点におきまして、改正を国民投票に委ねるのは妥当であるとも考えておりますが、また、国会の両院での取り扱いにつきましては、現行の選挙制度では国民の投票による政党の得票率と実際の議席獲得数が大きく異なることがある点も留意した上で、どの程度の軟性化を求めるかという考慮も必要と考えています。特に、衆院の小選挙区制また参院の選挙区制の過去の選挙結果からはそのことが読み取れます。

 我が党は、一人一票比例代表制による選挙制度の抜本的な改革ということも訴えておりますが、これは、憲法を論議する我々の正当性の回復のみならず、先ほどのような点の改善も含め、検討を行っているという点を述べておきます。

大塚(拓)委員 自由民主党の大塚拓でございます。

 先ほど来、発議要件三分の二の議論がなされているわけでございますけれども、ともすると改正要件と発議要件が混乱して議論されているのではないかという気がしてならないわけでございます。今の議論は、発議要件を国会議員の三分の二から二分の一にしよう、これはあくまでも発議のための要件であるということを改めて指摘しておきたいと思うわけでございます。

 私自身、この発議要件三分の二というのは極めて高いハードルであって、このことが国民の選択する権利を強く、過度に制約しているものだというふうに考えております。この発議要件を仮に緩和することがあったとしても、最終的な決定権は国民投票による二分の一ということになっているわけでございますので、これは、国民の権力者を縛るという意味での制約を緩和することには全くつながらない、それどころか、私は、国民の選択する幅を広げる、国民のための改正になるというふうに考えているところでございます。

 また、国会議員は選挙というものを経るわけですけれども、選挙においては憲法だけを対象に選挙を行うわけではもちろんないわけでございます。さまざまな支持団体の構造であったり支持者の構造であったり、憲法とは別の事情というものも大きく働いて議席を得てくる。こうした中で、実際に御自身は憲法改正に賛成であったとしても、あるいは、御地元で自分の支持者の方々に、私自身は憲法改正賛成なんですということを訴えながらも、所属する政党の事情によって、国会においては憲法改正賛成ではないという立場をとられている方も多いところでございます。

 こうした事情を考えたときに、この憲法以外の事情が働く国会議員の議席の三分の二を要するというのは、私は妥当ではないのではないか、このように感じているところでございます。

 ちなみに、先日、先ほど来事例で挙がっておりますオーストラリアに行ってまいりまして、選挙関係者、議会関係者にヒアリングを多々行ってまいりました。オーストラリアにおいては、二分の一の議員による提案、そして国民投票で二分の一と、比較的厳しい要件を課している国の一つであろうと思います。それから、州の独立性というのもある程度考慮されているということでございますけれども、過去、四十四回憲法改正の提案がなされ、うち八回これが成立をしたということになっております。私は、これで構わないんだろうというふうに思うんです。

 実際、オーストラリアの選挙、議会関係者のお話の中でも、国民は憲法改正に対して非常に保守的、慎重なんだという発言がございました。国民の良識を信ずれば、そう間違ったことにはならない、むしろ、国民が間違える可能性があるから厳しい制約を課さなければならないと主張する方々は、国民の良識を信用していないということになる、私はそのように考えております。国民を信じるべきだと私は思っております。

 それから、先ほど衛藤委員からもございましたけれども、誰がこの憲法改正要件を、厳しく制約を課したのかという、その主体が誰かということについて我々はもっと敏感でなければならないのではないかというふうに思っております。

 例えばアメリカは、三分の二という要件を課しておりますけれども、これはファウンディングファーザーがかち取った自由という権利を後世にしっかり残したい、自分の運命は自分で決める、こういう思想のもとで厳しい要件が課されている。

 それでも、日本の方がさらにもちろん厳しいわけでございますけれども、日本の場合は占領下において占領軍がこの制約を日本人に課した、このことに私たちはもう少し敏感でなければならないのではないか。自分たちの運命は自分たちで決める、そして自分たちで責任をとる、これが主権者である国民のとるべき立場であろう、私はこのように思っております。

 そしてまた、権力者を縛るというときの権力者は、どうも絶対君主制であったり独裁主義といったものをイメージに持たれながら議論する方も多いようにも感じるわけでございますけれども、今の日本は、完全に民主的な手続によって選ばれた総理大臣が、内閣が権力を掌握しているわけでございます。こうした国にとっての権力者を縛るということは、主権者の権利を縛ることとも同義であるということも改めて考えなければならない。

 そして、最後にもう一点。三分の二の要件というものは大変厳しいわけですけれども、三分の二の要件を乗り越えて一回憲法改正をした場合、万が一、もう一度もとに戻そうと思ったときにも、さらに三分の二を乗り越えなければならないということも銘記をしておかなければならないと思っております。

高鳥委員 自由民主党の高鳥修一でございます。

 まず、九十六条改正の必要性について申し上げます。

 既に我が党各委員からも意見の表明がございましたが、現行憲法の改正手続は、両院で三分の二以上の賛成を得て改正案が国民に提案をされ、国民投票で過半数の賛成を得て初めて憲法改正が実現することになっており、世界的に見ても改正しにくい憲法となっております。これは日本だけがというわけではございませんが、議決要件が過半数の国もヨーロッパ等に多数ございます。

 憲法について決めるのは、あくまで主権者たる国民であります。国民に提案される前の国会での手続を余りに厳格にするのは、主権者である国民が憲法について意思を表明する機会を実質的に奪うことになる。国民の手に憲法を取り戻すという観点からは、憲法改正の発議要件を緩和し、国民投票の機会をふやすことが、国民の憲法に対する関心を高め、国民が主権者たる権利を行使することにつながると考えます。

 次に、憲法改正と第九十九条の憲法尊重擁護の義務について申し上げます。

 憲法第九十九条は、天皇、国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員に憲法尊重擁護の義務を規定しております。この規定をもとに、内閣総理大臣あるいは国会議員が憲法改正を主張することに異議を唱える御主張がございます。しかし、憲法は第九十六条に改正条項を規定しており、憲法の改正を当然の前提としております。現行憲法を破棄せよなどという主張に対してならば、それは憲法尊重擁護の義務に違反するという批判も理解し得るのでありますが、現在、我が党が主張している憲法改正は、もちろん、憲法九十六条の規定にのっとった正当な手続による改正であり、このような批判は当たりません。

 また、憲法九十六条が、国会が憲法改正を発議する旨を定めていることからすれば、国会を構成するメンバーである国会議員が憲法改正を主張することは何ら問題ではない。内閣総理大臣が一人の政治家、国会議員として憲法改正を主張されることについても同様であります。

 以上、意見として申し上げます。

大島(敦)委員 私たちが所属するハウスの役割、院の役割について、二〇〇〇年に当選して間もなく、議員特権の見直しという話がありました。そのときに、私はずっと、慎重であるべきだという発言をさせていただいております。ハウスの役割というのは、国家権力の暴走を抑えるのが役割だと思っているからです。だからこそ、議員に議員特権があって、基本的人権の尊重を守り抜くというのが私たちの役目だと考えたからです。

 この三分の二の条項なんですけれども、与党のときに、さまざまな修正協議をさせていただきました。沖縄振興法の修正協議、あるいは国家公務員の給与特例法案の修正協議、そして復興関連の法案の修正協議、個々の修正協議に与党の政策責任者あるいは筆頭理事として携わる中で、各党ともに丁寧で説得力のある議論が積み重ねられました。各党ともに忍耐強く議論を積み重ね、さまざまな論点を精査することで、それぞれの納得感を高めることができたと思っています。

 ですから、私たちが議論する中で、個々の論点を積み上げていくこと、憲法を改正したい、過半数の立場の皆さんは、もう残り少しの、三分の二を説得していくという過程が私は必要だと思っています。そのことによって、さまざまな論点が要は精査をされ、ハウスの中、院の中での納得感が高まり、それは、ひいては国民の納得感につながっていくと考えるからです。

 ですから、この三分の二という条項は、今までのさまざま経緯の中で定められている条項だと思っておりまして、しっかりとした議論が必要だと考えております。

山本(と)委員 自民党の山本ともひろです。

 まず、改正手続要件の緩和に関してですが、そもそも三分の二というものに対して、論理的あるいは確率論的に何か正当性があるんだろうかと私は常々思っておりまして、諸外国、三分の二という要件を設けている国もありますけれども、では三分の二に何か正当性があるんですか、論理的、確率論的に正しいんだと説明できる人がいるんですかという話になると、およそそういう人は実はいないのではないのかなと思います。

 翻って我が党は、過半数だと、そういった要件緩和をしようというふうに提案をしているわけですが、過半数ということになると、確率論としても、信頼性を定量化したコンドルセの定理からいっても、妥当性は見出せる。多数決で決をとって、ルソーの言うところの全体意思であるというところを見ても、やはり過半数というのには妥当性があるのではないかと私は思っております。

 ただ、改正要件を過半数にして、自民党はそう言っていますが、今コンドルセの定理からいっても妥当だと申し上げましたが、過半数そのものには実は私は危険性を感じておりまして、成熟した政党が政権を担っている場合であれば、五一%、過半数というもので発議をしてもいいとは思うんですが、将来にわたって、日本で仮に未成熟な政党が政権をとった場合、五一%で本当にいいんだろうかと危険性を感じるわけです。

 そこで、私は、五分の三、要するに六〇%になりますけれども、三分の二であればおよそ六七%、過半数であれば五一%、一六%も一気に下げるというのはいささか私は危険性があるなと思いますので、五分の三、六〇%程度が落としどころじゃないのかなと思っています。

 これは、昨年、自民党の中でも五分の三がいいんじゃないかという議論も出ておりましたが、残念ながら私は一回お休みをいただいておりまして、昨年は代議士としては議論に加われなかったというのは本当に残念だなと思っておりますが、私は、五分の三がいいのではないかな、個人的にはそのように思っております。

 それと、先ほど来から九十六条の先行改正はどうかという話が出ておりますが、私は、そもそも九十六条の改正を先行だと言うことに違和感を非常に覚えております。先行って何なんだろうか、では後行というのがあるんだろうかと。

 憲法改正というのは、必要なときに必要なものを感じて発議をするわけであって、一回きりの憲法改正であれば、これは先行だと言われるかもしれませんが、五年先、十年先、二十年先にも憲法の改正は必要性が出てくることもあると考えますと、何も九十六条を改正するということをとりたてて先行だと言うのはおかしい。

 憲法改正の、憲法の新しい像を示せという話もありますが、では、九条あるいは環境権、そういったものを示して九十六条の改正を進めるんだというのが、これは先行じゃなくて真っ当だという話になるのかもしれませんが、であれば、今誰も気づいていないパラダイム転換があって、五年先、十年先にまた新たな権利というものを加憲しようという話になった場合に、後行だ、後出しじゃんけんだと言われても、私は論理的には納得ができない。

 九十六条の改正が必要だと思ったときに発議をして改正をする、それは何ら先行でも、あるいは後出しじゃんけんを狙っているという話にもならない、私はそのように思っております。

 以上です。

笠井委員 日本共産党の笠井亮です。

 幾つかこの問題、議論があったんですが、私も述べたい点があります。

 一つは、九十六条改憲の必要性について、国民の過半数が改憲を望んでも三分の一超の国会議員が反対すれば指一本触れることができない、安倍首相もこういうふうに言われていますけれども、国民の中でどこをどう改憲するかという具体的な内容について見ると、いろいろな意見があります。その中で、国民の中にこれを変えようという合意があるわけではありません。

 三分の一超の国会議員が反対すれば指一本触れることができないと言っても、国会議員の改憲への賛否にかかわらず国民は日常的に憲法について議論することはできますし、何もそれを妨げていない、現に行ってもいます。改憲の発議に対する国民投票だけが憲法に対する国民のかかわり方だと考えているとすれば、国民主権を極めて狭く捉えているというふうに言わなきゃいけないと思うんです。そもそも、立憲主義の立場から厳しい改正規定を設けていることを理解しているのかという根本が問われると私は率直に申し上げたいと思います。

 そして、この改正規定のせいで国民が憲法から離れた存在になっているという話もあったんですけれども、私は、歴代のとりわけ自民党政権が憲法を大事にせず、守り、生かしてこなかった、国民は憲法を大事にしているということだと思うんです。ですから、憲法から離れた存在になっているのは歴代政権の方だということを言いたいと思います。

 それから、デンマークやインドネシアの話も出されました。

 先ほど橘部長の方からも幾つか補足的な話があったんですけれども、私も聞いていて思ったんですが、この改正手続ということについてやったという話があったんです。

 デンマークでいうと、一九五三年の憲法というのは一九一五年の憲法の改正の形式だけで、もう改憲の範囲が非常に大きくて新憲法と見られる中身での、その中での改正規定についての改定というのがあった。インドネシアについて言うと、二〇〇二年の憲法改正の中で、あそこは何回かやっていますけれども、最高機関である国民協議会の再編成などが規定されるというのに伴ってこういう改正手続の規定も出てきた。オーストラリアについては、出されたけれども、レファレンダムで否決をされた。まさに、改正手続の引き下げのみを先行させて改憲を行った国はないという状況だと思います。

 それから、九十六条はあくまでも国民投票に付すところに重点が置かれていて、一般の法律と違うという意見もありましたけれども、結局、縛りを緩めて、発議のときの政府、政権あるいは政権与党のさじかげんで幾らでも出せるようにしようというものになってくる。国民に問うなら国会でよくよく議論して、ハードルがきちっとあるのは当然だと思います。

 そもそも、憲法と法律の違いがあって、憲法は国民が権力を縛る、法律は権力が国民に守るルールを決めるというわけですから、やはりそういう点でいうと、国民が権力を縛るという点での国民主権の具体化というか、そのことである改正規定の問題でいうと、国民主権を大事にするんだったら、厳しいというのがいけないというんじゃなくて、国民主権に基づいて国民が権力を縛るわけですから、その縛るということについてしっかりしているのは、国民にとっていいことだというふうに思います。

 それから、憲法調査会から憲法調査特別委員会にかけて九十六条の議論が余りなかったというのは、私もそのように特別委員会のときにも思っています。

 ただ、あのときは、二〇〇五年に特別委員会をつくったときもそうでしたが、九条を変えようという動きがあって、そういうことを政府・与党の側が言うという状況の中で、私どもは九条改憲の条件づくりと言いましたが、発議後の国民投票手続について焦点を当てて、そこを突破口にやろうということでやっていたので、九十六条が焦点にならなかった、議論にならなかったというのはある意味当然だったのかもしれませんが、その手続ができたら今度は三分の二に手をつけるということで、結局そのハードルを下げるということで、やはり先ほど私が申し上げたように、その先の狙いは九条だということを自民党の幹部も言われている、こういうのが共通した話ではないかというふうに思うんです。

 ですから、最後に申し上げたいのは、昨年の総選挙の後、衆議院でいうと改憲派が三分の二ということで、これでやっていこうという話になって、参議院も多数をとれば発議がやれるという動きが出ているようですけれども、その衆議院の議席自体をとったって、小選挙区制度のもとで、結局その議席自体が民意を反映しているのかといったらしていないというふうに言われているもとで、だからこそ、九十六条というのはやはり厳格にしているし、それを勝手にできないようにいさめているのが三分の二の規定だということは肝に銘じる必要があるんじゃないかというふうに思います。

 以上です。

山下委員 自民党の山下貴司でございます。

 私は、憲法というのは、権力を縛るためだけにあるのではなくて、憲法制定権力である国民がしっかり守るべきこの国の形を定めたものであると考えております。

 他国の憲法の例を引いて恐縮でございますが、米国憲法が、ウイ ザ ピープル オブ ザ ユナイテッド ステーツ イン オーダー ツー フォーム ア モア パーフェクト ユニオン、つまり、我々米国民はより完璧な連邦を形づくるためという文言から始めておりますが、それはその一例であって、これはどの国の憲法でもそうであるべきだと私は考えております。

 その観点から、手続的に言えば、原案の制定段階から現在に至るまで憲法制定権力者である国民が直接投票することがなく、また内容的にも、制定後六十六年を経て、現代の我が国を取り巻く情勢に十分対応できていない条文も散見される日本国憲法について、国会の発議要件を各議院の総議員の三分の二から各議院の総議員の過半数に改正することは、これまで憲法制定権力者である国民の前にかたく閉ざされていた憲法審議の扉を開くものであって、むしろ国民主権に沿うものであると考えております。

 この点は、我が国の憲法学の通説である芦部憲法においても、憲法改正の限界について、例えば、憲法改正案に関する議会の議決の要件を改めるなどの改正は当然になし得ると解すべきであるとされているところでございますし、そのことで硬性憲法としての性質を失うものではないということも書かれておるところでございます。

 なお、先ほど来御指摘がありますように、憲法改正のためには国民投票が必要であります。その過半数の賛成を得るということは、相当に高い要件であると考えます。例えば、各議院の過半数に加え国民投票とするのは、先ほど来平沢先生からも御紹介がございましたフランスやスイス、オーストラリアに例があり、その国並みにするということでもあります。

 また、最近の衆議院議員選挙結果を例にとるまでもなく、小選挙区を中心とした選挙制度であれば、過半数の得票率をとるということは優に三分の二以上の議席を獲得するということでございます。それだけ国民投票の過半数というのは非常に重い要件であるということでございます。

 先ほど申し上げたように、憲法は手続の上で、憲法草案の作成段階から施行後六十六年となる現在に至るまで日本国民が一度も直接手を触れていない憲法と言えます。さらに言えば、参議院ですら一度も手を触れていないわけであります。このことは指摘しておきたいと思います。

 なぜなら、日本国憲法は、極東委員会の発足を前にGHQが十日間で作成した案文に基づき、日本政府側が三週間で憲法改正要綱案を作成し、そして占領下の制約のもとで、衆議院と貴族院から成る帝国議会により審議され、そして枢密院の可決を経て成立したもので、その後具体的な改正案が国会で審議されたことも国民に提示されたこともなかったからであります。

 内容についても、そのような制約のもとで短期間のうちに作成したものであることもあって、もともと条文の文理が不十分であるところも多く見られます。また、制定後六十六年を経て、条文が現実の事態に対処できていないところも多々ございます。

 例えば、自衛隊あるいは自衛権のジの字もない安全保障条項であるとか、新しい人権の存在、そして、日銀総裁が空席になったことを例に挙げるまでもなく、衆参のねじれを政争に利用した国会承認人事や法案審議の停滞、あるいは予算単年度主義の弊害、わずか四カ条にすぎず具体性を欠く地方自治条項であるとか、あるいは大規模災害など緊急事態に対応するための緊急事態条項の欠如であるとか、さまざまな問題がございます。この点について、判例や解釈で補えば足りるという見解がありますが、私は司法試験の憲法担当考査委員をやっておりましたが、解釈で補うことはむしろ限界に来ていると考えております。

 私はこの現実の国会のあり方を見るとき、発議のための両院の総議員の三分の二という要件は、国会や国民における憲法論議を封印するための要件として機能してきたと思われます。理論的に言えば、全議員七百二十二名中八十一名の参議院議員が反対すれば封印できるということでございます。その観点から、私は、発議の要件を二分の一にする改憲は、国民に対して憲法を開く開憲であると考えております。

 私は、日本国民が自由主義、民主主義を愛し、平和を愛し、不公正を憎み、時代に対応し、かつ次世代にこの国の形を伝える憲法について判断する英知を備えていると信じるものであります。その立場から、発議要件の改正については賛成でございます。

 以上であります。

鈴木(克)委員 先ほど私どもの党の考え方を披瀝させていただきましたが、若干、補足も含めてお話をさせていただきたいというふうに思います。

 憲法は、国のあり方や国法秩序の基本を定めるという最高規範である、これはもう言うまでもありません。したがって、私は、冷静に、理性的に憲法論議をやっていくべきだというふうに思っています。

 何が言いたいかということなんですが、何か今は政治的背景から議論が進められているような気がしてならないわけであります。九十六条の改正で広範な議論を呼び起こそうということであるならば、私は非常に問題があるのではないかなというふうに思っております。

 憲法は、もちろん言うまでもありませんが、権力を縛る鎖というふうに言われていますし、それから、国民が自分で自分の手をあらかじめ縛っているという、いわゆる立憲主義の知恵といいますか、そういうふうな見方も私はできるというふうに思っておるんです。

 三分の二というのはどこで決まったのか、どういう意味なのかという御意見もあったようでありますけれども、少なくとも、基本理念や原理を否定する改定は認めない、こういう意味が私はこの三分の二にあるのではないのかなというふうに思っております。

 では、もし変えるということであれば、先ほど私も申し上げましたけれども、どんな憲法にするのか、どんな理念で改正をするのか、ここのところをやはりきちっと議論していかなければ、国民の皆さんの理解は得られないと私は思っております。月並みな言い方をすると、まず九十六条がいけにえになれば、いわゆる多数派の皆さんは、これは事は済んだと。乱暴な言い方かもしれませんけれども、もしそうであるならば、私は憲法の中核精神が破壊をされる可能性があるというふうに思っております。

 繰り返しますけれども、安易に改憲が繰り返されるようなことのないように、やはり安心で安定した憲法にしていく必要がある、このように思っております。

 最後に、本当に憲法改正をしようというふうに我々が考えたときには、多くの皆さんの賛成を得るように努力をするということ。三分の二を下げて二分の一にした方が理解が得られやすいという発想は、これはやはり問題ではないのかなというふうに私は思っております。

 いろいろと御意見はあるかもしれませんけれども、私の思いを伝えさせていただきました。

 以上です。

篠原委員 民主党の篠原孝でございます。

 山本委員の非常に成熟した議論に触発されまして、ちょっと未成熟かと思いますが、意見を述べさせていただきたいと思います。

 二、三ですが、まず第一点で、憲法改正について、三分の二の手続についてですけれども、内容によって変えてもいいんじゃないかという議論が盛んに今行われております。きょうもいっぱい出てまいりましたけれども、私は、前文から百三条の句点まで含めて、憲法の条文や章でもってそういうふうに今差別するのはよくないような気がいたします。

 ここで橘さんに質問ですけれども、各国で内容に応じて差をつけているというのは、それは一体どこでどうやって決まっているんでしょうか、これは半分、これは三分の一と。それをまずちょっと教えていただきたいと思います。

 そして二番目ですけれども、よく聞いておりますと、皆さん共通で、国民の声をちゃんと聞くべきなんだということ、私はそのとおりだと思います。おせっかい政治というのは厳に慎むべきだと思います。

 今まで憲法改正ができなかったというか行われなかったのは、国民の声として大きな声がなかったからじゃないでしょうか。もし、本当にこの点を改正しなければいけないというのにもかかわらず国会議員が三分の二の賛成を得る努力をしなかったら、鈴木委員の言われるとおりしなかったら、国会議員はサボっていたということじゃないかと思いますよ。

 それで、三分の二というのはどういうことかというと、これも皆さんいっぱい言われていますけれども、国民投票で有効投票総数の二分の一というのは物すごい高いハードルだ。それに匹敵するものは国会では何かというと、小選挙区制等もありまして、例えば非常に少ない投票総数にもかかわらず議席は半分以上あるいは三分の二も得ているという状態があるので、それも危険だからということで、ちょうどよくなっているんじゃないかと私は思います。その点をぜひ考えていただきたいと思います。

 三番目には、手続的なことで、これは二つ目のところに入るんだろうかと思いますけれども、余り二回も三回も発言するのを慎むためにちょっとついでに言わせていただきますと、日本のような投票システムというのは自書式なんですね。憲法改正についても、賛成、反対と書いたところにマルをつけるとかバツをつける。マルのつけ方は、趣味で小さいマルしかつけない人もいれば飛び出たのもある。私は、これはやはり判こでマルをつけるような形にして有効投票が多くなるようなことを、全体の、我々の選挙自体も考えなくちゃいけないと思います。これを考えていただきたいと思います。

 それから、大塚委員が、自分ではこう考えていても政党で決めて云々とおっしゃいましたけれども、僕はここはちょっと違うんじゃないかと思います。今、山本委員も、自民党全体の意見とはちょっと違うというようなことがあるんだろう、そういう感じを受けました。私も、いろいろ自分自身の意見を強烈に出し過ぎる癖があるんですがね。ですけれども、憲法については、党で決めたからこれで絶対というのはない典型的な例であって、これは、会長も長くやっていらっしゃるのでお伺いしたいことですけれども、これこそ党議拘束を外して採決すべき問題だと僕は思います。

 以上でございます。

橘法制局参事 篠原先生、御質問ありがとうございました。

 御質問の趣旨を正確に捉えているかどうか必ずしも自信はありませんが、スペイン憲法などのように項目によって異なる憲法改正手続を設けている場合、この改正がハードな方に該当するのかソフトな方に該当するのかということを一体どのようにして決めているのか、認定するのかという御質問であったと思います。

 まず、どのような形で決めているのかにつきましては、この衆憲資八十四号の二十七ページには、例えばスペインですと、憲法の全面改正のほか、国の基本原則とか基本的権利及び自由とかという抽象的な形でちょっと要約してまとめさせていただいておりますけれども、実際のスペイン憲法百六十八条の規定ですと、憲法の全面改正、または序編、第一編第二章第一節もしくは第二編に関する部分改正といったように、憲法の各条項を章単位で捉まえて、これはハードな部分ですというふうな、ある意味では明確な規定の仕方がされているようであります。

 例えば、序編というのはどういうことかというと、この資料ですと国の基本原則という部分ですが、スペイン国が、法治国家、主権在民、議会君主制の国であること、国家としての統一や自治権の保障がなされている国であること、あるいは公用語とか国旗とか首都に関する規定などは、ここで言う国の基本原則に当たる条項だ、そういう形で規定されているわけでありますし、一編二章というのは、これは国民の権利、自由に関する条項だということになります。

 ただ、もう一つ、先生の御質問に内包されていると思われる難しい論点が、一つの改正が二つの条項、つまりハードな方とソフトな方とにまたがるときは、どういうふうに、それを誰が判断するのかということであるかと思います。

 これについては、諸外国の憲法事例について詳細に調べているわけではありませんが、スペインの一九九二年八月改正、このスペインの憲法によって初めて改正されたときだと聞いていますけれども、マーストリヒト条約、EU条約に伴って、市町村選挙において相互主義を前提に外国人にも被選挙権を認める旨の改正をしようとした。このときには、ハードな方の改正規定に当たらない条項の改正として提案がなされた。しかし、この条項は、実はハードな方の改正規定であるスペイン市民の公務就任権という権利、自由にも改正を施すべきではないのかという議論があった。

 つまり、どちらの手続でもって改正すべきかという議論があったけれども、結局、内閣から憲法との抵触の点について判断を求められた憲法裁判所、スペインには憲法裁判所がございまして、抽象的違憲審査権を持っておりますので、その憲法裁判所の判断でこれはソフトな方の改正でよいという形で、政治的には大きな問題には発展しなかったという事例があるようでございます。

高木(宏)委員 自由民主党の高木宏壽でございます。

 憲法九十六条の先行改正についていろいろと疑問が提起されているわけですが、九十六条の先行改正にどういう意義があるのかという観点から意見を述べさせていただきます。

 ポイントは三つあると思います。

 まずは、改正のハードルの高さについて。先ほど来、各委員から主要国の憲法の改正状況あるいは改正手続についてお話がありました。そこから言えることは、時代の変化に伴って憲法は改正されるべきだというのが世界の常識であるということが、まず一点であります。

 それから、日本の改憲手続はハードルが最も高い国の一つであり、国民投票を必須条件としたまま改憲発議の条件を二分の一に改めたとしても、各国の憲法改正手続との比較において決して厳格さに劣るものではないということが言えると思います。

 次に、日本の政治状況における改正手続の適切性という観点でありますが、世界的に大変厳しい手続だからという理由だけで、他国の改正手続を見ても九十六条を先行改正すべきということにはならないわけでありますが、例えば米国のように、三分の二以上の議会の発議の上に全州議会の四分の三という高いハードルの国でも、憲法制定後十八回、戦後も六回の改正が行われております。

 この各国の憲法改正手続と改正状況から言えることは、各国は、議会制度あるいは選挙制度のあり方や政治的な歴史、経験を踏まえて改正案の発議や承認条件を規定して、憲法改正を実際に行ってきているということであります。そうした観点から、条文だけのハードルの高さだけではなくて、現行の九十六条が日本にとって適切な改正手続なのかということが問われているのではないかなと思います。

 日本の場合、サンフランシスコ講和条約締結後、主権を回復してから六十年間の間、国民投票によって国民が判断する以前に、国会による改憲の発議すらできなかったというのが現実であります。三分の二の規定というのは、憲法を改正する際の事実上の拒否権として機能してきたわけで、仮に国会による発議条件が二分の一であれば、憲法改正は発議されて、国民による議論が喚起されて、国民投票が行われて、憲法改正が実現していた可能性は十分あったわけであります。

 要は、この三分の二という発議条件は、各国との比較においてハードルが高いというだけではなくて、日本の実際の選挙制度や国民の政治意識と合わない、国民が国民投票によって憲法改正に対して意見を表明する機会を奪ってきた不要なハードルではなかったかなと考えられるわけであります。

 それから、三点目として、憲法改正がどう盛り込まれてきたか。先ほど衛藤委員からもお話がございましたが、三分の二という壁は、GHQが昭和二十一年二月、日本政府に対して示してきた総司令部案の段階で書き込まれていたものであります。GHQの意図というのは、総司令部案が出てくる過程を見ると、試案段階で、制定後十年間の憲法改正禁止、総議員の四分の三の同意、あるいは投票した国民の三分の二以上といった、改憲を事実上不可能とする制限が構想されていたという事実がございます。

 また、総司令部案では国会は衆議院のみの一院制であったのが、日本政府案となる段階で二院制と変更され、それでいて総議員の三分の二という条件は変えられなかったことから、憲法改正のハードルはさらに高まってしまったという事実がございます。

 以上から、この九十六条の改正は、改正手続の改正ではあっても憲法は変えられるという事実を国民に示すことであり、九条論議を初めとする安保、防衛問題や国のあり方、形をめぐる国民的議論が大いに喚起されると思います。その意味で、九十六条改正、変えられない憲法から変えられる憲法への第一歩を踏み出す、大きな一歩となるという重大な意義を担っているということを申し上げさせていただきます。

 以上でございます。

保利会長 それでは、第一の論点の最後に、武正委員からお願いいたします。

武正委員 民主党の武正でございます。

 手短に終えたいと思いますが、なぜ戦後一回も憲法改正に至らなかったのかといった中で、この九十六条についてそれがあるという御意見がありますが、私は、先ほど触れましたように、ドイツ基本法が、法律的な事項が記載をされていたり、連邦国家ゆえに州との整合性をとる、そういった特徴があったことを申し述べましたが、それとの違い、日本国憲法のより抽象度の高いといったことが第一の理由。

 それから第二は、人類普遍の原理が立憲主義にのっとってうたわれている、国民主権、基本的人権の尊重、こういったところがあったというのが二点目。

 三点目は、東西冷戦下における日本の地理的な位置の中で、経済に特化といったことを日本が戦後選択する中で、平和主義というものがある面それを補完することになったといったことがあったのではないかというふうに考えます。

 なお、衆参両院で、二分の一でもなかなか難しいねじれ国会の状況が提起をされましたけれども、そうしたことは諸外国でもねじれというのが常態化をしておりまして、今ちょうど我が国もそれを乗り越えていく過程にあり、その中で、昨年特例公債法案が、四年にわたって特例公債を認めるという形で法律が通ったことや、あるいは本年に国会同意人事のルールの見直しが行われたこと、あるいは税制改正法案が年度内に成立をしたことなどは、ねじれの中でも、国難にあって与野党協力すべきは協力をしようという、国会が前進をしている、進化をしている一つの証拠ではないかと思います。

 なお、先ほど来、米国、豪州の例が出ておりますが、戦後、米国は六回、豪州は三回憲法改正をしておりますが、米国についての四分の三の州議会の賛成というのは、これは、十三の州が連合条約から憲法制定に至る中で、十三分の九、十二分の九ということで、一つの州が若干出てきておりませんでしたので、そういったところがこの四分の三の州議会の賛成ということにつながっているということで、それぞれの憲法には歴史があるといったことを踏まえて、我が国の六十八年間の戦後憲法を持ってきた歴史というものをしっかり認識した上での憲法論議を深める必要があろうかというふうに考えます。

保利会長 それでは、御協力いただきまして、この第一の論点につきましては発言を終了させていただきます。

 次に、発案権の所在等、これまでに議論の対象としていない論点について発言を希望される委員は、ネームプレートをお立てください。

新原委員 日本維新の会の新原秀人でございます。

 まず、橘部長にちょっと質問させていただきたいんです。

 国民投票という形ですけれども、大幅改正で憲法改正ということになれば一つということなんですけれども、例えば、二条項あれば二条項別々に賛成、反対とかできるような、そういった国民投票をしている国々はあるんですかね。それプラス、憲法の改正の仕方というのは、大幅にどんと変える国というのと一条一条変えていくという国といいますか、改正の方法というのはどんな状況になっているんですか。大体で、わかりましたら。

橘法制局参事 新原先生、御質問どうもありがとうございます。

 諸外国の憲法改正の提案の仕方については、浅学非才でありますため、今手持ちの資料でもちょっと正確に御答弁申し上げることができないわけですけれども、これはお許しいただきたいと思います。

 日本国憲法改正国民投票法案の立案の中では、まさしく先生の御指摘の点は大変大きな論点になって、主権者国民の意思ができるだけ反映されるように、政策的にまとまりのある事項ごとに提案をすべきという、いわゆる個別発議の原則というものに関して議論がなされました。

 その結果、現在の国会法の六十八条の三の中に、「憲法改正原案の発議に当たつては、内容において関連する事項ごとに区分して行うものとする。」という形で、まさしく、例えば九条の改正案、あとは新しい人権を追加する改正案、あるいは九十六条の改正案というふうに、二つあるいは三つの改正案を国民に同時に問う場合には、それぞれの案を独立して問うべきである、抱き合わせのような形にするべきではないという御議論がなされ、このような条項になったものと理解しております。

新原委員 ということは、九十六条を最初に話し合って変えるということは何の問題もないということであって、つまり、抱き合わせでできないということでしたら、今社会の価値観が変わって、スピード感が、時代も変わる、もしかしたら九十六条を変えることがこの憲法改正にとって大事なことではないかと三分の二の発議権ができたときに、それは別に先行ということではないですよね、条項ごとにしか上げられないんだったら。

 だから、そういった必要性があるんだったら、九十六条から上げればいいのではないかなと私は個人的に思いますので、先行、先行という形じゃないですけれども、本当に、条項ごとにしか上げられないんだったら、別に九十六条は先行ではないと私は思います。

 意見です。

大塚(拓)委員 先ほど篠原委員から、国民の間で改正の声が盛り上がっていないのではないか、こういう御指摘があったわけですけれども、ある意味当然の部分があろうかというふうに思っております。

 国民一人一人本業があるわけですから、憲法のことばかり考えて生活をしているわけではないわけなんですね。憲法のみではないですね、法案もそうだと思います。だから代議制民主主義ということになっているんだと思います。

 実際は、立法上の不都合が生じて、政府あるいは与党のサイドで憲法改正をしなければならないというニーズが生じてきて、それが国民に提案をされて初めて、国民の多くの方はそこで真剣に勉強をし議論をする、こういうことになるんだろうと私は思うんです。

 したがって、そういう機会すら今なかなか与えられない、一度も与えられたことがない、こういう状況の中で、国民の間で声がそこまで盛り上がらないということは、私は自然なことだろうと。

 しかしながら、実際、立法上の不都合が多々生じていることも現実でございます。先ほど山下委員からも御指摘がありましたけれども、憲法解釈にももはや限界が来ている。こういう中で、やはり国民の皆様に立法府として意見を提示し、議論をしていただく機会を今持たなければならない、私はこのように思っております。

 それから、発案権の所在についてでございますけれども、これは、自民党においても立法府からの発案に限定するという草案になっていたかというふうに思いますけれども、もう一つの考え方として、私は、政府が提案するということもあってもいいのかなというふうに感じているところでもございます。実際、法案の提出権は政府にも認められているわけでございます。

 立法に携わっている、そして、特にウエストミンスター・システムをとっている国においてガバメントというと、これは与党を含む概念として捉えられるようなことが多いわけでございますけれども、日本も、ウエストミンスターではないとしても議院内閣制をとっているわけでございます。政府・与党一体の中で運営をしている。こうした中で、私は、政府から改憲の発案というものが認められてもいいのかな、こんなふうにも思っているところでございます。

三日月委員 民主党の三日月大造です。

 こうした議論が行われていることに、私も一員として深い意義を感ずるものでございます。

 そうはいいましても、侵すことができない権利として、現在の、また将来の国民に与えられております永久の権利もしくは自由、これらを権力者に侵されない、権力者から守るという立場である近代立憲主義、そして、国民主権、基本的人権の尊重及び平和主義、こうした三大原則を初めとする日本国憲法の精神を強く尊重する立場から、さらに、戦時中のとうとい多くの犠牲、また、その後の多くの方々の御努力さらにはお知恵の上にある日本国憲法というものを抱いている日本国民であることを私は誇りに思いながら、その精神の条文の具現化というものにともに努めてまいるという立場から、私なりの考えを申し上げたいと思います。

 確かに、施行後六十六年たって、時代の変化に合わない部分、さらには加えた方がいいと思われる条文や規定、権利、そういったものがあることは、私も認めるところであります。むしろ、この憲法審査会の議論をもっともっと深め、また速めていく部分も私は必要だと思います。

 そういう立場から、そうはいいましても、私は、改正の発議や国民投票等を定める九十六条を現時点で変える必要はないと考えます。また、九十六条だけを先行して改正すべきではないというふうに考えます。

 日本国憲法の改正手続に関する法律で、今三つの宿題というものを当審査会は持っておりますけれども、この三つの宿題に対する結論を、もっともっと深く議論しながらさらに迅速な形で導き出していく、この努力が当審査会にはむしろ求められているというふうに私は考えます。

 繰り返し申し上げますが、六十六年改正されなかった日本国憲法というものは、これは事実ではありますけれども、その原因をこの九十六条が定める改正手続に関する定め、もしくはその要件の高さというものに求めること、また、改正内容や不改正内容というものを国会内外に十分に示されていない、また、熟議されていない段階で、この九十六条だけを先行改正すべきだと主張されること、さらには、内閣総理大臣を初め時の権力者だと言われる方々がこれを国会内外で強く表明されることに、私は、個人的に強い違和感と懸念、不安感を覚えるものであります。

 さらに、具体的に今論点二の中身で提起されました発案権の所在、国民投票の期日、最低投票率要件、また、国民投票の過半数の意味、これはいずれも重要な論点でございますが、私の考えは、この論点表で示されました、いずれも必要ないという立場であります。

 しかしながら、先ほども申し上げましたとおり、日本国憲法の改正手続に関する法律、これは三つの宿題を当審査会に提起しております。この国民投票に関する三つの宿題を解決する過程において、この審査会でしっかりと議論をし、結論を導き出していくテーマだというふうに考えます。

 以上でございます。

原田(憲)委員 自民党の原田憲治です。

 今、皆さんの意見を聞いておりまして、本当に国民投票というものが行われるのであろうかと心配になってきております。

 そこで、国民投票が行われるということを考えたときに、今の選挙法の中で国民投票が行われるのかどうかということ、それから今、丸印をつける云々というような話もありましたけれども、私は、根本的に、国民の皆さんの多くがこの議論に参加をしていただく、投票に参加をしていただくための施策といいましょうか方法をもっと考えるべきだと思っております。

 各選挙、衆議院、参議院、国政選挙、それから地方選挙、地方の市町村長、知事、この選挙におきましても、投票率が大変低いということが問題になっております。

 その投票率が低い中で、先ほど船田幹事の方からもお話がありましたように、少なくてもいいのかという議論になると、また反対の運動ができるのではないかというような御懸念もありました。運動の方法も含めて、もうぼちぼち具体的な方法を検討すべき時期になっておるのではないか、このように思います。

 投票所が今少なくなってきて、そのために投票率が下がっておるという現実もあります。広く国民の意見を問うというのであれば、身近なところに投票所を設置するということ、それからもう一つは、期日前投票が、本投票といいましょうか定められた投票日の時間帯と変わっておるというのももう一度考え直していくべきではないかと思っております。

 以上であります。

衛藤委員 自民党の衛藤であります。

 二点申し上げたいと思います。

 第一は、発議権の問題でありますが、私は、議員のみに発議権を与えるべきだと思います。

 三権分立からいたしましても、また国会は国権の最高機関である、その国会を構成する国会議員がやはり発議権を専有するということがふさわしいと思います。もし内閣に発議権を与えますと、間違いなく選挙の争点とかに必ず持ってくると思います。そして、非常に際立つ、選挙戦のときにドラスチックに、私が、私どもが選挙で内閣を構成したらこれをやりますということを選挙の争点にしかねないということになると思います。

 でありますから、私は、発議権は議員のみとすべきだと思います。

 それから、九十六条をなぜ先行するかということですが、先ほど橘さんの答弁がありましたとおり、私どもは、平成十九年の改正手続法、つまり国民投票法におきまして逐条審議しかできないようになっているわけです。ですから、例えば同時に、憲法九条と憲法四十二条をダブルで審議はできないようになっているでしょう。必ず議員立法で憲法改正原案が出てきて、逐条しかできない、こういうことになっておるわけでありますから、先ほど来、九十六条を先行するときにはどのような条項を改正するのかということを示すべきである、あるいは全体像を示すべきであるという御意見もありますが、しかし、私どもは、平成十九年のこの法律において逐条審議しかできないと決めているわけでありますから、九十六条の先行改正ということは避けて通れないのではないか、このように思っております。

 以上です。

保利会長 ほかに御発言を御希望の方はいらっしゃいませんか。

 きょうは、大分時間を使って議論をさせていただきましたので、もし御発言がないようでございましたら、自由討議はこれで終了いたしたいと存じます。

 次回は、来る十六日木曜日午前八時五十分幹事会、午前九時審査会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午前十一時五十分散会


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