衆議院

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第2号 平成27年6月12日(金曜日)

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平成二十七年六月十二日(金曜日)

    午後一時三十分開議

 出席小委員

   小委員長 高木  毅君

      若宮 健嗣君    橘 慶一郎君

      根本 幸典君    橋本 英教君

      牧島かれん君    笠  浩史君

      遠藤  敬君    竹内  譲君

    …………………………………

   議院運営委員長      林  幹雄君

   議院運営委員       塩川 鉄也君

   内閣府大臣政務官     越智 隆雄君

   事務総長         向大野新治君

   国立国会図書館長     大滝 則忠君

   参考人

   (国立公文書館の機能・施設の在り方等に関する調査検討会議座長(株式会社読売新聞グループ本社取締役最高顧問・主筆代理))  老川 祥一君

   参考人

   (国立公文書館の機能・施設の在り方等に関する調査検討会議構成員(東京大学大学院人文社会系研究科教授))          加藤 陽子君

    ―――――――――――――

六月十二日

 小委員牧島かれん君五月十五日委員辞任につき、その補欠として牧島かれん君が委員長の指名で小委員に選任された。

同日

 小委員橋本英教君五月二十二日委員辞任につき、その補欠として橋本英教君が委員長の指名で小委員に選任された。

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 新たな国立公文書館の建設等に関する件


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     ――――◇―――――

高木小委員長 これより新たな国立公文書館に関する小委員会を開会いたします。

 新たな国立公文書館の建設等に関する件について協議を行います。

 この際、御報告ですが、本小委員会は、去る四月二十三日、国会周辺の新たな国立公文書館の建設候補地として、いわゆる参観者バス駐車場としている国会前庭(北地区)附属、次に憲政記念館及び国会前庭(北地区)、次に自動車置場、次に内閣府東側敷地、次いで国会記者会館の順に、それぞれ視察をし、関係者から説明を聴取しました。

 本日は、本件協議のため、参考人として、国立公文書館の機能・施設の在り方等に関する調査検討会議から、座長の株式会社読売新聞グループ本社取締役最高顧問・主筆代理老川祥一君及び東京大学大学院人文社会系研究科教授加藤陽子君にそれぞれ御出席をいただいております。

 この際、両参考人に一言御挨拶を申し上げます。

 本日は、御多用中のところ本小委員会に御出席を賜りまして、まことにありがとうございます。

 議事の順序ですが、まず、国立公文書館のあり方の検討に関する過去の経緯について、越智内閣府大臣政務官から説明を聴取し、次いで、老川参考人、加藤参考人の順に御意見をお述べいただき、その後、懇談に入ります。

 なお、念のため申し上げますが、御発言の際にはその都度小委員長の許可を得て御発言くださいますようお願いいたします。

 それでは、まず、越智政務官にお願いいたします。

越智大臣政務官 最初に、国立公文書館のあり方の検討に関する過去の経緯とあわせて、老川参考人及び加藤参考人について御紹介をさせていただきます。

 公文書管理につきましては、平成十五年に当時福田官房長官のもとに開催されました有識者会議を初めとしまして、数次の検討の経緯がございます。

 平成二十一年に全会派一致の修正により成立した公文書管理法の制定によりまして、公文書管理の制度的な面については体系が整ったところでございますが、国立公文書館の施設のあり方に関する議論については継続的な課題となっております。

 このため、昨年五月から、国立公文書館の機能・施設の在り方等に関する調査検討会議を開催しております。その提言につきましては、四月二十三日の第一回の本小委員会において、私より概要を御説明させていただいたところでございます。

 本日お越しいただきました老川参考人は、調査検討会議の座長として提言を取りまとめていただくとともに、アメリカの国立公文書館への現地調査を行っていただきました。また、最近、公文書館が所蔵する終戦の詔書を題材とした著作を出されるなど、幅広く公文書管理に関する知見をお持ちでいらっしゃいます。

 また、加藤参考人は、調査検討会議の八名の構成員のお一人であり、平成十五年以来、公文書管理法制定時や今回の調査検討会議を含め、数次の政府での公文書管理に関する検討の場に御参画いただき、歴史学者として、公文書館ユーザーの観点からもさまざまな御提言をいただいております。

 私からは以上でございます。

高木小委員長 ありがとうございました。

 次に、老川参考人にお願いいたします。

老川参考人 ただいま御紹介をいただきました老川でございます。

 こうして検討会議の検討内容について御報告の機会を与えていただきまして、大変ありがとうございます。

 また、小委員会の先生方におかれましては、適地の選択その他積極的にお取り組みいただいておりますことを、心から感謝を申し上げます。

 私は、今御紹介いただきましたように、調査検討会議の座長を務めておりますが、御紹介いただいたように新聞記者でございまして、必ずしも公文書管理の専門というわけでもございません。数年前に有識者懇談会に参加をさせていただきまして、その御縁でいろいろ勉強させていただいているわけですが、それ以前は、公文書館というものがあるということは存じていたのですが、どこにあるのかも知らないし、行ったこともない、こんな状態で、初めて見学をさせていただいたときに、大変びっくりしました。

 びっくりというのは二つありまして、一つは、施設がまことに簡素といいますか、率直に言うと、貧弱きわまりない。私は、ワシントンにおりましたこともありますので、アメリカのナショナルアーカイブのイメージが頭にありましたもので、これで大丈夫なのかとびっくりしたというのが率直な感想でした。

 もう一つびっくりしたのは、にもかかわらず、すごい史料がいっぱいあるということですね。明治憲法その他の現物があるだけでなく、江戸時代の徳川家の大奥の将軍がお休みになるときの女性たちとのお休みになり方等々も克明に記録されている、そういうものが残っていることにびっくりしました。

 中でも私が一番衝撃を受けましたのは、終戦詔書でした。

 ことしは戦後七十年ですが、昭和二十年八月十五日の玉音放送として昭和天皇がお読みになった終戦詔書の原本だけでなく、八月十日の天皇の御聖断から、ラジオ放送用の、十四日深夜の録音に至るまでの間に、八種類もの下書き、草稿がそっくり残っているんですね。しかも、その手書きあるいはガリ版刷り、タイプ印刷その他、八種類九通りの文書に、無数の修正といいますか、書いたり消したりがある。そんなものがあること自体全く知らなかったのですが、それを見ますと、このわずか三日か四日の間にどれほど政府部内でいろいろな議論が行われたかがわかる。政治家と軍部の激論等が目に浮かぶような、そういうすごい史料がありまして、私はそれをきっかけにいろいろ勉強したのです。

 あの戦争に至る日本の政治のぐあい、どこが間違ってどうなったのかということ、それからまた今日にも共通するような幾つかの問題点、そういうものを非常に感じましたので、先ほど越智政務官から御紹介いただいたように、これはちょうど一カ月前にできた本ですが、御参考に小委員長に寄贈いたしますけれども、草案類を全部そこに収録しました。

 原本、現物が残されているということがいかに大事か。国の歴史なり重要事項の決定過程がどうだったのかということが、これがなかったら絶対永遠にわからないだろうと思うのです。そんなぐあいで、この公文書館の充実というものがいかに大事かということを改めて感じたわけです。

 公文書管理がいかに重要か、二つポイントがあると思うんです。

 この問題もそうですけれども、国のそれぞれの政策決定過程、行政はもちろんですが、司法、立法を含めて、国家としての運営にかかわる重要な決定がどのようなプロセスで行われたかということを透明化する、これは、民主主義、国民の知る権利といいますか、国民一人一人が民主主義を支えている、そういう国民にとっていかに大事かという政策決定過程の透明化。

 もう一つは、歴史的な文化遺産というか、日本の国というのはこういう成り立ちでできているんだなという国家と国民の一体感というか、現物を実際に見ると、迫力といいますか、如実に歴史が自分の体にしみ込んでくる。そういうものを子供たちにも見せることで、やはり国民としての自覚というものが生まれてくる。

 そういう意味で、この二点とも、民主主義の根幹にかかわる大事なことだと思います。そこで現状はどうかといいますと、そのどちらの面も不十分と言わざるを得ないと思います。

 一つは、今の北の丸にある国立公文書館の施設が、非常に手狭でありますし、収蔵能力、キャパシティー、これも遠からず満杯になってしまう、こういう状態で、このままではとても立ち行かなくなってしまうということが一つ。

 それと、公文書館に所蔵されているもの以外に、重要な文書がその他いろいろな機関に分散して所在している、あるかないかもわからない、こういう状態もあります。

 現実に、読売新聞が報じましたけれども、佐藤・ニクソン会談における核持ち込みにかかわる密約文書、これも佐藤家の御自宅の中にしまわれていた、こういうようなこともありました。したがって、史料が分散している、こういう問題が一つあります。

 もう一つは、展示場所の問題。つまり、所蔵するだけではなくて、国民の前に、いつでも見られる、そういう展示機能、これが現在はほとんどなきに等しい。現実には廊下の部分を使って時々展示をされていますが、これではまだ十分じゃないんじゃないかなと思います。

 そういう意味で、もっと大きな、しっかりした大規模なものを新しくつくることが必要だということを痛感したわけでございます。

 そういうことでありますので、昨年の秋、十一月末でございますが、私は、アメリカのナショナルアーカイブ、ワシントンとメリーランド、お手元にお配りした「米国国立公文書館について」という横長の資料がございますが、ここを見たのと、もう一つは、ボストンのケネディ・ライブラリー・アンド・ミュージアム、この二カ所を見学したわけです。

 最初にナショナルアーカイブ、ワシントンの方を申し上げますと、一ページ目にありますように、本館というのはワシントンDCの市内ですね。ここには、いわゆる独立宣言を初めとする米国憲法その他十九世紀以前の行政府文書、それから、アメリカでは毎議会終了時点で全ての議会の文書をナショナルアーカイブに移管する、こういうふうになっていますので、そういう立法府、司法府の文書も所蔵されています。

 それから、メリーランド州にあります、これは州立メリーランド大学の敷地を借りてつくられている新しい附属施設ですが、ここは二十世紀以降の行政府文書。この二つがございます。

 私は、ワシントン支局時代、そこの前は何度も通ったんですが、忙しくて中へ入ったことがなくて、今回初めて入ったんですが、これまた入ってびっくり。まず、スケールが物すごく大きいです。この二ページ目の写真が表玄関です。

 それから四ページの右上の写真、入ってすぐのところが、ロタンダという半円形の空間ですけれども、ここは衆院本会議場に近いぐらいの大きなスペースで、ここに独立宣言その他の建国当時の文書が、レプリカじゃなくて現物がそのまま展示されています。

 これは、傷まないようにアルゴンガスで密閉してありまして、ちゃんと保全がきっちりできていますけれども、現物を見ることができる。夜になるとこれを全部ずっと床下に沈めて、盗難とかそういうものに遭わないように、こういう工夫もできているようです。

 さらにびっくりしたことは、しょっちゅうたくさんの人、観光客もいますし、子供たちの見学ツアーが来ていて、七ページの右下の写真をごらんいただきますと、ロタンダでの宿泊イベント、つまりここで、修学旅行みたいに大勢で地方から来て、寝袋を持ってきて一晩その場で泊まって、まさに建国の歴史を自分で実感する、こういうようなこともやられている。

 さらに驚いたことは、普通、展示といいますと、展覧会でも何でもそうですが、現物を見て、ざっと流れ作業で見て終わり。ここの場合はそうではなくて、教室がつくられているんですね。今見てきたこと、学んだことを、そこの教室で授業ができる。先生がいろいろ問題を出して、子供たちに自由に何かを書かせたり、そういう授業を実際にここで行えるようになっているということです。

 ですから、保存機能と展示・学習機能が一体で実施されるということになっておりまして、まさに狙いは、アメリカの建国の歴史、アメリカという国を自分たち自身が実感する、こういうことを非常にうまくマッチしてやっている。

 アメリカの場合は、どちらかといえば人工国家ですから、そういう努力がなおさら必要なんだろうとは思うんですが、これに対して日本の場合は、アメリカと違って、逆に、余りに歴史が長いということと、戦前の歴史に対する否定的な印象というものが非常にあって、そういう過去の歴史というものを余り熱心に伝えようとしていないという傾向が感じられるんですけれども、これだけグローバル化してきていろいろ国際社会と個人個人がつき合わなければならない時代になっていることを思いますと、展示、学習、国の歴史を実感する、そういう機能がより必要ではないのかなと思っております。保存と展示・学習機能を一体化した施設ということになるとかなり大規模になると思いますが、そういうものが必要だと思います。

 あと、ケネディ・ライブラリーその他についても時間があれば御報告しますが、ひとまず冒頭の発言とさせていただきたいと思います。

高木小委員長 ありがとうございました。

 次に、加藤参考人にお願いいたします。

加藤参考人 私は、これから資料に基づきながらお話をさせていただきたいと思います。

 「新たな国立公文書館に向けて」という題を振っておりますA4の縦の資料でございます。本当は、「新たな国立公文書館の建設に向けて」と書きたかったのですが、「の建設」という部分は小委員会がお考えいただくことでありますので、ちょっと文法的におかしな表現になりましたけれども、「新たな国立公文書館に向けて」ということで、十分程度お時間をいただきたいと思います。

 前回の第一回の小委員会におきまして、これはここに書いていないことでございますけれども、衆議院の土地の提供となろうが、土地をどこにするかということを小委員会がお考えいただく、もう一点は、夏に向けて予算をつけていく作業で、非常に大きな仕事となろう、そういう高木小委員長の御発言がございました。

 ですから、私としましては、平成十五年、十二年前から、公文書館のあり方、公文書管理のあり方、そういうものを考えるということを、福田康夫氏が官房長官時代からのことでございますが、その有識者会議、懇談会、名前は変わりましたが、いろいろずっと参加していた人間として、そしていわゆる公文書館、国会図書館のヘビーユーザーとして何を考えているかということを申し上げたいと思います。

 ですから、衆議院の側が土地を提供していただく、そういう提供していただく側の論理をまとめてお話しできればと思っております。

 それで、一番ですが、「「世界に誇る国民本位の新たな国立公文書館」の建設を議論するにあたって」というのは、これは昨年二月に結成された議員連盟の正式の名前から頂戴しまして、スローガンとしても大変結構だと思うんですね、世界に誇る国民本位ということであります。

 一つ目の丸のところでございますが、とにかく、国の歴史を残す、国民の記憶の場所としてのナショナルモニュメントであるということでございまして、大体、国会が話題に上りますと国会議事堂からテレビが映し始めるわけで、やはりこれは象徴、荘厳なる象徴という役割で建物が使われます。

 ですから、もし建てていただけるのであれば、将来、新しい国立公文書館というものが荘厳な象徴として建ち得るようにぜひお願いしたいと思うのです。

 例えば、国会議事堂は、一九三六年、昭和十一年、二・二六のときに建ってございますけれども、やはりこれは、明治以来ずっと、大蔵省臨時議院建築局で設計したり、大変な国家事業だったようです。そういうことにも鑑みまして、ナショナルモニュメントとなるように。

 そして、丸の二番目ですが、これは、国民の目に映ずる場合の国の文書ということで考えますと、私ども、どうしても、国、行政が、公文書管理法というのをつくって、それに基づいて四年目というふうに施行してきた、だから新しい公文書館も考えていただこう、立法、司法、行政という三権ののりを越えない形でのお話をいつもするわけですけれども、国民としては、国の大事な記録、今老川先生からお話をいただきましたが、そういうことを考えたときに、国家として一体的になされた政策決定過程であります。

 先生方の前でこういうことを申し上げるのは本当に釈迦に説法なんですけれども、国の歩みというのは、立法府ができるのは明治二十三年で、近代国家ができてから二十年かかる。それから、司法の独立も試行錯誤を経て行われました。ですから、立法、司法、行政というものが一体として明治維新以来できてきた、これが正直に残るような、そういう展示をする場所があったらいいなということなんですね。

 それで、議連の先生方も多いとは思いますが、公文書管理法の第一条に、健全なる民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源、こういう言葉があるんですね。健全なる民主主義の根幹を支えるのが公文書だというような定義がある。こういう立派な法を、二〇〇九年に制定、二〇一一年に施行ですけれども、今、日本の国は持てたわけなんですね。

 そういう中で、実は、我々大人は、健全なる民主主義の根幹を支える国民共有の資産であるということを、将来を支える国民である小中学生に示してこなかったんですね。これが本当にちゃんとした大日本帝国憲法の本物で、これが本当に苦しい中でつくられた日本国憲法の本物でというものを、立派な、荘厳な施設で展示してきていない。

 私がお配りしております資料の十二ページをごらんいただきますと、大日本帝国憲法、これは御署名原本で、明治天皇の文字、それから御璽が押された原本の写真がございます。

 それから一転しまして、十九ページをごらんいただきますと、非常に紙質の悪い日本国憲法がごらんいただけるんですが、実のところ、今、国立公文書館の本館におきましては、この大日本帝国憲法と日本国憲法をきちっと展示し得るような施設がございません。

 ですから、この十二ページと十九ページの憲法の差、国家ができて二十年ほどたって、ようやくアジアに初めてと言われる憲法をつくったという、にぎにぎしい、その紙質も立派な大日本帝国憲法と、国が破れた翌年につくられた日本国憲法は、やはり違うわけです。こういうことをきっちりとお話しできるような、小中学生に見せる施設がなかったということですね。

 ですから、一ページ目の丸の三つ目に戻りますけれども、とにかく建設場所の象徴的な意味というものを大人である我々が考えますと、やはり展示機能というものが本館になかったんですね。

 ですから、一九七一年に設立された国立公文書館本館、昭和四十六年のことですけれども、この本館機能というものを根本的に考え直して、展示・学習機能中心、そして展示・学習機能をやるには、そのバックヤードでは、国会で生産された文書、司法、最高裁判所でつくられた文書、そして行政でつくられた文書、この三つを一体として、後の展示を支え得るような、整理や保管をし得るような場所がやはり随分必要ですね。ですから、その点が再考していただきたいことであります。

 それで、この一ページ目の最後の丸になりますが、では、そういうものをお預けしていいのか、国立公文書館というところは司法や立法や行政機関の文書も含めて預けていいのかということについて、非常に御不安を持つ機関はたくさんあると思います。

 それで、一つブレークスルーをやったなということの例を申し上げますと、国立公文書館が、この三月から五月におきまして、「橋を架けた大統領 「JFK―その生涯と遺産」」という展覧会をやりまして、先生方もごらんになられた方がかなり多いと思うんですね。実は、二カ月ちょっとの開催期間でありましたが、四万人を達成したのです。

 公文書館をいつも使わせていただいている人間からしますと、すごいなと思いますのは、ここで展示したものの種類が、国家として一体的になされた政策決定過程をちゃんと再現できた、それを国民が体感できる場としてできたことが成功要因かなとしみじみ思いました。

 私も一閲覧者として見に参りましたときに、人生で重要なものは国会周辺で学んだというのは大体一九四八年以降生まれの方だと思いますが、そういう方とかがお見えになって、しかも三割ぐらいが女性だったということで、私は非常に感銘を受けました。

 この「展示の重要性」のところをちょっとごらんいただきたいと思うんですが、つまり、どんな史料を集めたか。

 これは、アメリカ大統領として、太平洋戦争に従軍していたかどうかというのは勇敢かどうかという指標になって、とても大事なようなんですが、ケネディは、魚雷艇に乗っていまして、日本の駆逐艦と接触して海に放り出された人であります。そういう日本の防衛省の戦史センターの史料。それから、ケネディが大統領に就任したときの佐藤栄作日記、これは首相の史料を公文書館がいただきました。それから、キューバ・ミサイルのとき、六二年というときですから御存じの方もおいでだと思いますが、このどきどきした感じ、東条の気持ちがわかるということをケネディがメモに残していたものをケネディ大統領図書館からお借りしてまいりました。

 この展示物を見ながら、見ていた方が随分メモをとっていました。つまり、アメリカ大統領が、日本の首相、太平洋戦争開戦時の東条の気持ちが理解できるというメモを残されている、ああ、歴史の瞬間だなということですね。

 それから、この下記に三点書いたような、さまざまな、例えば、国民としては非常に興味が高い、今の皇后陛下ですが、皇太子妃がイグナチオ協会で追悼ミサに出られるかどうか、こういうことを宮内庁と打ち合わせているような史料もございます。

 つまり、国家が記録を残すということは、外交面も含め、このような多角的な作業で残されることであるんですね。恐らく立法府でもさまざまな議論があったと思います。例えば、これが全部一堂のもとに展覧会が開ければ、すごく国民としては臨場感のあるものだったと思うんですね。これで四万人をたたき出したということであります。

 それで、ここの一番目のお話を閉じる際に、一言申し上げたいのは、つまり、我々は、展示、学習ということをちゃんとやってこなかった国なんですが、心を改めまして、やろうという決意のもとでありました。

 ですから、先ほどの、ロタンダというところで子供たちが一晩過ごす、これは本当に大事なことで、例えば南北戦争の記憶で、南軍の司令官の気持ちになって、これからあした総攻撃がある、どういう気持ちで一晩過ごそうねなんという課題を出すんですね。

 ですから、例えば一九六二年にケネディからキューバ危機だよという連絡が来たときに、どういう気持ちで日本の首相は一晩過ごしたんだろうねというような問いを考える場所にもなり得るということであります。

 それから、少し急ぎますが、二ページ目の二番目ですが、それでは、国立公文書館が保有するとき、さまざまな史料をいただくときにどういう工夫をしたらいいか。これは実はそんなに難しくないんですよというお話をしにきょうは参りました。

 (1)の丸のところをごらんください。

 つまり、立法府が学ぶべき一つの例として、司法府の文書をどういただいたらいいかという話は十一ページをごらんください。これは別紙3ということで、司法府との申し合わせ、内閣総理大臣であります麻生太郎首相と最高裁長官が申し合わせまして、二〇〇九年にこういうものができているんです。

 ここのポイントは、1の(1)、(2)あたりで、裁判所がその適切な保存のために必要な措置を講ずるものとされている中核となる文書を、司法府の側から指定していただきまして、それで、それは(1)、(2)というような文書である、だから、これに関しての管理については内閣府などがアドバイスをしながら、適宜、司法府がいいと言った文書に関してはいただきますよ、そういう申し合わせをしてございます。これは、非常に活用の範囲の広い、すぐれた文書だと私は思います。

 ですから、立法府との間で、つまり衆議院議長である大島議長と内閣総理大臣が申し合わせをしていただき、そして、今の1の(1)、(2)というような、どういう概念の文書を管理、保存、移管などの申し合わせの対象にするかという御提案をいただければ、我々、ああそうですかということで協議ができるということなんですね。

 それで、私どもが非常に心強いと思いますのは、(2)のところの二つ目の丸、三つ目の丸をごらんいただきたいんですけれども、既に衆議院の中ではさまざまに、先生方のオーラルヒストリー、そして事務局方の事務総長などのオーラルヒストリーを聞くような先生方が、京都大学法学部、ここに名前を挙げておりますのは奈良岡聡智先生、それから九州大学法学部の赤坂幸一先生、こういう先生方が「国会運営の裏方たち」という題名の御本を書きまして、事務総長経験者のオーラルヒストリーや、それでは立法府の中からどういう文書を、移管の相談、保存の相談のアドバイス、そういうものにしたらよいかということについて、どうも調査をしておいでです。

 ですから、そういう先生方と私ども、内閣府の公文書管理委員会の有識者などが御相談して、どういう立法府の文書をいただけるか、括弧つき移管で、ここにお持ちいただく形で、しかし、管理などの御相談はするということ、こういうことができると思います。

 お時間を随分長くとりまして申しわけございませんが、骨格となる新しい公文書館では展示・学習機能を荘厳な建物でやりたいんだということ、それから、立法府の文書を移管もしくは保存ということの御相談をさせていただく際には、随分基礎ができているので、お話し合いをさせていただけるのではないか、この二点について申し上げました。

 以上です。

高木小委員長 ありがとうございました。

 以上で両参考人からの御意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

高木小委員長 これより懇談に入ります。

    〔午後二時五分懇談に入る〕

    〔午後二時三十七分懇談を終わる〕

高木小委員長 これにて懇談を閉じます。

 両参考人におかれましては、本当に貴重な御意見をお述べいただきまして、また、私どもの質問に対しても適切に御回答賜りまして、本当にありがとうございました。今後の私ども小委員会の議論に大いに参考にさせていただけるものと思っているところでございます。改めまして厚く御礼を申し上げるところでございます。

 本件につきましては、本日いただいた御意見をもとに、次回の小委員会で引き続き協議することといたします。

 本日は、これにて散会いたします。

    午後二時三十八分散会


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