衆議院

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第6号 令和7年5月8日(木曜日)

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令和七年五月八日(木曜日)

    午前十時開議

 出席委員

   会長 枝野 幸男君

   幹事 上川 陽子君 幹事 寺田  稔君

   幹事 船田  元君 幹事 山下 貴司君

   幹事 武正 公一君 幹事 津村 啓介君

   幹事 山花 郁夫君 幹事 馬場 伸幸君

   幹事 浅野  哲君

      井出 庸生君    稲田 朋美君

      井野 俊郎君    大野敬太郎君

      小林 鷹之君    柴山 昌彦君

      島田 智明君    新藤 義孝君

      高市 早苗君    葉梨 康弘君

      平沢 勝栄君    古川 禎久君

      古屋 圭司君    細野 豪志君

      三谷 英弘君    森  英介君

      山口  壯君    山田 賢司君

      五十嵐えり君    岡田  悟君

      奥野総一郎君    重徳 和彦君

      階   猛君    柴田 勝之君

      平岡 秀夫君    藤原 規眞君

      松尾 明弘君    谷田川 元君

      吉田はるみ君    米山 隆一君

      青柳 仁士君    阿部 圭史君

      和田有一朗君    西岡 秀子君

      福田  徹君    河西 宏一君

      浜地 雅一君    平林  晃君

      大石あきこ君    赤嶺 政賢君

      北神 圭朗君

    …………………………………

   衆議院法制局長      橘  幸信君

   衆議院憲法審査会事務局長 吉澤 紀子君

    ―――――――――――――

委員の異動

五月八日

 辞任         補欠選任

  山田 賢司君     島田 智明君

  平岩 征樹君     西岡 秀子君

同日

 辞任         補欠選任

  島田 智明君     山田 賢司君

  西岡 秀子君     平岩 征樹君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 参考人出頭要求に関する件

 日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する件(解散権制限)


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     ――――◇―――――

枝野会長 これより会議を開きます。

 日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する件について調査を進めます。

 本日は、解散権制限について自由討議を行います。

 本日の議事について申し上げます。

 まず、幹事会の協議に基づき、衆議院法制局当局から説明を聴取し、その後、自由討議を行うことといたします。

 では、衆議院法制局当局から説明を聴取いたします。衆議院法制局橘幸信局長。

橘法制局長 衆議院法制局の橘でございます。

 枝野会長を始め幹事会の先生方の御指示によりまして、本日は、衆議院の解散、特にその限界と制限の是非を中心とした議論について御報告をさせていただくことになりました。どうぞよろしくお願い申し上げます。

 早速ですが、お手元配付の資料一ページを御覧願います。

 まず序論として、解散の意義と機能について御報告申し上げます。

 解散とは、全ての議員について、その任期満了前に議員としての身分を失わせる行為でございます。

 このような議会の解散は、君主主権の時代においては、君主による議会に対する制裁措置と観念されておりましたので、基本的に非民主的な性格を持つものでございました。

 しかし、国民主権の下での議院内閣制においては、議会と政府との間の紛争解決の手段として、また、選挙後に生じた新たな争点に対して民意を問うための手段、いわば国民投票の代用手段として、さらに、少数与党の場合などにおける議会多数派の形成や、与党内部の造反抑制を通じた政権基盤の強化、すなわち内閣安定化の手段といった機能を持つものと整理され、解散の民主的な機能を強調する見解が一般的になってまいりました。

 しかしながら、解散は、国民から一定の任期をもって選出された議員をその任期前に一斉に身分を失わせる行為ですから、依然として非民主的な性格を失ってはいないのであって、本日のテーマの根底には、議会の解散の二つの側面、すなわち非民主的な性格と民主的な機能とが横たわっていると言っても過言ではないと思います。このどちらの側面を強調するかが、解散権の限界と制限に関する本日の様々な論点についての分水嶺になってくるものと思料するところです。

 次に、資料二ページを御覧ください。

 衆議院解散に関する重要条文の一つである憲法六十九条の制定経緯について図表化したものです。

 憲法六十九条の制定過程において、GHQ側は一貫して、解散権は内閣にあって、それが行使されるのは内閣不信任決議案可決等の場合に限定されるものと考えていたようでございます。この資料の左側の英文で、「the Cabinet shall order the Diet to dissolve」とか「the Cabinet dissolves the House of Representatives」として、内閣は不信任決議案可決等の場合に国会あるいは衆議院に解散を命ずべしとしていたからです。

 しかし、その日本語訳において日本側は、これまた一貫して、不信任決議案可決等の場合に、衆議院が解散されない限り内閣は総辞職すべしとして、内閣総辞職の条件文の中で衆議院解散に言及する形を取っておりました。このような文章構造によって、解散の主語を明示せず、また、解散がこの場合に限定されるのかどうかを曖昧にしていたのです。帝国議会での答弁で、金森徳次郎大臣も、解散の原因や条件は別段規定していないと述べているところです。

 次に、資料三ページを御覧ください。

 このようにしてでき上がった現行憲法には、衆議院の解散に言及する条文は四か条ございます。四十五条と五十四条は、今申し上げた六十九条と同様に、衆議院の解散は条件文の形で規定されており、その主語は明示されておりません。

 他方、七条だけは、天皇を主語として、衆議院を解散すると能動態で書いてありますから、これは根拠になりそうです。しかし、象徴天皇制の下では、天皇の国事行為は、それ自体が名目的な権限であり、その実質的な権限の所在、根拠はこれとは別の条項にあると考えるのが一般的な解釈ですから、これも直ちには根拠にはなり難いとされ、結果的には、現行憲法では解散権の所在も根拠も明確ではないと思われたのでした。

 そこで、解散権はどの国家機関にあるのか、またその憲法上の根拠は何かが問題となってまいります。

 資料四ページを御覧ください。

 まず、解散権の所在が内閣にあることについては、学説、政府見解共に一致しております。一部に、衆議院自ら、すなわち衆議院の決議による自律的な解散を認める見解もございますが、これはごく少数説とされています。

 したがって、問題はその根拠になります。

 GHQと同様に、六十九条説も唱えられておりますが、学説の通説及び政府見解は、先ほど見た七条三号の天皇の国事行為が名目的なものであることを前提としつつも、その実質的な権限を、七条の柱書きにある内閣の助言と承認に求めています。

 これに対しては、七条はその全体が形式的、儀礼的なものであり、その柱書きの助言と承認に実質的な決定権を読み込むことは技巧的で適当ではないとして、そもそも、議院内閣制や権力分立といった日本国憲法の採用する権力相互間のチェック・アンド・バランスの制度から内閣の解散権を導き出す制度説も有力です。

 資料五ページは、解散詔書に掲げられた解散の根拠条文がこの議論の一端を示すことを表したものです。

 第一回解散の際は占領下でしたので、六十九条説を取るGHQの示唆に従って、内閣不信任決議案を可決した上での解散とし、その解散詔書でも、日本国憲法第六十九条及び第七条により衆議院を解散すると記載されておりました。

 ところが、第二回解散以降今日まで、六十九条による不信任決議案可決の場合も含めて、解散詔書には、日本国憲法第七条によりとしか記載されないようになっております。解散の根拠はあくまでも七条だということです。

 次に、資料六ページを御覧ください。

 以上の解散権の所在と根拠に関する議論を踏まえて、いよいよ問題となってくるのは、そのような解散権行使に限界はあるのかということです。

 まず、制定経緯から引きずっている問題が、解散権行使は六十九条の場合に限定されるのか、限定されないのかということです。解散権の根拠を六十九条に求める場合には、それが行使できる場面も六十九条の場合に限られるとするのが素直でしょうし、他方、七条説や制度説の立場からすると、六十九条の場合には限られないとするのが素直でしょう。

 しかし、六十九条以外の解散を認めることは、直ちにその行使に限界がないと考えることになるわけではございません。

 そこで、資料七ページを御覧ください。

 政府見解は、解散は内閣が政治的責任において決すべき事柄であり、憲法上、その行使に制約はないと述べています。典型的な無制限説です。

 学説でも、国民の意思に基づく政治の実現のためには、内閣に自由な解散権を認めた方がよいとする見解があります。冒頭に申し上げた、解散の民主的機能を重視する見解と言えます。

 次に、資料八ページを御覧ください。

 これに対して、一般の有力な学説においては、解散の民主的機能を重視するのであれば、むしろその民主的機能が期待される場合にのみ解散は限られるべきであって、解散権行使にはそのような憲法習律上、すなわち慣習上などの制約があると述べています。

 例えば、芦部信喜先生は、一つ、不信任決議案の可決と同視されるような、内閣の重要案件が衆議院で否決された場合、二つ、政界再編等で内閣の性格が基本的に変化した場合、三つ、内閣がその基本政策を根本的に変更するとか、さきの選挙の争点とならなかった重大な課題が出てきて民意を問う必要がある場合、四つ、面白いのは、議員の任期満了時期が近づいてきた場合などを挙げております。

 また、保利茂元衆議院議長は、議長在職中に、当時の衆議院法制局の幹部と相談しながら、「解散権について」との文書をまとめており、亡くなられた後に、議長秘書だった岸本弘一さんが、保利元議長の遺稿、遺言としてこれを公表し、解散権濫用の戒めとしてよく引用されています。

 次に、資料九ページを御覧ください。

 以上の解釈論を踏まえて、これまで議論されてきた解散権制限に関する立法論について御報告申し上げます。先生方の御議論に資するよう、論点を三つに因数分解して御報告申し上げたいと存じます。

 一つ目は、そもそも解散権を制限することの是非についてです。その上で、二つ目として、解散権を制限すべきと考える場合に問題となる論点として、まず、制限の法形式について、憲法改正によるべきか、それとも法律による対応が適当かという論点がございます。さらに、三つ目として、その制限の具体的方法として、解散できる場合を限定列挙する形で実体的に制限するのか、それとも解散の手続を制限するのかといった論点がございます。

 二つ目の論点と三つ目の論点は、論理的には順列組合せで四通りありますが、一般的には、憲法改正の場合は実体的制限と、また、法律改正の場合には手続的な制限と結びつきやすい傾向にあると言えます。

 資料十ページは、一つ目の論点、制限の是非についてです。

 解散権を制限すべき理由としてよく挙げられるのは、与党に有利なタイミングを選んでの党利党略での解散が横行する可能性、傾向があり、何らかの歯止めが必要ということです。他方、制限に否定的な立場からは、議院内閣制や権力分立における内閣と衆議院のチェック・アンド・バランスの原則、両者の対等性などが挙げられます。

 次に、資料十一ページを御覧ください。

 二つ目の論点、制限の法形式としては、憲法改正による対応が可能なことはもちろんですが、法律レベルでの対応が可能かどうかが問題となります。

 この点について、都立大の木村草太先生は、解散理由の衆議院での説明といった手続的制限であれば、解散権自体を制限するものではなく、違憲の評価は受けないと述べています。さらに、早稲田大学の長谷部恭男先生は、憲法上、政府や首相に与えられた権限を法律で制約している例は内閣法等にしばしば見られるものであるとして、解散権行使を実体的に制限する法律を制定することも現行憲法の枠内で可能であることを示唆しております。

 その上で、資料十二ページと十三ページに、三つ目の論点、制限の具体的方法に関する提案を掲げておきました。

 まず、資料十二ページの、解散権を行使できる場合を限定列挙する実体的制限ですが、これによって何が恣意的な解散なのかを判断する基準が生まれる意義は大きいと述べられています。しかし、その限定列挙に該当するかどうかは結局は内閣の判断に委ねられることになるのであり、恣意的解散の余地を排除することは困難といった批判もなされています。

 また、そもそも憲法改正によって、解散は、六十九条の場合や、これに加えて自律的解散の場合に限定すべきといった提案もなされているところです。

 次に、資料十三ページには、手続的制限に関して唱えられている二つの手法を掲載しました。

 一つ目は、内閣が解散権を行使しようとする場合には、衆議院に解散理由を示して、その解散に大義があるかどうか審議する機会を与えるというものです。もう一つの案は、解散決定から投票日までに一定の間隔を置かせることによって、与党に有利な不意打ち的な解散を抑制しようというものです。

 なお、資料十四ページには、緊急事態における解散権制限といった特殊な場面における解散権制限の議論をまとめておきました。

 ちなみに、緊急事態において解散権を制限することとした場合、内閣と衆議院との間のチェック・アンド・バランスの対抗手段として位置づけられている衆議院側の内閣不信任決議権についても同時に制限する必要があるのかどうかといった付随的な論点もあり、本審査会でもしばしば議論がなされてきたところです。

 最後に、資料十五ページを御覧ください。

 日本国憲法下でなされた二十六回の解散の一覧表ですが、これに関して四点、補足説明をさせていただきたいと存じます。

 まず第一点は、六十九条の内閣不信任決議案可決による衆議院解散は、網がけ部分の四例があること。第二点目は、これまでの解散は全て国会開会中に行われていること。閉会中にも解散できるか、またそれが適当かについては議論があるところです。第三点目は、解散詔書の朗読は本会議で行われるのが通例ですが、議長応接室に各会派の代表者を呼んで行われたことも三例ございます。最後の四点目としては、第二次小泉内閣で行われた二〇〇五年八月八日の有名な郵政解散は、衆議院では僅差で可決された郵政民営化法案が参議院で否決されたことを契機として衆議院が解散されたというもので、解散権行使が、内閣と衆議院との関係のみならず、参議院を含めた国会全体との関係においても問題となり得るとの大きな問題提起を含んだ解散で、これを憲法上どのように位置づけるべきか、議論がなされてきているところです。

 以上、本日は、衆議院の解散、特にその限界と制限の是非を中心とした議論について御報告をさせていただきました。

 御清聴ありがとうございました。(拍手)

枝野会長 ありがとうございました。

 以上で衆議院法制局当局からの説明聴取は終わりました。

    ―――――――――――――

枝野会長 これより自由討議に入ります。

 この自由討議につきましては、幹事会の協議に基づき、まず、各会派一名ずつ大会派順に発言していただき、その後、各委員が自由に発言を行うことといたします。

 それでは、まず、各会派一名ずつによる発言に入ります。

 発言時間は七分以内となっております。

 質問を行う場合、一度に答弁を求めることができるのは二会派までとし、一回当たりの発言時間は答弁時間を含めて七分以内となりますので、御留意願います。

 発言時間の経過につきましては、おおむね七分経過時にブザーを鳴らしてお知らせをいたします。

 発言は自席から着席のままで結構でございます。

 発言の申出がありますので、順次これを許します。山下貴司さん。

山下委員 自由民主党の山下貴司です。

 本日のテーマである衆議院の解散については、我が党において意見集約のための党内議論は行っていないことから、あくまで個人的見解として述べさせていただきますが、結論から言えば、衆議院の解散については、主権者である国民の政治判断に委ねるべき事柄であり、それに先立って一律に法的に制限することは、日本国憲法の憲法実行の点からも、民主主義の原則の観点からも、そして国際比較の観点からも、慎重であるべきです。

 まず、憲法実行について、日本国憲法下では、これまで二十七回ある衆議院の総選挙のうち、任期満了による選挙は一度だけであり、近いうち解散と言われた民主党野田政権下の解散を含め、ほとんどがいわゆる七条解散です。内閣による七条に基づく解散はもはや日本国憲法上確立されており、学説もこれを認めるのが通説です。

 民主主義の原則の点からは、解散自体は民意を問う行為であり、むしろ民主主義に沿うものであります。憲法学の大家である佐藤幸治京大名誉教授が指摘するように、政治的問題により国会での統一的意思形成に支障を生じている場合などに、内閣が責任ある政策形成を維持するため解散によって国民の意思を問うことは、国民主権の趣旨に沿うとともに、内閣による責任ある政策形成を制度上可能にするものだからであります。

 政府も一貫して、内閣が衆議院の解散を決定することについて、憲法上、これを制約する規定はなく、いかなる場合に衆議院を解散するかは内閣がその政治的責任で決すべきものとしています。

 もちろん、解散について法的制約を念頭に置いた議論がないわけではないことは先ほどの法制局長の紹介のとおりでありますが、憲法学の大家である芦部信喜東大名誉教授は、解散は国民に対して内閣が信を問う制度であるからそれにふさわしい理由が存在しなければならないと述べ、一つ、内閣の重要法案や予算等が否決された場合、二つ、内閣の与党体制が基本的に変わった場合、三つ、総選挙の際に争点とならなかった新たな重大政策課題が生じた場合などを挙げ、内閣の一方的な都合や党利党略で行われる解散は不当であるとしています。

 しかし、注意しなければならないのは、解散権の行使にふさわしい理由の判断自体は基本的に内閣の政治的判断に委ねられており、その判断の当否についてはあるものの、法的責任ではなく、政治的責任のみを負うということであります。芦部教授も、法制局資料の八ページに言うような憲法習律上の制約があるとは言っておらず、解散の当否は最終的には国民の政治判断に委ねられていると述べています。

 解散批判で間々言われる党利党略に基づく解散、内閣の都合による解散かどうかは国民が選挙で判断することであり、実際に、解散の結果、議席を減らすことも間々あります。そうした国民の判断に委ねずにあらかじめ法律で縛ることについては、慎重でなくてはならないと考えます。

 諸外国の例を見ても、まずイギリスでは、法制局資料にありますように、二〇一一年、政権による党利的な解散を制限するため、内閣の解散権を制限する議会任期固定法を制定したものの、二〇二二年に同法は廃止され、再び、内閣が自由に解散を決定できる体制に戻っています。さらに、その際、解散の決定は裁判所で争えない旨の規定も盛り込まれ、解散権自体は純然たる政治判断事項であることが明らかにされました。法制局資料十ページで長谷部教授がイギリスを制約の例として挙げていますが、これは古い情報に基づくものと考えられます。

 フランスでは、大統領が下院に当たる国民議会の解散権を持ちますが、解散後一年以内に再解散はできないという制限はありますが、一年経過すれば、理由を問わず議会を解散できます。ただ、政治的リスクがあるために解散の事例が少ないというだけであります。

 米国は、大統領による連邦議会の解散はないものの、下院は二年間という短い任期で民意を問う制度となっており、日本の解散・総選挙による衆議院任期の平均が二年半程度であることを考えると、むしろ日本は、衆議院の解散制度により、米国下院と同等の民意を問う機会を実現しているとも言えます。

 ドイツでは、憲法に当たる基本法上、解散権を信任投票の否決の場合などに限定していますが、これは、ワイマール憲法下でヒトラーが政権掌握のため国会を解散して全権委任法を可決したなどというドイツ特有の歴史的経緯によるものであることに留意する必要があります。そのようなドイツでも、最近、少数与党内閣が、事態打開のため、不信任を前提とした信任投票を経て解散・総選挙を行っています。

 またカナダは、内閣の解散権には制限がないとされています。

 以上、俯瞰したとおり、憲法実行上も、民主主義の観点からも、国際比較上も、内閣による解散権について法的制限をつけることは慎重に検討すべきであります。

 重ねて言いますが、佐藤幸治教授の指摘のとおり、解散によって国民の意思を問うことは、国民主権の趣旨に沿うとともに、内閣による責任ある政策形成を制度上可能にするものであります。そして、解散の当不当、違法かどうかではなく当不当は、民主主義の原則からは、基本的には国民の政治審判を受けるべき事柄であり、イギリスも法律による制限を約十年後に撤回したように、国民の政治判断の機会をあらかじめ法律で縛ることには慎重であるべきであります。ましてや憲法上制限することについては反対であることを申し上げ、私の意見といたします。

 以上です。

枝野会長 次に、谷田川元さん。

谷田川委員 立憲民主党の谷田川元です。

 緊急事態であっても国会の機能を維持するため議員の任期延長が必要だとの意見が多く出されていますが、国会機能の維持がそれほど重要ならば、それを不全にする、時の内閣による衆議院解散の問題を優先して議論すべきではないでしょうか。

 二〇一四年、二〇一七年の安倍総理による解散は、どう見ても、今やれば勝てるとの判断の下、解散が強行されたと断じざるを得ません。二〇二一年十月の岸田総理による解散、さらに昨年十月の石破総理による解散は、自民党総裁選が終わった直後で、御祝儀相場のうちに少しでも早い方が有利との判断でなされました。

 しかし、昨年は与党の思惑どおりになりませんでした。憲法審査会の委員でもあった石破総理は、憲法七条による恣意的解散を度々批判していました。さらに、解散前に予算委員会を開いて国民に判断材料を与えるべきと言っていたのが、党首討論でお茶を濁す始末。そういった石破総理の言行不一致に国民がおきゅうを据えたと言えます。

 さて、これまで、日本国憲法下、二十七回の衆議院選挙が実施されましたが、任期満了選挙は一九七六年の三木内閣のときだけです。全てが任期満了で実施されたとすると、十九回で済みました。そうすると、一度も解散がなければ八回分の経費が節約できたことになり、一回の衆議院選の費用は約六百億円ですので、四千八百億円の税金が使われずに済んだことになります。果たして、これだけの大金を使うだけの大義があったのか。時の政権が権力を維持するために国民の血税が使われたのが大半ではないでしょうか。

 さて、二〇二四年の世界の政府総債務残高対GDP比を見てみますと、日本は二三六・六六%で、一位のスーダンに次いでワースト二位です。どうしてこれほどの借金大国になってしまったのか。私は、日本において頻繁に国政選挙が行われていることが大きな要因だと考えます。

 本来、総選挙で勝利した政党は、次の選挙までの四年間で公約に基づく政策を実現していくべきですが、現実には二、三年で解散・総選挙。加えて、参議院選挙まで政権選択の意味合いを帯びると、常に選挙対策優先になり、国民に負担を求める政策は後回しになりがちです。財政再建、少子化対策など長期的に取り組むべき政策が実現できない状態にあると思います。

 さて、与党の幹部や閣僚が、解散は総理の専権事項という発言を度々します。私はそれに違和感を覚えます。憲法や法律にそのような表現は一切ありません。

 専権という字を広辞苑で引いてみると、「権力をほしいままにすること。思うままに権力をふるうこと。」とあります。すなわち、専権事項というのは、口出し無用という意味です。

 五年前の委員会質疑で、当時の高市早苗総務大臣に解散について質問したところ、正当な理由のない恣意的な解散は望ましくなく、時の内閣がしっかりと政治的な責任を持った上で解散を行うと答弁されました。総理の専権事項という表現は一切お使いにならなかった。これは立派な見識だと思います。

 そこで、自民党と公明党に伺います。

 衆議院解散をテーマとして今日こうやって憲法審査会で議論しているわけですから、解散は総理の専権事項という表現は使うべきではないと思いますが、いかがでしょうか。答弁を求めます。

 お配りした資料を見ていただきたいんですが、これは、保利茂元衆議院議長、先ほど橘法制局長が述べられたその部分ですけれども、アンダーラインの部分を一部読みます。「現行憲法下で内閣が勝手に助言と承認をすることによって“七条解散”を行うことには問題がある。それは憲法の精神を歪曲するものだからである。」ちょっとワンパラグラフ飛ばしまして、最後の方を読みます。「特別の理由もないのに、行政府が一方的に解散しようということであれば、それは憲法上の権利の濫用ということになる。衆議院を解散するに当たっては、三権分立、議院内閣制のもとにおいてそうせざるを得ないような十分客観的な理由が必要なはずである。」、そういうふうに述べられております。

 そして、水田三喜男元自民党政調会長が沖縄解散・選挙の後の昭和四十五年二月の本会議で質問した、アンダーラインの部分を読みます。「国会議員の任期が保障されない限り、議員は常に選挙運動に追われて落ちつかず、国会の公正な審議と採決が常に選挙用のゼスチュアによって妨げられる実情も、決してゆえなしとは思われないのであります。」、そう述べていらっしゃいます。

 そこで、自民党と公明党にお伺いいたします。このお二人のお考えをどう受け止めるか、見解を伺います。

 私ども立憲民主党は、恣意的解散を抑制するための法案を準備しています。衆議院解散決定の手続等を定めたもので、内閣は、衆議院解散を決定しようとするときは、当該解散予定日及び理由を十日前までに衆議院に通告し、併せて、議院運営委員会における質疑を義務づけます。これにより、衆議院の解散が妥当なのか、総選挙の争点が何なのか、国民に判断材料を提供することになります。

 また、過去二回の衆議院選では、解散から選挙期日までが極めて短く、地方選管の準備が整わず、問題が生じました。そこで、あらかじめ中央選管が全都道府県選管の意見を聴取し、それに基づいた中央選管の意見の聴取後に内閣が選挙日程を決めることを義務づける内容です。

 この法案をしかるべきタイミングで提出することを考えていますが、是非、他の会派の皆さんと共同で提出したいと思いますので、御検討のほどよろしくお願い申し上げます。

枝野会長 質問をなさる場合には、答弁時間を含めて七分以内となっております。ただいま、残り十五秒ぐらいまで御発言になりました。

 御答弁はコンパクトにしていただければありがたいですが、まず船田さん。

船田委員 まず、解散は総理の専権事項であるという言葉でありますが、衆議院の解散権は合議体としての内閣にあることは当然であると思います。このことを前提とした上で、この解散は総理の専権事項であるという表現につきましては、総理が各国務大臣の任意の任免権を有していること、そして内閣を代表することになっている、このことを踏まえれば、一般的に用いられている表現である、これは決して間違いではないと理解をしております。

 もう一つ。保利茂、水田三喜男両大先輩の先生方のお考え、これはもっともであると思っております。過去の衆議院解散の事例においては、解散の理由を、例えば談話であるとかあるいは記者会見、そういうことで明らかにしてきておりますので、また、六十九条に匹敵する重大な事案があったということも当然あると思いますので、このお二人の考え方に沿って適切にこれまで解散権が行使されたというふうに理解をしております。

枝野会長 公明党さん。

浜地委員 短く。今、船田幹事が言われたとおりだというふうに公明会派としても思っております。

 以上です。

枝野会長 次に、青柳仁士さん。

青柳(仁)委員 日本維新の会の青柳仁士です。

 日本維新の会としては、衆議院の解散についての意見の集約というのは行っておりませんので、今日は私の個人的な見解として意見を述べさせていただきます。

 衆議院の解散権の根拠をめぐっては、憲法七条に基づき、天皇の国事行為として内閣の助言により行うとする七条説、内閣不信任決議に対応する六十九条の規定に基づくとする六十九条説、そして、本日も様々な御紹介がありましたが、制度の必要性から説く制度説など諸説あり、そのいずれも明確な定義を与えるものではありません。

 七条説は、実務上定着しているものの、内閣が政治的都合で自由に解散できる危険をはらみ、民主的正統性を損ないかねません。六十九条説は、不信任とひもづいていますが、現実の解散の多くは不信任とは無関係です。制度説も、法的根拠の曖昧さを免れません。その他の様々な学説に関しても同様に曖昧な点が多数残っているという状況であるというのは、今日の説明でもお分かりのとおりと思います。

 にもかかわらず、現状、解散権は総理の専権事項であるかのような、フリーハンドでの運用が実際にはなされております。

 これまでの憲法上の議論では、首相の独断的な、専断的な解散を防ぐために、合理的理由や政策的正当性の要件を課すべきだとの指摘がなされてきました。国会の多数を背景にした政権が解散を濫用すれば、議会制民主主義の根幹を揺るがしかねません。

 衆議院の解散権は、明確な制約と手続的要件を伴うべきものであると思います。現行憲法の文言だけでは、解釈に幅が生じ、政権の都合による恣意的な解散を容認する余地が残されます。したがって、解散権の発動要件と限界を憲法上に明文化することは、権力の濫用を防ぎ、国民主権と議会制民主主義を真に機能させるために重要なことであると考えております。

 こうした認識を基に、まず、この明文化ということの重要性について質問をさせていただきたいと思います。

 まず、枝野会長におかれましては、かつて、二〇一三年のある雑誌への投稿におかれて、御自身のお立場としては自衛隊の活動は制限すべきだというお考えであるということではありますが、それは必ずしも憲法改正に反対するというものではなく、憲法によって軍事的公権力行使に歯止めをかけようとするならば、その要件や限界を解釈の幅が少しでも小さくなるように明文化するほかはない、明文化せず解釈に依存しているからこそ、ずるずると自衛隊の活動可能範囲が拡大して、今後も更に無制限に拡大する可能性があるんだということを指摘されております。

 私はこの御意見に全く賛同するものでありまして、明文化しないからこそ、この解散権にしてもその他のことについても、解釈によって幅が広がってしまっているというふうに考えます。

 先ほど立憲民主党の委員の方からのお話にもありましたけれども、今憲法で議論されていることについて、その下位である法律で縛るということは実態上不可能であると考えておりまして、そういったことではなく、きちんと憲法上に明文化していくことこそが、まさにこの解散権を、真に御主張されている内容と同等の縛りをかけるのであれば、必要であるというふうに考えております。

 また、前回のこの委員会の中で話されていました臨時国会の召集期限についても、これも同様の見解を我々は持っておりまして、法律ではなく、基本的には憲法上に明文化していくことが必要だと思っております。

 こうした余り議論の余地のないような、明文化がやはり必要であると思われるような項目については、やはり憲法改正の条文案、明文化したものを案としてこの場に提示した上でその内容の是非について議論すべきと私は考えますけれども、これについての立憲民主党の御見解をお伺いしたいと思います。

枝野会長 立憲民主党、どなたが答えますか。

武正委員 御質問ありがとうございます。

 前回私の方からも申し上げましたように、臨時国会召集期限を明記する改憲なら検討の余地はあるというふうにお答えいたしました。また、首相の解散権の制約については、先ほど谷田川委員からも述べたように、憲法に書くのか、あるいは法律案というようなことも含めて、今日議論を深めたいというふうに思っております。

 なお、二〇一七年、この憲法審査会でヨーロッパに行ったときに、英国のEU離脱の国民投票について言われたのが、時の政権の是非が問われた結果、政権が進めたEU残留が否決されたということからも、どこの政党が進める改憲案ということではなくて、幅広く賛同を得られるテーマを見出すことではないかと考えます。

 条文案ということではありませんが、積極的にテーマを見出すことについては、協議したいというふうに思います。

青柳(仁)委員 ありがとうございます。

 明文化の必要性、そして条文を示すこと自体については少なくとも反対ではないというような意味だというふうに受け取りましたので、この場に是非、それぞれの政党の、今回の解散権、あるいは臨時国会の召集期限でも構いませんが、各党が考える条文、どういった条文が必要なのかということを示した上での議論ということが必要だと思いますので、これは立憲民主党さんも否定するものではないというふうに受け取りましたので、是非よろしくお願いしたいと思います。

 関連しまして、やはり条文化といいますと、さきの国会で、この委員会、大分進展したと思っております。最終的に条文起草委員会の立ち上げというところまで話が進んできたものが、今国会から、全くそれが、全く今までの成果がなかったかのように扱われております。

 こうした中で、五月三日の憲法記念日に、私、民間の憲法臨調と美しい日本の憲法をつくる国民の会の共催による公開憲法フォーラムに参加してまいりました。その際、席上にて、自民党の古屋圭司憲法改正実現本部長から条文起草委員会の必要性について強く訴えられていたとともに、賛同する各会派について、是非今国会でこれを実現したいということを席上でも訴えられておりました。

 私はこれに強く賛同の意をその場で申し上げたところでありますが、ああいった支持者の方々が見ている前だけで条文起草委員会をやるんだということを勇ましく言うだけではなく、やはりこの場で、実際にこれをつくるんだ、やるんだということを示すことこそが、有権者の方々あるいは支持者の方々に対する誠実な姿勢ではないかと私は非常に強く感じた次第であります。

 自民党にお伺いいたします。

 条文起草委員会、古屋憲法改正実現本部長がおっしゃっていたとおり今国会中に実現すべきと考えますが、お考えをお聞かせいただければと思います。

船田委員 お答えいたします。

 当事者の古屋議員がおられますので大変僭越でございますけれども、私から答えさせていただきます。

 大変、起草委員会の設定につきましては、とても建設的な話であって、私も賛同したいなと思っておりますが、確かに、条文一歩手前まで行った案件もあることは事実であります。しかし同時に、憲法改正については、全体のバランス、あるいは、各項目についてできる限り幅広く議論をしていく、そういう必要がございまして、その他の項目につきましてはまだまだ十分に議論が煮詰まっている状況にはないと理解をしておりますので、この点につきましては、やや慎重に考えざるを得ない、このように思っております。

 ただ、起草委員会の提案につきましては、私もできる限り前向きに考えていきたいと思っております。

 以上です。

枝野会長 ごめんなさい、時間が終わっています。

 次に、福田徹さん。

福田(徹)委員 国民民主党、福田徹です。

 私のホームページには、「誰かのための政治」というメッセージを書かせていただいています。私はこれまで、救急医として、毎日、自分ではない誰かのために働いてきたという自負があります。一方で、政治を見ていると、これは自分のためじゃないかとか、自分の周りの近い人のためじゃないかと思うことが度々ありました。私は、これからも自分ではない誰かのために働く人間でありたい、その決意を書かせていただいております。

 そして、我が国の根幹である憲法は誰のためなのか。憲法前文の四つの段落のうち、三つが日本国民は、一つが我々はから始まります。憲法というのは、我々日本国民のためのものと言って間違いないはずです。

 現在、内閣の助言と承認によって行われる衆議院解散という国事行為が、政府・与党にとって有利な時期に総選挙をするための手段になっていないか、その議論はあると思います。そして、日本国憲法の原則の一つである国民主権の実現にそれが資するものなのかどうか、それについて議論させていただきたいと思います。

 法制局にお尋ねします。発言の後にお答えいただけるとうれしいです。

 政府・与党にとって有利な時期に総選挙を行う手段として解散権が行使されること、これは日本国憲法起草時、想定されていたものでしょうか。そして、それは国民主権に資するものでしょうか。

 もし、恣意的な解散権の行使が国民主権に資するものでないとすれば、それを防ぐ仕組みが必要です。その手段として司法が解散の憲法適合性を判断することが挙げられますが、最高裁判所は統治行為論を採用してその判断を回避しています。そのため、現時点では解散権の濫用を統制する仕組みはありません。

 解散権行使に一定の制約を課すためには、二つの方法が挙げられます。一つは、解散権を行使できる場合を限定する実体的規制、もう一つが、解散に必要な手続で規制をかける手続的規制です。

 実体的規制には三つの形が考えられます。一つ目は、憲法の中に解散が認められる要件を入れること。二つ目は、極めて限定的なものとなりますが、第六十九条に書かれている「衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したとき」に限定するもの。三つ目は、第六十九条の内容に、国会自身が解散を決議した場合、いわゆる自律的解散を加えるものです。

 自民党委員の方にお尋ねします。これも発言の後にお答えいただければ大丈夫です。

 解散権を行使できない、若しくは抑制されているとしたら、議会運営上、何か問題があることがありますでしょうか。

 他国の例として、先ほど山下委員からもお話がありましたとおり、イギリスは、元々首相の政治判断で解散できる裁量解散制であったところ、二〇一一年に固定任期議会法を制定し、任期満了又は内閣不信任など一定の要件がなければ解散できない仕組みに移行しました。しかし、二〇一七年と二〇一九年に少数与党政権が続けて誕生して、法案が成立せず解散もできないという、政治が閉塞する事態が生じてきました。その結果、二〇二二年に超党派で合意し同法を廃止し、再び裁量解散制へと回帰しています。

 このイギリスの事例は極めて示唆的であり、確かに裁量解散制には解散権の濫用の課題がありますが、解散権を法律で厳格に制限すると政治的硬直を招くおそれもあることを示しています。

 とすると、解散が認められる要件を厳しく限定するよりも、手続的規制で解散理由を明確にすることが有効ではないかと考えられます。特に、実体的規制で一つ目の形、憲法の中に解散が認められる要件を入れる場合、それが抽象的な要件を入れた場合、実際の運用が現在と変わらないおそれがあります。

 そこで、手続的規制として、実際に解散を行う際に具体的な解散理由を明示し、これについて、国会においてその理由の妥当性について議論することが考えられます。それによって解散権行使の妥当性が国民の前に明らかになり、それをも踏まえて、国民は解散後の総選挙において意思を表明することが期待できる、これが国民主権だと思います。

 憲法を国民のためにするために、衆議院解散が国民のためになるものとするために、皆様と最善の議論を尽くしたいと思います。

 ありがとうございます。

船田委員 それでは、お答えをいたしたいと思います。

 六十九条の事態以外に解散権が行使できなくなった場合、あるいは制限された場合に何か支障がないかということですが、私は、やはり支障はあると思っております。

 具体的には、国会の審議が例えば長期的に停滞をする、動かない、そういうときに、それを打開する手段として使わなければいけないのではないかということ、あるいは、時の与党あるいは政府が、予算案、そしてそれに匹敵するような重要法案、こういったものが国会で否決をされる、そういうときに、やはり内閣として責任が取れないという事態にもなり、また、民意を聞かなければいけないということも制限をされるということになると、私は、国政の運営上、重大な制限がかかる、このように思っております。

 以上です。

橘法制局長 福田先生、御質問ありがとうございました。

 憲法制定議会において、ある議員から、我が国ではしばしば政略的な解散が行われてきたが、新憲法の下ではどうなるのかとの趣旨の質問を受けた金森徳次郎大臣は次のように述べています。

 衆議院の解散はその本質の意義、すなわち現在の衆議院が果たして国民の意思とぴったり合一しているかどうかということを特にはっきりさせる必要に基づいて、解散をして再選挙を促し、それによって目的を達しようという趣旨の場合にのみ用いられるものでありますと述べた上で、内閣の政略をもってこれを行うことは、この憲法の建前では実行的に意味を成さないことになっておりますとも述べております。なぜ実行的に意味を成さないのかというと、選挙後の新議院の開会の劈頭において内閣は総辞職をしなければならぬからであり、政略的なる行動を取る余地は残っておりませぬと述べています。ただ、この最後の部分については議論のあるところかもしれません。

 以上です。

枝野会長 次に、浜地雅一さん。

浜地委員 公明党の浜地雅一です。

 まず、解散権の在り方につきましては、公明党として、これまで党派としての見解を示しておりません。そこで、先日も党内議論を行いましたけれども、様々な意見が出、党としての統一見解までは至っておりませんので、そのことを踏まえた上で発言をしたいというふうに思っております。

 まず、解散の根拠につきましては、六十九条限定説というものがございますが、これについては、党内の多くでは妥当ではないという意見が多数を占めております。やはり、内閣不信任決議の場合以外にも衆議院を解散することが妥当である場面は存在するからであることが理由でございました。その点では、政府の見解や学説上の多数説と同じ考えが多数を占めたということであります。

 その上で、内閣の解散権の根拠につきましては、七条説と制度説の双方にはそれぞれ評価できる点があるという意見がございました。

 まず、七条説につきましては、条文上の根拠を明確に示すことができるというメリットがある、条文のよりどころがあるという点で、実際に制度を運用する政府がこの見解に立つのも納得がいくところでございます。

 その一方で、衆議院の解散という仕組みの根っこには議院内閣制という統治構造があることは当然の事実でございます。議院内閣制の重要な要素は、政府又は内閣と議会とのチェック・アンド・バランスでありまして、衆議院による内閣不信任決議権と内閣による衆議院の解散権の双方をセットとしたものとして、議院内閣制という制度から根拠づける制度説、これも理論的に筋の通った説明であるという意見がございました。

 それでは、解散権の行使には何らの合理的理由がなくてもできるのか、合理的な理由が必要かということであります。

 この点、先ほど自民党の山下幹事が述べられたように、現実の政治の世界の中でその時々の内閣が自らの政治責任に基づいて解散権を行使してきたのである、そのような運用はしかるべき評価を与えられるべきという意見が一部ございました。そういったこれまでの運用を解釈の後づけで大きく制限することはいかがなものかという意見もあったところでございます。

 一方、内閣が議会の信任の上に存在するものである以上、内閣が解散権を行使するに当たっては、やはり合理的な必要であるという意見もございました。とはいえ、合理的必要性を個別限定的、網羅的に列挙することはやはりそもそも困難ではないかという意見も多数を占めたところでございます。

 この点につきまして、学説上の有力説、芦部先生が提示をされておりますが、一つに、衆議院で内閣の重要案件が否決された場合、二つ目、内閣の性格が基本的に変化、内閣が基本的政策を根本的に変更する場合、三つ目、選挙の争点でなかった新しい重大な政治的課題に対処する場合、四つ目、議員の任期満了の時期の近接といった要件は、解散権の限界を類型化したものであり、一定の合理的理由に関する方向性を示したものではないかと思っております。

 これを過去の衆議院の事例に当てはめますと、二〇一四年の衆議院の解散は、消費税率の引上げの延期であったと思われます。また、二〇一七年の解散は、いわゆる幼児教育無償化に対する消費税の増税分の財源の使途変更であったと思われます。したがいまして、それぞれ、その前の、選挙の争点ではなかった新しい重大な政治課題に対処するためであったというふうに思われます。

 また、二〇二一年の解散、二〇二四年の解散は、それぞれ、首相の交代の直後でございますので、いわゆる内閣の性格が変化したことを理由としたものであるというふうに言えると思っております。

 最後に、手続的な制限としまして、内閣が解散の理由を説明するというのは一つのアイデアであるという意見がございました。現在は首相が解散の当日に記者会見を開いておりますが、解散の前に、解散の対象である衆議院議員に対してしっかりと説明をするという手続はあってしかるべきではないかという意見もあったところでございます。これも今後検討の余地があるというふうに思っております。

 いずれにしましても、解散権行使の在り方につきまして、引き続き党内議論を続けてまいりたいと思っております。

 以上であります。

枝野会長 次に、大石あきこさん。

大石委員 れいわ新選組の大石あきこです。

 本日の各会派の見解なんですけれども、個人的見解と言っている会派がすごく多いんですよね。与党の自民党と公明党、維新の方も、これは個人的見解やと最初に断って発言していて。

 これは枝野審査会長に聞きたいんですけれども、枝野審査会長がこの審査会の初めに、会派としての意見を言うようにということを言っていたけれども、与党も含めて、結局、これは何で個人的見解と頭につけるかというと、責任を持って発言できないからですよね、会派としての。後から、いや、あれは個人的見解でしたのでと言えるようにするためじゃないですか。だから、このような状況で毎週開くのはやはりおかしいんじゃないですか。あるいは、毎週開くのであれば、このように個人的見解と頭につけたとしても、これは会派の見解なんだよということで進めなければ議論にならないと考えますので、後で枝野会長にお答えいただきたいと思います。

 今回、解散がテーマなんですけれども、個人的見解とおっしゃった自民党の会派の意見としては、結局は、別に解散してもええやろみたいな中身だったと思います。そんなのはやっちゃいけなくて、法制局が本日お配りになった十五ページ目の資料の解散一覧においても、直近だけで見てもひどい解散をやっているわけではないですか、今日も幾つか出されたと思うんですけれどもね。

 直近の二〇二四年十月九日に解散して、十月二十七日に衆議院選挙があったわけですけれども、そのときだって、能登に補正予算もつけずに、しかも、そのとき解散しなくてもいいのに解散をやって、被災地の投票率も下がるという結果になっていて、その検証も十分ではないですよね。報道だけでも、十月九日に解散、これは言われていたことで、県内でその日に選管が各自治体を集めて説明会をしたんですけれども、特に被災がひどかった輪島市、珠洲市の両市は欠席だったという報道です。投開票においても、投票所を閉鎖するということも多く取られまして。

 だから、そういう勝手な解散を、しかも、別にいいやろみたいな形でやり続けるというのはやはりあってはならなくて、二〇二四年だけではなくて二〇二一年も、前回のテーマで、臨時国会を野党の求めに応じて召集せえへんかったというテーマでも言及しましたけれども、二〇二一年に岸田内閣の解散でも、臨時国会は開かぬし、開いたら勝手に解散するしという、今のそういう内閣の在り方、自公政権の在り方こそ問われるべきだと考えます。

 このことに関して、手続的な法律で解散に十分な説明が要るようにするということは必要なんだとは考えますけれども、やはり、それにしても、過去の事例、やってはいけない解散だったり、臨時国会を開かないだったり、そういうことからちゃんと学んで熟議していくということがこの憲法審査会でも必要なんですけれども、どうもそれが放棄され、開き直られていると考えるんですね。

 このような態度が続くというのはどういうことが起きるかというと、これは憲法改正の議論にとっても本当に重大な悪影響なんですよ。そもそも、今、憲法改正、本日も起草せえとかいう発言がありましたけれども、狙ってはるのは任期延長改憲なわけじゃないですか。

 これ自体は、過去の教訓でいえば、まさに内閣と衆議院の居座りを許して任期を延長した一九四一年、それが開戦につながった、間違った戦争につながったわけですから、それはやっちゃいけないよという設計図を埋め込んだのが現憲法であるにもかかわらず、この審査会においても、そういう、内閣、衆議院の居座りを許して開戦までやっちゃったという過去の教訓に学ぶという議論は、少なくとも改憲派の方々は一度もやっていないはずですよ。そういう開き直りというのが随所に見られて、熟議ならぬ内容で進んで起草とか絶対やっちゃいけないでしょうということを言っているんですよ。

 例えば、三月十三日に、有志の会の方が、護憲派の方は立法事実の捉え方が限定的だというふうに否定的におっしゃったんですけれども、限定的じゃなくて、これは、過去の事例から学ぶことだけで十分ではないけれども、少なくとも必要でしょうという話であって、そういうことをやらないことが問題だよと言っているんですよ。

 ほかにも、十日に、国民投票法に関して、ファクトチェックの在り方、これはオフィシャル側がデマを流すことも、事実誤認を流すこともありますし、それで規制されたら駄目だという話の中で、それは誰が悪い、党が悪いと私は言っていないのに、維新の和田さんという方が、大石さんが言うように誰が悪い、党が悪いという話ではありませんとか、非常に主観的なことを言ってこられるわけなんです。そうじゃなくて、過去に既に起きた事例で検証しましょうということをずっと私は呼びかけているわけなんです。

 四月二十四日も、臨時国会を二〇二一年に八十日も召集しなかった、野党の求めに応じなかった、その具体的説明を上川委員に求めたところ、具体的説明がなかったから、そんなのでは駄目だ、国民への説明責任が果たせないということを申し上げたら、その隣にいる自民党の船田幹事が、私が感情的な価値判断に基づいた発言をやって、おかしいというふうに言ったんですよね。でも、それは内容がないし、主観的なのは船田委員であったと考えます。

 そういう主観的な主張の繰り返しで、任期延長改憲を手続的に毎週やって進んだとか言うのはやめていただきたいんです。

 今回、国民民主党さんに事前に質問通告を行っていたので、せっかくなので回答いただきたいんですけれども、その任期延長改憲のことで。

 話が崩れているでしょうと。さっき、起草も早くせえみたいな、維新の方がおっしゃったけれども、崩れているんじゃないでしょうか。特に、参議院の緊急集会七十日限定説というのが大きく崩れ、これは参議院と衆議院の自民でも崩れ、そしてここの中の改憲派の方々でも崩れていますよね。自民党は七十日限定説は取らない、目安だとおっしゃっていて、目安もおかしいんですけれども、目安だと言う人と、もうそれは駄目だと言っている方で改憲派が分かれているのに、起草なんかできないんじゃないんでしょうか。

 このずれはどこから来ているんですかということを国民民主党に質問しましたので、時間がたってしまったのでお答えいただけるか分かりませんけれども、お答えいただける範囲で。

 法制局にも今回質問したかったのですが、できなかったので、次の三分で質問を行います。

枝野会長 私に対しての申出がございましたが、これについては、後刻、幹事会で協議をいたします。

 国民民主党さん、どうされますか。

浅野委員 国民民主党の浅野です。

 今御質問いただきましたけれども、これまで、参議院の緊急集会の七十日間限定説等について、五会派の中でも意見が割れているのではないかという御指摘を今いただきましたが、私たちの方でも過去の議事録等を確認をさせていただきましたけれども、現時点では、大きくその認識がずれているとは考えておりません。

 一方で、参議院の緊急集会という準則を緊急時を理由に解釈を開いてしまうことは、立憲主義の観点からも避けるべきであるというふうに我々は考えておりまして、引き続きこの審査会の中でも議論を尽くしていきたいと思っております。

 以上です。

枝野会長 次に、赤嶺政賢さん。

赤嶺委員 日本共産党の赤嶺政賢です。

 今年は、戦後八十年を迎えます。かつて日本が起こした侵略戦争によって、アジア太平洋地域で二千万人以上、日本国民で三百十万人もの命が犠牲になりました。

 日本国憲法は、この侵略戦争への反省の下に制定されたもので、憲法九条の戦力不保持、交戦権の否認を始め、二度と戦争を起こさせないことを強く求めております。戦後八十年の今こそ、この日本国憲法の価値を確認し、現実の政治に生かすことが必要です。今日のテーマである衆議院の解散など国会と内閣の関係に関する議論も、こうした観点から考えることが重要です。

 戦前は、天皇が絶対的な権力を握り、議会は天皇や内閣の協賛機関にすぎませんでした。天皇主権に基づく独裁的な体制が戦争へと進む要因となりました。このことから、日本国憲法は、主権が国民に存することを宣言し、その権力は代表者が行使すると述べています。国民主権を確立した下で、国会を国権の最高機関と位置づけて権限を強化し、権力を統制することを要請しています。

    〔会長退席、船田会長代理着席〕

 日本国憲法が衆議院に内閣の不信任決議権を与えているのも、国会が内閣の横暴を統制することを求めているからです。

 さらに、憲法は、衆議院議員の任期を四年と明記しています。四年の任期を通じて、国民の負託に応え、その職責を果たすことが国会議員の責務です。

 その上で、憲法が不信任決議に対する内閣の解散権を規定しているのは、国会や内閣が民意を反映しているのか、その最終的な審判を選挙によって国民が判断することを求めているからです。選挙で示された民意に基づき、国会が新たな首相を指名し、その下で政治を進めることで、国民主権と民主主義を徹底しようというものにほかなりません。

 こうした憲法の制定経緯や議会制民主主義の原則を踏まえれば、多くの憲法学者が述べているように、内閣による衆議院の解散は無制限ではなく、ましてや党利党略による解散は認められません。にもかかわらず、自民党政権が権力の維持や選挙のために解散を利用してきたことは、憲法の趣旨に真っ向から反するものです。

 例えば、二〇一七年九月二十八日、当時の安倍首相は、臨時会の召集日に、その冒頭で国会を解散しました。安倍首相は、少子化問題や北朝鮮問題など国難に対応するためだと説明しましたが、その実態は、森友学園や加計学園の疑惑を隠すための、解散権を濫用したものだということは明らかです。

 六月二十二日に、野党は、森友、加計疑惑の真相解明のため、憲法五十三条に基づき、臨時会の召集を内閣に要求していました。ところが、安倍政権は、野党の臨時会召集要求に九十八日間にわたって応じず、ようやく召集した臨時会の冒頭で解散を宣言し、国会での議論を封殺しようとしたのです。

 憲法に基づく野党の臨時会召集要求を受け、当面の諸案件の審議を求めると召集を決定しながら、その冒頭で解散を表明するなど、余りにも国会を冒涜するものです。党利党略どころか、自らの保身のための解散にほかなりません。

 二〇二三年には、岸田首相が、解散について問われたのに対し、情勢をよく見極めたいなどと発言し、自ら解散風を吹かす下で、自民党からは、野党が不信任を出したら解散するなどと、脅しとも取れるような発言が相次ぎました。権力を維持するために解散を利用する岸田政権に対し、多くの国民や識者から、解散権を弄ぶなという批判が起きたのです。

 問題なのは、政府・与党の憲法に対する向き合い方です。解散権は首相の専権事項などと言いますが、そのようなことは憲法のどこを見ても書いてありません。自分たちの都合のよいように解散を利用する態度は、憲法の精神そのものを踏みにじるもので到底許されないことを強調して、発言を終わります。

    〔船田会長代理退席、会長着席〕

枝野会長 次に、北神圭朗さん。

北神委員 有志の会の北神圭朗です。

 解散権というのは強大な権力です。国民が選挙で選んだ衆議院議員全員を任期満了前に辞めさせるものであります。にもかかわらず、憲法には、どこがいかなる条件でこれを行使するのか、明確な規定がありません。

 ただ、地元の有権者と話をしていますと、首相の専権事項とか伝家の宝刀云々と普通に言われています。多くの国民は、選挙に勝ちやすいときなど自由に解散するのは、当然とまでいかなくても、制度上やむを得ないと考えているようであります。

 政府は、解散は内閣が政治的責任において決すべき事柄であり、憲法上、解散権の行使に関する制約はないとの立場であります。これと軌を一にする学説も、国民の意思に基づく政治の実現のためには、内閣に自由な解散権を認めた方がよいとしています。

 しかしながら、自由自在ということでは、英国が昔、王様の都合が悪くなったら議会を解散していたのと余り変わらないように思います。憲法上、任期というものが明確に定められている以上、原則として、その任期の間に公約を実現し、国政の課題を解決することが予定されています。また、権力の一極集中を防ぐことを趣旨とする三権分立の観点からも、内閣が衆議院を全く制約なく解散できるというのは首をかしげざるを得ません。こうしたことから、解散権に一定の制約があると考えるのが自然だと思います。

 一方で、同じ三権分立の観点から、第六十九条を根拠に、内閣は、不信任を突きつけられた際、総辞職する選択だけでなく、解散を通じて国政の行き詰まりや混乱を解決することも可能とされています。同時に、第六十九条の目的はあくまでも内閣の総辞職の規定にあり、その関連で解散という特定の場合を予想しているにすぎません。

 したがって、これに限定されず、不信任に近い事例、例えば、内閣が掲げる重要な政策が否決あるいは膠着状態に陥った際にも解散の余地があると考えられます。また、想定外の戦争や財政危機などの重大な事態が発生した場合、解散・総選挙を通じて国民の意思を示してもらわなければ、政権の民主的正統性が揺らぐこともあり得ます。これは、政策方針に限らず、総理が替わったり政権の枠組みが大きく変更されたときにも同じように考えられます。

 こうした考え方は、事務局の説明にもあったとおり、多くの学者さんが有力な学説として主張してこられました。政治家の立場からは、谷田川さんから話があったとおり、保利茂元衆議院議長の見解があります。

 さらに、論点が少し憲法そのものからそれるかもしれませんが、内閣と国会が一定の継続性かつ一貫性を持って仕事をする上で頻繁に解散することが果たして建設的なのかは、よくよく検討すべきだと思います。

 本審査会の配付資料の「主要国議会の解散制度」によれば、戦後、イギリスは二十二回、イタリアは十八回、カナダは二十六回、ドイツは四回、フランスは六回、そして我が国は二十六回、解散を行っていることが分かります。一見、一部の外国だって結構解散しているじゃないかと思われるかもしれません。しかし、これは各国における議員任期の期間の違いから生じる錯覚であります。

 試みに、以上の国のうち解散の多いイギリス、イタリア、カナダ、そして我が国に焦点を当ててみたいと思います。具体的に、それぞれの議員任期に対する平均在職期間及び平均在職期間率を計算すれば、任期五年のイギリス下院の平均在職期間は三年八か月で在職期間率は七三・六%。任期五年のイタリア下院の平均在職期間は四年四か月で在職期間率は八六・七%。二〇〇七年まで任期が五年、それ以降は任期四年のカナダ下院の平均在職期間は三年一か月で在職期間率は六六・一%となっています。では、我が国の衆議院議員の平均在職期間はどうかといいますと、平均在職期間は二年九か月で在職期間率は六九・九%となっています。

 この結果から言えることは、在職期間率の低さもさることながら、我が国の平均在職期間は三年にも満たず、諸外国と比較して頻繁に解散・総選挙が行われています。山下委員から米国の話もありましたが、あれは、大統領制とか下院、上院の役割の違いなど、単純に比較することはできないと私は思います。ドイツやフランスのように解散権がほとんど行使されない国と比較すれば、我が国の平均在職期間や在職期間率の低さは更に際立ったものとなります。

 確かに、総選挙を通じて国民の意思を問い、そこに示された意思に従って内閣の行動を決する意義は理解できます。しかし、平均して三年にも満たない期間で、特に中長期的な課題などに十分に取り組むことが果たしてできるのか。こうしたことからも、解散権の行使に一定の制約があってしかるべきだと考えます。

 本来は、為政者に、憲法の精神、民主主義の理念にのっとり、自分を律する姿勢を求めたいところであります。しかし、事、権力濫用の問題について、憲法は、その本質からして、性悪説に立つことを我々に要求しているようにも思います。例えば、憲法あるいは法律に解散の条件として限定列挙の形で書き込むことなども考えられると思います。

 先ほどから、英国が一回法律で制約をしてその後に廃止したじゃないかという話もありますが、あれは、具体的に見ると、下院の三分の二以上の条件というものがあって、これがジョンソン政権のときにあだになって通らなかったということで、必ずしも、それで法律に規定すべきではないということにならないというふうに思います。

 いずれにせよ、もう終わりにしますが、論点が拡散すると、解散権も大事ですが、何も成果が出ません。そういった意味で、やはり、今まで議論を重ねてきた国会の機能維持について早急に具体案を固めることが私は先決だと思います。

 以上、意見といたします。ありがとうございます。

枝野会長 各会派一巡の発言は終わりました。

 委員各位による発言に先立ち、前回の審査会の積み残しに対応したいと思います。

 前回、立憲の柴田委員より自民党及び公明党に対し、それから維新の阿部委員より公明党に対し御質問がございました。

 それぞれ御答弁をお願いいたします。

船田委員 柴田委員の質問にお答えいたします。

 柴田委員からは、平成二十九年、二〇一七年の臨時会召集の要求に対する当時の安倍内閣の対応、すなわち、先ほどもありましたが、要求の九十八日後まで臨時会を召集せず、召集日に衆議院を解散したために、特別会が召集されたのは実に百三十二日後である、これは憲法違反ではないかという質問でございましたが、時の政府は、臨時会で審議すべき事項などを勘案をして調整を続けていたと思われますが、そのために若干の時間を費やしたわけですが、結果として、召集のために必要な合理的な期間を超えない範囲内で召集を決定したもの、このように私どもは考えております。

 以上です。

枝野会長 公明党さんはございますか。

浜地委員 今、船田幹事と同じでありますが、平成二十九年六月二十二日でありますが、召集要求があったのは、いわゆる通常会が二十九年六月十八日、要は四日後の召集要求であります。いわゆる常会が終了してすぐの召集であったこと、また、召集要求が森友学園、加計学園の疑惑の真相解明であったことということでありますので、このときは、たしか理事長も証人喚問をされ、かなり森友、加計学園で議論が尽くされたと思っています。

 だから、このとき、新たな事実というものがあったのかどうか、そういったことも一つ判断の材料になろうかと思っておりますが、いずれにしましても、この召集要求につきましては、いわゆるインターバル規制を設けるかどうかという論点の想起になったのではないかというふうに個人的には思っておりますが、これについての見解につきましては、最後、船田幹事と同じということであります。

枝野会長 維新、阿部さんからのはありませんか。

浜地委員 前回、維新、阿部さんからの御質問、ありがとうございました。

 あくまでも、公明党の考え方は、憲法制定時に想定されなかった新しい理念、憲法改正でしか解決できない課題、これが明らかになれば必要な規定を加えていこうということでありますので、いわゆる加憲でございますので、そういった姿勢で取り組んでいきたいということでありますので、石破総理の発言について、決して我々の姿勢は矛盾するものではないというふうに思っております。

    ―――――――――――――

枝野会長 次に、委員各位による発言に入ります。

 発言を希望される委員は、お手元にある名札をお立ていただき、会長の指名を受けた後、御発言ください。

 発言は自席から着席のままで結構でございます。

 なお、発言の際には、所属会派及び氏名をお述べいただくようお願いいたします。

 発言が終わりましたら、名札を戻していただくようお願いいたします。

 また、幹事会の協議に基づき、一回当たりの発言時間は三分以内となります。質問を行う場合、一度に答弁を求めることができるのは二会派までとし、一回当たりの発言時間は全ての答弁時間を含めて五分以内となりますので、御留意ください。

 発言時間の経過につきましては、それぞれおおむね三分経過時、五分経過時にブザーを鳴らしてお知らせをいたします。

 それでは、発言を希望される委員は、名札をお立てください。

山口(壯)委員 自由民主党の山口壯です。

 衆議院の解散について、内閣と国会の関係、権力の抑制と均衡の観点から意見を述べさせていただきます。

 解散権の所在と根拠について、通説は七条説、すなわち、衆議院の解散に関する実質的決定も、憲法七条に言う内閣の助言と承認により行われるとするわけですが、これに対して、解散をすることができるのは六十九条所定の場合のみであるとする考え方も、もちろん一部にあるところです。

 議院内閣制及び三権分立の観点からするならば、権力の抑制と均衡の観点から、衆議院に不信任の権限があるのであれば、それに対応して内閣に衆議院の解散権が与えられているとする、いわゆる制度説の考え方には説得力があると思います。そして、この制度説も、解散の条文上の根拠は七条に求めるものです。

 その意味で、解散権の根拠としては七条に求めつつ、内閣と国会の関係について、権力の抑制と均衡の観点から、衆議院の解散について考えていく立場が妥当であると思います。解散を不信任の場合に限定する六十九条説は、権力の抑制と均衡としての解散権の行使場面としては狭きに失するように思います。

 次に、解散権に限界があるか、あるいは、解散権についての制限を制度化できるかについての論点について。

 内閣に全く自由な解散権を認めることは内閣に権力のバランスが傾くとして、そこに何らかの実体的制限を加えるというアプローチは、一つの考え方としてはあり得るかもしれません。

 しかし、配付資料八ページには、制限説として、解散が妥当とされる場面の類型化が試みられていますが、実体的制限をどのように文言化しても解釈の余地は残るのであって、解散権の実体的な制限の合理的な制度設計は難しいのではないかとの感を強くします。

 ちなみに、先ほどから言及のある解散制限の例としての英国での二〇一一年の議会任期固定法の制定、これは、十年余りで、解散制限の推進派であった労働党も賛成に回り、廃止されたという経緯があります。このことは、解散権の実体的制限を議院内閣制に組み込むことがいかに難しいかを示しているように思います。

 最後に、選挙困難事態における国会機能維持の議論において、選挙困難時は解散を禁止する一方で、緊急事態時にどうしてもの場合には内閣不信任案の議決を認めるべき旨の主張がありますが、衆議院による内閣不信任決議は認めるが内閣による衆議院解散は認められないというのでは、抑制と均衡のバランスを崩すことになり、この点については慎重に考える必要があると思います。

 以上です。

山花委員 立憲民主党の山花郁夫です。

 現在の七条解散の運用というのは、いわばアスリートが自ら号砲を鳴らすようなもので、非常に不公正なものではないかと思っておりますけれども、まず、現在の七条解散を前提として、でもというところから話を始めたいと思います。

 まず、以前、参議院の緊急集会に関連して、一票の格差あるいは議員定数不均衡について、将来効判決が出された場合というお話をいたしました。この場合、例えば、合理的期間を既に超えているとして、一年後には違憲という判断をしますというような判決が出された場合、是正措置が取られるまでは内閣は解散権を行使することができない、この局面では解散権は制約を受けるというふうに解釈すべきだと考えます。

 このこととは別に、五十四条は、解散の日から四十日以内に総選挙を行うことということを定めているだけですけれども、何日以上という制限があってしかるべきではないかと思います。

 この点、立法不作為に関するものではありますけれども、最高裁は、在外国民の選挙権を保障しないことが憲法違反だという判決をしています。この判決の趣旨からしても、在外国民の選挙権というのは可能な限り保障すべきと考えますから、解散そして総選挙が行われる場合においても、可能な限り在外投票の機会を確保すべきというのが憲法の要請だと考えるべきだと思います。

 二〇二一年、二〇二四年の総選挙は、解散から投票日までが十八日ほどしかなくて、二〇二四年の在外投票の投票率は過去最低を記録しました。憲法改正草案要綱の三月二日案では、解散の日を隔てる三十日ないし四十日の期間内に衆議院議員の選挙を行いとされていたことが参考とされてよいかと思います。

 なお、我が党の谷田川委員から、手続的な制約についてのプランを表明させていただきました。

 先ほど、船田委員が、首相の専権についてという文脈ではありますけれども、解散後に談話とか記者会見をしているというお話をしました。しかし、衆議院議員が一人もいなくなった状態で談話などを出すというのは、私どもは、明らかに国会軽視ではないか、解散の決定をする際にはしっかりと国会に対して説明を求めるということがあってしかるべきではないかと考えているということを申し上げて、意見とさせていただきます。

和田委員 日本維新の会の和田有一朗でございます。

 解散権については、必ずしも党としての結論が出ているわけではありませんので、以前から思うところを述べたい、そして質問したいと思います。

 解散権について、法制局長から説明をいただきました。

 当事者の実感としては、解散権を与党内部の規律維持や野党への牽制、要するに、保身や脅し、政治闘争のための道具であったり駆け引きの道具にしてしまっているのではないかというのが正直な感想です。野党は不信任案提出を、総理は解散を武器に、チキンゲームのように政治的闘争を繰り広げる、政党の御都合と総理による国民不在の年中行事。議員にとっても、精神的にはふらふらになってしまって、よくないと思います。さきの岸田総理のときなど、弄ばれた解散風に吹かれて精神的にふらふらになったのは私一人ではないと思います。

 我々は、憲法上、四年の任期という前提で国民の方々から選ばれているにもかかわらず、総理大臣の思惑一つで、その民意を根本から覆してよいのか。これは有権者にも失礼だと私は思います。

 地方議会出身者から見てみると、地方議会ではほとんど解散がないため、実に計画的に落ち着いて政策課題に取り組んできたような気がいたしています。予測できない解散があると、腰を据えた議論、政策課題への取組が地に足をつけてできないのではないでしょうか。常在戦場といえば聞こえはいいですけれども、絶えず選挙に追われ、本来すべき仕事がなおざりになっていないか、そう考えるのは私一人ではないと思います。

 議員活動では議員外交も重要です。私は多くの海外との友好議連に入っていますが、来日された議員や閣僚からその国への訪問を求められるということがありますが、その招待にお応えしていいのかな、もし解散したら身分を失って行けなくなって失礼に当たるのではないか、そんなふうに思うときもあります。

 ここから質問をしたいと思うんですが、専門の研究者として研究しているわけではありませんけれども、興味があるので絶えず関心を持って海外の事例を見ていますが、先ほど北神委員が発言されたことにもありますが、議会が政局の都合で解散されるということは余り見ませんし、このように、政争や駆け引きの道具として政局に解散を活用している例も見ません。こういったことから、私は、解散権には一定の制約が課されるべきだと考えています。

 そこで、法制局に伺います。海外では議会の解散はどのようになっているでしょうか。

 さらに、立憲の幹事の方に質問します。前回の私の質問に対して、臨時会召集期限単独での改憲には消極的なお答えだったと思いますが、そうであれば、例えば、総理大臣の恣意的な解散を制限することを含めたパッケージでの国会機能維持のための憲法改正ならば、立憲さんも前向きではないでしょうか。いかがでしょうか。

武正委員 和田委員、御質問ありがとうございます。

 青柳委員へのお答えを繰り返すことになると思いますが、決して消極的ではなく、積極的に議論しましょうというスタンスであります。パッケージということは、複数の項目について協議ということと理解をいたします。国会の機能維持、さらに国会の機能の強化という視点であれば、例えば予算あるいは予算修正、あるいは財政規律などを含めて、可能性は様々あるのではないかというふうに考えます。

 あわせて、参議院の議論を意識するべきであるというふうに考えます。例えば、衆議院の解散の制約は衆議院中心で議論を、参議院の緊急集会の議論は参議院中心で議論をという役割分担もあるのではないでしょうか。

橘法制局長 和田先生、御質問ありがとうございます。

 詳細は、お手元配付の資料、参考1を御覧いただくとして、ごく短くお答え申し上げます。

 まず、イギリスの議会任期固定法の制定とその廃止の経緯については、本日、各先生方が御発言されたとおりかと存じます。

 次に、ドイツでは、制度上、解散権は首相が任命されない場合等に限定されているほか、不信任案も後任首相を選出してから行われる、いわゆる建設的不信任制度ですので、不信任案可決による解散はできず、一九四九年の現行憲法下での解散は僅か四例と言われています。

 他方、フランスでは、制度的には解散権はほぼ自由ですが、一九九七年のシラク大統領による解散が与党の御都合主義の解散であるとして、フランスでは初めてのイギリス式解散だなどとの批判にさらされたようで、その結果、与党の大敗北を招くなど、政略的解散に対する国民の目は厳しく、一九五八年の現行憲法下での解散は僅か六例となっているようです。

 以上です。

井野委員 自由民主党の井野俊郎です。

 本日議題となっております解散権の法的制限の是非について、私は、否定的な立場で、以下理由を申し上げます。

 まず、昨今の政治情勢、経済情勢からして、適時適切に民意を問う必要性がますます高まっていることについてであります。

 現在、ITなどの科学技術の発達によって社会の変動速度は速くなっております。また、SNSなどのネットメディアなどの発達によって多様な意見が即時に共有されやすくなっており、そういった選挙時とは異なる民意を的確に議会に反映する必要性も高くなっております。こういった民意を問う必要性という点からも、解散とそれに続く総選挙を法的に制限する必要性は少ないと考えております。

 むしろ、例えば内閣の支持率低下やスキャンダル等により国政が停滞している際、政治課題に内閣が的確に対処することができない状況が生じることが多々あり、このような政治状況下において、総選挙による民意を問うことで政治課題を前に進めるということも考えられますので、政治課題解決のためにも解散制の必要性はあるものと考えております。

 なお、かかる状況において、不信任が成立するので六十九条解散があれば十分ではないかとの指摘も考えられますが、政府・与党が国民に信を問おうとしている際に不信任を受忍するということは、政治状況や選挙戦略としても余り現実的ではないのかなというふうに考えております。

 また、過去、不信任が成立する政治状況においては総理はこれまで潔く辞職してきたという日本人的意識も根底にあるものと考えられます。

 仮に六十九条に制限したとしても、政府・与党が一方的に不信任を提出、可決させることは可能でありますので、制限が実質的に解散権の制限になるというふうにはなかなか考えられないのではないかなというふうに考えております。

 さらに、先ほど、不必要な選挙によって選挙費用が無駄になったというような主張もございましたけれども、選挙というものはそもそも国民の民意を示すものであり、無駄な国民の民意というものはあり得ないというふうに考えております。選挙費用が無駄という主張は、まさに民意そのものを冒涜する、無駄な民意だということの主張とも考えられますので、これは妥当ではないというふうに考えております。

 そこで、過去、本審査会において解散権の濫用について何度か言及している立憲民主党にお伺いいたします。

 前回の審査会で、山花幹事は、臨時会召集要求が濫用されるのでないかとの指摘に対して、少数会派による濫用のおそれは、法的ルールによるのではなく、民主制の過程、具体的には選挙に委ねるのが適切と主張されております。この考え方は、まさに内閣の解散権にも当てはまるのではないでしょうか。すなわち、解散権の濫用との評価があれば、直ちに実施される総選挙という国民の審判に委ねるのが適正であると考えますが、見解を求めます。

山花委員 立憲民主党の山花郁夫です。

 御質問ありがとうございます。

 立憲主義の肝というのは、多数者支配の民主主義、マジョリタリアンデモクラシーから人権であるとか少数意見を守るというところにあると思います。臨時会の召集要求というのはまさに少数会派の要求でありますから、これを最大限尊重するというのは立憲主義の精神から適切だと思います。

 一方、議院内閣制の下での解散権の制限という議論は、まさに多数派による権力の濫用のおそれに対する抑制ということですから、構造が全く異なるものであって、御指摘は当たらないと考えます。

武正委員 武正公一です。

 解散権の制約について意見を申し述べたいと思います。

 第五十回衆議院議員選挙は、総理就任後最短の解散、衆議院の解散から公示までの日時が戦後二番目に短く、投票整理券、投票入場券が手元に届くのも過去最も遅れたことから、私のさいたま市では、横浜市と同じく、政令指定都市では一番遅い公示後九日目、十月十五日公示、十月二十三日水曜日に届いたことにも表れています。

 通常、公示後の最初の土日は期日前投票に行く人が多くなるので、その前に投票整理券が届くのが望ましく、九日目となれば、公示日、火曜日の翌週の水曜日となり、さいたま市では前回より期日前投票数は減りました。

 これも、石破総理による衆議院解散は、予算委員会も開かず、また解散から公示までの日数も短く、市町村選挙管理委員会も準備が間に合わないなど、有権者の参政権を著しく侵していると言わざるを得ず、解散権の制約を含め、解散の説明を国会で行うなどの工夫が必要だと考えます。

 なお、二〇一七年、衆議院憲法審査会の欧州派遣時に、キャメロン元総理が、私自身は、任期を五年に固定することは、政権が安定し、首相が五年間の計画を立てることができるのでよいことだと思うと派遣団に述べた経緯がございます。

 議会任期制限法は、二〇一一年、キャメロン政権時に導入され、五年ごとの選挙以外では下院の三分の二以上の賛成がないと解散できないとしたものの、二〇二二年に廃止されましたが、英国でも首相の解散権の制約が具体化したことは検証の余地があると考えます。

 二〇一四年、今のうち解散と言われた安倍元総理による衆議院解散・総選挙後の翌年五月七日、憲法審査会で民主党を代表して私から解散権の制約を掲げたのは、国会が国権の最高機関として、国民主権の下、その機能を充実すべき、強化すべきという視点に立っていたことも申し述べておきます。

高市委員 自由民主党の高市早苗でございます。

 冒頭の各会派一巡の御発言内容について申し上げます。

 先ほど、我が党の古屋委員の外部の会での御発言につきまして、その発言内容は是としながらも、支援者の前では勇ましいことを言いながら、国会では憲法改正案を審議できていない旨に言及された会派があったと思いますが、古屋委員には何の責任もございません。

 私自身も、政府から国会に戻ってきて所属委員会を選ぶに当たりまして、憲法審査会では緊急事態条項についてかなり議論が深まっているということを知りまして、条文の検討作業に関われることを楽しみに、この審査会に参加をいたしました。ところが、その気配がございません。先ほど、自民党の船田幹事の御発言に私自身はかなり落胆しているのですが、毎回議題が変わりまして、各党で何か条文案を持ち寄って議論するような機会を持てないということは残念に思っております。

 今後なんですけれども、この審査会の議題の設定につきましては、会派の合意を議題として持ち寄るのか、幹事と会長にのみ委ねられるのかということ。それから、先ほど指摘がございましたが、本審査会での発言内容、これは個人的な意見でよいのか、会派としてまとめた意見なのかということ。私は新人でございますので、是非とも幹事会で整理して、次回で結構ですので御教示いただけたらと思います。

 以上です。

枝野会長 ただいまの申出については、今後、幹事会で協議をいたします。

柴田委員 立憲民主党の柴田でございます。

 先ほど、平成二十九年の臨時国会召集要求についての私の質問にお答えいただきましたけれども、九十八日又は百三十二日もの期間を合理的とする十分なお答えにはなっていなかったと考えます。

 前回、松尾委員からも指摘されたとおり、憲法改正について議論する前に、過去の事例が今の憲法に違反していなかったかどうかをまず十分に議論を尽くすべきと考えますので、その点、会長にお取り計らいをお願いしたいと思います。

 以上です。

枝野会長 ただいまの申出については、今後、幹事会で協議をいたします。

大石委員 れいわ新選組、大石あきこです。

 枝野会長にお伺いします。

 質問要旨の出し方なんですけれども、前回ぐらいから、事前に質問要旨をできるだけ出してくれというルールに変わりました。私としては、この場で何度も打ち合いがあった方が議論が深まるからという意見はしていたんですけれども、それと逆やんとは思っていますよ。だけれども、質問要旨というのを事前に出す方がいいとなったので、前回ぐらいからそれを入れられて、ルールに従ってそれをやっているんですよ。

 今回、このテーマの前に、国民民主党と、あと、衆議院憲法審査会、法制局に質問要旨を出したんですね。国民民主党さんは今のようにお答えになっていただきました。

 このルールとして、憲法審査会事務局というのがあって、そこが窓口で、まず質問要旨を出すんですね。そこから、窓口として、各会派だったり法制局だったりというふうに開かれていくんですが、私の質問したかったことというのが、やはり参議院緊急集会の七十日限定説はおかしいでしょうという、それが結局、各会派内だったり衆参で一致していなくて、そこは崩れていますよねということが私は重大だと思っているんですね。任期延長改憲にとって、これは最大の矛盾点、ボトルネックであって、ちゃんと議論してそこを問うていく必要があると考えていたので質問したんですよ。国民民主党には行って答えてくれたんですけれども、法制局にというところで、私の秘書というか、間でのやり取りとしましては、事務局が、結論として、今の段階では答弁ラインは難しいと言ってきたんですよ。

 それは、私の質問通告は、衆議院法制局に、七十日限定説みたいな資料を出した、その資料がおかしいんじゃないかという趣旨のものなんですけれども、その質問については、まず、枝野会長、船田幹事、武正幹事にはそのことは言ったんだと。だけれども、今日の議題外なので、解散がテーマなので、テーマに沿った発言をという報告を受けて、現状、答弁ラインはこのような状況なので今の段階では難しいという報告を受けて、だから今回答弁をしていただけないというふうに私は認識するに至ったんですよね。

 これは、先ほど理事会があって、違うよ、特に質問権の制約はしていないよとおっしゃったんですけれども、このような手続上、やはり、事務局が窓口で、私、受け手からすると、質問を事前に通告したのにそれはテーマ外だから駄目だと言われたことになりますので、これの言った言わぬは問いませんが、再発防止、そのようなことにならないように運営をしていただきたいので、枝野会長に、どう考えるか、その再発防止を検討していただけるかということを御質問いたします。

枝野会長 まず、皆さんからは、できるだけ、他会派あるいは法制局、事務局等に質問がある場合には事前に御連絡を下さい、その方が議論が建設的になるということで、幹事会として、あるいは私としてお願いをいたしております。

 皆さんからの質問の御通告は事務局に出していただきます。事務局から答弁対象にも御連絡いただきますが、私や船田会長代理そして野党の武正筆頭等のところで、今、大石さんから御指摘ありましたとおり、今日のテーマとちょっとずれていますね、できればそれは避けていただきたいということで、今回は、私の責任で事務局に、できれば避けていただきたいということをお伝えをいただいたというふうに思っておりますので。

 ただ、先ほど柴田さんの御質問も前回の積み残しの話でございましたし、先ほど幹事会でも、質問自体を止めるものではないし、できれば避けていただきたいという御要請でありましたので、質問を止めるものではないと申し上げましたので、質問をしていただければいいんだというふうに思っております。

井野委員 先ほどの山花委員の反論に対して反論を一言だけさせていただきます。

 先ほど、権力の濫用であるという話がありましたけれども、日本国憲法が予定している権力の濫用というものは、国民の権利、自由を制限しないように、権力を縛るために憲法というものが様々な制限を、権力というものを縛っているわけでございます。すなわち、解散権というものはむしろ制度でありまして、むしろ、国民の権利である参政権の行使を促す、機会を与えるものであって、これは決して権力の濫用というものではないというふうに考えております。

 以上です。

枝野会長 予定した時間が経過をいたしました。

 これにて自由討議は終了いたしました。

    ―――――――――――――

枝野会長 この際、参考人出頭要求に関する件についてお諮りいたします。

 日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する件、憲法改正国民投票法を巡る諸問題、ネットの適正利用、特にフェイクニュース対策について調査のため、来る二十二日木曜日午前十時、参考人として東京大学大学院工学系研究科鳥海不二夫教授及び桜美林大学リベラルアーツ学群平和博教授の出席を求め、意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

枝野会長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

 次回は、来る二十二日木曜日午前九時四十分幹事会、午前十時審査会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午前十一時四十四分散会


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