第23号 令和8年6月25日(木曜日)
令和八年六月二十五日(木曜日)午前九時開議
出席委員
委員長 山下 貴司君
理事 安藤たかお君 理事 鈴木 馨祐君
理事 中根 一幸君 理事 長谷川淳二君
理事 鳩山 二郎君 理事 後藤 祐一君
理事 浦野 靖人君 理事 森ようすけ君
東 国幹君 衛藤 博昭君
大空 幸星君 岡本 康宏君
長田紘一郎君 金子 容三君
川崎ひでと君 河野 正美君
こうらい啓一郎君 坂本竜太郎君
佐藤 主迪君 平 将明君
辻 由布子君 中田 宏君
平井 卓也君 平沢 勝栄君
文月 涼君 松本 泉君
村木 汀君 山本 裕三君
若山 慎司君 渡辺 博道君
大島 敦君 長妻 昭君
黒田 征樹君 横田 光弘君
野村 美穂君 川 裕一郎君
高山 聡史君 畑野 君枝君
中村はやと君
…………………………………
内閣府大臣政務官 金子 容三君
内閣府大臣政務官 若山 慎司君
内閣府大臣政務官 川崎ひでと君
参考人
(日本大学名誉教授) 百地 章君
参考人
(桃山学院大学副学長・法学部教授) 江藤 隆之君
参考人
(中央大学法科大学院教授・弁護士) 野村 修也君
参考人
(武蔵野美術大学造形学部教授・学長補佐) 志田 陽子君
内閣委員会専門員 田中 仁君
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委員の異動
六月二十五日
辞任 補欠選任
井出 庸生君 辻 由布子君
大空 幸星君 坂本竜太郎君
川崎ひでと君 岡本 康宏君
古川 直季君 衛藤 博昭君
吉田 有理君 山本 裕三君
西田 薫君 横田 光弘君
塩川 鉄也君 畑野 君枝君
同日
辞任 補欠選任
衛藤 博昭君 東 国幹君
岡本 康宏君 川崎ひでと君
坂本竜太郎君 大空 幸星君
辻 由布子君 松本 泉君
山本 裕三君 こうらい啓一郎君
横田 光弘君 西田 薫君
畑野 君枝君 塩川 鉄也君
同日
辞任 補欠選任
東 国幹君 古川 直季君
こうらい啓一郎君 吉田 有理君
松本 泉君 井出 庸生君
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本日の会議に付した案件
国旗の損壊等の処罰に関する法律案(松野博一君外十六名提出、衆法第一八号)
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○山下委員長 これより会議を開きます。
松野博一君外十六名提出、国旗の損壊等の処罰に関する法律案を議題といたします。
本日は、本案審査のため、参考人として、日本大学名誉教授百地章君、桃山学院大学副学長・法学部教授江藤隆之君、中央大学法科大学院教授・弁護士野村修也君、武蔵野美術大学造形学部教授・学長補佐志田陽子君、以上四名の方々から御意見を承ることにいたしております。
この際、参考人各位に一言御挨拶を申し上げます。
本日は、御多用中のところ本委員会に御出席を賜りまして、誠にありがとうございます。本案について、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、審査の参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願いいたします。
次に、議事の順序について申し上げます。
まず、百地参考人、江藤参考人、野村参考人、志田参考人の順に、お一人十分程度御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑に対してお答えをいただきたいと存じます。
なお、参考人各位に申し上げますが、御発言の際にはその都度委員長の許可を得て御発言くださるようお願い申し上げます。また、参考人は委員に対して質疑をすることができないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。
それでは、百地参考人にお願いいたします。
○百地参考人 皆さん、おはようございます。ただいま御紹介いただきました日本大学の百地でございます。
専門は憲法学ですが、国旗損壊罪法案につきまして、賛成の立場から、所見の一端を述べさせていただきます。
時間が十分と限られておりますので、少々早口で失礼いたします。
一、国旗損壊罪の必要性について。
刑法二百六十一条には器物損壊罪があり、これによって国旗損壊行為を罰することは可能です。しかし、同罪では、他人の所有する国旗を損壊した場合は罰することはできますが、自己の所有する国旗を損壊した場合は罰することができません。
また、我が国には、外国国章損壊罪はありますが、肝腎な自国の国旗に対する国旗損壊罪は存在しません。これは独立した主権国家として明らかにバランスを欠いており、不合理だと思われます。それゆえ、国旗の尊厳を保護するためにも、速やかに国旗損壊罪を導入すべきであると考えています。
この点、G7諸国のうち、米国、フランス、ドイツ、イタリアには国旗損壊罪があり、米国では、国旗を故意に切断、損傷、汚染、床や地面に放置、踏みつけをした者に対し、罰金、一年以下の禁錮、又はその両方に処するとしています。それゆえ、我が国でも当然、G7諸国並みに国旗損壊罪を制定すべきではないでしょうか。
ちなみに、国旗損壊罪に反対する人々から、果たしてそのような法律を制定するための立法事実は存在するのかとの疑問が投げかけられていますが、国旗を損壊するような事例は実際に存在しています。
例えば、昭和六十二年の沖縄国体会場で、掲揚されていた日の丸を引き降ろし、ライターで火をつけ焼失させた事件。平成三年、富山大学の学生らが、日の丸の掲揚に反対して、大学正門に掲揚されていた国旗を引き降ろした事件。平成二十一年、鹿児島県で開かれた衆議院選挙のための集会において、日の丸二枚を切り張りして制作した民主党旗が掲げられた事例。さらに、近年では、令和七年、参議院選挙期間中に、参政党の街頭演説に抗議した者がバツ印をつけた日の丸を掲げた事例など、幾つか挙げることができます。
二、国旗損壊罪の保護法益をめぐって。
次に、国旗損壊罪の保護法益について考えてみたいと思います。
我が国では、日の丸、日章旗を国旗、君が代を国歌と定めた国旗・国歌法は存在しますが、国旗・国歌を尊重する義務はなく、国旗を保護する法律は存在しません。にもかかわらず、つい先頃まで、国旗・国歌法の制定にまで反対し、国旗掲揚時の起立に抗議した教員がいたり、職務命令による国歌君が代の伴奏を拒否し、裁判にまでなった教員までいました。それゆえ、このような異常事態を解消するためには、積極的に国旗を保護する法律が必要ではないでしょうか。また、今こそ戦後放置されてきた諸問題を解決する一環として、国旗損壊罪の制定は必要と思われます。
この点、国旗損壊罪法案では、保護法益として国旗を大切に思う国民感情を挙げています。もちろん、これに異論はありません。しかし、更に言うならば、国旗に象徴される国の威信と名誉こそ本当の保護法益ではないでしょうか。そして、国旗損壊罪の保護法益が、自国の国旗を大切に思う国民感情だけでなく、国旗に象徴される国の威信と名誉も含むのであれば、行為者の意図、目的も問題とするのが自然ではないでしょうか。報道によりますと、行為者の意図や目的を問題とせず、国旗損壊という行為のみを問題としたのは、憲法が保障する思想、良心の自由との関連で問題が生じないよう、あえて避けたのではなかろうかと推察されます。
しかし、もしそうだとするならば、そのような消極的な態度は疑問であります。というのは、現に、現行刑法では、外国国旗損壊罪が、外国に対して侮辱を加える目的で外国の国旗を損壊した場合にこれを罰するとしているのですから、自国の国旗損壊罪についてのみ、行為者の意図、目的を不要とするのはいかがなものでしょうか。
言うまでもなく、国旗は、国家の象徴で、国家の尊厳の象徴であります。それゆえ、世界の多くの国々が、国旗を保護すべく様々な措置を取っています。我が国の外国国旗損壊罪も、外国の国益を守ることがそもそもの立法理由でありました。にもかかわらず、自国の国旗を保護するための法律が存在しないというのは、明らかにバランスを欠いており、本末転倒だと思います。
ちなみに、国旗損壊罪に反対する人々は、刑法第四章は「国交に関する罪」となっており、第九十二条の外国国章損壊罪の目的は円滑な外交関係の維持にある、それゆえ、保護法益が異なるのだから、この章に国旗損壊罪がないのは当然であると主張してきました。しかし、平成七年に刑法が改正されるまでは、第四章は外国に対する罪となっており、円滑な外交関係の維持だけが目的ではありませんでした。つまり、外国の国益を侵害するような行為、例えば外国に対する私的な戦闘行為の予備、あるいは交戦国に対する中立命令違反等も処罰の対象としていました。
つまり、第四章は元々、外国の国益に対する侵害行為を処罰するものでありました。そして、外国国章損壊罪も究極的には外国の国益を守ることが目的でありました。この点、国旗損壊罪も、国旗に象徴される国の威信と名誉、つまり国益の保護にあると考えられますから、外国の国益か自国の国益かの違いはあれ、国益の保護という点で共通していると思われます。
三、国旗損壊罪と表現の自由。
我が国では、国旗損壊罪というと、米国の国旗焼却事件、これを持ち出して表現の自由を侵害するものであると批判する人々が少なくありません。確かに、米国では、国旗の焼却を処罰する州法が連邦憲法の保障する表現の自由に反するとの理由で、被告人が無罪とされたことがあります。しかし一方では、連邦議会において、国旗の冒涜を禁止すべく、何度も憲法の修正、改正が試みられているのも事実であります。
また、表現の自由が大切であることはもちろんですが、米国と我が国とでは表現の自由に対する考え方や保障の範囲に多少違いがあるのも事実です。例えば、アメリカではヘイトスピーチの取締りさえ表現の自由に反するとされています。これに対して、我が国では、ヘイトスピーチ解消法が制定されています。それゆえ、米国の例だけ持ち出して一方的に国旗損壊罪に反対するのは疑問であります。この点、我が国で国旗の焼却まで表現の自由に含まれていると考えている国民が果たしてどれだけいるのか、正直疑問に思われます。
更に言えば、米国では、国旗焼却まで表現の自由に含める一方で、全ての国民に対して国旗・国歌を尊重するよう法律を定めています。合衆国法典第三十六編第十章愛国的慣例。それだけでなく、公立学校においては毎朝、国旗に対する忠誠宣誓を行っています。これに対して、我が国では、国旗・国歌法が存在するだけで、国旗・国歌を保護し、尊重する義務を定めた法律など存在しません。このように、彼我の違いを無視し、米国の突出した国旗焼却事件だけを持ち出して国旗損壊罪は表現の自由を侵害するものであると批判するのは、明らかにバランスを欠いているのではないでしょうか。
ちなみに、金沢工業大学大学院の伊藤俊幸教授によりますと、表現の自由の在り方について、米国と欧州諸国とでは制度が異なるとのことです。伊藤教授によれば、米国は表現の自由を最優先価値とし、国家の象徴に対する否定的行為であっても、政治的意思表示である限り原則として保護しています。これに対して、ドイツ、フランス、イタリアなどの欧州諸国では、表現の自由を前提としつつも、公共の平穏や社会秩序を侵害する場合には一定の制約を認めると言います。このように考えた場合、我が国でも、表現の自由について、公共の福祉による制約が認められていますから、むしろ欧州諸国に近いのではないでしょうか。
この点、国旗損壊罪法案では、表現の自由を侵害することのないよう、公然と国旗を損壊し、除去し、又は汚損する行為、つまり、通常、犯罪的行為とみなされる行為のみを問題としていますから、この法律が正しく運用、適用される限り、表現の自由の侵害には当たらないと思われます。
このように、そもそも法案に言う国旗損壊行為は表現の自由の範疇外にあると思われますが、それに加えて、同法案では、国旗損壊行為が人に著しく不快又は嫌悪の情を催させるような方法で行われたときに限定しています。その上、その方法に該当するかどうかの判断は、行為の外形、周囲の状況その他の客観的な事情を総合的に勘案すべしとし、さらに、この法律の適用に当たっては、表現の自由その他の日本国憲法の保障する国民の自由と権利を不当に侵害しないように留意しなければならないとまで定めています。それゆえ、本法律が保護されるべき政治的表現の自由の侵害に当たらないことは、間違いないと考えております。
終わりに、国旗・国歌は、国家の象徴であり、国家の尊厳の象徴です。であれば、国旗損壊罪の制定をきっかけに、そもそも国旗とは何か、国家とは何かといった問題について国民が真剣に考えてみる必要があるのではないでしょうか。国旗損壊罪の創設がそのきっかけになることを願っています。
以上、本法律が速やかに成立することを期待しまして、私の意見陳述を終わります。
御清聴ありがとうございました。(拍手)
○山下委員長 ありがとうございました。
次に、江藤参考人にお願いいたします。
○江藤参考人 ただいま御紹介にあずかりました江藤でございます。
本日は、意見を述べる機会をいただき、誠にありがとうございます。
刑法研究者の立場から、理論面と、制定後に予想される適用面について意見を申し上げます。
まず、理論面です。
刑罰法規を新設する場合には、単にその行為は望ましくないというだけでは足りません。刑罰は、国家が個人に科す最も強力な制裁であり、用いるには、必要性、相当性、処罰範囲の明確性が求められます。ここで問題となるのが、立法事実です。
立法事実とは、法律の必要性を基礎づける事実であり、目的だけでなく、手段の合理性も含みます。つまり、刑罰の新設によらなければ解決できないという事実が必要となります。
例えば、他人の所有する国旗を損壊した場合には、現行法においては器物損壊罪となり得ます。また、建物に侵入して国旗を損壊したような場合には、建造物侵入罪で対応します。さらに、業務妨害や侮辱などを伴う場合には、それぞれ既存の刑罰法規によって対応可能です。
そうすると、本法案が独自の意味を持つのは、主として、自己の所有する国旗を他人の業務を妨害等することなく損壊するという、自己所有物を用いた比較的穏当な表現を処罰するときのみということになります。そうすると、立法事実としてその必要性、相当性の説明は相当程度求められるはずでありまして、現在の説明では、依然、立法事実の説明が不十分であると考えます。
次に、保護法益についてです。
法案骨子では、保護法益を、国旗を大切に思う国民感情としています。確かに、感情を法益とする規定は現行刑法にも存在します。しかしながら、感情法益の曖昧さや、今回法案が規制する対象が民主社会において重要な表現の自由であるということに鑑みると、単に国民感情というだけでは保護法益として不十分であると考えられます。刑法学では、社会倫理を守るためだけに刑罰を使ってはならないという意味で保護法益が重視されているのですけれども、今回の法案が社会倫理を超える法益を示せているかについては、なお疑問が残るところであります。
次に、客体の問題です。
国旗・国歌法は、国旗を日章旗と定め、その制式を定めています。しかし、法案第一条に規定されている客体の規定は、制式から外れるものを含む趣旨であると解釈されます。そうすると、国旗損壊ではなく、国旗のようなもの損壊を処罰することになり、客体が不明確となり、罪刑法定主義上の問題が生じるように思われます。
行為態様の規定についても同様の問題があります。
法案は、人に著しく不快又は嫌悪の情を催させるような方法により、公然と国旗を損壊等した者を処罰対象としています。公然ととは、刑法においては、不特定又は多数人が認識し得る状況を意味するとされています。そのため、配信やSNS投稿にも公然性が認められ、政治的抗議や芸術的表現との境界が曖昧になります。立法の議論や骨子において対象ではないと説明されていても、制定された条文がこれらを含み得るように解されるのであれば、これらを処罰対象に含む可能性があります。
また、人に著しく不快又は嫌悪の情を催させるという表現も曖昧です。何がこれに当てはまるかは、受け手の価値観によって決まります。特に、国旗に関わる表現は政治的な意味を帯びやすいものです。そのような領域で、不快感や嫌悪感を処罰範囲を画する概念として使用すると、特定の思想傾向の表現のみを処罰することにつながりかねず、問題があると思われます。
次に、制定後に予想される適用面について申し上げます。
ここでは、既存の外国国章損壊等罪との比較が参考になります。刑法九十二条は、外国に対して侮辱を加える目的で、その国の国旗その他国章を損壊等した場合を処罰しています。
しかし、私が確認できた公刊裁判例、公刊されている裁判例の限りでは、有罪確定例は、明治四十年の制定以来、約百二十年間で一件にとどまります。その一件の事例においても、外国国章損壊について無罪とした地裁判決と有罪とした高裁判決とで刑の重さは変わっておりません。このことは、外国国章損壊等罪が実際上意味を持ってこなかったことを意味しています。
公刊された判例集で確認できる九十二条の有罪例は、先ほどの国章に関する一例のみであり、外国国旗を損壊して有罪判決が確定した事案は見当たりませんでした。恐らく存在しないか、存在しても判例集に登載されないような極めて例外的なものであると思われます。したがって、本法案の立法のきっかけとなった、外国国旗損壊は処罰されるのに、日本国旗については処罰されないという前提は、現実とは相当程度異なるものであると言えます。
このような実情からすると、日本国旗損壊罪は、外国国旗損壊とのバランスにおいては、実際には適用できないか、あるいは、日本国旗損壊を処罰するようになれば、これまで処罰してこなかった外国国旗損壊の処罰がバランス論として生じてくるかもしれません。
刑の重さについても問題があります。
学説上、他人所有の外国国章を損壊した場合は、器物損壊ではなく、より軽い外国国章損壊等罪が成立するとする有力な説があります。この解釈を本法案に当てはめると、日本国旗損壊罪が成立すると、他人所有の国旗を損壊した場合には、現行の器物損壊罪よりも刑が軽くなるということが起きます。
私自身はこの見解を取りませんが、その場合でも、他人所有の国旗損壊について器物損壊罪を超えて刑が重くなることはありません。
そうすると、他人所有の国旗については、いずれの見解を取っても、本法案の制定が実質的な意味を持たないか、あるいは、刑が軽くなるという逆効果を生じ得ます。結局のところ、本法案が独自の意味を持つのは、先述のように、主として自己所有の国旗を損壊する場面に限られますが、そうすると、表現の自由との緊張関係が高まり、検察官が公訴を提起するに当たっても相当に慎重な判断を要することになると思われます。
では、現実の適用が困難であれば、成立させておいて使用しなければ問題はないのかといえば、そうではありません。まず、表現の萎縮が考えられます。
刑罰法規は、起訴に至らない段階でも影響を及ぼします。例えば、国旗を用いたパフォーマンスについて相談を受けた法律家は、摘発される可能性はほとんどないと思いながらも、やめておいた方が安全であるとアドバイスをすることになると考えられます。刑事罰のリスクが僅かでもあれば、そのリスクを取るように勧めることは困難であるからです。国会で、芸術表現は対象外であると説明があっても、一般国民にとっては、通報されて警察が事情を聞きに来る可能性があるだけでも負担ですから、国旗を用いた表現は何であろうと控えようとすると考えられます。
また、立件できない事案でも、本法案が成立すると通報がなされ、現場の警察実務等に負担が生じる可能性が考えられます。例えば、デモの現場等で通報が相次ぎ、警察官になぜ逮捕しないのかと迫る者が現れれば、現場の負担は増してしまいます。
適用面から考えると、本法案によって期待される実益は極めて限定的なものである一方、表現の萎縮や警察実務への負担等、無視し得ない副作用が発生するものと考えます。
最後に、まとめます。
国旗に対する敬意は、社会において重要な価値であり得ます。国旗を損壊する行為に嫌悪感を覚える人がいることも理解できます。私もその一人であります。しかし、刑罰法規を新設するためには、単にその価値が重要である、嫌悪感を覚えるというだけでは足りません。刑罰による保護が必要か、既存の法制度で対応できないか、処罰範囲は明確か、表現に過度の萎縮を生じないか、現実の不都合を生じないか等、慎重に検討する必要があります。
本法案については、なお重大な課題が残されています。したがいまして、その審議については、廃案にすることも含む、より慎重な議論が求められるものと考えられます。
私からの意見は以上です。
ありがとうございました。(拍手)
○山下委員長 ありがとうございました。
次に、野村参考人にお願いいたします。
○野村参考人 皆さん、おはようございます。
中央大学法科大学院教授で弁護士の野村修也と申します。大学教員として法律学を教えまして今年で三十七年目、弁護士として実務に携わって今年で二十二年目となります。
本日は、国旗の損壊等の処罰に関する法律案に賛成の立場から意見を述べさせていただきたいというふうに思います。
なお、本日の私の意見は、二〇一八年から七年間にわたりまして、外国人技能実習機構の評議員として、外国人との共生社会の実現を目指してきた経験を踏まえたものでございます。
いわゆる国旗損壊罪につきましては、保護法益が不明確だ、あるいは、内心の自由や表現の自由に対する侵害になる、さらには、器物損壊罪があれば十分だ、立法事実がないといったような批判が見受けられます。そこで、それぞれにつきまして、私の意見を述べさせていただきたいと思います。
まず、保護法益についてであります。
刑法九十二条に規定されました外国国旗損壊罪は、侮辱目的で外国国旗を損壊する行為を放置すると、外国との間で外交問題に発展し、日本の国益を損なう危険性があるため、それを防ぐ目的で置かれていると説明されております。そのため、日本の国旗については、そもそも外交問題は生じないので立法は不要だという意見があります。
しかし、私は、日本の国旗に対する損壊罪には別の保護法益があるというふうに考えております。
そもそも、侮辱目的で外国国旗を損壊すると、なぜ外交問題に発展するんでしょうか。それは、国旗というものが、その国の国民統合の象徴であって、多くの国民が愛着と誇りの対象としているからではないでしょうか。そのため、侮辱目的で国旗を損壊する行為は、国民全体に対するヘイト行為として位置づけることができるわけであります。言い換えますと、国旗はヘイト行為の手段として用いられやすい存在だということに留意する必要があると考えます。
現行法上、外国の国旗を用いた外国人に対するヘイト行為は外国国旗損壊罪によって抑止されていますけれども、日本の国旗を用いた日本国民全体に対するヘイト行為は処罰の対象とはなっておりません。侮辱罪や名誉毀損罪は個人に向けられた行為を処罰するものであって、国民全体に対するヘイト行為は処罰できないからであります。
日本は、多様な背景を持つ人々との共生が必要な社会になっており、今後、更にその重要性は高まるでしょう。だからこそ、社会を民族や国籍で分断させないことは重要な保護法益であるというふうに考えております。
このように、ヘイト行為という観点から見た場合には、その手段として用いられる国旗が外国の国旗であろうと日本の国旗であろうと、区別することに意味はありません。外国国旗損壊罪を設けている国は自国の国旗に対する損壊罪を設けているのがほとんどでありまして、日本のように外国国旗損壊罪だけを設けている国はごく少数であります。その理由は、ヘイト行為という観点に着目すれば、双方の刑罰に共通する保護法益が存在するからではないでしょうか。
ヘイト行為の防止が重要な保護法益であることは、二〇一六年に制定された、いわゆるヘイトスピーチ解消法によって、既に法律上確認されているところです。また、それを受けて制定された川崎市の条例では、刑罰を伴う形でヘイトスピーチを禁止しています。確かに、これらの法令等は外国人に対するヘイトスピーチを規制対象にしておりますけれども、立法時におきます衆参両院の附帯決議では、日本人に対するヘイトスピーチも許されないことが確認されております。さらには、川崎市のホームページでも、そのことが何度も繰り返し説明されているところであります。
今回の法案を見てみますと、人に著しく不快又は嫌悪の情を催させるような方法により、公然と国旗を損壊し、除去し、又は汚損する行為を処罰対象としているのであって、これはまさに国旗を用いたヘイト行為だというふうに言うことができます。つまり、国旗損壊罪は、国旗を用いたヘイト行為による社会の分断を防止することこそ保護法益として位置づけられるものではないかと私は理解しているところであります。
次に、内心の自由や表現の自由との関係について考えてみたいと思います。
まず、今回の法律は、行為の外形、周囲の状況その他の客観的な事情を総合的に判断して処罰するものであり、そのことは第二条第二項に明記されているところであります。国旗を嫌うという内心そのものを罰するものではありませんし、国民に国旗を大切にする心を強要するものでもありません。
仮に処罰行為に当たる行為をした者が、自分は日本の国旗を愛しているというふうに幾ら主張しても、刑を免れるものではありません。その意味では、内心と処罰とは完全に切り離されているものと考えることができます。したがって、この法案は、内心の自由を侵害するものとは考えられません。
では、表現の自由との関係はいかがでしょうか。
表現の自由は、極めて重要な基本的人権ですが、規制が必要で、その必要性に見合う最小限の規制であり、他に人権制約の少ない代替手段がない場合には制約は可能だというふうに考えられています。現に、器物損壊罪に当たる場合やヘイト行為に当たる場合には表現の自由の制限が認められることは、現行法からも既に明らかであります。
また、本法案の第三条は、国旗損壊罪の解釈、運用に当たっては、表現の自由を不当に侵害しないように留意すべきことを明記していますので、対象となる行為はおのずと限定されるというふうに考えられるところであります。
例えば、公衆の前で国旗に汚物を塗りつけるような行為は、明らかに表現の自由を逸脱していると考えられますが、その国旗が行為者の所有物であれば現行法では処罰ができないということになっていますので、ここに国旗損壊罪の必要性が認められるというふうに思います。
次に、器物損壊罪があれば十分ではないかという指摘について考えてみます。
確かに、損壊した国旗が他人の所有物であれば、器物損壊罪が成立します。この場合、国旗損壊罪と器物損壊罪とが観念的競合の関係になりますので、刑が重い方の器物損壊罪で処罰されることになります。そこで、国旗損壊罪を新設する意味はないのではないかという意見があるところです。
しかし、器物損壊罪は親告罪でありまして、告訴がなければ起訴できませんので、被害に遭った国旗の所有者が許せば刑事事件にはなりません。しかし、国旗損壊罪は、先ほどから申し上げていますように、国民全体に対するヘイト行為が問題になっている場面だとしますと、国旗の所有者が幾ら免除する、告訴しないという判断をすることによって不起訴にしたとしても、器物損壊罪が適用できない場合、そのような場合にこそ国旗損壊罪を使うことが必要になるというふうに考えられます。今回の法案は、国旗損壊罪を非親告罪として制定しておりますので、まさにその点に存在意義があるというふうに考えられます。
また、言うまでもないことですが、自分の所有する国旗を損壊する方法で行うヘイト行為については器物損壊罪は成立しませんので、国旗損壊罪の必要性は当然に残るというふうに考えられます。
最後に、立法事実について述べたいというふうに思います。
現に差し迫った事実が起こっていないことが指摘されていますけれども、現時点では自国で起こっていなくても、他の国で問題となっており、早晩日本でも同様のことが起こる可能性がある場合には、そうした比較法的観点から発見された事実を根拠に立法論を展開することは可能だというふうに考えられます。現に、外患誘致罪や内乱罪のような適用例がないものであったとしても、現行法の中で誰もその必要性は疑っていないところであります。
国旗損壊罪を法定しておりますドイツやイタリアなどでは、ファシズムへの回帰を主張する人種差別的な極右思想家が、戦後に定められた現在の国旗を損壊する行為、あるいはそこにナチスのマークを描き加えたりするような事件が処罰されておりますし、そうした極右思想に反対する対抗言論、いわゆるカウンターとして国旗を損壊する行為も処罰の対象となっております。こうした事件の背景には、ヨーロッパにおいて深刻化する移民問題や難民問題があることは言うまでもありません。
我が国でも、特定の地域では、排外的なヘイトスピーチやそれに対する市民団体らによるカウンターとが激しく衝突する事例が見受けられるようになってきています。こうした状況の中で、自分の所有する日本の国旗であればヘイト行為に使い放題であるという状況は、社会の分断の道具として、我が国が大切にしてきた国旗が使われる危険性をはらんでいるところだというふうに考えます。
例えば、外国人の生活習慣をめぐってトラブルが生じた地域で、日本人によるヘイトスピーチが横行し、それへのカウンターとして、外国人やそれを支援する日本人の市民団体が日本の国旗を大量に持ち寄り、棺おけに入れて火をつけるような事態が起こっても、これは現行法上致し方がないということになりかねません。私は、そういう事態は起こってほしくないというふうに思っております。
外国の国旗を侵害する行為については抑制がかかっていますが、日本の国旗を侵害する行為に抑制がかかっていないのだとすれば、国旗損壊罪を法定することにより、そうした行為を未然に防止することが共生社会の実現のために必要ではないかというふうに考えている次第であります。
以上、私の方の意見を述べさせていただきました。
御清聴ありがとうございました。(拍手)
○山下委員長 ありがとうございました。
次に、志田参考人にお願いいたします。
○志田参考人 ただいま御紹介をいただきました武蔵野美術大学の志田陽子と申します。専門は、憲法学及び芸術に関連する各種の法律を研究対象及び教育対象としております。
本日は、発言の機会をいただきまして、大変感謝しております。
国旗の損壊等の処罰に関する法律案について、憲法に照らして考察するということをいたしました。そして、結論から申し上げますと、現在の案では、将来、憲法訴訟になったときには違憲と判断される可能性が非常に高いと考えております。以下、その理由を述べます。
まず、処罰対象が非常に広い、広範であるということです。
現在の案は、処罰対象が、公的機関が公式に掲揚している国旗の損壊には限定されておりません。多くの発言者が御指摘になったとおり、自己所有の国旗や国旗のように見える図形が描かれたものを人前で損壊することが広く処罰対象となります。そのため、必然的に各種の憲法上の権利を制約することになります。
また、次の、お手元のレジュメで、親告罪の限定がないと書きましたが、ここはちょっと修正をさせていただきます、現在の案では親告罪の限定をしたとしても意味を成さないということになります。
なぜかといいますと、広く全員が自分の感情を根拠として当事者となり得る規定になっているからです。不快感、嫌悪感というものは、著しくという限定を言葉の上でかけたとしても、これは当人の主観的な問題ですので、その主観的理由で警察への通報が可能となります。警察への通報がありますと、最終的には裁判で無罪になったとしても、それまでの間、警察の取調べ対象となるということで、表現者に対しては大変大きな負担、そして、その間、表現活動が不可能になるということが起きます。そのために、この問題は、憲法上の権利の制約の問題が生じると考えざるを得なくなります。以下、制約を受ける権利に即して検討してまいります。
まず、表現の自由、憲法二十一条についてですけれども、憲法二十一条は、一切の表現の自由を広く保障すると規定しています。様々な表現、特に人に不快感を与える表現があるとしても、それは民主主義及び多様性を重んじる社会の当然の出来事として法による介入は行わない、規制はしないということがまず第一の原則となるということが言えます。
その中で、芸術表現は除外とされていますが、これは実務、運用面での不安が拭えません。なぜなら、日本では、議員の方々や自治体首長などの公人が、これは芸術ではない、人を不快にさせるような表現は芸術ではないといった発言を行い、大変強い社会的影響力を発揮してしまう場面が多々見られるからです。そのため、社会問題に切り込もうとする現代芸術の分野が多く萎縮させられてきているという実態がございます。この傾向が、今回の法律が制定されますと、強まるおそれが高い。
そして、政治的表現は除外されるという話になってきていますけれども、現行の案では、警察がこのことを確認するために、政治的目的と言えばお目こぼしをしてあげるよというようなことが、取調べ中、必ず出てきまして、本人の政治信条に警察が踏み込まざるを得ないということがあります。表現がまず広く取調べの対象となり得る。その後に、憲法十九条の思想、良心の自由に警察が踏み込むという、十九条問題が生じてくるということに運用上なってしまうという問題があります。
そして、個別に、漫画表現は除外といったような、様々な除外が検討されていますけれども、これによって定義が不明確になってきている。となりますと、後で述べますように、一般庶民にとっては、よく分からないのでやめておこうという萎縮効果を強く発揮する結果になってくると考えられます。
そして、表現の自由というのは、切実なニーズを抱えた人々の表現に道を開けておくことに最も意義があると考えられています。特に、生活が立ち行かなくなるような不安を感じている国民や住民がいるときに、これは自己責任ではなく政策の問題として訴えたいというとき、刺さる表現、とがった表現をしたいと思うのは切実な状況を抱えた人にはあり得ることで、それが人に不快感を与える可能性はあります。こうしたときには、少数者が自分の状況やニーズを発信することを優先する、自由に道を開いておくというのが表現の自由保障の重要な意義であると考えます。
また、そうした声を知る権利というのも国民にはあります。処罰対象となるということで、これらの表現が不可能となったり萎縮したりした場合には、そうした表現を見て、そう思っていたのは自分だけではなかったのかと感じるような国民の知る権利も塞がれるということが考えられます。
また、不快感が生じないようにということを目的、保護法益として規制を行うことは、それ自体で大きな問題をはらんでいます。
先ほどほかの参考人からもお話があったように、人格権侵害という大きなカテゴリーがありまして、ヘイトスピーチもそこに入るかと思います。名誉毀損、プライバシー侵害、侮辱、肖像権侵害、そしてヘイトスピーチなど、人格権を侵害するような表現は規制を受けてもやむを得ないと考えられていますが、これは裁判理論が大変精緻に組み上げられてきて理論化されてきたものがそのように認められているのであって、これと不快感という漠然とした感情とは一線を画すべきものです。
ですので、ここで不快感、嫌悪感というものを構成要件に含めている現在の案は、憲法違反、憲法二十一条を不当に狭めるものであるという判断が出てくる可能性が高いと考えております。
また、愛国心や国旗への敬愛を感じている国民の心というものは、それを表現する、憲法二十一条、表現の自由は当然に現在でも保障されていますし、また、思想、良心の自由によってもそれは保護されております。
そして、思想、良心の自由につきましては、既に江藤参考人から指摘があったとおりです。警察に通報があり、そしてそのことで萎縮が生じるということ、これに加えて、警察からの取調べの中で、その人の思想、信条への踏み込みが起こるということを指摘したいと思います。
また、こうしたことは、法の下の平等、十四条にも反する可能性が濃厚です。憲法十四条では、信条による差別も禁止しているからです。
そして、萎縮効果については、先ほど江藤参考人が述べたことに、私も憲法学の立場から賛同の意を表明したいと思っております。
罪刑法定主義と憲法三十一条の明確性の原則についても、同じでございます。
以上になります。ありがとうございました。(拍手)
○山下委員長 ありがとうございました。
以上で各参考人からの御意見の開陳は終わりました。
―――――――――――――
○山下委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。
質疑の申出がありますので、順次これを許します。安藤たかお君。
○安藤委員 どうも、安藤でございます。
本日は、参考人として御出席をいただきまして、貴重な御意見を賜りまして、誠にありがとうございました。
先生方からお話しされた内容と非常に重なる部分がありますけれども、あえて質問をさせていただきたい、そう思っております。
では、最初の質問ですけれども、国旗損壊罪の立法の必要性に対してです。
百地参考人と野村参考人にお願いしたいと思います。先生方、ほとんどお話しになりましたけれども、話し足りないこと、あるいはちょっと深掘りしたいことを含めて教えていただければと思います。
現行の器物破損罪や自国旗に関する一般法で対応可能な事案がある一方で、お二人は自国旗の損壊罪の新設に賛成の立場と伺っております。
そこで、現行法で対応可能な行為と本法案が新たに処罰すべき具体的な差異を、処罰の範囲、程度、そして運用の面の観点から御説明いただきたいとともに、あわせもって、国旗損壊罪を新設することで得られる具体的な効果、例えば法益の明示ですとか抑制の効果、あるいは国際的整合性などについて御見解を賜れればと存じます。どうかよろしくお願い申し上げます。
○百地参考人 御質問ありがとうございます。
初めに、立法事実の問題、定義の問題から入りたいと思います。
私の知る限りでは、立法事実というのは、当該立法を正当化し得る社会的、経験的基礎を指しますが、実際の被害が生じていなくても、その構造的な危険性に着目して制度を設計することは法制度として一般に認められている、このように理解しております。それを反対派の皆さんが、国旗を損壊するような事例はほとんどない、聞かないなどとして立法事実が存在しないと主張されるのは、立法事実の理解としては正しくないというふうに考えております。
また、現に、予想される将来の事象に対応する立法を行った例はあります。令和三年に制定された自然災害義援金に係る差押禁止等に関する法律というのがありますけれども、立法当時、実際に義援金が差し押さえられた事例は確認できなかったと聞いております。しかし、将来の大規模自然災害に備えて、差押えを禁止することで被災者やその遺族が自ら義援金を使用できるようにするためにこの法律は作られたというふうに聞いておりますから、将来、そういうことがあり得る危険性に着目して立法するということも、これも立法事実であります。
また、現実にあったかどうかという意味での立法事実については、最初に四件ほど挙げました、沖縄国体の事例、あるいは富山、時間がないんですか。それ以外にも、例えば、平成八年に岩国市の旧日本海軍の殉職者記念碑近くのポールに掲揚されていた日の丸が焼却された事件とか、平成十四年には横浜市議会議員二名が議場に掲揚されていた国旗を引き降ろそうとした事例などがあります。
立法事実というのは、先ほど野村参考人がおっしゃいましたように、他国で問題になっていれば自国でも起こり得るんじゃないかということを想像して立法するということも、これも立法事実だと思いますので、おっしゃるとおり、広く考えていいんじゃないかなというふうに思っております。
以上でございます。
○野村参考人 御質問ありがとうございます。
ちょっと私は、もう既にかなり御質問の内容についてお話しさせていただきましたので、なぜ私が今回こういう形の発言をさせていただいたかの背景だけお話をさせていただきます。
実は、国旗損壊罪が存在しているヨーロッパ諸国の実際の処罰事例をいろいろと調べさせていただきましたところ、やはり表現の自由に該当するようなものについては処罰から外れていて、最終的には、ヘイトと思われるような悪質な、著しい侮辱行為といったようなものについて、それが処罰の対象になっているというのが現状であります。恐らく我が国におきましても、この法案ができますと、実際に適用される事例というのは私が先ほど申し上げたようなものではないかというふうに考えている次第であります。
ヘイトについては、先ほどちょっと他の参考人の方から、法律でしっかり積み上がってきたと言っておられましたが、ヘイトスピーチ解消法につきましては、著しい侮辱という行為自体も例示されているところでありまして、それを、いわば一部、国旗と絡めた形で立法されるということ自体は、これまでの我が国における法令の中にしっかりと位置づけることができるのではないかというふうに考えている次第であります。
以上であります。
○安藤委員 どうもありがとうございました。
では、次の質問に移らせていただきます。
次は、表現の自由とのバランスに関してです。これまた百地参考人にお願いしたいと思います。
先生は、表現の自由は公共の福祉によって制約され得るとの立場に立ち、違法性判断の具体的基準をどのように定めるべきか、また、それらの基準を法文や運用指針にどのように落とし込むべきか、どうか御示唆をいただければと思います。
○百地参考人 御質問ありがとうございます。
表現の自由との関係ですけれども、表現の自由は極めて大切な権利であることは私も考えております。人後に落ちません。しかし一方で、制約があることも事実でありまして、これは各種の判例によって積み重ねられています。
今回の国旗損壊罪につきましては、表現の自由の侵害とされないように、公然と国旗を損壊し、除去し、又は汚損する行為、つまり、通常考えても犯罪的行為とみなされるような行為に着目して、限定した上でそれを処罰するということでありますから、私は表現の自由とのバランスをきちんと考えた上での立法だと思っております。
したがいまして、これらの行為は少なくとも表現の自由の想定する外にあるんじゃないかなと思いまして、今、野村先生から適用例についてお話がありましたけれども、一応、解釈上はそのように限定されてくるから問題がないのではないかなというふうに思っております。
それから、この法律が、第三条で、表現の自由その他の、不当に侵害しないように留意しなくちゃいけない、本当に丁寧に規定しておりますから、少なくとも、これがきちっと遵守されれば、適用されれば問題ないと思っております。
以上です。
○安藤委員 どうもありがとうございました。
では、次の三番目の質問に行きたいと思っています。
これは野村参考人にお願いしたいんです。今日のお話には直接なかったんですけれども、運用上の留意点とデジタル空間の扱いに対してです。
非親告化や、インターネット上では動画、生配信のみの適用を想定する中で、過剰な処罰や萎縮が生じないようにするための運用の線引き、例えば、捜査、起訴の基準、拡散性の評価方法や、私人所有の扱い、芸術、学術的表現の除外などについてどのようにお考えなのか、教えていただければと思います。よろしくお願いいたします。
○野村参考人 御質問ありがとうございます。
私は、やはり表現の自由は非常に大切なものだというふうに考えております。それは皆様方、同じ思いでこの法案に向き合っておられるのではないかなというふうに思っておりますが、その場合におきましては、例えば過去に作成されたもの、作品ですね、そういったようなものを表示するというようなことは、これは表現行為として最大限尊重されるべきだというふうに思いますが、現に人が見ている前で不快な状況を拡散させるような行為そのものが社会の分断を生むというふうに思われますので、限定的に、例えばネットにおけるものにおきましても、生配信というような形で、その場で不快な行為を拡散し続けている、そういう事態を想定すべきではないかなというふうに考えているところであります。
○安藤委員 どうもありがとうございました。
では、最後の質問に行きたいと思います。捜査、起訴の基準と手順、安全装置についてです。百地参考人と野村参考人にお聞きしたいと思います。
動画の生配信やデモ等の政治的表現が問題となる可能性を踏まえて、捜査、起訴の具体的基準、拡散性の評価、行為性の立証、個人所有の国旗の扱い、芸術、学術的表現の除外などをどのように定めていくべきか、検察、警察の運用指針や不起訴基準に盛り込むべき具体的な項目を挙げて教えていただきたいのと、さらに、恣意的運用や表現の萎縮を防ぐために、立法段階で導入すべき手順的なもの、監督的な安全装置、事前のガイドライン、公表された優先度基準、そして独立的な監査報告制度などについても御意見を賜れればと思います。どうかよろしくお願い申し上げます。
○百地参考人 御質問ありがとうございます。
私は専門は憲法でございまして、刑法上あるいは刑訴法上のいろいろな諸問題は詳しいことが分かりませんので、映像の問題について一言申し上げたいと思います。
立法過程を聞いていますと、映像で流された国旗損壊の情報とかそういったものについては、規制の対象から外したというふうに聞いております。
これについても、私もこの問題は専門外ですけれども、一応素人なりに考えますと、やはり法律は、現に目の前で公然と行われる行為、国旗損壊行為でありますから、そのリアリティーあるいはその衝撃度等においては大きなものがあると思います。一方、映像を通して伝わってくるとなれば間接的なものでありますし、そういう不快感とか嫌悪の情というのも多少緩和されるような感じがします。したがって、表現の自由を保障するという立場から一応除外したということは、私は評価していいんじゃないかなというふうに思っております。
取りあえず、その点だけお答え申し上げたいと思います。
○野村参考人 御質問ありがとうございます。
実際に刑事事件を様々やらせていただいている観点から申し上げますと、実際には、先ほどちょっと御懸念のあったような形で、逮捕されたりとかあるいは勾留されるという事案はたくさん存在しております。
その中で、内心に関わる事柄、例えば侮辱罪という形で、もし逮捕というか捜査を受けるという形になりますと、当然のことながら内心に関するところまで踏み込んで警察は捜査をするということは常識的に存在しているものでありまして、この法案だけが特別何か突出してそういう事態を巻き起こすというふうには理解できないかなというふうには思っております。
ただ、刑事事件におきましては、警察、検察側の方の抑制的な対応というものが必要になろうかというふうに思いますので、あくまでもこの法律は外形に基づいて処罰を決定していくというものでありますから、主観に立ち入った捜査は不要であるということは前提に置いた上で、外観に基づく総合的な判断であるという条文を遵守した形で捜査をしていただくようお願いしたいというふうに思っております。
○安藤委員 どうも、先生方、ありがとうございました。大変参考に、また勉強になりました。
私も医者なんですけれども、医者の立場からでは、精神科の疾患、それに近い方、あるいは薬物の副作用が背景にある場合に、刑罰と治療のバランスをしっかりと丁寧に決めていく必要があるんじゃないかな、そう思いました。
本当にどうもありがとうございました。またよろしくお願いいたします。これで終わりにいたします。
○山下委員長 次に、後藤祐一君。
○後藤(祐)委員 中道改革連合の後藤祐一でございます。
四人の参考人、それぞれ全員の皆様に、百地先生から順にお伺いしたいと思います。この法律と憲法の関係です。
国旗損壊罪は、表現の自由に対する刑罰をもってする規制立法でございますから、基本的人権を公共の福祉が制約できるかという議論になるわけでございます。これについて我が国では、経済的自由に比べて精神的自由はより慎重に判断すべきだという二重の基準論というのが通説となっておりますし、明白かつ現在の危険が必要だという考え方もあれば、必要不可欠な公共的利益が必要だといった考え方もございます。
この法律が、そもそも違憲立法か、違憲立法そのものではないけれども適用の仕方次第で違憲になり得るのか、もし適用の仕方次第で違憲になり得るとすれば、こういう適用の仕方をすると違憲になってしまうのではないか、この辺りについて、四人の先生方のお考えをお聞かせください。
○百地参考人 御質問ありがとうございます。
おっしゃるとおり、憲法学上そのような議論がなされておりまして、精神的自由、表現の自由の優越的地位ということが言われておりますし、経済的自由の制限とは違う、これはおっしゃるとおりであります。
現実に、この問題、今回の国旗損壊罪について考えた場合、確かに対象は国旗の損壊ということで、精神的自由に関わることではあると思います。しかし、実際に行う行為としては、これは器物損壊罪に該当するような、そういう行為ですから、その外形に着目しているわけであって、精神的な自由の侵害とかそういう点との関わりは、直接は対象になっていない。むしろ、精神的自由まで踏み込んで規制するということではないと思いますので、この点は別に問題ないだろうと思っております。
○江藤参考人 御質問ありがとうございます。
表現の自由が無制限でないことは確かでございまして、一定程度の制約を受けます。ただし、その制約が刑罰による制約である場合については、単なる公共の福祉よりもより強い制約理由が必要になると刑法研究者としては考えております。
違憲であるか合憲であるかということにつきましては、恐らく合憲の部分もあり得ると思います。他人の物を損壊したような場合については、なお合憲であり得る部分もあると思いますが、本法案が成立して主に意味を持ちますのは、自己所有のものを損壊するときでございますから、このときは違憲の疑いが出てこようと思います。
ただし、現在、日本の付随違憲審査制においては、実際の事件として立件等されなければ違憲判決が出ることはないわけですから、実際に裁判所で違憲とされるかどうかは分かりません。もしかしたら、警察、検察の段階で、違憲のおそれがある事案については捜査しない、立件しない、起訴しないというような判断がなされるかもしれません。刑法学者としてはこのように考えております。
以上です。
○野村参考人 御質問ありがとうございます。
御懸念の表現の自由との関係は、この法案を考えるに当たって最も重要な論点であるというふうに私も思っております。ですからこそ、この条文の中に表現の自由を尊重すべしという条項が入っているものとも理解しております。
これを実際に実務家として見た場合に、刑を執行する側の警察官がこの条文があることによってどういう対応を取るかといった場合には、まずは、表現の自由に侵害が及んでいないかどうかということを一番最初に考えることになるだろうというふうに思います。
そういう点で、事例としましては、私が先ほど申し上げましたように、例えば侮辱罪というものは存在しております。侮辱罪に該当する行為は、幾ら表現の自由があったとしても、刑事罰を受けるというのは現行法上確立したものでありますから、その侮辱行為を更に著しいという形で表現しているものがこの構成要件になっているんだというふうに思います。
これは先ほども、ヘイトスピーチ解消法の中でも出てくる用語でありますが、侮辱という刑事罰の対象となる行為のうち、更にそれを限定して、著しい侮辱といったような行為に限定した上で刑罰を規定するということであれば、現に存在している侮辱罪との関係でいけば、謙抑的な法律であって、憲法違反だと言われる余地はないのではないかというふうに考えている次第であります。
○志田参考人 御質問ありがとうございます。
おっしゃるとおり、精神的自由権に関して規制を及ぼすという場合には、特に高度な現実的、具体的必要性があることが必要であるということが、憲法学でも、また判例でも確認されているところと考えております。そこに照らした場合に、そもそも法令違憲の部分と、それから適用、運用において違憲になる部分と、それぞれについて御質問をいただきました。
そもそも違憲となる部分というのは、一方の価値観を持つ国民の不快感、嫌悪感といった感情を保護するということ。この部分は、憲法上、憲法二十一条だけではなく、十四条の信条という文言からしても、憲法違反となるという可能性が高いと思います。
また、ここで具体的にいろいろ挙げていくのは時間の都合で御遠慮いたしますが、様々な、それほど深刻ではない表現についても警察の取調べが及んだり萎縮が及んだりする部分については、いわゆる過剰包摂と言われる問題がつきまとう。この法案には、それが排除できない問題として出てくると思います。
そこを適切に、それが生じないように絞り込むということは、不快感や嫌悪感といった見る者の主観的な感情を根拠としている、構成要件に含めている現状の案では、適切に絞り込むことは非常に困難である。そこを根本的に考え直す、検討し直す必要があると考えております。
以上です。
○後藤(祐)委員 先生方、ありがとうございました。
続きまして、これは江藤先生と野村先生にお伺いしたいと思いますが、今の関連で、江藤先生は、違憲の疑いがあり得る、しかも、それは警察が立件するかしないか判断するところで結構判断されるんじゃないかとか、そういうお話もございました。
今の観点からすると、運用に当たって、違憲にならないようにするために、取り締まる側がこういうことを守らなきゃいけないというところを少し説明いただけないでしょうか。
特に、国旗の損壊等に形式上当たるにしても、それが政治的表現だとか芸術的表現だとかに当たる場合というのは、三条での留意規定があるように、原則として処罰の対象とすべきでないと私は考えておりますが、これについての御見解も併せてお願いします。
○江藤参考人 御質問ありがとうございます。
適用するに当たって、裁判まで行ってしまうと、これは違憲の審査がかなりされ得ると考えております。ですから、そのような危険な、危険なといいますか、起訴等まで行くと危険ですので、恐らく警察、検察の段階で、これは外国国章損壊罪がそうなっている、そのように運用されているので私はそのように考えているわけですけれども、外国国旗等が損壊されても、一応話は聞くけれども立件しないという形になっております。
政治的な表現、芸術的な表現について、本法案の三条の規定は余り意味をなさないと考えておりまして、といいますのは、表現の自由に留意するのは当然でして、全ての国家機関が、このような条文があろうとなかろうと、表現の自由、憲法上の権利に留意して判断しますので、三条は余り意味がないと思います。
私は、政治的、芸術的な表現を処罰対象としないと明確に条文に書けば、ある程度の瑕疵は治癒されるかと思いますが、しかしながら、生放送、生配信で国旗を損壊するようなものを撮っていて、それがドキュメンタリー作品だと言われたような場合に直ちに処罰できなくなるというのであれば、本法は意味がないものとなり得ますので、公然とその場で日本国旗を損壊しても、誰かがビデオを撮っていて、ドキュメンタリー作品を撮っているんだと言えば、芸術作品だ、映像作品だということになれば意味がないものになり得ますので、本法案の形であれば、運用上、私の考えでは余り意味のないものになり得る、そのように考えております。
以上です。
○野村参考人 どうもありがとうございます。
今お話があったように、憲法を常に意識しながら運用することは当たり前とはいっても、条文の中に書かれるということは非常に重要な意味を持っているということは間違いはないというふうに考えております。
その上で、やはり、警察や検察にとって一番の悩みは、先生が御指摘された政治的な表現、いわゆるデモ活動などについては、これは集団示威活動、示威行為として、表現の自由の中で長年保障されてきている行為でありますので、それとの関係性の中でこの法律をどのように考えるのかというのは、非常に悩ましい問題だというふうには思います。
ただ、そうなりますと、私の先ほど申し上げたような極端な事例というものに最終的には刑罰は収れんしてくるものだというふうに考えているわけでありまして、もし極端な事例というものが存在しないのであれば法律自体は不要ということになるかもしれませんけれども、私が承知しております他国における事例でありますとか、そういったようなものから見ますと、現に罰金ではありますけれども処罰されているケースというのは存在していて、それは言葉にすると非常に嫌悪感を感じるような行為というものが行われているということでありますので、それを処罰対象としてちゃんと運用していけば問題のないところではないか。
逆に、この法律ができれば、今は、外国の国旗に対して損壊をしないのは、外国国旗損壊罪が適用されるかもしれないという、そういったものがあるがゆえに抑制的になっていて、行為規範として外国に対する尊敬の念というものが維持されているということは考えられると思いますので、結果的には、行為規範として皆が抑制的に、悪質な行為をしないような社会になれば、私が冒頭申し上げたような共生社会の実現に資するのではないかというふうに考えておるところであります。
○後藤(祐)委員 ありがとうございました。
江藤先生からは、三条はこのままだと意味がちょっと薄いのではないか、むしろ、政治的表現、芸術的表現は処罰対象としないというぐらい書けば意味があるんじゃないかというお話がありました。そうなれば私もいいと思うんですが、そうならないでこのまま成立した場合には、やはり、この法律をどう運用するかということに関して、何らかの基準ですとか、警察がこれに基づいて行動するんだというものが必要だと私は思うんです。
どういった場合が構成要件に該当するのかしないのか、あるいは、どういった場合は違法性阻却がされるのかされないのか、そういったものを表現の萎縮を招かない程度に明白な基準だとか具体的な事例を示すことが必要だと思いますが、江藤先生はどうお考えですか。
○江藤参考人 御質問ありがとうございます。
私も、これは明確な基準ができればよい、萎縮も招きづらくなりますし、運用の予測が立ちますので、基準ができればよいと考えています。しかし、この法案というか、今回の問題点は、その基準を作ることができない、今基準を作れるところまでまだ議論が明確に定まっていないという点に問題があると思います。
一体どこまで処罰すべきなのか、どこまでが処罰されずにどこからが処罰されるべきなのかということのコンセンサスがまだうまく国民の間にも国民感情としてもできておらず、相当軽いものを処罰すべきだと考える方から、相当重いものしか処罰しないんだと考える方まで国民の中にいるようで、そうなりますと、先生の御質問のとおり、基準は作った方がいいと思います。
ただ、どこが捜査機関を縛る基準を作れるのかというと、国会か、あるいは捜査機関の内部かということになると思いますが、しかし、現段階では、明確にここから捜査ができる、ここからできないというような基準を作ること自体が困難である。それが、この法案の問題点であると考えております。
○後藤(祐)委員 だから、刑法を変えるときは法制審に回すんですよ。二十日後施行だと間に合わないと思いませんか。
江藤先生にもう一問。少し期日を遅らせて、法制審も含めて客観的に議論していただいて基準を作っていただくべきだと思いますが、いかがですか。
○江藤参考人 おっしゃるとおりで、私も、法制審等でしっかり議論をして、内容を固める、目的とその適用範囲等をきちんと固める議論があるべきだと考えています。
以上です。
○後藤(祐)委員 ありがとうございました。終わります。
○山下委員長 次に、横田光弘君。
○横田委員 日本維新の会の横田でございます。
私は、法律論それから解釈等々、いろいろな議論が、これまでも内閣委員会そして今日の参考人の方々をお招きしながら交わされるというのは非常に重要なことだと当然のことながら思うわけですけれども、私は、今日は、日本人としての普通の感覚、この観点で質問をさせていただきたいというふうに思っております。
今、ワールドカップをやっていますよね。ワールドカップ、日本は非常に頑張って、すばらしい成績を出しつつある。テレビを見ていましたら、ワールドカップのときに、始まる前に、国旗の前で国歌を斉唱して、それが選手、監督だけじゃなくて、それこそサポーターの人たちが大勢行っていますから、その人たちの声で、もう鳴り響くような状況になっている。こういうのを見ると、私も非常に感激するんですね。同時に、あの監督、非常に、この日本のために頑張るんだということで、国歌を歌いながら涙ぐんでいる。こういう状況を見ていると、私は、ああ日本人なんだなということを非常に強く思うわけであります。
私は、そういうような自然な思いを日本人の多くの人たちが持っている、そういうものを大切にした流れで、この国旗の損壊罪というものは見るべきではないかというふうに思っておりますが、そこで、参考人の方々、全員お忙しいから見ていらっしゃらないかもしれないんですけれども、例えば野村参考人、サッカーの試合を見てどうお感じになられたか、ちょっと感想を、どうぞ。
○野村参考人 話すと長くなるかもしれません。
私もその様子は拝見いたしましたし、あるテレビ番組で、これまでの過去のレジェンドと言われる方々にも伺いましたが、やはり、始まる前の国旗が上がるときには、各人がみんな、緊張すると同時に感動するということは聞いております。
ただ、私は、今回、申し上げていますけれども、内心自体の中で日本の国旗が嫌いだという国民の人がいても、私はそれでもいいというふうには思います。それを強要して、国旗をみんな尊重しようという法律をもし作っているんだとすれば、それはちょっと強要することになるかなというふうには思いますが、ただ、先生おっしゃるとおり、恐らく、多くのほとんどの日本人は先生のお気持ちと同じではないかというふうに思っております。
○横田委員 ありがとうございます。そういうことだと思いますよね。
もちろん、内心のいろいろな思いというものを規制する、そんなことはできるわけもありませんし、この日本でしてはならない、私もそう思います。ただ、本当に森保監督なんかは、日本のために日の丸に勝利を誓うというような趣旨のことを時々おっしゃっているわけです。それに対して、最近SNS等々では、日の丸にバッテンをつけるとか、中をくりぬいちゃうとか、そんなような、私から見れば蛮行とも言えるようなことが平気で行われている。多くの日本人の感情として、何かを主張するために自分の国の国旗を燃やすなんというようなことは理解不能だ、著しく不快だと思うわけです。
そういう状況の中で、こういう一般的な行為を、内心の、信条の自由がある、それから表現の自由もある、だから、こういうことは別に、あえてとがめるべきではないんじゃないかなんということを言う方々もいらっしゃるようでありますけれども、そこで、今回、参考人の方々の資料を読ませていただきました。それで、志田参考人のインタビューの記事の中に、こういうのがありました。やり場のない気持ちが国を罵る言葉となり、更にエスカレートして国旗を傷つけることになったとして、権力側が頭ごなしに犯罪者だと断じられるでしょうか、こういうふうに述べられているんです。
やり場のない気持ちになって、例えばの例ですけれども、国の施設を壊しちゃったりとかしたら、これは当然のことながら犯罪になるわけです。また、内心的な意味でも、刑法第百八十八条に礼拝所不敬罪があるように、人々の感情を逆なでして、著しく不快な思いを催させるような方法で、宗教的施設に対して不敬な行為をしたら罰せられるということでもあります。つまりは、同様に、国旗を燃やしたり刻んだりしたら、さすがにこれは犯罪なんじゃないのと人々は思うのではないかと私は思うんですけれども。
もちろん、それは自分の、自らの所有物としての国旗だとしても、多くの日本の国民は、そのような行為に対して非常に嫌悪感を持つ、著しく不快に思う、こういうふうに思うんですけれども、ここで志田参考人にお伺いします。刑事罰の侮辱罪というのが存在します。人に対する侮辱と同様に、国旗を損壊するということは国家に対する侮辱とも取れるんじゃないかと思うんですけれども、この点についてお伺いしたいと思うんです。というのが、やはり外国人が日本に来て日本の国旗を損壊したら一体どうなんだ、こういうことも含めて是非お答えいただきたい。
○志田参考人 大変重要な御質問をいただきまして、誠にありがとうございます。
まず、私のインタビューにお目通しをいただいたこと、大変光栄に存じます。そして、大変重要なところに目を留めていただきました。
切実な思いを抱えて、思い余ってとがった表現をしてしまう人が出てくるということは、洋の東西を問わず、かなりあり得ることです。そして、日本では特に、侮辱的な表現でなくても政治的表現をすること自体を不快がる人がSNSなどを見ていると非常に多い。そのために、私は、不快感や嫌悪感というものを処罰の根拠、構成要件とすることは非常に危ういということをまず一番大きな原則として述べたいと思います。
そして、思い余って器物を損壊するとか、それから公式に掲揚されている国旗を損壊するといった場合には、器物損壊罪や公務執行妨害罪などで現在処罰は可能ですので、そうしたことは犯罪行為としての処罰は免れないと私も思っております。そこは同感でございます。
また、宗教感情を保護するということにつきましては、これは、宗教というのは私人の信教の自由が保護されていまして、その思いというものを保護法益として尊重するということになっていますが、国家自体は、政教分離原則によって、国家が宗教あるいは宗教感情を持つということは憲法上禁止されております。したがって、宗教信条を保護する法令を国旗損壊罪の根拠にすることは、残念ながら日本国憲法上は不可能であるということになると思います。
そして、最後の問題は国の名誉という問題でした。最初の、去年の暮れまでの案では国家の名誉を保護するということが立法目的であったと思われますが、それが国民の不快感、嫌悪感という問題にだんだん変わってきたというふうに認識しております。そして、国民、人間というのは生身の心を持っていますので、傷つき得る人格を持っています。侮辱を受けたときに、もう立ち上がれない、社会生活ももうできなくなるという人が出るということがあり得るのですが、国家というものは、その意味での生身の人間と同じ傷つき得る人格を持っているわけではありませんので、この場合、国の名誉というものをこのような処罰規定によって守るということは、憲法に照らしたときに必要性はないのではないか。むしろ、必要なことは、国が国民に尊敬される政治を行うこと、これを目指すことではないかと考えております。
最後に、ジョン・スチュアート・ミルというイギリスの政治哲学者がいたんですけれども、この方が、こうした方がいい、これが道徳であるといったような事柄は、説得の材料にはなるが法強制の根拠にはならないという趣旨のことを述べておりまして、これが現在の憲法や多くの刑法学者の共有するところとなっております。私もその考え方を共有しております。
以上です。
○横田委員 ある意味では非常に私も理解する部分をお答えいただきました。ありがとうございます。
日本は、御承知のように、表現の自由が保障された国でもあります。私、議員会館、三階なんですけれども、ちょうど参議院側と向かい合っているんですよね、第二で。それで、いつも政府に対する抗議の団体、頻繁に来るんですよ。大音量でがんがんやるものだから、秘書との会話もなかなかままならないなんてことがしばしばあるんですよね。それだけいろいろ自由があるということです。
それで、平和教育という名の下なら何をやってもいいというふうに、今大きな問題になっていますけれども、例の高校の、禁止区域に抗議のために船で乗り入れたというようなことで、若い貴い命が失われたなんてこともある。それから、この前の沖縄の戦没者追悼式で、一国の総理大臣のスピーチの際に非礼なやじがいっぱい飛んできたとか、もういっぱいいっぱいあるわけです。さらには、自衛官への侮辱を平然と国会で述べて、それから、逆に今度は、自国民じゃなくてロシア、中国、北朝鮮、この子供たちに配慮しろと主張するわけです。
こういうような形で、私は非常に常識を逸脱しているんじゃないかなと思いますけれども、少なくとも、これだけ自由があるわけです、この国には。だから、国旗を燃やしたり、破ったりしなくても、十分に表現ができると私なんかは思うんです。
こういう形で、先ほど野村参考人からいろいろ説明がありました。その中で、やはり国民に対するヘイト、こういったものが行われる。こういうものに対して、やはりある程度の制限を設けていく、こういうことは非常に重要であるということをおっしゃいました。
そして、経済学的に言えば、いわゆるレッセフェールであってはいけないわけです。だから、その部分を含めて、野村参考人に解説いただきたいというふうに思います。
○野村参考人 御質問ありがとうございます。
恐らく、私は今委員がおっしゃられた冒頭の、国民が国旗に対してどういう感情を持っているのかということが非常に重要な、この法案を審議する上での前提ではないかなというふうに思っています。
それは何かといいますと、やはり特別なものなんですね。国旗というのを見ると、多くの国民は自分のアイデンティティーを感じますし、それから誇りもそこに感じますし、さらには愛着も感じる、こういう道具なんですね。
ですから、表現をするときにその道具というのは、物すごい強い力を持っているものだということを前提に、表現というのは考えなきゃいけないというふうに思います。確かに、苦しい思いをして、政府に対して非常に強い不満を持って、そのことを表現するために何らかの言論を行うということは当然ありますし、それは十分に保障されるべきだというふうに思いますが、その際に、国旗というものを使ってしまいますと、それに対する侮辱的な行動というものは、全国民に及んでしまう。そういうものだということをやはり前提とした上で考えた場合には、表現の自由に対して、あるいはその侮辱という行為に対して、やはり大きな問題があるんだという認識をするべきではないかなというふうに考えております。
これが、今回のこの法案を考える上の大前提でありまして、ですからこそ、国旗というものは多くのヘイト行為の中で使われていまして、それを使うことによって、一瞬にして全ての国民に対してヘイトを行うことができる、これを深刻に受け止めて立法すべきだというふうには思っております。
これはネットのときによく、かつての侮辱罪、非常に刑が軽かったのが、ネット社会になったものですから、侮辱罪の刑罰を重くしました。これはなぜかというと、かつてであれば近所の人にだけささやいていたものが、一瞬にして世界中に発言できる、そういう道具を持ったことによって、侮辱と言われているものの持つ威力が大きく変化したということを前提として立法されていると考えれば、国旗というものの持っているパワーは、更にそれ以上のものであるということを前提に御議論いただくことが必要ではないかというふうに考えております。
○横田委員 ありがとうございます。
非常に分かりやすく説得力があったと、私は今先生の解説でよく分かりました。
とにかく、私たちは自由な国にいるんだということで、国民が不快に思う、こういったようなものを国旗に当てはめていろいろ表現をしようとすることに対しては、やはり慎重でなければいけない。そして、今回このSNS等については、附則で、三年目でまた見直すということになっていますから、そういうことも含めて、今後、私たちのこの日本の社会が、平和で、そして自由にいろいろな物が言えるということを前提に、この国旗損壊罪を早く制定していかなければいけないというふうに思っております。
以上で終わります。
○山下委員長 次に、森ようすけ君。
○森(よ)委員 国民民主党の森ようすけでございます。
本日は、お忙しいところ、貴重な御意見を聞かせていただき、本当にありがとうございます。
これまでの御発言、そして御答弁とかぶる内容もありますが、改めてお伺いすることも大事なことだと考えますので、その点御容赦をいただければと思います。よろしくお願いいたします。
まず、私としても、この国旗損壊罪の法案について、大前提として、他国の国旗と同じように我が国の国旗も大切に思う、尊重していくことは大切なことだというふうに考えているわけで、国民民主党としても共同提出をしているところです。
一方で、罪刑法定主義の観点からなかなか構成要件が不明確であることであったり、表現の自由との関係があったり、そうしたことへの配慮は一定程度必要だというふうに考えていることを前提に、もろもろお伺いさせていただきたいと考えております。
まず、百地参考人、そして野村参考人にお伺いさせていただきます。
この法案をめぐっては、違憲訴訟のリスクがあるのではないかということが様々指摘がなされているところであります。罰則にそもそも必要性、相当性があるのか、処罰範囲が明確になっているのか、そして、罪刑法定主義の観点から大丈夫なのかというような観点であったり、表現の自由ということで、政治的活動、芸術的活動はもちろんなんですが、憲法で保障されているようなそうした自由の制約があるのではないか、こうしたような懸念から、違憲訴訟のリスクがあるのではないかという御意見が多々出ているところでございます。
こうした意見も踏まえて、百地参考人、野村参考人として、この法案に対してそうしたリスクがそもそもあるのかどうか、そうした点についてお伺いをいたします。
○百地参考人 御質問ありがとうございます。
この国旗損壊罪が表現の自由の侵害に当たらないか、あるいは内心の自由の侵害に当たらないかといった問題、これは重大な問題であります。
このうち、表現の自由の侵害に当たらないかということは、これまでもいろいろとお話しされてきましたし、私も、ここで対象となっているのは、そもそも表現の自由を超える、いわば犯罪的な、実際に器物損壊罪として処罰されるようなそういう行為を対象として制限しているだけですから、規制しているだけですから、表現の自由の問題については問題ないと思います。
それから、内心の自由の質問、今日は余り出てきませんでしたけれども、実は、内心の自由についてもいろいろ誤解というのがありまして、内心の自由というのは、要するに侵害と制約は違うということがまず第一点であります。
侵害という場合には、憲法上、定義というのが出てきまして、一つは、内心の自由、特定の思想等を強制してはいけない、これが内心の自由の侵害に当たる行為である、つまり、特定の思想の強制は禁止する。それから、特定の思想の持ち主であるかどうかということでもって差別を行う、これが二番目の定義であります。それから、三番目の定義は、個人に対してその思想を表明させない、無理やり告白させない。これが内心の自由の侵害に当たると思います。
一方、制約ということを考えますと、例えば、国民にとって、例えば納税の義務とありますけれども、それは喜んで納税する人もいるかもしれませんが、やはり渋々出す人もいると思います。いろいろあると思いますけれども、でも、法律でもって納税の義務が課せられている、それが自分の信条と反するとしても、これはやはりその義務を果たさなくちゃいけない。それは制約であって、ある人にとっては、侵害ではないということですね。
そういう限定をして考えていきますと、思想、良心の自由の侵害と表現の自由の侵害に当たるということではない、内容的に見て。
それからまた、この法律も本当に丁寧に丁寧に説明しておりまして、その定義とか構成要件、それから運用上の注意まで詳しく規定しておりますから、繰り返し申し上げておりますように、これが正しく運用されるならば、私は、違憲訴訟が起きたとしても別に問題ないというふうに考えております。
以上でございます。
○野村参考人 御質問ありがとうございます。
もうかねてから何度かお話ししているかとは思いますけれども、やはり問題となりますのは、先ほど江藤参考人の方からもお話があったんですけれども、実際の実務を考えてみますと、乱発して、これによって刑事罰を科していこうというような行為が想定されにくい法律ではないかなというふうには思っております。
やはり、誰が見てもこれは表現だというふうには言えないような悪質な行為が行われているときにこそ、この刑事罰が役に立つというふうに考えて運用されていくものだというふうに思われますので、そう考えれば、その行為自体に対しては、普通の侮辱罪が適用されるケースであるとか、あるいは名誉毀損が適用されるようなケースとほとんど変わらないのではないかというふうに思われます。
ただ、先ほどから申し上げていますように、侮辱罪とかあるいは名誉毀損罪と言われているものは、個人に対して行った行為しか罰することができませんので、国旗を通じて全国民に対して侮辱した行為に対しての処罰というものはできないというのが現行法であります。そうだとすると、個人であれば侮辱罪が成立するような、そういったような行為に関して、警察が捜査をし、場合によっては起訴するという行為があったとしても、それは現行法の枠内に入っているというふうに考えてしかるべきではないかなというふうに考えております。
○森(よ)委員 御答弁いただいて、ありがとうございます。
実際の実務を想定したところにおいて、警察実務が煩雑にならないように、そして業務過多にならないように配慮していくことが重要だというふうに捉えているところでございまして、その点は江藤参考人の冒頭の御説明の中でも触れられていたというふうに認識をしております。
今、野村参考人がおっしゃっていただいたとおり、誰が見ても悪質なものに限って対象になっていくというのが、私もそのように認識をしていて、今回の法律においても、二条の二項において、客観的な事情を総合的に勘案して行うというような規定を設けているわけですけれども、これは、拡大的に解釈するわけではなくて、できる限り行為を抑制的に捉えていくための条項だというふうに認識をしておりますので、まさに、誰が見ても悪質なものというのは、こういった条文においても担保できているというふうに捉えているんです。
江藤参考人にお伺いしたいんですが、仮にこの法案が成立をした際には、御指摘いただいたように、現場が大変になる、通報が増えてしまうというような懸念は、そのとおり、間違いなく存在しているというふうに認識をしております。なので、実務的な観点からお伺いをしたいんです。
仮にこの法案が成立した際に、こうした、無駄なとは言いませんけれども、本当に悪質なものに限ってしっかりと通報がされる、悪質ではないものには通報がなされないように、しっかりと基準を作ったり、ある程度メルクマールみたいなものを設けて、そうしたことを国民に対して周知していくことであったりとか、あと、国民の側も、これはしていい行為だ、これはしてはいけない行為だということを分かるようにするために、具体的な基準を明示していくことが運用上でも大事だと思うんですが、そうしたところについて、御意見でしたり、こういう改善点があるということがございましたら、お願いいたします。
○江藤参考人 御質問ありがとうございます。
おっしゃるとおり、先ほどの野村参考人もおっしゃるとおり、誰が見ても悪質であると言えるものだけに適用されるということが担保されるのであれば、ある程度のクリアはできると思うんですが、先ほどの質疑でも申しましたけれども、誰が見ても駄目なんだということについてのコンセンサスがないということなんですね。そうであるから、誰が見ても駄目なものにしか適用しませんと、国会や骨子や警察が幾ら基準を作って説明したとしても、一般国民としては、これは誰かが見たら不快と言われるかもしれないとか、そういうところで萎縮が起きてしまう。
本来でしたら、法律の中に、いわゆる誰が見ても不快なというのを具体的に定義して盛り込めば、問題が完全にないかどうかは別にして問題は減ると思うんですが、現段階において、これは誰が見ても不快である、不快でないという判断の、社会通念が存在しないといいますか、社会通念が存在しない状況であると、どのような基準を設けたとしても、それは、うまく機能しない、一般国民に対しては萎縮効果をもたらすものになり得ると思います。
例えば、先ほどちょっとワールドカップの話がありましたけれども、ワールドカップで応援のために日の丸を使っていて、試合に例えば負けてしまったときに悔しいという気持ちでその場で損壊したところが映った、ひどい損壊の状況がテレビに映って流れたというようなときに適用されるのかされないかについてはまだ不透明というか不明であるように思われますし、まとめてお答えしますと、基準化できるのが最もよいのですが、基準化は私は現時点では不可能であると考えています。
○森(よ)委員 御答弁ありがとうございます。
まさに、誰が見たときに悪質なのか、悪質じゃないと捉えるのかというところの主体の、誰というのが極めて大事だと私も認識をしていて、昨日のこの内閣委員会の質問の中でも聞いたところ、一般通常人というのを想定しているんですが、これも非常にふわっとしていますよね。
なので、国会答弁なども通じて、この誰というのが一体どういうことを想定しているのか、そして行為といってもいろいろ濃淡がありますよね。こうしたところをしっかり具体的にしていくことが国会質疑の中でも求められているんだろうなということを改めて認識させていただいたところでございます。
続いて、百地参考人、野村参考人にもう一度お伺いさせていただきたいんですが、立法事実のところについて改めてお伺いをしたいと思います。
この国旗損壊罪をめぐっては過去にどのような事例があるのかというと、幾つか事例は出てきているものの、それは器物損壊罪の適用になっているということですので、本当に純粋たる国旗損壊罪の立法事実が具体的にあるのかというような懸念は幾つか出ているところでございます。加えて、本日もいただきましたが、外国国章損壊の適用件数も、ほとんど過去にないというようなことも事例として挙げていただきました。
そうした中で、恐らく、立法事実として提出者側がどのように考えているのかというと、将来に向けた予防的措置としての立法事実が一つあるのではないかということを、考え方として挙げられているというふうに認識をしていて。例えば、国内においてはこうした事例がなかなか具体的には見当たらない一方で、海外を見ると、そうした同様のケースが海外で生じているような事例があることから、これが国内に入ってきては大変だということで予防的立法事実としてこの国旗損壊罪が必要ではないかといったような見解も、この委員会の中で幾つか示されているわけなんです。
こうした予防的立法事実ということは今回の法案において十分成立し得るものなのかという点について、百地参考人、野村参考人それぞれにお伺いしたいと思います。
○百地参考人 立法事実の定義については、先ほど申し上げました。現にそういう事実がなくても、将来そういう危険性があり得るということを想定して立法するということはあり得る、現にそういう法律も存在するということを申し上げました。
国旗損壊の場合には、むしろ、元々我が国にはなかったというのは、その理由はよく分かりませんが、まさか自国の国旗をそこまでする人間はいないだろうというような、そういった国民的な、何というか、そういう思いがあり、あるいは共通の信念みたいなのがあってできてこなかったんじゃないかなとも思うんですけれども、実際は分かりませんが。しかし、現に不備な状態にあるわけですから、当然、そういったことも将来考えられますし、規定するということについては問題ないというふうに思っております。
それから、最初にちょっと器物損壊罪との関係が出てきましたけれども、確かに器物損壊罪を適用すれば対処できるような事例もありますけれども、問題はその法益の問題なんですね。器物は、物を壊したということについて、それを問題にするわけでありますけれども、国旗損壊罪の場合には、まさに国旗というのは国家の尊厳の象徴であると私は考えておりますから、したがって、そういう国家の名誉とか威信というものを傷つけるものであるということから国旗損壊罪というものを考えている、私はそのように思っております。
その際、一つ混乱があると思いますのは、実は、我が国においては、国家とは何か、国とは何かということ、これが非常に混乱しておりまして、実は国家をもって政府と考える人もおれば、国民共同体としての国家を考える人もあります。
この点、しばしば、国旗を損壊する行為をもって政府を批判する、そういう人がいますけれども、私はこれは理論的には筋違いだと思っております。国旗というのは、国民共同体としての国、これを象徴するものであります。政府の象徴ではありません。したがって、たとえ政権に対していろいろ反感を持ったりして批判するとしても、それをもって国旗を損壊するというのは私は筋違いではないかなというふうに思っているところがあります。
以上でございます。
○山下委員長 では、野村参考人、申合せの時間が過ぎておりますので、できるだけ簡潔にお願いいたします。
○野村参考人 ありがとうございます。
先ほどもちょっと申し上げたんですけれども、器物損壊の事例というのは確かにあります。器物損壊罪は親告罪でありますので、その物を持っている人が、大した価値のないものが傷つけられたというふうに考えて、それで告訴をしないということになれば、事件は終わってしまいます。しかし、国旗というものが、物としての価値が少なかったとしても、そこに込められている国民全体の思いというものは非常に重要なものでありまして、それを、一私人の告発するか否かによってこの問題が終わってしまうというのはやはり実態に合わないのではないかなというふうに思いますので、そういう意味では、既に器物損壊で処理されている事案があるということは、立法事実は既に存在していると考えていいんじゃないかなというふうに思っています。
○森(よ)委員 本日いただいた御意見を踏まえて、あした以降も質問をさせていただきます。
本日はありがとうございました。
○山下委員長 次に、川裕一郎君。
○川委員 参政党の川裕一郎です。
本日は、国旗損壊罪の慎重な審議、大事な審議に四人の参考人の皆様に来ていただきまして、本当にありがとうございます。先ほどから知見のあるお話、大変勉強になっております。
私たち参政党は、昨年から、法案提出や、また地方議会で意見書の提出などを通じて、この課題に取り組んできました。今回、四党共同提出という形で前進したということは、非常に意義のあることだと思っております。
本来であれば、国旗を故意に傷つけたりする行為、こういうものに対して処罰する法律を立法府がわざわざ作らなくてはいけないことに非常に悲しい思いをしております。しかし、現実には、国旗を傷つけたりする行為が、私たち、実際受けてきた立場なので、それを目にしながら感じておりますが、だからこそ、立法府として一定のルールを定める必要があるのだというふうに考えております。
しかしながら、憲法が保障する表現の自由や思想、良心の自由を尊重することも、民主主義にとってとても大事なことであります。国旗への敬意と自由な言論、また異論の存在をどのように両立させるか、今回の大きなテーマだと思っております。
そこで、まず、私たち参政党が現場で直面している具体的な事例について、四人の先生方にお聞きをしたいと思います。これは四人にお聞きしたいと思います。
参政党は、特に昨年の夏の参議院選挙、日本人ファーストというキャッチを掲げて、選挙を戦いました。その頃から非常に様々な方が街頭に集まってきたんですけれども、その中で、日本国国旗、日の丸にバッテンをつけて持ってくる方がたくさんいらっしゃいました。大小あるんですけれども、大きなものだと多分横三メートル以上の国旗に大きなバッテンをつけて、長いさおで、こうやって持ってくるんですよね。目の前にやはり来ます。インターネットを通じてそういうものもまた拡散をしておりましたので、多くの方がそういう嫌な思いもされたと思います。
これは現状の写真になるんですけれども、これは新聞とかテレビとかでもありましたけれども、こういうものが実際、参政党の街頭演説の場では、これは多分三メートル以上の大きなものだと思いますが、これを掲げながら罵声を浴びせてくる。これはずっと、十七日間、続いておりました。
こういう現状の中で、私自身もその街頭の光景を実際目の当たりにして、日本の国旗に対してここまでするのかという強いショックと怒りを感じておりました。それを見ている子供たちや若い世代が日本という国をどう受け止めようとするのか、非常に深い不安も覚えました。このような経験もあって、参政党は、日本の国旗を侮辱する行為に一定の歯止めをかけるべきだと考え、国旗損壊罪の必要性を訴えてきたところであります。
一方で、このバツ印つきの国旗に対する抗議については、政治的な批判、表現の一つとして認めるべきだという意見もあり、表現の自由の問題だという指摘もされています。
ここで、四人の皆さんにお聞きをしたいと思います。
このような参政党の街頭演説の場で日本国旗にバツ印をつけて振り回す行為を、皆様はそれぞれの立場からどのように評価をされているでしょうか。政治的な批判、表現として憲法が認める範囲なのか、それとも、日本という国や日本国旗に対する侮辱として一定の法的な線引きが必要な行為だと見るのか。こうした観点から、それぞれの、四人の先生の御見解をお聞かせください。お願いします。
○百地参考人 どうもありがとうございます。
参政党さんの、去年ですか、令和七年に起こりました国旗にバツ印をつけたという行為、私も、非常に残念、悲しく思っております。あのような行為は、当然表現の自由を超えるものであって、まさに侮辱罪に当たるようなものであると考えております。こういうことがあってはならないということで、器物損壊罪では対処できないそういう問題にも対応するためにも、是非作っていただきたい。
器物損壊罪との関係について言いますと、器物損壊罪は、自己の所有する物に対しては対象にならない。国旗の場合は果たしてそんなことがあるのかという議論もこれまで出たようでありますけれども、今おっしゃっています参政党さんの場合は、多分、自ら持参した国旗のはずなんですよね。したがって、自ら持ってきた自己の所有する国旗に対する損壊ですから、まさに器物損壊罪では対処できないような事例もありますから、まさにこの国旗損壊罪でもって対処するしかないケースだと思いますので、速やかに、こういった場合に対応できるように法律を制定していただきたいと考えております。
○江藤参考人 御質問ありがとうございます。
私自身は、個人的には、日の丸にバツ印が掲げられているものを目の前に出されると非常に心が痛みます。しかしながら、これを刑罰によって抑制すべきかどうかという問題は、また別の問題であるように思われます。
といいますのも、今回の法案において、もし、今御質問の趣旨を私なりに理解したところによりますと、日の丸にバツをつけたら処罰するのだというような趣旨の法案であるのであれば、それは相当に憲法違反の問題が私は生じ得ると思います。選挙演説のときに日の丸にバツ印を掲げたものを出しても処罰しないのだという趣旨の法案であるかと理解していたのですが、そうではなく、選挙演説のところに反対の方が自己所有の日の丸にバツ印を掲げても処罰するという趣旨の法律案なのであれば、それは相当に憲法違反の疑いが高いだろうと考えております。
表現として三段階ありまして、許されるものと、許されないかもしれないけれどもそれは刑罰によるべきでないものと、刑罰によらなければならないものがありまして、私は、日の丸のバツ印については刑罰によるべきところまでは行っていないと考えております。
以上です。
○野村参考人 ありがとうございます。
非常に難しい局面だというふうには思います。といいますのは、政治活動の自由というものは当然に保障されなければいけないということですので、その事案がちょうど選挙中であったということをどう見るかというのはやはり大きな問題だろうというふうに考えています。
他方、ほかにも、選挙以外のところでも、いわゆる政治的な主義主張を述べるために集団でデモ活動を行っているというときに、自分たちの意思表示の一環として、政治活動として何らかの形で国旗に対する損壊行為があったというのはどう考えるべきなのかというのは、次の次元として考えるべきだと思います。
その上で、私は、先ほど申し上げているんですけれども、これからの私たちの社会の中で、政治によっていろいろな意見が、論争があることは過去もずっと存在していましたけれども、新しい問題として、例えば、住民が自分たちの地域にたくさんの外国人が住むようになってきたことに対して違和感を感じ、その方々との間のトラブルというものが生じてきたときには、これは政治の話ではなく生活に関する問題ということになるわけですけれども、それに関して、例えば、外国人の方々とかそれを支援する方々とかがまさに同じような国旗を掲げて日本人に対して、日本人の発言に対するヘイトを行うという行為に対してはやはり処罰の可能性が出てくるということだと思いますので、どういう局面でその行為が行われているかによって大分結論は違ってくるのではないかなというふうに考えております。
○志田参考人 御質問ありがとうございます。
バツ印につきましては、もっといい表現をしようよ、その表現は見苦しいよというふうに説得をする材料にはなると思いますが、しかし、これをやめさせることを刑罰によって強制するところまではできないというところは、刑法を御専門となさっておられる参考人がおっしゃったことと私自身も同じ考えを持っております。憲法が要請していること、禁止していること、その中間に、強制はしないというゾーンがありまして、バッテンをつけるという表現は、その真ん中のところにある問題であると思っております。
また、バツ印自体は、一般には、私は賛同いたしませんといったような駄目出し表現として一般に使われるものでして、例えば最高裁判事の国民投票も、最高裁判事の名前の上に、この人は罷免をしてほしいと思ったら国民がバツ印をつけることができる。これは正式に認められている行為です。
ですので、バツ印一般を侮辱表現と取ることはできず、政治的な意思表示の表現、また、内容によっては、憲法十六条の請願権、文書による正式な、請願権で保障される誠実取扱いをしてもらえるものではなかったとしても、少なくとも、不利益を受けるべきではない表現として憲法十六条の保護を受ける可能性もあるのではないかと考えております。
また、選挙妨害になるようなひどいやじ、それから、例えば、日本の国旗を用いながら、むしろ、棒状のものを使って、何か選挙演説をしている方々、候補者の活動を実力をもって妨害しているというようなことが仮にあった場合には、これは本物の選挙妨害行為として、その筋で扱うべきものと考えます。
そこまで至らないものにつきましては、やじの範囲内と考えられまして、やじというものは選挙の候補者、当事者にとっては不快なものであっても排除すべきものではないということが、北海道警やじ排除事件の最高裁判決でも確認をされておりますので、その判決の論理に従いたいと思っております。
以上です。
○山下委員長 では、補足で。百地参考人。
○百地参考人 失礼します。
先ほどバツ印の国旗の話が出ましたけれども、私も段階があるということは考えておりまして、つまり、この法律では、公然と毀損する、破壊するという行為が問題になっておりますから、具体的に言うと、自ら旗にバツ印をつける、これ自体は許されないと思いますけれども、それはそれとして、これを持ち込んだ場合は、公然と公衆の前で破壊したものには当たらないだろうと思います。
同じように、映像表現の場合も先ほどちょっとありましたけれども、ドキュメントですね、映像を放映するために作るんだという場合も段階があるわけでありまして、放映された段階においてはこれは規制対象とされない。しかし、それを作るために公然と毀損している現場というのはあるわけですから、その行為については当然これは対象になる。
公然とということによって、段階、野村先生は局面とおっしゃいましたけれども、そういう段階に応じてきちんと整理することによって、厳格な適用、運用というのが可能になるかと思っております。
○川委員 それぞれのお立場の中からの見解、ありがとうございました。
今ほどの答弁の中から、百地参考人が最後にお話をされた、今回の公然との関係なんですけれども、おっしゃるとおり、今回の法律の中では、例えば自宅で国旗にバツをつけて持ってきて振り回しても、これは対象外ということで、公然とということなので、人前で実際にバッテンをつけて、また燃やしたりということが対象になります。
ただ、今回のこの法律案の附則の中で、追加の事項として参政党が要望させていただいたんですけれども、自宅で例えば損壊してきたものでも、そのものを外に持っていって大衆の前で陳列すること、これは検討事項として今後また三年をめどに考えていくということですけれども、このことに関して、私自身は、やはりこういう問題があったので参政党はこの国旗損壊罪に取り組み、今回も共同提案をさせてもらっているんですけれども。
実際、このことはしっかりと進めていきたいと党としても思っておりますが、このことに関する見解、私たちは、やはり自宅であろうが、国旗を損壊して、そして大衆の前でそういうものを陳列していくというのはやはり問題であろうと思っていますが、その辺りの見解をもう一度お聞かせいただきたいと思います。
○百地参考人 かなり難しい問題だろうと思いますが、一応、公然とという言葉を普通の日本語の常識として考えるならば、目の前で、大衆の前で公然とという、そういう趣旨に取れます。
しかし、解釈次第というか、この法律全体を見ますと、行為の外形とか周囲の状況その他の客観的な事情をということで、そこでバツ印をつけたその国旗を掲げることのために、例えば細かい話ですけれども、そっと隠れてやったとしても、これは一体の行為として、一連の行為として見れば、そういったことは果たしてどうなんだろうかと。文字どおりの公然じゃないからいいんだとも言い切れないような気もしますし、その辺はちょっと難しいんですが、まさに様々な周囲の状況その他の客観的な事情を総合的に、しかし、一方で表現の自由の侵害にならない、この辺のバランスを考えながら対応するしかないかなというふうに思っております。
○川委員 時間になりましたので、これで終わります。
ありがとうございました。
○山下委員長 次に、高山聡史君。
○高山委員 チームみらいの高山聡史です。
参考人の先生方、本日は貴重な御意見を賜り、ありがとうございました。
まず、罪の成否を判断する基準について百地参考人に伺います。
かつて議論されてきた国旗損壊罪の案では、日本国に対して侮辱を加える目的でという行為者の主観的な意図を要件としておりました。これに対して今回の法案は、意図や目的を要件とせず、人に著しく不快感や嫌悪感を催させる方法でと、公然と損壊する行為を外形的、客観的に判断するという構成に改められていると承知をしております。参考人は今日の意見陳述の中でも、行為者の意図や目的も問題とすべきではないかと述べられておりましたが、その上で伺います。
目的要件を外したという変更について、一方で、評価できる側面はございますでしょうか。例えば、捜査機関が個人の内心や思想、信条に立ち入ることを避けるという観点からは、一つの工夫と評価する余地があるのか、参考人のお考えをお聞かせください。
○百地参考人 ありがとうございます。
まず、侮辱する目的ということにつきまして、私は外国国旗損壊罪と同じように侮辱目的でと書くのが自然だろうと思います。その理由としましては、先ほど来言っていますように、国旗というのは国家の尊厳の象徴である、国家の名誉を傷つけようということになりますから当然侮辱目的というのは伴うはずでありまして、それを書くのは自然だろうと思います。
しかし、侮辱目的ということを外せば、その場合に、まず、国旗損壊行為を厳格に制限して考えますけれども、更に侮辱目的というものを外すことによって、また処罰の対象が軽減されるということは事実でありまして、そういう意味では、このような法律に反対する、あるいはもっと減刑すべきだという人たちから見ればそれなりの意味はあるんじゃないかなと思っております。
○高山委員 ありがとうございます。
次に、本法の施行までの準備について、江藤参考人と野村参考人のお二方に伺いたいと思います。
本法案は、成立すれば公布から二十日間というごく短期間で施行されることが見込まれております。しかし、第二条の構成要件、すなわち、どのような行為が処罰の対象となり、どのような行為がならないのか、また、どのような場合には違法性が阻却されるのかについては、客体、態様、行為、周囲の状況など、判断を要する要素が少なくないというふうに考えます。
この点について、私は、施行までに一定の措置が必要ではないかというふうに考えております。つまり、構成要件に該当する行為及びしない行為、違法性が阻却される場合及びされない場合について、罪刑法定主義の観点からも、また、表現の萎縮を招かないためにも、明白な基準であったり具体事例を示していくことであります。
そこで、お二人に伺いたいと思います。
罪刑法定主義の観点から、また表現の萎縮を招かないという観点から、国民に対しても、そして実際に運用に当たる捜査機関に対しても、構成要件や違法性阻却の有無を十分に周知する必要があると思います。このために、通常、新たに法律で罰則を設けるケースや厳罰化を行うケースにおいて、施行までにどのような形で基準や事例を提示することが必要で、そのためにはどのような手続、期間が必要になるとお考えでしょうか。
江藤先生においては、この基準を示すのが難しいんじゃないかということでございましたが、もしそういった基準を作る場合は普通はどうかみたいなところも含めて、江藤参考人、そして野村参考人の順でお考えをお聞きしたいと思います。
○江藤参考人 御質問ありがとうございます。
基準が明確になるべきだというのはまさに御指摘のとおりです。ただし、それが、成立後、施行までの間ではなく、もちろん施行してからでもなく、刑法は罪刑法定主義がございまして条文に書いてあればそれが基本的に適用されるものでございます、ですからこれは、成立までに基準を条文に盛り込む、もし成立するのであれば、成立するまでに明確な構成要件を条文に書き込むということが必要であると考えます。
条文が曖昧なまま、施行までに、あるいは施行後に基準が示されたとしても、罪刑法定主義上の懸念は消えない。それは、罪刑を法律で定めるのが罪刑法定主義ですから、法律に書き込む必要があると考えます。
以上です。
○野村参考人 質問ありがとうございます。
内心に関わる事柄が要件になっていますと、非常にそれは、どういう内心がよい内心で、どういうものが悪意なのかということを考えなければいけなくなると思いますが、今現在お示しいただいている法律の条文からいきますと、かなり客観的な行為の状況で認定できるような条文になっているのではないかなと私は思っています。
法律は確かに言葉によって書いてありますけれども、その言葉自体は、常に一義的に解釈できるようにでき上がっているものではなくて、その時々の様々な社会通念によって解釈されているものであります。例えば、殺人という言葉自体については、ほぼ一〇〇%みんなが理解しているだろうというふうに思っているかもしれませんが、最高裁は、例えば、後追い自殺をしますよと言って先に毒薬を渡して、それで、うそをついて飲ませたという行為自体を殺人だというふうに言っています。これは、私たちの一般的に理解している殺人という概念とは違っているわけですけれども、それでも、法律によって全ての知恵を働かせながら、その法律を運用しながらそれが明確化されていくということがあるんだろうというふうに思っています。
今回は、客観的に考え、その中で条文に込められている意味をちゃんと理解した上で解釈をすれば、このタイミングで施行させても大丈夫なのではないかなと。これは私個人の意見であります。
○高山委員 ありがとうございます。
いずれにしても、これが明確に理解できるものであるということが非常に重要であるというところは、お二人、共通したところかなというふうに思います。
続いて、志田参考人に伺います。
国旗を損壊する行為を規制することに対して慎重な御意見をいただいたと思うのですが、そういった場合においても、ヘイトスピーチのために国旗を損壊するということに関しては、例えば、人格権を侵害する行為やヘイトスピーチのために国旗を利用する行為を規制することに絞った立法であれば、憲法違反となる可能性が薄くなるという趣旨のことをおっしゃっていたと思います。
そこで、伺います。例えば、人種差別的なメッセージを国旗に書き込んだり、そのメッセージを強烈に伝えるために国旗を損壊するといった行為を処罰する法案があったとして、表現の自由を御専門とされるお立場から見て、そういった規制が表現の自由との関係でもなお許容されるとすれば、それはどのような観点、理由によるものでしょうか。参考人のお考えをお聞かせください。
○志田参考人 大変重要なところに御質問をいただきまして、誠にありがとうございます。
私がお手元にお配りしたレジュメですと、三ページ目に書かせていただいている内容がその御質問に該当するところだと思います。
ヘイトスピーチのために国旗を使用するような表現についてはどう考えるかということですが、現在、日本には二〇一六年制定のヘイトスピーチ解消法というものがありまして、各自治体がヘイトスピーチを解消していくように努めることということで、例えば、明らかなヘイトスピーチデモ、排外的な、排撃的なデモというものに場所を貸したりはしない、また、自治体によっては処罰を検討するというところも出てきています。
この筋で考えて、そして、ヘイトスピーチと言えるものに対して国旗が利用されているという場合には、この筋、つまり、ヘイトスピーチ解消の筋で対応することは必要であると思います。ただ、それは、国旗損壊罪をわざわざ規定、新しく新設するという形ではなく、ヘイトスピーチ解消法の、現行法の枠の中で対処すべきことであると考えております。
また、それ以外の差別的表現につきましても、今、日本の法令では、差別表現それ自体を正面から法規制することは避けています。そして、メディアや学校や自治体、様々な組織の健全運営のためにそれをやめていくように努力する。例えば、企業の経営者の責任として、そうした人格権侵害が生じるような差別表現、一般にハラスメントと言われる表現を抑えていく方向が求められています。
その枠の中で、もし仮に国旗を用いた差別的嫌がらせ表現、ハラスメント表現があるとすれば、それは抑えていく方向を取るべきである。これも、国旗損壊罪を新設するという必要を私は感じておりません。それぞれの法令でそうした人格権侵害に当たるものは抑えていくべきである、人格権侵害の筋で抑えていくべきであるというふうに考えております。
以上です。
○高山委員 ありがとうございます。
人格権侵害に対する対処としてどうあるべきか、あるいは、ヘイトスピーチへの対処としてどうあるべきかという議論がこれまでも積み重ねられてきて、その枠組みで対処すべきであるという御意見であったと理解をいたしました。
続いて、野村参考人に伺います。
参考人は、国旗を損壊する行為を国民全体に向けられたヘイト行為とも位置づけられるということで、外国国章損壊罪においては、外国国章を損壊する外国人に対するヘイト行為は抑止されている形になっている、その一方で、日本国旗を損壊する日本国民に対するヘイト行為は処罰の対象になっていないということを述べられたと理解しております。
その上で、国旗の損壊とヘイト行為との関係に着目をすれば、国旗の損壊が社会全体に憎悪であるとか分断を広げるケースがあるわけで、将来、社会的な害悪が生じることが見込まれる点も立法事実として位置づけられるというお考えでしょうか。参考人のお考えをお聞かせください。
○野村参考人 今委員がおまとめいただいたとおりでございます。
一点、先ほどの質疑の中にありましたヘイトスピーチに関して、既に法律があるので、その延長線上でという話になっていますけれども、御案内のとおり、我が国の二〇一六年のヘイトスピーチ解消法は、外国人に対してのヘイトスピーチだけを片面的に規制しているものでありまして、各自治体における条例も全てそのような状況になっております。
そのときに、多くの国民から質問があって、日本国民に対するヘイトはどうなっているんだということに対し、衆参両院の議員の皆様方が附帯決議という形で、国民に対してもヘイトが行われることは許されないんだということを固い意思で決議されていると私は承知しておりますが、それに対して特段の法制度というのをつくっているわけではありません。
ですから、唯一、国民に対してのヘイト行為の最たるものとして、国旗に対する損壊行為というものを特出しして規制するということには立法上の必要性があるのではないかというふうに考えております。
○高山委員 ありがとうございます。
今日、四人の参考人の先生方に御意見をいただきまして、大変参考になりました。国旗損壊罪に対する賛否のスタンスは先生方の中でもそれぞれあると思いますが、引き続き丁寧に審議させていただいて、いただいた内容も踏まえて議論を深められればというふうに思っております。
以上で、時間ですので、私の質問を終わります。
○山下委員長 次に、畑野君枝君。
○畑野委員 日本共産党の畑野君枝です。
本日は、国旗の損壊等の処罰に関する法律案について参考人の方々から御意見をいただき、ありがとうございました。
私は、この法案は、刑罰で思想、良心の自由、内心の自由、表現の自由を侵害し、罪刑法定主義に反するなど、明白な違憲立法だと考えており、廃案にすべきだという立場でございます。
まず最初に、志田陽子参考人に伺います。今日行われている議論の中で、どのような点に問題があると思われたか、御意見を伺います。
○志田参考人 御質問ありがとうございます。
まず、表現の自由などの精神的自由に規制を及ぼす場合には、よほどの必要性、英語で言いますとコンペリングという言葉があるんですが、よほどの強い必要性が必要である。ここから立法事実論の議論が出てくるのですが、このとき、立法事実があるのかという議論に対して、国旗が損壊された事実があるということは、立法事実としては不足していると私は考えております。その奥に、国旗損壊行為によって国民の重要な権利が害されている、あるいは国民の生命、健康が危機に瀕するということが確認されるといったようなレベルの必要性、これがコンペリングと言われる高度な必要性が含意しているものなんですね。ですので、その意味での立法事実の議論はまだまだ足りておらず、また、これが出てくるのかどうかということについては疑問に思っております。
また、国民の安全や国家の機能そのものを破壊することにつながるのではないか、不快感ということを超えて、そうした実害が本当にあるのではないかという問題が提出されればそれが立法事実となっていくわけですが、それに対応するための法律は既に存在します。内乱罪とか凶器準備集合罪とか、それから、テロ等に対応するための様々な刑法改正が既に日本では大変な議論を経て行われています。
こうしたものが、そうした危険にまさに対処するために、わざわざ日本で議論され、制定されておりますので、この筋からする立法事実をもし認めていくのであれば、既にそのための立法は存在し、国旗損壊罪という、人の感情を保護するための立法の議論をわざわざする必要はないであろうと考えます。
そして、この国旗損壊罪というのは、むしろ萎縮効果のデメリットを非常に多く含む。その萎縮効果につきましては、今日、発言の十分間では申し述べる余裕が余りありませんでしたので、もう一度、私のレジュメの最後、四ページ目にまとめたところ、ラストのところを確認していただきたいと思うのですが、表現者自身の萎縮ということは、先ほど刑法専門の参考人からも御指摘をいただきました。それに並んで、多くの人が、もしかしたらこれはと思って通報をする、そのことによって様々な弊害が生じる、これは今現在で芸術表現の世界では多発している問題です。そして、公民館などなどの公の施設が、そうした表現に場所の使用許可を取り消すといったような行動に出る、そうしたことについての萎縮効果は非常に深刻なものが既に生じております。そうしたことが加速してしまうのではないかというおそれがあります。
そして、日本の裁判所では、こうした萎縮効果が生じることが分かるという場合、表現の自由の価値に配慮して、萎縮効果を生じさせる公的機関の判断を違法とした、そうした最高裁判決がございます。二〇二三年の「宮本から君へ」最高裁判決がこれに当たります。
これを考えたときに、国旗損壊罪の発揮するであろう萎縮効果というものは看過できないということを、日本の裁判所が目を留めて考慮するということは十分に考えられると思っております。
以上です。
○畑野委員 ありがとうございました。
次に、江藤隆之参考人と志田陽子参考人に伺います。
本法案の提出者は、不快、嫌悪という感情、つまり、主観を客観的に判断できると答弁しておりますが、私としては、要件も曖昧な上に処罰範囲は不当に広く、刑罰としてあり得ないと思っておりますが、いかがでしょうか。
○江藤参考人 御質問ありがとうございます。
御指摘のとおり、本法案における不快、嫌悪というのは、どこまでなのか、どこからなのかが曖昧であり、刑罰法規が備えるべき明確性から逸脱していると考えます。
似たようなものは、例えばストーカー規制法等にあるんですけれども、その場合は、前段に、文の前に例示のようなものがついていたり、しかも、例も明らかに不快なものが明示されていますけれども、今回は、そうではない一般的な表現にとどまっていますので、明確性の観点からいくと、罪刑法定主義違反の疑いがあると考えます。
○志田参考人 ただいま、罪刑法定主義からの問題があることが指摘されましたが、私も同じように考えております。見る人にとっての主観で判断の発端が生じるというものについては、これを定義として限定していくことが非常に難しい。
そして、罪刑法定主義に反するという問題は、日本国憲法の条文に照らした場合には、憲法三十一条の、法の適正手続の中の、法律で定めたことによらなくては国家は人に刑罰その他の不利益を与えることはできない、そういう原則になっていますけれども、ここで言う法律というのは明確なものでなくては、この三十一条が意味を成さないことになってしまいます。その観点からも、明確性の原則という言い方で憲法では、刑法で言うところの罪刑法定主義を非常に重視しています。
表現の外的なところに着眼して判断をするということが言われてはいるのですが、やはり見る人にとっての不快感、嫌悪感というのは千差万別なもので、特に、現在の多様性を重んじ、多様な文化、文化的背景や価値観を持つ人が共存する社会では、この不快感、嫌悪感は全く千差万別のものになります。その中で、ある一定の人の価値観に根差した感情を保護するということになりますと、これは罪刑法定主義だけではなく、信条による差別を禁止している憲法十四条に反してくる可能性、そこへ拡大していく可能性をどうしても防げなくなります。
そして、これは処罰の問題ではなく、公民館がある俳句を掲載しないことにしたという判断に関する問題なんですけれども、九条俳句事件という訴訟での最高裁判決が、この十四条、信条の問題にも配慮している、そして十九条にも配慮して、公平性を欠く一方の信条に特に肩入れする形でもう片方の利用者に不利益を与えることは、憲法の趣旨からして、人格権の一つである期待権に反する、そういう考え方を示しております。
私は、まして処罰、刑事罰であれば、この考え方を強く取らなくてはならないと考えておりますので、現在の不快感、特に国旗・国歌にフェーバーな、それを肯定する人々の、愛する人々の心情に特に肩入れすることにするという刑罰法規については、憲法十四条違反の疑いが濃厚であると考えております。
以上です。
○畑野委員 ありがとうございます。
引き続きまして、江藤参考人と志田参考人に伺います。
私人による現行犯逮捕ができるようになる、思想、信条の異なる市民同士が不快だとか嫌悪感を持ったとお互いの言動を監視し合う、こういう息苦しい社会になるのではないかと昨日私は質問したんです。こういう点について、どのようにお考えになるでしょうか。
○江藤参考人 ありがとうございます。
現にそれが起きるかどうか分かりませんが、可能性としてはあり得るかと思います。ただし、それが最後まで認められるということはない、単に国旗を粗末に扱っていた、さあ、現行犯逮捕だというようなのが認められる、最後までそれが正当な逮捕だと認められることはないと思いますけれども、しかし、私の先ほどの意見陳述でも申し上げましたけれども、通報するとか、あの人が国旗を粗末に扱っている、許さないというふうな、そういう社会が来る可能性はあり得ると思います。
以上です。
○志田参考人 御質問いただいた危険性、通報が濫用的に行われる危険性というのは、日本社会の場合、十分あると考えております。
これは、六年前のコロナ感染症の蔓延を防ぐためにみんながステイホーム、自宅で過ごそうという状態になったときにかなり実際に行われたことです。警察への通報ではないですけれども、あそこのお母さんは外で子供を遊ばせている、それでいいのかというように、市民同士が言いつけ合うというようなことがあり、これはそうした通報や、それからSNSに上げて、これでいいのかというふうにあげつらう行為というのは、決して悪い、相手を傷つける気持ちからではなく、違法なことなんじゃないか、違法なことは許していていいのかという正義感から行われているというものが非常に多かったんですね。
この国旗損壊罪、正式に制定されますと、そういう正義を愛する国民が過剰な監視、そしてあげつらいを起こすということが日本社会の経験上はかなり危惧されます。
そして、そうしたことがあっても必要な法律なのか。例えば、殺人罪というのは、そういうことがあったとしても、とにかく殺人というものは防ぐ必要があるので必要な法律だということははっきりしているわけですけれども、これをデメリット、メリットを比較考量したときに、そうした通報の濫用が起こり得るというデメリットを凌駕する、優越するだけのメリットが認められるかというところは非常に難しいところだと思われます。
また、芸術作品については、既にそういった通報が濫用される動きというのは実際に見られていて、多くの、特に現代芸術系の芸術家がかなり悩んでいるという現実は今既にございます。それが加速することを危惧しております。
以上です。
○畑野委員 どうも今日はありがとうございました。
以上で終わります。
○山下委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。
この際、一言御挨拶を申し上げます。
参考人各位におかれましては、貴重な御意見をお述べいただきまして、誠にありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。
次回は、明二十六日金曜日午前八時五十分理事会、午前九時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。
午前十一時二十六分散会

