第5号 令和7年6月13日(金曜日)
令和七年六月十三日(金曜日)午前九時開議
出席委員
委員長 逢坂 誠二君
理事 國場幸之助君 理事 島尻安伊子君
理事 鈴木 貴子君 理事 新垣 邦男君
理事 川内 博史君 理事 屋良 朝博君
理事 藤巻 健太君 理事 許斐亮太郎君
東 国幹君 上田 英俊君
尾崎 正直君 栗原 渉君
小池 正昭君 小林 鷹之君
鈴木 隼人君 西銘恒三郎君
平沼正二郎君 広瀬 建君
福原 淳嗣君 向山 淳君
若山 慎司君 川原田英世君
篠田奈保子君 西川 将人君
松木けんこう君 高橋 英明君
深作ヘスス君 吉田 宣弘君
山川 仁君 赤嶺 政賢君
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参考人
(GW(ゲートウェイ)二〇五〇PROJECTS推進協議会代表理事) 本永 浩之君
参考人
(東京科学大学未来社会創成研究院准教授) 古波藏 契君
参考人
(公益社団法人千島歯舞諸島居住者連盟理事長) 松本 侑三君
参考人
(北方領土隣接地域振興対策根室管内市町連絡協議会会長)
(根室市長) 石垣 雅敏君
衆議院調査局第一特別調査室長 松本 邦義君
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委員の異動
六月十三日
辞任 補欠選任
上田 英俊君 福原 淳嗣君
小林 鷹之君 平沼正二郎君
若山 慎司君 栗原 渉君
同日
辞任 補欠選任
栗原 渉君 若山 慎司君
平沼正二郎君 小池 正昭君
福原 淳嗣君 東 国幹君
同日
辞任 補欠選任
東 国幹君 上田 英俊君
小池 正昭君 尾崎 正直君
同日
辞任 補欠選任
尾崎 正直君 小林 鷹之君
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本日の会議に付した案件
沖縄及び北方問題に関する件
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○逢坂委員長 これより会議を開きます。
沖縄及び北方問題に関する件について調査を進めます。
本日は、本件調査のため、参考人として、GW二〇五〇PROJECTS推進協議会代表理事本永浩之君、東京科学大学未来社会創成研究院准教授古波藏契君、公益社団法人千島歯舞諸島居住者連盟理事長松本侑三君、北方領土隣接地域振興対策根室管内市町連絡協議会会長、根室市長石垣雅敏君、以上四名の方々に御出席をいただいております。
この際、参考人各位に一言御挨拶を申し上げます。
本日は、御多用のところ本委員会に御出席いただきまして、誠にありがとうございます。参考人各位におかれましては、沖縄及び北方問題につきまして、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。よろしくお願いいたします。
次に、議事の順序について申し上げます。
まず、本永参考人、古波藏参考人、松本参考人、石垣参考人の順に、お一人十五分程度で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑に対してお答えいただきたいと存じます。
なお、念のため申し上げますが、御発言の際はその都度委員長の許可を得て御発言くださいますようお願いいたします。また、参考人から委員に対して質疑をすることはできないこととなっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。
それでは、まず本永参考人にお願いいたします。
○本永参考人 皆さん、おはようございます。GW二〇五〇PROJECTS推進協議会代表理事の本永でございます。
本日は、このようにGW二〇五〇PROJECTSの御説明の機会をいただきまして、誠にありがとうございます。
GW二〇五〇PROJECTSでは、那覇空港と今後返還が予定されている那覇港湾施設、牧港補給地区、普天間飛行場の四つを価値創造重要拠点と位置づけまして、それぞれのエリアが相互に連携し、機能分担する一体的な成長戦略を構築することで、各エリア単体で得られる以上の地域発展性を実現し、沖縄における自立型経済の象徴的存在と真に日本を牽引する成長モデルの構築を目指すもので、沖縄の経済界が中心となりまして、那覇市、浦添市、宜野湾市の皆さんと一緒になって、昨年八月に協議会を立ち上げました。
沖縄は、アジアの中心としての立地特性や独特の歴史、文化、豊かな自然を育む温暖な気候を有しております。アジア各国と日本をつなぐ世界に開かれたゲートウェーとして、大きな可能性を秘めております。
一九七二年の沖縄復帰以降、沖縄振興特別措置法に基づいた様々な振興策や人口の伸び、入域観光客数の増加などを通じて経済成長を遂げてまいりました。復帰後四千億円台だった県内総生産は、現在四・九兆円まで拡大しております。実に五十年間で十倍の拡大となります。
一方、今後を展望しますと、人口減少などが見込まれておりまして、今後、沖縄が持続的に成長していくためには、戦略的に将来像を描くことが重要となってまいります。
GW二〇五〇PROJECTSでは、沖縄が抱える構造上の課題とその背景を踏まえまして、中長期的な世界の産業潮流と沖縄らしさを掛け合わせた新たな産業の創出と、二十億人のアジアのダイナミックなマーケットを取り込む人材育成モデルの構築、そしてその実現に向けた前例にとらわれない制度の在り方、また、島国においては物流と人流の玄関口である空港、港湾機能が地域の成長発展と密接に関わることも踏まえまして、那覇空港の機能強化について一体的な検討を進め、昨年度、二〇二四年度ですけれども、グランドデザインとして取りまとめましたので、皆さんのお手元に配付してある資料に基づいて御説明をさせていただきたいと思います。
早速ですが、資料の三ページ、四ページをお開きいただきたいと思います。
まず、グランドデザインの全体像となりますが、沖縄の抱える主な課題を整理いたしました。左上から、まず、全国と比較して約七割にとどまる所得水準、そして子供の貧困、慢性的な交通渋滞による年間約一千五百億円相当の機会損失、離島の過疎化など、こういうものを挙げております。
また、これらの諸課題の解決の方向性といたしましては、県内総生産の拡大、労働生産性の向上、域内での自給率の向上、そして離島の生活環境の向上などを図りながら、県民のよりよい暮らしを実現するため、沖縄の将来像を描き、成長目標を掲げております。
ここでは、二〇五〇年の成長目標として、名目県内総生産は現在の約二倍となる十一兆円、そして、総生産の拡大が図られた際の一人当たりの県民所得、現在二百五十四万円ですけれども、これを六百二十四万円まで拡大することが期待されております。これは、世界の成長水準と同等以上の成長ペースを目指すもので、沖縄が真に日本を牽引する成長モデルということになろうかと思っております。
この成長目標の達成に向けましては、沖縄らしさと沖縄が期待されている役割を踏まえました四つの産業分野として、まず既存産業の高付加価値化、そしてブルーエコノミー分野、先端医療分野、さらには航空宇宙分野を掲げました。
それぞれの分野ごとに簡単に御説明をさせていただきますので、少しページを飛びますけれども、九ページ、十ページを御覧いただきたいと思います。
まず、既存産業の付加価値といたしまして、基幹産業である観光産業の成長を起点に波及効果の最大化を目指してまいります。まず、沖縄への投資やアウトバウンドにつながる富裕層、投資家、ビジネスパーソンを呼び込みます。そして、域内自給率の向上として、観光関連消費の県産品の割合を高めてまいります。さらに、インバウンドを活用して、沖縄の商材を世界市場に売り出していくアウトバウンドの創出に取り組むこととし、アウトバウンド創出に向けた機能の構築を目指してまいりたいと思っています。
十一ページ、十二ページを御覧ください。
続いて、沖縄らしい産業の創出としましては、豊かな海洋資源、自然環境に恵まれている立地特性やOISTなどの学術機関の持つシーズを踏まえ、亜熱帯性気候ならではの養殖モデル、バイオ産業の確立、そして今後市場拡大が見込まれておりますスーパーヨットなどの船舶MRO、メンテナンスなど、ブルーエコノミー分野への関連産業の創出を目指してまいります。
十三ページ、十四ページを御覧いただきたいと思います。
三つ目の取組としては、先端医療の分野となります。県民の健康医療データを活用いたしまして、がんや糖尿病などの非感染型疾患の因子特定の研究、その研究を通じた創薬の産業化、さらには医師不足、過疎化の進行など島嶼県地域の課題を踏まえました遠隔医療技術の確立、そして県内学術機関との研究シーズを生かした先端医療分野での産業化に加えまして、サイエンスパーク構想の実現を目指してまいりたいと思っております。
十五ページを御覧ください。
ここでは、沖縄の地理的特性として、赤道に近い低緯度立地を生かしまして、日本の宇宙開発技術や衛星データを活用した宇宙ビジネス需要の取り込みや、大型機やビジネスジェットなど沖縄らしい高付加価値化を実現した航空MROを強化し、航空関連産業の拡大を図ること、航空宇宙分野両面での産業の創出を図っていきたいと考えております。
これらの産業創出に当たりましては、革新的な技術やビジネスモデルを持つスタートアップ企業の参加が不可欠であると考えております。沖縄の特性を生かしたスタートアップエコシステムの構築を進め、国内外からの起業家や投資家を呼び込み、地域発のイノベーションを加速させてまいります。
十七ページ、十八ページを御覧いただきたいと思います。
成長産業の実現には、人材育成が極めて重要だと私たちは考えております。経営人材、高度な観光人材、そして専門産業の人材育成並びに国際競争力強化の観点でグローバル教育の導入などを人づくりの柱に掲げております。
特に、先端医療やブルーエコノミーなど成長産業分野におきましては、常に変化する世界の産業潮流を捉え、即戦力となる高度専門人材を沖縄で育てていくことが極めて重要だと考えておりますので、産学官の連携を推進し、経済界としても人材育成に積極的に関わっていきたいと考えております。
次世代を担うグローバル教育につきましては、沖縄の未来を支える人材が国際的な視野を養い、実践的な能力を身につけられる環境整備が必要であります。小学校からの英語教育を強化して、県内で日本語と並んで英語が日常的に使える社会づくりを目指してまいりたいと考えています。また、外国人材の受入れ支援を図り、アジア等から優秀な人材を呼び込むなど、沖縄で活躍できる環境づくりに取り組んでまいります。
続いて、二十一ページ、二十二ページを御覧いただきたいと思います。
ここでは、二〇五〇年のクリーンエネルギー社会の実現に向けて、空港や港湾、基地返還跡地のカーボンニュートラルの実現を目指してまいります。
島嶼県の沖縄においては、カーボンニュートラルについて様々な不利性を抱えておりますけれども、島嶼地域ならではの環境技術等を実証できるテストベッドの場として、環境志向型の町づくりを目指してまいります。それとともに、こうした技術を、同じ島嶼でありますアジア太平洋諸国、こういったところに技術移転を図ることで、世界的なカーボンニュートラルの実現に貢献してまいりたいと考えております。
次ページを御覧ください。二十三ページ、二十四ページとなります。
成長戦略を実現した際に、那覇空港の利用客は二〇五〇年に年間三千六百万人の旅客需要が見込まれております。外国人やビジネス旅客への対応力を備えた空港機能が求められます。
島国の経済レベルはその国の港湾や空港のレベルを超えることはできないとシンガポールのリー・クアンユー首相は言っておられました。産業と観光の玄関口である那覇空港を世界最高水準の国際リゾートビジネス空港へと進化させて、那覇空港の機能強化と拡充と都市機能の高度化を一体的に進めてまいりたいと考えております。
次に、交通分野です。沖縄では、那覇、浦添、宜野湾市等の県中南部を中心に、慢性的な交通渋滞によりまして、先ほど申し上げましたように年間一千五百億円程度の経済損失が生じていると言われております。GW二〇五〇では、空港を起点とした基幹交通の導入で大量輸送、定時性、速達性の実現により交通渋滞の緩和を図るとともに、地域交通を含めた一体的なネットワークの構築を目指してまいります。また、基地返還のタイミングを踏まえ、返還前と返還後での基幹交通の在り方について検討を深めてまいりたいと考えております。
続きまして、二十五ページ、二十六ページを御覧ください。
成長戦略の実現につきましては、制度の面からも検討が必要になります。自治体による駐留軍用地の先行取得の着実な推進、不発弾撤去や土壌汚染除去などの迅速化、そして基地返還後の早期の町づくりに向けた制度についても検討を進めてまいりたいと思います。
そのほか、成長目標の達成に向けては、基礎研究から社会実装までを見据えて、世界最高水準の学術機関であるOISTとの連携強化、それと台湾経済界との戦略的パートナーシップを構築しながら、お互いに密な連携を図りながら取り組んでいきたいと思っております。
以上が、グランドデザインの説明となります。
最後に、実現に向けましたロードマップを記載しておりますので、二十七、二十八を御覧ください。
今説明させていただいたグランドデザインをベースに、今年度は、三つの基地跡地の機能分担の明確化や、二十九ページ、三十ページに記載の各種施策の実行計画の具体化、こういったことを進めまして、ゲートウェーの成長戦略として取りまとめる予定でございます。
それを踏まえまして、各実行プロジェクトの立ち上げや、二〇二七年度からの沖縄県の第六次沖縄振興計画の中間見直しへの反映に向けまして、国、県、関係機関などへ提言、調整をさせていただきたいと考えております。
基地返還を見据え、時間の要する産業基盤の整備や人材育成など、現段階から実行可能な取組を着実に推進することで、返還後の跡地開発を早期に進めていきたいと考えております。
それによりまして、基地返還後の輝かしい沖縄の将来像を描き、多くの県民とこれを共有することによって、早期の基地返還を促していくとともに、八百ヘクタールに及ぶ広大なフィールドが更地から開発できるという大きなポテンシャルを生かし、世界の産業潮流に果敢に挑戦し、地域経済発展モデルの取組を沖縄から発信していきたいと考えております。
本日は、このような御説明の機会をつくっていただき、また、最後まで御清聴いただきまして、誠にありがとうございました。(拍手)
○逢坂委員長 ありがとうございました。
次に、古波藏参考人にお願いいたします。
○古波藏参考人 東京科学大学の古波藏と申します。よろしくお願いいたします。
僕は、専門が沖縄を対象とした歴史社会学になっていて、平たく言うと沖縄の戦後の歴史の研究をしています。それとは別に、沖縄以外の条件不利地域をフィールドとした地域コミュニティー、これを力づけたり、自分たちで事業をつくったりといったことにも取り組んでおります。
今日の話は、自分がこれまで学術書、一般書で書いてきた話と、それから地域づくりに関わる中で見聞きしてきたことから三点だけお話をしたいと思っています。
一点目が、まず、沖縄振興というのが、基本的に八十年間経済の成長だけを追求してきてしまっていたところがあるという話。
それから二点目に、経済は成長しているんだけれども、では、それが社会的な豊かさにつながっているかというと、必ずしもイコールにはなっていないかもしれないなという話。八十年ずっとそれをやってきてそうなってしまっているのであれば、ここで少し目先を変えて、目標設定から考え直してみる必要もあるのではないかという話をしてみたいと思います。
一点目の、八十年間経済成長をしゃにむに追求してきてしまったということですけれども、含意としては、ほかにいろいろな目標を掲げてきたんだけれども、それがお題目として棚上げになったまま、結果としては経済成長だけを達成してきてしまったということですね。
これについては、少し歴史の話をしたいと思います。さっきから八十年、八十年と言っているのは、戦後八十年なので、当然前半は米軍統治期になります。一九七二年に沖縄は日本に復帰しますので、その前後で大きく経済の在り方は変わるんですけれども、例えば自立経済をつくりましょうみたいな目標でいうと、実は余り変わっていないんですね。米軍も言い方としては少し変えていて、健全で持続可能な経済を沖縄でつくりましょう、こういう言い方をしています。実際にそれをやろうとはしていたんですね、それは米軍の思惑としてやろうとしていた。
ただ、結果からいうと、この自立という部分に関しては、棚上げにならざるを得ない部分がありました。例えばですけれども、一九五〇年代の半ばぐらいまでの沖縄経済というのは、基本的には、基地を造って、そこで働いている人たちのお金でもって内地から何かを輸入して経済を回すという買い食い型の経済、基地経済と言われますけれども、そういうもので回していた。
五〇年代になってくるとそれも立ち行かなくなってくるので、今度は砂糖とかパインを作って、それを世界市場に輸出できればいいんですけれども、そんな競争力はないわけですから、日本政府が特恵措置という形で国内産品として買い上げてくれるという形で回すのが六〇年代の半ばぐらいまで。さらに、後半になってくると、今度はベトナム戦争が起きますから、その特需で経済を回す。
それもだんだん立ち行かなくなってくるので、今度は日本政府からの直接的な援助というのがどんどん大きくなってくるという形で、つづめて言うと、その時々で使える一過性の要素を組み合わせる形で何とか経済を回す、それで大体日本本土と同じぐらいの成長率を維持するということを米軍はやってきているわけですね。
これは何でそういうことをしているかというと、そもそも米軍からすれば、大事なのは住民ともめないこと、住民の不満がたまってアメリカ統治に、復帰運動という形ですけれども、反旗を翻さないようにすることというのが第一義で、経済成長の中身ということに関しては二次的な問題にとどまってしまっていたということですね。
この経済の形というのは結構復帰の前後ぐらいからひどい言われ方をしてはいて、外からいろいろな要素を入れて経済を回すから、それを指して人工栄養の経済、これはエコノミストの大来佐武郎さんの言い方ですけれども、そういうふうに言われたり、割と消費は華やかなんだけれども何もまともな生産業が育っていないよねという意味で生け花経済とか言われたり。根っこがないという意味ですね。あるいは、外から入れたものが全然根づかない、先ほど本永さんの話にもありましたけれども、出ていっちゃうということでざる経済。いろいろな言われ方をしていて、当然それは、日本に復帰したタイミングで、その汚名を払拭するために沖縄振興開発をやりましょうということで、本土との格差是正と並んで、最初から沖縄の自立的な発展ということが沖縄振興開発の中には入っていた。
けれども、それが十年ごとに何度ビジョンの刷新を重ねていても、結果的には自立という部分というのはふわっと浮いたまま、ひたすら経済の量的な拡大というのが追求されてきたというのがここの八十年起きてきたことかなと思っています。
もちろんそれが全て無意味だったとは言いませんが、八十年それをやってきているので、先ほど言ったとおり、少し目先を変える必要もあるのではないかと思っています。特に、冒頭言ったとおり、では、経済が発展すれば、成長すれば、それで社会が豊かになってきたかというと、そうではなさそうだということがここ数年の沖縄では言われ始めているというのがあります。
これが二点目の社会的な豊かさの創出という話になるんですけれども、話の性質上、結構ふわっと曖昧になってしまうところがあるので、少しだけエピソードを紹介したいと思います。
これは一九七二年の復帰直後ぐらいの話なんですけれども、このときに、保守とか革新とか余りそういう立場関係なく、各界の名士と言われる人たちが集まって、沖縄の文化と自然を守る十人委員会というものをつくります。その名義で過度な経済開発をたしなめる提言を出して、割と話題を集めたことがあります。
かいつまんで言うと、復帰前までは沖縄というのは地域共同体的な精神的連帯があったんだけれども、それが日本に復帰した途端に、コンクリートジャングルで埋め立てられてしまって、自然も文化も全部お金で勘定するようになってしまった。沖縄の方言でジンヌユと言うんですけれども、銭の世、ジンヌユになってしまったということで、これはまずいんじゃないかということが実は復帰直後から言われていたということですね。
自然とか文化の破壊もさることながら、結構大事だなと思っているのは連帯性の破壊の部分で、これは要は自分一人だけうまくいけばいいんじゃないかというメンタリティー、社会科学では個人主義的上昇志向とかいう言い方をして、硬いので僕はマイホーム主義というふうに端的に言っているんですけれども、自分と自分の家族以外はまあいいやみたいなマインドセット、それが沖縄にも入ってきてしまったというのを警告しているわけです。
これは予言のようなところがあって、割と最近の沖縄では、調査をすると、住民同士のつながりというのはあからさまに弱くなっていると言われています。沖縄県も三年から五年置きに一回県民向けの意識調査というのをやっていて、その中で、十年前と比べて住民同士のきずなは強くなったと思いますか、弱くなったと思いますかというのを聞いています。
結果は、大体予想はつくんですけれども、常に、弱くなったが最大で、強くなったは最小なんですね。最新の二〇二四年の結果とかだと、弱くなったが四五%、強くなったが四・五%、大体十倍ぐらいの差になっている。当然、コロナがあるのでそれは差っ引かないといけないんですけれども、それでも長期的なトレンドとして、住民同士全然最近つながれていないよねというのが主観的にも言えているということですね。
もう少し具体的な問題に引きつけて言うと、二〇一五年に、当時翁長県政、翁長雄志さんが知事をやっていたときに、県が独自で子供の貧困の状態を調査したことがあります。蓋を開けてみると、三人に一人の子供が貧困の状態になっているというのが明らかになって、割と大騒ぎになったことがあります。
三人に一人なので、両隣の家のどっちかぐらいの割合ですよね。この比喩は正しくないんですけれども、多分住んでいるエリアが違うので。比喩的に言うとそれぐらいの割合の子供が貧困になっているということが分かってしまって、今はこれは重点的に取り組む、県政の一大課題ということで今最重要課題になって取り組まれているところです。問題は、両隣のどっちかぐらいの割合の貧困にそれまで気づかないぐらいに沖縄社会というのがばらけてしまっていて、しかもそれが気にならない。先ほどマイホーム主義と言いましたけれども、気にならないぐらいのところまで先ほど十人委員会が言っていたような連帯意識の衰退というのが進んでいたということがポイントかなと思っています。
もう一つ、もっと卑近な例になりますが、経済的に豊かになることが社会的に豊かになることではないということに関して言うと、例えば中南部に一極集中現象が進んでいますが、これなんかも言えるのかなと思っています。
沖縄というのは割と特殊な地方で、どこの地方も県外への人口の流出というものに悩まされているんですけれども、沖縄は、出てはいくんですが、そこまで急激ではないというのがあって特殊なんですけれども、中を分け入ってみると、那覇がある中南部とそれ以外というのは全く様相が違っていて、中南部というのは、周辺部分から相当な人口を吸い上げて物すごく人口が密集していて、家を買うにも買えないぐらい値段も高くなっていて、おまけに、先ほどお話ありましたとおり、渋滞もひどくて、何をするでもない通勤時間に膨大な時間を費やしているということがあります。
中山間とか離島より那覇の方が結構稼げる仕事というのは多いんでしょうということで人が出てくるわけですけれども、蓋を開けてみたときに、では、そこで暮らしてみていい生活が送れているかというと、多分全く別問題というのが誰の目にも明らかになっているということが言えると思います。
三点目ですけれども、ゲームチェンジの話。さすがに、八十年これを続けてきて、ちょっと見直さないといけない、多分、目標自体を少し考え直した方がいいのかもしれないという話に入りたいと思います。
先ほど、五十年前の各界名士たちがジンヌユになってしまうと嘆いたという話をしましたが、では、銭じゃなきゃ何なんだということになりそうなんですけれども、昨今、幸福度調査みたいなもので別の指標というのが言われるようになっている。その中で、幸福度に寄与する経済的な要素の割合というのはある程度までなんだ、ある程度のところまでは所得が上がると割とハッピーになるけれども、ある程度から止まっちゃうんだというようなことを間々言われていて、だんだんその警告に対して科学的な根拠というのが追いついてきているのかなと思っています。
先ほど、沖縄の研究とは別に、地域コミュニティーをフィールドにしたいろいろな活動をしているというふうに申し上げましたが、その実践をやっている中でもすごく体感的に感じるのは、お金の価値自体が結構変わってきているんだろうなというのを感じます。変な言い方ですけれども、お金の価値というのは変わるんだなと思っています。
僕が見聞きした範囲と言いましたが、全国的にも地方に移住する若者が割と注目を集めるようになっています。あるいは関係人口、今話題になっていますけれども、関係人口という形で地方に関わりたいという人たちも増えている。これもその兆しだと理解しています。
こういう動きをする人たちに共通するのは、お金がもらえなくても、何ならちょっとかかったとしても、意味のある仕事をしたいというような思いが強いわけですよね。収入が減るのにわざわざ離島とかに移住するというのも同じことです。人間が経済的に合理的にしか判断しない、行動しないということであれば、外れ値になってしまうような人たちというのが全く無視できない規模で膨らんでいる、それがある種一つの業界まで形成してしまっているというのは注目すべきことだと思っています。
よく考えれば、それはそうで、お金が価値を持つというのは、何かそれが価値のあるものと交換できるからこれはいいなと思うわけですけれども、稼いでも稼いでも、例えば那覇でそこそこ稼いでも家なんか買えなかったりするわけですよね。昔とそこが明らかに違うわけで、お金のレート、価値が変わってきているというのは重要なポイントだと思っています。
もう一つだけ例を出して話を終わりたいと思いますけれども、労働者協同組合という言葉を御存じでしょうか。法人格なんですけれども、これが多分今後の、沖縄だけじゃないと思いますけれども、社会とか経済の在り方を考えるときに一つ新しい視点をつけ足すものになるのかなというふうに考えています。
これは何かといえば、二〇二〇年に超党派の議員立法で法律ができて、正確にはその前からずっと活動自体はあったんですけれども、法律として法人格が認められたのが二〇二〇年にできています。
これはどういうものかといえば、働く人が自分たちで出資もするし経営もするし、普通これは分かれているんですけれども、経営者がいて労働者がいてどこかに出資者がいてということではなく全部同じ人がやるというものですね。こういう仕組みになっているんですけれども、その仕組みを使って、地域に眠っている、隠れている、でも存在しているニーズを捉えて、それを事業にして仕事をつくっていく、そういうふうに活動される法人です。
実は僕自身も、この法人格を使って那覇で書店を運営しています。栄町市場というところにある栄町共同書店というんですけれども、この話を少しだけ紹介しておきたいと思います。
これは全国と全く同じなんですけれども、沖縄でも書店というのはすごく減っていて、もうもたないとなっているんですね。本を売って稼いだ金で家賃を払ったり人件費を払ったりというのがどんどんできなくなっていて、経済的にはだから淘汰されつつある。経済的にはもたないんだけれども、それは社会的には困るんだというのが問題になっているわけですよね。
例えば、本屋というのは本を買うだけの場所ではなくて、そこに行けば、自分が求めていなかったんだけれども、何だこれというような新しい本に出会う、自分と違う見方、考え方をするやつがこんなにいるんだというような、違う考え方、社会の中にある別の考え方と出会う機能を持つという公共的な場所になっている。あるいは、そんなややこしいことを言わなくたって、ちょっと飲み会の待ち合わせの間とかに時間を潰すような、公園みたいな機能も果たしているということで、そういう場所というのはなくなっちゃったらまずいんじゃないのということは社会的には問題になるわけですよね。
では、どう残していくのかということを考えたときに、残したい、そのために何か力を出したい、だけれども関わり方として分からないという人たちを仲間として集めて、労働者協同組合という形で書店を運営しています。それぞれメンバーはみんな本業があって、残った隙間時間をこの活動に費やしているんですけれども、でも、それで一つ社会の中に書店が残せるという実績があるわけですね。
これは都市部の話なんですけれども、労働者協同組合というのは本来割と条件不利地域に向いている法人で、そこでもじわじわと広がっています。法律の中でも、根拠法の中でも持続可能で活力ある地域社会の実現に資するというふうに書いているわけで、地域で必要とされていることを事業にして、形にして、その中で自分の役割とか居場所を確保できるということに価値を見出す人たちというのが一定数いて、いるんですけれども、まだまだそれが現実の選択肢としてあるということが知られていないというのが課題になっているところかなと思っています。
そろそろくくらないといけないんですけれども、要は、新しい、ゼロから何かをつくるということだけが多分振興の在り方ではないんだろうなと思っています。
労協の例に重ねて言うと、どこかからすごいアイデアがあって、それでみんなが引っ張られていくというような仕組みではないんですね。みんな出資しているし、経営者として関わらないといけないので、強制的に議論の中で考えさせられる、当事者として考えさせられるので、それまで考えてこなかったようなことまで考えるようになる。でも、それは社会全体で見ると、人材リソースが豊かになっていくということなわけですよね。使われていない能力というのを使えるようにしていくというのも一つの考え方なのかなと思っています。
大分ナイーブな話をしているというのは承知をしているんですけれども、地域が力をつけていくというのはそういう面もあるということだと思っているので、成長のための成長ではないビジョンというのにも可能性があるということをお話ししておきたかったというところでございます。
少し時間を超過しましたが、お話はこれで終わりたいと思います。
御清聴ありがとうございました。(拍手)
○逢坂委員長 ありがとうございました。
次に、松本参考人にお願いいたします。
○松本参考人 皆さん、こんにちは。私は千島歯舞諸島居住者連盟理事長の松本です。
私は、択捉島留別村天寧で天寧郵便局長の三男として生まれ、そこで幼少期を過ごしました。
本日は、当委員会の逢坂委員長、そして各委員の先生方の御高配を得ながら、こういうような説明できる場を設けていただきましたこと、もう感謝に堪えません。
また、常日頃より私たちの活動に御理解、御援助いただいております皆様方に、併せて、この場をおかりしてお礼を申し上げたいと思います。ありがとうございます。
本来であると、皆さんにお配りした資料の順にお話を進めていかなければならないと思うんですが、その前に、私、島民として、私たちの気持ちをまず最初に伝えさせていただきたいと思います。
私の生まれた島、択捉島は、湖沼と湿原の島と言われ、自然が豊かで、そして極めて漁業資源を中心にした資源が豊富な島です。
先ほどと同じことを申し上げますが、間違いなく、世界の海洋生物の中で、千島列島はいわゆる海洋生物のサンクチュアリーと呼ばれております。原生態系といいまして、そのぐらい生態系が保たれて、あれだけ豊かな海が存在するところはほかに見られないのではないかと思っております。
私たちはそこであらゆるものを失ってしまいました。それは、不動産であり、動産であり、そして、そこで生活する権利すら、あるいはそこで生まれた歴史すら失ってしまいました。
言い方を変えます。当時のソ連軍によって不法に占拠され、そして、その施政下に置かれ、インフラが整備される段階ぐらいから私たち島民を全て追い出して、島の退去を命じておりました。
私たちが島で失ったものは余りにも大き過ぎます。私の考えもあるんですが、私たちの運動として、私たちが島で失ったものはどんなものだったのかな、どういう形で失ったのかということ、それを調べながら、そして、島をどういう形に私たちはしたいのか、そういう展望を持って私たちは運動に取り組んでおります。
実は、私たちの連盟につきましては、そこに資料がありますが、昭和三十三年、元島民とその後継者によって国内唯一の組織として結成されたものであります。その中で、先ほど申しましたが、昭和三十三年に社団法人としてこの組織が設立されたということです。そこに至るまでに紆余曲折があったことは事実です。その中で、私たちは、現在は、富山、関東、そして北海道、十五支部を設けながら、それぞれの活動を全体として私たちの運動として捉えながら運動を行っているところであります。
私たちの連盟は、活動内容としては、北方四島の返還要求運動というのが、もちろんそれが主眼ですが、その中で、元島民や後継者による語り部を使いながら啓発活動を進めるとか、パネル展をする、それからいろいろなイベントをしながら署名活動をする。この署名活動については、先月、百万部を持って衆議院の皆様方の前に、要請をいたしました。と同時に、そのときに、石破総理にも、要望として要望書に書かれているようなことが関連団体の方々から述べられて、要望されたところです。
私は常々思うんですが、私たちの活動というのは、やはり、島での記憶、これを様々な形で記録する、そして、その記録は、文章、写真だけじゃなくて、いろいろなものとしても存在するものがあるので、そのあらゆるものを使いながら記録されたものをまた周りにいる人たちに伝えていかなければならない。そういうことを前提にしてこの運動に取り組んでまいっております。
それでは、これより、皆さんにお配りした要望書の内容に沿って、端的にお話を進めてまいりたいと思います。
北方領土の早期一括返還につきましては、現在、日ロ間で非常に冷え切った状態になっていると思います。ましてや、ロシア側から、ウクライナ侵攻後、いわゆる平和条約交渉の中断という形で一方的に宣告され、そのまま動かない状態になっているのも事実であります。
そういう中で、私たちは、令和五年、二年前ですか、ちょうどこの委員会で、私、そこで同じような発言をした記憶があります。そういう形で、令和二年以降、本当に何の動きもない状態になっているというのは非常に残念に思っております。領土問題の解決の道筋がいまだに示されていないということについても無念さを感じている、そういうことであります。
ただ、私たちが皆さんとともに考えていかなければいけないと思うのは、これは北方領土だけの問題ではないんだ、これは国の領土の問題だ、主権の問題であるんだということを前提にして私たちの運動は進められております。
私たちがいろいろな形で世論を喚起することによって、いろいろな運動をすることによって、国民世論が四島の返還が必要だという高まりを見せる、それを背景にしながら、国に外交交渉を強力に進めていただけるようお願いするような形を取っております。
次に、北方墓参の早期再開についてのお話です。
皆さん、北方墓参というと、私たちが島に行く方法は三種類あるというのを御存じだと思います。まず北方墓参、それからビザなし交流、そして自由訪問の三つであります。
北方墓参につきましては、一九六四年、当時のソビエト政府と日本政府が、人道的見地という合意から実施されているもので、しばらく、それはビザなし交流、自由訪問が始まる前のときからつながっていた内容です。
現在、ロシア側は、ビザなし交流、自由訪問については合意の停止を一方的に発表しておりますが、北方墓参については触れられておりませんが、私たち、北方墓参というのは私たちの運動の原点だ、そういうふうに考えております。
ということは、一つは、私たちが、私たちの家族と一緒に、あるいは後継者と一緒にその地を訪れ、そこに眠っておられる祖先あるいは親類の方のお参りをできる、そのことによって私たちは領土への思いを更に強くすることができる、これが一つ目です。
二つ目としましては、私たちが行くことによって、私たちの島への思い、あるいは先祖に対する、お墓に対する思いをロシアの島民の方にそこで伝えることもできますし、また、その中でロシアの島民の方と交流を持つこともできるわけです。
もう一つは、三つ目は、こういう活動をすることがすごくマスコミ、報道の方に取り上げられて、全国に報道されるということで、いろいろな方に知っていただけるチャンスでもある。
そういう意味で、私たちは、北方墓参の早期再開ということを、今、私たちが一番可能性があってできそうなものだと思っているのは北方墓参の再開だ、そういうふうに思っております。まず、その辺からひとつ外交交渉を始めていただけるよう、政府には要望しております。
次に、後継者の育成支援活動につきましては、私たちの会の二世、三世、四世の割合が七五%。ということは私のような元島民の数は二五なんですが、実質はもっと少ないと思う、そのぐらいの形になっている。
とすると、この運動を更に継続するためには、後継者の皆さんにもっともっと頑張っていただけるような土壌をつくっていかなきゃならないし、そういう組織にしていかなければいけないと思っております。いろいろなところから助成金を得ながら、後継者活動委員会、後継者啓発委員会、スキルアップ研修会とか、いろいろな形で後継者を育てることも同時にやっております。
次に、北対協の融資についてですが、これにつきましては、すごく私は単純に考えております。ということは、まず、そもそもこの議員立法ができた時点での内容を考えたときに、島民と漁業者が対象であった。そして、昭和四十年ですか、議員立法を一部改正して、それを一人だけ継承できるという形になった。その条件が極めてきつい。だから、現在、後継者がこの制度を利用しているのは十数%という形になっております。そこで、後継者全体がこれを利用できるというような形に持っていっていただければと思っております。
戦後八十年が過ぎてしまいました。私たちが今一番恐れているのは、この問題解決が遅れることによって国民の関心が薄れていくこと、これを一番危惧しております。
そのために、様々な形で、総理にも三回、岸田総理にも二度、石破総理には一度ですが、お願いする中で、私たちは、やはり国民世論の一層の喚起ができるような啓発活動を進めていただきたい、そういう要望をしております。
それと同時に、次世代を担う子供たちへの学校教育の問題でもあるんですが、ちょっと余談になりますが、実は私も教員をやっていましたので、やはり、総合的な学習の時間というのが今ありまして、あれの時間をもっと増やしていただくとか、郷土に対する、そういう勉強の時間を増やしていただくというような形をもって、そういう形の中で北方領土のことを知って、理解してもらえる子供をたくさんつくる。
そういう生徒さんをたくさん育てていきたいと思いますし、また、学校の先生方にも、私も北教組の組合員でした、私も分かるんですけれども、教え方なんかについても、やはりいろいろな形で、教科書を教えるのではなくて教科書で教える、そういうような形で、皆さんが考えて、教職に立たれる方が立っていただけるような形、先ほど言いました、生徒さんにもそういう形で理解を深めていけるような形、そういうふうにしてもらえるようなことを望んでおります。
最後になりますけれども、戦後八十年が経過しました。元島民の平均年齢はもう九十歳を超えようとしております。私は若輩者です。まだもうちょっとだけ間があります。全国にこの運動を広げるために、皆さんの御尽力をいただきながら、関係団体の皆様と協力、連携しながら、外交交渉の後押しになるような活動をこれからも続けていきたい、そういうふうに思っております。
私は、自由に私たちの祖先が眠る地を訪れ、お参りをしたいんです。私は、自分の生まれた地を自由に踏んで、そこで過ごしたいんです。
以上です。よろしくお願いいたします。ありがとうございました。(拍手)
○逢坂委員長 ありがとうございました。
次に、石垣参考人にお願いいたします。
○石垣参考人 おはようございます。
根室管内一市四町で構成をいたします北方領土隣接地域振興対策根室管内市町連絡協議会の会長を務めております、根室市長の石垣であります。どうぞよろしくお願いを申し上げます。
衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員会の皆様の御高配を賜りまして、意見陳述の機会をいただきましたこと、御礼を申し上げます。
また、皆様には、日頃より北方領土返還運動原点の地域であるこの根室管内に熱い目を向けていただき、万端にわたっての御支援、御指導を賜っておりますことにも、心から敬意と感謝を申し上げます。
また、昨年の七月四日には、北方領土問題に関する実情調査として、九名の委員皆様が現地に入り、視察そして懇談の場を実施をしていただきました。また、十二月一日の、これは安藤石典が初めて北方領土の陳情書を書き上げた日でありますが、東京での北方領土返還要求中央アピール行動でも多くの委員皆様の御出席を賜り、加えて、先月十二日に、五年ぶりに実施をされました北方領土返還促進に関する全国請願でも御対応いただきましたことにも、改めて感謝、御礼を申し上げる次第であります。
貴重な機会でありますので、早速、北方領土問題に関する現地の実情等について述べさせていただきます。
根室市を始めとする根室管内一市四町、北方領土隣接地域でありますが、この隣接地域という概念は、昭和五十八年の四月一日施行の北方領土問題等の解決の促進のための特別措置に関する法律、いわゆる北特法の制定時に定義をされたものでありまして、北特法の二条に、定義として、まず、北方地域を歯舞、色丹、国後、択捉とする、また、隣接地域を根室市、別海町、中標津町、標津町、羅臼町とするものであります。
そして、終戦当時は、根室町、歯舞村、和田村、これが根室半島でありまして、一町二村、後の合併で根室市となりますが、まず歯舞群島を行政区に持つ歯舞村、そして千島経済の中心であった根室町は、一時は、函館県、札幌県、そして根室県と、県庁所在地でもありました。
終戦当時は、根室町、歯舞村、和田村から成る根室半島、一町二村でありますけれども、漁業、水産業を中心に、北方領土と一体となった社会経済圏、生活経済圏を形成をし、互いに支え合う親子の関係として密接なつながりを持って発展を続けてきた地域でありまして、北の島々の物流及び人的交流の拠点、玄関口として、その役割を担っておりました。
しかし、昭和二十年八月の終戦直後、北方領土が旧ソ連邦によって一方的に占拠をされ、以来、隣接地域と北方領土との間には越えることのできない境界がつくられてしまいました。つながりが強制的に断絶されたことに伴い、元島民のふるさとである領土はもちろん、私たちの生活基盤であった海域までもが奪われ、特に、島民の三割、約五千三百人が住んでいた、これは歯舞群島でありますけれども、根室市の行政区域として引き裂かれたままの状況から、町の発展が非常に阻害をされているという現状であります。
現在の隣接地域と北方領土の間には、決して国境とは呼びませんけれども、北方領土がロシアに実効支配されたというその現実から、中間ラインという見えない壁が横たわっております。
そして、領土問題が未解決のまま八十回目の夏を迎えることとなっております。現在もなお、その壁によって漁業水域は大幅に狭められ、狭隘な漁場における水産資源は枯渇し、さらに、拿捕、銃撃事件がいつ発生してもおかしくない、そんな緊迫した状況に置かれたままであります。
さらに、ロシアによるウクライナ侵攻に伴って日ロ漁業は不透明さを増し、中でも、令和五年以降、北方四島周辺海域における安全操業については、ロシア側が政府間協議に応じない姿勢を示し、現在も操業の見通しが立っていない状況にあるなど、この隣接地域は、日ロ間のあつれきの痛みが直接来る、そんな地域であります。
例でありますけれども、二〇一四年のクリミア半島に侵攻のときでありますけれども、これは、二〇〇〇年代からずっとカムチャツカから出されていたロシア二百海里の流し網禁止法案、ロシア国会、ずっと否決されておりましたけれども、二〇一五年に全会一致で通ってしまいました。結果、長年にわたってサケ・マス基地である根室市の影響は、関連産業を入れて毎年二百億円が損失であり、基幹産業である漁業、水産業の衰退に起因する関連産業の縮減、さらには人口減少といった悪循環が続いているところであります。
終戦当時、北方領土で生活をしておりました一万七千二百九十一人の島民は、旧ソ連軍による不法占拠によって、全員が、先ほど松本理事長のお話がありましたけれども、先祖の墓、そして一切の財産を残したまま、ふるさとの島から強制的に追われました。
その多くが、一日も早く島に戻れることを信じて、北方領土を目前に望む根室管内に居住し、生活を続けているところでありますが、戦後八十年を迎えたその歳月は非常に残酷でありまして、お話しのように、七割以上が亡くなり、また、平均年齢も九十歳になるという現状であり、一日も早い北方領土の復帰が求められているところであります。
東西冷戦が解け、ゴルバチョフ大統領の来日から特別な枠組みとして実施をされてきた北方四島交流事業も、令和二年からのコロナ禍の影響による中止に続いて、ウクライナ侵攻に起因するロシア側からの北方四島交流事業及び自由訪問に対する合意効力の停止などによって本年も実施の見通しが立たず、特に、昭和三十九年、あの東西冷戦構造の中でできた、人道的な立場からできた北方墓参までもが実現できない、そういう状況であります。
このため、本年も来月二十日より「えとぴりか」による北方領土洋上慰霊が実施される、そんな運びになりましたけれども、元島民の皆さんからは、生きているうちにもうふるさとの地を踏めないのではないか、そんな切実な声も聞かれるところであります。
高齢化の著しい元島民の切なる願いに応えるため、何よりも、人道的見地からも北方墓参の早期再開を最優先に外交交渉を推し進めていただくよう強くお願いを申し上げます。
冒頭にも説明申し上げましたが、隣接地域は北方領土問題の長期化に起因して大きな影響を被り続けている地域であります。
終戦後、北方領土を失った根室は、沖取りと言われる北洋の海に活路を求めて頑張ってまいりましたが、昭和五十二年の国連海洋法によるいわゆる二百海里漁業専管水域が極めて大きい打撃であり、領土喪失を北洋の海で何とか補おうとしてきたことが、実は三十年後に閉ざされたわけであります。
そして、このことから当時の寺島市長が全ての党派に陳情活動を展開をいたしまして、結果、昭和五十五年、当時の小沢貞孝委員長、本沖北委員会の委員長でありますけれども、この委員会で特別措置法の成立に向け御尽力をいただきました。その中で、一市町村への単独の特別立法は、古墳の保護のため奈良県明日香村への指定があるのみで、希有なことから、根室管内を受皿にして地域指定を目指すとして北方領土隣接地域の概念が生まれ、昭和五十七年、北方領土問題等の解決の促進のための特別措置法、いわゆる北特法が制定をされたところであります。
以降、その北特法に基づき隣接地域の振興対策等を講じているところでありますが、その後、ビザなし交流の始まり、それから低金利の時代と共同経済活動の提案を立法事実として、二回の法改正が行われております。
特に、北特法十条に規定をされる北方基金につきましては、運用益の漸減対策として、北特法の改正によって令和元年度から基金の取崩しが可能となったところであり、これにより北方基金補助金が増額となり、令和六年度では総額四億七千万円程度となったところでありますが、近年の物価高ですとか、隣接地域が求める十分な財源対策にはなっていないところであります。
北方領土問題が今なお未解決であることに起因して隣接地域が置かれている特殊な事情に鑑み、隣接地域の振興及び住民の生活の安定に資するという、いわゆる北特法の目的を踏まえ、内政措置の充実強化とともに、取崩しによる北方基金の枯渇を見据えた新たな交付金について、具体的な検討を早急に進めるべきと考えております。また、現在の日ロ間の現状は、その北特法改正の三回目の立法事実にもなるのではないかと考えております。
内閣府北方対策本部の令和七年度予算におきまして、隣接地域における地域一体となった啓発促進策についての調査研究費として四千万円が計上されたところであります。去る四月三十日に第一回目の有識者会議が開催されたところであります。
今日、日ロ関係は極めて厳しい状況にあり、また、ビザなし交流等も停止が続く中、先ほどありましたように、報道に出ないことによって全国民の関心が薄れてしまう、そのことを第一に懸念をしております。
その対策のためにも、返還運動の拠点ともなる啓発施設の整備促進を始め、地域振興を含めた北方領土隣接地域のグランドデザインの策定など、国策による重点的な振興対策の推進について改めて特段の御理解をお願いするところであります。
言うまでもなく、北方領土問題は外交問題であり、それは日ロ両国の政治対話によって解決されるものでありますけれども、北方領土問題の長期化によって望ましい地域社会の発展が阻害され続けている隣接地域の様々な課題、そして、ウクライナ戦争に起因し直接的な影響を受けている元島民や根室地域の痛みは、外交がかなわない現状にある中、積極的な内政措置で対応されるべきだと考えます。
国には、北方領土問題の解決に向けた平和条約交渉の再開に最大限努めていただくとともに、委員皆様には、北方領土問題の長期化によって隣接地域が被っている地域疲弊の現状、さらに元島民が置かれている現状について更なる御理解を賜り、北特法の改正を含め、当初の理念に基づいた施策の展開について格別なる御支援を賜りますことをお願いする次第であります。
戦後八十年が経過しようとしている中で、元島民を始めとする私たち隣接地域の住民は、北方領土問題の解決なくして戦後はないとも考えております。経済的にも社会的にも、北方領土問題が解決して初めて正常になる、まさに北方領土問題の具体的な進展いかんによっては町の将来の姿が大きく左右されるという宿命の地域でもあります。
私たちは、北方領土問題の早期解決を願いながら、政府の外交交渉を後押しする立場で、いかなる困難にあろうとも、北方領土返還要求運動の原点の地の責務として、昭和二十年当時の、私の十代前になりますが、根室町長安藤石典が、町の八割が焼けた中、御自分の家も焼けて仮住まいの中で、冬に自ら書き上げたマッカーサー元帥宛ての陳情書、北方領土返還要求運動ののろしを上げたその志をしっかりと受け継ぎ、島返るその日まで全国の先頭に立って返還運動に邁進すること、その決意であります。
どうか、委員皆様には、国内外の喚起、特に学校教育における北方領土学習の強化、そして後継者の育成に御尽力いただきますとともに、日ロ間の交流が止まった今でありますけれども、私は、やまない雨はないし、明けない夜はないとも信じております。交流再開のときには、玄関口である隣接地域が向こうから見て光っていなくては、そして、ああ、やはり自由と民主主義はいいな、羨ましいなと思われる地域でなくては、私は領土問題の解決はないとも思っております。隣接地域の振興対策の充実強化について、より一層の御高配を賜りたくお願いを申し上げます。
皆様には、今後とも変わらぬ御指導、御支援を賜りますことをお願いを申し上げまして、意見陳述とさせていただきます。
ありがとうございました。(拍手)
○逢坂委員長 ありがとうございました。
以上で参考人の方々からの意見の開陳は終わりました。
―――――――――――――
○逢坂委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。
質疑の申出がありますので、順次これを許します。向山淳君。
○向山(淳)委員 自由民主党の向山淳でございます。
本日は、参考人の四人の皆様には、本当にお忙しい中で貴重なお話をお聞かせいただきまして、心から感謝を申し上げます。
私、北海道の選出の議員でございますので、本日は、松本理事長と石垣市長、お二人の参考人に主にお話をお伺いしたいというふうに考えております。
また、個人的なことを申しますと、私の祖父が戦中は陸軍におりまして、一九四四年の三月から、根室から色丹島に渡っておりまして、まさに四五年の八月以降のソ連軍の北方領土への南下そして不法占領というときに、九月一日に色丹島でソ連軍にシベリア抑留をされるというような経験を有しております。その観点でも、私自身、北方四島の早期一括返還に向けても非常に深い関心を持って取り組みたいというふうに考えている所存でございます。
さて、先ほど石垣市長の方からもございました、北方墓参というのを実現していかれたいという中で、今年、なかなかそれがかなわないという中で、七月二十日から八月二十一日の「えとぴりか」での洋上慰霊ということで実施をされるというふうに認識をしております。コロナ禍、そしてウクライナ戦争以降の日ロ関係の状況の結果で墓参がかなわないという中で、四年連続こうした状況になっているということであります。
触れていただきました、五月には五年ぶりに皆様にも請願をいただいて、本当に地道な活動の中で集められた百万の署名というのをお持ちいただいて、当委員会にも、そして石破総理にも請願をいただいたという中の、一つの本当に大きな糸口だと認識をしております北方墓参、これができていないということ、又はこれが洋上慰霊であるということが皆様にとってどういった意味を持つのかということについて、改めて松本参考人と石垣参考人からお一言ずつお考えをお伺いしたいというふうに思います。
○松本参考人 ただいま御質問いただきました墓参につきましては、先ほど私も申し上げたとおり、これは私たちの運動の原点であるという前提です。
それと、洋上慰霊に切り替えざるを得ないということにつきましては、島民の間から、どうしても行けないのであれば一歩でも島の近いところで慰霊をしたいんだという申入れがありまして、それを受けて実施している状態です。本来はこういう形ではしたくなかった。全島が見えるような洋上慰霊ならまだいいけれども、それもできない状態で、非常に歯がゆい状況に追い込まれているのは事実であります。
ただ、墓参ができなくても、洋上慰霊をする中で、単に慰霊だけで終わらせないで、実は、その中で交流会を持ったり、いろいろな方とお話をしていただいたりというような形で、北方領土問題の解決に向けたそういう一つの話合いの場も持っているということを御理解いただければと思います。
墓参は私たちの命だと思っております。御質問ありがとうございました。
○石垣参考人 御質問ありがとうございます。
北方墓参につきましては、まずは歴史をひもとけば、北方墓参は昭和三十九年であります。そして、その前々年、昭和三十七年の十月がいわゆるキューバ危機であります。多少のデタントはあったものの、東西冷戦構造の中であっても、また電話も電報も自由ではない、そんな時代の中でも、時の政府も政治もまた各団体も、本当に針の小さな穴を通すようなそんな思いで実現した墓参でありますし、また、当時はソ連共産党と結んだ墓参であります。そんな意味から、是非とも、今電話も電報も自由でありますし、何とか人道的見地から再開してほしい、今理事長お話しのように、まずこれは私どもの一番の願いであります。
そんな意味で、今洋上慰霊をやっておりますけれども、去年から一泊のシステムを取り入れまして、その中で、皆さんの交流、また北方領土について学習し直ししようという流れもあります。そんなこともしっかり、皆さん、墓参というのは一世、二世、三世、一緒に行きますので、そういうときの伝達という意味でも非常に意義がありますので、洋上慰霊の機会を更に深めていただければと思っております。
以上であります。
○向山(淳)委員 ありがとうございます。
一歩でも近くにいたいというお言葉が、本当に切実な島民の皆様の思いを伝えている言葉だなというふうに思います。また、交流会であったり解決の場にもされているということで、非常に意義があることだとは思いつつも、とにかく現地に行くということの重要性をしっかり受け止めてまいりたいと思います。
そのような中で、先ほどお二人からも御指摘がありました。一番懸念されるのは、報道が減ってしまうことによっての、また、戦後八十年という時間が経過する中での国民の関心の低下というところだというふうに思います。
私、松本さんが四月に函館支部の方で千島連盟でも御講演をいただいたときにもお話をお伺いしまして、そのときに、択捉島での草花の豊かさであるとか自然の話、又は郵便局であるとか小学校、缶詰工場といった、リアルな生活の息遣いというのを感じることでふるさとという思いがすごく共有されるなということで、お話に大変感銘を受けた記憶があります。
先ほど、二世、三世も七五%になられているというふうなお話がありました。そうした一番大事な語り部という中で、御経験をされている方が減ってしまっている、又は、実際に島に行かれた経験を持つ方も今の中断の状況では減ってしまっているという中で、どうやって語り継ぐための形というのが変わっていくのか、又は、その語り部を育成していくためのハードルであったり御苦労、どうしていくかという辺りについても、是非お話をお聞かせいただければというふうに思います。
○松本参考人 後継者の育成に関しましては、私たちのこの運動の生命線だと思っております。先ほど私が申し上げましたとおり、私たちの元島民のお話は、いろいろな形で聞き取りをして、収録をして、資料として残しております。そういうものを使いながら、後継者の方々にも参加していただいて学習会をするなどして、特に、後継者、語り部の育成につきましてはかなり力を入れてやっております。
それともう一つ、報道の件なんですが、先ほど、ちょっと今の御質問からそれちゃうかもしれませんけれども、実は、洋上慰霊をしたときに某新聞社が来られまして、一昨年は、地方版で、北海道以外の地方紙で二社、昨年は七社報道していただきました。そういう形で、私たちが行動することによってそういうような広がりを、あるいは伝え方をしていただけるんだという前提で、それともう一つは、さっきの話に戻しますと、私たちが語り部に行くときは必ず後継者も一緒に行って、二人でやることを原則としてやっております。そういう形の研修の仕方も取っておりますし、語り部だけ集まっていただいて内容をスキルアップするというようなこともやっております。
とにかく、私たちのこれからの運動の担い手は後継者の方々という前提で動いております。
○向山(淳)委員 ありがとうございます。
後継者の育成が本当に重要であるというところについても、またその支援というところもしっかり国として支えていくべしということを受け止めていきたいというふうに思っております。
そして、同じような啓発という意味で、四月にリニューアルオープンした領土・主権展示館というところも昨日行ってまいりまして、視覚的にも、イマーシブシアターがあったりということで、領土を、ただの地図上のお話ではなくて、先ほどのお話のように本当に身近に感じられることがよい展示だなというふうに思いまして、こうしたところに、それこそ国会見学に修学旅行なりで来るときには必ずそこを通ってもらうということが、先ほど御指摘をされたような学校教育に加えてのところで重要なのかなというふうに思っております。
また、そうした報道の接点を増やしていくという意味では、「えとぴりか」が大阪・関西万博のところでも一般公開するということでありますので、そうした、啓発に向けて一つ一つ御努力を皆さんで重ねているということだと敬意を表しているところであります。
その中で、まさに受入れの玄関口なんだというふうに石垣市長の方からもお話をしていただきました。これから、今、ウクライナ戦争についても、五月にようやく直接交渉というのもロシア・ウクライナ間でされるようになって、なかなかまだ停戦の合意というところには至らない大きな隔たりはあるところではありますが、少しずつ和平に向けて動いているという状況かと思います。その中でしっかり、北方墓参に加えてビザなし交流ということも再開をしていかなければならないんだと思いますが、この交流がないという状況というのが根室市においてどのような経済的な影響を与えているのか、又は、ここから外交的に交流が戻ってきたときに、その玄関口として何を整備していればよいというふうにお考えなのかという辺りについて、市長からお伺いできればというふうに思います。
○石垣参考人 交流についての御質問であります。ありがとうございます。
私ども、北方墓参、ビザなし交流、いわゆる四島交流で、根室の岸壁に元島民の方が、向こうからビザなしで来るたびに、またこちらから行くたびに、多くの元島民の方がまず港に集まって息災を確かめる場でもありました。そんなことから、元島民にとって、まず交流で根室港に立てないこと、これは非常に寂しい思いでもあります。そして、その交流をすることによって、もちろんバスにしても宿泊施設にしても、また、お土産を買ってまいりますので、彼らの地域にとっても大変経済的な効果もあったことも事実であります。
そんな意味では、そのこと、ビザなし交流自体が様々な報道を通じて報道されるということが、全国民に、ああ、こういうのがあるんだなと。また、ビザなし交流は根室を玄関口に全国に展開されますので、その受入れの都道府県についての交流の、北方領土問題があるということの啓発にもつながるところであります。
そんな意味では、今ビザなし交流はないわけでありますので、今内閣府で、北方領土を目で見る運動ということで、高校生の修学旅行の方々も根室管内に入ってきていただいております。それには、元島民の方のお話をしたり啓発施設を見るということでありますので、まずはこの根室地域の啓発のシステムをしっかり整えることが大事であります。それぞれ老朽化した施設が多いわけでありますので、その辺にも目を配って、先ほど領土館のお話ありましたけれども、そういう近代的なシステムで皆さんにお訴えかけるということが非常に効果的ではないかと思っております。
そんな意味では、今グランドデザインを含めて、しっかりと根室地域の、隣接地域だから、玄関口だからできる役割を果たしてまいりたいと考えております。
以上であります。
○向山(淳)委員 ありがとうございます。
まさに目で見る運動というものの実現のためにも、先ほども言っていただきました外交努力をしている間に、しっかり内政としての支えが必要なのであるというところだと思います。先ほどの北特法の改正も含めて、しっかり受け止めて活動をしてまいりたいというふうに思います。
最後に、ちょっと時間があるかなと思いますが、松本参考人の方から、先ほど学校教育についても少し触れていただきました。学校教育の中で、何を変えていく、何をしていくということについて、もしありましたら一言お願いを申し上げます。
○松本参考人 御質問の内容について正確にお答えできるかどうか分からないんですけれども、さっき前提として、それを聞き取る側と伝える側、先生方の側との問題だと思うんですけれども、考え方として、いろいろな資料、中学校の教科書では今二ページにわたって領土問題を記載されております。QRコードもついていて、資料の読み込みもできるようになっております。だから、いろいろな資料はある。資料を使っていただいて、幅広い知識を子供たちに、興味、関心を持っていただくところから知識として広めていってもらうような、そういうような教育現場であっていただければ、そういう学校はたくさんあります、でも、そういうような形でやっていただければうれしいと思っております。
先ほど言いましたけれども、教科書を教えるという形がすごく多いので、それのみではなくて、教科書で、いろいろな資料を使いながら、幅広い角度から子供たちに情報提供するような形で教育現場があっていただければいいなと、そういうふうに思っております。
○向山(淳)委員 ありがとうございます。
時間が参りましたので、終わりたいと思います。本当に心から島民の皆様に寄り添って活動を続けてまいることをお誓い申し上げて、終わります。
ありがとうございます。
○逢坂委員長 次に、篠田奈保子君。
○篠田委員 立憲民主党・無所属の篠田奈保子です。
参考人の皆様、遠路お越しいただき、貴重な御意見をいただきましたことに感謝申し上げます。ありがとうございます。
私の持ち時間の都合上、地元選出の国会議員として、石垣参考人に今日は質問させていただきたいというふうに思います。
近隣地域の発展が阻害をされて、予想以上に衰退の一途をたどっている。今、人口減少というトレンドの悪循環によりまして、地域の存続自体が厳しい状況になっている。これは現場を歩いて私も石垣参考人と認識を同じくしているところです。政治に翻弄されてその犠牲となっている地域だから、政治によって地域が支えられなければいけない、当たり前のことだというふうに思います。領土交渉に進展が見られなくても、国内でできることを最大限する、これがまさに責任ある政府の態度だろうというふうに思っております。
先ほど石垣参考人から、北特法の改正についての御指摘がありました。今、基金を取り崩し、四億七千万円という小さな規模で近隣の振興策が行われているということでございまして、コロナやウクライナ、この二つの大きな事象が三回目の法改正の立法事実になるのではないかという御指摘、まさに私もそのとおりだというふうに思います。新たな隣接地域の国策による振興策、これはまさに喫緊の課題だというふうに思っております。ロシアは、今、北方領土でたくさんの投資をしてインフラの整備などをしております。それに引けを取らないような形が必要だと思っておりますので、そこにしっかりと尽力をしたいと思います。
石垣参考人には、具体的に、この近隣の地域のインフラ整備等を含めて、どんな部分に予算を獲得、お願いしたいという思いがあるのか、その具体的な項目などをお伝えいただければと思います。
○石垣参考人 御質問ありがとうございます。
北特法のお話でありますけれども、北特法の成立の話は先ほどさせていただきました。そして、二回の法改正がありました。一回の法律改正は、ビザなし交流が始まったということであります。そのビザなし交流が始まったことを契機に、一度、北特法の改正をしていただいた。次は、共同経済活動が始まった、このことを契機に二回目の法律改正をしていただきました。今それができないわけでありますので、それが立法の骨子になるのではないか、そんな見地から話させていただきました。
今私ども大切なのは、実は平成十八年に、北方領土を失ってどのぐらいの被害があるんだということを算定したことがあります。そのとき、いわゆる二百海里ではなくて、北方四島周辺だけで今の金額にして百八十億からの損失がある、合わせれば七百億の損失になるということで、それが八十年でありますから六兆七千億かそのぐらいになると思いますけれども、北方領土がないことによって、これは二百海里のサケ・マスとは別の話でありますけれども、それだけ損失があるというわけであります。
そんな中で、この地域振興を、まず港、道路、インフラの整備はもとより、先ほど言いました啓発施設、地域振興に、元島民が元気が出るような、そんな施策を中心に組んでいただけたらなと思うところであります。よろしくお願いいたします。
○篠田委員 ありがとうございました。
釧路と札幌がようやく高規格道路で結ばれたんですけれども、残念ながら根室まではまだまだめどが立っていないという状況も皆さんにお伝えをさせていただきたいと思います。このことも含めまして、しっかりと私も尽力をしてまいりたいと思います。
本日はどうもありがとうございました。時間が来たので、終わりたいと思います。
○逢坂委員長 次に、屋良朝博君。
○屋良委員 引き続き、立憲民主党の屋良朝博でございます。
沖縄選出でございますので、主には沖縄の参考人、古波藏さん、それから本永参考人、お二人にお話を主に聞いていきたいと思っております。
戦後八十年、大変重要な節目の年に、この委員会で、北と南、政治に翻弄されている両方の地域からの参考人の招致がかないまして、委員長を始め皆様の御努力に大変敬意を表したいと思います。
戦後八十年ということで、沖縄の戦後の歴史も、大変長い長い年月を重ねて、いろいろと荒波にもさらされてきたということが言えると思いますけれども、最近非常に残念な出来事が、沖縄で行われた自民党県連による憲法講演会において自民党の西田昌司参議院議員が、ひめゆりの学徒隊の歴史をゆがめて、しかも、その後続いてきた沖縄における平和教育に対しても非常に乱暴な、根こそぎひっくり返すような発言をされたということが大きく報道されているところでございますけれども、それについて率直な御意見を、本永参考人、古波藏参考人、それぞれ印象をお伺いしたいと思います。よろしくお願いします。
○本永参考人 私も、西田議員がそういう発言をなされたということは、報道等を通じて存じ上げております。
今、屋良議員からありましたように、今年は戦後八十年という、沖縄にとりましても日本にとりましても非常に大きな節目の年であります。
戦争の記憶とか歴史認識、これをしっかりと次世代につないでいくことが重要だというふうに考えておりますので、あのような発言は戦争体験者や遺族に対しての尊厳を大きく傷つけたというふうに思っておりますし、平和教育の意義を否定するような発言というのはあってはならないものというふうに考えております。
○古波藏参考人 そうですね、丁寧に丁寧に議論した方がいいところかなと思います。
あれは憲法フォーラムの場で話がされていて、文脈としては、国民保護の話が出ている。国民保護は、一応法律で、憲法の枠の中で議論されていますが、基本的には緊急事態条項に係る話にならざるを得ない部分ですよね。緊急事態条項というのは、別の言い方をすれば戒厳令に近いものになる。憲法に何かを書き加えるというよりも、憲法を一時的に停止して政府あるいは軍隊に権力を集中的に預けて運用するというものですから、その暴走をどう抑え込むのかというのが、どこまで慎重に議論してもし足りることはないという部分ですよね。
なので、沖縄戦の戦場というのは、ある程度戒厳状態、戒厳令は出てはいませんが戒厳状態に近い状態で展開されたものであって、その記憶というのは大事だと石破総理もお話しされているとおりで、なので、国民保護の話を真剣にしたいのであれば、なおさらああいう発言というのはない方がよかったかなと思っております。
○屋良委員 どうもありがとうございます。
それでは、振興策について、今度、話題を変えていきたいと思いますけれども、本永参考人、大変力強い今後の沖縄の展望を示していただいたというふうに思いました。それと、古波藏さんは本当に対照的で、内面的な発展はどうなっているんだという、非常にこれまでの振興策、八十年にわたるこれまでの経済振興の在り方を何か問い直すような、新しい視点をいただいたような気がしております。
古波藏さんのお話の中で、中南部と北部の分断についても触れておられました。さらには、経済発展の在り方も、そろそろゲームチェンジをしないといけないという御指摘もありましたけれども、その御指摘をされた古波藏さん、本永参考人がお示しいただいたグランドデザインはどのように古波藏参考人の目に映ったでしょうか。お願いします。
○古波藏参考人 正面から答える形になるか分かりませんが、先ほどの話とちょっと重複しながら、補足しながら話をしたいと思います。
先ほどの話の中で、成長ばかり追求してきたという話をして、もちろん成長は要らないという話ではなく、成長と沖縄振興がイコールになってしまわないようにということですね。先ほど本永参考人のお話を伺っていて、やはりこれは成長戦略なんですよね、成長戦略。でも、見ていくと、課題認識というのはかなり網羅的で、むしろ結構共有できる部分とかがたくさんある。だけれども、ではそれを展開していく段になると、成長戦略であるわけだから、必ずしも全てが解決されるようなシナリオというのは示されていない。
例えば、子供の貧困の話に触れていても、その後出てくるのはグローバルな人材育成の話で、その教育に誰もが平等にアクセスできるかどうかというのは、それは当たり前の話で、成長戦略なわけですから、らち外なわけですよね。ある種、北部、離島地域というのは、当然視野には入っているけれども、では、そこの均衡ある発展というのは、これは国土政策としては問題になるけれども、成長戦略としては当然入ってこないわけですよね。当たり前なわけで、これは。
なので、これを、出てきた成長戦略は成長戦略としてあるだろう、しかしながら沖縄振興をイコールと考えてしまうと恐らく問題があるだろうなと思っています。沖縄振興というのは、全体像としての中で、成長戦略はここであって、でも多分予算は無限ではないでしょうから。
僕の考えでは、先ほど申し上げたとおり、この八十年というのはちょっと成長に偏り過ぎていたというふうに考えているので、別の部分の振興というのは必要だろうということで、お金、経済的な価値と違うものというのを指標化して追求することも必要ではないかということで、ゲームチェンジの話をさせていただいた次第です。
○屋良委員 次は、本永参考人に、ロードマップについて、それから成長の見通しについて、この二点についてお伺いしたいと思います。
ロードマップでは、来年度予算から調査費を計上していただく、そういうふうな書きっぷりなんですけれども、推進協議会の発足のときに、たしか金城代表も国に調査費を求めていくんだというふうな御発言をされております。もしそういうふうな計画でございましたら、沖縄県を通して振興予算の中に調査費を組み込んでいくというのが普通の一般的なやり方だと思うんですが、沖縄県を今のところかませていないというふうに理解しております。自民党の骨太方針に盛り込んでほしいというふうな要求はされているとは思いますが、沖縄県がどうもこの話の中に入ってこないのは、沖縄県全体のグランドデザインを描く際にどうも違和感を感じてしまう。これが本当に沖縄県全体の民意として、沖縄県のグランドデザインとして、今後発展し、多くの共感を呼び得るようなやり方なのかどうかということが、非常に疑問に思っているというのが一つです。
もう一つは、この成長のグラフを見させていただくと、二〇四〇年からぐっと上がっていって、成長率一一%を達成するということになっています。そうすると、返還跡利用が終わって、それから果実を取っていくというふうな勢いなのかなという印象を受けました。そうすると、あと十五年後の話なので、もう既に返還を実現する段になっているような、そんな印象を持っているんですけれども、しかし、返還というのは今全然先が見えていない。実施年度がまだはっきりしていない。そんな状況なんですけれども、この野心的な成長の見通しというのは、どういった返還の根拠を持って描かれているのか。
この二点について教えてください。
○本永参考人 では、二点御質問いただきましたので、まずは沖縄県との関係性だと思います。
このGW二〇五〇PROJECTSについては、まず、民間のスピード感で、それと、今回この計画は、グローバルに大胆な計画を描きたいということから、民間を中心にこれを始めさせていただきました。基地の返還を見据えたという観点から、基地を有する宜野湾市、浦添市、那覇市、それぞれ跡地計画を持っておりますので、そちらとのすり合わせも必要になってまいります。
ですので、まず調査の段階ではそういった形を作らせていただいて、我々としては、今回グランドデザインを策定いたしましたけれども、今年度はそれぞれの地域に的を絞った成長戦略を描いていきます。
これをゲートウェーの成長戦略としてまとめ上げまして、二〇二七年に、今進められている沖縄振興計画、第六次の沖縄振興計画の中間見直しがございます。そこに民間側から県に提言をさせていただきたい。この提言を県が受け取った中で、これを県の振興策として推進していくということに我々としてもやっていきたいわけですけれども、そのときには沖縄振興計画の大きな柱の一つとしてしっかりと振興予算を活用して進めていきたい、そのように考えております。
次に、返還のスケジュールが見えていないということでございます。まさにそうです。ですから、今回も、骨太の方針の中には、早期実現をしたいという思いを込めています。それは、基地の返還跡地を活用することで沖縄の経済が飛躍的に伸びていくというポテンシャルを持っておりますので、早期の返還も含めた形で、我々としてはこれを早期実現していきたいというふうに考えております。
ですが、基地の返還を待っていただけでは、屋良議員がおっしゃったように、十五年で急速にやらないといけないということになりますので、我々、先ほどのグランドデザインに示した、後ろの方には今から取り組める施策を約三十ほど抱えております。ですから、できるところからこういうのは進めていきたいというふうに考えております。
○屋良委員 大変重要なお話、ありがとうございました。
時間ですので、これで終わります。ありがとうございます。
○逢坂委員長 次に、藤巻健太君。
○藤巻委員 日本維新の会の藤巻健太と申します。
参考人の皆様、本日は、お忙しい中、お時間を頂戴いただきましてありがとうございます。大変勉強になりました。その上で、何点か質問させていただきたいと考えております。
まず、本永参考人の方に伺わせていただきたいんですけれども、今回のGW二〇五〇PROJECTS、非常にしっかりと計画された、また大きな計画だと思うんですけれども、一方で、その計画が那覇を中心としているということで、沖縄県内における那覇の一極集中につながってしまうのではないかなというふうなこともちょっと感じているところで、そういった意味では離島振興というところと逆行する部分も少しはあるのではないかなというふうに感じているところなんですけれども、その辺の部分についてのお考えをお聞かせください。
○本永参考人 御質問ありがとうございました。
確かに、GW二〇五〇PROJECTSは、まず、基地の返還跡地と那覇空港を一体的に開発して経済効果を高めようということであります。ただ、今回示したグランドデザインの中では、何もこの地域だけで経済発展を考えているのではなくて、離島も含め北部にもその経済効果が波及するような取組をしていきたいというふうに考えています。
例えば、先端医療の話をさせていただきましたけれども、離島において医師不足の問題ですとか過疎化による医療の不足というものがありますので、先端医療の技術を使って遠隔診療の確立を図っていったり、さらには、県民全体の健康医療データを活用した形で、いわゆる成人病ですとかがんとか糖尿病、こういったものの危険因子を未然に分析して創薬につなげていくという産業なども考えておりますので、この効果は、何も那覇の一極集中だけではなくて、沖縄県全体、ひいては日本を牽引するような経済モデルにしていきたいと考えております。
以上でございます。
○藤巻委員 ありがとうございます。
島嶼部の中心ターミナルというのは石垣島なのかなというふうに思うんですけれども、東京、大阪からのアクセス、これも大事だと思うんです。那覇空港なんかは結構、東京、大阪便、多いと思うんですけれども、石垣への直行便は少ないのかなというふうに考えているんです。そこを増やすということは、一つ、どのように考えられているのでしょうか。
○本永参考人 現在も石垣空港には東京と大阪、全日空そしてJAL系のJTAが就航しておりますし、石垣の方は海外からの飛行機もアクセスが可能というふうになっております。
ですから、今後、石垣島においても観光客の増大が見込まれますので、そういう意味からも、輸送の観点から、クルーズ船、そして飛行機、こういったものは必要になってくると思いますので、そのたびに増便の計画というのはあっていいと思っております。
○藤巻委員 ありがとうございます。
交通網という観点から見ると、本島も含めて沖縄というのは鉄道網が少し弱いのかなというふうに思っておりまして、産業の発展もしかり、それからインバウンド、観光客の利便性と活性化も含めて、例えば私の友人なんかも、車を運転しない人ですと沖縄に行ってもなかなか、車を運転できないからレンタカー等々で移動できないみたいな話もありまして、渋滞の解消という面も含めて鉄道網の発展というのもやはり必要なのかなというふうに考えているんですけれども、そこについては、本永参考人、どのようにお考えでしょうか。
○本永参考人 ありがとうございます。
交通網の整備についても、大きな課題ということで、グランドデザインの中でも記載をさせていただきました。
交通網の抜本的な整備においては、基地の返還前と返還後でいろいろやり方が違うんだろうなというふうに考えています。
返還前については、今の那覇を中心とした交通渋滞の解消を緩和していくためにも、大量輸送、定時性、定速性の基幹インフラが必要になると考えています。我々は今、経済的なメリット等も考えて、BRTの導入が返還前には必要なんじゃないかなというふうに考えています。
返還後は、基地の跡地を活用した基幹インフラ、鉄道網を含めた、鉄軌道を含めたインフラの在り方というのをしっかりと検討していく必要があると考えております。
○藤巻委員 ありがとうございます。
続いてまた本永参考人に伺いたいんですけれども、今、OISTを核とした沖縄版のシリコンバレーみたいな計画もあると聞いておりますし、今回のゲートウェープロジェクトもそうだと思うんですけれども、一つ、電力の安定供給というのは、まさに核になるのかな、非常に重要な問題なのかなというふうに考えております。
これは、沖縄に限らず、我が国のエネルギー問題に関連するというところですかね。カーボンニュートラルであったり原発の問題であったり我が国のエネルギー政策は多くの様々な問題を抱えているところではございますけれども、ちょっと話は大きいんですけれども、沖縄のエネルギー政策、今後どのような形で電力の安定供給をしていけばいいのか、どのようにお考えでしょうか。
○本永参考人 どうもありがとうございます。
エネルギーの分野は、私、電力会社に勤めておりますので、得意でございます。
ゲートウェーとはまたちょっと、ゲートウェーでもカーボンニュートラル社会の実現というのをうたっておりますけれども、沖縄電力におきましても、二〇五〇年に向けてカーボンニュートラルを実現していこうという大きなロードマップがございます。
その中で、我々の取組としては、再エネの主力化、それと火力電源のCO2削減、電化の推進、この三つを柱にして進めております。
ただ、再エネの主力化のところでは、沖縄の地域は、台風が来たりですとか、太陽光を大量に展開しようとしても土地が限られているとか、かなり制約が多うございます。離島におきましては、台風が来たときに風車を折り畳める可倒式の風車というのを導入させていただいておりますし、沖縄本島においては、太陽光などは屋根置き型の太陽光を中心に進めさせていただいております。
ですので、沖縄の特性に合った離島のマイクログリッド化というのも我々の大きな技術の特徴ですので、そういったものを活用してゲートウェーにも反映させていただきたいと思っています。
火力電源のCO2排出削減については、今後、水素、アンモニア、こういった新しい燃料の活用が必要になってくると思います。ですが、これもサプライチェーンの確立をしていく必要がございますので、沖縄にそういった燃料を安定的に安価に運ぶ手段がまだ確立されておりません。ですので、そういった技術開発を見据えながら、こういったところも展開していきたいと考えております。
○藤巻委員 再生可能エネルギーだったり代替エネルギーだったりというところ、非常に重要な問題で、取り組んでおられると思うんですけれども、一方で、安価で安定的な電力供給、これと並立するのは今の技術で見るとなかなか難しい側面も否めないのかなというふうに考えているんですけれども、再生可能エネルギーと経済的な部分のバランスというのはどうお考えになられているのでしょうか。
○本永参考人 ありがとうございます。
経済性を確立していくにはなかなか厳しいものがございます。ですので、再生可能エネルギーを大量に導入していくに当たっても、系統がしっかりと安定した形で保てないといけませんので、それを安定した形で保つためには、蓄電池の導入が必要であったり、どうしてもそれを調整するための火力電源が必要になってまいります。
ですから、再生可能エネルギーを大量に導入すると、その裏にある調整力というのが必要になりますので、そこの経済性をしっかりバランスさせていくことが今後は非常に重要になってくるかと考えております。
〔委員長退席、屋良委員長代理着席〕
○藤巻委員 ありがとうございます。
本当にその辺は難しい課題だと思うんですけれども、是非沖縄の電力面を支えてしっかりとやっていっていただければと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
では、変わりまして、松本参考人、石垣参考人に質問させていただきます。
ちょっとセンシティブで難しい質問ではあるので、答えられる範囲で全く構わないんですけれども、以前、以前というか今も、歯舞、色丹の二島先行返還論というものがございました。これについて、この二島先行返還論についてのお考えをお聞かせいただければと思います。
○松本参考人 御質問ありがとうございます。
二島返還論というのはそもそもどこから話が出たのかといいますと、一九五六年、日ソ共同宣言のときにその話が出て、それ以降そういうのが続いてきた。
でも、私たちは、先ほど申し上げましたとおり、四島の一括返還という姿勢は崩さない、ただ、二島を先行返還し、残りの二島についても話合いをするんだという形で政府が決定するのであれば、それはそれで政府の決定に従う。でも、原則として四島の一括返還。あれだけの財産、あれだけの資源、絶対に四島一つであって、あるいは、四島の択捉島の上のところに宮部ラインというラインがありまして、植物のラインですね、同じような生態系を持った島々なんだということも含めて一括して日本の領土として返還要求を私たちは続けていく所存だということです。
〔屋良委員長代理退席、委員長着席〕
○石垣参考人 御質問ありがとうございます。
今まで、北方領土問題が、昭和二十年以来ばっこされてから、幾度も実は島が近づいたこと、チャンスが、いろいろな本がありますけれども、何度もありました。そのときそのときの政府の対応、それから国内事情、またロシアの対応で、それが手の先まで届いたんですけれども駄目になってしまったというのが、今まで、現状であります。
今、日ロ間の領土交渉は止まっているわけでありますけれども、そのときの政府がしっかりと思いを込めて領土問題の交渉をして、その結果こういう形になるということであれば、私ども、喜んでその結果を受け入れる、その思いであります。外交は、政府の外交交渉でありますので、しっかりとやっていただきたい、その思い、一心であります。
○藤巻委員 ありがとうございます。
ちょっと時間も近づいていますので、最後に古波藏参考人に一問聞かせていただきたいと思います。
沖縄は長い歴史がありますけれども、移住者というのもかなり多いと思っております。具体的な数字は持っていないんですけれども、かなりの方が沖縄に移住したい、実際に移住している。
その中で、いろいろ、文化的な違い、考え方の違い、摩擦等々起きていると思いますが、これからもどんどん沖縄に移住していく人、島嶼部も含めて増えていると聞いていますので、そういった文化的な、沖縄で長く育ち住んできた人たちと新しく移住してくる人たち、そのような人たちの文化的な融合をどのようにしていったらいいのか。済みません、抽象的なざっくりとした質問なんですけれども、最後にお答えいただければと思います。
○古波藏参考人 そうですね、恐らくイメージとしては、割ときゅっと閉じた共同体の中に新しい移住者が入っていくのが難しいというイメージで御発言なのかなと思うんですけれども、必ずしも今はそうはなっていないのかなという気もしていて。
確かに、その地域の中に入っていって、入っていったくせに自分の家の中に引きこもっていて出てこない、何もしない、みんなでやる仕事も手伝わないというようなことになると、それは問題になるとは思うんですけれども、割と、特に若い層の人たちというのは、環境だけを好きこのんで沖縄に行っているというよりかは、地元の人たちと何か一緒にできることがあるんじゃないかという、自分の役割、居場所を求めて行っているのかなというのが私の感触ですので、そういう動機で移動しているものに関してはそれほど問題はないのかなというふうに考えています。
○藤巻委員 時間が参りましたので、私の質問を終わらせていただきます。
参考人の皆様、本日は誠にありがとうございました。
○逢坂委員長 次に、深作ヘスス君。
○深作委員 参考人の皆様、本日は、遠路はるばるお越しをいただきまして、そして多大なる御知見を賜りまして、誠にありがとうございます。
日頃から、皆様方が、国の最前線、ある意味では他国と一番接している、そういったところにおいて、我が国の主権であったり、そして産業の在り方、こういったところに奮闘されていることに心から敬意を表したいと思います。
まず冒頭、松本参考人にお伺いをしたいと思います。
先ほど、最初の質問、向山委員から質問もありましたが、今後、語り部がどう話を紡いでいくのかということの質問もありましたが、今、一つの課題となっているのは、やはり第二世、三世がどのように自分事化をしてこの課題に向き合っていくことができるのかということだと思っています。
なかなか、この第二世、三世の皆さんの千島連盟への加入率が今六%を割っているという状況の中で、参考人として、どのようにこういった部分を推し進めていくべきか、そのお考えについて、まず冒頭お聞かせください。
○松本参考人 御質問ありがとうございます。
私たちも今その面では非常に悩んでいるところで。私たちは、私の父親が一世だとしたら私は一・五世なんですけれども、こういう言い方をするとちょっと理解しにくいかもしれません。やはり、二世、三世の方は、結局、お子さんに対して、私たちは父親が、こうやって活動するんだからやれよという形でそのまま入れた、ところが、私たち以降、私の子供からその孫の世代に順番が行ったときに、そういう伝え方ではなかなか組織の中に加入していただけないし、考えてもらえない。
そこで、本当の話、どのような形でこの運動を進めたら二世、三世の方に目を向けていただけるのかなと思いますと、単純に考えて、やはり五感に訴えるような運動というのかな、全てのこういう感覚を利用して、それをいろいろな形で表現できるようなもの、例えば漫才でも何でもいい、いろいろなものを使う、それからいろいろな道具を使って興味、関心を引き出すようなことを進めていきたいと思って、やっております。
ただ、非常にこれは残念なことなんですけれども、デモ行進には参加したくない、組織には参加したくない、シュプレヒコールはナンセンス、こういうような形で対応されたときに、私たちはそれでも、そういう人たちには、いや、こういういいところがあるんだよ、何か夢があるんだよというような話で接していく、そういう形。
ちょっと漠然とした表現になりますけれども、やはり、五感に訴えるような活動をして、いろいろな場面を使ってやっていかなきゃいけないんじゃないかと考えております。
○深作委員 ありがとうございます。
本年二月七日、北方領土の日に行われました、返還運動原点の地で、根室市で開かれた学生による弁論大会、この中で、菊地琉凪さんという方が、大きな変化を生み出すには一人一人のほんの少しの積み重ねが必要だということを訴えられたというふうに、新聞報道で承知をしています。
この問題というのは、先ほど来おっしゃられているように、どのように啓蒙していくのか。これは国内でという話をされていましたが、やはり、外交問題でありますし、主権に対する挑戦でもあります。
今ウクライナがこういった状況になっている中で、だから止まっているということではなく、ウクライナのクリミアへの侵攻というのはこの北方領土で行われたことと私たちはしっかりと重ね合わせて、国際社会において日本がウクライナに対する発言をするときに、我が国における主権の侵害、こういったことも国内だけではなく国内外に向けて発信をしていくことが重要であろうということに、本日、お話を聞きながら思いを至らせておりました。ありがとうございました。
続きまして、古波藏参考人にお話をお伺いしたいと思います。
これまでの記事なんかをいろいろと読ませていただきました。中でもマイホーム主義という考え方、これはある意味で、沖縄において研究をされている中でこのマイホーム主義ということを掲げられているように思いますが、他方で、これは全国にほとんど同じような状況が起きているように思います。
このマイホーム主義という言葉を定義したその背景と、マイホーム主義を悪いものとして考えているのか。先ほど経済成長と特に反発をするものではないという話もされましたが、経済成長をある一定求めていく中において、マイホームから出ていき、そして社会で沖縄のネットワークをつくっていく活動をどういうふうに後押しをしていくべきなのか。改めて、このマイホーム主義の考え方、参考人がどのようにこれを捉えていらっしゃるのかお聞かせください。
○古波藏参考人 ありがとうございます。
そうですね、マイホーム主義という言葉を先ほどさらりと出したときに、個人主義的上昇志向というふうに定義しました。
これはどこから説明したらいいのか結構難しいんですけれども、マイホーム主義、確かに社会に背を向けて家の中に閉じこもっているというネガティブなイメージを込めて使っていますが、同時に、やはり一つ大事な機能を担っているのは確かで、それは何かというと、社会に対するある種の信頼感というものと引換えになっているんですね。
すごく分かりづらいんですけれども、例えば、日本で一億総中流ということが言われて、結構長いこと、一昔前まで言われていました。じゃ、実際に本当にみんな中流かと言われれば、決してそうではない、結構格差がある。にもかかわらず、まあしようがない、でも自分は中流だしというふうに、みんながそういって思えるのは、それは、自分が努力すれば、自分の適性に応じて、努力に応じて、社会の中できっとふさわしいポジションを得ることができるだろうと、やはり信頼感があるから多少今の格差というのにも目をつぶる。
例えば、自分はこんなところだけれども、それは自分が頑張らなかったからかなとか、あるいは、自分の子供はもう少し教育させて、もっと上に行けるだろうとかそういうふうに、今いろいろな問題があったとしても、それは結構フェアなゲームの中でつくり出された結果だから受け入れてもいいかなというふうになるというのがマイホーム主義の正確な定義。正確なと、僕がつくっているんですけれども、これは、別に僕がつくったわけではなく、社会科学の中では元々確立された考え方なんです。
ところが、じゃ、これが維持できるかというと、それが大分怪しくなってきているというのが大分前から言われていて、じゃ、頑張れば本当に報われるのか、だって、自分の父親よりもいい大学に行ったけれども、でも自分は家も買えないじゃないというふうに、本当にこの社会はよくなるんだろうか、自分の努力は報われるんだろうかというのが疑問に付されるようになってくると、それはだんだん社会に対する不信感につながってくるし、ひいては、選挙なんか行かなくてもいいやということにもなるだろうし、路上で何を言っても関係ないやということにもなるだろうし。もっと悪いことには、君たちは多分この社会をアンフェアなゲームだと思っているんだろう、ならばぶっ壊してやろうというようなタイプのある種の政治的な主張に支持を与えるという可能性がやはりあるんですよね。
そういう意味では、マイホーム主義というのはある機能は果たしていたけれども、それをやはり維持するのが難しくなってきているというのが僕の議論で、それに代わる何か別の価値観みたいなものを打ち立てるというのが大事なのかなということで議論を展開しているところですね。
○深作委員 ありがとうございます。
いろいろともっと聞きたいところもございますが、やはり、経済成長、これは沖縄に限らず経済成長を求めていく中で、物的な繁栄と心的な、物心共にどのように繁栄をしていくのか、こういったことを参考人から投げかけられているというふうに思いますので、引き続きこういった点にも注目をしていきながら取組を進めていきたいと思います。
そして最後に、本永参考人にお伺いをいたします。
先ほど電力の話が藤巻委員からございましたが、二〇二四年の統計では、電力需要が沖縄において前年比で二・六%上がっているという数字を拝見をいたしました。これがどういった背景から電力需要が上がっているのか。これは、温暖化によるものなのか、産業によるものなのかということが一つであります。
そして、この基地返還、このプロジェクトが進んでいった先には、県民所得が二・五倍になるという話であったり、人口も二十万人増になるであろうということを推計されていらっしゃいますが、こういったところにおいて今も電力需要が高まっている中で、圧倒的にこれが産業という意味でもそうですし、人が流入をしてくることによっても電力需要が高まる中で、今の状況で電力の供給というものが間に合うという見込みがあるのか。是非、専門的見地から教えていただければと思います。
○本永参考人 どうもありがとうございます。
二〇二四年度の電力需要の伸びですけれども、今二・六%というお話でしたが、我が社の電力需要は五・四%の伸びになっています。これはどういう背景かといいますと、昨年は非常に猛暑でした。夏場にかけて沖縄でも、沖縄は、普通、最高気温でも三十三度ぐらいなんですけれども、三十五度、三十六度という史上最高の最高気温を記録したというのがありまして、これが長く続いたというのが大きな背景になります。
もう一つ、プロジェクトの結果、人口も伸びる、県民所得も増えるという状況の中で今の電力供給で足りるのかというお話ですけれども、電力需要というのは、国民総生産、県民総生産、そういう経済成長とほぼ比例する形でこれまでも伸びてきております。ですので、二〇五〇年、こういう形で成長していくと、今以上に電力需要が必要になってくるんじゃないのかなと私は考えております。
我々の今の沖縄における電力供給を見ておりますと、今使っている火力が大体三十年ぐらいになります。だから、それがやはり五十年ぐらいの期間になってくると、新しいものへのリプレースというものを視野に入れていかないといけないというふうに考えております。
ですので、今の発電機がそういった状況を迎えるときに、やはり、カーボンニュートラルという視点もございますので、それを意識した水素発電ですとかアンモニア発電、こういったものが可能な電力をやっていく必要があるかと思っています。
また、分散型の取組というのも進めているところですので、こういう町づくりの中で再生可能エネルギーを上手に活用したエネルギーの供給システム、こういったものをしっかりと検討していきたいというふうに考えています。
○深作委員 ありがとうございます。
加えて、先ほど御説明をいただきましたプロジェクトの四番についてお伺いをさせていただきます。
特に宇宙航空分野についての質問でございますが、具体的には、東南アジア衛星ネットワーク、ロー・アース・オービットの情報収集や活用拠点をつくっていくということですが、これが何を意味するのか。例えば、データ分析を行うところをつくっていこう、又は衛星の開発まで手を進めていくのか、ソフトウェアの開発なのか、アプリケーションなのか、こういったことの何か見込みがあれば教えていただきたいということと、こういったところにはどうしても高度人材が必要になってまいります。例えば、これを公的機関から、宇宙航空研究開発機構から人を呼び寄せるのか、又は海外から呼び寄せるのか、OISTからそういった人材をつくっていくのか、是非そういったところについても教えていただければと思います。
○本永参考人 航空宇宙分野というのが、沖縄らしさを生かして、今後、世界のメガトレンドに乗った成長産業になるだろうということで、今回のゲートウェープロジェクトの中の産業分野として入れさせていただいております。
沖縄に適したというところは、やはり、沖縄の地理的なところが、日本の中で一番赤道に近い低緯度立地というところにあります。その低緯度立地を生かした衛星データを活用して、例えば、気候変動に対してどういったアプローチができるのかとか、そういう衛星を使って災害情報に対してどういうアプローチをできるのか、こういった視点をしっかりと取り入れた産業の創出、こういったものを今考えております。
あと、やはり、委員おっしゃったように、高度人材というのは、このプロジェクトを推進していく上ではいろいろな産業分野で必要になってくると思っています。ですので、その人材をしっかりと沖縄で育成できるようなシステムをつくっていく必要があると考えておりまして、これは、何も沖縄だけではなくて、国内からも海外からも優秀な人材が集まってくるような、沖縄における人材ネットワークハブみたいなものをつくっていくことがこのプロジェクトを成功に導いていく大きな鍵だというふうに考えております。
○深作委員 参考人の皆様からのいろいろな御発言におきまして、私も大変学ぶところが多くございました。引き続き全力で取り組んでまいりたいと思います。
本日はありがとうございました。
○逢坂委員長 次に、吉田宣弘君。
○吉田(宣)委員 おはようございます。公明党の吉田宣弘でございます。
今日は、四人の参考人の皆様、本当に得難い貴重な御意見をお聞かせいただきましたことに、まず冒頭、心から感謝を申し上げたく存じます。
その上で、私はまず本永参考人にお話をお伺いしたいと思います。
今、参考人から御説明をいただきましたゲートウェー二〇五〇グランドデザイン、本当にわくわくするような思いでお話をお聞かせいただきました。本当に、この全てがかなうように、政府を挙げて頑張っていかなければならぬのだろう、我々国会議員もそういった役割を果たしていかなければいけないんだろうというふうに思いを深めているところでございます。
その中で、わくわくするような成長戦略においても、これは常に光と影が存在していて、このグランドデザインに書かれている中に、これはすばらしい、輝かしい光だと僕は思っておりますけれども、具体的にちょっと申し上げますが、二十三ページの資料にあります「世界最高水準の国際リゾート・ビジネス空港」ということが本当にすばらしい話だというふうに思っておりますし、沖縄経済の自立的発展に向けては、まさに沖縄経済の基幹産業である観光産業の発展を抜いて語れないんだろうと私は思っております。
その上で、この観光産業のまず玄関口となる空港の国際リゾートビジネス空港という構想は、すばらしい構想だというふうに私は思っておりますけれども、この施設整備を、「産業施策を踏まえた将来の旅客需要見通し」というところを少し目を通させていただければ、二〇五〇年の那覇空港の利用客数、「乗降」と書いてありますけれども三千六百万人。今、政府の観光インバウンドの受入れ目標は六千万人でございますから、その半分以上を沖縄でということで、本当にすごいことですけれども、この中で、外国人旅客は六倍超、ビジネス需要も約二倍というふうに見込まれていると。
これは、実現していきたい、かなえていきたいというふうにやはり思うわけでございますけれども、ただ一方で、この目標を達成するに当たって様々な課題もあると思うんですね。
例えば、受入れにおいて行政が抱える課題といえば、これは、税関のお話であったりとか、出入国管理手続であったりとか、また検疫の話であったりとか、そういったことがいわゆる行政の課題としては出てくるんだろうというふうに思っておりますけれども、空港の活用において民間で考えられる課題というものが、何か参考人の下でお示しできることがありますれば是非御教示いただければと思います。
○本永参考人 どうもありがとうございました。
まさに空港が玄関口になるわけですので、空港を世界最高水準のビジネスリゾート空港にしていくというのが大きな目玉にもなります。
今委員から御指摘のあったように、いろいろ課題も出てくるだろう。今、税関の話ですとか、いろいろな手続のお話がありました。
今でも、空港の利用客の方たちからすると、例えば、やはり、空港周りの交通渋滞ですとか、レンタカーを借りる人のレンタカーへのアクセスですとか、モノレールに乗るためのアクセス道とか、そういったところで非常に不便を来しているというお話を聞いたりしています。
ですので、こういった、空港を起点とした交通ネットワークの整備というのもこの中で大きなテーマになっておりますので、いわゆる自動車にしても鉄道にしても、空港をまた拠点にして、北部方向に向かう船舶、大型のジェットフォイルみたいなものとか、そういったものをいろいろ組み合わせて交通の利便性を高めていくということが必要になってくると思います。
やはり、それをやっていく上でいろいろな制度上の課題というのは出てくると思っておりますので、この中でも、基地の跡地開発もそうですけれども、制度的な対応をしっかりとやっていかないと遅々として進まないということにもなりかねませんので、ここはしっかり早期に後押しできるようなお力添えをいろいろな関係機関に働きかけていきたいと思っております。
○吉田(宣)委員 想定される課題について、これを解決していくところに成長の一つの鍵があると思います。ボトルネックを残さないということがやはり大切な視点なんだろうというふうに私は思っておりますので、今後ともまた是非御指導をいただきたく存じます。
私が考えつく限りで一つ思っているのは、例えば、空港の施設内の民間の職員の方、特にグランドハンドリングを行う方の数、これも相当要ると思います。あと、その方々への人材育成、こういったことも要ると思います。また、ほかにも、一時期ちょっと問題にもなりましたが、航空機燃料の補給体制、これも、飛行機がたくさんやってくればそれに対して燃料が必要になってまいりますので、燃料を補給したくてもないということであれば、飛びたくても飛べないというふうな課題もあるのかなというふうなことを、私は、済みません、大した経験もなく知識もない人間でございますけれども、今想像した範囲でちょっと御紹介を申し上げた次第でございます。
その上で、次は古波藏参考人にお話をお伺いしたいと思います。
先生の御研究をこの短時間で分かりやすく御説明いただきましたことに本当に感謝を申し上げたく存じます。
先生からは、沖縄振興の経済の成長、これにかなり、ちょっと偏った歴史的な見方ができるんじゃないかということ、そして、経済は成長したけれども社会的な豊かさにつながっていないというふうな御指摘、これは非常に重要な御指摘だと思いますが、それも教えていただき、そして、今は目標設定からゲームチェンジをすべきでないかというふうな御提言もいただきましたところで、私は非常に感銘したところでございます。
紹介したら本当に切りがないぐらい勉強させていただいたと思っておりますけれども、この上で、今ゲームチェンジというふうなお話もございましたけれども、ワーカーズコープ、いわゆる労働者協同組合のお話も解説をしていただいたんです。実は私は、これがまだ法案化される前の時代に、一時期、福岡で県議会議員をやっておりましたけれども、この法律を早く作ってほしいという意見書を私が作ったんですね、福岡県議会で。今、多分ホームページ等で残っておりますけれども、私自身が作ったというふうなことで非常に思い入れがあるところでございます。済みません、話がちょっと脱線してしまいました。
先生にお聞きをしたいのは、今、本永参考人から、いわゆる空港の受入れというふうなことについての御指導をいただいたところでございますけれども、古波藏参考人には、沖縄というのは、やはり、観光産業というのが基幹産業としてこれからもずっと継続をして、続いていく話なんだろうというふうに思っております。その上で、いわゆる地域の共生であったりとかそういったものにおいても観光産業というのは非常に資するものがある、地域の存続、離島においてもそうなんですけれども資するものがあるというふうに実は私は思っております。
先生におかれましては、沖縄における観光産業、この現在、また未来、どのように映っておられるのか、それについてお教えいただければと思います。
○古波藏参考人 そうですね、観光の戦略というふうに聞かれれば、恐らく僕もしゃべることは本永参考人とそんなに変わらないと思います。
ただ、整理して言えば、今現在、観光が基幹産業と結構言われながら、外貨を獲得しに行く産業分野なので輸出業に例えてもいいと思うんですけれども、しかしながら、蓋を開けてみればかなりの、言い方は悪いですが、移民の労働力に頼る、つまり、結構、製造業に例えるならば値段の安さで勝負するような産業の構造になっているのを変えていくという話が出ていたと思うので、それはしないといけないことである。
それから、出ていたところでいうと、ざる経済の話ですよね。来た観光客というのが消費しているものというのが、全て域外から来て、全てではないですけれどもかなりの割合が来ている、そのざるの目を細かくするというのもそのとおりでありますので。
僕の方からは、特段、これに関しては違う角度の話というのは実はないのかなと思っています。
○吉田(宣)委員 済みません、また今のお話を受けてなんですけれども、ワーカーズコープ、これは実は観光産業でも取り入れられるんじゃないんだろうかというふうに私はちょっと思っておるんですね。
特に地域、那覇とか都会というよりも、まさに離島であったりとか、都会じゃない沖縄の地域においては非常に、ワーカーズコープを使っての観光産業というものが私は何かできるのではないか。先生は今書店のお話をされましたけれども、私も実は書店の振興の公明党の一員でございまして、書店の減少については非常に危機感を持っている一人なんです。
そういった、観光においてもできるのではないかという気がするんですけれども、先生、この点はいかがでしょうか。
○古波藏参考人 マクロな質問と捉えてしまって、意図を酌みかねて、失礼しました。
おっしゃるとおりかなと思います。労働者協同組合の法人としての強さというのは、なかなかうまく言語化されていないところがあるんですけれども、明確にここは強みだなと経験を通しても言えるのは、感情労働の領域ですね。
つまり、例えばホテルで、ああ、ここに来てよかったなと思えるのというのは心からおもてなしを受けたときだと思うんですけれども、人の心、言ったら他人が来ているだけなので、本当にこの人をもてなすというのは、深い深い演技、自分でも本当にそう思わないといけないようなかなりレベルの高い労働になってしまうので、それに対しては相当な額の対価を払わない限りは得られない、かなり高級なサービスになっちゃうわけですよね。
なんですけれども、そうしろと言われたら幾らくれるのという話になるんですけれども、労働者協同組合というのは、ある種、客を選ぶというところもあるんですが、自分たちでどういうふうにしてやるか、働き方のマニュアルから対価まで全部自分たちで決めるので、相手にもよるんですけれども、ある種、心からの労働というのがすごく楽なんですね。
例えば、うちの書店に来る人たちを結構もてなすんですが、はっきり言って時給は常に最低賃金べた張りなんですけれども、感情労働でいうと、ずっといてくれる客が結構多い。やはり満足しているんですよね。何か、こうやってつくられるつながりが本物だというふうに感じてくれているし。じゃ、やっている本人たちが疲れるかというと、そうでもない。自分たちで決めてやっているので、余り感情的に摩耗しないというのがあります。
なので、おっしゃるとおり、観光業と労働者協同組合というのは、余り言われていないところなんですけれども、かなり相性がいいと思います。
○吉田(宣)委員 先生、ありがとうございました。
もうだんだんだんだん時間がちょっとなくなってきちゃったので、あと一問、最後の質問ですけれども、これは石垣参考人にちょっとお聞きします。松本参考人に聞くか石垣参考人に聞くかさんざん迷って今決めたんですけれども。といいますのも、実は政治家に聞こうというふうなことでございます。
実は、北方領土の問題の前提として、客観的な事実は私も勉強してきたんですけれども、松本参考人のふるさとである択捉島、これは沖縄本島の二・七倍の面積があるということを知りました。また、国後島においても、沖縄本島よりも大きい。択捉島においては、九州、四国の次に大きい島であるということを学び、この北方領土の歴史的な問題というのは領土の面積においても非常に大きいなということを感じております。
これを経済の数字の上でいろいろ置き直すことはこの問題を解決に導くものではないので、余り言ってもしようがないなと思いつつも言うんですが、沖縄本島の二・七倍の面積の島、そして国後島も併せて、そういったものを日本の経済的な発展と置き直せば、沖縄が既に四兆九千億のいわゆる経済の成長を果たしていることからすれば、それ相応の経済成長がこの二島だけでもあったんじゃないのかなというふうに私は思っています。
こんな話をしても恐らくロシアは聞く耳を持ちませんので実は、この島を我が国に取り戻すことにおいてやはり重要なことは、松本参考人の生きざまそのものを私どもが共有をして、そして、そのことをいわゆる人権の外交として示していくことが一番早いんじゃないかなというふうに私は思っております。
その上で、なかなか難しいところではあるわけですけれども、国家というものは、国家が先にあって国民があるのではなくて、国民が大切で、国民のために国家が存在するというふうな価値観をロシアに示すことによって、ロシアの国民も大切だけれども、日本のふるさと、そして、日本のアイデンティティーそのものである松本参考人の思いというものを彼らにやはり突き刺していくというふうなことが大切なのかなと思いますけれども、済みません、受け止めを、政治家である石垣参考人にお聞かせいただければと思います。
○石垣参考人 御質問ありがとうございます。
私どもの思いをどうやってロシアに伝えていくかという話でありますけれども、これは、戦後八十年たって、それから、ビザなし交流が三十年間続きました。それまでは北方四島というのは実は拿捕のときだけに行ける島でありまして、それが、平成四年にビザなし交流が始まって、初めて根室の花咲港というところにマリーナ・ツベターエワ号というものが十九人の皆さんを連れてきました。どんな方が来るんだろうなと思ったら、ちょっと体形はふくよかでありますけれども、本当に笑顔のすてきな皆さんでありました。
それから三十年間、交流が始まって、そのときのテーマは、やはり私ども元島民の思いをどう隣の島の皆さんに伝えるかということであります。そんな意味では、三十年間伝わってきたその積み重ねというのは非常に大きなものがあります。
実は、先般のカズワンの事故のときにも、国後に流れ着いた御遺体、これはもしかしたらカズワンの方ではないだろうかと、根室市民に入りました。それが海上保安に行って、御遺体の引取りにつながって、彼は、その後も国後の海を、海岸を一生懸命捜してくれたということであります。
そういうことでありますので、交流の機会さえあれば気持ちというのはつながるということは、私、人と人でありますので、信じております。それが今、できない。
それから、そのビザなし交流が始まる前までは、国際的に言えば、例えばニューヨークに行ったり、国際的な、北方領土問題を世界に訴えてまいりましたけれども、これは、ビザなし交流が始まって、ゴルバチョフが来て、北方領土問題があるということで両方認識しましたので外の世界に訴えるということはなくなりましたけれども、ただ、今また現状が変わりましたので、今度、この状況の中でどのように訴えていくか。
まず、世界にどう訴えていくか、また、ロシアにどういうふうに訴えていくか、これはしっかり皆さんと一緒に考えて対応をしたいと思いますし、そういう意味では、人と人とのつながりというのは、社会情勢がどうであっても私はやはり信ずるべきだと思います。
以上であります。
○吉田(宣)委員 四人の参考人の皆様、本当にありがとうございました。
ここで私の質問を終わります。
○逢坂委員長 次に、山川仁君。
○山川委員 れいわ新選組の山川仁です。
本日は、参考人の四人の皆様方の貴重なお時間、そしてまた御提言などをいただきまして、本当にありがとうございます。しっかりと活動に生かしていきたいと思っております。
それでは、早速ですが、皆様方のお手元に資料を配付させていただいております。
まず、一ページと二ページ目の資料については、今回、参議院議員の西田議員が、ひめゆり発言、言われて、先ほど立憲の屋良議員からも本永参考人、古波藏参考人から御意見を頂戴したところですが、御承知のとおり、沖縄県那覇市で開かれたシンポジウムにおいて参議院の西田発言が行われています。
我々としては、見識の欠如で、沖縄県内の市町村や県議会、また、ほか多くのところから抗議や決議が上がっておりますが、先月五月二十日には、石破総理が、自民党総裁として深くおわびをすると、沖縄県知事へも謝罪の言葉もお伝えしておりました。
しかし、その後、沖縄県議会の事前の調整があったというふうに伺っておりますが、その調整があったにもかかわらず西田議員が面会にも真摯に対応することなく誠実さを欠いた報道もまた流れてきているところです。
二、三日前でしたか、またさらに、自民党二期目の地方議員である那覇市の議員の方が、対馬丸報道で、命を大切に守るというよりも、果てしなく続く戦争への次の戦力となる子供たちを確保するようなことが真の目的だったと、何か、対馬丸の記念資料館についての展示の在り方を否定するような発言があったということが報道されておりました。今日は、時間の都合上、ちょっとこの資料はありませんけれども、それを、後日、誤りだったというふうに謝罪をしている報道もありました。
その部分について、先ほど、ひめゆり報道について所見を、どうお考えですかということで、屋良議員の質疑にお答えしたので同じような質疑をしても仕方ないんですが、GW二〇五〇の主宰をされている本永参考人に少しお話を聞きたいんです。
私は、自民党とのおつながりも結構深いようなイメージをして、受け止めておりますので、そういった意味で、沖縄の置かれた立場、先ほどひめゆりの発言についてもるる伺って、私もそのとおりだと思いながら聞かせていただきました。
やはり、沖縄というのは、先祖崇拝というようなイメージで、ウヤファーフジをしっかりと敬いながら、これからも子や孫にも同じように、二度と戦争をさせてはいけないんだという気持ちをしっかりと持っているのが一般的な考えだというふうに伺っております。私もその認識です。
その中で、是非、本永参考人には、この沖縄経済を本当に先頭に立って牽引をしていただいている一人として、今の自民党のガバナンスの在り方等々、今、ガバナンス不全じゃないかとかいろいろなことを何かよく報道されているところがありますけれども、そういったものを踏まえて、本永さんが経済界からしっかりと、こういうことが沖縄にあってはいけないんだぞ、GW二〇五〇も踏まえて、そういったことで歴史認識をしっかり正していくんだということで、今、島尻議員や國場議員、そしてまた西銘先生もここの場にいらっしゃいますけれども、自民党に対して活を入れていただきたいんですが、是非ともお言葉をいただけないでしょうか。
○本永参考人 何と言っていいか。私ごときが活を入れるなんというのは毛頭できない話ではあるんですけれども。
ただ、経済界からこの政治を見たときに、私が常々感じるのは、やはりPDCAをしっかり回してほしいなということです。
やはり、経済界にとって、企業人にとってはPDCAというのはもう当然のことでありまして、計画をしたら、それを行動に移して、その行動に移した後はそれをチェックして、次のアクションに移していく、これが基本ですので、政治においてもこういったことをきっちりと機能するような体制に持っていくのが大事じゃないかなと思っております。
以上です。
○山川委員 ありがとうございます。
誤解がないように一言お伝えしておきますが、島尻先生、國場先生、また西銘先生、この三名は、そういう気持ちはなく、我々と同じような気持ちで歴史認識はあると私は思っております。
ただ、ガバナンスとしてしっかりと、やはり、こういったことがないように、是非ともお互いがいい環境で政治ができるようにお願いしたいなと思っております。
それでは、次の意見をお聞かせいただきたいと思います。
次に、資料三枚目の横書きの、沖縄県の振興予算の推移という資料を添付しておりますが、これは、沖縄県が公表している沖縄振興予算の、上は青色で国直轄分、下のちょっと赤い部分、そういったところは地方補助金というふうに色分けされた資料になります。
そこで、現在の首相官邸のホームページにおいては、十二年前から、当時の安倍元総理のときでしたが、沖縄が日本のフロントランナーとして二十一世紀の成長モデルとなり、日本経済の牽引役へと記載された表現が現在まで続けられています。
大事なことは、この思いをしっかりと持続させながら、その結果の伴う環境をつくり出すことです。それによって、GW二〇五〇も今始動していると思いますが、御承知のとおり、沖縄は日本経済活性化のフロントランナーになっているのかなというところが、今、参考人にお聞きしたいことです。
日本経済の活性化を牽引できるような状況になっていないというのが私の考えです。なぜかというと、沖縄県民一人当たりの県民所得が、一九八九年、平成に入ってから三十六年間ずっと全国最下位です。
今回、総務省統計局の「統計でみる都道府県のすがた二〇五〇」というものがありますが、その中でも、製造品出荷額も全国最下位、完全失業率も全国トップ。都道府県との経済的な競争力を全く有していない状況が見られています。更に見ていくと、持家比率も全国最下位、そして一世帯当たりの年間収入も全国最下位、貯蓄残高も全国最下位。これまで沖縄振興への予算と事業について内容を進めてきた、それがその結果の表れだと思っています。
しっかりと国家戦略として、日本のフロントランナーではなくて、今、現時点は、私の表現としては、貧困のトップランナーへと低下した沖縄の実情を踏まえて、どう考えても、やはり沖縄振興の進め方、沖縄振興予算の計上の仕方が県民生活とずれが大きくあると実態的には考えているところです。
そこで、本永参考人や古波藏参考人、お二人にお伺いしたいと思いますが、沖縄振興予算の計上の仕組みや予算額についての認識を少しお聞かせいただきたいと思います。
○本永参考人 どうも御質問ありがとうございます。
確かに、県民一人当たりの所得でいくと全国最下位がずっと続いているというふうに私たちも認識しております。ですので、この全国最下位の状況をやはり打開していくためにも、今、戦略的に大きな成長戦略を描くことが大事だと思っています。ですので、このGW二〇五〇PROJECTSにつながっていると思っています。
これまでの沖縄振興予算というのは、どちらかというと本土との格差是正、こういったところを埋めるべく、社会資本の整備を中心になされてきたというふうに考えています。その結果、やはり沖縄においてまだいまだに課題となっているのは域内自給率の低さですね。
先ほど古波藏参考人からもありましたように、ざる経済と言われている状況ですとか、やはり労働生産性が全国と比べても低いという状況があります。これは、沖縄が、規模が小さい、離島を多く抱えるというようなことからきているものだと思います。
ですから、今後は、やはり持続的な成長をいかに図っていくかということが大事になってくると思います。ですので、我々としても、このGW二〇五〇PROJECTSの中では、既存の観光産業をしっかり強化しながら新しい産業を興していく、これは国際的にもしっかりと競争できるような産業にしていくことが大事だと思っています。
その意味でも、沖縄の人材育成、これをしっかり強化して、今の沖縄の子供たちが、いわゆるグローバルに、しっかりと、世界の人たちと対等にビジネスができるような世界を、今からやっていく必要があると思います。ですので、やはり、二〇五〇年に向けて、今の小学生の人たちが三十歳、四十歳になったときにしっかりと世界で戦えるだけの人材に育てていくことが大事かと思っています。そういったところにも予算をしっかりと充てて、人材育成を図っていきたいと思っています。
以上です。
○古波藏参考人 同じ話の繰り返しになるかなと思いますが、これは、先ほど申し上げたとおり、成長だけを追求してきて、かなり積み上げた割には社会の中が余り豊かになっていない。
先ほどいろいろ言っていた中にもう一つつけ加えれば、県内格差もこれは全国トップレベルですよね。これは恐らく成長戦略のみで埋められるものでは当然ないわけで、平均値が上がったとて上と下にばらけてしまえば意味がないので、これはこれで別で手当てをする必要があるということですね。なので、成長戦略は成長戦略であるけれども、沖縄振興というのであれば、その視点は今後も必要だろうというのがまず一点。
恐らくこの話だろうと思いますが、やはり、沖縄の振興というのは、それは米軍統治期以来ずっと、経済的に何が必要でという積み上げというよりかは、ある程度政治的な裁量に左右される形でついてきたところが当然ありますので、そのぶれはなるべくない方がいいですし、沖縄側も沖縄側で、こういうビジョンを持っているのでこれはつけてくださいというのは、自分たちで、先ほど申し上げたような別の指標を持って臨んだ方がいいと思っています。
結構、数年前だと思いますけれども、沖縄の経済同友会の方で割と幸福度調査の必要性というのも提言されていましたし、あるいは、可処分時間であるとか可処分所得であるとか、今までは多分使っていないけれども、これで見たときに目標値というのはもしかして変わってくるんじゃないかという指標はいろいろあると思うので、多分、そこら辺、目指すビジョンの樹立というのがまずやはり先にあって、その上でぶれのない沖縄振興予算のつけ方というのがあるといいのかなと、一般論的ですけれども、思います。
○山川委員 ありがとうございます。
それでは、最後の質問にさせていただきたいんですが、またお二人に是非、本永参考人、古波藏参考人にお聞かせいただきたいと思います。
最後の資料で、与那国の診療所の資料になります。
「継続困難」という見出しの新聞、切り抜きですが、この記事の黄色いマーカーをされている部分をちょっと読み上げますと、「関係者によると、台湾海峡に近い同町では「台湾有事」を念頭に医師確保がより困難になると見込み、」、そしてまた、ちょっと下段のところは、「そこに台湾有事への懸念が加わり、関係者は「派遣に手を挙げる医者を見つけるのはさらに難しくなる」」というような関係性でこのような状態を生み出しているという記事になっております。
そういった中で、沖縄はやはり基地に取り巻かれて、そしてまた、何かを想定した、有事と言われているようなものがあおりにあおって、地方自治や医師、地域医療の崩壊を招いているという状況になっております。
そういった中で、是非それぞれの沖縄を、経済の分野として取り巻く環境、そしてまた、学者として古波藏先生の認識を、この与那国の診療所について、私たちは、継続した医師確保を、当然、国の支援として、国の責任において取り組んでいただきたいという思いから、お二人の少し御意見をいただきたいと思います。
以上です。
○本永参考人 与那国の診療所で医師不足というのは、私もかなり深刻な課題だと認識しています。やはり、沖縄の離島においては、与那国だけではなくて、渡名喜村においても公務員の確保が難しいといった、人材確保の難しさがあります。
そういう意味でも、やはり、離島で、人が生活ができて、しっかり経済が発展するということも今後しっかり担っていく必要があると思います。その意味でも、離島振興というのは沖縄振興においても大きな柱になると思っています。
ですから、GW二〇五〇PROJECTSの中でも、離島にとっても振興になるような形で、例えば、先ほどの高度医療のところは、遠隔医療の技術をやはり高度化することで、医師が確保できなくてもそこで必要最低限の医療が遠隔で行えるというような取組も必要になってくると思いますし、教育についても同じように、遠隔での教育をやることで離島の子供たちのレベルを上げていくということも可能になってくるかと思います。
そういったこともいろいろ仕組みとして考えながら、離島振興についてもしっかり目を向けて取り組んでいきたいというふうに考えています。
○古波藏参考人 これは難しいですね。
一般的に言えば、国境離島に関しては、ある種、国が面倒を見るといいますか、最後のセーフティーネットを張るというのが当然責務としてあると思います。が、今のゲートウェーの話でいくと、それも実は民間の力でどうにかなるというのが出てきているわけですけれども。これはどちらという話でもないと思いますが、済みません、質問の趣旨としては、これは国が責任を持ってセーフティーネットを確保すべきだということですよね。という質問であれば、はい、イエスだと答えます。
ただ、有事が関わってそこに人が来ないんだということで、無理やり誰かを置くということが難しいということでお手上げ状態になっているということだと思いますので、済みません、私の方でどうするという解法まではなかなか提案できないんですけれども、質問に対してはイエスですね。
○山川委員 時間になりましたので、これで質問を終わりますが、今の状況は、やはり二度と戦争をさせない、そしてまた有事を起こさせない、徹底した平和外交を我々政治の立場からも頑張っていきたいと思いますので、またお力添えをいただきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
ありがとうございました。
○逢坂委員長 次に、赤嶺政賢君。
○赤嶺委員 どうも。日本共産党の赤嶺政賢です。
今日は、四人の参考人の貴重なお話、大変ありがとうございました。やはり、沖縄北方特別委員会、今回、委員長のイニシアで参考人質疑が実現しましたが、当事者がいらっしゃる委員会だけに、とても大事だなと思いました。これからもよろしくお願いしたいと思います。
それで、最初に本永参考人にお伺いしたいんですが、GW二〇五〇の協議会、この構成メンバー、屋良議員も質問しておられたんですが、実は沖縄県や地権者が入っていないわけですね。跡地利用計画というのは、現行法では当然、軍用地の跡地利用は、沖縄県や当該自治体、そして地権者ですよね。これがお互いに意見を出し合って合意形成を図りながら作り上げていくものだと思います。
那覇の市会議員時代に、おもろまちの、本当に国の支援が何もない中で、あそこの軍用地跡地利用の町づくり、けんけんがくがくでした。小禄の金城もそうでした。揺れ動く地権者の気持ちも私は見てまいりました。
関係者がお互いに納得できる計画にしていくためにも、早い段階から意思疎通を図っていく必要があるのではないかと思います。結局、コンサルは、外資系のコンサルが絵を描いて、経済界がという形になるわけですよね。私はそれはちょっと違うんじゃないかなということを思っているんですが、ちょっと本永参考人に御説明をお願いしたいと思います。
○本永参考人 御質問ありがとうございました。
まず、町づくりの観点で、地権者、関係者、いろいろ含めた形で進めるべきではないかという御質問があったかと思います。もちろん、それぞれの自治体において跡地利用計画というのがございます。そこで地権者の意見を聞きながら、それぞれの自治体が計画を進めています。
宜野湾市、浦添市、那覇市、それぞれの市がこのゲートウェープロジェクトには関わっておりますけれども、ゲートウェープロジェクトの今考えているお話を、それぞれの市の方が、こういうことですということで地権者ともすり合わせをしながら今進めているというふうに私どもも聞いております。ですので、もちろんこういうのは地権者をないがしろにする形で進められるわけでもありませんし、これもしっかり地権者の同意を得ながら早期に進めていく必要があると考えておりますので。委員御指摘のように、しっかりとみんなで共感を持ちながら進めていきたいというふうに考えています。
もう一点は、外資系のコンサルというお話がございましたけれども、このGW二〇五〇PROJECTSの事務局については、沖縄の経済界を中心に、エネルギー、金融、建設、通信、こういったところから、七社の企業から出向者をしっかりと派遣していただいて、この事務局が中心になって、外資系のコンサルと、やはり沖縄らしさという観点からは外資系のコンサル以外にも地元のシンクタンクも四社入っていただいて、そういったところと事務局がしっかりと意見を交わしながら積み上げてきた計画が今の計画になっております。
ですから、やはり、グローバルな視点をこの計画の中に入れていくという意味からは、外資系コンサルの持っているいわゆる世界の産業潮流、メガトレンドみたいなところはしっかりと示唆をいただきながら、その中でも沖縄らしさをどうつくっていくかというところは、地元のシンクタンクにしっかり関わっていただき、さらに、経済界から出てきている若手の事務局の皆さんがしっかりと意見を交わしながらこの計画を積み上げてきた状況でございます。
○赤嶺委員 ありがとうございました。
やはり、地権者から見れば、基地に奪われたふるさとに戻りたいということが第一ですよね。西普天間の開発のときもいろいろありました。普天間基地も地図まで作っているんですね。戦前、どこに誰のうちがあったと、屋号まで作っている、そういうのを持っていますから。首長と民間経済界は意思の疎通があっても、その先の地権者は、後で、グランドデザインができたらそのとおりにいきましょうといったら、これはやるせないものが出てくると思うんですよね。
それで、本永参考人にもう一問お伺いしたいんですが、グローバルな観点ということをおっしゃいました。
このGW二〇五〇のグランドデザインを見ると、沖縄の国際拠点化、そして、そういう項目があり、国際会議や公的機関を誘致すると書かれております。
報道では、MICE施設も提案と報じられています。沖縄県は、既に沖縄県自身が東海岸にMICEを整備する計画を進めているわけですね。競合する懸念は出てこないのか。
そして、県は、東海岸に造るMICEについては、これは仲井真県政時代に出た構想で、そのときにカジノがあったんですね。そのカジノの問題をめぐって大分議論が起こりました。沖縄県は東海岸のMICEにはカジノを入れないと明言しておりますが、GW二〇五〇ではいかがでしょうか。
○本永参考人 どうもありがとうございます。
確かにMICEの言葉が報道には載ったというふうに私も理解しておりますけれども、少し報道関係者の誤解もあったかなというふうに思っています。
我々は、このGW二〇五〇PROJECTSの中では、いわゆる、今県が進めているような箱物のMICEの議論はしたことがございません。ただ、グローバル産業誘致に向けて、国際拠点ですとか沖縄の国際競争力につながる機能については議論を深めております。ですから、そこをちょっとMICEというふうに取り違えて報道されたのかなというふうに考えております。
ですので、県が進めている東海岸のMICEについては、我々が今進めているGW二〇五〇PROJECTSとはバッティングするものではない。むしろ、我々としては、先ほど申し上げましたように、持続的な成長を図るための沖縄としてあるべき姿、産業としてあるべき姿を議論をさせていただいております。
ですので、カジノについても、先ほどのグランドデザインも見たら分かると思いますけれども、そういうカジノについての検討は一切なされておりませんので、御理解いただきたいというふうに考えております。
○赤嶺委員 ありがとうございました。
ちょっと時間がなくなりましたので、古波藏参考人に、本当は西田発言の受け止めも聞きたかったんですが、西田発言とは別に、この間、那覇基地の第一五旅団のホームページに、沖縄戦のときの牛島満司令の辞世の句という句が掲げられております。私は、一五旅団に対して、旧軍と新しい憲法の下での自衛隊と両立するのかということを国会でもいろいろ伺ったことがあります。
昨日、安保委員会で私は中谷防衛大臣と沖縄戦のお話をしていたら、中谷防衛大臣が私の言葉を取って、いや、沖縄戦が捨て石作戦だったということは聞いたことがない、自分も自衛官の時代に教育を受けたけれどもそれは全然認識にないという答弁をされて、私もどきっとしたんですけれども、西田発言から、一五旅団の辞世の句のホームページへの掲載や、あるいは、沖縄戦に対する、それが捨て石作戦だったという、その辺りの認識を私は持っているんですが、古波藏参考人はいかがお考えでしょうか。
○古波藏参考人 先ほどの西田議員の発言とほぼ同じ回答になるかなと思いますが、この間の沖縄戦の記憶に関わる批判みたいなものというのが、ある種、現状の軍事的な緊張にあおられる形で出てきているという構図があると思うんですけれども、それに備えて、先ほど言ったような緊急事態条項的な、ある種、有事に備えた法の整備を進めましょうという動きが連動して動いているということで、僕が先ほど言ったのは、そういう動きを進めなければならないと思って動いている人たちほど、沖縄戦のことを誰よりも詳しくなった方がいいということを言っています。
というのは、いざ緊急事態条項的なものとか、ある種、有事というものがリアリティーを持って社会の中に雰囲気として蔓延したときに起きてくるというのは、発動した人間も恐らく制御が利かないような状態ということがやはりあり得るんです。沖縄戦のときもそうですけれども、住民同士の相互監視の中でスパイ狩りというようなことが行われたり、ある種、制御が利かないような状態にもなり得るというのがあるので、ある種、過去を美化して今からやろうとしていることを正当化するというのは、一番避けないといけないことを繰り返す前兆になってしまうので、熱心な方ほど沖縄戦の勉強をした方がいいかなというふうに考えています。
○赤嶺委員 ありがとうございました。
私、古波藏参考人のような研究者がいらっしゃることを屋良議員から紹介されて初めて知って、それで、沖縄の戦後史をずっと研究されていると。
その中で、沖縄の米軍統治下で、プロパガンダとして、「守礼の光」とか「今日の琉球」とか、これは私の小学時代に米軍から配付されていたんですよ、学校に。私なんかは、この本を一生懸命読んでいた、読んで育って、今日、共産党になっているんですけれども。そういうプロパガンダで周辺国の脅威をあおり、その脅威から日本を守るといって沖縄の統治を正当化していたことを述べておられます。
こうした史実は、先ほどの答弁と重なると思うんですが、今、台湾有事は日本有事といって脅威をあおっている今日と重なることになるんじゃないか。
先ほどの与那国の話でいっても、国民保護といいながら、九州、沖縄に全島民避難ですから。離島の振興といいながら、石垣、宮古、与那国は無人島になるわけですから、これはやはり、沖縄県の振興で離島を一番大事にしている中でも、政府の考え方とずれがあるんじゃないか。余りにも脅威をあおり過ぎている。米軍統治下の「守礼の光」の話じゃないけれども、同様なものを感じるんですが、いかがでしょうか。
○古波藏参考人 そうですね、メカニズムはとてもよく似ていると思います。
何か同じ話を繰り返しているようにも思いますが、敵国の脅威をあおるときにやはり気をつけないといけないのは、内部で慎重な意見を言うだけで、いや、おまえはスパイなのか、おまえは内部の敵なのかというふうに、空気が割と社会に蔓延しますので、始めた人が驚くぐらい、出ないといけないはずの慎重論が出ない。そして、みんな、誰か言ってくれたらいいのになで、踏まないといけないブレーキが踏めないというのがさきの大戦の失敗ですから、メカニズムとしては、「守礼の光」の話とも似ているし、過去の戦争のときの慎重論を抑え込んだ空気とも似ているものがあるのかなとは思っています。
○赤嶺委員 どうもありがとうございました。
今日はちょっと時間がなくなってしまいましたけれども、本当に、根室、北海道の皆さんには私も長いことお世話になってきて、先ほどの、教科書を教えるんじゃない、教科書でというのも、私も現場の出身なものですから大変共鳴いたしました。
これからも、北方領土、我が党は全千島返還という立場ですから、頑張っていきたいと思います。
今日はありがとうございました。
○逢坂委員長 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。
この際、参考人各位に一言御礼を申し上げます。
参考人各位におかれましては、御多用のところ本委員会に御出席いただき、貴重な御意見をお述べいただきまして、誠にありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。ありがとうございます。
次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。
午後零時三分散会