第5号 令和6年5月28日(火曜日)
令和六年五月二十八日(火曜日)午前九時三十分開議
出席委員
委員長 小熊 慎司君
理事 熊田 裕通君 理事 斎藤 洋明君
理事 高木 啓君 理事 塚田 一郎君
理事 下条 みつ君 理事 西村智奈美君
理事 和田有一朗君 理事 山崎 正恭君
井出 庸生君 加藤 勝信君
岸 信千世君 小森 卓郎君
佐々木 紀君 櫻田 義孝君
杉田 水脈君 高鳥 修一君
山田 美樹君 山本 左近君
義家 弘介君 梅谷 守君
渡辺 周君 池下 卓君
鈴木 敦君 中川 宏昌君
笠井 亮君
…………………………………
参考人
(北朝鮮による拉致被害者家族連絡会代表) 横田 拓也君
参考人
(特定失踪者家族会家族) 大澤 昭一君
参考人
(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会会長) 西岡 力君
参考人
(特定失踪者問題調査会代表)
(拓殖大学海外事情研究所教授) 荒木 和博君
衆議院調査局北朝鮮による拉致問題等に関する特別調査室長 菅野 亨君
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委員の異動
五月二十八日
辞任 補欠選任
義家 弘介君 岸 信千世君
同日
辞任 補欠選任
岸 信千世君 義家 弘介君
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本日の会議に付した案件
北朝鮮による拉致問題等に関する件
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○小熊委員長 これより会議を開きます。
北朝鮮による拉致問題等に関する件について調査を進めます。
本日は、本件調査のため、参考人として、北朝鮮による拉致被害者家族連絡会代表横田拓也君、特定失踪者家族会家族大澤昭一君、北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会会長西岡力君及び特定失踪者問題調査会代表、拓殖大学海外事情研究所教授荒木和博君、以上四名の方々に御出席をいただいております。
この際、参考人各位に一言御挨拶を申し上げます。
本日は、御多用のところ本委員会に御出席をいただきまして、ありがとうございます。参考人各位におかれましては、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。よろしくお願いいたします。
次に、議事の順序について申し上げます。
まず、横田参考人、大澤参考人、西岡参考人、荒木参考人の順に、お一人十分程度御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。
念のため申し上げますが、御発言の際にはその都度委員長の許可を得て御発言いただきますようお願いいたします。また、参考人は委員に対して質疑をすることはできないこととなっておりますので、あらかじめ御承知おきいただきたいと存じます。
それでは、まず、横田参考人、お願いいたします。
○横田参考人 おはようございます。家族会代表を務めております、横田めぐみの双子の弟の一人でもある横田拓也と申します。
日頃より、北朝鮮による日本人拉致問題解決に向けて、各党の皆様の多大なる御支援をいただいておりますことを心から感謝申し上げます。また、本日の衆議院拉致特別委員会においてお話しする機会をいただきましたことを心からお礼申し上げます。ありがとうございます。
私の姉横田めぐみが拉致されてから、四十六年という長い時間が経過しています。十三歳で拉致された横田めぐみは、現在五十九歳です。自由のない中で必死に毎日を生き延びている苦労を思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
母早紀江は八十八歳です。元気に生活しているものの、体の衰えは隠せません。元気なうちに日本の地でめぐみと再会させたいと心から願っています。
母早紀江の小さな夢は、草原でめぐみと二人寝転んで、青い空に浮かぶ白い雲を見ながら、やっと自由になれたねと語り合うことです。どうしてこんな誰でも、いつでもできることがかなわないのでしょうか。なぜ、加害者である北朝鮮に毅然とした態度で迫り、日本に取り戻すことができないのでしょうか。国会がこの問いに対してしっかり答えてほしいと思います。
こうしたぎりぎりの差し迫った思いをどの拉致被害者家族も持っていることを改めて認識してほしいと思います。
私たち家族会、救う会、拉致議連の三団体は、このゴールデンウィーク期間中に訪米し、国家安全保障会議、国務省、財務省、上下両院議員、シンクタンクの皆様を訪問して面会してまいりました。今回の訪米の目的は、今年二月に作成した家族会、救う会の運動方針を御理解いただくためのものです。
今日、参考までにお持ちしたのですが、こちらの写真を面会する全ての方に配付してきました。本来であれば、私の姉横田めぐみの写真を持参して、改めて十三歳の少女を救出してほしいんだということを訴えるべきかと考えていましたが、今私たちが置かれている状況は、待っている親世代が本当に高齢化して時間がないんだということを改めて面会する全ての方に知っていただくために、十三歳の少女が拉致されてから四十六年が経過している、私は八十八歳の母早紀江であるということを伝えてきました。
昨年の運動方針は、北朝鮮が全拉致被害者の即時一括帰国を約束すれば、日本政府が北朝鮮に人道支援することに反対しないとしました。また、全拉致被害者の帰国にタイムリミットを設けています。親世代が健在なうち、存命のうちに実行させることを求めています。
さらに、今年二月二十五日に今年度の新たな運動方針を作成しました。親の世代の家族が存命のうちに全拉致被害者の一括帰国が実現するなら、我が国が人道支援を行うことと、ここまでは一緒です。そして、追加で、我が国がかけている独自制裁を解除することに反対しないというものです。
私個人の立場では、北朝鮮への感情は、怒り、憎しみ、恨み、敵対心しかありません。姉めぐみの人生、尊厳、夢、希望を一方的に奪った相手を許すことは絶対にできないからです。それでも、姉めぐみとの再会を実現させるべく、対話にかじを切ったのです。苦渋の判断であることを知っていただきたいと思っています。
この新たに文言追加した、我が国がかけている独自制裁を解除することに反対しないという部分について、決して国際社会が科している制裁を逸脱するものではないこと、北朝鮮が人権侵害問題である拉致問題解決をしない限り制裁を緩めてはならないことを丁寧に伝え、私たちの新たな運動方針に対しての反対の意見は誰からも出ることはありませんでした。この確認を取れたことは大きな成果であったと考えています。
米国側の反応を、在米日本大使館の館内、そして、帰国後の岸田首相、林官房長官にお伝えした場、その報道が広くされたこと自体が北朝鮮側にしっかり伝わったと考えています。日朝の水面下交渉において、日本側の方針に米国が反対していないことを北朝鮮が知ることで、安心した交渉環境に寄与するからです。
私たちが求めている拉致の解決の定義は、全拉致被害者の即時一括帰国です。部分的解決や段階的解決は求めていません。日朝双方に連絡事務所や合同調査委員会の設置も求めていません。北朝鮮当局は、厳重な監視下で拉致被害者の誰が、いつ、どこで、何をしているかを把握しています。居場所が分からないという間違った認識に立ち、時間稼ぎや幕引きのための工作に乗ってはなりません。
また、私たちの要求には期限を設けています。親世代が健在、存命のうちに日本の地で再会することを要求しています。時間的制約がある人権問題であることを日朝双方が確認してほしいと思っています。
万が一、親世代の家族、つまり、有本明弘さん九十五歳、私の母横田早紀江八十八歳が健在なうちに拉致された被害者本人と再会が果たせないこととなれば、私たちは日本政府に対してこれまで以上の北朝鮮への独自制裁強化を具体的に求めます。この点を国会も強く共鳴してほしいと思います。
また、対話局面の中にあっても、なおも人質外交を続け、親世代が健在なうちに再会することを前進させない北朝鮮側の動向をにらみ、今から強力な独自制裁は何ができるのかをしっかり全省庁が一丸となって議論し、形にしてほしいと思っています。
一日も早い家族との再会を実現させるために、引き続き皆様方の御協力をいただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
ありがとうございます。(拍手)
○小熊委員長 ありがとうございました。
次に、大澤参考人、お願いいたします。
○大澤参考人 私は、特定失踪者大澤孝司の兄の大澤昭一です。現在、八十八歳になっています。まさに弟のために長生きさせてもらっていると思いますが、現在もとにかく弟との再会まで頑張るつもりです。
本日は、本会で発言の機会をいただき、感謝申し上げます。本日は、私の弟の五十年前の失踪状況を聞いていただき、特定失踪者の現状を理解していただく参考になればと思います。
私の弟大澤孝司は、新潟県佐渡農地事務所で農業土木技師として勤務中の昭和四十九年二月二十四日、新穂の荒井焼き肉店で夕食を食べ、食べたし、帰って寝るかとの言葉を残して、夜六時半頃、徒歩十分ほどの道のりの職員寮に向かって歩き出し、じきに行きつけの床屋のおばさんに会い、今帰るの、お休みと声をかけ合って、次に、猟期の終わった猟銃登録証を返納すべく、猟友会長の余湖さんの店に立ち寄り、奥さんに、主人に渡してと託して、店に入る二、三人連れと交錯しながら店を出て、その後、弟の姿は誰も見ていません。
まさにここで拉致されていると思っています。うちの弟は、拉致としても、当日の最終行動の出発点から終わりまで分かる、特定失踪者の中でも珍しい事件だと思います。
後日、荒井焼き肉店のおばさんから、孝司が数日前、知人から、農地を整備したいから手伝ってほしいと依頼され、指定された打合せの場に出向くと、現場が日本ではなく北朝鮮で、どうするか迷っていたとの話を聞きました。これは、事件性からいって、まさに、いろいろな県で事件が起きている誘いかけ事件の典型的なものだと思っております。
これが拉致の現状ですが、五十年前の事件発生直後は、これにいろいろな状況のいろいろな情報が混じって、私も当時、拉致という話を信じることもできず、弟が自殺したとさえ思って、ただ海に、山に、鉱山跡地を捜し回っていました。
こんなとき、親戚の二家から、県警幹部に知り合いがいることが分かり、早速お願いしてもらった。最終地点の余湖さんの店先で聞いたタイヤのきしむ音と交通事故がつながるか等については、調査してもらったが、単なる交通事故ではありませんでした。ほかに、行方不明事件として捜索を進めてもらった。その後、捜索の成果を待ったが、永々調査中の返事が続いた。数年たって、あの事件は難しい不思議な事件との返事をもらったが、余り詳しくは話してくれなかった。
そんな状況が続き、平成十四年、小泉訪朝で金正日が拉致を認め、曽我さん、蓮池さんの生存が発表され、大澤孝司についても、当時の平山新潟県知事が話をされ、弟もこれだと県警本部長に再調査の申請をした。
私も、当時六十五歳となり、今後は弟の救出運動に励もうと、結成されたばかりの特定失踪者問題調査会に加入。運動を始めると、孝司のことを気にしていた同級生、職場の同僚などが集まって、大澤孝司さんと再会する会を結成していただき、運動を続けています。
救出、再会を目指して署名運動、広報活動等に励みますが、私たちの意見は政府が信じてくれません。
また、政府は、認定、未認定にかかわらず全ての被害者の救出と言ってくれますが、特定失踪者と政府認定被害者の差は余りにも大きく、政府が北朝鮮と交渉の際の名簿にも私たち特定失踪者の名簿が載っているのか、何人なのか、全体で何人なのかさえ分かりません。また、総理大臣面会もかなえてもらえません。等々あります。
こんな状況からはい上がるのは認定されるしかないと思い、認定のための運動を続けています。
幸い、昨年四月の拉致特別委員会で、当時の新潟県出身の梅谷守議員が大澤孝司の認定についてただしてくださり、その際、政府は、新潟県警の判断によって認定もあり得るとの返答をいただき、また、その際、証拠といっても数十年前の話で出にくいから、状況証拠で政治判断してもらいたいとのお話もありましたので、昨年六月、当時の状況証拠として、当日の最終行動の荒井焼き肉店から余湖飲食店までの行動と、大澤家の親戚続きの県警の幹部に依頼したことを状況証拠として政治判断して認定くださるよう要請しましたが、八月、認定に値する確たる証拠がないとの回答がありました。
確たる証拠とはとただすと、孝司の生存する目撃証言など、はっきりとした証拠がない限り駄目と言われました。また、その際、拉致ではないという証拠があるのかと聞くと、拉致ではないという証拠もないということでした。
また、その後、幸いに、孝司が北朝鮮の農村部で農地に関する仕事をしていて、定年を迎えてそこで生活しているとの情報が入りましたが、これも情報でしかありません。
これやかれやで、是非、この情報を精査して、弟を捜し出して日本に連れ戻してください。私も八十八歳ですが、弟との再会まで何とか頑張ります。是非ここで皆様方が突破口を開けてください。
特定失踪者については、証拠がない、証拠がないとよく言われますが、北朝鮮側も証拠がないように綿密な計画を立て、拉致を実行します。そして、成果はあります。私たち家族にとっては奪われたというはっきりとした成果もありますが、それでも政府は証拠がないと言い続けます。証拠がないとばかり言い続けないで、日本人を、一人でも多くの日本人を救出するために、是非政府がもっと深く取り組んで調査して救ってもらいたいと思います。
現に、国連は、日本人拉致被害者は百人以上いると言われています。この点からも、日本政府も国連と協調して、日本人を、一人でも多くの日本人を救出してくださるよう、皆様の御協力をお願いいたします。
私も八十八歳、弟も私より十歳若く七十八歳です。北朝鮮の健康寿命としてはもう限度です。ともかく時間はありません。皆様の御協力をお願いいたします。(拍手)
○小熊委員長 ありがとうございました。
次に、西岡参考人、お願いいたします。
○西岡参考人 今日このような機会をつくっていただきましたことを大変ありがたく思います。
私はメモを作ってまいりましたので、それを見ていただければありがたいと思います。
まず、簡単に全体のことをお話しして、今どうなっているかについて私の意見を述べさせていただきます。
今、拓也さんもお話がありましたけれども、この問題は長くかかり過ぎています。なぜなのか。端的に言うと、立ち上がりが遅かったからです。物事は、事件の発生直後が一番解決しやすいんです。拉致対策本部は、横田めぐみさんたちが集中的に拉致されてから三十年たってできました。今は国を挙げて助けようとしていますが、余りにも遅かったんです。
それについては、恐縮ですけれども、与野党の先生方にも責任があると思っています。マスコミにも責任があると思っています。私のような専門家にも責任があると思っています。日本人が拉致されていることについて、もっと早く真剣に取り組まなかったということがあります。だから、政府は今、最優先課題とおっしゃってくれているんだと私は理解しております。
次に、現時点での日朝の対立点でありますけれども、二〇〇二年までは北朝鮮は拉致がないと言っていました。我々はあると言っていました。そこで一度勝ちましたが、しかし、彼らはそのとき、拉致したのは十三人だけだと主張しました。そして、五人とその家族を帰し、八人は死亡している、だから解決したと。今、彼らは解決したと言っている。
しかし、日本政府は、八人の死亡の客観的証拠は一切ない、北が認めない曽我さんのお母さんたちを含む四人についても拉致の確実な証拠があると主張しています。そして、認定被害者以外にも被害者がいる可能性があるから、認定の有無にかかわらず全被害者の帰国を求めるという方針が今の日本政府の方針であります。私たちの方針ではありません。日本政府の方針です。
二〇〇六年にできました最初の拉致対策本部がその直後に作ってくださったパンフレットにこう書いてあります。被害者の死亡を裏づけるものが一切存在しないため、被害者が生存しているという前提に立って、被害者の即時帰国と納得のいく説明を行うように求めています。この文言は、その後、民主党政権になっても変わりませんでした。その後、第二次安倍政権になってもずっと変わっていません。
私たちが生存を前提に助けてくださいと言っているんじゃなくて、対策本部ができてからの日本政府の一貫した方針は、死亡を裏づけるものが一切ないので、生存を前提に助けるということだった。このことをもう一度先生方にここで確認していただきたいと思っております。
次に、どのように助けるかということでありますけれども、一、実力による救出、二、核開発を阻止することを目的とした米国の圧力を背景にして日米が連携して行う交渉については、時間の関係で省略いたします。
今起きていることは、私は三だと思っています。核問題と切り離して日本単独で行う交渉であります。私たちの理解は、岸田政権もこの戦略を取っていると思っております。
岸田政権は、おととしの十月、初めて拉致問題だけに時間的制約という言葉をつけました。それまで、安倍政権も菅政権も、拉致、核、ミサイルといった諸懸案を包括的に解決するとだけ言っていました。岸田総理は、おととしの十月に、そのことを言った上で、「が、」とつけて、とりわけ、拉致被害者御家族も御高齢となる中で、拉致問題は時間的制約のある人権問題ですと、拉致問題だけに時間的制約という言葉をつけました。早く解決しなくちゃいけないのは拉致問題だというメッセージを出されたのであります。
そこで、先ほど拓也代表もおっしゃいましたが、去年の二月に、私たちは、全被害者が帰ってくるなら人道支援をすることに反対しないという運動方針を決めました。岸田総理が一歩踏み出したので、私たちも一歩一緒に踏み出したということであります。
そして、去年の五月の国民大集会で、岸田総理が、私直轄のハイレベルで協議を行っていきたいとおっしゃったところ、二十七日が土曜日でした。二十九日、月曜日の朝、北朝鮮の外務次官が、岸田総理の発言をまず引用して、ある集会で朝日首脳間の関係を築いていくことが大変重要であると発言し、早期実現のために高位級協議を行おうという意思を明らかにしたと。そして、朝日両国が互いに会えない理由がないと言いました。
土曜日に岸田総理が話したことを月曜日の談話に出すということは、週末に金正恩委員長の決裁を取ったということです。最優先でこのことを自分に報告しろと言っていなければ起きないことであります。この内容もそうですが、この期間が短かったことが、岸田総理の拉致問題を切り離すというメッセージに対する北朝鮮の関心の高さを表していると私は理解しております。
その後、十一月の国民大集会で、岸田総理は、様々なルートを通じて様々な働きかけを絶えず行うとおっしゃいました。しかし、表面には何も出てきませんでした。
一月になって、一月五日に金正恩委員長は能登半島の地震のお見舞いの電報を出しました。岸田文雄閣下で始まる電報でありました。北朝鮮の最高指導者が日本の地震に対して電報を出すことは初めてのことであります。
そして、二月十五日に金与正副部長が談話を出しました。幾つかの前提条件はつけています。正当防衛について不当な言いがかりをつける悪習を捨て、これは核、ミサイルのことだと思います。また、解決済みの拉致問題を障害物としてのみ据えないならばということですけれども、両国が親しくなれない理由がなく、首相が平壌を訪問する日もあり得るだろうという表現までしました。
一つ飛ばします。
そして、私たちは金与正談話を受けて新しい方針を出しました。先ほど拓也代表が説明したように、昨年の、人道支援に反対しない、プラス、独自制裁解除にも反対しないという方針であります。
そうしましたら、三月二十五日にまた金与正氏が談話を出しました。異なるルートを通じて、可能な限り早いうちに国務委員長に直接会いたいという意向を我々に伝えてきたと。交渉をしている、少なくともコミュニケーションを取っているということを明らかにしました。表に出ていない秘密交渉があるということがここで明らかになりました。そして、異なるルートと言っているので、複数のルートがあるのかと推測される表現でもありました。
一つ飛ばしまして、その後、次の日にまた金与正副部長が談話を出しまして、二十五日の内閣官房長官の記者会見で、拉致問題は既に解決されたとの主張は全く受け入れられないという立場を明白にした、何の関係もない核、ミサイルといった諸懸案という表現を持ち出したと。そういうことを理由に、我が政府は日本の態度をいま一度明白に把握した、したがって結論は、日本とのいかなる接触にも交渉にも顔を背け、それを拒否すると言いました。
そして、その週の金曜日に中国大使が、メールで日本大使館から接触しようと言ってきたけれども断ったというのをわざわざ朝鮮中央通信が出しました。これは朝鮮語だけじゃなくて、日本語、英語、中国語、スペイン語まで翻訳されるものです。なぜこんなことを出すのか。
そして、崔外務大臣が、岸田首相が従来の方針の下、引き続き努力を続けるという立場を明らかにしたということを理由にして、もう日本とは会わない、対話は我々の関心事じゃないというふうに言いました。
この動きをどう見るかでありますが、先ほど省略しましたが、二月十五日の金与正談話のときも、林官房長官は、拉致問題は既に解決されたという主張は全く受け入れられないとおっしゃっているんです。林官房長官の解決されたということは受け入れられないという発言が問題なら、二月十六日に談話を出して、もうやめると言えばいいんです。それなのに、三月二十五日に、別のルートから話が来たと言っているんです。岸田首相の発言に至っては、従来の方針に基づきと言っているんです。何も変えていないのに、二月十五日から三月二十五日の間に何かがあったということであります。表の理由は理由ではないということがこの分析から分かります。したがって、私は、まだ交渉が続いているのではないかと推測しております。
北朝鮮は首脳会談をするときにいつも条件闘争をします。南北首脳会談も、米朝首脳会談のときも、一度やめるということを言いました。それは、条件をよくするためであります。
全拉致被害者を取り戻すという条件を下げてもらっては困る。北朝鮮が被害者を帰さない段階で制裁を緩めたり人道支援をしてもらっては困る。しかし、全員が帰ってくるなら制裁を緩めたり人道支援をするということは守るという今の岸田政権の姿勢を続けてほしいと思っております。
以上であります。(拍手)
○小熊委員長 ありがとうございました。
次に、荒木参考人、お願いいたします。
○荒木参考人 本日は貴重な機会をいただきまして、ありがとうございます。
私は、お手元にクリップで留めて配っていただいております衆議院拉致特委メモというものについてお話をいたします。
その前に、二十日に、林官房長官兼拉致問題担当大臣に、大澤さんを含めまして特定失踪者の御家族がお会いになられました。そのとき、実は二人、直前まで参加するつもりで参加できなかった方がおられます。お一人は生島馨子さんと言われまして、東京で昭和四十七年に失踪した生島孝子さんのお姉さんです。お配りいただいている私どもの「救出!」と書いたパンフレットの中で、八ページの上から二段目に赤い枠のついている方が生島さんです。ちなみに、その右下の、隣のページの赤い枠が大澤孝司さんでございます。
行けなかった理由というのは、生島さんが内閣府まで来られてから体調を崩しまして、救急車で緊急搬送されたということでございます。軽い脳出血がありまして、幸いにして対策本部のスタッフの皆さんに協力いただき、私どももいましたので、もう一人、特定失踪者山本美保さんの妹さん、森本美砂さんが救急車に同乗して東京逓信病院に行きました。
その生島さんから先週電話がかかってまいりまして、調子は比較的いい、先生に何とかお願いして今日のこの委員会の傍聴に行きたいと言っていたんです。ですけれども、先生の許可は得られなかったということで、私が生島さんの言葉をメモしてまいりました。それだけ御紹介しておきたいと思います。
調査会が発足してからでももう二十一年になります。政府は認定の有無にかかわらずと言うけれども、その間、どんな扱いをしてきたのでしょう。疑いがあるというだけで、ほっておかれたのではないでしょうか。国交がなくても様々な形で情報を精査できたはずです。是非それを進めてください。これが生島さんのお言葉でした。
生島さんについては、呉吉男さんという韓国人の方で、平壌で恐らく生島さんと思われる女性を見たという証言があるわけですけれども、それについて政府の方で特段の対応をしたという話は聞いておりません。これは大澤さんの情報も同様でございますが、そういう問題があるということを御理解いただきたいと思います。
私のメモの方へ戻ります。
まず、この間官房長官にも申し上げましたが、この拉致問題特別委員会でも度々、答弁は差し控えさせていただくということの連発でございます。これはある意味で国権の最高機関たる国会に対する冒涜とも言えることでありまして、逆に、積極的に答弁して、そして、それが北朝鮮へのメッセージとなるということを是非とも御理解いただきたいと思います。
多少興奮しておりますので、不適切にもほどがある発言がこの後続くと思いますけれども、御了承ください。
先ほど横田さんのお話にも大澤さんのお話にもありましたが、被害者にとっても家族にとってももう時間がございません。それで、全拉致被害者の即時一括帰国というのは、北朝鮮側に言うのはもちろんそれが当たり前のことでありますけれども、しかし、現実にそれができるとは到底思えない。日本政府が拉致被害者がどこまでいるのかということについて認識していない以上、北朝鮮側が、例えば政府認定の拉致被害者だけ出してきて、これでおしまいと言ったら、ああ、そうですかという話になるか、あるいは逆に、政府認定の拉致被害者は全て死んだと言っているから、特定失踪者を何人か出してきて、これでおしまいと言ったらば、それで認めるということになるのか、これは分かりません。ですから、いずれにしても、分からない状態では、取り返せるところから取り返すしか方法がないというふうに考えます。
それから、既に何人かの方がこれまでも御質問いただいております、田中実さん、金田龍光さんを十年前のストックホルム合意のときに北朝鮮側が出してきた、そしてそれを突き返したということについては、既に各関係者が認めており、それは事実であることは確認されている。であれば、その判断が正しかったのか、あるいは間違っていたのかということについて、政府の方で明確な答弁をするべきであろうというふうに思います。私どもは日弁連に対しまして人権救済申立てを行いましたが、今後も更にこの問題を取り扱ってまいりたいと思います。
それから、生存を前提としてということについてでございますが、お配りしている中で、特定失踪者家族会で作ったリストがございます。このリストの中で、裏面に「残された時間は少ない!」と書いてあります。特定失踪者、拉致被害者の現在の年齢です。高齢者が圧倒的なわけでございます。ということは、幾ら生存を前提としてやる、これは当たり前なんですけれども、北朝鮮で亡くなっている方が存在することは当然に想定されます。寺越昭二さんなどは拉致途中で殺害されたというふうな説もあり、そうなれば、もちろん生存を前提としてやるわけですけれども、現実の問題としては、そういうきれいごとで済まされる問題ではありません。
あえて申し上げます。明らかになった場合には、北朝鮮側からの補償を要求するのはもちろんですが、北朝鮮に対して相応の報復をするべきであるというふうに思います。
次に、私どもがやっております短波放送の「しおかぜ」、これについては、ここにおられる各委員も大変いろいろ御協力をいただいているところでございますが、現在これを送信しているKDDI八俣送信所の百キロワットの送信機二機が、全施設を借り上げているNHKの方針によって廃棄されようとしております。この切替えによる工事のために、現在、妨害電波対策で二波同時に出している私どもの送信が、一定期間一波送信になると言われております。
この百キロワットが三百キロワットに切り替わればよくなるんだというふうに思われるかもしれませんが、現実にはオーバースペックで、遠方のほかの局と混信してしまうことが起こり得ます。アジア周辺に送るためには百キロワットが最も適切な送信機なのでありまして、短波の目的としては、安全保障上、在外邦人の安全を守るということが絶対に必要でございます。
そのためには、これはNHKに任せておくべき問題ではないと思います。私どもがいろいろな形で交渉しておりまして、NHKに国民を守るという意思は、この短波放送に限って言う限りはないというふうに判断せざるを得ません。私どもが幾ら様々な形で要望しても、それに対してまともに応えようとはしておりません。
海外向けの短波放送は、北朝鮮に限らず、世界中で危機に遭った邦人を保護するために絶対に必要なものでございます。この二機を更新しても十数億のお金でできるんです。それは人の命を考えたら非常に安いものだと思います。是非ともこれを政府の責任によって維持していただきたいと思います。
六点目、拉致被害者救出に対して自衛隊を使うということに関してです。
これは、これまでも国会で何度か質問が行われております。これに対して防衛省の答弁は、憲法、自衛隊法の制約があってできないというものであります。
しかし、そもそも、この間ずっと助けることができない、五人が帰ってきてから二十二年間誰一人として拉致被害者は帰ってきていない、そして、松本京子さんが認定されて以来十八年ですか、ただの一人の拉致認定すら行われていないというこの現状を考えると、これこそがまさに憲法違反の基本的人権のじゅうりん、国家による、国家というのは北朝鮮ということではなくて、我が国による人権のじゅうりんではないだろうかと思います。
私は、調査会と別に、予備役ブルーリボンの会という自衛隊の関係者でつくっております会で代表をやっておりますけれども、ここでは、様々な形で、自衛隊を使って拉致被害者の救出を行う、あるいは何らかの形でその活動に参加することについての研究をずっと行っております。
六月二十二日にも都内でシンポジウムを行っていく予定ですけれども、これは本当にあえて申しますが、憲法、自衛隊法がどうこうなんという話ではなくて、命を守れるかどうかという問題でございます。そのために実力の行使というのが必要に応じて使われるべきである、少なくとも、そのような選択肢を明確にすることが北朝鮮に対して明らかなメッセージにもなると確信しております。
是非とも御協力をよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。(拍手)
○小熊委員長 ありがとうございました。
以上で参考人からの意見の開陳は終わりました。
―――――――――――――
○小熊委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。
質疑の申出がありますので、順次これを許します。山本左近君。
○山本(左)委員 おはようございます。自由民主党の山本左近と申します。
本日は、北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会で、まずは、四名の参考人の皆様には貴重なお時間と貴重な御意見を賜りましてありがとうございます。また、この質疑の場に立たせていただきまして、委員長を始め理事、委員の皆様、そして国民の皆様に改めて感謝を申し上げ、質問をさせていただきたいと思います。
皆様方からお話を伺う中で、どうしても、約五十年間、半世紀の長きにわたって解決ができていないこの拉致問題というものを、私も一人の国会議員として今この場に立たせていただいている中では、本当に申し訳なく思う気持ちと同時に、先ほど横田参考人が述べられましたとおり、いつでもどこでも誰でもできるような夢や希望、そういったものが拉致というものによって一瞬にして奪われてしまった、この決して許されることができない人権問題、そして人道問題に対して、今私が国会議員の一人として、そして日本人の一人として何ができるのか、これを改めて強く再認識させていただきました。
その中で、この拉致問題というものをどう捉えるのかということが今日本でも改めて大きく問われているんだと思います。
世界情勢が変化する中で、ロシアがウクライナへ侵略したとき、世界は、力による一方的な現状変更は認めない、このように認識し、決してそれは許されるものではないと訴えました。
まさに、北朝鮮による拉致被害というのは、北朝鮮という国による力による一方的な現状変更、人権問題、そして人道問題を犯している状況の中で、日本という我が国の主権を侵されている。日本国民の生命、身体、自由、財産を奪われてしまっている。我が国としての対応策として一体どういうものが必要なのか。今まであらゆることをやってきたと伺っていますが、まだ足らない部分もあるんじゃないかと思います。
その中で、先ほど、今年の二月の方針の変更を説明いただきました。その方針の変更というのが、親世代の家族が存命のうちに全拉致被害者の一括帰国が実現するのであれば、我が国が人道支援を行うことに反対しない、さらに、独自の制裁を解除することにも反対されない。これは本当に大きな方針転換だったと思います。
この方針転換をされ、そして、三月の金与正副部長のお話、また、先ほど西岡参考人からも説明がありましたこれまでの一連の経緯、そして、ゴールデンウィークにアメリカに行かれたときのお話など、横田参考人から改めて、今の現状について、今後の期待を教えていただきたいと思います。
○横田参考人 ありがとうございます。
今回の訪米若しくは去年の訪米のときも感じたことを先に申し上げますと、私たちの親世代、つまり、私の母であり父であり、亡くなった飯塚代表が訪米されていた二〇〇〇年初頭の頃は、アメリカを訪問して拉致問題を説明しても、一から説明しなくてはいけなかった時代でした。ブルーリボンの意味。横田めぐみとは。私たちが訪米しに来ている目的とは。一から説明する、でも面会時間は二十分なら二十分と限られている。ほとんど伝えることができない。そんな活動が親世代の初期の時代でありました。
ただ、今回の訪米については、事前に日米首脳会談があったということもあって、そして、これまで日本国内でアメリカの大統領と、そして、ブッシュ大統領ともオーバルルームでお会いしたこともあって、アメリカの全省庁の方がこの問題について深く御理解をいただいて、国務省においては人権担当の方が勢ぞろいで面会していただくといった形の理解の深まりというものを感じました。
そして、どなたからも私の母早紀江が元気で過ごしているかということを心配してくださる温かい言葉をいただいて、一緒にこの問題に対して取り組もうじゃないか、私たちはあなたと共にいるんだということをお伝えいただき、北朝鮮の人権問題を解決しようというお約束をいただいた、力強い確認が取れたというふうに思っています。
今回、訪米のときに、先ほど申し上げましたとおり、財務省にも訪問してきました。財務省はその後、訪米後に、既に報道されているとおり、北朝鮮に対する制裁を新しく発表しました。韓国もそれ以降新しい制裁を発動して発表していますが、こうした対比を見るときに、日本政府が北朝鮮に対して、対話局面ではあるとはいっても、そうした新たな解決を迫るための制裁の枠組みをつくれているのかということをいつも感じています。
これまでも私たちはいろいろな場で日本政府、いろいろな省庁に、新しい制裁を強化してほしいということを訴えてきましたが、これまでも言ってきたとおり、日本は新たなことができないんだといったような趣旨のコメントをもらったことが多々ありますが、では、なぜ世界の各国はそれぞれ新しい制裁の立案ができて実行できるのか、他方で、なぜ日本はできないのかという矛盾をいつも感じます。
その意味で言うと、先ほど荒木代表の方からもお話がありましたけれども、いろいろな面においての法律の整備、これはやることはもっと山ほどあるんじゃないかなというふうに思います。私はこの場では何の法律かという具体的なことは申し上げませんが、様々な法律の強化、法執行の強化というものはできると考えています。
また、これまでも、私たちの大切な家族、日本人が拉致されて四十年、五十年以上たっている中で、向こうから見たとき、北朝鮮から見たときは、日本の国の守りが弱いから堂々と日本に工作員が侵入してきて無実の民間人を拉致してきたわけでありますから、自衛隊であり、海上保安庁であり、そうした国の守り、それは人的整備、予算的整備、あらゆる整備、国の守りの強化をしていく必要があって、そうしていかない限り、北朝鮮の工作員はこれからも堂々と入ってくると思います。
私たちはこれまでも元工作員の方に会ってきたときにお話を聞きましたが、日本に入ることはトイレに行くのと同じぐらい簡単なことなんだとばかにされているんだということを聞いたことがあります。そんなことでは日本人をこれから守ることはできないと思います。
そうしたことをしっかりやっていきたいと思いますし、これからの抱負といえば、韓国の政権が替わって、北朝鮮の人権問題にとても力強い、私たちとほぼ同じ考え方に立った方針を立てられていますから、私たち家族会、救う会も、韓国を訪問若しくは拉致被害者家族同士の連携を更に強化してこの問題に焦点を当てていくこと、そして、政府同士でも日韓が更にこの問題に対して取組を深めていただいて、それを世界にアピール、北朝鮮に対してアピールをしていただくこと、これを求めていきたいと思っています。
以上でございます。
○山本(左)委員 横田参考人、どうもありがとうございます。
まさに法律の整備や防衛力の強化の必要性を訴えていただきましたし、また、国際的な連携も必要なんだといったことをお話しいただきました。
その中で、近年の国際連携の中で日本国としてどのように取り組んでいるのかということを調べてまいりましたが、昨年のG7広島サミット首脳コミュニケ、また、昨年八月には拉致問題を含む北朝鮮の人権状況を協議するための国連安保理事会が六年ぶりに開催されたということです。また、八月のキャンプ・デービッドの日米韓首脳共同声明にも入りました。そして、第二十六回日・ASEAN首脳会議の議長声明、今年の四月十日、日米首脳共同声明にも北朝鮮による拉致問題の解決の文言が入っております。
このように、国際協調の中で日本国として声明を出すといったことはしていますが、まだまだ私は十分ではないという認識があります。
というのも、声明を読んでみますと、岸田政権における最重要課題であるとうたっているにもかかわらず、書いてあるページが何ページ目か後に書いてあることが多いです。国際連携の中では、こういった人権問題又は人道問題がそれ以外のものより本来であればもっと優先され、そして、解決のために各国に対して更に協力を求めるべきだと私は思います。
その中で、西岡参考人に伺いたいと思いますが、日本のこれまでの国際連携、協調の取組は十分であったのか、また、これまでも尽力いただいている方が大勢いらっしゃると認識していますが、本当に時間的な制約のある中で、解決を目指すためにはどの国やどの人たちと連携することがより重要になってくるのか、この辺りをお答えいただければと思います。
○西岡参考人 まず、一つエピソードを御紹介します。
岸田総理に聞いたんですが、この連休にパラグアイに行かれたそうですが、パラグアイの大統領がブルーリボンバッジをつけて出てきた。これは驚きました。多分、在パラグアイ日本大使館が随分御尽力してくださったということだと思いますけれども、国際社会に対する働きかけの部分では、外務省そして在外公館がかなりのことをやってくださっているということを感じます。
今回、私も訪米いたしましたが、国務省では、セキュリティーを通らないで別のところから入れてくれるんですが、そのために迎えに来てくださる実務者の人も全部ブルーリボンバッジをつけている。向こうに座っている人はみんなつけている。私たちがこのブリーリボンバッジをお分けしているんですが、アメリカ大使館からかなりの量の注文がありました。本国に送ってくださっている。
拉致がある、日本が重要視しているということについては、かなり国際社会に広まっているのではないかと思います。
そこで、次の課題として、私は、人権問題を解決するためには、人権問題があるということを教える段階、啓蒙する段階と、人権を理由に制裁をする段階、そして、その制裁を使う段階があると思っております。
日本は、拉致問題があるので、国際制裁よりも強い独自制裁をしています。今、それを使おうとしています。国際社会は北朝鮮に厳しい制裁はしていますが、残念ながら、国連の安保理事会の制裁の理由に人権問題は入っていません。前文のところにヒューマニタリアンコンサーンという言葉が、これも日本の代表部の努力で入りましたが、理由には入っていません。
一方、国連の人権理事会が任命した調査委員会で、北朝鮮に対する、人権侵害は人道に対する罪であるという報告書まで出ているわけであります。安保理事会で人権について話合いが久しぶりにあったことは大変いいことだと思います。つまり、強制力のある人権に対する制裁あるいは警告をもっともっとすべきではないか。
韓国に対しては、韓国も拉致問題に取り組むと言い始めましたので、私は、韓国に行ったらば、日本は既に拉致という人権を理由に制裁をしていますよ、それを今使う段階に来ました。韓国も強い制裁をしていますが、人権を理由にはしていない。そこでも足並みをそろえたらどうですかと言ったらどうか、そのように思っております。
以上です。
○山本(左)委員 ありがとうございます。
時間がもうすぐ終わってしまうので、次の質疑に移らせていただきます。
最近の十代、二十代の若者が拉致問題に関して知るきっかけが少なくなってきていると伺っています。
その中で、アニメ「めぐみ」の視聴のアンケートの回収状況を調べていただきましたが、任意であるため全ての学校からの回収ではないデータですが、令和元年度におきましては、学校数が三万六千百四十八のうち、回収が三千四百十三、回収率九・四%、令和四年度、学校数が三万五千四百三、回収数が三千二百五十三で、回収率九・二%、この四年間ほとんど同じような数字が出てきました。
これは回収した数ですので、もっと多くのところで視聴いただいているということは当然あるかと思いますが、ただ、一方で、この数字が一割弱ですので、もっと上げていく必要があるんじゃないかなと思っています。
その中で、是非お伺いしたいのが、こういった視聴を通じて知っていただくということも、国民が一丸となって拉致問題を解決するために非常に重要なことだと認識していますが、拉致被害者、特定失踪者の御家族である横田参考人、大澤参考人にそれぞれ、この啓蒙活動について、もっと見ていただく必要があるんじゃないかと思いますが、いかがでしょうか。
○横田参考人 ありがとうございます。
私も、今の御指摘の点については全くそのとおりだと思っております。
日本政府は、こちらの青いパンフレットと白いパンフレットを作成して、これに加えて、まさにこうしたお子様向け、若年者層向けのアニメタッチの新しい啓蒙パンフレットを作成しています。
私が各県の行政主催の講演会や民間主催の講演会に行くときには、毎回これを持っていって、もし知らなければこれを知ってほしい、これを皆様方の手で若者の方へ配ってほしい、日本政府の拉致対策本部に連絡をしてほしいということは言っておりますし、私自身も、家族会の代表という立場で、こうした国会への出席ですとか総理との面会のほかに、中学校や高校のいわゆる人権教育の中で、当事者の意見を言うような立場として、若者たちに直接呼びかけをして、授業の後にいつも校長先生や担任の先生から感想の作文をもらって、すごく分かった、心に響いたという若者たちの反応をいただくことがあります。
これは、逆に考えますと、学校を訪問する前は、子供たちにお話ししても、もしかしたら伝わらないんじゃないかという目線で、当初私自身も校長先生もそう考えて授業に臨みましたが、実際には、大人が考えている以上に物事の吸収が深くて、それに対するビビッドな反応が返ってくる。これは、私たち大人がまだまだ伝え切れていないあかしである、報道が知らせていない部分がもっとあるんじゃないかということを如実に示した事例だと思っています。
また、毎年十二月に日本政府が主催している人権シンポジウム、それと同時開催している作文コンクールもありますが、作文コンクールは、過去二回ほど私自身も審査員として多くの中学生、高校生の作文を読ませていただいて評点をさせていただいているんですが、その中においても、そうした今の御指摘の視聴の低さの点を中学生、高校生自身が問題なんじゃないかと指摘されています。やはり、私たち大人がまだやれていないことがたくさんあるし、各県が様々なルートを通じて子供たちの教育プログラムの中に埋め込んでいただく努力が必要だと思っています。
また、これは私ごときの立場では大変失礼な言い方かもしれませんが、各党の議員の先生方がこうしたものを地元に帰られた際にもっと積極的に広報していただいて活用を促していただく、こうした御支援も引き続きお願いしたいと考えています。
以上でございます。
○大澤参考人 大澤昭一です。
まだ特定失踪者として、運動はほとんど新潟県に限られています。
私も小学校、中学校をある程度回りましたが、新潟県は、拉致全体については、横田さん、曽我さん、蓮池さんのいる関係で理解がある程度されていますが、特定失踪者についてはなかなか理解されていないのが現状です。しかし、まだ新潟県においては、私を含めて、特定失踪者については理解いただいておりますけれども、新潟県以外については、なかなか特定失踪者についての認識が得られていないのが現状だと思います。
この辺については、私たちの特定失踪者の努力も足りないのかもしれませんけれども、もうちょっと政府の方からも、特定失踪者が四百七十人いて、その中の七十七人は疑いの濃い特定失踪者、そういうことについて政府からもいろいろ発表していただかない限り、特定失踪者についての認定はないものと思っています。
是非、皆さんからも、十七人以外にも特定失踪者がこれだけいるんだよということを発表してもらいたいと思います。
○山本(左)委員 ありがとうございました。これで質疑を終わらせていただきます。
○小熊委員長 次に、下条みつ君。
○下条委員 立憲民主党の下条みつでございます。
今日は、足下の悪い中、それぞれ御参集いただき、最初に皆さんの気持ちが非常に伝わってまいりました。本当にありがとうございました。
今日は限られた時間でございますので、特定失踪者の件、そして米国での対応の件、最後に私の御意見をちょっと申し上げる、その三点に絞って皆さんにお聞きしたいなというふうに思います。
まず一つ目は、先ほど大澤参考人がおっしゃっていたように、拉致の特定失踪者の件について、なかなか認定してくれないとか、それを認定すると北に足下を見られるとか、何かがたがた言う話がありますが、では、逆に言えば、特定失踪者を確認できる条件があるとしたら、それは何なのか。
その件について、西岡参考人と荒木参考人に、これがあればいいんじゃないかというもし御意見があれば、まず最初にお聞きしたいというふうに思います。いかがでございましょうか。
○西岡参考人 まず、私は、特定失踪者の調査を専門でやっている団体ではないので、朝鮮問題の専門家の立場から申し上げます。
日本国内で証拠を固めていくというのは、もう時間がたっていますので、それもかなりやってくださっていることは承知していますけれども、大変であるというふうに思います。
北朝鮮の中の情報が最近取れるようになってきています、北朝鮮は腐敗が激しくなっているので。そういう点では、もちろん、情報を取ったとしても、情報を公開できるかどうか、情報源の命に関わる問題がありますので、それの扱いが慎重であるということはありますけれども、日本だけでは、かなりのことをやってくださっても証拠が出てこないとすれば、北朝鮮からより一層の情報を取るということが一つあると思います。
それからもう一つは、では、日本政府がなぜ蓮池さんたちなどを認定できたのか。八八年の三月に梶山答弁がありましたけれども、あのとき金賢姫さんが証言したのは田口八重子さんだけなんです。なぜ、アベック三組などについて認定できたのか。
これは、私は本などに書いておりますけれども、日本の警察が電波情報を持っていたからです。北朝鮮の工作船が日本の近海に来ているということを日本の警察が優秀でつかんでいたということであります。これは読売新聞が二〇〇二年の十二月に書いているとおりであります。その部分をもう少し活用することもできるかなというふうに思います。
以上です。
○荒木参考人 基本的には、何で認定しないかというと、今認定したら、何で今認定するんですかというふうに聞かれるから、それが嫌だというのが最大の理由だと思います。大澤さんなどにしてみれば、認定しない理由の方が本来はない。
日本政府は、かつて、松本京子さんの認定のときに、あの当時の漆間警察庁長官が三条件というのを言っております。北朝鮮の国家意思によって、北朝鮮の工作員によって北朝鮮に連れていかれたということなんですけれども、ということになれば、はっきり分かっている人でも認定をされていない、逆に、認定をされている人の中で、そこがはっきり確認ができないのに認定をされている人もいるということで、極めて恣意的なものであるとしか言いようがないと思います。
現在、日本政府が認定しないのは、今ここで認定すると今までの責任を問われるということが一つ。それからもう一つは、それによって認定の被害者の数を増やすと、北朝鮮がへそを曲げて交渉に出てこないということだろうというふうに思っております。でも、これもいずれも、どちらも全く本筋から離れた話であるというふうに思っております。
以上です。
○下条委員 私の人生訓としては、攻め切らない。攻め過ぎると反発するというのは、僕はあると思って。今、先生方、また会長のおっしゃったとおりで、メンツを攻めていっちゃうと、違った方向に結果が出るのかなと。皆さんのお気持ちからすると、そこを攻めていきたいんでしょうけれども、この委員会としては、私は、結果をどうやって持っていくかという方に仕向けていく時期にそろそろ来ているなというふうに思っております。
本当に貴重な御意見をありがとうございました。
次に、先般米国に行かれて、最初は、何の話か分からないぐらいの、私もアメリカにずっとおりましたので、言いにくいけれども全部議事録に載るので、非常にアメリカ人はドライですから、マルかバツです。そういう意味で、マルにするには、どれだけ日本政府そして被害者の御家族の方々が真剣かどうかで、マルにどんどん移っていく。その結果が、さっき横田さんがおっしゃった、随分変わってきているなという答えじゃなかったかと思うんですね。
具体的に、我々その場にいなかったんですが、横田さんが行かれて、米国側の対応とか反応とか、自分でこれはというのがもしあって、言える範囲であれば、今、この委員会で議事録に残したいと思います。どうかおっしゃっていただきたいと思います。
○横田参考人 ありがとうございます。
今回の訪米において、どの面会者の方とも物すごく強い印象を受けたわけではありますが、その中でも、国家安全保障会議、NSCですね、大統領補佐官で女性のラップフーパー補佐官という方と面会することができたんですが、その方は、事前に日本大使館の方からプロフィールの書かれた資料をもらったときには、御家族の構成については書かれていない資料を私たちはもらっていたんですが、私たちの方から説明をした後に、補佐官の方が最後詰め寄ってきてくださって、自分にも娘が二人いるんだ、あなたたちの言っていることはよく分かるということを言ってくださったりとか、財務省に訪問したときも、最後、面会した後に、自分にも子供がいて、あなたたちの言っていることはとても痛いほど分かるということをおっしゃっていただきました。
私たちは活動上の正攻法の話を伝えるとともに、やはり心同士が伝わっていて、相手方も自分たちも、人である以上、この問題を必ず解決しなくてはいけないんだ、家族の痛みは自分たちにも分かるから、必ず応援をするんだという温かい言葉をいただいたことはとても感謝をしています。
また、過去の訪米を振り返って言うと、二〇〇六年に、ブッシュ大統領とホワイトハウスのオーバルルームで母と私が面会をさせていただいたその行程の中に、下院の公聴会で母が発言する機会をいただいたことがあります。
今回の訪米において、それは上院の公聴会を私たち自身は想定をしているんですが、やはりあれから随分長い期間が過ぎていて議員も替わっていることもあって、もし可能であれば、そうした上院の公聴会で、改めて私たちの苦しい現実、思いを伝える場がいただけないだろうかということを、ハガティ元在日米国大使、今は上院議員でありますが、そうした方々にもお伝えをすることができました。
それが実現するかしないかは私たちの手元にあるわけではなくて、米国側の御判断になるわけでありますけれども、もしそういう機会がいただければ、これは改めて北朝鮮に対する力強いプレッシャーになると思いますから、それは、これからも日本政府が実現に向けて努力、そしてお願いをしていきたいと思っています。
以上でございます。
○下条委員 ありがとうございます。
お母様もこの間、大会で、金正恩総書記に向かって、あなたも娘がいるでしょうというあの言葉はすごく効きましたね。僕らにも響きましたよね。そしてまた、そういうふうな形で補佐官等々がお嬢さんがいらっしゃるということも、それがアメリカ人の気持ちを動かした皆さんの汗だというふうに我々は敬意を表したいというふうに思います。我々もしっかりと、国としてもサポートしていきたい、お約束したいと思います。
もう一つ、ちょっと申し上げたいことがあります。それは韓国との連携であります。
これは、金暎浩統一部長官が、これからは日本の部分も明確化にして、そして交流を支援するというふうに、連携を取っていくというふうに、この言い方を大分変えてきたというふうに思うんですが、これは結局、言いにくいが、北と南の戦いはありますけれども、やはり子を思う親、孫を思う親は変わりないということじゃないかと思うんですね。
この辺は、今度は救う会の西岡さんですけれども、皆さんの気持ちとして、タッグを組んで。僕も、実を言うと親戚に韓国の方と結婚している人が随分いて、その方の知り合いに北の方もいらっしゃったりとかいろいろあって、近く話をしていくと、やはり同じ肌の色、髪の毛、そして目の色というのはすごくツーカーになってくるんですね。
いろいろ対立もありますし、竹島の問題とかいろいろありますけれども、韓国に伺って、統一部長官がおっしゃっていただいていることに対して、我々として、方向感として、当然僕らはアグリーで進めていきたいんですけれども、救う会の代表として御意見があればお伺いしたいというふうに思います。
○西岡参考人 ありがとうございます。
先ほど拓也代表もお話を一部されましたけれども、家族会、救う会として、今年の秋に代表を韓国に送りたいと。これは私たちが決められませんけれども、今御言及なさった統一部長官にも、そういう積極的なことをおっしゃってくださっているので、お会いできればお会いしたいなという希望はございます。
韓国との関係でいうと、一九九九年に最初に国民大集会をやったときに、韓国の被害者家族を呼んだんです。まだ韓国では朝鮮戦争休戦後の拉致家族会はなかったんです。我々の活動を見て、二〇〇〇年に休戦後の家族会ができたんです。その人たちとずっと交流をしてきました。
ただ、文在寅政権になってかなり激しい反日という状況の中、あとコロナもあったりして、このところ韓国との交流ができなかったのですが、韓国の方で積極的に日本と協力したいと言ってくださっていますので、積極的に私たちも応じていきたいと。先生と同じ考えでございます。
ありがとうございました。
○下条委員 ありがとうございます。
全く僕も同じ考えです。ただ、人の命というのは本当に、肌の色が違ってもとは思うんですが。
それで、最後に、時間が限られているので、私の意見を申し上げて、それに対してお答えいただきたいと思うんです。
私も、さっき言ったように、アメリカに長くいて、アメリカ人の発想、ドライさ、そして、その気持ちを動かした皆さんの御努力には敬意を表したいというふうに思いまして、すばらしいことだなと思います。
一方で、これは言いにくいんですけれども、人の命には社会主義も共産主義も自由主義もないと思うんですよ。ただ、アメリカという国は非常に我田引水の国だと僕は思っています。一方で、日米同盟があって、いろいろなものが守られている。だけれども、アメリカ一辺倒になってしまっちゃうと、私はちょっと、やはりへそを曲げる人が出てくるなと。それは北であり、中国であると僕は思っています。
今回、韓日で、また韓中で、また日中でいろいろやった結果が、昨日の岸田総理の、こういうふうに申し上げて御理解を得るようになったという言い方がありましたけれども、私は、いろいろな問題を乗り越えて、中国と近くなっていく必要があるんじゃないかなと思っているんです。
それはなぜかというと、いろいろな制裁をやって、また、アメリカへ行って制裁解除というのを言っていますけれども、いろいろなところで制裁が漏れているわけです、中国からいろいろな補助が入っていたり。例えば、ロシアとウクライナの問題も、日本はロシアからどんどんいろいろなものを買っているわけですよ。
だから、いろいろな意味で、どこか、制裁、制裁と言うところも必要であるし、米国等の力も必要なんですけれども、私はやはり、これはいろいろなものを脱いで、我々もそうです、中国のある程度の方に、隣国として、日本は中国の文字を漢字として使ってきているわけですから、中国に、我々もそうだし、家族会も救う会も、もしあれだったら足を運んでいただいて、こういうことで隣人が困っているし、いろいろなものを乗り越えて、何とか我々に協力していただいて、北を、また北朝鮮の上部に働きかけをしていただけないかと言うことも、僕は何か必要じゃないかと思っているんですよ。
これが私の最後の意見であります。時間が限られていますので、もう終われと来ていますけれども。
ですから、私はもう一回言いますけれども、中国と北朝鮮はアメリカが好きじゃないです。だから、僕らも日米同盟があって、その力は大事です、僕も防衛省にいましたので分かりますけれども。ただ、中国とやはり仲よくしていくということが、何か違う道に僕は入っていけるんじゃないかという声また意見を持っているんですが、最後に、これを横田さんにお聞きしたいと思います。いかがでございますか。
○横田参考人 ありがとうございます。
あくまでも私見でお答えを申し上げますと、中国が北朝鮮と隣り合わせということがありますから、彼らが協力的に動いてくれれば、これは何より力強いことはないと思っていますけれども、これまでも私たちは、もう随分昔の話ですが、在京の中国大使館に訪問したときも、どちらかというと、これは私の個人の感想ですから、ほかの方はどう思っていらっしゃるか分かりませんが、物すごく事務的な応対に終わってしまっているなということを私は肌で感じたことがあります。
そして、同時に、これは家族会の活動ではなく国際社会の活動に目を移すと、国連安保理で、一方的な暴力での現状変更に対して、中国の振る舞い方は、とても、私たちがこの人権問題で解決をお願いしたいということを言ったとしても、中国が、あの安保理での活動を見る限りは、本当に私たちのこの人権問題に対して大きく手を広げて受け入れてくれるんだろうか、そういう心配や疑問はあります。
また、直近の話で申し上げると、日中韓の首脳会談の中で、北朝鮮問題に対して三か国が言及しようとしたときに、日韓は今回は歩調が合わせられた、ただ、中国は歩調を微妙ながら合わせられなかったということを見ると、この人権問題で本当にこの協力を仰げるのかというところは少しながら疑問があります。
ただ、本音を言えば、やはり中国がプレーヤーとして強力な力を持っているわけですから、そこは、彼らが振り向いてくれるのであれば、私たちはこれからも引き続きアプローチを続けていきたいと思っています。
以上でございます。
○下条委員 時間が参りましたけれども、貴重な意見、ありがとうございました。しっかりと我々も委員会を含めて対応する、お約束したいと思います。
ありがとうございました。
○小熊委員長 次に、鈴木敦君。
○鈴木(敦)委員 鈴木敦でございます。
本日は、貴重な御意見をいただきまして、ありがとうございます。
まず初めに申し上げておきますが、先ほど来、この何十年もの間話が進まなかった、あるいは立ち上がりが遅かったという御意見がありました。実際に拉致対が設立されたとき、私は十八歳です。小泉訪朝時には中学生ですから、その頃の一人の子供が三十半ばになるまでの間何も動いていなかったということについては、若い人間を代表して、私は痛感をしておりますし、これからの活動に身を入れていかなくちゃいけない、このように考えております。
その上で伺いたいのが、新たな局面に入ったということは皆様もおっしゃっておられます。ですが、今日、荒木参考人からもありましたとおり、政府の答弁の中で、お答えを差し控えるというのは非常に多いと思います。私が言われた内容をより正確にお伝えすると、手のうちをさらすことになりますので、お答えを差し控えさせていただきます、こういった御発言が返ってまいります。
これは私が拉致特に入ってから三年間ずっと言われ続けてきていることですが、今交渉がまだ進んでいる段階なのであれば、我々の手のうちをさらして相手を刺激することはできないという考え方はもちろんあるんでしょうし、また一方で、私、個人的な考えを申し上げれば、彼らに対するメッセージとして伝えられる範囲の答弁をするべきだというふうに考えておりますが、この点について、荒木参考人と西岡参考人に、考え方は二通りあると思っておりますので、是非御意見をいただければと思います。
○荒木参考人 ありがとうございます。
まさに何でもかんでも、ともかく差し控えるの連発であった。参議院の方で、もうしまいには、委員が、これだったら委員会をやっている意味がないじゃないですかと言うところまで来たぐらいでございました。
もちろん、いろいろな交渉事や何かでは、話ができないということはあるのは当然でありますけれども、かつて、二十二年前に五人が帰ってきた後の国会では、まだ拉致特はありませんけれども、いろいろな形の質疑がかなり突っ込んで行われていたんですね。ですから、できないはずはない。
しゃべれることまでしゃべらないで止めてしまっているというのが現状だと思いますので、別に全部を明らかにする必要はないと思いますが、少しでも、しゃべれる部分というのは十分に存在すると思います。これは是非委員会として、そこを強く政府の方に言っていただきたいと思います。
○西岡参考人 私は、議事録を全部見ているわけではありません。最近は傍聴も来ておりませんので、断定的なことを申し上げる立場ではない。根拠があることを申し上げることができないということを前提に、一般論で申し上げます。
北朝鮮との交渉では、最高指導者が全ての決定権を持っています。ですから、例えば、北朝鮮は、めぐみさんを含む八人死亡と今言っていますけれども、そうではないことの話をしてもらわないと、岸田総理が平壌に行ってもらうことはできないと我々は思います。しかし、そのことを言う権限を持っている人は最高指導者しかいない。だからこそ、直轄の高位級の交渉と多分岸田総理はおっしゃっているんじゃないかと私は推測しています。
そして、絶対漏れないということです。非公式の交渉の中で言ったことが外務省の元高官の口から漏れたことがありますが、そういうことはあってはならないと思っています。相手が信用しなくなります。
そういう交渉の機微に触れることについては答弁がないことを私は理解できます。それ以外のことについては、私は判断する材料がないので、申し訳ありませんけれども、答えられません。
以上です。
○鈴木(敦)委員 ありがとうございます。
もちろん、交渉の内容については、私も外務委員会にいますので、国際的な約束について表に出すということはあり得ないと思いますけれども、一方で、こちらの手のうちを材料として出すことについては、委員会でのメッセージとして出すことというのは重要なことだと思います。
また、日本においても幾つかのメディアが、例えばアメリカの公聴会でこういう発言がありましたとか、あるいはどこかの議会でこういう話がありましたということは、日本の国内に外国の議会がやっていることというのは報道されるわけで、もちろん、それは日本の国内の議会で行われたことも外国にはそういった形で伝わるということですから、北朝鮮へのメッセージの機能を持っているということは私は言えると思います。
その上で、横田参考人と大澤参考人にそれぞれお伺いしたいんですが、先ほど来、独自の制裁ということの在り方についての議論が様々、御意見もあったと思います。我々はこれまでも制裁をかけてきておりますけれども、それは、私もかつての仕事の関係上いろいろと戦術というものについて学ぶ機会がありましたが、余り攻め過ぎてはいけない、ただ、完璧に包囲をしなければいけないという考え方はあると思います。
どうやってこれから先の独自制裁についてを我々が議論するべきなのか。やるべきことはたくさんあると思いますが、今現状では、大変申し訳ないことに、政府がやっていることについて我々がトレースしているだけになっています。委員会としての議論の方向性ということを是非御意見をいただいて、我々に御示唆をいただければと思います。御両名にいただければありがたいです。
○横田参考人 ありがとうございます。
制裁、何ができるか、これは私自身が実は知りたいところでもありますけれども、あえて一言踏み込んで申し上げると、日本国内には朝鮮総連という団体があることは申し上げるまでもないわけですが、この団体に対して日本国がどのように判断をするのかというところを明確にするときが来るだろうと思っています。
私たちは今、制裁局面から対話局面に入っているということを先ほど申し上げたとおり、対話局面にある以上は、あえて制裁をちらつかせるということは、若干これまでよりもトーンを収めて、控えるべきだということで、対話を軸に、方針を軸足を切ったということを申し上げたわけですが、ただ、守りの準備としては、何ができるかということをあらゆる点で用意しておく必要があるということは先ほど申し上げたとおりで、それは法的な部分ですとか、いろいろなことがあると思いますが、究極的には、朝鮮総連をどのように取り扱うのかということを議論していくこと自体が北朝鮮に対して物すごく強力なプレッシャーになる。
ただ、私たちは、これまでも運動方針の中や国民大集会の中で、私が家族会代表の挨拶の中で発言しているとおり、あえて彼らの政権打倒を狙っているわけではないということや、この拉致問題、人権問題を解決した後には両国が明るい未来を描けるし、帰国した被害者から当時見聞きした秘密情報を聞き出して、暴露して、日朝国交正常化に反対するようなことはしないんだということは常々発言しているわけです。
そのことは、北朝鮮側、金正恩委員長側にも、やはり安心して、信頼して聞いてほしいし、私たちは、今も、今日も対話局面にあるんだということは信じてほしいと彼らに改めてこの場を通して伝えたいと思っている。けれども、日本政府はその期間中において何もしないということがあってはいけない。究極的な、彼らが一番恐れるようなことを、何をする必要があるんだということは真剣に議論していく必要があると思っています。
以上です。
○大澤参考人 私はまだ、そう詳しいことについては勉強が足りなくて分からない部分もありますが、私が今思い出すのは、今から十何年前ですか、新潟に万景峰号入港禁止のときがありました。私はその日も万景峰号入港禁止運動に参加しました。そうしたら、いつも岸壁に着いているはずの万景峰号がいなくて、はるかかなたの港外に万景峰号がいました。
このときは、後で初めて聞いて、これが制裁の現実なんだ、そのときの港の状況は、向こうの人たちも港の構内にはほとんど入っていませんでした。それで、これで動いてくれるよなと思いましたが、今、あれ以来ずっと続いています。
私もまだ、それ以外については勉強不足で分かりませんけれども、そういうことも肌で感じたことがありました。
○鈴木(敦)委員 御両名とも、御意見を伺う中で、やはり交渉は交渉としてしなければならない。ただ、その後の最悪のパターンというものを想定して、我々も選択肢を持っておくべきだということについては、私も全く同意見でございます。
その上で、最悪のパターンを想定して、彼らに最悪、要求しようとするものを政府として検討してしまうと、交渉の大前提が崩れてくると思うんですね。それは、お互い信頼し合って交渉しましょう、話をしましょうと言っている中にあって、その裏で、やらなかったらこういうことをしてやるということを政府が言ってしまうこと自体には、私は大きな問題があると思います。
ただ、一方で、専門的な機関としてつくられた国会の拉致特の委員会の中で、我々委員がその点について議論すること自体は、私は妨げられるものではないというふうに思います。
ここから先は、私は理事ではないので、あくまで私の意見として聞いていただきたいんですが、ここは自由討議でもしたらいいと思うんです。委員会として何ができるのか、どういう選択肢があるのかということは、委員会でやってもいいと思う。大臣がいなくたって、我々の中で何ができるか、政府参考人を呼んで、まとめるということはできると思うんです。
この点については、横田参考人、いかがでしょうか。こういったことの取組をやってみるということ自体の是非について伺いたいと思います。
○横田参考人 ありがとうございます。
私も、国会の委員会の仕組みそのものを詳しく承知しているわけではないので、あくまでも私見で申し上げると、こういう機関の中で様々な意見を出し合って、何ができるかということを積み上げていくというのはとても大事だと思っていますし、各党の拉致対策本部の中でも、どういう独自制裁が新たに立案できるかということは、作ることはとても大事だし、それが報道されること自体が、北朝鮮にとってはとても大きなプレッシャーになることは間違いないわけであります。
この委員会の中で、各省庁、とりわけ財務省、経産省、国交省、あらゆる省庁が集まって、何ができるか、どういう締め上げができるんだということは準備していく必要があると思います。それは災害と一緒で、起きるまで何もやらないじゃなくて、起きる前に様々な準備を整えて、起きたときにはすぐ段階的移行ができるような準備を整える、そのための意見の集約というのは準備としてとても大事だと思っています。
以上でございます。
○鈴木(敦)委員 ありがとうございます。
是非、委員長、今の御意見については御検討いただいて、理事会でも協議をしていただきたい。
○小熊委員長 後刻、理事会で協議いたします。
○鈴木(敦)委員 では、もう一点伺いたいんですが、これは荒木参考人に伺いたいと思いますが、「しおかぜ」の放送についての御質問でございます。
前から、この停波、一波だけの体制になってしまうということについての問題点は委員会でも指摘をされてきましたし、一昨年ですか、私たちも視察をさせていただいて、八俣送信所の中を見せていただきました。どういう送信施設になっているかとか、メカニズムについてもあらあら理解をさせていただいたところではあるんですけれども。
今回問題提起をされているオーバースペックの問題ですね。オーバースペックの問題と二波同時に送信できないという二つの問題、もう一つは電気代の問題ですけれども、この二つ、大きくピックアップしてみると、これを切り離して考えることは可能かどうか。
例えば、今、技術的に、とにかく二波送信することだけを優先して、百キロワット級の送信機をどうするかということとは切り離して、今現状、約十か月間と想定される工事期間、二波送信できる体制をとにかく整備するということだけにまず注力するという考え方は可能でしょうか。
○荒木参考人 可能だと思います。
まずは妨害電波対策の二波送信が重要ですので、現行の施設を使うなりなんなりするということで、二波を出せるようにはともかくしてもらいたい、これが最優先です。しかも、日本国内からの二波送信ですね。
ただ、それと別に、百キロワットの方は、中期的以降の問題として国がやるということで進めていただくということが必要なのではないか。現状では、二波送信の方が優先順位が高いというふうに思っております。
○鈴木(敦)委員 現状、八俣送信所から発信している短波放送は、時間帯が幾つか区切られていますけれども、空白時間がかなりあると私は思っておりますし、関係各位とも話をしていますので、是非、今度ちょっと個別に御意見を賜れればと思います。
時間が参りましたので、質問を終わります。ありがとうございました。
○小熊委員長 次に、山崎正恭君。
○山崎(正)委員 公明党の山崎正恭です。
本日は、参考人の皆様方、本当に貴重なお話をたくさん聞かせていただきまして、直接このように聞かせていただきますと、更に、やはり私たちの責任である、しっかり取り組んでいかなければならないというふうに思いました。今日はそういった思いの中、幾つか質問をさせていただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
まず、横田参考人の方にお聞きしたいと思います。
先ほど来、一番最初に、冒頭から、家族会と救う会の皆様方は、親の世代の家族が存命のうちに全拉致被害者の一括帰国が実現するなら、我が国が北朝鮮に人道支援することに反対しないという大きな運動方針の転換について、最初にも横田参考人からお話がございました。かつては、米支援に反対されたりとか、万景峰号の入港の反対デモなんかを行っていることを考えますと、本当に苦渋の決断だったと思うんです。
何点かは先ほど拓也参考人からもお話がございましたけれども、こういった大きな方向転換をしていく中での背景でありますとか、会の中にも様々な意見があると思いますし、今日ここまでの話を聞いていても、この問題というのはいろいろな問題が絡むし、どの方向から進めていくのかというのは非常に判断が難しいと思うんです。
そういった様々な背景、理由の中で、こういうような方向転換をされた理由につきまして、もう一度お聞かせいただけるとうれしいと思います。よろしくお願いいたします。
○横田参考人 ありがとうございます。
実は、今年二月の新たな運動方針の前の年の運動方針を作ったときの方が、家族会、救う会で合同会議を開いたときに、全国各地の救う会の幹事の方からは慎重な意見がたくさん出ました。私たち日本が被害者であるにもかかわらず、そんなに譲歩する必要があるのか、逆にもっと強い姿勢の方針を打ち出す必要があるんじゃないかといったような意見がたくさん出ました。
実は、その方針を文書として作る前に、私たち家族会、救う会の役員は、その文言、一文字一文字精査して準備をしていたときも、本当にこのような内容でいいんだろうかということを、私自身が物すごくそういうことを感じていました。
ただ、これまでの闘いの中で、有本恵子さんのお母様嘉代子様、私の姉めぐみの父横田滋、前代表の飯塚繁雄さん、そのほかの御家族、親世代の方々が、どんどんどんどん、一人去り、二人去りという中で、やはりどうしても、今、車椅子で上京されている九十五歳、間もなく九十六歳を迎えられる有本明弘さんを、どうしても娘さんと会わせてあげたい。
今年母は八十八歳ですが、昨年は入院をして、本人の弁をかりると、もう自分は昇天するかもしれない、苦しくて、この場でもう自分は亡くなってしまうんじゃないかと悟ったと。それで、入院をして、一命を取り留めて、今年は去年よりも声に張りが出ていて元気で過ごしていますが、やはり八十八歳である高齢がゆえに、いつ転倒して、例えば打ちどころが悪くて、歩くことができない、再会することができない、死んでしまう、あらゆるそうした不幸なケースが考えられるときに、どうしても、十三歳の頃のめぐみちゃんという記憶しかありませんが、もう今六十になろうとしているめぐみと母を再会させてあげたい。
羽田空港から降りてくる、五人の御家族が帰ってきたときと同じようなシーンを実現させて、日本中の応援してくれた皆さんに感謝の念を示したいし、何よりも、父とはもう再会させてあげることはできないけれども、めぐみと母としっかり抱き合って、失われた時間は取り戻せないけれども、これからの時間は一緒に幸せな時間を過ごせるんだという、そうしたことを享受させてあげたい。そのことを実現するために大きく軸足を切るべきだろうと考えました。
そして、去年の合同会議のときも、そんな甘い方針でいいのかと多くの御意見をいただいたときに、私が最後、マイクを握らせていただいて、その意見は物すごく痛いほど分かる、それよりも、私自身があなたたち以上に苦しい思いなんだ、それでも、この判断をつくって、再会させることに軸足を切ったこの苦しさを分かってほしいということを伝えて、皆さん方が収めていただいて、それであれば家族会の運動方針には賛成するというのが去年の出来事でした。
今年はもうその下地があるというのもあって、大きな反対、異論の意見もなく、この独自制裁を解除するということに対しての方針は丸くまとまって、その方針を携えて訪米して、アメリカ側からの理解も得られて、その理解が得られたことは、先ほどの冒頭の発言にもあるように、北朝鮮側にも上手に伝わっていると思いますから、あとは、日朝首脳同士が水面下の交渉をしっかりやっていただいた上ではありますが、直接の首脳会談の中で、人道支援、そして独自制裁を解除することで、お互いの国が抱えている人道問題を解決することで両国が明るい未来を描けるんだということをしっかり伝える。そして、両国が明るい未来を描く中で、家族会はそれに対して、正常化交渉に異論は唱えないんだということも、しっかりお互いが信頼してグリップを握って、明るい未来を描ける。
拉致されている被害者が帰ってこられる、こうしたことを、私たち家族、当事者自身、そして応援してくださった多くの国民の皆さんに伝えることによって、この日本を明るくしたいし、お互いが幸せな両国の未来を描ける、そうした準備をこれからもしっかりしていきたいと思っています。
ありがとうございます。
○山崎(正)委員 横田参考人、ありがとうございました。
本当に、最初にもお話がありました。本来ならば、怒りと恨みと憎しみ、これが本当に一番強いもので、そういった中で、そういった緩めるような判断というのは、すべきじゃないというか、本来は違うと思うんですけれども、やはり、もうせっぱ詰まった、お母さんと親世代の皆様方に時間がある中で絶対に会わせてあげたいという中での苦渋の決断ということを改めて今お聞きしまして、我々に残された時間はない、とにかく取り組んでいかなければならない、結果を出していかなければならないというふうに強く思いました。
その上で、もう一問聞かせていただきたいと思います。
渡米の中で、今日、最初のときとは全く違っていた、かなり皆様方も理解も進んでいるし、多くの方々が参加してくださって理解が進んだということが語られまして、そのときの様子がよく分かりました。
今回でのアメリカでの活動は、今まで家族会や救う会の皆さんが重要項目として掲げられてきた三項目、一つは、我が国政府及び世論への訴えというふうな部分と、もう一つは、国際連携の強化、そして、北朝鮮内部への働きかけと情報の収集というようなことの中の、この国際連携の強化において、まさに家族会の皆様、救う会の皆様が自ら動かれたということだというふうに思います。
そこで、今回でのアメリカでの活動を終えられて、今まで政府にも強く求められてきた三項目の中で、例えば、救出のための戦略、戦術、道筋、工程表の具体的な明示や、北朝鮮急変時の救出プランの作成とか法的な枠組みなどをずっと強く求められてきたと思います。
先ほど拓也参考人の方から、やはり法的な整備というのも必要なんだというようなお話はあったんですけれども、改めて、行かれてみて、今このときは、更に日本政府としてはこういった点に重要的に取り組んでやるというふうなことに何か変化があるのか、更にこれを強く推し進めてもらいたいというものがあれば、ここでお聞かせ願いたいと思います。よろしくお願いします。
○横田参考人 ありがとうございます。
私自身が、いつも首相に、それは岸田総理の前の方から同じことを申し上げていますけれども、何よりも大切なのは、一国のリーダーが自らの言葉で、熱量を込めて、日本国内世論に対してはもちろん、北朝鮮当局の、とりわけロイヤルファミリーのトップである金正恩委員長に対して、熱量を込めて、自分はこうしたいんだ、解決した暁にはこういうふうな明るい未来があるじゃないかといったことをもっと語ってほしいと思っています。その熱量を込めた感情のこもった言葉が、北朝鮮当局には一番通じる力だというふうに思っています。
去年も今年も訪米したときに、アメリカ側からの答えとしては同じことが一つあることは、アメリカ側がいろいろな局面で北朝鮮側にボールを投げているけれども、何一つボールは返ってこない、ノーレスポンスなんだというふうな話がありましたし、去年は、現国務副長官になった方からお話があったのは、先ほどの御質問にもあったように、もう少し家族会、日本側が中国との協力をするべきではないかといったような意見もありました。
ただ、この問題は、日本国、我々が当事者であるわけですから、他国の協力はもちろん必要ではありますけれども、やはり総理自身が自らの言葉で、熱量を込めた言葉を使って、明るい未来を投げかけ続ける。
そして、今水面下交渉があるということは、金与正副部長が、先ほど西岡会長からの発言にもあったとおり、複数のルートであるんだという、ある意味、心理戦のコメントではあるものの、水面下交渉が中枢部に伝わっているということは確認できているわけです。
私たちがこれまで、日本政府から公式に水面下交渉をしているということを聞かされたことは一度もありませんから、その点でいうと、偶然のたまものと言っていいかもしれませんが、金与正副部長談話をもって水面下交渉がされているということは、どうやってそれを肉づけしていくかは外交力でありますし、やはり人権、人道の問題でありますから、日本が絶対に要求の水準を下げるべきものではありません。
ただ、それは、一方的にメンツを、相手を潰し続けてなし得る答えではないと思っていますから、やはり両国が明るい未来を描けるんだという、その先にある明るい未来を語ってほしいと思っていますし、何よりも、これまでも何回も、金正恩委員長の娘さんとされているジュエさんという小さな女の子、この子は今、めぐみが拉致された十三歳とほぼ同じ年頃だと思われますが、彼女に今、国際社会から人権侵害と名指しされているこの状況を後継するのが親の責任なのかということも含めて、私は、日本国がもっとそれを言葉にして金正恩委員長に伝えてほしいと思っています。
以上です。
○山崎(正)委員 済みません、時間も限られてきましたので、次に、本年一月からの、ずっと北朝鮮のいろいろな動きのことがありました。もう時間がありませんので、それは省略させていただきますが、西岡参考人に聞かせていただきたいと思います。
そういった中で、今日は先生からもお話がありましたけれども、一つは、二月十六日から三月二十九日の間に何かがあったんじゃないか。そしてもう一つは、別ルートが確認されたというふうなことのお話もありました。
そして、今日は横田参考人からも様々なお話があったんですけれども、この一連の北朝鮮のこういった流れの中を先生はどういうふうに分析されているのか。そして、分析された後で、今、日本にとっては一番どうしていくべきなのかというようなところにつきまして、難しい問題ではあると思うんですけれども、まずは、きちっとこれをどういうふうに分析されていて、どういった意図があるのかというところをもう一度詳しくお聞かせ願いたいと思います。よろしくお願いします。
○西岡参考人 私は民間ですので、何か情報があるわけではないので。今、分析とおっしゃったので、分析を申し上げます。
先ほど、ペーパー、メモをお示ししながら確認したとおり、林官房長官は、二月十六日と三月二十五日、同じことを言っているんです。全く同じです。それなのに、三月二十六日になって、林官房長官の発言はけしからぬからもう会わないと言った。では、二月十六日になぜ言わないんだと。これはもう紙の上から分かることであります。ですから、二月十五日から三月二十五日の間に何かあったのではないか、紙に書いていないことがあったのではないかというのが私の分析であります。
では、それが何なのかということについてはなかなか分からないのでありますが、別のルートで話があったということを言っていますので、複数のルートの中で何か混線が起きた可能性があるのか、それが一つの可能性であります。
しかし、先ほどちょっと言いまして時間がなくなったので言えなかったんですが、過去の例を見ますと、日朝ではないんですが、二〇〇〇年の南北首脳会談のとき、金大中大統領が平壌に行くとき、実は、金大中大統領の出発の予定日の前日に、北朝鮮から延期だと話が来ました。一日遅れて行ったんです。
後で分かったのですが、金大中政権は四億五千万ドルの裏金を北朝鮮に送ると約束をしていて、その一部の送金が確認されていないので、北朝鮮は待ったをかけたんです。これは、国家情報院の関係者がその後証言をし、関係者が有罪判決を受けて刑務所に入っていますので、確定した事実であります。つまり、条件でお金を約束したのに、まだ入っていないじゃないかといって延期されたわけです。
また、シンガポールでのトランプ大統領と金正恩委員長の最初の米朝首脳会談のときも、六月に会えることになっていたんですが、五月になったら、北朝鮮の第一外務次官が、ジョン・ボルトン補佐官の発言はけしからぬ、やめることを考えていると言いました。しかし、ボルトンさんが出てきて、何を言っているんだと反論した。
そうしたら、次に、また外務次官が出てきて、今、日本と会わないと言った崔善姫さんが当時外務次官だったんです。出てきて、今度はペンス副大統領の発言はけしからぬ、もう会わないというふうに話をした。トランプ大統領は、分かった、もう会わないと言ったんです。そうしたら、会ってくれともう一度言い出した。これは表に出ている事実です。
このときは、議題、核についての取上げ方で、リビア方式だとかそういうことを言ったのはけしからぬと向こうが言っていたので、核に関することの中で強硬派を外そうとしたのではないかと思われるんですが、そういうことが過去にあったことは事実であります。
昨年の五月以降、北朝鮮と日本はコミュニケーションはできていて、何らかのやり取りは表面に出ていないけれどもあったということは、いろいろなことが確認されます。そして、三月二十五日に突然ああいうことを言ってきたことは、何かがあったのではないか。
しかし、それは、本当にやめる気があれば、黙ってやめればいいんです。一週間に四回も談話を出す必要はないわけですね。特に、北京の大使が、日本からメールが来ました、会いませんと言うのなら、返事しなければいいじゃないですか。あるいは、返事して、会いませんと言えばいいのに、朝鮮中央通信に僅か百字ぐらいのものを出したんです。
そういうことをして、日本に揺さぶりをかけているとしか思えないことが起きているということは私は分かりますので、一喜一憂しないで、今、岸田政権がやっているとおり、従来の方針どおり、最高首脳と会って、被害者を取り戻す話をしますと。条件なしに会うと言っていますけれども、条件なしに会った後、何を話すかはこちらが決める、向こうが決めることであります。
岸田総理は、拉致問題を時間的制約のある人権問題と言ってくださっていますので、切迫感を持って取り組んでいってくださるということを信じております。
以上でございます。
○山崎(正)委員 最後に、今日、若い人たちへこの問題をどう受け継いでいくかというお話がありました。
実は、私、中学校の元教員でして、二〇〇二年、あの飛行機の中から拉致被害者の方が戻られたときに、三十二歳で、中学校の社会科の教員で学級担任もしておりました。ずっとテレビであれが流れていく中、子供たちとその問題について一緒に話し合ったことがありますが、この二十二年たつ中で、随分そういったことが薄れてきたというふうに思います。
めぐみさんについては、向こうで一生懸命頑張って、日本に帰れることを信じて、頑張り屋で頑張っていたというふうな曽我ひとみさんなんかの御意見もありますし、バイオリンなんかは、拓也さんがやっていたので、それを弾きながら、向こうで地村さんたちと出会っていたというお話もあります。
そういったことをしっかりと、その気持ちに立って、この問題がいかに非道であるかというふうなことをしっかり受け継いでいくことが大事だと思いますが、今、子供たちに真正面から教育したときに、恐らく子供たちに、どうしてこれだけ明白に、誘拐した、悪い犯罪と分かっているのに取り戻せないんですかということを大人が問われるというふうに思います。
今私もこういうふうな立場になりまして、そういった問題を解決していく立場として、責任を持ってこの問題の解決に取り組んでいかなければならないというふうな決意を表明しまして、質問を終わらせていただきます。
少し時間をオーバーしまして、済みませんでした。ありがとうございました。
○小熊委員長 次に、笠井亮君。
○笠井委員 日本共産党の笠井亮です。
今日は、横田拓也参考人、大澤昭一参考人、西岡力参考人、そして荒木和博参考人、お忙しいところ、御意見をありがとうございました。
極めて限られた時間なので、私の方からは、横田参考人と大澤参考人を中心に、主に伺いたいと思います。よろしくお願いします。
北朝鮮による日本人拉致事件が始まってからもう半世紀。日本政府としてようやく、北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚と梶山国家公安委員長が日本共産党の橋本敦参議院議員の質問に答弁したのが、三十六年前の一九八八年三月二十六日でした。その後、紆余曲折を経て、二〇〇二年の初の日朝首脳会談、そしてそこで日朝平壌宣言が調印をされて、五人の方々の帰国、二〇〇四年に二度目の首脳会談、それから二十年もたっているということで、いまだ拉致問題は解決をしておりません。
そこで、まず横田参考人に伺いますが、昨年来、日朝間で接触の動きが様々あるという中で、まさに日本の外交力が問われている、今日伺っても改めて痛感しました。家族会の皆さんが総理に日朝首脳会談、北朝鮮との外交交渉を強く求められているのは全く正当な要求だと思います。
この点で、改めて、今やり取りがあったんですが、日本政府と国会に対して、それぞれ一点ずつ挙げるとしたら、これは最も、とにかくやってもらいたいと期待されることは何でしょうか。
○横田参考人 ありがとうございます。
日本政府に求めたいことは、一つというのは正直難しくて、山ほど言いたいことはありますが、あえて申し上げるとすると、北朝鮮で決裁権を持っているのは金正恩委員長一人だけでありますから、私たちのあらゆる、どの部署から声を上げようと、それは彼の耳には恐らく届かないんだと思います。届いていても、それはある意味、意味を成さない、彼らにとって意味を成さないものであると考えたときに、今一番何をやる必要があるかというのは、岸田総理が自らの言葉で、両国が明るい未来を描けるんだ、そのためには、日本が抱えている拉致問題、しかも、その拉致問題は、金正恩委員長、あなたの代で行われた事件ではなくて、あなたの前の世代で行われた、あなたが知らない世代で行われたこの人権問題を解決すれば、両国が明るい未来を描けるんだということを、熱量を込めた言葉で力強く語っていただくことがとても大事だと思っています。
そして、国会においては、冒頭の与えられた十分の中の発言で申し上げたとおり、やはり備えのための議論をしてほしいと思っています。それは、法の整備であったり、制裁の枠組みをつくるとか、あらゆることを、起きてから考え始めては、それは災害と一緒で、多くの時間的ロスを生み出すだけでありますから、制裁局面、対話局面、今対話局面にあるけれども、それがいつ制裁局面に軸足を切ることが来たときに、それを今から準備をしておく。このことは、国会の中で積極的に、度重なる頻度で議論をしてほしいと思っています。
以上です。
○笠井委員 ありがとうございます。
家族会の結成から二十七年。親世代で御健在は有本明弘さんと横田早紀江さんお二人だけということであります。まさに人権、人道問題として、親世代が御存命のうちに全員の帰国をと、この訴えをずっしりと今日も改めて受け止めたところでありますし、政治の責任は重大であります。
同時に、横田参考人に伺いたいんですが、拉致被害者を取り戻すには、やはり強固な民意をつくる。特に、先ほどもありましたが、若い世代に知らせ、語り継ぐことは極めて重要ではないか。
私自身は、十八年前の二〇〇六年十一月、この衆議院の拉致特の視察でめぐみさんの拉致現場に立って、そして、めぐみさんの足取りをたどりながら、県警から事件の説明を受けました。その後、新潟県庁で曽我ひとみさんを始め、県や県警、救う会新潟からの説明を伺って、要望を直接聞く機会もありました。めぐみさんの写真展にも足を運んで、訪れて、鑑賞もして、この委員会の参考人質疑では、横田滋さん、早紀江さんを始めとして家族会関係者のお話も伺ってまいりました。
しかし、被害者五人の方々が帰国された二〇〇二年から二十二年という歳月が過ぎて、あの空港の場面も含めて、リアルタイムで知らない若い世代も多いと思います。横田参考人御自身がこの点でも積極的に活動されてきたと先ほどお話がありました。それに対して、特に若い世代の方々の受け止め、感想、あるいはこういうことをやることが必要だよねという自らの決意が語られたとか、その辺のことを少し具体的に伺えればと思うんですが、どうでしょうか。
○横田参考人 ありがとうございます。
若い世代への啓蒙啓発というのはとても重要であると私自身も思っていますし、これは家族会、救う会の運動方針の中にも記載している内容であります。
日本政府が実施していただいている若年者層への啓蒙の活動の一つとして、年末、十二月にやっている作文コンクールもその一つかもしれませんし、昨年一回目、今年二回目を実施予定の中学生サミットなんかも、いわゆる若年者層に、各県から一人代表を募って、そのためには準備段階としてはいろいろな議論があって、一名が選抜されてくると思うんですが、そうした我が事として考えるということはとても大事なんだろうとは思っています。
先ほど冒頭の与えられた時間の中で発言したように、政府が作っている若年者層向けのパンフレットを、あらゆる行政、そして、それこそ国会議員の皆様が地元においても活用することもとても大事だと思っていますし、私自身が中学校や高校に赴いてお話しすること、生の声を伝えることもとても意味があることだと思っています。
ただ、それは、私自身は生身一つでありますから、できることには限界があります。やはりあらゆる関与者の方がこの問題を伝えていくこと、大人の責任として伝えていくことが大事だと思っています。
私自身は、中学校や高校の授業の中で子供たちに語っているのは、これは横田さんのうちの悲しい話ですとか、家族会の皆さんのつらい話だという受け止め方はしてほしくないということを繰り返し言っています。
この問題は、十三歳の少女である、ということは、制服を着た皆さん方と同じ高校生、中学生の年頃のあなたたち自身が拉致されて、四十六年人質として拘束されて、世界から、当時は、そんな人たちは生きていないんだ、拉致されていないんだと考えたときに、あなたたち自身はどう考えるか。あなたの大切な弟さんや妹さんが拉致されたときに、誰も振り向いてくれなかったらどう考えるか。
後で作文を校長先生からいただくと、そんなつらいことは想像ができない、私自身、もっと署名活動に参加したい、ブルーリボンをつけることができれば私も参加したい、作文コンクールに応募したい、いろいろな前向きな意見があります。
そうしたことを積極的に若者に伝えるためには、教育の生の現場、いろいろな教育指導要領があると思いますが、そこで、その教育指導要領の内容を超えた、先生がその行間を伝えていくことがとても大事だと思っています。
先ほど申し上げたように、この主権国家に主権侵害、領海侵犯をして、無実の十三歳が拉致されて、四十六年人質として拘束されている、この現実は横田さんだけの問題じゃないんだ、私たち国民一人一人が課せられた、試されている問題なんだ、そのことを君たち若者が考えてほしいということを先生が熱量を込めて若者へ伝えていけば、私たち大人が考えている以上に子供たちは深く吸収して、自らが行動していくことは、私自身が作文を見て確信していますから、それは大人が今試されているということだと思っています。
以上です。
○笠井委員 今のお話、本当に重く重く受け止める必要があると思います。
先ほどもおっしゃいましたが、やっと自由になれたねと被害者に御家族が声をかけて迎えられるように、国会がしっかりと応えて、この点でもやっていく必要があると思います。
大澤参考人に伺います。
昨年、二〇二三年十月二十一日に、都庁前広場で「「お帰り」と言うために 拉致被害者・特定失踪者家族の集い」が開かれて、私も、超党派国会議員の一人として特定失踪者問題調査会から御案内を受けて、参加をいたしました。あの日は秋だったけれども暑かったんですけれども、本当に皆さんの熱い思いが伝わってきました。
この集いは、二〇一〇年に最初で最後の集会を開いたけれども、拉致問題が進展せず、御家族の高齢化が進む中で、十三年ぶりに開いた。拉致問題には命の期限がある、国民の力で何とか突破口を開いてほしいという特定失踪者家族会の今井会長のお話がありました。
それとともに、大澤参考人の訴えも、直接、私伺いました。弟の孝司さんの失踪場所は、私の祖父母の出身地である佐渡の、新穂の村で当時あったわけですが、とても身近にその点でも感じるんですが、参考人があの集いの中で、たくさんの家族が集まったが、特定失踪者の事件はどれも不可解なことがある、政府は一刻も早く究明を進めてほしいと言われたその中身を改めて具体的に伺いたいと思うんですが、どうでしょう。
○大澤参考人 私たち特定失踪者の家族には、これまで余り注目されていませんでした。私と会の荒木さんは、もう全ての、何十人かの特定失踪者の失踪現場を詳しく調べて、分かると思います。私は、特定失踪者の役員をしているとき、皆様と話合いをしたその中の知識ではございますが、皆さん同じような、私の弟みたいに誘われた事件とか、そういう事件があります。
ともかく、北朝鮮も、初めの頃はいきなり拉致じゃなくて、日本人の人権を守るという、そこまで言葉を使っていいかは分かりませんが、日本人に同意を得て誘われたような気がします。しかし、同意を得て誘われたんですけれども、皆さん、被害者が家族にそういうことを話すのが怖くて、あるいは、何か知りませんけれども、怖くて、ほとんどの被害者が家族あるいは知人にそういう話をしなかった。実にその点、北朝鮮の交渉は上手だったと思います。うちの弟はたまたまそれを知人に話していたもので、案外スムーズに進んだと思います。
特定失踪者の家族も、あの日も多くの家族が集まって、本当に熱心に救出を叫びました。あの家族の人たちは、毎日やはりそう思っています。私の弟は成年男子なんです。二十七歳の成年男子と、めぐみさん、せめても若い女性との間では、やはり一般の関心の持ち方が違ってくるんです。違ってくるのはあったと思います。
しかし、私の弟も、失踪する十日前に、最後にうちへ帰って、帰るときバイバイと、私の子供と手を振ってバイバイと別れたのは今も残っています。家族はみんなそういう思い出があります。是非、その思い出を被害者の皆さんから酌み取って、この救出に御尽力くださるようお願いしたいと思います。
○笠井委員 大澤参考人が二〇一三年七月二十六日にもこの委員会に参考人として出席されて、私の質問に、私たち家族は、救出こそこの問題の解決です、救出するにはどうすればいいか、それをもっと真剣に考えてもらいまして、外国、国連、米国、中国を頼るのも結構ですが、それよりも、日本の国でどうしたらいいかというのをもっと真剣に考えてもらって、この問題の一刻も早い解決をひとつお願いいたしますというふうに言われたのを本当に鮮明に覚えているんですが、まさに日本独自の知恵と、それから努力の重要性を指摘されたと受け止めて、では、あれから十一年たってどうなっているのかということが改めて問われていると思います。
そこで、最後に、横田参考人に改めて伺うんですが、日朝関係は、米朝関係、南北関係とは異なって、戦争状態が続いている関係ではない。同時に、日本として戦後処理を解決する課題があるというのは事実であります。この立場を自覚しながら、日本政府が事態打開のイニシアチブを発揮することが重要だと思います。
そこで、日朝関係の改善ですが、拉致問題という時間的制約のある国際的な人道問題の解決の上でも、米朝関係、南北関係の改善、地域の平和と安定の上でも急務になっている。核、ミサイル、拉致、過去の清算など、諸懸案を包括的に解決をして国交正常化を図るという日朝平壌宣言の合意をどう生かしていくか、様々な議論があると思うんですが、そういう中で、米国、韓国、中国など関係国と連携しつつ、あらゆる外交努力によって日本が対話ルートを開いて拉致問題を解決するという政府の本気度が問われている。そして、日本政府には、確固とした主体的な外交戦略の知恵が必要じゃないかと思うんですが、そういう点で、最後に一言お願いできないでしょうか。
○横田参考人 ありがとうございます。
これまでの日朝の関係で一番大きな山場であったのは二〇〇二年の日朝首脳会談だったと思いますが、あのときに、北朝鮮側は、我々の同胞の拉致被害者五人が帰国して、彼らの算段としては、大規模な経済的な支援を日本から得られると思っていたところ、我々日本側とすれば、犯罪者はお前たちで、私たちが自分たちの同胞を取り戻したのは当たり前のことだ、そんなことは何も見返りはないというのが日本側のスタンスですが、彼らの立場は、そこで大規模なメリットがあると信じていたにもかかわらず、得られなかった。そして、彼らが、その背景にあるのはアメリカ側が反対したからであるということが、やはり解釈の中にあるんだと思います。
そうしたことが、北朝鮮側がアメリカに、先ほど申し上げたとおり、ボールを幾ら投げても返ってこないというのは、不信視しているからなんだと思います。
その点で、我々の訪米活動において、アメリカ側に私たちの運動方針が理解が得られたということが確認できて、そのことを、幾つもの報道を通じて北朝鮮側にボールを投げているわけですから、彼らにそれは間違いなく伝わっているわけです。ここを利用して、日朝の水面下の交渉で、アメリカがもう反対はしないから、安心して日朝の対話に乗ってきてほしいということを語ってほしいと思っています。
そして、これまでも、先ほど西岡会長からの御紹介もありましたけれども、今年に入っても、北朝鮮の度重なる硬軟使い分けた変化球が飛び交っているわけであります。
一番最近でいうと、金与正副部長が、日本との対話はもうしないんだといったような趣旨の発言をしていますが、これは私たち自身から見ると、彼ら、そして金与正副部長自身の焦りと心の揺らぎであると思っていますから、私たち自身、日本国自身は動じることなく、日朝の水面下交渉を粛々と進めていただいて、最後は、岸田総理の自らの言葉に熱意を込めて、お互いの、両国が明るい未来を描けるんだということを語って、長くて四十年、五十年以上たったこの人道問題、人権問題を解決する、この道筋をしっかりつけてほしいと思っています。
以上です。
○笠井委員 時間が来たので終わりますが、拉致問題の解決というのは一刻の猶予もない。北朝鮮は、日本政府、国会の本気度を今日も見ていると思うんです。私たちも、本当に当委員会が、そうした今のこの問題の重要性にふさわしく頻回に開かれて、そして、きちっと拉致問題解決のために国会としての役割を果たしていくということで、解決のために知恵と力を出し合っていきたいと改めて強く痛感いたしました。
今日の皆さんの御意見を踏まえて、私たちとしても全力を尽くしたいということを申し上げて、私の質問を終わります。
○小熊委員長 以上をもちまして参考人に対する質疑は終了いたしました。
この際、一言御挨拶を申し上げます。
本日は、参考人各位におかれましては、貴重な御意見をお述べいただき、誠にありがとうございました。
委員会といたしましても、今後とも、我が事として、当事者意識を持ってしっかりと対応していくことをお誓い申し上げ、委員会を代表して御礼申し上げ、御挨拶とさせていただきます。ありがとうございました。(拍手)
次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。
午前十一時四十三分散会