衆議院

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第8号 令和7年6月5日(木曜日)

会議録本文へ
令和七年六月五日(木曜日)

    午前十時開議

 出席委員

   会長 枝野 幸男君

   幹事 上川 陽子君 幹事 寺田  稔君

   幹事 船田  元君 幹事 山下 貴司君

   幹事 武正 公一君 幹事 津村 啓介君

   幹事 山花 郁夫君 幹事 馬場 伸幸君

   幹事 浅野  哲君

      井出 庸生君    稲田 朋美君

      井野 俊郎君    大空 幸星君

      大野敬太郎君    黄川田仁志君

      草間  剛君    小林 鷹之君

      柴山 昌彦君    新藤 義孝君

      高市 早苗君    葉梨 康弘君

      平沢 勝栄君    古川 禎久君

      古屋 圭司君    細野 豪志君

      森  英介君    山口  壯君

      山田 賢司君    五十嵐えり君

      岡田  悟君    奥野総一郎君

      階   猛君    柴田 勝之君

      平岡 秀夫君    藤原 規眞君

      松尾 明弘君    谷田川 元君

      吉田はるみ君    米山 隆一君

      青柳 仁士君    阿部 圭史君

      和田有一朗君    岸田 光広君

      福田  徹君    河西 宏一君

      浜地 雅一君    平林  晃君

      大石あきこ君    赤嶺 政賢君

      北神 圭朗君

    …………………………………

   衆議院憲法審査会事務局長 吉澤 紀子君

    ―――――――――――――

委員の異動

六月五日

 辞任         補欠選任

  大野敬太郎君     黄川田仁志君

  三谷 英弘君     大空 幸星君

同日

 辞任         補欠選任

  大空 幸星君     草間  剛君

  黄川田仁志君     大野敬太郎君

同日

 辞任         補欠選任

  草間  剛君     三谷 英弘君

    ―――――――――――――

五月二十八日

 憲法改悪を許さないことに関する請願(赤嶺政賢君紹介)(第一五二五号)

 同(志位和夫君紹介)(第一五二六号)

 同(塩川鉄也君紹介)(第一五二七号)

 同(辰巳孝太郎君紹介)(第一五二八号)

 同(田村貴昭君紹介)(第一五二九号)

 同(田村智子君紹介)(第一五三〇号)

 同(堀川あきこ君紹介)(第一五三一号)

 同(本村伸子君紹介)(第一五三二号)

六月五日

 憲法改悪を許さないことに関する請願(志位和夫君紹介)(第一九二八号)

は本憲法審査会に付託された。

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する件(憲法と現実の乖離)


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     ――――◇―――――

枝野会長 これより会議を開きます。

 日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する件について調査を進めます。

 本日は、憲法と現実の乖離について自由討議を行います。

 この自由討議につきましては、幹事会の協議に基づき、まず、各会派一名ずつ大会派順に発言していただき、その後、各委員が自由に発言を行うことといたします。

 それでは、まず、各会派一名ずつによる発言に入ります。

 発言時間は七分以内となっております。

 質問を行う場合、一度に答弁を求めることができるのは二会派までとし、一回当たりの発言時間は答弁時間を含めて七分以内となりますので、御留意願います。

 発言時間の経過につきましては、おおむね七分経過時にブザーを鳴らしてお知らせをいたします。

 発言は自席から着席のままで結構でございます。

 発言の申出がありますので、順次これを許します。船田元さん。

船田委員 自由民主党の船田元であります。

 今国会も終盤となってまいりましたが、憲法審査会の運営がこれまで比較的計画的に進められております。このことについては安堵をしております。憲法改正原案の策定にはまだ時間を要しますけれども、それに向けての歩みは着実に前進していると考えております。秋の臨時国会においても更に前に進めていきたいと考えております。

 さて、本日のテーマであります憲法と現実の乖離については、憲法審査会の生みの親でもあります中山太郎先生が度々言及されていた、いわゆる三つの九条を掲げなければいけません。すなわち、九条二項と自衛隊の関係、七十九条と裁判官の報酬引下げの関係、八十九条と私学助成の問題についてであります。

 まず、憲法九条二項が定める戦力の不保持と自衛隊の存在の問題は、率直に読んだ憲法の文言から、自衛隊の存在がどうして許されるのかといった疑問が生ずる、最も典型的な乖離であると思っています。

 この問題に関して、歴代政府は、解釈により、自衛隊は合憲であると説明してきています。しかし、我が国を取り巻く安全保障環境の急激な変化、自衛隊の任務の多様化や深化、国民の安全保障や防衛に対する意識の高まり、また隊員の士気の維持などに鑑み、憲法の規範性を回復するという意味でも、憲法を改正して自衛隊の存在を明文で認めるべきであると思っています。

 中山太郎先生は、湾岸戦争のとき、外務大臣としての経験から、この九条の問題で憲法と現実の乖離を強く認識されたようですが、その解決策までは明確に提示されていませんでした。

 この点について、自民党はこれまで、二つの方法を提案してまいりました。一つは、九条二項を削除し、世界の普通の主権国家と同様に軍隊の保持を可能にする方法でありまして、二〇〇五年の自衛軍、二〇一二年の国防軍の提案がこれに当たります。もう一つは、現在の国民の意識に照らしまして、まずは自衛隊の明記のみ憲法改正を提案するというものであります。

 後者の方法は、二〇一八年に発表した条文イメージたたき台素案、自民党が出しましたこのたたき台素案における改憲四項目の一つとして現在も提案しているものであります。これは自衛隊明記案などと言われているものですが、この略称についてはちょっと誤解されている面もあります。すなわち、我々自民党は、国の平和と独立、国及び国民の安全を保つといった、主権国家として当然の国防規定を創設することをきちんと定めた上で、それを担う実力組織としての自衛隊の保持を定めようとしているものであります。主眼は国防規定の創設にあることを見過ごしてはならないと思います。

 次に、憲法七十九条六項と八十条二項は、裁判官の独立保障の観点から、裁判官の報酬は在任中減額することはできないと定めております。

 しかし、国家公務員全体の給与引下げと同時の場合はこれらの趣旨に抵触しないとして、裁判官の報酬が引き下げられたことがあります。具体的には、二〇〇二年を最初として、二〇〇五年、それから震災復興関連の公務員給与引下げのあった二〇一二年に引下げが行われました。さらに、二〇一五年も行われております。

 しかし、条文ではそのような留保は一切なく、絶対的な引下げ禁止と読むのが素直であります。もし一定の場合の引下げを容認するのであれば、そのような趣旨の表現を憲法に書き込んでおくべきである、このように思っています。

 さらに、憲法八十九条、これは、公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対しまして公金を支出してはならない旨を規定しています。

 一見、私立学校に対する公費助成を禁止しているように読めますが、実際には、一九七六年施行の私立学校振興助成法などに基づいて、私立学校への公費助成が行われてきました。政府は、私立学校法や私立学校振興助成法などに従って所轄庁の監督を受ければ公の支配に属すると言えるのであって、憲法違反ではないと解釈をしています。

 しかし、この解釈において、支配という日本語の一般的な感覚とは異なるものであります。まさに典型的な憲法と現実の乖離と言えます。公の支配に属しないという表現ではなく、公の監督が及ばないといった、実態に即した表現に改めるべきではないかと考えます。

 自民党は改憲四項目において、教育充実に関する憲法改正の提案とともに、このような憲法八十九条の改正も提案をしております。

 以上、憲法と現実の乖離として、九条、七十九条、八十九条について意見を述べました。いわゆる三つの九条のいずれもが、時の政府の解釈によって合憲とされ、踏襲されてきたのでありますが、仮にそれを認めない政府が誕生した場合には、極めて大きな混乱を避けることはできません。長期にわたり安定的な体制を維持し、憲法の規範性を維持し、さらには憲法に対する国民の信頼を維持していくために、憲法解釈でなく、憲法改正によってこの問題を解決すべきだと考えます。今後の憲法改正の柱の一つとして、更に議論を進めていきたいと思います。

 以上であります。

枝野会長 次に、山花郁夫さん。

山花委員 立憲民主党の山花郁夫です。

 まず、学問の自由、大学の自治に関する問題を取り上げたいと思います。

 この問題に関しては、京大事件、滝川事件が有名です。

 一九三三年、文部大臣が京都大学総長に対し、法学部の滝川幸辰教授を辞めさせるように申入れをしたことに端を発します。京都大学法学部教授会は、学問的研究の成果として発表された刑法学上の所説の一部が政府の方針と一致しないという理由で教授が退職させられるようでは、学問の真の自由は阻害され、大学はその存在の理由を失うに至るとして、反対意見を提出しましたし、京大総長もまた、文部大臣の要求には応じませんでした。そこで、文部大臣は滝川教授を休職にしました。休職といっても、当時の休職というのは事実上の免官であります。

 このときの文部大臣の行為が合法であったかどうかについては、議論があります。明治憲法には学問の自由に関する規定がなかったわけですし、休職処分については、手続的には瑕疵はなかったのかもしれません。しかし、政治権力によって、大学の教授をその学問的所説のみの理由に基づいて事実上免官するということは、学問の自由に対する侵害であったというほかありません。

 京大事件などの教訓から、学問の自由を十分に保障するためには、大学の人事に関して政府が介入しないということが求められます。最高裁も、大学における学問の自由を保障するために、伝統的に大学の自治が認められている、この自治は、特に大学の教授その他の研究者の人事に関して認められ、大学の学長、教授その他の研究者が大学の自主的判断に基づいて選任されるとしています。

 ところで、菅首相、当時ですけれども、二〇二〇年秋、日本学術会議が新会員候補として推薦した候補者百五名のうち、安保関連法に批判的と言われた六名を除外して任命する異例の決定をしました。

 この問題については、委員の任命は内閣総理大臣が行うのだから、任命をしないことも適法であるという見解に対して、いやいや、任命という用語が用いられているが、これは形式的任命であって、拒否はできないのだということが争われています。法律制定の経緯からいって後者が正しいと私は思うのですけれども、この議論は、京大事件における休職処分の適法性の問題に似ていて、そこが本質的な問題ではないように思われます。

 大学の自治が保障されるべきなのは、大学という組織だからなのではなく、学問の自由が保障される研究者による組織だからだとすると、学術会議という団体にも、人事などが政府によって干渉されないということが憲法二十三条によって保障されると考えられます。

 ここに、干渉というのは、自治が認められる趣旨からすると、メンバーの解任という積極的な介入だけではなくて、任命拒否という消極的な介入も干渉と評価されますから、今回の任命拒否というのは、憲法が学問の自由を保障した趣旨に反すると考えるべきだと思います。

 なお、イギリスと異なって、ドイツ型の大学とは官立大学を基本としているため、資金提供者である国、つまり政治から介入を受けやすいことから、学問の自由を独立した条文として規定しているということに鑑みると、政府が財政民主主義や憲法十五条の公務員の選定、罷免権などを理由に挙げていることは適切でないと考えられます。もし財政民主主義などの方が優越する価値であるとすると、京大事件やあるいは天皇機関説事件も正当化されない理屈であることは指摘しなければならないと思います。

 次に、性同一性障害の特例に関する法律三条一項四号が憲法十三条に違反するという最高裁大法廷決定が令和五年十月二十五日に出されましたが、今日現在、いまだ改正がなされていません。

 第三者所有物没収事件については、違憲判決から半年後に、刑事事件における第三者所有物の没収手続に関する応急措置法が制定され、薬事法適正配置規制は、違憲判決の後、一か月足らずで、議員提案で適正配置条項を削除する法律が制定され、森林法分割規定は、違憲判決の、一か月程度で、森林法百八十六条を削除する改正法を成立させ、平成十四年九月十一日に出された郵便法違憲判決は、同年十一月二十七日に改正法が成立し、在外日本人選挙権制限や国籍法違憲判決の後も、半年程度で改正が行われています。

 違憲判決が出されてから一年以上放置されるというのは極めて異例であり、早急に法改正をすることが必要であると考えられます。

 また、同性婚を法的に保障しないことが憲法違反であるという高裁判決が続いており、最高裁の判断も時間の問題ではないかと推測されます。同性婚に対する法的整備は喫緊の課題であると考えます。

 なお、本日の憲法と現実の乖離というテーマで取り上げるべき課題について党内で意見を求めたところ、刑事手続上の人権については憲法に詳細な規定があるにもかかわらず人質司法になっているではないかという問題であるとか、憲法二十五条と生活保護の問題、労働基本権と労働組合の組織率の低下の問題、ひとしく教育を受ける権利と経済格差の問題、唯一の立法機関性と政省令委任の問題や、地方自治など、枚挙にいとまがないほどの課題の提起がございました。

 当憲法審査会は、日本国憲法及び日本国憲法に密接に関する基本法制について広範かつ総合的に調査を行うことも重要な権限となっています。今後、こうした課題を憲法審査会のテーマとして取り上げていただきますことを各会派にお願いをして、発言とさせていただきます。

枝野会長 次に、阿部圭史さん。

阿部(圭)委員 日本維新の会の阿部圭史です。

 憲法九条をめぐる問題には、二つの乖離がございます。一つは安全保障環境との乖離、もう一つは国際法環境との乖離です。

 まずは、憲法九条と安全保障環境との乖離について。

 本年は戦後八十年。我が国を取り巻く極東の安全保障環境は分岐点を迎えようとしています。我が国は、力による現状変更をいとわない核保有国に囲まれ、周辺国による領海侵入及び領空侵犯が相次ぎ、我が国の抑止力の増強及び日米同盟の深化が喫緊の課題となっています。

 一方、戦後八十年たってなお、沖縄を始めとする当時の占領地域はいまだに在日米軍基地として使用され、その約七〇%が沖縄に集中し、過度な負担が継続しています。米軍管制の横田空域も依然として残存しています。

 日米同盟は、我が国の基地提供義務及び米国の日本防衛義務という物と人との協力であり、非対称的双務性を特徴としていますが、米国大統領が日米同盟のこの非対称的双務性について不満を表明し、相互防衛義務、すなわち対称的双務性という人と人との協力について触れていることは、同盟の安定性という観点から憂慮すべき点です。

 極東地域を含むアジア太平洋における戦略環境は、米国を中心とするハブ・アンド・スポークス型の同盟ネットワークとして、戦後一貫して、同一陣営の勢力圏内にありました。それが、昨今は、地域の多様な安全保障協力が進展し、格子状の安全保障ネットワークへと深化しています。また、ICBM等の兵器体系、軍事技術の進化に加え、ドローンやサイバー等の非対称的な兵器体系の出現による安全保障環境の変化は著しいものがございます。

 このような複雑化した安全保障環境下では、我が国は、自国の安全を自国のみでは守れません。我が国の有事には、他国の支援が必要です。それは他国も同様であり、極東の戦略的安定を図るためには、他国も我が国の支援を必要としています。

 さらに、国連安保理常任理事国であるロシアがウクライナに対する侵略国となり、中国が台湾等に対して力による現状変更を企図しているという状況は、国連憲章一条、四十一条、四十二条等の定める国連の集団安全保障体制が機能し得ないことの証左です。その場合、国連憲章五十一条が定める個別的自衛権及び集団的自衛権しか依拠するものがないというのが、現実の安全保障環境です。

 次に、憲法九条と国際法環境との乖離について。

 パリ不戦条約及び国連憲章により、戦争、すなわち侵略戦争は違法化され、国際紛争解決のための及び政策の手段としての戦争は放棄され、武力不行使原則が定められています。日本国憲法九条一項は、まさにこの国際法の精神をそのまま記載したものであり、国際社会の現実に即しています。

 一方、九条二項は大きく乖離しています。我が国の戦後の安全保障に関する憲法論議は、自衛権は国家の固有の権利であるという性質を脇に置き、九条二項の前段の「戦力」という文言の解釈をめぐる、必要最小限度論か芦田修正論かという神学論争に終始してきました。後段の「交戦権」は、戦争が違法化されている現代国際法の世界には既に存在し得ない概念であり、国内法的には確認規定にすぎないと言えると思います。

 戦後直後の日本国憲法制定時、政府は、国体護持の代わりに、戦力不保持という解釈を採用。我が国の主権と独立の回復後は、「戦力」の解釈として、近代戦遂行能力説を採用し、警備隊と保安隊を合憲としました。

 その後、一九五四年の自衛隊創設に際しては、近代戦遂行能力説から必要最小限度論に解釈を変更し、自衛隊は合憲となりました。その際の必要最小限度の判断基準としては、集団的自衛権違憲論を持ち出し、個別的自衛権の範囲であれば最小限度という、国際法環境の現実からは乖離した解釈を採用しました。

 その後、六十年を経て、故安倍晋三総理は、二〇〇八年の第一次安保法制懇及び二〇一四年の第二次安保法制懇の報告書を受け、集団的自衛権の限定容認へと政府解釈を変更。これは大変な英断でございました。しかし、本来、二つの安保法制懇報告書は、芦田修正論の採用による集団的自衛権の全面容認を提言していました。一方、当時の安倍内閣は、芦田修正論を採用せず、あくまで踏襲した必要最小限度論の基準を少し押し広げ、存立危機事態にまで拡張したにすぎないとも言えます。

 一方、芦田修正論を採用したとしても、それは、現在の九条二項の枠内での議論にすぎません。芦田修正論は、今の政府解釈たる必要最小限度論に対するアンチテーゼとしての存在にすぎず、九条二項を維持する限り、自衛隊が「戦力」に該当するか否かという不毛な議論が永続することに加えて、今度は、「前項の目的」とは何を指すのかという論争が続くことも想像されるのです。

 戦後八十年を経て、我が国国内の状況、同盟国たる米国の状況及び極東の安全保障環境は変化しています。私は、我が国は、自立した国家としての歩みを進めつつ、抑止力の増強及び日米同盟の深化のため、その防衛構想及び同盟構想を新たな次元へと進めるときが到来していると考えます。

 我が党は、党内議論を経て、憲法改正調査会において、次の五つの項目について決定いたしました。

 一つ目、現在の九条二項の削除による集団的自衛権の全面容認。これは、必要最小限度論を脱却し、芦田修正論をも脱却するものです。

 二つ目、国家の固有の権利たる自衛権の明記。

 三つ目、我が国国防のための自衛隊を保持すること及び自衛官の地位を法律で定めることの明記。

 四つ目、内閣総理大臣を最高指揮官とすること及び法律の定めにより国会の承認等の統制に服することの、文民統制に関する規定の明記。

 五つ目、軍事裁判所の設置については、憲法七十六条二項の定めに従い、上告審を最高裁判所とする第一審及び控訴審を担う軍事裁判所を法律で定めること。

 我が国日本は、自立した国家として、自らの足で立って日米同盟を支え、極東の戦略的安定を支え、世界の安全保障に貢献する、日本にはそのような覚悟が必要です。安全保障環境の変化に即応し、国民をどう守るか、我が国の平和と独立をどう守るかという現実主義、リアリズムに基づいた視座が不可欠です。日本の戦略的覚醒こそが令和の日本人の課題である、外交官である兼原信克氏のこの言葉をかりて、私の発言を終わります。

 最後に、自民党におかれては、歴史的文書と述べた二〇一二年の憲法改正草案の趣旨をいま一度想起すべきときが来ているのではないかという質問をさせていただきます。

 ありがとうございました。

枝野会長 次に、浅野哲さん。

浅野委員 国民民主党の浅野哲です。

 憲法規定と社会実態との乖離という本日のテーマの下、私は、本日、デジタル時代における人権保障と憲法九条に係る課題認識について意見を述べさせていただきます。

 まず、人権分野におけるデジタル時代の人権保障についてです。

 現代では、スマートフォンの位置情報やSNS投稿、購買履歴など、個人に関する情報が日常的に収集、分析され、AIの判断や広告配信に用いられています。こうした情報環境の変化は、これまで私たちが当然と考えてきた自己決定や人格的尊厳の前提を根底から揺るがし得るものです。

 ところが、現行憲法はこうした事態を十分に想定をしておりません。第十三条は、「すべて国民は、個人として尊重される。」と規定し、第二十一条は通信の秘密を保障していますが、いずれも、データの自動収集やAIによる判断といった新たな課題には正面から対応していません。まさに規範と現実との間にギャップが生じている状態だと言えます。

 例えば、米国では、過去、アマゾン社の採用AIが女性差別的な出力を行っていたことが問題となりました。履歴書から過去の応募者傾向を学習したAIが男性的な表現を優遇するようなアルゴリズムになっていたということです。

 誰がどのような基準でどのような判断をしたのか不明なまま、結果だけが個人の人生を左右してしまう、こうしたブラックボックス化の問題は既に日本社会にも入り込みつつあります。

 私たち国民民主党は、こうした現実を踏まえ、自己情報をコントロールする権利を新たな人権として重視をしています。これは、個人が自分に関する情報の収集、利用、保存、削除の在り方を主体的にコントロールできる権利であり、従来のプライバシー権の枠を超えた保障が必要です。

 この課題には、もちろん個人情報保護法などの個別法制による対応も重要です。しかし、人格的自律や民主主義の基盤に関わる原理的な権利規定については、憲法という最高法規に理念として明記することが不可欠です。これは、下位法に対する指針となり、技術が進化しても人間の尊厳が揺るがない社会規範形成の羅針盤となっていくでしょう。

 さらに、今日では、国家権力だけでなく、巨大IT企業のような民間主体によっても自由が制限される時代に入りました。だからこそ、国家と民間の双方に向けて、高度情報化社会における人権の基準を憲法レベルで定立することが必要だと考えます。

 憲法も時代とともに進化するべきだと考えています。テクノロジーが人権を空洞化させつつある今だからこそ、憲法の規範力を取り戻す作業を私たちは始めなければなりません。その第一歩として、デジタル時代の新しい人権の憲法への明記を議論することを強く呼びかけたいと思います。

 次に、憲法九条と現実社会との乖離について意見を述べます。

 日本国憲法第九条は、戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認を明記しています。一方で、現実には自衛隊が存在し、防衛費は年五兆円を超え、各種装備の高度化や南西諸島への部隊展開も進んでいます。こうした現状と九条の条文との間に乖離がある可能性は度々指摘されてきており、国民にとって憲法の意味と現実との整合性が分かりづらくなっているのが実情です。

 政府は、戦力は保持できないが、必要最小限度の自衛力は保持できると解釈していますが、こうした不断の解釈変更に依存する姿勢は、憲法の規範力を毀損する要因となっています。とりわけ、二〇一五年の安全保障関連法制によって、従来違憲とされてきた集団的自衛権の一部が容認され、憲法と政府解釈の一貫性に対する国民の理解は一層困難性を増しています。

 私たち国民民主党は、平和主義を堅持した上で、自衛隊の存在を憲法上正当化する規定を設け、その行使範囲も明文化することで、憲法と現実とのねじれを正面から解決すべきと考えています。同時に、文民統制の強化、国会の事前承認を含む政治による統制の仕組みを憲法上明示すべきと考えます。これは、国家の安全保障に対する統治構造の信頼性を高め、ひいては、全ての国民に保障されるべき平和的生存権の基盤を確かなものとするためです。

 安全保障環境の変化も直視しなければなりません。例えば、中国は二〇二一年に海警法を施行し、尖閣諸島周辺での武器使用を正当化する根拠を国内法で整備しました。北朝鮮は弾道ミサイルを頻繁に発射し続け、米国では、トランプ政権が日本に対し、在日米軍駐留費の大幅増額を求める姿勢を示しています。これらの動向は、平和を当然の前提とする従来型の安全保障観に再検討が迫られていることを示しているのではないでしょうか。

 私たちは、憲法九条の理念と現代における安全保障の現実とを二項対立的に捉えるのではなく、両立すべき価値として捉え直すべきと考えます。国民の生命と財産、平和な暮らしを守り抜くという政府や立法府の責任を果たすためにも、憲法の規範力を回復するための努力を私たち自身の手で切り開いていくべきことを申し上げて、私からの発言を終わります。

枝野会長 次に、浜地雅一さん。

浜地委員 公明党の浜地雅一です。

 本日のテーマでございます憲法と現実の乖離、ここにつきましては、憲法と自衛隊の問題について見解を述べたいと思います。

 言うまでもなく、この議論の出発点は、九条二項に戦力の不保持、交戦権の否認とあるにもかかわらず、現実には我が国は自衛隊という実力組織を有している、そこに乖離があるように見えるという点でございます。

 まず、この議論をするに当たりまして、公明党は、憲法九条の一項及び二項、この規定は今後とも堅持をすべきと考えております。戦後、九条の下で専守防衛の理念が果たした役割は大変大きいものがあったというふうに考えております。また、一部に、自衛隊違憲論を解消するために憲法に自衛隊を明記すべきという意見もございますけれども、現在の自衛隊の存在やその活動については、多くの国民から理解され、支持を得ております。違憲論解消のために改正が必要であるというのは、いささか無理があるというふうに我々は感じております。

 ただ一方で、現実の国際社会、こちらは厳しさを増しております。ロシアによるウクライナ侵攻、核兵器使用のリスクの増大、中東情勢、平和と安定、ルールに基づく国際秩序の根幹が揺らぐ厳しい状況にございます。また、北朝鮮がミサイルの発射実験を頻繁に繰り返すなど、日本をめぐる安全保障環境は更に厳しさを増しております。

 こうした国際情勢に対応するため、反撃能力の保有、また能動的サイバー防御の導入、防衛費の増額など、防衛費の整備が進められております。すなわち、我が国の安全保障環境も大きな転換点を迎えているというふうに感じております。

 このような状況でありますので、いま一度、自衛隊の使命、役割について、憲法との関係において改めて議論していく時期に来ている、そのように思っております。

 この点について、公明党は、我が国最大の実力組織であります自衛隊に対する内閣や国会による民主的統制、すなわちシビリアンコントロール、この側面を重視して考えていくべきだ、そのように考えております。

 現法制では、内閣による自衛隊に対する民主的統制の規定、これは自衛隊法七条に規定があるわけであります。自衛隊法七条は、内閣総理大臣は、内閣を代表して自衛隊に対する指揮命令権限を有するというふうに規定をしておりますが、この規定を憲法レベルに格上げをしていくというふうな考えを持っております。具体的には、第五章「内閣」の章の中で、内閣の権限を定めている七十三条がございますが、この七十三条に、自衛隊に対するシビリアンコントロールという側面を重視する条項を考えていくべきだ、そのように考えております。

 他方、自衛権の具体的な内容を書き込むことにつきましては、慎重であるべきというふうに考えています。

 御存じのとおり、自衛権の限界、自衛の措置の限界に関する解釈におきましては、国会と内閣の間に、これまで長く緻密な議論を通して確立された歴史がございます。

 すなわち、いわゆる昭和四十七年見解、ここにおきましては、憲法九条と前文、十三条の規定から、我が国の存在を全うするために必要な自衛の措置を取ることは禁じていない。これは砂川判決とほぼ同様の文言で自衛権の存在を認めた上で、さらに、自衛の措置は、外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫不正の事態に対処し、国民の権利を守るためやむを得ない措置として初めて許容されるというふうにされました。この自衛の措置に関する基本的な論理は、いわゆる限定的な集団的自衛権の行使を容認する平成二十六年七月一日の閣議決定においても、維持されることが明記をされております。

 このように、憲法九条の下で許容される自衛の措置の限界についての解釈は、これまでの国会等における議論の積み重ねで確立したものであります。これを憲法の条文上に正確に表現することは、我々は大変難しいのではないかと考えます。むしろ、これをあえて表現しようとすると、かえって、自衛の措置の必要最小限度性、専守防衛について新たな解釈が生まれる余地が生じ、憲法解釈の安定性が揺るがされるおそれがあるのではないかと懸念をするところでございます。

 改めて、最後に、自衛隊の発足から七十年が経過する中で、災害派遣などの活動を通じ、自衛隊の存在やその活動については、多くの国民の皆様方が理解し、支持をしている状況にあります。憲法改正には国民投票による過半数の賛成が必要でありますので、国民の皆様方の幅広い理解が不可欠であることは言うまでもありません。憲法改正がかえって国民の分断を招くようなことがあってはならないわけでございまして、やはり、自衛隊の明記につきましても、多くの国民から支持をされ、国民投票で承認をされるような憲法改正案が求められているということを申し上げまして、発言を終わります。

 以上であります。

枝野会長 次に、大石あきこさん。

大石委員 れいわ新選組、大石あきこです。

 憲法と現実の乖離。

 憲法前文の第一段落を読みますね。

  日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

このように一段落があります。

 憲法を守れと言ったら、何かお花畑やみたいな話がありますけれども、そうじゃないですよ。結構厳しいんですよ。これに反する一切の憲法は排除すると言っていますからね。私たちは九十九条で憲法擁護義務がありますので、こういう間違った、憲法を変えようとするというのは徹底排除する義務があります。

 憲法前文にはそのような強い決意があるわけなんですが、ところが、今改憲派が出そうとしているのが緊急事態条項でしょう。その緊急事態条項の中には、まずは任期延長と言って、先ほどの前文に完全に違反しているじゃないですか。衆議院の議員の居座り、ひいては内閣の居座りですよ。正当に選挙された国会における代表者を通じて行動するという日本国民の権利を妨げる、それは違憲の改憲ですので。任期延長の先に緊急政令と言って、政府が日本国民の権利を侵害して、法律代わりに何でもできるというフリーハンドを与えるようなものを緊急事態条項とうたっているわけじゃないですか。

 そして、憲法の中で「そもそも」と書いてあるのも味わい深いわけなんですけれども、国政が勘違いするなということを言っているわけじゃないですか、「そもそも国政は、」って。最後、「その福利は国民がこれを享受する。」と言っていて、だから、国政の成果は常に国民のものなんだよということを言っているんですよ。

 それなのに、なぜ、今なお日本国民の六割が生活が苦しいと言っているんですか。なぜ、いまだに能登の復興をちゃんとやらないんですか、政府は。なぜ、万博をやって、カジノを推進しようとしているんですか、政府は。そして、今なぜ、主食を作る農家を徹底的に潰そうとしているんですか。日本国民がお米を食べられないようになっているんですか。

 このように憲法と現実の乖離というのは甚だしいわけで、その原因としては、この前文、日本国民が主語にあるにもかかわらず、そして、政府が、再び戦争の惨禍が起こることのないようにと政府を厳しくたがはめして戒めているという前文を履き違えた国家の運営によるものであります。

 そして、憲法の前文の二段落目の一部を読みますね。「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」。

 もしこの憲法前文を理解するならば、この前文をかみしめるならば、今世界で起きていることに、ガザでの虐殺に思いをはせるべきではないでしょうか。なぜ、イスラエルに日本政府は、この国は加担するのか。今なおパレスチナ人を虐殺し続けて、五万人を超える方が虐殺されています。国際法違反、戦争犯罪を許すのか。虐殺に加担しないことが求められます。

 今、日本がイスラエルとたくさん結んでいる様々な連携協定、貿易協定もそうなら、防衛の協定もたくさんあります。そういったものを見直ししたり、破棄するということもやらない。そして、武器の見本市を開いて、実証済みだとされるイスラエルの武器を並ばせるということをなぜやるんですか。武器の取引をやるんですか。やめなきゃいけないですよ。そして、パレスチナの人々が望む形での国家承認をしなければいけません。

 このようなこともお花畑だと言う人がいるかもしれませんけれども、例えばスペインであれば、イスラエルとの武器の取引をやめると明言されました。イスラエルの武器に代替する技術はまだスペインは見つけていないんだ、だけれども、イスラエルへの、武器の購入はやめるということを決めています。そして、国家承認もスペインは決めています。だから、この憲法前文を持つ日本においてもやれるし、やらなきゃいけない。

 そういう中で、この憲法前文とも激しい乖離をした国家運営、ないしこの衆議院の憲法審査会の運営が行われていて、六月十二日は、私が申し上げたような任期延長というのは明らかに憲法前文に違反しているものなので、ここにいる者、国会議員たるもの、公務員というものは、憲法擁護義務に基づいて、こんなものは止めなきゃいけないんですよ。六月十二日の幹事会で、改憲五会派で共同で、憲法改正の骨子案、緊急事態条項の骨子案を出すんやと。自民党、公明党、維新、国民民主、有志の会ですよね。こんなことはやっちゃいけないです。反対します。

 自民党の船田幹事にお伝えしたいんですけれども、私が今日、憲法前文のことを申し上げました。政府というのは、戦争の惨禍が再び起こらないようにということ、そして、そのためにも選挙を粛々とやらないといけない、国民の権利を保障しないといけないんですよね。それに違反するような状態であると自覚がありますか。自民党として自覚がありますか。お伺いします。

 そして、立憲の武正幹事にもお伺いしますが、このような、六月十二日の幹事会で、憲法、緊急事態条項の任期延長の骨子案を示すということを、立憲の武正幹事が了承したことが引き金になっています。

 これは憲法九十九条に基づき……

枝野会長 申合せの時間が経過しております。質疑を終了してください。

大石委員 やはり認めないことが必要と考えますが、武正理事、いかがでしょうか。

枝野会長 ただいまの質問については、先ほどの阿部さんからの質問と併せて、一巡した後に、御発言をしていただくかどうか決めたいと思います。

 次に、赤嶺政賢さん。

赤嶺委員 日本共産党の赤嶺政賢です。

 今年は、戦後八十年の年です。

 かつて日本は、朝鮮半島や台湾を植民地化し、中国大陸を始めアジア太平洋諸国を侵略しました。国内では、国家総動員の方針の下、戦争に反対する人々を弾圧して、国民経済や国家予算、学術研究など、ありとあらゆるものを戦争遂行のために動員しました。日本の植民地支配と侵略戦争で、アジア太平洋地域で二千万人以上、日本国民三百十万人が犠牲となりました。

 この反省から、日本国憲法は、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、九条で、戦争放棄、戦力不保持、交戦権の否認を定めました。戦争につながる一切のものを排除することを求めたのであります。

 この憲法九条の精神は、凄惨な地上戦を経験した私たち沖縄県民の命どぅ宝の思いと重なるものです。

 沖縄は、国体護持を至上命題とする大本営の下で、本土決戦を遅らせるための捨て石とされました。沖縄に配備された旧日本軍第三二軍は、軍、官、民、共生共死の一体化の方針を徹底し、住民を根こそぎ動員しました。鉄血勤皇隊やひめゆり学徒隊など、中学生の年齢の少年少女たちまで動員し、男子学徒は戦闘の最前線へ、女子学徒は負傷兵の看護を担わされました。さらに、鉄の暴風と呼ばれた艦砲射撃の中で、ごうに避難している住民に軍の弾薬や食料の運搬を強制したのであります。

 沖縄戦の縮図と言われている伊江島では、乳飲み子を背負った女性にまで米軍陣地に切り込むことを強制しました。石垣島や波照間島では、住民にマラリア生息地への移動を命じ、宮古島でも、餓死や病死で犠牲になる住民や兵士が相次ぎました。日本軍は方言を話す住民をスパイとみなし、多くの県民が虐殺されました。

 第三二軍の牛島司令官は、首里城の地下に構築した司令部が陥落するのを目前にして、多くの住民が避難していた本島南部へ撤退しながら、持久戦を継続することを決めました。狭い地域に住民と兵士が混在する極限状態の下で、住民は、米軍の無差別攻撃だけでなく、日本軍からも弾雨の中でごうから追い出され、食料を奪われ、泣きやまない赤ちゃんに手をかけることを強要されました。軍に自決を強いられ、米軍に投降しようとした人は背後から切り殺されたのです。

 軍隊は住民を守らない、これは、沖縄戦経験者の証言と幾多の研究によって裏づけられた、揺るがすことのできない歴史の教訓です。

 ところが、今、この侵略と加害の歴史を否定する言動が相次いでいます。これは絶対に看過できない問題です。

 自民党の西田昌司参議院議員は、沖縄のひめゆりの塔の説明を歴史の書換えなどと言い放ちました。沖縄戦経験の証言と沖縄戦研究の積み重ねを真っ向から否定するものです。さらに、中谷防衛大臣は、陸上自衛隊第一五旅団が多くの県民の批判にもかかわらずホームページに再掲載した牛島司令官の辞世の句を、平和を願う歌だと強弁しております。県民に投降することを許さず最後まで戦い続けるよう強制した句を美化し、沖縄戦の実相をねじ曲げるものであり、断じて認められません。

 重大なことは、こうした歴史を修正する動きが、自民党政権が進めている大軍拡と一体で進められていることです。沖縄が戦場になることを前提に、南西諸島の重要軍事要塞化と住民疎開計画の具体化が進められています。沖縄戦の教訓を真っ向から踏みにじるものであり、断じて容認できません。

 今必要なのは、戦争の心配のない東アジアをつくるための、憲法九条を生かした平和外交です。戦争ではなく平和の準備を進めることこそ日本政府の責任だということを強調して、発言を終わります。

枝野会長 次に、北神圭朗さん。

北神委員 有志の会の北神圭朗です。

 以前も指摘したとおり、世界を見渡すと、各国軍隊の行動を法律で縛るものは、基本的に国際法だけです。それ以外は、自国を守るためであれば基本的に何でもできるというネガリスト方式が常識です。

 ところが、自衛隊だけは、九条の必要最小限度という解釈により自衛権が制約され、警察法的な、やれることを限定列挙するポジリスト方式が採用されています。

 そもそも、警察と軍隊の目的は全く違います。前者は、治安維持、犯罪防止が主たる任務です。そのためには、自国民に対し、必要に応じて実力を行使せざるを得ません。こうしたことから、警察法は、国民の権利を侵害し得る警察権に対して厳格な縛りをかけています。一方、軍隊は、外国の武力行使から国民を守るのが主たる任務です。また、戦場ははるかに流動的で、予測不可能であるため、極めて柔軟な現場対応が求められます。こうした理由から、各国の軍隊は、ネガリスト方式による緩い制約が課されています。

 確かに、それでも戦後は平和を保つことができました。しかしこれは、自衛隊の行動が制約されていたからだというよりは、一つは、たまたま冷戦の主戦場が欧州にあったことと、二つ目は、何よりも、日米安保条約により米国の圧倒的な抑止力が利いていたからでしょう。

 しかし、今や世界情勢も変わり、この二つの幸運な条件も変わりつつあります。

 まず、中国が超大国として台頭してきました。しかも、尖閣諸島、東シナ海、南太平洋の海と空に向けてお得意の忍び足侵略を着々と進め、我が国の主権と国土はこれまでにない脅威にさらされています。

 もう一つは、頼みの綱にしてきた米国は国力が低下し、国論が二分化されています。二分化といっても、世界の警察官はもう担えないという認識は双方に共有されつつあります。トランプ大統領のやや混乱した方針の背景には、こうした国民の共通した認識があるように思います。

 このように、我々が戦後恵まれてきた二つの条件が、今や変更されつつあります。

 さてそこで、私の言う中国の忍び足侵略というのは、難しい言葉で言えば、グレーゾーン事態と言います。平時と有事との中間にあって、武力攻撃には至らないぎりぎりの線で相手国の安全や主権を脅かす行為です。尖閣諸島を中心に、領空、領海に少しずつ、繰り返し繰り返し侵入することにより既成事実を積み重ねる。一体、このグレーゾーン戦法に対して、警察権的な性格の濃い自衛隊、ひいては憲法九条は耐え得るのか。これを検証すべきだと思います。

 まず、領空警備については、航空自衛隊がいわゆるスクランブルを頻繁に行っています。ところが、自衛隊法には武器使用の明確な根拠規定は存在しません。解釈で対応したとしても、相手が実力で抵抗する場合や、まさに爆弾を落とそうとしている場合などに限定されます。

 こうした中、十年以上前より、中国の戦闘機からミサイルの標的としてレーダー照射され、撃墜されかねない事態が繰り返されています。軍隊であれば相手にレーダー照射をし返すのが普通の慣行でありますが、自衛隊はひたすら逃げるしかないのです。一触即発の事態が継続する中で、このままで本当によいのか。

 次に、尖閣諸島等の領海警備については、純粋な警察である海上保安庁が第一線に立っています。対峙する中国の海警局は軍隊化され、軍艦を改修した転用船を多数就役させ、多くは機関砲を積み込んでいます。

 現時点では、政府は、海上自衛隊が出向くと中国を刺激するという方針です。しかし、今後、中国の準軍艦の数が増え、重装備化が進み、その行動がより大胆になれば、いずれ海上自衛隊の出動を検討せざるを得ないのではないでしょうか。

 ただ、その場合、自衛隊であっても、今の憲法九条の下では警察権の行使しか許されないため、警察官職務執行法に準じる形でしか武器使用はできません。このように準軍艦を相手にわざわざ自らを不利な立場に置くという自虐的な対応をどう説明したらよいのか。

 また、仮に中国海警から本格的な攻撃を受けた際はどうか。防衛出動の命令を待つのか。目の前で自衛隊員が撃たれる切迫した状況にもかかわらず、これは九条の範囲で許されるのかどうか、内閣法制局の解釈判断を仰ぐまで待つのか。より本質的には、その解釈に必要な情報が果たしてそろうのか。

 大体、戦場には、クラウゼビッツの言う戦場の霧がかかっています。完全に正確な情報は存在しません。敵と味方、自然現象、地形等により、情報は非対称的であり、刻一刻変化します。その前提で指揮官は軍隊の動きを決める必要があり、現場から遠い政府は、柔軟に現場の判断に委ねることが求められます。だからこそ世界の軍隊は、法律に縛られず、ネガリスト方式を採用しているのです。

 一般論としても、九条の下では、不確実で目まぐるしく変わる緊急事態に直面しても、内閣法制局の、これは何事態なのか、これ事態なのかという緻密な法律論が延々と展開されかねません。これでは総理や現場の指揮官の決断が遅れてしまいます。とりわけ、今申し上げたグレーゾーン事態を踏まえれば、余りにも憲法と現場の実態が乖離しているのではないでしょうか。

 以上、こうした観点からも、憲法九条が我が国の安全保障の現実に耐え得るのかを検討すべきだということを申し上げて、私の意見といたします。

枝野会長 次に、委員各位による発言に入りますが、その前に、ただいま一巡目の御発言の中で、維新阿部議員から自由民主党に、れいわ大石委員から自由民主党と立憲民主党に質問がございました。

 まず、申し上げます。

 質問をされる場合は、できるだけ事前に紙で御提起をいただければ、答弁の方も御準備をいただいて実りある議論になるかなということで幹事会申合せをいたしておりますので、今後御留意をいただければと思います。

 その上で、お答えになりますか。

船田委員 まず、阿部委員に対しての質問にお答えしますが、阿部委員からは、自由民主党の二〇一二年における憲法改正草案、これは私、船田が過去において歴史的文書であるということを述べまして、それを復活したらどうか、そういう趣旨であると思いますが、二〇一二年憲法草案を歴史的文書とは言いましたけれども、決して否定したものではない、こういうふうに申し上げておきたいと思います。

 その二〇一二年の草案を踏まえた上で、そして、二〇一八年に、より緊急に憲法改正をすべきと考える四項目、すなわち、九条、緊急事態、教育の充実、それから参議院の合区の解消、この四つの緊急なテーマを選ばせていただいた、それを提言をしているということで今日に至っております。

 特に九条につきましては、先ほど申し上げましたように、自衛隊の明記のみならず、いわゆる国防規定を共にこの四項目でも述べておりますので、これは二〇一二年草案を踏襲しているというふうに御理解いただきたいと思っております。

 次に、れいわ大石議員の質問にお答えします。

 自民党として、憲法前文にある憲法あるいは政府の役割は、国民主権を守ること、国民の平和それから幸せを守ること、当然これは政府の役割であり、憲法の目指すところであることには変わりがないわけであります。

 しかしながら、そのような現行憲法においても、あるいは各種の法律におきましても守り切れない事態、新たな事態、そういったものが生じたときには、やはり憲法改正や法律の改正を検討して、日本国を守る、あるいは日本国民を守る、守れるようにするというのがこれまた政府の役割であり、憲法の在り方ではないか、このように思っておりまして、決して憲法前文に背理することにはならないと認識をしています。

 以上です。

武正委員 御質問にお答えいたします。

 今国会につきましては、御案内のように、落ち着いた環境の中、憲法審査会の議論を進めてまいりました。

 その中で、前任期中の、特にこの憲法審査会で、四党一会派の皆さんから、緊急事態における国会議員の任期延長、これの議論が進められてきたことは承知をしております。

 今国会では、こうした緊急事態における議員任期延長について、初めてテーマとして取り扱って議論を深めました。我が党からは、国会議員の議員任期延長は必要ない、立法事実はないと、東日本大震災と同じような状況下でも八割以上の選挙区で選挙が行えるということから申し上げたところでございます。

 できるだけ多くの会派の賛同を得るテーマを探りたいということで申し述べておりましたが、幹事懇談会の方で四党一会派の方から、今国会、憲法審査会で四党一会派の骨子案を示したいという御提起がありましたので、私の方からは、やはり審査会でそうした案が示されてしまうと、三分の二以上の賛同を得るという、そうした発議に至らない、溝が深まってしまうというような観点から、それはやるべきでないと申し上げました。その上で、幹事会での提案ということでいかがであろうかということを提起をしたという経緯でございます。

 以上です。

    ―――――――――――――

枝野会長 発言を希望される委員は、お手元にある名札をお立ていただき、会長の指名を受けた後、御発言ください。

 発言は自席から着席のままで結構でございます。

 なお、発言の際には、所属会派及び氏名をお述べいただくようお願いいたします。

 発言が終わりましたら、名札を戻していただくようお願いいたします。

 また、幹事会の協議に基づき、一回当たりの発言時間は三分以内となります。質問を行う場合、一度に答弁を求めることができるのは二会派までとし、一回当たりの発言時間は全ての答弁時間を含めて五分以内となりますので、御留意ください。

 発言時間の経過につきましては、それぞれおおむね三分経過時、五分経過時にブザーを鳴らしてお知らせをいたします。

 それでは、発言を希望される委員は、名札をお立てください。

柴山委員 自由民主党の柴山昌彦でございます。

 本日テーマとなっている憲法と現実の乖離ということですけれども、そもそも、現行の日本国憲法は解釈の余地が大きい、規律密度の比較的薄い条文となっていることから、ある程度の解釈が時代の変化に伴って認められると考えておりますが、先ほど船田幹事もお話しになった九条ですとか、あるいは裁判官の報酬に係る八十条、また私学助成をあたかも否定するような八十九条などについては、明確に、憲法の文言が公的な主体あるいはその実践と真っ向から食い違っている事例でありますので、憲法が理想とする状態が実現されていないというような抽象的なレベルではなかなか解釈が難しい、そういった内容ではないかなと考えております。

 まず、九条について言えば、この日本国憲法は小学生も学ぶというところからすれば、やはり、子供が親に、なぜ戦力を日本は持ってはいけないのに自衛隊は許されるのかと尋ねられ、そして親御さんが、先ほど阿部委員が説明されたような詳細な解釈論でしか答えられないというのは、なかなかこれは難しい、それこそ、文言上極めて説明が難しい事例だと考えております。

 そういう意味からすれば、浜地委員がおっしゃっているように、シビリアンコントロールを強調して七十三条に位置づけるというのは確かに傾聴に値する見解だとは思いますけれども、やはり、九条の二項との関係をどのように解釈するかということを明記した形で、九条の二というような位置づけにするのが私は望ましいのではないかと考え、現在の自民党が示している改憲案を是非実現をしてほしいと考えるものでございます。

 また、八十条の裁判官の報酬につきましては、これはなかなか、国民の多くの方々が関心を持ったり問題視するというところも少ないと考えますので、私は、八十九条の、私学助成法ですとかあるいは私学振興法などに矛盾しかねない、やはり公金の支出制限というところの方がより改正についての緊急度が高いと考えております。

 先ほど山花議員から学問の自由についての言及がありましたとおり、特に私学に関しましては、建学の精神が尊重されるべき、極めて、学問の自由については保障される要請が高い組織であると考えております。そういう面からしても、公の支配に服しないというように書かれているこの文言は、是非とも、公費乱費を防ぐという意味での、監督が及ばないという表現に改めるべきだと私は考えております。

 以上です。

平岡委員 立憲民主党の平岡秀夫です。

 私は、死刑と憲法について発言をいたします。

 日本では古くから死刑制度が存在しておりますけれども、日本国憲法の下でも死刑は合憲であると解釈されて、制度が維持され続けています。他方、世界の潮流としては、現在、死刑廃止国は、事実上の廃止国も含めますと世界の七割を超える百四十四か国に及んでいる中で、日本も国際的には死刑廃止を求められています。

 日本国憲法と死刑制度の関係については、次の二つの最高裁大法廷の判決が有名であり、今でも判例として生きています。

 まず、昭和二十三年三月の判決は、生命に対する国民の権利についての憲法十三条と三十一条の文理的解釈を基にして、「憲法は、現代多数の文化国家におけると同様に、刑罰として死刑の存置を想定し、これを是認したものと解すべきである。」と判示しています。また、昭和三十年四月の判決は、憲法三十六条が禁じる残虐な刑罰に関して、「現在各国において採用している死刑執行方法は、絞殺、斬殺、銃殺、電気殺、瓦斯殺等であるが、これらの比較考量において一長一短の批判があるけれども、現在わが国の採用している絞首方法が他の方法に比して特に人道上残虐であるとする理由は認められない。」と判示しています。

 他方、国連の人権理事会は、国連加盟国百九十三か国の全ての国の人権状況を普遍的に審査する仕組みとして、約四年半のサイクルで、UPR、普遍的・定期的レビューを行っていますが、我が国に対して、二〇一七年十一月、二〇二三年一月に行ったUPRでは、例えば、ドイツが、直ちに死刑執行モラトリアムを正式に導入し、死刑廃止を目指して自由権規約第二選択議定書を締結することを勧告し、イギリスが、被害者及び被害者家族への最適な支援に向けて取り組む一方で、死刑執行のモラトリアムを導入し、死刑廃止に関する公共の議論を促進することと勧告し、そのほかにも多くの国々が我が国に対して立て続けに死刑廃止に向けての勧告を出しています。

 今や世界の多くの文化国家が死刑制度を廃止している中では、仮に死刑執行方法が最も苦痛を与えないと言われている薬物殺であったとしても、死刑囚に与える精神的苦痛や肉体的負担並びに死刑執行人の心理的苦痛を考えますと、現代社会では、残虐ではない死刑執行方法などあり得ません。

 現行日本国憲法は死刑制度のない刑罰制度とより親和的であると考えられるところであり、速やかに死刑存廃の国民的議論を行うべきと考えます。

 以上です。

大野委員 自由民主党の大野敬太郎でございます。

 本日のテーマである憲法と現実の乖離に関しては、私も憲法九条と自衛隊の関係を取り上げたいと思います。

 現行憲法九条二項では、戦力の不保持、交戦権の否認が明確に規定されておりますが、現実には、我が国は世界でも有数の規模、能力を誇る自衛隊を保有しています。これが憲法と現実の乖離の最たるものであることは、私たち自由民主党だけではなく、多くの政党そして国民の共通認識ではないでしょうか。

 私は、かつて防衛大臣政務官を務め、我が国を取り巻く安全保障環境が急激に悪化する中で、国民の生命財産を守るために、二十四時間三百六十五日、いっときの空白をつくることもなく激務に従事している自衛隊の皆さんの姿を実地に見聞きいたしました。このような経験を踏まえても、何としても憲法九条と自衛隊の存在との乖離を解消しなければならないと考えます。

 そこで、二つの観点から意見を申し上げます。

 一つ目は、日本国憲法は、占領下という、独立と主権を失い、武装解除がなされて、国防を担う実力組織を持たない状態で制定されたために、主権国家の最も根幹的な役割である、いかなるときも国民を守り抜くという国防規定を欠いているということです。

 その意味では、現行憲法には最も根幹に当たる規定が欠落していると言わざるを得ません。本来であれば、GHQが引き揚げ、主権を回復した一九五二年に憲法を改正し、誰がどのような手段で国を守るのかを明確にしておくべきでしたが、現在に至るまで放置されたままです。

 二つ目は、国防を担う実力組織である自衛隊に対する政治家による統制、すなわちシビリアンコントロールが肝要であるということであります。

 この点、私たち自民党が提案している条文イメージは、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とするという政府内の統制と、自衛隊の行動は国会の承認その他の統制に服するという国会による民主的統制の両面から規定することとしています。

 諸外国の憲法においても、国防のための実力組織に対するシビリアンコントロールの規定は標準装備されていることから、国防規定と同様に憲法に規定を設けるべき事項であるということを申し上げて、私からの発言とさせていただきます。

和田委員 日本維新の会の和田有一朗でございます。

 私は、憲法学者でもありませんし、弁護士でもありません。素直に、普通に感じることを発言してみたいと思うんです。我が党の考え方は先ほど阿部委員が申し上げたとおりでありますし、多くの方がいろいろなことを述べられたことをなぞることになるかも分かりません。九条、自衛隊の問題を中心に、素直に、感じるところを発言したいと思うんです。

 どこから見ても、自衛隊は国防を担う実力組織、すなわち軍隊だと思います。軍隊です。どこかが攻めてきたら戦えます。当たり前だと思います。

 でも、今の憲法を読み解くと、どうも本当にそう読み取れるかなと私はやはり思ってしまいます。じゃ、パトカーに先導してもらって道路交通法を守って戦車が走るか、そんなことはないだろう、攻めてきたときに戦うだろうと国民はみんな思っているわけです。

 それをするために解釈をやっているわけですが、大体こういう解釈も、何か詭弁ぽい、神学論争みたいな議論をしながら、よく分からない。子供に説明しろと言われても、なかなかできない。でも、用語なんかは、英語とかほかの国の言葉に訳すと、それは軍隊用語になっているし、階級とかもそうです。軍隊です。

 じゃ、これを考えたときに、日本はどういう国なんだと私は絶えず不思議に思ってきた。日本の憲法に関しては、本音、つまり実態と、建前、つまり条文の解釈が分けられて乖離してしまっている。この九条二項に関してもそうです。

 その典型的な例が、私がいつも思うのは、昭和五十二年のダッカ・ハイジャック事件なんです。これは、人質解放を求める、日本赤軍の要求に屈して、服役中の過激派を釈放したんです。法治国家としては許されない要求を受け入れたんです。

 でも、これはどういう建前でやったのか。人の命は地球より重い、超法規的措置だというんです。法律に書いていない、憲法にも書いていない。でも、総理大臣が決めて出しちゃったんです。

 これは私、毎日、学校から帰ってきてテレビを見ましたよ、ランドセルを放り出して。今日はどうなるのかな、どうなるのかと。最後、解放した。あのときの交渉に行ったのが石井一さん、私の地元の当時の国会議員ですよ。みんな思ったんですよ、うちの町の先生はすごいな、向こうで交渉をやっていると。最後にやったことは超法規的行為、超法規的措置、こういうことに結びついても、結局国民は、そんなものだよねで終わっているんです。

 でも、これほど複雑化して国際環境が厳しくなって、そして米国の抑止力もなかなか下がってきている中で、我々は、この状況で、この憲法でやり切れるかということなんです。超法規的行為でした、攻めてきたから取りあえず現場でやってください、そういうふうな形には、最後、なかなかならないだろうと思います。

 そういう意味で、しっかりと私たちは議論を尽くして、改憲に向かわなければならないと私は思います。

 以上です。

武正委員 武正公一です。

 国会は国権の最高機関とされながら、それが現実と乖離している点が憲法第七章「財政」です。

 昨年の補正予算案は一千億円の災害対策費修正、今年度予算案は、衆議院に回付をされ、高額療養費の修正がされました。それぞれ立憲民主党は予算修正を求めましたが、その修正には、政府の対応に時間を要することで速やかな修正審議ができない事態も起きておりました。国会の議決が速やかに行えるような見直しが必要と考えます。

 この十年を振り返れば、予備費が過大に計上され、その使途の範囲を広げてきました。憲法八十三条、国の財政処理の権限は国会議決に基づく一方、予備費は事後承認です。憲法八十七条の、予見し難い予算の不足に充てる予備費の目的は、補正予算では軽微な事態や災害など緊急事態に機動的に対応できないためとされましたが、コロナ禍を契機として拡大した予備費を平時の状態に戻す必要があると考えます。

 さらに、補正予算についても、国際機関への拠出金を当初予算に盛り込まず、補正予算ありきで予算計上され、前年度補正予算と新年度予算をセットで十五か月予算と言われることは、単年度予算審議の憲法八十六条に反するものであります。

 そもそも、憲法には、予備費の規定はあっても、補正予算の規定はありません。財政法二十九条には、経費の不足、緊要となった経費との補正予算の規定がありますが、常態化しているのではないでしょうか。

 政府は、一九七七年の統一見解において、項を新設する修正もあり得る旨の立場を明らかにしましたが、国会の予算修正は内閣の予算提出権を損なわない範囲で可能という限界説を維持しています。しかし、予算法律説を取れば、条理上の制約は別として、修正権に制限は存しないことになると芦部信喜著「憲法」で述べています。予算修正権に限界はないとすると、国会の予算審議権の充実のため、米国議会を見習って国会予算局のような予算審議に供する組織を設けることが必要ではないでしょうか。

 そして、国会の調査、立法機能の強化が必要であることは、三十年ぶりの与党過半数割れに伴い、議員立法数の増加により衆議院法制局の仕事量が増加しているため、衆議院調査局や国会図書館調査及び立法考査局とともに、定員の増員や予算の充実が必要です。

 なお、財政規律については、債務比率が対GDP比二五〇%に迫る中、国会に長期財政予測機関を設けることも提言されています。こうした機関の創設とともに、憲法における予算、財政については、より議論を深める必要があると考えます。

高市委員 自由民主党の高市早苗でございます。

 まず、現実との乖離というテーマでございますので、私からは、第二十一条、表現の自由及び通信の秘密について申し上げます。

 この規定は非常に重要なもので、現行憲法の書きぶりどおり、これは置いておけばいいと思うのですが、ただ、インターネットがなかった時代に定められた憲法でございますので、様々な問題点が発生しております。

 つけ加える条文として、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行うことは認められない、こういったものが加わっていればかなりよくなると思うんですが、今直面している問題としましては、国民の皆様の命や財産を脅かすような事案がインターネット上で起きている、そして、この犯罪抑止に必要な制度そのものがやはり二十一条の制約によってつくりにくいという問題でございます。

 例えば、ブロッキングについて議論がございました。今週、衆議院でギャンブル等依存症対策基本法が可決し、今参議院で審議ということでございますけれども、これについても、当初はブロッキングというものを入れてしっかりと犯罪者を増やさない対応をすべきじゃないかということだったんですが、違憲になってしまっては困るのでということで、総務省の有識者会議でしばらく議論されることになりました。

 過去に取り組みました児童ポルノ禁止法、これにつきましても、現在もブロッキングは事業者の自主的な御協力によって可能とされております。

 また、闇バイトによる強盗殺傷事件などでも被害が出ましたが、首謀者を特定するためのサイバー空間上の捜査、これもなかなか憲法との関係で難しいというようなことでございます。

 さらに、その前には、自殺サイト、家出サイト、子供たちが巻き込まれているこういうリスクに対して対応する法律を書こうとしたときも、やはり、通信の秘密、また表現の自由、知る権利、こういった反論がありましてなかなか実効的なものにはならなかったということで、二十一条についても、現在の条文を残した上で、先ほど申し上げたような追加の条文を皆さんと一緒に検討できたらうれしいなと思っています。

 また、九条につきましては、現実との乖離ということは、自民党、維新、また国民、有志の皆様がおっしゃったとおりで、条文の内容も、二〇一二年の四月二十七日の自民党の憲法草案、これは策定に私も参加をいたしました、それがベストだと思っておりますが、先ほど大野委員がおっしゃった内容ですね、これが現在我が会派として提案しているものでございますので、まずこれをベースに考えてまいりたいと思います。

 ありがとうございます。

大石委員 れいわ新選組、大石あきこです。

 やはり、改めて、来週六月十二日、幹事会で緊急事態条項の骨子案が出されるというのは絶対あってはならないです。

 先ほどの七分の説明の中でも申し上げましたけれども、緊急事態条項の中の任期延長、これは立法事実がない上に違憲ですからね。様々もう議論は尽くしてきましたが、国民から選挙の権利を奪うもので、内閣の、衆議院議員の居座りを許すものですから、これは明らかに違憲提案なんですよ。しかも立法事実がないときていて。参議院の緊急集会の七十日限定説というのも、そういうものはなくなって、自民党内でも割れていて、限定していないという、もう論が破綻しているのに、なぜ、六月十二日にどんな骨子案を出すんだと。立法事実がないものを出さないでください。

 先ほど答えていただきました、立憲の武正幹事が任期延長自体は必要がないとおっしゃいましたけれども、必要がないどころか、違憲ですから。やはり、憲法、先ほど読んだ前文に基づいて、九十九条の憲法擁護義務に基づいて、私たちは、憲法の間違った改悪というのは排除しなければいけないので、必要ないじゃなくて、間違った改憲に一歩でも結びつくものは徹底排除するという立場を取るべきではないでしょうか。

 そして、自民党の船田幹事にもお答えいただきましたけれども、そうじゃないんだ、国民を守り切れない事態に対応するために改憲をやるんだとおっしゃっていますけれども、国民なんか守っていないじゃないですか。主食の米だって守れていないじゃないですか。ここにいらっしゃる稲田朋美委員がこんなのをおっしゃっていたんでしょう、国民の生活が第一なんて政治は間違っていると。守る気がないじゃないですか、そもそも自民党が。

 これはここで何ぼ言っても仕方がない面もあって、やはり有権者の皆さんに、こういうことが議論されているよ、起きているよということを知ってもらうしかないんです。

 最後に、有志の会の方がそれらしいことをおっしゃるんですよね。それらしいことを言って、今、南西シフトやといって、沖縄で、日米一体化して、ミサイル配備して弾薬庫を置きまくってと。これは沖縄だけではないですけれども。その横では赤嶺さんが、沖縄戦でどんなひどい目に遭ったか、家族離散させられて、全員殺されてと。じゃ、憲法の主体の日本国民というのはどっち側なの。有志の会の言っていたような、高みに立った側なの。赤嶺さんが言っていた、沖縄県民の、悲惨な目に遭った側なの。そっちでしょう。そっちではない、何か机上の空論の、それらしいことをこねくり回して憲法を変えるというのはやっちゃいけないんです。

 これは改めて申し上げます。

枝野会長 これにて自由討議は終了いたしました。

 次回は、来る十二日木曜日午前九時四十分幹事会、午前十時審査会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。

    午前十一時二十四分散会


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