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平成二十年一月三十日提出
質問第四〇号

一九九六年五月のビザなし交流に同行した外務省職員が暴行を受けたとされるやり取りの経緯に関する質問主意書

提出者  鈴木宗男




一九九六年五月のビザなし交流に同行した外務省職員が暴行を受けたとされるやり取りの経緯に関する質問主意書


 一九九六年五月二十五日から二十七日までの日程で国後島を訪問したビザなし交流(以下、「ビザなし交流」という。)による北方四島訪問団(以下、「訪問団」という。)に、加賀美正人現国際情報統括官組織国際情報官(第四担当)が同行している。右と「政府答弁書」(内閣衆質一六九第四号)を踏まえ、以下質問する。

一 「ビザなし交流」の際に、ビザなし交流五周年を記念して桜の植樹(以下、「植樹」という。)を行うことについて日ロ間で合意がされており、「訪問団」の日程にも組み込まれていたと承知するが、確認を求める。
二 「植樹」実施にあたり、日ロ間でどの様な合意がなされていたのか説明されたい。
三 結果的に「植樹」は実施されなかったが、その当時の経緯について「政府答弁書」で「訪問団は、国後島において植樹の実施を企画し、桜等の苗木を持参していたが、国後島への入域手続に際し、当該苗木に係る検疫証明書の提出を要求されたのに対し、御指摘の者は、外務本省と連絡をとった上で、そのような証明書を提出することはあたかも北方四島に対するロシア連邦の管轄権を前提としたかのごとき行為であり、北方領土問題に関する我が国の立場とは相容れないため、検疫証明書を提出しない旨応答した。この結果、最終的に当該苗木は持ち帰られることとなった。」との説明がなされている。「植樹」が「訪問団」の公式日程に組み込まれ、検疫証明書の取り扱い等について日ロ間で合意がなされていたのなら、なぜ加賀美氏は右答弁にあるような対応をとり、「植樹」の実施に反対したのか説明されたい。「政府答弁書」に「御指摘の者は訪問団の日程を十分に把握していたと承知している。」とある様に、「訪問団」に同行した加賀美氏が「訪問団」の日程を十分に把握していたのなら、なぜ直前になって「植樹」についての検疫証明書を提出しない旨応答したのか、その理由を明らかにされたい。
四 「訪問団」に参加していた鈴木宗男衆議院議員と加賀美氏の間で交わされた「植樹」を巡るやり取り(以下、「やり取り」という。)の中で、加賀美氏から、「植樹」を中止するに当たり「訪問団」の団長や顧問団に対してどの様な発言があったか説明されたい。
五 「やり取り」は「訪問団」が使用していた船であるコーラルホワイト号の船長室の中で行われたと承知するが、その際に加賀美氏と鈴木宗男衆議院議員の他に誰が同席していたか、外務省は把握しているか。
六 「政府答弁書」では、「やり取り」の際に加賀美氏が鈴木宗男衆議院議員から殴打されたという事実があるかとの問いに対して、「外務省としては、御指摘の事実があったと考えている。」との答弁がなされているが、右の答弁は、加賀美氏本人に確認をとった上での答弁か。
七 六で、加賀美氏本人に確認をとった上での答弁ならば、@加賀美氏に確認をとった者の官職氏名、A確認をとった日にち、B確認をとった場所、C確認に対する加賀美氏の回答の四点につき、詳細に説明されたい。
八 外務省が六の答弁の様に考えるのならば、鈴木宗男衆議院議員が加賀美氏を殴打したという具体的根拠を示されたい。
九 「やり取り」が行われた当時、外務省において浦部和好氏が欧亜局長(当時)の任に就いていたと承知するが、確認を求める。
十 二〇〇六年一月一日に講談社から発行された「闇権力の執行人」の百四十八頁から百四十九頁に、
 「東京に戻ると、外務省の浦部和好欧亜局長がやってきてこういった。
 『いやあ、先生。今回は相当酔っ払っていたようですね』
 話を聞いてみると、外務省では私が酔っ払って加賀美氏を殴りつけたということになっているのだ。浦部局長の口ぶりから、今回の一件で外務省は私に『貸し』を作ろうとしていることがわかった。つまり、私が加賀美氏を殴ったことをもみ消してあげましょう、ということのようだった。
 事実でないことをいい出されたのだからもちろん私は言下に否定し、本当のことを詳しく浦部局長に話した。浦部局長は呆気にとられた顔で部屋を出て行き、後日、謝罪に来た。
 『申し訳ありませんでした。殴ってもいないことを、殴ったなどといいまして…』」
との記述があるが、右記述にある様に、浦部氏が「やり取り」について鈴木宗男衆議院議員から説明を受け、後日鈴木宗男衆議院議員に対して加賀美氏を殴打したという事実はなかった旨、謝罪したという事実はあるか。
十一 加賀美氏は鈴木宗男衆議院議員から殴打されたとして、「訪問団」が根室に帰港し、東京に戻った後に、一九九六年五月三十日付で医師の診断を受け、全治一週間の診断書が出されたと承知するが、加賀美氏が鈴木宗男衆議院議員から殴打されたのならば、なぜ「訪問団」に同行していた医師の診察を受けずに、「訪問団」が全日程を終えた後に医師の診察を受けたのか。

 右質問する。



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