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平成二十一年四月十四日提出
質問第三〇七号

拉致被害者家族が元北朝鮮工作員に宛てて書いた手紙を外務省が放置していた件に関する質問主意書

提出者  鈴木宗男




拉致被害者家族が元北朝鮮工作員に宛てて書いた手紙を外務省が放置していた件に関する質問主意書


 本年四月十四日付東京新聞の記事は、北朝鮮に拉致された田口八重子さんの長男の飯塚耕一郎氏が、金賢姫元北朝鮮工作員宛てに面会を求めて書いた手紙(以下、「手紙」という。)が、五年近く外務省において放置されていたことがわかったと報じている。右記事(以下、「東京記事」という。)を踏まえ、質問する。

一 「東京記事」によると、外務省が「手紙」を最初に受け取ったのは二〇〇四年二月下旬であるとのことである。当時の齋木昭隆外務省アジア大洋州局審議官が「手紙」を預かり、韓国政府に渡したところ、同国政府は金元工作員には渡さず、同年四月に外務省に返還したとのことであるが、右は事実か。事実なら、@外務省が飯塚氏から「手紙」を受け取った日にち並びに当時の担当者の官職氏名、A当時の齋木審議官が韓国政府に「手紙」を渡した日にち並びに当時の韓国側担当者の官職氏名、BAの韓国側担当者より「手紙」が返された日にち並びにその際に「手紙」を受け取った当時の外務省職員の官職氏名の右三点につき、それぞれ明らかにされたい。
二 「東京記事」によると、飯塚氏と金元工作員が韓国釜山で面会した本年三月十一日、金元工作員が「手紙」を受け取っていないことを明らかにしたことで、「手紙」が外務省において保管されたままであったことがわかったとのことであるが、右は事実か。事実ならば、@「手紙」が保管されていた場所並びに「手紙」の保管を担当していた外務省の部署、A外務省として初めて「手紙」が保管されたままであることを知った日にちの右二点を明らかにされたい。
三 「東京記事」によると、本年三月十二日、外務省は内閣官房拉致問題対策本部を通じて「手紙」を飯塚氏に返却したとのことであるが、外務省として、「手紙」が韓国側より返された一のBの日にちの直後、なぜすぐに飯塚氏に「手紙」を返却しなかったのか、なぜ外務省においてその後五年も保管したままになったのか、その理由を明らかにされたい。
四 二〇〇四年当時、韓国側に「手紙」を金元工作員に渡すことを拒否されたのはなぜか。
五 二〇〇四年当時、韓国側が「手紙」を金元工作員に渡すことを拒否する旨我が国側に伝えてきた際、政府、特に外務省としてどの様な対応をとったのか説明されたい。韓国側に対して、「手紙」を金元工作員に渡すことを粘り強く要請したのか、それともあっさりと引き下がったのか、当時のやり取りを可能な範囲で明らかにされたい。
六 今回「手紙」が飯塚氏に返却されることなく、外務省において五年も放置されていたことが明らかになったことに対する外務省の見解如何。
七 今回の「手紙」放置の件を受け、外務省として誰かに何らかの処分を下す考えはあるか。

 右質問する。



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