質問本文情報
平成二十二年四月一日提出質問第三三九号
一九七二年の沖縄返還時における有事の際の核持ち込みを認めた密約に関する再質問主意書
一九七二年の沖縄返還時における有事の際の核持ち込みを認めた密約に関する再質問主意書
昨年九月十六日、岡田克也外務大臣は、
@ 一九六〇年一月の安保条約改定時の、核持ち込みに関する密約
A 同じく、朝鮮半島有事の際の戦闘作戦行動に関する密約
B 一九七二年の沖縄返還時の、有事の際の核持ち込みに関する密約
C 同じく、原状回復補償費の肩代わりに関する密約
の右四点に関していわゆる密約(以下、「密約」という。)があったと言われていることにつき、外務省において「いわゆる『密約』問題に関する有識者委員会」(以下、「委員会」という。)を立ち上げ、その存在の有無を徹底調査する旨の大臣命令を同省に出した。そして本年三月九日、岡田大臣は、「委員会」による「密約」に関する調査結果をまとめた報告書(以下、「報告書」という。)を公表した。右のうちBの密約について、過去に当方が提出した質問主意書に対する政府答弁書(内閣衆質一六六第三九九号、四二二号、内閣衆質一六八第一〇一号、一三七号、一七一号等)では「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(昭和三十五年条約第六号。以下「日米安保条約」という。)の下での核兵器の持込みに関する事前協議制度についての日米間の合意は、日米安保条約第六条の実施に関する交換公文及びいわゆる藤山・マッカーサー口頭了解がすべてであり、秘密であると否とを問わずこの他に何らかの取決めがあるという事実はない。」とされている。また、Bの密約については、外務省の調査結果を受けた報告書においても、「外務省文書からは緊急時の核再持込みにつき合意したとされる『合議議事録』の存在は確認されず。」と、また「報告書」においても「『若泉−キッシンジャー』ルートで作成された『合議議事録』は、佐藤内閣以降の後継内閣を拘束する効力を持たず、また共同声明以上の内容を持ったとも言えないので密約と言えない。」と、一九六九年十一月十九日に米国ワシントンで佐藤栄作元内閣総理大臣とリチャード・ニクソン元米国大統領の会談が行われた際、沖縄が返還され、米国の核兵器が撤去された後も、我が国を含む極東アジアの情勢によっては、再び米国の核兵器を沖縄に持ち込むことも必要となる旨の記述がなされ、極秘文書とされた「合議議事録」が外務省において存在していない、またそれが我が国の内閣を拘束する効力を持っていなかったとして、その存在に否定的な内容が書かれている。また昨年十二月二十二日の新聞報道によると、「合議議事録」が佐藤元総理の遺族の自宅で保管されていたことが明らかにされており、その写しの写真も掲載されている。右と「前回答弁書」(内閣衆質一七四第二八八号)を踏まえ、再質問する。
二 岡田大臣として、日米の最高首脳間により署名がなされている「合議議事録」が、なぜ外務省の文書から発見されなかったのか、また、なぜ同省としてそれに関与したこと等を示す文書の存在も確認されなかったのか、右二点につき、今後徹底調査する考えはあるか。
三 当時の日米最高首脳による署名がなされたものである「合議議事録」が、我が国の外交を司る外務省において保管されておらず、また、それについて「報告書」において「佐藤内閣以降の後継内閣を拘束する効力を持たず、また共同声明以上の内容を持ったとも言えない」と、それが効力を持たず、重要でないとされることは、日米最高首脳による合意を我が国として軽視していることを国内外に表明することであり、日米関係を毀損し、諸外国に対して、我が国の外交に対する基本的な姿勢に疑問を抱かせることになり、またこのことを鑑みる時、同省、そして「委員会」としてBの密約はなかったと認識することは間違っていると考える。右につき、「前回答弁書」では、一の答弁がなされた上で、「この点については、今後、専門家による更なる議論もあり得ると考えられる。」との答弁がなされている。岡田大臣としては、当方が指摘した右の点と同様の問題意識を有しているか。我が国が「合議議事録」を軽視することで、日米関係を毀損し、諸外国に対し、我が国の外交に対する基本的な姿勢に疑問を抱かせることになると認識しているか。
四 三で指摘した様に、「前回答弁書」では「今後、専門家による更なる議論もあり得る」との答弁がなされているが、右は、専門家による今後の議論によっては、Bの密約がなかったとする外務省及び「委員会」の見解が覆ることもあるということか。
右質問する。