質問本文情報
平成二十九年四月十一日提出質問第二二三号
教育勅語を道徳教育に用いようとする動きに関する質問主意書
提出者 仲里利信
教育勅語を道徳教育に用いようとする動きに関する質問主意書
教育勅語を学校教材に使うことを容認した政府答弁書が示され、衆議院及び参議院での教育勅語の排除等決議や憲法に反した政府の恣意的な動きが顕著となっている。このような取り組みは明らかに戦前回帰の無謀な行為であり、断じて容認できるものではない。
そこで以下お尋ねする。
二 全国の義務教育諸学校等において、戦前・戦中の教育勅語を道徳の教材として使用している状況について政府の承知するところを明らかにした上で、教育勅語を道徳教材として用いること並びにその他の教科において何らかの形で用いることの是非について政府の見解を答えられたい。
三 報道によれば、松野博一文部科学大臣は「教育勅語を道徳教材に用いることを肯定したものでも否定したものでもない」とか「私の発言は道徳に限定されるものではなく、すべての教科などの教材に共通する考え方を述べたもの」等としたとのことである。しかし、松野大臣のこのような「否定も肯定もしない」との説明は、学校教育に対する姿勢や理念を明らかにしようとしないものであり、所管大臣としての資質が疑われるものであるが、政府の認識と見解を答えられたい。
四 質問三に関連して、松野大臣の答弁は、教育勅語に対する衆議院での排除決議や、参議院での失効確認決議という国権の最高機関である国会の決議に反するものであると思われるが、政府の認識と見解を答えられたい。
五 報道によれば、菅義偉官房長官は教育勅語を教材で使うことについて「憲法や教育基本法に反しないような適切な配慮のもとで取り扱うことまで、あえて否定すべきではない」と述べたとのことである。しかし、一体教育勅語の何が憲法や教育基本法に反しないとするのか、適切な配慮とは一体如何なるものなのか、その真意と内容について政府の認識と見解を答えられたい。
六 質問五に関連して、教育勅語では、その前段で父母への孝行、夫婦・兄弟姉妹との和、友人との信義等を列挙し、天皇が国民に臣民としてのあるべき道を示し、事ある時には一身を捧げて「皇室国家」の為に尽くせと義務付けているわけであるが、このような個人の生活にまで天皇が指図することは、我が国憲法の国民主権や基本的人権を著しく損なうものであると思われるが、政府の認識と見解を答えられたい。
七 質問六に関連して、我が国憲法に明らかに反する教育勅語を朗読させたり、正しいものとして教えたりすることは、我が国憲法に基づく自由民主主義の政治システムや国民主権と相いれないものであると思われるが、政府の認識と見解を答えられたい。
八 質問六及び七に関連して、教育勅語に対する衆議院での排除決議や、参議院での失効確認決議が行われた趣旨とその内容、さらには我が国憲法との整合性に鑑みるならば、松野大臣及び菅官房長官の説明は極めて不適切であり、政府として、今後いかなる形であれ教育勅語を教育現場で用いるべきではないことを明確に宣言すべきであると思われるが、政府の認識と見解を答えられたい。
九 近年、我が国では、教育勅語を幼稚園で暗唱させたり、そのような教育方針を評価する声が取り上げられたり、挙句の果てには教育勅語を学校教材として使うことを否定しないとする答弁書が閣議決定されたりするなどしている。このような動きは戦前への回帰を目指しているのではないかと思われ、まことに嘆かわしい風潮であると思われるが、政府の認識と見解を答えられたい。
十 識者によれば、学校教育とは、子供たちが自分自身で物事を判断できるようにするための材料を提供する場であり、教えてよい話とそうでない話をきちんと分けて行うべきであるとのことである。本職も識者のそのような考えを強く支持するものであり、そのような考えに立つならば、表現の自由の名の下に、為政者の恣意的な判断で憲法に反した教育勅語を学校教材として用いるべきではないし、その内容を教えるべきではないと思われるが、政府の認識と見解を答えられたい。
十一 本職は、多くの住民が巻き添えとなった沖縄戦の体験者として、再び悲惨な戦争を繰り返さず、尊い人命が失われることがないようにすることを切に願うものである。また、日本軍の軍命による住民の集団強制自決や、中高校生で組織された鉄血勤皇隊・女子学徒の戦争動員等のような悲劇が二度と引き起こされることがないことも願うものである。そして、そのためにも無謀な戦争へひたすら駆り立てていった戦前の国家主義や、それと結びついた皇民化教育と道徳主義、さらにはそれらの根源となった教育勅語を純真無垢な子供たちに教え込むようなことは決して行うべきことでないと考えるが、政府の認識と見解を答えられたい。
右質問する。