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令和元年五月二十二日提出
質問第一八二号

ハクビシンが明治以前に日本に生息していた科学的根拠に関する質問主意書

提出者  早稲田夕季




ハクビシンが明治以前に日本に生息していた科学的根拠に関する質問主意書


 ハクビシンは明治以前から日本に生息しており、雷獣と呼ばれ、図画に描かれてきたとの考えを環境省は持っているようなので、その根拠としている図画の一つ一つについて、専門家の意見を踏まえて、以下質問するので、一問一答で答弁されたい。

一 雷獣とされる江戸時代の図画のうち、一七三七年に埼玉県さいたま市岩槻区掛で捕らえられたとされる栗本丹洲による写生画、一八〇一年に広島県で発見されたとされる一八〇六年に伴蒿蹊が著した閑田次筆の図画、一八一八年から一八二〇年に滝沢馬琴が著した『玄同放言』にある図画はいずれも、その姿かたちから、いずれも明らかにハクビシンではないと考えるが、政府の見解をあきらかにされたい。
二 江戸時代の長崎で代官や町年寄をつとめていた高木家が御用絵師に描かせた唐蘭船持渡鳥獣之図にある「オンベケンデテイル」の図画は鼻の白い筋は見えないものの、他の特徴からハクビシンと推察する意見があるようだが、これは一八三三年にオランダの船が持ち込んだ舶来の珍獣というだけであり、オランウータンやインドゾウ、ヒトコブラクダなどと併記されているに過ぎない。また、耳の中が白いこと、尾端が白い点は、これまで日本で捕獲されているハクビシンの特徴とは明らかに異なり、鼻筋の角度から見ると、同じジャコウネコ科ながら別属である東南アジア、南アジアに広く生息するパームシベット属の一種の可能性の方が高いのではないか。また、ハクビシン属にも尾端が白い種が海外には存在しているとのことであるが、日本において明治以降、尾端が白いハクビシンが捕獲された記録はないのではないか。
三 一七六七年に出版された震雷記に記載された、一七六五年に神奈川県伊勢原市・秦野市・厚木市境の大山で捕らえられたとされる雷獣の図画は、尾の形状がハクビシンとは明らかに異なり、また、耳が白い点も異なると考えるが、政府の見解をあきらかにされたい。
四 次に、江戸中期の百科事典、類聚名物考に記載のある、一七七一年に山梨県甲州市の天目山で捕らえられたとされる雷獣の図画は、巨大なネズミのようで、これをハクビシンとみなすのはあまりに乱暴ではないか。ハクビシンは手足の指が丸く、この図画のような長い指ではないし、尾も細すぎるのではないか。
五 他方、雷獣とは呼ばれていないものの、一七一〇年名古屋の真福寺で見世物となっていた獣とされる江戸中期の国学者、天野信景の著を一七八二年堀田方旧が編んだ塩尻にある木狗の図は、ハクビシンの特徴が一部見受けられるものの、舶来の珍獣なのか、国内のどこかで捕獲されたのか出所は不明であり、これをもって江戸時代にハクビシンが生息していた証拠とはなりえないのではないか。
六 一八四二年に山口県新南陽市大字富田で捕らえられたとされる、江戸時代の博物家、毛利梅園元寿が著した皇代系譜に記載のある「周防国の異獣」の図画も、耳が白いという点でハクビシンに合致しないのではないか。むしろ前述と同じように、同じジャコウネコ科ながら別属である東南アジア、南アジアに広く生息するパームシベット属の一種である可能性の方が高いと考えるが、政府の見解をあきらかにされたい。
七 以上のいずれにしても実際の標本は残っておらず、江戸時代にも外国船などに乗せられて、東南アジアから様々な珍獣奇獣が舶来しており、ハクビシンが明治以前に野生化していたという根拠としては不十分ではないか。この他に江戸時代にハクビシンが日本に生息していたことを示す図画なり科学的根拠があるならば、ジャコウネコ科パームシベット亜科の六属八種との比較検討を行った上で、あきらかにされたい。
八 国内でハクビシンの化石が存在しないこと、狩猟文化のあった縄文時代の遺跡から骨が出土していないことは環境省も認めているところであり、以上のような明治以前の雷獣や異獣の図画のみをもって、ハクビシンが明治以前に日本に生息していた根拠とすることは、科学的検証がなされていないという点で、科学的態度とはいえないのではないか。

 右質問する。



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