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令和四年四月二十八日提出
質問第五六号

「全体主義」に関する質問主意書

提出者  米山隆一




「全体主義」に関する質問主意書


 ウクライナ政府のツイッターで配信された「現代ロシアのイデオロギー」と題した動画に昭和天皇、ヒトラー、ムソリーニが並べて掲載され、「ファシズムとナチズムは一九四五年に敗北した」などと記されていた問題に関し、四月二十五日、磯崎仁彦内閣官房副長官は、記者会見で「同列に扱うことは全く不適切で極めて遺憾だ。直ちに削除するよう申し入れた」と述べた。その際、産経新聞記者からの「今回の件でですね、先の大戦を巡りまして、日本がナチズムですとか全体主義国家だったという誤った認識が国際社会にいまだ根深いことが証明されたとも言えると思うんですが、ウクライナ侵略を厳しく指弾しまして、そのうえで人道支援ですとか、避難民の受け入れを行う中で極めて残念な出来事だというふうに思うのですけれども、事態を受けて、日本として改めて発信するお考えがあるか」との質問に対し、副長官は「本件につきましては、今申し上げましたとおり、ウクライナの方も、動画を削除し、該当部分を削除し、また謝罪のツイートもあったということでございまして、その点の認識はウクライナ政府としても持っているというふうに考えておりますので、今のこういうウクライナの情勢のもとで、やはり人道支援、またウクライナ支援というのは非常にG7全体でやっていくことの重要性は認識しておりますので、その点についてこれからもしっかりやっていくということをしっかり発信してまいりたいと考えています」と回答した。この回答における「その認識はウクライナ政府も持っている」との「その認識」が、産経新聞記者が述べた「日本が全体主義国家だったとの認識が誤りである」との認識を指すとすれば、歴史の事実や過去の政府答弁とも矛盾する発言だと考える。よって、以下の点について質問する。

一 磯崎副長官の述べたウクライナ政府が持っていると思う認識とは、「先の大戦を巡り日本が全体主義ではなかったという認識」という理解でよいのか。そうでないとすれば、どのような認識をウクライナ政府が持っていると考えているのか。
二 一九五一年二月十四日衆議院外務委員会での、天野貞祐文部大臣の「無謀な全体主義が、日本の社会において、いかに横暴をきわめていたかということは、当時思想界に住んでおった者の痛感いたしたことでございます。」との答弁は、岸田内閣でも維持するのか。
三 一九五一年十一月六日参議院平和条約及び日米安全保障条約特別委員会での、天野貞祐文部大臣の「戦前或いは戦時中はいわゆる全体主義というものが支配して」との答弁は、岸田内閣でも維持するのか。
四 一九六九年三月五日参議院予算委員会での、佐藤榮作内閣総理大臣の「日本の過去においてわれわれが選んだ道、いま言われるドイツのヒトラーが、あるいはナチス、いわゆる全体主義的な行き方に日本が同調しておった。しかし、その行き方はやはり間違っていた、真の行き方はやはり民主主義に徹することなんだ。その方向でわれわれの道を選び、われわれは不幸にしてアメリカと戦ったが、やはり民主主義の方向が間違いのない方向だ。かように敗戦後目ざめたと、かように思います。」との答弁は、岸田内閣でも維持するのか。
五 一九八六年五月十四日衆議院文教委員会での、海部俊樹文部大臣の「戦前の教育というのは、一言で表現しますと、富国強兵という言葉がありましたように、全体主義的なそういった思想が非常に背景にあった」「全体主義の中で人間一人一人の大切さとかとうとさというものを大切にしようという配慮が戦前の一時期の教育に欠けておったということ、それは御指摘のとおりであり、その反省に立って戦後は一人一人の資質や個性や能力を大切にしていきたい。」との答弁は、岸田内閣でも維持するのか。
六 一九八八年十月二十五日衆議院税制問題等に関する調査特別委員会での、宮澤喜一大蔵大臣の「私は、やはり我が国が英米と違いましてかつて全体主義的な権力的政治のもとに置かれた経験があって、国民がそういう経験をしまして」との答弁は、岸田内閣でも維持するのか。
七 一九九八年三月十一日衆議院文教委員会での町村信孝文部大臣の「戦前は個人の権利というものが非常にある意味ではミニマイズされていた、社会全体の責任とかそういうことが非常に強調されてきた、全体主義的な国家であったという見方もあるわけであります。」との答弁の、「見方もある」ことを認めた認識は、岸田内閣でも維持するのか。
八 二〇一四年二月六日参議院予算委員会での、安倍晋三内閣総理大臣の「基本的には歴史認識については政治家は謙虚でなければならないと思いますし、歴史認識について、そのものについては歴史家に任せるべきであろうと、このように思っておりますが、当時の政治状況等について今触れられたんだろうと、このように思うわけでございますが、歴史の事実の認識でございますから様々な御議論があると思いますが、言わば政党間の争いがある意味しょうけつを極めるところもあり、その中において政治に対する信頼も低下をしていたということもあったという指摘もあるわけでございますが、その中においてだんだん全体主義的な雰囲気が醸成されてきたという指摘もあるわけでありますが。いずれにいたしましても、こうした認識については歴史家に任せたいと、このように思うところでございます。」との答弁の、「指摘もある」ことを認めた認識は、当然岸田内閣でも維持するのか。
九 改めて伺うが、岸田内閣は、先の大戦前の日本の政治体制を全体主義と考えるのか。考えないとすれば、前掲した過去の政府答弁から変遷した理由は何か。

 右質問する。

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