衆議院法制局採用情報

My Career Story

2000−2004 入局 内閣、安全保障、労働担当

衆議院法制局に入局後最初に配属されたのは、内閣・安全保障等を担当する第一部第一課でした。初めて配属された日、課では完成した法案の条文に間違いがないかを声に出して読みながら確認する「読み合わせ」と呼ばれる作業をしているところで、「意味が分からないと思うけれど聞いていてください」と言われ、翌日には部長審査と次長審査、翌々日には局長審査を受け、翌月には委員会の質疑を委員会室で間近に見て、法案の成立に立ち会うこととなりました。大変なところに来てしまった、という思いもありましたが、先輩方がとても優しく丁寧に教えてくれたので、初めての経験の連続に不安を覚えることはありませんでした。

その後、特殊法人の改革や人権教育の推進、祝日法の改正などについての立案を担当し、経験を積み始めていた2年目、9.11のテロが起こりました。政府から提出されたテロ対策特措法に対して与野党双方から修正案提出の動きがあり、その立案を補佐する衆議院法制局に対して修正協議に向けた相談がありましたが、採決の前日の深夜に与野党協議が決裂し、結局与党と野党それぞれが修正案を提出することとなりました。両案とも同時に作成することとなったため徹夜の立案となり、仮眠中の局長に局長審査をお願いし、夜が明けていくのを局長室で見ながら、世界情勢の変化や国政上の重要課題に対応するために国の立法の最前線で仕事をしていることを実感しました。

その翌年には厚生・労働・環境の担当に異動し、北朝鮮拉致被害者の帰国を受けて、拉致被害者支援法を立案することとなり、その思いを強くしました。

2005 国内留学

2005年には国内留学の機会が与えられ、政策研究大学院大学で知的財産や政策法務について1年間勉強しました。改めてしっかり勉強をする機会としても貴重でしたが、民間企業や全国の地方公共団体から派遣された同級生たちや、世界各国からの留学生たちとの交流も非常に楽しく、視野を広げることができました。

2006−2008 憲法・選挙等担当

日本国憲法の制定から60年の節目には、憲法改正国民投票法の立案に携わることになりました。

その過程では、改憲に賛成の政党から反対の政党まで、全ての会派が参加して論点整理が重ねられました。それを踏まえて、与党と民主党がそれぞれ法律案を立案して提出し、さらにその法律案についてテーマ別の小委員会を設けるなど充実した委員会審査が行われました。国会での議論の結果、与党と民主党が歩み寄り、それぞれ修正案要綱を発表し、さらに協議が続けられました。最終的には与党と民主党が一致することはなく、与党の併合修正案と民主党の修正案がそれぞれ提出され、与党の併合修正案が可決されることとなったのですが、議員間で真摯に議論を深め、一致できる点とどうしても一致できない点を見出していく1年以上に及ぶ協議を支えつつ、与党案、民主党案、それぞれから提出された修正案の全てを立案することができ、憲法ゼミ出身の私にとって、最も忘れられない立案となりました。

2009 英国留学

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衆議院法制局では海外留学を希望する人に積極的に留学を勧めており、入局10年目にイギリスに留学する機会を得ることができました。国際海洋法や武力紛争法、EU法、イギリス憲法など、それまでの人生で最も勉強をした1年間となりました。安全保障を担当していたときから気になっていた海洋法や武力紛争法についての国際ルールを学ぶことができたこと、日本とは全く異なるEUという個々の主権国家を超えた枠組みがどのように動いているのかを知ることができたこと、単一の成文憲法典がないイギリスにおける憲法の仕組みを改めて研究することができたことなど、得るものが非常に大きく充実した留学生活でした。

2011―2012 育休取得後、法制主幹付に

留学から帰国後、二度目の第一部第一課を経て、第一子を出産。子が1歳になるまで育児休業を取得しました。

育児休業からの復帰後は、法制主幹付となり、局内研修や海外からの研修生の受入れ、法制執務の検討などを担当しました。このとき企画した局内研修は、新人や地方公共団体からの研修員などを対象にした法制執務についての本格的かつ体系的な局内研修として今に続いています。また、ベトナム、パキスタンその他海外の様々な国から研修生を受け入れ、日本における立法過程や議員立法の現状、法制度設計の方法、国民に選ばれた議員とそれを補佐する議院法制局のそれぞれの役割と協働の在り方などを伝える経験は、それまでの法制局での経験を振り返り、改めて自らの仕事のあるべき姿について考えるよい機会となりました。

2013 2回目の育休取得

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第一子と2歳違いで第二子を出産し、2回目の育児休業を取得しました。生まれたばかりの子の世話だけではなく、言葉を話し始めた上の子ともしっかり向き合って、家族との時間を過ごすことができました。

2015 法務担当

2回目の育児休業から復帰して、第二部第一課で法務の担当となりました。入局から15年を経たこの頃には、課長を補佐して議員との打合せや会議に同行するほか、法律案・修正案の立案の中核となり、関係省庁との調整なども行っていました。

当時、内閣から刑事訴訟法等改正案(取調べの録音・録画、合意制度、通信傍受の拡大等)が提出され、その与野党修正協議に課長とともに立ち会うこととなりました。法務省も加わって連日修正協議が行われ、最後には与野党の議員のみで、採決前日の夜までぎりぎりの交渉が続きました。修正協議が決裂した場合に備えて提出するべく野党案も用意していたのですが、最後には与野党で何とか合意に至りました。ほっとしましたが、すぐに翌朝の審議に向け、与野党で合意した修正案の立案やその局内審査、委員会での質疑対応に追われることになりました。

また、再犯防止推進法の立案に携わることができたこともよい思い出です。

2016−2017 憲法審査会事務局に出向

憲法改正国民投票法の立案から10年後。同法によって国会に設置された憲法審査会の運営・調査等を担う衆議院憲法審査会事務局に出向することになり、憲法に関する調査を担当しました。

憲法審査会事務局では、憲法審査会における議論を深めるため、事前に審査会で議論されるテーマに関する調査資料を作成し、審査会メンバーに配付しています。調査資料を作成するときは、議員の問題意識を踏まえつつ、最新の学説や判例、海外における動向を調べ、議員に分かりやすく伝えるにはどうすればよいかを考えます。このほか、審査会で行われた議論を要約して周知したり、海外の憲法事情の調査報告書をまとめたり、各政党における議論を補佐するために資料を作成して政党の会議に出席したりしていました。

国会の憲法論議を支える調査は、机の上での勉強と違い、責任重大ですが、作成した資料を基に議員間で議論が深められていくのをその場で見ることができる喜びもありました。

2018− 農林水産担当

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2年間の事務局への出向の後、管理職として法制局に戻りました。貨物自動車運送事業法改正、食品ロス削減推進法、棚田地域振興法、家畜伝染病予防法改正、養豚農業振興法改正、防災重点農業用ため池防災工事等推進特措法などの立案を担当し、これらはいずれも全会一致で成立しました。

中でも、家畜伝染病予防法改正は、諸外国で拡大を続けるアフリカ豚熱が日本でも発生した場合に備えて、政府提出の法案が成立し施行されるまでの緊急の措置として、予防的殺処分を可能にするものでしたが、一刻も早く法制度を準備しなければ間に合わないという議員の緊迫した思いを受け、年末年始返上で立案に当たりました。

議員との打合せなどで中心となって動くのは課長級の管理職です。議員との信頼関係を築きながら、打合せを重ねて法律案の内容を固めていく作業は、知的な冒険です。苦しい面もありますが、やりがいがあり、楽しく充実した毎日です。

これまでのキャリアを振り返って

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2000年の入局以来、このほかにも、環境教育推進法、労働基準法修正、障害者基本法改正、公職選挙法改正、政治資金規正法改正、薬害C型肝炎被害者救済法など、様々な分野の立案に携わり、海外留学や出向など、法制局の外でも経験を積んできました。

衆議院法制局では、入局直後から課の議論や立案作業に加わることになります。課での議論は、入局年次とは関係なく、それぞれの意見をぶつけ合い、よりよい法制度とするにはどうしたらよいのかを考えます。世の中の変化に対応するために立法する際には、学説や過去の判例を調べても答えが見つかることはほとんどなく、既存の法制度を参考にしつつ、議員とのやりとりを踏まえ、議論を繰り返して新しい仕組みを考えていく必要があるのです。法制局で、あるいは法制局の外で、多様な経験を積みながら成長し、磨いた能力と知識の全てが、次の仕事に生きていきます。

(注)職員の所属は、執筆当時(令和2年12月)のものです。