衆議院

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第5号 令和5年6月13日(火曜日)

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令和五年六月十三日(火曜日)

    午前十時開議

 出席委員

   委員長 松木けんこう君

   理事 城内  実君 理事 島尻安伊子君

   理事 鈴木 貴子君 理事 堀井  学君

   理事 神谷  裕君 理事 道下 大樹君

   理事 杉本 和巳君 理事 金城 泰邦君

      伊東 良孝君    小渕 優子君

      大野敬太郎君    小泉進次郎君

      國場幸之助君    高木 宏壽君

      武部  新君    中川 郁子君

      西銘恒三郎君    宮崎 政久君

      山口  晋君    渡辺 孝一君

      新垣 邦男君    小川 淳也君

      篠原  豪君    守島  正君

      稲津  久君    長友 慎治君

      赤嶺 政賢君

    …………………………………

   参考人

   (沖縄経済同友会代表幹事)

   (株式会社ジェイシーシー代表取締役会長)     渕辺 美紀君

   参考人

   (沖縄国際大学経済学部地域環境政策学科教授)   前泊 博盛君

   参考人

   (公益社団法人千島歯舞諸島居住者連盟理事長)   松本 侑三君

   参考人

   (京都外国語大学教授)  黒岩 幸子君

   衆議院調査局第一特別調査室長           菅野  亨君

    ―――――――――――――

委員の異動

六月十三日

 辞任         補欠選任

  小渕 優子君     山口  晋君

  武部  新君     大野敬太郎君

  渡辺 孝一君     中川 郁子君

  小川 淳也君     新垣 邦男君

同日

 辞任         補欠選任

  大野敬太郎君     武部  新君

  中川 郁子君     渡辺 孝一君

  山口  晋君     小渕 優子君

  新垣 邦男君     小川 淳也君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 沖縄問題に関する件

 北方問題に関する件


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     ――――◇―――――

松木委員長 これより会議を開きます。

 沖縄問題に関する件について調査を進めます。

 本日は、本件調査のため、参考人として、沖縄経済同友会代表幹事、株式会社ジェイシーシー代表取締役会長渕辺美紀さん、沖縄国際大学経済学部地域環境政策学科教授前泊博盛さん、以上二名の方々に御出席をいただいております。

 この際、御両人に一言御挨拶を申し上げます。

 本日は、御多用中のところ本委員会に出席をいただきまして、本当にありがとうございます。それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいというふうに思っております。前泊先生は、何か今日、学校の方を休講にしてまで来ていただいて、本当にありがとうございます。そして、衆議院の方でこういう委員会が開かれるのが六年ぶりぐらいでございまして、なかなか開くことができなかったんですけれども、本当にありがとうございます。委員のみんなも、これから一生懸命質問すると思いますので、よろしくお願いを申し上げます。

 次に、議事の順序について申し上げます。

 まず、渕辺参考人、前泊参考人の順に、お一人十分内外で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑に対してお答えをいただきたいというふうに思っております。

 なお、念のため申し上げますけれども、御発言の際はその都度委員長の許可を一応得ていただくということでお願いを申し上げます。また、参考人から委員に対しての質疑をすることは、申し訳ないんですけれども、できないということになっておりますので、あらかじめ御了承いただきたいというふうに思っております。

 それでは、まず、渕辺参考人にお願いを申し上げます。それでは、渕辺参考人、よろしくどうぞお願いします。

渕辺参考人 おはようございます。沖縄経済同友会の渕辺でございます。どうぞよろしくお願い申し上げます。

 ちょっと声がかすれておりますけれども、御了承くださいませ。

 限られた時間でございますので、簡単ですけれども、ざっくりと沖縄の現状、今までと現状と、それから課題等、御説明させていただきたいと思っております。

 お手元に資料があると思いますが、コロナで本当に沖縄は大変でございました。もう三年近く大変な状況が続いておりまして、特に観光が基軸産業でございますので、大変落ち込みましたけれども、一ページ目ですが、おかげさまで、直近では観光もほぼほぼ回復してきているのが一ページの資料でございます。ピーク時にほぼほぼ近くなっているというのが、この数字で表されていると思います。

 次のページですけれども、次のページは、では観光を合わせて経済がどのぐらい伸びてきたかということを示しているものでございますが、これは何回も御覧になった方も多いと思いますけれども、復帰直後からピーク時まで含めて、それからコロナでどのぐらい落ち込んだかというのを一覧表にしたものでございます。

 復帰直後が、観光客は五十六万人、観光収入は三百二十四億でございました。令和元年が、それが観光客は一千万人を超えて、観光収入も七千四百八十四億という数字にまでなっております。観光客は十八倍、収入は二十二倍となっているところでもございます。

 次のページです。

 それはどのような状況かということでございますが、沖縄は御存じのとおり、皆様のおかげで、沖縄の特別な政策、沖縄振興計画によりまして第五次までいろいろ財源を投じられて、その結果の伸びではないかなと思っているところでございます。これが五次までの状況でございます。

 また、次のページですけれども、その五次までのもので、具体的な政策、具体的なものが、イベントといいますか、それを列記したものが次のページで、五ページでございます。

 その結果ですが、その次のページですけれども、現在の沖縄の姿が、大体数字で表しているものでございます。

 人口は、もちろん、御存じのとおりに、出生率ナンバーワンとか、それから、若い人たちのパーセンテージナンバーワンということがここに表されております。

 合計出生率ですけれども、ここでは一・八三としてありますが、令和三年は若干落ちまして一・八〇になっております。それでも全国は一・三〇ですので、まだまだ高いというところです。

 ただ、残念ながら、平均寿命が、男性も女性も、実は極めて下がってきておりまして、長寿立県だったものが、ちょっと残念な状況になっているところでございます。

 それから、経済ですけれども、ここは、もう御存じのとおりに、県民所得は一番低くというところでございます。意外なのが、農業収入が意外と頑張っている、七位というところでもございます。

 それから、失業率、これも三・七%、就職のところですけれども、三・七%となっておりますが、現在は三・八%です。全国が二・四%ですので、完全失業率はやはり高い。特に若年失業率は、ここには表記されておりませんが、四・四%というところで、やはりこれも問題だろうと思っています。完全失業者数、数にすると、大体二万五千人ぐらいが完全失業者数ということで数字が出ているところでもございます。

 そのほかに、下の方にもいろいろ数字が列記されておりますが、教育につきましても、大学進学率とか、そこもまだまだ低い状況が続いているところでもございます。

 後で御覧になっていただければ分かると思いますけれども、伸びてきたとはいえ、いろいろ課題があるのも事実でございます。その課題ですけれども、その次のページに、それを文言として書かせていただきました。

 これはよく皆様も御存じのとおりに、所得格差であり、労働生産性の低さであり、子供の貧困問題というところでございます。ただ、子供の貧困問題という言葉ですけれども、これは大人の貧困問題ということだろうと思っておりますので、そういうふうに捉えるべきだと思います。

 それから、経済については、基地経済とか、ざる経済ですね、地域経済循環率の低さ、これは問題だろうと思っております。

 それから、コロナで表れたのが、観光産業が脆弱だったということです。ここも課題だろうと思っております。

 足下では大変な人材不足です。人材不足プラス、そこをどうやってカバーしていくか、人材育成も大きく今問われているところでもございます。

 それから、先ほどの数字にもございましたけれども、全国平均を下回るといいますか、自主財源の比率も一番低いところでもございます。

 次のページですが、そこに、現状の課題、先ほども申し上げました、所得の低さをグラフにしたものでございます。ずっと全国に対して七五・八%という所得の低さでございます。全国を一〇〇とした場合、まだ七五%しかないというところです。

 済みません、駆け足で。

 次のページですが、労働生産性の低さ、ここは大変問題でございまして、ここをどうカバーするかということでございますが、御覧になって分かるとおりに、沖縄は全国平均に対して七二・八%しかありません。金額にして二百二十七万の差があります。東京とは四百五十一万の差があるという労働生産性についてです。これも大きな問題だろうと思っております。

 ただ、もう一つ問題が、二〇〇七年と二〇一七年を比較しておりますが、なぜか東京と沖縄だけが、二〇一七年の方が労働生産性が低くなっているという、ちょっとここはまた、理由を少し確かめないといけないところかなと思っているところでございます。ざる経済ですけれども、この生産性の低さが非常に問題で、どうするかということでございます。

 また、課題のもう一つですけれども、所得の低さの割には労働時間が長いというのが次のグラフでございます。これも生産性の低さを表しているものではないかなと思っております。

 次のページですが、子供の貧困に関する指標というところで、一番上の行に書いてありますが、沖縄県の子供の相対的貧困率は二九・九%、全国平均の約二・二倍と大変な高さでございます。子供の、その辺の数字が大体三十万人、ざっくりですが、三十万人がこの子供たちの数字ですけれども、そこの約三割が貧困層ということでは、ここも大変な問題だと思っております。三十万の三割ですから、九万人ぐらいですね。実は、この子供たちは大変な人材になり得ると思っておりますので、ここをどうするかということでもございます。

 次のページです。基地と経済ということで書かせていただきました。基地も、だんだんだんだん、米軍基地、縮小されてきております。面積としては縮小されてきておりますけれども、経済としてどう見るかということですが、ここには賃借料が書いてありますが、ここに書いていないものまで含めまして、米軍の沖縄総生産に対するパーセンテージですけれども、実は、所得の一五・五%が復帰直後の数字でございました。結構高いです。現在は五・五%まで下がってきております。はるかに観光の方が高いという現状でもございます。

 また、基地は縮小されつつありますけれども、それでも、返還した後ですけれども、実は経済効果は莫大なものがありまして、返還された後の経済効果は二十八倍です。それから、雇用の効果は、七十二倍というのが平均で出ているところでもございます。ですから、やはり経済効果のためにも、必要なものは残し、そうでないところは返還して、跡地利用をうまくしていくべきだろうと思っているところでございます。

 ただ、こういった状況ではございますけれども、ここには書いてありませんけれども、去年、復帰五十年でございました。復帰五十年の節目に共同通信が行った調査では、県民の五八%が、実はこういう、安保は役立っているとか、あるいは米軍基地は必要だという数字が出ております。ですから、単なる反対ではなくて、経済効果、そういったところを見た上で、先ほど申し上げました、必要なものは残し、そうでないところは整理していくということが必要だろうと思っているところでもございます。

 次のページです。

 完全失業率ですけれども、これからの数字です。先ほど三・八%と申し上げましたが、県がつくっている目標値です、令和十三年には完全失業率を二・五%に持っていきたいというのが、この数字でございます。

 次のページは、今度は所得ですけれども、所得も今は全国最下位で、この数字では二百十四万とありますが、令和十三年には二百九十四万円に持っていきたいというのが、この数字でございます。これが目標値でございます。

 では、これを達成するためにはどうすればいいかということが、次のページでざっくりと、沖縄の優位性、独自性を書かせていただきました。

 成長著しいアジアが近くにあります。二十億人の商圏が近くにあります。また、自然環境や国家戦略特区、OISTの存在もあります。それから、出生率とか、世界にも沖縄のネットワークが広がっておりますので、この人たちをどう使うかです。世界の、ウチナーンチュは全世界に四十二万人いますけれども、この方たちのビジネスネットワークも使いたいところでもあります。

 次のページです。

 ここで、じゃあ、将来に向けた課題ですけれども、今までざっくりと説明しましたけれども、大きいところでは、まず、稼ぐ力をつくらないといけないというところでございます。そのためにも、DXの推進であったり、人材育成です。それから、リスキリングです。これによって、稼ぐ力はもっともっと変わっていくのかなという気がいたします。

 それから、OISTの活用、OISTからのスタートアップ企業の育成です。

 それから、やはり臨空、臨海の開発ですね。空港、港湾、ここの整備をもっとダイナミックにやり、ハブ拠点、交流拠点としての沖縄の位置づけをもっと活用していくというところです。

 それから、課題の大きなものとしても、今度、エネルギー対策です。沖縄は、御存じのとおりに、化石燃料が全国の倍あります。そういった意味では、二〇五〇年のカーボンニュートラル、脱炭素に向けて、水素エネルギーをより推進すべきだと思っております。ここに対しての御理解と協力は、是非いただきたいところでございます。

 あわせて、そういったことも含めて、関係税制、ここは沖縄独自のものがいろいろありますけれども、是非ここも引き続き御理解いただきたいところでございます。

 最後のページは、私ども経済同友会が目指すべき方向で、キーワードだけ、ばばあっとツリーにして書きましたけれども、そういったものを含めて、沖縄の未来が描けて実現していけたらなと思っているところでございます。

 十一分、十二分でしたけれども、以上で、簡単ですけれども、終わらせていただきます。

 ありがとうございました。(拍手)

松木委員長 参考人、ありがとうございました。

 それでは、次に、前泊参考人にお願いを申し上げます。

前泊参考人 皆さん、おはようございます。

 今日はたくさんの資料を、六年ぶりの開催ということですけれども、是非、沖縄の現状について、データも含めて皆さんお目通しをいただいた上で、沖縄問題の解決について御尽力をいただければと思っています。

 今日、たくさん資料をお配りしましたけれども、この資料編の部分と、それから、今日の発言要旨をまとめたA4の資料を準備させていただきました。

 まず、今日、渕辺参考人から経済については詳しい御報告がありましたので、事前に調整はされておりませんので、私の方ではダブらないように御報告をしていきたいというふうに思っています。

 渕辺参考人からもありましたように、県民所得、この数字については、この百の指標で見る沖縄のものでも、ずっとこの間、復帰後五十年間、沖縄はずっと最低のままなんですね、四十七番目。沖縄県に対して十三兆五千億円ほどの交付費が投入されてきたんですが、人口で一%、面積〇・六%程度の国土の沖縄の振興になぜ成功していないのか、びりを脱出できない理由は何かという、この辺りを少し御審議をいただければというふうに思っています。

 それから、大卒、高卒とも初任給は最低のままかと書きましたけれども、最新の数字では、何と、女子の大卒の初任給が九位に上がっています。そして、男性の給与を女子が上回るという、私もおきなわ女性財団の理事をしていますけれども、何と、初任給、男性が十九万に対して、女子は二十二万です。沖縄の男性の評価が下がっているのか、あるいは女子が急激に上がったのか、この辺りについては、この統計そのものの信憑性といったものを含めて今確認をしているところであります。沖縄経済については、データを基に、ファクトとエビデンスを基に我々は議論をしているんですが、この数字そのものが正確なのかどうかというところも含めて調査をいただければというふうに思っています。

 それから、失業率については全国最悪のレベルでずっと維持してきたというところもあります。

 一方で、数字を見ますと、復帰後の数字、主要指標を見ますと、この大きな数字ですけれども、労働力人口、復帰後三十七万人だったのが、現在七十一万人まで増えています。この五十年間で三十五万人の雇用を実現してきたというところでは、沖縄経済のパワフルな部分として評価できるのではないかと思います。居心地のいい島というところでは、たくさんの人たちが移住をしてきてくれています。そのために仕事を新しくつくらなければならないというところでは、たくさんの仕事をつくってきたというところでは、経済同友会の皆さんの活躍も含めて、高く評価できる部分ではないかというふうに思っています。

 一方で、非正規雇用がかなり増えていて、沖縄はこれも全国ワーストです。四四%ほどが非正規労働。この非正規労働のために所得が低いということになります。これは学生たちにも言いますけれども、正社員になると生涯賃金は約二億円ぐらいです、生涯賃金です、沖縄では。全国だと三億円ぐらいありますけれども、東京だと四億円ぐらいになります。この格差といったものがなぜ生じたかというと、恐らくこの非正規労働の多さといったものも課題になってくるのではないかというふうに思っています。

 それから、グラフをちょっと入れましたけれども、沖縄の低賃金労働、実は、原因の一つに宿泊、飲食業というのがあります。観光業を振興しています。そして、沖縄は基幹産業が観光と言われていますけれども、観光業で得られる所得といったものが、実は六ページの方に入れましたけれども、百万円以下あるいは五十万円以下というところに一万六千人ぐらいの雇用があるんですね。緑の部分、この赤丸をつけてある部分、これが沖縄の基幹産業がもたらしている低賃金労働というところになります。これをいかに上げるか。

 全国は、製造業といったものを中心に産業が成り立って、雇用が成り立っているために、四百万円ぐらいのところに山があるのが分かると思います。沖縄の産業構造の中で製造業をいかに高めなければならないかという課題は、まさにこの部分にあるわけですね。右側にパラダイムシフトしない限り、沖縄の貧困問題は解決できないのではないかというふうに思っています。

 六ページの方に行きましたけれども、ついでに、沖縄の予算。

 皆さん御審議をいただいて、たくさんの予算をつけていただいていますけれども、この下の方の、知事が、黄色いところと青いところがあります。青いところはいわゆる与党になった場合。そして、野党、あるいは旧でいえば保守と革新というのがありました、今はそれもなくなりましたけれども。保守、革新の時代、むしろ革新の方が右肩上がりで予算が上がり、保守になると横ばいになる、そしてまた革新になると乱高下するという、この数字をどう見たらいいのか。子供たちに、どういうふうに責任を果たしているのかということを説明ができるのか。

 政治によって翻弄されるような沖縄の経済というのは一体何だろうか、こういうところをしっかりと政治をやっている皆さんには押さえてほしいというふうに思います。

 それから、下の方に交通の問題も入れました。

 沖縄国際大学の学生、百人に三人ぐらいしかバスを使いません。学生が五千六百人いますけれども、二千四百台の駐車場を準備しています。本土の大学の先生から言わせると、非常識だ、これだけただで駐車場を準備するのかと言われるんですが、バスが高いんです。

 この料金を見ると、東京だと〇・六キロで百八十円、沖縄はバス賃二百四十円ですね。三十二キロで千円を超します。東京の地下鉄は四百三十円です。なぜ所得の低い沖縄で公共交通がこれほど普及していないのか。バス交通は、一億を超していた、復帰前の一億人から、今は二千四百万人ぐらいまで、四分の一まで減っています。公共交通による負担が非常に重い。貧乏県沖縄になぜこれだけ高い交通費を負担させているのか、こういった問題についても解決をお願いしたいと思っています。

 それから、予算の関係。

 沖縄予算がついているといいますけれども、沖縄もしっかりと予算になるような国税を納めています。沖縄予算という言い方をされるんですが、全国も同じように予算をいただいているはずなんですが、なぜか沖縄だけは特別にお金をもらっているかのような、一括計上方式の中で、沖縄だけ特別に予算をもらっているかのような印象操作がされています。沖縄は、国税納付額の方が、この二〇一五年から一八年、出ている数字の中では、いただいているお金よりも納めている額の方が多い、この辺りについてもしっかりと押さえてほしいと思います。沖縄県民、しっかりと納税をして、いただいている沖縄予算より多くのお金を納めているというところを御理解をいただきたいと思っています。

 それから、先ほど渕辺さんからも御指摘ありましたけれども、基地経済の不経済の部分もあります。

 基地経済そのものが、普天間基地、四百八十ヘクタールありますけれども、一ヘクタールに直すと二千万円ですね。フェンスの外側の住民のエリアでは、基地外では一ヘクタール当たり一億四千五百万円、七倍です。キャンプ・キンザーで、同じように、二千万円に対して二億六千万円という、基地経済の不経済といったところも押さえてほしいというふうに思います。

 返された後の基地の活用といったところも、成功事例がたくさん出ていますので、基地の跡利用計画についても是非御審議をいただければというふうに思っています。

 限られた時間でありますので、この後はまた質疑にお答えする形で御紹介したいと思います。

 御清聴ありがとうございました。(拍手)

松木委員長 ありがとうございました。

 以上で両参考人からの意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

松木委員長 これより参考人に対する質疑に入らせていただきます。

 質疑の申出がありますので、順次これを許します。國場幸之助さん。

國場委員 貴重な機会をありがとうございます。衆議院議員の國場幸之助です。理事の皆様、本当にありがとうございました。

 もう渕辺会長も前泊先生も、県会議員の頃から本当にお世話になっている方でありまして、今日は少し恥ずかしいような感じもしますけれども、何点かお尋ねをしたいと思います。

 まず、前泊先生からお尋ねをしたいと思います。

 渕辺会長からもありましたが、沖縄にとって子供の貧困というものは物すごく深刻な課題であります。二九・九%、九万人の子供たちが貧困であるということは本当に心の痛いことであります。

 しかし、これは、渕辺会長からもありましたが、大人の貧困でありまして、私はきずなの貧困でもあると思っているんですね、きずなの貧困。人と人とのつながりが薄れてきている。つまり、子供たちの貧困というのは、これは昔もあったと思うんです。しかし、当時は、地域のきずなであるとか、いろいろな方々が支えていた機運があったと思うんですが、今それが途絶えていて、最も顕在的に出ている、私が非常に懸念しているのは、公共交通の部分ですね。

 今、沖縄国際大学の先生のゼミも、ほとんど活用していない。子供のときは、若い頃は車両を運転することができると思うんですが、前泊先生の資料の中で私が注目をした一つの指標が、高齢単身世帯の割合というものが四十二位から三十五位に増えていると。

 沖縄県は、生涯未婚率、結婚しないという、男性も女性も非常に高い数字がありまして、男性が一位だったこともコロナの前はありました。ですから、そういう方々が、離婚率もとても高いですので、年を重ねていくと、高齢の単身世帯が増えて、沖縄は車社会なんですけれども、車が運転できない。そうなると、病院に行くにしても買物するにしても、生活のときに大変に困ると思うんですね。

 私は、これは地域のきずなの貧困の最たるものだと思っておりまして、前泊先生は、交通問題というものを非常に早い時期から問題意識として持たれていた先生であると思います。この点についてのコメントと、そしてまたもう一つは、先生の統計にはなかったんですが、沖縄の事業の承継率、これも非常にまた低いんです。それが、コロナの前、二〇二〇年は、帝国データバンクの統計ではワーストでした。今は後継者不在率が五位。それでも、五位に改善といっても低いわけであります。これは、経済同友会や商工会議所や商工会や中小企業家同友会、いろいろな経済団体が頑張った成果だと思いますけれども。

 前泊先生はいろいろなところで、参議院でも参考人として御意見を述べられた経験の中から、交通の部分の地域のきずなの貧困、そしてまた事業承継。起業率は高いんですが、廃業率も高い。起業率の高さと廃業率の高さの間には、事業承継というものがしっかりとないという、きずなの貧困もあると思いますけれども、この点についての先生からのコメントをお願いします。

前泊参考人 まさに、交通の問題については、貧困に輪をかけて、支出を増やしているという問題があります。しかも、東京では、地下鉄やモノレールや、あるいはJR、多様な公共交通があって、七五%が公共交通で移動が可能であるという、沖縄は三%であります。モノレールを入れても四%程度。これだけの公共交通の格差といったものは非常に大きな負担になっています。学生たちにとっても、移動費のコストというのは年間六十万円ほどの負担になってきます。この負担をいかに軽減できるかというのは大きな課題だと思います。

 ヨーロッパにおいては、移動権、交通権というのは当たり前に、基本的人権と同じように無償化を進めています。今、当たり前に公共交通が無償になるというのがこの国の目指すべき方向性だというふうに思っています。

 今日も朝のニュースでやっていました、八十歳の運転する車が暴走したという話になっています。高齢化時代を迎えて、一九六〇年代に始めたモータリゼーションで車が一気に普及してきました。当時、二十代の若者が免許を取る中心だったんですね。その人たちが今八十代になってきます。人類が初めて経験する高齢者の運転者を迎えてどう対処するかというところでは、そろそろ公共交通に戻していく、そして、運転しなくても移動できるような自由な公共交通を実現をしてほしいと思います。

 そのためのパイロット地域として、まず沖縄から、交通特区をつくって無償化を実現してほしいと思います。バスについては、年間で七十から八十億円ぐらいの売上げです。その程度のお金であれば、ここで特区として予算を組んでバスを無償化すれば、どれだけの交通移動が可能になるか。

 私のところに中国から留学生が、院生が来ていますけれども、実はレンタカーを借りることができない中国からの旅行者がいるんですね。彼らは移動手段がない。これは交通の条約上不可能だということなんですが。

 バスを無償化する。例えば、入域税で観光客から千円を取るだけで、一千万人来ている時代には百億のお金になります。こういう形の財源もあるし、それから、今、軽自動車が非常に増えて、一万五千あるいは七千五百円とかいう数字になっていますけれども、普通自動車との差額分を考えると、一万円上乗せするだけで、五十万台の軽自動車に一万円を入れるだけで五十億円。今のバス賃を、百円で、ワンコインで名護まで行けるぐらいの施策も取れるかと思っています。

 是非、新しい時代の交通権、移動権を踏まえて、日本の方向性を踏まえて、沖縄をそのパイロット地域にしてほしいというふうに思っています。

 それから、事業継承の部分ですけれども、これはもう教育の問題があります。経営学や経済学を勉強していれば破綻をしなくて済むような部分もあります。

 例えば飲食店。居抜きで、また入るということも多いようですけれども、潰れる率が非常に高いんですね。開業率は全国一位です。このデータを見ても一位です。廃業率、全国三位です。つくらせて一番、潰させて一番、これは政策的にサポートする体制ができていないのではないかというふうに思います。そういう意味では、事業をサポートする、経営支援の在り方についても、しっかりと、予算的なものも含めて。

 それから、同友会の方が一生懸命やっていただいていますけれども、経営者の育成、支援ですね。例えば、レストランに行って千円の食事を取ります、原材料費は幾らですかと学生に聞いても、五百円とか七百円というのが来るんですね。破綻します、三百円が限界ですね、それ以上原材料費をかけている場合にはアウトです、人件費はどうするんですか、こういう基本的な教育を受けないまま経営者になるケースも多いような気がします。しっかりと経営学も学んでいただいて、それを教える機会をサポートをいただければと思います。

 ありがとうございました。

國場委員 前泊先生にあと一つ伺いたいんですけれども、前泊先生のいろいろな資料とか、私も県会議員の頃からいろいろな本で勉強させていただいております。非常に分析力が鋭くて、豊富な資料を駆使して、説得力のある内容だと思うんですが、問題点とか課題点に対する切り込みはとても鋭いんですけれども、前泊先生の高い見識の中で、この沖縄のむしろ可能性とか優位性とか、ここは大したものだという前向きな部分を、これは一言集約でいいですので、そこの部分をばしっと言っていただきたいなと思いますので、よろしくお願いします。

前泊参考人 解決のない問題提起は避けたいと思っておりますけれども、今日は、資料の三ページの方に入れさせていただきました。これまで沖縄は三K依存経済と言われていました、三Kです。基地と公共事業と観光です。これから新しい時代は新十KプラスIということで入れました。

 この三K依存から新十K経済ということで、この四ページに入れてありますけれども、まず、健康産業。健康食品、ノニ、ウコン、長命草とかモズクとか、これは、一品目一億円と言っていたのが今は十億円、百億を超すような産業に伸びています。

 環境ビジネス、これはグリーンニューディールですね。赤土対策では先行しています。アジアに持っていけるような、そういう資源を持ってきています。

 金融でも、金融特区をつくっていますが、これがどれだけ成果を上げられるかというところで検証が必要ですね。

 それから、研究では、ゲノムの研究、サンゴの研究、それから人工知能、AIの研究、沖縄技術大学院大学がノーベル賞まで出している、そういう時代を迎えています。

 教育の部分については、逆に、沖縄は進学率が最低です。一万五千人の高校三年生に対して四〇%の進学率、全国五八%です。そこからすると、二千四百人ぐらいの大学進学者を抱えて、それが行っていないということですから、大学を新しく設置するか増やしていって、高等教育を高めていく可能性もあると思っています。

 それから、交通。モノレールの延伸の問題もありますし、LRTの時代だと思っています。鉄道は何度も、これまで調査費をつけてきましたけれども、調査費だけでもう建設できるんじゃないかと思うぐらい調査費がついています。そろそろ新しい、LRTの可能性について、今、もう線を引くだけで、白い線を引くだけでそれを走っていけるような、新しい、観光資源にもなるような、LRTの時代を迎えています。

 是非、新十K経済を目指してほしいと思います。

國場委員 私も、國場幸之助ですから、十一Kになれるように頑張っていきたいと思います。ありがとうございます。

 それでは、渕辺会長にお尋ねしたいんですが、渕辺会長の経済界のリーダーとしての活躍は、これはもう言うまでもない実績の部分なんですが、今日は、渕辺会長の資料の十七ページの方に、「世界一しあわせな島」の上には「観光産業」、これが全ての基盤なんだと。全く同感でございます。

 同時に、観光振興というものはまさに平和産業でもあって、私は、沖縄に観光客が来る状況というものは平和だと思っております。ニューヨークの、米国の同時多発テロのときや、感染症が蔓延すると、沖縄に観光客が来なくなる。やはり平和というものが沖縄の観光また安全保障の基盤だと思っているんです。

 渕辺会長は、沖縄振興審議会の昨年の発言や、また、経済同友会での台湾有事への備えの特別チームというもので、経済人としても平和というものを、安全保障というものを考えないといけないという問題提起には、私もとても賛同しております。

 特に今、これは琉球新報のネットの記事でもあったんですが、中国のSNSの拡散で、中国が琉球の独立を支持とか、沖縄という名称をやめ琉球に復活という、これはいわゆる認知戦の部分だと思うんですが、この認知戦という言葉が、私は安全保障委員会の理事も務めているんですけれども、プラハの副議長や、先週もスウェーデンの国防大臣が見えていたんですが、どこに行ってもこの認知戦というものが出てくる時代になりました。

 経済活動、沖縄でリーダーの一人として頑張っておられます渕辺会長の方に、こういう認知戦も含めた沖縄の安全保障、目指すべき経済人としての姿勢、考え方ということについて御発言をお願いしたいと思います。

渕辺参考人 御質問ありがとうございます。

 経済同友会の代表幹事という立場ではございますけれども、一個人としての思いも少しお伝えできたらと思っております。

 まず、私は、自分たちの国は自分たちで守るべきだということは常に思っているところでもございます。

 また、あわせて、今度は経済人としてですけれども、実は経済同友会が毎年一回全国大会を開いております。今年の大会が四月にございましたが、今まで数十年の歴史の中で初めて、「経済人として安全保障にどう向き合うか」ということがテーマで出されました。私もパネラーの一人としてそこに登壇させていただいたことがございましたけれども、改めて今の状況を見ますと、避けて通れない部分だと思っております。

 私ども経済同友会は、今年の二月ですけれども、初めて台湾の国防安全研究院というところに参り、意見交換してまいりました。向こうでは日本の経済人が来るのは初めてだということでございましたが、改めて台湾の中で、いろいろ周りの脅威に対することもお聞きできました。そこでは、サイバー戦とか、いろいろなこともお聞きできたところでもございます。

 そういった意味では、もう当たり前なんですけれども、戦争は起こさせない努力をする、もう当たり前のことです。戦争を望まない、これも当たり前のことです。でも、万が一の場合に備えるのも、これも経済人として必要なことであり、責任でもあろうかと思っております。

 佐々淳行先生、いらっしゃいました。浅間山荘のときの、先生、警視総監でいらっしゃいました。危機管理の要諦で、悲観的に準備し、楽観的に対処せよという言葉がございました。ですから、そういった意味では、いざ何かあったときに準備できていないというのが一番責任を問われる部分だと思っております。そういった意味で、私ども、一番台湾に近い、またそういったところに、近いところに住んでいる者として、台湾有事、経営者としてどう備えるべきかということを研究することを今年のテーマとして掲げたところでございます。

 ちなみに、沖縄県は、大小、大企業は余りないんですけれども、中小零細企業を含めて六万二千社ぐらいございます。それが、宮古島、石垣島、与那国、ここで大体一割、六千社ぐらいがございます。その企業の、それこそ存続、事業継承も含めてですけれども、それから社員の命をどう守るかということは、やはり私どもに課されていることだと思っております。そういった意味で、冷静に、どうやって対処すべきかということを考えようと思っているところでございます。これも当たり前のことだと私は思っております。

 ちなみに、その石垣、宮古、それから与那国、そこは大体十万人と言われていますけれども、常に一万人ぐらいの観光客もいるということも前提でございまして、その人たちも含めての何かあったときの保護といいますか脱出、そこも考えないといけないと思っております。経営者の責務だと思っているところでございます。

 よろしいでしょうか。

國場委員 本当に、渕辺会長、力強い御発言ありがとうございました。

 私は今、自民党の国防部会長をしているんですが、地元で運動しますと、やはり、前泊先生の鋭い御指摘もあって、厳しい声もたくさんあるんです。そういうときに私がいつも話すのは、これからの日本というものは、沖縄が発祥の地の空手家のような、空手の達人のような国を目指すべきであると。つまり、真の空手の達人というものは、日々鍛錬をし、修練をし、生涯を通して実戦を行わない、これが私は究極の達人だと思っております。日本の防衛力というものも、備えることは備えるんですけれども、これは、戦わない国をつくるために、攻められない国をつくるための修練なんだと。空手に先手なしという言葉があります。空手の、古武道、型というものは全て受けから始まるわけでありますので、私は究極の専守防衛だと考えております。

 もちろん、先制攻撃は国際法違反でもありますので、そのように地域の中で話をしながら、どうやれば沖縄が平和になるのか、そのことを、また経済人としても、また前泊先生はアカデミズムの分野から、いろいろな形で提示をいただきたいと思います。

 貴重な質問の機会、ありがとうございました。(渕辺参考人「よろしいでしょうか」と呼ぶ)

松木委員長 時間だけれども、まあ、是非どうぞ。

渕辺参考人 言い忘れたことが一つございます。失礼いたしました。

 今の空手のことでなんですけれども、私ども、ソフトパワーも使うべきじゃないかと思っております。つまり、先ほど申し上げましたけれども、沖縄はアジアとの結節点にあります。そういった意味では、別な意味の位置づけで、いろいろなアジアの方たちを沖縄に定期的に来させるという、そういった意味での民間外交とか、そういったことも進めるべきじゃないかと思っているところでございます。

 FOIPがございますけれども、FOIPも、単なる軍事だけではなくて、もっと、ソフト、民間を併せて、アカデミックも含めて、そういった結節点にするというのが沖縄の、ある意味では土地の有効利用であり、また土地の力をかりた沖縄でできることではないかなと思っているところでございます。

 済みません。追加でございました。失礼いたしました。

松木委員長 國場さん、どうもお疲れさまでした。

 それでは、次に、新垣邦男さん。

新垣委員 立憲会派、社民党の新垣邦男です。

 今日は、渕辺参考人、前泊参考人、本当にお疲れさまです。ありがとうございます。特に前泊先生は、もう何度も参考人招致、いいかげんにしてくれという気持ちもあろうかと思うんですが、それだけ人気があるということですから、是非よろしくお願いしたいと思います。

 まず最初に、お二人にそれぞれに御質問したいと思いますが、まず、渕辺参考人。

 沖縄経済同友会の代表幹事を務める渕辺参考人なんですが、こちらにも今日いらっしゃるんですが、沖縄担当大臣を務めた島尻衆議院議員など、女性の活躍が目に見えて増えてきております。先ほど前泊先生から、沖縄は今、女性が給与が高くなったということなんですが、ただ、まだまだ経済界では男性社会なのかなというような気がして、これは個人的な私の思いですが。

 そこで、男性中心の経済界に身を置く中で、沖縄社会で女性が活躍するためには何が課題なのか、そして、どういうことをやればもっともっと女性が活躍できるのかというようなことで、そういう視点から御意見があれば賜りたいと思います。

 そして、前泊先生には、先ほど来出ています公共交通の話なんですが、私は前からずっと思っているんですが、沖縄県、どんなに道路を造っても混雑が緩和されない。鉄軌道も重要ですし、将来的にはそれもあるだろうと思うんですが、まず、今のバスの路線を統合する、基本的には。ただ、民間だけじゃ駄目なので、やはり県も、官も主導しながら、取りあえず、連携したバスの、公共交通の整備をした方がいいんじゃないか。

 特に、昔、那覇と中部の二眼レフ構想というのがありました。もう少し、那覇、都市部を、時間を合わせて数多く回していく。中部は中部で、沖縄市を中心に、公共施設、学校、商店街、そういうところを回していく。要するに、数を増やして、スピードアップをして、あとはコストの問題があります。課題は多いんですが、コストの問題や、あとは人の問題があるんですが、これをどういうふうにうまく活用していくのか。官民連携してやっていくという発想が必要ではないかなと思います。

 ですから、先ほど前泊先生からいろいろ指摘がありました。ただ、その辺は、問題だということではなくて、沖縄県としてどうするのかという視点は極めて重要じゃないかなと思うんですね。その辺はまた国の力もかりながらなんですが、まず、沖縄県内として、もう少し、公共交通の整理の仕方をどうするのかということが極めて重要じゃないかといつも思っているものですから、是非その辺、前泊先生の御意見があれば、よろしくお願いしたいと思います。

渕辺参考人 御質問ありがとうございます。

 女性の活躍ということでございますが、島尻先生や、それから今日、先ほども自見先生、いろいろいらっしゃいました。私も経営者としてこういった形でやっておりますが、幾つか課題といいますか、また、ヒントもあろうかと思っております。

 私がこういうふうにできておりますのは、一つには、時間を自由にコントロールできる立場にあるからだと思っております。一従業員だったらなかなかできない。でも、経営者なものですから、自分で時間のコントロールができます。そこはヒントではないでしょうか。

 つまり、女性といえども自分のいろいろなライフスタイルがあり、また、家庭の中の仕事もあります。そこを一律に、男性と一緒に何時から何時までは、ねばならないということではなくて、女性のそのときそのときのスタイルに合わせて、時間がもう少しコントロールできるような体制ができれば、もっと女性は動けるんじゃないかなと思っております。オーダーメイドの時間のつくり方、働き方といいますか、それができたらいいのかなという気は一ついたします。

 それと同時に、働くに当たっては、やはりその環境ですね。保育所の問題であったり、やはり子供がいますとなかなかできない、熱発したりとか、本当に、そういった意味では、安心して子供を預けられる環境、これはもうよく言われていることですので御存じのことだと思っております。

 それからもう一つですけれども、これは経営者それから一般の働く女性かかわらずですけれども、今日の前泊先生の資料で分かるとおりに、女性の有業率は、沖縄はナンバーセブン、結構高いんですよね。女性が仕事をしている率は高いです。だけれども、なぜ、ある意味では、役員になれないのか、あるいは経営者までは行かないのかということにおきましては、ロールモデルの存在が少ないということだと思います。

 私は経営者ですけれども、正直、ちょっと頑張って、失礼ながら、次に続く女性のためにいろいろなことを、女性が見ているという意識の中でやっているつもりは多少あります。一般の、役員になっている企業の方もそうだと思います。女性にとって、自分の先輩である女性がどういう環境にあるのか、どういう働き方なのか、どういう待遇なのか、幸せなのか、喜んで仕事をしているのかは極めて気になるところであり、そのロールモデルがしっかりあればついていこうと思います。

 ということは、経営者といえども一般の女性といえども、ロールモデルを男性といます組織でつくった場合に、そのロールモデルをしっかり支える体制づくり、これはとても大事じゃないかなと思います。引き上げるのはいいんですけれども、そこで本当に厳しいことだけ課すというのは、これは逆に潰してしまいます。だからこそ女性にとってロールモデルの存在は非常に必要であり、それをどうやって組織、環境がフォローしてくれるかということだろうと思います。これは男性へのお願いです。

 それから、最近感じますのは、二十代、三十代の若い女性の意欲です。大変、勉強したい意欲を持っている女性が増えました。ところが、その場がない、勉強する場がないんですね。ですから、何とか意欲のある女性たちが勉強する場を、何かできないものかなと思っているところでもあります。男性の方たちは意外と勉強する場はいろいろありますけれども、女性はなかなかない。政治も経済も本当は勉強したいけれども、どこに行ったらそれが勉強できるか分からないという声を聞いたりいたします。

 ですから、そういった意味では、勉強する環境づくり、それから、ロールモデルを含めて、女性を育て、後押しする環境整備、それから、保育園とかそういったところの行政的な環境ですね、そういったことが必要じゃないかなと思っているところでございます。

 よろしいでしょうか。ありがとうございます。

前泊参考人 女性の進出を支えるために、まず、待機児童の問題というのはまだ未解決な部分があります。働きたくても子供を預かってもらえていない。それを、しっかりと預かる場所を確保していく。これは、市町村がしっかりと取り組んで、沖縄県としてもサポートしてほしいと思います。

 それから、非正規労働の部分でいうと、これは全国的にも同じですけれども、女性の非正規率が非常に高いという。男性は非正規じゃないのになぜ女性は非正規が多いのかという。これは、お役所自身がそういう扱いで、女性たちを非正規で扱っているケースが多いですね。この辺りの意識は変えてほしいというふうに思います。

 それから、女性の社会進出の部分で非常に邪魔になっているのは、交通の問題があります。これは、沖縄県の免許人口を見ると、三十代、四十代は男性を超えて女性が多いんです。なぜかというと、女性の三十代、四十代は免許がないと仕事が果たせないんですね。この仕事の多くが、実は子供の送迎ですね。保育園に送ります、小学校に送ります、そして、祖父母を施設に送ります、買物に行きます、また迎えに行きます、そしてまた夕食の準備です。一日中、道路の上で沖縄の女性は過ごしているんじゃないかと思うぐらいに、交通手段の不備がこういう実態を招いていると思います。

 百十万台も車が増えてしまったら、国道だけだと車は動きません。県道や市町村道があるから沖縄の交通は可能になっているんですね。そういう意味では、公共交通の不備がこういう事態を招いて、むしろ女性の仕事を増やしているような気がします。

 そろそろ公共交通の問題を解決をしてほしいと思います。LRT一つ引くだけで、朝の渋滞、一本のLRTで二百台の車が消えます。その輸送力を考えると、早々とこのLRTの問題については導入をしていただければというふうに思っています。特に女性の解放、交通、この送迎の苦役から女性を解放するためにも、公共交通の早期の無償化を実現をしてほしいと思っています。

 無償化の段階では、まず、半年でもいいです、一年でもいいです。沖縄のバス交通は、非常に、乗るのが難しいぐらい路線が複雑です、そして高いです。これを半年間、皆さんの力で無償化をしていただいて、それで、OKICAなりSuicaなりで、どこから乗ってどこで降りているかというビッグデータを取ることによって、地域交通のスムーズなシステムをつくることができます。これは日本全体の交通政策の見直しにつながると思っています。

 是非、交通の無償化、そしてビッグデータの確保によって、公共交通の新たなシステムをつくってほしいというふうに思っています。よろしくお願いします。

新垣委員 分かりました。

 やはり、沖縄の女性は昔から働き者だと言われております。ただ、環境的に大変厳しい状況ということがあるんだろうと思っておりますので、是非、その辺は我々も注視をしながら頑張っていきたいと思っております。公共交通も是非見直すべきだろうと思っておりますので、またよろしくお願いしたいと思います。

 最後にですが、渕辺参考人は、沖縄の優位性や独自性を踏まえた産業振興を図っていくために、世界的な研究水準を誇る沖縄科学技術大学院大学、OISTなどの研究を活用したり、リゾート地の観光資源を活用した起業支援を進めたりして、新たな産業が生まれるリゾテックエキスポの構築を提唱しておられますが、私も全く同様の意見なんです。

 ただ、OISTの研究を沖縄振興にどう結びつけていくのか、そして県民にとって身近なOISTであるためにはどうすべきなのかということを、是非、どうお考えか、所見をお聞かせいただきたいと思います。経済人の立場で、OISTをどう県民にまず近づけていくのか、理解していただくのかということが極めて重要だろうと思います。

 前泊参考人なんですが、かねてより県内のシンクタンク育成の重要性を指摘をされております。県内最大のシンクタンクであるのは県庁だと。ただ、県職員にその意識が欠けているのではないかとか、そして、必要な調査を外部のシンクタンクに発注するための知識やノウハウ、重要データが蓄積されていないといった御指摘をしております。

 これは、一括交付金制度の創設以来、同じことが企画力、構想力の部分でも起きているのではないかというのが、私は首長を経験して思っているんです。必要な事業を県や市町村が自ら構想して企画をし、事業を提案して予算をいただくというのが一括交付金制度の趣旨でありますが、ただ、そうはいっても、特に町村にはそれだけ人材がいない。町村では、たくさんの仕事を一気に抱えながら、それぞれの部署でやらなきゃいけない。主にそれは企画部門でやるんですが、なかなか結果的にできないので、広告代理店に外注してしまうというようなこともあろうかと思います。

 また、県庁や市で企画部が一括交付金事業を取りまとめ、国の窓口となって、予算折衝が今行われております。私は、そうではなくて、現場を熟知する課の職員が直接国の担当部署と予算折衝できるような、そういうことをすれば、その県や市町村の職員の能力は非常にグレードアップするんじゃないかなと思っています。ですから、これは、いきなりやるのはなかなか厳しいとは思うんですが、今後検討していかなきゃならないのかなと私は思っています。

 そういった意味では、沖縄関係予算の一括計上方式という仕組みも、今立ち止まって考える必要性もあるのかなと。そんなことを言うと各市町村長の皆さんには怒られるかもしれませんが、将来的に向けて沖縄の人材育成を目指すならば、やはりある程度の苦労もあえて必要なのかなという、そう思っております。

 前泊参考人は、先月、参議院の特別委員会に参考人招致された際に、県内にある五十余りの小規模なシンクタンクで構成するシンクタンク協議会に優先発注すべきであると提案をされておりますが、県庁や市町村職員から見れば、これも外部発注であることは変わりないだろうと思っています。

 やはり、シンクタンク協議会によって県内に蓄積された知識やノウハウを、どうやって自治体職員の企画立案能力の向上に結びつけて、国との予算折衝能力を高めていくのか。その辺りの道筋について、お考えがあればお聞かせ願いたいと思います。

渕辺参考人 OISTについての御質問でございましたので、お答えさせていただきます。

 OISTは、そもそも沖縄の自立のためにつくられた存在だと、大学院大学だと思っております。島尻先生なんかが本当に御尽力くださいました。改めてお礼申し上げます。

 それで、質問ですけれども、成果をどうビジネスに結びつけるか、また、身近な存在としてということでございましたが、私も評議員をやっておりますので、全くそこの問題意識は同感でございます。

 OISTがつくられて十二年目になります。大変多額の投資が毎年されているわけですけれども、そろそろ見える形の成果を出すべきじゃないかなとも思っているところでございます。

 御存じのとおりに、研究論文としては、ネイチャーの中では世界九位というすばらしい成果も残しております。そこをどうやってビジネスに結びつけるかということでございますが、大きな問題の一つは、私はコーディネーターの不在だと思っております。

 学長側は一生懸命頑張っていらっしゃる、いろいろ研究していらっしゃる方もいっぱいいらっしゃる、また、学生さんもいらっしゃる。そういった、教授陣が一千名、それから学生が五百名ぐらいでしょうか、大変なシンクタンク機能を持っているんですけれども、それをどうやってビジネスに結びつけるかという、この中間の、コーディネートをする機能が、今、見つからないといいますか、極めて薄いんじゃないかなと思っているところであります。そこができたら随分違ってくるのかなと。

 それからもう一つは、私は評議員というふうに今申し上げましたけれども、県民と連携する意見交換の場が極めてまだ少ないということだと思います。産官学連携という言葉を使いながら、それがなかなか実施されないという。そこは、当初はそれがあったと思うんですけれども、そこの機能も、ほぼほぼ今は実行されていないのかなという感じがいたします。私ども経済界も、何とか近づきたいけれども、そういった場がなかなかないということのジレンマも持っておりますので、それもつくるべきじゃないかなと思っております。

 それからもう一つですけれども、やはり、語学の問題もあるのかなという。その中はもう全て英語ですので、英語以外はそこでは会話できないといいますか、情報公開、意見交換ができないという。そこも、趣旨としては分かるんですけれども、それがためにハードルがあり、なかなか県民の方から近づきにくいという状況もあろうかと思います。

 ですから、英語は英語だけの世界はあってしかるべきだと思うんですけれども、もっと選択、日本語を使っていい、そういった会議の場があったりとか、その辺の柔軟性ももっとつくるべきではないかなと思っております。

 評議会自体も、実は先々週あったんですが、四日間続けてありました。一年に一回、世界から参加するものですから、時差なんかもあるということで。なんですけれども、そういった意味では、いろいろまだ壁があり、その壁を一つずつ取り払うことで、もっと県民に近くなり、また、かつ、今申し上げた、目的があるビジネスにどう結びつけるか、スタートオフをどう起こさせるかというところへの、つなぐことがもっとできるんじゃないかなと思っているところであります。

 よろしいでしょうか。

前泊参考人 統計の問題とシンクタンクの問題がありましたけれども、統計数字そのものが、しっかりと作るのが、いわゆる役所の、国の、あるいは都道府県、市町村の仕事だというふうに思っています。

 昨年、沖縄経済についての概況、これは基本的なアニュアルリポートですけれども、復帰五十年目の節目にもかかわらずそのデータが出てきませんでした。我々沖縄経済を研究する側からすると、基本的な数字が出てこないということで、沖縄県庁に言ったんですが、一年遅れで数字が出てきました。政策も同じように一年遅れになるのか、そういう懸念があります。調査、リサーチ力をいかに高めるかというのが非常に重要だと思っています。

 それから、データについては、先ほど、女性の、大卒女子と大卒男子の初任給の問題がありましたけれども、実体経済と統計経済の乖離の問題があります。

 経済の統計データと実体経済の乖離の問題。これは、人口でいえば、沖縄は百四十六万人という数字が出ています。この数字は住民基本台帳に基づいて数字を出していますけれども、住民票を出していない移住者がいます。この数が二万人とも言われています。それから、基地の中に住んでいる米軍人軍属、家族、これはもう開示されなくなっていますけれども、この数字だけでも五万人います。この数字が乖離しています。それから、観光客が来て泊まっています。この泊まっている、一千万人時代には十一万人の数字が抜けています。

 そうすると、百六十から百七十万人近い人口を抱えているにもかかわらず、我々は沖縄県の、総合事務局が造る、ダムはもうこれ以上造らないという、もう人口減になるからということでダムの建設を止めていますけれども、実体経済と統計経済の乖離の問題でいうと、水不足の問題が出てくる可能性もあります。

 道路の渋滞が読めないのは、レンタカーの数をしっかり押さえているのかどうかという問題もあります。

 そういう意味では、実体人口、そして実体の数字との乖離の問題をどう解消するか。

 これは、観光客も、一千万人とか、今六百五十万人が来ていると言っていますけれども、どうやって数えているか、皆さん御存じですか。

 こういう統計の手法まで含めて疑ってかかると、私も、二〇〇〇年に、一度、観光客四百五十万人が来て四千八百億円が入っているにもかかわらずホテルが厳しいというので、調べてみました。一人当たりの消費額は十一万円という数字を、復帰後ずっと、二〇〇五年まで使っていました。おかしいと。これは、主要ホテルで、受付で、フロントで書いていただいていたんです。主要ホテルに泊まっていない人たちは対象になっていなかったのを、茶々を入れて、実は飛行機の中で調査をしてもらうことにしました。そうすると、何と、一人当たりの消費額、七万円です。これまで遡った結果、一兆二千五百億円の粉飾になります。こういった数字を基に論文を書いていたら、我々はアウトです。

 ですから、正確性を高める形で、観光統計についても、一人当たりの消費額についても押さえていく。実体経済と統計経済の乖離の問題を早期に解消していく必要が、次の政策を打つためにはとても重要ではないかというふうに思っています。

 シンクタンクについては、県庁とシンクタンクの間の人事交流というものが若干とどまっていた感じがありますので、それを高めていただいて、人事交流を通してシンクタンクが持っているノウハウを県庁や市町村の職員も吸収をしていく、そういう形を取っていただければと思っています。

新垣委員 沖縄には様々な課題がありますが、是非、お二人の参考人、これからもまたお力添えをいただきますようよろしくお願い申し上げ、質問を終わります。

 ありがとうございました。

松木委員長 次に、守島正さん。

守島委員 日本維新の会、守島です。

 今日は、両参考人、ありがとうございます。

 私は大阪選出なんですが、両親が、鹿児島県の徳之島といって、南西諸島出身ということもあり、島嶼経済に関心を持ってこの委員会に入らせていただきました。

 なので、まず、日本復帰後、五十年を超える沖縄の振興策で十四兆円近い国費が投入されてきましたが、過去の投資に対して、前泊参考人の見解では、歩留り率が低いというような言い方もおっしゃっていましたが、まず最初に、これまでの沖縄投資に対する両参考人の見解を、簡単にでいいので、お聞かせください。どちらからでも。

渕辺参考人 ありがとうございます。

 今までの十四兆近い投資に対しての意見ということ、感想ということでございますけれども、私は確実に成果が出ているものと思っております。

 先ほど私が出させていただきました資料ですけれども、観光一つを取りましても、この五十年間で非常に伸びております。それは観光だけですけれども、ほかの、例えば情報産業とか、そういったものも全て伸びているところでございます。

 ですから、量は伸びて、これから質の問題になっているところですけれども、でも、総じて収入も、それから、いろいろな意味で、全国の中でも数字的なものもよくなっているというのが実態だろうと思っております。

 一言で言えばそういったところでございますが、よろしいでしょうか。

 インフラも確実にできてきておりますので。

前泊参考人 今日は、復帰後以降の主要指標というのを、このデータを皆さんにお届けをしてあります。

 それでいいますと、基地依存度、財政依存度というのがあります。沖縄は、自立経済というのを、復帰から五十年間、ずっと自立を求められてきましたけれども、自立とは、依存経済が自立、最近私は自力経済と言っていますけれども、自分の力でいかに立てるかというのが課題だと思っています。

 そういう意味では、この数字を見ると、基地依存度は、一五・五%から、現在五・五%です。一方で、財政依存度、国からの仕送りに当たる部分ですね、収入が足りない部分を国から補填していただく財政依存度、二三・五%から、今三九・二%です。自立がむしろ後退している感すらあります。そして、基地経済が衰退した分、撤退、減った分を財政が補う形、トータルでいうと三九%から四四・七%まで依存度が高まっているのはどういうことだろうか。

 そして、八ページの方に資料をつけさせていただきました。沖縄における国発注公共事業県内受注率の数字です。五三・七%は地元に発注されていますが、県外に四六・三%という数字が出ています。右側にグラフをつけましたけれども、沖縄防衛局、発注件数ベースでは九〇%ぐらいが沖縄に発注されていますけれども、金額ベースになると最大七五%が外に出ています。そういう意味では、件数ベースではなくて金額ベースで発注額を見ていく必要があると思っています。

 島嶼経済においては非常に歩留り率が低いという、これは奄美も同じような問題を抱えています。奄振も、同じような形で県外にあるいは域外に流出をしている。投資効果は、ケインズの経済学でいうと、内部にとどまらずに外に流出しているのが多過ぎるのではないかというところでいうと、地元歩留り率も含めて今後の振興策の課題にしていただければというふうに思っています。

 以上です。

守島委員 ありがとうございました。

 渕辺参考人からは、着実に効果は出ているけれども、前泊参考人からは、自立経済という観点では、それが功を奏しているかどうかちょっと見えにくいというところもあるということで、参考にさせていただきたいというふうに思っています。

 復帰以降の沖縄経済の産業構造は、先ほど渕辺参考人からありましたように、観光業が伸びてきた。相対的には製造業などが下がっているというのが実態だと思うんですけれども、沖縄振興に関する予算を見ると、様々な産業に対して網羅的に支援がなされているのかなというふうに思っております。

 こうした沖縄振興予算の中で、予算というのは限られているとは思うんです。その中で、分野ごとの比重というか、理想の配分とか、今と理想の乖離等がもしありましたら、こういうふうに投資の配分をするべきだというような意見がありましたら、両参考人に聞きたいんですが、まず渕辺参考人からお願いしてもよろしいですか。

渕辺参考人 理想的な配分というのは、今すぐには、数字はちょっと私は提示できないところでございます。

 ただ、先ほど前泊参考人からもありましたけれども、歩留りの低さということにつきましては私も同感でございまして、入ってきた収入を、いかに歩留り率を上げるか、つまり、先ほど私、最初で申し上げましたざる経済、そこをどうするかということは大きな課題だと思っております。

 ちなみに、歩留り率は七八・八%です。二〇%強は外に出ている数字です。それは、数字にしたら一兆二千億ぐらいだったと思います。ここをいかにして沖縄の中に引き込むかということは、これから先、もっと真剣に考えないといけないというふうに私は思っております。つまり、中の構造をもっと強くしておくべき必要があろうかと思っているところでございます。

 あわせてですけれども、付加価値的な構造もつくるべきだと思っております。

 よろしいでしょうか。

前泊参考人 端的に申し上げて、教育費を是非強化をしてほしいと思っています。

 全国から見た沖縄の百の指標の中の数字、これは六番目になりますけれども、書籍、文具の年間販売額、全国最低です。全国二万円に対して、沖縄は一万円ですね。教育関係費の割合、四・三三%。全国六・六四%。四十五位であります。教育関係でいうと、進学率、四〇%。最低です。全国五八%行っています。

 こういう乖離をどう埋めていくかというところが、人材育成というのは、皆さん、大卒で当たり前に思っているかもしれませんが、大卒でなければ就職できない企業はたくさんあります。そして、生涯賃金、高卒は二億円です、大卒は二億八千万円です。この差。大学に行くのにかかるのに、全部国公立だと一千万円です、全部私立でも二千五百万円です。この差額からしても、大学に行った方が効率がいい。費用対効果はあります。

 大学に進学をする機会を失っている毎年二千五百人の高校生たちに夢を与えるためにも、奨学金やあるいは学費の無償化、大学進学をするときの無償化を、是非、教育特区として試してみてはいかがかということをお願いをしておきたいと思います。

守島委員 ありがとうございます。

 予算総枠の話は別として、ざる経済の解消、これは重要な論点だと思いますし、前泊参考人からあったように、教育投資というふうにおっしゃっておりましたが、限られた予算の中では、僕も、分野ごとの傾斜ということもちゃんと考えていかないといけないというふうにも思っています。

 というのも、やはり、本土と差別化された産業の育成とか政策の樹立なくして真の自立というのは困難と思っております。

 なので、ここはちょっと渕辺参考人にお聞きしたいんですが、渕辺参考人、先ほど付加価値をつくることが重要とおっしゃっていたんですけれども、沖縄の外のマーケットから利益を沖縄に還元できる、稼ぐ力につながる事業構造をこれまでしてこられたという記事を見させていただきました。

 これは、沖縄の産業自体が稼ぐ力をつけて、沖縄がしっかり経済面で自立していくということを意識しておっしゃっているのか。もしそうであれば、稼ぐ力を沖縄全体が高めていく、付加価値を各企業が高めていくためにはどうすればよいと考えているのか。もし御見解がありましたら、教えてください。

渕辺参考人 ありがとうございます。

 稼ぐ力、私の記事を読んでくださって、ありがとうございます。

 具体的に観光産業で例を挙げるならばですけれども、たくさんの観光客が沖縄に来ております。かつてももちろん来ておりました。そのときに、例えばお土産一つですけれども、意外と、外で作らせたものを沖縄に持ってきてそれを売る、そういう商売といいますかビジネスが多かったと思います。お菓子一つです、それから置物とかそういったもの一つですけれども、自分たちで中で作ることなく、簡単にと言ったらあれですけれども、外から仕入れて売るという。ですから、どうしても利幅はちいちゃくなるわけです。

 ですから、そういったところに、自分たちがオリジナルのものを作り、それを出すということで全然違ってくると思います。また、作ることでブランド力も上がってきます。外から持ってきたものはブランドにはなり得ないんですけれども、自分たちの中で作るものこそがブランドになっていくものと思っているところでもあります。

 それと同時に、先ほどちょっと量から質という問題も提示させていただきましたが、これからまさに、今までは量を追ってきましたけれども、質ということで言うならば、例えば、観光のもの一つ、それから宿泊のあらゆる、単価一つですけれども、そこに、違うサービスであり、素材であり、そういったものを使うことで、また作ることで、そこの単価も上がっていくんじゃないかなと思っているところです。

 つい昨日ですけれども、私ども経済同友会では、ある講師をお呼びしまして、観光についての提言もいただきました。いかにラグジュアリー層を沖縄に連れてくるかという、そこには、食もあり、いろいろなインフラもありということだったんですけれども。

 沖縄は、まだまだ可能性もあります。そういった意味では、インフラとしては、スーパーヨット、ハーバーが必要であったりとか、あるいは空港一つですけれども、もっと規模の大きいものを造り、外からの富裕層をそれこそダイレクトに目的地まで運ぶ、そういったビジネスレーンをつくったりとか、そういったこともまだできていないところですので、そういったことを総じてやることで、付加価値とかあるいは客単価、消費単価も上がっていくのではないかなと思っております。

 そうすることこそが、逆に言ったら稼ぐ力になり、稼ぐ力が上がれば、それこそ沖縄の所得、低所得に、そこに転嫁されますので、価格転嫁することで所得転嫁にもなっていくのかなと思っております。

守島委員 ありがとうございます。

 海外からのラグジュアリー層とか、招くポテンシャルはまだまだ沖縄にはあると思っておりますし、沖縄振興のための特別措置がいつまでも続くという前提にいてはいけないというのは、これは渕辺参考人の過去の話でもあったんですが、今のうちに自立した経済基盤をつくっていくために、企業が付加価値を生むような体制をつくらないといけないというふうに思っています。

 ここからは僕の極論になるので、ちょっと経済人として渕辺参考人にまたお聞きしたいんですが、今、観光戦略に関してはまだポテンシャルがあるような旨をおっしゃっていました。実際に、沖縄も観光戦略に力を入れていまして、MICEの誘致とか、あとは、クルーズ船、バースの供用というのも始まっているに聞いています。

 こうした状況を踏まえると、まだまだポテンシャルというのも大きくなってくると思っていまして、このポテンシャルを生かすには、僕、沖縄こそ、先日、我々大阪が認定第一号をかち取ったIR、統合型リゾートを誘致するに適した土地だというふうに僕自身は思っていまして、僕は大阪の人間なので否定的な見解ももちろん知っていますが、IRの誘致による経済成長ということに関しては肯定的でして、これは大臣にも先日質問させていただいたんですが、やはり賛成も否定もなく、明確に答えるのは難しそうでした。

 もちろん、沖縄へのIR誘致というのは、翁長知事以降、議論も止まっていまして、地元からは手が挙がっていないので区域認定を国がすることはないですし、僕も政治家なので、こういう賛否が分かれる議題に踏み込むことのリスク自体は十分承知しています。

 しかし、ここはあえて率直に、沖縄で長くビジネスをされています渕辺参考人に、民間事業者の視点で、IRのようなエンターテインメント事業を沖縄が受け入れることに対する意見というのをお聞かせいただければ幸いです。

渕辺参考人 ありがとうございます。

 非常に微妙な問題でございまして、答えにくいところでございます。

 経済同友会も、かつてはIRを推進ということで、いろいろ視察も参りました。ところが、ハワイはないです。ハワイは、カジノとかそういったところは全くない中で、独自の観光戦略を取っております。

 ですから、さっき申し上げた沖縄の優位性の中で、豊かな自然とかそういったものがある中で、果たしてIRがどこまで本当に必要かというところは、やはり慎重にといいますか、そういった中で、全てを見た中での結論といいますか方向性を出さないといけないんじゃないかなと思っているところでございます。

 以上です。

守島委員 最後になりますが、IRだけじゃなくて、先ほど前泊参考人がおっしゃったように教育特区であったり、スマートシティーの話もそうなんですが、やはり沖縄独自のポテンシャルを発揮するということが自立ということにつながってくると思うので、そういった、本土と差別化できる戦略を経済界としても検討していただければというふうに思っていますので、どうぞよろしくお願いします。

 以上で終わります。ありがとうございました。

松木委員長 次に、金城泰邦さん。

金城委員 こんにちは。

 本日は、沖縄経済同友会の渕辺美紀代表幹事、そして沖縄国際大学経済学部の前泊博盛教授、参考人としてお越しいただきまして、本当にありがとうございます。

 私の方からは、順を追って質問させていただきたいと思います。

 まず、渕辺参考人の方にですが、沖縄の観光産業の件について、まず先にお伺いしたいと思っております。

 観光産業の回復と裏腹に、今、沖縄では人手不足が喫緊の課題となっておりまして、その沖縄の観光産業におけます人材確保については、低賃金や長時間労働の是正などの処遇改善、やりがいや魅力の発信、そして外国人労働者の活用など、様々な提言をされておられますが、具体的には、どのような施策から段階的に取り組んでいくことが効果的だと考えていらっしゃるのか、現場、経営者として頑張ってこられました渕辺さんの現場感覚による御意見をお伺いしたいと思います。よろしくお願いします。

渕辺参考人 ありがとうございます。

 観光業が人手不足は、これは沖縄に限らず、全国同じだと思います。ただ、沖縄の場合には、第三次産業が大きいですので、よりそれは深刻な状況だというふうに思っております。

 私も観光業をやっておりますけれども、不足なのは事実です。不足なのが、いろいろ努力して、人口、観光産業の従業員が戻るわけではないとも思っております。ですから、逆に言ったら、少ない従業員、少ないそういう従事者の中で、どうやって生産性を高めるかということを見ていった方がいいんじゃないかなとも思っているところです。

 その一つには、まずやはり、タイミングが本当に、ちょうどそこに来ていると思うんですが、やはり賃金のアップです。賃金アップをしないことには、やはり人は、やりがい、モチベーションにはならないということは実感でございます。ですから、今までそれはずっと考えられていたところですけれども、今の問題が、もう喫緊の課題として、従業員の賃金アップをするというタイミングに来ていると思います。また、それをし始めているところも多いと思います。

 また、不足の理由はいろいろあると思うんですけれども、コロナで三割ぐらいが抜けていったとか、あるいは逆に言ったら、また観光産業、いろいろホテルがたくさんできてきております。そこに分散で人が行っているという事実もあります。

 そういったところでの人手不足は、まずは賃金アップが一つと、少ない中で次にもう一つやるべきことはDXです。ロボット、AI、そういったことを使ってです。御存じのとおり、配膳ロボットとか、もういっぱい出てきております。ですから、できるだけそういったものを使って、必要なところには人間が応対する。でも、そうでないところは、AI、DX、そういったものでカバーする、そういうところをやらないといけないと思っています。

 例えば、顔認証でチェックインするとか、もうとうにできています。和歌山なんかにも視察に参りましたけれども、顔認証でチェックインし、顔認証でホテルのドアが開きという、そこまでできていますので、できるだけ人手がかからない仕組みづくり、それはできるんじゃないかなと思っています。でも、そのためには、中小零細企業は投資額がなかなか大きくなる場合もありますので、そこに対する支援策、DXに移行するための、DXを取り入れるための支援策が必要じゃないかなと思っているところです。

 以上です。

金城委員 ありがとうございました。

 先ほど冒頭の意見陳述の中で、渕辺参考人の資料からは、現状の課題ということで、観光におきましては、観光の足腰がまだまだ弱いというところで、やはり足腰を強くしていく必要があるとおっしゃっておられました。

 県内の企業を起こしている方々、地元の例えばホテルとか経営されている方々は、またそうした出資をするに当たっても、非常に厳しい状況の中でやっていかなければいけない、競争に勝たなければいけない。そういう中にあって、渕辺参考人から見たものとして、足腰を強くしていくため、先ほどの支援の件もありましたが、そういった部分、また、それ以外にも、こういったものが必要だというものがありましたら、是非ちょっとコメントをいただきたいと思いますが、いかがでしょうか。

渕辺参考人 ありがとうございます。

 今回のコロナで、中小零細企業は本当に傷みました。一番は何かといいますと、従業員を雇用できない状況が生まれたわけです、もちろん収入がない中でですから。ですから、ふだんから、産業界、金融界、行政、そこの枠組みがしっかりできていれば、ある程度基金ができていれば、そういったときに備えて、そこから貸与するとか、そういったこともできたんじゃないかなと思っているところです。

 今回のコロナで、本当に私どもの反省点は、ふだんからのそういう連携ができていなかったものが如実に出ましたので、そこの枠組みをつくるということが一つです。

 それから、足腰のために、ちょっとずつやはり質にシフトするという、これもやはり稼ぐ力です。付加価値をどうつくっていくか、そこに持っていかないことには、いつまでも収入も低い、賃金も低いというままで終わっては、これはもう本当にまずいと思っております。そういったところを今後やっていけたらと思っているところです。

金城委員 ありがとうございました。

 まさに質にシフトしていくという視点、非常に大事だなと思っておりまして、地元でも、観光客を増やそう、そして収入を上げようという考え方はあっても、例えば、お土産品一つ取ってみても、安いものはお土産品として売り出すものがあっても、高価なものを売り出すネタが足りないというお話も聞いておりまして、そういった質の高い観光にしていくために、売り出すものも、より高価なものも売り出す、そのためにも、より研究開発が必要だと思っておりますが、そういった部分でも、しっかりとまた情報を、現場の感覚を教えていただきながら、また、政治的な課題も我々としては取り組んでいく必要があると思いました。ありがとうございました。

 同じく渕辺参考人にですが、参考人はリーダーとして、女性の活躍、沖縄の女性の地位を向上させる取組、これまで一生懸命頑張っていただいています。

 先ほどの新垣委員からもありましたように、女性の活躍という点におきましては、やはり時間のコントロールがもっとできるようになった方がいい、オーダーメイドできるようなですね。また、ロールモデルの存在がより必要であり、そこを支える体制があるということを述べておりました。一定基準の生活レベルの女性が活躍するためのスキルアップも必要だというふうに感じました。

 また一方、厳しい環境、そこで生きていらっしゃる女性をいかにして引き上げていくかという部分も大事だというふうに思っています。

 先週、沖縄で上映された「遠いところ」という映画があったんですけれども、そこの映画には、厳しい状況、ネグレクトとか、私も地方議員をやっている中で、市議、県議とやってきまして、そういう方々と多く接してきました。そういった意味では、沖縄の子供の貧困、家庭の貧困、これは本当に深刻だなと思っていまして、今日の資料にも、貧困率の数値が沖縄は全国平均の二・二倍という状況、加えて、母子世帯の出現率も、全国一・四%に対して二・六%、約倍ぐらいあるんですね。

 先ほど申し上げた映画にも出ていたんですけれども、そういった母子家庭、しかも、その家庭の母親は子供を育てなければいけない一方で、御主人からの生活の補助も支援もないままやっていかなければいけない、そういったことを経験する女性は多い。そういう厳しい環境の中で、女性をより引き上げていくための取組というのはどういうものが必要だとお考えなのか、コメントをいただきたいと思います。

渕辺参考人 ありがとうございます。

 子供の貧困、先ほど申し上げました大人の貧困であり、それから、母子家庭を含めてですけれども、そういった方たちを、どうやってしっかりした所得が得られるようになるかということですけれども、やはり一つには教育、教育の機会をいかに与えるかということだと思います。今まさにリスキリングという言葉もありますけれども、これから先、必要な技術、能力、また違ってくるものもあります。そういったところを、どうやってそういった方たちに提供できるかということです。

 ただ、そうはいってもですけれども、じゃ、その方たちが一体どこにアクセスしていいか、それも見えないところです。

 以前、島尻先生と一緒にこういった問題のパネルディスカッションをやったときがありますけれども、私ども経済界、そういう現場の方たち、学校現場、そこを併せた情報を共有するプラットフォームが必要だという話が出ました。でも、そこがなかなか、まだできていないところでございます。

 私どもも、会社として、企業として、そういった女性がいたらやはり優先して雇用し、仕事を提供できたらと思っているんですけれども、でも、その女性の方たちが、やはり自分が能力がないということでちゅうちょしているのも感じます。ですから、まず、そういった女性の方たちに、何か、本当に技術、能力、いろいろなものを勉強させる場づくりと、それと、お互いが、どこに何が必要で、どこにどういった人が必要でという、また、どういった人を雇用したいとか、その辺のマッチングをするプラットフォーム、それがあれば違ってくるのかなという感じがするところです。

 非常に深刻な問題だと私も思っております。

金城委員 ありがとうございました。

 そういった当事者の状況と施策もマッチングできるようにしていければなと思います。

 続きまして、前泊参考人にお伺いしたいんですが、以前、五月の参議院参考人質疑で、国連のアジア機関を誘致する動きについて言及されておられます。国連のアジア機関を誘致する動きは現在どのような状況になっているのか、また、国連機関を沖縄に誘致するにはどのような取組が必要だとお考えでしょうか、前泊先生の御意見をお伺いします。

前泊参考人 今、南西諸島に自衛隊のミサイル部隊の強化、こういったものが進んでいます。武力に依存するようなことと、余りそこにシフトしないように、沖縄からすれば、当事者として、基地問題、あるいは防衛問題、安全保障問題をどうするかというのがあります。

 今日、九ページの方に資料をつけさせていただきましたけれども、日本本土からすると、傍観者的国防論という、自衛隊は国民を守る兵力である、敵基地攻撃能力は必要で、軍事力強化はやむを得ない、いざとなったら日米安保で米軍が守ってくれる、こういう中で安全保障論が展開をされているかと思いますけれども、沖縄からすると、当事者的非戦論を訴えざるを得ないというふうに思います。戦争になれば国民は無力ですね。これはウクライナを見れば分かります。逃げ惑うか、攻撃の対象になるか、軍隊に入れられて人を殺す側に回されるか、殺されるかという、これが政治によって追い込まれるだけですね。逃げれば刑務所に入れられる、そういう状況になります。

 皆さん、国会議員として、今、傍観者的な国防論を展開しているかもしれませんが、沖縄は戦場になるかもしれない。「沖縄有事」という本すら出ています。戦場になることを想定されている地域で、戦争になることを受け入れるわけにはまいりません。そのためには、軍事力に依存しない、違う外交力をどうやって発揮するかということを真剣に考えざるを得ない。

 そういう中では、沖縄を協議の場として、国連機能の一つぐらいは沖縄に置きたい。あるいは、アジアにおける東アジア共同体ということで動かれている元総理もおりますけれども、そういった協議の場をつくっていく。

 あるいは、NATOというものが動いていますけれども、一方でEUというのがあります。ヨーロッパ・ユニオンが誕生することによって、あの世界史の中で戦争をしてきたフランス、ドイツ、イタリア、全て戦争がなくなりました。域内において、同じように経済で一体化した地域は戦争をしないんですね。アジアにおいても同じようにAUをつくってほしいと。ドコモじゃなくてAUとよく冗談を言ったりするんですけれども、ドコモではなくAU、まさにアジア・ユニオンはとても大事です。これぐらいの外交力を持った政治家を育てられなかったことが、この国の悲劇を招きかねないような気がしています。

 今、今月の二十四日には、このことを議論するために、本当に総理経験者も含めて御参加をいただいて、沖縄でフォーラムを予定をしております。六月二十四日の議論の中で、更に詳しい動きを、そして国連で実際に動いている方たち、それから中国、台湾の方たちからも、しかるべき人たちが登壇をしてお話をいただくことになっています。

 沖縄をそういう場にする、二度と戦場にしない、ノーモア沖縄というところでは、ノーモア沖縄戦を、平和政党である公明党もしっかりと働きかけてほしいと思っています。よろしくお願いします。

金城委員 我々もしっかり頑張って、平和構築のために取り組んでまいりたいと思います。

 質問は変わるんですけれども、時間がないんですが……

松木委員長 時間、時間が。

金城委員 ですね。何かの機会で、また先生にはお伺いしたいと思います。

 様々御質問に答えていただきまして、どうもありがとうございました。終わります。

前泊参考人 我が沖縄国際大学出身の国会議員でありますので、是非よろしくお願いします。今日は休講にしてきましたので、学生たちが見ています。是非、先輩として活躍している様子を、大学でも応援したいと思います。ありがとうございます。

松木委員長 金城さん、済みませんね。時間がちょっと、どうしても遅くなっちゃって。申し訳ございません。

 それでは、質疑順序をちょっと変更させていただきます。長友さん、済みませんね。申し訳ないんですけれども、ありがとうございます、替わっていただいて。

 それでは、赤嶺政賢さん。

赤嶺委員 どうも。日本共産党の赤嶺政賢です。

 今日は、ちょっと連続的に委員会が重なっておりまして、長友先生の御理解を得て、理事の皆さん、委員長の御理解を得て、順序を入れ替えさせていただきました。どうぞよろしくお願いします。

 ふだんから両参考人には、沖縄県内での御活躍、ずっと見てまいりました。そして、お話についても参考にしてまいりました。こういう形で委員会にお招きして、発言の機会を持たれたことに私たちも大変喜んでおります。

 それでは、最初に、渕辺参考人からお伺いしたいと思います。

 沖縄経済にとって観光はリーディング産業であり、欠かすことのできない存在になっています。しかし、その一方で、外的な要因に左右されやすい脆弱な面も持っております。二〇〇一年の九・一一テロで、米軍基地が集中する沖縄の観光は大きなダメージを受けました。

 今、安保三文書に基づいて、敵基地攻撃も可能な長距離ミサイルを沖縄に配備する動きが取り沙汰され、沖縄が再び戦場になるのではないかという不安が広がっています。しかし、観光も経済も平和でなければ成り立ちません。

 「観光は平和へのパスポート」、こんなふうに言われました。これは、国連が一九六七年を国際観光年に定めたときのスローガンです。観光は、世界各国の人々の相互理解を推進し、種々の文明の豊かな遺産に対する知識を豊富にし、また異なる文明の固有の価値をより正しく感得させることによって世界平和の達成にも大きな役割を果たす、国連ではこのようにされております。

 今、何よりも大事なのは、平和的な環境をつくるための政府の取組だと思います。地域の緊張を緩和し、信頼関係を構築するための外交に積極的に取り組み、安心して経済活動に取り組むことができる環境をつくることが政府の役割だと思っております。

 この点について、渕辺参考人のお考えをお聞かせください。

渕辺参考人 御質問ありがとうございます。

 観光は平和産業である、平和じゃないと観光は成り立たない、全くそのとおりだと思います。

 でも、その平和を守るための考え方の、いろいろな方の違いがあるのかなという感じがするところでもございます。

 私は先ほど、今年の四月に経済同友会の全国大会があった、それはテーマが「経済人として安全保障にどう向き合うか」ということだと申し上げました。そこで一緒に出た方の一人が住友商事の役員だったんですけれども、クリミアにいたと。クリミアにいたときに突如ロシア軍が入ってきて、自分たちが逃げるのに大変な苦労をしたという話がありました。

 ですから、現実的な物の見方と、本当はそうあるべきだというのと両方あると思うんですけれども、私は、対話、外交はもちろん大事だと思っております。もちろんそれは大事であり、それを前提として、だけれども、いざというときの備えとして、これも先ほど申し上げましたけれども、これもしかるべきことは必要だろうと思っているところでございます。

 以上です。

赤嶺委員 どうもありがとうございました。

 次に、前泊参考人にお伺いします。

 この間、沖縄県は、沖縄と諸外国・地域の交流促進を目的に地域外交室を立ち上げ、アジア諸国を中心に地域レベルでの外交が始まっています。

 沖縄では、市民レベルでもそういった諸外国・地域との対話プロジェクトが始まっており、私もこの間のシンポジウムに参加させていただきました。

 昨年九月には、台湾有事、南西諸島有事を決して起こさせてはならないと考える沖縄の市民が、政治的な立場や意見、思想の違いを超えて対話していこうとする企画、沖縄対話プロジェクトが発足され、その発足の記者会見に前泊参考人も出られていた、このように認識しております。第一回目の、台湾から識者を招いてのシンポジウムでは、前泊参考人は司会も務めておられました。

 そういったシンポジウムに参加されて、今、政府にはどういう外交努力を求められているとお考えか、先ほど政治家への意見もありましたが、前泊参考人のお考えをお聞かせください。

前泊参考人 まさに、対話プロジェクトを始め、国連誘致のためのプロジェクトも含めて、今取り組んでいるところであります。

 沖縄で、台湾や中国あるいは周辺諸国からたくさんの方々を呼んでシンポジウムやフォーラムを開催しているんですが、ここで気になるのは、なぜ全国でその動きが出てこないのかというところです。沖縄が戦場になるかもしれないという沖縄有事の中で、沖縄は危機感を持って取り組んでいるんですが、全国での取組が非常に弱いような気がします。特に、この国の外交はまだよく見えてこない部分があります。

 今、新聞紙上では、習近平、シー・チンピン氏が沖縄の帰属についての問題を発言をしたとか、いろいろな、フェイクニュースも含めて飛び交っています。地域外交室ができて、中国と直接対話をするということを自治体として取り組まざるを得ないところまでこの国の外交が弱まっている証左だというふうに思っています。是非、地方自治体がおのずと動かなくてもいいぐらいまで立派な外交をしていただければというふうに思っています。

 特に、外務大臣として最長記録を持っている方が、今、総理大臣をなさっています。是非、戦争にならない、先ほど國場先生からは、空手のように、専守防衛でいっていただければというふうに思いますけれども、沖縄では今、敵基地攻撃能力を持ったようなミサイル配備まで進められようとしています。なぜ南西諸島にシフトしなければならないのか、これを東北の記者から聞いても、東北にあった、北海道にあった部隊が沖縄にどんどんシフトしているという話を聞かされても、非常に危機感を持って受けとめざるを得ない。

 それから、今日の資料にもありましたように、衆議院の予算委員会の中で私もこの二月に指摘をしました。三・三倍の弾薬量、激増させている理由は何なのかという、戦争の準備を始めたのか、この国はという危機感です。それから、維持費もほぼ倍増していますけれども、こういう状況がなぜ生じたのかという、これまでの政権の中ではこれほどの危機は招かなかったにもかかわらず、なぜ今この危機に直面をしているのかという説明まで含めて、是非、国民に分かりやすい言葉でお話をしていただける政治をつくってほしいというふうに思っています。よろしくお願いします。

赤嶺委員 どうもありがとうございました。

 続きまして、両参考人にお伺いをいたします。

 この三年間のコロナ禍を経て、ようやく沖縄経済にも明るい兆しが見えてきました。今後の沖縄経済を考えていく上で、いかに感染症に強い沖縄経済をつくっていくのかが問われていると思います。

 その点を考えていく上で避けて通ることのできない問題が日米地位協定の問題だ、このように思います。オミクロン株が米軍基地から市中に広がりましたが、その背景として、政府の入国停止措置の下でも米軍関係者が自由に入国を続け、出国前のPCR検査も一方的に取りやめていたことがありました。そもそも、米軍関係者は米軍基地から直接入国する場合には日本の検疫を免除されております。日米地位協定が政府の感染症対策の妨げになっていることが、コロナ禍を通じて改めて浮き彫りになりました。

 感染症に強い経済をつくっていく上で、日米地位協定の問題についてどのようにお考えか、両参考人の御意見をお伺いしたいと思います。

渕辺参考人 ありがとうございます。

 今後をどういうふうにして、コロナにかかわらず、そういう感染症から守るかということにおきましては、防疫体制を強化するということは大きい問題だろうと思っております。そのためには、さっき申し上げたDX、そういったことも、もっといろいろなところで必要だと思っております。

 それから、赤嶺先生がおっしゃったアメリカの問題、日米地位協定ですけれども、そこはやはり問題なのかなというのは私も率直に思います。そういったところ、必要なところはやはり何とか改善できたらなというのは、私、個人的には率直な思いでございます。

 以上です。

前泊参考人 地位協定については十一ページに資料をおつけしてあります。今日同席をいただいている平良さん、あの「ゴルゴ13」の原作も書かれている方ですが、彼に漫画にしていただきました、この防衛準備態勢の問題ですね。

 日本においての地位協定は朝鮮有事の際に結ばれたということで、DEFCONでいえば有事態勢の中での地位協定が締結をされている。平時においては国内法の適用を基本とすべき話が、なぜか有事態勢という状況の中で、アメリカ軍に対しては自国法が適用できない、そういう状況になっているようです。そういう意味では、自国、国内法の適用を当たり前にする。

 旗国法原理というのがあります。これは旗の国の原理というもので、今結ばれていますけれども、アメリカ人にはアメリカの法しか適用できない、アメリカ軍にはアメリカの法しか適用できない、そういう状況になっている、そんな状況であります。領域主権論というのが別にあります。これは、郷に入っては郷に従え。

 今どき旗国法原理を大事にしているのは日本だけだと言われています。主権国家として国内法を適用するのは、あの同じ敗戦国のドイツやイタリアでも同じように適用されています。そろそろ国内法をしっかりと米軍に対しても適用するような主権国家になってほしいと思っています。

 これは河野大臣が、外務大臣あるいは防衛大臣もなされましたけれども、二〇〇四年の段階で、自民党でも地位協定の改定案を作られています、ネット上ではなぜか消えていますけれども。その中にはしっかりと、国内法の適用で入国管理、アメリカ軍に対しても入国管理については日本側がやる、国内法を適用すると書いてあったんです。あのときに適用していれば、オミクロン株で沖縄の被害は防げたかもしれない。それをやれなかったことを、なぜできなかったかということを衆議院の予算委員会でも御指摘をしました。せめて国内法を適用する、それぐらいは主権国家としてやってほしいと思います。

 それから、同じようなことで言うと、沖縄は復帰前にも風疹児の問題がありました。風疹児がかなり広がって、特別な聾学校を造って対処しました。これも米軍基地由来というふうな指摘もあります。国内法をしっかり適用して、国民を守る安全保障に変えてほしいというふうに思っています。

 以上です。

赤嶺委員 大変時間が押してまいりましたが、前泊参考人にお伺いします。前泊参考人の大学のある、隣の普天間基地の問題です。

 九六年の普天間の返還合意から既に二十七年がたちました。今、政府は、仲井真元知事が埋立申請を承認したときには一切触れていなかった軟弱地盤が見つかったと言って、完成までには更に十二年が必要だと言っています。しかも、技術的にも疑問符のつく難工事で、一体いつになったら普天間が返還されるのか分からない状況に立ち至っていると思います。しかも、工費は従来の二・七倍、九千三百億円というとんでもない額にまで膨らんでいます。

 辺野古が唯一の解決策と言い続けてきた政府の論拠は既に破綻していると思いますが、その点、前泊参考人の端的な御意見をお伺いしたいと思います。

前泊参考人 これは、自衛隊の幹部の皆さん、アメリカの司令官クラスが辺野古を視察した際に、この基地は何のために造っているんだという質問を受けたんだそうです。普天間の代替施設として造っているという話に対して、今どき我々はドローンで戦争しているんだ、この基地ができ上がるのはいつなんだと。もうそれが待てないので鹿屋という話も出てきている、そういう動きすら出ている。そういう意味では、総合的な判断をし直す時期を迎えていると思います。

 辺野古の問題でいうと、私は資料をおつけしましたけれども、辺野古の新しい基地の建設よりも、辺野古弾薬庫の、新しい弾薬庫建設の方が沖縄にとっては脅威なんですよ。新たな核貯蔵庫が造られるかもしれないという問題に対しては、なぜ国会で取り上げていただけないのか。

 そして、過去の台湾有事の際に、一昨年の朝日新聞が報道していますけれども、ダニエル・エルズバーグ氏は、台湾有事の際に、沖縄の各基地から核ミサイルで中国を、威嚇をしているんですね。それに対してロシアのフルシチョフ第一書記は、その場合には我々は中国を支援してあらゆる手段で報復すると言って、そして核報復をにおわせたにもかかわらず、アメリカは沖縄からの核攻撃を断行しようと判断をしていた、その際には沖縄と台湾を失うことになるとまで言っているんですね。

 こういう状況に置かれている中で、沖縄が核問題について触れないわけにはいかないと思っています。こういう問題についてもしっかりと御議論をいただかなければいけないというふうに思っています。

 辺野古の問題。そろそろ、私はもう二十年、三十年前に、この基地はできないと何度も言ってきました。なぜなら、この基地そのものが、過去に、九ページに入れましたけれども、一九六〇年代に、アメリカ海軍、海兵隊は、辺野古に新しい基地を造ろうという計画をしていました。この計画図を見たら分かると思いますが、軟弱地盤はしっかりと外しています。

 防衛局長にもお伝えをしましたけれども、せめてアメリカの計画ぐらい見た上で計画を作ったらどうかというお話をしました。この計画については、アメリカの予算がどこにあるんだということで会計検査院から駄目出しをされて、ベトナム戦争のさなかだったので頓挫したんです。これが普天間の話とひっかけられて造らされているとするならば、この国の外交は何なんだという話になります。

 しっかりと、この基地の必要性についても再議論をしていただいた上で、この不要かもしれない一兆円を超すような工事についてはストップをしてほしいというのが沖縄からの要望ではないかと思っています。

 是非、赤嶺議員、御尽力をお願いしたいと思います。

松木委員長 そろそろ時間がね。

赤嶺委員 どうも、今日は、渕辺参考人、前泊参考人、大変参考になるお話、ありがとうございました。これで終わります。

松木委員長 お疲れさまでした。

 長友さん、済みませんね、ありがとうございます。

 次に、長友慎治さん。

長友委員 国民民主党の長友慎治です。

 私は、九州宮崎の出身なんですけれども、沖縄の様々な課題、決して、本当に人ごとに思えないんですね。

 というのが、沖縄の県民所得は全国最低というふうによく言われますけれども、その次が宮崎でございます。出生率は一番、沖縄が一位ですけれども、宮崎も二番目だったりするんですね。沖縄の課題で、離婚率が高いとか、シングルマザーの出現率が高いとか、そして中絶率が高いとか、これは宮崎にも共通する課題でありますので、沖縄の課題を解決することが日本の課題を解決することになるというふうに常々感じている中で質問させていただきたいと思っているんですが、まずは、お二人に質問させていただきたいと思います。

 それぞれの課題を見ていくと、私、実はSDGsの公認の民間の資格でファシリテーターをしているんですけれども、十七をゴールに、当てはまることばかりだと思っております。

 県民所得が全国最低ということは「貧困をなくそう」というものになりますし、全国最低の高校の大学進学率、また教育関係費が全国的にも低い、これは、「質の高い教育をみんなに」というSDGsの四番ですね。先ほどもありましたけれども、待機児童の問題、また、子供の送迎が女性の仕事である、女性の非正規率が高いとか、女性を解放しないといけないということは、ジェンダー平等を達成しようということにもなりますし、全国ワーストの非正規率、それから離職率が最悪レベル、完全失業率も全国最悪、これは「働きがいも経済成長も」というディーセントワークに関わってきますし、製造業の比率が全国最低、第三次産業の肥大化ということは、「産業と技術革新の基盤をつくろう」、これはイノベーションを起こしていこうということも求められます。

 さらには、沖縄予算が基地とリンクしているんじゃないか、また、基地負担などは「人や国の不平等をなくそう」ということになりますし、離島の人口の減少、公共交通の衰退などは「住み続けられるまちづくりを」というところに係ってくるわけです。また、自衛隊の沖縄配備の強化等は「平和と公正をすべての人に」と、見事にという言い方も変なんですけれども、SDGsの十七のゴールに全てリンクしてくるんじゃないかというふうに感じています。

 そこで、やはり大変なそれぞれの課題、一応、SDGsは、二〇三〇年までに解決するための指標や目標を掲げています。沖縄の様々な問題に関しても、これはフォアキャスティングという手法で、前年比に比べてということをやっていっても、画期的な、本質的な解決は難しいんじゃないかと個人的には感じています。であれば、もうバックキャスティングしかないと思うんですね、二千何十年までにはこの問題を解決するんだと。

 そのような手法で、沖縄の地元の皆様の中で、目標を立てて取り組んでいらっしゃるような方々若しくは関係機関、あるのかないのか、お二人の御所見を伺いたいと思います。お願いします。

渕辺参考人 ありがとうございます。

 先ほどいろいろ御指摘された問題ですけれども、SDGs十七項目、私どもが出しましたいろいろの資料を見ましても、全て連携していることでありまして、関連しているところでありまして、ですから、ここを解決したらこっちはじゃなくて、あるところを解決することで、多分連鎖的にいろいろなこともよくなっていくのかなという気がしているところでもあります。

 それから、考え方としてバックキャスティング、これも大事だろうと思っております。ただ、今御質問の、それをバックキャスティングの下、どういう組織、どういうところがどう動いているかというところを個別に把握といいますか、私どもがそことタイアップして動いているというところでは、ちょっと今、お答えができかねるところでもあります。

 多分、いろいろ見ましたら、目標に応じて動いているところも多分にあろうかとは思うんですけれども、ちょっと個別なものは少し、今は、どこがどうということは申し上げられない感じがいたします。

 先ほど私が出しましたけれども、県自体が令和十三年度に、所得、それから失業率の目標値を出しておりました。これも一つはバックキャスティングになろうかと思っております。そのためにどうするかということは、今申し上げた、連鎖的に全ての項目に対して当てはまっていくところが多分にあろうかと思っているところであります。

 以上です。

前泊参考人 SDGsについては、誰一人取り残さないということで、今、沖縄でも、玉城デニー知事を筆頭に、県を挙げて取り組んでいる課題であります。

 それから、沖縄経済同友会の方でも、実は昨年、策定をいただいたんですけれども、幸福度指数というのがありますね。このハピネス指数についても策定をいただいて、沖縄は、日本総研がつくっている幸福度ランキングでは四十五位なんですね。これは、数字を基に、失業率やあるいは低所得、こういったものを入れていくと四十五位なんですが、ブランド研究所の、住みたい町そして幸福度指数の高い県としては、沖縄は断トツで一位なんです。数字で見る豊かさと、精神的な、マインド的な満足度で見る豊かさの違い、その辺りをどう表現するかというのが私たちの今研究課題にもなっています。

 ハピネス指数というものをつくられた同友会が、どういう形で沖縄振興計画にこれを入れていくのか、そういう意味では、沖縄振興全体に取り組んでいるのが、この沖縄北方特別委員会の皆さんだというふうに思っています。是非、更なるパワーアップをいただいて、予算措置もいただいて、貧困問題も解決をしてほしいと思っています。

 そして、島尻議員が貧困問題では一生懸命取り組んで予算もつけていただいていますので、引き続き、この問題についてもよろしくお願いしたいと思います。

長友委員 ハピネス指数の御紹介もいただきました。

 SDGsの中で、常に最終的に考えの土台となるのが、自分が起点ということになってくるんですね。課題を解決するときに何を一番大事にするのか。それは、自分自身がこの十七のゴールに全て関わることになるんだよと。私なんかの一つの小さいアクションがそんな大きな目標につながるなんて想像がつかないと言う人もいますけれども、実は、その人が起点になることによって、いろいろな起点がつながっていって、最終的にはバタフライエフェクトを生むということで解決をしていこうというのが、SDGsの、いつも私がファシリテーターで講義をさせてもらうときに話すことなんですけれども。

 そういう観点に立ったときに、前泊先生にお聞きしたいんですが、今日の資料に、沖縄経済論1の中間取りまとめテストというのがあります。恐らく、これは沖縄国際大学で学生さんたちにテストをしていただいているものなのかなと思うんですけれども、ここに、一から十まで質問が、沖縄の様々な課題に対するテストがあって、これに学生さんが答えてくださっているんだと思うんですが、その学生さんたちの解答を見て、先生は率直に、未来の、これからの沖縄の課題を解決する人材がしっかりここにいるなと感じていらっしゃるのか、その辺りについての先生の御所見をお聞かせいただけますでしょうか。

前泊参考人 この問題は、七月末に学生たちに出すテストです、お見せできませんけれども。こういう形で質問を、最後に取りまとめをしていく形になりますけれども、主要課題について、前期の課題として、沖縄経済が抱えている課題をどういうふうに答えていくかというところ、それを、解決能力をどうつけているかというところで、入れ込んでいるものです。

 もう一つ、人材育成のところでは、これも国会でしゃべってしまったら来年から使えないんですが、学生たちに沖縄に関する百の質問を書いてもらいます。百の質問です。先生が答えに困るような沖縄経済に関する問題、そして、必ず答えに数字を入れるようなものを入れて質問を書いてくれということ、これは質問力がとても大事です。質問力で書いていただいた前期中間試験の問題が、実は後期の本人のテスト問題になります。ヒガさんは沖縄に何人いますかという難しい質問もありましたけれども、そういったものを答える形で沖縄経済の課題に取り組んでいく、そして、自分が出した質問に自分がちゃんと答えていくという形で実は解答力も高めていく、そんな人材育成をしております。

 それからもう一つ、沖縄はかなり人材が育っています。特に経営者の子弟たちは、海外での研究調査あるいは進学も含めて、ハーバードやあるいはケンブリッジを経験するような学生たちも出てきています。そういう意味では、我々の世代はともかくとして、次世代ではかなりの人材が育っていると思います。その人たちが、この国を変える力にもなるのではないかというふうに期待をしています。

 是非、沖縄に来られたときには一席設けたいと思います。そのメンバーを御紹介したいと思います。よろしくお願いします。

長友委員 前泊先生、大変ありがとうございます。優秀な人材の皆様がそろっていらっしゃるということで、是非一緒になって課題解決に臨んでいきたいと思っております。

 まさか、これから出るテストだと思っていませんでしたので、実は、九番の「「世界一危険な基地」とされる米軍普天間飛行場問題は、なぜ解決できないのか。」これを私はお聞きしたかったんですけれども、答えが出ちゃうことになると思うので、これは一回飛ばしまして、最後、質問させていただきたいと思います。

 渕辺会長が資料の最後に、こういう「世界一しあわせな島」ということで、いわゆる目指すべき方向性の絵を描いていただいております。この中にもSDGsが出ておりますけれども、やはり、こういう未来に向かっての、未来志向の解決をしていくに当たっては、ソサエティー五・〇という社会を実現していくということも必要になってきて、沖縄はそれを非常に先進的に取り組める土壌があるんじゃないかなと私は個人的に思っております。

 公共交通機関の課題も、先ほどるる皆様から御指摘がありましたけれども、例えば、ここにもありますが、完全自動運転があります。

 実は、私の地元は宮崎県延岡市というところなんですが、空飛ぶ車の実証実験というのを今年度から始めます。予算も数億つけまして、国からの交付金も取って、これは、いわゆる中山間地域とか、緊急救急車両がなかなか行けないところに対して、空飛ぶ車が救助に行くというようなことを始めていくんですけれども。

 そのような、全国的にも先駆けて、先進的なDXも含めて、未来志向の課題解決をしていこうということを沖縄でどんどん僕はやるべきなんじゃないかなと思うんですが、その点については、今できているというふうにお考えでしょうか。お時間がある中での御回答をいただければと思います。よろしくお願いいたします。

渕辺参考人 ありがとうございます。

 沖縄は、先ほど申し上げましたが、国家戦略特区に入っております。それで、実証実験、実装実験は、沖縄こそできる場所だと私も思っております。ですから、こういった絵も描かせていただいたんですけれども、具体的に、例えば、沖縄のある企業では、ドローンを飛ばしてお薬を運ぶ、そういった実験とか、もう始まっております。ほかの無人運転も、ちょっと一部には、本当に小さな規模でやっているところもあります。

 要は、沖縄が先んじていろいろな実験をやったその結果をもって、そこが全国にも波及する、そういった場としての沖縄の位置づけもあろうかと思っているところでもございます。エアモビリティーとか、あるいは、それこそ島嶼県でもありますので、遠隔医療とかも、全て沖縄で実験あるいは実証できるところもありますので、そういった意味での、この絵の中ですけれども、やっていけたらなと思っているところでもあります。

 それから、バイオなんかもそうですけれども、御存じのとおり、NMNとか、そういったところを作っている企業は、もうあります。意外とちっちゃいんですけれども、全てにおいて足がかり的なところはできているんじゃないかなと思っているところです。

 時間の関係で細かいことは申し上げられませんけれども、ここを沖縄は先んじてやっていきたいと思っておりますので、是非、逆にお力添えをいただきたいなと思っております。

 以上でございます。

前泊参考人 LRTを含めて、導入に向けてということでもあると思いますけれども、北谷町というところで自動運転の実証実験を、この四、五年続けてきています。これが実証できれば、沖縄における公共交通の新しい形が、全国に向けて発信ができるのではないかというふうに期待をしています。

 それから、ほかにも新しい取組として、ドローンの取組については、島嶼県、離島県沖縄ですから、百六十の島々を抱えて、四十九の有人島、やはり、これからどう運んでいくかというところも課題です。

 そういう意味では、教育の無償化、それから交通の無償化、そしてもう一つがWiFiの無償化という、この三つの無償化をまずは沖縄で実証実験をしていただいて、そこで、新しい取組について、沖縄を拠点として、全国の発展の可能性を探っていただければというふうに思っています。三つの無償化、是非御検討いただければと思います。

長友委員 ありがとうございました。

 以上で質問を終わります。

松木委員長 ありがとうございました。

 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。

 この際、一言御挨拶を申し上げます。

 両参考人におかれましては、貴重な御意見をお述べいただき、誠にありがとうございました。そして、いろいろな資料もいただきまして、非常に、これから沖縄の問題をやるときに、それぞれの、本当にいい参考になるというふうに思っておりますので、本当にありがとうございました。どうぞ、皆さん、拍手をお願いします。(拍手)

 どうもありがとうございました。

 それでは、この際、暫時休憩とさせていただきます。

    午後零時八分休憩

     ――――◇―――――

    午後一時五十八分開議

松木委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。

 午前中は沖縄問題をやりました。そして、北方問題に関する件についての調査を進めます。

 本日は、本件調査のため、参考人として、公益社団法人千島歯舞諸島居住者連盟理事長松本侑三さん、京都外国語大学教授黒岩幸子さん、以上二名の方々に御出席をいただいております。

 お二人とも、本当に今日はありがとうございます。ちょっと一言だけ御挨拶を申し上げます。

 本日は、御多用中のところ本委員会に御出席をいただきまして、本当にありがとうございました。それぞれのお立場から忌憚のない意見をお述べいただきたいというふうに思っております。それをまたしっかり国会の方で我々生かしてまいりますので、よろしくどうぞお願いします。

 次に、議事の順序について申し上げます。

 まず、松本参考人、黒岩参考人の順に、お一人十分前後ぐらいで御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑に対してお答えをいただきたいというふうに思っております。

 なお、念のために申し上げますけれども、御発言の際はその都度委員長の許可を一応得ていただきたいというふうに思っております。それと、また、参考人から委員に対して質疑をするということは一応できないということになっておりますので、そこら辺もよろしくどうぞお願いします。

 それでは、まず松本参考人にお願いをいたします。

松本参考人 御紹介いただきました公益社団法人千島歯舞諸島居住者連盟の理事長、松本でございます。

 私の生まれた地は、択捉島留別村天寧、皆さん御存じだと思いますが、単冠湾の右岸にある、太平洋、艦隊が集まった地、その地の郵便局長をやっていた父親の三男として私は生まれました。そういうことを、私自身、こういう活動に関わる中で、父親の話、それから研究していた兄の話などを総合的に、伝聞をまとめながら、いろいろな場で、いろいろな形で、四十回近く語り部として講演して歩いておりました。

 本日は、まだ私自身、先月の二十九日に理事になったばかりですので、これからの内容につきましてはメモを基にしてお話を進めていきたい。

 ちょっと冗談になりますけれども、択捉島は湖沼と湿原の島といいまして、すなわち、湖や沼と、ウェットランド、湿原の島と言われまして、非常に自然豊かで資源の豊富な島です。ただ、私自身がちょっと、先ほど申し上げましたように、シツゲンの方が違う失言にならないように注意しながらお話を進めてまいりたいと思います。

 本題に戻ります。

 今、ロシアとの関係は最悪と言っていいくらいになっているんじゃないかと思います。そういう中で、前任の脇理事長は八年間この任務に携わっておられました。先ほど申し上げたとおり、私はまだなったばかりですので、でも、私は、島に対する思い、熱い思いというのは誰にも負けない、そういうふうに思っております。そういうことを前提にして、今、北方四島の早期返還を願いながら運動を進めている、そういう立場にいるということです。

 本日は、松木委員長を始め委員の皆様の御高配により、北方領土の元居住者を代表して意見を申し上げることができますこと、大変厚くお礼を申し上げたい、そういうふうに思っております。

 日頃より、私ども元島民や後継者に対する支援措置を始め、当連盟の活動に皆様の御理解と御協力を賜っていることにつきまして、ここで厚くお礼を申し上げます。

 本日は、当連盟の主な課題や要望などを申し上げていきますので、皆様方には、私ども元島民の思いをしっかりと受け止めていただきたくお願いいたします。

 それでは、連盟の概要ですが、当連盟は、全国で唯一の元島民の団体として、昭和三十三年、社団法人として設立されました。それから約六十年経過しました。

 そういう中で、当連盟では、北方領土返還要求運動に関する取組を始め、領土問題に対する理解を深めてもらうよう、元島民とその後継者による語り部の活動や様々な啓発事業を行っています。

 また、元島民やその家族がふるさとの島を訪問する自由訪問や墓参の実施に関わるほか、今後の活動を担う二世などの後継者の育成や、後継者が活動しやすい環境づくりなどにも取り組んでおります。

 それでは、連盟の主な課題と要望について、順次申し上げていきたいと思います。

 皆様のお手元に、参考資料として、当連盟のあらまし、宣言、決議、コメント、知事と連名の要望書などを配付させていただいております。

 宣言は、領土問題や返還要求運動への決意を示すものであります。また、決議は、領土問題に関することを始め、国や関係機関への要望に関する事項を掲げております。

 次に、四島の返還についてです。

 まず、領土問題に関しては、宣言を御覧いただければと思います。当連盟では、一貫して、北方四島の早期一括返還をスローガンに掲げ、返還要求運動に取り組んでおります。

 私どもが島を追われてから、島を追われてから、この言い方は少し表現を変えさせていただきました。島を不法に占拠されてからと言い換えさせていただきました。長い年月が経過いたしました。領土問題の解決、四島の返還に至る道筋はいまだ見えてこない段階です。

 領土問題は私ども元島民だけの問題ではないと私は考えております。これは、国の領土、主権の問題である、国民の生活、安全を守るためのものであるというふうに考えております。日本国民全体の問題である、そういうふうに考えております。

 国内の世論、国民の意識が四島の返還が必要だということで一致した、こういう世論を背景に外交交渉を進めることが重要だと考えております。そのためには、私たちの連盟がもっともっと力をつけて、幅広い運動を繰り広げながら、それを力として、政府の方、国会の皆さん、そしていろいろな形で皆さんに申し上げられるような形をつくっていきたい、そういう運動もしなければならないと思っております。

 また、ロシアによるウクライナの侵略は、北方四島の現在の姿に相通ずるものです。ロシアによる不法占拠という状況を元の正しい形に戻すために、国際社会と協調していくことも重要だと思っております。

 先日、G7の関係で、私、スペインのABCという新聞社の取材を受けました。これは結構歴史のある新聞社ですね。その前に、ウクライナの問題絡みでイギリスのBBCの取材も受けました。そういう中で、スペイン、イギリスの方とお話ししながら、あっ、これは、北方領土の問題も、あの方たち、外国の方たちも同じように考えていただける、これは私たちのこの運動を国際社会に訴えるすごくいい機会ではないか、そういうふうに思います。これは私個人の感想かもしれませんけれども、こういうお話をさせていただきました。

 ロシアによる不法占拠という状況を元の正しい姿に戻すためには、国際社会と協調していくことも重要と先ほど申し上げましたとおり、こういう形で、国外にとどまらず国内にもこういう強い姿勢を示していく必要があるのではないか、そういうふうに考えております。

 先日、望ましくない団体に指定されました。その望ましくない団体のボスは私ですよね。そうしたら、私が一番望ましくない人物ということになるんだと思います。

 でも、この表現、これは、私たちが今までお話をしてきた、この要求運動の中で語ってきた内容と違うなと。歴史的な事実それから今までの交渉の過程などを一切無視した形で、ロシアが一方的に、領土の保全、これを侵害する団体と私たちを決めつけたわけですが、私たちは、これについては怒りを持って、怒りだけでは収まらない、何かの形で反論していかなければならない。また、政府にもそういう、これについてはより強い態度で反論をしていただけるようなことを期待したい、そういうふうに思っております。

 いろいろな形で声明が出されました。取りあえず、私たちは、昭和三十年以降、現在までの間に、日本とソ連、日本とロシア、この間で様々な形で交渉、宣言、いろいろなものが出されて、交渉も重ねられ、宣言も出されてきました。でも、やはり何ら領土問題に関して動きがないということになっているんだと思います。もっともっと強い姿勢で、国会及び政府には強い姿勢で臨んでいただけるようにお願いしたい、そういうふうに思います。一日も早く四島返還のゴールまで結びつけていくために、これまでに倍するほどの外交努力をお願いいたします。

 私は思います。外交の力とは、政治の力、経済の力だと思っております。これを遺憾なく発揮していただきまして、皆様方の御支援をお願いしたい、そういうふうに思います。

 私たち、四島が返還されるまで、もう私たちの組織は、平均年齢、元島民は八十七歳を超えております。私はちょっと下なんですけれども。こういう状態の中で、もうロシアと交渉が妥結するまで待てないという方もたくさんおられます。取りあえず、私たちが今ここで望みたいのは、北方墓参の早期再開。これはもう強く、これが一番、ロシアが今現在、北方墓参についてのみ言及されていないので、私たちがこれからこの運動を進めていく一つの方向性として、じゃ、北方墓参ではないか、そういうふうに考えております。是非、皆様方の御協力や御意見をいただきたいと思います。

 ただ、今こういう状況の中で、もう既に五月、六月分の四島交流は全て中止が決まっております。こういう中で、島の近いところで御先祖の慰霊をしたい、そういう要望がある、結構強くありますので、昨年、洋上墓参を実施しました。今年もそういう形を考えざるを得ない状況にあるのかとも思います。私ども元島民やその家族にとって北方領土は私たちの島だ、こういう考えの下に、これから墓参や自由訪問を是非強く進めていけるような形にしていただければなと思います。

 ちょっと時間になりましたので、ロシアも墓参だけは停止を申し述べていないと、先ほどのお話にありますけれども、ということですので、これが早期に実施されて、安全に実施されることを私たちは願っております。

 これ以降、連盟としては、後継者による広報活動それから啓発活動を充実させながら、私たち以降の人たちに一つの道筋を引き継いでいただけるような取組を進めてまいりたいと思っております。

 あわせて、後継者の一部にしか認められていない北対協融資につきましても、もっと幅広い形で支援していただけるような措置を取っていただければとも思っております。

 一日も早く北方領土の返還が実現するよう、全国各地で要求運動に御尽力をいただいている関係団体の皆さんと協力、連携しながら、私たちも外交交渉の後押しになるような力を尽くしてまいることを申し上げまして、私の陳述を終わります。

 どうもありがとうございました。(拍手)

松木委員長 ありがとうございました。

 それでは、黒岩参考人もお願いをいたします。

黒岩参考人 皆さん、こんにちは。京都外国語大学の黒岩です。

 私は、ちょうど三十一年前にビザなし交流が始まったときに、ロシア語の通訳として同行しました。それから毎年、島に渡るようになりまして、その後は大学に籍を移したんですけれども、ずっとこの北方領土問題を自分の研究テーマとして、何度も根室にも行って、扱ってきました。

 普通、領土問題というのは、外交上の問題とか日ロ政治とか国際関係論として捉えられるんですけれども、私の場合は、当事者、地元ですね、北方領土のロシア人も含めた、そういう地域から見てこの領土問題をどういうふうにするのか、そういうアプローチでやってきました。その立場から、今日、二点お話ししたいと思います。

 まず一点目ですけれども、本当、松本理事長の後にこういうことを言うのは非常に悲しいんですけれども、日本が望む形での北方領土問題の解決というのは今般の戦争によって失われた、完全になくなったと思います。

 これはどういうことかというと、単にプーチンが、もう領土交渉をやめるとかビザなしを停止するとか、そう言ったからという単純な話ではなくて、プーチン政権は今、ユーラシア大陸の西側でミサイルをぶち込み、戦車を送り込んで、そして領土、境界を変えようとしているわけですよね。そういう政権と日本が、頼まれても、じゃ、東は別の話だから平和的にお話ししましょう、もうそういうことはできないですよね。

 その後、プーチンの後に、もしかしたら、まともな政権になって変わって、何か話ができる人が来たとしても、今の西がまだどういう解決をするか分かりませんけれども、あのウクライナ問題、もうロシアの中にも鬱憤がたまっている、さんざん血が流れている。それだけ血を流して、じゃ、今度は、東は日本の言っていることが正当だから譲りましょうと。そういうのは、もう正しいとか間違っているとかの問題の以前に、ロシアの次の政権が、そういうことができるわけがない。その話はできなくなる。

 じゃ、二、三十年、ほとぼりが冷めてから、もう一回話を始めればいいじゃないかと言われても、もう戦後八十年になろうとしていますよね。九十年、百年たったときに、百年前の戦争のことをもう一回ここで、それが正義だからといって、向こうが領土だと主張しているものを変えようといっても、それはもうリアリティーを欠くと思います。今、日露戦争を持ち出してとか第一次世界大戦のときをというのが受け入れられないのと同様だと思うんですね。

 というわけで、その前に、数年前に、安倍・プーチン会談、二十七回やって、二島に落としてもゼロ回答でしたよね。茶飲み友達じゃあるまいし、二十七回も日ロの首脳が会って、ゼロというのは何だったんだとすごく批判的に見ていたんですけれども、安倍総理がああいう形でお亡くなりになられ、プーチンは今は狂ったようなことをしているので、もうそれを批判することも意味がなくなったという意味で、残念ながら、日本が望む形での解決は失われたと考えています。それが一点目です。

 でも、私、申し上げたいのは、そうしたら話は終わっちゃうので、二点目でして、この領土問題というのはやはり残っているわけですよね。まさか、もうしようがない、諦めると日本が言うわけにもいかないし、かといって、ロシアと縁を全く切るというわけにもいかないし、地理的に、北方領土と根室一帯、北海道は一つの地域としてありますし、それを無視するわけにはいかない。

 そこで、先生たちにお願いしたいのは、ある程度沈んだら、もう一度、日ロ関係の構築、特に、領土問題が残った形で、異様に複雑な形で残った形であるこの地域をどうするかということを、政治力を含めて変えていってほしい。

 今、日本の国民感情としては、ほとんどロシアと戦争しているような状況ですよね。何か、完全にウクライナを応援して、反転攻勢頑張れという感じで、私はこの間、今こそ停戦をという運動にサインしたんですけれども、何か日本中が殺気立って、ロシアをやっつけたいという気持ちになっているときに、今どき、日ロ関係をもう一回とか言い出したら、本当に炎上しかねない。

 先生方も、もし選挙があるとしたら、そのときに、いや、日ロ関係は大切ですなんて言ったら、票が全部流れてしまいますよね。そういうことは言えないと思うんですが、ある時期、いつか、ずっと戦争が続くわけではないので、プーチンもいつまでもいるわけじゃない。そのときに、やはりもう一度、この地域をどうするか、それから日ロ関係をどうするかというのを、やはり再構築していかなければいけないと思っています。

 この領土問題の部分、北海道の島部だけじゃなくて、もちろん、これは領土問題だけでなく、漁業の問題でもあるし、知床に近い環境の問題でもあるし、特にこの地域というのは、アメリカとロシアと両方に、アリューシャン列島でアメリカに近く、またロシアにも、サハリン、カムチャツカなんかにも近い、地政学的にも、とても重要な地域です。オホーツク海と北大西洋地域を含む、そういう地域の安全保障と、そして日ロの経済また政治、全ての関係において重要な意味なので、そこをまた再構築を考えていただきたいと思っています。

 そのつては、既に蓄積は地元にあると思います。今、松本さんがおっしゃいましたけれども、たった一つ、ロシア側が、領土交渉も破棄、それからビザなし交流も破棄したけれども、さっきおっしゃったように、墓参だけには触れなかったんですね。この細い糸を一本でも、まだとてもパラドクシカルではあるんですけれども、そこで日ロの関係を何とか復活させる可能性があるといいますか、これをつてに、そして、冷戦期にはソ連側が突然ビザ取って来いと言ったので、墓参は十一年間ストップしていた時代があるんですね。それが八〇年代終わりに再開されて、また日ロ関係というのが、日ソ関係、進んでいった時代があるので、そういう過去も考慮しながら、この再開を、そしてその後の漁業関係その他で日ロ関係を再興していただきたいというふうに考えております。

 私からは以上です。ありがとうございました。(拍手)

松木委員長 ありがとうございました。

 以上で両参考人からの意見の開陳は終わりました。

 御両人、本当にありがとうございます。今日は、この委員会というのは二十五人の委員会なんですけれども、ほぼ全員来ています。お二人のおかげです。

    ―――――――――――――

松木委員長 それでは、これより参考人に対する質疑に入らせていただきます。

 質疑のお申出がありますので、順次これを許します。高木宏壽さん。

高木(宏)委員 自由民主党の高木宏壽です。

 今日は、両参考人、お忙しい中御出席いただき、ありがとうございます。

 今日は、千島歯舞諸島居住者連盟、千島連盟の松本侑三理事長にもお越しいただいています。今、札幌市在住ということで、私も札幌市なので質問をさせていただくことになりました。

 五月の二十九日の千島連盟の総会で、平成二十七年から四期ですか、八年間務められた脇紀美夫前理事長が退任されて、新たに理事長に就任されたということでございます。

 今、ロシアによるウクライナ侵略で、この領土問題、領土返還運動、大変見通しが見通せない中、役員改選で世代交代を求める意見もあったと承知をしております。

 終戦時、一万七千二百九十一人いた元島民、今年の三月末時点で五千二百九十六人まで減少、元島民の平均年齢も八十七・五歳と高齢化も進んでおります。いずれ、島に住んでいた頃の話を元島民の皆さんから直接聞くこともできなくなるわけでありますが、今回の役員改選で、返還運動の顔となる千島連盟トップに、島の記憶がある元島民の方が引き続き就任されたことは、私は大変意味のあることだと思います。

 そこで、新たに理事長に就任されて、千島連盟のトップとして、北方領土問題の解決に向けた思いと、今後の活動、事業に向けた抱負についてお聞かせをいただきたいと思います。

松本参考人 大変難しい御質問であったような気がします。私たちの北方領土返還要求運動の形、在り方そのものを考え直さなきゃいけない状態になっているのではないか、そういうことを前提にお話を申し上げたいと思います。

 ただ、先ほど、私、島民とか後継者という言葉を余り使いたくないので、ただ、私たちが今これから行おうとしていることは、島で生活した経験のある方、島の記憶がある方は、今運動している方、これから運動を進めようとしている方に語ってほしい。これから運動しようとしている人は聞いてほしい。そういうお互いの記憶が残っているうちに一つの、島で失ったもの、先ほど申し上げましたすばらしい自然、産業、こういうものを前提に、返ってきたら私たちはどういうような島にしたいのかということも展望の中に加えながら、幅広い啓発活動を行っていきたい。ということは、展望のないところに私たちの運動、展望のないところにこの運動の姿勢というのは語れない。

 ただ、今、先ほど先生のおっしゃられたとおり、やはりこれからの人たちに引き継いでいくための組織づくり、あるいは理論づくり、方向性を出していかなければならない、そういうふうに考えております。

高木(宏)委員 今回の役員改選で、昭和三十三年に連盟が創設されてから初めて、後継者とかという言葉は使いたくないということなんですけれども、元島民二世の方が副理事長以上の役職に選ばれたわけでありますが、元島民の思いや領土問題の歴史、経緯、これを後継世代にしっかりと引き継いでいくことが、返還運動を前に進めていくためにも私は必要であると考えております。

 今回の改選で初めて元島民二世の方が副理事長に就かれた意義についてどう考えるか。また、元島民の高齢化を考慮すると、返還運動を後継世代に引き継ぐ転換期に来ていると思いますが、元島民の思いや返還運動の経緯、あるいは島の歴史、どのように引き継いでいこうと考えているのか、理事長にお伺いします。

松本参考人 先ほどと同じようなお話になるかと思いますけれども、組織としては全体的に、これから運動を進めていく方々を、何というのかな、育てていくというのか、組織的につくりながら、幅広い運動が進められるような状態にしたい、そういうふうに思っております。

 私は常々、組織というのは数だ、数は力だ、その力は必ずどこかの方向に向けなければいけないと。そういう姿勢で、今回の、これからの運動の進め方について、今、先ほど申し上げましたとおり、組織体制、組織の目標、それから今何をしなければいけないのか、そういう、島の記憶を失わないようにするためにはどういう形で伝えて、どういう形で皆様に訴えていけばいいのかという方向、そういうものを担えるような若い世代の人たちが出てくることを、あるいはそういう方を育てるような運動をしていきたい、そういうふうに思っております。

高木(宏)委員 昨年ロシアは、ロシアのウクライナ侵略に対して制裁を発動した日本を非友好国に指定をいたしました。この四月には、先ほど来お話が出ています、ロシア最高検察庁が千島連盟を好ましくない外国NGO団体に指定をいたしました。ロシア側の一方的な発表で、政府も直後に受け入れられないと抗議をしております。好ましくない団体に指定されると、ロシア国内での活動が事実上禁止されて、ビザなし渡航の枠組みを維持している北方墓参が再開されても、連盟関係者が参加できなくなるという懸念もございます。

 この指定に対して、四月の二十五日、千島連盟は、北方墓参の実施団体である北海道知事と連名で、千島歯舞諸島居住者連盟がロシア最高検察庁から望ましくない外国NGO団体に指定されたことに対する声明を公表しておりますが、改めて、新しく理事長に就任されたわけで、新理事長として、指定されたことへの受け止めについてお聞かせいただきたいと思います。

松本参考人 このお話を聞いたのが四月二十二日、ちょうど私ども、私が所属しております道央支部の総会の朝でした。思わずそのときに、総会の御挨拶で、私、支部長でしたので、総会の御挨拶の中でちょっと余計なことを言ってしまいましたら、それがずっとユーチューブに載りまして、非常に反響が大きかったんですけれども、御存じの方もおられるかと思います。

 正直な話、なぜああいう形でロシア最高検察庁が司法権を使って私たち日本人に対して、ああいうような発言をしなければならなかったのかなということも考えながら、私たちは、えっ、でも、私たちが言っていることと違うよね、先ほど申し上げました歴史的な事実、それから今までの交渉過程の中で、これはとんでもない違う方向のお話である、そういう認識に基づいて、政府にも、いろいろな関係機関にもそういう要望を申し上げて、何とか抗議声明、これがもっと正常な形の話に戻せるような方向。

 ちょっと時間、違う話もして申し訳ないんだけれども、一九六四年に北方墓参が始まったときの経緯は皆さん御存じだと思います。これは、日本と当時のソ連が、人道的な見地から墓参をすると。先ほど黒岩先生の方から、十年間中断されたと。ところが、一九九一年、ロシアが、ゴルバチョフさんが幽閉されて、非常に政変が起こった年です、この年でも、その十年間の隔たりを経て、初めて択捉島に墓参が許されたんです。実は、あの混乱の中で、九一年、九二年にも、やはり人道的支援という話合いの中で墓参は実施された。

 ということは、私は、正直な話、ロシア検察庁はああいう言い方をなさっていますけれども、ロシアの人たちはもっと違う形で物を見てくれるんじゃないか、そういう淡い期待をしております。やはり、人道的な一つの形で北方領土返還要求運動が向かうということも大切なんだろうなと、ちょっと甘いかもしれませんけれども、そういう感覚を持っております。

高木(宏)委員 黒岩参考人に一問お伺いしたいと思います。「北方領土のなにが問題?」あるいは「北方領土の基礎知識」などの著書がおありでありますので、北方領土問題の解決に向けた先生の考え方をちょっとお伺いしたいと思います。

 戦後七十八年以上未解決のままであるこの北方領土問題、著書の中で、領土問題の解決に歴史を持ち込むべきではないという考え方に絶対反対ではないということであります。これは、唯一の歴史的真実や歴史的正義があるとは言えないからだということですが、はっと気づかされる視点でもあります。こうした視点も含めて、これまでなぜ解決を見なかったのか。どこに問題があり、また、解決に向けた道筋とオプションとしてどういう選択肢があるのか。非常に総花的な質問なんですけれども、先生のお考えを御教示いただきたいと思います。

黒岩参考人 回答すると一時間ぐらいかかりますので、拙著をお読みいただき、ありがとうございます。

 簡単に言いますと、歴史的な解決というのは、どんな問題でも、ここまでこじれると難しいということですね。だから、持ち込むなというのは極論なんですけれども、それを言い出したら、ずっと数十年平行をたどってきたように、同じであると。それで、この解決をどうするって、今、領土問題を出すこと自体がロシア側が拒否してきますから、話もそこで終わるので、とにかくこの問題を持ちながら、この地域から何か交流させるということですね。

 さっき、千島のことを、余りロシア人のことを言いませんでしたけれども、あそこはウクライナの人、ルーツを持つ人がほとんど、たくさん住んでいるんですよ。ですから、すごく今プーチンを支持して戦争賛成みたいなことを言っていますけれども、内心は全く違うと思います。

 あそこに住んでいる、ルーツを持つ人というのは、ウクライナから戦後送り込まれてきたんですね。その人たち、子供たちはクリミアで夏休みを過ごすとか、クリミア、ウクライナに住んでいるおじいちゃん、おばあちゃんに仕送りしているとか、それから、年金をもらうようになってから、実際に私の知っている人もウクライナに帰っていきました。

 そういうルーツがいっぱいあるのに、この戦争を、プーチンを支持しているわけないんですね。そういうところを含めながら、理解しながら、今言論を封殺されていますから、ロシアで、言えないけれども、そこを配慮しながら何か交流していく、それ以外に道はないと思います。

 以上です。

高木(宏)委員 ありがとうございました。

 地元のメディアでアンケートを取ったところ、返還要求運動の原点の地である根室でも、この領土問題解決に向けて見通せないという非常に悲観的なイメージが広がっておりますので、こうした悲観的な見方が更に強まらないように、千島連盟の事業を後押しできる取組をしっかり進めていくことを申し上げて、私の質問を終わります。

 ありがとうございました。

松木委員長 お疲れさまでした。

 それでは、次に、道下大樹さん。

道下委員 立憲民主党・無所属の道下大樹でございます。

 選挙区は北海道一区ということで、今日は、松本参考人、黒岩参考人、本当にお忙しい中、お越しいただきまして、ありがとうございます。

 私は、衆議院議員の前は北海道議会議員、三期十一年、二〇〇七年に初当選し、二〇〇八年五月に私はビザなし交流に参加させていただきました。そのときは国後に行きました。そこのロシアの島民の方々との意見交換のときには、まだ我々、日本人や、島民の方々は、領土を返還してもらいたいんだという話はできました。でも、ロシア島民の方々は、それに対しては、いや、それはロシアが戦争でかち取ったものだというような意見を、議論をすることができました。

 ただ、それ以降、残念ながらそうした議論も、ロシア政府側、行政府側から禁止されて、それができなくなってしまったというのは非常に残念だなというふうに思っております。

 今の高木委員の質問と重ならないように、幾つか、まず松本参考人に伺いたいと思います。

 先日、理事長に就任されました公益社団法人千島歯舞諸島居住者連盟は、これまで一貫して、北方領土一括返還の早期実現をスローガンに活動を展開されてこられました。

 一方で、北方領土返還に向けた日本政府の取組姿勢、方向性というのは、私は一貫していなかったというふうに思います。四島一括や二島先行、そして安倍元総理が、回顧録では、二島で決着をつけるんだというように、政府がいろいろと方針転換をした。それが、公であり、非公式であり、いろいろと出てきたわけでありますが、そうしたこれまでの日本政府の北方領土返還に向けた方向性の一貫性の有無について、松本参考人、どのようにお考えでしょうか。

松本参考人 非常にお答えしにくい御質問だと思うんですけれども、私は、私の父親が昭和三十三年にこの連盟を創立したときに、理事として参加しておりました。また、道央支部長としても創立に加わっておりました。

 一貫して私たちが考えるのは、まず、いろいろな歴史的な背景、さっき先生は、歴史的な背景というのは問題じゃないんじゃないかというような、それに近いニュアンスのお話をいただきましたけれども、私は、そうではないと思います。

 それと、やはり、こういう歴史的な事実、それから、これは全然違う形で論点を進めてしまいそうなんですが、北方四島、すなわち択捉島と得撫島の間に海峡があります。そこまでの間が、いわゆる生物学的には宮部ラインというラインが引かれておりまして、生態系そのものが、植物を中心にした生態系は、まさに四島そのものが北海道由来である。明らかにカムチャツカ由来ではなく、それから樺太由来ではない。

 そういうようなことも前提にして、私はあそこを今まで一貫して一つの領土として考えておりますので、私たちの運動も、そこに住まわれていた日本人が多いわけですから、あの失ったものを、先ほど申し上げました、絶対にもう一度私たちの手に取り戻して、島の再興を図りたい。そうするためには、あの四つがあることによって、初めて産業、自然が成り立っているんだという前提でこの話を申し上げて、四島一括返還を求めております。

 多分お答えになっていないかと思いますけれども、ということでお許しいただければ。

道下委員 ありがとうございます。答えていただいております。感謝申し上げます。

 その政府の方針、やはり私は、千島歯舞諸島居住者連盟の一貫した取組とは違って、政府の方はいろいろと変わっているなと。例えば、二〇二二年の外交青書では、十九年ぶりに、ロシアに不法に占拠されているという言葉や、十一年ぶりに、日本固有の領土という言葉が戻ってきたんです。それまでは書かれていなかったんです。

 もちろん、交渉というものは、やはり相手との交渉ですから、状況はしっかりと、こちらとしてもその都度相手に合わせながらやらなきゃいけませんけれども、日本政府は、残念ながら、ロシアに合わせ過ぎていると私は思っております。その点、もっとやはり連盟の皆様のような一貫性が、この領土交渉、日本政府は持たなきゃいけないんじゃないかなと私は思っております。

 それで、松本参考人が理事長に就任されてから、記者会見などの記事など、そして今日の御発言も拝見させていただくと、私は本当に、元島民や島民二世、三世、後継者のみならず、本当に、日本国民全体にこれに関心を持っていただいて、そして領土返還運動の機運を醸成していきたいんだという熱い思いを感じさせていただいております。

 このように発言されています。返還運動をもう一度見詰め直し、返還後にどのような島にしていくかという展望を持って取り組んでいく、そのため、もっと幅広い人たちに北方領土の問題を知ってもらい、一つの力にしたいと発言されています。

 ここでは、連盟の皆様はもちろんそのような思いで取り組まれると思いますけれども、こうした連盟の動きを支援したり、また、日本政府が国の中で政策として、どのようにこうした松本理事長や連盟の考え方に呼応して、政府がどのように取り組み、また支援をすべきとお考えになるのか、その点について伺いたいと思います。

松本参考人 私たちは、常に、日ソ、日ロの両国、それから日本政府の、そういう政策の変更とか考え方の変更によって、私たちの返還要求運動というのは随分翻弄されてきたような気がします。やはり、一貫した私たちの姿勢は、いかなることがあっても変わらない、そういうことを先ほども申し上げましたけれども、そういう姿勢だけはお伝えして、お答えになるかどうか分かりませんけれども、先ほどの私のコメント、もうそれ自体が私たちの本当のこれから考えていくべきことだと思っておりますので。これぐらいで勘弁していただければと思います。

道下委員 ありがとうございます。

 私は、やはり、これから、元島民の皆様が高齢になられて、今度は二世、三世、後継者、そして今、例えば返還要求全国大会などでは、若い高校生などが弁論大会で返還に向けた思いを述べて、そして国民運動に広げていこうという取組をしている。それについて政府が全面的に支援をしているというような姿勢を示しながら、北方領土返還に向けた動きを、取組をすべきではないかなというふうに思っております。

 今後、先ほどもお話がありましたビザなし交流、自由訪問、これはもうシャッターが下ろされている状況ですが、北方墓参の再開、これがやはり、黒岩参考人もお話がありました、領土交渉再開に向けた大きな足がかりになるのではないか、若しくは、一つ、これだけしかないんじゃないかというふうに思われるかもしれませんが、この北方墓参の再開に向けてどのようなことをすれば。

 まあ、これはロシアによるウクライナ侵攻が終わらなければなかなか難しいのかもしれませんが、やはり、こういう状況が続いている中でも、日本政府としてロシア政府に対してのアプローチは続けていかなきゃいけないというふうに思っていますし、また、その点、今のロシアのウクライナ侵攻中のことと、あとは、侵攻が、戦争が終わった後にどのようなことを真っ先に進めていきたいのか、また政府に求めるのか、ちょっとその点について伺いたいと思います。

松本参考人 私たち、今一番考えられるのは、ロシアとの交渉の中で、先ほどもちらっと申し上げましたが、なぜロシアが、あのソ連時代に合意した人道的支援という立場の墓参を拒否しなかったのか、停止をしなかったのか。そこは、非常に難しい問題もあるかと思いますけれども、今私たちが取り組めるのはそこからしかないと。外交的にもそうだし、やはり、いろいろな政権の中で、昔から、経済交流を図りながら領土の問題を解決しようとか、いろいろなお話が出ておりました。それももちろん一理ある。でも、今現在、この状態で私たちができるのは、墓参の早期再開、早期再開を求めるしか今の段階では何ら手だてはないんだと思っております。でも、やはり、自分たちのこういう強い意識というのかな、領土に対する意識を発揮できるのはやはり墓参なんだろうと。

 墓参には三つのメリットがあります。一つは、島民が自分たちの生まれた島に行けること。それからもう一つは、この墓参によって、墓参をすることによって、ロシアの島民の方が私たちの領土に対する思いを考えていただけること。それからもう一つは、こういうことを、墓参をすることによって、この内容がマスコミ報道を通じて全国の皆さんに伝わること。これが私は墓参のメリットだと思っているし、私たちの領土返還要求運動の原点はそこから始めるしかないんだろう、そういうふうに思っております。

道下委員 どうもありがとうございました。

 残された時間が短くなってまいりました。黒岩参考人に伺いたいと思います。

 御著書や論文などを拝見させていただいたときに、これは二〇二二年八月二十二日初版の「歴史総合パートナーズ16 北方領土のなにが問題?」という中で、この北方領土問題について、残念ながら日ロ領土問題の解決ははるかかなたに遠のいたと言わざるを得ませんというふうに最後の方で締めくくられている。先ほどのお話では、日本が望む形での北方領土解決は完全になくなったというふうに、非常に後退というか、もうこれで終わりだということになられたんですね。その約一年弱の間での考え方が変わられたことについてのお気持ちというもの。

 もう一つは、北方墓参は私は本当に重要だと思います。これは北方領土の問題ではないんですけれども、同じ千島列島で、亡くなった旧日本兵の方々の遺骨収集、例えば占守島だとか、これはほかの、南西の方の遺骨収集とは、日本政府、残念ながら積極的ではないんですね。

 もちろん、もう冷たいから土が凍ってなかなか採掘できないということもあるんですけれども、何とかこの遺骨収集、千島列島における遺骨収集についても、そして遺骨の返還についても働きかけること、行動を起こすことによって、北方領土の返還の何らかの道筋に、つけることにもなるんじゃないかなと私は考えるんですけれども、その二点について、是非お話をいただければと思います。

黒岩参考人 あの本を書いたときは去年のまだ三月で、校正に入った時点で戦争が始まったんですね。そのとき、まだ十分に見切れていなかった。それで、二校を始め、もう一回、次の校正に入ったら、今度は安倍総理が亡くなられたという、ああいう事件があって、私も非常に混乱しまして、その後、ずっと考えて、なくなったなという、あのときよりも後退したというか、あのとき、まだ全体が見えていなかったんだと思います。

 それが一つと、それからもう一つは、墓参でしたよね。(道下委員「墓参と遺骨の収集」と呼ぶ)ああ、遺骨収集。

 千島の占守戦という激しい戦闘があって、あそこでは、もう既に遺骨をロシア側が幾つか返してきているんですね。それを受け取ったりもしているんです。それは可能なことなので、北に行ってやればいいと思うんですね、遺骨収集。

 それともう一つは、北方水域に、少なくとも一万人ぐらい水没者がいるんですよね、これは日本兵だけじゃなくて民間の人も含めて。これは、南の方では水没者のことを言っていますけれども、なぜかよく知られていないんですよね。

 これは、日本があそこで戦争をしていないというか、北方領土では戦争がなかったと言っている、そのとおりなんですけれども、その前は、むしろアメリカの潜水艦にどんどん撃たれて、たくさんあそこで沈んだまま。あそこは海が深いので、もうそれを引き揚げるということは不可能なんですが、そこにどれだけの人が沈んでいるかということは、もっと、もう少し国民に知られるべきことだ、そういうふうに思っています。

 以上です。

道下委員 時間が切れましたので、この辺で質問を終わらせていただきます。

 松本参考人、黒岩参考人、本当にどうもありがとうございました。

松木委員長 次に、杉本和巳さん。

杉本委員 日本維新の会の杉本和巳と申します。よろしくお願いいたします。

 今日は、お二方、本当にありがとうございます。

 早速質問に入りたいんですけれども、まずはちょっと自己紹介をさせていただくと、松木委員長も私もなんですけれども、ロシアの入国禁止を受けております。

 この沖縄北方委員会の理事は総じてそういう指定をされておりますので、岸田総理以下、たしか私は二十七番目の指定を受けた人間なんですけれども、そういうものだということを御理解いただきたいのと、愛知県の選出なんですが、なぜか御縁あって、北と南の委員会なんですが、真ん中の愛知、私、ずっとこの委員会にさせていただいているということの中で、北方領土には二度お邪魔しました。一度目は、誰も行かない予定だったんですが、鈴木宗男先生が急遽隣の部屋になったりとかというようなことで、御一緒して、相当教えていただきました。

 ということなんですけれども、あと家内が道産子でもありますので、そんなことで思いは強く持っているつもりです。

 また、ちょっと余談になりますが、私は、昔、趣味で羅臼岳に登りました。頂上から是非御覧いただきたいんですけれども、晴天の日の眼下には国後島がもう本当に真下に見えて、是非、国会議員の皆さん、登っていただきたいと思いますし、山本一太先生には、今は群馬の知事ですか、是非四島に入ってください、あなたは担当大臣じゃないですかと言って、行ってくださった大臣は山本一太先生だったという、余談になりましたけれども、そんないろいろ御縁があって、今日は質問に立たせていただいています。

 また、「蛍の光」四番という歌があって、四番には、「千島のおくも、沖縄も、八洲のうちの、守りなり。」というようなフレーズがあって、国会議員の実力者も御存じなかったりするので、先般も城内さんが聞いてくださったかと思うんですけれども、そういう意味で、本当に我が国の領土、領海、領空、固有の領土、不法占拠、こういう言葉はようやっと最近戻ってきたのかなと思っています。

 私が初めてこの北方領土問題に触れたのは餓鬼の頃で、一九七一年頃に、「お荷物小荷物 カムイ編」という、朝日放送制作で、TBS系で放送された番組があって、中山千夏という女の人が、アイヌの方で、その方が東京に出ていっていろいろ活動するということの中で、なぜかスローガンが、返せ北方領土と書いてあって、四島一括返還とかというのがその番組に出ていたんですね。それで、私の意識は四島一括なんだと思っていたんですけれども、国会議員になった後、杉本君、いろいろ勉強するとだな、段階的返還論とかあるんだとかいうことの中で、安倍総理もそういう認識をされて、段階的返還論を踏まれていたのではないかなという思いです。

 それと、ちょっとまた一方的にお話しするんですけれども、先ほどのお話を伺う中で、私は、ゴルバチョフ大統領にお会いして、三十分ぐらいお話をさせていただいたことが実は幸いにありまして、それで、現下はプーチン大統領って、敬語みたいに大統領とつけるのは嫌なんですけれども、現下は、ヒトラーと例えていいかどうか分かりませんけれども、そういう状況の中で、ロシアもソ連という国の中でゴルビーが出てきたということもあるので、私は、今後の政権中枢が、ロシアの中枢の方が、同じような方がまた出てくるという説もありますけれども、決してそうではなくて、長い、少し時間を、スパンを、時間はなくなってきてはいるんですけれども、そういう目で我々は見ていく必要があるのではないかと思っています。

 それで、先ほどマスコミの話が出ました。お二方にお伺いしたいんですけれども、マスコミの取り上げ方が、さっき、スペインのABCがあって、イギリスのBBCがあって、なぜ、今回のG7とかがある中で、日本のマスコミはそういう問題として取り上げないのかなというふうに私もお話を伺いながら思ったんです。先ほどの中で、墓参には意味があるということを松本さんはおっしゃいましたけれども、それでも、私は、マスコミの活動が余りに弱いと。一方で、一九七一年のTBSはそういう番組を作っていたわけですね。

 ということではマスコミの力というのも後退しているような気がしてならないので、何とか、本当に解決するのは大変な問題であるし、拉致問題とともに、本当に解決したいけれどもできにくい、だけれども我々は必死に取り組むんだという問題だと思いますけれども、マスコミの姿勢について、もっと望むべきことがあると思うんですけれども、現状に対する提案みたいなのが両先生というか両参考人からあれば、それぞれ、松本参考人、黒岩参考人の順で伺えればと思います。

 委員長、お願いします。

松本参考人 マスコミの報道の仕方云々というよりも、やはり、何かあったときにということじゃなくて、私たちの対応の仕方もちょっと足りなかったような気がします。例えば、ロシア政府が何か一つ、こういう提案がなされたときに、確実に私たちも島民として、組織として反論できるような体制があったかと言われると、それはこれからの活動の中で反省していかなければならない点だなと思っております。

 でも、やはり私は、私自身は、あの二十九日、ウクライナの後、ずうっと、一日に二回とか、午前と午後に分けて取材とか、そういう形で応じていまして、いろいろな形で皆さんが報道していただけるということを好意的に取って、たくさん報道していただきたいということで、私が、私たち島民を中心にそういう対応をして、マスコミに報道していただきたいという思いで参加しております。

 ちょっと、もう少し、もっと本質について報道していただければいいなという思いはあります。

黒岩参考人 マスコミの報道についてですけれども、この北方委員会で言うのはなんですが、日本のマスコミは、常に北方領土以外に報道しないんです、対ロシアに関して。何でも、四島か、三島じゃいけない、二島だとか、そういう話ばかり書いてきたので、もう国民に刷り込まれて、ロシアといえば北方領土で、それ以外の発想が出てこない。それで、どうだ、二島だとたたいてみたり、安倍さんが言えばいいと言ってみたり、そういう報道ですよね。

 もっと、北海道というのは隣接していて、いろいろな関係を持っているんですね。北方領土問題があろうがなかろうが、境界がどこに引かれようが、常にそばにいるということがあるので、もう少し、どういう関係を持っているのかというのを広く報道していただきたい。

 特に、稚内ですとか、サハリンに事務所を持っていたのに、何か、ウクライナ侵攻の後にすごく稚内市役所に、もうがんがん文句が来て、そこを閉めたんですよね。でも、やはりそこを、関係をなくすわけにはいかないので、そういう意味で、もう少し幅広く報道していただきたいなと思っています。

杉本委員 ありがとうございます。

 北海道新聞さんだけとかじゃなくて、本当に、全国紙の方々にも、今日のこの委員会を通じて認識を更に深めて、もっと活発に報道していただき、広い視野で取材をしていただきたいというふうに私も感じております。

 次に、まず黒岩参考人に。

 先ほども先生の資料の中に、ウクライナの方々が極東にたくさん移住していると。さらに、さっきのお話ですと、クリミアに夏休みとか、仕送りをしているというお話もございました。

 今回の戦争は、まだクリミア侵略は終わっていないわけなんですけれども、早期停戦を望まれていらっしゃるというふうにも伺いましたけれども、いつか終わるというふうに私も認識しておりまして、そういった意味で、やはり、ロシアが正面ではあるんですけれども、民族的にはウクライナの血を引いた方々が、今、現島民とかでいらっしゃるということ、可能性があるので、そういった深い意味での理解というのを深めていくことが、時間はなくなっているんですけれども、長い意味で、やはり、もっと訪問しやすい、まずは墓参なんですけれども、自由訪問がもう一回復活するとかという流れにしていくためにも、そういう、ウクライナ政府との関わりとか、ウクライナの国民の皆さんとの関わりとか。

 あるいは、島民の方々で、私が行ったときには、ゴルビーは嫌いだ、プーチンは好きだみたいなことを聞いた記憶はあります、サッカーのヨーロッパの選手権かなんかを一緒に見ながらですね。

 ということなんですが、やはり、国民の皆さんの理解、あるいはウクライナ政府の理解とか、そういったところを深めていく意義というのは私はあると思うんです。

 あるいは、いつか新政権がロシアにできたときに、またその理解を深めていただくとか、そういう活動というんですかね、そういう部分をちょっと長い目で考えていく必要が、可能性というか展望につながると思うんですけれども、そんな点は、ちょっと質問になっているかどうか分からないですけれども、御指導あればお願いします。

黒岩参考人 今回、本当に不幸な中でも、一つ、何かしらいいところを見つけるというならば、日本人のウクライナに対する注目というか視線が集まったということです。

 日本人が一般的に考えるように、ロシア人とウクライナ人というのは、すっきり分けてどっちということは難しいんですね、もうたくさん血が混じっているし。だけれども、プーチンが言うように、だからといってそこが一体化していい、そういうことでは全くないんですけれども、民族的にすっきり分けるということは不可能だと思います。

 これも歴史をたどれば、千島だけじゃなくて、北方領土だけじゃなくて、サハリンとか極東地域にたくさんウクライナ人は入ってきているんです、何百万も。その人たちの意識というのは本当に複雑だと思います。

 そして、今、ウクライナとも交流を深めていくのはいいんですが、どっちの味方かという二項対立で考えるのは、余りそれを突き進めるのは、そう言われると、国としてはどっちかというふうに言われると思うんですけれども、とにかく、ロシアで会った人に、あんた何人かとか、どっちの味方だと言うのは、今、普通の一般の国民にとって非常に言いにくいことだと思います。たとえ戦争に反対しているとしても、研究者であっても、今、私たち、言えないんですね。もう言論の封じ込めがすごくて、実際のことを言えないような状況にあるので、その点を考えていただきたいなと思います。

 以上です。

杉本委員 今、質問しながら、私は言論の自由の下にいてこうやって質問できるんだなというふうに改めて思いましたが、本当に、心の中で思っていることと、言いたいことがあっても言えないというような状況というのも我々は察する必要があるんだと、今先生のお話を伺って感じました。

 もう時間が多分ないので、最後の質問で、お二方にお伺いできればありがたいんですけれども。

 先ほど理事長とお話をする中で、また、先ほど質疑の中で択捉海峡のお話がございまして、それで、環境保全とか生態系とか生物とか、そういった切り口で、墓参はとにかく大事な糸口なんですけれども、それよりもうちょっと長いスパンで見たときに、共同研究とか環境保全とか。例えば、色丹だったか、港に、今どうなっているか、最近は分からないですけれども、魚のはらわたを全部港の中に捨てていて、それがヘドロ化しているというのをもう十年ぐらい前に見た記憶があるんですけれども、そういったところも、環境を改善していくんだというような、もうちょっと事が落ち着いて収まってきたときに、我々は交流を深めていく意味で、環境だとか生態系、生物、そういったところからまた北方問題につなげて交流を深めていく意味があると思うんです。

 そんな点について、先ほどもちょっとお話があったんですが、松本参考人と黒岩参考人それぞれから、ちょっと長いスパンでというか、中ぐらいのスパンでそういう交流はいかがでしょうかという答えをいただければと思います。お願いします。

松本参考人 今のお話は、私たち、ビザなし交流の中で、私、ビザなし交流、二度参加しました。そういう中で、二十年たってビザなしに参加してすごく印象を受けたのは、ロシアの若い人たちとグループで話合いをしたんです。そのときに彼らが、彼女らが物すごく気にしていたのが環境問題、それから、特にごみの問題、それからもう一つは、観光資源をどうやって生かしたらいいだろうかというお話をした記憶があります。

 ですから、先ほど私が申し上げたとおり、これは、経済の力というのは、経済的な面でロシアの人たちと共通して語り得るような課題があるんであれば、これを話し合いながら、お互いに協調し合って、共存できる方向だって考えられないことはないだろう、そういうふうに考えております。

黒岩参考人 実は、来年ですかね、サハリンの歴史研究者と、私たち日本側と一緒に、共著で、千島の歴史というのを、千島列島というのは北方領土も入りますけれども、その歴史書を出そうと言っていたんですね、近現代史を。ところが、この戦争でやはり流れました。向こうで、やりたい、お互いに何か、全部一致するわけないので、お互いの資料を使いながら、パラレルヒストリーで、意見が合わないところはそのままでやろう、出版しようと言っていたんですけれども、日本の研究者とつき合うこと自体が、今ロシアの研究者にとって危険というか、やりたいと言っているんですけれども、ちょっとこちらも、何かその人が職を失ったり危ない目に遭ったりするのをおもんぱかってちょっとストップしているので、日本人だけで書くことにしたんです、非常に残念で。

 こういうときだからこそ、ロシアの、もう抑えられて、知識人は外に出ているんですよね、芸術家なんかも、作家なんかも、プーチンに反対する人は。そういう意味では、日本人が、今言論の自由を持っているわけですから、私たちが今こそ代わりにも言ってあげなくてはいけないというふうに考えています。

 ですので、共同研究はとても大事なことだと思っています。

杉本委員 時間となりました。

 終わります。ありがとうございました。

松木委員長 次に、稲津久さん。

稲津委員 公明党の稲津でございます。

 今日は、両参考人には、大変お忙しい中こうして足を運んでいただき、また貴重な意見陳述、そして先ほど来からの大変御丁寧な答弁をいただきまして、本当に感謝に堪えない次第でございまして、心から厚くお礼申し上げたいと思います。本当にありがとうございます。

 ちょっと私の個人的なお話をさせていただきたいと思うんですけれども、私の両親は、旧南樺太、サハリン出身の引揚者です。父親は、ネベリスク、旧本斗町、これは分かりやすく言うと日本海側の方の港町なんですけれども、ここの生まれ育ちでして、そして、旧制中学を出るときに、少年志願兵、特攻隊ですね、これに手を挙げて出兵します。幸いなことに、訓練期間中に終戦を迎えまして、本土で終戦を迎えたものですから、実際の戦争に巻き込まれることはありませんでした。不幸だったのは母親の方でございまして、ユジノサハリンスクで旧制女学校を出た後に、母一人子一人だったものですから、大変不遇な境遇の中で、結果的に、戦後二年間引揚げができなかった、こういうことでございまして。

 ただ、二人とも多くは子供たちに語ってこなかったものですから、しかしながら、やはり子供の頃からそういうことを、親の出生といったことを通じてロシアには強い関心を持って育ったというのが事実でございます。

 大学を卒業して就職した会社、サラリーマン時代に、直属の上司、十年間仕えましたけれども、この方が択捉島の出身でございまして、一緒に、北方領土返還の署名活動なんかにも協力させていただいたりとか、そんなことをしながら、後年、北海道議会議員になり、国会議員になっていくんですが、北海道議会議員になったときに、この上司の義理の兄弟が、もうお亡くなりになりましたけれども、千島歯舞居住者連盟の元の理事長、小泉さんが理事長でいらっしゃって、それがきっかけで小泉元理事長とも頻繁にいろいろなおつき合いをしたんです。

 忘れもしないのは、道議会議長の代役として私がサハリンに参りまして、小泉理事長と一緒に参りまして、そこで、向こうの州会議員のポノマリョフ氏といろいろな意見交換を熱く交わしたりとかしました。そのときも、小泉理事長がもう本当に粘り強く丁寧にロシア州政府や民間人の方々とも意見交換して、一ミリでも一歩でも返還運動を前に進めるんだという強い意思を感じまして、以来、私も、北方四島にもビザなし渡航で何回か行かせていただきながら、後年、色丹島に行ったときに、小泉家の代々のお墓参りもできまして、大変熱いものが込み上げてくる気がいたしました。

 いかなることがあっても、どんな状況でも、必ず北方領土を返還させるんだ、こういう強い思いに立っていかなければいけないということを常に肝に銘じて、微力ではありますが取り組んでいるところでございます。

 ちょっと、自分の話を前置きにして大変恐縮でございましたが、今日はお二方に質問させていただきたいと思いますが、まず黒岩参考人にお聞きしたいことは、先ほどの意見陳述の中で、日本が望む形での返還はなくなったというお話で、ちょっと衝撃的だったのと、しかし、冷静に考えてみたら現状では確かにそうだなと。しかし、だからといって、これを変えていかなければならない、そのために何ができるのか、そういうことを思いながらお聞きしていましたけれども、しかし現状は確かにそうだと思います。その上で、プーチン政権がほかの政権に替わったときにどうなるのか。

 私は、これは一縷の望みは持っているんですけれども、なかなか難しいと思いますが、その上でちょっとお聞きしたいんですが、例えば、フルシチョフ、それからゴルバチョフ、エリツィン、ソ連、そしてロシアのリーダーが替わっていく中で、その折々に様々な動きもありました。このプーチン政権との決定的な違い、そういったところは何かお感じになるところがあるかどうか。そして、例えば仮にプーチン政権が何かの形で替わったときに期待したい、いかなること、こんな点をひとつ語っていただければと思います。

黒岩参考人 これがまた難しい質問でして、私は、この侵攻は絶対ないと確信していたんですね。バイデンさんが何か言うときも、本当に、ミサイルをぶち込んだという一報を聞くまで、あり得ないと笑っていたんですね。四十年間、ずっとロシアと、学生時代からロシアを対象にして、つき合い、関わり合いを持って、ある程度ロシア人の内在的な論理とかそういうものは知っているつもりでいたんですけれども、今回のウクライナに関しては全く予想できなかったので、ほとんど、やはり私の対ロ観自体に問題が、大きな欠陥があったんだろうと思っています。そういう意味で、今日は呼ばれて困った点もあるんです、困った気持ちもあるんですが、確かにロシアは暴力的で何をするか分からない、これをそういうふうに捉えるのはやはり間違えていると思うんですね。どうしてこうなったかはちょっと、まだ私、説明できるほどの自信がないのであれなんですが、何かしら、論理はそこにはある。

 ロシアは、大きく変わってきて、その前の政権が倒れるとそれを否定しながら、フルシチョフもそうですけれども、ゴルバチョフもそうですけれども、否定しながらまた改正していくというのはありますね。ですから、あるいは、プーチンを否定する人がいずれ出てこなくてはいけないと思っているんですが、それがまた、中で、暴力的な形で、国内でそういうことが起こるかもしれないと思っています。

 そこに何かの希望を持つかというと、やはりなくても持たなくてはいけないというか、それが隣人であることは、隣にいることは、もう全部おつき合いをやめるということはできないので、そういうことも含めて、何をするか分からないから、こっちも構えておくだけではなくて、そういうものを理解しながら、またつき合っていくしかないのではないか。

 お答えにはなっていないかもしれないですけれども、以上です。

稲津委員 ありがとうございました。

 何年か前に、ロシアの連邦院の議長のマトビエンコさんに御招待いただいて、山口公明党代表と一緒にモスクワとサンクトペテルブルクを訪問しました。そのときに、大変ありがたいことに、ゴルバチョフ元大統領とも、少し時間をいただいて、お食事しながらいろいろな意見交換をしたときに、やはり日本の北方領土問題の中でゴルバチョフさんが果たしてきた役割も非常に大きかったんだなということを感じて。

 やはり、とにかく、政治がある以上は、例えば政治形態が違った国だとしても、そこで一縷の光を求めながら政治家同士がしっかり丁寧に議論していく、こういうことが、今まさにこういう時代だからこそやらなきゃいけないことなんだなと思っていまして、是非また様々な御教示、御指導をいただければなと思っています。ありがとうございました。

 松本理事長にお聞きをしたいと思っております。

 私も委員長と同時にいわゆる入国禁止令を出された者ですけれども、先ほど、冒頭私の思いや経歴を申し上げたように、私は私なりに、ロシア政府やロシアの国民の方々に対して、北方領土返還の運動をしながらも、平和的なそういう外交をし続けてきたという自負もありますので、非常にじくじたる思いでこの入国禁止という措置を受け入れざるを得なかったんですけれども。ただ、千島連盟に、望ましくない団体と断定される何物もないわけでございまして、これはやはりしっかり怒りを込めていかなきゃいけないと私自身は思っています。

 しかし、その上で、やはり墓参についてはロシアも触れていないわけですから、これはすなわち墓参について否定しているわけではないというふうに思っておりまして、これを一つの手だてとして開いていかなきゃいけない。

 そのときに、やはり政府は今なすすべもないという見方もあるかもしれないけれども、政府に引き続きの外交努力を重ねてもらい、そのために、例えば理事長としてこの墓参に向けて政府に対して何を望まれるのか、そのことについて御意見をいただきたいと思います。

松本参考人 先ほど申し上げましたとおり、墓参については、私たちの一番思いが伝わる、現状で一番打開できる、日ロ間で一番妥協できる、いわゆる一番話合いができる、それが墓参だと思っております。そういう一つの点を捉えてでも、もっと強力に交渉を進めていただけるようなことを政府あるいは国会の皆さんにやっていただければと思います。

 ただ、私、先日、二回ぐらいNHKで放送がありました。「ロシア 衝突の源流」という番組でした。それで、ロシア人の領土に対する考え方というのが歴史的に、元帝国とかオスマントルコの話が出たり、いろいろな話が出ていました。それと、そのときに感じたのは、なるほど、ロシア人の領土に対する感覚は、あの保全という言葉を使わざるを得ない状況というのはこういうことなのかなと、変に理解したこともあります。

 それともう一つは、やはり日本人の考え方と領土に対する認識が違うと思っております。

 でも、私は人間です。ですから、私たちは人間だ、絶対に、共存できる一つの方向というのはあるんじゃないか。そういうものに一縷の望みをかけております。

 以上です。

稲津委員 ありがとうございました。

 やはり、政府、我々も、理事長の思いに立って、墓参の早期再開に向けて全力で取り組んでいくことをお誓いをさせていただきたいと思います。

 時間も参りましたので、最後にもう一つ、また理事長にお聞きしたいと思うんです。

 元島民の皆様が大変高齢になってきて、返還運動の主軸が二世、三世に移ってきているということ。これは、そういう中で、二世、三世、そして四世ということになってくる。ここでやはり後継者の育成というのが非常に大事なことだと思うんですね。理事長として、そうしたことにどのようなお考えを持っていらっしゃるのか、お答えいただければと思います。

松本参考人 この活動を続けていくためには、今活動している人たち、それからこれから活動に参加しようとしている人たちに、島であったことを正確に伝えて、私たちが失ったものは何か、そしてそれをどのように回復しようとしているのか、そういう設定に基づいて、私たちは、後継者の育成に関しては、後継者スキルアップ研修とか、幅広く後継者組織をつくって、その中でテーマを決めながら話合いを進めていく、そういう方向を取っております。

 これからはやはり、今、現に私は一世ですけれども、一・五世だと思いますけれども、私のところで同じく三役を務めている副理事長は国後島の二世です。だから、そういう方向も組織として考慮しながら、とにかく後継者の研修、育成、組織化ということを中心に進めていかなければならないと考えております。

    〔委員長退席、神谷委員長代理着席〕

稲津委員 終わります。ありがとうございました。

神谷委員長代理 次に、長友慎治さん。

長友委員 国民民主党の長友慎治です。

 私からも幾つかの御質問をさせていただきたいと思います。

 北方領土へのビザなし渡航が、まずは新型コロナウイルスの影響でできなくなっていた、その後、ロシアのウクライナ侵攻ということで更なる、なかなか厳しい状況に追い込まれているということはこれまでのお話のとおりだと思うんですが、その中においても何かしら、何とか北方領土の皆様との交流であったり関わりを持ち続けようと工夫をしていただいているということもニュース等で聞いております。

 例えば、二〇二一年の夏には根室市が北方領土対策に関する専門家会議を立ち上げまして、二〇二一年十一月に根室市と色丹島をつなぐオンライン交流会があったというふうにお聞きしました。双方の参加者が地元の様子などをお伝えしたということでございました。また、今年の五月には、北方領土に関する巡回展示、デジタルサイネージを使ったものが、根室管内の六つの高校で今行われているということもお聞きしましたし、北方領土の語り部の活動を記録したDVDを制作している、そういう様々な取組もしていただいていると思います。また、先ほど、後継者を育成するスキルアップ研修とかもあると。

 ほかにも私どもが知らないような、いわゆるビザなし渡航は今できないかもしれませんが、こういうことをやっているんですよというような活動がまだほかにもありましたら、まず教えていただけないでしょうか。お二人にお聞きしたいと思います。

    〔神谷委員長代理退席、委員長着席〕

黒岩参考人 本当に、地元の方たちは、もうやれることは全部やり尽くして、それは前から言われているんですけれども、あとはもう政治的な決定しかないというくらいにいろいろ地道に積んでいらっしゃると思います。

 先ほどお話にありました専門家会議、私も呼ばれまして、そこの四島交流の委員会での専門委員なんですね。それで、一回講演したら、安倍・プーチン会談が破綻した後もやはり何か交流していかなくちゃいけない、続けなくちゃいけないということで、その専門家会議ができまして、そこで、私は一回行きましたけれども、四島交流の話などをしたんですが、その後、コロナになり、そして戦争になり、開店休業状態。でも、それは閉じてはいないんですね。この間もオンラインでちょっと会議をやったりして、これからも続けていこうと。

 それから、地元の交流でいえば、これまでビザなし交流とか、それ以外のものでもいろいろやはりありまして、あそこはずっと密漁で向こうとやっていた時代もありますしね。

 この間、カズワンという、知床で事故が起こりましたよね。あのときの遺体が国後島に流れ着いた。その第一報を出したのは、向こうの人が、流れてきたというのを根室の漁業者に、知り合い同士で言ってきたという、これは余り表には出なかったんですが、その後、外務省同士が話し合って遺体を引き取った。

 そういうふうに、地元では、今まで三十年間やってきたビザなし交流そのほかの、関係が近いですから。今、SNSとかいろいろな方法もあるので、駄目だと言っても、何かやはりつき合いというのはあるんですね。

 今、表立っては言えないですけれども、そういういろいろな交流はある。それを何か、今こんなにやっているんですよと今は言えないですが、ある程度収まったところで、やはり政治の力もかりながら、そういうところから日ロ関係を進めていただきたいというふうに考えています。

 以上です。

松本参考人 私たち、後継者の活動以外に、各学校、道教委、北海道教育委員会から依頼を受けて、語り部の派遣。これについては、島民と、まあ、さっき言葉を使わないと言いましたけれども、後継者の人をセットにして派遣するとか。それから、北海道の北方領土対策本部では、サポーター制度といって、中学校、高校生を対象にして、中核になって動ける人を育てようとか、そういう運動もしております。

 ですから、皆さん、私もあれなんですけれども、かなりの、いろいろな形で、ただ単にこれからの活動云々ということではなくて、今までもそういうような幅広い活動はしてきております。

長友委員 ありがとうございます。

 私も、根室の方とかにまだ行ったことがないものですから、現地の皆様がどのくらいの、北方領土の皆様との交流ができているのか分からなかったものですから。でも、今のお話だと、民間ベースではしっかりつながりはまだ持てているのかなということで、希望は感じることができました。

 今月のニュースにも載っていましたけれども、貝殻島の昆布漁が始まっている、六月一日に解禁されたと思います。これは日本と旧ソ連の民間協定に基づいて一九六三年から続いている漁で、お互いに今でも日ロ間の民間で交渉をして、しっかりと昆布漁ができるようになっている。こういう漁協とのつながりというのは、今でも維持ができているという理解でいいんですよね。

 そういうことがある中で、民間同士でもいわゆる交流ができている、そして、公にはできないかもしれませんけれども、現地の人たちともSNSを使って連絡もできているという状況があるということが確認できた上で、先ほどのお話だと、政治的決断をという話だったんですが。

 松本理事長、そして黒岩先生にもお聞きするんですけれども、いわゆる連盟の皆様の、元島民の皆様の年齢も、御高齢になってこられていて、なかなか、今の状況だと、もう一回、ビザなし交流の再開等が、ロシアとウクライナの紛争が終わらない限り見通しが難しいといった中で、どのようにモチベーションを保ちながらこの返還への思いを引き継いでいくのかというふうに私が御質問させていただいたら、どのようなことが考えられるのかということにつきまして教えていただけますでしょうか。

松本参考人 私たち、組織として、先ほどもお話しいたしましたけれども、サポーター制度のお話をしに行ったときに、中学生、高校生から言われた一言があります。あなた方は長い年月この運動をやっていてむなしさを感じませんかと聞かれたことがあります。私は、それに対して、私たちは確かにむなしさを感じないことはないと。でも、私たちの運動には、先ほど私が申し上げましたとおり、やはり展望を持って、ある意味では夢を持って、向かわない限りむなしさというのはなくならない、そういうふうに思っております。

 ですから、そういう意味で、先ほど来申し上げているとおり、そういう、組織として、運動としての展望、本当のことを言うと、段階的な目標というのを設定しながら進めるのが筋だと思いますけれども、私たちは、そこまで政治的な力は持っていませんので、私たちなりの段階的な目標を設定しながら、やはり、展望、共存できる島、そういうことを目指しながら、私は、私たちは考えて運動しているつもりです。

黒岩参考人 モチベーションがあるかないかというのは、当事者以外のこちらの、東京ですとかほかの地域の問題でして、根室地域あるいはその地域の人にとっては、あるもないも、常に問題が隣に見えているわけで。ビザなしを閉じたら、それで困るところもあるわけですね、今、ホテルだとか何だか。ロシア人が来たことによって経済的に潤っていたところが閉じられるとか。いろいろな関係が冷戦期とは違ってできているわけで。

 このモチベーションを持つか持たないかというのは、地域の人には酷だと思いますね。千島連盟さんなんかは、冷戦期は、とにかく対決する、表に立たされ、そこで最先鋒として、返せ、返せと言う。それから一転して、ゴルバチョフさんが出てきたら、この地域から友好交流しようといって、今度は向こうのロシア人を受け入れて、その島に住んでいる人を受け入れたり、人道支援をしたり、そういうふうに、本当に、翻弄されながらというか、前線でやってきたわけですね。

 だからもう本当に、お年を召した方に、もっと何か、こうなったから最後まで旗振れと言うんじゃなくて、もう少し現実的な、それに応じた、今の実情に即したやり方、取りあえずは、落ち着いたら墓参で行って、お墓参りぐらいできるようにする、そういったことが必要なんじゃないかと思います。

 以上です。

長友委員 ありがとうございます。

 段階的に展望をしっかりとつくっていく。それは、私たち側がそれを構築していかないといけないということ、非常に今、重く受け止めたいと思います。

 この北方領土の問題、私も、大変お恥ずかしいんですが、不勉強な部分がたくさんございます。徹底的に歴史を学ぶ必要があるというふうに、これまでのお話を伺って認識しました。

 先ほどは黒岩先生からも、千島の歴史をパラレルヒストリーで学んでいく、非常にこれは面白い取組になるなと。残念ながら今は難しいかもしれませんが、そういうこともしっかりと企画がされていたということで、希望を持ちたいと思うんですが。

 それでは、今、日本の、いわゆる根室とか北海道に住む方以外の全国の皆様に、この千島の歴史を、北方領土のこれまでの歴史をしっかりと学んで身につけてもらうということをどのように進めていけばいいのか、お考えを聞かせていただいてもよろしいでしょうか。

松本参考人 かなり難しい御質問なんですけれども、私たち、今、実際にやってきたこと、コロナでちょっと中断しましたけれども、修学旅行生の受入れ時の説明とか、全国各地にある婦人組織、団体の要請を受けて語り部を派遣するとか、それから、いろいろな形の組織からの要望に対して私たちが語り部を派遣して、この話を、私たちの運動の話を進められるような体制を取ってやってきました。

 コロナ禍で、ほとんどがリモートという形でやったんですけれども、それはそれでやれただけよいとしなければなりませんけれども、実際に私たちが行ってお話をして、そして理解していただくというのがやはりベストだと思いますし、そういう方向は、常に私たちは、先ほど言いました修学旅行生もそうですが、本州の方に出かけながらいろいろなお話をさせていただいているという状態です。

黒岩参考人 私、最終的な決着に歴史を持ち込むなというのは否定しないと言ったんですけれども、それは、歴史を勉強しなくていいというわけじゃなくて、むしろ多くの人に千島の歴史を徹底的に学んでほしい。

 今、マスコミの話が出ましたけれども、とにかく、四島がいいか、二島かとか、三島かとか、そういう話ばかりになるんですが、戦争直後は、日本政府が目指したのは二島返還なんですね。サンフランシスコ平和条約のときに、それは敗戦国としての精いっぱい。その後、五五年の日ソ共同宣言のときに、その交渉途中で四島に上がった、そういう経緯もあります。安倍さんは、回顧録にもはっきりお書きになった、二島で決着しようとしたんだけれども、それに失敗したわけですよね。

 そうやって、日本はぶれているというか、それは当然なので、現実的な決着を探そうとすればそうなるのが当たり前だと思うんですが、今、教科書にまた、安倍・プーチン会談が終わった後から、四島は固有の領土ですという強力なキャンペーンを教科書で始めている。あれはいかがなものだろうかと。

 それで、私、「歴史総合パートナーズ」というのは、そういう、高校生の副読本として書いたんですね。もうちょっと古いところから、じゃ、これは失敗だから、もう一回四島ね、不法占拠ね、そういうんじゃなくて、もう少し古いところから勉強し直すということが必要じゃないかと思います。

 以上です。

長友委員 大変貴重な御指導をいただいて、ありがとうございます。

 私も、ちょっと中には失礼な質問もあったと思うんですけれども、今日、黒岩先生、そして松本理事長にお話を伺ったことをしっかりと受け止めまして、また、この委員会でも継続して調査してまいりたいなと思います。

 本日は誠にありがとうございました。

松木委員長 次に、赤嶺政賢さん。

赤嶺委員 松本参考人、そして黒岩参考人、今日はありがとうございます。私が最後の質問者になりますので、どうぞよろしくお願いします。私は、日本共産党の赤嶺政賢です。

 初めに松本参考人にお伺いしますけれども、私は、二〇〇〇年が初当選で、以来、この沖縄北方特別委員会に所属し、何度か現地にもお伺いさせていただきました。納沙布岬の祈りの火、あの祈りの火を見ますと、私のふるさとであります沖縄県の最南端の波照間島から採火されてきたものだということで、領土返還の日まで頑張っていかなければならないという思いを強くいたします。本当に長い年月がたってしまっているわけですけれども、しっかりと皆さんのお気持ちを受け止めさせていただいて、今後の取組の参考とさせていただきたいと思います。

 先月の参議院の委員会には脇さんが来られ、その後の総会で松本さんが新しい理事長に就任されたとお聞きいたしました。そのときの新聞記事を拝見しますと、失ったものがいかに大きいかを伝え、返還実現後の展望を持って活動に取り組みたい、このように述べていらっしゃいます。

 松本さんは択捉島の御出身ということであります。幼い頃の記憶ということになるのかどうか、御自身や御家族の体験あるいは御苦労、島への思い、まずその辺りからお聞かせいただければと思います。よろしくお願いします。

松本参考人 私自身はかなり幼少期の話なので、ただ、私の父親は、母親もそうなんですけれども、そういうのは余り話をしたがらなかった。そして、引き揚げてきた後に私たちが入ったのは、札幌市の白石、今は白石区にある引揚者官舎、これは旧陸軍の官舎です、そこに入ります。そこに、ちょうど満州からの引揚者とか北方四島からの人、各地から引き揚げてきた方々が入った。そこで私は過ごしたわけですが、そういう、ある面では私自身もやはり語りたくないという部分はあるし、でも伝えなきゃならないという使命感だけは持っております。

 ちょっと質問に対するお答えがきちんとできないような気はするんですけれども、いろいろな形で、先ほど新聞報道で、私はそういう方向でこの返還運動をしたい。ということは、展望のない運動、これはやはりむなしさしか残らない、返還要求運動をするための返還要求運動をしたくない、やはり展望を持ちたい。組織的にも、これからの、いろいろなこれから活動を進める体制を含めても、あるいは考え方を含めても、そういう方向で進めていかなければならない、そういうふうに感じております。

赤嶺委員 大変ありがとうございます。お気持ちは伝わってきました。

 この間、政府の領土交渉の見通しが立たなくなっていたところに、今度はロシアによるウクライナ侵略が起こりました。ロシア政府は、日本を非友好的な国、地域の一つに指定し、平和条約交渉の中断や、ビザなし交流、自由訪問の失効を表明しました。国際法違反の侵略を非難し、制裁に加わったことをもってこのような行動に出るというのは、本当に許し難いことだと思います。

 そうした下で、まずは墓参の早期再開、これがずっとこの間言われてまいりました。早期再開を目指しておられるとのことでありますが、元々、先ほどからありますように、北方領土への墓参は人道的な見地から始まったものですので、政治的な動きに左右されずに継続し、行えるようにすべきだなということを、先ほどから松本参考人の御意見を聞きながら思っていました。

 この点で、元島民の方々の思いを改めてお伺いしたい、墓参に対する思いをお伺いしたいのと、政府も墓参の早期再開を最優先事項の一つと述べておりますが、政府の取組について気になっていること、あるいはお感じになっていることがありましたら、お聞かせいただきたいと思います。

松本参考人 今の御質問に対して、非常に答えにくい立場に私もいるんですけれども、個人的にはというよりも、組織としては、考えられるのは、今日も総理に要望書を出しまして、墓参のより早期の再開を求める要望書を出させていただきましたけれども、もう皆さん、そういう気持ちでいっぱいであると。島民、特にその家族については、特にそういう思いが強いんだということだけお伝えして、やはり政治的に私たちが、こういう体制が望ましいとか、こういう形が望ましい、そういう発言は私たちはできませんし、むしろ私自身はしないようにしておりますけれども、島民の気持ち、家族の気持ちというのは必ず一つの方向を向いているんだということをお伝えして、問いに答えたいと思います。

赤嶺委員 どうもありがとうございました。大変聞きにくいことを聞いたのかなと思っておりますが、立場はよく理解できます。ただ、本当に、この委員会も墓参の実現に向かって、やるべきことをやらぬといけないなというのを強く感じました。

 それから、黒岩参考人にお伺いいたしますが、この間、安倍政権の下で領土問題を含む平和条約締結交渉が行われました。プーチン大統領との間で個人的な信頼関係を築き、経済協力をてこに前進を図ろうとしましたが、進展はありませんでした。

 参考人は、この間の領土交渉をどのように見ておられるのか、どのような点を教訓とすべきか、まずその点を、先生のお考え方からお伺いしたいと思います。いかがでしょうか。

黒岩参考人 安倍・プーチン会談については、私は、現実的な二島で話を持っていったというのは、それは政治としては結構なことだ、思い切ったと思います。それは安倍さんにしかできなかったと思います。もし野党がやっていたら、もう全く、袋だたきになったと思いますね。

 私、ちょっと昔、二島とも言っていないけれども、何か書いたら、売国奴に鉄槌をとか何か手紙が来たりして、あと、何か言うと、二島と言うと袋だたきに遭っていたんですよね。

 研究者で和田春樹さんという東大の名誉教授の方がいますけれども、あの人が言ったときは二島プラスアルファで、八〇年代のゴルバチョフの時代に言ったら、そのほかの人も言ったんですけれども、まあ、すごかったですよね。

 そうやっていったのが、安倍さんが言ったら、ぱっとオーケーというのは、これは、ぶれているというんじゃなくて、やはり、境界線というか国境というのは可変的という、不変ではなくて可変だと。それはおかしいことではないと思うんですよね、現実があるわけですから、それに応じた。ただし、交渉は失敗でした。

 安倍さんの回顧録を読んだりしたら分かるんですけれども、外務省に任せたら全然進まないからと、官邸主導でやったわけですよね。そうしたら前のめりになって、幾ら何でも、二島を出す前にちゃんと言質を取っておきなさいと思いますけれども、もう今や、今更何か言っても、それは意味がないことだと思いますが、よかったのは、一つは、可変的になったというか、日本国民がそこにフレキシビリティーを持ったということですね。

 先ほどおっしゃいましたけれども、ずっと四島でいっていたけれども、地元の方々に聞いてみると、非常にフレキシブルですよ。がりがりに絶対と、それは旗を振るのはもちろんですけれども、非常にフレキシブルな考え方をなさっている。ですから、是非、根室の地域に行って住民の声に耳を傾ければ、解決の道というのが、もっとフレキシブルなものが見えてくると思います。

 以上です。

赤嶺委員 どうもありがとうございます。

 日本の外交史そのものが、いろいろアメリカにも左右されたりして、ぶれてきている中での今日ですが、安倍政権の下で行われた交渉で、返還された北方領土に米軍基地を置くのかどうかが度々問題になりました。複数の首脳会談でプーチン大統領は、安保条約と地位協定を読むと、アメリカは日本国内のどこにでも基地を造れると発言したとされています。政府は、基地の設置には日本の同意が必要だ、このように言っておりますが、沖縄出身の私からすると、これは全く説得力を持たないなと。欲しいところに基地を造ってきたわけですから。

 先生は、領土問題の前進を図る上で、今はこういう状況ですけれども、安保条約、地位協定との関係、これはどのように考えていらっしゃるのか、この点について御意見を伺いたいと思います。

黒岩参考人 プーチンが北方領土に米軍基地を置かないと約束しろと言ったのは、あれは多分、変化球といいますか、そんなところに置くわけがないんですよね。もし置くなら、北海道にもっと大きな基地を置けばいいわけですから。しょぼいと言っては本当に失礼ですけれども、あんな歯舞とか色丹なんかに別に米軍基地を置く必要はないわけで、あれは日本に対する揺さぶりですよね。

 日本の政府が、日本がイエスと言わなければ置けないんだからと言ったら、裏マニュアルを出してきて、プーチンは読んでいたんですね、注に書いてあると。アメリカが北方領土に置くと言ったらノーとは言えないという、北海タイムスでしたっけ、すっぱ抜いた、そういうものもあるというのを持ってきたんですけれども、あれは一々真に受けるものではなくて、今、安保でも、北方領土は安全保障条約の中に入っていないですよね。そういう意味で、あの話はほとんど流していいものだと思います。

 それから、私は、地元のことを考えながら領土問題をやっているので、これは、学問的にはボーダースタディーズ、国境学とか境界研究というふうに日本語で訳されていますけれども、そういう意味で、境界自治体研究ネットワークという、各島の首長さんたちが入って、マスコミとか学者も入っているチームがあるんですが、昨年秋に波照間島にも行ってきました。

 それで、竹富島が理事になって石垣でやったときに、そのとき、ちょうど米軍との、与那国島の糸数町長が来て、あそこで初めて公道を自衛隊の戦車が走ったと言ったら、それが何が悪い、その先の安全保障を考えていると。住民が分断されているって、分断なんてマスコミが作った言葉だと、がんがん演説なさったとも聞いたんですけれども、あのとき思ったのは、沖縄というのはもう何か殺気立って、ロシアで起こった戦争は、北海道よりも沖縄の方が浮き足立っている。北海道の自治体の人たちはもっと落ち着いているんですね。自分たちは交流している実績があるので、一々何かロシアが言っていることに反応する必要もないと。

 ロシアは、千島連盟さんを好ましくない団体だと言ったというんですけれども、墓参は残しているので触れなかったんですね。墓参に行く日本人というのは、みんな千島歯舞諸島居住者連盟に入っている人なわけで、矛盾しているんですよ。一々ロシアが言うことに、今、非友好国とか言っていますけれども、私は、今ロシアはビザも出さないのかと思ったら、もう研究者も行っているんですよ、日本人が。ビザを出すのは出しているんだそうです。まだ私は行っていないんですけれども、いずれ、近々行きたいなとは考えているんですね。

 そうやって、交流の道をずぼずぼでやっている。一々ロシアがやることを、彼らが言うことも矛盾しているので、余りしゃくし定規にこうだこうだと言わずに、もう行けるんだったら行く、交流するんだったらするというのを、余り表立たずにというか、そうやってやっていったらいいんじゃないかと思います。

 以上です。

赤嶺委員 本当に交流は大事だと思います。

 私、与那国の町長は私もよく知っている人なんですが、一方で、知事の方は、やはり万国津梁、各国との交流、友好、それを強めようという、地域外交室というのを設けてやっているところでありますが、その辺は、千島連盟の皆さんの粘り強いロシアとの交流の在り方なども学んでいかぬといけないなということを思います。

 ただ、その交流していく上での話ですが、今回のウクライナ侵略によって、日ロ間の領土交渉は大変難しい局面に立たされております。なぜロシアはこのような行為に出たのかという点で、昨年五月のシンポジウムで、NATOの東方拡大、脱ナチ化、あるいは国民統合理念の模索という三つの点を先生は挙げておられました。現時点で、ウクライナ侵略の背景についてどのように考えておられるか、お聞きしたいと思います。

 それから、日ロの領土交渉については、ウクライナ侵攻が終わらなければ次の段階には移れない、ウクライナ、ロシア両国に多数の犠牲者を出しながら一年以上も続く戦争を停戦に持ち込むことが現在最も重要だろうと述べておられますが、この点でも、今お伺いできることがあればお願いしたいと思います。

黒岩参考人 なぜ侵攻したかという、それに関しては、ちょっと私もはっきりしたことは言えない。絶対侵攻しないと思ったのは、私が考えたのは、全く意味がないから、不合理だから。それと、過去に非情な独ソ戦で二千七百万、二千万人以上の死者を出しているのでしないんだろうと思ったんですが、それは見事に外れました。

 そういうわけで、そこのところは何とも私も言えないんですが、現状を考えて、とにかく次の、日ロとの、落ち着いたら、縁が悪縁であってもつながる以外にはその道はないので、何かしら考えていくしかないのではないか、その政治力を発揮していただきたいというふうに考えております。

 以上です。

赤嶺委員 今日は、どうもありがとうございました。

松木委員長 これで一応終了というふうになっております。

 この際、一言御挨拶申し上げます。

 両参考人におかれましては、貴重な御意見をお述べいただき、誠にありがとうございました。中に、かなり示唆の富んだお話がありましたので、これからまた、いろいろなところで、それを国政の場でしっかり生かしていきたいというふうに思っております。委員会を代表して厚く御礼を申し上げます。ありがとうございました。(拍手)

 それでは、次回は、公報をもってお知らせすることとして、本日は、これで散会させていただきます。

    午後三時五十八分散会


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