衆議院

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第4号 令和3年6月1日(火曜日)

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令和三年六月一日(火曜日)

    午前九時開議

 出席委員

   委員長 田嶋  要君

   理事 石川 昭政君 理事 関  芳弘君

   理事 西村 明宏君 理事 松島みどり君

   理事 八木 哲也君 理事 津村 啓介君

   理事 緑川 貴士君 理事 濱村  進君

      井林 辰憲君    今村 雅弘君

      小渕 優子君    尾身 朝子君

      大岡 敏孝君    小泉 龍司君

      杉田 水脈君    田畑 裕明君

      竹本 直一君    出畑  実君

      渡海紀三朗君    中村 裕之君

      中山 展宏君    馳   浩君

      宮下 一郎君    簗  和生君

      岡本 充功君    吉良 州司君

      城井  崇君    末松 義規君

      中川 正春君    山岡 達丸君

      吉田 宣弘君    畑野 君枝君

      青山 雅幸君    高井 崇志君

    …………………………………

   参考人

   (国立研究開発法人理化学研究所理事)       原山 優子君

   参考人

   (成城大学社会イノベーション学部・研究科教授)

   (一橋大学名誉教授)

   (日清紡ホールディングス社外取締役)       中馬 宏之君

   参考人

   (微細加工研究所所長)  湯之上 隆君

   衆議院調査局科学技術・イノベーション推進特別調査室長           但野  智君

    ―――――――――――――

委員の異動

六月一日

 辞任         補欠選任

  岡本 三成君     吉田 宣弘君

同日

 辞任         補欠選任

  吉田 宣弘君     岡本 三成君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 科学技術、イノベーション推進の総合的な対策に関する件(我が国の半導体産業を取り巻く諸状況及び科学技術、イノベーション推進の今後の在り方について)


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     ――――◇―――――

田嶋委員長 これより会議を開きます。

 科学技術、イノベーション推進の総合的な対策に関する件、特に我が国の半導体産業を取り巻く諸状況及び科学技術、イノベーション推進の今後の在り方について調査を進めます。

 本日は、本件調査のため、参考人として国立研究開発法人理化学研究所理事原山優子君、成城大学社会イノベーション学部・研究科教授、一橋大学名誉教授、日清紡ホールディングス社外取締役中馬宏之君、微細加工研究所所長湯之上隆君に御出席をいただいております。

 この際、参考人各位に委員会を代表して一言御挨拶を申し上げます。

 本日は、御多用のところ当委員会に御出席いただきまして、誠にありがとうございます。忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。よろしくお願いします。

 次に、議事の順序について申し上げます。

 まず、参考人からそれぞれ十五分程度で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑に簡潔、端的にお答え願いたいと存じます。

 御発言の際は着席のままで結構でございます。

 なお、念のため申し上げますが、御発言の際にはその都度委員長の許可を得て御発言くださるようお願い申し上げます。また、衆議院規則により、参考人は委員に対して質疑をすることができないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。

 それでは、まず原山参考人にお願いいたします。

原山参考人 皆様、おはようございます。理化学研究所の原山でございます。

 本日、半導体産業に関してなんですが、特に、歴史的な視点からと、私としてはグローバルな視点から、皆さんとお話をしたいと思っております。日本の半導体産業そのものに関して、また現状については、専門家が二人いらっしゃるので、そちらに任せることで、グローバルな視点から等、お話ししたいと思います。

 それから、もう一つ肝腎なことは、今日の状況だけではなく、これまでのこと、これからもダイナミクスな視点から見ていくことが必要と思っていますので、その辺をお話ししたいと思います。

 その中でも特に、需要、供給とか、生産者、消費者みたいな二分法的な思考だとなかなかダイナミクスが見えないということで、それを超えた形でお話ししたいと思っています。また、イノベーションに関しましても、皆さん御存じのようにリニアモデルというものが存在するわけなんですが、様々な複合的なイノベーションのモデルを考えなくてはいけないという視点でございます。特になんですが、最後に、分野の中に閉じ込めてしまって考えるとなかなか現状を見ることができないということで、半導体産業そのものももう一回見直すことが必要かと思っております。

 最後に、できる限りですが、科学技術・イノベーション政策への示唆ということもお話しできればと思っております。

 続きまして、二ページのところでございます。済みません、私、パワーポイントではなくて、紙芝居じゃないやり方なんですが、資料の二ページを御覧ください。

 まず、本当にかいつまんで、すごく早足でですが、半導体の歴史ということについてお話しさせていただきます。

 元々のルーツというのが、多分、産業というふうな視点から見たときには、ルーツはやはりシリコンバレーにあると思っております。それも、昨今の話では全くなく一九六〇年代に、まさにベル研からトランジスタというものが、いわゆる特許を取られて、それから、ノーベル賞を取ったショックレーが地元に帰ってということなんですけれども、そういう意味で、そもそも理論的に非常に強い人たちが、産業体の基となられるような研究所、企業をつくっていったというのが始まりだと思っています。

 面白いのは、そこから出発してなんですが、次々にスピンオフ企業の連鎖があって、その中で技術そのものが培われてきたというのがあります。それが一九六〇年代でございます。初めの一歩というのがシリコンの集積回路から始まっておりますが、その次になりますと、そこからのスピンオフした企業がインテルという形なんですが、プロセッサーなどが七〇年代、それから八〇年代に入りますと、どちらかというとカスタムチップなどのデザインが入っております。

 などなどで続いているところなんですが、ここで押さえていただきたいのが、スピンオフ企業による様々な技術が進化していったところです。その中の原動力になっているのが、どちらかというと、大学というよりか、能力を持った人たちが、産業という形でもって企業として始まったということです。

 それと同時に見ていただきたいのが、半導体のデバイスそのものの進化です。今申し上げたように集積回路が初めなんですが、その後からメモリー、マイクロプロセッサー、センサー、アクチュエーター、ディスプレーなどなどとした形で、様々なデバイスが作られていった。

 その中でのトレンドなんですが、御存じのように、微細化というのがキーワードです。微細化だけではなく、重層化が始まっているし、また複合化というものも進んでおります。

 特に、チップスの方に目が行きやすいんですが、チップスだけの進化だけではなかなか物にはならない。そこで肝腎なのがアルゴリズムとの共進でありまして、それからもう一つ、半導体製造装置そのものも進化していくということで、複合的な要素でもって見ていく必要があると思っております。

 ちょっとビジネスサイドの話になるんですが、大きなトレンドとして気をつけていただきたいのが、ファウンドリービジネスの台頭です。これは大体一九八〇年代から始まっております。

 何が起こっているか。今日の現状を見てもらいますと、TSMCが毎日のように新聞に出ております。昨日も、日本にも拠点というような話が出ておりますが。その中で、元々、半導体デバイスにおいて、デザインと製造というものが、一緒に、一つの企業の中でやっていたところが、それが分離されていった。デカップリングというふうな形でだと思うんですが。

 そもそも出発点は、統合型のデバイスメーカーがあったんですが、そこでのキャパとして、半導体は余力があったときに外部の委託ということから始まったんですが、最終的には完璧に分かれたものも出てきたというところで、ファウンドリーサービスというのが出てきたわけです。それが可能になったときにファブレスという企業も出てきたという流れです。

 典型的な例というのが、台湾で、皆様毎日のように聞かれているTSMCです。それが昨今すごく目につくんですけれども、この企業は、そもそもは一九八七年につくられていたわけで、この中でも、多分、歴史的なことを見ますと、そもそもシリコンバレーとの関係性があってということで、後ほどもうちょっとお話しいたします。

 様々な形のファウンドリーサービスがあるんですけれども、完全に一〇〇%ファウンドリーサービスに徹しているところもあれば、もう一つは、自分たちも製品を持ちながら、かつ、ファウンドリーサービスも外部にやっているという、様々な形態がございます。

 TSMCの事例を見ますと、何が成功の鍵かといいますと、一つは、ファウンドリー企業そのものに技術的なノウハウがどんどんどんどん蓄積されていって、優位性が出てきているので、かつ、ファウンドリーの方が……

田嶋委員長 ちょっとマイクを近づけてお話しいただけますか。済みませんね。申し訳ないです。

原山参考人 申し訳ございません。

 もしも何か、もう一回戻ってお話しいたします。

 成功の鍵のところです。ファウンドリーサービスのところなんですけれども、もう一つは、ここの強みというのが、カスタマーとのすり合わせです。そのすり合わせを可能にしたのが、信頼の持てる関係の確立ということです。それは何が可能にしたかというと、自らも最終製品を作っているところではある種競合するわけなので、最終製品を持たないことの強みというものをフルに生かしたのが、このTSMCです。

 先ほども申し上げましたように、シリコンバレーそのものから派生したような企業であるので、そもそも、関係性というのはずっと持っているわけです。人を介した形でシリコンバレーとつながっているということです。

 もう一つ、本当に余談なんですが、シリコンバレーからこういうふうに、台湾のように、ほかの場所でもってファウンドリーサービスが出てきたということの背景なんですが、シリコンバレーそのものにも、結構、半導体産業による環境汚染というものが出てきた。そういうものも一つの一因になっているということが、一九八〇年代の状況です。

 もうちょっと考えたときに、進化のドライバーは何かというところなんです。多分、ここまでのお話ししたところをまとめますと、一つとして言えるのが、搭載する方のプロダクト群が多様化してきたということですね。コンピューターとか計算機のみならず、スマートフォン、車載などなど、様々な分野で使うことが出てきた。これが一つのドライバーになっております。

 もう一つが、次のファクターというのが、まさに今日皆さん本当に耳にたこができるくらいなんですけれども、デジタルトランスフォーメーションです。これがまさに一つの大きな要因になっているのと同時に、社会的要請も高まっているということです。その中には、業務あるいは生産の効率化、自動化、省エネ化、低炭素化、ソサエティー五・〇、SDGsなどなど、社会的要請があって、その中で、これまでの作り方、物の製造の仕方も変わってくる、その中で半導体が必要になってくるということです。

 三ページです。

 じゃ、今日はどこにあるかという話です。半導体デバイスのまさに浸透です。

 それは、情報システム基盤はもとよりなんですが、ほとんどのインフラに埋め込まれているというのが現状です。また、ほとんどの家電に埋め込まれている。そして、サービス提供を下支えするデバイスのほとんどに埋め込まれているのと同時に、人と人のコミュニケーションを下支えするデバイス全てに入っているというのが、まさに今日の状況です。ですので、欠かすことのできないものになっております。

 四ページに参ります。

 ここから少しダイナミクスそのものを理解したいというふうに思います。ここまではどちらかというと半導体産業の方にフォーカスしていたんですけれども、ちょっと引いた形で、マクロレベルで、世の中がどう変わってきたかということを、関連性を持ちながらお話ししたい。

 一つが、産業構造、またビジネスモデルの進化ということが言えると思います。

 大きな流れの一つが、グローバルバリューチェーンと呼ばれるものの台頭です。

 一言で言えば、研究開発に始まって、デザインがあって、購入があって、製造、組立てなど、最終的に商品が売られて、マーケティングがあって、サービス、全ての一連のものが一つの企業、一つの国という可能性もありますけれども、それがグローバルな分業システムと、変化していった。その中で、付加価値の配分も、一つの国だけではなく複数の国の中で行われる。いわゆる比較優位性の原理が働いているわけです。

 ところが、これは非常に効率がいいというふうになっていたんですが、いざ、様々なことを言うと、弱点があるということです。

 その一つが、例えばですが、台湾に起こった地震です。一九九九年です。このときに、半導体の、それこそ先ほどのTSMCがストップしたことによって、全てのバリューチェーンが切れてしまったわけですね。それと同じようなことが、東日本大震災。それから、もう一つ、最近なんですが、気候変動による水不足というのが台湾の課題となっております。などなどで、昨今の一番のところが地政学的リスクというのが高まっているということで、様々な外部要因によって、このグローバルバリューチェーンというのがなかなか機能しないということを体験しています。

 もう一つ、大きな、ビジネスモデルの進化ですけれども、プラットフォームビジネスの台頭にあります。

 これは二〇〇〇年代からなんですが、印象的に思うのは、持たないでもビジネスができるんじゃないか、そこからの高い収益を得るというんですけれども、これを可能にするところのある種の黒子的なところにデータインフラがあるということです。そのデータインフラの中にはネットワークデバイス、それからクラウドサービス、データセンターなどなどと、まさにデータ集約型の物流システムも必要になってくるということで、また半導体のデバイスというのは欠かすことができない状況になっているということです。

 最後ですが、イノベーションシステムの進化ということでお話しさせていただきます。

 ちょっと歴史のところにもう一回戻るんですけれども、一九四〇年―六〇年代におきましては初代スタートアップというのが起こりましたが、その後、一連のスピンオフ企業が出てきています。その辺りでスタンフォード大学とその企業との関係性があるんですけれども、その押さえるべき点は、革新的技術というのはどちらかというと産業界が開発して、それがスタンフォード大学の方に教育研究システムとして流されていった。そこで、一九六〇年代のシリコンバレーを、言うならば、集団学習の場というふうなことも言われておりました。

 その後なんですが、七〇年代になりますと、アップルが出てきます。出発点はマイクロコンピューターというハードだったんですが、昨今の流れというのはまさにソフトの方まで入っています、ストリーミング配信ビジネスなどというふうな形で。ハードの企業も、だんだんソフト的なものも組み込んでいくというのがあります。

 その逆もあるわけなんです。それは、一九九〇年にスタートしたグーグルです。そもそもは、出発点は、サーチエンジンとして大学の中で生まれた技術が、すごいチャレンジだったんですけれども、図書館の蔵書を全てデジタル化するという、当時は考えられないことをした。それの次のところに行ったのが地図情報サービスなどなどで、最終的にはデバイス開発そのものまでも行う。そういうことは、何が言いたいかというと、ソフトから進化していって、またハードまで手を染めるということです。

 最後に、二〇〇〇年、テスラがあります。テスラに関しては、電気自動車というハードなんですが、最終的に行き着くところというのがMaaSですね。まさに、サービスという概念でもってハードのものを使っていく。

 そこで一言、まとめるとすると、領域を超えたビジネスに挑戦しているのがこの状況で、その中でプラットフォームとか社会インフラとしての機能をしているというのが、これらの企業です。

 その影となる、ドライバーとなるのが人であり、まさに、シリコンバレー内での人の動きによってこういう動きが出てきたのと同時に、この流動性と高い関係性というのが、今度はシリコンバレーだけではなくて、外のところとのやり取りがあった。そのやり取りの一つの大きなのが、五ページですが、一九九〇年代になりますと、アジア系のエンジニアまた起業家というのが、シリコンバレーで育った人たちが自分のところに、母国に持って帰るという形で、シリコンバレーのローカルのところとグローバルなネットワークでつながっている。その中に、先ほど申し上げたTSMCがあるということです。

 ここまでがちょっとおさらいなんですが、最後の、六ページのところです。科学技術・イノベーション政策への示唆ということで、少しお話しさせていただきます。これは、まとめです。

 科学技術・イノベーション政策、皆さん御専門なんですが、一つは、ジェネラルなトレンドとして、OECDの話を軸にしていきますと、かいつまんで言いますと、先ほどもお話ししたように、ナショナルイノベーションシステムという概念から政策的な流れが出てきております。その場面では、イノベーションの枠組みというものをしっかりつくることが鍵となっていました。

 それからだんだんと変わってきたのが、二〇〇〇年代になりますと、イノベーション戦略というものが出てきます。科学技術からイノベーションへのシフト、これも日本でも体験したことでございます。

 二〇一〇年代になりますと、今度は課題解決型という政策が出てきていて、その課題解決型へ誘導するためには、マルチステークホルダーあるいはソーシャルイノベーション、インクルーシブイノベーションといった形で、これまでの経済成長だけのイノベーションではないものが出てきております。その中で、OECDで議論されたのが、よりよい暮らしということを目標にする、あるいは経済的課題に関しても新たなアプローチが必要になるということで、二〇一八年になりますと、ミッション指向型の提唱が行われました。これが、動向です。

 日本におきまして起こったことというのは、皆さん御存じなので、ちょっとこれはカットさせていただきます。

 最後に、まとめです。

 科学技術・イノベーション政策を動員することによって、半導体産業に対する何らかの手当てができるかという話です。

 多分、短期的な課題として、これは中馬さん等、皆さんがお話しになると思うんですけれども、生産量の担保、また、委託先の分散、地政学リスクの低減ということが課題となると思います。

 今、様々なファウンドリー企業による投資宣言が行われています。といいつつも、これは実動するまでのタイムラグがあるのと、また、シリコンサイクルというリスクもございます。

 その中でどうするかということなんですけれども、直近のところで、日本の中で考えた場合には、既存の国内のファウンドリーというものをある種仮想ネットワーク化することによって何ができるかということも試してみることが肝腎かと思っております。

 一つなんですが、モデルとなり得るのが、ヨーロッパの幾つかの研究所が行っている、フットノートに書いたんですけれども、ヘテロジーニアス・テクノロジー・アライアンスというのがあります。これも一つのコースだと思っております。

 それからもう一つ、中長期的なビジョンからいうと、多分、先読みしたことを今日投資してやらなくてはいけないという発想です。その中で、やはりデジタルトランスフォーメーションというものを先取りする、できれば、ハイエンドな半導体デバイス開発を二分法のしがらみから解き放った形でもってやっていく必要があると思います。

 一つの考え方なんですが、デジタルトランスフォーメーションをエコシステムとして捉えながら、ターゲットとすべき半導体デバイスを共創していくということです。

 これは、ある種、若手の人たちにチームを組んでいただいて、その中で何をチャレンジするかということを設定していって、やりながら学習するという発想です。

 最後、七ページでございますが、多分、これを可能にするためには、ある種のパイロット的なファウンドリーが必要だと思っております。それは何かというと、アイデアを検証する、そのための試作、あるいは少量生産というところまでもやってみるというところが肝腎だと思っております。多分、このレンジとしては、十年先を見据えた形で今日投資するということです。

 最後の最後です、七ページです。

 科学技術・イノベーション政策の一つなんですが、多分、ここでのレッスンというのは、バリューチェーンが、一つだけのバリューチェーンではなく、複数のバリューチェーンが入れ子になっているというところですね。それが最終製品のところにもあるんですけれども、その中にファウンドリーサービスというのが入っていて、ファウンドリーの中にも細分化したところがあって、装置もあれば、材料もあれば、デザインもあればという形で、幾つかの入れ子になっているバリューチェーンをいかにシステムとして捉えるかということが鍵になっていると思います。

 そういう意味で、一つの半導体の事例から他の分野への展開というものを考えられるのではないかと思っております。

 済みません、長くなってしまいましたが、以上でございます。(拍手)

田嶋委員長 原山参考人、ありがとうございました。

 次に、中馬参考人にお願いいたします。

中馬参考人 私は、スライドを見ていただきながら説明させていただきたいと思います。

 お招きいただき、どうもありがとうございます。

 タイトルは、あり得るかと書いてあるんですけれども、難しいかもねというところがあります。でも、二〇三〇年ぐらいはどうだろうか、二〇三〇年ぐらいだったらどうにかなるかもね、運がよければというふうなプレゼンになっています。

 それで、プレゼンは大体前半と後半に分かれていまして、前半の方は、産業の米というのは日本人の好きなフレーズなんですけれども、そんなものじゃありませんね、社会発展の原動力なんですよというふうな、そういう説明をやります。これはとても簡単で、失礼なことを言って申し訳ありませんが、皆さんにお分かりいただける部分じゃないかなというふうに思いますけれども、後半は、二〇三〇年ぐらいで何かチャンスがあるのか、ちょっとチャンスが出てきたみたいですよという話は、ちょっと難しいと思います。参考資料の方は見てもさっぱりという部分があられるかと思いますけれども、こういう順序で説明したいと思います。

 それで、半導体が、日本人の好きな産業の米ではなくて、もう社会発展の原動力そのものなんですよ、これにもっと早く気づいていただきたかったですねというふうなところが、次のお話になります。

 全体の、前半の流れはここにまとめていまして、キーワードというのをあえて拾いますと、下の方の黄色いところなんですけれども、人に社会を合わせるというところが我々にとってはとても重要なことになってきているんですけれども、英語で探しますとマスパーソナライゼーションという形になるかなというふうに思うんですけれども、これを実現するために半導体は不可欠、私たちの社会発展は半導体なしにはあり得ないというところのロジックを次にお話ししたいというふうに思います。

 なぜ社会発展の原動力となってきたかというところ。そうすると、先ほどマスパーソナライゼーションというふうに申し上げましたけれども、デジタル技術の最大の便益というのが、社会に人を合わせるんじゃなくて人に社会を合わせるという現代の潮流。ですから、マスパーソナライゼーションというのは多くの人にアピールする言葉かなというふうに思うんですけれども、これを半導体なしで実現はできないんじゃないでしょうかねというのが次のお話になります。

 そうすると、じゃ、なぜ、人に合わせるってどんなことというと、恐らく、個性、多様性の尊重、あるいはQOLの向上、ここら辺に必須な技術、それぞれの人の個性や多様性を尊重しながら、しかもQOLを高めるということでしょうかね。今のはやりでいうと、あそこにキャッチと書いて申し訳ないんですけれども、ダイバーシティー・アンド・インクルージョンというふうな言い方もするかなというふうに思います。

 それで、なぜ社会発展のために個性とか多様性の尊重、あるいはQOLの向上が貢献が大きいのかというと、そこに下の方に書いてありますのは、私たちが人生を送る個としての人、それから社会、それぞれがどんなふうにして発展していくかというときに、様々な選択肢の幅を広げてくれるのよと。

 経営学や経済学では、そういう将来の幅、選択肢のことをリアルオプションズ、リアルオプションという言い方をするんですけれども、ちょっと格好よくリアルオプションとつけたんですけれども、増大する将来の不確実性に対処するための意思決定の選択権や自由度、こういうものを半導体はそもそも確保してくれるわけですよね。

 ですから、マスパーソナライゼーションの実現には、半導体なしではほぼ無理ですというふうな形になります。まるで生鮮食品とか、最近、食料自給率の話もまたクローズアップされてきましたけれども、そういうものとほぼ同列のものかな、もっとそれよりもリアルオプションを増やすという意味では重要なものかなというふうに思っています。

 そうすると、そういう社会発展の原動力としての半導体、ここで我が国にそれを担う可能性があるか、ちょっと難しいかもねというのが多くの方々が考えておられることだと思うんですけれども、二〇三〇年ぐらいだとどうにかなるかもねというふうな流れがちょっと起きてきていますよ。それが、チャンス一、チャンス二、チャンス三という形で、次の話につながります。

 ここで、えたいの知れない、機能組合せ特化型半導体というふうなキーワードを出していまして、ここが、中馬さん、今までとはちょっと違う半導体なのね、ええ、そうなんですよと。

 微細化というのがほぼ止まりつつあります。そうしますと、様々な機能を組み合わす形で、新結合型のイノベーションというのが必須になるんですよ。そういうタイプの半導体というのが一つ、二〇三〇年ぐらいになるとクローズアップされてくる可能性があります。

 プラス、そういう半導体というのは我々の社会発展の原動力ですから、私たちを支えるもので生鮮食品以上のものになりますので、そうすると、地産地消というのが出てくるというロジックになります。

 個性、多様性の尊重も重要ですし、文明、文化の競争になりますし、一方で、サプライチェーンとか安全保障重視だとか、社会発展の原動力ですので、それをいかに国内にどうにか確保するかということが死活問題だというふうに思います。

 そうすると、いや、もう無理かもねというときに、二〇三〇年ぐらいだとちょっと大きな構造変化が半導体産業に起こってきているみたいですよ、それを指摘させていただけませんかねというのが、次のプレゼンになります。

 ここから文字数も多くなりまして、難しくなるんですね、それは私の説明力の問題だとは思うんですけれども。いろいろな分野の方の間でコミュニケーションを難しくする部分というのが、これからの部分になります。

 一つは、先ほど原山さんのところに出てきましたファブレス・ファウンドリー・モデルというのが、様々な限界というのを、TSMCさんには失礼な言い方なんですけれども、幾つかもたらしています。

 次のページに行っていただいて、また戻ってきたいと思うんですけれども、これがムーアの法則と言われるようなもので、縦軸が、物理学者が好きなVAXというコンピューターがあったんですけれども、それを一としたときの性能を、時代とともに性能がどういうふうにして上がっていったかということを示しています。これを御覧になると、ああ、何だ、二〇一五年以降は停滞しているんだ、一つのチップのパフォーマンスというのが二倍になるのに二十年もかかるんだというふうな、そういう状況が今訪れています。そうすると、それが、TSMCさんには申し訳ないんですけれども、チャンスみたいですよという形になります。

 じゃ、なぜチャンスなのというときに、主原因というところに書いてあるんですけれども、設計、製造コストが増えるし、難度も増えるし、それに対応する投資額も並のものじゃない。

 今、半導体の工場を新しく一個造るのに、恐らく一兆五千億円ぐらいかかるんじゃないですかね、工場だけでということだと思うんですけれども。そうすると、難度もどんどん増えてきていまして、ある様々な制約というのに、お作法に倣わないと、うまくいきません。プロの人たちはそういう半導体の工場で作るお作法のことをプロセスデザインキット、PDKというふうな言い方をするんですけれども、これがTSMCだと数千はあるというふうに言われています。しかも、アナログのデバイスだと、用意されているものでは足らなくて、更にTSMCとのディスカッションが必要になります。とても高いものです。

 というふうなことが一つありますけれども、そうすると、自由度といいますか、私たちの多様性というのを実現するために多大なコストがかかってしまうということで、今、悶々とされている様々な企業さんというのがおられます。高過ぎるわけですよね。アップルやクアルコムにとっては安いでしょうけれども、中小の企業にとっては、半導体なしでは生きていけないわけです。それが社会発展の原動力ですから。でも、自分たちの作りたいものを自分たちの予算の範囲内では作れないという状況が、特に最先端分野では起きてきていまして、まあ、枯れていけば、それは可能になるわけなんですけれども。

 そうすると、どうするということで、さっき見ていただきましたように、ムーアの法則がほぼ終えんを迎えている。そうすると、既存の様々な利用可能な機能というものをうまく組み合わせて、そこで半導体のデバイスを作れないかというお話になります。

 でも、こういう話をすると、プロたちは次のような反論をするんですね。中馬さん、マスパーソナライゼーションというのはとても重要だと分かるよ、それが私たちの社会にとっていいに決まっているんだよ、でも、半導体の生産というのは、とにかく同じものを大量に作るというふうな、そういうことでもってもっている産業なのよと。

 そうすると、一方でマスパーソナライゼーションが起こって、一方で標準化しなきゃいけない、大量に作らなきゃいけない、その矛盾をどうするの、解決できるのというふうなところが、重要な、まあトレードオフになっているわけですけれども、それをどうやって解決するのというところが、一つ、ここに書いてあるような、新しいタイプのチップなんですよ。

 でも、その組合せというものを実現するためには、いろいろな企業とかいろいろな団体が持っている、すり合わせのためのインターフェース、そこではIFというふうに書いてありますけれども、組合せの自由度を高めるためには、あらゆるところでうまく簡単に組み合わされるような、標準化というのが行われなきゃいけません。

 実際には、この標準化は、参考資料の三番目の資料に、もう読んでも分からないような資料なんですけれども、いかに今、世界が組合せのために様々な標準化活動を行っているか。それは、グーグルであったり、インテルであったり、アマゾンであったり、様々なところが主導する形で、オープンな組合せ型のイノベーションを実現するためのインターフェースというのをつくっています。これを更に推し進めていかないと、なかなか、私たちの社会発展の原動力としての半導体、多様な我々の欲求に、マスパーソナライゼーションに合致するような半導体デバイスを作れない。

 そうすると、この辺りの標準化に日本がコミットできるかどうかという話になるんですけれども、下の方に、ホエア・イズ・ジャパニーズと書いてあるんですけれども、今探してみると、日本企業は一社も見つかりません。基本的に、グーグルを始めとして世界の企業、特にアメリカの企業がこの標準化のところで大きな活動をしていまして、イッツ・トゥー・レートだなというのが大体分かります。

 そうすると、じゃ、どこで頑張るのよというと、最終的に付加価値を生むところのマスパーソナライゼーションというところで少し可能性があるんじゃないかなというのが、次のお話になります。

 チャンス二のところは、これは、二〇三〇年ぐらいになったときに、私たちのネットワークが、インターネットがどんなふうになっているだろうかというのを明示したものです。

 今、真ん中のところにある、エッジクラウドというふうに書いてあるところは、まだ微々たるものです。支配しているのは、上の方の、ハイパースケーラーと言われる、GAFAMと言われるようなところの人たちです。

 ところが、5Gになってきますと、転送速度、応答速度が、一桁、場合によっては二桁増します。そうすると、そういうところで、今のインターネットの速度はとてもGAFAMを頼る感じでは維持できない形になります。そうすると、ネットワークの中心が真ん中のエッジクラウドというところに移っていくんですね。IBMの人たちは、そこをクラウドレットというふうに呼ぶ。レットというのは、小さいという意味ですね。そうすると、このクラウドレットが無数にできてくるだろう。例えばコンビニのクラウドレット、あるいは様々な、スーパーマーケットのクラウドレットを含めて、あらゆるところに無数のクラウドレットというのが出てくるだろう。

 5Gに関して、様々な、工場間でもそういうものが、ローカル5Gという形でももちろん出てくるわけですけれども、あらゆるところにこういう、今までスーパースケーラーと言われる人たちのところで成立していたパブリックネットワークというのが、もう少し下に落ちてきて、プライベートクラウドとかセミパブリッククラウドというところで、非常にネットワークの中核が移っていくだろうというのが、一ページ前のお話です。

 そうすると、こんなところで何かうまくやれないかなと。要するに、最終需要を可能な限り拾って、そこで高付加価値を生み出せるようなデバイスというのを作っていく。

 じゃ、さっきの大きなトレードオフがありまして、マスパーソナライゼーションは人類にとってとてもすばらしいこと、でも、半導体産業は大量に作らなきゃいけないのよという、その矛盾をどうやって解決するかというときに、それを解決するための幾つかの方策が出てきつつある。それは、ソフトウェアで実現するかハードウェアで実現するかという二律背反ではなくて、ハードウェアとソフトウェアでできてくるという部分なんですけれども、ここの説明は難しいですね。

 簡単に言うと、ソフトウェアというのはハードウェアを動かすものというふうなイメージがあられると思うんですけれども、一方で、半導体の設計では、ハードウェアをソフトウェアで作るという部分があります。ソフトウェアでハードウェアを作るという形で、ソフトウェア・ディファインド・ハードウェアというふうな格好いい言い方もされているようですけれども。

 そうしますと、そうやってソフトウェアで作られたハードウェアというのは、バーチャルなものとリアルなものが出てきます。ですから、それも動かせるんですね。その上に更にソフトウェアが出てきます。

 そうすると、そういうソフトウェアとハードウェアが、ソフトウェア・ディファインド・ハードウェアみたいな形で、ソフトウェアの柔軟性とハードウェアの柔軟性をうまくそろえるような形でデバイスが生まれるんじゃないだろうか、二〇三〇年頃はというふうなお話になります。

 最後なんですけれども、じゃ、そのときに、例えばTSMCが日本に来てくれるの、来ないでしょう、だって、アップルやクアルコムとか、あの手の、下手すると億の台数が出るような、そういうものが日本にないでしょう、そんなところに来てくれるわけないですよというふうなお話になるわけです。

 でも、もしかしたら、ユニークなデバイスというのを、組合せ型のイノベーションという形で、さっきの、ソフトウェアの柔軟性とハードウェアの柔軟性を持ったチップが、あるいはシステムができるとすると、TSMC等々も寄ってきてくれるし、日本の工場も再生できるような付加価値が、二百ミリ工場というのは、日本の二百ミリ工場は世界で最も多いわけですけれども、ほとんど使われないようになっているわけですが、そういうところの使い勝手ももしかしたら増えるかもしれないねと私自身は思うんです。プロたちは、中馬さん、それは無理だよというふうにおっしゃっていますけれども。

 そのときに、付加価値の高いチップ、あるいはそれに対応するようなソフトウェアを作れるかということになると、もしかしたらそのときには、大衆レベルの能力、こんなことを言って申し訳ないんですけれども、我が国はエリートよりも大衆の方がレベルが高いわけですよね、世界的に見て。ですから、私たちの大衆文化が持っているような、社会発展の原動力として、生鮮食品のようなものとして半導体が重要な役割を果たすんだけれども、そこの領域まで下りてきてもらえると、もしかしたらすごいものを作れるかもよ、そうすると、作りやすいためのソフトウェアツールの開発とかも含めて、そこに政府がちょっと努力するのもいいんじゃないですかねみたいな話が、このお話になります。

 それで、最後の方に、湯之上さんもまだまだ現役ですから、例えばそういう方たちというのがまだいっぱいおられますし、ここ二、三年で大変なことになるのかもしれませんけれども、そういうものも活用しながら、あるいは、二百ミリ工場の一部はいろいろな実験場化するという形の、政府のお金とかも、そこに新材料、素子構造、アナログ、無線通信、センサーと書いてありますけれども、例えばこういうふうなところで専門工場みたいなものを造るというふうなことも、一つ政府としてはやれることなんじゃないかなというふうに思うんです。

 ちょっと長くなって済みません、もう終わりますけれども、こういうふうにして、とにかく半導体産業の構造が大きく相変化しています。まとめで申し訳ないんですけれども、ムーアの法則がほぼ終えんしつつあります。そうすると、既存のものを組み合わせるというところの重要性が高まってきています。そのためのハードウェア、ソフトウェア、様々な、インターフェースの標準化も含めて、世界中でその方向に向かっています。そうすると、そこで、利用可能なツールを使いながら、私たちの大衆文化のとても優秀なところを、ユニークなところを使って、ユニークな組合せ半導体というのが、もしかしたら私たち半導体産業を再生してくれるかもしれませんよ、でも、可能性は低いんですけれどもというふうなことでしょうかね。

 ですから、二〇三〇年プラスを見据えてというふうな形のものだったらこうかな、でも、早くやりたいということだったら、とにかく何十兆円もかけて誘致するという選択肢もあり得るかなというふうに思います。

 ちょっと長くなって済みませんけれども、これで終わらせていただきます。(拍手)

田嶋委員長 中馬参考人、ありがとうございました。

 次に、湯之上参考人にお願いいたします。

湯之上参考人 微細加工研究所の湯之上と申します。

 いただいたお題が、過去を振り返り、分析、反省し、その上で将来どうしたらいいんだ、こういうお題だったと思います。ですから、そのとおりのことをお話ししたいと思います。(資料を示す)

 ここにパソコンがあります。皆さん日々パソコンを使われると思うんですが、ここに様々な半導体が搭載されています。

 まず、プロセッサー。これは、シェア一位はインテルなんですが、半導体の微細化、十ナノあたりで失敗してしまって、TSMCに生産委託しようとしています。二位はAMDなんですが、これは完全にTSMCに生産委託して、インテルのシェアを脅かしています。

 それから、パソコン通信ができるということは、通信半導体が入っています。これは、主にアメリカのファブレスのクアルコムが設計して、台湾のTSMCが製造しています。

 これらをまとめてロジック半導体と呼びますが、ここがTSMCが非常に強いところです。

 それから、パソコン通信をするとき、自分の画像が向こうに見えるわけです。ここに、画像センサー、CMOSセンサーというもの、これも半導体が入っています。これはソニーが出荷額では世界シェア一位なんですけれども、そのロジック部分は、自分で作らなくてTSMCに生産委託しています。だから、ソニーもTSMCなしにはあり得ない事態になっています。

 それから、NANDフラッシュメモリー。これは、データをたくさん蓄えておくメモリーです。電源を切ってもデータがなくなりません。一位はサムスンで、二位はキオクシア、元東芝メモリですね。

 さらに、電源アダプター。ACアダプターだけではないんですけれども、いろいろなところにパワー半導体というのが搭載されています。ここにはですね、このパワー半導体は、全部じゃないですけれども、一部TSMCが製造しています。

 さらに、もう一つメモリーがありまして、DRAMというもの。これは、プロセッサーと一緒になってワークを行う、ワーキングメモリーともいいます。一位はサムスン、二位はハイニックス、三位はアメリカのマイクロン。

 かつてここは非常に日本が強くて、過去、一九八〇年代の中旬には八〇%を独占していた時代がありました。ここに行ってみたいと思います。

 これが、DRAMの地域別シェアを示しています。八〇年代中旬、本当に八〇%を占めていたんです。非常に強かった。産業の米という言葉はここで生まれました。

 このピークだった頃に、ちょうど僕は、日立製作所に一九八七年に入社して、半導体技術者になりました。最初は、中央研究所。ここでは、微細加工装置の研究開発を八年ほどやりました。次は、半導体事業部。ここは、DRAM工場、DRAMの生産技術に五年ほど携わりました。さらには、デバイス開発センタ。次世代のDRAMの開発をせよということで、次世代開発をやった。

 この頃になりますと、二〇〇〇年近くになりますと、日本のシェアはこんなに下がってしまって、韓国に抜かれて、日本は次々と撤退していきます。

 日立は、NECとの合弁会社、エルピーダというのを設立しました。二〇〇〇年の頃です。NECから四百人、日立から四百人、出向社員八百人で形成された合弁会社です。僕は、ここに手を挙げて出向を志願しました。微細加工グループの課長として赴任しました。日本のDRAMを何とかしようと思ったわけです。ところが、ここで行われたのは、NECと日立の壮絶なバトルです。技術覇権争いです。僕は、そのバトルに敗れて半年で課長を降格となり、部下も仕事も取り上げられて、いられなくなっちゃった。

 次に行った行き先は、セリート。セリートというのは、つくばにできた半導体メーカー十三社が集ったコンソーシアムです。今もスーパークリーンルームというのが残っているんですけれども、ここで一年半、国家プロジェクトあすかに従って微細加工をやることになった。

 合計すると十六年ぐらい、半導体の微細加工、半導体の最も重要な技術に関わってきたわけです。

 ところが、二〇〇〇年にITバブルがあって、二〇〇一年に崩壊した。日立は、十万人の社員のうち二万人の首を切りました。そのとき、四十歳課長職以上は全員辞めてくれ、こういう退職勧告がなされました。課長職以上になると組合から脱退するので、切りやすいんですよ。

 僕は、たまたま四十歳課長で、エルピーダとかセリートの出向中の身なんですね。本社から見ると、顔が見えない切りやすい社員。何回も退職勧告を受けて、もう辞めざるを得ない状態になって辞めました。といっても、早期退職制度は使えなかったんです。次の行き先を探していたら早期退職制度を一週間過ぎちゃって、辞表を出しに行ったら、撤回はなしだよと、もぎ取られてしまって、自己都合退職になっちゃって、本当は三千万円ぐらいもらえるはずの退職金が、たった百万円になっちゃいまして、ちょっと今でも女房に怒られておるんですけれども、そういうのがあってですね。

 このように僕はDRAMの凋落とともに技術者人生を歩んじゃったんですよ、意図せずして。

 次に行った行き先は、同志社大学の経営学の研究センター。同志社大学に経営学の研究センターが新設されて、何で半導体がこんなになっちゃったの、かつて最強だったんじゃないの、これを研究してほしいというポストができて、推薦してくれる人がいたのでここに行きました。

 五年の任期付特任教授だったので、五年間研究をして、二〇〇八年、また舞い戻ってきて、現在、二〇〇八年以降はコンサルタントとかジャーナリストとして今に至っています。

 問題はここですね。何でこうなっちゃったの、過去、最強だったじゃない、それが何でこんなになっちゃうのと。

 結論を簡単に言うと、次のようになります。

 これがDRAMのシェアです。この辺りが非常に強かった。

 もう一つグラフを出します。これは何かといいますと、日本のコンピューターの出荷額です。パソコンとメインフレーム、大型コンピューターですね、こういうもの。

 日本のDRAMというのは何用に使われていたのかというと、強かった頃はこのメインフレーム用だったんです。パソコンはまだそんなに世間に普及していなかった。このメインフレームメーカーはDRAMメーカーに何を要求したかというと、一切壊れないものを持ってこい、二十五年の長期保証だと。

 よく、DRAMというのはアメリカのインテルが発明したメモリーで、日本がそれを追い越したのはコストなんだ、安価だからだということが言われますけれども、違います。超高品質DRAMを日本は作っちゃったんですよ、本当に作っちゃったんです。だから、これは技術の勝利なんです。

 それは何でできちゃったのというと、例えば、トヨタ流の言葉で言えばカイゼンの積み重ね、経営学用語で言えば持続的イノベーションの積み重ね、こういうもので本当に作っちゃったんですよ。それで、世界を制覇したんです。この時代が長く続けば、僕は日立を辞めることはなかったと思います。

 ところが、時代は変わるんですよ。コンピューター業界にパラダイムシフトが起きた。メインフレームの時代は終わりを告げて、パソコンの時代がやってくるんですよ。パラダイムシフトが起きたわけですね。パソコンの伸びとともに急成長してきたのが、韓国です、サムスン電子です。

 サムスンはどういうふうにDRAMを作ったかというと、少なくとも二十五年保証なんて要らないよね、パソコンはよく使って十年、まあ五年だよね、三年もてばいいんじゃないの、ほどほどの品質保証でいいと。それよりも、パソコンは大量に要るんだと。大量に要る。しかも、メインフレームのように何千万円で売るわけにいかないんだ、せいぜい何十万円なんだと。このとき、メインフレーム用のDRAMというのは一個十万円とか二十万円したんですよ。でも、パソコン用だったら何百円じゃないといけないよね、だから安価に大量生産することが必要なんだと、サムスンはそのようにしたわけです。

 一方、このとき、本当に僕はDRAM工場にいたわけですよ。パソコンが出てきたことを知らなかったわけじゃないです。サムスンがシェアを上げてきたのも知っていました。僕も日本中のDRAMメーカーの技術者も知っていたんですよ。知っていて、なおかつ、相変わらず二十五年保証のこてこての超高品質DRAMを作り続けちゃったんです。それで、サムスンに敗れたわけです。

 これは、経営学用語で言うと、サムスンの破壊的技術に敗北したんです。技術の敗北なんです。

 ちょっとこれはなかなか説明するのは難しいんですけれども、DRAMというのはこんなような構造をしています。ウェハー上に、トランジスタがあって、キャパシターがあって、配線がある、こういうものを作るんですけれども、縦軸は何かというと、マスク枚数と書いてありますが、これは微細加工の回数だと思ってください。何回、微細加工をやってこういう構造を作るんですか。当然、少なければ少ないほどコストはかからないんですよ。多ければ多いほど高価な微細加工装置を大量に必要とするんです。

 日立は二十九枚。東芝は二十八枚。NECは二十六枚。ところが、韓国勢は軒並み二十枚。アメリカのマイクロンに至っては十五枚、半分。これは明らかに技術の敗北なんですよ。こんなふうにして作っていたから、利益が出なくて、大赤字になって撤退せざるを得なくなったんです。技術の敗北なんです。

 これをまとめると、次のようになります。

 八〇年代中旬は、メインフレーム用のDRAMを超高品質で作ることによって、日本は世界一になった。これは正しかった。でも、このときに、日本の開発センターや工場に、極限技術を追求する、超高品質を追求するという技術文化が定着していきます。でも、これは正義だったんです、これで世界一位になったわけだから。でも、定着しちゃうんです。

 九〇年代になって、パソコンの時代にパラダイムシフトが起きた。このとき必要だったDRAMの競争力は低コストなんです。このとき日本は作り方が全く変わらなかったんです。結果的に、そうすると、過剰技術で過剰品質を続けることになっちゃったんです。大赤字になって撤退するわけです。

 一方、サムスンは、適正品質のDRAMを低価格で大量生産して、トップになっていきました。安く大量生産する破壊的技術、これで日本を駆逐した。ここにはマーケティングなんというのもあったんですけれども。

 このエルピーダができたんですが、エルピーダは、超高品質の、こういう病気がもっとひどくなって重篤化して、倒産しちゃいました。

 日本は、軒並みSOC、ロジック半導体にかじを切ったわけです。製品変われど、病気も一切変わらなかった、治らなかった。

 半導体全体を見ても、こんな感じです。

 これは半導体全体のシェアを示しています。やはり一九八〇年代に五〇%のピークがあります。これが、どんどんどんどんシェアが下がっていくわけです。いろいろ、これを対策しようと、あれこれやったんですよ。ちょっとこれはおいておいて、ここの辺りからですね。何かもう一つ一つ読むのも嫌なんですけれども、山のように対策したんですよ。国プロ、コンソーシアム、合弁会社、経産省が主導して、何かもう数え切れないほどやったんです。実際、僕が所属したのは、このエルピーダとか、セリートとか、セリートを核としたあすかプロジェクトとか。これは実際、僕が自分でそこに在籍して経験したわけですけれども、何一つ成功しなかった。何一つシェアの浮上にはつながらなかったんです。大失敗。何でこうなっちゃうのと。全部失敗したんですけれども。

 最後のまとめに入りますが、日本半導体産業は病気です。もはや重病で、死者も出たくらいです。これまで、各社のトップ、産業界、経産省、政府などが病気の診断を行って、まあ人間は、何か熱があるな、せきがあるなといったら病院に行くわけですよ。コロナですか、インフルエンザですか、風邪ですかという診断を受けて、それに伴った処方箋を出してもらうわけですよ。実際、処方したわけですけれども、その処方箋、国プロ、コンソーシアム、合弁は全部失敗です。一つも成功していない。

 つまり、これは何でこうなるかというと、診断が間違っていたんですよ。病気の診断が間違っていたんです。だから、診断が間違っていたから、その処方箋も的を射ていなかったんです。これが歴史的な結果です。病気は治らず、より悪化して、エルピーダのような死者も出た。

 じゃ、日本の半導体に何か望みはないのか、将来に光はないのかというと、日本半導体、デバイスについては挽回不能です。無理。だけれども、希望の光もあるんです。今から述べます。

 まず、半導体を作るには様々な製造装置が必要です。十数種類あります。この中で、全部とは言いません、五種類から七種類ぐらいは市場を独占している装置があります。ここは非常に強力です。

 それから、日本の装置でなくても、アメリカ製であってもヨーロッパ製であっても、それぞれの装置が三千点から五千点の部品で構成されています、その部品の六割から八割が日本製なんです。知られていない中小零細企業がここに何千社といるんです。これがひょっとしたら日本の競争力かもしれない。

 さらには、もう一つある。ウェハーとかレジストとかスラリーとか薬液とか、半導体材料というもの、これはもっと強力なんです。これを具体的に示したいと思います。

 これを作るのに一週間以上かかってしまった。これは一つ一つ説明できないんですけれども、いろいろな材料が必要なんですよ。実はこの三倍ぐらい半導体材料はあるんです。一週間では三分の一しか調べられなかった。しかも、各社のシェアというのは、ちょっと、ねえねえ、教えてよと電話をかけまくって、悪用しないからさ、国会で報告するからちょっと教えてよというのを一週間やって、この図を作ったんです。

 そうすると、見てください、右側に、日本のシェアと書いたんですけれども、九〇%とか七〇%とか、過半を超えるものが多数あるわけですよ。これが一つ欠けても半導体は作れないんですよ。一つ欠けても駄目なんですよ。ここにまず、日本の第一の競争力があります。

 それから、製造装置に行きます。

 製造装置も、これは前工程だけなので、後工程というのはちょっとまとめる時間がなかったんですけれども、前工程だけで十種類ぐらいあります。それで、例えばこの東京エレクトロンというのは、コーター・デベロッパー、詳しく説明しませんよ、でも、九割ぐらいのシェアを持っているわけですよ。熱処理装置も、東京エレクトロンと国際電気を合わせて九割ぐらいのシェアを持っているんですよ。このように、ここにまた数字、日本のシェアを書きましたけれども、五種類から七種類ぐらいにかけては、日本が独占している装置があるんです。これは日本の競争力なんです。

 更に言うと、例えばヨーロッパ、ASML、オランダの装置メーカーで、露光装置をほぼ独占しているんですけれども、この部品の六割は日本製なんです。緑色がアメリカ製の製造装置なんですけれども、この六割から八割が日本製の部品なんです。ここに日本の競争力があります。

 アジアを俯瞰すると、こういうふうになっています。

 まず、韓国は、サムスンとかSKハイニックスを擁して、半導体メモリー大国となりました。今、ファウンドリーも強化しようとしています。なかなかうまくいっていませんが。

 台湾。TSMCがファウンドリーでチャンピオンです。どこも追いつくことができません。これはもう世界の半導体のインフラと言ってもいいでしょう。もうここを使わないとできないんですよ。日本に来るかという話がありますが、必要ならば質疑のところで説明しますが、少なくとも工場は一切来ません。断言しましょう。来ない。

 中国。これは世界の半導体の三五%以上を吸収して、鴻海、鴻海というもの自体は国籍は台湾なんですけれども、中国に大工場群を持っていて、世界の電子機器の九割とか八割を組み立てているわけですね。世界の工場なんですよ。それが、アメリカからの制裁を受けて、自国でも半導体を作ろうと強化に動いてはいますが。

 それで、日本なんですよ。日本は、装置と材料を世界へ供給している。台湾、韓国、まあ中国は、ちょっと、いろいろな問題があってちゅうちょしています。何か、ここ、いろいろ、アメリカのエンティティーリストに載っちゃったような会社がありますので、ここに出してもいいのかというのはちゅうちょしているところがありますが。欧米にも出している。

 こういう役割分担がアジアで完全に確立されています。

 問題はいろいろあります。ここですね。装置と材料は強いんです。でも、材料の競争力を維持するには問題があるんです。

 例えば東京エレクトロンのような大企業だったら、大規模なRアンドD費も充てることはできるんですけれども、その部品メーカー、三千社とか一万社ある部品メーカーには中小零細企業があって、そういうところは最先端の開発というのはなかなか大変なんです。こういう中小零細の部品メーカーが本当の競争力、世界の製造装置のデファクトを持っていたりするんですよ。こういうところの強化が必要なのかなと思っています。

 TSMCが注目されます。TSMCには千社以上のファブレスが殺到している。最先端プロセスだけで五百社ぐらいが来ている。もうキャパはぱんぱんだと。そこに、最先端の製造装置とか最先端の材料が使われているわけですよ。製造装置のうちの半分近くは日本製です。部品まで入れると六割から八割までが日本です。製造材料でいうと、ざっくり言って七割から八割が日本なんです。ここが強いところなんです。

 まとめます。

 一九八〇年代中旬に、日本はメインフレーム用に超高品質DRAMを製造して、世界シェア八〇%を独占しました。一方、一九九〇年代にパソコンの時代が訪れても、相変わらず超高品質DRAMを作り続けて、韓国の安く大量生産する破壊的技術に敗北しました。日本半導体全体も、一九八〇年代中旬でピークアウトしました。シェアの低下を止めようとして、国プロ、コンソーシアム、合弁をやり続けました。しかし、病気の診断と処方が間違っていた。したがって、全部失敗した。日本半導体は挽回不能です、残念ながら。もう無理。ここに税金をつぎ込むのは無駄だと思っています。歴史的に、歴史的にですよ、経産省、革新機構、政策銀が出てきた時点でアウトなんです。これは歴史的な事実です。

 じゃ、希望の光はないのか。あります。今でも競争力が高い五種類から七種類の製造装置、あるいは、日本製でなくても、欧米製であっても、その部品の多数が日本製です。さらに、製造材料については日本が圧倒的な競争力を持っています。したがいまして、強いものをより強くする、これを政策の第一に掲げるべきだと私は思います。

 以上で発表を終わります。(拍手)

田嶋委員長 湯之上参考人、ありがとうございました。

 以上で参考人の意見の開陳は終わりました。

    ―――――――――――――

田嶋委員長 これより参考人に対する質疑に入ります。

 参考人に対する質疑は、理事会の協議に基づき、まず、各会派を代表する委員が順次質疑を行い、その後、各委員が自由に質疑を行うことといたします。

 参考人及び質疑者におかれましては、御発言の際は自席から着席のままで結構でございます。

 質疑の申出がありますので、順次これを許します。石川昭政君。

石川(昭)委員 自由民主党の石川昭政です。

 今日は、三人の参考人の皆様、お忙しいところをお越しいただき、ありがとうございました。

 俯瞰的また個別的に技術的なお話もお聞かせいただきまして、大変参考になったところであります。

 早速ですけれども、実は、この委員会、田嶋委員長から、委員会が始まる前に、東北大学の西澤潤一先生の「「技術大国・日本」の未来」という本を御提供いただきまして、その本を読んだ上で、今日、三人にお話をお伺いしたいと思います。

 まず、科学技術、特に半導体技術の日本の凋落ということが今回テーマでありますけれども、まず原山参考人にお伺いしたいんですけれども、OECDで御経験がある中で、とりわけ日本から独創的なイノベーション、ユニークさというのが出ていかなくなった理由についてちょっとお伺いしたいと思います。

 西澤先生によりますと、日本の研究というのはとにかく物まねが多い、海外の物まねからブラッシュアップして、日本の製品だということで世界に売っていくということがずっと続けられてきた中で、独創性、ユニークさを正当に評価するシステムがまずないと。

 そして、私がとりわけ感じるのは、過度に研究開発に対して失敗を恐れる、失敗を、責任を追及するようなそういう日本の土壌があるがゆえに、世界に比べるとなかなか日本から独創的なイノベーションというのが出てこなくなったのではないかな、そういう問題意識を私は持っておりますけれども、参考人の御所見をお伺いしたいと思います。

原山参考人 原山でございます。

 御質問ありがとうございます。

 日本はキャッチアップ型というふうに長年言われてきていました。それが成功の鍵であったことは確かなんです。そのトレンドが終えんした頃に次のが来なかったというのが一つの大きな課題だと思っております。

 その中で、今おっしゃったように、失敗を恐れることに非常にスティックしたのと、それから、逆に言えば、成功を求めるプレッシャーが強かったのでチャレンジングなことになかなか手が出なかったというのがこれまでの経験です。

 OECDの話に戻りますけれども、今トレンドとなっている政策が、一つが、まずはやってみましょうなんですね。必ずしもうまくいかなかったとしてもエクスペリメンテーションすることが大事であって、そこから学ぶというスタンスが大事だというふうに政策論の中では言っております。それも、やりっ放しのやりましょうではなくて、そこから学ぶところまでいかに結びつけていくかということが大事だというふうに思っております。

 もう一つ、では、何に向かってチャレンジするかというときに、必ずしも目に見える製品に対する新たなチャレンジではなくて、一つは、先ほども幾つか出ておりますが、何のために技術というところに戻ったところで、やはり、ウェルビーイングの話も出ていますが、社会に対する価値というものを生み出すためのという動力があった上で、そこでチャレンジをしながらというふうに流れがいっております。

石川(昭)委員 ありがとうございます。

 更にお伺いいたしますが、日本のチャレンジングな土壌というのを我々も旗を振ってやっておりますけれども、大学、産業界、それぞれ頑張っていらっしゃるのは重々承知をしておりますけれども、そこに大きな壁あるいは溝があるのではないか。せっかく大学、現場で新しい研究開発、技術が生まれたにもかかわらず、日本の企業はそこに目もくれずにアメリカのスタートアップ企業に巨額の投資を行って、結局それは何かというと、日本の大学あるいは研究機関が開発した技術であったりということが間々起こってきております。

 こういった事例は大変多いわけですけれども、この悪循環を、どう流れを変えていけばよろしいのか、これについて御所見をお伺いします。

原山参考人 今の御質問ですけれども、これまで何回も何回も同じ体験をしてきたというのがあります。その壁を破る一つとして、産学連携を推進するというのが、一九九〇年の終わりの頃から進んでいます。それは、制度的にはもう全ての大学が産学連携を柱としているのは確かなんですが、それが効果があったかというと、クエスチョンマークのところが多分にある。それは、一つの、一番最初に申し上げたんですけれども、どちらかというと、私、技術をつくる人、それを使う人という二分法を前提に、基づいて動いているところが多分にあって、その壁を取る必要が非常に大事だと思っております。

 ということは、初めから企業が、いわゆる基礎研究といいますか、研究のシーズの初めのところから一緒に議論をする、あるいは研究者の方も企業の中に入り込むという、お互いに相互乗り入れという機会をどんどん増やすことです。それは必ずしも大学を壊すという話ではなくて、大学の研究能力を高めるというふうに価値を生むことができると思っています。

 もう一つは、問題が組織的なところで、それぞれの組織、大学においてもそうですし、企業においてもそうです。それぞれの部署があるわけですね。その部署の中で閉じた形のものが非常に多い。ですので、研究者レベルでは非常に意気投合してチャレンジするんだけれども、それが製品に結びつかないというジレンマも企業の中でもって抱えています。ですので、壁、特に既存の組織の中の壁を取り除かないことには、単に大学と企業の連携だけでは話が進まないというところです。そういう場をつくることと、それから、できれば、シニアの方は除いて、ちょっと余り言っちゃいけないんですけれども、若手にやらせてみるという度量を持つ必要があると思っております。

石川(昭)委員 ありがとうございます。

 次に、中馬参考人にお伺いします。

 先ほどのプレゼンテーションの中で、デバイスとソフトウェアの開発について、ソフトウェアでハードウェアを作るというお話がございまして、ちょっと私、非常にびっくりしたところでございまして。

 日本は、どちらかというと、デバイスの開発とソフトウェアの開発を分けてそれぞれの部署でやっていくというような観点で開発を進めてきたと思いますけれども、そんな中で、これからはソフトウェアも大事だという国の旗振りもあって、そういう人材教育をしていこうという動きも出てきております。

 ソフトとハード、どちらに重心を置くべきかという二律背反ではなく、先ほどの参考人のお話ですと、両方、二兎を追っていく、むしろソフトウェアでハードウェアを作るというちょっと逆転的な発想でございますが、これについてもう少し分かりやすく御説明をお願いいたします。

中馬参考人 ハードウェアをソフトウェアで記述するというのはハードウェア・ディスクリプション・ランゲージというんですけれども、それが出てきたのは、大体、八〇年代の半ばちょっと過ぎるぐらいですかね。最初、Verilogという言語が出てきたんですけれども、その後、八七、八年ぐらいに、米国政府のDARPAだったと思いますけれども、VHDLというふうなものも出てきました。その間、日本の会社さんも、日立さんを始めとして、そういうところには様々な投資をされていて、NTT特有の言語があったということも確かです。

 それが、九〇年代に入る中で、日本のそれぞれの電機メーカーさん、半導体メーカーさんが、あるいはNTTさんが独自にやるという方向から、それが世界でスタンダダイズされるということが起こってきます。その流れの中で、一つの会社の中だけではとても手に負えないような、投資金額も含めて、増えてきました。それで、九〇年代に入りましてケイデンスとか、シノプシスはちょっと遅れるんですけれども、メンターだとか、今世界を制覇している半導体の自動設計の会社が世界に君臨してきて、それとTSMCとの緊密な結びつきというのが現在も続いています。

 インテル自身はそもそも自分たちで九〇年代の初めぐらいまで開発していたんですけれども、やはりそれでも開発コストとか間に合わなくなりまして、インテルはシノプシスと組んだというところはあります。結果としてシノプシスのシェアが上がっていった。

 そういう意味では、ソフトウェアでハードウェアを記述するという形で自動的に半導体ができてくるというふうな流れは、そういう時代的な背景があります。

 そのときに、どの程度の使いやすさで記述すればいいのかというところがだんだんだんだん抽象度が上がってきまして、そうすると、余り半導体をどうやって作るかということを知らない方でも作れるようになってきました。ですから、日本でもそういう会社さんというのがどんどんどんどん増えてきていますし、例えばデンソーさんみたいなところでも、そういう非常にレベルの高いところ、高位設計というふうにいうんですけれども、そういうツールを使ってきた。その流れがまたどんどんどんどん高まってきているんですね。そうすると、使いやすさという意味では、私たちが何かちょっとした作文をするような形で半導体のアイデアを出せるというふうな流れになってきています。

 でも、そのときには、ソフトウェアでハードウェアを作るんですけれども、それに対応して一気通貫で最終的にTSMC等々を含めてどこかで作れるというふうなことが重要なんですけれども、そこには様々な、さっきお話ししましたような、どうやって、最後、TSMCの工場を使うよというときに、例えばPDKと言われるような特殊な制約の下で作らなければ作れないとかそういうことがありますから、幾ら言語のレベルが日常言語に近くなったとしても、それを最終的に様々な形で標準化して、物をより簡単に作れるというふうなところまで一気通貫でそろえないとなかなかできないということになります。

 ですから、今の流れとしては、グーグルを始め、アメリカのDARPAを始めとして、PDKというところをオープンにしようよという動きがあります。そうしますと、ある特定のファウンドリーだけではなくて、いろいろなファウンドリーで作れるようになるということになるんですけれども、でも、それは微細化がある程度落ち着いてきたところでより効果を発揮するものなので、それは、これからの、PDKの例えばオープン化だとか、そういう生産のところまでもソフトウェアが記述するというふうな形になるんですけれども、そういう流れの中で今日のお話があるかなというふうに思います。

 ですから、だんだんだんだん自然言語に近くなりますから、記述しやすくなってくるんですよ。それが行き着いたところでは、マスパーソナライゼーションというのが設計者にとっても起こって、あらゆる方が自分のアイデアに基づきながら半導体を設計するというふうなことがより容易になるんですよねというふうなお話だと思います。

石川(昭)委員 ありがとうございます。

 最後に湯之上参考人にお伺いします。

 先ほどのプレゼンテーションの中では、日本企業は世界を制した、しかし、だんだんとパーソナルコンピューターの拡大によってその地位が失われていったという、恐竜が絶滅していくような、そういう表現もされていたと資料では承知をしております。

 先ほどの中で、私は、マネジメントの問題も大きいのではないかと。日本は技術で勝てればいいんだという考え方でずっとやってきた、しかし、マーケットを見誤って半導体産業では凋落していったのではないかなと。技術でも負けて、ビジネス、マネジメントでも負けているというのが半導体に表れたのではないかなと思います。

 それで、TSMCがつくばに研究開発拠点を置くというふうになりましたけれども、この技術開発が成功するかどうか、日本にどういう影響があるか、その辺の御見解をお伺いして終わりたいと思います。

湯之上参考人 これはマネジメントの問題もあるのではないか、こういう御指摘なんですけれども、これに対してまずお答えしてよろしいですか。マネジメントの問題はないです。

 というのは、日本はボトムアップの国なんですよ。マネジメントは何も決めません。部長ぐらいになっちゃうと、無能化して、何にもしません。ボトムアップで決めちゃうんです。だから、これはマネジメントはないんですよ。高品質なものを作れというものが蔓延していて、それに逆らえない状態になっている。したがって、マネジメントの問題はないと思います。

 済みません、もう一度質問をお願いします。

石川(昭)委員 つくばの研究開発拠点、TSMCの。

湯之上参考人 ちょっと違うスライドを準備してあるので、そちらを出させていただきます。

田嶋委員長 申合せの時間を過ぎておりますので。

湯之上参考人 つくばには、経産省がしきりと、後工程のRアンドDセンターを誘致したんだと言っていますが、これに関する事実はただ一つです。TSMCがボードミーティングで、つまり取締役会で、日本に百八十六億円を投じるという決断をした、認可をした、これだけなんです。つくばとも、RアンドDセンターを造るとも、それはいつなんだとも、何も言っていません。僕は、まだこの話は信用していません。TSMCが正式発表するまでは信じられないんです。

 なぜかというのがここにあります。これはTSMCの売上高の地域別の比率です。

 大体、二〇二〇年ですと五兆円ぐらいの売上げがあるんですけれども、約九割がアメリカなんです。日本はずっと五%程度なんです。九割ぐらい、まあ、中国のファーウェイが脱落して九割になったんですけれども、それまでは大体六割なんですけれどもね。この六割から九割のアメリカにやんややんやと言われて、やっと初めて重い腰を上げて、アリゾナ州に進出すると誘致を認めたわけです。それでも嫌なんです。大体、人材はどうするの、インフラも何も税制も違う国でどうやっていくのと、TSMCにとってはえらい迷惑なんですよ。でも、これに逆らえないんですよ、九割のカスタマー。ところが、日本は五%なんですよ。こんなところに工場を造るいわれは一切ない。

 だから、一生懸命、経産省がアピールしていますけれども、まず工場は絶対にできません。RアンドDセンターも誘致されるというふうに言っているのは経産省だけで、TSMCは一言も言っていません。百八十六億円を認可した、唯一、TSMCが発表しているのはこれ一点だけです。

 以上です。

石川(昭)委員 ありがとうございました。

田嶋委員長 次に、山岡達丸君。

山岡委員 衆議院議員の山岡達丸と申します。

 立憲民主党の会派から今回は代表して質疑をさせていただきます。

 参考人の皆様におかれましては、本当に、こうした御時世の中においても足を運んでいただきまして、大変示唆に富む、刺激的なお話も含めて、今日、お考えをいただいたことに心から感謝を申し上げます。

 私からそれぞれ質問させていただきたいんですが、まず、原山参考人にお伺いさせていただきます。

 今回は、半導体、今、日本でもう一度ということが注目されていることを受けて、こうした委員会の議論のテーマでもあるわけであろうということを思うわけでありますが、原山参考人におかれましては、今現在、理化学研究所の理事もお務めになり、そしてまた科学技術の基本計画等の作成にも関わっておられるということで、様々課題を今参考人の皆様からいただいたんですが、少し広い意味で、日本の基礎研究のありようについて少し伺いたいと思います。

 第六次の基本計画には、過去の基本計画から新しい記述が加えられまして、研究者自身の好奇心とか探求心に基づく、そうした研究の重要性ということで、今回、半導体もそうなんですが、何か政治の要請とかプロジェクトとか、そういうことではなくて、もっと自由にやれる、そういうことを明確に記載されているということであります。

 ニュートリノの小柴さん、私たちはすごく印象に残っているわけでありますが、この研究が何の役に立つんですかとメディアに聞かれたときに、何の役にも立ちませんということをお話ししたということは非常にインパクトがあったわけであります。しかし、今、ピラミッドの内部調査等でニュートリノで使われていた研究の技術が活用されたりとか、どういう形で何が貢献するか分からない中で、日本全体が、そういう余力、バッファーといいますか、そういうのが失われているんじゃないかという問題意識もあるのかなということもあるわけであります。

 是非この辺り、原山参考人に、いわゆる基本計画においてそういうことも明記されるという中のこの重要性について、少し深掘りしてお伺いできればと思いますが、いかがでしょうか。

原山参考人 御質問ありがとうございます。

 そもそもサイエンスを進めている中の一番のドライバーというのは、やはり、これがという課題を見つける力ですね、研究者の。それを具現化するというのが研究のプロセスであって、そこから様々な成果が出てくるわけです。その成果は、出口といいますか、サイエンスにおける貢献もあれば、具体的なアプリケーションあるいは製造に関するとか、様々な出口があるわけなんですけれども、その可能性を切ってしまうことが一番ネックだと思っております。

 今おっしゃったように、いわゆるモチベーションとして研究者の好奇心のドライバーというのがそもそも根源にあるんですけれども、それがなかなか表に出てこないというか、逆に、役に立つ方にウェートがかかったことによってそれが見えなくなってしまったというのがあります。ですので、それをもう一回再定義し直したというのがあの第六期だと思っています。

 先ほどもプレゼンのときにお話ししたように、二分法というのはやめましょうというのが基本だと思っております。基礎研究が重要なのか応用研究が重要なのか、あるいは、いわゆるサイエンティフィックな興味あるいは具体的な目的なのか、それ全部ありきだと思っています。それの部分的なところにだけフォーカスしてしまうことが一番危ないと思っています。

 それはまさに、今日への貢献もありますけれども、長い目で、中長期的なものに対する投資というのは今日しておかないと、あした出てこないわけなんです。半導体の話も全てそうですけれども、根源にある研究というのはもう蓄積されてきたわけなんです。それなしにしては飛躍することができません。

 ですので、おっしゃるように、非常に重要な点というのは、バランス感といいますか、様々なことを同時に進めることが政府の責任だと思いますし、それは、日本だけではなくて、世界的な科学技術・イノベーション政策をやっている人たちのコンセンサスだと思っております。

 一つの例がCOVID―19です。ワクチンがこのようなスピードでできたというのは、蓄積があったからこそここまで来た。もちろんシステムがうまくいく、いかないもありますけれども、なかったらばできなかったという話です。これは非常にあちこちで聞く話です。

山岡委員 ありがとうございます。

 理化学研究所というのはある種公的な役割も担っておられると思いますので、もちろん国家プロジェクトとか様々なことで要請もあろうかと思いますけれども、是非、そういう中長期の、特に長期にわたっての分野において研究者を育てるということに大きく期待をさせていただいておりますし、様々、今後も御知見をいただければと思います。

 続きまして、湯之上参考人にお伺いしたいと思います。

 基礎研究の長期の話もあるわけでありますが、さはさりながら、私たちも、日本で政治家という立場をさせていただきますと、今目の前の様々な課題、あるいは、技術も研究も産業もできれば日本に様々主導を持ってほしいという思いがある中で、御説明の中でも、栄光の時代から厳しい時代まで中で経験されてきたということで、是非お伺いしたいことなんですけれども、まず、お話しいただいた中で、技術の部分で、技術の勝利もあり、技術の敗北もあったというお話がございました。そして、いわゆるサムスンが、低価格路線の技術力、ここで圧倒的な力を持って市場を席巻したというお話がありました。

 その間に、日本の企業はリストラ等を敢行していく中で、参考人もその中で少しそういう影響を受けてしまったというお話もありましたけれども、私たちが一般に聞きますのは、日本の技術者が海外に行ってしまった、その結果、その技術力をもって海外のメーカーが様々力をつけたんじゃないかというような分析が様々言われてきたということも思うところでありますが、この経過の中で、メーカーの技術、この敗北はあったとしても、技術者の移動、流出等に伴う影響とか、そうしたところというのは参考人の目からどのように映っておられたのかなということを伺えればと思います。

湯之上参考人 湯之上です。今の質問にお答えします。

 まさに日本が韓国にこのように抜かれたとき何が起きたんだということなんですけれども、技術者のレベルで何が起きたんだということなんですけれども、日本はおごり高ぶっていました。一九九五年、時代ですね、ちょうど韓国がこうやって成長してきた頃、NECはサムスンにOEM生産を委託しました。つまり、製造プロセスを全部開示して、このとおり作ってくれと。日立は金星、その後、ラッキーゴールドスターになって今はハイニックスになっているんですけれども、そこにOEM生産しました。いろいろな技術流出のルートが指摘されていますけれども、一番大きいのはこれなんです。日本が韓国に教え込んだんですよ。

 製造プロセスというのは、例えばDRAMですと五百工程から千工程にもなるんです。これは門外不出なんですよ。やつらなんかにこんなものはできるはずがないだろうというばかにした見地から見下ろしていて、OEM生産をさせたんです。一から教え込んだんです。

 僕も、DRAM工場にいるときに、金星の技術者を百人ぐらい受け入れて、二、三人、一からゼロまで教え込んだ記憶があります。教え込んだんですよ。DRAMというのは二年、三年で次の世代に行くんですけれども、絶対にやつらに次の世代のプロセスフローはできないだろう、こんな頭はないだろうとばかにしていたんですね。そこを教え込んじゃったんですよ。それを教え込むのをずっと続けたんです。

 エルピーダができたとき、二〇〇〇年ですけれども、まだNECは、あんなに敗北しているのに、サムスンに教え込む活動を継続していたんですよ。これが第一点。

 第二点目は、これはよくあちこちで指摘されている点なんですけれども、最先端の技術を一件百万円で購入する。韓国のサムスンに顧問団というのがいて、百人規模の顧問団なんですけれども、現役の技術者に、これはという技術者に直撃して、韓国に来てくれと。週末のソウル行きの飛行便が日本の半導体技術者で満席になる、実際起きたことです。東芝ではパスポートチェックしようとしたこともあります。この顧問団の人間に会ったこともあります。日本人です。日本人を中心とした百人ぐらいの顧問団です。このリストをばらまくと、とんでもないことになります。驚くべき人々がこのリストに載っています。ということもありました。

 ですから、経営学者の間では、半導体製造装置にノウハウが体化されたから、それによって技術が流出したんじゃないかなどということを言う人がいるんですけれども、それがゼロであるとは言いません。ですが、違うんです。日本がまず積極的に教え込んだんです。それから、日本の弱みにつけ込んで、百万円で一件、技術情報を買い続けた。こういうことが行われ続けた。さらには、ヘッドハンティングもありました。これはという者は引き抜いた。これが事実、起きたことです。

山岡委員 現場におられたお立場からお話を伺いますと、本当にリアリティーのある、反省すべき話が多くあるということを感じております。

 続いて伺いたいんですが、強いものをより強くする、そして、更に言えば、新たに戦えるフィールドも探していかなきゃいけないかもしれないんですが、この中で、いわゆる政府といいますか、そこが関わってきて全て失敗して、歴史的に見れば、経産省とか革新機構とか政策銀が出てきた時点でアウトであるというお話もありました。

 大変私たちも、政治の立場をさせていただいて、どういうふうに政策を執行していくのかということで非常に考えさせられるお話ではあるんですが、参考人にとって、じゃ、その政治、政府、どういうポジションで、どういうことを役割として期待できるかというか、するべきか、そこの御知見を伺えればと思うんですが、いかがでしょうか。

湯之上参考人 湯之上です。答えさせていただきます。

 今回のこの資料を作るに当たって、装置メーカー、材料メーカー、このようなデータをまとめるに当たって相当多くの方に協力をいただきました。その方々から言われたことをまとめて僕がここで言うことになるんですけれども、最先端の技術をつくるというのはとてもとても大変なことです。日本に、もはや最先端のデバイスメーカーはないんですよ。最先端はサムスンや台湾にある。そことくっついていかないと、最先端の技術はできないんですよ。ここなんですけれども、最先端の装置や部品、材料の開発はより困難を増す。

 日本に産総研があります。セリートのスーパークリーンルーム、二十年前にできたスーパークリーンルームなんですけれども、これがうまく活用できればまだましなんだけれども、これを持ち込んじゃいけない、あれをやっちゃいけない、規則だらけで使い物にならない、使えないんだと。

 だから、せめて、今あるインフラを使いやすくしてもらえないだろうか、あるいは、二千億円の半導体基金をつくったならば、どんな装置、インフラを入れてほしいかというのを、この当事者たちの意見を聞いて、こういう装置を入れてくれたら開発がどっと進むんだけれども、それを使いやすくしてほしいんだけれどもというような現場の当事者の意見を聞いていただけないでしょうか。それを取りまとめてもいいですよ、僕が。

 だから、現場の声なしに官僚だけがやると、とんでもなく難しい、使うことが難しい構造になっちゃうんです。一切使えないという状態が十年以上、産総研のスーパークリーンルームは続いているわけです。ですから、現場の声を聞いていただきたい、それで、インフラを使えるようにしていただきたい、それを政治にはお願いしたいと思います。

山岡委員 ありがとうございます。

 政治の要請、政治課題になりますと、どうしても、派手さを求めたり結果ばかり求めて、現場の皆様からボトムアップのお話というのが非常に欠けているという、非常に刺激的なお話といいますか、勉強になるお話をいただきました。

 本当は、この後、中馬参考人には、二〇三〇年に向けた、大変企画力が問われる、これからどういうふうに向いていくべきかというお話を伺いたかったんですが、申合せの時間が来てしまったということもございますので、ほかの方にこの質疑は譲らせていただきまして、私の質疑は終わらせていただきたいと思います。

 ありがとうございます。

田嶋委員長 次に、濱村進君。

濱村委員 公明党の濱村進でございます。

 今日は、三名の参考人の皆様、貴重なお話をお聞かせいただきまして、ありがとうございます。

 まず、中馬参考人にお伺いをしたいと思うんですが、先ほど湯之上参考人からは、日本の半導体産業はもう病気である、そもそもそこに税金をつぎ込むことは無駄だというようなプレゼンがあったわけですけれども、中馬参考人のお話から伺っているところにおいては、いわゆる半導体が産業の米というわけではなく、それ以上の重要性が高まって、社会発展の原動力になっていることに気づけなかったというお話がございました。この重要性に気づくか気づかないかというのは非常に重要であるとは思いつつも、このことは、じゃ、なぜ起きるんでしょうか。

 半導体はいろいろなところに使われていて、通信用の半導体もあれば、CPUもあれば、グラフィックであればGPUもあって、NANDもあって、DRAMもあって、いろいろな使われ方をしますねというのはみんな分かっているわけですよね。みんな分かっているのに、社会に求められているような需要に対して供給できなくなったんじゃないかというような話で、湯之上参考人からは、メインフレームを作っていた中で、もうがっちがちの高性能の半導体を作っていたところから安価なものに切り替えることができなかったというようなこともお話がございました。

 こういう、需要に対して供給するということも含めて、それを対応できなかったということは一つの重要性に気づけなかったことなのかなとも思っておるんですが、少しこの辺の、日本の半導体産業が気づけなかったところ、この辺りについてもう少しお話を伺えればと思います。

中馬参考人 湯之上さんとはちょっと違う形になるかもしれませんけれども、例えば、DRAMのところを私は研究テーマの一つとさせていただいたんですけれども、さっき、なぜ気づかなかったかというふうな話なんですけれども、このマーケットというのは、ある年数経過しますと、構造変化が非常に速い速度で起こるんですね。そうすると、今まで使っていた様々なデバイスを一つの部品として、更にその上により複雑なものが作られていく。そういうのを先ほどの言葉でシステムズ・オブ・システムズというふうな言い方をしたんですけれども、それがどの辺りで競争領域が変わったかというのになかなか気づけないというところが一つあると思うんですね。

 それで、じゃ、なぜ気づけないのといったときに、例えば半導体の企業とか産業に限定した場合には、恐らく経営者のレベルがプロじゃないんじゃないだろうか。ですから、ある特定の分野でプレーイングマネジャーでもないと務まらない、そういう人じゃないと、競争領域がワンランク上がったなというところになかなか気づけない。ですから、それはさっき湯之上さんがおっしゃったことと少し整合的なんじゃないかなというふうに思うんですけれども、プロの人たちが直接意思決定に携わるというふうな、そういう仕組みがなかなか取れない。

 じゃ、なぜ取れないのといったときには、恐らく今のコーポレートガバナンスのような話になってきて、誰が次の人を選ぶかというふうな選び方に関わってきて、きっと自分のかわい子ちゃんを、済みません、日常言語で申し訳ないんですけれども、自分のかわい子ちゃんを選んでしまうというふうなことで、そこに、誰が経営者としてふさわしいかというときに、誰もが誰も一歩先、半歩先は読めませんので、そういう経営者の登用システムにやはり大きな問題があるというのがだんだんだんだん分かってきたんじゃないだろうか。

 それで、DRAMに関して言えば、例えば、さっきの、九〇年代の後半に相当に微細化が進んでいくんですけれども、そのときにインテルが何をしたかということなんですけれども、インテルは、周波数といいますか、性能がこう、周波数で表現するとどんどんどんどん上がっていったんですね。

 そうしたら、ある時期から、プロたちは集中定数回路とか分布定数回路とかという言い方をするんですけれども、DRAMだけで単体でPCが走らないというふうなことが起きてきます。そうすると、CPUからどれだけの距離を取ればいいかとかという形で、プロたちは等長距離とかという言い方をするんですけれども、全体を動かすためにDRAMがどうあるべきかということについての知識というのがなければインテルの安いPCが動かなくなったということがあるんですね。そうすると、じゃ、そういう知識を持った人を抜てきしなきゃいけないわけですけれども、そうすると、等長配線とかと言われるような形で新しいレベルの競争になってきて、インテルがパソコンを作るときにはDRAMはワン・オブ・ゼムの部品になってきちゃって、ワン・オブ・ゼムの部品をうまく動かすためにはどんなことをすればいいかはインテルが最もよく知っているような、そういう時代というのが九〇年代の後半ぐらいから訪れます。

 そうすると、インテルは、DRAMの中に自分たちが作った、SPDというふうにいうんですけれども、CPUと同期するための小さいチップを入れるように要求するんですね。そうすると、それまでは、日本のDRAMというのは自分たちで、DRAMの中にクロックがあって、非常に設計等々も難しいという状況から、そんなDRAMでは特に安いPCでは走らないので、インテルが、どんなものを作ればいいかとか、どんなふうにして動くようにできるかというところの情報を吸収するための一つ上のシステムというのを、IBISというふうにいうんですけれども、そういうものを開発したというふうなところに気づかない。

 それはやはりプロだと気づくんだと思うんですけれども、やはりトップの専門性というところに恐らく依存して、したがって、フェーズチェンジでどんどんどんどん新しいレイヤーの競争になっていきますから、そこに気づく人をうまく抜てきできないというところに最終的には行き着くんじゃないかな。

 長い話になって申し訳なかったですけれども、そういうふうに感じます。

濱村委員 ありがとうございます。

 経営者がやはりなかなか判断をしっかりできないというのは、技術的細目までは判定できないというのはよくあることだと私は思っていて、ただ、これからの時代はそうであってはいけないのだろうというのは思います。ですので、CTOとかそういう方々が、技術的助言ができるような人が経営幹部にいるということ、こういう体制の構築も今後求められていくのかなというようなことをちょっと、もやっとイメージをしたところでございます。

 PDKとかいろいろな話もあったわけでございますけれども、少し、そういうやり方をすれば半導体産業も今後希望の光があるんじゃないか、チャンス一、二、三ということで御提示いただきましたので、これはこれでしっかり勉強したいなと思っておるんです。

 あと、湯之上参考人にお伺いしたいんですけれども、ムーアの法則も含めて、ちょっと半導体は、ちょっと言い方は悪いんですが、コモディティー化してきているんじゃないかというような感覚を私は持っていたんですね。そういう意味でいうと、日本で生産することにこだわる必要なんかないんじゃないかなという考え方も戦略としてはあり得ると思ったんです。それでいうと、もはやなかなか差別化できない半導体で、それに投資することは余り意味ないじゃないかと言われると、まあ、そうだねというような気もしてくるわけなんですけれども。

 これは、半導体としての完成品を作る必要があるのか、あるいは、半導体の部品の大半を占める日本の中小企業さんがいて、その方々が支えている、その方々とネットワーク、アライアンスを組んで、仮想的でもいいんですけれども、ちゃんと企業体をつくってしまえば半導体の完成品を作れるんじゃないかと思ったりもするんですが、日本が取るべき、完成品を作るべきかどうなのか、この点について先生のお考えをお聞かせください。

湯之上参考人 湯之上です。

 半導体と半導体製造装置の話が何だか混在しているように思うんですけれども、コモディティー化していると言っているのは半導体デバイスのことですか。何がコモディティー化しているとお考えですか。

濱村委員 半導体製造装置もそうなんですけれども、ここを厳密に分けて議論するほどの時間的余裕もないので、一般論的にお聞かせいただければありがたいです。

湯之上参考人 そこを一般的にできないんですけれども、半導体デバイスは全然コモディティー化していません。日々革新を遂げ、ムーアの法則が終わるなどといって、そんな気配は向こう十年ありません。微細化を続けます。二〇三〇年まで止まることはあり得ません。ですので、コモディティー化はない。TSMCの独り勝ちの時代が二〇三〇年まで続く。その間、微細な配線、トランジスタのチップがTSMCから大量に作られることになる。全然コモディティー化はしません。DRAMやNANDも同じです。全然コモディティー化していません。どんどん微細化は進んでいます。NANDは多層化が進んでいます。

 製造装置についても、とんでもない微細化、微細な半導体、とんでもなく多層化した半導体、NANDとかを作る製造装置、とんでもなく物すごく難しい装置になってきています。全然コモディティー化などはしていません。日進月歩で装置メーカー同士が競争し合っているところです。

濱村委員 ありがとうございます。私はそのことを確認したかったんです。

 つまり、日本の技術者の皆さんは技術的工夫をどこかの段階でちょっと方向性を間違ってしまっているんじゃないかと私は思っていました。ですので、これからも、先ほど中馬参考人からもありましたけれども、PDKの話もありましたけれども、やはり半導体を作っていくに当たってどういう戦略を取っていくべきかというのは考え直すべきなんだろうと思っています。

 最後に、原山参考人にお伺いしたいんですけれども、日本はこれから、そういう最終的に付加価値を生み出せるような分野に投資をしていかなければいけないと思っています。

 その一つに半導体も十分なり得るんだということなのかなと、私は今、皆さんのお話をお伺いして感じたわけですけれども、プロダクトを中心にどちらかといえばやってきた政策を、そうではなくて、プロダクトではないもの、あるいは、世の中が求めている需要に対して供給するというような視点も含めて考えていく。先ほどもお話の中で、そういうものはなかなか難しいよね、バランス取るのは難しいよねというのがあって、戦略的重要性が高い分野に私は投資すべきだと考えているんですが、原山参考人のお考えをお聞かせください。

田嶋委員長 参考人におかれても、時間が非常に今限られておりますので、端的にお答えをできるだけお願いします。ありがとうございます。

原山参考人 手短にお答えいたします。

 先ほど申したように、十年先に何かできることに今日投資しなくてはいけないと思っております。その中には、これまでの既成概念を外した形でもって、様々な人たちが集まって考える場をつくる必要があると思っています。

 何が言いたいかというと、半導体のデバイスそのものを作るというのではなくて、そもそも何のための半導体であって、そのきっかけになる人たちも集めた上で、じゃ、どのようなスペックが必要であって、その半導体の中にも更にシステムがあるわけですね、それを踏まえた形でやってみるということが大事だと思っております。

 ですので、それだけが解ではなくて、試してみる、先ほどの、失敗してもいいということを、できれば既存のファウンドリーを使って試作して、少量生産をやってみるところまでの試しをやらせるというのが必要だと思っております。

 以上です。

濱村委員 終わります。

田嶋委員長 次に、畑野君枝君。

畑野委員 日本共産党の畑野君枝です。

 原山優子参考人、中馬宏之参考人、湯之上隆参考人におかれましては、本日は貴重な御意見をお述べいただき、ありがとうございます。

 私も、田嶋要委員長にお薦めいただきまして、西澤潤一先生の御著書「「技術大国・日本」の未来」を拝読いたしました。先生は、基礎研究の重要性、創造技術、独創というお言葉でお話をされていたのが大変印象的でした。

 この御本の中に、半導体摩擦のことが冒頭書かれております。この御本の序章の題名が、日本の科学技術は二十一世紀までもたないというふうにおっしゃって、そして、その御本の終章では、日本が世界に貢献していくためにということで、御提案もされております。

 最初に、三人の参考人の皆さんに伺いたいのは、一九八〇年代のプラザ合意、日米半導体協定についてどのように受け止めておられ、現状に照らして今後の教訓にするべきことがあれば、お述べいただきたいと思います。

原山参考人 西澤潤一先生は、私も東北大ですので、すごく元気で、現役の、ハッパをかけられた方の一人でもございます。非常に熱く語る方でした。半導体というのが研究の主軸であったわけなんですが、進化というものを非常に察知なさっていらして、それがゆえに危惧なさる点も多かったと思っております。それは半導体を作る側だけの話では全くなくて、使う側、またそれから、製品の次の、社会的にどういう意味があるかというところまでを踏まえた形が必要だと。

 今おっしゃった日米のお話なんですが、非常に気をつけなくてはいけないのが、技術的な競争と、それからマーケット、ビジネスの競争と、それから政治的な競争と、様々なレイヤーが絡まっていました。今回もその流れになりつつあるというのが、ジオポリティカルな話ですね。ですので、御判断なさるときには、どの部分がどの部分でということを差別化した上での解が必要になってくると思っております。でも、これは必然的なことなのでしようがないと思っています。

 今は、日米の関係ではなくて、米中の関係の中に日本が入ってきて、ほかの国も入っていて、ヨーロッパも入っているわけですね。より複雑化しています。それがまさにレッスンだと思っております。

中馬参考人 長くなり過ぎて、ちょっと手短にやりたいと思いますけれども、日米半導体の影響というのは二つあるかなというふうに思います。

 先ほど、湯之上さんの、日立やNECが韓国に向かったというところの大きな原因の一つは、やはり日米半導体摩擦のところで数量規制を受けたというふうなところがとても大きいんじゃないかなとは思います。しかも、そのときに、数量制限したものですから、当時の資料を調べますと、原価の数倍で売れていた。ですから、ある意味、日本メーカーさんはうはうはだった。原価もかなり、二、三倍、場合によっては四倍ぐらいになっていましたし、それから、そういう状況を、国内では作れないんだから韓国でというふうなところは、そういうコスト的なものもあったと思います。

 しかも、DRAM自身がお値段が下がらないという、九五年以降は大体三百分の一ぐらい、下落しているわけですけれども、それ以前は上がったりしていましたね。そうすると、日米半導体協定によって、DRAMを作りだめるだとかも含めて、通常とは違うビヘービアというのが起こった。そういうところでは、生産システム自身が、海外はトヨタ生産システムを非常に早く導入したんですけれども、日本は二〇〇〇年近くまで遅れたわけですね。そういうところに中長期的にも日米半導体の影響というのが色濃いのかなというふうなことはあります。

 ちょっと長くなって済みません。以上です。

湯之上参考人 湯之上です。

 僕は、一九八七年に日立に入社しました。プラザ合意の後です。プラザ合意の前のことは、皮膚感覚として知りません。ですが、これが何かインパクトをもたらしたのではないかということは研究しました。その前後を知っている人たちに大量にヒアリングをしました。工場関係者、開発センターの関係者。驚くべきことに、半導体の開発、生産においては、その前後で何一つ変わっていないんですよ。開発方法、生産方法は何一つ変わっていません。だから、技術におけるインパクトは何もない。

 それから、OEM生産なんですけれども、これはプラザ合意とは全く関係がありません。もっと大量に生産したい、だけれども設備投資をするには予算が限られている、だったらOEMをしよう、これがNECと日立の考え方です。OEMをするには技術を開示しなければいけないんですけれども、さっきも述べたように、彼らはこれをそしゃくして自分のものにする能力はないとばかにしていたから、そういうことをした。ちょっとプラザ合意からは外れちゃいましたけれども。

 プラザ合意によって何かが起きたという痕跡は、僕は見つけることができませんでした。

 以上です。

畑野委員 ありがとうございます。

 次に伺いたいのは、研究者、技術者の皆さんの役割についてです。

 先ほど、リストラの問題、あるいは任期付雇用のお話が湯之上参考人からありましたし、また、第六期科学技術・イノベーション基本計画については原山優子参考人からもお話がありました。この間、委員会で井上大臣にも私も質問をさせていただきました。また、中馬参考人からは、産業の米から社会発展の原動力ということで、位置づけの話がありましたが、先ほどお話があったように、その時々の時代情勢の中で、最先端の分野の研究、技術開発をどういうふうに進めていくのかというのは、やはり現場の技術者、研究者の皆さんの創意、意欲に基づくものが大きいというふうに思うんです。

 それらを生かしていくことができたのか、これからどうやって生かしていくのか、その点について、湯之上参考人、中馬参考人、原山参考人の順番で今度はお聞きできますでしょうか。

湯之上参考人 研究開発を技術者がどのように進めていたか、そういうことですね。

 これは簡単です。僕が技術者だったときは、ムーアの法則に従って、二年で二倍集積度を上げる、二年で七〇%シュリンクする、微細化する、もうこれに従っていればいい、これが至上命題だった。

 これが実は余り正しくなかったんじゃないのかなと思うのは、韓国は違ったんです。韓国の物の作り方と日本の作り方が大きく違っていた、それで負けたんだというのは、経営学者になって初めて分かったんですが、ここですね、二百三十人体制のマーケティングというのがサムスン。一万三千六百人中、専任マーケティングが二百三十人いた。DRAM一種類ですよ、一種類について、二百三十人が世界に散っていた。インドなら、インドに住んで、インドの言葉をしゃべって、インドのものを食って、インド人の友人と食って、インドはどんな電化製品を買うんだ、だからインド用にはどのようなDRAMがどれだけ必要なんだというのを、世界中からマーケティングしているんです。

 つまり、サムスンというのは売れるものを作っていた。日本は、作ったものを売ろうとしていた。だから、日本は、技術者、僕は技術者として、いいものを作れれば売れるんだろう、そう思っていました。これは大きな間違いだったということは、後になって振り返って分かりました。

 以上です。

中馬参考人 九〇年代の半ばぐらいから二〇〇〇年代の初めぐらいに国際半導体ロードマップ委員会というのがあったわけですけれども、あの時代は、さっきの湯之上さんの話のように、大体、ムーアの法則に従って、何年後にどうなるかというふうなことを世界で話し合って、それに目標を設定してというふうな、きれいごとではあったんですけれども、それをリードしていたのはインテルだったということで、そういう意味では、先がある程度、インテルのムーアの法則がクロックとして刻んでいくという中で、そんなに不確定性はなかった。

 ところが、半導体国際ロードマップ委員会、日本でもSTRJというのがありましたけれども、僕も五、六年関与していたんですけれども、そういう時代ではなくなるというのがやはり二〇〇〇年代の半ば以降に訪れて、そうすると、各社共に、各自で、各社でやるというふうなスタイルに変わっていったということがありますね。

 そうすると、そういうふうに変わっていったときに先をどう見るかというふうなことは、やはり最先端の分野で、自分がどんなことをやっているかだとかも含めて、海外を含めた大学、研究機関ではどんなことをやっているのかというふうな形の様々な目配りというのが必要になってきたんじゃないかな。そういう意味では、将来の不確定性というのがかなり高まってきたんじゃないかなというふうには思いますけれども。

 最盛期はそういうふうにしてムーアの法則がクロックとして刻んできた、したがって、将来が見通しやすかった、そこに科学者や技術者の技術が集中的に使われたというふうなことだったと思うんですけれども、残念ながら、それをリードしていたのはインテルでした。しかも、日本の半導体の技術者たちというのは、もう会社で、こんなことがテークノートされたら申し訳ないんですけれども、ちょっと余っているというふうな、やることについて少し余裕があるというふうな方たちの参加も結構多かったです。もちろん、そうじゃない方もおられたんですけれどもね。

 ですから、その辺りは、ムーアの法則が刻まれていた、クロックが刻まれていたときとその後では少し違いますねというふうな感じだと思います。

原山参考人 手短に参ります。

 レールが敷かれているときに、それに乗るというときには、役割分担して、技術者は技術者の役割、研究者は研究者の役割をしていれば、非常に効率がいいし、効果もあったわけなんです。でも、それじゃない世界観になったときにどうするかというときに、技術者のみ、研究者のみでは先は見えないということです。

 ということは、先ほども御提示したように、チームでもって先を考える。既存のマーケットに食い込むのか、あるいはその先を見据えて自分たちのマーケットをつくるのか、そのときは社会全体の何が要求されているのかということも踏まえた形で、チームをつくって、そこで考えていくというのが一つの試行錯誤のやり方だと思っています。

 半導体デバイス、特にセンサーなんかは、そこら中にばらまくことができるものなんですね。でも、何のためにというのが分かった上で開発しなくてはいけないということで、そういう視点からすると、技術者も技術者のトレンドだけを求めるというだけでは、人材育成としては不十分という今日にあると思っております。

畑野委員 ありがとうございます。

 最後に、湯之上参考人に伺います。

 中小零細企業の役割をおっしゃっていただいたのは、私も現場から聞くとすごく大事だと思いまして、大学の研究するのを大企業が受けるんだけれども、現場では中小零細企業の方が作っていらっしゃるというのも聞いているんですね。製造装置や、それを構成する多数の部品や、あるいは製造材料、今、コロナのことが言われていますが、医薬品を含めて、これは物すごく半導体と関わっているというふうにも伺っています。こういう役割と、先ほどちょっとお述べになりましたが、国はこれに対してどういう役割をしていく必要があるのかというのを併せて伺います。

湯之上参考人 何回か述べた繰り返しになるんですけれども、例えば材料でいうと、非常に日本が強いですよと。ここに名前が出ているのは、みんな一部上場企業です。信越化学とか、JSRとか、昭和電工とか、富士フイルムとか。ここに原料、材料を供給している中小零細企業があるんです。

 一つ、例えばレジストという感光性の材料を作るにも、千種類ぐらいの材料を調合しているんです。その千社を僕に述べろといっても僕は分からないんですけれども、そのぐらいの企業が関係しているんです。そのような千社が寄り集まってやっとこのレジストというものができて、日本が九〇%というシェアを取ることができているんです。

 この開発を推進するに当たって旗印となるのは、やはりJSRとか信越化学のような大企業なんですけれども、そこにひもづいている原材料メーカー、原材料サプライヤーも束になって集めて、ここで開発してくれませんかというような場をつくり、予算を充て、人をそこに出してもらう、そういうことが必要なんじゃないかと思います。

 今、最先端の露光装置、EUVというのは、一台百八十億円もします。次世代のEUVは四百八十億円もします。これ、日本は一台も持っていないんですよ。持っていないんだけれども、EUVレジストは世界シェア九割なんですよ。持っていなくて九割なんです。でも、持っていたらもっと強力になるはずなんです。一台もないのですよ。一台買っていただいて、何か二千億円の基金があるようですので、買っていただいて、それをつくばに置いて、このレジストメーカーたちが、原材料メーカーも含めて、使えるようにしていただければ、非常に日本の材料メーカーにとってはありがたいことだと思います。

 こういうふうに、幾つかの分野はあるんですけれども、まず旗頭になるのは一部上場メーカーなんですけれども、それに関わっている何千というサプライヤーをそこで集めて、開発できるようにしていただければと思います。

田嶋委員長 申合せの時間が来ておりますので。

畑野委員 ありがとうございました。

 以上で質問を終わります。

田嶋委員長 次に、青山雅幸君。

青山(雅)委員 日本維新の会・無所属の会、青山雅幸でございます。

 今日は、大変貴重な意見をありがとうございます。

 私からは、湯之上参考人にお伺いをしたいと思います。

 私は、率直に言いまして、今この半導体というものを、幾ら巣ごもり需要とかいろいろなことで騒がれているとはいえ、取り上げることが、一体どれほどの意味があるのかというふうに思っていたんです。

 今日、湯之上参考人のお話を聞いて、本当に、私が漠然と思っていたこと以外のことで大変重要なことがあるということ、そして逆に、私が直感していたことがやはりそうだったなと確証を持てた点、二つございまして、現実に基づいて物を考えていくということが本当に必要なことだと思っておりますので、湯之上参考人を中心にお話を聞きたいと思っております。

 私の申し上げることで違っていることがあったら、遠慮なく御指摘ください。

 私が思っていたのは、我が国の半導体産業は、ずっと携わってこられていたDRAMとか、確かに世界を席巻しておりましたけれども、いわゆるメモリー半導体の分野である。恐らく付加価値も高く、そして値段も高いロジック半導体は、かねてからインテル、昔はインテルかどうか、的なところ、そこにAMDが加わり、今、GPUでエヌビディアとかが入ってくる。一方、ファウンドリーの部分では、今日も盛んに話が出てくるTSMCが大変な力を持っている。

 そういった中で、漠然と半導体産業をどうにかしようなんといっても、もう到底追いつけるレベルではないと私は思っていまして、例えば、インテルの二〇二〇年の研究開発費は推定で百二十九億ドル、つまり、一兆四、五千億円ですかね。研究開発費の上位十社の総額は四百三十五億ドルで、六四%を占めている。到底、今の日本の企業には、この分野で追いつけるものではないなとは思っております。

 一方で、今日、参考人が大変熱意を持ってお調べいただいたとおり、確かに、そういった最先端のトップのところも、日本の産業なくしてはできないという状況もある。そこを非常に強く思って、やはり何をやるべきかを基本的にきちんと見据えた上で取り組んでいかないと、逆に邪魔するくらいな話である、政府のやることは。

 というのを思ったわけですけれども、その辺について、すごく漠然とした質問で申し訳ないんですけれども、まず、どういうふうにお考えなのか、ちょっと教えていただければ。

湯之上参考人 何をやるべきかは、非常に重要です。

 アペンディックスの資料を示させていただきます。

 下手なことをやるぐらいならやめてくれというのが僕の意見なんですけれども、そんな下手なことの代表例が、二〇一九年七月一日に起きた韓国への半導体三材料の輸出規制です。これによって、日本の材料メーカーは大きな被害を被りました。

 半導体の製造というのは、大体こんなふうになっています。ウェハーがあって、そこを洗浄して、膜を積んで、リソグラフィーでパターニングして、エッチングして、また洗浄して、検査してと。二次元のウェハー上に三次元の構造物を作っていくんですけれども、大体これが千工程ぐらいになります。千チップが同時形成される。

 この洗浄というのが、全部で千工程だとすると、三百工程ぐらいあるんですね。そのうちの百工程ぐらいがフッ化水素なんですよ。フッ化水素の洗浄というのは百工程ぐらいあるんですよ。このフッ化水素を輸出規制しちゃった。

 三材料は、フッ化ポリイミド、EUVレジスト、フッ化水素なんですけれども、このフッ化水素がないと、テレビもできませんし、どんな半導体も、これは丸じゃなくてバツにした方がよかったのかと思うんですけれども、全部にインパクトがあるということですね。

 六月三十日まで大阪でG7のサミットをやっていたんですよ。安倍前総理大臣が、世界の貿易、安定して、仲よく手を取り合ってグローバルにとやっていた翌日に、韓国に対してこれをやったんですね。これは韓国中が大騒動になりました。これは第二の真珠湾攻撃と言われています。韓国のサムスンとハイニックスにフッ化水素の在庫がなくなったら、一個も作れなくなったところなんです。

 これで懲りて、韓国メーカーは、全て日本のボトルネックを洗い出せ、日本がボトルネックになっている材料、装置、部品、全部内製化を目指せというふうにかじを切ることになりました。これは、日本のフッ化水素メーカーにとっては大迷惑、ほかのメーカーも大迷惑なんです。シェアがどんどん下がっていくんです。成功したところから、日本はもういいと締め出されていくんです。ということが起きました。

 ちょっと話がそれたんですけれども、こういう政策をやめてほしいんですよ。

 今、TSMCがRアンドDセンターをつくばに造るなどということを言っています。僕の臆測ですよ、臆測なんですけれども、この第二の真珠湾攻撃が行われたときに、TSMCとかアメリカの半導体の僕の知人が、日本政府というのは怒るとこういうことをするのか、まさかと思うが俺たちにもしないよな、そういうことを言いました。TSMCに、一生懸命、経産省が口説いているわけですね。これを足蹴にしてしまうと、まさかと思うけれどもこれはやらないよなというような警戒感があるんじゃないかと思います。やむなくボードミーティングで百八十六億円計上して、RアンドDセンターを造るかもしれないよというような決定をしたんですけれども、海外から日本というのはこういうふうに見られているんですよ、何か怒らせるとこういうことをやると。だから、是非こういうことはやめていただきたいんですよ。

 では、何をしたらいいのということなんですけれども、一つ提案してもよろしいでしょうか。

 このTSMCと仲よくするということは、日本の未来にとって非常に重要なことなんです。だから、TSMCが今何に困っているということを考えていただきたいんです。

 TSMC、台湾では五月に入ってコロナ感染者が急増しました。今まで完璧に抑え込んでいたのに、コロナ感染者が急増しました。国際線のパイロットを経由してコロナが入ってきたんじゃないかと言われています。これに対してさっと動いたのはアップルです。アップルは、TSMCに対してワクチン支給、こういう協力を申し出ているわけです。

 TSMCがある台湾では、もっと困っていることがあります。水不足。

 これはダムなんですよ。今、貯水率が一%なんだそうです。TSMCは、工場全体で二十万トンの水を毎日使います。それで、もう水が足りなくて、まず一七%の取水制限を受けている上に、それでも足りなくて二トンのトラックでピストン輸送しているんですよ。もしそれが途切れたら、半導体工場は止まります。世界的規模でパニックが起きます。

 これはある意味、チャンスかもしれないんです。台湾にとってはピンチなんですよ、世界のインフラが止まっちゃうんですから。TSMCの半導体工場、今、水不足で綱渡りなんですよ。チャンスというのは、日本のトップである皆さんが台湾を訪問して、TSMCを訪問して、創業者のモーリス・チャンとか現会長のマーク・リュウに水不足の解消のための協力を申し出たらどうですか。喜ぶでしょうね。

 これを、ある車メーカー、日本最大の車メーカーで講演する機会があって進言したんですけれども、無視されました。何で我々が三次サプライヤーの台湾メーカーごときに気を遣わなきゃいけないんだと。冗談じゃない、TSMCなくして自動運転車をあなたたちは造れないんだよと反論しましたが。

 でも、日本政府が台湾政府を通じてTSMCに半導体の増産要請をするなんというのは、ちょっと小っ恥ずかしい話です。何か、小学生が先生にチクって気に入らないやつをとっちめているような構図にも見えます。

 日本政府が水不足で困っているTSMCを助けてあげたら、その見返りは大きいと思いませんか。こういうのを戦略的互恵関係、ウィン・ウィンの関係というのだと思います。是非、一考していただければと思います。

 ちょっと話がそれちゃったんですけれども、済みません。

青山(雅)委員 大変貴重な御提言、ありがとうございます。

 そこで、私、今日のお話を聞いていて非常に強く思ったのが、なぜTSMCがそこまで強いのか。あのインテルでさえも十ナノメートルで限界なところ、七ナノメートルというんですから、これはすごいですよね。二酸化炭素分子で二十個か三十個分くらいの物すごい微細なところですよね。何でそんなことができるのか、どういうゆえんがあって、どういうことで今そこまで強いメーカーになっているのかということを、ちょっと教えていただきたいと思います。

湯之上参考人 お答えします。

 TSMCがロジック半導体のプラットフォーム、デファクトスタンダードを二〇〇四年ぐらいから構築しちゃって、もう盤石なんです。

 垂直統合型、設計から前工程から後工程まで全部やるのを垂直統合型の半導体メーカーといいます。日本はかつてこれが多かったわけです。ところが、ファブレス・ファウンドリーというのは徹底的に水平分業を推し進めたわけです。

 IPベンダー、例えばARMなんというのがありますね。あれはプロセッサーのコアを、設計段階も四段階ぐらいあるんですけれども、その上流工程にARMのプロセッサーコアを提供するわけです。IPとして提供します。それを基にしてファブレスが、例えばスマホ用のプロセッサーというのを設計するんですよ。それで、ファウンドリーがその設計したものを基にウェハー上にチップを作り、後工程の専門の組立てメーカーがパッケージングをするんです。こういうプラットフォームをつくったんです。

 これは非常に簡単で、セルライブラリーというのがありまして、これは中馬先生言うところのデザインキットのようなものです。この中に、設計をするための部品が入っています。ファブレスは、ここに入っている部品をぽんぽんぽんと並べるだけで設計ができちゃうんですよ。まず、こういうセルライブラリーという仕組みをつくっちゃいました。デザインキットとも呼ばれます。

 そうすると、メモリーはここに配置、ARMのプロセッサーはここに配置、テキサス・インスツルメンツのDSPをここに配置、この論理回路だけ設計すればいいやと。もう非常に簡単。レゴブロックを作るように設計できるようになっちゃったんです。

 これは九州工業大学の川本先生というのが二〇〇五年に示してくれた構図なんですけれども、二〇〇五年ですよ、もうこれをつくっちゃったんです。TSMCのセルライブラリーにアクセスできれば、どこにいようとも、いつでも誰でも同じ設計ができますよ、こういう仕組みをつくっちゃったんです。

 これで、川本先生は非常にユニークなんですけれども、熊手、熊手で世界中のファブレスの半導体をかき集めている、こういう構図をつくっちゃったんですよ。非常に便利なセルライブラリー、そこにアクセスしてぽんぽんぽんとキットを並べたら、もう設計が完了しちゃうんだと。

 その結果がこれです。五十何%のシェアを独占。これがTSMCの強さです。だから、製造が強い、今、最先端を行っているからそこだけが注目されるんですけれども、そうじゃなくて、設計を制しちゃったんです。ファブレスが寄ってくるような、そういうシステムをつくっちゃった。これをプラットフォームとしてつくってしまった。これがTSMCの強さです。

 以上です。

青山(雅)委員 大変、今日、有意義なことを幾つも教えていただきました。大変ありがとうございます。

 全ての参考人に御礼を申し上げます。ありがとうございました。

田嶋委員長 次に、高井崇志君。

高井委員 国民民主党・無所属クラブの高井と申します。

 今日は、三人の参考人の皆さん、ありがとうございました。

 それではちょっと順番に、まず原山参考人にお聞きしたいんですが、ちょっと二つお聞きします。

 資料の四ページにあります、ちょっと細かい話で恐縮なんですが、弱点が発覚したということで、台湾が大地震とか水不足というのはすごいよく分かるんですけれども、東日本大震災、東北が弱点というのと、あと最後に、二〇二一年、地政学的リスクと書いているところがあるんですけれども、これをちょっともう少し詳しく御説明いただきたい。

 それと、もう一つの質問は、中馬参考人がおっしゃる、二〇三〇年以降にひょっとしたらという中に、日本の大衆文化を背景としてやればいけるんじゃないか、それから、湯之上参考人の、中小零細企業、ここが鍵じゃないかみたいな話は、ちょっと私からすると、結構似たような話というか、そういう方向性なのかなと感じたんですけれども、これについて原山参考人の御見解をお聞かせください。

原山参考人 御質問ありがとうございます。

 四ページのところに、既にこの議論、少し始まっていました、水不足の話も出てきたんですけれども、東日本大震災のときには、グローバルバリューチェーンの、目立たなかったんですけれども、日本の持っていた役割というのが、ここが切れたことによってその先のところは全てストップしてしまった。これは半導体だけではありません。ですので、やはり視点としては、バリューチェーンという考え方で物を見ていくことが必要だということなんですね。

 その中にも、一番上のレイヤーのバリューチェーンもありますけれども、その下にぶら下がっている二番目、三番目という様々なレイヤーがある。今日は先ほどお話にあったんですけれども。それを全体を俯瞰した上で、じゃ、どこにポジショニングをしていくのか、あるいは、これが駄目になったときにどういうふうに代替網をつくるのかというリスクヘッジもしなくてはいけないというのがレッスンだと思っております。

 ですので、これは東日本大震災のときや半導体のみではございません。もちろん、あそこには、東北にも様々な工場がありました。半導体も影響を受けたんですけれども、のみならずというところです。

 それから、地政学的リスク、ちょっとスマートに書いたんですけれども、平たく言えば、アメリカ、中国の話もあれば、ヨーロッパがその形でもってどういうふうにポジショニングするかという形で、全てが、これまでの与えられた関係性というのが崩れているわけなんですね。それが単純に技術が問題で崩れたのかというと、それとは違うレイヤーでもって国対国の関係性、また、ディフェンスの話も出てきております。その中でいかに自分たちの国を守るかという視点も入ってきているので、その中での一つの必然性というのが、半導体を自分の国で製造するというところまで来ています。それをどういうふうに取り込んでいくかという議論でございます。

 それから、あのお二人の話ですね。

 私もちょっと、十年後を見据えてというふうに書かせていただいております。それは、今日アクションを取らないと、もう周回遅れがますますなので、負けの戦いではなく勝ちの勝負に出ましょうという提案です。

 その中には、既存のものをうまく使い込むというのがあります。それが、いわゆるチーム化というふうに私の中では書いておりますが、そういう発想というのがお二人の中からも出てきております。

 肝腎なのは、やりがちなのは技術屋さんをコアにして出発するというところがこれまでのやり方です。そのアプローチというのはやはり失敗したところも多分にあります。ですので、技術屋さんも入るんだけれども、ほかのアクターですね、製造メーカーの大きなところ、企業もあるかもしれないんですけれども、企業だけではなくて、その先に何を要求するかという方の、待っている側の消費者ではなく先読みした消費者という人たちも取り込む必要があると思っています。それを常々、国内だけの議論ではなく、まさに先ほど、インクルーシブとダイバーシティーというのがあったんですけれども、その要素をたっぷり入れた人たちを、グループをつくってやってみる、試行ですね、だと思っております。

高井委員 ありがとうございます。

 それでは、中馬参考人にお伺いしますが、これも資料の四ページ目に、非常に大事な、産業の米ではなくて社会発展の原動力だという非常に重要な指摘をいただいたわけですが、その話をしたときに中馬参考人は、これはもっと早く気づけばよかったんだけれども気づかなかったんですよというふうにおっしゃったんですけれども、これはなぜ気づけなかったのか、誰のせいなのか。経産省なのか、CSTIなのか、民間企業なのか、あるいは大学なのか、その辺り、ちょっとどんなふうに考えておられるのかというのが一つ。

 もう一つありまして、これは十五ページ目で、これも非常に肝の、日本の大衆文化を背景にすれば三〇年代にはというお話、すごい希望が持てるんですけれども、これをやるためには政府は何をやればいいのか、何をすべきと考えておられるか。その二点、教えてください。

中馬参考人 なぜ気づけなかったのかという辺りは、僕も、正直言ってよく分かりません。ゲスというか、類推をするということからすれば、恐らく、デジタル化の推進というのが、僕は半導体の工場だとかトヨタの様々な工場だとか拝見しているんですけれども、そこがかなり遅れている、あるいは遅れていたというよりもまだ遅れていますかね。ですから、デジタル技術の本質的なところをもっともっと社会の中で入れていけば入れていくほどそこに気づくんじゃないかなと思っています。

 ですから、一つの答えは、やはり、政府を含めて、デジタル化が相当に遅れているということによって大勢の人たちがそこに気づくのが遅れたというのが一つかなというふうに思います。

 十五ページのところはちょっとほら話風になっているわけですけれども、最終的に半導体というのが、我々の個性、多様性、QOLを含めて、それを高めるのに必然的なものだというふうになってくるでしょうし、二〇三〇年の頃はもっともっとそういう要素が高まっていくでしょう。そうすると、どんなものがより我々の生活の中で重要な役割を果たすのかというふうなことに気づけるような人たちが設計にも携われるというふうな、そういう時代というのが来るだろう。もっともっと大勢の人たちがそこに携われるようになるだろう。じゃ、そのためのツール開発というところに政府はお金を使うということが一つの手なんじゃないかなというふうに思います。

 それから、ソフトやツールだけじゃなくて、それを作るための実験的な、二百ミリ工場でも利用可能だと思いますけれども、そういうふうにして一気通貫でそういうものを実際に我々が作れるんだというふうなことをデモンストレーションするというふうなことだと、そんなに何兆円もお金がかかる話じゃないかなというふうに思います。

 以上です。

高井委員 どうもありがとうございます。

 それでは、湯之上参考人にお聞きしますが、私、この一番最後のページの付録リストというのが、一から八まであって、全部聞きたいなというぐらい興味があるんですけれども、一番聞きたかった八は、今、青山委員の質問で答えていただいたので、ちょっと、七の車産業のボトルネックはTSMCというお話と、あと、あわせて、もう一つ私が聞きたかったのは、やはり、経済産業省がこの間駄目だった原因とか、あるいは何で駄目で、そしてこれからどうすべきかということを、さっき青山委員の質問で大分答えていただいた気はするんですけれども、もし足りない点があれば、その二点、教えてください。

湯之上参考人 最初に、経産省が何で駄目だったかということを答えます。

 セリートというコンソーシアムに属していて、あすかプロジェクトという国家プロジェクトに参画したときのことです。あすかプロジェクトの目標は、日本半導体産業の復権というふうに定義されました。ところが、どうなったら復権と言えるんですか。それは分からぬのですよ。僕はそこに疑問を持った。僕は一課長だったんだけれども、部長に、どうなったら日本半導体は復権したと言えるんですか。部長も分からない。今度、取締役のところに行ってきた。分からない。社長まで行った。おまえはつべこべ言わずに技術開発をやっていればいいんだと言われました。

 誰も日本半導体産業の復権の姿を具体的にイメージできていない。そんな中で、技術開発をやる意義を失ってしまった。日立を辞めたのはそういう理由です。

 あすかプロジェクトは、五年間を二回やりました。つまり十年間。その多くをNEC出身の渡辺久恒さんという方が社長をやられたんですが、二〇一〇年にセリート、あすかプロジェクトを閉じるときに記念冊子を作って、最後までセリート、あすかプロジェクトの目的がよく分からなかったと書いているんですよ。最後まで分かっていないんですよ。こんなものをやったって無駄だと思います。

 具体的に、シェアをどのぐらい上げるとか、あるデバイス、あるいはロジックデバイスならロジックデバイスの世界のシェアをこのくらいに上げるとか、何かこういうものがないと、復権と言われたって、ぼんやりした目的を言われても分からないんですよ。

 だから、経済産業省が何か政策立案して、金をつぎ込んで何かやるときに、具体的な、明確な、誰もが分かるような目標を書いていただきたいんですよ。日本の復権とか言われても、どうしたら復権なんだって分からない。これが第一です。

 次は、車産業ですね。車産業について、皆さん、もっと心配してください。日本の車産業は二〇三〇年ぐらいに壊滅しているかもしれません。壊滅ですよ。

 その理由は、今、ちょっと小さくて申し訳ないんですけれども、車載、車用の半導体メーカーは、四十ナノ以降を全てTSMCにぶん投げているんです。全てTSMCが作っているんです。

 世界的な構図というと、こんなのになっているんですよ。完成車メーカーがあります。一次下請、ティア1があります。日本だとデンソーなんというのがありますね。その下に車載半導体メーカーがあります。十社ぐらいあるんですけれども、日本だとルネサスというのがあるんですね。どこにどう注文しようと、最終的に四十ナノ以降は全部、TSMCに行っているんですよ。TSMCがちょっと作るのが足りないとなると、世界中が造れないという事態になるんです。

 具体的に言うと、ちょっとややこしいので図を説明しませんが、TSMCの売上高で車載が一%足りない、その額は三千五百万ドル、五億ドルの中の三千五百万ドル足りないというだけで、日米独が、各国車メーカーが造れないという事態になって、TSMCに増産要請するという事態になっているんですよ。これをもっと車メーカーは深刻に受け止めてほしいんです。

 TSMCの寄与分というのは、車載の世界市場というのは大体五百億ドル、そのうち十五億ドル、たった三%なんです。その三%のうちの〇・一%ぐらい作れないというだけで世界中が大騒動になるぐらいインパクトがあるんです。

 もっと困るのは、これなんですよ。

 今、自動運転車、自動運転EV車というのをあちこちで開発しているわけです。ホンダがレベル3を出した。トヨタがレベル2を出した。この自動運転EV車の時代、二〇三〇年にはもう来ていると思いますが、この覇者は日本メーカーではないと思います。ここはアップルも乗り出しているわけですね。アップルに対して既存の自動車メーカーは批判的です。トヨタの豊田章男社長は、アップルなんぞ四十年早いとまで言っています。

 ところが、アップルにはストロングポイントがあるんですよ。TSMCの売上高に占める割合、TSMCの売上は五兆円ぐらいなんですが、二五%以上、一・三兆円以上をアップルが占めているんです。TSMCをコントロールしている、支配しているのはアップルなんですよ。

 車載用の半導体というのは、全ての車用の半導体を含めてもTSMCの売上高の四%にすぎないんですよ。ここにひょっとしたら百社ぐらいが群がっているんですよ、百社ぐらいが。一社当たり〇・〇四%ですかね。TSMCがどっちを優先するというのはもう火を見るより明らかですよね。

 自動運転車を造ります。そうすると、5Gの通信半導体が必要です。これは最先端が必要です。それから、人工知能半導体が必要です。これも最先端が必要です。これを十分に調達できるのはアップルなんですよ。日本の車産業界は、残念ながらこの調達力がないんですよ。

 ということを日本最大の車メーカーに警告したんですけれども、大きなお世話だと言われました。だけれども、政策立案者はもっと深刻に考えてください。これを調達できなかったら日本の車メーカーは壊滅ですよ。二〇三〇年、自動運転車はなくなります。ここを警告しておきます。何とかしてください。そのためには、TSMCとシェークハンドする必要があるんです。

 以上です。

高井委員 大変勉強になりました。ありがとうございました。

田嶋委員長 以上で各会派を代表する委員の質疑は終わりました。

 あえて失敗と申し上げさせていただきますけれども、なぜ日本の半導体産業がこれほどまでに失敗してしまったのか、あるいは凋落してしまったのか、このことを過去に遡って検証し、何としてもこれからの日本の産業力の復活、再生への示唆を得たいと考えたのが今回のこの委員会開催の直接の動機でございます。与野党理事の皆様の御理解をいただいて実現ができました。本件に与党も野党もございません。

 日本経済新聞が、本年四月九日朝刊で「いつの間に後進国になったか」というコラムも載せました。私たちの愛するこの日本がずるずると沈んでいくような危機感を日々募らせております。新たな打ち手を繰り出していくことも大切ですが、それと並行して、これまでの取組をしっかりと検証しなければと思います。

 特に私が半導体産業を取り上げたいと思った直接のきっかけは、半導体関連の特許保有数が世界最多とされる東北大学元総長の故西澤潤一名誉教授の御著書「「技術大国・日本」の未来」であります。

 今から三十年ほど前です。平成の初期に著された本ですが、その書き出しが、日本の科学技術は二十一世紀までもたないという予言の言葉でありました。残念ながらまさにその嫌な予言が次々と的中をしている印象です。序章の最後の部分は、その後何もないと分かってから慌てて基礎研究を開始してももう遅い。そして後書きでは、私の危惧が当たっていなければ幸いである、このように締められております。

 西澤先生から、もう遅いと言われたくはありません。今日の御議論が、日本の半導体産業と、そして日本の反転攻勢の第一歩となることを御祈念して、私からの御挨拶とさせていただきます。

 これより自由質疑を行います。

 この際、委員各位に申し上げます。

 質疑のある委員は、お手元のネームプレートをお立ていただき、委員長の許可を得て発言されるようお願いいたします。発言が終わりましたら、ネームプレートをお戻しください。また、発言の際は、所属会派及び氏名をお述べください。

 なお、理事会の協議によりまして、一回の発言時間は三分以内となっておりますので、委員各位の御協力をお願い申し上げます。

 それでは、質疑のある方はネームプレートをお立てください。

松島委員 自民党の松島みどりでございます。

 今日、半導体は産業の米という懐かしい言葉を何回か伺いました。実は私、委員長からこのテーマでやらないかという声かけがありましたときにすぐ賛成いたしましたのは、私自身、政治家、国会議員という仕事に就く前、朝日新聞の記者をしておりました。一九八四年から八五年にかけて福岡で経済部の記者をして、シリコンアイランド九州には、日本電気、熊本や大分、そしてまた東芝、TI、三菱電機、いろいろなところに半導体メーカーが来て、それぞれの工場見学もいたしましたし、いろいろ勉強して、非常に胸を張る気持ちで日本の状況を感じたものでした。それがいつの間にこういうふうになってきたやらということで、今日お三方のお話を伺ったわけです。

 特に湯之上さんには、人生を懸けた、小説を書いていただきたいような面白さを感じながら伺っていたのですが、その中でおっしゃった、最後に言われた、台湾に日本からタンカーに入れてでもお水を届ける、台湾というか、特にTSMC。これについては日本と台湾の政治的な関係の難しさもあるかもしれないけれども、これは、産業を考えるときに、本当に要所要所のところにこれから声を上げたいと思っております。

 質問ですが、まず、超高品質をやっていたから韓国に負けた、そこまでは分かるんですが、TSMCに、まあさっきも少し説明がありました、ここは製造が強いだけじゃなくて設計もいろいろなところから取り込んでとあったんだけれども、何で日本のメーカーはTSMCになれないのか、それに近い、代わる存在とか代替できるようなところになれないのかという基本的な質問が一つ。

 もう一つ、付録のリストに書かれた中でまだ答えが出ていない、なぜエルピーダは経営破綻したのか。これも、経産省の問題と、あと、二社が派閥争いという壮絶な戦いというのがありましたけれども、そういったことによるんだろうか。この五番目に、ルネサス那珂工場の火災まで出てきたんですけれども、これも何だったんだろうかというのを教えていただきたいと思います。

 以上です。

湯之上参考人 湯之上です。

 何か質問がいっぱいあるんですけれども、まず、何で日本はTSMCになれないの、そこからですね。

 垂直統合型の企業とファブレス・ファウンドリーは違いますというこの図を出したと思います。

 日本は、DRAMで強かった時代、DRAMで償却したファブでロジック半導体を作っていました。でも、各メーカー、NEC、東芝、日立、それぞれ違う設計ツール、違うセルライブラリー、違う製造プロセス。世界のデファクトスタンダードじゃないんですよ。それぞれ違うんです。

 ところが、TSMCを中心としたこのファブレス・ファウンドリー・モデルは、世界標準のIPコア、ARMのプロセッサーとか、それから、世界標準の設計ツール、EDAツール、シノプシスとかケイデンスを使い、世界標準の製造装置を使って世界標準のプロセスをつくる。世界標準なんですよ。だから、世界が、このセルライブラリーを使えば全部TSMCが作ってくれるじゃんといって、こういう構図になったんです。

 日本は、それぞればらばらだったんです。設計ツールも違う、IPも違う。それは使いにくいんですよ。日立に頼めばこれだけできるんだけれどもね、でもキャパはこれだけだよね、でも、NECに頼むとなるとまた設計をやり直さなきゃいけないんだけれどもねと。これが日本にTSMCが誕生しなかった理由です。

 次は何でしたっけ。

松島委員 エルピーダの経営破綻。

湯之上参考人 ああ、エルピーダが何で倒産しちゃったの。

 エルピーダは四回敗戦したと思っています。

 第一回目、日立とNEC、それぞれ単独でできなくなっちゃったから合弁会社をつくりました。もうこれで敗戦ですよ、実際は。

 僕はここに一年いたんですけれども、シェアは毎年半分ずつになっていった。二〇〇二年には潰れると思いました。ここに、坂本社長、テキサス・インスツルメンツじゃなくてUMCジャパンだったかな、の坂本さんが来て、シェアを上げていったわけですね。この功績はあるんですよ。

 ところが、シェアが上がっているところで、二〇〇九年に産業再生法適用というのを受けるんですよ。三百億円の税金が注入されるんですね。何でシェアが上がっているのにこんなのを受けるのと。

 更に、二〇一二年には経営破綻しちゃうんですね、あっけなく。

 このときに、経営破綻したときに、東京証券取引所でこんなことを言いました。まとめると、DRAM価格が下落しました、歴史的な円高です、東日本大震災がありました、タイに洪水がありました、以上と。これは全部、外部要因なんですよ。外部要因で倒産した。そんなんだったら誰でも社長はできますよ。外部要因に対応して何とかかじ取りをするのが社長の役割なんですよ。だから、この坂本さんの発言は全部間違っている。社長の発言じゃない。

 じゃ、何で倒産したのというと、こういうことになります。

 いいですか。僕は、ここに一年間社員として在籍したんですね。坂本社長が来て、シェアが急回復。

 これは営業利益を示しています。赤は赤字、こっちは黒字なんですけれども。

 二〇〇四年から五年にかけて、エルピーダを二回調査しました。その結果、さっき、僕の一番最初の意見陳述のとき、日本は最後のときに三十枚近くのマスク枚数、微細加工の回数をやっていて、韓国より、韓国二十枚、マイクロンの十五枚より随分多いぞと。このとき、エルピーダのマスク枚数は五十枚もあったんですよ。とんでもないなと思ったんです。パソコン用でしょう、このマスク枚数の多さはあり得ませんよと。工程数は千を超えている、千五百ぐらいあって、検査工程も通常の十倍以上あるんですよ。

 ということを坂本社長に直接、これはまずいですよと言ったら、警告したわけですね。広報担当の取締役から出入り禁止になっちゃったんですよ。あいつは何かエルピーダの欠点を次々とあげつらうと、出入り禁止になった。

 要するに、日本半導体産業の過剰技術、過剰品質の病気はずっと引き継がれて重病化していたわけです。この利益率向上対策というのはほとんど行われなかったんです。

 僕は、内部に部下がいたので、何をしていたか全部分かっています。一回だけ利益を出したところはあるんですよ。だけれども、DRAM価格が下落して赤字になり、リーマン・ショックが起きて大赤字になって、円高が進行して、もうこれじゃ立ち行かないから産業再生法を適用して金を注入してもらって、だけれども、大震災とタイ洪水が起きてまた大赤字になって、その二〇一一年、倒産する直前の夏に日経新聞にこういう記事が出ました。エルピーダが設計を大幅に見直して工程数を大幅削減。やっとやったんですよ。だけれども、時既に遅し。倒産しちゃった。

 要するに、マスク枚数が多い、微細加工の回数が多い、原価が高い、利益が出ない。利益を出していないわけですよ。生涯利益は赤です。だから倒産したんです。これが答えになります。

 もう一つ、何かあったけれども。

松島委員 ルネサスで火災の発生まで出ているから。

湯之上参考人 ルネサスで三月十九日に火災が発生しました。後にも先にも、こんなにすごい火災になったのを見たことはありません、三十三年間の人生で。先輩に聞いても、半世紀、こんな火災が起きた記憶はないと。半導体工場では火災が起きない、これが唯一の取り柄だった。

 何で起きたの。幾つか理由が考えられます。僕の推測があります。

 まず、これはルネサス那珂工場の稼働率なんですよ。平均稼働率、大体六〇%ぐらいなんです。ちょっと見にくいですけれども、二〇一九年は半導体不況の年で、六〇%に落ちたまま。二〇二〇年、半導体不況から脱したんだけれども、六〇%のまま。多分これは、TSMCにぶん投げていた方が安いものだから、自分たちよりも工程数が短くて歩留りが高いからぶん投げているだけだと思うんですね。

 まず思い出してほしいんですけれども、二月十三日に福島県沖の地震があって三時間停電しました。五百台ぐらいある装置が、全部ばしゃあんと電気が落ちた。その後に、半導体不足だ、車載半導体不足だと、急速立ち上げをする。その最中に、三月十九日にひどい火災が発生したんですよ。この福島県沖地震による三時間の停電と火災には因果関係があると思っているんです。

 ここに至るまでの経緯はちょっと省くんですけれども、まず、これは社員数です。二〇一〇年には四万九千人もいた社員を、作田会長がオムロンからやってきて半分以下に減らした。今、ルネサスには一万八千九百人しかいません。三万人減らしたんですよ。工場関係者、プロセス技術関係者、三万人も減らした。そのような中で、急速に停電した五百台の製造装置を立ち上げる。全部説明すると長くなるので、安全点検がおろそかになっていたと思わざるを得ませんね。あるいは、ばしゃあんと落ちたから、一部、保護回路、保護回路がついていたはずなんですけれども、保護回路が壊れた、そういう装置があった、それが銅配線のメッキ装置だった。そう思っていたら、多分また起きるぞと思っていたら、二回目、ぼや騒ぎがありました。これは更に起きると思います。

 ですので、ルネサス那珂工場の火災というのは、二月十三日の福島県沖地震で三時間停電した、それを急速に復電して立ち上げなきゃいけなかった、三万人もいない、マンパワーはいない、ベテランもいない、安全点検がおろそかだった、これが火災の要因ではないかというふうに推測しています。

 以上です。

岡本(充)委員 ありがとうございます。

 今日は、参考人の皆様方に貴重な御意見をいただきまして、ありがとうございます。立憲民主党の岡本でございます。

 今、湯之上参考人の方からお話がありました自動車産業のこれからということで、私、愛知県が地元でございまして、昨日もトヨタの関係者の方とお会いしていたわけでありますが、まさにこれからの新しい自動車の技術、自動運転、そして、EVなのか電動車なのかいろいろ言い方はあるとはいえ、我々は電動車ということで今主張してきているわけでありますけれども、この自動運転電動車が日本の車じゃないんじゃないか、こういう御指摘もあったわけであります。

 まずお聞きしたいのは、この実現ができたときに、先ほど来お話しのTSMCの中におけるいわゆる半導体のシェアが、今は使われているシェアは確かに四%かもしれないけれども、これが世界で実現したときにはもっと増えるんじゃないか。先ほどの話で、発言権はアップルが今は多いかもしれないけれども、これだけの5Gの半導体、それからAIの半導体、こういったものがもっともっと数量、金額が増えてくるというふうになってくると、ここは変わるんじゃないかというのが一つ目の質問で、どうなってくるとお考えなのか。

 もう一つは、この車をやはり日本が生産する、日本が世界をリードしていくためには今まさにその転換が求められているんだというのが参考人のお話だったと思いますけれども、これを日本の車にするそのチャンス、まだあるのではないかと思うんですけれども、そのためにするべきことというのは何なのか、お話しいただければと思います。よろしくお願いします。

湯之上参考人 湯之上です。

 まず、今、TSMCの売上高に占める車載半導体の割合は四%しかありません。これはもっと上がるのではないか。上がる可能性はあるんです。あると思います。あると思いますが、TSMCは積極的にこれはやりたくないんですよ。やりたくない。

 なぜかというと、この車載半導体というのは非常に過酷な条件に耐え得るような仕様を求められます。その仕様をちょっと今日、この図の中には、アペンディックスには用意してこなかったんですけれども、コンシューマー用に比べるとはるかに高い、過酷な条件に耐え得るような、そういう半導体に仕上げないといけないんです。だから、検査工程がやたら多いんです。コンシューマー用に比べると、それこそ十倍以上やらないといけないんです。

 これが、車メーカーあるいはティア1のデンソーなどの言い分は、不良率一ppm、そんなことはあり得ない、百万個に一個不良があったとしても、それで交通事故が起きたら一体誰が責任を取るんだと、不良はゼロでなければいけないということを車載半導体を作るところに要求するんですよ。車載半導体を作るところはそれをどうやって実現するかというと、工業製品にゼロなんてあり得ないんですけれども、でも、ゼロに近づけようと努力はするんですよ。それをライン認定というんですけれどもね。

 例えば、トヨタの自動運転車用の何物かのチップを開発したとします、TSMCが。工程が千工程ある。プロセス開発が完了した。そうしたら、そのプロセスを、一年間ぐらい作り続けるんですよ、それで。安定的にできるようになったらライン認定というのをするんですよ。ライン認定ということをやると、もう製造装置もプロセス条件も一切変えてはいけないというふうに、こういう縛りを受けるんですね。TSMCはそんな縛りを受けたくないんですよ、本当は。

 元プロセス技術者から言わせれば、ここをこう変えればもっとスループットは上がりますよね、生産効率は上がりますよね、歩留りは上がりますよねと、改善点はもう山のようにあるんです、やろうと思えば。それを一切やるなと言われるんですよ。

 TSMCはこの四%を、そういうライン認定を受けて生産しているんですよ。そんな縛りを受けた生産を、じゃ、喜んで今後もやりますか。本気でやるとは思えないですね。今やむなくこれをやっているのは、日米独の政府から怒られちゃった、増産要請を受けちゃった、政府越しに作れと言われちゃった、やばいな、政府に盾突いてろくなことはないから、ちょっとこれは増産しようぜと。TSMCの心のうちを忖度すると、そんなような感じがします。だから、積極的にやりたいとは思っていないと思います。

 もしここに日本が、それでもTSMCさん、作ってくださいよということをお願いするならば、さっきのように困っているところを助けてあげるとか、もうちょっと、ライン認定は日本が一番厳しいんですよ。ヨーロッパや米国でもやっているんですけれども、日本が一番厳しいことをやっているんですよ。もうちょっとグローバルスタンダードのレベルに緩和してくださいよ、価格も上げてくださいよということをやらない限りは、これは上がらないと思います。

岡本(充)委員 済みません。だからこそ、日本が電動車で自動運転の車を造っていく上でやらなきゃいけないこと、場合によっては、日本がその分野の半導体でもう一度世界に名のりを上げていくチャンスが出てくるんじゃないかということを私は思うわけですけれども、そのチャンスはあり得るのか。つまり、その先に日本製の自動運転電動車が登場する、それが世界シェアを上げていく、こういう絵が描けるのではないかと私は今お話を聞いていて思ったんですが、それについて先生のコメントをいただきたいと思います。

湯之上参考人 お答えします。

 これはちょっと見にくいんですけれども、車載半導体メーカーは、四十ナノ以降を全部TSMCに生産委託していると言いました。ルネサスが生産できるのは六十五ナノまでです。六十五ナノ。それを一気に五ナノ、七ナノ、まあ自動運転用の5G通信チップとか人工知能チップというのは五ナノとか七ナノの最先端でないと作れないんですよ。いきなり六十五ナノから五ナノ、七ナノへジャンプできますか。できません。無理。せいぜい四十ナノを作ることができるかどうか。でも、三万人も首を切られちゃって、マンパワーはいないんですよ。それもかなり難しい。

 だから、自国生産はほとんど無理です。これが僕の答えになります。TSMCに頼むしかないですね。

岡本(充)委員 車の生産は最終的に日本でできる可能性はあるのか、最後、その質問についてはどうですか。

湯之上参考人 事自動運転用の通信チップ、人工知能チップについては、日本で生産できる可能性はほぼありません。TSMCに頼むしかない。これが現実です。

岡本(充)委員 ありがとうございました。

城井委員 立憲民主党の城井崇といいます。

 今日は、貴重なお話をありがとうございました。深い絶望の中に希望の光が二つ、三つという印象で、今日のお話を伺わせていただきました。

 お三方にそれぞれ伺いたいと思いますが、そんな状況を見ている若い世代が飛び込んでくれるかどうか、どう育てていくか、この点でお伺いしたいと思います。それぞれお答えいただければと思います。

 半導体の設計や製造といったハードの技術者の部分もそうですし、ソフトウェアの開発者の育成は必須だというふうに中馬参考人からもお話がございました。ただ、情報教育が、今、教育現場では教えられる人がまだまだ足りない状況もあったり、理科教育が大変乏しくて、プログラミング教育を始めるといったものの一人に一つ教材が届かないような状況をどうにかしようかと、こんなふうな話を今文部科学省もしているところであります。

 そんな中で、入口になる部分で若い世代にいかに振り向いてもらい、育て、そして真ん中で活躍してもらうか、この入口の部分についてどのように国として頑張るべきかという点、それぞれにお答えいただければと思います。お願いします。

原山参考人 やはり若い人たち、今の大学生のみならず、その前の段階の人たちに背負ってもらわなくちゃいけないんですね。プレッシャーというか、彼らがやりたいことをできる状況をつくらなくちゃいけないというのは皆さん共有なものだと思っています。

 一つの事例なんですが、東北大、西澤先生の弟子であった江刺先生がいます。彼はMEMSなんですが、半導体の中の一つの部分ですけれども、私は東北大学で一緒に十年ほど仕掛けをさせていただきました。その中の一つなんですが、若い人たちにこういう半導体チップを作ることのトライアルをしてもらうという試みもしておりました。国際的なコンペティションがあるんですけれども、iCANというところなんですが、そこにも出場できるようなものを作っていた。

 そういう、地道なことかもしれないんですが、やることによって、将来の産業の話以前に、面白いという感触を味わってもらって、じゃ、何をチャレンジして、それと同時に、いろいろな人と組むことによってまた新しいチャレンジが出てくるという仕掛けをつくることが必要だと思っています。これは一つの事例ですけれども、様々な事例をつくることが大事だと思っております。

 ですので、今、理科に興味を持たない子が多いというんですけれども、それは、興味を持たせるような教育をしていなかったのと、機会を与えていなかったので、それをどんどんつくることが、長い道のりかもしれないんですけれども、今日の半導体への貢献というふうに考えております。

中馬参考人 鶏が先か卵が先かという話で、恐らく湯之上さんが入られた頃というのは、電気電子はとても人気で、東芝へ行こうか、日立へ行こうか、NECかという形で、かなりそういう意味では、産業がすごく調子がいいときには学生さんはすごく敏感なので行きますけれども、今のような状態になるとなかなか来ないということで、そこを無理やり連れていくというふうなことはなかなか難しいかなということで、最もいい方策は、やはりその産業が輝いていないと学生さんは来ないかなというところで、鶏か卵の話なんじゃないかな。そういう意味では、僕にはなかなか分かりませんねということだと思うんですけれども。

 同じことは、日本だと生産技術者も大分需要が少なくなって、生産技術を教えるような大学の先生すら足りなくなるというようなことも起きていますので、ある意味では、大学生はそういう世の中の浮き沈みに敏感だなというふうに感じます。答えになっていないんですけれども。

湯之上参考人 湯之上です。

 中馬先生と基本的に同じなんですけれども、東大では、二年生から三年生になるとき、進学振り分けというのがあるんですね。かつては電気電子というのは最も人気が高くて入りにくいところだったんですが、もう十年以上前からそれが最下位になっている、転落しちゃって、人気がなくなっちゃった。もう十年以上前です。こんな状態が十年以上前から続いているんですね。

 僕は、東北大学の工学部博士課程で、一日八時間、半導体の講義をしています、単位を取らせるために。大体五十人から百人ぐらいの博士課程が参加して半導体の講義をやるんですけれども、合間に、あなた、どこに行きたいと聞くんですよ。半導体はどうと言って返ってくる答えは、東京エレクトロンと来ます。ルネサスとかソニーとかキオクシアとか、来ないんですよ。東京エレクトロンと来ますよ。東京エレクトロンは、半導体製造装置で幾つか独占的な分野があって、給料の、あるいはボーナスのランキングで常にトップにいるわけですよ。あそこに行くと高給取りになれると。

 東京エレクトロンという回答をする人間が何人かいます。だけれども、ルネサスとかキオクシアとかいう回答をする人間はいません。中馬先生と同じになりますが、その企業、産業が輝いていないと優秀な学生は行かないんです。そういうことになっていると思います。

 以上です。

城井委員 それぞれに、ありがとうございました。

 余り、やはり残された時間は少ない。今中央で頑張っていただいている方々に一騎当千的に頑張っていただきながら、その間に、先ほど原山参考人からいただいたように、面白い教育、面白い機会をいかに増やしていくかというところの努力、国会の方でも頑張りたいと思います。

 ありがとうございました。

関(芳)委員 今日は、参考人の皆様、本当にありがとうございました。大変勉強になりました。

 それで、お伺いしたいのは、今現在、湯之上先生がスクリーンで挙げていただいておりますように、日本のいわゆる製造メーカーですとか素材部門のところの強い企業がまだたくさんあります、そういうふうな企業をもっと育てていくことこそが日本の進むべき道だと、お話をお伺いして本当にそのとおりだと思いました。

 このそれぞれの企業は、日本の企業は企業で、すごく努力をしてここまで来たんだと思うんですが、ここまでのシェアを部分的に取れた日本の企業の各経営者は、こういうふうな部分のところだけ強くしようという経営方針を取って、そこは非常にリスクも多いんだと思うんですが、こういうふうに特化して頑張ってきたんだと思うんです。そこのところについて、もう少し詳しく教えていただきたいのが一点。

 その現在今強い日本の企業の方々も、一方、世界においては非常に、常在戦場で、ライバル会社とは開発競争されていると思います。それにおけるいわゆる投資対効果のところが見込めるかどうかも、これも大変な判断だろうと思うんですが、経営としてのペイするかどうかの判断というところは今後ますます厳しくなる中において、湯之上先生が取材をされている中において、日本の今強い企業の人たちも、今後もこの分野でしっかりと集中、特化をして頑張っていこうと思われているような方針を取られているのかどうなのか。そこら辺、現状どのような状況なのかを教えていただけたらと思います。

湯之上参考人 最初の質問なんですけれども、日本には、特徴的に強い製造装置、あるいは材料だとほとんど強いですね。これは、トップメーカー、例えばメモリーだとサムスン、ファウンドリーだとTSMCにぴったりくっついて、彼らの言うことを一言一句漏らさず聞いて、それを反映する材料なり装置なりを提供し続けているからできていることなんです。

 日本にトップメーカーがあったときは日本にくっついていればよかった。もう日本にトップメーカーはないんですよ。だから、サムスンかTSMC、ここにぴったり張りつくしかないんですね。その努力はすさまじいのです。そこから外れちゃうと、あっという間に脱落してしまう。

 よく見ると、例えば製造装置なんかだと、一強プラスその他という構造ができつつある。一社総取り。二、三社というところもあるんですけれども、それにしても、一強若しくは二強プラスその他の構造になりつつある。脱落すると浮上しないんですよ。どの企業も一強を目指している、その道の一強を目指している。脱落者には利益なし。その結果がこうなっている。これはもっと今後進むと思います。

 これが一つ目の質問になりますね。トップ半導体メーカーとくっついて、その需要を取り込んで材料なり装置開発をやっている。一歩外れると脱落する、こういう危機が待っている。

 二つ目は何でしたっけ。

関(芳)委員 二つ目は、今このように強く日本の企業で頑張っている企業も、ますます世界との競争が、同じ分野において自分の会社との競争が激しくなる中において、今後どのような方針を取ろうとされているのか、お願いします。

湯之上参考人 より、トップ、TSMCにくっついていこう、あるいはサムスンにくっついていこう、それ以外は見向きもしない、それを鮮明にする。トップのところから、一番先端を行っているところから、これを何とかしてくれよ、この材料をこうしてくださいよ、この装置はこういうふうにしたいんですというニーズが出て、それを実現すると百台買ってくれるとかというようなビジネスにつながるんですよ。だから、彼らは、トップが言うニーズ、これに応える、スピードを持って応える。スピードが命ですね。時間をかけている暇はないんですよ。

 だから、例えばEUVのレジストでいうと、日本が九〇%のシェアを持っている。ほぼ一社独占なんですけれども、これはTSMCと朝会、昼会、夕会をやっているんですよ。オンラインだからできるんですね。朝、昨夜こういう問題が出た、対処しろ。昼会、どうだ、できたか、こういう提案がある。夕方、やってみたけれども駄目だったぞ。それでまた次の朝会。そういうように、TSMCの要求を全てクリアしていく、これによってこの独占的な地位を築くことができている。これをやり続けるしかないんですよ。

 スピード、このスピードに遅れたら次々と取って代わられる、そういう事態になっています。このように企業は努力しています。

関(芳)委員 中馬先生もお願いします。

中馬参考人 より本質的じゃないかなと思うんですけれども、化学というのは、世界の化学企業の特徴として、やはり知識が累積的なんですよね。したがって、デジタル的な技術ではなくて累積的な技術というのがやはり化学の分野の強みなので、そこに日本企業が秀でている。

 僕はJSRさんの調査を五、六年やっていたんですけれども、さっき湯之上さんがおっしゃいましたように、それを支えているのは中小樹脂メーカーさんなんですね。かなり運命共同体的にやっておられます。その樹脂メーカーさんは、あらゆるところと、薬品メーカーさんともコラボされているんですね。ですから、非常に裾野の広い樹脂メーカーさん、繊維だと非常に裾野の広い合成樹脂メーカーさんとか、そういうものが支えているからこういうふうに九割ぐらいのシェアになっているということだと思うんですね。

 でも、そもそもそういうことが起きたのは何だろうかということに関しては、経済学等々のお話の中では、やはり、経産省の石油化学工業というのの振興策としてまず工場は造った、でも、それをどうやってさばくかということについての出口までつくらなかったわけですよね。ですから、それを契機に、日本の中小樹脂メーカーさんや合成繊維メーカーさんが非常にその中で育ってきた、それが今支えているというふうな、そういう構図も認識するのが重要じゃないかなというふうに思います。

 一方で、二つ目の質問に関しましては、セラミックスもそうですけれども、非常に累積的な技術というのが必要になって、ノウハウは分かるけれども、なぜこうなるんだろうという理論的なところがなかなか分からないわけですよね。

 でも、二〇〇〇年ぐらいに、電子顕微鏡の例えば球面収差補正とかと言われる、五十年に一遍ぐらいの大きなイノベーションが起きています。結果として日立さんは大変なことになっているんですけれども、例えばそういうものが出てきますと、セラミックスにしても、その他の材料にしても、もっと、ノウハウではなくて理論的なことがどんどん解明されてきているので、そうしますと、十年、二十年というスパンでは、この国の材料、例えば化学企業の累積的なノウハウというのがもしかしたら効力を失っていく可能性があるので、したがって、分析機器を含めて何らかの投資をしない限り、十年、二十年というスパンでは日本の材料メーカーさんすら危ないんじゃないかなというのが、恐らく私だけではなくて、その分野の方が思っておられることだと思います。

 済みません、横やりを入れてしまいまして。

関(芳)委員 ありがとうございます。

 原山先生も何かコメントをお願いします。

原山参考人 ありがとうございます。

 今聞いているとTSMCというのが何か独占的に映るんですが、独占を目指してきたかというと、やはり地道な積み重ね、それから、今をもっても次に進むことを戦略化しているというところで、ある種エンドレスですね、それがあるからこそ、いろいろな機能がついてくるという話。

 出発点のところをもう一回見直すと、国研的な立場にあったITRIが、初め会社をつくるときにも一緒に両輪で行ったというところで、様々ないわゆる機能をうまく使いながら会社として成り立ってきたというところがあります。

 もう一つ大きな、ほかの企業が追従できないというのは、これまでの様々な、リストがありましたね、企業。その全て吸い込んでいるわけですね、ため込んでいるわけです。

 ですので、もちろん、カスタマーとしてはそれぞれに製品を出しているんですけれども、中に蓄積された技術のプラットフォームというのはほかの企業が追従できないようなものを持っているし、また更に広げているということです。それを、さっき申し上げた、エンドレスにやることによって更に積み重ねてという好循環ができているので、多分この流れというのは変えることは今のところはできないと思います。

 ですので、日本が何か道を取るのであれば、別の土俵で戦うしかないと思っています。それは、例えばですが、先ほど自動車の話にもありましたけれども、自動車という物理的なものと考えるのか、あるいは、モビリティー・アズ・ア・サービスというふうに言われていますが、サービスとしての中の媒体としての車、その媒体の中の機能としての半導体という形でもって物の見方をもう一回再構築したと同時に、その中で、何が肝腎なもので、どこを日本で作っていくか、あるいは何を日本がチャレンジしていくかということをどちらかというと前向きに考えていった方が、それで、今日アクションを取ることにより十年後にはという、長期的に、結果をすぐ求めるのではないところが必要かなと思っております。

関(芳)委員 ありがとうございました。

田嶋委員長 お一人だけ手が挙がっておりますので、自由質疑時間は十二時半までとさせていただきます。

津村委員 田嶋要委員長が、先ほど、本日、半導体をテーマに選んだ趣旨を詳しく述べてくださいました。

 その延長線上で、お三方に一問だけ手短に聞きたいと思います。

 今日、この平成の三十年間、半導体産業がいかに苦難の歴史を歩んできたかというお話をそれぞれの角度から伺ったわけですけれども、実は、私たちの政治家の側から見ますと、日本の科学技術政策の枠組みというものも、この三十年間、大変紆余曲折がございまして、省庁再編で科学技術庁がなくなってから、総合科学技術会議、途中からイノベーションがついてCSTI。原山先生が大変、ヘッドとして、トップとして御苦労いただいたわけですけれども。

 先生方が大変御努力いただいている一方で、政治のリソースという意味では非常に難しい場面が続きました。科学技術担当大臣はずっといるんですけれども、毎年替わりますし、そのスタッフというのは各省からの寄せ集め、そして大臣は兼務に兼務を重ねているという状況で、安定した視点で科学技術政策を議論するというインフラがなかったわけです。

 それはまずいということで、ちょうどこの委員会は今年が十周年になるんですけれども、十年間のブランクを経て、ようやく十年前に科学技術・イノベーションのこの特別委員会をつくりましたが、参議院にはまだないという状況が続いています。

 法案をころころ出すような、そういう分野じゃありませんから、そこを何とか、与野党、立場を超えて問題意識を共有しようという、そういう工夫でこの委員会は運営されてきまして、これまでは、どちらかというと、ノーベル賞学者さんが出ると、iPSの使い方とか、リチウム電池、さあ、すばらしいということをこういうところで参考人質疑をやってきたんですけれども、田嶋委員長のこれは見識だと思いますが、あえて難しいテーマ、苦労してきたテーマにこそ光を当てることで私たちの科学技術政策の反省としようということが今日の趣旨であります。

 そうした中で、もう時間もないので、一つだけ、最後。

 先ほど、予算を増やせればそれはそれにこしたことはないんですが、なかなか、私たちも一般国民の方に御説明するときに工夫が必要という中で、もう一つ、今日、後半クローズアップされたテーマが人材の話だったと思います。電気電子の話も出ました。

 各分野ごとの課題もあるんですが、ちょっと大きく、これから日本の科学技術政策あるいは科学技術そのものを担っていく人材を日本の中で育成していく、もっと言うと、リクルートしていくためにどういう工夫が、私たち政治家が心がけていけばいいかということについて、お三方から一言ずつアドバイスをいただければと思います。

田嶋委員長 残り三分強でございますので、一言ずつということもございました。原山参考人からお願いいたします。

原山参考人 一言で言うと、お互いに飛び込んでいくということだと思っております。

 自分の立ち位置はあると思うんですけれども、相手のこと等、分からないことには何にもならないわけですね。それは、大学とか企業とか政府という話だけではなくて、様々なレイヤーのところにお互いに行ったり来たりしながら行動を取るということだと思っております。

中馬参考人 恐らく出口の部分で、大学の先生とかそれに関連するような職業だけではなくて、もっとイノベーティブな形で、起業するだとか含めた、そういうことができやすいようにしなきゃいけない。

 そうすると、知識がある人とお金のある人が出会うというところの、まあ会社法上の幾つかの大きな欠点が日本にはあるかなと思うんですけれども、一つだけ指摘させていただきますと、やはり自分の持分というところで、役務の提供といいますか、お金がない人が自分のサービスを提供するという辺りで、それを資金としてみなすというふうな仕組みが、例えばアメリカだと、特にカリフォルニア州ですかね、LLCとかLPだとかプライベートエクイティーだとか、そういうのがあるわけですけれども、例えばそういうふうなものを導入することによって出口を広げてあげるということしかないんじゃないかなというふうに思いますけれども。それで、SBIRとか、イスラエルもそれでブレークしたわけですから、そういう会社法上の仕組みというか、社会イノベーションというのが出口を広げるという意味で不可欠かなと思います。

湯之上参考人 大変難しい問題なんですが、現実的に起きているのは、現職の技術者も大学の先生も、この分野についてはどんどん海外に出ていっちゃっています。これをどうやって止めるのか。

 止まらないんですよ。なぜなら、年俸三倍、五倍、十倍を出すからです。止まらないんですよ。止まらない。これに対して、答えはないです。日本の企業が十倍出せるのか。出せない。だったら、個人の自由ですから、年俸が高いところへ行っちゃう。これはもう止められないんですね。止められない。

 これに対して、僕、答えはないんですよ。どうやってそこに、日本に優秀な人材をいさせて、優秀な技術開発をさせるかという答えは、僕、ないです。

 それからもう一点。ちょっと話は変わるんですけれども、経済産業省で半導体を管轄しているのは商務情報局というところだと思います。デバイス戦略室というのが以前あって、今呼び方はちょっと変わっているんじゃないかと思うんですが、その局長だとか課長だとか室長がころころ替わるんですね。早いと一年、二、三年で。替わった室長、課長、局長が何か功績を上げようと、一番功績を上げるのに目立つのが、どこに何千億円出した、これですよ。それの失敗の山が、さっきの、経産省が出てくると全部失敗、あそこなんですよ。

 だから、経産省の人事をきちんとしてもらいたい。やったらやった分の後始末をしてください、反省、分析してください、そういう仕組みをつくっていただきたい。でないと、今後も失敗は続くことになります。

 以上です。

田嶋委員長 これにて参考人に対する質疑は終わりました。

 この際、参考人各位に一言御礼を申し上げます。

 参考人各位には、貴重な御意見をお述べいただきまして、誠にありがとうございました。活発かつ大変有意義な議論ができましたことを委員長としても大変うれしく思っております。いただいた御意見を今後の委員会活動に大いに参考にさせていただきたいと存じます。委員会を代表して厚く御礼を申し上げます。ありがとうございました。(拍手)

 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。

    午後零時三十一分散会


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