衆議院

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第3号 令和6年3月22日(金曜日)

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令和六年三月二十二日(金曜日)

    午前九時二十分開議

 出席委員

   委員長 高階恵美子君

   理事 小寺 裕雄君 理事 小林 鷹之君

   理事 坂井  学君 理事 長島 昭久君

   理事 鎌田さゆり君 理事 馬場 雄基君

   理事 早坂  敦君 理事 庄子 賢一君

      五十嵐 清君    小田原 潔君

      菅家 一郎君    木村 次郎君

      小島 敏文君    小林 茂樹君

      冨樫 博之君    中曽根康隆君

      西野 太亮君    平沢 勝栄君

      平沼正二郎君    藤原  崇君

      細野 豪志君    三谷 英弘君

      山本 左近君    吉田 真次君

      鷲尾英一郎君    荒井  優君

      金子 恵美君    玄葉光一郎君

      小宮山泰子君    鈴木 庸介君

      堤 かなめ君    赤木 正幸君

      市村浩一郎君    美延 映夫君

      赤羽 一嘉君    福重 隆浩君

      高橋千鶴子君    鈴木 義弘君

      福島 伸享君

    …………………………………

   国務大臣

   (復興大臣)       土屋 品子君

   復興副大臣        高木 宏壽君

   経済産業副大臣      岩田 和親君

   復興大臣政務官      平沼正二郎君

   政府参考人

   (内閣府大臣官房審議官) 上村  昇君

   政府参考人

   (内閣府大臣官房審議官) 森下  泰君

   政府参考人

   (内閣府地方創生推進事務局審議官)        安楽岡 武君

   政府参考人

   (こども家庭庁長官官房審議官)          野村 知司君

   政府参考人

   (復興庁統括官)     宇野 善昌君

   政府参考人

   (復興庁統括官)     桜町 道雄君

   政府参考人

   (復興庁審議官)     森田  稔君

   政府参考人

   (復興庁審議官)     寺崎 秀俊君

   政府参考人

   (法務省大臣官房審議官) 松井 信憲君

   政府参考人

   (外務省大臣官房参事官) 林   誠君

   政府参考人

   (農林水産省大臣官房輸出促進審議官)       山口  靖君

   政府参考人

   (農林水産省農村振興局整備部長)         緒方 和之君

   政府参考人

   (水産庁漁政部長)    山口潤一郎君

   政府参考人

   (資源エネルギー庁電力・ガス事業部長)      久米  孝君

   政府参考人

   (中小企業庁経営支援部長)            松浦 哲哉君

   政府参考人

   (国土交通省大臣官房技術審議官)         菊池 雅彦君

   政府参考人

   (国土交通省大臣官房技術審議官)         岸谷 克己君

   政府参考人

   (環境省環境再生・資源循環局長)         前佛 和秀君

   政府参考人

   (原子力規制庁長官官房審議官)          児嶋 洋平君

   参考人

   (東京電力ホールディングス株式会社代表執行役副社長)           山口 裕之君

   参考人

   (福島国際研究教育機構理事長)          山崎 光悦君

   衆議院調査局東日本大震災復興特別調査室長     南  圭次君

    ―――――――――――――

委員の異動

三月二十二日

 辞任         補欠選任

  上杉謙太郎君     木村 次郎君

  沢田  良君     赤木 正幸君

同日

 辞任         補欠選任

  木村 次郎君     上杉謙太郎君

  赤木 正幸君     沢田  良君

    ―――――――――――――

本日の会議に付した案件

 政府参考人出頭要求に関する件

 参考人出頭要求に関する件

 東日本大震災復興の総合的対策に関する件


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     ――――◇―――――

高階委員長 これより会議を開きます。

 東日本大震災復興の総合的対策に関する件について調査を進めます。

 この際、お諮りいたします。

 本件調査のため、本日、参考人として東京電力ホールディングス株式会社代表執行役副社長山口裕之君及び福島国際研究教育機構理事長山崎光悦君の出席を求め、意見を聴取することとし、また、政府参考人として内閣府大臣官房審議官上村昇君、内閣府大臣官房審議官森下泰君、内閣府地方創生推進事務局審議官安楽岡武君、こども家庭庁長官官房審議官野村知司君、復興庁統括官宇野善昌君、復興庁統括官桜町道雄君、復興庁審議官森田稔君、復興庁審議官寺崎秀俊君、法務省大臣官房審議官松井信憲君、外務省大臣官房参事官林誠君、農林水産省大臣官房輸出促進審議官山口靖君、農林水産省農村振興局整備部長緒方和之君、水産庁漁政部長山口潤一郎君、資源エネルギー庁電力・ガス事業部長久米孝君、中小企業庁経営支援部長松浦哲哉君、国土交通省大臣官房技術審議官菊池雅彦君、国土交通省大臣官房技術審議官岸谷克己君、環境省環境再生・資源循環局長前佛和秀君及び原子力規制庁長官官房審議官児嶋洋平君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。

    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

高階委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。

    ―――――――――――――

高階委員長 質疑の申出がありますので、順次これを許します。西野太亮君。

西野委員 皆さん、おはようございます。熊本二区選出、自由民主党の西野太亮でございます。

 私、復興庁に出向した経験もありますし、さらには被災地の熊本選出国会議員ということで、初当選以来、この復興特別委員会に籍を置かせていただいておりますけれども、今日が復興特別委員会での初めての質問になります。御指名いただいた理事の皆さんに、そしてまた準備に御協力いただいた事務方の皆さん方にも、まず御礼を申し上げたいと思います。

 そして、今、私が申し上げましたとおり、復興庁への出向経験もありますけれども、もう十年以上前の話でございますので、もしかしたら大変古い議論になるかもしれませんけれども、そのときの問題意識に基づいて質問させていただきたいというふうに思います。

 そして、震災から十三年経過しまして、復興の最大の焦点は福島原発事故に移っているということは承知しておりますし、この復興特別委員会でも、おおむね原発事故に関する質問が多いということは承知しておりますけれども、私は、今日は、地震、津波被災地の復旧復興についての質問をさせていただきたいというふうに思います。そして、それによって今回の能登半島地震の教訓的なものも引き出すことができたらありがたいな、その思いで質問させていただきたいというふうに思います。

 私は、復興庁では、企画官というふうに申しまして、総括的な、復興施策を総括する立場におりました。ですので、当時は、私が復興庁に入った当初半年間は民主党政権でございまして、平野達男大臣に御指導いただきました。二〇一二年の十二月に自民党が政権に復帰して、その後、根本匠大臣の御指導を直接いただいておりました。

 しかし、同時に、私、企画官ということで、政府・与党との連絡調整役も担っておりましたので、自民党の復興加速化本部が提言を取りまとめるに際して、公明党、自民党、そして関係省庁との連絡調整役を担わせていただいたということで、大島理森本部長にも大変熱心に御指導いただいたのを覚えています。

 大島理森本部長がそのとき繰り返しおっしゃっていたのが、住まいの再建が非常に重要だということです。そのときの提言にも書いてあると思いますけれども、次の新しい年を、やはり被災者の皆さん方が希望を持って新年を迎えることができるようにしなくちゃいけない、そのためには住まいの再建が最重要だ、少なくとも、いついつまでに住まいの再建ができるという見通しをしっかり示さなくちゃいけないということを繰り返しおっしゃっておりました。

 我々も、その本部長の問題意識を踏まえて、例えば住まいの再建に向けたロードマップを作成したり、例えば住宅再建に向けた隘路、人手不足とか、生コン不足とか、あるいは入札の不調とか、そういった問題がたくさんありましたけれども、そういった隘路をどうやって解消していくのか、そういった議論をさせていただきました。

 今思えば本当に当たり前のことかもしれませんけれども、当時の我々は、復旧復興に向けて様々な課題がある中で、住宅の再建が最重要だということは余り深く認識しておりませんでしたので、はっとさせられた、目からうろこだったという思いがあります。

 そうした思いの下で、例えば、熊本地震もそうですし、今回の能登半島地震もそうだと思いますけれども、住まいの再建が最優先だという認識の下に、復旧復興に多くの皆さん方に当たっていただいているのではないかというふうに思います。

 そこで、復興庁に伺いたいと思いますけれども、住まいの再建が最重要課題だというふうに思いますけれども、震災から十数年たって、その進捗状況を教えていただければというふうに思います。確認させていただければと思います。

宇野政府参考人 お答え申し上げます。

 東日本大震災からの早期の住まいの再建を図るため、被災地全体で約三万戸の災害公営住宅の整備及び約一万八千戸の宅地の土地区画整理事業等による整備が行われ、令和二年十二月末に全て完了しているところでございます。

西野委員 ありがとうございます。

 二〇二〇年の十二月、震災からちょうど十年で全て完了したということで、今お答えをいただきました。関係者の皆様方、本当に御苦労があったというふうに思いますので、改めて敬意を申し上げたいというふうに思います。

 一方で、震災から十年というのは遅いじゃないかというような見方もあるんだろうというふうに思いますけれども、実は、一〇〇%完了したのが二〇二〇年でありまして、もう二〇一七年には九〇%を超えているわけです。恐らく最後の数年間は、一部、本当に複雑な問題でなかなか前に進まなかった、そういったところがあるのかなというふうに思っております。

 例えば、防災集団移転促進事業、こういったところは、移転先の候補地が見つかったとしても、そこの相続人の所在地が分からなかったりして、その人たちを捜している間に時間がかかったりとか、あるいは、事業を進めている中で重要文化財が見つかってしまって事業をストップせざるを得なかったとか、様々な事情があるんだということ、民主主義国家ですから、一つ一つ丁寧にプロセスを踏んでいかなければこうした事業を進めることができないということだというふうに思いますので、有権者の皆様、そして市町村の皆様方にもそういったことも御理解いただければというふうに思います。

 それから、その中の議論の一つですけれども、防潮堤をめぐる議論も大きなものがあったというふうに思います。震災直後は十五メートルの防潮堤とか二十メートルの防潮堤とか、こういったものをしっかり建てて、津波の被害を絶対起こしたくないというような被災者の意識が強かったんですけれども、被災から数年たつとやはり景観も大事だというような意見も出てきたと思います。

 その景観も大事だという意見に対しては、それは震災を経験していない部外者が、市民団体みたいな人たちが言っているだけだというような情報も飛び交ったりして、この防潮堤の議論というのは非常に錯綜した、混迷を極めたという記憶があるんですけれども、実は、この町づくりを進める上で防潮堤の議論というのは非常に重要だというふうに考えておりまして、防潮堤を太いものを造る、高いものを造ることによって絶対津波を来させないんだという防潮堤を造るのであれば、それこそ海沿いに町づくりを進めればいいかもしれませんし、景観を重視して、もう防潮堤を諦めるということであれば、高台に造らなくちゃいけないかもしれない。

 その間の中間点として、完全に津波を食い止めることはできないけれども、十分、二十分、津波を遅らせることができるという考え方であれば、その高台と海沿いの中間地点に町づくりを再建するという考え方もあると思いますので、防潮堤の考え方一つで町づくりの移転先が変わるということで、これも大きな影響を与えたというふうに思います。

 そこで、我々が知っている限りで当時議論になっていた防潮堤の整備の仕方、どのように整理されているのかということについてお伺いできればと思います。

緒方政府参考人 お答えいたします。

 防潮堤の整備に当たりましては、中央防災会議の専門調査会の報告を踏まえまして、東日本大震災のような最大クラスの津波ではなく、比較的発生頻度の高い数十年から百数十年に一度の津波、いわゆるL1津波を想定して高さを設定することとしており、国から海岸管理者である都道府県等に通知をしております。

 東日本大震災において被災した県等においては、国からの通知に基づきまして、L1津波を想定しつつ、地元市町村の町づくりとの整合性や環境保全、周辺の環境との調和などを図りながら、防潮堤の計画を適切に定め、整備を進めているものと承知をしております。

西野委員 ありがとうございます。

 いろいろな御苦労があったというふうに思いますけれども、地元住民あるいは自治体の皆さん方と議論しながら、町づくりと一体となって防潮堤の整備を進めていくということだと思います。

 今回の能登半島地震でも防潮堤の議論があるというふうに思いますけれども、この東日本大震災の経験を十分に踏まえながら、できるだけ速やかにそうした議論を進めていただければというふうに思います。

 それからもう一つ、やはり大きな足かせになっていたのが、どこに移転するべきかを決める上で、被災者の間で考え方が異なってくるという問題があったと思います。

 いろいろな例があると思いますけれども、私がやはり心を痛めたのは、とある家庭の話ですけれども、最初は家族全員でやはり高台に移転しようというふうに決めていた。しかし、時がたつにつれて、男性の方、お父さん方はトラウマが徐々に徐々に薄くなっていって、やはり自分が生まれ育った海沿いに家を建てたいんだと。一方で、奥さんやあるいは娘さんたちはトラウマがなかなか消えなくて、いやいや、私たちはやはり高台の方がいいわよということで、家族の間でも大きな議論になった。いわんや、同じコミュニティーの間で、世帯の間で大きな議論になるというのは、私はある意味当然のことだろうというふうに思います。

 例えば、最も有名な話は、宮城県名取市の閖上地区。これは、一旦計画が決まったにもかかわらず、住民の意見が対立して計画が白紙に戻ったというようなケースもあったというふうにNHKのスペシャルで報道されていました。それだけ非常に難しい問題だというふうに思います。

 そこで伺いたいというふうに思いますけれども、こうした問題、能登半島地震でもこれから起こり得るというふうに思いますけれども、こういった意見の対立をどうやって乗り越えて住まいの再建を図っていったのかということについて、復興庁のお考えを聞かせていただければと思います。

菊池政府参考人 お答えいたします。

 東日本大震災の防災集団移転促進事業については、委員御指摘のとおり、発災から時間が経過する中で、被災者のライフステージの変化とともに住まいの再建に対する意向も変わっていったものと承知しております。このため、計画策定から工事実施のあらゆる段階にわたり、被災者の意向を丁寧に把握しながら事業の進捗を図りました。

 被災者の意向把握につきましては、初期段階では、事業手法や移転団地の場所決定のため、被災者の希望やイメージを伺う説明会の開催、アンケート調査の実施から開始をいたしました。その後、被災者が生活再建を考えるタイミングに合わせて適切な情報提供を行うほか、個別面談などにより一人一人の意向を把握し、家族での話合いを促すなどの工夫を重ねてまいりました。

 これらの対応により、意向の把握の変化に対応して事業規模を縮小するなど、計画内容を見直すとともに、被災者の意向に寄り添った復興まちづくりを進めるように努めてまいりました。

 以上でございます。

西野委員 ありがとうございます。

 本当にエネルギーの要る作業だったというふうに思いますけれども、それを進めていただいたということで、大変ありがたいことだというふうに思います。

 もう一つ、公営住宅についても伺いたいというふうに思います。

 公営住宅についても、公営住宅に入りたい希望者がどれだけいるのかということを把握するのに、やはりそれなりの時間がかかると思いますし、せっかく把握したとしても、時の経過とともに、やはり公営住宅は嫌だとか、あるいは、職業、仕事の関係で県外に、被災地以外に住まなくちゃいけない、そういう選択をされる方もいらっしゃるわけで、希望を把握するだけでもいろいろな苦労があったというふうに思います。

 例えば、これは二〇一二年から二〇一三年当時の議論ですけれども、私の記憶では、公営住宅を過度に整備してしまうと、高齢者が多かったりして空室が増えてしまう、中長期的に見て維持管理が難しくなってしまうのではないか、だから、中長期的な見通しをしっかり厳密にする必要があるというような議論、そういった御指摘があったというふうに記憶しておりますけれども、そういった意味で、東日本大震災においては、公営住宅の整備方針をどのように定められていたのか、さらには、そうした整備方針に基づいてどの程度の戸数が整備されたのか、さらには現在の入居率、そしてまた今後の見通しについても教えていただければというふうに思います。

宇野政府参考人 平成二十三年八月十一日に改定されました東日本大震災からの復興基本方針におきましては、自力での住宅再建、取得が困難な被災者に対しては、災害公営住宅の供給を促進することとしておりまして、災害公営住宅の整備に当たりましては、各自治体において過大とならないよう、被災者の意向を丁寧にお伺いし、それを十分に踏まえつつ行ってきたというふうに認識しております。

 その結果、こうした被災者の意向を踏まえた上で、令和二年十二月までに、災害公営住宅、二万九千二百三十戸を整備してきたところでございます。また、令和五年九月末現在の入居率は約九二%となっており、必ずしも空き室が多い状況ではありませんが、被災者の退去等により空き室が生じた災害公営住宅につきましては、各自治体の判断により、被災者以外の方の入居や公営住宅以外の用途での活用などを可能にしているところでございます。

 復興庁としては、将来にわたり災害公営住宅が安定的に管理運営されるよう、引き続き、自治体に対し助言等を行うなど関係省庁と連携してまいりたいと考えております。

西野委員 ありがとうございました。

 災害公営住宅とはいえ、被災者じゃない方も柔軟に入れるというようなことをやって、入居率ができるだけ下がらないようにする、そういった運用をされているということも、先日、復興庁と話をさせていただく中で理解いたしました。

 被災地だけじゃなくても、被災地に限らずですけれども、この公営住宅、できるだけ効率化を図る、民間の知恵、工夫なんかも入れて効率化を図っていくというのは重要なテーマだというふうに思いますので、そういったことも含めて御尽力いただければというふうに思います。

 そうした議論を踏まえた上で、住まいの再建一つ取っても、かなりの課題、かなりの議論があるわけでございますけれども、こうしたことを教訓として、今般の能登半島地震にどのように生かしていくのかということについてもお伺いできればと思います。

宇野政府参考人 お答え申し上げます。

 復興庁では、東日本大震災からの復興過程において得られた様々な教訓や知見を収集し、他の災害においてそれらが活用できるよう、東日本大震災復興の教訓・ノウハウ集や東日本大震災の復興政策十年間の振り返りとして取りまとめて、公表してきたところでございます。

 この中で、住まいの再建に関しましては、一つ目、時間の経過とともに被災者の生活再建志向が変化するため、継続的に意向把握を行うこと、二つ目、将来的な人口減少、高齢化等を踏まえた適正な規模、内容の復興まちづくり計画を立案すること等を教訓、知見として掲げているところでございます。

 復興庁が東日本大震災の被災地に長く寄り添う中で得た教訓、知見が、能登半島地震の復旧復興において活用されるよう、これからも取り組んでまいりたいと考えております。

西野委員 ありがとうございました。

 今日は、住まいの再建だけじゃなくて、なりわいの再建、そしてインフラの再建についても質問を用意していたんですけれども、ちょっと余り時間がなさそうですので、大変申し訳ないんですけれども、なりわいとインフラについては割愛をさせていただきたいと思います。

 特になりわいの再建については、やはり切り札と言ってもいいと思いますが、グループ補助金、これは、国のお金、税金を直接個人の資産に入れるということができない中で、いかにして地域経済を復興、復活させるかということで、かなり復興庁、経済産業省、財務省と議論に議論を重ねてつくった、ある意味で画期的な制度だというふうに思いますけれども、こうした制度についてもちょっと検証させていただきたいなというふうに思っていたんですが、時間の都合上、割愛をさせていただきたいと思います。

 最後になりますけれども、平沼政務官に伺いたいと思います。

 平沼政務官は、防災担当大臣政務官でもございまして、能登半島地震が起こった直後から官邸に詰めたり、さらには、被災地金沢の対策本部に詰めたりということで、大変御尽力をいただいておりますので、そのことにも改めて敬意を申し上げたいというふうに思いますけれども、まずは、地震、津波地域復旧復興に向けた締めくくり総括の段階にありますけれども、それについての意気込み、そして、そうしたものを踏まえて、今般の能登半島地震にどうやって生かしていくかということ、その意気込みを聞かせていただければと思います。

平沼大臣政務官 西野委員の御質問にお答えいたします。

 政務官の就任以降、被災地を訪問させていただいて様々なお話を伺う中で、被災者の方々の絶え間ない御努力や御関係者の皆様の努力により、復興は着実に推進していると考えておりますけれども、一方で、ハード面の整備は進んできたものの、これからやはり心のケアのこういった問題はまだ引き続きあるかと思っております。

 それとまた、なりわいのお話も先ほどされましたけれども、地域の中核産業である水産業やまた水産加工業の販路開拓などが課題として残っておりますので、しっかりと取り組んでまいりたいと思っております。

 そして、先ほどこれも言及いただきましたけれども、私も今、石川県の現地対策本部に入ったときには対策本部長として任に就かせていただいておりますけれども、今ようやく応急仮設住宅の建設が始まり、そして、これからなりわいの再建というのが進んできたところでございます。

 引き続きこういったものをしっかりと前に進めていくには、東日本大震災のこういった知見、またこういったノウハウをしっかりと活用しながら、一日も早い被災地の復旧復興に努めてまいりたいと思っております。

西野委員 ありがとうございました。

 今日、土屋大臣の時間をいただくのは申し訳ないなと思って指名していなかったんですけれども、もしよければ、最後に一言、感想とかいただければと思います。済みません、恐縮です。

土屋国務大臣 これからも一丸となってみんなで復興を進めていきたいと思いますし、我々の東日本の知見を能登に生かしていければと思っております。一緒によろしくお願いいたします。

西野委員 ありがとうございました。終わります。

高階委員長 次に、玄葉光一郎君。

玄葉委員 玄葉光一郎です。

 あの三・一一から十三年がたちました。私も、あのときは、福島県の出身で、原発事故があって、かつ与党の政調会長で、閣僚も兼任するという立場で、夢中で、死に物狂いで対策に当たったわけです。当然、与党も野党もなく、復興の最終的な責任を負うというつもりでこれからも向き合っていきたいというふうに思っておりますが、壁に直面している問題が幾つかございます。

 そのうちの一つは、例えば、除染土壌等の最終処分あるいは再生利用であったり、あるいは廃炉の本丸の、いわばデブリの取り出し、これがなかなか思ったようにうまくいかないですね。この問題を取り上げたいと思うんです。

 この除染土壌の最終処分、再生利用でありますけれども、最終処分は、我々は法律で、事実上、二〇四五年に県外処分完了というふうにしたわけです。これはなかなか大変ですよね。あと二十一年しかないという状況でございます。

 そのためには、まず何より減容化、再生利用というのを最初に具体的に進めなきゃいけないというふうに思うんですけれども、これは具体的にどうするかですね。まず、やはり分かりやすい科学的な説明が必要です。何か科学的な説明が伝わってこないですよね、はっきり申し上げて。国会でも余り説明されていないと思います。それと、IAEAを上手に活用するということだと思うんです、まずは。

 私が一番最初に本当に悩んだのは、低線量被曝との戦いだったんですね。あのときは、とにかくどうやったら科学的な説明ができるか。幾ら科学的な説明をしてもほとんど理解してもらえなくて、どうしたか。UNSCEARという、いわゆる国際機関に手伝ってもらったんですね。私はお願いしに行きましたから、頻繁に福島に来て説明してくれと。やはりそれは説得力があるわけですよね、東電関係者なんかが言うよりも。

 そういうことがあるので、この汚染土壌の再生利用も、今、実証実験をやっているようですけれども、なかなか理解が進まない。分かりやすい科学的な説明、そしてIAEAの活用、最後は、インセンティブを場合によっては考えていく。実証とあるいは再生利用、例えば、いわゆるインフラ、道路の整備なんかに再生利用をするということであれば、そのためのインセンティブを考えていく。結論から申し上げると、この三点セットじゃないかと考えていますけれども、いかがですか、土屋大臣。

土屋国務大臣 今のお言葉で、当時の玄葉委員の大変な思いというのが伝わってまいりました。

 おっしゃるように、今やはり最も重要な課題としては、汚染土壌の最終処分、再生利用というのが大きな課題だと考えております。

 今いろいろお示しいただきましたが、安全性について皆さんに伝わっていない、それは私自身も共有するものであり、それをこれからどういうふうに伝えていくかというのは重要なことだと思っております。

 今まさにIAEAからの助言ということがありましたが、ALPS処理水もそうでしたけれども、IAEAが関わったことでかなり世界的にやはり安全性を示すことができたということでは、これから、まさに今、環境省が、再利用については、福島県内の再生利用実証事業の成果、それからIAEAからの助言も踏まえて、必要な基準類を二〇二四年度中に取りまとめるということを承知しているところでございます。これをまず早く基準類を取りまとめてもらうことが、基準類、基準になるもの、いろいろありますけれども、安全性に対するそういうことだと思います、それを取りまとめるということを我々も承知しております。

 やはり国民の理解、まずは信頼の醸成につなげていけるかどうかというのが勝負どころかなと思います。

 今、政府としても、再生利用に関しましては、地域の社会的受容性を向上させることも重要ですけれども、一月に有識者検討会を設置しまして、対象地域とのコミュニケーションの在り方等について議論を開始したと承知しています、これは環境省が中心になってやっておりますけれども。それと同時に、政府も一体となって、これは環境省だけに任せるものではないということで、関係省庁の連携強化等によりまして体制整備に向けた取組を進めて、地元の理解を得ながら具体化を推進するということで決定したところでございます。

玄葉委員 分かりやすい科学的な説明と、IAEAを上手に活用する。

 おっしゃるとおり、処理水もIAEAの果たした役割は大きいと思います。あとは、中国のいわば失政というか外交的失策で、常磐物をみんなで応援しようと国内が盛り上がった、この二つだと私は思っていますけれども、IAEAの活用は非常に有効だった。さっき申し上げたように、低線量被曝に対する取組もUNSCEARの活用が非常に有効でした。

 ですから、ここも、今、私はよく分からないけれども、基準類という調査報告書が今年中に出るということのようでありますけれども、IAEAに大いに来てもらって、処理水もそうなんですけれども、やはりIAEAから国内で発信してもらうということを上手にやる必要がまずあると思います。そのことを改めて申し上げておきます。

 最終的には、何らかのインセンティブも、復興大臣が音頭を取って措置をしていくということも考え始めた方がよいのではないかというふうに思うんですね。最終的に、これを道路整備に使うなら、例えばインフラ整備で本来自治体が負担しなきゃいけない分を国が負担しますよとか、そういうことをやらないと、これを受け入れるという判断、覚悟というのは、なかなかそれぞれできないんじゃないかなと思いますけれども、その点はいかがでしょうか。

土屋国務大臣 何らかのインセンティブをつけるというお話でございますけれども、これは、今いろいろなところから声が出ているような気がいたします。我々としても、一つの選択肢としてしっかりと考えていく必要があるかと思いますが、今の段階では、まず環境省が実験段階のところでございますから、それの結果をしっかりと見極めながら、また政府一体として、インセンティブに関してもみんなで議論していく必要があるかと思っております。

玄葉委員 いわゆる見直しの中で、今おっしゃったこの問題については環境省だけに任せずに、政府一体となって取り組もうということになったというふうに聞いていますけれども、多分、大きく分けると二つあって、一つは、インセンティブ措置をみんなで考える、これは確かに環境省だけでは考えられませんので、政府一体となって考える、財務省も含めてですね、そういう話だと思います。

 もう一つは、やはり総理大臣が全体の責任者なので、総理大臣から、時期を見て、知事会なんかにしっかりと要請するということも必要じゃないかと思うんです。

 私が思い出すのは、やはり平成二十三年三月十一日に起こったこの三・一一で、その後、特に災害廃棄物がどうにもならなくなったんですね。処分できないですよね、当たり前ですけれども。これをどうするかという話になったときに、結局、どこも風評があって受け入れたくないと言うわけですよ、嫌だ、そんな今回の震災で出た廃棄物を受け入れたくない、住民の反対があると。結局どうしたかといいますと、時の総理大臣が知事会に行ってお願いしたんです。これはみんなで負担し合おう、分かち合おうとお願いしたんですよ。東京都が真っ先に協力してくれた。

 やはりそういう象徴的な人、当時、石原さんですけれども、象徴的な人に内々に根回しをして、しっかりと引き受けてくれそうだという温度感があったら、思い切って総理が出ていって知事会で要請する、そのぐらいのことをやってほしいんですけれども、復興大臣、音頭を取ってください。

土屋国務大臣 同じことになりますが、今の段階では結論としては言える状況ではありませんけれども、政府一体となってやる、そして長は総理大臣であるということから考えますれば、いろいろなこれから議論の中で、最終的に、もちろん、知事会との折衝も出てくるのではないかと思っておりますが、今後、ありとあらゆる方法を考えながら、確実性を持って進めていきたいなと思っております。

玄葉委員 処理水もそうなんですけれども、最後は、結局、総理大臣が判断する、ある意味、泥をかぶって判断するということなんですよね。覚悟を持つということだと思うんです。賛否両論あります、これは。あるものを責任を負うのが政治家の仕事なので、まさに、役人の仕事じゃなくて、批判も含めて責任を負うのが大臣の仕事だと思うんですね。

 ですから、今申し上げたように、インセンティブ措置にしても、最終的な受入れのための要請にしても、是非これは復興大臣が司令塔として中をまとめて、総理としっかりと話して、覚悟を示すように是非お願いをしたいというふうに思います。

 インセンティブ措置、しっかり選択肢として政府一体となって考えていくということでございます。これは、確かにタイミングはあると思います。今すぐやる話じゃない、確かに。しかし、間近に来ている問題なので、しっかりと準備を進めていただきたいというふうに思っています。全く自治体がどこも受け入れないでいたら、何も進まないことになってしまいますので、よろしくお願いをしたいと思います。

 それと、この間、私は立憲民主党なんですけれども、復興対策本部、私は本部長で、金子さんは事務局長で、ずっと被災自治体を十数人の国会議員で先般視察をしたときに、双葉の町長さんから言われたことが非常に頭に残っているんです。決して大きな話ではないかもしれませんけれども、いわゆる拠点の中、あるいは拠点外で帰還を進めようとしている地域、つまりは特定帰還居住区域というのがありますよね、それらは、今、帰還ができるように環境整備をしているんだけれども、除染となると、今までのマニュアルどおり、結局二十メートルしかやらない。でも、実は、ここの背後にあるちょっとした丘はまさに憩いの場にしたいんだよなと例えば言うわけですね。でも、二十メートルしか除染しないというマニュアルになっているからやらないということになっちゃうと、せっかくこの辺は憩いの場になるし、いいよと進めようと思っても、進められないというわけですね。これは確かにそうだなと思うんですよ。

 実のことを言うと、拠点、いわゆる避難指示が出た地域以外は、逆にやっているんですよね。森林再生で間伐したり除染したり、実はやっているんですね。それが、肝腎の避難指示のところが、しゃくし定規になっちゃっている。

 我々衆参両院で採択した附帯決議、この特定帰還居住区域というのを認めていくときに、どういうふうに書いているかというと、住民が安心して帰還できるよう、各地域の現状や住民、地方自治体の意向を十分に踏まえ、生活圏を幅広く捉えながら、除染の手法と範囲を決定する、こう書いてあるんですね。これがやれていないんですね、簡単に言うとしゃくし定規になっちゃっていて。

 そこは復興大臣がリーダーシップを取って、もうちょっと柔軟性を発揮しませんかということを言っていただきたいんですね。

土屋国務大臣 今のお話なんですけれども、生活環境の線量低減を目的として、林縁部から二十メートル、必要な範囲で堆積物の除去等を実施しているというお話ですよね。

 その二十メートルを超えたところで住民が身近に利用してきたものをどうするかということでございますけれども、避難指示が解除された区域のうち、森林公園とか遊歩道とか、そういうところに関しては、環境省、農林水産省等の関係機関と連携して除染や間伐等を行う里山再生事業というものがありまして、それで行ってきているところでございまして、全く二十メートルだからいけないという状況ではないと理解しております。

 地域によって大分違うと思うんですね。だから、二十メートル、絶対こうですよということではなくて、また地域の皆様と、住民の方たちとも地方自治体とも相談しながら、この里山再生事業の中でもできることではないかと考えておりますので、今後、理解醸成をしながら進めていきたいと思います。

 ただし、森林になってしまうと、御存じのように、除染土を排除した場合、台風とか雨とか、そういう状況の中では、泥がなくなったことによって大きな水が出る可能性もあるので、そういうところに関しては除染できない状況にあるということも御理解いただきたいと思います。

玄葉委員 今のお話は、避難指示が解除になったら、二十メートルといわず、もうちょっと柔軟に除染をしますよということを言っていただいたと理解したんですけれども、つまりは、要は帰還を進めたいと思って、その準備のために今二十メートルまで除染しているわけですね。でも、すぐ背後に丘があって、これをみんなで一種の公園みたいにして、憩いの場にしたいんだ。だけれども、今は駄目なんです。

 だから、少なくとも避難指示が解除になったらやりますよということなら、それをはっきり言ってもらった方がいいと思うんです。そうじゃないと、みんな帰る決断をしないから、できなくなっちゃうから、そういう柔軟性は間違いなく発揮しますというふうに言っていただきたいということですね。

土屋国務大臣 私は、今、説明が不十分だったのかもしれませんけれども、帰還意向のある住民の日常生活に必要な、一体的な日常生活圏を構成している地域であれば対象とするという考え方を持っています。

 そういう意味では、今後、地域の各自治体とも話合いをしながら、やはり帰還したい住民とも話合いをしながら進めていく。この中には山林の一部も含まれているものと承知しているところでございます。ですから、一体的な日常生活圏を構成している区域で、それを認めますよと言っている中には山林の一部も含まれているものと承知しています。地域によっては山林の一部も入っている。

高階委員長 玄葉君、おまとめください。

玄葉委員 時間が終わりましたので終了いたしますけれども、柔軟性を発揮してもらう、そのときのやはり先頭に復興大臣は是非立ってもらいたいというふうに思います。

 デブリの取り出しを聞きたかったんですけれども、時間がなくなりましたので、時間を守らなきゃいけないので終わります。

 どうもありがとうございます。

高階委員長 次に、金子恵美君。

金子(恵)委員 立憲民主党の金子恵美でございます。よろしくお願いいたします。

 冒頭、東日本大震災、原発事故、そして能登半島地震で犠牲となられた皆様方に哀悼の意を表しますとともに、今なお避難をされている皆様方、そして被災された全ての皆様方に心からお見舞いを申し上げます。

 今年で東日本大震災、原発事故から十三年でございます。そして、福島県では、二万六千人の方々が今もなお県内外に避難をされているという状況でもあります。

 私は、三・一一、三月十一日は、福島県主催の追悼復興祈念式に出席させていただきました。福島県のこの追悼祈念式では、高校生による若者の言葉がございまして、相馬高校の出版局の三人の高校生が登壇して、能登半島地震を受け、東日本大震災の経験を伝え続けていくことの大切さをより強く感じていると述べられました。

 また、遺族を代表して、両親を津波で失った、当時小学校一年生でいらっしゃった浪江町出身の鍋島悠輔さんは、能登半島の地震の映像を見て、あのときの記憶を呼び起こしたと述べられ、ふだんから防災を意識し、津波が来ているときは逃げることが大切だとも訴えられていました。

 この鍋島さんの言葉の中では、実は、御両親、そしておじい様、おばあ様も亡くされて、避難所で当時小学校六年生のお姉様と合流されて、その後は福島県内をまず転々とされて、避難生活の後、父方の祖父に引き取られて、神奈川県の平塚市に避難した、そういう流れも述べられていらっしゃって、そして、この避難から数年は、なぜだか記憶がとても曖昧です、ただ、両親に休日に遊んでもらったこと、父とサッカーをしたことや、母の手料理のおいしさなど、不思議と浪江町での家族との楽しい記憶は色あせていません、震災遺構で請戸小学校が残ったのは、思い出の面影が残ったような気がして、とてもうれしく思いましたということを述べられています。

 まずは、能登半島の問題もあり、これから東日本大震災、原発事故で得た教訓をしっかり生かしてほしい、そういう思いと、もう一つは、やはり残すべきものは残してほしい、そういう思いを訴えられていたというふうに思います。

 私も、やはり記録、記憶、これを風化させてはいけない、実際に何が起こったかということをしっかりと次世代にもつなげていくということ、まさに、残念ながら、今、永田町でも、私は東日本大震災の問題というのは風化しているような気がしています。特に、原発事故の部分というのは風化しているような気がしておりますので、何が起こって、そして何を私たちは伝えていかなくてはいけないかということはとても重要な課題だというふうに思っています。

 その上で、大臣にお伺いしたいと思いますが、この東日本大震災、原発事故により犠牲となられた方々への追悼と鎮魂の念を持ち続けながらも、記憶と教訓を風化させることなく、真の復興に向けて前進するべきだというふうに思いますけれども、所見をお伺いしたいと思います。お願いいたします。

土屋国務大臣 今、金子委員のお話を伺って、本当にまさにおっしゃるとおりだと思います。

 私は、岩手の方に参りまして、三・一一の式典に出させていただきましたけれども、岩手でも若い男性がお話をしましたけれども、本当に心を打つものがありました。小さくて分からなかったけれども、恐怖だったという話が非常に印象に残ったわけでございますけれども、そういうその当時若かった人たちの、本当に体からにじみ出るような教訓というのを伝えていくことはすごく重要だと考えております。

 そういう意味では、もう御存じだと思いますけれども、復興庁でも、震災遺構や伝承館のガイドブックを発行して、被災三県の全学校や全国の県教育委員会、公立図書館等にも配付しているところでございます。それから、中学、高校生に福島の復興の状況や魅力を理解していただくために、出前授業も復興庁の職員が行って、しているところでございまして、できる限りいろいろなところでやはりこの教訓を伝えていくということは大事だと考えております。

 私自身もいろいろなところでもちろん伝えていきたいと思いますけれども、例えば、修学旅行とかでも近県では来てもらえればなという思いもあります。

 それから、世界的に見ても、ウクライナからも復興に対しての私への訪問がありましたし、あと、トルコやシリアからも、この資料が欲しいという話もありました。

 そういう意味では、これから更に広めるために、委員のお知恵もおかりして、頑張っていきたいと思います。

金子(恵)委員 ありがとうございます。

 いろいろな資料を作っていただいたり、そういうものはいいんです。そして、海外からもお越しいただく。でも、そのときに、光が当てられた部分だけお見せしても仕方がないわけで、本当の状況、リアルなところを見ていただきたいと思うんです。

 私は、昨年末も大熊町の帰還困難区域に入りまして、旧熊町小学校前まで御案内いただきました。

 今年になりまして、二月の頭には、大熊町の熊町小学校ですけれども、ここで一時立入りができるような状況をつくっていただいて、そして私物を持ち出すということができました。久しぶりに、恐らく本当に十三年ぶりに小学校の中に入られた。若い、本当にこの日本をしょって立つような立派な大人になった方々も含めまして、当時の思い出などをその場で語り合ったということであります。

 その中で、私も昨年末に御案内をいただきました木村紀夫さんという方なんですが、語り部もされていて、いろいろマスコミにもよく出られている方ではありますけれども、犠牲となられた娘さんの汐凪さんの御遺骨は見つかりましたけれども、まだまだ足りないということで遺骨の捜索をされているというところで、私もお手伝いも少しさせていただいたわけなんです。

 おっしゃっていることは、やはり全体、帰還困難区域も含めて、被害を受けた場全てが慰霊の場なんだということで、少しでも残していくべきものは残していかなくてはいけない、ただ単に、例えば、解体をして、そして除染をして、それで終わりだ、新しい町づくりをして終わりだということにもならない、残すべきものは残していくということだというふうにおっしゃっておられまして、それこそ、娘さんのいた教室、その机も含めてそのまま残していければいいんじゃないかというふうなこともおっしゃっていた。

 大熊町としても、熊町小学校とか熊町幼稚園を、できれば震災を伝える場として残していくということも検討されているというふうにも聞いています。大臣、御所見はありますか。

土屋国務大臣 遺骨の問題は、これは自治体の問題だと思いますけれども、遺構の問題ですよね。できる限り、やはりその象徴的なもの、一か所ずつになるかもしれません、それは国の方でも一か所ずつということで遺構を残すということであると思いますけれども、みんながまず見て、そこへ行って見ることによって、まさにそのときの状況が思い起こせるようなものというのは大事だと思います。特に、年数がたつと、我々もそうですけれども、風化をしていく中で、やはり改めてその場に立って感じるものは多いと思います。

金子(恵)委員 ありがとうございます。

 自治体の様々な御判断とか、住民の皆さんのお考えとかもいろいろあると思いますが、全てを尊重していただいて、残すべきものは残していく、そして次世代にも伝えていく、是非よろしくお願いしたいというふうに思います。

 それでは、次の質問に参ります。

 福島の復興と廃炉の両立、これは絶対に成し遂げていかなくてはいけないというふうに思っていますが、残念ながら、ALPS処理水は、全ての人たちの理解があってスタートしたわけでもありません。

 しかし、昨年の八月にALPS処理水の海洋放出がスタートいたしまして、その二か月後に、既に、汚染水処理の基幹となる増設ALPS建屋で作業員が洗浄廃液を浴びた、まずはそういう事件がありました。

 その後、昨年の臨時国会中の復興特別委員会、こちらでも、今日おいでになられています東電の山口副社長も出席されまして、様々な情報発信については正確性を欠いたということについて反省をしているというようなことも述べられました。

 しかし、残念ながら、また今年になりまして、二月に、今度は汚染水、まだ処理をされる前の汚染水ですが、汚染水の浄化設備、サリーの建屋の排気口から放射性物質を含む水の漏えい事件が発生したということで、極めて残念なことだと思っています。

 その後、経産大臣が小早川社長に対して指導もされたということでありまして、その面会の後に小早川社長は、指導も踏まえ、外部の専門家に入ってもらい、人の手を介さずに済むような効果的なミスの防止策の検討を進めていきたいと述べました。人を介さずに済むように、本当にこれができ得るのか。

 実際に私が懸念しているのは、もちろん、このような事故があることによって、東電に対しての不信感というのがどんどんどんどん大きくなる一方であるということ、極めて残念なことでもありますけれども、それと、本当に廃炉というものが成し遂げられるのかということも疑問に思うところでもあります。

 東京電力は、本当の意味で反省の上に立って再発防止というものをしっかりとやっていかなくてはいけないというふうに思いますけれども、その対策をどのように講じているのか。山口副社長、今日はお越しいただいております、ありがとうございます、御答弁いただけますでしょうか。

山口参考人 東京電力ホールディングスの山口でございます。

 福島第一原子力発電所の事故からはや十三年が経過しておりますけれども、今もなお地域、地元の皆様、広く社会の皆様に多大なる御心配、御負担をおかけいたしましていること、この場をおかりしまして改めておわびを申し上げます。

 先生御指摘の事案の対策の取組の状況につきまして御説明をさせていただきたいと思います。

 昨年十月二十五日、福島第一原子力発電所におきまして、増設ALPS建屋内の配管洗浄作業中に、洗浄した水が協力企業作業員二名の方に飛散をいたしまして、身体汚染を発生させた事案でございます。

 当社といたしましては、この事案の原因は、防護装備などの安全管理が不十分であったということなどと考えまして、全ての現場作業について安全管理体制の確認を実施するなど、再発防止対策を進めてまいりました。

 その中で、先生御指摘のとおり、本年二月七日、セシウム吸着装置、サリーの弁の点検作業におきまして、本来閉めておくべき弁を開けた状態で作業を行った結果、建屋の排気配管から汚染水を含む水の漏えいが発生いたしました。

 この事案の原因は、本来確認すべき弁の開閉状態の見落とし等によるものと考え、高濃度の液体放射性物質を取り扱う作業では当社運転部門が安全措置を一元的に実施するなど、新たな再発防止対策を講じました。

 こうしたそれぞれの事案に対しまして当社として個別の再発防止対策を進めておりますが、両事案に共通する問題点として、震災以降、緊急的に整備をしてきた設備であったため、自動化できず、手動の対応とならざるを得なかったことに加えまして、手順やルールなどが必ずしも現場の実態を反映したものになっていなかったもの、改善すべき点があるというふうに考えてございます。

 当社といたしましては、個々の事案として対処するだけではなく、人は思い込みでミスをするという前提に立って、先生が先ほどおっしゃっていただきましたけれども、外部有識者の視点を入れながら、再発防止対策をしっかりと行い、経営として、廃炉をより安全に進めるための追加投資、それから体制の強化をちゅうちょなく実行してまいりたい、そのように考えてございます。

金子(恵)委員 私は、作業員の方々の安全性をしっかり確保していかなくてはいけないということも申し上げさせていただきたいと思います。ただ、手順を踏まずにこのような事故を起こしてしまっているということによって、本当に不信感というものがありますし、また、国際的にも、中国からのバッシングもまた大きくありましたし、大きな問題になっていくんですね。ですから、一つ一つ丁寧な対応をしていただきたいということは申し上げさせていただきたいと思うんです。

 ただ、一方で、済みません、これは新聞報道をされていて、もう一人の副社長で小野明さんは、福島第一廃炉推進カンパニーの最高責任者でありますけれども、このようなトラブルが起きるということは、例えば、日程ありきではなく、安全第一を念頭に取り組むというような、多発するトラブルにどう対応するかという質問に対して、最後の締めのところでそういう言葉をおっしゃっているんですね。日程ありきではなく、安全第一を念頭に取り組むというふうにおっしゃっているんです、ほかのところを読みませんけれども。

 ということは、もしかすると、そもそも今の廃炉に向けた中長期ロードマップに無理があって、急がせてしまっていて、やるべきことをきちんとやらない、やっていない、そういう状況はないんでしょうか。

山口参考人 福島第一原子力発電所の廃炉作業は、世界でも前例のない取組だと認識してございます。

 当社といたしましては、社会の皆様、地域の方々に廃炉作業の今後の見通しについて御理解をいただき、安心していただけるよう、政府が作成してございます中長期ロードマップを達成するための今後約十年間の廃炉全体の主要な作業プロセスを具体化したものといたしまして、廃炉中長期実行プランというものをお示しさせていただいております。

 その上で、廃炉の進捗や新たに把握された課題に応じて、これを定期的に見直しながら、廃炉作業を安全第一で進めているところでございます。

 当社といたしましては、この廃炉中長期実行プランを着実に実行いたしまして、安全、着実かつ計画的に廃炉作業を進めていくことが当社の責任と考えてございます。

金子(恵)委員 そうおっしゃるしかないかもしれませんけれども、政府が作った廃炉に向けた中長期ロードマップに基づいて、東電としても実施に向けた計画を作っているというようなことですけれども、でも、ずっと、例えば二号機からの核燃料デブリの取り出し作業についても、二〇二三年度中と言われていたものが、開始時期は今年の十月に延期するということで、これで三度目の延期ですよね。全然遅れてきてしまっている。

 できることとできないことというのは今やっと徐々に見えつつあるのかもしれませんけれども、廃炉の完了時期というのは二〇四一年から五一年というふうに言われていますが、これが本当に出口になっていくのか分からない。それと、もう一つ言うと、最終形は分からないわけです。

 ですから、東電が幾ら政府のこの計画にのっとってやりますと言っても、もしかすると、これはできない状況にあるかもしれないというふうに思いませんか。苦しい思いがあるんだったら、そこはやはり吐露した方がいいと思いますが、いかがですか。

山口参考人 我々といたしましては、決してスケジュールありきでなく、安全最優先で進めることや、地元の皆様の御安心につなげてまいりたいというふうに考えてございます。

 ただ、他方で、先ほども申し上げましたとおり、地元の皆様の安心につながるように、やはり計画というものは示させていただきつつ、遅れたところはその計画に反映しながら、その計画に基づいて着実に推進してまいりたいと考えてございます。

金子(恵)委員 ここのところで、原子力損害賠償・廃炉等支援機構の報告書の全容が七日に判明したということも報道されていまして、第一原発三号機のデブリ取り出しについて、これは、気中なのか、それとも充填固化という工法なのかということで、あるいはその組合せを有力案として提示されたというようなことですけれども、できるだけ速やかに具体的な設計検討を開始するように東電に求めたというようなことでもありますので、このような形で、できるだけデブリ取り出しを始める計画を立てなくてはいけないわけです。それはどうなっていますか。いかがですか。

山口参考人 先生御指摘のとおり、機構の方から工法の方が示されたということは認識してございます。今、それに基づきましてエンジニアリングの方法を検討しているところでございますので、今日の段階ではこれ以上のことは差し控えさせていただきます。

金子(恵)委員 質問をたくさん残すことにはなっているんですけれども、重要なのでもう一点申し上げさせていただくと、ロードマップはできています、でも、詳細なる、本当に精緻なロードマップ、工程表は何もできていない。でも、少しずつ問題点が見えつつあるんだとは思います。ただ、燃料デブリは一グラムも取り出すことが今の段階でできていない。それなのに、本当にこれから、二〇四一年から五一年の廃炉の完了というのができるのか、そういう今不安を抱えていると思います。

 福島県知事のインタビューの中で、福島県原発の廃炉に向けた原子炉内の正確な状況把握、デブリの取り出し方法や一時保管方法、処分方法などの具体的な工程が何ら明確化されていないということを問題視している発言がなされています。もう一言。

高階委員長 持ち時間が経過しておりますので、おまとめください。

金子(恵)委員 はい。

 決意をお願いします。

高階委員長 山口参考人、簡潔に御答弁願います。

山口参考人 はい。

 先生御指摘のとおり、まずは一グラムでも取り出しをしまして、性状を確認するところから始めませんと先に進みませんので、まずはそちらの方に取り組みたいというふうに思います。

金子(恵)委員 終わります。ありがとうございます。

高階委員長 次に、荒井優君。

荒井委員 ありがとうございます。立憲民主党の荒井優でございます。

 今日は、東電の山口副社長、そしてF―REIの山崎理事長にお越しいただいております。今まで、福島選出の先輩の国会議員の皆さんが質疑させていただいています。その中で、次は、僕自身は福島選出ではありませんが、復興に関わってきた者としてお時間をいただきましたので、どうぞよろしくお願いいたします。

 まず、前回の大臣への質問のときに、復興とは何ですかというやり取りをさせていただいたかと思います。僕自身は、子供たちが大きくなることじゃないかということをお話しさせていただきました。

 今日、資料をお持ちしましたが、資料の二枚目の方を御覧いただければと思います。三月十九日の読売新聞に載っていた記事になりますが、富岡町出身の若い女性が演劇を通じて今頑張っていますということ、そういった記事になっていますが、彼女は小学校四年生のときに被災に遭っているわけです。その後、福島県立のふたば未来学園高校に進学をし、そして演劇部でいろいろな活動をして、そして今、もう二十三歳になっていますけれども、柳美里さんの作られた演劇の活動をまた柳美里さんと一緒にやっているということが載っているかと思います。

 僕は、大臣、思うんですけれども、これこそが、今、僕たちがやるべき復興の一つの形なんじゃないかと思っていまして、小学校四年生の子供が、高校を通じていろいろな出会いや経験をしていき、そして、この地元にとどまって、地元で自分が、これはもう少し細かく読んでもらうと、高校生のときにはなかなか被災のことをうまく表現するのが嫌だった、ただ、今、二十三歳になったときには、自分のその経験を演劇を通じて表現することに自信を持っている、そういう記事になっております。

 まさにここなんだというふうに思っていますし、今日は、東電やF―REIの皆さんにも是非お聞きいただきたいと思っていますし、こういう方々が、今、福島の、特に浜通りの復興を支えているんだということを是非御理解いただきたいと思いまして、新聞記事をお持ちいたしました。

 ちなみに、大臣は、このふたば未来学園とか若しくはこの柳美里さんとかの演劇というのは直接御覧になったことはありますでしょうか。

土屋国務大臣 残念ながらまだ見ておりませんが、機会があれば是非と思います。

荒井委員 ありがとうございます。

 実は、僕もこの福島の復興を通じて、地元で学校の校長にもなりましたし、今、この場で国会議員としても仕事をしているというふうに思っています。

 その中で、教育の中では、実はこの演劇というものは物すごい大きな力があると言われていますが、国語の授業の一環なんですけれども、この国語の授業を通じて、まさに何かの役割になって、その役割から発信をしていく、その役割の思いとかをどのように学んでいくかというのが非常に重要だというふうに言われています。

 ちなみに、ふたば未来学園の学校の中にも、この演劇というのは非常に重要な教育カリキュラムに入っていますが、初年度からずっと平田オリザさんが、ここの演劇のプログラムを作るのに関わられました。一番最初の年の、これは生徒と一緒に演劇を作るんですけれども、この演劇を作ったときの、生徒が作り出した演劇はこんな感じでした。時間がありませんが、簡単に。

 三人の男性が出てきます。ADRセンターで高校の卒業生同士が出会うわけですが、一人が農家の人、一人が東電の人、一人が役場の人という、それぞれ異なった役割の人たちが、高校の卒業生がそのADRセンターで偶然出会うというところからこの演劇は始まるわけですね。そして、それぞれの苦しさを話して、最後に、俺たちはどうすればいいんだということで、その問いを発して終わるんですけれども。

 実は、これを演じている子供たちの親の話なんですね。自分たちのお父さんに、お母さんかもしれませんけれども、ヒアリングをしながら、その思いをつないでいって台本を作って、ただ、それを演じるときには役割を一回転させるんですね。つまり、農家の子供が東電の役割をするとか、そういう形でそれぞれの立場というものをイメージしながらやっていく、これこそ、僕は今回の福島若しくは東日本大震災の復興の一つの形なんじゃないかというふうに思っております。

 それを踏まえて、今日、東電の山口副社長がいらっしゃっていますので、先ほども金子先生の質問にも多々ありましたけれども、廃炉を今一生懸命されていると思いますが、この廃炉に関わっている職員のうち双葉郡出身者というのは何名いらっしゃるのか、パーセンテージも含めて教えてください。

山口参考人 東京電力ホールディングスの山口でございます。お答えいたします。

 出身地というくくりでは把握をできておりませんけれども、現在、福島第一原子力発電所の廃炉に携わっていただいている協力企業作業員の方、それから当社社員は八千人前後、そのうち、住民票住所が福島県内になっている方が七〇%程度の五千人前後でございまして、双葉郡の方は全体の二五%程度の二千人前後ということでございます。

 福島第一原子力発電所の廃炉は地域の皆様にお支えいただいているという認識の下で、社員については引き続き一定数を地元から採用させていただくということとともに、協力企業作業員につきましても地元企業様への発注を促進するなど、地域と一体となって廃炉事業に取り組んでまいりたいと考えてございます。

荒井委員 ありがとうございます。

 この前の復興特で、当時の双葉高校の女の子の記事を委員会には提出しまして、審議もいたしました。その彼女が今は転職して、東電のまさに復興に関わっている方がいらっしゃるということを記事として提供しましたけれども、まさに今、副社長がおっしゃっていただいたように、この廃炉作業に関わっている、先ほど金子先生からも、是非従事している人たちの安全をというお話がありましたけれども、まさにこれは地元の人たちなんですよね。

 そして、地元の人たちが何とか自分たちの地域をよりよくしたいと思って、まさにあのときは、十三年前は子供だった人たちが、今や大人になって関わっている人たちも決して少なくないわけですね。東電の皆さんは一番よく分かっていると思いますが、是非、そういう血の通った廃炉の作業、そして社員へのまなざしというのをしっかり向けてほしいというふうに思っております。

 山口副社長は双葉郡にお住まいになったことはないんだというふうに伺ってはおりますが、あの地域で、そういう人たちが一生懸命作業をしながら今何とか成り立っているということを是非東電の幹部の皆さんは御理解いただいた上で、しっかりと仕事をしていただきたいと思っております。

 続いて、F―REIの山崎理事長に、高名な山崎先生にお会いできて大変光栄に思っておりますが、元々就任前に、先生は、浜通りの人たちと研究者たちが溶け込めるような自由な環境をつくりたいというふうに語っておられました。金沢大学での取組もまさにそうであったというふうに伺っておりますが、現在、こうして着任されて、短い期間ではありますが、でも、最初の一年目、この当初の思い、地元の人たちとどういうふうに溶け込めるような環境というものをつくってこられているのか、教えていただけますでしょうか。

山崎参考人 山崎でございます。今日はありがとうございます。

 お答えをさせていただきます。

 F―REIが世界に冠たる創造的復興の中核拠点を目指す、その上で、立地する浜通り地域等の住民や、それから市町村、そして学校などと緊密な連携関係を構築させていただくとともに、地域の皆様に最終的にはおらがF―REIと呼んでいただけるように、実感いただけるような存在となることが極めて重要というふうに心得ております。

 そのためには、一つ一つでございますけれども、まずは、研究者や職員が一か所に集まって住むような、いわゆるF―REI村と呼ばれてしまうようなものをつくるのではなくて、できる限り地域のコミュニティーに溶け込んで、例えば、八時―五時は研究者ではありますけれども、五時を過ぎたら地域の住民の一人として溶け込んで暮らせるような環境整備を私自身は願っていることで、あちこちでそういう発言もさせていただいているところでございます。

 それから、人材育成という面では、ふたば未来学園や福島高専を始め、浜通り地域に立地する教育機関との連携は極めて重要であり、今年度はまず、私を先頭に、役員しかまだおりませんので、僅かな研究者しかおりませんので、それぞれの学校に出向かせていただいて、科学技術の面白さとか大切さ、そしてまた、若者たちがこれから生きていくためにどう学べばいいかという辺りをしっかりと教え込む、いわゆるF―REIトップセミナーというのを合計で十六回開催をさせていただきました。

 まだ施設がない段階でございますが、地域の高校生の皆さんをそのうちF―REIに招いて、研究助手として登用させていただき、実際にF―REIの研究開発などに従事していただくというような構想も今温めているところでございます。

 私としては、浜通り地域等で育ったお子様が一度はもしかしたらその地域を離れ、地域外の大学等に進学されることも大いにあるだろうと思いますけれども、将来はF―REIに戻って研究を担う研究者になっていただく、あるいは、それを支えるようなスタッフになっていただくという形で戻っていただけたら非常にありがたいなということで、日々頑張らせていただいているところでございます。

 以上でございます。

荒井委員 山崎先生、ありがとうございます。

 今日は資料をもう一枚お持ちしております。

 資料一を御覧いただければと思うんですが、これは、震災直後に、双葉郡八町村の教育長の皆さんと、僕も当時委員で関わりましたが、福島県双葉郡教育復興ビジョンというものを作りまして、当時、たしか復興大臣は根本先生だったように思いますけれども、復興大臣にそれぞれの八町村の教育長とともに提出したものになります。

 まさにこのビジョンに基づいてふたば未来学園というのはその後でき上がっていきますし、今、いろいろ各地で再開している、また新設されている双葉郡の小中学校は、こういったビジョンに基づいて、根幹に造られております。

 もちろんF―REIは、私立という言い方は難しいのかもしれませんが、学校法人なのかちょっと分かりませんけれども、ただ、新しく新設された研究施設、大学院ということでいいますと、やはり建学の精神というのがとても大切だというふうに、特に私学人としては思っております。

 そういった意味では、今回、F―REIは、ふたば未来もそうなんですし、ほかの大熊に新しくできた学校もそうですけれども、やはり建学の精神というのは、ここに全て書かれているものじゃないか。当時の教育長たちが、自分たちの地域の子供たちにどうあってほしいかというものを書き切ったものだというふうに思います。

 これはイメージ図ですので、もう少し内容は多々ありますけれども、この中で、是非山崎先生には御認識いただきたいんですけれども、特に真ん中のブロックの一番上にあるところ、大学との連携、進学というところ、書かれています。当時から、双葉郡の教育者の皆さんが、やはり大学とどう連携していくのか、あの地域には大学はありませんでしたので、やはりそれを是非やっていきたいという強い思いがありました。

 そういうところに、今回、F―REIが来て……

高階委員長 時間が参っておりますので、質問をおまとめください。

荒井委員 即日に入るところではありませんけれども、是非こういった連携を強めていっていただきたいと思っております。

 質問を終わらせていただきます。どうぞよろしくお願いします。

高階委員長 次に、早坂敦君。

早坂委員 日本維新の会・教育無償化を実現する会の早坂敦でございます。

 私も、東日本大震災復興特別委員会、三年目になりまして、宮城、仙台市出身ということで、大役をやらせていただいております。

 早速ですが、東日本大震災から十三年がたちました。私も、今年は、三月十一日当日は、仙台市役所と宮城県庁にて献花、黙祷をささげてまいりました。土屋大臣も、宮城県庁、岩手県の津波追悼式にて献花されたんですよね。本当に心より御礼を申し上げます。

 そこで、大臣就任の際、総理から、初の女性復興大臣として、女性ならではの視点を最大限生かして、被災地に寄り添った復興政策に腕を振るってもらいたいという話をされていました。そして、就任から半年が過ぎました。この半年間を振り返って、御所感などありましたら、お願い申し上げます。

土屋国務大臣 半年、あっという間に過ぎました。それで、その間、できる限り地域にお邪魔しようと思って、本当に最大限の努力をしております。その中でお会いした方たちから受けた印象等は非常に大きなものがあります。やはり、人に会う、また現地に行く、そして現地の人のその思いを伝えてもらうということがいかに大事かというのを痛切に感じているところでございます。

 確かに、インフラはほとんど整備されて、しっかりとでき上がってきていますけれども、でも、やはり十三年たっても、地域の皆様のそのときの大変な思いというのは心にしっかりと残っているなというのを感じております。

 特に私は、今お話があったように、女性で初の大臣ということで言われておりますが、そういう意味では、できる限り地域で活躍している女性に会おうという努力をしております。というのは、この災害で、表には出ていないけれども、底力としての女性の力というのは大変大きかったと私は確信しております。そういう人たちがどういう思いでこの十三年間やってきたのかというのをまた聞くことによりまして、何かこれからの政策にも反映できるかと思っているところでございます。

早坂委員 ありがとうございます。

 私も十三年前を大変思い出しまして、その頃は、実は、政令市の仙台市なので、市議会議員を目指したんですけれども、震災のために四か月遅くなったので、そのときはもうほとんどボランティア活動で石巻に行って、ヘドロを掃いたり、あと物資を運ぶのを手伝いをさせていただいたことを大変思い出します。

 大臣、ただ、復興大臣は十三年目にして十六人目なので、是非とも続けていって長くやってほしいと思いますので、よろしくお願い申し上げます。

 次に、大臣所信のときの教訓の継承について伺いたいと思います。

 大臣所信の中で、大臣は、教訓と継承ということで、東日本大震災の記憶と教訓を後世に継承することも重要だとおっしゃっております。ここで言う教訓とは何でしょうか。人によって、地域によって、また津波の被害なのか、原発事故による被害なのか、被害の状況や程度によって感じることは異なると思います。福島県知事は、自分事として備えること、伝えることとおっしゃっておりました。私は、常に備え、感謝を忘れず、震災を風化させることなく後世に継承していくことと思うんですね。

 そこで、大臣のおっしゃる教訓とは何でしょうか。そして、それは、能登半島の震災にも生かされているのか伺います。

土屋国務大臣 まず、東日本大震災で、やはり日頃の災害対策で訓練をしていたことが非常にプラスになっている。特に小学生とか、学校での訓練が実際みんなの命を守ったということでは、私は、やはりそういう日頃の訓練というのは非常に大事だと思っております。

 やはり、何をおいても逃げろと。人間、年を取ってくると、あれを持ってこなきゃ、これを持ってこなきゃと思うんだけれども、やはり命が一番大事ですから、そこをみんなが自覚することが大事だと思っております。

 それから、能登においてもやはり日頃の訓練が生きたということを聞いております。それで、みんなが高台に逃げろと言って、津波の地域の方は一人も亡くなられなかったということはすばらしかったなと思います。そういう意味では、そういう教訓をしっかりと伝えていくということが私たちのこれからの仕事でもあろうかなと思っております。

早坂委員 ありがとうございます。

 震災から数年は、皆さん、自宅でも備蓄とかやはりそういうことをちゃんと、お風呂に水をためたりしていた方が多いんですけれども、十三年がたつとやはり風化しているというのを思いますので、是非ともこの教訓をしっかりと継承していただきたいと思います。

 そして、その子供たちについて、ちょっと震災についての心のケアに対しての取組について伺いたいと思います。心のケアということは震災直後からよく言われていますが、いまだ子供たちの心の復興が遠いとまだまだ思うんですね。

 被災した岩手、宮城、福島三県でほかの自治体に転校した児童生徒の数は、圧倒的に福島県の児童生徒が多いです。福島県では、自治体が把握しているだけでも三万人の子供たちが避難しました。それから十三年がたち、大人になっても心の傷を抱えたままの人たちは少なくないんですね。

 原発事故の避難区域にいた住民を対象に福島県が続けている健康調査によると、直近の二〇二一年度は、十六歳以上で気分障害や不安障害、ハイリスクな精神的問題を抱えている割合は、六十五歳以上が四・八%、四十歳から六十四歳が七%だったのに対して、当時児童生徒だった世代が含まれる十六歳から三十九歳は八・八%なんです。被災していない一般の人たちは三%とも言われております。大人より子供たちの方が心の傷が癒えていないということは示されていると思います。

 原発事故による放射能という目に見えない恐怖というものもあったと思いますが、先の見えない避難生活の中、転校先になじめず中退をしたり、不登校になったり、引きこもりになってしまうなど、転校や転居をしなくちゃいけないのが大きな要因だと思います。

 そこで、震災直後、岩手、宮城、そして福島の三県にスクールカウンセラーが派遣されたり、東日本大震災中央子ども支援センターが設置されたりしましたが、国は心のケアのためにどこまで本気なのか、そして、どこまで、どのようなこれから対応をするのか、検証がなされたのか、支援は十分だったのか、能登半島地震で被災した子供たちの心のケアにも生かされているのかを伺います。

宇野政府参考人 お答え申し上げます。

 特に子供を含む被災者の心のケアは被災地に共通する課題として残されており、その課題、取組は重要だというふうに考えております。

 このため、復興庁としては、関係省庁、関係地方自治体と連携して、先ほどお話がありました子供の心のケアセンターを設置し、子供の心のケアの取組を支援しているところでございます。

 また、文部科学省におきましては、子供たちが安心して学校生活を送るために、スクールカウンセラー等の派遣を支援しているところでございます。

 これらの支援に当たりましては、避難生活の長期化等に伴い、被災者の課題が個別化、複雑化しているといった地域の実情を踏まえつつ、引き続き、関係省庁と連携して、きめ細かく取り組んでいきたいというふうに考えているところでございます。

早坂委員 是非、心のケアは大事でございます。私も娘と息子がいて、もう二十五と二十三なので、当時は小学生だったんですけれども、その当時、いろいろ、要はお手伝いに来てくれたりしたんですけれども、でも、まだ大きな津波の被害とかを受けていないので、そのためにも、うちの娘なんかは自衛隊員になったりしていましたので、やはりそういう教訓があったからこそだと思いますので、是非とも、まだ元気な子供たちはいいですけれども、まだまだ癒えない子供たちのためにもしっかりと今後とも取り組んでいただきたい。

 次に、そんな中で、現在の遺児や孤児の状況、取組について伺います。

 前の前の大臣は、風評被害の払拭と風化の防止という二つの風と戦うとおっしゃっておりましたが、御自身が本当にあっという間に風のようにいなくなったということで、過去最短の復興大臣でした。しかし、就任会見では、遺児、孤児の皆さんのフォローアップが大事だとしっかり意気込みを語っておりました。私も当時、大臣のお考えに同意見でした。

 私は、以前、児童福祉施設でも働いていたんですね。そこで毎日子供たちと接しておりました。物はお金を出せば買えるかもしれません。唯一肉親である親はそうはいきません。親を亡くした子供たちをしっかりフォローしていくことが政治の役割ではないかと思います。

 人数が少なくなったからという問題でもないんです。当時質問させていただきましたが、その後、遺児、孤児のフォローアップはどうなっているでしょうか。心のケアと同時に息の長い支援が必要となると思いますが、現状はどういった取組を行っているのか、また、今後の見通しについて併せて伺います。

宇野政府参考人 お答え申し上げます。

 東日本大震災では、被災された方全ての人が大変な思いをされましたが、中でも震災遺児、孤児の方は肉親を失っており、本当に大変な思いをされたものというふうに思っております。

 復興庁としては、関係省庁と連携し、関係自治体からの声を伺うとともに、震災孤児の方へのアンケート調査を実施するなど、状況の把握に努めてきているところでございます。この調査では、例えば、これまでの支援に関し、生活や進学、就職の面で孤児の方々から一定程度評価していただき、生活の助けになっているという声も伺っているところでございます。

 引き続き、東日本大震災により震災遺児、孤児となっておられる方に対しまして、関係省庁や自治体と連携して、復興庁としても必要な支援に努めていきたいというふうに考えております。

野村政府参考人 お答え申し上げます。

 被災三県で震災遺児、震災孤児として認定をされて、昨年三月一日時点で十八歳未満である子供の方々の人数というのは、遺児が三百三十七人、孤児が十八人ということで被災三県から報告を受けております。まだ現実にいらっしゃるということになります。

 こうした遺児、孤児の方々に対する支援につきましては、心のケアの観点などから、これまで被災者支援総合交付金によりまして、自治体での取組といったものを支援をしてきているところでございます。

 具体的に申し上げますと、岩手県では、いわてこどもケアセンターというものを設置をいたしまして、巡回相談、あるいは福祉、教育関係機関からの相談支援を受けるといったこと、宮城では、みやぎ子どもの心のケアハウスにおいて、心の悩み、あるいは不安への相談など心のケアを実施したり、福島では、ふくしま子どもの心のケアセンターを設置して、原発事故に起因する不安や悩みを抱えるお子さん、さらにはその保護者の方々への支援に取り組んでいるというような活動が展開されているところでございます。

 引き続き、復興庁さんを始めとする関係省庁と連携協力いたしまして、被災自治体の御意見、御要望も伺いながら、必要な支援を展開してまいりたいと考えております。

早坂委員 ありがとうございます。

 やはり、まだまだ福島の復興は続きますけれども、十八歳まで養護施設だと見てもらえますよね。しかし、僕も仙台市議時代によく地元の施設に行ったんですけれども、十二年前なので、実はその当時、児童施設にいる子供たちは携帯電話も持てなかった。ただ、十八歳になっちゃうとすぐ出ていかなくちゃいけないという問題が、今はどうなっているか分からないんですけれども、そういう十八歳以降の取組も、やはり遺児、孤児さんだけじゃないですよ、だから、特にしっかりと取り組んでいただきたいなという思いでございます。

 次に、人口減の時代に合わせた町づくりについて伺いたいと思います。

 東日本大震災では、過疎化が進む地域で、また高齢化が進む地域で大災害が起きたとき、町並みや産業の再興、人々の生きがいを取り戻すことがいかに難しいかということを強く感じました。東北の経験は、能登半島の復興に生かされていかなければなりません。津波被害が多かった岩手、宮城両県の沿岸部では、住宅の再建や道路、鉄道網など人々の生活に欠かせないインフラは、ひとまず整備は完了しております。

 しかし、被災地には思うように人が戻ってこないのが現状だと思います。最新の国勢調査では、被災三県はいずれも全国水準を上回るスピードで人口減少が進んでおります。過疎や高齢化が進む地域で震災が起き、復興事業が長引く間に人口が流出したという形もあると思います。まさに元日に起きた能登半島地震は、過疎や高齢化の目立つ地域が地震に襲われたという点で、東日本大震災と重なる部分も多いでしょうが、また、復興に向けた町づくりを進める中、これまで進んできた東北の復興の過程は参考になると思います。

 石川県の馳知事は、単に地震前の状況に戻すのではなく、人口減の時代に合わせて町を進化させていく創造的復興を掲げております。東北の被災地が直面する課題は、能登だけではなく、日本の各地域が自分事として向き合わなくてはならない問題でもあります。

 少子高齢化の時代に、地域産業再興、伝統文化の振興、継承、子育て、医療体制等、どうすべきなのか、自分たちの町が大地震に見舞われた際、どう立て直していくのか、人口減の時代に合わせた町づくりの考え方、課題を伺います。

宇野政府参考人 お答え申し上げます。

 人口減少の中での町づくりにつきましては、まず、産業とか、なりわいの再生等に取り組むことが重要だというふうに考えております。被災地における雇用創出を通じて、地域経済の活性化を図る取組をこれまで行ってまいりました。

 また、被災市街地においても、復興に向けて様々な工夫がされております。例えば、宮城県の女川町のように、女川駅等を中心としたエリアに都市機能を集約し、人口減少下でも活力を維持、創出をすることを目指した事例、それから、宮城県仙台市の荒浜地区のように、集団移転の移転元地を大規模体験型観光農園として活用することで新たな魅力を創出し、集客だけでなく地域の関係者の連携も実現している事例、こういったものがあるというふうに承知しております。

 さらに、人口減少は全国の地域にも共通した中長期的に取り組むべき課題であるということで、関係省庁と連携して、地方創生の施策を始めとする政府全体の施策も活用しながら取り組んでいかなければいけない問題だというふうに考えております。

 こういった東日本大震災の町づくりにおける様々な教訓、ノウハウにつきましては、能登半島地震からの復興など、今後の大規模災害の復興に対しましても生かしていきたいというふうに考えております。

早坂委員 実は、仙台市は一時期、震災後には何千人か減ったんですが、それから、今はもう百九万七千六百二十人と増えている。やはり一極集中で、政令市なので。しかし、震災当時は、女川、先ほど言いました、あと石巻であったり名取であったり、やはり被災地の方々も引っ越したり、福島の方も引っ越してきてくれたのもあります。

 ただ、そのときはすぐに引っ越しとかできなかった状態だし、そして、また戻りたいというか、先ほども言いましたとおり、心のケアがまだ整っていない方、しかし、自分たちの町に帰りたいというお父さん、お母さんもいると思いますが、やはりこの人口減というのは、これからの少子高齢化、震災だけではなく、しっかり取り組んでいかなくちゃいけない。特に東北地方はなかなか減少している地域が多いので、我々もしっかり取り組んでまいりたいと思いますので。

 次の質問に行きますが、住民が再建を検討するに当たり、必要な説明をしていたかをちょっと伺いたいと思いますが、東日本大震災の市街地復興事業を検証した国土交通省の資料によると、岩手、宮城、福島の三県では、高台、内陸に移転する防災集団移転促進事業で造成した土地の活用率は、二〇二三年三月末時点で九七%です。そして一方、土地をかさ上げして現地再建する土地区画整理事業は、二〇二三年十二月末時点で七三%にとどまりました。

 町を移転するか、その土地を再建するかですが、この活用率の差はとても大きいです。土地区画整理事業は、地権者の同意を得るのに時間が大変かかるんです。また、土地の売買にしても、先祖の土地を手放したくないんだと。その事情や、土地のかさ上げの後も、所有者は、変わらずそれを利用するまで十分に考えられない面もあったのではないかと思います。防集事業は市町村が本当に参加戸数を把握した上で土地を取得し、移転先の土地が前提のため、規模を柔軟に変えることができます。どちらが正しいということはありませんが、住む方たちが最善と思う選択をされるべきです。

 しかし、行政としても、人口減少を予測して、町の規模を適切に設定することは重要だと思います。行政と地域住民との話合いはどこまで将来を見据えたものだったのか、その点を考慮した情報提供、そしてまた説明をされていたのか、行政が進める復興の町と、一人一人が、住民や生活を再建する個人の復興にずれはなかったのか、そしてまた能登半島地震にも生かされているのか、御説明ください。

宇野政府参考人 お答え申し上げます。

 先生おっしゃるとおり、地域の復興まちづくりに当たりましては、地域の住民の意見をよく聞いて合意形成を図っていくことが非常に重要だというふうに考えております。

 今回の東日本大震災の復興に当たりましては、被災自治体において復旧復興に向けた具体的な町づくりの計画を作成するに当たりまして、住民の再建意向を把握した上で、町づくりの方針、事業制度等について説明会やワークショップ等を開催し、住民に対する情報提供や意見交換がなされたものと承知しております。

 また、国におきましても、平成二十四年一月に、国土交通省が被災自治体に向けまして、先ほどの防災集団移転促進事業ですとか土地区画整理事業等の内容や運用の考え方を示してガイドラインを公表し、各被災自治体による町づくりの計画策定を後押ししているところでございます。

 能登半島に関しましては、大臣にも行っていただきましたけれども、倒れている家、その隣は健全として残っている家ということで、それぞれの被災状況が違うということで、大変またこれは丁寧に合意形成をしていかなきゃいけないというふうに感じたところでございます。

 こうした東日本大震災での復興に向けた取組の教訓を生かして、そういったノウハウをちゃんと伝えて、生かしていただきたいというふうに考えているところでございます。

早坂委員 そうですね、能登半島地震と、もちろん東日本大震災、全然違うケースだと思います。

 私も、当時、女川とかに行ったり、石巻に行っても、仙台市もですけれども、沿岸地域はもう本当に、特に、爆弾が落ちたような感じで、全部家がなくなっていたりして、このまま本当にどうやって復興が始まるのかなという思いもありました。しかし、でも、やはり皆さんも今までの教訓をしっかり生かして、能登半島の復興も続けてほしいです。

 そして、次の質問に参りますが、災害ケースマネジメントの取組について伺いたいと思います。

 東日本大震災、災害ケースマネジメントという支援の仕組みが広がりました。その発端は私の地元仙台市でした。訪問調査によって、世帯ごとにカルテを作成し、個別世帯の状況に応じて必要な支援を行いました。

 災害ケースマネジメントは、熊本地震、そして平成三十年の七月の豪雨災害でも実施されました。取組が広がる中、鳥取県が全国で初めて平時から制度化し、現在は福島県も取り入れております。国でも取組を、事例集や実施の手引を作成し、令和五年五月の防災基本計画の見直しでは、災害ケースマネジメントの実現を明確化することに至りました。

 災害が起きたとき、基本的な支援者は、行政、特に地方自治体に限定されます。しかし、ある地域にたまにしか起こらない災害に対して、平時に適応した地方自治体は慣れない仕事をしなければならないんです。

 被災者の支援、制度の上に、担い手は基本的に地方自治体という体制、考え方が続いてまいりましたが、東日本大震災をきっかけに、個別世帯の状況に応じた多様な主体の支援の取組が広がりました。そこで、もちろん行政が何でもやるわけでもなく、できるわけではありません、専門性を持った各主体と役割分担して支援していくことは効率かつ効果的だと思います。是非、改めていただきたいと思います。

 しかし、現在、石川県においても、民間団体の方が在宅避難者のお宅を一軒一軒訪問して調査しておりますが、マンパワーが全く足りていない状況です。災害が起きてから体制を整えるのではなく、平時から位置づけをはっきりさせ、地方自治体にもしっかり体制を整えるようにしていただきたいと思います。

 まだまだ課題はあると思いますが、行政だけではできませんので、しっかり民間と連携できる環境整備をお願いいたしたいと思います。また、能登半島地震における状況を併せて御説明をお願いします。

上村政府参考人 お答えいたします。

 内閣府では、被災者が抱える多様な課題が解消されますよう、一人一人の被災者の状況を丁寧に伺い、関係者が連携して必要な支援を行う災害ケースマネジメントを促進しております。

 これまで、委員御指摘の仙台市の事例を含めまして、また、これも委員御紹介いただきましたわけですけれども、自治体の好事例を取りまとめたような取組事例集ですとか手引を作成し、また、昨年の五月の防災基本計画において、災害ケースマネジメントという言葉をはっきりと書きまして、それに取り組むべきことを明確化したところであります。

 また、平時から官民が顔の見える関係で連携体制を構築していくことが重要でありますことから、今年度、行政職員に加えまして、社会福祉協議会を始めとする福祉関係者、弁護士等の士業関係者、NPO等の民間団体など、支援に関わります幅広い方々を対象とした説明会を全国十県と連携して実施したところであります。

 現在、石川県におきましては、県内の市町が連携しまして、被災者台帳などを活用しながら、被災者の居所や支援制度の利用状況の一元的な管理を進めているほか、福祉の専門団体、またNPO等が連携した戸別訪問の実施、そして、ホームページやSNS、それから、高齢の方が多うございますので、広報紙ですとか防災行政無線などによります被災者への情報提供などに取り組んでおりまして、災害ケースマネジメントの考え方に基づいた取組が進められていると承知しております。

 内閣府といたしましても、被災者一人一人に寄り添った支援が行われるよう、引き続きしっかりと取り組んでまいります。

早坂委員 平時より、やはり官民一体化をしてしっかり取り組んでもらいたいんですけれども、この本を書いたクリエーターの大土君という方なんですが、NPO法人をやっていまして、ボンド・アンド・ジャスティスという団体をやっていまして、十三年前から実は被災者復興のボランティアをやっておりまして、東日本だけじゃなくて、能登半島に一月五日から食材を集めて、もうずっと今も入っている状況なんですよね。だから、こういう方々と一緒に取り組んでいってもらいたいという、別にこの方という限定はないんですけれども、やはり官民一体でしっかり取り組んでいただきたいという思いですので、よろしくお願いを申し上げます。

 ちょっと時間がなくなってきましたので、最後の質問をさせていただきます。

 最後に大臣にお願いをしたいんですけれども、東日本大震災から十四年目を迎えます。津波被災地域では、もちろん、宅地整備など復興事業はほぼ終わりました。人口減少に歯止めがかかりません。しかし、各地、過疎化や高齢化に拍車がかかる中、地域防災力をどう維持し高めていくのかは大きな課題だと思います。原子力災害被災地域は津波被災地域とは現状が大きく異なります。

 そして、福島原発は、燃料デブリの取り出しなど、廃炉に向けた作業に全体的に遅れが生じております。そのほか、ALPS処理水放出に係る対応、帰還困難区域、また避難指示が解除された地域の取組など、もう本当に問題は山積しております。息の長い支援、取組が必要です。

 また、東日本大震災を知らない子供たちも出てきております。風化させない努力、取組も必要です。被害がまたやってまいります。いつどこでどのぐらいの規模なのかはっきり分からないからこそ、私たち一人一人が平時から防災意識を高めると同時に、行政もアップデートし続けていかなければならないんです。このように、十三年たっても様々な問題があり、中には新たな問題も発生しております。

 最後に、震災から十四年目を迎えるに当たり、福島の復興、東北の復興にかける大臣の思いをお願いを申し上げます。

土屋国務大臣 いろいろな今日の質問の中で、本当に答えが出ているのかなと思いますけれども、先ほどの、ハード面は大体完了した、だけれども心のケアとか、あとはなりわいもまだまだだということもあると思います。これは、人口が減少している中で、なりわいを大きくやはり広げていくということ、それから企業誘致なんかも非常に大事だと思います。

 それから、今日、F―REIの山崎理事長がお越しでございますけれども、昨年四月にF―REIが設立されました。これは大変な大事業でございます。皆さんのお力をかりながら、一歩一歩しっかりとF―REIを立ち上げていくということが大事だと思いますし、また、帰還困難区域において、二〇二〇年代をかけて帰還意向のある住民の方々全員が帰還できるよう、これは大きな仕事だと思いますけれども、特定帰還居住区域制度が創設されたわけでございますので、これも着実に進めていきたいと思っております。

 そしてまた、先ほど言いました原子力災害地域においては、まさに復興のステージが進むにつれていろいろな問題が出てきておりますので、これに対応しながら、今後もしっかりと廃炉に向けて頑張っていきたいと考えております。

 いずれにしても、地域の皆さんの声を聞きながら、本当に、現地に足しげく赴いて、しっかりといろいろな課題に向けて頑張っていきたいと思います。

高階委員長 早坂君、時間が参っております。

早坂委員 ありがとうございます。

 私も実は三月十一日が誕生日でございまして、しっかり天命を懸けて、粉骨砕身、震災復興に向けて頑張ってまいりますので、よろしくお願い申し上げます。

 質問を終わります。ありがとうございました。

高階委員長 次に、高橋千鶴子君。

高橋(千)委員 日本共産党の高橋千鶴子です。

 能登半島地震が発生した元日、志賀原発から北に十キロほどの地域に住む男性が、自宅が壊れ、原発のことまで考える余裕がない、何ともなくてよかったと声を出したことを、二月二十一日付の朝日が報じています。

 石川県の計画では、原発が立地する志賀町の北部の住民は山間部を抜けて能登町に避難するが、基本的な避難ルートの十一路線のうち七路線が崩落や亀裂で寸断、いわゆるPAZ、UPZに当たる三キロから十キロ圏内では、一時、輪島市と穴水町の計八地区が孤立状態でした。

 二月六日の東京新聞は、志賀町の稲岡健太郎町長が、海にも空にも逃げられないと述べたと報じています。

 原発事故と自然災害という複合災害のときに、避難はどうあればよいのか。東日本大震災は、地震、津波という自然災害と原発事故による複合災害であり、既にその時点で課題は明確だったと思います。この点で、福島第一原発の事故は避難においてどんな教訓があったか、大臣の認識を伺います。

土屋国務大臣 福島第一原子力発電所事故を踏まえた原子力防災に関する教訓としては、例えば、住民の避難等の範囲が、事前に防災対策を重点的に充実すべきとされた範囲、八キロから大幅に増えて二十キロになったということ、事故の進展に応じて避難区域を拡大した結果、多くの住民が避難先を転々とせざるを得なかったこと、そして、病院や福祉施設の入居者が避難中又は避難先で亡くなるという痛ましい事態が発生したこと等が挙げられると思います。

 このような教訓を踏まえて、内閣府では、原子力発電所の所在地域ごとに地域原子力防災協議会を設置して、各地域の原子力防災体制の充実強化を図り、原子力災害対応の実効性の向上に取り組んでいると承知しております。

 復興庁としても、東日本大震災、原子力発電所事故の風化防止と教訓の継承がなされるよう、関係省庁と連携してまいりたいと考えております。

高橋(千)委員 ありがとうございます。

 本当に、どれも思い起こす事例ではなかったかなと思います。特に、避難の範囲がどんどん逆に広がっていったということでの混乱というのは非常に大きかったと思っています。

 それで、原子力規制庁に伺います。

 現在、新規制基準適合性審査を行っております。主なもので七つの電力会社、九基の原発本体施設について審査中と承知をしておりますが、避難計画の有無やその実効性については審査の対象としないという理解でよろしいかと思いますが、確認します。それがなぜそうなっているのか、理由を簡潔にお願いします。

児嶋政府参考人 お答えいたします。

 まず、新規制基準は、原子炉等規制法に基づき、施設の構造等に着目して、災害の防止上支障がないかどうかを確認するための基準であり、いわゆる避難計画は含まれておりません。

 一方、いわゆる避難計画につきましては、災害対策基本法に基づき、地域ごとの実情を熟知する自治体がそれぞれの地域防災計画の中で定めることとされています。

 また、立地地域ごとの地域原子力防災協議会が、避難計画を含む緊急時対応について、原子力災害対策指針等に照らして具体的かつ合理的なものであることを確認することとしているほか、地域原子力防災協議会において、関係府省庁が一体となって緊急時対応の具体化、充実化に取り組んでおります。

 さらに、原子力規制委員長が参画する国の原子力防災会議でもその緊急時対応を了承することとしており、原子力規制委員会としては、これらのプロセスを通じて、専門的、技術的観点から所要の役割を果たすこととしております。

 以上です。

高橋(千)委員 それぞれの役割があるというように聞こえるんですけれども、結局は、じゃ、どのタイミングで決めるのかということが、実はお互いに責任を任せている、そういうことになるんですね。そこがずっと問題に私は考えてきました。

 二月の頭に珠洲市に行ったんですけれども、その前日、青森県の大間原発三町村の首長らが来室をしました。とても人ごとではないと訴えられました。

 下北半島も半島地、まさに似たような地域でして、一昨年の豪雨災害で、国道を始め、土砂崩れで不通となりました。まさに目の前の橋を渡ればすぐそこが役場なんだけれども、それが陥没してしまったわけで、風間浦役場にたどり着くために、夜の山道を二時間以上かけて、迂回路を回ってたどり着いたことを思い出しています。

 半島部という点では、宮城県の女川原発も同様です。東日本大震災のときは、東北電力ですが、原発の体育館の中に、最大時では三百六十四名の町民を避難させております。これは、私自身が直接、被災者がいたときにその体育館に訪れているんですけれども、原発の周辺は何十か所も道路が寸断されて、ほかに逃げ場がなかったわけであります。逆に、女川原発が直接何らかの事故に遭えば、完全に逃げ場を失うということは明らかだったと思います。

 共同通信によると、国交省が公開している地理情報データを基に、道路が土砂災害警戒区域を横断しているかどうかを分析すると、建設中を含む国内十九の原発の三十キロ圏内にある自治体のうち、十八道府県、計百九市町村で、地震など災害時の緊急輸送道路が土砂崩れなどにより寸断される可能性があることが分かった。実に三十キロ圏内に含まれる市町村の七九%に当たるといいます。

 原発周辺の自治体の避難道路がこのような条件下にあるという実態はどこまで掌握されているでしょうか。その上で、どのように避難計画を作るんでしょうか。

森下政府参考人 お答え申し上げます。

 内閣府では、御指摘の道路状況も含めて、地域の実情をよく知る関係自治体、関係省庁、機関が参加する地域原子力防災協議会の枠組みの下で、自治体の避難計画の策定、充実化の支援や緊急時の対応の取りまとめ、あるいは取りまとめに向けた検討を進めております。

 具体的には、この協議会には、国交省やNEXCOや道府県、市町村、三十キロ圏内の関係自治体が参加しておりまして、これら道路管理者も参加して、地域ごとの緊急時対応において、大規模な自然災害と原子力災害の複合災害も想定して、道路が寸断した場合の防護措置についても整備してきております。

 先ほど御指摘がありましたのは道路の寸断についてでございますけれども、その対応といたしましては、避難経路をあらかじめ複数設定する、あるいは必要な代替経路を設ける、陸路が駄目な場合は海路、空路による避難、また、その避難の準備が整うまでは屋内退避を継続する、さらには、必要な場合、警察、消防、自衛隊といった実動部隊が住民の避難を支援するということとしております。

 引き続き、この協議会の枠組みの下で、自治体の避難計画の策定、充実化の支援や原子力災害対応の更なる実効性の向上にしっかりと取り組んでまいります。

 以上です。

高橋(千)委員 複数の道路が、要するに、さっき言った女川なんかはまさにそうなんですよ、西も東も南も北も八方塞がりになるわけです、道路寸断。一般的な災害であれば、そこが埋まったら代替道路と考えるけれども、そうじゃない場合が当然想定されるということも含んでいますかと聞いています。

森下政府参考人 そのような場合も想定をして、先ほど申し上げましたけれども、啓開作業に取りかかりつつも、自衛隊による住民の避難、これは実動部隊により、警察、消防、自衛隊の力をかりますけれども、それによりまして住民の避難を行うというふうに計画しております。

高橋(千)委員 想定していることとできるということは、要するに、可能な計画が組めるということは別ですからね。

 例えば、冬だったらどうしますか。私がお話をした下北半島に行く途中の横浜町という、下北半島の首のつけ根みたいなところにあるところがありますが、国道です、雪で全部塞がりました、いわゆる数珠つなぎに車がなって。自衛隊に出動要請をしました。だけれども、青森市からもむつ市からも、渋滞しているので届かないんですよ。そういう実態が起こり得るということをやはり複合的に議論をしなくちゃ駄目なんだということを指摘したいと思います。

 十七日付の河北新報によれば、能登半島地震を受け、女川原発の重大事故時の避難計画に対して不安が大きくなったと答えた方が三〇・九%、元々不安と感じていて、その気持ちは変わらないと答えた方と合わせると、六四・八%に上りました。当然だと思います。

 原災指針によれば、五キロ圏内は直ちに避難、三十キロ圏内は屋内退避を基本とします。改めて、地震なら、家屋が倒壊するなどして、屋内退避は厳しいねということが突きつけられたと思うんですね。

 原子力規制委員会は、一月十三日に女川原発関係の市町村との懇談を経て、複合災害について議論してきたと思います。一月十七日の規制委員会で山中委員長が、能登半島では、家屋が倒壊をしたり集落が孤立をしたりという状況にございますけれども、そういう状況下での原子力災害という複合災害の問題、これは非常に重要な問題であると発言をされています。

 この発言を受けて議論を始めて、どのように整理されましたか。

児嶋政府参考人 お答えいたします。

 まず、原子力災害対策指針では、住民等の被曝線量を合理的に達成できる限り低くすると同時に、被曝を直接の要因としない健康等への影響も抑えることが重要であるといった基本的な考え方を示しております。

 この考え方に沿って、各地域の緊急時対応において、家屋倒壊が多数発生する場合には、自然災害に対する避難行動を最優先で行い、地方自治体の開設する指定避難所で屋内退避をするなどの複合災害時の対応は基本的に示されているものと承知しております。

 そこで、これらの経緯を踏まえまして、去る二月十四日の原子力規制委員会におきまして、複合災害について議論が行われた結果、能登半島地震の状況を踏まえて原災指針を見直すものではないという結論に至っております。

 以上です。

高橋(千)委員 結局、重要な問題だと言ったけれども、見直しをしなかったんですね。山中規制委員長は、我々の範疇ではないと語ったと報道されて、責任逃れだなと思いました。

 さっき、最初の質問がそうなんですよ。結局、地方自治体が作るからと言いますが、地方自治体にしてみたら、自分たちの範疇を超えているんですよ、これだけの災害が起こったときに。そして、経産省も、逆に、審査は規制委員会だから、安全審査はちゃんと規制委員会がやってくれるからと、お互いに責任をなすりつけ合っている、それが実態なんです。

 規制委員会で議論された中身をざっくり言うと、自然災害時にはどのみち避難しなければならないんだ、だから、自分たちではなく内閣府防災がちゃんとやるはずだよという議論と、被曝を恐れるよりも、まず、それだけの災害になったら、いわゆる倒壊だとか、そういうことによる影響の方を先に心配をするわけだから、そういうことを考えたら、原子力災害ではなく自然災害に対する計画がしっかりできていればいい、そういう意味ですよね。

児嶋政府参考人 お答えいたします。

 自然災害に対する対応としての避難所の確保等につきましては、各地域防災計画の中で具体化、充実化されるものと承知しております。

高橋(千)委員 だから、複合災害であっても、自然災害が避難計画をちゃんとやっていれば自分たちはいいんだ、そういう理屈でしょうと聞いています。

児嶋政府参考人 複合災害を含め、自然災害に対する対応につきましては、地方自治体の各地域防災計画で具体化、充実化されるものと承知しております。

高橋(千)委員 本当に信じられない答えなんですね。

 要するに、私は、分担してもいいけれども、それぞれに限界がある、だからこそ、それを総合してちゃんと責任を持つというのは誰ですかということが知りたいわけなんですよ。ずっと聞いています。

 東電の福島第一原発が水素爆発をしたのは翌日でしたよね。十二日の午後三時過ぎです。ですから、そこまで原発が深刻な事態に至っていたことは、周辺の自治体は知る由もなかったんです。SPEEDIが作動しないと言われて、実際はしていたんですが、プルームの流れが発表されなかった。何の指示も示されないために、浪江町の住民は、津島地区、最も濃度の濃かったところに避難して幾日も過ごしたわけです。

 能登では、百十六か所あるモニタリングポストのうち十八か所で一時データが得られなくなりました。通信機能の多重化が課題になっていると聞きますが、こうしたモニタリングを仮に適切に行ったとしても、それを着実に判断する人、屋内退避じゃなくて逃げなきゃいけないよとか、そういう判断をする人は誰か、正しい情報を送る、それは誰ができるんですか。

児嶋政府参考人 お答えいたします。

 モニタリングポストの一部の測定が確認できない場合には、まず、我々が必要に応じて可搬型のモニタリングポストの設置や航空機モニタリングの実施等の代替措置を講じ、必要な判断基準に照らして、原子力規制委員会が避難等の防護措置の実施を判断することとしております。

 その判断を受けて、原子力災害対策本部が輸送手段、経路、避難所の確保等の要素を考慮した避難等の指示を、地方公共団体を通じて、住民等に混乱がないように適切、明確に伝えることとされております。

高橋(千)委員 ですから、自治体はまず原発のことを考えないわけですよ、地震だと思って、逃げなきゃいけないと思う。そのときに、モニタリングポストがどうなっているかなという話ではない状態になっている。そして、皆さんの計画は、自治体が安全な避難の計画を元々立てているはずだ、そっちが最優先だと言っているわけですよ。だったら、それを本当に規制委員会が正しく速やかに伝える、そういうことでいいんですか。あなたたちがやるということでいいんですか。

児嶋政府参考人 お答えいたします。

 複合災害時を含む原子力災害の発生の際には、原子力立地地域からモニタリングポストを通じて必要な情報を得て、原子力規制委員会において所要の判断をし、先ほど申し上げたルートを通じまして、地方公共団体を通じて指示等をお伝えいたします。

 その際には、必要な地域公共団体との連携の体制は既にできておりますし、対応できるものと考えております。

高橋(千)委員 第一原発から十キロ、第二原発から五キロの富岡町は、発災直後、原発に何か起こるなんて考えてもみなかったといいます。役場の会議をやっていて、そのまま避難した後の様子が長く残っていましたので、私もその場に行きましたけれども、町内の実情をつかんでなぐり書きしていたホワイトボード、炭化したおにぎり、つまり炭になったおにぎりがそのまま机の上に散乱していました。これは、今、資料館にそのまま再現をされております。

 そのとき、机の上には、地域防災計画原子力編というラベルの貼った分厚いファイルがありました。課長は、それを指さして、あれが何の役にも立たなかった原子力編と指を指してつぶやいたのが忘れられません。自治体にしてみたら、そういうことなんですよ。ここに適切な指示ができますかと聞いています。

 あの年の国会で、二〇一一年八月九日です、江田五月当時の環境大臣が、昭和三十年代に原子力基本法を基盤にする原子力法制ができた、そのときに、原子力発電所であるとか、あるいはその他の放射性物質を扱う場所から環境中に放射性物質が飛散するというようなことはない、そういう前提があったんですね、環境法制については、放射性物質はそもそも適用外だったということをおっしゃった。私は、反省を込めておっしゃったと思うんです。そういう措置をずっと取ってきて、今日まで来てしまっている。

 でも、あのときの反省から見て、やはり変わっていないな、こう思うんですね。想定できなかったんじゃなくて、八六年にはチェルノブイリの事故があって、放射性物質が外に飛ぶということを、IAEAはちゃんと深層防護ということで示しているんですよ。日本はその条約に締約もしています。それでもこういう状態だということでは、余りにも責任がなさ過ぎる。

 私は、こういう状態で再稼働をするということは絶対やめるべきだと指摘をして、残念ながら、時間が来ましたので終わります。

高階委員長 次に、鈴木義弘君。

鈴木(義)委員 国民民主党の鈴木義弘です。

 ちょうど十三年前、私は県会議員で、四期目の選挙の前に三・一一が起きました。地元でも五強の揺れを見て、生まれて初めてコン柱が波を打っている状況を見た一人であります。

 先ほども議論になっていたいろいろな避難計画もそうなんですけれども、やはりその教訓をどう現場に、また組織に生かしていくかというのが大事なことだと思います。

 言われて、はっと思ったんですけれども、どこの地域でも避難場所は指定されていますよね、そこが大体、小学校、中学校とか高校、公共施設と言われるところが多いんですけれども、その鍵を誰が持っているのかと尋ねられたんです。

 小学校、中学校も、今、地元に住んでいる教員が、校長、教頭、事務長でもいいんですけれども、地元に住んでいないんです。一時間も離れた、一時間半も離れたところから通ってくる現状があって、鈴木さん、避難場所と言われて、体育館に逃げろとか学校に逃げろと言われて、鍵は誰が持っているのと。最悪はガラスを割って中に入るしかないんですけれども、地元の市役所と相談をして、スペアキーを地元の消防署で預かるという形で対応しました。

 特に、組織が違うと、小中学校は市、県立の高校は県が所管、国はといったときに、国の施設があるかどうかは別として、じゃ、誰が鍵を持っているのか。身近なことでもやはり対応していかなくちゃいけないんじゃないかという一つの教訓です。

 それと、もう一つ言われたのが、これもなかなか予算がなくてできないんですけれども、体育館に避難しろ、寒いときもあれば、雨が降っているときもあると思うんですけれども、体育館のガラスが割れたらどうするんだと言われたんですね。本来だったら、フィルムを張って飛散防止をするとかというのはできなくはないんですけれども、じゃ、その予算を誰が出すか、こういう話も出てくると思います。

 だから、意外と身近なところに対応しなくちゃいけないことが、やはり東日本大震災のときのいろいろな事象を踏まえて対応していかなくちゃいけないのかなというふうに教訓の一つとして思い返しました。

 それで、まず最初に大臣にお尋ねしたいんですけれども、十三年たったんですが、帰還困難区域、最終的にはこれを解除していかざるを得ないと思うんですね。その地域にお住まいの人方、今、避難生活をしていたり、別のところでお住まいになっている方もやはり戻りたいというふうに思われると思うんですけれども、この解除の見通しをどのぐらいのスパンで立てられているのか、まずお尋ねしたいと思います。

土屋国務大臣 将来的に帰還困難区域の全てを避難指示解除し、復興再生に責任を持って取り組むとの決意に揺らぎはない、これは、総理がいつもそのことは皆さんに伝えております。

 帰還困難区域のうち特定復興再生拠点区域外については、まずは、二〇二〇年代をかけて帰還意向のある住民の方々が全員帰還できるよう、福島特措法を改正して、今、特定帰還居住区域制度を創設したところであります。御存じだと思います。

 今現在、これまでは大熊町、双葉町、浪江町及び富岡町の特定帰還居住区域復興再生計画を認定したところです。帰還を希望する住民の方々が一日でも早く帰還できるよう、除染やインフラ整備などの避難指示解除に向けた取組をしっかりと進めてまいりたいと考えております。

 いずれにしましても、いつまでというのはなかなか今の時点ではお答えできないんですけれども、順次、各自治体が除染をするべきところ、それから、帰還したい方の意向を今調査しているところでございますので、意向がある地域は、できる限り早く意向に沿って除染をして帰還してもらいたいと考えております。

鈴木(義)委員 なかなか時期を示すというのは難しいのは承知するんですけれども。

 そこで、次の質問の中で、大熊町、双葉町、浪江町、富岡町の帰還意向確認調査結果を見ますと、昨日、一番直近のものをいただいたので、数字がちょっと前後するかもしれませんが、三割ぐらいの方が帰還の意向を示しているんですね。しかし、七割の方が帰還希望なしか保留に含まれている、こういうデータを頂戴しました。

 帰還日程が先になればなるほど、帰還希望者が減少してしまうことが私は危惧されるんですね。だから、スケジュール感をある程度、これはもう十三年たったんです、一年とか二年で先の見通しを立てるというのはなかなか難しいと思うんです。先ほどから議論になっていた複合災害になってしまって、一番のネックは原子力をどうするか、放射線が高い、高くないというところが一番ネックになっていくと思うんですけれども、スケジュール感はある程度出さないと、帰りたいという人の意向調査を取っても、保留とか、そういう気持ちの方が七割近くあるということになると、なかなか帰還困難区域を解除するという方向にも向いていかないんじゃないかと思うんですね。

 そこをもう一度、担当の方でも結構ですから、どうやって戻ってもらうような形にしていくのか、大臣は立場があるので、スケジュール感はなかなか答弁できないかもしれませんけれども、事務方としてどのぐらいのスケジュール感でやろうとしているのか、雑駁で結構ですから、お答えいただきたいと思います。

桜町政府参考人 お答え申し上げます。

 先ほど大臣からも御答弁をさせていただきましたように、大熊町、双葉町、浪江町、富岡町、この四町につきまして特定帰還居住区域の認定をさせていただいているところでございますけれども、その中で、大熊町と双葉町につきましては、昨年末、既に除染に着手をさせていただいているところでございます。

 こうした作業を進めながら、また、除染をした後には生活のための上下水道などのインフラ整備も必要になりますので、こういったこともして、整った段階で解除ということになっていくわけでございまして、それをとにかく一日も早く、戻りたいという住民の方が戻れるように進めていくということが最も肝要なんだろうというふうに思ってございます。

 委員御指摘の最終的にどのぐらいのスケジュールでというところは、申し訳ありません、なかなかちょっと申し上げられないところがございますけれども、市町村としっかり相談をしながら、一日も早くやっていきたいと思っております。

土屋国務大臣 今答弁しましたけれども、特定帰還居住区域制度を創設したのは去年なので、まだどういうものかというのを、意向調査の中でも説明はしておりますけれども、皆さんまだまだ理解していない部分もあると思うんですね。それで、まさか帰れないと思ったけれども、こういうふうに除染してくれて帰れるんだと思うと、やはり徐々に変わってくる可能性も出てくるんじゃないかと思っています。

 そういう意味では、我々は忍耐強く、やはり一人でも多くの方に帰っていただきたいと思っておりますので、その辺は努力していきたいと思います。

 いずれにせよ、避難指示解除に向けた取組を着実に進めることと、帰還希望の方が生活のしやすい環境づくりもできるだけ早くして、帰してあげたいと思っております。

鈴木(義)委員 今、事務方の方から御答弁いただいたんですけれども、二町で除染が入った。

 面積がある程度分かっているわけですね、除染しなくちゃいけない面積。これも、一年もたっていないというんだったら分かるんですけれども、この十三年間の中で、ほかの地域でも除染はしているわけです。そうすると、ある程度の面積、起伏があるとかというのはこれは別の話、面積で計算して、表層だけ十センチ削り取るということをやるのであれば、大体ボリューム感が出てきて、一日どのぐらいの量を運搬をすれば除染ができるかというスケジュール感はそこで出てくると思うんです。

 なおかつ、下水道だ、水道だ、電気の敷設ということになれば、どのぐらいのメーターをどのぐらいの地域でやらなくちゃいけないのかというのは、ある程度目測がつくと思うんですよね。

 だから、除染に入ったんだったら、大体三年で何とかなりますとか四年で何とかなりますというような、希望的観測でもいいから、やはり数字を示してあげることが不安を解消することだと思うんです。

 特に、私も反省しなくちゃいけないんですけれども、安全、安心な町づくりという、安全と安心をイコールでつなげちゃうんですね。安全の基準はあっても、安心の基準はないんです。だから、この不安ということをどこまで、不安にならないように、一%でも不安だという人がいれば、やはり安全基準も崩れてしまう。

 だから、日頃からやはり安全と安心は違うんだということを言い続けなくちゃいけないし、きちっとした科学的根拠に基づいて安全基準を出さなくちゃいけないし、でも、不安はどう取り除くかということも、分けて考えていかないと、これはなかなかスケジュールを短縮していくということにつながらないと思うんですけれども、もう一度御答弁いただきたいと思います。

桜町政府参考人 お答え申し上げます。

 安全と安心、しっかり踏まえながら、住民の方々にも、納得して、安心して戻ってきていただきたいというふうに思ってございます。

 肝腎のスケジュール感でございますけれども、特定復興再生拠点区域、これを除染をして解除したケースにおきましては、これは町ごとに一括して解除いたしましたけれども、計画の認定をしてから解除するまで、町によってばらつきがございますけれども、およそ五年ぐらいかかってございます。今回の特定帰還居住区域は、もちろん面積も異なりますので、ちょっと事情も異なると思います。

 それに加えまして、今週、三月十九日に閣議決定をいたしました第二期復興・創生期間以降における東日本大震災からの復興の基本方針、新たな基本方針におきましては、段階的な避難指示の解除についても検討していくということになってございますので、そうした柔軟な対応も含めまして、市町村とよく相談をしながら、一日でも早く解除に向けて作業を進めてまいりたいと考えてございます。

鈴木(義)委員 なかなかスケジュール感を示すまでにはもう少し時間がかかるんだと思うんですけれども、今日まで復興に携わった多くの人に本当に敬意と感謝を申し上げたいと思うんですけれども、もう一息というつもりでスピード感を持ってやはり当たっていただけたらなというふうに思います。

 三番をちょっと飛ばさせていただいて、東日本大震災を契機に、所有者不明の土地という、前に法務委員会に所属していたものですから、この四月一日から法律の改正で対応していくということになっていくと思うんですけれども、震災の地域というのはすごく広いんですが、この制度によって被災地域での課題解決に道筋がついていくものなのか、今の現状をお知らせいただきたいと思います。

松井政府参考人 お答え申し上げます。

 所有者不明土地の発生予防を図る方策として、四月一日から相続登記の申請義務化がスタートいたします。

 これは、不動産を相続により取得した相続人に対し、その取得を知った日から三年以内に相続登記の申請をすることを法律上の義務とするものであり、正当な理由なく義務を履行しない場合には、十万円以下の過料の適用対象となります。また、過去に相続した未登記の不動産も義務の対象となります。

 相続登記の申請義務化は、所有者不明土地の発生原因の約三分の二を占める相続登記の未了に直接対応するものでございます。

 また、土地の利用の円滑化の観点から、昨年四月には、対策の実効性を確保するため、裁判所が選任した管理人により所有者不明土地の処分を可能とする所有者不明土地管理制度等が導入されております。

 さらに、令和八年二月二日には、相続した不動産の把握を容易にし、登記漏れを防止するため、被相続人が登記名義人となっている不動産を一覧的に証明する所有不動産記録証明制度もスタートいたします。

 法務省としては、これらの対策をパッケージで導入することにより、所有者不明土地が被災地域の復旧復興等の妨げにならないような措置を講じていくというところでございます。

鈴木(義)委員 そうしますと、今、避難をされている方も対象になるということでよろしいんでしょうか。

松井政府参考人 お答え申し上げます。

 法が施行になりましたときには、それも対象になるということでございます。

鈴木(義)委員 震災で亡くなられた方、また、行方不明で、いまだに家族は帰ってくるんじゃないかと思って待ちわびている家族の方もいっぱいいると思うんです。亡くなったという事実がきちっと把握できる方もいらっしゃれば、行方不明のままで家族はずっと待ち続けている、そういった方がもし所有者であったということになると、亡くなったか亡くなっていないかも確認が取れない。

 亡くなったという事実がきちっと把握できる方は、この四月一日からの制度でカバーできると思うんですね。でも、そうじゃない方が、たしか二千五百人じゃ利かないぐらい行方不明の方がいらっしゃったと思うんですけれども、その方の対応はどう考えるんですか。

松井政府参考人 お答え申し上げます。

 委員御指摘のような、死亡したことが明らかではなく、行方不明となられた方につきましては、先ほど御答弁を申し上げたとおり、裁判所が選任した管理人によって所有者不明土地の処分を可能とする所有者不明土地管理制度が昨年四月に施行されておりますので、この制度を御利用いただくということが十分に考えられるところでございます。

鈴木(義)委員 それで整理するというのも一つの方法なんでしょうけれども、でも、被災者に寄り添った形で復興を成し遂げるという大きな目標があるわけじゃないですか。家族の意向も何も関係なく、裁判所が結論を出せるものなんですかね。

 裁判所じゃなければ、法務省だと答弁できないと言われたらそれで結構なんですけれども、そういったことがやはりこれから先も起こり得るということで体制整備をしなくちゃいけないんじゃないかと思うんですけれども、もう一回御答弁いただきたいと思います。

松井政府参考人 お答え申し上げます。

 法務省といたしまして、司法制度の観点からお答え申し上げますと、先ほどの所有者不明土地管理制度につきましては、利害関係人の方々の申立てによるということもございますし、その方々の御意向を踏まえてするということもあり得ると思います。

 それに対応する裁判所の人員につきましては、裁判所の方で御検討されることではございますが、法務省としても、情報の提供なり必要な協力をしてまいりたいと考えております。

高階委員長 鈴木君、お時間が参っております。

鈴木(義)委員 以上で終わります。ありがとうございました。

高階委員長 次に、福島伸享君。

福島委員 有志の会の福島伸享でございます。

 まず、最初の論点で、処理水の放出に伴う風評被害についてですけれども、昨年夏の処理水の放出以降、地元ではナマコとかアワビとかに若干の影響は出ているんじゃないかというのはありますけれども、観光業等も含めて余り大きな風評被害の発生というのは聞いておりません。

 現状、政府として、処理水の放出によって水産業にどんな影響を生じているのかということについて御答弁願います。

山口(潤)政府参考人 お答え申し上げます。

 中国等によります水産物の輸入停止に伴う影響につきましては、輸出に関しまして、二〇二三年の中国向けの水産物輸出額は六百十億円と、対前年約二九・九%の減少となってございます。特に、中国への輸出依存度が高かったホタテ等の品目を中心に影響が出ていると承知してございます。

 また、国内の水産物の価格に関しましては、東京都中央卸売市場等の大規模消費地市場におきましては、全体の傾向として大幅に下落しているといったような状況は見られておりませんけれども、産地市場での聞き取りに関しましては、先ほどの輸出の関連の品目でございますが、ホタテ、ナマコ、アワビ等の一部価格が下落しているという状況が続いているとの声が上がっていると承知してございます。

 引き続き、現場の状況把握に努めてまいります。

福島委員 ありがとうございます。

 私の地元の常磐物というものも含めて、ある程度地元の水産物は堅調な状況なんだと思います。一部に出ているのはやはり中国に関わるものでありまして、こうしたことに政府はきちんと対応していかなければならないと思います。

 資料の一を御覧になっていただきたいんですけれども、これは二〇二二年十一月から二〇二三年一月のホタテガイ輸出のグラフなんですけれども、中国向けは、先ほどおっしゃったように、ゼロになっておりますけれども、アメリカ向けは一・五倍になっておりますし、台湾向けも堅調に伸びております。ベトナムやタイといった新たな地域への輸出も飛躍的に伸びているということで、これまで、八百億円の基金、二百七億円の予備費、総額一千七億円の予算を使って官民一体としている対応が効果を表しているんじゃないかなとも思うんですけれども、これまでどのような対策を講じてきたか、教えてください。

山口(潤)政府参考人 中国等によります輸入規制強化に対しましては、御指摘のありましたとおり、総額一千七億円から成る「水産業を守る」政策パッケージ及び八十九億円の補正予算におきまして、国内消費拡大、国内加工体制、輸出先転換対策の強化等の支援策を講じてございます。

 このうち、輸出先の転換対策につきましては、具体的には、ホタテの加工業者等をベトナムやメキシコに派遣いたしまして、現地の水産加工施設の視察、商談を実施するなどの取組を行ってございます。

 御指摘のありましたとおり、昨年十一月から本年一月までの直近三か月の生鮮等のホタテの輸出額、こちらは対前年同期比で、ベトナム向けが約三・五倍、タイ向けが約二・二倍、米国向けが約一・五倍に増加してございます。

 引き続き、特定国、地域依存からの脱却に向けまして、各種支援策を行ってまいりたいと思います。

福島委員 ありがとうございます。

 私、ふだんは厳しいことを政府に言うことが多いんですけれども、この風評被害対策はかなりうまくいってはいると思うんです。まだ御苦労されている方はいっぱいいますけれども、経産省や農水省の各省の連携も進んでおりますし、余り、よくいったことは褒める野党はないので、私は、今回本当に頑張っていただいたと関係者の皆さん方を評価したいと思います。

 その上で、やはり相手は中国が問題なんですね。このように、我が国は官民一体の取組で中国の影響を排除するようなことにうまくいきつつあるということで、私は、この理不尽な中国の要求に対しても強気でいっていいと思うんです。頭を下げる必要はない。あんたたちに輸出するものはもうないよというぐらいまで頑張るんだという決意を持ってやった方がいいと思うんですけれども、外務省、これまで公表ベースでは何度か、様々な局長級の会談などを行っておりますけれども、それはもう分かっているのでいいんです、それ以外にどのような努力をされているのか、是非御答弁いただければと思います。

林政府参考人 お答え申し上げます。

 ALPS処理水の海洋放出につきまして、政府としては、これまでも様々な機会を捉えて、中国側に対して科学的根拠に基づく冷静な対応を求めてきており、中国に対しては、二国間会談や多国間の場で、様々な機会に、科学的根拠のない輸入規制措置の即時撤廃を一貫して働きかけてきております。

 昨年十一月の日中首脳会談また外相会談では、日本産水産物を含む日本産食品に対する輸入規制の即時撤廃を改めて求めるとともに、ALPS処理水をめぐる問題について、建設的な態度をもって協議と対話を通じて解決する方法を見出していくことで一致しているところでございます。

 また、実務レベルにおきましても、在外公館を含め、平素から中国側に対して働きかけを行ってきております。直近の例で申し上げれば、三月二十日に行われました日中間の局長協議におきましても、本件について率直な意見交換を行い、今後も緊密な意思疎通を継続することで一致したところでございます。

 今後とも、我が国の取組やモニタリングの結果につきまして、中国を含む国際社会に対し、丁寧かつ透明性を持って説明していく所存でございます。

福島委員 中国に対し譲らないためにも、国内対策、輸出対策も含めて、全ての省庁一体となった対応をお願いしたいと思います。

 次に、F―REI、今日、山崎理事長にお越しいただきまして、ありがとうございます。

 先ほどの、研究者が地域に溶け込んで住むとか、地元高校生を研究助手にするとか、将来はそこで育った子がF―REIに戻ってくる、本当に夢のある話で、私、高二の息子が科学者を目指しているんですけれども、本当にいい環境をつくろうとしているな、やはりF―REIは浜通りにとって復興の希望の星なんだという思いで、これまでも私、五回、国会ごとに質問してきて、時に山崎理事長に失礼なことを申し上げてきたかもしれないんですけれども、その思いはただ一つで、今までの独立行政法人と同じでは駄目だ、それを超えるようなことをやらなきゃならないということですね。

 特に大事なのは人だと思っておりまして、私の言葉で、プロジェクトを実施する人をプロジェクトオフィサーとか、研究を支える人も含めて優秀な人を集めるべきだということをこれまで指摘してまいりました。

 四月一日から採用されるRA、リサーチアドミニストレーターを今募集して、英文でも募集しているんですけれども、締め切ったかと思います。これは、試用期間一年を経て無期で雇用されたり、ずっと終身雇用であったり、博士の学位を有する者を基本としたり、固定給が五百二十五万円から二千四百四十五万円、これはかなり頑張っているんじゃないかと思うんですね。

 研究者も今募集中であります。博士号が必須、研究予算は年間その研究リーダー当たり一億円程度、テニュアの場合は無期雇用、固定給が一千五十万から三千五百三十九万円、こちらも私、かなり頑張っている、思い切ったことをされていると思います。

 ただ、どういう人が応募しているのと復興庁に聞いても、何か応募人数の公表は差し控えさせていただきますと、そういう冷たい返事しか返ってこないんですけれども、理事長、現場で、今どんな感じの人が集まってきて、それは苦労されていることも多いと思うんです、もし不十分な点があったら不十分だとお伝えいただきたいですし、現場の今の感覚を是非教えていただければ、人材募集についての感覚を教えていただければと思います。

山崎参考人 理事長の山崎でございます。御質問ありがとうございます。

 先ほども少し、答弁とかぶるところもあるかもしれませんけれども、F―REIが世界に冠たる創造的復興の中核拠点を目指す上で、国内外から優秀な研究人材を確保するということが、私どもにとって最重要課題というふうに捉えております。

 現時点で、正直に申し上げますと、施設がまずありませんし、それから、生活環境も決して十分とは言えないということから、国内外から即座に優秀な方々、研究者にお越しをいただくにはなかなか厳しい環境にあるな、バリアは高いなというふうに認識をしております。

 ということで、そうはいいながら研究を始めていますので、当面は、クロスアポイントメント制度という、どこかに所属されながら我々のところにも所属していただいて、我々が思う研究を進めていただくという方向ですが、着実にF―REIの研究者の裾野を広げていくということを根底に考えておりまして、既に一部のPIの公募を、先ほども触れていただいたとおり、開始をしておりますし、国内外のアドバイザー、そしてまた委託研究先の大学等の研究機関の御助言やら御協力も得ながら、個別の交渉も片方では進めさせていただいております。

 報酬については、先ほど触れていただいたとおり、政府の内々の了解もいただきながら、ああいうことで進めさせていただいておりますので、まずは処遇という観点ではある程度の準備ができつつあるなと。

 もう一つ研究者にとって大事なのは、あわせて、やはり研究環境がすばらしい、あそこに行って自分の研究をしたい、F―REIの言う研究を一緒にやりたいというふうに思っていただきたいので、そういう意味ではまだまだ環境が整っているとは思ってはおりません。

 研究者の皆さんが研究に専念できる環境整備と併せて、先ほど触れていただいたリサーチアドミニストレーターという役職でございますが、研究者を支えるこういう役職の方々についても公募をさせていただき、応募が九名ございました。その中で今二次選抜を進めているところで、四月一日にぴしっとスタートできるか、ちょっと心もとないところもありますけれども、それなりの、我々の感覚で、来てほしいなと思う方がゼロ名ではなくて数名はいらっしゃるので、それをてこにしながら、これからまだまだ公募をさせていただきながらというふうに思っています。

 それから、研究者につきましても、委託先にもしっかり育ててくださいということをそれぞれお願いを、それ相当の研究機関にはお願いをさせていただいておりますので、そのうちというか、我々はまだ土地も、土地を今やっと買っていただいているところですが、建物はないので、少しずつ向こうで育ててもらって、建物が建った段階でさっと我々のところに来ていただくようなことを想定をしております。

 もう一つは、我々としては、家族とかにとっても充実した生活環境がないと、なかなか外国から即座にはお呼びできないなというふうに、今現在だと多分、来てやるぞとおっしゃっても、きっと仙台か東京に家族がおられて、お父さんかお母さんか分かりませんけれども、研究者だけが浪江に毎週通うようなことしか想定できないんですね。なので、そっちの方も自治体にもいろいろお願いをさせていただきながら、一緒に生活環境もしっかりと我々整えていきたいなというふうに、いろいろなところにお願いしているところでございます。

 以上でございます。

福島委員 率直な思いをお伝えいただき、ありがとうございます。

 私、茨城なので、筑波学園都市ができたときから今の発展に至るのを見ているので、そのときとすごい似ている状況なんですね。やはり理事長任せでは駄目だと思うんです。これは各省、文科省、経産省、産業界、そういうのも必要ですし、時には岸田総理自身が海外に行って、いい研究者はいないかと外国の首脳に言うことだって必要だと思うんですね。やはりこれは全部の省庁がやらなきゃならないし、先ほどの生活環境の話とか、全ての総合力を取りまとめるのは、私は、やはりこれは土屋大臣の役割だと思うんです。

 ずっと今日も山崎理事長の話を聞いていると、やはり一番希望が持てるのはこのF―REIですよ、福島で。それを成功させることが逆に福島の復興にもつながっていくと思いますので、その点、全ての省庁で、政治も前面に立って、かつてのOISTをつくったときの尾身大臣のようなリーダーシップを是非発揮していただきたいと思うんですけれども、大臣の御決意をお聞かせください。

土屋国務大臣 中身については、理事長から今るる説明がありましたので省かせていただきますけれども、私も、大臣になってF―REIの話を聞いたときに、すごく夢を持ちました。そして、何とかこれを成功させて、福島から、そして東北から世界に向けてすごい発信をしていきたいなという思いでございます。

 元々これは、スタートは岸田総理の肝煎りでございますので、総理も非常にしっかりと気持ちを持っていて、何とかしてほしいという思いはありますので、みんなで一丸となってしっかりと頑張っていきますので、委員におかれましても、いろいろ知見を持っていらっしゃるので、私たちに示していただければありがたいと思います。

福島委員 私の選挙区は常磐線沿線でありまして、常磐線沿線とつながっておりますし、この話は、茨大とか筑波大の学長さんとしたときも非常に関心を持っていらっしゃいました。そうした地域、東北大も含めた地域の連携が図れることだと思いますので、私もずっと応援させていただきますので、是非、山崎理事長におかれましては、期待を申し上げますので、頑張っていただければと思います。

 ちょっと、もう一問、内閣府さんを呼んでいたんですけれども、時間がなくて。まだありますよね、一般質疑は。あると信じて、次の質問は、是非与党の皆さんにも、長島筆頭理事を始め御協力いただいて、次の機会に回したいと思います。

 本日は、ありがとうございました。

高階委員長 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会します。

    午後零時五分散会


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